【前編】 【後編】の続きです。

878 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 22:18:30.95 OyIkeBgo 417/473


「麦野ー!おっ邪魔っしまー…」


太陽が西に傾く頃、フレンダは麦野の寮を訪れた。
麦野の部屋に足を踏み入れた瞬間、手に持っていたボストンバッグをドサリと床に落としてしまう。
何が起こっている?
誰にともなくそう呟いてしまうの無理はない。
12畳ほどの室内。開け放たれたクローゼットからは雪崩のように高そうな服やバッグが室内に零れ、
ベッドの上からテレビ、ソファにいたるまで全てが彼女のお洒落用品達で覆い隠されている。
その中心で、右目に眼帯をした麦野が膝を抱えて真っ白になってすんすん鼻を啜っていた。


(匂いが無いだけで散らかり具合はゴミ屋敷と変わらない訳よ)


一先ず自分のバッグは玄関先に放置しておいて、キッチンを抜けて服山のど真ん中で絶望的な
表情をしている麦野に近寄るフレンダ。
一着買うだけでフレンダの服全身が揃えられる程の超ブランド品の数々を足で押しのけながら近づいていく。
ちなみに浜面であれば一週間分のコーディネートが出来る程の額である。


(これ何回着たんだろ、新品みたい。うわ、こっちなんか値札付きっぱなし…カットソー一枚7万て…。
 ゲェッ、このバッグ確か700万くらいする奴じゃ…雑誌で見たことある。
 こっちの時計はスイスの職人が一個一個手作業で作ってる値段の付けられない品物とか
 聞いたことあるようなないような…)


直視するのも躊躇われる麦野の私物の高額さ。
だが麦野はあれもこれもと節操無くブランド品を買い漁っているのではない。
服一着買うにあたり、縫製がどうだとか、使っている生地がどうだとか、今期のコンセプトが云々、デザイナーの思想と
ブランドの歴史がどうのこうの等ととにかく面倒くさい諸々のハードルを超えたのが、たまたまこれら高額な商品だっただけである。
一般的に広く認知されている知名度の高いブランド品も所々あるにはあるが、ミーハーを嫌う麦野は
日本国内ではほとんど知られていない、知る人ぞ知るデザイナーズブランドの服やバッグを
わざわざ海外から取り寄せているといったような話をチラッと聞いたことがあった。


「ど、どうしたの麦野?」


そうしたお宝の山達をそろりそろりと通り抜けて、フランダが体育座りで灰になっている麦野にそっと声をかけてやった。


「…フレンダ?」

879 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 22:21:20.66 OyIkeBgo 418/473


こちらに気付いていなかったらしい。
麦野は驚いたように顔をあげて、ジワリと目に涙を溜めた次の瞬間、ガバリとフレンダに抱きついた。


「フレンダー!!」

(おっほ!今日の麦野は積極的だぜ。服の山でベッドみたくなってるし、このまま押し倒して…って違う違う!)


鼻腔をくすぐる麦野の甘い香りに理性を吹っ飛ばしかけたフレンダが、慌てて首を振り、麦野の両肩を押さえて体を離す。


「ど、どうしたの?ってか結局何これ。私今日来るって言ったよね…?」


恐る恐るフレンダが問いかける。
そもそも今日何故麦野の家に来たのか。今日は麦野が病院を無事退院してか5日目。
麦野の退院記念に隠れ家あたりで一騒ぎしようという計画を伝えに来たのと、
浜面とのその後の進展をじっくり聞いて冷やかそうと考えて泊まりに来たところだった。
学校終わりに来たので現在時刻は夕方5時前。夜には滝壺と絹旗も来ることになっていた。
それが蓋を開けてみればこの有様である。
女の子四人、仕事抜きでガールズトークに花を咲かせようという日に、こんな散らかした部屋で出迎えてくれるとは
なかなかに挑戦的だ。


「ご、ごめん。気がつけばこんなことに…」


しゅんとうなだれる麦野。
こんなに片付けの出来ない子だっただろうか。
フレンダは呆れたようにため息をつき、とりあえず自分たちの周りの服を畳みながら話を聴いてみることにする。


「結局、分かるように説明してくれる?」

「聞いてくれるの?」


目尻に涙を光らせながら、麦野がおずおずと尋ねる。
しおらしい麦野にムラムラするのをこらえながら、フレンダは頷く。


「実はさ、昨日こんなことがあって…」

881 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 22:25:52.69 OyIkeBgo 419/473


―――――


昨晩、麦野は浜面に告白された日から日課となった彼との電話を胸の高鳴りと共に楽しんでいた。
入院中、日中の面会時間中はほとんど『アイテム』の女子連中や打ち止めが麦野の部屋にいたため、浜面と
二人きりになる時間が無かった。
しかも浜面もどうも学校に通い始めたようで、そもそも彼が籍を置いている学校があること自体にも
驚いたが、何よりそれによって二人きりの時間というのはあの日以来退院するまで皆無であったのだ。
そうした寂しさを紛らわせるために始めたのが、この電話という手段だった。
だが、既に退院して二人きりの時間を作れるようになった今であっても、二人のその習慣は変わることなく、
今日も麦野はベッドの上で枕を抱えながら浜面と電話をしている。


「それにしても、何でアンタ急に学校なんか行き始めたの?」


麦野の何気ない問いかけに、浜面は携帯電話の向こうで照れ隠しのそっけない口調で答えを返してきた。


『なんでって…麦野と付き合うんだから、高校くらい出てねえとまずいかなって思ったんだよ。
 今年は出席足りなくて留年しそうだけどな」


その答えに、麦野は頬を赤くしながら息を呑む。
彼と付き合っているということを意識しただけで、未だに鼓動が速まる純情な麦野。
しかも自分のためにそういう行動に出たと言うのだから、バカップル街道絶賛全力疾走中の麦野からすれば
とんでもなく嬉しい言葉に違いなかった。


「ばぁか。アンタはそのまんまでいいのよ」

『そうかい。ま、お前が学校通い始めたの見て触発されたってのもあるけど』


退院翌日のファミレスでの一件以来、割と真面目に学校へと通っている麦野。
クラスメイトの中にはまだまだ自分のことを腫れ物でも触るかのように扱う人間も多いが、
それでも何人かは仲良くなれそうな女子生徒とも知り合えたし、元々勉強も運動も人並み以上にこなせる
麦野としては学校に通うことそれ自体は大して苦痛ではなかった。
朝起きるのが面倒なことと、私服を着てお洒落をする機会が減ったのが少し残念だと思う程度の不満しか無い。
しかも、後者に関しては制服を浜面が可愛いと言ってくれたので着るのが好きになってきたくらいだった。


「そう。まあせいぜいがんばりな。クラスの女の子に鼻の下伸ばしてたらブチ殺すんだからね」

882 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 22:29:38.57 OyIkeBgo 420/473


軽い口調でそう返すが、浜面は向こうでゲッと焦ったような声を出す。


「なにそれ?気になる女の子でもいるってわけ?ねえはーまづらぁ?」

『ばっ!ちげえよ!そんなわけないだろ。それより、お前どっか行きたいとこないのか?』


うろたえる浜面は、慌てて話題を変えてきた。彼の問いに、麦野はドキリとなる。


「…なんのことよ?」

『あー…だからな、ほら…二人でどっか行こうぜってことだよ』

「そんなんじゃ分かんない」


もちろん言われなくても分かっているのだが、照れている浜面をからかうのが面白いのと、
自分の恥ずかしさを誤魔化すためにあえて意地悪をする麦野。
向こうで頬をポリポリ掻いている図が簡単に想像できて、麦野は必死でにやにやするのをこらえる。


『…俺たちの初めてのデートってやつだろ」


観念したように浜面がそう言った。
くすくすと笑い声を零す麦野だが、その心中は推して知るべしと言ったところ。
もちろん心臓爆音、妄想全開、乙女回路フル回転だ。
彼と恋人同士になってから、この日をどれだけ待ちわびただろう。
大好きな浜面と、二人きりで、二人だけの思い出を作ることが出来る。
もう正直場所なんてどうだっていい。月並みでアホなカップル達がやるようなことを自分もやってみたい。
ただそれだけだった。


「行きたいところねー。こういうのは男がエスコートしてくれるもんじゃないの?」

『別に俺が考えてもいいけどよ、一応二人で考えようって言ってたからな。俺に任せるか?』


どうしようかな。麦野は思案する。
女の子としてリードしてもらうのも捨てがたいし、記念すべき初デートはやはり二人で考えるのも楽しそうだ。
しばし唸ったあと、麦野は手近な情報雑誌をめくりながら言う。


「第六学区にさ、学園都市の夜景が一望できるタワービルが先月完成したんだって。
 夜は…そこ行きたいな」

883 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 22:33:24.92 OyIkeBgo 421/473


そのタワービルについて書かれたページに付箋が張ってある。
他にもカップルが利用しそうなデートスポットの悉くに赤丸が記されてあった。
入院中、浜面と行きたい場所に印を付けていたら全ページの至るところが真っ赤に染まっていたのだ。


『ん、そうか。じゃあ夜集合にするか?』

「バカ」

『お、おう。なんだ?』

「もっと早くからがいい…」


小さな声で願望を告げる麦野。
夜からだなんて寂しいこと言わないでほしい。せっかくの初デート。その日くらい、一日中彼の時間を独占したい。
その意図を汲んだのか浜面はあたふたした様子で慌てて言葉を返してくる。


『わ、悪ぃ。じゃあ朝11時に集合ってことで。場所はまたメールするわ』

「うん、お願いね。それじゃ、今日はそろそろ寝よっか」


実は既に時刻は夜中二時。
最近電話の通話プランを、カップルは何時間通話しても料金定額というものに変えてから
毎日3時間くらい喋り続けている。
それでもなお名残惜しく思いながら、麦野が少し寂しげに言った。


『あいよ。また明日な』

「…何か忘れてない?」

『……』

「はーまづらぁ?そんなんじゃ寂しくて眠れないよ…』

『…す、好きだぞ、麦野』

「ん。よろしい。じゃね、おやすみ浜面、私も好きだぞ☆」


ほっこりとした笑顔で電話を切る麦野。
ほぅと息を吐き、電話を胸に抱える。
いよいよ彼との初デート。楽しみすぎて胸が苦しい。
思い出に残る素敵なデートにしたいなと、麦野はとどまる事の無い笑顔で日付的には明日に控えた
彼との二人のお出かけに想いを馳せた。

884 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 22:35:10.09 OyIkeBgo 422/473


―――――


「で、明日何を着ていこうか悩んでたんだ…って何よその顔」


麦野の話が終わった時、フレンダは全身に鳥肌を立たせて、眉間に深く深く皴を寄せ、
口元を引きつらせながら引きまくっていた。


「まず一言いい?あんたらウゼぇ」

「なっ!何がよ!?」


突然のふてくされたようなフレンダの言葉に麦野が驚く。


「自分を省みてみなよ麦野!なんだ最後のやりとりは!そんなもん人に話すな!
 私は悲しい訳よ麦野。麦野がそんなアホな会話を浜面なんかとするようになっちゃうなんてさ。
 もう私は何も言わないから存分に二人でいちゃいちゃしててくれ」


ため息をつき、まくしたてるフレンダ。
その言葉を聴きながら、麦野は頬を膨らませて可愛らしくこちらを睨んでくる。


「なによ。仕方ないでしょ、好きなんだから!」

「かー!これだよ!ケッ!あんたらみたいのが公共の場でちゅっちゅちゅっちゅウゼェくらいに乳繰り合うんだよ!
 そんなバカップルに麦野にはなってほしくない!」


がぁあと吼えながらフレンダが叫ぶ。
その勢いに押されながら、麦野は定まらない視線で頬を赤くし、口を尖らせながら言う。


「分かってるわよ…。公衆の面前でそんなことしない。恥ずかしいもん…。
 でもいいでしょ二人の時くらい…まだ付き合ったばっかりなんだから…」


ちょっとだけ悲しそうに麦野が俯く。フレンダはその様子を見て罪悪感でわずかに胸が痛んだ。


(言い過ぎたかな…。まあ付き合い始めなんて誰でもこんなもんよね)


そのうち落ち着くだろうと思い、フレンダはもう一度ため息をついて麦野の頭をぽんぽんと撫でてやった。

885 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 22:38:30.50 OyIkeBgo 423/473


「ごめんごめん、ちょっとムキになっちゃったね。で、何でこんなことになってるんだっけ」

「…だから、明日何を着ればいいか分からなくて」


軽く涙目だった麦野をなだめながら、フレンダは尋ねる。
なるほど、デートに着ていく服がないと。
フレンダは再びこめかみあたりに青筋を浮かべた。


「このでかい部屋が埋まるくらいの服の量で、何で決められない訳よ」

「え?だってその辺去年のだし。
 そっちのはもう定番化しちゃって街中じゃ馬鹿の一つ覚えみたいにみんなそれ着てるよ?
 同じような格好した奴とすれ違ったときの気まずさったら無いんだから」


ケロッとした様子でそんなことを言う。
そんなことを言われたらフレンダの今穿いてるチェックのスカートは1年くらい前にセブンスミストの
お正月セールで買ったものだし、お泊りグッズの入った大きめのバッグは中学の修学旅行用に買ったものだ。


「だぁああ! 麦野あんたは芸能人か!いやもうオタクだオタク!ファッションオタク!
 あんたがどんな格好してようが誰も別に気にしないから大丈夫!美人なんだからどうせ何着たって一緒一緒!
 それなりに似合うし服なんかよりあんたの顔と乳見るっつの! 
 滝壺なんか初めて会ったときからあのジャージ着てるよ! 去年のだろうがどうでもいいから好きなの着りゃいいでしょ!」

「分かってるわよ! お洒落は私の趣味なの! 私は自己満足に妥協はしないの! 
 完璧なオナニーをしないと気が済まないんだよ! けど今回は自分だけ気持ちよくなるわけにはいかないのよ!
 分かる?! 浜面に可愛いって思ってもらわなくちゃ意味ないんだからっ!!」


ぜぇぜぇと肩で息をして視線を交錯させる二人。
喧嘩の内容はとんでもなくくだらないが、麦野にとっては割りと重要な問題のようだ。
やがてフレンダは頭をくしゃくしゃとかいて、壁際の天井近くまである巨大な本棚の最下段に綺麗に並べられた
ファッション雑誌を数冊抜き出し、そのうちの半分を麦野に手渡した。
麦野が訝しげに雑誌とフレンダを交互に見やる。

886 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 22:40:43.09 OyIkeBgo 424/473


「男ウケする服とか、そういうの載ってんでしょ。服なんて正直浜面に分かると思わないけどさ、
 麦野がそこまで言うなら一緒に考えてあげるよ」

「フレンダ…アンタ…」


驚いたように麦野。フレンダはもう麦野の気の済むまで付き合ってやろうと意気込み、
ベッドの上にどっかりと腰掛けて雑誌のページをめくっていく。


「浜面は結局麦野にベタ惚れな訳よ。いちいち服まで完璧にしなくたって大丈夫なのにさ。
 あんたは浜面がいつも通りの格好で来たって別にそれであいつに幻滅したりするわけじゃないでしょ?」

「当たり前でしょ。でも私はただでさえキズモノの顔なんだから、せめて着飾って浜面に少しでも
 優越感を持たせてあげたいじゃない」


麦野の言葉に、バンッ!と雑誌を閉じてフレンダは憤る。


「呆れた!結局麦野まだそんなこと言ってんの!?あんたは他人の目を気にしなくちゃ浜面と付き合えない訳!?
 浜面がそんなこと気にするような男だって、本気で思ってんの!?」

「馬鹿にしないで!浜面がそんな奴なわけないでしょ!でもね、周りはそうは思ってくれないのよ!」


そこでフレンダはハッとなって気付く。
確かに、麦野のような目立つ顔立ちの人間が、眼帯から覗く傷ついた肌を露出させて歩いていれば、
嫌でも好奇の視線が寄せられる。
そんな中で、純粋にデートを楽しめるかと言われれば、迷い無く頷くことはできない。
麦野は、浜面にそんな嫌な思いをしてほしくなかったのだろう。


「ったく、分かったよ…。ごめん、もう文句言わないから。
 でさ、結局麦野にこういうの訊くのもどうかと思うけど、浜面はどんな雰囲気の子が好きなんだろね」

「正直、外見だけ言えば私みたいのはあんまり好みのタイプじゃないと思うのよね。
 どっちかと言うと滝壺みたいなおっとりした子が好きそうな感じはするな」

887 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 22:43:05.08 OyIkeBgo 425/473


二人で雑誌をめくりながら考える。


「結局、浜面はエロいから胸開けて太ももくらいまで見せとけばいいような気もするけどね」

「それって見る分にはいいかもしれないけど、彼女がそんな格好してくるのもどうなの?
 誘ってるみたいだし、むしろ清楚系で露出抑えたほうがいいんじゃない?」

「あー、それはそうかもね。意外とフリルとかレースとかで甘甘の格好も好み分かれるし。
 シンプルでお上品かつ清潔感ある感じなら嫌いな人は少ない訳よ。
 麦野はお嬢様だからそういうの似合うだろうしね」

「となるとパンツも今回は外すか。運動するわけじゃないし」

「ヒールも麦野の好きな高さ凄い奴はやめときなよ。歩くの遅くなるし、いくら浜面が合わせてくれるって言っても
 やっぱり歩幅が違いすぎるのは問題だと思う訳よ」

「なるほどね。ワンピースとスカートだとどっちがいいかな?」

「うーん、麦野はワンピースが多いから、たまには膝丈くらいのスカートもいいんじゃない?
 新鮮な印象与られて浜面的にもグッとくるかも。ほらこれとか」


辺りに散らばっている服を手に取りながら、あーでもないこーでもないと試行錯誤を始める二人。
ひと悶着あったものの、その後は二人とも同じ方向を向いて考え始める。
その辺の服を整理しながら、結局2時間ほどかけて明日のコーディネートを選別し、何とか決めることができた。
さきほどまで声を張り上げて言い争いをしていた二人だが、終わったときには思わず手を取り合って飛び跳ねて喜んだ。
フレンダは「なんてめんどくせえ女」だと思いつつも、心底嬉しそうな笑みを浮かべる麦野の表情を前に、
ここまでの疲れなど一瞬にして吹き飛んでいくのを感じるのだった。

888 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 22:45:23.10 OyIkeBgo 426/473


―――――

時計が夜の七時半を回ったころ、何とか部屋も綺麗に片付き、フレンダと二人夕食の準備を始めたところで
滝壺と絹旗の二人が部屋を訪れた。


「久しぶりのむぎのの部屋。ご飯のいい匂いがする…」

「お邪魔します。ん?二人ともどうしたんですか?何か超埃まみれじゃないですか?」


服選びと部屋の片付けで髪をぼさぼさにして埃をかぶっている二人。
夕飯用のパスタを茹でながら、二人は顔を見合わせて苦笑い。
今日の一連の流れの顛末を説明しつつ、一先ず全員で食事を摂ることにしたのだった。


「なるほど、明日は浜面と超デートですか」


本日の夕飯は鯖とほうれん草の和風クリームパスタに、サーモンマリネサラダ。
フォークでくるくるとパスタを絡めとりながら、絹旗がにやにやと笑みを滲ませる。


「何よその顔は」


サーモンを口に運ぶ手を止め、麦野はヒクつく口元で問いかける。


「いえいえ。デート前にあたふたする麦野を見損ねたのが超残念だなと思いまして。
 デートくらいで超悩むなんて、麦野も丸くなりましたよね」

「鬼の首とったようにいじってくれるわね。フォークで目玉ブチ抜くわよ?」

「あ、むぎの。それならこれあげる」


パスタをちまちま食べていた滝壺が、麦野の目の前にとあるブツを差し出す。
銀色の包装に包まれた、4センチ四方くらいの正方形の袋。
リング状に形が浮かび上がり、表面に「safe sex」と書かれたそれを見た瞬間、
滝壺以外の顔が真っ赤に染まる。

889 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 22:47:45.47 OyIkeBgo 427/473


「た、滝壺さん…これは…所謂コ、コン…」

「ゴクリ…こんな生々しいものを食事の席に…さすがは滝壺って訳よ」

「……な、なななな、なっ!何よコレ!」


三者三様のうろたえ方で、滝壺を見つめる。
ぼんやりとした眼をパチパチとさせて、ぽりぽりときゅうりを小動物のようにかじる滝壺。


「さっき駅前で配ってたよ?カップルの人は持ってたほうがいいんだって…」

「い、いらない!私まだ浜面とそんなことするつもり無いわよ!」


その物体を滝壺のほうに恐々と押し返して麦野は首を横に振る。
包装袋越しに感じるブニブニとしたゴムとジェルの感触があまりに生々しくて、
麦野は小さく「ひっ」と悲鳴を上げる。


「チッチッチ、甘いね麦野は。いつ理性を失った浜面にホテルに連れ込まれるか分からないんだから、
 持ってて損は無い訳よ」

「む、無理無理無理!」


ブルンブルン首を振る麦野。浜面との場面を想像してしまい、沸騰しそうな顔になっていくのを感じる。


「じゃあ麦野は浜面と超したくないんですか?」


『アイテム』も所詮は年頃の女子学生。
恋の話は大好きな訳で、食事の手が止まるのも構わず段々と盛り上がってくる。


「そ、そんなこと言ってんじゃないのよ!そんなのずっと先の話でしょ!」

「麦野駄目駄目。浜面だって男なんだから、いつでもその覚悟くらいは決めとかないと」

「じゃ、じゃあアンタ達はしたことあるのかよ!?怖くないの!?」

890 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 22:50:05.04 OyIkeBgo 428/473


ムキになって顔を赤く染めたまま問いかける。
人を卑猥な単語の羅列で赤面させるのは得意でも、自分にその矛先が向いた途端に崩れる耳年増麦野。
その言葉に、フレンダも絹旗もスッと目を逸らす。
滝壺だけは話を聴いているのかいないのか、ぼんやりと食事を続けながら首を傾げていた。


「ま、まあ無いんですけどね…」

「うん…実際そう訊かれると答えに困る訳よ…」

「ねえみんな…」


ご意見番滝壺のポツリと呟く言葉に、全員が注目する。
一同のやりとりをおっとりした様子で眺めていた滝壺が何事かを言おうとしている。
いつも突然爆弾を投下するのは彼女であるため、次の発言を前にして皆ゴクリと唾を飲みこんだ。


「ところでそれってどうやって使うの?」


沈黙が場を支配する。
本気で言っているのかこの電波娘は?それともツッコミ待ちか?
麦野は絹旗やフレンダと目線だけで会話をしながら慎重に次の手を思考する。
詳しく説明するのは恥ずかしいが、しかし滝壺が本当に知らないならしっかりと教育してあげたほうがいいだろう。
皆同じように考えているのか、誰も一言も喋らない。
やがて沈黙に耐えかねて、最初に口を開いたのはやはりフレンダだった。


「滝壺。そういうのは麦野が詳しい訳よ」

「はァ!?」


キラーパス。否、押し付けやがった。


「ほんと?麦野?どうするの?」

891 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 22:51:38.28 OyIkeBgo 429/473


そう言われた滝壺は案の定麦野に期待の眼差しをキラキラと向けてくる。
その後ろでフレンダが顔の前に手を合わせて謝ってきた。


(アンタ、オ・シ・オ・キ・カ・ク・テ・イ・ネ)


唇の動きでそう伝え、引きつった笑顔で滝壺に向き直る。


「た、滝壺?まさかとは思うけど、アンタ子供がどうやってできるかは知ってるよね?」

「…むぎの何言ってるの?もちろん知ってるけど、何でそんな…」

「だからさ、男側の方にこれをこう…」


ソレを手にとり、麦野は手に持っていたフォークの柄にかぶせる動作をする。
それを見ていた滝壺が、珍しく目をパッチリと開いて顔を真っ赤に染め上げていった。


「あ…わ、私…し、知らなくて」


あわあわと落ち着かない様子で、自分の落とした爆弾がどんなものなのかをようやく認識した滝壺。
皆は小動物を愛でるような目で、にやにやほかほかとそれを見守っている。


「ふふっ分かるぜぇ?竿にゴム被せて中出しさせねえようにするなんて、清純無垢な滝壺ちゃんじゃ思いつかねえよなぁ?」

「やだぁっ!そんなこと言わないでむぎの…」

「…麦野、私はたまにあんたが分からない…」

「麦野は人を虐めて遊ぶことが三度の飯より好きな超筋金入りのドサドですからね。
 自分の恥ずかしさより滝壺さんの反応見たさのほうが勝ったんでしょう」


さっきまで恥ずかしかったのに、もう麦野はそんなこと忘れて猥褻な言葉で滝壺を言葉攻めする。
何かの錠剤とでも思っていたのだろうか、これは忘れたころに思い出させてからかってやろう。
こんなに頬を赤くして、照れまくっている可愛い滝壺が見れるなら、ちょっとの意地悪くらいいくらだってしてやる。
麦野はそう心に固く誓ったのだった。

892 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 22:55:49.65 OyIkeBgo 430/473


―――――

「というわけで麦野、明後日隠れ家で退院祝いをしようと思うんですけど、大丈夫ですか?」

「ん、いいの?私は全然構わないけど。この近所のとこでいい?」

「うん。はまづらが車出してくれるみたいだから、どこでもいいけど、近い方がいいね」

フレンダは今、この世の天国にいた。
もうお気づきの方も多いと思うが、フレンダは女の子が好きな女の子である。
生来女性を恋愛対象としてきたわけではなく、たまたま好きになる人に女の子も含まれることが
あるという程度ではあるが。
しかし、麦野にムラッときた数は今月だけで数百回。滝壺や絹旗にも稀に食指が動くこともある。
そんな彼女が、もし麦野以下二名と共に入浴する機会に恵まれたとしたら、どうだろうか?

(…嗚呼、生きててよかった。三人ともすっごく美味しそうな訳よ…)

1人湯船に浸かり、洗い場で思い思いに体を磨いている3人の背中を熱い視線で見つめるフレンダ。
現在4人は麦野宅自慢のお風呂に一緒に入っているところだった。
4人入っても湯船がきつくないどころか足を伸ばせるという時点で、それがどれほどすごいことなのか
お分かりいただけるだろうか?
ミストサウナとジャグジー機能付き。壁には風呂用テレビが埋め込まれ、清潔感溢れる白い浴室内を
オレンジ色の暖かな光が照らしていた。

(滝壺。意外と出るとこ出ちゃって…なんて甘美な…。文字通り処女雪のような体な訳よ)

シミ一つない雪原のような肌に見とれるフレンダ。
普段ジャージ姿だから分かりにくいが、滝壺はなかなかに女性的な体つきで、
一糸纏わぬ姿となれば、決して主張しすぎるということはなく、均整の取れた
美しくしなやかな肢体を有していた。

(絹旗…あんたはそれでも中学生な訳?私より胸大きいし、チビっこくて細っこい割に柔らかそう。
 …犯罪犯しちゃうかもしれないぜ)

鼻息荒く、新たな性癖の目覚めを感じているフレンダ。
まだ膨らみかけで発展途中のその体を見て、フレンダは全身にゾワリといけない欲望が
湧き上がってくるのを感じた。

(YEAAAAAHHHHHH!!!結局、やっぱ麦野の全裸は凄すぎる。どうなってる訳よその乳は。そのくびれは。
 腰細すぎ足長すぎ顔ちっちゃすぎ。そのエロスに満ち溢れた裸体もいつか浜面のいいようにこねくり
 回されるのかと思うと、あいつを殺す他無いことを嫌でも自覚しちゃうよね)

893 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 22:57:57.67 OyIkeBgo 431/473


湯船の中で一人大幅にテンションを上げるフレンダ。
麦野の裸体に関してはもはや説明するのもおこがましい。
トリートメントでヘアケア中の麦野のうなじがこちらから見え、しかもその下には
フレンダ的にベストな形の曲線を持つ麦野のお尻がある。
しかし、フレンダはそこで何か違和感を感じた。
麦野達とスパやら銭湯やらに行って裸の付き合いをすることはさほど珍しいことではない。
なのに今日は、不自然なまでに胸が苦しく、麦野の顔から視線を外すことができなかった。


「どうしたのフレンダ?」


熱っぽい視線のフレンダ。その隣に滝壺が入り込んできた。
ほのかに上気した白い膨らみを間近に見たフレンダは、そのあまりの刺激に呼吸を止めた。


「い、いや…何でも無い訳よ」

「大丈夫ですか?のぼせたんじゃありません?超顔が赤いですよ」


発展途上の痩せっぽちな、だが肝心なところにはしっかりと肉を着けた身体をバスタブ内に沈めていく絹旗。
心配そうな視線を送ってくるが、自分でも良く分からなかった。
3人の体を見てテンションがあがるのはいつものことだが、どうも今日は自分でもよく分からない事態に陥っているように思えた。


(浴場だけに欲情って訳ね。くっだらね)


そんなことを考える程度にはまだ余裕のあるフレンダ。
それでもフレンダは、ここまでは自らの欲望に忠実なフリを演じているだけだった。


―――なのに、そんなものを見てしまったものだから


お調子者でちょっとだけスキンシップが好きなキャラクターの裏側にある、
もっとドロドロとした自分の醜い情動に、嫌でも気付かされてしまった。
この不気味な胸の高鳴りの意味を今、理解してしまったのだ。

894 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 23:00:28.56 OyIkeBgo 432/473


「ほんと大丈夫?無理せずあがったほうがいいんじゃない?」

「むぎ…の…」


あまりに美しく歪んでいて。
不気味なほどに荘厳で。
彼女の挙動の全てが、妖しく脳髄を蕩かせてゆく
腰に手を当て、麦野がどこか釈然としないと言いたげにフレンダの紅い顔を覗き込む。
調和のとれたのびやかな肢体と、体に張り付く茶色い髪から水気が滴り、
攻撃的な胸と大きな瞳がこちらを誘惑するように視界いっぱいに広がる。
フレンダは、知らず知らずそこで限界を迎えた。
端麗な肌のところどころに戦いの傷が残り、右目から一筋走るケロイド状の傷が、
完璧な麦野の裸身に歪な装飾を施し、そのアンバランスさが蠱惑的に彼女の美貌を彩る。
どこか背徳的な美しさを宿した躯体が、まるで悪魔に魅せられた狂信者のようにフレンダの頭に熱と血を上らせ、
意識をどこかへと追いやった。


「ちょっ!フレンダ!」


霞がかった意識の外で皆の叫ぶ声が聴こえてきた。
ここは天国なんかじゃない。
自分が異常なんだって自覚していたからこそ、今日まで耐えてくることが出来たのに。
永劫叶うことのない現実を突きつけられて、深い深い地獄へと、自分は今突き落とされたんだ。
この心を覗ける誰かがいるのなら、どうか知っていて欲しい。
一つの恋が結ばれた裏側で、戦うことすら許されずに、終わること無い苦しみに苛まれていく者がいたことを。

895 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 23:02:14.68 OyIkeBgo 433/473


―――――


「……ん」


次に目を開けた時、フレンダは麦野のベッドの上で寝かされていた。
体を起こすと、何も身につけずにバスタオルを巻かれた状態で、平坦な胸からそれが解けそうになるのを慌てて押さえる。


「起きた?何のぼせてんのよ」


ベッドに腰掛け、パタパタと団扇で麦野が扇いでくれていた。
呆れたようなため息をついてそう言う。


「ご、ごめんね…ちょっと熱くて」


パチリと麦野と視線が合うと、すぐさまスッと逸らす。
妙に動悸が苦しく熱っぽい。それはのぼせたからでも、湯冷めをして風邪を引いたからでもない。


(ヤバイなぁ…何でこんなこと思っちゃう訳よ。気持ちの整理はつけたはずなんだけど)


恥ずかしいやら後ろめたいやらで麦野を直視できない。
麦野の裸身に魅了されてしまった。
隠してきた気持ちを呼び起こされてしまった。


「なにー?女の裸ばっかりで興奮しちゃったかにゃ?」

「……」

「おいおい、マジかよ」


分かりやすいフレンダの反応に、麦野が口元を引きつらせて笑う。
その所作に、少しだけ胸が痛んだ。
女の子の裸を見たからじゃない。それじゃ浜面だ。
自分が頭に血が上る程興奮したのは、相手が麦野だったから。
彼女の右目の傷痕が、周りの美しさを異様なまでに引き立てた。
あるいは、美しいモノに欠けたただ一点のその曇りこそが原因だったのかもしれない。
だからもう慣れたはずのあの衝動に、今日だけは耐えられなかったのだ。

896 : ◆S83tyvVumI[sag... - 2010/05/07 23:04:01.82 OyIkeBgo 434/473


「えへへ、冗談冗談」

「ったく。アンタが言うとシャレに聞こえないんだよ」


おどけて笑うフレンダの頭を小突いて、麦野は立ち上がって台所でゴソゴソと何かをやっている。
言えるわけが無かった。
叶うはずが無いと知っていたから、今まで誰にも言わずにおいたのに。
だけど、毎日浜面のことを楽しそうに話す麦野を見ているうちに。
そうしてキラキラと輝いている麦野の笑顔を見ているうちに、胸が締め付けられるような想いを
フレンダは何度も抱いていた。
それでも今日までは耐えられた。麦野がとても幸せそうだったから。
彼女が幸せでいてくれることが、自分にとっても幸せなことだったから。
それなのに今更、鬱屈した感情が止め処なく溢れてくる。


(きっついなあ…結構…。もう病気だよねこれ)

「はい、水。しっかり飲みな。着替えそこあるから」


唇を引き結んで俯いていたフレンダの前に、麦野がミネラルウォーターの入ったペットボトルを差し出す。
寝巻きのスウェットを着た眼帯の麦野がこちらを見下ろしている。
彼女の瞳を見つめる。きっと自分がこんな気持ちを抱いているなんてことも知らずに。
胸の奥底で、ズルリと醜い生き物が首をもたげた。
フレンダはにこりと笑みを浮かべて、手を伸ばす。


「ありがと、麦野」

「きゃっ!」


それはミネラルウォーターを通り過ぎ、麦野の手首を掴んで思い切り引き寄せ、
彼女の油断しきった体をベッドに組み敷いた。
室内に木霊する静寂が、フレンダの黒い劣情に火を点ける。


「…ちょっと、何のつもり?」

898 : 百合注意 ◆S83tyvVumI... - 2010/05/07 23:06:38.87 OyIkeBgo 435/473


バスタオルがハラリと解けるのも構わずに麦野の両手首を押さえつけて馬乗りになる。
訝しげにこちらを見上げているが、いつものただのイタズラだと思っていることだろう。
今、麦野が自分の下にいる。このまま彼女を滅茶苦茶にしたい。欲望のままに犯してしまいたい。
フレンダの胸の奥にドロドロとした感情が沸きあがってきた。


「ねえ麦野。私、可愛い?」

「あ?」


何を言っているか分からないという表情で麦野が睨んでくる。
密室で二人きり。フレンダは自分の体がどんどんと熱を帯びてくるのを感じていた。
そう言えば絹旗と滝壺はどこに消えたのだろう。まあどうでもいい。
今なら麦野を自由にできる。この体中に渦巻いているドス黒い情欲を、麦野にぶつけて、
彼女の官能的な肢体の奥底までもを、ねぶり尽くしてしまいたい。
フレンダの頭の中でその欲望がどんどん大きくなっていった。


「ねえ麦野、エッチしようよ」

「なっ!ばっ、フレンダアンタねぇ!」


自分でも驚くほど震えた声だった。何を期待しているんだと己に嫌気が指す。
案の定、麦野の顔が真っ赤に染まった。
そりゃそうなるよね。それが普通の反応だ。
そうフレンダが自嘲気味に笑った時、玄関の方から扉が開く音が聞こえてきた。


「ただいま。むぎの、フレンダ起きた?」

「お酒はやっぱり超買えませんでしたから今日はジュースとお菓子だけですよー」


玄関からのゴソゴソという音を聞いて、フレンダは麦野の手をパッと離し、
ケロッとした笑顔を浮かべて立ち上がった。


「なぁんてね、ビックリした?」

「…はァ?」

899 : 百合注意 ◆S83tyvVumI... - 2010/05/07 23:09:08.48 OyIkeBgo 436/473


ベッド脇に置いてあった下着を穿きながら、麦野にウィンクをする。
ズキリと心が痛む。そんな勇気あるわけが無かった。
麦野を傷つけることなんて、自分には絶対できない。
麦野が笑っていてくれないなら、生きていけないから。
だからこの気持ちは、きっとずっとずっと心の奥底にしまっておこう。
麦野の恋が叶わないことを、本当は少しだけ望んでしまった自分の悪い心に、神様が罰を与えたんだ。


「浜面がこんな風に麦野を押し倒してきたら、どうするの?
 麦野のさっきの反応は相手を喜ばせるだけって訳よ」

「っ!そ、それは…そうなの?そういうときはどうしたらいいのよ」

「さあねー。油断大敵、毅然とした態度が重要な訳よ」

「あ、フレンダ目が覚めたみたいですね」

「ほんとだ、大丈夫?」

「うん、心配かけてごめんね」


いつも通りに振舞う。だが心で咽び泣く。
麦野はきっと自分のことを、恋を応援してくれる優しい友達だと思っているんだろう。


(だけどね、麦野。この世に無償の愛なんて無い訳よ。私だって結局、暗部の人間なんだよ…?)


麦野が笑ってくれるから、麦野が側に置いてくれるような人間でいたかった。
麦野を手に入れられないことが初めから運命付けられているのだから、せめて麦野だけのモノでいたかったんだ。
滝壺と絹旗がテーブルの上にお菓子やジュースを並べている。
これから麦野の初デートの前祝だ。
心から麦野を祝おう。彼女の幸せが、自分の幸せだから。
こんな苦しみを乗り越えて、麦野は望んだものを手に入れたのだから。
この苦しみを分かち合えることを、彼女が知ることは無いけれど。別にそれで構わない。
一人の女の子が恋を成就したあの夜に、一人の女の子の恋が破れただけのこと。


(麦野…私が恋をしていくことを、もう少しだけ、許してよね)


口元に今度ははっきりとした自嘲を浮かべる。
フレンダは麦野に願った。この恋を諦められるまで、あともう少しだけ。
貴女だけの私でいたいという独善的な盲愛をどうか許して欲しい。
麦野がそこに居てくれるという事実だけで、私は生きていけるから。
同じ女に生まれてしまったこの笑えない喜劇を、いつか笑い飛ばせるその日まで。

926 : 集合 ◆S83tyvVumI[s... - 2010/05/10 01:04:15.68 5UB4Cm2o 437/473


―――――


「麦野!がんばってね!結局、もうここからは助け舟なんて出せないからね!
 麦野と浜面の関係は、しっかり恋人な訳だから、素直に浜面に甘えるんだよ!」

「土産話超期待してます。とびっきりニヤニヤできるやつをお願いしますね。
 あ、それから麦野の金銭感覚はちょっと一般人とずれてますから、
 お金に関しては浜面の言うことをよく聴くんですよ?」

「むぎの、ふぁいと、おー、だよ。ハンカチちり紙はちゃんと持った?」

「あー…はいはい。アンタら私のお母さんかっつの」

麦野は今朝家を出る前の皆からのエールを思い出しながら、浜面との約束場所である第六学区の広場に辿り着いた。
噴水前に11時待ち合わせということだが、時刻は10時20分。
居ても立ってもいられなくて、予定よりかなり早く家を出てしまったのだった。
行くのが早すぎると皆に止められると思ったが、意外や意外、「どうせ浜面も早く来る来る」と言って
力強く送り出された。

(これが…デート。いよいよなんだな…緊張するなあ)

自然と顔が綻ぶ麦野。昨日までの不安が嘘のような晴れやかな気分。
空は快晴。周りはたくさんのカップルが待ち合わせに利用しているようで、
自分も今日からその中の一組なんだと思うと恥ずかしいような嬉しいような気分だった。
 
(服…これで大丈夫よね?)

フレンダに一緒に選んでもらった自分の格好をチラリと眺める。
細いプリーツが可憐に揺れる黒いスカートに、パステルピンクの甘めなニット。
あまり冒険せず、シンプルかつ清楚な印象を与えられるということからこのコーディネートに決定した。
夜は冷えるかもしれないのでバッグの中に一応上着のパーカーも入っているし、
アクセサリーも控えめかつ上品なものを意識して選んだ。
メイクはいつもより気合を入れた。
もちろん格好に反して濃すぎるとアンバランスなので、ナチュラルを心がけたが、
誰かに見せるためのメイクとなると、やはりどうしても力が入るものだ。
麦野は何度もコンパクトで自分の顔を確認し、頷く。
眼帯が恨めしいが、今更そんなことを言っても遅い。

(早く会いたいな…まだかな?)

腕時計を見る。まだ5分しか経っていなかった。時間が経つのが遅く感じる。
きっと始まってしまったら一瞬なのだろうなと思いつつ、麦野は一つ、今日どうしてもしたいことがあった。

(今日はがんばって手を…繋ぎたい)

927 : 集合 ◆S83tyvVumI[s... - 2010/05/10 01:06:06.67 5UB4Cm2o 438/473


純情すぎるだろうと笑い飛ばされても構わない。
手を握るくらいなら訳無いという気持ちもあるが、人前でそれをするとなるとなかなか思い切りがつかない麦野だった。

(そしてできれば…キスしたい)

告白の日以来まだ一度も出来ていない。夜景の見えるスポットに行きたいと言ったのは、
暗いところならもしかしたら出来るかもと思ったからだった。
だが、そもそもタワービルなどカップルの巣窟であり、当然周りにはたくさん人がいるわけで。
そんな場所で果たしてそんなことが出来るのかという疑問が今になって浮かんでくる。

(そろそろ時間かな?)

腕時計を見る。まだ2分しか進んでいない。
そわそわする麦野。ちょっと気が逸りすぎているので気分を落ち着けようと深呼吸をしたそのとき。

「悪ぃ麦野、待たせた!」

「げふっ!」

浜面が小走りに近寄ってきた。息を大きく吸った時に急に声をかけられたものだから、
咽て咳が止まらない麦野だった。

「だ、大丈夫か?」

「ごほっ、う、うるさい!遅刻よバカ!」

「ええっ!?まだ30分前なんだが…お前随分早く来てたんだな」

「う…楽しみにしてたのよ悪い!?」

「どんなキレ方なんだそりゃ」

苦笑する浜面。
今日もいつものジーンズ姿だが、ジャージの代わりにカーキ色のミリタリージャケットを羽織っている。
一応彼なりにデートを意識していつもの格好は止めておこうと思ったんだろうか。

「ふぅん」

「な、なんだよ」

「アンタもデートになるとお洒落するのね」

「ち、違ぇよ!そんなんじゃねえ」

「照れんな気持ち悪い。褒めてんのよ」

928 : 集合 ◆S83tyvVumI[s... - 2010/05/10 01:07:48.65 5UB4Cm2o 439/473


いつも通り悪態をつき合いながらも、自然と笑顔が零れる麦野。
いよいよ始まるというワクワクした楽しさと、それを大きく上回るドキドキで胸が一杯になる。
照れくさそうにしている浜面をからかっていると、彼はこちらを見下ろしてニヤリと笑った。

「そういうお前だって今日は随分と、か、可愛らしいじゃねえか」

「はァ!?わ、私はいつだって可愛いんだよ!ってかドモんな!」

「自分で言うか。ほらもう行くぞ。すげえ注目されてる」

ギャーギャー痴話喧嘩を始めた二人に周りの人々から生暖かい視線が寄せられている。
バツが悪そうに浜面が移動するよう促してきた。
彼の背中を見ながら、麦野は生唾を飲み込む。

(今なら…繋げる!)

殺気を放ちながら、ゆっくりと彼に歩み寄り、自らの右手を彼の左手に近づけていく。
あと10センチ。
あと5センチ。

(よし…こ、ここ恋人つなぎとか、しちゃおうかな…しちゃってもいいよね?)

「あ、そだ。なあ、麦野…」

「っひゃぁっ!」

御坂の超電磁砲よりも速い速度で右手を胸元まで引き戻す。
急に振り返られて変な声まで出してしまい、恥ずかしさで顔が熱を帯びていく。

「な、何よ!ビックリさせないでよ!」

「お、おう?悪い。それでさ、麦野…」

おずおずと、浜面が視線を明後日のほうに向けて照れくさそうに頭をかきながら、左手をこちらに差し出した。

929 : 集合 ◆S83tyvVumI[s... - 2010/05/10 01:09:29.49 5UB4Cm2o 440/473


「何なのその手?」

「よかったら手…繋がないか?」

「…っ!」

目を大きく見開く。心臓が急激に跳ね上がった。
浜面も同じコトをしたいと思ってくれてたんだ。
そう思うと、喜びがどんどん湧き上がってくる。
差し出された彼の左手と、紅潮した彼の顔を交互に見て、麦野は柔らかな微笑を浮かべた。

「そんなこといちいち訊くんじゃないの。私はアンタの彼女なんだから…いいに決まってんでしょ」

ゆっくりと彼の手を右手で掴み、しっかりと握った。
温かい体温が伝わってきて、自分たちは恋人なんだってことを自覚出来る。
それが麦野には何より嬉しいことだった。

「麦野、お前…その、何だ」

またしてもそわそわと何事かを言おうとする浜面。
いい加減慣れろと思いつつも、そんな浜面の様子がかわいくて、面白くて、麦野は黙って言葉を待つ。

「今日は何か一段と…可愛いな…」

「……ばか。い、行こ」

結局麦野も照れる。
大事なものを抱えるように互いの手を握り合い、ぼそぼそと言葉を交し合う二人。
これでもかというほど初々しく、二人は周りのカップル達の中へ溶け込んでいった。

930 : ゲームセンター ◆S83tyvV... - 2010/05/10 01:12:13.96 5UB4Cm2o 441/473


―――――

「そうら!死ねぇはまづらぁ!」

「ギャース!お前らの掛け声はそれしかねえのか!」

麦野のレベル5のスマッシュがコートに突き刺さる。
本日の目的であるタワービル展望台は夜に向かうため、ひとまずゲームセンターで昼食までの腹ごなしをすることにした。
そんなわけでエアホッケー中の二人。

「どうした浜面ぁ!愉快にケツ振ってんじゃねえぞ!」

ビュンビュンパックをかっ飛ばしてコートから吹っ飛ばしている麦野と、その攻撃から逃げる浜面。
周りのお客達からクスクスと微笑ましいものを見るような笑い声が聞こえてくる。
だが、テンションが上がりきっている麦野と、身の安全がかかっている浜面にそれは全く聞こえていない。

「ちくしょう!やられっぱなしじゃ男がすたるぜ!おい麦野!よく聴けよ!」

「何よ!命乞いなら聞かないんだからね!」

麦野がパックを砕かんばかりの弾丸スマッシュを放とうと振りかぶる。
ネットの向こう側で、浜面がニヤリと笑い、声を張り上げた。

「愛してるぞ!麦野ぉおおっっ!!」

「……!」

浜面の叫びに麦野は一瞬にして茹で上がった。
それはとても美しい空振りだった。ガシャコンと入る点数。
心臓の中から誰が蹴っているかのような拍動を感じながら、麦野が慌ててパックを拾い上げる。

「ば、バカなこと言ってんじゃないわよ!ほら、いくよ!」

「何でお前はそんなに可愛いんだ麦野ぉおおおお!!!!」

「……っ!」

またしても空振り、ガシャリとパックがゴールに落ちる。
何のつもりだこの男は。そんなこと叫ばれたら動揺するに決まってるじゃないか。
麦野は今度はずかずかと浜面のほうに歩み寄り、顔を真っ赤にさせて睨み付ける。

「何の冗談よ?アンタ恥ずかしくないの?」

「恥ずかしくねえ。俺がお前を愛してるのは事実だからだ」

「な、ななな!ななななな!」

931 : ゲームセンター ◆S83tyvV... - 2010/05/10 01:15:23.79 5UB4Cm2o 442/473


おちけつ私。そろそろ慣れろ心臓。
麦野は何度も何度も深呼吸し、もう一度浜面を見つめる。

「そ、そうよね…私も…アンタのこと…」

「なぁんてな!冗談冗談。ビックリしたか?」

「……冗談じゃないよ」

「あ?」

「ひどい…浜面…ぐすっ…えぐっ…私は浜面のこと大好きなんだから…冗談でそんなこと言わないで…ぅえっ…」

「お…おいおい、わ、悪かった!そんなつもりじゃなくて…」

両手で顔を覆い、嗚咽を漏らす。

「機嫌直してくれよ…ほ、ほら、何でもしてやるぞ!だから泣くのを…」

浜面があわあわと辺りをキョロキョロしながらこちらの顔を覗き込む。
そこにあったのは、残酷な笑みを浮かべた麦野の顔だった。

「なーんて言ってほしかったかにゃーん?」

「て、てめぇ!謀ったな麦野!」

「なんでもしてくれるんだよねえ?浜面クゥゥゥウウウン?」

心底楽しげな笑みを浮かべて麦野。
浜面は頭を抱えて肩を落とした。

「私をハメようなんて10年早いんだよ。さぁって、何してもらおっかなあ。
 忘れたころに命令してやるから覚悟しとけよぉ?今日とは限らねぇんだぜぇ?」

「くそう…自分の単純さが恨めしいぜ…って、何だ?」

ふと浜面が辺りを見回す。それにつられて麦野もキョロキョロと周囲に視線を巡らせると、
何とも言えない表情で多くのお客がこちらをチラチラニヤニヤと見ながらヒソヒソ言っている。

「あ、アンタのせいだからね、浜面…!」

「お、俺だけじゃねえだろ?ハッ、駄目だ、こんなことしてるから変な目で見られるんだ」

待ち合わせの時と同じ状況に襲われ、麦野は浜面に続いて恥ずかしそうにいそいそとその場をあとにした。

932 : プリクラ ◆S83tyvVumI... - 2010/05/10 01:18:10.31 5UB4Cm2o 443/473


―――――

「ったく恥ずかしい目に合ったわよ」

「まったくだ。んで、他何かするか?」

エアホッケーから少し離れ、自動販売機で飲み物を買った麦野は午前中でもそれなりに人のいるゲームセンター内を眺めていた。
だが、麦野の視線は自然と一箇所に向けられる。ここで浜面とやりたいことと言えば、麦野には一つしかなかった。

「…プリクラ撮りたい」

「ええ?この前撮ったじゃねえかよ」

「あれは罰ゲームでしょ。今度はちゃんと撮ろうよ」

「まあ別に構わねえけどさ」

浜面の手を取り、プリクラコーナーへと移動する。
あの時のような引きつった笑顔じゃなくて、今度はちゃんと笑った顔のプリクラが欲しかった。
初デートの記念になるというのもあるし。
麦野はうきうきとボックス内に入り、小銭を投入。画面の指示に従い、操作する。

「ポーズはどうすんだ?」

「は?」

「いやだからポーズだよ。ピースでいいか?」

「そうねえ…」

美白でおまかせコースに合わせたところで、浜面が声をかけてくる。
間も無く撮影が始まるようで、ノリのいい音楽と共に電子音声が馴れ馴れしい口調で説明を続けていた。
そう言えば何も考えてなかった。恋人らしいポーズといえばどんなものだろうか。
腕を組む?寄り添う?

(…それじゃこの前と一緒よね。はっ、でも待てよ。確かフレンダがこんなことを…)

と、そこで一つ思い出す。世のカップル達はチュープリとか言うものを撮ったりもするらしい。
チュープリとは何か。読んで字の如く。キスをしたまま撮影するというものだ。
そんなものを撮ってどうするのかという疑問が沸いてくる麦野だったが。カップルらしいと言えばもうこれしかない。
麦野はさっそく浜面に向けて唇を

「できるかバカァッ!」

「うぐぉっ!何だ突然!」

934 : プリクラ ◆S83tyvVumI... - 2010/05/10 01:22:00.26 5UB4Cm2o 444/473


突き出すわけがなかった。
代わりに拳を突き出す麦野。本日の最終目標がキスだというのに、そんなあっさりできたら誰も苦労などしない。
結局一枚目は浜面をブン殴っている写真が撮れてしまった。
いけないいけないと気分を変え、浜面の腕に思いっきり抱きつく麦野。

「む、麦野…当たって…」

「いいでしょ別に。アンタ彼氏なんだから、それくらい構わないって」

「お、おう…そうだよな。うう…柔らかさがハンパじゃねえ…」

「口に出すな。恥ずかしくなってくるでしょが」

麦野の大きな胸をグイグイと押し付けられている浜面がぎこちない笑みを浮かべる。
そういう反応をされると麦野としても少し恥ずかしいのだが、それ以上にもう浜面に胸を触られても何もおかしくない
関係にあるということが、嬉しかったり恥ずかしかったりを加速させる。
ちなみに麦野が逐一彼氏だから、彼女だからと念を押すのは、別に自信が無いというわけではなく、
そうやって確認することで喜びを何度も味わいたいがための発言なのであった。

「ほら、次アンタも何か考えてよ」

軽快な音楽と共に次のポーズを要求してくる筐体。こんな機械ごときに踊らされるのは腹立たしいが、
せっつかれると結構大胆なことも出来てしまうので麦野はグッジョブと機械を心の中で褒めてやった。
次のポーズを促された浜面が何をするか待っていると、彼は麦野の背後に回りこんで後ろからギュッと
抱きしめてきた。当然の如く心臓が飛び跳ねる。

「…はまづら!」

「駄目か?麦野…?」

耳元で囁く浜面の声。
麦野はくすぐったそうに目を細めながら、彼の腕にそっと手を添えた。

「駄目じゃない…。もっとギュッてして」

消え入るような声で浜面にねだる。
麦野たってのお願い通り、浜面は少しだけきつく麦野を抱きしめた。
浜面の大きな体に抱かれた麦野の華奢な体は、温かな彼の体温に心地よく包まれて自然と表情も柔和なものへと変化してゆく。

「…プリクラもなかなか楽しいわね」

「そだな、また撮ろうぜ」

936 : プリクラ ◆S83tyvVumI... - 2010/05/10 01:24:33.93 5UB4Cm2o 445/473


何とか無事6枚のプリクラを撮り終えた二人は、結局前回と同じように頬を赤くさせて撮影スペースから落書きコーナーへ移動する。
だがこの前と確実に違うところは、どちらも文句を言わなかったところだった。
麦野は恥ずかしくて何も喋れない状態だったが、実はとんでもなく喜んでいる。
何せまだ午前中だと言うのに、こんなゲーセンの一角で浜面とたくさん密着することができたのだから。
大胆な行動も、全て機械の所為に出来る。プリクラはデートの度にぜひ撮りたいと思う麦野だった。

「ちょっとちょっと、しずり☆しあげ★って何よ。アンタ女子高生か」

「いや、だってみんなそう書くんだろ?そういうお前だってハートがんがん散らしてんじゃん」

「こ、これはハートの形が可愛いからよ」

「いいんだいいんだみなまで言うな。お前にはそういう可愛いとこがあんだってこと、俺は知ってるんだからよ」

「っせえなあ。アンタなんかこうだ!」

「てめっ!俺をゆるキャラで囲むんじゃねえ!」

二人で仲良くプリクラに落書きをしていく。
やがて残り時間を知らせるアナウンスにせかされながら、何とか全てに落書きを終える。
ドサクサに紛れて恋人向けのスタンプを押してみたり、ハートマークをこれでもかと
散りばめたりして、二人分に切り分けたプリクラを早速新しい携帯の電池パックに貼る麦野。

「浜面、携帯かして」

「おう。なんで?」

「つべこべ言うなっつの」

麦野は浜面から携帯を奪い取り、同じく裏蓋を外して電池パックに今日撮ったプリクラを貼り付ける。
そこには先日撮った二枚のプリクラが既に貼ってあったが、麦野は構わず電池パックを埋める。

「おまっ、何勝手に貼ってんだよ」

「何?嫌なの?」

頬を膨らませる麦野。

「そうじゃねえよ。あいつらに見られたらめちゃくちゃ冷やかされるぞ?」

「あ」
「あ、じゃねえだろ」

「いいわよもう何言われたって」

そんなことより、浜面とのツーショットを張っておきたいという願望の方が勝る麦野。
浜面に後ろから抱きしめられた赤っ恥もののプリクラだが、麦野はゲームセンターを
後にするまで呆けた顔でずっとそれを眺めていたのだった。

937 : ショッピング ◆S83tyvVu... - 2010/05/10 01:27:35.69 5UB4Cm2o 446/473


―――――


ゲームセンターを出た後は、ファーストフードで軽い食事を摂った二人。
ジャンクフードはカロリー高い割に大して美味しくないからと嫌がった麦野だったが、
お金の無い浜面が何とか彼女を説得して事無きを得た。
シャケ弁だってコンビニ弁当だし似たようなもんだろうと思う浜面だが、好物のシャケ弁の悪口を言うと
ブチキレられそうだったのでやめておいた。
そんなこんなで昼食を終え、浜面は今、麦野がよく買い物をするという路面の服屋へとやってきていた。

「いらっしゃいませ。麦野様。お久しぶりでございます」

何とも言えないアバンギャルドでモードテイスト溢れるスーツを着こなした20代くらいの女性店員が笑顔で麦野を出迎える。
白と黒を貴重としたモノクロームの店内は、先ほどまで若者たちでごったがえしていた第六学区の街並みとは打って変わり、
落ち着いたBGMの流れるオシャレな雰囲気を演出していた。
お客もまばらにしかおらず、大学生や20代中盤くらいの男女が皆お洒落な服に身を包んで楚々として買い物を楽しんでいる。
去年の冬物セールで買った8900円のミリタリージャケットなんかでこの店に入ってよかったのかと少し気になる浜面。

「冬物の新作が多数入荷しておりますよ。何かお探しのアイテムはございますか?」

「別に。ちょっと覗きに来ただけ。用があったら声かけるからお構いなく」

「かしこまりました。ごゆっくりご覧下さい」

店員の顔も見ず、陳列されている商品を眺めて言い放つ麦野。
柔和な営業スマイルを崩さず、浜面にも一礼をして商品整理に向かっていった。
浜面がたまに私服を買う時の店員などは、接客業としてそれはどうなんだという友達感覚の気の良い兄ちゃんだが、
こっちでは完全にVIP扱いだ。
浜面は手近に吊り下げてあったシャツの値札を何気なく見る。

(75000円…だと?ゼロ一個間違えてんじゃねえのか)

どうみても普通の白シャツなのに何でこんな値段になるのか。
でも麦野のことだからきっと毎度十万単位で買い物をして帰るのだろう。

「なあ麦野、お前いつもここで服とかアクセサリーとか買ってるのか?」

「まあここだけじゃないけど。仕事で服汚れる時はもっと安いの着てるよ」

でも基本はこれくらいするのか。浜面は雑誌などで10万くらいするようなジャケットをモデルが着ているのを見て、
いつも「誰がこんなん買うんだ」と思っていたが、まさかこんな近くに実在していたとは。

「浜面、ちょっとじっとして」

そう言うやいなや、麦野がドット柄の黒いシャツを持って浜面の体にあてがってくる。

938 : ショッピング ◆S83tyvVu... - 2010/05/10 01:29:35.38 5UB4Cm2o 447/473


「え、俺?」

「うん。アンタに合いそうなの無いかなぁって思ってさ。これ結構かわいいね」

「か、かわいい?」

「浜面、それ脱いでこれ着てみてよ」

今度は少し離れたところからチャコールグレーのジャケットを持ってくる麦野。
反対の手には同色のズボンも持っているので、どうやらセットアップのようだ。
浜面は何が何やら理解できず、言われるがまま試着室に押し込まれて着替える。
値段がチラリと見えたが、上下で約20万円。
細身のスーツで、確かに高いだけあってシルエットは綺麗な気がする。
サイズも意外とピッタリだったし、なんとなくセレブになったようで気分が良い。

「ああ、似合う似合う。アンタ猫背だけど図体でかいしスタイルは悪くないから結構何でもいけるんじゃない?」

「そ、そうか?」

試着室のカーテンを開けて麦野が満足げに頷く。笑顔が眩しいが、着せ替え人形になっている意味がまだ
分からないので曖昧に頷くことしかできない浜面。
こんな高い服着たことが無いので、確かになんとなくいつもよりいい男に見えるような気はする。

「なあ麦野?俺はいいからお前の見たいもん見ろよ。俺に気ぃ使わなくたっていいんだぞ?」

「何言ってんの?アンタの服見に来たのよ?あ、お姉さん、このジャケットとパンツとシャツ買うわ。
 このまま着ていくけどいいよね?」

「かしこまりました、もちろんでございます。いつもありがとうございます麦野様。彼氏様ですか?」

試着室前で待機していた先ほどの女性店員がニコニコと麦野の後ろに控えていた。
お洒落な美人が二人並んでいるのは見ていて気分が良いが、いかんせん麦野の不穏な言葉が気にかかる。
これを、誰が、買うんだ?
ダラダラと冷や汗をかく浜面。
商品に汗がついたらどうすんだと思いつつ、麦野にお金を借りなければならないのかと借金の計算を始める。

「まあそんなとこね。ネクタイってどんなのが合うと思う?」

彼氏というところで少しだけ嬉しそうに微笑を浮かべて、麦野が機嫌良さそうに店員に問いかける。

「シャツがドットですが、お色はシンプルなので奇抜な柄以外でしたら何でも合うかと思いますよ。
 何かお好みはございますか?」

「そうねえ…。浜面、アンタ好きなの選びなよ」

「ちょ、ちょっと来いよ麦野」

939 : ショッピング ◆S83tyvVu... - 2010/05/10 01:32:50.93 5UB4Cm2o 448/473


さすがにこのまま言われるがまま買い物をしてしまうのは不安なので、麦野を壁際まで手を引いて誘導し、ひそひそと耳打ちをする。

「おいおい、どういうことなんだ?俺こんな高い店で買える程金持ってないぞ?」

「知ってるわよ」

「じゃ何でこんな高いオシャレスーツ買うことになってんだよ」

「あ、言うの忘れてたわね。今日実はディナーの予約してるの。
 んでね、そこノーネクタイじゃ入れない店だから、せっかくの機会だしアンタに一式プレゼントしようと思って。
 だからお金の心配なんかしなくていいわよ」

肝心なことを忘れすぎだ。しかもこの上下20万スーツをプレゼントだと?

「すいません店員さん。これやっぱやめときたいんですけど、いいすか?」

「ちょっ!」

浜面は店員に向き直り、頭を深く下げる。
麦野は不満げな声をあげたが、放っておいて店員に申し訳ないと笑顔を向ける。

「左様でございますか。もちろん構いませんよ」

「すんません。悪いな麦野。着替えるからちょっと待っててくれ」

試着室に入り、元の安いジーンズとミリタリージャケットに戻る。
もう一度店員に謝ってからぶすっくれた麦野を引きつれ、店を出た。

「ちょっとどういうつもりよ?」

再び若者で溢れる町を歩きながら、後ろから麦野が苛立たしげに声を投げつけてくる。

「お前こそどういうつもりだよ?俺はお前のヒモに成り下がるつもりはねえぞ?」

「私そんなつもりじゃ…。アンタに喜んでもらいたくて…」

背後で麦野が立ち止まるのに合わせて振り返る。
麦野は唇をかみ締めてギュッと両手の拳を震わせていた。
だが庶民的感覚を忘れていない浜面としてはあんなものをもらうことなんて出来ない。
気が引けるとか、男としてのプライドがとか、そういうことではなく。
麦野の一般人と少しずれた感覚を放置しておくわけにはいかないという考えからの拒否だった。

「あのなあ麦野。俺はお前にそんなことしてもらわなくたって、今日一緒にいられるだけで十分嬉しいんだ。
 金なんか使わなくたって、お前と楽しく過ごす方法なんていくらでもあるんだぞ?」

「…アンタのために何かしたいって思うことがそんなにいけないわけ!?」

声を張り上げる麦野。周囲が驚きにザワつく。

940 : ショッピング@スレ残り少ないから... - 2010/05/10 01:35:30.50 5UB4Cm2o 449/473


「そうじゃねえって。別にお前からのものを一切受け取らないとかそういうことを言ってるんじゃねぇ。
 だけど常識の範囲ってのがあるだろ?言い方悪かったか、別に責めてるわけじゃないんだ
 俺だってお前のために色々したいって思う。お前の気持ちだって分かるし、それはすげぇ嬉しいよ、麦野」

「…それも、私に普通の女の子でいて欲しいってことの一環?」

「ちょっと違うな。お前はお前でいいんだ。だけど、どうせ金を使うなら、もっと二人で楽しんでできることも
 あるはずだろ?そうは思わないか、麦野」

「それは……」

浜面の問いかけに、麦野が俯いた。
内心ひやひやしている浜面。麦野のことだし、ここいらでキレて大暴れしてもおかしくない。
ビクビク彼女の様子を伺っていると、やがて顔をあげたその表情は意外に怒っている様子は無い。
それどころか、毒気が抜けたように晴れやかな笑顔を浮かべていた。

「それもそうね。ちょっとアンタを喜ばせようと必死になりすぎたわ。
 ごめんね浜面、嫌な思いさせちゃったかな」

その麦野の言葉に、浜面も歯を見せて笑みを返す。
麦野はやはりもう以前までの麦野ではない。人の言葉にちゃんと耳を傾けて、聞き入れることができるようになった。
まるで我が娘の成長を見守るようなぽかぽかした喜びを感じる浜面。

「麦野…。いや、全然平気だ!お前が分かってくれただけで俺はもうめちゃくちゃ嬉しい!」
「あ、でもそれじゃ晩御飯どうしようか」
「おっと、予約してるんだっけか?どうする、キャンセルするか?キャンセル料発生するなら俺の所為だし払うぞ」
「ううん。ここはご馳走させて。そんなに高いお店じゃないから。
 それくらいはいいでしょ?私も食べてみたいと思ってたし」

「そんなに」というところが若干気になるが、詳細を聴くとカップルコースみたいなメニューがあるらしく、
料金は二人で10000円だとのこと。
浜面からすればもちろん凄まじく高いが、コースであることと、ドレスコードを要求される格式高い店だと思えば
割とリーズナブルと言っても差し支えは無い。

「…お、おう。でもノーネクタイは駄目なんじゃねえのか?」
「たぶん大丈夫よ」
「本当か?」
「私が何とかしてあげる」

自信満々にそう言う麦野。何とかなるのか?と思いつつ、麦野がそこまで言うならと任せることにした浜面。
一瞬喧嘩になりかけたと思ったが、どうやら杞憂で済んだようだ。

「ほら、手がお留守よ。ちゃんと繋いでてくれないと怒るんだからね?」
「はいよ、お姫さま」

小悪魔的な笑みを浮かべ、右手を差し出してくる麦野。浜面は恥ずかしい台詞に顔を赤くしてその手をとる。
周囲からの痛々しい視線を意に介さず、二人は再びゆっくりと同じ歩幅で歩き始めるのだった。

941 : おやつ ◆S83tyvVumI[... - 2010/05/10 01:38:58.26 5UB4Cm2o 450/473


―――――

「ラズベリークリームチーズとチョコバナナカスタード」

浜面は街中の少し開けた広場で麦野とクレープを食べることにした。
常識とかけ離れた行動とは言え、麦野の好意を無碍にしてしまったお詫びと、今日の夕食をご馳走になるせめてものお礼だ。
ここも例に漏れずにカップルが多く、広場のベンチのそこかしこに男女が寄り添い座っている。
浜面も両手に二つのクレープを持って、木製のベンチに腰掛けて待つ麦野の元へと戻る。

「お待たせ麦野」
「ありがと。わ、美味しそうね。食べよ食べよ」

機嫌よく受け取る麦野曰く、雑誌に載ってたお店とのことだが、クレープの違いなど分かるはずもない
浜面には見た目的にはただのクレープにしか見えない。
さっそく注文したチョコバナナクレープを齧ってみる。

「むぐむぐ。美味い…のか?甘くてよくわからん」
「男の子にはわからないかな。生地が全然違うよ」
「そうなのか?言われてみれば確かにしっとりモチモチと主張しすぎない食感と仄かな甘みが…」
「そうそう。クリームの甘さと絶妙にマッチしてるのよね。チョコバナナだと味強すぎて分かりにくいと思うけど。
 果物も新鮮だし、これはなかなか他のお店じゃこうはいかないんだよ」

もぐもぐと小動物のように小さく齧りつきながら美味しそうに咀嚼する麦野。
甘いものが好きなのはレベル5だろうが何だろうが古今東西あらゆる女子達に共通する事柄のようだ。
あまりに麦野が幸せそうな表情でかぶりついているので、そっちのクレープもなんだか美味しそうに見えてきた浜面。
思わずこんなことを言ってしまう。

「なあ麦野、一口くれよ」
「ごふっ!な!え?!」

咽る麦野。驚いたようにこちらに視線を向ける。

「交換しようぜ交換。はむっ!」
「きゃっ、浜面ぁ!」
「おお、これは確かになんとも言えぬ…」

麦野の返事を待たずにパクリとラズベリークリームチーズにかぶりつく。
クリームチーズの甘さとラズベリーの酸味のコントラストが絶妙だ。
チョコバナナクレープでは確かにこのバランスは楽しめない。
浜面が唸っていると、麦野が頬を赤く染めてこちらを見ている。

「うまいうまい。ん?どした?ほら、お前も食えよ」
「…う、うん…あむ」

943 : おやつ ◆S83tyvVumI[... - 2010/05/10 01:41:28.02 5UB4Cm2o 451/473


小さく頷き、わずかに口を開けて差し出したクレープを齧る。
もぐもぐと可愛らしく咀嚼して、チラチラとこちらの様子を伺う麦野。

「な、なんだよ」

異様に可愛いその反応に、浜面も思わずたじろいだ。

「間接キスね」
「…!」

顔を赤くしてポツリと言う麦野。妙な沈黙が二人の間に流れた。
周囲の雑音だけが聞こえてくる。
食べる手の止まっていた麦野が、やがておずおずと言葉を紡ぎだした。

「浜面、次は間接じゃなくて…」
「あ、麦野さんじゃないですかー!こんちわー!」

麦野が何事かを言おうとしたとき、中学生くらいの長い黒髪を靡かせた少女がこちらに小走りで駆け寄ってきた。
その後ろのほうには口元を引きつらせた御坂美琴と、常盤台の制服を着たツインテールの女子学生、
それから頭にお花畑を乗っけた女子学生が見える。

「アンタ…佐天」
「覚えててくれたんですか。あ、美味しそうですね」
「ああ…一口食べる?」
「いただきまーす!おいしーい!」

人懐っこい笑顔を浮かべて麦野のクレープを小さく齧る佐天と呼ばれた少女。
恥ずかしい雰囲気をどこかに吹き飛ばしてくれたのは浜面としては少しありがたかった。

「佐天さん、邪魔しちゃ駄目よ。こいつ今デート中なんだから。
 恐そうに見えるけど彼氏の前じゃデレデレなんだもんね。待ち合わせの時あんなに嬉しそうに…ププッ」

後ろから歩み寄ってきた御坂が佐天の肩に手を置いてニヤリと悪戯っぽく笑う。
麦野がギリリと歯噛みした。

「あ、そうですよね!ごめんなさい!」
「御坂テメェ…見てやがったのか…!」
「あらあらまあまあ麦野先輩?彼氏様の前でそんな怖い顔しちゃ駄目ですわよー?」

使ったことなど無いくせにお嬢様言葉で麦野をからかってくる御坂。
麦野の顔が引きつる。

「テメェこそ例の男と一緒じゃねえのかよ?今頃他の女とよろしくやってんじゃねえの?」
「んなっ!」
「ええ!?御坂さん彼氏さんいるんですか!?」
「お姉様ぁぁぁぁああああああああああ!!今の発言は本当ですのー!!!?」

945 : おやつ@リア充ェ…書いてる俺が一... - 2010/05/10 01:44:49.61 5UB4Cm2o 452/473


麦野の言葉に、今度はツインテールの少女が飛びかかってきた。
『空間移動能力者』だろうか、一瞬にして御坂に抱きつき、髪を逆立てながらくってかかる。
その後方からお花畑の少女もゆっくり追いかけてきた。

「もう白井さんっ!急に消えないでくださいよー」
「初春ェ!そんなこと今はどうでもいいんですの!お姉様!麦野さんが今おっしゃったことは
 本当のことですの!?お姉様に恋人なんて…黒子は…黒子は…嗚呼」
「白井さん…重い…!」

全身の力が抜けたようにお花畑の少女に寄りかかる白井。
御坂と麦野は「忌々しい」を顔全体で表現しながらにらみ合っていた。

「余計なこと言ってくれたわねえ」
「テメェこそ目上に対する礼儀がなってねえなあ。やっぱここで決着着けるか?」

「望むところじゃないの。あんたにどっちが格上なのかを教えてあげなきゃいけないようね」
「あァ?コンセント代わりにしかならねえ電気屋が吼えるなよ?灰にするぞ」
「ちょちょちょ御坂さん、落ち着いて」
「そうだぞ麦野。御坂もやめろ。こんなとこで始められたら俺たち死ぬぞ」

街のド真ん中で第四位対第三位の三回戦を始められるわけにはいかない。
佐天と共に二人を止めに入る浜面。

「…ふん、まあ今日は機嫌がいいから見逃してあげるわ。クレープが美味しいから」
「こっちのセリフよ。あ、それやっぱ美味しいの?丁度私たちも買いに来たんだけど」
「さあ、私は嫌いじゃないけど。このコに聞けば?」
「佐天さんどうだった?」

一触即発の雰囲気だったのにもう日常会話に戻っている御坂と麦野。
お前ら本当は結構気ぃ合うんじゃないかとハラハラしつつも呆れる浜面だった。

「美味しかったですよ。麦野さん。一口もらったお返ししますよ。何がいいですか?」
「いらないいらない。細かいこと気にしなくていいからさっさと並びに行きな」

シッシッと追い払う仕草の麦野。佐天という少女はよくもまあこれだけおっかない麦野にずかずか入り込めるものだと浜面は素直に尊敬する。
麦野も人懐っこい佐天に何か思うところでもあるのか、ぶっきらぼうに対応しつつも、決して暴言を浴びせて追い払ったりすることはしない。
麦野なりに後輩を可愛がってやってるつもりなのだろうか。

「そうですか。あ、麦野さん、アドレス教えてくださいよ」
「ええ?何でよ?」
「分からないことがあったら何でも聞けって言ったの麦野さんじゃないですかー。ね、いいでしょ?」
「まあいいか。ほら、携帯だしなよ」
「どもー。やった、麦野さんの番号ゲットだぜ」
「変なとこに売るなよ?」

感心する浜面。麦野がこんなに他人と普通に会話しているところなどなかなか無い。
やはりもう以前までの麦野とは違うんだなと浜面は嬉しく思った。

946 : おやつ ◆S83tyvVumI[... - 2010/05/10 01:47:06.54 5UB4Cm2o 453/473

「ありがとうございます。メールしますね。それじゃ並んできます!行こ初春」
「あ、待ってください佐天さん。白井さん…っ!いつまで気絶してるんですか!」

白目を剥いて灰になっていた白井がハッと体を起こし、側にいた御坂の腕に抱きつく。

「お姉様!今日こそはちゃんと説明して頂きますから覚悟してくださいましね!」
「はいはい、分かった分かった…。じゃね、麦野。で・ぇ・と・お楽しみにー」
「っぜえな。とっとと失せろ」

疲れたようにげんなりしている麦野。パタパタと駆けていく中学生達の後姿を見送っていると、
ツインテールの少女が足を止め、優雅な足取りでこちらに舞い戻ってきた。

「何よ白井。愛しのお姉様が待ってるわよ」
「麦野さん、ありがとうございましたの」

目の前に来るなり、白井と呼ばれた少女が麦野に頭を深々と下げた。
麦野が人からお礼を言われている姿なんてそうそうお目にかかれることではないため、浜面は驚愕する。

「お姉様が戻ってきてくださったのは、麦野さんのおかげなんですわよね?」
「…違うわよ。あいつが勝手に自己完結しただけ。私はあいつの独り言聞いてただけだから」
「そうなんですの?お姉様は麦野さんのことを思ったより話が分かる人だったと褒めてらしたのですが」

麦野が人に褒められるなんて、と浜面は息を呑む。先ほどから麦野に対してどれだけ失礼なことを思ってるんだと
苦笑するが、割と素直な感想なのだから仕方ない。褒められ慣れていない麦野も、視線を宙に泳がせて曖昧に答える。

「買いかぶりすぎね。私あいつのこと嫌いだもん」
「貴女がお姉様のことをどう思っていようと、わたくしには関係ありませんわ。お姉様は戻ってきて下さったんですもの。
 だから、お礼を言わせてくださいまし。麦野さん、本当にありがとうございました」

もう一度笑顔で頭を下げた白井。
麦野は困ったような表情で浜面を見てくる。相変わらず素直じゃないなと浜面は苦笑しながら、その背中を押してやる。

「素直に受け取っとけよ。お前が御坂を引き戻したのは事実だろ?」
「…うん。じゃあ、どういたしまして」
「ええ。これからもお姉様と仲良く喧嘩して差し上げてくださいましね。ではお二人とも、お邪魔いたしましたの」
「先輩がああなら後輩もこうかよ…はいはい、またね」

素直な笑顔を浮かべて白井が御坂のもとへと走り去っていく。

「仲良く喧嘩って。私とあいつはそんな関係じゃ…」
「まあいいじゃねえか。御坂はお前が思ってるほどお前のこと嫌いじゃねえよ。
 麦野だって、口ではそう言うけど、同じだろ?本当に嫌いだったら、お前なら無視するはずだしな」
「か、勝手なこと言うな!…ふん、年下のガキにキレるのは大人気ないと思ってるだけよ」

頬を膨らませて拗ねる麦野。
浜面は思った。麦野が変わったのは、何も『アイテム』を大切なものだと自覚したからだけじゃない。
こうやって他人と言葉を交わして、心を通わせて、自分でも気付かないうちに人と接することを学んでいったんだ。
他人を遠ざけようとしていても、麦野はきっとどこかで人との繋がりを求めていた。
こうやって近づいてきてくれた人たちがいたから、麦野は変われたんだろう。
そしていつしか麦野は、本当に優しい女の子になっていくんだろうなという予感を浜面感じたのだった。

947 : ショッピング2 ◆S83tyvV... - 2010/05/10 01:49:21.45 5UB4Cm2o 454/473


―――――

一騒動あったものの楽しくクレープを食べ終え、夕食前の良い繋ぎになった二人は再び腹ごなしも兼ねて
その辺りの雑貨屋でも見て回ろうということになった。
ここも例に漏れずカップル達でごったがえしているファンシーショップ。
先ほどから少し思っていたが、麦野もしかして狙ってそういうスポットに行っていないだろうか?
そう考えれば、麦野がこのデートをとても楽しみにしていたという話が異様に信憑性を増してくる。

(デートスポットでデートしたいってか。麦野ってほんとめちゃくちゃ女の子らしいとこあるよな)

なんだか嬉しくなってきた浜面。視線の先には棚に並んだぬいぐるみをご機嫌で眺める麦野がいた。

「えい、すごーいパンチ!」

大きくてまんまるなひよこのぬいぐるみを抱え、そのもこもこの羽で浜面の頬を小突く麦野。
悪戯っぽい微笑を浮かべて、ひよこにアテレコする彼女に、浜面はどうすればいいのか困惑していた。

「私は世界に20匹弱しかいない聖ぴよこだ。無闇に喧嘩を売ると寿命を縮めるぞ」

(なんだこの可愛い生き物は)

もちろんそのもっちゃりしたひよこのことではない。
聖なるひよこって何だとか、匹じゃなくて羽じゃないのかとか、そんなツッコミをどこかに置き忘れてしまうほどの破壊力。

「アンタ可愛いね。買っちゃおっかなあ。ね、どう思う浜面?」
「ん、いいんじゃねえの?お前の方が全然可愛いけどな」
「はァ!?」
「あ」

思わず思ったことが口に出ていた浜面。慌てて口元を押さえる。
だが時既に遅し。聖ぴよこは麦野の巨乳をぐにゅりと押しつぶすようにきつく抱きしめられている。
いいなあと思いながら、彼女の顔が見る見る真っ赤に染まっていく。

「あの…あ、ありがと…。えと…レジ行ってくるね…」

聖ぴよこを胸にうずめたままぱたぱたと麦野がレジカウンターへ逃げるように去っていった。
その背中を見ながら、麦野といると本当に飽きないなと思う浜面。
彼女がこちらに戻ってきても、まだ耳まで赤いままで、あまりに自然なふい打ちになかなか元に戻れない様子だった。

948 : ショッピング2 ◆S83tyvV... - 2010/05/10 01:50:48.13 5UB4Cm2o 455/473


「か、買ってきた…」
「お、おう…。ぬいぐるみ、好きなのか?」
「べ、別に。でもこのコ触り心地が良いから抱いて寝ようと思って」
「だ、抱いてか…」
「変な想像すんな。枕よ枕。よだれだって着いたりするんだから汚いっての」
「むしろご褒美だろそれは」

羨ましいひよこめ。浜面が袋の中に詰め込まれた鳥を睨む。
たまたまラブリーに作られただけのくせに麦野の柔らかふわふわの乳に包まれて毎晩過ごせるなんて、
鳥類の分際で生意気過ぎる。
浜面は袋の中の鳥公を永遠の宿敵と断定したのだった。

「なあ麦野…」

だから浜面には、哺乳類として。ヒトとして。この鳥にだけは負けられない。
だからこそ訊くのだ。麦野が答えをくれると信じて。

「な、なに?」

麦野が恐る恐る尋ね返す。
浜面は迷いも怖れもなく、彼女に問いを投げかけた。

「お前って何カップ?」

スカートの中の純白の下着が見えた。
次の瞬間。浜面の即頭部にあまりにも鋭いハイキックが叩き込まれる。
飾り気の無いものではなく、レースがあしらわれた大人の白。
麦野、今のお前にはよく似合うぜ。
浜面は最後にそう呟き、ファンシーショップの中で事切れる。

「Fよ。そして死ね」

麦野の恥じらいたっぷりの発言は、その耳に永劫届くことは無い。

949 : 食事 ◆S83tyvVumI[s... - 2010/05/10 01:54:20.93 5UB4Cm2o 456/473


―――――

時刻は夜7時。いよいよデートも後半戦。
まだキーンとなっている耳の奥を押さえながら、浜面は麦野に連れられ本日の夕食を摂るべくレストランを訪れていた。
夜景スポットであるタワービルの近くに位置するオシャレなレストランだ。
格式高い店だと聞いていたが、確かに身なりのいい人々がゆったりと食事を楽しんでいる。
教師や研究者など、どちらかといえば学生以外の人間をターゲットとしているような店なのだろう。
麦野は店に入るなり、支配人を呼び出すという暴挙に出ていた。
まさか本当に脅迫するつもりじゃないだろうなとハラハラとその様子を見守っていた浜面だが、
ヒゲ面の几帳面そうな支配人はニコニコと笑顔で二人を個室まで案内してくれた。
去り際に、「お父様によろしくお伝えください」という謎の言葉を残して。
異様に広い、王族とかが使うんじゃねえの?というような豪奢な室内で、そわそわと落ち着かない浜面。

「なあ、どんな手使ったんだ?」

賄賂でも積んだのかと浜面が戦々恐々と尋ねると、少し言い淀む仕草を見せて麦野が言った。

「実はここ、私の父親が経営してる店なのよ。最近オープンしたから顔出すようにって言われてて」
「え、マジで?麦野の実家はやっぱそうとうな金持ちなのか」
「まあ…そうかもね。『学舎の園』の中にはもっと凄いお嬢様いくらでもいるみたいだけど」

なんとなくそうじゃないかとは思っていたが、やっぱりそうだった。
浜面は彼女の金銭感覚のずれは生まれの所為もあったんだなと妙に納得する。

「じゃあ家に執事とかいたりしてな。はは、なんて…」
「……うん」
「マジかよ…」
「メイドも庭師もシェフもいる…」
「わあ。日本にそんな家あるんだねー、わあ」

かなり筋金入りのお嬢様だ。麦野の高飛車な性格も頷けるというもの。

「ごめん、隠すつもりじゃなかったんだけど。引いた?」
「いやいや、何でそんなことで引くんだよ。ソレ逆に嫌味っぽいぞ。別にお前の実家がどうだって関係ねえよ。
 メイドさんは見てみたいけどな」

とそこで食前酒が運ばれてくる。メニューはあらかじめ麦野が頼んでいてくれたらしい。
仕事の出来そうな眼鏡のソムリエだかコックだかがごにょごにょと酒の説明をしてくるが、
浜面にはもちろんそんなこと分からないので、店員が出て行くまでうんうん頷き聞き流しておく。
それはそうと未成年なのに酒を普通に注文する辺りがさすが麦野だ。

「あー、来ないほうがいいよ。私に彼氏がいるなんてバレたらアンタも面倒なことになるし」
「ゲッ、そんな恐い親御さんなのか?」
「親はそうでもないけど、あんま家にいないしさ。けど私の教育係だった執事がもうね…」

950 : 食事@執事は電撃最新号の扉絵の人... - 2010/05/10 01:56:51.63 5UB4Cm2o 457/473


視線を逸らして自らの肩を抱く動作をする麦野。
彼女がここまで脅えるということは、よっぽど凄いのだろう。
悪魔で執事だったり、もの凄い借金を抱えた完璧超人だったり、吸血鬼を殺すためにナチスの超技術で若返ったり。
いずれにせよ、この麦野を教育するような人間がまともな奴ははずが無い。
喉を鳴らす浜面。

「ごめんごめん。私の実家のことは気にしないで。飲もう飲もう。うちのお抱えのシェフだから、味は保証するよ」
「そか、そりゃ楽しみだな。じゃあ乾杯」
「うん、今日はありがとね。乾杯」

白ワインの入ったグラスを掲げて、笑顔を交し合う。グラスをぶつけ合うのはマナー違反らしい。
いつもいかに相手に缶を叩きつけて中身をぶっかけるかという戦いをフレンダや絹旗と行っている浜面としては、新鮮な、大人の乾杯だった。
グラスに口を付けた瞬間、芳醇な酸味と甘みが口の中に広がった。
鼻を通り抜けていくフルーティな香りが食欲を増進させていくような気がする。
安酒しか飲んだことない浜面には、具体的な良さなどまるで分からないが、
この酒が美味いものだということだけは確かに分かった。

「すげえなこれ…こんなワイン初めて飲んだ」
「これ、私が生まれた年の葡萄で作ったものなんだ。この店がオープンしたときに父親が私のために入れておいてくれたんだって。
 さっき支配人に聞いて始めて知ったよ」
「何てお洒落な親父さんなんだ…。発想がすごすぎる」

酒の所為か、顔が仄かに上気した麦野は妙に色っぽく見えた。
その後、ゆっくりと会話を楽しみながら料理に舌鼓を打つ。
舌平目のなんちゃらとか、何某のテリーヌとか、もう何語か分からないような料理までが順番に出てきた。
正直名前なんてどうでもよくなるくらいに美味かった。
その後たっぷり1時間半程かけて全てのコース料理を食べ終えた二人は、最後のデザートを堪能しているところである。

「これもうめぇ。これは何というか、それ以外の言葉が見つからないな」

真っ白い皿に載せられた、3種のベリーが乗せられた細長い小さなケーキに苺のソルベが添えられている。
それらは口に運びながら、毎度毎度浜面は感嘆の声をあげるばかりだ。
それを見ながら、麦野が嬉しそうに微笑を滲ませる。

「よかった。満足してくれたみたいね」
「ああもう大満足だぜ。ありがとな麦野!」
「い、いいのよ。…私も浜面と一緒に食べられたから…すごく美味しかったし…」

恥じらいながらそう言う麦野。そんな可愛い反応を見せられたら、浜面も急に恥ずかしくなって頬をポリポリとかく。
そのときだった。

「失礼します。麦野様…」

ノックし、支配人が柔和な笑みを浮かべて入ってきた。
二人の間に流れていた緩やかで甘い空気がどこかへと消えていく。

951 : 食事@執事は電撃最新号の扉絵の人... - 2010/05/10 01:59:47.09 5UB4Cm2o 458/473


「何?食事中にずかずかと」
「申し訳ありません。実は…」

麦野に耳打ちをする支配人。彼の話をふんふんと聴いていた麦野だったが、やがてその眉間に皴が刻まれた。

「ちっ、タイミングの悪い…。大事な話中よ。後で連絡するからと伝えなさい」
「いえそれがその…」
「失礼致します。沈利お嬢様」

室内に、パリッとしたスーツを着こなしたとんでもなく大柄のロマンスグレーが現れた。
顔にはモノクルを着けた西欧人。年は60手前くらいだろうか、目尻や口元など、ところどころに皴が
刻まれているものの、その眼光の鋭さたるや、浜面はゴクリと唾を飲み込むことしかできなかった。

「アンタ、何しに来たの?」
「此度この店のオープンに祝いの品を届けることを旦那様より仰せつかり、罷り越した次第でございます」
「私は今食事中なの。話なら明日にでも電話するから、帰りなさい」
「学園都市滞在は本日中のみでございます故、間も無く帰参致します。
 ですが、もう2年近くお嬢様のお顔を拝見しておりませぬ故、一目にお目にかかろうと…」
「うるさい。分かりやすく喋れ」
「麦野…このお人は…?」

恐ろしい顔のジェントルマンに、吐き捨てるような言葉を投げつけている麦野に恐る恐る尋ねる。
すると、ため息をつく麦野が説明をしてくれる前に、威圧感たっぷりの男が浜面に向き直って美しく礼をした。

「申し遅れたことをお許し下さい。私は麦野家で家令(ハウススチュワート)を勤めさせて戴いております…」
「うるっせえつってんだろジジイ。テメェの名前なんてどうだっていんだよ。気にしないで浜面。こいつウチの執事なの」
「お嬢様。執事ではございません。家令でございます」
「どっちでもいいわよ」
「然様で。私が麦野の家にお仕えする家僕であるとご認識戴けているのであれば構いますまい。
 時にお嬢様、こちらの殿方は…?それから右目の眼帯はどうなさいました?よもやお怪我をされたのではありますまいな」

ギロリとこちらを見下ろしながら執事の男が渋い声で麦野に問いかける。
まさか右の眼球が丸々無いなんて聴いたらどんなことになるか分からない。
麦野は呆れたようにため息をついた。

「アンタには関係無いでしょ」
「然様で。されど私は旦那様にお嬢様の御様子もお伺いするよう仰せつかっております故、
 仮にこちらの殿方がお嬢様を誑かす悪漢であれば、少々の折檻をも辞さぬ所存でございます」

952 : 食事 ◆S83tyvVumI[s... - 2010/05/10 02:01:31.25 5UB4Cm2o 459/473


何を言ってるのか分からない。日本語的な意味で。
浜面は二人のやりとりをハラハラしながら見守っていた。
どうやらそれは支配人も同じらしく、彼と目が合うと、何となく会釈を交し合ってしまった。

「家僕の分際で口が過ぎるわよ。彼は私の大切な恩人なの。彼への無礼は許さないわ」
「失礼を致しました。では私に誓って戴けますな?此方の殿方はお嬢様の恋人では無いと」
「それは…」
「違うっすよ」

浜面が咄嗟に助け舟を出す。恋人関係を他人に主張したい麦野にその嘘は付けないだろうと思ったのだ。
一瞬浜面も迷ったが、これが原因で麦野が怒られたりするのは見たくなかった。
こちらの言葉に、男がギロリと浜面を見下ろしてくる。

「誓って、戴けますな?」
「ああ、誓うよ」
「浜面…」

少しだけ哀しそうな麦野に心が痛む。が、後で説明すればいいと浜面は不敵に笑った。

「…然様で。失礼致しました。お名前を御伺いしてもよろしいでしょうか?」
「浜面仕上です」
「…以後お見知りおきを。それではお嬢様、私はこれにて失礼を致します」

頭を下げ、執事は麦野に向き直ってもう一度礼をする。

「はいはい。さっさと帰れ」
「支配人。手間をかけたな。お嬢様、勘定は私がお支払いしておきます故、
 その代金で浜面様の身なりを少々整えて差し上げると宜しいかと」
「大きなお世話よ」

いやまったく。そう言って男は支配人を伴い、結局一度も笑顔を見せることなく去って行った。
再び室内は二人だけになる。張り詰めていた空気が弛緩し、二人は同時にテーブルに突っ伏した。

「ごめんね浜面、あいつちょっと過保護すぎるってか口うるさいのよ」
「いやいや、お嬢様の苦労ってのがちょっと分かったいい体験だったよ」
「そう言ってもらえると助かる。ねえ浜面…私、浜面の恋人だよね…?」

953 : 食事 ◆S83tyvVumI[s... - 2010/05/10 02:02:37.48 5UB4Cm2o 460/473


哀しそうな視線で浜面に問いかけてくる。先ほどの発言を気にしているらしい。

「ああ?当たり前だろ?俺は恋人じゃないなんて一言も言ってないぜ?」
「え、でもアンタさっき…」
「あのオッサン俺にこう言ったんだ。
 『お前お嬢様の 恋人じゃない よな?』 って。
 だから俺は『恋人じゃない』ってとこを否定して、『違うよ』って答えたんだ。
 つまり俺は、正直にオッサンに恋人だぜって宣言したんだけど、案の定勘違いしてくれたぜ」
「なるほど……さすがね。小ずるいことには頭が回る」

感心したように麦野が唸る。
あまり褒められた気がしないが、麦野の機嫌は元に戻ったのでよしとしよう。

「けどよかった。私、浜面にふられちゃったのかと思ったよ」
「なんでだよ。そんなわけないだろ」
「ほんと?」
「ああ」
「じゃあ好き?」
「…ああ」
「ちゃんと言ってくれないと分からないよ?」

毎晩電話口でしているやりとり。
分かっているくせに、その言葉が聴きたいがためにやるアホな会話だ。
だが浜面はいつまで経ってもそのやりとりには慣れなかった。
当然だ。恥ずかしい。だって男の子だもん。

「…好きだぞ、麦野」
「うん、私も大好き!」

けれど、そうやって華の咲くように笑ってくれる麦野が見れるなら、そんな馬鹿な会話に付き合ってやるのも悪くないと浜面は思った。
好きだって言われて嬉しいのは、何も麦野だけではないのだから。
彼女の言葉に、浜面はドキリとなる。
こんなに可愛い彼女が自分のことを好きだって言ってくれて、嬉しくないわけがない。
デートもいよいよ後少し。最後まで二人の時間を楽しもう。浜面は強くそう思うのだった。

954 : タワービル近辺 ◆S83tyvV... - 2010/05/10 02:04:24.86 5UB4Cm2o 461/473


―――――

食事も終わり、いよいよ本日の目的であるタワービルへと手を繋ぎ歩いている二人。
麦野はドキドキと高鳴る胸を押さえながら歩いていた。
ほろ酔いでいい具合に気持ちがいいし、隣には大好きな浜面がいてくれる。
こんな気分のいい日はそうそう無い。このまま楽しく一日が終われそうだと思っていた時のことだった。

「なあ、アレ浜面じゃね?」
「うおマジだ」

柄の悪そうな男が数人、少し離れたところでそう言ったのを聴いた。
浜面にも聞こえたのか、舌打ちをして麦野手をギュッと握る。
麦野は浜面を見上げて、優しくその手を握り返した。

「おいコラ、浜面止まれよ」
「あれー?ほんとだ浜面クンじゃないですかー?女連れとは生意気ですねー?」

人数は7人。いかにもな外見のスキルアウトの男たち。
こちらを値踏みするようにニタニタと視線を這わせてくるのが気持ち悪い。
麦野の瞳が鋭く細められた。

「ほっとけ麦野」

浜面は麦野の手を引き、ビルのほうへと向うが、その前に男たちが立塞がる。
浜面が許してくれるなら、いつでも殺してやると平坦な表情になる麦野。

「おい浜面ぁ。テメェの所為で仲間が死んだってのにテメェは女とイチャイチャかよ」
「いいご身分だなあ。その女めちゃくちゃ可愛いじゃねえかよ。俺たちにも貸してくれない浜面クゥン?」

麦野の中で沸々と湧き上がってくる激情。ここが人目の無い路地裏だったら、とっくに消し炭にしているところだ。
だがまだ麦野が踏みとどまっているのは浜面が痛いほど握り締めてくる手のせいだった。
ふるふると震えている。恐いわけじゃない。「仲間が死んだ」。その発言の所為だ。

「シカトしてんじゃねえぞコラァ!テメェがトチリやがったせいでアイツらみんな死んじまったんだ!
 いい奴らだったのによぉ…なのに何でテメェが生きてんだよクソ野朗!」

浜面の胸倉を掴み上げる男。麦野の手からとうとう浜面の左手が離される。

「すまねえ…」

ポツリと呟く浜面。その声は悔しさと怒りに震えていた。
そんな彼の言葉に、怒りが心頭に発した男が顔面を殴りつける。
浜面の体が勢いよく地面に叩きつけられた。
口元から血を流しながらも、浜面は彼らに同じように謝ることしかできなかった。

956 : タワービル近辺 ◆S83tyvV... - 2010/05/10 02:06:12.29 5UB4Cm2o 462/473


「すまなかった…俺のせいだ…」
「分かってんよそんなことは…。おら立てよ。テメェが気絶したらそっちの女はどうなっちまうかなぁ?」
「アンタ美人だなぁ。浜面みたいな冴えねえ奴ほっといて俺たちと…」
「手ぇ離せよゴミ蟲共…」
「あ?」

浜面を殴られた時、麦野の頭で血管が一つ吹き飛んだ。
それはただの、試合開始のゴングだった。

「テメ今なんつったんだ?」
「麦野…」
「私の浜面からその薄汚ねえ手を離せっつったんだよッ!!」

憤る麦野。レベル5の殺意の重圧が男達の体に圧し掛かる。
ゴクリと生唾を飲み込むスキルアウト達。
周りを行く人たちは、自分たちの様子を見て見ぬふりをしながら通り過ぎていく。
だがそれが普通だ。どう見ても襲われてるのは自分で、周りの男たちがそれを取り囲んでいる。
先ほどまではその見識で正しい。しかし、今状況は変わった。
殺意を持ったレベル5を前に、このスキルアウト達はもはやただ殺されるだけの案山子。
道行く人々は、まさかこの一人の少女が、7人の男達を殺そうとしているなどとは考えもつかないだろう。

「ハ…ハハ、何言ってんだぁ?こっちは7人もいるんだぜ?」
「そ、そうだぜ。オラ、とっとと拉致ってまわしちまうか」
「ギャハハハ!浜面テメェにはこの女がヒーヒー言ってるとこ生で見してやんよ!」
「バカ!逃げろ!」
「無駄だぴょーん、君にはボク達のおにんにん咥えてもらうお仕事が待ってるからねー」

愚か過ぎる。その浜面の言葉通り、一目散に逃げていれば、見逃してあげたのに。
その言葉が、自分たちに向けられたものだなんて気付けない。
生存本能の鈍い奴は、闇の世界じゃ生きていけないんだよ。

「私のたのしーたのしー休日を邪魔しやがって…テメェら―――」
「止めろ麦野!」


大丈夫だよ、浜面。


「―――ブ  チ  コ  ロ  シ  カ  ク  テ  イ  ネ  」


私はあなたとの約束は、一瞬たりとも忘れてなんか無いから。

957 : タワービル近辺 ◆S83tyvV... - 2010/05/10 02:08:18.78 5UB4Cm2o 463/473


『原子崩し』を発動。場は一瞬にして光に包まれる。以前の麦野なら、彼らをこのまま肉の塊に変えてやったことだろう。
だが、麦野は浜面と約束をしたから。
彼の前では、ただの女の子でいるって。暗部の仕事以外で、もう人は殺さないって。
麦野は青い球体を無数に出現させ、彼らの頭上から雨のように電子線を注ぐ。
決して彼らには当てず、だが一歩でも動けば一瞬にしてこの世から消える。
整備されたビル前の床に無数の穴が開けられていく。隕石の落ちた跡のように。蜂の巣のように。
光が消えたとき、男たちは皆唖然とした顔で穴ぼこだらけになった大地に立ち尽くしていた。

「…ハ、ハハ、な、なんだよそりゃ。ただの脅しじゃねえか…!」
「まだやんの?言っとくけど、ここで止めないと本当に殺すしかなくなるんだけど…」

乾いた笑い声を漏らす一人の男。勝ち目なんて無いと分かっているはずなのに虚勢を張ることしかできない。
我に返った男達が皆互いの顔を見合って恐怖を拭い去ろうとする。
こうなると、後に待っている行動は単純だ。ヤケになって襲い掛かる。これしかない。

「ふざけんじゃねえぞ!テメェら!やっちまえ!」

三下の台詞を吐いて、懐からナイフを取り出した男達。

「もうゆるさねぇ。三度の飯よりセックスが好きな体に開発してやビブルチッ!」

しかし、そのリーダー格の男の顔面を、横合いから思い切り浜面が殴りつけた。
数メートル吹き飛び、男は地面を転がった。

「俺は別にいい…でもそれ以上麦野に手ぇ出すってんなら、マジで殺す…」
「…テメェ…元はと言えばテメェがヘマしたせいで…」
「ああそうだ!」

折れた歯と鼻を押さえながら、ヨロヨロ立ち上がる男に浜面が吼える。

「あいつらが死んじまったのは俺の所為だよ!言い訳はしねえ!
 でもな、だからってこのまま俺は死ぬわけにはいかねえんだ!
 仲間を守ろうとしてくたばった駒場のリーダーは、絶対そんなこと褒めちゃくれねえ!
 取り返しのつかねえことをしちまったけど、それでも俺たちは生きていくしかねえだろうが!
 だから今度は守るんだ!俺は俺の仲間を、何があっても、絶対に!」

浜面が拳を血が滲むほど握り、叫ぶ。
男はなおも浜面にナイフを向けた。
 
「うるせぇえ!はまづらぁああああ!」

ナイフを腰で構え、浜面を殺そうとぼこぼこの大地を蹴る男。

「歯ァ食いしばれよ…テメェらが他人の所為にすることしかできねえってなら、俺がその根性…―――」

だが浜面は揺ぎ無い視線で、彼を真っ直ぐに見据えて拳を振り上げた。

「―――叩き直してやるぁぁぁァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ――――――!!!」

958 : タワービル近辺 ◆S83tyvV... - 2010/05/10 02:10:19.34 5UB4Cm2o 464/473


男の顔面にねじこまれる浜面の拳。ナイフが浜面の胴体に差し込まれる前に、男の体は実に10メートルは吹っ飛ぶ。
ピクピクと痙攣して、男は気絶した。

「根性足りねえぞ。出直してきやがれ」

周りにいたスキルアウト達は、ゴクリと息を呑んだが、まだ数の利があると思っているのか、それで引くことはしない。

「逃げるぞ麦野!」

突然浜面が駆け出す。
彼のの咆哮に驚いていた麦野の手を、突然掴んで彼は走り始める。

「ちょっ!なになに!?」

引っ張られるように後を追う麦野。彼は走りながらこちらを振り返って精悍に笑った。

「よく殺さなかったな、偉いぞ麦野。後は逃げるが勝ちって奴だぜ!」

ドキリとなる麦野。浜面が褒めてくれた。背後から男たちが怒号を上げて追いかけてくるが、あんなに目立っていれば
そろそろ『警備員(アンチスキル)』が駆けつけてくるだろう。
浜面達はいくつも路地を曲がり、通りを出たり入ったりしてそれを撒く。

「ハァ…ハァ…よし、ここまで来れば大丈夫だろ」
「…はぁ…はぁ…ったく、この私を走らせるなんて…アンタふざけんじゃないわよ…ぜぇ…ぜぇ」

やがて立ち止まって息を荒くしながら、二人はネオン街の中で笑顔を向け合った。

「悪い悪い。あんなの一々相手にしてたら日付変わっちまうからな。
 あーでもどうするかな。タワービルの方は『警備員』が来てるかも…」
「そだね。別に今日じゃなくてもいいよ。あ…浜面ここ…」

麦野は自分の顔が赤くなるのを感じた。走り疲れたからではなく、このネオン街に原因があった。

「…お…おう…これは、わざとじゃないんだぞ…?」

そこは所謂ホテル街。キラキラと輝く可愛らしい外観のホテル達が皆口を開けてカップルを待っている。
よく見るとそこかしこにぴったりと密着していそいそとホテルに入っていくカップルが見受けられる。
デートのゴール地点としてはおあつらえ向けかもしれないが、麦野にはあまりに刺激が強すぎる場所だった。

「よ、よしタワービルに戻るぞっ!……麦野?」

959 : ホテル街 ◆S83tyvVumI... - 2010/05/10 02:12:25.62 5UB4Cm2o 465/473


気がつくと、麦野は俯いて浜面のジャケットの袖を掴んでいた。
顔が真っ赤になっているのは自覚している。自分でも何故そんな行動に出たのか分からない。
だけど、これ以上デートを他の誰かに邪魔されたくなんかなかった。
二人で夜景を見るのも素敵だけれど、二人きりで過ごすのは、きっともっと素敵なことだから。
麦野はゆっくり、浜面の腕の中に自らの体を投げ込む。

「…浜面…もう終電なくなっちゃったよね…」

彼の顔を見れない。
だけど、分かって欲しい。
どんな気持ちで、自分がそんな行動に出ているのか。

「は?いや、まだそこそこ…ああ、いや…なんだ、そうだな…無くなっちゃったかもな」
「……家に帰れないよね…」
「ああ…帰れないな…」

そうして嘯く二人。
だけど、気持ちは同じだった。誰にも邪魔されずに、二人きりで過ごしたい。
家に帰るまでなんて待てない。
今すぐに、彼と、二人きりになりたい。

「……どこか…泊まるところ無いかしらね…」
「そう…だな」

面倒くさい女の子でごめん。だけど、自分からこんなこと、恥ずかしくて言えないから。
浜面が引っ張っていってくれるなら、自分はどこへだって行くから。
だから

「…じゃあ…ここ、とか?」

頭をかきながら、照れくさそうに浜面が指を指す。

「うん…いいよ、アンタとだったら、どこでも行く…」

予定調和の会話を終えて、麦野は浜面の腕に縋り付いて建物の中へ入る。
これで朝まで、誰にも邪魔はされない。
私だけの浜面でいてくれる。浜面だけの私でいられる。
麦野の心臓は、今日最高潮の喜びと拍動を記録した。

960 : 麦野 ◆S83tyvVumI[s... - 2010/05/10 02:14:14.97 5UB4Cm2o 466/473


―――――


部屋の中で、麦野はひたすらに混乱していた。
一言で言えば。
どうしてこうなった?
いや全く全面的に自分から誘ったのだが、いざこうして室内に入るとドキドキがハンパではない。
恥ずかしくて浜面を直視できない麦野。
今二人は室内の二人掛けソファに無言で座っているところだった。

(…わ、私このまま浜面と…しちゃうの?)

若い男と女がホテルにいるということの意味を、麦野はよく理解していた。
浜面だって男だ。いくらなんでも自分とこのまま夜を共にすれば、当然そういうコトになってしまうだろう。

(そりゃいずれはそうなるんだろうけど…私達この前付き合ったばっかりなのよ…?
 んで今日初デートだし…。そんな決心つくわけないでしょが!)

男が怖がって近寄ってこなかったのだから当然だが、麦野にそういった経験はない。
故に、いずれは浜面に初めてを捧げることになる。
しかしだ。
付き合い始めてたかだか一週間でもうコトに及んでしまうのは、麦野としては色々と問題があった。

(軽い女って思われたらどうしよう…。結標のクソアマが私のことをビッチみたく言いやがったから
 ただでさえそういう先入観みたいなもんが浜面の中にあるかもしれないのに…)

結標の顔を思い出して自らのスカートを引き裂くように握る麦野。

(大体初めてがラブホテルって何よ。もっと夜景の綺麗に見えるホテルのスイートルームで、
 アロマの香りの中シャンパングラスを傾けながらゆったりとそういうムードになっていくのが本当じゃないの?)

重ね重ね言うが、麦野沈利はこれでも乙女である。
もちろんギャグではない。
あれだけピュアなデートを望んだのに、ましてや初めてを大好きな人に捧げるというのだから、
素敵な場所と甘いムードの中で来るべき時を迎えたいわけだ。
それは決して今じゃないし、まだまだずっと遠い先の話であってほしい。

(私は何でこうなんだ…。もっと落ち着いた人間になろう…)

散々回りから言われてきても治らなかったことを、自分の処女がかかったこの状況下でようやく誓う麦野。
自業自得で納得できることではないため、麦野は意を決して先ほどからそわそわ落ち着かない浜面のほうを振り返る。

「浜面、あのね…」

961 : 浜面 ◆S83tyvVumI[s... - 2010/05/10 02:15:54.20 5UB4Cm2o 467/473


―――――

浜面は先ほどから心臓と下半身がえらいことになっていた。
麦野と恋人になれたということで人生でも最高点というくらいの喜びの頂に到達していた。
さらに今日は念願の初デートである。無理もない。

(麦野がさっきからこっちを向かないのは、俺がリードするのを待ってるからなのか…?)

突如一緒にホテルに入ろうと言われ、巨乳を腕に押し付けられて部屋まで来た。
その言葉に浜面は気が気でなく、先ほどからずっと前かがみの状態になっている。
部屋の真ん中にドッカリと鎮座している巨大なベッドをチラチラと見ながら、浜面は荒くなりそうな呼吸を必死に抑えていた。

(いいのか麦野…?もう俺は限界だぞ…)

浜面は健全な少年である。
麦野のような恋人が出来たのだから、当然やりたいこともたくさんあった。
デートのことももちろんそうだ。色んな場所に麦野と行って、今日みたいに楽しみたい。
そしてDVDの中でしか拝めなかった生まれたままの女体を拝み、コトも致したいわけである。
麦野の肉体は艶めかしく扇情的で、男の欲望をぶつけたくなるような肉感を持っている。
平たく言うとエロい。
胸は柔らかそうに膨らんでいるし、腰のくびれもたまらない。
文句なしの美人で、髪はさらさらのふわふわ。わずかに上気した頬が何とも言えない悩ましさを放っている。
性格はきつめだが、そんな麦野の体をいつか自由にできるという事実は
浜面からすればそれだけで数日はおかずに困らないことだった。
だが浜面には気がかりもある。

(がっついてるみたいじゃねえか俺?そりゃいつかはするんだろうけど、それって本当に今なのか?)

ここで麦野を抱きしめてゆっくりとベッドに連れて行くことが、本当に正しいのだろうか?
麦野が望んでる望んでないの話ではない。
付き合ってたかだか1週間の自分たちが、こんなタイミングで初めての戦いに及んでいいのかという話だ。

(もしかして…何か別の意図があったんじゃないか?好きって言われたくらいであんなに喜ぶ奴だぞ?
 本気でコトに及ぶことを望んでいるとは考えにくい。危ない危ない。
 もし襲ってたら死ぬところだったぜ…)

息を吐いて自分の命を拾い上げたことを実感する浜面。
だが状況はこうである。誰が見たって、やることなんて一つしかない。
浜面は隣でスカートを握り締めて俯く麦野を見ながら生唾を飲み込んだ。
そのとき、麦野が突如こちらを向いて声をかけてくる。

「浜面、あのね…」

962 : 浜面 ◆S83tyvVumI[s... - 2010/05/10 02:17:36.19 5UB4Cm2o 468/473


「お、おう…」

赤い頬と潤んだ瞳。隣に座っているととてつもなくいい匂いもする。
正直いつ理性のタガが外れてしまうか自分でも気が気で無い。
麦野を傷つけるわけにはいかないと、浜面は深く息を吸いながら彼女の言葉を待つ。

「浜面…私とエッチしたい?」
「な、なんだと…?」

頼むからそんな生々しい単語を出さないでくれ。
その大きな胸に飛びつきたくて仕方が無いのだから。

「ごめんね…でも私、まだ怖くって…それは…待って欲しいんだ。
 …こんなところまで連れ込んだの私なのに…勝手なこと言って…ほんとごめん」
「麦野…」

理性を保ててよかったと浜面は心から思った。
唇をギュッと噛んで、麦野が申し訳無さそうしゅんとする。
浜面は慌てて麦野の肩を抱いてこちらを向かせた。

「そ、そんなの全然構わねえよ!」
「え…?でも浜面男の子なんだから…したいよね?」
「い、いや…したくないと言えば嘘だけど。だけどそんなの今じゃなくたっていいんだ!
 お前とはこれからも…ずっと一緒なんだし…」

浜面の言葉に、麦野が蕩けたような瞳でこちらを見た。
ずっと一緒。そう。ずっと一緒なんだ。
焦る必要なんてない。

「…うん、そうよね。嬉しいな…浜面と、ずっと一緒にいられるんだ」

麦野が自分の心臓辺りを押さえながら、微笑む。
麦野の笑顔を見ていると、浜面の心臓はいつも体の内側を叩く。
この顔が今日一晩中見れるなら、ここに来た意味が充分すぎるほどにあるなと浜面は思った。

「あっそだ。後でタワービルで渡そうと思ってたんだけどさ…」

浜面はポケットから、小さな長方形の箱を取り出す。包装紙に包まれ、プレゼント用に装飾されたそれを、
麦野の小さな手に握らせた。

963 : 浜面 ◆S83tyvVumI[s... - 2010/05/10 02:19:32.15 5UB4Cm2o 469/473


「…なに、これ?」

麦野が期待するような視線を向けてくる。

「今日の記念にって、お前へのプレゼント」
「アンタ、私のプレゼントは受け取らなかったくせに」

額を指で突いてくる麦野。嬉しそうな表情。早く開けたいとせがんでくる。

「そんな高いもんじゃねえよ。それにもう買っちまったから返品は受付けてねえな」
「ふふっ、冗談だよ。嬉しい。開けていい?」
「おう」

頷いてやると、麦野はわくわくとした面持ちでそれを開け始めた。
包装紙を丁寧に開き、大事に大事に折りたたんで。

「そんな丁寧にしなくてもいいぞ?」
「いいの。包装紙ごととっておきたいんだから…あ、ネックレスだ」

ピンクゴールドのオープンハートのネックレス。
細いチェーンと主張しすぎないペンダントトップだから、服を選ばず着けられるとショップの店員が言っていた。
麦野はピンクが似合うって、ずっと思っていたから。
それを言われた麦野が、ピンクを着る機会が増えたことを浜面は知っていたから。

「…麦野の趣味に合うか分からねえけど…」
「ううん、嬉しい。すっごく嬉しい…!ありがとう、大事にするね…」
「お、おう。着けてみろよ」
「浜面が着けてよ。私の首輪」
「ばぁか、変な言い方すんな」

そのネックレスをこちらに手渡し、麦野が嬉しそうに笑う。
背中を向ける麦野にソレを付けてやる。
鎖骨の間、少し下。さりげなく輝くピンクゴールドが麦野によく似合っていた。

「いいじゃん、似合ってるぞ」
「アンタにしちゃ悪くないセンスだわ。…お礼、させて」
「え…?」

蠱惑的に微笑む麦野。
彼女の唇が、近づいてくる。

964 : もうすぐ終わります ◆S83ty... - 2010/05/10 02:21:44.86 5UB4Cm2o 470/473


―――――


浜面に始めてプレゼントをもらった。
ずっと大事にしよう。
この感謝の気持ちを、喜びの気持ちを、彼に伝えたい。
だから今日、最後の最後で、ようやく、彼にキスができた。


「……キス、久しぶりだね」

「麦野…そ、そうだな」


鼻先5センチのところで、囁きあう。
彼の体に手を回し、自然と笑みがこぼれる。
浜面への大好きな気持ちが止められない。
首からかけられた彼の鎖が、自分は浜面のものなんだって自覚できて、とても嬉しい。


「ふふっ、あんまりしすぎると浜面色々と我慢できなくなっちゃうかにゃーん?」


小首を傾げて挑発する。
この部屋は朝まで自分たち二人だけ。夜明けが来るまで、自分は彼だけのものだ。


「だ、大丈夫だ!俺は硬派な男なんだぜ!」

「えらいぞ、浜面。ご褒美をあげるわ」


もう一度唇を重ねる。
口元の柔らかな感触が、粘膜を伝わって体に入り込んでくる。
体が溶け合うような感覚だった。脳が痺れて、蕩けて、何も考えることができない。
彼の体にすがりつくように抱きついて、もっとして欲しいとねだることしかできない。
啄ばむように唇を重ねる。舌先と舌先を突きあうように、互いを捜しあうように、口付けを交わす。
言葉じゃ足りない気持ちを、溶け合う体温と一緒に伝えられたらいいのに。


「……エッチはまだ怖いけど…キスは、いっぱいしようね」

「…そ、そだな…」


ぎこちなく言葉を交わす。足りない。言葉じゃ足りない。
とても幸せな一日だった。たった一言で終わってしまう。全然足りない。
今日一日というかけがえない日を、もっともっと彼に伝えたい。

966 : むぎのんへの愛が止まらない ◆S... - 2010/05/10 02:24:33.35 5UB4Cm2o 471/473


「はまづらぁ…もっとして…」

「あ、あぁ…」


脳波を繋げたい。心を繋げたい。
こんなに好きだって気持ちを、もっともっと彼に伝えたい。
麦野はそう告げるように、優しくキスを続ける。


「…浜面、もっといっぱい、色んなところに行って。色んなことをしようね」

「そうだな、麦野。出来れば学園都市の外にも行きたいな」

「行こうよ。浜面と一緒なら、何だっていい。何処だっていい」


鼓動が聞こえる。
自分の呼吸なのか、彼の呼吸なのか。分からない。
分からないけれど、彼がここにいて、自分はここにいる。
その事実だけでよかった。好きな人が目の前にいてくれる幸せを麦野は噛み締める。


「好きだよ、浜面」


今自分にできる最高の微笑を浮かべて、そう告げる。
喜びを体で表すことしか出来ないなら、私は迷わずそうするんだ。
そして浜面の笑顔が返ってくる。麦野は彼を強く抱きしめた。


「俺も好きだ、麦野」


まだまだ夜明けまでは長い。学園都市の夜が更けていく。


「ふふっ…たーのしみだねぇ、はーまづらぁ」


闇に包まれていく世界の中で、ただの少女、麦野沈利は想う。
もっと、伝えていよう。長い夜の、今しかないこの気持ちを。明日になればまた形を変える愛しさを。
今日。現在。この瞬間の。



 ―――大好きを、彼に届けたいから


967 : おまけ ◆S83tyvVumI[... - 2010/05/10 02:26:29.23 5UB4Cm2o 472/473


―――――

朝、二人は揃いも揃って目の下に隈を作り、ホテルを出た。
もちろんコトが起こったわけではない。朝まで色んな話をし過ぎて、ほぼ徹夜だった。
交代で風呂に入り、寝るときは一緒だったが何もやましいことは無い
そんな朝、手を繋いでホテルを出た二人の前に、何とも形容しがたく顔を紅くさせた『アイテム』の一同が現れた。


「な、なんでアンタ達こんなとこに…」

「こっちのセリフな訳よ麦野…」

「まさか本当にホテルから出てくるとは超思いませんでした」

「むぎの…えっと…おめでと」

「うっ、アンタらまさか後つけてたんじゃ!?」


問い詰める麦野に、フレンダ、絹旗、がギクリと肩を震わせる。


「だ、だって心配だったんだもん!」

「みんな解散した後それぞれむぎのを尾行してたもんね…」

「こんな超面白そうなの尾行しない手は無いでしょう」


プルプルと震える麦野。恥ずかしすぎる。浜面とのあんなことやこんなことも見られていたというのか。


「…な、何も無かったんだから勘違いしないでよ!」


こんな言い方だとまるで照れ隠しみたいだと思い、麦野はなおさら顔を引きつらせる。


「浜面!アンタもなんか言って!」

「…いや…その」

「テメェはーまづらァ!誤解招くような顔すんな!」

「お前だってしてんじゃねえか!」


朝のラブホ街でギャーギャーと騒ぎ始める。
やれやれと肩を竦めたフレンダが二人の間に割って入った。

968 : おまけ ◆S83tyvVumI[... - 2010/05/10 02:29:58.50 5UB4Cm2o 473/473



「ま、その話は今日ゆっくり聴く訳よ。さ、今日は麦野の退院パーティだ。
 みんな隠れ家行こっか」
「ですね。買出し先行きますか」
「お菓子何にしようかな」
「いえいえまずはお酒でしょう」
「私一回帰って着替えたいんだけど」
「大丈夫大丈夫、麦野ちゃんとお風呂入ったでしょ。浜面と」
「入ってねえよ!」
「そ、そうだぞ!入りたかったのに…」
「余計なこと言うんじゃねえ!」
「キスはしたの浜面!?」
「いや…まあ…」
「言うなバカァッ!」
「あ、むぎの、そのネックレス可愛いね」
「げっ、滝壺余計なこと言わないの!」
「ほっほー、それは何ですか麦野?超プレゼンツですか?」
「何ぃ!麦野に首輪着けるなんて変態過ぎるだろ浜面ぁ!」
「首輪じゃねえっつの!」
「見せて見せてむぎの」
「う、うん…」
「わあ、可愛いね」
「麦野!結局、私は麦野に犬扱いされても興奮できるわけよ!私ともホテル行こう!」
「あ、じゃあみんなで行こうよ」
「滝壺さん…その発言は超危険ですよ」
「みんなで…か」
「変な想像してんじゃねえぞ浜面。アンタは…私としか行っちゃ駄目」
「うへー、朝からウザいなあ」
「全くです。そろそろ自重して欲しいもんですね」
「砂吐く」
「テメェら全員ブチコロス!」
「ギャー!なんで俺まで!」


平和な学園都市。
『アイテム』の一同は今日も今日とて騒がしく街を歩く。
今日は麦野の退院パーティ。
そこで麦野と浜面はまたしても盛大にラブコメを始めて皆にからかわれるのだが、それはまた別のお話。


―――――おしまい―――――

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