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当記事は、【 未来編(後日談) 】 の 【前編】 です。

16 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/15 22:46:01.61 tOz/sjdO0 775/1108

……



陰鬱な気分と共に男は目を覚ました。目が覚める直前まで、言葉にできないほどの嫌なものを見せつけられたような感じを彼はしていた。だが、目覚めてたった数秒でついさっきまで鮮明に覚えていたはずの悪夢の内容は頭の中からスッパリと消え失せてしまっていた。

「……なんだろう。なんで、思い出せないのにこんなに胸が痛いんだろう」

 傷はないのに痛む胸元にそっと手を当て、男は着ている服を握り締めた。それから、朝日が差し込む窓に視線を向ける。そこにはいつもと変わらないこの世界に存在するすべてを包み込む温かな光が存在した。
 そんな光を見て心に漂う暗闇が少しずつ晴れていく。先ほどまで見ていた夢の内容は相変わらず思い出せなかったが、この暗い気持ちをいつまでも被木津っているわけには行かないと気持ちを切り替えベッドから起き上がろうとする。
 だが、身体にかけてあった毛布を剥ぎ取った男の横に一人の少女が現れた。


17 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/15 22:46:28.66 tOz/sjdO0 776/1108

「……またか」

エルフ「……すぅ……すぅ」

 小さな寝息を立てて彼の横で身体を丸めて眠りについているのはこの家のもう一人の住人であるエルフだ。男の奴隷として引き取られ、彼と日常を共に過ごし心を通わせている少女。ここ最近は年齢にしては少しだけ早い肉体的成長も見せているが、やはりまだまだ精神的には子供なのか、一時期は止んでいた男のベッドへの侵入もここ最近頻繁に行われていた。

「全く、女魔法使いがいなくなったと思ったらこれだよ……。しかも前と違って注意しても聞き分けが悪くなってるし」

 そう、以前までのエルフであれば少し注意をすればしばらくの間は聞き分けよくおとなしくしていた。だが、男との関係が進んだこと、老紳士から得た知識、そしてつい最近までこの家に一緒に住んでいた女魔法使いとの口論。これらの経験を通して得たものを使って、ここ最近は上手く男の注意を受け流すようになったのだ。
 さすがに、エルフももういい歳なので一人で寝るようにと再三にわたって注意した先日。エルフはこの男の言葉にこんな風に言い返したりもした。


18 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/15 22:51:25.70 tOz/sjdO0 777/1108

エルフ『た、確かにそうかもしれませんけど、私たちは恋人同士なんですから一緒に寝るのはなんにも問題はありません! おじいさんも普通だって言ってました!』

『い、いや……それは確かに時と場合によるけれど。今は駄目だって。その、さすがに僕もまだ幼児趣味だと周りの人に思われたくないし……』

エルフ『私は別に構いません! だって男さんは私の外見だけを見て私を選んだわけじゃないんですよね? だったら、周りにどう言われようと私は堂々とできますから』
『そういう問題じゃなくてね。そ、そう! エルフが傍にいて寝てると僕が緊張して眠れないんだ。だから、互いにそれぞれの部屋にあるベッドで寝よう?』

エルフ『むう……仕方ありませんね』

『そっか、ようやくわかってくれたか』

エルフ『なら、今度からは男さんが眠ってからこのベッドで眠るようにします。これなら別に緊張もしないですしグッスリ眠れますね!』

『……はぁ』


19 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/15 22:53:41.40 tOz/sjdO0 778/1108

 エルフの種族というだけあって知識の吸収やその応用が無駄に早い。そのため、ここ最近は度々正論の隙間を探してはそれを突いてくるエルフの対応に男も一苦労していた。
 手ごわくなったと思いつつも、それは彼女が成長している証だと考え思わず頬が緩む男。今でも魅力的な少女だというのにこれからさらにエルフが成長し、その魅力に磨きがかかった先にある未来の彼女を想像すると思わず笑みが溢れでる。
 ただし、今はまだ可愛らしい姿を隣で晒しながら穏やかに眠っている詰めの甘い少女である。そんな彼女の髪に指を通し、寝た際に絡まった髪を男は手櫛で整えた。柔らかく、サラサラとした髪が流れるように解けていった。
 しばらくの間何度もその行為を続けていた男であったが、このままではいつまでもベッドの上から動けないと悟り、とうとう魔の寝床から抜け出した。寝間着から普段着へと着替え、未だ眠りから覚めないエルフを再度見て溜息一つ。このままここで寝かせていても彼としてはいいのであるが、それを自分の諦めと無効に解釈されても困るためエルフの身体を抱きかかえて部屋を後にした。そして、彼女の部屋の戸を開け、部屋の主のいないベッドにそっと下ろし、華奢なその身体に毛布を静かにかけ部屋を出た。
 用事も住んだため、二階から一階へと下りた男は一度玄関に足を伸ばしてそのまま外へと出た。空に漂う太陽の位置から大まかに計算するといつもよりは少し遅い起床となったようだった。
 ウンと背伸びをし、寝ていたことで固まった全身を男はほぐした。そうしてしばらく太陽の光を浴びてぼんやりとしていると、彼の下に向かって一人の男性が訪れた。


20 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/15 23:12:57.38 tOz/sjdO0 779/1108

街人「おう、あんた男だよな」

「はあ、そうですけど」

街人「さっきこの街を訪れた商人にこの手紙を渡してくれって頼まれたんだ」

 そう言って男は一枚の手紙を男に手渡した。

街人「それじゃあ、用も済んだし俺はこれで」

「わざわざありがとうございます」

 男の元へ手紙を届けた街人はそう言うとすぐにその場から去っていった。そして、手紙を手渡された男はそれを裏返し、送り主を確認した。

「……遺跡研究者? う~ん、聞いたことない名前だな。まあ、いいや。とりあえず朝食を作り終わったら中身を確認しよう」

 受け取った手紙を手に持ち男は家の中へと戻っていく。そうしてその手紙を机の上に置き朝食の準備にとりかかり始めた。
 それから少しして、目を覚ましたエルフが慌てて男の元へと駆けつけた。そして、すぐさま朝食の準備の続きを自分が引き受けると口にしたが、既に残っている作業は少なかったため男はそれを断った。だが、どうにもエルフが不満そうに作業を続ける男の背中を眺め続けていたため、結局二人で仲良く朝食を作ることにするのだった。
 こうして、またいつものように平和な日常が幕を開ける。だが、この朝食の後に男が手紙を開けることによって事態は少しずつ動きを見せていくことになる。
 手紙にはこのような内容が記されていた。

 私はこの世界に存在する遺跡について研究をする者だ。今現在東にあるとある遺跡について探査作業を行っているのだが、その遺跡が強固な魔法によって封じられて中に入ることができない。
 我々の中にも魔法に通じた者は存在するのだが、遺跡にかけられた魔法の内容がまるで理解できないらしい。
 そこで、私は風の噂で魔法に長け、魔法関連の仕事を請け負っているという君の存在を知った。
 どうにか知り合いのツテを頼り、今こうして手紙を送ろうとしている。
 ここまで読んでもらえたのなら理解できると思うが、私は君に仕事を頼みたい。まずは遺跡にかけられた魔法の解除。それができたのなら遺跡内に仕掛けられていると思われる魔法による罠の解除など。
 もちろん、危険が伴う可能性があるため報酬はそちらの望むものに可能な限り応えられるようにするつもりだ。
 色よい返事を期待している。
――――遺跡研究者

27 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/17 04:02:11.94 9OKMV3+o0 780/1108

 手紙を受け取ってから十日程の月日が流れた。その間、手紙に書かれた内容を吟味し、どのような選択を取るのか判断した男は現在ある森にいた。

「さすがに、ここ最近は出不精だったせいか体力が落ちてるな」

 道険しい森を息を切らしながら歩く男。そんな彼の前を先導するようにこの森に入る前に彼を迎えに来た依頼人はなんでもないように答える。

遺跡研究者「まあ、我々のような人種は基本部屋に篭って論文や資料と睨み合いを続けているのが性に合ってますからね。必然的に体力がないのは仕方ないものですよ」

「そうですね。でも、ほんの少し前まではまだまだこの程度の行進じゃ息なんて切れなかったもので」

遺跡研究者「ははは。そうなんですか。それにしても行進だなんて、もしかして以前は軍にでもいられたんですか?」


28 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/17 04:03:03.81 9OKMV3+o0 781/1108

「……ええ。少しの間ですが」

遺跡研究者「それはすごい! では、あなたもエルフと対峙してきたんでしょうね。あなたくらいの年齢だと徴兵ではなく志願兵としてでしょうね。
 私は徴兵があったのですが、ちょうどその時に誤って怪我を負ってしまっていて徴兵を逃れたものですから。こうして五体満足のまま昔からの夢であった研究をしていられますよ」

「それはよかったですね。どのような形であれ生きていれば大抵のことはどうにかなりますから」

遺跡研究者「ええ、本当に」

「そう言えば、お会いしたら聞こうと思っていたのですがあなたは遺跡を研究されているのですよね。その内容を少し教えていただいてもよろしいですか?」



29 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/17 04:04:01.33 9OKMV3+o0 782/1108

遺跡研究者「ええ、構いませんよ。私たちが主に研究している遺跡にはかつてこの世界で過ごしてきた先人たちが残してきた様々な歴史や文化の証が存在しています。
 その中には現在から見ると到底信じられないような内容もあるんです」

「例えば?」

遺跡研究者「そうですね~。あまり声を大にして公にはできないのですが、とある遺跡に残されていた記録によれば、かつての時代では人とエルフが共存して日々の暮らしをより良いものとしていたと存在したりしています。
 それから現在の知識では理解できないような魔法体系や技術など様々な記録が残されていますね。それらを発見して研究、解読して場合によっては再現可能にするのが我々遺跡研究者の仕事ですよ。
 最も、支援者がでないとロクに給金も出ないような仕事ですので、この仕事に携わるのは殆どが根っからの変人ばかりですがね」

 自嘲も交えながら楽しそうに話す遺跡研究者の話をどちらかといえば彼に近い気質を持った男は楽しそうに聞いていた。遺跡研究者が本当に好きでこの仕事に携わっているのを感じているのもそうだが、彼の話す内容に興味を惹かれたからだ。
 そう、それはかつてこの世界でエルフと人が共存していたということ。今現在ではそのようなことは想像もつかないが現に男とエルフは立場上は主と奴隷ではあるが実際のところ仲良く共存しているといっても過言ではない。ならばもしかしたらこの先の未来、かつてのようにエルフと人が互いの立場を認め合い共生できる可能性もあるかもしれないと思うと心が踊った。
 そして、その可能性を実際に目にできるかと思うとこの依頼を引き受けたのは失敗ではなかったとも彼は思ったのだ。

遺跡研究者「さて、そろそろ今現在私たちが調査している遺跡に到着しますよ」

 遺跡研究者の言う通り、それから間もなくして彼らの前の光景が開けたものにある。広大な森の中、ポツリと佇む巨大な建造物。おそらくは数百年ほど前に作られたと思われるそれは静かに大地に根を下ろし佇んでいる。


30 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/17 04:20:22.74 9OKMV3+o0 783/1108

「……これが」

遺跡研究者「ええ、そうです。これが今現在私たちが調査をしている遺跡になります」

 周りを見渡せば遺跡の周囲にいくつもの簡易な建物が立てられている。おそらく、それらは調査隊の居住区になっているのだろう。

研究者A「先生、おかえりなさい」

 現地に到着して早々、遺跡研究者の部下と思われる男性が彼の元へと駆けつけた。

遺跡研究者「ああ、ただいま。それで、私がいない間に調査に進展はあったかな?」

研究者A「残念ながら何も……。相変わらず入口の門は魔法によって閉じたままで。他の入口の探索を行っていますがどうも入口はあれ一つのみのようで」

遺跡研究者「そうかね。それでは仕方ないね。だが、大丈夫だ。その魔法を解除するために専門家を呼んできたからね」

 遺跡研究者は隣に立つ男の方を向き、部下に紹介した。


31 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/17 04:21:06.00 9OKMV3+o0 784/1108

「初めまして、男です。魔法の研究を主に行っています」

研究者A「よろしくお願いします。専門の方が来てくれたのなら話が早い。正直我々の殆どが魔法を齧っている程度の者ばかりで困っていたんですよ。到着してすぐで申し訳ないのですが、一度門にかけられた魔法を見てもらってもいいですか?」

「ええ、もちろん。それが仕事ですから」

 そうして男と遺跡研究者は部下に連れられて遺跡の入口まで案内された。巨大な遺跡の正面、その地下へと向かう階段をゆっくりと進み、暗闇の中へと入っていく。魔法によって小さな炎を宙に浮かばせながら先へと進んだ彼らはやがてある門の前に辿りついた。

研究者A「ここです。こちらがこの遺跡の入口と我々が推測する場所になります」

 そう言われて巨大な門をジッと見つめる男。見れば、門の周囲にはふわふわとした魔力が漂っているのがわかった。ただし、それは今までに見たことのないような系統の魔力で、どのようにして門を守っているのかは現時点では彼に理解できなかった。

「確かに変な魔力が門の周囲に浮かんではいますね。ですが、これは一体どのような効力を持っているのですか?」

研究者A「それは、実際に門を開けようとして頂ければわかりますよ」

 部下に促され、男はひとまず門に近づいた。そして、目の前に立つ門に向かってゆっくりと力を込めた。
 だが、その瞬間、門の周りを漂っていた魔力が一斉に男の元へと集まりだし、彼の身体を一気に覆い尽くした。

「えっ!?」

 そして、間抜けな声を漏らしたと思ったその時にはもはや男の意識は闇の中へと沈んでいた。

33 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/17 04:40:55.06 9OKMV3+o0 785/1108

……



「……うぅん」

研究者A「あ、目を覚まされましたか」

「あれ? ここは……」

研究者A「ここは遺跡周辺に作った私たちの簡易居住区の一つです」

 見れば、今現在男はベッドに横になっていた。身体を起こし、彼の椅子に座る研究者に質問を投げかける。

「えっと、僕はあの後どうなったんでしょうか?」

研究者A「すぐに意識を失いましたね。今はあれから小一時間がたった所です」

「そうですか。もしかして、みなさんあれを経験しているんですか?」

研究者A「ええ、まあ。誰があの門を開けようとしてもああなるのです。手を触れたり壁に使われている素材を調べるために一部を削り取る程度なら問題ないのですが、少しでも門を開けたり奥へと進もうとする意識があるとすぐさま意識を奪われてしまうといった次第でして……。
 そのせいで私たちは遺跡の中に入ることができずにこうして手をこまねいているというのが現状なんです」


35 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/17 04:42:10.65 9OKMV3+o0 786/1108

 それを聞いて男はなるほどと納得をした。この入口が仮に遺跡の丈夫に存在したのなら多少強引に魔法を使うなりして無理やり扉を開くという野蛮な手段を取ることもできるが、地下にあるのではそうもいかない。力押しをして無茶な手段をとってしまえばヘタをすれば遺跡全体に被害がでかねない。
 つまり、どうにか知恵を絞り門にかけられた魔法を解除し、先へと進むしかないということになるのだ。

「大体の状況は理解しました。とりあえずは奥に進むことと門を開けようとする意思を見せなければ問題はないということですね」

研究者A「はい、そうなります。よろしくお願いしますね男さん。
 ちなみにこちらが今後ここでの生活をしていただく男さんの居住場所になりますのでどうぞご自由にお使いください。既に持ってきていただいた荷物の方はこちらの部屋に運んでおきましたので」

「それはわざわざありがとうございます」

研究者A「いえいえ。こちらも調査が先の段階に早く進んで欲しいですから。正直言って今の我々はやることがなくて手持ち無沙汰なんですよ」

「どうもそうみたいですね。では、少しでも早く調査を続けられるように頑張らせていただきたいと思います」

研究者A「ええ、よろしくお願いします。さて、私はそろそろ先生の元に戻りますね。男さんのことは既に他の研究者たちにも話は通していますのでお好きに動いてもらって構いませんから」

「わかりました。それでは今から少し遺跡全体を見学しようと思います」

 そう言って部下は遺跡研究者の元へと向かい、男もまた遺跡の調査を開始した。


38 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/18 23:30:46.88 /j9zed7k0 787/1108

 まず、男は遺跡の全体を見るために遺跡の周囲をぐるりと一周した。大きいと言っても高さはそれほどないこの遺跡は一周するのに半時間もかからなかった。そうして遺跡の全容を一度確認した彼が得たこの遺跡に対する感想は普通というものだった。このようなものを見るのは仕事上経験がないわけではない。だが、以前に見たことのあるこのような遺跡にはどこか神秘性が漂っていた。だが、この遺跡からはそのようなものが全くというほど感じられない。
 ただし、逆に不気味なまでの静けさがここにはあった。まるで、今は眠りについている生き物のような印象を男はこの遺跡に抱いた。
 そうして再び彼は地下へと続く階段を降りていき、閉ざされた門の前へと辿りついた。今度は意識を失わないように、門の奥へと進もうとする意思を示さぬようにして、この門に使用されている材質を調べ出す。触れてみるとひんやりとした感触が彼の手に伝わった。おそらくは硬度の高い石類を使って作られているもので、この門自体には特になにもないのだろう。そうなるとやはり問題はこの門にかけられている魔法ということになる。

「……う~ん、これはちょっと時間がかかりそうだな」

 彼の知識内にある魔法であればその組み合わせや効果の程を比較して解除方法を調べ出すのだが、今回はそれが当てはまらない。つまり、一からこの魔法体系について調べなければならないのだ。



39 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/18 23:31:32.51 /j9zed7k0 788/1108

「ひと月目安でここに来たつもりだったけど、これじゃあもっと時間がかかるかもしれないな。あまり長い間会えないとエルフも寂しがるだろうし、どうにか頑張らないといけないな」

 頼れる老人の元へと預けてきた少女の顔を思いだし、仕事を早く終わらせるためのやる気を奮い立たせる男。そんなことを呟いていると、僅かに門の周囲を漂う魔力が揺らいだ。

「ん? 今、ちょっと反応があったような……」

 その変化を見逃さずジッと魔力の流れを見つめる男であったが見間違いであったのか再び魔力が揺れることはなかった。
 その後、しばらくの間男は門の前で未知の魔法体系について考えを巡らせていたが、不意に訪れた空腹によって現実へと引き戻された。

「ひとまず今日はここまでにしておこう。旅の疲れもまだ残っているし」

 そうして彼は門の前を後にし、あてがわれた居住区へと向かった。
 ……だが、階段を上がり、地上へと向かう男を門の前から見つめる影が一つあった。それは人のようなカタチをした光るモヤだった。この場を立ち去る男の背を見つめるそのモヤはまるで笑っているようにも見えるのだった。



40 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/18 23:32:12.52 /j9zed7k0 789/1108

……



「ふう、腹ごなしも済んだし後は寝るだけか。それにしても遺跡研究者さんたちには参ったな~」

 食事を取るために地上へと戻った男を待っていたのは小さいながらも彼の歓迎会をするために準備を整えていた遺跡研究者たちだった。
 研究に協力してくれるお礼と言って行われたささやかな歓迎会。成功の暁には報酬をもらうため、このようなことをしてもらう理由はなかったが、彼らからすれば長い時間を共に過ごすことになる相手は家族のようなものだからと遠慮する男を輪の中に半ば強引に引き込んだ。
 このような経験が少ない男としては少しだけこの歓迎会が照れくさく感じ、同時に嬉しくも思っていた。その証拠に今も少しだけ頬が緩み笑顔が溢れ出ていた。

「ふふふ。帰ったらエルフにここでの土産話をしないといけないな。そうだ、何か記念になりそうな物を見つけて譲ってもらえるようなら彼女にプレゼントして持っていこう。うん、今から楽しみだ」

 心地よい気分のままベッドに腰掛けそのまま眠りにつく体勢をとる男。旅の疲れもあり、眠気はすぐに訪れた。少しずつ落ちてゆく瞼。

「……ふふっ。面白いわね、この人。ちょっと、興味湧いてきたかな?」

そして、それが完全に閉じる直前、彼の耳に誰かの声が聞こえたように感じた。



41 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/18 23:33:46.28 /j9zed7k0 790/1108

……



 遺跡に到着してから早くも数日が経とうとしていた。だが、事態は一向に進展をみせずに停滞したままであった。その間男は遺跡と自分の部屋を交互に行き来し魔法解読のために法則性を見つけるのに必死になっていた。時には半日以上も部屋に篭もり、食事も取らずに過ごすこともあった。
 もっとも、一般人から見れば異常にも見えるその行動も、同類ばかりのこの場所ではあるあるネタとして軽く流されるだけで、お腹が空きすぎて外に出てようやく存在を思い出されるなんてこともあった。
 だが、研究者たちの本音としてはなるべく早く門にかけられていてる魔法を解除してもらいたいはずである。それもそのはず、彼らも無償でこの作業を行っているわけではない。このような遺跡調査には大抵支援者が資金を捻出しているはずなのだ。彼らもお金を出して行っているため成果がでなければ研究者たちを資金を出すのをやめてしまう可能性も出てくる。
 そのようなことにならないためにも一秒でも早く先への一歩を踏み出さなければならないのだ。
 だが、焦れば焦るほど考えは纏まらず、解決策は出てこなかった。考えが煮詰まった男は一度気分を変えるために自室を出た。
 外に出ると森特有の澄んだ空気が肺を満たした。しばらくの間埃の溜まった部屋にいたせいか、ただの空気がやけに新鮮に感じた。そのままあてもなく遺跡から少し離れた森の中へと向かう。ここ最近考えが煮詰まった時はこうして森の中を男は歩いていた。そして、二日前たまたまうろうろと森を彷徨った際に見つけたとある場所が今の彼のお気に入りの場所になっていた。


42 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/18 23:35:04.79 /j9zed7k0 791/1108

「おっ! あった、あった」

 そこはとある巨木に出来た大きな隙間であった。中は空洞になっており、人が二人は余裕で入るほどの穴が出来ているのだ。不思議なことにその空洞の中には虫たちはおらず、まるで誰かが整備したかのように綺麗になっていた。
 男はゆっくりとその隙間に入ると内部の木に背を預け、足を伸ばしリラックスした。

「うん、快適だ。いや~本当にいいとこ見つけたよ」

 ウンと背を伸ばし長時間同じ体勢でいたことで凝った肩を解す。そして、瞼を閉じる。
 視界を閉じると、男の耳には様々な音が聞こえてきた。風によりたなびく森の木々。動物の足音や鳥のさえずり。そして、自分自身の心音。
 それらは心地の良いハーモニーを奏で、疲れた男の身体を癒した。そうしてしばらくの間気持ち良い音楽に耳を傾けていた男だったが、やがて彼のもとへと近づく足音を聞いて閉じていた視界を開いた。

「遺跡研究者さんたちか? いや、でもあの人たちは基本的に森の中に行かないはずだけど……」

 不思議に思い、隙間から身体を出し周りを見渡すが周囲には人の姿は見当たらない。


43 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/18 23:35:57.99 /j9zed7k0 792/1108

「おかしいな。確かに足音が聞こえたんだけどな」

 もしかしたら魔物か何かだったのだろうかと考えた男。結局明確な答えが出ず、再び空洞の中に戻った彼はそこで信じられないものを目にした。

褐色エルフ「あはは。おかえり、お兄さん。お邪魔させてもらってるよ」

 隙間に再び入った彼を待っていたのは褐色の肌に銀の髪をしたエルフ族の少女だった。音もせず唐突に現れた彼女に驚いた男は思わずその場から飛び退いた。

「なっ! だ、誰だ!? それより、いつの間にそこに!」

 驚きのあまり、声を荒げる男。だが、そんな彼の反応が気に入らなかったのか目の前の少女は文句を告げる。

褐色エルフ「う~ん、ある意味で予想できた反応だけどちょっと残念。あ、ちなみにここに来たのはついさっきだよ。足音聞いてたんでしょ? あれ、あたし。
 それとそんなに警戒しないでほしいな~。あたし別に悪いことするつもりなんてないんだから。ただちょっとお兄さんと話がしたいだけなんだよ」

 話がしたいと提案する少女をジッと見つめる男。確かに彼女はこちらに敵意もなにも持っていないようであった。ニコニコと笑顔を浮かべたまま男が近づいてくるのを待っている少女に毒気を抜かれた男は溜息を一つ吐き、提案を受け入れた。

44 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/18 23:37:28.73 /j9zed7k0 793/1108

「うん、わかったよ。とりあえず、僕も聞きたいことができたし」

 そう言って先程までいた隙間の中へと入ったいった。

褐色エルフ「うっ! やっぱり二人で入ると少し狭いね」

「なら、僕が外に出ようか? 別に話すだけならそれでも問題ないし」

褐色エルフ「それは駄目かな~。ちょっとお兄さんの身体にも用があるし」

(どんな用だよ。……それにしても、なんだか普通に話ししちゃってるな。旧エルフやエルフの影響かな。相手がエルフでも全然普通だ。昔だったらエルフってだけで殺気立っていたのに不思議なものだな~)

 自分の変化についてしみじみと男が実感していると、突然隣に座る褐色の肌をした少女が男の瞳を見つめ始めた。

褐色エルフ「ふ~ん。面白い目をしてるね。全然普通の人なのに色んな経験をしてその度に変わってきたんだ。今の時勢でもエルフに対して嫌悪感も抱いていないみたいだし。なるほど、なるほど~。お兄さんならもしかしたら良さそうかも……。
 ねえねえ、お兄さんの名前何ていうの?」


45 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/18 23:38:53.09 /j9zed7k0 794/1108

「僕? 僕は男って名前だけど」

褐色エルフ「なるほど、男ね。ねえ、男。唐突な質問だけど私のことどう思う?」

「どう? って言われても出会ったばかりの相手にそんなこと言われてもわからないとしか言えないよ」

褐色エルフ「あ、ごめんね。質問がちょっと悪かった。んとね、好きか嫌いかの二択に分けるんだったらどっち?」

「二択? う、う~ん。そうだな~」

 そう言って男は一度少女の姿をじっくりと見た。目の前の少女はエルフ特有の長い耳を持っている。このことから彼女がエルフの種族であることは間違いない。だが、その容姿は今まで一度も見たことない褐色の肌をしている。もしかしたら突然変異なのかもしれない。
 とするとこの少女は可能性としてだが同族から疎ましく感じられる事があったのかもしれないと男は考える。他と違うものはどのような種族であれ爪弾きにされるものだ。だからこそ、今のような質問を投げかけたのではないか。
 そこまで考えた男はもう一度少女を見た。エルフよりは年は上で旧エルフよりは少し幼い褐色エルフ。容姿は確かに他のエルフといささか異なるが無邪気で穏やかな雰囲気を纏った目の前の少女はどちらかといえば男にとって好ましい相手に入るものであった。

「うん、どっちかって言えば好きな方かな? あ、でも容姿で決めてるわけじゃないから。少しだけど話しをして得た印象と君の雰囲気から僕が思ったことだから」

 そう答えた男だったがそんな彼の返答を聞いた褐色エルフはしばしポカンと口を開けて呆けていた。


46 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/18 23:51:28.14 /j9zed7k0 795/1108

(あれ? 何か変なこと言った?)

 男がそんな風に思っていると褐色エルフは静かに笑い声を溢した。

褐色エルフ「あははっ。違うって! あたしが言っていたのはエルフの存在について好きか嫌いかっていう質問だったの。別に私自身の印象は聞いていないよ。
 うん、でもその答えならエルフのことは嫌いじゃないよね。ありがとう、男。……あははっ、でもやっぱり可笑しい! ふふっ、あははははっ」

「そんなに笑うことないと思うけどな。それにいきなり呼び捨てだし……」

褐色エルフ「ごめん、ごめん。でもいいでしょ? こんなナリだけどあたしの方がず~っと年上なんだから」

「言われてみれば確かに。エルフは長寿の種族だもんね。僕より年上って可能性は考えてなかったよ。ちなみに君、年はいくつなの?」



47 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2013/01/18 23:52:17.81 /j9zed7k0 796/1108

褐色エルフ「むっ。女の子に年齢を尋ねるなんて無粋な」

「僕より年が上なら女の子ってガラでもないだろうに……」

褐色エルフ「いいの! こういうのは気持ちが大事なんだから。まあお兄さんになら特別に教えてあげてもいいよ~。知りたい? 知りたい~?」

 グイグイと肩を押し当て、いかにも聞いてほしそうな素振りを見せる少女に男はため息を付きながら期待に答える。

「はいはい、聞きたい聞きたい」

褐色エルフ「うん、じゃあ教えてあげる。聞いて驚くな!
 あたしの年齢はなんと……」

 言葉を区切り、溜めを作る少女。しばらくの間身を屈め、全身に力を込めていた少女は数秒の間を置いて狭いスペースで身体を弾けさせて質問に答えた。

褐色エルフ「数百歳なんですよ! パンパカパーン! どう? どう? 驚いたでしょ」

 驚愕の表情を男に期待する少女であったが当の男はといえば、

「いや、さすがにそれは誇張しているでしょ」

 と、冷静にツッコミを入れていた。


48 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/19 00:17:03.61 bjmkmqF60 797/1108

褐色エルフ「え? なんで。別に変なことは何も言ってないけど」

「さすがにいくら長寿の種族でも数百年間容姿が幼いままなんて聞いたことないよ」

褐色エルフ「でも嘘ついてないもん。まあ、理由はあるんだけどね」

「そうなのか。う~ん、でも数百年……」

 真剣に頭を抱えてこの謎に挑み始めた男に対し褐色エルフは小悪魔的な笑みを浮かべる。

褐色エルフ「にししっ。わかんないでしょ~。まあ、あんまり深く考えない方がいいよ、お兄さんっ! 若者はそれが一番だよ」

 まるで年長者が幼子をあやすように男の頭を胸元に引き寄せ、頭を撫でる褐色エルフ。とっさのことに男は身体が反応せず彼女に抱きしめられる形で身体を預けてしまう。

「こ、こらっ」

 肌に伝わる柔らかな感触に思わず赤面する男。どうも目の前にいる少女は彼に対する警戒心がほとんどないようである。そのせいか、エルフや女魔法使いたちと接する時と同じように彼もまた警戒心を緩めて少女に接してしまっている。
 だが、エルフたちと違う点があるとするのならばそれは目の前の少女がどうにも男を子供扱いし、年長者ぶる点だろう。面倒は見ることは多々あっても、面倒を見られることが少なかった男はこの状況にどう対処していいのか判断がつかず、終始ペースを崩されっぱなしであった。


49 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/19 01:18:35.81 bjmkmqF60 798/1108

褐色エルフ「照れなくてもいいのに。ホントお兄さんって面白いな~。にししっ」

 そうしてしばらく慌てふためく男をからかっていた褐色エルフであった。しかし、元々息抜きでこの場を訪れていた男であったためそろそろ魔法の調査を再開するために遺跡へと戻らなければならないと思い、隙間から抜け出す。

「ごめん、仕事があるからそろそろ戻らないと。君ももう戻ったほうがいいよ。僕はエルフに対して危害を加えることはないけど他の人がそうだとは限らないし。
 このあたりをうろついてもし研究者の人たちに見つかったら騒ぎが起こるかもしれないしね。そうならないうちに早く元いたところに帰りなよ」

褐色エルフ「なあに、お兄さんってば心配してくれてるんだ。嬉しいなあ、こうして人に感謝されるのなんていつぶりだろう」

 微かに遠い目をしながらシミジミと呟く少女に男は何も言うことができなかった。ただ、そのように少女が思ってしまう原因の一端は戦争に参加していた自分にもあると思った彼はそっと彼女の頭に手を当てた。

「ごめん、ね」

 そうして小さなその頭を優しく撫でた。

褐色エルフ「なんでお兄さんがそんなことするの。まったくもう……」

 文句を言いつつもしばらくの間黙って男の好きなようにさせた褐色エルフ。やがて自然と男の手は彼女の頭から離れた。


50 : 吟遊詩人[saga] - 2013/01/19 01:19:05.95 bjmkmqF60 799/1108

「うん、それじゃあ。君と話せて楽しかったよ」

 そう告げ、その場を去ろうとする男。だが、背を向け遺跡に向かって歩きだそうとする彼に向かって少女は声をかけた。

褐色エルフ「ねえ、名前聞かないの? あたしだけ教えてもらうのってなんだかちょっと不公平だと思うよ、男」

 ぷっくりと頬を膨らませて腰に両手を当ててむくれた態度を取る少女の姿に男は呆れるやら戸惑うのやらよくわからない表情を見せ、仕方ないと彼女に向かって問いかけた。

「君の名前は、何ていうの?」

 それに対し、少女は元気よく答える。

褐色エルフ「あたしは……あたしは褐色エルフ! 今日は話に付き合ってくれてありがと。またすぐに会おうね!」

 そう言ってブンブンと片手を頭上で振り回す褐色エルフに男もまた手を振り返した。そして再び前を向き、遺跡に向かって進んでいく。そして最後に一度だけ後ろを振り返る。だが、そこには既に少女の姿はなかった。

(不思議な子だったな。まあ、もう会わないだろうけれど……)

 まるで嵐のような少女と過ごした僅かな時間に思っていたよりも自分も楽しんでいたことに気がつき緩む口元を思わず抑える男。そうして一人居住区にある自室へと戻った彼だったが、扉を開けた先に待っていたのは信じられない光景だった。

褐色エルフ「あ、おかえり」

「な、な、なっ! なんで君がここにいるんだああああああああああああ!」

 扉の先には先ほど別れたはずの褐色エルフが男よりも先に彼の部屋のベッドに寝転んで彼の帰りを待っていたのだった。

61 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/15 15:20:27.56 nNWfOeT40 800/1108

褐色エルフと男が出会ってからしばらく時間は流れた。既に調査に訪れてひと月が経とうとしていたが、未だに遺跡の門にかけられた魔法を解除することはできずにいる。
 試行錯誤を重ね、これだと思った魔法解除のための魔法を編み出しているものの、全くと言っていいほど成果は上がっておらず、さすがに男の方にも焦りと苛立ちが現れるようになっていた。だが、そんな彼の心を落ち着かせようと、ほとんど自然と彼に用意された部屋に住み着いた褐色エルフが失敗の度に慰めの言葉をかけるのだった。

褐色エルフ「もう、そんなクヨクヨしなくてもいいじゃない。ほら、失敗は成功の元っていうしさ! それにもう何日も部屋に篭ってばかりだしたまには気分転換に外にでも出たら?」

「……そうも言っていられないよ。だって、僕があの遺跡にかけられた魔法を解除できないと、ここの研究者たちはいつまで経っても調査を進めることができないんだから」

褐色エルフ「でもさ~」

「ほら、作業の邪魔しない。邪魔しなければ好きにしていていいから。外に出ようがこの部屋にいようが。それに、僕以外の人には見えていないみたいだしね」

褐色エルフ「あ~。そうやってまた人を幽霊みたいな扱いして」

「だって、実際そんなようなものなんだろう?」

褐色エルフ「確かにそうだと言われればそうだけどさ」


62 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/15 15:21:32.74 nNWfOeT40 801/1108

 そう、ここしばらく褐色エルフと行動を共にしていた男は彼女が自分以外の人間に認識されていないという事実を発見した。最初は皆がこの少女の事を知っていて放置しているのかとも思っていたが、それは違っていた。
 かといって、本当に幽霊というわけではなく褐色エルフの側からの干渉はできており、実際にその身に宿る血の巡りや温かさを感じ取ることができていた。
 摩訶不思議な少女の存在に未だ解除の方法が見つからないこの遺跡の存在と同じくらい最初は頭を悩ませていた男であったが、途中からそのようなことを考えるのも馬鹿らしくなり、ひとまずは目の前の問題に集中することにして褐色エルフの正体についてはそれが解決してからでも考えることにした。

褐色エルフ「ねえ、お兄さん」

「どうかした?」

褐色エルフ「お兄さんはさ、エルフと人は仲良くなれると思う?」

 唐突に投げかけられたその質問に男はしばしどのように答えようか迷った。だが、しばらく考えた後、彼が今持つ答えを少女に示した。

「難しい……とは思う。僕たちが生まれる前からずっと争ってきた種族だから。仮に仲良くなれたとしても何かをきっかけとしてまたお互いにいがみ合ったりするようになるかもしれない。
 でも、だからといって歩み寄るっていう選択肢を捨てる理由にはならないとも思う。だから、過去の出来事を踏まえたうえで僕たちがお互いに歩み寄って時間をかけて良い交流を保っていければ人とエルフは長い間仲良く過ごすことができるんじゃないかな?」


63 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/15 15:22:03.55 nNWfOeT40 802/1108

 その答えを聞いた褐色エルフは満足そうに微笑むと、

褐色エルフ「うん! やっぱりお兄さんはいい人だね」

 と告げ、外へと出て行った。残された男は彼女が一体何をしたかったのか分からずしばし唖然とするのだった。

 その夜、夜勤で巡回を行う者達以外が寝静まった頃。人知れず、遺跡の入口に足を運ぶ一つの影があった。

「うん……あの人なら、きっと」

 そう呟く小さな影は遺跡の門へと手をかざす。すると、これまでどのような手を尽くそうとも開かなかった扉が静かに開いていった。

「あとは、お兄さん次第だよ」

 そうして再び影は暗闇へと姿を消した。


64 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/15 15:23:51.90 nNWfOeT40 803/1108

 そして、ここ数日の疲れからいつの間にか意識を失い眠っていた男。真っ暗な世界が広がるなか、彼はふと自分の意識だけは妙にはっきりしていることに気がつく。
 少ししてこれは夢だと男は把握する。だが、そうわかったところで身体を動かすこともできず、ただ単に意識がはっきりとしているだけの状態、何もすることはできない。いつになったらこの奇妙な夢世界から解放されるのかと思っていると、そんな彼に不意に声をかけるものがいた。

「……あなたには蘇らせたい人がいますか?」

 どこかで聞いたような、でも一度も聞いたこともないようにも思えるその声。普通ならば異常に感じるこの状況も夢だと割り切っていた男にとってはさして驚きを与えなかった。

「……それはどう言う意味ですか?」

「……あなたには蘇らせたい人がいますか?」

 質問の意味を訪ねた男であったが帰ってきたのは先ほどと同じ問いかけのみ。どうも相手からの一方な問いかけらしい。

「……あるよ。たくさんね、でもそんなことを聞いてどうするの?」

「……叶えましょう、その願い。ただし、対象は一人のみです」

 なんて夢だと男は思った。少し前に過去の記憶を掘り返したことが原因かはわからないが、この夢は自分の心の奥底にある願望を表しているらしい。

(参ったな……。この間旧エルフの墓の前で気持ちに整理を付けて少しはマシになったかと思ってたけど、どうやら僕は自分で思ってるよりも過去に未練があるみたいだ)


65 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/15 15:24:40.79 nNWfOeT40 804/1108

どこまでも女々しい自分の心に呆れ、ため息を吐き出す男。そんな彼に不思議な声は何度も問いかけ続ける。

「……叶えましょう、その願い。ただし、対象は一人のみです」

「……本当に叶えてくれるって言うんならありがたい話だよ。代価は何もないのか?」

「いいえ、代価は存在します。それを願うことであなたの心へさらなる傷を植えつけること。そして、願いの対象には避けられない運命を課すことです」

「運命?」

「そうです。願いの対象はその運命を背負い、悲しみを受け止めながらその身に新たに宿した使命を遂行しなければなりません。辛く、厳しい現実がその者には待ち受けるでしょう。
 それでも、あなたは今は亡き誰かを蘇らせたいと願いますか?」

「……僕は」

 男は思う。これが夢ならば、願いが叶うというのなら己の内に宿る思いを吐き出してもよいのではないかと。ずっと、ずっと望み続けていた〝もしも〟。絶対に実現することのありえないもう一度を口にするだけならばいいのではないかと。そう、思った。

66 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/15 15:25:07.02 nNWfOeT40 805/1108

「……僕、は」

 脳裏に浮かぶ一人の少女。かつて彼の前を歩いていた女性でも、ともに笑いあった仲間でもなく、自分の半歩後ろに立ってずっと背中を見続けてくれた少女。

「望むなら、願いが叶うのなら……たとえ夢だとしても彼女に会いたい。それがたとえ、この世の理に逆らうことでも。そのせいで、辛い思いをすることになったとしても。
 会いたい……旧エルフに、会いたい」

「互いに傷ついても?」

「もし、彼女が傷つくようなことがあるのなら、彼女を傷つける全てから僕が命をかけて守ってみせる。
 ずっと、ずっと、後悔してきた。あの時に伝えられなかった思いを、叶うことなら……伝えたい」

「ならば、叶えましょう。あなたの、その願いを」

 そうして、ゆっくりと世界に光が満ちていく。男は自然とこれが夢の終わりだと感じた。だが、世界が完全に光に包まれる前、彼に質問を投げかけた不思議な声が去り際の一言を残していった。

「そしてどうか、この世界に平穏を取り戻して」

 それを聞くと同時に男は夢から覚めた。


67 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/15 15:25:52.59 nNWfOeT40 806/1108

 まだ日が昇り始めたばかりの早朝。ほとんどの人は未だ眠りについている。だが、今日はほとんどどころか宿泊施設の外に、まるで人の気配がしなかった。
 違和感を覚えながらも、目を覚ました男は桶に貯められた水を手ですくい、顔を洗った後、日課になりつつある門の解析に向かった。遺跡の地下へと続く階段をゆっくりと進んでいく男。その道中、彼は地下に漂う空気に異変を感じた。

「……なんだ、これ。魔力の気配を全く感じない」

 不思議に思った彼は足早に門へと向けて急いで階段を駆け下りた。そして、たどり着いた門の前に降り立った彼はそこでようやく門にかけられていた解除不能の魔法が霧散していることに気がついた。

「これは……一体……」

 遺跡研究者へとこの状況を確認しようと思い、来た道を戻ろうとした男だったが、そんな彼にどこからか不思議な声が聞こえた。

「来て……」

 どこかで聞いたことのあるような不思議な声。それが昨晩夢に見たものだと気がつくのは少し時間が経ってからだった。

「この声は!」

 気づくと同時に夢の内容が鮮明に思い返される。代価を支払えば願いを叶えると語った声、そしてそれに応えた自分。


68 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/15 15:28:09.26 nNWfOeT40 807/1108

「あなたが選んだ、願いのもとへ」

 不思議な声がそう告げるとゆっくりと門が開いていく。あまりにも非現実的な光景に思わず唖然とする男。この状況に男が戸惑っているとそんな彼の後ろから一人の少女が現れた。

褐色エルフ「行かないの、お兄さん?」

「ッ! 褐色エルフ! どうして君がここに」

褐色エルフ「ふふふっ。そんなのもう大体の予想はついているくせに。それと、もう一度だけ聞くよ。行かないの? 願いを叶えに」

 その言葉を聞いて男はようやく理解する。目の前にいる少女がどんな存在なのかを。

「君は……」

褐色エルフ「ほら、早く行かないとせっかくあたしが眠らせている他の人たちも起きてきちゃうよ」

 その言葉を聞いて男は決断する。研究者たちが来る前にどうしても遺跡の中に入っておきたい。昨晩見た夢が本当ならばそこには彼の望む答えが待っているから。
 魔法による明かりを手元に発動させ、男は駆けた。遺跡の内部は不思議なことに一つしか道が存在しない。まるで、ここが目的地までの最短距離で正解の道であるとでもいうように。
 しばらくの間走り続け、息が少し上がり始めた頃男はついに道の行き止まりである祭壇と思しき場所へとたどり着いた。

「ここは……?」


69 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/15 15:28:40.63 nNWfOeT40 808/1108

 見ればその空間には中央にぽつんと一つ柩が置かれているのみで他には何も存在しなかった。男の発動させた魔法により照らされた室内の壁一面にはよく見れば過去に描かれたと思われる壁画が存在した。

「なんだ、これ?」

 壁画にはエルフと思しき長い耳をした者、それから短い耳の人間と思われる者が強大な何かと戦っているような絵が描かれていた。敵の姿は黒く塗りつぶされわからない。だが、その絵だけでもその相手がいかに強大で恐ろしいものかという迫力だけは伝わってきた。
 見れば、その横には過去に男が調べたことのあるエルフ独特の古代文字が記されていた。

「『人とエルフ共に在りし時、彼の者冥府の底より現れん。死者の群れを率いし悪しき者に人とエルフ、共に手を組み立ち向かわん。
 しかし、力及ばず死者の群れ増えゆく。人々嘆き、空へと祈りを捧ぐ。エルフは悲しみ大地に祈りを捧ぐ。
 大いなるもの、双方の願い入れん。世に救世主と導者与えたまわん。
 救世主、味方へ光与え、黄昏に死を与える。かくして平穏戻りし世、導者により絆結ばれようとす。
 だが、導者の願い叶わず人とエルフ袂を分かつ』
 ……これは、伝承か? いや、でもこれ一体いつの時代の話だ。こんな出来事記録上の過去の歴史には残っていないぞ」

 興味をそそられ、ジッと壁に描かれた様々な絵を見ていると不意に魔力が室内に漂うのを男は感じた。

「なんだッ!」

 振り向くと、いつの間にか室内の入口に褐色エルフが現れていた。


70 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/15 15:29:10.03 nNWfOeT40 809/1108

褐色エルフ「……あの時と同じ。今、この世界にも黄昏が蘇っている。だから今、この世界には再び導者と救世主が必要なの」

「どういうこだ? 褐色エルフ、君は一体何を言っている?」

褐色エルフ「ふふ、古いお話しだよ男。かつてこの世界を襲った強大な敵の話しをあたしはしているだけ」

 瞬きの間にそれまで幼かった褐色エルフの肉体がみるみると変化していく。そして、一瞬の間にその姿は成人女性の肉体へと成長した。

褐色エルフ「かつて、救世主へと選ばれたのはエルフ。そして、導者に選ばれたのは人だった。人とエルフは手を組み強大な敵を討ち滅ぼした。救世主は眠りにつき、導者は人とエルフを再び繋ごうと奔走した。
 だが、導者の願いは叶わなかった。人とエルフはかつてのあり方を忘れ、争い続けた。そうして双方に絶望した導者は静かにこの世界から消えていった。
 それから長い月日が流れ、過去にあった戦いを忘れてしまった今、この世界にまたかつての敵が現れようとしている」

「それは、もしかしてこの壁画に描かれている」

褐色エルフ「そう〝黄昏〟。そして、それを倒すには再び人とエルフが手を組まなければならない。そのためにはまた救世主と導者が必要になる。
 二つに分かれた人とエルフという集団を繋ぐための導者と〝黄昏〟を倒す力を持つ救世主が」


71 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/15 15:29:35.22 nNWfOeT40 810/1108

「話はわかった。けれど、それが僕にどう関わってくるんだ?」

褐色エルフ「言ったでしょ、導者は人とエルフを繋ぐものだって。だからこそ、導者の資格には二つの種族を心から愛する者でなければならない。けれど、未だ互いに憎しみを抱いているこの時代にはそんな人間は数少ない。
 そんな中、導かれるようにあなたはここに現れた。ある意味これは運命のようなものだよ」

「仮に、仮に僕にその資格があったとしてもし僕がそれを断ったらどうなる。正直、僕はもう争いはもうごめんだ。辛い思いばかりで何も残らなかったから」

褐色エルフ「そうね。別にあなたには拒否権は存在する。けれど、そうなった場合再び資格を持つ者がここに現れるまで待たなければならない。本当の意味で二つの種族を愛することが出来る人間が。
 そんな人、いったい今の世の中にどれほどいると思う?」

「それは……」

褐色エルフ「それに、あなたたちが気づかないだけで既に〝黄昏〟は動き始めている。静かに、けれども確実に」

「つまり、僕には拒否権はないってこと?」

褐色エルフ「拒否権はあるよ、お兄さん。けれどね、もしそうなった場合お兄さんの大事な人はもう二度と戻らないし、今あるこの世界も確実に消え去る。人とエルフは互いに憎しみあったまま〝黄昏〟によって蹂躙される。
 平穏な世界は崩れ去り、一方的な虐殺が始まるだけだよ」

 褐色エルフのその言葉に男は言葉を失った。もし、彼女が語ることが全て事実ならば既にこの世界にはかつて実際に起こった世界の危機が再び訪れているということになる。


72 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/15 15:30:06.85 nNWfOeT40 811/1108

「けど……僕は。もう戦いなんて……」

 過去の出来事を思い出す男。かつて憎しみに任せ戦い続けた結果、彼の手は血で濡れ憎んだ者に自身がなるところであった。それ以降戦いの場からずっと身を遠ざけ、エルフと共に平穏な世界で幸せな日々を過ごしていたのだ。
 そんな彼の前に今重い選択肢が突きつけられていた。導者というものになり、世界を救うための戦いへと再び身を投じるか、全てを見なかったことにしやがて訪れる死を静かに受け入れるかという選択肢が。
 そのどちらも簡単に受け入れることのできないものである。なぜなら、それは人一人が背負うのには重すぎるものであったから。
 褐色エルフの言うとおりであるならば人とエルフが協力しあわなければその敵は倒せないという。

褐色エルフ「お兄さんは、もう会えない人にもう一度会いたいとは思わないの?」

 不意に投げかけられた褐色エルフのその一言に、男の脳裏に懐かしい声が響き渡った。

旧エルフ『男さん!』

 けして忘れることなどできはしない、最愛だった少女の声が。振り返れば今も鮮明に思い出すことができる彼女の全て。もう二度と戻ることのない温かな温もり。
 また彼女に会うことができる。甘美なその誘惑は男の心へ深く突き刺さった。

「本当に彼女に会うことができるのか?」

褐色エルフ「ええ、救世主という運命を背負わされるという代価と引き換えに。そして、それを願ったあなたにも導者になるという代価を支払わなければならない」

「運命から逃げることは?」

褐色エルフ「無理だよ。避けることができないものだから運命と言われるんだから。どこへ逃げようと、隠れようとその運命が背負った者を追いかける」

「そう……」


73 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/15 15:30:56.03 nNWfOeT40 812/1108

 男は悩む、差し出された二つの選択肢に。どちらを選んでも彼の未来には苦難が待ち受ける。けれども、選ぶのなら後悔のない道を歩みたい、彼はそう思った。

「……なら、答えは決まってるじゃないか。今まで何度後悔したと思っているんだ。もう取り戻すことができない彼女に、あの時伝えることができなかった言葉を伝えられるなら、どんな運命だって背負ってみせる。僕の分だけじゃなく、彼女の分だって……」

 そうして男は褐色エルフの元へゆっくりと近づき、選んだ答えを告げた。

「叶えてくれ、僕の願いを。あの日、この手からこぼれ落ちた大切な命をもう一度この世界に戻してくれ」

褐色エルフ「それが答えでいいんだね?」

「ああ。僕の選択によって彼女に重い運命が降りかかるというのなら、僕が全力で彼女の力になってみせる。だから、僕の願いを叶えてくれ!」

褐色エルフ「わかったよ。お兄さんの願い、確かに聞き入れた。今からその願いを叶えるから、男の記憶にあるその人の記憶を強く思い浮かべて」

 そう言うと、褐色エルフは男には理解できない不思議な言葉を次々と唱え始めた。そして、男は褐色エルフの言うとおり彼の記憶に存在する旧エルフのことを強く、強く思い浮かべた。


74 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/15 15:31:35.67 nNWfOeT40 813/1108

 目を瞑り、記憶を辿り彼女の姿を男は思い出す。
 初めは互いのことを嫌っていた。男はエルフを憎むことで自己の心に平穏をもたらし、旧エルフは奴隷という境遇になったことへの悲しみや、戦争により様々なものを失ったことにより人という種族を嫌っていた。
 しかし、いつからか旧エルフの心に変化が現れた。男の心の奥底にある優しさという本質に触れ、次第に心惹かれていった。そして、そんな彼女と過ごしていくうちに男の心もまた彼女へと惹かれた。
 思い出すのは日だまりのような笑顔を浮かべる彼女の姿。いつだって明るくて、一生懸命で、男の心に光を与えてくれた彼女の姿。
 褐色エルフが告げる言葉と共に室内に凄まじい量の魔力が満ちていく。それらは中央に置かれた柩へと集約されていった。
 長いようで短い詠唱が終わりを告げる。静かに男は目を開けると、光と共に少しずつ消えていく褐色エルフの姿がそこにはあった。成人女性ほどまでに成長していた彼女は今では以前のように少女の姿へと戻ってしまっている。

褐色エルフ「身体の復元はベースがあたしになっているから肌とか髪は変わっているけれど本人だから心配しないで。
 ……これで、あたしの役割はほとんど終わり。あとはお兄さん達次第だよ。お願い、男。この世界を救って。そして〝人とエルフの間に再び絆を繋いで〟」

 そう言い終えると褐色エルフの姿は完全に消えた。だが、最後に彼女は一言気になる言葉を残していった。

褐色エルフ「またね、お兄さんッ」

 そうして静寂だけが訪れた。旧エルフの姿も褐色エルフの姿もそこにはなく、今まで本当に夢でも見ていたかのように男は錯覚する。


75 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/15 15:33:08.81 nNWfOeT40 814/1108

「……」

 男は静かに室内に残された唯一の物体である柩へと近づく。重く閉ざされた蓋をずらし、中に入っている願いを確認する。

「はっ、ははっ……」

 知らず、男の瞳からボロボロと涙が溢れ出した。そこには、かつてとほとんど変わらない彼女がそこにいた。
 肌の色は浅黒くなり、髪は色素が抜けて白に染まっているが、男にはわかる。目の前にいるのは彼女だと。
 とめどなく溢れる涙を抑えるため目元に手を押し当てる男。そんな彼の前で静かに眠っていた少女が目を覚ます。

旧エルフ「……うっ、ううん。あ、あれ? 男……さん?」

 キョトンとした様子で目の前で涙を流し続ける彼を見つめる旧エルフ。そんな彼女の頬に男は涙で濡れた己の手をそっと伸ばした。

「温かい……。本当に、本当に君なんだね旧エルフ」

 旧エルフは自分に起こっている状況が理解できていないのか戸惑いながら身体を起こす。

旧エルフ「ここは一体?」

 どこなのか。そう呟こうとして旧エルフはその言葉を飲み込んだ。彼女の前でまるで子供のように泣き崩れている男の姿が目に入ったからだ。
 それを見た旧エルフはそっと、優しく男の体を抱きしめた。


76 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/15 15:35:02.72 nNWfOeT40 815/1108

旧エルフ「どうかしたんですか、男さん? どうして泣いているんですか?」

 その抱擁に男は嗚咽を漏らしながらも強く、強く旧エルフの身体を抱きしめ返した。そして、かつて伝えることができなかった言葉を彼女に向けて放った。

「旧エルフ……。君を、愛してる。もう二度と、絶対に、君を手放しはしない」

 思いもよらない男からの言葉に面食らった旧エルフ。少しの間顔を赤くし、あたふたとしていたが、やがて何かを察したのか男の体をより強く抱きしめると彼女はその言葉に返事をした。

旧エルフ「……ありがとうございます、男さん。私も……あなたを愛しています」

 こうして、一度は命を失い永久に離れ離れになった二人は運命という重い代価を支払い奇跡を手にした。
 外の世界は未だ静寂に包まれ、この世界に起こった奇跡を知る者は一人もいない。
 しばらくの間遺跡の中には男の嗚咽が響き渡り、それが静まる頃には二人は静かに遺跡から外へと出ていくのであった。

93 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/28 02:14:40.05 UWUuGZER0 816/1108

エルフの元を離れ、男が遺跡に向かってから早一ヶ月と少し。その間、彼女は一人自宅へと残されていた。
 男としては彼女も一緒に連れて行ってあげたかったのだろうが、世間的には未だにエルフに対する風当たりは厳しい。
 この町の人たちはまだ彼女が幼い容姿であるということ、そして物腰柔らかく愛らしい雰囲気、それに加えて男の人柄を知っているということもあってか、少しはエルフに対する偏見が和らいでいる。もっとも、全ての人がそうであるかと言われると答えは否ということになるが、それでも種族だけを見て差別するのではなく、ありのままの彼らを見て接してくれる人も少しずつ増えてきている。
 とはいえ、遺跡に赴くのに彼女を連れて行っては何かと問題が起こる可能性がある。もしかしたら研究者の中にエルフを心底嫌っていて、男の目の届かないところで嫌がらせをするなんていうことも可能性としてあった。
 そのようなもろもろの事情から男はこの町でエルフを任せるのに一番ふさわしい老紳士に何かあったときは頼むと彼女を任せ、遺跡の元へと出立した。
 そしてそれから男のいない家で長い間エルフは過ごしていた。
 男から許可をもらった彼の持つ書物を飽きもせず毎日読み、時折外出しては老紳士の元へと足を運び他愛ない雑談を交わし時間を潰し、あとは庭に植えてある小さな花に水をやったりしていた。
 そして、家に帰れば一人分の食事を一人で取る。彼女にとっては広い室内、そこにたった一人ポツンと佇む。二人でいるときは実感することのなかった寂しさが日に日に彼女の中へと募っていく。

エルフ「……男さん早く帰ってこないかな~」

 最初はなんでもないように呟いていたそんな独り言。だが、それも時間の経過と共に段々と彼女の中に不安を落としていった。
 もしかしたら、二度と彼が帰ってこないんじゃないか? 自分はこのままここで一人ぼっちのままではないのか?
 これまでも男の仕事の関係上家を離れるなんてことは何度かあった。ただ、それも長くて十日ほどでこれほど長いあいだ一人で過ごすなんてことはエルフにとっては初めてのことだった。
 初めの一週間はいつもどおりに過ごしていた。だが、二週目になるにつれ不安が少しずつ膨れていき、彼のぬくもりを求めるようになったエルフは自室ではなく男の部屋で眠るようになった。
 三週目になるころには誰かと少しでも触れ合っていたくて日中は老紳士の家に入り浸り、夜になればすぐに男のベッドの中で眠りについた。そうしてひと月が経ち、あまりの寂しさから時折涙を流し始めるようになった。


94 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/28 02:15:07.56 UWUuGZER0 817/1108

エルフ「ぐすっ、ふぇっ……おとこさん、はやくかえってきてください」

 年の割に普段はしっかりしているからこそ見落としがちであるが、エルフはまだその容姿と同じように幼い少女である。特に、甘えたいさかりであった頃に両親を失い、その後心の支えであった祖母とも別れ、彼女は一度居場所を失った。
 そんなエルフがようやく取り戻した居場所、心安らぎ思う存分甘えられる相手が男なのだ。
 関係としてば恋人という間柄の二人であるが、実際のところは端から見れば兄と妹。もしくは親子のようにも捉えられる。
 ある意味それは間違っておらず、エルフにとってみれば男は父親のように頼りがいがあり、兄のように面倒見がよく、そして恋人として甘えられる存在なのである。だから、そんな支えが己の傍からなくなってしまったらなんてことは今の彼女には想像できない。それは今の彼女のアイデンティティの崩壊を意味するからだ。
 だからこそ、エルフはそれが自分の我が儘だと分かっていても一人残された家で男の名を呼び続ける。

エルフ「……おとこ、さん」

 そうして幼い少女は今日も眠りにつく。


95 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/28 02:15:50.83 UWUuGZER0 818/1108

「……到着だ」

 一方、旧エルフを己の手に取り戻した男は彼女とともに遺跡を離れ、エルフの待つ町へと戻ってきた。
 あの日、旧エルフを蘇らせた後、褐色エルフによってかけられたと思われる睡眠魔法の効果が続いている間にいち早く男は次の行動へと映った。
 まず最初に状況が未だに理解できていない旧エルフを以前褐色エルフと出会った場所へと連れて行った。この際に少しの食料と水を彼女へと手渡し、少しの間その場から動かないで待つように指示をした。
 その後、魔法の効果が切れ眠りから目覚めた遺跡研究者に門にかけられた魔法の解除に成功したと嘘をついた。これには彼の心が罪悪感から痛みが出たが、旧エルフのことを話すわけにも行かず話をでっちあげた。
 解除に成功したのはつい先ほどで、まだ中には入っていないと。そうして、彼は歓喜に溢れる遺跡研究者と共に中に入り、柩の間へたどり着いた。柩の蓋は遺跡の外へ出る前に予め閉めておいた。中に何も入っていなかったことに関しては遺跡研究者は少し不思議に思っていたが、それに男がもしかしたらなにか意味があるのかもしれないという助言を口にし、話を濁しておいた。
 そうして、その後役割を終えたことにより男はなるべく早く帰れるようにしたいと遺跡研究者へと告げた。彼はこの功績を上げた男にこのまましばらく残ってしてほしそうにしていたが、男としては旧エルフのこともあり一刻も早くこの場所から離れたいという思いがあったためそれを断った。もちろん、理由としてはそれだけでなく、長い間エルフを一人にさせてしまっているため彼女の元へとすぐに帰ってあげたいということもあった。
 そのことを告げると、意外とあっさり遺跡研究者は了承した。どうやら家族を待たせていると勘違いしたようであった。
 他の研究者たちは早速遺跡内部に隠された隠し扉や部屋を探すことや男が読み取った壁画の意味を確かめるのに夢中になっていた。
 そうして、男はすぐさま荷を纏め、再び旧エルフの元へと向かった。

96 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/28 02:16:26.02 UWUuGZER0 819/1108

「ごめん、旧エルフ。じっくり事情を説明してあげたいけれどもう少しだけ待っていてくれ。とりあえず、これ毛布と追加の食料。明日の朝には絶対迎えに来るからそれまで……」

 まるで見えないなにかに急かされて焦りながら話を進める男。そんな彼の手を旧エルフはそっと包み、

旧エルフ「わかりました。だから、男さんもう少し落ち着いてください」

「……ごめん」

 クスリと微笑む旧エルフを前にし、男はなんだか猛烈に恥ずかしさがこみ上げてきた。

旧エルフ「なんだか、不思議です。ちょっと眠っていただけなのに男さんがまるで別人のように変わってしまってるんですから」

 旧エルフがそう呟くのを聞いて思わず男はハッとする。そう、彼女の中の記憶は馬車に引かれて意識を失ったあの時からずっと止まっているのだ。そして、今は彼女の姿を写すものがないから気づかないだろうが、その容姿も以前とは変わってしまっている。肌は褐色になり、髪は白く染まっている。
 彼女が少し前まで亡き者であったこと、そしてそれを自分が世の理を曲げて蘇らせたこと。そして、その代価に彼女に重い運命を背負わせてしまうということ。
 その全てを今話すべきか男は迷った。だが、そんな彼に旧エルフは告げる。


97 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/28 02:16:55.22 UWUuGZER0 820/1108

旧エルフ「……男さん。そんなに気を使っていただかなくても大丈夫ですよ」

「旧エルフ……」

旧エルフ「まだ目が覚めてから少ししか立っていないですが、自分の体がちょっと変わっちゃったなってことくらいわかります。それに、ここ。私たちがいた町じゃないですよね?
 それに、男さんは気づいてないと思いますけどあの時と全然顔つき違うんですよ。まるで憑き物でも落ちたみたいになってます。
 本当なら驚くことが一杯で、こんな風に落ち着くことなんてできないはずなんですけれど、なんだか自分でも意外なほど落ち着けているんです。だから、私は大丈夫です。何があるかはこれから男さんが教えてくれるんでしょ?」

「……ああ、もちろんだ。君には話したいことが、たくさん……たくさんあるんだ」

旧エルフ「ふふっ。それなら今は何の問題もありません。私はただ、男さんの言うことを聞きます。だって、私はあなたのモノなんですから」

「そういう言い方は……やめてくれ」

旧エルフ「えっ?」

「僕はもう君をそんな風に見ることができないんだ。奴隷だとか、モノのように見えない。遺跡の中で言っただろ……その」

 そこまで言って気恥かしさからか男は言葉を濁した。そして、旧エルフもまた顔を真っ赤にして俯いてしまう。


98 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/28 02:17:29.82 UWUuGZER0 821/1108

旧エルフ「あ、あの~。やっぱりあの時言ってくださっていったのは……」

「……僕の本心だよ」

旧エルフ「……あ、ありがとうございます」

 今更自分の想いを受け入れてもらえたことを実感したのか、旧エルフは指を何度も重ねては離し、モジモジとしていた。

旧エルフ「えへへっ。なんだかまるで夢みたいですね。なんていうか、眠りについたらなんだかなくなっちゃいそうな幸せです」

 笑顔を浮かべてそう話す旧エルフ。本人としては予期せぬ身に余る程の幸福の訪れからそう話しただけだったが、彼女がいなくなってから長い月日を経て、奇跡を起こした末に想いを告げられた男としては、この出来事が夢であってはたまったものではなかった。
 そのため、 ほとんど反射的に彼女の身体を己の胸元へと抱き寄せ、その温もりを確かめる。

「夢であって、たまるもんか。 言っただろ、僕はもう二度と君を手放したりしないって」

 ギュッと、強く、強く己の手からこぼれ落ちないよう旧エルフの身体を抱きしめる男。

旧エルフ「そう、ですね。私も、これが現実だって信じます。それで……ですね、一つお願いが」

「なに?」

旧エルフ「そ、その……私たちお互いに好き合っているわけですよね。だから、その一度私にその証を……」

 そう告げられ、男は旧エルフが何を望んでいるのかを察した。おそらく、抱き合うよりもその先を彼女は求めているだ。


99 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/28 02:18:00.03 UWUuGZER0 822/1108

旧エルフ「あ、いえ。別にまぐわうというわけじゃないですよ。さすがに、私もこんなところでそんな急に……なんて。
 で、ですけど、せめてキスでもしていただけたら……って」

 相変わらず恥ずかしそうに身体を小刻みに震わせてそう呟く旧エルフ。男としては彼女のその想いにすぐさま答えてあげたかったが、行動に移すことはできなかった。

「ごめん、旧エルフ。僕も君の気持ちに今すぐに答えてあげたいけれど、それを今することはできないんだ」

 男がそう告げると明らかに気落ちした旧エルフはシュンと肩を落とした。けれど、健気に気にしていないという様子をすぐさま見せる。

旧エルフ「そ、そうですよね。私こそ、すみません。一人で勝手に舞い上がって、恥ずかしいですね」

 見ていて痛々しい彼女の気の使いように男は優しく事情を説明する。

「実はね……」

 その後、旧エルフを連れて静かに森を抜けた男は彼女と二人でエルフの待つ町へと向かった。
 そして、今男と旧エルフの二人はとうとうエルフの待つ町へと到着したのだった。


100 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/28 02:18:33.28 UWUuGZER0 823/1108

「旧エルフ、着いたよ」

 ここに来るまでの間、余計な混乱を起こさないようにとフードを買って被せた旧エルフに男は話しかける。

旧エルフ「はい、男さん。それにしても、ずいぶん遠くにいたんですね、私」

 この町へと戻ってくる間、男は旅の道中で旧エルフの状況、そして自分がその後にどうなったのかを語った。
 初めは信じられないといった様子で驚いた旧エルフだったが、意外にもすぐに現実を受け入れ、

旧エルフ「そう……だったんですか。ごめんなさい、男さん。私がいなくなったせいで辛い思いをさせてしまって」

 あろうことか己の身に起こった不遇よりも男の境遇について同情した。男はそんな彼女の態度にますます申し訳なく思い、改めて旧エルフのためになにかしてあげたいと強く思った。
 そして、もう一つ。今の彼にとっては大事なことであるエルフの話しもした。このことは誤魔化したりせずありのままの現状を伝えたいと思った男であったため、自分が今エルフとどのような関係になっているのかを語った。
 それを聞いた旧エルフは少しだけ物悲しそうな表情を浮かべ、それ以上は何も聞いてこなかった。
 だが、男の中では既にある考えが浮かんでいた。もちろん、これにはエルフが合意してくれることが条件であり、世間的に見ればあまり見かけない事である。
 そうしてぼんやりと考えをまとめながら歩いているといつの間にか自宅の前へと彼らはたどり着いていた。
 男としては一ヶ月ぶりの我が家。旧エルフとしてはほんの数日間帰っていなかった家に。
 ゆっくりと家の扉を開き、中にいるであろうエルフに向かって帰宅の言葉を告げる。

「ただいま~」

 しかし、その言葉に返事はなく室内はシンと静まり返っていた。


101 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/28 02:19:36.92 UWUuGZER0 824/1108

「あれ? もしかしてどこかに出かけているのかな。お~い、エルフ~」

 もう一度先ほどよりも大きな声でエルフの名を呼びかける男であったが、やはり返事がない。一階に荷物を置き、二階に彼女がいないかを確認する。しかし、二階のどの部屋にもエルフの姿は見当たらず、彼女は今外出をしているということがわかった。

「もしかしたらあの人のところに行っているのかもな」

 そうして再び一階へと降りてきた男はそこでうろうろと室内を見回す旧エルフの姿を見つけた。

「どうかした?」

 不思議に思った男が思わず声をかけると、嬉しそうな様子で旧エルフが答えた。

旧エルフ「いえ、あの時から全然変わっていないな~って思いまして。物の置き場とかほとんど動かしていないと思うとちょっと嬉しくて。
 そういえば、ちょっと気になっていたんですけれどもなんだかこの家、木の香りが新しくなった気がするんですけれども」

「ああ、それは少し前にこの家を一度取り壊して新しく立て直したんだ。できるだけ、前に住んでいた家と同じようにして作ってもらってね」

旧エルフ「そうだったんですか。ふふっ、そうしてもらえてなんだかありがたい気もします。おかげで私はあまり変わらないでいる家に戻ってこれたんですから」

「う~ん、でもあれからだいぶ経っているのに何も変わっていないと思われるのも少し悲しいな」


102 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/28 02:20:06.50 UWUuGZER0 825/1108

旧エルフ「そんなことないですよ。あまり気がつかないですけれどもやっぱり変わっているところはありますよ。特に台所周りなんて」

「ああ、その辺はもうエルフの好きなようにさせちゃっているからかな? でも、よく気がついたね」

旧エルフ「男さん、そういうところは鈍いのはダメですよ。誰だって自分が好きな相手のために頑張って料理を作る場所が勝手にいじられたら気になるものです。
 でも、その分そこが丁寧にされているのを見れば、その相手がどれだけ料理を振舞う人を大事にしているのかもわかるんですよ。
 だから、きっとエルフちゃんは私の想像以上にいい子なんでしょうね」

「……まあ、ね。ホント、あの子はいい子だよ。時々いい子すぎてもっと子供らしい姿を見せてくれてもいいんじゃないかって心配になるけど」

旧エルフ「ふふっ。男さんってばすっかり過保護になっちゃって、いいな~エルフちゃん。私も、そんな風に男さんに心配して欲しかったな~」

 わざとらしく拗ねた態度を取る旧エルフ。この町へ帰ってくるまでの道中で何度もエルフの話を聞かされた旧エルフは今の男の心の支えになっているのが自分だけでなくエルフもまた一役買っていることを嬉しく思うと同時にまだ顔も合わせていない幼い少女に対抗心から嫉妬した。
 そんな彼女の気持ちに気づいている男だが、こればかりは彼の一存でどうこうしていい問題ではないと考えていた。今の彼の隣に立っているのはあの幼い少女だ。そんな彼女に何も伝えずに、自分勝手に旧エルフの立ち位置を決めていいはずがない。
 彼らが今いる家を建て直すとき、エルフは旧エルフのことも含めて彼を受け入れると言った。ならば、その旧エルフの件を彼女抜きで話を進めるわけにいかないと男は考えていたのだ。


103 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/28 02:21:21.31 UWUuGZER0 826/1108

「にしても、エルフのやつ遅いな……」

 しばらく待ってみたもののエルフは帰ってこなかった。その間、旧エルフは二階の男の部屋に移動して探索を続けていた。
 いつまでもこの状況では話が進まないと考えた男は、仕方なく旧エルフをこの場に残してエルフを探しに行こうと玄関に向かった。。しかし、扉を開いてすぐに探し人は見つかった。

「あっ」

エルフ「えっ?」

 久方ぶりに再会した二人の第一声はなんとも気の抜けた声だった。次の発する言葉をどうしようかと男が迷っていると、それよりも前にエルフが閉じた口をプルプルと震わせ、涙目で男の顔を見上げ、力いっぱい彼の体めがけて飛び込んできた。

「ぐふっ」

 不意を突かれた男は受身を取ることできずそのままエルフに押し倒されてしまう。

エルフ「うっ、うっ、ううっ。男さん、男さん……」

 両手で彼の身体にしがみつき、男の服に顔をうずめて顔をこすりつけるエルフ。最初は彼女のそんな行動に驚いていた男だったが、エルフの心中を察したのか男はそのまましばらくエルフの好きなようにさせていた。
 そうして、ようやく落ち着きを取り戻したエルフが男からそっと離れ、男は彼女に向かって帰還の言葉を口にした。

「ただいま、エルフ。ごめんな、ずっと一人にさせていて」

 申し訳なさそうにする男にエルフはブンブンと首を振った。

エルフ「……いいえ、もう大丈夫です。だって、男さんはちゃんと帰ってきましたから! おかえりなさい、男さん」


104 : 吟遊詩人[saga] - 2013/02/28 02:22:13.94 UWUuGZER0 827/1108

 まだ少しぎこちないものの笑顔を見せて彼の帰りを喜ぶエルフ。ほんわかとした空気が二人の間に漂い始めたとき、二階へと上がっていた旧エルフが降りてきた。

旧エルフ「大きな音がしましたけど、大丈夫ですか?」

 階段からひょっこりと顔を出した旧エルフ。そんな彼女を見てエルフの顔が凍りつく。

エルフ「えっ……誰、ですか?」

旧エルフ「あ、どうも初めまして。私、旧エルフっていいます」

 気軽に自己紹介を交わす旧エルフに男は思わず頭を抱えたい気分になった。そしてエルフは彼女や男にとって深い関わりのある存在の名を聞いてただ驚愕し、動揺した。

エルフ(えっ? えっ? 旧エルフ……さん? いや、でもあの人は亡くなったはずですよね? でも、目の前にいるのは私と同じエルフで……。それで、私のいないあいだに男さんとあのエルフが二人で家にいて……)

 突然の出来事にぐちゃぐちゃになる思考。ここしばらく嫌な考えばかりが浮かんでいたエルフはその幼さから旧エルフの登場により突然生まれた感情を制御できず、ほとんど反射的に叫んだ。

エルフ「お、男さんは絶対に渡しません!」

 その言葉にきょとんとする旧エルフと旧エルフのことをどう説明しようかと考える男。
 こうして過去と今、男の傍にいた二人のエルフは初めての邂逅を果たしたのだった。

112 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/14 00:31:45.66 eIYKNvw40 828/1108

「さて、ひとまず二人の顔合わせは済んだけど……やっぱり失敗したよなぁ」

 家に帰ってきた際、旧エルフを見たエルフの反応を思い出して男は一人ため息を吐きだした。
 今まで旧エルフの話を持ち出した際はいつも好意的に捉えてくれていたエルフ。だが、奇跡により再びこの世界に舞い戻った彼女が実際に己の目の前に現れた時、エルフが示した反応はそれまでとは真逆のものだった。
 嫌悪とまでは言わないが、明らかに彼女の存在を意識し、己の居場所を守ろうと敵対の意思を示している。そして男はそのような態度を少し前に別の人間に見ていた。

(あれは……そう。確か女魔法使いがエルフにあった時と一緒だ)

 かつて呪いのような己の存在意義に囚われていた女魔法使い。今ではその呪縛から少しずつ解放されているように思える彼女。
 だが、彼女のように旧エルフを見てからのエルフの瞳に宿る感情はその時のものにとてもよく似ていた。
 そう、己の居場所を必死に守ろうと懸命になっているところなどが……。


113 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/14 00:33:02.67 eIYKNvw40 829/1108

(ちょっと、無神経だったな)

 旧エルフが甦ったことにやはり心のどこかで男は浮かれていた。エルフのことを考えているつもりで、本当の意味では考えていなかったのかもしれない。
 彼女があまりにも優しくて、己の全てを受け入れてきてくれたからこそ、旧エルフのことも喜んでくれるだろうと勝手に考えていたのだ。
 だが、大人のように理解がよくても彼女はまだ年幼い少女。本当の意味では大人になっていない。今の彼女は唯一の理解者とも呼べる男が彼女の前任であった旧エルフを連れてきたことによって己の居場所がなくなってしまうという不安に駆られてしまっているのだろう。

「はぁ……。しょうがない、どうにかエルフの誤解を解いて旧エルフも一緒に暮らせれるように説得しないと。
 僕にとっては二人とも比較できないくらい大切な存在なんだから」

 この先の未来へ向けてまた一つ決意を胸にした男。彼は思考を切り替えると、もう一つの大きな問題について考え始めた。

「さて、ひとまず例の件については一度騎士たちと相談したほうがいいかな」

 そうして彼は旧エルフと入れ違いに部屋を出る際、持ってきた手紙に要件を書き始めるのだった。


114 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/14 00:34:04.61 eIYKNvw40 830/1108

 一方、突然の出来事に胸中穏やかでないエルフは当然眠りにつくことなどできず、バクバクと高鳴る心臓をギュッと抑えて毛布にくるまっていた。
 目を瞑り、必死に眠りにつこうとするが一向に睡魔は訪れず、むしろ目は冴える一方だった。

エルフ(……どうしよう。全く眠れる気がしません。起きていても嫌なことしか考えれないから早く眠りたいのに)

 今彼女の思考を占めるのは旧エルフの存在と今後の自分についてだった。かつて、まだ自分が来る前に男の側に立ち彼の心を変えた張本人。エルフが男に引き取る理由を作った存在。
 いつだって彼女の話をするときの男の表情には優しさや懐かしさが伺えて、それだけで彼がどれだけ彼女のことを大切に思っていたのかを感じさせた。そして、また彼女の日記を読むことによって彼女がどれだけ男のことを愛していたのかも実感した。
 そんな彼女を尊敬すると同時に彼女を超えたい、負けたくないと思う気持ちが自然とエルフの中に生まれていた。だからこそ、男と恋人という特別な関係になってからも彼の中の一番になり続けられるように自分にできる範囲で努力を続けた。
 けれども、いつだって彼の胸の中には亡くなった旧エルフの存在があった。当然だ、既に亡き存在ほど神聖化されて超えることが困難な壁として立ちはだかる。そのことを理解し、エルフは次第に旧エルフの存在に嫉妬するようになった。男に分からないようにこっそりと、彼女の男に対する想いに共感すると同時に密かに妬ましくも思った。
 だが、それも時が経てば少しずつ心は〝現在〟に移りゆくと考えていた。今はまだ男と自分が共に過ごしている時間が少ないからだと、そう……思っていた。
 そんな矢先に彼女の前に超えることのない壁が突然現れた。死んだはずの存在が再び生を受けて。
 当然、死んだ者が甦るなどという現象をエルフは信じなかった。そんな事象は聞いたこともないし、なによりもまず彼女にとって大切な存在の男が騙されているのでは? と嫌な考えも抱いた。
 けれども、そんな考えは男が旧エルフに向ける視線を見ればすぐに吹き飛んだ。そこには彼女を慈しみ、大切に思う彼の気持ちが想像以上に籠っていたからだ。
 だからこそ、彼女はそれを見て不安に駆られた。
 自分よりも男を知っていて、彼が荒れていた時期にも傍にいてその心を変え、非業の死を迎えてずっと彼の心に居続けた彼女がもしも帰ってきたらそこに自分の居場所があるとは思えなかったから。
 自分よりも優れていて、容姿も整っていて、一人では何もできないこんな子供の自分では大人な彼女には何一つ敵うことがないとエルフは考えたのだ。
 不安のせいかお腹の真ん中がキュッと締め付けられたように痛み、グルグルと頭の中を嫌な考えが駆け巡る。次第に息がしづらくなり、吐き気も催し始めた。


115 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/14 00:36:22.61 eIYKNvw40 831/1108

エルフ「……男、さん」

 今のエルフにとって唯一の拠り所である男に本当なら今すぐにでも駆けつけたいという気持ちが湧き上がる。けれども、そんなことをしてしまったら益々自分が世話をかけてしまっているような気がして素直に彼を頼ることが彼女にはできなかった。

エルフ「お腹……痛いなぁ……」

 弱々しく毛布を握り締めて涙を滲ませるエルフ。瞼を閉じても消えない意識。虫の音や窓の外からそよ風の音が鮮明に聞こえる。
 そんな中、彼女の耳にある音が届いた。コンコン、コンコンと少しだけ遠慮がちに扉を叩く物音だ。

エルフ「男……さん?」

 心のどこかで彼が部屋を訪れるのを期待していた彼女は思わずベッドから飛び起き扉の前へと駆け寄った。ドアノブに手をかけ、ゆっくりと開いてその先にいる人物を迎え入れようとする。だが、そこにいたのは彼女が予想した人ではなかった。

旧エルフ「あの……少し、お話しませんか?」

 予期せぬ来訪者に、戸惑いながらもエルフは問いに答えた。

エルフ「は、はい。私も、できればあなたと話がしたいです」

 こうして一人の男を愛した二人のエルフの夜がふけてゆく。未だぎこちない関係のかつてと今の少女。そんな関係に今新たなる展開が訪れようとしていた。


116 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/14 00:37:15.78 eIYKNvw40 832/1108

エルフ「え、えっと……。ど、どうぞこちらへ」

 突如部屋を訪ねてきた旧エルフに驚きを見せながらもたどたどしくエルフは室内へと招き入れた。そして、ベッドへと彼女を案内しようとしたのだが、旧エルフはベッドに腰掛けるどころか室内の内装に目を奪われていた。

旧エルフ「やっぱり、ここも全然変わってない。私がいたあの時のまま……」

 ニコニコと微笑みながら部屋を見回す旧エルフの姿にエルフの胸はズキリと痛んだ。けれども、その痛みを無視し彼女は意を決して旧エルフに話しかけた。

エルフ「その……なんの用ですか?」

 そう問いかけてからその口調が僅かに冷たく刺のあるものだとエルフは気がついた。しかし、そのことに気がつかなかったのか旧エルフは笑顔のまま答えた。

旧エルフ「あ、ごめんなさい。こんな遅くに突然押しかけて困ったよね。ただ早いうちにエルフちゃんとは話がしたかったから」

エルフ「話、ですか?」

旧エルフ「うん。実は私、目が覚めてからここに帰ってくるまでの間、男さんにエルフちゃんの話をたくさん聞いたの。それですごく気になってたんだ」

エルフ「私のことがですか? 会ったこともないのにどうして……」


117 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/14 00:41:47.33 eIYKNvw40 833/1108

旧エルフ「そりゃね、気になりもするよ。だって、今の男さん私が生きていたときと全然違うんだもの。
 すごく、すごく優しくて。色々なことをお話してくれる。私が話をすれば楽しそうに微笑んでくれて、好きだって気持ちを伝えて心を温かくしてくれる。
 こんなこと、私が生きてたときには全然なかった。だからね、気になって当然だよ。私の知っている男さんをこんな風にしたエルフちゃんは一体どんな子なんだろうかって。旅の間、ずっと気になってた」

 そう呟く旧エルフの瞳には僅かな寂しさと畏敬の念が込められていた。予想もしなかった言葉の数々にエルフは混乱し、自分に向けられた賞賛をつい否定してしまう。

エルフ「そんな……。それは、違いますよ。だって、男さんは元々優しかった。私が最初に出会った時にはもう今の男さんでした」

旧エルフ「そうなの?」

エルフ「はい。それもこれも旧エルフさんのおかげですよ。それと、先にあなたに謝っておかないといけないことがあります。こう言うととても変ですけれど、私あなたの生前の日記を読ませてもらいました。
 あなたがどれだけ男さんのことを愛していて、大切に思っていたのか直接会ったことのない私でも感じました」

旧エルフ「えっ、えっ!? あ、あの日記読んじゃったの……?」

エルフ「はい、男さんも読んでます」

旧エルフ「そ、そう。男さん、あれ読んじゃったんだ……」

 日記の話を持ち出され、動揺する旧エルフ。だが、エルフはそんなことを気にもせず話を続けた。

エルフ「あなたがいてくれたから今の男さんがいる。もしあなたと男さんが出会わなかったら私は男さんに救ってもらうこともできなかったはずです。
 だから、感謝しています。私と男さんが出会うきっかけを作ってくれて」


118 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/14 00:43:08.35 eIYKNvw40 834/1108

 頭を下げ、感謝を述べるエルフに対し旧エルフはオロオロとし、視線をさまよわせた。今日あったばかりの少女にこのように感謝を告げられて驚いたのだ。なにより、旧エルフの体感時間では己が生きていた時から未だ僅かにしか時が流れていない。あの時は彼女の傍にいた人は男だけと言ってよかったし、お礼を述べる人なんて誰もいなかった。
 だからこそ、なおさら目の前の少女が自分に対して感謝しているということがくすぐったく、ついエルフから視線を逸らしたくなるのであった。

エルフ「……でも、同時に私はあなたのことが妬ましくて仕方がないです」

旧エルフ「えっ?」

 感謝をされ、終わると思った二人の話はエルフの口にした一言によって二人の間に新たな波紋を生み出そうとしていた。

旧エルフ「妬ましいって、どうして? だって、私とエルフちゃんは今日会ったばっかりだよね。もしかして、私なにかエルフちゃんの気に障るようなことしたかな?」

 旧エルフの問いかけにエルフは首を横に振った。

エルフ「いいえ、違います。旧エルフさんは何もしていません」

旧エルフ「なら、どうして?」

エルフ「旧エルフさん、さっき言いましたよね。私のことを男さんから聞いたって。
 私も、それと同じようにあなたのお話をたくさん男さんから聞かせてもらいました。
 旧エルフさんがいてくれたおかげで男さんが変われたこと、ずっと、想いを伝えられなくて後悔していたこと、あなたのことがあったから私には最初から優しくしようって決めていたこと。
 そして、今でもずっとあなたのことを愛していること……。
 私と出会うよりも前から男さんはずっと、ずっと、ずっと! あなたのことばかり……考えているんです。
 でも、あなたはもうこの世にいないから心のどこかであなたのことを想っていても私はずっと男さんの傍にいられるって安心していました。恋人だから、いつかはあの人の一番になれるって思ってました」

 悲痛なエルフの告白に旧エルフは思わず言葉を失い、その場に硬直する。何か言わなければ、そう思っているにも関わらず全く言葉が出てこなかった。


124 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/14 01:19:11.26 eIYKNvw40 835/1108

エルフ「でも、なんでかはわからないですけれど、あなたはまたこうして生きて男さんの元に帰ってきた。
 私が帰ってきたときこの家の中にいるあなたと男さんを見て感じました。〝ああ、なんて自然なんだろう〟って。
 当然ですよね、だってこの家に元々いたのは旧エルフさんと男さんの二人なんですから。そこに後から割り込んだ私の方がこの家にとって不純な存在なんです」

旧エルフ「エルフちゃん、それは……」

 これまでエルフが密かに感じ、気づかぬふりをして心の奥底に閉じ込めていた感情を吐露された旧エルフはそれは違うと否定しようとした。
 だが、閉じ込めてきた思いが強すぎたせいか、静止の言葉を口にする前にエルフが次々と暗い感情を表に吐き出してしまう。

エルフ「男さんと旧エルフさんの二人はきっとお似合いです。旧エルフさんは私なんかと違ってスタイルもいいですし、日記通りなら料理だって上手なはずです。なにより、男さんがずっと想い続けて、愛していた人です。
 知ってます? この部屋、私が来るまでずっと旧エルフさんが生きていた頃のままにされていたみたいですよ。それに、この家を建て直す時だって男さんは旧エルフさんのことを忘れようと無理して別の家に住もうと考えていたんですよ。
 男さんは私のことを気遣ってあえて話題に出さないようにしてくれますけど、いつだってあの人の物事の基準にはあなたがいました。
 美しい景色を見た時、あなたならどう感じるか?
 楽しい出来事があった時、あなたなら一緒に喜んでくれるか?
 困ったことが起こったとき、あなたなら一緒に悩んでくれるか?
 きっと……絶対に、そう思ったはずです」

旧エルフ「違う、それは違うよエルフちゃん」

 これ以上、目の前の少女の叫びを聞いていられなくて旧エルフは必死に否定する。けれども、エルフはそんな彼女の言葉をこそ否定した。


125 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/14 01:20:52.61 eIYKNvw40 836/1108

エルフ「違いませんよ……。だって、誰だって私みたいな子供より旧エルフさんみたいな大人のどちらかを選ぶか迫られたら旧エルフさんを選ぶに決まってます。
 背伸びをしても、私は子供で……面倒ばかりかけてしまって、力になれることなんて少ししかない。
 でも、旧エルフさんは違います。正真正銘、男さんの支えになれるんです。
 そんなあなたを私は尊敬しています。けれど、だからこそ同時に妬ましく思っているんです。私にできないことをあなたは全部出来てしまう。
 そんなあなたが現れたら私があなたに敵うことは何一つなくなってしまう」

旧エルフ「……」

 エルフの叫びを聴き続けた旧エルフはとうとう言葉をなくしてその場に立ち尽くしてしまう。少女との交流を深めようと軽い気持ちでこの部屋を訪れた彼女であったが、待っていたのは重い現実。
 二人の最愛である男が求めた最高の奇跡が少女の心に枷をつけてしまった。

エルフ「ごめんなさい、会ったばかりのあなたにこんな酷いことを言ってしまって。でも、どうしようもないんです。
 私は、男さんが好き。この気持ちは旧エルフさんにだって負けません。だからこそ、私はあなたに男さんは渡せません。
 だって、男さんをあなたに渡してしまったらこの家に私がいる意味がなくなっちゃう。
 一人ぼっちになった私に、男さんは手を差し伸べてくれました。温かくて、優しい感情で私を包み込んでくれた。この温もりを知ってしまった今、もう昔のように一人になることなんてできない。だから、お願いです。私から、男さんを奪わないでっ……」

 とうとう、我慢することができなくなりポロポロと瞳から涙をこぼし始めたエルフ。そんな彼女の姿に、旧エルフはただ一言、

旧エルフ「ごめんなさい……」

 と口にすることしかできず、寝床として与えられた男の自室へと戻っていった。そして、そんな彼女に申し訳ない気持ちで一杯のエルフはしばらくの間泣き続け、泣き疲れて体力を消耗したことにより、ようやく睡魔がやってきて眠りにつくことができたのだった。

130 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/14 02:26:20.38 eIYKNvw40 837/1108

翌日、いつもの自室ではなく一階のソファで目覚めた男は慣れない場所で寝た影響で凝った身体を解す。
 窓を開け、朝一番の新鮮な空気を室内に取り込む。見れば、太陽がまだ顔を出して間もなく、いつもよりも早い時間帯に起きたようであった。
 その証拠に、普段ならこの時間帯に起きているはずのエルフの姿が見当たらない。同じく、旧エルフの姿も見られなかった。

「二人ともまだ寝ているのかな? 一度様子を見に行ってみようか」

 そう思い、一階から二階へと向かう。まず最初に男が開いたのはエルフの自室。昨日のできごとがあったためか、不安をかかえて眠れずに朝を迎えていないか心配だったからだ。
 ノックをし、反応が返ってこないのを確認する。おそらく眠りにつけているのだろうと思い、音を立てないように静かに扉を開いた。
 中に入り、眠りについているエルフの元へと近づく男。膝を着き、寝息を立てるエルフの横で彼女の寝顔を見つめる。
 しばらくエルフの寝顔を見ていた男だったが、その瞳から頬にかけて涙の伝った後を見つけてハッとした。

「やっぱり、嫌な思いをさせちゃったか……」

 考えていたことが現実に起こっていたことを確認し、男はため息を一つ吐く。

「ごめんな、エルフ。ずっと一人にさせて寂しい思いもさせてたのに今回の件を急に持ってきて」

 そっと、エルフのさらさらとした金髪に手を伸ばし、優しく梳いていく男。しばらくそうして穏やかな時間を過ごしたあと、男はエルフの額にキスをして部屋を出た。
 次に男が訪れたのは旧エルフが眠る自室だった。エルフの時と同じようにノックをし、反応がないのを確認したあと静かに中へと入った。
 しかし、中に入った男が見たのはボーッとしたまま窓の外を眺める旧エルフの姿だった。


132 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/14 02:43:13.48 eIYKNvw40 838/1108

「……なんだ、起きていたんだ旧エルフ」

 小声で男がそう呟いて、ようやく室内に彼がいることに気がついた旧エルフは驚きからか、ビクリと身体を一瞬震わせて彼を見た。

旧エルフ「あっ、男さん。おはよう、ございます」

 どこかぎこちない挨拶を返す旧エルフを不思議に思いながら男は話を続けた。

「どう? よく眠れた。ごめんね、昔旧エルフが使っていた部屋は今エルフが使っているから。
 もうちょっと落ち着いたら空いている部屋を掃除して旧エルフの部屋として使えるようにするから。それまではこの部屋で我慢していてほしい」

 申し訳なさそうに謝る男に旧エルフはそんなことはないと首を振った。

旧エルフ「いえ、むしろ嬉しいです。男さんが普段眠っている場所で眠ることができて」

 なんの気なしに呟いた一言であったが、それを聞いた男の顔が少しずつ赤く染まっていった。それを見てようやく旧エルフも自分が何を言ったのか気がついた。

旧エルフ「あ、いえ、そのっ、違うんです。今のは……えっと、そ、そう! 男さんの匂いがするここで寝てるとまるで男さんと一緒に寝ているみたいでとても安心して眠れたという気がしたということで……」

「うん……。その、わかったから少し落ち着こうか」

旧エルフ「はい……すみません」


133 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/14 03:30:12.70 eIYKNvw40 839/1108

 己の変態行動を自ら暴露してしまい、今すぐにでもこの場から逃げ出したくなる気持ちになる旧エルフ。お互いに次の話題をどうにか切り出そうとする中、ふいに旧エルフの脳裏に昨夜聞いたある事実が思い浮かぶ。

旧エルフ「あれ? そういえば、男さんって私の日記を読んでいるんですよね?」

 突然の質問に男はその質問の意味を深く考える前にほとんど反射的に答えてしまった。

「あ、うん。そうだけど、それがどうかした?」

 男の返事を聞いた旧エルフはゆっくりと自分が日記に書いた内容を思い返す。男の傍にいて幸せだったこと、買い物に出かけた際嫌な思いをして帰ってきた自分を優しく抱き上げて男が部屋まで連れて行ってくれたこと。
 それから、自分の看病の際に寝ている男にこっそりと口づけをした……。

旧エルフ「あ、あああああああああああああっ!」

 突然の叫びに咄嗟に耳に手を当てて旧エルフの絶叫を防ぐ男。

「旧エルフ、急にどうしたの!?」

旧エルフ「いえ! 別に! なんでもありませんから! 本当に、なんでもないですからっ!」

 当時のことを思い出し、旧エルフの顔は先ほどよりも真っ赤に染まっていた。

旧エルフ(そ、そうでした。あの日記、誰にも読まれることないと思ってその時にあったことを全部書いていたんでした。その中には男さんに気づかれないように行動していた私の変態行動が幾つも……。
 つまり、私がこっそりキスしていたことも、その他の事も全部男さんは知ってるということに)

 チラチラと男の様子を伺う旧エルフを見て何を考えていたのかを察したのか、男わざとらしく視線を逸らして、呟く。

「あ~、うん。ごめん、気が利かなくて。でも、これからは旧エルフがそんな行動に走らないように僕の方で気をつけるから」

旧エルフ「うっ、うっ、うぅっ……。いっそのこと、罵るくらいしてください……」

 いたたまれなくなり、毛布に顔を埋める旧エルフ。そんな彼女をやれやれといった様子で眺める男。
 そして、そんな二人のやり取りを空いた扉の隙間から苦しそうに顔を歪ませながらエルフがこっそり覗いていたのだった。

144 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/28 02:09:36.07 uiRJ/6Tr0 840/1108

旧エルフが己の過去の行為を知られていたという事実に気がつき、恥ずかしさのあまりしばらくの間放っておいて欲しいと毛布にくるまり落ち込んでいた。男はそんな彼女の要望を聞き入れ二階から下へとおり、朝食の準備に取り掛かろうとする。
 すると、そんな彼に続くように二階からエルフが現れた。

「おはよう、エルフ」

エルフ「おはようございます、男さん!」

 今までのように元気よく返事をするエルフ。彼女の表情に憂いや眠っている時に見た涙の痕は今は見られない。
 けれども、男は知っている。彼女がまだまだ子供であるということも、自分のせいで今無理にでも明るく振舞わなければいけないと彼女が感じてしまっているということも。

(……どうすれば、いいかな)


145 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/28 02:10:20.51 uiRJ/6Tr0 841/1108

 エルフと旧エルフ。男にとってはどちらが上か下などという区別することなどできない愛する二人。できることなら二人共に仲良くしてもらい、これから一緒に暮らしたいと思っている。けれども、今の状態ではそれが難しいとも思っていた。
 エルフと一緒に料理の下準備をしながら男は考える。しかし、すぐには具体的な考えは思い浮かばなかった。
 チラリと横目でエルフの顔を盗み見ると彼女は嬉しそうにしながらも、時折何かを思い出しては一瞬暗い表情を浮かべていた。それを見て男の心にチクリと小さな痛みが走った。

(エルフと旧エルフ。どちらも大切にしたいっていう僕の考えはいけないものなのかな……)

 確かに、端から見れば二人の女性を股にかけている酷い男と思われても仕方ない。普通に考えればいくら口で二人を愛していると言ってもその愛が平等ではないと言うものもいるはずだ。
 けれども、男はそれは違うと考えていた。彼にとって二人の存在は平等なものである。


146 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/28 02:11:16.32 uiRJ/6Tr0 842/1108

 そもそも愛する人を一人だと決めつけるのは何故だろう。もちろん、平等な愛が与えられないのならばその時点でその愛には差ができており、二人を等しく愛しているとは言えない。
 けれども、それができるなら? その時には二人の女性を愛することを非難される理由にはならないのではないか。
 少なくとも男は二人に対し平等でありたいと思っていた。押し付けがましい考えなのかもしれないが彼は彼女たちにもこの考えを受け入れて欲しい、そう思っている。
 それが無理やりなものであれば表面上は上手くいったとしても後々に破綻を招くことは予期できていた。だからこそ、男はこの考えを受け入れてもらうのならばきちんと納得した上でして欲しかった。
 現状、男のこの考えに対しおそらくではあるが旧エルフは納得しているように思える。彼女はエルフに対して好意的であり、平等の愛が与えられるならばたとえ彼女のことも男が愛していたとしても納得するであろうと。
 しかし、昨日の状況を見る限り今のエルフはそれに納得はしないだろう。もちろん、男が彼女に頼めば表面上は納得し共に過ごしてくれる。けれども、それは彼女の内に不満や不安を溜め込み、いつかその心を壊してしまう可能性があった。
 ならば、無理矢理でなく彼女がこの考えを受け入れてくれるように努力してみよう。男はそう思い隣に立つエルフに声をかけた。


147 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/28 02:11:51.10 uiRJ/6Tr0 843/1108

「ねえ、エルフ」

 料理の下準備もほとんど終わり、いよいよ調理を開始しようとした時に不意に声をかけられたエルフは少し驚いたように返事をした。

エルフ「は、はいっ。どうかしたましたか? 男さん」

 そんな彼女に男は優しく微笑みある提案をした。

「えっとさ、もしよかったら今日一日僕と一緒に二人で出かけないか?」

 唐突な彼の提案に一瞬話の内容が理解できずに呆けていた彼女であったが、やがてそれを理解するとパアッと明るい笑顔を見せて喜んで答えた。

エルフ「はいっ! 一緒に出かけましょう!」

 食材を調理場に置き、喜びを全身から溢れさせながらエルフは男の身体に抱きついた。男の身体に密着し、すりすりと自分の身体を何度も擦り付けるエルフ。まるで犬のマーキングのようなその行為に男は照れくさそうに頬を掻いていた。
 そして、彼に抱きつくエルフの瞳には昨夜寝る前に流したものとは別の、小さな涙が薄らと滲んでいるのであった。


148 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/28 02:13:14.88 uiRJ/6Tr0 844/1108

 その日の午後、旧エルフに事情を説明し、エルフと共に男は家を後にした。話を聞いた旧エルフは最初は驚きもしたが、昨日エルフとの一件もあり思うところがあったのか、「楽しんできてあげてください」と口にし、留守番をする見返りと言わんばかりに男の頬に触れる程度のキスを交わすと彼らを見送った。
 こうして久方ぶりにエルフと二人で出かける男であったが、特に何をすると決めていたわけでもなかったため、ひとまず町をぶらつくことにした。

エルフ「男さ~ん、こっちですよ」

 ひと月ぶりの町の様子をのんびりと眺める男とは対照的に元気いっぱいに彼の前を歩いていくエルフ。ぶんぶんと男に向かって大きく手を振り、早く自分の元に来るように急かしていた。
 そんな彼女の姿を見て、男はクスリと微笑んだ。昨日に比べて元気が出た。今のエルフの様子を見てそんな風に思う男。
 そのことを嬉しく思うと同時に彼女の笑顔を作るのも、それを曇らせてしまってるのも自分が影響していることだとわかっているからこそ複雑な気持ちになる。
 今後のことを考えるとどうしても表情に陰りが出てしまう。どうすればいいのか? どうしたらみんな幸せになることができるだろうか。


149 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/28 02:14:21.76 uiRJ/6Tr0 845/1108

エルフ「……男さん? どうかしました?」

 考えに耽っていたせいか、いつの間にか自分の目の前に戻ってきたエルフに男は気がつかなかった。心配そうに自分を見つめるエルフを見て男はこう思った。

(……やっちゃった。エルフを楽しませようと思って誘ったっていうのに、心配をかけてどうするんだ。
 確かに、今後のことは考えなきゃいけないだろうけれどそのせいで〝今〟を疎かにしているようじゃ意味がないじゃないか)

 自分の失態に気がついた男はすぐさま気持ちを切り替えた。後回しではなく、この先にある未来に繋げるため、今を精一杯楽しむことにした。

「ごめん、ちょっとボーッとしてた。それより、エルフ。どこか行きたいところとかある?」

エルフ「えっと、実を言うと町の外に出てのんびりしたいな~って……。ダメ、ですか?」

「いや、そんなことないよ。よし、それじゃ森の方に行ってみようか」

エルフ「はい! 行きましょう」

そうして、どちらともなく身体を近づけ合い町を出て二人は近場の森へと向かっていくのだった。


150 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/28 02:41:31.12 uiRJ/6Tr0 846/1108

町を抜け、森へと続く平原をのんびりとした足取りで二人は歩いていた。見慣れた景色を楽しそうに眺めるエルフ。その隣に立つ男と彼女の手はいつの間にか自然と結ばれていた。手放さないよう強く握り締めるわけでもなく、力を緩めればほどけてしまいそうなほどの力加減。
 まるで手のひらの中に小さな生き物を大切に飼っているかのように錯覚するその感触をどこかくすぐったく男は感じていた。

「エルフの手はちっちゃいな」

 無意識の内に出ていた一言に言ってからすぐにしまったと思う男。しかし、後悔する暇もなくエルフはプックリと頬を膨らませて不満そうにいじけていた。


151 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/28 02:41:59.31 uiRJ/6Tr0 847/1108

エルフ「む~。どうせ私はまだまだお子様ですよ~だ。
 男さんから見れば手も、背だって小さいですし、それに胸だって……」

 服の内側に目を凝らし、僅かに膨らんだ乳房をチラリと見るエルフ。今までは明確な比較対象がいなかったので、口では不満気にしながらもそこまで劣等感を抱くことはなかったが、昨日から彼女の元には自分よりも成長した理想のエルフが現れてしまったため、その表情は晴れない。
 そんな彼女の心境を察したのか、男はしばし空いている片方の手を口元に添え、何かを考える素振りを見せていた。
 しばらく、二人の間に気まずい空気が流れる。ほとんど結び目の解けかかった二人の手の重なりをエルフが静かに解こうとした時、ちょうど考え事を終えた男がキュッと強く握り締めた。

エルフ「えっ!?」

「ん? どうかした」

エルフ「あっ、いえ……なんでもないです」


152 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/28 02:51:49.14 uiRJ/6Tr0 848/1108

 エルフが二人の重なりを解こうとしたのをわかっているはずなのに、男はまるでそれに気がついていないようにしていた。どういうことかと戸惑う彼女に諭すように、優しく男は呟く。

「まあ、確かに僕から見ればエルフはまだまだ成長途中のお子様かもね」

 思っても見ない男のその一言にエルフは思わずシュンと肩を落とした。しかし、続けて発せられた男の言葉に彼女は耳を傾けることになる。

「でもね、それが普通なんだよ。確かに、エルフはいま子供だね。でも、誰だってみんな昔は子供だったんだ。騎士や女騎士、女魔法使いは……まだ成長途中か。
 まあ、彼らやもちろん僕も昔はエルフと同じように小さな体で、早く大人になりたくて色々と背伸びをしたりもした。
 けど、いくら成長が早くったって大人の真似ごとをしても結局はまだ子供のままなんだ。あくまでも〝大人びている〟っていうだけ」

エルフ「それってどう違うんですか?」

「う~んとね、何を持って大人になるかって定義するのは難しいね。
 一人で自立して暮らせるようになること、お酒や嗜好品を嗜めるようになること、お金をたくさん持つこととかちょっと考えるだけで大人っぽいことっていうのはたくさん出てくる。
 でもね、僕が思う大人っていうのはこれとは違うんだ」

153 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/28 02:56:29.81 uiRJ/6Tr0 849/1108

エルフ「男さんの考える大人って……」

「それはね、〝何かを許せるようになること〟と〝自然と誰かの助けになれること〟。この二つができるようになることを大人になるって言うんだと思うな」

エルフ「〝何かを許せるようになること〟と〝自然と誰かの助けになれること〟ですか? なんだかピンと来ないです」

「ま、まあ。自分でも言葉にしてみて随分と抽象的な考えだとは思うよ。そうだな、僕自身の例えになっちゃうけど、僕は昔エルフの種族が嫌いだったんだ」

 エルフ族は嫌い、そう聞いてエルフの胸にチクリと小さな痛みが刺した。それが表情に出てしまっていたのか、慌てて男が弁解する。

「あ、いや、違うよ。昔の話ね、昔の。
 そうだな、僕がまだ戦争に参加していたときが多分一番酷かったかな。多分、あの時の僕に今こうしてエルフと一緒に歩いている姿なんて見られたら問答無用で殺害されても文句が言えないくらい……嫌いだった。
 でも、僕は今こうしてエルフと一緒に同じ道を歩いている。これがさっき言ってた〝何かを許せるようになること〟かな。
 どうしても許せない、許してはいけないと思っている相手がいたとして、自分のことばかりを考えるんじゃなくて相手の立場になって一度考えてみるんだ。自分はどうしてその相手が許せないのか、相手はそんな自分のことをどう思っているのかって……ね。
 そうすると、意外にその相手の考えていることや自分のことをどう思っているのかとかわかるものなんだ。
 だから、絶対とか無理とか最初から決めつけないで一度考えてみるんだ。自分にとってどうしても許せないことがあったとしてどうすればそれを許せるようになるかなんてね」

 男の話をイマイチ理解できていないのかエルフは唸りながら考えを纏めていた。そんな彼女の様子を見て、男はもっと簡単な例えを出すことにした。


154 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/28 03:10:38.99 uiRJ/6Tr0 850/1108

「それじゃあ、こうしよう。例えばエルフがとってもお腹を空かせて待ちに待った夕食が出たとする。けれど、僕がそれを勝手に食べちゃってエルフは許せないっていう感じに」

エルフ「私は……相手が男さんなら許しますよ? そりゃ、ちょっとムッとしますけど」

「そう……ありがとうエルフ。ああ、それじゃあこうしよう。全く見たことのないボロボロの服を着た男性がエルフの大切に作った食事をちょっと目を離した隙に勝手に食べちゃった。そして、それをエルフは許せないでいる」

エルフ「なるほど、そのたとえはとてもわかり易いです」

 今度はエルフも理解できたようなので、男はそのまま話を続けた。


155 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/28 03:13:25.87 uiRJ/6Tr0 851/1108

「当然、エルフは怒っている。まあ、ここでは仮にの話だから余計なツッコミは入れないけれど、その相手のことが許せない。けれど、相手は何も答えない。何も答えないから何もわからないし、当然許せずにいる」

エルフ「そうですね……こちらとしては勝手にご飯を食べられてしまったのですし、当然ですね」

「うん、僕もその怒りは当然のものだと思う。でも、もしその相手が泣きながらこう語ったとする。
 『自分は、戦争で職を失い今日まで乞食としていきてきた。しかし、極限の空腹に耐え切れずについ魔が差して貴方の家の食事に手を出してしまった』ってね。
 こう言われたらエルフはどう思う?」

エルフ「え、えっと。困ります……ね。確かにかわいそうに思いますし、力になってあげたいですけれどやってしまったことで怒っているのも事実ですし」

「そうだね、まあ時と場合によってはそんな相手の言い分なんてこっちには関係ないって言うかもしれないね。
 でも、その話を聞いてほんの少しでも心が揺れたんじゃない?」

エルフ「それは……まあ」

「それが嘘か本当かはわからない。でも、もし仮に男の話を聞くことなく絶対に許すことはできないと判断してさっさと家から追い出してしまったら彼がどんな人間なのか、どうしてこんなことをしたのかもわからないんじゃないかな。
 やってしまったことは確かに悪いことかもしれない。それでも怒りを抑えて話を聞けばさっきまで〝絶対〟だったものがそうじゃなくなるかもしれない。〝許せる〟余地がほんの少しでも出てくるかもしれない。
 僕が言っているのはこういう状況で絶対と決めつけないで相手を知って許すことを考えて行動できることを大人になるって事の一つだと考えてる」

エルフ「で、でも。さっきのはたまたまご飯を勝手に食べられたって例えだっただけで、実際にはどうしても許せないようなことも出てくるんじゃないですか?
 そういった時でも自分を押し殺して相手を許すっていうのが大人なんでしょうか? だとしたら、そんな大人にはなりたくありません」

 ここまでの話から何かを察したのかエルフは男の考えにやや否定的だった。けれど、次に男の口から出てきた言葉はそんな彼女考えを肯定するものだった。


156 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/28 03:52:25.24 uiRJ/6Tr0 852/1108

「うん、僕もそう思うよ。僕たちはただの善人じゃない。ちゃんと考えて生きている人なんだ。もちろん、どうしても許せないことも出てくる。
 でもね、ちょっとだけ相手の気持ちになって考えてみるんだ。それでもその相手のことが許せないというのならそれはそれで仕方がないと思う。
 けど、何も聞かず、何も知らず、自分だけの判断で相手を決め付けてしまったらきっと後になって後悔するかもしれないんだ」

エルフ「だから、そうしないためにも一度考えるんですね」

「うん。それが僕の考える〝大人〟の一つ。〝何かを許せるようになること〟かな」

 それまで聞いてエルフはしばし物思いに耽っていた。おそらく、今彼女の中では男が提示した〝何かを許せるようになること〟に該当する問題があり、今はそのことについて考えたいとエルフ自身が思っているのだろう。
 しばしの沈黙。そして己の中で何か答えが見つかったのか少しだけスッキリとした表情を見せたエルフはもう一つの大人の条件について質問した。

エルフ「〝何かを許せるようになること〟についてはわかりました。それで、もう一つの〝自然と誰かの助けになれること〟は?」

「こっちは簡単だよ。いや、でも難しくもあるかな? これはね、自分の目の前で誰かが困っていたとしてそれが自分の力で助けることができるようなことであれば手を差し伸べるってだけのことなんだ」

エルフ「えっと……それだけ、ですか?」


157 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/28 03:53:01.12 uiRJ/6Tr0 853/1108

「それだけって言うけれど、これが意外と難しいんだよ。人って自分が思っている以上にいっぱいいっぱいだから自分のことで精一杯にすぐなっちゃう。僕だってそんな経験はしょっちゅうしてきた。
 けど、だからこそせめて自分の手の届くところにいる人には手を差し伸べて上げられたらいいなって思うんだ。そうして、身近な人たちが助け合って、その輪がたくさん広がれば最終的にはみんなが手を取り合って生きていける。
 ……なんて。こんなことをいうのはちょっと恥ずかしいね」

エルフ「……いえ、そんなことありません。そうですね……これが男さんの考える〝大人〟ですか。
 私も……ちょっとはこの〝大人〟について考えてみようと思います」

 男の目を真っ直ぐと見据えてそう話すエルフに男もまた視線を逸らさずに返事をした。

「うん。エルフがそう考えてくれるっていうだけでも僕はとても嬉しいよ」

 少女と青年が語るには濃い会話を繰り広げ二人は森へと向かっていく。そんな二人の表情は僅かに明るいものになっていた。


158 : 吟遊詩人[saga] - 2013/03/28 03:53:41.65 uiRJ/6Tr0 854/1108

エルフ「あっ……でも、さっきの話は別にして。男さんまた私のことを子供扱いして! 男さんの考えではさっきのが〝大人〟なのかもしれないですけれど、私の中では男性がドキドキするような身体になっていればもう大人のようなものなんですからねっ!」

 そう言って握った手とは別の手を繋いだ男の腕に絡めて身体を密着させ、エルフはピョンピョンとその場に跳ねて男の耳元に口を近づけると耳たぶを甘噛みした。

エルフ「……ハプッ」

 チクッと僅かな痛みと背筋を走る妙な快感を感じ、油断をしていた男は僅かに嬌声を上げてしまう。

「ちょっ、エルフッ!」

エルフ「せっかく久しぶりに二人っきりなんですからこれくらい許してくださいよ~。えへへ~チュッ」

 甘えるような撫で声でそう呟き、エルフは男の耳元からうなじにターゲットを変えて吸い付くようにキスをした。既に繋いだ手は離れて両手は腕を支えにして身体を浮かせていた。
 そんなエルフの行動にヤキモキしながら同時にこれまで長い間放置してしまったお詫びにと男は彼女の行動を黙認するのであった。

179 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 00:27:56.36 AE53484+0 855/1108

旧エルフがエルフと男の住む家を訪れてから少しだけ時間が流れた。自分の居場所を取られまいと必死になっていたエルフだったが、男と二人だけで過ごした際に言われたことで思うことがあったのか、表立って何か彼女に言ったり行動に移すこともなく、表面上は穏やかに過ごしていた。
 もっとも、男と旧エルフの距離が近くなったり二人の間に漂う空気が甘くなったりした時には嫉妬から不機嫌になったりするなんてことはあるが……。
 とはいえ、今のところは三人の生活が破綻することなどもなく静かな日常を送れているのだった。

エルフ「それじゃ、男さん。今日も行ってきますね」

「うん、わかった。気をつけてね、エルフ」

エルフ「はい! それと、旧エルフさん。私がいないからって男さんとあまりベタベタしないでくださいよ……」

旧エルフ「あははは……。わかってますよ、エルフちゃん」


180 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 00:28:53.66 AE53484+0 856/1108

 旧エルフに釘を刺すことを忘れずにエルフは家を出る。ここ最近エルフは老紳士の元に向かっては彼の経営する店の手伝いをすることが多くなっていた。元々、お茶を頂いたりするお礼に店の掃除を始めたのがキッカケで、今では店の売り子として働かせてもらうようにまでなったのだ。
 そのこともあってか、彼の店を通じて町の人とも交流を少しずつ深めていき、エルフは今ではこの町に住む人の多くに受け入れられつつあった。
 そんな彼女と彼女の周りの人々の変化を男は喜ばしく思いながら、同時に彼女が自分の元を離れて独り立ちしはじめたことをほんの少しだけ寂しくも思っていた。
 言ってしまえば、独占欲のようなものが男の中にもあったということだろう。エルフが己から少し離れてゆくことに寂しさを紛らわすように男もまたここしばらく仕事に没頭していたのであった。

「それじゃ、僕もそろそろ仕事を始めるよ。何かあったら呼んでね。あ、それと……わかってるとは思うけれど買い物に行く時は絶対に僕に声をかけるように。くれぐれも一人で行こうとはしないでね」

旧エルフ「む~、男さんは過保護ですよ。ちょっとは信用してくださいってば!」

「わかってるよ。でも、君がいなくなるなんて今の僕にはもう想像できない……いや、想像したくない」

 男の言葉がかつて自分が死んだ時のことを言っているのに旧エルフが気づいたのはすぐだった。

旧エルフ「男さん……」


181 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 00:30:05.51 AE53484+0 857/1108

「過保護だって思われても、僕の目の届かない所で君に何かがあって欲しくないんだ」

 苦しそうな表情で俯く男に、そっと旧エルフが近づき、今にも泣き出しそうな彼の頭をそっと撫でた。

旧エルフ「もう……大丈夫ですよ。私は、もう二度とあなたの傍を離れたりなんてしません。だから、安心してください。
 そ・れ・に! 私にばっかりベッタリだとエルフちゃんに愛想を尽かされちゃいますよ? 私たちのこと大事にしてくれるんですよね? だったら、私ばっかり特別扱いはダメ、ですよ」

「あ、はは。それも、そうだね。確かに、旧エルフを過保護に扱いすぎるってことはそれだけ特別扱いしてるって捉えられなくもないね」

旧エルフ「ふふっ、そうですよ。あっ、でもお買い物は一緒に行くって考えには賛成です。私、ずっと男さんと一緒に買い物したかったんです」

「それくらいならいつだって。お安い御用だよ、旧エルフ」

旧エルフ「それじゃあ、今すぐにでも?」

「そ、それはちょっと……。まだ仕事が……」


182 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 00:31:52.34 AE53484+0 858/1108

旧エルフ「わかってますよ。それじゃあ、今日は私のお部屋の整理をしますね。一応寝床は作れましたけど、まだまだ片付いていないので」

「うん。それじゃあ、僕は作業に入るよ」

旧エルフ「はい、それじゃあまた後で。頑張ってください、男さん」

 そうして三人はそれぞれの己のやるべきことを開始するのだった。


183 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 00:32:39.53 AE53484+0 859/1108

――エルフの場合――

エルフ「おじいさ~ん。今日も来ましたよ!」

老紳士「おや、エルフさん。おはようございます」

エルフ「今日は何を手伝えばいいですか? 私、何でもしますよ!」

老紳士「ふふ。相変わらず元気で何よりです。けれど、最初からそんなに元気が良すぎると後になって疲れてしまいますよ?」

エルフ「そ、そうですね。もうちょっと落ち着きます……」

老紳士「少し前まで元気がなかったのですが、これだけ元気が出たのはやっぱり男さんが帰ってきたからですか?」



184 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 00:33:13.59 AE53484+0 860/1108

エルフ「えっ!? いや、その……違いますよぉ」

老紳士「ふむ……そのように緩みきった顔で言われても何も説得力はありませんよ?」

エルフ「も、もおっ! やめてください、おじいさん! 恥ずかしいです」

老紳士「若者をからかうのも年配の楽しみの一つですから。諦めてください」

エルフ「むぅぅ……」

 男のいない間にすっかり仲良くなったエルフと老紳士の二人。そんな二人の元に今日一人目のお客がやってくる。

エルフ「あっ! いらっしゃいませ!」

 ふらりとこの店に立ち寄ったお客なのか、中にエルフがいるとは思わず僅かに驚いていたが、彼女がこの町に馴染み始めているエルフだと気がつくと苦笑いを浮かべながらも、「どうも」と返事をした。
 そんななんでもないやりとりにエルフは嬉しそうに微笑む。そして、今日もまた一人、彼女は出会った人間の心を動かしていくのだった。


185 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 00:33:51.44 AE53484+0 861/1108

――旧エルフの場合――

旧エルフ「さて、今日も片付け開始です」

 数日前から男の隣にある空き部屋を掃除し始め、自分の部屋を作り始めた旧エルフ。元々、男が彼に寄せられる依頼の報酬や自室に入りきらなくなった書物を保管する場所という体で使用されていた空き部屋であったが、その実態は入りきらなくなった物を無理やり押し込めた雑貨置き場であった。
 一番最初に旧エルフがこの部屋の扉を開いた先に広がっていたのはまさに魔界。ありとあらゆる雑貨が乱雑に転がっており、部屋の至るところには蜘蛛の巣やホコリがまみれていた。
 それを見るとすぐさま、隣の部屋で作業をしている男を呼び寄せ、なぜこんなになるまで放置していたのかを問い詰めたが、返ってきた言葉は、

『い、いつの間にこんなことに……』

 というものだった。本人は半ば無意識で邪魔になった荷物を放り込んでいたらしい。ということで、気がつかないうちに少しずつ、少しずつ元々あった荷物に加えて新たに荷物が加わっていき掃除もせず放置された結果このような世界が生まれたということだ。


186 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 00:34:22.77 AE53484+0 862/1108

 旧エルフはもっと整理整頓し、常日頃綺麗にするよう心がけるようにと男をちょっぴり叱ったあと、少しずつ部屋の荷物で必要なものとそうでないものを整理し始めた。
 用途の不明なモノや見るからに不必要な書物を捨てようと家の外に運んでひとまず隔離していた旧エルフだったが、仕事に戻っていた男が小休憩と旧エルフの様子を見に来た際にそれを見て慌てて家の中へとそれらを仕舞いこんだ。
 本人曰く、これらは今は使わなくてもいずれ使うことになる必要なモノだそうだった。
 旧エルフは今使わないのなら置く場所もないし、なにより自分の寝床が作れないという名目の最終兵器を持ち出して男を説得し、そのほとんどを捨てようとした。
 男は若干涙目になりそれらの物品を手放すことを悲しんでいたが、そんな彼らの元に老紳士の元から返ってきたエルフが家の外に放置された品々を見て、事情を尋ねるともしかしたら老紳士の店でこれらの商品をおけるかもしれないと提案したのだ。
 結局、男の家に置かれていた物品の大半は老紳士の店に引き取られ、譲り渡した物品の売上の二割をもらうことでどうにか男も納得するのであった。
 この出来事に関してはエルフも旧エルフも顔を見合わせ、「男の人の収集癖ってよくわからない」と呆れたように呟く二人。
 そうこうしているうちに少しずつ部屋の掃除を行い、着々と空き部屋は綺麗になっていった。そして、新しいベッドを買い出しに男が出かけ、業者を通じてそれを二階へと運んでもらい、ひとまず寝床が完成する。
 しかし、これだけでは部屋が物寂しいと思った旧エルフは部屋の中に彩りを付けるために花を持ち込むことにした。家の外に置かれた幾つかの陶器に植えられた花を運んで行き、陽の当たる窓際に配置する。
 その後、男の部屋へと赴き彼に小さな本棚と幾つかの蔵書をもらえないかと頼み込んだ。


187 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 00:35:07.21 AE53484+0 863/1108

旧エルフ「男さん、いくつか本を頂いてもよろしいですか?」

「ん? いいよ。今特に必要としていないものだったら適当に持っていって。必要になる時があればまた取りに行くから」

旧エルフ「ありがとうございます。それと、一つ本棚ももらいたいんですけれど……」

「そうだな~。ん~、これなんてどうだい?」

 そう言って男が指差したのは部屋の角に置かれた小さな本棚。入っても数十冊程度のそれを旧エルフに男は勧めた。

旧エルフ「あ、これで充分です。どうもありがとうございます男さん」

「よければ僕が運ぶよ?」

旧エルフ「本当ですか? それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいますね」

 現在行っている仕事である魔術書の翻訳作業の手を止め、エルフの部屋へと本棚を運び始める男。


188 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 00:36:03.54 AE53484+0 864/1108

「よい、しょっと」

 中に入っていた本を一度全て取り出し本棚を持ち上げる男。それほど重いわけではないが、元々力のある方ではない彼にとっては中身のない本棚でも少々運ぶのはキツイ。しかし、旧エルフの手前そんな素振りを見せるのも癪なのか震える手で必死に本棚を抱きかかえ、笑顔を見せたまま運んでいく。
 そうして、短い距離とはいえ重い荷物を運びうっすらと首元に汗を滲ませた男は涼しい顔を張り付かせて再び部屋へと戻ろうとした。

「他に運ぶものはないよね? それじゃあ、僕は作業に戻るから」

旧エルフ「あっ! 男さん、ちょっと待ってください」

 部屋を出ていこうとする男を咄嗟に旧エルフが引き止めた。何だろうかと男が思っていると、そんな彼の頬にひんやりと冷たく柔らかな感触が伝わった。

旧エルフ「えへへっ。頑張ってくれて、ありがとうございます。今のは、そのお礼です」


189 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 00:36:29.28 AE53484+0 865/1108

 突然のことに理解するまで数秒。理解できると同時に顔に熱が集まり、照れくささが一気に増した。

「いや……当たり前のことをしただけだから」

 和やかな空気が自然と流れてゆく。しばらくの間互いに黙り込み、チラチラと相手の顔を伺っていた二人。

旧エルフ「ふふっ」

「あははっ」

 どちらともなく笑い合い、二人はそれぞれの作業を再び開始した。男は仕事を再開し、旧エルフは掃除をまた始めた。
 失った時間を取り戻そうと焦ることもなく、ゆっくりと穏やかな日常へと浸っていく。これが二人の今のありようなのだろう。

エルフ「ただいま帰りました~」

 その後、エルフが元気な声で帰宅を知らせると二人はそれぞれ作業を止めて彼女の元へと向かうのだった。


190 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 00:38:11.15 AE53484+0 866/1108

――男の場合――

 エルフが老紳士の元から帰宅し、旧エルフの掃除も一息つき三人で夕食を取った。食卓には柔らかな雰囲気が流れ、楽しい食事の時間はあっという間に過ぎていく。
 以前に比べると少しずつ旧エルフに対する警戒も解けはじめ、自分の居場所が彼女によって奪われるという焦燥感はエルフの中から少しずつ消え始めていた。
 むしろ、旧エルフが来たことでこれまでのエルフと男の関係が変化したと言える。女魔法使いがいた時とはまた違う同種族がもう一人いるという事実。
 まるで、自分に姉がいたらこのような人だろうかという考えをエルフに抱かせ、男にとっては大切で、自分にとっては話だけ聞いていた空想上の存在は少しずつ、少しずつ実を持ち始めエルフの中で〝家族〟として認識されつつあった。
 それは旧エルフにとっても同じなのか、元々面倒見の良い性格の彼女は自分よりも僅かに幼いエルフの世話を焼こうと無意識のうちに思っており、知らず知らずのうちに手を貸しているのであった。

旧エルフ「エルフちゃん、口元汚れていますよ?」

エルフ「えっ? 本当ですか。どこでしょうか?」

旧エルフ「私が拭いてあげます。ほら、ジッとして」

エルフ「んっ。ん~」


191 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 00:44:29.98 AE53484+0 867/1108

 その証拠に今この時も旧エルフはエルフの口元に付いたソースをそっと拭き取り、エルフもまたそれを素直に受け入れていた。
 その光景を見ていた男はクスリと微笑み、二人の仲がちょっぴり進んだことを喜ばしく思うのだった。
 食後、片付けのため食器を洗おうとする男だったが旧エルフとエルフの二人によって断られてしまい、やることもなく手持ち無沙汰な状態になった。仕方なく、仲良さげに食器を洗っていく二人の背中をソファに座りチラリと横目で男は眺めるのであった。

エルフ「ふんふんふ~ん」

旧エルフ「ご機嫌ですね、エルフちゃん。何かいいことでもあったんですか?」

エルフ「えへへ~。実はですね、最近お店に来てくるお客さんが普通に喋ってくれるようになったんですよ~」

旧エルフ「へえ~そうなんですか。私が以前ここにいた時からは考えられないですね……。
 もしかして、変な要求とかされていません? 駄目ですよ、知らない人に付いていったりしちゃ。エルフちゃんまだ小さいですし何されるかわからないですよ?」

エルフ「むっ、子供扱いはやめてください。これでもそれなりに知識はありますから!
 そ、それに私男さんとキスだってしたんですよ!」

 キス。その単語を聞いて、忘れていたあることを思い出したのか、旧エルフが「あっ!」と声を上げた。


194 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 01:05:07.56 AE53484+0 868/1108

旧エルフ「そ、そうです。忘れていました! 男さん、キスですよ、キス!」

「へっ?」

旧エルフ「もうっ! 忘れちゃったんですか? ほら、私が目を覚ましてすぐに約束したじゃないですかッ!」

「あっ……」

 そう言われて男は以前旧エルフから己を受け入れた証にキスをせがまれていたことを思い出した。

「ああ、うん。もちろん、覚えてたよ?」

旧エルフ「本当ですか~。絶対に、今私が思い出さなかった忘れてましたよね?」

「……そんなことないよ?」

 ジトッとした目つきで男を睨む旧エルフ。すっかりと約束を忘れていた男は罪悪感から彼女の視線に合わせないように顔を逸した。


195 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 01:05:51.07 AE53484+0 869/1108

旧エルフ「お~と~こ~さ~ん」

「……ごめん、実を言うと忘れてた」

 旧エルフは顔を逸したままの男を睨み続け、とうとう彼が約束を忘れていたことを白状させた。

エルフ「えっ、と。それどういうことですか?」

 一方、二人の約束について知らないエルフはキョトンしながらも、話の内容を聞き漏らさないように耳を澄ませていた。

旧エルフ「えっとね、男さん私を生き返らせてくれた後に私の想いを受け入れてくれたんだけれど、キスをせがんだらしてくれなかったの。
 まあ、その理由はエルフちゃんがいたからなんだけど……」

 今になって先ほど頬にキスをした時にそれを唇にするべきだったと後悔する旧エルフであった。


196 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 01:06:25.13 AE53484+0 870/1108

エルフ「……あれ? もしかして、旧エルフさんって男さんとちゃんとキスしたことないんですか?」

 彼女の生前の日記を読んでいたエルフはふと旧エルフがきちんとした形で男とそのような行為に及んだことがないということを理解した。
 エルフの真実を突くその問いかけに旧エルフは「うっ……」と呻き声を漏らし、ピクピクと顔を引きつらせていた。
 そんな彼女を見たエルフはニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべる。

エルフ「ふふ~ん。なるほど、なるほど。そうだったんですか~。旧エルフさん、男さんにキスしてもらったことないんですね~。
 あ、ごめんなさい。私はしてもらっちゃいましたよ~」

旧エルフ「ぐ、ぬぬぬ……。エルフちゃん、最近大人しくしていたと思ったのに。私たち仲良くなれたんじゃないんですか!?」

エルフ「それとこれとは別ですよ~だ。確かにここしばらくで旧エルフさんがいい人だっていうことは改めて認識できましたが、男さんの一番は私なんです。
 いくら旧エルフさんでもこればっかりは譲りません!」

 挑発するエルフにこれまで大人な対応をとってきた旧エルフだったが、自分がまだできていないことを年下のエルフがしてしまっているということが悔しかったのか、ついムキになって反論した。


197 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 01:12:06.05 AE53484+0 871/1108

旧エルフ「い、言わせておけば~。いいですか、エルフちゃん! 私が、最初に、男さんのエルフになったんです! 言うなれば私は男さんの初めての女なんです!」

「いや……それは違うんだけど」

旧エルフ「えっ?」

エルフ「えっ?」

「あっ、いや、なんでもないです。すいません」

旧エルフ「……コホンッ。今何やら、聞いてはならない事実が聞こえてきましたが、それはひとまず置いておいて。
 つまりですね、最初の相手というのは忘れようとしても忘れられないわけでして、その証拠に男さんは私が一度いなくなったあともこうしてずっと想ってくださりました。そして、また私に男さんの傍にいる資格を与えてくれたんです。
 つ、ま、り。私こそが男さんにとって一番だということがこの時点で証明されています!」

 自信満々にそう語る旧エルフに今度はエルフが対抗する。


199 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 01:17:36.70 AE53484+0 872/1108

エルフ「いいえ、それは違いますよ旧エルフさん。確かに男さんは旧エルフさんのことを忘れていなかったかもしれません。ですが、それは旧エルフさんへの負い目からです! 
 こう言ってはなんですが、旧エルフさんの死を乗り越えて私と男さんは結ばれたんです。キスだって男さんから私はしてもらいました! つまりですね、私こそが男さんにとって一番だということが証明されてます。
 旧エルフさんは所詮過去の女です!」

旧エルフ「むむむ、言ったなぁ~。この貧乳ちびっ子! 子供体型! 私がエルフちゃんくらいの年にはもっと胸大きかったよ!」

エルフ「胸は大きければいいってものでもありません! それに私はまだ成長途中です! すぐに旧エルフさんに追いつきます。
 それに、いくら体型を馬鹿にされようと私が男さんとキスをしたって事実は変わりません。ということは、旧エルフさんはこんな貧乳で、ちびっ子で、子供体型な女に負けてるんですよ!」

旧エルフ「む、む~ッ! もう我慢の限界です。男さん! キスです! キスしてください!
 ……ってあれ? 男さんは?」

 二人共言い争いがヒートアップしていて気がつかなかったが、いつの間にか男の姿がこの場から消えていた。慌てて視線を周囲に巡らすと、不意にギィッという男が階段方向から聞こえてきた。


200 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 01:21:27.66 AE53484+0 873/1108

旧エルフ「あっ! 男さん。逃げないでください。エルフちゃんの前で私と男さんのキスを見せつけてあげましょうよ」

エルフ「男さん、駄目ですからね。男さんとキスするのは私なんですから!」

 すぐさま、二階へと上がっていった男の後を追う二人。だが、彼らが階段を上り切る頃には男はそそくさと自室へと逃げ去っていたのだった。

旧エルフ「おとこさ~ん」

 そうしてその場には恨めしげに彼の名前を呼ぶ旧エルフと、

エルフ「ふふんっ。やっぱり私が一番です」

 未だに己の優位性が崩れないことに安心したエルフの二人の姿であった。


203 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 01:38:25.98 AE53484+0 874/1108

……



 夜のキス騒動から数時間。夜明け前のまだ人々が寝静まっている時間。そんな中、足音を殺し、ゆっくり、ゆっくりと部屋の扉を開ける一人の女性がいた。

旧エルフ「……」

 コソコソと一歩一歩ゆっくりと自室から男の部屋へと向かっていく旧エルフ。エルフに言われたことがやっぱり悔しかった彼女は結局あの後一睡もできずこうして朝を迎えようとしていた。
 男の部屋の前に立った彼女はコン、コンと控えめに男の部屋の扉をノックした。当然だが返事はない。男はまだ眠っているのだろう。
 それを確認した旧エルフはそっとドアノブに手をかけ捻った。キィッと木具が軋む音が周りに響いたが鍵はかかっておらず、静かに扉が開いていく。

旧エルフ「……」

 そうして男の部屋へと侵入した旧エルフは焦らず急いで扉を閉めた。扉を閉めて一息吐くと、彼女はベッドで未だ眠りについている男の元へと近づいていく。

旧エルフ「男さんの……せいですよ」

 己の内側から湧き上がってくる強い衝動を抑えるように服の裾をギュッと噛み締め、今すぐにでも彼に襲いかかろうとする本能を制する。

旧エルフ「ふぅっ……ふぅ……んっ……んんっ」

 乱れる呼吸を必死に抑え、安らかな表情を浮かべる男の顔に手を当てる。


204 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 01:49:22.02 AE53484+0 875/1108

旧エルフ「ごめんなさい、男さん。やっぱり私全然変わっていません。男さんに日記を見られて、私がどんなにいやらしいエルフか知られてしまったのに、それなのに同じことを繰り返そうとしています。
 ホントは、ただ嫉妬してるだけなんです。エルフちゃんにはキスして、私にはまだしてくれないことに……」

 徐々に近づいていく旧エルフと男の距離。とうとう唇が重なりあうかと思ったその時、タイミング悪く男が寝返りをうって、旧エルフから離れる。

旧エルフ「……もう! 大人しくしてください。も、もう一度……」

反対側を向いてしまった男の唇を狙い、旧エルフもまた対面へと移動する。そうして、再び己の唇を男の唇に近づけるのだった。

旧エルフ「……そ~っ」

 そうして、とうとう二人のそれが重なり合った。旧エルフにとって久方ぶりの男とのキス。頬ではなく、彼女が望んだ口と口での行為。
 もちろん、本人の了承は得られていないが、むしろ彼に内緒で行為に及んでいるという背徳感と罪悪感が彼女の中で奇妙な感情を産み出し、より興奮させる追加要素になっているのだった。
 一心不乱に男の唇を貪る旧エルフ。いつの間にか彼女の手は男の手に重ね合わせられ握り締められていた。しかし、彼女は気づいていなかった行為に夢中になりすぎて息苦しさから男が目を覚ましているという事実に。

「こらっ!」

 ペシッと小さく肌を叩く音が聞こえた。目を覚ました男が身体を起こし、旧エルフの頭を叩いたのだ。


205 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 01:58:06.64 AE53484+0 876/1108

旧エルフ「痛っ! お、男さん!? いつから……」

「今だよ、もう……。全く、何やってるのかと思えば人の寝込みを襲うなんて」

旧エルフ「……すみません」

 男に怒られ、ションボリと肩を落とす旧エルフ。そんな彼女を見て男は溜め息を吐きだした。

「あのさ、旧エルフ僕この間言ったよね? その……君がこんな風にならないように気をつけるってさ」

旧エルフ「えっ?」

「いや、だから……。確かに夜の一件については僕が悪かったよ。君とした約束を忘れてて。
 けど、エルフのいるあの場で君にキスするのはどうにも居心地が悪いというか胃が痛くなるというか……。
 その、わかるだろ? 僕は二人共が甲乙つけがたいくらい大事でも二人は僕の一番だと思ってくれてるんだから行為に及んでいない方の嫉妬が……」

旧エルフ「そんなことは百も承知です。女性二人を同時に愛するんですから、その程度受け入れてください!」

「……む。まあ、それはその通りだけど。ただ、言い訳させてもらうなら僕としては旧エルフとの最初のキスは二人っきりでしたかったんだ。
 ほら、あの時はまだ僕ら二人だけだっただろ?」

 言われて旧エルフは思い出す。確かに昔はこの家にはエルフもおらず、ほとんど人が訪れるなんてこともなかった。ほとんど男と旧エルフの二人だけの世界だったのだ。

旧エルフ「そうでしたね」


206 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 02:00:18.96 AE53484+0 877/1108

 そんな過去を思い出してしんみりとする旧エルフ。そんな彼女に男は告げる。

「あの時の続きってわけじゃないけれど、僕としては旧エルフと二人の時に改めて想いを伝えて行為に及びたかったんだ。
 まあ、僕としてはここまで旧エルフがキスしたいと思ってくれてたのが唯一予想外だったけど」

旧エルフ「うっ……すみません」

「ま、まあ。ひとまず今のもカウントに含めないで、今から行うのが最初ってことにしておこうか」

旧エルフ「は、はい。そうですね」

 互いに心を落ち着けるため深く息を吸っては吐いた。そして、意を決した男が膝を追ってその場に座る旧エルフに告白する。

「旧エルフ。僕は、君が好きだ。ずっと、ずっと、好きだった。これからもずっと、僕の傍にいて欲しい」

 遺跡の時の再現。男に告白された旧エルフは心の底から嬉しそうに笑顔を見せて、彼に返事をする。

旧エルフ「私も、男さんのことが大好きです。あなたが傍にいてくれと望んでくれる限り、私はずっと隣で寄り添います」

 互いの想いを改めて確かめ合い、今度こそ二人は己の意思で顔を近づける。
 この時ついに、長い時を経て二人の想いを込め合ったキスは交わされるのだった。


207 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 02:11:07.58 AE53484+0 878/1108

旧エルフ「ふふふっ」

「あははっ」

旧エルフ「想いのこもったキスって、こんなにも心地いいものなんですね……」

「うん、ホントに。僕もそう思うよ」

旧エルフ「ねえ、男さん?」

「ん?」

旧エルフ「今日、このまま一緒に寝ちゃダメですか?」

「え、え~っと、それは……」

旧エルフ「ダメ、ですか?」

 上目遣いに懇願する旧エルフに男の理性はあっけなく崩れ去り、

「い、いい……よ」

 キスを交わした二人はそのまま仲良く一緒のベッドで眠りにつくのだった。


208 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 02:11:59.30 AE53484+0 879/1108

……



エルフ「男さん、男さん! 起きてください! 大変です!」

「うっ、うぅん? なに、エルフ?」

エルフ「いえ、あの、そのですね、なんといったらいいんでしょう。とにかく起きてください!」

 眠りについていたところを強制的に起こされた男は半覚醒状態のままエルフに毛布を剥ぎ取られた。当然、そこには明け方一緒に眠りについた旧エルフの姿が有り……。

旧エルフ「むにゃ……男さん~……えへへ~」

エルフ「……男さん、これはいったいどういうことですか?」

 男の身体を抱きしめながら未だ眠りについている旧エルフの姿を見つけ、エルフは頬を思いっきり膨らませて涙目で男を睨みつけた。

「うん、これはだね……」

エルフ「いっつも私には入ってくるなっていうくせに……。ええい、文句は後にします。それよりも、玄関にお客さんです! 物騒なお客さんです!」


209 : 吟遊詩人[saga] - 2013/04/14 02:20:19.70 AE53484+0 880/1108

「物騒な? それ、どういうこと?」

エルフ「わかりません、私が出たら乱暴な口調で男さんを出せって言われました!」

 エルフから話を聞いた男はすぐさま思考を完全に覚醒させて、ベッドから飛び起きた。

旧エルフ「ひゃっ! な、なんです?」

 当然、彼にしがみついていた旧エルフは無理やり彼の身体から引き剥がされて、その際の衝撃で目を覚ました。

エルフ「旧エルフさん、この状況がどういうことか後でたっぷりと説明してもらいますからね!」

旧エルフ「え、エルフちゃん……。あははっ、あははは……」

 蛇に睨まれた蛙のように縮こまる旧エルフとジト目で彼女を睨みつけるエルフの二人を部屋に残すと、男は自室を出てすぐさま玄関へと向かった。
 そして、扉を開いた先で彼を迎えたのはかつて彼が所属していたある軍の兵隊たちだった。

中央兵A「私は〝軍〟の兵士です。男さん、あなたに中央軍への召喚要請が出されています。先に行っておきますが拒否という選択肢は存在しません。
 なぜなら……」

 そうして、目の前の兵士は男たちの日常を終わらせる言葉を告げる。

中央兵A「あなたには、戦時中における軍からの逃亡罪が掛けられているからです」

 平和な日常はここに終わり、新たな戦いが今始まろうとしているのだった。

235 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/08 23:56:22.19 1nN9O5Br0 881/1108

荷台を取り付けた馬車が平野を駆ける。ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトンと小石を弾き、車輪を回す。
 そんな馬車の荷台の中、数名の兵士により監視される一人の男がいた。
 手足には拘束具。左右を屈強な肉体を持つ兵士に挟まれその行動の一挙一動を見張られている。彼ら兵士の今回の任務は一人の罪人を捕らえて〝軍〟の中央本部に移送することだった。
 その罪人の名は『男』。かつて、人とエルフの間で起こった戦争を終結させる要因の一つになった西方での戦いの立役者と言える、とある分隊に所属していた隊長。
 馬車に乗る兵の中にその戦いに実際に参加していたものは存在しないが、彼ら自身その噂については軍に所属する者として誰もが一度は聞いたことがあるものだった。
 一分隊で中隊にも匹敵する敵を撃退した伝説的存在。女騎士、女魔法使い、騎士、そして男。男を除いた他の三人、特に女騎士と女魔法使いとは共に任務に赴いたことがあるものもこの兵士たちの中には少なからずいる。
 最初はその噂について彼らもある程度脚色を加えられ、誇張されたものだと思っていた者も多かった。だが、実際に任務に同行し、彼らの実力を目の当たりにした結果、噂が真実だとすぐに悟ることになった。
 兵士たちにとって、かの分隊に所属していた四人は尊敬するに値する人物であり、その命を安心して預けることができる相手だと誰もが感じた。
 だからこそ、そんなメンバーを率いていた『男』について既に軍を去ったと聞いていた彼らは今回の任務を聞くまでは敬意を払うべき同胞だと思っていたのだ。

236 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/08 23:57:17.05 1nN9O5Br0 882/1108

 だが、今。彼らにとって目の前にいる青年は今や得体のしれない存在でしかなくなってしまっていた。
 任務の際に渡された書類に書かれていた逃亡罪という罪状。これはすなわち戦場から彼が逃げ出したことを意味した。分隊を尊敬していた者にとっては裏切り同然の行為であり、許しがたいことであった。
 しかも、それだけならともかくあろうことか彼は、かつて敵であったエルフと生活を共にしていたのだ。それも、奴隷として扱うのではなく、まるで家族のように……。
 全くもって、理解ができない彼の考えに兵士たちは大いに動揺した。そして、彼を中央に移送するため、家から連れ出そうとした際のやり取りを思いだし、彼に罪状を言い渡した中央兵Aは思わず身震いした。

中央兵A(……やはり、あの分隊を率いていた隊長なだけはある)

 今は枷を付けられた男の手先をジッと見つめ、中央兵Aはそう思った。

……




237 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/08 23:58:03.97 1nN9O5Br0 883/1108

「逃亡罪? ちょっと待ってくれ、一体それはどういう事なんだ?」

中央兵A「言ったとおりの意味です。あなたは戦争終結直前、軍から逃亡して姿を眩ませた。私が渡された報告書にはそう記載されていました」

「なんだって? 確かに、僕は勝手に軍を抜け処罰を受けても仕方がない状況だった。けれど、それは騎士が軍上層部に掛け合って西方での戦いの功績に免じて特赦を受けたはずだ」

中央兵A「そう申されても現に我々がこうしてあなたを中央へと移送するために派遣されているというのが事実です。それに、あなたが言うその特赦が真実であるかどうかの確認は我々には取れません。
 もしそれが真実であるのなら、それを証明するためにも我々に同行していただきたい」

「……断る、と言ったら?」

中央兵A「その時は力づくであなたを中央まで連行させていただきます」


238 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/08 23:58:45.68 1nN9O5Br0 884/1108

 睨み合う二人。中央兵Aの背後に控える他の兵士たちの間にも緊張した空気が漂う。
 そんな彼らの元に二階へと上がっていたエルフたちが戻ってきた。

エルフ「お、男さん!? ちょっと、やめてください! 何をしているんですか!」

 旧エルフを連れて現れたエルフの姿を見た中央兵Aは背後にいた他の兵士たちに合図を飛ばす。
 それを受けた兵士たちは男を押しのけ、室内へと侵入した。

「おい、何をする気だ!」

 兵士たちはすぐさまエルフと旧エルフを取り囲み、力づくで身動きを取れないようにした。


239 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/08 23:59:31.54 1nN9O5Br0 885/1108

中央兵B「エルフめ。この下等種が! なぜ、貴様らのような存在が未だのうのうと生き続けているのだ」

中央兵C「任務でさえなかったら貴様らなど……」

エルフ「痛い! 男さん、助けて!」

旧エルフ「やめてください! 手を離してください!」

「やめろ! 彼女たちに手を上げるな!」

中央兵A「言い忘れていましたが、あなた以外にもそこのエルフたちも捕獲し、中央へと移送するよう任務が言い渡されています。大人しくしておいた方があなたも、エルフたちも無事に済むと思いますが?」

「お前たち……」


240 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:00:32.85 UdMEnCQx0 886/1108

 その言葉を聞いた瞬間、普段温厚な男の瞳が暗い光を宿し、鬼気迫る殺気を全身から放った。その殺気に当てられたのか、それまで様子見だった兵士たちが一斉に臨戦態勢を取った。

「いいか、彼女たちは僕にとって何よりもかけがえのない存在だ。そんな彼女たちに危害を加えようとするのなら、僕は全力をもってお前たちを潰すぞ」

 ドスの聞いた低い声で兵士たちを脅す男。いつの間にか彼の指はいくつもの軌跡を描いて魔法紋を描いており、それが単に口だけの脅しでないことを証明していた。
 あまりにも普段の彼からかけ離れた姿を目にしエルフも旧エルフも思わず言葉を失う。そして、そんな彼と対峙する兵士たちは我慢こそすれ、恐怖から身震いしていた。
 多対一。冷静に考えれば状況は自分たちの方が有利であることは明白であるにも関わらず、彼らはたった一人の青年の発する空気に呑まれていた。


241 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:01:04.76 UdMEnCQx0 887/1108

中央兵A「そ、そう思うのなら自身の身の潔白を証明していただくためにも中央へと来ていただきたい。
 もちろん、その間あなたの身は拘束させていただきますが……。
 ただ、あなたが大人しくするというのであればエルフたちには危害を加えないと約束しましょう」

「……本当だな?」

中央兵A「ええ、我々としてもあなたと事を構えて無事で済むとは思わないので」

 しばしの沈黙が両者の間に流れる。そして、彼が下した決断は……。

「わかった。ただし、絶対に彼女たちには危害を加えるな。もしその約束を違えた時は……」

 冷たい眼差しで兵士たちを睨みつけ、男は最後にこう告げた。

「……その身を持ってこの世に生まれてきたことを後悔させてやる」


 こうして、男は身柄を確保され中央へと移送されることとなったのだった。

……




242 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:01:53.70 UdMEnCQx0 888/1108

長い時間をかけ、幾つもの町を渡り歩いてきた馬車もついに終着点へと辿り着く。大陸中央に存在する巨大都市。多数の人々が行き交い活気に満ち溢れるこの街を軍の紋章が入った荷馬車が通っていく。
 ある者はその光景に目を向け、ある者はいつものように商売に勤しむために声を張り上げる。人々の表情には浮かぶのは笑顔ばかり。
 だが、荷馬車に備え付けられた小さな窓。そこから見える光景は、何も明るいものばかりではない。
 そう……人以外の種族にとっては。
 店先の店員、料理を運ぶ給仕には人以外にも特徴的な長い耳を持ち、整った容姿を備えたエルフの姿も見られる。
 だが、笑顔を浮かべ楽しそうに過ごしている人々とは対照的に、彼らの表情は陰っており、視線は下を向いていた。粗相をすれば乱暴を働かれ、嫌な顔をすれば更に追い打ちがかけられる。
 戦争に負け、行き場を失くした彼らに待っている現実はこのような扱いであった。僅かな食事や寝床を確保できているだけ彼らにとってこの状況はまだマシな方なのであろう。


243 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:03:46.77 UdMEnCQx0 889/1108

 そんな同胞たちの姿をチラリと目にし、エルフは思わず視線を逸らし、旧エルフは言葉を失った。彼女たちはここに来てようやく、いかに自分たちが恵まれた環境で過ごしてきたのかを実感したのだ。
 荷台の中は奇妙な沈黙に包まれ、どんどんと先へ進んでいく。そうして、中央都市に到着し、しばらくの後。彼らはようやく目的地である軍本部へと辿りついたのであった。

中央兵A「どうやら、着いたようですね。男さん、あなたにはこのまま私たちに付いてきていただきます。
 そちらのエルフたちはまた別の場所に移動することになりますが……」

 到着と同時に中央兵Aが呟いた一言に思わずエルフが叫んだ。


244 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:05:06.20 UdMEnCQx0 890/1108

エルフ「ちょ、ちょっと待ってください! 私たちも男さんと一緒に付いていきます!」

中央兵A「残念ながらそれはできません。我々はあくまでも男さんとの交渉によってあなたたちに危害を加えないことを約束しましたが、この軍に所属する他の兵士たちもがそうとは限りません。
 中にはエルフたちによって己の大切な存在を奪われたものも数多く存在します。
 いいですか? あなたがたはもう少し自分たちがどのような存在なのか自覚をしたほうがいい。
 男さんがどのようにあなたたちに接してきたかは知りませんが、あなたたちエルフは所詮戦争に負け、人間の下に属する下等種族です。人に逆らうことも許されないし、最悪命を奪われてもこの街に住む人間ならそれを悪いことだと批判するような人も少ない。
 恨むのなら、戦争を起こして私たち人を殺してきた自分たちの同胞を恨むのですね」

 感情の篭らない冷たい眼差しを彼女たちに向け、そう言い放つと中央兵Aは他の兵士たちに彼女たちを移動させるように指示した。


245 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:06:12.31 UdMEnCQx0 891/1108

エルフ「嫌ッ! 男さん! 男さん!」

 両腕を兵士たちに捉えられたエルフはジタバタともがきながら男の名を呼んだ。対して、旧エルフは特に抵抗を見せず、静かに男と視線を合わせると、

旧エルフ「男さん……待ってます。あなたのことを信じています」

 と告げ、その場を去っていった。
 エルフたちがその場を後にするとそれまで静かに事の成り行きを見守っていた男は改めて中央兵Aに問い詰めた。

「約束だぞ、彼女たちには絶対に危害を加えるなよ」

中央兵A「ええ、その点に関しては約束しましょう。ただし、貴方の身の潔白が証明されることが条件ですが……ね」

「ふん。なら、さっさと僕を連れてくんだな。どうせすぐに真実は明らかになる」

中央兵A「そう願いますよ。我々もできることならあなたには尊敬すべき分隊を率いた隊長のままでいて欲しいですからね」

 そうして中央兵Aたちに男は連行されるのであった。


246 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:07:11.40 UdMEnCQx0 892/1108

男が軍へと到着し、エルフたちと別れさせられた頃、軍内部のとある一室では一人の少女が眉を釣り上げ、とある青年に対し怒りを顕にしていた。

女魔法使い「一体どういうことですか! どうして先生が捕らえられなければいけないんですか!」

 室内に備え付けられた椅子に腰掛ける青年、騎士は耳元で叫ぶ女魔法使いの叫びを必死に防ごうと両手で耳を抑えていた。

騎士「だ、か、ら! 何度も言ってるだろうが! 軍上層部から男を捕縛するよう指令が下ったんだよ!」

女魔法使い「だから、どうしてそんなことになってるのかって私は言っているんです! そもそも、先生の件は戦時中の功績に免じて特赦が下りたはずだったじゃないですか。なのになんで今更こんな無理矢理連れ去ってくるなんて状況になっているんですか!」

騎士「いや……それは……」


247 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:08:32.86 UdMEnCQx0 893/1108

 女魔法使いの言及に言い淀む騎士。そんな二人のやり取りを傍で見守っていたもう一人の女性もさすがにそのことが気になったのか、それまで閉ざしていた口を開いた。

女騎士「確かにそうだ。男の件は騎士がどうにか掛け合って許しをもらっていたはずじゃないの? なのに今更こんな急にあいつを呼び寄せるなんておかしいんじゃない?」

騎士「だから……その……な?」

女魔法使い「もしかして騎士さん……何か私たちに隠し事をしていません?」

 女魔法使いの鋭い一言にあからさまに動揺し、騎士は表情を崩した。

騎士「うっ……」


248 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:09:06.22 WcdWaeQX0 894/1108

 そんな彼の様子に長年共に背を預けてきた二人が気づかないはずもなく……。

女魔法使い「いい加減に白状したほうが身のためですよ。私は先生のためなら軍の人たちを敵に回すのなんて全くためらいませんからね」

女騎士「女魔法使いの意見は少し過激だけれど、概ね私もその意見には賛成だ。男は私たちにとって大切な戦友だ。友を守るためならば私だってできるかぎるのことをするぞ」

 二人の強い意志を目の前にし、騎士は溜め息を一つ吐き、とうとう自ら折れることになるのだった。

騎士「わかったよ……。けど、これ聞いても怒らないでくれよ? 俺だってこんな状況になるってわかっていたらあんなことをしなかったんだから……」

女魔法使い「それは騎士さんの話を聞いてから決めます」

騎士「お手柔らかにな」

 そうして騎士は事のあらましを二人に説明しはじめた。


249 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:09:59.38 WcdWaeQX0 895/1108

 発端はそもそも彼ら三人が以前西に派遣された調査隊がいつまで経っても帰還せず、独自に調査を始めた際に遭遇した出来事にまで遡る。
 たくさんの死体で埋め尽くされたある場所で、唯一の生存者である一人の少女を連れて、中央としに帰還した彼らはそのことを軍上層部に報告した。
 その時はまだ軍上層部も彼らの報告を受け、次の指示を待てという命令を出しただけだった。
 騎士もまた、悲惨な状況に悲しみを感じていたが、ただ一人の生存者である少女のことを気遣い、あわよくば何か情報を得られないだろうかということに集中していたため特に何も思うことはなかった。
 そこから騎士と少女の二人での生活が始まるのだが、この件には関係ないため割愛する。
 ちょうどその頃、中央都市では不思議な噂が民衆の間で広がっていた。
 それは、かつて人とエルフとの間で起こった戦で死した兵士たちが怨霊となり蘇り、夜な夜な村や町を襲い、民衆を皆殺しにしているというものだった。
 たまたま行きつけの店でその噂を聞いた騎士はまさかと話半分に聴きながらも、さして注意を払っていなかった。
 所詮噂は噂。噂が広がっていく過程で話が誇張されてこのようなことになってしまったのだろう。そう……思っていた。


250 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:10:44.99 WcdWaeQX0 896/1108

 だが、少し前。久方ぶりに男から届いた手紙に心躍らせ、友の近況を確認しようと手紙の入った封を開き、そこに書かれた内容を見た騎士は言葉を失った。
 そこに書かれていたのは、かつて彼の隣に立っていた一人のエルフが蘇ったということ。そして、遥か昔に人とエルフが手を取り合い、ある敵と戦ったということ、そしてその敵が今再びこの世に蘇り人やエルフに危害を加えようと動き出しているというものだった。
 最初にこれを見た騎士はこの手紙に書かれていた内容に半信半疑だった。それもそのはず。死した者が蘇るなど聞いたことがない。そのようなことがあるのであれば、誰もがその奇跡を願い失った大切な者が再び蘇るように願うからだ。
 かつて己にとって大切なエルフを失い、荒れ果てた生活を送っていたばかりの頃の男がこのような手紙を送ってきたのであれば騎士は彼の心の状態を心配し、それでいてこの話を否定していただろう。
 だが、今の男はかつてと違い大切な存在が再び彼の横に立ち、心は穏やかそのもの。妄言じみた手紙を彼に送る理由などひとつもない。
 それとは別に、ここ最近地方各地で村や町が襲われているという噂は彼の耳に届いていた。今はまだ小さな村や町だけのため、軍に所属するひと握りの者の耳にしか入っていない情報だが、それを実行しているのが正体不明の敵であるということだけはわかっている。


251 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:12:46.45 WcdWaeQX0 897/1108

 少し前までなら、この件を騎士はかつての戦争を逃れ、生き残ったエルフの残党が起こしているものだと思っていた。しかし、男の手紙を読んだ彼にはある推測が生まれつつあった。
 民衆の間に広まる噂。実際に行われている村の襲撃。男の手紙に書かれていた〝黄昏〟という敵の存在。
 馬鹿馬鹿しいと笑われるかもしれないが、これらの事象は全て同一だという考えが彼にはあった。
 そう考えた彼は妄想の類だと切り捨てられるのを承知で男の手紙と今回の件についての関連性を軍上層部に報告したのだった。
 実際、彼がこの報告をした際はほとんどのものが鼻で笑い、馬鹿馬鹿しいと切り捨てた。だが、その報告に対し興味を持った一人の男性がいた。

将軍「ふむ……。これは、面白い。よければ詳しく話を聞かせてもらえないだろうか?」

 話を終え、一人自室へと戻ろうとする騎士を引き止めた壮年の男性。それは軍に所属するものならば誰でも知っている最高地位を与えられた存在。かつてエルフと人との間に起こった戦争を集結させた真の立役者である将軍だった。


252 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:14:10.09 WcdWaeQX0 898/1108

騎士「しょ、将軍! 将軍はこの話を信じていただけるのですか?」

 騎士にとって公の場以外では初になる英雄との会話に緊張しながらも、騎士は彼に自分の考える推測を隠すことなく全て話した。
 その過程で過去に彼が所属していた分隊を率いた男のことや、それまで彼が参加した戦闘や身の上話や世間話など英雄との会話に興奮した彼は本題と全く関係のない様々なことを語ったのだ。
 そして、将軍は騎士の話を一通り聴き終えたあと、何かを考える素振りを見せ、最後にただ一言「この件は私に任せなさい。いいかい、何があっても私を信じるように。他言は無用だ」とだけ告げて去っていったのだ。
 そうして、それから数日が経ったある日。騎士の元に一つの知らせが届いた。それが、過去に特赦を下されたはずの男に対する逃亡罪による捕縛。及び、裁判とのことだった。
 その報告に驚き、すぐさま先日の出来事を思い出した騎士は顔面を蒼白にしながらもすぐさま将軍の元へと向かい、謁見の場を立ててもらえるように懇願した。
 しかし、将軍の側近から告げられた回答はその件に関しては「貴公の関わる余地はなし」とのことだった。


253 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:14:43.69 WcdWaeQX0 899/1108

 それから何度も何度も騎士は将軍の元へと足を運んだが、彼は一度として騎士と会うことなくこうして今日を迎えたというわけであった……。
 騎士の話を聞き終えた女騎士と女魔法使いはなんとも言えない表情で騎士を見ていた。騎士は騎士でよかれと思って行動した結果が裏目に出てしまい、こうして男の状況を悪くしてしまったことを後悔しているのか、居心地悪そうにしている。

女騎士「……つまり、男が今こうして連行されることになった原因は騎士にあるってこと?」

騎士「まあ、端的に言うとそうなっちまうな」

女魔法使い「なんというか……その。とりあえず騎士さん、一度ひっぱたかせてもらっていいですか?」

騎士「すまん……。それで気が済むのなら……」

 申し訳なさそうにそう呟く騎士だが、直後パンッ! と渇いた音が室内に響き渡った。


254 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:16:43.66 WcdWaeQX0 900/1108

騎士「いっ……てええええええええええ! ちょ、待てよ。確かにいいとは言ったけど本気で叩く奴がいるか!」

女魔法使い「知りません。いいって言ったのは騎士さんですから」

騎士「それにしたって、本当にするとは思わねえだろ! ここは、ほら。俺の失態を認めつつ同情するとこじゃないの?」

女魔法使い「それで先生の状況が変わるのでしたらいくらでもしますよ。でも、そんなことをしても何も変わらないのは騎士さんが一番よくわかっているんじゃないですか?」

騎士「それはそうだけどよ……」

女魔法使い「ちなみに今の一発はそんなに大事な話をずっと私たちに黙っていたことと、先生をこんな状況に追い込んだ騎士さんに対する私の個人的な怒りです。
 上官に手を挙げたことで私も軍法会議にかけますか?」

騎士「しねえよ、バカ。そんなことしても何の得にもなりゃしねえ」

女魔法使い「騎士さんが仲間想いの上官で安心しました。では、これより先生の立場を改善する案をみんなで出し合いましょう」

騎士「……はっ?」


255 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:17:17.37 WcdWaeQX0 901/1108

女魔法使い「……はっ? じゃありませんよ。騎士さん一人で行動した結果がこれだったんでしょう? でも、一人じゃダメでも二人、三人で考えて行動すれば少しは何かが変わるかもしれないじゃないですか?
 全く、一体何のための仲間なんですか。騎士さんにとって私たちはそんなに頼りにならない間柄だったんですか? そうだとしたら、心底ガッカリです」

騎士「女魔法使い……」

女騎士「ふふっ。一本取られたな、騎士。私も女魔法使いの意見に賛成だ。騎士一人でダメなら私たちもいくらでも手を貸すよ。
 大事な仲間のピンチなんだ。今まで散々男には世話になってきたんだし、こういった時にでも恩を返しておかないとね」

騎士「……ああっ! そうだな! よし、二人共俺に手を貸してくれ」

女騎士「了解」

女魔法使い「承知しました」

 こうして、かつての仲間の危機を救うため三人は事態の打開策を考え始めるのだった。


256 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:17:53.74 WcdWaeQX0 902/1108

 一方、中央兵たちにより裁判にかけられるためエルフたちとは別の場所に移動させられている男はこの状況を移送中の荷馬車で考えていた推測を改めて整理していた。

(そもそもなんだって急にこんなことになった。今まで何度も軍に復隊するように勧められはしていたけれどこんな強引なことは一度だってなかったはずだ。
 実際、逃亡の件も騎士が掛け合って特赦が下りた。となると、こうやって僕をここまで連れてきたのは何か他に理由があると考えたほうがいい)

 そうして思い出されるのは騎士に当てて出した一枚の手紙。軍部に対して未知の脅威が迫りつつあるということを警告すると同時に彼に自身の近況を書き綴ったもの。

(原因はやっぱり……あれ、か? いや、でも軍部の人間があんな妄想紛いの内容を信じるとも思えない。でも、そうなるとエルフたちを連れてきたことにも説明がつかない)


257 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:18:47.90 WcdWaeQX0 903/1108

 自宅から連行する際、中央兵Aがエルフたちも捕縛して自分と共に連行するように命令を受けていたということを口にしていたことを男は確かに聞いていた。つまり、彼女たちも少なからず今回の件に関わりがあるということだ。
 騎士、女騎士、女魔法使い。この三人以外に軍部の人間が会ったことのない、それもエルフを連れてくる理由など今の彼には他に思い浮かばなかった。

(……発端は僕自身の手紙が切っ掛けかもしれない。けど、これは……)

 男の脳裏に思い返されるある女性が告げた台詞。それは、旧エルフを蘇らせた遺跡に存在していた残留思念とも呼べる存在。
 かつて、人と手を取り合い、〝救世主〟としてこの地に救いをもたらしたとされる一人のエルフの言葉。

褐色エルフ『無理だよ。避けることができないものだから運命と言われるんだから。どこへ逃げようと、隠れようとその運命が背負った者を追いかける』


258 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:19:14.55 WcdWaeQX0 904/1108


 〝運命〟
 


259 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:19:42.97 WcdWaeQX0 905/1108

 その言葉が今になって重く男の肩に乗しかかった。旧エルフとの再会が嬉しくて、エルフと一緒に三人で生活を日常を過ごせていることが幸せで、その言葉を意識的に頭の中から除外していた。
 彼女の言葉が真実ならこれが運命なのだろう。本人の意思とは無関係に否応なしに戦いの場にその身を投じることになる。
 そして、それは〝救世主〟の支えになり人とエルフを繋ぐ役目を背負った〝導者〟として選ばれた己にも言えることだと男は考える。

(どのみち事態は動き出した。もし、仮にここで僕の逃亡罪が再び許されたとしても、このまま何も起こらずにいる保証なんてない。
 旧エルフも、エルフも今回の件で巻き込んでしまった。
 なら、僕が今後取るべき行動は……)

 考えに耽っていたせいか、男は彼の前を歩く中央兵たちがいつの間にか足を止めていることに気がつかなかった。
 前を歩く兵士の背に顔をぶつけ、ようやくそのことに気がつき顔を上げると見上げた先に会ったことのない壮年の男性が立っていた。


260 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:20:26.09 WcdWaeQX0 906/1108

中央兵A「あ、あなたは……」

将軍「うむ、任務ご苦労。彼が件の人物かな?」

中央兵A「は、はっ! そうであります。ただいま彼を牢へと移送中であります!」

将軍「ふむ、ふむ。なるほど……。任務に励んでいるようで何より。
 ……それで、だ。任務に忠実な君たちには非常に申し訳ないのだが今から彼の身柄を私に預けてもらえないだろうか?」

 男性の唐突な提案にその場にいた誰もが思わず言葉を失った。

中央兵A「……は?」

将軍「いや、なに。言ったままの意味だよ。今から先は彼の身柄は私が預かると言ったんだ。
 なに、君たちが心配するようなことは何もない。そもそも〝逃亡罪にかけられるような軟弱な兵士は我々の軍には今も昔も存在しなかった〟。
 ただそれだけのことだ」


261 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:21:21.10 WcdWaeQX0 907/1108

 その言葉を聞き、彼が何を言いたいのかを中央兵Aはすぐさま理解した。だが、理解はできても納得できないこともあるのか、つい余計な言葉を呟いてしまう。

中央兵A「で、ですがこれは正規の依頼でして。いかに将軍といえど……」

将軍「ああ、その点なら問題ない。そもそも、この任務を言い渡したのはこの私だ。
 いいかい、君たちに課せられた任務はかつての戦争を終結させる要因ともなった分隊の隊長が今どうしているのか様子を見に行ったというだけのことだ。
 これは、今まで他の者が何度も行っている任務だから何も問題はない。あわよくば、また彼に復隊してもらいたかったが、今回もダメだったようだね。
 つまり、君たちは〝彼の様子を見てきたが本人はまだ軍に複隊できるような状況じゃなかったため、そのまま帰ってきた。以後も機を見て訪問を行う〟。
 ただ、それだけを上に報告すればいいんだ」

 有無を言わさぬ将軍の言葉に、疑問を感じつつもそれを口にすることは許されないということを今度こそ本当に理解した中央兵Aは、

中央兵A「わかり、ました。上にはそう報告させていただきます」

 それだけを告げ、男の身柄を彼に引き渡した。

将軍「よろしい。理解のある素直な同胞を持てて私は幸せだ」

 そうして男は将軍に連れられまた別の場所へと移動することになるのだった。


262 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:22:00.10 WcdWaeQX0 908/1108

 自身を連行する兵士たちの元から引き離された男は将軍に連れられ、彼の部屋を訪れていた。

将軍「さて、枷をつけたままで申し訳ないが楽にしてくれたまえ」

 室内に設置された高級そうな椅子に座り、将軍は来客用の席に男を促した。ジャラジャラと鎖を引きづりながら男は未だ警戒心を心の奥に抱きながら椅子に腰掛けた。

「まずは軍の最高地位に属する将軍にお会いできたことに対し光栄に思います。かつて一兵士として軍に所属していた者としては願ってもないことです。
 ……それで、話は変わりますが今回の件は一体どういうことなのか説明いただけるのでしょうか?」

将軍「ふふふ。そう身構えなくとも何かするつもりはない」

「それは、私が将軍の意に沿うような説明を行えなかった場合でしょうか?」

 これまでの出来事、そして今回の事件に対し裏で手を引いていた将軍の行動から推測される答えを想像し、男はそう答えた。


263 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:22:41.10 WcdWaeQX0 909/1108

将軍「これは驚いた。どうやら、思っている以上に君は頭が回るようだ。なら、余計な前置きは不要だ」

 そう言うと、将軍は室内に置かれた本棚から幾つか書類を抜き取り、男の前に置いた。

「これは?」

将軍「まずは一通り目を通してみなさい」

 将軍にそう促され、言われるがまま男は置かれた書類に書かれた内容を読み進めていく。
 そこに書かれていたのはここ数ヶ月の間に謎の勢力により壊滅させられた村や、殺された人々について記載されていた。

将軍「一応最後まで読んだようだね。それで、それを見てなにか気がついたことはないかね?」

 表面上は穏やかな表情を見せる将軍。だが、男はそんな彼の瞳に宿る鋭さに気づいていた。
 彼は今、これを見せることにより男に何かを試していた。


264 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:23:44.53 WcdWaeQX0 910/1108

「……失礼ですが、ここに書かれている死者の人数は正確なもので?」

将軍「もちろんだとも」

「そうですか。では、お聞きしますがこの死者数に対し埋葬にかかった日数があまりにも短いのですがそれは一体どういうことなのでしょうか?」

 そう呟いた男に将軍は満足そうに顎をさすりながら返事をした。

将軍「ふむ、なにかおかしな点でもあったかね? 確かに埋葬にかかった期間は短かったかもしれんが、それは現地に向かった兵士たちが死者たちを悼んで休まず埋葬を行っただけだと私は考えているが?」

「……なるほど。
 では、もう一つ質問を。これほどの民が無残に殺されているのにも関わらず何故大っぴらに軍は動いていないのでしょう?
 既に死者が百を超え、いくつかの村が消されているにも関わらず……です。普通ならばこれはかつての戦争で生き残ったエルフの残党が起こしたと皆考え、兵士たちは躍起になってこの敵を探しているはずです。
 ですが、今彼らはとくに殺気立った様子もなく、かつて軍から逃亡した私などに構っています。
 おそらく、一般の兵士たちの多くはこの事実を知らず通常の任務を遂行している。なら、これはまだ大っぴらに公表できず、将軍のような高位の地位に属するものたちの間で情報が抑えられているということ」

将軍「つまり?」


265 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:24:22.71 WcdWaeQX0 911/1108

「これは私の推測に過ぎませんが、事態は私たちが思っている以上に深刻であるということ。一般の兵士や民衆の間にまだ情報が伝わっていないのは下手に危機感や恐怖を与えないためかと。
 いずれ手は打つにしろ現状の把握を行うことが現在最優先だと上層部は判断していると私は思っています」


 男の推測を聞き終えた将軍はしばし沈黙し、何かを見定めるようにジッと彼の瞳を見つめていた。そしてその後、不意に口元から笑いを零した。

将軍「ふっ……はっはっは! いや、実に面白い。書類や噂、それから騎士から君の話を聞いてはいたが、やはり本人に直接会ってその実力を確かめる方が手っ取り早かったようだ。
 それに、聞いていた部分と違う点も色々とわかった。悪かったね、拘束までしてここに連れてきたりして」

 そう言うと彼は男の腕に付けられた拘束具にそっと手を伸ばした。

「えっ?」


266 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:25:00.20 WcdWaeQX0 912/1108

 バキッという音が聞こえたかと思うと男の枷となっていた拘束具は一瞬にして跡形もなく粉々に砕け散っていた。
 何が起こったのかを理解する暇もなくさらにもう一度、今度は足に付けられていたそれが砕けて消えた。

将軍「さて、これで君を縛るものはなくなった。悪かったね」

 笑顔を男に向けたまま謝罪を口にする将軍。おそらく、彼にとっては今目の前で行われた現象は造作もないことなのだろう。
 戸惑いながらも、男はそれを表に出さないよう努めた。

「い、いえ……」

将軍「さて、身一つでここに来た君は家に帰ろうにもその術がないだろう。しばらくの間はここでゆっくりとしていきなさい。
 なに、君の旧友もきっと君との再会を楽しみにしているだろう。その際にかかる経費は全て私が負担しよう。迷惑をかけたせめてもの謝礼だ」


267 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:25:32.45 WcdWaeQX0 913/1108

 用は全て済んだと言わんばかりに男が部屋を出ていくのを待つ将軍。だが、男にとってはあと一つ。彼にとっては最も気にかかることがあった。

「あの、申し訳ないのですが僕と一緒に連れてこられたエルフたちを返していただきたいのですが」

 男としては当然の質問をしたのだが、将軍の口から出た次の一言は彼にとって予想だにしないものだった。

将軍「ああ、エルフたちか。彼女たちにはまだ少し用があるからもう少しこちらで預からせてもらうよ。心配ない、用が済めば返してもいい。なんなら代わりのエルフをこちらで用意しよう。
 なに、心配はいらない。君はただ私の言うことを〝信じて〟待っていればそれでいい」

 その一言を口にした際の将軍のひどく冷たい眼差しに気圧され、男は何も言えずその場は引き下がることしかできなかったのだった。


268 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:26:51.05 WcdWaeQX0 914/1108

 将軍の元から解放された男は彼の側近と思われる男性により軍の宿舎へと案内された。前の住人が去って間もないその部屋は物こそなくなれど、その住人が住んでいたなごりを僅かに感じさせる。

側近「では、こちらが当面の生活費になります」

 そうして渡される支給金。だが、それを男は受け取ろうとはしなかった。それを受け取るということはすなわちエルフたちを見捨てるということになるからだ。

側近「……まあ、このお金は既にあなたのものですので使おうが使わまいがどちらでも構いません。将軍もまだあなたに用があるみたいですので……。
 しばらくの間はこの街に滞在してもらいます。それと、先に言っておきますがあなたと共に連れてこられたエルフたちとは面会することはできません。
 くれぐれも無謀な行動を取ろうなどと考えないように」

 そう言い残して側近は男の元を去っていった。
 部屋に一人取り残された男はひとまず備え付けられているベッドに横たわり、今後の行動について考え始める。

(……どうする。実質軍のトップと言っていい人物が動いている。下手な行動は取れない。
 かといって、このままエルフたちを見捨てるなんてこと僕には……)


269 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:27:25.74 WcdWaeQX0 915/1108

 心の拠り所になっている彼女たちを失うということは、つまり男にとって生きる目的を失うことに相当する。
 思い返せば、彼にとっての始まりは喪失だった。家族を失い、怒りと復讐心に駆られ己の無力さを実感した幼少期。
 幼さ故周りが見えず、大人たちの優しさと温もりに触れ心癒され居場所を見つけた。
 けれども、その居場所も彼の行動によって再び失い、周りを拒絶することで一人になろうと努めた。それでもまた、彼の周りに人は集い、気がつけば再び居場所は作られた。
 だが、それすらも戦争という魔の手によって狂わされ、己の手でまた居場所を消さぬよう孤独を感じながらも一人で生きる道を選択した。
 目的を失い、居場所を得られず、茫然自失の彼の前に唐突に救世主は現れた。憎むべきはずの種族、大切な人たちの命を奪った敵の同類。
 憎しみは怒りに、怒りは虚しさに。ただ一時の衝動が彼に生きる実感を与えた。


270 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:30:19.47 UdMEnCQx0 916/1108

 しかし、憎悪と愛情は表裏一体。気づけば憎しみは愛情に変わりはじめ、再び彼は誰かを愛そうと思い始めた。
 結局、それも最後は喪失へと変わり、彼の中には残ったのは何度目かになるかわからない深い絶望と悲しみ。そして、ある目的が残された。
 救えなかった彼女のために、また己の傍にエルフが来ることがあれば彼女にできなかった全てを……と。
 使命を心に抱き、愛情を目いっぱいに注ぎながらも、それでも己の心に残らないように……。もう二度と喪う悲しみを感じないようにとそう思い日々を過ごしていたはずだった。
 けれども、無邪気に笑う少女の姿はいつの間にか瞼に焼き付き、気がつけば少女から向けられる愛情を自然に受け入れていた。
 そうして今度こそ彼は愛する者と心を通わせ、かつての友と笑顔で語らい、平穏な日々を手に入れた。

 その……はずだった。


271 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:31:45.80 UdMEnCQx0 917/1108

  平穏な日々はかつて愛そうとした少女の帰還によって静かに崩壊していった。彼の愛した二人の少女。エルフと旧エルフ。
 初めはぎこちない三人での生活も少しずつ、少しずつ、喧嘩したり、文句を言ったり、泣いて、笑って、一歩一歩〝家族〟という形を作り始めていた。
 望んでいた最高の結末。数多くの喪失の果てに、彼はそれを手に入れたはずだった。
 だが、運命は天へと旅立つ彼らの足を掴み、再び底の見えない闇の中へと引きずり込む。
 奇跡に代償は付きもの。幾度の喪失を経て、悲しみと絶望に包まれても運命の代価にはまだ足りない。
 望んだ平穏は彼方へ消え、彼は再び血で血を洗う戦場へと舞い戻りつつあった。
 いっそのこと己の力で彼女たちを連れ去り、このまま何処かへ……。そう、思いもした。
 けれども、その果てに待っているのは心休まることのない逃避行。そして、終わりの見えた結末。
 今や人間の支配するこの地に裏切り者の烙印を押された者の居場所など存在しない。人にも、エルフの側にも。
 まして、彼は元軍人。人だけでなく、戦火を逃れ身を潜め生きているエルフたちからも命を狙われる可能性すらある。
 かつて、己の独断で行動をとった彼の手には何も残らなかった。
 では、諦めるのか? それは違う。彼はたくさんの間違いを犯し、喪失を経験した。しかし、代わりに手に入れたものも確かにあった。

 気づけば既に窓から見える景色は黄昏時。もうすぐ暗い、暗い夜が訪れる。少女たちは愛する人と離され、身を震わせながら夜を迎えるはずだ。

「……行こう、みんなのところへ」

 ベッドから起き出し、彼は愛する少女たちのため動き出す。喪失の果て手に入れたもう一つの大切な居場所へ。
 かつて背中を合わせ戦い、命を預け合った心許せる友たちの元へと……。


272 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:33:46.94 UdMEnCQx0 918/1108

そんな中、男と引き離されたエルフと旧エルフは現在、冷たい牢獄に閉じ込められお互いの身を寄せ合い寒さを凌いでいた。
 周りを見回せば、ここにはエルフたちの他に多数のエルフ族が牢の中に入れられていた。

エルフ「旧エルフさん、私たちこれからどうなっちゃうんでしょう……」

 男と離され、見知らぬ土地でいきなりこのような手荒い歓迎を受けたエルフは恐怖と不安に駆られていた。そんな彼女の不安を受け止めるように、旧エルフは優しく声をかける。

旧エルフ「大丈夫ですよ。きっと、男さんが何とかしてくれます。信じましょう、私たちの選んだ人は絶対に私たちのことを見捨てたりしません」

エルフ「は、はい! そうですよね。きっと、男さんなら……」

 新参者のエルフが語る希望。だが、同じように牢に入れられたエルフたちはその光景を冷ややかな目で見つめていた。


273 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:34:40.47 UdMEnCQx0 919/1108

囚人エルフA「……ハッ。のんきなこった。これから自分たちが何をされるかも知りもしないで」

囚人エルフB「馬鹿な子ね。ここに入れられている時点で私たちには希望も何もないのよ。待ってるのは理不尽な暴力。私たちの扱いは看守のその日の機嫌次第」

囚人エルフC「可哀想な子だ。一体どこで捕まったのやら。こんないたいけな子達を……人間め、よくも」

 聞き耳を立てれば聞こえてくる罵詈雑言。そのほとんどが人間に対する恨み言や憎悪の言葉の羅列だった。
 だが、人の中にも心優しい者たちがいると知っているエルフはそれが聞き捨てならず思わずその文句に反論してしまった。

エルフ「人の中にだっていい人はきちんといます! 確かに、悪い人にばかり目が行きますけど、みんながみんなそうじゃないんです!」

 言い終えてからしまったと旧エルフが感じ、すぐさまエルフの口元を抑えるが時は既に遅く、先程までは同情的だった同類たちの目が一気に冷めたものに変わる。

274 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:35:32.40 UdMEnCQx0 920/1108

囚人エルフA「んだよ、裏切り者のエルフか。ハッ! 人間様に媚を売って何がいいんだか? そうやって、身も心も人に売り渡し最後は裏切られたか。
 ざまあみろ、〝売女〟め」

囚人エルフB「私だって、今まで何度も身体を汚されはしたけど心までは人間に売り渡しはしなかったわ。それなのに、あなたのような幼い子が……汚らわしい」

囚人エルフC「ワシの妻と子を奪った人に何故肩入れなどする。理解ができんよ」

 獄中生活で溜まったストレスの捌け口を見つけたのか、牢に入れられた者たちは一斉にエルフを罵倒した。
 人からではなく、同類から向けられる悪意の塊にエルフは怯えてしまい、口を閉ざし、ギュッと旧エルフの身体にしがみついた。

旧エルフ「やめて! やめてください! どうして私たち同じエルフ族なのにこんな言い争いをしないといけないんです?
 こんな……悲しすぎます」

 何故同じ種族で争わねばならないのか。そのことを悲しく思った旧エルフが声を張り上げるが、それさえも他の者たちの浴びせる罵声にかき消されてしまう。そのあまりの迫力に気圧され、彼女は思わず耳を塞いだ。
 だが、いつまで経っても声は消えない。延々と繰り返されると思われたそれは、しかし唐突に終わりを迎えた。


275 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:36:03.36 UdMEnCQx0 921/1108

「……やめろ、耳障りだ」

 牢の奥の方から一人の男の声が響いたと思うと、それまでざわめいていた囚人エルフたちは一斉に押し黙り、辺りはシンと静まり返った。
 そのことに気がついた旧エルフは耳に押し当てていた手を離し、エルフは旧エルフの身体にしがみつきながらも顔を上げた。

「人が気持ちよく寝ているにも関わらず、なんの騒ぎだこれは」

囚人エルフA「だ、旦那。すみません、ちょっと生意気な新人が入って来たもので……」

囚人エルフB「そうですよ。こいつら、よりにもよって人間なんかの肩を持ったんですよ!」

「だからどうした。騒いだところでそいつらの考えが変わるわけでもあるまい。相手をするだけ体力の無駄遣いだ。放っておけ」

 この場にいる全ての囚人エルフたちを即座に黙らせる一人のエルフ。一体彼は何者なのか、気になったエルフと旧エルフは鉄格子の隙間から声のする方向を眺めた。


276 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/09 00:37:46.27 UdMEnCQx0 922/1108

 エルフたちが閉じ込められた牢の最奥。幾多もの鎖に繋がれた一人の男性エルフがそこにいた。
 光の届かない暗い牢獄。ようやく慣れ始めた目を薄くさせ、遠くに存在する彼の姿を二人は視認する。
 に磨きぬかれた鋭い刃を連想させる眼差し、捕らえられてなお自らを縛る鎖を引きちぎるのではと思わせる屈強な肉体。
 そして、見るもの全ての視線を引きつける頬に刻まれた横一文字の大きな傷跡。

エルフ「あなたは……」

旧エルフ「一体、誰ですか?」

 問いかける二人に暗闇の奥から声は答える。

傷エルフ「俺か……。俺は、傷エルフ。かつて大切な者たちを人に奪われ、復讐のため戦い、そして……敗れ去った負け犬だ」

 流れゆく時の中、人とエルフの間に生まれた縁は絡まり、交差する。待ち受けるそれぞれの〝運命〟へ向けて少しずつ、少しずつ……。

286 : 吟遊詩人[saga] - 2013/05/10 01:45:58.97 jO6pBHNWO 923/1108

話しも長くなって再登場人物が何処で登場したのかわからなくなっている方も多いかと思うので、一応補足を。
今回の更新の最後に登場した傷エルフですが、男の過去?少年編?、?喪失編?にて登場しておりますので、そちらを読んでいただければ彼についてはわかると思います。
前回はできませんでしたが、コメントや疑問の返答は次回の更新の際にお答えしようと思います。


【後編】 に続きます。

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