【前編】の続き。
一方通行は我が目を疑う。
驚愕と絶望。
それだけが彼を占める。
その姿を見間違えるはずがない。
その声を聞き誤るはずがない。
けどこの時ばかり、幻覚であって欲しいと願った事は無い。
幻聴であって欲しいと祈った事は無い。
「何、してンだよ、オマエ……?」
何で。何故だ。どォして!
俺を追い掛けて来た―――!!?
「変だと思ったんだよねー。コンビニの時から妙に思い詰めた辛気臭い顔しちゃってさ」
彼女は心の底から呆れるように。
それでいて殺意の籠もった瞳を宿し。
「言っとくけど、打ち止めも気付いてたよ? あの人の事だから、って片付けてたけどさ。正直、ミサカは黙って居られるほど大人じゃない」
―――矛先は第0位に向けていて。
「逃、げろ……」
番外個体は足を止めない。
何時でも飛ばせるよう指の間に鉄釘を挟み、紫電を撒き散らす。
一方通行が地に伏せてると言うのに、彼女の闘争心は消えない。
勝敗何て目に見えている。するまでもないだろう。
差など歴然としているのだから。
―――彼女らを夜に出歩かせない事だ。
エイワスの言葉が、想起する。
―――どういう事かどうかは実際に体験してみなければ判らない事さ。
漸く、気付いた。
遅過ぎた。甘過ぎた。
打ち止めと番外個体が完全に熟睡するまで自宅待機するべきだったのだ。
いざとなれば自分が側に居てやれば良い? フザケるな。
この怪物を前にして、それは意味を成さない。
今度こそ本当に、番外個体の命は保障されなくなる。
「バカ野郎ォッ!!!! 逃げやがれェェェェッッ!!!!」
悲痛な叫び。声は殆ど掠れていた。
言い終えた途端、血を吐き出す。
お願いだから。一生に一度だ。
これ以上贅沢言わないから。
これ以上何も望まないから。
我が儘も放縦もしないから。
土下座だってしてやる。
パシリだってしてやる。
好きなだけ殴らせてやるし、願うなら死んでやっても構わない。
だから……だからお願いだから、逃げてくれ。
彼女の足は―――止まらない。
彼女は耳を―――貸さない。
彼女は―――取り合わない。
「攻撃手段を用いるのを確認。優先すべき対象を変更。迎え撃つ」
第0位が動く。学ランの内ポケットから新たな拳銃を取り出す。
一方通行を跨いで、空虚な瞳は番外個体を射抜き、明確な敵意をぶつける。
彼女はくしゃりと表情が歪み、悪意の剥き出しの笑みを浮かべた。
鉄釘を数本、発射。
「ミサカに銃弾は当たらない」
鉄釘をいとも簡単に避けたヤツの動きが、止まる。
様子に調子を良くした彼女は、捲くし立てた。
「弾には鉄物質が含まれてる。そしてミサカはオリジナル譲りの電撃使い。なら話は簡単でさ、ミサカ自身に磁力を掛けて限定で磁気力を働かせればいいの。
あひゃひゃ! 銃弾限定でミサカと弾を同種の磁極にしたら、ミサカが動かなくとも弾が勝手に避けてくれるんだよねぇ!!」
物によるが共通する部分は、弾丸は鉛が主要だという事。
例え御坂美琴のように砂鉄を自由自在に操れなくとも、“磁力で銃弾の軌道を逸らす”程度なら容易い。
しかし第0位は意に介さない。
雑用をやるような有り様で、弾丸を装填。銃口を番外個体に向ける。
「要はゼロ距離で撃てば問題皆無。速やかに行動不能にさせる」
「ミサカの話聞いてた? 近付こうが例え空間移動しようが、ミサカが少しでも離れれば意味無いんだよ?」
「嗚呼。承知済みだ」
“BANG”と。引き金を引いて、音が響き渡った。
―――番外個体の『背後』から
「え……?」
振り返り、肩を見る。
弾丸は後ろから肩を穿つ。
背後には第0位が銃を構え、悠然と立っていた。
「い、つの間に……がはッ!?」
彼は番外個体の言葉に応じない。
拳を鳩尾に減り込ませるよう放ち、くの字に曲がった彼女の髪の毛を乱暴に掴み、アスファルトへ顔面から叩き付けた。
「ご、が……ぁっ」
「身柄の拘束完了。呆気ないな」
暴れ出す予防線として、両腕を背中に締め上げる。後頭部には拳銃を構えた。弾丸の装填はしたし、後は引き金を引くだけ。
ただ、それだと非効率的だ。何が非効率? 簡潔に言えば面倒でしかない。
そう、例えば―――治癒が進んで何とか立ち上がるまで回復した『一方通行』とか。
「離れろ……」
「存外に早かったな。しかし手遅れだ」
「離れろっつってンだろォがァ!!!!」
予め拾っておいた鉄釘をベクトル操作で、拳銃と頭蓋に突き刺す。それでいい。
だが、彼が行動に移す前に第0位は言葉を放った。
「“蜃気楼”。先刻の現象だ」
「なに……?」
「『ステイル=マグヌス』……これでは不可解か。言わば番外個体は蜃気楼の自分と対峙していた。
だから背後に居る自分に気付けなかっただけ。そう解釈して構わない」
「それがどォしたってンだ」
「今見てる光景、本物か?」
―――成る程、そォきたか。
一方通行は吟味する。視線を配らせる限り、彼らと同様の姿は無い。
だが第0位には『能力を無効にする』能力と、『空間移動』を引き起こす能力が備わっている。もしかしたら何処かへ空間移動した可能性も否めない。
大気のベクトル操作の応用で居場所を感知しようにも、能力を無効にされているので意味を成さない。
そして一番恐ろしいと感じる点。
仮に鉄釘をベクトル操作で発射して、蜃気楼が本当で鉄釘が外れた場合。番外個体の命が安全であるかどうか。
万が一、第0位の拳銃が番外個体の後頭部をブチ抜く事も考えられる。
そんな非情な事はさせられない。
そんな悲劇を繰り広げて堪るか。
「状況を察したか。
―――さて、取引の時間だ」
静かに第0位は告げる。
「一方通行が買う物は彼女の命」
番外個体。体中の苦痛に耐えているのか、片目を瞑って歯を食い縛り、抗おうとするが虚しく儚い抵抗に終わっている。
「代わりに一方通行が売る物は自信の命」
自らの命を引き替えに、番外個体には手を出さない。
信憑性など絶無だ。けれど反論する立場でも無いのも事実。
「案ずるな。本来の殺害対象は『一方通行』だ。彼女に危害を加えない、安否は保障しよう」
ココで嘘を吐く皆無だろう。
得する理由が無いからだ。
つまり、一方通行が選択する道は一つしか存在しない。
「……」
残り一発。弾丸を装填。
銃口の矛先は……自らのこめかみ。
「……ハッ」
いざとなると、恐いモノだと実感する。自然と震えはしない。
何時か背中を刺されるとは思念していたが、自分から死を迎えるとは何と由々しき事態だろう。
ふと、一方通行は昔を思い出す。そもそも悲劇の幕開けの切っ掛けは些細な喧嘩だった。
自分に突っかかって来た人間は纏めて一掃した。
喩え戦争するかのような武装を身に纏った連中だろうと関係無い。
存在したのは徹頭徹尾の『破壊』だけ。
己に宿したのは“傷付け”、“滅亡”しか齎さない能力である事を、幼い身にして把握したのだ。
そして彼は学ぶ。この能力が争いを生むなら、争いが起きなくなる程の『無敵』の存在になればいいと。
そんな歪んだ彼を変えたのが、後に出会う『打ち止め』である。
彼女は一方通行を一人の人間として接し、好意を向けて、歪んだ彼に希望の光を浴びせ、見事救い上げた。
彼女と関わって、まだ半年も経っていない。にも拘わらず様々な出来事が有った。
思えば、目まぐるしい日々の連続。全部が全部、一片たりとも欠けてはならない掛け替えのない日常。
木原数多の事件も。
暗部に堕ちても。
垣根帝督と殺し合っても。
エイワスに圧倒的敗北を突き付けられても。
ロシアでヒーローと再戦を叩き込んでも。
どれほど悲劇的な事だとしても、一つでも欠陥してしまったら今の自分は居ない。
そりゃあ未練が無いと言えば嘘になる。
まだまだやらなければならない事何て腐るほど存在する。
しかしそれでも、護りべき対象を自らの命と引き換えに傷付けないと言うのならば、構わない。
「フザケ……な、いで……」
―――そんな時だ、思考を遮るように言葉が耳に届いたのは。
「フザケてんじゃねえぞ!! こんのクソもやし野郎がァッ!!!!」
―――番外個体……?
声の矛先など、誰に向いているか言うまでもない。
彼女は声を荒げ、怒りの籠もった瞳をぶつける。眉間を顰め、歯を食い縛り必死に叫ぶ。
「一人で勝手に死のうとしてんじゃねえよッ!! あなたが死んでミサカが生き延びて、ハッピーエンドってかあ!!? 自己満足に浸るのも大概にしろよ第一位ッ!!!!」
番外個体のセリフは止まらない。
激情と激昂が彼女の中で渦巻く。
彼女には、今一方通行が誰と対峙して、この夜に何が起きているのか把握しきれない。
何故かミサカネットワークとの回線は切断されているし、怪盗気取りの仮面野郎は阿呆みたいに強いし、正直困惑気味だ。
だけど、そんな彼女にも判った事が有る。
あの一方通行がコメカミに銃口を突き付け、自殺を図ろうとしている事。
ミサカのために、ミサカの命を救うために自ら命を絶とうとしている事。
見逃す訳にはいかない。
許す訳にもいかない。
だから叫ぶ。吼える―――ッ!!
「そんな事でミサカが喜ぶと思ってんの?!! 人に散々治療したり活路を見出せとか生き延ばさせたくせに、自分の命は容易く投げやがって!! ザケンなあああああッ!!!!」
後半は殆ど掠れていた。
ミシミシと体が悲鳴を上げる。
無理に拘束を解こうとしているからだ。
見兼ねた第0位が口を挟む。
「……警告だ。それ以上無理すると骨が粉砕又は折れるぞ」
「五月蝿いッ!!」
ピシャリと言い放つ。
話にならんと第0位は首を振る。
彼女の次第に声色は震え始め、
「許さない。あなたを犠牲にしてミサカが生存なんて許さない……ッ」
ポタ、と。
水が地面に滴る音がした。
音は止む事無く、寧ろ増えていく。
一方通行は驚愕する。その光景に、目を見開け、ただただ凝視する他無い。
「ぎ、ぎゃはは……。こんな機能、ミサカに付いてたっけ? ―――『涙』、なんて……」
本人さえ信じられないという様子。
彼女はミサカネットワークから『負の感情』を拾いやすいよう脳を調整されているはず。
故に取り付けられていないか、有っても可能性は限り無く低いだろう。
なのに、『涙』が流れた。
これは奇跡と言っても過言ではない。
「何、これ……。すっごいやる瀬無いんだけど。切ない、鬱陶しい……」
涙を堪えようと、必死に抑え込む。でも、一向に涙は止まってくれない。
逆に抑え込めば抑え込もうとする程、奥底から涙は洪水のように溢れていく。
体の作りは理不尽なものだ。幾ら涙を止めようと拭っても、無尽蔵に流れ出る涙を止める手段にはならない。
番外個体は初めての経験に戸惑うばかりで、そして何故か、一方通行に対する悪意が消えていくような気がした。
震える唇を噛み締め、ゆっくりと口を開ける。
「ミサカはあの日、本当なら死んでた。死ななければならなかった」
ロシアの戦争時。
第三期製造計画(サードシーズン)。
一方通行を『破壊』するためだけの計画。そこで生まれたのが番外個体。
「なのに生き延びた。あなたが、治療してくれたから。行き場を失って使い潰されるはずだったミサカを、あなたは活路を見出せと言ってくれた……」
打って変わってしおらしく。
それでいて淡々として口調で。
相変わらず大粒の涙を流していて。
「ミサカはっ、あなたのお陰で生存したんだからさ。今だから言えるけど、心の奥底では感謝してるんだからね……?
だけど、だけど……ッ!! あなたが死んだら、意味無いじゃん!!」
段々と溢れんばかりの激情を露わにする。
普段の彼女とは思えない。それこそ別人なのではないかという程、悪意が全く無い状態。
もはや、街中を歩く普通の女の子と変わりなかった。
「無理矢理ッ、押し付けるような形でミサカの寿命を延ばしたくせして、あなたは勝手に死ぬなんて……絶っ対に許さないからッ!!」
泣きじゃくるその姿は、幼い少女にしか見えしかなった。
「お願いだからっ!! ミサカを、独りに、しないでぇ……っ」
番外個体は地にへばり付いたまま、初体験の涙に溺れる。会話を交わせそうにないだろう。
一方通行は、愕然とする他無い。
言葉など出るはずがない。
彼は天を仰ぐ。銃口はコメカミ。
嘲笑するように呟く。
「……やっぱオマエ、俺を困らせる事に関してはピカイチだ。柄じゃねェ。柄じゃねェなァクソッタレが……」
大きく溜息を吐く。空に浮かぶ月を眺め、彼は儚い願望を告げる。
「生きてェ。畜生がァ……」
折角覚悟を決めたのに。
見事粉々に砕かれてしまった。
これでは修復の仕様が無いではないか。
不覚にも、まだ生きたいと思ってしまったのだから。
「未練何か幾らでもあンだよ。
あの三下にもォ一度再戦申し込ンでブチのめしてェし、打ち止めや番外個体含む妹達全員の最後を見届けてェし、この腐れきった街もぶっ壊してェ」
一体どうすれば、ハッピーエンドを迎える?
どの手段を用いれば、あのヒーローみたいに危機的状況を打破出来る?
どうすれば、どうすれば……。
(……オマエなら、どう切り抜けるよ)
あのヒーローなら。
こんな場面も屈折せず、助け出すだろう。鋼の精神と諦めない信念を持ち合わせている彼なら。
だが、幾ら思考しても、一方通行は彼にはなれない。到底追い付く事が無い。
矢張り、自分には悲劇が似合っているのだろう。そんな現実、ブチ殺したくなるのが正直本音だが、致し方無い。
「オマエの言いたい事はよく判った。……でもなァ、それでも俺はオマエに、生きて欲しいンだと、思ってる」
誰かが言っていたような気がする。
何時だったか、とても局面の時に聞いた気がする。
(あァ、そォだ。オリジナルが言ってたンだっけな……)
御坂美琴。10032回目の実験の時。彼女は述べたのだ。
少し、ほんの少しだけ、彼女の気持ちが汲めたような気がする。
もしあの世で再び出会えたら、謝ろう。許される罪ではない。理解している。
それでも謝ろう。電撃を飛ばされようが砂鉄を操られようが、構わない。
この気持ちを忘れたくはない。
一歩でも前へ進める鍵となるから。
「――――ッッッ!!!!!!!!」
番外個体が今までにない悲鳴を上げる。それはもう言葉になって無い。
彼を少しでも気を引かせ、ガムシャラに食い止めようとする手段に過ぎない。
そんな彼女の努力も虚しく、一方通行は微笑む。優しい、少年の笑み。
何時か打ち止めが見た、去り際に放った表情と酷似していた。
一方通行は番外個体、そして打ち止めを胸に刻み込み……静かに引き金を引く。
「諦めてんじゃねえよ最強ォォォォォおおおおおおおおおおッッ!!!!!!」
―――その、直前だった。
第0位が声に気付いて、背後へ振り返ろうとするが、
「超こっちです」
番外個体から手が離れ、拳銃を飛ばされ、世界が反転した。
目で確認もままならない状態で、彼は大十字路へ投げ飛ばされる。
「今です浜面!!」
宙を舞う第0位に視界で確認出来たのは、ボブカットでワンピースのような衣服を身に纏う少女と、―――自分に向けて突っ込んで来るワゴン車だった。
「ハッハー!! 天国へご招待だぁーっ!!」
鈍くて重い音が響いた後、流れるままに第0位はノーバウンドで十メートル以上、吹き飛ぶ。
「な……?」
ポカンと。呆けてる一方通行を余所に、ワゴン車の扉が開く。
中から出て来たのは少年が一人。
「助けに来たぜ一方通行」
浜面仕上。エイワスの言う、もう一人のヒーロー。
一瞬だけ、神様が一方通行に笑みを浮かべたと、感じ取れた。
「何言ってんですか、超キモイです。さっさと車へ運びますよ」
「せめてココは格好良く決めさせてくれよっ!!」
「オマエ、どォして……?」
「事情は車の中でだ!! 今はとりあえず逃げるぞ!!」
一方通行の下まで駆け寄り、担ぐように肩に腕を回す浜面。
何とか立てるとは言え、重傷を負った怪我人には変わりない学園都市最強。
よもや走って来いと言う訳にもいかないだろう。
先に番外個体を車内に送った絹旗が、窓から身を乗り出して叫ぶ。
「浜面!! 超早くして下さいっ!! キモくてノロマ何て救いようがありませんよ!!」
「うるせえ!! てめえは勝手良い能力が有っていいよなっ、俺は無能力なんだぞチクショー!!」
必死に言い返すが、若干歩く速度を上げる当たり彼も必死なのだろう。
漸く辿り着いて、一方通行を後部座席に移動させる。
後部座席と言っても、運転席と助手席以外は全体が平らに広がっているため、席とは程遠いかもしれない。
見届けた浜面は即座に運転席へ。扉を閉めつつ後部座席に居る二人に向かって声を張る。
「滝壺!! 絹旗!! 二人の治療は任せたぞ!!」
「言われなくても超判ってますよ。浜面は気にせず運転に集中してて下さい」
「はまづら。こっちは任せて」
「っしゃあ!! 最初から飛ばして行く、舌噛むんじゃねえぞ!!」
ギュイン!! と急速にタイヤが回転して発進。
ワゴン車は無人の十字路を右に曲がって走行し、闇に消えていく。
窓を駆け抜ける夜の街は、明かりが一つも無い。ビルも飲食店も、人影さえ絶無である。
一方通行は窓から覗いて見える景色に、事の重大さを再確認。上層部は本気なのだと。
大分、車の揺れが安定してきた頃、まず絹旗が動いた。
「では消毒や包帯を巻きますから、上着を脱いでもらっていいですか?」
「……ミサカは平気だから、あの人を……」
可愛らしいカエルのマークがプリントされた救急箱を取り出す絹旗に、番外個体は首を振って拒否。
顔を動かして一方通行に。番外個体の顔色は優れない。彼の事を心の底から気遣っているらしい。
凭れ掛かり暗闇の夜景を眺めていた一方通行。話を振られ、絹旗と番外個体の視線が集まった事に対し、彼は気怠そうに答える。
「俺はいい。応急措置は能力で済ませてる。大体、ンなちっせェ箱で治せる程、軽い傷じゃねェしな」
「む、そうですか。という訳みたいなんで、宜しいでしょうか?」
「……うん」
頷いた番外個体は上着を脱ぐ。後ろへ回った滝壺に補助されつつ右腕を抜き、左腕を抜く。
上着の下は、ノースリーブの薄手のシャツ。結構露出度が高かった。
曝け出した肩や、ふくよかに育った胸も、世の男性が目のやり場に困りそうな、はだけた姿。
「の、ノーブラですか!?」
「……寝間着なんだから当たり前じゃん」
「だ、だ、だとしても出掛けるなら付けません!?」
「いや……面倒臭かったし。あの人を揶揄するのにもいいかなーって思ってさ。こう、胸を押しつけて」
「ぶふっ!!」
誰よりも逸早く反応を示したのは、矛先を向いていた一方通行でなく運転中の浜面。
意外とデカい声が出てしまったため、一方通行以外の全員の視線が集中した。狼狽する絹旗を放って置き、黙々と治療をしていた滝壺でさえ浜面に視線が行く。
バックミラーで有り様を見た彼は、出るわ出るわの背中に流れる汗状態である。
「……最低ですね。超最低です。死ねばいいと思います」
「きぬはた、それは私が困るからダメ。でも、他の女の人に見惚てれるはまづらは、流石に応援出来ない」
「うおーっ!! 嫉妬してる滝壺も可愛いが、違うんだよコレはーっ!!」
ぎゃあぎゃあ!! と喧しく騒ぐも、着々と番外個体の肩に包帯が巻かれていく。
最後は綺麗に可愛くリボン結びで、キュッと締めた。
「うん。できた」
「あ、ありがと……」
「いいよ。代わりに名前、聞いてもいい?」
「な、名前? 番外個体だけど……」
「み、みさか、わー……すと? 超長いですし呼びにくいです!」
「そんな事言われても……」
「略して『ミサワ』さん何てどうでしょう? 結構名案だと思うのですが」
「みさわ、みさわ……。うん、いいね」
「えぇぇー……、何かミサカの名前が定着しつつあるんだけど」
うむ、と一方通行は思考する。
番外個体には打ち止めみたいに教養よりも、コミュニケーション能力が必要なようだ。
現に今も何処か余所余所しさが感じられる。打ち止めは人懐っこい性格のお陰か、初対面でも直ぐに打ち解けられるのだ。
打ち止めには教養。
番外個体にはコミュニケーション。
(一度二人とも、どっかの学校に放り込ンでみるか? いや、それだと変な野郎に絡まれる可能性が否めねェ)
彼の教育の悩みは尽きない。
立派な大人に育てるために、今宵も親代わりの一方通行は案を出す。
「……あン?」
唸りながら思考を巡らせていた彼だが、突如頬に何か触れる感触。故、思考は中断されて現実に戻される。
目の前に絹旗達と雑談していた番外個体が迫っていたからだ。頬に感じる感触は彼女が片手を宛行っている。
ジッと一方通行を見つめて、手を一向に離す気配は無い。くすぐったい感覚に囚われ、見兼ねた一方通行は尋ねる。
「どォした?」
「……っ」
問われた途端、彼女はじわっと涙を浮かべて―――一方通行の首に両腕を回して抱き付いた。
突然の事に驚愕し、どうしたらいいか判らないので、彼は不覚にも狼狽するばかり。
絹旗や滝壺、運転中なので音や声で判断出来た浜面も二人に集中した。
先刻のような大粒の涙を流してないが、彼女は涙声を小さく漏らす。
「―――良かった……っ。ホントに、生きてて良かった……!!」
震える声色で、声量も微かで聞き取りづらかったが……断面的でも汲むには容易だった。
己の血で汚れていない手で、彼女の頭を胸に引き寄せるように優しく撫でる。
「―――悪い。心配掛けた」
悪意が消失した少女は、愛しい彼の胸に抱かれ涙に溺れる。
彼女が本当の意味で救われた瞬間だった。
「……よくよく考えたら私だけですね。相手居ないのって。ミサワさんはそういうのじゃなさそうですけど」
「大丈夫。私はそんな一人ぼっちのきぬはたを応援してる」
「くーっ!! 何ですかその言い回し!? 勝者の余裕ってヤツですか!! 超悔しいですっ!!」
「その内きぬはたにも相手が見つ―――」
滝壺は言い終えない。唐突に彼女が背後を振り返ったからだ。
視線の先は第0位が居た方向。
絹旗は彼女に懸念の言葉を掛ける。
「どうしました滝壺さん? もしかして……」
「ううん、違うよ。……ただ、信号が一つ多いなって。これは……?」
二人の会話を聞いていた一方通行が、空いてる片方の手で運転席をド突く。
因みに未だ彼は番外個体の頭をナデナデ中である。
「オイ。そォ言えばあのクソ野郎は放って置いて平気なのか? 車なンぞに振り切れるとは到底思えないンだがな」
「え? あ、あぁ。その辺は心配要らねえよ。全力で行けとは言ってないし、時間稼ぎだからな」
「あァ? 誰が立ち向かってンだ?」
―――――――――――――――
―――数分前。
第0位はノーバウンドで十メートル以上、吹き飛ばされた後、更に五メートル転がり回った。
額からダラダラと血を流すも、彼は平然と立ち上がり、無機質な声を漏らす。
「……“声認識で適合、『浜面仕上』か。予想外の打撃を感受。損傷は頭部の傷と右腕右足の打撲。瞬時の結界が幸い”―――状態確認完了」
ワゴン車が去って行った方向を見据え、飛ばされた拳銃を空間移動で手元に戻す。
戦闘の際に差し支えや故障がないか確認。幸いな事に何処も異常が見当たらなかった。
「タイヤに一発。それで行動不能に―――」
彼は最後まで言葉を告げず、ステップで横に移動。
その刹那。第0位が居た場所に一筋の『閃光』が貫く。位置的に心臓だ。
一歩でも遅ければ、彼の命は刈り取られていただろう。
彼は無言で背後へ振り返る。
「あら~ん? 完璧に死角から撃ったのに避けられちゃった。期待していいのかにゃーん?」
カツ、カツ、と。
反響して耳に届く音は、足音。
「まぁ? テメェは今聞き捨てにならねぇ戯言ほざいたから、容赦はしなくていいよねー」
時間が経つ度に足音の音量は増していく。
次第に姿を現すのは片腕も片目も完全回復した―――新たな怪物。
「うちの“仲間”に手ぇ出すなんざ良い度胸じゃねえか、あ゛ぁ!!?」
―――麦野沈利。
「“仲間”、か。情報とは異なるな。第四位は仲間意識は存在しないとデータには有るが。
……切っ掛けは浜面仕上と推測」
ズバァッ!! と閃光が迸った。
今度は顔面目掛けて麦野は『原子崩し』をぶっ放す。しかし当たる事は無い。
逆鱗に触れたのだろうか、彼女は据わった目つきで、第0位を睨む。
「……テメェのようなヤツが、気安く浜面の名前を呼んでんじゃねえよ。上層部の使い捨てが」
「戦力の差は歴然だぞ? そういう風に造られてるらしいのでな」
「ハッ!!」
一度鼻で嘲笑い、挑発的指を鳴らすと、
「ブ・チ・こ・ろ・し・か・く・て・い・ね」
表情が殺意に満ちる。
しかし、
「あぁ?」
直ぐ素っ頓狂な声を漏らす。
その瞳は第0位を見ていない。
彼の『背後』に向けている。
まるで、「何でテメェがこんな所に居るんだ?」とでも言うように。
第0位が彼女の視線を追うように、背後に振り返る前、
「ちょろっとー、会話の途中悪いんだけど」
ピン、と。何か弾く音。
麦野は無造作に横にステップして避ける。
「―――私も混ぜてもらっていいかしら」
彼は危険を察知し、空間移動。
その場から十メートル離れた場所へ移動する。
その直後、辺りに響き渡る轟音。
アスファルトを一直線に砕き。
空気中の水分が焼かれ水蒸気が生じる。
「あの子に色々聞いて、結構頭の中がこんがらがって困惑してんのよねー。……でもさ」
靡く前髪に伴ってバチッと放電。
「とりあえずアンタを片付けてから、本人に直接聞こうと思ってね。“第0位”さん?」
君臨するのは学園都市第三位―――御坂美琴。
彼女は携帯の画面を見せる。
そこには文字の羅列が並び、中には特筆するように『第0位』の文字。
「依頼内容までしか載ってないけど、アンタを片付けないと一方通行にゆっくり聞けないみたいなのよね」
緩慢と近付き、麦野の横に並ぶ。
麦野は反吐が出るように鼻を鳴らし、忌々しいと言わんばかりに嫌悪を示唆した。
「邪魔する気? テメェもブチ殺すぞ」
「相変わらず物騒過ぎるわよ。
安心して、私もまさかアンタが居るとは思わなかったし。
……でもさ、好都合じゃない?」
「あぁ?」
腕を組み、第0位を睨め付ける。
彼女は不敵な笑みを浮かべると、こう告げた。
「お互いの敵は同じ目の前に居るアイツ。戦う理由は違うにしても、背中を預けるぐらいは良いんじゃない?」
以前の麦野沈利ならば、取り合わなかっただろう。寧ろ閃光をぶっ放し罵って、敵に回していただろう。
だが今は違う。彼女は変われた。浜面仕上という人間の出会えたからこそ、変われた。
故に、
「……フンッ。邪魔だけはすんじゃねえぞ。足手纏いと感じたらテメェも殺す」
腰に手を当て、同様に第0位を睨む。彼女の言動に御坂美琴は苦笑を浮かべ、
「だから怖いって……。アンタが言うとシャレになんないのよ」
「ハッ! だったらそこらへんの隅で×××から小便漏らしてビクビク震えてな」
「……アンタ、躊躇いないのね」
当時、お互いは敵同士で戦闘を繰り広げていた彼女達。
それは今も変わらない。
だがそれも一旦休戦を終える。
彼女達は第一位を超える化物に立ち向かうため、互いの矛先を変更。
彼女らは倒すため、背中を預け合う。
―――ここに、学園都市最強の女子コンビが降臨する。
上条当麻は至って普通の人間だ。
音速で移動する事も、一蹴りで十メートル以上跳躍する事も、空を飛翔する事も、手の数が多い訳でも無い。
彼の技法は極めてシンプル。
ただ、右手を振るうだけ。
人並みの速度で駆け抜け、右手一本で様々な敵と相対してきた。
そして現在彼は、
「ptl排jdtbmri除kg」
―――人生最大の強大な怪物と対立している。
『神の力』。大天使の一角。
逆らおうモノならば、山を裂き大陸をも吹き飛ばす。その様は天罰の如く、五体満足では居られない氷の翼が降り注ぐ。
「―――」
だが、上条当麻は臆しない。
前へ出る。走り、駆け抜く。
天使だろうが天罰だろうが、山を裂こうが大陸を吹き飛ばそうが、その程度では彼の足枷にすらならないのだ。
地を駆ける彼に何百の水翼が牙を向く。樹木を巻き込んで薙ぎ払い、地を穿つ。
しかし、上条当麻には一つも当たらなければ、傷一つも付かない。
先刻述べたように、別に彼は音速を超える速度で避けている訳ではない。
それは水翼に限った事では無かった。
山を斬り裂く氷の剣も、山を消し飛ばせる目視不能な手を翳す攻撃も、―――上条当麻は無傷で済ます。
だが、全て避けきっている訳ではないのだ。回避が不可能と感知したら右手で安全地帯を作る。
氷の剣は必ず右手で対処し、手を向けられたら地面に沿って転がって躱す。
要するに彼は最低限且つ絶対に回避可能な退避しか行っていない。
その反面、一撃でも食らえば即死覚悟の莫大なる破壊力を誇る。
確かに当たらなければ良いだけの話。しかし、
(だからといって、相手は世界を破滅に追い込む怪物。そんな理屈で適うワケが……ッ!!)
ヴェントは歯を軋ませる。
聖人でなければ特殊な魔術の施しさえ無い、曰く付きの右手だけの少年。それ以外は何の変哲も無い一般人。
幾ら死線を巡って来ても、今回は桁が違う。もはや人間ではないのだ。
(なのに対等以上に渡り合えてる。このガキ……)
ハンマーを強く握り締める。
僅かだが、微かに震えていた。
矢張り自分も人間。恐怖は存在。
だけど、今となっては流れ者だが、曲がり形にもプロの魔術師。
何もしないまま、ただ歯を食い縛って見ているのは癪な話。
見ればガブリエルが又しても氷の剣を携えていた。おそらく上条当麻に突進するのだろうか?
彼の顔色は焦りが感じられない。神経を研ぎ澄ませているようにガブリエルから目を離さないでいる。
ヴェントはハンマーを振るい、空気の鈍器を生み出す。射出される前に手首を返して振るう。二発目の鈍器が現出。
更にもう一度繰り返し、合計三つの鈍器が渦を巻き、一本の杭を形成する。
ガブリエルを見据え、―――射出。
「!!」
上条当麻へ突撃の直後、氷の剣が砕け散る。だが既に音速の勢いで彼の懐に突撃しているため、今更速度は落とせない。
即座に手段を氷の翼へ変更して駆使しようとするも、―――彼の右手の拳が、直前まで迫っていた。
「ふっ!!」
どうして氷の翼が砕けたか、薄々と原因を推し量りつつ、好機と感じた上条当麻は右手を振り抜く。
そして見事にガブリエルの顔面へ右手がクリーンヒット。
下から掬って繰り出した所為か、野球ボールのように飛んで行くガブリエル。
彼は一度、安堵の息を漏らして背後へ振り向く。
「サンキュ、ヴェント。助かっ―――ふごっ!?」
途端に上条当麻の顔面へ拳が決まる。側まで近付いていたヴェントが繰り出したのだ。
手加減とは言え、綺麗に決まったパンチは相当な威力(特に鼻)を持っていた。
結果、顔面を押さえながら身悶える上条当麻の姿が在ったと言う。……合掌。
「勘違いすんじゃないわよ。本来ならアンタ何か、骨ごとグチャグチャの塊にしてやりたいトコだけど、……そうは言ってられない現状なのも事実。黙って見るっつーのも私の性に合わない」
「……ん? って事はヴェント。お前……」
「今だけよ。それに一回しか言わないから耳の穴を掻っ穿いて良く聞いときなさい」
ヴェントは彼の隣に並ぶ。
視線は合わせない。依然と前を向くだけ。
腰に手を当て、上条からの視線を感じるが無視したまま告げる。
「私の背中はアンタに預ける。
さっさとこんな面倒事は片付けて、元の場所に帰るわよ」
上条は意表を突かれたように、目を見開く。だがそれも一瞬。
彼はヴェントと同様に前を向き、右手の拳を二回程、左手の掌に打ち付ける。
爆音と共にガブリエルが姿を現したのに対し、上条は不敵な笑みを漏らす。
「突撃は任せてくれ。ヴェントは後方支援を頼む」
「そうね。あんな化物とマトモにやり合える何てアンタだけだろうし」
「……何だかその言い方だと上条さんも化物みたいな扱いになってると思うのですが……」
「実際、私の目にはアンタも十分化物に見えたから言ってんのよ。
ほらっ、もう一匹の化物が向かって来たし、行きなさい幻想殺し」
「痛っ!? 俺は名前は上条当麻で、アンタじゃ無ければ幻想殺しでも無いっつーの!!」
双方は敵同士だった二人。
彼らもまた、互いに背中を預け合う。
四人の死闘は、これからである。
ガブリエルの顔面には僅かなヒビが入っていた。拳の威力が効いたのか、幻想殺しが効いたのか、どちらかは不明だが、
(多分、幻想殺しだろうな。左手が当たった時は、あんなヒビ無かったし)
現在まで上条当麻は左の拳しか命中していない。何故なら、右手は大体が護りに徹しているからだ。
右手で殴ろうと自分から接近に転じても、右手の危険性を判っているのか必ず飛翔する。
ガブリエルから接近した場合、カマを掛けようと先に左手の行使を考えたが、氷の剣やら水翼やら一発の衝撃や威力が尋常ではないのだ。幻想殺しを宿さない左手が持ち堪えるはずがないだろう。
彼一人だけでは一向に終わらない。そこで優勢に働くのが、
「おらっ!!」
―――ヴェントのハンマーである。
遠距離攻撃が可能なヴェントは主に水翼と氷の翼を破壊。
鈍器に錐や杭を使い分けて、上条当麻に降り懸かる水翼を穿ち、氷の剣を粉砕する。
これらを駆使してガブリエルへの道筋を作ったり、先に牽制して上条当麻が右手の拳を突ける隙を作るのだ。
しかし、ガブリエルとの勝機が見えた代わりにデメリットも浮かび上がるのだ。
一つ。上条当麻はガブリエルの速度に反応可能(理由は不明)だが、ヴェントは僅かに反応が遅れる事。
況してや数百を越す水翼など、対応しきれるはずが無いだろう。
二つ。ヴェントへ穂先が向けられた時、彼女は天使相手に身を護る手段なんて持ち合わせていない事。
氷の剣でも死にはしないものの、タダでは済まないだろう。一瞬で意識を刈り取られる自信が有ると自負出来るほど。
場合によっては上条当麻に護ってもらわなければならなくなる。……本人は嫌がるだろうが。
以上の事柄を踏まえ、故に二人の共闘は勝機を見出す手段になるが、その分二人に係るリスクは跳ね上がる羽目になるという事。
「なあヴェント! お前のアレで何とかなんねーの? 学園都市で使ってたヤツ」
「『天罰術式』のコト? あんな化物に効くと思ってるワケ?」
「ですよねー!」
二人は一定の距離を保ち、ガブリエルへと接近していた。最低限、ヴェントには上条当麻が咄嗟に庇う事が可能な範囲に入ってもらっている。
これで例え彼女に矛先が転じても、危険性は限り無く減少されるだろう。
「gkadnjruxnk」
コキリ、と。首を傾けた。眼球の無い部分が、二人を射抜いたような気がする。
―――突如、今までとは比べ物にならない量の水翼が互いを削って重なり合い、天を昇って行く。
ほんの数秒で物の見事に、ガブリエルの背後で極大な氷の柱が完成する。
「い゛ぃっ!?」
目視した上条が蛙を潰したかのような珍妙な声を漏らす。天を見上げるが……先が見えない。
もはや『柱』でなく『塔』に近かった。
「いよいよ嫌な予感しかしねーぞこれっ!!?」
「戯言ほざく前に走れッ!! あんなモン倒れてきたら圧縮されて死ぬわよ!!!!」
二人は一旦足を止め、方向転換。来た道を戻っても、縦に甚だしく長い塔に潰されるだけ。
だから真横を駆け抜く。縦は長くとも横に広くはない。と言っても、人間の視点から見れば計り知れなく広いわけだが……。
ガブリエルは再度、氷の剣を携え―――塔の根元を撫で切り。
傾く方向は当然、二人の元へ。
「クソがッ!!」
駆け抜けながらヴェントはハンマーを振るう。合計三回。
よって生み出されるのは、三つの空気が渦巻く杭。舌に取り付けている鎖の十字架を駆使して、杭を射出。
滑らかな曲線を描き、少しでも軌道を変えようと横から塔を穿つ。
……遠くで響き耳にしてたのは微かな破壊音。塔は微動だにしていなかった。
「チッ!!!!」
今度は二回振るう。生み出すのはお互いを食い潰して出来る数百の空気の錐。
速度で駄目ならば、量で試す。
―――しかし、結果は変わらない。
そうこうしてる内にも塔は益々加速して行く。このままでは二人が圧縮されミンチ状態に陥るのを免れない。
「くっ……オイ上条当麻ッ!! 首守っときなさいよ!!」
「へ? どういうべぇっ!!?」
彼が身に包む制服とシャツの襟を乱暴に纏めて掴んで、ヴェントが断然に速度を増す。音速には劣るが、常人では必ず出せないスピード。
上条当麻は襟を引っ張られ、首にシャツがめり込んで呼吸困難に陥るが、何とか首とシャツの間に隙間を作って一安心。
ヴェントは流し目で塔を視認。
眉間を顰め、思考する。
(……間に合わないわね)
迫り続ける塔に悪態を吐く。
規模の甚大さとメチャクチャな破壊行動に溜息すら出ない。
現在が元の場所では無いからいいが、普通あんな物が地上に叩き付けられた場合、地震では済まされない。
地球に多大なダメージを負わせる羽目になるだろう。
そして同様に、上条当麻も間に合わないと感じていた。
思考を巡らし、解決策の手段を模索する。
「……仕方ねえか」
一つだけ見出す。手段は決定。
上条当麻は実行に移すため、―――ヴェントの手を払った。
「なっ……!!」
彼女が驚愕の表情を放って振り返る中、彼はヴェントに笑顔を浮かべる。笑顔の裏はこう語られていた。……「逃げろ」と。
それも一瞬。彼は目と鼻の先まで迫っている氷の塔を睨む。
ギリ……ッと強く拳を作り、腕を引く。
正直、どうにかなるとは思えない。右手で殴った所で、打破出来るとも思えない。
水翼の一本一本が重なり合って氷の塔が構成されてる。故に殴打しても何万何十万本の内一つを砕くだけで、全てを破壊する訳ではないのだ。
しかし、構わなかった。己の身体が潰されようと気にしない。
(ヴェントが逃げる時間を稼ぐ。それでいい)
何も、二人とも絶命しなくていい。
彼女は自分を引っ張っていたので速度が落ちたに違いない。
ならば彼女を逃して自分は右手で時間を稼ぐ。
それでいい。彼女のために生を絶つのも悪くはないが、死んでやるつもりは更々無いのもしかり。
精々抗ってやろう。天使に。
「人間、嘗めてんじゃねえぞ!!」
掬い上げるように引いた右手の拳を放つ。
氷の塔と拳が―――衝突する!
血管が破裂する感覚。
骨が砕けていく感覚。
激痛が右腕を駆け巡り、血管やら骨やら神経やら、内部から迅速に損壊されていくのが感受。
肌の表面に浮き出す血管がブチブチと音を立て、骨がミシミシと鳴り、神経を伝って肩まで尋常じゃない程の激痛が迸る。
「う、おおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!」
それでも、振り抜こうと渾身の力を振るう。
腕がどうなろうと知ったこっちゃ無い。どうせ諦めたらミンチ決定だ。
ならば最後まで反抗してやる。
―――その時、“何か”が視界を掠めた。
氷が炸裂。一回だけじゃない。
何回も。何回も何回も何回も。
炸裂を繰り返す。氷の塔を穿つように。
上条当麻は知っている。
それは空気という名の鈍器。
錐、杭と使い分けも出来る武器。
自身が知る中で、行使するのはただ一人。
「―――ヴェントッ!!」
何で戻ってきた、と。
生き延びる手段は有ったはずだ。彼女の中で自分は相当嫌悪する人物に指定されているはずだ。
なのに、何故戻ってきた。
「そんなの知らないわよッ!!」
歯を食い縛り、空気の鈍器をぶつけ、彼女は叫ぶ。
「アンタが死のうが勝手だけど、横から持ってかれんのは性に合わない!! アンタをブチ殺すのは私って決まってんだよクソッタレがッ!!!!」
数百の錐をぶつけ、畳み掛けるよう杭を射出する。
「こうなりゃ乗り掛かった船!! とことん付き合ってやろうじゃねえかあッ!!!!」
上条当麻は奥歯を噛み締める。
犬歯を剥き出しにして、唸りを上げる。
「うおおおおおおおおおおッ!!!!!!」
呼応するように、ヴェントも轟きを上げる。
「らああああああああああッ!!!!!!」
二つの獰猛な牙は、互いを高め合う。自身のポテンシャルを相手が伸ばし、相手のポテンシャルを自身が伸ばせてやる。
無限の可能性を秘めた牙の矛先は、氷の塔を穿つ―――!
―――――――――――――――
僅かな時間が経った。
一分にも満たない時間だ。
氷の塔が崩れ倒れてから。
未だ呻く地表。揺れ動く世界。
倒れた衝撃で氷が砕け、中には、
「はっ、はぁっ……。ヴェ、ント、生きてるか?」
「当たり、前……でしょ」
―――生存者が居た。
体力を存分に使った所為か、呼吸は荒い。身体が悲鳴を上げている。
とてもじゃないが、動ける状態ではなかった。しかし、二人は必死に体を奮い立たせ両足をぐっと踏ん張って立つ。
呼吸を整え、辺りを見回す。
「……あいつ、何処行った?」
「気を付けなさい。下から這い出て来ても変じゃ無いわよ」
んな馬鹿な、とツッコミを入れる直前、―――周りの雪や砕けた氷が水になっていくのを視認する。
ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞッッッ!!!!!! という気味の悪い音と共に、膨大な液体が空中に吸い寄せられていく。
その先、存在するのはガブリエル。
水を吸収した翼が、凶悪な姿へと変貌する。
「……sergv 範 hy 設定……」
ガブリエルの言語がクリアになっていく。
「投 gre 準備……djku 完了」
二人の背筋に悪寒が際立つ。
粟立つ戦慄に恐怖する。
上条当麻も、ヴェントも知っている。その恐ろしさを感知している。
ヴェントを右手で護ろうとして……気が付いた。
動かない。右腕が全く動かない。
原因は容易に辿り着く。“氷の塔”だ。
そして。
今や明確となった『声』は、彼らに無慈悲な宣告を贈る。
「命令名『一掃』―――投下」
夜空が瞬いた。
数千万に及ぶ裁きの礫が、降り注ぐ。
―――学園都市。
全身が緑の装束を身に纏い、白いマスクをした初老の男が扉の奥から出て来た。
彼の下へ駆け寄るのは若い男女が四人。浜面仕上、滝壺理后。絹旗最愛。番外個体だ。
ココは『例の少年が自室を所有している』と患者やナースの中で噂が広まっている病院。
四人の顔色を汲んだ男、冥土帰しがマスクを外して安否の声を掛ける。
「手術は成功。臓器破裂や腹部の刺し傷以外は大した物じゃ無かったからね」
その言葉を聞いた瞬間、彼らの強張った表情が綻びる。各々が安堵の息を漏らす。
中でも番外個体は緊張が解けたのか、力が抜けたように膝が崩れて大きく息を吐いた。
「よかったね」
滝壺が同様に膝を落として、ニッコリと微笑んだ。対して番外個体も彼女に礼の意味を込めた笑顔を向ける。
「全治一ヶ月……と言いたい所だけど、そうもいかない状態みたいだね?」
浜面に視線を移す。その眼差しは、真剣な物。瞳の真意は「理由を話してくれるかい?」と遠回しに促しているのだ。
問われた浜面は乱暴にクシャクシャと頭を掻き、困った表情を見せた。
「実の所、俺も詳しい事情は知らねえんだ。場所と一方通行がピンチだから向かえ、って抽象的に電話で言われただけで……」
「でも、ここは長く持たないと思いますよ。あの仮面の人、超不気味でしたし」
「いやいや、あの仮面野郎が不気味だからってココが長く持たないのと、どう関係あるんだよ」
「超バカ面。よく考えて下さい。第一位がやられたんですよ?
車で移動中の際には“能力で応急処置は済ませてる”とか言ってました。ていう事は能力者同士の戦闘って訳です。
能力有りで戦って負けたって事は……もう判りますよね?」
「……!!」
自分は愚鈍だという事ぐらい自負している。けれども、絹旗の言い回しで幾ら何でも気付いた。
もし仮面野郎がココに来るという事は、
「麦野が危険だ……っ!!」
麦野沈利。彼女が敗北したという事に繋がる。
踵を返して麦野の下へ向かおうとする浜面だが、絹旗に腕を掴まれて行けなかった。
絹旗は浜面が反論を捲くし立てる前に言う。
「麦野も浜面みたいに考え無しではありません。身の危険を感じたら超逃げるでしょう。それに一応全力で行くな、って忠告してますし」
「……スイッチが入ったら判んねえけどな」
「……否定する要素が無さ過ぎて同意しか出来ません」
二人には悪いが一言述べよう。
既に手遅れだ。
会話を聞いていた冥土帰しは得心したとばかりに頷き、丁度通りかかったナースを呼び止める。
「ちょっと君、この番号を掛けてくれるかな?」
懐から取り出したのは、折り畳まれた紙切れ。
ナースは戸惑いながら、差し出された紙切れを受け取る。広げて番号を確認。
「至急来るよう伝えてくれ。警邏を頼みたいと加えてね」
「は、はあ。了解しました」
「僕の名前を使えば素直に承ってくれるよ。じゃ、宜しく頼むね?」
一度軽く頭を下げたナースはパタパタと駆けていく。
見送った冥土帰しは再び、浜面に目を向けた。
「これで患者達の安全は保証されたね。君らも立ち向かうなら、何らかの措置を講じとくと良い」
「あ、嗚呼」
言い終えると、冥土帰しは歩み出した。
浜面と絹旗は去って行く彼の背中を見つめ、疑問を互いにぶつける。
「誰を呼んだんだろうな?」
「超判りませんね。トランプで言うジョーカーかもしれないですよ? まっ、私達も対策を練っておきましょう」
彼女の催促で些か辟易されるも、浜面は半ば納得いかない様子。
彼は暫く頭を悩ますが、まあいいかと思考を切り替える。今は仮面男の方が優先すべき。
標的は一方通行だと土御門という人物から聞いているので、麦野を真面目腐って相手すると思えない。
何時ココが感知されるか不明だが、おそらく時間の問題だろう。
相応の手段は施すべきだ。
―――――――――――――――
一方、無人の大十字路。
「アッハハハハ!!!! オラオラどうしたどうしたよぉっ!!? 這い回る豚になってるだけじゃ私の相手になんねえぞ!!」
第0位に三点射。光線が四肢を吹き飛ばそうと迸る……が、彼は直撃したのにも拘わらず五体満足に生き延びていた。
光線が触れる寸前に跡形も無く霧散したからだ。原因は彼の右手。
麦野は舌打ち、悪態を吐く。
「チッ、相変わらず鬱陶しいわねその右手。まどろっこしい事極まりない」
第0位は何も告げない。何か思考に耽っているように。
一瞬だけ彼の視線が下に向き、蠢く砂を確認。足を弾ませ『空間移動』を引き起こす。
途端、そこへ雪崩の如く途轍も無い量の“砂鉄”が流れ込んで来た。
砂鉄は瞬時に旋風を起こし、辺り一帯を巻き込んで微塵に斬り刻む。―――御坂美琴だ。
空中に転移した第0位は砂鉄の竜巻を視界に入れ、空中を浮遊しながら手に持つ拳銃を装填。
「呑気に風船ごっこしてて良いのかにゃーん?」
丁度右斜め下。麦野沈利の声。
竜巻から視線を移して目視。
「撃っても右手で防がれるなら、“防ぎきれない”ようにすればいい」
彼女は三角形のパネルが組み合わさった形状のカードを、指で弾いて上へ飛ばす。
カードの正体―――『拡散支援半導体(シリコンバーン)』だ。
面制圧を不得手とする原子崩しの弱点を補う、麦野が所有する道具。
宙を舞うカードはクルクルと回転。麦野は片手をスーッと挙げていき、第0位に標準を合わせた。
カードと標準が重なった瞬間、光線を射出してカードが貫かれ、―――拡散する!
光線は何十にも分かれ、そのどれもが第0位を穿つ刃となる。
目を細め、彼の姿がブレた。
空間移動を発動させたのだ。
地に手を付いて、麦野と遥か十メートル以上離れた地上へ転移する。
(空中に有利は皆無。だが……)
チラリと眼球を動かし横目で視認。透かさず前方でなく、斜め前に大きく飛び跳ねて転がった。
刹那、前方と左方の二方向から巨大な光線が彼の居た場所にズバァッ!! と煌めく。
左からは御坂美琴の超電磁砲。
前からは麦野沈利の原子崩し。
閃光が交差して象ったのは十字架。そして起こる現象は―――絶大な爆発。
伴って生じた爆風や衝撃波が第0位を存外に吹き飛ばし、ビルに背中から激突する。
爆風によってビリビリと空気が震動。けたたましい音を立ててビルの窓ガラスが割れていく。
並び立っていた木々が焼かれ薙ぎ倒し、砕けたアスファルトの破片が散弾のように飛び散る。
彼は背中に受ける痛みを感じつつ、立ち上がって思考する。
(―――地上も危険。矢張り空間移動と能力無効だけでは難が生じるか)
あくまでも冷静に。いや、寧ろ彼には狼狽や動揺と言った機能が働いていないのかもしれない。
額から垂れる血が増すも、気にも留めない彼は、第三位と第四位の二人を見やる。
「ちょっと! 少しは加減してぶっ放しなさいよねっ!! 巻き込まれそうになったんだから!!」
「ハッ、テメェなら私の原子崩しも軌道を変えれるでしょうが。爆発は知らないけど。てか、いっそ食らってくたばっちまえよ」
「なんですってえ!!? こんのオバサンが!!」
「あ゛ぁ!? やんのか売女ァ!!」
自分を余所に戦闘態勢で互いを罵り合う。……正直、仲が良いのか悪いのか判らない。
―――その時だ。
『第0位様。準備完了致しました。何時でも戦闘可能でございます。整い次第、移転をして下さい』
彼の脳に直接、無機質な音が流れた。
一度凍結するが、直ぐ溶けたように肩を竦め、漸く血を拭うと彼は一言だけ呟いた。
「了解」
瞳が、据わった気がした。
「じゃれ合いの所すまないが」
「「あ゛ぁッ!!!!?」」
異口同音。額を擦り付け合って超電磁砲やら原子崩しをぶっ放しそうなピリピリとした気迫の中、第0位は空間移動で接近して、ポンと二人の肩を叩く。
「絶望の時間だ。君達には地獄へ招待しよう」
―――御坂美琴と麦野沈利が、この場から消える。
―――――――――――――――
「あ? 何処よここ」
麦野が見えた世界は一変していた。
コンテナ。鉄筋。鉄パイプ。クレーン車。コンクリート等々。
上を見れば錆び付いた屋根。少々鉄の匂いで充満しているのか、鼻がツンと来た。
嗅ぎ慣れたはずなのに、半月も暗部から離れて平和ボケしてると、こうも違うかと実感する。
辺りを見る限り何処かの工場ようだ。しかし、自分が居た学区は工場なんて存在しなかったはず。
「要するに、アイツの能力で飛ばされたってわけか。チッ、面倒ね」
頭をガシガシと掻く。如何にも至極面倒と言うように悪態を吐き捨てる。
だが浜面に時間稼ぎだけで、怪我したら無理せず逃げろと言われていたし、一応目的は達成したかな? と彼女は思考して納得。
懐に手を伸ばし、携帯を取り出す。
「とりあえず絹旗に連絡して、迎えに―――」
彼女の言葉は最後まで続かない。
何故なら、
「むーぎのーん」
―――背後から、冷たくて歪んだ音がしたから。
背筋から汗が噴き出るのを捉える。
全身が固まったように動かなくなったのを感じ取る。
携帯から少女の声が虚しく響くが、麦野の手からスルリと落ちた携帯は誰にも拾われない。
時が止まった。
全てが彼女の中から除外される。
思考も。
携帯も。
場所も。
第0位も。
ツンと来る匂いも。
仲間も。
浜面さえも。
どうでもよくなっていく。
心の底から振り返りたくないと思った。
これ程までに今が夢であって欲しいと思ったのは何時以来だろうか?
「むーぎのーん?」
再度。今度は尋ねるような口調。
それを切っ掛けに体が震え始めた。微動だにしなかった身体を緩慢と動いて、振り返る。
“ソレ”を目にした瞬間、ソレ以外の視界全てがモノクロになった。
周りなんて見えてなかった。
周りなんてどうでも良かった。
ソレしか眼中に無い。
いや、目が離せなかったのだ。
体の奥底から恐怖を感じる。
それは垣根帝督よりも。
はたまた浜面仕上よりも。
彼らの恐怖なんて底辺だ。目の前のソレの方が遥かに凌駕しているだろう。
記憶から消えていれば、“ソレを忘れて”、笑っていたのかもしれない。
記憶から消えていれば、“今の自分”は、無かったのかもしれない。
記憶から消えていれば、全てを忘れたまま……倖せに生きていられたかもしれない。
「結局、久し振りって訳よ~」
―――フレンダという、存在を。
瞳に殺意を宿し、フレンダは狂笑する。
ケタケタと笑い。
クククと笑い。
ハハハと笑い。
ゲラゲラと笑う。
嘲るように嗤うのは、何に対してか。他者か。己か。
或いは学園都市か。
「まあ結局さ、再びこうしてお涙頂戴の感動ストーリーみたいに再会した訳だけど」
くしゃりと顔が歪み、告げる。
「―――死んで♪」
―――――――――――――――
御坂美琴は機会だらけの囲われた空間に居た。戦闘や実験だけに用いられそうな場所だ。
おそらく何処かの研究所。自分は第0位の空間移動によって飛ばされたのだろうと冷静に判断出来た。
超電磁砲とかで穴を空け、脱出して再び第0位の所へ向かえばいい。
……そう、結論付けていたのだ。
―――目の前に居る、人物を見るまでは。
「…………」
無言で、告げている。
態度が、告げている。
他の誰でもない、私へ。
初めまして、と。
だから、認められなくて。
問い掛けだけが口から零れて。
「アンタ……?」
戸惑いだけが露骨で。
動揺だけが隠せなくて。
それもそうだろう。“敵”だなんて考えたことも無かったから。
目の前の人物から感じる溢れる殺気を否定したくて堪らなかったから。
「どうも、お姉様」
言葉を、紡ぐ。
空虚な瞳が、射抜く。
夢では無い。現実だ。
「ミサカは、00001号の前に造られた個体。……検体番号『00000号(フルチューニング)』と言います」
自分と瓜二つ。写し鏡のよう。
ガチガチに固まった全身に恐怖が迸る。
一方通行よりも。
上条当麻さえも。
二人から感じた恐怖を、目の前の妹は遥かに凌ぐ。
「どうやらミサカに命令が下ったようです。“オリジナルと殺し合え”と」
それは歴とした宣告。
未だトラウマを覚える過去に。
古傷を掘って抉るように。
「そんなわけでお姉様」
神は、彼女に残酷過ぎる試練を与える。
「―――ミサカに殺されて下さい」
―――ロシア(仮)。
冷たい。痛い。白い。
上条当麻が五感で把握出来た感覚だ。
意識が朦朧とする中、生きているのかどうか不思議であった。
体中に激痛が走って、筋肉が動かない所為か関節も曲げられない。
記憶でさえ曖昧。何故こんな冷たくて白色ばかりなのだろう? 一つ一つ辿って行けば答えに辿り着くはずだ。
氷の塔をヴェントと一緒に破壊した。そこまでは覚えている。
その後は? 確か……ヴェントと互いに生存の確認をして、
(そうだ。ガブリエルが『一掃』を……)
漸く自分の思考も回復してきた。
つまりこの冷たい感覚は雪。ていう事は視界が真っ白なのも雪か。
おそらく直撃を免れなかった『一掃』を生身で受けた所為で、意識を刈り取られて地面に体が投げ飛ばされたのだろう。
だとしたら自分は倒れている。
どうりで全身が冷たい訳だ。
思考が回復したが、体が回復した訳では無い。未だに筋肉は動かないし、寧ろ全身に激痛が迸っている。
そこでふと、上条当麻に不安がよぎった。
(ヴェントは……?)
彼女は生きているのか?
無事に生存しているのか?
確認したい。その一心で己を叱咤する。必死に筋肉に動けと命令をかけるが、一向に聞く気配は見られない。
矢張り受けたダメージの蓄積量が甚だしいのだろう。無視を出来ない程に。
……どうやら首は動かせられるらしい。
視界が霞む。頭から流れる血が余計に邪魔をする。
雪に顔面を擦り付け、粗雑に血を拭き取った。そして―――
「ヴェ……ント……?」
居た。彼女はすぐ近くに居た。
居たが……彼女はピクリとも動かない。
まだそれだけならいい。何せ自分も首だけしか動かないのだから。
しかし、彼の焦燥感を駆り立てているのは、ヴェントが仰向けに倒れているため、顔が見えるのだが―――彼女の表情が安らかに眠っているように見えたから。
違うかもしれない。
見誤りかもしれない。
単なる錯覚かもしれない。
己の不安な気持ちが、そういう風にさせているだけなのかもしれない。
だけど。だけどだけどだけど!
「ヴェント……ッ」
一瞬でもそう見えたのは間違いなくて。
彼がヴェントの下へ走り出すには十分で。
全身に激痛が迸ろうが、蓄積されたダメージが尋常じゃない量だろうが……関係無い。
筋肉が働かないだろうと何だろうと―――そんな程度の足枷で、上条当麻が彼女の下へ駆け寄られない理由にはならないのだ。
と言っても、当然フラフラである事には間違いない。生きているのが不思議で仕方ないのだから。
覚束ない足取りで今にも倒れそうになるが、彼はヴェントの下へ辿り着く。
右腕は相変わらず動かない。代わりに左腕で彼女の首に手を添え、脈を診る。
「……良かった。まだ生きてる」
安堵の息を漏らす。
ただの気絶だけのようだ。『一掃』を受ける直前に結界でも張ったのだろう。それでも頭から血は流れ、満身創痍に変わりはない。
そして上条当麻は思念する。
何故、彼女がこんな目に遭わなければならないのだろう? と。
ヴェントは、ガブリエルと上条当麻の戦いに一切関係の無い人間。自分達の戦闘に巻き込まれた、云うなれば被害者である。
彼女が上条当麻と共闘して、ガブリエルを討つ理由など更々無い。
にも拘わらず、ヴェントは逃げる訳でも黙って見てる訳でも無く、憎き相手のはずの上条当麻に背中を預け、共闘を自ら進んで言及した。
何処にも手を貸す理由は無いはずなのに……。
「―――っ」
ヴェントの眉間が僅かに顰めた。呻き声にも足らない声も微かに聞こえた。
何か、苦しんでる表情。
悪夢でも見てるのだろうか?
「…… Mi …… scusi」
今度は明確。母国語だろうか? 上条当麻には翻訳するスキルを持ち合わせていないので、彼女が何を言ったか判らない。
でも―――目尻から流れる涙は、理解できた。
彼女は夢の中で悲しんでいる。
苦しみ、悔やみ、悲しんで、涙を流している。
だが感情論を判っても、理由は判らない。
ヴェントが今何を見て、何を感じているのかは判ってやれない。
それは彼女にしか理解出来ないし、あかの他人である自分なら尚更。
「……姉ちゃんが、守ってやれなくて……ごめん、ね……」
―――だからこそ、日本語で呟かれた時は、心を打たれた。
言葉から察するに、彼女は悔やんでいる。
弟を守れなかった事を。
代わりに死んでやれなかった事を。
それは何年と過ぎ去った今でも、夢としてその事件の日を鮮明に思い出すのだろう。
9月30日の時、自分は彼女に言ってやった。
死に掛けてた弟はどんな気持ちで姉を助けてくださいって言ったんだよ、とか。
自分がどんな状況か全部知った上で姉を助けたいって願ったんじゃねえのか、とか。
色々言った覚えがある。
でも、その意味は絶無だったのだ。
何故なら彼女自身が―――幼き頃に理解していたから。
弟がどんな気持ちで助けて欲しいと医者に言ったかを。その頃の自分は寸分の狂いも無く、気付いていたのだ。
故に幼き少女は苦しんだはず。弟を犠牲にして自分が生きて良いはずがない、と。
でも弟は自分に生きて欲しいと願った。じゃあどうすればいい? 自分の葛藤を打破する活路は何処にある?
簡単だ。第三者を持ち込めば良いだけの話。
弟の死に係わっている且つ全く怨む相手が違う第三者。
―――そう、『科学』だ。
科学に復讐を活路すれば、生きる目標になる。全ての原因を科学の所為にすれば、万事解決する。
逆恨みだって事は承知済み。
御門違いだって事も知っている。
筋違いや不条理だとも理解している。
でも、その手段しか解らなかったのだ。その解決方法しか思い付かなかったのだ。
幼い自分には、この仕方しか見出せなかったのだ。
だから科学を恨み憎む。
そんな……悲しい決意を胸にして、今を生きてきた。
たった一言二言の寝言の呟きに、上条当麻は全てを把握した。
ヴェントの事情を関知している彼だからこそ、瞬時に理解したのだ。
涙目になる。何故、判ってやれなかったんだ、と。
上条当麻は余りの歯痒さに奥歯を噛み締めた。
彼女は救われるべきだ。誰かが救ってやらないといけない存在だ。
「第二 ko 波。攻 wager 撃準備 ws 開始。『一掃』再 ise 投下まで nvsp 三十秒」
―――なのに。
「…………」
上条当麻は左腕をヴェントの肩に回し、胸に抱き寄せる。
意外と小柄な体。ハンマー振り回していたものだから、鍛えているとばかり思っていたが、女性らしい細い腕。
眠る彼女の寝顔は、何時もの悪意や邪気など皆無の……優しい顔。
「……どうして」
―――ヴェントが、こんな目に遭わなくちゃならない?
幼い頃に弟を亡くし、今でも自分の所為だと密かに悔恨して。
それでも弟から譲り受けた命を無駄にせず、曲がり形にも生きてきた。
「……なんで」
―――ヴェントばかりが、辛い現実とぶつからなければならない?
何処にでも居る何の変哲も無い一途な少女だ。
心に傷を抱えて尚、屈強たる精神で耐えてきた少女だ。
「……護れる範囲で護ってやるつもりだったけど」
―――苦しくも精一杯生きてきた人間が救われないまま、しかも殺されるなんて、
「前言撤回だクソ野郎」
―――させテたまるカ。そんなコトは俺が赦サない。
「テメェなんかにコイツを殺させはしない。指一本触れさせねえ。絶対に護ってやる。天使だから許せるとか、他のヤツら許しても、この俺がテメェを……」
―――絶対に、ゼッタイニ……ッ!!
「―――ユルサネエ」
上条当麻の呟きと同時だった。
クリアな『声』が響き渡る。
「命令名『一掃』―――再投下」
夜空が瞬く。数千万の裁きの礫が、彼らに降り注いだ―――その直後である。
……全ての礫が、破壊されたのは。
「!!」
そしてガブリエルは目視する。
少年から邪悪な陽炎が立つのを。
右腕部分に『竜の顎』が顕現するのを。
不可視の竜は上条当麻の血、はたまた雪を被り姿を現していた。
上条当麻の瞳が、空に浮かぶガブリエルを射抜く。
その瞳に、ガブリエルは初めて彼に対して恐れおののいた。全てを飲み込むかのような、深い深い黒の瞳に。
「U……OOOOOOOooooooo!!!!」
竜が……吼えた。
麦野沈利は走っていた。
ただひたすらに駆ける。
正鵠に言えば、逃走だ。
際立つ戦慄。粟立つ悪寒。
恐ろしい。純粋にそう思う。
実際問題、麦野沈利ならば敗北は決して無い。
実力なら歴然と。火力なら圧倒的に。
しかし今回ばかりは例外。
寧ろ論外だろう。
「あっはははは!! むーぎのー、どうしちゃった訳よぉ!!」
爆発。彼女……フレンダが得意分野とする火薬を用いた爆弾である。
その一個が閃光と共に起爆。
音は麦野の近辺からではない。
―――コンテナの下からだ。
角の部分が砕け、衝撃と爆風によりコンテナは麦野に向かって、甚だしい勢いで急発進する。
「っ!!」
麦野は原子崩しを応用して、ボウゥンと低い音を響かせ、水の波紋のように広がる透明の壁を形成。
突撃するコンテナは壁によって消失。辺りは爆発で角が砕けて穴が空いた所から、零れ出た粉塵が一面を籠める。
(チッ……迂闊に隠れられないじゃない)
物陰に身を潜めるのは難と見た。
フレンダが何処に爆弾を仕掛けているか判らない。油断は禁物だ。
兎に角逃げよう。
今はそれが優先だ。
麦野はフレンダに警戒しつつ、逃走を図る。粉塵が立ち籠める中、視界は至極悪い。
あちらも易々と姿を現さないはず。おそらくフレンダの達成条件は『麦野沈利を殺害』だろうから。
「あちゃー、これじゃあ視界が悪いし私が不利になっちゃったか。やっぱり小麦粉が入ったコンテナに設置型爆弾は拙かった訳よ」
所でさあ麦野ー、と続け、彼女は口元を吊り上げて狂笑する。
「“粉塵爆発”って知ってる?」
麦野が血相を変え、叫ぶ直前。
狂笑する彼女はリモコン式遠隔操作のスイッチを―――押した。
―――――――――――――――
雷撃の槍が飛び交う。
空気を灼き、互いを相殺。
片は超電磁砲の御坂美琴。
片はクローン体の00000号。
「往生際が悪いですね。諦めは肝心だと思いますが?」
「残念ねっ!! 妹に下剋上をされる程、鈍ってないわよ!!
アンタは黙って救われなさい!!」
しかしながら、二人の攻撃はそれぞれ向ける目的が相違している。
“殺す”と00000号は言い。
“救う”と御坂美琴は言う。
片や殺意を。
片や救いを差し伸べ。
御坂美琴は思考を巡らす。
00000号の元は妹達と同類だろう。ならば学園都市は彼女に僅かな仕掛けを施しているはず。
例えば、頭脳に『シート』を被せて御坂美琴という人物限定に殺意を湧かす。そして御坂美琴を殺害の命令を下せば、相応の場所を提供するだけで00000号は素直に行動を移す仕組み。
この理論だと00000号の行動も納得がいく。
唯一の疑問と言えば。
あの子、10032号の話によれば全ての妹達は打ち止めという上司が存在すると言う。
喩え妹達が反乱を起こしてもミサカネットワークを介し、彼女達に直接命令を下す事が可能なので、そのような事態に陥る事は決して無い。
00000号とて例外では無いのだ。にも拘わらず彼女は、反乱意識の範囲内で平然としている。
何かあるのだろうか?
「ミサカネットワークの遮断。上位個体の命令を拒否を可能にしただけですよ。お姉様」
―――答えは、予想外にも彼女から告げられた。
「お姉様は激怒した時以外の戦闘の際、始めは小手調べで手加減をします。同時に不可解な相手の場合、眉間を顰めたり歯を食い縛る癖がお姉様には存在します」
ハッと、美琴は眉間や口元に手を宛行い確認する。
しかしそんな彼女を気にも留めない様子で、00000号は淡々と畳み掛けた。
「その仕草の意は分析の証。相手はミサカなので、大体お姉様の思考を辿る事は可能です。
何故、上位個体から緊急停止命令が下されていないのだろう? と考えていますね。答えは簡単、『調整』を行っただけなんですから」
「調整……?」
「はい。ミサカは“この戦闘が終了”するまでの時間、ミサカは上位個体に縛られない単体の個体として存在します。それに……」
一度切って懐へ手を忍ばせる。
彼女が取り出すのは一枚の“コイン”。
ピンとコインを指で弾き、上空へ飛ばす。
「―――お姉様は色々と勘違いをしているようですね」
出来事は束の間。
数秒遅れて響くのは轟音。
背後で機械の壁が粉砕される音。
頬を掠め、突き抜けたのはコイン。
微かに焼けてジンジンする頬をなぞる余裕も無く、御坂美琴は愕然と00000号を見つめるだけ。
今の業。良く熟知している。
何しろそれは己の必殺技でもあるのだから。
「れーる……がん……」
「察しの通り。お姉様は音速の三倍の速さでしたね? 残念ながら、ミサカの超電磁砲はお姉様を遥かに上回る音速の“十倍”。
まあお姉様を超える代償として、何かしら損傷は有るようですが」
ふむ、と自らの人差し指と中指を視界に入れる。
彼女の二本の指は有り得ない方向へと、それぞれ折れ曲がっていた。
代償。御坂美琴を超える能力を行使する代わりに自らの身体を削ぐ。
再確認と言わんばかりに00000号は視認した後、視線を美琴に戻す。
「それにお姉様はミサカを救おうと宣言してるようですが、どういう方法で?」
「……そんなの気絶でもさせて、脳に仕込まれた部品を私の能力で解析して、破壊すれば良いだけじゃない」
「無駄ですよ?」
「何ですって?」
―――――――――――――――
立ち昇る爆炎。コンテナというコンテナが全て爆発し、地を響かせる程に大爆発が轟いた。
「キャー、麦野格好良いぃぃ!! 咄嗟に二点レーザー発射して私を守るなんて。結局、流石って訳よー」
「くっ……」
「代わりに麦野は喰らっちゃった訳ね。それでも盾を使って最小限にダメージを減らす所、レベル5の貫禄が垣間見える訳よ」
両手を重ねて頬にピッタリと添え、至極歓喜と飛び跳ねる。
態度も相変わらずな、麦野を煽るような口調も依然として。
暗部の時のフレンダとは打って変わって、麦野相手に余裕綽々な様子の根元は、麦野の心理を理解しているからか。
「でも、麦野は何か勘違いしちゃってるみたいだけど……結局、逃げても無駄な訳よ?」
「……何だと?」
―――この時、全く場所が異なるが、二つの存在はまるで打ち合わせをしたかのような動作とセリフを放って見せた。
00000号とフレンダは相対する彼女らに現実を突き付けるように言い放つ。
それは、至ってシンプル且つ単純明快な言葉。
00000号が指で頭を指せば。
「もしミサカが行動不能になった場合、自動的に自爆プログラムが発動。ミサカは敗北します」
フレンダは心臓部分を指す。
「もし私と麦野が一定の距離範囲内に居なければ、組み込まれた爆破装置が作動してボーンって訳」
00000号が指で心臓部分を指せば。
「もしお姉様がこの部屋から出た場合、頭と同様に自爆スイッチが発動」
フレンダは頭を指す。
「もし私が気絶で動けなくなった時も、結局さっきと同じで私が死ぬって訳よ」
「簡単な事……ですよね?」
そう、何も難しくない。単純なこと。
「簡単な事……って訳よ?」
そう、何も難しくない。明快なこと。
「現実を受け入れられなくて、トラウマであるミサカを見殺しにして逃げるか」
幻想(自分)を、守るか。
「現実を受け入れて、トラウマである私を殺して跨いで行く道しか残ってない訳」
現実(相手)で、足掻くか。
「「―――ただ、それだけの事」」
現実を受け入れるか受け入れないか。そんな単純明快な話。
そして話を聞いていた彼女達は覚悟する。学園都市は完璧に自分達を潰しにかかっていると。
―――――――――――――――
―――とある病院の玄関前。
「一つだけ忠告しておく。今から臨む相手は一位でも適わなかった男。それでも自分の前に立ちはだかるか―――浜面仕上」
「…………」
「……受諾したと承る。敵性を確認。オリジナルから記憶を引き取り、適切なデータは不要。
徒手空拳のみで戦闘を行う」
浜面仕上と第0位は相対していた。この場に居るのは二人だけ。
絹旗や滝壺は存在しない。故に応援皆無で浜面は立ち向かうという事。
無謀な事極まりない。しかしやるしかないのだ。
例えツンツン頭のヒーローみたいに意志が強くなくとも。
例え第一位みたいに絶大な破壊力を誇る能力がなくとも。
護りたい人が居る。
理由はそれで十分だ。
絹旗は麦野に異変を感じたと、センサーと地図を持ち出して急速に麦野の下へ向かい。
滝壺は病院内に隠れていてくれと、必死に懇願して待機中。
僅かな浜面仕上の戦いが、幕を開ける。
粉塵爆発によってコンテナは勿論、クレーン車や鉄筋など近辺に有った障害物は全て、問答無用に爆風で吹き飛んだ。
荒廃した工場は一瞬にして、炎や衝撃波で地は削れ物は吹き飛び、焼け野原というフィールドを形成する。
相対するのは麦野沈利とフレンダ。彼女達は能力や爆弾を使わず、素手や脚の格闘を繰り広げていた。
元々二人の格闘技術が、ある程度鍛えた風紀委員(ジャッジメント)より確実にセンスがズバ抜けて高いため、肉弾戦は寧ろ好都合。
しかし、矢張り麦野は何処かしら躊躇や逡巡を窺わせる雰囲気を醸し出す。不謹慎だが、戦闘に関して好戦的な麦野が防戦一方なのも至極珍しい。
「ふっ!!」
両足を重心に腰を巧みに捻り、フレンダが下から上へアッパーカットを麦野の顎へ掬い上げた。
精鋭された拳は弾丸の如く。
麦野はその拳を軽くいなす。逆に手の震えを抑えるように血が滲むほど強く握り締め、彼女は拳を作る。
未だに、目の前に対立するフレンダに眼が慣れない。冷静さを忘れて動揺も隠しきれない。
フレンダという仲間は死んだのだ。己の手で胴を分離してやり、殺した。認めよう。
現実は背けられないのだから。
自分にはケジメが必要だ。
だから今存在する『フレンダ』は偽物以外何者でも無い。自分の知っているフレンダではないのだ。何故なら彼女はもうこの世に居ないのだから。
どれほど消してしまいやり直したくても、決して、取り戻す事が出来ない記憶なのだから。
―――神に頼んで願いが叶うなら幾らでも懺悔ぐらいしてやる。
―――己の身と魂が必要ならば悪魔との契約だって構わない。
―――地獄だろうと奈落の底だろうと喜んで堕ちてやろう。
―――己の犠牲に一度だけ奇跡が起きるならば……それでも良かった。
だが、その誓いが星に届く事はない。何度渇望しようと幾度言葉に想いを込めようとも、意味はなさないのだ。
墓参りしに行った時も、諦めきれず、みっともなく泣き喚いて、天に慟哭した。
浜面や滝壺と絹旗にはその構図を晒していないだけ、まだマシであった。
この美しくも醜い世界で少女は泥水を啜り、石に噛り付いてでも生きていく。
それが、フレンダへせめてもの罪滅ぼしになると願うしか無いのだから。
恐怖を押し殺し、フレンダの胸中へ正拳突きを放つ。
だからこそ、目の前に居る彼女をフレンダと被せるのは筋違い。
自分の精神を狂わすために学園都市が造った偽物。そう思えばまだ戦える。
フレンダは麦野が拳を放つ直前、自分の腹部をさすって、
「……痛かった訳よぉ~、切断された時」
―――こんな事を言い出した。
「!!!!!!」
拳がピタッと急停止して、麦野の脳裏に物事の発端である“あの日”が走馬灯のように想起する。
―――『結局さ、サバの缶詰がキてる訳よ』
―――『結局、そのうろたえ方がキモいんだって』
彼女は死んだ。殺した。
この手で。胴を分離した。
大量の血を浴びて。
彼女が叫ぶ声も聞こえた。
そう、この手でコロシタ。
コノテデ……、
「―――ごぁっ!?」
麦野の鳩尾に拳がめり込む感覚を得て、思考は強制的に現実へ引き戻された。
胃液が逆流するのを覚え、一瞬だけ吐き気を催す。
「なにボーっとしてる訳よッ!!」
ヒュン、と風を切る音。
フレンダが片足を軸に回転しているのを視認。遠心力を活用した回し蹴りだ。
それも束の間、続いて前屈みになった麦野の左コメカミに鈍痛と甚だしい衝撃が、彼女を襲う。
ぐらついて三メートルほど後退し、麦野は脳に響いた左コメカミを手で押さえる。
ベットリと血が手にこびり付く。どうやら彼女の回し蹴りは、血が流れる程度の威力に相当するらしい。
「どうしたの麦野? 結局、何か嫌な事でも思い出した訳?」
ニヤニヤとした表情だが、それとは裏腹に、掛ける言葉は心配するかのような素振りを見せるフレンダ。
実に白々しいと思う。答えが判っている場合の聞き方だ。
誰の所為かと言えばフレンダかもしれないが、たかが一言二言で心を揺さ振られて、グズグズに決意が崩れた自分の方も問題。
(……本当に、どうしたらいいの)
自分でも解らない。おそらく攻撃を仕掛ける度に、動揺して狼狽するような言動を故意に放り込んでくるだろう。
一々彼女の言葉に反応しなければ良い。取り合わなければ良い話。……それが可能ならば、今の苦労は存在しないのだ。
どうすればいいのだろう、と心の底から思考。
皆がハッピーエンドで迎えるシナリオは、有り得ない。
どのルートを選択しても、先に在るのはバッドエンド。
頭脳と心臓に設置された爆発物だけを破壊。という手も有るが、遺憾な事に自分の能力はそういう汎用性は皆無。
第一位や第三位の能力であれば、まだ救いの手は差し伸べられたかもしれない。
それでも、容易とはいかないだろう。もしかしたら緊急用に自らの意識を失わせ、気絶させる装置の施しが在る可能性も否めない。
(浜面……助けて……)
浜面の顔が脳裏をよぎる。
本音……いや、弱音を言えば、助けて欲しいの一言。
彼ならば理由無しで自分のために駆け付けてくれるだろう。……でも、今この瞬間、彼は絶対に来てくれはしない。
現実はそんなに甘くはないのだ。
逃げるか殺すか、二択のどちらか自分で踏ん切りを付けなければ、この死闘は決して終わらない。
「因みに、麦野が死んだからって私が生存するって訳じゃないからね」
―――ポツリと。フレンダは自らの生命の先が無い事を断言した。
それは余りにも残酷で。醜悪で。冷酷で。無惨で。悲劇で。滑稽で。
神は嘲笑って嘲笑って、嘲笑を繰り返す。冷徹な視線を麦野に送っていたのだ。
最終手段として、頭の隅に『自らの死』ぐらいは入れてはおいた。
逃げても駄目。気絶させるのも駄目。ならば自らの命を絶とう、と思案程度には考えていた。
―――虚しくも、最後の希望をも粉々に打ち砕かれたが。
「そりゃ当然って訳よ。結局、私は麦野を殺すためだけに造られた乱造品。
任務達成したら後は用済み。『焼却炉』に放り込まれるか、若しくは実験用の『人形』に堕ちるか……結局、生きる道は元から閉ざされてる訳」
心底どうでもいい、と。自分の行く末の運命に興味が無いとでも言うように吐き棄てた。
まるで感情が籠もって無い。それこそ、“本当に人形”のように。
結果、彼女は未来永劫助からない。
どんな手段を用いても、フレンダが待ち受ける定めは“死”のみ。
『光』を浴びる事は決して無い。そういう風に学園都市が仕組んだシナリオ。
そして、―――麦野の中で“なにか”が弾けた。
「そろそろ終いにするってわ―――」
彼女が右手に握っていたリモコン式遠隔操作のスイッチ押して、爆弾を起爆させる瞬間。……右肩から先の感覚が“消失”する。
フレンダは純粋に訝しむ。麦野の生気を確実に削り取られ、葛藤のさなかを彷徨っているはずだ。
逃げ道を完全に塞いで戸惑いを隠せないでいる今が、彼女の命を刈り取る絶好のチャンス。
なのに爆弾は一向に爆発を呼び起こさない。寧ろスイッチを押す感触が無かったような気がした。
何故だろう? 理解が全く追い付かない。
しかし、その謎は至って簡単で容易く、悩む必要は無い単純な答えだったりするのだ。
そう、例えば―――右肩の付け根から指の先までゴッソリと喪失している―――とか。
「ッッッ!!!!!!!!???」
自覚した瞬間から時が流れるのは速い。痛みも迅速に伝わっていく。
一気に嫌な汗が体中から噴き出る感覚を得た。……だが、まだ彼女の悲劇は終わらない。
「が……ッ!!!!?」
両太股。両足の甲。左肩。左腕。
合計六つ。それぞれに槍を貫通させたかのように、『レーザー』が貫いた。
この現象を知っている。
この業を知っている。
何故なら―――生前はこれを喰らって死んだのだから。
「む、ぎの……ッ―――ごぁッッ!!!!?」
三メートル以上も離れていた麦野だが、一瞬の内に直ぐ側まで詰め寄って来ていた。
彼女の姿を視認出来ないまま突如視界に入って、腹部に甚だしい衝撃を与えた麦野の蹴り。
フレンダはまるでボールのように上空へ蹴り上げられ、……漸く麦野を眼で確認する。
虚ろな瞳。青ざめた顔色。
様子から推測するに、何処か“吹っ切れた”有り様だった。
ゆらりと片手を自分に向け、翳す。途端に光が収縮されていく。
その意をフレンダは熟知している。だが、抵抗は皆無だった。
微動だにせず、ただただ狂笑するだけ。勝利を確信した訳でも、辟易した訳でもない。
ポツリと、彼女は独り言のように呟く。
「それでこそ、麦野のって訳よ。―――ばいばい」
光に包まれた彼女がどうなったかは、……言うまでもない。
……。
…………。
………………。
何秒、何分、何十分、何時間が経過しただろう。
燃え盛っていた火炎も鎮火して無風無音の静寂の中、麦野沈利は何をする訳でもなく、ボーっと無気力に立っていた。
天を仰ぎ、原子崩しで穴が空いた工場の天井から顔を覗かせる夜空を無言で見詰めて。
僅かに憂いを帯びる顔色は、彼女の心情の片鱗でしか過ぎなくて。
言い表せない感情が、心の中で渦巻くのを抑えきれなくて。
「アハ、ハハハ……アッハッハッハッ!」
顔を手のひらで隠し、隙間を抜くように声が漏れる。
笑いは、狂笑へと変わる。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
どうしようもない程の蟠りが声となった。
笑いたくて嗤いたくて嘲いたくて仕方なかった。
泣きたくて哭きたくて亡きたくて仕方なかった。
掻き毟りたい程堪らなかった。
喉が枯れる程耐えられなかった。
……もう、どうしたいのか、解らなかった。
「―――麦野」
ジャリ、と。地面に転がる砂利が僅かな軋む音を鳴らすと同時に、背後で自分を呼ぶ声が耳に届く。
ひとしきり嗤った後、麦野は狂笑を止めて、声に応じる。
誰かなんて声色で判別がつく。
「絹旗……居たの?」
自分でも驚愕に値する程、冷たくて淡々としていた。
けれど、絹旗は意に介さない様子で麦野に返答を返す。
「はい。超……結構前から」
今にも泣き出しそうな震える声で。何時もの口調も覇気が無く。
結構前から、と絹旗は言った。
麦野は得心する。どうやら絹旗は『彼女』を見たらしい。
ならば出て来なかった理由も、おのずと理解は可能。
大方、足が竦んで動けなかったのだろう。
「そ」
麦野は踵を返す。向かう場所は、顔は俯き服の袖をギュッと握って、頼りなさげに佇む絹旗の下。
傍らまで近付くと、ビクッと体を震わせて、再度掠れるような声を漏らす。
「……超すいません」
「いいのよ。別に咎めたりしないから。誰でも絹旗のようになってただろうしね」
ただ、と続けて麦野は膝を地面に落とし、……絹旗の胸に顔を埋めた。
「……少しだけ、こうさせて」
―――ここが、彼女の限界地点だった。
「……幾らでもどうぞ。そして最後には笑って帰りましょう。浜面の下に。
私達の居場所は、もう浜面と滝壺さんの所にしか超無いんですから」
こうして現実を打ち破った一人の少女は、涙に溺れ、悲しみにふける。
―――学園都市という、憎き場所で。
00000号は自らの姉に対して殊勝する。
己の存在は本来、『御坂美琴』を超越するための実験用として造られた個体。
超能力も身体能力も体術も、戦闘に於ける大部分は軽く凌駕している。“そういう風”に調整されているのだ。
しかしながら超能力関してだけは例外。先刻のようにオリジナルを超越するには己の身を削らなければならない。
だが、00000号は臆しない。元々妹達は軍事用に造られたクローン。云わば、“当たって砕ける”ための存在なのだ。
けど自分という存在は“当たって砕ける”ために造られてはいない。“砕いて砕かれる”存在。
御坂美琴を殺して自分も死ぬ。
万が一、この戦闘で凱旋したとして、今後自由気ままに生き残れる可能性は絶無。
結果、自分が生きる道は造られた時から鎖されているだけの事。ただ、それだけの話。
話を戻そう。閑話休題。
00000号が殊勝する理由。結論として、御坂美琴は生き延びていた。……至る所に電撃を受け、満身創痍になりながらも。
何億ボルトを越す電撃だ。致死レベル級に値するのは間違いない。
体力が削がれ、脚が崩れてもオカシくはない状況に彼女は陥っている。
気絶では済まない、心臓が停止してもオカシくはない電撃を被っている。
―――それでも、御坂美琴は倒れない。
00000号は溜息を吐かざるおえない。
我が姉ながら困ったものだ。こうもしぶといと、“手段”を次の段階に移す必要が出て来る。
「命知らずの典型、と言うべきでしょうか」
首を傾げ、素直な心境を呟く。
視線の先には姉の御坂美琴。覚束無い足取りで自分と相対していた。
もはや意識さえ定かではない彼女だが、朧気に開く瞳には、確かな闘志が宿っている。
そして00000号が自分の姉に対して、一番不可解と思う点が、
「……何故、攻撃を仕掛けないのですか?」
この点である。一応電撃は弾いたり軌道を逸らしているが、全く攻撃をする気配が感じられない。
00000号が怪訝する理由も無理はない。己の姉は逃げるか殺すかの二択しか無いと宣言の後、積極的な突撃はして来なくなった。
怖じ気付いた? それは無いだろう。我が姉はこの程度で気後れする性格では無い。
救出の手段を思考? 可能性としては随一を誇るだろう。でも攻撃を繰り出さないのには繋がらない。
では、何故……?
「……アンタさ、もしかして私を殺す気無いでしょ?」
―――返ってきた答えは、予想だにしないモノだった。
虚を突かれたように、00000号は停止する。
指二本が有り得ない方向にねじ曲がった時も、憶測より幾分姉が電撃を喰らった時も、姉が一切攻撃を仕掛けて来なくなった時も、己の思考や行動までもが凍結状態になる程では無かった。
しかしだ。
これは思いも付かなかった。
逆に質問返しされたのも有るが、そのくらいで思考は止まったりしない。
我が姉は電撃を受け過ぎて、頭のネジ二、三本ぐらい吹っ飛んだのだろうか?
「アンタは殺すと宣言したわね。尚且つ超能力は私を越えるとも言った。―――じゃあ、何でさっさと殺さないのよ?」
フラフラと頼りない様子で彼女は明言する。00000号の心髄を突くように、裏をかくように、御坂美琴は言い放つ。
「十億ボルトを越えるなら、私の『超電磁砲』を上回るなら、何で! 一発で私は死んでないのよ?」
彼女は反芻する。
時は8月21日。場所は橋梁。
上条当麻と対立した時だ。
御坂美琴は漸く彼の言葉を、今ここで理解したと思う。
きっと上条当麻には、こういう風に自分が見えていたのだろう。
「こんな大量に電撃を浴びて尚、私は生きている。何で? 答えは単純よ。―――アンタが、私に対する攻撃を自分でも気付かない内に“手加減”をしてるから」
そんな事は有り得ない。00000号はそう否定の言葉を投げ掛ける……が。
出ない。言葉が出ない。口が動かない。紡ぐ事が出来ない。
そして心の中で呟かれるのは、もう一人の自分が己に対する疑問。
―――本当に有り得ない?
有り得ない。有り得ないはずだ。
自分が姉に対して手加減など有り得るわけが、
―――絶対に?
…………。
「……手段を選ぶ余地無し。速やかに攻撃性のシフトチェンジに移行。全力を持って敵を撃破せよ」
ボソボソと口が蠢き、00000号は独り言を呟く。途端、……彼女の瞳から躊躇いの色が消えた。
美琴が危機感を覚え、地を蹴ってバックする直前、―――頭上でガシャガシャと機械の動力音を耳にする。
天井を見上げれば、機械で覆われた天井に一ヶ所だけ扉のように開くと、奥から機関銃。
それも一回りも二回りも強大で、銃口の部分は何本ものコードが繋がれていた。
対侵入者用に備えるために使うのだろうか、鉄板と合体して構図は監視カメラと酷似している。
機関銃の側面にはこう記されている。
ガトリング レールガン
―――Gatling_Railgun′と。
「ッ!!」
疑問とか憤慨より先に、恐怖が御坂美琴の全身を迸った。
もう殆ど無意識や反射神経の感覚で、機械の壁による磁気を作用して、自らの磁力を用いて身体を強制的に壁へと引き寄せて緊急回避。
その瞬間、
――――ッッッッ!!!!!!!!!!!!
「音」という比喩では表せきれない。
警備員(アンチスキル)で見掛ける銃撃戦や自分の超電磁砲が子供騙しの戯れにしか見えない程、絶大な破壊力を誇っていた。
直径十メートル範囲に及び、床に著しい大規模な穴を穿つ。
まるでスコップで地面を掘るように、御坂美琴が居た場所を綺麗に抜き取る。
壁と衝突した反動が、どうでもよくなった。背中に受けるダメージ何か気にしてられない。
御坂美琴は未だに速射を続ける機関銃を見据えると、電撃の槍を放って破壊。
この時ばかり己の能力が遠距離攻撃が可能で、能力の関係上機械に詳しくて良かったと思念。
「安息するには早過ぎますよ?」
―――視界の端で突如、閃光が煌めく。
「く……ッ!!?」
咄嗟に腕を振るい、迫り来る閃光の軌道を逸らす。自分の能力と同系である事が幸いした。
逸らした閃光は御坂美琴の頭上を越えて、機械の壁を貫通する。壁程度では閃光の妨げにならなかったのだろう。
御坂美琴は目線を変え、00000号を視認。彼女の両手には見た事の無い銃が携えられていた。
銃には変わりは無い。唯一異なるのは「弾」を撃つ銃では無い事。
「弾」の代わりに装填されるのは「光」。御坂美琴がそれに気付いたのは、尾の部分に透明で缶が六個分の大きさをした、エネルギー充電式の円柱型が有るからだ。
しかもおそらくそれは特殊。もう一つ、彼女は気付いた重要な部分が存在する。
銃の側面。そこにはこうあった。
メルト ダウナー
―――Melt_Downer′と。
続きます。