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杏子「さて、はたらくか…」
杏子「ケーキを売るのも楽じゃない」

8 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 20:58:32.29 HkjdgTdz0 1/114

~夕方~

杏子「今日も仕事疲れたな……」


叔母「杏子ちゃん、悪いんだけどお買い物に行ってきてくれないかしら」

杏子「いいですよ。ところでゆまの奴は?」

叔母「夕飯のお手伝いしてくれるって……」

杏子「へぇ~」

すっかりゆまも叔母さんになついたものだ。

じゃあ、ちょっくら行ってくるか……。

叔母さんに金とメモを渡されて商店街の方へ足を進めた。


私はさやかの叔父さんが経営してるケーキ工房で働いてる。

『千歳ゆま』と暮らしていくためには、金が必要だった。

だから、私はバイトとしてこのケーキ屋に厄介になったのだ。

元スレ
杏子「ケーキ作り……だと!?」オッサン「おう」
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1348228516/

11 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:02:39.37 HkjdgTdz0 2/114

杏子「酒、チーズ……よしこんなもんかな」

会計を済ませて、店を出た。


働いた後の夕焼けがやけに綺麗見えるじゃないか。

今日の晩御飯はなんだろうなぁ……。


ゆまだけじゃない。

私ももすっかりあの家に溶けこんだもんだ。

今じゃ働いて飯を食わせてもらうのが当たり前になってる。

ちっとは食費入れたほうがいいんだろうけど、オッサンが遠慮するんだろうな。

12 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:04:42.07 HkjdgTdz0 3/114

「杏子!」


後ろから聞き慣れた声が響いた。

さやかだ!

さやか「今日はどうしたの? あのちびっ子は一緒じゃないの?」

杏子「おばさんにお使い頼まれた。ゆまは、夕飯の手伝いをしてるよ」

さやか「なるほどねぇ♪ あたしも夕飯にお呼ばれしようかな……」

杏子「図々しいやつだな。ってアタシが言えた義理じゃないか」

さやか「まあ、いいじゃん!」


私も、さやかと一緒にいるのは嫌いじゃない。

16 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:08:53.87 HkjdgTdz0 4/114

さやか「ところで仕事の方はうまくいってる?」

杏子「順調だよ。お陰様で」

さやか「そっか。まだメイドリヤカー続けてるの?」

杏子「……まあな」

メイド服でリヤカーを引く姿は中々にシュールで、

地味に町の注目を集めていた。

杏子「子供たちからは、『お姉ちゃん!』と手を振られるんだが」

杏子「中高年には『出たでた!』って……」

杏子「その視線に耐えることが私の仕事なんだと思う」

さやか「なんか……悟ってるね」

19 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:11:15.37 HkjdgTdz0 5/114

杏子「そうださやか!アタシにケーキの作り方教えてくれないかな?」

さやか「急にどうしたのさ?」

杏子「ケーキを売ってた時、女の子に作り方を訊かれたんだ」

杏子「学校休みの時に頼むよ」

ケーキ売りとして、最低限ケーキの作り方ぐらいは知っておくべきだと思う。

さやか「いいけど、叔父さんに教えてもらうのがいいんじゃない?」

杏子「いや、オッサンはダメだろ。プロ意識強すぎて、ついてけないって」


ことあるごとに、鉄拳がとんでくるのが予想できる。

21 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:13:04.96 HkjdgTdz0 6/114

さやか「そっか……じゃあしょうがないね。特別にさやかちゃんが教えてあげちゃおう♪」

すると、さやかは後ろからぎゅっと抱きついてきた。

杏子「ちょ……なんだ、急に?」///

こいつはよくわからんが、見境なく女の子にちょっかいをかけてくる。

何かよくない癖があるんだろうか?


始めて会った時も、帰りに思わず抱き締められたっけ。

あの時は同情か何かで、感極まったのかと思ってたけど。

22 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:14:27.67 HkjdgTdz0 7/114

さやか「ひっひっひぃ~~よいではないか、よいではないか」

杏子「だ、か、ら、道端でこんなことやってたら恥ずかしくて歩けなくなるからやめろって!」

そこへ、いつもケーキをたかりに来るガキの群れが集まってきた。

さやか「?」

ガキA「あ、ケーキのおねーちゃんだ」

ガキB「何してんの?、何してんの?」

ガキC「わたしも混ぜて~~」

ガキの集団が、まるで胴上げでも始めるような勢いでこちらに飛びかかってくる。

杏子「うわ!?」

もちろん、私にひっついていたさやかも同じ様に被害を受けた。

さやか「にょほ~~、こ、子供の力侮りがたし」


にょほ~と声をあげるさやかを見て、吹き出してしまった。

27 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:16:08.53 HkjdgTdz0 8/114

杏子「さやかのせいでえらい目にあったぞ……」

5分ぐらいガキに絡まれた。

杏子「道端で抱きつくの禁止だからな!」

なんでこんなことアタシが注意しなきゃいけないんだ?

さやか「ごめん……」

28 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:17:49.18 HkjdgTdz0 9/114

さやか「しっかし、すっごい人気だね」

杏子「餌付けの賜物だ」

あとは、ゆまの功績がでかい。

杏子「アタシはケーキ切って、ガキを眺めてるだけでいいんだから」

さやか「そっか……」

さやか「アンタは偉いね……」


杏子「ん?」

ほんの一瞬だけ、さやかは少し淋しげな顔を見せた。

30 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:18:44.23 HkjdgTdz0 10/114

さやか「ねえ、杏子。アンタ学校には行かないの?」」

さやか「これ数学のノート。どう?見てみる?」

そういってさやかは鞄から、一冊取り出した。

私は少し興味が湧いたので、それを受け取ってみる。

几帳面な字で、図形やら公式やらが色々書かれているけど

何がなんだかさっぱりわからなかった。

算数は得意だったんだけどな……。

31 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:20:12.75 HkjdgTdz0 11/114

さやか「どうして辞めちゃったの?」

杏子「…………」

杏子「つ~かさ、アタシ学校に行ってないなんて、一言も言ってないよね?」

少し、悔しくてさやかに当たるような言い方をしてしまった。

何やってんだ……。


さやか「ごめん……触れられて欲しくないことだった?」

杏子「……いや、こっちこそ」

さやかには何も話せていない。

33 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:22:41.58 HkjdgTdz0 12/114

魔法少女のことも、家族のことも、

廃墟同然の教会で暮らしていることも。

そりゃ昼間から、バイトしてりゃ学校に行ってないことぐらいバレバレだろ。


それでも『同じ年頃のこいつ』には触れて欲しくないことだった。


さやかたちは、私にあってないものを持っている。

決して貧乏暮しに引け目を感じてるわけじゃない。

金でも、家族でもない……。


未来だ。

私はどうあがいても、もう普通の人間には戻れない。



いつ死ぬかわからない人間が、学校に通ってどうすんだ?

35 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:24:27.08 HkjdgTdz0 13/114

同じくマミにも言いたいことがある。


マミのことは今でも尊敬しているけど、未だ理解できないことは山ほどある。

その一例が『学校に通っていること』だ。

まさか、自分が大人になるまで生きられると思っているのか?

大人になれた魔法少女というものを知らない。

恐らくみんな大人になる前に、魔獣との戦いで命を落とし、死んでいくからだ。

たった数年生き延びた私がキュウべぇに『ベテラン』と呼ばれるぐらいだ。

私たちがどれだけ短命なのか、それぐらい理解しているつもりだった。

36 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:25:39.14 HkjdgTdz0 14/114

マミがわからない。


もしやりたいことがあるとして、

こつこつと生きてく気概がどうして生まれるんだ?

短い時間と知っててもありのままの自分でいたいのか?

それとも単に、惰性で学校を続けているのか……。


さやか「杏子は何かやりたいことないの?」

杏子「今日が楽しければいいんだよ」

さやか「……そっか」


そういう生き方しか選べないんだよ……私は。

人間のアンタたちと違って……。

38 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:28:05.31 HkjdgTdz0 15/114

~パン屋~

杏子「チーズ餅うめぇ~~」

さやか「ゆまたん、ゆまたん、あーんして、お姉さんが食べさせてあげるよ~」

ゆま「いいよ、ゆまじぶんでたべられるってば」

さやか「ええから、ええから、そのクチ開けてごらんよ~」

ゆま「キョーコぉ~」

ゆまが困惑しながらこちらに助けを求めてくる。

が、食べ物の誘惑には敵わない。

さやかだって悪いようにはしないだろう。

杏子「この笹かまうめぇ~~」

39 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:29:09.01 HkjdgTdz0 16/114

叔父「……日に日にやかましくなってくな」

叔母「あらあら、いいことじゃない。賑やかな方が」

叔父「おい、新人、そのマグロに手出したらぶっ殺すぞ!」

杏子「ひぃ……」

叔母「いいのよ、杏子ちゃん。いっぱいあるんだからどんどん食べてね」

杏子「うぃい……」


さやか「いい、ゆまたん。あれをアメとムチって言うんだよ」

ゆま「ほ~」


おい、変なこと覚えさせんなや、コラ!


41 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:30:04.83 HkjdgTdz0 17/114

~帰り道~

杏子「食ったなぁ~」

ゆま「くったねぇ~」

ゆまを真ん中にして、3人で夜道を歩いていた。

さやか「そのコート暖かそうだね」

ゆま「うん、キョーコがかってくれたんだよ」

さやか「ほほぅ~、さやかちゃんにもプレゼントはないのかね?」

杏子「ね~よ」


でも、さやかには世話になっているからな……

もう少し余裕ができたら何かプレゼントしてやりたいかも。

こいつ、何が好きなんだ? ケーキでも贈っておけば喜ぶのか?

アタシなら、ケーキでも喜ぶんだけどな。


でもできれば、ケーキは食べ慣れてるから、えびせんとかのがいいな。

43 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:31:27.75 HkjdgTdz0 18/114

杏子「じゃあ、アタシたちはこっちだから」

さやか「うん。また休みの日に会おうね!」


さやかと別れた。


ゆま「さやかお姉ちゃんと遊ぶの?」

杏子「ああ。ゆまもケーキ作りにくるか?」

ゆま「う~んとね、ゆまはおみせのおてつだいにいきたいな」

杏子「手伝い? もしかしてオッサンところか?」

さやかの叔母さんが『裁縫』をやってるって、オッサンが言ってたっけ。

その手伝いがしたいってことか?

44 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:32:12.63 HkjdgTdz0 19/114

杏子「つっても、ケーキ屋は休みだしな……お前を預ける理由がないんだけど」

ゆま「あ……えっと……」

珍しくゆまが焦っていた。

そういえば、裁縫のこと『黙ってろ』って口止めしてたな。

別に気づかないフリをしてやるのは構わないが、その理由がわからない。

まあいいか。

杏子「オッサンに明日相談してみな。アタシは止めないから」

ゆま「ありがとう!」


結局ゆまはオッサンの家で預かってもらうことになった。

さやかに1対1で指導してもらうことになった。

45 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:33:27.38 HkjdgTdz0 20/114

~休日~

さやかと公園の前で待ち合わせをしていた。

予定通り約束の場所に行くと、さやかが来ていた。


杏子「うっす。待たせて悪かったね」

さやか「いいよ、いいよ。時間通りじゃん」


ん……なんか元気ねえな、こいつ。


杏子「どうした? なんかあったのか?」

さやか「え? 別にいつも通りだけど……?」


私の気のせいか? まあいいか。

46 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:34:08.39 HkjdgTdz0 21/114

さやか「んじゃ、早速わが家にご案内といきますかっ!」

杏子「一応知ってるけどな。家の場所」

さやか「そういや、うちに来たことあったね」

そう。行き倒れていたところを、こいつに拾われたんだ。

今思い出すと、少し恥ずかしい。


47 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:35:47.59 HkjdgTdz0 22/114

~美樹ハウス~

さやか「材料は揃えといたから」

杏子「ありがとな。で、オーブンはねえの?」

さやか「一般家庭にそんなものあると思ったら大間違いだって!いいから準備するよ」

杏子「オーケー。頼むよ」

私はさやかの指示をもらいながら、卵を割ったりかき混ぜたり、ケーキ作りの手順を仕込まれた。

杏子「あ、やべっ……卵の殻が入っちゃったよ」

さやか「仕方ないなぁ。ちょっと見ててよ」

さやかは慣れた手つきで、卵を割っていく。

49 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:36:44.12 HkjdgTdz0 23/114

なんだよ……。

やっぱこいつ、女の子なんだな……。

さやか「どうかした?」

杏子「いや……」


微笑ましいような、少し悔しいような、よくわからん気分だった。

50 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:37:15.54 HkjdgTdz0 24/114

さやか「ほれ、練習してみ」

さやかに卵を手渡され、背後に立って『私の右手』を掴んだ。

杏子「お、おい……」

いきなり手を掴まれたもんでびっくりしたけど、さやかはそんなの気にも止めていなかった。

さやか「ほら、こんな感じで……」

ボールの端で卵を叩き、丁度良い具合にヒビが入った。

さやか「力抜いて、指を入れて」

杏子「こ、こうか?」

今度は欠片が混入することなく、綺麗な形のまま割ることができた。

さやか「うん。いいじゃん、いいじゃん」

52 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:39:18.97 HkjdgTdz0 25/114

さやかは泡立て器を使ってボールの中身をかき混ぜていく。

杏子「アタシにもやらせてくれよ」

さやか「ん。ほら、やってみ」

中身が飛び散らないように、慎重にグルグルとかき混ぜる。

中々難しいんだな……これじゃ泡がたたないぞ。

さやか「ほらほら、お姉さんが一緒にやってあげるよ」

再び私の後ろに立ちながら、ボールを片手に、私の右手を持ちながらかき混ぜていく。

杏子「アタシをダメな子扱いすんな!」

少し恥ずかしくもあったけど、なんでかな……嫌じゃなかった。

『誰かと一緒に、何かを作る』 


そんな経験を、私はさやかとしているんだと思った。

53 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:40:25.81 HkjdgTdz0 26/114

ケーキを焼いてる間、特にやることがなかったのでさやかの部屋に遊びに来た。

自分の部屋があるっていうのは羨ましい。

さやか「テレビでも見る?」

杏子「さやかの好きにしてくれよ」

テレビなんて見ても、誰が誰なのかわからないからな……。

さやか「そっか」

さやかは適当にチャンネルをいじって、刑事ドラマのところでチャンネルを止めた。

54 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:41:43.10 HkjdgTdz0 27/114

私はポケットから麩菓子を取り出してかじりついた。


さやか「いっつも何か食べてるよね? 杏子は」

杏子「これでも自粛してるんだぞ? 仕事中とか口元が寂しくなる」

さやか「タバコが我慢出来ないおっさんみたい」

まあ……似たようなものか。

何か食ってないと落ち着かないんだよ私は。


それにもいろいろ理由があるが、さやかに話すようなことじゃない。

55 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:42:42.35 HkjdgTdz0 28/114

退屈なテレビをボリボリやりながらやっていた。

するとさやかが躊躇いがちに話を切り出した。

さやか「アンタさあ……その……」


なんだ、言いにくいことか。

『私のこと』か。

できれば触れられたくない。

さやか「アンタ誰か好きな人って……いる?」

ほら、予想通り、私の……

って、え?


杏子「なんの話だ?」

56 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:44:24.16 HkjdgTdz0 29/114

さやか「いいから、答えなよ。いるの? いないの?」」

杏子「好きな奴って、つまり男か? んなもんいるわけねえだろ!」

さやか「そ、そうだよね。あははは……」

さやかは力なく笑った。

なんとなく、さやかが言いたいことはわかった。

杏子「さやかはいるんだな」

さやか「ぐっ……」

基本、私は他人のプライベートに興味、関心なんてもたないけど

さやかの惚れた男というのは少し気になった。


58 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:46:01.62 HkjdgTdz0 30/114

杏子「なるほど、その幼馴染とよろしくやりたいわけだな」

さやか「べ、べつにあたしは……」

惚れたことも、惚れられたこともない私だ。

正直どう言っていいかわからない。

こんなことで頭を悩ますさやかは、やっぱり女の子なんだなと思う。


59 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:47:41.55 HkjdgTdz0 31/114

杏子「いいんじゃねえのか? 好きなら告っちまえば」

するとさやかは肩を落とした。

さやか「それが、そんな雰囲気でもなくって……」

さやか「昨日、恭介の好きなクラシックのCD持ってったら……」


だんだんとさやかの顔が青ざめていく。

その話は、聞いていても全然楽しいものじゃなかった。

61 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:48:48.02 HkjdgTdz0 32/114

杏子「まあ、そりゃお前が悪いな」

さやかが気落ちしてんのは見て取れたけど、あえて弁護しなかった。

さやか「ええ~?……やっぱりか……アンタもそう思うんだ」

――自分でもわかってるんだな。


私も鬼じゃない。

私は好きな奴にプレゼントを叩き割られたさやかが、どんな想いだったのかはわかる。



誰もそんなこと望んでいないのに、良かれと思ってやったことが、仇になる。

同じような間違いを、誰もやるんだな……。


『経験が足りないガキにはよくあることだ』

オッサンもそう言ってたっけ……。

62 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:50:32.59 HkjdgTdz0 33/114

さやかはダルマのように丸くなって、目をうるうるさせている。

さやか「あたし、恭介が苦しんでるのに何もできなかった」

さやか「まだ頑張ればって言ったら、医者に匙を投げられたって……」

さやか「悔しくなって医学書――神経系の本を読んでみたけど、何書いてるかさっぱりで……」

声は、燃料切れのへりのように失速。

代わりにそのエネルギーが涙腺に注入されたかのように、目元からぽたぽた溢れてくる。

64 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 21:51:54.14 HkjdgTdz0 34/114

杏子「お、おい……」


さやか「力に慣れないあたしが……恭介のバイオリンが大好きなあたしが傍にいることが、多分恭介の重荷にしかならないんだろうなって……」

参ったな……。なんて声をかけていいんだ?

杏子「…………」

66 : 1[] - 2012/09/21 21:54:47.70 G3X/UBjk0 35/114

暫く考えた末、私は気づいた。


多分病院でCDを叩き割られたさやかも、

今の私と同じ気持ちだったんだろうなと。


自分ではない……

大事な人が苦しんでるのを見て何も出来ない自分が悔しくて……

でも実際に苦しんでる方は――今のさやかはきっと、ただ涙を溢すことしかできなくて。


何の力にもなってやれなくて、悔しい。

決して涙は出なくても、胸が痛い。

68 : 1[] - 2012/09/21 21:56:17.40 G3X/UBjk0 36/114

杏子「さやか」

ベッドの上に座る私はさやかに向かって手を伸ばした。

さやかは私の手をとると、無言でその体重を私へ預けてきた。

『ごめんね』とさやかは謝る。

胸元にさやかのひたいが押し当てられるが、

頭をなでてやると、不思議と私のほうが落ち着いた心地がしてきた。

力になれない自分の非力さを痛感しながらも、

さやかに頼られているような……そんな気がして……。

『嬉しい』と思う自分に、腹立たしさと、申し訳に絡まれて――。

気がつくと私は両手で、さやかの頭を抱えていた。


――何の力にもなってないのに、私はいい気になって……。

69 : 1[] - 2012/09/21 21:57:23.64 G3X/UBjk0 37/114

――さやか。

いつも周りに笑顔を振りまいてるこいつが、こんなに脆いなんてな。

大好きって気持ち――眩しいし、羨ましい。


そんなところが女の子らしいよ。本当。


尽くして、想っても報われないところが、アタシとそっくりだ……。

杏子「……」

71 : 1[] - 2012/09/21 21:58:06.14 G3X/UBjk0 38/114

さやかは子犬をあやすような感覚でしょっちゅうわたしを抱きしめてくる。

近くにいるといい匂いがして……

とがってた私を、……何度も腕の中に引寄せてくれたな。


今は全く逆の立場だった。

――切ない。

変だな。

人に手を差し伸べた経験がほとんどないせいかな。


さやかを抱きしめると、なんでこんな切ない気持ちになるんだ?


73 : 1[] - 2012/09/21 21:59:17.35 G3X/UBjk0 39/114

さやか「そろそろ、ケーキが焼けるね……」


赤く腫れた瞼をしたさやかは、何事もなかったかのように言った。


杏子「おう、そんな時間かな……」

香ばしいかおりがさやかの部屋までぷんぷんと匂ってきた。

でも頭の中にケーキのことはなかった。

さやか「じゃあ、行こっか!」

さやかの重さが、私の身体から離れた。

ほっとしたような、何か寂しいような、不思議な心地がした。


さやかと目が合うとなんか胸の奥がじんってなって、思わずあさっての方向をむいてしまった。

さやか「どうかしたの?」

杏子「……なんでもないよ」


焼けたケーキを二人で食べて、『おいしいね』とさやかは笑っていた。

74 : 1[] - 2012/09/21 22:00:36.68 G3X/UBjk0 40/114

~路地裏~

ゆま「マミお姉ちゃん!大丈夫?」

マミ「え、ええ……かすり傷だから」

ゆまの手が光ると、マミの膝の出血が止まり、みるみるうちに傷口が塞がっていく。


マミ「ありがとう。もう大丈夫よ」

ゆま「けがしたら、ゆまがなおしてあげるね」

にっこり笑うゆま。

杏子「先輩。しっかりしてくれよ」

マミ「あら? 佐倉さんだって随分と痛かったんじゃない?」

杏子「これぐらい大したことないさ」

ゆま「だめだよ。キョーコもはやくこっち来て」

杏子「しゃあねえな……」

75 : 1[] - 2012/09/21 22:01:46.95 G3X/UBjk0 41/114

路地裏に巣食う魔獣は、そこそこに手ごわかった。

マミの救援要請をもらった時は驚いたが、なるほど、これは納得した。


マミ「わざわざ来てもらって悪いわね」

杏子「いいって。約束通りグリーフシードさえ貰えればな」

マミ「それなら全然構わないわよ」

杏子「アタシはいいけどよ……見滝原にはもう一人いるんじゃなかったのか?」

魔法少女が。

その話は、以前からマミに聞いていた。

マミ「ええ……」

マミは困ったように、ため息を付いた。

こいつが手を焼くような問題児なのか?

78 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 22:03:14.43 G3X/UBjk0 42/114

杏子「どんな奴でも、お前が本気出せば大抵の奴は黙るだろ?」

大体、この街はこいつの縄張りだっていうのに、なってねえぞ。

マミ「そんなことはしないわよ。それに暁美さんは私でも一筋縄では行かなさそうだし」

杏子「へえ、そんなすごい魔法少女なのかい?」

マミ「ええ。まあ、その話は今はいいわ。今日はありがとう」

杏子「またな!」

マミに別れを告げ歩き出し、ゆまが手を振ると、マミもそれに応えてくれた。

79 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 22:04:01.94 G3X/UBjk0 43/114

魔装を解除すると、鼻歌交じりに帰路を二人で進む。

杏子「大漁、大漁♪」

ゆま「これでしばらくだいじょうぶだね、キョーコ?」

杏子「まあな」

大きなグリーフシードが手に入ったこともそうだが、マミに呼ばれたことが私は嬉しかった。

マミに頼られたこと。

なんだかんだで、やっぱりあいつの生き様というか、考え方はすごいって思ってる。

――私もあんなふうになれればよかった。



ゆま「ねえ、キョーコ、あれ!」

81 : 1[] - 2012/09/21 22:05:13.80 G3X/UBjk0 44/114

何をそんなに狼狽えているのだろうと、ゆまの視線を追ってみた。

そこには、千鳥足でふらつく「さやか」の姿があった。


杏子「さやか!」


その方向に走って、名前を呼ぶもまるで人形のように生気が感じられなかった。

杏子「……魔獣のせいか!?」

どこか近くに敵がいるのだろうか……。

さやかをこんな目に合わせやがって――許さねえ。

すぐに魔力の気配を辿って、敵の居場所を探知する。

ゆま「キョーコ!?」

杏子「お前はさやかを頼む」

ゆまにさやかの身体を預け、私は夜の路地へとかけ出した。

83 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 22:06:18.93 G3X/UBjk0 45/114

――やっぱり、苦しんでたんだな……さやか。

魔獣の狙うのは心に闇が住んだ人間だ。

奴らにターゲットにされたってことは、相当思い悩んでたってことだ。


あのケーキを作った日、さやかが、この胸の中で泣いていた時の記憶がよぎった。


幼馴染が、そんなに心配かよ。

私じゃ力になれなかったのかよ……。

84 : 1[] - 2012/09/21 22:07:23.33 G3X/UBjk0 46/114

波動の気配が濃くなったかと思うと、目の前に深い霧が現れた。

霧に溶けるように、それは消えてしまった。

杏子「畜生、どうなってやがる?」

集中しようにも、余計な考えが邪魔して上手くいかない。

その霧の中から、蛍火のように仄かに光が灯った。

奴らの攻撃は、そこから放たれる。

杏子「って……それじゃせっかくの隠れ蓑が台無しだぞ!」

攻撃をかわし、私は長槍を変幻させ、糸状の光線が放たれる方に向け――刺した。

確かな手応えを感じた。


杏子「やった……」

しかし、何故かまだ緊張感が拭えない。

長年の勘が警告してくる。

『まだ終わっていない』と。

86 : 1[] - 2012/09/21 22:08:16.62 G3X/UBjk0 47/114

魔獣が創りだしたと思われる霧はまだ晴れない。

途端、背中の方で何かが駆け抜けていくような疾風が沸き起こった。

――まさか、私は誘い出された?



さやかが危ない。

ゆまがついているとはいえ、気を失ったさやかを庇いながら戦う力はないだろう。


底冷えする空気に、汗が身体に纏わりついてた。

じめっとした手でグリーフシードの欠片を握り締め、

持てる全てのちからを使って跳躍した。


87 : 1[] - 2012/09/21 22:09:01.46 G3X/UBjk0 48/114

案の定、そこは結界のような霧の中だった。

ゆまがさやかの身体を支えながら、敵に襲われている。


杏子「おい、こっちだ!」

その言葉を発した時だ。


私は『視線』に捉えられた。


思わず戦慄した。

体中の血液の流れがとまってしまったように、一切の動きがとれなくなった。


魔獣にびびったからではない。


ただ、見つめられたからだ。


魔法少女、佐倉杏子を、一人の人間に見られた。


88 : 1[] - 2012/09/21 22:10:14.45 G3X/UBjk0 49/114

私は何かとても良くないことがこれから起こるような気がして――

とくとくと心臓が高鳴るのを感じた。

なんなんだ、この胸騒ぎは?


たかが、姿を見られただけじゃないか?

このまま魔獣を片付け、『なにか悪い夢でも見てたんじゃないか』とすっとぼければいいだけの話だ。

それなのに、私はこの先に待っている結末が、まるで一度見てきたように、ハッキリと不吉なものだと思えた。

そんな馬鹿な話があるのだろうか!?


魔獣がこちらに向け、攻撃を仕掛けてくると世界は再び動き出した。

私は不安を振り払うように聖職者の格好をした、人型のそれに刃先を突き立てた。


89 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 22:11:25.79 G3X/UBjk0 50/114

ゆまの死んだ魚のような目でこちらを見るさやかの掠れた声が届いた。


さやか「杏子なの……? それに、ゆまちゃん?」


絶対に見られてはいけない。

なぜ?

取り返しのつかない失態を犯してしまった気がする。


魔法少女が一般人に見られていけない、正体がバレてはいけないという決まりはない。


ただ――。


いけないのだ。

さやかにだけは、絶対に見られてはいけないのだ。

90 : 1[] - 2012/09/21 22:13:15.38 G3X/UBjk0 51/114

~バイト中~

杏子「ありがとうございました!」

朝の開店直後は、最も忙しい時間帯だ。

焼き上がりのケーキの匂いに惹かれてか、近所の主婦たちがこぞってお目当ての品物を買いに来る。

叔父「順調か?」

杏子「ああ、オッサンか……」

叔父「店長だ。いい加減改め直せ」

てっきりげんこつがくると覚悟していたが、鉄拳が頭を強打することはなかった。

たとえいかずちが落ちても、それを避ける気力が今の私にはない。

92 : 1[] - 2012/09/21 22:14:02.90 G3X/UBjk0 52/114

叔父「……まぁ、順調ならいいがな」

オッサンの声は右から左へとすらすら抜けていく。

仕事を疎かにする気はない。

店に迷惑をかけることは、世話になってる身で絶対にありえないことだった。

ただ――誰とも話したくなかった。

93 : 1[] - 2012/09/21 22:15:22.18 G3X/UBjk0 53/114

~路地(昨日)~

私はさやかになんて説明していいかわからず、うろたえていた。

そこへ当然のようにやって来たのが、あの白い獣の存在だ。

不吉の塊が、姿を表した。


杏子「消えな――アンタの出る幕はないから」

QB「そんな構えなくてもいいんじゃないかな? ぼくはただこの状況がどんな経緯で引き起こされたのか、それをさやかに話に来ただけなんだけど……」

さも悪びれもなく言うが、こいつが現れた理由なんて、たった一つしかない。

魔法少女の契約。さやかに契約を結ばせるために現れたに間違いなかった。

刃先を獣に近づける。

さやか「ちょ、きょう……」

杏子「さやかは黙ってな!」

さやかは、私の殺気に気圧されてか、獣は思わず言葉を失っていた。

94 : 1[] - 2012/09/21 22:16:17.72 G3X/UBjk0 54/114

QB「やれやれ……」

その不吉な赤い目をした獣は、どこかへと姿を消えてしまった。


ゆま「キョーコ。キュウべぇはわるくないんじゃないかな?」

そう思うのは、お前が被害者だと自覚してないからだ。

後で説教だな。

96 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 22:17:00.43 G3X/UBjk0 55/114

私は変身をといてさやかに手を伸ばした。

杏子「立てるか?」

怯えながら、躊躇いがちに私の手を取る。

杏子「さやかには私から話をする。お前はとっとと帰れ。ゆま。お前も先に戻ってるんだ 」

ゆま「じゃあ、またあとでね」

こういう時聞き分けのいいゆまは、本当にいい子なんだなと感心する。


97 : 1[] - 2012/09/21 22:18:54.22 G3X/UBjk0 56/114

魔法少女に関する話を、さやかにしてやった。

わたしとゆまの過去、願いに関する説明は省いて。

杏子「そんなわけで、アタシはあいつと契約して魔法少女になった」

さやか「うん……」

さやかもどう反応していいか、返答に困っているように思えた。

杏子「ゆまもアタシも、こんなこと好きでやってるわけじゃない」

さやか「でも、誰かがやらなくちゃいけないんだよね? あんな奴らに襲わたら……」

無意識になっていたとはいえ、夢遊病者の様になってしまたのがショックだったのだろうか?

もしかしたら、魔獣にまた狙われるかもしれないと怯えてるのかもしれない。


杏子「大丈夫だ、いざとなったらアタシがいる。ゆまだって」

98 : 1[] - 2012/09/21 22:19:49.68 G3X/UBjk0 57/114

しかし、さやかの悩みの種はそんなことではなかった。

さやか「ねえ、さっきのちっこいのが来たってことは私にも、その資格があるってこと――」

杏子「馬鹿言ってんじゃねえっ!?」

堪えきれなくなって、さやかを怒鳴りつけてしまった。

さやか「!?」

杏子「あ、悪い……つい」

100 : 1[] - 2012/09/21 22:20:28.24 G3X/UBjk0 58/114

私はゆまを魔法少女にしてしまったことを本当に後悔してた。

私のせいで、あの子の未来は決定してしまったのだ。

どんなリスクを背負うかも理解できないガキが、

ボロボロの綱の上を歩いていかなくてはいけなくなった。


さやかには、そんな風になってほしくない。


101 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 22:21:23.78 G3X/UBjk0 59/114

杏子「いいか? この仕事は資格があるとか、誰かがやらなきゃとかでやるもんじゃない」

杏子「そうしなきゃならない、どうしょうもない人間が、歯を食いしばってやってんだよ!!」

さやか「杏子もどうしょうもない理由があったの?」

杏子「アタシは――」

――あった。

あの時は、ああするしかなかった。

でも……

杏子「アタシは、間違ってたんだ」


私の唇が歪んでいるのを見て、さやかはどもりながら訊く。


さやか「人のために何かしたいと思うことが間違いなの?」

103 : 1[] - 2012/09/21 22:23:33.46 G3X/UBjk0 60/114

やっぱり――。

悪い予感は当たっていた。

こいつは、すでに魔法少女になろうとしている。

頭の中に『契約』の二文字がよぎっている――。


杏子「人のために何かして、アンタは失敗したばかりだろう?」

さやか「あれは……」

そういうと、さやかは黙ってしまった。

病室で寝ている少年のこと、

よかれと思ってCDを差し出したが真っ二つに砕かれたことを思い出したのだ。

自分の思い上がりが思わぬ結果を招くこともある。

105 : 1[] - 2012/09/21 22:24:47.25 G3X/UBjk0 61/114

杏子「幼馴染みは、さやかの未来を犠牲にしてでも、バイオリンを弾きたいって思ってるのか?」

さやか「!?」

さやかは望みを言い当てられて焦ったようだ。

杏子「言わなくてもわかる。アンタは自分の願いでそいつの手を治せたらって考えてんだろ?」

杏子「馬鹿なことは止めろ!」


106 : 1[] - 2012/09/21 22:26:18.27 G3X/UBjk0 62/114

私は人の為に願いを叶えて失敗した。

父が貶められることも……

そのせいで妹や母がどんどんやせ細っていくのも……

それをただじっと黙って見ていることも……

私には我慢できなかった。

だから、みんなが幸せになれる方法は、ただひとつしかないと思った。

思い込んでいた。

信者ができれば――みんながオヤジの話を聞いてくれれば全てうまく行くって。

108 : 1[] - 2012/09/21 22:27:39.60 G3X/UBjk0 63/114

あの時は、私は魔法少女になるしかなかったんだ。

それは今でも仕方なかったと思っている。

オヤジも、母さんも、あのままじゃ救えなかった。

私には二人を助けるだけの力がなかったから。


でももっとシンプルな願いを叶えるべきだったんだ。

たとえば、金をくれ……とか。

オヤジの話を聞いて貰えないのが悔しいからって、人の気持ちまで踏みにじっていいはずがなかった。


109 : 1[] - 2012/09/21 22:29:23.48 G3X/UBjk0 64/114

さやか「でも、恭介は……」

杏子「大人になれないまま死ぬんだぞ?」

杏子「自分の命を張ってまで、どうして他人の心配ができる? アホじゃないか!?」

杏子「そんなことをして、他人が幸せになったとしても、お前の幸せがそいつに逃げていくだけだっての!」

言葉にしてから、私はああ、言ってしまったなと後悔した。


他人の妄想や決めつけなどに耳をかすほど、

目の前にいるさやかは人間ができていないことを知っていたからだ。


つい口走ったのは、不吉な予感が拭えなかったから。

キュウべぇと契約を交わし、魔法少女となったさやかの姿が浮かんで――

それをなんとしても止めなければと、焦っていたせいで。


けど、その一言は、さらにさやかを追い詰めた。

110 : 1[] - 2012/09/21 22:31:19.60 G3X/UBjk0 65/114

さやか「わたし……間違ってるの?」

さやか「ただ、あいつのバイオリンがもう一度聞きたいだけなのに――」


ついにさやかから『願い』を口にさせてしまった。


まるで一本の糸が、この先ずっと続いていて、私にだけそれが見えた。

何か逆らえない、不気味さを感じながらも――。


私は言いようのない怒り、そして恐怖を覚えた。


杏子「本当にアンタの願いは、そんな綺麗なもんなの?」

杏子「もっと、泥臭いもんだろ、人間て」

111 : 1[] - 2012/09/21 22:33:01.61 G3X/UBjk0 66/114

――その恋焦がれるような眼差しはなんなんだ?

お前は、笑顔を取り戻した幼馴染みと恋人になることを期待してるんじゃないのか?

さやかだって気づいているはずなのに、それを私が口にしてしまったら、もう今までの関係ではいられなくなる。

――ダメだ。



杏子「アンタはただ、幼馴染に好いてもらいたいだけじゃないの?」


112 : 1[] - 2012/09/21 22:35:47.78 G3X/UBjk0 67/114

それはとっくに私が踏み込んでいい領域を超えていた。


考えてみれば、契約する、しないはさやかの自由なのだ。

ゆまと違って、こいつは未来を代償にする意味を理解できるはず。

覚悟を決めたとき、さやかの決断を止める権限が私にあるのか?

けど、むかむかとした気持ちが止まらないのだ。

胸の奥が閊えるような、今の少年に想いを寄せるさやかを見ていると特に。

そいつの為にさやか自身の一生を棒に振ることが、何か大切なものを奪われてしまうような気がして……。


114 : 1[] - 2012/09/21 22:36:54.42 G3X/UBjk0 68/114

杏子「アタシが言えるのは、魔法少女になっても何もいいことなんてないってこと」

杏子「それと……」

だけど、私にそのもやもやした気持ちを伝える術はなかった。

気持ちの出処は不明であるし、それは私の願望でしかないからだ。

だから、私は現状でできる精一杯の抑止力で、さやかに待ったをかける。


杏子「グリーフシードの為に、私はアンタと敵対するかもしれない」

杏子「場合によっちゃアンタを潰してでも奪い取る」


115 : 1[] - 2012/09/21 22:37:36.52 G3X/UBjk0 69/114

~バイト中~

杏子「なあ、オッサン」

叔父「店長だ!」


杏子「店長。アタシさ店辞めるかも」

叔父「却下だ」

杏子「どうして?」

叔父「お前、どこかに行く宛があるってのか?」

杏子「ない……」


叔父「今度、下手なこと口にしやがったら、放り出すぞ」

杏子「うぃ」


もし、さやかが契約したら……。

そんなのもう……。

合わせる顔がないじゃないか。

116 : 1[] - 2012/09/21 22:38:14.98 G3X/UBjk0 70/114

私は仕事が終わると、キュウべぇがさやかに近寄らないか張り込みをするようになった。

当然、あいつは性懲りもなくあらわれる。


QB「僕の邪魔はやめて欲しいんだけど……」

QB「契約をするかしないかはさやか自身の問題だろう?」

もっともだ。


杏子「アタシだって、馬鹿は放っときたいよ」

杏子「だけどこっちにも、義理、人情ってものがあるんだよ」

さやかだけじゃない。

さやかが死んで悲しむ人の顔も見たくない。

QB「なら、本人にキミがさやかに合理性を説いてあげればいいじゃないか」

QB「それは止めはしないし、さやかが望まない限り、一方的な契約なんてしないんだから」

それが出来れば苦労しないってんだ。

118 : 1[] - 2012/09/21 22:39:00.78 G3X/UBjk0 71/114

杏子「いっそのこと、夢だったってことにしちまえばいいんだよ」

QB「というと?」

杏子「アタシもゆまもすっとぼければ、あいつは夢だったと思い込む」

杏子「でもアンタがいると、嫌でもあれが現実だってって思い返すだろ?」

QB「どうだろうね。たとえ誤魔化せたとしても、もう無理だと思うよ?」

QB「さやかとは何度か接触済だ。契約は渋ってるけどね」

つまり、こいつはあれから何度かさやかに会ってる……

あるいはテレパシーで会話してるってことか。

杏子「ここで見張ってるのは無意味ってことか……」

QB「全くね」


じゃあ。

殺るしかないよな。

119 : 1[] - 2012/09/21 22:40:11.77 G3X/UBjk0 72/114


私は殺気を槍の先に集中させ、白い獣めがけて

――それを貫いた。

血しぶきが飛ぶこともなく、空洞が空き、穂先にささったものを片手で掴んだ。


杏子「悪いな……」

不思議と罪悪感が沸かなかった。 生き物を殺したという感覚がしなかった。

さらに魔法少女が生まれなくなったら、この先どうなるかとか、

私のしでかしたことの重さなんてものも考える気、責任をとる気はなかった。


さやかを守れた。

それが私には何より大切だった。

121 : 1[] - 2012/09/21 22:43:39.62 HkjdgTdz0 73/114

死体を革製の袋にいれ、どうせなら隠れ家の庭にでも埋めてやろうと思った。

私の都合で殺してしまったのだ。


これがマミに知られたら怒られるかな……なんて、呑気なことを考えながら帰路につくと、

『おそいよっ!』と顔を膨らせたゆまにまず一喝食らった。


ゆま「キョーコはさいきん、さやかお姉ちゃんのところであそんでばっかだよ……」

ゆまには、さやかのところで遊んでると告げていた。

杏子「悪かった。明日からもう大丈夫だ。銭湯でひとっ風呂浴びて、機嫌直そうぜ?」

ゆま「ほんと? じゃあキョーコの背中流してあげるね」


くしゃっと微笑むゆまを見て、私は安心しきっていた。



夜の闇の中で蠢く『赤い瞳』が、わたしを捉えていることなど、知る由もなかった。

122 : 1[] - 2012/09/21 22:45:57.95 HkjdgTdz0 74/114

~バイト中~

叔父「憑き物が落ちたみたいだな?」

張り切るわたしをみて、オッサンは顎に手を当てながら言った。

杏子「まあな。心配事がなくなったんだ」

叔父「みたいだな。さやかと何があったかは知らんが」

杏子「な、なんでわかんだよ?」

このオッサン、エスパーなのか?

叔父「電話があったからな。お前がどうしてるか聞かれたぞ」


は~ん。そういうことか。

123 : 1[] - 2012/09/21 22:47:32.24 HkjdgTdz0 75/114

杏子「さやかは元気そうだった?」

叔父「変わりはなかったな」

叔父「それより新人。さやかにケーキを教わりに行ったそうだが」

杏子「お、おう……」

しまった、オッサンの耳に入ったか。

さやかのアホ! 気まずいじゃねえか。

オッサンにはあの件完全にオフレコだったし、コソコソしてるみてぇじゃねえか。

叔父「お前ケーキ作りに興味があるのか?」

124 : 1[] - 2012/09/21 22:48:34.75 HkjdgTdz0 76/114


お、おこってるわけじゃないのか?

杏子「えっと……いや、別に……あるってほどじゃ」

ケーキ作り自体にそこまで興味があったわけじゃない。

叔父「どっちだ?」

杏子「食べ物絡みのことは、嫌いじゃない」

叔父「ほぉ……」


言ってから、わたしらしい答えだなって思った。


125 : 1[] - 2012/09/21 22:49:31.84 HkjdgTdz0 77/114

で、なぜか気づくと、工房の中で、ビスケットを粉々に砕く作業をしていた。

叔父「雑過ぎる。こうだ!」

隣で棒で叩くのを見せてくれるが、同じようにやろうとしても、上手くいかない。

杏子「うっす!」

思った通りだ。

つくづく、オッサンに頼まなくてよかったと思う。

127 : 1[] - 2012/09/21 22:50:40.00 HkjdgTdz0 78/114

私は『教えてくれ』と頼んだわけではない。

何を思ったのか、オッサンはいいからやってみろと指示をされた。

叔父「よし、そんなもんだろ」

叔父「次、叩いたものにゴムベラで均一になるように溶かしたバターを混ぜろ」

杏子「えっと……こうか?」

叔父「そうだ。しっとりしてきたら、この型ん中に詰めるんだ」


128 : 1[] - 2012/09/21 22:52:35.91 HkjdgTdz0 79/114

そこへ、ゆまがやってきた。

ゆま「あれ?今日はケーキ売りに行かないの?」

もうそんな時間か?

杏子「オッサン、時間だ」

叔父「下準備はもうすぐ終わる。オーブンで焼くまで、投げ出すな」

杏子「いいのか? 仕事は」

叔父「うるさいわ。いいからさっさと終わらせろ」

杏子「そういうわけだ。ちょっと待ってろ!」

ゆま「う、うん」

131 : 1[] - 2012/09/21 22:56:36.85 G3X/UBjk0 80/114

生クリームと牛乳を液状になったクリームチーズの中に混ぜあわせ

そこに檸檬と薄力粉を振ってかき混ぜた。

叔父「よし、それをさっきの型の中に流し込め」

杏子「うっす!」


おお、よくわからんが、

なんかいつもオッサンが作ってるケーキの生地っぽいものが出来た!


私でも出来るんだな……。


叔父「あとは、オーブンで焼いとく。行ってこい」

杏子「わかった。よろしく」

133 : 1[] - 2012/09/21 22:58:13.77 G3X/UBjk0 81/114

団地へ続く坂を登りながら、ゆまは私に話しかけてきた。

ゆま「おじさん、うれしそうだったね」

杏子「マジかよ? アタシにはいつも通りにみえたけど」

ゆまは人の機微に鋭いところがある。

杏子「あのオッサンが何考えてるか、時々わかんねえ」

どうしてあの人はケーキ作りを半ば無理やりやらせる気になったのか。

まさか、私に店のケーキを焼かせるわけじゃないだろうし。


ゆま「ゆま、キョーコが作ったケーキ食べてみたいな」

杏子「オッサンの方が絶対うまいぞ」

見た目はともかく、味は保証できないからな。


134 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 23:00:01.28 G3X/UBjk0 82/114

私たちは売上を持ってケーキ工房へと戻った。

調子はまずまずと言ったところだ。

杏子「オッサン、戻ったぞ!」

大きなげんこつが、出迎えてくれた。


叔父「……本当に学習しない奴だな」

どうもこの人を店長と呼ぶのには抵抗があるのだ。

外見がいかにもシェフや、経営者っぽくない。

どっちかというと、中東で突撃銃や手榴弾をもって戦ってそうなイメージ。

本人は若くみられないことがひどく癪にさわるみたいだが、

貫禄で実年齢を言い当てられるものは家族と友人をおいていないだろう。

138 : 1[] - 2012/09/21 23:02:51.50 G3X/UBjk0 83/114

杏子「で、ケーキはどうなった?」

叔父「もう焼きあがってる」

焼きあがったケーキを見て、私は震え上がった。

うまそうな焼きたてチーズケーキが、机の上に置かれていた。

杏子「味見していいか?」

ゆま「ゆまもたべる!」

カバンから試食用の使い捨てスプーンを取り出して、一きれきりとった。


杏子「うめぇ!」

ゆま「キョーコ、おいしいよ!」

自分で作っておいてなんだけど、これはいけるんじゃないか?

140 : 1[] - 2012/09/21 23:05:37.84 G3X/UBjk0 84/114

叔父「上手いのは当たり前だ。言われる通りのレシピでやってんだ」

杏子「なるほど、あのノウハウにはオッサンのケーキ職人としての人生が詰まってるんだな!」

食べ物にとことん目がない私は、目を輝かせてオッサンを見つめていた。

その眼差しを受けてか、オッサンは一歩引いているようだった。

叔父「そんな大層なもんじゃないぞ……」

杏子「なぁオッサン。他にも教えてくれよ!」

叔父「せめて人にものを頼む時ぐらい、呼び方には気をつけろよ……」

オッサンは深い溜息をついた。


ゆま「えへへ、おいしい」

ケーキを食べてご満悦なのか、ゆまはやけに嬉しそうだった。

141 : 1[] - 2012/09/21 23:07:16.33 G3X/UBjk0 85/114

私は作ったケーキをどうしてもさやかに食べてもらいたくて、箱の中に詰め込んだ。

もしかしたら、まだ例の少年のことで心を痛めているかもしれない。

ゆま「それ、さやかお姉ちゃんにもっていくの?」

杏子「ああ、ってよくわかったな」

ゆま「キョーコうれしそうだったから……」

そこからどうしてその結論を導き出せるのかはわからなかった。

ゆまが私のことをよく見ているんだな、とつくづく感心した。

杏子「お前もついてこい。みんなで、ケーキ食おうぜ!」


――あいつが家にいれてくれれば、だけどな。

142 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 23:07:48.51 G3X/UBjk0 86/114

ゆま「ねえキョーコ、キョーコはケーキつくるの好き?」

杏子「ケーキを作るのが?」


さやかと一緒に作ってる時は楽しかった。

でも料理じゃなくてもあいつとなら大抵のことは楽しめるだろな。

杏子「どっちかっていうと食べることが好きだな。圧倒的に」

ケーキを作ること自体が楽しいわけじゃない……と思う。

杏子「料理の醍醐味を知るには、アタシはまだ未熟過ぎるんだろう」

ゆま「どういうこと?」

杏子「ただ指示をもらって、卵かき混ぜたりしてるだけだもん」

杏子「アタシが一から作ったわけじゃない」

ゆま「う、うん」

ゆまには少し難しかっただろうか?

別に伝わってなくてもいい。

146 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 23:11:36.65 G3X/UBjk0 87/114

杏子「ゆまは、どうだ? 叔母さんに迷惑かけてないだろうな?」

ゆま「えへへ。まいにちちゃんとおてつだいしてるよ!」

杏子「休みの日にもわざわざ行くぐらいだもんな。楽しいか?」

ゆま「えっと……うん!楽しい」

なんだ?なんか躊躇ったみたいだけど。

ゆま「それより、キョーコ。ゆま、もっとキョーコのケーキたべてみたいな」

杏子「なんでだ? アタシが作るよか、オッサンの作った方がよっぽど上手いだろ」

ゆま「今日のは、同じぐらいだった!」

杏子「そ、そうか?」

お世辞でも嬉しかった。

見栄えはオッサンにはかなわなかったけど、味だけ見れば私も悪くないと思っていた。


杏子「オッサンの前でそういう事言うのだけはやめてくれよ」

じゃないと、ケーキがもらえなくなるからな。

148 : 1[] - 2012/09/21 23:15:43.40 G3X/UBjk0 88/114

私たちは足を揃えて、マンションの一室の前で並ぶ。

ゆま「ピンポンするね」

ゆまは精一杯背を伸ばし、呼び鈴を鳴らした。

すると、インターフォンからさやかの母親らしき人の声がした。

杏子「すいません、佐倉といいます。さやかさんはいますか?」

「ちょっと待ってね。今呼んでくるわ」

151 : 1[] - 2012/09/21 23:19:50.35 G3X/UBjk0 89/114

私の胸は既に躍っていた。

ケンカしたとはいえさやかに会えるのは嬉しかったのだ。

杏子「このケーキ、アタシが作ったって、さやかには内緒な」

ゆま「どうして?」

杏子「びっくりさせるんだよ!」

もしかしたら、本当にオッサンが作ったものと信じこんだら……。

そんなドッキリがさやかの最高の手土産になると私は思っていた。



そして――ドアが開いた。

153 : 1[] - 2012/09/21 23:20:35.88 G3X/UBjk0 90/114

杏子「さや――」

私は自分の目を疑わずにはいられなかった。

その肩に乗っている小動物はなんだ?

どうしてお前がそこにいる?


いや、それより。

さやかの指にはまっているモノを見て、凍りついた。

新しく青く光を湛えるそれは、魔力の源を形どった指輪。

腸が煮えくり返るよりも、黒い感情がどっと押し寄せて、目の前が真っ暗になる。


さやかは既に、魔法少女の契約をかわしていた。

156 : 1[] - 2012/09/21 23:23:00.99 G3X/UBjk0 91/114

さやか「あはは…まぁ、そういうことだからさ」

杏子「触るなっ!!」

伸ばしてきたその手を払いのける。

さやか「いたっ! ちょっと、何すんのさ」

ゆま「キョーコ……けんか……よくないよ」

どうやらゆまもさやかの異変に気づいていたようだった。

私とさやかの間に割って入る。

157 : 1[] - 2012/09/21 23:23:48.64 G3X/UBjk0 92/114

さやかの他に殴りつけたい獣を睨みつけた。

QB「どうしたんだい、杏子?」

杏子「てめぇ、どうして生きてやがる? アタシが始末したはずだろ?」

QB「確かに君には肉体を破損させられたね。でも、それは僕という個体じゃない」

――どういうことだ。


QB「君は、ボクがこの見滝原付近に留まっていて、なぜ世界中の魔獣に対処しきれているか不思議に思わなかったのかい?」

QB「南米、北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ。世界は広いんだ。さすがにボクひとりじゃ、この地球一つの面倒をみきることができない。あちこちで魔法少女を誕生させなければ、魔獣で溢れかえってしまうだろうね」


手品のタネを見せられた時のように腹がたった。

そんなことに気づかなかった、愚かな自分への怒りだ。

思わず壁を殴りつけてしまった。

161 : 1[] - 2012/09/21 23:27:36.47 HkjdgTdz0 93/114

一瞬で長槍を具現化させ、怒りに狂った私は、その動物も串刺しにした。

さやか「ちょっと杏子――」

杏子「どうして、アタシの忠告を聞かなかった?」

さやか「それは、あたしにだって叶えたい願いが――」

杏子「魔獣と戦うことが、少しも恐ろしいことだと思わなかったのか!? お前の未来を差し出すことを、何も躊躇わなかったのか?」

ゆま「ちょっと、やめて、キョーコ」

すぐさま私のことを引き離すゆま。

163 : 1[] - 2012/09/21 23:29:24.30 HkjdgTdz0 94/114

さやかの瞳に、難色――アタシへの不信感が溜まっているように思えた。

さやか「なんでアンタそんな私が契約することに不満なわけ?」

さやか「グリーフシードの取り分が減るから?」

もう滅茶苦茶だ。

杏子「お前は、ゆまより理解があるって思ってた」

杏子「ハッキリいって最悪だ……幻滅だ。お前は、最低、最悪の大馬鹿野郎だ!!」


パシン!


その時、さやかは私の頬をめがけて、平手打ちをしていた。

164 : 1[] - 2012/09/21 23:31:30.73 HkjdgTdz0 95/114

なんで?

痛みを感じるより前に、何が起きたかわからず、さやかの顔を凝視した。

その理由は、顔に滲み出ていた。

さやかは泣いていたのだ。

さやか「どうして、アタシの願いをそうやって否定するの?」

さやか「自分の命より、大切だと思うものが、守りたいと思うものがあるんだよ?」

さやか「アンタがなんで魔法少女になったか知らないけどさ」

さやか「杏子なら、わかってくれるんじゃない?
自分の守りたかったものを…それを守るに値しないなんて言われたら、あんた怒るよね?
黙っておけないよね?
アタシは嫌だ。 あんな恭介を見てるの、耐えられなかった。
恭介が、苦しんでるのに、何も出来ない自分が、悔しくて、腹立たしくて。
なら、私は何のために、ここにいるのって……」


同じだ――。

165 : 1[] - 2012/09/21 23:32:59.46 HkjdgTdz0 96/114

あの時私とさやかは、全く同じ目をしている。 していたと思う。

……恋い焦がれる乙女らしさを除けば。

私はそのしみったれた女々しさというものに、打ち砕かれていた。

ズキン、と胸が痛んだ。

さやか「恭介の才能が惜しいなって、もったいないなって。恭介にはみんなを幸せにする力があるのに、あたしにはなくって。こんな手があっても、私には何も出来ないの。でも、恭介ならそれが出来るんだ。あいつのバイオリンは、きっと世界中の人を幸せにすることができる」

やめてくれ。

――そんなこと聞きたくない。

――そんな目で、そんな熱く訴えないでくれ……。

さやかの口から、幼馴染のことを、止めどない想いを見せつける度に、私の胸の奥で何かが音を立てて崩されていくのだ。

それは形容しがたい痛みで腹の奥底をえぐり、私を苦しめていた。

まともに顔を見ることさえ出来ない。

166 : 1[] - 2012/09/21 23:34:15.00 HkjdgTdz0 97/114

さやか「でもね、才能とか……恭介にはみんなを幸せにできるなんて、本当は関係ないんだ」

さやか「あたしは恭介に元気になって欲しかった。あいつがヘラヘラしながら笑っててくれるのが一番うれしい。気持ちよさそうにバイオリンを弾いてる姿が見たくて」

なんで、アタシにそんなことを云うんだ?

さやか「杏子の言うとおり、恋人になれたらなんて願いを考えなかったわけでもないけど。でも、これがあたしの本当の願い」

さやか「あたしは恭介のこと――」

杏子「もう――いいだろ?」

これ以上は止めてくれ。

さやか「杏子? どうして、あんたが泣いてんのさ?」


167 : 1[] - 2012/09/21 23:34:59.55 HkjdgTdz0 98/114

ゆま「キョーコ……」

ゆまが私に向かっててを伸ばす。

さやかは面を食らっていた。

ゆまは私の胸の中に顔をうずめて、背中を抱きしめてくれた。

――あったかいな。


ゆまの体は温かくて、姿の知れないギシギシという痛みを癒していくようだ。

悲痛な歪んだ私の顔を見て思わずこんなことをしてくれたのか?

ああ、本当に、こいつは私のことを見てるんだな……。


169 : 1[] - 2012/09/21 23:37:01.92 HkjdgTdz0 99/114

私はゆまの頭を二、三回撫でると、涙を拭いてさやかに謝った。


杏子「ごめん」

杏子「別に、アンタの願いを否定する気はなかったんだ」

杏子「ただ――」

杏子「アタシには、さやかの命以上に大事なものがあるなんて信じられなかったんだ」

さやか「杏子……」

杏子「良かったな。恋人が助けられて」

さやか「な、恋人なんかじゃ……」

私は、意地悪を言ったつもりはなかった。

ただ、この願いを叶えたさやかが幸せになれないのだとしたら、それは嘘だと思ったのだ。


私は認めるしかないようだ。

さやかにとっては、それが真実なんだ。

170 : 1[] - 2012/09/21 23:37:32.97 HkjdgTdz0 100/114

その時だ。

恐ろしいほど、底冷えする寒気に私は戦慄した。

レールの上を沿って歩いて行く、一本糸が、私に浮かんだのだ。

その糸の先に、さやかはいなくて……。

何か得体のしれない化け物と無数の車輪の姿が見えるだけだった。

172 : 1[] - 2012/09/21 23:38:52.11 HkjdgTdz0 101/114

杏子「っ!?」

さやか「どうしたの、杏子?」

肩の震えが止まらない……。

どうなってるんだ、なんであんなものが見えた?


杏子「なんでもない――」

私はその正体が何なのかわからないけど、あれがよくないものだということはわかった。

見たこともない化け物だったのに関わらず、

自分とあの化け物が深く関わりがあるようなものと思えてならなかった。

173 : 1[] - 2012/09/21 23:39:31.76 HkjdgTdz0 102/114

このままでは、さやかを失ってしまう気がして

それがたまらなく怖くて……。

自己暗示のように、その言葉を口にしていた。

杏子「守る」

さやか「杏子?」

杏子「アタシがさやかを守ってやる!」

175 : 1[] - 2012/09/21 23:40:33.10 G3X/UBjk0 103/114

さやか「わけがわからないんですけど?」

杏子「いいから!お前は今日からアタシ弟子だ。 アタシのことは杏子様とよべ!」

ゆま「いいな、いいなぁ。ゆまも、キョーコのことキョーコ様って呼ぶから弟子にして!」

杏子「いや、お前は既にアタシの弟子だ。つまりさやかは、お前の妹分ということになる」

ゆま「お~」


176 : 1[] - 2012/09/21 23:41:20.36 G3X/UBjk0 104/114

さやか「え~っと。はい、杏子様」

右手を上げるさやか。

杏子「なんだ?」

さやか「何故アタシは杏子様の弟子にされてるんでしょうか?」

杏子「実践経験のないさやかなんか、コロっとやられちまう。瞬殺でノックアウトだ」

さやか「う、否定できない……」

杏子「だから、アタシがあんたのこと見てやるって言ってんだよ!」

さやか「つまり、あたしと一緒に戦ってくれるってこと?」

杏子「勘違いすんなアホ! さやかが弱っちいから、おんぶに抱っこしてやるっていってるんだ」


177 : 1[] - 2012/09/21 23:41:54.94 G3X/UBjk0 105/114

さやか「わっかんないよ~。意外とアタシの方が強かったりして」

杏子「ぶっ殺されたいのか?ああ?」

さやか「ちょ、まっ……叔父さんのキャラが伝染してるって」


ゆま「えっと、よろしくね。さやかお姉ちゃん」

さやか「ゆまた~ん、よろしく!」

さやかはゆまの頭を柔らかく撫で回していた。

杏子「おらおら、なんだ、姉弟子に向かってその態度は!」

179 : 1[] - 2012/09/21 23:43:17.13 G3X/UBjk0 106/114

私が因縁をつけると、問答無用でさやかは私に抱きついてきた。

杏子「なっ…」

さやか「杏子もありがとう!」

さやかは笑顔で、瞳から涙を溢していた。

魔法少女になったものの、相談できる相手がおらず心細かったのだろうか?

あるいは、これから立ち向かう敵が怖かったのか……。

ただ単に、私と和解ができて嬉しかったのか……わからない。

180 : 1[] - 2012/09/21 23:44:29.26 G3X/UBjk0 107/114


さやかの心の中には、既に例の少年が住んでいるようだ。

それは私がどうこう出来る問題でもないし、悔しいけど認めてやるしかない。

だけど私には、私にしかできないことがある。

いつぞや、オッサンが言ってくれた言葉だ。


182 : 以下、名無しにかわりましてVIP... - 2012/09/21 23:45:02.76 G3X/UBjk0 108/114

~朝~

朝の空気、張り詰めた寒さと緊張感で、私はバイト先に向かっていた。

ゆま「今日もさむいね~」

杏子「だな」

どうやって顔向け出来るだろう?

私は、あの人から大切なものを奪ってしまうことに知れない。

取り返しのつかないことをしたという罪悪感は、未だ消えることはない。

それに加えて、あの夢か幻か――そいつのせいで、さらに気分がすぐれない。

183 : 1[] - 2012/09/21 23:45:37.98 G3X/UBjk0 109/114

傭兵は今日も工房のシャッターを勢い良く開けていた。

ゆま「おはようございま~す!」

ゆまは元気よく挨拶するが、私は声が出なかった

ゆまオッサンの横を駆け抜けて、朝ごはんの支度を手伝うべく台所へと向かった。

叔父「おう。新人、お前もぼさっとしてないで、さっさと手伝え」

驚くほどいつも通りだった。

安堵よりも、私は何だか不思議だなという気がした。


186 : 1[] - 2012/09/21 23:46:38.94 G3X/UBjk0 110/114

杏子「オッサン!」

叔父「あん?」

寝不足気味なのか、不機嫌そうな顔で、こちらを睨みつけてくる。

謝ってゆるされることではない。

それに、何があったかなんて口が裂けても言えない。

それでも私はその言葉を口にぜずにはいられなかった。

杏子「ごめん」

187 : 1[] - 2012/09/21 23:47:11.43 G3X/UBjk0 111/114

深々と頭を下げる。

すると、オッサンはじわり、じわりとこっちへやってきて私を見つめる。

熊に見おろされているような気分だった。

オッサンは、一間置いてから……その拳を私の頭の上に叩きつけていた。

杏子「いてぇ…」

マジで。


188 : 1[] - 2012/09/21 23:47:50.10 G3X/UBjk0 112/114

叔父「いい加減、呼び方を改めたらどうなんだ、新人? いいからさっさと手伝え」

呼び方の方かよ!!

杏子「いや、アタシが謝りたいのは、そっちじゃなくって……」

しばらく沈黙してしまった。

その様子を見るや、オッサンは『早くしろ!』と促すだけだった。

杏子「いや、あの…」

叔父「聞こえなかったのか?」

オッサンは何も言わない。何も聞かない。

アタシが何をやらかしたのかも、何を謝ってるのかも。

よく考えたらおかしい。

190 : 1[] - 2012/09/21 23:49:34.46 HkjdgTdz0 113/114

これは勝手な私の気の勘違いかもしれない。

でも、もしかしたら『何をしたか知らんが、後は自分でフォローしろ、馬鹿野郎』

と言い聞かせているのかも知れなかった。

殴ったのは、その方が私の気が晴れるからだ。

それがあの人の不器用な優しさなのかもと思うと、途端目頭が熱くなるのだった。

191 : 1[] - 2012/09/21 23:50:10.17 HkjdgTdz0 114/114

――守る。

私は何があっても、あの人たちを悲しませたりしない。


オッサンの握り拳には及ばないが、強くこぶしを握りしめ、シャッターをくぐった。


杏子「今日も売りまくってやんよ!」


おわり。


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