~0~
白井『淡希さん……本当によろしいんですの?』
結標『受け取って欲しいのよ。貴女にね』
あれは去る8月10日……わたくし達が向かった終の住処(ぐんかんとう)での出来事でしたの。
彼方に浮かぶ夕月夜が映り込むアンティークショップのウィンドウよりわたくしが見初めたもの。
それはラピスラズリを散りばめられた、ウルトラマリンの漏刻時計(オイルクロック)でしたの。
最先端技術の結晶体である学園都市ではなかなか目にする事のない懐古趣味のそれに心奪われていたところ……
あの方がわたくしにプレゼントして下さいましたの。最初で最後となるデートの贈り物(プレゼント)として。
白井『でも……』
結標『いいのよ』
ですがわたくしは、それを嬉しく思う気持ちと切なく想う気持ちが綯い交ぜとなり入り混じった心待ちでしたの。
これが最後、これが最期と名残を惜しんで後ろ髪引かれるわたくしにとってそれは来るべき別れの時を思わせて。
結標『もし、私の事を――――』
白井『――――――』
半ば強引に握らされ、優しく包み込んで下さったあの方の少し冷たい手指と涼やかな微笑み。
その時あの方の形良い唇から語られた言葉に、わたくしはなんと返して良いかわからずに……
ただただあの方が告げた言の葉の一つ一つを反芻しておりましたの。静寂(しじま)の中で。
結標『――――なら受け取って。黒子』
白井『そんな言い方は……とてもとても……卑怯ですの』
結標『忘れた?私って性格悪いのよ。思い出したかしら』
その言葉にわたくしは涙が零れ落ちそうになりましたの。そんなに寂しい事を仰有らないで下さいと。
例え仮初めの幻想(えいえん)だとしても、わたくしはいっそ時が止まれば良いとさえ思いましたの。
姫神さんも、吹寄さんも、そしてお姉様さえ知らないわたくしとあの方だけが交わした『約束』を……
白井『わたくし怒りましたのよ?これだけでは足りませんの!』
結標『どうしたら許してくれるかしら?黒子(おじょうさま)』
白井『それは―――』
あの方が海に消えて泡となり、再びわたくしの前に姿を現して尚……
わたくしはあの日交わした『約束』を果たす事が出来ずに今もずっと
――――あの方とわたくしを結ぶ、マスターピースをこの手に握り締めたままですの――――
元スレ
とある蒼穹の学園都市(ラストワルツ)
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1327157456/
~1~
白井「はい、右側の垂れ幕はもう気持ち内側寄りでお願いしますの」
泡浮「こうでしょうか?」
白井「よろしいと思われますわ。湾内さん椅子の数は足りまして?」
湾内「大丈夫そうです!」
白井「それは重畳ですの」
右へ左へ慌ただしく駆けて行く在校生らの中にあって、一人の少女が皆の陣頭に立って指揮を取っている。
その少女の名は白井黒子。常盤台中学の二年生にして御坂美琴のルームメイトたる空間移動能力者である。
白井が右へ慌ただしく左へ忙しなく駆けずり回る少女達に采配を振るうは翌日に押し迫った卒業式がため。
常盤台の双璧、御坂美琴と婚后光子ら現三年生を送り出すためである。ガラでもないと内心苦笑しながら。
湾内「でもまさか、また水晶宮(ここ)を訪れる事になるだなんて思っても見ませんでした」
白井「わたくしとしても感慨深いものがありますの。秋頃までここは皆の避難所でしたので」
泡浮「……色々と思い起こされますね。半年前の出来事だったというのに何だか懐かしくて」
左耳のイヤーカフスのチェーンと繋がった逆十字架が、硝子張り建築の天蓋より陽光を浴びて光った。
水晶宮(クリスタルパレス)……先の戦争により、常盤台中学と避難所が焼失した後の仮住まいの地。
大覇星祭後校舎こそ何とか再建され始めたが体育館までは手が回らず、ここにて卒業式が執り行われる事となった。
第七学区にあった学校は何処も似たようなもので、移転や合併なども珍しくなかった。その中にあって自分達は――
白井「その節は皆様に大変ご迷惑をおかけいたしましたの。そしてこの場にいない先輩方にも……」
泡浮「ふふふ、振り返れるほど遠くまで足跡をつけて来られたのですよ、白井さん」
湾内「険しい道のりも半ばですわ。これからも手を携えて行ければ良いですね……」
とりもなおさず、次代を担う常盤台中学の生徒として先達を送り出せるだけ恵まれているのかも知れない。
そこで白井は感慨に耽るように笑みを浮かべ、感傷に浸りそうな思考を頭から追い払って踵を返して行く。
白井「ですの。ではわたくし送辞の原稿を読み返して参りますわ」
泡浮「はい、後は私達だけで大丈夫です。朝からお疲れ様でした」
湾内「今夜から雪が降るそうなので風邪には気をつけて下さいね」
――今までの二年間を共に歩み、これからの一年間を共に過ごす仲間に見送られながら――
~2~
婚后「嗚呼、おさらばですわ我が愛しき学び舎!ううっ……」
御坂「光子さん……明日の式目真っ赤にして出席するつもり?」
婚后「わ、わたくし婚后光子!断じて泣いてなどおりません!」
一方、再建され始めた常盤台の校舎を振り返りながら復興途中の街並みを行くは婚后と御坂の二人である。
二年時には常盤台の風神・雷神コンビと呼ばれ、三年時にはそれぞれの派閥を率いる双璧と謳われた二人。
彼女達も寮の部屋を引き払い、荷を霧ヶ丘女学院にちょうど送り終わったところである。その二人は今――
御坂「あはは、良いじゃない私達もう“長”じゃないんだし」
婚后「……そうは仰有いましてもまだ日も高く人の目が……」
御坂「いいっていいって。胸貸してあげよっか?結局三年間あんまり成長しなかったけど」
婚后「破廉恥でしてよ!もっと学徒としての品位や“女王”としての威厳を……と、まあ」
御坂が海原光貴からの誘いを振り切ろうとたまたま婚后と出会し一芝居打ったあの遊歩道を共に歩んでいる。
ただあの頃と違うのは、ふりではなく本物の友成り得た事。そしてそれぞれの派閥で長を務めた道程である。
婚后「今日くらい羽を伸ばしても良いでしょう。明日跡を濁さぬためにも」
御坂「光子さんも昔と比べて話せるようになったわね。前はもうちょっと」
婚后「仰有る通り堅物ではありましたが、今は多少の融通が利くようになったと自負しておりますわよ?」
御坂「そんな感じだね。その調子で霧ヶ丘でも仲良くしてね風神(あいぼう)さん。頼りにしてるからさ」
婚后は三年生の春から、御坂は夏休みから『長』となった。
皮肉にも、あれほど忌み嫌っていた食蜂操祈の予言通りに。
御坂を『女王』へと押し上げたきっかけもまた白井だった。
婚后「ふふふ、白井さんの分まで貴女をしっかと見守らなくてはなりませんね。そうそう……」
御坂「?」
婚后「他家のお家事情に差し出口を挟むつもりはありませんが、やはり美琴さんは白井さんを」
御坂「うん」
壊れてしまった白井を守らねばならぬと御坂は『常盤台の女王』となったのだ。
その軛から解き放たれた今となっては、御坂はもはやその冠を担わせる事を――
御坂「――黒子を“常盤台の女王”になんて指名しない。明日の卒業式の後、派閥のみんなに発表するわ」
白井に背負わせる事をよしとはしなかったのだ。それがどれだけの重責たるかを深く知るが故に
~3~
御坂「光子さんも同じ“長”だったからわかるでしょうけど、この半年間で私のために泣いた子がたくさんいた。私のせいで傷ついた人もいっぱいいた」
婚后「………………」
御坂「今ならわかる。私が毛嫌いしていたあの女の苦労や苦悩や苦渋が痛いくらい」
舗装されたばかりのまだ真新しい匂いがするアスファルトに影を落とし夕陽を見上げる御坂の横顔。
食蜂の敷いた独裁政治や強いた一極支配。あれはあれで必要悪だったのだと理解を示せる程度には。
御坂「誰かが大きな力で小競り合いを止めなきゃ、いつまで経っても争いは終わらない。それを嫌う子も」
婚后「わたくしの派閥の方々も皆そうですわ。多くは争いに疲れ、敗れ、厭う方々ばかりでしたので……」
御坂「私もそうだった。そんな下らない争いや諍いの中に、傷ついた黒子を放り出すなんて出来なかった」
白井に絡んだ夏の事件がなければ、御坂は今もなお高潔な夢想家であり続ける事が出来たかも知れない。
だがそうはならなかった。己の一挙手一投足が彼女達を導く誘導灯にも焼く誘蛾灯にもなると言う現実を
御坂「……自分のエゴで始めて無責任で終わらせるようだけど、私達がして来たような苦労を黒子一人に押し付けられないよ」
御坂は白井の件を通して痛感させられた。卒業後の事まで責任など持てないほど疲れ切ってしまった。
それでも何とか凪のような一時を勝ち得る事が出来た。後は彼女達に託した『宿題』にするつもりだ。
婚后「……常盤台がまた割れますわよ?」
『常盤台の女王』を決めるに当たりその条件は凡そ三つ。
一つは卒業して行く女王から継承者として指名される事。
一つは常盤台の約三分の二以上の人間を派閥に治める事。
一つは現『常盤台の女王』を『女王杯』にて打ち破る事。
これらの内二つまでを満たさねば女王とは認められない。
御坂も食蜂の指名と先代派を吸収して女王となったのだ。
御坂「こんな慣習、私達の代で終わりにしたって構やしないわ」
温室育ちの子女らの花園に似つかわしくない、『女王杯』という限りなく絶無に等しい可能性を除いては。
~4~
婚后「……まあ、堅苦しい話は抜きにして、早く佐天さん達の元へ参りましょうか」
御坂「そうね……あっ、ごめん光子さん。先に行っててもらっちゃって良いかな?寄りたい所があるのよ」
婚后「はあ、それは構いませんが……わたくしがご一緒では迷惑がかかりますか?」
御坂「ううん、そういう訳じゃないの。ちょっと一人でおセンチなノスタルジーに浸りたくなっちゃって」
卒業後の事まで考え出してはきりがないと互いに話題と思考を気持ちを切り替えたところで婚后は言う。
明日の卒業式を控え、既に退寮した二人は佐天と初春の部屋で一夜を明かそうと誘われていたのである。
だが御坂は二手に別れた道を前に一度立ち止まり、微笑を湛えたまま首を横に振って婚后へ向き直った。
明日という門出の時を過ぎれば御坂達は第七学区を離れる。その前に訪れておきたい場所があるのだと。
御坂「思い出の場所って言うのかな?そういうのが私にもあってね。あの戦争の後にも奇跡的に残ってて」
婚后「………………」
御坂「目に焼き付けておきたいんだ。あの日“あいつ”と見た夕焼けとは色も眺めも違うんだろうけどさ」
婚后「わかりました」
ピシャリと鉄扇を閉じて我が意を得たりと笑みを浮かべる婚后と、少し気恥ずかしそうにはにかむ御坂。
御坂と上条の思い出の場所。それは何度も蹴飛ばしたり電撃を放ったりした、例の自販機がある公園だ。
婚后「では一足お先に。佐天さんや初春さんにはわたくしから伝えておきますわね」
御坂「ありがとう光子さん。代わりになんかみんなにお土産買って帰るからねー!」
そう言って御坂は沈み行く夕陽へ向かい、婚后は陰り行く歩道へそれぞれ背を向けて歩み出して行く。
そこで思う。いつの頃からか互いに名字ではなく下の名前で呼び合えるようまでになった親友の事を。
一月後にも今までと変わらず同じ屋根の下学び、今までと異なる制服に身を包むであろう相棒の事を。
御坂「――今までありがとう。これからもよろしくね光子さん」
後輩(しらい)とも先輩(むぎの)とも違った意味で頼りになる同期(こんごう)と別れて御坂は行く。
花咲かせる事も実を結ぶ事もなかったものの、種を残した恋が始まった場所へと
~5~
白井「ぐぬぬぬぬぬ」
食蜂「居座って粘るなら追加注文してくれないかしらぁ?お店の回転力悪いしぃ~」
白井「わ、わかりましたの!ではデボンシアティーをば」
一方、白井は食蜂が看板娘を務めるベーカリー『サントノーレ』にて送辞の原稿と睨めっこしペンを噛んでいた。
その様子をブロンズパロットの制服に身を包み、カウンターから見やるは『先代常盤台の女王』食蜂操祈である。
去る8月20日、生きる屍と化していた白井をその心理掌握(メンタルアウト)で黄泉還らせた立役者でもある。
以来、御坂や白井も食蜂に対して雪解けまでには至らずともやや頭が上がらないのがこの半年ほどの現状である。
食蜂「はぁい♪で、それが卒業生への送辞かしらぁ?懐古力が刺激されるわねぇ☆」
白井「……ですの。食蜂先輩も昔は――」
食蜂「在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞、両方やったわよぉ」
私これでも首席だったしぃ?と白井の座る夕陽溢れる窓際席にデボンシアティーを運びつつ食蜂は笑う。
在学中はもっと鼻持ちならないはずであったはずの存在が、今こうも自然体に微笑む様が信じられない。
自分の原稿を見下ろしながら目を細めている姿など、まるで『先輩』のようではないかと戸惑うほどに。
食蜂「去年は御坂さんが送辞を読んでたわねぇ?形式力に則った面白味のない内容でつまらなかったわぁ」
白井「存じておりますの。わたくしも式に出席してましたので」
食蜂「そうだったかしらぁ?でもあれからもう一年になるのねぇ……どうだったかしらぁ?御坂さんはぁ」
白井「……どう言葉と礼を尽くしても、感謝しきれないほど偉大な先輩でしたの。わたくし達にとって」
食蜂「ふぅん?」
白井「結局、わたくしはお姉様に何一つお返し出来ないまま、明日というを日を迎えてしまいましたの」
そして思わず御坂との出会いを振り返り、夏の事件を踏まえた上で偽らざる心情を吐露してしまうほどに
白井「こんなにも不出来で至らぬ後輩を、こんなにも可愛がって下さいましたのに」
食蜂「………………」
白井「わたくしはお姉様に何一つとしてお返し出来ませんでしたの。今この時さえ」
~6~
白井の進退に際して望まざる『常盤台の女王』になってまで尽力してくれた御坂を思うと白井は泣きたくなった。
夏休みには御坂に戦傷まで負わせて血を流させ、その後も廃人同然となった自分を立ち直るまで見守ってくれた。
いつも何くれと世話を焼いてくれた。面倒を見てくれた。最後の最期まで御坂に甘えっぱなしであったと白井は
食蜂「別に良いんじゃなぁい?」
白井「ですが……」
食蜂「私もえらそうに言えるほど出来た先輩じゃあなかったけどぉ、後輩は先輩にいっぱい迷惑かけて世話を焼かせて、手間を取らせて面倒押し付けるのが仕事よぉ?」
白井「………………」
食蜂「卒業後まで助け舟出さなきゃいけないほど出来の悪い後輩なんて貴女達くらいものだったけどねぇ」
頭を垂れるも、食蜂は肩を竦めて笑った。事実食蜂は白井の絶体絶命の窮地を救い出してくれたのだ。
『友人』の頼みや御坂との過去がなければ食蜂は白井が陥った絶望を自業自得だと鼻で笑っただろう。
それでも食蜂は白井を救った。あのままでは遠からず遅からず、自ら命を絶っていたであろう白井を。
食蜂「――その思いを送辞に込めなさぁい。型破りだった貴女達二人が今更優等生力もないでしょお~?」
白井「――わかりましたの!」
食蜂「じゃあそんな不出来で至らない後輩(あなた)に、先輩(わたし)からの差し入れって事でぇ……」
白井「……エクレアですの?」
食蜂「学園都市第五位プロデュースの一品だゾ☆」
そんな白井に食蜂はエクレアを乗せた皿をテーブルに乗せた。
食べてごらんなさぁい?と勧められるがままに白井が頬張ると
白井「……!!!!!!」
食蜂「どうかしらぁ~?」
白井「……言葉を紡ぐ舌がとろけそうなほど美味しいですの」
食蜂「私のプロデュース力をもってすればヴァローナやショコラティエだってコンビニスイーツだしぃ」
至高と究極を両立させるその味わいに白井はまさに絶句させられた。
食蜂もまたそれに対し満足げに頷き返すとカウンターへと戻って――
食蜂「――私からのおごりよぉ。せいぜい無い知恵力振り絞って頭働かせなさぁい」
白井「ありがとうございますですの!!」
白井は一気に原稿をしたため直した。先だって教師陣に目を通してもらったそれとは異なる送辞の文を。
~7~
結標「秋沙ときたら。私の晩御飯どうするつもりなのよ……」
一方、結標淡希は復興しつつある第七学区を見下ろすようにして風車に腰掛けながらスマートフォンをいじっていた。
黒のニットコートに白のロングマフラーというモノトーンにまとめたファッションのまま下ろされた赤髪を靡かせて。
――――――――――――――――――――
3/8 16:42
from:秋沙
sb:これから
添付:
本文:
雲川先輩の卒業祝いと追い出しパーティー。
上条君達や小萌先生達と一緒だから晩御飯は
自分で何とかして。今夜は多分朝までコース
P.S
何かあったら。ちゃんと。連絡して欲しい。
――――――――――――――――――――
結標はメールチェックを終るなり胸の谷間にスマートフォンしまい込み、沈み行く落陽を風車より見送る。
数ヶ月前、イギリス・ランベスより帰国してからたまにこうして蘇って行く街並みを眺めるようになった。
それはたった今もメールだけ送って電話で声も聞かせてくれない恋人兼同居人の少女もまた同じであった。
一度死に目に合い、二度と生きて帰れないと覚悟した学園都市。そこから臨む景色は醜くも美しく思える。
お互いの恥部や自分達の暗部をさらけ出し、愛しあい裏切りあい傷つけあい結びあった自分達のように――
御坂「あら、あんた……」
結標「あら、貴女は……」
突如として下からかかった声に結標が反応すると、そこには御坂が自販機を前にして自分を見上げていた。
だがその眼差しはまるで聖地に土足で踏み込まれた巡礼者のようで、結標は些か面食らった思いであった。
結標「……一人?」
御坂「……さっきまでは友達といたんだけど、私だけちょっと野暮用があってね。黒子ならいないわよ?」
結標「一人って聞いただけじゃない。別に白井さんの事なんて一言も言っていないでしょ?“超電磁砲”」
御坂「釘刺しときたかったのよ。あんたが黒子に絡むとロクな事にならないし。何より私がイヤなのよね」
結標「………………」
御坂「……あの件があってから私よりいっそうあんたの事嫌いになったし、それは今でも変わらないわよ」
だがそれは御坂にとっても同じようであるらしく、上条との思い出の場所と相俟って常より刺々しかった。
加えて良い意味を上回って悪い意味で白井を変えてしまった結標が相手とあっては無理からぬ話でもある。
~8~
結標「謝って許してもらえるだなんて思ってないけど、やっぱり面と向かって言われると堪えるわね……」
御坂「勘違いしないでよね。黒子があんたを許した以上、私が許す許さないは関係ないの。ただ嫌いなの」
結標「………………」
御坂「黒子をあんな風にしたあんたが、黒子をあんな風に変えてしまったあんたが、私は大嫌いなのよ!」
夕月夜が揺蕩う空の下、肌寒い春風に前髪を靡かせる御坂が後ろ髪を翻らせる結標に対して噛みついた。
その眼差しの先には結標の右耳に光るブルーローズのイヤーカフス。連なるチェーンに繋がる逆十字架。
御坂からすれば、結標は一時の気の迷いから白井を弄んで狂って壊れるほど深く傷つけた仇同然の相手。
だのに白井は結標を許した。それどころかお揃いのイヤーカフスを未だに身につけてさえいるのだから。
御坂「本音を言わせてもらえば、私は今でも本気であんたにレールガンを食らわせてやりたいくらいなの」
結標「………………」
御坂「――だけどそんな事したって黒子は喜ばない。むしろ、私達が争う事を誰よりも悲しむでしょうね」
風車の上から見下ろす結標を、風車の下から見上げる御坂が『残骸』を巡って対峙した時のように睨む。
結標「――あの娘は優し過ぎるものね」
御坂「あんたが黒子を語らないで!!……私がミジメになるじゃない」
白井と共に力を合わせ、白井とも切り結んだ二人の視線が交差し、二人の想いが交錯する。
白井が恋した御坂、白井に恋した結標。されど光の白と影の黒ほどにも二人は相容れない。
御坂「知ってた?黒子は今でもあんたを愛してるのよ。表面上はどれだけ素知らぬ顔をしてたってわかる」
結標「知らなかったでしょう?あの娘が貴女に恋していた事を。あの娘、私に抱かれた時に泣いてたのよ」
御坂「えっ……」
結標「あれは私に手折られる事に喜びを覚えたり、逆に悲しく感じたからじゃない。貴女の事を想ってよ」
夕凪の中を羽撃く黒揚羽のように風車から降り立った結標が自販機を背に御坂と向かい合った。
それは去る8月9日の深夜、結標を慰めるため己を捧げた白井が刹那に零した涙の理由(わけ)
結標「私が秋沙を裏切ったようにあの娘も貴女を裏切った事に涙していた。知っていたかしら?」
御坂「……そんな事知る訳ないじゃない」
結標「あの娘が貴女との叶わぬ恋に一人涙する時シャワールームで泣いていた事さえ知らないの?」
~9~
御坂『まったくもうあんたって子は……いい加減私離れしなくちゃ。今日の第五位じゃないけど私だって来年には卒業しちゃうんだから』
結標の言葉に思わず気勢が殺がれた。御坂にも覚えがあるからだ。それは奇しくも去年の今頃の出来事。
御坂『まあ、今日からあと一年の間よろしくね黒子!今更改めて言う事でもないけど』
白井『………………』
御坂『……黒子?』
白井『お姉様、わたくしもう一度お風呂に入って来ますの!今ルパンダイブをした所湯冷めしてしまいまして』
あの時白井はどんな表情をしていた?それは電撃を食らって意気消沈した表情?
それともいつも通りの天真爛漫な笑顔だったろうか?そう自分(みさか)が――
結標「貴女を責めるだなんてお門違いだし、そこまで私の面の皮も厚くないわ。それでもね“お姉様”?」
御坂「っ」
結標「――ずっと味方としてあの娘の側にいた割に、ずっと敵だった私よりあの娘の事を知らないのね?」
バン!と自販機に寄りかかっていた結標の顔の真横に手のひらを叩きつけ、キス出来るほど近くで睨め付けた。
だが結標の身体は微動だにしないし、心は小揺るぎもしなかった。ただ静謐な眼差しで御坂の顔を見つめて――
結標「……あの娘は優し過ぎる。貴女は残酷過ぎる。お似合いよ」
御坂の髪にサラッと手指を伸ばして触れた。気心知れた訳でもない女同士で髪を触れると言う事の意味。
それは男同士でわざと肩をぶつけるようなもの。つまり喧嘩を売っている事に他ならないジェスチャー。
御坂「――消えなさい。ここで喧嘩するつまりはさらさらないわ」
だが御坂はその挑発に乗らない。上条との思い出の場所だからだ。
だが結標はそれこそが白井を見る目を曇らせたのだと言いたげに。
結標「怖い怖い……貴女が入学して来る前に霧ヶ丘を卒業出来て良かったわ。入寮は10日からよね?」
御坂「そうよ。あんたの顔を見ずに済んでせいせいしたと思ったらこれだもの。それがどうかしたの?」
結標「……抱き締めてあげたいほど愚かね。貴女ってば」
御坂「!?」
結標「――さようなら御坂美琴。“また”会いましょう」
御坂「待ちなさいよ!」
そう言い残して、結標は座標移動で御坂の前から姿を消した。
御坂「……香水臭い」
帰り掛けの駄賃とばかりに、御坂の耳朶に口づけを残して――
~10~
食蜂「たかがキスじゃなぁい?御坂さんって女殺しのクセに変なところ初心力高いって言うかぁ、第四位にもしたくせにぃ☆」
御坂「誰が女殺しよ!人聞きの悪い事言わないでちょうだい!!だいたいなんで麦野さんとの事まであんたが知ってんの!?」
食蜂「私の情報収集力をもってすればぁ、御坂さんのスリーサイズから生理周期までルナルナばりに把握出来ちゃうんだゾ☆」
御坂「」ゾワッ
食蜂「ねぇ、お代タダにしてあげるから私にもキスさせて♪」
御坂「いやよ!!」
食蜂「じゃあ、身体で払ってあげるから私にキスしても(ry」
アウレオルス「憤然。あのバイトをクビにする権限を私にくれまいか」
青髪「うちになくてはならへん看板娘やしそれは勘弁して欲しいな~」
結標と別れた後、御坂は佐天達への手土産にと『サントノーレ』の個数限定エクレアを買い求めに立ち寄った。
だが既に完売してしまい、無理を承知で便宜を図ってもらおうと頼み込んだところを食蜂が快諾した良いが……
残念な事に焼き上がるまでの間、御坂は半ば強制的に食蜂の話し相手をさせられる羽目になってしまったのだ。
既に日は暮れ、夜半より雪が降ると言う予報通りに気温が下がって来るのが暖かい店内にあっても感じられる。
そう。石窯造りのベーカリーという事を差し引いて尚暖かく感じられる理由は恐らく、今自分達を見守っている
食蜂「ひどいわねぇ?正社員のアルバイトいじめだなんてモラル力に欠けるわぁ☆」
アウレオルス「憮然。タダにしたければ君の時給から天引きにさせてもらう。赤字を出した分はタダ働きで埋め合わせて……」
御坂「あ、あの、私ちゃんと払います!」
青髪「(女の子同士のガールズラブを間近で見れるんやったら僕がお金出しても)」
食蜂「あおくぅん?」
青髪「痛い痛い!でももっと踏んで!!」
御坂「(アイツん家で一緒にご飯食べたこの人が学園都市第六位だったのね……それがこんな変態だったなんて)」
青髪「ええなあ!片や踏みつけ、片やキモい虫を見る女の子の目とか僕等の業界では褒美やわ!お釣り来るくらい」
レベル5最後の一人、学園都市第六位(ロストナンバー)と心理掌握によって記憶を取り戻した背教の錬金術師。
この二人との交流が食蜂を人間らしくしてくれ、こんなにも暖かみのある雰囲気に一役買っているのだろうかと。
~11~
食蜂「ふぅん、貴女のところの小パンダちゃんの事でねぇ~」
御坂「スッゴく腹が立ったわ。あんたに言われたくないって」
食蜂「でも、それだけが原因じゃないって御坂さんの電磁バリアー越しにもわかっちゃうけどねぇ」
御坂「………………」
食蜂「どこかで図星力突かれたからそんなにプリプリしてるんじゃないかしらぁ?違わないでしょ」
アウレオルスがエクレアを箱詰めする傍ら、食蜂と御坂は『CLOSE』の札のかかった店内にて話し込む。
青髪はこの後雲川芹亜の卒業パーティーがあるらしく、ユニフォームを脱いでいそいそと身支度を整え始め。
御坂「……うん。ある時から黒子がわからなくなったの。段々前みたいに飛びついたりしなくなってから」
食蜂「うん」
御坂「特に結標さんとあんな事があってからよりいっそうわからなくなっちゃった。情けないよね私って」
ブラインドの下ろされた窓際席、つい数時間前まで白井がいたと食蜂に教えられた椅子に御坂は座っていた。
そんな御坂を行儀悪くテーブルに後ろ手をついて食蜂は頷き、一年前には想像だに出来ないほど先輩らしく。
食蜂「ぶつかってみればいいんじゃない?第四位の時みたいにぃ」
御坂「ぶつかるって……“また”黒子と戦えって言いたいわけ?」
食蜂「そうやってぶつからないよう上手く距離力を計ろうとしてる事がすれ違いが終わらない原因ねぇ」
御坂「………………」
食蜂「貴女達、外見は優等生(オトナ)みたいな顔してるけど中身は問題児(コドモ)なんだからぁ。
どのみち心(思い)と心(想い)をぶつけ合わなきゃ何も始まらないわぁ。二人とも不器用なんだし。
上手くやろうとすればするほど、下手くそな独り善がりに陥りがちなのがエッチと恋愛ってものよぉ」
御坂「……あんた、本当に去年まで中学生だったの?」
思わず御坂が聞き入ってしまうほど、ブロンズパロットの制服に身を包んだ食蜂は大人びて見えた。
そんな食蜂は僕行ってくるわ!と店を飛び出して行った青髪に手を振って、箱詰めされたエクレアを
食蜂「後は春休みの宿題よぉ?また今年から霧ヶ丘で後輩になるって言っても、私はエクレアほど甘い先輩じゃないんだゾ☆」
一月後に再び後輩となる御坂に手渡した。少し早い入学祝いと、とろけそうなほど優麗な微笑みと共に。
~12~
御坂「……ってな事があったんだけどさ」
佐天「ムシャムシャ」
初春「モシャモシャ」
御坂「……聞いてる?」
婚后「聞いてましてよ」
テイクアウトしたエクレア片手に初春と佐天の部屋を訪れ、夕食後にそれを皆で分け合いながら御坂が今日のいきさつを振り返って訥々と語りだす。
されど成長期真っ盛りにある思春期真っ只中である少女達は色気より食い気なのか、絶句するほど美味なエクレアを頬張りつつ気もそぞろであった。
そんな中、婚后だけが優雅な手付きで鉄扇を閉じて頷き返してくれた。自己鍛錬のために買い換えたらしい。
佐天「もちろん聞いてますよ!でも御坂さんってメチャクチャモテますけどやっぱり白井さん(ほんめい)だけは相変わらず」
初春「私達もあの夏からずっとそう思ってましたよ?一年前までなら白井さんが御坂さんに迫る図ばっかりでしたけども……」
婚后「皮肉な話ですわ。上条さんへの愛実らず、麦野さんへの恋叶わず、白井さんが結標さんを袖にした後こうなるなど……」
御坂「(なんか私が黒子を好きみたいな流れになってる!?)」
その中でやや肩を落とすは御坂である。上条との思い出巡りの矢先に結標と出会し、食蜂に捕まり……
挙げ句仲間内ではそういう評に落ち着いている事も重なり、行儀悪くエクレアを口に咥えたまま唸る。
されど指についた生クリームをペロペロ舐める初春と、頬についたカスタードクリームを舐める佐天は
佐天「はい!例の一件、私達ずーっと側で見て来ましたからね」
初春「みんな辛い思いをして来たとは思いますけど、やっぱり」
揃って首肯した。白井のために麦野を打ち破り、命懸けで暴走を止め、己の信念を曲げてまで女王の座につき……
保護者会に殴り込みをかけ、先代派に武力行使も辞さない構えで、白井が立ち直るまでずっと支え続けたその姿。
御坂自身、白井の事で頭が一杯で周りに身を向けるゆとりなどなかった。だがそれを見守る周囲の眼差しは正しく
婚后「美琴さん、常盤台では貴女方二人を王子様とお姫様のように見ておりますのよ。御存知ありません?」
御坂「ううん、全然。これっぽっちも」
婚后「この女殺しレベル6!」ピシャッ
先輩後輩かくあるべしという理想像を越えた先にあるものを見据えていた。生暖かい眼差しと共に。
~13~
御坂「痛い!光子さん鉄扇はやめて!?」
婚后「これは失礼。ですがそれよりも、わたくしも二人きりでは切り出せなかったので改めて御坂さんにお尋ねいたしますわ」
御坂「……うん」
婚后「わたくしはエカテリーナちゃんがいるため一足先に退寮いたしましたが、何故美琴さんまでお付き合いする必要が??」
佐天「そうですよそうですよ!白井さんと過ごせる最後の夜だって言うのになんでこんなところにいるんですか御坂さん!!」
初春「(今そこでそれを言いますか?って言うか佐天さんが恋バナ聞きたいからって私が反対したのに引っ張り込んで(ry)」
加えて三者三様に入った突っ込みに御坂はどう返して良いやらわからないと言った様子で俯いてしまった。
そう。婚后はペットのエカテリーナのため早めに退寮手続きを取らねばならなかったのだが、御坂は違う。
霧ヶ丘女学院の入寮手続きは明後日であるし、今夜ないし明日までは常盤台の寮にいられたはずであった。
今日は佐天達の部屋で、明日は卒業式に出席した後一泊するであろう美鈴とホテルを共にする。まるで――
御坂「――黒子を避けてるみたいに見えちゃうよね、やっぱりさ」
佐天「……もちろん違いますよね?」
御坂「違わないよ……私は黒子を避けてる。正確には別れの時を」
初春「………………」
御坂「――あの夏の事件から、私はずっと黒子の側にいた。佐天さん達には見せられないような黒子の姿も見て来たつもりよ」
婚后「……美琴さんが、白井さんから離れたくなくなってしまうと」
御坂「うん。私泣いちゃうかも知れない。でもそれはイヤ。不甲斐ない先輩だったけど、せめて卒業式が終わるまでは黒子にとって自慢の“お姉様”でいたいから……」
佐天「はあ~……御坂さん、カッコつけすぎですよ。もう楽になっちゃっても……」
御坂「……だけどもう私は卒業しちゃうから。今までみたいに黒子を助けてあげられなくなっちゃうし、ちょうど良い機会よ」
初春「(そんな御坂さんを見てる白井さんはもっと心配してるんですよ?もうっ)」
そう御坂は締めくくった。もう自分は学内で白井を守る事は出来ないし、白井もまた同じである。
それ以上に御坂が泣いてしまいそうなのだ。白井はもう自分の手を離れおいそれと会えなくなる。
~14~
そう切り上げて私は呆れ顔の二人と涼しげな光子さん達から逃げるみたいにして窓辺に立って外を見る。
やっぱり予報通り雪が降って来た。それも夜だって言うのに、目で見てはっきりわかるくらい勢い良く。
明日の朝にはきっと積もってるんだろうな。もしかすると卒業式まで止まずに降り続けるかも知れない。
御坂「(黒子)」
そんな中私が思うのは、あんたがこの寒さに風邪を引いたりなんかしないだろうかって言うおかしな心配。
どうしてだろうね。きっとあの夏、あんなにも深く傷ついて壊れてしまったあんたを見なきゃこんな事……
感じなかった。思わなかった。考えなかった。あんな事になるまで。でもそれはあんたが悪いんじゃない。
御坂「(最後まで情け無い先輩のまま卒業しちゃって……)」
私は何もわかってなかったんだ。結標さんの言う通り、シャワーの音にかぶせて声を殺して泣くあんたを。
私は何も見えてなかったんだ。結標さんに魅入られて、それにさえ気づけなかった私から離れるあんたを。
御坂「(ごめんね)」
あいつの時もそうだった。あの女の時もそうだった。いつも私は大切なものを失って初めて気付くんだ。
あんたが私に抱きついたり飛びついたりしなくなったのがいつからだったかさえ、もう思い出せないの。
あんたの胸の内に何時からか住み、今も心の中に棲んでる結標さんの方が、私よりよっぽどあんたの事を
御坂「(何も、してあげられなくって)」
深く結び合って強く繋がり合ってる。あんた達は鏡に映ったもう一人の自分みたいに良く似ているもの。
だからあんたは結標さんを愛したんでしょう。私が見ようとしなかったあんた自身を愛してくれる人を。
一番辛いのはフられる事なんかじゃない。その相手に恋をしたという自分さえ見てもらえないという事。
私がして来た事は、そんなあんたを無視して来たのと同じ事だったんだ。見えているのに視ようとしなかった。
フられたり、取られたりして失恋した方がまだマシだって事を、あいつと、あの女の両方を通じて私は知った。
あいつとあの女が好きだった私、姫神さんとあんたの間で板挟みになった結標さん、その両方から身を引いて。
――結標さんの言う通りね。一番あの子にとって残酷だったのは、他ならない私自身だったんだって――
~15~
御坂『じゃあ、明日の卒業式頼んだわよ』
白井「――お姉様……」
御坂のいなくなった相部屋にて、白井は一人窓辺に立って羽根のように舞い散る白雪を見上げていた。
就寝前だったのか、パジャマ姿でこそあるものの表情は外気に負けず劣らず硬質的で張り詰めている。
明日巣立ちを迎える御坂の名を呼びながらなぞる窓硝子が、白井の手指に灯る体温に合わせ尾を引く。
これから思い浮かべる事こそあれど、呼び掛ける機会などこの寒空の酸素より薄まるであろうことも。
御坂『色々あったけど、あんたと二年間一緒過ごせてスッゴく楽しかったよ黒子。私こそありがとうね』
白井「……もうこれでお別れなのですね」
去年は狂い咲きの桜舞い散る中での卒業式であり、今年はどうやら遅咲きの雪舞い降りる中になりそうだ。
そう右手に乗せた哀別と左手に載せた惜別とが、祈りの形となって白井の口元にて組み合わせされて行く。
部屋を出て行く時の御坂の横顔は常と変わらず爽やかで、その背中は凛然として真っ直ぐ伸ばされていた。
あの背中に今更どうしてすがりつけようかと白井は思う。ずっと自分を守り、背負ってくれたあの背中に。
白井「いっぱいご迷惑をおかけいたしましたのに、たくさんご心配をおかけいたしましたのにお姉様は……」
あの背中に、自分は一体どれだけ近づけたであろうか。白井が我が道を行けば行くほど遠く離れて行くようで。
だが御坂はいつ如何なる時でも駆け付けてくれたのだ。白井が壊れ、自分はおろか他人まで傷つけようとしても
白井「何でもない事のような顔をして、わたくしを含めた全てを背負ったまま、行ってしまわれますの……」
御坂は自分を見捨てるどころか、自分を捨て身にしてまでレインボーブリッジより救い出してくれた。
その後も壊れたままだった自分の面倒をずっと見、立ち直った後までずっと世話を焼いてくれたのだ。
学校側の下す処分から、先代派の謀略から、今尚白井が常盤台に留まっていられるのも全て御坂が……
己の信念(やさしさ)や信条(けだかさ)を曲げてまで『常盤台の女王』として白井を守ったからだ。
白井「――お姉様――」
自分のために御坂は全てを捨ててしまった。上条への深い愛情も、麦野への淡い恋情も犠牲にしてまで。
――――そんな御坂に自分は恩を仇で返すような決意を固めているなどと――――
~16~
フリソソグーネガイガイマメザメテクー♪
白井「電話ですの?」
窓辺より仰ぎ見た白雪がもたらす静寂(しじま)を破って鳴り響く着信音。
白井はパジャマのままベッドに投げ出した携帯電話を手に取り耳に当てる。
すると一拍の間を置いた後、涼やかな声音が白井の鼓膜と鼓動を震わせた。
???『私メリーさん。今第七学区にいるの』
白井「………………」
???『私メリーさん。今学舎の園にいるの』
イタズラ電話めいた語り口、メイワク電話めいた名乗り。
聞き覚えがあるというより身に覚えさえある涼やかな声。
それはたった今、携帯電話を当てている左耳のイヤーカフスのチェーンにぶらさがる逆十字架の贈り主。
一夏の恋、一夜の愛なれど未だ白井の中で御坂と並ぶもう一人のお姉様。鏡に映ったもう一人の自分……
白井「……これは一体何の冗談ですの?」
???『私メリーさん。今常盤台中学女子寮前にいるの』
白井「切りますわよ?」
???『……意外とガードが甘いのね?貴女も、常盤台のセキュリティーも』
そこで白井は通話終了ボタンを押した。どうせもう自分を目視出来る距離にいるのだろう。
今やレベル5第九位に上り詰めた彼女ならば、一学区内ならどこへでも飛ばせるし飛べる。
ただ相手も確かめずに電話に出てしまったのは迂闊だったかと白井は思ったが時既に遅し。
???「私メリーさん。今貴女の目の前にいるの」
白井「……こんな時間に夜這いをかけて来るとは相変わらず太々しい方ですの。大声出しますわよ?」
???「声を上げるより早く塞いであげる。唇で」
キスまでならOKと言う許しは得たと、白井の立つ窓辺まで『座標移動』した赤髪の少女が笑っていた。
あの夏の日に夕立の下白井が傘を差し出したように。この冬の日に白雪の中傘をクルクルと回しながら。
白井「お戯れもほどほどにしてご用件を。こんな時間に何の用ですの?」
???「――相変わらずつれないわね?」
――鏡のような硝子を隔てて現れるは、窓越しに手指を這わせ微笑むはもう一人のお姉様(じぶん)――
結標「――――貴女に逢いに来たのよ、“黒子”――――」
とある蒼穹の学園都市(ラストワルツ):守の章「Memory of Snow」
~17~
結標「嗚呼、あったかいわ……人肌に勝る温もりはないわね」
白井「わたくしは寒いんですの。早く部屋に戻りたいですの」
結標「相変わらずね……けれど持つべきものは優しい元カノね。一人で雪見だなんてうら寂しいし」
白井「いつまで恋人ヅラしてるんですの?わたくしと貴女はもう終わったんですのよ。とうの昔に」
再建された常盤台中学の屋上より、白井と結標が相合い傘にて夜空を彩る白雪を仰ぎ見ながら手を繋いで行く。
だが白井は不機嫌そうなジト目であり、結標はそんな白井の首に自分の純白のロングマフラーを分けて巻いた。
白井「お姉様も口を滑らせたようですわね……おかげでとんでもない女誑しに敷居を跨がせてしまいましたの」
結標「流石に彼女がいる時に忍んで来れないわ。あの事件があってから、私は貴女達に嫌われているし訳だし」
白井「……だからと言って、わたくしが独りきりになったところを見計らって会いに来るなどと、姫神さんに」
結標「私なら大丈夫。この事は秋沙に伝えてあるから。そういう貴女は御坂美琴に義理立てしているのかしら」
白井「以前までのわたくしならば胸を張ってそう言い切れましたが、もうそれを口にする資格がありませんの」
結標の生存並びに姫神の帰国後、二人は戦場を除いて学生自治会の集まりなどでも言葉を交わす事は少なくなった。
当然の事ながら御坂達が結標達に向ける眼差しには厳しいものがあり、姫神も今現在小萌の監督下に置かれている。
結標が姫神の元に通って夕食を共にし、休日にはデートに出掛けたりと言った関係性そのものに変わりはないのだが
白井「……それに清い身体でお姉様の門出に立ち会いたいので悪しからず。なにせ」
互いに嫉妬深く、可愛さ余って憎さ百倍となった二人は共依存の関係性から脱する道を選んだ。
他人にこれ以上迷惑をかけない、という限り無く黒に近いグレーゾーンでそれぞれ好き勝手に。
以前のような退廃的な恋と破滅的な愛に耽溺するのではなく、互いが互いを死なせないために。
白井「貴女の背中に刻み込まれた“カミサマ”に見られているような気がして……」
白井も目にした、結標の背中に刻まれた逆十字架そのものの白い疵痕がその犯した愚を如実に物語って。
~18~
分け合った相合い傘が寒さを防ぎ、分かち合ったマフラーが温もりを伝える中二人は共に夜空を見上げる。
一足早いホワイトデーかしらね?と結標は笑い、バレンタインデーもあげてませんわよと白井がボヤいた。
お揃いの逆十字架のイヤーカフスが白雪を光源に星月夜の灯りを受けて鈍く輝き、白い吐息がそれを彩る。
結標「御坂美琴が卒業して寂しくなるわね」
白井「淋しくないと言えば嘘になりますが、それをもう貴女に埋めてもらおうなどとは思いませんのよ」
結標「そうね。貴女は私と違ってとても強い娘ですのものね。お仕着せの慰めなんていらないくらいに」
白井「……いいえ、とても弱くなりましたの。もはや貴女を笑えないまでに。でなければお姉様に――」
結標「………………」
白井「こうまでも手を焼かせ、手をかけさせ、手をわずらわせ、手を汚させる事もありませんでしたの」
屋上から見渡す校庭は既に白銀に染まり、屋外から見上げる夜空は漆黒に染まりモノクロのコントラストを描く。
未だ復興途中の朽ち果てた街並みも荒れ果てた瓦礫の山も、雪は全てを優しく染め上げ塗り替えていってしまう。
白とは汚れやすいと同時に染まりやすい。こうして結標と見た雪の記憶はやがて疵痕をも染めるのだろうかと……
結標「だから、彼女に自分の本当の想いを伝える事は出来ないと思ってるの?黒子」
白井「………………」
結標「私知ってるのよ。貴女が私に抱かれた時に流した涙の意味を。あれは彼女に」
白井「違いますの。わたくしは望んで貴女に抱かれましたの。同情でも慰めでも自棄でもなくわたくしは」
結標「いいのよ黒子。私の前で自分の醜い部分を隠さなくても」
白井「……結標さん」
結標「――好きなんでしょう?今でも彼女の事が。わかるわよ」
だが結標は傘を取り落として空いた両腕を白井に回して抱き締め、白のダッフルコートの白井と黒の結標のニットコートが折り重なる。
一枚のオセロのように黒白表裏一体の二人。白井の純な部分が惹かれたのが御坂ならば、白井の邪な部分が魅せられたのが結標だった。
二人は合わせ鏡の双子だったのだ。結標が姫神と白井の狭間を揺蕩ったように白井もまた御坂と結標の谷間で足掻いた。ずっと前から。
結標「……私が言えた義理じゃないのは重々承知よ。だけれども、汚れた私だからこそ言える事もあるの」
~19~
結標「私は、イギリスに渡ってからも秋沙と何度も喧嘩したし何回も別れようとした。でも出来なかった」
白井「………………」
結標「狡くて、卑怯で、淫らで、我が儘で、不純と矛盾の塊みたいな私の命さえも秋沙は見捨てなかった」
結標の身体には姫神から輸血された吸血殺し(ディープブラッド)が流れている事を白井達も知っている。
姫神が白井を殺しかけ、結標がそれを庇って断崖絶壁から入水し致命傷を負ったその後の事と聞かされた。
姫神を裏切って白井を誘惑した結標、結標への当てつけとして吹寄と寝た姫神。救いがたい少女達の決断。
それは愛を越え死に近づき、憎しみを超えて生を掴むために呪われた血脈を分かち合うという覚悟だった。
結標「あの夜貴女に話した事があったわよね?“女同士で結ばれた私達は、遺伝子に逆らってる”って」
白井「仰有っておられましたわね。貴女方が最初にぶつかった壁でもありますし、わたくしもかつて悩んだ経験が……」
結標「ええ、私達は女同士だから結婚は出来ないし子供も産めない。未来への繋がりさえ不確かに思えてならなかった」
白井「………………」
結標「……それでも、私の中には秋沙の血脈(ブルーブラッド)は息づいている。今こうして離れていても感じられる」
一生吸血鬼に怯え続ける呪いを受けながらも結標は安堵した。血という何よりも分かち難く強い繋がりを得て。
永遠ならざる愛情、永久ならざる恋情、どんな幻想より色濃い紅と色鮮やかな朱と色褪せぬ赤い糸に結ばれて。
しかし吸血鬼を呼び寄せる特性のみ、復活したアウレオルス=イザードの黄金錬成をもって打ち消されたのだ。
結標「――互いを助け合ったり傷つけあった私達でも、もう一度紲を結び直す事が出来たのよ、黒子……」
白井「……“淡希お姉様”――」
結標「御坂美琴は、貴女が悩むほど狭量な人間ではないはずよ。何せ自慢の“お姉様”なのでしょう?」
結標の手のひらが白井の頬に添えられ落ちた雪の一片を溶かす。頭一つ高く四つほど上の一夜限りの恋人。
元カノを甘く見ない事ねと微笑む結標の姿に、かつて白井の腕の中で崩れ落ちた脆さや儚さや弱さはない。
白井「――そうでしたわね……」
その姿に、白井は背中を後押しされる勇気をもらえたような気がした
~20~
御坂『ふんふふん♪ふんふふん♪ふんふんふ~ん』
佐天「ねえねえ、二人とも」
初春「何ですか佐天さん?」
佐天「ここだけの話、ぶっちゃけ御坂さんと結標さん、どっちが白井さんのパートナーに相応しいと思う?」
婚后「それは……その……」
同時刻、御坂が鼻歌混じりでシャワーを浴びている最中に鼎談ならぬパジャマパーティーを開いていた三人……
佐天が頭から布団をかぶりながら口火を切ると、初春がパソコンから顔を上げ婚后がお菓子を摘む手を止めた。
それには三者三様に思うところがあり、鬼の居ぬ間に洗濯とばかりに声を潜めて顔と肩を寄せ合う。そこで――
婚后「もちろん美琴さんに決まっておりますわ。これまでの付き合いの長さや深さから言って妥当かと……」
佐天「うんうん」
婚后「それに結標さんにはパートナーがいらっしゃるではありませんか。白井さんが立ち直っていなければ」
きっと自分は死んだとばかり思い込んでいた結標を一生恨み続けたかも知れないと婚后は語る。
白井を傷つけ、壊して、狂わせた運命の女(ファム・ファタール)のような結標は許せないと。
しかし初春はディスプレイを目で追いながら婚后の意見に首肯しつつ、だがその上で異を唱え。
初春「私は結標さんだと思います。いい意味でも悪い意味でも色んな意味でも全部ひっくるめてですが」
婚后「!?」
佐天「えー……それはないよー初春……」
結標憎しという主流や御坂至上主義という本流からあえて外れた意見を述べた。自分なりに考えた上で。
あくまで結標が生きて帰って来て、白井が立ち直ったという前提での話ならばと付け加えて上で語った。
初春「あの一件があるまで、私達の中で誰か一人でも白井さんのああ言う一面を想像出来た人いましたか?」
佐天「……やだよ。あんな怖い白井さん」
初春「私も嫌です。でも結標さんはそういう白井さんの暗黒面もちゃんと理解していたんだと思います」
当人ですら目を背けたいであろう恥部や、他人ならば目を瞑りたいであろう暗部は誰しもが持ち合わせている。
結標は言わば逆説的な意味合いで白井の理解者だったのだろう。
白井の『女』として暗い影の部分、深い闇の領域を認めた上で。
初春「自分でも認めたくない部分まで理解してくれてる人がいるって、これはこれで中々いないんじゃないかって思うんです」
~21~
人の良き光の面だけを見て人を好きになる事は誰にでも出来る。
だが悪しき影の部分を見て人を嫌わずにいる事はひどく難しい。
人間を一枚の黒白(オセロ)に見立てるならば光と影で一つだ。
黒白(オセロ)に先手後手、勝敗こそあれど善悪などないのだ。
白黒(モノクロ)いずれに濃淡(グラデーション)はあっても。
初春「それに何だか白井さんも大人っぽくなって来てすごく綺麗になりましたしね」
婚后「心無しか背丈や手足も伸びやかになりましたし、身体付きも女性らしく……」
佐天「幸せな恋は女の子を輝かせ、悲しい恋は女の子を磨かせるんだねー。なんて」
事実、結標を『フった』後に白井は目に見えて大人びて来たのだ。
光(しろ)に影(くろ)が加わる事で互いがより引き立つように。
佐天「失恋と言えば御坂さんもそうだよね。スッキリしたっぽいからあんまり悲壮感感じられないけども」
初春「上条さんの事ですよね?ええ、十一月頭にはもう決着ついたみたいですよ。麦野さんとの因縁にも」
婚后「……お二方とも自らには幸薄い星の元に生まれついてしまったのですわね……もはやいっそのこと」
御坂と上条、御坂と麦野、いずれも御坂は去年十一月頭に起こった事件を境にして二人から身を引いたのだ。
負けて悔い無しと振り返る御坂の顔から悲痛の音や悲愴の色はなかった。三人は預かり知らぬ事ではあるが。
佐天「くっついちゃえばいいのに……でも白井さん、御坂さんに負い目があるみたいだしそれがちょっと」
初春「御坂さんも御坂さんで白井さんに引け目を感じてる節がありますしね。どっちも結標さんに絡んで」
婚后「皮肉な話ですわ。そんな二人を強く引き合わせるきっかけになったのも結標さんなどと、あまりに」
はあ、と期せずして三人は同時に溜め息をついて顔を見合わせた。やはり結標が悪い、いいや全部悪いと。
だいたい彼女持ちでありながら私達の白井さんに手を出すなどと佐天が憤り、婚后が溜め息混じりに笑う。
そんな二人を見やりながら初春は思う。白井さんはまだ二人の間で揺れているんですよと心の中に留めて。
御坂「ふー気持ち良かった……あれ、みんなどうしたのよ??」
そして御坂が風呂上がりのタオルを頭に巻いて出て来る頃――
~22~
結標「へくちっ!」
白井「あんな寒空の下、雪見に出掛けるようなお馬鹿さんでも風邪を引きますの?」
結標「誰かが噂してるに違いないわ……どうせ悪い噂でしょうけど。それより黒子」
白井「如何なさいましたの?淡希お姉様」
結標「こうしてくっついていたらちょっとムラムラして来ちゃった。ここのところ少しご無沙汰だったし」
白井「わたくしに性的な意味で指一本でも触れましたらば、裸に剥いて雪だるまにして差し上げますのよ」
結標「」
白井「温まるなり服が乾くなるしたらとっとと出て行って下さいまし。わたくしは貴女の元カノであって」
結標「ぶっちゃけた話セフレにならない?元カノよりお得だし」
白井「貴女死にたいんですの?それとも殺されたいんですの?」
雪降りの中長時間話し込んでいた結標が身体を冷やし、温まるまでと言う条件で白井は結標を部屋に上げたのだ。
そして今結標は白井の部屋で雪に濡れた衣服を乾かしがてら、布団に潜り込んで暖を取っている最中なのである。
下着姿の結標が胸の谷間に白井の顔を埋めさせ、脚を絡ませ太ももで挟み込んでおり、言わば添い寝状態に近い。
結標「ムラムラしてるのは本当だけどセフレにならないって言うのは嘘よ。今度こそ秋沙に殺されるから」
白井「姫神さん的にこれはアウトなのではございませんこと?」
結標「これくらいならイギリスでもセーフだったから。そういう貴女はどうなのよ?御坂美琴に申し訳な」
白井「ええ、非常に申し訳なく思っておりますのでわたくしに触らないで下さいまし。死にますわよ??」
結標「(私が死ぬの?貴女が死ぬの?)」
だが白井の目には紛れもない本気の光が宿っており、結標も冗談なので互いに色っぽいやりとりはない。
身体だけ抱かれても二人はもう心まで抱き合う事はないのだ。世間的にはギリギリアウトだとしてもだ。
反省もしている。後悔もしている。故に二人は二の轍は踏まないし二の舞を踊らない。それが境界線だ。
白井「ところで香水変えましたの?前の方が好きでしたのに」
結標「ジャンヌ・アルテスよ。あまりそれに触れないで頂戴」
白井「(どうせまたロクでもない理由に決まってますの!)」
~23~
目敏くなったものだと結標は白井から視線を外し改めて部屋を見渡す。御坂の余韻が残る二人の部屋。
空になったベッドに果たして次は誰がその主として眠りにつくかは結標の預かり知るところではない。
だが、目についたのはベッドのサイドボードに置かれた漏刻時計。自分が白井に送ったプレゼントだ。
結標「(まだ持っててくれたのね……)」
軍艦島で交わした『約束』が果たされていたならばこれはここに存在出来ないはずである。
そう結標が嬉しさ半分悲しさ半分で見つめていると、白井がギュッとより深く抱いて来る。
よくよく見れば白井の眼差しが閉ざされ、感慨に耽るような感傷に浸るような表情となる。
結標もまた微睡みつつある白井の手を握り締めながら、目を細めてその様を見つめていた。
結標「――寒い?」
白井「雪が降っておりますので……」
結標「……雪が止むまで手を抱いててあげましょうか?」
白井「眠るまでで良いので手を繋いでいてくださいまし」
明かりの落とされた黒い部屋、雪明かりが照らす白い窓辺、灰色の自分達。
色鮮やかなカラーの朝が来ればたちどころに色褪せてしまうモノクロの夜。
サイドボードに置かれたお揃いのイヤーカフスに何故か覚える寂寥と寂寞。
結標「――良いわね、元カノ同士って」
白井「?」
結標「お互いの気持ち良いところも痛いところもわかるものね」
結標と姫神、結標と白井、共に求め合い傷つけあった過去(むかし)があるからこそ現在(いま)がある。
ただその道行きに未来(さき)だけがない。手を携える事も肩を並べる事も歩幅を合わせる事も何もかも。
だがそれこそが二人の考えた結論であり、出した結果であり、迎えた結着(けっちゃく)でもあったのだ。
結標「色んな人に迷惑をかけた反省はしてる。それでも私は貴女とああなった事を後悔なんてしてないわ」
白井「相変わらず身勝手で自分勝手で好き勝手な方ですのね淡希お姉様。ですがわたくしも人の事を――」
結標「言えた義理ではないわよね。好きよ黒子。御坂美琴には見せられないその醜さも含めて貴女が好き」
白井「わたくしはそんな救いがたいエゴイストな貴女が嫌いですのよ淡希お姉様。世界で一番、誰よりも」
白井・結標「「そんな貴女が大好き(大嫌い)」」
~24~
それから結標は白井の手を握り締めながら眠りにつくまで語り合った。時に笑みを零し、時に涙を滲ませ。
次第に話題が尽きて訪れる沈黙を雪音が補ってくれる。見つめ合う時間が増え、抱き合う力が強くなった。
夢と現の境目が微睡みと温もりの狭間で溶け合い、白井の目蓋が次第に下がり結標の目尻も共に下がって。
結標「もっと早く貴女に会いたかったわ」
白井「――いいえ、貴女に逢えただけで」
散り行く六花(りっか)を見つめながら二人は思う。自分達が再会したのも立夏(りっか)の季節だと。
遅すぎた盛夏の出会いと、早すぎた晩夏の別れに二人は想う。
白井が御坂と出会わなければ、結標が姫神と出逢わなければ。
二人は一体どんな形で結ばれたかと言う、幻に終わった想い。
白井「――夢にまで見た幻想より、今ここにある現実(たいおん)があれば強く生きていけそうですの」
結標「……なら、あの時の交わした“約束”を果たしてもらいましょうか、黒子。あの夏の日の誓いを」
白井に抱かれながら結標が伸ばした手のひらに座標移動したオイルクロック。
空の青(ラピスラズリ)と海の蒼(ウルトラマリン)を閉じ込めた漏刻時計。
だが白井はそこでかぶりを振った。約束を違える訳でも誓いを破るでもなく。
白井「あと一日だけお待ちになって下さいまし、淡希お姉様。明日がまさに、その日になりますので……」
結標「御坂美琴の卒業式に?わからないわ黒子。なら尚更必要なくなるはずじゃない。理由を話して頂戴」
白井「――――――それは………………」
白井は語った。何故明日オイルクロックが必要なのかと。同時に結標も得心が行った。そういう理由かと。
白井は語った。貴女の温もりに触れてわたくしは勇気をもらったんですのと。それに対し結標は思わず――
白井「……恩を返すどころか仇で返すような真似である事は重々承知の上ですの。ですがわたくしは――」
結標「――好きになさいな。どうせ私が言って聞かせたところで従うような可愛い後輩(タマ)じゃなし」
白井「……あっ」
結標「戻って来たじゃない。あのレストランで、私へとランプ片手に殴りかかって来た頃の野蛮な貴女に」
白井を抱き締めて口づけた。愛おしくてたまらないとでも言うように。自分『達』を『卒業』する後輩に。
結標「――頑張って……」
――――そして、夜が明ける――――
とある蒼穹の学園都市(ラストワルツ):破の章「my graduation」
~25~
婚后「晴れましたわね」
御坂「良かったね……」
一夜明けた3月9日、婚后と御坂は卒業式会場となる水晶宮の外苑にて未だ白雪残る晴天を見上げていた。
硝子張り建築の最たる複合施設を前には卒業生らがひしめき合い、早くも後輩と名残を惜しんでいる者も。
その中にあって御坂は今日で卒業かと言う実感が今更ながら込み上げて来たのか胸を押さえている。そこへ
湾内「婚后様!」
泡浮「御坂様!」
湾内・泡浮「「ご卒業おめでとうございます!!」」
御坂「二人とも!!」
婚后「まあまあ……」
湾内「はい、卒業生の胸につけていただくコサージュですわ。よろしければ私達に」
泡浮「下級生としての最後の仕事になりますが、どうか御坂様もお願いいたします」
駆けつけて来たのはブルーローズのコサージュを手にして駆けつけて来た湾内と泡浮の二人であった。
婚后が常盤台で出来た初めての友人達でもあり、同時に婚后派の両翼を担ってくれていた同志である。
そんな二人をしっかりと両腕で抱き寄せる婚后の眼差しが微かに潤んでいたのを、御坂は見逃さない。
何故ならば自分もその現場に居合わせた友人の一人なのだ。故に御坂は押さえていた胸から手を離す。
じゃあお願いするわね!と湾内は婚后に、泡浮は御坂にそれぞれコサージュを取り付けて行く。だが。
御坂「――黒子は?」
泡浮「白井さんはもう会場入りなされていますわ。それでわたくしに御坂様にコサージュをお願いすると」
御坂「……そっか。ありがとう泡浮さん!うんうん、バッチリ決めてもらっちゃったところで私達も――」
婚后「ええ、そろそろ入場行進ですわ。湾内さん泡浮さん!本当に一年半ありがとうございましたわ!!」
湾内・泡浮「「はい!では会場で!!」」
そこに白井の姿はない。この足元の白雪をも溶かすような陽射しの中のどこにも見当たらないのである。
こんな時誰よりも先んじて胸に飛び込んで来るであろう白井が。御坂はその事を少し寂しく感じられた。
だがそうこうしている内に在校生らも会場入りし、内部から開式の辞と国歌斉唱が伝え聞こえて来て――
綿辺「皆さん、行きますよ」
御坂「(――はい――)」
――――そして卒業生入場のアナウンスが入った――――
~26~
卒業式会場に当たる水晶宮のコンサートホールに入った御坂達を出迎えたのは、万雷の拍手と生演奏。
御坂はあまり詳しくないが、『ファイナルファンタジー』というゲームのメインテーマであるらしい。
勇壮にして優麗な調べがオーケストラに乗せて届けられ、ホール全体が埋め尽くされ満ち充ちて行く。
美鈴「あっ、美琴ちゃんおーいおーい!」
御坂「(――手振らないでってば馬鹿母!これネット配信されてるんだから!!)」
そんな中保護者席から身を乗り出して手を振るは瓜二つの母親こと御坂美鈴(ははおや)その人である。
今年は長点上機・霧ヶ丘・常盤台などの主だった進学校の卒業式が学園都市中にライブ中継されている。
先の戦争で荒廃した第七学区の復興と相俟って対外的に健在をアピールしたいのだろうと御坂は考える。
昨夜初春がパソコンをいじっていたのもまさにそのためであるが他校の卒業式など何が面白いのかと――
御坂「あっ……」
白井「………………」
女生徒A「御坂様ー!こっち向いて下さいー!!」
女生徒B「貴女達!式中にカメラは禁止だってば」
女生徒C「ああ、最後の制服姿までお美しい……」
御坂「(派閥の子達……それに黒子も)」
入場行進の最中、花道を作り上げる派閥の人間達の中に御坂は白井の姿を見つけ出すに至った。
白井の側からも目が合ったが、言葉を交わす暇は流石になかった。列が滞るからだ。しかし――
白井「………………」
白井は会釈はおろか目礼すら送ってはくれなかった。その事に胸痛める事はなかったがやはり寂しかった。
以前と比べて甘える事がなくなった白井。そこには引かれた見えざる一線が痼りのように蟠って残される。
御坂とて痛いほど感じている。結標に絡んでの一件以来、白井が御坂に対し距離を置いて接している事を。
醜態を晒した事、恋を諦めさせた事、女王にさせてしまった事を、白井が御坂に対し今尚悔いている事も。
御坂「(……気にしてなんてないのに。あんたが立ち直ってくれただけで、私はもう十分報われたって)」
外に積もった雪が溶けるように、足音を響かせる春の訪れを待つまでもなく御坂は全て水に流していた。
むしろ、未だ泥濘に足を取られている後輩を引きずり上げられない自分のいたらなさを悔いてさえいた。
~27~
校長「代表者、御坂美琴」
御坂「はい」
式は流れるようにして緩やかながらも厳かに進み、御坂はクラスメートの名前が順々に呼ばれる中……
クラス代表として最後に指名され、壇上に上がり、卒業証書を右手で手渡され左手で握手を交わした。
校長のシワシワの手は温かく、笑みは柔らかかった。その名残を感じながら御坂は席へと戻って行く。
ちょうどクラス全員が起立しての一礼が終わり、再び着席するところが見える。同時に保護者席もだ。
美鈴「美琴ちゃん……」ウルウル
御坂「(まだ早いって。お母さんが先に泣いてどうすんのよ)」
在校生や卒業生の中にはチラホラ船を漕ぎつつある者もいるが、保護者の中で早くも泣いているのは美鈴ただ一人だ。
御坂は知っている。第三次世界大戦前、美鈴が保護者会を牽引してまで自分をきたる戦火から引き離そうとした事を。
それにさしあたって学園都市側に目をつけられ命を狙われた事があると今年知った。そして、そんな御坂をずっと――
麦野『おいオバサン、絶対にしゃべんなってあれほど言ったのに』
上条『全部終わったから別にもう良いじゃねえか沈利。照れんな』
麦野が、上条がずっと陰となり日向となり自分を守ってくれていたのだと美鈴の口から告げられ驚かされた。
もう時効だから良いわね沈利ちゃん?と美鈴に上がらない頭を撫でられながらも、麦野はそっぽを向いて――
麦野『勘違いすんなよ“美琴”。別にあんたのためじゃ……』
御坂『今、私の事名前で呼んでくれた?』
麦野『………………』
御坂『ねえ!もう一回呼んでってば!!』
麦野『抱きつくんじゃねえ!おいオバサンこいつ何とかしろ!』
つまらなさそうでいてしっかり、ぶっきらぼうでいてはっきりと、麦野は御坂を名前で呼んだのである。
そう、全て終わったのだ。子供達の戦いも大人達の闘いも。それが美鈴にはひとしお感慨深いのだろう。
席に座り直しながら手にした卒業証書(かみきれ)に目を落とす。軽くて、それでいて重く感じられる。
御坂「(卒業式って、親にとっても三年間の一区切りでもあるのかもわね……なんてガラでもないかー)」
長いようで短かった三年間。残すところは早いようで遅い式辞やら来賓祝辞やら来賓紹介のオンパレード。
大人達には申し訳ないが、子供達からすれば既にメインイベントは終わってしまったに等しい状態である。
~28~
長々した校長の式辞やら、今日初めて顔を見るようなえらい人達の祝辞を適当に聞き流しながら私は思う。
一年目は正直振り返るべき事は少なかったように思える。あの女との最悪な出会いとか最低の別れだとか。
けれども二年目から黒子や、初春さん、佐天さん、婚后さん、湾内さん、泡浮さん、それからアイツに……
色んな人達と出会った。色々な事件に関わった。あの忌まわしい絶対能力進化計画(じっけん)も知った。
いつになく楽しかった大覇星祭、その後に起きた第三次世界大戦、ロシアにまで殴り込みに行った事も。
窓のないビルを中心にした学園都市における最終戦争、その後の避難所生活、それから、あの夏の事件。
みんなと出会ったからの一年を通して変わったもの、変わらないもの、色々な形で見えた三日間だった。
御坂「(佐天さん)」
あの事件を通してひっぱたいちゃったり、怒鳴っちゃったりしたけれど、もし佐天さんがいなかったら……
黒子の下へに辿り着く事も、あの永遠とさえ思える十秒間の死闘だって戦い抜けなかったに違いないから。
黒子のために自慢の髪まで切って私達を励まし続けてくれた佐天さんが一番強いよ。私なんかよりずっと。
御坂「(初春さん)」
あの事件を通じて貴女が黒子の居所を割り出してくれたり、ともすれば自分を見失いそうだった私達を……
一歩引いた上で大局を見て、私達の手綱を捌いてくれなかったら最悪の状況だってありえたかも知れない。
もしかすると、みんなの中で一番成長したのは実は初春さんなのかも知れないわね。私なんかよりずっと。
御坂「(光子さん)」
本当の事言うとね、あの女なんかより私なんかより光子さんの方が遙かにリーダーに向いてると思ったわ。
弱さをさらけ出す強さ、プライドを捨てる誇り高さ、一番大切な事を私は光子さんから教わった気がする。
まだまだ感謝したい人達はたくさんいる。力を貸してくれた妹達、固法先輩、派閥のみんな、全ての人達。
御坂「(みんな、私の最高の友達だよ)」
もし貴女達と出会えなかったら、きっと今の私はここにいない。
友達なのに尊敬って言葉はおかしいかも知れないけどそう思う。
出会えた事を誇りにさえ感じられる私は、きっと幸せ者なんだ。
――――貴女達(みんな)は、私の希望(ひかり)なんだって――――
~29~
御坂「(麦野さん)」
私に『捨てる』という事の大切さを教えてくれた人。それは迷いだったり甘さだったり弱さだったり色々。
麦野さん言ってたね。私は有り得たかも知れないもう一人の自分だって。今なら少しわかる気がするんだ。
あいつに恋した私、あいつを愛したあんた。無理に肩肘張る私と、無駄に片意地張るあんた。似た者同士。
御坂「(食蜂操祈)」
私にとって麦野さんが最悪の敵ならあんたは最低の敵だった。だけど女王になった今なら少しだけわかる。
あんたは私の有り得たかも知れないもう一つの可能性だ。仲間にも友達にも巡り会えなかった未来の私だ。
あんたに対して私は未だに複雑な感情(もの)を抱えてるけど、黒子を蘇らせてくれた事には感謝してる。
御坂「(あんたも)」
――あんたと出会えたおかげで私の世界は広がった。あんたと出逢えたおかげで私の世界は変わったのよ。
花も咲かなかったし実も結ばなかったけど、私の世界にあんたって言う種は今も芽吹いて空を見上げてる。
ありがとう上条当麻。面と向かって目を見て言うのは恥ずかしいから、大人になってまた会えたら言うわ。
御坂「(――黒子)」
私に初めて出来た可愛い後輩。飛びつかれたり抱きつかれたりパンツ盗まれたり寝込み襲われたり……
あんたのやり過ぎなスキンシップと行き過ぎなボディーランゲージが今となってはなんか懐かしいわ。
本当に一番近かったはずのあんたが、本当に一番遠く感じられるのが、本当は一番寂しいんだけどね。
思うの。変わったのは私?
想うの。変わったのは黒子?
ただ一つ確かなのは、私が二年間見て来たのはあんたのほんの一部、ほんの一面に過ぎないんだって事。
シャワーの音に声を殺して、シャワーの雫で涙を隠して、私を想って一人泣いてたなんて繊細な部分を。
泣いてる結標さんを慰めるために泣きながら抱かれたなんて胸が張り裂けそうな部分さえ知らなかった。
そんなあんたにもうこれ以上の重荷なんて背負わせられない。だから余計な置き土産は残していかない。
あんたの強さの内側にある女の子らしい弱さや、笑顔の裏側にある涙を思えば常盤台の女王だなんて――
何もあんたじゃなくてたっていいじゃない。私だってなりたくてなったんじゃない。だけど、もし黒子が
……――もし黒子が――……
~30~
教頭「送辞。在校生代表、白井黒子」
白井「はいですの」
御坂「!」
そう御坂が物思いに耽っている間に式辞・祝辞・祝電などが三段飛ばしで過ぎ去り、送辞に差し掛かった。
指名され席から立った白井が向ける背は真っ直ぐ伸ばされ、壇上へと登り行く足取りはしっかりしていた。
御坂自身も去年読み上げたものだったが、果たして自分はあそこまで凛然としていられただろうかと思う。
白井「梅が花開き、桜の芽も綻び始めた今日という日に常盤台中学を巣立って行かれます先輩方、ご卒業誠におめでとうございます」
暗記するまで繰り返し繰り返し読み込んだのか、白井は原稿を手にしながらも目を落とす事はなかった。
先程までの吹奏楽部のように、譜を手繰るのはあくまで形式的なものであり諳んじる内容に淀みはない。
常なるお嬢様言葉(ですの)も少な目に、されど自分達から決して目を離さず焼き付けるようにして……
送辞は滔々と進んで行く。言葉に胸詰まらせる事なく、涙に目滲ませる事なく、その姿に胸打たれるほど。
白井「頼もしく、凛とされ、常にわたくしたちの範となりて教え導いて下さった先輩方。いまこうして読み上げているこの時でさえ、今日という日の」
御坂「(……お母さんを馬鹿に出来ないなあ。結構来てるよ)」
白井「去り行く別れを寂しく、そして巡り会えた喜びに、その全てに対する“ありがとう”という感謝の言葉で胸が一杯です」
よくぞここまで立ち直ったと、御坂は次第に胸の底と目の奥から込み上げて来る感情に揺さぶられつつあった。
本来、不問に伏されたとは言えあれだけの事件を巻き起こした白井がこうして壇上に立つなど無理な話だった。
当初は送辞の読み上げも他の生徒に任ぜられる筈だったが、皆揃って辞退したのだ。それはとりもなおさず――
女生徒D『白井さんが相応しいかと』
女生徒E『次期“女王”として……』
女生徒F『この大役を全うなさるべきは白井さんだと言うのが私達の結論ですわ!』
常盤台最大派閥、御坂派のナンバー2として次期常盤台を背負って立つであろう最初の仕事として白井に花を持たせたのだ。と
白井「………………」
御坂「(黒子?)」
そこで壇上の白井の祝いの言葉が止まり、目を瞑ってしまった。既に半分以上読み上げ終わったところで。
~31~
白井「――この晴れやかな門出で口にするのは怖憚られますが」
観衆が俄かにざわめき始める中白井は紡ぐ。送辞の巻紙には記されていない思いの丈を。在りし日の事を。
白井「昨年の六月にかけて起きた戦災の後、わたくしたちは数ヶ月に渡る避難所生活を経験いたしましたの」
観衆「………………」
御坂「黒子……」
白井「常盤台中学の校舎が焼け落ち、学び舎の園も荒れ果て、明日をも知れぬ戦災の荒波の中飲み込まれて」
それは皆が助け合い支え合い、だがそれだけに止まらず争い合い罵り合いもした避難所での一ヶ月間だった。
削板が牽引し、雲川が支え、レベル5が集結し、名も無き人々が肩寄せ合いながら必死に生き延びようと……
足掻き、もがき、嘆き、それでも尚明日を、未来をただがむしゃらにただ直向きにあの青空の下目指した夏。
白井「何度時が巻き戻れば良いか、食事の争い、水の諍い、それを巡っての喧嘩や涙に立ち会う度思いましたの。あの美しかった頃のまま、時が止まってしまえば良かったのにと」
婚后「うっく……」
白井「何故わたくし達がと、何故こうなってしまったのかと、わたくしも風紀委員として、人の命の重さにも等しい瓦礫の山を前に、自分の無力さに何度となく泣き暮らしました」
湾内「……白井さん」
泡浮「白井さん……」
その言葉に婚后が鉄扇に涙を零し、湾内が泡浮の震える手を握り、在校生も卒業生も保護者も皆思い返す。
辛かった。苦しかった。怖かった。昨日ああすれば良かった、今日こうすれば、明日は良くなるだろうか。
大人も子供も皆あの戦災の残り火とも言うべき煙立ち上る瓦礫の山を前に立ち尽くす事しか出来なかった。
白井「そんなわたくし達在校生の涙を、先輩方が、先生方が拭って下さいました。そして、そんな中持ち得る能力の限りを尽くして発電所を稼働させ、ライフラインを死守し続け」
御坂「あ……」
白井「……今ここにご出席いただいております保護者の方々との、電話やメールといった連絡手段の基となる電力確保や通信整備に尽力なされたレベル5第三位、御坂美琴先輩に」
美鈴「ううっ……」
白井「そして全ての方々にわたくし達在校生は誓います。“新たなる常盤台”を今日ここから“自分達の手で”作り上げて行く事を。この誓いをもって送辞とさせていただきます」
その全てを想いながら白井は言い切った。
白井「――在校生代表、白井黒子――」
~32~
その瞬間、水晶宮全体が震え出すほどの、地鳴りのような拍手と歓声が湧き上がって会場を揺るがせる。
これではどちらが卒業生かわかりゃしないと御坂は涙をボロボロ零しながら自分の答辞の事さえ忘れ……
惜しみない拍手を送った。拙く、幼く、形式も何もあったものではないそのスピーチに笑みと涙を零す。
婚后「うふふ、先輩を泣かすなど実に孝行(おんしらず)な後輩をお持ちになりましたわね、美琴さん?」
御坂「本当よ……おいしいところ全部持って行かれちゃって私の見せ場残ってないじゃないの黒子ったら」
婚后「まだベーカー・スカラーに贈られる“蜂の腰”の授与が残っておりますが……如何なさいますの?」
御坂「……決まってる。“受ける”わ。あの子が常盤台を背負って立つってぶち上げた以上、今度は……」
婚后「先輩としての意地の見せどころですわね。いっその事指名なされたらよろしいのに貴女方と来たら」
御坂「“女王杯”も越えられないようじゃ常盤台を背負って立つなんてどだい無理な話。だからこそ――」
教頭「答辞。卒業生代表、御坂美琴」
御坂「はい!」
喝采の中囁き合った言葉、見交わした眼差し、名指しで呼ばれ、すっくと立ち上がり、御坂は壇上に上がる。
白井(こうはい)が宴に華を添えたならば御坂(せんぱい)は締めの膳立てを粛々と全うするのみであると。
その背中を見送る婚后は思う。恐らく型通りに送辞を読み上げただけならば御坂は選ぶ道を変えなかったと。
白井が少しでも言葉を詰まらせれば、涙を滲ませれば、肩を震わせる『弱い後輩』のままだったならばと――
婚后「本当に、恩を仇で返す無礼という“礼儀”の似合う事」
白井と入れ替わりで答辞を読み上げる御坂。二人は示し合わせた訳でもないのに言葉もなく通じ合っていた。
“新しい常盤台”“自分達の手”という部分を強調して言った白井の言葉が意味するところ。それは御坂から
婚后「まあ、それくらいの気骨をもって事にあたるくらい後輩の方が頼もしくもありますわね。美琴さん」
『常盤台の女王』の座を禅譲されるのではなく、真っ向勝負での一騎打ちにて勝ち取るという事。すなわち
婚后「――わたくし婚后光子、いち友人として“女王杯”に立ち会わせていただきますわ――」
三つ目の継承条件……“女王杯”である。
~33~
教頭「卒業生記念品授与。首席、御坂美琴」
御坂「はい!」
答辞は何とか無事に読み終えられたようですわね美琴さん。こうして壇上に立つ貴女を見ていると――
お父様『友人とはそういうものだ。友人が幸せなら自分も満たされ、悲しい状況になるなら自分も辛い』
お父様『桃李成蹊といって、立派な人のまわりには自然と集まってくるものだ』
お父様『光子が人を思い遣る気持ちを持って己を磨き続ければ、自然と相応しい友人ができるだろうな』
この会場にいらっしゃいますお父様、お見えになられますか?あれがわたくしの友人(ほこり)ですわ。
わたくしに出来ました最初の仲間(ゆうじん)、そしてあの避難所でも相互いに支え合った戦友ですわ。
この場にいない、されどこの場を見ているやも知れない復興支援委員会の方々もまた自慢の同士ですわ。
婚后「(……長い永い夏でしたわ……)」
学園都市第一位でありながら一番下っ端に据え置かれてしまった一方通行さん。
学園都市第二位として避難所を死守した初春さんの守護天使こと垣根帝督さん。
学園都市第四位にも関わらず炊事場の一切を取り仕切ってられた麦野沈利さん。
学園都市第五位でありわたくし達の先輩として白井さんを救った食蜂操祈さん。
教頭「式歌斉唱」
学園都市第六位であると知った時には髪の色以上に驚かされた青髪ピアスさん。
学園都市第七位にして復興支援委員会を立ち上げられた会長こと削板軍覇さん。
学園都市第八位の座にて、能力者狩りに目を光らせてくれていた滝壺理后さん。
学園都市第九位に登り詰めた、白井さんのもう一人のお姉様こと結標淡希さん。
教頭「校歌斉唱」
数え切れないほど多くの方々と巡り会えた奇跡に、わたくしは思いを馳せるのですわ。そしてこれからも……
まだ見ぬ霧ヶ丘女学院での新たな出会い、待ち受ける出来事、その全てを思うと満たされた胸が溢れそうで。
教頭「閉式の辞」
ですが涙は門出を汚しますわ。故にその時が来るまでわたくしは耐えましょう。ですが湾内さんに泡浮さん。
それが終わった後、最後だけ涙もろく弱い先輩になっても構いませんか?貴女方と出会えたあの日のように。
教頭「卒業生、退場」
もう一度手を結び、黄昏の中笑みを見交わす、そんな別れを――
~34~
そして御坂と婚后を先頭に卒業生らが水晶宮を出、それから暫くして在校生らが飛び出して来るのを――
寮監「……終わったか」
再建された常盤台女子寮の寮監室にてネット配信されていた卒業式の様子を見つめていた寮監が一息吐く。
毎年の光景ながらも、胸に去来するものがあるのか、寮監もまた目頭を押さえられずにはいられなかった。
寮監もまた教職員でこそないものの、学内とはまた異なる表情を見せる生徒らを知っている。それ故に――
寮監「今年の卒業生は、一際規則破りの問題児が多かった……」
ある者は卒業生に抱きついて滂沱の涙を流し、ある者は在校生と最後の記念撮影を行っているのが見える。
それらを映すパソコンのディスプレイが滲んで見えるのは眼鏡が曇っているからだと寮監は思う事にした。
次なる新入生(に)を背負うまでの、ほんのわずか肩の卒業生(に)が下りたこの一時がえもいわれず――
寮監「……主に、御坂と白井の事だがな」
穏やかな気持ちと和やかな心持ちにさせられるのだ。鬼の目に涙とはまさにこの事かと諧謔しながらも。
水晶宮の外苑ではまだまだ後ろ髪引かれる卒業生や、名残惜しむ在校生の姿が見られる中寮監は気づく。
記念撮影の輪も、寄せ書きの輪にも、あるべき姿がどこにも見当たらない事に。だが同時に思い当たる。
寮監「――最後の最期まで問題児(おまえたち)らしい別れだ」
すると卒業式後の様子も映し出していた画面が切り替わり、水晶宮の空中庭園が画面に大写しとなった。
学園都市らしい、四季折々の花咲き乱れる中にあって一際目に鮮やかな女王蘭(カトレア)の園までも。
色とりどりの花々が白雪のヴェールを被って咲き誇る中、御坂派の人間達が円陣を囲む中心にあって――
白井『――――――』
御坂『――――――』
婚后『――――――』
白井と御坂が向かい合い、その間に婚后が立ち会っている。その足元には首席卒業者にのみ贈られ記念品。
2000粒のダイヤモンドをシリコンオイルに閉じ込めた砂時計。その形状から『蜂の腰』と字される……
寮監「――――“女王杯”などと――――」
10分の時をかけて刻むアワーグラスが、新旧『常盤台の女王』を決める『女王杯』の開始を待っていた。
~35~
御坂「――第二ボタンをもらいに来た、って雰囲気じゃないわね」
白井「はい。わたくしが欲するのは“常盤台の女王”の座ですの」
目映いばかりの光降り注ぎ、新雪煌めく空中庭園にて白井と御坂はこの日初めて顔を合わせ言葉を交わす。
その様子を派閥の人間達が見守り、恐らくはネットの向こう側にいる多くの人間が見つめているであろう。
間に立つ婚后もまた二人の戦いを見届けるためにこの場にいる。どちらにもよらない婚后派の長としてだ。
御坂「……どうして?あんたは名誉とか権力とか野心とかそういうのに一番程遠いタイプに思えたけれど」
白井「決まっておりますわ。お姉様の後を継ぐのではなく乗り越えるためですの。そしてそれ以上に――」
御坂「………………」
白井「まとまりつつある常盤台を、むざむざ次の後継者争いで掻き乱さぬために、というのがまず一つ」
婚后「………………」
白井「そしてお二方が為されたように、そんなくだらない争いに次世代の新入生を巻き込まないためにも」
派閥「「「「「………………」」」」」
白井「あの戦災で一度は失われてしまった常盤台中学の精神を再び新たな形で作り上げるためにも、くだらない政争ごっこに時間を取られている暇はございませんのよ」
御坂「余計な争い、無駄な時間、そういうしがらみに傷ついたり足を引っ張り合ったりする愚かさや醜さは、私もこの半年で痛いくらい思い知らされたわ。あの夏にね」
白井は言う。あの戦災で一度は失われた常盤台中学は再建こそされたものの未だ深く傷ついているのだと。
だからこそ自分達の世代がそれを立て直さねばならない。そのためには後継者争いなど時間を食うのみと。
派閥が分かれるのは良いが、常盤台が割れている暇などない。早急にリーダーを決める必要があるのだと。
白井「ですの。お姉様が不始末をしでかしたわたくしを見捨てる事なく先代派から守って下さったよう、婚后さんが派閥争いに敗れた方々に手を差し伸べ続けたように」
御坂「……あんたの“大義”はよくわかったわ。後継者を指名しないで出て行って、後はお好きにどうぞって丸投げする私の無責任さよりよほど筋が通ってるわ、黒子」
日が高くなり、風が強くなり、花が散りゆき、雪が溶け行く中、王座に挑むものと阻む者が
~36~
御坂「でもそれは“常盤台の女王”にならなくたって出来る事じゃないの?リーダーなんていなくても、皆一緒に」
白井「わたくしもそう思っておりましたわ。あの戦災を経験し、避難所で暮らし、復興支援委員会に属するまでは」
御坂「………………」
白井「レベル5のみならず、学校も所属も皆異なる面々が一つの方向を目指して手を取り合い足並みを揃えてこれたのは――
ナンバーセブンのような強力な“人間としての力”と強烈な“生きようとする力”……まああの方の言う“根性”ですわね。
あの方はそれと“復興”という目標に見合うだけのリーダーシップを発揮されましたの。そうでなければあの避難所にて……
どれだけの能力を持っていようと、個々人バラバラに動いていては烏合の衆と変わりませんのよ。故にわたくしは倣いますの」
自分は縦社会の頂点に立ちたい訳でも横並びの中心に座りたい訳でも、ましてや支配や権威を欲しているのでもない。
御坂が食蜂に感じた『必要悪』や白井が削板に覚えた『象徴性』のために常盤台の女王という『道具』が要るのだと。
派閥間の争い、それに伴い涙する生徒、常盤台の立て直し、戦災によって全てが壊れた今だからこそ重要なのだと……
白井「食蜂さんのような“器”を、お姉様のような“力”を、婚后さんのような“情”を兼ね備えた――」
御坂「………………」
白井「“常盤台の女王”というこれからの復興(たたかい)に必要な旗印をわたくし達は欲しておりますの」
そこで御坂はザクッと新雪を踏みしめながら白井を見据える。だがそれは後継者として認めたという事ではない。
ここまで大義を掲げたならば、食蜂に指名され嫌々請け負い、白井に絡んでの件なくばより先延ばししていた……
『常盤台の女王』の座を、はいそうですかと禅譲する訳には尚更行かない。女王の座という鼎の軽重を問われる。
御坂「良いわ。それだけ大見得を切ったなら、それに見合うだけの実力を示しなさい。私さえ越えられないなら」
御坂が空中庭園の土壌から『砂鉄の剣』を生み出して握り締め、その切っ先を白井に向けて構え直した。
御坂「――あんたの“大義”はただの幻想(えそらごと)よ」
超えんとする白井(こうはい)、越えさせじとする御坂(せんぱい)、新旧『常盤台の女王』による――
婚后「――“女王杯”を始めますわ――」
~37~
佐天「“女王杯”って……競馬のタイトルじゃなくて白井さんと御坂さんがぶつかり合うって事なの!?」
初春「さ、佐天さんパソコン壊れちゃいますよ!ゆ、揺らさないで下さいモニタリング出来なっちゃ……」
固法「食蜂さん、“女王杯”って何なんですか?どうして白井さんと御坂さんがこんな決闘紛いの真似を」
食蜂「理解力に乏しいわねぇ?新旧“常盤台の女王”を決するための早い話が時代錯誤の番長争いよぉ☆」
同時刻、ベーカリー『サントノーレ』のボックス席にて常盤台中学卒業式の様子をネット配信で見ていた四人は目を見開いた。
そこには今まさに白井が決闘を申し込み、御坂がそれを受け、婚后が立会人として場を仕切っている真っ最中だったのである。
しかし三人の注文をテーブルまで運ぶ食蜂はどこか楽しげな様子で、佐天が揺さぶり初春が操作するパソコンを見やっていた。
食蜂「“女王杯”そのものは言い伝えで聞いてたんだけどもぉ。確か一人もいないはずなのよねぇ~?」
女王杯……それは蜂の腰のようにくびれ、杯の形にも似た2000粒のダイヤモンドの砂時計が刻む10分弱の間……
『常盤台の女王』に対し一騎打ちを挑めるという、上流階級の子女の園にあって似つかわしくない決闘の作法である。
食蜂「――“常盤台の女王”を真っ向から打ち破って政権交代した“達成者”なんてただの一人もねぇ」
食蜂は言う。この『女王杯』を執り行う事自体が女王もその派閥の人間も未熟な証に他ならないのだと。
そもそも『女王杯』は女王の専横や独裁に対する不信任案を司る。言わば武力によるクーデターである。
また女王がしっかと後継者を育てて後事を託して指名すれば良く、また反旗を翻される事も有り得ない。
食蜂「(――去年私が言った先見力通りでしょお?御坂さん)」
今回のようなケースの場合、御坂が私情に走り過ぎ、白井を女王にしなかったら事がそもそもの発端だ。
加えて八月の事件にあって白井が大失態を犯したため、後継者として御坂も後事を託せなかった事にも。
言わば指導力不足の女王に対して、力不足の後継者が挑むようなものだ。勝てる見込みなど有り得ない。
――そして『女王杯』がみだりに行われない理由のいくつかには――
~38~
食蜂「それに派閥の長に叛逆する訳だから、失敗すれば間違いなく追放☆どこの派閥もそんな子拾わなぁい」
それまで同じ派閥だった人間全てが敵に回り、常盤台中学そのものにいられなくなる可能性すらあるのだ。
ましてや相手はどんな形にせよ女王を担う能力者なのだ。真っ正面からの戦闘ともなれば圧倒的に不利だ。
加えて白井が挑む相手は学園都市第三位超電磁砲(レールガン)。単一戦闘だけならば食蜂さえ敵わない。
食蜂「――全力の第四位でさえ、御坂さんが本気出したらたった六秒で負けちゃったのよぉ。無理無理☆」
『0次元の極点』でレールガン返しをやってのけた麦野でさえレベル6に登りつめた御坂に惨敗したのだ。
同じレベル5にあっても御坂に勝ち得るのは本命一方通行、対抗垣根、単穴削板ぐらいしかいないだろう。
残る大穴で上条ないし浜面。つまり御坂とまともに戦える存在など230万人中五指に届くか届かないか。
初春「――白井さんは負けません。勝てるかどうかは私にはわかりません。でも白井さんは負けません」
固法「初春さん……」
わかっていた。この場にいる全員が御坂の実力をわかっている。白井が勝てる可能性などまったくの0だ。
どんな小細工を弄そうが蟻の掘った落とし穴にはまる象などいない。精神論でどうにかなる相手ではない。
間もなく始まるであろう『女王杯』を前に表情を固くする初春がそれを一番理解しているだろう。それでも
食蜂「――“壁”、ねぇ……」
食蜂もまたディスプレイを覗き込みながら思う。白井が何故御坂に挑まねばならないのかという思いを。
女王となって常盤台の持ち得る能力を持って第七学区の復興に携わりたいというのも本心からであろう。
だが白井の本音はそこだけではない。掲げた大義と比べ、もっと瑣末でより個人的な決意があるのだと。
固法「壁?」
食蜂「“壁”よぉ。力任せに打ち壊して“扉”にするか、食らいついてでもよじ登る“門”にするかはあの娘達次第だけどぉ」
佐天「……ちょっとだけ、わかったかも」
食蜂の言葉に佐天も首肯する。これは白井からの想辞(そうじ)であり御坂からの闘辞(とうじ)なのだと。
佐天「――白井さんは、御坂さんを卒業(のりこえ)たいんだ」
憧れを、目標を、理想を、白井は自らの力で乗り越える事で御坂(おねえさま)を送り出したいのでろうと。
~39~
婚后「では砂時計が反転したらば開始とさせていただきますわ」
花と雪に彩られたバビロンの空中庭園、その小さくも深い人工池にかかる桟を挟んで二人はここに対峙する。
陽射しがことに眩しく、青空がやけに高く、春風がいやに強く、されど二人は目を逸らす事なく見交わして。
御坂「――女王になって何をしたいの?」
白井「常盤台中学の再建と、第七学区の復興に、わたくし達の能力で少しづつでも貢献したいんですの」
御坂「……あんたの代じゃ終わらないわ」
白井「ええ。ですがわたくし達の志を継ぎ、行き果たしてくれるであろう次の新入生(せだい)にバトンを託したいんですの」
御坂「何年かかるかもわからないのに?」
白井「そのために種を蒔きたいんですの。花開き、実を結び、この戦災に荒れ果てた地に、本当の春が訪れるその日まで――」
その言葉に御坂は苦笑、否、自嘲を浮かべて水面を見た。自分などよりよほど先を見据えている後輩に。
御坂は白井を守るために女王となった。だが白井は違う。未来へ繋がるバトンを守ろうとしているのだ。
それが誇らしくもあり悲しくもある。当初御坂は『女王杯』に消極的であった。だが今は違うと感じる。
白井「故にわたくしは御坂美琴(あなた)に別れを告げますの」
御坂「――――――………………」
白井「誰よりも貴女をお慕いしておりましたわ。お姉様“達”」
その時、白井が左手に金属矢を握り締めたまま右手でオイルクロックを取り出し指先で挟み上げた。
空の青(ラピスラズリ)と海の蒼(ウルトラマリン)を閉じ込めた、結標淡希からの大切な贈り物。
正気を失い狂気に駆られていたあの夏の日にも、それから巡った季節の中にあってさえ手放さず――
白井「――お姉様“達”に会えて――」
御坂「――嗚呼……」
白井「わたくし、本当に幸せでしたの!」
大切にしていたオイルクロックを手放し、重力に従って右手から離れて行くそれを白井は左手の金属矢で
パリィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン……
白井「――3月9日(きょう)をもって」
横凪ぎに振り抜き、打ち砕き、閉じ込められていたブルーブラッドのオイルを『露払い』したのである。
白井「わたくしは、お姉様“達”から卒業いたしますの!!」
同時に、ダイヤモンドの砂時計が反転した
~40~
結標『もし、私の事を――いつか貴女が“卒業”する日が来たら』
白井『………………』
結標『この時計を捨てて欲しいの。貴女を縛り付けたくないから』
あの夏の日、わたくしにこのオイルクロックを下さった貴女はそう仰有いましたの。私を忘れて欲しいと。
この夏の日、貴女と夢見た永遠も誓った永久も、その全ての記憶を想い出に変えお姉様の元へ帰りなさいと。
結標『――貴女が好きになったのは確かに私かも知れない。だけど、愛しているのは御坂美琴でしょう?』
白井『――それは……』
結標『いいの、わかっているわ黒子。昨夜、貴女を無理矢理抱いた時に流した涙は、そういう意味だって』
白井『淡希お姉様……』
結標『それでも良いなら受け取って。黒子』
貴女はズルいんですの。そんな風に言われたら受け取るしかないですの。捨てる事など出来ませんのに。
わたくしがこうして思い悩む胸の内から、揺れ動く瞳の奥から、逃げ惑う心の中まで全てわかっていて。
白井『そんな言い方は……とてもとても……卑怯ですの』
結標『忘れた?私って性格悪いのよ。思い出したかしら』
美しくて残酷な貴女、綺麗で優しいお姉様。そんなお二方を天秤にかけるような醜くあざといわたくし。
この時わたくしは泣き叫びたいほど、張り裂けそうなほど胸を締め付けられましたの。“どうして”と。
どうしてわたくし達は出会ってしまったのかと。こんなにも辛い恋ならば、貴女に出会いたくなかった。
白井『わたくし怒りましたのよ?これだけでは足りませんの!』
結標『どうしたら許してくれるかしら?黒子(おじょうさま)』
白井『それは―――』
淡希さん、わたくしは本当に貴女の事が大好きでしたの。本当は今だって貴女の事が忘れられませんの。
お姉様、わたくしは本当に貴女の事を愛しておりますの。本当は今だって貴女の事を抱き締めたいほど。
白井『――わたくしと一緒に星空を――』
故にわたくしは、お姉様『達』から卒業いたしますの。
あの日の笑顔のわたくしとこの日のわたくしの涙と共に
淡希さん、貴女のおかげでわたくしは立ち直りましたの。
お姉様、貴女のおかげでわたくしは立ち上がれましたの。
――ですから、未来(このさき)はわたくし自身の足で前に進みたいんですの――
とある蒼穹の学園都市(ラストワルツ):離の章「GOOD LUCK MY WAY」
~41~
オイルクロックが砕け散った瞬間に白井が、アワーグラスが反転した刹那に御坂が、同時に動き出した。
御坂「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
キンッ!という金属音と共に弾き出され紫電を漲らせ収束する。それは常盤台はおろか学園都市に住まう者ならば……
誰しもが知る学園都市第三位の代名詞、二つ名を冠する最大にして最高にして最強の一撃(レールガン)が放たれる!
白井「(やはり!)」
弾かれた同時に空間移動で躍り出た白井の背後、人工池がドンッッッッッ!という音すら置き去りにし――
水底を浚い、水柱を立たせ、水飛沫を巻き上げて炸裂する。出し惜しみ無し、いきなりのクライマックスに
白井「はああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
読み通り空間移動でレールガンをすり抜け、御坂の前に躍り出た白井が金属矢を挟み込んだ右手を振り下ろす。
それを読んでいたのか、御坂は前髪数本を切り飛ばさせバック転しながらかわし、空振る金属矢が新雪を穿つ。
だが御坂は着地すると同時に、手にした砂鉄の剣を白井に向けて横払いに振り抜かんとするが白井もそれを――
白井「させませんわ!」
御坂「っ」
返す刀で振り抜き、御坂の砂鉄の剣を弾き、そこから金属矢を同じく剣に見立てて握り締めバックステップを踏む。
追いすがり尚切りかかる御坂の太刀筋を、逆手に構えて風車のように回しながらいなし、逸らし、逆に飛びかかる。
空中に身を投げ出しながら身軽さを活かした錐揉み飛行のように切りかかり、逆手を振り上げて砂鉄の剣を押し返し
御坂「やらせないわよ!」
白井「っ」
ザバッッッッッ!と滝のように降り注ぐ人工池の水が雨霰とばかりに二人の髪を、ブレザーを濡らす中……
一合十合百合と赫亦を散らし剣劇を演じ剣の舞を踊って二人は水滴が蒸発しそうな火花の中ぶつかり合う!
――――――“1”――――――
打ち合い打ち鳴らすまでのやり取りが一秒とかかっていないにも関わらず、一瞬がまるで永遠のようで。
~42~
打ち止め「お姉様本気だ……ってミサカはミサカは初めて見る剥き出しのお姉様に顔色を失ってみたり」
番外個体「おいおい画面が処理落ちするくらい凄まじいスピードってなんなのさ!?ありえないでしょ」
御坂妹「あなた方はどう思いますか?とミサカは水出しコーヒーを啜っている“男二人”にたずねます」
一方通行「………………」
一分以上も続く剣と刃の応酬をMNWから観戦していた妹達も思わず口元力むほどの御坂の攻勢を……
ダッチコーヒーをドリップしていた一方通行もまた見ていた。ただしMNWではなく、もう一人の――
垣根「おい、テメエはどっちに賭ける?」
一方通行「……下らねェ」
テーブルを挟んで煙草を吸っていた垣根が向けて来るスマートフォンの画面を通してだ。当の本人はと言うと――
手元にはいくつもの医学書が積み上げられており、その内一冊に開かれたページに目を落としながら吐き捨てた。
コーヒーを飲んだらサッサと出て行けと、垣根の持ち掛ける賭け事と御坂達のやり取り、その両方を指し示して。
垣根「まあそれもそうだな。賭けにならねえどころの話じゃねえ」
一方通行「………………」
垣根「――思い出すな。俺とテメエが初めて出会った頃をよ――」
垣根もまた一方通行と切り結んだ時の事を想起していた。それほどまでに白井と御坂の戦闘は激しかった。
散りばめられた火花と水滴。輝く砂鉄の剣に、煌めく金属矢が激しく凌ぎを削るまさに決闘そのものである。
一方通行「………………」
学園都市第一位こと一方通行。この数年後、カエル顔の医者の意志と意思と遺志を受け継ぎ二代目冥土帰しとなる医師が――
この時医学書をテーブルに置き、『杖を使う事なく』立ち上がり、窓辺へと向かい煙を追い出すべく窓を開け放ったところを
垣根「おい、ついでにコーヒーおかわり」
一方通行「誰にもの言ってンだ。殺すぞ」
学園都市第二位こと垣根帝督。この数年後、復興支援活動を通じて事業を学んだ彼は青年実業家となり起業する事となる。
しかし今は互いにそんな未来像などこの時知る由もなく、未だ道半ばである少年達の眼差しが時同じくして画面に向いた。
――――――“2”――――――
――かつて敵として出会った二人(しょうねん)の死闘を思わせる、味方として出会った二人(しょうじょ)の血闘に――
~43~
御坂・白井「「((このままじゃ))」」
御坂「(勝てないわよ)」
白井「(負ける!!?)」
両者の剣劇から二分が経過した後、ガギン!と鍔迫り合いから二人同時に後ずさって距離を取り睨み合う。
雪が散り水が舞う空中庭園。派閥の人間達が取り囲み見守る中にあって、二人だけが互いの力量を正確に――
白井「はあっ!!」
御坂「ハアッ!!」
空間移動から一気に飛び込み金属矢で切りかかる白井、生体電流を操作し一気に突きを繰り出す御坂が交差する!
再び散らした火花が消え入るより早く白井は空中に空間移動し、跳躍の限界点から更に金属矢を八本バラ撒く!!
そこから投擲された金属矢を御坂が磁力を最大限に引き上げ纏めて掴み、吸着を反発に変えて打ち返し射出し――
白井「まだですわ!!」
た所を白井が更に空間移動し月面宙返りから御坂の背後に現れ出でて
御坂「(速い!!!)」
急降下しつつ斜め下に蹴撃を繰り出して来るのを御坂は振り向き様に砂鉄の剣の峰側で受け止める。
だが一瞬押し流された勢いは殺せず、その間に着地した白井が左フックを、右ストレートを放った。
しかし御坂はそれを首を傾けてかわし、右腕を手に取るとその勢いのまま一本背負いを繰り出した。
されど地面に叩きつけられる前に、触れられていた白井の手から御坂が空間移動で宙に飛ばされる。
そこでも御坂は空中庭園の硝子に磁力の反発力を利用し蜘蛛のように取り付きながら駆け出して!!
婚后「(電撃を放つ暇さえ命取りになる領域での戦いなどと!)」
立会人を務める婚后も一打一撃一合に瞠目させられる思いである。
白井の空間移動から投げ矢を警戒して御坂は一ヶ所に留まれない。
白井も御坂の電撃を回避するには空間移動で逃げ回るより他ない。
肉弾戦と白兵戦で間合いを保ち、演算する暇を与えない作戦だ。が
――――――“3”――――――
空間移動で御坂の立つ温室の屋根に躍り出た白井が、繰り出した金属矢による突きで胸元を捉えたかに見えた刹那……
白井「ぐはっ!!?」
御坂は上体と背中が地面につきそうなほど倒しながら、右足をバレリーナのように蹴り上げ白井を垂直に打ち上げる!
御坂「(これは、麦野さんの十八番よ)」
学園都市第三位こと御坂美琴が、嘗て麦野に三度浴びせられた『暴力』そのままに。
~44~
絹旗「あれ、麦野の超得意技ですよね?」
フレンダ「結局、第三位に教えたりとかした訳?」
麦野「私とやり合った時に身体で覚えたんでしょ」
浜面「(麦野の足技とか人が死ぬぞ?)」
黒夜「(何で私がこんなところに……)」
同時刻、ファミレスのモニターより『女王杯』を観戦していたアイテムの面々と、紆余曲折あって拾い上げられた黒夜は感歎とした。
殺人的な麦野の『暴力』をしっかと身につけた御坂が体術に持ち込んでより、均衡が破られ白井が一気に劣勢へと追い込まれたのだ。
その様子をトマトジュース片手に見物していた麦野に、アーノルドパーマーを口にしていた絹旗が問い掛ける。何故?と首を傾げて。
絹旗「元々地力に差がありすぎてるなら何故レールガンを撃たないんでしょう?そうすれば超楽勝ですが」
麦野「ギャラリーが邪魔だからでしょう?同じ理由で雷撃の槍も撃てないんだろ。撃つ気もなさそうだし」
その問いに御坂を敵味方両面から知る麦野はつまらなさそうにストローを吸いながら分析を述べた。
一発目のレールガンも人工池に向かって放った威嚇射撃だ。白井に近接戦を強いらせるためだけに。
婚后の分析とは真逆に、離れて戦えば電撃の餌食だと思わせた上で相手の土俵で撃破するためだと。
二人の実力差は派閥(ギャラリー)がいようがいまいが、電撃を撃とうが撃つまいが埋まらないと。
フレメア「じゃあ大体、あのリボンの人は勝てないの?」
麦野「逆だにゃーんフーレメアー……この“女王杯”って場が立ってなきゃ小パンダが“勝てない”の」
学園都市第四位こと麦野沈利。この数年後に結婚し、家庭に入った後一男一女を設けて表舞台から引退する事となる。
その彼女の目は確かに捉えていた。全身全霊で空間移動を繰り返し早くも限界に達しかけている白井の旗色の悪さを。
滝壺「大丈夫、私はそんな諦めないしらいを応援してる」
学園都市第八位こと滝壺理后。この数年後にロードサービスとなり働き始めた浜面と麦野より早くに結婚する事となる。
その彼女の眼は確かに見抜いていた。御坂に刻一刻と追い詰められながらも、未だ膝を屈する事なく心を折らない姿を。
――――――“4”――――――
死力を尽くして戦い、死活を手繰り寄せんとする眼差しはまだ死んでいない。
~45~
白井「(これが学園都市第三位の力!)」
御坂の雷撃を警戒し、温室の屋根づたいに駆けて来る白井が繰り出す空間移動からの右ハイキック。
だが御坂はそれを軽々と左手で受け止めたところでバチンッ!と火花散らす電流を流して弾き出す。
一瞬の内に冷や汗と共に戦慄し、脂汗と共に苦痛に顔を歪めた白井が身を屈めて後退るその頭上から
御坂「黒子ォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」
白井「――!!?」
降って来る踵落としに白井が再び空間移動して回避、今度は御坂の頭上に飛び出した白井のオーバーヘッドキックが見舞われた。
それに御坂も右腕を撃ち抜かれ、たまらず砂鉄の剣を取り落とし、屋根からジャンプして再び空中庭園へ飛び込んで行くのを――
白井「勝ちは拾わせませんわ!!」
御坂「!?」
白井の手から放たれた八本の金属矢がブルーローズの咲き誇る花壇に積もった雪面にガガガ!と突き立つ。
それによって砂鉄の剣が再び弾き飛ばされ直し御坂が追いすがろうとするのを、白井はそれ以上に必死に。
白井「はあっ!!」
突き立った八本の金属矢の一本に向かって空間移動し、それを手にして雪面から切り上げ御坂へ振り抜かんとする。
だが御坂も金属矢の一本をすぐさま手に取り、白井の切り上げに対し切り落としで受け止め再び剣劇の応酬となる。
その衝撃に真白き雪が舞い上がり、蒼白い花が舞い散り、二人を照らす陽射しを鳥の影が落ちて風が吹き荒んで――
女生徒A「……綺麗」
雪が、花が、水が、光が彩る空中庭園での死闘を取り巻き見守っていた御坂派の少女の一人が息を呑んで呟いた。
するとその呟きは囀りに変わり、囀りはやがて叫びへと変わる。この少女も嘗ては先代派に属していたのである。
故にわかる。食蜂の優雅さ、敵対していた派閥(じぶんたち)を飲み込んだ御坂の力強さとも白井は違うのだと。
女生徒A「……負けるな!」
女生徒B「負けないで!!」
女生徒C「白井さん!!!」
――――――“5”――――――
その声援はいつしか、レベル5という頂上にして超常の域にある御坂に対してではなく……
自分達と同じレベル4でしかない白井の戦う姿に向けられていた。残り五分を切って尚も――
五分とすら言えない戦況の中必死に食らいつくその姿が、少女達の胸を打ち震わせていった。
~46~
佐天「負けないで白井さん!お願い!!」
初春「――勝って下さい白井さん!!!」
固法「あなた達……」
それは食蜂のバイト先、青髪の下宿先でもあるベーカリーに詰めていた二人も全く同じであった。
画面越しにも伝わって来る白井の必死さが、二人に御坂との対決という憂いを忘れさせるほどに。
無論二人がどのような形にせよ争って欲しくないのが本音である事に変わりはない。だがしかし。
女生徒D『行け!行け行け白井さん!!』
女生徒E『ちょっと!貴女達は御坂様の』
女生徒F『……負けるなー!!!!!!』
空中庭園でも御坂派の少女達が拳を振り上げ、声を張り上げ、尚も鎬と心身を削る白井を後押ししていた。
彼女達も決して御坂を敵として見做している訳ではない。これから卒業していく、自分達の『長』なのだ。
だからこそ思う。果たして自分達の中に止むを止まれぬ事情があったとして、誰がレベル5に挑めようか?
青髪「君はずーっとこないなると思ってたんとちゃう?せやから去年は第三位に、今年はあの娘に発破かけて」
食蜂「――私は貴方と違って予知力ないしぃ?でも一年前の今日、こうなるのは何となくわかってたのよねぇ」
答えは否であろうと食蜂はリモーネ・カプチーノを作りながら思う。それほどまでにレベル5は懸絶した存在だ。
極端な話、戦闘機に追われて逃げても誰も笑わない。だが白井のしている事は竹槍で戦闘機に挑むようなものだ。
同時に白井は彼女達側の人間である。レベル5を王族とするならば、白井(レベル4)は市民ほど差があるのだ。
食蜂「私みたいな政治力とも、御坂さんみたいな能力とも、婚后さんみたいな人間力とも違う“力”……」
青髪「“意思力”、っちゅうやっちゃね」
学園都市第五位こと食蜂操祈。数年後、生徒達にも選挙権をという親船新理事長が制定した新法を元に……
巧みな人心掌握術をもって学園都市の政界に食い込む第一人者となる少女が二人の戦いを微笑みながら――
青髪「――こっから先の未来は見るもんちゃう。作ってくもんや」
学園都市第六位こと青髪ピアス。数年後、この下宿先であるベーカリーを任され生涯一店主として終え……
食蜂「――私達もねぇ☆」
――――――“6”――――――
るかどうかは、六分儀にも記されていない未来の話である……
~47~
削板「すげえ根性だな。もう何分食い下がってやがるんだ……」
雲川「うえっ……まだ頭がガンガンするんだけど。気持ち悪い」
同時刻、復興しつつある第七学区の街頭ビジョンを見上げながら二日酔い気味の雲川をおんぶする削板がいた。
昨夜の卒業記念パーティーで上条らにしこたま飲まされ、朝までグデングデンとなり最後には土御門が締めた。
だが何故削板がいるのかと言うと、鞠亜が余計な気を利かせて迎えに呼び出したのである。しかし雲川は雲川で
雲川「(……あいつは勇気があるけど)」
削板の広い背中の上から仰ぎ見るスクランブル交差点のビジョン。次第に蘇って行く街並み。移ろう季節。
果たして自分達はこの現実に広がる眺めを前に、どこまで記憶の中にある第七学区にまで戻せるだろうと。
我無捨羅に駆け抜けて来た九ヶ月が間もなく迎える新たな春にあってふと振り返りたくなる時があるのだ。
自分は何を変えられただろうかと。自分は何が変わっただろうと未だアルコールの残る明晰な頭脳が囁く。
雲川「……なあ、削板」
削板「ん?背中に吐くなよ!家までもう少しの根性(しんぼう)だ」
雲川「違う。本当は復興に一段落ついてから言おうと思ってたけど」
白井は変わった。変わろうとしている。ありったけの勇気となけなしの能力をもって御坂にぶつかっている。
その姿に雲川は少しばかり背を押してもらえた気がしたのだ。変わるなら今しかないと、新たな風が囁いて。
雲川「――私、お前の事が大好きだけど」
削板「………………」
雲川「酒の力を借りたような根性(いくじ)無しだけど、私はお前が好きなんだよ」
雲川は風に誘われるままにそう言い切った。青い空が広がる上と、白い雪が残る下でもない、目の前の背中に。
だが
削板「――ああ、知ってたぞ?」
雲川「………………~~~~~~!!!!!!」
削板「痛え雲川!首を締めるな!!何で泣いてんだ!?」
――――――“7”――――――
学園都市第七位こと削板軍覇。数年後、彼は長点上機学園の教師となりその野球部を優勝へと導く事となる。
同時に、熱血高校教師として生徒や野球部に邁進し過ぎて恋人をほったらかしにし、ついにその恋人がキレた
雲川『こんな女心のわからん馬鹿の面倒、私以外の誰に見れる?』
七生を誓った逆プロポーズの果てに――
~48~
白井「――はあっ、はあっ、はあっ……」
御坂「(――黒子――)」
女生徒G「白井さん!」
女生徒H「御坂さん!」
女生徒I「二人とも!」
七分間という短くも長い時間を全身全霊、全力全開、全力投球、全力疾走で戦い抜いた白井が息を切らす。
だが雪面に佇みながら最後の一片を散らしたブルーローズを砂鉄の剣で振り払った御坂は汗一つ流さない。
声援は未だ止まず、手に汗握る者、指を組み祈る者、腕を伸ばし呼び掛ける者達の中、御坂は呼び掛けた。
御坂「本当にあんたはよく頑張ったわ。私を相手にしてここまで戦い抜いた女の子はあんたが“二人目”」
白井「ぜえ……ぜえ……ぜえ……」
御坂「――もういいじゃない。あんたはよくやった。それはもうみんなが認めている事よ、“白井黒子”」
山のように高い実力差、海のように深い格差を砂鉄の剣に乗せて御坂は『常盤台の女王』として告げた。
だが声援を向ける少女らの何人が気づいただろうか?息一つ切らしていない御坂の声が震えている事に。
そう、少なくともただ『三人』は気づいていた。一人は相対する白井。そしてもう一人は立会人たる……
婚后「(美琴さん……)」
婚后である。彼女には御坂の心が手に取るようによくわかる。御坂は白井と戦う事に胸を痛めているのではない。
純粋に喜びゆえであろう。あの夏の日からよくぞここまで立ち直り立ち上がり自分の前に立ち塞がってみせたと。
それに加えてこの声援である。皆が起こし得るかも知れない奇跡を祈っているのだ。新たな時を刻むその瞬間を。
白井「まだですわ……」
御坂「………………」
白井「貴女も、わたくしも、まだ“負け”を認めてなどおりませんの!!!!!!」
恩送りという言葉がある。それは恩を受けた先達に返すのではなく、後輩に与える事で恩返しとするそれだ。
御坂は安心していた。もう自分が心配せずとも白井は大丈夫だと。こんなにも多くの人々に囲まれていると。
もう二度と折れない心は大樹となり、やがてその下で身を安んずる後輩達の支えとなり柱に成り得るだろう。
御坂「――そうね」
――――――“8”――――――
御坂が砂鉄の剣を握り直し、白井が顔を上げる。八重咲きの桜の下出会った、最高のパートナーに向けて
~49~
白井「――これで……」
対峙する白井は片手片膝を雪に埋もれてしまった女王蘭(カトレア)の花畑に突きながら最後の力を振り絞る。
同時に婚后がキープするダイヤモンドの砂時計が加速する。蜂の腰に似た女王の杯のシリコンオイルが揺蕩う。
時間という変わり行くもの、ダイヤモンドという変わらぬもの、相反しながらいずれも人生に内包するものだ。
白井「――終わりですのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
轟ッッ!白井の手元から一面の白雪が消失し、変わって青空を白く塗り潰すように移動し御坂に降り注ぐ。
その予想だにしない攻撃に一瞬御坂が驚くも、白井も同時に空間移動して姿を眩まし、視界が白に染まる。
御坂「目くらましなんて!」
百キロ近い六花の結晶を御坂は縦に、横に、斜めに、砂鉄の剣を鞭のように伸縮させ切り裂いて行く!
視界を塞がれても御坂には電磁波で空間把握が出来る。天空から降り注ぐ雪崩の中にあってさえも――
――――――“9”――――――
御坂「後ろ!」
白井「とお思いですの!?」
御坂「!!?」
振り向き様に砂鉄の剣を横一文字に薙ぎ払うも、切り裂いたのは白井の冬服のブレザーのみで中身はない!
忍者の空蝉の術にも似たトリッキーな身代わりで更に反転した御坂の背後に踊り出た白井が金属矢を揮う!
対する御坂もまさに間一髪で砂鉄の剣で更に回転してそれを受け止め鍔迫り合いとなり、火花が咲いて――
婚后「――カトレア――」
何秒?何十秒?と渾身の力で鍔迫り合いで一進一退の押し合い睨み合う二人の周囲にカトレアが舞い散る。
かつて婚后が手入れしていた蘭の女王。その花言葉は『貴女は美しい』と言うものだと思い返されて行く。
それはゲーテの『ファウスト』の中にある最も知られた一節へ紡がれて行く。この長い永い物語の果てに。
―――時よ止まれ、お前は美しい―――
婚后「残り十秒!!!!!!」
――1(せつな)と0(えいえん)の狭間の中で綴られ続けた白井と紡ぎ続けられた御坂の物語に、ついに終止符が打たれる――
~50~
白井「ああああああああああああああああああああ!!!!!!」
御坂「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」
――――――“10”――――――
鍔迫り合いを白井が弾き返し、御坂が弾き飛ばし、二人が弾き出され
――――――“9”――――――
白井が右回りに回転し、御坂が左回りに廻転し、踊るラストワルツ。
――――――“8”――――――
御坂「これで――!!!」
流れる涙と共に御坂が振り抜いた砂鉄の剣は、やはり最後まで一瞬早く白井に届くも
白井「これが――!!!」
ブシュウッ!と溢れる血と共に白井はその刃を左手で掴み取って受け止める――!!
――――――“7”――――――
御坂「なっ……」
白井「――わたくしに求められるリーダー性ですのよ」
――――――“6”――――――
御坂の敗因、それは白井の姿に涙滲ませ狙いが逸れた事。白井の勝因、それは自ら血を流してでも成し遂げんとする“意思”
――――――“5”――――――
白井「……ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!」
ドン!と御坂の腹腔に突き刺さる金属矢の平坦な後部。命を奪うためではなく勝利を手にするための一撃。それは奇しくも結標が手塩を下した時の鏡合わせにして似て非なる結末。それを受け涙を零れ落とすは御坂。
――――――“4”――――――
御坂「――“黒子”……」
白井「――――――」
――――――“3”――――――
婚后「嗚呼……」
笑顔を浮かべ、心底満足そうに崩れ落ち敗れ去り涙を流す御坂を、血を流した白井の左手が受け止めた。
――――――“2”――――――
御坂「……あんたに会えて良かった」
この瞬間、時放たれ解き放たれたダイヤモンドの砂時計が反転する
――――――“1”――――――
0とは終わりではなく、始まりなのだ。
白井「――わたくしも」
――――――“0”――――――
そして時代(とき)は、御坂(ふるき)から白井(あたらしき)へ――
~00~
卒業式会場・水晶宮(クリスタルパレス)
佐天「白井さんが……勝ったの!!?」
“バビロンの空中庭園”新旧女王戦
初春「と言う事は、新しい“女王”は」
“次代常盤台の女王”VS“当代常盤台の女王”
婚后「――勝者」
立会人・婚后光子
食蜂「――涙で前が見えなくなるなんて、御坂さんもまだまだねぇ」
見届け人・“先代常盤台の女王”
寮監「――あの馬鹿者“ども”め――」
見届け人・“初代常盤台の女王”
婚后「新女王、白井黒子さんですわ!!」
――勝者(しろ)白井黒子。敗者(くろ)御坂美琴――
~01~
白井「――――――………………」
女生徒ABC「「「「白井さん!」」」」
女生徒DEF「「「「御坂様!!」」」」
沸騰した喝采と噴出した歓声の直中にあって、白井が御坂を受け止めたまま雪面に仰向けに倒れ込んだ。
文字通り全身全霊を懸け、600秒を駆け抜けた白井は最早糸が切れたように支えを失い力尽き果てた。
そんな二人の元に駆け寄って来る派閥の人間が叫ぶ。早く二人を医務室へと。そこで白井はようやく――
白井「(嗚呼……左手が、痛いですの)」
痛みを覚え、疲労を覚え、重みを覚え、戦慄を覚えた。御坂という歴代の『常盤台の女王』にあって……
否、レベル5最強の女性能力者に一太刀浴びせられた事が自分でも信じられず、記憶も所々飛んでいる。
自分が叩き込めた有効打らしい有効打など、最後の残り十秒のあの一撃のみだ。これがもし野試合ならば
御坂「……こら、馬鹿黒子」
白井「あ……」
御坂「勝ったのにへたれてんじゃないの」
そう霞がかかった思考と霧がかかった視界と靄のかかった意識の中、御坂が自分に肩を貸して立たせた。
それに派閥の人間達や婚后も一瞬ざわつく中、白井は別の事を考えていた。これではどちからが勝者かと
女生徒GHI「「「……御坂様……」」」
御坂「ホント痛いわ……まあ見ての通り」
御坂が白井に肩を貸しながら白井の血塗れの左手を取り、高々と上げた。この青空に負けぬほど晴れやかな笑みで。
その笑みにつられて婚后も笑ってしまう。負けたというのにそんなに清々しいお顔をするものではありませんわと。
御坂「私の一本負けで、黒子の一本勝ち。習わし通り、新しい女王の座は黒子のものよ。それから――」
婚后「美琴さん……」
御坂「“ただの御坂美琴(わたし)”としての最初で最後のお願い……みんな、今までありがとうね?」
女生徒達「「「「「御坂様!!」」」」」
御坂「みんな、これからは黒子をよろしく頼むわね!!」
この時をもって、御坂は『常盤台の女王』でも『常盤台のエース』でもないただ一人の御坂美琴となった。
ようやく一年前の食蜂の言葉の意味や晴れがましい笑顔の理由が実感としてわかった気がした。成る程と。
確かにこんな簡単な言葉一つさえ、こんな当たり前の頼み事一つさえ口に出来なかった柵から解き放たれて
~02~
御坂「見ての通り、この子は無茶苦茶やるし滅茶苦茶する。私や先代みたいなタイプとは全然違うけども」
女生徒A「御坂様……」
御坂「だからこそ、貴女達に頼みたいの。この子を守ってあげて。貴女達を守りたいと願う新しい女王を」
いつしか雲一つない大空の下、啜り泣く声が冴え冴えと響き渡って行く中、御坂だけが笑顔だった。
別れには色んな形がある。自分が泣いて皆が笑って送り出してくれる別れもまたありえたであろう。
だが御坂は笑っていたかった。嘗ては御坂の敵であった者、利を見込んだ者、自分を慕って来る者。
その一人一人を見つめながら御坂は思う。派閥の神輿に祭り上げられて良かった事などなかったのに
御坂「私は食蜂(せんだい)みたいに人心掌握に長けてた訳でも、この子みたいに先を見据えていた女王でもなかったわ。
ずっと嫌々やって来た。いつも目の前の問題で手一杯で婚后さんみたいに全ての子に手を差し伸べる事さえ出来なかった。
それでも、こんな頼り無い私を今まで支えて来てくれてみんな本当にありがとう。ありがとう……ありがとう――ありがとう」
女生徒B「うっ……」
今一時は、全てが報われたような気がした。全てが救われた気がした。全てが許された気さえしてならない。
そこで白井が御坂の肩から離れ、血に塗れた左手を下ろし、タクトを切るようにして振り払い、声を上げた。
白井「――わたくし達の“女王”に――」
女生徒達「「「今まで大変お疲れ様でした!!ありがとうございました!!!」」」
御坂「!」
白井「――遅ればせながら、卒業おめでとうございますですの」
白井に呼応して少女が円陣から縦列にその形を変えて行き、御坂の前方に白雪を絨毯とした花道を作り上げる。
新たなる女王の最初の仕事。それは役目を終え玉座を降りた女王へ礼を尽くして見送ると言う事だ。だが御坂は
御坂「……遅いわよ馬鹿黒子。ついでに手も引いてってくれないかしら?実は私もけっこうフラついてさ」
白井「かしこまりましたの」
白井に対してエスコートを頼んだのだ。最初で最後くらい私に楽をさせてちょうだいと手を差し出して。
白井も恭しく一礼して御坂の左手を取る。小さく、細く、柔らかく、白い手だった。自分よりもずっと。
つい先程まで切り結んだ相手とは思えないほどたおやかなその手に、自分は何度救われて来ただろうと。
~03~
女生徒ABC「我等が御坂(じょおう)に!」
女生徒DEF「新たな白井(じょおう)に!」
女生徒GHI「――幸と栄光があらん事を!」
二人は皆が作り上げた花道を無言で手を繋ぎながら、ゆっくりと一歩一歩雪面と花畑を踏みしめて行く。
そして婚后がデビアスの砂時計を抱えながら空中庭園の硝子の扉を開き、二人に道を譲ってくれたのだ。
白井と御坂が下り行く階段がカツン、カツンと静かな音を響き渡らせて綺麗に重なり合って行く。そこで
御坂「……不思議ね」
白井「………………」
御坂「あんたと二年間もずっと一緒にいたのに、こんな風に手を繋いで歩くのなんて初めてかも知れない」
白井「実はわたくしも同じ事を考えておりましたのよ。あんなにも長くこんなにも近くにいたと言うのに」
誰もいない踊場、窓から吹き抜ける春風に髪を揺らしながら奏でていた靴音が止み、二人が見つめ合う。
そこで御坂は白井の血塗れの左手にハンカチを巻いて応急処置し始めた。ごめんとポツリと呟きながら。
ぶきっちょな手付きも、走る痛みも、伝わるぬくもりも、御坂の全てがただ愛おしくてたまらなかった。
御坂「――私さ、悩んだんだ。三年に上がってから急にあんたがわからなくなったような気がしてずっと」
白井「………………」
御坂「今ならどうしてかわかる。それはあんたが変わってしまったんじゃない、成長したからなんだって」
白井「……成長などしておりませんわ。ただ失敗を積み重ねただけですの。それにもし成長したとすれば」
御坂「………………」
白井「それは全てお姉様のおかげですの」
自分はあまりにも御坂に多くの迷惑をかけ続けて来た。尻拭いから泥被りから何から何までと白井は語る。
感謝の前に謝罪が頭をちらついて離れなかった。どちらもせよ、してし足りないと言うのにと自嘲気味に。
だが御坂はそんな白井の両頬に手指を添え、涙を目に溜めたまま首を横に振る。やっぱり馬鹿ねと笑って。
御坂「――じゃあ、ちょっとだけ取り立てさせて」
白井「!?」
影が重なり、音が消え、鼓動が一つになる。それは時間にして何秒だろうか?一瞬か、永遠か、はたまた
御坂「――返させてなんてあげないわよ」
白井「――――――」
御坂「熨斗と利子つけても返させない!」
~04~
そこで御坂は白井から背を向けて一足飛びに階段を駆け下り、振り返って見上げた。
最後くらいは意地悪な女の子になってやろうと小悪魔めいたウインクと共に笑って。
何故ならもう白井は御坂を『卒業』してしまったのだ。先輩後輩でさえないのだと。
御坂「黒子!」
白井「な、なんですの!?」
御坂「――私の事を、名前で呼びなさい。それを餞別にするわ」
白井「………………」
御坂「“お姉様”じゃなくて、ただの“美琴”って呼んでよ!」
もう押さえられなかった。涙も笑顔も想いも何もかもが押さえられなかった。もう押さえなくて良いのだ。
御坂は先輩ではなくなった。白井も後輩ではなくなった。『お姉様』という幻想など最早存在しないのだ。
白井「――――“美琴”――――」
白井が空間移動で御坂の胸に飛び込み、御坂が白井を両腕で抱き締めた。先輩後輩も関係なくただ一人の……
ただ一人の少女として、ただ二人の少女達として別れを告げ合う。再会は誓わない。それだけで十分だった。
白井「わたくし、本当に美琴の事が大好きでしたのよ?友達としても先輩としても、一人の女の子としても」
御坂「私も黒子の事大好きだよ。友達として、後輩として。ずっと一人の女の子として見れなくてごめんね」
白井「良いんですのよ。美琴に恋して良かったですの。美琴を愛せて良かったですの。で・す・か・ら……」
御坂「!?」
白井「――ありったけの愛を込めて――」
その言葉の余韻と、唇に余熱を残して、白井は御坂の腕の中から消え去った。女王蘭を思わせる笑顔と共に。
先程喰らった捨て身の乾坤一擲以上の不意打ちがもたらした衝撃に、御坂はしばらくその場を動けなかった。
そして耳を澄ませば、空中庭園からコールが聞こえる。『女王』『白井様』と言う少女達の勝ち鬨と凱歌が。
御坂「……三度目の正直、ならずか……」
唇を指先でなぞりながら御坂は階段を下りて水晶宮を出る。今頃は婚后がデビアスの砂時計を白井に授けているであろう。
その中で御坂は思うのだ。上条にフられ、麦野にフられ、白井にフられ、つくづく恋愛運に恵まれぬ星の下に生まれたと。
御坂「悔しいな……」
晴れ渡り澄み切った空の下、御坂は微笑んだ。
御坂「――惚れた方の負け、ね」
~05~
結標「――惚れた私の負け、ね」
一方、空中庭園を見下ろす形で聳え立つ風車に腰掛けながら下ろした赤髪を手で押さえながら呟くは結標。
これから円弧を描いて集う少女達の中心にて、婚后からデビアスの砂時計を受け取るだろう白井が見える。
自分とお揃いの逆十字架のイヤーカフスを身に付け、新たなる常盤台の女王となった『元カノ』の横顔が。
白井『“この後”どうするかではありませんの。“この先”どうするかですの』
結標「――貴女はあの夏の日からずっと」
白井『ですが、もしわたくしに貴女のような力があったなら……と同じ能力者として思いますの。特に今のような状況であればあるほど』
結標「ずっと復興の事を考えていたのね」
木っ端微塵に打ち砕かれたオイルクロックは結標からの、『女王杯』は御坂からのそれぞれ卒業を意味する。
それは同時に、『常盤台の女王』となって常盤台中学及び第七学区の復興に己の全てを注ぎ込む決意表明だ。
白井さえ望めば御坂と結ばれる事とて夢ではなかったかも知れない。だがそうしなかったのが全ての答えだ。
御坂と結標、二人のお姉様達の狭間で揺蕩っていた白井の出した結論。それは二人に対するけじめでもある。
結標「もしかすると貴女は最初からこうするつもりだったんじゃないかしら?私と彼女を解き放つために」
加えて、自らを身を引く事で白井は自分と御坂を自由の身にしたのだろうと言う事も結標は理解していた。
白井が身を引かない限り、結標はずっと白井に囚われたままだったかも知れない。風化する事なく何年も。
白井が弓を引かない限り、御坂はずっと白井から離れられなかったかも知れない。色褪せる事なく何年も。
結標「貴女は優し過ぎる……」
別れた道で結標が自分の方へ振り返らぬよう、御坂が自分という影を落とさぬように送り出してくれたのだろう。
結標は姫神に、御坂はまだ見ぬ相手に、それぞれ迷わず突き進んでいけるように。白井はそこまで考えた上で――
結標「どうしてそんなに優し過ぎるのよ」
空を見上げる結標の胸に去来する白井との記憶。昨夜も白井が眠るまでではなく今朝目覚めるまで抱いていた。
雪よ止むなと、時よ止まれと、一晩中白井の寝顔を見つめながら結標は星に祈り月に願った。夜が明けぬ事を。
結標「――私も貴女から卒業しないとね」
だが白井は朝焼けに求めた。明日という太陽(きぼう)を――
~06~
白井『それでは私も身支度を整えさせていただきますの。少しばかり後ろを向いていて下さりません事?』
夜が明けて、朝が来て、空が晴れて、貴女が私の腕から離れて行く。手が離れて行く。それが少し寂しい。
抱き合ったまま眠れるだけで満足だったはずなのに、徹夜明けの目にも眩しい貴女を私はまだ惜しんでる。
微かに立つ衣擦れの音と、窓の外で囀る鳥の声が何故だか物悲しい。もうこの部屋に忍ぶ事は二度とない。
結標『今更恥ずかしがる仲でもないでしょうに』
白井『恥じらいを無くせば女とは呼べませんの』
8月9日の夜から8月10日の朝まで一晩かけて囲った鳥籠。私はその中で歌う黒子をずっと眺めていたかった。
けれど金糸雀を囲っていたつもりで、虫籠に囚われていたのは私の方だった。それをまざまざと思い知らされる。
白井『あっ……』
結標『少しだけ』
白井『………………』
結標『もう少しだけこのままでいて黒子。後ろを向かないで』
ほら、私はこんなにも貴女という虫ピンに胸を突き刺されてる。やっと楽になれるはずなのに苦しいの。
これで心置きなく秋沙のもとへ帰れるはずなのに、同じ分だけ帰りたくないと思っている私がいるのよ。
白井『……相変わらず弱いお方ですのね』
結標『そうよ。だから貴女に捨てられるのよ。ゴミのようにね』
白井『だからこそ私は貴女を手放すんですのよ。宝物のように』
どうしてかしら。今貴女に見られたくないくらいひどい顔をしてるはずなのにどこかで振り向いていると思ってる私がいる。
秋沙の言う通りね。私はどうしょうもなく女々しい甘ったれだわ。だからこの子にも見限られてしまうのよ。貴女を除いて。
白井『――さようなら、わたくしのもう一人の“お姉様”――』
貴女は最後まで浮かべていた笑顔を、私は最期まで忘れない。忘れられるはずがない。この先もずっとね。
けど今はそれを引きずるのでも背負うのでもなく、抱き締めて生きて行ける気がする。そうでなければ……
申し訳ないわ。こんなにもか弱い私を見送ってくれた貴女とこんなにもか細い私を見守ってくれた秋沙に。
結標『――さようなら、私のたった一人の“後輩”――』
私にも白黒(けり)を、決着(おとしまえ)をつけなきゃいけない相手がいる。最悪死ぬかも知れないけど。
――――最後に、付き合ってもらうわよ――――
~07~
御坂「……惚れた方の負け、ね」
結標「ええ、貴女の負けよ“超電磁砲”」
水晶宮を後にした御坂が外苑前にて出くわした最後の敵。それは春風と共に座標移動で降り立った結標。
御坂「あんた……どうして!?」
結標「――昨日言ったでしょう?“また会いましょう”ってね」
陽射しを浴びて溶け行く白雪の上に一足にて着地して、御坂の行く手を塞ぐように立ちはだかり見返る。
それに対し御坂も一瞬目を見開いたが、すぐさま見据えて向き直る。来るべき時が来たかと身構えつつ。
御坂「……何の用?このタイミングであんたが姿を現すって事は」
結標「ええ、私は全て見ていたわ。貴女と黒子の“女王杯”まで」
御坂「……やる気まんまんって顔だけど、黒子の事ならもう――」
結標「いいえ、決着をつけに来たの。ただ純粋に貴女との因縁に」
御坂「………………」
結標「私と貴女の間には、まだ一度も白黒(けっちゃく)がついていないのだから」
その言葉と共にザアッと梅林の枝葉と花が春一番の風に揺られ、二人の間に渦巻き逆巻き吹き抜けて行く。
そう、二人は一昨年の残骸(レムナント)を巡って対峙した時も決着がつかなかったのだ。ただの一度も。
軍用懐中電灯を抜き払い、突きつけて来る結標の顔が御坂に目も真っ直ぐ写り込む。『自分と戦え』と……
御坂「別にそんなのどうでもいい。もう私とあんたが争う理由なんてどこにもない」
結標「――なら戦う理由を作ってあげるわ。昨夜ね、私あの娘に会いに行ったのよ」
御坂「………………」
結標「貴女がいない隙を見計らってね。どう?少しはやる気になってくれたかしら」
結標が露悪的な艶笑を浮かべて御坂を挑発する。白井が大義を掲げるならば自分には口実があれば良いと。
結標は続ける。気がつかなかった?あの娘からジャンヌ・アルテスの移り香がした事をと、嘲笑いながら。
常盤台中学の子女らは空中庭園にて女王越えを果たした白井を祝福し、自分達を邪魔立てする者はいない。
結標「さあ始めましょうか御坂美琴(レールガン)!私と貴女の最後の戦いを!!」
舞台は整ったと、主役(ヒロイン)は二人いらないと、結標が喜び勇んで剣を抜くも
御坂「――――出来ないわよ…………」
結標「!?」
御坂「あんた自分で気づいてないの?」
御坂は――……
御坂「――あんた、自分が泣いてるの気づいてる?――」
~08~
結標「………………!!!!!!」
御坂「――私さ、あんたも嫌いだけど弱い者イジメはもっと嫌いなの。泣いてるあんたを痛めつけたりなんかしたら、私が悪者扱いされるじゃない」
そこで結標も初めて気が付き我に返った。自分の双眸から相貌にかけて伝い落ち流れ出す雪解け水の正体を。
後から後からボロボロとポロポロと、この春の陽射しに当てられたかのように止め処なく限り無く溢れる涙。
御坂も思わず溜め息をつく。自分を痛めつけ傷つける以外落としどころを見出せない結標の泣き顔に対して。
結標「戦いなさい……」
御坂「………………」
結標「闘いなさいよ!」
轟ッッ!と結標が座標移動から御坂の懐へと飛び込み軍用懐中電灯を振り下ろして来るのを、御坂は――
御坂「い や よ」
結標「!?」
ガギィィィィィン!という硬質な音を立てて軍用懐中電灯が結標の手から離れて宙を舞い真っ二つになる。
対する御坂の手には砂鉄の剣が握られており、その切っ先が跪いた結標の鼻先に突きつけられ幕は下りた。
白井の時のような勝負さえなっていない。レベル5の三位と九位という序列以上の隔たりがそこにはある。
御坂「……沈利さんといい、どうして私の周りの女の子って自分を傷つけたがるのかな。みんなMなの?」
結標「――うっ、ううっ、うううっ……」
結標がへたり込み、背を丸めて雪面に両手をついて泣き出した。何故、どうして戦ってくれないのかと。
御坂とてわかっている。結標はこのやり場のない悲哀と行き場のない喪失に終止符を打って欲しいのだ。
御坂「認めよう?私もあんたも負けたの。私達二人とも黒子一人に負けたんだって」
三度咽び泣く結標を抱きながら御坂は思う。白井を壊した事は忘れないが結標への怒りはもう許そうと。
結標は白井より能力者として遥かに強い。結標は白井より人間として遥かに弱い。だから許すと決めた。
御坂「何で黒子があんたの事好きになったのか、今初めてわかったような気がする」
無様な惨敗と不様な敗者に身を落としてまで結標が決着をつけたかったのは御坂との因縁などではない。
誰かの手で倒してもらわねば断ち切れないほどの温もりを結標に残していった、白井との想い出だった。
~09~
姫神「うちの馬鹿猫が。とんだご迷惑を」
結標「ひっく……うっく……」
御坂「はー……前の事と合わせてこれでチャラにしてあげる。って言うかこの娘メンタル弱過ぎでしょ?」
姫神「こんな面倒臭くて。重くて。豆腐メンタルな彼女。私以外の誰にも手に負えない。淡希。洟かんで」
夕刻、美鈴や婚后に電話で詫びながら泣きじゃくる結標の手を引き、辿り着いた先は夏に訪れた月詠の部屋だ。
現在そこに再び身を寄せている姫神が玄関から出るなりおおよその事情を察したのか、御坂に深々と謝罪した。
代わり結標のお尻を叩き、早くシャワー浴びてそのひどい顔を何とかしてと促す姿に御坂は改めて思わされる。
御坂「……私が言うのもおかしいけど、本当によくデキた彼女よね。姫神さんって」
姫神「こうでもしないと。甘ったれな淡希は。何時まで経っても前に進めないから」
御坂「大丈夫。貴女さえいればあの娘は幸せに生きていけるわ。黒子じゃ無理無理」
確かにこんな面倒臭い女の恋人など白井には到底務まらないだろうし自分だってごめんこうむりたい。
やはり結標のようなか細いタイプには姫神のような図太いタイプでなければとてもではないが無理だ。
思わぬ形で果たされた前作主人公達と今作主人公の邂逅は、互いに頭を下げつつ別れる形と相成って。
姫神「でも。どうして。あのリボンの娘が。貴女を好きになったのか。今初めてわかったような気がする」
御坂「?」
姫神「貴女は。優しい」
結標「秋沙ー!ティッシュ切れたー!!」
姫神「私とは。大違い」
つかつかと玄関から奥の部屋へ姫神が戻って行くと、ドムッ!ボディーブローが入ったような音が聞こえた。
恐らくこれから色んな意味でお仕置きされるのだろう結標を思うと、御坂は苦笑いに嫌な汗が浮かんで来る。
御坂「あははは……じゃあ失礼しまーす」
姫神「どうも。お手数をおかけしました」
学園都市第九位こと結標淡希。この数年後に学園都市を去って姫神の故郷である京都へ共に移り住む事となる。
そこでどのように暮らしているかは謎に包まれているが、毎年白井へと届く年賀状の二人はいつも笑顔である。
御坂「さて、私も帰りますか」
そして御坂はアパートを後にし、再び第七学区へと舞い戻って――
~010~
上条「よう、ビリビリ!」
御坂「げ」
初春「あらまあ」
佐天「あちゃー」
固法「ううーん」
舞い戻った矢先、佐天達と合流を果たした御坂は件の陸橋にて再び上条と出くわし顔を引きつらせ赤らめる。
だが後ろに控える三人は微妙に頬を緩めながらニヤニヤと成り行きを見守っており、加勢する気は全くない。
夕焼け空の下、復興して行くビル群の鉄骨を運ぶクレーンの影が落ちて上条と御坂は久方振りに顔を合わせ。
上条「――卒業、おめでとう。それから白井との事もお疲れ様」
御坂「……ネット配信見ててくれたんだ」
上条「まあ、な」
たは良いものの、御坂の側から上手く言葉が出て来ない。ありがとうとも、さようならとも、好きとも。
だが上条は相変わらずマイペースな足取りでそんな御坂の脇をすり抜けようとして御坂が振り返り、叫ぶ
御坂「……上条当麻!!」
上条「ん?」
御坂「――二年間世話になったわね」
上条「……何言ってんだ??」
御坂「!?」
呼び掛けた御坂に背を向けたまま、上条が笑んだのが御坂にも伝わって来た。そう、彼にとって卒業とは
上条「――“またな”、御坂」
御坂「――――…………」
ゴールなどではなく新たなスタートなのだと御坂は言われたような気がした。故に御坂もまた振り返らず
御坂「――“また”ね!!!」
最弱のレベル0こと上条当麻。この数年後に大学卒業を切っ掛けに結婚し一男一女をもうける事となる。
その後科学サイド並びに魔術サイド両方を渡り歩いた経験を元にライトノベル作家へと転身し成功する。
ペンネーム『鎌池和馬』と、両サイドより紛争調停を受ける祓魔師『神浄討魔』という二つの名の下に。
御坂「――じゃあ行こうかみんな!!!」
学園都市第三位こと御坂美琴。この数年後に彼女は父親と同じ仕事を選び、世界中を回るようになる。
かくしてレベル5の面々並びに同じ時代を駆け抜けた少年少女達は方々へと散って行き、時に集った。
ある者は未熟な少年時代に別れを、ある者は早熟な少女時代に終わりを告げて未来(あす)へ向かう。
――――それぞれの人生(ものがたり)を描ききるために――――
~011~
白井「それではわたくし達の担当地区はこの桜並木から学舎の園外苑前までですの」
女生徒「「「「「お任せを!!」」」」」
女王杯より二日後の三月十一日、白井は常盤台中学の子女らを総動員して第七学区の地均しに向かった。
辺りを見渡せば委員会の面々もそれぞれの上役に従って倒壊しかかっている建物などに手を加えている。
昨年と同じように狂い咲きの桜を前に白井は号令をかけ終えると一息ついた。これからが本番であると。
ハラハラと舞い散るピンクの花片とスカイブルーの蒼穹が、モノクロの街に手向けられた慰めのようで。
白井「(あの美しかった街並みを今一度。せめて、わたくし達より下の代の卒業生達が常盤台中学で式を上げられるように)」
あの戦災から早九ヶ月。第七学区は削板らが担当する市街地中心部がようやく整備が終わりつつある程度。
しかし異端宗派(グノーシズム)により七夕事変の激戦地となった学舎の園はまだまだ手が行き届かない。
今のところ白井のささやかな目標は、せめて下級生達が常盤台で卒業式を上げられるようにと言うものだ。
正直言ってアレイスター亡き後の学園都市上層部はあてにならないどころか役にすら立たない。ならばと。
坂島「嗚呼、僕のお店まだ残ってるのか……おお、看板が奥に!」
白井「(――わたくし達の代で果たしてどこまで出来る事やら)」
坂島「潰れるなよー……また建て直しに来るからそれまで頑張れ」
白井「……よろしければ、看板だけでもテレポート出来ますが?」
坂島「う、うんお願い出来るかな。今の店も悪くはないんだけど」
やっぱり愛着がさ、という坂島の言葉に白井も首肯し崩れかけた瓦礫の一山に近づいて行く。
御坂の砂鉄の剣を受け止めた左手はまだ痛むが演算に支障が出るほどではない。そして白井は
白井「よっ、はっ、ほっ……んんっ!?」
坂島「だ、大丈夫かい?無理なら無理で」
瓦礫の山の一つ一つを空間移動させながら自分もかつて通っていた美容院の看板を目指して突き進む。
だがそこで白井の手が止まった。自分の能力の総重量を超える瓦礫の一山にぶち当たったのだ。すると
???「ああもう、何をまどろっこしい事をなさっているんですの」
白井「!」
???「1、2で合わせますわよ?わたくしも空間系能力者ですの」
――そこに、見慣れぬはずなのに見慣れた少女が手を貸してくれた――
~012~
白井・???「「1、2の、3!!!」」
ドゴンッ!という瓦礫の一山が崩れ落ちる音と共に坂島の美容院の看板が白井と少女の両腕にのしかかる。
坂島もそこでありがとう!と感涙の極みに至ったのか看板を小脇に抱えて壊れた噴水まで駆け出して行く。
そこでジャブジャブと水洗いし、泥と汚れを湾内と泡浮が能力を用いて洗浄して行く光景を尻目に白井は。
白井「ありがとうございますですの。おかげで助かりましたの」
???「………………」
白井「如何なさいまして?わたくしの顔に何かついてますの?」
???「その逆十字のイヤーカフス……貴女もしかして“常盤台の女王”ですの?」
傍らの少女にぺこりとお礼を言うと、少女は白井の左耳に輝くブルーローズのイヤーカフスに目を止めた。
そこから長めのチェーンに連なる逆十字架。結標とお揃いのそれと、白井の面立ちに少女が思い当たった。
二日前ネット配信された常盤台中学の卒業式並びに『女王杯』で見た顔だと。それに対し白井は苦笑して。
白井「ええまあ。ですがそれが何か……」
???「――女王だなんてたいそうな呼ばれ方をなされてますのに、ずいぶんと気安く頭を下げますのね」
女生徒A「ちょっと貴女!何様のつもり!?」
女生徒B「貴女初等部でしょ?どこの学校よ」
???「……ですがその下の人間はなっていないようですわね。わたくしも四月から頭が痛い思いですの」
白井「はい皆さんお静かに。貴女もしかして新入生ですの?」
苦笑する白井に挑むような眼差しを向けて来る少女に対して、派閥の少女らが怒りも露わに取り囲んだ。
だがその少女は勝ち気そうな眼差しと負けず嫌いそうな顔立ちに、不敵な笑みさえ浮かべて白井を見る。
そこで白井も何故初対面であるはずのこの新入生に対し、奇妙なシンパシーを覚えたのか得心が入った。
新入生「その通りですわ“常盤台の女王”。まさかわたくしの他にもこんな地道な作業をする方がいるなど」
白井「――確かに、女王の名を冠するにはわたくしのやり方は些か泥臭いかも知れませんわね?新入生さん」
ザワッと抜けるような青い春の空の下、吹き抜ける風に乗せて舞い散る桜の中に白井は見た。
このツインテールにストライプのニーソックスの少女は、さながら二年前の自分そのものだと
~000~
白井「……そういう貴女にも、可愛らしい鼻の頭に泥がついておりましてよ?」
新入生「子供扱いしないで欲しいですの!何がそんなにおかしいんですの!?」
輝かしい眼差し、猛々しい物言い、若々しい物腰、怖いものも挫折も知らないその目映いばかりの新入生の雰囲気に――
白井は少女の鼻先についた泥を拭き取りながら目を細める。年寄り臭い言い方をするなら、自分の若い頃にそっくりと。
湾内「し、白井さんが……」
泡浮「わ、笑って……!?」
そんな白井と少女のやり取りに、湾内達や派閥の少女らが瞠目する。
この若さに溢れ礼を欠いてさえいる少女を、白井が気に入った事に。
それ以上に、夏の事件以来めっきり少なくなった笑顔が戻った事に。
新入生「一体何なんですの?貴女は……」
白井「――白井黒子と申しますわ新入生さん。よろしければわたくし共の担当地区を手伝っていただけませんこと?」
新入生「!?」
白井「先輩後輩(たて)も派閥(よこ)もなく復興の志を共にする仲間として。同じ常盤台として。貴女自身として」
新入生「………………」
白井「わたくし達に手を貸して下さいな」
あまつさえ白井はその少女に向かって手を差し伸べたのである。わたくし達と一緒にこの復興を戦って欲しいと。
その言葉に新入生の少女は口を尖らせ、頬を膨らませ、ジト目で睨んで、プイッとそっぽを向きながら手を取る。
新入生「……気安く頭を下げ容易く助けを求める。わたくしの思い描いていた女王とは随分違いますのね」
女王様C「貴女!!女王に向かって――」
白井「いいんですのよ、皆さん。わたくしなら一向に構いませんの。それでは参りましょうか新入生さん」
派閥の人間達が怒り心頭に発する新入生の手を引きつつ、白井は狂い咲きの桜の彼方に広がる蒼穹を見上げる。
崩れたコンクリートの白と砕けたアスファルトの黒に彩られたモノクロの第七学区にあって鮮烈なブルーの空。
新入生「新入生新入生と呼ばないでいただけません?わたくしには――――という名前があるんですの!」
新入生が上げた名乗りは桜吹雪を乗せた春一番に掻き消されるも、白井はしっかりその名を心に刻み込む。
白井「……いい名前ですわね――」
在りし日の自分と重なりながらも異なる結末を迎えるであろう
白井「――ようこそ!常盤台中学へ!!」
――――新たなる主人公の名を――――
~001~
「お姉様、その砂時計は何なんですの?」
時に堆く聳え立つ夏雲が太陽を遮ろうとも
「嗚呼、これは先代“常盤台の女王”から受け継いだものですの」
時に凍えるような驟雨に見舞われようとも
「先代……確か“常盤台の超電磁砲”こと御坂美琴さんですの?」
虹は必ず架かるのだ。雨上がりのその後に
「ええ、貴女にとってのわたくしのような“お姉様”でしたのよ」
想い出という、色褪せぬ蒼穹(そら)へと
「――わたくしのお姉様は、“黒子”お姉様ただ一人ですの――」
その架け橋の先に待つ、新たなる世代へと
「――わたくしも同じ気持ちですのよ。最愛の妹(あなた)――」
――未来(ものがたり)は、終わらない――
「(あれからもう何年経つ事やら……)」
「ねえ先生、昔この第七学区で大きい戦争があったって本当?」
「本当も何も、貴女のお父様が先頭切って突っ込んで行かれたんですのよ?それにお母様まで大暴れして」
戦災の爪痕など目を凝らしても見当たらない学舎の園に広がる桜並木。
それを一人の少女が保健室の窓枠に頬杖を突きながら見下ろしている。
母親譲りの優美な栗色の髪に優麗な美貌、そして父親譲りの運の悪さ。
「あのママに頭が上がらないパパがねー……私そっちの方が信じられない」
「ふふふ。ですが戦争があった事は確かですわ。あの桜が生き証人ですの」
保険医が指し示す先、千本桜を思わせる花片の回廊。先程件の少女が同級生と出会い頭にぶつかりこけた場所。
そこだけは母親に似なかったのか、伸びやかな足の膝小僧には保険医が貼った絆創膏と伝線したストッキング。
キーンコーンカーンコーン♪
「ほら予鈴が鳴りましてよ?早く教室に」
「えー……春先って眠くて授業どころじゃないのよねー……」
「一年生にして“常盤台の女王”を継いだのでしょう?他の生徒に示しがつきませんわの。お行きなさい」
行った行ったと猫を追い払うような手ぶりで保険医が押しやると、少女は眠りを邪魔された猫のように口に手を当てる。
その欠伸を噛み殺す横顔からは入学式と同時に『女王杯』を制し、一年生にして女王となった少女にはとても思えない。
「はいはい。あんまりサボるのもねー……あっ、そう言えばさ」
「なんですの?」
「――先生も昔、“常盤台の女王”だったって噂は本当なの?」
光を浴びて翻るカーテン、風を受けて散る花片の下、少女は髪を押さえ微笑みながら聞いて来た。
だが花弁の一片が落ちた緑茶と共に保険医は答えを濁した。わたくしはただの保険医ですわ、と。
「昔の話ですわ麻利さん。それより、早く行かないと担任よりもお母様に――」
「い、行きます!ちゃんと授業出るからママには言わないでお願い白井先生!」
そう言うなり春一番が如く飛び出して行く少女をクスリと笑いながら見送り、それから桜並木に目を向けて行く。
そのデスクには常盤台中学に通っていた頃の友人達、新たなルームメイト、そして復興終了の記念写真が飾られて。
「――嗚呼、また春が来ましたのね――」
新たな季節の訪れに、かつて少女だった保険医は瞳を閉じる。
――――――命(ものがたり)は、繋がって行く――――――
――――とある蒼穹の学園都市(ラストワルツ):完結――――
690 : 作者 ◆K.en6VW1nc[s... - 2012/03/18 00:12:51.70 l0QhiqrAO 74/75
以上を持ちまして
とある星座の偽善使い(フォックスワード)
↓
番外・とある星座の偽善使い(フォックスワード)
↓
とある夏雲の座標殺し(ブルーブラッド)
↓
とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)
↓
とある白虹の空間座標(モノクローム)
↓
新約・とある星座の偽善使い(フォックスワード)
↓
とある蒼穹の学園都市(ラストワルツ)
七部作完結です。皆様一年以上ありがとうございました。
もう思い残した事もやり残した事もありません。力尽きる前に燃やし尽くせたのは皆様のおかげです。
最後に……お疲れ様でしたー!!!!!!
697 : 作者 ◆K.en6VW1nc - 2012/03/19 00:22:03.23 4koNJkvAO 75/75~蛇足・十数年後の登場人物達~
上条当麻……昼はライトノベル作家『鎌池和馬』、夜は祓魔師『神浄討魔』、その正体は子煩悩な愛妻家。
上条沈利……結婚と出産を境に外見年齢が二十代前半のままに。世間話にはお淑やかな奥様で通っている。
一方通行……通称『鈴科先生』こと二代目冥土帰し。後に『三回』伏線を貼られたとある女性と結婚する。
浜面仕上……高校卒業後ロードサービスに就職。子沢山な上に恐妻家であるが職場では出世頭という面も。
浜面理后……結婚後、ピンク色のジャージ姿を卒業し財布の紐と夫の手綱をしっかり握る良妻賢母となる。
結標淡希……天涯孤独の姫神を家族を説得する事で養女にし、法の網を掻い潜り京都で悠々自適の生活へ。
結標秋沙……学園都市を出た後生まれ故郷である京都へ戻る。結標と共に平穏無事な暮らしを営んでいる。
御坂美琴……父親と同じ仕事に就き世界中を飛び回るキャリアウーマンに。母親譲りの酒癖も健在である。
白井黒子……常盤台中学保険医兼警備員統括本部長。悩みは毎年女生徒達からもらうチョコとラブレター。
垣根帝督……学園都市の最先端技術や特許権を取り扱い、その経営手腕から『科学マフィア』と呼ばれる。
垣根飾利……スーパーコンピューター開発に携わる研究者となり、その後は社長夫人兼共同経営者となる。
食蜂操祈……持ち前の権謀術数と人心掌握術を用いて政界へ進出。親船とは違った意味で笑顔の侵略者に。
青髪ピアス……輝かしい表舞台、約束された成功を全て固辞。生涯パン屋の店長として学園都市を見守る。
絹旗最愛……映画界に携わり、上条の小説を映像化するなど活躍中。孤児達に対する篤志家としても著名。
黒夜海鳥……音楽界に携わり、女性シンガーソングライターとして活躍中。時に女優として出演する事も。
削板軍覇……長点上機学園にて教鞭を取る熱血教師。野球部監督としても知られ、甲子園優勝が夢である。
削板芹亜……上層部のブレーン並びに上場企業のコンサルタント。鞠亜との争奪戦の果てに逆プロポーズ。
上条麻利……一年生にして常盤台の女王に。母親譲りの美貌と才能、そして父親譲りの性格とフラグ体質。
※以上、最後のお蔵出し裏設定集でした。


