~8月20日~
坂島「本当にバッサリやっちゃっていいのかい?」
佐天「はい、お願いしま~す」
ジャキ、ジャキと鋏の走る音が濡れ羽色の黒髪を椿の花弁のように切り落とし泣き別れさせて行く。
佐天涙子はその様子を鏡越しに見やりながら次第に涼しくなって来る首筋に幾許のくすぐったさを覚えた。
坂島「こんな事言っちゃうと美容師失格かも知れないけど、勿体無いねえ」
佐天「やっぱり黒髪ロングって珍しいですか?」
坂島「うん。あれだけ人がたくさん居た避難所でも君くらい綺麗に手入れして長かった娘なんて一人しか覚えがないなあ」
佐天「それってもしかして……」
坂島「そうそう。あの神社の巫女さんみたいな格好してた娘さ」
佐天「………………」
坂島道端の口から出た件の少女、自分と同じく黒髪を長く伸ばした巫女の姿を佐天は鏡の中に幻視した。
この世界から永遠に消え去り、そして白井黒子の記憶に永久に残り続けるであろうあの少女『姫神秋沙』。
故に自分は髪を切りに来たのだ。白井が自分の黒髪を見て精神の安定を欠くのが見るに耐えないから。
坂島「今どうしてるかなあ……」
佐天「――元気にやってますよ、きっと」
坂島「そうだね。二回戦争やらかしてもこうしてピンピンしてるんだ。どこでだって元気にやっていけるさ」
僕なんてお店焼かれちゃったんだからね!と坂島は呵々と笑い、佐天もそれにつられて笑みを零した。
たったひと月ほど前の出来事だと言うのに、全てが遠い昔の事のように思えてならない。
佐天「あー……でもなんか首筋がスースーすると胸も同じくらいスースーします」
坂島「はは、失恋でもしたのかい?」
佐天「私じゃないですけどねー」
佐天は鏡の中で変化して行く自分の姿に、変わり果てた白井の姿を重ねる。最愛の存在と死に別れた彼女を。
その傷口から熱が引き、痛みが治まり、塞がって癒やされるまでどれだけの長い年月がかかるのだろうと。
坂島「――髪は皮膚の兄弟みたいなものだって知ってるかい?」
佐天「え、そうなんですか!」
坂島「そうなんだよ。傷口が時を経るごとに治って行くのと同じように、髪もまた同じように伸びて行く」
人間の生きる力だよと締め括った坂島もまた僕の若い頃はね……
などと涙と笑い無しには語れない失恋話で佐天を大笑いさせた。
笑う事が出来なくなってしまった白井の分まで
~1~
佐天「ありがとうございましたー!」
坂島「うん、お疲れ様ー」
ヘアーサロンを出、風通しの良くなったうなじに触れながら佐天は第十五学区の繁華街を歩いて行く。
風車は今日も時を刻むようにゆっくりと回り、往来を行く人々の営みもまた変わる事はない。変わったのは
垣根「お」
削板「む」
佐天「あ」
タバコ屋の側に置かれたスタンド灰皿に、ブラックスーツを着込んだ垣根帝督と削板軍覇がいた。
とは言ってもジョーカーを吸っているのは垣根だけで削板は力水を飲んで喉を潤しており……
普段洒脱な垣根にしては落ち着いた黒服であり、豪放な削板は髪をオールバックにしている。
垣根「よお、短いのも似合ってるぜ」
佐天「あ、ありがとうございます!」
削板「これからまた暑くなるからな。俺もそろそろ切りに行くか!」
垣根「そうしろ。まとめにくいって雲川がぼやいてたぞ」
佐天「(ああ、なんか目に浮かぶなあ)」
如何にも冠婚葬祭、と言った出で立ちの馬子(ぞぎいた)に衣装を合わせたのは雲川かと佐天は苦笑いした。
気づいていないのは当の本人達だけで周りからすれば早くくっついてしまえば良いのと思わされるが――
垣根「――気分転換にもなるだろうしよ」
垣根は線香臭さを嫌ってだろうかやたらとふかし、半ばまで吸ってからジョーカーを灰皿に投げ込んだ。
そう、彼等は葬式帰りなのだ。8月11日より四日後、公式に死亡を発表された結標と姫神の遺体なき弔いの。
垣根「じゃ、帰るとするか……それにしても暑いなクソッタレ。ムカついた」
削板「心頭滅却すれば火もまた涼しだ!暑さ寒さにぞ振り回される根性じゃあ男とは言えねえぞ!」
垣根「テメエが一番暑苦しいってんだよ。じゃあな涙子ちゃん」
佐天「――はい」
参列出来なかった佐天達を慮ってか、垣根は片手を挙げて軽く別れを告げて削板と共に去って行く。
なるたけいつも通りに接してくれるその心遣いがありがたくもあり、また苦しくもあった。
佐天「あの……」
削板「?」
佐天「本当に、申し訳ありませんでした」
垣根「……ガキのケツを拭くのも年長者の務めだ」
白井の存在が引き金となった二人の葬儀に、佐天達は立ち会う事も送り出す事も出来なかった。
髪を切ったのは、佐天なりのけじめでもあるのだ。
~2~
服部「やっぱり気にしてたっぽいか」
垣根「他にやりようがねえだろ。どのツラ下げて式に加われってんだ」
佐天と別れた後、垣根が運転するトヨタ2000GTに再び乗り込むなり待っていた服部が口を開いた。
ゆっくりと滑り出す車の中、垣根は先程買い足した煙草を咥えながら溜め息と共に紫煙を吐き出す。
思い起こされるのはとある高校、旧避難所にて開かれたお別れ会の様子だ。あの雰囲気の中――
白井の友人である佐天や初春、及び現在の保護者にあたる御坂が座る席などありはしない。それどころか
服部「まあそれもそうか。行けば行ったで石ぶつけられてもおかしくねえ雰囲気だったもんな」
垣根「実際、超電磁砲(レールガン)が詫び入れに行って水ぶっかけられたんだろ?削板」
削板「………………」
事件後、身寄りのいない姫神の喪主を務めた月詠小萌の元に常盤台を代表して謝罪に行った御坂は――
彼等が言うように姫神のクラスメートらに強硬な門前払いを食らった。
学生自治会の長たる削板が間に入らなければ面通りすら出来なかっただろう。
その削板も珍しく思案顔で腕組みしたまま黙して語らない。
服部「九人のレベル5もひと月ちょっとでまた八人に逆戻りか。あ、麦野の奴は?」
垣根「帰省中らしくてな、香典と生花だけ送られて来た」
服部「流石は会計。まあ元々ドライな女らしいからそれは別に良いとして」
その様子は永久欠番となってしまった結標の死を悼んでいるのか……
ハイウェイから臨む入道雲の王城を物静かに眺めているばかりである。
服部「雲川は雲川でサッサと帰っちまうし……削板何か聞いてるか?」
削板「………………」
服部「(こ、こいつがこんな静かなの初めて見たぜ。雨でも降るんじゃないか?)」
垣根「おい、誰かバイブが鳴ってるぞ」
雲川は式が終わるとしばらくボーっとした後、フラフラとどこかへ行ってしまい三人と別れたきりだった。
二人は死んだのだ。少年少女(かれら)の中では
~3~
佐天「………………」
私は歩く。あの人達が立ち去って行ったその反対側、人の流れに逆らって。
わかってる。削板さん達が結標さんの式を挙げてくれたんだって。
あとそれから私達に来るはずの風当たりも全部かぶってくれてるのも。
佐天「よっと」
良い匂いのするクレープ屋さんや甘い香りのするアイスクリーム屋さんの誘惑に耐えて私は水晶宮を目指す。
きっと初春や固法先輩も一緒なんじゃないかな。三人とも『二ヶ月の活動停止処分』で身体空いてるだろうし。
佐天「涼しいけど暑いなー」
三人は何とか風紀委員を除名されずに済んだみたい。手塩先生と黄泉川先生が必死に取りなしてくれたおかげで。
白井さんもそれプラス放校処分が何とか撤回された。御坂さんがかなり頑張って食い下がってやっとだって。
あれだけの大事だったって言うのに、まるで神様が助けてくれたように奇跡的なくらい軽い処分。
私?私は数に入ってなかったみたい……トホホ、ほっとしたような何か悲しいような複雑な気分。
佐天「(初春来てるかなあ……)」
初春「あ、佐天さ……ん!?」
佐天「うーいーはーる……その驚き方ちょっとひどくない?」
初春「ご、ごめんなさい。一瞬御坂さんと間違えそうになっちゃって」
佐天「ふふん、それは私が御坂さんくらい可愛くなったって受け取っとくよ!」
初春「うふふ、佐天さんはいつも可愛いですよ!」
あと、三日前に釈放されて帰って来た白井さんのお見舞いに。
白井さんは私の長い黒髪を見ると暴れ出すくらい病んじゃってる。
だから今日思い切ってヘアーサロンに行って来たんだ。
佐天「ありがとう!初春」
……本当はちょっとどころかかなり惜しかったんだけどね。
私は御坂さんみたいに可愛くないし初春みたいに頭も良くないから。
だからあの長い黒髪は私のささやかな自慢だったんだけど――
佐天「御坂さん達は?」
初春「空中庭園です」
背に腹は変えられないよ。白井さんはそれくらい壊れちゃったんだ。
しゃべる事も出来ず、食事もロクにとらず、御坂さんがそばについてないと……
佐天「……よし!ダイエットがてら階段をうさぎ飛びで――」
初春「えーっとエレベーターエレベーター」
佐天「うーいーはーるー!」
今にも消えてしまいそうなくらい、白井さんは危うい。
~4~
佐天「婚后さーん!!」
婚后「佐天さん!?どうなさったのですかそのお姿は」
佐天「ひどいなあイメチェンですよイ・メ・チ・ェ・ン♪」
佐天と初春が空中庭園へ辿り着くと、そこには女王蘭の世話をしていた婚后に出くわした。
御坂を思わせるほどバッサリと髪を切った佐天に目を丸くしたものの、すぐさまその意を察する。
婚后「そうですか……お似合いですわよ」
佐天「あはっ、ありがとうございます!」
婚后は深く頷くに留めた。何故か白井は佐天の長い黒髪にのみ強い拒絶反応を示すのだ。
同じように長く伸ばしていた婚后も佐天に敬意を評した。女の命である髪を切って白井を安んじようとするその姿勢に。
初春「えっと、白井さん達は……」
婚后「いらしておりますわ。今テラスで日光浴をされてますの」
身体に障らない範囲で、と付け加えて婚后は硝子張りのガーデンの向こう側を見つめる。そこには……
御坂「今日も晴れてて気持ち良いわねー」
白井「………………」
御坂「風、大丈夫?黒子」
下ろされた髪を風に靡かせ、常盤台中学の夏服の上に霧ヶ丘女学院のブレザーを羽織った白井が車椅子に座っていた。
今にも消え入りそうな儚さは、かつてのバイタリティ溢れていた頃の白井にはなかったもの。
御坂の向日葵を思わせる健康美と並ぶと、今にも散ってしまいそうな病んだ薔薇を思わせる。
佐天「……白井さん、これからカウンセリング受けるって話本当ですか?」
初春「ええ、この後紹介して下さった木山先生と一緒に病院に行くんです」
透けて見える硝子の扉一枚隔てた場所にいる白井が、佐天にはあらゆる意味で遠く感じられた。
形見のブレザーを羽織り、金属製のベルトと軍用懐中電灯を纏うその姿はまさに結標淡希の生き写しだ。
――――自分達には、白井の命を助けられてもその魂を救う事が出来なかった――――
~5~
レインボーブリッジから生きて帰って来てから、白井さんには色んな人の手助けが必要になった。
失語症って言うのかな?筆談やボディランゲージも満足に出来ないくらい意志疎通が取れなくなって……
能力を何度も暴走させたせいで身体にとんでもない負担がかかってしばらく車椅子のお世話になりそう。
心理定規『力になれなくて申し訳ないけど、とても私の手に負えないわ』
学生自治会を通して知り合った私の友達も精神系能力者なんだけど――
白井さんじゃなきゃ廃人になってるくらい、心がバラバラなんだって……
御坂「あっ!佐天さん髪切ったんだ!!」
佐天「どうもー!ひと夏の冒険しちゃった佐天涙子でーす!」
白井「………………」
何て考えてたら御坂さんが空いてる方の手をワキワキさせて私を呼んでくれる。髪がお揃いなのは偶然ですよ?
でも白井さんはそんな私にも無反応のままだ。ちょっぴり寂しいけど、空元気も元気の内!
初春「白井さん、佐天さんが今日も来てくれましたよー」
まるで車に轢かれた猫のようになってしまった白井さんの頭をゆっくりと撫でる。その手には……
手のひらサイズのオイルクロック。結標さんが白井さんに遺した最後の形見って御坂さんから聞いた。
ラピスラズリがあしらわれたアンティークなそれは、小さいけれどウン万円はしそうなくらいの高級品。
白井「………………」
今日二人のお別れ会があった事は白井さんに言わないようにって皆で決めた。いつかは知るかも知れない。
でも今白井さんに教えたらきっとまたレインボーブリッジの時みたいになってしまいそうなのが怖くて……
婚后「うふふ、まるでカトレア(女王蘭)ように可憐ですわよ」
婚后さんも白井さんの左手をギュッと両手で包み込んで笑った。それを御坂さんも優しく見守ってる。
御坂「黒子はもともと美人さんだからね」
私はした事ないからよくわからないけど、恋愛ってもっと優しくて綺麗なものだって漠然とそう思ってた。
でも恋愛ってこういう怖い一面もあるんだなって今回の件を通じて感じさせられたし考えさせられた。
佐天「カトレアの花言葉って何?初春」
初春「“貴女は美しい”ですよ。今度は適当じゃありません♪」
―――――私は、どんな人とどんな恋をするのかなあ――――――
~6~
それから御坂は白井の車椅子を押しつつ空中庭園を下り、木山が迎えに来てくれた正面玄関へと向かう。
常盤台中学は大覇星祭後に再建し終えるようで、それまではこのホテルのような水晶宮が仮住まいとなる。
道行く御坂達を派閥の人間が一礼しながら道を開ける。白井に奇異や好奇の目を向けるものは一人もいない。
御坂「黒子ー、病院終わったらお昼何食べようか?たまには和食なんかも良いわね」
白井「………………」
それは御坂が真に常盤台の女王となった事により向けられる畏敬の念である。
まず御坂は白井が無罪放免となり、帰還を果たした事により再び策を巡らせるべく蠢動し始めた……
佐天「御坂さーん!私お刺身かお寿司食べたいです!!」
御坂「だってさ♪どうかな黒子?」
黒子「………………」
御坂「うん、あんたは鞠寿司にしてもらおうか。オッケーよ二人とも!」
初春「はい!」
三大派閥が一角、『先代派』をたった三日で叩き潰したのだ。軒先に巣を作った雀蜂を駆除するように。
飛び交う毒を孕んだ群蜂を払いのける力さえ失ってしまった白井を守るため、完膚なきまでに。
その手並みたるやまさに一掃という言葉に相応しく、件の先代派がOGにあたる食蜂操祈に泣きついたところ――
食蜂『やっと処女力を捨てたのねぇ。やれば出来る子だったんじゃなぁい☆』
食蜂は手を叩いて大喜びし、御坂はともかく卒業した古巣に興味はないと告げられ先代派は呆気なく瓦解した。
佐天「(御坂さん……)」
御坂は解散した後軍門に下った何羽もの風見鶏を鳥籠に放り込み、飼い殺しにする事さえ躊躇わなかった。
結果として長きに渡る常盤台中学の政争は終止符を打ち、力無い白井に仇為す群蜂は駆逐された。
御坂「(黒子は私が守る。そのためなら泥なんていくらだってかぶってやる)」
麦野との頂上決戦と白井との最終決戦が御坂を大きく変えてしまった。
誰よりも愛情に近い友情を抱いた相手と袂を分かつ事で甘さを捨てたのだ。
佐天「(ちょっと無理し過ぎなんじゃ)」
御坂は白井を選んだのだ。麦野がそれを望んでいたように。
それが佐天にはとてつもなく悲しくてたまらなかった。
優し過ぎる御坂に女王など似合わないと誰より知るが故に。
――――御坂と麦野は、白井と結標の合わせ鏡だったのだ――――
~7~
雲川「おかわり欲しいんだけど」
青髪「飲み過ぎやでー雲川先輩(一応アルコール入りやし)」
固法「(いくらカフェロワイヤルでもそんな立て続けに飲んだら……)」
一方、青髪が住み込みで働いているベーカリー『サントノーレ』では喪服姿の雲川芹亜がくだを巻いていた。
よほど鬱憤が溜まっているのかカフェロワイヤルを既に軽く五杯はおかわりしており、目が据わっている。
雲川に香典を手渡そうとしていた固法の顔が苦笑いから引きつり笑いに変わるほど剣呑なそれに。
雲川「(昼間じゃなきゃ飲みたいくらいだけど)やっぱりジョンの淹れたのが一番美味しいけど、奴は?」
青髪「ああ、今夏休み中なんですわジョンさん。この一杯でおしまいでっせー」
雲川「そうか……嗚呼、話が逸れて悪かったけど」
固法「は、はい……」
雲川「――月詠小萌(せんせい)からの伝言だけど。“白井も大変だろうからお大事に”って」
固法「………………」
雲川「“残念な事になってしまったけど、出来る限りの事はさせて欲しい”って逆に頭下げられたけど」
固法「……すいません」
雲川「兎に角香典は私が責任もって預かっておく。多分辞退されるだろうけど」
固法「それでも、お願いいたします……」
雲川「吹寄のアフターケアや葬儀のゴタゴタで忙しいだろうから、あまり期待しないで欲しいけど」
そんな雲川の様子に恐縮する固法は知り得ない。彼女が苛立っているの自分に対してではなく己にだと。
固法「この度は、本当になんと言ってお詫びすれば良いか……」
青髪「ううん、僕からも謝らせて欲しいわ。ごめんな?みんなまだピリピリしとって気持ちの整理つかへんねん」
常盤台中学及び風紀委員一七七支部の面々は姫神達のお別れ会への参列を彼女達のクラスメートから拒否された。
御坂直々に謝罪を申し入れ、削板が間に入っても香典を受け取ってもらえるかもらえないかが関の山であった。
委員会でもあまり良好とは言えない空気を爆発させぬよう押さえているのはひとえに削板の顔である。
青髪「――ほんまに、堪忍したってなあ」
――――青髪は寂しそうな笑顔と共に、肩を落とす二人を見つめていた――――
~8~
ポツポツ、と固法がこの後お見舞いがあるのでと店を後にした直後に夕立が降り始めた。
雲川は二人が退席した後もカフェロワイヤル以外の飲み物を頼みつつ、水煙けぶる廃墟の街並みを――
雲川「(お前達に非はない。非があるとすれば私の力不足そのものだけど)」
窓際席より頬杖をつきながら雲川は見やっていた。ひと月前までは避難所のあったこの第七学区。
そこで短い期間ながら共に働いていた結標と姫神。彼女達の在りし日を思うとやり切れなくなる。
姫神『――これで。淡希はもう私と同じ運命(みち)を歩むしかなくなった』
58-1+50-1=51……公式記録では空間系能力者と原石が一人ずつ減り、代わって一人『増えた』。
雲川「(こんな事、常識じゃ考えられないけど)」
灯台から落ち、切り立った岩礁と岸壁に致命傷を負い失血死寸前にまで陥った結標、それを拾ったオルソラ。
姫神もまた海に転落した際『歩く教会』のケルト十字架まで失ってしまった。さらに最悪な事に――
御坂達が白井を取り押さえて連絡した際、警備員の到着に一時間もかかってしまった軍艦島で……
さらに二人を拾ったのが不法入国していた必要悪の教会の船だった事が少女達の運の尽きであった。
一刻の猶予もない状況で、食蜂が読心したところ同じ血液型であった姫神が断腸の思いで緊急輸血すると……
ブルーローズの花言葉通り、『奇跡』的に結標は一命を取り留めた。だが異変はその直後に起こった。
姫神『……、淡希!?』
吸血殺しの血がその特性を引き継いだまま結標に混ざり、それによって『不可能』だったはずの――
レベル5座標移動とレベル4吸血殺しを併せ持つ『多重能力者』になってしまったのだ。
滝壺『むぎの、おかしいよ……“吸血殺し”が“二人”いる』
麦野が滝壺を伴って結標達を捜索した際、その事実に行き当たった時の衝撃は如何ほどだったろうか?
まるで『神の祝福』のように、姫神の呪われた血脈(ブルーブラッド)は受け継がれてしまったのだ。
カランカラン……
削板「雲川!迎えに来たぞ!!」
雲川「!?」
と、雲川がかぶりを降って苦い記憶を追い出していたところ、削板がドアベルを鳴らして飛び込んで来た。
せっかく雲川がまとめてやったオールバックも夕立に濡れて落ち、ブラックスーツも雨で台無しにして。
――――雲川は、この事を削板に一言も話していない――――
~9~
青髪「すんません雲川先輩。僕が呼んでもうたんですわ。見てられへんかったんで」
雲川「青髪!!!お前余計な事を!!!!!!」
学園都市第六位の能力(チカラ)で全てを知る青髪はそんな雲川の憔悴を見ていられなくなったのか……
雲川が物思いに耽っている間に呼んでしまったのだ。その青髪もカウンターから二人を見つめている。
削板「どうしたんだ雲川。ここ最近のお前なんか変だぞ」
雲川「……さい」
削板「――根性(からげんき)出しても、目見りゃわかるぞ」
雲川「……るさい!」
削板「……何があった?」
雲川「うるさいうるさいうるさい!!!!!!」
そこで雲川はついに爆発した。カウンターの青髪、びしょ濡れの削板、涙を目に溜めた雲川の三人しかいない店内。
ショパンの調べと言うには些か五月蠅すぎる雨音と静か過ぎる店内に、その金切り声は嫌と言うほど響き渡った。
雲川「どけっ」
削板「雲川!!」
雲川はテーブルに手を叩きつけてカップを落とし、削板を突き飛ばして駆け出して雨の廃墟(まち)を行く。
かつての結標はそれにより道を踏み外した。白井が見た幻想(ゆめ)の中の救いなど所詮紛い物であった。が
削板「釣りはいらねえ取っとけ!!」
カウンターになけなしのマネーカードを置いて追い掛けるは削板。見守るように送り出すは青髪。
青髪「毎度あり~(三百円足りてへんけどね!)」
雲川が割ってしまったカップをホウキとちりとりでかき集めながら青髪は一人つぶやくように掃除をする。
こんな雨ではもう客は来ないだろうし、何よりこの後『予定』が詰まっているのは青髪も同じだった。
そんな青髪は知っている。雲川がかつて密かに思いを寄せていた上条と削板はよく似ていると。
青髪「……かわなんなあ。ほんま頼むわ」
故に自分では駆け出す雲川の背中に手を伸ばす事は出来ないと知っている。
青髪「同じタイプの男に“二連敗”とか流石の僕もヘコむわー」
何故ならば
青髪「さ、僕もそろそろ“お迎え”行ったらんとね!」
何故ならば――
~10~
雲川「来るなこの馬鹿野郎!」
削板「待てこの根性無し(なきむし)が!!」
雲川「五月蝿い黙れ!私の顔なんてロクに見もしないで適当な事言わないで欲しいんだけど!!」
来るな削板。来て欲しくないんだけど。お前の馬鹿面真っ直ぐ見てたらもう自分を支えてられないけど。って
雲川「うわっ!?」
削板「雲川!!!」
思いっきり雨でつんのめったってのに軽々受け止めるな馬鹿野郎!今お前を真っ直ぐ見たら……
今お前の真っ直ぐな目を見たらもう雨のせいだって言えなくなるけど!だから離せこの馬鹿野郎!!
削板「離さねえよ」
雲川「……!」
削板「泣いてる女ほっぽりだして帰るほど、俺は根性(タマ)落とした覚えはねえ」
ちくしょう離せ!手首が痛いんだけどこの馬鹿力め!普段私の顔なんてろくすっぽ見やしないくせに……
いつもいつもいつもお前が前ばっかり向いてるから私はその背中を支えなきゃって突っ張ってるんだけど!
何で今なんだ、どうしてお前はそうなんだ、私は、私はお前が思ってるほど強い女じゃないんだけど!!
雲川「……離せよ」
削板「――話せよ」
雲川「離せって言ってるんだ二度も三度も言われなきゃわからないほどお前は馬鹿なのか!?」
削板「ああ馬鹿だよ!お前が何で泣いてんのかもわかんねえ馬鹿だよ俺は!!!」
――――――………………
雲川「……わからなくて、いい」
削板「………………」
雲川「――お前がそんな風に気にかけてやるべきは私なんかじゃないんだけど!!」
あのローラ・スチュアートとか言う女狐に交渉(わたし)のテーブル(どひょう)で負けたんだけど。
挙げ句二人はイギリス清教行きだ。契約のせいでそれを白井に伝える事も出来ない。お前にもだ。
今日だってそうだけど。本当は生きてる人間の葬式とかひどい偽善(ちゃばん)なんだけど。
何だ。何やってるんだ私は。自分で自分が何してるかさえわかってないんだけど。もううんざりなんだけど
削板「――姫神達の事だろう?」
……馬鹿のくせして、どうして勘だけはやたら良いんだ。
削板「……俺は頭悪いからな。だがお前が苦しんでるのはそこよりもっと根の深い部分だって事はわかる」
……馬鹿のくせして、どうしてお前はそんなに――
削板「もう頷かなくても、話さなくても構わねえ」
どうして――
削板「もう背伸びなんてしなくて良い。黙って俺に寄りかかれ」
~11~
そこで雲川は削板の胸に取り縋って崩れ落ちた。伸ばしていた背を支えていた芯が折れたように。
突っ張っていた胸まで受け止められ、雲川は泣き崩れた。雲川はまだ麦野ほど強く『成り切れ』なかった。
誰もいない瓦礫の町外れ、泥水が足元をさらって行き、夕立でさえ洗い流せない涙と共に雲川から膝から折れた。
歩く教会も失った二人が吸血鬼を呼び寄せるのは二倍ではなく二乗の可能性だった。
寒村と言えど村一つ軽々と滅ぼす彼女達が学園都市に、避難所に長く留まればまた一つ廃墟が増えるだろう。
更にローラが目をつけたのは結標が行方不明となったアレイスター・クロウリーの『案内人』だったと言う事。
恐らく彼女達は文字通り血の一滴まで搾取されるだろう。吸血殺しも学園都市の情報も何もかも。
ただでさえ先の戦争で疲弊した学園都市側にイギリス清教と事を構える体力など残っていない。
加えて弱体化した学園都市の新たな舵取りは親船の貝積だ。そしてローラはイギリス清教側のトップ。
ローラは建て前として吸血殺しを封じると言い、同時に親船と貝積を支援すると『表向き』は宣言した。
外部の協力機関がアレイスター行方不明後、老人の歯のように抜け落ちる中イギリス清教と誼を結べる旨味は大きい。
ましてや今は代替わりしたばかりで外部との繋がりもアレイスターと比べものにならないほど脆弱なのだ。
彼女達は時限爆弾と貢ぎ物、両方の意味で政治の道具にされたのだ。
雲川も何とか食い下がり、彼女達に非人道的な仕打ちさせじといくつも手を打った。
だが雲川は己を責める。悲劇を止められなかった自分の責任だと。
だが誰にもこんな話を打ち明けられない。もしさらけ出せば――
麦野『私もテメエも、自分の男に手汚させたくないでしょ?』
上条が知ればすぐさまイギリスに乗り込み、削板が立てば戦争になるまで暴れ回る。御坂とてそうだろう。
姫神『――リボンの子が絡めば。あの子は必ず現れる。淡希がそう言ってた』
――――故に麦野が足止めに回ると言ったのだ。御坂が真相に辿り着く前に――――
~12~
それは本来紙のように薄い確率、宝くじより天文学的な数字だったはずだ。
白井は意識不明の重体、御坂は真相を調べる術も伝手もなかったはずだ。
故に麦野も当初はそんな姫神の予言を鼻で笑い、念の為に監視につく程度だった。
しかし運命は動き出した。白井が目覚めてしまい脱獄を果たし、軍艦島を目指して動き出した。
それを御坂が知り、運命の導きの下バビロンタワーに辿り着いた時麦野は愕然としたはずだろう。
御坂の動向を柄でもない朝食を共にしてまで探り、滝壺に能力追跡で位置を把握させたにも関わらず――
御坂は真相の一歩手前まで辿り着いていたのだ。
脱獄した白井の空間移動をAIMストーカーで封じ、御坂達が到着した時にはもう時間切れ間近だった。
今更麦野を倒しても車で一時間はかかる。それでも御坂の持つある種運命的な力に心底恐怖させられた。
仮に御坂が白井を追って軍艦島に辿り着き、結標達の船出を目の当たりにしたならば死んでも止めただろう。
白井の無実を証明しその魂を救うには結標の存在が必要だった。魔術師達と事を構えようとも。
しかしその船には8月7日のBBQパーティー以前から異端宗派絡みの後始末のため学園都市を訪れていた――
『聖人』神裂火織、『ルーンの魔術師』ステイル=マグヌス、『天才風水術師』土御門元春、オルソラ=アクィナス。
更に『二人の吸血殺し』を封印すべく必要悪の教会の魔術師らが何人も乗り込んでいたのである。
麦野はかつてステイルと神裂を相手どって戦っている。
上条を通して魔術師の恐ろしさがなんたるかも知っている。
仮に御坂が結標を取り返しても、一つの学区さえ滅ぼしかねないとさえ予測された……
『二人の吸血殺し』と言う最悪の時限爆弾を処理出来ない。
それどころか結んだ約定を御坂と言う学園都市広告塔が横紙破りすれば――
美鈴『美琴ちゃんを、守ってあげて欲しいの』
全てが終わっていた。勝っても負けても死と言う終わりは避けられなかった。
今の疲弊した学園都市に、イギリス清教がつけいる口実を作ってしまう。
雲川は頭を悩ませ、麦野は身体を張り、食蜂は全てを見つめていた。
削板にも、上条にも、御坂にも知らせず、二人の少女は孤独に戦って来たのだ。
雲川は御坂美琴を守るために。麦野は御坂美鈴との約束を果たすために
~8月13日~
食蜂『――これが全ての真実力でしょぉ?御坂さんの女騎士(ナイト)さぁん♪』
麦野『そうね。だから何?』
車椅子に乗った麦野とそれを押す滝壺を交互に見やりながら食蜂は硝子細工のようなシャボン玉を飛ばす。
食蜂『うふふ、最初から最後まで自分達の力だけで幻想(ハッピーエンド)を手に入れたと思ってる御坂さん達が滑稽でぇ』
滝壺『………………』
食蜂『――文字通り骨折り損のくたびれもうけに終わった不様な貴女を、私は今初めて愛おしいと感じられるわぁ☆』
ビシッ!と麦野から放たれる鬼気がバスケットゴールのプラスチックに罅を入れ、二人の視線が死線となる。
食蜂は微笑み、麦野は睥睨し、滝壺は静観し、そんな三人の頭上に飛行機雲が描かれて行く。
食蜂『貴女と御坂さんの友情力は失われ、信頼関係も損なれ、何一つとして手元に残るものも得るものもなくぅ』
麦野『………………』
食蜂『噛ませ犬から負け犬にまで身を堕とした報われない貴女を慰めるために、私はお見舞いに来たのよぉ♪』
蒼穹のキャンパスに描かれた白線が、麦野達と食蜂を区切るように色濃く太く描かれて行く。
読心能力などない麦野にもしかしひしひしと伝わって来る。食蜂がまとう純水のように負の感情が。
麦野「……ここのカエル顔の医者(ヘヴンキャンセラー)は腕利きでね」
食蜂「?」
麦野「――“死人”以外ならどんな怪我や病気だって直してくれるらしいから自分の身体で試してみる?」
食蜂「……へえ?」
麦野「子供が産めなくなる身体になる程度で勘弁してやるよこのビッチ(雌犬)が」
食蜂の手指が麦野のシャープな輪郭に添えられ、なめらかな頬を滑るようになぞっては触れて行く。
どの足から引きちぎろうか、どの翅から虫ピンで止めようかと思案している子供のような無邪気な表情。
対する麦野は食蜂を二度と社会に出れない身体にし、女性機能を永久に失わせるようないたぶり方を模索する。
そんな二人の歪んだ眼差しと歪な笑みが交差し、屋上に集ったカラス達が飛び立つような圧力の中――
滝壺『――違うよ』
女帝と女王の対決に立ち会っていた滝壺がおもむろに口を開いた。
滝壺『――貴女は、むぎのに嫉妬してる』
~14~
麦野『滝壺……』
滝壺『わかるよ。私もみさかに嫉妬したから』
食蜂『ふぅん』
滝壺『貴女はむぎのを許せないんだよ。それはむぎのがみさかの友達だからでも、みさかがむぎのに心を許してるのとも違う』
麦野『………………』
滝壺『――みさかの“敵”になれたむぎのに、貴女は嫉妬してる』
再び鳴き出した蝉と、大空へ向けて飛び立ったカブトムシを少年達が見上げて指差し追い掛ける中……
滝壺は静かな声でプロペラを回す風に乗せて食蜂の在り方を指摘した。
滝壺『みさかが全てをかなぐり捨ててぶつかったむぎのが、貴女に見えない心をさらけ出して戦ったみさかが許せないんだよ』
バビロンタワーにおける頂上決戦は、掛け値無しに全身全霊を懸け全力全開を賭した死闘だった。
愛しい相手に剣を、恋しい相手に刃を、切り結ぶ火花と流した涙の中にしか伝えられない想い。
滝壺の言うところ、それが無自覚に食蜂を苛立たせているのだと。
滝壺『むぎのが“殺されもていい”って言ったみさかは、麦野に“死なないって信じてる”って言ったみさかは』
食蜂『………………』
滝壺『人の心が読めても、人の気持ちがわからない貴女のものには絶対にならない』
滝壺は続ける。この茶番劇にあって勝者の役柄が御坂に回され、敗者の役割は麦野に振られた。
だが食蜂の役割は演者でない。だからこそこの筋書きにある手を加えたのではないか?
滝壺『――ずっと不思議に思ってたの。昏睡状態だったしらいがどうしてあのタイミングで目覚めたのか』
麦野『……まさか』
滝壺『貴女がそのチカラでしらいを目覚めさせたんじゃないの?』
食蜂『とんだ言い掛かりだわぁ』
憎い麦野と殺し合わせ、愛しい御坂を軍艦島に向かわせ……
雲川の計画を破壊するためにあんな夢を見せ覚醒を促したのではないか?
白井が見ていた偽物の記憶(おもいで)、紛い物の幻想(ゆめ)は食蜂が見せていたのではないか?
何故ならば全てが反転した鏡の夢の中で御坂と食蜂の立ち位置だけが固定され……
麦野は不自然なまでに名前を強調されているのに一度も姿を表していないのだ。
まるで麦野に対して食蜂が抱いている意識の表れそのもののように。
もちろん証拠など何一つない。だが食蜂ならばその程度ゲーム感覚でやりかねない危うさがある。
~15~
二人が通わせた絆を引き裂き、憎い麦野を葬り、自分に振り返ってくれない御坂を死に追いやらんとする。
興味も関心も無くしていた古巣に子飼いの先代派を残して行ったのは御坂を観察するためではないだろうか?
食蜂『想像力の域は出ないわねぇ』
麦野『――もういいわ滝壺』
滝壺『でも……』
麦野『こいつは勝っても負けても生きても死んでも構わないって目してやがる。暗部にいた頃だってこんな目した化け物見た事ないわ』
同時に麦野も殺気を解いた。何故食蜂が能力を封じられながら命知らずにも麦野を挑発するのかが理解出来たからだ。
白井を壊した結標さえ憎みきれない御坂がほのかに想いをよせる麦野に、自分の返り血を浴びさせたいのだ。
そのためなら食蜂は殺されても構わないと思っている。そんな妄執に麦野はこの陽気の中悪寒を覚えた。
麦野『認めてやるよ腐れ女王蜂。テメエは私が相手して来た中で最凶の敵だ。イカレ具合もね』
食蜂『認めてあげるわぁ人喰いライオンさん♪貴女は私が見て来た中で最狂の敵だったわぁ☆』
白井を御坂に、結標を麦野に、合わせ鏡の関係に置き換えるならば食蜂は姫神のポジションだ。
その姫神でさえイギリスに渡る前に麦野達にこう語ったのだ。自分は白井を決して許さないと。
姫神『淡希は。昔私を命懸けで救い出してくれた。だから今回の件は許してあげる』
姫神『私の呪われた血を受け継いでしまった淡希はもう二度と私から離れられない』
姫神『子供も産めない。死ぬまで吸血鬼に怯え続ける人生が待ってる』
姫神『だから。私から淡希を奪おうとしたリボンの子にも。報いを受けてもらう』
姫神『一生。自分の愛情(エゴ)のせいで淡希を殺した罪悪感に苛まれて』
姫神『二度と。人を愛せなくなればいい』
姫神『――私達って。本当に救われない』
麦野『(――どいつもこいつも狂ってやがる)』
麦野は知っている。女の子が可愛らしく、愛情は美しいと言う幻想は食虫花が漂わせる甘い匂いと同じだ。
女は、自分の子宮(こころ)を裏切れない
~16~
麦野『話と気が済んだらさっさと失せろ。勝ちはくれてやるわ』
食蜂『……私がこの事を御坂さんに話すかも、って考えないのぉ?』
麦野『私がテメエならそんな生温い美談(オチ)は許さないでしょ』
車椅子に座った麦野の両頬を挟むようにして手指を這わせる食蜂が目を細めて嗤い、舌舐めずりする。
御坂にそれを伝えたならばまず怒り狂い、だが最後は麦野を許すだろう。御坂はあまりにも優し過ぎる。
それが愛憎入り混じった麦野、妄執綯い交ぜる食蜂の唯一共有する無二の価値観だ。故に――
食蜂『じゃあ、勝者らしく戦利品でもいただいちゃおっかしらぁ?』
滝壺『!?』
麦野『―――………………』
食蜂が麦野の唇を奪った。舌まで入れてこね回し、麦野もそれを受け入れた。滝壺はそれに目を見開く。
だが二人は互いを知り尽くした恋人同士のように差し出した舌を絡ませ合うのが滝壺にも見える。
御坂を間に挟んで呪うような食蜂、憎むような麦野、愛など欠片も入る余地のないただただ卑しい賎しいキスの果てに――
麦野『……ペッ!』
食蜂『はぁっ……』
麦野が食蜂に歯を立てたのか、微かに血の混じった唾液を吐き捨て、食蜂は手の甲で唇を拭って離れた。
麦野『テメエの血、すっげーマズい』
食蜂『貴女の唾液、すっごく甘ぁい』
麦野『初めて見た時から思ってたよ。性格以上に身体の相性が最悪だわ』
食蜂『こんな濡れちゃういやらしい舌使いで御坂さんとキスしたんだぁ』
麦野・食蜂『『この売女』』
滝壺が凍り付くほど二人の笑顔は美しく醜かった。麦野の狂気と食蜂の妄執、ベクトルは異なれど同じだ。
御坂は一生知り得ないだろうし理解もし得ないドス黒い女の情念。あの姫神でさえ顔色を失いそうなそれ。
食蜂『じゃあお暇させてもらうわぁ第四位。御坂さんがいなかったら貴女と一度くらい寝てみたかったかもねぇ?』
麦野『――テメエらみたいな変態に靡いてやるほど欲求不満でもねえよ。せいぜい家帰って御坂でオ○ニーしてろ』
麦野・食蜂『『この売女』』
食蜂は笑顔で親指を上向け首を掻っ切るようにしてから下向け、麦野は中指を立てて二人は別れた。
麦野『あー最悪……滝壺、何かドリンク買って来て。口ゆすぎたいから』
滝壺『う、うん……』
いつしか滝壺の背中に冷や汗がびっしょり流れるほど、二人のやり取りは怖憚られるものがあった。
~17~
麦野『最悪の気分で最低の運勢ね……一日の間に女三人にキスされるとかどうなの』
滝壺『……むぎの、ジゴロ』
麦野『女にモテても嬉しくもなんともねえよ』
食蜂が去った後、麦野は滝壺に買ってもらったボルヴィックで口をゆすいだ。病室に戻ったら歯も磨きたいらしい。
二人は夏雲上がる青空の下、中庭に咲き誇るハーブガーデンを前に風に吹かれて髪を揺らしている。
滝壺『一番モテるのはみさかだけどね』
麦野『……いやに突っかかるね滝壺』
滝壺『でもむぎのはこれで良かったの?』
麦野『……どういう意味?』
滝壺『みさかとすれ違ったままで、分かり合えないままで本当に良いの?』
ザアッ、と不意に強まった黒南風が花々やハーブを揺らし麦野の前髪が目元に被さった。しかし
麦野『――お子様の中坊の幻想(ゆめ)わざわざ壊して回るほど私は出来た“先輩”じゃないわ』
滝壺『………………』
麦野『あいつは小パンダを奪り還してめでたしめでたしで終われば良い。例え作られた幻想だとしても』
滝壺『むぎの……』
麦野『絹旗の好きなC級映画と同じだよ。安っぽい悪役がいなきゃあいつは誰を憎めばいいの?』
冷ややかに鼻で笑ってそれを受け流す麦野嘘を滝壺は見抜いていた。
本当は御坂の手で自分を止めて欲しかったのではないか?
『悪』として『正義』の御坂に討たれる事を無意識に望んでいたのではないか?
麦野『――あんたには本当に力になってもらったよ。ギャラどうしたらいい?』
もうあの食蜂(おんな)にされたからキス以外でね、と麦野は笑った。
それが滝壺には無性に悲しく思え、儚く感じられた。だからこそ――
滝壺『むぎののそばにいたい』
麦野『………………』
滝壺『……しばらくこのままでいさせて』
麦野『――私の周りは安上がりな女ばっかりだね』
滝壺は怪我に触らぬように麦野を後ろから包み込むように抱き締めた。
御坂に負け、食蜂に敗れ、麦野が果たせたものは美鈴との契約のみ。
滝壺『大丈夫。私はそんな意地っ張りのむぎのを応援してる』
麦野『そりゃどーも』
――その一部始終を寮監と固法が見ていた事を、後に御坂は知る事となる――
~18~
青髪『何や、おもんなさそうな顔しとるなあ』
食蜂『……やっぱりわかっちゃう?』
青髪『うん。付き合い短いけど友達やからね』
雲川が帰り、入れ違いに店に入って来た食蜂にエクレアとダッチコーヒーを出しながら青髪は笑った。
対する食蜂はショコラティエやヴァローナのエクレアでも直せそうにないほど機嫌を斜めにしてフォークでつつく。
店内は相変わらず物静かで、それが食蜂にとってもありがたかった。群集の心の声に気を配らずとも良いからだ。
青髪『確かにやり方は間違っとったかも知らんけど、君は第四位に負けたない思っとったんと同じくらい』
食蜂『………………』
青髪『――第三位の事を信じとったんやないかな?あの娘やったら雲川先輩も第四位も君の思惑も、全部ひっくり返せるかもって』
食蜂『……貴方の洞察力は何でもお見通しなのねぇ?』
青髪『遠くまで見えるだけで腕は長くないねん。精々ここで君のためにエクレア焼いてコーヒー淹れるくらいしか出来へんよ』
食蜂が麦野と御坂が潰し合えば良いと思ってもいたのも事実である。
だが食蜂は心のどこかで望んでいたのかも知れない。御坂ならばと。
愛憎入り混じり、歪な妄執ここに極まれる想いながらも食蜂は――
食蜂『――美味しいわよぉ。でもちょっとしょっぱいかもぉ』
青髪『隠し味に混ぜた塩が効き過ぎたのかも知らんねえ~』
食蜂『減点1ぃ』
御坂が常盤台中学の新入生として当時二年生だった食蜂との間に何かあったのだろうと青髪は察する。
学園都市という養蜂場、常盤台という巣箱、ただ一人の女王蜂だったみなしごハッチ(食蜂操祈)
彼女はみつばちマーヤになれず、御坂はウィリー(友人)足り得なかった。故に麦野に嫉妬したのだろう。
青髪『堪忍してな前の戦争でバイトみんな辞めるし、おっちゃん(店主)倒れるし、色々手回らんのや』
食蜂『あのジョンとか言うエラそうな外人さんはぁ?』
青髪『今イギリスや。せやからもうどないしようか思っとって――』
学園都市暗部として屍山血河を築き、罪業に汚れた麦野は清廉な御坂の友人に相応しくないと。
何で第三位はこんなモテんねやろうな~っと苦笑いを浮かべながら青髪は切り出した。ウィリーがいないならば――
青髪『良かったら、このパン屋でバイトしてみーひん?』
~19~
食蜂『バイトぉ!!?』
青髪『時給850円、ユニフォーム貸与、交通費全額支給、まかないもつけるけど』
みつばちマーヤにウィリーがいないなら、バッタのフィリップがいたって良いだろうと青髪は思った。
自分とて上条に出会わなければ、今も学園都市第六位として食蜂のようになっていたかも知れないと。
青髪『見やこのユニフォームを!ゆったりとしていながら薄い生地!背面までフリルの施された白いブラウス!
少し大きめの赤いリボンがそれにアクセントを加え、フリル部分には可愛らしいネームプレート!
肘の辺りでボタン留めされ絞られた袖口と、厚手の黒いカマーバントがウエストをキュッと引き締める!
その下のワインレッドのフリルスカートには下二本の横ライン!これが世に言う“ブロンズパロット”やー!!!』
青髪は食蜂に声をかける。君ならばこの店の看板娘になれると。
食蜂も当初は口をポカンと開いて目を丸くしていたが――
青髪『“友達”の頼みは聞くもんやで?』
食蜂『――――――………………』
青髪『あの娘の事、助けてくれへんかな』
食蜂の無垢な心根、呪われた部分、童女のような純真さ、禍々しい歪さ、その全てひっくるめて青髪は手を伸ばす。
青髪は上条のように誰をも救い出す手は持ってない。だが誰とも繋がれる手を差し出す事が出来る。
食蜂『……仕方無いわねぇ?貴方がそこまで言うんだったら助けてあげても良いけどぉ?』
青髪『おおきに女王様!で、君にお願いしたい最初の仕事やねんけど――』
食蜂『ええ~人使い荒いぃ~』
そこで青髪はブロンズパロットのユニフォームを引っ込め、代わって取り出して来たのは『白衣』であった。
そして何やらアクセサリーと思しき小箱の入っている紙袋。その中身は青髪自身も馴染み深い――
青髪『――これは君にしか出来へん事で、君にしか頼まれへんお使いや』
食蜂『………………』
青髪『僕は君を信じとるんよ。君が第三位を信じとったようにね』
その言葉が意味するところを知り、食蜂はかなわないなあと小さく微笑みその白衣を受け取った。
食蜂『――ならエクレアもう一個で手打っちゃうゾ☆』
――――友達の頼みは、聞くものだから――――
~8月20日~
木山「バンを借りて正解だったようだ。車椅子が乗り切らないところだった」
御坂「すいません木山先生、お願いします」
木山「なに、おやすいご用さ」
水晶宮の玄関先にいつものランボルギーニ・ガヤルドではなくバンで乗り付けて来た木山春生がドアを開ける。
御坂は助手席に、中央席は佐天と初春が白井の脇を固め、後部座席は婚后が車椅子を折り畳んで乗り込んだ。
そして夕立の中走り出し、白井のカウンセリングのため第七学区の冥土帰しの病院へと向かう。
初春「はい、白井さん。病院着くまで少しかかりますからねー」
佐天「白井さん、私の膝に横になっても良いですよ?」
白井「………………」
御坂「そうさせてもらいなさい黒子。佐天さんの膝枕なんてお金取れちゃうくらい気持ち良いんだから!」
婚后「そうですわよ白井さん。わたくしなどシートが固くお尻が痛くて痛くて……」
木山「(……私に負けず劣らずクマがひどい。あの様子では寝食さえ受け付けないのだろう)」
虚ろな眼差しで茫洋と窓ガラスを滑り行く水滴を追う白井をルームミラーで見やる木山は思う。
予想以上に白井の心は深手を負っている。罅などという生温いそれでも亀裂などという生易しいそれでもない。
まるで死火山の噴火口だ。避難所においてカウンセラーの真似事のような仕事をしていた時でさえ
木山「(名前は何と言ったか、あのドレスの少女でも匙を投げるレベルだ)」
御坂「わざわざ車出してもらっちゃって本当にすいません。助かっちゃいます」
木山「――君達には大きな借りがある」
御坂「ありがとうございます……あの、黒子を診てくれる先生って」
木山「“宝生妃”というカウンセラーだ。精神科医としては超一流と言って良いだろう」
御坂「(ほうしょうきさき?何か聞き覚えあるような……)」
木山「(ん?そう言えば私は宝生妃とどこで知り合ったのだったかな……はて?)」
戦災により心に傷を負った幾多の少年、数多の少女の中にあって……
心理定規の手にさえ余るほど心を粉々に打ち砕かれ擦り潰された白井。
社会復帰はおろか自然治癒の見通しさえ立たない。
最悪、点滴と薬漬けで命長らえるより他ない未来すらあり得る。
~21~
木山「……君も病院に着くまで少し寝たまえ。あまり根を詰めすぎると私のようなクマが出来上がるぞ」
御坂「あはは、大丈夫ですって!」
木山「――こういったケースの場合、当人は勿論それを支える人間の負担も決して軽視してはいけない」
御坂「………………」
木山「長い戦いになるだろう。今のうちに身体を休めていたまえ」
婚后「木山先生の仰有る通りですわよ御坂さん、白井さんはわたくし達にお任せを」
御坂「――うん、わかった」
白井が佐天の膝で眠った後、木山は御坂に仮眠を取るように勧めた。如何に御坂がタフであるとはいえ――
コミュニケーションも取れず、寝食も受け付けず、いつまた能力暴走を引き起こすかわからない白井を……
看護と監視の両面をこなすのは流石に堪えるものがあるだろう。
昼間は佐天達や派閥の人間もいる。しかし夜ともなればそうもいかない。
木山「(――結標淡希。君から相談を受けたのもこんな夕立の日、避難所の図書室での事だったね)」
結標を自分のせいで死に追いやってしまったと言う自責の念が癌細胞のように白井の精神を蝕んでいる。
その結標から木山は7月5日にカウンセリングを求められた事がある。
同性の少女に心惹かれてしまった自分は病気ではないかと。
木山「(あの日私は君に偉そうにのたまったな。“人を愛する事が病気などと、どの医学書にも一行たりとて書かれていない”とね)」
一年前の夏、木山は学園都市全土を巻き込んだ幻想御手事件を引き起こした。子供達を救う手掛かりを得るために。
その時はワクチンソフトがあったが故に事態は収拾へと向かい、昏睡状態にあった被害者らの意識も回復した。が
木山「(――私はとんだ愚か者だよ)」
今の白井に果たして如何なるワクチンが有効なのか木山にもわからなかった。そして結標淡希はもういない。
御坂の声さえ響かないほど閉ざされてしまった心に、一体誰が救いの手を差し伸べられると言うのだ。
――粉々に砕け散った硝子の欠片を、一体誰が拾い集める事が出来ると言うのだ――
~22~
木山「では彼女を預かろう」
初春「御坂さん、私が付き添ってあげても構いませんか?」
御坂「えっ、でも……」
木山「その方が良いだろう。なまじ君という近しい人間が側にいる事で、彼女自身が伝えたい思いを表現する事が出来ないかも知れない」
御坂「……わかりました。初春さん、お願いするわね」
初春「はい!」
一時間半かけて冥土帰しの病院に到着した御坂達は、別館に当たる心療内科の前で白井を二人に託した。
こういったケースの場合、近親者や付き添いの人間が側についているとかえって反応を引き出せない場合がある。
心療内科という性質上医師と患者のマンツーマンなくして治療や信頼関係は成り立たないのだ。そこへ
佐天「あっ、固法先輩!」
婚后「まあ、どなたかのお見舞いで?」
固法「ええ、手塩先生の……」
御坂「固法先輩、お疲れ様です」
固法「御坂さんまで……」
カウンセリングには一時間かかると言われ、あまり大人数で待合室の席を取るのも気が引けたのでロビーに出たところ――
御坂達は固法と出くわした。自分達の香典を包んで雲川に渡しに行ってくれた帰りに立ち寄ったのだろう。
御坂が常盤台を代表して謝罪に行ったところ、上条と姫神のクラスメートらに……
上条のクラスメート『理屈じゃわかってるんだが理屈じゃないんだ。帰ってくれ!』
けんもほろろに追い返されてしまったのだ。そこで同じ高校の先輩である雲川が間に入ってくれた。
それだけの事を白井は仕出かしたのだ。直接的ではないにせよ、間接的に引き金を起こしたのは白井なのだから。
固法「もしかして、前に言ってた……?」
御坂「はい、黒子の」
固法「そう……」
挨拶もそこそこに、固法は皆を見渡しておおよその事情を知った。彼女もまたその責任の一端を問われ謹慎中の身だ。
寮監も水晶宮の支配人を解雇された。ただ少女達の知り得ぬ『天の声』が――
大覇星祭後に復建される常盤台新女子寮の管理人に任命される未来をまだ誰も知らない。
固法「……御坂さん、今ちょっと大丈夫?」
御坂「はい、一時間くらいかかるらしいですから大丈夫ですけど――」
そこで固法は、言うか言うまいか少し迷った様子を見せた後――
固法「あのね……――」
~23~
麦野「ちっ……」
冥土帰し「持とうかい?」
麦野「いい。それより先生こそありがとうね。こんなケガ一週間そこらで直してくれだなんてわがまま、先生にしか頼めないから」
冥土帰し「僕を誰だと思っている?」
一方、麦野は御坂に打ち砕かれヘシ折られた怪我こそ完治したものの痛み止めがもたらす眩暈に舌打ちした。
滝壺に用意してもらった入院セット一式を持ち上げただけでよろめいたが長居はしていられない。
帰りを待ってくれている者や委員会には『帰省中』という事にしており、そろそろ退院する必要に迫られているのだ。
滝壺には迎えを寄越させなかった。浜面を通じてフレンダや絹旗が不審に思うだろうし、そして何よりも――
麦野「(こんなボロ雑巾みたいな格好、見せてたまるか)」
冥土帰しは数ヶ所に渡る複雑骨折を含めて一週間で全て繋ぎ直し、傷口も残らぬまでに完璧に施術してくれた。
痛み止めは発熱まで完全に防いでくれる特別製だが強力な分思考力が鈍る。だがこれ以上贅沢は言えない。
冥土帰し「見送ろうか?」
麦野「ここまででいいわ。それより先生」
冥土帰し「わかっているよ?彼には君が入院している事は伏せている」
麦野「――ありがとう」
麦野が冷笑や毒舌を振り撒かず、信を置いている数少ない人間の一人がこの冥土帰しである。
九死に一生どころではない生死の境をその都度救い出してくれた神の手を持つこの老医師。
口には決して出さないが、まるでおじいちゃんのように思ってさえいる。
麦野「シーズン過ぎてるけど、今度何かお中元贈るわ」
冥土帰し「お大事にね?」
そう言い残して麦野は病室を出、階段をゆっくりと下って行く。
一週間の入院で少し肉付き良くなってしまったように感じられるからだ。が
グラッ……
麦野「(やばっ)」
痛み止めの副作用が、終わりかけの階段で再び眩暈を引き起こした。
バックが投げ出され、取られた足がつんのめって身体が前に飛び出す。
麦野「――――――」
間近に迫るリノリウムにぶつかると、反射的にギュッと目を閉じて来る衝撃に耐えんとして――
???「危ない!」
~24~
麦野「えっ……」
硬質な衝撃に代わって、柔らかな感触が麦野を受け止めた。
御坂「ちょっと、どこ見て歩いてんのよ」
麦野「!?」
それは転げ落ちそうになった麦野を踊場にて抱き止めた御坂であった。
思わぬ再会に麦野の目が見開かれ、一瞬身体が硬直しきってしまった。
だが御坂はそんな麦野の背中に両手を回しながらしっかりと支えて――
麦野「み、“超電磁砲(レールガン)”」
御坂「久しぶりね、“麦野さん”」
麦野「……離れろ!」
御坂「い・や・よ」
麦野「あァ!?」
御坂「そんなフラフラの身体で凄んだって全然迫力ないっての」
見開いた目を剥いて睨み付ける麦野を、御坂は身体ごと真っ直ぐ受け止めた。10日前と変わる事なく。
御坂「ま、そりゃそうか。あんたをそんな風にしたのは私だし?」
麦野「………………」
御坂「――変な話よね。あんたはそんななのに、私は打撲と擦り傷しか受けてない。不自然なくらいに」
10日前に麦野から受けた攻撃のほとんどは急所はおろか顔に傷一つ負わされていなかった。
御坂がそれに気づいたのは白井から負わされた傷を数え、黄泉川に包帯を巻いてもらった時だ。
麦野「何でテメエがここにいる?トドメ刺しに来たんなら――」
御坂「私は私で色々あんのよ。あんたがここに入院してるってのは固法先輩からついさっき聞いたわ」
麦野「(誰そいつ)見舞いがてら笑いにでも来たか?あいにくテメエにやられたケガなんて大した事な――」
ギュッ
麦野「~~~~~~!!?」
御坂「(自分で与えたダメージくらい覚えてるっつーの)」
御坂とてわかる。麦野は全力で戦いはしたが本気で殺しになど来なかった。
御坂にはわからない。麦野と美鈴の契約やこの事件の背景にあたる部分など。
しかし今自分の腕の中で悶絶しているのは御坂が知っている『麦野さん』だ。
麦野「ゼー……ハー……」
御坂「私はあんたにトドメ刺しに来た訳でも謝りに来た訳でもないわ。あんたが何考えてあんな事したり言ったりしたのかも私には全然わからない。けどね?」
麦野「……何だよ」
御坂「――あんた、最後泣いてたでしょ」
麦野「………………」
御坂「雨のせいだなんてクサい言い訳受け付けないわよ」
~25~
そう、麦野は御坂に打ち倒された後確かに涙を一筋流していた。
それは敗北が悔しかった訳でも激痛に零した訳でもないだろう。
そんな可愛げのある相手ならばもう少しマトモな関係性が築けたはずである。
病的なまでにプライドの高い麦野が自分の前で涙を流すという事。
それがどういう意味を持つか程度には御坂は麦野を理解しているつもりであった。
麦野「……話はそれだけ?」
御坂「………………」
麦野「テメエの“敵”に安っぽく手差し伸べてんじゃねえよ!!」
しかし麦野は御坂を突き飛ばして離れる。安っぽい和解も薄っぺらい話し合いも寒々しい歩み寄りもごめんだと。
突き放された御坂と麦野の頭上には長方形の窓があり、そこへ涙雨を思わせる上がりかけの夕立が降り注ぐ。
麦野「私を甘く見るな!安く見るな!!」
御坂「そんなんじゃない……」
麦野「それ以外の何があるってんだよ!」
御坂は未だにわからない。何故麦野がそうまでして『自分の敵』という立ち位置にこだわるのか。
それでも理解出来るのは、何が何でも寄せ付けまいと痛々しいまでに毛を逆立てている麦野の――
御坂「あんた気づいてる?」
麦野「何がだよ!?」
御坂「今のあんた、あの時と同じ目してる」
麦野「………………」
御坂「私に嫌われようって、自分を悪く見せようって、必死になってる」
麦野「!!」
御坂「そんな悲しそうな目でケンカ売られたって、買えっこないよ麦野さん」
麦野「巫山戯んな!!!」
パシンッ、と麦野が御坂の頬を打つ乾いた音が踊場に響き渡る。
ちっとも痛くない。手を上げた麦野の方がどれだけ痛いだろう。
御坂「……それが全力なら、もうあんたは私の“敵”にさえなれないわ」
麦野「殺してやる……」
御坂「もういいよ、麦野さん」
自分の頬を打った麦野の手首を押さえ、御坂はそこで初めて知る。
なんて細い手首だろうと。なんて弱々しくて、なんて綺麗で――
麦野「殺してやる!!!!!!」
――――なんて、愛おしいのだと――――
御坂「――あんたが自分を許せないなら、私があんたを赦してあげる――」
~26~
麦野「なっ……」
御坂「――これで三回目だね?」
手首を引き寄せて唇を奪った。驚きに目を見開く麦野に告げた三回目のキスという言葉とその想い。
御坂「あんたも知らない一回目に私は誓ったの。本当は誰よりも弱いあんたを助けるって」
麦野「誰にだよ!?」
御坂「自分自身によ」
一度目。10月2日から3日にかけて跨いだあの夜。麦野の部屋に泊まったあの日の晩の出来事である。
殺した人間達の出て来る悪夢に魘されていた麦野が零した涙と、『助けて』という寝言に御坂は誓った。
御坂「本気で戦って改めて思った。あんたが“強い”のは戦ってる時“だけ”だわ」
麦野「………………」
御坂「きっと黒子も、結標さんに同じ事思ったんでしょうね」
この階段の踊場と同じだ。上に登るのでもなく下に降るのでもない横並びの位置で御坂は麦野を見つめていた。
麦野がどれだけ突き放そうとも、袂を分かってけじめをつけようとしたところで御坂はそれを『許さない』。
御坂「でも私は黒子みたいになれないし、あんただって結標さんじゃない。それでも――」
御坂はそんな麦野の横をすり抜け、元来た階段を再び下りながら背中越しに告げた。
御坂「――もっと早く、あんたに会いたかった――」
麦野「!?」
撃てるものなら後ろから撃ってみろと語る小さな背中、かつて自分に預けられていた細い背中が言っていた。
御坂「そう思える程度に私はあんたの事気に入ってるし、あんな事あった後でもやっぱりあんたを憎めない」
麦野「………………」
御坂「今回の件はさっきのキスでチャラにしてあげる!悔しかったら取り返しに来なさいよね!!」
麦野「みっ……」
御坂「またね!麦野さん!!」
駆け出して行く御坂の笑顔に、麦野は一瞬全てを捧げても良いかと思った。
だが二人は歩み寄れても分かり合えない。交差しても同じ道は歩めない。
麦野「……この借り、いつか兆倍にして返してやる」
三ヶ月後、二人は再び相見える事となる。それは奇しくも戦場となったこの病院の屋上にて
麦野「―――“次”は譲らないよ―――」
―――痛み止めでも押さえらぬ高鳴りと締め付けに胸に、麦野は再び己の道へと突き進んで行く―――
~27~
佐天「」
婚后「」
固法「」
御坂「(やっぱり見られてた……)み、みんな今のはナイショだからね?ナ・イ・シ・ョ・!」
階段の物陰にて言葉と顔色を失っている覗き魔三人組を前に御坂は歎息した。やはりこうなるかと。
何とはなしにこんな事になる気はしていたが、ずばりキスシーンそのものを見られるなどと――
婚后「え、ええもちろんですわ!わたくし婚后光子、口と頭が固い事で右に出る者はおりませんの!(み、御坂さんのかようなお姿を目にする日が来るだなんて……)」
固法「あ、当たり前じゃない御坂さん!風紀委員は治安も約束も守るものよ!!(あれだけ殺し合った麦野さんまで口説き落とすだなんて……御坂さん恐ろしい子!)」
佐天「(二人共メチャクチャテンパっとるのう……でも綺麗な麦野さんと可愛い御坂さんだと異常にハマってるって言うかなんて言うか……歩くフラグメーカー??)」
御坂「(第五位じゃないのにみんなが何考えてるか読める)」
婚后はやたらと扇子をあおぎ、固法は眼鏡を曇らせ、佐天に至ってはホクホク顔だ。
この時ばかりはあの下衆なリモコンの力を本気で借りたいと御坂が思い始めた頃――
佐天「……でも、本当にこれで良かったんですか御坂さん?」
御坂「うん、いいのいいの。今は黒子の事で頭いっぱいだし」
婚后「………………」
御坂「一区切りって言うか、気持ちの整理がついたって言うか……とにかく!この話はこれでおしまい!!」
道は分かたれたのだ。白井を守るために本当の意味で常盤台の女王となった御坂に後戻りは出来ない。
愛しい上条に傾き、恋しい麦野に注いで来た想い全てを白井に捧げねば誰が彼女を支えられるだろう。
結局のところ、御坂は不器用だったのだ。故に今回の一件を通して理解した。百の必要なものか一の大切なものか。
その両方、或いは全てを手にするには御坂の腕はあまりに短く手は小さいという事を思い知らされた。
御坂「黒子のところ、戻ろうか?」
御坂は白井を選んだ。麦野もそれを望んだ。二人はそれで一つの関係性に終止符を打ったのだ。
ありえたかも知れないもう一人の自分(みさか)、ありえたかも知れないもう一つの可能性(むぎの)
――――だから御坂と麦野は、白井と結標のようには決してならない――――
~28~
食蜂「青春力発揮してまたイチャついてるわねぇ……何だかイラッとしちゃうわぁ」
木山「………………」
食蜂「嗚呼、貴女達は“終わる”まで席外しといてぇ。お役目ご苦労様ぁ☆」
初春「承りマシタ」
食蜂「(もっと楽しい遊びのために打っといた布石だけど、こんな使い道になるとは思ってなかったわぁ)」
一方、宝生妃(ほうしょうきさき)こと食蜂操祈(しょくほうみさき)はカウンセリングルームにいた。
バビロンタワーにいた時に弄った初春、避難所にいた頃から目をつけていた木山、両方を操作しながら。
青髪から手渡された白衣に、鋭角的なフレームの眼鏡をかけ、女医に扮してここまで誘導して来たのだ。
食蜂「さて、とぉ……」
白井「………………」
食蜂「――別に貴女が自殺して死のうが廃人のまま生き長らえようが私の人生に影響力皆無なんだけどぉ」
初春はその明晰な頭脳、木山は心理定規や自分が共にカウンセリングしていた頃から着目していた。
だが食蜂にとって白井などどうでも良い存在である。御坂や麦野のように愛憎を対象ですらない。が
食蜂「貴女のくだらない横恋慕(ないものねだり)の尻拭いに、学園都市三位、四位、五位、六位、八位が奔走するだなんて馬鹿げた話よねぇ」
白井「………………」
食蜂「良かったわねぇ?御坂さんがあおくんと食事した事があって。そうでなくちゃ誰が貴女なんかぁ」
去年の10月2日、青髪は上条と共に補習を受けていた所を雲川に助けられ、その帰り道に麦野と御坂に出会した。
そこで起きた無能力者狩りの事件を解決した後、流れで皆と夕食を共にした事を青髪は覚えていたのである。
一つの皿から同じものを取って食べればそれはもう友達だと言う青髪(ゆうじん)の頼みでなければ――
食蜂「でもまぁ、これは先行投資って事にしておいてあげるわぁ。御坂さんの後継ぎである貴女への」
食蜂がハンドグローブを外して白井の額に触れる。心理定規でさえ手の施しようがないほど壊れた――
白井の心を完膚無きまでに『黄泉還らせる』ため。そしていつか命長らえた結標淡希に再会する日まで
食蜂「本当、世話力のかかる出来の悪い“後輩”達ねぇ?」
白井「………………」
食蜂「だけど貴女が閉じこもってる出来の悪い幻想(バッドエンド)なんてぇ」
――――それまで『生きて』苦しめと、食蜂は後輩にエールを送る――――
食蜂「私の超能力(メンタルアウト)でどうとでもなっちゃうものねぇ」
~29~
その瞬間、ハンドグローブから解き放たれた食蜂の手指が白井の記憶の宮殿の鉄扉を押し開いて行く。
今まで食蜂が触れて来た数多くの心象風景にあって、特に印象深かったのはおおよそ五人ほどである。
インデックスの十万三千冊の魔導書を収めた『無限図書館』
御坂美琴の一万三十一本の十字架が聳え立つ『アクロの丘』
麦野沈利の髑髏と果実と砂時計に満たされた『ヴァニタス』
青髪ピアスのマストロヤンニを思わせる一面の『向日葵畑』
食蜂「ふぅ~んここが貴女の“自分だけの現実”なのねぇ」
白井「………………」
白井の心象風景は、あまりに透明度の高さに水面と蒼穹が一体化した『天空の鏡』、ウユニ塩湖であった。
生物もろくに住めないほど高い塩分濃度はさながら汚れなき雪原を思わせ、波紋を描いて食蜂は降り立つ。
白井はその中で膝を抱えて顔を隠し三角座りしていた。なるほど高潔な風紀委員らしいと食蜂はほくそ笑み
食蜂「――人魚姫の原書置いてったのに、御坂さんの読解力もまだまだってところかしらぁ」
人魚姫。それは人魚の国の六姉妹の一番身体が小さく純真無垢な末っ子が綴る悲恋の物語である。
準えるならば直向きな六女(しらい)、知恵者の五女(ういはる)、健やかな四女(さてん)……
情け深い三女(こんごう)、夢想家の次女(みさか)、ならば自分はナイフを手渡す長女だろう。
食蜂「不出来な主演女優(みさか)、大根役者の助演女優(むぎの)、穴だらけの脚本家(くもから)の中でぇ」
食蜂は御坂のように善を信じ切る事など出来ないし麦野のように悪に成り切るつもりもない。
だからこそ常に中庸であり、何物にも囚われず自分のしたい事だけをやりたいように出来る。
食蜂「さしずめ私の役割は御都合主義の舞台装置(デウス・エクス・マキナ)ってところかしらぁ」
エクレア一つで友達の頼みも聞く。食蜂にとって白井にかける手間はエクレア一つと等価値なのだ。
断じて御坂のためなどではない。そう思いながら食蜂は砕け散った白井のマスターピースを拾い集め
食蜂「鏡の迷路を抜けるには、“案内人”の誘導力が必要よねぇ?」
――――天空の鏡に、虹がかけられた――――
~30~
結標『――愛してるわ……“秋沙”――』
その言葉を聞いた時、わたくしの胸をよぎったのは『やはり』という思いでしたの。
最初で最後のデート、わたくし達が夜を明かすはずだったこの滅美の廃墟(まち)。
当て所もない逃避行の果てに待ち受けていた結末(こたえ)に、わたくしはどこかで
白井『(……これでいいんですの……)』
最初からわかっていたつもりでしたの。彼女の言うところのこの勝ち目のないゲームに乗ったその時から。
むしろホッとしてさえおりましたの。わたくしの恋した方は最後の最期で愛した姫神(かた)を……
放り出せるほど弱くもなく、さりとてわたくしに縋らず立っていられるほど強くなどありませんの。
白井『(……やっと、楽になれますの)』
本当のところ、この終わりを誰よりも強く望んでいたのは他ならぬわたくし自身でしたのよ結標さん。
あの雨の中崩れ落ちた貴女に傘を差し出した瞬間からわたくしにはこんな時が来ると予感しておりましたの。
むしろそれ以外の未来(あした)など浮かんで来ませんでしたわ。
白井『(……貴女から。そして何よりわたくし自身の幻想から)』
不埒な思いを抱き、不義なる道を選び、不正なやり方で貴女に一時と言えど愛される事を願ったわたくしは……
しょせん不誠実な形で結ばれた片恋など実るはずがありませんでしたの。あってはなりませんの。
おかしな話ではありますが、貴女がわたくしを捨ててくださらねばわたくしが貴女を捨てておりましたの。
姫神『―――――“嘘つき”―――――』
その言葉に弾かれたようにと向かって来るわたくしを海へ突き落とそうとする姫神さんの気持ちがわかりますの。
きっと姫神さんはわたくしの名前が呼ばれていれば突き落としなどしなかったでしょう。同じ『女』ですので。
白井『(――これは“罰”ですの――)』
自分を裏切った結標さんより、裏切らせたわたくしの方がさぞかし憎いでしょう。わかりますの。
覚悟はしておりましたわ。いえ、わたくしはこうなる事を望んでおりましたの。正しく裁きが下される事に。
白井『(さようなら、“淡希お姉様”)』
こうでもしなければどこでこの想いを終わらせて良いのか、もうわたくしにもわかりませんのよお姉様――
結標『――好きよ……“黒子”――』
~31~
結標さんがわたくしに背を向けて姫神さんに腕を広げたのが見えた時にはもう、二人は宙を舞っておりましたの。
灯台の手摺りから身投げして、姫神さんを受け止めてわたくしを庇い立てた結標さんの最期の微笑みと共に――
結標『もっと早く、貴女に会いたかった』
叫ぶより早く伸ばしたわたくしの手指は、透き通った涙と笑顔に彩られた彼女が消えた空を切るばかり。
どうしてそんな事を仰有いますの。何故最後の最期まで貴女はそんなに弱くてズルくて優しいんですの。
何故わたくしより強(よわ)い貴女が、わたくしを守り抜いて命を落とすなどと言う終わりを――
吹寄『いやあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!』
姫神さんがお連れしていた方が泣き叫ぶ声を背にわたくしは空間移動で海に飛び込みましたの。
早く引き上げねば、早く救い出さねば、わたくしのお姉様(あわきさん)、わたくしの淡希さん(おねえさま)。
白井『お姉様!お姉様!!お姉様!!!』
切り立った剣山のような岩礁に胸を裂かれ血を流し泣き叫びながらわたくしは暗い海を掻き分けましたの。
満天の星空以外光源のない廃墟の夜と海はあまりに深く、そして昼間とは比べ物にならない早い潮と高い波。
嘘ですの。ありえませんの。如何に貴女が弱く脆く儚いと言えど、こと能力に限るならばこんな――
白井『お゛姉様あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!』
こんなに呆気なく命を落とすなどわたくしは信じたくありませんでしたの。信じられませんでしたの。
いつしか高波に浚われ鮫の歯のような岩壁に叩き付けられ、体中の穴という穴から海水に飲み込まれ……
流されましたの?沈みましたの?生きてらっしゃいますの?怪我は?意識は?もう何もわかりませんですの。
???『おーい!誰かいるのかー!!?』
???『しずりしずり!あれとうまのお友達の声なんだよ!?』
???『おい……何がどうなってんだこりゃあ!!?』
それが地獄の底のような夜の海に飲み込まれて行くわたくしの、最後に聞いた声でしたの――
~32~
白井「淡希お姉様……」
遊園地の鏡の迷路を思わせるこの場所でこうして膝を抱えてもうどれだけの時間が経ちましたの?
この『大地の塔』を想わせる万華鏡の中で、貴女が消えてしまった現実に向き合う事も出来ず
自分が何をしているのかさえわかりませんの。時折こだまのように響き渡る誰かの声さえ朧気で
白井「お姉様……お姉様……」
自分が生きているのか死んでいるのかもわからない鏡の国、わたくしが作り上げた鏡地獄(ろうごく)
貴女にもう一度会いたいですの。そこが天国でも地獄でも、そこが世界の果てでも終わりでも。
白井「淡希さん……淡希さん……」
もう一度強く抱き締めて欲しいんですの。
もう一度優しくキスして欲しいんですの。
もう一度貴女の笑顔が見たいんですの。
もう一度貴女の声が聞きたいんですの。
もう一度貴女と言葉を交わしたいんですの。
もう二度と会えないとわかっていても
もう二度と一緒にご飯を食べる事も
もう二度と一緒に映画を見る事も
もう二度と貴女を『お姉様』と
もう二度とわたくしを『黒子』と呼んでくだされずとも
それでも
わたくしは
貴女の事が
「――――迎えに来たわよ、“黒子”――――」
~33~
白井「あ……」
「――貴女ねえ、風紀委員が迷子になってどうするのよ」
その瞬間、白井が閉じこもっていた鏡の迷宮が割れ砕け
「あれだけ私にエラそうに言っておいて、自分はこんなところでメソメソして」
その刹那、万華鏡の大地の塔を残さず打ち砕かれて行き
「泣く時はシャワールーム、じゃなかったのかしら?」
二人が天空の鏡で向かい合う。蒼穹を揺蕩う白雲と、紺碧を描く水面の狭間で
白井「わ……」
「迎えに来てあげたわよ。不出来な貴女のために」
二つ結びにゆわえられた鮮烈な赤髪が翻り
白井「き……」
「随分と時間がかかってしまったけれど」
霧ヶ丘女学院のブレザーとスカートが靡き
「どんなに遠回りしても、信じてた」
腰に巻かれた金属製のベルトと軍用懐中電灯が揺れ
「絶対、貴女を見つけられるって」
懐かしくさえ思える香水の匂いと、涼やかな笑みが
「“案内”してあげるわ黒子(アリス)。この鏡の国から」
夏雲の下吹き抜けて行き、さざめく水面に舞い降りる
「――貴女の帰りを待つ人達の元までね――」
―――――その黒揚羽の名は―――――
白井「―――――淡希お姉様―――――」
「トクネコ」グーロピエ:(ムーロクノモ)標座間空の虹白るあと
~34~
白井「……淡希お姉様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー!!!!!!」
結標「きゃっ!?ちょ、ちょっと落ち着きなさい黒子!黒子ってば!!」
白井「淡希お姉様!淡希お姉様!!淡希お姉様!!!」
その声を、その姿を、その笑顔を見た途端白井は結標を水面に飛沫が上がるほど勢い良く押し倒した。
今度は幻想(ゆめ)ではなく現実(ほんもの)だ。指に伝わり肌で感じる全てが結標淡希そのものだ。
自分の願望(りそう)や理想(がんぼう)が生み出したそれではない、本物の結標淡希がここにいる。
結標「だから落ち着きなさいって!」
白井「ぶふぉっ!?」
結標「あーもう制服ビショビショじゃないの……しょっぱ!?」
現にのしかかって来た白井を巴投げで放り出し、飲み込んでしまった塩分濃度の高い水をペッペッと吐いている。
あまりにも人間臭いリアクション、程良くつれない態度、全てが白井の記憶そのままの結標淡希だった。
白井「な、何故……」
結標「いきなり飛びついておいて何故もなにもあったものじゃないでしょう?」
白井「……本当に淡希お姉様ですの?」
結標「本物よ!足だってついてるじゃない!!」
カエルのようにヒョコヒョコと水面から顔を上げ振り返った白井を、ずぶ濡れの結標が溜め息混じりで見返す。
その姿に白井の双眸から塩分濃度の薄い水が溢れ出し、結標がそれをハンカチで拭い去って行く。
白井「……淡希お姉様はあの時わたくしを庇って海に落ちたはずでは?」
結標「ええ、確かに私は秋沙と一緒に海に落ちて流されたわ。あんまり詳しい事情は話せないけど――」
白井「………………」
結標「勘違いしないでもらえないかしら?あれは貴女を生かすためにした事であって、自ら死を選んだつもりは欠片もないわ」
白井「っ」
結標「そんな潔い性格(キャラクター)をしてたらそもそも私と貴女はこんな事になってないでしょう?」
少しばかり厳めしい顔を作りながら白井を叱るその姿は、確かに生前の結標淡希そのものであった。
白井はその姿にハンカチを濡らすばかりで涙をせき止める事が出来ず、結標も好きなようにさせる。
~35~
結標「それに私は、生きる屍のようになってしまった貴女を見たくてこんな所くんだり来た訳でもないわ」
白井「淡希お姉様……」
結標「……仕方無いわね。そんな貴女だからこそ私も惹かれてしまったのだけれど」
よいしょ、と結標は白井の肩を抱き寄せてよりかからせる。二人でジブリを観た時と同じように優しく。
白井も結標の肩口に顔を埋めて寄り添う。あの日のお姉様そのままだと安心しきった微笑みを浮かべて。
結標「もう少しシャキッとなさいシャキッと。少なくとも貴女は、自分が一番可愛い私に命を懸けさせるに値した相手なのだから」
結標もそんな白井の肩に回した手でポンポンとあやし天空を見上げる。水面に鏡写しとなった夏雲を。
同じく白井もそれに倣い、心のどこかで理解していた。ここがあの日夢見た世界の果てそのものだと。
白井「……淡希お姉様は」
結標「何?」
白井「……本当にわたくしの事を好いて下さっていたんですの?」
結標「当たり前じゃない!何を今更……」
白井「――わたくしは」
白井は語る。自分もいつからか結標の強さに惹かれて恋をし、弱さに魅せられて愛してしまったのだと。
そのために姫神を深く傷つけ、御坂にも血を流させてしまった、こんなにも醜く浅ましい自分の事を――
白井「わたくしは、貴女が姫神さんを選んだ時失望するより安心いたしましたの。わたくしの好きになった淡希お姉様はそういうズルい方ですの」
結標「言いたい放題ね……」
白井「……しかし姫神さんを捨ててわたくしを選ぶようなもっとズルい淡希お姉様なら、わたくしの方から見切りをつけて捨てるつもりでしたの」
結標「ワガママ放題ね……」
白井「――同時に淡希お姉様と姫神さんを天秤にかけていたわたくしが一番ズルく、あざとく、醜い自分が一番大嫌いな人間になっていましたの」
結標「………………」
白井「そんなわたくしのために、貴女は」
結標「黒子」
そこまで言いかけて、結標の人差し指が白井の唇に添えられた。悪さをした妹に言って聞かせる姉のように。
~36~
結標「あのね?私だって一応女の子なのよ。人並みにズルいし男の子からすれば幻滅どころか軽蔑されるような部分だって持ってる」
白井「………………」
結標「そうでなきゃ貴女に縋ったりしなかった。間違いだとわかっていて私もそれに乗った。秋沙への当てつけの気持ちも少なからずあったし、おあいこよ」
厚い上にいい面の皮ね、と結標は付け加えた。そして姫神のところへ戻ればまた他人のように白井に接し――
再び口喧嘩するなり張り合うなりしていただろう。一夜の過ちをなかった事にして、一夏の思い出にして。
結標「当然、秋沙にだってやり返されるわね。現に吹寄さんだって私がいるってわかってて秋沙と寝たのよ」
白井「逆ギレも甚だしいですの!」
結標「私達の中に憐れまれるべき被害者なんて一人もいないわ。全員何かしらの加害者で共犯者よ」
逃げ込んだ結標も、誘い込んだ白井も、追い込んだ姫神も、巻き込んだ吹寄も――
それで責任が分散される訳でもないけど、と結標は白井と手指を絡ませ合う。
結標「だから私達は救われない。救われちゃいけない。けどね」
白井「(嗚呼、淡希お姉様は元々こういう方でしたの)けど?」
結標「そんな最低で最悪な貴女(わたしたち)のために駆けずり回って今も帰りを待ってくれてる人達が」
白井「――――――」
結標「黒子、黒子って貴女を呼んでるわ。だから貴女ちょっとばかしひっぱたかれて叱られて来なさいな」
白井「なっ!?」
結標「私もこれからお先真っ暗な人生が待ってるけど、別に孤独(ひとり)って訳じゃないしね。ほら!」
二人で見上げる天空の鏡に写る御坂の、初春の、佐天の、婚后の、固法の、寮監の、手塩らそれぞれの戦い。
七色に分けられて架かる虹の橋。彼女達の祈念が連なり描く懸け橋。黒白の世界にはない色鮮やかな虹。
白井「――――――………………」
結標「断言するわ。ここで生きた屍みたいに朽ち果てて行くよりよっぽど痛い目に合わされるわよ」
白井「……皆さん……」
結標「――それでも、“生きる”って事は現実(いたみ)の中にしかないもの」
その光景に白井が立ち上がり、同じくして結標も起き上がる。夢見る時間はもうおしまいだ。
―――漏刻の時計が再び反転する―――
~37~
――――“10”――――
御坂『御伽噺(ゆめ)の時間は終わりよ人魚姫(くろこ)!泡になって消えるなんて許さない!!人間(げんじつ)に戻るのよ黒子!!!!!!』
別れを告げるべきは、夢見がちだった少女時代
――――“9”――――
佐天『白井さんを出せ!ここを開けろ!!隠れてないで姿を現しなさいよ!!!』
もう逃げられないぞと扉を叩く声
――――“8”――――
初春『――耐えて下さい。どんなに残酷な現実を目の当たりにしても』
御伽噺(フェアリーテール)の果てに待っているのはより過酷な現実(ものがたり)
――――“7”――――
婚后『彼女を取り巻く雲霞を吹き飛ばす、ただ一陣の風として』
この天空の鏡に写る雲すら押し流して行く風の中へ
――――“6”――――
寮監『誰かが責任を取らなくてはならない。大人の世界とはそうしたものだ』
帰らねばならない。少女時代の終わりに、大人になるために
――――“5”――――
手塩『くっ……、とんだ、不格好さ、だ』
どれだけ無様で、どんなに格好悪くとも、人が生きる世界(げんじつ)は幻想(かがみ)の中にはない
――――“4”――――
結標「行きなさい黒子。そして生きるの」
白井「淡希お姉様は?」
結標「私も往くわ」
結標が水面へ、白井が天空へ、二人を繋ぐラピスラズリのオイルクロックが反転するように上下逆様になる。
そう。この世界は鏡などではなく砂時計を結ぶ二つの硝子が合わさった二人だけの世界だったのだ。
――――“3”――――
白井「また、お会い出来まして?」
結標「必ず会えるわ。私が貴女に嘘をついた事があったかしら?」
白井が結標に手を、結標が白井に腕を、互いが互いに指を伸ばす。
長い別れを迎え、短いキスを重ねる。白井は涙を、結標は笑顔を。
――――“2”――――
白井「――“嘘つき”――」
結標「そう、最初で最後の嘘よ黒子。嘘じゃないのは――」
――――“1”――――
白井「貴女を想う」
結標「私の気持ちだけ」
――――そして、オイルクロックの雫全てが落ちきって――――
白井・結標「「――さようなら――」」
――――“0”――――
時、放たれる――
~38~
次の瞬間、ドンッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!という激震が冥土帰しの病院屋上より響き渡り
婚后「あれは……」
固法「飛行船!!?」
佐天「御坂さん!あの人!!」
御坂「――――嘘――――」
茜色の夕立の中、立ち上る水煙に着鑑する一機の飛行船。
墜落でも不時着でもなく悠々と屋上に投げかけられた縄梯子には――
食蜂「はぁい☆みぃーさぁーかぁーさぁーんひぃーさぁーしぃーぶぅーりぃ♪♪♪」
御坂「何であんたがここにいんのよ!?」
???「ちょっ!僕の女医さんセットぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
投げ捨てられる如何にもな赤いインテリ眼鏡と『宝生妃』という偽名のネームプレート付きの白衣。
降りしきる狐の嫁入りの中、ハーブガーデンに飛び出した御坂達を見下ろすは縄梯子に掴まった食蜂。
何やらもう一人聞き覚えがあるような声がしたが全てを察した御坂はそれどころではなかった。
食蜂「人がゴミのようだわぁ♪うふふ捕まえてごらんなさぁい☆」
御坂「黒子に何をしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
???「あ、右斜め45センチや」
食蜂「よっとぉ☆」
御坂「!?」
怒り狂った御坂が雷撃の槍を放つも、食蜂は謎の声に従い縄梯子を僅かによじらせるだけで回避した。
思わぬ食蜂の登場にも目を見開いたが、それ以上に目を剥いたのはまるで今の攻撃を『予知』されたような――
そんな唖然とする御坂を余所に飛行船は離陸し高度を上げて行き、コスプレを解いた食蜂が見下ろして来る。
食蜂「――五位と六位のダブルス力、なかなか悪くないわねぇ」
御坂「!?」
食蜂「また会いましょう愛しの御坂さん♪あーっはっはっはっはっはっー☆」
ノリノリで悪女めいた高笑いを残して食蜂らが去って行く。
取り残された御坂達は訳がわからない。訳がわからないまま――
初春「み、御坂さん……」
全員「「「「!?」」」」
初春「奇跡……起きちゃいました」
木山「……ここはどこだ?」
御坂は見た。降り注ぐ陽光と夕立の中起きた
御坂「…………嘘…………」
その奇跡の名前は――
白井「――――お……お姉様――――」
~39~
御坂「……黒子ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
佐天「白井さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!!」
婚后「白井さん……」
固法「白井さん!!」
白井「ただいま、戻りましたの……」
夕立に濡れたハーブガーデンに架かる大きく色鮮やかに描かれた虹の下、白井がよろめきながら立っていた。
泣き笑いを浮かべて、肩と足を震わせて、皆に向かって両手を広げて確かに呼んだのだ。『お姉様』と。
御坂「黒子黒子黒子黒子黒子黒子黒子黒子黒子黒子黒子黒子黒子黒子黒子黒子黒子黒子黒子ー!!!!!!」
初春「う゛わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん白井ざんが帰っでぎまじだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
佐天「やった!やった!!やった!!!」
婚后「このお馬鹿さん!このお馬鹿さん……この……お馬鹿……うぅうぅうぅうぅうぅ!!」
固法「(こ、腰が抜けた……)」
その瞬間、全ての少女達が見るも無残な涙と鼻水をすがりついた白井に擦り付けて泣いていた。
特に御坂など白井を思わせる飛び付きで抱き寄せ、最も冷静沈着だったはずの初春が一番泣いていた。
佐天は天気雨の空に向かってガッツポーズを取り、婚后は扇子を噛みながら涙を溢れさせている。
固法は思わぬ白井復活を目の当たりにし腰が抜けてしまい、水溜まりに尻餅をついてしまった。
木山「……一体何がどうなっているんだ」
一人訳もわからぬまま飛行船の去って行った方角を見送りながら木山はズブ濡れの白衣を拾い上げる。
そこで宝生妃(ほうしょうきさき)=食蜂操祈(しょくほうみさき)という変名に今更ながら気づいたのだ。
木山「――そういう事か」
思い返す。結標をカウンセリングしたあの日もこんな天気雨と虹がかかっていた事を。そして
麦野「……美味しいところ独り占めかよ」
同じく、同じ雨上がりの下結標と一緒に洗濯物を干していた麦野がハーブガーデンの物陰より踵を返し
麦野「――役者が違うか」
満更でもない笑みを零し立ち去って行く麦野。そこで時同じくして中庭に上がる歓声を見下ろしていたのは
手塩「……戻ったようだな」
未だ白井に負わされた深手を癒やす事に務めていた手塩。
冥土帰し「ふむ?」
今の離着陸騒ぎを聞きつけた冥土帰し、全ての人々が証言者であった。
――――『奇跡』と言う名の――――
~40~
食蜂「あうー……」
青髪「お疲れさん。よう頑張ってくれた」
飛行船から望む夕立に濡れ夕陽に焼ける学園都市から目を切り、青髪は飛行船内にある操舵室へ視線を移す。
そこには最後の高笑いで精魂使い果たすも、辛うじて先輩の面目を保った青息吐息の食蜂がダウンしていた。
食蜂「頑張るってレベル力じゃなかったわよぉ……人使い荒すぎぃ」
青髪「流石の君でもキツかったみたいやね?ホンマおおきに!」
食蜂「私以外の誰にも無理よぉ。真似出来てたまるもんですかぁ」
青髪が飲む?と差し出して来た青リンゴジュースをストローからチュウチュウ飲みながら食蜂がぼやく。
白井の砕け散った心の欠片を拾い集めるならば文字通りエクレア一個分の片手間で事足りる。問題は
青髪「せやろうね。“結標淡希の復活”なんて神業、世界中の誰にも真似出来へん」
白井の記憶を一切改竄する事なく、その中にある結標淡希の断片全てをかき集めての完全復活を果たした。
一個人の人格を自分だけの現実に新生させるなどもはや幻想という域を遥かに越えた神の奇跡に等しい。
学園都市中にあるスパコンを結集し人口知能を総動員させても不可能に等しい1と0の狭間の世界である。
食蜂「あと一応、貴方が言ってたアフターサービスもつけといてあげたわよぉ」
青髪「ホンマおおきに。ま、現物は“三ヶ月後”に“本人”にもろうたらええ」
食蜂「私にはくれないのぉ?」
青髪「――ええよ。エクレアに上乗せしてお礼させてんか!」
食蜂「うふふ、ダイヤ付きがいいなぁ☆」
青髪「僕の預金残高死んでまうがなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
食蜂は思う。確かに白井の見ていた幻想(ゆめ)の中にも『アレ』はあったし実際店にも売っている。
青髪自身が好んで身に付けているアクセサリーの一種でもあるし知っていてもおかしくなどないが――
世界の果てから世界の終わりまで見えるというこの学園都市第六位は他者の夢の中まで見えるのか?と
食蜂「……ちなみに今日の私の下着の色はぁ?」
青髪「白やのにごっつエロエロなレー……はっ!?」
食蜂「――やっぱり死んじゃぇ☆」
青髪「紐無しバンジーいやぁぁぁぁぁ!」
飛行船は虹を越えて空を渡る。能力を悪用した疑いのある友人に下すペナルティと響き渡る悲鳴をバックに――
~41~
雲川「ぶぇっくしょーいっ!!!」
削板「根性入ったくしゃみだぜ。けどな雲川」
雲川「ずずー……何だ言ってみろ」
削板「この濡れ鼠のまま他人様の部屋に上がるのは垣根より常識がないと思うんだが」
一方、第八学区に移り住んだ雲川を泣き止ませつつ部屋まで送り届けた削板はポカンとしていた。
まとめてもらったオールバックは夕立に濡れ落ち、ズブ濡れのブラックスーツのネクタイを緩めながら――
何故か玄関先まで通された上でタオルを手渡され、上がって行けと言われて削板は首を傾げている。が
雲川「だ、だからそんな濡れ鼠のまま帰すのは馬鹿しか引かない夏風邪にでもなったら後々フォローが面倒臭いし別に服が乾くまでの間くらい雨宿りして行ったらどうだと言う私の気遣いがお前にはわからないのかこここの馬鹿め!」
削板「夏風邪引くほどやわな根性を持ち合わせちゃいねえぜ!それにもう止みそうだし俺は帰(ry」
当の雲川は気が気でない。溜まりに溜まったフラストレーションの爆縮崩壊をあんな形でさらけ出し――
こんなにもびしょ濡れになるまでずっと自分を支えていてくれた男に少なからず思うところはある。
結局削板は雲川に何一つ聞き出そうとはしなかった。ただ黙って受け止めてくれた。それがたまらない。
雲川「やかましい!今洗濯機を回してやるからさっさと脱いで欲しいけど!!ほら上がれって言ってるけど……うわっ!!?」
削板「おおっ!?」
何とか引き止めようと奥からタオルを運んで来たは良いものの、滴り落ちる雫がフローリングを濡らし――
つんのめった雲川が削板を押し倒す形で二人は宙を舞う並べられた靴もろともひっくり返って
削板「痛ててて……」
雲川「~~~~~~」
雲川は魅入る。雨に濡れ下ちた髪と緩められたスーツ姿の首筋に。
そしてそれ以上にキス出来るほど間近にある削板の顔に雲川は心を奪われた。
普段見慣れているワイルドな男の思わぬフォーマルな出で立ちに――
雲川「(さっ、鎖骨の水溜まりが……)」
雲川は瞬間的なパニックに陥っていた。秘密は明かせない。想いは告げられない。ただ雨よ止むなと――
雲川「わ……」
削板「雲川?」
雲川「私――」
謝罪か、感謝か、はたまたそれ以外の何かを告げようとして回らぬ弁舌と思考を振り切り
雲川「私は――」
口を開いたその刹那――
~42~
鞠亜「ぬおーい、ひどい夕立だったな!私の服もプライドもぐしょぐしょだぞ!!」
雲川「」
鞠亜「んん?」
雲川「」
鞠亜「ふむ……」
雲川「」
鞠亜「ほう……」
押し開かれた玄関(とびら)の先、そこには同じく夕立に出会し縦ロールの先端から雫を落とす少女……
ミニスカートに蛍光色のコルセット、ウサギの形をしたネームプレートをつけた繚乱家政女学校のメイド服。
胸以外は瓜二つな妹、雲川鞠亜が押し倒された削板の上にのし掛かる姉を見つめ、そして――
鞠亜「ふはははは!ベッドまで待ちきれず玄関先で事に及ぼうとはプライドの高い我が姉とは思えん大胆さだ!しかも喪服姿とは実にマニアック!」
雲川「違うんだけどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
削板「おお雲川の妹か、俺はいつも姉さんの世話になってる削板軍覇ってもんだ!」
鞠亜「やや、私は妹の雲川鞠亜だ。プライドばかり高い不束者の姉だがこちらこそよろしく!」
高笑いの後にごくごく普通に握手し合う二人に雲川は先程までの滑舌の悪さを補って余りある怒声を張り上げる。
鞠亜は姉の顔色を見るなりおおよそ察したようだが、削板は腹筋だけで雲川を払い落として仁義を切り
削板「妹さんも帰って来たみたいだしもう大丈夫だな。じゃあな雲川お前こそ風邪引くんじゃねえぞ!」
雲川「~~~~~~!!!!!!」
削板は用は済んだとばかりに手を振って辞去し、置いてけぼりを食らわされたのは顔を真っ赤にした姉である。
しかし妹は颯爽と立ち去って言った削板を見、馬鹿そうではあるが無能や愚鈍ではないかと付け足して。
鞠亜「ふむ、なかなかどうして水も滴るイイ男じゃないか」
雲川「!?」
鞠亜「あれが我が姉の“ご主人様”か?」
雲川「あんな鈍感馬鹿が私のご主人様とか悪い冗談なんだけど!」
鞠亜「……やはり姉妹だな」
雲川「?!」
鞠亜「――男の好みまで似てくるとは♪」
そこで雲川は気づく。今の妹の笑顔と眼差しは幼い頃自分のオモチャを欲しがった時と全く同じであると。
鞠亜「はは、冗談だ我が姉よ!おいおいどうした?靴べらは人に向けるものじゃあ」
その後雲川家の軒先にメイド姿の縦ロール照る照る坊主が吊され……
雨が止むまで『下ろしてくれー』という声が響き渡るのである。
~43~
白井「(な、何が一体どうなってるんですの……)」
佐天「良かった……本当に良かったよお」
白井「(佐天さんの髪がお姉様のようになっていて)」
初春「もうダメかと思ってましたあ……」
白井「(初春の花がしおれ切っていて)」
婚后「今だけは、神(オカルト)に感謝したい気持ちですわ」
固法「本当に奇跡的よ……私も正直なところ半ば諦めてたわ」
木山「診断を下した私自身が信じられない回復力だよこれは」
白井「(それから――……)」
御坂「本当に心配したんだからねこの馬鹿黒子!!!」
白湯のようにあたたかな雨と色鮮やかな天上の虹の下、皆に抱き締められながら白井は周囲を見渡す。
ずっと長い夢を見ていたような感覚と、頭の中に流れ込んで来るこの十日余りの出来事の全て。
食蜂が混乱をきたしかねない白井の記憶を順序立てて整理していってくれたおかげか意識は鮮明だ。が
白井「皆さん……」
全員「「「「「………………」」」」」
白井「申し訳御座いませんでしたの……」
それと同時に白井は全てを知ってしまった。結標淡希・姫神秋沙両名の死亡が公式に発表された事を。
手塩に大怪我を負わせ、御坂と切り結び、初春や固法に下された処分や佐天が髪を切った経緯までも。
白井「――死んでお詫びしたい気持ちでいっぱいですの……」
御坂「黒子……」
白井「どう償って良いか、どう贖って良いか、それすらも……」
纏う結標の形見の品々が如実に語る、自分がどれだけの絶望を撒き散らして来たかの痕跡。
白井はふらつく足を泥土に、手を泥水に、額を泥中に埋めんばかりに深々と頭を下げて謝罪した。しかし
御坂「いい……」
白井「お姉様……」
御坂「全然良くないけど、姫神さん達や残された人や迷惑かけた全ての人達に申し訳ないけど……」
佐天「御坂さん……」
御坂「あんたが帰って来てくれただけで、私もう十分だよ……!!!」
御坂とて上条の学校、姫神のクラスメートからの怒りも悲しみも憎しみも……
水も石も罵声も怒声も浴び、それでも救いがたいエゴとわかっていて尚も――
御坂「これからきっと辛い事いっぱいある。あんたが帰って来た事を心の底から喜べるだなんて私達しかいないかも知れない」
白井「………………」
御坂「それでもやっぱり、あんたが生きて帰って来てくれて嬉しい……!」
~44~
御坂もまたずぶ濡れの泥まみれになって涙と鼻水に顔をクシャクシャにし、白井を抱き締めた。
胸の中でごめんなさい、ごめんなさいと姫神達に謝りながらありがとう、ありがとうと心の中で……
全ての人々に謝罪と感謝と、そして今ここにある白井と奇跡に対して御坂は涙を流さずにはいられなかった。
白井「………………」
白井もまたそうだった。この場にいる全員が思いを一つにしていた。この先は文字通り荊棘の道だ。
だが佐天も、初春も、婚后も、固法も、この虹に誓う。これからも共に歩んで行く事を。そして
御坂「(ありがとう、結標さん)」
白井「(ごめんなさい、姫神さん)」
この世界から消え去ってしまった結標と姫神に皆が祈りをと冥福を捧げた。
白井が破局を呼び込んだ姫神と白井を破滅から救った結標の両方に対して。
人はそれらを偽善と呼び、恐らくはそれこそが正しい価値観であろう。
社会的に白井が罪に問われる事はない。されど罰が許された訳ではない。
しかし
手塩「何を、している」
白井「手塩先生……!」
手塩「………………」
同じく入院していた手塩がこの騒ぎを聞きつけたのか、左足を引きずりながら白井に傘を差し出す。
それに対し顔をクシャクシャに歪める白井の頭を、手塩は鉄面皮のまま撫でて空いた腕で抱き締め
手塩「人が、死んでも、変えられるのは、せいぜい他人までだ」
白井「………………」
手塩「しかし、生きて、変えられるのは、自分自身でしかない」
白井「う゛っ……」
手塩「――生きろ。死の中に、許しや救いはありえない。生の中にしか、償いや贖いはないんだ」
泣き崩れた白井を抱き締めながら手塩は思う。同じく声を失い心が壊れてしまった『あの子』の事を。
手塩「私にも、身内に、君のように、なってしまった子がいる」
手塩はそれにより一度は暗部(やみ)に身を堕とし、返り血に染まった過去がある。だからこそ
手塩「――だが、その子が、私の生きる意味で、死ねない理由だ。白井。君は、もう、死ねないんだ」
この場にいる誰よりも白井の負うべき咎も責も手塩にはわかるのだ。
手塩「生きろ。君自身のためにも、そして周りのためにもだ」
――そして雨が上がり、虹が残った――
~45~
御坂「ふう……」
白井・佐天・初春「すー……すー……」
婚后「皆さん眠ってしまわれたようですわね。まあ無理からぬ事ではありますが」
木山「それだけ張り詰めていたんだろう。どれだけ気丈に振る舞っていても」
固法「――まだ中学生なのよねこの娘達」
手塩と別れ、冥土帰しの病院を後にした木山が運転するバンでは、後部座席に三人が眠りにつき……
中央席には婚后と御坂、助手席は新たに固法が乗り込み水晶宮を目指す。木山以外の全員がぐったりしていた。
御坂「でもまさかあの女が黒子を蘇らせてくれただなんて思わなかった」
婚后「“先代常盤台の女王”食蜂操祈さんでしたわね」
御坂「うん……」
中でも御坂は自分が思っていた以上の疲労が今更のように心身にのし掛かりややトーンダウンしていた。
食蜂操祈。麦野が性格破綻者ならば彼女は人格破綻者と呼んで差し支えないレベルの仇敵。だがしかし
婚后「そう言えばわたくし、二年生の夏からの転入でしたので存じ上げませんが」
御坂「?」
婚后「御坂さんと食蜂さんの間に、どんな遺恨や因縁が?」
婚后はそこに引っ掛かりを覚えた。レベル5同士という関係性や方向付けの違いこそあれど――
食蜂は事ある事に御坂に揺さぶりをかけ、かと思えば何故今回のように救いの手を差し伸べたりしたのか?
御坂のように『善』極まれば敵味方や恩讐を越える訳でも、麦野のように己を『悪』と定めるでもなく。
御坂「うーん……元カノ?」
婚后「!!?」
御坂「やだもー冗談よ冗談!」
固法「御坂さん……さっきの麦野さんの件を見た後だと冗談に聞こえないわよ……」
木山「(思ったり蒸すな……脱ぐか?)」
真相は闇の中、真実は藪の中である。御坂のフラグメーカーぶりはある種女性版上条とも言うべきものがある。
実際レベル5ファンクラブの女性部門だと七月期はトップはダントツで御坂、次いで食蜂である。
避難所や学生自治会の票も含めると
1位キュート御坂
2位グラマラス食蜂
3位クール麦野
4位セクシー結標
五位ミステリアス滝壺
らしい
木山「(やっぱり脱ごう)」
御坂「――あれ?」
そこで御坂は気づく。眠りについた白井の寝顔、その形良い耳にあるブルーローズのイヤーカフスに。
~46~
御坂「こんなのいつからつけてたっけ?」
婚后「言われてみれば確かに……」
固法「木山先生!三つまで開けたら見えちゃいますよ!?」
木山「こんな起伏に乏しい私の身体に目を向ける人間もいまいよ」
何やら押し問答している二人を尻目に御坂と婚后は後部座席へ振り返る。
すると確かに白井の耳には少し長めのチェーンがついたカフスが輝いていた。
それは白井が見ていた幻想(ゆめ)の中で結標と共に買い上げたプレゼント。
御坂「ブルーローズ……婚后さん、どんな花言葉だったっけ?」
婚后「ええと確か……」
婚后は諳んじる。花言葉は『不可能』『奇跡』『神の祝福』そして『喝采』を意味するのだと。
そう、白井は回復『不可能』と思われた症状から『奇跡』的に蘇った。『神の祝福』のように。
事実、自分達は夕立と虹の下にて『喝采』を上げた。結標と姫神が七夕事変より凱旋した時をなぞるが如く。
御坂「大自然から生み出されて人の手から創り出された“奇跡”ね……なんだか皮肉っぽい」
婚后「良いではありませんか。今ここにある奇跡(しらいさん)は、紛れもない現実(ほんもの)なのですから」
そう微笑む婚后と顔を見合わせる御坂も口角を緩め目尻を下げる。
如何なる幻想(かみ)の御手(みえざるて)が差し伸べられたかはわからない。
だが現に白井はよみがえったのだ。その事実を変える事は誰にも出来ない。
御坂「そうね……」
白井が手にするラピスラズリを散りばめたウルトラマリンのオイルクロックが揺れている。
ラピスラズリは『群青の空』を、ウルトラマリンは『海を越えて』という意味をそれぞれ司る。
相反する空と海の青を併せ持つこの贈り物は、まるで最初からこの結末を暗示していたかのよう。
御坂「――今日は予定通りお寿司よ!!」
婚后「めでたい日ですものね!」
固法「木山先生!ブラを外さないで下さい!!」
かくして御坂美琴の物語はここに終わり、白井黒子の物語がここから始まる。
モノクロの幻想からカラーの現実へ。この限りある時の中で生きるために。
白井「……“お姉様”……」
結標淡希(つみ)と姫神秋沙(ばつ)を背負って生きて行くのだ。
白井「――――――………………」
全てを知る、その日まで
~47~
打ち止め「虹だよ虹だよ!ってミサカはミサカは本当に七色なのか数えてみたり!」
御坂妹「古くからは五色、ところによっては二色という謂われもあるそうですよ、とミサカは補足説明します」
番外個体「ねえコーヒーまだー?ミスド開けちゃうよー」
黄泉川「一方通行、私にも淹れて欲しいじゃん♪」
芳川「あっ、私は砂糖とミルク一杯ずつお願いね」
一方通行「オマエらオレをなンだと思ってやがる」
赤い血讐を越えて
浜面「最近麦野見掛けねえんだけど誰か知ってるか?」
フレンダ「そう言われてみれば……結局、滝壺なんか知らない訳?」
滝壺「知らないよ。全然知らないよ」
絹旗「(前に滝壺さんから麦野の香水が超匂いましたが……)」
あたたかみのある橙に彩られ
鞠亜「下ろしてくれーもう姉としてのプライド傷つけたりしないからー」
雲川「晩御飯まで反省すれば良いけど!」
稀にして輝なる黄を放って
服部「削板のやつ上手くやってかなー……ダメな方に一万円」
垣根「賭けにならねえよ。どうせならその金であの一万円ラーメン食いに行こうぜ」
若草を思わせる緑も鮮やかに
月詠「吹寄ちゃーん、外に虹が出てるんですよー!少し表に出て来るのですよー!」
吹寄「――はい」
悲曲を奏でる青の調べは天高く
青髪「今月分のバイト代逝ってもうたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
食蜂「さぁて次はカラオケよぉ♪本当の地獄はこれからだゾ☆」
藍に暮れる夏空の下
???「か、傘一本に三人は流石にキツいの事ですよ!」
???「私真ん中が良いかも!」
麦野「(あのジジイ腕は良いけど人は悪いね)おいおい私の肩濡れてんだけどー?」
愛しい我が家へ帰る紫色のワンピースの少女
―――そして時は流れ、季節は巡り―――
~48~
御坂10326号「今日も暇ですね、とミサカは葬祭ディレクター二級の渉外問題を解きながら溜め息をつきます」
結標淡希、姫神秋沙の死より早三ヶ月過ぎた十一月。初冬を迎えつつある学園都市第十学区にて……
御坂10326号こと御坂美弦(みさかみつる)は問題集とにらめっこしながら今日も共同墓地の管理人室にいた。
つい数日前に浜面仕上、滝壺理后が駒場利徳の慰霊碑を訪れたきり来客が途切れてしまったのだ。が
御坂10326号「おかげで勉強がはかどるというのも皮肉な話ですが、とミサカはお茶屋さんの試供品に手をつけながら一服入れようと」
佐天「ごめんくださーい!」
御坂10326号「はい何でしょう?とミサカは回れ右して窓口をノックする方の応対につとめ――」
色ばかり濃く味が薄いお茶を淹れようとした矢先に訪れた二つの人影に御坂10326号は見覚えがあった。
というよりも最早馴染みに近い顔がそこにはあった。まず一人目はセミロングに髪を切った佐天涙子と
白井「お忙しいところ失礼いたしますの」
佐天「そこでたまたま一緒になったんですよー!」
御坂10326号「……ではこちらの受付用紙に御記入お願いいたします、とミサカは」
二人目はかつて御坂10326号も着ていた常盤台中学の制服の上に霧ヶ丘女学院のブレザーを羽織り――
腰に巻いた金属製のベルトとホルスターに軍用懐中電灯を帯び、イヤーカフスをつけた白井黒子である。
だが御坂10326号は慇懃な態度を崩さず事務的に応対する。それがお姉様の友人であろうともだ。
白井「書き終わりましたの」
佐天「私も終わりましたー」
御坂10326号「ではご案内いたします、とミサカはお二方をエレベーターへと先導いたします」
チャリン、と白井のイヤーカフスのチェーンが鳴らす音を聞きながら御坂10326号は階数ボタンを押す。
いつも通り供物や献花についての説明を終え、いつも通りドアを止め、いつも通り業務をこなす。
白井もまた同じだ。ただ来る度に供えに来る花々だけが違っている。時には果物を持って来る事もある。
佐天「いつ見てもカッコいいですねーそのスーツ姿……なんか大人って感じがする」
御坂10326号「ありがとうございます、とミサカはブースの前で一礼しつつその場を立ち去ります」
変わらないのは、ブースにスライドされて来た結標淡希と姫神秋沙の慰霊碑の前に合わせる手とその横顔だ。
~49~
白井「………………」
佐天「(白井さん、綺麗になったなあ)」
あれから三ヶ月近く経って、私達がこの慰霊碑に手を合わせるようになってからもう一ヶ月過ぎた。
結標さん達のお墓。遺骨も違灰も遺髪もない空っぽの慰霊碑。それを見つめる白井さんの横顔を――
私は一足先に祈りを終えてうっすら開けた目で盗み見る。うん、やっぱり変わったよ。
佐天「………………」
白井さんは以前の可愛い系から一気に大人びた美人系になった気がする。目の輝きは昔のままなんだけど……
ツインテールを結ばなくなったのも大きいとも思うし、こうして見るとやっぱり結標さんとダブって見える。
今だってそう。死んじゃった人の着てた服を身につけて、結標さんの事を必死に忘れまい忘れまいとしてる。
白井「――終わりましたわ」
佐天「私もです」
自分のして来た事を鏡に映る度に、硝子に写る度に白井さんは向き合ってる。前みたいに逃げたりしてない。
だけど私はそれを見てて時々ものすごく苦しくなるんだ。私が辛いくらいだから白井さんはどれだけだろう。
今もこうして合わせた手を解いて上げた顔から心の中を伺い知る事は出来ない。想像さえ出来ない。
白井「……“お姉様”……」
佐天「………………」
あれから白井さんは自分を御坂さんの露払い(パートナー)と名乗らなくなった。
それは御坂さんに刃を向けたって事もあるんだろうけど、何となくわかる。
白井さんは捧げちゃったんだ。結標さんに大切なものを。色んなものを。
自分の中で何一つ終わっていないものをなかった事に出来ないんだと思う。
佐天「……また来ますね?」
話せるようになって、歩けるようになって、少しずつでも食べたり寝たり笑ったり出来るようになった。
でも私がここでお祈りする事はいつも決まってるんだ。お願いだから生き返って白井さんの前に現れてくれませんか?って
わかってるんだ。死んだ人間は絶対に蘇らない。これだけ最先端技術の集まり生み出される街でも……
起こせる奇跡と起こせない奇蹟の区別くらいは私だってもうついてる。でも祈らずにはいられないの。
白井「――――――………………」
白井さんをもう解放してあげてって。思っちゃいけない事だって、考えちゃいけない事だってわかってるのに
――どうして人は、奇跡を願わずにはいられないんだろう――
~50~
佐天「白井さんこれからどうするんですか?」
白井「支部に戻って残務整理ですの。二日前に起こった連続爆発事故はご存知で?」
佐天「ああ、聞きました聞きました。最初テロかってデマ出てましたし」
同じく第十五学区に向かうモノレールの中で佐天と白井は並んで吊革に掴まりながら一蓮の事件について話し合う。
やれイルカのビニール人形を持った少女がテロを起こしただの
やれモデル級の美女がビルを謎のビーム砲で薙ぎ倒しただの
やれ駆動鎧と正面からやり合い勝利した修道女がいただの
やれ腕から半透明のドラゴンを出した男の子がいただの
佐天「じゃあ私はここで!お仕事頑張って下さいねー!」
白井「佐天さんこそお気をつけて!」
そうこう話し込んでいる内に到着した駅で別れ、佐天はお気に入りのショップへと軽やかな足取りで向かう。
佐天「うわー……本当に焼け跡みたいになっちゃってるよ」
爆発事故が起きたらしいカフェテラス『サンクトゥス』は見るも無残な焼け跡を晒していた。
立ち入り禁止のテープが貼られ、それらをしげしげと見上げている内に佐天がはたと気づく。
佐天「んん?何だろあれ……紙袋かな?」
焼け跡となったサンクトゥスと隣り合わせに立つ店舗の狭間に、超一流のブランド名が入った紙袋が引っ掛かっている。
白井ならば爆発物かと警戒するが、光り物に目がない佐天は好奇心が打ち勝ち、見事戦利品を手にした。すると
佐天「ぷ、ぷれぜんと、ほにゃらら……“いんでっくす”なんちゃらかんちゃら?」
そこには佐天が一年間の奨学金をはたいても手に届きそうもないコートとメッセージカードが息づいていた。
いんでっくす?どこかで聞き覚えのある名前だと路地裏の出入り口で佐天が頭と首を捻って唸っていると――
ドンッ
佐天「わっ!?」
???「あら、ごめんなさいね」
佐天「あ、こちらこそすいません……」
長い赤毛を靡かせた美しいシスターがすれ違いざまに佐天の肩にぶつかり、頭を下げて通り抜けて行く。
佐天「え゛」
そこで佐天もようやく気づく。手にした福袋とも言うべきお宝すら取り落として振り返るも時既に遅し。
佐天「ええええええええええええええええええええ!!?」
絶対等速「なんだぁ?!」
見覚えのない修道衣に身を包んだ見間違いようもない美貌の持ち主は、たちまち雑踏の中に埋没して――
~51~
白井「はあ……」
残務整理を終え、白井は歩行者天国の花壇に腰を下ろして息を大きく一つ吐く。
溜め息一つ毎に幸福が逃げるとは言ったものだが、今更自分に幸福が訪れるなど
白井「………………」
白井にはどうして思えず、またそれを受ける資格も未来永劫ないと考える。
二ヶ月の活動停止処分後に復帰した仕事に忙殺されている方が遥かに楽だった。
ともすれば自分自身の落とした影に呑み込まれ、闇に沈んでしまいそうになる。
白井「(わたくしも馬鹿ですのね……)」
肌身離さず持ち歩いているオイルクロックから透かし見る人波。さながら水族館の中を泳ぐ魚達のようだ。
ブルーローズの青、ラピスラズリの蒼、ウルトラマリンの碧。それがモノクロの世界に沈んでしまった――
白井「(まだ貴女が本当はどこかで生きていて、いつかこの人波の中に姿を現してくれる事を願っておりますの)」
あの波間に消えてしまった少女、水泡に帰し天に昇ってしまった人魚姫、結標淡希が生きた証に思えてならない。
ありえないとわかっていても、彼女が纏っていた香水と同じものをつけている人間とすれ違う度思い出してしまう。
プルースト効果と行ってしまえばそれまでだが、時折彼女に似た後ろ姿の少女を目にすると端で追ってしまう。
白井「(そのような奇跡、起こり得るはずもないとわかっておりますのに)」
『天空の鏡』にて別れを告げ、この結標淡希不在の世界に帰還してより早三ヶ月……その間にも日々は目まぐるしく巡る。
海中に没し壊れてしまった携帯電話に代わって買い換えた新機種に初春が送って来る多くの写真の数々がそれらを物語る。
御坂『日頃学んだこの成果を発揮し……』
削板『あー次なんだっけ?』
垣根『雲川が渡したカンペまで忘れてんぞあいつ』
御坂『己の成長した姿を見せることで父兄への感謝を現し……』
削板『とりあえずまあ、今年の目玉はSASUKEイン学園都市バージョンだ。俺はそり立つ壁を前にへたばらず!サーモンラダーに歯で食らいついてでも!!根性で全てを乗り切る事をここに誓うぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!』
参加者『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
御坂『………………』
最初に開かれたデータフォルダには大覇星祭の開会式。紡がれる思い出、紐解かれる記憶の数々。
~52~
青髪『ぐはぁ!スイカとメロンのコラボレーションに僕も鼻血が止まらんでえ!!』
土御門『あの揺れ方はほとんど人間凶器なんだぜい。男子の八割は前屈み確実だにゃー』
吹寄『真面目に実況なさいこの馬鹿共!』
食蜂『はぁい☆これで会場の視線力は私に釘付けぇ♪』
風斬『は、早過ぎますよーもっとゆっくり……ふわっ!?』
常盤台の女王から霧ヶ丘の女王へと転身を遂げた食蜂と風斬の二人三脚にこちらも違った意味で胸躍る学生達。
復帰した吹寄にぶっ飛ばされ、マイクを握り締めたまま鼻血と共に秋空へと舞う実況・青髪と解説・土御門。
一方通行『なンでオレがこンな事しなくちゃならねェンだよ!どう考えても場違いだろうがァァァァァ!!』
打ち止め『わわ、ちゃんと私と足並み揃えてってミサカはミサカは先頭らしく声掛けしてみる!』
御坂妹『杖をついている彼を引っ張り出すとは貴女鬼ですね、とミサカは何故か彼の腰に腕を回している末っ子の真っ赤な顔を覗き見ます』
番外個体『(おおお男のクセに腰細すぎ!何か変なノイズが走るぅぅぅぅぅ!!)』
妹達に無理矢理引っ張り出されたムカデ競争でつんのめり、将棋倒しの礎となって怒り狂うは一方通行。
削板『ぬおおおおお何をする雲川ー!?』
雲川『良いから来て欲しいんだけどこの馬鹿大将!そして離せこの愚妹めが!!』
鞠亜『女としてのプライドに懸けてここは姉が相手でも譲れんのだよ!!』
垣根『借り物競争だってのに何やってんだあいつら』
服部『姉妹で争奪戦とか削板爆ぜろ!!』
借り物競争で『気になる異性』と書かれたお題に基づき、右手を雲川に左手を鞠亜に引きずられる削板。
佐天『ぱ、パンが一つもない?!』
婚后『あの娘は何者ですの!!?』
禁書目録『ふえ?これって全部食べて良いんじゃないの??』
ジョン『唖然。開いた口が塞がらぬ』
パン食い競争にて全てのレーンを進行不可能に追い込んだインデックス、茫然自失に陥るパン屋の営業マン。
麦野『体操服にブルマとかこれお前が着せたいだけだろうがァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!』
誰かさんの趣味なのかパッツンパッツンの体操服を着せられ、ガテラルボイスで叫ぶ麦野。
~53~
上条『メメシクテ!』
浜面『メメシクテ!!』
垣根『メメシクテ!!!』
一方通行『……ツライヨォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!』
削板『もっと腹の底から根性(こえ)出せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!』
男女別応援合戦ではギターボーカル一方通行、ベース垣根、ドラム削板、パフォーマー上条&浜面が熱唱し
(ちなみに一方通行は音石明モデル、垣根はリッケンバッカー、削板はワンバスという謎仕様である)
御坂『ク、クリカエ~ス♪』
食蜂『ポポポリズ~ム☆』
滝壺『(大丈夫、私は罰ゲームに負けたはまづら達を応援してる)』
麦野『滝壺が一番ダンス上手いってのは予想外だったわ……』
三位・五位・八位による某三人組アイドルユニットの代表曲を観客席の麦野が引きつり笑いと共に見つめ……
写真はその後ナイトパレード、打ち上げ、ハロウィン、終戦記念日と続いて行く。当然ながら結標はいない。
白井は思う。もしこの中に結標が生きていたならば果たして自分はどんな写真(おもいで)を残しただろうと
カッ
白井「?」
自虐的な微苦笑を浮かべた白井の前に、過ぎ行くばかりでとどまる事を知らない人の波から
「――似合わない格好してるわね?――」
白井「えっ……」
「まあ、私も他人の事を言えた義理でもないのだけれど」
抜け出して来た黒を基調とする修道女と思しき女性の爪先が俯いていた白井の地を這う視界に入って来る。
同時に雑踏の音も喧騒の声も全てが掻き消え、白井の耳にはその修道女の涼やかな声しか聞こえて来なかった。
それどころか黒山の人集りの一切がモノクロに見え、行き交う歩行者の動き全てがスローになって。
白井「――――――」
「こんな格好をしているけれど、別に私は神様なんて信じてないわ」
白井の視線が上向いて行くに連れ、鼓動が破裂寸前にまで高鳴り耳鳴りのようにあたたかな血が沸き立つ。
禁欲的なシスター服越しにもわかる細くくびれた腰、伸びやかな脚、抱かれて眠った記憶がある豊かな胸。
シャープな輪郭と、形良い耳を飾る逆十字架のイヤーカフスがチェーンに揺れて煌めいて。
「それでも今だけは神様に感謝したい気持ちよ」
ウィンプルを脱ぎ捨て、長い赤髪が白井の目の前で流れ落ちる。
「貴女ともう一度巡り会えたこの奇跡に」
目から零れる一滴の雫に、頬に流れ一筋の涙に映り込むは
結 標 「 ― ― ひ さ し ぶ り ― ― 」
とある白虹の空間座標(モノクローム):エピローグ「future gazer」
~54~
白井「――――“淡希お姉様”――――」
嗚呼、やっぱり鳩が豆鉄砲くらったような顔してるわね。当たり前かしら。
死んだはずの人間が二本足で立って歩いて、似合いもしないシスター服まで着ていたら誰だって。
白井「……生きていらっしゃったんですの?」
結標「ええ、秋沙に命を救われてね」
白井「姫神さん――」
結標「秋沙も無事だわ。今回は連れて来れなかったけど年内には帰って来れそうよ」
白井「今までどちらに……」
結標「――ランベス」
白井「イギリス!?」
結標「あの後瀕死で海を漂っていた所を拾われたの。オルソラ=アクィナスって言うシスター覚えてない?」
白井「……まさか」
結標「そう、8月7日のBBQパーティーの時にいたシスターよ。私達は今そこに身を寄せているの」
――あの後、生死の境を彷徨っていた私は秋沙の緊急輸血で一命を取り留めてイギリスに渡った。
最初は記憶喪失のようになってしまっていたし、事のあらましのほとんどは土御門から聞かされた。
私が二人目の吸血殺しになってしまった事、私達が一ヶ所に留まっていたならば吸血鬼を呼ぶ可能性が……
二倍ではなく二乗の計算になると言う事情から私は必要悪の教会の女子寮へ、秋沙は処刑塔へ別々に幽閉された。
結標「ずっと、貴女に連絡を出来ない事情や学園都市に帰れない理由があったの」
白井「うっ……」
結標「ずっと、貴女に謝りたかった……」
白井「ううっ……」
結標「ずっと、私は貴女の事を――……」
それから『歩く教会』のケルト十字架を手にするためにネセサリウスのエージェントになったり……
本物の吸血鬼を呼び寄せてしまったり、それをあの背教の錬金術師と最強の魔術師に助けられたり。
兎に角本当に色々あって、私はここにいる。ここにいられる。ここに生きて帰ってこれた。ここへもう一度
白井「お゛、姉様、あ゛……――」
もう一度、貴女に――
白井「――ジャッジメントですのォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォー!!!」
~55~
結標「ぶふぉっ!?」
白井「今更どのツラ下げてわたくしの前に出て来やがりましたのこのドチクショウがァァァァァァァァァァ!」
と、結標は開きかけた唇と舌を噛み切りそうな白井のドロップキックと共に手荒い歓迎を受けた。
頭の上にヒヨコが飛び、目に星が回る中実に数ヶ月ぶりに聞いた。ジャッジメント(裁きの時)と
結標「ちょ、ちょっと待って黒子!いきなり何するのよ!?ここはフツー感動の再会って流れでしょ??」
白井「もったいないぶった登場に、意味深な口振りで煙に巻こうとしたってもう騙されませんのよ!!!」
結標「(チッ)」
白井「一体どれだけの方々に迷惑かけて来たかわかってるんですのこのなんちゃってシスター!!」
結標「う、うるさいわね貴女が私の服パクったからでしょ!何よそのかっこう未亡人のつもり!?」
白井「だったら今貴女をぶち殺して本当に未亡人になってやりますのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
さっきまでとは違った意味でざわめく歩行者天国、立ち止まる人々の冷たい視線の向かう先、そこには
佐天「な、なにしてんのあの二人……」
神聖なる修道女にバックドロップを喰らわす風紀委員。
可憐な中学生に本気でシャイニングウィザードを食らわすシスター。
花壇の罪なき花々を押し潰しマウントを取り合う二人の姿に……
今までの絶望感たっぷりなシリアス展開とは一体なんだったのかと。
結標「はー……はー……」
白井「ぜー……ぜー……」
結標「……ちょっと見ない間にずいぶんと可愛げがなくなったものね」
白井「今更恋人ヅラされて靡く元カノがどこにおりますのこの女誑し」
結標「人聞きの悪い事言うものじゃないわ。またアンアン泣かされたい?」
白井「ええ、フルボッコにして箱詰めにして英国に叩き返してやりますの」
結標「……秋沙の言った通りね」
白井「?」
姫神「“ボッコボコにされればいい。淡希(うわきもの)は死ねばいい”って向こうで言われたのよ」
白井「ざまあねえですの!」
全てが馬鹿馬鹿しくなるほど――胸がすく
~56~
オルソラ「本当によろしかったのでございますか?」
姫神「なに」
アニェーゼ「いえ、私もてっきりついてっちまうもんかと思ってたんですが」
シェリー「子供じゃないのよ。自分の尻くらい自分で拭かせろ」
九時間の時差を経てランベスにある女子寮ではお茶会にテーブルを囲む面々がいた。必要悪の教会である。
その魔術師の総本山とも言うべき地に一人明らかに浮いた巫女服の少女、姫神秋沙がお茶を啜ると――
姫神「うん。淡希はどうしようもない甘ったれだけど。けじめくらいはつけられるから」
五和「お茶おかわりいります?」
神裂「五和、お願い出来ますか」
アンジェレネ「あ、あの!お茶はもう良いので先程のみたらし団子を……」
ルチア「シスター・アンジェレネ!もう五本目ですよ慎みなさい!!」
日本人街から五和が持って来た和菓子の数々とお茶に舌鼓を打つ面々が口々に囀り時に怒号が飛び交う。
ここに来て三ヶ月近くなるのかと緑茶に温まるケルト十字架を『必要としなくなった』胸に手を当てる。
年内にはここを引き払って姫神もまた学園都市に帰るのだ。何せ吸血殺しを『失ってしまった』身では――
シェリー「甘ったれな上に女にだらしがないし」
五和「香焼くんはオネショ癖がぶり返しました」
姫神「もう諦めた。許せないけど。受け入れた。あの浮気者」
オルソラ「過ちを許す事もまた神の教えなのでございましょう」
アニェーゼ「それで愛想尽かさないところは見上げたもんですけどね。でも現地妻作っちまったらどうするんですか?」
姫神「殺す」
神裂「!?」
姫神「イギリス。ジョーク」
ルチア「(いえ、今の目は確かに本気でしたよ)」
アンジェレネ「こ、これがジャパニーズゴクドーの妻なんですね!」
姫神「それに」
この必要悪の教会に留まっている意味も理由もない。そう思いながら姫神は湯飲みを空けて天井を見上げた。
姫神「何ヶ月も。行方知れずになってた相手を。いじましく思い続けて帰りを待ってるだなんて」
今頃白井と面通りしているであろう結標や、つい先程生存報告した吹寄や月詠にどう謝ろうか考えつつ。
姫神「女の子は。そんなに綺麗な生き物じゃない」
全員「「「「「「ですよねー」」」」」」
今頃フルボッコにされているであろう最愛の恋人を想像し、姫神はフッと鼻で笑って締めくくった。
~57~
白井「とりあえず、貴女の言うお仕事とやらが終わったなら八十八ヶ所謝罪行脚をしていただきますの」
結標「本当にどのツラ下げて謝って回れば良いのかしら……」
白井「その無駄に綺麗な顔からブザマに青っ鼻垂らして這いつくばってようやくおあいこですの」
結標「……死んで詫びれたらどれだけ楽な話でしょうね。って言うかもう死にそう」
白井「馬鹿を仰有られては困りますわ。生きていなければ謝罪も出来ませんのよ?」
一頻り殴り合って泣き合って抱き合って、二人は歩行者天国を臨みながら花壇の縁に腰掛け簡単な現状報告をした。
無論積もる話はまだまだあるし、ぶつけたい怒りや鬱憤はこの際恨み辛みの域にまで渦巻いているのだ。だがしかし
白井「わたくしも一緒に頭を下げて回りますの。わたくし達の仕出かした不始末にけじめをつけるためにも」
結標「――ええ」
白井「まあ、貴女の顔を見るなり喜びや悲しみ以上に迸る熱いパトスが思い出を裏切りましたが――」
結標「……うん」
白井「……それだって貴女が生きていてくれたからこそですのよお姉様。わたくしの最愛“だった”方」
並んで腰掛ける白井の手が、結標の掌に重なって繋ぎ合わされる。
ようやく辿り着いた二人の決着(こたえ)を確かめ合うように。
結標「――あーあ、フられちゃったわね」
白井「泣いて縋りついてわたくしがよりを戻したがるとでも?」
結標「いいえ。私が恋をした“白井黒子”はそう言う女の子よ」
フったのでもなくフられたのでもなく、生き別れたのでも死に別れたのでもなく二人は『終わった』のだ。
白井は結標を嫌いになった訳でも、結標は白井に冷めた訳でもなく、二人は決着をつけたかったのだ。
白井「残念でしたわね。わたくしは貴女が思っているほど可愛げのある綺麗な女の子ではありませんの」
結標「知ってるわよ。貴女だってもう立派に“女”ですものね」
白井「(……初めての相手の口からそれを言われるとどうにも面映ゆいんですの)」
もう戻れないあの夏の日の続き、真夏の夜の夢から覚めた終わり。
弱さも醜さも切なさも、殺し合い傷を舐め合い愛し合った相手だからこそ。
~58~
結標「知ってた?私、本当に貴女の事を愛していたのよ」
白井「存じておりますの。一度は真剣に恋した貴女の事ですのよ?」
あの日見た盛夏の青空ではなく晩秋の茜空を見上げながら二人はどちらともなく笑い合った。
自分達の恋の始まりは確かに間違いだったのかも知れない。しかし愛の終わりは間違う事なく終われそうだと。
白井「……もし」
結標「なに?」
白井「わたくしが姫神さんより先に、一日でも早く再会出来たならば」
結標「ええ、貴女の思ってる通りで私の考えてる通りだと思う」
白井「………………」
結標「過去にIF(もし)はないわ。未来にもし(IF)は有り得ないから」
どちらともなく思う。結標が姫神と再会したのは7月1日。白井と再会したのは7月2日の出来事だった。
だがもし再会した順番が逆だったなら――結標が白井に惹かれ、白井が結標に魅せられたIFがあったかも知れない。
白井「――そろそろ場所を変えませんこと?積もる話も恨み辛みも売るほどございますのよ」
結標「そうね。喧嘩を買おうにもここじゃ目立ち過ぎるわ。場所はあそこが良いかしら?」
白井「ええ」
白井・結標「「軍艦島へ」」
しかし二人は二度と二つに分かれた道を歩む事なく別れを告げ合う。
向かう先は軍艦島。あの日海に沈んだ自分達の魂を引き上げに行く。
あの夏の日に花咲かせ実を結ぶ事なく終わった恋を埋葬するために。
白井「では、その前に」
結標「………………」
白井「再会(わかれ)のキスを」
結標「最後(あなた)に――」
どちらともなく伸ばした手に誓った永遠、伸ばした腕に抱いた永久に別れを告げて二人は口づけ合う。
白虹の架け橋を越え、月虹の掛け橋を超え、星虹の懸け橋に再会(わかれ)を迎えた最後の口づけ。
白井「もっと早く、貴女に会いたかったですの」
結標「私も貴女に逢えて良かった。嘘じゃない」
白井・結標「「本当に貴女の事が大好きだった」」
結標は泣きながら笑い、白井は笑いながら泣き、二人は抱き締めあったまま歩行者天国から姿を消した。
佐天「……かなわないなあ」
それを見つめ、見守り、見届けていた佐天は涙を溜めた眼差しを夕焼け空へと向け笑みを浮かべる。
間もなく流星群が降り注いで来るであろう夜の帳と共に下ろされる二人の悲劇(ものがたり)に――
~59~
御坂「あら、佐天さん」
佐天「御坂さん!?それに……」
禁書目録「たんぱつのお友達なんだよ!」
佐天「パン食い競争のシスターさんだ!」
禁書目録「私の名前は“インデックス”って言うんだよ?」
そして二人が消え去った歩行者天国に立ち尽くす佐天に声をかけるは超電磁砲(レールガン)。そして
佐天「インデックス……まさかこのコートって!?」
禁書目録「あ!これとうま達が私にくれるはずだったプレゼントなんだよ!なくしちゃったって言ってたかも」
佐天「ああ良かった……はいどうぞー!」
禁書目録「ありがとうなんだよ!!」
佐天が拾ったプレゼントを受け取る禁書目録(インデックス)。
佐天は知らない。この時御坂もまた一つの物語に決着をつけた事を。
白井と話していた爆破テロの噂は全て真実であるという事も。
佐天「御坂さんも見てたんですか……」
御坂「この娘とケーキ買ってたから途中までね」
禁書目録「ふれめあへのお土産と、とうま達へのお見舞いなんだよ!」
御坂「あと黒子の分ね♪まあどうなるかってハラハラ見てたけど」
佐天「………………」
御坂「ぶっちゃけあの女になら喜んでレールガンくらいぶっ放せるぐらい頭に来てたけど」
佐天「(それはやめて御坂さん!目が笑ってないって!!)」
御坂「――黒子のあんな笑顔見せられたら、お姉様(わたし)が怒るわけにはいかないわよ」
かくして悲劇(ものがたり)はここに幕を下ろし
佐天「……白井さんばっかり甘やかしてズルいですよ!私もケーキ食べたーい!!」
御坂「わわっ!?佐天さん抱きつかないで落としちゃう落としちゃうってばー!!」
白井黒子の未来(ものがたり)の幕はここに上がる
禁書目録「相変わらずたんぱつはモテモテかも。とうまの事諦めた方が幸せになれるんじゃないかな?」
御坂「さりげなくライバル減らそうとしてんじゃないわよ!あんたいつからそんなに腹黒くなったの!?」
御伽噺に現れる魔法の鏡が映すは『真実の自分』、『隠された文字』、『無間地獄』、そして『未来』。
御坂「さあ、帰ろうみんな!!」
佐天「おー!!」
鏡文字で描かれた終末時計(ひげき)は、二度と硝子の針を進めない
~00~
御坂「――もう、傘はいらないわね!」
――――雨は、上がったのだから――――
とある白虹の空間座標(モノクローム)・完


