【前編】の続きです。
~8月12日~
黄泉川「ふう……」
手塩「交代、時間だ。コーヒーを、淹れる。一息、つこう」
黄泉川「悪いじゃん手塩。甘えさせてもらうとするじゃんよ」
6月6日に第七学区が壊滅し、7月6日に第十五学区の支部が魔術師に全滅させられた後……
黄泉川と手塩ら警備員は第十九学区へ新たな本営を築き上げ、そこへ移転する事と相成った。
先の七夕事変により第十学区の刑務所が溢れかえってしまい、急拵えながら収容所を必要に迫られたからである。
そこで法の鎖に繋がれた罪人達の回廊を抜け、詰め所で一休みする黄泉川に手塩がコーヒーを淹れた。
手塩「……吹寄は、どうしている?」
黄泉川「証言は得られたじゃん。けどあまり状況は前進してないじゃん」
手塩「こちらも、今朝から駆けずり回って、手にした押収物は、たったの、これだけだ」
手塩の言葉と、手にした遺留品には今淹れたコーヒーよりも苦々しい認識が込められていた。
軍艦島より引き上げられ真空パックに詰められた霧ヶ丘女学院のブレザー。
切り裂かれたように縦に走り穴の空いた上着には結標の血糊がべっとりとこびりついている。
その傍らには白井の部屋から押収した金属製のベルトとミニスカート、そして軍用懐中電灯。
黄泉川「――なあ手塩よ。あの娘達は今、どんな夢を見てると思うじゃん?」
手塩「夢?」
黄泉川「それは私達が見たような悪夢(ゆめ)かも知れないし、目覚めるのが嫌になるような幻想(ゆめ)かも知れない」
黄泉川が飲み終えたコーヒーは、一方通行がたまに淹れてくれるそれよりもかなり味気なかった。
その言葉に互いの過去が交差する。黄泉川は生徒に銃を向けないと近い少しでも負債を減らすとき決めたその日の事を。
手塩は言葉を失ってしまった少女と、この監獄とよく似た少年刑務所で結標と対峙した日の事を。
手塩「……私は、夢を見る時、いつも、モノクロなんだ」
黄泉川「私もカラーの夢を見なくなってから随分経つじゃん」
手塩「――罪人(つみびと)の、浅き眠りは、白黒(モノクロ)か」
黄泉川「――意外に詩人じゃん!」
手塩「よせ」
ゴーストタウンと化した第十九学区。そこに収容された咎人らの終の地。
それを人々は誰ともなしにいつしかこう呼んでいた。
手塩「――バベルの塔に、詩など似合わない――」
――その名は……
とある白虹の空間座標(モノクローム):第九話「地獄の季節」
~1~
『お姉様』
私を呼ぶ声が聞こえる
『……お姉様……』
懐かしくて、聞き覚えのある声
『――――お姉様――――』
忘れたくても、忘れられない声
『 ― ― ― ― お 姉 様 ― ― ― ― 』
私の中に埋葬された、いくつもの十字架が聳え立つ絶望の丘
『 ― ― ― ― お 姉 様 ― ― ― ― 』
どこにいるの?私はここよ。ここにいるの
『― ― ― ― お 姉 様 ― ― ― ― 』
ねえ――
~2~
御坂「……夢?」
夜が明け、遮るカーテンの隙間から射し込む朝の光に御坂は目を覚ました。
大量の寝汗に塗れた肢体、生乾きの目元を伝い落ちる涙が濡らす枕。
大量の水分が失われ渇いた喉から搾り出した声はひび割れて枯れている。
前髪が額に張り付いて気持ち悪く、寝汗を吸ったパジャマ以上に身体が重い。
御坂「……もう朝か」
部屋を見渡し、辺りを見回し、手の平を見つめる。
今の夢は何だったのだろうかと言う思いが半分、これが現実かと言う想いが半分。
枕元の携帯電話を開いて見れば7時を僅かに回った頃。
アラームを止め、メールボックスをチェックし、母との待ち合わせ時間を確かめ、何とはなしにフォルダを開く。
御坂「――もう起きてるかな?」
そこには昨年の10月3日に麦野と撮った写メールが映っていた。
男物のワイシャツを寝間着代わりにした麦野とパジャマを借りた自分。
白井が嫉妬し、佐天が茶化し、初春が目を細めていたあの写メール。
御坂「………………」
――――――――――――――――――――
8/12 7:24
to:麦野さん
sb:おはよう
添付:
本文:
良かったら一緒に朝ご飯食べない?
あんたに会いたい
――――――――――――――――――――
聞きたい事が、知りたい事が、話したい事があった。
佐天にも話せず、初春にも相談出来ない、この場にいない白井に関する事で
――――――――――――――――――――
8/12 7:33
from:麦野さん
sb:RE:おはよう
添付:
本文:
朝っぱらからなに?
ブッ飛ばしてやるから出て来いよ
――――――――――――――――――――
――低血圧な女王陛下は、思いの外早い返事を出して来た。
~3~
私と御坂の出会いは去年の6月21日。当麻と出掛けた第六学区のアルカディア(理想郷)。
そこで私と滝壺に泣きついて来たあの佐天だかペテンだかって中坊を連れて私達に絡んで来やがった。
――殺そうと思った。テメエの理想を信じて疑わないキラキラした眼差しに。
テメエだけの正義を他人に押し付けるやり方にイライラが止まらなかった。
身勝手で、独り善がりで、現実ってもんがてんでわかっちゃいないお子様の中坊(クソガキ)。
テメエの手を血に汚さず綺麗事を奇麗事のまま保ち続けていられる、正真正銘の正義の味方(ヒロイン)
――私が血の海に水没させてしまった輝きを今も持ち続ける、眩し過ぎる『光』――
御坂はそれからも度々私と関わり合いを持った。インデックスの記憶を巡る戦いにも首を突っ込んで来た。
時には当麻達やあの青カビ頭とカチューシャ女と一緒に飲み食いして、しまいにゃ私の部屋に転がり込んで。
その時だ。成り行きであいつの母親を断崖大学データベースセンターから脱出させる羽目になったのは。
美鈴『貴女、よく人から完璧主義者って言われるでしょう?そういう子はね、他人以上に自分を許せない子よ。今の沈利ちゃんみたいに』
この私に向かって、生まれて初めて説教垂れやがった大人
美鈴『そして彼を殺してもよ沈利ちゃん。貴方彼を殺して自分の罪を投げ出そうとしてない?彼に殺されて罰を受けようとしてない?甘いのよ』
死の淵を彷徨ってた私を、何の力も持たないあの酔っ払いが
美鈴『――貴女のように強くて、綺麗で、優しい子に、美琴ちゃんを守って欲しいって……そうお願いしようとしたの』
罪と罰と業に飲み込まれていた私を、あの母親は身を挺して引きずり上げてくれた
美鈴『ひどいでしょ?こんな痛い目見て、怖い目にあって、戦争みたいなところに放り込まれて……それでも貴女に美琴ちゃんを守って欲しいって思える程度に大人(わたし)は汚いのよ?』
その時あのオバサンと交わした約束は、今も生き続けている。
美鈴『――それでも大人(わたし)は、子供(あなた)に生きていて欲しいんだと思う――』
――有り得たかも知れない、もう一人の御坂美琴(わたし)を守ると言う約束を――
~4~
滝壺「ん……」
滝壺は麦野のセーフハウスのベットに射し込んで来た朝の光に目を覚ました。見慣れぬ天井に戸惑いながら
麦野「起きたかにゃーん?」
滝壺「おはようむぎの……どっか出掛けるの?」
麦野「――どこぞのお子様の中坊から、ティファニーで朝食をだとさ」
そこで身支度を整えんと動き回る麦野の姿を見て滝壺は思い出す。昨夜はこの部屋に泊まったのだと。
靄のかかった視界、霞のかかった思考、霧のかかった身体を起こして麦野が突き出して来た画面を見れば――
――――――――――――――――――――
8/12 8:12
from:クソミサカ
sb:小倉トースト
添付:
本文:
おごるから!モーニング終わる前に来てよ~
――――――――――――――――――――
滝壺「本当だね」
麦野「面倒臭いったらありゃしない。あいつ私の事友達か何かと勘違いしてんじゃないか?」
滝壺「違うの?」
麦野「違うよ」
メイクを終え、コテのコードを巻き、髪をかきあげて麦野は携帯電話をしまって立ち上がる。
未だシーツの海に足を取られている滝壺から見てさえ、思わず魅入られてしまいそうなその横顔。
麦野がこういう表情をするのは決まって大仕事が控えている時だと滝壺は知っている。故に。
滝壺「違うよ。むぎのは本当はみさかのこと――」
麦野「滝壺」
滝壺「………………」
麦野「後は頼んだよ。送って上げられなくて悪いけど」
故に滝壺はベットから降り、部屋を後にしようとする麦野の背に腕を回した。
麦野もそれを振り解きはしない。ただ黙ってそれを受け入れる。
滝壺「いってらっしゃい、むぎの」
麦野「………………」
滝壺「上手く“行かない”といいね」
そして滝壺は麦野の頬にキスをした。いつもはまづらにしてるからと。
麦野はそこで肩の荷が少し降りたのか苦笑いを浮かべ
麦野「ありがと。行ってくるよ」
滝壺「うん」
麦野「ああ、それから滝壺」
滝壺「?」
麦野「――服、着た方がいいよ?」
滝壺「!」
麦野「じゃ、“お仕事”頑張るにゃーん」
滝壺の額を人差し指で小突き、麦野はニコッと笑って部屋を後にした。
嵐の前の静けさを思わせる、夏の朝の光の中へと踏み出して――
~5~
女生徒A「御坂様、お出かけですか?」
御坂「うん、ちょっと麦野さんとご飯食べに。それからお母さんと合わないといけないから」
女生徒B「きゃー!学園都市の三位と四位が会食だなんて!」
女生徒C「いいな~!ミステリアスな滝壺様、セクシーな結標様、そしてクールな麦野様、しかしキュートな御坂様にはかないませんわ!!」
御坂「あははは(クール?ないない!)」
一方、御坂もまた複合施設『水晶宮』より麦野に会うべく正面玄関を出ようとしたところ――
ちょうど派閥の人間に捕まったのである。その様子を見て御坂は昨日の騒ぎがひとまず鎮静化した手応えを感じた。
御坂「(――笑うのって、こんなに疲れるんだ……)」
実のところ、御坂は振り撒く自分の笑顔に自身が持てずにいた。
白井黒子の逮捕、結標淡希の死、それらを紙爆弾に仕立て上げた先代派。
それらを引き起こしたと思しき女生徒らは今、婚后派が監視してくれているらしい。
婚后『常盤台に風神・雷神の二翼あり!貴女の留守はこの婚后光子が守って差し上げますわ!!』
御坂「(……ありがとう婚后さん。本当に助かるよ)」
御坂の憔悴ぶりを見、今日美鈴と行く墓参りを前に一度気分転換なさいなと言う婚后の心遣いが有り難かった。
常盤台を三分する婚后派の監視があれば先代派も昨日のように表立っては動けないはずだ。
だが裏で今度はどんな権謀術数をあの女王の蜘蛛の巣のように張り巡らせているかと思うと――
御坂「(いつから、こんなに人を疑わなくちゃいけなくなったんだろう?)」
望むと望まざるに関係なく自然発生した派閥。レベル5の威光は誘蛾灯だと言う食蜂の……
彼女の言うところの政治力が欠けていると自分でも分かっている御坂にはそれがひどく堪える。
女生徒A「と、ところで御坂様?」
御坂「ん?なにかなー?」
女生徒B「その……御坂様と麦野様は、お、お友達なのですか?」
御坂「向こうはどうかわからないけどね」
女生徒C「?」
御坂「じゃ、行ってきまーす!」
女生徒達「「「いってらっしゃいませ御坂様!」」」
そんな祭り上げられた御坂をも平気で見下し、クールにはほど遠いブルータルな罵声を浴びせる麦野に……
御坂はいつしか信を置くようになった。今こうして、相談を持ち掛ける茶飲み友達として――
~6~
私とあの女が出逢ったのは、確か第六学区のショッピングモールだったと思う。
その時の私は佐天さんと一緒で、今思えばアイツとデートしてるあの女と出くわした。
――殺されるかと思った。底無しの狂気、根刮ぎの絶望、そんな暗黒面を剥き出しにしてアイツまで殺そうとした。
血でボロボロに錆びた抜き身の刃、私があの女に抱いた最初のイメージ。
自分も他人も世界も鼻で笑って否定するような……最低最悪の人格破綻者だって私はずっとそう思ってた。
――私を、アイツを、インデックスを、必死に守ろうとしてたあの横顔を見るまでは――
インデックスの記憶を巡る事件の後、8月19日の絶対能力進化計画での戦いの中にあの女は『いなかった』。
アイテムとか言う連中とはぶつかったけど、それを率いていたはずのあの女はあそこにいなかった。
それを問い質した事もあった。けれどあの女は一言も答えてくれなかった。何故だかは未だに聞かされていない。
麦野『はっ、たかが一宿一飯に義理固いこって……それだけでイイヤツ認定メダルがもらえんなら、私は公衆便所バッチつけた女より安いもんに成り下がった気分だわ』
その後から、私は少しずつあの女と交流を持つようになった。
麦野『巫山戯んな!さんざっぱら罵って見下してこき下ろして来たテメエと“はいそうですか、私達お友達になりましょうキャッキャウフフ”だあ!?出来るかクソッタレ!!』
私がアイツの家でその友達や先輩とドンチャン騒ぎして吐いちゃった時も部屋に連れ帰ってくれた。
コンビニで買った女性用下着の茶色い紙袋を寄越して、ダメにしちゃった制服の代わりにコート貸してくれて。
一緒にお風呂に入ったり写メ取ったり、あの女は心底嫌そうに文句言いながらも私に付き合ってくれた。
麦野『――私達は歩み寄れても、分かり合える事は決してないんだよ。御坂』
あの女には謎が多い。私と黒子がリハビリを手伝わなきゃいけないくらいの大怪我をした事もある。
いつどこで知り合ったのか私のお母さんとたまにメールしてるみたい。でもそれがどうしてかは教えてくれない。
私を決して友達とは呼んでくれない。なのに私には七夕事変の時に何もさせずに自分が矢面に立ってた。
――それが何故なのか、あの女は今だって一言も教えてくれない――
~7~
御坂「あれからもう一年になるのね……」
水晶宮を出た後、御坂は第十五学区の駅前広場のベンチに腰掛けながら麦野と待ち合わせていた。
卒塔婆を思わせるビル群が夏の陽射しを受けて照り返し、十字架を想わせる風車が風を受けて廻る。
背後にて流水階段を形成する噴水からはせせらぎが、足元には地を這う鳩が、目の前には行き交う人々が。
御坂「………………」
一年前の昨日、絶対能力進化計画は永久凍結されたとタカをくくって舞い上がっていた自分を不審がっていた白井。
結標淡希が引き起こした残骸(レムナント)で実験について何やら気づいたかも知れなかった白井。
秘密主義者なのは自分も同じか、と御坂は自嘲気味に頬を歪めた。ならば白井はどうだっただろう?と
麦野「――御坂」
御坂「おはよう、麦野さん」
バサバサバサと鳩が飛び立ち羽根が舞い散り落ちる影に顔を上げた御坂が見たもの。
それは青天に座す堆い雲の峰と、燦々と降り注ぐ夏の陽射しを背に現れた麦野沈利。
麦野「――ひでぇツラ」
御坂「五月蝿い!」
吹き抜ける正南風が二人の前髪を揺らし、靡かせ、翻らせ、そよがせて行く――
~8~
麦野「小パンダの居場所?巫山戯けんな」
御坂「……やっぱり?」
麦野「それはこっちのセリフ。どうせそんなこったろうとは思ったけど」
ザクッと運ばれて来た焼きたての小倉トーストをかじりながら文字通り開口一番に麦野は御坂の申し出を蹴った。
二人は今待ち合わせ場所から程近い繁華街にあるカフェテリア『サンクトゥス』にて朝食をとっていた。
御坂が切り出した内容、それは白井黒子の所在である。滝壺理后を従えている彼女ならばと。
麦野「そんなもん知ってどうするつもり?差し入れでも持ってくってか」
御坂「そうじゃない、違うの……」
麦野「――それとも、アイツが臭い飯食わされてるブタ箱まで突撃して脱獄手伝って外国にでも逃がす?」
御坂「違うの麦野さん!」
良くクーラーの利いた店内に漏れ聞こえて来る油蝉のオルガヌム。小さく短く張り上げた声。
だが対する麦野はカンカンとゆで卵を割ってその薄皮までペリペリと剥がしながら翠眉を片方上げ
御坂「わからないの……」
麦野「………………」
御坂「どうしてこんな事になっちゃったのか、黒子が何を思ってたのか、これからどうしたら良いか……」
麦野「――だから少しでも知って安心したい気持ちはわからなくもない。けどね御坂、それはやっぱり気休めよ」
塩取って、と付け加えて麦野は言外に協力を拒否した。
その言葉に御坂の手中にあるファイブリーフのエスプレッソがいびつに歪む。
御坂とてわかっている。法の番人の側に立っていた白井が法の鎖に繋がれるその意味を。
麦野「ついでに言っとくけど、この問題に学生自治会の連中を引っ張り出そうとしても無駄だよ」
御坂「っ」
麦野「――わかるでしょ?私達は仲良しこよしの馴れ合いで繋がってるんじゃない」
エスプレッソよりも苦い認識の走った舌を打ちたくなるのを御坂は何とか思いとどまる。
そう、端から見れば7月7日の決戦は避難所の面々が結標らを援護したように見えなくもないが――
麦野「それぞれの利害関係が一致した上で互いを利用しあってる。あのBBQパーティーで日和ったか?」
それは希望的観測に過ぎると麦野はサラダに取りかかり、御坂を見やる。
削板辺りはマジでそのつもりだろうけどね、と付け加えた上で。
麦野「――損得抜きでかかずらうほど、レベル5はヒマじゃない」
~9~
復興支援委員会を立ち上げ牽引する削板は本気で皆と学園都市のために汗を流しておりそれは変わる事はない。
だがそれを補佐する雲川は、削板を御輿として担ぎながらも『原石』の保護や上層部との調整役を旨とする。
垣根率いる『スクール』や麦野率いる『アイテム』はその雲川から雇われ、それぞれ守りたい対象があるからだ。
御坂「……黒子は、黒子にはその価値はないってそう言いたいの!?」
麦野「七夕の時は吸血殺しって言うアドバンテージがあの戦いで占めるウェイトがデカかったからよ」
垣根は初春を、麦野は上条を。九人目のレベル5となった結標とて姫神だったからこそ助けに向かった。
だが白井はいち風紀委員に過ぎない。御坂を除くレベル5の誰の利害にも抵触していないのだ。
七夕事変も異端宗派が避難所を襲ったためであり『一個人』を私的な理由で救う事ではなかったのだから。
麦野「削板に泣きついても、あのカチューシャ女が横槍を入れて来るだろうしね」
御坂「………………」
麦野「今も魔術サイドの連中と揉め事起こさないように張り詰めてる中であんたに構ってるヒマ人なんて私くらいのもんだよ」
委員会の人間は削板を御輿として盛り立てており雲川もそれは変わらない。
雲川は上層部と、土御門辺りは新統括理事長の親船に以前からパイプを繋いでいた。
垣根は暗部絡みの闇のコネクションに、服部も駒場亡き後の浜面に代わって学園都市中のスキルアウトに顔が利く。
上条は魔術サイドとの橋渡し役でもありイギリス清教と繋がりが深い。しかし御坂にはそれがない。
御坂「あんたは、私に付き合ってくれてるんだ?」
麦野「少なくとも朝飯くらいは」
御坂のレールガンは例え権力者側であろうとそれが悪ならば打ち砕く。
しかし裏を返せば悪のない場所に御坂の力は意味をなさない。
派閥を嫌って三年生までそれを忌避して来た御坂に権力者側に働きかけるコネなど当然ない。
常盤台の3/1の派閥、その中で権力者側に通じる人材がいてもそれを利用するには御坂は潔癖過ぎた。
麦野「出るよ御坂」
御坂「うん……」
政治力を磨け、と言った食蜂は果たしてどんな権力闘争を勝ち抜いて来たのかと御坂は不意に思った。
~10~
麦野「さんざっぱら糞味噌にけなしたけど」
御坂「?」
麦野「――あんた、本気であの小パンダが人を殺すと思う?」
御坂を助手席に乗せ、ヴェンチュリーのハンドルを握る麦野が横目で問い掛けて来る。
麦野は今第十五学区より共同墓地がある第十学区へと御坂を送り届けている。
学園都市へ妹達の墓参りに訪れる御坂美鈴へと引き渡すために。
御坂「しないと思う。黒子は誰かを殺すくらいなら自殺した方がマシって言うに決まってる。そういう娘よ」
麦野「でしょ?」
有料道路を直走る麦野の目に『外部』の車がちらほらと見て取れた。
常盤台中学も盆入りから保護者説明会があるというのは美鈴からのメールにもあったが――
今日は前日の12日ではあるが、夜からスーパーセルが発生するという予測結果が出ている。
交通網が封鎖される前にホテルにでも保護者らが泊まって翌日に備えるのだろうかと麦野は思った。
麦野「――あんた、あいつの“お姉様”なんでしょ」
御坂「そうよ」
麦野「ならあいつを信じて帰って来る場所を、あんたがしっかり守ってやればいい」
6月6日の最終戦争、7月7日の七夕事変と相俟って学園都市への保護者らの不満は爆発寸前だ。
雲川が危惧したように日本国政府との折衝や外部の協力機関との連携も、統括理事長が親船最中に……
アレイスター・クロウリーが行方をくらませた事により移った新体制も盤石ではない。むしろ揺らいでいる。
御坂「……私にはそれしか出来ないよね」
麦野「あんたにしか出来ないよ、それは」
魔術サイド、イギリス清教との関係は今や紙一重の綱渡りで持っている。学園都市側の損害も大きい。
最近では結標が大破させた第二十三学区の空路、保護者を迎え入れる陸路は非常に制限を貸せられている。
8月7日前からアウレオルス=イザードの『負の遺産』を調査しに来たオルソラ=アクィナス。
8月7日に学園都市入りしたアステカの魔術師エツァリも海路を経由せねばならないほどの警戒レベル。
御坂「麦野さんは……」
麦野「ん?」
御坂「麦野さんは、私の味方でいてくれる?」
第十学区のゲートを潜り抜けたところで、御坂がポツリと漏らしたつぶやきを――
聞かなかったフリを出来なかった自分に麦野は軽く苛立った。
時期が時期だけにナーバスになっている御坂の心理を見落としていた事に。
~11~
御坂「去年の今頃の季節、私死のうとしたんだ」
麦野「……知ってるよ」
絶対能力進化計画の後遺症(トラウマ)、絶えず自分を陥れようとしている常盤台の派閥問題、白井黒子。
麦野の駆るヴェンチュリーが、命数を使い果たし黒蟻に集られる油蝉の亡骸を轢き潰す。
彼方に逃げ水が揺らぎ、陽炎が立ち上るような市街地を目指して走る眺めが運転席から良く見えた。
御坂「今朝も夢の中で聞いたの。私を“お姉様”“お姉様”って呼ぶ声を」
麦野「………………」
御坂「おかしいよね?その時目蓋の裏にさ、見えたの。たくさんの十字架が立った丘の前に立ってる自分を」
キッ、と有料道路から下って市街地に入り、共同墓地の地下駐車場に停める。
8月7日のBBQパーティーでの蟒蛇ぶりや自棄酒加減から見てさえも――
今御坂の精神的な波形は大きく谷間へと落ち込んでいるのがわかった。
御坂「……少し、疲れちゃった」
麦野「――寝なよ」
御坂「えっ?」
麦野「そんなひでぇツラしたまま母親に会うつもり?」
仄暗く冷え切った地下駐車場へ差し込む真夏の太陽に目を細めながら麦野は御坂を胸へともたれかからせる。
待ち合わせの時間まで残り45分を、御坂は麦野の胸に抱かれて仮眠を取る事にしたのだ。
~12~
御坂「スー……スー……」
麦野「………………」
私がほんの少し気紛れを起こせば刎ねられる細い首が今胸に預けられている。
これからあのオバサンもここに来るんだろうね。相変わらず苦手だけど。
顔は合わせないで時間が来たらこいつだけ送り出してさっさとこの場を離れよう。
御坂「黒子……」
私の低めの体温に合わさるこいつの肌理細かい素肌。
間近で見ると睫毛が長いのではなく量が多いのだとわかる。
手、指、爪。お手入れいらずの若さにかまけた汚れを知らない掌。
首筋から細い血管が透けて見えるほど白い喉に目が行く。
麦野「………………」
私は意味もなく、こいつの漏れ出した寝言から見ている夢を想像してみる。
呼ばれたのは後輩の名前。私のリハビリに手を貸してくれたあいつ。
なあ小パンダ。あんたは今私の胸で眠ってるこいつを抱きたいと思ったか?
麦野「――もっと早く」
私も寝てみる前までわからなかったよ。自分が抱くより抱かれる方が好きだって。
知らなかったよ。オスを喰らう女郎蜘蛛やメスカマキリの気持ちなんて。
知ってたよ。子供を目の前で殺されて発情するメスライオンの本能なんて。
そういう時の私の乱れ方は終わった後に自己嫌悪に陥るくらい溺れて行く。
麦野「――あんたに」
死体に残った冷たい余熱とも、交わす時の灼熱とも違う、あんたの微熱が側にある。首を落とせる距離に。
きっとあんたの後輩はこれに狂ったんだろうね。女は自分の子宮を裏切れない。そういう風に出来ている。
私みたいに男を知ってる訳でもあの後輩みたいに女になった訳でもないあんたにはまだわからないだろう。
麦野「――かった」
きっとあんたは後輩を助け出したいんだろう。北極海に落ちたあいつを救い出そうとした時の再現のように。
だってあんたは正義の味方だから。誰からも愛され、守られ、認められ、て最後には救われるヒロインだから。
まるでそれが、この色褪せた学園都市(まち)の中で唯一確かな真実(マスターピース)であるように――
麦野「――もっと早く、あんたに会いたかった――」
「節季の足裸」話九第:(ムーロクノモ)標座間空の虹白るあと
~12~
黒夜「夏休みだよ!全員集合ー!!!」
絹旗「はいイーチ!」
初春「に、ニー!!」
佐天「サーン!!!」
全員「「「ダー!!!!!!」」」
白井「(ヘンな薬でもキメたようなハイテンションですの)」
一学期終業式の日、霧ヶ丘付属一年一組は沸騰していた。
それは来るべき陶酔の刻(とき)、トンネルを抜けた解放記念日である。
黒夜「ひっははははは!いいねェいいねェ最高だぜェ!!」
ガーッとローラーシューズでタイルを滑りながら黒板に落書きする黒夜。
絹旗「これでようやく撮影に超入れますね!さあ白井さん行きますよ!!」
白井の手を掴み、鞄を引っさげて駆け出そうとする絹旗。
白井「ちょ、ちょっとお待ちになって欲しいですのお二方!」
黒夜「青春に待った無しだぜェ白井ちゃン!夏休みにロスタイムはねェ!」
絹旗「ほらほら白井さんがいないと誰が“お姉様”に話通すんです?」
初春「あははは、じゃあ機材運搬の申し送りも白井さんに丸投げしちゃいますからよろしくお願いします」
佐天「あはっ。私も明日の夜から現地入りしますからよろしくー」
白井に書類の束を手渡して黒い笑みを浮かべる初春、補習に半日取られるので夜から入るとウインクする佐天。
外には一夏限りの油蝉達が開くサマーフェスティバル、内には姦しい少女達のコーラスが響き渡る。
ガヤガヤと騒がしい教室、ザワザワとさざめく校舎、成績に一喜一憂する嘆きと喜びの声。
絹旗「それじゃあ高等部の方に超行ってくるとしますか!!」
白井「こ、校内でセグウェイを乗り回すんじゃありませんの!」
黒夜「いいじゃンいいじゃン固い事言いっこ無し!」
絹旗「そうそう“お姉様”の前くらい素直な感じで超一つよろしくお願いしちゃいますよ♪」
白井「あ、あなた方はー!!」
セグウェイで校舎を飛び出す絹旗、虹の架け橋をローラーシューズで滑って行く黒夜。
そんな二人を顔を真っ赤にしながら空間移動で追い掛ける白井。それを見守る初春と佐天。
佐天「あー。白井さんベタ惚れだねー」
初春「それも両手に花。もうこの勢いじゃハーレム出来るんじゃないですかねー」
佐天「あははは。お姉様一筋だからそれはないよー」
――待ちに待った夏休みである。
~11~
結標「で、結局明日から“軍艦島”に立ち入りたいと」
絹旗「超待ちきれません!本当なら今すぐにでも行きたいくらいですよ!!」
結標「――で、私にその引率をしろと?」
黒夜「私らクラブじゃなくて同好会だから顧問とかいないし。淡希お姉ちゃんなら先生達も文句ないって」
結標「……黒子?」
白井「」ビクッ
霧ヶ丘女学院生徒会室にて、風斬が淹れてくれたローズヒップティーに口をつけながら結標は足を組み替えた。
ちょうどテーブルを挟んで向かい合う形でソファーに腰掛けた脇を固める少女らとは別に白井は針の筵である。
結標「確かに貴女達のサロンを創設してまで成し遂げたい熱意は先輩として尊重したいわ」
白井「はいですの……」
結標「機材の調達、撮影スケジュール、予算、etc.……高等部まで巻き込んだその実行力も」
白井「……はいですの」
結標「――この娘達に入れ知恵して私を担ぎ出したのも貴女ね?」
腕組みして鼻を鳴らす結標の機嫌は斜めである。絹旗らが立ち上げたサロン『活動写真』には顧問がいないのだ。
新部創設の時期を敢えて外し、名目上は同好会としながらその規模は正式な映画同好会より大きい上に――
絹旗「だってお堅い顧問とかいたら脚本に手入れたり仕切ったりして来て撮りたいもの超撮れませんし」
黒夜「あすなろ園でさんざん管理教育されて来たからもうそういうのヤだしー」
結標「~~処女作から同性愛を扱った作品なんて撮ろうってしたら反対されるに決まってるじゃない!」
フレンダ「まあ良いんじゃない?結局、生徒の自主性を尊重するって言う霧ヶ丘の校風からは外れてない訳だし」
結標「フレンダ!他人事だと思って……」
風斬「まあまあいいじゃないですか結標さん。執行部の滝壺さんもつくって言ってる事ですし」
滝壺「わたし、きぬはたの映画見たいな」
絹旗「超腕が鳴る声援ありがとうございます」
結標「~~~~~~」
扱う題材や内容や脚本がどう贔屓目に見てもピーキー過ぎるのだ。
通常の感性を持つ教育者ならばまず眉をしかめる代物と活動。
そこで白羽の矢が立ったのが――霧ヶ丘女学院生徒会及び執行部である。
彼女ら預かりという立場を得て、というよりそのコネをさんざん絹旗がしゃぶり尽くして。
~10~
結標「中等部生徒会の頭を飛び越すわ、現行の映画同好会の顔は潰すわ、学院長の弱味を握って脅すわ……貴女達ハリウッドマフィアにでもなるつもり?」
絹旗「超頼りになる諸先輩方の尽力に及び脅迫……いや協力頂けた先生方による賜物です!へへー」
黒夜「昔から思ってたんだよなー。助さん格さんって絶対黄門様の印籠盾にやりたい放題だって」
白井「(何という悪の帝王学)」
あれよあれよと窒素姉妹もといハリウッドマフィアはありとあらゆる手を尽くして撮影まで漕ぎ着けた。
今日は明日からの軍艦島入りの、撮影合宿における責任者を副会長結標と執行部滝壺に願い出るためである。
それは撮影日までにどうしても監督する顧問が見つからなかった場合に限ると釘を刺されてはいたのだが――
所詮は糠に釘。あまつさえメンバーではない白井の風紀委員という肩書きと結標との関係まで加味している。
白井「お、お姉様?どうかわたくしからも――」
結標「“副会長”、と呼びなさい黒子」
白井「ふ、副会長……」
風斬「いえいえ。結標さんも“黒子”って呼び捨てにしてるじゃないですか♪」
結標「~~~~~~」
風斬「公私混同は如何なものかなあ、って“会長”としては思いますよ?」
ソファーに腰掛ける結標、絹旗・白井・黒夜を給湯室から覗き見て茶々を淹れる風斬。パイプ椅子を繋いで横になる滝壺。
本棚に寄りかかりながらニヤニヤと成り行き見つめているフレンダ。ほぼ孤立無縁に等しいが――
結標「そ、それより機材の運搬は結局どうするつもりよ?私の座標移動だってそこまでは――」
滝壺「はまづら」
結標「!?」
滝壺「この間合コンでお持ち帰りした男の子。話したら車出してくれるって」
白井「(う、裏番長!!)」
切り返しとばかりに顧問が車を出すなりしなければ積み込めない荷の問題を、滝壺はあっさり解決していた。
一方通行が狂喜乱舞して霧ヶ丘女学院との合コンは一方通行・垣根・削板の三人に5対5だったので――
数合わせにウニ頭の少年とチンピラもどきの世紀末覇王HAMADURAが呼ばれたのだが
滝壺「男の子って、かわいいね」
黒夜「お、おゥ……」
白井「何という貫禄ですの……」
垣根は寒いマジックをしくじり失敗、削板は一気飲みのし過ぎで酔い潰れ、ウニ頭はラッキースケベで撃沈。
一方通行がお持ち帰りし浜面がお持ち帰りされたのはまた別の話である――
~9~
結標「……だいたいこんなところね」
白井「ですの!あ、佐天さんだけ明日は夜待ちになってから入りますの」
結標「佐天さん??」
絹旗「ああ、まだ顔合わせた事ありませんでしたっけ?この映画の脚本書いてくれた娘ですよ」
黒夜「そうそう。私達を一番最初にオリエンテーリングに誘ってくれた娘だよーん!ひっはは」
粗方細部まで突き詰めた頃には昼下がりに差し掛かり、結標が書類をトントンと耳を揃えて席を立つと――
補習のため夜待ちに入ってから軍艦島を訪れる予定の佐天の名に結標が首を傾げた。どうやら面識がないらしいが
白井「……?」
結標が席を立ち、絹旗が椅子を戻し、フレンダが帰り支度をし……
滝壺が目を覚まし、風斬が戸締まりをし、黒夜が鞄を肩に担ぐ。
だが白井はその光景に胸に引っ掛かるような違和感を……
喉に魚の骨が突っかかったような異物感を覚えた。
結標「そうなんだ?あのダンシングフラワーみたいな娘には黒子と初めて会った時いたから覚えてるんだけど」
フレンダ「結標ー?天然なのは風斬のキャラなんだからパクっちゃダメな訳よ」
風斬「わ、私天然じゃありませんよー!」
滝壺「大丈夫、私はそんな自覚のないひょうかを応援してる」
それは彼女ら生徒会メンバーに対して覚えたものでないのは今改めて目を凝らせば文字通り一目瞭然だ。
黒夜はケタケタと朗らかに笑っているし、絹旗はそんな白井をキョトンとした顔で見つめていた。
絹旗「白井さん超どうかしましたか?」
白井「あ、いえ……」
結標「どうしたの黒子?具合でも悪い?」
フレンダ「結局、言わぬが花って訳よ!」
黒夜「???」
フレンダ「――結標にポーッと見蕩れてただなんて言えない訳よね?白井さん」
白井「ち、違いますのー!!」
おかしいと
風斬「ふふっ……私が帰省中の間羽目を外さないで下さいね結標さん♪」
何かがおかしいと
黒夜「ひっはは、じゃあお邪魔虫は馬に蹴られる前に帰ろうぜー!」
いつだったか思い出せないほど以前に一度覚えた違和感が――
結標「ちょ、ちょっと貴女達!」
絹旗「じゃあ明日九時に虹の架け橋に超集合です!かいさーん!!」
全員「「「一学期お疲れ様でした!」」」
今、白井の胸に渦巻く疑念と逆巻く懸念が坩堝となって蜷局を為し――
~8~
結標「まったく、あの娘達ったら余計な茶々入れて……」
白井「………………」
結標「黒子?」
解散して尚未だ色褪せぬ蒼穹を仰ぎ見ながら結標はやれやれとかぶりを振った。
が、対照的に俯き加減で何やら考え込む様子を見せた白井が気になったのか――
ピトッ
白井「お、お姉様!?」
結標「貴女変よ?夏風邪でも引いたのかしら」
白井「~~~~~~」
結標「あら、熱がどんどん上がって……」
白井「誰のせいだと思っておられますのー!!」
白井の目線に合わせるように腰を落とし、両手を頬に挟みつけるようにして額を合わせて熱を計る。
しかしそれによって白井の顔がみるみるうちに赤くなり、薔薇色に差した頬が熱を帯びて結標に伝わる。
誰もいない校舎、誰も来ない下足箱、二人の話し声しか聞こえて来ないヒンヤリとした空気。
されど結標はそんな白井へ向かってニンマリと笑みを浮かべる。四つ年上の先輩(おねえさま)として。
結標「貴女、本当に私の事が好きで好きでたまらないのね。ダメよ?みんなの前では“副会長”って呼ぶ約束じゃない」
白井「うう……」
結標「こういう関係になったのだから、そういう事にも人一倍気を払わなくてはいけないの。わかるわね“黒子”?」
白井の覚えた奇妙な感覚を、結標は皆に冷やかされた事に対して気を揉んでいるのだと思っていた。
対する白井も間近にある玲瓏たる美貌に魅入られてしまったのかそれ以上言い返す事さえ出来ずに。
白井「わかりましたの……」
結標「いい娘ね。そんな貴女に今日はご褒美をあげましょう」
白井「?」
結標「デートしましょ?知ってるのよ今日は非番だって」
代わって結標が白井の手を引いた。影を落とす下足箱より光の射すグラウンドへと導くように。
運動部の掛け声、油蝉の鳴き声、校内で演奏を始めた吹奏楽部のホルンの音を背に二人は駆け出す。
堆く夏空に座す入道雲を横切る飛行船が気温は32度、風向きは良好、夕立の可能性ありとアナウンスして
結標「副会長なのは放課後までよ。いらっしゃい黒子!」
白井「は、はいですの!!」
開かれた白井の視界と拓かれた結標の世界。行きたいところが、やりたい事が、どんな宿題よりも山積みの夏休み。
――――白井黒子13才、結標淡希17歳、灼熱の夏――――
~7~
結標「テレポートしちゃえばいいじゃない。わざわざバスに乗らなくたって」
白井「たまにはこうやってのんびり過ごしたい乙女心がわかりませんの?」
虹の架け橋を渡り、下に流れる河川と上に見える土手にあるバス停留所にて二人は肩を寄せ合う。
ちょうど日陰になって心地良いそこは、隣り合わせにくっつく自分達のひんやりした素肌のようで。
結標「そんなものかしらね。嗚呼お腹空いたー」
白井「風情もムードもへったくれもねえですの!」
結標「色気より食い気よ。そうだ、私いい店知ってるの」
白井「どこですの?」
結標「んー……お蕎麦屋さん?」
白井「渋過ぎるチョイスですの!」
結標「中学生を連れて昼間から入れるお店ってあんまり知らないのよ」
白井のツインテールと結標の二つ結びが、組み合わさった二人の手に落ちる。
ここのところ白井は風紀委員の、結標は生徒会の、二人は期末テストの、それぞれ時間の割けない事情があったのだ。
白井「……風紀委員(わたくし)の目が黒い内は盛り場に出入りするのはお控えなさって下さいまし」
結標「はいはいわかったわよ。お堅い風紀委員さん?」
ジト目の白井と笑い目の結標の前に、滑り込むようにバスが――
~6~
白井「いけますの!」
結標「でしょ?ただ天ぷらの種類が多いのが長所でもあり短所でもあるわ」
バスに乗った二人が降りた第十五学区内にある蕎麦屋にて、白井は一口啜るなり舌鼓を打った。
蕎麦屋というから如何にも……と当初は予見していたが通された座敷は庭園に面した部屋であった。
どこからか雅楽が奏でられる音が、軒先につるされた風鈴の音色と合わさりかなり落ち着いた雰囲気である。
白井「もし食べきれないようでしたらわたくしがいただきますの!」
結標「じゃあ獅子唐の天ぷらあげる。当たりか外れかは神のみぞ知る、よ」
白井「あー……ん!」
結標「………………」
白井「………………」
結標「………………」
白井「~~~~~~」
結標「あははは!大当たりね!」
が、そうでもないのは結標が注文した夏野菜の天蕎麦の獅子唐に当たった白井である。
それは舌を焼く辛味にたまらず自分が頼んだ鴨南蕎麦のソバ湯で流し込まねばならないほどで……
あっぷあっぷする白井を見て大笑いする結標に白井はまたもや恨みがましい眼差しを送り――
結標「ほら、これちょっとあげるから機嫌直しなさいな」
白井「……誤魔化されませんの」
結標「いらないなら私全部食べちゃうけど?」
白井「……いらないなんて言ってませんの!」
小さな庭園を臨みながら二人は甘味を口にする。白井は黒蜜きな粉パフェを、結標は金粉入り葛切りを。
牛乳羹のプルプルした舌触りとツルツルした葛切りの喉越しが心地良く、澄み渡る青空が高く広い。
一口だけ、今のは食べ過ぎ、いいやもう少しと触れ合う足、ぶつかる肩。他愛もない夏の日の午後。
結標「あ、そうだ黒子」
白井「どうかいたしまして?お姉様」
結標「私ね、ちょっと欲しいものがあるんだけど付き合ってくれる?」
白井「お供いたしますの。ところで何を」
結標「行ってからのお楽しみ♪」
それはきっと何をするからでもどこに行くからでもなく、誰といるか。
自分がどうありたいか、どうなりたいか、どうしたいのか。
白井「ま、あまり期待出来そうにもありませんが」
結標「今食べた葛切り返しなさい!」
その時その場所その隣にいる誰かと思いを同じくするならば……
付き合い始めてひと月足らずに迎えた夏休みは、その全てがきっと――
~5~
白井「イヤーカフスですの?」
結標「そうよ。ピアスだと貴女が嫌がるでしょうしイヤリングだと目立つし」
蕎麦屋から流れついた先、そこはアクセサリーショップだった。
よくよく見れば結標が巻いている金属製のベルトと同じブランド。
ファンシーさとは縁遠い、黒と銀を基調とした店内は白井にとっても初めてでー
白井「まあ耳に穴を空けるのは痛々しそうですのでそれがいいですの!」
結標「ごめんなさいね。指輪だともっと目立つだろうし」
白井「目立っても構いませんのよ?お姉様とお揃いでしたらば」
結標「貴女ね、女子校はそういうの目敏い娘多いんだし敵を作るからやめなさい」
白井「愛に障害は付き物ですの!」
指輪、というチョイスをあえてズラして来たのは一ヶ月記念日に回したいというのを結標は黙っていた。
事実二人の関係性は比較的大らかに受け入れられているが、白井の側には旧来からの結標のファンの視線が痛い。
ルームメイトを失ってからも度々寄せられる懸想をしたためた文や告白はやんわりと断って来たものの――
それを新入生の、そのまた一年生が一学期中に陥落させたのだ。周囲にとって面白かろうはずもなかった。
白井「これが欲しいんですの!」
結標「あら、ブルーローズね」
幸いにして白井自身がそういう事を鼻にかける事も、逆にやっかみ混じりのネチネチしたひがみも……
どこ吹く風とばかりに肩で切って歩くタイプであったため結標もさほど心配はしていなかった。
ただ生徒副会長の自分に絹旗らがあれこれ要求するのを白井が入れ知恵したりするのは公私混同と取られかねないので――
学内では『副会長』『白井さん』と呼ぶよう務めてはいるが、その辺りはまだ中学一年生なのだろうと。
白井「むっ、付け方がわかりませんの!」
結標「貸してみて……ふー♪」
白井「ああん……って何しやがりますのー!!」
結標「あら、貴女が耳弱かっただなんて新しい発見ね」
――年上ぶったところで店内で白井の耳にイヤーカフスを取り付けがてら悪戯を仕掛ける結標も結標である。
そんな二人が選んだイヤーカフスはブルーローズ。青い薔薇の意匠が優雅に繊細に刻まれたストーン付き。
白井「わたくしもつけて差し上げますわ」ギリギリギリギリ
結標「痛っ痛っ!」
思い切り耳朶を引っ張り返す白井もまた、勝ち気な先輩に負けず劣らず利かん気な後輩であるようで――
~4~
そして二人がお揃いのイヤーカフスをつけ、ショップから顔を出すと――
サアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
結標「狐の嫁入り……」
白井「天気雨ですの。お姉様こちらへ!」
真夏の太陽に輝く天空より、光の粒子を閉じ込めたような夕立が二人に降り注いで来た。
そこで白井は日傘の役割も兼ね備えるパラソルを差してその中へと結標を導いた。だが
白井「~~~~~~」
結標「仕方無いわよ私の方が背が高いんだから。ほら貸しなさい」
身長差が合わず、背伸びした白井と猫背になった結標では収まりがひどく悪かった。
濡れ始めた石畳に地団駄を踏んで悔しがる白井を、結標は微苦笑を浮かべながらも傘を取り持って。
結標「いらっしゃい。小さなお姫様」
白井「子供扱いしないで欲しいですの!」
結標「子供扱いなんてしてないわ。大切な彼女(パートナー)に夏風邪なんて引かせたくないもの」
白井「………………」
結標「黒子」
ピョンとその懐に飛び込み、二人はバス停までの短い道のりを相合い傘で渡り歩いて行く。
――どちらともなく、絡ませた手指を傘の柄につなぎ合わせながら――
~3~
結標「ねえ黒子。前々から聞きたかったのだけれど」
白井「何ですのお姉様?」
結標「貴女はどうして、あの娘達の映画作りに協力しようと思ったの?」
二人しか乗客のいない自動運転の無人バスに揺られながら、結標は窓を伝い落ちる雨を指先でなぞっていた。
鏡のように映り込んだ白井の顔を、硝子越しに愛でるようにして。どこからともなく漂って来る夕立の匂いを感じながら。
白井「お姉様。あの二人はこの学校で初めて出来たお友達ですのよ?友達の頼みは聞くものですの」
結標「貴女らしいわね黒子……」
白井「それに――……」
結標「………………」
白井「彼女達が作る映画が、まるでわたくし達の事を描いているように感じられて」
太陽の下、クリスタルを散りばめたように輝く夕立の学園都市(まち)。
スコールのように白く染め上げる雨が逃げ水を押し流して水煙を立てる中――
結標は振り返って白井のブルーローズのイヤーカフスに手指を触れた。
白井「思うんですの。わたくし達の二人の関係。それは見た方々に一体どう受け止められるのかが」
結標「黒子………………」
白井「幸い、霧ヶ丘(このがっこう)ではさほど珍しくもない事ですが、わたくしはそこまで夢見がちではございませんの」
漫画のように悩んだり、小説のようにすれ違ったり、映画のようにぶつかり合うには二人はある種達観していた。
例えば一組の同性愛者がいたとして、その彼女ら或いは彼等がどんな結末を迎えて来たか……
それを本当の意味で知り得るのは当事者しかいない。いずれかが迎える死の果てに終わりを迎えるのか。
ありもしない天上の世界で添い遂げる事を夢見て地上の楽園へ原罪の果実も取らずに別れを告げるのか。
白井「さりとて殊の外悲恋を装うつもりも悲嘆に暮れる趣味もわたくしにはございませんのよお姉様」
結標「……黒子は強いわね」
白井「そうでもございませんの。ただ」
結標「ただ?」
白井「――貴女の愛おしい脆さを補う形で、わたくしの打たれ強さがそこにあるならば」
白井は、出来上がった映画を見て人々が思い浮かべた何かしらの思いを通じて、それを知りたいのかも知れないと
白井「――そこできっと初めて、わたくしはお姉様の恋人(パートナー)になれたのだと胸を張れますの!」
――――バスが、霧ヶ丘停留所へと止まった――――
~2~
二人きりのバスを降り、一つきりのパラソルの下共に歩み出す。
その時である。白井の双眸が驟雨降り注ぐ雲の峰へ向けられた。
その刻である。結標の相貌が蒼穹より射し込む天使の梯子へと
白井「虹ですの!」
結標「ええ、本当ね。虹なんて何年ぶりに見たかしら」
――その間にかかる七色の橋、虹が天気雨の下天使の梯子に連なるように天上を彩っていたのだ。
思わず傘を持つ結標も白井の指差す方角へとつられたきり立ち止まってしまうほど大きな大きな虹。
その根元を見る事が出来たものには幸福が訪れるとも最高の暇潰しアイテムが手に入るとも――
白井「……?」
再び白井を襲う奇妙な既視感。自分は何故そんな都市伝説(アーバンレジェンド)を知っているのかと――
結標「……ねえ黒子?」
白井「なんですのお姉様?」
結標「私、前に話した事があったわよね。絹旗さんと黒夜さんの事。アゴタ・クリストフの“悪童日記”の双子みたいって」
白井「ええ。そう仰有っていた事、わたくしよく覚えておりますの」
傾げた首が、虹を見上げる結標とその背に未だ陽光を受けて輝く雨滴へと向き直り仰ぎ見る形となった。
白井が覚えた奇妙な感覚は、硝子細工のような結標の顔に魅入られる事でまたしても雲散霧消してしまった。
結標「それで思い出したの。あの二人が作るとある夏雲の座標殺し(ブルーブラッド)って映画、その悪童日記を下地にしてるんじゃないかって」
結標は語る。耽美な同性愛をメインテーマにしているようでその実――
戦争後の世界というそぐわない舞台を持って来たという点について。
心身共に分かち難い双子をそのまま二人のヒロイン『赤』と『黒』に置き換えれば……
物語の中でやって来る『異端宗派』は悪童日記の『解放軍』に当たる。
うち一人の片割れが脱出するところを学園都市ではなく『大きな街』に差し替えれば――
結標「だってそう思わない?ただの女の子同士の恋が書きたければ争いも諍いもない学校生活やパラレルワールドを舞台にした方がずっと楽なはずだもの」
共依存の関係性を同性愛に、悪童日記での性倒錯者や意地悪な魔女を復興に携わる協力者に並べ変えれば――
結標「離れ離れになるクラウスとリュカが、今こうして同じ虹を共に見上げてる私達のように笑っていられる……そんな物語をあの娘達は描きたかったのかしらね――」
~1~
白井「………………」
白井は思う。果たして本物(げんじつ)よりも美しい偽物(ものがたり)があったとして、それは正しい世界なのかと。
血を流すクラウス、涙を流すリュカ、汗を流す人々、『生きる』という事はそういう事ではないのかと。だが
白井「……わたくしは続編の“ふたりの証拠”“第三の嘘”を読んでいないので何とも言えませんが……」
結標「………………」
白井「今ここにあるわたくし達が証拠(ほんもの)で、そこに嘘(まやかし)はないと信じたいですの」
結標「――……そうね」
パラソルを投げ捨てる。離れた両腕を回す。例えこの涙のような雨に打たれようとも離さないと。
誰もいない、誰もいらない、誰も触れない、誰も知らない二人だけの国(せかい)がそこにはあった。
結標「貴女はクラウス?」
白井「わたくしはリュカですの」
結標「どこにも行かない?」
白井「貴女がどこかへ行けば国境を越えてでも追い掛けますの。例え地雷に身を裂かれ焼け死のうとも」
結標「貴女が不治の病に命を蝕まれたならば、口移しで毒薬を与えて一緒に死んであげるわ。私の黒子」
白井・結標「「この虹の橋を渡って」」
頬を濡らす水、瞳を潤ませる露、服に纏わりつく雫、冷たい雨だからこそより強く感じられる互いの温もり。
朝方から泣き喚くアブラゼミも、昼間から鳴き出すツクツクボウシも、夕暮れに歌い上げるヒグラシもいない。
空に渡される赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の桟(かけはし)、虹蛇が誘う楽園の果実より甘美な存在。
結標「……びしょびしょに濡れちゃったわね」
白井「口実としてはもう十分なのでは?」
結標「……氷華が今日から帰省するって聞いたらもうこれなんだから」
白井「ご心配なく。使うベットは一つで済みますので風斬先輩にご迷惑はおかけしませんの」
結標「半分こ、ね」
投げ捨てられたパラソルを背に、二人は霧ヶ丘女学院の寮部屋へと向かう。
理由(いいわけ)など何でも良かった。そこに共犯意識(こうじつ)があれば。
お揃いのイヤーカフスに刻まれた青い薔薇の荊棘のように絡み合えたならばと。
終わらない永遠の夏休みを
有り得ない8月32日を
クラウスとリュカのように手と手を取り合って二人は行く
この雨に引き裂かれぬよう、この風に離れ離れにならぬよう――
死 が 二 人 を 分 か つ ま で
~0~
麦野「……か」
御坂「んっ……」
麦野「……さか」
御坂「あっ……」
麦野「起きなよ御坂。もう五分前だって」
御坂「!」
――麦野の呼び掛けに御坂が目を覚ましたのは、母美鈴との待ち合わせ時間に程近くになってからだった。
せいぜい30分程度の浅い眠りのつもりが思いの外深く寝入ってしまっていたらしく胸を貸していた麦野が
麦野「……良く寝れたっぽいね。人の胸に涎垂らしてアホ面こいて」
御坂「ええっ!?ご、ごめん私垂らしちゃった!!?」
麦野「嘘だよアホが。お気にのワンピにそんな真似されたら起こす前に永眠させて上の墓地に放り込んでる」
御坂「」
麦野「まだ寝ぼけてんなら優しくさすってやろうかにゃーん?」
御坂「う、うるさいわねバカ!!」
相変わらず人を小馬鹿にした顔で見下ろして来る事により御坂は慌てて離れて身繕いしながら身体を離す。
何か寝ている間に語り掛けられたような、夢の中で呼び掛けられたような気がしたが思い出せなかった。
麦野「その元気があるならもう大丈夫だね。じゃあ私この後用事あるからもう行く」
御坂「お母さんに、会ってかないの??」
麦野「あんたの母親であって私のママじゃねえんだよ」
思い出せぬまま気を揉む御坂の顔色を見るなり麦野は何やら感じ取ったのか、地下駐車場にてエンジンをかける。
御坂も車から降りようとし、付き合わせちゃってごめん、送ってくれてありがとうと麦野に謝意を口にしながら
御坂「――ありがとう、麦野さん」
麦野「………………」
御坂「あんたは私の事“友達じゃない”って良く言うけど」
麦野「………………」
御坂「――私、勝手にあんたの事友達だって思ってるから」
麦野「………………」
御坂「私一人でだって、ずっとずっとそう思ってるからね」
麦野「………………」
御坂「だからまたね!」
そう告げた御坂に一度だけ手を振ると、麦野はヴェンチュリーを地下駐車場から発進させて行った。
麦野「……“また”、ね」
――目映い光溢れる夏空の下にあって底冷えしそうなほど暗く冷たくそして深い奈落を宿した眼差しを湛えて
麦野「――するもんじゃないよ。“約束”なんてもんはね――」
ナビゲーションパネルを操作し、目的地を打ち込み、ギアを入れ替えて向かう先は――
~8月12日~
佐天「こんな時御坂さんは何やってんのさ!!」
初春「佐天さん落ち着いて下さいよ……」
佐天「落ち着いてなんてられないよ初春!こんな時にみんな本当にどうしちゃったの!?」
同時刻、風紀委員としての活動停止を命じられた初春の部屋に押し掛けて来た佐天の怒りは頂点に達していた。
つい先ほども御坂に電話をかけたのだが通じないのだ。昨日は婚后に言伝を頼み麦野らに渡りをつけてもらったが……
今朝も、今現在も、御坂からは電話の一本、メールの一通も届いては来ない。あまりに薄情だと憤っているのだ。
佐天「こんな時私達いつも一緒だったじゃん!どうして一番大事な時に限ってみんなバラバラなの!?」
実際問題白井が悪の枢軸に囚われたならまだしも、捕らえられた先は初春らと同じ法の番人(アンチスキル)だ。
考えなしに行動を起こせば状況はただ悪化していくばかりだと佐天とて理性ではわかっているのだが――
先立つ感情がそれを受け入れられなかった。常盤台での紙爆弾、妹達の墓参り、いずれも知らぬが故に。が
初春「落ち着いて下さい佐天さん。私も、全く何の手掛かりも掴んでいない訳じゃありませんから」
佐天「初春?」
初春「――活動停止処分が下る数分前に入手した情報です。本当は部外者に見せちゃいけないんですけど」
避難所の小部屋でノートパソコンのキーボードを叩く初春の手付きはいつも通り冷静で的確だった。
風紀委員一七七支部の活動停止処分が執行される前、白井拘束の報を受け佐天が飛び出した後に――
初春は守護神の異名に相応しいウィザード級のハッキング能力を駆使して捜査情報を引き出したのだ。
活動停止処分前の情報のため今現在は決して手を染めない限りなく黒に近いグレーの綱渡りの果てに。
初春「今現在の進捗状況や最新情報は全くわかりませんが、白井さんの居所だけは掴めたんです。ここですよ」
佐天「第十九学区!?」
初春「――旧電波塔“帝都タワー”です。佐天さんにはこう言った方が通りが良いかも知れませんね」
辿り着いた先、ポルターガイスト事件の嚆矢となった学園都市のゴーストタウン。
その忘れ去られた電波塔の形状と、そこに収容される犯罪者達を指して……
『バビロン捕囚』の故事に習ってそれを知る人々はこう呼ぶ――
初春「通称“バビロンタワー”……白井さんはそこにいます」
~回想・在りし日の二人~
姫神『淡希』
結標『なに?秋沙』
ホタルブクロのランプシェードが淡く輝き、締め切られた夜の部屋に妖しい灯火をもたらす。
姫神はその頼り無い光源をもとに結標の身体に手指を這わせる。僅かに軋る衣擦れの音と共に。
姫神『前に。淡希は言ってた。昔“暗部”ってところにいたって』
委ねた身から、一枚一枚引き剥がされて行く感覚を結標は好んだ。
結標『まあそうね……どうしたのよ“こんな時”藪から棒に』
ジワリジワリととろ火で炙られるような焦れったさが。
姫神『その時。危ない事もいっぱいしてたって』
自分の身体をあの手この手で篭絡させようと伸びる手指が。
結標『危なくない仕事なんてなかったわ。どいつもこいつも私なんて可愛い方だって思えるくらいの化け物揃いだったんだから』
その指先がなぞるは結標の身体に薄く残った疵痕。
姫神『避難所の調理室で。御坂美琴って人と話した時。彼女は淡希の事で。言いよどんでた。それも?』
結標『その通りよ。まさか一日の間に二人のレベル5の相手をさせられるだなんて思ってなかったけれど』
その疵痕が姫神に疑問を抱かせたのだと知ると結標もまた回顧する。
学園都市最高の電撃使いと学園都市最強の能力者と切り結んだ日の事を。
結標『私自身が九人目のレベル5になった今だからこそわかるわ。あの連中がどれだけ化け物じみてるか』
AIMストーカーは今や対能力者に限ればその影響力は計り知れない。
ナンバーセブンにはありとあらゆる意味で人の理解の及ぶ所ではない。
メンタルアウトはその気になれば一軍すら率いる事が出来る。
メルトダウナーの持ち得る破壊力とフィジカルは底が見えない。
ダークマターの世の理さえねじ曲げる力はもはや絶望すら覚える。
アクセラレータに至ってはレベル5という枠さえ超越している。
結標『それとはまた違った意味で手を焼かされた相手と言えば――』
姫神『言えば?』
結標『――常盤台の超電磁砲(レールガン)よ』
姫神『一位の人じゃなくて。三位の人?』
結標『そうよ』
最強の敵は一方通行だが、最悪の敵は御坂美琴であると結標は語った。
結標『何故私が彼女を恐ろしいと感じたのか、教えてあげましょうか?』
――それは、二人の在りし日の記憶――
とある白虹の空間座標(モノクローム):第十話「十字架の丘で」
~8月12日~
美鈴「ふう……」
盆入り前日の8月12日、御坂美鈴は学園都市第十学区へと降り立っていた。
最も地価が安く、最も治安が悪く、最も縁起の悪い学区。
美鈴はかつて断崖大学データベースセンターで殺されかけた経験など微塵も感じさせない足取りで歩を進める。
その後ろに付き従うように歩む四つの足音と一つの杖をつく音に、美鈴は振り返って声をかけた。
美鈴「みんな大丈夫ー?」
打ち止め「大丈夫だよってミサカはミサカは麦藁帽子を直しながらバッチリ決めてみたり!」
番外個体「暑い……暑い……」
御坂妹「ああ、貴女は日本の夏は初めてでしたね、とミサカは今にもへたり込みそうな末っ子に手を差し伸べます」
一方通行「………………」
打ち止め(ラストオーダー)、番外個体(ミサカワースト)、御坂妹(御坂10032号)、一方通行である。
彼等は今第十学区にある共同墓地へと向かっているのだ。中でも一方通行はマリーゴールドの花束を携えている。
何故加害者側と被害者側と遺族側が一同に介しているのか?それは美鈴が麦野と共に冥土帰しの病院へ……
四肢動かず失明しかかっていた麦野に付き添っていた際打ち止めに出くわしたのだが――それはまた別の話である。
美鈴「君は大丈夫?」
一方通行「……あァ」
そう言う一方通行も美鈴救出に陰ながら一役かっており、現在に至る。
その雪華のような、いっそ半神的な顔立ちに浮かぶ顔色。
そこに宿る色に名前を付けられるものなど誰もいない。例え
美鈴「あ!美琴ちゃーん!」
御坂「………………」
一方通行「………………」
打ち止め「お姉様五日ぶり!ってミサカはミサカはロケットダッシュ!」
御坂妹「おや?お姉様もお顔がすぐれませんねとミサカはアンニュイなお姉様に駆け寄ります」
番外個体「湿気たツラしてるねえおねーたま」
一方通行「………………」
番外個体「――いいね、貴方のそう言う顔。ミサカが唯一好意を持てる表情だよ?」
それが殺した側、殺された側、共犯者側であったとしてもだ。
一方通行と御坂の間に流れる血の河に架け橋はない。
過去にもし(if)は有り得ない。if(もし)は未来にしかないのだから
御坂「………………」
一方通行「………………」
そして現在(原罪)も――
~1~
御坂00003号、死因『爆殺』
昔、誰かが言っていた。人を殺したヤツはもう全てを諦めろって
御坂00011号、死因『刺殺』
許すも、許さないも、許されるも、許されないもないって
御坂00117号、死因『斬殺』
許しなんて言葉があるからいつまで経っても人殺しが減らない、人殺しが増えるんだって
御坂00311号、死因『絞殺』
殺された人間の諦められなかったもの、譲れなかったもの、守りたかったものを奪っておいて
御坂01995号、死因『撃殺』
誰かの記憶の中で、もう写真の中でしか笑えない笑顔を奪っておいて何かをやり直せるなんて有り得ないって
御坂02011号、死因『縊殺』
人を殺した罪悪感は無限増殖する悪性新生物(ガン)と同じように自分の細胞(こころ)を食い潰していく
御坂03692号、死因『撲殺』
負った背に走り抜ける罪悪感(いたみ)に涙を流して血を吐いて声を枯らして嘆いたって
御坂04728号、死因『挟殺』
神様は治療薬(すくい)なんてくれない。人は痛み止め(たすけ)なんて売ってくれないって
御坂05319号、死因『殴殺』
だって抱えた負債(つみ)で破産してるからだって。罪を背負って『まだ』生きる事を前提にしてるからだって。
御坂06544号、死因『惨殺』
殺された側からすれば、殺した側がどんなに尊い贖罪に残りの人生を捧げようと全然無関係な話なんだって
御坂07160号、死因『轢殺』
生きる理由を後付けして、死ねない言い訳を探して、死刑執行までの猶予期間にしがみついてるんだって
御坂08257号、死因『扼殺』
罪が許されるのと、罰が赦されるのは似ているようで違うって
御坂09982号、死因『圧殺』
許しを乞うのは、いつだって加害者の側だって
御坂10031号、死因――
その言葉の全てが、私『達』に重くのしかかる――
~2~
第十学区にある共同墓地。そこは引き取り手のない遺骨が収められたある種の無縁仏に近しい性質を持つ。
その内訳はおよそ三つに分けられる。一つは置き去り(チャイルドエラー)、一つは学園都市暗部。
残る一人は犯罪者と言った具合なのだが、御坂達が参る『妹達』は存在しない四番目に当たる。
御坂10326号「お待たせいたしました。どうぞ中へ、とミサカは丁重にブースまで案内します」
御坂「――お疲れ」
美鈴「ありがとう……」
共同墓地の受付より姿を現したフォーマルスーツに身を包んだ職員……
御坂10326号。ネームプレートに『御坂美弦』と刻まれた妹が先導する。
妹達にもそれなりに自我や個性や生きる意味を見出す者が生まれる中――
墓守という仕事を通じて『死』を見つめる変わり種の妹である。
御坂10326号「念の為に繰り返えさせていただきますが、献花や供物は一定量ないし微生物の繁殖が基準値を越えた場合自動的にダストシュートへ破棄されます、とミサカは厚紙のトレイを手に確認いたします」
美鈴「ええ、大丈夫よ……お願い出来るかしら?」
一方通行「………………」
立体駐車場に似た構造の墓地を移動するエレベーター内で御坂10326号が美鈴と一方通行へと向き直る。
美弦、という名は美鈴が妹達の存在を知った時に付けた名前の一つである。『琴』に連なる『弦』として。
だが当の御坂10326号は記号としての名前や遺伝子上の母親である美鈴に特別な感慨は持っていない。
打ち止め「……お堅いねどーも」
御坂妹「貴女が砕け過ぎなんですよワガママ放題の末っ子、とミサカは人のふり見て我がふり直せの精神を発揮します」
打ち止め「これも一つの個性だからね!ってミサカはミサカは慇懃な10326号の顔をマジマジ見たり!」
美鈴「ふふっ……」
呆れ顔の番外個体、そんな彼女を肘打ちする御坂妹、見上げる打ち止め、静かに微笑む美鈴。
そんな彼女らをよそに一方通行が御坂10326号に手渡すはマリーゴールドの花束。
それは太陽や聖母を司り、中南米では『死者の日』に手向けられる花である。
花言葉には諸説あるが、三つほど挙げるならば一つは『濃厚な愛情』、一つは『嫉妬』、残るもう一つは
御坂「………………」
もう一つは――
~3~
御坂「………………」
開かれるエレベーター、辿り着くホール、射撃場のように仕切られたパーテーションにも似たブース。
御坂達の前にスライドされて来たのは骨壺ではなく小さな慰霊碑であった。何故かと言うと――
浜面『――駒場のリーダーもそうだったからさ』
妹達の亡骸は全て電子炉にくべられ灰となり、下水を通して破棄されたがために遺骨はおろか遺髪さえない。
美鈴がこの慰霊碑を建立したのは、彼女達の生きた証を残したいという親心がそうさせたものである。
同じく一方通行の手により果てた駒場利徳の慰霊碑も浜面や服部、スキルアウトらの出資により建てられた。
美鈴「――みんな、手を合わせましょう」
一方通行「………………」
美鈴の呼び掛けに、皆が手を合わせて頭を垂れ目蓋を閉じて祈りを捧げる。
その中にあって一方通行だけがそれにならわない。それは彼が礼を逸しているからではなく
一方通行「………………」
番外個体「………………」
杖をついているためである。番外個体は知っている。それによって彼は手を合わせる事すら許されないと。
手を合わせれば、杖を持たぬ身体はたちどころに崩れ落ち妹達の前に跪いてしまうだろう。それは許されなかった。
膝を折ってしまえば、どうやって妹達の前に立てば良いのだ。それでは許しを乞うているようではないか。
故に一方通行は真っ直ぐに慰霊碑を見据える。彼は一万三十一人、その一人一人を前に……
自分の犯した原罪の聖像(イコン)を一つ一つ刻む。その胸の内を知るものは誰もいない。ただ『二人』を除いて。
御坂「………………」
御坂もまたそうだ。余人には伺い知る事の出来ないものを抱えてこの場に立っている。
ともすれば崩れ落ちてしまいそうな自分を必死に支えている。母たる美鈴にそれを預ける事はしない。
美鈴もまた御坂や一方通行に対し一方ならぬ感情や、一万三十一人の『娘達』に対する感傷がある。
打ち止め「………………」
御坂妹「………………」
当事者であった彼女達もまたそうだ。今現在もネットワークを介して皆が祈りを捧げている。
そこに介在する怨念も、内在する恩讐も、一人独りが異なった色合いと質量を有しているのだ。
御坂10326号「………………」
『死』を見つめる墓守は、彼女達が捧げる鎮魂をただ黙って傍らに控える事でそれを見届ける。
誰とも無しに顔を上げ、静謐な空気がゆっり立ち返るその時まで――
~4~
美鈴「ジュース何飲もうか?」
打ち止め「うん!メローイエローが良いなってミサカはミサカは旧き良き時代の味を味わってみたり!」
美鈴「ああ、最近復刻したらしいわね。何だか懐かしくなっちゃったから私も飲もうかしら」
御坂妹「お母様は本当はおいく(ryや、止めて下さい耳を引っ張らないで下さいとミサカは口は災いの元と(ry」
一つの確認行為(つうかぎれい)を終えると美鈴は喉の渇きを訴える打ち止めの手を引きロビーへと出る。
メローイエローは表の自販機にしかありませんよと言いながらも耳を引っ張られる御坂妹を伴って――
番外個体「………………」
一方通行「………………」
御坂「………………」
その場には三人が残された。悪意と大罪と絶望を抱えた三人が。
中でも御坂は妹達の墓参に当たる前より白井の問題について疲労を覚えていた。
それと同時にこうも感じていた。遺体すら見つからない結標や姫神もまた……
こんな風に、遺骨も違灰も遺髪もない鎮魂の慰霊碑の一つになるのだろうかと。
今更妹達の事について一方通行と対話を試みようとも歩み寄ろうとも思わない御坂は――
御坂「……あんたのところの結標さん、亡くなったんだって?」
一方通行「………………」
番外個体「おねーたま」
一方通行「それとこれとが、オレとオマエになンの関係がある?」
御坂「っ」
切り裂くつもりで振るった言葉の刃を前に立ち塞がろうとした番外個体を手で制して一方通行が口を開いた。
反発や反感や反駁や反論や反射とも違う、煽るつもりも嘆くつもりもないただの空気の振動。
御坂「……別に。知ってたんならそれで」
一方通行「………………」
番外個体「おねーたまさぁ」
御坂「………………」
番外個体「別に第一位の肩持つ訳でも、おねーたまに楯突くつもりもミサカにはないんだけどさ」
一方通行はこの事を知っているのかいないのか、今初めて聞いたのかそうでないのかもわからない。
それは絶えず死と隣り合せだった同僚の訃報を前に、来るべきものが来たかという諦念なのかさえ。
番外個体「――そういうの、すっげーウザい」
だが万に達しようかと言う悪意のせめぎ合いの直中に立つ番外個体はそれを敏感に察知する。
~5~
番外個体「当て擦りも結構、イヤミったらしいのも結構、啀み合うのも大いに結構。だけどね」
御坂「………………」
番外個体「――不甲斐ない自分への苛立ちをネチネチ小出しで人に向けるの止めなよ。ミサカそういうのすっげーわかるから」
一方通行「………………」
番外個体「良い機会だしこの際だから言わせてもらうよおねーたま」
御坂「………………」
番外個体「妹達の調整してんのは誰?カエル顔の医者でしょ。あの娘達の墓建てたのは誰?美鈴さんでしょ。打ち止めを救って私を助ける為に身体張って血反吐撒き散らして地べた舐めて今も報いを受けてるのは誰?」
御坂「っ」
番外個体「――その間貴女がしてた事なんて、せいぜいが友達とお茶してるかこの人の友達の尻追っ掛け回してただけでしょ」
一方通行「やめろ」
番外個体「――泥も掴もうとしないお綺麗な手で都合良く石だけ選んでぶつけてんじゃねえよ!!!!!!」
一方通行「やめろってのが聞こえねェのか番外個体!!」
今にも掴みかかりそうな番外個体を、一方通行の発した怒気が押し留めた。
対する御坂の心は潤いを無くして渇ききり、今にもひび割れつつあった。
ただでさえしんとしたロビーの空調が更に数度は下がったような空気の中――
一方通行「――場所考えろォ」
番外個体「……ふんっ」
番外個体は一方通行からも御坂からも目を切り、ドカッとソファーに腰を下ろして足と腕を組む。
御坂の遺伝子を持つ者の中で、番外個体だけが避難所に寄り付かなかった理由はここにある。
番外個体「………………」
御坂「………………」
一方通行「………………」
一方通行の戦友にして御坂が懸想する上条当麻は手の中にあるもの全てを抱えてなお誰かに手を差し伸べる。
同様に浜面仕上もいざとなれば手の中にあるものを守るため手を血泥に汚す事も辞さないだけの覚悟がある。
一方通行に至ってはもはや語るべくもない。だが御坂美琴にはそれがない。少なくとも番外個体から見て。
故に番外個体は御坂の在り方を理解しつつも決して共感などしない。御坂の犠牲と代償を伴わないやり方は
番外個体「(シルクのハンカチに、ボロ雑巾と同じ真似出来っこないでしょ)」
数多の代償と幾多の犠牲の果てに生まれた番外個体にとっての、存在そのものが一種のアンチテーゼなのだ。
~6~
美鈴「じゃあ、今日はここでお別れね」
打ち止め「うん!今回はいつまでいられるの?ってミサカはミサカはお母様のスケジュールを確認してみたり!」
美鈴「うーん、お盆初日の帰省ラッシュもあるから明日の夕方頃までかな?」
御坂妹「お気をつけ下さい今夜はスーパーセルが発生するようなので、とミサカは昨夜の気象予報を思い返します」
美鈴「ええ。ホテルから出ないようにするわ。ごめんなさいね黄泉川さんや芳川さんにもご挨拶出来なくて」
番外個体「あー黄泉川こそ昨日から出突っ張で芳川もこちらこそ申し訳ないって言ってたし」
美鈴「ふふ……来月もう一度改めてお邪魔させてもらうわね。そう伝えてくれないかな?鈴科君」
一方通行「……あァ」
美鈴「ありがとう……」
共同墓地より出た後、一同はエントランスホールにて別れを告げた。
美鈴に買ってもらった白いワンピースと麦藁帽子をかぶる打ち止めがメローイエロー片手に手を振り……
別れ際の抱擁にあたふたするも何とか冷静さを取り戻した番外個体といつも通りの御坂妹が一礼する。
黄泉川、芳川への言伝を頼まれた一方通行も目でそれを伝えると三人を引き連れて去っていった。
美鈴「あーん、食事くらい付き合ってくれたっていいのにー」
御坂「色々あるんでしょ?何かさっき絹旗の冷やし中華がー!とか聞こえてきたし」
美鈴「うふふ、そういう美琴ちゃんはお母さんに付き合ってくれるわよね?」
御坂「軽いのなら。遅めの朝麦野さんと食べちゃってまだあんまりお腹減ってない」
美鈴「あら、沈利ちゃんと?」
涼やかだったエントランスホールよりムッと毛穴が開くような真夏の太陽を浴びながら美鈴が振り返った。
御坂は知らない。美鈴が妹達の事を知ったのは10月3日、麦野に連れ添った病院での事だと。
御坂は知らない。七夕事変の際自分の代わりに奮戦していた麦野が、美鈴と交わした約束さえ。
美鈴「そう、沈利ちゃんとね……うふふ。お母さん真っ昼間からキューっとお酒飲めるお店がいいな♪」
御坂「なに!?なにそんなニヤニヤ笑ってんのよこのバカ母!それに昼間っから酒飲むな!」
美鈴が何を想い、何を秘め、何を悼みながら墓前に手を合わせていたのかさえ――
美鈴は母親として、娘たる美琴に伺い知らせる事はなかった。
~7~
美鈴「冗談のつもりだったのに~~」
御坂「昼間っからベロンベロンになられたら私が恥ずかしいのよ!!」
結局二人は美鈴が逗留するホテル『ミネルヴァ』のレストランにて遅めのランチをとる事にしたのだ。
インデックスの記憶を巡る事件で麦野らと泊まったホテル。そこで美鈴はオマール海老のパエリアを口に運び
美鈴「流石に保護者会を前にそんな事しないわよー。ただでさえピリピリしてるみたいだし」
第三次世界大戦前には保護者会による子供達の返還要求があり、頓挫した経験が美鈴にもある。
先の6月6日には第七学区が壊滅、7月7日には避難所が襲撃と保護者らの不満と不安は破裂寸前である。
御坂は知らない。それに絡んで美鈴が命を狙われた事件の事を。
それを憎い一方通行と愛しい上条と、そして麦野が身体を張った事も。
美鈴「でも肝心の子供達はどう?美琴ちゃんの目から見て」
御坂「うん、うちの常盤台も最近は随分落ち着いて来たかなー」
美鈴「そう。みんな元気にしてる?」
御坂「っ」
そこで思わず口にしていた黒ザクロのフレッシュジュースを咽せそうになるのを御坂は辛うじてこらえた。
妹達の墓参り、常盤台の紙爆弾、それに加えて白井の安否までのしかかっていた御坂にとって――
御坂「う、うん!みんな元気バリバリよ!むしろ夏休みの宿題なくって嬉しいー!!なんて佐天さん言ってたし!!!」
佐天涙子。昨夜は麦野からの結標淡希死亡の報を受け茫然自失となって電話さえかけられなかった。
今朝もそんな彼女に連絡を入れる事なく、白井の安否を優先するあまり手掛かりを知る麦野にコールを入れてしまった。
如何に手一杯とはいえ些か義理を欠いたかと内心で詫び、これが終わったならば必ず連絡しようと――
ハナテ!ココロニキザンダユメヲミライサエー
御坂「あ、ごめん電話来ちゃった」
美鈴「いいわよん。ただしお店の外でね」
思った矢先にけたたましく鳴り響く着信音と表示される発信者番号。
それは今や常盤台三大派閥が長にして御坂の友人婚后光子からであり――
御坂は通話ボタンを押すとレストランから出、その間にアルコールを頼もうとしている美鈴に目を光らせんとして
御坂「もしもし?婚后さん」
婚后『御坂さん!?大変ですわ!!!』
御坂「ど、どうしたのよそんなおっきな声出し――」
――右目が驚愕に、左目が衝撃に見開かれた――
~8~
婚后「最悪の状況ですわ……」
今、婚后ら常盤台中学の生徒達が身を寄せている複合施設『水晶宮』の教職員らが詰めている部屋に……
保護者らが保護者会に当たって事前の質疑応答をまとめた書類に新たな一枚が加わっていたのだ。
それは白井黒子が結標淡希・姫神秋沙を殺害した容疑者として拘束されている件について。
婚后は騒然となるロビーの柱の影より携帯電話に耳を当て、現状を御坂に伝えている形である。
婚后「あの紙爆弾はただのデコイ……本命は保護者らに訴えかけて学校側の責任問題に飛び火させるつもりだったんですわ!」
ただでさえ学園都市における先の二つの戦争で張り詰めていた保護者会を先代派は見過ごさなかった。
白井が拘束されたのは昨日11日であり、今日は保護者らがスーパーセル発生前に学園都市入りした12日。
明日13日の開催を前に常盤台が隠蔽しやり過ごそうにも……
事前の質疑応答の記す公的書類を通して申請されれば説明責任が発生し答えない訳には行かない。
生徒間の紙爆弾(ゴシップ)ならまだ取り繕う事は出来る。だが白井が有罪であれ無罪であれ――
白日の元、女生徒同士の痴情のもつれの果ての心中事件ないし殺人事件を引き起こしたなどと知られれば
御坂『……!!』
御坂の血の気が一気に引く。何故昨夜母からのメールを見た時この可能性を考えなかったのかと。
生徒間の派閥争いや政争ごっこを隠れ蓑にし、先代派の本命はより力ある保護者への工作活動。
常盤台の三分の一もの生徒が自分の親にこの事を告げた上で『少年犯罪』を犯した人間を出したとあれば……
常盤台の教育方針や管理能力の是非を声高に叫ぶ結果は火を見るより明らかだ。
ましてや常盤台には社会的地位のある名家の子女らが多く通っている。
この電話を寄越している婚后とて航空業界の名門の跡取り娘なのだ。
こんなスキャンダルは、真偽を別としても上がっただけでも命取りになる。
婚后「御坂さん!?御坂さん!!?」
『政治力を身につけろ』と言った食蜂の言葉がこだまする中御坂の目の前が真っ暗になって行く。
徹底した白井潰しで御坂下ろしを画策する先代派。
超電磁砲(レールガン)がなんの意味も持たない世界。
嵐が、すぐそこまで迫っていた――
「で下の架字十」話十第:(ムーロクノモ)標座間空の虹白るあと
~1~
浜面「ふんふふん♪ふんふふん♪ふんふんふーん♪」
YO!俺の名は仕上。浜面仕上だ。人呼んで長点上機学園の秘密兵器、世紀末帝王HAMADURAとは俺の事だ。
今俺は人生の絶頂期にいる。どんくらいノリノリかって言えば車内で湘南乃風を流しちまうくらいに。
だが気分的にはTUBEかサザンかってくらい今俺は熱い。三月に教習所を卒業して学校留年してより数ヶ月……
今俺にも人生最大のビッグウェーブが来てやがる。聞いて驚け見て喚け!!
滝壺『わたし、海見にいきたいな』
FOOOOO!数ヶ月前の合コンでゲットした(×した→○された)彼女から海のドライブのおねだりだ!
いやーこの間の合コンはひどかった。まず垣根(同じくダブり)がマジックをとちって場が凍りついた。
どんぐらいしくじったかって言うとマギー審司じゃなくてマギー司郎の方くらいしくじった。素で。
その湿気っちまった空気を何とか取り戻そうとした削板がアイスペールから一気を繰り返してダウン。
途中まで良い感じだった上条は女の子のスカートに顔を突っ込んで蹴り殺された。
我関せずであっという間に女『二人』を持ち帰った一方通行は野郎三人を押し付けてバックレ。
この世に善きサマリア人もブッダもいねえモデルだけは同じ立川市なこの学園都市(まち)で――
滝壺『大丈夫。わたしがそんな酔い潰れそうなはまづらを応援してる』
女神は舞い降りたね。朝気がついたら服着てなかったけど。ついでにパンツも穿いてなかったけど。
ガンガンする二日酔いの頭の俺に、その女神は味噌汁を作って部屋から出ていった。しじみ最高!
霧ヶ丘女学院には『鬼』『裏番長』なんて噂される執行部役員がいるらしいが噂なんてあてにならねえな。
滝壺「はまづら、こっちこっち」
やあ迎えに来たよマイハニー!わざわざで出迎えありがとう!
自慢のハマーH1が火を噴くぜついでに俺の下のハマーもな!
白井「あ、あれですの!?」
結標「……ないわー」
おやおやお友達まで一緒かい?なんだいその荷物ロケにでも行くのかい?ははっ、何か様子がおかしいぞー?
滝壺「――男の子って、可愛いね」
曲がキングギドラの『公開処刑』に変わった。ヤバい匂いがする奴ぁ手ぇー叩け!!
~2~
白井「何とか積み込めましたの」
絹旗「今日は初日なんで超少な目ですよ。チェックとかパース決めたりが主ですし」
黒夜「うう、この車超ゴム臭ェ~……うっぷ、らめェ……」
初春「ああ黒夜さん戻しちゃダメですよ!」
浜面「HAHAHA!どうせこんな役回りだよコンチクショォォォォォー!!!」
滝壺「はまづら、頑張って、ね?」
結標「(さすがは霧ヶ丘の裏番長……)」
初日の機材を詰め込み、少女らの手によってジャックされた浜面の嘆きをBGMに車は湾岸線を行く。
目的地は神奈川県まで跨ぐ学園都市が二十年前に開発途上で放棄したアクアライン『軍艦島』。
海洋探査人口島が揺蕩い、いくつかの戦闘機が墓標のように突き立ち、さながら水没都市の様相を見せる海上学区。
白井「………………」
無数のガンボードの墓場を見下ろす錆び付いた灯台、朽ち果てた教会や廃虚と化した海洋生物研究所……
半ばと廃線となった海原電鉄が水中にそのレールを残し、風化しつつある駅構内にはウミネコが翼を休める。
その眺めに白井は再び既視感にも似た胸騒ぎを覚えた。地図からも消された幻の海上学区にも関わらず――
白井「(何ですの?この正夢にも似た感覚は……)」
白井はこの場所をずっと以前にも訪れたような気さえしていた。
当然足を踏み入れた事などないし白井は廃墟マニアでもない。
凡そ自分と関わりない場所にも関わらず、どこか懐かしい。
結標「どうしたのかしら黒子。酔った?」
白井「い、いえ!海など久しぶりに目にしたものですので、少しばかり見入ってしまったんですの」
結標「そう?でも確かにこの眺めは――」
白井「?」
結標「――見入るというより、魅入られるものがあるわね」
そう語る結標の横顔に、青海より照り返す夏の陽射しを浴びて光と影が織り成すグラデーションがかかる。
どうやら彼女はこの眺めに何かしらのシンパシーを覚えたようではあるが――
浜面「着いたぜ嬢ちゃん達!水着の貯蔵は十分かぁ!?」
絹旗「(お兄ちゃんはこんな事超言わないです)」
磁力に引き寄せられる砂鉄のような不安を覚えながらもハマーH1は軍艦島へと突入する。
今更引き返す事など出来ないとわかっていながら、白井は出来うる限り早く立ち去りたいと願わずにはいられなかった。
~3~
絹旗「この電車なんて超どうですかね?」
初春「蔦が絡みついて何だか魔女の家みたいですね……」
黒夜「案外おどろおどろしい場所かと思ったけどそうでもないね」
滝壺「人が」
浜面「水着は?」
滝壺「人が誰もいないから、怖くないんだと思う」
白井「普通逆ではございませんの?人がいないからこそ――」
結標「――私も滝壺と同じ意見よ」
白井「!?」
軍艦島へ乗り込んだ面々はひとまず機材を下ろしロケーションを確認するために辺りを散策する事にした。
そこで最初に目にしたものは先程車窓から見えた海原電鉄である。赤茶けた塩錆に覆われた列車。
そこに長い年月を掛けて覆う蔦が絡みつくも、水位の上がった海水により白く枯死していた。
結標「死に絶えた街だからこそ人の影に怯えずに済むのよ。一番怖いのはいつだって同じ“人間”ですもの」
絹旗「……淡希お姉ちゃん?」
朽ち果て傾ぐ駅看板、通る者のいない改札口、風雪にすす汚れた待合室、鈍く光る送電塔。
もぎりの駅員もおらず、至る所で割れ砕けたガラスはさながら死に行く老人の抜け落ちた歯列を思わせる。
その下で光に照らし出され影に溶け込む結標の立ち姿はまるでこの廃墟の水先案内人のようにすら感じられて
結標「ごめんなさいね。何だか感傷的になってしまってガラにもない事を口走ってしまったわ」
白井「お姉様……」
結標「――絹旗さん、デジカメの予備ってまだあったわよね」
絹旗「え、ええ超ありますけど」
結標「みんな一塊にならず効率的にバラけてみない?この軍艦島は思った以上に広いみたいだし」
初春「そうですね。今日は資料集めと下見が主ですし」
絹旗「じゃあ念の為後で落ち合う場所も超決めておきましょう」
結標の提案により絹旗&黒夜&初春、滝壺&浜面、結標&白井と言った具合に振り分けられた。
結標「行きましょう黒子。はぐれちゃダメよ?」
白井「ですから子供扱いしないで欲しいんですの!」
二人は魔女の家と化した海原電鉄より踵を返し、苔むした駅構内の階段を一段また一段と登って行く。
二人の足音しか聞こえないうら寂れた連絡通路、所々破れた屋根から射し込む天然のスポットライト。
その日だまりの中に翼を休めていたウミネコ達が二人の姿を認めるなり、その穴から切り取られた夏空へと飛び立って行った。
~4~
結標「ここは元は音楽室だったようね。ピアノがあるわ」
白井「どうやらベーゼンドルファーのようですの。わたくしはスタインウェイの方が性にあっておりますが」
海原電鉄より下りを行き、足を踏み入れた先は校舎の一階部分まで水没した高校の音楽室であった。
閉鎖されるにあたって急拵えで窓に打ちつけられベニヤ板やトタンは無残に腐り落ち浸水を許している。
教室内に椅子がクロールし、その内の机の一つに腰掛けた結標は靴を脱いで素足を水に浸けていた。
白井は三つ足の半ばまで水没したピアノの前に座り、ラの音すら奏でられない鍵盤を叩く真似をし――
結標「貴女がピアノを弾けただなんて初耳だわ」
白井「あくまでさわり、嗜む程度の余技に過ぎませんので」
結標「けれど様になってるわよ。そのままジッとしてて……」
白井「?」
結標「カメラを意識しないで……そう、今の表情すごく魅力的よ」
そんな白井を結標はデジカメに一枚収めた。破れたバリケードより射し込む西日を受けて輝く白井を。
意図せずして生まれた天使の梯子が水面を煌めかせ、より被写体の美しさを引き出している。
白井のリラックスしていながらどこか艶めいた年不相応な笑みは、カメラマンが結標だからかも知れない。
白井「何だか面映ゆい心持ちですの」
結標「女優さんみたいに決まってるわよ」
白井「ふふっ、わたくしはそんな器では」
と、白井が目に見えない楽譜を手繰るようなポーズから流し目で結標に一瞥を送ると――
彼女の腰掛けている机の近くに、ヴァイオリンケースが水没しているのが見て取れた。
白井「――――――」
ヴァイオリン。ホテルの一室。お姉様。初春。という意味を為さない単語の羅列が白井の脳裏を駆け巡る。
カノンのように追い掛ける忘却の旋律に混じるノイズ、多すぎるスタッカートがぶつ切りにする記憶――
結標「……どうかした?黒子」
白井「あ、いえ……」
結標「そんな顔してこっち見たって引っ掛からないわよ。どうせ“お姉様の後ろに”だなんて古い手口には」
結局、コーダに差し掛かる手前で白井の記憶のその弦を断ち切ってしまった。
結び直す事も張り直す事もかなわないG線は、二度とアリアを奏でる事はない。
海上学区の水葬教室、音の出ないピアノ、足元を攫って行くばかりで片時も引き止められないこの細波のように――
~5~
白井「絹旗さんと黒夜さんがいらっしゃっらない?」
初春『そ、そうなんですよちょっと目を離した隙にいなくなってて……』
白井「初春、貴女また道に迷ったかはぐれたり何かしたんではございませんの?」
海上学区の水葬教室より元は美術館だったと思しき建物へと移動した白井は、けたたましく鳴り響く着信音……
初春からの電話にやや呆れ顔の溜め息混じりで応じていた。絹旗と黒夜の姿が見えなくなったのだと言う。
応対する白井を余所に結標は御影石の階段をカツンカツンと昇り降りし、デジカメで撮影して行く。
暗色系の御影石に彩られたアトリエを飾るはゴヤの『黒い家』展である。様々な暗喩と寓意に満ちたゴヤの作品。
晩年に差し掛かり老境に達したゴヤが数々の『死』をモチーフに描いたとされるそれらは――
この薄暗い廃墟の不気味さにより拍車をかけるように鎮座し、訪れる者を嘲笑っているようだった。
結標「初春さん、なんだって?」
白井「どうやら二人とはぐれたようですわ。あのお二方は思い立ったが最後、脇目も降らず吶喊する口ですの」
結標「心細いでしょうね……」
白井「一応、落ち合う場所は岬の灯台と決めてますので大丈夫ですの。初春とて風紀委員なのですから」
結標「………………」
白井「お姉様?」
『不貞』を暗示するレオカディア・ヴェイスの絵の前で結標は立ち止まったまま白井の言葉を聞くともなしに聞く。
暖炉に寄りかかる黒いヴェールを纏った肉感的な家政婦で、ゴヤが手をつけた愛人とも内縁の妻とも言われるが――
白井「………………」
白井はその絵から伝わって来るある種の生臭ささに鼻をつまみたくなった。この家政婦も元を辿れば人妻である。
とある宝石商の妻であり、彼女は後に不貞の罪で夫に訴えられている。ゴヤが六十代後半に差し掛かったより――
彼女は二十代半ばで彼の子を産んだとされる。不貞、愛する者への裏切り、密通、許されぬ愛……
白井「うっ……」
結標「黒子!?」
その断片的な暗喩に白井は吐き気を覚えた。何故だがここに飾られた絵の全てが自分を責め立てているような……
目に見えない悪意の羅列が、塩錆のように白井の胸を蝕んで行き、胃を締め付けて行くのだ。
~6~
結標「大丈夫?」
白井「え、ええ……あまりの絵の迫力に当てられてしまったようですの」
結標「そうね。ここはあまり風通しも良くない事だし」
白井「申し訳ございませんの……」
結標「いいのよ。貴女の身体が一番大切なのだから」
座り込み口元に手を当てる白井の肩を抱き寄せながら結標はこの暗いアトリエから出ようとする。
その前々にもゴヤの絵は葬列のように連なり、庇う結標と導かれる白井を冷笑的に見下ろしている。
白井「お姉様は……」
結標「?」
白井「絵画を嗜まれますの?」
結標「いいえ。昔第九学区に芸術鑑賞会で行ったきりよ。貴女あそこにある“黄色い家”って知ってる?」
白井「確かゴッホの……」
結標「――私がそこで見たのは“カラスのいる麦畑”よ。何だか怖いくらい妙な迫力で今でも忘れられないわ」
御影石のフロアから大理石のホールへ移り、二人は美術館の外を目指し、光を求め、風を探して歩く。
第九学区。芸術系に特化された学区。黄色い家。ゴッホ。またもや白井の脳裏に浮かぶ不気味な泡沫。
結標「けれど、いつか美術館でデートだなんて出来たらいいわね」
白井「ふふっ……お蕎麦屋さんより優雅そうでなによりですの」
結標の通り過ぎた側には『砂に埋もれた犬』の絵画。その暗示は抗えぬ運命(さだめ)とある。
白井の通り過ぎた側には『自慰をする男と嘲る二人の女』の絵画。その暗示は自己満足である。
結標「そうよ。夏休みはまだ始まったばかりですもの。まだまだ色んな所へ行きたいしやりたいわ」
白井「わたくしもですわお姉様……例えどこに行けずとも、お姉様さえいればそこはわたくしにとって……」
結標「天国?それとも地獄?」
白井「焦がれる煉獄ですの!」
無限回廊に等しいゴヤの『黒い家』を抜け出し、二人は海を目指す。
こんな薄暗い場所にいては東を向く向日葵さえ病んでしまうと。
だがそんな二人を一枚の絵が見つめている。文字通り食い入るように。
白井「いえ――恋獄(れんごく)と当てるべきですの」
男根を勃起させながら狂気の形相と妄執に血走った眼差しで『我が子を喰らうサトゥルヌス』が二人を見つめていた。
女神の機転によりただ一人は助かったというその暗示の意味を、白井は知らぬまま闇に背を向けて出て行った。
~7~
結標「……初春さんとも連絡がつかない」
黒い家の美術館を後にし、気分を悪くした白井を伴って結標が訪れたのは双月の大聖堂であった。
塩湖と化した水面が空と雲と大聖堂を二重写しにするその場所は軍艦島でも一際水位の深い場所にある。
今白井は神父が説法し聖歌隊が歌い上げるパイプオルガンの下に設えられた長椅子に身を横たえている。
結標は繋がらない携帯電話をしまい、独り言ちながら歎息する。せめて滝壺がいれば居場所がわかるのだが――
白井「お姉様……お姉様……どこにいらっしゃいますの?」
結標「私はここよ……ここにいるわ黒子」
白井「離れないで下さいまし……わたくし、今とっても怖いんですの」
どこか弱々しく結標の名を呼ぶ白井が、割れ砕けたステンドグラスより射し込む光に手を伸ばすように……
探り、掻き、掴まんとする手を結標は自身の胸元へと寄せる。怖いという白井を落ち着かせるために。
結標「何が怖いの黒子?怖いものなんて、恐い事なんて何もないわ」
白井「……お姉様が」
結標「私が?」
白井「お姉様が、どこか遠くへ行ってしまいそうな気がするんですの。あまりにも倖せ過ぎて怖いんですの」
白井の目が潤み、結標の眼が濡れた。二人を見下ろす形で立つマリア像が液状化した赤錆を流し――
まるで血涙のようだった。結標の髪のように赤く紅く紅く。十字教にあって神の子を売った背教者のように。
海水は血に近い成分を宿しているなどという眉唾話が顕在化したように、教会内にはマリーゴールドが咲き乱れている。
白井「ずっとずっと、長い長い夢の中にいるようで……お姉様さえ夢の住人のように思えて」
結標「それは違うわ黒子。貴女も私もここにいる。私は消えない。貴女から離れない。ここに誓ってもいい」
結標が、白井の左手を手に取り、唇を寄せる。それは手の甲に誓う忠誠の口づけとは全く異なる――
白井「んっ……!」
開く唇、迎え入れる薬指、這わせては絡める熱い舌が冷えた指を溶かして行き、強く歯を立てる。
鈍い苦痛と鋭い甘美さに眉根を寄せて目蓋を閉じ、それを受け入れる白井の薬指から――淫靡に連なり落ちる架け橋。
白井「いけませんの……!」
結標「――いいの。神様しか見てないわ」
薬指に刻まれた血の滲む歯形が、まるで永遠を誓う無形の指輪のように白井に聖痕を刻んで行く――
~8~
少女達は大聖堂で誓い合う。神父もいなければ参列者もいない――
法の加護も神の祝福もない二人きりの結婚式(とわのちかい)を。
白井「その健やかなる時も」
それはきっと飯事遊びの延長上にあって、同時に永遠など宿りようない……
炭素の塊に誓うそれよりも遥かに純粋な境界線上にあるもの。
結標「病める時も」
皆に分け与えるブーケも、共に切り分けるケーキも、己を着飾るドレスすらない……
持ち寄れるのは唯一の相手(かち)と無二の自分(そんざい)のみ。
白井「喜びの時も」
どちらともなく笑いかける。やっぱり指輪を買えば良かったと。
どちらともなく涙を滲ませる。薬指が痛くて痛くてたまらないと。
結標「悲しみの時も」
お揃いのイヤーカフスに刻印された精緻なブルーローズの意匠。
『神の祝福』などという皮肉な花言葉に反してその道程は険しい。
白井「富める時も」
どちらかが言った。これは茨荊の道程なのかも知れないと。
どちらかが言った。ならばラプンツェルのようになりたいと。
結標「貧しい時も」
薔薇の褥の中で眠り、茨荊の閨で夢を見る。そんなお姫様に。
朝が来ても、王子様が来ても、誰も二人に触れられない茨荊の檻を。
白井「これを愛し」
どちらかが言った。世界の果てはどこにあるのかと。
どちらかが言った。世界の終わりはどこにあるのかと。
結標「これを敬い」
それはきっとここなのだと二人は口を揃えて言った。夏への扉の先に広がるこの不帰の渚こそが二人の終着駅。
白井「これを慰め」
マリーゴールドの花冠と、シーツを巻きつけただけのドレスを纏った二人の花嫁がステンドグラスの下
結標「これを助け」
救いの手綱を取って互いの手を離すくらいならば、共に死を選ばんとするほどまでに手指を絡ませあって。
白井「その命ある限り」
どちらともなく、重ねた唇を話して言った
結標「真心を尽くすことを誓いますか?」
――永遠(とわ)に永久(とも)にと――
~9~
そして二人は教会にて式を挙げた後、待ち合わせ場所である忘れ去られた灯台にて身を寄せ合っていた。
絹旗にも黒夜にも初春にも滝壺にも繋がらない。見つからない。どれだけ手を尽くし足を棒にしても。
白井「……遅いですの」
結標「そうね……車もなくなっているしどこに行ったのかしら――あ!」
白井「?」
結標「もしかして“佐天さん”って娘を迎えに行ってるんじゃないかしら?」
ドクン……
白井「――佐天さんを?」
結標「ええ。私まだ会った事ないけど、夜待ちから入るって昨日貴女達言ってたじゃない」
――そこで白井は以前一度覚え、日増しに増え、今日一日の間に何度も襲った違和感の原因に気付いた。
しかし結標は打ち寄せる波の音と吹き抜ける夜風、灯台から仰ぎ見る星空に魅入られながら快活に言った。
カツン……
結標「ほら、足音」
白井「……!!!」
結標「……黒子?」
その違和感が鮮明な思考となって白井の脳髄を凍てつかせて行く。
『初春飾利』は霧ヶ丘付属に入る前から風紀委員の同僚として共にいた。
『絹旗最愛』はオリエンテーリング前に教室で暴れたのを覚えている。
『黒夜海鳥』はオリエンテーリングを通して仲良くなった記憶がある。
白井「あ……」
――『佐天涙子』はいつからいたのだ?いつから当たり前のように自分達の輪に加わっていた?
『結標淡希』『風斬氷華』とは桜の木の下で出会った。
『フレンダ=セイヴェルン』とはスクランブル交差点でだ。
『滝壺理后』とは生徒会室でだ。『浜面仕上』とは今日だ。
カツン……
佐天『あ。白井さんなら聞いてるかなーって思ったんですけど。こりゃマズかったかなー』
彼女はいつからここにいたのだ?
佐天『――結標さんの前のルームメイト。自殺したらしいですよ?』
あの長い黒髪を持つ佐天涙子(かのじょ)は、自分の記憶にある彼女は
佐天『白井さーん。白井さーん。おにぎりこぼしてますよー。せっかく初春が作ってくれたのにー』
『、』ではなく区切るような『。』を用いたぶつ切り口調で話すような少女ではなかったはずだと――
カツン……
少女が階段を登りきり、その黒髪を潮風に靡かせながら佇むの見て――
結標「――――――………………あ」
結標が、その名を呼んだ
結標「――――――秋沙――――――」
~10~
白井「……え?」
「………………」
制服も、立ち姿も、足音も、全て自分が知っているはずの『佐天涙子』の中にあって最も特徴的な……
濡れ羽色の黒髪が顔を覆う形で潮風に吹かれて立ち尽くしている。まるで過去からの亡霊のように。
この満天の星空の一つ一つが異形の目の連なりのように冷たく妖しく冥く白井を見下ろしていた。
白井「お、お姉様――――――!?」
総毛立つ悪寒、鳥肌粟立つ怖気、弾かれたように振り返った先。
結標はいない。影も形も音も余韻も何も残さず消え去っていた。
そこには彼女が持ち歩いていた……否、自分に『プレゼント』してくれた――
ウルトラマリンとラピスラズリを散りばめたあのオイル時計だけが残されていた。
「― ― ど ん な に 遠 回 り し て も ― ― 」
何故気づけなかったのだ。秋(あい)の沙(すな)などと……
ネガティブ極まりない字(あざな)の当て方を見落としていたのだ。
何故『自殺したルームメイト』の名前を調べようとしなかったのか?
――決まっている。そんな話は『最初から存在しない』のだから。
「― ― 信 じ て た ― ― 」
佐天と同じ少女の黒髪が吹き荒れる潮風に靡いて顔を露わになって行く。
その制服姿がしっくりきていて当たり前だ。何故なら……
彼女は昨年八月半ばまで『霧ヶ丘女学院』にいたのだから。
「― ― 絶 対 に 貴 女 を ― ―」
彼女の名は日本神道に照らし合わせれば『太陽神』を意味する。
この鏡の世界にあって彼女は太陽光を当てる事により字を照らし出す……
少女の願いが生み出した『魔鏡の世界』より真実を映し出す存在。
顔を覆っていた黒髪が夜風に翻り、月光の下明らかになる――
「― ― 見 つ け ら れ る っ て ― ―」
御坂美琴が紡いだ八つの現実(ものがたり)と、白井黒子が記した十の幻想(ものがたり)が交差する時――
姫 神 「 淡 希 を 返 し て 」
――――オイルクロックは覆り、時は8月10日へ巻き戻る――――
~8月12日~
青髪「うはー!もう風出てきおったー!」
???「凝然。なんだこの暴風雨は……」
青髪「TMRよろしく風に吹かれとる場合ちゃうで!店仕舞いや店仕舞い!!」
16時00分。壊滅的打撃を受けた第七学区にて岩壁に咲く花のように辛うじて難を逃れたベーカリー『サントノーレ』。
最先端技術の結晶体とも言うべき学園都市にあって珍しい石窯焼きを取り入れている青髪の下宿先は今窮地に陥っていた。
まだ夕方だと言うのに空の色まで変える土気色の雲海が地表すれすれまで迫っているのだ。
店の前に出していた看板や幟が木の葉のように押し流され、二人はそれを必死に追い掛ける。
それは昨夜の気象予報により厳戒体制を促されていた超弩級の雷雲群『スーパーセル』の前兆。
青髪「はー……はー……やっぱおっちゃん(店主)に言うてバイト増やしてもらお。首回らんわ」
???「………………」
青髪「なんやジョンさん。はよおへそ隠さな取られんで?」
ジョン「慄然。何とも禍々しい眺めだと身が竦む思いだ」
青髪「あー確かにこれはビビるわな。日本の観測史上最大級になるかも知らんねえ」
学園都市上空を覆うようにして乳房雲の壁が水平に発生し――
渦巻き逆巻くその規模は青髪の能力により百キロ近くあると推測された。
大量の雹や霰は恐らくグレープフルーツ大ほどにもなり、突風や強風はとてつもないダウンバーストを発生させるどころか……
局地的な竜巻、洪水に等しいゲリラ豪雨、大規模な停電を引き起こす落雷をも招くだろう。
青髪「今日は早仕舞い!閉店ガラガラ~」
かつてレベル5には神託機械(オラクルマシーン)と字された『学園都市第六位』がいたと言う。
計算複雑性理論及び計算可能性理論をもとに演算を行う抽象機械とも言うべき予知能力を持った超能力者が。
だがそんな都市伝説めいた存在は今、寒いギャグを一人でウケながら店のシャッターを閉め心張り棒を噛ます。
ジョン「憤然。商売あがったりだ」
青髪「ええやん。こんな日外出歩く人なんておれへんよ」
小窓より第七学区からは見えるはずのない第十九学区の旧電波塔『帝都タワー』を見据えて
青髪「――よほどの物好きやない限りね」
――インデックスをして『ホルスの眼』に似た糸目の少年は店の明かりを落とし、奥へと引っ込んでしまった。
~15~
女生徒A「何か手を打つべきです!このままでは白井さんが!!」
女生徒B「今から署名運動したってもう間に合わないって!」
女生徒C「いっそのこと白井さんを退学処分にしたら我々御坂派は常盤台を割って出て行くというのは?」
女生徒D「確かに三分の一もの能力者を結果として失う事は常盤台にとって大きな損失のはず」
女生徒E「いいえ私は反対よ。私は御坂様に惹かれて集った訳であって白井さんと身を引き替えには……」
女生徒F「派閥は一蓮托生じゃありませんの!?貴女の言っている事は」
女生徒G「いや、私も同意見だ。前々から白井さんの独断専行にはほとほと嫌気がさしていたんだ」
女生徒H「だったら貴女達がここ(御坂派)から出て行けば良いでしょう!」
女生徒I「そうよ!さんざん甘い汁を吸って都合が悪くなったら旗色を変える風見鶏なんていらない!!」
女生徒J「御坂様!何故私達に黙っておいでだったのですか!?」
女生徒K「これは責任問題ですよ。No.2の首に鈴をつけていなかった“長”としての」
女生徒L「元々結標さんは霧ヶ丘女学院でしょう!?何故向こうから謝罪の一言も」
御坂「いい加減にしなさい!!!」
17時00分。複合施設『水晶宮』の大会議室では御坂派の幹部らによる喧々囂々の議論が踊っていた。
白井の退学処分及び風紀委員からの除名も検討され一種集団ヒステリー的な様相の皆を――
時計回りの円卓、12時の位置に腰掛けていた御坂が檄を飛ばすとたちまち水を打ったように静まり返った。
御坂「――事の是非も定まらないまま黒子を擁護するのも非難する事も私は認めない。責任の所在が明らかになるまではね」
女生徒A「では……」
御坂「――私は黒子を信じてる」
女生徒B「でも万が一ですよ?」
御坂「………………」
女生徒B「白井さんに有罪判決が下されたなら……」
御坂は思う。食蜂ならばこのようなケースを如何にして収束させただろうと。
この世間知らずなお嬢様達の、踊るばかりの会議ごっこをどのように牽引したかと。
御坂「――皆が考えている通りよ」
女生徒C「泣いて馬謖を斬る、と?」
御坂「私の首も差し出す形でね」
何故、白井に対してこんなにも火を飲む思いを殺して『長』として処断を下さねばならないのかと御坂は唇を噛んだ。
~14~
御坂を取り巻く派閥問題は先代常盤台の女王、食蜂操祈の卒業から始まった。
先代の支配や抑圧から解き放たれ次なる取り入る先や御坂の将来性を見込んだ者。
それらの人間が磁石に引き寄せられる砂鉄のように押し寄せて来たのだ。
好む好まざるに関わらず利益共同体(はばつ)というものはどこの世界にも自然発生する。
また学校側としても各界の名門名家の子女らの制御にはとかく手を焼く。御坂は言わばそれらも請け負わされている。
ノブレス・オブリージュと言えば聞こえが良いが、言わば子羊達を束ねる牧羊犬だ。教師らや寮監は牧童に当たる。
だが御坂にとっての不幸は、食蜂が予言した通り政治力の圧倒的不足。
三年生まで食蜂による独裁政治や一極支配が長らく続いた弊害でもあるが――
とどのつまり、御坂には人を束ね、率い、導く経験値がまだ浅かったのだ。
食蜂のように人の頂点に立つ事に慣れておらず、人の中心には立てども頂点に立つ気もなかった御坂をして――
所詮は仲良しこよしのおままごと集団、アイドルとその追っ掛けと意地悪く評する者も決して少なくはない。
女生徒D「では御坂様を失った後は私達はどうなるんですか!?」
御坂「(そこまで責任持てないわよ!)」
女生徒E「御坂様。それは責任を取る道ではありません。ただの無責任です。御坂様はもうお一人の身体ではない事をそろそろ自覚なさって下さい」
御坂「(……って叫んでテーブルひっくり返せたらどんなにいいか!!)」
女生徒F「御坂様、如何に白井さんに絡んでとは言え私情に駆られるのは困ります」
御坂「(誰一人黒子の心配なんてしやしない!!!)」
空洞化したまま膨張した集団はかくも脆い事を御坂は知った。自分には削板のような圧倒的なカリスマ性もない。
雲川のような優秀な参謀も、垣根のような抑止力も、服部のような調整役もいない。ただぶら下がられているだけだ。
上条のように何万もの人々を救って来たヒーローでもない。麦野のような公私共に支えてくれる右腕さえも。
女生徒J「み、御坂様……」
女生徒K「会議中ですよ!」
女生徒J「い、いえ……御坂様に面通りしたいという方が婚后様に伴われて」
御坂「……わかったわ。終わり次第行く」
――白井を除いて、信頼出来る腹心さえ持てぬままに
~13~
佐天「……遅いね」
初春「仕方無いですよいきなり押し掛けちゃったのはこっちの方なんですから。婚后さんがいなかったらアポなしで通る事さえ出来ませんでしたし」
婚后「………………」
佐天「アポ、ね……」
18時00分。佐天が水晶宮を訪れたのは、初春がキャッチした旧電波塔『帝都タワー』に関する情報提供のためだった。
だがまたしても御坂に電話が通じなかったのである。会議中のために。
だが佐天にはそれさえもが圭角をささくれ立たせるに十分だった。
佐天「御坂さん、えらくなったよね」
婚后「………………」
佐天「すごいね。友達に会いに来るだけでボディチェックとアポがいるんだよ?どんだけVIPなの」
初春「そんな風に言う佐天さん、私嫌いです!」
水晶宮のロビーにて今にも風車が倒れそうなほどの暴風雨を佐天は眺めていた。
硝子張りの花園。御坂を頂点とした王城。皮肉っぽく口にした言葉に同じくソファーに座っていた初春が窘める。
彼女達をここまで通し、便宜をはかってくれた婚后は扇子で口元を隠しながら一言も発さない。
佐天「わかってる、わかってるよ初春……この情報ゲットしたのだって初春だもん。私は色んな人の力にすがってただ泣きついてるだけだって」
初春「佐天さん……」
佐天「――ねえ、婚后さん」
婚后「なんですの佐天さん?」
佐天「派閥って言うややこしいもん出来ちゃうとみんなこんな風になっちゃうの?」
婚后「派閥の性格によりますわ。私自身が闊達に振る舞う性分ではあるため、御坂さんの担う重責と比べる訳には」
竹を二つに割ったような婚后でさえ以前のフットワークの軽さはもう望みようもないのだ。
ましてや御坂は外面こそ快活だが内面にひどく溜め込む性である。と
御坂「お待たせー!」
佐天「御坂さん……」
御坂「ごめんごめん!あの娘達やいのやいのまとまらないから助かっちゃった!」
佐天「っ」
婚后「(美徳が裏目に出る事もございますのね)」
そこで『いつもの』笑顔で現れた御坂に、佐天はムッとして初春に手を引かれた。婚后はそれを静かに見やる。
婚后「(何もかもが一年前のようには行きませんか)」
一年前と変わらぬものと変わったものを見比べるように
~12~
御坂「旧電波塔“帝都タワー”……」
初春「白井さんはそこにいます。余所へ移送されていなければ」
佐天「………………」
初春が持ち込んだタブレットに表示された画面を見やりながら御坂が唸る。旧電波塔『帝都タワー』。
第十五学区の警備員支部が結標と交戦した魔術師mare256(葦の海渡りし青銅の蛇)の手により壊滅し……
新たに移転した急造の支部である。またしても結標に絡んだ出来事に御坂は思う。
御坂「(まるで誰かが私達を導いてるみたいね)ありがとう初春さん。ちょっとだけ“目を瞑ってて”くれるかな?」
初春「はい。今の私は風紀委員権限を凍結されてますから(ごめんなさい白井さん、私は風紀委員失格です)」
見えざる神の手に導かれているようだと。そして初春のパソコンを借り、自身の持つタブレットにデータを移すと……
そこから『実験』『残骸事件』の時をなぞるようにハッキングをかけ電子戦を展開させて行く。
こうした即興の掛け合いが出来る頭の回転の早さが初春の売りである。互いに性格が悪くなったなと自省しつつも――
御坂「……黒子」
御坂はついに、バビロンタワーの監視カメラへのハッキングに成功し見つけ出した。白井の姿を。
~11~
御坂「(嘘でしょ……)」
監視カメラの映像が捉えた映像は同施設内にある病室であった。外部で言えば警察病院のようなものだが――
御坂は思わず画面越しの白井を見て口元を押さえた。声が漏れ出してしまいそうだったからだ。
御坂「(こんな……)」
そこにはたったの一日二日で何日も絶食したかのように痩せ衰えた白井の姿があった。まるで死期の迫った老人……
否、廃人のように光を宿さぬ眼差しを何処へと向け、拘束衣のような服を着せられ腕には点滴を刺されて。
御坂「(こんなのって……!)」
更にハッキングをかけ電子カルテを引っ張り出す。
そこには想像を絶する精神的衝撃により一種のショック状態にあると……
外界の刺激にも反応せず、また発話が困難な状況にあるとの木山春生の診断が下されていた。
これでは取り調べさえままならないであろう事もわかった。今の白井は生きる屍も同然であった。
御坂「黒……子!」
魔女と取引し声を失ってしまった人魚姫のような白井に耐え切れず、御坂はタブレットを閉じた。
~10~
御坂「ごめん初春さん……私もう見てられないよ……こんな黒子見たくなかった!」
両手で顔を覆い、肩を震わせる御坂に初春も目を閉じてその衝撃に耐えた。
五体満足である事だけが救いだった。だが心が完全に折れてしまっている。
あの勝ち気で負けず嫌いで正義感と打たれ強さとバイタリティに溢れた白井の……
最も想像だにしない無残な姿に打ちのめされてしまった。
佐天「――御坂さん」
御坂「………………」
佐天「白井さんに、声掛けしに行きましょうよ」
御坂「……佐天さん、それは無理よ」
佐天「どうしてですか」
御坂「私達に何が出来るのよ……」
皆理解している。重要参考人として収監された以上面会など望みようもないと誰しもがわかっている。
そもそもどうやって警備員に説明するのだ。ハッキングした監視映像を頼りに見舞い来ましたなどと言えるはずもない。
だがミルフィーユのように折り重なった心労の果てに御坂がつい漏らした弱音に――
佐天「貴女、本当に御坂さんですか?」
御坂「!?」
佐天の怒りはついに頂点に達した。
~9~
佐天「なんなんですか本当に……貴女本当に“御坂美琴”なんですか!?」
初春「佐天さん止めて下さい!」
佐天「初春は黙ってて!!」
水晶宮の硝子を叩く雨足が皆の嘆きに、吹く風向きが佐天の怒りに呼応するように荒れて行く。
ロビーに響き渡るその怒声たるや雷霆を思わせるに足る激しさで、道行く幾人かが立ち止まるほどで。
佐天「何で……何でそんならしくもない事言うんですか」
御坂「………………」
佐天「こんな時いの一番に突っ込んで行くのが御坂さんじゃなかったんですか!?」
御坂「……やめて」
佐天「いつから御坂さんはそんなんなっちゃったんですか?私昨日から何度も連絡した!今日だって何回も!!なのに御坂は今朝からどこ出掛けてたんですか白井さんがこんな大変な時に!!!」
無論御坂にも事情がある。麦野の伝手を頼って白井捜索を依頼したり、妹達の墓参りに足を運んだりと。
他にも白井に関する醜聞を悪意を込めて撒かれた紙爆弾や、派閥内の取りまとめなど問題は山積していた。
だが佐天にはそれを知る由もなかった。故にその怒りは純粋に友の事だけを思いやったそれだった。
佐天「そんなに派閥が、常盤台の女王の座が惜しいんですか?だから問題起こしたくないってだんまり決め込んでるんですか!!?」
初春「いい加減にして下さい佐天さん私も怒りますよ!!」
佐天「御坂さんがそんな不甲斐ないから白井さん……結標さんに取り込まれちゃったんじゃないですか!?」
御坂「やめて……!」
いつから友達に会うのにボディチェックやアポイトメントが必要になった?
いつから四人はこうもバラバラに己が道を歩むようになってしまったのだ?
御坂は常盤台の女王として、初春は風紀委員として忙しくなり、白井は結標に魅入られてしまった。
佐天だけが一年前と変わらぬ確かな絆を信じていた。またいつか四人で集える日が来ると。しかし――
佐天「――じゃなきゃ、本気になれませんか?」
婚后「!!!!!!」
佐天は口にしてしまった。最も言葉にしてはならない最大の禁忌を、御坂が最悪のコンディションの今に
佐天「――上条さんの事じゃなきゃ、本気になれませんか?」
~8~
御坂「もうやめてよオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
次の瞬間、佐天は大理石の床に叩きつけられていた。御坂に平手を見舞われ横倒しにされたのだ。
それは表面張力スレスレまで水位を押し止めていた御坂の器に罅を入れる寸鉄の一言だった。
御坂「何がわかるのよ……佐天さんに私の何がわかるのよ!!!」
佐天「……!」
御坂「私だって、私だってこんな事してないで助けに行きたいわよ!何も知らないくせに!!何も背負ってないくせに!!!」
時期が悪過ぎたのだ。派閥内外の問題、悪化の一方を辿る白井の問題、近づく妹達の一周忌。
御坂の精神は最初からパンク寸前だったのだ。せめて妹達に関する絶望感を想起させない時期だったならば……
御坂「そんなに言うなら佐天さん一人行けばいいじゃない!金属バットかついでバビロンタワーまで殴り込めばいいじゃない!!それで黒子が救えるならそうすればいいじゃない!!!」
佐天「あ……」
御坂「私はあいつみたいなヒーローなんかじゃない!一人も犠牲にしないで全員助ける事なんて出来ない!!そんなの誰に言われなくたって私が一番よく知ってんのよ!!!」
婚后「御坂さん」
御坂「どいつもこいつも、誰も彼も、何でもかんでも、私にばっかり頼らないでよ!私だっていっぱいいっぱいなのよ!!助けて欲しいのは私の方よ!!!」
婚后「御坂さん落ち着きなさい!」
そこで事態を冷静に見極めていた婚后が御坂の前に立ちはだかって佐天を庇った。
佐天は泣く事さえ忘れて愕然としていた。初春はそんな佐天に駆け寄り無理矢理引っ張り起こす。
婚后「初春さん?佐天さんをお願いいたしますわ。御坂さんはこのわたくし婚后光子にお任せを」
初春「……お願いします。お騒がせしてすいませんでした」
佐天「御坂さん……私、私」
初春「――行きますよ佐天さん。今腕を引っ張ってないと今度は私の手が出そうなんですから」
十字路を抜けて今や互いに背を向ける四人。呆気ないほど脆く儚い幻想(きずな)が壊れる音を誰しもが聞いてしまった。
~7~
婚后「(参りましたわね、どうにも)」
御坂「………………」
婚后「(湾内さん泡浮さんごめんなさいね。今日は貴女方に任せっきりで)」
18時45分。ついに『小爆発』してしまった御坂を自室へ連れ帰り、婚后は肩を貸してベットに腰掛けていた。
こういう役割はむしろ避難所にいた時の麦野さんでしょう、と内心軽い溜め息を漏らしながら。
御坂「……私、最低だ」
婚后「(昨夜もこんなやり取りがあったような……)」
御坂「佐天さんの事、ぶっちゃった……」
婚后「――佐天さんとて本気でああ言った訳ではないでしょう?」
御坂「………………」
婚后「行き違いとすれ違いが重なった。ただそれだけの事ですわ」
恐らくは佐天も同じような状態にあると婚后は踏んでいた。
初春はあれでいて案外肝が据わっておりクレバーなので自分よりずっと上手く相棒を支えられるだろう。
いっそのこと相手が逆だったならばどれだけ楽だったろうか。
御坂「……こんなケンカ、初めてしたかも知れない」
婚后「すれ違い様に肩がぶつかる事くらいありましてよ。寄せ合うほど近ければ近いほどに」
御坂「……私、やっぱりとても人の上に立てるような器じゃないね。同じ目線の人にさえこれだもん」
婚后「目線が合わなけばケンカにもなりませんわ」
御坂「……強いね、婚后さんは」
婚后「まさか!友達と友達のケンカを目の当たりにして内心おたおたしておりまして止めに入るタイミングさえ掴めませんでしたわ」
御坂のシャンパンゴールドの髪を梳くように触れて行く。今の御坂はまるで陰花植物のようだと感じられた。
しかし考えて見れば当たり前の話なのだ。大きく花開かせ、多くの果実を結ばせる植物ほど張る根は強く深いのだから。
婚后「――ただ、お互いに随分と状況や立ち位置などが変わってしまいましたわね。わたくしなど……」
御坂「?」
婚后「――とてもとても、御坂さんのように全てを背負う事など出来ませんわ。それがこの一年間で痛いほどわかりました」
婚后は語る。自分が長足り得ているのは御坂とは全く逆の方向性に進んでいるためであると。それは――
婚后「自分の能力や家柄、誰しもが認める立派で尊敬される自分になるのではなく」
それは――……
婚后「……わたくしの“弱さ”を支えようと、集って来て下さる方々のおかげで」
御坂「!」
~6~
婚后は続ける。自分には長として削板軍覇のようなカリスマ性や人を見る眼力などない。
垣根帝督のような絶望的な暴力を背景した畏怖や尊敬も勝ち得ない。
食蜂操祈のような能力や人脈、全てを背負おうとする御坂のような強さもないと。
婚后のそれは『弱さ』だった。それも能力や精神的な意味合いではなく――
婚后「女王の影響が色濃く残る先代派、皆の高嶺の花であり続ける御坂派……わたくしの派閥の内訳は御存知かと」
新旧女王派の政争を厭う者、どちらの気風も合わない者、そう言った常盤台のしきたりに戸惑う新入生。
あるいは無所属、あるいは権力闘争に敗れたもの、婚后はかつての経験からそういった行き場のない少女達に……
分け隔てなく手を差し伸べて来た。彼女達は決して強い立場の人間達ではなかった。故に集ったのだ。
御坂「新入生とか一番多かったよね……それから、輪に加われない娘、輪から弾かれた娘」
婚后「そうですとも。わたくしも長としては貴女以上に力不足。故に皆で助け合い、支えていてもらわねば立ち行きませんわ」
婚后もまたかつては常盤台から受け入れられなかった経験があった。
食蜂のような『華』や御坂のような『光』もない彼女はひどく人間臭い。
そこが逆に彼女達に婚后を支えさせ自分達も助け合う事が出来るのだ。
ただ佐天の件のように長に近づく者があれば排他的になりすぎる嫌いはあるが
婚后「御坂さん。強くなる事と強くある事は似ているようで違いましてよ」
御坂「……知ってるよ」
婚后「いっそのこと、貴女の威光(せなか)にあぐらをかいている人間など振り落としてしまえば良いのです」
御坂「!?」
婚后「立ち返ってみては如何ですか?一年前、わたくしが魅せられた頃のような直向きで気高い一輪の花へ」
御坂「………………」
婚后「わたくしは空を翔る鳥より、野に咲く百合の道を選びましたので」
婚后はもう空を飛ぶ翼を己のために羽ばたかせる事は出来ない。
その翼を未だ巣立ちを迎えぬ雛達をあたたかく包む庇へと変わった。
御坂のようについて行きたくなる強い背中ではなく、誰かが支えたくなる背中。
誰よりもお嬢様然としていたはずの婚后は、今や最も親しまれやすい庶民派の長へと……
常盤台に新たな風を運ぶ、御坂とも食蜂とも異なる顔へと成長したのだから。
~5~
佐天「私……御坂さんにひどい事言っちゃった」
初春「………………」
佐天「……どうしよう初春」
初春「知りませんよ」
佐天「――――――」
初春「御坂さんが叩かなかったら多分私が手を上げてましたよ?」
19時00分。水晶宮を出ようとした矢先にスーパーセルの発生が確実となり……
交通網が封鎖され、二人は再び避難所となった同施設のティーラウンジに足止めされる事となった。
ざわめく館内、行き交う足音、常盤台とは違う制服の少女らの姿が目に見えて増えて来たのがわかる。
恐らく今夜はここで夜を明かす事になるだろう。警備員らもバタバタと忙しなく走り回っている。
佐天「初春……」
初春「……言い方は不味かったですが言ってる事自体は私も佐天さんと重なる部分、結構ありますよ」
カチャ、と砂糖たっぷりのチャイをソーサーに戻しながら初春は窓の外を見上げる。
初春もまた御坂に対し忸怩たる思いがあるのかある程度佐天に対し開襟を寛げて。
初春「――きっと、このままじゃ白井さんの魂は永遠に救われないと思います。心的な意味合いでですけど」
佐天「し、心的……?」
初春「友達だから仲間だからって言う責任感や、ルームメイトだからパートナーだからって言う義務感だけでは」
そう語る初春は8月7日のBBQパーティーで上条と麦野、浜面と滝壺、そして自分とを照らし合わせ――
思う。彼等は皆、世界の全てを敵に回してでも守りたいものがあった。命を懸ける事が最低条件のように。
初春「例えば佐天さんは、白井さんに帰って来て欲しいですか?」
佐天「当たり前じゃん!」
初春「それが例え以前の白井さんとは違っていても?」
佐天「えっ……」
初春「私はもう覚悟が出来てます。私達の知ってる白井さんは二度と帰って来ないかも知れないって事を」
佐天はオレンジペコーのカップを、空になってもソーサーに戻せなかった。
初春の言わんとしている事は理解出来た。だが共感は出来なかった。
そんなはずはない。皆が揃えば例え時間はかかっても全て元通りになると。
初春「……私は風紀委員です。加害者にせよ被害者にせよ、あんな目をして来た人達をたくさん見て来ました」
佐天「初春……」
『運命の女』のように白井を狂わせ、心を奪うどころか魂まで攫っていった結標に取り憑かれているようだと――
~4~
一方通行「………………」
番外個体「いつにも増して不機嫌そうな顔してるねー」
一方通行「………………」
番外個体「よっこらしょ」
19時30分。第七学区が放棄された後黄泉川家から独立した一方通行は部屋で一人水出しコーヒーをドリップさせていた。
青髪の店にて買い上げた業務用のそれはフラスコに似た形をしており、さながらオイル時計のように雫を落とす。
番外個体は寝そべっていたベッドから身体を起こし、常に増して剣呑な皺を眉間に寄せている一方通行を見た。
番外個体「ミサカ知ってるよ。貴方がそれを出す時は大抵ひどく苛立ってる時だってさ」
一方通行「………………」
番外個体「落ち着くんでしょ?そうやって一滴一滴落ちて行く雫を眺めてると」
ポツポツ、ポタポタと雨とドリップの雫が交互に落ちるのをテーブルを挟んで二人は眺める。
スーパーセルが来る前に帰れとも、来るから泊まって行くとも行けとも二人は口にしない。
砂糖とミルクが必要ないのは何もコーヒーに限った事ではないのだ。それは二人の関係性もまた然り。
番外個体「……長い雨宿りになりそうだね」
番外個体は思う。御坂は上条の強さに惹かれ、自分は一方通行の弱さに魅せられた。
ならば白井は結標に何を見出したのだろうかと。わかりきった答えだった。
番外個体「(――あの二人は“同じ”生き物だったんだよ)」
御坂と白井は鏡写し、白井と結標は合わせ鏡の関係性にある。
気づいていないのは恐らくとうの本人達と周りの人間だけだ。
ただ御坂と白井の唯一の相違点は『もう一人の自分』を愛せたかどうか。白井ならば結標を、御坂ならば麦野を。
番外個体「……ねえ」
カタンと椅子からおりて素足をフローリングにつける。
体温の残り火が燃え尽きるように足跡が生まれては消える。
世界で最も憎い男の前に番外個体は立ち、手指と細腕を伸ばす。
番外個体「こんな話知ってる?」
一方通行「あァ?」
気怠けに見上げて来る血の河を閉じ込めたような双眸。
地獄の氷から削り出したようなその瞳の中には――
幾多の屍、数多の骸、無数の罪と無量の罰と無形の業。
番外個体「――合わせ鏡の中には、悪魔が棲んでるって話」
~3~
削板「避難勧告が出されたぞ。お前ら帰らなくて良いのか?」
服部「塒(ねぐら)にいたら屋根ごと吹っ飛ばされちまうよ」
垣根「ホテルがどこも満室で寝るとこねえんだよクソが。ムカついた」
雲川「ダラダラするだけなら仕事して欲しいんだけどそこの三馬鹿」
20時00分。学生自治会會舘では三馬鹿+1が窓辺より訪れるスーパーセルの雷雲群を見やっていた。
垣根はまた煙草を変えたのかジョーカーをスパスパとふかしながら机に足を乗せて椅子に寄りかかっている。
服部は大量に買い込んで来たと思しきコンビニのオニギリやらお菓子やらカップ酒やらなんやらかんやらと。
削板は珍しく『根性が足りん根性が!』とは言わずに土石流のように雪崩こむ雲霞を見据えていた。
削板「――いや、今日は止めだ」
雲川「……まさかお前、台風だと思ってワクワクしてないか?」
削板「(ドキッ)」
服部「ガキじゃねえんだからさあ……ひとまず各区の避難所には未元物質張り終えてんだろ?」
垣根「だから今こうしてぐーたらしてられてんじゃねえか」
特に硝子張り建築の最たる『水晶宮』には特に念入りに未元物質を張り巡らせ強度を上げている。
太陽を葬って久しい夜空に不気味に浮かび上がる蟻地獄のようなかなとこ雲が渦巻き逆巻いている。
若干図星をさされたのか、火事と祭りと喧嘩と高い所と台風を何より好む削板は削板で――
削板「まるで“竜の巣”みたいだな!あの向こうにラピュタがあるって根性見せたパズーを俺は尊敬する!!」
垣根「あいつのフィジカルの強さは根性なんてレベルじゃ済まされねえだろ人外だよ人外。どう思うよ忍者の末裔」
服部「忍者がみんなあんな真似出来ると思ったら大間違いだぞ。SASUKEだってクリア出来る気しねえのに」
削板「雲川!今年の大覇星祭にはSASUKE出してみようぜ!根性さえあれば完全制覇も夢じゃねえ!!」
雲川「いつまで脱線してるんだ三馬鹿共。さっさと仕事しないとこの嵐の中に放り込んでやるけど?」
削板・服部・垣根「「「へーい」」」
それぞれの配置に戻る三人を見やりながら雲川はブラインドを落とす。
削板にも、服部にも、垣根にも、誰にも聞こえぬほど小さな声で
雲川「――あと、四時間だけど」
金無垢の懐中時計を開き、蓋と目を閉じて雲川は祈るように荒れ狂う天を仰ぎ見た。
~2~
フレンダ「ねえちょっと浜面。結局この車本当に大丈夫な訳?」
浜面「だと思いてえよ。ああ、滝壺の方こそ大丈夫か……」
フレンダ「結局、甲斐性のない旦那に愛想つかせて出てった訳よ」
浜面「違げーよ!昨日から麦野とどっか行ってんだとさ」
フレンダ「仕事?」
浜面「いや仕事じゃなくてデートだって」
フレンダ「ねえねえ今どんな気持ち?女に女寝取られるってどんな気持ち?」ニヤニヤ
浜面「」ゴッ
フレンダ「痛ー!?」
浜面「アホか」
21時00分。浜面は次第に強まる風雨が地鳴りを伴わせる様子をキャンピングトレーラー内部より見上げていた。
滝壺と使っている居住スペースにはこんな時までうろついていたフレンダが雨宿りに飛び込んで来たのだ。
が、そこに婀娜っぽい空気が介在する余地もなく滝壺一筋麦野一筋の二人はダラダラとチャンネルを取り合っている。
フレンダ「もー最悪!嵐は来るしキモ面とは二人っきりだし私の貞操の危機って訳よ!!滝壺に言いつけてやる!!!」
浜面「誰が襲うか誰が!!」
フレンダ「わかんないよー?結局、私達のよく溜まってるファミレスのランチメニューと同じ。他人が食べてるもんって摘み食いしたくなる訳よ」
浜面「襲われんの俺!!?」
フレンダ「馬面食べるくらいなら潔く餓死する訳よ。お腹壊しそうだし」
浜面「ひでえ言われようだ」
そこでフレンダは想起する。自分と啀み合い、また共闘もした結標を。
彼女と共に身投げしたと誠にしやかに噂される顔も思い出せない中学生を。
フレンダも今のところ常盤台内部にしか流れていない結標の訃報と白井の重体を独自ルートで知っていた。
元暗部の人間の耳聡さと口の固さはとりもなおさず生命線だ。学生自治会の幹部連もそれは同じである。だが
フレンダ「(ファミリーネーム、結局名乗れなかった訳よ)」
懐古する。7月4日に即席コンビを組まされた事を。
回顧する。7月7日にチームプレイを組んだ事を。
フレンダ「I never imagined that such a day would come....(まさかこんな日が来るなんて思ってなかった訳よ……)」
浜面「はあ?なんだって?」
フレンダ「……結局、浜面は馬鹿だって言った訳よ!!」
浜面「英語で罵るなんて卑怯だろ!」
フレンダは静かに結標を悼み、その数分後には頭から消し去ってしまった。
~1~
御坂「………………」
婚后が部屋を後にし、急に飛び出していった事を心配した美鈴からのメールをやり過ごして御坂は寝返りを打つ。
麦野の忠告、番外個体の非難、佐天の激昂、婚后の助言……いずれにしても薔薇の荊棘のように胸に突き刺さる。
だが一際大きく、一番深い場所に食い込んだ荊棘はやはり白井の事だった。
この灯りを落とした部屋のような御坂の心中と胸裡と内面にあって。
御坂「……向き合わなくちゃ」
タブレットを起動させ、初春から受け取ったデータファイルを開く。
再ハッキング先は第十九学区、旧電波塔帝都タワー……通称バビロンタワー。
御坂「私が逃げてたら、黒子は……」
御坂もまた能力を用いて初春と肩を並べるウィザード級の電子線を展開させる事が出来る。
何万もの経路を幾千もの方法で数百と絞り込み十全を尽くして一なる場所へと辿り着く。白井の病室の監視システムに
御坂「誰があの子を信じて、黒子を支えてあげられるって言うのよ」
白井の無罪さえ証明されたなら全てとは言わないまでも元通りになるとどこかで思っていた。
だがそれさえかなわないとさっきモニタリングされた白井の変わり果てた姿に思い知らされた。
今まで誰かの生命の危機や命運を握って来た事はある。だが誰かの魂を救う事などあまりに……
徒労を尽くせど、徒手では届かぬ途方もない高望みに思えてならない。だが御坂は諦めない。
御坂「世界中のみんながあんたの敵になったって、私だけは……」
白井は必ず帰って来る。自分の腕の中にまた包む事が出来ると信じたかった。
病室のモニタリングが映し出される。そこで――御坂は目を見開く。
御坂「……えっ?」
目を疑った御坂が顔を近づける。モニターにノイズが、バグが、砂嵐が混じる。
カラーだった監視映像がザザッ、ザザッと白黒(モノクロ)混じりになる。
コマ送り、コマ落とし、古い映画のフィルムが千切れたような、映写機に映り込んだ蛾の影のような不吉な影。
御坂「やめて……」
狂風が吹き荒れ、狂雷が走り抜け、グレープフルーツ大にも及ぶ雹が霰とばかりに降り注ぎ、小規模な竜巻が……
夜空さえ埋め尽くし、学園都市を覆い尽くし、世界の終わりを思わせる『それ』がやって来るのと
御坂「やめて……!!」
――御坂の『見たもの』とが重なった――
~8月10日~
白井「――――――………………」
姫神「これは。幻想(ゆめ)。貴女が逃げ込んだ最後の幻想(きぼう)」
結標淡希の消失、姫神秋沙の復活をもって白井黒子は全てを思い出した。
8月10日。この墓場を思わせる軍艦島に墓標のように聳え立つ……
この墓守のような濡れ羽色の巫女こそが白井の罪を知る証人であった。
姫神「現実(せかい)から逃げ出した。貴女が望んだ終わり。貴女が願った果て」
その役は被害者。その役は加害者。その役は裁判官。その役は断罪者。
白井と姫神を見下ろす星空はいつしか輝きを失い賽の河原の小石となる。
月は惜しまれて出る事もなく、鏡凪のようだった海が蠢き始める。
姫神「貴女は逆夢の住人。ここは貴女の想いを映し出す鏡の国のディストピア。罪深いアリスの物語」
そう。全ては夢幻(ゆめまぼろし)。呷った毒杯の美酒に酔い痴れた胡蝶の夢。
現実とは全てがあべこべになった魔鏡の迷宮。終着点はなくあるのは破局点のみ。
デズデモーナ(白)の不貞を断罪し、刃を振りかざすオセロ(黒)しかいない世界。
――――ここは結標淡希不在の世界――――
~15~
そう。白井は霧ヶ丘とは対を為す常盤台の女学生だったはずだ。
そう。白井にとってのお姉様とは対となる結標淡希ではなく御坂美琴だったはずだ。
結標と出会ったのは目映い光の下ではなく対となる薄暗い路地裏だったはずだ。
結標を追跡した白井は血深泥のはずだった。対となる無血の鬼ごっこなどではなかったはずだ。
白井にとっての友人は絹旗や黒夜のような裏の世界の住人ではなく、対となる表の世界の人間だったはずだ。
オリエンテーリングは佐天と初春の出会いの形だ。対となる絹旗と黒夜の出会いではなかったはずだ。
風斬氷華は霧ヶ丘女学院に名を連ねているだけだ。対となる満ち足りた学校生活などありえないはずだ。
フレンダ=セイヴェルンは結標と非常に折り合いが悪かったはずだ。対となる親友の間柄などありえないはずだ。
御坂美琴を救い出したのは一方通行(ダークヒーロー)ではない。その対となる上条当麻(ヒーロー)のはずだ。
魔法の鏡が見せてくれるような美しく優しい幻想(ゆめ)などどこにもない。
――鏡の中に世界(げんじつ)などない――
~14~
己の弱さに打ちのめされた白井を月夜の晩に慰めたのは結標?
否。己の脆さに打ちのめされた結標を雨の夜に包んだのは白井だ。
白井に出されたのはフランス式紅茶のマリアージュフレールだったか?
否。白井が結標に出した紅茶はイギリス式紅茶のティラーズだった。
雨の中駆け出した結標を探しに行ったのは白井?
否。それは結標のパートナーである姫神秋沙だ。
皆で夏休みに映画を撮ろうと決め、活動写真に繰り出したのは?
否。それは超電磁組の皆と古びた映写機を見つけた時のエピソードだ。
白井と結標とのデートで入った蕎麦屋のお座敷は自分自身の体験したものだったか?
否。それは御坂と婚后が出会った時に閉まっていたという体験を聞かされていたからだ。
結標と入って白井がプレゼントされたお揃いのブルーローズ(薔薇)のカフスは?
否。それは姫神が結標への首輪としてつけさせたフレア(百合)のピアスだ。
白井と結標が共に見上げた天気雨の中、虹の架け橋で交わした二度目のキスは?
否。それは結標と姫神が通り雨から逃れ図書館での二度目のキスを交わした時だ。
――鏡のように左右反転した逆様の記憶――
~13~
結標は姫神と夏雲の下再会し、白井と驟雨の下再会した。
結標の部屋に姫神が転がり込み、結標は白井の部屋に転がり込んだ。
結標が姫神に送ったのはランプシェード、結標が白井に贈ったのはオイルクロック。
結標が小説になぞらえたのは?姫神は『赤と黒』、白井は『オセロ』だった。
結標が王子様ならば姫神は報われるお姫様、白井は報われぬ人魚姫だった。
結標が二人と交わした場所は?姫神は廃校の保健室、白井は廃墟の療養所だった。
結標が二人に愛を誓った場所は?姫神は空港の管制塔、白井は海港の灯台だった。
結標が共に見上げた空は?姫神との最後は青空、白井との最期は星空だった。
結標にとって分かち難い存在は?姫神は半身であり、白井は分身だった。
暗部組織として闇の住人だった結標、風紀委員として法の番人だった白井。
人を傷つけるため捻くれたコルク抜きを用いていた結標、人を制するため真っ直ぐな飛針を用いていた白井。
二人はまるで光と影が織り成し、裏表に向かい合わせた鏡の双生児のようだった。
肉の器のみが異なり有する魂が同じ、悪童日記のクラウスとリュカのように――
~12~
姫神「貴女は。避難所で淡希の横顔を見て驚いたはず。貴女を見下していた淡希が。廃墟の街並みを見上げていた後ろ姿に」
姫神の姿を借りた自分自身が語り掛けてくる。
姫神「小さな背中。狭い肩。細い腰。初めて見る“敵”じゃない淡希に。貴女はひどく戸惑ったはず」
白井が秘めた想いを白日に晒させるようにして。
姫神「進むべき道も先もわからない淡希の。迷いに揺れる眼差しを貴女に向けて来た事に」
正義に、信念に、高潔に、裏打ちされ明かす事のなかったヴェールを。
姫神「自分が切り結んだ“敵”が。風紀委員の自分が何をおいても守らなくてはいけない。どんなにか弱い人間より儚く消え入りそうだと。貴女は感じたはず」
一枚一枚剥ぎ取り、剥き出しにさせて行く。最後の無花果の一葉まで。
姫神「貴女が淡希を避難所に誘ったのは」
祝詞を奏じるように粛々と、呪詛を紡ぐように刻々と
姫神「――淡希を。自分が守れる腕の長さの中に。置いておきたいと願ったから」
――白井のひび割れに、致命的な亀裂を穿つように――
~11~
白井「違いますの……違いますの!」
姫神「違わない。貴女は淡希というもう一人の自分の存在を。鏡のように通じて確かに感じたはず」
ガラスの剣のように鋭く脆かった結標が迷いを断ち切った7月7日の夜。最初で最後になった二人の共闘。
結標『――まさか貴女と手を組んで、足並みを揃えて戦う日が来るだなんて思ってなかったわ』
白井『わたくしも、貴女に背中を預け、呼吸を合わせて闘う時が来るとは思ってもいませんでしたの――』
それは結標の進化を、深化を、真価を誰よりも近く、強く、深く感じられた時に白井の胸に刺さった破片。
白井『たった一人でも?』
結標『たった独りでもよ』
そんな彼女が唯一の存在を、無二の相手を救い出すべく白井に見せた横顔は今までの誰よりも美しかった。
結標『返せなくなったらどうするつもり?』
白井『帰って来ますの。貴女は、必ず……』
結標『私が返しに来るまで、せいぜい生き延びる事ね』
白井『貴女が帰って来るまで、せいぜい生き長らえる事にいたしますの』
結標・白井『『お互いに』』
――御守りのリボンなどという束縛を、再び巡り会える口約束(こうじつ)まで用意させるほどに――
~10~
白井「わたくしは、わたくしはそんな……あの方を縛り付けるつもりなどなかったんですの!!」
姫神「そう。縛られたのは貴女の方。淡希という縄に。運命の赤い糸はもう。私の小指に繋がれていたから」
白井「――――――………………」
姫神「だから貴女は。その縄をタイトロープにした。結標淡希。貴女が“結ばれ”なかった“二人目”の人」
夜風が暗雲を招き寄せ、潮風が暗雲を渦巻かせ、狂風が暗雲を吹き荒ぶ。
姫神は続ける。何故織女星祭で失恋を肴に杯を開ける御坂を止めなかった?
白井は考える。何故同じテーブルについていながら一度も姫神に話し掛けなかった?
姫神「上条君に焦がれても決して実を結ばない彼女と。彼女に焦がれても絶対に結ばれない貴女。まるで鏡合わせのよう」
――全ては必然だった。鏡に映ったもう一人の自分に耐えられなかったのだ。
目を背け、眼を逸らし、瞳を閉ざし、目蓋に浮かぶ哀れで惨めな己の姿を――
姫神「だから貴女は。淡希に“黒子”と自分の名前を呼ばせた」
白井「違いますのっ!!!」
姫神「――無い物ねだりを繰り返す。意地汚い女狐」
~9~
何故パトロールを結標と二人で回った?超電磁組との待ち合わせをずらしてまで。
あの空中庭園、闇夜にかかる月虹のアーチの上で最後の花火を二人で見たのだ?
叶わぬ恋に焦がれ、報われぬ愛に焼かれ、燃え尽きるそれを自分と重ねたのか。
白井『傘、お忘れになりましたの?』
結標『……傘、置いてきちゃった……』
白井『そうですの』
結標と姫神の信頼関係が破綻したまさに最悪のグッドタイミングに
結標『馬鹿ね…置き傘なんてしてたら、他の誰かに持って行かれてしまうかも知れないのに』
白井『ちゃんと、名前はお書きになられましたの?』
結標『しっかりと、刻んだつもりよ』
白井『本当に?』
何故白井はあの雨の繁華街で傷心の結標に都合良く出会したのだ?
結標『泣いて…なんか…いないんだから……!』
白井『存じておりますの』
偶然を演出して、一目だけでも一言だけでも言葉を交わしたかったのではないか?
白井『――雨ですの』
雨の中崩れ落ちる結標を抱き締めた時、彼女の肩口で……
結標には見えない角度で笑みを浮かべていたのではないか?
~8~
道すがら結標から姫神との諍いの理由を聞き、義憤以上の情念に掻き立てられたのではないか?
優しくし過ぎても突き放してもいけない女同士の距離感を、縮めるのではなく囲い込む事を選んで。
姫神『何故。淡希の携帯に出ているの。常盤台中学の娘?淡希に代わって』
白井『結標さんなら今お風呂ですの。この意味、貴女ならばおわかりになられるかと』
姫神『……!』
白井『……ご安心を。結標さんには指一本触れていませんの。鈴のついた猫を横取りするなどと言った真似はいたしませんの』
雨に打たれ、片翅がもげ、飛べなくなった黒揚羽を虫かごに入れる子供のように。
白井『ただし――今夜は彼女を帰しませんの。ごめんあそばせ』
保護という名の独占(エゴ)を、顔の見えない電話越しに剥き出したその後に
白井『――貴女は、わたくしが認めた二人目の人間ですのよ』
シャワールームの硝子越しに白井が浮かべていた優麗な微笑み。
その笑顔の中、ほんの一片でも優しさ以外の成分が混ざってはいなかっただろうか?
~7~
人肌に合わせて溶ける冷たさ、人肌無しにはいられない弱さ、姫神が嵌り込んだ底無し沼のような結標。
痛々しいまでの繊細さが、白井の胸を二重の意味で痛ませた。罪悪感と、それ以外の感情に胸を締め付けられて。
白井『あまり大切にされているとは思えませんの。わたくしには』
結標『……やめて……』
言葉一つで血を流す結標の弱い心根に
白井『貴女の格好からすれば見えかねない場所に、言い訳の出来ない痕を刻む事が本当に貴女を大切にしているかどうか、わたくしの感性では計りかねますの』
結標『……やめて!』
自分の厳しい一言で、自分の優しい一声で
白井『――わたくしには、貴女が良いように身体を弄ばれているようにしか感じられませんの』
結標『やめて!』
その度に深く傷つきながらも、同じ分だけ慰めを匂わせる結標に
白井『それを拒まない、貴女とて――』
結標『やめてってば!!』
――蟻地獄のように嵌り込んで行く自分の子宮(こころ)を白井は否定しきれなかった。
~6~
そして白井は結標に抱かれた。右目から流した涙は御坂への懺悔。左目から流した涙は女としての喜び。
結標の嘆きを養分にドス黒く咲き誇る胸の内の彼岸花。羽化した骸骨蛾(メンガタスズメ)のような自分。
結標に飲み込まれるようにしながら、同じ分だけ結標を呑み込もうとした自分は正しく『女』なのだと理解した。
御坂には決して見せられない自分。受け入れられない汚穢。指が何本入ったかさえ数えるの止めた時――
白井『(……夢ではございませんの……)』
迎えた朝は幻想ではなく、越えた夜は現実だった。
日向で丸まって眠る猫のような結標の無防備で罪のない寝顔に……
優しい朝の光とあたたかい体温(ぬくもり)はただただ
白井『結標さん。朝ですの。起きて下さいまし』
結標『……ふえ……』
――死神を連想させる黒揚羽の結標の美しさと、死神を連想させる骸骨蛾の白井の醜さを暴いて行く。
何の事はなかった。『白』の字を持ち風紀委員としてこの学園都市(まち)を守ろうとしていた自分はもう――
姫神のような病的で執着めいた愛情より、御坂のように可憐で少女めいた恋情より――
誰よりも『女』として苛烈だったのは、白井自身だったのだ。
~5~
結標にキューカンバサンドを作った時、あえて突き放そうとしても……
朝になれば帰そうという開き直りは、いつしか明日になれば返そうという居直りに形を変えた。
一緒に取り溜めた映画を見、自分の服を貸して着飾らせ、共に海を見に行こうとした。
殊の外明るく取り繕い、殊の更に可愛らしく振る舞う事に務めた。
少女ではなくなった夜、女として目覚めた朝、二人として過ごす最初で最後の一日を。
天国行きのモノレールに乗り、地獄行きの海原電鉄を目指した。
荒れ果てた海上学区、朽ち果てた軍艦島、滅美の街と夏への扉。
自分達以外誰もいない生と死が揺蕩うサナトリウムで再び抱かれた。
誰にも聞かれないのを良い事に、誰にも聞かせられない声を上げた。
御坂が最後まで振り返ってくれなかった自分を、結標だけが見つめていてくれた。
姫神「――女として見てもらえて。嬉しかった?」
結標の瞳に映る自分が見えるほど近い抱擁と深い口づけの中に白井は己の姿を見出した。
御坂の目に決して留まらず、決して見せられない姿を、風紀委員でも後輩でもない自分を。
姫神「――女として抱かれて。気持ち良かった?」
~4~
姫神「淡希を壊して。私を狂わせて」
白井「……!!」
姫神「淡希の心の弱さにつけ込んで。偽りのぬくもりで包み込んで」
白井「……!……!」
幻想観手事件の調査中、情報を有していた能力者との戦闘。
そこで白井はビル一つ薙ぎ倒す事まで平然とやってみせた。
そんな白井をしてその能力者はこう評した、『イカレてる』と。
御坂でさえ上条がために北極海まで乗り込んで来たのだ。
姫神「貴女がもたらしたのは。王子様を刺し殺す魔女の短剣」
だが御坂美琴の世界やそれを守ろうとする白井の価値観は矛盾だらけだ。手段は選ばないのに犠牲を出したがらない。
それは優しさではなく、正当な代価を支払わない運命への踏み倒しだ。そのツケの全て回ってきている今――
ただ一つ確かな真実(もの)。ただ一つ変えられない事実(モノ)
姫神「――貴女が。秋沙を殺した――」
それは自分のせいで結標淡希が死んだという、白井の掌の中に残った現実(マスターピース)
~3~
姫神「思い出して。ここで何があったか」
姫神の足が灯台の床を踏みしめ、手摺りを指でなぞる。
白井は動けない。人間の足を持てなかった人魚姫のように立ち上がる事が出来ない。
白井は喋れない。声を取り戻せなかった人魚姫のように話す事が出来ない。
姫神「私が。吹寄さんが。淡希と。貴女に。追いついた後の事」
末っ子だった人魚姫。一番小さかった人魚姫。王子様に恋をした人魚姫。
もしも人魚姫がお姫様に挑んだら?もしも王子様を刺し殺したら?
分かち難く離れがたい王子様を、自分の住まう人魚の国へと攫ってしまったら?
姫神「思い出して。淡希が最後の最期に名前を呼んだのは」
王子様は溺れ死んでしまいました。人魚姫が人間になれないように。
王子様も人魚になる事が出来ずに海の底で眠りについてしまいました。
姫神「――淡希が呼んだ愛しい名前。淡希を呼んだ恋しい名前」
人魚姫は、やっと一緒になれた王子様が眠ってしまったのでずっと涙を流す事になりました。
もう一つ海が出来るまで。鏡のような水面(みなも)が生まれるその時まで人魚姫はずっと
姫神「――淡希が呼んだ名前は……」
泡になる事さえ許されず、天に昇る事も出来ずに泣き暮らしましたとさ
――めでたし、めでたし。
結標『――――愛してるわ……秋沙――――』
~2~
白井「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
その瞬間、第十九学区にある旧電波塔『帝都タワー』の警備員支部にある病室に轟き渡った叫び声は
手塩「な、何事だ!!?」
すぐさま監視していたモニタリングに映し出され、詰めていた手塩が駆けつけた。
小規模な上に突貫工事で打ち立てられた同施設であろうとも能力者対策は十全に施されている。
かつて手塩が結標と対峙した少年刑務所のように。しかし時はその時をなぞるように繰り返された。
手塩「――――!!!!」
各所で学園都市に発生したスーパーセルの被害に対応すべくほとんどの警備員が出払っていたのは不運としか言いようがなかった。
否――例え警備員が総掛かりで事に当たったとしても今の白井を止める事など誰にも出来はしない。
手塩「……馬鹿な」
学園都市に来襲したスーパーセルと同じ大嵐が、病室内にも吹き荒れて――
~1~
御坂「やめて……」
ベッドが、医療機器が、窓ガラスが、吹き荒れる竜巻のように病室内部で暴れ狂っているのを――
ハッキングにより同じ監視映像を盗み見ていた御坂の目にも映った。白井の空間移動能力が暴走している。
ベッドから落ちた白井が上げる半狂乱の声が、発話さえ困難なほどの衝撃を受けた精神が……
白井が見ていた幻想(ゆめ)が覚め、現実(せかい)への帰還を果たした事により破綻したのだ。
正義のために振るって来た剣(ちから)が、御坂の露払いのために研いできた刃(ちから)が……
今、自らを殺すために向いている。手塩が何やら叫び、押さえつけようと駆け寄るのが見え――
御坂「やめて……!」
夢のような幻想(ユートピア)から悪夢のような現実(ディストピア)へ。結標淡希不在の世界へ。
ありとあらゆる意味で白井の自分だけの現実(パーソナルリアリティ)はたった今崩壊を迎えた。
存在理由(ただしさ)を、存在意義(やさしさ)を、存在価値(いとおしさ)を……
結標淡希を死に追いやった事により白井の魂は粉々に打ち砕かれた。
大嵐を呼ぶと言われるブレンターノの人魚(ローレライ)の歌声のような白井の絶叫と、涙と共に御坂の上げた悲鳴が――
~00~
白井「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
――合わせ鏡に分かれた世界が、二人の乙女の叫びの果てに一つに重なる――
御坂「やめて黒子オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
~0~
かくて御坂美琴と白井黒子、白井黒子と結標淡希の二つの物語(ダブルファンタジー)はここに終わる。
青髪「――荒れるなあ」
ジョン「唖然。天変地異とはこの事か」
グレープフルーツ大の雹が霰とばかりに降り注ぎ、鏡張りのビル群と硝子張りの建築物に風穴を開けて行く。
佐天「怖いよ初春……」
初春「私もですよ佐天さん……」
車両すらひっくり返さんとする強風、風車を薙ぎ倒さんとする突風。学園都市全域を襲うダウンバースト。
婚后「空が墜ちて来るようですわ……」
闇夜にあって不気味な乳白色の乳房雲が水平に壁を為し、雲海が頭上を掠めて行くような禍々しさ。
一方通行「離れろォ、暑苦しい」
番外個体「……ヤだ」
数え上げる事すら出来ないほど降り注いでは荒れ狂う狂雷が導雷針を焼き滅ぼす勢いで地響きを立てる。
削板「こんな災害になんぞに負けてたまるか俺達の根性を舐めんじゃねえぞ!!垣根!!!」
垣根「ああ、第十五学区にある避難所三つは今んとこ無事だ。ただ停電だけはどうしようもねえ」
服部「やれやれだぜ……あと浸水がひどいらしくってな、明日は総出になりそうだな?」
雲川「(あと二時間……)」
洪水を巻き起こすほどの豪雨。さながら十字教に伝わるノアの大洪水のように各所を水没させる雨量。
フレンダ「うわーやだやだやだやだ!最後の最期が浜面と一緒に死ぬとか結局死んでも死にきれない訳よ!!」
浜面「死ぬかアホ!たかが大嵐で死んでたら今まで何回も死んでるっつうの!!」
いくつもの突発的かつ局地的な竜巻が生まれては消え、その都度最先端技術の結晶体である頽廃の街を攫って行く。
御坂「黒子……」
8月12日、PM22時00分。
御坂「黒子……!」
――――スーパーセル、発生――――
御坂「黒子ォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」
とある白虹の空間座標(モノクローム):第十一話「最後から二番目の幻想」
『――――許して、ぼくはこれより大きな声ではしゃべれない――――』
――ミヒャエル・エンデ『鏡の中の鏡』より――
~8月12日~
麦野『あんたの娘は……御坂は私が“背負う”。だからもうこの学園都市(まち)の暗部(やみ)に踏み込むな』
美鈴「……何だか、思い出しちゃうわねーこんな嵐の夜って」
22時30分、御坂美鈴は第三学区にあるエグゼクティブホテル『ミネルヴァ』の一室に逗留していた。
今は風呂上がりの一杯、もといナイトキャップには些か強い火酒を煽っている最中であった。
無論明日の保護者会に響かぬ程度に留めるつもりではあるが、ホテル内の自家発電さえ機能しないほどの大停電なのだ。
隙を潰すテレビも備え付けのパソコンもいじれず、携帯電話の電波状況はずっと圏外のまま。
スーパーセル。昨年10月3日に断崖大学データベースセンターに襲来したそれより遥かに強大な雷雲群。
保護者会。かつて自分が美琴(むすめ)を取り戻さんと牽引し、命を狙われる羽目となったあの事件。
麦野『……戦争が起きても、私が御坂を殺させない。御坂に人も殺させない……これでいい?』
あの事件を通して美鈴は麦野と出会った。紆余曲折を経て麦野は失明寸前、首から下が動かなくなるまで……
上条当麻が駆け付けるまで自分を身を挺して守ってくれた。自身の罪業と血讐と戦いながら。
麦野『一人殺すも二人殺すも今更変わらないなら――一人抱えるも二人背負うも今更変わらない』
美鈴「……せっかく学園都市に来たんだし、明日デートに誘っちゃおうかしら?」
その時交わした約束を、麦野は今も守り続けている事を美鈴は知っている。先の七夕事変でも……
レベル5の中で御坂だけが戦いに加わらなかった事がその証左だ。だが御坂はそれを知らない。
麦野『――今夜あった事、私と話した事、何一つ御坂には伝えないで頂戴』
美鈴『ええっ!!?』
麦野『それが条件よ。安いもんでしょ?』
美鈴『どうしてよー!?』
麦野『……馴れ合いは嫌いなの』
麦野との誓約。それは一切の真実を御坂に明かさないという事。そしてその夜に美鈴は『妹達』の事を知った。
美鈴は思う。果たして屍山血河の修羅道を行く麦野を先に知らなかったとして、自分は一方通行と……
共に墓参りに行くなどと言う事が出来ただろうか?否、不可能だったに違いない。
美鈴「――あの娘、お酒強いし綺麗だから連れて歩いてて楽しいのよねえ♪」
美鈴は思う。そんなもう一人の娘のように思っている彼女は、今どうしているだろうかと――
~1~
固法「はあ……」
同時刻、複合施設『水晶宮』のティーラウンジで固法は眼鏡を外して目頭の凝りをほぐしていた。
スーパーセル到来に伴い避難所の一つに指定されているここに身を寄せたは良いが、出るのは溜め息ばかりである。
手元に置かれた眠気覚ましのエスプレッソは冷めて久しく、浮かんで来るのは拘束された白井の事ばかり。
風紀委員としての活動停止処分、及び監督不行き届きを散々に詰問されて些か疲れ果ててもいた。と
御坂「どいて!どきなさいってば!!」
女生徒A「御坂様お止め下さい!こんな嵐の中に出ては!」
女生徒B「なりません!一体どうしたというんですか!?」
固法「この声……」
締め切られたティーラウンジにまで響き渡って来る押し問答に固法は席を立ち上がった。
今の声は御坂のものだ。そして制止をかけるは彼女の派閥の人間だとあたりをつけて出ようとすると――
初春「あっ……」
佐天「あーっ!」
固法「佐天さんに初春さん!貴女達もここに避難しに来てたのね?」
初春「え、ええまあ……」
店内の奥の席から姿を現した初春と佐天に出くわした。
初春もまた固法と同じくして活動停止処分を受けていたはずだ。
たまたま避難所を同じくした事にさして違和感はない。
されど固法はやや歯切れの悪い初春に異物感を覚えた。
固法「……この騒ぎは何?」
佐天「え、ええっと……」
固法「………………」
それは傍らに寄り添う佐天に対しても同様であった。
彼女達が如何に親しかろうと腹芸が出来る人間でない事は――
いくつかの事件を通して知っている。いや知っていたつもりだった。
白井『固法先輩!ここはわたくしにお任せを!!』
固法「………………」
自身の透視能力も、経験に基づく洞察力もそれなりにあったつもりだった。
しかし白井の件からそれさえも固法には自信がなくなっていた。
自分は果たして彼女の何を見て来たのだろうかと。だからこそ――
固法「――話しなさい二人共」
初春「……固法先輩」
固法「――話を、聞かせて」
感じる責任感は御坂の比ではなく、さりとて御坂ほど表にも出さない。
固法「何が起こっているの?」
スキルアウトに身を窶した過去があれど、腕章がない現在も、自分は風紀委員(ジャッジメント)だからだ。
~2~
御坂「こんなところでこんな事してる場合じゃないのよ!私の前に立ち塞がらないで!!」
女生徒A「通しません!ただでさえ先代派が足を掬おうとしている今、御坂様を行かせる訳には参りません!」
水晶宮のエントランスホールにて御坂は派閥の人間に取り囲まれ身動きが取れなくなっていた。
事態は一刻を争うのだ。白井の能力が暴走し、病室が吹き飛んだ所で監視カメラは役目を果たさなくなった。
それどころ帝都タワーに通じるネットワークがこのスーパーセルの影響によって断線、音信不通となった。が
御坂「(……八方塞がりってこういう事を言うのね!)」
女生徒B「これ以上問題行動を起こせば私達全てに塁が及ぶんですよ!?何故それがわからないのです!」
御坂「(――この娘達に、何て伝えれば良い!?)」
御坂には信頼して共に歩める仲間さえ派閥にはいなかった。平時はともかくも急時には全く役立たない。
それどころか抜き差しならぬ逼迫した事態の中心が白井だとすれば彼女達は保身のために切り捨てるだろう。
御坂「これ以上私を怒らせないで!!!」
女生徒達「「「「「(ビクッ)」」」」」
御坂「……私はね、確かにあの女が言う通り政治力にも人の上に立つ資質にも欠けてる長だわ。申し訳ないけど」
食蜂の大名行列を見る度に感じていた感覚、人の上に立つという事はさぞかし気分が良いだろうと。
しかし御坂自身が女王の座に担ぎ上げられた事によりわかった。重責こそ増えど胡座などかけない。
誰も彼もが『自分には何をしてくれる?』『自分にどんな利益を回してくれる?』という……
そんな風にしか感じられなくなった。女王の椅子に祭り上げられた途端それまで横並びだった彼女達がわからなくなった。
御坂「――私は、貴女達だけじゃない。たった一人の後輩(パートナー)の心さえわかってなかったんだ」
女生徒C「御坂様……」
御坂「……今だって何一つ貴女達に伝えられない、自分の首さえかければどんな責任だって取れるってどっかで甘えてた」
食蜂のような人心掌握や駆け引きにも長けていない。婚后のように持たざる者の気持ちや立場も汲み取れない。
白井の離れて行った心も、佐天が感じていた距離も、わかっていて伸ばせるほど腕が長くない事も。
御坂「だから……だから!」
故に――
――――御坂はそこで、膝を屈した――――
~3~
女生徒達「「「「「御坂様!?」」」」」
御坂「……私はこんなにも非力な派閥の長で、無力な御飾りの女王で、微力なあの娘の先輩で」
ポタポタと雨漏りのように零れ落ちる涙。大理石に床に染み込む事もなく濡れるばかりのそれ。
折った膝、ついた手、額ずく顔、晒した背中。それは『君臨すれど統治せず』であった女王(みさか)の……
祭り上げられ担ぎ上げられ奉られた御坂が、白井の窮地の中で初めて見せた『弱さ』だった。
御坂「――でも、たった一人の後輩(パートナー)も助けられないで私は貴女達の長なんて名乗れない!!」
この場に上条当麻(ヒーロー)はいない。この場に削板軍覇(リーダー)はいない。いるのは……
御坂「貴女達全員に迷惑がかかるってわかってても!常盤台にいられなくなっても!私はもう目の前で誰かを助けられないなんて耐えられない!!」
女生徒達「「「「………………」」」」
御坂「私は妹(あのこ)達を助けられなかった!北極海でも上条(あいつ)を救えなかった!!私はもうこれ以上何も失いたくない!!!」
泣き寝入りを拒む、泣き落としの言葉。大人は何かを失って初めて涙を流す。だが子供は違う。
子供は何かを『失いたくない』時に涙を零すのだ。力なく短い手足で泣き叫ぶ事しか出来ない。
御坂「お願い……私を前に進ませて……」
長たる者の資質は乱暴に分けて凡そ三つ。『能力』と『利益』と『情』にある。
危機察知能力、決断力、行動力、統率力、管理能力、洞察力etc.……
能力のない者に人は付いて来ない。そんな人間に自身を預ける事など出来ない。
人脈、成果、利権、役職、将来性etc.……利益をもたらさない者に人は付いて来ない。
カリスマ性、非情さ、人心掌握、そして残る最後は『情』に他ならない。
如何な能力と利益を持ち合わせていれど心を持たない長は信を勝ち得る事は出来ない。
御坂「――道を開けてくれるだけで良い。お願い、私にあの子を救わせて……」
弱味を見せれば取って代わられる。しかし心(よわさ)を見せねば下につく者の心(きもち)もまた見えない。
妹達の一周忌が、白井の件が、佐天に触発されたトラウマ……
その限界状況が無ければ恐らくは見せなかったであろう素顔(みさかみこと)を――
御坂「――私を前に進ませてよォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
婚后「――よくぞ言い切りましたわ、御坂さん」
~4~
女生徒達「「「「「婚后様……」」」」」
婚后「失礼いたしますわ。他藩のお家騒動に差し出口を挟むつもりはありませんでしたが――」
御坂「婚……后さん」
婚后「――婚后派の長としてでなくわたくし婚后光子、御坂派の長に対してではなく御坂さんの一友人として」
満座の中で、御坂派のみならず他校の生徒等や影を潜める先代派が取り巻くエントランスホールに……
パタパタと扇子をあおぎながら姿を現した婚后光子に、三大派閥の長が一角に女生徒らが道を譲った。
派閥の人間は連れず、単身この張り詰めた空気の中割って入って来たのだ。軽やかな足取りで。
女生徒D「い、如何に婚后様と言えど口出しは――」
婚后「――御坂さんもつくづく“周りの人間”に恵まれませんこと……」
女生徒E「!?」
婚后「あなた方は、いつまで御坂さん一人の双肩に重責を担わせるおつもりかと聞いているんですわ!」
女生徒F「っ」
御坂「(婚后さん……)」
パンッ!と扇子を一つ音立てしまう仕草一つで婚后は囀る御坂派の面々を押し黙らせ、佇まいを正させた。
御坂も落とした涙や上げた叫びを一瞬忘れてしまうほど凛としたその立ち姿。一年前と似て非なる威風。
婚后「口を開けば責任逃れ、身を振れば保身、あまつさえ長が這いつくばって乞い願う姿を見て、貴女方は自分が恥ずかしくないのですか?そこの貴女」
女生徒E「わ、私ですか!?」
婚后「――彼女にこんな真似をさせなければならないような自分達の不甲斐なさを如何に思われるので?」
女生徒E「あっ……」
婚后「長とは冠するもの。頂にあって戴くもの。それを支えき山となるべき貴女方の仰ぐべき眼(まなこ)は一体何処に向いていると言うのですか」
女生徒達「「「「………………」」」」」
それは強烈な皮肉であり痛烈な弾劾であった。御坂が長として力不足である以上に支える人間がなっていないと。
長が力足らずならばそれを支えるのも派閥の人間だ。だが彼女達はそのいずれもして来なかった。
『レベル5第三位』『常盤台の女王』という目映い威光と自分達の理想のみを押しつけるばかりで。
~5~
常盤台中学の実力至上主義的な部分はそのまま御坂自身にも当てはまる。
低ければくぐれぬ狭き門は、高過ぎれば太陽を仰ぐように目を瞑ってしまう。
御坂生来の強さと孤独が、派閥の人間をしておんぶにだっことなり重責になる。
誰しもが誉めそやしては遠巻きに眺めるばかりでその心中を察し得ないし量れない。
婚后「今の彼女を見たでしょう。彼女とて貴女方とさして変わらぬ年嵩。涙の一つもこぼせば気だって高ぶります。そんな“弱い”彼女だからこそ“弱い”私は友人(とも)足り得たのです」
女生徒G「……“弱い”……」
婚后「――同時に、それ以上に誇り高い彼女が地べたに膝を屈してまで貴女方に情(よわさ)をさらけ出したのですよ」
女生徒H「………………」
婚后「彼女は今さして大きくも広くも深くもない“器”から水をこぼしました。今度はそれを拭う貴女方派閥の人間の“器”が試される番ですわ」
御坂「婚后……さん」
この時初めて御坂は婚后の背中が広く大きい事を知った。
それは御坂が這いつくばっている以上に、高く見えたのだ。
食蜂のような『華』も、御坂のような『光』も持たぬ彼女は――
スッ……
女生徒J「こ、婚后様!?お顔をあげて下さい!!」
婚后「わたくしも何が彼女を駆り立てているかは朧気にしかわかりませんわ。ですがただ一つ確かな事は」
下げたのだ。御坂の側で同じように大理石の床に手をついて。
常盤台の三大派閥の長が一角が、派閥の下っ端の人間のように。
婚后「――貴女方の誰が欠けても、彼女は今と同じように事に立ち向かうでしょう。貴女方の長はそう言う人間です。故にわたくしも彼女の一友人として」
――あれほど気位が高くお嬢様然としていた婚后が、頭を下げたのだ。
婚后「そんな彼女を、どうか行かせてあげてくださいな」
女生徒達「………………」
婚后「それでも尚彼女の行く手を阻むというならば――私は“嵐”となりましょう」
女生徒達「!!!!!!」
婚后「彼女を取り巻く雲霞を吹き飛ばす、ただ一陣の風として」
同時に、跪きながらも発した言葉は満座を戦慄させるに足りた。
『情』とは何も弱さだけではない。非情さをも司るのだ。
優しさだけで務まるほど常盤台三大派閥の長は甘くはない。故に――
女生徒達「――お通り下さいませ、我等が“女王”」
~6~
御坂「みんな……」
女生徒A「どうか、今までの非礼をお許し下さい」
女生徒B「そして、ご武運を……」
女生徒C「女王の留守は、私達でお守りいたします」
女生徒D「もはやお止めいたしません。お引き止めもいたしません」
女生徒E「女王のおられる場所が、私達にとっての玉座(いばしょ)です」
女生徒F「道を、先を、この嵐を切り開いて下さい。御坂様」
女生徒G「力無い私達に、御坂様と同じ道をもう一度歩ませて下さい」
女生徒I「女王を支えられるだけの力を、この夜が明けるまでに」
女生徒J「私達に御坂様の背中を後押しさせて下さい」
女生徒達「「「「「我等が女王」」」」
派閥の人間達が、道を開けた。御坂の歩いた後に生まれた道をただついて来ただけの彼女達が……
御坂の背に負われているばかりだった少女達が今御坂の背を後押ししているのだ。
御坂「みんな……ごめんなさい……それから……ありがとう」
女生徒A「その言葉(なみだ)だけで、もう十分です」
数を誇る烏合の集ではなく、一人一人が御坂の行く道を支える事を決めた。
彼女を支える事が、自分達を守ってくれる事になると信じて。
御坂「……ありがとう、婚后さん」
婚后「お行きなさい。門出の涙は必要ありませんわ」
そして、婚后はさっさと引っ込むと御坂派より踵を返した。
婚后は御坂と共に行く事は出来ない。彼女は長だからだ。
その巻き起こす風は御坂にとっての追い風だった。そして――
婚后「――いつまで、彼女達を待たせておくつもりでして?」
御坂「!?」
婚后「あれを」
佐天「………………」
初春「………………」
固法「――まったく」
婚后の畳んだ扇子が指し示す先。正面玄関に吹き荒ぶ嵐の中にはどこから持って来たのかレクサス・GSが停まっていた。
固法「――スキルアウト時代に教わった技術がまさかこんな時に役立つだなんて思わなかったわ」
御坂「みんな!!!」
固法「早く乗って!詳しい話は後よ!!」
御坂は駆け出す。解き放たれたようにして嵐の中へと立ち向かって行く。
バツが悪そうにしている佐天も、風紀委員権限が凍結されている故に一友人として加わった初春も固法も。
言葉はもういらなかった。しかし誰とも無しにつぶやいた。
――反撃開始だと。
~7~
婚后「彼女達を行かせてよろしかったので?」
寮監「――私は先程寮監の任を解かれた」
婚后「………………」
寮監「誰かが責任を取らなくてはならない。大人の世界とはそうしたものだ」
フロントガラスにグレープフルーツ大の雹が罅を入れ、加速させる度に車体が強風に流されるレクサスを……
まだローンが残ってるんだから派手にやってくれるなよと水晶宮の支配人室の窓から寮監は見送っていた。
寮監の足止めに来たつもりの婚后が思わず毒気を抜かれてしまうほどその雰囲気は静謐そのもので。
婚后「白井さんの件で?」
寮監「それ以外の何がある」
婚后「………………」
寮監「おおよそのあらましは私の耳にも入って来ている。“これからどうなる”かも含めてな」
婚后「……もしや」
寮監「“主は主あるを知る”……私のような一雇われ管理人には影も踏めぬ世界の話らしい。だがそれでも私にはお前達の監督責任があった」
そこで婚后は扇子を開いて口元を隠した。口に出してはいけない言葉がある。
婚后の伝え聞く寮監ならば例え任を解かれようとも引き戻しにかかるだろう。
だがそれをしないという事はそういう事なのだろうと内に秘める事にして……
寮監「――生徒達を束ねておけとは言ったが、とんだ裏目に出たようだ」
婚后「……わたくし」
寮監「何だ?」
婚后「この常盤台に転入するに当たって約一年余りの準備期間を要しましたわ」
寮監「それがどうした」
婚后「その折、常盤台の創設まで遡って紐解いた事がありますわ」
寮監「………………」
婚后「王侯貴族であってもレベルを満たさぬ者は潜れぬ常盤台中学の狭き門。しかし能力開発が今ほど進んでいない時代が今ほど高くなかった頃があったそうですわね」
若やぎ立つ時代の学園都市、能力開発のメソッドやノウハウが未だ成熟期になかった頃の歴史。
最初の一歩たる踏み出しの時代からやはり常盤台は派閥問題があった。今以上に能力者達の競争意識が高く……
そうでない者達との間に生まれた軋轢も含めてた常盤台を一つに束ね上げた伝説的な存在が
婚后「それが“初代”常盤台の女王だったそうですが?」
寮監「――昔の話だ」
素手でのみをもって彼女達をねじ伏せ、まとめ上げた『初代』常盤台の女王と呼ばれていたのは――
寮監「……御坂(あいつ)は、私の若い頃によく似ている」
それは――
~8~
固法「最悪の状況ね……」
23時30分。1メートル先も見えぬ豪雨の中、固法はスキルアウト時代に培った運転技術で第十九学区に入った。
主だった幹線道路は全て交通封鎖されているため抜け道や裏道を行きながらレクサスは嵐の中を突き進む。
その道すがら固法は御坂達から全てを聞いた。一時間半前に旧電波塔帝都タワーで起こった――
御坂「それでも私は黒子を止めたいんです」
固法「………………」
御坂「あの子私に言ったんです。“もし私が学園都市の敵になったその時は自分が捕まえる”って」
佐天「白井さん……」
御坂「――だから私は、今学園都市の敵になろうとしてる黒子を止めます。例え誰と戦うになってたしても」
白井の覚醒と暴走。事件の真相は未だ明らかではないが、これは最悪の坂を更に転げ落ちるに十分過ぎる事態だった。
突風が吹き荒ぶ度に車体が押し流さそうになり、絶えず落ちる狂雷は地面を揺り動かすほどである。
固法が車を出してくれなければとても一時間では到着出来なかっただろうし、そもそも徒歩でいけるはずもない。が
固法「――私も白井さんを逮捕するつもりで来たわ。あの娘に風紀委員のイロハを教えた先輩としての、最後の仕事(けじめ)として」
御坂「……だから、私達に協力してくれたんですか?」
固法「(貴女達の分も含めて、出来る限り責任をかぶるためにもね)」
活動停止処分が下された中での校外活動、規則違反、独断専行、私的な感情、全てが風紀委員として失格だった。
故に固法は全てが終わった後、御坂達にかかる責任全てを自分が煽動し先導したと出頭するつもりで。
固法「(――仲間に手錠をかけたその後まで風紀委員を続けていられない、自分の弱さの正当化ね……)」
初春「おかしいです……何だかここ一帯の電波通信が人為的に封鎖されているみたいな」
佐天「え、この停電のせいじゃない??」
初春「――違います!何だか様子がおかしいです!!」
固法がひび割れたフロントガラスに映った自分を見やったその間隙を
初春がノートパソコンを操作していて違和感を覚えたその瞬間を
佐天が目前にまで迫った帝都タワーを見上げたその刹那を
御坂「なっ……」
御坂が上げた吃音さえも切り裂くように、その『光』は現れた――
~9~
ズギャアアアアア!と闇夜を切り裂く蒼白い妖光が、帝都タワー上層部より御坂達に降り注いだ。
それは今まさに突入しようとした陸橋を軽々と溶断し、豪雨が一瞬で水蒸気に変わるほどの圧倒的熱量。
佐天「きゃあっ!!?」
固法「みんな掴まって!!」
初春「っ」
御坂「――――――」
陸橋が崩落し、レクサスはその崖っぷちギリギリをスピンしながら停車した。
それによって後部座席の初春のノートパソコンがステップに落ちる。
同時に佐天はもんどり打つようにシートから転げドアに頭を強打した。
だがその中にあって御坂だけはこの嵐の夜の彼方から降り注いだ妖光に
御坂「嘘」
陸橋の下に流れる河川が氾濫し、元よりゴーストタウンと化していた建築物が竜巻並みの強風により……
軋みを上げて一部が崩れ、何本かの風車が落雷を受けて焼け落ちる。そんな大自然が猛威をふるう中――
御坂「なんで」
道を切り開いてくれた派閥の人間達、後押ししてくれた婚后光子。
未だ仲直りの言葉を口には出来ていないが互いに水に流そうと思える佐天涙子。
その友人にして白井の同僚である初春飾利、先輩たる固法美偉。
御坂「どうして」
自分を支えてくれ、掛け替えのないパートナーを止めるために集った仲間達。
御坂が苦楽を共にし、絆を強め、己を高め、思いを深めて来た友人達。
長らく会っていないような気さえする思い人、上条当麻とその――
御坂「あんたが」
思わずドアを開けて表に出る。降り注ぐ雹は常ならば顔を歪めるほどの痛みをもたらすはずが……
御坂は何も感じなかった。このスーパーセルが巻き起こす破壊的なまでの猛威も暴力的なまでの轟音も。
御坂「ここにいるの」
全てを忘れさせるほど、感じさせないほどの衝撃が御坂の全身を貫いた。
御坂の心中にあって、皆が笑顔を浮かべる記憶にあってただ一人……
熱を感じさせない微笑みで見下し、鼻であしらって肩で風を切って歩くような
御坂「嘘よ」
帝都タワー上層部よりこちらを見下ろして来る、闇夜の稲光りに浮かび上がるシルエット。
緩やかに巻かれた栗色の髪、自分とは比べ物にならないスタイル、対照的な冷ややかな美貌。
御坂「―――――」
それはあり得たかも知れない、もう一人の御坂美琴(じぶん)――
御坂「――――――麦野さん――――――」
~10~
麦野「――滝壺、やっぱりこうなったよ」
滝壺『うん……みさかの方はどうする?』
麦野「あんたは“そっち”のもっと厄介な方を押さえといて」
滝壺『………………』
麦野「どうあっても私達の勝ちは揺るがない。どうやってもあいつらの負けは動かない」
暴風雨と落雷が荒れ狂う帝都タワー中間部より『妨害電波』の軛から逃れた携帯電話を耳に当てながら――
麦野沈利は御坂を見下ろしつつ滝壺と通話する。予想外の展開ではあったが想定内の出来事だと。
しかしその目元には雨に濡れて落ちきった前髪がかぶさり表情から勝利の喜びは感じられない。それどころか
麦野「――アシストありがとう。じゃあ」
滝壺『むぎ……』
麦野「――また、ね」
それ以上言葉を紡ぐ事もなく、滝壺にも続けさせずに通話を打ち切った。
そしてタワー中間部より原子崩しの妖光を足元へ穿ちながら着地する。
陸橋を落とされ文字通り立ち往生した御坂達の前へ躍り出て……
陸の孤島と化した帝都タワーを背に、河川を挟んで麦野は向き直る。
御坂「どうして……」
麦野「………………」
御坂「何であんたがここにいんのよ!!」
御坂がまくし立てる。取り乱したようにひび割れた声音を軋らせて。
訳がわからないのだろう。ここ二日で幾何学的に精神を摩耗させ――
ようやく辿り着いた白井への手懸かり、その足掛りを断ち切られたのだ。
それも三日前には車中で慰められ、今朝は食事を共にし……
昼間はその胸に抱かれて眠った相手が最悪のタイミングに現れたのだから。
御坂「通して!中に入れて!!黒子が今大変なの!!!」
麦野「………………」
御坂「麦野さん!!!!!!」
麦野も思い返していた。初めて出会った時の挑むような眼差しを。
酔っ払って自分にキスして来た時、その後に酔い潰れた醜態も。
下着を買い与え、部屋に泊め、風呂に入れ、同じ屋根の下で眠った事もあった。
次の朝には自分のコートを貸してもやった。それを返しに来た時……
失明寸前、四肢動かせないまでの重傷を負った自分のリハビリを手伝ってくれた御坂を。
御坂「何とか言ってよ……」
麦野「――――――」
御坂「答えてよ!!!」
自分を友達だと生まれて初めて呼んでくれた人間に、麦野は――
麦野「――なに?常盤台の超電磁砲(レールガン)――」
~11~
御坂「――――――」
麦野「なに鳩が豆鉄砲食らったような顔してるのかにゃーん?」
御坂「麦……野……さ」
麦野「――馴れ馴れしく私の名前を呼ぶな超電磁砲(レールガン)!!!!!!」
……嘘よ。こんなの嘘よ。何かの間違いよ。あんた、今まで一度だって……
私の事、お子様とか中坊とかクソガキとか散々馬鹿にして来たけど……
第三位って呼び捨てにする事はあっても、私を二つ名で呼んだ事ないなんて一度もなかったじゃない。
麦野「血の巡りと飲み込みの悪いテメエのネジの緩んだ頭でもわかるように言ってやろうか」
御坂「……イヤ」
麦野「――私はテメエの敵で、テメエは私の敵なんだよ超電磁砲(レールガン)」
どうしてこんな時に思い出すの?去年の10月の初め、四人一緒にファミレスでお茶した時の事
佐天『あっ、いや、ただちょっとした好奇心なんですけど』
あの日、佐天さんが言ってた事
佐天『このお姉さん、御坂さんより一つ序列が下ですけどやっぱり強いんですよね?』
私が麦野さんの部屋に泊まった夜の事をみんなに話したら
佐天『あっ、いやー……同じレベル5同士が戦ったらどっちが強いんだろ?やっぱり序列通りなのかなーって……あはっ』
私がパジャマで、麦野さんが男物のワイシャツで、一緒に寝っ転がって撮ったたあの写メを見ながら
佐天『あはははっ……じゃあ結局そういう事が一度もなかったならそれに越した事ないですね』
もし私が麦野さんと本気でぶつかったら、どっちが勝つかなんて話をした時の事を。
御坂「嘘よ……あんた私をからかって馬鹿にしてるんでしょ?」
麦野「………………」
ねえ、笑ってよ。いつもみたいに鼻で笑って小馬鹿にしても良いから。
今夜だけは怒らないから。今日だけは許してあげるから。ねえ――
麦野「ああ、テメエは確かに馬鹿な女だよ」
だってもう罵り合ったり煽り合ったりするのやめよう?って約束したじゃない。
友達にはなれないけど、茶飲み仲間くらいなら我慢してやるって偉そうに……
私知ってるんだよ?あんたが本当はスッゴく優しい人だって。
今日だって私の事、自分の胸に包むみたいにして抱いて眠らせて――
麦野「――この期に及んでまだ幻想(わたし)に縋りついてる、夢見がちな小便臭え小娘(クソガキ)が」
~12~
その言葉は、御坂を支えていた最後から二番目の幻想を殺した。
麦野「だから妹達も、あいつも、後輩も、誰一人救えない。この期に及んでまだお子様のケンカ程度でどうにか出来ると思ってるテメエの馬鹿さ加減が一番救えねえよ」
常盤台中学の派閥問題、女王としての重責、白井黒子の逮捕劇、妹達の命日、番外個体の舌禍。
佐天より呼び起こされた……北極海で上条当麻を救えなかった、妹達を助けられなかったトラウマ。
誰にも頼れない過酷な状況下で、御坂が心から甘えられたのは麦野ただ一人だった。にも関わらず
麦野「――テメエとの腐れ縁も切り時だ。白黒(ケリ)つけようか“超電磁砲”」
御坂の頭がホワイトアウトし、胸はブラックアウトして行く。もう何も考えられなかった。感じられなかった。
ただ背後の車中から必死に窓を叩き続けて叫び続ける佐天の悲鳴だけが、記憶の中のそれと重なって行く。
『どちらが強いのか』『どちらが勝つのか』『どちらが上なのか』という問いだけが耳鳴りのように反響する。
食蜂『――私の神通力が囁いてるわぁ。“彼女”は、いつか貴女と切り結ぶ日が必ず来るって♪』
3月9日、食蜂が予言した敵とは白井ではなく麦野の事だったのだ。
。それまで食蜂が『小パンダちゃん』と呼んでいた名前が――
そこだけ『彼女』という呼び方に変えられていた事に気づくべきだった。
麦野『――あんたもそうだろ?わかってるよ、御坂』
あの雨降りしきる中、自分を車に乗せて水晶宮まで送ってくれた麦野は
麦野『テメエが茶の一杯で済む安い女で私の財布にゃ優しいね』
落ち込んでいた御坂に、あたたかいナチュラルティーをくれた麦野は
麦野『――今ここに手のかかるガキがいて、その上小パンダの事まで気回せるほど私は出来た“先輩”じゃねえんだよ』
そう肩を抱き寄せながら耳元で優しく囁いてくれた麦野は
麦野『そんなひでぇツラしたまま母親に会うつもり?』
心労が重なった自分を胸に抱いて眠らせてくれた麦野は
いつしか恋敵であるのと同じくらい、御坂にとって大切な存在になっていた。
食蜂とは全く違うタイプの先輩、二万人の妹を持つ自分にとって姉のような存在。
原子崩しという鋒と共に突きつけられた麦野の返答(こたえ)に
――御坂の中を支えていた優しいぬくもりが、硝子のように砕け散った――
御坂「――――――嘘つき――――――」
~13~
かくして超電磁砲(レールガン)と原子崩し(メルトダウナー)はここに再会した
吹き荒ぶ嵐巻き起こる第十九学区、荒れ狂う雷降り注ぐバビロンタワーにて
バベルの塔。それは要塞、監獄、監視を古来より司る神の怒りの象徴
コインを握り締めるは超電磁砲、拡散支援半導体を翳すは原子崩し
三位と四位、学園都市広告塔と学園都市暗部、女王と女帝、
鏡合わせに映る二人の乙女。命(美琴)を司る御坂、四(死)を司る麦野。
白井の幻想(ゆめ)の中で見たゴッホの『カラスがいる麦畑』のそのままに
バビロンタワーの下合い見える二人は知らない。塔のタロットカードが司る意味を
一つは『崩壊』……それは今や自分だけの現実すら崩れ去った白井黒子。そして御坂と麦野の幻想
御坂「……許さない」
一つは『災害』……それは学園都市の機能を麻痺させるほどのスーパーセル。そして御坂と麦野の力
御坂「――許せない」
一つは『悲劇』……それはこの世界から消え去ってしまった結標淡希。そして御坂と麦野の破局
御坂「私、あんたの事友達だって思ってたのに」
一つは『緊迫』……それは能力を暴走させ自滅へと向かう白井黒子。そして御坂と麦野の決別
御坂「私、あんたの事味方だって信じてたのに」
一つは『突然のアクシデント』……それは敵として出会してしまった麦野沈利。そして御坂と麦野の運命
御坂「私、あんたに憧れてたのに」
残る一つは――
御坂「――――私、あんたの事好きだったのに――――」
とある白虹の空間座標(モノクローム):第十二話「way to answer」
御坂「――メルトダウナァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!」
――――答えは、交差する雷光と交錯する閃光の彼方へ――――
麦野「……レールガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!!!!!!」
~8月12日~
佐天「御坂さん!御坂さん!!」
固法「一旦引くわよ、巻き込まれる!!」
佐天「でも!」
固法「――貴女達を死なせる訳にはいかないのよ!!!」
8月12日、23時45分。第十九学区旧電波塔『帝都タワー』へ連なる陸橋は脆くも崩れ落ちた。
それが陸の孤島と化したバビロンタワーにおける学園都市第三位と第四位の決戦の火蓋となる。
固法はその場からレクサスGSをスピンターンさせ後退して行く。もはや突入は不可能だ。
陸路は断たれ、超能力者同士の戦いの余波はこのスーパーセル以上のものになると固法は踏んだ。
とても佐天や初春を伴っての突入や、ましてや御坂を支援するなど不可能だ。もはやそんな次元ではない。
佐天「初春!初春!!垣根さんに電話しよう!?こんなのもう私達じゃ止められない!!!」
初春「無理です……」
佐天「えっ……」
初春「この帝都タワーから第十九学区全域に強力な妨害電波が出てます。他の学区はスーパーセルが引き起こした大停電で通信途絶……」
携帯電話は圏外表示のまま。独立したパソコン通信さえも不可能。誰かがこのバビロンタワーの……
通信網を切断しているかのようだった。そして更に不可解な事に固法と初春はようやく気づく。
初春「なんで」
固法「どうして」
初春・固法「「――警備員が出て来ない!?」」
ここは移転したばかりで急造と言って良い小規模な警備員支部ではあるが誰一人姿を現さない。
まるで見えざる神の手に阻まれているようなこの不自然さを初春は知っている。垣根を通して。
初春「(これが垣根さんの言っていた学園都市暗部の力!?)」
救援を要請しようにも帝都タワーを制圧せねば妨害電波は阻止出来ない。
仮に敷地内に突入出来たとしても麦野の原子崩しが介入を許さないだろう。
初春「――御坂さん」
この帝都タワーを攻略するには、もはや御坂が麦野を打ち倒す他に如何なる道も……
このバビロン捕囚の地にてバベルの塔に君臨する女王、大淫婦バビロンを退けるには――
佐天「負けないで!御坂さん!!」
白井の暴走を止め、その魂を救済出来るのは御坂以外になく麦野を倒せる者もまた同じ。
全ては、御坂に託された――
とある白虹の空間座標(モノクローム):第十三話「全一の雷光、零元の閃光」
~23時46分~
御坂「うわああああああああああああああああああああ!!!」
轟ッッ!と御坂の叫びに呼応して、突貫工事の名残である鉄骨が連なり束ね持ち上がって打ち出される。
ギリギリの水位にまで膨れ上がっていた御坂の精神の分水嶺が決壊するかのように一本十本百本と――
麦野「はっ」
天から降り注ぐ槍襖のような鉄骨の萼。されど麦野は動かない。ただ左手でタクトを切るように――
振り切った手より放たれた妖光が横一線に薙ぎ払われ、加害範囲の内自分一人のスペースの空白地帯にした。
半ばで焼き切られた鉄骨は墓地の十字架のようにコンクリートを穿つばかりで麦野に掠る事さえ敵わない。
御坂「あんたが……」
されど御坂は粉微塵になった鉄骨を引き寄せ、かき集め、自ら放つ紫電に乗せて小石ほどになったそれを――
御坂「あんたがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
麦野「!」
このスーパーセルがもたらす豪雨を横殴りに変えたような散弾超電磁砲(ショットレールガン)に変えて放つ!
しかしそれさえ読み切っていたのか麦野は展開した妖光の楯を前面に突き出したながら駆けて行く。
爆風すら軽々と防ぐ楯は、細分化されたが故一発一発の威力を落とした散弾超電磁砲を容易く焼き尽くす。
同じく駆け出した御坂は鉄骨が粉末状になるまで砕け散ったそれを砂鉄の剣に変えて肉迫し――
御坂「どうして!どうして私を裏切ったのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
麦野の展開させた妖光の楯に刀身を溶解されながらも御坂は咆哮した。こんなにもこんなにもこんなにも……
あれだけ近かった距離が今や切りかからねば埋まらぬほど離れた二人、その裏切りを責め立てるように――
麦野「ほざけレールガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!!」
御坂「ぐぼっ……」
御坂の砂鉄の剣が焼き切れたと同時に麦野の右拳が御坂の左脇腹に深々と突き刺さり呼吸が止まる。
浜面を軽々と投げ飛ばし肉弾戦のみで人を殺せる麦野の拳に御坂の身体が一瞬浮き上がるも――
御坂「……ああああああああああああああああああああ!!」
麦野「がはっ!?」
返す刀で紫電を纏わせた御坂の掌底が麦野の胸を撃ち抜き、麦野が弾かれたように数メートル吹き飛ん――
麦野「馬 鹿 が」
御坂「――!!?」
だ『はずの』麦野がいつの間にか御坂の懐深くに潜り込んでいた。物理法則を歪めたように!
~23時47分~
次の瞬間、バレリーナのように高く美しく蹴り上げられた靴底が御坂の下顎を強かに打ち上げた。
脳天まで揺さぶる蹴撃に宙を舞いながら御坂は驚愕する。紫電を纏わせた掌底に5、6メートルは……
間違いなく数メートル吹き飛ばした麦野が何故次の瞬間自分の懐から蹴り上げる事が出来たのか!?
御坂「あんただけは……」
しかし宙を舞いながらも御坂は演算を止めてなどいなかった。その狙いは自分達の頭上に稲光る……
スーパーセル(雷雲群)が引き連れて来た竜の巣、そこから引きずり出した落雷を麦野に放つ!
御坂「あんただけはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
麦野「――!!!」
ドオオオオオン!!と振り下ろす落雷、しかしその軌道が微かに撓み、その修正にようした間隙を――
麦野は両手を顔の前に突き出して強制的に落雷をもねじ曲げ、導雷針の要領で地面に拡散させた。
御坂「(まさか!!?)」
麦野「気づくのが遅えよ!」
防御より一転して襲い掛かる麦野の左拳が再び御坂の臓腑に突き刺さり、へし折らんばかりに――
左拳を叩き込んだ勢いを殺さぬまま右拳から原子崩しを地面に放ってロケットダッシュのように……
御坂の肋に拳を突き刺したまま急加速し、帝都タワーの鉄骨に背中から叩きつけて挟み潰す!
御坂「が、は、ぁ、っ」
麦野「――貧相な人柱だね」
御坂の誤算とも呼べない誤算はこの帝都タワーで麦野と対峙してしまった事そのものにある。
如何なスーパーセルと言えど落雷は必ず高所に向かって落ちる。帝都タワーという導雷針目掛けて。
御坂の演算能力はその軌道修正並びに誤差修正に瞬きほどの時間しか必要としない。だが相手は麦野なのだ。
その瞬きが、同じく電子を司る超能力者同士の間では文字通り命取りになる。それに加え――
麦野「――ガキは寝る時間だよ」
ガゴン!と御坂の顔面を掴んで思い切り後頭部を帝都タワーの根幹に叩きつけて来る麦野は――
御坂もまた原子崩しをねじ曲げる事が出来るとわかっている。故に能力と能力とでは埒が開かない。
だからこその殺人的な暴力をもって御坂を制する。御坂が如何に組み手にも秀でているとは言え――
麦野「おやすみ」
アスリート並みに鍛え上げたスキルアウトを軽々と凌駕する天性のフィジカルを持つ麦野には分が悪すぎた。
が
~23時48分~
御坂「――巫山戯んじゃないわよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
麦野「がっ……!!」
御坂は頭部から血を流しながらも零距離からノータイムで放った雷撃の槍が麦野の身体を吹き飛ばした。
朦朧とする意識、激痛の走る腹部、ノンチャージで放ったが故妹達より弱い威力ながらも――
麦野は今度こそ吹き飛ばされ嵐の中放り出され、帝都タワーの膝元にその身体を横たえた。
御坂にもあの謎の瞬間移動のような現象は未だわからないが、それ以上にわからないのが――
御坂「――全部嘘だったんだ」
ヨロヨロと立ち上がる御坂。折れそうになる膝以上に痛む心。呻きながらもがく麦野を見下ろす。
御坂「……立ちなさいよ」
麦野「うっ……」
御坂「あんたが敵だって言うなら私の前に立ちなさいよ原子崩し(メルトダウナー)!!!」
御坂の両目からこの冷たい豪雨でさえ洗い流せぬ熱い涙が溢れ出して来る。声が震え喉が枯れる。
確かに自分達は友達ではなかったのかも知れない。だが御坂はそれでも良いと麦野に言った。
何故戦わねばならない?何故争わねばならない?何故麦野はここにいる?何故白井を前にして立ちはだかる?
御坂「私の事が本当に嫌いだったら、どうしてあんなに優しくしたりしたのよ!!?」
何故昼間まで胸に抱かれて身を委ね、無防備な寝顔まで受け止めてくれた相手と血を流し合わねばならない?
御坂「私感じてた!うつらうつらでもずっと!!あんたの手が私の髪を撫でててくれてた事!!!」
麦野は答えない。無様に水溜まりを舐めたまま身動ぎひとつとれない。その姿に御坂は泣き叫ぶ。
御坂「あんたが作ってくれたご飯の味だって知ってる!一緒にお風呂だって入った事ある!!巫山戯てキスされた事だって覚えてる!!!」
その嘆きは身を切られるように悲痛だった。恋人か伴侶に裏切られたかのように痛々しい声で。
御坂「それが全部幻想(うそ)だったなんて信じられない!信じたくない!!」
ついに御坂は耐えきれず嵐と雨の中に手と膝をつき、魂の慟哭を天に届けるように声を絞り出した。
御坂「……真実(ほんとう)の事言ってよォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!」
御坂は麦野に、麦野は御坂に――
~23時49分~
鏡の反射率は決して100パーセントに達しない。それは私と御坂の関係性に通じるものがある。
誰かが言ってた。私と御坂はよく似てるって。小パンダと二つ結びが合わせ鏡だったように。
だったらあの巫女服も加えて三面鏡だ。悪魔が宿るって言われるオカルト(非科学)みたいに。
私と御坂はマジックミラーだ。明るい側に立つあいつからは私は見えない。
逆に暗い側に立ってる私には御坂の姿がよく見える。まぶしすぎるくらいに。
鏡一枚挟んで、側にいるのに触れ合えないくらいが私にはちょうどいい。
泣いたり笑ったり怒ったり喜んだり、クルクルとよく回る万華鏡。
星屑を散りばめたように私にないものをたくさん持っている御坂。
うらやましいとは思わない。欲しいとも思わない。ただまぶしい。
私の生きて来た6570日と御坂の歩んで来た5475日は決して重ならない。
御坂が万華鏡なら私はニトクリスの鏡だ。無間地獄を閉じ込めた呪いの魔鏡。
私とこいつを分ける違いは、自分の手を血に染めたかどうか。
こいつは、私にとってのヴィガネッラの鏡そのものなんだ。
太陽さえ照らせない谷底で膝を抱える私に、陽の光を届ける鏡。
ありえたかも知れない闇に沈む事なく光の下に生きるもう一人の私。
覚えてるよ。私が巫山戯てキスした時の事。忘れてねえよ。酔っ払ったあんたが私に舌入れて来たの。
そう言う意味じゃ、あんたのファーストキスの相手は私かねえ?まあこいつは覚えてないんだろうけど。
どうして、こんなくだらない事ばかりこんな時に限って思い出すんだろうね。
どうして、泣いてるあんたを見てると胸の辺りが痛くなるんだろうね。
どうして、私達はこんな時に限って出会っちゃったんだろうね。
どうして
私はもっと早く
あんたに出会えなかったんだろうね
わかってる。IF(もし)なんて過去のどこにもない。
わかってる。もし(IF)なんて未来にしかないんだ。
私がお前を胸に抱いてた時、何をつぶやいたかまでは聞かれてなかったっぽいね。
私は言った。もっと早くあんたに出会いたかったって。
こうやって誰かのために必死こいて血を流してるあんたを見てると思う。
もし
私が
闇に沈む前に
あんたに出会えていたなら
私はあんたに
――――――私は、あんたに救われていただろうか――――――
~23時50分~
ゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾ
御坂「!?」
その瞬間、御坂の眦が見開きの形のまま凍てついた。
その眼差しの向かう先。そこには地に伏す麦野の背中から――
麦野「……知らねえよ」
一枚、二枚、三枚四枚五枚六枚七枚八枚九枚十枚十一枚――
麦野「――テメエの見てた幻想(ゆめ)の話なんか知った事か、超電磁砲(レールガン)」
十二枚の『光の翼』……インデックスの記憶を巡る戦いで上条の危機を救うべく発現した麦野の切り札。
美鈴を守るために浜面に、アイテムを救うために垣根に……麦野が絶体絶命の窮地にのみ呼び覚ます奥の手。
ステイル=マグヌスをして『暁の明星』、神裂火織をして『光を掲げる者』と字される原子崩しの最終形態。
御坂「……!!!」
ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザ
御坂の鳥肌粟立つ毛穴全てから脂汗が滝のように噴き出す。
総毛立つ毛穴全てに氷柱を突き立てられたような怖気。
御坂も多くは知らないし原理も知り得ないがただ一つわかる事は
麦野「――これが現実(わたし)だよ」
今まで麦野がこんなに早い段階から『光の翼』を顕現させたケースは一度たりとてありえなかった。
それは麦野自身この姿を嫌悪しているからでもあり、『何故か』異常に力を消耗するのだと言う。
麦野「醜いでしょ?」
御坂「……!!!」
翼。それは空を翔る鳥が背負う聖なる十字架。翼を広げた鳥が地に落とす影は十字架に良く似ている。
十字架。学園都市暗部にて屍山血河を越えて来た麦野の背負う罪と罰と墓標が原子崩しの光に象られる。
十字架は裏返せば剣となり、十字教においては『処刑』『死を討ち滅ぼしし矛』の名を冠する。
御坂「(もう……)」
その姿に御坂は戦慄を通り過ぎて絶望に近い衝撃を受けた。
麦野にはもはやどんな言葉も通じない気がした。否……
彼女は今明確に対話による解決を真っ向から拒否した。
御坂「(私の知ってるあんたは)」
全身で御坂を拒絶していた。全霊で御坂を否定していた。
御坂はその姿に訳もなく、野生動物が子を巣から追い立てる姿を見出した。
御坂「(どこにもいないの?)」
麦野が立ち上がる。翼を牙のように突き立てて立ち上がる。
忘れてはならない。宗教画における天使の翼のモチーフは
麦野「――見せてやるよ」
――鋭い爪と嘴を備えた猛禽類である事を――
~23時51分~
固法「……信じられない」
透視能力を用いずともわかる、麦野の真の姿とも言うべきそれ。鞘から解き放たれた抜き身の刃。
御坂の力を正宗とするなら麦野のそれは村正だ。血を見ずには納まらない研ぎ澄まされた妖刀そのものだ。
麦野「――これが学園都市第四位(わたし)の暴力(ちから)だレールガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!!!!!!」
御坂「!!?」
麦野の『光の翼』が開く妖光の砲門、その数12。先程までのおよそ三倍の原子崩しが――
文字通り雨霰のように御坂に襲い掛かり、それを御坂は電磁バリアーで無理矢理ねじ曲げる!
しかし御坂を横切り軌道をずらされた原子崩しが向かう先、そこで固法は透視能力(クレアボイアンス)は
固法「御坂さん!後ろ!!」
御坂「――ッッ!!」
帝都タワーの至る所に貼り付けられていた拡散支援半導体(シリコンバーン)を透視した。
屈折させられた背後を通り過ぎた原子崩しが拡散支援半導体に吸い込まれ、反転して再び御坂に襲い掛かる!
御坂「(このトラップ戦術!?)」
麦野「非力なフレンダに罠(こいつ)を仕込んだのは私だよ!」
入射角を計算して設置されたシリコンバーンが鏡に反射された光のように枝分かれし御坂に迫る。
右手で前面の単発の原子崩しに辛うじてねじ伏せ左手で背面の拡散放射をねじ曲げる。
フレンダのトラップ戦術を再現させたような鏡面攻撃に御坂の演算力の大半が削られる中――
ドンッッッッッ!
麦野が『光の翼』を羽撃かせてのロケットダイブで両手の塞がった御坂に襲い掛かる。
御坂も遅れず反応して電磁バリアーを纏わせた手を伸ばして麦野の胸元を狙って繰り出す。だがしかし――
御坂「!?」
麦野の上体がバレエのように反らされ御坂の手が空を切ったその瞬間、麦野は背中から倒れ込みそうな姿勢から――
麦野「小柄な絹旗に暴力(こいつ)を叩き込んだのも私だよ!!」
垂直にかち上げた剛脚が御坂の腹部に突き刺さって打ち上げる!型通りの武道や格闘技にはありえない離れ技。
上体を倒れ込みそうなほど反らしながらも放たれた蹴撃は御坂の横隔膜を破裂させんばかりの破壊力だった。
固法「御坂さん!!」
武術ではなく純粋に暴力として完成されたそれは、固法をして見開いた目を背けたくなるほどの――
~23時52分~
御坂「ううっ!?」
打ち上げられた勢いから磁力の反発と吸着を利用し帝都タワーの脚部にとりつき御坂は距離を取る。が
御坂「おえっ、げぼっげほっ!」
眩暈がするほどの嘔吐。だが麦野は追撃の手を緩めない。クモのように逃げる御坂を狙う猛禽類が如く――
麦野「テメエの大好きな“ガキのケンカ”に付き合ってやってんだちったあ気張れやクソがァァァァァァァァァ!!!」
飛来しながら原子崩しの翼を鞭のようにしならせ、豪雨を圧して御坂へと叩き付けて行く。
だが御坂はこの大嵐のような圧倒的暴力を前に電磁バリアーで軌道をそらしてかいくぐる他ない。
帝都タワーの外壁を次々に打ち砕いて行く翼の鞭、上へ上へと磁力で駆け上って行く御坂!
御坂「(どうしたらいいの!!?)」
落雷は帝都タワーが導雷針になって有効打足り得ない。雷撃の槍はねじ曲げられる。さらに……
原子崩しはその翼は電磁バリアーで辛うじて軌道を反らしてやり過ごせるが、体力の差は埋められない。
このままじりじりと殴り殺されるように追い込まれる消耗戦の果てに敗れればもう二度と――
麦野「愉快にケツ振って誘ってんじゃねえぞォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」
御坂「――!!?」
帝都タワー中腹部に足掛かりを得た御坂に麦野が翼を羽撃かせ、追い抜き様に――
空中からの蹴撃が、両腕を交差させて防がんとする御坂の
ガゴン!!!
御坂「……ぁぁぁぁぁァァァァァあああああ!!!」
麦野「処女(ガキ)の割に良い声で啼くじゃない超電磁砲(レールガン)」
腕ではなく最も脆い鎖骨目掛けて放つ胴回し回転蹴りに、殺し切れない威力に御坂の右肩が亜脱臼する。
あわや鎖骨がヘシ折られ肉を突き破る寸前のダメージこそかわせたものの、麦野はさらに――
麦野「ねえ……どっからブチ抜いて欲しいか言ってごらん?」
御坂「ううっ……」
電磁バリアーに全力を傾注する御坂へたたみかけるように妖光を炸裂させ、その衝撃によって――
中層部のガラスが一枚残らず砕け散り、御坂はタワー内部に投げ込まれた。受け身さえ取れない!
麦野「――あんたの初めて、私が命ごと奪ってやろうか?」
叩きつけられた床、にじり寄る麦野。殴り殺すもいたぶるも――
全てを可能とする距離。冷たく見下ろす麦野と涙ぐんで見上げる御坂――
~23時53分~
佐天「固法先輩!御坂さんは!?御坂さんは今どうなってるの!!?」
固法「追い込まれてる……」
佐天「――――――」
固法「(もう手段なんて選んでられないはずよ!?)」
帝都タワー内部に放り込まれるのを、車体が引きずられるほどのスーパーセルの嵐の中……
固法の透視能力は辛うじて見通していた。あの『光の翼』が出されるまではむしろ御坂優勢と見ていた。
だが戦況は今や御坂劣勢に転げ落ちている。少なくとも今のままでは御坂は麦野に及ばない。
固法「(レールガンを撃たなければ負けるわよ御坂さん!!)」
御坂の有する力は矛を止めると書いて武、正しく軍隊をも相手に出来る『武力』だ。
だが麦野が行使するのは破壊する事に尖鋭化した『暴力』だ。
もはや是非もない。紙一重の差による消耗戦に倒れる前にレールガンを放つべきだ。
如何に麦野がレベル5とは言え耐えられるものではない。だが
初春「――やっぱり、ありました」
佐天「初春!?」
初春「必ず存在すると思ってました。警備員が確保した犯罪者を護送する際に使われる地下道です」
初春は御坂にデータを渡す前、ハッキングした当初から取得していた帝都タワーの見取り図を画面上に映し出す。
確かに橋渡し一つきりでは仮に獄が破られた際、立てこもられれば文字通り陸の孤島と化してしまう。
街の治安を守る風紀委員として、電子戦に秀でたハッカーとして初春はその抜け穴を見落とさない。が
初春「固法先輩、ここから50メートル先です。車で――」
佐天「初春ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!」
後部座席より冷静というより冷徹にナビゲーションする初春に佐天に激昂し掴みかかる。
思わずアクセルを踏もうとする固法の足が竦むほどの真っ直ぐで純粋な怒り。四人の中でもっとも――
佐天「どうしてそんなに他人事みたいに冷静なの!?御坂さん殺されちゃうかも知れないんだよ!!?」
初春「――だから、ですよ」
佐天「!?」
初春「御坂さんが麦野さんを押さえている今しか突入のチャンスはありません。これを逃せばもう――もう二度と、白井さんには届かないかも知れないんですよ!?」
情に厚い佐天には耐えられないほど、初春の声は静謐そのものだった。一年前とは比べ物にならないまでに。
~23時54分~
初春「さっき言いましたよね佐天さん。もうこれは友達だからって義務感や仲間だからって責任感じゃどうしようもない所まで来てるんですよ」
佐天「………………」
初春「御坂さんの戦いを無駄にしないためにも何とかしなくちゃいけないんじゃないですか!?」
佐天はそこで声を殺して啜り泣いた。初春のセーラー服を握り締めたまま肩を震わせていた。
超能力者同士の激突に割って入れる存在など同じレベル5か、幻想殺しと浜面仕上くらいのものだ。
固法はもはや言葉もなくレクサスを帝都タワー外周部より護送用の地下道を探すべくアクセルを踏む。
初春「(白井さん……御坂さん!!!)」
白井はどうなった?御坂はどうなる?答えられる者もいない中、レクサスは地下ゲートをくぐる。
このスーパーセルで地下道も水没しかかり、照明も大停電により光源はこの稲光りのみだ。
タイヤが浸水により空転するばかりとなる洞穴のような地下道の半ばで固法はレクサスを停車させた。
固法「ここから先は徒歩(かち)で進むわ。私のクレアボイアンスで先導しながら行くから付いて来て」
佐天「わかり……ました」
初春「佐天さん、手を離さないで下さい」
水浸しの地下道を、初春はノートパソコンを防水パックに入れて右手に抱え左手で佐天の手を引く。
上背のある固法でさえ太もも近くまで水がさらい、ザブザブと覚束無い足取りながら前へ前へ。
地獄の門を潜ろうとするダンテの心持ちであった。ただウェルギリウス(水先案内人)だけがいない。
固法「静か過ぎるわ……」
佐天「……怖いです。正直言って」
固法「私だって同じよ。今まで関わって来たどんな事件(ケース)よりもずっとね」
今までの事件は命の危険や生の困難さえあれど、死と隣り合わせの絶望などありえなかった。
風紀委員という組織に属していたある種の安心感が何一つとして意味を為さない状況。だが固法は――
固法「あの扉よ」
初春「!」
暗闇の中にあってさえその筋金の入った透視能力はついにバビロンタワーの地下道にて入口を発見した。
この先に白井がいる。そう口元力ませながら歩を進めたまさにその瞬間だった。目にしたのは
――――ここから先は誰も通さない――――
佐天「!?」
彼女達にとって予想だにしない人物の長閑なまでの声音が、洞穴のような地下道に不気味にこだました――
~23時55分~
麦野「テメエの貧相な身体に欲情させられるほど欲求不満でもないんだけどねえ?」
御坂「はっ、はあっ!」
夜空が掴めそうなほど高い帝都タワーの中腹にて麦野は御坂を追い詰めて行く。
対する御坂は亜脱臼した右肩を庇い涙と汗にまみれて息を切らしていた。
しかし目だけは切らない。歪む唇を舌舐めずりして迫る麦野を。
麦野「ハードに愛されるのは慣れてねえか?一人遊びしか知らねえ処女(ガキ)が」
御坂「……っあああああアアアアア!!」
遮二無二に電撃を放つ!撃つ!穿つ!左手を縦に、横に、下より切り裂くようにして麦野を狙う。
肉体以上に精神に入った亀裂が今や致命傷にまで広がっている。攻め続けなければ折れてしまいそうなほどに。が
麦野「――前戯にもなりゃしねえぞレールガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!!!」
麦野は広げた翼を導雷針に置き換えて御坂の電撃をいなし、躱し、受け流し、さらに切り返して来る。
断頭台のように振り下ろした原子崩しの翼を、御坂は最大出力の電磁バリアーで受け止める。
しかしそれは白羽取りというより鍔迫り合いの力負けにも似て、御坂の両膝と左腕が下がり――
麦野「オラしっかり咥え込めよォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
御坂「ぐあっ!?」
光の翼を押さえ込むのに必死な御坂の腹部目掛けて靴底から叩き込まれる前蹴りが二人を引き剥がす。
それによって今はもう使用されていないレストランのサンプルケースから店内へ叩き込まれる。
御坂「ぐっ……うう、う」
一撃必殺の致命傷は完全に避けられても、蓄積していくダメージが御坂の身体に悲鳴を上げさせる。
麦野はまず能力で拮抗状態を作り出し均衡状況へ追い込み、肉弾戦で御坂の心身を削って行く。
そして叩き込まれたレストラン内へ、拡散支援半導体をひょいと放り込んだその手から――
麦野「もうイッちまったかァ?」
ドガガガガガ!と放つ一条の原子崩しが炸裂し、枝分かれした光芒がレストラン全体を薙ぎ払う。
御坂はそれらを押し留めるようにして防ぐので手一杯であり、旗色は防戦一方へと誘導されるばかりだ。
~23時56分~
御坂「はー……ハー……!」
御坂は炎上しつつあるレストランの防火装置が作動し降り注ぐスプリンクラーの中、対峙する麦野を見据える。
勝てない。このままでは勝てない。落雷の間隙は縫われる。
雷撃の槍を叩き込むのはもはや針の穴に糸を通すより困難だ。
あの原子崩しの翼がそれを歪曲させてしまうし砂鉄の剣では妖光の楯を破れない。
残るは――
麦野「テメエの下手くそな前戯に私が濡れるとでも思ったか?」
御坂「――――――………………」
麦野「――出せよ、超電磁砲(ふといヤツ)」
残るは御坂の切り札、超電磁砲(レールガン)以外に有り得なかった。あの原子崩しを超える破壊力……
このジリ貧な戦況を覆すにはもうレールガンしかない事はわかっている。だが御坂には――
御坂「出来ないよ……」
レールガンを人に向けて全力で放った事など一方通行にしかなかった。駆動鎧や多勢を蹴散らすような――
言わば雑魚散らしにしか御坂は使って来なかった。誰も傷つけたくないという白井黒子をして……
御坂「私出来ないよ……!!」
『お姉様は優し過ぎる』と評される御坂美琴の思い描く世界の中に『人を殺す』という選択肢はない。
如何に麦野であろうと全力のレールガンを防げるとは思わない。だが加減したそれが通じるとも思えない。だが
御坂「――あんたを撃つなんて私出来ないよォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
御坂は人を殺せない。殺すほどの威力を込めたレールガン以外に突破口も攻略法もないにも関わらずだ。
一日二日で目まぐるしく悪化する極限状況、混沌の坩堝に放り込まれた御坂の精神はもはや怒りすら保てない。
麦野を殺す覚悟で倒さねば白井を生かして捕らえる事は出来ない。だが麦野はそんな御坂を――
麦野「やっぱり処女(ガキ)は処女(ガキ)か」
十二枚の『光の翼』に宿る原子崩しの光芒が一点に収束して行く。それは麦野と御坂がただ一度だけ……
敵味方の垣根を越えて手を組んだインデックスの記憶を巡る戦いで見た『竜王の殺息』を模した技。
麦野「――テメエの膜ごとブチ破ってやるよ。好きなだけ啼け」
麦野の形良い唇が動く。御坂をゴミか虫けらでも見るような冷たい眼差しで見下ろしている。
それは御坂の見て来た麦野の表情の中でもっとも絶対零度に近い火傷しそうな冷たい双眸――
~23時57分~
ゴバァァッッ!!とパンドラの匣が開いたような目映い災厄がレストランを吹き飛ばした。
光の大爆発が中腹フロアの硝子全てを木っ端微塵に吹き飛ばし、帝都タワーが激しく揺らぐ。
御坂は崩れ落ちる瓦礫と共に1フロア下の展示場へと背中から叩きつけられた。
肺から空気全てが抜けるような衝撃と目を焼かれそうな閃光の果てに。
御坂「――――――」
もはや音を感じる鼓膜が破れなかったのが不思議なほどの爆音、痛みすら感じなくなってしまった肉体。
だが内なる二つの声が御坂を苛み責め立てる。レールガンを撃て、白井黒子を救えと囁きかける。
麦野「………………」
麦野が焼け焦げた風穴より姿を現し御坂を見下ろす。『光の翼』は未だ健在であり、攻撃体勢は解かれていない。
浜面仕上以外誰も真っ向から打ち破れた者のいないそれを突き破るにはレールガンしかないとわかっている。
御坂「もうやだよ……!」
内なる声が大きくなる。裏切り者など吹き飛ばしてしまえと。
そんな覚悟もなくこのバビロンタワーに足を踏み入れたのかと。
麦野を討たねば白井には辿り着けない。それを阻むのは――
御坂「もういやだ……!!」
御坂は瓦礫の山に倒れ込んだまま胸ポケットのコインを握り締めていた。
悪魔の誘惑に押し負けるように、これは白井黒子のためなんだと。
御坂の絶望に比例してバチバチと紫電が火花を散らして収束して行く。
御坂「やめてお願い……!!!」
麦野「――――――」
麦野が左手を振り上げる。死刑執行を命ずる裁判官のように。
負けを認めてしまいたかった。だが自分がここで敗れてしまえば……
二度と白井を救い出せない。妹達の時のように、上条当麻の時のように。
御坂「――もうやめてよオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォー!!!」
トラウマが、絶望が、御坂にコインを弾かせた。もう止められない。これで全てが終わってもいい。
もう耐えられない。もう戦えない。焼き切れそうな心を振り切って御坂は見た。麦野の顔を。
微笑みかけてくれた時の表情、時折見せる寂しげな横顔、滅多に見せない静謐な寝顔、自分を――
麦野『御坂』
自分を優しく胸に抱いて眠りにつかせてくれた麦野目掛けて、親指がコインに触れたその刹那――
麦野「――――“0次元の極点”――――」
~23時58分~
ズドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!と言う全身全霊を懸け放った乾坤一擲のレールガンは……
御坂が麦野にコインを放つ直前に『転送』され、その破壊力の全てが帝都タワーの麓で炸裂した。
御坂「――――――」
麦野「――――――」
0次元の極点。木原数多が提唱し構築していた空間理論。
それはこの世界においてn次元の物体を切断すると――
断面はn-1次元になり3次元ならば2次元、2次元なら1次元。
御坂「あ……」
麦野「馬鹿が」
ならば1次元を切断すると0次元になるはず、という理論を基礎とし――
理論上ならば銀河の果てにある物質まで手中に収め……
また銀河の果てまで飛ばす事も出来る麦野の秘中の秘。
麦野「テメエは今まで私の前で何回レールガンぶっ放したか覚えてる?」
その言葉に御坂の霞行く思考に走馬灯のように流れる記憶。
一度目はインデックスとの戦いの時、二度目は無能力者狩りを行おうとしたボウガンを持った少年。
最低二回は麦野の前で切り札(レールガン)を見せた。
麦野「テメエが私の事を味方だなんて幻想(ゆめ)見てた間も、私はずっとテメエを敵として観察(み)て来たんだよ」
御坂の行動パターン、汎用性の高いスキル、演算思考、同系統の能力、麦野はその全てを何度となく……
御坂との戦闘をシミュレーションして来たのだろう。0次元の極点という切り札を最後の最後まで隠し通して。
帝都タワー前で瞬間移動したような動きはこの0次元の極点により自分自身を転移させたのだ。
麦野「これだけは感謝してあげるわ超電磁砲」
落雷にタイムラグを生じさせる帝都タワーという決戦地、御坂の精神状態が著しく悪化するこの谷間の時期。
同系統の能力を相殺しあい、肉弾戦に持ち込み、御坂を絶望に追い詰める搦め手を尽くし、そして0次元の極点。
御坂の全てを知り尽くすように、ミラーニューロンのように完全に同調(シンクロ)するまでに
麦野「――テメエと過ごして来た、このふやけそうなぬるま湯の幻想(ひび)に」
御坂の希望(レールガン)を発動に同調して否定(しょうしつ)させるという神業を可能とするまでに。
~23時59分~
麦野「テメエはそのぬるま湯の中で溺死していけ」
麦野が燃え上がる風穴から瓦礫の山にトッと飛び降りて来る。
だが御坂には麦野の言葉さえ響いて来ない。胸に風穴が空いたように。
目から光は失われ、声は失われていた。戦う力はまだ残されているのに――
麦野「あの後輩と死ぬまで幻想(ゆめ)に浸ってね」
御坂「………………」
麦野「――最初から存在しない幻想(わたし)なんて選ばず、ずっと側にあった現実(こうはい)を選んでおくべきだったね」
麦野が瓦礫を踏みしめて歩み寄って来るというのに指一本動かせない。
絶望の中手指をかけた引き金さえ麦野は打ち破った。
例え麦野との戦いを避けて白井がいるであろう地下へ向かおうと――
0次元の極点は御坂を引き寄せる振り出しに戻すだろう。
麦野「――いつか、こんな日が来ると思ってたよ」
麦野が御坂を見下ろしている。戦いの余波によって破壊されたフロアに吹き荒れるスーパーセルと共に。
降り注ぐ豪雨が麦野の身体を濡らし、前髪が目元にかかる。御坂にはそれが手にした勝利の美酒に酔っているのか――
はたまた力及ばなかった自分に失望の色を浮かべているのかはわからない。だが麦野は構う事なく
麦野「テメエと初めて出会ったあの日から、ずっと」
立ち上がる事さえ出来ず、溢れ出す涙に濡れた御坂の美貌と降り注ぐ雨に濡れた身体を見渡す。
白井を止める事もその魂を救い出す事も出来ない。麦野を倒す事も乗り越える事も出来ない。
わからない。白井がなぜ結標の下に走ったのかも、麦野が何故自分の前に立ちはだかるのかも。
もう何も考えられない。もう何も感じられない。もう何も聞こえない。もう何も残されていない。
ミラーニューロンのように同調(シンクロ)するまでに自分を知り尽くした麦野(てき)の
麦野「――――――ずっと………………」
続く言葉さえわからぬまま、御坂は麦野の手によってブラウスを引き裂かれた。
ブラジャーが強くひきつれて、冷え切った素肌に赤い跡が残るほど勢い良く。
弾け飛ぶボタンの落ちる音が、どこか遠くに聞こえた気がした。
『――――――“お姉様”――――――』
目蓋の裏に浮かぶ、幾万もの十字架が聳え立つ絶望の丘と共に――
~0時00分~
固法「ぐっ、ああああああああああ!?」
滝壺「――それ以上能力を使ったら、二度と目が見えなくなっちゃうよ?」
初春「うっ、ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」
佐天「やめて、やめてよぉぉぉぉぉ!!」
帝都タワー地下道にて、固法は両目が、初春は両手が焼き切れんばかりの激痛に苛まれていた。
学園都市第八位、滝壺のAIMストーカーにより自分だけの現実を支配され能力暴走の一歩手前……
演算はおろか感情も理性も正気を保っていられないほどの痛苦の中、閉ざされた鉄扉を前に崩れ落ちていた。
佐天「やめて!これ以上二人を苦しめないで!!この扉を開けて!!!」
滝壺「ダメ」
その中にあってレベル1でもレベル3でもないレベル0の佐天だけが鉄扉の向こうにいる滝壺に食ってかかる。
血が滲むほど扉を叩いても滝壺はそれに応じる事はない。『勝利条件』が完全にクリアされた後も。
麦野の読み通り地下道より突入しようとして来た三人を待ち構えていた滝壺は足止めし続ける。
滝壺「貴女達は“数”に入ってないから」
佐天「……巫山戯るな!」
無能力者ゆえに他の二人と比べて滝壺の影響力に惑わされる事の少ない佐天ではあるが、彼女にこの鉄扉を破る力はない。
だが滝壺はそんな佐天達に淡々と事実だけを告げた。確かに自分達は戦力として数にさえ入らないのかも知れない。だが
佐天「白井さんを出せ!ここを開けろ!!隠れてないで姿を現しなさいよ!!!」
滝壺「………………」
佐天は諦めない。御坂がまだ戦っているはずなのに何故自分達が膝を屈さねばならないのかと。
滝壺はそんな佐天を扉越しに悲しげに見つめていた。麦野と並んで全てを知るが故に胸を痛める。
が
ドンッッッッッ!!!!!!
滝壺「!?」
佐天「?!」
その瞬間、滝壺の悲しげな眼差しが戦慄に見開かれた。それはこの帝都タワー全体を揺るがす地鳴りに。
それは落雷の轟音でもレールガンの衝撃とも異なる地響き。既に決した勝敗の後に訪れた――
滝壺「……この信号はどこから来てるの」
滝壺の『能力追跡』はAIM拡散力場を捉える事の出来る稀にして奇なる器を有する。その彼女が捉えたもの。
それは輝にして祈なる氣。帝都タワー中腹部より感じられるAIM拡散力場が、まるで空の軍勢が舞い降りたように
滝壺「――“貴女達”は誰……!?」
帝都タワーが、激震に見舞われる――!!
~8月13日~
御坂妹「何ですかこのノイズは、とミサカは割れそうになる頭を抱えながら窓のカーテンを開きます」
その時、黄泉川家にてソファーに身を沈めくつろいでいた御坂妹は感じ取った。
打ち止め「なに!?なにが起こってるのってミサカはミサカはパニクりながらもネットワークに繋いでみる!」
その時、黄泉川家にてお風呂に浸かっていた打ち止めは弾かれたように顔を上げた。
番外個体「――ありえないでしょ、これ」
その時、一方通行のベッドにて寝転んでいた番外個体は身体を跳ね起きさせた。
御坂10326号「――ああやはり、とミサカは数多の墓標を前に祈りを捧げます」
その時、第十学区の共同墓地にて手を合わせていた御坂10326号はうっすらと瞳を閉じて妹達の墓前に佇んでいた。
美鈴「……これは」
8月13日
一方通行「………………」
0時00分
婚后「――まるで、十字架――」
旧電波塔帝都タワーの中腹部より、10031枚の羽根が連なる『光の翼』が闇夜に伸びた。
滝壺「――――嗚呼」
それは墓標のように縦に伸びるバビロンタワーを真横に切り裂いて羽撃く、『十字架』が出現したその時――
――――スーパーセル(雷雲群)が、跡形もなく消え去っていた――
~10月3日~
麦野「スー……スー……」
御坂「(……寝てる……)」
あいつの部屋でドンチャン騒ぎした後、私はこの女のセーフハウスって所に泊まる事になった。
牛乳風呂に入って、ゴシップ・ガール観て、少ししゃべった後に写メ撮って、訳もわからない内にキスされた。
私も唇の横に残る感触を指でなぞって悶々としてる間に寝入ってしまった。あの女を残して。
私と一緒に寝るだなんてごめんだって言ってベッドを明け渡して、自分はカッペリーニのソファーで寝てる。
御坂「(……明かりを落とした暗い部屋でも美人ってわかるだなんてある意味反則よね……)」
慣れないアルコールが未だ残る渇いた身体が目覚め、水分を欲して私は冷蔵庫から勝手にソルティライチをもらう。
ボトルが空になるまで流し込んで戻って来たリビングではさっさと眠ってしまったこの女、麦野沈利。
目蓋を閉じて寝息を立ててる姿だけ見てればモデルでも通用しそうなもんだけど中身は最低最悪。
それでも男物のワイシャツ一枚で眠ってるところなんてちょっとマニッシュな雰囲気がする。
御坂「(……どんな夢見てるんだろう)」
少し魘されているのか、綺麗な眉根が顰められて苦しそうにしてる。なんか悪い夢見てるみたい。
溶け出すみたいに唇から漏れる吐息と、耳を側まで寄せないと聞こえないくらい小さな譫言。
麦野「――助けて……」
御坂「(……泣いてる?)」
私は確かに聞いた。『助けて』って呟きながら涙を流してるこの女の譫言を。心の声そのものを。
それを自覚した時、私の胸はさっきお風呂場で一悶着あった時みたいに痛いくらい高鳴った。
御坂「……大丈夫……」
止められなかった。呻くこの女が初めて見せた繊細な部分にどうしても触れたくなってしまった。
さっきやられた仕返しを大義名分に、私は寄せてしまった。その濡れたみたいに誘う唇に向かって。
御坂「……助けてあげるから……」
重ねてしまった口づけに誓うように、私は言った。この女が何に苦しんでるのかはわからない。
それはきっとこの先も明かされる事はないと思う。それでも私は誓った。この女にではなく。
御坂「――絶対、あんたの事助けに行くから」
自分自身に対して誓った。いつかこの女が本当に助けを必要としたその時、必ず側にいるって。
――この、誰よりも強く儚い者(ひと)に――
~8月13日~
麦野「――幕引きだ超電磁砲(レールガン)。私と、テメエの、長すぎた茶番劇の」
御坂のブラウスを引き裂き、胸ポケットから毟り取ったコインを戦利品のようにジャラジャラ鳴らしながら――
麦野は御坂に背を向けて歩み出す。二度と振り返る事などないと決めたような決然とした足取りで。
ジュッ……
麦野「――――――」
麦野の左手から発する妖光が八枚ほどあったコインをドロドロに溶解させて焼き尽くして行く。
勝利条件は満たされ、永きに渡る因縁に白黒(けっちゃく)を着けたにも関わらずその心は晴れない。
自分達の頭上に空いた風穴のように虚しい達成感が僅かばかり込み上げただけで全く満たされない。
脳髄を焼くような狂気に身を委ね、返り血を浴びた時決まって高ぶる子宮の疼きさえ起きない。
麦野「………………」
胸元は肌蹴られ、服はズタズタ、細かい擦過傷といくつかの痣が色濃く残る御坂の肢体(からだ)。
心の芯までへし折った上での完全勝利を前にしてこの虚無感はなんだろうと麦野は足を止めた。
その時だった。
ズゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾザザザザザザザザザザ
麦野「!?」
その歩みを止めた靴底が、薄氷を踏み抜きひび割れさせたような悪寒と戦慄を以て麦野の産毛を凍てつかせる。
麦野「(――おかしい)」
そこでようやく麦野は気づいた。嵐が止んでいる。あれだけ吹き荒んでいた雷鳴と暴風が
麦野「(なんだこの)」
凪でも訪れたかのように静寂(しじま)を以て押し黙らせた。
観測至上最大級の規模を誇るスーパーセル(雷雲群)の気配がまるでしない。
文字通り雲散霧消したかのように帝都タワー内部は静謐を守り、そして
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
麦野「(地鳴りは!?)」
その沈黙は麦野の背後から破られた。帝都タワー全体が悲鳴を上げるように震え出すその中心点。それは
御坂「――じてる」
麦野「………………!!!!!!」
麦野が打ち倒したはずの学園都市第三位超電磁砲(レールガン)御坂美琴から放たれていた。
心臓を搾り上げられ喉元を締め上げられ血液が氷結し子宮が収縮する感覚。それは紛う事なき戦慄だった。
御坂「あんたが――――って、信じてる」
呼び覚ましてしまった怪物(バケモノ)の産声に対して――
~LEVEL1~
私の目蓋の裏に広がる十字架がいくつもいくつ聳え立つ絶望の丘。昨夜も夢見る前に見た光景。
『――――――“お姉様”――――――』
太陽を葬ろうとしてるみたいな人の顔の形をした雲の隙間から射し込む天使の梯子、私を呼ぶ声。
私はその丘の上にたった一人立たされている。どうしてか聞き覚えがあるのに思い出せない声。
今ならわかる。全てを失って、これから更に喪って行く今の私にははっきりとよくわかった。
『――――――“お姉様”――――――』
これは私自身の声なんだ。
正確には、私の妹達(クローン)の声。
私の無力さが殺してしまった私自身の声。
10031本の十字架が並び立つゴルゴダの丘、自分だけの現実、私の心象風景そのものなんだ。
爆殺された3号
刺し殺された11号
斬り殺された117号
締め殺された311号
撃ち殺された1995号
縊り殺された2011号
殴り殺された3692号
挟み殺された4728号
ショック死させられた5319号。
解体された6544号
首をもがれた8257号
押し潰された9982号
血液を逆流させられた10031号。
私の弱さが救えなかった命達――
~LEVEL2~
北極海でもそうだった。私の手はあいつに届かなかった。私の指はあいつに触れる事さえ出来なかった。
血の河と肉の山と骨の森と脂肪の大地と内臓に彩られた絶望の世界から私を救い出してくれた英雄(ヒーロー)
誰もが笑って望む幸せな世界、最高のハッピーエンドのために当たり前みたいに命を懸ける偽善使い(フォックスワード)
妹達をこの生溢れる世界へと連れ戻して、私を死渦巻く世界から引き戻してくれたマスターピース
『――――――“お姉様”――――――』
私の理想(ゆめ)、私の憧憬(ゆめ)、私の希望(ゆめ)、私の幻想(ゆめ)
この10031本の十字架(ぜつぼう)の丘を見つめてなお立ち上がれるのは、あいつがいたから。
だけど認めなくちゃいけない。あいつはもう未来永劫私のものになんてならない。永遠に永久に。
助けられないのは私の無力(よわさ)
救えないのは私の非力(よわさ)
守れないのは私の微力(よわさ)
学園都市第三位?
最強無敵の電撃姫?
常盤台のエース?
そんな幻想(もの)
もういらない
~LEVEL3~
『――――――“お姉様”――――――』
私を呼ぶ声がする。私が殺した10031人の妹達の声が
『――――――“お姉様”――――――』
私を呼ぶ声がする。私から離れてしまった黒子(あんた)の声が
『『―――――“お姉様”―――――』』
折り重なって行く。妹達と黒子の声が、私の中に満ち充ちて行く。
お願い、あんた達の死(いのち)を私に背負わせて。
お願い、あんた達の命(し)を私に抱え上げさせて。
この10031本の十字架に埋め尽くされた絶望(おか)を越える力を。
この厚い雲の隙間から射し込む光の梯子を超える強さを。
願いを叶え、望みを果たし、祈りを届かせて欲しい。
もう二度と失わないように。もう二度と喪わないように。
この十字架の丘に、新たな墓標を二度と刻まないために。
この雲を切り裂く嵐を、この雲を断ち切る雷を、この闇を打ち破る光を
砂鉄の剣でも届かない
雷撃の槍でも貫けない
超電磁砲でも破れない
『――――――“お姉様”――――――』
それでも私は――
――――――黒子(あんた)を、10032本目の十字架にしたくない――――――
~LEVEL4~
御坂「――私、あんたを信じてる――」
帝都タワー全体に激震が走り抜け、第十九学区全域に雷震が駆け抜ける。
学園都市上空で猛威をふるっていたスーパーセル(雷雲群)のエネルギーが――
全て御坂へと吸収されて行く。日本における観測至上最大級の……
直径百キロにも迫ろうという大自然の力、超弩級の雷雲群全てが御坂に隷属する。
麦野「………………!!!!!!」
洪水を引き起こすほどの豪雨が羽を生み出し、竜巻を巻き起こすほどの強風が渦巻き逆巻く。
何千発と落ちる常識外の落雷のエネルギー全てが御坂に十字架に似た双翼を与えて行く。
麦野の『光の翼』など螢の光のように矮小に見えるほどの、まさに雷神そのものの力。
麦野「(――信じられない――)」
帝都タワー全体のガラスが生み出されたプラズマにより粉微塵になった側から燃え尽きる。
今帝都タワーが倒壊しないのは御坂が麦野を『気づかって』制御しているからに過ぎない。
そうでなければ麦野は既に濡れた猫を電子レンジに放り込んだようになっている。それほどまでに――
御坂「――あんたの事が好きだった。あんたにずっと憧れてた。あんたに惹かれて、あんたに魅せられて」
大災害に備える事は出来ても戦う事など誰にも出来ない。今や御坂と麦野の差は蟻と象ですらない。
御坂の武力を上回る麦野の暴力でさえも、大自然(だいさいがい)そのものとなった暴力(ちから)には
御坂「――私、きっとあんたに恋してた」
麦野は思い違えていた。御坂に対し自分と違って血に染まり手を汚していないというある種の幻想を見ていた。
逆だ。麦野が殺めて来た人間などたかが数百人、御坂が死なせて来たと背負う人間は万を越える。
誰しもが軽視しがちなその事実に対し、誰よりも敵として御坂を理解していた麦野自身が――
御坂「……あいつがいなかったら、きっと私はあんたを選んでたと思う。だから私、そんなあんたを信じるよ」
御坂は美しく優しく気高くあるべきだと言う幻想を誰よりも抱いていたのは他ならぬ麦野自身だったのだ。
麦野「――――――」
麦野もまた御坂に惹かれていた。もし麦野が闇に沈む前、運命の相手に巡り会う前だったならば――
御坂「――――あんたが“死なない”って信じてる――――」
~在りし日の二人~
結標『何故私が常盤台の超電磁砲(レールガン)が最も恐ろしいと感じたのか教えてあげるわ』
姫神『うん』
解かれた髪紐から流れ落ちる赤髪に唇を寄せながら姫神は短く首肯する。結標の胸に抱かれながら。
結標『それはね、彼女が十字教で言うところのデスティニーチャイルド(運命の申し子)のような存在だからよ』
姫神『運命の申し子?』
結標『そう。彼女はいつでもどこでも、運命に導かれるようにして必ず誰かの嘆きに応えてその姿を現すわ。そこがどんなに深い闇の奥であろうと』
結標は語る。残骸事件において彼女は何度も自分の前に立ち塞がった。後輩の窮地を幾度も救って来た。
神懸かり的なタイミングでいつも事件の中心にいる。神罰の地上代行者のように誰も彼女からは逃げ切れないと。
結標『敵対者にとってこんなに恐ろしい存在はいないわ。そしてそれ以上に私が戦慄させられるのは……』
姫神『………………』
結標『彼女の“観念の化け物”ぶりによ』
結標は続ける。彼女はとある事情で一万人以上の身内を失っていると。普通の人間ならばとっくに……
壊れていなければ『おかしい』のだ。所詮はクローンと他人事のように無関心でいられるならまだ良い。
彼女はそのクローンを救うべく奔走し続け、学園都市の闇と世界の悪意に触れてなお『正義』を譲らない。
白井の語るようにレールガン一発で、自分ですら一分とかからず倒せるにも関わらず『まだ』犠牲を出したがらない。
そんなものは高潔や優しさなどというカテゴリーに入れてはならない、プラスの方向性に振り切った『サイコパス』だと。
結標『ある意味、あの戦災復興の避難所に彼女以上に相応しい存在はありえないわ』
姫神『………………』
結標『んっ……』
姫神の手指が結標のミニスカートの中へと忍び寄り、ピアスの具合を確かめるように耳朶を食む。
冷たい舌が外耳に沿って艶めかしく濡れ、溝を注ぐように踊っては耳穴へヌルリと滑り込む。
他の女の名前を出された事に覚えた嫉妬のように乳房に爪を立てて触れ、その先端に歯を立てる。
結標の白く細い両手首が、胸に巻いていたピンク色のサラシによって痕が残るほどキツく戒められた後……
結標はこう締めくくった。
一万三十一人もの犠牲者の上に成り立つ彼女は、誰よりも心に深い傷を負った“戦争被害者”そのものだと
~LEVEL5~
――嗚呼、やっとあんたを見つけられた気がするよ御坂。
不思議なもんだね。友達ごっこをしてる時じゃ見えなかったよ。
あんたがこんなにも醜悪(きれい)だっただなんてね。
私もやっと納得が行ったよ。どうして私があんたに惹かれたのか
――――私とあんたは、同じ人殺し(バケモノ)だったんだね――――
私と同じくらい綺麗(しゅうあく)で、それでもあんたは捨てなかったんだ。そんな馬鹿デカい十字架を。
悪夢(ゆめ)に出て来るだけで数百人は殺して来た私がちっぽけに思えて来るくらいあんたは重いものを抱えてる。
あのおばさんの言うとおり、確かにあんたは命(みこと)を抱いてる。死を背負う私に対する合わせ鏡みたいに。
麦野「――殺せるもんなら殺してみろよ」
今のあんたは女の私から見てさえ美しいと思えるよ。時間が止まらないのが惜しいくらいね。
御坂「それでも、私はあんたを信じてる」
――――来なよ“美琴”。今のあんたになら殺されてもいい――――
とある白虹の空間座標(モノクローム):第十四話「LEVEL5-judgelight-」
~0時0分54秒~
――決戦は直後だった。
麦野「っ」
御坂「ッ」
麦野が『光の翼』を広げた瞬間、御坂は文字通り光速を思わせる瞬発力で麦野の懐に飛び込み――
ドンッ!!
麦野「がっ……」
防ぐ事も見切る事もかわす事も出来ない雷撃の槍に麦野は帝都タワーを突き破って吹き飛ばされ
麦野「…………!!」
天空に投げ出されて尚迫り来る数十にものぼる紫電の迸りにワンピースを焼かれ、毛先を焦がされ
麦野「(“0次元の極点”!!!)」
次元を原子崩しで切断し、空間を歪曲させて麦野は御坂の背後に踊り出る。
10031人のAIM発生力場を滝壺に感じさせるほどの雷雲群の双翼を。
麦野は十二枚の光の翼の内一枚で弾き飛ばし、そこから連撃を浴びせる。
一枚一枚が研ぎ澄まされた原子崩しの翼撃を雨霰とばかりに降り注ぐ。
御坂「……!!」
だが御坂はそれに倍する勢いで麦野の連撃を弾き返し、弾き飛ばし、逆に羽撃きを浴びせる!
それによって麦野の攻勢は大火に如雨露の水をかけるが如く徒労に終わり蹴撃に舞わされる。
――――この間、僅か一秒――――
~0時0分55秒~
麦野「――――!!」
萼(あぎと)を開くかのように尚も翼を広げ、麦野は辛うじて空中でブレーキをかける。
だが時は既に遅きに逸した。御坂の放った雷撃の槍襖が視界を埋め尽くさんばかりに麦野を取り囲んでいる。
肉体の筋電微流はおろか反射神経まで生体電気によって高めた御坂とは既に見えている世界が違う。
人間の反応速度は爬虫類のそれと比較して、逆説的な意味合いでアキレスと亀ほどの開きがあるように。
御坂「!」
御坂の放った雷撃の槍襖を、麦野は折り畳んだ翼成る盾を以てして防ぐもダメージを殺し切れない。
だが御坂はそれさえも計算して麦野の矛を一本一本ヘシ折って行く。麦野がこの一年間で――
高めた演算能力、上げた射撃の精度や反応速度の全てが通用しない。何一つとして御坂に届かない。
麦野「……!!」
光の翼を引き剥がされ、がら空きになった肉体に紫電を纏わせた貫手を繰り出され、激痛が走るより早く――
御坂は麦野の背後へと回り込み、その背中に砲弾を思わせるタックルを強かに浴びせて薙払う。
一方的な虐殺(ワンサイドゲーム)、勝負にすらなっていない。個人の暴力では大自然にかなわないように。
――――この間、僅か二秒――――
~0時0分56秒~
麦野「があっ!!」
ここで麦野は拡散支援半導体の全てをバラまくと共に原子崩しを一斉掃射で御坂へと撃ち込む。
前後左右上下、蟻穴すら許さない千丈の堤が押し寄せるが如く原子崩しによる流星雨を放った。
御坂「――――――」
しかし御坂の双翼はただ羽を広げただけで星座をも崩す連撃を、揺蕩う波形と粒子をも隷下においた。
形を失った破壊は何一つとして壊せぬまま光の粒子に取って代わり、麦野の攻撃は『発動前』に巻き戻される!
帝都タワー上空で鎬を削る両者の差異は、御坂が『合わせてやって』いるほどの懸絶した力量差が横たわっている。
手の平に乗せた蟻を潰さぬようにつまむ力加減で、麦野を決して殺してしまわぬように。
麦野「――!!」
麦野の戦いそのものは56秒前に終わっている。だがそれでも譲れないものがあった。『負けたくない』と。
56秒前まで麦野はレベル5の女性能力者にあって『最強』に達した。0次元の極点でレールガンを打ち破った。
だが『最強』では『無敵』には決してかなわない。二人のレベルにはそれほどまでの開きがある。
――――この間、僅か三秒――――
~0時0分57秒~
もはや言葉もなく麦野は翼撃を御坂に浴びせかけるも御坂の切り返しは鍔迫り合いすら許さず打ち砕いた。
二枚の翼が粉砕され、引き離された麦野は宙返りしながら尚も襲い掛かる連撃を前髪数本斬らせてかわす。
そこから再びバレリーナのように美しく力強い月面蹴りを見舞うも御坂はそれを優々と顔を背けていなす。
いなした側から左手による紫電を纏わせた一撃で麦野の翼は更に二枚、四枚と引き裂き――
麦野はその瞬き一つで敗れ去る刹那に原子崩しを撃ち返す!それに合わせて雷撃の槍が押し潰す!!
更に二枚に焼き尽くされた『光の翼』は残り二枚。浜面の時のような持久戦ではなく――
真っ向からの力比べから撃破されて行く。手加減され手心を加えられそれでも押し負ける。
この全てがスローモーションに見え、全てがクリアに視える戦い。それは己が自分だけの現実をぶつけ合う二人の
――二人だけの世界だった。横並びの友達ごっこでは決して見えて来ない真っ正面の角度。
この戦いを知る滝壺は後にこう評する。『妬けちゃうくらい、二人はお互いの事しか見てなかった』と
――――この間、僅か四秒――――
~0時0分58秒~
御坂「……っあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!」
麦野「――ッア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!」
直径百キロにも達しようかと言うスーパーセル(雷雲群)の力全てを麦野に向けて放たんとする御坂と
銀河の果てまで物質を斬り飛ばす事の出来る0次元の極点でそれを受け止めんとする麦野が交差する。
科学の世界では原始の海に生命を生み出す源(エネルギー)になったと言われる落雷と
宗教(オカルト)の世界では神が創世にもたらした最初の源(エネルギー)とされる光が
全一の雷光(レールガン)が
零元の閃光(メルトダウナー)が
命(みこと)を司る学園都市第三位(みさか)が
死の字を冠する学園都市第四位(むぎの)が
鏡合わせに映る光と影の二人の乙女はこの時同じものを見ていた。
御坂は一瞬、妹達や白井黒子の事を忘れてしまうほどに
麦野は刹那、美鈴との約束や果たされた使命を忘れてしまうほどに
二人は、互いだけを見つめていた。
決して重ならない身体と言葉と心を超えて
今、二人は一つになった。
――――この間、僅か五秒――――
~0時0分59秒~
point central 0の名を冠する上条当麻。
0次元の極点を統べる麦野沈利
経度0の始点であるグリニッジ天文台になぞらえられるように
世界の始まりは常に0からだ
だが御坂はその0を越えて行く
1の0の2進法の海を泳ぎきって手を伸ばす
全一の雷光、零元の閃光に下される裁きの光(judgelight)
一万三十一本の十字架聳え立つ絶望の丘を越えて
辿り着く先は最強(むぎの)を超えた無敵(ぜったい)への頂――
僅か6秒の死闘の果てに、1と0の世界(はざま)を超越して――
~0時1分~
――――御坂美琴は、絶対能力者(レベル6)へと登り詰めた――――
~LEVEL6~
――決着は直後だった。
麦野「がはっ……」
雷雲群全ての力を一つに束ねたエネルギーを麦野の0次元の極点は相殺しきれず余波に吹き飛ばされ……
共に双翼を失った両者は空中にてもつれ合い、御坂は麦野の身体に最後の力を振り絞って――
御坂「――――――!!!!!!」
ゴキャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!と御坂の膝が麦野の胸に、肘が鎖骨に突き刺さったまま……
全体重をかけて上空から帝都タワー最上階へと御坂は麦野を仰向け寝に叩き潰し押し潰し捻り潰した。
御坂の全力と麦野の全霊が二人の全身から力を奪って行く。二人にはもう何も残されていなかった。
麦野「ぐっ……あっ……」
麦野の胸骨が、肋骨が、鎖骨がまとめて何本か折れる音がした。首の骨が折れなかったのは偏に御坂が――
御坂「――――麦野さん――――」
スーパーセル(雷雲群)をも統べるレベル6(絶対能力者)の力を惜しげもなく捨て去ったからだ。
もう二度とレベル6になれる好機など訪れないとわかっていて、御坂は一度限りの決着に全てを懸けた。
御坂「…………さようなら…………」
御坂は最後の最期まで人を殺す事が出来なかった。麦野の命を奪う事も死を与える事も出来なかった。
白井への行く手を阻み、自分を裏切って敵となった相手すら殺せないほどに御坂は優し過ぎた。
御坂「――私、あんたの事本当に好きだった」
麦野「――――…………」
麦野の唇から血が溢れ出す。その言葉に応える声もなく、麦野の目は帝都タワーの電光時計へと向けられた。
8月13日0時1分。麦野の勝利(まけ)で、御坂の敗北(かち)だった。それはまるで――
御坂「……知らなかったでしょ?」
管制塔にて結ばれた結標と姫神、灯台にて別れた結標と白井のように、電波塔にて二人は再会した。
在りし日の鏡写しのように相似形を描く御坂と麦野。歩み寄れても分かり合える事は決してない二人。
麦野「――――知ってたよ…………」
麦野の意識が手離されて行く。もうそれ以上言葉を紡ぐ力は残されてはいなかった。
御坂は闇に堕ちていった麦野の涙に濡れた頬に手指を添え、囁きかけるように言った。
御坂「――――“嘘つき”――――」
唇に触れる微かな温もりと柔らかな感触。それを感じながら麦野は意識を失った。
『嘘つき』という言葉に、『その通りだ』と声もなく応えて――
~LEVEL0~
滝壺「――むぎのが……負けた?――」
第十九学区旧電波塔
佐天「…………音が、止んだ…………」
“バビロンタワー”頂上決戦
初春「――――御坂さん――――」
“レベル6”御坂美琴VS“レベル5”麦野沈利
固法「……そう、終わってしまったのね」
所要時間16分
御坂「……あんたは最後まで、私の望む幻想(ことば)なんてくれなかったね――」
勝者――――“超電磁(レールガン)”
麦野「――――――………………」
敗者――――…………
食 蜂 「 貴 女 の 負 け よ ぉ み ぃ ー さ ぁ ー か ぁ さ ぁ ー ん 」
【後編】に続きます。