※とある夏雲の座標殺し(ブルーブラッド)の続編になります。
※白井黒子→←結標淡希×姫神秋沙です。鬱、百合要素が苦手な方はご遠慮下さい。
※御坂美琴・麦野沈利・食蜂操祈らの視点となります。
【関連記事】
とある夏雲の座標殺し(ブルーブラッド) 【前編】/【中編】/【後編】
元スレ
とある白虹の空間座標(モノクローム)
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1327157456/
~簡単な時系列~
10月3日(深夜)……結標、グループと別れた後、雨宿りに立ち寄った姫神と出会う。
翌年6月6日……科学サイドと魔術サイドの最終戦争が勃発。第七学区が壊滅し、統括理事長が行方不明に。
7月1日……結標、女子寮から焼け出され帰る家を失った姫神と再会。ルームシェアを始める。
7月2日……結標、とある高校避難所にて白井と邂逅。ボランティアへ誘われるも物別れに終わる。
7月3日……結標、削板に強引にスカウトされ避難所の案内人となる。姫神もまた復興支援に携わる。
7月4日……結標、フレンダと衝突し心折られるも姫神に慰められ、言葉に出来ない感情が芽生える。
7月5日……結標、姫神を狙う異端宗派の魔術師とモノレールにて戦闘。姫神と共にラブホテルで一夜を明かす。
7月6日(日中)……再び魔術師と会敵。巻き込まれる形で皆殺しにされた警備員らを前に姫神の心が砕ける。
その後、結標から告白されるも互いにすれ違ったまま身体を重ね一層状況が悪化し、イギリスへの亡命を決意。
7月6日(深夜)……異端宗派の軍勢が押し寄せる中姫神がオリアナの手引きにより脱出。
垣根による奮戦の果てに、昏睡状態から結標が意識を取り戻し全面戦争へと突入する。
7月7日(夜半)……結標、白井・砂皿・御坂妹・アイテムの援護を受けて追撃戦を開始する。
姫神、ステイル・黄泉川・手塩・オリアナに護送されながら第二十三学区を目指す。
その際共闘した白井の手から御守りのリボンが結標に手渡される。
7月7日(夜明け)……姫神、飛行場で異端宗派に取り囲まれるも寸での所で結標が救出。レベル5の頂へと登り詰める。
7月7日(日中)……上条・一方通行・浜面・フィアンマが結標らと合流。避難所へ帰還し皆に祝福される。
白井、その光景に一方ならぬ思いを持つも胸に秘める事に。
8月7日……織女星祭。避難所の面々が空中庭園にてBBQパーティーを行う。
白井、結標と二人きりになった際に内なる願いを口にする。
8月9日……結標、姫神との信頼関係が破綻を迎え、雨の街を彷徨っていた所を白井に保護され一線を越えてしまう。
8月10日(日中)……結標、白井と共に海を見に行くため、開発途上で放棄された海上学区『軍艦島』へ向かう。
8月10日(深夜)……結標、姫神と灯台にて対峙。以後、白井と吹寄を残して二人は行方不明に。
※本作は8月10日以降の物語になります。
~3月9日~
カツン、カツンと石畳に鳴り響く靴音。合わせて揺蕩う影法師。
踏み締める足音に合わせて舞い上がる桜の花片が、茜色の夕陽を受けて赤く紅く朱く染め上げて行く。
御坂「………………」
学舎の園を御坂美琴は一人行く。死に絶えた音無の世界の中を、迷う事なくただ一点を目指して。
白井『お姉様、くれぐれもご用心のほどをお願いいたしますの』
御坂「(黒子ってば心配し過ぎ。そりゃああんな下衆な女と2人っきりなんてゾッとしないけど)」
石畳の迷図を抜け出し、大通りを早足で歩を進めて行く。
その先にあるミルクホール『デズデモーナ』、件の待ち人と落ち合う場所。
ここ訪れる前、縋るような眼差しで身を案じて来た白井黒子の言葉を反芻しながら。
白井『御礼参り、という線もありえますの。ましてや相手はあの“女王”ですの!』
御坂「(――あたしとあの女が本気でぶつかり合ったら、飛ばすのは火の粉なんてレベルじゃおさまらないだろうから)」
十字架のように並び立つ風車、墓石のように聳え立つビル群を見上げながら辿り着いた先。
純白を基調とした内装と調度品の数々が並ぶ店内へと入り、二階のオープンテラスへの螺旋階段を登る。すると――
???「――遅かったじゃなぁいみぃーさぁーかぁさぁーん」
御坂「……いきなり呼び出しといてあまり文句言わないで欲しいわね」
テーブルの上にはガラスのティーセット、苺と無花果と胡桃とラム酒を練り込んだ羊羹とクリームチーズ。
蜘蛛の巣を意匠にあしらったグローブに包まれた手にはグリーンティー。靡くイエローブロンドの髪。
しかし御坂はそれらに一瞥をくれるでもなく、席を勧められる前に手足を組んでチェアーに腰掛けた。
御坂「――最初で最後だから付き合ってあげる。あんたの言うティーパーティーとやらに」
向かい合うはダイヤのエースとハートのクイーン、常盤台中学が誇る二人のレベル5、三位と五位。
学園都市最高の電撃使いと精神系能力者。その気になればこのホールにいる客全員を集団自殺にさえ追い込める少女の名は
???「むぅ、私の指導力不足かしらねぇ?こういう時もうちょっとなんかあるでしょぉ?新たな門出を迎える先輩に対して、後輩らしい言葉が」
御坂「――なら、一言だけ」
常盤台中学最大派閥を率いし『女王』――
御坂「――卒業おめでとう、食蜂操祈――」
~2~
食蜂「……やれば出来るじゃなぁい?そういう可愛げを私が在学中に見せてくれたならもっと友好的な関係が築けたかもねぇ~」
御坂「あんた自分が私やその友達に何したかわかってんの?その無駄にデカい胸に手当てて聞いてみなさいよ」
食蜂「少なくとも、私への口答え不問に付してあげられる程度に心は広いつもりなんだけどなぁ♪」
クリームチーズを乗せたドライフルーツ入り羊羹をパクッと頬張る食蜂を見やりながら御坂は溜め息を吐く。
よく溜め息を吐くと幸運が逃げるとは言ったものだが、食蜂に呼び出された事そのものが不運(デズデモーナ)だ。
非常識だとは思ったが、オーダーは取らない事にした。茶の一杯の時間さえ惜しかった。
御坂「……もういいわ。あんたと話してるとスッゴい疲れるの。呼び出したんなら用件あるんでしょ?早く言って」
食蜂「用件?」
御坂「――御礼参り、とか」
食蜂「……ぷぷっ」
御坂「!?」
食蜂「あはははははははははははははははははははは!!」
ティーカップの取っ手に指を通さない程度に品というもの弁えながら食蜂はテーブルを叩いて大笑いした。
御礼参りという前時代的な物言いがまるでかのナンバーセブン、削板軍覇のようであると。
食蜂「馬鹿ねぇ?そんな事するくらいならとっくの昔に貴女の後輩あたりを寝取ってヤッちゃってるわよぉ☆」
御坂「そんな巫山戯けた真似したら頭消し飛ばすわよ!?」
食蜂「怖い恐い☆けれど頼もしい限りねぇ“二代目”常盤台の女王♪」
御坂「私別にそんなものになりたい訳じゃない!あんたが残して行く派閥の人間にどうこうするつもりもないし、神輿に担ぎ出されるのもごめんこうむるわ」
食蜂「貴女が馬鹿にした政争ってそういうものよぉ?前に話して聞かせてあげたよねぇ」
クリームチーズの油分に艶めかしく濡れ光る瑞々しい唇をこの上なくエロティックに舌舐めずりする食蜂。
その頭の天辺から足の爪先まで値踏みする、魔星を宿した双眸が暗い輝きをもって御坂を映す。
御坂は思う。まるで底の抜けた水瓶のような眼差しだと。御坂の知るもう一人のレベル5の女性とも違う異形の怪才。
食蜂「この養蜂場(がくえんとし)にあって、私達は雀蜂であの子達は蜜蜂だって」
死体が埋まっていると言われる桜の木々が、生温い風に揺られて枝葉をさざめかせて行く――
~3~
食蜂は言う。この学園都市は養蜂場であり、皆が崇め奉る常盤台中学さえもせいぜい上質な蜜が取れる巣箱に過ぎないのだと。
その中にあって、雀蜂は種類によっては平均的な蜜蜂のおよそ五倍もの体躯を持ち合わせている。
雀蜂が七匹も集い数時間かければ数万もの蜜蜂を巣ごと鏖(みなごろし)に出来るのだと。
食蜂「貴女の理解力をもってすればわかるでしょ?私達レベル5は女王蜂。そういう風に生まれついてしまっているのよぉ」
御坂「だからなんだって言うの?レベル5だから特別で、そんな自分は選ばれた存在で、だから皆の上に立つのが当たり前だって言いたいの?どんだけ上から目線なのよあんたは」
食蜂「――だから政治力を身につけなさいって言ってるのぉ。貴女の立ち振る舞い如何によって皆を導く誘導灯にも身を焼く誘蛾灯とも成りうるのが“レベル5”よぉ」
御坂「よく言うわ。あれだけ好き勝手やって来ておいて。あんたのやってる事は先導じゃなくて煽動でしょ」
食蜂「その中で貴女だけよぉ?私の支配力に唯一平伏させる事の出来なかった、不愉快極まりない無二の存在はぁ」
御坂「………………」
食蜂「――そんな小憎らしい貴女の綺麗な顔を、最後に見ておきたかったのよねぇ。こんな簡単な事さえ卒業式の日を待たなければ出来ないほど、多くの柵と拘束力がこれから貴女について回るわぁ」
夕闇が訪れ、吹き抜けて行く肌寒い春風が湯気の立つグリーンティーに一片、桜の花びらを落として行く。
沈み行く残光が食蜂の右肩より射し込み、御坂はそれを眩しそうに目を細めた。
食蜂「でも私と全くタイプの違う貴女が、これからどう常盤台を率いて行くのが楽しみ楽しみぃ☆」
御坂「……そういうあんたは卒業した後どうすんの?よその学校でもまた派閥だなんだかんだ作る訳?」
食蜂「どうしよっかなぁー?とりあえず、向日葵が咲く頃まで考えてみようかしらぁ」
御坂「ヒマワリ?」
食蜂「……約束、だからぁ」
ザアッ……と桜の花片が粉雪のように舞い散り、二人のテーブルにハラハラと降り注いだ。
そこで御坂は気づいた。食蜂の膝元にある一冊の本。『人魚姫』の原書が置かれている事に。
食蜂「――あの日見た向日葵畑を、私はもう一度見てみたいのよねぇ」
――人魚姫。それは報われぬ恋と結ばれる事のない愛の物語――
~4~
そして黄昏が近づき、ガラスのティーポットの中のグリーンティーが底を尽く頃合いに食蜂は席を立った。
食蜂「来年の今頃、貴女もきっと後継者を指名している事でしょうねぇ」
御坂「ないわよ」
食蜂「とは言ってもぉ?貴女が後事を託せるような後輩なんてあの子パンダちゃんくらいだとは思うけどぉ」
御坂「人の話聞きなさいって!」
食蜂「――私の神通力が囁いてるわぁ。“彼女”は、いつか貴女と切り結ぶ日が必ず来るって♪」
女王は真紅のダッフルコートを羽織り、席を立ちながら語り掛ける。
テーブルの上に『人魚姫』の原書本を置き、眉を顰める御坂へ背を向けて。
御坂「――私と黒子が?ないない。ありえないわ。黒子を後継者にするって話以上にありえっこない!」
今だってお姉様お姉様って隙あらばベッドに潜り込んで来るあの黒子が?と御坂は手を振って一笑に付した。
そもそもが“お姉様の露払い”を自認し、今も風紀委員に身を置くほど正義感の強い彼女と何がぶつかるのかと。だがしかし
食蜂「……“ブレンターノのローレライ”って詩は知ってるぅ?」
御坂「知ってるわよ。確か恋人に裏切られて、裁きの場に引き立てられ死を願ってもそれさえ叶えられず、絶望の果てに恋人との思い出の場所で死ぬ……とかなんとか暗い話だったっけ?確か」
食蜂「その通りぃ☆女の子は誰しもがマーメイド♪けれど時と場合によってセイレーンにだってなるのよぉ。貴女の女子力じゃまだ難しいかなぁ?」
御坂「人を馬鹿にすんのもいい加減に――きゃっ!?」
その瞬間、轟ッッ!と一際激しい桜吹雪が吹き荒び、逆巻く花嵐が食蜂を取り巻いて行く。
血のような赤色と骨のような白色が綯い交ぜとなった幕が引かれ、御坂が一瞬目を閉じると――
食蜂『私は“嘘”が嫌いなの。いつの日か、貴女にもそれがわかる時が必ず来るわぁ』
御坂「ッッ!?どこに――」
食蜂『――また会いましょう?憎くくて愛しい、私の後輩(みこと)――』
食蜂の姿は既に二階のカフェテラスにはなく、さざめく桜の花片を残して消えていた。
その場にブラックローズの押し花をした栞の挟まれた『人魚姫』を置いていったまま。
御坂「……そんな事、ある訳ないじゃない」
春風に手繰られたページ、古めかしい挿し絵には魔女からナイフを手渡された人魚姫の姿が描かれていて――
~5~
白井「お姉様、如何なさいましたの??」
御坂「んんー……別に。あれ、私ボーっとしてた?」
白井「はい。心ここにあらずと言ったご様子でしたので……あの女王とやはり何か一悶着ございましたの?」
御坂「うーん……」
食蜂との二人きりのお茶会を終えたその日の晩、御坂はかつて麦野沈利から贈られたガラスペンを回していた。
机に頬杖をつきながら物憂げな横顔を晒していたのを白井が見咎めたのか、やや罰が悪そうに。
御坂「黒子さ……」
白井「はい」
御坂「前に話した事あったよね。“もし私が学園都市の敵になったら、その時は自分が捕まえる”って」
白井「確かに申し上げましたの!」
当の白井もまた入浴を終え、洗いざらしの髪を拭き取りながらベッドの上から見やって来る。
その様子を流し目で見つめつつ御坂は想起する。絶対能力者進化計画。今尚御坂の中に降り続く……
10031枚の六花。雪解けを迎える事も無く、凍てついたままの永久凍土。御坂の中の原罪の聖像。
御坂「もしさ、それ以外で私とあんたが敵同士になる時が来たとすればそれってどんな時だと思う?」
白井「……お姉様?」
御坂「いやいやいや!例えばの話よ例えばのハ・ナ・シ!」
そこで白井の訝しむ眼差しが御坂のガラスペンに注がれ、佇まいを直すように正座の形を取った。
慌てて取り繕ったつもりだが、明らかに食蜂に吹き込まれた事は互いにとって瞭然であり――
白井「そうですわね……ではわたくしも仮定の話として申し上げるならば――」
御坂「………………」
白井「それはきっと、お姉様を敵に回してでも貫きたい“何か”を、譲れない“誰か”を見つけた時ではないかと思いますの!」
しかし茶目っ気たっぷりなウインクに食蜂よろしく星を飛ばし舌を見せるその笑顔は正しく洒落であった。
仮定はあくまでも仮定。少なくとも今のわたくしにお姉様以上の存在などありえませんの!と付け加えて。
御坂「想像つかわないなーあんたにそう思わせたり言わせたりする子って。あ、別に私は(ry」
白井「ご心配召されずとも黒子のハートはお姉様にキャッチプリキュアですのォォォォォォォォォォ!!」
御坂「空間移動でルパンダイブしてんじゃないわよ馬鹿黒子ォォォォォォォォォォ!!」
電気ウナギに食いついたワニよろしく飛びかかった白井はあえなく撃沈された。全裸で。
~6~
御坂「まったくもうあんたって子は……いい加減私離れしなくちゃ。今日の第五位じゃないけど私だって来年には卒業しちゃうんだから」
白井「うう、二重の意味でつれないお姉様……ああ、そう言えば進路は」
御坂「えーっと、長点上機学園と霧ヶ丘女学院から誘いが来てるわね。四月入る前に決めとかなきゃ」
白井「霧ヶ丘女学院……」
まったく、いつまでもお姉様お姉様って言ってられなくなっちゃうんだからねー黒子ってば。
でもそれって私にも同じ事が言えるんだよね、あははは……新しい学校で上手くやっていけるかな?
ってどうしたのよ黒子そんな神妙な顔しちゃって。ははーん?今更それに気づいてしょんぼりしちゃった?って
御坂「まあ、今日からあと一年の間よろしくね黒子!今更改めて言う事でもないけど」
白井「………………」
御坂「……黒子?」
白井「お姉様、わたくしもう一度お風呂に入って来ますの!今ルパンダイブをした所湯冷めしてしまいまして」
御坂「馬鹿ねーだから言ったのに……ほら、ちゃんと肩まで10数えて入って来るのよ?まだ寒いんだから」
白井「はいですの!」
黒子は脱ぎ散らかしたパジャマをかき集めて空間移動でシャワールームに飛び込んで行った。
そうするとすぐに勢い良くタイルを叩く水の音が聞こえてきたわ。よっぽど寒かったのかしら?って……
御坂「もう、黒子ってば……」
私はさっきの黒子の言葉を口の中でアメ玉みたいに転がす事にした。ガリっと噛み砕かないように。
黒子がもし、異性でも同性でも誰かを好きになったとしたらそれはどんなタイプだろう?
いっつもお姉様お姉様って五月蠅いくらいだから、私に良く似たタイプって言うのはいくら何でも自惚れ過ぎよね、って。
御坂「早く独り立ちしてもらわないと困っちゃうわねー」
黒子って確かに人魚姫が似合いそうかも知れない。
私や、初春さんや、佐天さんや、婚后さんの事……
誰かの幸せを願う事の出来るとっても優しい子だから、って。
御坂「さーてと……とりあえず、新入生歓迎の挨拶文から手つけなくちゃ」
私は勝手にそう考えてた。当たり前のように思ってた。
黒子は誰より強くて優しい私の自慢の後輩だって。
このガラスペンみたいな黒子の透明で繊細な一面を、私は見過ごしていた。
シャワーの音に紛れてかき消された、黒子の嗚咽にさえ気がつけなかった――
~7月2日~
御坂「結標淡希!?」
白井「ですの。随分とまあ腑抜けたお顔で、煮え切らない立ち振る舞いではありましたが……」
御坂「どうしてあの女がここに……」
白井「さあ?それは私も存じませんが……」
――科学サイドと魔術サイド、そして上条勢力の三つ巴からなる学園都市最終決戦より一ヶ月あまり……
御坂美琴は壊滅的打撃を受けた第七学区の避難所に電力供給を行うべく妹達らと発電所に詰めていた所――
差し入れのアメリカンクラブハウスサンドを運んで来た白井の口から結標淡希と再会した旨を伝えられた。
御坂「……残骸(レムナント)の時以来かしら」
白井「ですの。ただ、迷いに満ちた目をしておりましたの。端から見ていて痛々しいまでに」
御坂は終ぞ知らぬままであった。結標を復興支援へスカウトしたのは削板軍覇よりも早く……
この、かつての仇敵にさえ手を差し伸べずにはいられない優し過ぎる後輩が先であった事を。
御坂「ふーん……あ、黒子これ美味しい♪」
白井「大成功ですの!」
頬張ったサンドイッチは、少しマスタードバターが効き過ぎていたように御坂には思えた。
~7月4日~
姫神「貴女は。結標さんの事を知ってるの?」
御坂「うん、知り合いって言うほどの仲じゃないんだけどね」
結標が案内人として復興支援委員会に加わり、フレンダ=セイヴェルンと避難民を第八学区まで護送している間……
御坂は昼休みを取りに調理室を訪れた所、姫神秋沙と顔を合わせながら塩サイダーで涼を取っていた。
その際、ひょんな事から彼女が結標の友人らしき間柄にあると知り途端に口が重くなるのを御坂は感じていた。
姫神「彼女は。どんな人?」
御坂「えっ……」
姫神「私も。彼女と知り合ったばかりだから。あまりよく知らない」
御坂「そうなんだ……」
姫神「あの人は。自分の事をあまり話してくれるタイプには見えないから」
そしてそれ以上に、姫神の放つ不可視の圧力のようなものを感じ御坂はお茶を濁すのにも一苦労した。
だがその真摯な眼差しから彼女はきっと結標に好意を抱いているであろう事は御坂にも感じられた。
常盤台中学にあって、自分が後輩に向けられる視線と似た光をその黒曜石のような双眸に見出したからだ。
同時にこの濡れ羽色の髪の美少女の怒髪をつけば、他を圧するほどの鬼気を発するであろうとも。
~7月5日~
結標「まさか常盤台のツートップともあろう者が、こんな簡単な罰ゲームから逃げ出すなんて事はないでしょうね?」
白井「ぐぬぬぬ……女は度胸ですの!ぐはぁっ!?」
御坂「黒子ー!!?」
姫神「吹寄さんおすすめの青汁。その破壊力は折り紙付き」
避難所の面々を連れて第六学区のスパリゾートを訪れたおり、挑まれたダブルスでのDDR。
僅差で敗れ去り罰ゲームとして青汁を一気飲みではなくチビチビ飲まされる拷問に白井が吐血し……
御坂も次いでダウンした後、二人は雌雄を決さんと対戦モードへ移り新たに選挙する。しかしこの前に
御坂「(Avril Lavigneのgirlfriend……)」
この時御坂は気づいた。彼女達が互いに強く引かれ合っている事に。
互いに交わす目配せ、重ねる手と肩の距離、選曲に託されたいずれかの思い。
御坂は知らなかった。あの露悪的な冷笑を隠しもしなかった結標が……
結標「――――――………………」
同性の目から見てさえ切なげで儚げで、今にも消え入りそうなほど悲壮な笑みを浮かべて姫神を見つめていた事を――
~7月7日・序~
御坂「黒子!!怪我はない!?」
白井「ご心配には及びませんわお姉様。心強いダンスパートナーがおりましたので」
そして運命の日。完全なる知性主義(グノーシズム)と科学サイドの全面戦争が勃発した夜……
避難民を誘導しながら敵兵を蹴散らして戻って来た白井が御坂の元に戻って来たのだ。晴れ晴れした顔で
御坂「ダンスパートナー?」
白井「ええ。敵に回すと厄介ですが、味方に回ればこの上なく頼もしいお方と」
それは御坂をして初めて見る類の笑みだった。
晴れやかで、爽やかで、静けささえ感じさせる穏やかさの中――
うっすらと頬を染め、かすかに瞳を潤ませた、御坂の知らない笑顔。
白井「わたくしも負けてはおられませんの!お姉様また後ほど!!」
御坂「くっ、黒子!!?」
夜明けが近づきつつある暁闇の空の下、白井は駆け出して行く。
その小さな背中が、細い肩が、御坂の手さえ届かないほど遠くまで。そして
御坂「……あれ?あの子――」
そこで御坂は気づいた。白井のトレードマークとも言えるツインテールを纏める大きな赤いリボン……
その内一つが失われ、紅茶色をした髪型ふわふわと揺蕩っている事に。今更のように――
~7月7日・破~
月詠「姫神ちゃん!結標ちゃん!!おかえりなのですよー!!!」
結標「小萌!」
姫神「ただいま」
一夜明け、避難所の面々に迎え入れられ帰還を果たした結標と姫神。
果てしなく広がる青空の下、降り注ぐブルーローズに祝福される中――
御坂「あんた一体どこほっつき歩いてたのよ!みんな心配してたんだからね!!」
上条「悪い悪い……色々あってさ」
御坂もまた時同じくして凱旋を果たした上条の腕の中へと飛び込んでいた。
これで全てが終わった。これが最後だと、照りつける太陽の下そう感じていた。
――――――だがしかし――――――
白井「………………」
御坂「(……黒子?)」
皆が取り囲む祝福の輪の中にあって御坂は見た。
ただ一人をそれを寂しげな微笑と共に見やる白井の横顔を。
誰一人欠ける事なく迎えた最高のハッピーエンドの中にあって――
青髪「――ああ、まるで」
御坂「!?」
青髪「……みたいや」
御坂の背後を通り過ぎて行く、怪しいイントネーションの関西弁と野太いテノールがいやに耳についた。
青髪「――まるで、お葬式みたいや――」
~7月7日・急~
御坂「……!!」
青髪「カミやんお疲れさーん!なんかお土産ないー?」
上条「海外旅行いってきたんじゃねえっつうの!つうか上条さんにそんな暇なかったないないなさすぎました三段活用!!」
青髪「なんやーおもんないー」
それは上条の友人であり、名も知らないが皆で夕食会を開いた時にいたプルシアンプルーの髪の少年だった。
その言葉に御坂は背筋が泡立ちうなじが逆立ち心肝寒からしめられる思いだった。だが当の本人は――
青髪「まあ土産話は落ち着いてからたっぷり聞かせてもらおか!荷物持ってたるで~」
上条「サンキュー、青髪!」
御坂「あっ、ちょ、ちょっと!」
上条のボストンバッグを代わりに肩に担ぎ、男二人で正門から去って行った。
途端、御坂にも結標らの周りに寄り集まった人々が葬列の群れに見え……
ライスシャワーのように思っていた花々が手向けの花束にさえ思えてならなかった。そして
御坂「なんなのよ……」
瓦礫の王国と化した避難所の校舎の向こう側、清風に揺られ東を向く向日葵畑が広がっていた。
蒼穹へ向けて腕(かいな)を伸ばす幼子のように、太陽へ手指を伸ばす童女のように――
~8月7日~
御坂「あっ……」
結標「――子……」
白井「……の――」
御坂「(あの二人、また……)」
完全なる知性主義(グノーシズム)との決戦より一ヶ月後の織女星祭。空中庭園でのBBQパーティー。
『I LOVE KAZARI』などと巫山戯けた大玉花火を打ち上げた垣根帝督を全員で袋叩きにした後……
御坂は見た。ガーデンにかかるアーチの上にて、月をバックに影絵を描く二人の空間系能力者を。
御坂「(何でだろう……何だか、すごくイヤなカンジ……)」
目視出来る程度の距離からでは二人が何を語らい、通じ合わせているかまでは流石にわからない。
だがこの時御坂が覚えた、この朧月夜の幻暈よりも不確かな胸のざわめきは如何ともし難かった。
本来ならば禍根の一端なり解消されたのだと喜ぶべきなのかも知れなかった。二人の横顔を見るまでは
白井「……姫――」
結標「――て――」
御坂「(でも、何て言ったらいいか……)」
胸中の痛みと胸裡のざわめきが綯い交ぜとなり、御坂はそれをただ見つめている事しか出来なかった。
手を伸ばすには遠くても、足を伸ばすなら近いこの数十メートルの距離が、ひどく遠く感じられて。
~8月9日・起~
麦野「あァ?テメエんところの子パンダが何だって?」
御坂「だ・か・ら!最近様子がおかしいんだって!!やたら結標さんと二人きりになったり、変にボーっとしてる時間が増えたりしてさ」
麦野「はッ。後輩の惚れた腫れたの下の話までケツだか肩だか持ってやるなんてあんたもヒマなヤツだね」
御坂「別にそんなんじゃ……」
織女星祭の撤収作業を中断せざるを得ないほどの土砂降りの雨の中、御坂は麦野沈利の車の助手席に揺られていた。
ヴェンチュリーのアトランティーク300のフロントガラスを打つ夕立の勢いが、そのまま御坂の心模様を移して。
麦野「で、あんたはそれをどうしたい訳?“案内人は彼女持ちだから諦めなさい”って優しく諭してあげるイイ先輩になりたいのかにゃーん?」
御坂「それわざと言ってんなら私降りる」
麦野「………………」
御坂「……ごめん。当たっちゃって」
麦野「――私も頭下げる気なんてないけど、別にあんたが謝る必要ないよ御坂。私もここ最近イライラしててさ」
御坂「あんた月初めいつもそうじゃない」
麦野「違えよ!!……ちょうど一年前の昨日今日、スッゴい後悔した事があってね」
御坂「………………」
麦野「――あんたもそうだろ?わかってるよ、御坂」
スクランブル交差点前の信号に捕まり、麦野はバツが悪そうに街頭ビジョンを見上げた。
時刻は既に19時近くに差し掛かり、コンクリートジャングルを横切るゼブラの上を歩く人影もまばらだ。
それだけに両隣の自分達の息遣いや横顔、異なる香水の香りが妙に意識させられてならなかった。
同時に、ハンドルを握る手とは反対の手でクシャクシャと御坂の頭を撫でる麦野の薬指のリングにも。
御坂「なんか私、麦野さんに甘えてばっかりだなー」
麦野「巫山戯けんな。私とあんたは」
御坂「“友達じゃない”、でしょ?それもわかってるってば」
25,000円のブルーローズのシルバー。御坂の思い人が麦野に贈り、また当の本人もチェーンに通して胸にぶら下げている。
そして御坂の友人であり彼等の“家族”でもあるあの修道女も同じ物を小指にはめていた。
御坂「……黒子も」
麦野「?」
御坂「私にとっての麦野さんが、黒子にとっての結標さんなのかな」
麦野「……さーてね」
信号が代わり、麦野が一気にアクセルを踏んで雨の中を突っ切って行く。何かを振り切るように。
~8月9日・承~
麦野「まあ、私は同性愛にこれっぽっちも興味も関心もないからどうとでも言えるけど」
御坂「うん」
麦野「――あんたが手差し伸べるタイミングは子パンダが玉砕してからにしな。耳の聞こえてない水牛を止めようとしたって跳ねられるのがオチだよ」
御坂「……あんまりそういうところ見たくないけどなー先輩として。本当はさ、姫神さんにも失礼だから止めなさいって言いたい所なんだけど」
麦野「テメエは本当におせっかいなヤツだね御坂」
御坂「そういう性分なのよ。黒子に私みたくなって欲しくないし」
麦野「………………」
御坂「それにもし万が一黒子と結標さんが両思いになれたって、私そんな黒子は応援できないし祝福出来ない」
麦野「……プラス、潔癖症」
御坂「当たり前でしょ!」
麦野「これだから処女は。あんたにとっての当たり前が当てはまらないケースや耐えられない人間だっているかも知れない、って考えられない?」
御坂「それは……」
麦野「御坂、お前も私と同じ“女”だろう?頭で物を考えられる内が華なんだよ。いよいよどん詰まった時、私達“女”は自分の子宮を裏切れない」
……何よ。普段人の事誰も彼も見下しきって小馬鹿にして鼻で笑うくせに、たまにマジな顔するんだから。
でもこれだって出会った時の事考えてたら大いなる前進よね。今だって送ってもらっちゃってるし。
この女との付き合いももうかれこれ一年になるのか……何だかちょっと不思議な感じよね。
麦野「……って何で私が子パンダの事擁護してるみたいな流れになってんだ。だいたいさ、それあんたの勘違いって線ない?」
御坂「勘違いにしては雰囲気妖しすぎる。常盤台でもこういうのよく見て来たからまず間違いないと思う」
麦野「うげっ」
御坂「そういう差別的なカンジ良くないと思うよ麦野さん」
麦野「当たり前のリアクションしてなんで詰められなきゃいけねーんだよ。別に差別じゃない。やるなら自分に関わりないところでひっそりやってくれってだけ」
御坂「清々しいくらい自分に正直ねあんたって……」
麦野「それにさ、御坂――」
あいつの側で浮かべる微笑みが憎くて、ふと見せる優しさが愛しくて、ここぞって時に頼りになる人。
ねえ、こんな事思ってるの私だけかも知れないけど……私、本当はずっとあんたみたいに――
麦野「――女同士でハッピーエンドに終わったヤツ、あんた一人だって自分の目で見た事ある?」
~8月9日・鋪~
御坂「………………」
麦野「ねえだろ。私だってねえよ」
ヴェンチュリーが左折し、繁華街に面する道路より突き進む中御坂は二の句が告げなかった。
麦野は基本的にあらゆる物事に対して冷笑的である。故に事の本質や欺瞞をその切れ長の眼差しで断ち切る。
店の軒先には縊り殺された照る照る坊主、汚らしく石畳に落ち踏みつけられた短冊が見て取れた。
麦野「別に男と女が一番幸せとも言わねえよ。一番不幸が起きるのも男と女な訳だし。その代わり誰が幸せになった勝ち組に回ったってこれ以上わかりやすい話もないでしょ」
御坂「例えば結婚とか……」
麦野「――子供だよ。出来の良い悪いを除けば、まあ自分が生きた証って言ってもそうズレた事言ってないつもりだけどね」
御坂「それじゃあ子供のいない夫婦は幸せになれないの?」
麦野「……っ」
御坂「(麦野さん?)」
『子供』という単語に麦野の瑞々しい唇が舌打ち寸前の形で苦々しげに歪められるのを御坂は見た。
その表情に、虎の尾を踏んだと言うよりも触れてはならない領域を御坂は感じ取られた。と
麦野「――御坂、あれ」
御坂「あれ?」
麦野「前だよ、前!」
御坂「!」
指差す麦野、向き直る御坂。雨垂れに歪む視界、水煙に包まれた街並みのその先に見えたもの
結標「………………――――――」
白井「――――――………………」
御坂「……いた」
それは19時を指し示す長針と短針が交わる時計台と傘を持つ白井を抱き寄せる結標の姿だった。
痛ましいまでに悲痛な結標の雰囲気と、傘に隠れて今どんな表情を浮かべているかわからない白井。
御坂はそれを息を呑んでしばし見つめていたが、止まれるはずもなく麦野のヴェンチュリーはそれを追い抜いた。
御坂「麦野さん……」
麦野「……これ以上は野暮ってもんだよ御坂。線は引かなきゃいけない。例えあんたがあいつの先輩でもね」
御坂は少なからずショックを受けた。確かに今朝だって白井は自分を起こしに来た。撤収作業でも
麦野「――あ、シャケ弁まだ買ってねえ」
巫山戯けながら自分に抱きついて来たその腕を、傘を持っていない方の手を、確かに結標の背に回していたのだから。
~8月9日・叙~
御坂「………………」
麦野「いつまで辛気臭えツラしてやがる。ほら」
御坂「あっ……ナチュラルティー」
麦野「熱いのしかなかったけど文句言わないでね」
白井らを通り過ぎた後、麦野は御坂を送りがてらナチュラルローソンへと車を回し、シャケ弁を買いに言った。
そして戻って来た時にはナチュラルティーが二缶その手にあり、内一つを御坂へと手渡した。
御坂「ありがとう麦野さん……やっぱり、あんた優しいね」
麦野「テメエが茶の一杯で済む安い女で私の財布にゃ優しいね」
それは去年の10月2日、御坂にSBCモカを投げて寄越した手付きそのままであった。
夏場にホットは如何なものだが、夕立が引き連れて来た肌寒さにそれは程良い温もりを宿して御坂の手と心を温めた。
御坂「ありがとう……ちょっと、びっくりしちゃってさ」
麦野「――寂しかった?」
御坂「うん……何だか、私が知ってたつもりでいた黒子って、最初からいなかったんじゃないかって。私、こんなんで黒子の先輩って言えるのかな……」
麦野「そんな事ないでしょ。考え過ぎだよ。あの子パンダがあんたにくっついて回るのだってあれはあれであんたにしか見せない素顔の一つだろ」
運転席の座りを直しながら麦野もまたナチュラルティーのプルタブを開け、一口含んで足を組んだ。
コールタールの雨空の下、コンビニの安っぽい蛍光灯の光が視力の落ちた麦野の目に痛かった。
そしてそれ以上に助手席の御坂の様子が痛々しく、麦野は憮然としながら一息漏らし、腕を天井へと伸ばし――
御坂「……どうなるんだろうねあの二人」
麦野「少なくとも外野がどうこうしてどうにかなる地点はとっくに過ぎてる。ククッ、ありゃあ荒れるねー」
御坂「そんな他人事みたいに言わないでよ!!」
麦野「他人事だよ。だから冷静でいられる」
御坂「きゃっ!」
伸ばした腕を御坂の肩に回し、頬を合わせて語り掛ける。
思わず近くにある美貌に、御坂はかつて麦野の部屋に泊まった夜の事を思い出した。
麦野「――今ここに手のかかるガキがいて、その上子パンダの事まで気回せるほど私は出来た“先輩”じゃねえんだよ」
御坂「……麦野……さん」
麦野「だからテメエは誰よりもあいつの側にいて、その上で一歩引いて見られる“先輩”でいなよ」
それは麦野が、御坂美鈴に出会った夜でもあるのだ――
~8月9日・結~
御坂「~~~~むーぎーのーさーん!!」
麦野「おっ、おい!こぼれるこぼれる!って離れろ!!どこに顔埋めてんだ!!!」
御坂「ああ、もし麦野さんが男だったら今のちょっとキュンと来ちゃう……」
麦野「離れろ御坂ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
はあ……何だって母娘二代で面倒見なくちゃいけねえんだ面倒臭い。
つうかあのおばさん抱えて断崖大学でやりあったのもこんな雨の夜だったっけ。
って言ってもあの日はスーパーセルが来てたらしいからこんなもんじゃなかったけど。
御坂「……麦野さん、やっぱり優しくなった」
麦野「わかったから離れろ。コンビニの駐車場で女と乳繰り合う趣味はねえ」
御坂「うん!」
……こいつ、確か今常盤台の三年張ってるんだっけ?
多分、私みたいに話せる先輩とかいなかったんだろうな。
あの腐れ第五位(じょおうばち)じゃ敵に回すと厄介で味方にすれば始末に負えないだろうし……ん?
姫神「――――――………………」
吹寄「………………――――――」
いた。向こう側の道路。私の大嫌いな巫女女となんか胸デカい女。
あの様子じゃ血眼で探し回ってるってところね。ご愁傷様。
にしても勢い良いわねこの雨……明日の肝試しまでに晴れるか?
あの放棄されたアクアライン。確か『軍艦島』とか言われてたっけ。
二十年前、神奈川県に跨ぐように伸ばして頓挫した開発途上エリア。
日本政府との利権絡みでゴタついて未だほっぽりだされた……
地図から消された海上学区。車のナビちゃんと動くか?
麦野「ほら、帰るよ御坂。うちの腹空かしたガキがそろそろアイツをかじり出す頃なんだ」
御坂「はーい!」
子パンダ、あんたは確か私が入院した時リハビリ手伝ってくれたね。
あの時私が感じた不安が、今現実のものになりそうで――
まあ、何はどうあれ私には関係ない話なんだけどさ。
麦野「――嵐が来そうだね」
そんな風に、私はこの時思ってた。避難所での馴れ合いにどこかで日和ってた自分も否定出来ない。
何かが壊れる時なんて、それこそあっという間だって私は誰よりも知っていたはずなのに
――馬鹿だね。こいつも、あいつも、そして私自身も
世 界 が 誰 か に 優 し い 訳 ね え だ ろ
~8月11日~
ザーッ、ザーッと砂浜に寄せては返す細波が少女の身体に纏わりつき、撫で回し、絡みつく。
霞行く空から登り行く餓えた太陽が、鳴蜩の限られた命数を死に急がせるような陽射しをもたらし――
白井「………………」
朽ち果てた灯台が墓標のように、錆び付いた風車が十字架のように見下ろす浜辺に白井黒子は打ち上げられていた。
その手にラピスラズリがあしらわれたオイル時計……手にしたまま意識を失いながらも一命だけは取り留めて。
白井「………………」
空を舞うウミネコが鳥葬の前触れのように騒ぎ立て、オルガヌムを奏でて嘲笑っていた。
繋ぎ止める錨もなく、乗せるものもいない箱船が渚を揺蕩い、湾内を行ったり来たりを繰り返す。
早い潮が渦巻き、高い波が逆巻き、上がる飛沫が白井の頬を濡らす。そこで少女はうっすらと目蓋を開けた。
白井「…………!?」
目覚めた現実は、終わらない悪夢(ゆめ)の続き。左手薬指に残った歯形とその痛みだけが確かなものだった。
右目を左側へ、左目を右側へ、それぞれ凝らすも――そこには寒々しい夜明けと果てすら見えぬ水平線。
長時間海水に浸かり血の気を失った青い唇がわなわなと震え、彼女に吸われた胸に氷柱が落ちる。
白井「オ゛……エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛!!」
吐き出す海水と胃液に入り混じってすえた匂いを放つアメリカンクラブハウスサンドの残骸。
吐いても、吐いても、吐いても吐いても吐いても吐いても吐いても吐いても吐いても吐いても――
悪阻にも似た嘔吐感。さりとてそれは生体の反応というより、生きる事を拒否するようなそれ。
白井「あ……あ、ああ……!」
幻想(ゆめ)から覚めた目、幻想(きぼう)を取りこぼした手、幻想(つばさ)を背負えぬ背中。
言葉にならず、口を歪めど声に乗せるは嗚咽にも似た唸り声だけ。さながら声を失った人魚姫のように……
噛んだ砂と共に軋みを上げる奥歯でさえ押さえられぬ滂沱の涙が、渇いた砂浜に落ちては消える。
白井「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
朝と夜の狭間、暁天と夏雲の境目で人魚姫は歌う、唄う、謳う、謡う、唱う、詠い続ける。
犯した過ちに、失われた体温に、消えた微笑みに、残された命に、背負いきれぬ罪に人魚姫は歌い上げる――
とある白虹の空間座標(モノクローム):第一話「海辺の狂女の唄」
――――――ここは結標淡希不在の世界――――――
~簡単な人物紹介~
白井黒子……常盤台中学二年生。8月10日を境に昏睡状態に
御坂美琴……常盤台中学三年生。食蜂より女王の座を譲られるが……
初春飾利……棚柵中学二年生。今現在捜査から外されている
佐天涙子……棚柵中学二年生。変わりつつある四人の関係に戸惑いを覚えている
婚后光子……常盤台中学三年生。一年生を中心とした婚后派を立ち上げるが……
麦野沈利……女子大生。とある人物に御坂を守ってほしいと託される
食蜂操祈……先代常盤台の女王。御坂に対して愛憎入り混じった感情を抱いている
姫神秋沙……前作の主人公。8月10日を境に生死不明に
結標淡希……前作の主人公。8月10日を境に生死不明に
~8月11日~
ババババババババババババババババババババ……
麦野「………………」
朝焼けの空へ飛び立って行くヘリを見送りながら、麦野沈利は潮風に軋む巻き髪をかきあげた。
事件現場となった開発途上エリア……学園都市の地図上から消された海上学区『軍艦島』。
俗に言う廃墟と化した街並みの果てにある、神奈川県へと続く海には今や多数の警備員が検証に当たっていた。
麦野「(とんだ肝試しになっちまったもんだ。お化けなんて出やしなかったけど、これで立派な心霊スポットね)」
麦野がこのうらさびれたゴーストタウンに足を踏み入れたのは――
恋人やその仲間達が『一夏の思い出作りに』と車を所有している彼女を担ぎ出したためだった。
麦野一人ならば鼻で笑って相手にしない陳腐でチープな廃墟探索になるはずだった。それがどうだ。
黄泉川「しっかりするじゃん」
吹寄「……あ……あ……」
黄泉川「座り込むな!立てなくなるじゃんよ!!歩け、歩くじゃん!!!」
顔面蒼白でタオルにくるまれ、虚ろに焦点のあわぬ目を泳がせながら吹寄制理が第二便のヘリへと引きずられて行く。
目の前で『友人』が海の藻屑となったのだ。それもよりによって『女同士の』痴情のもつれの果てに。
麦野「………………」
結標淡希。麦野にとって避難所の洗濯場で二、三会話を交わし、七夕事変で一度手を化した案内人。
姫神秋沙。麦野がアイテムを引退するきっかけとなった三沢塾での中心人物となった忌まわしい巫女。
白井黒子。麦野が断崖大学での一件が元で入院し、そのリハビリを手伝ってくれた御坂美琴の後輩。
白井『息継ぎ無しで海を泳いで渡る事など誰にも出来ませんのよ?』
麦野「あの時……」
白井『休む事は息継ぎですの。でないと自分の重みで沈んでしまいますのよ?』
麦野「この私に向かってそんな説教臭え事言っといて、テメエで溺れてりゃ世話ないわよ」
アクアラングとウェットスーツを身に纏い、次々に海へ飛び込んで行く警備員らを見やりながら――
麦野は携帯電話を取り出しコールをかける。常に眠たそうな眼差しをした『八人目のレベル5』へと。
麦野「――ああ、滝壺?悪いね朝早くから……」
8月11日、7時26分。結標淡希と姫神秋沙が共に海に身投げしてより数時間後の出来事である――
とある白虹の空間座標(モノクローム):第二話「渚にて」
~2~
初春「白井さんが!!?」
結標淡希・姫神秋沙・白井黒子の心中事件の報は、すぐさま第十五学区へ移された風紀委員会一七七支部へともたらされた。
佐天「ねえ、ねえ初春?どうなったの?白井さんどうなっちゃうの!?」
固法「落ち着いて佐天さん、頼むから落ち着いてちょうだい」
佐天「でも!」
固法「私達にも、何が何だかまだわからないのよ。これからどうなるかさえ」
佐天「そんな……」
その際、いつものように遊びに来ていた佐天涙子は蜂の巣をつついたような騒ぎの原因を知ると共に激しく狼狽した。
白井の危篤、及び事件の重要参考人として厳しく取り調べられるのは誰の目にも明らかだった。
たった今も固法美偉の腕にとりすがり、潤んだ眼差しを向けて来る佐天とデスクの前で青ざめる初春飾利もまた。
初春「……佐天さん。ここは私達に任せて、先に帰ってもらってて良いですか?」
佐天「初春!?」
固法「私も初春さんの言う通りだと思うわ。こんな事言いたくないけど……」
貴女は部外者だから、と固法は諭すように肩に手を置いて惑う佐天を立ち返らせる。
同時に風紀委員がこのような形で事件に関わって来るなど白井らの先輩である固法であってさえ――
固法「――前例がないのこんなケースは。これは風紀委員一七七支部の存続に関わって来るかも知れない。白井さんだけじゃなく私達も」
初春「間もなく箝口令も敷かれて、私達も事実聴取や配置換えがあると思います……だから佐天さんもこれ以上は」
佐天「……っ!!」
初春「佐天さん!!」
現職風紀委員が人二人を死に至らしめたのかも知れないという前代未聞の最悪のケース。
如何に佐天が初春や白井と親しくしていようとも、彼女はあくまでも一部外者でしかない。
それを聞かされた佐天は滲む涙を宙に舞わせながら弾かれるようにして飛び出して行った。
佐天「――御坂さんなら、御坂さんならきっと何とかしてくれるはず!!」
佐天は支部を飛び出し、壊滅した第七学区に属していた学校の避難民……特に常盤台中学の子女らが集う場所……
第十五学区にある複合施設『水晶宮』へと向かって行った。
~3~
女生徒A「おはようございます御坂様、今日も良い天気ですね!」
御坂「あははは、おはよう!」
女生徒B「本日の気温は33度、湿度78%、不快指数68%、降水確率30%ですので、こまめに水分をお取り下さいね!」
御坂「あははは……うん、貴女も身体には気をつけてね?ここんとこ夏バテだーってへばっちゃってる子増えてるみたいだし」
女生徒B「も、もったいないお言葉です!ああ、私もう立ち眩みが……」
御坂「ちょっ!?大丈夫!?」
女生徒C「こらあんた!御坂さんから離れなさいってばー!!」
女生徒D「そうだそうだ!わざとらしく抱きつかないでよ!!」
御坂「(ああ、またこうして知らない知り合いが一方的に増えて行く……)」
婚后「(ギリギリギリギリ)」
御坂「(いやいやいや。いやいやいや)」
複合施設『水晶宮』の食堂にて、御坂は半強制的にお誕生日席へと座らされ微苦笑を浮かべていた。
これは避難所が移転してよりほぼ毎朝見かけられる光景である。それはとりもなおさず
婚后「相変わらずモテモテですわ……くっ、流石は三大派閥が長。それでこそわたくし婚后光子のライバルに相応しいと言うもの!」
御坂「だからそんなんじゃないんだってばー……」
『先代常盤台の女王』食蜂操祈の卒業後、抑圧から解放された二年生らが中心となって御坂の周りを取り巻いているのだ。
それはたったいまニシキヘビのエカテリーナにホビロン(アヒルの卵を雛のまま煮た茹で卵)を与えている婚后光子が対抗心を燃やすほどに。
三大派閥とは御坂・婚后・先代派の面々に分けられるが、望んでそうなった訳ではない御坂にとって
御坂「(嗚呼、食蜂操祈。悔しいけど何かあんたの言う通りになりそう……勝手に担がれてるのに自分じゃ降りられない御輿ってこういうもんかしら)」
内心『こんなはずではなかった』とその輪の中心に座っている。
輪の頂点に立つ事を選んだ食蜂とはまた違ったポジショニング。
分け隔てなく、取り澄ます事もなく、飾る事もないその輪は求めていた形とはやや趣こそ事なれど
御坂「(……悪い事ばっかりじゃないんだけどね)」
食蜂が在学中だった頃に比べ、孤立に追い込まれ孤独に耐え孤高を己に強いる事は少なくなったように思えた。
少なくとも以前のルームメイトのように裏切りを働かれ陥れられるような事にはなっていない。が――
~4~
寮監「御坂」
御坂「(げえっ、寮監!)お、おはようございます……」
寮監「………………」
御坂「(や、ヤバいカンジね……もしかしてBBQパーティーでお酒飲んだのバレた!?)」
そこへ姿を表すは寮監。常盤台中学女子寮が全壊した後、この仮住まいとも言うべき水晶宮を治めている人物である。
常より門限破りの常習犯たる御坂や白井に懲罰を課し、レベル3・4の能力者ひしめき合うこの常盤台中学にあって……
徒手空拳でそれらを易々と制圧する女傑である。だがいつもならば問答無用とばかりに首根っこを締め上げるその手が
寮監「――話がある。このまま同行してもらおうか」
御坂「えっ……」
女生徒「!!?」
御坂の肩に置かれたのである。それだけならば別段どうという事のない所作であったはずだ。
だがその優しくさえある手付きは死刑執行書にサインするかのようにたおやかで……
それまで背鰭を翻えらせて水面を沸き立たせていた小魚らをたちまち凪の海へと押しやってしまった。
寮監「先方がお待ちだ。早くしろ」
御坂「はっ、はい!あっ、婚后さん!!」
婚后「お任せなさい御坂さん。この場はわたくし婚后光子が取り仕切りますわ」
御坂「うん、ありがとう……」
女生徒達「御坂様(さん)!」
婚后「皆さんお静かに!はしたなく囀るは淑女の範に悖りましてよ?」
女生徒達「で、ですが……」
婚后「――1年前ならばいざ知らず、あなた方が戴く長が信じられませんか?」
女生徒達「……はい」
ただならぬ様子の寮監に伴われ離席して行く御坂の背を押すは婚后。
彼女のある種聡い感性が感じ取った予感はこの際的中していた。
食堂の締まり行く扉の彼方に、警備員と思しき女性教諭の姿が見て取れたからだ。それと同時に――
先代派「(ヒソ……ヒソ……)」
婚后「(常盤台も一枚岩ではありませんわ。すくわれる足元は出来うる限り忍ばせるべきかと)」
女王蜂無き後も毒針を研ぎ澄ませ虎視眈々と成り行きを見つめる、かつて食蜂派に属していた女生徒達。
婚后「(不幸という名の蜜にたかる蜂は、貴女が思っている以上に多いのですわよ御坂さん)」
婚后は扇子の下に隠した口元を真一文字に結び、瞑った片目でこの先の雲行きの怪しさを見据えていた。
嵐の前の静けさだと――
~5~
御坂「今……なんて」
手塩「言葉通りだ。白井黒子が、軍艦島で、“心中未遂”を、起こした」
寮監「………………」
御坂「嘘よ!!」
寮監「座れ御坂」
御坂「……!!」
寮監「三度は言わせるな。 座 れ 」
水晶宮の応接室のソファーを蹴り机を叩いて御坂は立ち上がった。
その向かい側には手塩恵未、そして寮監が並んで腰掛けている。
筋金でも入っているかのように折り目正しいその佇まいは、激昂した御坂を圧して余りあるものだった。
手塩「今し方、伝えた通りだ。結標淡希、姫神秋沙、両名が、姿を、消した。現場の、状況と、目撃者の証言を、鑑みて、海に落ちたものと、思われる」
御坂「………………」
手塩「未だ、上がっていない。時刻は本日未明、夜の海だ。潮の流れも、速い」
御坂「……黒子が疑われてるんですか!?あの子がやったって!!黒子は……あの子は今どこにいるの!!?」
手塩「君に、質問を、許可した、覚えはない」
寮監「御坂、全ての質問に虚偽や装飾や主観なく答えるんだ。」
白井の安否は?今どこにいる?怪我は?聞きたい事は山ほどある。
だが御坂が食い下がろうにも氷山のように冷たく硬質な空気がそれを許さない。
水晶宮の硝子張りの密室さえも、今や審問の場となって御坂を苛む。
御坂「――わかりました」
手塩「……再開、しよう。白井黒子は、かつて、結標淡希と、切り結んだ事が、あるな?」
御坂「(どうしてそんな事まで!!?)はい」
手塩「その事が、本件に、結びついたと、思うか?」
御坂「いいえ!」
手塩「そう君が感じる、根拠は?」
御坂「彼女は風紀委員です。その事に誇りを持ってさえいました。これは皆が知る所です」
手塩「単独先行、命令違反、器物破損、夥しい始末書、君の見解と、かなり隔たりが、あるように見受けられるが?」
御坂「(怒るな、怒るな、誘導されちゃダメ……)それは私の知るところではありません」
手塩「先ほどの言葉と、矛盾していないか?」
御坂「!!」
御坂は知らない。手塩がかつて『ブロック』なる暗部組織に属し、結標と火花を散らした事を。
御坂は知っている。手塩がまず上役の出した『結論』へと至る答えを引き出そうとしている事を。
~6~
審問はそれからも続いた。これは心中未遂事件の可能性もあると。
否、心中未遂であるならばまだ良い。これが痴情のもつれの果てに起きた『殺人』ならば?
御坂は忍耐強く審問に答え続けた。これが型通りの通過儀礼である事も理解している。あくまで『参考程度』だ。
手塩「最近、白井黒子に変わった様子は?」
御坂「……わかりません」
手塩「最近、白井黒子に変わった様子は?」
御坂「わかりません!!」
手塩「君は、この水晶宮に、移り住む前、彼女と、ルームメイトだったそうだが?」
御坂「そうです!」
寮監「お前の率いている“派閥”のナンバー2の事さえわからないと?御坂、もう一度言う。この場は」
御坂「わからないものはわからないって言ってるじゃない何度言わせるのよ!だいたい私は望んで派閥なんて作ったんじゃない!!私はあの食蜂(おんな)とは違う!!!」
そこで御坂は怒気を吐き出してしまった。ただでさえ白井の事で思い煩い、そこへ降って涌いた凶事。
加えて『先代常盤台の女王』と比較された上で詰問されたのだ。だがそこで手塩は――
手塩「――良いだろう。監督官、今日のところは、これで良い」
寮監「……わかりました。お手数をおかけいたしました」
御坂ではなく寮監に対して水を向け、話を切り上げた。
間近にいながら御坂はその場に存在しないような蚊帳の外に置かれ……
事務的で、一方的で、無機的に申し送りを済ませると手塩は立ち上がり
寮監「この度の件は、私の監督が行き届かなかったばかりに――」
手塩「……失礼する。見送りは、不要だ」
最敬礼で謝罪する寮監より踵を返し、手塩は応接室より出て行った。
それに対し御坂はどうしようもなく遣り場の怒りを――
寮監「……御坂」
御坂「……はい」
寮監「最悪の事態を想定しておけ。これはもはや私の首一つでどうにかなる話ではない」
手塩が乗り込んだエレベーターの扉が閉まるまで最敬礼の形を取り続けた後、佇まいを直した寮監に向ける事も出来ず
寮監「理事会が動き出すのも時間の問題だ」
御坂「……!」
ただ、立ち尽くす事しか出来なかった。
寮監「――生徒達をよく束ねておけ。私の言いたい事はわかるな?」
レベル5の力など何一つとして通じない『大人の世界』を前に――
~7~
手塩「………………」
黄泉川「お疲れ様じゃん」
そして手塩が水晶宮を後にしたところで、警備員の特殊装甲車に乗り込みハンドルを握っていた黄泉川愛穂が顔を出した。
手塩はそれに片手だけあげると助手席に乗り込み、腕組みして目を閉じた。黄泉川もゆっくりアクセルを踏み
黄泉川「………………」
手塩「………………」
黄泉川「て」
手塩「三日前まで」
黄泉川「………………」
手塩「酒の席で、さしつさされつした相手に、頭を下げられると言うのは」
黄泉川「――やりきれないじゃん」
手塩「全くだ」
車道より望む平穏と活気が程良く入り混じった繁華街を見やりながら手塩がぼやき、黄泉川が頷く。
数日前、織女星祭のビアガーデンで黄泉川と手塩と月詠小萌と木山春生と寮監で浴びるように飲んだ夜が――遠い。
黄泉川「辛い役割、任せちゃったじゃん」
手塩「それは、君も、同じだろう?月詠先生には、もう……」
黄泉川「――泣いてたよ。教え子を二人いっぺんに亡くしたようなもんじゃんよ」
手塩「うち一人は、私と、君と、あの神父と、運び屋で、護送したのだったな」
手塩と、黄泉川と、ステイル=マグヌスと、オリアナ=トムソンで姫神を学園都市から脱出させようとした七夕事変。
数日前、三十路手前の女ばかりでくだを巻いて打ち上げた飲み会が、皆で力を合わせたあの戦場が遠い。
手塩「――もう、何も、失うまいと、力をつけたつもりだったんだがな……」
黄泉川「……私も、また二人しか助けられなかったなんて、思わなかったじゃん」
少年刑務所で対峙した『案内人』が、科学結社に絡んでいた『結標淡希』が、ただひたすら……遠い。
~8~
佐天「あのっ、あのっ、御坂さんは――」
婚后「今寮監と面談中ですわ。わたくしで良ければ言伝を承りますが――」
女生徒達「(ヒソ……ヒソ……)」
佐天「……いえ、お邪魔しました!」
婚后「さ、佐天さん!」
手塩らと入れ違いに水晶宮へと訪れた佐天は、ちょうどエカテリーナに日光浴をさせていた婚后と中庭で出くわした。
もし二人きりならば何かしら打ち明けられたかも知れない。だがもう一年前とは状況が違う。
女生徒a「婚后様、今の方はどちらの?」
婚后「……わたくしのお友達ですわ」
女生徒b「(今の制服、どこの学校でして?)」
女生徒c「(棚柵中学ではありませんか?)」
女生徒d「(えーあんな低レベル校が私達常盤台に何の用?)」
女生徒e「(どうやって婚后様に取り入った事やら。ああいやらしいいやらしい)」
婚后「あなた方!!」
女生徒達「は、はい婚后様!!」
婚后「――今の囀りは風の悪戯と思う事にいたします。わたくしの大切なお友達を二度と侮辱なさらないで下さい」
女生徒達「……はい」
婚后「(――全く)」
先代常盤台の女王が引退した後、およそ派閥は三つに別れる事となった。
現三年生は先代派が未だ根強く、二年生は御坂派、一年生は婚后派。
三権分立という訳ではないが、均衡はそれなりに取れている。
だが婚后派は新入生という事もあって血気盛んで、初春・佐天の顔を知らない者も多い。
婚后「(――いつから)」
あれほどフットワークの軽かった自分が、自由を象徴していた空力使い(エアロハンド)婚后光子は――
婚后「(――私は軽やかさを失ってしまったのでしょうか)」
どこまでも限りなく広がる青空がひどく物悲しく、そして……遠く感じられた。
~9~
佐天「初春も捕まらない……」
佐天は繁華街を一人行く。夏休みの活気と青春の熱気に浮かれた学生らの波の中を泳ぐようにして。
その中に一年前の自分達のような女の子四人組が連れ立ってアイスクリーム屋の前ではしゃいでいる。
それを眩しそうに見やる佐天は知っている。今初春もまた警備員らによって審問を受けている最中であると。
佐天「御坂さんも捕まらない……」
自分の弟くらいの少年達がゲームセンターから顔を覗かせ、何が面白いのか大笑いしている。
それを懐かしむように見やる佐天は知らない。たった今自分と同じように茫然自失に陥っている御坂を。
佐天「白井さんの事も……わかんないよお!!」
自分には初春のようなハッキング技術などない。だから警備員のデータベースから情報を引き出す事も出来ない。
自分には御坂のような幅広いネットワークなどない。だからこんな時力を持った人脈を引っ張って来る事が出来ない。
佐天「私どうしたら……私どうしたらいいのかわかんないよぉ!!」
溢れ出す涙に濡れた胸を押さえ人混みの中へたり込んでしまった佐天を、誰しもが目を留めるが足を止める事はしない。
目蓋の裏に蘇る、かつての自分達の笑顔がただ――遠くに過ぎ去ってしまった在りし日の幻想(ゆめ)のようで。
~10~
「あーあかんねえ。もうめっちゃ遠くまで流されとって回収不可能や」
「………………」
「え?サルベージ出来へんのかって?無理無理。人の手が入るところとちゃう。それこそお魚さんに変身でもせーへん限り」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「せやねえ。この海が金魚鉢くらいちっさかったらどないでもなんねんけど~」
「・・・・・・」
「って僕ら二人しかおらへんねんからテレパシーやめへん?誰かおったら僕一人で話しとる暑さにやられた可哀想な子みたいや。え?頭の色がお気の毒?それは言わへんお約束やでー!!」
轟ッッ!と一機の飛行船が空を泳ぐ鯨のように雲を切って突き進み、軍艦島に巨影を落とす。
その甲板に立つはプルシアンブルーの髪の少年、そしてゴールデンブロンドの髪の少女。
『あらぁ?“心”に直接語り掛ける方が“嘘”がなくって説得力アリアリじゃなぁーい♪』
「あははは、そのキラキラお目めは嘘吐いとる目ぇやね!」
『そう言うあなたのお目めは細すぎて私の観察力をもってしても読めないわぁ。そ☆れ☆に』
少女は微笑む。軍用懐中電灯を剣とした王子様、十字架に永遠を誓ったお姫様、ナイフを携えた人魚姫。
『馬鹿正直なだけじゃあ処世力に欠けるでしょぉ?私他人に嘘ついても自分に嘘つけないしぃ~』
「自分達そう言うキャラやもんねえ。でもほんまにええのん?君んところの下の子……あのままやったら死ぬんちゃう?」
『死んじゃったら所詮そこまでの器だったって事じゃなぁい?』
彼女達が摘んだマリーゴールドの花言葉に相応しく、『濃厚な愛情』に始まり『嫉妬』を経て『絶望』に終わった物語。
『この世界(ものがたり)は幻想(おとぎばなし)ほど優しくないわぁ♪その中で生きて行くのにあの子達は精神力が低過ぎたのよねぇ。自業自得☆』
潮風が前髪をそよがせ、プリーツスカートを靡かせ、膝の上に開かれた『人魚姫』のページを翻らせる。
『他人の所有物(もの)を寝取るってそう言う事でしょお?やったらやり返されて当たり前よねぇ~』
はためくページ、手繰るその指先、艶めかしく伸びた脚線美には、全てを絡め取り掌握する蜘蛛の巣の意匠。
食蜂「――まったく、“あの子”ってば下の人間にどういう教育をしてるのかしら……ね?」
――東を向く向日葵のように、食蜂操祈の手のひらが太陽へと伸ばされ――
~1~
浜面「ふあああああぁぁぁぁぁ……」
滝壺「おはよう、はまづら」
浜面「ああ、おはよ……!!?」
8月11日、10時2分。浜面仕上は根城にしているキャンピングトレーラーの居住スペースにて目を覚ますと共に見開いた。
半同棲している滝壺理后がテーブルでメイクを施しているのである。それは世に言うナチュラルメイク程度であるが――
浜面は動揺を隠せない。常ならば着心地重視のピンクジャージにすっぴんがデフォルトである滝壺がである。
滝壺「やっぱり日焼け止め塗るとノリがちがうね」
浜面「ど、どうしたんだよ滝壺?どっか出掛けんのか?」
滝壺「デート」
浜面「!?」
滝壺「デートだよ、はまづら」
その言葉に見開いた目が白黒し、浜面は絶句した。
デート?デートってなんだ。それって食べられるの?と。
浜面「で、デートって誰とだ!?どこ行くんだ!?な、なあ滝壺!!」
滝壺「はまづら」
浜面「俺の何がいけなかったんだ?稼ぎが悪いからか?タオル使った後ほったからすからか!?昨日の牛乳プリン一人で食ったのまだ怒ってんのか!!?頼むから浮気は止めてくれ滝壺ォォォォォ!!」
滝壺「はまづら、ずれちゃうから離して」
浜面「」
Vivianのスタンドミラーを前にメイクに勤しむ滝壺に鏡越しで素気なく浜面はあしらわれた。
その脱色し過ぎで痛んだ頭の内側ではこれまでの滝壺の出会いから第三次世界大戦、昨日牛乳プリンを食べられむくれた表情etc.、etc.……
トレーラー内に降り注ぐ朝の光に灰になったように茫然自失となる浜面。するとそこへ――
プップー!
滝壺「来た」
浜面「!?」
トレーラーに横付けされるようにスポーツカーが停車しクラクションを鳴らすと驚いた鳩達が飛び立って行くのが見えた。
敵は本能寺もとい真横にあり。浜面は肩をいからせ袖まくりして居住スペースより表に出る。
如何に自分が未だキス止まりの不甲斐ない彼氏であろうとも、目の前で大切な彼女に粉をかけられて黙ってはいられない。と
浜面「誰だコンチクショウ!!出て来やがれ……お?」
麦野「おい浜面テメエ!小汚ねえもん朝っぱらから見せんじゃねえよ!!」
浜面「麦野!?」
滝壺「むぎのありがとう。迎えに来てくれて」
そこにはかつて血で血を洗う死闘を繰り広げたアイテムの元リーダー、麦野沈利の車が停まっていた。
~2~
浜面「何だ、デートって麦野かよ。すげービビったぜマジで」
麦野「だからテメエはズボンくらいはけってんだ!パン1とか見苦しい男っぷり上げて私の視力下げんじゃねえ!!」
滝壺「はまづら、ジャージ履こう?捕まっちゃうよ」
浜面「おおすまねえすまねえ。自分ん家だとどうもな~」
トランクスにTシャツ一丁、便所サンダルと言う古式ゆかりの格好で表に出て来た浜面に対し麦野は怒声の後嘆息した。
自分はこんな男に鉛玉を食らって血の海に沈んだのかと思うとどうにもやりきれない気持ちになる。
だが甲斐甲斐しくジャージの下穿きを手渡す滝壺を見るとこれはこれで一つの幸せなのかも知れないと。
麦野「はあ……まあいいわ。しばらく滝壺借りるわ。ちゃんとご飯食べさせるから」
浜面「おいおい猫じゃねえんだから……何かトラブったか?」
麦野「別に。何?私と滝壺が一緒にいて何か困る事でもあるのかにゃーん?」
滝壺「はまづら、そうなの?」
浜面「そんなんじゃねえって。ただまたなんか危ない橋でも渡んのかって話だよ」
だがそこで浜面が真面目な顔を作って運転席の麦野と助手席の滝壺を見やる。
暗部が解散した後、アイテムは今や荒事から遠ざかりつつあった。
故に気になったのだ。絹旗最愛やフレンダ=セイヴェルンに声をかけた様子もない麦野が。だがしかし
麦野「危ない橋じゃない。石橋を叩いて渡るために滝壺(トンカチ)の力が必要なのさ。それに――」
浜面「それに?」
麦野「――滝壺には毛ほどの傷だって負わせやしない。た・だ・し」
浜面「!?」
滝壺「むぎの……やだ、はまづらが見てるよ?」
麦野「綺麗な身体で返すとは一言も言ってないにゃーん?」
浜面「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!?」
麦野が滝壺のおとがいに指先をかけ、唇を寄せるような真似をして浜面をからかったのだ。
今にも百合の花でもバックに咲き誇りそうな妖しい雰囲気を醸し出し、完全に己を見失った浜面を
麦野「ぎゃははははははは!ジョークだよジョーク!それじゃ後よろしくー♪」
滝壺「はまづら、行ってくるね」
置き去りにして麦野のヴェンチュリーはギャリギャリとアスファルトと浜面の心に焦げ跡を残して朝の学園都市へと走り出していった。
~3~
麦野「はー笑った笑った。久しぶりにスカッとしたね」
滝壺「びっくりした。本当にちゅーされるかと思った」
麦野「しねえよフレンダじゃあるまいし。女同士とか気持ち悪い」
ガコッ、ガコッとギアチェンジを繰り返しながら麦野は市街地を目指して直走る。
運転技術は浜面に及ぶべくもないがそれなりに上手いのか時に追い越しをかけながら
麦野「けどあんたもメイクするようになったんだね」
滝壺「はまづらとどこか遠くにお出かけする時、たまにね」
麦野「なんだ上手く行ってんじゃん」
滝壺「うん。はまづら優しいよ。でも」
麦野「でも?」
滝壺「付き合ってそろそろ経つけど、ちゅーから先っていつするものなの?」
麦野「」
キキィィィィィ!と車体がぶれ思わず車線を割りそうになり、慌てて麦野はハンドルを戻す。
しかし当の滝壺はジェットコースターみたいとポツリとこぼしたのみで平気の平左であり
麦野「えっ……あっ、いや、その……人それぞれなんじゃないかしら?」
滝壺「むぎのは?そう言えばむぎのからそう言う話聞いた事なかったね」
麦野「(言えるか。告ったその日の勢いに任せちゃったなんて)」
滝壺「はまづらはそう言うの興味ないのかな?それとも私の格好が女の子らしくないから?」
麦野「(そりゃアイツがへたれだからだろ)そんな事ないわ。あんたは可愛いよ。浜面にはもったいないくらいね」
滝壺「そう?」
麦野「自信持ちなよ“レベル5第八位”」
表情筋を幾許か引きつらせながらフォローを入れる麦野が真っ直ぐ前を向いてから、滝壺もまたそれに倣った。
滝壺「――私の能力が、必要なんだね?」
麦野「そう、どうしても気になる事があってね。日当ては弾むわよ」
滝壺「いいよ、そんなの」
麦野「そうも行かないわ。暗部(わたしたち)の流儀忘れた?」
滝壺「じゃあ――」
第十五学区へと通じるゲートをくぐり、照りつける陽射しを翳した手で遮りながら滝壺は頷く。
こういったビジネスライクな物の頼み方が、暗部組織として活動していた頃を思わせた。ただ一つ違うのは――
滝壺「アイス食べたい。五段重ねの」
麦野「いいわ」
あの闇の底から見上げるばかりだった青空の色と、今見つめているそれが異なっているという事――
とある白虹の空間座標(モノクローム):第三話「少女セクト」
~4~
白井『派閥?わたくしそう言ったものに興味がございませんので』
今でも覚えてる。入学式が終わった後、早速始まった勧誘合戦の輪から離れて行くあんたの利かん気な横顔。
後で聞いてみたら、あんたも群合ったりするのあんまり好きじゃないって言ってたね。私は覚えてるよ。
嗚呼、私みたいな女の子って一人じゃないんだって。あの時実はちょっとホッとしたって言うか……
少し嬉しかったんだ。何だか同じ者同士ってカンジが、その時の私の渇いた胸に染み込んで行って。
白井『数に頼んでものを言わせるのならばそれはただの暴力と変わりませんの!名高い常盤台の底が知れましてよ?』
あと、派閥同士の引き抜きで揉めてたところを私が仲裁に入った時もあんたは私に味方してくれたよね。
そりゃあ物凄く困ってそうだったまだ右も左もわからない一年生が脅えてるのを見ていたたまれなくなったのもあるけど――
あんたはそんなの全然関係ないってずけずけ突っ込んでったもんね。
白井『本日からルームメイトとなります白井黒子と申しますの!……と改まって言うほどの事ではございませんでしたわねわたくしとした事が。おほほほほほ♪』
私が以前ルームメイトに手酷く裏切られて傷ついてた時、あんたはおどけながらそう言ってたよね。
私、本当は知ってたんだ。あんたがその時のルームメイトを叩き出したんだって。わざわざ……
わざわざ常盤台の女王だったあの女に目つけられてた私に、自分も巻き込まれるってわかった上で。
自分『全ては黒子の未熟さが原因ですの』
あの時も一人傷だらけになって、車椅子を必要とするほど怪我したって言うのにあんたは……
それを何でもないようにいつも通りの顔で私に笑いかけてくれた。なのにどうしてなんだろう……
結標『――――――………………』
どうしてあんたは、結標さんと一緒に死を選ぼうとしたの?
どうしてあの日のあんたの笑顔が、今私は思い出せないの?
どうしてもっと、あんたの笑顔をよく見ておかなかったんだろう?
どうして私は、あの笑顔が変わらずいつもそこにあるなんて……
どうして当たり前みたいに、あんたが側にいるのが当然みたいに
上条『――――――………………』
あの日私の目の前で海に沈んだあいつみたいに、あんたは波にさらわれてしまったの?どうして……
御坂『どうしてよ――黒子』
どうして、いつも失ってからその大切さに気づくんだろう――
~5~
女生徒A「……様」
御坂「………………」
女生徒B「御坂様?」
御坂「!」
女生徒C「ここの解法式なのですがどうもすっきりいたしませんの……御坂様はどう思われますか?」
御坂「そ、そうね!そこはカイザーの定理を当てはめるといいわ。ちょっと貸してみて?」
女生徒C「はっ、はい!(ああ御坂様のお手が私に!!)」
寮監・手塩による事情聴取を終えた後憔悴しきっていた御坂ではあったが、今現在彼女は水晶宮のサロンにいた。
派閥の人間のうち一人が主催する数学サロンであり、御坂はそこで研究成果の発表に立ち会っている。
女生徒が頬を赤らめて操作するパネルに手を重ねるようにしてアドバイスを送るその表情は平時のそれだ。が
御坂「(黒子……)」
よくクーラーの効いたPC室。白を基調とした清潔な空間。
されど淀むは御坂の深奥である。頭から白井の事が離れない。
一年前の自分ならば一も二もなく動き出しているはずだ。
だが出来ない。処分が正式に下るまで口外無用と釘は刺されたが……
生徒達を束ねておけと言う寮監の言葉が痛いほど身にしみる。
御坂「……で、どうかしら?みんなはどう思う?」
女生徒A「完璧ですわ!」
女生徒B「あ、あの申し訳ございません。私にはこの部分がよく理解出来なくて」
御坂「ああ、ここはね……」
ここで真相はともあれ白井の件が公になってしまえばその動揺は計り知れない。
常盤台創立以来のスキャンダルだ。例え白井の無実が証明されても
御坂「(謂われない中傷や汚名を、黒子に着させるなんて事出来ない。あの子が帰って来る場所がなくなる)」
霧ヶ丘女学院、それも九人目のレベル5との三角関係に絡んでの心中などと……
考えただけでも恐ろしい。ましてやここは純粋培養の子女らの集う学び舎だ。
ただでさえ白井には味方以上に敵も多い。自分が押さえているからこそ持ちこたえていたケースもあった。と
女生徒D「た、大変ですわ!!」
御坂「あらどうしたの?そんな慌てちゃったりして」
女生徒D「エントランス、エントランスホールに白井さんの事が!!」
御坂「!?」
――事態は混迷を極め、状況は悪化の一途を辿る――
~6~
御坂「何よ……これ!」
女生徒達「(ザワ……ザワ……)」
御坂「誰がやったの!!名乗り出なさい!!」
女生徒達「(ビクッ)」
先代派「(クスクスクス)」
御坂「(先代派……食蜂操祈の手下!)」
ガラス張りの建築物としては学園都市最大級の威容を誇る水晶宮。
その流れる滝と咲き誇る花々も艶やかなエントランスホールに……
さながら映画のポスターのように言葉で言い表す事も文字に起こす事も憚られるような誹謗中傷のビラの数々。
その内容は極秘に留めておこうと務めていた白井と結標らの心中未遂事件が書かれていた。
本来ならば部外秘に留めておかねばならない情報や、白井個人のプライベートな事柄までもが
御坂「……剥がしなさい」
女生徒達「あ、あのこれ」
御坂「今すぐ!!!」
女生徒達「は、はい!!」
先代派Aグループ「クスクスクス……」
先代派Bグループ「フフフフフフ……」
先代派Cグループ「アハハハハハ……」
御坂「……!!」
御坂派、婚后派の生徒らがひどくざわつきながらも誹謗中傷のビラを引き剥がして行く中……
その群集に紛れて囁き、嗤い、嘲る先代派の影が御坂を挑発するように揺らめく。
それこそが彼女達の狙いなのだ。先代派は食蜂が卒業した後も、女王が外部で形成した社会的影響力や人脈の旨味に預かっている。
恐らく白井の情報もその辺りからだろう。だが彼女達は御坂派にとって代わるつもりなど毛頭ない。
先代派A「とんだ騒ぎですわ」
先代派B「何か?御坂“様”」
先代派C「……ご機嫌麗しく」
御坂「(……こんなくだらない政争ごっこのために――!!!)」
彼女達は御坂を実質上の頂点とする現体制が崩壊さえすればそれで構わないのだ。
怒髪天を衝く身を焦がす紫電を御坂は全身全霊で押さえ込み、派閥の人間達にはデマに過ぎないと言い含めた。
御坂「(……これで、また)」
白井が追い詰められる要因が一つ増えた形となった。
これもまた煌びやかな歴史に彩られた常盤台の影の一面でもある。
先代派もまたこれで終わりはしないだろう。こんな紙爆弾などほんの挨拶代わりだ。
先代派「「「「「クスクスクス」」」」」
政治力を身につけろと言った食蜂の言葉が、毒のように回って御坂を苛んで行く――
~7~
垣根「下らねえガキの遊びが流行ってんな。まあそりゃそうか。上り詰めて頭を取るより、誰かを引きずりおろして踏み台にした方が話が早え」
雲川「笑い事じゃないんだけど。こちとら“原石”の一人が失われて貝積が嘆いてるんだけど」
服部「本物の政治はそれどころじゃない、ってとこか……今回の件、削板には?」
雲川「まだ言える訳ないだろう。あの馬鹿が知れば遮二無二突っ込んで行くけど」
服部「違いねえや」
垣根「あいつは将棋で言えば香車だ。馬力はあるが真っ直ぐにしか進めねえ」
一方、第十五学区に本部を移した全学連復興支援委員会の面々は執務室にて昼下がりのコーヒーブレイクをとっていた。
この学生自治会はかのアレイスター・クロウリーとの最終決戦の際参陣していた面々が主である。
ちなみに会長削板軍覇(原石)、副会長雲川芹亜(上層部との調整役)、書記服部半蔵(スキルアウト)、会計垣根帝督(超能力者)から成る。
その彼等が目下問題にしているのが結標淡希・姫神秋沙の行方不明と白井黒子に絡んだ常盤台のお家騒動である。
服部「にしてもお前らクールだよな。まあ駒場のリーダーもこういう時は動じなかったもんだが」
垣根「(そうだろうぜ)ガキのままごとに首突っ込む年長者がどこにいる」
雲川「常盤台の超電磁砲の“器”が試される良い機会だけど……こらバ垣根、煙草やる時は窓開けろって言ってるんだけど」
垣根「へいへい……ま、案内人の件も所詮そこまでの“器”だったって事だ」
服部「垣根……」
垣根「日和ってんじゃねえ。つい一年前まで殺った殺られたなんざゲップが出るまで繰り返したろうが。人一人の生き死ににおセンチ浸れるほど俺は丸くなった覚えはねえぞ」
デスクの前に腰掛けコーヒーを啜る雲川、書類の山を前にマドレーヌを頬張る半蔵、窓を開けて煙草を吹かす垣根。
人並みの感傷に浸るには、垣根はあまりに多くの死を見過ぎて来た。同時に半蔵も
服部「――煙、目に染みるぜ」
雲川「……私も」
そこで雲川はコーヒーカップをソーサーに戻し、凝りをほぐすように指先で目頭を押さえると
雲川「――止められない悲劇なんて、もう二度と味わいたくなかったけど」
――夕焼け空に登る墓引きの煙を見送り、三人は静かに二人を悼み残る一人の身を案じた。
~8~
御坂「………………」
結局昼食の味もわからなかった。シャワーを浴びても気持ちが晴れない。
あの後みんなによってたかって質問責めにあって正直疲れちゃったわ。
黒子がどうなったのかって、あの紙爆弾の件があってから。
御坂「……黒子」
デマだとは言ったものの、今この場に黒子がいない事が騒ぎをより大きくしてる。
今こうして夕焼け空を見上げながら一人部屋にこもってる事さえ逆効果だってわかってる。
独りで感傷に浸る事も、一人で飛び出して調べる事も、1年前なら出来たのに。
御坂「あんたは今、どうしてるの?」
身動きが取れない。囚われたあんたを助けに行く事さえ逆効果。
こうやってベッドに預ける身体の奥底から湧き上がって来る負の感情。
これからの不安、先代派への猜疑、黒子の現状を思う恐怖、事が起きた衝撃、姫神さん達へ哀惜と、力ない自分への怒り。
御坂「どうして私は……どうして私はあんたの変化に気づいてあげられなかったんだろう」
私の中の黒子のイメージ。明るくて、気高くて、少々頑固で多々変態行為に及ぶ点に目を瞑れば私の自慢の後輩だ。
なのに私は黒子の何を見て来たんだろう?何を知ったつもりでいたんだろう?
去年私はあいつの力になりたいって北極海まで飛んでいった。
女の子だって腹をくくればそれくらいするって私は誰よりそれを知ってたはずなのに。
御坂「そんな私の知らないあんたを、結標さんは知ってたのかな……」
私はこんな時に嫉妬してるのかも知れない。黒子をこんな風に変えてしまった結標さんに。
――違う。二年間も一緒にいていながら私でさえ知らなかった黒子の『女』の部分を引き出した結標さんに。
御坂「……私、最低だよ」
生きてるか死んでるかわからない結標さん達の身を案じるどころか私は……
結標さんが暗い海に沈んで行く所さえ想像してる。
頭の中で結標さん達を殺してる。何度も何度も何度も。
コンコン
御坂「……はーい。どなたー?」
???「わたくしですわ。少しよろしくて?」
……本当は出たくなかった。だけど塞ぎ込んでたらこの子はドアを蹴破ってでも入って来るだろうから
御坂「――いいよ、婚后さん」
婚后「お邪魔いたしますわよ」
吹き溜まりのようになってしまった私の心に、夏の風を運んでくれるみたいに――
~9~
食蜂「もう夕方ねぇ」
青髪「せやねえ。思わぬ空中散歩になってもうたわ」
食蜂「でも楽しかったわぁ☆私の童心力にキュンキュンきちゃったぁ」
鮮血を連想させるような茜空を見上げながら食蜂はタラップの手すりを伝って飛行場へと降り立った。
第二十三学区。7月7日に結標がレベル5へと覚醒し大破させた飛行場は以前とは比べ物にならない警備体制を整えている。
少なくとも協力機関からの物資の受け入れなどを除いて外部からの出入国など完全に不可能だ。
青髪は物々しく取り巻く警備員らの縦列の中をポケットに手を突っ込み猫背になりながら先を行く。
鳴蜩の声すら遠い夏の夕べ。晩御飯どないしよっかーなどと呑気に語る数日前『友人』となった少年の背を――
青髪「そら良かったわ。なんぼ学園都市広しと言えど、自力で空飛べるような面子レベル5でも」
食蜂「1、2、3、4位ねぇ。とは言っても第三位あたりなんかは限定条件付きだろうけどぉ~」
青髪「何や超電磁砲の事になるとトゲあんなあ」
食蜂「美しい花に棘は付き物よぉ?あのメルヘンチックな第二位が降らせた薔薇みたいにねっ☆」
利害関係の介在しない男女の友情というものに食蜂は懐疑的であった。
少なくとも彼女の能力をもってすればその人間の本質から底まで『掌握』出来るのだ。
それこそ当の本人さえも持て余す精神の暗黒面さえも食蜂は容易く飲み込んでしまう。
御坂の評するところの下衆な能力は、その底が抜けた水瓶のような異形の精神こそが源泉なのだ。
青髪「薔薇言うたらアッー!な方が浮かぶもんやけど、僕ぁ女の子同士のキャッキャッウフフを遠巻きに眺めてニヤニヤしとる方が好きやな~」
食蜂「その女同士で破局する時は男の子よりもよっぽど見苦しいわよぉ?靴の底に張り付いたガムの粘着力みたいにぃ」
食蜂にとってまともな人間が持ち得るまともな愛情というものは子供向けの風船ガムのようだった。
膨張するほど空洞化し、味がなくなれば吐き捨てられ、硬貨一枚で手に出来る安っぽい甘さ。
そう評しながら迎えに寄越されたロールスロイス・ファントムに乗り込む間際、食蜂は夕焼け空へと振り返った。
食蜂「――削板軍覇の発掘力も、残念ながら見立て違いだったみたいねぇ?」
鮮血のように赤い夕陽が、三日前に見た結標淡希の紅い二つ結びを思い起こさせるように――
~回想・8月8日~
青髪『よっしゃ!金魚鉢は買うたし後はブクブクと砂、もし良かったら水草にも挑戦してみよか』
食蜂『ぶ、ブクブクってなぁにぃ?なんか思ったより手間がかかりそうねぇ、金魚を飼うのって』
青髪『あの泡が出るジャグジーみたいな装置の事や。大丈夫大丈夫!大船に乗ったつもりでこの青髪ピアスについて来たらええねんで~♪』
食蜂『(青カビ頭な外見力に騙されたわぁ……これが学園都市第六位?)』
あれはぁ、今から三日前の8月8日……私が昨夜の織女星祭でこの学園都市第六位××××から姉金って金魚をプレゼントされてぇ……
その次の日だったかしらぁ。初めて生き物を飼うからってこうして買い出しに付き合ってもらっちゃったのはぁ。
初めての出会いの時も、こうしてペットショップを目指して金魚鉢抱えてる今も、スッゴく不思議な感じでぇ……
青髪『そんな難しゅう考える事ないよ?予算は二千円ポッキリ。後はプライスレスでピースな愛のバイブスさえあれば……あ、金魚に名前つけた?』
食蜂『まだよぉ。だいたい二匹とも同じ姉金ですもの。私の認識力をもってしても分けて名前をつける意味ないと思うけどぉ』
青髪『ははは、その内愛着かて湧いてくるよ。ゆっくりゆっくりぼちぼち行こか』
第七学区は確かにほとんど壊滅しちゃったけどぉ、辛うじて残ってる商店街のアクアリウムショップを私達は探してた。
その間中、水換えは二週間に一度が良いとか、水はカルキ抜きを入れたり1日バケツで放置した方が金魚に優しいとかぁ……
今までの私の知識力にない事をこの男の子はよく知ってるのよねぇ。あっ、あと水草は隠れ家や非常食になるとかぁ
青髪『ん?あれ……』
食蜂『?』
青髪『姫神さんやん。こないなところで何してるんやろ』
そんな事を話してる内にぃ……私達は辿り着いたのよねぇ。
焼け焦げて煤けた、墓石みたいに剥き出しのコンクリート。
至る所が瓦礫に埋まってしまった第七学区でも一際荒れ果てた学習塾。
姫神『………………』
結標『………………』
――三沢塾。そう刻まれたひしゃげた看板のぶら下がってる建物を前にその子達は立ってたわぁ。
マリーゴールドの花束を抱えて、まるでお墓参りに来たみたいな神妙な顔して。ここに悼む誰かがいたみたいねぇ?
姫神『――さようなら。アウレオルス=イザード』
――――私の知らない『誰か』が――――
~8月8日・姫神秋沙~
結標『ここに貴方の知り合いが眠ってるの?』
姫神『そう』
結標『……アレイスターとの戦いで?』
姫神『違う。ちょうど一年前の今日。彼は逝った』
結標『………………』
姫神『世界の全てを。敵に回して』
死に急ぐ油蝉が歌い上げる鎮魂歌を背に、姫神秋沙はマリーゴールドの花束を焼け落ちた三沢塾へと手向けた。
何故自分の身体を汚した者達と、自分を裏切った男の眠る終焉の地に今一度踏み入れる気になったのか――
実のところ姫神にも確たる何かがあって訪れた訳ではなかった。それは七夕の日に飛行場で見た
アウレオルス?『――さらばだ、姫神秋沙――』
姫神『(あれは夢?)』
ひしめき合う群集の中、忌まわしい血を乗り越えた『つもり』だった自分の目の前に姿を現した陽炎。
アウレオルス=イザードの声を聞いたような気がしたからだ。あの世界を敵に回した背教の魔術師を。
姫神『(それとも幻?)』
今思えばあの魔術師は数多くの爪痕を様々な人間の心に刻み込んで言ったように姫神には思えた。
自分を毛嫌いしているであろう麦野沈利の『本来あるべきではない』アイテム引退の引き金となり……
先の異端宗派(グノーシズム)の台頭には彼の遺した黄金錬成(アルス=マグナ)が大きく関わっていた。
そして他ならぬ姫神自身もまた、彼が利用しようとしていた『吸血殺し』が事態の中心にあったのだから。と
結標『――その人の事、私はよく知らないけれど』
姫神『………………』
結標『その人は世界を敵に回してでも守りたいものを守れたの?』
姫神『それ以前の問題。彼が救おうとしたものは。もう違う誰かに救われた後だったから』
結標『………………』
死者の日に手向けられたマリーゴールドの花束が黒南風に揺れ、結標は靡く赤髪を押さえながら口を噤んだ。
傍らの姫神も自らの忌まわしい血が村落を滅ぼした過去や三沢塾での『日常』、アウレオルスの裏切りなど……
瓦礫と砂利にそよぎ花片が蒼穹へ舞い上げるのを見上げながらも心穏やかとは言えなかった。
結標『――救われない話ね』
それは形良い耳朶に姫神からつけられた『首輪』……
シルバーのイヤーカフスをつけた結標も同じで――
~8月8日・結標淡希~
秋沙には悪いけれど、本当はここに来るのは気が進まなかった。
私は秋沙の過去を知っている。あの保健室で思いを告げ身体を重ねたその日に聞いた。
秋沙がこの三沢塾でどういう扱いを受けていたかを思い出すと吐き気と殺意と嫉妬が私の中に蜷局を巻くのを感じる。
姫神『そんな風に言うのは。止めて』
結標『………………』
姫神『救われなかったけど。報われなかった訳じゃないから』
この均整の取れた身体に、この肌理細かい肌に、この艶やかな黒髪に、私以外の誰かが触れた事が許せない。
私の胸を触る指使いが、私の唇を吸う舌使いが、喘ぐ声が叫ぶ声が啼く声が果てる声が私の名前を呼ぶ声が――
他の誰かにそう教えられたかもと思うとそいつらを一人一人地獄の底まで行って二度殺してやりたくなる。
結標『――そうね。よく知りもしないくせに差し出口を挟んで悪かったわね』
姫神『淡希。何をそんなに毛を逆立てているの』
結標『別に……』
姫神『淡希。こっちを向いて。私の話を聞い……』
結標『何でもないったら!!』
姫神『っ』
同じ女だから分かる。この娘が私を抱く時偏執狂的なまでにいたぶるのはそいつらが秋沙の根深い部分に落とした影だ。
たった今秋沙が伸ばした手を振り払って私が刻みつけてしまった爪痕のよりも、深く抉れて捻れた歪み。
結標『……ごめんなさい』
姫神『……いい』
いつからだろう?この娘が仲良く立ち話する女の子にさえ嫉妬するようになったのは。
いつからだろう?この娘が話すクラスの男の子の話にさえ憎悪するようになったのはいつからだろう?
結標『……血、出てる』
薄皮一枚隔てた場所に流れる秋沙の血(いのち)。私はまた自分の手で他人を傷つけてしまった。
この娘はよく言う。私の左胸を手の中で潰す時、私の心臓(いのち)を掴んでいるみたいだって。
姫神『……爪。伸びてる』
結標『――伸びるに決まってるじゃない。わかるでしょ?』
姫神『………………』
結標『ねぇ、秋沙』
とがった部分ばかり感じるのは男も女も変わらないのかしらね?
そのくせささくれ立ってるとただ痛いだけなのは身体も心も変わらない。
渇く喉と、濡れた目と、冷めた心と、熱を持った身体。
結標『もし私が――……』
伸ばした爪が、手のひらに食い込んで行く。握り締めた指の間から、何かがこぼれて行く――
~8月8日・食蜂操祈~
青髪『お取り込み中みたいやねえ。止めとこか』
食蜂『そうした方が良いんじゃなぁい?』
ふぅーん?あの二人、心の中がピンク色のヘドロが浮かんで見えるグズグズぶりねぇ。心の応力すごいすごい☆
うーん、星座の相性はバッチリっぽいけど血液型が同じなのが反発力の源よねぇ?長続きしないわきっと。
あはっ。私の分析力をもってすればどんな人間の中身だってこの金魚鉢を覗き込むのとそんなに変わらないしぃ♪
青髪『うーん、まさか姫神さんが……』
食蜂『ショック?』
青髪『まさかのガールズラブで僕の胸ホックホクやで!!』
食蜂『私は今の貴方の発言にショックだわぁ。ねぇ、ちょっと喉が渇いて水分力欲しいんだけどぉ』
青髪『あーそやね。ほなそろそろお昼近いし、休憩入れようか。ええとこ知ってんねん』
食蜂『どこぉ?』
青髪『僕の下宿先♪パン屋やねんけどコーヒーも出しとるし、まあカフェとチャンポンみたいなもん』
これからこの金魚鉢に入る姉金は二匹ともメスらしいけど、あんな風になって欲しくないわぁ。
お互いのフンみたいに追い掛けて、二人だけの金魚鉢(せかい)作ってるのってコミュ力低~い。
食蜂『ふぅ~ん。私の味蕾力はちょっとばかり肥えてるわよぉ☆』
青髪『ふっふっふ、なんと!ウチにはあの学園都市第一位が認めた水出しコーヒーがあるんよ!まあ僕が淹れる訳ちゃうけど』
食蜂『バリスタでもいるのかしらぁ?』
青髪『戦争から人手足りへんのにバリスタなんて無理無理!』
そんな金魚鉢(せかい)、少し手を滑らせただけですぐその破壊力で粉々になっちゃうのにねぇー。
って思いながら生き残った商店街を抜けて辿り着いた先。学園都市でも希少力の高い石窯焼きベーカリー。
これはひょっとしたらひょっとしちゃうかしらぁ?私エクレアにはちょっとうるさいんだゾ?
???『憤然。いきなりシフトを代わって欲しいと言ったかと思えば女連れとは』
青髪『ちゃうちゃう僕の新しい友達や!紹介するわ。この人ジョンさん。ジョン=スミス。めっちゃ美味いコーヒー淹れてくれんねん』
食蜂『ジョン=スミス(名無しの権兵衛)?偽名みたぁい』
???『唖然。友達は選んだ方が良いぞ』
……なんか首筋に針の痕いっぱぁい。麻薬中毒で手配中のお尋ね者かしらぁ?失礼な外人さんねぇ
~8月11日~
婚后「やはりそう言う事でしたか……まさかあの白井さんがそのような大それた事をなさるだなんて、このわたくし婚后光子の目をもってしても見通せませんでしたわ」
御坂「……信じられないよね。私も今こうして話してて自分でも信じられないもん」
婚后「それはどちらですか?白井さんの引き起こした事なのか、引き起こした白井さんなのか」
御坂「両方よ。ちょっと参っちゃってる」
婚后「わたくしもですわ。ですがこれで得心もいったというもの」
御坂「?」
婚后「先程佐天さんがひどく狼狽したご様子で貴女に面通りを願っておられましたわ。生憎と引き止められませんでしたが」
御坂「佐天さんが……」
落日の赤が暗幕の黒に飲み込まれる時間まで、二人は並んでベッドの縁に腰掛けカーペットに落ちる影を見つめていた。
牢獄を思わせる窓枠と囚人を想わせる影絵。白井の身に起きた全てを語った後、聞き終えた婚后は扇子を閉じた。
婚后「ええ。ここに来る道すがら調べてみましたところ、初春さんも固法先輩も今身動きが取れない状況下にあるようですわ」
御坂「二人まで……」
婚后「更に悪い事に、白井さんの部屋から結標さんの制服のスカートとベルトが見つかりました。わたくしの派閥の人間が家宅捜索の手が入る前に発見したようですが」
御坂「!!?」
婚后「……下衆の勘ぐりではたはた品がない事この上ありませんが、恐らく彼女は」
捧げたのか奪われたのか、それは二人にもわからない。ただ二人の仲はそれほどまでに進んでいたのだ。
その事に御坂は計り知れないショックを覚えた。汚らわしいとは思わなかったが受け入れられないほどに。
婚后「セイレーンの歌声に魅入られるように、彼女に導かれてしまったのでしょう」
御坂「……あの女」
婚后「御坂さん?」
御坂「あの女が黒子をたぶらかしたのよ!!黒子の優しさにつけ込んで、あの女が黒子を海の中に引きずり込んだのよ!!!」
思わず激昂して御坂は断罪する。結標淡希は魔女だと。
白井をあの硝子細工のように繊細な横顔でそそのかし……
人魚の尾鰭のような二つ結びを、誘うようを揺らしてたのだと。
御坂「黒子はそんな事出来る娘じゃない!」
婚后「御坂さん……」
御坂の前から連れ去って行ったのだ。手の届かない海の底へと道連れにして。
~2~
婚后「落ち着きまして?」
御坂「……うん、ごめん」
婚后「貴女らしくもない……ですが貴女らしくもありますわ。派閥の人間の前では見せられたお顔ではありませんが」
興奮した御坂の背中をあやすように叩き、落ち着かせながら婚后は慎重に言葉を紡いで行く。
思った以上に内に溜め込んだものが膨張しているように思えた。今のは小爆発に過ぎないが……
御坂の見えざる導火線が焼き切れるのは時間の問題のように婚后には思えてならなかった。が
婚后「まあ無理からぬ話ですわ。貴女は人がついてくるタイプであって人を率いて行くタイプではないのですから」
御坂「……わかってるよ。自覚してる。って言うかさせられてる」
婚后「人の上に立つ、という事は多くを耐え忍ぶ事。今月頭に新たに統括理事長となった親船最中様はご存知?」
御坂「ああ……あの私達学生に選挙権を!とか言ってたおばあちゃん?」
婚后「(おばあちゃん……)その親船新統括理事長も、去年まではそれはそれは多くの苦渋を舐めさせられて来たお方らしいですわ。何事も我慢ですわ」
御坂の気を落ち着かせるためにあえて話を脱線させた婚后の語る学園都市の新体制、親船最中の抜擢。
実際のところは先代統括理事長の行方不明と戦後処理、先の七夕事変に絡んでの日本国政府や保護者会云々……
言わば体よく荒波への防波堤代わりに閑職から矢面に立たされた形である。だがそこで婚后は――
婚后「さてここからが本題ですわ。わたくし、ここで一つの仮定と方策を貴女に授けたいと存じます」
御坂「???」
婚后「――彼女、“レベル5第九位”結標淡希は本当に亡くなったのでしょうか?」
御坂「……!?」
婚后「そのまさかですわ。日は浅いと言えども新たなレベル5の一角を担う空間移動系能力者。それが入水程度で命を落とされるでしょうか?そこでです!」
御坂の紅潮した表情が一気に氷水を流し込んだように青ざめて行く。何故これを一番最初に思いつかなかったのかと。
婚后「――わたくし婚后光子は、常盤台中学を代表して“レベル5第三位”御坂美琴より“レベル5第八位”滝壺理后さんへの協力要請を提案いたしますわ!!」
もし結標淡希らが生きていたならば白井黒子の冤罪を晴らし、身の潔白を証明出来るかと――
~3~
佐天「どうしよう……これから」
一方その頃、佐天は第十五学区にある屋台村付近の噴水広場にて膝を抱えて途方にくれていた。
御坂は未だ連絡がつかず、初春は帰ってこない。白井の現状を探る術も人脈も見つからなかった。
学生自治会の幹部連は軒並み仕事に忙殺されているらしく初春の伝手を辿って垣根に相談する事も出来ず終いであった。
佐天「私、どうしてこんなに無力なんだろう……ははっ、能力者とかレベルとか関係なくだよ」
遅い夏の日没が訪れて久しい夜の帳でさえ、佐天が膝に抱えた泣き顔を遮るに至らない。
佐天には至る所から漂う甘い香り、ソースの焼ける匂いにすら食欲がわかないほど参っていた。
行き交う人々の足音や声が精神を軋ませ、石畳を這う太りすぎた鳩を追い払いたくなる。すると――
滝壺「むぎの、あーん」
麦野「止めろ滝壺。そう言う気分じゃないんだよ」
滝壺「(ジー……)」
麦野「滝……」
滝壺「(ジー……)」
麦野「う……」
滝壺「(ジー……)」
麦野「わかったわよ!」
佐天「あ!」
麦野「ああん?……なんだよ。御坂んとこの……えーっと」
滝壺「さてんだよむぎの」
麦野「ああ、そうだったっけ?」
膝を抱えていた佐天の向かいのベンチに並んで腰掛け、五段重ねのアイスクリームを差し出している滝壺と……
疲れているのかいつも以上に不機嫌な麦野がラズベリー味のそれに髪を耳にかけながら舐めている所を見つけたのだ。
どうやら膝を抱えて顔を伏せていた佐天に気づかなかったらしく、麦野は美しい翠眉を歪めて見やって来た。
麦野「おい勘違いすんなよ。私は旦那持ちでこいつは彼氏持ち。テメエらんところの子パンダと一緒に……」
佐天「……ひっく」
滝壺「あれ?」
麦野「お、おい……」
佐天「うっ……うわああああああああああああああああああああん!!」
麦野「!?」
通行人達「(ざわ……ざわ……)」
滝壺「泣ーかした、泣ーかした」
麦野「滝壺!?」
滝壺「むーぎのがー、泣ーかした」
通行人達「(ジー……)」
麦野「……っざけんなァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
人の顔を見るなり泣き出した少女と通行人の厳しい眼差しを前に、麦野は慌てて佐天を小脇に抱えて逃げ出した。
~4~
佐天「ううっ、ひっく、ひっく、ひっく」
滝壺「アイス舐める?五段あるから一段あげるよ」
麦野「(あーもう!なんだってんだよ今日って日は!乙女座は厄日か!!?)」
全速力で佐天を抱えて猛ダッシュした麦野と滝壺は屋台村から少し離れた時計台の下に腰を落ち着けていた。
その当の佐天はと言うと滝壺に頭をヨシヨシと撫でられながらアイスを舐め未だしゃっくりをしている。
ただでさえ精神的に疲弊している所に追い討ちをかけられ、麦野はもはや怒鳴る気力も残っていなかった。
佐天「ごめ、んな、さい。知ってる人いて、御坂さんの、友達、だったから……」
麦野「おいおい。私はあいつと友達じゃ(ry」
滝壺「そうだよ?」
麦野「滝壺!」
ラズベリーの酸味を味わいながら佐天は涙でぼやけた視界の中にもしっかりと麦野の姿を捉えていた。
麦野沈利。かつて御坂と佐天を殺しかけ、かつ御坂とツーショット写メを撮っていたレベル5第四位。
全学連の幹部連にも顔が利き、七夕事変でも御坂に何一つさせないほどの圧倒的暴力で敵を屠っていたのを佐天は知っている。
佐天「麦野……さん」
麦野「私達忙しいから後にしてくんない?」
佐天「(ジワッ)」
麦野「……言えよ。恋愛相談以外なら乗ってやる。ただしアイス食べ終わるまでにね」
滝壺「つんでれ」
麦野「たーきつぼー……犯すよ?」
滝壺「(ビクン)」
そこで佐天は全てを話した。白井が捕まり、御坂に会えず、初春は帰らず、誰かの力を借りたいがあてがない事を。
麦野は佐天の口から語られる現状を、闇夜の中にあって目元を手で覆いながら聞くともなしに聞く。
佐天「それで……私、もうどうしたらいいかって」
麦野「………………」
佐天「……麦野さん?」
滝壺「……むぎの」
麦野「わかってる」
佐天は知らない。今目元を覆った麦野がどんな目をしているか。
傍らでそんな麦野を見守る滝壺が、ひどく胸を痛めている事に。
そこで――
とぅるるるるる♪
麦野「……噂をすれば影ってか」
佐天「……?」
麦野「………………」
麦野が鳴り響く携帯電話を取り出し、着信画面を確かめる。来るべき時が来たと一呼吸置いて。
麦野「――もしもし?」
何かを振り切るように断ち切るように、つとめて装った声音が紡ぎ出すその着信画面の名前は――
麦野「――御坂か」
~5~
麦野『お前んところの黒髪からだいたいの話は聞いてる。こんなケツに火が点いてる時わざわざ私に電話を寄越した訳もね』
私はびっくりした。まさか佐天さんが麦野さんに会って話してただなんて思っても見なかったから。
よく見たら佐天さんからの着信やお母さんからのメールもあった。でもそれどころじゃない私は簡潔に話した。
黒子が心中未遂をしたかも知れない、結標さんと姫神さんを殺したのは黒子じゃないかって疑われてる事も全部。
私は黒子を助けたい。結標さん達の行方を、生死を、黒子にかかってる冤罪を晴らしたいって。
麦野『滝壺の“能力追跡”……AIMストーカーは対象が例え地球の裏側にいようが必ず見つけ出す。あんたも身をもって知っての通りね』
藁にだって蜘蛛の糸だってなんだっていい。私と麦野さんが話してる電話の側で婚后さんも祈ってる。
私だってそう。あの二人が見つかったならそれでいい。黒子をたぶらかした事だって許してもいい。
麦野『――私も同じところに目をつけたよ。ついさっき検索が終わったところだからね。いいか?御坂――』
黒子が助かるなら
黒子が救えるなら
黒子が守れるなら
――――私は――――
麦野「――――結標淡希はもう死んでる――――」
~6~
ドクン……
麦野『――滝壺が言うには死んだ人間はAIM拡散力場を放射しない。死人が体温を発しなくなるのと同じ理屈でね。信号が途絶えてるんだ』
ドクン……
麦野『だから遺体の在処も検索出来ない。とっくに海の藻屑か魚の餌だよ』
ドクン……
麦野『明日の晩スーパーセルが発生するかもって予報も出てる。海も荒れるだろし、そうなると遺体も二度と見つからないだろうね』
ドクン……
麦野『――子パンダの命があっただけでもよしとしな』
ドクン……
麦野『御坂?おい御坂――』
ブツンッ……ツー……ツー……ツー……
とある白虹の空間座標(モノクローム):第四話「D e a d E N D」
――悲劇と破滅が交差する時、絶望(ものがたり)は始まる――
~8月12日~
御坂「………………」
一縷の望みは断ち切られ、祈りの光は届かなかった。
御坂は取り落とした携帯電話を拾い上げる事さえ出来ず……
ただ絶望の地平線を前に立ち尽くすより他なかった。
麦野『――結標淡希はもう死んでる――』
結標淡希の消失。それはこの学園都市のみならず、この世界そのものからの消失を意味していた。
同時に白井が正常かつ清浄なる世界への片道切符の消失であった。
御坂「……そんな」
体温が一気に下がったようにさえ感じられ、重力が一度にのしかかって来たようなふらついた足取り。
立っていられないとばかりに御坂はベッドに倒れ込み、かかる自重をシーツの海へと投げ出した。
その勢いでベッド側にあるチェストの上に置かれたいくつもの記念写真の内一つが倒れ込んだ。
御坂「……たった……」
それはは8月7日に空中庭園にて全学連復興支援委員会の面々との集合写真。焼き上がったばかりのそれ。
上条当麻と浜面仕上に両脇から肩を組まれ迷惑そうにしている一方通行が中央に。
そんな彼を取り巻く打ち止めと番外個体と御坂妹が指差して笑っている。
麦野と滝壺と絹旗とフレンダらがグラスを掲げ、垣根が初春を抱っこし佐天と心理定規が並んでピースしている。
雲川が削板の髪を引っ張るのを服部が止めに入り、フィアンマが我関せずで黙々と肉を焼いている。
背が一番高いために後列に追いやられたステイルがインデックスを肩車し……
土御門がそれにニヤニヤし神裂に拳骨をくらいオルソラが眠そうにしている。
中央右には吹寄と姫神と結標、中央左には一升瓶を抱えた御坂と抱きつく白井。
食蜂と青髪の二人だけがこの場にいない。中抜けして写っていないのか――
御坂「たった数日前まで……みんなこうして遊んで食べて飲んで笑ってたじゃない」
開かれたまま放置され、返信もなされていないメールボックス。それは母美鈴からの便りだった。
――――――――――――――――――――
8/11 18:57
from:お母さん
sb:ちょっと早いけど
添付:
本文:
お盆休みに入る前にあの子達のお墓参りいこ
うね。
沈利ちゃんとは仲良くしてる?
保護者会も13日からあるしママ頑張っちゃう
わよーん!
――――――――――――――――――――
御坂の中にある、10031本の十字架の丘が目蓋の裏に浮かぶようだった。
「中の鏡」話五第:(ムーロクノモ)標座間空の虹白るあと
~1~
白井「ここが“霧ヶ丘付属”女子寮ですの!」
桜舞い散る並木道を抜けた先にある鏡張りの建築物を前に、白井黒子は真新しい制服を押し上げる控え目な胸を張って挑むような眼差しを向けた。
霧ヶ丘女学院付属……今春より白井が通う事となった、学園都市でも指折りの進学校の中等部である。
『常盤台中学』『長点上機学園』『霧ヶ丘女学院』と言えば能力開発に特に秀でた学校である。
レベル4『空間移動』の能力を持ち、風紀委員の試験も軽々とパスした自分の実力をもってすれば――
その先にある霧ヶ丘女学院へ進むための重要だと息巻き、彼方にある橋から向き直ると
白井「失礼いたしますの!今日からこちら霧ヶ丘付属に……」
???「あら、貴女新入生?」
白井「そうですの!わたくし白井黒子と申しますの。失礼ですが貴女は?」
降り注ぐ桜の花片と春の陽射しを浴びながら叩いた門。
すると取り次ぎが出るよりも早く、女子寮の窓から顔を覗かせていた――
???「フフフ……」
白井「(ムッ)何かわたくし粗相をいたしまして?」
???「いえ?貴女みたいな娘、毎年一人か二人必ずいるから……」
白井「?」
???「――ここは“霧ヶ丘女学院”女子寮よ?貴女中等部に新しく入って来た娘でしょう。霧ヶ丘付属はこの橋の向こう、硝子張りの方よ」
白井「!!?」
???「フフフ……」
窓枠に頬杖をつきながらこちらを見下ろして来る赤髪の少女が赤面した白井に微笑みかけて来た。
緊張していなかったつもりが、つい肩に入り過ぎた力が空回ってしまっていた事に白井は躓きを覚えた。が
???「ああ、ごめんなさいね。別に貴女の事を笑った訳ではないのよ」
白井「(ムスー)では何故笑われましたの?御為ごかしは――」
???「――私も、昔そうだったから」
シュンッ
白井「!?」
???「私も昔寮を間違えてね。それが何だか懐かしくってつい、ね?」
そんな白井が見上げていた窓から赤髪の女生徒の姿が消失したかと思うと――
先ほど降って来た涼しげな声が、白井の背中に向かって語り掛けて来た。
白井「(まさか……)」
結標「どうしたのかしら?」
白井「(同じ“空間系能力者”ー!?)」
~2~
思わず弾かれたように後退り、身構える。いくら自分が躓きを覚えたとは言え容易く背後を取られた事。
それは未だ血気盛んで鼻息荒かった白井に長幼の序を忘れさせるほどの苦々しい屈辱だった。
だがその上級生はポカンとした後に鼻で笑い、ついには胸を押さえて大笑いしたのである。
???「あははははは!」
白井「何がそんなにおかしいんですの!先程から人の顔を見るなり笑うなど!!」
???「いえ、もういちいちリアクションが面白くって。まるで猫みたいね貴女って。名前はどういう字を書くの“しらいくろこ”さん?」
白井「……白旗の白に井の中の蛙の井、黒星の黒に子供の子ですの」
???「あははははやめて!やめて!お腹痛くなっちゃう!ネガティブ過ぎるでしょ字の当て方あはははは!!」
白井「ムキー!!」
先程からペースを乱されるどころか振り回されっ放しである。
まるで必死に毛を逆立てて挑んで来る子猫を転がすように弄ばれている。
ハラハラと春風に踊る桜の花片が舞い、木々の狭間から漏れる光の下――
???「そう。じゃあ白井さん?寮の場所もわかった事だし私が案内してあげましょうか」
白井「結構ですの!橋の一本道を誰が迷うと――って貴女はわたくしを馬鹿にしてますのね!?その橋の一本道も間違えたお馬鹿さんだと!」
???「あらら、すっかり嫌われちゃったわね。まあその元気があればこの学校でも楽しくやっていけるでしょう」
そこで初めて気付く。彼女の腰元に巻かれた円環状の金属ベルトと、そこに取り付けられたホルスター。
大振りの軍用懐中電灯と思しき持ち物に、白井は多分この上級生は不良だと感じたのだ。
白井「では失礼いたしますの!」
???「はいはい。何かまたわからない事があったら訪ねて来なさい。氷華あたりが見たらほっとかないでしょうから。貴女みたいなタイプ」
白井「余計なお世話ですのー!!」
白井は舌を出すのをこらえて大きなスーツケースを引きずり肩をいからせながら花道を後にした。
いつかはと目標にしていた霧ヶ丘女学院。だがそこに在籍していたのがあんな不良かと思うと――
白井「全く!何という失礼な方ですの!あ……」
そこで気付く。自分は名乗りを上げたが彼女の名前を聞きそびれたと。
しかし振り返った時には既に赤髪の女生徒の姿はなく――
~3~
初春「はー……中高合同なんですねえ」
白井「初春。あまりキョロキョロするものではありませんの。舐められますわよ」
初春「白井さんどうしたんですかー?昨日からずっとピリピリしてますけど……もしかして緊張しちゃってたりしてます?」
白井「緊張などし・て・お・り・ま・せ・ん・の!!」
翌日、白井黒子と初春飾利は霧ヶ丘女学院と霧ヶ丘付属を架ける橋を渡った先にある体育館にて入学式に出席していた。
風紀委員の同僚と言う事もあり、退屈な校長の祝辞を適度に聞き流しつつ声を潜めていた。
中高合同でひとまとめにするあたりが如何にも私立ですわねと腕組みする白井と辺りを見回す初春。
初春「まだ昨日の先輩にからかわれたの怒ってるんですかー?上級生に案内してあげるって言われて帰っちゃう方がよっぽど失礼ですよ」
司会「では続きまして霧ヶ丘女学院生徒会役員の……」
白井「あれは不良ですわ。もう見た目から何から何まで不良ですの!」
風斬「せ、生徒会長の、かかか風斬、ひょひょ氷華と申しますぅ!新入生の皆さん……ひゃあっ!?」
初春「うわ、スッゴい緊張してる……あっ、マイク落として……」
風斬「あっ、マイクマイク……はわわ!?眼鏡っ!私の眼鏡ぇ!!」
白井「……何というドジッ娘属性をお持ちなのでしょうあの生徒会長さんは」
パリンッ!
風斬「キャー!」
初春「しかも踏んづけて涙目ですよ。大丈夫ですかねこの学校」
そんな二人がひそひそ話をする最中、壇上にはブラウスの上からもわかる豊満なバストとサイドテール。
その柔和そうな垂れ目からは落としたマイクを拾おうとして眼鏡を踏み割り涙目になっていた。すると――
???「はあ……氷華、私が代わりに読み上げるから」
白井「!!?」
風斬「む、結標さぁん……」
???「――新入生の皆さん」
壇上に向けた白井の目に飛び込んで来るは鮮烈な赤髪。
涼やかな声音がしどろもどろの生徒会長に代わってマイクに吹き込まれ――
初春「あ、あの人って白井さんが言ってた“赤髪の人”!!?」
白井「……ですの」
???「(ん?)」
その白井の見開かれた眼差しが、切れ長の眼差しとぶつかり、交わり、外され、細められた。
結標「――霧ヶ丘女学院生徒会長風斬氷華、並びに“副会長”結標淡希より……入学、おめでとうございます」
これが、結標淡希と白井黒子の最初の出会いだった――
~4~
風斬「け、今朝はすいませんでしたぁ!」
結標「もう良いわよ。それに氷華が身体張って笑いを取りに行ってくれたおかげで中高の新入生みんな緊張ほぐれたの伝わってきたし」
風斬「私は先生方に大目玉食らっちゃいましたあ……はー。私会長なんてガラじゃないですよお……」
結標「今更私に振らないでね。貴女以上にガラじゃないんだから」
風斬「結標さんは成績優秀な素行不良者だって磯塩さんも言ってましたっけー」
結標「………………」ヒョイッ
風斬「わ、私のコロッケぇ!!」
結標「あら、今日はカニクリームなのね。この前のカレーコロッケの方が好きだったのに」
風斬「自分の分食べて下さいよぉ!!」
結標「朝代読してあげた分よ」
入学式を終え、未だ散る気配の見えない桜の木の下のベンチにて結標淡希と風斬氷華は遅めのランチを取っていた。
二人はルームメイトであり生徒会において会長・副会長の間柄でもある。端から見れば凸凹コンビではあるが
風斬「うう、それを言われちゃうともう何も言えなくなっちゃうって言うか……」
結標「持つべきものは料理上手なルームメイトよね。私料理ヘタクソだし」
風斬「結標さんはしないから上達しないんですよ。前だって野菜炒め投げ出して」
結標「だって誰も味見してくれないんだものやりがいがないじゃない」
風斬「味見してくれる人みんなを保健室送りにしちゃったからですよ!!先代までダウンさせちゃったの忘れたんですか!?」
結標「あの人いっつもシャケばっかり食べてて血圧高そうだったからそれで倒れたんじゃない?」
風斬「(どうして自分で味見しないんですか……)」
変にウマが合うのか勝ち気で負けん気の強い結標、控え目で面倒見の良い風斬のコンビは学内でも有名である。
そんな二人が食事を共にするのを邪魔するものはいない。だが――
シュンッ
白井「お食事中のところを失礼いたしますの」
風斬「!」
結標「あら、さっきぶり」
――そうとは知らぬ新参者、白井黒子が橋を渡って空間移動で飛んで来たのだ。まるで挑むように。
白井「………………」
結標「……どうしたの?コロッケの匂いにつられて来たのかしら」
白井「いえ、昨日の非礼をお詫びに参りましたの」
結標「ふーん?」
~5~
初春「あわわわわわ、白井さんまた喧嘩腰に!」
そんな桜の木の下に集った三人を物影から見守るは初春。
相手は高校生の上に生徒会役員。対する白井はただの新入生。
端から見ていてこんなに心臓の悪い光景はないだろう。
しかし白井は臆する事も譲る事もなくただ二人の前に立ち
白井「昨日は大変失礼をいたしましたの。誠に申し訳ございませんでした」
結標「あら、貴女が下げている頭は私の副会長としての肩書きに対して?それとも意地悪な上級生に目をつけられる事に?」
白井「わたくしは肩書きで人に恐れ入った事などございませんの」
結標「では何に対して?」
白井「――結標淡希(あなた)に対して」
ぺこりと一度頭を下げたのだ。だが対する結標は箸を一度置き、傍らの風斬に弁当箱を預けて立ち上がった。
先程の白井のテレポートを見、何やら思いついたように口角を上げてホルスターにしまった軍用懐中電灯に手をかけた。
結標「いやよ。貴女に袖にされてとても傷ついたのだから」
白井「では、どうやって誠意をお見せせよとおっしゃるんですの?」
結標「――ゲームをしましょうか」
風斬「!。結標さん、それは――」
結標「氷華。相手は“ただの”新入生よ?ムキになったりしないわ」
白井「(ムカッ)ゲーム?」
結標「“鏡鬼”よ。制限時間は10秒。ハンデとして最初の5秒、私は貴女に手を出さない」
鏡鬼(かがみおに)。それは二人の人間が鬼となり、互いのいずれかを捕まえる子供の遊び。
同じテレポーテーションを得意とする能力者同士にあっての力量をはかりたいのだろう。
結標「――貴女は私自身にと言った。なら同じ能力者として私を楽しませなさい」
白井「……わたくしが勝ったら?」
結標「考えてなかったわね。ありえないから」
白井「……!!」
結標「氷華、カウントお願いね」
風斬「はっ、はい!」
初春「白井さん……!」
そこで結標が風斬に投げて渡したのはラピスラズリが散りばめられた手の平サイズのオイル時計。
白井が出会った時のように身構え、結標が構えた様子もなく悠然と佇んでいる。格の違いを見せつけるように――
白井「……貴女が負ければ?」
結標「好きなようになさい。ありえないから」
――二人が、全く同じタイミングで動いた。
~6~
―――――10―――――
白井「はっ!」
スカートの下より出でし黒金の針を十指に挟み込み、白井が先制攻撃とばかりに投げ放つ。
軌道は真っ正面、狙いは結標が羽織っている霧ヶ丘女学院のブレザー。
クロアゲハを標本のピンで止めるかのように放たれたそれが、吸い込まれるように――
――――9―――――
結標「狙いと性格が真っ直ぐ過ぎるわよ」
カンカンカン!と結標は飛針をよけようともせずに振るった軍用懐中電灯で次々と叩き落として行く!だが
――――8――――
白井「――そうでもございませんの!!」
結標「!」
ビュン!と結標が警棒を振り切った刹那、白井は結標の背後に踊り出ていた。
出会った時に取られた背中を取り戻すように手を伸ばし――
――――7―――
結標「確かにそうでもないわね?」
白井「わっ!?」
たその瞬間、結標がブレザーを残して消失し、上着が白井の顔に被さって塞がる視界。
―――6―――
白井「くっ!」
結標「ハンデの5秒は貴女がくれてるの?意外と先輩を立てるタチなのね」
ブレザーを引き剥がし、開けた視界の先には桜の木の枝に片膝をついて見下ろして来る結標。
二秒ものロスはあまりに痛い。白井も追い掛けるようにテレポートするが――
―――5――
結標「そろそろ私の番かしら?」
白井「!!?」
追い掛けたその背中に結標が瞬間移動し、白井は伸ばされた手から逃れるべく女子寮側にテレポートする!が
――4――
結標「逃げの一手じゃ勝てないわよ」
結標は難無く白井の真っ正面に姿を現し、両者が空中で睨み合い――
白井「っ」
白井が伸ばした手、かする事なく目の前で消え、慌てて回す首、視界の隅に映る結標の影!が
白井「鏡っ!?」
――3―
真っ正面かと思えば裏、裏に影がよぎればそれは鏡像。目の前で結標が笑い、白井が必死に手から逃れるも―――
―2―
結標「努力賞、って所ね」
轟ッッ!と結標が座標移動させた桜の花片の嵐が白井の視界を花吹雪に染め上げ、見失う――
―1
白井「――!!」
そして、桜吹雪の中結標のたおやかな指先が白井を絡め取るように伸びて――
初春「――白井さん!右ですー!!」
~7~
風斬「そこまでー!」
花嵐が止む前に落ちきったオイル時計の雫が告げるタイムアップ。
初春の張り上げた声の余韻も消え去らぬ内に、決着は着いていた。
結標「………………」
白井「はー……はー……う、初春……?」
初春「あっ、しまった!」
そこには尻餅をついてへたり込む白井の鼻先に触れるか触れないかの位置で静止した結標の手指。
初春が叫んだ通り、塞がった視界の右側から結標は白井を狙ったのだが――
初春「あわわわ……」
結標「……はあ」
思わぬ水入り、思わぬ横入りに結標が溜め息を漏らして白井から手を引いた。
初春の助け舟がなくば白井は敗れていただろう。だが結果はドロー。
勝負無しに終わってしまった形になったが、カウントしていた風斬は
風斬「勝者は、そこのお花の子ですね!」
初春「えええええ!?」
白井「初春!余計な事を……」
初春に駆け寄りその手を高々と掲げて勝ち名乗りを上げさせたのだ。
冷や汗なのか脂汗なのか、汗ばんだ白井と涼しげな結標を前ににっこりと。
風斬「結標さんも文句ありませんよね?先代の時も私の応援あって引き分けたようなものでしたし」
結標「~~~~~~」
風斬「はいはい。仲直り仲直りです。ああもう新しい制服に土ついちゃってるじゃないですか」
結標の伸ばした手を白井の手に結ばせ、身体を起こす手助けをしたのだ。
それに対し不服そうに頬を膨らませる白井を、結標は――
結標「――“ただの”って言うのは取り消すわ。今年の新入生はとんでもないわね」
風斬「結標さんも昔そう言われてたの、覚えてますか~?」
結標「ちょっと氷華!」
風斬「負けん気強くて生意気で、そのくせ変にモロいからイジメがいがあるって先代に可愛がられてましたもんね」
同じく風斬に噛みつきながら抱き起こしたのだ。その時白井はその腰の細さと胸の驚きに顔を赤らめた。
クロエのオーデパルファムの香りが鼻腔をくすぐり、白井はもう立てますのと引き下がった。
そこに初春が重ねて大丈夫ですか?と聞き白井は大丈夫ったら大丈夫ですの!とがなり返し――
白井「……わたくしの負けですわ」
初春「白井さん!?」
白井「煮るなり焼くなりなんなりすればよろしいんですの!」
白井は敗北を受け入れた。5秒というハンディと、初春の支援がなければもっと早い段階で捕まっていただろう。
そんな白井の表情を見、結標もまた軍用懐中電灯を――
~8~
結標「潔いわね。好きよ、そういう子は」
白井「………………」
結標「これは貸しにしておいてあげる。気が向いた時に取り立てに行く事にするわ」
白井「何故?」
結標「だってもったいないじゃない?貸しに利鞘はつきものよ。今取り立てたって、ここで貴女との繋がりが消える方が惜しいわ」
白井「!」
結標「……貴女が男の子だったなら、かなり私好みの顔してるんだけどね」
風斬「また結標さんの悪い病気が……お願いですから初等部の男の子誘拐したりしないで下さいね」
結標「もうしないわよ!」
初春「(この人御稚児趣味(ショタコン)だー!!)」
だいたい中学生はジジイなのよ!と風斬に力説しながら結標は白井の横を通り過ぎていった。
高等部の新入生歓迎会に連なる書類がまだ残っているのかそれを片付けに行くのだろう。
それを結標の言うところ『男の子だったら好みの顔』と評された白井に対し、去り際に――
結標「霧ヶ丘女学院2年1組、結標淡希」
白井「……あ」
結標「貴女と同じレベル4。座標移動(ムーブポイント)よ。空間移動(テレポート)白井黒子さん?」
白井「――――――」
結標「仮にも生徒会役員よ。中等部の名簿を覗き見るくらい簡単なんだから」
そう笑ったのだ。今年の中学生は常盤台の超電磁砲(レールガン)といい豊作ねと呟いて。
だが白井はその超電磁砲なる能力者の『顔を知らなかった』ためどんな人物かはわからなかったが――
白井「………………」
結標「また遊びにいらっしゃい。じゃあね」
そう言い残すと結標は風斬を伴ってか既にその場から忽然と姿を消していた。
後に残されたのはショタコン疑惑に頭を悶々とさせている初春と――
白井「………………」
桜の木の下、汗ばむほどの陽光を浴びながら白井は胸を押さえた。
この高鳴りは今の鏡鬼のせいだ、そうに決まっていると……
トクン、トクンと早鐘を打つ鼓動に頬を微かに桜色に染めて。
白井「結標淡希……さん」
何故だか、その手に触れられなかった事が今更のように惜しくなった自分を嫌悪しながらも……
白井は結標のいなくなった桜並木をずっと見送っていた。傍らの初春が袖を引っ張るその時まで――
~9~
これは鏡文字で綴られたもう一つの物語
これはガラスペンで記されたもう一つの世界
合わせ鏡の迷図に迷い込んだ、誰かが見ている幻想物語(ゆめものがたり)
少女は幻想(ゆめ)を見る。長い眠りの中に幻想(ゆめ)を見る
ありえたかも知れない未来を
ありえたかも知れない関係を
ありえたかも知れない結末を
未来の中にしかないif(もし)を夢見て少女は幻想(ユートピア)を見る。
ありえなかった出会いを
ありえなかった願いを
ありえなかった世界を
少女は幻想(ゆめ)を見る。モノクロの色をした優しい絶望(ディストピア)を――
“――世界とは鏡のようなものだ。それを変えるには自分を変えるしかない――”
アレイスター・クロウリー(神秘主義者、魔術師、1875~1947???)
~8月12日~
美鈴『――美琴ちゃんを、守ってあげて欲しいの――』
麦野「………………」
滝壺「むぎの、上がったよ」
麦野「………………」
滝壺「むぎの?酔ってる?」
麦野「全然。こんなもんひっかけた内にも入らねえよ。じゃあ次私入る」
滝壺「待ってむぎの。そのまま入ったら危ないよ」
御坂に死刑宣告とも言うべき最後通達を出した後、麦野は佐天を送って滝壺と共にセーフハウスにいた。
牛乳風呂から上がって頭にタオルを乗せた湯上がり姿の滝壺が見るにテーブルの上にはいくつかの缶チューハイ。
ソファーに足を組んで腰掛けるその姿は女子大生にしては堂に入ったものではあるが――
滝壺「少し酔い醒まししてから入ろうね」
麦野「………………」
滝壺「むぎの」
滝壺にはその危うさが手に取るようにわかるのか、麦野の隣に足を揃えてちょこんと座る。
麦野がこういう遠い目をしている時はおおよそ――
自分の精神の暗黒面を見つめている時なのだと経験則から知っている。
滝壺は知っている。麦野が遠い目をしているのは結標淡希が死んだからでも……
御坂美琴を絶望の淵に追いやったからでもない事を滝壺は知っている。
滝壺「この事は、かみじょうにもはまづらにもみんなにも――」
麦野「そうしてちょうだい。こういう汚れ仕事は私一人で十分だ」
滝壺「………………」
麦野「あのオバサンとも本当にイヤな約束しちまったもんだよ」
滝壺が麦野の組んだ足を跨いで向かい合わせになり、その胸元に抱くように腕を回して行く。
対する麦野もそれに抗うでもなく、かと言ってすがるでもなく滝壺の好きなようにさせている。
牛乳風呂の滝壺の甘い匂いと、オードゥボヌールの麦野の甘い香りとが合わさるように身を寄せて。
麦野「――いつか、こんな日が来ると思ってたよ」
自嘲気味に、吐き捨てるように、呟いた言葉が滝壺の胸に吸い込まれて行く。
麦野は強い。折れる事も引く事も譲る事も退く事もしない。例えそれが――
滝壺「――むぎのは、優し過ぎるよ――」
麦野「優しくねえよ。ギャラもらってる以上、汚れ仕事だろうが仕事は仕事さ」
例えそれが美鈴から託された御坂美琴……否、学園都市第三位超電磁砲(レールガン)であろうとも――
『とこういとう想を君に節季の桜葉』話六第:(ムーロクノモ)標座間空の虹白るあと
~1~
黒夜「絹旗ちゃん絹旗ちゃん、結局オリエンテーリングどこだって?」
絹旗「第二十一学区の超自然公園らしいですよ」
黒夜「うわっつまんなそー……んなとこで何すんだ?みんなで火祭りして盆踊りでもしろってのか」ムシャムシャ
絹旗「それを言うならキャンプファイヤーにフォークダンスってんですよ。黒夜ちゃん超頭悪いですね。そんなものばかり食べてるからですよ」
黒夜「スニッカーズ馬鹿にすンな!私を馬鹿にすンのは良いでもスニッカーズを馬鹿にすンのは絹旗ちゃンでも許さねェぞ!!」
絹旗「はいはいわかりましたわかりました。って言うかキレると口調変わるの止めて下さいよ訛ってんですか?どこ出身ですか?」
黒夜「同じ施設だよォォォォォ!」
霧ヶ丘女学院と霧ヶ丘付属を渡す架け橋の上を二人の少女が闊歩していた。
一人はローラーシューズのようにホイールの収納されたブーツを履いている黒夜海鳥。
もう一人はキックボードで石畳の上をガタガタと蹴り進む絹旗最愛。ともに霧ヶ丘付属の新入生である。
二人は俗に言う置き去り(チャイルドエラー)であったが、施設での暮らしに溜まりに溜まった鬱憤……
もとい好きなお菓子を好きなだけ食べたい、欲しかった玩具を買いたいという欲望を心行くまで発散させていた。
今日も今日とて昼休みに中抜けし、授業をサボって抜け出し街へ繰り出そうと言うのだ。
黒夜「ひっはは!どうせウチら二人余るだろうし、バックレてカラオケ行こうカラオケ」
絹旗「えー私その日ちょうど超見たい映画の封切りなんですよね。学園都市ピカデリーにしません?」
黒夜「じゃあ映画の後カラオケ行こうぜ」
どうせ余る、というのは二人がクラスメートと非常に折り合いが悪いのだ。
レベル4『窒素爆槍』を持ち、名門霧ヶ丘付属であっても施設出身者という事で陰口を叩かれ――
黒夜がキレる前に絹旗が『窒素装甲』で揶揄した生徒を思い切り殴りつけたのである。
以来二人はクラスでも不良のレッテルを張られ、腫れ物に触るように浮いた存在として扱われているのだ。
黒夜「――どうせ私達がいたって、クラスの連中に邪魔者扱いされるだろ。だったら絹旗ちゃんと二人で怒られた方がいい――」
~2~
佐天「おっ!君達オリエンテーリング回る班。まだどこも入ってないのかい?」
黒夜「」
絹旗「」
初春「先生!A班5人揃いました~」
翌日の昼休み、黒夜はスニッカーズを、絹旗はポッキーをそれぞれ口から落としそうになった。
案の定あぶれているどころか輪に加わる気さえなかった二人が窓際で遠巻きに眺めていたところ――
佐天涙子が声をかけ、二人がリアクションを取る前に初春が届けを出してしまったのだ。
黒夜「はァ!?」
白井「何か問題でも?」
黒夜「アリアリに決まってンだろ!私らオマエらと話した事もねェぞ!!」
絹旗「黒夜ちゃんまた超訛ってますから。えーっと、パンダさんでしたっけ?」
白井「白井黒子ですの!」
絹旗「なんのつもりですかこれ?超ありがた迷惑なんですが」
それに対し、ザワザワガヤガヤとおしゃべりに興じる教室内に黒夜の張り上げた声に水を打ったように静まり返る。
だが対面に立つ白井は腕組みしたままそんな二人に詰め寄られても眉一つ動かす事はなかった。
白井「他意はございませんの。建て前はさておき、オリエンテーリングとは普段の学校生活ではあまり見られない一面を通して交流を深めたり親睦を高めるものでは?」
絹旗「如何にも優等生的な答えが聞きたいんじゃないんですよ。何で私達が?って超聞いてるんですが」
佐天「それはねー!」ダキッ
黒夜「!?」
絹旗「?!」
佐天「二人がいっつも美味しそうなお菓子食べてるから。遠足で一緒にご飯食べれたらきっと楽しいだろうなーって!」
そこへ佐天が二人の肩に手を回し、面食らう二人もお構い無しに両側から頬を合わせるように飛び込んで来たのだ。
お菓子。それは二人が施設にいた頃好きに食べられなかったもの。霧ヶ丘付属に入ってようやく手にした……
小さく、ささやかで、それでも二人にとっては何物にも変えられない『自由の象徴』なのだ。
佐天「ねっ。どうかな?私達のおかずも分けるからさ!ってな訳で初春を名誉あるお弁当係に任命しよう!!」
初春「私一人で五人分ですか!?」
絹旗「は、はあ……」
黒夜「き、絹旗ちゃァン……」
白井「観念なさっては?それとも他にアテが?」
絹旗・黒夜「「………………」」
A班、決定――
~3~
佐天「わあ……!」
初春「緑がいっぱいですねー!」
黒夜「当たり前じゃん自然公園なんだから」
佐天「ここにはコンクリートジャングルから失われてしまった何かがある!私にはわかる!!」
黒夜「何かったって森と湖しかないじゃん」
佐天「いいから行くよー黒夜さーん!」
黒夜「ちょっ、止めろ手引っ張ンな!みンながテメエらみたいに仲良しこよししてェとか思ってンじゃねェぞ!」
絹旗「とか何とか言って超舞い上がってますね黒夜ちゃん」
白井「そういう貴女はどうなんですの?」
絹旗「まあ悪くはないですよ。黒夜ちゃんと二人カラオケするよりかは超健康的で」
自然公園。それは第二十一学区の山岳地帯の麓にあり、近くに天文台と貯水ダムを有しており……
幾多の研究施設や数多の教育機関に囲まれた学園都市にあって数少ない景勝地でもある。
そんな萌える葉桜が蒼穹に枝葉を伸ばす新緑の中、少女らはスタンプラリーへ駆けて行く。
黒夜の手を引きながら走る佐天、追い掛けてはへばる初春の後ろから白井と絹旗は行く。他の生徒らに混じって。
白井「よくよく授業を抜け出すかと思えばそんなところに出入りしてらっしゃいましたの?如何に霧ヶ丘付属が能力開発さえしっかりすれば後は放任主義とは言え……」
絹旗「まさにそれですよ。その自由な校風とやらに私達は超食いついた訳ですから」
白井「?」
絹旗「私達が“置き去り”って言うのは知ってますよね?」
白井「ええまあ……」
落ち葉を踏み締めながらサクサク進む両者の間に隔たる窒素装甲よりも厚い壁。
皆が春を謳歌する中、陽光に灼かれる雪のような冷たく美しい眼差し。
それはこの自然公園に生息する野鳥のように囀る少女らと一線を画していた。
絹旗「私達には超自由がなかったんです。この能力(チカラ)以外の何物も」
白井「………………」
絹旗「助成金をちょろまかす職員、食事を巡って毎度の流血沙汰、ベッドにのしかかって来て声を殺すように言う大人……まだ聞きたいですか?」
白井「いえ、結構ですの」
絹旗「だから女子寮があって、比較的自由な校風で、特別奨学金制度のある霧ヶ丘を選んだんですよ。常盤台中学は言うまでもありませんよね?」
白井「………………」
絹旗「――正直に言わせてもらいます。私は貴女達みたいなキラキラした娘超大嫌いなんですよ」
~4~
白井「――ならわたくしからも。わたくしも貴女のように世を拗ねていじけている人種は好きになれませんの」
絹旗「超結構です。愛情を押し付けられると人間は拒めないように出来てますから」
白井「……冷めた物言いです事」
絹旗「捨て子が誰でも愛されたがると思ったら超間違いですよ?なんせ“最愛”なん皮肉な名前を付けられた私が言うんですからね」
吐き捨てるでもなく淡々と語りながら絹旗はホワイトチョコ&ショコラのポッキーをポリポリとかじる。
それに対し白井は何も言えない。言うつもりもない。だが、視線を前方に移したならば――
佐天「よーし一つ目ゲットだよ!黒夜さんスタンプカード!」
黒夜「はあ、はあ、あ、ああ、このイルカのハンコもらえばいいの?」
初春「そうですよー。あと四つですね……って黒夜さんバテてます?」
黒夜「オマエらがサクサク行き過ぎなンだよ!サイボーグか!?」
初春「(私より体力ない人初めて見ました……もやしっ子?)」
絹旗「………………」
白井「お連れの方は、もう自由のようですわよ?」
ローラーシューズが意味をなさない森の小径を青息吐息でスタンプラリーに勤しむ黒夜と肩を貸す佐天。
目の下に浮かび上がったクマが汗に濡れ、春の陽射しが祝福を授けるように降り注ぎ光の道を生み出す。
絹旗はポッキーをかじるのを止めてそんな黒夜の汗だくでこそあるが晴れがましい横顔に見入っていた。
白井「――自由とは好き勝手に振る舞う事ではなく、今をあるがままを楽しむ事ではございませんの?」
絹旗「………………」
白井「――わたくしにも一本いただけません?」
絹旗「一本だけですよ」
白井「ではお一つ」
絹旗「あっ……」
呆気に取られていた絹旗の口に咥えられていたポッキーを、白井はヒョイと摘んで食べてしまった。
それに対し絹旗が初めて顔色を変え、プイッと横を向いて白井より先に歩き出してしまったのだ。
絹旗「……そういう事あんまりしない方が良いですよ誤解されますから。貴女もしかして超女誑しですか?」
白井「わたくしは清く正しく美しい風紀委員ですの!ですが、あなた方がいつもお菓子を持ち歩いているのを人並みに羨ましく思える程度に普通の女の子ですのよ」
絹旗「……なんか貴女、あの人に超似てます」
白井「どなた?」
絹旗「淡希お姉ちゃ……結標さんに」
白井「!?」
~5~
白井「何故そこであの方の名前が出ますの!?」
絹旗「私達にこの学校を教えて、受験を超勧めてくれた人達の内の一人ですから。超苦手ですけど」
白井「どういった繋がりなのかちっともわかりませんの!あの方は高等部ですし、ましてや私達はついこの間まで初等部だったではありませんか」
絹旗「――施設訪問ですよ。あの人達、生徒会役員じゃないですか」
白井「嗚呼、奉仕活動の……」
絹旗「その時はあの眼鏡じゃない人が会長だったんですよ。私達と入れ違いで卒業しちゃいましたけど……結標さんも一年前は書記だったはずですよ確か」
奉仕活動、というのは私学の生徒会などでよく行われる校外活動の一環である。
この学園都市にあっては置き去りの子供達への施設訪問などがそれに当てはまる。
同時に白井の中でも、見た目はどう見ても遊んでいる結標の意外な面に評価を改めた。が
絹旗「でもあの人お菓子で子供超釣ってやたらベタベタして来るんですよねえ~特に小さい男の子に」
白井「」
絹旗「ほら私の髪、ミディアムショートのボブじゃないですか?最初それで男の子に間違われて超あちこち触られましたよ。その時はフード付きパーカーにホットパンツだったので」
白井「」
絹旗「“お姉さん、ううんお姉ちゃんと鏡鬼しましょう!五秒だけ我慢するから!五秒しか限界出来ないから!スニッカーズあげるから!”って(ry」
白井「あんのドチクショウがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー!!!」
黒夜「ひィっ!?」
初春「白井さーん!黒夜さんが怖がってるから大きな声出さないで下さーい!」
佐天「ああ。鳥逃げちゃった……バードウォッチングしようと思ったのにー」
その幻想はものの五秒で殺された。要するに彼女達は結標に餌付けされ、白井はおもちゃにされたのだ。
自分が全力を振り絞ったあの鏡鬼さえも、まだ見ぬ紅顔の美少年とのキャッキャウフフの延長上にある代償行為。
あの飄々とした物腰さとミステリアスさ、能力者としての底知れぬ実力、同性の目から見ても羨ましいスタイルも全て。
~6~
白井「(幻滅いたしましたの……)」
黒夜「はあ、はあ、なぁ……えーっとオセロちゃん?」
白井「白井黒子ですの!パンダでもオセロでもありませんのー!!」
そして絹旗が先を行き、佐天と初春と合流を果たすと体力が切れたのか足が疲れたのか……
遅れだした黒夜が首からぶら下げたスタンプカードすら重そうに、後ろを歩いていた白井と並んで歩き始めた。だが
黒夜「……班に入れてくれてありがとう。あと絹旗ちゃんの事も」
白井「お礼なら佐天さんに言われては?それに絹旗さんの事は」
黒夜「――絹旗ちゃん、お兄ちゃんが出てってから私の事守らなきゃって……ずっと気張ってたんだ」
白井「(お兄ちゃん?)」
黒夜「本当は、絹旗ちゃんって、すごい泣き虫なんだよ……ひっははは。私、見ての通り身体弱いだろ?だから、自分は泣いちゃいけない、お兄ちゃんみたいに私を守らなきゃ、って」
黒夜はフウフウと肩で息を切らし、つっかえつっかえではあるが白井らに対し謝意を口にした。
だが白井にも黒夜の言葉に思い当たる節があったのだ。
黒夜を施設出身だと揶揄したクラスメートを窒素装甲でブッ飛ばしたのは絹旗であったと。
黒夜「だから謝るよ……さっき絹旗ちゃんに怒った事……私からも」
白井「――ご安心を。わたくしが怒ったのは絹旗さんにではなく、幼気な子供をスニッカーズで釣って鬼ごっこに誘う変態ショタコン副会長の事ですわ」
黒夜「?」
白井「さあ、少しズルになりますが……よっ!」シュンッ
黒夜「おォ!これが瞬間移動!!」シュンッ
佐天「ピッピー!白井さんテレポートは無しですよー!」
初春「はあ……はあ、脇腹……痛いです……白井さん私にも」
絹旗「何が清く正しく美しい風紀委員ですか超反則ですね!」
葉桜を迎えた新緑の森を白井は黒夜を抱えて空間移動する。
驚きのあまり訛る黒夜の身体はとても細く弱々しかった。
だが白井は思う。絹旗の窒素装甲とはそんな黒夜を守るための能力ではないかと。
白井「(全く……この学校は本当に退屈いたしませんの)」
そしてへたばる黒夜を白井が空間移動で、初春を絹旗が窒素装甲で抱えて、その後を佐天が追い掛け……
A班は他のグループをぶっちぎりで追い抜きスタンプラリーでクラス第一位を取り、無事オリエンテーリングを終えた。
~7~
結標「あら、ここは橋は橋でもひっかけ橋じゃないわよ?そろそろ夕食の時間だから今日はお帰りなさい」
白井「スニッカーズで小学生をナンパする犯罪者をジャッジメント(断罪)しに来ましたの!!!」
結標「な、な、な、なんでそれを!!?」
ちょうど生徒会の溜まりに溜まった仕事を終え橋を渡る結標が見たもの。
それはわざわざ橋の欄干の上に立って腕組みし待ち構えていた白井からの糾弾もとい追求である。
辺りは既に暗くなり、もう十分もすればスポットライトが夜桜に当たるであろう場所。
そんな中目に見えて狼狽した結標を見、白井は僅かながら溜飲を下げた。初めて顔色を失ったと。
白井「絹旗最愛、黒夜海鳥という置き去りの子供を覚えていらっしゃいまして?」
結標「ええ、よく覚えているわ。そうそう確か貴女と同い年のはずよね。もしかして知り合い?」
白井「クラスメートですの。今日のオリエンテーリングで行動を共にしましたの。そこで貴女の犯罪(ry」
結標「そうなの!あの子達本当にあそこを出られたのね!!」
白井「え゛」
結標「嗚呼、そうなんだ……良かったわ」
しかし、白井の攻勢は思いの外まともなリアクションを返した結標の胸を撫で下ろす姿に挫かれた。
別段本気で過去の悪因悪果をあげつらうつもりなどなかったが、代わって白井の胸が微かに痛んだ。
結標「――良かった」
白井「………………」
結標「あの子達、元気にしてた?」
白井「え、ええ」
結標「そう」
痛む胸に歪む顔。されど結標はそれに気づいているのかいないのか橋の欄干に背を預けて白井を見上げた。
結標「降りて来ない?見上げてたら首疲れちゃうわ」
白井「………………」シュンッ
結標「いい子ね」
降り立った先、それは結標の傍ら。橋の下を流れる河川は未だ登らぬ月の出を待ち春風に波立つ。
葉桜に衣替えし脱ぎ捨てられた花片が水面を揺蕩うのを白井は見ていた。何故だか結標が真っ直ぐ見れずに。
結標「――よく覚えてるわ。貴女“悪童日記”って言う小説知ってる?」
白井「アゴタ・クリストフならば。確か戦争で親と生き別れたか捨てられたか祖母に預けられた双子の話では?」
結標「ええ。あの子達を初めて見た時真っ先に思い浮かべたのはそれよ。それくらい印象深かったから」
何故だか、鏡のように己を映す水面を真っ直ぐ見れずに――
~8~
結標「二人で助け合って、支え合って、惹かれ合って生きている双子の兄弟みたいだった。痛々しいくらい」
白井「……わたくしから言わせていただけば二人の世界で完結して他の人間の手を拒んでいるように思えますの」
結標「救いの手と迫害の手の区別もつかないほど彼女達は病んでいたのよ。氷華の前の会長が足を運ぶようになってだいぶ軟化したのだけれど」
白井「………………」
結標「でも良かった。その様子だと貴女は彼女達に手を差し伸べてくれたようね」
白井「そんなつもりではありませんの!」
結標「クス……」
そんな白井を知ってか知らずか、結標は続けた。
彼女達と友達でいてあげて欲しいと。友人は得難いものであると。
ここまで来て白井は結標をやり込める千載一遇の好機を逃した。
だがこうまで真面目な話の腰を折るなど考えられなかった。
結標「友達って大切よ?貴女とあのお花畑みたいな頭の子を初めて見た時私も思い出したもの。氷華と初めて出会った時の事を。貴女は私によく似ているから」
白井「嬉しくありませんの!貴女とどこが似ていると?貴女がわたくしの何をご存知なんですの?」
結標「勝ち気で負けず嫌いで」ギュッ
白井「きゃっ!?」
結標「向こう見ずで無鉄砲なところ。あーあったかいわこのままさらってしまおうかしら?」
白井「離ーしーてーくーだーさーいーでーすーのー!!」
かと思えば肌寒い春風に暖を取るように白井を抱き寄せるなど、もがく白井を腕の中で弄ぶ。
ハラハラと舞う葉桜の名残が、二人を笑っているように風に乗ってさざめきを生み出して行く。
だが白井にとっては笑い事ではない。憎らしいほど豊かな胸と恨めしいほど細い腰が当たっているのだ。
衣擦れの音が、立ちのぼる甘い香りが、鼻先をくすぐる赤髪の二つ結びが、結標淡希そのものが。
結標「あら?学園都市の治安を担う風紀委員ともあろう者がセクハラ現行犯さえ逮捕出来ないなんて……嗚呼、この子供特有の高い体温って素敵!」
白井「変態!変態!!変態!!!」
結標「本当に嫌なら離れたらどう?貴女もしかして私の事好きなんじゃない?」
白井「何をどう演算すればそんなトンデモな式が成り立つんですの!?貴女なんて……貴女なんか私大嫌いですの!!」
結標「じゃあ、どうしてわざわざ橋の上で私を待ち構えていたのかしら」
白井「そんな事……」
~9~
反駁すれば、反抗すれば、反論すれば、反発すれば良かったのだ。
だのに結標の腕の中へ磁石のように吸い寄せられて離れない。
湧き上がる胸の内の砂鉄が、こびりついて落ちない。
白井「そんな事……そんな事貴女に関係ないじゃありませんの!」
結標「全くの無関係という訳でもないでしょう?貴女は私に“借り”があるのよ」
白井「この卑怯者!貴女を少しでも見直した私が馬鹿でしたの!!」
結標「見直してなんてくれなくてもいいわ。あの鏡鬼の時のように、肩書きでもレベルでもないありのままの私を見てくれればいいの」
白井「………………」
抱かれたまま、頬を撫でられ髪をとかれる。動けない。目を離せない。
こちらを見下ろして来る結標の背後、名残を惜しむ葉桜にスポットライトが当たる。
滑る指先が微かに冷たく、それを感じる頬がひどく熱い。
結標「――私ね?貴女とどこかで会ったような気がする。初めてあの窓から貴女を見つけた時からずっとそう感じてた」
白井「……わたくしを口説いているおつもりで?」
結標「悪くないかも知れないわね。四つ下の恋人っていうのも」
白井「――なら、今ここで取り立てればよろしいんですの」
結標「……?」
白井「……鏡鬼で貴女が手にした、わたくしの“自由”を」
その瞬間、ザアッと一際強い春風が夜桜を散らして行く。
白井の目は未だ挑むように鋭利で、結標の眼は倦ねるように怜悧だった。
肌まで張り詰める空気、口元力む雰囲気、だが最初に笑ったのは――
結標「――自由とは奪うものよ。それに私、今スニッカーズ持ってないし」
白井「………………」
結標「貴女を釣るにはまだ少し足りないわ。だから――」
白井「あっ……」
顔が、頬が、唇が、影が、髪が、手首が、夜桜の下に重なる。
それはどれくらいの時間だったろうか?一分?一秒?それとも永遠?
答えは漏刻を告げるオイル時計の滴。十までしか数えられない子供にもわかる時間。
結標「少し早めの……おやすみのキスよ」
白井「……眠れなくなったらどうしてくれるんですの!!」
結標「“子供”は早く寝なさい。ほっぺで済ませてあげてる間に」
白井「………………」
結標「また遊んであげるわ。じゃあね白井さん」
そして白井がうっすらと目蓋を開けたその時、結標の姿は既にそこにはなかった。だがそれに代わって――
~10~
黒夜「あァ、あれ、ききき絹旗ちゃンキスキスキスキス(ry」
絹旗「声出しちゃダメですよ黒夜ちゃん。それにまたテンパって超訛ってますよ?」
白井「!?」
黒夜「あ」
絹旗「超見つかっちゃいました」
白井「あなた方ー!!!!!!」
代わって、夕食の時間になっても帰って来ない白井を探しに来た黒夜と絹旗が橋の口にてこちらを窺っていた。
殊に顔を真っ赤にして訛り全開の黒夜の目を背後から覆う絹旗の様子を見るに、恐らく結標は気づいていた。
わかっていて見せつけ、自分だけはサッサと逃げ帰ったのだ。白井を翻弄した座標移動で。
黒夜「や、やべェよ絹旗ちゃァン……白井ちゃンマジ切れてるすげーキレてるって」
絹旗「別に超怖くないですけどね。女誑しが誑し返されるとかほんと超笑えますね」
白井「あんのドチクショウがァァァァァァァァァァ!!」
頭を抱えヘッドバンキングしながら橋の上をごろごろ転がる白井は正しく針のむしろである。
よりにもよって唇を許したどころかあまつさえクラスメートにそれを見られた。最悪の二倍ではなく二乗である。
白井「お、お二方?今見たものを内なる胸に秘めていただけたならば(ry」
黒夜「あー今夜のデザートの桜餅食べたいなあ」チラッ
絹旗「あーオリエンテーリングのレポート超面倒臭いですねー」チラッチラッ
白井「ぐぬぬぬぬぬ」
絹旗「……友達の頼みは聞くもんですよ」
白井「!」
黒夜「早く行こうぜ白井ちゃーん!!!」
絹旗に手を引かれながらローラーで進む黒夜が白井を手招きしている。
そこで気づく。二人が自分を探しに来てくれたのだと。
結標はそれを見て安心し、あっさり身を引いたのではないかと
白井「今行きますのー!」
白井は後を追う。佐天と初春の待つ食堂へ、黒夜と絹旗に伴われて。
未だ余韻の残る唇を指でなぞりながら、やや駆け足で。
白井「――わたくし」
唇を結ぶ事も噛み締める事も出来ず、白井はただ戸惑っていた。
どこかで会った事がある……そう結標が言った言葉を反芻して。
白井「……わたくし、貴女なんて大大大大大嫌いですのー!!」
――自分も知っている気がした。それほどまでに、そのキスの感触に覚えがあったから――
~11~
結標「あー……」
風斬「結標さんまたサラダばっかり取って。身体にいいものばかり食べるのも身体に良くないんですよ?」
結標「なんかもったいなくて」
風斬「(?)恋でもしちゃいました?」
結標「まさか」
一方、霧ヶ丘女学院内にある食堂内にて結標と風斬は他の生徒らに混じってトレーとトングを手に並んでいた。
だが結標のトレーにはサラダとフルーツばかりが盛られ、対照的に風斬はどの種類も満遍なく。
ガヤガヤとおしゃべりひしめき合う食堂は姦しく、二人はあらかた取り終えると夜桜を一望出来る窓際席についた。
風斬「どうですかねえ最近よく突っかかって来るあのツインテールの娘とか、結標さん好みの顔立ちじゃないですか」
結標「よしてよ氷華。相手はまだ中学生の女の子よ?」
風斬「(結標さんが普段狙ってるのは小学生の男の子じゃないですか)でも結構大人びて見えますけどね?少なくとも一年前の結標さんよりはず~っと♪」
結標「うっ……」
風斬「あの“虹の架け橋”で誰かさんに何度コテンパンにされたか覚えてますかー?」
結標「い、いいでしょそんな昔の事は!……まあ、常盤台中学の連中よりはマトモなのは確かよ。あの子達なんてやってる事ほとんど殺し合いじゃない」
そうふてくされて塩漬けオリーブをよける結標は行儀悪く頬杖をつき、風斬もその言葉に首肯した。
常盤台中学。今現在内乱状態に等しい女生徒同士の権力争いが生じ、誰も手がつけられないと言う。
特に風紀委員一七七支部など止めに入ろうとして何人が再起不能に陥ったか知れないと二人は伝え聞いていた。
結標「逆に長点上機学園は平和そのものよね。あの1・2・7位のお気楽三馬鹿連中そんなの興味無さそうだし」
風斬「常盤台は3・5位でしたっけ?あ、でも三位って確か」
結標「そう、あの子だけよ先代を本気で怒らせたの。あのキレっぷりみたら私なんて手のひらで転がされてたようなものだってよくわかった」
現在、一七七支部は他支部に対して支援を求めている有り様である。
校内外問わず二十四時間体制で二人だけの戦争を繰り広げるレベル5二人。
風斬「でしたねえ確か名前は“食蜂操祈さん”と、えーっと三位は……あ、あれ?」
一人はレベル5第五位心理掌握(メンタルアウト)食蜂操祈。
結標「どれだけ天然なのよ氷華……いい?もう一人の名前は――」
残るもう一人は――
結標「レベル5第三位……超電磁砲(レールガン)御坂美琴よ――」
~8月12日~
気象予報士『12日夕方より深夜にかけ大規模なスーパーセルが発生する可能性も予測されており――』
食蜂「ふぅん?珍しいわねぇスーパーセルなんて」
御坂美琴が苦悩し、麦野沈利が葛藤する中、食蜂操祈は私室にて我関せずとばかり姉金に餌やりをしていた。
ホタルブクロを逆様にしたような金魚鉢に浮かぶ餌に二匹が同時に食いつく。
そして粗方食べ尽くすと再び水草を隠れ蓑に潜って行くのだ。
ブクブクと立ちのぼっては消え行く水泡。酸素の行き渡りやバクテリアも問題なく安定している。
食蜂「今の気象予報の的中力なんて当てにならないけどぉ、舞台装置としてはお誂え向きよねぇ」
人間関係は水換えに似ていると食蜂はここ数日感じていた。
長らく放れば濁り、短く入れ替えれば住みにくい。
底が浚えるほど浅い砂ならば手応えはないし――
食む水草が多過ぎればそれだけ隠し事が増える。と
食蜂「ケンカしちゃダメなんだゾ☆二人っきりなんだからぁ♪」
金魚鉢の中で二匹の姉金が喧嘩し始めたのである。
食蜂とてまだ飼い始めてから今日で五日目だが……
喧嘩というのはオス同士がするものだと言う認識が今まであった。
単純で、思うがままに力をふるい、無形の勝利に酔い痴れる生き物。
生物にとって最も原始的な行為とは動くという事。
そして本能的に、どの生物も己の能力を発揮する事に喜びを覚える。
食蜂「――最初から勝ちの下地も作ってない行き当たりばったりの喧嘩なんて、あの“お馬鹿さん達”で死ぬまでやれば良いんだわぁ」
知力、体力、精神力、財力、権力、政治力、そして暴力。
食蜂は『力』の在り方を否定しない。『力』とは生きる上において――
酸素より、水より、食料より、衣服より、何よりも必要なものだと理解している。
食蜂「――御坂さんみたいに、持ち腐れさせる事が美徳力に繋がるなんて地点もうとっくに過ぎてるのよぉ」
理解出来ないのは、御坂美琴の在り方と自分の有り様の差異。
食蜂「――見せてちょうだぁい?本当の“武力”と本物の“暴力”がぶつかり合う瞬間の」
理解出来るのは、御坂美琴に対する無垢なまでの禍々しい執着。
食蜂「――絶望に歪む、貴女の顔を」
硝子の金魚鉢に映り込んだ美しく整った顔立ちは、確かな歪みにひび割れて見えた。
「たっわ終は頃の葉青」話七第:(ムーロクノモ)標座間空の虹白るあと
~1~
結標「桜も終わっちゃったわね……嗚呼、憂鬱だわ」
風斬「いつの話してるんですか結標さん。そんなのもうひと月近く前の話ですよ?」
滝壺「大丈夫。私はそんな五月病真っ盛りのあわきを応援してる」
フレンダ「あ~中間考査ヤバい身体検査ヤバい全部全部ヤバい!何でみんなそんな余裕綽々な訳よ!?結局テンパってんの私だけ!!?」
入学式、新入生歓迎会、部活紹介などが粗方終わりやや弛緩した空気漂う霧ヶ丘女学院生徒会室。
そこにはアンニュイそうに窓枠に頬杖をつきつつグラウンドを眺める結標。お茶を入れる湯を沸かすべく火にかける風斬。
そしてソファーに腰掛け午睡に船を漕ぐ滝壺理后と、長机でカリキュラムに取り組むフレンダ=セイヴェルンがそこにいた。
結標「落ち着きなさいよフレンダ。それよりグラウンドをごらんなさい?初等部の少年達がどろんこになって駆け回っているわ。なんて素晴らしい……」
風斬「あははは、イエスショタコン・ノータッチでお願いしますね。次はもう庇ってあげられませんから」
滝壺「ふれんだのぬいぐるみ枕にしていい?これクッションにすごくフィットする」
フレンダ「(何でこんなヤツらがそれぞれの学年でトップクラスな訳よおかしくない!?)」
フレンダはタッチペンをお尻かじり虫しながら羨むような妬むような嫉むような眼差しを三人に向ける。
フレンダの能力は希少性こそ高いものの、レベルはいつもギリギリで好不調の波が非常に激しい。
そのためペーパーテストにも気が抜けず、能力開発に関するレポートも練りに練って少しでも評価の足しにしたいのだ。
結標「そんな顔しないでよフレンダ。こればっかりは他人がどうこう手助け出来ないの知ってるでしょ?」
風斬「霧ヶ丘の能力者って皆希少価値が高いから、仲間同士でアドバイス出し合ったり出来ませんもんね……ごめんなさい力になれなくて」
滝壺「スー……スー……」
フレンダ「――まあ結局私もそれくらいわかってる訳よ。ただの僻み根性と無い物ねだり。ごめんね」
私は『あの子』みたいになりたくない。そう強く思いながらフレンダはタッチペンを走らせた。
~2~
フレンダ「(例えば、結標)」
根を詰め過ぎて煮立った頭からベレー帽を外し、かぶりを振ってフレンダは金糸の髪をかきあげる。
見据える先は結標淡希。学園都市に50人ほどいると言われている空間系能力者の頂点に立つ彼女を。
フレンダ「(例えば、風斬)」
風斬の柔和な眼差しで今お茶淹れますねと微笑みかけられ、フレンダはゆっくりと頷き返す。
正体不明(カウンターストップ)。原理すらよくわかっていない能力をもって霧ヶ丘のトップに位置する彼女を。
フレンダ「(例えば、滝壺)」
授業中もずっと居眠りしているか窓の外の雲の形を動物に見立ててぼんやりしている滝壺。
その能力追跡(AIMストーカー)は結標と並び、次期レベル5の最右翼と評される彼女を。
フレンダ「(……結局私だって、最初は霧ヶ丘に来た以上ちょっとは自信あった訳よ。)ありがと風斬」
風斬「はい♪」
結標「すごい甘い香り……あれ?氷華これって」
滝壺「バニラの良い匂いがする……」ムクッ
風斬「マリアージュフレールのエスプリ・ド・ノエルです♪懐かしくありませんか?」
結標「確か先代が好きだったわねそのブランド。私お茶なんてコンビニで売ってる銘柄しか知らなかったから最初驚いたわ。味の深さと香りの高さに」
『主は主あるを知る』……どの世界にも上には上がいるのだと何度となく打ちのめされても来た。
フレンダ「ふう。サバカレーに紅茶ってのも悪くない訳よ……」
結標「貴女少しは取り合わせとか考えなさいよ。これだから外国人の味覚は大雑把で困るわ」
フレンダ「あんな殺人野菜炒め作って平気な顔してるあんたよりマシな舌してるっつの!」
結標「何ですって!?」
滝壺「ひょうか、私も欲しい」
風斬「ええ大丈夫ですよ……あ、あら?」
滝壺「?」
風斬「今ので最後でした……ご、ごめんなさいまたやっちゃいましたあ!!」
結標「つくづく抜けてるわねえ貴女って……けれどいつも氷華にばっかりお茶の用意してもらっちゃってるし」
それでも尚膝を屈しないのは、こんな力無い自分を誇りに思ってくれる妹フレメアと――
結標「私ちょっと買いに行ってくる。フレンダ付き合いなさい」
フレンダ「!?」
結標「気分転換も必要でしょ?」
『あの子』のように惨めな末路を迎えたくないという一心そのものだった。
~3~
結標「でも他の学区まで足を伸ばさなくちゃいけないなんて面倒ね」
フレンダ「セブンスミストまでだもんねー。でも結局、そこんとこは結標の座標移動に期待するって訳よ!」
二人は学校を抜け、モノレールに揺られながら第七学区のセブンスミストを目指す。
そうしている間にもフレンダはまめまめしく単語帳をめくりながら結標と共に手すりに掴まっていた。
結標「第七学区……去年あすなろ園訪問に行ったのが最後かしら」
フレンダ「私はけっこう足運ぶよ?フレメアが第七学区住まいだから」
結標「そうそう妹さん妹さん!まだ小学生だったわよね!?」
フレンダ「あーいーからーそういうのぉー。結局私達のお目当てはお茶っ葉であってあんたの御稚児趣味じゃないから!」
結標「ちょ、ちょっとだけ(ry」
フレンダ「羊の群れにさかりのついた野犬放つ馬鹿いないでしょ!ただでさえ今風紀委員とか警備員うろうろしてるんだから」
また始まった、とフレンダは単語帳をペラリとめくりながら傍らのジト目で見やる。
この御稚児趣味(ショタコン)さえなければそれなりにいい線行くのにと。
以前にも成り行きでフレメアを小学生まで迎えに行った際――
同道していた結標はずっと校門から出て来る小学生の男の子を目で追っていた立派な前科がある。
結標「それ常盤台のお家騒動が原因でしょ?馬鹿よねあの子達。先代が仲裁に入った意味ないじゃない」
フレンダ「レベル5が仲裁に入って停戦止まりなんだからただの風紀委員達にどうこう出来るはずないのね。結局骨折り損のくたびれもうけって訳」
そんなお巡りさん私です状態の結標、霧ヶ丘でも今一つパッとしないフレンダ。
だがそんな彼女とて妹フレメアにとっては大きな目標なのだ。
『私も大体、フレンダお姉ちゃんと一緒の学校に行きたい』と。
フレンダ「ま、結局中坊のドンパチとかんなもんどうでもいい訳よ。それよりお茶っ葉お茶っ葉」
結標「ついでに買い溜めしとく?あの紅茶セブンスミストにしか置いてないし、何度も足運ぶの面倒臭いし」
フレンダ「そうしよ。結局そういうところ面倒臭いよねこの学園都市(まち)。私が生まれた国だったら同じストリートにあったのに」
故にフレンダは悪戦苦闘しながらも霧ヶ丘女学院にしがみ続ける。
フレメアにとっての自慢の姉であり続けるために。
振るい落とされた『あの子』のようにならないために――
~4~
白井「予想を斜め上に突き抜けて最悪ですの。何ですのあの巨大なインド象と一緒に全員揃って踊り出すラストは!?」
絹旗「はっ、これだから優等生の感性は柔軟性に欠けるんですよ。あれこそエンディング前の超最高のクライマックスじゃないですか。そう思いません黒夜ちゃん?」
黒夜「ごめん絹旗ちゃん、私にもさっぱりだ」
夕刻……白井と絹旗と黒夜の三人は第七学区にある学園都市ピカデリーから出てセブンスミストへ向かっていた。
五月の爽やかな風を受けて回るプロペラはひしゃげ、柔らかな光を浴びて輝く鏡張りのビルには罅が入っている。
どうやら噂は事実のようですわね、と白井は胸裡にて歎息しながらパンフレットを丸めた。
黒夜「それより私は予告にあった“とある魔術の禁書目録”の劇場版が気になった。いつやるんだっけ?」
絹旗「まだ放映決定としか出てないんで超わかんないですね。原作のどの辺りの話をやるんでしょうか」
白井「あなた方が何をお話しているのかさっぱりわかりませんの」
こんな事をしていて本当に良いのやら、とふと我が手を見つめる白井。その理由はおよそ二つ。
一つは入学してより初めての中間考査を前に遊んでいて良いのかと言う疑問。そして第七学区の現状。
しかし両脇を固める二人はオリエンテーリングの前から楽しみにしていたらしくほくほく顔だ。
絹旗「白井さんは超固いですねーもっと頭空っぽにして肌で感じればいいんですよ」
白井「頭空っぽにするというより頭空っぽの映画でしたの!!」
黒夜「ひっはは。そう言ってあげないでよ白井ちゃーん。絹旗ちゃん、将来映画撮りたいんだって。そのお勉強お勉強」
白井「映画を?」
絹旗「こらっ!それ三人だけの秘密だって超誓ったじゃないですか!!」
???「にゃあっ!?」
絹旗「あ、ごめんなさい。大きな声出したりして」
と、そこで絹旗がローラーシューズで滑り出す黒夜のフードをむんずと鷲掴み首根っこを押さえた。
だが思いの他通った声はすぐ側を歩いていた小学生と思しき少女を驚かせてしまったようで
白井「いい夢だと思いますの!将来は映画監督や映像作家に志望されまして?」
絹旗「ちょ、超漠然とですよ?ほとんど願望みたいなもんでまだ目標とか呼べるほど確かなものじゃ」
その少女は黒夜のローラーシューズを羨ましそうに見つめると、再び雑踏の中へと駆け出して行った。
~5~
黒夜「絹旗ちゃんはねえ、昔お兄ちゃんに連れて行ってもらってから映画にゾッコンなのさ」
白井「お兄ちゃん?あなた方は……」
絹旗「――同じ施設の男の子です。私達が勝手にお兄ちゃんって呼んでただけで」
黒夜はアスファルトをローラーシューズで滑りながらスクランブル交差点を目指しつつ語る。
二人を可愛がってくれたお兄ちゃんという少年がおり、ある日施設での暮らしに疲れてしまった二人を……
その少年が生まれて初めて映画館に連れて行ってくれたのだと絹旗は晴れがましそうに言った。
絹旗「――私達にとってそれは、新しい世界を見たくらい超衝撃的だったんですよ」
黒夜「内容も超衝撃的だったけどね……痛ェ!」
???「ちょっとあんたどこ見てんのよ!」
黒夜「ご、ごめンなさい」
映画すら見た事がなかった二人の幼年期。それは白井にとっても想像だに出来ない世界であった。
だがローラーシューズがスリップし常盤台中学の生徒の背中にぶつかって謝っている黒夜と
絹旗「――まあそんなところです。これ、超内緒にして下さいよ?」
黒夜「ひっはは、これで“四人だけの秘密”になっちまったねえ絹旗ちゃーん」
絹旗「貴女が超余計な口滑らせるからですよこのっこのっ」
黒夜「痛ェ!痛ェよ絹旗ちゃン!」
白井「――言いませんわ。“友達の頼みは聞くもの”と仰有ったのは貴女ですのよ」
絹旗「……前言撤回です。貴女優等生の割に超人が悪いです」
そっぽを向いた絹旗の横顔。同年代にしては大人びたそれ。
その下にある年相応の素顔を垣間見たような気が白井にした。
白井「(やれやれわたくしとした事が……こんな小さな秘密を共有して少しワクワクしているなどと)」
スクランブル交差点の信号が青に代わり、学生の一団が歩みを進める。と
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
黒夜「あ、あれェ!?」
絹旗「黒夜ちゃん!!」
一台のトラックが減速もせぬまま交差点に侵入して来る。
それに気づいた一台が慌てて蜘蛛の子を散らすようにして行く中――
白井「危ないっ!!」
つい浮かれてしまい、一瞬反応が遅れてしまった白井が二人を引き戻すより早く――
「またあんたかアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!」
~6~
白井「……!」
白井は聞いた。絹旗の襟首に手指がかかるかかからないかの刹那。
全ての景色がスローモーションに見える中弾かれた『コイン』の鳴る音を
黒夜「……!」
黒夜は見た。自分を庇うように抱きかかえた絹旗の腕の中から。
真っ白になる視界の中に迸る紫電が、自分が先ほどぶつかった常盤台の生徒に漲るのを
絹旗「……!」
絹旗は感じた。黒夜を抱える自分を引き戻さんとする白井の腕より早く。
背筋が粟立ち毛が逆立つような放電、ビリビリと毛穴まで開かせるような圧倒的な空気を
ドンッッッッッ
と少女の手から弾かれたコインが雷閃となって放たれ、鼻先まで迫り来るトラックを――
そのタイヤもろともアスファルトごとえぐり出すように吹き飛ばす!
その軌道は逃げ惑う群集の頭上スレスレを飛び越え、交差点向かいにあるセブンスミスト……
フランス式紅茶専門店『マリアージュフレール学園都市店』の窓際へと叩き返される。この間実に一秒足らず!
黒夜「わわっ……わわわっ」
絹旗「黒夜ちゃん大丈夫ですか!?」
黒夜「う、うン……こ、腰抜けたァ」
白井「絹旗さん!黒夜さんを離れて早くこの場を離れて下さいまし!」
???「――ごめん」
白井「!!?」
へたり込む黒夜に肩を貸し、パニック状態になる交差点の喧騒の中にあって一際冷静な声音。
それはたった今も、自分達に背を向けながらセブンスミストを見つめる件の常盤台中学の女生徒。
???「――あいつらの狙い、私だから」
白井「……貴女は?」
シャンパンゴールドの髪に差された花柄のヘアピン。
白井にはその少女に『見覚えがなかった』のだ。
ここまでの圧倒的破壊力を有する能力者など数えるほどしかいないであろうに。
???「あんたもさっさと逃げたら?」
白井「なっ……わたくしは風紀委員でしてよ!?管轄は違いますが」
???「風紀委員なら聞いてない?そうやって首突っ込んで来てもう何人も再起不能にされてんの――そうでしょ?」
――白井は、その少女の『顔も名前も』初めて目にしたばかりなのだから――
御坂「――出て来なさいよ食蜂操祈(じょおうばち)!!!!!!」
~7~
ドンッッッッッ!と再び迫撃砲のような轟音と共にひしゃげたトラックが飛来し、御坂美琴はそれを左によけた。
同時に避ける術など持たない信号機が飴細工のようにひしゃげて倒壊し、彼方より上がった白煙が晴れて行く。
食蜂「ひどいわねぇみぃーさぁーかぁーさぁーん?今のは“不幸な事故”でしょ?それともぉ私が今何かした証拠力でもあるのぉ?」
御坂「どうせあんたが操ってそうさせてんでしょ!どこまで下衆な能力なのよ!!」
食蜂「あーん。エクレアもお茶も台無しになっちゃったぁ。貴女これ食べといてぇ」
女生徒「えっ、でもこれ……」
食蜂「私 に 口 答 え し ち ゃ ダ メ な ん だ ゾ ☆」
女生徒「承りマシタ」
その木っ端微塵になった店内には、足組みして瓦礫の破片や舞い上がる砂埃にまみれたエクレアや紅茶を……
何人もの派閥の人間に食べさせ残飯処理させる常盤台中学の女王、食蜂操祈がこちらを見やっていた。
白井「まさか……あなた方!?」
御坂「下がってて、あんたまで操られたら私責任持てない」
食蜂「やぁーさぁーしぃーいなぁ御坂さぁん。流石は先輩を差し置いて第三位なだけの貫禄力あるわぁ」
御坂「……無関係な人間巻き込んでまであんたは私をどうしたいのよ!?」
食蜂「んー?なぁんの事かよくわかんなぁい♪」
御坂「……!!」
それを親の仇を見るより激しい赫亦を双眸に宿してねめつけるは御坂美琴。
ここに来てようやく白井は得心がいった。風紀委員一七七支部の壊滅、常盤台中学のお家騒動、その全てに。
白井「風紀委員(ジャッジメント)ですの!今すぐ能力使用を止めて投降なさい!」
食蜂「あらぁ?まだ“立って歩ける”子って風紀委員にいたんだぁ☆」
白井「――……!!」
御坂「……無駄よ。こんなムチャクチャ一度や二度じゃなかった。なのにあの女は“一度も捕まってない”のよ」
白井「………………」
御坂「そう言う能力者なのよ」
常軌を逸していた。御坂一人を追い詰めるために無辜の学生まで平然と巻き込んで憚らないその精神が。
それを可能とする桁違いの能力を持つ食蜂が、それを相手どって尚引き下がらない御坂が信じられない。
~8~
御坂「私一人狙えばいいでしょ!?何でそんなヘラヘラした顔でこんな事出来んのよ!!?」
食蜂「失礼しちゃうなぁ。私はただ御坂さんとお茶したいだけなのに」
白井「………………」
食蜂「この子達みたいにぃ☆」
呑気にテーブルに腰掛ける食蜂の足元には粉塵に濁った紅茶や落ちたエクレアをピチャピチャグチャグチャと貪る少女達。
白井には彼女達の権力闘争の確執など知りようもない。だがもしその軍門に降るとすれば――
きっと彼女が手にするあのリモコン一つで、人間の尊厳すら踏みにじられた操り人形と化すのだろう。故に
御坂「私はあんたに跪いたりしない!私はあんたの思い通りになんて絶対ならない!!」
食蜂「言ったでしょお?これは“不幸な事故”なんだってぇ……でもねぇ?」
女生徒「承りマシタ」
その言葉が触れざる蜂の巣をつついたように……
トラックが突っ込んだセブンスミストの鏡と硝子の全てが、ビリビリと地鳴りのようにカタカタと震え――
食蜂の側に控えていた女生徒の光を失った双眸が、線虫でも這い回るようにギョロギョロ動くのに連動し
食蜂「“喜ばしき幸福は常に一人で訪れ、招かれざる不幸は団体客で訪れる”」
御坂「あんた……」
食蜂「――上♪」
ガシャァァァァァァァァァァン!と念動力によって粉々に打ち砕かれたセブンスミストの鏡と硝子が……
未だ取り残された通行人の頭上から雨霰とばかりに降り注ぎ、不吉な煌めきを返して舞い散る!
白井「しまっ――」
御坂「あんた!?」
???「にゃあっ!?」
白井が飛び出し、視界を埋め尽くさんばかりの硝子と鏡のスコールをへと挑んで行く。その向かう先は――
一気に逃げ惑う人々に突き飛ばされてへたり込んだ、先程絹旗の大声に驚いた小学生の下!
しかし数が多すぎる。逃がすも硝子と鏡を転送するにも絶望的な物量がそれを許さない!
???「――フレ」
白井「――!!!」
白井が空間移動で飛び、手指を伸ばし、小学生を腕に抱く、しかし次の能力使用を行う秒に満たないタイムラグが
御坂「風紀委員ー!!!!!!」
白井「っ」
???「!」
――白井に、亀の子のように丸まりその身体の下に小学生を庇う事を選ばせた。
それはまさに咄嗟。砂の一粒が時を刻むよりも短い刹那の中。
白井は小学生を強く抱き締め、固く双眸を閉ざして死を覚悟し――
結標「――貴女って、本当に私が好きなのね」
~9~
白井「!!?」
その瞬間、背を丸め身を屈めて小学生を庇っていた白井に降り注ぐはずであった死の雨が……
肌に触れるか触れないかの瀬戸際に『消失』し、スクランブル交差点へ『転送』され、『座標移動』したのだ。
食蜂「座標移動……」
御坂「結標淡希!!」
結標「こら。年上には敬語使いなさいって先代に口酸っぱく言われたの忘れたの?」
御坂「っ」
結標「全く……」
そこには、対峙する食蜂と御坂と白井のトライアングルの真ん中に座標移動で降り立った結標がいた。
肩に担いだ軍用懐中電灯をチラつかせながら、啀み合う中学生三人の間に仲立ちするように。
結標「貴女もよ食蜂さん。私達も中学生の争いになんて首突っ込むつもりなかったのだけれど、流石に“後輩”を危ない目に合わされて黙っていられないわ」
食蜂「私もよぉ。たかがレベル4がレベル5のお家事情に首突っ込まないで欲しいんだけどぉ」
フレンダ「………………」
食蜂「――大した機動力ねぇ?」
白井「結標さん!?それに……どなた?」
フレメア「フレンダお姉ちゃん!淡希お姉さん!!」
フレンダ「フレメア!そこから動いちゃダメな訳よ!!」
結標「二人共、よ」
御坂「!」
そして食蜂の背後を取りリモコンごと後ろ手にねじ上げ喉元に散らばったガラスの欠片を突きつけるフレンダ。
一方で白井は動揺を隠せない。今もお腹の下に庇っている小学生がまさか結標達の連れ合いだったという事に。
フレンダ「結局、ガキのごっこ遊びになんて全然興味ないんだけどさ――」
結標「――あまり子供達の前でみっともない真似させないでもらえないかしら?」
一触即発である。結標は御坂に警棒を、フレンダは食蜂にガラスを。
白井とフレメアに手を出させまいとそれぞれ睨み合う。そして
黒夜「――警備員、呼ンじゃったよン?」
食蜂「………………」
絹旗「さっさと尻尾超巻いて逃げたらどうです?」
御坂「………………」
白井「――幕引きですわ、お二方」
――直走って来る赤色灯が、白と黒の激突に灰色の幕を下ろした。
~10~
食蜂「ふぅん?確かに潮時ねぇ」
御坂「……逃げるつもり?」
そして食蜂はフレンダにリモコンを取り上げられたまま硝子のナイフより解放されて歩み出し
御坂「――こんなので終わっただなんて思わない事ね!!」
食蜂「終わらないわぁ。貴女が私の跪いて許しを乞う姿を見せるまでぇ」
御坂「………………」
食蜂「バイバイ御坂さん。“また”ね?」
御坂は結標が警棒の切っ先を収めるのと同時に二人は交差し、肩をぶつけるまでもなくすれ違った。
女生徒「………………」
食蜂「あとよろしくぅ☆」
女生徒「承りマシタ」
そう言い残すと、食蜂は店内の大名行列を率いて立ち去って行く。操作されていた念動力者を残して。
スケープゴートなのだろう。恐らく彼女はこの後駆けつける警備員らに拘束される事は疑いの余地もなかった。
白井「お待ちなさい!こんな事が許――」
御坂「無意味よ風紀委員。あんたがどれだけ訴えたって、その子はあの女の不利になるような事言わないわ」
白井「ですが!」
結標「――無駄よ白井さん。その子の洗脳は私達じゃ解除出来ない」
白井「……!!」
過ぎ去って行く食蜂の背中にいきり立つ白井の肩を、結標がポンと叩いて押し留める。これが常盤台の女王だと。
彼女は政治というものをひどく歪曲して会得している。警備員らに花(犯人)を持たせて実(無実)を取るために。
女生徒「………………」
御坂「……ごめんね。私じゃ解除してあげられないんだ」
食蜂が立ち去った後、ざわめく交差点にマネキンのように取り残された女生徒を前に御坂は目を伏せた。
かと言って膝を屈せばあの泥まみれのエクレアや埃まみれの紅茶を淡々と残飯処理し……
食蜂の身代わりの羊として生け贄に捧げられる未来しか待っていない。この少女のように
御坂「……ありがとう、風紀委員」
白井「………………」
御坂「ほんの少しだけ、信じられる味方が出来たみたいだった」
白井「貴女は!!」
御坂「――もう、誰も私に関わらないで」
故に御坂はその場から踵を返し、背を向け立ち去って行くより他になかった。
そしてそれは歯噛みして見送るより他ない白井にとっても同じ事が言えた。
白井「っ」
初めて目にするレベル5同士の衝突を前に、白井はあまりにも無力だった。
~11~
フレンダ「ああ良かった訳よ!怪我はないフレメア!?」
フレメア「う、うん大体大丈夫だよフレンダお姉ちゃん!あのお姉ちゃんが守ってくれたから」
黒夜「白井ちゃんのおかげ、だな」
絹旗「超ファインプレーでしたね」
白井「………………」
結標「……白井さん?」
二人のレベル5が消えたスクランブル交差点では駆けつけた警備員らが常盤台中学の女生徒を拘束していた。
確かに念動力でセブンスミストの外壁にあたる硝子や鏡全てを砕け散らせたのは彼女だろう。
だが彼女は食蜂に操られてそうしただけであり、責任能力に問う事はあまりに酷な話であった。
警備員「何故こんな事をした!怪我人が出なかった事が奇跡だぞ!!」
女生徒「………………」
警備員「何とか言ったらどうなんだ!!」
白井「………………」
両手首に嵌められた枷、物言わぬ人形のような乏しい表情。
黒夜も絹旗も何も言えない。フレンダはフレメアの事で頭がいっぱいだ。
だがしかし――白井はそこで一人警備員の前に進み出る事を選んだ。
警備員「なんだね君は?ん?」
白井「通りすがりの風紀委員ですの。よろしければわたくしも証言を提供しても?」
警備員「あ、ああそれは構わんが……」
黒夜「白井ちゃん!?」
白井「では参りましょう。黒夜さん絹旗さん、申し訳ございませんがわたくしはここで――結標さん?」
結標「何かしら?」
白井「――彼女達を、よろしくお願いいたしますの」
少しでも彼女の身に降り懸かる責を軽くするために白井は同行する事を決めた。
目撃者は多数、そして何より女生徒自体が自分がやったと言い張るだろう。
例え白井が如何に弁護しようと、無実を証明する方程式の解を持っていようと。
白井「それから、そこの可愛らしいお嬢さん?」
フレメア「わ、私、貴女に、大体お礼――」
白井「――ありがとうございましたの!」
フレンダ「!」
白井「先程の方の言葉ではございませんが……わたくしも少し救われましたのよ?」
だが白井はそれでも前に進む事を決めた。それが自分の中において譲れない大切な事だと信じるが故に。
白井「――皆様、ごきげんよう――」
白井が女生徒と共に護送車へと乗り込む。最善への道が断たれた今、残された次善の道で足掻くために――
~12~
黒夜「白井ちゃん……」
絹旗「――またまた前言撤回です。超真面目過ぎですね白井さんは」
走り去って行く護送車を見送りながら、ポツリと呟いた黒夜の言葉に絹旗が肩に手を置いて首肯した。
恐らく風紀委員の証言以上の結果は得られないだろう。弁護や無罪を晴らすにはあまりに状況証拠が揃い過ぎている。
フレメア「フレンダお姉ちゃん、あの人大体フレンダお姉ちゃんの友達?」
フレンダ「ううん……結局、あの子はあんたのなんな訳よ?結標」
結標「――後輩よ。不甲斐ない先輩(わたし)に勿体無いくらい良く出来た、ね」
フレンダ「……後輩、ね」
フレメア「?」
その場にいる全員が、ただ立ち尽くして封鎖されていくスクランブル交差点を見つめていた。
その中で結標は手にしたマリアージュフレールの紙袋をグシャッと握り潰すようにして――
結標「――本当に“後輩”にだけは恵まれてるのね。私って」
絹旗「……黒夜ちゃん?」
黒夜「絹旗ちゃ……!?」
そんな中絹旗は先程通報した携帯電話に再び手をかけ、耳に当ててコールを鳴らしながら黒夜へ振り返った。
絹旗「――久々に超マジ切れしまたンで、お兄ちゃンコールしていいですよねェ?」
――超電磁砲よりも激しい怒りと、心理掌握よりも残酷な笑みを浮かべて。
~13~
初春「白井さーん!夕食の時間ですよー」
白井「ただいまわたくしこと白井黒子は絶賛ダイエット中ですの」
初春「……はーい」
事件より数時間後、白井は霧ヶ丘付属の女子寮のベットに突っ伏していた。
時刻は既に夕食時。上る月が窓枠を照らしては十字架の影絵を描き、白井の身体に重なり落ちる。
初春も風紀委員を通して白井の心情や女生徒の処遇を慮ったのであろう。強く勧めて来る事はしなかった。
白井「わたくしは貴女のそういうところが好きでしてよ、初春」
佐天のように明るく励まされる方が堪えたかも知れない。
事実、白井は出来得る限り証言という名の抗弁を戦わせたが――
食蜂の影すら踏む事が出来なかった。警備員や事件の記録まで『改竄』されてしまっていたのだ。
白井「そしてわたくしは……今のわたくしが大嫌いですの」
シーツの海を泳ぐ人魚姫が陸に上がったように寝そべり、枕に顔を埋める。
何も出来なかった。何一つ為せなかった。守る事も助ける事も救う事も。
思い知らされたレベル5の力。自惚れではなく白井にも自負があった。
風紀委員として力をつけ、レベル4として力に磨きをかけたつもりであった。
だが今やがどうだ。今や夕食の誘いも蹴って部屋で不貞寝しているばかりだ。
これでは相部屋の初春の方がいたたまれないであろうと思うと――
コンッ
白井「……?」
コンッ
白井「小石?」
白井を照らす月明かり射し込む窓辺より、小石が硝子を叩く音がした。
こんな時に誰がこんなくだらない悪戯を、と白井は重い物思いに引きずられる身体を起こすと――
結標「――そんな風に不貞寝してたら襲っちゃうわよ?」
白井「!!?」
結標「ああ、何か懐かしいわ中等部の部屋って。変わらないわね」
白井「な、ななななな!?」
結標「やっぱり少し手狭ね高等部と比べると。あの頃はそんな風に感じなかったものだけれど」
白井「どこから入って来ましたのォォォォォォォォォォ!?」
結標「窓からよ。ちゃんと二回ノックしたじゃない」
白井が身体を起こしたばかりのベットの縁に結標が忽然と姿を表し当たり前のように腰掛けていた。
まるで隙間から入り込んで来て我が物顔で闊歩する猫のように気ままに室内を見渡して。
~14~
白井「ノックと返事はワンセットですの!断りもなく部屋に入って来るのは夜這いですの!!」
結標「そんなに大きな声出さないで欲しいわ。人が来たら困るのは貴女もじゃない?」
白井「ぐぬぬぬぬぬ」
御覧の有り様である。本来ならば不法侵入した側が神妙であって然るべきなのに犯人側から窘められるという絶対矛盾。
噛み締めた歯で食らいついてやりたい気持ちを何とかおさめ、白井は結標へと向き直る事にした。
白井「……して何のご用ですの?風紀委員二人の部屋に無謀にも忍んで来られた夜這い魔さん」
結標「固いわね。本当は私に会えて嬉しくてたまらないくせに」
白井「ですからその自信満々なウザい思い込みはどこから来ますの!?」
結標「――貴女が、心配だったから」
白井「!?」
結標「先輩が後輩の顔を見に来るのに、そんなに理由が必要?」
だが向き直ったが最後、猫のような眼差しに白井はまたしても囚われた。
巫山戯けた物言い、飄々とした態度、なのに時折見せる真摯な表情。
だが白井は低きに流されそうになる自分を戒め、律する事で佇まいを直した。
白井「それには及びませんの。これはわたくしの選んだ風紀委員(みち)ですの。それを一度や二度の躓きで――」
結標「貴女はその小石すら蹴飛ばせない娘よ。私のように跨いだり避けたり無視したり、そういう事が出来ない子」
白井「買い被りですの。愚直だという事は自分でもよくわかっておりますが」
結標「そんな事ないわよ。まだ会ってそう長い付き合いでも深い仲でもないけれど」
白井「あっ」
結標「――わかるものなのよ。貴女より四年ほど長く生きている“先輩”としてね」
俯いた白井の額に合わせるように結標もまた額を合わせて微笑んだ。
白井には以前は目を瞑ってしまい見る事の出来なかったその凛とした顔立ちが
結標「――貴女が守ってくれたセイヴェルン姉妹から伝言を預かって来てるの。“私の大切な家族を守ってくれてありがとう。今度お茶ごちそうさせて”って」
白井「………………」
結標「――今日の私の役どころは、さしずめ伝書鳩ね」
――月虹の幻暈に彩られた、互いの眼差しに見交わす顔が映り込むほど近く――
~15~
結標「――貴女が自分を責める気持ちもよくわかるわ。けれどそればかりに囚われて欲しくないの」
白井「………………」
結標「フレメアは貴女に感謝してた。フレンダは貴女を心配してたわ。私もそうだし黒夜さんと絹旗さんも同じ気持ちよ」
だがと白井は思う。自分はあの責任能力のない状態だった女学生の潔白を晴らす事が出来なかったと。
自分のせいで周りを巻き込む苦悩の果てに一人立ち去っていった御坂美琴の背に声をかけられなかったと。
フレメアの事でさえ、寸でのところで結標が鏡と硝子の雨を座標移動で助け出してくれなければ今頃はと
結標「私のした事なんてほんのちょっとの手助けよ。そんな私がえらそうにしてて貴女がしぼんでるだなんておかしな話よ」
白井「っ」
結標「――お節介な先輩は嫌い?」
白井「そんな事……ありませんの」
寝転んでしまいシワのついたスカートをギュッと握り込んで白井は声を震わせ、唇を噛んで耐えていた。
結標はそれを見つめながら白井の細く長い髪に触れて手櫛でといて労るようにする。妹を慰める姉のように。
結標「……白井さん」
結標が白井の肩に手を回して寄りかからせる。細い肩を抱き小さな背中を支えそして手を握る。
吹き抜ける夜風が月の中に浮かぶ風車を狂々と廻し、まるで天上にかかる時計のようであった。
結標「私もね、あの時は本当は怖くて逃げ出したかったのよ」
白井「え……」
結標「情けない先輩でしょう?私あの時震えていたのよ」
結標は語る。本当は自分だってレベル5同士の争いに割って入った時、逃げ出したくなったと。
遮二無二に全員を座標移動させ、一刻も早くあの場から連れ出す事しか考えられなかったと。
自分達だけ逃げ出して、取り残された後の人々の事などとても考える余裕などなかったろうと。
結標「けれど、フレメアを必死に守ってた貴女の姿がそんな私の震えを止めてくれた。あの二人に立ち向かう力をくれたのよ」
結標は続ける。貴女に怪我がなくて本当に良かったと。
目の前で友人の妹を、新しく入って来た後輩達を失わずに済んだと。
こんな情けない先輩(じぶん)を、奮い立たせてくれたのは貴女だと――
結標「――そんな後輩(あなた)を、先輩(わたし)は誇りに思うわ――」
~16~
白井「ううっ……うううっ……うううっ」
結標「……少しは、先輩らしい事させてくれる?」
白井「うっ、ああ、あああぁぁぁ……!」
その言葉に、白井の内なる千丈に蟻穴が入り滂沱の涙が溢れ出して来る。嗚咽が止まらなくなる。
胸の内から、目の奥から、心の芯から、後から後からせき止めるもののない熱を帯びたそれが。
結標「……貴女は無力(ひとり)なんかじゃない」
如何に大人びていようともつい数ヶ月前までランドセルを背負っていた少女なのだと今更ながら結標は自覚する。
負けん気が強く勝ち気な人間は涙を流さないのではない。涙の海を泳いで渡る術を知らないのだ。
故に溺れる事をひどく恐れる。それは己の弱さであったり、時に誰かの優しさであったりと――
白井「うぐっ、えぐっ、ひっく、ううっ」
如何に不真面目に見えても自分より四年長く生きている先輩なのだと白井は今更ながら自覚する。
顔を見ればセクハラし、言葉で弄んでオモチャにし、かと思えば自責の海に溺れかかった自分に……
ロープを投げて渡し、岸まで引きずり上げてくれる。初春の前では見せられない弱みも含めた全てを。
白井「ぐすっ、ぐすっ、ひぐっ、えっく」
結標「――今度は力になれたかしら?」
結標は想起する。あすなろ園で初めて出会った時の身体の弱い黒夜と泣き虫だった絹旗の事を。
そんな二人が、白井が去った後こっそり結標に頼み込んで来たのである。何とかしてやってくれないかと。
黒夜『白井ちゃんの事、お願い出来ねえかな?淡希お姉ちゃん』
絹旗『超お願いします。私ちょっと用事出来たンで』
そんな風に彼女達を良い方向に導いてくれた白井を、結標もまた先輩として感謝しているのであった。
その彼女らもまた激しく憤っているのだ。特に絹旗の怒りは既に低温火傷しかねないドライアイスの域まで達している。
結標「(御坂美琴だけを狙ったならまだ勝ちの目もあったでしょうけど、今度ばかりは流石に同情出来ないわ)」
あすなろ園に生徒会の校外活動を通して出入りしていた結標にはわかる。
彼女らのバックには例え御坂が128人いてもかなわない『お兄ちゃん』が……
結標「(――彼女達に手出ししなければ、あの三馬鹿達もほっといたでしょうに)」
――学園都市最強の第一位、一方通行(アクセラレータ)がいる事を――
~17~
食蜂「」
一方通行「気は済ンだかァ?」
絹旗「やっぱりお兄ちゃンのベクトル操作は超万能ですねェ。このエクレア女の電波全然効かなかったです」
御坂「な……なんで」
同時刻、御坂美琴は信じられないものを目にしていた。
それは執拗な食蜂の追跡をかわしながら逃げ込んだ路地裏にて……
突如として姿を現した霧ヶ丘付属の女生徒が食蜂を袋叩きにしたのだ。
そして今は気絶した食蜂の口にこれでもかこれでもかと――
エクレアを口に突っ込んで憂さを晴らしているのだ。
絹旗「こンなガキの喧嘩のお守りさせちゃってすいませン。でもどうしても超ぶっ飛ばしてやンないとって」
一方通行「――黒夜にもトラック突っ込ませたンだろその女。木原くン呼ぶからオマエはもう帰れ」
食蜂をポリバケツに詰め終えた絹旗を見、一方通行もまた頭をかきながら気怠るそうに立ち上がった。
『友達の敵討ちがしたいからちょっとベクトルバリアして下さい』とコールがかかった時は面食らったが――
一方通行「……小遣い、本当にいらねェのか?悪いが木原くンより稼ぎ良いぞオレ。なンなら三人一緒に暮ら(ry」
絹旗「超大丈夫です!」
一方通行「……黒夜はまた風邪引いたりしてねェか?ちゃンと腹出さねェに布団かけて寝てるか?」
絹旗「昔より超元気になりましたよ!」
一方通行「……足りねェもンあったら言えよ?困った事あったら相談しろよ?なンなら(ry」
絹旗「わかってますって!お兄ちゃんは超心配性ですねえ」
一方通行「お、おい待てェ!」
一方通行は思う。施設にいた頃の黒夜は身体が弱く、世話をしてくれない養護人に代わって一晩付きっきりだった事。
一方通行は思う。施設にいた頃の絹旗は泣き虫で、いつも自分の服の裾を引っ張って付いて来るような子供だった事。
絹旗「なんですかお兄ちゃん?早く行けって言ったり待てって言ったり」
一方通行「あー……」ポリポリ
絹旗「?」
一方通行「……学校は楽しいかァ?」
絹旗「――超最高です!!」
一方通行「……ン。おやすみィ」
絹旗「おやすみなさい、お兄ちゃん♪」
こうして撫でる頭の高さが変わった事を嬉しく思え、寂しく思え、そして――
彼女達があんなによく笑う子供だったのかと、一方通行は見送りながら一息ついた。
御坂「……あ」
一方通行「………………」
ついた一息が――ハアという溜め息に変わった。
~18~
御坂「……なによ」
一方通行「なンだこのちンちくりン……」
御坂「ちんちくりんですって!?」
一方通行「あァー面倒臭ェー超面倒臭ェーなンなンだこの展開」
御坂「」
一方通行「お、垣根くンからメール来てンな」
一方通行はまたぞろビックトラブルを抱えていそうな女子中学生を無視して垣根からのメールを開く。
一方通行にとって妹達とさして歳の変わらぬ少女など女として意識していない。それどころか――
一方通行「く、」
御坂「!?」
一方通行「くか、」
御坂「???」
一方通行「くかきけこかかきくけききこかかきくここくけけけこきくかくけけこかくけきかこけききくくくききかきくこくくけくかきくこけくけくけくこきこきかかかーッ!!」
御坂「――!!?」
一方通行「やった!やれば出来る子じゃねェか垣根くン!!霧ヶ丘女学院合コンゲットォォォォォォォォォォ!!」
御坂「」
面倒臭い事この上ない思春期真っ盛りの少女の身の上話を聞かされそうな雰囲気を吹き飛ばす合コンのお知らせ。
一方通行はこうしちゃいられねェ!とばかりにポリバケツをベクトル操作し木原が支部長を勤める警備員の詰め所まで蹴飛ばした。
ようやっと施設から出、手にした青春は一秒たりとて無駄には出来ない。フラグ?何それ美味しいの?
御坂「ちょ、ちょっとあんたどこ行くのよ!!?」
一方通行「はァ?」
御坂「もうちょっとなんかあるでしょ普通!!」
一方通行「ねェよ。つうかオマエ誰??」
御坂「」イラッ
一方通行は良くも悪くも現代っ子である。大事な妹達、給料日に焼き肉食べ放題に連れて行ってくれる木原数多。
だいたい毎日つるんでいる垣根帝督や削板軍覇など『家族』や『友人』や『彼女』以外は『比較的』どうでもいいのだ。
御坂「オマエって……私学園都市第三位よ!?私には御坂美琴って名前があんのよ!最強無敵の電撃姫、常盤台のエース、超電磁砲(レールガン)って名前くらい聞いた事あるでしょ!?」
一方通行「姫だエースだレールガンだ……オマエアイドルかなンかかァ?あのアキバの路上で踊ってるヤツ」
御坂「」
一方通行「メメシクテメメシクテメメシクテ!ツラァーイ~~ヨォォォォォ!」
御坂「」ブチッ
その後本日二度目となるレールガンが炸裂し、ポリバケツが二つに増える事となるのはまた別のお話……
~19~
結標「――少しは落ち着いた?」
白井「はいですの。恥ずかしいところをお見せしましたの……」
一方通行が振り付け付きで御坂をおちょくっていたのと時同じくして白井はようやく吹っ切れた。
泣く事と眠る事に勝るストレス軽減はないと言われているが、それは傍らに寄り添っていた――
白井「何だか、わたくしは貴女に恥ずかしいところばかりを見られている気がしてなりませんの」
結標「あの花飾りの娘と違って私は貴女より先輩(としうえ)よ。肩肘張る事も片意地張る事もないわ」
結標という存在があればこそ、とこの時白井は感じていた。
初春ならば弱味は見せられないし黒夜、絹旗に弱音は吐けない。
友達だからこそ預けられない荷というものも確かにあるのだ。
白井「結標さんは……」
結標「ん?」
白井「どうしてそうわたくしに構いたがるんですの?」
ならばと白井は自分と結標に問い掛けた。空気を入れ換えるべく片窓を開け放つ彼女へと。
爽やかな夜風が涙に火照った頬に心地良く、十字架を思わせる影が結標のシルエットに取って代わり……
さながら標本のピンより抜け出して来た黒揚羽が翅(はね)を広げているように見えてならない。
白井「初めてお会いしてよりたったひと月あまり。顔を合わせる事だって数えるほどしかなかったはず」
結標「………………」
白井「貴女が生徒会を通してあすなろ園へ足を運び、彼女達の世話を焼いていた事も存じておりますの」
白井は思う。自分は彼女にどんな答えを期待しているのだろうと。
向こうからすればそもそもが高等部と中等部という隔たりがある。
同じ風紀委員という訳でもなく、接点などそう多くないはずだった。
白井「――お答え下さいまし。わたくしは貴女にとってどういう存在なんですの?」
面倒見が良い彼女にとってのその他大勢に過ぎないのか、ただ野良猫に構いたがるそれなのか。
喜ぶべきなのかも知れない。先輩後輩という間柄を。食蜂と御坂を見てより強く感じたそれは――
結標「――理由なんて、いるのかしら?」
白井「………………」
結標「強いて挙げるなら、絹旗さんや黒夜さん、フレンダとフレメアが互いを思い合うように――」
もし出会いの形が違っていたなら、白井と結標はどうなっていただろうと。
そもそも通う学校が、所属する組織が、互いの抱えた信念そのものが――
結標「――貴女を、妹みたいに思っているから――」
~20~
白井「――妹……」
結標「責任感が強くて、負けず嫌いで、しっかり者の女の子。黒夜さんにも絹旗さんにも花飾りの娘にも皆にもそう見えているでしょうし、貴女自身も他の人間の見る目を通して自分をそう思ってる事でしょう」
人間関係は鏡のようなものよ、と結標はおどけた風に笑ってみせた。
妹。その言葉は白井の中にストンと収まり良く落ちて来た。
水鏡の中に落ちて来た玉石のように、屈折する光を宿したマスターピース。
結標「私もそうだった。あの日桜の木の下で貴女が言ったように、結標淡希(わたしじしん)を貴女の目を通して見つけた気がした」
白井「……なら」
水底に落ちて来る玉石が、澱とも泥土とも異なる白井の中の何かを舞い上げる。
最後の葉桜が散って行ったあの夜から、白井の胸裡に降り積もっていたものが。
白井「わたくしを、妹のようだと思って下さるのならば――」
向かい風に波立つ心に、浮かび上がる泡沫が天上を目指す。
白井は口にした。一度足りとてそう呼んだ事がないはずなのに……
触れざる此方より侵さざる彼方へと、神の名を呼ぶように――
白井「――わたくしに、貴女を“お姉様”と呼ばせていただきたいんですの――」
~21~
結標「――“お姉様”――」
白井「ですの」
声を発する事を魔女に禁じられた人魚姫が、その戒めを手にした短剣で断ち切るように白井はその言葉を口にした。
お姉様。どこか懐かしく、訳もなく物悲しく、胸をかきむしられるようなその呼び名を白井は言葉に出し声に乗せた。
その事に何故か胸が痛んだ。薔薇の棘に触れて覚めぬ眠りについた姫が、指先の滲む血に対して覚えたそれのように。
結標「――素敵な響きね」
白井「………………」
結標「じゃあ、私にも貴女を“黒子”と呼ばせなさい」
白井「!」
結標「――呼んで“黒子”。貴女だけに許した、私だけの呼び名を」
結標の両腕が伸びて来る。仄暗い海の底を思わせる青白い月の下、白く透き通った美しい手指が誘って来る。
はねのける事もせず顔の真上にある顔を受け入れ、はねつける事もせず顔の真横にある腕に押し倒される。
投げ出した足の間につかれた膝。見上げた月灯りが、まるで海中から見上げた太陽のように揺蕩っている。
白井「お姉様……」
結標「聞こえない」
白井「お姉様――」
結標「もっと側で」
白井のか細い両手が、結標の背中に回されて行く。
僅かにあげたおとがい、寄せる唇が紡ぐか細い声。
下りて来る血を連想させる髪の爽やかな香りと、近づけた首筋から甘い匂いがする。
陸へ上がったが故に呼吸が出来ない。海もないのに溺死しそうになる。
白井の中の歯止めが歪んで行く。結標の中の歯車が軋みを上げる。
白井「……怖いんですの」
結標「誰が?」
白井「お姉様が」
結標「何が」
白井「溺れ死んでしまいそうで」
結標「それは貴女が?それとも私が?」
砂時計のように零れ落ちて行く『何か』が。
水時計のように流れ落ちて行く『何か』が。
日時計のように影を落とし行く『何か』が。
結標「――――――………………」
羽織った霧ヶ丘女学院のブレザーが翅を広げた黒揚羽のようで。
月の魔魅を思わせる赤い髪がまるで黒揚羽の尾のようで。
そこに来て白井は気づく。自分を絡め取るのは女王の蜘蛛の巣でも、エースの華でもなく――
白井「あ……」
花片のように開かれた唇、蜜に濡れた舌を差し出しながら白井は望んだ。
結標という、逃れ得ぬ楔に打ち込まれ磔にされる自分の姿を――
初春「白井さーん!夕食の残りでおにぎり作ったんですけどいりませんかー?」
~22~
白井「!!!!!!」
初春「あ」
ガシャン!とそこへ夕飯を抜いた白井へおにぎりを作って運んで来た初春が落として割った皿の音で
白井「ち、違っ、違うんですの初春!!」
初春「は、はい部屋間違えましたー!!」
白井「間違えてるのはそっちじゃありませんのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉー!!」
我に返った時には覆水盆に返らず。部屋を慌てて飛び出そうとする初春を捕まえ口を手で覆って引きずり込む。
それに対しいやいやと身を捩らせて抵抗し、もう大声を出さない事を身振り手振りで初春は伝える。
だがつい先程まで白井をベッドに押し倒し組み敷いていた結標はと言うと、寸でのところで白井に逃げられ――
初春「ひ、ひどいですよ白井さん!私白井さんのために一所懸命おにぎり作ったのに!!」
白井「う、初春?これは何かの間違いでして」
初春「ええそうですね今間違いを犯してる最中でしたもんねお邪魔しました私今夜は佐天さんの部屋で寝ますから!!」
白井「これは行き違いですの!すれ違いですの!!ボタンの掛け違いですのぉぉぉぉぉ!!!」
初春「離して下さい白井さんなんて知りません!結標さんとずーっとイチャイチャイチャイチャしてれば良いんです!!ここの壁薄いのでお気をつけて!!!」
白井「くっ……結標さん!貴女からも説明を――!?」
開け放たれた片窓から忽然と姿を消していた。夜風が虚しく吹き抜け翻るカーテンだけを残して。
かぐや姫よりも筋を通さぬ正真正銘のバックレで月ならぬ自分の女子寮へと逃げ帰った後だった。
白井「……またこのパターンですのあんのド腐れがァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
初春「腐ってるのは白井さんの頭ですよ!私がいないのをいい事に女の人連れ込んで!!」
白井「だ・か・ら!違うんですのあの方が窓から押し入って夜這いに来たんですの!わたくしは被害者ですの!!」
初春「触らないで下さい!本当にイヤなら締め出すなり叩き返すなり出来たはずじゃないですか違いますか!?」
白井「うっ」
佐天「ねーさっきから五月蝿いけどどうしたのー?」
白井「んのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
――喧々囂々の中学生二人を残して
~23~
初春「白井さんのエッチ」
白井「………………」
初春「女の人を連れ込んだ後に食べるご飯は美味しいですか?」
白井「(初春が黒春になってますの……)」
佐天「あはははは。もう許してあげなようーいーはーる」
初春「~~~~」
結標が立ち去った後、三人は部屋で割れた皿を片付け終えると仲良くとまでは行かないがおにぎりパーティーをしていた。
ただし佐天と初春がベッドに腰掛け、白井だけ床に正座させられながらタラコおにぎりをもそもそ頬張っている。
どう見ても留守中に男を連れ込んだ娘を咎める父親となだめる母親のような図ではあるが――
佐天「あれれ~?初春もしかしてその結標さんって人に嫉妬してる~?」
初春「してません呆れてるんです!せっかく人が心配して……」ブツブツ
白井「申し開きもございませんの……」
初春「………………」
そのとりなしが功を奏したのか、頬を膨らませていた初春が鼻から抜けるような溜め息を一つ吐いて
初春「……“ごめんなさい”より“ありがとう”の方が私の知ってる白井さんらしいです」
白井「!」
初春「――元気になってくれたみたいですから、もう許してあげます!!」
佐天「流石初春!太っ腹~」ムニムニ
初春「お、お腹つままないで下さい!」
初春は白井を許す事にした。それを傍らで見守っていた佐天もにっこりと笑みを深めて破顔する。
ようやく正座を解く事を許され、同時に弛緩する空気に引きつっていた頬にもえくぼが生まれ――
白井「ありがとうですの初春。今度から隙を見せぬようにいたしますの」
佐天「どうかな~あの結標さんって人。噂だと結構……」
白井「噂?ああ、あの御稚児趣味の事ですの!まさか中等部にまで広まっているとは嘆かわしい限りですの」
佐天「ああ。そうじゃなくてでですね」
――その生まれたえくぼが、下がった目尻が、初春のお腹をつまむ佐天の言葉を前に
白井「……?どういう事ですの佐天さん。わたくしにはさっぱり」
佐天「あ。白井さんなら聞いてるかなーって思ったんですけど。こりゃマズかったかなー」
バツが悪そうに微苦笑する佐天の笑顔が、艶やかな黒髪が、長い手指が、伸びやかな声音が
佐天「実はですね白井さん。ここだけの話なんですけど」
先程まで自分だけを見つめていた結標の眼差しに、鮮やかな赤髪に、細い手首に、涼やかな声色に
覚える、強烈な違和感――
佐天「――結標さんの前のルームメイト。自殺したらしいですよ?」
~24~
志を同じくする仲間(ういはる)と共に叩いた霧ヶ丘付属の狭き門
佐天「噂だと。結標さんが自殺に追い込んだんだって」
新たに出会い、今も絆を育む強く儚い者達(くろよる・きぬはた)
佐天「詳しい話知らないんですけど。やっぱりこういう名門校でもあるんですねそういう話って」
そんな自分達を優しく見守ってくれる、優しい先輩(むすじめ)達に囲まれて
佐天「ですから白井さん。余計なお節介かも知れませんけどもう関わるの止めた方がいいと思いますよ?」
悪人が然るべき報いを受け、善人が必ず報われる世界
佐天「って言っても私結標さんと顔合わせた事ないんですけどね。あははは」
わかりやすく、誰も傷つかず、全ての人々が優しいこの学園都市(まち)
佐天「白井さーん。白井さーん。おにぎりこぼしてますよー。せっかく初春が作ってくれたのにー」
それはまるで、鏡の国に迷い込んだアリスが見ている幻想(ゆめ)のように
佐 天 「 白 井 さ ー ん 」
――歪みが、うねりが、淀みが、滅美の夏を連れて来る――
~8月12日~
削板「ん?」
第十五学区に本部を置く全学連復興支援委員会の執務室に足を踏み入れた時、会長削板軍覇は首を捻った。
六階建ての学生自治会會舘の灯りは既に24時を回っており、常ならば証明も落とされているはずなのだが――
雲川「スー……スー……」
執務室のデスクに突っ伏して眠る副会長、雲川芹亜のスペースのみスポットライトのように皓々と照らされていた。
堆く詰まれた書類の山を枕に、トレードマークのカチューシャも落ちさながら討ち死にした落ち武者である。
削板「こんな時間まで頑張ってたのか……大した根性だ」
そんな雲川の方に、羽織っていた日章をあしらった白ランをかけて削板は雲川に敬意を評した。
先の最終戦争で統括理事長が入れ替わり、親船と貝積による新体制に移行してよりブレーンたる雲川は激務を極めた。
ただでさえ七夕事変によって対外的にも内外的にも敵対勢力が跋扈している最中である。その苦労は想像して余りある。
削板「どれ、俺もこいつを見習って根性入れるとするか!む、垣根は相変わらず字が下手だな」
雲川を起こさぬように書類の一山を引き抜き、服部の使っているデスクへと持ち運ぶ。
服部からの決裁待ちの書類やデスクは意外に整然としポストイットなどで注釈などが添えられており見やすい。
逆に垣根の机は灰皿の山と初春の写真がデカデカと飾られており、しかも悪筆とまで言わないが字が上手くない。
そして意外な事に普段雲川が使っているデスクにはセンチメンタルサーカスのぬいぐるみ型充電器が置かれている。
削板「どれ、USBUSB……ん?」
服部からの書類の山と自分のパソコンを取ろうと伸ばした手指の先に、雲川の殴り書きのメモがあった。そこには
削板「58-1+50-1=51??」
58引く1足す50引く1は51という謎の数字が書かれていた。
雲川という天才少女は良く自分にしかわからない方程式を持っている。
何かの演算式なのか原石たる削板にはわからない。
能力者の面々の中には十一次元の理論値を当てはめるなどと……
削板からすればトンデモ理論に等しい演算を行うものすらいる。故に
削板「こんな計算も間違えるほど無理させちまってたのか……」
削板はそれを雲川の計算ミスとして結論づけ、苦手なパソコンを立ち上げて仕事に取り掛かった。
「スリアの国のみ歪」話八第:(ムーロクノモ)標座間空の虹白るあと
~1~
佐天『結標さんの前のルームメイト。自殺したらしいですよ?』
白井「………………」
黒夜「……ちゃーん」
桜花と新緑を越え、紫陽花が咲き始めた梅雨時を迎えた六月。
白井は物憂げに頬杖をつきながら教室の窓に流れる雨滴を目で追っていた。
曇天が広がり、晴れ間は遠く彼方に押しやられた空はさながらコールタールを流したように仄暗い。
陰鬱な天気に暗鬱な気分。その脳裏にこだまする佐天の口から仄めかされた結標の過去と
結標『――貴女を妹のように思っているから――』
白井「(根も葉もない悪意ある噂に決まってますの!)」
黒夜「……井ちゃーん」
胸裏に息づく、あの月夜の魔魅のような結標の微笑とが綯い交ぜとなる。
佐天の口から聞いた噂の結標、白井の目で見て感じられた結標。
後輩(じぶん)に何くれと理由を付けて弄りたがる先輩(結標)。
白井を妹のように思ってくれ、姉のように想っている結標が……
黒夜「白井ちゃンってばァ!」
白井「あ、ああこれは黒夜さん」
前のルームメイトを自殺に追い込んだなど白井にはとても信じられなかった。信じたくなかったのかも知れない。
~2~
黒夜「ひどいよ白井ちゃん。ずーっと呼んでんのにぼーっとしちゃってさ」
白井「これは失礼いたしましたの。どうやらわたくしとした事が梅雨冷えにあてられていたようですの」
ポリポリとスニッカーズをかじりながら呼び掛けて来た黒夜に白井は殊更に明るく振る舞う事を選んだ。
空元気というまでに思い詰めてなどいないが、せめて自分の心に降る雨に肩を濡らさぬようにと。
黒夜「頼むぜー今日は白井ちゃんにレポート手伝ってもらわなきゃなんだから。頼りにしてるにゃーん?」
白井「それを仰有るならば頑張るのは黒夜さんの方ではございません事?わたくしはあくまで手伝いですの」
黒夜「ひっはは、それ言われると弱いよ」
そして今日、白井は黒夜から一つ頼み事をされていたのだ。
その内容とは先の中間考査の成績が芳しくなかった黒夜に出された能力開発に関するレポートの手伝い。
どうやら絹旗を含めた三人で試験前に学園都市ピカデリーへ映画鑑賞に足を運んだ事が祟ったようで
黒夜「じゃ、図書室で資料集めから始めよっか」
白井「ですの!」
白井もまたこのメランコリックな気分を振り払いたかったのか、黒夜のレポートを手伝う事と相成った。
~3~
黒夜「本当は絹旗ちゃんに頼めば良かったんだろうけどさ、あいつ今映画作りにハマってるだろ?」
白井「確かそうですの。先の部活紹介になかったから自分で作ると」
黒夜「すげーよなあの行動力。高等部まで人集めて淡希お姉ちゃんに“超予算下さい!ついでに機材も超下さい!”とか掛け合ってて、私の事ほったらかしてでやんの~」
白井「っ」
霧ヶ丘付属と霧ヶ丘女学院を渡す架け橋の向こうを目指し、イルカの絵の入った傘を差しながら黒夜は言う。
絹旗は今現在、先の部活紹介になかった『活動写真』作りにその全能力を傾注しているのだと言う。
部活ならば中高分かれていて当たり前だが、同好会という名目でサークルを作るのならばそこに隔てはない。
そこで更にものを言うのがコネクション……副会長たる結標と顔馴染みである強みを押し出して絹旗は直走る。
白井「――そう、お姉様のところに……」
結標淡希。霧ヶ丘女学院副会長。白井がお姉様と呼び慕う、四つ年上の空間移動系能力者。
それを思うと、白井は今足元に咲き誇っている紫陽花のように移ろう心模様に痛む胸を押さえた。
~4~
黒夜「着いた着いた。はーこりゃすげー」
白井「バベルの無限図書館のようですの。ボルヘスが生きていればさぞかし喜んで事でしょう」
黒夜「バビル??ああ、お兄ちゃんが昔読んでた漫画にそんのあったなー」
白井「(お兄ちゃんって誰ですの……)」
バサバサと傘を閉じたり開いたりして雨露を飛ばす白井と、ブンブン振るって水滴を落としくぐった校舎の入口。
目指す先は霧ヶ丘女学院内にある『イレギュラー能力開発』に関する資料を数多く収めた図書室である。
電子化さえされず部外秘扱いになっている論文の数々は研究者ならば垂涎ものの宝の山だろう。
二人は傘を絞って階段を上り、渡り廊下を抜け、生徒会室を横切り、件の図書室へ足を踏み入れた。
黒夜「じゃ、ちょっくら資料見繕って来るからさ」
白井「あら、お一人で大丈夫ですの??」
黒夜「うん。何書くかは決まってるからそれまでブラブラしてて!」
そこで黒夜はローラーシューズでガーッと床を滑って資料集めから取り掛らんとし、白井もそれを見送った。
まだ中等部の一学期という事もあり、能力開発の授業もまだ基礎的な部分のため互い助け合える段階だからだ。
~5~
白井「(もう少し先へ進めばより細分化され、アドバイスのしようもなくなる時期が必ずやって来ますの)」
黒夜が指差した席にビニール袋に入れた傘を立てかけ、白井は館内をぐるりと見渡して物思いに耽る。
霧ヶ丘の名を連ねる学校の最大の特徴とは『稀にして奇なる輝を放つ才』の蒐集にこそある。
レベルの高さがものをいい、それを満たせなければ王侯貴族でさえ扉を叩けない常盤台。
一芸に秀でてさえいれば能力開発のみならずあらゆる分野の人材を貪欲に集める長点上機。
希少価値の高さに重きを置いて独占し、それを満たせなければ容赦なく切り捨てる霧ヶ丘。
特に霧ヶ丘に集う生徒は他と比較したり参考にしたりするサンプリングケースさえない能力を持つ者が多い。
黒夜や絹旗は窒素を操るという能力だけ見てとればさほど珍しくないが、なんでもかの学園都市第一位……
一方通行の演算式や思考パターンに非常に通じる近似値を持つという特異性もあって霧ヶ丘の狭き門をくぐったのだ。
白井「(それはわたくしとて同じ事が言えますの)」
適当にブラブラしながら書架に収められた蔵書を見やりながら考え込む白井とてまたその一人である。
230万人の人口を誇る学園都市にあって58人の空間移動系能力者、更に付け加えるのならば――
白井「(――お姉様も)」
結標や白井のように自らの体重も含めた質量を自在に移動させられる能力者は58人の中で更に19人しかいない。
これは世界中に散らばる原石なる能力者の総数50人ほどに匹敵するそれである。
結標もまた次期レベル5入りも夢ではないと言われるほどの逸材なのだ。
白井「お姉様……」
そんな彼女に向かって、レベルでも能力でもない貴女自身に対してと白井は啖呵を切った。
今思えば非礼も甚だしいが、結標はそんな白井の若さと猛々しさを好意的に受け止め可愛がってくれている。
絹旗や黒夜をあすなろ園からこの霧ヶ丘へ導いたのも彼女だ。同時に副会長も務めている。そんな彼女を――
白井「あ……」
そこで白井の目が書架にある一冊の洋書に止まった。アゴタ・クリストフの『悪童日記』。
それは結標がかつて絹旗らとの出会いに思いを馳せ、引き合いに出していた小説である。
白井「………………」
白井は手を伸ばす。二人の戦災孤児の物語へと。
結標が紐解いた世界の、ほんの一端にでも触れたいと願って――
~6~
フレンダ「あれ?」
白井「!」
フレンダ「この間の娘、結標の愛人!!」
白井「愛人!!?」
――伸ばした手が固まり、図書室内の空気がザワッと外に降りしきる梅雨寒よりも冷たいそれに変わる。
弾かれたように振り向き目を剥く白井の後ろにはフレンダ=セイヴェルン。
結標と共にスクランブル交差点にて大立ち回りした上級生。そして
フレンダ「……じゃなかったフレメアを助けてくれた娘!てへっ」
白井「嗚呼、あの時のお嬢さんの身内の方でしたの!」
フレンダ「うん、あの時は結局ロクなお礼も言えなくってごめんね。本当はこっちから訪ねて行きたかったんだけど――」
白井が救ったフレメアの姉に当たる少女は律儀にもベレー帽を脱いで白井に感謝の言葉を口にした。
本来ならば結標にメッセンジャーを頼むまでもなく中等部を訪ねてお礼を一言言いたかったらしいが――
フレンダ「ちょっとばかしテストでヘマ踏んじゃって、追試に忙しかったから結局伸び伸びになった訳よ!」
白井「はあ、それは……」
能力開発の試験で追試を受ける羽目になり、そちらの方は何とかパス出来たものの黒夜と同じくレポートが残ったらしい。
それに対して白井は微苦笑を浮かべる他なかった。まさか上級生に対して頑張って下さいとは流石に口に出来ない。が
フレンダ「――ねえ、今ヒマ?」
白井「!?」
フレンダ「あー別にナンパとか言う訳じゃないから。他人の愛人寝取るとか流石にちょっとね~」
白井「わ、わたくしはあなた方の間でどう噂されておりますの!?」
フレンダ「うーんと……」
白井の背にある書架に手をついて迫るフレンダがどこかしら意地と人の悪い笑みを浮かべて白井へ詰め寄る。
彼女の言うところ白井は結標の愛人であるらしかった。もはや微苦笑を通り越して引きつり笑いである。
フレンダ「いいや。私も結局コーヒーブレイクしたい訳だし付き合ってよ。一度貴女と話してみたかったし」
白井「い、いえわたくしこの後友人と待ち合わせが(ry」
フレンダ「あーいーからそーいうのぉ。それとも結標以外の“先輩”のお願いは聞いてくれない訳?」
白井「……ご一緒させていただきますの」
そこで白井は結標を引き合いに出されフレンダの笑顔に根負けする形となった。女子校は意外に体育会系なのである。
~7~
フレンダ「あ、適当に座ってて今お茶淹れるから」
白井「は、はあ」
フレンダに引きずられ連れ込まれた先、図書室の横にある生徒会室。
白井は勧められるままにソファーに腰を落ち着け、辺りを見回した。
白井「(ここにお姉様が……)」
フレンダが火にかけ湯を沸かす音、ガラスポットをカチャカチャと鳴らす音、窓を打つ雨音の中白井は見渡す。
シールがベタベタと張られたロッカーや買い換えたばかりと思しきパソコン、いくつか並べられたデスク。
どこが結標の定位置だろうかと白井が目を瞬かせていると――
フレンダ「ふーん?」
白井「……わたくしの顔に何かついておりまして?」
フレンダ「ううん。結標の好みも随分変わったなって思った訳よ」
白井「(ムッ)」
フレンダ「ああ、ごめんごめん悪気はない訳よ。むしろ可愛いなって」
目分量でお茶っ葉を入れ、カップを用意するフレンダが面白そうに白井を見やっていたのだ。
ただ白井としてはあまり面白くない。それは顔をジロジロと見られる事以上に――
白井「そういうフレンダさんは結標さんとも長いお付き合いですの?」
フレンダ「今の貴女くらいの年からの付き合いって訳。まあ結局腐れ縁って言うか悪友って言うか……」
白井「………………」
フレンダ「――知りたい?結標の事」
白井「!」
フレンダ「結局そんな顔してる訳よ。そういうの期待してたから私について来たんじゃない?」
白井「わ、わたくしは決してそのようなつもりでは――」
フレンダ「(結局、まだまだ青い訳よ)」
小出しにされるようにちらつかせるように白井の勘所をくすぐって来るこの悪い笑顔にである。
結標のように飄々と翻弄するのではなく、手ぐすねを引いて含み笑いしているようなそんな雰囲気。
だが違うと暗に言い切れない気持ちが白井の中にも確かにあるのだ。故に足元を見られぬように。が
フレンダ「先代ほどじゃないけど結標ってモテるしファン多いし?って事はそれだけライバルも多いって訳よ。他の子に差つけたくない?」
白井「ですから何故わたくしがお姉様に懸想している前提で話を進めますの!?」
フレンダ「あ、お姉様なんて呼んでるんだ」
白井「………………」
フレンダ「お茶、飲んでくでしょ?」
フレンダの淹れたエスプリ・ド・ノエルは、甘い誘惑と言う名の罠の匂いがした。
~8~
そしてフレンダはお茶請け代わりに結標に絡んだ噂の真偽を白井に語る。
まずショタコンなのは噂ではなく事実。これは誰もが知る事なので除外。
次いで料理が壊滅的に下手で一時食中毒騒ぎが起きたと言う噂。
これも事実であり前生徒会長も犠牲者に含まれていたらしい事。
白井「(わ、わたくしの知っているお姉様とは随分イメージが……)」
フレンダ「びっくりした?結局ウチらタメからするとネタがミニスカ履いて歩いてるような女な訳よ」
白井「型破りな方と言うのは存じていたつもりでしたが少々驚きましたの……」
いつしか、白井もフレンダの話術に引き込まれて行く。黒夜が探しに来ないのも不思議に思わず。
フレンダの口から語られる結標淡希の素顔。それはあの余裕綽々な態度から大きくかけ離れていて――
フレンダ「結局、貴女の前では頼れる先輩でいたい訳なのよ。本当は全然そういうタイプじゃないクセに」
白井「そうなんですの?確かに意地悪もたくさんされますが、優しいところもたくさんございますの!」
フレンダ「………………」
白井「フレンダさん?」
フレンダ「あのさ。貴女の前で見せてる姿もあれはあれで結局結標の一部ではある訳なんだけど」
白井「………………」
フレンダ「結局、本当のあいつは硝子細工みたいに繊細なタイプな訳よ」
非常にメンタルが弱いタイプであるとフレンダは馥郁たるバニラの香りを楽しみながらも白井にそう告げた。
勝ち気で負けん気の強い性格はそれを覆い隠し取り繕う仮の姿に過ぎないと。それと同時に――
フレンダ「そのせいで一時期メチャクチャ荒れてた事もある訳よ。先代に喧嘩売って返り討ちにあったり」
白井「ええ、風斬会長がそのような事を仰ってたような……」
フレンダ「………………」
この時初めて白井の中であの入学式の午後の出来事が合致した。
風斬が言う先代に返り討ちにあった、しかし一番可愛がられていたと言う事に。
そんな白井の様子と空になったカップを見比べると、フレンダは意を決したように――
フレンダ「――その時期、結標のルームメイトが自殺した訳よ」
白井「――――――………………」
フレンダ「……おかわり、いる?」
白井「……お願いいたしますの」
窓を打つ雨垂れの音が、ひどく白井の胸を締め付けた。
~9~
結標『いえ?貴女みたいな娘、毎年一人か二人必ずいるから……』
結標のかつてのルームメイトは、フレンダの評するところの可愛いらしい白井とは違う純和風の美人だったと言う。
結標より一つ年下の、艶やかな黒髪と巫女服が強く印象的だったその少女は最初寮を間違えそうになり……
結標が慌てて少女を引き取りに行き寮へと連れ帰ったのだ。それがあの『虹架け橋』と呼ばれた場所である。
結標『あははははやめて!やめて!お腹痛くなっちゃう!ネガティブ過ぎるでしょ字の当て方あはははは!!』
その少女が名乗りを上げた時、字の当てを『秋(あい)の沙(すな)。不毛な名前』と説明したのだと言う。
とぼけているのか緊張していたのか、そんな少女を結標は見初めるようにしてルームメイトに選んだのだ。
結標『見直してなんてくれなくてもいいわ。あの鏡鬼の時のように、肩書きでもレベルでもないありのままの私を見てくれればいいの』
その少女は次期レベル5と謳われた結標を前に全く物怖じと言うものをしなかった。
それが心地良かったのか、誰よりも優れていると言う孤独と隣り合せの優越感より……
同じ高さの目線、立ち位置、関係を結標は欲していたのではないかとフレンダは評した。
~10~
白井「そのような方が……」
フレンダ「いいコンビだったよ。現相棒の風斬には悪いけど、結局誰も敵いそうもないくらい」
初めて耳にし他人の口から語られる結標淡希(せんぱい)の過去。
それに対して白井はその今はもう亡くなってしまったルームメイトに……
えもいわれぬ嫉妬と、それを抱いた自分に自己嫌悪を覚えた。
フレンダ「だけど結局、その子はある日この霧ヶ丘から叩き出されるかも知れないって話になった訳よ」
白井「一体何故ですの?」
フレンダ「何て言ったか忘れたけど、原石のレベル4だったはずが結局レベル2にまで下がっちゃった訳よ」
白井「!」
フレンダ「結局それがこの霧ヶ丘でどれだけ致命的な意味を持つか、新入生でももうわかるよね?」
それはフレンダにとっても同じであった。故に生徒会室でも課題に取り組み、モノレールで単語帳を手繰り……
少しでも点を稼ぎ、追試でもなんでも良いから能力開発に受かり、さっきも図書室に足を運んでいた。
今この場にいない黒夜もそうだ。この霧ヶ丘で成績を落とす事はどんな校則違反より重い罪なのだ。
白井「(――それが、そのルームメイトの方が自殺なさったと言う理由ですの?)」
フレンダ「それからかな?結局結標とそのルームメイトの仲が険悪になったのって」
結標もまた彼女が退学にならぬように奔走し、能力開発を手伝おうとしたが徒労に終わった。
霧ヶ丘は希少価値の高い能力者を進んで集める。故に同じような能力を持つロールモデルが非常に少ない。
数多い念動力や発火系の能力者のように能力開発のデータが蓄積されておりメソッドが確立されている訳でもない。
白井や結標のような空間移動能力者でさえ50人ほどいるのに対し、一人一人がオンリーワンである原石では――
フレンダ「だけど、結局そのルームメイトは言ったんだって。これでいいんだって」
ルームメイトは心からそう言ったのだと言う。もう二度と能力など使えなくなっても構わないと。
しかし結標はそれを許さなかった。能力が使えなくなった学生は霧ヶ丘にいられなくなるのだ。
分かち難く離れ難い結標はルームメイトをなだめすかして説得し、時には感情を爆発させてなじった。
だがルームメイトもまた頑としてレベルが下がった理由も、解決法も探そうとはせず両者は平行線を辿り――
――そして、二人は決裂した――
~11~
フレンダ「その日の夜、結標が泣きながら私の部屋まで来た訳よ。ルームメイトと喧嘩したから泊めてくれって」
白井「!!!」
フレンダ「またいつもの痴話喧嘩かって、私も結局泊めちゃったその日の晩……」
白井「………………」
フレンダ「――ルームメイトは自分の首を切り裂いて自殺した訳よ」
結標とルームメイトの部屋はまさに惨憺たる血の海だったと言う。
部屋の中には血が飛び散り、当初は強盗殺人かと警備員による検証も行われた。
彼女がいつからか身につけていたケルト十字架が持ち去られた形跡もあったが――
結局、事件は自殺として処理され闇から闇へ葬り去られた。
フレンダ「――結標は今でも自分を責めてる。ルームメイトを死なせたのは自分だって」
それは結標が、フレンダが、一つ年下のルームメイトが……
今の白井や、初春や、黒夜や、絹旗のように仲が良かった頃。
白井は初春と喧嘩し、その後おにぎりパーティーで和解した。
だが結標はそれさえ出来ぬまま、自らの流した血の海に溺死したルームメイトを
フレンダ「能力もレベルも先輩も後輩も関係なく、自分はただ人を傷つける側の人間だったんだって」
結標は腕の中に抱えながら泣き叫んでいたとフレンダは語る。
自分がルームメイトを追い詰めたのだと、物別れに終わったそれが……
永遠の別れになったしまった時から結標はひどく荒れ狂った。
自分を痛めつけるように周りを傷つけ、その果てに――
フレンダ「誰かに止めて欲しいみたいに暴れて、最後は先代にのされて子供みたいにワンワン泣いてた訳よ」
当時の霧ヶ丘女学院生徒会長に叩きのめされ、ようやく結標は暴走を止めた。
それを見咎めた先代が結標を生徒会に引き入れ、仕事を手伝わせたのだと。
あすなろ園での子供達との交流が、先代の支えが、結標を立ち直らせた。
フレンダ「でも、結局身内の贔屓目かも知れないけどあの子の自殺の原因は結標じゃないって私は思ってる」
室内に残された死灰、いくつかの足跡、不信な状況証拠はいくつもあった。
だが結標はいずれにせよ、あの夜自分が飛び出さなければ……
ルームメイトはいずれかの形で死を免れたかも知れないと――
結標「……白井さん?」
白井「!!」
――結標が、生徒会室の扉の間から青ざめた表情を浮かべて――
~12~
結標「っ」
白井「お姉様!!!!!!」
フレンダ「行って!!」
白井「!?」
青ざめた表情の結標が全てを悟って飛び出し、白井が声を張り上げると、フレンダがそれに続いた。
いつしか雨霧はより深く立ち込めて窓ガラスを叩き、より強く降り注いで紫陽花を濡れそぼらせていた。
フレンダ「――行って。あいつ逃げ足ハンパないから」
白井「フレンダさん……」
フレンダ「――結局、私の脚線美じゃ追いつけない訳よ」
白井「――わかりましたの!」
同時に、白井も空間移動で結標の後を追った。
フレンダはそれを見送ると、熱を失ったガラスポットへ一瞥を送る。
芳醇なバニラの香りを漂わせるマリアージュフレールのエスプリ・ド・ノエル。
先代が愛飲していたそれに覚えたプルースト効果が、懐かしい声を呼び覚ます。
麦野『――あいつの事頼んだよフレンダ。危なっかしくておちおち見てらんなくて』
フレンダ「――結局、私ってばこういう役回りな訳よ」
前霧ヶ丘女学院生徒会長、麦野沈利。結標をあの虹の架け橋で叩きのめし立ち直らせたレベル5第四位。
卒業式の日、フレンダのベレー帽をわしゃわしゃと撫でながらそう言伝て彼女は去って行った。
見送るフレンダではなく、見送りに来なかった結標の身を案じて。
フレンダ「……好きな人の最後の頼みでもなきゃ、こんなのやってらんないっつーの……!」
風斬が、滝壺が、フレンダが、あすなろ園の絹旗までもが彼女を慕っていた。皆の憧れだった。
目蓋の裏に浮かぶあの笑顔が、膝の上に落ちる涙に映し出されそうなまでに焦がれていた。
だがフレンダにはわかっていた。結標が最も荒れていた時期に何も出来なかった自分では救えないと。
フレンダ「何で私ばっかり……何であいつばっかり!!」
そしてスクランブル交差点での白井が結標を見つめる目は、正しくフレンダが麦野を見つめていた眼差しだった。
同時に悟ってもいた。結標が白井を見つめていたあの眼差しもまた、ルームメイトに向けられていたそれだと。
それがたった数ヶ月前に姿を現したばかりの新入生に託す他ないなどと、それはフレンダにとって――
フレンダ「麦……野ぉ!!」
フレンダの押し殺した声が、雨音に掻き消されて行く。
敵わない相手と、叶わない願いに肩を震わせるようにして――
~13~
白井「お待ち下さいお姉様!!!!!!」
結標「来ないで!!!」
白井「!」
結標「来ないで……」
生徒会室より飛び出し、座標移動で振り切らんとする結標と空間移動で追い掛けんとする白井が辿り着いた先。
そこは雨霧に濡れた風見鶏が東を向く校舎の屋根であった。
結標は屋根の先端部にて白井に背を向け、その表情を伺う事は叶わない。
だが前髪を張り付かせるほどの氷雨に濡れた眼差しを、白井は幻視していた。
結標「聞いたんでしょう?フレンダから私の事を、何があったかを」
白井「………………」
結標「――私は貴女が思ってるような先輩(にんげん)じゃない!!」
まるで雨に濡れ飛べなくなった黒揚羽のようだった。
衣替えの時期だと言うのに肩から羽織ったブレザーに包まれた細い肩が震えているのが見えたから。
そして、入学式の時から追い続けて来た結標の背中が――
今、白井の知っている限り最も小さく見えるが故に。
結標「……ずっと、貴女をあの子に重ねて見ていた」
白井は思う
結標「あの桜の木の下で、私自身にと言ってくれた貴女が」
これがこの人の素顔だと
結標「あの子と初めて出会った時を、そのまま鏡に映したようで」
この硝子細工のように脆く壊れやすい
結標「……あの娘が、帰って来てくれたみたいに思ってた」
触れた指先一つで罅が入るような
結標「――最低でしょ?」
どうしようもなく、愛しい脆さ。
結標「……賭けの取り立てをさせてもらうわ」
入学式の時は同じ能力者として出会い、オリエンテーリングとは先輩後輩として。
スクランブル交差点の時は姉妹のように。自分達を名付ける関係性は二転三転して来た。
三面鏡に映る姿が、それぞれ異なる角度から切り出すようにして築き上げて来たもの。
今、結標の最も柔らかい部分が白井の前にさらされている。鏡にすら映らない真実の姿を。
結標「もう私に関わらないで。これがあの日、貴女とした鏡鬼の賭け金よ」
白井「……わかりましたわ」
一足早い洒涙雨が訪れたかのように頬を濡らす結標の背にかけられた白井の熱を感じさせない声音。
あの日白井から勝ち得た権利を、こんな形で行使するなどと結標は夢想だにしなかった。だが
白井「――では今から、わたくし達はただの他人ですの」
――別れとはいつもそうしたものなのだ――
白井「――ゲームをしましょう、座標移動(ムーブポイント)――」
~14~
結標「!?」
白井「簡単なお遊びですの。種目は“鏡鬼”……制限時間は10秒、ハンデ無しの真剣勝負(ゲーム)ですの」
白井は引かない。結標は退けない。故にぶつかり合う他ない。
そこで反射的に振り返った結標が目にしたもの。それは――
白井「先輩後輩でもなく、姉妹でもなく、ただの能力者(たにん)として貴女のくだらない幻想をぶち殺して差し上げますの」
結標「貴女、何を言って……」
白井「わたくしは!!!!!!」
結標「っ」
白井「――貴女と同じ負けず嫌いですのよ。やられっ放しは性に合いませんの」
あの桜の木の下で結標に挑んで来た日そのままの眼差しだった。
勝ち気で負けず嫌い、向こう見ずが故に真っ直ぐで、ひたむきで。
白井「貴女に土をつけられただけでも口惜しいと言うのに、身も知らぬ名前もわからない他人(ルームメイト)と勝手に比べられ、思い出に負けるなどと」
白井は前に出る。結標は後ろに下がる。厚い雲に遮られ届かぬ太陽の光、肌寒い梅雨冷えの空気。
されど白井の肩を震わせるは寒さではなく怒り、踏み出した足は追うのではなく先んじるため。
白井「――貴女はどこまでわたくしを馬鹿にすれば気が済むんですの!!!!!!」
結標「……っ」
白井「今ここで証明して差し上げますわ。貴女はわたくしを傷つけるどころか指一本触れる事さえ出来ませんの」
結標の本当の弱さは他人を傷つける事などではなく、それは自分を傷つけ流した血と痛みに浸る甘(よわ)さ。
こんな事を考える自分はやはり、良い後輩にも可愛い妹にもなれそうにもないと白井は自嘲した。
結標「――馬鹿にしているのは貴女の方よ。私に勝てるだなんて本気で考えているなら、その思い上がりを正してあげなくちゃね」
白井「わたくしが勝つんではありませんの。貴女が負けるんですの」
結標「減らず口を……!」
風見鶏が回り、時計の針が回り、二人の運命の輪が回る。
鏡合わせのように再現される出会いの日の形で、別れの日を実現させじと白井は立ち向かう。
白井「思い出に負け、自分の弱さに負け、わたくしに負け、全てに負けて震える貴女をくるんであたためて差し上げますの」
結標はあの虹の架け橋で白井に語って見せた。『自由』とは奪うものだと――
白井「――結標淡希(あなた)の自由(すべて)を奪って!!!!!!」
~15~
―――――10―――――
結標「やれるものならやってみなさい!」
結標が軍用懐中電灯を抜――
白井「――無駄ですわ」
結標「!!?」
白井「今の迷いに満ちた貴女に、わたくしを捉える事などとてもとても」
―――――9――――
かんとしたその時、いつの間にか正面へ空間移動していた白井が結標の軍用懐中電灯を押さえ、奪い取る!
結標「っ」
――――8――――
白井「鏡は迷いの具。鏡に映った姿が歪んでいるならばそれは鏡ではなく貴女自身の姿が歪んでいるからですの」
そしてそれを屋根から放り捨て、白井は髪をかきあげる。
反対に屈辱に顔を歪め歯噛みする結標が怒りに任せて手を伸ばすも――
――――7―――
結標「あっ」
白井「鏡鬼の精髄は鏡に映る自分を見るように相手の心を見据え、己が心の水面を鏡のように鎮めること」
またしても空を切る結標の手、背後を取り結標の髪紐を奪う白井。
バサリと落ちた赤い髪が、まるで血涙を流すように赤く紅く朱く――
―――6―――
白井「人間関係は鏡のようだとえらそうにのたまった貴女が、無様に髪を振り乱す滑稽さに濡れてくる思いですの」
結標「貴女に私の何がわかるの!!」
―――5――
白井「わかりませんわ。同じ能力者でも、先輩後輩でも、姉妹でもわからなかったものが他人の今、わかろうはずもありませんの」
さらに結標のブレザーを引き剥がして白井は風見鶏の上に空間移動する。
一つ一つ引き剥がし、肌を晒させ、心まで裸にしてヘシ折るために。
――4――
白井「――故に、これから貴女にはわたくしのパートナーになっていただきますの。触れただけで傷つく貴女(ガラス)を曇らせる露の全てを、わたくしが払って差し上げますの」
結標「きゃあっ!?」
追い掛けて来た結標のピンク色のサラシを引き裂き、それによって結標が胸元を押さえて膝をつく。
――3―
白井「罅割れたガラスを元に戻すには、火にくべて溶かし、作り直すより他にありませんわ」
―2―
動けない結標へ白井は歩み寄り、胸を押さえてうずくまる結標の顔へと両手を差し伸べて
結標「い、いやっ……」
白井「――これから貴女を壊して差し上げますの。わたくしの腕の中で」
―1
挟んだ頬へ、落とす唇が迎えた決着
0
~16~
結標『ああ、何か懐かしいわ中等部の部屋って。変わらないわね』
初めて白井が結標を“お姉様”と呼んだあの月夜の晩
『やっぱり少し手狭ね高等部と比べると。あの頃はそんな風に感じなかったものだけれど』
白井は思う。結標はあの夜、一体どんな気持ちで白井のいる霧ヶ丘付属女子寮にやって来たのだろうと
結標『先輩が後輩の顔を見に来るのに、そんなに理由が必要?』
身を切られるような別れと、それを思い起こさせる部屋を、白井を慰めるためだけに訪れたその時を
結標『――貴女が自分を責める気持ちもよくわかるわ。けれどそればかりに囚われて欲しくないの』
何を思い、何を考え、何を感じただろうと
結標『――今度は力になれたかしら?』
そんな過去があった事など微塵も感じさせず――
結標『――貴女を、妹みたいに思っているから――』
――食ってかかる白井に微笑みかけていた結標に、白井はいつしか――
白井「――――貴女の事が、好きですの――――」
~17~
落とした唇が、見交わした視線が、連なる影が、ひび割れた心が、胸を締め付ける想いが重なった。
結標「あ……」
白井「――わたくしの勝ちですわ」
その瞬間白井の顔に笑みが。その刹那結標の貌には涙がそれぞれ零れた。
勢いを増す雨足に、中庭に咲き誇る紫陽花の上を歩む蝸牛が顔を上げる。
結標「……わ、たし……」
白井「――このように脆く儚い貴女に、人を死に追いやるような強さなど考えられませんの」
白井のぐしょぐしょに濡れた制服の胸元へ、ずぶずぶに濡れた結標の身体が収まる。
すっぽりと覆うように包むように、先程の激しさと打って変わって優しくすらある手付きで。
こんなにも細い腰とか弱い背中しか持ち得ぬ結標に、誰かを死に追いやる力などどこにも宿っていないと。
白井「――取り立てを行わせていただきますの」
結標「………………」
白井「――貴女の記憶(いたみ)を、どうかわたくしに」
結標「……どうして」
結標のどうして、という呟きに込められた意味を白井は察した。
何故自分のものになれと言わないのかと。そうしたならば――
結標には言い訳が手に入る。賭けに負けたという言い訳(よわさ)が。
白井「どうしたもこうしたも……」
結標「………………」
白井「既に奪われているものを二度取り立てる事は誰にも出来ませんの」
結標「……貴女は、それでいいの?」
白井「十分に過ぎますの」
白井はその合わせ鏡の隅に写り込む悪魔の誘惑に屈する事をよしとしなかった。
なれば自分は魔法の鏡になりたいと白井は願った。
壊れやすく脆い彼女に『美しい』と呼び掛け続ける魔法の鏡に。
白井「――愛とは奪うものではなく、与えるものでしてよ?」
白井は思う。二つ結びを下ろしている方がより美人だと。
もっともそんな事をさせればフレンダが言うファンやらライバルがより増えてしまうかも知れないので――
それは今しばらくは自分だけの楽しみとして胸に秘めておく事にした。
結標「……“黒子”――」
白井「――“お姉様”……」
降りしきる雨に打たれ飛べなくなった手の中の黒揚羽蝶。
その傍らに寄り添う紋白蝶が、同じ紫陽花の下に雨宿りしていた。
白井「――これからもどうか、わたくしと永遠(とも)に――」
――やがて上がる、雨空の先にある蒼穹(そら)を夢見て――
~18~
黒夜「ひっはは……熱い、熱過ぎンぜ白井ちゃン!」ガー
絹旗「超今練ってるシナリオに追加出来そうな展開ですね腕が鳴ります」
一方、その様子を図書室の窓辺より見つめていたのは参考資料を大量に抱えながらローラーシューズと移動する黒夜。
そして半年後の一端覧祭を見据え活動写真のシナリオのネタ集めにやって来た絹旗であった。
白井がフレンダと話し込んでいる間探しに来なかったのは、バッタリ出くわした絹旗に捕まっていたからだったのだ。
黒夜「シナリオって……絹旗ちゃんマジ映画撮るの?」
絹旗「本気と書いて超マジですよ。もう撮影スケジュールから機材使用許可証、持ち出し予算から何から何まで。その申請に来たんですけど」
黒夜「あれをネタに使うとか絹旗ちゃん……ドタバタ学園もの??」
絹旗「んー、雰囲気だけそれっぽい中身スッカスカの恋愛ごっこでも撮ろうかと」
黒夜のローラーシューズがキュッと華麗なターンを決めて振り返った先の絹旗の物言いは達観している。
絹旗はC級映画を好む。お約束やベタや王道の上辺だけなぞって滑っているような、安っぽいハッピーエンドを。
絹旗「ぶつかり合うように出会って、足並み揃えて歩いて、すれ違って離れて、最後は結ばれてめでたしめでたし」
黒夜「?」
絹旗「今上がってる映画のシナリオですよ。超見たくありませんか?」
黒夜「えー私まだレポート終わってないってないのにー」
絹旗「まあまあ超さわりだけでも」
ローラーシューズで滑る黒夜の襟首をむんずと掴んで押し付けたシナリオ集。
それは巫女服の少女とショタコンの少女達の同性愛もの。舞台のほとんどは廃墟か瓦礫の街の物語。
あまりにもピーキー過ぎる素材に黒夜は読んでいて頭痛がしそうであった。誰が観るんだこんなのと。
黒夜「私が大好きなスニッカーズ食べ過ぎた時みたいな胸焼けがしてくるよ絹旗ちゃーん……」
絹旗「いえいえこれ超書いてくれたの佐天さんですよ?ロケ地も彼女の超肝煎りでしでもう決まってるんです♪」
まさか自分を仲間に引き込みに来たのではないかとジト目で訝る黒夜。
パラパラとめくったシナリオが最後のページに差し掛かって閉じられ、裏返して表書きのタイトルを見る。
絹旗「――場所はアクアライン“軍艦島”。夏休みから撮影から撮影に入ろうかと――って黒夜ちゃん聞いてます?」
そこに記されていた、禍々しい青の血文字のフォントは――
と あ る 夏 雲 の 座 標 殺 し ( ブ ル ー ブ ラ ッ ド )
『――君が僕の存在を認めてくれるなら、僕も君の存在を認めるとしよう――』
――ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』より――
【中編】に続きます。



『とある星座の偽善使い』シリーズから派生したサブストーリーを、更に劇中劇に仕立てるとは、並々ならぬ才能を持つ作者様には敬意と賛辞と感謝とを贈る以外には、僕は出来ない。
白井黒子のIfストーリーたる霧ヶ丘女学院の今後が気になって仕方ない。
そして『偽善使い』『座標殺し』シリーズとの交錯する細工の演出が堪らない。
これ、前回の軍艦島の展開が物足りなく感じたから、凄く濃密で味わい深い。
『悪童日記』とか作者様とは趣味が合うから、今後が楽しみだ。