688 : VIPに... - 2011/02/09 18:48:15.67 a22Tf37AO 1/53

>>1です。たくさんのレスをありがとうございます…本日は短編ではなく連作の投下をさせていただきます。投下時刻は21時前後になります。


タイトルは『とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)』です。

白井→←結標の退廃的なお話になります。甘さもピュアさも笑いもありませんがよろしくお願いいたします。ではまた後ほど…失礼いたします。

元スレ
とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1294929937/

690 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)1 - 2011/02/09 20:59:33.65 a22Tf37AO 2/53

あたしは、女の子同士の団体行動があまり好きではなかった。

一緒にお手洗いに行くだとか、一緒にご飯を食べるだとか

要らぬ波風を立ててまでそれを厭う事はなくても、あまり好ましくはなかった。

あたしは、女の子同士の集団行動があまり好きではなかった。

やたらと輪を作ったり、その輪からさり気なく人を遠ざける事も

表面上は波風を立てずとも、水面下に沈む石のようなそれを厭い、嫌ってさえいた。

土御門「本当にお堅いんだにゃー…まさに鉄の女なんだぜい」

青髪「なんや。あのヒールレスラーかいな?」

上条「それを言うならブッチャーだろ?ってか鉄の女ってなんだったっけ?」

そのせいだろうか。例え馬鹿であろうがなかろうが、裏も表もないあの三馬鹿(デルタフォース)とよくかち合うのは。

吹寄「貴様!それを言うならサッチャーでしょう?一体授業で何を聞いているの!?」

上条「そんな事言われてもなあ…聞いちゃいるんだが、こう…」

青髪「右から♪右からやって来るう~」

土御門「それを♪僕は♪」

上条「左へ受け流す~♪」

吹寄「馬鹿者!!」

昔から良く言われる。女だてらだとか男勝りだとか、締まり屋だとか仕切り屋だとか。
決して意識してそうしている訳ではないけれど、周囲からの『吹寄制理』の印象と評価はそう言った感じに落ち着いている。そして――

姫神「どうしたの。吹寄さん」

転校初日、あたしが彼女に抱いた印象と評価…それは『大人しそう』と『静かそう』と言った感じに落ち着いている。

吹寄「姫神さん!聞いてもらえないかしら?コイツらまた――」

土御門「一!」

青髪「二!!」

上条「散!!!」ダッ

吹寄「コラ!話はまだ終わって…逃げるな!!」

そしてクラスメートとして過ごし、進級してから再び同じクラスになってもその印象はあまり変わらなかった。

あたしがジッとしていられない質なら彼女は大人しくいつまでも待てるような娘で、あたしが話し役なら彼女は聞き役だった。

あたしとはまた違った方向性で、彼女も女の子同士の群れあいや馴れあいを苦手にしているようにも見えた。
そういう意味で、あまり女っ気がないあたしと女の子らしい彼女と気があった。

少なくとも『彼女』が…『結標淡希』さんが姿を現すまでは、あたしは彼女の一番の友達で無二の親友だと自負に揺らぎはなかった…






ハズだったのに

691 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)2 - 2011/02/09 21:02:07.96 a22Tf37AO 3/53

~1~

吹寄「姫神さん、どうしたのその傷?」

姫神「猫に。ひっかかれた」

8月9日、17:34分。吹寄制理と姫神秋沙は織女星祭の未だ終わらぬ後片付けの最中突如として振って湧いた通り雨に濡れ鼠と相成った。
二人は一時作業を中断し、未だ解体を終えていない六尺テントの中へと雨宿りしていた。
互いに下着が透けてしまうほどの豪雨に晒され、うっすら浮かび上がる体操着の胸元の爪痕らしき部分を吹寄は指摘したのである。

吹寄「猫?」

姫神「そう。少し気が立ってたみたいで。いじり過ぎたら。やり返された」

天蓋を穿つような真夏の集中豪雨。先程までの熱気を湿気に変え、肌に纏わりつく水気が寒気を誘う。
足元は既に洪水となって二人の運動靴を泥土にまみれさせ、文字通りバケツをひっくり返したような轟雨となって視界を白く染める。

吹寄「あれ…結標さんの…いや、姫神さんの所って猫を飼ってるの?」

姫神「飼ってる。痩せっぽちで。気紛れで。怒りっぽくて。寂しがり屋な猫」

吹寄「ふふっ…手がかかりそうな猫ね。でも大丈夫?失礼だけど、猫の爪って雑菌が多いから腫れたりしたら…」

姫神「大丈夫。毎日一緒にお風呂に入って。私が洗ってるから。清潔」

吹寄「?。変わってるわね…猫って水や濡れるのが嫌いなんじゃないの?」

姫神「……クスッ……」

吹寄「(…えっ…)」

そこで姫神は艶々とした黒髪に伝う水滴を払いのけるように手櫛を入れた。
その含み笑いを浮かべた横顔が、それまで吹寄が知る姫神とは全く異なる角度に見えたからだ。例えるならば

吹寄「(何かしら…今の笑い方)」

学校指定の制服から、家で着る私服へと衣替えしたような変化。
そこにいる人間は変わらないのに、纏う空気と漂う雰囲気が一変したような…そんな笑み。

姫神「うちの猫は。濡れるのが大好き」

うっすら透けて見える胸元の十字架を握り締めながら、姫神は元通りの表情に戻って吹寄へと向き直る。
吹寄のやや広い額にもツ…と水滴が流れ、前髪が張り付く。

姫神「その猫と会ったのも。こんな雨の日だったから」

692 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)3 - 2011/02/09 21:03:51.85 a22Tf37AO 4/53

~2~

結標「この私に使い走りをさせるだなんて、貴女もえらくなったものね?秋沙」

吹寄「ごめんなさい結標さん…本当に助かりました」

結標「いいのよ吹寄さん。はい、タオル。それからジャージも借りて来れたわ。男子用の予備みたいだけど一応ちゃんと洗ってあるみたいよ」

18:02分。轟雨の中浸水して来るテントから出られなくて靴下も運動靴も駄目になってしまい…
困り果ててしまっていた所で姫神さんが結標淡希さんを携帯で呼び出し、あたし達は『座標移動』なる能力で総本部まで転送された。
おかげで今、あたし達は女子更衣室で濡れた身体を拭き清めている。けれど

姫神「遅い」

結標「ずいぶんなご挨拶ね秋沙。誰が持って来てあげたと思ってるの?心優しい先輩に対して感謝の言葉の一つもあったってバチは当たらないでしょう?ほら後ろ向いて」

タオルと替えの体操着を持って来てくれた結標さんに対し、姫神さんの態度は正直な所ギョッとした。
とてもではないが上級生に対する態度や言葉使いではない。その上

姫神「もう少し。優しく」

結標「注文の多い娘ね…大人しくしていられないなら止めるわよ?」

結標さんに自分の髪まで拭かせている時点でもうあたしは気が気でない。
いくらルームメイトだからって…と思う。いっそあたしが代わってでも止めなくちゃと思った。しかし…

結標「ほら。肩が冷えるわよ。これ着て」

姫神「うん」

結標さんは気分を害した様子もなく姫神さんの髪を乾かし、それどころか自分の羽織っていた霧ヶ丘女学院の制服を肩に着せていた。
それもどこか…なんて言うんだろう…まるで

693 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)4 - 2011/02/09 21:05:07.38 a22Tf37AO 5/53

結標「この娘、スッゴくワガママでしょう?吹寄さんにも迷惑かけたりしてない?」

吹寄「いっ、いえ!姫神さんが我が儘言ってる所なんて見た事もありません」

チェシャ猫のような笑顔でこちらを見やってくる結標さんに少しドキッとする。
何というか…手の掛かる妹をなだめながら世話をする姉のように見えて。

姫神「吹寄さんに。そんな事しない」

結標「そう?なら猫かぶりかしら?気をつけてね吹寄さん。この子本当は我が儘よ」

吹寄「そんな…姫神さんはすごくいい娘です。クラスでも、自分の意見を遠慮してなかなか言ってくれないくらい、大人しくて」

けれど何故だろう…何故だか、妖しい空気を感じた。怪しいではなく妖しい雰囲気。
何というか、共犯者同士のひそひそ話を聞かされているようなカンジがする。それに――

結標「そう。でも安心したわ」

結標さんは笑ってる。私達と一学年しか違わないのに、とても大人っぽく



結標「秋沙に、いいお友達がいて」



そして、何故かその笑顔がゾッとするほど怖く思えた。

694 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)5 - 2011/02/09 21:08:12.23 a22Tf37AO 6/53

~3~

バタン

姫神「………………」

結標「………………」

それから十数分後、吹寄制理は冷えた身体を暖め直そうとドリンクを買いに更衣室を出て行った。
時刻は18:18分。撤収作業も水入りとなったため翌日に持ち越しという運びになった。が

姫神「淡希」

結標「(ビクッ)」

二人きりになった途端、姫神の纏う空気が一変した。
それこそ、今外で降っている雨のように冷たいそれに。

姫神「私が言いたい事は。わかっているでしょう」

結標「………………」

姫神の髪を拭いていた結標が、振り返る声音に対して手を止める。
その表情にはやや怯えの色が入り混じり、先程年上然とした雰囲気は既に雲散霧消していた。

姫神「淡希。何故黙っているの」

その言葉に、結標の唇が雨に打たれ体温を奪われたように震える。
恐る恐る視線を巡らせて、姫神の表情を伺うように。

姫神「どうして。吹寄さんを威嚇するの」

それに対して姫神は振り返り、相手の表情を目の当たりにしながら無視するようにしてその白面を寄せて行く。
雨に濡れてやや冷たい指先が、結標のシャープな輪郭に添えられる。

姫神「どうして。私の友達と。仲良く出来ないの」

結標「…ッ!」

痛みこそないものの、空気の圧迫に歯噛みし、結標はキュッと震える手を握り込んでそれに耐える。
対照的に、キスする時も目を閉じない姫神は具に結標の表情を観察する。
あと一言二言押せば涙が滲み、瞳が潤み始めるだろうと知った上で――顔を離す。

姫神「飼い主(私)を引っ掻くのは。構わない。けれど。私(飼い主)の友達に。爪を立てるような事だけは。しないで」

結標「………………」

それに対し結標はわだかまりを捨て切れずにいるのがありありとわかる表情だった。
頭で納得していても感情で反発しているように。

695 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)6 - 2011/02/09 21:10:12.69 a22Tf37AO 7/53

結標はその感情を知っている。それは未だ拭い去れない――嫉妬だ。

結標「…電話をくれたから、何かと思ったらあの娘までいるじゃない…」

姫神「そう。でも。友達といて。何がいけないの」

結標「…別に。貴女が誰と居ようが、私には関係ないのでしょう?良いわ。私は、貴女が私のいるところへ帰って来てくれさえすれば…」

姫神「なら。どうしてそんなに不機嫌なの。吹寄さんは友達だって。何度も言ったじゃない」

結標「――わかっていたって!腹が立つのは!頭に来るのは変わらないわよ!」

バサッと手にしていたタオルを姫神目掛けて投げつける。
しかし姫神は微動だにしない。むしろ結標の方が取り乱して見えるほどに。

結標「なによ!確かに貴女と過ごして来た時間はあの娘の方が長いわ!けれどね、貴女の事は私の方がずっと知ってる!あの娘よりずっと!」

姫神「なら。どうして。そんなに苛立っているの。私は。淡希を他の誰とも比べた事もないし。淡希は何にも代えられない」

結標とてわかっている。これは単なるヒステリーで、単なるジェラシーだ。
一般的に考えれば、恋人の友人にそこまで嫉妬する方が大人気ない。
だが姫神と結標の関係は一般的ではない。同性の親友という肩書きすら、二人の間柄に於いては結標の不安を掻き立てるには充分に過ぎた。
何故なら、二人の関係もまた『友達』から始まったのだから。

結標「わかってる…わかってるわよ…滅茶苦茶な事言ってるのは私だって…無茶苦茶な言い掛かりつけてるのは私だって…わかってるわよ…!」

696 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)7 - 2011/02/09 21:11:48.14 a22Tf37AO 8/53

もし結標が男ならば、姫神に親しい男友達がいたなら良い気はしないが同性の女友達なら何とも思わない。
しかし結標にとっては、男も女も、姫神に近い人間がいるとどうしようもなく不安になる。
それはまだ付き合い始めて一月弱という短い期間もあれば、付き合ってみるまで嫉妬深い己を知らなかったと言う部分にも由来する。

姫神「…話にならない…」

結標「…えっ…」

しかし――二日前の女王蘭の温室に続いて二度同じ内容で結標は姫神に不満をぶちまけてしまったのだ。
冷たいのを通り越して、怒りを通り過ぎて、姫神は呆れたように言った

姫神「貴女は。私が友達の話をしたり。友達と一緒にいるだけで。この先。何回同じ事を繰り返すつもり?」

結標「…!」

対する結標は怯えを通り越して蒼白に、衝撃を通り過ぎて白紙に、結標は呆けたようになって



姫神「――淡希が。こんなに物分かりの悪い娘だなんて。思ってなかった」



結標「――!!」

結標の中で燻っていた熾火が、花を散らした。



パンッ

697 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)8 - 2011/02/09 21:14:42.55 a22Tf37AO 9/53

~4~

最初に目についたのは、赤みがかった二つ結び。

次に目がいったのは、伸びやかな四肢と惜しげもなく晒された柔肌。

更に目についたのは、人当たりが良くとも温度の低い眼差しと笑顔。

あたしが苦手な女の子で、あたしが不得手なタイプだと思った。

そして、きっと向こうにも同じような印象と、似たような感想を持たれているだろうなと感じた。

吹寄「姫神…さん?」

姫神「吹寄さん」

そしてここ最近ハマっている自分用の健康飲料と、二人分のドリンクを持って更衣室に戻ってみれば――

吹寄「どうしたの…それ!」

そこに結標さんの姿はなく、残されているのは頬が打たれたように赤くなり…
その部分を手で押さえている姫神さんの姿だった。

姫神「なんでもない」

吹寄「なんでもないなんて事あるわけないじゃない!誰にやられたの?結標さん!?」

姫神「大丈夫。本当に。なんでもないから」

状況的に考えて、悪いけれどあたしには結標さん以外には考えられなかった。
それも、あたしが離れた側からこんなひどい事をするだなんて…と言う思いもあった。

姫神「…猫に。引っかかれただけだから」

なのに姫神さんはまるで庇うようにかぶりを振って私の言葉を否定する。
猫に引っかかれただなんて下手くそな嘘までついて取り繕って。

吹寄「あたし、ちょっと結標さんに言ってくるわ!彼女はどこ!?」

思わず、カッと頭に血が上る。さっきまでの姫神さんの態度もよくなかったけれど、それにしたってあんまりだと思った。
それを不快に思ったなら言えばいいのに、手を上げるだなんていくらなんでもひどいと。けれど…

姫神「私も。悪かったから。淡希だけが。悪いんじゃない」

吹寄「でもっ…!」

姫神「今の淡希に。近寄らない方がいい。私にしか。手に負えないから」

それでも姫神さんは結標さんの飛び出して行った先を教えてくれなかった。
それに、今までにもこんな事が数回あったような口振りに感じられた。だから…

吹寄「…わかった。今濡らしたタオル取ってくるから、それで冷やして」

姫神「ありがとう」

あたしは、渦巻く憤りをなんとか胸の中でなだめた。
どっちが正しくてどっちが間違っていたのかはあたしにもわからない。けれど

友達に手を上げられて、黙っていられるほどあたしは人間が出来ていない。

698 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)9 - 2011/02/09 21:16:33.52 a22Tf37AO 10/53

~5~

結標「ぐすっ…ぐすっ」

その頃、結標淡希は水入りとなった撤収作業の現場からやや離れた大通りを一人歩いていた。
涙の熱さと、雨の冷たさに鼻を啜り嗚咽を漏らして。

結標「ううっ…ひっぐ…」

降り注ぐ雨にとうに散ってしまった人通り、撃たれるような雨に剥き出しの肩を浚われる。
水溜まりなど生まれる間もなく河となり、結標の足元を攫う。
真夏の雨は叩きつけるように結標の涙まで洗い流して行く。

結標「(どうして…こんな風になっちゃったんだろう)」

甘え過ぎていたのかもいたのかも知れない。我が儘が過ぎたのかも知れない。
それでも我慢出来なかったのだ。姫神と吹寄が一緒にいる事が。

結標「(手なんて…あげるつもりなかったのに)」

八つ当たり以下の苛立ちをぶちまけ、それを冷たくあしらわれて、カッとなって手を上げてしまった。
そして加害者側だと言うのに被害者面をして飛び出してしまった。
誰が見たって、どこから見たって自分が悪い。それなのに――

パシャッ

そこへ、軽やかな足取りが水を踏みしめた。

結標「――――――」

パチャッ

半透明の白無地のパラソルと、焦げ茶色の革靴が見える。

結標「……貴女……」

鈍色の空、鼠色の雲、降りつつある夜の帳が、主演女優の後ろで引かれて行く幕のようにー

「傘、お忘れになりましたの?」

結標「…傘、置いてきちゃった…」

「そうですの」

パラソルの下に隠された素顔を見ずとも、結標にはそれが誰だかわかった気がした。

結標「馬鹿ね…置き傘なんてしてたら、他の誰かに持って行かれてしまうかも知れないのに」

ピチャッ

「ちゃんと、名前はお書きになられましたの?」

幼い見た目の割に大人びた声色。見忘れようもない常盤台中学の制服。

結標「しっかりと、刻んだつもりよ」

「本当に?」

その言葉と共に――結標の身体を濡らす雨が、パラソルに遮られた。

結標「泣いて…なんか…いないんだから…!」

「存じておりますの」

雨と涙に濡れた頬に、ハンカチを当てられた。
そこではっきりとわかる。ぼやけて滲む結標の瞳にも。



白井「――雨ですの」



19:00分。長針と短針が交わったその時――

結標「…!」

結標は、白井黒子を抱き寄せた。

709 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)10 - 2011/02/10 20:40:08.29 EX0KiuhAO 11/53

~6~

吹寄「雨…強くなって来ちゃったわね」

姫神「うん。さっき。天気予報を見たら。二、三日は。雨だって」

吹寄「そう…ここ最近晴れ間が続いていたから、なんだか気が滅入るわね」

19時05分。あたし達はカフェ『デズデモーナ』に入って一息入れていた。
元は学舎の園にあった、店内の壁紙から調度品、カップに至る全てを純白に統一されたお洒落なカフェ。
第七学区が放棄されてからこの学区に移転したおかげで、あたし達もそれを楽しめている。少し不謹慎だけれど。

姫神「…猫。雨に濡れてないと。いいけど」

吹寄「家猫じゃないの?」

姫神「晩御飯の時には帰って来る。縄張りのパトロールが。日課だから」

吹寄「そうなの…でも、晩御飯の時だけ帰ってくるだなんて…やっぱり犬とは違う生き物なのね」

姫神「犬と違って。猫は鎖で繋げないから。いちおう。鈴はつけている」

吹寄「なら、野良猫じゃないってわかるから連れて行かれたりしないわね」

幸い、姫神さんの様子は表面上変わった様子はない。
あたしはその点だけに安堵を覚えながらシェルパティーを口に運ぶ。
それにしてもずいぶんと御執心なのだなと思った。だからつい聞いてみたくなった。

吹寄「どんな毛色なの?」

姫神「赤トラ。わかりやすく言えば。茶トラ」

吹寄「オス?メス?」

姫神「メス」

吹寄「名前は?」

姫神「――――――」

そこで、姫神さんの言葉が詰まった。あたし、何か変な事言ったかな?

姫神「…まだ。拾ったばかりだから。名前をつけていない」

吹寄「まだなんだ?可愛い名前、つけてあげないとね」

いつからその猫を拾って来たのだろう、と少し首を傾げる。
そう言えば上条も猫を飼ったとかなんとか言っていた気がする。確かスフィンクスと呼んでいたっけ。


ガシャンッ!


吹寄「!?」

その時、カップが割れ砕けて散る音が聞こえた。

吹寄「姫神さん?!」

その音は、向かい合わせに座った姫神さんから立った音。

姫神「…!」

けれど、目を見開く姫神さんはカップを取り落とした事さえ意中にないらしく、店外を見通せる窓際に目を向けたままだった。

吹寄「…?…!!?」

そしてつられて視線を窓際に向けると…それが意味する所がわかった。

吹寄「結標…さん?」

結標さんが、誰かと相合い傘をして喫茶店の横を素通りして行ったのを

710 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)11 - 2011/02/10 20:41:13.10 EX0KiuhAO 12/53

~7~

白井「今、お湯を沸かしますの」

結標「………………」

19時24分。結標淡希は白井黒子の使っている部屋にいた。
常盤台中学が全壊し、避難所が半壊した後一時的な仮住まいとして使っているマンションである。
それを結標は憔悴しきった表情で聞くともなしに聞いていた。

結標「…悪かったわね。貴女の制服まで…びしょ濡れにしてしまって」

白井「まったくですの!」

濡れ鼠となったまま白井の身体を抱き寄せたせいで制服まで濡らしてしまった。
それを結標はフローリングの床に拭き取れ切れなかった水滴を落としながら詫びる。
相対する白井は片手を腰に当てた仁王立ちで鼻を鳴らしながら

白井「ですが、ただならぬご様子でしたので結果として良しといたしますの」

結標「本当よね…私ったら、一体何をしているのかしら」

自嘲と憂いを浮かべた表情のまま、無理矢理口角を上げて形ばかりの笑みを浮かべる。
雨に打たれた姿と相俟って、ひどく投げやりで、退廃的で、そして妖しい色気が漂っていると白井は何とはなしにそう感じた。

結標「くだらない事で喧嘩して、つまらない事で飛び出して…つくづく、今日の私はどうかしてるわ」

道すがら、白井はだいたいの事情を結標から聞かされていた。
なんの事はない。取るに足らない痴話喧嘩と言ってしまえばそれまでだ。
夕食前に犬も食わない夫婦喧嘩を持ち込んで来たその当人はと言うと

結標「こんな事だから…秋沙に呆れられてしまうのよ」

濡れた前髪に指を差し入れ、折り曲げた左足に肘をついてうなだれる。
窓の外は既に夜の雨が窓ガラスを打つのがカーテン越しにも見て取れた。

結標「貴女にも…迷惑をかけてしまうわね」

白井「お構いなく。迷子の保護も風紀委員の職務の一つですの」

出会った時から薄々感じていた事だが、相変わらずメンタルが弱いなと白井は思った。
同様に上条当麻の恋人も情緒不安定の気があるが…

白井「さ、早くお湯に浸かっていらしてくださいな」

結標「…ありがとう…」

白井「どういたしまして」

優しくし過ぎても、突き放し過ぎてもいけない。
つくづく、女同士の距離感は難しいなと白井は独り言ちた。
こと精神年齢の面だけで言うならば、自分の方がまだしも大人だな、と思うに留めて。

711 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)12 - 2011/02/10 20:44:39.12 EX0KiuhAO 13/53

~8~

姫神「出ない…」

吹寄「繋がらない?」

姫神「呼び出し音はある。電源が入っているみたいだけど。出てくれない」

19:28分。店外で二人を見掛け、声をかけようとした矢先に二人は姿を消した。
姫神さんが言うにはあれはテレポーテーションらしい。
追い掛けようにも瞬間移動されては足取りも追えない。八方塞がりだった。

吹寄「…誰だったのかしら。一緒に居た子」

姫神「知らない。多分。常盤台中学」

心なしか、姫神さんの声に焦りを感じた。もしかしたら、今のあたし達のように喧嘩別れして友達と一緒にいるだけかも知れないのに。

吹寄「この間のグリルパーティーや避難所でも見た事あったわ…誰だったかしら」

姫神「知らないったら!!!」

吹寄「!」

姫神「あっ…」

思わず、肩がビクッとなってしまい心臓がドキッとした。
初めて聞いた、姫神さんの大声。けれどその声に驚いたのは姫神さん自身に見えた。

姫神「…ごめんなさい。吹寄さん」

吹寄「いっ、いいの別に!ちょっとびっくりしちゃっただけだから」

今日の姫神さんもどこか様子がおかしい。ちっともらしくない。
それだけ結標さんとの喧嘩が堪えているのだろうか…すると

『もしもし?』

姫神「!」

吹寄「!」

姫神さんの携帯が結標さんの携帯に繋がったようだった。しかし

『姫神秋沙さん、ですの?』

姫神「…貴女は。誰?」

通話口から漏れ聞こえて来る声は、結標さんとは似ても似つかぬ声。
何故だろう。話し方がどこかお嬢様然として聞こえた。
しかし反対に姫神さんは…静かながら、怖いくらいドスの聞いた低い声。

姫神「何故。淡希の携帯に出ているの。常盤台中学の娘?淡希に代わって」

『結標さんなら今お風呂ですの。この意味、貴女ならばおわかりになられるかと』

姫神「…!」

電話口の誰かが話している内容は雨音にかき消されて聞き取れない。
けれど…姫神さんが怖い顔で息を飲んだ様子は伝わって来た。

姫神「巫山戯けないで。私は今。冗談を笑って聞き流せる気分じゃない」

『…ご安心を。結標さんには指一本触れていませんの。鈴のついた猫を横取りするなどと言った真似はいたしませんの』

電話越しなのに、刃と刃で切り結び、鎬を削って火花を散らしているような…そんな雰囲気の中――

『ただし――今夜は彼女を帰しませんの。ごめんあそばせ』

姫神さんが、携帯を叩き壊した。

712 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)13 - 2011/02/10 20:47:29.09 EX0KiuhAO 14/53

~9~

結標「…馬鹿みたいよ。本当に私ったら」

結標淡希はバスルームで熱の飛沫を身体に浴びせていた。
ようやく冷え切った手足の指に血が行き届く感覚に目を落としながら、誰ともなしに呟いて。

結標「なんて…不様なんでしょうね…秋沙に合わせる顔がないわ」

恋人と喧嘩して飛び出して、友達とすら呼べない知り合いの家に転がり込む。
陳腐を通り越してチープなまでの展開だ。なるほど、お涙頂戴のドラマが廃れないはずだと結標は自分を嘲笑った。

結標「…秋沙…」

浴室の曇ったガラスに映る、胸と鎖骨に刻まれたキスマーク。
昨夜つけられたばかりの生々しいまでの交わした証。
しかし…それは今や結標にとって、証では無く烙印に等しかった。

結標「秋沙…秋沙っ…秋沙!」

ガリッ…と爪を立てる。キスマークに上書きするように。
僅かに爪先に滲む血が側からシャワーに流されて行く。
温かいはずのお湯すら、今の自分の身体を温めてなんてくれないと。

結標「なんで…どうしてっ」

痛みが欲しかった。姫神がくれる痛みが。痛みがあれば、それに苦しむ自分をそこに見つけられるから。
ついたかさぶたすら愛でられる。姫神が命じるままに脚を舐めた事すらある。
それに比べれば、自身で自分に刻む痛みなど姫神を想ってする一人遊びにすら劣る。

結標「ううっ…ううぅっ…」

どうしようもなく無惨だった。歪んだ愛に慣らされ切った身体は、一晩だって姫神から離れられない。
そしてこれ以上自分を傷つけられない。この身体の全ては姫神のものだから。

白井「――結標さん?」

結標「!?」

そこへ…バスルームの磨り硝子越しに、白井の影が映り込んだ。

白井「着替え、置いておきますの。あまり長く浸かってのぼせませんよう」

結標「…おあいにく様ね。私はシャワー派なの。長湯の心配はないわ」

霞む湯気の向こうに対して呼び掛ける。そう言えば姫神との同居生活の初日もこうだったと。

白井「それは結構ですの」

そこで、白井が硝子に背を向けて寄りかかるのが見えた。
どうやら、思い詰めてやしないかと様子を見に来たように結標には感じられた。

713 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)14 - 2011/02/10 20:49:38.49 EX0KiuhAO 15/53

結標「…ねえ」

白井「なんですの?」

硝子一枚を隔てて交わされる奇妙な会話。それが決して交わらない結標と白井の距離のようで。

結標「シャワールームで泣く事って、ない?」

白井「ありますの。お姉様といた常盤台中学の女子寮ではしょっちゅうでしたの。部屋では泣けませんの」

結標「…私も、そうなの。秋沙と暮らし始めてから」

白井「――女の子ならば、誰しもが一度は経験する事ではございませんの?」

互いの姿は見えているのに決して触れる事の出来ない距離。
それが今の結標にとってはありがたいものだった。

結標「…私は、秋沙が初めてだった」

それはどっちの意味で?と白井は聞かなかった。わかりきっている。両方の意味でだ。

結標「誰にも言えずに、誰にも言わずに、誰にも言うつもりはなかったわ」

白井「――世間一般では、わたくし達の居場所はございませんの」

互いに思う。女子中学生と女子高生のする会話ではないと。
それは互いの積んだ経験と経た精神年齢の水域が同じだからかも知れない。

白井「花は咲けども実は結ばず、種も残さない荊棘の道のりですの。口が自然と重くなるのは無理からぬ事とはお思いになりません?」

結標「…貴女、中身だけなら超電磁砲より大人びて見えるわね」

白井「あら?お姉様もなかなかどうしてしたたかで打たれ強いんですのよ?」

714 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)15 - 2011/02/10 20:51:05.38 EX0KiuhAO 16/53

能力の強度は兎も角、人間としての強度は白井の方が数段上だった。
なるほど、妹(しらいくろこ)は姉(みさかみこと)を見てその背に学ぶと言う事かと。

結標「…私は、打たれ弱いわ…」

白井「………………」

結標「貴女みたいに…強くなれない」

もし結標が白井の立場なら、上条当麻の存在を認める事など決して出来ない。
叶わない願いを抱き続ける事も出来そうにもない。だから

白井「…しゃんとしてくださいな」

白井は背を向けたまま座り、結標も背を向けたままシャワーを浴びる。
そう、自分達にif(もし)はないのだから。



白井「――貴女は、わたくしが認めた二人目の人間ですのよ」



結標「…!?」

白井「あまり、わたくしをがっかりさせないで下さいまし」

そう優しい声音を残して、白井は立ち上がって去って行った。

結標「…馬鹿ね」

いつしか、苛まれていた寒さと震えを乗り越えた結標を残して。

結標「それは…こっちの台詞よ」

姫神が結標の『半身』ならば、白井は結標にとっての『もう一人の自分』だった。

結標「私は――貴女のようになりたかったわ」

715 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)16 - 2011/02/10 20:53:34.91 EX0KiuhAO 17/53

~10~

結標「着信無し…か」

パタン、と折り畳み式の携帯電話の着信履歴を見る…姫神から電話が来た形跡はない。
こちらからかけてみても繋がらなかった。話すつもりではない、単に安否確認のそれだった。

結標「白井さん。どうやら私は本格的に嫌われてしまったみたいよ」

白井から借り受けた白のワンピースから伸びる片足を抱えるようにして窓辺の結標は喉を鳴らして笑う。
それをリビングに置かれたチェアーに腰掛け足組みし、テーブルに頬杖をついて白井は言う。

白井「家主ですのに追い出されてしまいますの?軒を貸して母屋を取られるとはまさにこの事ですの」

結標「飛躍し過ぎよ。それより…シャワーも貸してくれてありがとう。もう少ししたらお暇させてもらうわ。悪かったわね」

カチャッ…パタンと開け閉めを繰り返し手中の携帯電話を弄ぶ。
借りた服も洗って返すから、と結標は一段高い位置にいる白井を見上げる。
外の雨は未だに勢いを衰えさせない。いや増すばかりの雨音。

白井「…遅い時間は申しませんが、もう夜ですの。今夜はもう泊まって行っては?」

結標「そこまで厚かましくなれないわ。まして、私と貴女は――」

そう、互いの刃を以て火花を散らし合い、鎬を削って殺し合いをした仲なのだ。
一夜限りの共闘は言わば敵味方を超えた利害の一致。
二人の間の遺恨や因縁を決して――

白井「…今夜は、雨ですの」

それに対し、白井の声音は落ち着いたものだった。
二人の間には絶えず一定の緊張感がある。それは同系統の能力者であると言う間柄、光(法の番人)と影(闇の住人)と言う関係性に拠る。だが

白井「…今夜に限り、水に流しません事?」

結標「………………」

白井「互いに寝首を掻くような無粋な真似はわたくしとしてもご遠慮願いますの」

結標には結標の、白井には白井の事情があって二人は顔を突き合わせている。
そこに過去の出来事に拘泥していても何ら建設的な進展は望めないと。

結標「――いいの?悪いけれど、私は秋沙と寝たのよ。貴女、そんな女に屋根を貸すつもり?自分の貞操の心配でもしたら?」

白井「御安心を。わたくし、耽美より純愛派ですの。それはわたくしは親愛、恋情、いずれの両面から健康美溢れるお姉様が好みですの。貴女のような妖しいタイプは好みから外れますの」

結標「――気が知れないわ」

716 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)17 - 2011/02/10 20:55:26.38 EX0KiuhAO 18/53

その露悪的な微笑と怜悧な声色に白井は思い出す。ここ最近、砂糖漬けの練乳がけの生活ですっかり丸くなって見えたが

白井「(ネコはネコでも、ヒョウですの)」

結標の本来の姿は豹だと。例えネコ科であろうと、飼い主がいようと野生は野性を捨てられない。

結標「…ごめんなさい。何を偉そうに私は言ってるのかしらね…そんな事を言えるような立場じゃないのに」

かと思えば抱えて膝を揃え、三角座りで顔を隠す結標。
なるほど、と白井はかつて姫神が抱いたのと同じ感想を持った。
無防備過ぎる脆さ。ダイヤモンドの結晶のようだと。

白井「ひとまず、夕食の準備をいたしますので紅茶でも飲んでお待ち下さいな。ティラーズでよろしいですの?」

結標「任せるわ。私はリプトンかフォーションしか知らないから」

ミルクをたっぷり入れてあげようと、白井は結標に一瞥も送らず立ち上がった。
コンビニでも売っているような紅茶しか知らないなら、さぞ驚くだろうと。
帰る目処がつけば、この学区に移転したカフェ『デズデモーナ』にでも連れて行けば舌を巻くだろうと。

白井「ところで結標さん、デズデモーナはご存知ですの?」

結標に背を向けたままキッチンに立つ白井。しかし返って来た返答は意外なもので

結標「“オセロ”のデズデモーナの事?」

白井「ムーア人の手紙の方ではありませんの。よくご存知ですのね?他にはどんな書を嗜まれますの?」

結標「ただの暇潰しよ。あとはスタンダール。赤と黒は読んだわ」

オセロ…それは悲劇の名手シェイクスピアの物語の一つ。
掻い摘んで言うなれば、旗手の策略にかかり、愛すべき白い肌を持つ妻デズデモーナの不貞を疑い、嫉妬に狂った黒い肌を持つ夫が妻を殺害してしまうと言う物語。
最後には妻の不貞は旗手の策略であったと知った夫はデズデモーナの亡骸に口づけながら自殺してしまうと言う筋書きだ。

白井「これは失礼いたしましたの。見た目と違って教養がおありですのね」

結標「こんな救いのない話を知ってる貴女もね。言ったでしょう暇潰しだって」

デズデモーナ。ギリシャ語で『不運』。こんな名前を自分の店につける店主も店主だと白井は思った。そこで――

結標「――そう言えば」

結標が顔を上げる。少し会話のキャッチボールが出来てきたと思いながら

結標「貴女の名前もオセロ(白と黒)ね」

止まない雨を、結標は静かに見上げていた。

717 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)18 - 2011/02/10 20:57:56.50 EX0KiuhAO 19/53

~11~

私は今、信じられないものを目にしている。

姫神「ハー…ハー…」

吹寄「ひめ…がみ…さん?」

いきなり携帯電話を叩き壊して、親の仇の死体に鞭打つように何度も何度も何度も…
肩で荒い息をつきながら真っ二つに折れ、割れた液晶を踏みつけて。
無表情な中にも鬼気迫る何かがあって、眠たそうな瞳に狂気じみた何かを宿して。

吹寄「どう…したの?結標さんに…何か…あったの?」

普段大人しい人が怒ると怖いと言うけれど、そんなレベルの話じゃない。
こんな顔の姫神さんを、あたしは想像すらした事がなかった。

姫神「なんでもない」

そう、一瞬でいつも通りの平坦なトーンに戻る所が怖い。
どんな悪ぶった男子に絡まれても一度も負けた事のないあたしの腰が引けてる。

姫神「イタズラ電話」

吹寄「で、でも携帯が…」

嘘だ。発信したのは姫神さんだ。言ってる事が滅茶苦茶だ。
けれど姫神さんはバラバラになってしまった携帯電話に静かに一瞥をくれると

姫神「新しいのに。取り替える」

本当に、ゴミでも見るような目でそのバラバラになった部品を…

姫神「これはもう――」


バキッと踏み鳴らして、グシャッと踏み潰して





姫神「  い  ら  な  い  」







726 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)19 - 2011/02/11 16:25:53.66 9z4dV04AO 20/53

~12~

結標「………………」

白井「(致命傷ですの)」

結標淡希は白井黒子の部屋のソファーの上で相変わらず膝を抱えたままボンヤリとテレビを見ていた。
夕食後からずっとこうだ。時折意味もなく携帯電話を開いたり閉じたりしている以外アクションを起こさない。
それを隣に腰掛けながら白井はずっと観察していた。

白井「夕食、お気に召しませんでしたの?あまり食べていらっしゃらないようでしたの」

結標「いいえ。とっても美味しかったわ。料理が苦手な私からすれば逆立ちしたって勝てないくらい…あ…」

しかし、料理と言うキーワードに再び意気消沈してしまう。
姫神秋沙(恋人)の味を思い出しているのだろうと白井は勘づく。
本当にどうしようもなく惚れ込んでしまっているのだろうと。

白井「…さぞかしや、美味な食事の数々に舌鼓を打っておいでですの」

結標「…あのね?」

そこで結標は三角座りの体勢のままソファーの背もたれに頭をもたせかけた。

結標「…おかしな話、秋沙が作ってくれるならレトルトだって美味しいの…」

白井「………………」

黒子自身も右足から左足に組み換え、テレビを見やる。ちょうど音楽番組が新人アーティストの紹介場面に移っている。

結標「一緒に食べてくれるなら、私が手抜きで買って来たお惣菜だって…お弁当だって美味しいのよ」

結標の声音に震えが混じる。見ずともわかる。わかってしまう。

結標「私、あまり食べないのにあの娘いっぱいご飯作るの…細すぎだ、肉つけろだなんて…私を太らせようって意地悪するの」

こんな気丈な結標を、ここまでさせる姫神はさぞかし良い主人(恋人)なのだろうと。

結標「私…なのに…秋沙にひどい事した…ひどい事言った…手…上げた…!」

白井「そうですわね。貴女は最低ですの」

同時に――もっと大事にしてあげられないものかと不快な気分になる。
何故飛び出してすぐ追い掛けなかったと。こんなになる前に何故許しを与えてやらなかったのだと。

白井「最低で…同時に、共感も出来ますの」

結標「え…?」

結標の頭に手を置き…スッと側に寄せる。これがかつて自分と切り結んだ相手かと。

白井「何故、姫神さんが貴女を手離したがらないのかが」

呆気ないほどコロンと結標は白井の膝に身体を倒した。
軽すぎる。細すぎる。華奢すぎる。こんな身体は抱き締められたら折れてしまいそうだと。

727 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)20 - 2011/02/11 16:27:02.33 9z4dV04AO 21/53

結標「…離れられないのは、きっと私の方よ」

対する結標も特別なリアクションを起こさなかった。故に白井は確信する。

白井「――愛されているからですの?」

結標「――抱かれているからよ」

この娘は人肌に慣らされ切っていると。大なり小なり他者と触れ合えば硬直なり反射をする。意識的なり無意識なりに。
それを行わない人種は白井の知る限り――相手の体温に合わせて溶ける、そんな寂しがり屋。

結標「聞きたい?私が秋沙にどんな風に抱かれているか」

白井「お止め下さいまし。後悔いたしますのよ」

同時に、相手を大切に出来ても自分を大事に出来ないタイプの人種にもそれは顕著だ。
その手合いは自己否定と自己破壊に一度走ると歯止めが効かなくなるとも。
風紀委員として街の治安の一角を担う中で、色んなタイプの犯罪者を目にして来たからこそ。

白井「――貴女は、もっとご自分を大切になさるべきですの」

結標「私は自分が一番可愛いわ」

自分が男なら、既に押し倒しているだろう。
女が情欲を覚えるにあたっての環境は九割が『気分』だ。
恐らく、結標自身気づいていないだろうし意識もしていないのだろうが…
結標はその環境作りと雰囲気作りに訴えかけてくるのが異常に上手い。
サバサバした性格に隠れてわかりにくいが、角度を変えるとゾッとするほど妖しい瞬間がある。今のように

白井「――お風呂に行ってきますの」

結標「そう」

得心も行く。恐らく姫神が執着し、結標が依存する。
主従で言えば姫神が上、結標が下なのだろうとも。
ただし…関係性の主導権は姫神が握っていても、関係性の支配権は結標が鍵となっていると白井は見抜く。

結標「ありがとう。話を聞いてくれて」

恐らく、どっぷりつかり込んでいるのは姫神の方だろう。
怖い怖い、さっさと頭を冷やしに長湯にしようと白井は決め込んだ。

728 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)21 - 2011/02/11 16:29:21.88 9z4dV04AO 22/53

~13~

吹寄「姫神さん!姫神さんったら!」

あたしは土砂降りの雨の中をズンズンと進んで行く姫神さんに小走りでついて行く。
車道沿いの並木道の木々が物凄い勢いで揺さぶられている。
あまりの雨風で、声を張り上げているのに姫神さんに届かない。

吹寄「姫神さんってば!!」

姫神「――――――」

そこで、あたしは少し乱暴とも思ったけれど姫神さんの肩を掴んで引き止めた。
こうでもしないと、姫神さんはあたしの話を聞いてくれないと思ったから。

姫神「――ごめんなさい。吹寄さん。先に帰ってもらって。いいから」

吹寄「ダメよ!そんなっ…」

姫神「――ひとりに。させてほしいの」

しかし、姫神さんはそれでもあたしの目を見て話してくれない。
それどころか、なんとかして顔を背けようとしているようですらあって。

吹寄「ごめん…姫神さん。それは…出来ない」

何があったかはわからない。けれど携帯電話を叩き壊すほど姫神さんの頭に血を昇らせるような出来事があって、それをほったらかしにしてただ見送るだなんて出来なかった。

姫神「お願い。だから」

吹寄「ダメ…今、姫神さんを一人になんてさせられない。帰るんでしょう?結標さんの家に。だったらあたしからも言ってあげるから――」

姫神「――淡希は。今夜。帰ってこない」

そこで、姫神の声がひび割れたような気がした。
思ったよりずっと深刻そうだった。いくら喧嘩したとは言え、飛び出した結標さんが…
申し訳ないけれど、家主が帰らないだなんてよっぽどの事だと思った。

吹寄「…さっきの電話はそれだったの?」

姫神「…正確には。淡希じゃない。私の知らない誰かが電話に出た。淡希が帰りたくないって。だから帰さないって」

729 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)22 - 2011/02/11 16:30:25.58 9z4dV04AO 23/53

本当に重傷だ。電話に出た相手はあの常盤台中学の生徒だろうか。
傘で顔は見えなかったけれど、結標さんの友達なんだろうか。
このまま放っておけば、最悪ルームメイト解消だって有り得るかも知れない。

吹寄「…姫神さん。ごめんなさい。私には全然話が見えてこないの。本当は聞いちゃいけないと思ってたけど…こんな大喧嘩するだなんてただ事と思えない。一体貴女達に…何があったの?」

織女星祭でレベル5が集結するのを見て思った。
レベル5と言うとあのテレビに映っている御坂美琴さんのような優等生、ないしトップエリートの集団を想像していた。
けれど蓋を開けてみればスキルアウトの何十倍も洗練されて、何百倍も暴力的な雰囲気があった。

髪が真っ白なアーティスト風の第一位、ホスト風で女の敵のような第二位、綺麗だけれど恐ろしく冷たい目を私に向けて来た第四位、暴走族みたいな服を来た第七位、そして露出多めで遊んでそうな結標さん。

人を見た目で判断しちゃいけない事はわかってる。けれど無視出来るレベルじゃない。
悪いけれど住んでる世界が違い過ぎる。そんな中で平気でいられるどころ輪に加わってさえ見える上条と土御門。

姫神さんには申し訳ないけれど、そんな異彩を放つ集団の第九位(結標さん)と一緒にいる絵面はおかしい。

いつか取り返しがつかない事になる前に、これを機にそんな付き合いは止めてほしいとすら思った。だけど。

姫神「――これは。私と淡希の問題だから」

何故、貴女はそこまで結標さんに執着するの?
手を上げられて、何故それに対して怒らないの?
家を追い出されるから?行き場を失うから?だったら――

吹寄「じゃあ、姫神さん――」

あたしが、姫神さんを守る。あんな手を上げるような人の所に、あたしだって帰してやらない。

730 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)23 - 2011/02/11 16:33:23.65 9z4dV04AO 24/53

~14~

結標「(…かさぶた、終わっちゃうわね。ヒリヒリするのも消えたし)」

結標淡希は相変わらずソファーの上で膝を抱え身体を丸め込んで見るともなしにテレビを見やっていた。
内容なんて頭に入ってこない。単に孤独が侘びしくて音を欲しているだけだ。

結標「(…新しいの、欲しいな…)」

自分のセンスでは決して選ばない、お嬢様趣味の純白のワンピースの胸元を右手で握りながら結標は嘆息した。
腫れ上がりそうなほど吸われ、望んでつけられた歯形の跡がどうしようもなく疼く。
耳に感じる僅かなピアスの冷たさが、姫神の不在をより一層確かにして。

結標「(メールも、電話も、返してくれないの?)」

頭をよぎったのは、こんな馬鹿な事をした自分に愛想を尽かせた姫神。
もう何回もメールを送ってる。手を変え品を変え文面を変えて四回も。
しかし応答も返信も何もない。追い掛けてすらくれなかったと。

結標「(叱られるより、怒られるより、無視されるのが一番堪えるわ)」

今どうしているんだろうと、二人で映った待ち受け画面を見つめる。
明日は土日だから揃って休みになるが、この様子ではその休日すら憂鬱なモノになりそうだ。
ネガティブ思考が坂を転げるほどに膨らむ雪だるま式に大きくなって来る。

結標「(許されたいけど、謝りたくない)」

姫神への反発もあった。吹寄がいると姫神はろくに自分の相手をしてくれない。
かと言って姫神が折れるまで根比べしていては自分が参ってしまう。
自分が悪かった。しかし相手にだって非はあると思っている。

結標「私って…面倒臭い女なのかしら」

思わず口に、声に、言葉に出てしまう。面倒臭い女、重い女。
けれど自分だって一人の人間だ。都合の良いお人形さんのようには振る舞えない。
相手にとって望まれる存在でありたい。しかしそれだけでは――

白井「面 倒 臭 い で す の」

結標「わっ!?」

すると…ソファーの向こうからジト目でこちらを見下ろして来る湯上がり姿の白井黒子がそこにいた。
トレードマークであるツインテールをほどき、生乾きの髪をタオルで拭きながら。

結標「いつからいたのよ!?」

白井「ついさっきですの。恋煩いも結構ですが、周りへの目配りも怠らぬようお願いいたしますのよ。わたくしもおりますの」

全くと言って良いほど気づけなかった。つらつらと思い煩いを募らせている合間に白井は呆れたように回り込んで。

731 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)24 - 2011/02/11 16:35:45.38 9z4dV04AO 25/53

白井「まだ、連絡がつきませんの?」

結標「…見てたならわかるでしょう?そうよ。言わせないで欲しいわね」

一度も鳴らない携帯電話。傍らの白井から湯上がりの良い匂いがした。
なるほどツインテールを下ろすだけでグッと落ち着いて見えるから不思議なものだ。

白井「そうですの。意外と冷めてらっしゃいますの。貴女のパートナーも」

結標「違うわ…秋沙はそんな娘じゃ…」

白井「言い切れますの?」

グサッと胸の奥の柔らかい場所に薔薇の棘が食い込んだような痛みを覚える。
もう一度違うと言いたくなって…自信が湧いて来なくなる。

白井「失礼ですが――」グイッ

結標「!?ちょっと!なにを――」

そこへ…伸びて来た白井の手が、結標の胸元に伸びる。
ワンピースの胸元が僅かに肌蹴て、剥き出しの歯形とキスマークが晒される。

白井「あまり大切にされているとは思えませんの。わたくしには」

結標「…やめて…」

白井「貴女の格好からすれば見えかねない場所に、言い訳の出来ない痕を刻む事が本当に貴女を大切にしているかどうか、わたくしの感性では計りかねますの」

結標「…やめて!」

白井「――わたくしには、貴女が良いように身体を弄ばれているようにしか感じられませんの」

結標「やめて!」

白井「それを拒まない、貴女とて――」

結標「やめてってば!!」

思わず、突き飛ばしてしまう。それに白井は抗う事もなくソファーに仰向けになる。首だけを起こして。

結標「秋沙は…秋沙はそんな娘じゃない!秋沙を悪く言わないで!!秋沙の事何も知らないクセに、勝手な事言わないで!!」

たまらず、涙声になる。感情が高ぶり過ぎているとわかっている。
それでも反駁せずにはいられなかった。自分を侮辱される事より怒りを感じたから。

結標「あ…いさを…悪く…言わないで…悪いのは…わ…るいの…は…わた…し!」

白井「…他にも、目に見えない所にもございますの?彼女が刻んだ証が」

出し尽くしたと思った涙が、枯れ尽くしたと思った雫が、後から後から溢れてくる。
もうボロボロだ。自分でコントロール出来ない強い感情の発露に、自分の器が耐えられない。
両手で顔を覆うように結標は涙を流す。その涙の理由は、白井の言葉に否定しきれない疑惑を自分も抱いているから。

結標「で…も…終わったら…秋沙…すごく優しくしてくれるの…痛くしたところ…汚くなんてないって…!」

732 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)25 - 2011/02/11 16:37:15.41 9z4dV04AO 26/53

自分に言い聞かせるように、結標は言葉を紡ぐ。自分の発した言葉にすがるように。
その姿が、白井にはいっそ哀れを通り越して痛々しいまでだった。

白井「…そう、ですわね」

身体を起こす。泣きじゃくる結標の姿を捉えるために。
手を伸ばし、細く小さな肩に手を置く。拒まない。それが白井の胸を痛めた。

白井「好いておられますの?姫神さんの事を」

結標「好きよっ…決まって…る…じゃな…い…私は…秋沙が好き…!」

白井「こんな雨の中飛び出した貴女を追い掛けもせず、電話の一つも寄越さずとも…ですの?」

結標「わ…だじ…には…秋…沙しか…いないの…秋沙…じゃな…きゃダメなの!」

結標の泣き顔を、薄く控え目な胸に抱く。パジャマ越しに感じる涙が熱い。
しゃくった涙声で、鼻を啜る。肩も細い。背中も小さい。
路地裏で対峙していた時の抜き身の刃のような鋭角さはすでになく、まるでガラスの剣も同然だった。

結標「私達は…私達は!」

白井「わかっておりますの。あなた方を見ていれば」

共闘を通してわかった。死地に身を投じて想い人を奪り還しに行った結標の想いも。
そのためにレベル5にまで駆け上がった結標の決意も。
どんな言葉より雄弁に、あの夜の結標の横顔は凛々しく美しかった。

白井「―――がうらやましいですの」

その薄い背に右手を回して、あやすように撫でる。
震えが伝わってくる。嗚咽の度に背中が戦慄く。
寄せた頬をすり合わせ、一定のリズムを務めてトントンと叩く。

結標「…え?」

それを泣き濡れ潤んだ眼差しで結標は見上げて来た。
これは確かに…と白井は改めて確信する。こんな顔をされれば庇護欲を駆り立てられるか嗜虐的な気分になるだろう。

白井「…何でもございませんの」

左手で後頭部を撫でる。指先に絡む、自分よりも更に赤みがかった結標の髪を。
緩くウェーブのかかった自分のそれとは異なる髪に手櫛を入れて、指先で梳いて。
呆けたような結標の白面へと、くっつき合わせた頬を離して

白井「こっちの話ですの…さ」

寄せた唇を、涙に濡れた目元に落とす。
冷たい涙と、熱い頬と、僅かに塩辛い雫に口づける。
綺麗、だと思った。もし人の形をした硝子細工があったならこれ以上の美しさは望めないだろうと。
あるとすれば敬愛する御坂美琴をおいて他にありえない。そして――

白井「――そろそろ、眠りません?」

唇に触れたなら、きっと甘いだろうと。

733 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)26 - 2011/02/11 16:39:07.68 9z4dV04AO 27/53

~15~

吹寄「思い出したわ、姫神さん」

姫神「?」

あたしは姫神さんを女子寮に連れ帰った。
連れ帰ったと言うより、とても強引に引っ張って来てしまったのだけれど。
こういう時、同じ学校で同じクラスメートで良かったと思う。

吹寄「ちょっとしか声が聞こえなかったからなかなか思い出せなかったんだけど…この間のグリルパーティーの時にいた、リボンの女の子じゃない?」

姫神「リボンの。子…!?」

私の言葉に、出しっぱなしにしていたぶら下がり健康器に触れていた姫神さんが振り返る。
その肩には未だ霧ヶ丘女学院のブレザーが羽織られている。結標さんのものだ。

吹寄「うん。あの時常盤台中学の娘が三人いたでしょう?多分、だけど」

あのグリルパーティーで見掛けた常盤台中学の生徒は三人。
一人はテレビでも見た第三位御坂美琴さん、一人は名前は知らないけれど第五位と呼ばれていた人、一人は特徴的なリボンだったから強く印象が残っていたから。だけれど

姫神「リボン。もしかしたら。私。その子を知ってる」

吹寄「?。そうだったの?」

姫神「…私が。上条君達と帰って来た日。覚えてる?」

吹寄「7月7日よね?七夕の日だったからよく覚えてるわ。それがどうしたの?」

姫神「…淡希。その日。持ってないリボンをしてた。よく覚えてる」

本当によく覚えてるなと思った。あれだけ人数のいるパーティーで一人一人の顔と名前を一致させるのは難しいけれど…
結標さん一人に絞り込むなら何か手掛かりを掴めると思えた。

姫神「淡希…!」

けれど…何故姫神さんはこんなに怖い顔をしているのだろう

734 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)27 - 2011/02/11 16:42:03.01 9z4dV04AO 28/53

~16~

白井「ピアス、外しませんの?」

結標「これは鈴だから」

白井「鈴?」

結標「そう。猫の鈴」

未だ止む気配のない雨音、未だ衰える予兆のない雨足。
窓辺を撃つ雨垂れが幾筋も幾重も描く雨模様を見上げながらベッドの上で結標淡希は冷たく笑う。
雨音はショパンの調べだなんて言ったのは誰だ。耳鳴りのようではないかと

結標「秋沙が私につけた鈴よ。私がどこに居ようが、誰と居ようが、何をしていようが――結標淡希(わたし)は姫神秋沙(あのこ)の所有物(もの)だって言う…鈴(あかし)なの」

白井「重くありませんの?」

結標「重いわ。CHROME HEARTSのフレアだから」

白井「重量の問題ではございませんの」

クイーンサイズのベッドに同衾しながら、白井黒子はその横顔を見やる。
自嘲と、自虐と、自罰が綯い交ぜとなったその横顔を。

白井「滑稽ですの。そんなもの一つで縛れるほど、人の心は容易くも安くもありませんの」

結標「そうね。私もそう思うわ。けれどね、私達にはこれくらい重くてちょうどいいの」

自分でもそう思う。重さもゴツさも女の子向きではない。
ただデザインだけは洗練された百合の意匠で、値段も二万ほどとまずまずだった。
私は二万円の女、そう自分で自分を貶めたくなる。

結標「思った事ない?女同士のカップルがいて、それを繋ぎ止めてるものはなんだって」

白井「愛、という模範回答ではいけませんの?」

結標「及第点以下よ。常盤台(おじょうさま)」

白井「答え合わせを。霧ヶ丘(おじょうさま)」

結標「重さ、じゃないかしら」

スッと布団に入る。伸び伸びと眠れる。傍らに寄り添う相手が常より小さく、寝そべるベッドが常より広いから。

735 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)28 - 2011/02/11 16:43:39.89 9z4dV04AO 29/53

白井「残酷な解答ですのね。わたくしのテキストとは答えが違っていますの」

結標「答えの一つではあるでしょう?」

白井「解説を」

結標「いいわ」

互いに寝首を掻こうとすればいつだって可能な距離。
これでいい。自分達にif(もし)はないのだから。

結標「秋沙と付き合っていてわかったわ。つくづく女の身体って、女と肌を合わせるように出来てなんていないって」

それは生物としての構造の限界でしょう、と白井は言う。
その通りだと結標も思う。重ねて白井も言う。
こんな話はとても御坂美琴には聞かせられないと。

結標「――私達は、遺伝子に逆らってる。女同士だなんて倫理観の前にね。それに耐えるには重さしかないんじゃないか…ってね」

白井「――本能には忠実ですのに?」

結標「そうね。だからエスカレートするしかないのよ。女同士で埋まらない部分を満たすには…それしかないから」

これは言わば、華やかな表舞台に対する暗幕の中の愛憎。
女同士の恋愛(禁じられた遊び)という関係と、問題と、根幹に触れる愛憎。

白井「常盤台でも時折そう言う噂や話は出ますの。女生徒ばかりですので」

結標「男みたいに、気持ち良いだけで満足出来ないから女は救えないのよ…!」

白井は思う。笑いをこらえるのと涙をこらえる声の震えはよく似ていると。
結標は今どちらだろうか。自分を嘲笑うのと姫神への涙、どちらをこらえているのか

736 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)29 - 2011/02/11 16:45:18.85 9z4dV04AO 30/53

結標「秋沙が男の子と話してると苛立つの…秋沙が女の子といると腹が立つのよ。敵が二倍だわ…こんなの知らなかった…知りたくなかった…知らなければ良かった!」

白井「結標さん」

声が震えだす。抱き締めた自分の身体に爪を立てる。
そうしなければ震えだす自分の身体をなだめられないから。

結標「最低よ…最悪よ。交わしている時しか嫌な事が忘れられないの!気持ちが落ち着かないのよ!」

女が女が愛するという事はそう言う事なのだ。
男はもちろん、親しげに話す女友達にすら神経は逆撫でされる。

結標「綺麗なだけで!美しいだけで!好きだとか!愛してるだとか!そんなもので埋まる訳ないじゃない!!」

白井「結標さんっ」

御伽噺ではなく現実の話。男女の中ですら女にはドロドロとした感情は渦巻く
それが女と女になればそれは二倍ではなく二乗の計算になる。

結標「一緒に生きるって!一人で死んだりさせないって!何が何でも何があっても二人一緒にって!だから私は!私は!!」

白井「結標さん!!」

抱き締めた身体に立つ爪から血が滲む。それを白井が引き剥がす。
純粋に腕力だけなら能力頼りの結標より風紀委員で鍛えている白井に分がある。
そこで結標は抵抗を止めた。誰かを傷つけようと向かう力を自分に向けて止めるように

白井「…落ち着いて下さいまし。いつもの貴女らしくありませんの…」

結標「…私はね」

一ヶ月、結標と姫神が出会い、結ばれ、付き合い始め、暮らし始めて約一ヶ月だ。
最初の限界が来るのはわかっていた。姫神は大人しそうに見えてメンタルは強そうだが結標は無理だろうとも。

737 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)30 - 2011/02/11 16:48:31.38 9z4dV04AO 31/53

結標「――コーヒーがブラックで飲めないのよ」

白井「………………」

結標「砂糖とミルクが入ってないと…飲めないのよ――」

人によっては言うだろう。ブラックで飲めないならコーヒーなど飲まないほうが良いと。
だが結標にはまだ苦さ(現実)の中にある深みに舌が追い付かない。
砂糖(甘さ)やミルク(優しさ)無しで、全てを飲み込むのはまだ無理だった。

白井「――わたくしは、クリームティーが好きですの」

白井とて、御坂美琴に絡んで陰ながら泣いた経験は一度や二度ではない。
だからわかる。結標の抱く苦悩やぶち当たった同性の壁も手に取るように。
喧嘩などほんの些細な穴に過ぎない。問題はその穴から噴き出す激情だと

白井「あったまりますのよ。コーヒーよりもずっとずっと…あったまりますの」

同時に白井は姫神に対して思う。メンタルが強いなら、相手を強く愛する以上にケアしてあげるべきだと。
怒って手を上げ飛び出した結標も大人気ないが、それをほったらかして追い掛けなかった姫神だって悪い。そして――

白井「…眠る前は、特に」

緩く柔らかく結標の手を取る。血が出るほど爪を食い込ませた指先を…自分の頬に導く。
白井の頬に僅かな血の雫がつく。血という絵の具に、結標の指先という絵筆を以て、描かれるキャンパスのように

結標「――汚れるわよ」

白井「互いに、血を流し合った仲ですの」

738 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)31 - 2011/02/11 16:50:34.48 9z4dV04AO 32/53

夕方の路地裏での殺し合い、深夜の学校での共闘(ダンス)。
白(ジャッジメント)の黒(グループ)の交錯。
光(白井黒子)と影(結標淡希)の倒錯。

白井「共に涙を流し合った恋人は世に数多くございますが」

妖しい磁力。引き込まれそうになるどころか気を抜けば吸い込まそうだと白井は笑う。

白井「――共に血を流し合ったのは、わたくし達だけですの」

そこで結標は認識を改める。自分達はコインの裏表であり、同極のマグネットだと。

結標「血を流す事を誇るのは、愚か者のする事よ――」

同じだから反発する。同じだからくっつかない。

結標「――白井さん」

結標が顔を寄せる。白井が目を閉じる。薄暗闇の中、影が近づいていく。

結標「逃げていいのよ」

白井「わたくしが、貴女に背を向けて逃げると?見くびらないでいただきたいですの」

結標「…逃げたら、引き裂いてやれたのに」

どちらともなく寄せられた唇、どちらともなく伸ばされた舌。
微かに匂う血の匂い以上に、白井の甘い香りがする。

白井「貴女は姫神さんを裏切れませんの…裏切ってはいけませんの…だからこれでいいんですの…」

結標「…馬鹿な娘ね」

光はあたたかくて、手の届かない場所にあるくらいがちょうどいい。
姫神という存在から離れられない吸血鬼(むすじめあわき)が光に手を伸ばせば灰になってしまう。



結標「―――貴女、泣いてるじゃない―――」



白井「―――雨ですの―――」



光(しらいくろこ)が、どんなに眩しくても


739 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)32 - 2011/02/11 16:52:18.05 9z4dV04AO 33/53

~17~

話して行く内に、私は自分でも記憶の整理が出来て来た。
やっぱり話相手がいると思考もまとまりやすくなって来る。

姫神「(確か。二日目)」

淡希と一緒に避難所の小萌先生の見舞いに言った時、淡希はリボンをつけた常盤台中学の娘と長い間話し込んでいた。

姫神「(確か。五日目)」

淡希と一緒にゲームセンターでダンレボをしている時、対戦しようと言って来た女の子二人の内一人の子もリボンをしていた。

姫神「(そして。七日目)」

淡希が空港での戦闘の時、私が奪った髪紐の代わりにやっぱりリボンをしていた。

姫神「(ヒントは。答えは。ずっと私の目の前にあった)」

淡希しか見ていなかったから気づけなかった。
けれど淡希がいない今だからこそ周りが見渡せる。
淡希に時折差す影…あのリボンをつけた誰かはいつもいたのだ。

姫神「(私から。淡希を奪わないで)」

させない。やらせない。触れさせない。淡希は私のものだ。
心の底から愛するのも、身体を弄んでいいのも、一緒に寝起きを共にするのも、跪かせて脚を舐めさせる事だって。

姫神「(認めない)」

淡希の笑顔だって、泣き顔だって、寝顔だって、溶けた顔だって…
心の欠片から身体の隅々まで淡希は私のものだ。

結標『そう?人を好きになって、愛して、マトモでいられる人間なんているのかしら。それを教えてくれたのは貴女よ。秋沙』

今なら私にもわかる。あの夜淡希が言った言葉の意味が。




姫神「(淡 希 は 誰 に も 渡 さ な い)」






747 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)33 - 2011/02/12 13:06:09.20 jAbNOmQAO 34/53

~17~

白井「朝ですの」

7:03分。白井黒子は窓辺の陽射しと共に朝を迎えた。
クーラーは除湿に。室内は適温に。そして傍らには――

結標「すー…すー…」

白井「(…夢ではございませんの…)」

ほんのりあたたかい人肌の体温。安らかで心地良さそうな寝息を立てる結標淡希の寝姿。
罪のない寝顔。汚れすら知らないような静謐なそれ。
下ろされた髪と純白のワンピースも相俟って幼い少女のようにも見える。

白井「………………」スッ

成る程。これが姫神秋沙しか知り得ない結標淡希の姿かと思う。
日向ぼっこに丸くなる猫のようだ。触りたくなるのと眺めていたくなるのと両方の気持ちが湧いてくる。

結標「んっ…」

伸ばした手を、結標が巻き込んだ。わかっている。夢現に微睡んでいるだけだと

結標「秋沙…」

白井「………………」

巻き込まれた手を、引っ込める。わかっている。夢幻に寝ぼけているだけだと。

白井「結標さん。朝ですの。起きて下さいまし」

結標「…ふえ…」

開け放つカーテン、射し込む朝焼けの光。この止んだ雨は一時的なものだ。
夕方からまた降り出すに違いない。そう思いながらキュッと固く瞑った目蓋をうっすら開ける結標を見やる。

白井「朝ですのよ結標さん。起きていただかないとベットメイキングが出来ませんの」

結標「んんう~…今日は土日じゃないの…もう少し寝させて…」

白井「わたくしにも朝食の準備がございますの。起きていただけないなら引っ剥がしますの」

結標「…起こして~」

そう言いながら腕だけ上げて来る。なんと手の掛かると白井は思う。
御坂美琴の寝起きの方が遥かにマシに思えてならない。しかし

白井「まったく…姫神さんの苦労が偲ばれますの」

右手で手首を掴み、左手を肩回りから背中にかけて回して状態を起こす。
用救護者か介護のようだと思いながら。そして上体を起き上がらせた結標は――

結標「…いい匂い…」

フカフカと白井のお腹あたりに顔を乗せてまだ寝ぼけていた。
手の掛かる姉を持った世話焼きの妹の気分だった。思わず溜め息が出る。

白井「…アーリーモーニングティーは何になさいますの?」

結標「クリームティー…」

昨夜の事が、まるで夢のような――ありふれた夏の朝が来た。

748 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)34 - 2011/02/12 13:08:37.28 jAbNOmQAO 35/53

~18~

結標「もむもむ…」

白井「パン屑がこぼれましてよ」

7:40分。結標淡希は白井黒子と朝食をとっていた。
テーブルにはクリームティーが2つ、結標が食べているキューカンバーサンドが1つ、白井が目玉焼きとベーコンを乗せたトーストを頬張っていた。

結標「(この娘も料理出来るのね…もしかして作れないのって私だけ?)」

白井に言わせればマスタードバターをパンに塗って、スライスされたキュウリに塩を振って挟んでカットするだけの事だが、その手つきだって結標からすればマジックだ。

白井「マスタードの量が不足していたようですの。もっとしゃっきりとなさっていただけませんこと?」

結標「まだ無理よ…それより貴女のご飯、天空の城ラピュタのパズーみたいね…」

白井「朝ご飯をおろそかにする者は後になって泣きを見ますの」

蒲柳の質である結標からすれば白井の健啖ぶりは真似出来そうにもなかった。
同時に思う。姫神が昔作ってくれたサーモントーストサンドの味を。

結標「………………」

白井「なんですの?わたくしの顔にヨダレの跡でもついていまして?」

結標「いいえ…ありがとう」

白井はいたって平静だ。事あるごとに御坂美琴へ求愛のダイブを仕掛ける点を除けば確かに御坂よりお嬢様然としている。
あの口と性格の悪さが美貌まで台無しにしている第四位も物腰だけはそうだったと。

結標「昨夜は…ありがとう」

白井「まったく。いい迷惑ですの」

ピッとリモコンでテレビを点ける白井。適当なチャンネルを回しつつ、続ける。

白井「あんなに剥き出しの脆さをさらけ出されて、放ってなどおけませんの」

結標「…それは正義の味方の風紀委員(ジャッジメント)として?」

白井「わたくし(白井黒子)として、ですの」

上品にティーカップのクリームティーに口をつけながら、すぐりのパイでも欲しいですわねなどと挟みつつ。

白井「――昨夜の事はお互いに忘れましょう」

結標「………………」

白井「わたくしは貴女に傘を差した、貴女はその中で雨宿りした…ただそれだけの事ですの」

結標「そうね…私も、どうかしていたわ」

結標は思う。なんて優しいんだと。優し過ぎると。
それは甘さが高じたそれでなく、確かな強さに裏打ちされた優しさだと。

結標「けどね…」

749 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)35 - 2011/02/12 13:10:28.79 jAbNOmQAO 36/53

フッ…と思う。もし、自分達の出会いと歩みの道が違えばと。
ありえないif(もし)が姫神秋沙という少女に愛を捧げる前に起きていたら――

結標「――例え、あの瞬間だけでも…私は確かに本気だった。それだけは…気の迷いと受け取らないで」

白井「――わたくしも」

白井もフッ…と思う。自分達の立場と所属が事なればと。
ありえないもし(if)が、御坂美琴に恋をする前に起きていたら――

白井「慰めや、同情で、貴女と居た訳でないと…わかっていただけますの?」

結標「――もちろんよ」

しかし、自分達にもしもは、ifは起こり得ない。今までも、これからも。

白井「ただ――1つだけ、お願いが」

結標「――聞かせて」

この件が解決すれば、敵同士とまでは言わないものの味方同士とは呼べない関係に戻る。
過去に殺し合いを演じ、共闘を経て、二人はまたいつか衝突する。それで良い。

白井「――わたくしの事を、“黒子”と呼び捨てになさって」

光と影、表と裏、相反し相剋を描くからこそ二人は巡り会えたのだから。

白井「織女星祭の夜のように…昨夜のように…ただ、“黒子”と」

結標がロミオなら、姫神がジュリエットなら、白井はロザラインだった。
選ばれる事のなく退場したはずのヒロインだった。

結標「――黒子」

白井「…はい」

結標は姫神を愛してしまった。白井は御坂に恋をしてしまった。
二人は思う。つくづく学生のするやり取りではないと。

750 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)36 - 2011/02/12 13:12:26.52 jAbNOmQAO 37/53

結標「私も…淡希でいいわ」

白井「――淡希さん」

結標「しなくっていいのよさん付けは。秋沙だって呼び捨てにしてるわ」

白井「後輩(年下)、ですので」クスッ

結標「聞かせてあげたいものね、あの娘(後輩)に」

お姉様と言う呼び名は、御坂美琴のためにあるもの。故の折衷案。
互いにわかっている。帰る場所があって、待っている人がいるからこそ、自分達は巡り会った。
共に過ごした夜があっても、共に迎えた朝があっても、二人にif(もし)はありえない。

白井「…淡希さん?」

結標「なに?黒子…」

白井「ただ、呼んでみただけですの」

それがわからないほど子供でもない。それだけだと切り捨てられるほど大人でもない。
それでも――今ここにある笑顔を、偽物にしたくなかった。

結標「クスッ…変な子ね貴女。名前を呼んだだけで、どうしてそんなに嬉しそうなの?」

白井「ただ名前を呼ぶだけで、幸せになる事だってありますのよ。淡希さん」

まるでテーブルに置かれた花のようだと結標は思った。
青い薔薇のような神々しさがなくとも、女王蘭のような香り高さがなくとも…

結標「…わかる気がするわ。今なら…」

ただそこにあるだけで慰められる。眺めて、愛でて、慈しむ事が出来る。
何度枯れても、何度散っても、その都度残されたものが再び芽吹かせる。
ああ…そうか。これが『白井黒子』かと…奇妙に納得した。

結標「――貴女のおかげで」

751 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)37 - 2011/02/12 13:15:27.23 jAbNOmQAO 38/53

~19~

それから二人は朝食を終えると、片付けもそこそこにソファーに寄りかかって白井が撮り溜めていた金曜ロードショーを見やっていた。
予定のない休日は、そうしてHDDに溜まった映画を見るのだと言う。

結標「可愛いわね。ジブリが好きなんて」

白井「風景がとても綺麗ですの。この学園都市(まち)では見れませんの」

肘掛けに持たれる側とは反対の肩に白井がコテンと寄りかかる。
まるで妹でも出来たみたいだなと思いつつ結標はその頭を撫でる。

結標「私はこの空と雲が好きよ。こんな場所が本当にあればいいのに」

白井「わたくしは、この水平線が好きですの。どこまでも、この線路が続いていそうで…」

スカイブルーが気に入った結標、アクアブルーがお気に入りの白井、クリアブルーが好きな二人。
季節は八月上旬。そんな中クーラーに当たりながらジブリを見ている。
まるで夏休みに、お留守番している姉妹のようだと二人は笑った。

結標「ねえ…黒子」

白井「なんですの?」

そこで結標は白井の肩に手を回して抱き寄せた。
幸い予報では雨振りは夕方からだ。時刻はまだ十時にすらなってはいない。

結標「――海、見に行かない?」

白井「えっ」

互いに語らない。ここにいても良いのか、帰らなくて良いのか。
それは優しい嘘にも似ていて、言葉のいらない沈黙と双生児だった。

白井「無理ですの。如何に学園都市の規制が損なわれたと言っても、許可無しに一朝一夕に外出など…」

結標「相変わらずお堅くていらっしゃるのね黒子(ジャッジメント)は…あるでしょう?この学園都市(まち)でただ一カ所…外部に出ずとも海が見られる場所が」

白井「…あっ!」

服は道中の適当な店で買い直せば良い。持って行くのは身の回りのいくつかと――

結標「そう…貴女が考えている通りよ」

二人が入れるだけの、傘が1つあればいい。



白井「――軍艦島――」





752 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)38 - 2011/02/12 13:17:34.48 jAbNOmQAO 39/53

~20~

身の回りのいくつかを持って、2人は着替え、傘を1つ携えてモノレールに乗り込む。
雨上がりの街を、真夏の陽射しを浴びて照り返す水溜まりを、熱気に揺らめく逃げ水の風景を見下ろして。

結標「暑くなる一方ね…テレポートしていかなくてお互い正解だったわ」

結標が駅構内で買ったガムを口の中に放り込みながら呟く。
クーラーは寒いばかりなのに、駅ごとに開く乗車口から茹だるような熱気が吹き込んで来て。

白井「こんな時くらい、ゆっくり各駅停車でもよろしいんではなくて?」

それを物欲しそうに見つめる白井。常盤台中学の制服スカートに包まれた膝の上にランチバスケットを乗せて。
家出娘とお嬢様の終着駅すら見えない夏休みの一幕に僅かに胸膨らませて

結標「それもそうね…先を急ぐ訳ではないのだから」

狂った油蝉の鳴き声が聞こえてくる。八日目を迎える事なく亡骸と脱け殻を晒すばかりの命を燃やしている声が

白井「ですの。淡希さん、わたくしにもおひとついただけません?」

そんな物思いに耽る結標に、白井が微笑みかけてくる。
制服着用の校則は相変わらずだが、今日に限ってリボンはしておらず下ろされたままである。

結標「ええ。どうぞ」

白井「!」

それを見ていると、ごく自然に唇を重ねていた。
白井は一度ビックリしたように目を見開き…そして静かに目を閉じてそれを受け入れた。

結標「…美味しい?」

白井「…新しいのが欲しかったですのっ」

口移しで与えられたガムは、メロンとバニラミントの味がした。

結標「イヤだったかしら?」

白井「…いいえ。ドキッとしましたの」

結標「寿命、縮んちゃいそう?」

白井「ええ。まるでセミのように」

白井は思う。子供の頃から活気と活力に満ちた夏という季節に、他のどんな季節にもない『死』を感じるようになったのはいつからだと。

結標「そう。ならあと一週間は生きられるわね」

結標は思う。夏の昼下がり、誰もいない街通りを一人歩く時のうらさびしさを。
まるで世界の全てが自分を残して死に絶えたような切なさを感じるようになったのはいつからだと。

白井「おあいにく様ですの。わたくしは、セミほど儚くございません事よ?」

二度目のキスは、メロンと、バニラミントと、クロエの香りがした。

753 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)39 - 2011/02/12 13:19:18.00 jAbNOmQAO 40/53

~21~

白井「はあっ…」

結標「スゴいわね…初めて来たけれど」

12:34分。二人はモノレールから降り立ち、ターミナルゲートを潜り抜けて、テレポートを繰り返して軍艦島と呼ばれる放棄された人工島が連なるエリアへやって来た。
元は神奈川県まで跨ぐ学園都市を海路で繋ぐためのアクアライン計画と、海洋探査人工島を以て海上学区を広げようとし、二十年前に中途で放棄されてしまったエリア。

今では地図にも乗っておらず、止まる駅も交通手段も道路もなく…
スキルアウトすら寄り付きもしないまさに空間移動能力者でなくては行き帰りすらも困難なエリア。

結標「あれは…カモメ?」

白井「いえ…ウミネコですの」

痛いほどに澄み切った青空を舞うウミネコ達の羽が潮風に乗って運ばれる。
一種壮観な眺めですらある。水没しかけたいくつかの人工島、海上に突き刺さる戦闘機らしき残骸、無数の船の墓場、廃虚と化した海洋生物研究所、錆び付いた灯台…

結標「そう…図鑑でしか見た事なかったわ。後は映画くらい」

白井「わたくしもですの。実家の避暑地に海辺はありませんでしたの」

彼方から波止場へと寄せては返す波の音。さらわれてしまいそうな海風。
朽ち果てた大桟橋の向こうに広がる横一文字に切られた入道雲が限り無く高く広がっている。
青と白とパノラマ。いっそ幻想的なまでの景観がそこにはあった。

結標「――あるものなのね、こういう風景。さっき見た海列車が走ってそうだわ」

白井「あら?わたくし達、片道分の切符しか持っていませんのよ」

結標「いいじゃない…片道切符だって」

その眺めに、訳もなく泣きそうになる。感動とも違う、悲嘆とも異なる。
強いてあげるなら、一人一人の胸にしか存在しないはずの心象風景が、太陽の光を以て青空に描かれ、それに水と海の額縁に収められたような――

結標「――行きましょう。黒子」

姫神と共に見上げた、青薔薇の空に匹敵する蒼さ。
空の青、海の蒼、それぞれ似ているようで違うのに胸を打つ。

白井「往きましょう。淡希さん――」

陽の光の当たる世界へ帰還した結標と姫神。
水の雫溢れる世界へ辿り着いた結標と白井。
無鉄砲に、無軌道に、無計画に片道切符しか持たないまま飛び出して

爽やかな蒼い風の中を

切ない景色の中を

目映い光の中を

終わらない夏への扉を探して

今は、全て忘れて―…

763 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)40 - 2011/02/13 10:33:47.85 JI8B96FAO 41/53

~22~

ミャーミャーと空を行き交うウミネコの翼影が潮風に漂白された石畳の上に落ちる。
名も無き花が揺られ、その花片が舞い上がる行方を――

結標「………………」

結標淡希は静かに見送る。荒れ果て忘れ去られた旧市街の名残の中を踏みしめながら。

白井「どうされましたの?」

結標「いえ…自然の力の偉大さを感じていた所よ」

潮風に腐食し赤錆の浮いた建造物の鉄骨部分に手を触れながら結標は呟くように語る。
瓦礫の王国と化した第七学区と比較するように。

結標「科学万能のこの学園都市(まち)でこんな事を言うのもなんだけれど…人の手が入らなくたって自然は何度だって甦るのね」

自分達の都合で建造物や人工島を建て、自分達の都合でそれを放り出した後も…
鳥は空を、花は地に、その生命の連環を絶える事なく紡いでいる。
昨夜の雨の名残が生み出した水溜まりを、天蓋から滴る雫が穿って波紋を描く。

白井「センチメンタルな物言いですのね?うらさびしいお気持ちになられまして?」

結標「私にだってそんな時くらいあるわ…こんな事を話したのは、貴女が初めてよ。黒子」

朽ち果てた信号機と傾いだ電柱、乗り捨てられた車が歳月の風雨にさらされたスクランブル交差点に出る。
さんざめく真夏の太陽に液状化されたアスファルトに立ち上る陽炎。
死に絶えた街並みから二人は彼方に広がる海を目指す。

白井「光栄の至り…」

遮るもののない海風は蒼々とし、二人の前髪を揺らす。
そこで一歩下がってついて来た白井黒子が結標の手首を掴んで引き留める。
それを結標が足を止めて振り返る。蝉の声だけが聞こえる、昼下がりの沈黙。

結標「…ガム、もう味なくなっちゃった?」

白井「そうですの」

結標「虫歯になるわよ」

白井「よろしいんですの」

僅かに爪先を伸ばし、可愛らしく顔を上向かせ、キスをせがむ。
結標は両手で包むように白井を引き寄せると唇を近づけて――

白井「こうしていないと、消えてしまいそうで」

結標「…貴女だって、センチメンタルじゃない」

甘ったるく、許されざる、禁じられた遊び。
子供同士でするキスに、禁忌を覚えていた頃を思い出す。
二人しかいないスクランブル交差点の真ん中で交わす、幾度目かのキス。

白井「――淡希さん――」

腫れ上がるほど、火傷するほど、初めてするように、別れのように――

764 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)41 - 2011/02/13 10:36:08.94 JI8B96FAO 42/53

~23~

白井「こうしていると、世界の果てがここだと錯覚してしまいそうですの」

結標「貴女といると、世界の終わりがここだと勘違いしてしまいそうだわ」

崩壊したメガフロートが海中に没し、人工島と人工島を繋ぐ空中回廊を挟んで二人は互いに語り合う。
白井は今にも倒れそうな鉄塔から、結標は今にも崩れそうなビルディングから。

結標「汚いのに綺麗で、綺麗なのに醜くくて」

白井「切なくて、残酷で、美しくて、優しくて」

結標白井「「貴女のようで」」

振り返れば学園都市が見える。見上げれば青空が広がっている。
しかし結標は姫神に、白井は御坂に、この景色を決して理解してもらえないと感じた。
理解は示されても共感は得られない。二人だけの世界だからこそ見える風景。

白井「お魚が泳いでいますの。ビルが、お魚のお家になっていますの」

白井が指差す先には、蒼の水面の奥底…碧の海底に沈んだ、建築物内を泳ぐ魚群。
第十九学区も寂れきって久しいが、ここは輪にかけて廃れていた。

白井「水槽でしか見た事がなかったので、あんなに早く泳げるとは知りませんでしたの!」

それはきっと、空の青(姫神秋沙)と水の蒼(白井黒子)の狭間を揺蕩う結標の心象風景なのかも知れない。
姫神の傍らに寄り添うと決めた誓いは変わらない。御坂の側に寄り添うと決めた白井も同様に。

結標「…私は、空を目指した深海魚だったのかも知れないわ」

白井「………………」

結標「深海(裏の世界)の暗さに、重さに、冷たさに耐えられなくて…光と空気が溢れる空(表の世界)を求めて…ね」

白井「なら…わたくしは人魚姫になりたいですの」

白井が鉄塔から空間移動して来た。姫神のように一緒に飛べない、御坂のように一緒に翔べないとしても…
離れ、分かたれた距離を、二人は一瞬で縮める事が出来る。

結標「ダメよ黒子…泡になって消えてしまうのよ?」

白井「わたくしが海に還ったら、淡希さんは泣いて下さいますの?」

結標が白井を抱き締める。馬鹿な事を言わないでと。
腕の中の白井が微笑み返す。ならばしっかり捕まえておいてと。さもないと

白井「さもないと――」

その時、結標の腕の中から白井の体温が

結標「!?」

重みが、存在が、甘い匂いが、喪失する。

ジャボンッ!



765 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)42 - 2011/02/13 10:37:16.52 JI8B96FAO 43/53

結標「黒子!?」

掻き消えたのだ。空間移動で。結標の腕の中から、ビルの屋上から、空中へ身を投げ出して、真っ逆様に海中へと柱を立たせて着水する。

白井「ぷはっ!」

そして結標の眼下から、水飛沫と水泡が収まる間もなく白井が海面より顔を出す。
可愛らしい額に張り付く髪をかきあげて、真上の結標へと手を拡声器のようにして。

白井「淡希さーん!見てるだけじゃなくってー!いらっしゃいませんのー?」

結標「馬鹿!危ないじゃない!帰りの服どうするのよ!」

白井「すぐ乾きますのー!冷たくって…気持ち良いんですのよー!」

結標は思う。なんてムチャをする娘だろうと。なんと突拍子のない事する娘だろうと。しかし

結標「まったく…もう!」

結標も水没都市目掛けて空中へと身を投げ出す。
青空の中へと墜ちて行くように、青海の中へと堕ちて行くように。

ジャボンッ!

座標移動。胸が吸い込まれそうな無重力感の後身に浴びる着水の衝撃。
心地良い冷たさが一瞬で全身を包み込み…水中から水上に輝く光へ向かって――

結標「…っは!」

思いっ切り止めていた空気を吐き出し、呼吸をハアハアと繰り返す。
思った以上に肌を叩いた水が痛くて…そしてそれ以上に。

白井「捕まえましたのっ」

抱きついてくる白井の身体があたたかい。濡れた制服、透けた下着、水が滴る肌がくっついているのにちっとも不快でない。

結標「あっ、暴れないの!沈んじゃう!」

慣れない水、初めてに近い海、揺蕩う結標が沈まぬように気を張るのもお構いなしに白井はくっついてくる。
もし自分に妹がいたならば、こんな感じだろうかと考えさせるほどに。

白井「ほら…わたくしは泡になって消えたりいたしませんの」

結標「………………」

白井「声を奪われる事も、髪を喪う事もございませんの」

初めて、白井黒子という少女が年相応に結標には見えた。
躊躇いなく電車に飛び乗り、目指した海に飛び込み、結標に腕を回してくるその姿に。

結標「足は痛くないの?人魚姫さん」

白井「胸が痛いですの。魔女さん」

結標「魔法の解き方を忘れてしまったわ」

白井「解けなくっていいですの」

海の中、空を仰いで、二人は抱き合う。例え今カルニアデスの板を差し出されても――

白井「人魚姫は、何一つ後悔しませんでしたのよ?」

きっと二人は取らない。二人で沈むのではなく、二人で助かるために



766 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)43 - 2011/02/13 10:39:57.63 JI8B96FAO 44/53

~24~

白井「綺麗ですわね…」

結標「美しいというべきかしらね…」

そして二人は濡れた身体を乾かすため灯台を臨める小高い丘の療養所跡地に来ていた。
療養所内は蔦葛と緑樹に侵略され、真っ白な壁面を魔女の住まう洋館のように仕立てている。
二人は割れ砕けた硝子の残骸だけが辛うじて窓枠に残って。

白井「空も、海も…どこまでもどこまでも続いていそうですの」

結標「天国までだってね」

白井「縁起でもありませんの!」

二人はもぬけの空となった病院ベッドに並んで腰掛けながらオーシャンビューを楽しむ。
療養所で封を切られていなかった新品のシーツを身体に巻き付けて。
壊れた窓枠がまるで額縁のように海と空と雲に描かれた絵画を囲うようなそれを見つめながら。

結標「子供の頃には思っていたのよ。雲の向こうには神様の国があるって」

白井「それは今でも信じておいでで?」

結標「私は神様に遠すぎるわ」

煤けて埃っぽいカーテンが時折はためき、リノリウムに影を落とす。
白井はアメリカンクラブハウスサンドを、結標はフルーツサンドを食べながら。

白井「“On A Clear Day You Can See Forever”」

結標「…?」

白井「ご存知ありませんの?邦題では“晴れた日には永遠が見える”というミュージカルの歌ですわ」

結標「残念ながらね。常盤台(お嬢さま)と違ってそういうのを嗜む機会に恵まれないのよ…で、それはどんな歌?」

白井「ふふ…それは――」

白井は歌う。流麗な発音で、優麗な歌声で。英語の歌詞だが結標にもその意味は理解出来た。
晴れた日には周りを見渡せ、自分を見つめ直せ、自分も海や砂や自然の一部であり、それは輝く星のように尊い存在なのだと。

白井「…如何でした?」

結標「…おひねりはどうしたらいいかしら?」

白井「おあしをいただくほど上手くなどございませんの」

結標「私のために、歌ってくれたでしょう?」

白井「この眺めを、私にプレゼントして下さった貴女へのお返しですの」

結標「だとすれば…もらい過ぎだわ。お釣りはどう返したらいいかしら?」

白井「貴女の、望むままに」

この『死』に満ち溢れた療養所(サナトリウム)にあって尚、咲き誇る向日葵のようだと結標は白井を評した。
買いかぶり過ぎですわよ、と腕の中で白井は微笑み返した。

結標「手折ってしまうわよ」

白井「散らせて下さいまし」

767 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)44 - 2011/02/13 10:41:14.72 JI8B96FAO 45/53

シーツを巻き付けただけのそれが、まるでお揃いワンピースのようだと二人は額をくっつけ合いながら笑う。
剥き出しの素肌、投げ出した素足、海水の冷たさから、人肌に通う体温へと。

結標「この傷…私がつけたものよね」

白井「そうですの。とっても痛かったですの」

細い手首が重なる。白い指先が触れる。小さな手が合わさる。

白井「貴女の身体にも…わたくしが刻んだ傷がまだ残ってますのね」

結標「そうよ。私達が殺し合った(あいしあった)、疵痕(あかし)なのよ」

カーテンがそよぎ、陽射しが差し込み、風が吹き抜ける。

結標「…ごめんなさい。もっと綺麗な身体で、貴女とこうしたかったわ」

白井「女心ですのね…貴女は汚れてなどいませんの。綺麗ですの」

結標「…貴女は優しいのね。黒子は優しすぎるわ」

白井「だとしたら…わたくしはただ、優しい“だけ”ですの」

数多の生と幾多の死を見送って来たベッドの上で交わす睦言。

白井「こういう時…お互いのほくろの数を数えるものではございませんの?」

結標「私達の場合は疵痕、でしょ?忘れないモノだわ。痛みを伴った経験は」

白井「…なんだって構いませんの。覚えていてさえいただけるなら…なんだって」

結標「なら忘れないわ…今日と言う日を。貴女と見たこの世界(けしき)を」

壊れた壁掛け時計、置き去りにされた空っぽの鳥籠、ひび割れた薬品の瓶。

結標「何故かしらね…私、貴女からリボンを受け取ったあの夜から…こうなるような気がしてた」

白井「わたくしは…織女星祭の夜からこうなるような予感がしていましたのよ」

サラサラとした結標の髪が、フワフワした白井の髪に重なる。

結標「貴女の言葉があったから、私は水先案内人になれたのよ」

白井「貴女の力があったから、わたくしはあの夜戦い抜けましたのよ」

外に干した二人の衣類がひるがえるのが見えた。
もう服も下着も真水で洗い流して乾き切った頃だろう。

結標「………………」

白井「………………」

そして、もう言葉はいらなかった。

768 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)45 - 2011/02/13 10:45:14.43 JI8B96FAO 46/53

~26~

白井「あの鳥達は、どこに帰って行くんでしょう」

結標「空に終わりはないから――止まり木に、じゃない?」

沈み行く落日が水平線の彼方に燃え尽きる頃…衣服の渇いた二人は軍艦島内にある打ち捨てられたショッピングモールへと足を向けていた。
至る所で窓ガラスが割れ砕け、シャッターや鉄格子までもが歳月の風雨に晒されている。
二人が見上げた茜色の空は、たった今海鳥の群れが飛び去っていたばかりだ。

結標「知ってる黒子?鳥ってね、翼があっても風切り羽がないと飛べないのよ」

白井「それが何か?」

結標「飛び続けなきゃ行けないのと、地べたを這いずり続けるの…どっちが辛いと思う?」

白井「決まっていますわ――飛べなくなるのが、一番辛いですの」

海鳥の群れからしげしげと廃墟の街並みに立ち並ぶアンティークショップのウィンドウを覗き込む白井黒子。
二十年前から見捨てられ水没しかかった軍艦島でのウィンドウショッピングなど、と結標は思わなくもなかった。

白井「御存知ですの?鳥は雨雫に翼を濡らしても飛べなくなるんですのよ?」

結標「なら、黒子はさしずめ飛べなくなった燕(わたし)の止まり木ね。感謝しているのよ。本当に」

白井「そうですの。翼を休めたら、また巣に帰りますのよ。貴女は姫神さんへ、わたくしはお姉様へ」

そう語る白井の背中は、結標から見てすら大人びていた。
この姿をいつも保っていれば御坂美琴だって見方を改めるだろうに。
もっとも、結標と姫神とてほとんどチャンポン漫才のようなやり取りだが…

結標「…何を見てるの?」

白井「オイル時計ですの!」

結標「オイル時計…??」

白井「知りませんの?砂時計の砂でなく、リキッドで時を刻む物ですの。レトロで、クラシックで、アンティーク極まりありませんの!」

そう言って白井がトランペット欲しさに硝子に張り付く少年のように振り返る。
指差した先にはウルトラマリンの色彩を湛えた流体が静かに雫を落としていた。
ラピスラズリを散りばめた、確かに年代別らしい風格があった。

結標「買ってあげましょうか?」

白井「えっ!?」

結標「一宿一飯の恩義よ。不満かしら?」

白井「で…でも店員もいないんですのよ?泥棒は犯罪ですの!」

結標「なら、こうすればいいのよ」

すると結標は締まりきったシャッターをものともせずに座標移動で転移し、店内に入ると。

769 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)46 - 2011/02/13 10:46:15.16 JI8B96FAO 47/53

結標「おつりはいらないわ」

財布からいくつかの紙幣を取り出し、硝子の向こうの白井にヒラヒラ見せると…それをレジに置き、オイル時計を手にした。

結標「(…秋沙が買ってくれたランプシェードの時も、私はきっと黒子と同じ目をしていたんでしょうね)」

きっと今頃姫神秋沙は激怒を通り越して、殺意を決意しているだろう。
わかっている。結標には『全て』がわかっている。わかっていてこうしているのだから。

結標「(覚悟はしてるわ…覚悟を決め過ぎて、震えすら起こらないのだから)」

結標が愛した姫神秋沙とはそういう少女だ。暗い激情を秘めた感情の極北を胸の内に湛えた女性だ。
血を流す以外の結末などありえない。結標が一生共に歩むと青空に誓った恋人は。

結標「(ねえ黒子?わかる?私と秋沙の絆は、赤い糸で繋がってるんじゃないわ。銀の鎖で縛りあっているのよ)」

こんな他愛のない痴話喧嘩で、痴情のもつれで、『終われたり』『別れたり』『切れたり』『壊れたり』など出来ないのだ。
それは愛情でも信頼でも希望ですらない。もっと退廃的で、破滅的で、絶望的なまでの『運命』なのだ。

結標「(貴女は、そんな私に傘を差して、身体であたためてくれたのよ。それがどんなに嬉しかった事か)」

あの長い夜を越え、空を見上げた時から結標と姫神は『永遠』の欠片を手にした。
それはリセットもリスタートも出来ない。許そうが許すまいが二人は離れられない。離れる事など出来ないのだ。

結標「(最初で最後のデートが廃墟の軍艦島だなんて、ちょっぴり心残りだけれどね)」

最高の瞬間も、最低の悪夢も、最悪の苦痛もずっとずっと二人で分け合う。
永遠に愛しあい、永久に憎みあう。傷つけあい壊しあい、抱き合い口づけ合う。
それを繰り返すのだ。天国と地獄の行ったり来たりの上り下り。

770 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)47 - 2011/02/13 10:47:34.23 JI8B96FAO 48/53

結標「(それでも黒子…私は、貴女の事が――)」

仮に姫神が吹寄制理と寝ようが、結標は別れない。
仮に結標が白井黒子に姫神に注ぐのと同等の愛を捧げても姫神は離れない。
互いに、どちらかを自分の手で殺めても、その亡骸を抱いて後を追う。
そして命ある限り共に歩む。空に終わりはないのだから。

白井「淡希さん…本当によろしいんですの?」

結標「受け取って欲しいのよ、貴女にね」

その生き方は、『永遠』を誓った代償だ。何かを選ぶという事は、同時に何かを捨てるという事。
それを分けて良い所だけ選ぶようなら、最初から『永遠』など望まなければ良い。

白井「でも…」

結標「いいのよ」

しかし、白井は違う。こんな善悪の彼岸の向こうに続く荊棘の道など知らなくて良い。
歪んでいるからこそ強い愛情などと、劇薬を盛った毒杯の味など知らずとも良い。
結標達は空の下、白井は光の中を歩めば良い。

結標「もし――私の事を――」

白井「――――――」

良いも悪いもない。ハッピーエンドもバッドエンド。自分で選んだストーリー。
出来が悪く、都合が良いラブストーリーだけ摘み食いなど出来ない。

結標「―――なら、受け取って、黒子」

白井「そんな言い方は…とてもとても…卑怯ですの」

結標「忘れた?。私って性格悪いのよ。思い出したかしら?」

バッドエンドはゴールじゃない。ハッピーエンドはスタートラインに過ぎない。
その道筋に疲れ、雨に撃たれ、冷え切った心と身体をあたためてくれたのが白井だ。
そう…if(もし)…もし(if)だ。

白井「わたくし怒りましたのよ!これだけでは足りませんの!」

姫神秋沙が、御坂美琴が、全ての可能性が…結標淡希と白井黒子に神の祝福(ブルーローズ)を授けてくれたなら…

結標「どうしたら、許してくれるかしら?黒子(おじょうさま)?」

きっと…最高で…最良で…最愛のパートナーになれていただろう。
しかし…そんな『もし』は、『if』は、ありえないのだ。
それこそが、それだけが二人の不可能(ブルーローズ)

白井「それは―――」

誰からも祝福されない…二人の恋の終わり

771 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)48 - 2011/02/13 10:50:42.72 JI8B96FAO 49/53

~破滅によせて~

結標「本当にこんなので良かったのかしら?」

白井「これで、いいんですの」

二人は今、忘れ去られた岬の灯台の最上階にいた。
療養所から持ち出したシーツにくるまりながら、星空を見上げて。

結標「一緒に星が見たいだなんて、そんな事で」

白井「――最後の、夜ですの」

白井は手の中でオイル時計を愛おしそうに慈しみながら。
結標はそんな白井をすっぽりと包み込みながら。

白井「夜明けまで、淡希さんを一人占めにさせていただきますの。これ以上、わたくしにとってのご褒美はございません事よ?」

結標「欲張りな娘ね…私は秋沙の女よ?貴女、殺されるかも知れないわ」

白井「――受けて立ちますわ」

結標は全てを話した。白井も全てを話した。話した上で二人は今…ここにいる。
姫神から結標を奪うつもりはない、しかし結標一人に血を流させはしない。自分も罰を受けると。

結標「…貴女だけなら、庇ってあげられたのに。事実、私から誘惑して、私から迫ったのだから」

白井「見くびらないで下さいまし――わたくしが、貴女に背を向けて逃げ出すとでも?」

それは、初めてのキスの時と同じ台詞。

結標「――秋沙は、一生私達を許さないわよ」

白井「――構いませんわ」

それでも白井は…結標から離れようとしない。
この明日の見えない夜の中にあってすら、その光は沈まない。

結標「いいわ黒子…私と一緒に裁かれて」

白井「望むところですのよ、淡希さん」

結標は知った。生と死を巡って愛に結ばれた自分と姫神との絆以外にも――
罪と罰を巡って、許されない恋に結ばれた自分と白井の絆もありえたのだと。



しかし――



カツン…カツン…





772 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)49 - 2011/02/13 10:52:25.86 JI8B96FAO 50/53

結標「――ごめんね、黒子。もう遅いみたい」

灯台の階段を、誰かが登って来る音。それは聞き慣れた足音、耳慣れない跫音。

白井「――いいんですの」

どうやって見つけ出したか、どうやって辿り着いたかなど知る由もない。
空間移動能力者でもない『二人』がどうしてここまで追ってこれたか?決まっている。


「――どんなに遠回りしても――」


あの図書館での一件でも、あの空港での一件でも、自分達は見えない運命に導かれるようにして巡り会ったのだから



「― ― 信 じ て た ― ―」



『永遠の愛』というもの言葉の意味は、プラスにばかり働かない。ポジティブな意味合いばかりではない。
永遠という言葉の意味を、誰も彼も手軽に受け取り過ぎている。




「― ― 絶 対 に 貴 女 を ― ―」




手垢のついた『永遠』は―――そんなに軽い言葉じゃない。





「―  ―  見  つ  け  ら  れ  る  っ  て  ―  ―」







773 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)50 - 2011/02/13 10:57:01.89 JI8B96FAO 51/53

振り返らなくたってわかった、夜風にひるがえる黒髪…
そして、長い黒髪の少女が、もう一人の黒髪の少女の手を『恋人繋ぎ』していた。

結標「――早かったじゃない――」

『遅すぎたくらい』だとその黒い影は言った。なるほどと思った。
白井黒子が結標淡希の『分身』ならば、『彼女』は結標淡希の『半身』なのだから。

結標「――貴女も、吹寄さんと寝たのね――」

微苦笑が込み上げてくる。つくづく自分達は息のあったパートナーだ。
息が合い過ぎて――殺してやりたくなる。

「そう。淡希も。その娘と寝たの?」

結標「寝たわ。嫌がるこの娘を、無理矢理手込めにしたのよ。初めてだったのにイイ声で啼いてくれたわ。貴女に抱かれた時の私みたいに」

腕の中の白井が異議を唱えて暴れる。それを結標が押さえ込む。
もう言葉でどうにかなる場所はとうに過ぎているのだから。
逸らせる矛先は可能な限り逸らせ、自分に注意を向けさせたかった。

「私とするより。気持ち良かった?」

結標「どうかしら?もう一度愛し合って確かめてみる?私、まだ濡れてるわよ」

隣の吹寄が震えている。怖いだろう。きっと『彼女』も結標も、正視に耐えない笑顔を浮かべているだろうから。
笑顔という正の要素を、極限にまで負の要素に貶めたような、『女』の微笑。
その中で白井だけが変わらない目で挑む。本当に強い娘だと結標は思った。

結標「――どうだった?吹寄さん。この娘、とっても上手でしょう?」

吹寄「あ…ああ…」

結標「この娘くらい上手くなかったら、私だって初めてで、しかも女同士だなんて無理だったはずだもの」

この時、結標は初めて吹寄に対して申し訳なく思った。
怪物(バケモノ)とバケモノ(怪物)の争いに巻き込んで悪かったと。
けれど、このゲームからは誰も降りない。降りれない。
リセットもリスタートも…ゲームオーバーすらないのだから。

774 : とある驟雨の空間座標(レイニーブルー)00 - 2011/02/13 10:59:29.55 JI8B96FAO 52/53

「――私達って。救われない――」

結標「そうね。人を好きになって、愛して、マトモでいられる人間なんているのかしら。それを教えてくれたのは貴女よ」

夜は明ける。世界は終わらない。誰も死なない。何も変わらない。ただ二人の空は終わりなく続く。

これは優しい御伽噺でも、甘酸っぱいラブストーリーでもない。

『特別でもなんでもない』、ありふれた日常の1ページなのだから。

「私は。今でも淡希を愛してる。貴女が誰と寝ても」

結標「ええ。私も、貴女を変わらず愛してるわ。貴女が誰を抱いても」

腕の中の白井を抱き締める。一言、ごめんねとだけつぶやく。しかし――



白井「――わたくしも、貴女を愛していますのよ…“お姉様”――」

結標「――私も、貴女を愛してるわ…黒子――」



ここには罪しかなくて



ここには罰だけがない



ここには愛しかなくて



ここには救いだけがない



結標「愛してるわ…――――」



さいごによんだのは



あなたのなまえ――

775 : VIPに... - 2011/02/13 11:02:35.12 JI8B96FAO 53/53

>>1です。以上で『とある驟雨の空間移動(レイニーブルー)』終了となります。ここで少し、蛇足を

この物語のテーマは『アンチ百合』でした。甘くなく、優しくなく、ひたすら残酷な美しさを念頭に置きました。
愛情や恋情や友情ではどうにもならない、性別の壁、同性の壁、カップルになってぶつからないとわからない壁を逃げずに真剣に描きたかったので。

そしてお気づきの方もいらっしゃるでしょうが、白井は本編最初からこのSSの裏ヒロインでした。だから全て姫神と対にさせました。

天気…姫神=夏雲、白井=驟雨

色…姫神=空の青、白井=水の青。

家に転がり込む…姫神=結標宅に転がり込む、白井=結標が転がり込む。

贈り物…姫神=ランプシェード、白井=リキッドクロック

小説…姫神=『赤と黒』、白井=『オセロ』

役柄…姫神=お姫様、白井=人魚姫

二人が交わした場所…姫神=廃校の保健室、白井=療養所の病室

二人の愛を誓った場所…姫神=空港の管制塔、白井=港の灯台

二人が見上げた空…姫神=青空、白井=星空。

存在…姫神=結標の半身、白井=結標の分身

です。本当ならば心中エンド、逃避行エンド、殺害エンド、どれもあってその中で一番残酷な終わりにしました。
死んで終わり、死んで楽になる、なんて逃げ道は結標は空港での戦いで捨ててしまったので。

そして、結標は軍艦島で一度も携帯電話をチェックしていません。そして姫神は辿り着きました。それが全ての答えです。

ただ、結標が最後に呼んだ名前はどちらなのか、答えは読んで下さった方の胸の中にあります。

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