※吸血殺し(姫神秋沙)×座標移動(結標淡希)です。
※時間軸は第三次世界大戦から本編終了後の世界観です。
※百合要素が苦手な方はご遠慮下さい。
元スレ
とある夏雲の座標殺し(ブルーブラッド)
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1294929937/
結標「――貴女、名前は?」
姫神「――秋沙。姫神秋沙。貴女は?」
結標「――淡希、結標淡希」
姫神「淡い希(のぞみ)だなんて。幸が薄そう」
結標「秋(あい)の沙(すな)だなんて不毛な名前よりマシよ」
小夜時雨が降りしきる夜に、私が居候している部屋に駆け込んで来た一人の少女。
何でも、彼女もかつて月詠小萌を家主としたこの部屋に転がり込んで来たらしい。言わば居候の先輩である。
名乗り合った後は、お定まりの自己紹介。聞けば彼女は私より一つ年下で、特別留学扱いとして籍だけ置いている霧ヶ丘女学院に通っていたらしい事もわかった。つまり私の後輩に当たる。
姫神「雨が止んだら。寮に帰るから」
結標「好きにしたら?私だって居候なんだし、元々貴女の方が先輩なんでしょう?小萌だってそろそろ帰って来るでしょうし、ゆっくりしていったら?」
ゴシゴシと手渡したタオルで墨黒を流したような艶やかな髪を拭く。
その煉乳を溶かし込んだような肌と、この上なく整っていながら表情というものに乏しい横顔を私は卓袱台に頬杖をつきながら見やった。
結標「(変わった娘ね…この娘といい私といい、変わり者ばっかり拾って来るあんたも相当変わってるわよ、小萌)」
目を切って閉ざした瞼に浮かぶのは年齢不詳はおろか歩く年齢詐称とも言うべき家主の姿。
今日もあの小さな身体で生徒のために駆け回っているのだろうななどと思う。
学校には『窓のないビル』の『案内人』を務めてより通っていない。
もし小萌のような教師が担任だったならそれはそれで退屈しないだろうなとも。
結標「(…コーヒーくらい淹れてあげるべきかしらね。雨に当たっちゃったみたいだし)」
などと考えながら瞼を開く、するとそこには―――
姫神「………………」
結標「…何かしら?私の顔に何かついてる?」
卓袱台を挟んで何処へと視線を向けていた姫神が、身を乗り出してその微睡みの彼方を透かし見るような眼差しを向けて来た。
やっぱりお茶の一つも出さなかった事に腹を立てているのだろうかと訝ってみたが…
姫神「髪。赤い。地毛?」
結標「地毛よ。それがどうかした?」
姫神の目線は二つに結わえられた私の髪に注がれている。別段染めている訳でもさほど目立っているとも思えない。
普段仕事で顔を突き合わせている男など若くして総白髪であるし、昔『案内』したゲストに至っては髪が青かった。
姫神「まるで。血の色――」
一房、髪に触れられた。一瞬喧嘩を売られているのかと思った。
女にとって同じ女に髪を断りもなく触れられると言う事は、男同士で肩がぶつかるのと同じ意味を持つ。
姫神「私と。同じ――」
その一人言ちるような抑揚のない声音と、平坦な表情が何故か強く焼き付けられた。同時に、剣呑な毒気も抜かれた気がした。
結標「――やっぱり変わってるわ、貴女」
――これが私と、姫神秋沙の最初の出会いだった――
~数ヶ月後…第七学区・窓のないビル跡地~
結標「兵共が夢の跡…って言うのかしらね?こういうの」
海原「この国ではこういうのを“形ある物はいつか壊れる”って言うんじゃないですか?」
土御門「まるで墓石だな…おんやー?一方通行はどこ行ったんだにゃー?」
結標「あなた達…いつまでそのキャラ通すつもりなの?」
海原「この顔が気に入っているもので」
土御門「どっちかつかずで自分でも困ってるんだぜい」
第三次世界大戦の後…いくつかの抗争を経て最終戦争を迎えた学園都市。
私達『グループ』は瓦礫の山と化した『窓のないビル』の跡地にいた。
が、内一名は欠席である。このビルを破壊した『四人の男達』の中でも一際目立つホワイトヘアーの男…
『後はテメェらでなンとかしろ。俺はまだ後始末が残ってンだ』
学園都市最強の第一位はそう言い捨てて姿を消した。右手に杖、左手に少女の手をそれぞれ携えながら。
結標「どうすんのかしらね…これから」
海原「“命ある所に希望はある”という諺もありますよ。僕は一度国に帰りたいと思います」
土御門「俺も一度イギリスに渡る。その後は…まあ、また戻ってくる事もあるだろう。お前はどうするんだ?」
結標「どうする…って」
上層部に囚われていたかつての仲間達は既に少年院の特別房より自由の身となった。
同時に結標の負っていた肩の荷も降り、言わば軽い虚脱と大きな安堵の狭間に揺られていた。
結標「案内人は廃業、暗部も解散、私根無し草になっちゃったばっかりなのよ?まだ身の振り方なんて考えられない…」
土御門「そうか。まあ学園都市そのものがなくなった訳じゃない。頭と首がすげ代わっただけだ…長い人生時には休息も必要だにゃー」
そうカラカラと笑いながら、土御門は瓦礫の山に取り残され砕け散ったビーカーの残骸を見やりながら…一羽の折り鶴を手向けた。
土御門「お前もそう思うだろう?――――――・―――――よ」
かつてその中でホムンクルス(フラスコの中の小人)のように科学と、魔術と、世界の全てを見通していた『人間』への餞のように。
土御門「…さて…湿っぽい別れを惜しむのは俺達には似合わない」
そして土御門は海原と結標に向き直る。笑顔という名のポーカーフェイスを貼り付けた海原と、未だ戸惑いの抜けきらない結標へと。
土御門「“グループ”はこれで解散だ」
~第七学区・とあるファーストフード店~
結標「本当にこれからどうするのよ…」
解散後、結標淡希は一人ファーストフード店にて注目の出来上がりを待つ列に並んでいた。
最終戦争後のゴタゴタで散り散りとなった学生達も、学園都市再建計画の目処が立つと同時に疎らに戻って来た。
戻って来たというより…外の世界に彼等の受け皿となる教育機関や教育施設がない事が要因である。
結標「あ~~~んっ~~~もう!!!」
しかしそれ以上に結標淡希は苦悩していた。懊悩していた。
資金は奨学金と暗部で稼いだ蓄えが十二分にある。しかし寄る辺がない。
かつての仲間達が手にした自由を再び闇の底に落とす事も気が引けた。
学園都市の先端技術や遺産を外部に売り渡すビジネスも、強いバックボーン無しには盗人の横流し以上の対価は得られない。それに――
結標「…どうしようかしらね、これから。どこぞの第四位みたくハッピーリタイアかしら」
念願であった仲間達の解放、悲願であった目標の達成は結標を軽いバーンアウトへと陥らせていた。
しばらくの間壊滅した上層部の間では生き残った人間同士の魑魅魍魎の権力闘争があるだろう。
しかし今更そのいざこざに加わるにはもう目指すべき地点も野心もない。
一言で言えば…結標淡希という人間は際限なく繰り返される暗闘に疲れ果てていたのだ。
結標「…取り敢えずなんか食べよう…」
そして店員からトレイに乗せられたフレッシュネスバーガーのセットを受け取ると結標はくたびれた表情で席を探す。そこで―――
結標「―――貴女」
山のように堆く積み上げられたハンバーガーの包装紙、一人ドリンクバー状態のテーブルに…顔を突っ伏している少女が一人。
結標「…何やってるのよ。こんな所で」
?「―――食い倒れ」
天鵞絨のように艶めかしい黒髪がテーブルからはみ出し揺れている。
起こした顔は整っていながら平坦な表情で、上げた視線は寝起きの猫のようで。
結標「…相席、いい?」
?「構わない」
纏うはこの科学万能を謳う学園都市にあって稀有な巫女服。
その首筋から胸元にかけて微かに見え隠れする奇異な十字架。
神棚と仏壇が同じくする部屋以上の違和感を見る者に覚えさせながら、そのどこかミスマッチさが一つのアクセントとして機能していた。
結標「…細い見た目より入る質なのね」
?「やけ食い。貴女はそれで足りるの?」
結標「やけ食いしたくても入らないの。喉が通ってくれないのよ…ねえ?ええっと」
一度出会い、一回顔を合わせ、一辺言葉を交わしたに過ぎない人間。
縁と言う縁でもない。だが、いつか誰かかが言っていた。
『一度会えば偶然で、二度逢えば必然だ』と
結標「姫神――秋沙さん」
姫神「結標。淡希さん」
吸血殺し(ディープブラッド)と座標移動(ムーブポイント)が交差する時、物語は始まる――
~第七学区・ファーストフード店~
結標「女子寮を追い出された?」
姫神「追い出されたと言うより。焼け出された」
何とか減退した食欲を振り絞り、フレッシュネスバーガーを平らげた結標淡希はアイスティーを啜りながら姫神秋沙の言葉に形良い眉を顰めた。
姫神「この間の。戦争で」
結標「…そうだったのね」
学園都市全土を巻き込んだ有象無象の科学サイドと魔術サイドと第三勢力の激突。
内部抗争と言うより最終戦争とも言うべき規模で起きたそれは結果として統括理事長の消息不明、及び学園都市上層部の完全壊滅という結果にて幕を下ろした。
後に引けない魔術サイド、前に進むしかない科学サイド、その双方を打ち砕くべく相手取った第三勢力。
その先陣を切った『四人の男達』の内、金髪の男が出した避難勧告と避難誘導により奇跡的に無関係な学生達は誰一人命を落とす事はなかった。
しかし、戦闘の中心地とも言うべき第七学区は激戦地と化し、今こうしてハンバーガーにありつける事すら一人一人の死に物狂いの働きによって支えられている一つの奇跡なのだ。
姫神「もう。小萌の。小萌先生の世話にはなれない。私の他にも。焼け出されて行く所がないクラスメートが頼ってる。これ以上迷惑はかけられない。だから」
だからやけ食いしていたのだと言う。幸い他の学区は戦火がほとんどなかったため食料や物資の搬入や流通には滞りはないが、住宅事情や避難所はパンク寸前の有り様だ。
結標「…他の学区に移るなり、ほとぼりが冷めるまで実家に帰る手はないの?」
姫神「ない。私には帰る場所も。待っていてくれる人も。もういないから」
その声音は、悲痛を遥か彼方に通り越し、置き去りにし、終ぞ透徹な響きすら感じられた。
同情を買おうだとか、憐憫を抱かれようなどと言う地点を通り過ぎた感情の極北。
結標「(帰る場所…か)」
最終戦争が起きた際、結標は混乱に乗じて仲間を救い出すのに手一杯だったため戦闘の中心を知らない。
伝え聞くには金髪の男が全学生を率いて戦火より大移動して逃がし、赤髪の男が魔術サイドを、白髪の男こと一方通行が科学サイドをそれぞれ圧倒し、黒髪の男が全てを終わらせたと言う話を土御門から聞いたに過ぎない。
結標自身も第三次世界大戦後、小萌の家から独り立ちしていた。
故に彼女達の窮状を知らずにいたのである。救い出した仲間を学園都市の外に精一杯であり手一杯だったために。
結標「――もし、行く所がないんだったら」
柄でもない。らしくもない。我が事ながらありえないとも思う。しかし
結標「私の余ってる部屋、使う?」
一人助けるも二人救うももう関係ない。そう思えた。
姫神「待って。私と貴女は。会って話すのはこれで二度目。私はそんなつもりじゃ」
結標「…変な言い方だけど、貴女小萌に拾われたんでしょう?」
言うなれば置き去りにされた犬を、捨てられた猫を拾って帰るそれに似ていた。
善意と呼ぶには不確かな覚悟で、気紛れと言うには確かな思いで…
結標「小萌は変な娘は連れて帰って来るけど、悪い娘は拾ってこないだろうから」
私は悪い子だけどね、と付け加えた。小萌は手のかかる子ほどその熱情を燃え上がらせ注ぎ込む質だとも理解している。
短い付き合いの中でも、時にそれを疎ましく思えても、喧嘩して飛び出した事は結局一度もなかったから。
姫神「貴女も。変な娘」
結標「お互い様よ。私だけ変みたいに言わないで頂戴。で?どうするの?来るの?来ないの?私そろそろ帰って寝たいんだけども?」
今ならほんの僅か、ほんの微かに…小萌の気持ちが分かったように感じられた。
姫神「私は」
答えはもう、決まっていた。
~第十八学区・結標淡希の部屋~
姫神「お世話になります」
昼下がりのファーストフード店から出た後、姫神秋沙は身の回りの物一式を詰め込んだトランクケースを引きずってやって来た。結標淡希の導きによって。
結標「ええ。荷物はそこらへんに転がしておいて。貴女の部屋になる所少し片付けるから」
姫神「でも」
結標「冷蔵庫の中の飲み物でも飲んで適当に待ってて。疲れたでしょ?終わったらお風呂沸かすから」
第七学区は路面や車道はおろか路線から何から何まで壊滅的な有り様だったために、所々で座標移動を繰り返しながらも到着したのは既に夕方であった。
季節は初夏を迎え、第七学区を出るまでは汗だくになりながら歩いて来たのだ。
お冷やの一杯やシャワーでもなければとてもやっていられたものではない。
姫神「…ありがとう。飲み物は小萌ルールでいい?」
結標「そうして」
白と黒を基調に纏められた家具や部屋を見渡しながら姫神は冷蔵庫を開く。
食べ物はヨーグルトやパンに塗るブルーベリージャムやピーナッツバター、一口大にカットされたチーズが小皿に盛られてラッピングされているものしかない。
後はせいぜいがバター、ケチャップ、マヨネーズである。
姫神「(不健康。野菜も卵も入ってない。お米も置いてない)」
飲み物は清涼飲料水と野菜ジュースとお茶。牛乳は入っていない。
思わず嘆息する。小萌ルールを発動する以前の問題かも知れないと姫神は考える。
姫神「(私の最初の仕事。食生活の改善)」
時期こそ異なれど同じ小萌(かま)の飯を食べた者だと言うのにこの体たらくぶりはひどい。
姫神「(小萌。貴女の遺志は。私が引き継ぐ)」
草葉の蔭で小萌が泣いているに違いない。そう決意を固めた握り拳に誓う。
当然の事ながら小萌は存命ではあるが…
~結標淡希の部屋・空き部屋~
結標「うわっぷ…熱こもってる…雨戸開けなきゃ…暑い!」
一方、結標淡希は露出度が高い割に服持ちなのか丸々衣裳部屋代わりに使っていた部屋の窓を開け放つ。
閉ざしっ放しだった部屋には初夏の熱気がこもり、開け放てば開け放つで夕陽に目を焼かれる。
結標「んもーう!服多過ぎ!どこしまえばいいのよ!」
“服なンて上等なもンいつ着てンだァ?ほとンどまっぱのクセによォ”
と言う同僚の罵りが聞こえて来そうな量の春物、秋物、冬物の山をひとまず自分の部屋へ座標移動・座標移動・座標移動。能力の無駄使いここに極まれりである。
買った良いが捨てられない。もうこのシリーズは再販しないと思うと売りにも出せない。
女の服と下着はとかく始末に困るのだ。レベルがいくつであろうとも。
結標「マズいわ…私他の布団なんて持ってない…今使ってる肌掛け布団しか」
はたと気づく。もう色々と足りていない。残っているのは冬用の毛布のみ。
当然ながらベッドも一つ。早急に何とかせねばならない。
結標「あああ~私のバカバカバカ…こんなのダメダメじゃない」
スペースを作ろうとして散らかり放題になってしまった己を嘆く。
同時に思う。小萌は出来る女であったと。さながら親元から離れて知る母親の偉大さのように。
学園都市に来てから当然一人暮らしではあるが。
ゴロッ…ゴロゴロゴロ!
結標「ああー!」
挙げ句、座標移動させた服の山がクローゼットから溢れかえり転げ落ちる。
その上ささやかな乙女の恥じらいである隠していたカップラーメンやインスタント食品のストックまで雪崩のように。
結標「もうヤダ」
別段、上げた事はないが男を部屋に招く訳でもないのだから肩肘を張る必要はない。
小萌の時だってお互いにそうだった。だが同年代で、後輩で、ほぼ初対面の人間にくらい良く見られたいではないか。
結標「はあっ…取り敢えず、今夜は私の部屋で寝てもらおう。そうしましょう」
再びの座標移動でひとまず部屋に何もない状態にした。
今日はもう色々とくたびれた。射し込む西日を遮るようにYVES SAINT LAURENTのカーテンを閉める。
結標「明日は買い出しね…晩御飯…もういいわデリバリーで」
長生きの秘訣は適度に自分を許す事、などと一人言ちて結標は部屋を後にした。
仕事は兎も角、プライベートは良い塩梅にいい加減なダメ人間。それが後の姫神による結標の評価である。
~結標淡希の部屋・リビング~
結標「姫神さん?ごめんね部屋なんだけど今日一日だけ待って…」
後にした部屋からリビングに向かう。空は何時の間にかヴァイオレットブルーに色を変え、そよそよと微風が吹いていた。
姫神「――――――」
ソファーの肘掛けにもたれ掛かるようにして船を漕ぐ姫神秋沙の黒髪を揺らして。
結標「待っ…て」
しどけない寝姿を晒しながら、ソファーの背面に位置する窓辺よりはためくカーテン。
夕闇と夜闇の狭間で微睡む寝顔に、声を掛けようとして言葉が出て来ない。
結標「(余程疲れてたのね。今まで寝る所どうしてたんだろう)」
テーブルの上には飲みかけの清涼飲料水の缶が汗をかいていた。
結標自体も経験があるが、寝る場所腰を据える場所がコロコロ変わるのは見えない疲労が澱のように溜まる。
猫ですら気ままに見えて己のパーソナルエリアには気を使うのだから。
結標「(少し寝かせてあげましょうか。ピザなんて起きてから頼めば良いわ)」
フッとその寝顔を覗き込む。ほぼ初対面の人間の部屋で寝るなどなかなか太い神経の持ち主などと思いながら。
結標「(睫毛長いわねー…量は私の方が多いけれど)」
よくよく見れば肌のキメも細やかだ。髪の手入れはどうしているのだろうかとしげしげと観察する。
常ならばそんな事はしないのだが、物珍しい巫女服を纏っているのも目を引いた理由の一つだ。
結標「(彼氏…は今いなさそうね。いたらわざわざ私の家に転がり込んで来る理由、ないもの)」
姫神は言った。帰る場所も待っている人もいないと。
それは、結標の心を強く打った。いつもならば口に出す以上の同情などしないはずなのに。
結標「貴女も、私も、変な娘ね」
仲間達の解放とグループの解散。名に反して今や標(しるべ)を持たぬ自分。
それが歪んだ鏡合わせのように、姫神秋沙と言う少女を映し取ったのか。
それとも月詠小萌との生活や、同じ性別であった事が要因か。はたまたそれら全てか。
結標「さーてと…今の内にシャワー浴びちゃおっと」
眠る姫神を残し、バスルームへと向かう。ここは誰に憚る事もない自分の家だ。
そう思いながら結標はシュルッと結わえた二つ結びの髪留め紐を抜き取りながら去って行った。
~結標淡希の部屋・リビング2~
結標「貴女も、私も、変な娘ね」
夢現の中で聞いた、夏風のように涼やかな声音の在処に私は耳をそばだてる。
閉ざした目蓋の中に広がる闇でその声の主の姿形を浮かび上がらせる。
姫神「(私は。変な子)」
クラスメートの女の子ともどこか違う、氷が肌を滑るような優しいクールさ。
最初は取っ付きにくい野良猫のような雰囲気だった。しかし
姫神「(貴女は。優しい子)」
迷い猫のようになってしまった自分に、歩み寄ってくれた野良猫。
何故ここまでしてくれるのだろう。この恩をどのような形で返していけば良いのだろう。
姫神「(どんな娘なんだろう。小萌から。小萌先生から聞いておけば良かった)」
むずかゆいような浮ついた気分、くすぐったいような好意。
学校が再開されるまで、新たな住居が確保されるまで上手くやりたい。
出来る事ならば仲良くありたい。しかし、出会った時に微かに香った――
姫神「(どうして。血の匂いがしたの)」
血液を司る能力を持つ姫神にとっては、同時に染み付いた血の匂いにも敏感になる。望む望まないに限らずに。
月のものとも違う、何人かの人間の血が入り混じった匂いが結標からした。
街中を歩いていても時折そんな匂いのする人間とすれ違う。
普通の人間なら汗の匂いほども気に留めないそれが姫神にはわかるから。
姫神「(何を。している娘なんだろう)」
かつて所属していた霧ヶ丘女学館でも結標を見かけた記憶がない。
学年が違うのだから当たり前なのだが、あんな血を連想させる髪の色をしていれば自分の記憶の片隅にでも残るだろうと。
どういった経緯で小萌に拾われたのか、それすら姫神にはわからない。
姫神「(これから)」
全てはこれからだと…そう姫神は考えた。そして次の瞬間にはどんなピザにしてもらおうかと頭が切り替わっていた。
図太い、と結標が姫神に抱いた印象は実のところそんなにかけ離れていなかったのである。
~結標淡希の部屋・バスルーム~
結標「あー…そう言えばあの娘の巫女服って普通の洗濯機で大丈夫なのかしら?なに洗いでやればいいのよ」
肌に叩き付けるように勢い良く出るシャワーを浴びながら結標淡希は詮無い事を考えていた。
結標「あんな着るのも脱ぐのも面倒臭そうな服良く着てられるわね」
浴びせられる熱を持った飛沫を瑞々しい素肌が弾いて行く。
成人男性の片腕で容易く包み込めそうな細身ながら、伸びやかな四肢は緊張感を纏い安易に触れさせる事を見る者に躊躇わせる。
結標「ふー…どうかしてるわ今日の私…」
自分の身体を抱くようにしながら浴びるシャワーに二つ結びしていた赤い髪が白い肌に張り付く。
いつの頃からかバスルームでその日一日を振り返る癖がついた。
キュッと絞り口を締めシャワーを止める。きめ細かい泡と今日一日の汗を洗い流し、後ろ髪の水気を指先で細かく扱いて切る。
結標「戦争が終わって…腑抜けてるのかしら」
何となく放っておけずに連れ帰ってしまった新たな同居人…否、初めてのルームメイト。
思ったより図太そうとは感じられたが、どこか浮き世離れした儚い雰囲気を姫神から感じられたからである。
あまり接する機会がない小萌以外の『表の世界の人間』だからか、単に弱気になって人寂しくうら寂しい気持ちになってしまったからか。
結標「あら…これが最後…んもーう足りない物ばっかりじゃないの」
蜂蜜パックに使っている千年蜜のストックまで切れてしまった。
暗部で活動している間は家など服を取りに行き寝に帰るだけだった。
故に日持ちしない食べ物など冷蔵庫には入れなかった。いつ帰るかも不定期だったから。
そして小萌の家から独立してからはやたらめったら服を買い漁った。
誰に憚る事なく自分の好きなように出来るから。
それが…今また帰りを待ってくれる人間が出来たのは奇妙な感情であった。
結標「いいわ!なるようになる!」
投げられた賽の目を悩んでも仕方ない。なるようになる。
小萌が拾って来た事のある人間だ。姫神の事がわからずとも、その一点だけが取っ掛かりであった。
~結標淡希の部屋・リビング3~
結標「サッパリしたー…ん?おはよー」
姫神「おはよう」
結標がバスルームから出ると姫神は既に目を覚ましていた。
外は既に群青色。壁掛けられた時計の針は18:20分を指し示していた。
結標「どうする?ピザ頼もうと思ってるんだけど、その前に貴女もシャワー浴びる?それとも後にする?」
姫神「先に。シャワー浴びて来いよ」
結標「上がったって言ってるじゃない。誰よその物真似」
姫神「じゃあ食べ終わってからにする。私も半分出すから」
結標「そう?じゃあピザは貴女が選んで。サイドメニューは私が選ぶから」
別にピザくらい構わないんだけどな同性だし、と思わなくもないが姫神もお客様のままでは心苦しいのかも知れないと髪をタオルで拭きながら向かいのソファーに腰掛ける。
すると風呂上がりの結標の姿を、手渡されたピザのチラシから視線を上げた姫神が見やり、口を開いた。
姫神「貴女はS?それともM?」
結標「えっ!?」
思わずキャミソールの上から自分の身体を抱き締める。
いやこれだけではダメだとホットパンツから伸びる脚も抱え込む。
いきなり座ったはずのソファーから逃げ出したくなる結標を前に姫神は間に挟まれたテーブルに手をつき身を乗り出す。
姫神「どうして引くの。当たり前の事を聞いただけなのに」
結標「あ、あっ、当たり前ってななな何言ってるのよ!私達知り合ったばかりでしょ!?」
姫神「?。初めても何も。最初に聞いておきたかった。貴女はS?それともM?」
結標「し、しっ、知る訳ないでしょうそんな事!なによいきなり!?なんなのよ貴女は!!」
姫神「どうして。自分の事なのに」
結標「そ、そのどっちかしかないの?」
姫神「私の都合もある。だからはっきりさせて欲しい。Sなのか。Mなのか」
いきなりの言葉に結標はお風呂上がりと言う事を差し引いても耳まで赤くなった。
確かに外見からすれば遊んでいるように見られるかも知れないが、自分のストライクゾーンの関係上誰彼構わずと言う訳ではない。ましてや…
結標「わっ、私達女同士じゃない…いきなり言われても…困るわよ」
姫神「女同士だからこそ。人目は気にならない。答えて。私はもう。我慢出来ない」
ズイッと姫神が乗り出した身から結標を指差す。それを直視出来ない結標は火照らせた顔をそっぽ向かせながら
結標「…M…かも知れない…かも」
姫神「聞こえない」
結標「えっ、Mよ!かも知れないってだけよ!!何言わせるのよ貴女は!!!」
思いっきり叫んだ。勢いをつかせなければ言葉に出せなかった。
しかし決死の思いで吐き出した言葉に対し、姫神は―――
姫神「そう。じゃあMサイズ。私も昼間たくさん食べたからLは無理だった。あまり入らないから助かる」
………………
結標「えっ」
姫神「えっ」
通り過ぎて言った沈黙の天使に笑われそうな相互理解の不一致が結標をフリーズさせた。
結標「SとMの話じゃないの?」
姫神「だから。SとMのサイズの話。ピザの」
結標「イジメる方とイジメられる方の話じゃないの?」
姫神「なにそれこわい」
結標「人目が気にならないって!我慢出来ないって言ったじゃない!」
姫神「女二人だから別にサイズで悩まない。我慢出来ないのは空いた小腹」
結標「~~~~~~ッッッ!!!」
ソファーに顔を埋めばた足のように身悶えする結標。聞かれていたのはSサイズかMサイズの話。
しかし答えたのはSサイドかMサイドの話。そしてまさかのM告白。
恥ずかしさのあまり今すぐこの場から座標移動したくなるも演算すらかなわない。
姫神「結標さん」
そんなバタ足金魚状態の結標から目を切りピザのチラシに再び目を落としながら姫神はつぶやいた。
姫神「貴女は。心が汚れている」
結標「バカーーーーーー!!!」
その後、クッションやクレーンゲームの景品のぬいぐるみを座標移動しまくり、姫神目掛けて手当たり次第にぶつける初めての喧嘩を初日にしてやらかしてしまった。
~結標淡希の部屋・リビング4~
姫神「どうして。オリーブばかり私に押し付けるの」
結標「貴女とオリーブが嫌いだからよ!」
姫神「ひどい。オリーブと同じ扱い」
結標「なんならタバスコも飛ばすわよ」
姫神「私は。ペッパー派」
その後、しっちゃかめっちゃかになったリビングを一緒に片付け、デリバリーピザが届いたのは20:05分であった。
未だに憤懣やるかたない結標がピザに乗ったブラックオリーブを姫神のピザに座標移動させて溜飲を下げていた。
結標「もうっ…初日で私のイメージがた落ちじゃない…どうしてくれるのよ」
姫神「Mな所?」
結標「引っ張らないで!忘れてちょうだい!」
姫神「私は。多分S」
結標「でしょうね…って聞いてないわよ!むしろ私の話を聞いて!」
狙ってやったならば手に余り、天然ならば始末に負えない。
そう思いながら伸びたチーズを噛み切る結標。土御門とはまた違ったタイプのいじり方にペースが狂わされ調子が外れる。
黙々と骨付きチキンを頬張る姫神はどこ吹く風とばかりに
姫神「でも」
結標「?」
姫神「ホッとした。本当にクールな人だったら。どうして良いか少し困ったかも知れないから」
結標「………………」
言われてみれば結標もそれは同じかも知れなかった。
昼間フレッシュネスバーガーを完食するのも辛かったのに、今は二人で分けているとは言えピザまで食べている。
結標「(もしかすると…楽にしてもらってるのは私の方なのかしら)」
少し精神状態が安定しているのかも知れない。なんだかんだ言って座標移動の演算に狂いはない。
それ以上に…初めて自分の家に客を招いたにも関わらずさほど息苦しくない。
それは気兼ねしない同性だからか、はたまた姫神自身が空気のように溶け込めるからか。
結標「えっと…姫神さ――」
姫神「しまった」
結標の唇が言葉を紡ぐより早く、姫神の言葉がそれを遮った。
落とされた彼女の視線…それは巫女服の胸元に落ちたピザソース。
姫神「もう服がこれしかないのに」
結標「(うわー)」
手のかかる子供かと結標は胸中で一人言ちた。
かつて同じ感想を小萌に持たれたともつゆ知らずに。
~結標淡希の部屋・バスルーム2~
結標「姫神さーん?替えの服ここに置いておくからねー?」
姫神「ありがとう。ごめんなさい。貴女には迷惑をかけ通し」
結標淡希はひとまずさっきひっくり返しまくった服の中から姫神に合いそうな部屋着をチョイスし、バスルームの脱衣籠に畳んで置いた。
その間に姫神のトランクの中の衣類を洗濯機に放り込む。
巫女服はクリーニングに出す他ないと言う。本当に終戦の後の苦労が伺えた。
結標「気にしてもらわなくても結構よ。こっちだってそんなに大した事してる訳じゃないしね」
姫神「なら。せめて後でマッサージさせて。私の気が済まない」
結標「ん~…じゃあ、お願い」
磨り硝子を隔てて交わされる会話。身を清める姫神に衣類を洗う結標。ゴウンゴウンと音が五月蠅い。
さっきの喧嘩が結果として互いの緊張を良い方向に解きほぐしたのか、満腹感によるリラックスかはわからないが
結標「(なんか不思議な感じ…そう言えば私にこういう風に接したり出来る女の子なんて今までいたかしら)」
気づいた時には暗部で活動し、上層部を相手に地位も年嵩も遥か上の人間と接して来た結標にとっては――
結標「(いないわね。いなかった)」
こうした事すらほとんど初めてかも知れない。
仲間達やグループとは違った角度の、同性の知り合い。
終ぞ通う事すら稀だった霧ヶ丘女学院にすら当然ながらいなかった。
ゴウンゴウンと音を立てて回る洗濯機に片手を突きながら結標は思う。
僅かながら満たされ、微かながら充たされる何かを――
姫神「結標さん」
結標「きゃっ!?」
そんな物思いに耽っていた結標の肩を、バスルームから半身出していた姫神がトントンと指で叩く。
考え事をしていたのと洗濯機の音で姫神の呼びかけに気づけず狼狽した結標は慌ててそれに振り返って
姫神「トランクの中から。トリートメントを取って欲しい」
結標「あっ?えっ?う、うん」
トランクから姫神のトリートメントを取り出し、それを手渡す際に…ついつい凝視してしまう。姫神の肢体。
結標「(くっ…ま、まあ出る所は私より出てるんじゃない?細さなら私の方が上だけど?なによ年下のクセに。生意気ね)」
処女雪でも圧し固めたような肌に張り付く黒髪が水気を帯びて生々しいまでに艶めかしく見えた。
大事な部分は当然タオルに守られているが、シャワーを帯びて微かに赤みの差した胸元を滑る水滴につい目がいく。そしてそれ以上に――
姫神「エッチ」
結標「うっ、うるさい!いつまでそんな格好のまま出てるのよ!早く戻りなさい!」
手渡したトリートメントと、姫神の細い指先が僅かに触れた。
一瞬だけドキッとしたが、その手はすぐに磨り硝子の向こうに消えて行った。
結標「(…なんなのかしら、あれ…)」
ついつい見入ってしまったのは同じ女として対抗意識を燃やされる肢体ばかりではなく、シャワーだと言うのに
結標「(巫女さんなのにクリスチャンなのかしら?)」
肌身離さずその首筋にかかっていた、十字架のペンダントがやけに強く印象に残った。
~結標淡希の部屋・リビング5~
結標「あっ…ひ…めがみ…さっ…ん!」
姫神「ここがいいの?初めてなのに」
結標「はっ、初…めて…痛っ…いぃ」
姫神「いいの?痛いの?どっち?ここはどう?」
結標「あっ…!くっ…ふぅ!ああっ…あぁっ…そこは…そこはやめて!お願いだからやめてぇ姫神さん!」
姫神「止めない。だって」
グググ…グリグリグリ
結標「痛い痛い痛い痛い~~~!!!」
姫神「足ツボマッサージとは。痛いもの」
誤解を招きかねない声音を上げながら、姫神の足ツボマッサージに泣きが入った結標である。
お風呂上がりに姫神の洗濯物を乾燥機で回し、お風呂を借りた恩は見事に仇で返された。
結標「ひっ、いぃぃ!?痛い痛いの!貴女本当は下手なんじゃない!?」
姫神「かっちーん」ググッ
結標「ふああぁぁん!?ひたいぃ!ひゅるひてえぇ!」
姫神「結標淡希。貴女が。泣くまで。マッサージを止めない」
ソファーの上で涙を滲ませ口元から濡れ光る唾液も構わず身悶えする結標。
無表情ながらもどこか瞳を妖しく輝かせる姫神。
そして終わった頃には結標は凌辱された乙女に息を荒げ胸を上下させていた。
結標「はあっ…はっ…ああっ…」
姫神「私の指で。こんなに感じてくれて。いやらしい。じゃない。嬉しい」
結標「いやらしいのは貴女の言い方でしょ!!!」
姫神「さあ。貴女の罪を数えろ」ググッ
結標「い゛い゛い゛ぃぃぃっ!?」
駄目押しの一撃を喰らいグッタリする結標を尻目に姫神は壁掛けの時計を見上げる。
時刻はいつの間にか23:15分を指し示していた。
姫神「結標さん。そろそろ寝にいかない?今日は。疲れた」
結標「はー…はー…そうね…貴女を…永眠させてやるわ…」
姫神「いい加減。学びなさい」ググッ
結標「はうっ!」
短いようで長かった1日が終わりつつあった。
昨夜まで結標淡希も姫神秋沙も思ってはいなかったし考えていなかった。
巡り合わせは奇なもので、星の巡りは異なものだと思わなくもなかった。互いに。
~結標淡希の部屋・寝室~
姫神「良い香り。なんの匂い?」
結標「ブルーローズ。ほら、青い薔薇の形してるでしょう?」
姫神「うん。名前は?このキャンドルの」
結標「ブルーブラッド。“高貴なる血統”って意味らしいわ」
寝室へと移動した二人…寝る支度を整える姫神の傍ら、結標はある物を焚いていた。
それは…間接照明のように青白い炎を揺らめかせる青い薔薇のアロマキャンドル。
寝る前にこうするとリラックスするのだと結標は語り、その炎に照らされた姫神も口を開く。
姫神「青い薔薇。花言葉は。“不可能”」
結標「詳しいのね」
姫神「もう一つは。“神の祝福”」
血統、血筋、血脈。…皮肉なものだと姫神秋沙は熱を感じさせない思考に耽る。
姫神「(呪われた血。不可能。嫌な符号が重なり過ぎていて。少し憂鬱…)」
今はあの修道服の少女から授けられた十字架がこの忌まわしい能力を押さえてくれている。
しかしそれでも消し去る事は文字通り不可能だった。
その可能性を持っていたかも知れない人間…果たされる事のなかった志の果てに倒れた“あの男”も既にいない。
高貴な血統などと上等なものではない。神の祝福など受けられはしない。
何を考えているのだと冷え切った心に射した暗い影に…姫神は静謐な眼差しを向ける他なかった。
結標「少女趣味なのね?見た目通り」
姫神「そういう貴女も。眠る前にアロマキャンドルだなんて。見た目に似合わず乙女チック」
結標「い、良いじゃない別に!もう!消すわね!?」
フッと青白い炎が吹き消される。濃厚な甘い香りが漂う中…結標はピンクを基調としたベッドに身を投げた。
そして向かって右側を結標が寝そべり、空いた左側をポンポンと叩きながら姫神を誘う。
結標「ごめんなさいね。布団とか他になくって…狭いけど我慢してくれない?」
姫神「私こそ。至れり尽くせりでごめんなさい。借りは必ず返して行くから」
結標「まだ良いわよ。そんな初日から張り切られたからこっちの肩が凝るわ」
姫神「マッサージなら。任せて」
結標「もう良いわマッサージは…んっ…こっち空いたわよ」
姫神「お邪魔します」
ベッドの大きさは普通くらいだが、細身の女二人ならば手狭さ感じられない。
なんとなく背を向けて寝るのも素っ気ないなと結標は思い、互いに見つめ合うような体勢になってしまう。
赤い結標の髪と、黒い姫神の髪が僅かに重なる。
結標「赤と黒だなんて…スタンダールみたい」
そう結標が呟くと、姫神が乗って来た。
姫神「あれは聖職者の赤と。軍人の黒」
結標「あら…あんな救いのない話読むなんて貴女ずいぶんひねくれてるのね?」
姫神「貴女こそ。キャラに合ってない」
結標「言ってくれるじゃない。別に好きで読んだ訳じゃないわ。ただの暇潰しよ」
身の内に流れる赤い血によって黒より暗い闇を見つめてしまった姫神秋沙。
この学園都市の影より暗い闇の中を生き、少なからず赤い血を目にして来た結標淡希。
奇妙にねじれ、歪み、重なる相似形を描く二人が出会ってしまった事が如何なる意味を持つのか…それはまだ、誰も知らない。
姫神「おやすみなさい。今日はありがとう」
結標「おやすみなさい。明日もよろしく」
天より他に知る者もなく。
~第十八学区・結標淡希の部屋~
結標淡希は後ろ手に紐のような物で縛られ床に転がされていた。
いつも通りの桜色のサラシを胸に巻き、短めのスカートに霧ヶ丘女学院の制服を羽織っただけの姿のまま。
結標『ちょっと姫神さん!?どういう事なのこれは!今すぐこれを解きなさい!』
何故だか座標移動が出来ない。演算が働かない。
そんな虜囚も同然の結標を、姫神秋沙は温度を感じさせない眼差しで見下ろしてくる。
ピンクを基調としたベッドに腰掛けながら足を組んで。
姫神『駄目。こうしないと。貴女は私から離れて行く。本当は鎖に繋ぎたかった。けれど貴女の肌を傷つけたくはないから』
這い蹲う結標の元に膝をつき、クッとその白魚のような指先を結標の顎に添えて上向かせる。
愛玩動物を慈しむように、屈辱に歯噛みする結標をなぶるように。
結標『貴女っ…!何を言ってっ…!!』
姫神『私は。鎖も。他の物も。自分で使ってすら貴女を傷つけるのが許せない』
結標のシャープな輪郭を猫の喉でもくすぐるような手つきで撫でる。
その滑らかな指先に一瞬、嫌悪感とは異なる鳥肌が結標を泡立たせる。
姫神『だから。私が貴女を壊すの。綺麗なまま。硝子細工は砕けた方がより光を輝かせるから』
結標『巫山戯けないで!いい加減にしないと本当に怒るわよ!!』
姫神『無駄。私が縛っているのは。貴女の心。これは魔法の縄。貴女が心の底から望まない限り。決して解ける事はない』
姫神の指先が結標の頬から首筋を伝ってサラシの巻かれた胸元まで優しく滑り…そして乱暴に、引き裂くように毟り取る。
結標『やっ、やめて!やめて姫神さん!どうしてこんな事するのよ!どうして!』
姫神『キツく締めすぎ。大きさに合ってない。でも…とても。綺麗』
肌蹴られた胸元に姫神の手指が、叫ぶ口元に姫神の唇がそれぞれ迫る。
違う。自分は同性愛者でも被虐嗜好の持ち主でも何でもない。なのに
結標『ひ、姫神さん!』
姫神『無駄。貴女にかかった魔法は決して解けない。何故なら』
逆らう心が、抗う魂が、それすら姫神の手の上で転がされているような
姫神『――私は魔法使いだから――』
そして、姫神の唇が結標に重なって―――
~第十八学区・結標淡希の部屋2~
姫神「痛い」
結標「!?」
そこで結標淡希は跳ね起きた。カーテンの隙間から射し込む初夏の陽射しに照らされたベッドの上で。
結標「えっ!?えっ?!」
姫神「痛いから。下りて欲しい」
結標「ご、ごめんなさい!」
気づけば跳ね起きた際に姫神の黒髪に思いっ切り手をついて下敷きにしてしまっていた事に気づく。
姫神「おはよう」
結標「おっ…おはっ、よう」
慌てて手をどけると姫神は手櫛で乱れた黒髪を直して行く。
眠たそうな顔立ちに似合わず、小萌並みの目覚ましいらずの体質なのか起き抜けといった素振りすら見せない。しかしそれよりも先に思い当たるのは…先程の
結標「(なんて夢見てるのよ私は!会ったばかりの!!それも女の子の!!!)」
昨夜SだのMだの話をした影響が夢にまで出たかと思うと、髪の手入れを始めた姫神とは対照的に頭をかきむしらずにはいられない。
それを姫神はポカンとした顔付きでこちらを見やり、結標はその口元をついつい見やってしまう。
姫神「どうして。そんな特殊な性癖が暴露された性犯罪者のような顔をしているの」
結標「貴女と会ったのこれで二回目のはずよね!!?」
その手合いの嗜好品は全てクローゼットの中に座標移動させたはずだ。
そうだ。読心能力者や透視能力者でもない限りバレるはずは―――
ガタンッ!バサバサ…ドサッ
結標「」
昨日の二の舞。絶好のタイミングで限界を迎えたクローゼットから再び飛び出す、未だ年端の行かぬ美少年が睦み合う表紙の本が飛び出し床に散乱する。
そして隠していたインスタント食品も転げ落ち、結標は考えるのを止めた。
姫神「新発見。また一つ。貴女という人間を知る事が出来た」
ベッドから下り、結標の夢が詰まった本を拾い上げられ、パラパラとページを手繰られ、綺麗に纏められ、テーブルに置かれるまで十秒と経っていないのに、それが永遠のように長く感じられた。
姫神「朝ご飯。緑のタヌキ」
そして姫神は結標と一度も目を合わせる事無く部屋を後にした。
声を殺して泣く結標を置き去りにして、インスタント食品を回収して行って。
~結標淡希の部屋・リビング~
結標「………………」
姫神「何か。食べる?」
結標「食欲ないわ…」
姫神「吹寄さんからもらったルイボスティー。淹れてくる。それなら。飲める?」
結標「わからないけどお願い…」
初夏の晴天広がる窓辺を見上げながら結標の表情は梅雨入りのように曇っている。
頬杖をつきながらキッチンでお湯を沸かし直す姫神の背中を見やりながら。
自分の着ている服を他人が着ている後ろ姿は何とも言えない気持ちにさせられる。
結標「テレビつけよ…もうニュース終わっちゃってるかしら」
時刻は8:20分と微妙な時間だ。座標移動でリモコンを手にしチャンネルを回す。
単純に気を紛らわす音が欲しかっただけだ。
『第七学区の復興状況は未だ…』
『大規模な戦闘のため倒壊した建築物の撤去作業が…』
『全学連は学生、能力者によるボランティアを募っており、発起人でありリーダーを務めるレベル5第七位、通称“ナンバーセブン”削板軍覇君の懸命な…』
『――などが多発しており、これに対し風紀委員活動第一七七支部は注意を呼び掛けており…』
結標「(第七学区…ね。昨日入ったファーストフードもほとんど難民の炊き出しみたいだったもの)」
右から左に受け流すようにボンヤリとテレビを見つめている結標。
未だ実感は沸かないが、あの夜確かに起きた戦闘…いや戦争はまさに死力を尽くした総力戦であり…
学園都市全体の機能は兎も角、激戦地となった第七学区の復興の目処は未だ立たない。
姫神「お茶。熱いから。気をつけて」
結標「あっ、ありがとうね」
少し考え込んでしまった結標の後ろから、更に思い詰めて見える姫神がお茶を出してくれた。
その香る湯気を見つめながら、結標は姫神の胸中に思いを巡らせる。
どんな思いでこのニュースを見つめているのか、無事だと言うが小萌は今どうしているのか…
結標「ねえ…姫神さん…今日、どうしようかしら?」
本当なら買い出しを予定していた。自分一人ならまだしも、姫神も共になると足りない物はまだまだあると昨日実感した。
女は女で色々と物入りなのだ。だが今結標が問い掛けたのは“質問”ではなく“確認”
姫神「小萌先生を。安心させてあげたい。私はもう。大丈夫だって」
結標「…決まりね!」
出会ってまだ一日足らずだと言うのに、呼吸がピッタリだ。
そして結標は一気にお茶を呷り、席を立ち上がった。
~第七学区・とある高校跡地~
小萌「結標ちゃん!姫神ちゃん!」
姫神「小萌先生。3日ぶり」
結標「久しぶりね小萌。いつぶりかしら」
小萌「結標ちゃんはメールばかりでちっとも顔を出してくれないのですー。でも良かったのですよー姫神ちゃんを助けてくれてー…先生の力が足りないばかりに」
瓦礫の山、いくつものテント、何とか無傷の体育館には長蛇の列。
座標移動を繰り返し辿り着いた姫神の通う高校のグラウンドで三人は顔を合わせた。
これだけの生々しい破壊の痕がありながら、一人の学生も死なせる事なく避難させた『第三勢力』の金髪の男…名は確か…『浜面仕上』だったと結標は伝え聞いた。
結標「そんなに痩せちゃうまで頑張っといて何言ってるのよ…」
小萌「ダイエットなのですー!結標ちゃんは細すぎだからもっとお肉をつけなきゃダメなのですよー」
結標「…そうね。落ち着いたらまた焼肉しましょう…私が奢るから」
同時に、流石の小萌もやつれて見えた。それでも気負いを見せないその笑顔に、結標は“大人”というものを感じた。
今の結標ではまだ持てない、能力とは関係ない、能力では手に入らない“強さ”を
姫神「ありがとう。小萌先生…そうだ。“上条くん”は。まだ?」
小萌「上条ちゃんはまだ行方不明なのですよ…ただ、シスターちゃんが“とうまは絶対帰ってくるんだよ!”って笑って、神父さんが“僕が塵や灰にした訳でもないのにあの男が死ぬはずがない”って言ってたから大丈夫なのですー」
小萌の安否を確認し、姫神と話し込み始めたのを見届けると目を切りもう一度辺りを見渡すと――
結標「(本当に…なんなのかしらね)」
見渡す限りの瓦礫の山。これが自分が暗躍していた学園都市なのかと思うと何とも言えない気持ちになる。
良い思い出より悪い記憶の方が比重は高いし、そもそもそんな事を考える事すらなかった。ゆとりも余裕も暇も。
結標「(こんなセンチメンタルな気分になるなんて)」
ならこの胸を締め付ける寂寥は、寂寞は何処から来るのだろうか…そう思っていると
?「あら?貴女は…」
結標「!!貴女は…」
背後からかかった声に、聞き覚えがあった。思わず振り返る。
?「お久しぶりですわね…ですが、わたくしここで貴女と“旧交”を温めるつもりはございませんの」
その年の割に大人びた声、お嬢様らしい口調。
結標「そう…初めて気が合ったわね。私も今そういう気分じゃないのよ」
特徴的なリボンにツインテール、結標が所属する霧ヶ丘女学院と対を為す常盤台中学の制服。
?「お話が早くて助かりますわ。結標淡希さん」
そして何より――その腕に取り付けられた『風紀委員活動第一七七支部 JUDGMENT』の腕章。
白井「ジャッジメントですの――と名乗る必要はございませんこと?」
風紀委員活動第一七七支部、JUDGMENT 177 BRANCH OFFICE所属…『空間移動』白井黒子であった。
~第七学区・とある高校グラウンド~
結標「風紀委員の巡回ね…こんな何もかもメチャクチャになってる時にご苦労様だ事」
白井「こんな時だからこそ、ですの」
結標淡希と白井黒子はひしゃげたグラウンドの金網に並んで腰掛けていた。
『残骸』事件以来だったか?などとその邂逅を結標はどこか他人事のように感じていた。
自分に能力で一太刀浴びせ、言葉で一矢報いた同じレベル4、同じ空間移動能力者…にも関わらず
白井「学園都市の機能は未だ回復していない事はご存じですわね?それにかこつけて能力者を狙う外部の輩が彼方此方で見受けられますの…治安維持に注ぐ力は以前とは比べ物になりませんの。責務も激務も」
白井黒子に敵意を向けられない自分が自分で信じられないのだ。
それはこの瓦礫の山と化した街並みを目の当たりにしたからか、その瓦礫の山の中にあってすら己の身を投じる白井の真摯な横顔を見たからか。
白井「そしてよからぬ輩を全てふん捕まえ、学園都市の治安を回復させた暁にはお姉さんの控えめなお胸に飛び込み、思いの丈をぶつける事もやぶさかではございませんの!その日までわたくしは戦い続けますの!うっふっふ、えっへっへっあっはーっ!!」
結標「(…こんな娘にこの私が追い込まれただなんて…)」
軽い頭痛を指先でほぐし目を瞑りながら結標は嘆息した。
同時にはたと気づく。この白井黒子が居るならば、もう一人の姿在るべき人間の姿が見受けられない事に。
結標「超電磁砲(レールガン)…第三位…御坂美琴は一緒じゃないのね」
白井「お姉様はこの第七学区全域の電力を賄う仕事に従事しておりますの。七人…いえ、今は『八人』しかいないレベル5ですから…これをノブレス・オブ・リージュ(高貴なる者の責務)と人は言いますのね…」
やや寂しそうに、しかし我が事のように誇らしそうに白井は語る。
この第七学区全ての電力から電気系統全てを掌握しその能力を行使するなど確かにレベル5でなくては務まらない仕事であろう。
結標「(レベル5ね…最も近いレベル4だなんて言われてたのはいつの話だったかしら)」
だが、今はそんな事すらどうでも良いとすら思える。
かつて白井と交わした舌戦、少年院での戦いを経て乗り越えたトラウマ、それが結標の中のいくつかの部分を占めているのだから。
白井「他のレベル5の面々も駆り出されているようでしてよ?行方不明だった第六位(ロストナンバー)まで姿を表したとかなんとか…あら?失礼しますの」
そこで区切ると白井はいやに前衛的なデザインの携帯電話を取り出し話し始める。
漏れ聞こえた『初春』という単語が聞き取れたがなんの事かはわからなかった。
結標「お仕事かしら?」
白井「一度戻りますの。貴女は――どうしますの?」
結標「どうする…って――」
白井「“この後”どうするかではありませんの。“この先”どうするかですの」
金網から空間移動で飛び降りた白井がこちらを見上げてくる。
その眼差しは問い掛けていた。真摯な光を称えた、迷う事を知らない瞳。
――結標と戦った時と同じ、あの眼差しだ――
~第七学区・とある高校グラウンド2~
白井「結標さん。わたくしは貴女を認めた訳ではありませんの。あの時申し上げたように」
結標「………………」
白井「ですが、もしわたくしに貴女のような力があったなら…と同じ能力者として思いますの。特に今のような状況であればあるほど」
この眼差しだ。この言葉だ。身体にコルク抜きを、鉄矢を突き立てらるより何より――
白井黒子の迷いのない光が、どんな痛みより激しく心を殴りつけてくる。
白井「あと数メートル長く飛べ駆けつけられたなら、あと数キロ重く人を抱えられたならと…ふふっ、自分のいたらなさを棚に上げて無い物ねだりだなんて…わたくしも疲れてますのね」
結標「相変わらず言いたい放題ね…人の事情も知らない癖に」
結標淡希は思う。こんな目を自分も持てたら少し羨ましいのにと。
白井「そうですわね…これではあの類人猿…いえ殿方のようですわ。失礼いたしましたわ」
白井黒子は想う。あんな力を自分も持てたら少しでも多くの人を救えるのにと。
白井「…学生、能力者によるボランティア募集、御存知ですの?」
結標「…例のナンバーセブンがやってるアレの事?ならニュースで見たわ」
金網から見下ろす結標、地面より見上げる白井。
しかし――もし何か一つ選ぶ道が、嵌る歯車が合えば、二人は同じ場所を対等の目線で見れただろうか。
白井「…そろそろ行きますの。貴女もお達者で。結標淡希さん」
結標「…私も戻らなくちゃ。貴女こそ元気でね。白井黒子さん」
結標・白井「「お互いに」」
そして二人は同時に空間移動した。本来交わる事のなかった道から、再び各々の歩む場所へと帰って行くように。
分かたれた光と影の双生児のように
~第十八学区行きモノレール内~
結標「小萌、思ったよりやつれてたわね」
姫神「うん。随分と無理していた」
第七学区のモノレールは完全に壊滅していたため、小萌と別れた後の二人は再び座標移動を繰り返して一度第八学区まで出、そこから乗り直し帰路についていた。
時刻は昼過ぎ、昨日二人が出会ったのと同じ時間帯であった。
姫神「私達は。子供だね」
結標「…そうね」
車内は閑散としていた。目的地までノンストップの特別便のため、乗り込んで来る乗客も下りて行く乗客もいない。
だからこそ姫神の短い言葉が、自分の声音が、ことのほか響く気がする。
姫神「小萌。一緒に住んでた時はいっぱいビールも飲んでいたし。たくさんタバコも吸っていた」
結標「私が転がり込む前からああだったのね…なんだか懐かしいわ」
姫神「正直な気持ちで言えば。少しだらしないなって。思った時もあった。でも」
結標「でも…今日、初めて小萌が大きく思えたわ」
姫神「うん。大きい。私達より。ずっと」
出会ってまだたったの二日。知り合ってまだたったの二日。
住んでいた世界すら異なり性格も違う二人の共通の話題はまだ少ない。
しかし…月詠小萌という一人の人間が、二人を結び付けた。
姫神「だから。今日から少しでも大きくなりたい。背伸びじゃなくて。大きく」
スッ…と結標の身体が姫神の腕で、肩に寄せられた。
姫神は結標と白井の会話を知らない。確執も因縁も遺恨も知らない。
しかし戻って来た結標の様子がひどく疲れて見えた事は感じられた。だから。
姫神「着いたら。起こすから」
結標「…そうしてちょうだい。能力を使い過ぎて疲れたわ」
この程度のテレポートの連発でくたびれるほど弱くない。
修羅場鉄火場を潜り抜けて来た身体はこの程度で疲れるほど脆くない。
だが…その心は、預けた頭を受け止める肩から離れてくれなかった。
結標「(焼きが回ったものね。私も)」
そして結標淡希は姫神秋沙の肩で少し眠った。
今度は、夢を見なかった。
~第十八学区行きモノレール・車内~
姫神「(今の私に。出来る事)」
姫神秋沙は自らの肩口に眠る結標淡希を預けさせながら流れ行く景色を見送っていた。
かかる重みはほとんどない。自らのツヤツヤした黒髪とは違う、サラサラした赤髪が触れる感触があるだけだ。
姫神「(結標さんの所で。少し落ち着いたら。小萌先生の。みんなの手伝いに)」
一種独立国のような、自治特区の気風がある学園都市は日本国政府からの救援活動のほとんどを拒否している。
介入の見返りに対して引き出される、外部より20年も30年も先行く先端技術を奪われまいとして。
外部からの手助けを受けて学園都市の持つ優位性を損なう事は上層部は決して許さない。
こんな時まで既得権益だ最高機密だのと、統括理事長の行方不明と前上層部の壊滅の後新たにその座を巡る権力者達の闘争など…
学園都市で生きる学生達には関係ないのにと月詠小萌と黄泉川愛穂が交わしていた会話を姫神は思い出していた。
姫神「(私に。何が出来るかわからない。でも。何かせずにはいられない)」
自分のどこからこんな前向きな気持ちが湧いてくるのかわからない。
希薄であり微弱であったこの感情の細波が、何故かくもうねりを描くのか。
姫神「(きっと。上条くんのせい)」
姫神「(多分。小萌先生の影響)」
姫神「(そして。結標さんのおかげ)」
ほんの少しだけ、彼の気持ちがわかったような…そんな気がした。
そしてそれも、昨日の事とは言え衣食住の確保が結標と出会えた所に拠る部分が大きい。
先立つ物がなければ、寄る辺が無ければ、他人はおろか自分を気遣う事すら出来ないのだから。
姫神「(結標さん。本当に軽くて細い。きっとちゃんとした物をちゃんと食べていないから)」
寄りかかる結標は姫神の細い肩にすら羽のような重みしか与えない。
姫神とて普段はあまり意識しないが、人並みに自分のプロポーションに自信はある。
しかし出る所が出ているより結標のようなシャープなスレンダーさが羨ましかった。
姫神「(爪もとても綺麗。脚も長い。憎たらしい。じゃない。羨ましい。肥えさせてしまおう。私の料理で。そうだ。どんな食べ物が好きかまだ聞いてない。作れたら作ろう)」
まだ昼過ぎだ。結標が起きて少しでも元気を取り戻していたなら気分転換に買い物に連れて行こう。
第七学区のクラスメート達を思うと、申し訳ない気持ちも確かにあるが。
~第十八学区・とあるデパート~
姫神「結標さん。よくもやってくれた」
結標「本当にごめんなさい…やっちゃった」
霧ヶ丘女学院と結標淡希の部屋がある第十八学区に降り立った二人は連れ立ってデパートにいた。
そして姫神が言うのは、眠っていた結標が無意識に肩口に涎を垂らした事である。
対する結標もまた顔を赤くして肩身狭そうに俯いていた。
今朝どころか昨日から失点の連続だと穴があったら入りたい心持ちである。
姫神「つまり私は。結標さんにとって。生唾物の獲物。女同士でなんてインモラル」
結標「だから謝ってるじゃないの!貴女だってあるでしょそういう時!私疲れてたの!」
姫神「年下趣味の他に。そう言う性癖まで兼ね備えているユーティリティプレイヤーの貴女が眩しくて見えない」
結標「私の話をちゃんと聞いてちょうだい!私の目を見て話して!どうして視線を外すのよ!」
顔を背け軽く握った拳を口元に当てながら笑いを噛み殺す姫神、いじられながらもガンガン突っ込む結標。
その足取りに淀みはない。元から十八学区が庭である結標と、かつて通っていた姫神のコンビなのだから。
姫神「だから。寝袋か小さな布団を買いに来たの。フリースの膝掛け一つでは。貴女から貞操を守れそうにもないから」
結標「わっ、私はノーマルだって言ってるでしょ!ドSよ!貴女本物のサディストだわ!」
姫神「身の危険を感じた。会ったばかりの私に。あんな無防備な寝顔を晒して。身体を預ける貴女が。犯さないとも限らない過ちを甘んじて受ける訳にはいかない」
結標「誤解を招くような事言わないでぇぇぇ!」
辿り着いた先は寝具や日用品の置かれたインテリアショップであった。
買い物なら第十五学区などの方が品揃えは良いのだが、その日の内に使うならこのデパートで事足りたからだ。
とうの姫神はカーペットに敷けそうでかつスペースを取らず、持ち運びの出来そうな小さな布団のチョイスに忙しい。
まだ一日目だがいつまでも添い寝は結標に申し訳ないし、かと言って一時的な仮住まいが故にすぐ持ち運べるものが望ましい。
結標「(さっき眠ったのにもう疲れちゃったわ…それに朝昼抜いちゃったからちょっとお腹も空いたし)」
結標は結標でボケといじりの姫神の相手に疲れ果てていた。
チューニングのずれたラジオと話しているような感覚。
しかし、モノレール内で姫神の肩を借りて得た眠りは結標を立ち直らせた。
結標「あら…このクッション良い感じね。昼寝用に買おうかしら」
少し充電し、ボーっと待っていてもお腹が減った事ばかり頭を過ぎるので結標も店内を見て回った。
寝具のみならず、調度品や小物もなかなかの品揃えである。
するとその中の一点に結標の目を引く物があった。
結標「これ、可愛い」
それはホタルブクロが連なった形の硝子細工のランプシェードであった。
結標とて暗部の任務についている時以外は一人の十代の女の子である。
人並みに可愛い物や美しい物を穿った見方をせず愛でる事くらいする。
手を触れる事は躊躇われたが、薄く溶かしたような妖しい紫暗の硝子細工に目を奪われていた。するとそこへ――
姫神「それ。買うの?」
結標「!もう終わったの?」
姫神「うん。今日の夕方には届けてもらえるって。でも。貴女のマンションの住所がまだわからない」
結標「ああ…そうね、そうよね。送り先は――」
もう買い物を済ませてしまったのか、姫神が結標の背後に立っていた。
もう精算を済ませ、残す所は結標の部屋の住所を伝えるのみであるようだ。
結標はそれを姫神に教え、姫神は手にしていた記入用紙に書き留めて行く。
しかし、送り先を書き終えると姫神はもう一度結標が見つめていたランプシェードへ視線を戻す。
姫神「ホタルブクロ。花言葉は。“熱心にやり遂げる”」
結標「本当に少女趣味ね…なあに?まさか買ってくれるとか?」
そう冗談めかして言ってみる。しかし姫神はそれを幾分真面目な様子で
姫神「いい。私からの。お近づきの印に」
結標「えっ!?いいわよいいわよ別に!そんなに気使わないで?本当にちょっと見てただけだし…」
姫神「もう一つの。花言葉は」
それは姫神なりの不器用な感謝の表し方でもあり、もう一つは出会った時から少し沈んでいた結標への慰めでもあったのかも知れない。
姫神「―――“悲しい時の君が大好き”」
結標「――!!」
姫神「店員さん。これも一緒に」
ただでさえ心許ない懐が更に寂しくなってしまうが、別に構わないと姫神は思った。
それは互いに見えない硝子を隔てての手探りのような焦れったさともどかしさを見る者に与える。
結標「(こ、これって告白!!?違うわよね?そうよ…またピザの時みたいな私の勘違いよ!花言葉詳しかったし!)」
もちろん結標の思う通り、姫神も出会って二日で同性に恋に落ちるなどと豊かな感性は持ち合わせていない。
天然でそれをやってのけるあたり、もしかすると姫神も『上条当麻』の影響を受けているのかも知れない。
結標「あ、ありがとう…姫川…さん」
姫神「誰。それ。私は秋沙。姫神秋沙。ランプ。大事にしてくれると。嬉しい。もちろん。私も」
結標「嫁をもらった覚えまではないわ…嫁…嫁…そうだ!姫神さん、貴女料理って得意??」
姫神「その言葉が聞きたかった」
結標「えっ」
チグハグな会話、デコボコな外見。なのに不思議と意思を通わせられるのは如何なる導き手の振るう采配なのか。
能力があろうとなかろうと他者を傷つけてしまう『人間』であると思い知らされた結標淡希。
本人に意思があろうとなかろうと他者を巻き込んでしまう『能力』に運命を歪められた姫神秋沙。
それはジクソーパズルのピースに似ていた。歪に形が違い、色もまるで異なり一見当てはまるように見えずとも最後は一枚の絵になるように。
そんな二人を決定的に結びつけるマスターピースの行方は、まだ誰も知らない。
~第十八学区・とあるデパート地下食品街~
姫神「嫌いなもの。あったら教えて。オリーブ以外で」
結標「普通そこは好きなものって言う所なんじゃないの??まあ…骨の多い魚とか、豚の脂身とか、辛い獅子唐とか」
姫神「嫌いなものまで微妙。もっとわかりやすく」
結標「嫌いなものが出たら貴女にあげるわ」
姫神「貴女。遠足の時。お弁当のおかず。嫌いなものしか友達にあげないタイプだった?」
結標「貴女って本当に失礼ね!」
二人は食品街で手押しのカート一つで回っていた。中身は主に米や野菜や生物で、姫神は結標のわびしい食生活を改善すべく気合いを入れていた。
しかし結標は食べる事に人並みぐらいの執着しか持てないのか、姫神に任せっきりであった。
姫神「好き嫌い。お残しは許しまへん。したら玉子かけご飯の刑」
結標「?ご飯抜きじゃないならいいじゃない」
姫神「違う。醤油抜きの。本当に卵をかけただけのご飯。貴女は醤油抜きの玉子かけご飯の恐ろしさをまだ知らない」
結標「普通の人は一生知らないわよ…ねえ、オニオンサワークリームリング入れてもいい?」
姫神「おやつは。500円まで。バナナは」
結標「引っ張るわね遠足ネタ…ところで、これ晩ご飯になるんでしょ?何作るの?」
姫神「」
そこで姫神の言葉と押していたカートが止まる。
同時に結標の歩みも止まる。まさか…という気まずい思いが頭が過ぎるも…
「ねえねえ×××!今日はみんなとなに食べるの?教えて欲しいんだよ!」
「今日は石狩鍋よん。学生なんて大鍋でガツガツ食わせりゃ好きなだけがっつくわ。腹を空かした豚みたいにねぇ?」チラッ
「それって私の事?だったら許さないかも!×××!」ウガー!
「噛みついたらもうご飯食べさせないって前に言ったわよねクソガキ?さっさと買って帰るわよ。旦那の留守を守んのもいい女の条件よ。覚えときなさい」
「うん!でもとうまのクラスのみんながいるからちょっぴり食べる量減らすんだよ」
「食糧問題だけ解決されてるのが不幸中の幸いねー…他の学区の支援物資がなきゃこんなのほほんとしてられないわ…あの根性バカが頑張ってくれてるおかげかしら」
「みんな頑張ってるんだよ!×××も!こもえも!短髪も!とうまも!」
「私はお金出してるだけ。してる事と言ったらこんなイイ女ほったらかして、男ばっかで飛び出していったバカな旦那の帰りを待つばかり…ってね。帰ってきたらオ・シ・オ・キ・か・く・て・い・ね」
姫神「」ピクッ
どこからか聞こえて来た声音に姫神の耳がピクリと動いたのが結標にもわかった。
同時に何を言い出すのかも容易く予想出来た。
姫神「今日は。鍋に(ry」
結標「貴女今思いついたでしょ!?」
~第十八学区・結標淡希の部屋~
姫神「良かった。お鍋にも使えるホットプレートがあって。さすがは。学園都市」
結標「そんなの外にだって売ってるし小萌の家にもあったでしょうに…ところでこの鍋はなんて言うの?」
姫神「石狩鍋」
クツクツと煮込まれる鮭、豆腐、玉ねぎ、キャベツ、大根、椎茸、人参、長ネギをバターを隠し味にした味噌仕立ての汁で煮込む姫神。
時刻は18:40分。デパートから帰って来た後結標は姫神が使う部屋を今度こそ掃除し、姫神は石狩鍋の仕込みをしている内にこの時間となったのだ。
布団とランプシェードも届き、ようやく生活空間が整った形である。
結標「へえ…そうなの。一人暮らししてるとお鍋なんてしないから」
姫神「嘘。さっき学校で小萌先生から聞いた。貴女は野菜炒めすら(ry」
結標「小萌ぇぇぇ!」
キッチンに立った姫神にはすぐさま見て取れた。調理器具のほとんどが使用された形跡がない事を。
焼き肉が好きな小萌からの引っ越し祝いと思しきホットプレートも箱から出されはしたが取り扱い説明書が入ったまま。
そもそも塩、砂糖、醤油、ケチャップ、マヨネーズしか調味料がない時点で小萌に確認を取るまでもなく自炊能力は非常に疑わしい。
結標「だ、誰にだって苦手な分野や不得手な領域があるじゃないの!わ…私はそれがたまたま料理だったってだけで…」
開け放たれた窓辺から吹き込んでくる涼風がテーブルに立ち込める湯気を晴らして行き、結標は頬杖をついたままそっぽを向いていた。
姫神「大丈夫。これからは私が。貴女に食べる喜びを教える」
結標「えっ?」
姫神「部屋を間借りさせてもらうのだから。せめて。それくらいさせて欲しい。洗濯も掃除も。人並みに出来る。私に自由になるお金は少ない」
結標「(そうだ…この娘、霧ヶ丘を辞めてるんだった)」
霧ヶ丘女学院と結標淡希の部屋がある第十八学区は独自の奨学金制度がある。
結標は姫神の能力も、三沢塾の事件も、退学の経緯も何一つ知らない。
帰る場所もなく、頼る人間は既に他の生徒で手一杯、そして蓄えも乏しい。それを今更ながら再確認する。
姫神「貴女のこの部屋の家賃の半分も出せないかも知れない。だから。家事の一切を私にさせて欲しい。私にはそれしか出来ない。ごめんなさい」
結標「…何馬鹿な事言ってるの。“先輩”が“後輩”からお金もらう訳に行かないでしょう?」
姫神「!」
結標「それに、貴女からお金取ったなんて小萌に知れたら怒られちゃうわ…ふふふ」
結標自身金銭面に際して不安は一切ない。逆に、苦手な家事を全て姫神が行ってくれるならそれはそれで悪くない。
それ以上に…姫神の境遇に絆される部分がなくもなかったからだ。
結標「ねえ?それより食べないの?なんかグツグツいってるけど」
姫神「…ありがとう。おさんどんは任せて。はい。山椒」
結標「これかけて食べるの?変わった匂い…」
姫神「そしてご飯。玄関開けたら二分でご飯。素晴らしき哉。学園都市」
行き場がない姫神、先行きのわからない結標。ある一面から見て取れば二人ともベクトルは同じなのだから。
~結標淡希の部屋・リビング~
結標「慣れると結構いけるわね。これ」
姫神「うん。最初は焼き肉も考えた。けれど焼き肉をする時は。小萌先生も一緒」
結標「うん…そうね…うん。その時は私の奢り…あーでもなんかちょっと…」
姫神「?」
結標「飲みたくなって来ない?なんかこうやってると小萌が焼き肉やってる時の事思い出しちゃって」
姫神「貴女とは。美味い酒が飲めそう」
19:25分。二人は石狩鍋に舌鼓を打ちながら箸をつつき、くだらないバラエティーを笑ったり突っ込んだり。
結標も姫神も、自分で信じられないほど空気があった。
そんな食の進む晩餐の最中、ふとアルコールが欲しくなるのも十代の学生の常である。
姫神「“姫神ちゃんは未成年だからアルコールはダメなのですー!”って」
結標「あははちょっと似てる!それで小萌が寝ちゃったりした後ちょっと残ったの飲んだりしなかった?」
姫神「した。でも泡が抜けてて。正直不味かった」
結標「んー…ビールかー」
学園都市で起こった最終戦争も、二人が抱える過去も、それを一時とは言え忘れて話に華を咲かせる。
そこで結標はすっくと立ち上がり、窓辺へ歩を進めた。
結標「ちょっと買ってくるわ。貴女は鍋見ててくれない?」
姫神「でも。IDが」
結標「成人用の持ってんのよ。偽造だけどね。それに貴女売ってるコンビニ知らないでしょ?」
姫神「…わかった。でも早く帰ってこないと。雑炊しちゃう」
学園都市内でアルコールを入手するのは意外に手間である。
何せ人口のほとんどが学生であるがゆえ、アルコールを置いているコンビニは外の世界でアルコールを置いていないコンビニを探す程度に難しい。
教職員の集中する第八学区などは比較的容易だが、霧ヶ丘女学院・長点上機学園など進学校の集中するこの学区では結標ですら数ヶ所しか知らないのだから。
結標「じゃあ、全部食べられちゃう前に戻って来るわ」
そして結標から窓辺から身を投げた。落下しながら座標移動して。
~第十八学区・とあるコンビニ~
店員「ありがとうございましたー」
結標「これで良かったのかしら?」
取り敢えず数本、銘柄がわからないなりに適当にアルコールを詰め込んで結標はコンビニを出た。
『アンカースティーム』という銘柄らしいが、そもそも気が向いた時しか飲まないのだから仕方ない。
結標「こんな事してて良いのかしらね…良くないに決まってるけど」
初夏の夜風に二つ結びを揺らされながら結標はコンビニの車止めに腰を下ろす。
食べてすぐ座標移動を繰り返して少しもたれた気がしたからだ。
結標「――どうしようかしらね本当――」
何度目になるかわからない溜め息と問い掛け。この2日間こればかりだ。
この街並みの遙か先は戦禍のあった瓦礫の山…そう考えると自分達のささやかな夕食にすら罪悪感を抱いてしまいそうだ。
白井黒子が“うらやましい”と言った能力もこんな事に使ってしまったりと
結標「(ボランティア…ね)」
白井の言葉が時折脳裏に蘇る。自分はどうしたいのだろう。
小萌達の助けになりたいのか…いずれにせよ中途半端な気持ちのままで向かって良い場所でない事はわかっている。
結標「(暗部にいた私に…そんな事出来ないわよ)」
引け目や負い目の問題ではない。自分がこれまで戦ってこれたのは仲間の命がかかっていたからだ。
暗部から切り離され、組織を離れた一個人としての結標淡希がどうして良いかがわからない。
目指すべき頂に登り詰めた時、結標淡希には結標淡希しか残らなかった。
結標「もう…誰か教えてよ…」
キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!
結標「!?」
その時、結標の腰掛けたコンビニの向かいの道路から悲鳴が上がった。
~第十八学区・車道~
黒服A「ちっ…騒ぐんじゃねえよ!おい!麻酔銃貸せ!」
霧ヶ丘女学院生徒「離して!離して下さい!止めて離して!うっ…」
黒服B「おい。いくら能力者(バケモノ)だからって大事な商品だろうが。ほら、量間違うなよ」
黒服C「ついてるぜ。霧ヶ丘、常盤台、長点上機はランクAだ。特に霧ヶ丘はレア物が多いんだろ?」
黒服D「ここんとこカス当たりばっかりだったからな。お釣りがくるぜ。能力者たってガキなんてチョロいもんさ。それより飛ばせ飛ばせ。向こうはお待ちかねだ」
黒塗りのスモークバンが十八学区の道路をひた走る。
霧ヶ丘女学院の生徒の一人を拉致し、麻酔銃を打ち込んで能力と意識を封じ込めて。
それを行った男達は上々の気分であった。彼等の雇い主が『能力者』『原石』という存在を研究用の素体として欲していたから。
黒服A「戦争があったって聞いたけどよ?まるで誘ってるみたいに隙だらけだなあこの学園都市(まち)はよお?」
黒服B「前はこうはいかなかった。何があったが知らないが、火事場泥棒はガメつくいくのが良いって事よ」
黒服C「違いねえや!ハッハッハ!」
昼間はアンチスキルだジャッジメントを名乗る自警団か警察のような連中に…
ツインテールの女学生に横槍を入れられたがどうやら運が向いてきたようだ。
今日はこのまま街の外に連れ出して、落ち合う予定の出迎え役に引き渡しておしまいだ。そうタカをくくっていた。
黒服D「おい前向いて運転し…」
笑いながら前方を見やる…するとそこに…
黒服D「なんだありゃ!!!?」
ハイウェイの前方の空間が歪んで、うねって、渦巻くようにその萼を開いて――
ドガシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!!
~第十八学区・炎上する車道~
黒服D「ゲッ…ボォッ…」
気がついた時には、いきなり目の前にテレポーテーションで姿を現したかのような大型車によってスモークバンは大破させられていた。
思いもよらぬ対向車に激突し、衝突したスモークバンは引火し、爆発し、赤々と燃え上がる道路上に投げ出されて地べたを舐めていた。
黒服D「ゴブッ…何が…起きて」
有り得ない。進行方向は一車線だったはずだ。対向車など有り得ない。
だとすれば…あの虚空から突如現れたあの大型車は一体――
?「あら?まだ息があったのね」
黒服D「!?」
すると…どこからか声が降って来た。怜悧な女の声音、鋭利な口調。
さっき連れ去った女生徒とは異なる…熱く火照る傷すら底冷えさせるような声質。
?「やっぱり1000キロ以上は身体に堪えるわ…あの娘の下手くそなマッサージよりマシだけど」
動かせない身体の中で眼球だけ何とか動かすと…そこには、女生徒を抱えて佇む…二つ結びの女の立ち姿。
声こそ女生徒と同じくらい若いが、纏う雰囲気がまるで異質だ。
その表情は背後で引火した炎の逆光と夜闇の暗さでわからないが…嘲笑を湛えた眼差しと冷笑を湛えた口元が見えた気がした。
黒服D「だ…れだ…おま…え…何…者」
?「それが貴方に関係あるの?これから死ぬ貴方に?私が手を下しても下さなくても、その様子じゃ長く保たない事もわからないの?」
炎風に吹き上がり揺らめくは炎のように赤く、血のように朱く、まるで美しい死神が舞い降りたようだった。
抱えた女生徒をアスファルトに下ろし、女は手に携えた何かを向けてくる。
黒服D「(警棒!?軍用の懐中電灯か!?)」
あの大型車はなんだ。その棒状の物体はなんだ。
?「でも残念ね…貴方のせいで折角のビールが台無しになっちゃった。今私、すごくイライラしてるの…殺しは好きじゃないし、自分の手を汚すのは嫌いなんだけど」
――お前は――何者なんだ――
?「さ よ う な ら」
そして、軍用懐中電灯が死神の大鎌のように振り下ろされ――
~第十八学区・結標淡希の部屋~
姫神「少し。遅い」
20:00分。姫神秋沙は鍋の火を止めて壁掛け時計を見上げながら呟いた。
結標淡希の帰りが予想より遅いのだ。徒歩ならばいざ知らず、姫神にもよくわからないが空間移動能力を持つ彼女にしてはやや遅いと感じられた。
姫神「そんなに遠いコンビニなら。我慢したのに。それとも。何かあった?」
さっきまで二人で見ていたバラエティーも、一人で待ちながら見ていたらさっきまで何が面白かったのかと冷めてしまった。
姫神「もしかして。偽IDがバレた?」
なんとなくつまらない。面白くない。そんなに人恋しがる質ではないのにと姫神は憮然とした。
やはり女の子一人では危なかったかと思う。今朝のニュースにもあった。能力者が誘拐されかけたり行方不明になる事件が終戦後増えていると。
姫神「まさか」
そこで姫神はある考えに思い当たった。そう、それは結標と初めてあった時――
結標「ただいまー」
姫神「!!!」
声は窓辺からした。出て行った時と同じ…柔らかな夜風に二つ結びを揺らしながら。
手に、『コロナビール』の瓶の入ったコンビニ服を下げて。
姫神「おかえりなさい。ビックリした」
結標「ごめんなさい。悪い癖ね玄関使わないで帰ってきちゃうの…はい。ビール!」
姫神「ありがとう。雑炊三割増しでお出迎え」
結標「やった♪外から帰って来たからもう一回手洗ってくるわねー」
結標がキッチンへと駆けて行く。だが姫神の予感は、先程までの考えは当たっていた。
姫神「(また。血の匂い)」
結標「ふんふふん♪ふんふふん♪ふんふんふーん♪」
調子外れな鼻歌と、パシャパシャと水の弾ける音に、何故だか姫神は微かに胸を締め付けられた。
~結標淡希の寝室~
結標「キレイね…なんか良いわこういうの」
結標淡希は石狩鍋の後姫神とコロナビールを飲んで少し騒いだ後、先にお風呂へ入った後寝室でホタルブクロのランプシェードの光を見つめていた。
結標「本当に…キレイ」
寝室に漂う芳醇な青薔薇の香りに包まれながら、硝子細工のランプシェードを愛でる。
姫神の花言葉を少女趣味と笑えないな、とアルコールの残った微苦笑を浮かべながら。
~姫神秋沙の寝室~
姫神「また。あの薔薇の匂い」
結標が寝室で焚いているであろうブルーローズのアロマキャンドルの香りが、姫神の部屋としてあてがわれた空間にも届いた。
姫神「(結標さん。そんな事をしても。血の匂いは。消せない)」
結標が何をしているのかはわからない。出会って未だ二日目で、互いを知る事など出来ない。
そしてそれ以上に…互いに抱えた闇の底など自分ですら持て余すのに。
姫神「(貴女は。優しい娘。そうでしょう?)」
今日届いた布団。今日与えられた部屋。なのに…何故だか無性にもどかしくなって――
~結標淡希の寝室~
結標「もしかして…姫神さんって結構寂しがり屋さん?」
姫神「どうして。そんな事を言うの」
結標「だって…“一緒に。寝ない?”なんて布団持ってこられたら私じゃなくたってそう思うわよ」
姫神「似てない。それに違う。貴女が寂しがるといけないと思って」
結標「は!?わ、私が寂しい訳ないじゃない…生意気ねっ」
ベッドに結標、床に姫神とそれぞれ布団にくるまりホタルブクロのランプの光を見つめながらそんな憎まれ口を叩く。
二人だけのパジャマパーティー、というには互いを知らなすぎるが。
姫神「安心して。夜伽は家事とは別オプション」
結標「よとっ…ちょっと!どこで覚えてくんのよそういう単語!」
姫神「そういうあわきんこそ。どこでそういう単語を覚えたの。今朝の本?」
姫神「違う違う違う違うわよ!だいたいなんなのあわきんって!?今朝の事はもう忘れてってば!」
結標は語らない。数時間前の出来事など。
姫神は聞かない。数時間前の出来事など。
互いに知らない。自分だけの秘密を抱えて。
結標「…ねえ、こっち来て話さない?なんか上から見下ろして話すのって…ちょっとね」
姫神「良い。今度は髪を踏まないで欲しい」
そして二人は少し話し込み、そしてどちらからともなく眠りについた。
そしてその日、結標の頭の中には救った少女の顔も殺めた男達の顔も浮かんではこなかった。
ただの一度も。
~第十八学区・結標淡希の部屋~
姫神「(迂闊。寝てしまった)」
6:40分。姫神秋沙は結標淡希のベッドで目を覚ました。
姫神「(小萌先生に似てきたのかも知れない。アラーム無しでも起きれるだなんて)」
むくりと身体を起こす。最終戦争が勃発するまで送っていた規則正しい学校生活は姫神の体内時計を正確に刻ませた。
はたと傍らを見やる。そこにはスウスウと小さな寝息を立て体を丸めて眠る結標淡希の寝姿があった。
姫神「(おへそが見えてる。やっぱり細い。本当にこの中に内臓が入っているのか。人体の不思議。女体の神秘)」
肩紐の外れた丈の短いキャミソール姿の結標の白く括れた細腰を見つめる。
もしかしたらウエストは五十台半ばかそれより僅かに細いか。
あまりの華奢さに同じ女として面白くないが、同時に興味が湧いた。
姫神「(恋人は。いるのかしら。抱き締めたら。壊れてしまいそう)」
何を食べればこんな硝子細工のような曲線の肢体が生まれるのか。
今の所結標から異性の存在を匂わせるものは何者も存在しない。
あのクローゼットの中の嗜好品の内容を鑑みれば無理からぬ話ではあるが。
姫神「(よし。今朝はサーモントーストサンド。略して。S・T・S)」
一瞬、結標の安らかな寝顔にキスしたくなって、止めた。
色気より食い気。石狩鍋に使った鮭の残りを使ったレシピが姫神の脳内を占めていた。
~結標淡希の部屋・寝室~
結標「んっ…姫神…さん?」
11:02分。結標淡希の意識は昼近くなってから覚醒へと向かった。
初夏の熱気が微かに寝汗に混じって汗を滲ませ、寝苦しくなって肌掛け布団を蹴飛ばす。
結標「…行っちゃったのかしら…」
姫神秋沙の姿はベッドから凝らした結標の目から見て影も形もなかった。
どこへ行ってしまったのだろうと僅かに訝り…そこでお酒を飲んだ翌日の寝ぼけた頭が働き始めた。
結標「そうだった…学校に手伝いに行ったんだったわ」
昨夜、眠る前に二人が交わした会話。それは姫神の側からの提案であった。
午前中の間に一切の家事を済ませておくから、家を空けたいと。
夕方には帰って来るから洗濯物も取り込まずにそのままでも構わないとも。
結標「…流石にそんな何でもかんでも押し付けられないわよ…馬鹿ねえ」
サアーッとカーテンを開け放ち窓辺より空を仰ぐ。天気は晴天そのものだ。
もう少ししたら蝉が鳴き出すかも知れない。今年の夏も熱くなりそうだと。
ただ、最終戦争で壊滅した第七学区では流石に常盤台中学の盛夏祭はないだろうし、第十五学区の織女星祭も開催は危ぶまれるかも知れないなとボンヤリ思う。
結標「みんな生きて行くのと自分の事で他の事になんて手が回らないわよ…ん?」
外れた肩紐を直しながらリビングに向かい冷蔵庫から飲み物を取り出そうとすると…ラップのかかったトーストと書き置きが置いてあった。
『お寝坊さんのあわきんへ。A・H』
結標「やだなにこの娘可愛い」
図太くズケズケ言う割に変な所で家庭的で細やかだ。
将来良いお嫁さんになるだろうな、などと思いながら結標はラップされたサーモントーストサンドを取り出し、かじった。
結標「イケる」
恐らく残り物だろうに良くここまで作れる物だと驚嘆に値する。
野菜炒めすら満足に作れない結標からすればまるでお抱えのシェフのようだ。
結標「喉渇いたわね…あった、ジンジャーエール」
昨日の鍋パーティーの最中、買って来た最初のアンカースティームは駄目になってしまったため、買い直したコロナと一緒にしたジンジャーエール。
すると姫神はビールとジンジャーエールを割って飲んでいた。
なんでもシャンディー・ガフというらしい。月詠小萌がそうしていたのを見たと。
結標「ん~…ジカジカする」
一気に呷り、寝起きの渇いた身体を潤す。寝覚めには持ってこいだった。
見やった窓辺の向こうには入道雲と、青空と、瓦礫の王国となった第七学区が遠くに霞んで見えた。
結標「そう言えばコレ飲む猫が出てくる小説なんて言ったっけ」
スタンダールの『赤と黒』の話を振っても理解した姫神なら知っているだろうかと…
結標は吹き込んでくる涼風にはためくカーテンから見上げる景色に思う。
今年はどんな夏になるのだろうと。
結標「そうだ、夏への扉」
ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』だとふと思い出した。
壊れかけた街、変わらぬ夏、自分達は今夏休みの子供のようだと詮無い考えが胸をよぎった。
結標「今日も…暑くなりそうね」
結標淡希と姫神秋沙の奇妙な同居生活、三日目の事である。
~第七学区・旧学舎の園大通り~
姫神「暑い」
マンションを出た姫神秋沙はモノレールで一度第八学区に降り立ち、そこから徒歩で自ら通う高校を目指していた。
学園都市の中心部に当たる第七学区は今や交通網の全てがズタズタであり、重機はおろか道によってはタクシーすら走れないほど破壊的な様相を晒しているからだ。
姫神「えっと。確かこっち。本当に困った。地図が当てにならない。何度来ても真っ直ぐ行けない」
捲れ上がりひび割れたアスファルトが歩みを阻み、倒壊寸前のビルディング群を避けて通り、至る所で光る剥き出しの鉄骨に制服を引っ掛けないようにする。
破れた水道管からスプリンクラーのように赤錆の水が吹き出している。
目印となる建物や施設が軒並み崩壊し、一日経てば廃墟と残骸の墓標が崩落して昨日通れたルートが塞がっている事など珍しくも何ともないのだ。
姫神「私にも。結標さんみたいな能力が。あったら良かったのに」
迂回を続け、人っ子一人いない旧学舎の園の大通りを行く。
何せ柵川中学と風紀委員第一七七支部、常盤台中学と警備員第七三活動支部も全壊しているのだ。
並んでいたお嬢様向けの店のほとんどから用品は姿を消していた。
生きて行くには仕方ないとは言え、さながらスラム街のようだ。
姫神「とりあえず。向こうに着いたら。避難所の手伝い」
第七学区のほとんどの学校が壊滅しており、今や姫神の通う高校は避難所の中核を為している。
当然生徒達も他の学区に移る者、保護者が迎えに来る者、いずれでもなく残る者と混迷を極めている。
姫神「吹寄さん。どうしているだろう。あれから。顔を合わせてない」
姫神の属するクラスでは上条当麻が行方不明に、土御門元春はイギリスに渡ったと小萌から聞いた。昨日だか一昨日、いきなりだったようだ。
青髪ピアスは何やら学園都市側の迎えの者が来たようでそちらにかかりっきりであると。
その事情は避難所で姫神のクラスを束ねている吹寄制理から聞いた。
結標に淹れたルイボスティーは健康志向の彼女が分けてくれた物だ。
姫神「着いた」
そしてあちこちで増え始めた声音を頼りに着いた先…そこは姫神達の通う高校である。
正面から見て校舎の右側が爆撃でも受けたように抉れて消失し、左側は今にも倒壊しそうに傾いでいる。
これが、今の学園都市の現実であり、現状であり。現在である。
~とある高校・警備員・風紀委員仮本営~
黄泉川「わかったじゃんよ。じゃあ2クラス72名そっちの受け入れ体制が整い次第連れて行くじゃん」
小萌「はい、はい、ではこちらにいらっしゃる前にもう一度御一報下さい。今各地で倒壊の危機がありますので、ご家族の方々は一度第八学区まで…」
初春「し、白井さん!またA―32ブロックの炊事場で乱闘騒ぎが!」
白井「またですの!?ああ衣食住足りて礼を知るとはこの事ですの!」
固法「次から次へと舞い込んでくるわね…白井さん、初春さん、次は私が」
喧々囂々の有り様である。教職員は軒並み疲労困憊、風紀委員は過労死寸前である。
残された生徒達に親元が迎えに来るまで、他の学区に受け入れ体制が整うまでとは言え交代要員すら慢性的に不足している。
『ナンバーセブン』ことレベル5第七位削板軍覇率いる全学連のボランティアがいなければ衣食住すら回らない状態である。
白井「申し訳ありません固法先輩お願いいたしますの!初春!今の内に食べてしまいますわよ!」
初春「は、はい!じゃあ私はオニギリを!白井さんはバナナを!」
白井「(先輩が、お姉様が、あの第五位が、初春の懸想する殿方まで奔走しておりますの。腹が減っては戦がなんとやらですの)」
固法美偉は自分達の昼食を取る僅かな時間を作るために自分達以上に疲れているにも関わらず飛び出していった。
レベル5第三位御坂美琴は第七学区の電力全てをほとんど不眠不休で回している。
レベル5第五位『心理掌握』は持てる全ての力を注ぎながら暴発寸前の学生達を押さえ、宥め、空かし、束ねている。
レベル5第二位垣根帝督はその持ち得る能力を用いて各地の倒壊を最小限に防ぎ、流通のパイプラインとライフラインの開拓に最大限勤めているのだから。
白井「(啖呵を切った以上、わたくしに半端はございませんの)」
結標に切った啖呵、それはそのまま白井黒子自身への啖呵でもある。
共に歩む御坂美琴に、渡り合った結標淡希に、そして何より自分自身に――白井黒子は負けたくなかった。
~とある高校・体育館兼避難所~
生徒A「すいませーん!姫神さん来てませんか!?向こうで割れたガラスで腕切っちゃった奴が…医者の先生みんな埋まっちゃっててー!」
姫神「待ってほしい。今。行く」
吹寄「助かるわ姫神さん。ありがとう、本当に戻って来てくれて」
姫神「私こそ。ありがとう。吹寄さん。吹寄さんが。口を利いてくれたから。私にも出来る事が見つかった」
そして、この少女…姫神秋沙も大勢の中の一人である。
『吸血殺し』の副産物である応急処置の手練手管は医者や医療機関、医療物資の不足の中にあって非常に有為であった。
結標淡希の部屋に転がり込むまで避難所からあぶれ各地を転々として腰を据えられずにいたが、腹を決めた姫神の行動は素早かった。
何せ学生達の数が数である。一回の食事、一回の洗濯、需要は莫大であり供給は膨大である。
一人でも多くの手が必要であった。物的資源もさる事ながら人的資源も同様に。
姫神「(みんな。頑張ってる。私も。頑張りたい。一緒に。頑張る)」
大きな能力が使える訳でも、特別な権限がある訳でもない。
でも何もせずにはいられなかった。近い言葉ならそれは衝動であった。
もうハンバーガーをやけ食いしている訳には行かないのだ。
生徒B「ツバつけてりゃ治るってこんな傷…痛たたた!?」
姫神「治らない。ちゃんと。腕を出して欲しい」
生徒C「はいはーい!次オレ!オレ!」
吹寄「並びなさい!それにあなたは擦り傷でしょう!これは遊びでも文化祭でもないのよ!」
姫神秋沙の戦いを始めるために
~第七学区・三九号線木の葉通り~
結標「結局来ちゃったわ…」
一方、結標淡希も朝昼を兼ねた食事を済ませると第七学区まで来てしまった。
座標移動を持つ彼女は遅く起きたにも関わらず、ほとんど姫神が高校に着いたのと同じ時間には辿り着いていた。
結標「馬鹿ね…私に何が出来るって言うの」
昨夜の能力者狩りの現場を目の当たりにし姫神の安否が気になった事、白井の言葉、小萌の笑顔を、姫神の決心に引きずられるように来てしまったが…
結標「私に…何か出来るだなんて思えないわ」
大通りの行く手を阻む横倒しになったビルの瓦礫に腰掛ける。
こんな戦災と天災が一度に暴虐の猛威を振るったかのような場所に…
陽の当たる場所に、暗部にいた自分に何が出来るのかと…
キキィィィー…
「オーライオーライ…はいストップストップー!もうこっからは無理だー!」
「マジかよ…昨日は通れたじゃねえかよ…おーいこの荷物どうすんだー?」
結標「(トレーラー?)」
するとそこへ…瓦礫の山を前にして立ち往生しかけている超大型トレーラーが停車した。
どうやらコンテナを見る限り戦災復興支援の物資のようだ。
「回り道ねえぞ!退かそうにも重機も入らねえ!八方塞がりだ!」
「どうすんだよこれ…このルート以外はタクシーも入らねえのに!ちくしょーあとちょっとなのに」
何棟ものビルがドミノ倒しのように大通りを塞いでいるのだ。
未だに日本国政府からの救援活動を拒否している学園都市にあっては空路すら選べない。
それを結標は見やり…嘆息した。無理だ。
結標「こんなの無理よ…私の力だけじゃどうにもならない…ねえ!そこの作業員の人!」
ボランティアA「ん?なんだお嬢ちゃん。道なら聞かないでくれよ今それどころじゃないんだ」
こんな瓦礫の山をちまちま座標移動させてもきりがないし、何より20トン越えのコンテナもトレーラーも飛ばせない。しかし。
結標「貴方達は能力者じゃないの?私はレベル4なんだけど…なんとかコレ、ならないかしら?」
ボランティアA「悪い…オレ風力系のレベル2なんだ。コイツはレベル0」
作業員B「クソーこんな時まで役立たずか…くそったれ」
結標「…力を合わせて…って無理よね」
三人して瓦礫の山の前で立ち往生する。照りつける初夏の陽射しが、割れたアスファルトを溶かすように降り注ぐ…するとそこへ…
?「為せば成る!為さねば成らぬ何事も!ようは根性だ!!まだ諦める所じゃない!」
結標「!!?」
瓦礫の街に立ち上る逃げ水の向こうから…腹の底から響くような声音でのっしのし歩いて来る…
?「そこで見てろ!オレの根性見せてやる!!」
純白を基調とした学ランを特攻服のように改造し、日章旗をアクセントに仕立てたハチマキ姿の男…
?「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア…!」
結標「まさか…コイツ…!」
恐らく、今や学園都市広告塔たる御坂美琴と互角の知名度を誇る超能力者(レベル5)
その無軌道かつ非常識が服を歩いているような力の全てを戦災復興支援に費やしていると言われる男…その名は
削板「念 動 砲 弾 ( す ご い パ ー ン チ )! ! !」
ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!
ボランティアA「削板さぁぁぁぁぁぁん!!!」
ボランティアB「軍覇さぁぁぁぁぁぁん!!!」
結標「なにこの空気」
ミサイルでも叩き込んだような爆発と威力に極彩色の爆煙と共に、行く手を阻む瓦礫の山と廃ビルの林を木っ端微塵に粉砕したその男の名は
削板「諦めは“言”の“帝”だ!!なら言葉より行動と根性だ!!そうだろう!?」
愛と根性をこよなく愛する嵐を呼ぶ漢…レベル5第七位『ナンバーセブン』…削板軍覇であった。
ボランティアA「ありがとうございます削板さん!ご苦労様ッス!」
ボランティアB「ごっつぁんでした軍覇さん!お疲れ様ッス!」
削板「よし行けお前ら!物資を頼んだぞ!!気合い入れてけ!根性出せ!」
結標「(…何よこのノリ…)」
削板がコンクリートとアスファルトを豆腐をハンマーど横殴りするように切り開いた道を、トレーラーが走って行く。呆然とする結標と、フンフンと三三七拍子で見送る削板を残して。
結標「ねえ貴方…さっきのアレなに?」
削板「?なにを言ってるんだ。根性に決まってるだろう」
結標「根性でどうにかなるレベルじゃないわよ!?」
削板「一応レベル5だからな!後は根性と根性と根性だ」
結標「貴方根性って入れないと話せないの!?何回根性って言ってるのよ?!」
削板「8回だ。撤去作業にかかる費用と人員を学園都市が外部の人間を借り入れてまですると思うか?国庫からの支援すら拒否するに違いないぞ。時間も機材も足らんのらなら根性しかないだろう。自分達でどうにかせにゃならん!」
結標「意外に理知的!?」
姫神といい削板というある種『原石』とは皆天然なのかと結標は突っ込みが追いつかない相手に溜め息をついた。
馬鹿ではない。しかし利口ではない。今まで会って来た男達のどれとも違う。
削板「自己紹介がまだだったな!俺は軍覇、削板軍覇だ!握手!」
結標「あ、淡希…結標淡希よ…よっ、よろしく」
意外に求められた握手は普通だった。あれだけの破壊をやってのけながら。そんな感想を結標が抱いた時、削板はまた違った印象を抱いたようで。
削板「そうか!ところでお前はこんな所で何をしてるんだ?避難民の学生か?それともボランティアのメンバーか?」
結標「わ、私は…」
なんと伝えれば良いのだ。焼け出された学生でもなければボランティアにもなれない。それどころか何をして良いかすらわからない元暗部…そんな結標の迷いを
削板「お前、能力とレベルは?」
結標「空間移動…レベル4」
削板「そうか!ならちょうどいい!手伝って欲しい事があるんだが聞いてくれ!」
結標「えっ!?ちょっ、ちょっと!」
削板「時間ばかりは根性じゃどうにもならんから歩きながら話す!うおおおー!」
削板軍覇は見抜いていた。そして握手した手をそのままに結標を引っ張って行った。
~とある高校・ボランティア詰め所~
削板「という訳だ!!今日からお前には“案内人”になってもらいたい!!」
姫神「これは。どういう事」
結標「私に聞かないで…この人、人の話聞かないのよ」
小萌「結標ちゃん…先生からもお願いしたいのですよー…ボランティア(自主性)の主旨から少し離れてしまうのですけど」
結標は引っ張って行かれた先であるボランティア詰め所で打ち合わせしていた小萌と姫神と再会した。
そこで紹介がてら任命されたのは…未だ各所で崩落の危険性のある第七学区から、学生達を安全な第八学区へと誘導する『案内人』である。
削板「いや。コイツはここ(第七学区)まで自分の足で来た。誰に言われた訳でもなく!迷いながらも自分の出来る事を探して迷っていた目だ!!それにコイツは――根性が、ありそうだ」
結標「………………」
削板の眼力は正しかった。結標自身迷いの最中にあり、悩みながらも第七学区まで来た。
そして…ある意味ではレベル5として、学園都市の闇を見てきた。そして結標からその匂いを感じ取った上で…連れて来たのだ。
白井『“この後”どうするかではありませんの。“この先”どうするかですの』
結標は反芻する。白井黒子の言葉を。
白井『あと数メートル長く飛べ駆けつけられたなら、あと数キロ重く人を抱えられたならと…』
結標は想起する。白井黒子の表情を。
結標「(ふー…)」
小萌は大人として戦い、姫神は子供として闘い、削板はレベル5として。
結標「(もう疲れたわ…ウジウジウジウジウジウジ悩むのに)」
ならば――結標淡希は何を為すべきか。その力で。レベル4座標移動の能力で。
結標「(もうウンザリなのよ…あなた達みたいに眩しい人達の中にいるのが)」
瓦礫の山はもう見飽きた。闇の底はもう見飽きた。
――歩き出そう。座標移動ではない自分の足で――
結標「私は―――」
答えはもう、決まっていた。
~第七学区・とある高校グラウンド~
結標「ゼー…ハー…ヒー…ヒー…」
姫神「お疲れ様。吹寄さんから。ルイボスティーと青汁の。差し入れ」
結標「ルイボスティーだけにして頂戴…いま青汁なんて飲んだら戻しちゃうわ」
17:58分。結標淡希は今日最後の疎開組となる学生グループの引率を終え仮設テントのパイプ椅子に腰掛けていた。
初夏という事も未だ夕陽も沈み切らないグラウンドを見やりながら、姫神は冷たいルイボスティーを結標に手渡す。
姫神「あの白ランの人が。誉めてた。俺の目に狂いはなかった。女とは思えない根性だ。って」
結標「狂ってんのはあのムチャクチャ男の頭でしょ…昼間から何回座標移動させるのよ…私じゃなかったら脳が焼き切れてるわ」
結標は目にアイピロー、額に氷嚢を当てて脱力しきっていた。姫神の処置である。
無理もない。半日以上演算しっ放しで何百人という学生達を小分けに第八学区まで送り届け続けたのだ。
下手すると暗部以上にハードで、これでボランティア(無給)なのだから笑う気力も残されていない。
姫神「―――でも」
結標「…?」
姫神「みんな。貴女に感謝していたはず。違う?」
結標「…フンッ…」
姫神の指摘通りだった。我が子の無事に咽び泣く両親、夜も眠れない不安に苛まれて子供、その再会が叶った時…
結標「この私をただ働きさせるだなんて…高くつくわよ」
まるで神か、救世主のように迎えられた。もちろん学園都市の不手際を罵倒する家庭も当然あった。
それでも結標はどこか満たされた気分である自分をむず痒く居心地悪く感じていた。
姫神はそんな結標の手を…ソッと重ねる事で応える。
姫神「胸を張って。結標さん」
姫神は結標から自分と似た不器用さを感じ取っていた。
他者の好意を上手く受け止められず持て余す不器用さを。
姫神「――私からも。ありがとう」
それを結標はアイピローの中でパチクリと目を見開き…そして…笑った。
結標「…ごめん、もう一度肩貸して。今度は涎垂らさないから」
姫神「うん」
少なくとも、不器用ではあっても素直な娘なのかも知れないと姫神は肩を貸しながら思った。
そして姫神自身も慣れない仕事の連続に疲れ切り、いつしか微睡み始めていた。
~とある高校・炊事場兼炊き出し場~
麦野「オラァァァ!屠殺場の豚みてえにブーブー喚いてんじゃねえ!文句抜かす奴ァ前に出ろ!×××ジュージュー焼かれて鍋の材料にされてぇか!?」
禁書「しずり!しずり!早く注いで欲しいんだよ!もう我慢出来ないんだよ!」
ステイル「いつまで僕はこんな事をさせられるんだ…インデックス、豚肉をオマケしておいたよ」
長蛇の列と黒山の人集りの中、魔女の釜のような豚汁大鍋を掻き回す麦野沈利と器を持ったインデックス。そして火をくべるのはステイル=マグヌスである。
とある事件で知り合った間柄ではあるが、それは本編とは関係ないまた別の話である。
垣根「はっ、エプロン姿で吠えても迫力ねえぜ第四位。飾利、お前はああなるなよ」
初春「かっ、垣根さん聞こえちゃいますって…ああ!」
麦野「ブ・チ・コ・ロ・シ・か・く・て・い・ね」ギラッ
垣根「おい止めろ!飾利に当たるだろうが!」
フレンダ「結局、旦那が帰ってこないのがイライラの元って訳よ…あら?」
雲川「ねえ、さっきからずっと待ってるんだけど?おあずけは好きじゃないんだけど」
フレンダ「てへっ☆お詫びに鯖入り豚汁にしてあげるって訳よ!」
吹寄「青髪!どこをほっつき歩いていたの!?朝からいないと思えばご飯の時だけ帰ってくるなんて!こら待ちなさい!働かざる者食うべからずよ!」
青髪「(今の今まで第六位の仕事やってましたなんて誰にも言えるわけないのに~!カミやんやないけど不幸や~!)」
18:50分。夕食そのものは18:00からなのだが兎に角人数が多く、配膳から片付けから目が回る忙しさのあまりこの時間まで途切れないでいるのだ。
婚后「湾内さん!やっておしまいなさい!」
湾内「ズ ギュルギュル しゅごー」
皿洗いにその真価を発揮する者もいれば
芳川「まだ味つけが甘いわ…私は自分に甘いけど」
仕込みに従事する者もいる。
小萌「あっ、そこの金髪さーん!神父さーん!姫神ちゃんと結標ちゃんの分もお願いするのですよー!疲れて寝ちゃってるのですー」
取り分ける事に勤しむ者もいれば
寮監「(今日も無事に、誰一人大怪我をせずに良かった…それだけが救いだ…どうか明日も…皆無事であって欲しい)」
夕食の折、手を合わせる際見えぬ先行きを祈る者もいる。
――彼等は、生きているのだ――
~とある高校・体育館兼避難所、屋根~
結標「ちょっと甘くない?この豚汁」
姫神「それは。貴女が飛び回って汗をかいているから。身体が。塩気を求めている。この鯖食べる?」
結標「どうして豚汁に鯖入ってるのよ…うわっ!なんでカレーの味するの!?」
二人は体育館の屋根部分に腰を下ろしながら小萌に取っておいてもらった豚汁を食べていた。
時刻は19:28分。それなりの時間を眠ってしまったらしく、起きた時にはダウンして眠っていた風紀委員の面々がテントに転がっていた。
故に二人は疲れ果てた彼女達を起こさぬようにこんな場所まで座標移動して来たのだ。一眠りした事でかなり回復したようだ。
姫神「遅くなって。疲れてたら。木山先生って人が。車で送ってくれるって小萌先生が」
結標「大丈夫よ。鍛え方が違うわ。後で大丈夫って伝えておく。貴女はどうする?」
姫神「私も。貴女と帰る。体育館に寝る場所はないから。いっぱい」
結標「今日あんなに連れ出したのに…先が遠過ぎて眩暈がするわ」
事実、今日だけで数百人を第八学区まで送り届けて結標はわかった。
未だにあちらこちらで倒壊や崩落の危機は可能性として起こり得るし、昨夜のような能力者狩りの連中がいないとも限らない。
物資の搬入にも結標の座標移動は非常に有効だった。肉体強化の能力者にやっと楽が出来そうだとも言われた。
姫神「うん。でも。少し不謹慎だけれど」
結標「………………」
姫神「誰かの役に立てて。私は嬉しい」
季節は初夏。加えて避難所生活。ほんの些細な傷も雑菌が入れば事だ。
ことさら水回りから衛生面からなにから…姫神の力で応急処置に関してはかなりの腕前である。
こういう状況下では感染症を防ぐためにも応急処置とは決して馬鹿に出来ないのだとカエル顔の医者に言われた。
結標「…貴女が」
姫神「?」
結標「貴女が居てくれたから、私も自分の気持ちに仕切り直しが出来たのよ」
そして同時に…姫神が学校に行かなければ結標も後を追いはしなかった。
それがなければ削板と会う事はなかったし、白井の言葉に後押しされる事ももっと遅かったはずだ。
そして今も…肩を貸して眠らせてくれ、一緒に豚汁を食べてくれている。そんな微々たる触れ合いが、くすぐったかった。
結標「ありがとう。朝のあのサーモントーストサンド、おいしかったわよ」
姫神「………………」
結標「………………あっ」
その時、結標は信じられないものを見た気がした。
姫神「…ありがとう」
結標「(この娘…笑えるんじゃない)」
二人が居る体育館の屋根に降り注ぐ月明かりを背に…今、姫神は確かに笑った。
笑ったのだ。とても柔らかく、優しく、穏やかに。
結標「(うわっ…うわっー…うわー…)」
何故だか顔が赤くなる。それはドキッとするほど綺麗な微笑みだった。
何故だかもう二度と見れないような錯覚を呼び起こさせるような…儚い月のような
姫神「ブイv」
人間とは、こんなに美しく笑えるのかと…そう思わざるを得ない笑顔が、結標の胸に強く焼き付いた。
~とある高校・屋上~
御坂妹『21時10分前です。消灯の用意をお願いします、とミサカはアナウンスを通じて一日の終わりを告げます』
削板「ふんならばぁっ!むおおおぉぉぉ!根性ぉぉぉ!」
雲川「お前、少しは前を隠したらどうなの。丸見えなんだけど」
一方…戦火の後も生々しい校舎の屋上に、削板軍覇と雲川芹亜はいた。
削板は子供用のビニールプールで水浴びをしていたる…手にはレモン石鹸とたわしという出で立ちで、雲川は屋上のフェンスに寄りかかりながら月を見上げていた。
削板「ん!?なんだ!浴びるならもう少し待ってくれ!」
雲川「入るか!私は消灯時間になっても戻って来ないお前の様子見に来ただけなんだけど」
削板軍覇はレモン石鹸の泡でモコモコの顔を雲川に向けたが、雲川自体は全裸の削板を前に平然と腕組みしながら口火を切った。
雲川「今日お前が引き入れたあの“案内人”…レベル4『座標移動』結標淡希は“ツリーダイヤグラム”の残骸を外部に横流ししようとしていた前科があるんだけど?」
削板「それがどうした?」
雲川「何かあったらどうするつもりかを聞いてるんだけど?」
クスクスと試すような笑みを浮かべる雲川がカチューシャでまとめられた髪をいじりながら削板をつついた。
雲川は知っている。結標の傍らにいる姫神が削板と同じ『原石』である事も。
同時に削板も『原石』を巡る一件でオッレルスと拳を交えている。
雲川が指摘する部分はそこなのである。さも愉快そうに。
雲川「能力者狩りや原石狩りが横行しつつある中…あの女が外部組織と結託してまた掻き回さないとも限らないんだけど?そんな前科者を親元まで導く“案内人”のポジションに就かせるだなんて正気の沙汰と思えないんだけど」
削板「羊達を束ねる役目の牧羊犬が、いつ野良犬根性に立ち返るかわからん、そう言いたいのか?」
雲川「お前やっぱり頭悪くないでしょう?」
ザバーッと頭から冷水をかぶり、犬が水気を切るようにブルブルと頭を振る。
ポタポタと落ちる雫がその鍛え抜かれた身体を濡らし…ザッと黒髪をかき上げながら削板は答えた。
削板「お前が見たのは“書庫”のデータだろう?お前が聞いたのは暗部の情報だろう?だがオレは見たぞ!アイツの目を。お前は見たか?アイツの目を?ナマで」
タオルくれ、と手を伸ばした削板に雲川はそれを放り投げた。
ガッシガッシと身体を拭きながら削板はさも当然そうに語って見せる。
削板「アイツには根性がある。負け犬根性の染み付いた自分を変えたいって目をしていた!オレにはそう見えた!だから俺は信じるぞ!暗部とやらで入ったアイツの筋金入りの根性を」
無論、雲川とて本気で結標を危険視している訳ではない。それは信頼ではなく方法論の問題だ。
能力者や原石の横流しをさせないために打っている手はごまんとあるのだ。
先ほどアナウンスをしていた御坂妹…シスターズがここを影から守っているのも一つの防衛装置。
それ以外にも…万に一つでも結標が翻意を抱いて暴挙に出ても、五分とかからず無力化する術がこの少女の頭の中にはあるのだから。
雲川「お前は馬鹿じゃないが利口ではないな。まあ…そんな所が見ていて刺激的で飽きないんだけど」
削板「ん?オレの裸をか!?」
雲川「やっぱりお前は馬鹿だ!!!」
削板「――ありがとうよ、みんなの心配をしてくれて」
雲川「!!…馬鹿なお山の大将が頭を使ってくれないからこっちは知恵熱が出そうなんだけど」
削板「根性でカバーしてくれ!頼りにしているぞ副リーダー!」
今、雲川芹亜は学園都市上層部と削板率いる全学連復興支援委員会とその他の勢力のブレーンも努めている。
力と器の削板、知と策の雲川という最終戦争前には有り得ない取り合わせで。
雲川「頼りにされても困るんだけど?お山の馬鹿大将(リーダー)」
そして三日目が終わる…夜空に座す月だけが、それぞれの営みを照らし出しながら。
明日へと続く、月明かりの道標を描いて。
~とある高校・全学連復興支援委員会詰め所~
服部「今日の割り振りを発表するぞ。結標さん、フレンダさん、十四学区まで頼む。郭は…」
フレンダ「(グループと!?)」
結標「(アイテムと?!)」
四日目…AM8:16分。水先案内人として加わった結標淡希は眠い目をこすりながら姫神秋沙に伴われて詰め所へやって来た。
しかしその眠気すら吹き飛ばすような配車を言い渡されたのだ。それは何と…
フレンダ「(結局、グループは解散した訳よね?4日前の情報だと)」
結標「(やりづらいったらないわね…これなら私一人の方がまだ気が楽だったわ)」
グループの結標、アイテムのフレンダという異色どころか暗部同士という劇薬ものの組み合わせである。
互いに目配せし、気取られぬように嘆息する。何とも言えない気まずさが二人を取り巻いた。
黄泉川「お願いするじゃんよ。人数は五人なんだが何せ距離が距離なんだ。それにそっちは留学生じゃん?土地勘もありそうだから適任かと思ったんだけど…」
フレンダ「(アンチスキルの前でまさか発破の方が得意だなんて言えるはずない訳よ)はーい。よろしくって訳よおさげさん」
結標「…ええ、よろしく…金髪さん」
フレンダは元来『案内人』ではない。そもそも本来復興支援委員会のメンバーですらないのだ。
当然、暗部である事も表向き知られていない。しかし
フレンダ「(結局、リーダー二人とレベル5二人に言われたら断り切れないって訳よ)」
アイテム『元リーダー』にしてレベル5の麦野沈利、『現リーダー』の絹旗最愛、そして『八人目のレベル5』となった滝壺理后からの突き上げを食らったのである。
麦野『フーレンダー…ってな訳で話振られたから今回はアンタが出なさい』
絹旗『私超多忙なんで超お願いします。まだゴタゴタしてるんで』
滝壺『大丈夫。私はそんな土地勘溢れるふれんだを応援している』
フレンダ「(結局、浜面がいないしわ寄せが全部こっちに回ってくる訳よ)」
現在、レベル5として麦野は避難所への資金提供を。絹旗は『窒素装甲』を用いた瓦礫の撤去作業と道路の整備と舗装に。
滝壺はAIM拡散力場の観測と共に学園都市全体の能力者を監視、外部からの『能力者狩り』に目を光らせているからだ。
フレンダ「(帰って来たら覚えてろって訳よ浜面)」
上条当麻、一方通行、そして浜面仕上と『もう一人』の四人は現在行方不明である。
そのため、フレンダはぶしぶ結標と組む事になったのだ。嫌々ながら。
~とある高校・プール兼洗濯場~
姫神「今日は。随分と遠くまで行くのね」
結標「今回は留学生なの…だから一度第十四学区まで送り届けて、本国に帰る算段をつけるんですって。能力者狩りもポツポツあるみたいだし…ほとんど護衛ね」
一方、姫神秋沙は水流操作の能力者達が一つのプールを丸ごと洗濯機のように回している洗濯場を手伝っていた。
何千、下手をすると万という人間の衣類の洗濯など手も水も洗剤も馬鹿にならないのだ。一日中かかっても終わらない。
姫神はシーツを干す作業に従事しながら、傍らでぼやく結標を見つめた。
姫神「警備員も風紀委員も。他の護送でいっぱいいっぱい?」
結標「そう。それは仕方無いんだけど組まされる相手がね…あの第四位の推薦だって言うから嫌な予感はしたんだけど…」
姫神「嫌いなの?苦手な人?」
結標「話した事もないけど、聞いた事はある人。まあ仕事はキッチリやるわよ」
そろそろ結標に割り当てられた学生達がグラウンドに集まっている頃だろうと結標は腰を上げた。
フレンダとは未だ打ち合わせすらしていない。本当はこんな風に愚痴を言っている暇はないのだが…
姫神「お弁当。作ったの持っていって」
結標「ありがとう。いただいて行くわね…ふふっ、何だかお嫁さんもらったみたい」
姫神「そういう貴女は。男っぽいから旦那さん?」
結標「ずーっと男所帯(グループ含め)ばかり居たからね…って私は女よ!なによ、ちょっと料理が出来ないくらいで女扱いもされないの?」
姫神「ちょっとってレベルじゃない。料理音痴までレベル4」
軽く拗ねながらも弁当箱を受け取る結標、そんな結標の頭をポンポン撫でる姫神。
弦を張り詰めさせる前の、緩める相手との僅かな時間ではあるが日常を感じたかったのかも知れないと結標は思った。
姫神「無事に。帰って来て。私のお願いは。それだけ」
結標「勝手に死亡フラグ立てないでよね…はいはいわかってるわよ。心配性の姫神さん」
そうして結標は姫神の肩をポンポン叩いて去って行った。
それをシーツをギュッと抱き締めて見送る姫神を残して。一度も振り返る事なく。
青空に吹く初夏の風が、無数のシーツはためく洗濯場と二人の間を駆けて行った。
~とある高校・校門~
結標「確認だけれど、私が前衛、貴女が後衛で構わない?」
フレンダ「結局、私のやり方の関係上それしかないって訳よ」
結標「(能力を明かしもしないクセに)さっきも言ったけど、人命優先、殺人御法度よ。大丈夫?」
フレンダ「時と場合によって臨機応変…って言う暗部(わたしたち)の流儀って訳にはいかない?」
結標「(私だって出来ればそうしたいわよ)」
二人は校門前で連れ出す留学生達を待ちながら簡単に打ち合わせていた。
しかし結標は不安に、フレンダは不信に凝り固まっていた。
同じ世界の、異なる組織の人間。どちらも相手の言い分に唯々諾々と従う義理など本来はないのだから自然とそうなる。
フレンダ「(結局、同じ穴の狢って訳よ)」
結標「(蛇蝎って言葉通り、同じ毒を持った者同士ね…どっちが蛇でどっちが蠍なんだか)」
足並みを揃えようにも歩み寄りの余地がほとんどないのだ。
その微妙な距離感を間違えれば激突しかねない危うい均衡を湛えた緊張感。
フレンダ「よろしくね、二つ結びさん」
結標「よろしくね、金髪さん」
二人は互いに名乗る事さえしていないのだから。
~第七学区・瓦礫の王国~
留学生A「ガイドさ~んまだつかないんですか~?」
留学生B「うおー暑い…アスファルトがねちょねちょしてらあ」
結標「第八学区までの辛抱よ。男の子なんだから我慢我慢」
留学生C「滑るっ」
留学生D「この街も終わりだなあ本当…国帰れるのかな私達」
留学生E「ねえねえお姉さんはどこの国出身?わたしユーロ」
フレンダ「結局、ボーイスカウトの延長って訳よ」
帰国を控えた留学生5人を引き連れて結標は行き、殿(しんがり)をフレンダが務める。
至る所に半壊したビル群が聳え立ち、まるで渓谷のような地割れまで入っている。火災などはとっくの昔に収まっているが、誰が燃したのか焚き火が放置されている。
留学生A「でもまだ信じられねえよ…なあガイドさん、なんで戦争なんて起きたんだ?自分の国でもこんな経験しねーよ」
結標「廃墟マニアでない限りまず目にする事ないわよね。私もそうだけど」
留学生B「だよな。この国のアニメの世紀末救世主伝か、少年よ神話になれって新世紀な感じだぜー」
フレンダ「(素人の学生五人、女が二人、私が狙うなら今しかないって訳よ)」
結標「(瓦礫の山なんて市街戦なら格好の隠れ蓑よね)」
油断なく辺りを見回す結標、後ろや周囲を振り返りつつ着いてくるフレンダ。
互いに思考は暗部での活動がベースとなっており、そういう意味ではバランスが取れていた。なまじ能力任せのド素人と組まされる方が結果として衝突を招いたかも知れない。
結標「(気温は30度前後…風はほんの僅か。歩く道は見通しが良い。つまり)」
フレンダ「(陽を背負わない方向からなら狙撃し放題って訳よ…結局――)」
ゾワリ…!
結標・フレンダ「「(来るなら今(って訳よ!))」」
留学生CDE「「「?」」」
不意に立ち止まる二人に、留学生達が釣られて足を止めた。
結標「みんな!!」
フレンダ「伏せて!!」
その時、一発の銃声が―――
ズギュウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!
~第七学区・元セブンスミスト屋上~
傭兵A「消えた!?」
傭兵B「なんだ今のは?!」
『能力者狩り』に雇われた傭兵達は打ち捨てられたビルの屋上で瞠目していた。
距離にして600メートル、真っ平らな瓦礫の山を行く五人の学生らしき集団とその前後についていた二人の女が、引き金を引いた瞬間スコープから消えていたのだ。
傭兵A「訳がわからん!おい!もう一度見渡せ!こっちにはいないぞ!」
傭兵は焦っていた。この学園都市において傭兵稼業を営む者で知らない者はいないという狙撃者『砂皿緻密』が倒れたという噂を思い出したから。
傭兵A「右はいないぞ!おい左はどうなんだ!おい!」
二日前、第十八学区のハイウェイで同じく能力者狩りに派遣された先遣隊がタンクローリーの下敷きにされ全滅したという報まで思い出す。
退却すべきか体勢を立て直すべきは傭兵は一瞬逡巡した。
?「残念。貴方のお友達はもう口も利きたくないそうよ?」
傭兵A「!?」
その可愛らしい、まだ幼いと言って良い甘ったるい声音が、耳に届いた時には傭兵は悟ってしまった。
?「結局、ライオンの狩り場(がくえんとし)に首突っ込んで来たハイエナ(しんにゅうしゃ)はこうなる運命って訳よ」
?「あんな馬鹿みたいにデカい音出る銃でしかも外すだなんてたかが知れるわ。ハイエナは強いもの」
振り返れない。覗き込んだスコープの先には誰もいないのに。
振り向けない。自分の背後で何かがグチャリと鉄塊で潰される音…相棒である傭兵Bの首が落ちる音がしたのに。
?「狙撃に使うなら結局、磁力狙撃砲が一番って訳よ!電磁石でスチール製の弾丸を飛ばす学園都市謹製の一品!音も反動もない優れものって訳よ!…でなきゃバレなかったのにね?」
?「距離600メートルの腕前じゃ宝の持ち腐れよ。でもね…私昔から鬼ごっこに混ぜてもらえなかったのよ。この力のせいで…だから少しは楽しめたわ…いっぺん言ってみたかったの」
傭兵A「あ…ああ…あああ」
背後にいる――二匹の『鬼』が見れない。
?「「 鬼 さ ん 捕 ま ー え た 」」
~第七学区・瓦礫の王国~
留学生A「えっ?えっ?」
留学生B「俺達なんでこんな所いんだ?」
留学生C「ガイドさんは?ガイドさんどこ行ったの?」
一方、結標とフレンダに引率されていた留学生達は混乱していた。
いきなり伏せろと言われた瞬間、景色が切り替わり自分達は阿呆のように破壊された噴水広場に居たのだ。
水先案内人と、自分達と同じ異国の血を引く少女の姿を見失ったまま…
ズズ…ズウウウウウゥゥゥゥゥン…
留学生D「あっ、向こうのビル崩れた。あそこセブンスミストあったビルじゃない?」
そして…遠くには崩れ行くビル。今や見慣れてしまった光景と轟音。
しかし…五人は知らない。それが『自壊』ではなく『爆破』による者だと。
結標「やり過ぎよ馬鹿!御法度だって言ったじゃない!」
フレンダ「結局、私もスカッとしたかった訳よ…みんなお待たせー!」
そこへ、気がつけば見失ったはずの二人が戻って来ていた。
まるで、女の子同士でトイレに行った帰りのような気軽さで。
留学生E「どこ行ってたんですかー!困るんですよ本当にもー!」
そして留学生の一人が怒って見せると…フレンダと結標は顔を見合わせ…そして同時に笑った。
互いを嘲り笑うような、欠片の温かみもない冷めた笑顔で。
結標・フレンダ「「お花摘んで来てたの(って訳よ)」」
~第七学区・家庭科調理室~
御坂妹『学園都市ラジオ“レディオノイズ”が13時をお知らせします、とミサカは並ぶ者のいない美声でお送りいたします』
舞夏『そしてラジオの前の大きいお兄ちゃん達にお知らせだぞー!今日の夕食はなんとシ・チ・ュ・ー・なんだぞー!』
御坂妹『第十五学区から新鮮な夏野菜が支援物資として送られてきた事に感謝しましょうと、ミサカは人数が捌ける煮物ばかりの現状にワガママを言ってみせます』
黒妻『食えるだけめっけもんだぜ!さて次は夏のヒットチャートと洒落込むぜ!リクエストはペンネーム…おっ…I LOVE ムサシノ牛乳さんから“No Buts”だ!』
姫神「去年流行った曲。時の流れは速い」
御坂「暑ーい!ごめんなんか飲み物ないー?」
姫神「お疲れ様。サイダーしかないけど。それでも良ければ」
御坂「ありがとう!発電所暑くって熱くってさ…はあ~生き返る~」
一方、姫神秋沙は調理室で校内放送ラジオを聞きつつ昼食の準備に追われていた。
応急処置の技術やら炊事の手際の良さを買われてあちらこちらに呼び声をかけられ、今も火にかけた油を見ている最中である。
そこへやって来たのが第三位『超電磁砲』こと、御坂美琴である。
姫神「風力発電のほとんどが。使えない今。貴女のおかげでみんなが助かってる。ありがとう」
御坂「私の力だけじゃないってば…今は“妹達”にちょっと代わってもらってるの…流石の御坂センセーもちょっとバテる」
食事の時だけしか姿を現す事の出来ない発電所にかかりきりの毎日である。
シスターズのサポートこそあれど、第七学区の電力全てを賄うなどと常識外れにもほどがある功績はレベル5でなくして成し得ない。
御坂「ねえ…アイツは…まだ?」
姫神「まだ。みたい。残りの三人も。詳しい事は。私にもわからない」
御坂「そうなんだ…」
生きている事だけは時折インデックスにかかって来る電話でのみわかり、こちらからはなかなか繋がらないらしい。
御坂は机にグデーっと伸び、ヒンヤリした表面に頬をつけながら物憂げに呟いた。
それが微かに、姫神の胸に針を刺すような痛みを覚えた。
姫神「(諦めの悪い自分が。少し嫌になる。あの人はもう)」
御坂「あっ…そうだ。さっき聞いたんだけど…姫神さーん?」
姫神「!」カチッ
そこではたと我に帰る。同時に油にかけた火元を締める。
そんな姫神の様子を怪訝そうに見やる御坂に姫神は向き直る。するとそこで。
御坂「あっ、ごめんなさい…姫神さんの友達…結標さんって言ったっけ…水先案内人になったって本当?」
姫神「うん。今も他の学区に学生を送ってる。でも。どうして?」
御坂「うーん…ちょっと知ってる人だから、少し気になっちゃって…そっか、水先案内人かあ…そうかあ」
姫神「(知っている?でも。友達という感じではなさそう。なに)」
姫神は知らない。かつて結標と御坂が残骸(レムナント)を巡って交戦した事を。
だが姫神にはそれが上条当麻を思う時と同じように、御坂の口から出た結標淡希の名を想うと…
姫神「(この気持ちは。なに?)」
何故か、針で刺したような痛みが胸を震わせた。
出会ってからまだたった四日、知らない事の方が知っている事より遥かに多くて当たり前なのに…
姫神「(どうして。こんな気持ちになるの)」
他人の口から語られる、自分の知らない『結標淡希』の過去を匂わされると何故こんな気持ちになるのかが、姫神にはわからなかった。
何故時折血の匂いがするのか、学校に行っている様子がないのは何故か?
知りたくても聞けない。聞きたくても話せない。
あの華奢な背中が、どこかで引いた一線が血のように赤く見えるから。
――この感情に、どう名前をつけて良いかわからないから――
~第八学区行き・地下鉄~
フレンダ「え~ファミレス行きたい涼んで行きたい~…結局、ただ働きは性に合わないって訳よ!」
結標「はあ…予定時間ギリギリなのわかってるでしょう?サボってたら貴女を委員会に推薦した第四位からペナルティを受けるんじゃないの?」
フレンダ「麦野は前あんなんじゃなかったのに…結局、全部アイツのせいな訳よ」
13:05分。二人は第十四学区へ留学生達を送り届け、申し送りを済ませた後地下鉄に乗り込み帰路へついていた。
ただしフレンダは帰り道お茶の一杯でもしたかったのかやや拗ねていた。
地下鉄は暗く、乗客はそれなりだった。今第九学区を過ぎた辺りか。
結標「(暗いわね…地下鉄だから当たり前なんだけど)」
時折掠める明かりを見やりながら結標は腕を組んで目を瞑る。すると
フレンダ「ねえ、結局いつからな訳よ?」
結標「…何がよ…」
フレンダ「慈善事業(こんなこと)してるの」
フレンダから話し掛けてくる。結標は目を開けない。
目を開いても閉じても暗闇なら、目を閉じていた方がマシだと思えるから。
フレンダ「…結局、暗部(わたしたち)に免罪符なんて存在しない訳よ」
結標「………………」
フレンダ「こんな事しても、結局私達のしてきた生き方が変わる訳じゃないって訳よ。さっきのでわかってるでしょう?」
結標「…御法度破ったのは貴女でしょ」
フレンダ「貴女が手汚さないからでしょ!!!」
ザワッ…とフレンダの怒鳴り声が響き渡り、乗客達がどよめく。
しかしフレンダの声は止まない。かなりイライラしているだった。
やりたくもない仕事を、無給でやらされてかなり腹を立てているらしかったのはわかっていたが。
フレンダ「お綺麗な生き方に逃げてるだけでしょ!汚れた自分と向き合いたくないから!誰かのためにって言い訳が自分に欲しいだけ!誉められて罪悪感を忘れたいだけ!気持ち良いよね自分の能力(ちから)を大義名分(ボランティア)に使えるのは!」
結標「貴女に私の何がわかるのよ!!!」
それは結標も同じであった。互いに互いの胸倉を掴んでの視殺と舌戦である。
最初からわだかまりがあった。それは引火直前、爆発寸前のガソリンのように危険なそれだった。
フレンダ「わかるわよ!自分だけ可哀想な子にしないで!私だけ悪い子にしないで!結局、同じ――人殺し(あんぶ)のクセに!!」
結標「―――!!!」
フレンダの言う事に何故腹が立つのか、それだけが真実でなくとも、事実の一端であるから。
結標の顔色はフレンダへの怒りと、自分への絶望で真っ青であった。
『第八学区駅ー第八学区駅ーお下りの際にはお足元にご注意下さい――』
無情なアナウンスだけが、虚しく響き渡る。
――この光射さぬ地下鉄が、まるで結標の未来を暗示しているように――
~第七学区・とある高校中庭~
結標「ごめん姫神さん、忙し過ぎてお弁当食べられなかった…ごめん」
姫神「…いい。顔。真っ青」
16:47分。結標淡希はその後一言もフレンダと言葉を交わす事なく高校に戻った。
その後の水先案内人の仕事をこなし終え、姫神も昼からかかった夕食の仕込みを終えて一休みに入っていた。
二人は中庭のベンチで落ち合い、結標は中身の入ったままのお弁当箱を姫神に返していた。
結標「あははは。ちょっと演算し過ぎて疲れちゃったのかもね、赤い髪に青い顔だなんて…変なの――」
姫神「(何かあった。おかしい)」
冗談にキレがない。話し声の抑揚が滅茶苦茶だ。
昼間聞いていたラジオのチューニングがズレた時のような…
ノイズと歪みが内側から結標を狂わせているような
結標「大丈夫よ。このくらいなんともないって、姫神さんは本当に心配性ね――ぐっ…うう」
しかし、それが結標の限界だった。
姫神「…ならどうして。そんな泣きそうな顔で笑うの」
結標「馬鹿ね…馬鹿ねえ…そんなはず…ないじゃ…ウプッ…!ウォゲェ…!」
姫神は見た。口元を押さえ、胸元を掴んで、背を丸めて、真っ青な顔をした結標が限界を迎える瞬間を
姫神「馬鹿」
その瞬間、結標は吐いた。
~中庭・結標淡希~
腹の底からせり上がる感触が喉を焼いて、私は戻した。
結標「オ゛ェッ、ぐっ…がふ…う゛ぐぇえ゛ぇ…」
吐き出した吐瀉物は胃液だけだった。当たり前だ。何も食べられなかったのだから。
胃液しか吐けない辛さは知っている。精神的な重圧が重なると私の食欲は大きく減退するから。
人差し指でも中指でも足りない。拳骨当たりの骨まで突っ込まないと、楽に吐けない。でもそれすら出来ない突発的な嘔吐。
結標「ぐっ…うっ…うっ…ああ…あああ…うああぁぁぁ…」
胸が締め付けられる。目眩が収まらない。嗚咽が、涙が、鼻水が止まらない。
能力者だろうがただの人間だろうが、精神的な負荷がかかり過ぎた時に取るアクションなど大差ないと、もう一人の冷めた自分が見下ろしている。
結標「…見…な…いで…汚い…から」
惨めで、無様で、醜く吐瀉物を吐き散らす自分を…見られたくなかった。
そして何より…吐き出した吐瀉物より汚い…自分を見られたくなかった。
――なのに――
姫神「馬鹿」
~~中庭・姫神秋沙~~
姫神「馬鹿」
私は貴女が何をしている人か知らない。
私は貴女に何があったかを知らない。
私は貴女の過去の一つも知らない。
姫神「貴女は馬鹿。貴女は――汚くなんてない」
それでもわかる。苦しんでいるのが。
それでもわかる。悲しんでいるのが。
それでもわかる。泣いているのが――
結標「見ないで…見ないでよぉ!!」
私は決めた。貴女を見つめると。
私は決めた。貴女を見据えると。
私は決めた。貴女を見離さないと――
結標「わからないわよ…貴女みたいな綺麗な子に…私みたいな汚い人間の――」
姫神「――貴女に私の何がわかるの!!!」
それは奇しくも、フレンダに対し結標が放った言葉。
姫神「自分だけが。汚いだなんて思わないで」
それは奇しくも、結標淡希に対する姫神秋沙が放った最初の怒声。
姫神「――綺麗なだけの。私を見るのは止めて」
手を伸ばすだけじゃ届かない。
抱き締めるだけじゃ掴めない。
証明してみせる。貴女は汚くなんてないと――
姫神「私の目を見て―――淡希」
~中庭・フレンダ~
フレンダ「な…な…結局、なんな訳よ」
フレンダは委員会の詰め所から結標淡希の居場所を聞き出していた。
昼間の一件を一言だけ謝るために。一言だけだ。あんな死にそうな顔を、夜まで引き摺るのはごめんだったから。
フレンダ「きっ、きっ、きっ――」
それがどうだ。探し回ったはずの当の本人は…地面に戻しているではないか。
いや、それどころではない。今自分が見ているのは――
麦野「フレンダ。そこまで」
フレンダ「んにゅっ?麦野――」
麦野「――空気くらい読め。この馬鹿。後でオ・シ・オ・キ・か・く・て・い・ね」
そして私は麦野に目隠しされ、中庭の入口から引きずり出されてしまった。
麦野「――私の時は血の味がしたわね…まっ、これもありでしょ」
その目に焼き付いたもの、それは――
麦野「…いいじゃない。こんな世の中、ゲロの味がするキスが一つくらいあったってさ」
姫神秋沙が、結標淡希の唇を奪った瞬間だった。
~とある高校・全学連復興支援委員会詰め所~
小萌「はい、はい…わかったのですよーゆっくりお休みするのですー!では姫神ちゃん、結標ちゃんをお願いするのですー…あっちょっと待って下さいねー?木山先生ー!すいませーん!ちょっとお願いが…」
ステイル「インデックス…いつまで鍋を舐めているんだい…洗えないじゃないか」
禁書「のこりものにはふくがあるんだよすている!こもえ…あいさ、なんて言ってたの?」
四日目、18:33分。土御門舞夏手製によるシチューを平らげたインデックスの声音がテント内に木霊した。
その問い掛け先には携帯電話での通話終了ボタンを切った月詠小萌の姿があり、同じく残り物をかき集めた大鍋を持って来たステイルもそちらを向いている。
小萌「今日はもう水先案内人にお仕事はないから結標ちゃんを連れて帰る、という事なのです!結標ちゃんもほとんど二日間ぶっ通しで力を使っていたから…」
中庭での一件より…姫神は結標を連れ帰る事にしたのだ。
肉体的な疲労より精神的な磨耗の方が遥かに激しく、とてもではないが…という事である。
ステイル「女性には女性の都合というものもあるだろう…例えそれが能力者であろうとなかろうとと言う事か…ふむ」
雲川「英国紳士だこと。まあ、私には関係ない事なんだけど」
禁書「!」
そこに姿を現すは…カチューシャに髪を束ねた、姫神と同じ制服を纏う女学生…雲川芹亜の姿があった。
手には今注がれて来たのかホカホカと湯気の立ったシチューの皿があり、インデックスもつられるようにそちらを振り返った。
雲川「うん、今日も美味しい…私としてはもう少しお肉が欲しいところなんだけど…まあいいわ。先生に申し送りがあるんだけど」
小萌「なんですかー?」
物欲しそうにするインデックスから隠すようにスプーンを手繰りながら雲川が小萌に呼び掛けた。
ステイルが自分の分のシチューをわけつつそれをどうどうとなだめる。
ある意味、束の間の平和を感じさせるいつも通りの夕べ…かに見えたが。
雲川「数日中に、正式な“水先案内人”がもう一人来れそうなんだけど…良いかしら?元は腕の良い“運び屋”って聞いたんだけど。ああ、スポンサーはついてるから悪しからず」
ステイル「運び屋…?」
何となくステイルはその単語にどうしても嫌な想像をしてしまう。
思い出すのも忌々しい、散々自分達を引っ掻き回してくれた“とある女”の顔がよぎってしまうから。
雲川「そう。どちらかと言えば、そっち(魔術側)の方で名が知られてるんじゃない?私にはわからないけど」
どこまで知り、どこまで知らないフリをしているのかは雲川芹亜を除いて誰も知り得ない。
しかし、ふっと…雲川は思い出す。どこかで聞いたその単語を。
――世界に足りない物なーんだ、と――
~第十八学区・結標&姫神の部屋~
結標「い、いいわよ!一人で食べられるから!」
姫神「ダメ。一人にしたら。また食べないかも知れない」
結標「恥ずかしいの!子供じゃないんだから――」
21:34分。二人は部屋に戻っていた。中庭での一件の後、姫神は結標に肩を貸しながら第七学区を出て家へ連れ帰ろうとしていた。そこへ――
木山『君達が月詠先生が言っていた生徒かな?私は木山春生だ、君達を第八学区まで送ろう』
ランボルギーニ・ガヤルドのガルウイングを開きながら、その教職員とも科学者とも取れる女性は二人を拾い連れ帰った。
そして今二人は…結標はベッドに仰向け寝になり、姫神はその傍らでさくらんぼゼリー片手にスプーンを差し出していた。
しかし結標はそんな子供扱いは嫌だと首を縦に振ろうとはしなかったが――
姫神「何を今更。貴女の恥ずかしい所なんて。もういっぱい見てる」
結標「…ッ…言い方がいやらしいの!」
姫神「早く口を開けないと。次は口移し。私はやると言ったら本当にやる。貴女はもうそれを。身体でわかっているはず」
結標「…ばかっ」
パクッと姫神が差し出したゼリーを口に含む。ゼリーはさくらんぼなのに会話がストロベリーなのはいつもの事である。
しかしいつもと違う点は…結標の顔が風邪でもないのに赤い所である。
結標「(…初めてキスしちゃった…女の子同士なのに…私あんなだったのに)」
姫神「アクエリアス。取って来る。冷たいと内臓に悪いから。ぬるめに」
結標「う、うん…お願い」
思わず自分の唇を指先でなぞる。いつまで経っても姫神の唇の感触が消えない。
キッチンに消えて行く姫神の背中。それはこの四日間一度も変わらない立ち姿。
さっきの出来事などまるで感じさせない佇まいに、結標は戸惑った。
結標「(馬鹿みたい…私一人気にして…)」
元々平坦な表情と抑揚にかける話し方が輪をかけて姫神の本心を窺い知れぬものにしている。
同時に、姫神の言葉が甦る。自分だけを汚いと思わないで、綺麗なだけの私を見ないで、ちゃんと私を見てと言われた事を。
結標「(貴女に…何があったの?)」
あの月すら霞むほどの美しい微笑みを湛えた姫神が抱える闇。
あの夕焼けが褪せるほど激しい怒りを湛えた姫神が秘めた過去とは一体なんなのか、そして何故――
結標「(どうして…私にキスしたの?)」
呼べば振り返って来る距離が、たまらなく遠く感じられた。
~結標、姫神の部屋・キッチン~
姫神「(どうして。私はキスしたのだろう)」
一方、結標に背を向けアクエリアスを電子レンジでぬるく温めていた姫神も顔を僅かに朱に染めていた。
決して姫神とて平静ではなかった。そう装っているだけで内心は結標と大差ない。
姫神「(わからない。ああする以外どうすれば良かったか。どうしよう。嫌われたかも知れない。気まずい)」
手で触れれば傷つけてしまいそうだった。腕で抱き締めれば壊れてしまいそうだった
あの時の結標はまるで、彼女の部屋に飾られた自分の贈ったランプシェードのようで。
それは致命的な罅の入った硝子細工そのものに姫神には見えた。だから。
姫神「(結標さんは。初めてだったのかな。だとすれば。とても悪い事をしてしまった)」
浴びるような血を浴びて来た結標、血も残さず滅ぼして来た姫神。
互いに歩んで来た血の斑道。二人の違いは、自らの意思で選んだか、自らの意志とは関係なく選ばざるを得なかったの違い。
姫神「(初めてが私だったら。ごめんなさい。結標さん)」
クールに見えて気さくで、サバサバしているのに純情で、迷いやすくありながら踏み切る強さを持っていて…
何から何まで自分とは対照的な結標が、こうして自分と近くにいるのはただの成り行きだとわかっているのに。
吹寄らクラスメートとは違った角度と距離で結標に接している自分が…
チンッ!ピロリロピロロ~
姫神「あったまった」
レンジが告げる電子音に、姫神はややもするとネガティブに転げ落ちる思考を打ち切った。
~寝室・結標淡希~
結標「(何してるんだろう…私)」
1:04分。結標淡希は姫神秋沙の寝室に居た。何となく一人で寝つけず、姫神と一緒に寝る事にしたのだ。
一人になって目蓋を閉じると昼間のフレンダの言葉が甦るから。
この4日間、互いに別々の部屋に眠ったのは3日目だけだった。
結標「(私はノーマル…私はノーマル…私はノーマル…)」
今、結標は姫神を胸に抱いている。抱かれるのは自分が弱っている事を認めるようで嫌だった。
ただ姫神に抱かれて床に入るのは、ねじ曲がった負けず嫌いさとひん曲がった気の強さが許しはしなかった。
穏やかな姫神の寝息と、早鐘を打つ結標の鼓動が重なる。
結標「(でも…この子は私のなんなんだろう…後輩?友達?ルームメイト?)」
そのいずれにもこんな事をするのはおかしい事くらいわかっている。
それでも結標はあやふやな関係性に、曖昧な大義名分が欲しかった。
拒んで欲しかった。気持ち悪いという拒絶が欲しかった。
なのに姫神はイエスもノーも言わずに自分に身を預けた。それが結標は苦しかった。
結標「(なによ…変態みたいじゃないこんなの…跳ねつけて欲しいだなんて)」
艶々した黒髪の感触、真新しい布団に混じって姫神の甘い香りがする。
こんな無防備な姿をいつも晒しているのかと疑いたくなる。
同時にこうも思う。姫神は男を知っているのかと
結標「(何でだろう…ものすごくイライラしてきたわ)」
姫神に彼氏が居ようが居まいが出来ようが出来まいが本来自分の立ち位置からすれば関係ないはずだった。
なのに何故こうもお門違いの苛立ちと見当違いの不快感が募るのか。
結標「(唇まで綺麗…荒れた所もひび割れもない…良いなあ)」
思わず、姫神の唇を人差し指でなぞる。今日自分に触れた、初めての唇。
理解はしている。この距離感はおかしい。こんな事をすべきではないとわかっているのに…
結標「………………」
姫神の寝顔と、瑞々しい唇が結標を狂わせて行く。初日に見たはずの、もう三度以上見たはずの寝姿のはずなのに…
ゾクリ…
結標「(止まれ…止まれ…止まって…!)」
寄せていく唇が止まらない。こんな事をしてはいけない。
姫神は自分に同情してくれただけだ。優しさと呼んでしまう事さえ憚られるそれにつけ込んではならないと…わかっているのに…
ズクッ…
結標「(ダメ…あの夢みたいになっちゃう…)」
下腹部が疼いた。どうしようもなく。始まった訳でもないのに、どうしようもなくドロドロと熱を孕んで溶けて行く痺れに抗えない。
結標「(こんな…こんな…!)」
そして結標は…重なりかけた唇を噛んでそれに耐えた。
唇を重ねてしまったら、もう引き返せない予感が、確信がある。
きっと一線を越えるどころか踏みにじってしまう。姫神を引き裂いてしまう。
結標「最低よ…私」
心が弱っている事をたてに、姫神のぬくもりに逃げ込んでいる自分の浅ましさに。
滲む涙すら今は流す資格なんてない――そう結標は声を殺して泣いた。
~寝室・姫神秋沙~
姫神「(私は。最低)」
声を殺して泣く結標を、寝たふりをしながら姫神は薄目で見ていた。
理解している。結標が姫神に何を迫ろうとしていたのか、その全てを。
姫神「(こんな時すら。何も出来ない私は。ううん。しない私は…最低)」
拒むでもなく、ただ身を任せる事を優しさとは呼ばない。
それは時にどんな言葉や行動より残酷なのだと今知った。
今や姫神は、結標に手を差し伸べる資格すら失ってしまった気がした。
姫神「(もし。迫られたら。私はどうしたのだろう)」
受け入れただろうか、体を開いただろうか。
友情と呼ぶには歪んでいて、愛情と言うには欠落している。
首から下げた十字架の冷たさが、呪われた血の流れる自分の身体の熱さを思い知らせる。
姫神「(私も。女。綺麗なだけじゃいられない)」
何故かよぎる上条当麻の笑顔。目に見えずともわかる結標淡希の泣き顔。
乗せてはならない量りに、二人を乗せてしまう自分の卑しさが恨めしかった。だから
姫神「――――――」
何も言わずに、結標を抱き寄せる。それは優しさではなく、罰欲しさの罪悪感。
ここで姫神が手を出せば、結標は可哀想な“憐れまれるべき被害者”になれるから。
自分は罰せられるべき“唾棄すべき加害者”になれるから。
ロクな恋愛経験すらないのに、こんな駆け引きが頭に浮かぶ自分は確かに『女』なのだと思い知らされる。しかし――
結標「…ごめんなさい…」
結標は結局、最後までそれ以上の事をして来なかった。
それは自制する強さであり、エゴイズムを振りかざせない結標の優しさだった。
姫神「(私達って。救われない)」
もしこの感情に、愛情という名前をつけるなら…愛情とはなんて歪に歪んでいるのだろうと…二人は今度こそ眠りについた。
~第七学区・とある高校避難所前~
生徒A「急げ急げー!昼飯までに終わらせっぞー!」
生徒B「はあっ…はあっ…オレもうダメだ…腹減って力出ねえよ…」
生徒C「サボんなよ!災誤にドヤされんぞ!あーちくしょう腰痛てえ!!」
五日目、10:56分。避難所前は多くの男子学生らが人海戦術で駆り出されていた。
その手にはまるでバナナの投げ売りのように大量の土嚢があった。それもそのはず、今日の天気予報によれば正午より大雨が降るとの事だった。
広大でこそあれ一般的な体育館同様、平屋建てである。
第七学区のアスファルトからコンクリートから何から何まで割れ砕かれたクッキーのように破壊し尽くされ、水捌けは最悪。
故に土嚢を敷き詰め浸水に対象せねば避難所は水浸しになってしまうのだ。しかし…
災誤「気合いィィィィィィ!!!」
削板「根性ォォォォォォ!!!」
絹旗「超ファイト一ァァァァァァ発!!!」
生徒ABC(((化け物かアイツら)))
結標「(…私の座標移動より多く運べるってどうなのよ…)」
落石すら受け止めた伝説を持つ災誤、服を着た歩く非常識こと削板軍覇、乗用車すら軽々と投げ飛ばす絹旗最愛、そしてテレポーターである結標淡希の即席四重奏(インスタント・カルテット)
次々と土嚢のバリケードを築き上げて行くその凄まじさは校舎の入口という入口を塞いで行く。
一学年くらいは手伝いに申し出た学生達の四倍速をたった四人で成し遂げるのだ。
その一角を担う結標もまた何かを振り切るかのように打ち込んで行く。
結標「(…仕事に打ち込んでんだか作業に逃げ込んでんだか…)」
タールを流し込んだかのような曇天を仰ぎ見ながら結標は自嘲する。
精神的な揺れやブレがある時こそ暗部にいた頃のような足運びや、軍用懐中電灯を振るう動作のひとつひとつが平常心を取り戻させて行く。
思考を演算に預け、動作を身体に任せ、感情を抑制する。
プロフェッショナルとはおしなべてそういうものだと理解しているから。しかし
結標「(結局…朝から一度も顔を合わせないわ…何してるんだろう…私達)」
次々と積み上がる土嚢の堤防をテレポートさせる。螻蟻の一穴すら許さない、まさしく水も漏らさぬバリケードが出来上がった。
だが結標の中の千丈の堤は、姫神という蟻穴によって今にも溢れ出してしまいそうだった。
確かに夢の中の姫神の言葉は真実だった。
姫神『――私は。魔法使いだから――』
結標「…お姫様になんてなれない私が、キスで目覚めるだなんてありえないのよ」
姫神のキスから、魔法をかけられてしまったかのように結標は思い煩っていた。
フレンダの言葉に苛まれるよりも、甘い毒リンゴをかじってしまったかのように。
~避難所・体育館屋根裏~
姫神「(結局。朝から一度も口を利いていない。何してるんだろう。私達)」
服部「すまん、その一番デカい釘取ってくれ」
垣根「おらよっ。縦割れしてるとこは未元物質で塞ぐか…つかオッサン釘打ち下手過ぎんだろ」
坂島「いやぁ、ハサミ以外この何年も握ってなくてね。こういう日曜大工みたいなのした事ないんだ実は」
一方、姫神秋沙は破れたカーテンを繕う針仕事、服部半蔵、垣根帝督、坂島道端は穴の空いた天井から雨漏りしないように修繕していた。
かたや女子高生、スキルアウトのリーダー、学園都市第二位、理容師と立場も年齢も異なるのもこの避難所では珍しくもなかった。
姫神「いくつになっても。新しい事は学べるもの」
坂島「これは一本取られたなあ…真面目に覚えて店を立て直せたら金がかからなくていいんだけどなあ」
垣根「嬢ちゃんの言う通りだぜ。この前は飾利の髪切ってくれてありがとよ。ほらあの頭に花飾りつけてる女だよ」
服部「なあ、あの頭の花(ry」
垣根「それは聞いちゃいけねえんだ…」
姫神もまた、結標との一件を忘れようとするように自分に出来る仕事を探し、人の輪の中にいた。
朝起きた時、結標はもういなかった。何度か見かけたが、声はかけられなかった。
身体が近いのに、心が遠いというアンバランスさがひどく答えて。
服部「でも避難所に美容師がいてこんな助かると思わなかったもんな。こういうのも経験して見なきゃわからんもんだ」
坂島「ははは…満足出来る道具がないのはプロとして歯痒いばかりさ」
垣根「冗談じゃねえこんな経験二度としたかねえぜ…嬢ちゃんもそう思うだろ?」
姫神「えっ」
そこではたと我に返る。折り返しにかかっていた手を止めると、そこには熱い目をした顔の服部と、ニヤニヤした垣根と、眼鏡を光らせる坂島が三者三様に姫神を見つめていた。
垣根「なんだなんだ嬢ちゃん?好きな男の事でも考えてたか?残念だがオレってのは無しだ。飾利がキレる」
姫神「違う。そんな人いない(言えない。男じゃなくて女だなんて。これも違う。そう言う好きじゃ)」
服部「ちくしょお…なんで美人はみんなこうなんだ…浜面の野郎もそうだ…」
坂島「よく見れば君は珍しい黒髪ロングだね…久しぶりにやる気になってきた。ぜひカットモデルに」
姫神「ま。待って。一度にしゃべらないで」
聖徳太子状態でいじり倒される姫神。
平時ならば言葉を交わすどころか顔を合わせる事の人間が膝を交えるというのも今までの姫神の世界にはなかったものだ。
それに戸惑いを覚えながら、姫神は一時胸患いを忘れた。そこへ
佐天「皆さーん!そろそろお昼ですよー!あと女の子をイジメちゃいけないんですよー。特に垣根さん。初春に言いつけちゃいますよ?」カンカンカン!
天井桟敷に姿を表すは佐天涙子。鍋の蓋をお玉で銅鑼を鳴らすようにして昼食の時間を告げに来たのだ。
垣根「もうメシの時間かよ?飾利は相変わらず仕事の虫か?」
佐天「パンツめくろうにも机から立ってくれなくて」
服部「くそお…今度は別の女の子かよ…これだからイケメンは」
坂島「君も整えればそれなりになるんじゃないかい?どころで今日のメニューは?」
佐天「今日はビーフカレーですよ!牛肉と豚肉と鶏肉ちゃんぽんですけど」
姫神「そう。じゃあ降りないと。彼女(インデックス)に食べ尽くされる前に」
佐天「急いで下さいね!」
垣根「おい、飯食い終わったら天気次第だがルート開通の続き、行くぞ」
服部「ああ。俺達(スキルアウト)は腕自慢力自慢が揃ってるからな。第六学区も――」
姫神は思う。結標はちゃんと食べているのだろうか。昨日はゼリーしか食べていないはずだ。
今朝だってヨーグルトを開けた形跡すらなかった。
豚肉の脂身が苦手と言っていた彼女が、ビーフカレーのような重いものが果たして食べられるのか。
姫神「(食事は。私の仕事)」
そして姫神秋沙は天井桟敷から降りると…体育館から歩み出して――
――曇天より、雨が降ってきた――
~とある高校・図書室~
結標「昨日は送ってもらってありがとうございます…えっと…木山…先生?」
木山「木山で構わない。君は私の教え子という訳ではないからね。そうかしこまらないでもらえるとこちらもありがたい」
結標淡希は図書室にいた。今日は案内人の仕事がないため、土嚢積みの仕事を終えた後腰を落ちつけるために来たのだ。
そこで昨夜二人を車で途中まで送ってくれた木山春生とばったり出会ったのである。
木山「ふむ、今日はビーフカレーか…一人で食べきれるかわからんな。君もどうだ?」
結標「ごめんなさい、今食べれなくて」
木山「昨日の今日ではそれもそうか…だが何も口に入れないのは無理矢理詰め込むよりも身体に障るよ」
窓を打つ、夏特有の激しい大雨を見やりながら頬杖をつく結標にビーフカレーを勧めるも、結標は首を横に振った。
水分だけはなんとか取れるが、とてもそんな気分にはなれなかったのだ。
木山もそれ以上無理に押し付ける事はしなかったが
木山「…昨夜一緒にいた子は今日は居ないのかい?」
結標「…喧嘩…じゃないですけど…ちょっと色々あって」
ピクッと肩を跳ね上げ、思わず木山を凝視してしまった。
その時改めてマジマジと見つめる。昨日までのフォーマルなスーツ姿と違った白衣である。
結標「木山さんは…お医者さん?」
木山「いや――ただの科学者崩れだ。今は教師とこの避難所でカウンセリングの真似事をさせてもらっている。二足の草鞋という奴だ」
結標「カウンセリング…」
木山「もっとも…名前は忘れたが、常盤台の第五位と、ドレスを着た少女らにそのお株を奪われかけているがね」
不意に、誰かに話してしまいたい衝動に駆られた。
それは木山の人となりを知る訳ではなく、またカウンセラーとして信頼した訳ではない。もっと利己的で…醜く汚い思考法。
結標「………………」
人間は抱えた物の重さや種類によっては、親しい人間が相手になるほど話せなくなる時がある。結標にとっては小萌などだ。
逆に、全く知らない初対面の人間だからこそ――洗いざらい無責任にぶちまける事もあるのだ。
結標「…聞いてもらえないかしら?」
木山「ん?」
結標は理解している。これはただの逃げだ。誰でも良いから吐き出して楽になりたいだけ。
木山が取るリアクションによっては座標移動で逃げてしまえば良い。
そして二度と顔を合わせぬように避けて逃げ続ければ良い。今姫神から逃げ回っているように。
木山「私で良ければ、聞く事は出来るが」
結標「良いんです。聞いてくれるだけで」
名前しか知らない相手だからさらけ出せる。相手に対して自分が失う物がないから。
結標は自嘲した。絶望的なまでに。こういう女特有のねちっこさを嫌悪すらしていたはずなのに。
結標「――私、病気なんです」
なんで嫌な女なんだろうと、結標淡希は結標淡希を嘲笑った。
~とある高校・図書室~
どれほど長い間しゃべっていただろうか。
窓を打つ雨足がゆっくりとなり、所々で雲間から光が射し込む頃に…結標淡希は洗いざらいをぶちまけた。
まるで溜め込んでいた汚辱と、汚濁と、汚泥を吐き出すように。
結標「(…言っちゃった、言ってやったわ…いよいよ救えないわね…私も)」
出会って一週間も経っていない少女の一挙手一投足に心の多くを占められている事。
木山に送ってもらった夜、その少女の優しさにつけ込んで一線を越えかけた事。
どう考えたって病気だ。これが病気でなければ何が正常なのだと。
今の自分の異常性に結標はほとほと呆れ果てていた。疲れ果てていた。
木山「………………」
結標「(引くわよね…私だってこんな話いきなり聞かされたら知り合いだってドン引きだわ)」
どんな言葉が出るか見物だった。
御為ごかしの一般論?
肩透かしの常識論?
見当違いの否定論?
木山「ふむ」
そこで木山は晴れ始めた窓辺を見やりながら、呟くように言った。
木山「―――恋の病だな」
結標「はあっ!?」
結論は、明後日の方向だった。
~とある高校・図書室~
木山「結論から言えばだね、これは私の専門外だ。私の専攻していた大脳生理学でもっともらしく説いた所で、君を納得させるには至らないだろう」
結標「い、医者が患者を前にして匙投げるなんてどうなのよ!?」
木山「私は医者ではない。昔は科学者崩れで今は教師とカウンセリングの真似事をしている、自分の足元も覚束無い二足の草鞋だ。無責任と言われればそれまでだが、君に対して責任を持った言葉で返さなければそれこそ無責任だろう」
結標「(な、なんなのよこの人!?)」
さっきまでとは違った意味で話した事を結標は後悔し始めていた。
何故自分の周りにはかくも変人ばかり集まるのかと問い詰めたくなる。
しかし木山は雨に濡れたガラスが日の光で輝く様子を見つめながら。
木山「私自身そう言った経験がないからわからない。こんな起伏の乏しい身体に劣情を催す男性もいないだろうしな…伝え聞くに恋の病は不治だ。成就するなり失恋するなり冷めるまで解決しない悪性のインフルエンザのようなものだ。人によっては恋愛なんて精神病の一種だとも」
結標「だっ、だって!こんなのおかしいじゃない!気になるのが同じ女の子だなんて!そんなの絶対おかしい!!!」
先ほどまでの寡黙さはどこに行ったのかと聞きたいほど立て板に水を流すように語る木山を遮る。
こうでもしなければ自分も相手も収まりがつかない。しかし木山は
木山「私はさっきも言ったように大脳生理学を専攻していた。一通りの医学書も読みかじって来たつもりだ。だがしかし…君のように、例えそれが同性に惹かれる事であろうと――」
窓の外にて未だ名残を見せる、光に包まれた天気雨から視線を結標へと向き直り…言い切った。
木山「――人を愛する事を“病気”などと、どの医学書にも一行たりとも書かれてなどいないよ――」
結標「―――!!!」
木山「なんだだったら今ここで医学書を漁ってみるかね?お誂え向きにここは図書室だ。医学書の一冊や二冊は…」
結標は衝撃のあまり二の句を継げずにいた。まさしく絶句だった。
科学者としての推論でも、教師としての見解でも、カウンセラーとしての助言ですらない。
掛け値無しの『木山春生』の言葉で、心を殴られたかのように…
結標「…じゃあ…じゃあ…私は…!」
病気ですらないなら、治せないではないか。どこも悪くないのだから。
病気の人間には手術が必要だが、健康な人間が手術を受ける事は出来ないのだから。
つまり結標はなにも変わらない…変わらなくて良いと言われたようなものだ。
木山「――その問いの答えは、君“達”で探したまえ――」
結標「ちょっ、ちょっ――」
そう言うと木山は空になったトレー片手に立ち上がり…図書室の出口へ向かって行った。
木山「――そうだろう?そこの君」
結標「!!?」
そう…木山が向かった出口…そこに立っていたのは…他の誰でもない――
姫神「――うん。ありがとう」
木山「うむ」
去り行く木山春生と入れ違いに姿を現した…姫神秋沙だった。
~とある高校・図書室~
姫神「結標さん。探した」
結標「ひめ…がみ…さん」
窓辺まで下がる結標、出口から歩み寄る姫神。
逃げたいのに、こんな時に限って座標移動の演算が働いてくれない。
姫神「探した。貴女のせいで。私までお昼ご飯を食べ損ねた」
結標「…携帯鳴らせば良かったじゃない…そもそも…なんでわざわざ探しになんて来たのよ」
姫神「どんなに遠回りしても。信じてた。――絶対に貴女を見つけられるって」
結標「ッ!」
姫神の足取りはゆっくりと静かだった。獲物は逃げないと高を括っている猟師のように、結標には見えた。
そうでなくとも、そう受け取ってしまったのだ。
結標「素敵な口説き文句ね?そんな殺し文句で迫られたらどんなの男の子もイチコロだわ」
姫神「貴女は女。性格は男っぽいけど」
結標「――貴女だって女でしょう!!」
思わず軍用懐中電灯を抜き出し、姫神に突きつける。
これ以上近寄るな、これ以上惑わすな、――これ以上期待させるなという、警告。
姫神「そう。私達は女。だから。何?」
結標「――私がどうでも、貴女は違うでしょ!!」
結標だってわかってなどいない。姫神に向ける思いの正体に。だが自分がどうであれ、姫神は違う。
姫神は女の自分を――好きになったりなどしない。するはずがない。それが当たり前だ。
姫神「何を。脅えているの。結標さん」
姫神が歩を進める。彼我の距離はもう5メートルとない。
結標「来ないで!これ以上来たら!本気で――」
姫神「好きにすれば。私も好きにする。本気で」
本の一つでもぶつけてやれば、軍用懐中電灯で一度でも打ち据えてやれば、平手打ちの一回でもお見舞いしてやれば――
結標「――このっ…馬鹿っ!!!」
してやれば――良かったのに
姫神「そう。でも貴女もたいがい。私達って本当に馬鹿。私達って本当に」
軍用懐中電灯を握る手首を捕まえられる。強くも弱くもない、ただ握られているだけ。
結標「はっ、離し――イヤっ」
振り解こうと思えば、いつだって振り解けたはずだったのに
姫神「私達って本当――救われない」
重ねられた唇に、全てを奪われた。
今度こそ、全てを
~とある高校・プール兼洗濯場~
結標「………………」ボケー
麦野「おいおい。あとつかえてんだからどんどん取り込んでくれない?」
15:04分。結標淡希は姫神秋沙と別れた後、案内人の仕事もないので洗濯場となったプールにいた。
先ほどまでの天気雨は嘘のように澄み渡った青空に取って代わり、彼方に虹がかかっている。
爽やかな風が吹く夏の午後、第四位麦野沈利と共に洗濯物に取り込みながら。
麦野「ったく…こっからだと図書室丸見えなんだよ売女」
結標「!?」
その一言にトロンとしていた瞳は光を取り戻し、半開きだった唇を真一文字に結び直す。
しかし対照的に麦野はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながらシーツを取り込んで
麦野「二日続けてこっ恥ずかしいラブシーン見せつけてくれちゃってんじゃないっての。見せびらかすのはその無様なローアングルだけにしてくれない?」
結標「どっ、どっ、どどど!?」
麦野「はぁん?どこからだって?テメエの色ボケしてネジの緩んだ頭がゆらゆら揺れて、髪ほどかれて――その先も言ってほしい?アンタ、そんなナリして言葉責めされたいマゾ子ちゃん?」
麦野の言葉に結標の顔が先ほど結わえ直した赤毛より真っ赤になった。
暗部にその名を轟かせた最恐の第四位、最狂の女王と謳われた原子崩し(メルトダウナー)麦野沈利…
直接言葉を交わすのはこれが初めてだったが、同時に終わりだと思った。
結標「(さっ…最悪だわ…最低よ…)」
その美貌と家柄を台無しにして余りある性格破綻者と人格破綻者ぶりは『アイテム』を引退してからも違った意味で有名である。
そんな女として絶対に敵に回したくない女に…姫神との間に起きた事を見られていたなどと――
麦野「…まっ、どうでもいいし、別に言いふらしたりしないわよ――昨日はウチのフレンダが悪い事したわね」
結標「………………」
麦野「それで、チャラにしてくれない?あの子も、アンタに謝りたかったって気にしてた」
結標「交換条件だなんてどれだけ上から目線で安く足元見てるのよ?…別に良いわ。もういい」
麦野「譲歩よ。馴れ合いは嫌いなの。そっちの端持って」
結標「気が合うわね。私も貴女みたいなタイプ、絶対友達に持ちたくないわ」
一枚の大きなシーツの両端を二人で持ち、左右に揺さぶり、中央で合わせる。
結標から受け取った端を持ち、それを指先で折り返しながらパタパタと畳む。
完全な女王様タイプなのに、手付きが妙に家庭的だ。引退して丸くなったという噂は本当のようだった。
聞けば、他人を使い捨ての道具くらいにしか見ていない利己的かつ自己中心的な性格だと言う前評判だったが…それがどうだ。
どの女のグループにも一人はいる、そんなタイプではないか。
結標「…晴れたわね本当。ただの天気雨ならあんなに土嚢積む事なかったわ」
麦野「この街の天気予報なんて一年近く前から当てに出来ないの知ってるでしょ。おかげで洗濯物がよく乾く」
もう天気予報があてにならないのは『残骸』の件を通して結標もわかっている。
ある意味その中心に立っていたようなものなのだから。
見上げた雨上がりの虹の空は、とても澄んで見えた。一年前の空はどうだったかなどと詮無い考えを呼び起こさせるほどに。
結標「んっ…このカーテンまだ湿ってる。もう少し干しておかなきゃダメね」
麦野「あれー?畳み方私と違わない?あれー?」
結標「私はこっちで慣れてるの。小姑さん」
麦野「オバサン呼ばわりしたらプールに突き落とすぞ…あっ、そうそう思い出した」
お互いの臑を蹴り合うようなやりとりをかわしながら麦野が人差し指を頬に当てた。
麦野「チャラ男(垣根)達がさっき第六学区開通させたって」
結標「良かったじゃない!これでちょっとは楽に――」
麦野「で」
麦野が言うには、水道下水道の整備も第六学区から引き直したそうだ。
避難所では生活用水からトイレから風呂にいたるまで慢性的に不足しがちであり、それを解消出来たのはひとえに垣根帝督の尽力によるものだ。
同時に通行ルートの開拓もやってのけたのだから第二位の持つ豊潤な資金と人脈と実力による。意外に事業に向いているのかも知れない、などと考えていると。
麦野「ガキ共(学生)連れてアルカディア行くわよ。仕事ないなら護衛について」
結標「わかったわ。それだって案内人の仕事だから。でもアルカディアって…入り切るの?」
麦野「学園都市最大なんて看板掲げてんだから大丈夫でしょ。向こうは潤う、私達はあったかいお風呂に入れる。誰も損しない」
アルカディア…第六学区に存在する学園都市最大のスパ&総合アミューズメントである。
避難所暮らしではシャワーや清拭などが当たり前である。
あたたかいお風呂はそこに住まう人間にとって非常に切実な問題なのだ。
その第六学区までのルートが開けた事により、問題の一端は解決されそうだと。
麦野「あと…さっき本部についた…“運び屋”も護衛につくらしいから」
結標「“運び屋”…?」
麦野「…詳しい事情だなんて私は知らないけどね…こんな時に外部からわざわざ金払って呼ぶんだからなんかあるんじゃないの?“裏”が」
結標「…忙しくなりそうね…それで?その運び屋はなんて名前?」
一難去ってまた一難…束の間の安らぎすら矢継ぎ早に舞い込む案件は結標を休ませない。
麦野「えっと…確か――」
~数時間前・学園都市上空~
?『以上が今回の要項ですので。貴女ならば学園都市の土地勘も多少あるでしょうし、表向き水先案内人として務めてもらう事も先方の希望の一つですので』
?「うーん…これって“運び屋”の範疇に入れていいのかしら?お姉さんベッドの上ではどんなプレイも大歓迎だけれど、お仕事は別よ?」
?『卑猥な発言は控えて下さい。これもまた迷える仔羊達を安寧の地へと“運ぶ”、神より下された聖務ですので』
?「耳元で囁かれるとたまらなくなっちゃうのよ。リトヴィアのエッチー」
一人の女が一機の超音速機に乗ってやって来る。豪奢なブロンドを巻き、その抜群のプロポーションを惜しげもなく晒す露出度の高いファッションに身を包んで。
?『…では細かい摺り合わせはわかりしだいまた後ほど…依頼人たる“あの四人”となかなか連絡が密に取れませんので。しかしこれは共通の排除すべき神敵を打つべく敷かれた共同戦線(ごえつどうしゅう)ですので』
?「お仕事はキチンとやり遂げるわ…お姉さんも、“間違った基準点”を歩まされるのは嫌よ?強引なのは嫌いじゃないけど、相手に思いやりのない独り善がりは嫌いだもの」
形良い耳に挟まれた単語帳の1ページのような通信術式で何者かとの会話を交わす。
窓の外は雨雲。これから担う任務の先行きを暗示させるかのような怪しい雲行き。
この通信の向こうにいるであろう修道女ならばその“困難”すら乗り越えるべき障害としてより燃え上がるだろう、そう思いながら
リトヴィア『それでは任務の成功を祈ります。オリアナ=トムソン。貴女の道行きに神の加護が多からん事を願って』
超音速機がその高度を下げ始める。雨雲を切り裂いて…かつて上条当麻、ステイル=マグヌス、土御門元春と鎬を削ったかの地…学園都市第二十三学区へと降り立つために
オリアナ「任せてといて。お姉さんのスゴい所見せてあげる♪」
目指す先は学園都市第七学区。仕事に取り掛かる前に自分の中の優先順位を再確認する。
『告解の火曜』リドヴィア=ロレンツェッティから因果を含めれた3つのワード
『神に忘れられた者達(異端宗派)』
『アウレオルス=イザードの遺産』
『吸血殺し(ディープブラッド)』
機長「間もなく本機は学園都市第二十三学区へと着陸いたします。着陸に際してはシートベルトを――」
そして降り立つは…魔術サイドの人間たる
『追跡封じ(ルートディスターブ)』
『Basis104(礎を担いし者)』
『運び屋』
オリアナ「あはん…ベルトの締め付けきっつーい」
――オリアナ・トムソン…来日――
~第七学区・とある高校応接室~
雲川「ビジネスライクな事ね。予定より二日早いじゃない。まあ別に遅れるより良いんだけど」
オリアナ「これでも遅かったくらいよ。お姉さん焦らすのは好きなんだけど、せっかちなのと人混みに慣れてなくてついね」
小萌「(し、神父さん…!新しい“水先案内人”さんってあの時の恐い顔した女の人なのですかー?)」
ステイル「(どうやらそうらしい…クソッ、あの女狐め…なんて厄ネタを送り込んでくれるんだ!)」
16:06分。オリアナ=トムソンは復興支援委員会の仮本営と化しているとある高校へと到着し、雲川芹亜と面会していた。
テーブルを挟んで右手に雲川、ステイル、小萌。左手にオリアナである。
小萌「(で、でもっ…でもっ…前に、あの女の人に姫神ちゃんが…)」
ステイル「(僕も詳しい事情は何もわからないんだ…大食らい女狐共め、コイツと組めだと?一体何を考えているんだ?)」
おろおろとする小萌の脳裏には、大覇星祭の折に勘違いとは言えオリアナの手によって血に染められた姫神の姿が今も強くよぎる。
しかしそれでも席を立たないのはひとえに教師として教え子達の事を考えてだ。しかしステイルは…
ステイル「(いくら第三次世界大戦と最終戦争で魔術サイドが疲弊したとは言え…ローマ正教とイギリス清教が再び結び付くとはね)」
ステイルが最終戦争後も学園都市に残っている理由は2つある。
一つは今現在行方不明である『上条当麻』に代わってインデックスのパートナー兼ボディーガードを務める事。
もう一つは『最大主教』ローラ・スチュアートからの命…『告解の火曜』リトヴィア=ロレンツェッティから派遣される人材と組めというそれだ。
オリアナ「じゃあ表向きは水先案内人って事でいいのね?代理人のお嬢ちゃん?」
雲川「本来の仕事が来るまでブラブラしててもらってて構わないんだけど、その辺りの裁量はお前達に一任したいんだけど」
子供扱いのオリアナ、上から目線の雲川、キュッと拳を握る教職員代表の小萌、イギリス清教のエージェントたるステイル。
彼等が一同に介している理由…それは共通の事情、利害の一致にある。
雲川「グノーシズム(異端宗派)と、能力者狩りに雇われた連中が結託するだなんていよいよ世も末だと思わなくもないんだけど」
~間奏~
事の始まりは最終戦争後、科学サイドと魔術サイドのほとんど共倒れのような状況につけ込んでの各勢力による暗躍である。
消耗した科学サイドに対しては各国の研究機関がこぞって『能力者』『原石』『最先端技術』を狙うがそれを学園都市に阻まれる。
磨耗した魔術サイドに対しては、ローマ・イギリス・ロシアに属する十字教の中で最初期から存在する異端宗派…かつてローマ正教の『隠秘記録官』の責を担っていたアウレオルス=イザードが属していた『グノーシズム』の台頭がある。
彼等は手を結んだのだ。技術を集める軍隊達と、信仰を求める異端宗派の二つが。
姫神と結標がかつて話題にしたスタンダールの赤(聖職者)と黒(軍人)のように。
それだけならば本来相容れぬ科学と魔術の交差は起こり得なかった。
しかしそれらを結び付けるに足る『ある物』が崩壊した学園都市から発見されたのである。
それはかつて、あまりに悲しい結末を迎えた錬金術師…
姫神秋沙と繋がりのあった、アウレオルス=イザードの残した『負の遺産』である。
それが如何なる意味を持つかは、これからおいおい明かされる次第である。しかし現時点で言えるとするならば…
アウレオルス=イザードが『インデックス』のために使おうとした力を…
ただ貪欲に異端宗派が地位を向上させ十字教三大派閥を駆逐するために用いれば?
ただ強欲に各国が最先端技術を求め他国を引き離すために用いたとすれば?
結果は、火を見るより明らかである。
それを食い止めるために。この四人は膝を交えているのだ。
本来なら肩を並べる事すら厭うであろう四人が。
雲川芹亜は現学園都市上層部より最先端技術の死守を持ちかけられたために。
月詠小萌は魔術の一端に触れ、また学生達を『能力者狩り』から守るために。
ステイル=マグヌス属するイギリス清教はグノーシズム(異端宗派)の台頭と内輪もめを潰すために。
オリアナ=トムソンが雇われたローマ正教はかつて属していた背教者アウレオルス=イザードの尻拭いのために。
そして今この場にいない『上条当麻』『一方通行』『浜面仕上』と残る『もう一人の男』もそれらを回避するために。
かつてたった一人の少女のために人生の全てを懸け『死んだ』殉難者アウレオルス=イザードの意志と意思と遺志が未だ生きているかのように――
~第六学区・アルカディア~
姫神「………………」
結標「(気まずいわね…昼間とはまた違った具合に)」
17:16分。結標淡希は水先案内人として、姫神秋沙は避難所の学生達に混じって学園都市最大のスパリゾート兼総合アミューズメントパーク『アルカディア』に来ていた。
二人は今、ほとんど貸し切りも同然の薔薇の花片が揺蕩うローズバスにて一日の汗を流していた。しかし…
結標「(無理もないわね…あんな事があった後にあんなのに会っちゃ…)」
常日頃に増して姫神が寡黙なのは他でもない…新たな水先案内人として外部より雇い入れられたオリアナ=トムソンの存在に拠る所が大きい。
途中、月詠小萌の取りなしとオリアナ本人からの謝罪があったとは言え…
間違いで標的にされ勘違いで血塗れにされた相手に顔を合わせて平然としている方がおかしいのだから。
結標「(…こんな時まで外さないだなんて…よっぽど大切な物なのかしら)」
初日からチラつく胸元に下げられた十字架…インデックスより譲り受けられた『歩く教会』の一部であるそれが姫神の吸血殺し(ディープブラッド)を抑制するために必要な霊装である事を結標は知らない。
もちろん海原、土御門、そして最終戦争を通して魔術と魔術師の存在はそれなりに理解している。
他ならぬオリアナ自身も魔術師であるとも引き合わされた時に紹介された。しかし
チャプッ…
姫神「………………」
結標「(ひゃっ…くっついてるくっついてる…すっ…すごく…近い)」
湯船の中でポニーテールに結い上げた姫神が結標の鎖骨辺りにそののぼせたようにほんのり赤い美貌を寄り添わせていた。
細い二の腕が、華奢な二の足が、あたたかなお湯と共に結標の身体にぴったり貼りつく。
結標「ど、どうしたの?の、のぼせたのなら上がる?」
姫神「…いい。このままで。いて」
ようやく発した声音は、響く浴場である事を鑑みても硬質で強かった。
まるで“黙って肩を貸せ”と言われたように感じて結標はビクッと身を震わせた。
結標「(なっ、何よ…年下のクセにそんな言い方ないじゃない…心配して損したわ)」
そう内心で思いつつも身体を預けて来る姫神の、ローズバスに濡れ光る肢体をつい見やってしまう。
うっすら汗ばんだ項と、流麗な鎖骨が見て取れた。
腰の細さならば自分の方が勝っていると言う自分があったが、肩のか細さならば姫神の方が小さかった。
結標「(この娘の身体…初日にちょっと見たけど…やっぱり綺麗よね)」
姫神「結標さん。そんなに見られると。落ち着かない」
結標「へっ!?」
そんな結標の視線を不躾なものと受け取ったのか、姫神がやや尖った声音で告げる。
パチャッ…と薔薇の花片の一つをお湯と一緒にすくって、零して。
姫神「私ばかり見られるのは。とても嫌なもの」
結標「ごっ、ごめんなさい…」
姫神が苛々して見えたのはこれが初めてである。
この五日間、そんな素振りはどんなに疲れていても見せなかったのに…それが本来強気で勝ち気な結標の気勢を削いだ。
怒鳴られた事すら結標が自分自身を追い込んでしまったあの中庭の一件以来だった。
結標「(昼間は…あんなに優しくしてくれたのに)」
年下に主導権を握られ振り回されるのは歯痒った。
しかしそれ以上に――結標は姫神に嫌われる事にどこかで怯えている自分を自覚していた。
結標「(なにか…なにか話題…そうだ)」
だからつい、重い空気を振り払おうと、話題を変えようとして口を開いてしまったのだ…姫神の触れざる領域へと
結標「そのクロス(十字架)いつもつけてるわよね…ちょっと貸してもらってもいい?」
~ローズバス・姫神秋沙~
柄でもない情念の熾火を姫神秋沙は自覚していた。
それはオリアナ=トムソンとの邂逅によって蘇る流血の記憶。
それに連鎖して甦る家族を、隣人を、村落を全滅させた自身の身体に流れる忌まわしい血が呪わしいから。
姫神「(このお風呂は。まるで血風呂)」
浴場に揺蕩う薔薇の花片がまるで血のようにすら見える。
しかしそれらを結標に告げるつもりはなかった。
死に絶えたはずの感情が、結標に八つ当たりのように向かっている今は特に。
姫神「(結標さんの身体。少し傷がある。綺麗なのに。可哀想)」
姫神は知らない、白井黒子の鉄矢や自らのコルク抜きが突き刺さった痕。
こうやってマジマジと裸の付き合いをしているといっそうその華奢な肢体が描く曲線を意識せざるを得ない。
昼間、図書室で結標を抱き締めた時腕で感じた細さを目で確認するように。
姫神「(指で押せば。埋まってしまいそう)」
湯気の中にも少し斜めに視線を漂わせる結標の相貌が近く見える。
卵形の自分とは異なる凛々しくシャープな輪郭と、昼間自分が奪った唇が。
そして肌から伝わってくる柔らかくスベスベした感触も。
姫神「(手を伸ばせば。届く距離)」
不意に、結標に触れてみたくなって見た。肩に身体を預けているだけはまるで物足りない。
指先で、手の平で、確かめてみたくなった。
オリアナと再会し蘇る流血の記憶、流血の記憶から連鎖して甦る…脳裏に焼き付いて離れない、あの日の惨劇から目を逸らしたくて…なのに――
結標「そのクロス(十字架)いつもつけてるわよね…ちょっと貸してもらってもいい?」
それは、女同士ならばなんの事はない他愛のないやり取りだったはずだった。
いつもの姫神ならば『大事な物だからダメ』の一言でやり過ごせたハズだった。しかし――
その一言が、揺り戻しかけていた姫神の針を振り切らせた
~ローズバス・結標淡希~
結標「ひ、姫神さん?」
姫神「………………」
結標が十字架の事について言及すると、いつの間にか姫神が自分の方へ向き直っていた。
熱を持たぬ黒曜石の瞳が、どこか底冷えするような暗い光を湛えて。
姫神「どうしたのよ一体!?私、なにか貴女を怒らせるような事した?なら言ってよ!黙ってられたらわからないじゃない!」
結標もまたそんな姫神の態度に苛立ちを覚えていた。そんなに大事な物(クロス)ならば言えば良いではないかと。
表情が読み取りにくい、口数が少ない、何を考えているかわからない。
普段ならば気に止めないそれらの要素すら今は腹立たしく思えて――
姫神「淡希」
結標「…!」
ゾッとするほどひび割れた声音で名前を呼ばれ、結標は蛇に睨まれた蛙のように竦み上がった。苛立ちすら忘れて。
姫神の指先が結標の両頬に這うように添えられる。あたたかいお風呂の中のハズなのに、冷たく感じられる声音。
姫神「舌を出して」
結標「…やめてよ…ここどこだと思ってるのよ…」
姫神「淡希」
結標「やめて…やめてよ姫神さん…誰か入ってきたら…んっ…」
冷たい唇が重なった。初めての時とは違う、さっきの時ともまるで違う冷たいキス。
ヌルリッ…と冷たい唾液と冷たい舌の感触。舌から逃げようとして…噛まれる。
ゆっくりと味わうように、ねっとりと絡めるように。
結標「(やめて…やめてよ…どうしてこんな事するの…)」
添えた指先で上向かされ、艶消しの黒真珠のような視線が見下ろしてくる。
姫神はキスの時目を閉じない。涙を滲ませる結標をいたぶるように。
ネチャッ、ヌチャッと深く冷たいキスが続く。ひとかけらの愛情もひとつまみの温もりも伝えない、巧みな舌使いと残酷な口づけ。
姫神「綺麗…」
ツッ…と輝く架け橋が切れるのを見送る事さえせず、姫神は泣き濡れて潤んだ結標の瞳を見下ろす。
拒もうとする手が震える。逆らえば何をされるかわからない怖さが今の姫神にはあった。
結標「もう…やめてよ…姫神さん…もう…止めてよ!!」
バチャンッ!とお湯を叩いて結標は小さく叫んだ。
その飛沫が姫神の目元まで飛ぶ。しかし姫神は構う事なく。
姫神「――私達。友達でしょう?」
氷水を浴びせるような一言。その一言にもう結標は何も言い返せない。
友達だと言う大義名分を振りかざされては、そうでないと反論すれば認めてしまうような物だ。
今日、木山春生との対話で朧気ながら自覚してしまった感情を。
――結標淡希が、姫神秋沙に対して芽生え始めている思いを――
~ローズバス・姫神秋沙2~
姫神「――私達。友達でしょう?」
姫神秋沙は震えていた。自分は何を言っている?なぜこんなにも結標を苛み、苦しめるとわかっている言葉の刃を突きつけるのか。
自分自身に向かう冷えた怒りが滲み出て、関係ない結標まで矛先を向けて、傷つけて。
姫神「(おかしい。私もおかしい。謝らなきゃ。謝らなくちゃ)」
家に上げてくれた優しい結標、ご飯を美味しいと喜んでくれた結標。
つまらない事で怒る結標。自分自身に悲しんでいた結標。自分の肩で眠っていた結標――
その結標をまるで弱い者いじめをするような暗い喜びに酔うままに虐げた。
姫神「(どうして。どうしてこんな事をしたの。私は)」
謝らなくてはいけない。許してもらえなくてもひっぱたかれても。
家から追い出されても同じことかそれ以上にやり返されても…謝らなくては――
――うん。そうだよね姫神さん…私達、友達だよね――
~ローズバス・結標淡希2~
結標「うん。そうだよね姫神さん…私達、友達だよね」
結標淡希は、泣き顔をこらえて精一杯の笑顔で見下ろしてくる姫神を見上げた。
その様子に、まるで姫神は絶望したように目を見開いて言葉を失っていた。
結標「(わかるわよ…わかってる…貴女、震えてるじゃない)」
結標には今姫神が何を考えているかはわからない。
姫神が過去の惨劇にその神経をささくれ立たせている事も伺い知れない。
それでもわかる。姫神の手が震えている事は。
結標「(そうよね。気持ち悪いわよね。女の子が女の子を好きになったかも知れないなんて気持ち悪いわよね。だからこれは、私に対する罰なんでしょ?)」
姫神の震えを、結標はそう受け取った。当の姫神は、謝る機会を失った瞬間に呆然としている事も知らずに。
結標「(でも、友達ならいいんでしょう?友達でなら側に居させてくれるって、そう言ってくれてるんだよね?姫神さんは優しいものね)」
結標は知らない。今自分が姫神に向けている精一杯明るい笑顔が、瞳が、姫神の暗さを黒く塗り潰すほど冥い事を。
結標「(最初にキスしたのは私に気を使って、二度目にキスしたのは私が泣きそうだったから…今キスしたのは、調子に乗った私への…罰なのよね?)」
~ローズバス・二人~
結標「うん。そうだよね姫神さん…私達、友達だよね」
その一言は姫神の中に渦巻いて黒い炎など容易く飲み込むほど昏い洞穴のような声だった。
友達だから大丈夫、好きと言っていないから安全圏、そんな両者互いに抱えきれない思いが生んだ、最悪の逃げ道――
姫神「…そう」
互いに無自覚の中で、無意識の奧で、互いに惹かれ始めていた事を認められずにいた。
二人にとっての『最善』の道を模索するより、『最悪』から逃げ回る分水嶺を選んでしまった事を姫神は感じとっていた。
姫神「私達は。友達」
結標「そうよねー涎垂らすわ吐いちゃうわ…キスまでしちゃう大親友だもの」
薔薇の花片が貼りつく、互いの身体を抱き締め合いながら…結標淡希は心の中で叫んだ。
ごめんね木山さん。
私、やっぱりダメだったみたい。
ねえ小萌
私、友達出来たのよ。もしかして初めての
それもね、親友。一緒に暮らしてるの。まだ一週間も経ってないんだけど。
野菜炒めも作れない私と違って、料理がスッゴく美味しいの。太っちゃいそう。
ねえ、復興支援が落ち着いたらさ、三人で焼き肉しようね?約束通り!私、奢るよ。
小萌と
私と
姫神さんの
三人で
~第六学区・アルカディア内ゲームセンター~
姫神「まっ。待って結標さん。早っ。くて。ついていけな」
結標「遅い遅いわ!貴女には速さが足りないのよ!ほら私に合わせて!」
御坂「あの二人仲良いわねー」
白井「…見ていられませんの…」
18:09分。結標淡希と姫神秋沙はスパリゾート兼総合アミューズメント施設『アルカディア』内のゲームセンターにいた。
水先案内人としての護衛・護送の仕事は他のボランティアが交代で引き継いでくれたからだ。
御坂「確かにあれはないわねー。なんかもうイチャイチャアツアツ過ぎて見てらんないって言うか(アイツとあんな事してみたかったなー…って何考えてんだろ私)」
白井「(わたくしもお姉様とあんな風に…って違いますの)…そういう事ではありませんの…」
学園都市謹製のダンレボでAvril Lavigneの『Girlfriend』のミュージックに合わせて踊る二人。
手と手と繋ぎ、指と指を絡ませて、身体と身体を合わせて学園都市限定協力プレイに興じる。
正確なステップだがスローな姫神を、大雑把なステップだがスピーディーな結標が補う様は確かに『女友達』同士の息の合ったそれだった。しかし
白井「(わたくしにはわかりますのよ。結標さん)」
一見、ガールフレンド(彼女)同士のように振る舞ってみせても、無理をしているのが白井には見て取れた。
女同士とはそういうものだ。水面下で何があろうと表面上では明るく仲良く振る舞う。
白井とて彼女らと同じ『女』なのだから。しかし
御坂「私達もあの娘(結標)と色々あったけど…人って変わるもんねーホント」
白井「(あの類人猿…ではありませんわ殿方の鈍さがお姉様に移ってますの)」
発電所での仕事を一時シスターズが肩代わりすると言ってくれたので御坂美琴もまた『アルカディア』に気分転換に来たのだ。
しかし白井黒子もまた気付けずにいた。御坂美琴の変化に。
~ゲームセンター・御坂美琴~
御坂「(次はLady GagaのPokerface?馬鹿ね。素直に泣いちゃえばいいのに)」
『残骸』事件以来となる目視での結標淡希の姿に御坂美琴の胸中は複雑であった。
『シスターズ』が肩代わりを申し出てくれるまでに個性や感情に芽生えてくれる事は嬉しくもある。
しかし御坂は未だ行方不明の『一方通行』を許すつもりはないし、その元凶となったツリーダイアグラムの『残骸』を用いようとした結標に対しても胸裡は混迷を極める。しかし
御坂「(選曲でいちいち気持ち伝えるくらいなら、はっきり言っちゃえばいいのよ…私みたくならない内に)」
『一方通行』『浜面仕上』『もう一人の男』と共に未だ行方不明の『上条当麻』への思いを自覚した時、御坂は少し大人の女になれた気がした。
少なくとも顔で笑って心で泣く結標淡希の、笑顔という名のポーカーフェイスが透けて見えるぐらいには。
御坂「…黒子!私達もやるわよ!そこの二人!勝った方がジュースよ!」
黒子「はっ、はいですのお姉様!それはもうお互いを知り尽くしたわたくし達が負けるはずございませんの!」
結標「いいわよ?私達が買ったらジュース?そんな甘い罰ゲームなんてつまらないわ。どうする姫神さん?」
姫神「貴女達が負けたら。吹寄さんオススメの青汁。ゆっくり飲ませる。一口ずつ」
御坂・白井「「一気じゃなくてなぶり殺し!?(ですの!?)」」
少なくとも、何かを忘れたい気持ちは
~アルカディア内・ロビー~
生徒A「(マスクメロン…)」
生徒B「(スイカップ…)」
生徒C「(オレ貧乳スキーなんだよな…)」
オリアナ「ああん♪サウナより熱い視線にお姉さん汗以外のが出ちゃいそう」
ステイル「そんなに熱いのが好きなら手を貸すが?」
一方、オリアナ=トムソンとステイル=マグヌスは『アルカディア』のロビーにいた。
こちらに熱視線を向けてくる男子学生らを含めた『能力者』達を護送するために。
オリアナ「あら?貴方の恋人みたいに子供っぽいが方がお好み?ならお姉さん出る幕ないわぁ…」
ステイル「どっちの事だ!違う!!何の話だ!!物見遊山に来たならもう一度処刑塔にぶち込まれに帰れ!!」
イライラと煙草のフィルターを噛み潰すステイル。ケラケラと笑うオリアナ。
『刺突杭剣』絡みでの一件が未だにステイルの尾を引いているのか空気は一方的に最悪である。
しかしオリアナは油断なく生徒達を見渡しながら
オリアナ「うふふっ…お姉さんだってプロの端くれだよ…この間のも含めて、もう来るまでに学園都市のほとんどの地理は頭に入れて来たわ」
ステイル「当然さ…追跡封じ(ルートディスターブ)が今更名前負けだなんて笑えない冗談だ」
オリアナの頭の中には地図が役立たなくなった第七学区すらしっかり入っている。
生徒達を逃がす逃走経路、能力者狩りの連中が来るであろう侵入経路、いざとなれば避難所の全員を救う避難経路に至るまでに。
逃走のプロとは言い換えれば『どこをどう行けばどうなるか』を知り尽くしている事に他ならない。
既に絵図に起こされたそれらは『彼等』に手渡されている。そう――
~第七学区・崩落の小径~
フレンダ「麦野ー!結局、なんか聞き出せちゃったりした訳?」
麦野「ああ?ゲロす前にくたばりやがった。手応え無さ過ぎて笑えてくるわ。こんなのしかいないのかっての!プチプチプチプチスライム潰しにわざわざ私が出張ってくるまでもなかったわね」
絹旗「話すも何も、頭と内臓以外残ってないじゃないですか。麦野昔より殺し方超グロくなってませんか?前に浜面と見に行った超C級スプラッターみたいです」
フレンダ「結局、また麦野と一緒に仕事がしたかったって訳よ!ああ良い匂い…麦野香水変わんないね…これフラゴナールのオードゥボヌール?」スリスリ
麦野「きーぬはたぁー。今はアンタがリーダーなんだから敬語止めなよ。あとフレンダ、くっつくな返り血つくよ」
一つは『アイテム』である。オリアナが起こしたハザードマップを元に、その暴虐とも言うべき戦闘力で侵入者を屠ったのは今し方の話である。
もう一つは『スクール』であり、彼等は避難所の防衛に当たっている。
夕闇に乗じて何人少数精鋭のアリ(傭兵や魔術師)を送り込もうが、単独の軍隊相手に渡り合えるゾウ(レベル5)には無駄だと言わんばかりに。
フレンダ「結局、学園都市の防衛機構が復活するまでの勝負な訳よ!あーでももうただ働きは嫌な訳よ…夏の新作バック買えなーい!」
絹旗「超久しぶりで超鈍っちゃいました。って言うか超力加減間違えて超グチャグチャです。アルカディア超行きたかったのにー…麦野とまたサウナ対決超したかったです」
麦野「絹旗、超超テンション高過ぎ。フレンダははしゃぎ過ぎ。変わんないわねーアンタ達…なんだか私だけ老け込んだみたいでちょっと憂鬱ね」
『能力者狩り』も学園都市の防衛機構も戦火の痛手から立ち直れば直に止む。止まざるを得なくなる。
今ですら行方不明だった第六位(ロストナンバー)と『八人目のレベル5』となった滝壺理后が学園都市全域を監視しているのだ。
避難民に紛れてスパイを送り込もうにも『心理掌握』の目を盗む事は出来ないし、今更ハッキングしても御坂美琴の目を欺く事は出来ないのだから。
フレンダ「結局、この死体どうする訳よ?絹旗、刻む?」
絹旗「超埋めます!夏場なんで匂うと嫌ですから。麦野は?」
麦野「焼く。欠片の肉も一滴の血も一掴みの灰も残さずに。さっ、とっととゴミ片付けて帰りましょ…今夜はお昼のビーフカレーの残りにするか」
絹旗「あれだけ超殺しまくっといてよくお肉食べれますね麦野…さすが肉食系女子。フレンダは?」
フレンダ「もちろん!サバカレーな訳よ!」
麦野「滝壺にもなんか食べさせてあげるおやつ探しに行く?他の学区に」
絹旗「麦野、服服。服変えてからいきましょうよ。滝壺さん何超好きでしたっけ?」
フレンダ「麦野麦野!私にもなんか買って欲しい訳よ!」
『殺し』は『アイテム』と『スクール』が担当し、それ以外は各々の領分で戦う。
一方通行を除けど、レベル5全員が集結するこの第七学区は難攻不落の要所となっているのだ。そして麦野も
麦野「(殺し方がグロくなったぁ?引退したからって舐めてかかる肥溜め共をドブさらいするときゃガッツリ殺すわよん)」
暗部としての仕事は一年近いブランクがあったが、殺しそのもののスパンは一週間と空いていない。
引退して腑抜けた訳でも、避難所での嫌いな馴れ合いで日和った訳でもない。
愛した男に腰砕けにされ骨抜きにされた部分は否定し切れないが。
麦野「(だから…早く帰ってきてね)」
狩りはメスライオンの仕事。そう麦野沈利は割り切っている。
そういう意味で結標が麦野に抱いた『丸くなった』という印象は間違いだった。
ただ無駄な贅肉を削ぎ落とした、シンプルな殺し(こうどうようしき)に切り替わっただけ。
この日傭兵が14人、魔術師が8人狩り殺された。
『アイテム』というメスライオンの群れによる爪と牙で。
~第六学区・『アルカディア』ゲームセンター~
結標「ゼー…ゼー…」
姫神「ハー。ハー」
御坂・白井「「 」」
御坂美琴・白井黒子コンビは罰ゲームの青汁でダウン。
勝者たる結標淡希・姫神秋沙チームは協力プレイから対戦プレイへ移行していた。
結標は青息、姫神は吐息、負けず嫌いな二人のダンレボ対決は互いに五勝五敗。
しかしその意地の張り合いも次のゲームで幕を下ろされるだろう。
結標「選曲、Janne Da Arcの“ヴァンパイア”」ポチッ
姫神「選曲。ジャンヌダルクの“mysterious”」カチッ
ローズバスでの出来事から互いに目を逸らす。今はただ体を動かして発散したかった。
互いを傷つけるような愛撫が、心を蝕む痛みを思い出させるから。
友達より近くて恋人より遠く、親友より遠くて他人より近い二人の距離。
結標「(絶対許さない…貴女だけは、貴女だけは)」
拒めなかった自分も悪い。逆らえなかった自分も悪い。抗えなかった自分も悪い。
そう思いながら結標はステップを踏む。
姫神「(良くも。この私を壊してくれたわね)」
傷つけるようなキス、痛めつけるような抱擁、投げつけるような言葉でなぶった自分が悪い。
そう思いながら姫神はタッチを伸ばす。
結標・姫神「「((貴女がいなければ私はまだどうにでもなったのに))」」
相手への罪悪感と自分への内罰感が渦巻き、愛情と友情と憎しみと悲しみが逆巻く。
女同士の恋愛は、時に男女同士の恋愛よりも遥かに凄惨で救いのない物だと二人は知らない。
未だ入口で足踏みする二人ですら、その入口はひどく厚く高い扉に思えた。
結標「姫神さん」
姫神「結標さん」
どちらが悪くどちらが正しいなどと言う二元論はどのような恋愛であれ存在しない。
あるのは1(罪)と0(罰)の二進法が織り成す、共犯者同士の罪罰だけ。
結標・姫神「「――私達友達だよね――」」
それは肉体的な共依存による精神的な共倒れにも似ていた。
美しくなどなく、清くなどなく、正しくなどなく…二人は危うい針の上でダンスを刻む。
道化師(ジェスター)のような泣き笑いを心に秘めた結標淡希。
道化師(クラウン)のような笑い泣きすら出来ない姫神秋沙。
道化師(ピエロ)のような交わらない長針と短針で互いを見つめ合う二人。
二人の日付は、まだ変わらない。
~第十二学区・忘れられた教会~
「四日前、第十八学区でエージェント5人がタンクローリーにより圧死」
「昨日は第七学区で雇い入れた私兵が2人、ビル爆破により圧死」
「数時間前、同じく第七学区で私兵14人、我等が同志が8人消息を断った」
「これは由々しき事態である。未だリストアップされた3人は誰一人たなどころにない」
五日目…20時54分。第十二学区。高崎大学を筆頭として、オカルト的な観点からでなく科学的な観念からアプローチする神学校が集中する学区。
その打ち捨てられた教会内に蠢く人影…夜会のように集うその姿形は漆黒のローブに身を包んだ…まさに『魔術師』そのものであった。
「リストナンバー3、上条当麻は今現在行方不明」
「リストナンバー2、削板軍覇は我々の力では御する事は能わぬ」
「リストナンバー1、姫神秋沙は第七学区と第十八学区を行き来している。現在、女学生1名と共にモノレールにて第八学区より第十学区を移動中」
「Tempestas369(毒杯注ぎし晩餐者)よ、手段は問わぬ。必ずや手中に納めよ」
結標淡希、フレンダ、そしてアイテムに『能力者狩り』を阻まれた首謀者達は苛立ちを隠せない。
万全の囲いを敷いた城から漏れ出した獲物にすらありつけない現状に。
学園都市が防衛機構を復活させ、十字教三大宗派が力を取り戻した暁には自分達が狩られる番だと理解しているから。
魔術師A「身命に代えましても」
その言葉に一人の魔術師が『ソソルの錫杖』を手に立ち上がる。
それは魔術文書『パウロの術』に記載されし風を司る天蝎宮の天使『ソソル』の奇蹟の一端を、人間用魔術に変換し調整された力として奮う魔術師。
魔法名『Tempestas369(毒杯注ぎし晩餐者)』はターゲットの顔写真を頭に入れ直す。
魔術師A「目標、吸血殺し(ディープブラッド)」
それはかつてアウレオルス=イザードが『吸血鬼』の持つ無尽蔵の力をインデックスのために求めたそれとは異なる。
徹底して私利私欲のために『吸血鬼』をおびき寄せ手にするための撒き餌として姫神秋沙を欲しているのだから。
魔術師A「第十学区か」
標的は姫神秋沙のみ。側に女学生が一人居ようがものの数ではない。
標的一人のために多勢を巻き込む事すら厭わない指向性こそが、『嵐』と『暗殺』と言う矛盾した魔法名の由来。
――科学と魔術が交差する時、物語は始まる――
【中編】に続く


