麦野「アンタ、ついてないわね」
最初に見た色は赤。
麦野「あーあ。ついてない。ホッッントついてないわ。アンタも、私も」
空を染める鮮烈の朱。地を染める鮮血の紅。そして佇む影を染める―――赤。
麦野「アンタ、コイツらの仲間?それともただの通りすがり?」
くすんだ路地裏の石畳に、血と肉で描かれた凄惨なキャンパスの中―――二人は出会った。
麦野「ねえ、アンタ星占いって信じる?私さ、占いって良かった結果しか信じないタチなのよ」
薄く淹れた紅茶を溶かし込んだような毛先に飛び散った肉片をうっとおしそうにかきあげながら、その影は問い掛けた。
麦野「まして、天気予報が100%のこの街(学園都市)でそんな占いなんて信じるだけナンセンスだと思わない?違う?」
投げやりな声音、それでいて攻撃性を秘めた切れ長の瞳、虫螻を見下ろすような無関心さと、油断なくこちらの退路を見渡す視線。
麦野「でも残念。今日は厄日みたい。アンタにとっても、私にとっても」
それは―――獰猛な捕食者が獲物に相対した時に見せる、絶対矛盾の微笑。
目撃者の生存を決して許しはしない、返り血に塗れた殺人者の笑顔。
麦野「ブ・チ・コ・ロ・シ・カ・ク・テ・イ・ね」
これが学園都市第四位にして「原子崩し」の名を冠するレベル5・麦野沈利と
上条「不幸だ…」
上条当麻の最初の出会いであった。
元スレ
麦野「ねぇ、そこのおに~さん」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4gep/1273075556/
麦野「ねぇ、そこのおに~さん」2
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1291819165/
時は僅かに遡る―――
上条「特売!特売ぃぃぃ~!!」
もはやカリキュラムに組まれた補習を消化し、上条当麻は夕暮れの街を疾走する。
目指す先は慎ましやかな上条家の家計を支える行き着けのスーパー。
上条「やばい!やばい!あと三分しかない!うおおおぉぉぉー!」
今朝は目覚まし時計が壊れ、アラームを告げる携帯電話は電池が切れていた。
起床を促してくれる同居人もいなければ、モーニングコールやモーニングメールを寄越してくれるようなガールフレンドもいない。
あまつさえ、今月頭に仕送りの入った財布を落としほぼ素寒貧。
折り重なる度々の不幸は、上条の星の巡りの悪さを如実に表していた。
それがこうして特売セールにひた走る理由である。
上条「ひーっ、ひーっ、ま、間に合っ…!」
球のような汗を流し、肩で息をつく。スーパーまでおよそ20メートル足らず。紙のように薄かった望みはどうにかつながった。
上条「はあっ、はあっ、なんだ、やれば出来るじゃないか上条さん!―――ん?」
…かに見えた。
スキルアウトA「おいおいどこ見て歩いてんだよお姉ちゃん?目ついてんのか?聞こえてんのか?耳ついてんのかアア!?」
上条「!?」
視線の先―スーパーの出入り口付近で届く怒声に上条の意識は向けられた。
女「………」
上条「あー…」
数人の見るからに粗暴そうな集団。それらに相対する女性と地面にぶちまけられた弁当…中身はシャケ弁だろうか?などとあらぬ方面に向けた意識は再び響き渡る怒号に奪われた。
スキルアウトB「あー弁償だな弁償。これ鹿皮なんだぜ?どうしてくれんだよマジで」
スキルアウトC「まーまー落ち着けって。金なんかよりいいもん持ってるぜこの女」
スキルアウトD「はははっ、ちげえねえや。オイ、この女のガラ攫うぞ。現物支給で弁済してもらおうぜ」
スキルアウトE「学校も行ってねえくせに弁済なんて難しい言葉使ってんじゃねえよ!ひゃっひゃっひゃっ!」
スキルアウトF「まあそういう事だからさ?大人しくついて来てよお姉さん?」
思ったよりも状況は悪そうだ、と上条は感じ取った。
上条「やばいな…あれ」
恐らく肩がぶつかっただの、そのせいでぶちまけられた弁当が相手のジャケットを汚しただの、その程度の因縁でつけられた因縁の末路は容易く予想がついた
上条「うう~特売セール…ああちくしょおー!」
集団が動く。女性を囲みながら。上条は追う。その後を。
上条「(くうっ…!今晩はゆで卵だけか…!)」
目と鼻の先にある今夜の慎ましい食事。しかし、見知らぬ誰かを見捨てて食うメシが美味かろうハズなどない。上条はそう考える。
上条「(不幸だぁー!)」
しかし彼の考えはそう遠くまで及ばなかった。
近くまで迫る、本当の「不幸」にまでは…
上条「(やべえなここ…こんな奥まで…ってか長かったのかよ?)」
スーパーからやや離れた路地裏。上条当麻はその入り組んだ迷路のような都市の死角を足音を立てずに進んでいく。
上条「(一人二人蹴散らしたら逃げよう。そうしよう)」
路地裏へ入っていったスキルアウトの集団の数、連れて行かれた女性、こちらは身体一つに右腕一本。出来る事はそう多くない。
もしこの入り組んだ路地裏がスキルアウトの根城ならば、他にも仲間がいないとは限らない。短期決戦、一撃離脱、電撃作戦である。
上条「(いた…!)」
路地裏の行き止まり、ビルの林の狭間に解体工事を半ばで放り出されたかのようなやや開けた空間に、女性とスキルアウトの集団は居た。
意を決する。たまたま通りがかったにしては奥まった場所で女性の知り合いを装うには不自然過ぎるきらいはあるが、上条は変わらずいつものように―
上条「おお!こんな所にいたのか!悪い悪い待たせちまって―」
出来うる限りフランクに、可能な限りクレバーに―
ビヂャァッ
上条「えっ…?」
聞き覚えのある音がした。
スキルアウトA「ああぁ…!あああああァァァァァァあぁぁあァァー!!?」
それは以前、上条が買い物袋から落としてしまったトマトを誤って力一杯踏み潰してしまった音に似ていた。
スキルアウトB「な、なっ…なんだなんなんだなんな…がああああぁああぁあ!!!!」
嗅いだ覚えのある匂いがした。
スキルアウトC「う、腕、うでが!俺の腕が!わああああアアアアアア!!」
それは以前、上条が家族と囲んだ焼肉で、隅に追いやられたまま焦げ尽くされた肉の匂いに似ていながら、鼻粘膜がそれを拒絶するほど強烈なそれだった。
女「…どーお?緩んだ頭のネジがケツの穴まで締め直されちゃったぁ?」
テレビで見るハンドソープのCMに出るタレントよりも艶めかしくたおやかな手を僅かに上げ、白磁の指先から眩い光の残滓を輝かせながら、その女性は歌うように―吐き捨てた。
スキルアウトの一人の腕が肩口から…いや、鎖骨から真っ二つに両断されて地面に落ちた。同時に、切り開かれた傷口が鮮血が噴き出した。
スキルアウトD「うわあああ!?やべえ!やべえなんだコイツ!なにがどうなって…!わああくるなこっちにくるなぁぁ!」
突如起きた眼前の凶行は、瞬く間にスキルアウトの優位を恐慌へと塗り替える。
いや―塗り潰すのだ。アイスブルーの妖光が。
上条「…なんだよこれ!!」
上条の制止の言葉をかけるより早く、スキルアウト達の生死を分かつ閃光は速く、その空間全てを静止させた。
女「あっはっはっはっはっはっはっ!!クッサいわねえ…ブタだってこんなヒドい匂いしないわよ?やっぱり食用に改良されたブタやウシとは違うのねえ?人の肉って」
瞬き一つする間もない虐殺、息一つつく間もない殺戮、これで生首の一つでも手に携え掲げ持つならばサロメの一幕を演じてのけるだろう。
女「あーあ…くっだらねえ。くっだらないわ。もうコレ着れないわ。最悪。何が鹿皮よ。安物のクセに」
先ほどぶちまけられた弁当の中身がそっくり解体された人体に入れ替わったような惨状を引き起こしながら、女は返り血と血煙に染まった衣服の心配をしているようだった。
上条「(ヤバい…!)」
上条は戦慄を覚える。いくつかの路地裏の喧嘩、常日頃「勝負」という名目にかこつけて追い掛け回してくる中学生とも違う、遊びのない暴力。
女「フレンダー?第七学区のスーパー近くの路地裏まで着替え持って来て。あと下っ端の連中に足と後始末の用意させて。そうそう。お気にのシャケ弁売ってるあのスーパー」
そんな上条の心胆寒かしめた当の張本人は、返り血にまみれた美貌になるべく当たらないよう少し顔から離しながら携帯電話で何処へと連絡を取っている。
女は気づかない。もし上条が欠片でも敵意を、悪意を、殺意を抱いていたならばすぐさま女は察知しただろう。
この猛獣が食い散らかしたような惨状を生み出した殺戮本能で。
が、しかし
カァァァーン…カラン…カラカラ…
女「んっ…?」
女の放った幾つもの光芒による激しい余波の置き土産か、解体途中の工事現場の足場から工具が音を立てて落ちた。
女「あら…?あらあら?あれー?あれー?」
音の出どころを探すべく周囲を見渡した女の視線が…女を救おうとした足を踏み出せず、また女が生み出した惨劇から足を後退る事も出来ずにいた
上条「はっ…ははっ…」
女「…ごめーんフレンダ。また後でかけ直す。うん、すぐだから」
偽善使い(フォックス・ワード)上条当麻の姿を捉え
そして時間は現在にいたる。端役の退場した血塗れた舞台で。
それは明確な殺害予告だった。それは明白な死刑宣告だった。
女「ハッ!」
差し伸べた手に幾つもの光球が宿る。電子は波形と粒子の狭間を揺蕩い、アイスブルーの光芒が牙も爪も持たぬ狩られるばかりの狐(フォックス)へと。
上条「ッ!」
対する上条は見定める。退路を求めて駆け出せばその背を撃たれる。
対する偽善使い(フォックス・ワード)は見極める。光球の角度を、女の息遣いを、凝縮された殺意を、濃縮された集中で―!
轟ッッ!!
放たれるアイスブルーの閃光。突き出される右手。共に仮名遣いの字を持つ
上条「うおおおおぉぉぉぉーっ!!」
原子崩し(メルトダウナー)の光芒を
上条「ハアッ!!!」
パキィィィィィィン!
幻想殺し(イマジンブレイカー)が打ち砕く!
女「!!?」
瞬間、女の整った顔立ちが驚愕に見開かれる。思わずバックステップを踏む。
刹那、上条は食い縛った歯にさらに力を込めて迂回するように回り込み距離を詰める。
女「なんだ…!なんなんだよテメエは!!」
詰められた距離を引き離そうとすべく再び放たれる光芒。しかし間近で撃たれたそれを上条は払いのけるように振った右手が打ち消す。
上条「ただの―――レベル0だよ!!!」
振り払った右手を固く握り締め強く振り下ろす。女性に紳士たらんとする上条にとってさえ、目の前の女は―――
女「ふっ…ざけんなァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
上条「!?」
振り下ろされる右手を、栗色の髪を宙に広げながらかいくぐり、踏み込み、頭から突っ込むようにしてタックルを食らわせる。その辺りのスキルアウト以上の当たりの強さだ。
上条「しまっ―――!」
踏ん張ろうとした矢崎、「不幸」にも先程のスキルアウトの肉塊に後ろ足に取られ仰向けに倒れ込む上条。
女「―――殺すっ!!」
押し倒し、「幸運」にも先程落下してきた解体工事の工具―レンチを手に取り襲いかかる女。
上条「―――るかよっ!!」
打ち下ろされるレンチを顔を背けて避ける。そして女の手を―――右手で掴む!
女「なによけてんだ獲物の豚野郎!狐狩りの最後は―――皮剥がしだ!!!」
演算終了。彼我の距離も、出力の加減も、逃れようのない死を与えるには―――充分に過ぎる!
………………
女「なっ…んで?」
原子崩しが………出ない!?
上条「いっ、イチかバチかだったけど…上条さんはやれば出来る子ですよ?」
女「テメエ…!なにが…レベル…0だ!」
レンチを握った左手は上条の右手に掴まれ、放とうと演算を終えた原子崩しが…発動しないのだ。
まるで力の出掛かりを、見えざる神の手に阻まれているかのように…!
女「この私を…!」
32万人に一人の超能力者、レベル5の第四位…原子崩しの字を冠し、暗部組織アイテムを束ねる自分を…たかがレベル0の無能力者が―――!!!
フレンダ「麦野ーーー!!!」
麦野「!!?」
そこに…女の名前を呼ぶ、金髪碧眼の美少女…フレンダが現れ―――
上条「っおらぁぁぁぁぁ!!!」
麦野「っあ!!」
思わぬ声音に一瞬力の緩んだ麦野のマウントを押し返し、はねのけ、上条は駆け出す。
麦野「逃がすか狐ぇぇぇ!!!」
右手が離れた途端、力が戻る。演算が終わる。背中を向けた上条目掛けて照準を―――合わせ―――
麦野「―――!?」
射線上に駆ける上条と―――立ち尽くすフレンダが重なる!
麦野「―――チッ!」
すぐさま原子崩しを放つのを止める。しかしその僅かな逡巡の先に
―――上条当麻はフレンダの脇をすり抜け、路地裏を駆け抜け、姿を消した。
フレンダ「む、麦野!?これってば結局どういう訳よ?うわ臭い!何人殺ったんですか?ってさっきのアイツはー!?」
麦野「…はあっ、いいわフレンダ。あんたが私の元にいのいちに駆けつけたその心根は誉めてあげるわ」
名も知らぬ闖入者…いや、先程自分の事を「上条さん」と呼んだ少年を追跡し、見失ってから数分後…迎えのワゴンと事後処理の下部組織とフレンダがやってきた。
どうやら下校する生徒達の雑踏の中に紛れこんだらしい。特徴的なツンツン頭も無個性な制服が隠れ蓑となり、フレンダは終ぞ発見する事が出来なかったのだ。
そして二人は今、迎えのワゴンの後部座席に並んで揺られている。
フレンダ「そりゃそうよ!なんせあそこのスーパーはサバ缶の品揃えも特売セールも…って違う違う!結局、麦野がいきなり電話切るから急いで駆けつけたって訳よ!」
ダダ漏れの本音を適当に聞き流しつつ、それでもあのスーパーにフレンダがいた偶然は得難い。運は時としてどんな戦力より強力な味方だ。しかし…
麦野「ふーん?で、まんまとあの狐野郎に煙に巻かれてすごすご帰ってきたと?」
フレンダ「うっ…む、麦野まさか…!」
自分達は「アイテム」。言うなれば道具。先程麦野が得物に使ったレンチと同じ…使えなければ何の価値も生み出さない…消耗品だ。
麦野「オ・シ・オ・キ・カ・ク・テ・イ・ネ」
フレンダ「むっ、麦野っ…いやぁー!!」
後部座席から響き渡る甘やかな悲鳴を、無骨な運転手は黙って聞き流した。
こんな仕事は落ちぶれたスキルアウトにでもやらせればいい、そう胸中で苦虫を噛み潰しながら。
そして一頻りフレンダへの制裁を終えた麦野沈利は乾いた返り血も気にせず頬杖をつきながら、車外に広がる夕闇を見つめていた。
麦野「(今日の損害。お気にのシャケ弁、それと服、あとはあの狐野郎)」
名乗った上条という字、原子崩しを真っ向から無力化したレベル0、見ようによっては見れなくもない顔、歪な情報を整理しながら麦野は思いを巡らせる。
麦野「(アイツ…なんであそこにいたの?あのクズ共の仲間じゃない…?見られた…フレンダの馬鹿が私の名前呼んだ…迂闊…多分顔も覚えられた…殺さなきゃ)」
今回の件は「仕事」ではない。どうとでももみ消せる。「仕事」とは関係ないからフレンダへの制裁もお仕置きの範疇だ。しかし
麦野「(殺す前に…調べなきゃ。そうだ。フレンダにやらせよう。失敗を挽回するチャンスを与えるのもリーダーの役割ってね)」
麦野沈利は完璧主義者である。ノーミスでクリア出来なければエンディングにすら価値を見い出せない。最低でもハイスコアを更新しなければ満足出来ない。そう言うタチなのだ。
麦野「(見つけたら、殺さなくちゃ。そうよ、引き裂いてやる…上下左右バラバラに)」
だからこそあのイレギュラーは看過出来ない。する訳にはいかない。しかし―
麦野「(左手が…熱い。あの狐野郎に掴まれたから―)」
麦野の手首にしっかりと残り、今なお熱を持つ―上条当麻の手形を見やってから…麦野沈利は返り血にまみれたまま、舟を請いで微睡みの中へ落ちていった。
お仕置きされてヒクヒクしているフレンダを踏んづけたまま―
「偽善使い×原子崩し」終わり
770 : 以下、三日目金曜東Rブロック59... - 2010/11/28 13:19:46.01 vAbF8YAO 13/216注意点
・この物語は七月以前の時間軸となっているため上条当麻の記憶は失われていません。
・ただし御坂御琴と上条当麻は既に出会っています。
・アイテムの面々も出て来ますが、時間軸の都合上、浜面仕上は出て来ません。
~とある高校~
土御門「おーいカミやん。その背中どうしたんぜい?またいつもの人助けかにゃー?」
青髪「なんやなんやー?その爪立てられたみたいなやらしー痕は!“昨夜はお楽しみでしたね”って抜け駆けは許さんでカミやん!」
上条「はあ…上条さんにそんな浮いた話は一つもないっつの。へこむような不幸には売るほどあるけどな…」
「偽善使い」上条当麻と「原子崩し」麦野沈利の会敵から一夜明け…四限目の体育に向けて着替える中、デルタフォースの内二人は目敏く上条の身に起きた異変を見抜いたのだ。
麦野のスピアータックルをまともにくらい、砂利だらけの路地裏に倒れ込み痛々しいまでに赤く擦り切れてしまった上条の背中に。
土御門「痛そうだにゃー…こりゃあ染みるなカミやん。ご愁傷様ぜよ」
上条「ったく…でもこんくらいで済んだのは不幸中の幸いだぜマジで。でもシャワー浴びたら痛くってさあ…」
青髪「なんやて!いつもはもっと激しいんか!?」ズイッ
上条「だからないっつの!近い青髪!顔が近い!つーか授業始まる!グラウンド行くぞ!」
背中に刻まれた痛みが否応無しに告げる。あれは幻想(ゆめ)ではなく紛れもない現実だったのだと。どんな言葉より雄弁に。
麦野『ブ・チ・コ・ロ・シ・カ・ク・テ・イ・ネ』
逃げ帰る最中もあの女の言葉が絶えずリピートされ、登校する道中も誰かに尾行されているように感じる。もう一度鉢合わせたら今度は振り切る自信がない。そう考えると上条は吐かざるを得ない。大きな溜め息を。
上条「(不幸だ…)」
青髪「………」
そしてそんな友人の嘆息を、青髪は微苦笑を浮かべながら見つめていた。
~とあるファミレス~
絹旗「麦野、その包帯どうしたんですか?超大丈夫ですか?」
いつものファミレス、いつもの席、いつもの面子で卓を囲う四人の面々の内、最も幼く愛らしい顔立ちをした少女…レベル4「窒素装甲」絹旗最愛が口火を切った。
麦野「大丈夫よ絹旗。少しひねっただけ。で、フレンダ?何かわかった?まさか昨日の今日でまた手ぶらだなんて事はないわよね~?」
それを受けて包帯の巻かれた左手をプラプラと振って返すは学園都市第四位にしてレベル5…「原子崩し」麦野沈利。暗部組織「アイテム」を束ねる最年長者だ。
フレンダ「も、もっちろんよ!結局、あの後下っ端の連中でハッキングが上手いヤツがいて、ちょちょっと書庫(バンク)を漁らせたって訳よ!ほら!」
水を向けられた金髪碧眼の美少女、フレンダが慌てたようにポーチから何枚かの書類を取り出しテーブルに広げる。
そしてそれを無感動な視線で…遠くを見るような寝ぼけているような眼差しで一人の少女が読み上げる。
滝壺「かみじょうとうま…レベル0(無能力者)…○○高校一年七組在籍…住所、第七学区○○高校男子学生寮…うん、大丈夫。覚えたよ」
滝壺理后。レベル4「能力追跡」を持ち、麦野を頂点とする「アイテム」の中にあってその中核を担う少女である。そのどこか浮き世離れした雰囲気とピンク色のジャージ姿とのミスマッチさが、他の三人とはまた違った華を添えている。
麦野「○○高校ね…よくスクールバスが走ってるの見かけた事あるわ…よし、下校時刻になったら行きましょう」
絹旗「えっ!?ちょっ、超待って下さい麦野!」
麦野「なによ絹旗。見たい映画でもあった?」
絹旗「あっ、いや、その…麦野も超行くんですか?たかがレベル0に?」
麦野「そうよ」
怪訝そうに絹旗が上目使いで麦野を見上げる。「仕事」ならいざ知らず、いくら顔を見られたからと言っても今回の件については十分にもみ消せる範疇だ。現に証拠となるスキルアウトの連中の遺体はとうに炉の中である。
加えて現場となった解体工事現場はフレンダがまとめて爆破した。もともと途中で放り出されていたものだ。故に「上条当麻」なる学生がアンチスキルに通報した所で、もはや検証は不可能。そして今のところアンチスキルに動きはない。
そう、言わば「念には念を」入れる程度の後始末だったハズだ。追跡に失敗したフレンダだけでは心許ない、だから自分達を呼び出したのではないかと絹旗最愛は考える。しかし
麦野「…詳しい事は私にもわからない。けれどね絹旗。そのレベル0の狐野郎はね―」
そこで麦野はチラと包帯の巻かれた左手を見つめる。その下にある、絹旗の知らない「上条当麻」が麦野につけた手形を。
麦野「私の原子崩し(メルトダウナー)を破ったのよ。アンタの言う“たかが”レベル0が、ね」
~第七学区・通学路~
青髪「うーわ!仕送り無くすとかとことんついてへんなあカミやんは…どないする?僕の下宿先来る?売れ残りのパンやったら分けたるで~?」
上条「頼む青髪…もう限界だ…昨日から何も食ってない…あ、肉の入ったヤツは勘弁してくれ…」
青髪「なんやダイエット中?あかんで~無理なダイエットは。僕みたいに大きゅうなれへんで!」
下校時刻。上条は中間テストのあまりの悪さから、青髪は担任教師によるつきっきりの補習目当てに、それぞれ居残り勉強を終え二人並んで通学路を歩む。上条の顔色は優れない。
上条「(あんな衝撃映像見てお肉が食べれるほど上条さんの胃袋と神経は太くないの事ですよ)」
麦野が繰り広げた地獄絵図の後、上条はゆで卵を食べる気さえ起きず、昨夜からこの時間まで断食同然であった。
その上今月分の仕送りをまるまる失った上条の事情を知り、見かねて青髪が誘い水をかけたのだ。持つべき者はパン屋住まいの友である。
青髪「なあカミやん?サンドイッチって卑猥な響きがせえへん?」
…前言撤回を心に誓う上条であった。
上条「はあっ…ま、いいか!よーし食いまくるぞ食いまくるぜ食いまくってやるの三段活用!」
上条当麻は知らない。間もなく訪れる夕闇が、古来どのように呼ばれていたかを。
青髪「現金やなあカミやん…ん?なんやああれ?うわ見てみーなカミやん!ものごっつどえらい別嬪さんやで!」
上条「えっ?」
青髪が指差す先。通学路の終わり。
沈み行く夕闇を指して、光源を持たず、己の足元もわからぬ夕闇の中で古来の人々はこう言った
誰(たそ)彼(かれ)は…『彼は誰?』と。
麦野「はあーい?奇遇ねえ?」
上条「…!」
それが現在に連なる黄昏(たそがれ)の語源となる言われの一つ。そして夕陽が沈み夜の帳が降りるその時をこうも言った。
麦野「昔ねえ?星座占いの本に書いてあったのよ。一度会うのは偶然、二度逢えば必然、ってね」
『逢魔が時』…魔と対峙しやすくなる危険な時間帯、だとも。
麦野「こんばんは“上条当麻”クン?“昨日はありがとう”?」
人の形をした魔―――麦野沈利が、そこにいた。
青髪「なんやなんやカミやん!こないな美人なお姉さんの知り合いおるんやったらなんで僕に言うてくれへんねん水臭いわ!」
麦野「あらあら?当麻くんのお友達ですか?はじめまして、麦野沈利と申します」
上条「(………ヤバい、ヤベえぞ!)」
どうやって調べたのか、上条は待ち伏せされていた。よりにもよって関係ない青髪がいるのを狙いすまして。親しげなふりまでして、名乗りまであげて。それはつまり―――
上条「(オレが逃げたら…青髪が殺される!)」
上条がこの場で遁走すれば間違いなく青髪は殺される。この女はやってのける。このような無言の人質宣言をするまでもない。上条は知っている。この女は必ず殺す。二人で逃げ出す算段をつける間に、必ず。
麦野「ねーえ当麻くーん?お姉さん昨日の『お礼』がしたいなあ…これから、どっか食べに行かない?青髪くんも良かったら…」
上条「だ、ダメだ!!!」
青髪「ええっ!?そない殺生な~!」
思わず大きな声が出る。青髪は連れていけない。麦野は今、この通学路だから強引な手段に出ず牽制に留めているだけだと上条は察する。青髪は連れていけない。だから―
上条「ははっ、悪いなあ青髪?このお姉さんとどうしても『二人っきり』になりたくてさ!すまん!今度ジョセフでなんかおごるから!」
青髪「は~カミやんは友情より恋を優先するんやね!あ~もうシドいわシドいわ僕という者がありながら!」
麦野「あら…ごめんなさい青髪くん…当麻くん(の顔)ちょっと借りるわね?」
青髪「たは~かなわんわあ!えーもん!明日はカミジョー裁判やで覚悟しいや!根掘り葉掘り聞いたんで!ほなお邪魔虫は馬に蹴られて死ぬ前に帰るわ!ばいなら~」
即興の道化芝居。麦野と上条にしかわからない符帳を使いながらなんとか青髪を丸め込み、三人は二人と一人に別れて通学路から散った。
~第七学区・スクランブル交差点付近~
麦野「へえ…?ちょっと見直しちゃったわ。通ってる学校のランクほど血の巡りは悪そうじゃないのねえ?」
上条「…何の用でせうか…」
上条当麻は今、右腕を麦野沈利に組まれ、はたから見ればカップルのように信号待ちをしている。
もちろん、内情はそんな甘ったるい話では決してない。単に上条を逃がさないためにそう振る舞っているに過ぎない。
麦野「決まってるじゃない…テメエを殺すためだよ狐野郎。さっきのイカレた青頭にも私の仲間がついてる…下手な動きをしたらすぐさまあの世行きよ」
上条「…!」
この場にフレンダ・絹旗・滝壺がいないのはそういう理由である。思わず上条は息を飲む。
目の当たりにする、自分の住んでいる世界とは違うやり口に。徹底して遊びのない殺し間に相手を追いやる『暗部』の手口に。
上条「…どうにもならないのか?オレが死ななきゃ、青髪は助からないのか?」
信号が変わる。赤から青へ。人混みが動き出す。麦野が上条の腕を取る。歩みを進める。死出への旅路へと。
麦野「そうね。でも光栄に思ってくれていいわ。こーんな綺麗なお姉さんのエスコートつき地獄にいけるんだ・か・ら」
上条「クソッ…!」
ニコッと瞳の笑わない微笑を向ける麦野。もちろん上条を始末した後は青髪も消す。フレンダと絹旗が跡形も残さずやり遂げる。自分達は『アイテム』。暗部組織の一角を統べる存在。今や麦野は首狩りの女王だった。
―――だった。
スキルアウトG「見つけたぞ売女ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
上条・麦野「!!?」
~第七学区・スクランブル交差点路上~
スキルアウトGは復讐に猛り狂っていた。仲間が塒(ねぐら)に帰って来ないのだ。それだけなら気ままな彼等の事だ。或いは喧嘩でもしているのかと。
しかし、彼等の消息を知る者がいた。『第七学区でいい女を拉致った。これから輪姦すから良かったら来いよ混ぜてやるから』という一本の電話だった。
それは麦野の原子崩し(メルトダウナー)によって右腕を切り落とされ、挽き肉にされたスキルアウトCからの最後の通話だった。
スキルアウトGは一晩中彼等が姿を消した第七学区で聞き込みを始めた。時に恫喝で、時に暴力で。そして知る。彼等が消える直前に、栗色の髪の女と一悶着あった事を。
輪姦すはずだった女だけが裏路地から血塗れで現れ、自分達以上に剣呑な空気を纏った男達の並ぶ車に乗り込み去って行った事を…スキルアウトGは血痕を覆い尽くすような瓦礫の山を前に、目撃者からその話を聞いたのだ。
だから…彼は今―――
スキルアウトG「見つけたぞ売女ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
上条・麦野「!!?」
アンチスキルの武装にも対抗し得る、大砲を受けても横転すらしない特注の装甲ハンヴィーでスクランブル交差点に突っ込む。第七学区にスキルアウトならではの人海戦術を駆使した網に掛かった麦野を―――!
~再び第七学区・スクランブル交差点路上~
麦野「湧いてんじゃねぇぞブタ野郎!ブリキのオモチャ引っさげてこの私(ハートの女王)を潰せるつもりかよぉぉぉぉぉ!!!」
麦野は察知する。どの敵対勢力かなど考えない。あれは敵。敵は潰す。敵は殺す。煮えたぎる殺意が心を沸騰させ、冷徹なまで原子崩しを放つ演算を行う―――終了。
麦野「いーち…」
逃げ惑う人々、立ち尽くす麦野。捧げるように差し伸べる左手。
麦野「にー…」
光球が現出する。あんなチープな装甲車など、原子崩しの光芒の前には濡れたウエハースも同然だ。
麦野「さーん…!」
思い知らせてやる。ウェルダンにしてやる。骨の欠片、血の一滴、灰のひとつまみも残さずメルトダウナーで焼き尽くして殺してやる…!
そう、決めていたはずなのに
「――――――避けろ麦野ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――――!!!!!!」
ドンッ、と突き飛ばされた。
麦野「へっ…?」
なんの取り柄もないはずの、なんの力も持たないはずのレベル0(無能力者)
上条「――――――」
ゴガッ、ガッシャァァァァァァァァァァァァァァァァン
―上条当麻が麦野沈利を突き飛ばし、装甲車からの車線上から彼女を追いやり…
麦野「あっ…あああ…」
ひしゃげた信号機、歪む電信柱、飛び散る血潮がアスファルトを染める。
麦野「ああ…ああっ…」
初めて出会った時とは逆に、麦野は返り血を浴びておらず、上条は自分の血の海の中に沈んでいた
上条「…ははっ…今日は…ついてる…誰も怪我…してねえぞ…」
へたり込む麦野、つくばう上条。殺す側であった人間が、殺される側であった人間に救われるという絶対矛盾。
上条「だから…青髪を…青髪だけは…」
血溜まりの中、別れた友達を呼びながら…上条当麻は―――
上条「見逃し―――………」
偽善使い(フォックスワード)上条当麻は、意識を手離した
麦野「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!」
誰に向かって叫んだのか、内なる何が叫ばせたのか、それすらわからない麦野沈利を残して。
~第七学区・とある病院~
ピコーン…ピコーン…ピコーン
麦野「………………」
麦野沈利は病院にいた。
ピコーン…ピコーン…ピコーン
規則的な山なりの形を示す心電図を、光を失った闇色の瞳で。
上条「シュー…シュー…シュー…」
見つめている―――酸素マスクと無数のチューブによって繋ぎ止められている、上条当麻を。
麦野「…とんだザマね、偽善者(ヒーロー)さん?」
麦野が一人言ちる。鼻で笑うような冷笑を湛えて。
麦野「なに?あれ?まさかあれで私を助けたつもり?自分が救おうとする命はみんな正しいモノだとでも思ってるの?」
それは上条に対してか、はたまた自分に対してか―――恐らく、両方。
麦野「あんな事で私が死ぬって?こんな事でアンタの友達が助かるって?はっ…バカは死ななきゃ治らないんだから本当に死んじゃえば?」
しかし、上条当麻はその言葉に対して返す術を持たない。麦野沈利はベッド脇に備えつけられたパイプ椅子から立ち上がり―
麦野「手伝ってあげよっか?このチューブ一本外せばアンタはお陀仏よ?ねえわかる?アンタの命を握ってるのは…私なんだよ!!」
上条の首筋に、擦過傷から痛々しい絆創膏の貼られた穏やかな寝顔に、息巻くように…チューブの一本に手をかける。
麦野「一人助けりゃ良いことか!?救った命は正しいの?答えろよヒーロー(偽善者)!!!テメエのくだらねえオ○ニー(自己満足)で勝手にイって一人で寝てんじゃねえよ!答えろ!!答えろよ狐野郎!!!」
麦野沈利は揺れている。生殺与奪を握っていた相手に身を呈して庇われ、命を救われ、そしてさらに悪い事に
麦野「このまま死んだら…あんた…犬死にだよ?ねえ…なにやってんのよ…あんなクズの命まで背負い込んで死んで満足かよ!ええ!?」
今回の事件で、死傷者はいないのだ。ただの一人も。あの装甲車で襲撃してきたスキルアウトさえもが
~とあるファミレス~
フレンダ「…あの後、アンチスキルが来て事態は収集、あの馬鹿なスキルアウトは装甲車の中で伸びてただけでそのまま連行…結局…世は事もなしって訳よ」
絹旗「…麦野、超見てらんなかったです。あんな取り乱した麦野…見た事ないです。…滝壺さん?」
滝壺「…大丈夫。むぎのはきっと大丈夫。…かみじょうもきっと…大丈夫」
一人欠けた「アイテム」の面々は第七学区のファミリーレストラン「ジョセフ」に集まっていた。
三人は元々麦野からの指示が出れば即、上条当麻と最後に接触を果たした青髪ピアスを抹消する手筈であった。しかし、待ちわびた電話の第一声はこうだった。
麦野『上条当麻が轢かれた。今第七学区の病院にいる。もう持ち場を離れてもいい』…そう言っていた。震える声で。自分が轢かれたように苦しげに。
当のスキルアウトは衝突の瞬間、つきすぎた勢いのまま防弾ガラスを破らん勢いで顔面を強打しそのまま失神。通行人にも怪我は一人もなく、犠牲者は信号機と電柱、そして上条当麻ただ一人であった。
フレンダ「結局、ババ引いたのはあのウニ頭一人って訳よ。…馬鹿じゃないですか。たかがスキルアウト一人に、麦野が遅れを取る訳ないって言うのに」
滝壺「ふれんだ…」
事件のあらましを聞いたフレンダはすぐさま調べ上げ、上条当麻が麦野を庇ってひかれた事を知った。第一はリーダーである麦野の安否。元々殺すはずだった予定の標的も消え、結果としてアイテムに損失はない。が
絹旗「…なんであのツンツン頭は麦野を助けたんでしょうね…なんで麦野はあのツンツン頭の側にいるんでしょうね…超気になります…」
三人「………………」
カラン、絹旗のアイスコーヒーの中の氷が音を立てた。
~再び第七学区・とある病院~
冥土帰し「気分は少し落ち着いたかい?」
麦野「…はい」
冥土帰し「うん。そう落ち込む事はないよ?こういう時、誰しも気が動転するものだし、冷静さを失うのも無理からぬ話だからね?」
麦野沈利はアイスコーヒーを片手に病院内にある自販機にカエル顔の医者と共にいた。
先程病院内で目を覚まさない上条に対し激昂する麦野を見咎めて、患者の様子見に回っていた冥土帰しが連れ出したのだ。
『一息いれよう?これでは君が先に参ってしまうよ?』と
冥土帰し「…君は彼の…ええと恋人かい?」
麦野「違うわ…今日会ったのだって二回目…そういうんじゃない」
冥土帰し「そうかい?」
そのあまりの憔悴ぶりに、冥土帰しは麦野を上条当麻の恋仲かと思ったのだ。しかしまさか麦野も「殺すはずだった目撃者」とは言えない。
冥土帰し「僕は何度かこの病院で彼を目にした事があるよ?もっとも、その時は患者ではなかったがね?」
麦野「…?」
冥土帰しはコーヒーを一口あおるとフッと息を一つ吐いて語る。上条当麻という人間を。
冥土帰し「ある時はスキルアウトから抜けようとしてリンチを受けた少年を連れてきた事も、またある時は怪我をした女の子を連れてきた事もあった。彼自身も少なからず怪我をしていてね?」
麦野「………………」
冥土帰し「みんな、彼に感謝していた」
冥土帰しは語る。上条当麻という人間を。自らを偽善使い(フォックスワード)と嘯く少年を。フレンダに漁らせた書庫(バンク)には載っていない、剥き出しの上条当麻という人間の生き様を。
冥土帰し「きっと彼の腕は長いんだろう。あれもこれも誰も彼も…助けようとする。まるで、両手いっぱいにオモチャを持ちたがる子供のようだ。捨てる事を知らない」
麦野「…それだって、あのワケのわからない腕の力のおかげでしょう?なんでもかんでも消しちゃう、あの能力で」
麦野は俯きながら呟く。自分のメルトダウナーを防ぎ、未だに痣の残る手形を残し、自分を装甲車から救い出した…あの腕で。あの能力で。
冥土帰し「いや?それはあまり関係ないんじゃないかな?」
が、冥土帰しはそれをやんわりと否定した。
麦野「え…?」
冥土帰し「―――前に彼が言っていたよ?この右手は異能の力しか打ち消せない、だからスキルアウト達にナイフなんて出されたらもう逃げ出すしかないとね?」
~第七学区・上条当麻の病室~
麦野「…聞いたわよ。偽善使い(フォックスワード)さん。アンタ、私が思ってたよりずっとずっと…頭、悪いわ」
麦野沈利は横たわる上条当麻の手を握っていた。全ての異能を打ち消すその右手を。されど、己の幸福すら掴めない不運な右手を。
麦野「…本当に馬鹿よアンタ…私、アンタとアンタの友達、殺そうとしたのよ?あんなにたくさんたくさん…人を殺してきたんだよ?アンタが助けて来た人達より…ずっとずっとたくさん」
麦野沈利は祈るように手を握り締める。何故そうしているのかわからない。何故こんな、ロクに言葉も交わしていない男のために、自分にすらしない神頼みの祈りを捧げているのかが。
麦野「ねえ…答えてよ。私は壊す事しか知らない。私はこれ以外の生き方がわからない―――ねえ、私、どうしてこんなのになっちゃったのかな?」
何が偽善使い(フォックスワード)だ。ふざけるな。
身体を張って、心を砕いて、魂を削ってまで、そこまでやってまだ偽善か。だとすれば上条当麻の言う『善人』とは―――
麦野「目を、覚ましなさい…こんな、こんなくっだらねえ女救って、死んで、アンタ満足?違うでしょ?ねえ違うでしょ?」
能力の有る無しなど関係なく誰も彼も救おうとする上条当麻。誰もが羨むレベル5の力を持ちながら暗部に身を落とした麦野。
きっと、能力を交換しあっても上条は麦野のような生き方を選ばない。麦野だって上条のような生き方を選べない。
でも
でも
麦野「私が、アンタが今まで救った来た“何百人の人間の一人”に過ぎなくても」
昼間の、表の世界で生きる上条当麻と
闇夜の、裏の世界で生きる麦野沈利とが
麦野「アンタは、私を救った“たった一人”の人間なんだよ…?」
初めて出会ったのは、そのどちらでもない夕闇の中であった事は、如何なる意味を持つのか
麦野「ねえ―――」
今はまだ、誰も知らない。
~第七学区・とある病院・朝~
上条「ん…おお?」
午前五時過ぎ。見知らぬ天井を見上げながら…上条当麻は目を覚ました。
上条「(…どこだ…ここ…痛っ、イタタ…!?)」
身体が起き上がれない。口元に取り付けられた酸素マスクに違和感を感じる。
どこからだ?どこから記憶が―――そうだ、確かあのスクランブル交差点で―――
上条「(んっ…んおおおおお!!?)」
そこで上条当麻の薄ぼんやりした思考の糸は断ち切られ、一気に覚醒へと促される。それもそのはず―――
麦野「スー…スー…スー…」
上条「(な、な、なんでこのお姉さんがここにいるんでせうか…)」
朝焼けの光の中、上条の手を握り締めながらベッドに上体を預け、微睡む麦野沈利が、そこにいたからだ。
上条「(なにがどうなってこうなってああなったんですかと上条さんは三段活用ですよ!)」
冥土帰しの腕は、致死必至だった上条当麻を容易く現世へと連れ戻した。しかし、その上条当麻を現世へと繋ぎ止めていたのは
麦野「くー…くー…くー…」
血塗られた微笑でも、妖絶な艶笑でもない…疲れきっていながらも穏やかな寝顔を浮かべて眠る、一人の少女だった。
上条「(そっか…)」
少女に傷らしい傷は見当たらない。それだけで上条は『良かった』と思えた。
近い将来出会うであろう修道女がこれを見れば、『とーまは他人の事ばっかりなんだよ!』と憤慨して見せただろう。
すでに知り合った女子中学生がこれを見れば、『アンタ少しは自分の身体の事も考えなさいよこの馬鹿!』と発憤して見せただろう。
なら―――この少女は?
上条「(とりあえず、ナースコール押してもらおうかなー…ちょっとなんか催してきた)」
まだ痺れと微熱の残る右手を、麦野の栗色の髪へと乗せる。そして身体をわずかに起こし病室を見渡すと―――
フレンダ「………………」
絹旗「………………」
滝壺「………………」
上条「(んなっ!?)」
病室のドアの隙間から、こちらを伺う6つの瞳と目が合って思わず声が出そうになるも
フ・絹・滝「(シー!)」
三人の少女達は皆、悪戯っぽく人差し指を唇に当ててそれを制した。
上条「(ああっもう!上条さんはいつまでこの体勢でいればいいんですかー!?)」
麦野沈利は知らない。自分が今、こんなにも無防備を寝顔をこんなにも優しくみんなに見守られている事を。
フレンダは知らない。麦野が一晩中、どんな言葉を上条に語り掛け続けたのかを
絹旗最愛は知らない。自分達が飲んでいたドリンクバーのコーヒーと、麦野が自販機で飲んでいたコーヒーの銘柄が同じだった事を。
滝壺理后は知らない。寝起きの尿意に悩まされるも自分の視殺に上条がナースコールを押せない事を
上条当麻は知らない。この無防備な寝顔を晒す少女に、これから自分が振り回される未来を
上条「ふっ、ふっ、ふっ…」
彼は―――これから思い知らされる。誰もが笑って過ごせる、ハッピーエンドを
上条「不幸だぁぁぁぁぁぁぁー!!!」
とある星座の偽善使い(フォックスワード)第一部、了
シャリ…シャリ…サリ…サリ…
麦野「ふんふふん♪ふんふふん♪ふんふんふーん♪」
初夏の風がカーテンを揺らし、柔らかな陽光が優しく窓辺に降り注ぐ。白を基調とし、清潔を旨とするその部屋は一般に『病室』と呼ばれる場所であった
麦野「んっ…こんなもんかしら?」
病室内に響き渡るはリンゴの皮むきの音…ペティナイフを手慣れた様子で操り、カットしたリンゴの皮を木の葉細工に剥いて行くのを、少年は見つめていた…この上なくげんなりした表情で
上条「も、もう上条さんはお腹いっぱいですよ…ってお姉さんはいつまでリンゴ剥いてるんですかー!?」
麦野「かーみじょう?私が今手に持ってるのが何かわからないほど頭のネジ飛んじゃったー?締め直してあげよっかー?」
ギラリ、と鈍い輝きを放つペティナイフをちらつかせながら麦野沈利はニンマリと笑みを浮かべた。
逆らえばダンボール一杯分になるリンゴと同じくして上条は皮を剥かれる事であろう。それくらいはこの数日間の付き合いでもわかっていた。
上条「結構です!だからこれリンゴ何個分ですか!?こんな食える訳ないっての!」
麦野「上条に足りないのは食物繊維よ。そうカリカリしてたら身体に響くわよ?」
上条「もう間に合ってるっつの!ウサギさん止め!手は膝の上!」
皮剥ぎの刑も嫌だが、すでに片手を越え両手に届く数のリンゴを次々と口に放り込まれ、これ以上食べたら喉元までせり上がって来たリンゴで窒息しそうな予感に襲われ、上条は制止の言葉をかけた。それを受けた当の本人はと言うと
麦野「こーんな綺麗なお姉さんの付きっきりの看病がお気に召さないのかなーかーみじょう?」
腰掛けていたパイプ椅子から立ち上がり、ほとんど体重をかける事無く上条の寝そべるベッドの縁に腰を下ろす。面白い悪戯を思いついた子供のように。
ウサギの形にカットされたリンゴの一つを―――口に咥えて。
麦野「それともぉ…」ズイッ
上条「!!?」
麦野「リンゴより甘いのがいーい?かー・み~じょ・う?」」
置かれていた上条の手に自分の手を重ね、悪戯っぽく細められた眼差しで、手を伸ばせば何かに届いていい加減始まってしまいそうな距離までウサギリンゴを咥えたまま顔を寄せて―――
麦野「ほらほら、ウサギさんは逃げ足が早いよー?どうするー?どうするかーみじょう?」
上条「ぬぐぐっ、ぬぐぐっ…!」
間違いなくからかわれている。間違いなく飛びつけば手痛いしっぺ返しを食らうに決まっている。しかし上条とて男である。一糸報いてやりたい気持ちがない訳ではない。が…
上条「だああああああ!!もうっ!そんなに怪我人の上条さんをいじめて楽しいんですかー!?」バサッ
上条が取った行動は布団をかぶって不貞寝の体勢を決め込んだのである。女性に対して紳士たらんとする、彼なりの意地である。しかし…
フレンダ「結局、据え膳食わぬは男が廃るって訳よ(チッ、殺り損ねた)」
絹旗「上条チキンです超チキンです情けないです(チッ、あとちょっとだったのに)」
滝壺「だいじょうぶ。わたしはそんな意気地無しのかみじょうを応援してる(むぎのかわいい)」
そんな二人のやり取りを相変わらず病室の扉の隙間から覗き込んでいたのはアイテムの三人娘、フレンダ・絹旗・滝壺である。
上条「いつからいたんでせうか!?」
麦野「最初からよー。良かったねーかーみじょう?手出してたら今頃ボッコボコにされてるわよ?入院長引かなくって良かったわねー?」
上条「ひでえ!!」
ナデナデと尖らがった上条の髪を満足げに撫でる麦野。誰が想像出来るだろう?数日前まで一方的とは言え、命を狙う側であった麦野と、命を狙われる側であった上条がこうして同じ部屋でこんな他愛ないやり取りを交わしているなどと。
麦野「はいはい。ちょうど良かったわ。アンタ達もリンゴ食べて行きなさい。まだまだいっぱいあるからねー」
フ・絹・滝「「「はーい」」」
上条「ここは幼稚園かっ!」
おおむね、上条当麻の日常は平穏であった。
~第七学区・とある病院、昼下がり~
麦野「そう言えばさ、上条」
上条「なんでせうか?」
麦野「アンタって彼女とかいる?」
上条「ぶふぉっ!?」
三人娘はリンゴを平らげた後にそれぞれの帰路へ着き、病室には元の通り上条と麦野の二人きりである。
唐突に投げかけられた質問に麦野が淹れてくれた紅茶を噴き出し思わず咳き込む。
マリアージュフレールと言う上条が見た事も聞いた事もない銘柄だが、今やその味もわからない。
麦野「あれ?熱かった?ジッとしてて今拭いてあげるから――」
上条「けっ、結構ですノーサンキューです自分で出来ますの…」
麦野「三段活用出来てないわよ。で?彼女いるの?いないの?」フキフキ
ごく自然に上条の口元を拭いながら麦野は問い掛ける。最初の出会い方はマズかったが、麦野は美人だ。街中を歩けば十人中八人は振り返る。そんな美貌が、目の前にある。
上条「か、上条さんにそんな浮いた話なんてあるわけないじゃないですか…ううっ、自分で言ってて悲しい…」
麦野「へー?看護師さんか聞いたわよ?常盤台の超電磁砲がここに来たって。あとこのリンゴ持ってきた委員長さんみたいな娘とか」
上条「ビリビリと吹寄の事か?アイツらは別にそういうんじゃ…」
麦野「じゃあフレンダ達は?どう思う?あの変な趣味に目を瞑れば結構イイ線行ってると思うけど?」
上条「いやー上条さんじゃ全然釣り合わないっすよ。なんつーかみんな個性的だし」
麦野「―――私は?」
上条「―――えっ?」
麦野「アンタは…私をどう思ってる?」
風が、吹いた。
~第七学区・とある病院~
上条「…どう、って」
麦野「答えて」
初夏の風にたなびくカーテンがそよぎ、傍らの麦野の表情を一瞬隠した。
麦野「――どうして、あの日私を助けたの。こんな大怪我してまで。アンタを消し炭にしようとしていた私を…アンタ死ぬかも知れなかったのに…どうして私を助けたの?」
先程までの冗談めかした雰囲気は既にない。どちらかと言えば…最初に出会った時に近い空気。
上条「どうしたもこうしたも…目の前で誰かが危ない目にあってたら普通、助けるだろ?」
麦野「アンタの“普通”は“普通の人”じゃなかなか出来ないのよ。それに私は“普通”じゃない…アンタも見たでしょう?私は――人殺しだよ」
投げやりな言葉。自嘲めいた笑み。退廃的で攻撃的で―――それでいてどこか寂しげで。
上条「――人殺しだったら助けちゃいけないなんて、誰が決めたんだよ?」
麦野「………………」
上条「麦野さんが人殺しだって…その人殺しの面しかあっちゃいけないのか?他の面の麦野さんまで助けちゃいけないのか?」
麦野「…上条…」
上条「助けるから正しいとか、殺すから間違ってるとか、どうでも良かったんだよ。善人だから助けて、悪人だから助けない、そんな区別のせいで目の前で一人の女の子も助けられない、オレはそっちの方が嫌だ。だったらオレは――偽善者でいい」
麦野「………………」
上条「オレは誰かを助けられる――偽善者でいい」
上条当麻は知らない。麦野沈利がレベル5の四位である事も、暗部組織を率いている事も、それ以前に年齢も所属する学校も知らない。何一つ。しかし
麦野「…ホンット、アンタってお人好しの馬鹿ね」
綺麗な顔をしていながら口が悪く
上条「はい!!?」
落ち着いて見えて人をいじるのが好きで
麦野「病院だし、ついでに頭の中まで検査してもらえばー?」
リンゴの皮むきが上手くて淹れる紅茶が美味くて
上条「な、なんてひどい!」
危うい狂気と冷たい孤独と仄かな母性を時折覗かせる…そんな『麦野沈利』がまた危ない目にあったならば――
麦野「…かーみじょう」
何度だって助ける。何回だって救う。上条当麻はそう言っているのだ。
麦野「私に関わった事、いつか後悔させてやるんだからね」
そして―――麦野沈利は柔らかく微笑んだ
~第七学区・とあるコンビニ、夜~
麦野「あれー?売り切れ?あれー?」
冥土帰しの病院から程近いコンビニにて、麦野沈利は飲料水コーナーの前で小首を傾げていた。
目当てのシャケ弁のお供にと、この間冥土帰しと飲んで以来お気に入りとなったブラックの缶コーヒーを探してみた所…ないのだ。それこそごっそり、根刮ぎ持って行かれているのである。
店員「ありがとうございましたー」
麦野「?」
その店員の声に振り返ると…居た。一角のブラックコーヒーを買い占めて去っていく、いささか前衛的過ぎるデザインで有名なブランド物のシャツを着た、ホワイトヘアーの華奢な後ろ姿が。
麦野「変な服…流行ってんのかしら?あれ」
取り立てて気分を害した訳でもないのでチョイスをブラックコーヒーから日本茶に切り替える。
店内はそれなりに賑わっており、ガラの悪そうなスキルアウト、育ちの良さそうな常盤台中学の学生、巡回中の警備員、白衣のまま病院から買い出しにきた医者と様々である。
「お姉様!また立ち読みですの!?そろそろ戻らないと寮監に絞られますのよ!?」
「まっ、待ってよ黒子!今いい所なんだから!ああ~あと10秒!ううん5秒!」
「浜面!駒場!お前らまたビールなんて買いに来て!没収じゃん!」
「…手加減しろよ、警備員」
「おい!なにちゃっかり自分の買い物袋にビール入れてんだよ!返せっ!」
麦野「…かーえろ」
喧々囂々の店内を尻目に麦野沈利は夜の街へと歩を進める。
ここ最近はコンビニに立ち寄る機会が増えた。ここしばらく電話の女からの指令もないからだ。
以前、「仕事」帰りにコンビニに立ち寄った所、店員にギョッとされたからだ。
人間を焼き滅ぼす原子崩しの副産物、人間焼肉とも言うべき匂いが服に染み付いてしまったのだ。
ものの数時間の間に。以来、返り血を浴びてなくても「仕事」帰りにコンビニに立ち寄るのは控えている。
暗部に近い人間ほど麻痺しがちな嗅覚、感覚の鈍化である。
~第七学区・歩道橋~
麦野沈利は歩く。シャケ弁の入ったコンビニ袋と、あたたかい日本茶を片手に。
今日はこのまま家路に着き、食事を終えた後お気に入りの牛乳風呂に浸かる。
それで一日の終わりを迎えるハズであった。
?「こん・ばん・は~」
――この、麦野の行く手に待ち構えていたような男の存在さえなければ。
麦野「………………」
麦野沈利は一般人以下までに鈍麻した嗅覚の代わりに、一般人以上に危険に対する嗅覚を手にしている。
それは一言で言えば――『きな臭い』男だった。いや、『胡散臭い』男だと言うのが麦野の第一印象であった。
?「おお~怖い顔ぜよ。タイプじゃないけど綺麗な顔が台無しだにゃー」
ベコッ、とスチール缶を握り潰し、立ちふさがる男をねめつけ、睥睨し、牙を剥く。
麦野「…誰だよテメエ。穴に突っ込みたいんだったら余所あたんな。テメエの粗末な×××で満足出来るような頭とケツの軽い女にさあ…!」
臨戦態勢、迎撃体勢。ただのナンパなら軽く鼻であしらう。いつもの事だ。だが違う。歩道橋の中ほどで佇むこの軽薄そうな金髪のアロハシャツ男は違う。
?「噂以上の狂犬ぶりだメルトダウナー。今にも喉笛を咬み切りそうな勢いだ。とんだ嫌われようだな」
視線で心臓を握り潰せるほどの狂気を宿した麦野を前に動じないどころか軽口を叩いて見せる余裕。
自分と同じ深い闇の底で『人を喰って』生きている人種だと断じるに足る匂い。
背を向ければ必ず刺される。そう確信出来る、見えざる刃のような男。
土御門「“上”からのメッセージだ。上条当麻に手を出すな」
天才陰陽師にして風水術の天才、必要悪の教会に属する魔術師にして学園都市暗部に住まう多角スパイ――土御門元春である。
~第七学区・歩道橋2~
麦野「はあ?なんでそこで上条が出て来るのよ?それも“上”?学園都市上層部から?アンタ頭のネジ緩んでんじゃない?」
当初は同じ暗部…『ブロック』『メンバー』『スクール』と言った主だった組織からの接触かと踏んでいた麦野の読みは外された。
学園都市上層部?あの選民主義と特権意識の塊のような連中が何故、たかが一人のレベル0(無能力者)のためにこんな使いを寄越す?
土御門「理解する必要も信用する必要もない。お前はただこの言葉に従っていればいい。用件はそれだけだ」
麦野沈利が思考する僅かな逡巡の合間に、土御門は歩道橋の欄干に腰掛けていて…そして―――背中から、頭から落ちていった。
麦野「!?待てテメエェッ!!」
土御門「じゃ、伝言はそれだけだにゃー。ただし」
―――単なる色恋沙汰だったなら、それはオレの知る所じゃないんだにゃー――
駆け出し、欄干から麦野が身を乗り出して見下ろした時…土御門の姿はもうどこにもなかった。まるで虚空に消えてしまったように
麦野「(割らせてやる。あのニヤケ口。そうだ。首から下を無くしてやる。手足がもげようが知った事か…潰す!!)」
まだ間に合う。追跡し追走し追撃しなければならない。聞き出す。拷問にかけてでも。麦野は逆立てた髪を一撫でし、新たな狩りに赴かんとする。しかし―――
『pipipipi!pipipipi!マヨエー!ソノテヲヒクモノナドイナイーカミガクダスーソノコタエハー…』
麦野「…!」
突如として鳴り響く着信音…『電話の女』からだった。
~第七学区・とある病院、昼~
冥土帰し「うん、じゃあ気をつけてね?幸いにも明日は土日だ。ゆっくり身体を休めなさい?」
上条「はい!お世話になりましたー」
退院の日。上条当麻はいくつかの荷物を纏めて冥土帰しの病院を後にする。
迎えや付き添いは…なかった。上条一人での帰宅である。
もともと平日の金曜日である。土御門や青髪も学校で、当然と言えば当然なのだが…いつも傍らにあった顔がいない。
麦野『――私と関わった事、いつか後悔させてやるんだからね――』
そう言って微笑んだあの日から、麦野達はパッタリと病室を訪れなくなった。
一応、交換していたメールアドレスや電話番号に送って見たが音沙汰がない。
上条「(オレ、なんかマズい事言ったかな?)」
ワシャワシャと特徴的なウニ頭を掻きながら上条は少し落ち込む。
出会った経緯はともあれ、ああもあれこれ世話を焼いてもらえば多少なりとも意識せざるを得ない。
ましてや麦野沈利は綺麗だ。同年代のクラスメートとはまた違った、年上のお姉さん的な部分が上条に強く印象を残している。
上条「(まっ…その内ひょっこり会えそうな気もするし…また危ない事に首突っ込んでなきゃいーんだけどな)」
そうこうしている内に上条はおよそ一週間ぶりとなる愛しの我が学生寮へと到着した。
まずは入院中に溜まりに溜まったゴミと洗濯物を片付けねば…そんな事を考えながら階段を登る。
一段、また一段と。そして登りきった頃には…
上条「んん?なんか美味そうな匂い…また舞夏来てんのか?」
上条と土御門の部屋のどちらからか美味しそうな匂いがする。
今の今まで病院に居て帰りを待つ人間のいない自分を除外すれば隣人の土御門しかいない。その妹の舞夏であろうと当たりをつけたのだ。
ましてや昼間の学生寮。十中八九無人である。
上条「ったく、いいなあ…土御門のヤツ。はあっ、上条さんにもメシ作って待っててくれるお姉さんが欲しいですよ…」
男寡婦の侘びしい我が身を呪い、隣人に微かな羨望を感じながら上条は家の鍵をポケットから漁り、鍵穴に差し込む…
上条「…あれ?」
いつもと感触が違う。カチャンカチャンとした開錠の音しかしない。どう言う事だ?と首を捻る上条に――
?「はぁい、おにーさん?」
上条「!?」
扉が開く。この数日ですっかり聞き慣れた、透徹ながら涼やかな声音と共に
麦野「おっかえりー♪」
上条「……わああああああ!!?」
麦野沈利がエプロン姿で上条当麻を迎え入れたのである
~第七学区・上条当麻の部屋~
上条「なんで麦野さんがここにいるんですかいらっしゃるんですかおられるんですかの――!!」
麦野「三段活用出来てないわよ?いつまで玄関で突っ立ってるつもり?アンタの部屋でしょ?」
激しく狼狽する上条を尻目に、麦野はコトコトと味噌汁をかき混ぜる作業に戻りつつシレッと言ってのける。
ギャルソンが身につけるような黒のエプロンを纏いながら。結い上げたサイドポニーをゆらゆら揺らして。
上条「どうやってオレの部屋を突き止めたんでせうか!?ってかどうやって上がったんだよ!」
麦野「そんなのアンタを抹殺するって決めた時調べたに決まってるでしょ?鍵ならウチの下っ端に開けさせたわ。あっ、洗濯物出しちゃって」
上条「んがー!!会話が繋がってるのに意志が通ってないー!!」
空き巣でも入ったかと身構えてみればこのザマである。しかもその侵入者は上条から荷物を奪い取るとポイポイ洗濯機に放り込み、まるで母親のようにテキパキと動いて回っている。
抗議しようにもそのタイミングが掴みきれないほど麦野の手の動きは流れるように、切れ目なく動き続いた。
麦野「最初に言ったでしょ?アンタを抹殺するのは私だって。これは監視よ監視」
上条「終わったんじゃなかったのか!?」
麦野「私と関わった事を後悔するのね。あっ、そうそう…」
すると麦野はサッと何かを取り出した。見覚えのある雑誌…扇情的なポーズを取ったグラビアアイドルが表紙を飾る…世に言う「Hな本」を上条にチラつかせた。
麦野「いくら一人暮らしだからってベッドの上に投げっ放しはお姉さん関心しないにゃーん?」
ニヤニヤとこの上なく楽しそうに、わざわざ見開きまで開いてからかう麦野に上条は完全に慌てふためいた
上条「うわああああ!か、返せえ!返して下さいぃぃぃ!死ぬ!死にますぅっ!」
麦野「きゃー触んないでかみじょう菌が移っちゃうー♪」
上条「不幸だあああぁぁぁ!!!」
その後、上条当麻は目撃する。ベッドの上に綺麗に整えて置かれたHな本の束を。
そして麦野特製の鮭を主菜とする昼食に呼ばれるまで、上条は燃え尽きた灰のようになっていた。
~第七学区・上条当麻の部屋2~
上条「御馳走様でした!」
麦野「…すごい食べっぷりだったわね。やっぱり上条も男の子なんだねー」
結論から言って、麦野の鮭料理は上条にとって非常に美味しかったのである。
ただでさえ今月頭から食うや食わずの生活で、かつ入院中は塩気の少ない病院食。
つい先日まで死にかけていたとは思えない健啖ぶりに麦野も後半は呆れ顔であった。
上条「いや…本当マジで美味かったっす。学園都市に来てから誰かに料理作ってもらうなんてなかったから」
麦野「…彼女いないって嘘じゃなかったんだ」
食事の間にも、麦野は少しだけこの数日の事情を上条に語った。ここ数日立て込んでいて見舞いにいけなかったこと、たまたま仕事帰りに寄ったことなどを『バイト』などとボカシながら。
しかし変な所で鈍感な上条は気づかなかった。仕事帰りだと言うのに、わざわざ食材やエプロンまで麦野が用意して来た事に。
上条「ははは、麦野さんみたいな綺麗な彼女がいてご飯作ってくれたら上条さんの日常は薔薇色なんですけどねー」
麦野「!」
そして、頬杖をついていた麦野が急にあらぬ方へそっぽを向いている事も。
麦野「…じゃなくていい」
上条「えっ?」
麦野「…別に、麦野“さん”じゃなくていい。ただの麦野でいいわ」
麦野沈利は揺れている。この鈍感なお人好しの前に立つと、『アイテムのリーダー』『レベル5の四位』どちらの側にも立てない自分がいる事に揺れている。
この…人殺しの自分すら助けると言ってのけた偽善使いの前では『ただの麦野沈利』に戻されてしまう自分に揺れている。
麦野「復唱」
上条「はい?」
麦野「復唱!」
上条「あっ!はいぃ!え~…“麦野”」
麦野「…20点。もう一回」
上条「…“麦野”」
麦野「よろしい」
『仕事』があった。狂ったように笑いながら命を刈り取り、むしり取り、奪い取った。それはフレンダ達も同じだ。
四肢を焼き切り、首を落とし、血煙と血溜まりの中で笑い転げた。
狂わなければ正気でいられない絶対矛盾。だから仕事が終わった後――上条当麻に会いたい、そう強く思った。
麦野「じゃ、片付けるから。テレビでも見てれば?」
上条「いや、流石にそこまでしてもらうのは流石の上条さんも心苦しいですよ。ってな訳で皿洗いくらいリハビリ代わりにやらせてくれないか?」
麦野「リハビリね…なら、それとは別にアンタに頼みたい事があるんだけど?」
上条「なんでせうか?」
この思いがどこから湧いてくるのかわからない。あの胡散臭いタヌキ野郎の言う『色恋沙汰』なのか、上条当麻に対するある種の『依存』なのか、麦野沈利にはわからない。だがしかし――
麦野「服、買いに行くの付き合いなさいよ。寝てばっかりで身体固くなってるでしょ?リハビリよ、リハビリ」
押し掛け同然に柄でもないお節介まで焼いて、それを口実に上条に会いにくるこの気持ちは、一体なんなんだろう――それは、レベル5の四位たる明晰な頭脳を持つ麦野沈利をして、もう少し時間のかかる感情であった。
~第七学区・Seventh mist~
上条「はあ…」
上条当麻は弱り切っていた。病み上がりの身である事を加味しても疲労困憊といった様子で、セブンスミストから少し離れたジュースバーにいた。原因はもちろん…
上条「女の子の買い物って…本当に時間かかるんだな…」
店から店へ跳び移り、次から次へと服をとっかえひっかえし、あれでもないこれでもないと一人ファッションショー状態の麦野に付き合うのも一時間が限界であった。
そんな上条を麦野は見やると
麦野『かーみじょう?久しぶりに歩いて疲れちゃった?あそこで休んでる?』
こんな調子である。服を誉めるボキャブラリーも尽きた所で上条はこのジュースバーで椅子に座りバナナジュースを啜っていた。
上条「長いなあ…」
?「だよなあ」
上条「?」
ふと声のした隣の椅子を見やると、そこには自分と同じように女の子の出待ちなのか、垢抜けた様子の青年がキウイジュース片手に話し掛けて来た。
?「おたくも彼女待ち?長いよなあ女の服選びは。どうせ脱がしちまえば変わらねえのによ」
上条「ブッ!」
てらいもなく飛び出した爆弾発言に思わず噴き出す上条。傍らの男は見るからに女のあしらいを心得た、遊び慣れたホストのように見えた。
?「はっはっは。ウブだなおたく。こんなので動揺してちゃ身が持たないぜ?」
上条「さ、さいですか…」
?「こちとら身体がいくつあっても足りねえよ…お、来た来た」
カラカラと笑うジゴロのような男が上条の傍らから離れる。するとそこへ…
「ていとくー!ごめーん!」
「待たせてごめんねー!行こっ!」
?「おう。じゃあな。おたくも頑張れよ」
上条「あ、ああ」
二人の全く異なるタイプの美少女と美女が駆けてきた。男はごく当たり前にその輪に加わり、両手に花状態で上条に背を向けて去っていった。
上条「提督…?艦長さんかなんかか?」
たった今まで傍らにいたホスト風の男…その男こそが学園都市第二位、未元物質(ダークマター)垣根帝督である事を、上条は終ぞ思い当たらなかった。
麦野「かーみじょう?」ムニッ
上条「!!?」
後頭部に当たる、柔らかな感触に遮られて
~第七学区・ジューススタンド~
麦野「こぉ~んなキレイなお姉さんとデートしてるって言うのにもう他の女の子に目移り?しずりん悲しいなあ?」ムニムニ
上条「ちょっ、ちょっ麦野さん!胸!胸当たってますって!人が見てますって!」
麦野「麦野って呼んでくれなきゃどかな~い」ムニムニムニ
垣根帝督の後ろ姿を見送っていた上条当麻の背後からたおやかな細腕を回してその特徴的なウニ頭を胸に抱える麦野沈利。
ただでさえ華がある彼女は同性からも目を引き、結果として一方的にじゃれついている様子も耳目を引くのだ。
「はや~…あのお姉さんってば大胆~」
「さ、佐天さん!あんまりジロジロ見ちゃダメですよぅ!」
上条「むっ、麦野!頼む離れてくれ!離れてくれ麦野ぉぉぉ!」
麦野「本当に免疫ないのねアンタ…あっ、そのジュースちょうだい」
長い黒髪と頭に花飾りをつけた中学生と思しき女の子連れの見つめる中、ヒョイと上条が飲んでいたバナナジュースに手を伸ばし、ストローに口をつける。
上条「(こ、これが噂の間接キス…!)」
次から次へと鈍感な上条さえ揺さぶる麦野。わざとからかっているのか、上条を男として見ていないのか…
上条「(ははっ…オレなんかじゃ釣り合うはずないよな)」
きっと麦野が自分を構いたがるのは大怪我をさせてしまった負い目や、もしくは姉が弟をいじるような感覚なんだろうな、と一番納得出来る答えに落ち着く上条。が
麦野「(…ここまでしてんだからもう少しなんかあるでしょうが)」
対する麦野はテンションが原子崩し(メルトダウナー)である。
『色恋沙汰なら関知しない』というあの言葉が、上条の側に居たいという麦野のスキンシップに拍車を駆けていると言うのに…
上条『ははは、麦野さんみたいな綺麗な彼女がいてご飯作ってくれたら上条さんの日常は薔薇色なんですけどねー』
という言葉すら、今の麦野には
上条『麦野…いや沈利。俺のために毎朝味噌汁を作ってくれ…二人の薔薇色の未来のために…』イケメンAA
麦野「違うわよ!!」
上条「!?」
降って湧いたビジョンを振り切ろうとする。セブンスミストの中でもそうだった。外で待つ上条が頭をよぎって結局決め切れずに終わってしまい、手ぶらのままだった。
麦野「上条!」
上条「は、はい!」
だから
麦野「………………」ギュッ
手ぶらだから、腕を絡める事だって出来る。
上条「麦野…?」
最初に腕を絡めた時は、上条を抹殺するため、逃がさぬようにするための方便だった。
麦野「病み上がりなんだから付き添いがいるでしょ?ほら行くわよ!」
今は…上条の『右手』に抱き付くように腕を、指先を絡める。
上条「…ああ!頼むよ!」
全ての異能と幻想を打ち消す右手。こうしていれば…麦野は原子崩しを撃ちたくても撃てない。
麦野「ホンット…世話の焼けるヤツね」
つまり…上条の側にいる限り、自分は『ただの女の子』だ。
麦野「…まっ、いっか。ねえ上条?退院祝いにどっか食べに行こうか?」
上条「うへぇ!?じ、実はな麦野…上条さん今月ちょっとピンチでして…」
レベル5の四位でも、アイテムのリーダーでもないただの『麦野沈利』でいられる。この上条当麻がいる限り。ただの女の子でいたって、怖くなんかない。
麦野「バカねえアンタ…ガキ(年下)が色気出してんじゃないわよ」
世界で一番、自分らしくあれる腕が、何度だって引きずり上げてくれる。そう信じているから。
麦野「――黙って年上には甘えなさい♪」
この、麦野沈利だけの偽善使い(ヒーロー)がいる限り
とある星座の偽善使い(フォックスワード)第2部・終了
上条「む、麦野…オレ、もう我慢出来ない!」ハアッハアッ
麦野「ふふふ…男の子なんだから頑張りなさいよ…ねっ、当麻ったらすごい汗…」
上条「そ、そう言う麦野だって…くっ、もうイク!もうイクぞ!」ハアッハアッ
麦野「ああ当麻!イッちゃダメ!イクなら、一緒じゃないとイヤッ」
上条「ああ~もう限界だあああぁぁぁ…出る!」ハアッハアッ
バタバタバタッ!ガチャン!!
上条「ぷはー!!…って一時間もサウナに入れるか~!!」
麦野「出る時は一緒に行こうって言ったのに…我慢弱いわねえかーみじょう?」
~第六学区・『アルカディア』、フィンランドサウナ~
誤解を招きかねない際どい会話を繰り広げていた舞台は天蓋付きのベッドではなく、うだるような熱さのフィンランドサウナである。
そう、二人が来ているのは第六学区に新設された総合アミューズメント&スパリゾート『アルカディア』である。
その規模、収容客員数、共に学園都市最大と目されるそこへ麦野沈利が優待券を受け取り、上条当麻を誘った形である。
そして二人は今の今まで…フィンランドサウナ一時間耐久我慢大会をしていたのだ。
上条「あのままじゃぶっ倒れちまうだろ!!なんでもっと石に水かけてくれないんですか!?あれじゃ蒸し風呂じゃなくて窯焼きだってーの!!」
麦野「倒れたら色々脱がして置いてっちゃおうかなって☆」バチコーン
上条「色々脱がすって何を!?ウインク止めい!」
麦野「だぁってぇ…」
初体験となるフィンランドサウナで文字通り茹で蛸となった上条が水風呂に浸かって呼吸を取り戻そうとしている傍ら、その縁に腰掛けて嫣然と見やり
麦野「当麻ったらチラチラ私の方見てくるんだもん…あーんなにお熱な目で見られたら色んな所が火照っちゃいそう」
上条「ぶふぅ!?」
わざとらしく胸元に指先をかけて迫る麦野。それを受けてサウナに入っていた時以上に顔を真っ赤にする上条。
もちろん女の嗜みで上条が考えているような場所はバッチリとガードされているからこそ、麦野もこうして悪乗り出来るのだが…
上条「よ、嫁入り前の娘がそんな珠の肌をさらすような破廉恥な真似するんじゃありません!ってやりすぎだろいくらなんでも!」
麦野「傷物にされたら当麻がもらってくれる?」
上条「麦野さん!?」
麦野「…かーみじょう?」
迫る麦野、退く上条、慌てて水風呂から上がり逃れようとする上条の『右腕』にしがみつきながら、麦野は少し背伸びするようにして唇を寄せ…
麦野「“さん”付けは止めなさいって何回も注意したでしょー?えいっ」カプッ
上条「痛だあああぁぁぁー!!!」
思いっきり首筋を噛んだ。
麦野「(見ちゃダメなんて誰も言ってないでしょ…バ上条)」
~第六学区・『アルカディア』ローズバス~
上条「不幸だ…」
麦野「なに?泣くほど良かった?」
上条「泣くほど痛かったんですぅ!!」
カップル用サウナルームから出た二人は今度は薔薇の花片の浮かぶローズバスなるモノに浸かっていた。
大浴場一面に揺蕩う真紅の薔薇はなかなか壮観であり、入浴客も九割がた女性である。
気後れする上条を強引に引っ張って来たのは他ならぬ麦野だ。
上条「見ろよこの歯形!こんなクッキリ跡ついちまってるじゃねーか!」
麦野「虫除けよ、虫除け」
私以外の女(虫)除けにね、と続く言葉は飲み込む。とは言え、こうもあの手この手で迫っていてもこちらの秘めた感情に気づかない原石級の鈍感男なら多分大丈夫だろうと思うが…
麦野「(やっぱり連れてくるんじゃなかったわ…)」
珍しい男性客というのもあるが、ローズバスに浸かる女性達の中に上条の意外に広い背中や、筋トレではつかない引き締まった二の腕などに視線を送る者がいるのだ。
麦野「(残念…コイツの右腕は私の居場所だから。ごめんねー?)」
上条当麻の右手、幻想殺し(イマジンブレイカー)。全ての異能を打ち消し、原子崩し(メルトダウナー)すら封じ込める…麦野沈利という『刃』に対する『鞘』
麦野「(でも…この幻想殺しがあってもなくても…きっと私は)」
上条「そろそろ上がろうぜ麦野。でもスゲーなこの風呂。ドラマみたいだぜ…ほらよ」スッ
麦野「うっ…うん…」
ローズバスから立ち上がる上条。滑らないようにと差し伸べられる右手。変な所だけ紳士的だ。しかも誰にでも。一つくらいお前の何かを独占させろと麦野は思う。だが…
ガシッ
その右手を取る。引き上げられる。冥土帰しの腕を持ってしても、お湯の温度でうっすらと浮かぶ白い疵痕は残ってしまった。麦野のせいでついた傷。なのに
麦野「(それが嬉しく思えるなんて、私はやっぱり歪んでるね)」
それがたまらなく、愛おしく麦野には思えた。
~第六学区・『アルカディア』デッキチェア~
上条当麻と麦野沈利の血みどろの出会いから、早二週間が過ぎていた。
最初の一週間は入院に当てられたが、もう半分の一週間はなにくれと理由をつけては上条の元に押し掛けたり呼び出したりした。
もちろん『アイテム』としての仕事や集まりは当然ある。それでも時間があるのは学校に行っていないからなのだが――
上条「そう言えば麦野って、どこの学校なんだ?」
麦野「えっ?」
ランデブーゾーンにある一角のデッキチェアにて、上条と麦野は火照った身体を冷ますべく並んでジュースを飲んでいた。二人ともバスローブ姿である。
上条「いやさ、麦野って基本いつも違う服だけど私服だろ?常盤台みたいにずっと制服って訳じゃなさそうだけど、私服OKの学校も確かあったはずだったからさ」
麦野「ああそれで…○○女学院よ。あの学舎の園の中にある」
上条「うへぇ…麦野って本当のお嬢様だったんだな。確かあそこは私服OKだもんな」
麦野「そうよー。同じ服一度でも着ていったら“その服お気に入りなんですね、オホホ”なんて言われるのよ」
カラカラと笑って見せる麦野。もちろん言われた事はないし、そんな輩がいたらそれなりの報復の仕方があるのだ。男にはわからない女のやり方で。が
上条「そっか。なら残念だなあ。麦野の制服姿って、想像出来ないけどちょっと見てみたかったかもな」
麦野「えっ…」
思わず、手にした『木莓と柘榴のディアブロソーダ』を落としそうになる。上条が?私の事を話すまで聞いてこない上条が?この…
呼び方を『当麻』に変えても、全然リアクションを返してこない原石級の鈍感男が?
麦野「…かーみじょう」
上条「ん?」
誰の側にいるより落ち着くのに、誰の言葉より容易く自分を揺さぶる。ズルい。
麦野「アンタって制服フェチだったのかなーん?そういえばアンタの部屋の…」
上条「んなー!?違うっ!違うって!あれは青髪のヤツが!」
麦野「ハイハイわかりましたわかりましたーそういう事にしといてあげるわ。寛大な心で」
上条「ご、誤解だあああぁぁぁー!!」
だからやり返してやるんだ。困った顔くらい私の好きにさせろ。そうだ。困れ!困れ!もっと困り顔を見せろ。少しでも私を楽しませろ!!
?「なっ、なにやってんのよアイツ…!」
?「あれ?あのお姉さんどこかで見たような…」
多くの人々が立ち寄る待合所でのドタバタ騒動。その中で一際強い輝きを宿す眼差しが向いているのを、上条当麻は気づかなかった。
~第六学区・「アルカディア」ショッピングモール~
ひとしきり休憩した後、二人は着替えると施設内のアウトレットモールを闊歩していた。夏がもう目の前だと言うのに新作のサングラスをまだチェックしていないから、という麦野たってのお願いからである。
麦野「あっはっはっは!アンタって全然サングラス似合わない~!背伸びした小チンピラみたぁ~い」
上条「ううっ…上条さんにはこう言うオシャレ向かんの事ですよ…それに誰かさんとキャラがかぶるしな」
麦野「まっ、そうね。私も今ムカつくグラサン野郎思い出しちゃったし」
二人してサングラスをかけ、ケラケラと笑う麦野。上条も慣れないファッションにやや戸惑っている。そんな上条に、麦野は
麦野「それに…」スッ
上条「!」
手を伸ばす。背を伸ばす。上条の顔からサングラスを外し、ニッコリ頬を緩める。
麦野「こっちの方が、アンタがよく見える」
上条「(か、顔が近い!サングラスかけてても可愛い!)」
が、角度によってはキスをしているようにも見えるほど急激に接近した二人の様子に物言いが入った。
?「なにやってんのよアンタはあああぁぁぁ!」
上条「ゲッ!ビリビリ中学生!?」
御坂「誰がビリビリよ!私には御坂美琴って名前があんのよ!…って人前で何しようとしてんの離れなさいよゴラアアアァァァ!」
上条「うおおおぉぉぉ!?」
佐天「みみみ御坂さん!電気出てます!電気出てますって!」
常盤台中学のエースにして第三位『超電磁砲』御坂美琴である。そして傍らには佐天涙子の姿がある。
お馴染みのカルテットで新たにオープンされた『アルカディア』に来る予定が、初春と黒子はジャッジメントの仕事が急に入り、結局二人で来る事となったのだ。
そこで待ち合わせのために時間を潰している間に、美琴は見つけてしまったのだ。この二人を。
麦野「(コイツがあのレールガン?マジでガキなんじゃん。テレビや評判ってあてになんないわね)」
そんなやり取りを麦野沈利はサングラス越しに冷めた眼差しで見つめる。気にいらない。自分を無視して進むやり取りも、突っかかりながらも上条に向ける直向きな眼差しも。全てが――気にいらない。
麦野「…おい、クソガキ共?誰の前でケツ振って跳ねてんだあ…?アアッ!?」
佐天「…!」ゾッ
御坂「…あんたこそ誰よ?」
上条「おっ、おい止めろ二人とも!店の中で暴れんじゃないっての!」
佐天の背中に怖気が走る。サングラス越しにすら煮えたぎるような赫怒と底冷えするような狂気を宿した名も知らぬ女に。
だが御坂も一歩も譲らない。人喰いライオンの尾を踏んだにも関わらず。
麦野「関係ねえよ!!カァンケイねェェんだよォォォ!!有名人気取りかぁ?おえらいもんだなぁ第三位『超電磁砲』様ぁぁぁねえェェ!?」
麦野の左手に光球が収束し始める。原子崩しは暴発寸前だ。タガが外れ一線を超えるまで秒読みすら必要ない。
第三位に対する敵愾心、上条と親しげに接し、自分とは異なり光だけを見つめる眼差しに加速度的に狂気が膨らんでいく。
麦野「キラキラお目めの夢見るお姫様気取りか売女ぁ!光に群がる虫みたいにブチュッて潰してバラ撒いてやるよぉ!!第三位の首と引き換えなら腕の一本安い買い物だよなアアアァァァ!!!」
暗部に属する者の闇。人を殺める事への忌避感と危機感の鈍麻が麦野を怪物に戻して行く。
上条当麻の傍らに寄り添う事を覚えてから、時に姉のように可愛がり、妹のように甘え、母のように世話を焼き、友人のように親しく、恋人のように距離を重ねる事に乖離していく『何か』
『敵』か『まだ敵ではない』人間しかいない暗部の麦野。『上』か『下』しかいないレベル5の麦野。『上条当麻』と『それ以外の人間』しか知らないただの麦野。強すぎる光と影の二面が麦野の怪物性を浮き彫りにする。
御坂「…佐天さん離れて!」
身構える御坂、後退る佐天、踏み出す麦野。そして――
上条「止めろ麦野!!!」
パキィィィン!
その麦野の左手を掴み、幻想殺しで打ち消す。御坂達を背中で守り、麦野をしっかり見据えて
麦野「…当麻アアアァァァ!!!」
上条「…!」グッ
何故庇う。何故私の前に立ちふさがる。何故…
パンッ
御坂・佐天・麦野「「「!?」」」
私に、手を上げるのだ
~第六学区・『アルカディア』アウトレットモール~
サングラスが落ちる。店内から音が消える。麦野の視界がぼやける。
上条「…頭冷えたか?麦野」
あれほど荒れ狂っていた狂気が水をうったように引いて行く。代わりに頬が熱い。上条の平手打ちがではない。双眸から零れ落ちてくる熱い何かが
麦野「…どうして?」
上条「どうしたもこうしたもないだろ!!どうしちまったんだよお前!?どうして超えようとしたんだ!絶対に超えちゃいけない線を!お前は超えようとしたんだぞ!!麦野!!」
ビクッとうなだれた麦野の双肩が震える。今私は何をしようとした?上条の側では『ただの麦野沈利』でいると決めたハズなのに…
麦野「…五月蝿い…黙れよ…!」
無力感が一気に押し寄せてくる。なんてザマだ。目の前が暗くなってくる。こんなに耳鳴りがするのに、上条の声だけがやけに響く。
上条「…黙らねえよ」
麦野「…五月蝿い…!」
上条「黙らねえって言ってんだろっ!!」
麦野「黙れって言ってんだろォォッ!!」
佐天「…!」ビクッ
後に引けない。でも前に進んで上条の顔も見れない。頭の悪い女のようにヒステリックな金切り声しか出て来ない。御坂の陰に隠れた黒髪の少女が怯えている。きっと今、自分は見るに耐えない顔をしている。
麦野「私の手は壊す事しか知らねえんだよ!知ってんだろ!オマエと!出会った時だって!出会った後だって!私は…私は!!」
上条「…ならなんでお前は今泣いてんだ!!」
止めてよ。誰か止めてよ。止まらない私をもう一度引き戻してよ。さもなきゃ
麦野「…オマエに私の何がわかるってんだよオオオォォォッッ!!!」
御坂「(この光…まさか…この女!?)」
照準を合わせる。第三位、黒髪、そして――上条当麻に。
壊れろ。全部ブッ壊れちまえ。何もかもなくしてやる。何もかもくれてやる。
内なる獣が叫ぶ。後戻りなど無くしてしまえと―――
上条「麦野が作ってくれたメシの味を――オレは知ってるぞ」
これ以上しゃべるな。これ以上しゃべらせるな。聞きたくない。聞きたくない…!
上条「病院で淹れてた紅茶、全然名前知らないヤツだったけど、すげえあったかかった。吹寄が持って来たリンゴだって、あんな器用に剥いてたじゃねえか」
止めろ、やめろ、やめろ、やめろやめろやめろやめろやめろ…ヤメロ!
上条「オレが死にかけてた時…ずっと手ぇ握ってくれてたじゃねえかよ…!さっきの風呂の時だって握り返してくれただろうがっ!!あんな小さい手で!細い指で!オレを掴もうとしただろうが!!」
演算・失敗・再演算・失敗・再々演算・失敗
上条「いいぜ…オマエが、自分の手は壊す事しか知らないってなら、自分の手から何も生み出せないって思い込んでんなら…!!」
原子が…崩壊する―――!!!
麦野「来るなあああぁぁぁアアアァァァー!!!」
上条「まずは―――その幻想をぶち壊す!!!」
眩い光が溢れだす。指向性を持たぬ光の奔流。狂乱状態の麦野自身まで焼き尽くす白い闇が店内に迸り―――
パキィィィン…!
上条当麻が、その全てを粉砕した。
~第六学区・『アルカディア』医務室~
佐天「ごめんなさい!ごめんなさい!私達が話し掛けたりしたから…!」
上条「いいって。えーっと…佐天さんだっけ?悪いのはオレ達だから…な?」
御坂「うっ…わ、アタシも悪かったわよ!佐天さんもほんとごめん!怖い思いさせちゃってごめんなさい!」
…アウトレットモールでの一件は幸い店にも損害を与える事もなく、一人の怪我人も出なかったため『能力の暴走』という形で御坂美琴がこの場にいない白井黒子を電話で必死に説得し、なんとか事なきを得られた。
だがその過程で上条当麻は御坂から聞かされた。麦野沈利…レベル5の第四位に間違いないと。
佐天「確かに怖かったです…けど」
佐天は医務室のベッドを見やる。憑き物が落ちたように安らかで静謐な麦野の寝顔を。御坂が言うには極度の錯乱状態でのムチャクチャな演算を行い能力を行使し、それを幻想殺しに打ち消されて糸が切れ気絶したのだと。だが佐天は
佐天「なんだか…いっぱいいっぱいに見えました。この人。抱えこんじゃったものが溢れちゃったみたいに」
だが、御坂は
御坂「…同じ、レベル5だから」
やや苦しそうに言う。レベル5にしか見えない世界は、そのままレベル5の抱えた闇そのもの。高みを舞う脚のもげた猛禽類。止まり木を持てない…傷だらけの翼。
上条「…関係ねえ。麦野は、麦野さ…」
レベル5の四位。だがそれは上条にとってただの記号だ。
上条にとっては麦野沈利は…泣き叫びながら必死に手を伸ばす、一人の迷い子にしか見えなかった。
佐天「…どうしたら、こんなにボロボロになるまで傷つくんだろう…」
無能力者の佐天にはレベル5の重圧や孤独は想像の埒外だ。
しかし、一人の人間としてこの疲れきった寝顔を浮かべる少女を見ると…垣間見たその抱えた闇の深さ、暗さに身震いした。
きっと自分なら心が壊れてしまう、そう思った。
~第六学区・『アルカディア』駐車場~
絹旗「…超迷惑ですよ」
上条「…悪い」
絹旗「…超迷惑ですよ、あなたの存在は」
上条当麻はアルカディアの駐車場にいた。御坂と佐天を先に帰し、麦野の携帯電話にあった絹旗の番号にかけたのだ。
未だ眠りから覚めない麦野の自宅を知らない上条は、どう言う繋がりかはわからないが絹旗に託す以外の方法が思い浮かばなかった。
絹旗はすぐさま強面の運転手と共に『アルカディア』へ乗り付けてきた。麦野を迎えるために。
絹旗「最初から私は超不安だったんです。上条が轢かれた時、麦野の取り乱しようを見てからずっと」
上条「………………」
絹旗「あなたは麦野にとって超危険な人間なんですよ!!あなたといると麦野はどんどん壊れていく!!麦野はあんなに弱い女じゃない!あなたが麦野をねじ曲げたんですよ!!」
見た目からは想像もつかない膂力で上条の胸倉を掴む絹旗。如何なる能力なのかは上条は知らない。だが一つ確かなのは――絹旗の怒りが頂点に達していると言う事。
絹旗「何考えてんだか知りませんが半端な偽善や色恋沙汰で引っ掻き回されたら超迷惑なんですよ!死ぬんですよ!?あなたの一言(ワード)一つで、麦野も、私も、フレンダも滝壺さんも!みんな!!」
上条にはわからない世界。麦野が属している世界。ついさっきまで麦野がレベル5だと事を知り、今ですら麦野の家も知らない上条では手の届かない世界。
弱くなる事、即ち死に繋がる麦野の世界。
絹旗「…もう、いいです。とっととどこへなりと超消えちゃって下さい。これっきりにして下さい。私があなたを潰さずにいるのはー…あなたが、あなたが麦野の…!」
もう絹旗は言葉が続けられなかった。もう上条には言葉が発せられなかった。絹旗の目に大粒の涙が溜まっていたから。
上条「…麦野を、頼んだ…」
力無く絞り出した上条の声音は、果たして届いたのかどうかわからない。
雨が降ってきたからだ
~第三学区・繁華街~
上条「………………」
上条当麻は夜の街をさ迷っていた。予報の事などとうに頭から消え去っていたからだ。どことはなしに向かう足取りのままに、皆が傘を差して行き交う中、ただ雨に打たれて濡れる上条はやや目立っていた。
これが恋愛小説ならば、アウトレットモールでの御坂美琴との遭遇など、ヒロインの焼き餅が見せ場となり、それで終わるはずだった。
だが、そうはならなかった。いつ音を立てて崩れるかわからない幻想に麦野はしがみつきすぎ、上条はそれに無自覚だった。悪者すらいない、一人の一人の人間で出来ている世界の中で、今上条当麻は独りだった。
上条「…麦野…」
降り注ぐ雨の中、上条当麻は路地裏に腰を下ろした。助けるといったのに、救うといったのに…麦野の幻想(くらやみ)を打ち砕けなかった。
とんだ偽善者だと…うなだれた。
?「ああ?でっけえゴミだなあ…おーい寝てんのか?コンクリのベッドがそんな寝心地がいいとは思えねーが?」
その時
上条「…オマエ…」
?「なんだなんだぁ?誰が書いた安っぽい筋書きだよこりゃ?普通女だろ。こういう時はよ」
降って湧いた声音。同じく傘を持たずにいるのにまるで濡れた様子のない瀟洒なスーツ姿
?「あー…女切らしてっからって男に走る趣味はないぜ?そんくらいの常識はある」
肩口までかかるブラウンの髪、チャラチャラと鳴るガボールのチェーン。自信と皮肉と懐の広さ、深さを感じさせる佇まい。その男の名は――
垣根「湿気たツラしてやがんなぁ?女にでも逃げられたか?」
――学園都市二位にして暗部組織『スクール』のリーダー…垣根帝督である
~第三学区・ホテル「カエサル」~
垣根「ひっでえ雨だ。これだから梅雨ってのはムカつくぜ。髪は決まらねえし服は濡れるし足場は最悪だ。何より気分が滅入る」
コーヒーを啜りながら窓を打つ雨に一瞥を送り、垣根帝督はソファーに腰掛けた。
ここは第三学区の中にあっても飛び抜けて格調高いと言われるVIP御用達のホテルで、彼が逗留するスイートルームは一泊200万を下らない。
だが、時として伊達と酔狂が過ぎる彼にとってさえ、今夜の『拾い物』は珍奇であった。それは…
垣根「なんだありゃ?雨浴か?毛沢東じゃあるまいし、なんだってあんな所に捨てられた子犬よろしくたそがれてやがったんだ?」
上条「それは…」
上条当麻である。路地裏で座り込んでいた所を、ホテルの食事に飽きて街に降りて来た垣根帝督が戯れに連れ帰ったのだ。
セブンスミストで軽い世間話したというだけで互いに名乗る事もなかったと言うのにだ。
上条「…悪い。上手く言えないんだ」
垣根「そりゃそうか。ふられた直後ってのはだいたいそういうもんだ」
上条「ふられた…か。ははは、違うけど似たようなもんですよ」
垣根「ま、飲めよ。こちとら人との会話に餓えてんだ。付き合え」
そう言いながらタオルが頭を拭いた上条にコーヒーを渡した。
暗部に身を置く垣根にとっては、何気ない世間話ですら相手を選ぶ。
少なくとも同じ世界の人間と会話を楽しむ気にはなれない。
だが誰でも良いという訳でもない。気分的には心理定規の取っている客のような気分だ。そう、単に『気分』なのである。
上条「いただきます…えーっと…艦長さんでせうか?」
垣根「帝督だ帝督。垣根帝督。おいおい自信無くすぜ…これでもちっとは名も売れてると思ったんだがな」
上条「?芸能人とか?」
垣根「嬉しいが違え。レベル5の二位だ。あの若白髪の下ってのはムカつくがな」
上条「レベル5!?」
垣根「捻りのねえリアクションだ。生で拝むのは初めてか?」
上条「いや…見た目が見た目なんで上条さんはてっきり夜のお仕事の人かと」
垣根「心配するな。自覚はある」
ようやく気分が持ち直してきたのか、上条は訥々と語り始めた。そして垣根は知る。上条がレベル5の女の子と一悶着あった事を。
垣根「(どいつだ?第三位の超電磁砲か?顔は知らねえが第五位の心理掌握か?それとも行方知れずの第六位か?)」
『コイツだけはありえない』と垣根の実体験から候補より外した第四位の麦野沈利がまさか本命とは垣根は露とも知らず、やや考え込んでしまう。
そんな垣根の様子に、思わず上条は問い質してみたくなった。
上条「あのー…垣根さん?」
垣根「あん?」
上条「今更なんですが…なんで上条さんの話を聞いてくれるんでせうか?」
垣根「…あー…」
そこで垣根は天井のシャンデリアを仰ぎ見た。まるでそこにある記憶の宮殿を覗き込むように、舞台俳優のように朗々たる口調で。
垣根「“一度出会えば偶然、二度逢えば必然だ”」
上条「!?」
今度はその言葉に上条が目を見開いた。その言葉はかつて、自分を通学路で待ち伏せていた時の麦野と同じセリフ。
垣根「昔一回口説いた事のある女の受け売りだがな。何でも星座占いの言葉らしいぜ?それが妙に頭に残っててよ。オマエに会ったのも一つの縁じゃねえか?」
まあ、結局その女にはその場でふられてそれっきりだったんだがな。と垣根は付け加えた。
垣根「それ以来会ってねえ。とどのつまりはそういう縁がなかったってこった。けどよ――オマエはどうなんだ?」
上条「オレは…?」
カチャッとソーサーにカップを戻し、手指を組ませながら垣根はニッと笑った。不貞不貞しいまでの不敵な表情で。
垣根「確かに女は星の数ほどいる。けどな、手を伸ばさなきゃ星は掴めねえんだよ。それを一度や二度のヘマで諦められんのか?」
上条「…オレの腕はそんなに長くなんかないっすよ」
垣根「バーカ」
気障ったらしい所作が嫌みなほど様になっている。野心と自信に満ち溢れた表情。世を統べ天界を意味する『帝』の字に恥じない傲慢さで
垣根「欲しいもんがあるなら力づくで奪え。守りてえもんがあるなら腕づくで浚え。オマエの言うレベル5の女が誰かは知らねえが、女は女だ。女は言葉じゃ納得しねえ。男だってそうだろ?お前だってそんな小利口な生き物に出来てねえハズだぜ?」
上条「…垣根…」
垣根「掴めよ。お前だけの星を。さもないとその星は――」
そこで言葉を切った垣根の目の色が妖しい輝きを帯びる。黒水晶のような艶消しの光で
垣根「――あっという間にこの街の闇に呑み込まれるぜ?」
上条「………………」
思わず、押し黙る。時折麦野が見せる闇と似た色をした男の歩んで来た、血の斑道とも言うべき過去の片鱗が伺えたからだ。
同時に、麦野の抱えた闇を上条は幻視する。深く抉れたクレバス、噴き出すマグマのような激情…自分という存在が、麦野の闇を否応無しに引き出す。それが麦野を傷つける…そう絹旗に断罪されたのはついさっきだったハズなのに
ハズなのに
『サケベー!イマユクコノミチシカナイトー!タヨリナイムネソノココロヲー…』
もう、こんなにも諦められない。
上条「…電話、いいか?」
垣根「ああ」
鳴り響く着信音、ディスプレイに表示された名前、通話ボタンを押す、彼女とは違う声音、切迫した内容、体の芯から縮まるような衝撃、思わず垣根に視線を送る上条、鷹揚に頷く垣根
垣根「…行けよ。星が沈む前に。見な」
そして垣根が腰掛けたソファーから顎をしゃくって見せた。雨が…いつの間にか止んで星空が淡く輝いて見えた。
上条「…行ってくる!コーヒーごちそうさん!」
垣根「ああ、行け行け。毎日違う女引っ張り込んでてただでさえホテル側に目つけられてんだ。男まで泊めたと思われたら体裁悪いからな。あばよ」
そうして上条は垣根の部屋を後に駆け出していった。そして残された垣根はと言うと…あまりの自分のらしくなさに苦笑していた。なんだこの役回りはと。まるでメルヘンなアドバイスを贈る恋のキューピットだ。
垣根「…安心しろ。自覚はしてる」
~第三学区・遊歩道~
上条「本当なんだな絹旗!?麦野達がいなくなったって!!」
絹旗「こんな時に嘘吐く馬鹿がどこにいるんですか!超真面目にやって下さい!」
フレンダ「結局こうなるって訳よ!滝壺までついてっちゃうし、もう~!」
上条当麻は携帯電話を片手に第三学区の遊歩道を駆け抜ける。麦野の携帯から上条の番号にかけている絹旗の声は切迫しており、フレンダもカッカしている。
『アイテム』の隠れ家から麦野がいなくなったのだ。ついさっきまで倒れていたにも関わらず。
滝壺が麦野の看病についたきり部屋から出て来ないのに気づいた絹旗が、様子を見に行くと一通の書き置きと共に二人の姿は消えていたのだ。
『ほしのみえるばしょで』
というメッセージを残して。
絹旗「最初は超さらわれたかと思ったんですよ?麦野はあんなんだし滝壺さんには戦う力がほとんどないし…!あなたに聞くなんて超癪ですよ!」
フレンダ「それで上条の所に行ってないか聞いたって訳よ!滝壺がいないから麦野の場所もわからないの!結局、星の見える場所ってなんな訳よ?!」
上条「だー!二人いっぺんにしゃべるなっての!!今考えてるから!」
代わる代わる通話口に出る少女二人に走りながら返す上条は必死に考える。
星の見える場所?この光源の絶えない学園都市で、星が見える場所?
上条「…また後で連絡する!絶対見つけて連れ戻す!」
絹旗「ちょ、上じょ…」ブツッ
思考を纏めるために通話を一度切る。上条は走る。考えてながら走る。
上条は学校では赤点の常習者だが、決して頭の血の巡りが悪い方ではない。
考えろ。手掛かりを纏めろ。砂粒のように小さな可能性に懸けろ
上条「どこだ…どこの学区だ!?」
携帯電話を置いて消えた麦野。上条に詳しい事はわからないが能力者の居場所がわかる滝壺を連れての雲隠れ。そして謎めいた書き置き。
本当に消えるなら書き置きなど残さない。絹旗とフレンダの追跡を封じるために滝壺を伴ったりしない。そう、これはなんて事のない――隠れ鬼だ。
上条「この歳になって鬼ごっこするなんて思ってなかったぜ!」
そして上条は再び夜の街を疾走する。完全下校時刻はとうに過ぎている。家に帰る時間だ。だが上条は帰らない。行かなくてはならない。
この暗闇の中、膝を抱えて泣いているだろう迷子…麦野沈利の元へと。傷つけるだけかも知れない。拒絶されるかも知れない。『偽善』を通り越して『独善』だとも理解している
――それでも――上条は――麦野を――
「「カミやん!!!」」
上条「!?」
そこへ…遊歩道のガードレールを飛び越え滑り込むようにしてやって来た…一台のバイクと、二人の少年達。
土御門「盗んだバイクで走り出すには最高の夜だぜい!カミやんもどうかにゃー?」
闇夜にも関わらずサングラスという奇妙さに、闇夜の中でも輝いて見える金髪の少年…土御門元春がハンドルを握り
青髪「初乗り百万円やけどデルタフォース(三馬鹿)割引で勘弁したるわ!早よ乗りぃ!」
人混みの中でさえ浮いて見える珍妙な青い髪のエセ関西弁を操るピアスの少年…青髪ピアスが二人乗りで手招きしていた。
上条「お前ら…!」
何故彼等がここにいるのか上条は知らない。わからない。だが…だが!
上条「…三人揃って停学と行くかぁー!」
男には、言葉がいらない時がある
~間奏~
『ほしのみえる場所』
上条の頭に最初に浮かんだのは第二十一学区の展望台。だが違うと思えた。根拠はないが、そんなわかりやすいヒントを麦野が残すとは思えない確信があった。
次に浮かんだのは第二十三学区の航空宇宙施設。だがあの学区は警備が厳重だ。完全下校時刻も過ぎた今は近づく事も難しいだろう。それは麦野達も上条も変わらないハズだ。
星の見える場所。それは他ならぬ…暗く、他の光源が少ない暗闇に近い場所。暗闇――そう、暗闇だ。深く暗い闇の中だからこそ、見上げる星はより輝いて瞬く。
上条「(父さんの実家に帰った時もそうだった。なんにもない山とか海しかない夜の方が星がうんと見えてたハズなんだ!)」
皮肉にも、インデックスと出会い記憶を喪う前の家族とのささやかでありふれたエピソードが、上条の行く道を決めた。
上条「お前ら!第十九学区だ!」
青髪「うん。『知っとる』よ!」
土御門「…飛ばすぜよ!ブッ飛んでいくにゃー!」
第十九学区。再開発に失敗した、古めかしい建物だけが墓石のように立ち並ぶ忘れられた学区。後の乱雑解放事件の嚆矢となる舞台。
あの学区は夜には完全にゴーストタウンとなる。学園都市で最も暗く…最もうら寂れた場所であろう。
麦野沈利は―――そこにいる。
~第十九学区・建設途中の高速道路~
麦野「…謝らないわよ。こんな所まで付き合わせといてなんだけど」
滝壺「いいよ」
アイテムの隠れ家から姿を消した二人はゴーストタウン同然の第十九学区のハイウェイ上にいた。雨上がりのアスファルトを踏み鳴らして。
滝壺「むぎののいる場所が、わたし達の居場所だから」
麦野「…そう」
パチャッと水溜まりを蹴りながら麦野が消え入りそうな声で呟いた。
麦野の内面はもう滅茶苦茶だった。ヤケになって隠れ家を飛び出し、引き止めようとした滝壺まで振り回して連れてきてしまった。『どこにもいかないから』と言う保険代わりに。
麦野「(無くしちゃったな。私だけの居場所)」
無論『アイテム』は麦野の帰る場所だ。『アイテムのリーダー』麦野沈利として。『レベル5の第四位』として。しかし
麦野「(もう“麦野沈利”はどこにもいない)」
上条当麻と出会ってから正気と狂気の振り幅が増した。それは人間としてプラスであっても、超能力者として…暗部の人間としては致命的なマイナスだった。
そして今回の暴発は…自分と同じレベル5でありながら表の世界で光を浴び、挙げ句自分とは違った角度で上条に接する御坂美琴への――全てへの嫉妬だ。
麦野「笑ってくれていいわよ滝壺?許してあげる。天下の第四位麦野沈利様の弱った姿をライブで、アリーナで見れるアンタは幸運よ?」
滝壺「むぎの…」
麦野「たかがレベル0の無能力者に負けて、浮かれて、のぼせて、叩きのめされて、あのクソッタレの第三位の前であのザマだ!あっははっははははっはっはは!」
滝壺「むぎのやめて!」
見上げる星空。彼方にあって瞬く星辰。闇の底でもがき、足掻く、打ちのめされる自分を見下ろし嘲笑うように。大仰に両手を広げて口角を吊り上げる。
麦野「笑えよ!笑えよ滝壺ォォォッ!愉快だろ傑作でしょねえ滝壺ォオ!なんだこのザマはぁ?初めて股割られたションベン娘みたいにさあぁぁぁ!」
堕ちて行くのが気持ち良い。汚れて行くのが心地良い。光が眩しいなら…光も届かない闇の底まで身を投げてやると。
あの偽善使い(ヒーロー)の手が届かないくらい…深い闇へと。今の麦野は精神的な自殺志願者も同然だった。
麦野「こんな事ならヤらせてやろば良かったわねえ?まだ童貞食った事なかったからさあ!トラウマになるような初体験でもさせてやりゃあ良かったなぁ滝壺ォオ!」
滝壺「むぎの…むぎの!」
麦野「それとも今頃はあの第三位の所かしらねえ!?自家発電覚えたての猿みたいに腰振ってねえ?こんな血で汚れたメンヘラ女よりかは腐れ売女の×××の締まり方がまだしもマシってさぁァ!」
滝壺「(なら…どうして!)」
あんな書き置きを残した?すがろうとしたのではないか?どこかで期待しているのではないか?試しているのではないか?
あんな手掛かりとすら言えない手掛かりで…それこそこの広大な学園都市の中で…たった一人の麦野沈利を見つけ出すような…
――そんな…砂粒のように小さな可能性を、奇跡のような物語を…麦野は――
キキィィィィィィ!
麦野「!?」
遠くからバイクのブレーキ音がした。三人乗りの内誰か一人が降りて来る。眩いほどの星明かりが、その人物を映し出す。同様にその人物にも、月明かりに照らされた自分達が見えたのだろう。
「…迎えに来たぜ、麦野。病み上がりに付き添いがいるって行ったのは…お前だぞ」
滝壺理后は昔読んだ本の一節を思い返していた。
「滝壺…ありがとう。向こうに『友達』のバイクを待たせてある…先に行っててくれないか?」
『闇を覗き込む者よ心せよ。貴方が闇を見つめる時、闇も貴方を見つけている』と
滝壺「…むぎのを、おねがい…!」
「当たり前だ!!!」
フレンダでは助けられない。絹旗では救えない。自分では守れない。麦野の『闇』…それを打ち砕けるかも知れない…『最後の希望』
麦野「…なんで来れるのよ…なんで来たのよ…なんで来ちゃったのよ!」
もう奇跡なんてたくさんだ――麦野沈利の中の『闇』が、ついにその萼を剥き出しにした。
麦野「上条…当麻ァァァ―――!!!」
上条「麦野…沈利ィィィ―――!!!」
出会いは偶然だった。再会は必然だった。ならばこの戦いは…運命だった。
三度目の激突、始まる。
~第十九学区・ハイウェイ~
麦野「なんで!なんでまた来やがった!!なんでテメエはいつも私の前に立ちふさがるんだよォォォ!」
突き出した左手から無数の光芒が上条目掛けて降り注ぐ。それを叩き落とすように振るった右手が原子崩しを打ち消し、衝突の余波がハイウェイのアスファルトを粉々に砕け散らせた。
上条「決まってんだろ…お前を、引きずり上げるって…決めたんだよ!!」
崩落しかける足元を蹴って上条は前に躍り出る。彼我の距離は10メートルもない。横薙ぎに麦野が揮った左手から、幾重にも折り重なった光芒の網の目が盾となり、光の蜘蛛の巣が上条の進路を阻まんとする。
上条「お前の中の闇から!お前を呑み込もうとしてるこの街の闇から…!」
麦野が後ろに跳びすさると同時に、光の糸で編まれた蜘蛛の巣が制御を失い爆発する。
対戦車地雷を軽々と凌駕する威力が崩れかけたアスファルトの欠片を跳ね飛ばし、上条を吹き飛ばす。だが――上条は右手を突き出し、原子崩しの炸裂を最小限に留め尚言い放つ。
上条「引きずり上げてやるってなァァァァァァ!!」
麦野「巫山戯るなァァァ!!!」
それを『偽善』と断じるように麦野が高々と挙げた左手を真っ直ぐに振り下ろす。天空から光の雨のように降り注ぐ原子崩しの一部が、上条の背中を掠め、足元を抉り、右肩に穴を穿ち、膝をつかせた。
上条「ぐっ…ああ!」
麦野「私みたいな…人殺しの手掴んで…地獄の底まで堕ちていく覚悟がテメエにあるかってんだよこの偽善者野郎がァッ!」
イマジンブレイカーがある限りアウトレンジに徹するしかない。だが『線』の攻撃では仕留め切れない。なら――
麦野「私と!テメエの!住んでる世界が!立ってる場所が!どれだけ違うか能天気にぬくぬく生きてるテメエが考えた事が一度でもあるのか上条当麻ァァッ!」
原子崩しを細かい『点』…小さな光球へ無数に形を変え、それを一気に『面』として押し出す。ショットガンの性質を併せ持つ光の弾丸が、マシンガンの勢いで上条を押し潰す!
上条「がああああぁぁぁあ!!」
麦野「テメェがどんな力を持ってようが関係ねェェんだよォォッ!所詮表の世界の無能力者なんざ、指先一本で100回ブチ殺せんだよォぉぉぉぉぉッ!!」
麦野の中の闇という食塩水の、結晶部分が剥き出しになったような攻勢。遊びのない正真正銘の殺意。暴走と制御の紙一重の場所にある力全てを以て殲滅する。
――しかし――
上条「…そんなもんかよ、レベル5(超能力者)」
麦野「!!?」
上条当麻は…立ち上がる。致死量を遥かに超えた出血を『無視』して
上条「…こんなもんで…オレの幻想を壊せるって本気で考えてるのか?」
麦野「…ああそうだねェェ!ならそのネジの緩んだ頭ごと吹き飛ばしてやらないとダァァメだってなあぁ!!!」
再び光芒が奔る。上条の顔面目掛けて。しかし上条はそれを察知し、半身ずらしてかわす。
上条「住んでる世界?お前は世界を見て回った事あるのかよ?立ってる場所?――周りを見ろよ!今ここに立ってるだろうが!お前も!!オレも!!!」
麦野「テメェと私を同じ量りにかけるんじゃねぇええ!!見えてるよ…見えてるわよ当麻…どうしようもないバケモノ(人殺し)とヒーロー気取りのクソガキがねェェ!!」
即死しなければ物理的におかしいほどの光芒を撃つ、撃つ、撃つ…だが上条の叫びは、歩みは、意志と意志は立ち止まる事を止めない…!
上条「見えてねえじゃねえか…ちゃんと狙えよ…オマエが浴びる返り血はオレで最後だ…オレで最後にしろ麦野!」
麦野「…っざけるなぁぁぁ!テメエみたいなガキの血で私が潰してきた命が!壊してきた世界が!このバケモノの命と釣り合うとか思い上がってんじゃねぇぞぉぉぉっ!!!」
バキッ…バキバキ…
上条「ふざけてんのはお前だ麦野ォォッッ!!そうやって何もかも諦めて、捨てて、壊して…何が暗闇だ。何が怪物だ。何が超能力者だ…!」
ミシッ…ミシミシ…
上条「関係ねえ…関係ねェェえんだよ麦野ォッ!お前がどこの誰で、お前がどんな世界にいるかなんてもう関係ねえんだよォオオオ!!」
ビシッ…ビシビシ…
上条「オレは決めたぞ…お前を縛ってる闇も罪も傷も全部全部抱えて…」
ビキッ…ビキッビキッ…
上条「お前の全部抱えて引きずり上げてやるってなァァア!!」
」
全ての幻想を破壊する右手を繰り出す右手を。
麦野「なら…こんな取り返しのつかないバケモノを…まだ救えるとか思ってるお前の幻想をぶっ壊してやるよ上条当麻ァァァァァア!!!」
全ての現実を破壊する左手を突き出す麦野。
――決着は直後だった――
ボゴオオオオオオォォォォォォン!
上条「!?」
麦野「?!」
ハイウェイが、崩落したのだ。
~第十九学区・崩落のハイウェイ~
麦野沈利の目の前で上条当麻が落下して行く。足元から雪崩のように崩壊していくアスファルトと共に。二人の戦いの余波に耐えきれずに。ジェンガを崩すより呆気なく。
麦野「上条ォォォォッッー!!!」
その瞬間、麦野の頭を占めていた怪物のうなり声はかつて冥土帰しとかわした会話にすり替わっていた。
『―――前に彼が言っていたよ?この右手は異能の力しか打ち消せない、だからスキルアウト達にナイフなんて出されたらもう逃げ出すしかないとね?』
自分とあれほど渡り合った男が、崩落して行くハイウェイから飛ぶ事も、迫り来る瓦礫から身を守る術も持たない無能力者であると言う現実。
麦野「(こんなか弱い生き物に、私はすがっていたのか)」
この時、麦野沈利はきっと始めて『上条当麻』を真っ直ぐ見据えた。そこに上条のかつての言葉が重なる。
『どうでも良かったんだよ。善人だから助けて、悪人だから助けない、そんな区別のせいで目の前で一人の女の子も助けられない、オレはそっちの方が嫌だ。だったらオレは――偽善者でいい』
そう。麦野が描いていた上条当麻(ヒーロー)だった。幻想(あこがれ)だった。今墜ちて行く上条こそが――『現実』だった。
無能力者という蔑みと共に見下ろすでもなく、ヒーローという憧れと共に見上げるでもない、ただの『上条当麻』を…今麦野沈利は始めて対等の目線で見つめた。
『オレは誰かを助けられる――偽善者でいい』
なら
私も
偽善者でいい
アンタと同じ
―――偽善者でいい!!!
麦野「当麻ァァァァァァァァァァアア!」
その瞬間――麦野は、翔んだ。
麦野「当麻ァァァァァァァァァァアア!」
壊すことしか知らない左手を伸ばす。一瞬でいい。一度でいい。一歩でいい。麦野は叫ぶ。腹の底から。心の底から。魂の底から
電子よ跪け
光子よ首を差し出せ
原子よ平伏せ
私は女王
私は原子を統べる女王
原子崩し(メルトダウナー)麦野沈利だと!!!
麦野「っらああああああアアアアアアぁぁぁぁぁぁァァァァァァー!!!」
その時…墜ちて行く上条当麻は見た
上条「…すげえ…」
闇色の殻を突き破り、眩いほどの翼を広げる麦野沈利を…麦野が背負った翼…六対十二枚の…『光の翼』で舞い降りるのを
上条「本物の…天使みたいだ」
一方通行の漆黒でも、垣根帝督の純白でも、御坂美琴の水浅葱の翼でもない…麦野沈利だけの『光の翼』が
ガシィッ!
上条当麻を抱き締め、崩落するアスファルトを消し飛ばし
麦野「…聞いて、当麻」
泣き疲れた子供のように澄み切った、全てを洗い流さされたような麦野沈利の美貌が寄せられ――
麦野「私、アンタの事が―――」
唇に触れるあたたかく柔らかい何かが触れた瞬間…上条当麻の意識は光に抱かれながら途絶えた。
血の味がする、初めてのキスとともに
麦野「………」ニヤニヤ
御坂「………」イライラ
フレンダ「………」ガクガク
黒子「………」ブルブル
絹旗「………」キョロキョロ
初春「………」オドオド
滝壺「…南南西から信号が来てる」ボー
佐天「(ここなんてグラウンドゼロ?)」
上条「…不幸だ…」
上条当麻と麦野沈利の最終決戦から早一週間…順調に回復して行く身体に比例して悪化して行く状況に上条は頭を抱えていた。
麦野「とーうま、アーン♪」
上条「あ、あのですね麦野さん?上条さんはTPOという言葉を最近覚えましてですね、流石にお見舞いに来てくれている人達の前ではちょっと…」
麦野「沈利」
上条「え?」
麦野「し・ず・り」
御坂「」プルプル…!
上条のベッドを挟んで右側がアイテム、左側が超電磁組である。
麦野沈利が口にマスカットを咥えながら上条にしなだれかかるように迫り、それを対岸の御坂美琴がブチ切れ寸前の顔で睨み付けている。
佐天の言うグラウンドゼロ(爆心地)という表現は非常に的を得ているのだ。悪い意味で。
上条「し、沈利…人が!人が見てますって!ってかもう右手使えるから!上条さんは一人で食える食います食べれますの」
麦野「三段活用出来てないわよかーみじょう…ああそっか?うんわかった♪『二人っきり』になったら『いつもみたいに』しようねえ~かーみ~じょーう~?」
御坂「うああああああぁぁぁぁぁぁー!」ビリビリバリバリ!
黒子「お姉様落ち着いて下さいまし!ここは病院ですの!病院ですの!あばばばばばば!!!」
初春「白井さん!御坂さんも止めて下さい麦野さんも煽らないでぇぇぇ!」
絹旗「麦野!麦野!超ヤバいから自重して下さい!滝壺さんもなんか言って下さい!」
滝壺「だいじょうぶ。わたしはそんな女二人の恋の鞘当てを応援してる」
絹旗「超面白がってるじゃないですか!?」
佐天「あっ、お母さーん?うん。私だよ。元気にしてるよー」
絹旗「病院内での通話は超控えて下さい!ってそれ携帯じゃなくて超バナナじゃないですか!」
フレンダ「結局、収集がつかないって訳よ」バチコーン☆
絹旗「誰にウインクしてるんですかフレンダ!超現実逃避ですよ!」
ワーワーギャーギャー
冥土帰し「出入り禁止にするよ?」
ピタッ
冥土帰し「よろしい」
~第七学区、とある病院・屋上~
上条「ふい~…ったく、病室なのに気が休まらないってどうなんだよ実際…」
パタパタと洗濯物やシーツが風に靡き、揺らめく屋上に上条は点滴台を引きずりながら難を逃れにやって来た。
今年は降雨量が少ないのか、梅雨にも関わらず澄み渡った青空が連日広がっている。
むしろあのキャッツ&ドッグスな病室に吹き荒れる暴風雨の方が上条の心を曇らせていた。
上条「…あれから一週間か…」
麦野が顕現したあの『光の翼』…もはや光そのものとなった麦野はすぐさま上条を冥土帰しのいる病院まで飛んで運んで来たのだ。
あと十分遅ければ間違いなく助からなかった致命傷を与えた麦野自身が、上条の命を救ったという絶対矛盾。
あのスキルアウトの装甲車に襲撃された時すら感謝も謝罪の言葉も表さなかった(行動で示していたが)麦野が…冥土帰しに土下座してまで上条の救いを求めたのだ。
上条「といってもふりだしに戻って四日目なんだけどな…ははは…なんかこの病院が別荘みたくなってきちまった」
目が覚めた時、傍らにいた麦野は三日間も寝ずに上条の側に付き添い、それから三日間謝り続けた。死刑を目前にした囚人すら舌を巻く勢いで謝罪し、懺悔し、悔悟した。
以来…麦野の目から時折覗く、信管の壊れた爆弾のような狂気はすっかりなりを潜めた。
あの『光の翼』が目覚めた時、己の中に巣食う何かとの決別を果たしたように…
上条「ん…?待て待て…ってああああああぁぁぁぁぁぁ!」
無我夢中だったあの戦いの最後…そう、上条は確かに言ったのだった。
上条『本物の…天使みたいだ』イケメンAA
上条「あぁあぁあぁあぁあぁあぁ!!!」
コンクリートの上をゴロゴロ転がりながら上条は悶絶した。『光の翼』を顕現させた麦野…あまりに神々しいその輝きに心奪われ思わず発したクサいセリフ。さらに翼ある女神のように呟いた麦野の言葉は…
麦野『聞いて当麻…私…アンタの事が――』
上条「おぉおぉおぉおぉおぉおぉー!!」
極限状態の中とは言え、お互いにもう引っ込みのつかない取り消しの効かない言葉を発してしまった一週間前の自分達の幻想をぶち壊してやりたい。
上条「(そうだ…あの時…オレ達は…キ、キッ、キッスを…!)」
今度は上条当麻の精神状態が瀕死である。カエル顔の医者だって匙を投げるに違いない。なんせ―――
垣根「恋の病と馬鹿につける薬はねえからな」
上条「おわあ!?」
思わずコンクリートの上で上条は後退った。それはそうだろう…屋上の手摺の向こうに、メルヘンな翼を生やして浮遊している垣根帝督の姿があったからだ。
上条「垣根さん!?なんでここにいるんでせうか!?羽!その羽は!?」
垣根「オレの未元物質に常識は通用しねえ」キリッ
上条「なんだよそのドヤ顔!?ここ病院ですよ?お迎えの天使もやってるってのか!?」
垣根「いや、白衣の天使を迎えに」
上条「上手くねえよ!?」
垣根「心配するな。自覚はある」
バサバサとどういう原理で羽ばたいているのかわからないが垣根帝督は屋上に降り立った。
話を聞いてみれば本当に口説いた看護師の彼女を迎えにきただけらしい。だからって何も飛んでくる事はないだろうと上条は考えたが口に出さなかった。
垣根が口を開いたからである。
垣根「…スッキリした顔しやがって。ムカつくぜ」
上条「ははっ…でも、上条さんは掴みましたよ」
垣根「そうか」
短いやり取り。上条が知るレベル5は御坂美琴と麦野沈利と垣根帝督だが、中でも垣根の落ち着きとゆとりは確かに学園都市最高位に相応しく感じられた。
垣根「離すなよ」
上条「離しませんよ」
垣根「向こうが離してくれませんってか?」
上条「だったらいいんだけどなあ…」
垣根「諦めろ。お前の女が誰かは知らねえが…その怪我を見る限り地獄の底まで追い掛けてくるぜ?思い込んだら一直線ってヤツだ」
恋愛経験までレベル5の垣根と恋愛経験すらレベル0の上条の間に隔たる壁は厚く、高く、そして――変な共感がそこにあった。
垣根「まっ、経験者からの忠告だ。せいぜい傷口が塞がるまではやめとけ。上になっても下になっても痛い目みるぜ」
上条「なにをでせうか!?」
垣根「ナニだよ」
上条「上手くねえよ!?」
垣根「安心しろ。自覚はある」
そんな上条の肩を一つ叩いて、垣根はカッカッカと笑いながら背を向けて屋上出入り口へと消えていった。
~第七学区・とある病院・当麻の病室~
麦野「当麻の匂いがする…」モフモフ
御坂「うわ…アンタってそういうヤツだったの?ちょっと引く…(黒子みたい)」
麦野「序列が上だからって気安くアンタ呼ばわりすんじゃねえよ売女。どの面下げてのこのこケツ振りに来やがった」
上条と垣根が話し込んでいる間に白井と初春はジャッジメントに、佐天はこの空気に耐えきれず退散。フレンダはサバ缶を買いに、絹旗は上条が嫌いなので早々に引き上げ、滝壺は気がついたらいなくなっていた。
病室に残っているのは御坂と、上条が脱いだパジャマに顔を埋めている麦野の二人だけである。
御坂「アイツの前と態度違い過ぎない?そりゃあお世辞にも友好的な関係とは言えないけど…」
麦野「これでも譲歩してやってんのよ。アンタもそうだろうし、私もアンタの顔なんて見たくない。当麻の友達でなきゃ誰がアンタなんかと」
御坂が今一つ勢いがないのは、アルカディアでの一件において自分が引き金になった事…そして麦野沈利の変貌ぶりである。
出会った時の事を考えれば、ずいぶん丸くなったように思えた。
上条のパジャマを愛おしそうに抱く麦野からは…かつての剥き出しの殺意も狂気も伺えない。
御坂「じゃあアンタはアイツのなに?友達なの?そ、それとも…まさか…本当に…アイツの…か、かっ、かのじ…痛っ」
麦野「あれー?あっれー?どうしたのっかにゃーん?どうしたのっかなーん?あれー?噛んじゃったー?あれれー?」
御坂「うるっさいわよこの馬鹿!人をおもちゃにして遊んでんじゃないわよぉぉぉ!質問に答えなさいよぉぉ!」
それどころか…余裕…自信…ゆとり…同性の目から見ても心無しか髪艶や肌艶まで輝いているように感じられる。
御坂が10の力で突っかかれば30の勢いで返してきたのが…今や受け流し、手のひらで転がすようにさえしてくる。
…まさか…
上条「ただいまーって…麦野とビリビリだけか?」
御坂「!?アンタ!?」
麦野「おっかえりー。ねぇねぇ当麻?聞いて聞いて?この娘ったらねー…」
御坂「うわあああ言うなぁー!言うなぁー!」
上条「?なに言ってんだか全然わかんねえ…」
麦野「(テメエには譲らないからね)」
御坂「(アンタには渡さないからね)」
戻ってきたばかりで状況が読めていない上条に耳打ちする麦野。それを止めようと食ってかかる御坂。散らす火花。見えざる視線の鍔迫り合い。
日常が帰ってきた――
~第七学区・とある高校1―7~
青髪「うっわ両手に花やで両手に花!カミやんもげろ!カミやん爆発しろ!」
土御門「…お前にしか『見えて』ないのにそんな事言われてもこまるにゃー」
土御門元春、青髪ピアスは昼休みに机を並べて食事にありついていた。土御門は義妹の手作り弁当、青髪は店の残りのパンである。
常ならばそこに加わるウニ頭の少年がいるが今は入院中だ。にも関わらず…青髪ピアスには上条の様子が『見えて』いるのだ。
土御門「せっかくの“第六位”の力も、覗き目的にしか使われてないなんてアレイスターも草葉の陰で泣いてるに違いないんだぜい」
青髪「ええやん。僕あの人の事嫌いやもん」
『第六位』…青髪ピアス。能力名は『俯瞰認識(ハイアングル)』…第七位にして世界最高の原石たる削板軍覇とはまた違った意味合いで…彼は超能力者の序列に加わっている。
一般的に超能力とは予知能力、読心能力、透視能力、念動力、サイコメトリー、瞬間移動、発火能力、念写、霊視などが最も最初に浮かぶだろう。
だが能力開発を受けた学生は一人につき一つの能力しか持てない。幻想御手を用いた木山春生の『マルチスキル』や、魔術師としての力を制限する代価として能力を授かった土御門のような例外を除いて『デュアルスキル』は存在しないとされる。
だが…生まれついて透視を行い、未来を見通し、神が下界を見下ろすような千里眼で世界の果てまで念写出来る力を青髪ピアスが持っていたとしたら?
青髪「それにカミやんにはエラいとこ助けてもらったし。『アイテム』なんかに狙われたら逃げるしかないもん僕」
一方通行のように万物を統べる力も、垣根帝督のような物理法則を歪める術も、御坂美琴のような汎用性も、麦野沈利のような破壊力も、心理掌握のような特殊性も、削板軍覇のような潜在力もない。
ただ見る事に全能化した力。戦闘能力は皆無の上技術転用が難しく、生まれついての多重能力者などこれまでの学識を覆す異才の徒…それが彼の序列が第六位に甘んじている理由である。
土御門「まあ、いきなりバイク盗めって言われた時はびっくらこいたぜい。あんな華麗な登場シーンでカボチャの馬車役やるとは思わなかったにゃー…あれも予知か?」
青髪「僕にわからんのは自分の未来と小萌センセーの秘密だけや!」
だが、全てを見通すとは即ち…情報戦において『最強』の存在であると言う事…核兵器など及びもつかない危険な異才。
全知に等しい力を持った彼は、道行く老人の寿命から世界の終わりまで見通せる。それが存在の明かされない『第六位』の秘密。
青髪「借りは返したで、カミやん」
そう呟いて、青髪ピアスは残りのパンに取り掛かった。
~第七学区・とある高校~
上条「おっ…終わった…」
青髪「あたたたたたた!…おわったぁ!」
小萌「は~いバカの上条ちゃん青髪ちゃんお疲れ様なのですよ~明日はHRの前に来て下さいね~」
上条「へっ…へへ~い…」
青髪「はーいセンセー!ほなまた明日~」
退院後、上条当麻は都合二週間にも及ぶ欠席日数を埋めるべく日夜補習に明け暮れていた。
ただでさえ赤点と追試の常連客だと言うのに更に欠席日数が加われば進級すら危うい。
たった今も何時間目になるかわからない居残り授業を終え、精も根も尽きたと言った様子で上条は机に突っ伏した。
上条「頭が爆発しそうだ…」
青髪「いっつも爆発してるやん」
上条「バカ。これはオシャレだっつーの。ってか何でお前はそんなピンピンしてるんだよ…」
青髪「僕の髪かてオサレやで。ピンピンやて?僕の小萌センセーへの愛はピンピンやなくてビンビ(ry」
上条「言わせねえよ!?」
その傍らには青髪ピアス。
第十九学区での上条と麦野が繰り広げた大立ち回りに一役買ったものの、その際使用した盗難車を乗り回していたのを通報され敢え無く五日間の停学処分となった埋め合わせのため彼もこの場に居るのである。
尚、何故か共犯である土御門へは追求の手が伸びなかった。目立つ金髪より悪目立ちする青髪の方が通報者の印象に残ったためだろう。
青髪「固い事いいなカミやん。固いのはアッチだけで充分やで」
上条「んが~!お前と話してると上条さんのおバカな頭がますます悪く…」
青髪「同じアホやん。補習仲間やし…ん、ちょい待ち」
上条「?」
というような馬鹿話を繰り広げるかと思いきや、不意に青髪が遠くを見据えるような見通すような視線を、あらぬ方向へと向けながら言った。
青髪「そんな事より、校門前で待ってる彼女さん迎えにいったらんでええのん?」
上条「へっ?」
~第七学区・とある高校校門前~
上条「本当にいた…」
麦野「かーみじょーう!」
青髪ピアスの言う通り、校門前には男子生徒の人集り。その中心に彼女…麦野沈利はいた。
上条達の居た教室の位置からは正門の様子など肉眼では決して捉えられない角度であるにも関わらず、だ。
青髪『リアルすけすけ見る見る君や!』
麦野「かーみじょうってば!…当麻!」
上条「はっ!?」
回想の青髪の姿を打ち消すと…そこには初めて見る、女学院の制服姿の麦野が叫んでいた。
麦野「なにボーっとしてんのよ?私の制服姿に見蕩れちゃった?」
純白を貴重とし、ところどころ金糸のアクセントが織り込まれたブレザー&スカートの麦野沈利がそこにいた。
学園都市でも稀な真っ白な制服姿はイヤでも人目を惹きつけて止まず、黙ってさえいれば完璧な美形である麦野沈利が身に纏えば尚更であった。
周りに群がる男子生徒達はさながら砂糖に群がる蟻のようで。
男子生徒A「うわ~すげー綺麗なお姉さん…○○女学院の制服じゃね?アレ。お前声掛けてみろって」
男子生徒B「また上条絡みかよ…なんでアイツばっかり」
男子生徒C「沈利たんの太めの足にチュッチュッしたいお!」
喧々囂々である。しかし、上条の放った第一声は――
上条「む、麦野…いや、沈利…」
麦野「にっ…似合う?久し振りに引っ張り出して着てみたんだけど…」
上条「…本当に…学生だったんだな…?」
ブチッという何かが勢い良く切れる音がした。
麦野「…かーみじょう」
上条「確かに前に聞いてたけど、オレずっと二十歳過ぎかと思っててさ!まさかな~って…あ、あれ?麦野サン?」
上条は見た。俯き加減で栗色の前髪が目に被さりながらも動く、麦野の形良い唇が…
麦野「ブ・チ・コ・ロ・シ・か・く・て・い・ね」
上条「んなっ!?」
と呟かれるのを見た次の瞬間、麦野は左手を突き出し目に青白い光を宿して吼えた。
麦野「さんにーいちドバーン!!!」
上/条「ごっ、がァァァァァァアアアあああああああああああああああああッッッ!?」
男子生徒ABC「「「!!?」」」
黒山の人集りを突っ切って放たれた上条を焼き切る原子崩し。
先ほどまで綺麗と可愛いの理想的な中間点を極めていた純白のお嬢様の変貌ぶりに狼狽する男子生徒達。
当の麦野と言うと…ドン引き状態の男子生徒達に白眼を剥かんばかりの勢いで叫んだ。
麦野「パリイ!パリイ!パリイ!ってかァ?見せ物じゃねえぞクソガキ共!!誰の脚が太いだァ!?使い道のねぇ皮付き×××ジュージュー焦がしてグリルパーティーにしてやろうかぁ!?」
男子生徒ABC「「「しっ、失礼いたしましたぁぁぁー!!!」」」ピャー
上/条「 」ブスブス…
麦野「ったく…はあっ、当麻!お茶して帰るわよ」
焼け焦げた上条の手を持ちズルズルと引きずって行く麦野。御披露目となった制服姿は見事御破算となった。せっかく抱いた恋心までイマジンブレイカーされてしまいそうだ。
青髪「こ、怖わー…第四位怖わー…」
それを『見て』いた青髪は七月に入ったと言うのに髪どころか顔まで青くして震えていたそうな。
~第七学区・ファミレス~
上条「死ぬかと思った…」
麦野「私も死んだかなって思った」
不死鳥の如く蘇った上条当麻はクリームソーダを、麦野沈利は早めの夕食にシャケ弁とストロベリーサンデーを食べていた。
窓際の奥の席で、ブラインド越しにも夕陽が眩しい。茜色の入道雲が彼方に窺える自然のパノラマだ。
上条「悪い悪い…つーかマジで上条さんもびっくりですよ。いきなり校門の前にいるだなんて思ってもなかったぜ」
麦野「教えちゃったらサプライズの意味ないでしょ?あっ、一口ちょうだい」
上条「あ、ああ(また、間接キス…!)」
麦野「…かーみじょう。唇見過ぎ。なーに考えてんのーかーみじょう?」
一口ストローからクリームソーダを飲む麦野の口元を知らず知らずの内に見つめていたのを目敏く麦野が指摘した。
麦野「もう直接チューしたじゃない」
上条「うっ」
麦野「続きしたい?」
上条「んおっ!?」
麦野「今度は血の味のしないキスがいいね」
第十九学区にて、麦野は上条と口づけを交わした。大量出血による朦朧とした意識の中に感じたそれは、未だ上条を懊悩させるには充分に過ぎた。
クスクスと含み笑いを浮かべる麦野は確かに上条よりも年長者のそれだった。どちらに転んでも自分の優位は揺らがないと確信している目で。
そんな麦野の吸い込まれそうな目から泳ぐように視線をそらせた先に…壁に張り付いた一枚のポスターが。
上条「織女星祭か…そういやそろそろか」
麦野「ん?ああ織女星祭…たしか第十五学区でやるやつよね?花火の」
上条「ああ。去年は中学の頃の友達と行ったよ」
上条が見ていたポスター…それは織女星祭(しゅくじょせいさい)の案内である。学園都市最大の繁華街を構える第十五学区で催される七夕祭りで、同時に花火大会でもある。
その規模たるやほぼ全ての学生がごった返すほどの盛況ぶりで、花火大会に至っては三万発もの花火が打ち上がる。
麦野「ふ~ん、まあ私は人混み苦手(ry」
上条「行かないか?麦野」
カラン、とシャケ弁を頬張っていた割り箸が転がる。いつも自分が押し掛けたり誘ったりの割にはあまりそういう話題を振ってくれない上条に面食らったのだ。
麦野「なーに?さっきの事ならここの払いで勘弁してあげるわよ?」
上条「それならなんとか…じゃなくて、沈利と回ってみたいな…って思ったんだけど、やっぱりオレみたいなのが並んで歩いてたらお前と釣り合わないよな、はは…恥ずかしいもんな(ry」
ガタン!!!
と今度は割り箸を叩きつけるようにして身を乗り出し上条に詰め寄る。その勢いでシャケ弁が僅かにこぼれる。
麦野「関係ねえよ!!他人の目なんてカァンケイねェェんだよォォォ!!私は当麻と二人で回りたいんだよォォォ!!」
上条「!?」
…シーン…
?「水出しコーヒー1つ」
店員「あ、あ、お客様、水出しコーヒーなるものは当店には…コーヒーでしたらあちらのドリンクバーに…」
?「はァ?なンなンですかァ?この店の品揃えの悪さはァ?客舐めてンですかァ?」
一人のホワイトヘアーの客が注文を告げる以外の声が皆無の店内。静まり返った周囲を見渡すと麦野は再びストンと椅子に直った。
上条も口をあんぐりとさせ二の句が告げずにいて、麦野も若干トーンを落とした。
麦野「…行くわよ」
上条「え…」
麦野「行く。せっかく誘ってくれたんだしね。ただし、歩くのあんまり得意じゃないからちゃんとエスコートしなさい」
上条「ああ!」
麦野「…たーのしみだねー、かーみじょう」
それを聞いて上条がホッと一息ついたように麦野には見えた。遊びに誘う言葉一つ気の利いた事が言えないいじらさが、どこか微笑ましく思えた。
麦野「(どこぞのチャラ男とは大違いねー。同じ男でもずいぶん)」
一方、ホテル『カエサル』では
垣根「ぶえっくし!」
女「ていとく~いつまでも裸でいるからだよ~」
垣根「モテる男には噂がつきものなんだよ」
~第七学区・とあるゲームセンター~
麦野「あっはっはっはー!逃げろ逃げろゾンビ野郎!ケツの穴増やしてやるよォォォ!!!」バンバンバン!
上条「おい!人質まで撃つなって!うわわまた来たぞ!キリがないっつの!」ドンドンドン!
ファミレスでお腹を満たした二人はいつしか河岸を変えゲームセンターにいた。
銃を横倒しにして乱射しまくる麦野、両手で構えて撃ち漏らしたゾンビを狙う上条。純白の制服姿でガンシューティングとは言え顔芸しながら乱射する光景はかなりシュールである。
mission complete!
麦野「Yahooooo!!!」
上条「(すっげえはしゃいでる…)」
クリア画面を見てご満悦の麦野。意外とこういうゲームなどをした事がないのか、小さくガッツポーズなどしている。
上条が聞くところ、普段はダーツバーやプールバーにいるらしく、たまにクレーンゲームをする程度らしい。
麦野「あースッキリした…なんかいいね、制服デートって感じで」
上条「デート、か…」
しみじみと語りながらネームエントリー画面に『KMJ&MGN』と撃ち込んで行く麦野。その横顔を見ながら上条は思う。あのキスからだろうか?自分が麦野を…強く意識し始めたのは。
麦野「当麻?またボーっとしてる」
上条「あっ、ああっ、悪い悪い…クリアしてなんか浸っちまったな」
麦野「ふーん?」
こうして覗き込んでくる視線やふとした時に香る香水など、以前はフィルターを通したように気に留めなかった些細な事柄の一つ一つを意識する。
麦野「んっ…上条上条。プリクラ」
上条「おー。好きだよなあ女の子は」
麦野「撮った事ない?」
上条「いや、前にクラスのヤツらと撮った。土御門…ってわかんないか。オレの友達なんだけどさ、あと青髪とオレで変顔やって――」
そんな上条を麦野は見つめる。無能力者と見下すでもなく、ヒーローと見上げるでもなく、同じ目線で同じ立ち位置で見られる男として
麦野「じゃあ、一緒に撮らない?」
上条「いいのか?」
麦野「いいからいいから。よっ…フレームはこれにするか…っと、っと、美白はオススメでと」
それがいつまで続くかわからない。それでも一緒に居たい。出来るだけ長く。かなうならこの先もずっと。
上条「む、麦野!ちょっとくっつき過ぎじゃねえか!?って、てか胸が顔に…」
麦野「だって狭いでしょ~?くっつかないと顔切れちゃうし?」
上条「二人しかいねえだろ!?」
麦野「ほらほら。あの顔やってあの顔」
上条「こうか?」イケメンAA(ry
麦野「あ~らいい男」
だから、この宝物をたくさん増やしていきたい。
パシャッ
上条「うおっ!?しまった半目だ!」
麦野「えいっ」ポチッ
上条「だあああそれ使うなよ!!!」
麦野「プリ帳の一番頭に貼ってやるよォォォ!ピンナップにして晒してねぇぇぇかーみ~じょーう~!」
上条「勘弁してくれぇぇぇ!」
『死』が、二人を分かつその日まで
~第十五学区・噴水広場~
上条「あっちいー…やっぱ早く来すぎたか…」
バサバサと羽ばたき白い羽を真夏の青天へと振りまいて行く鳩の群れを見送り、上条当麻は僅かに汗を吸ったシャツの胸元を伸ばしたり引っ張ったりして風を送る。
時刻は15時30分。小萌との補習もなんとか正午には切り上げられ息巻いて待ち合わせ場所まで来たものの…
上条「まだ30分もあるしなあ…けど土御門が言うには“30分前行動は紳士の嗜みだにゃー”なんつーし」
木陰を選んで広場全体を見渡せるベンチに腰掛けたもののやはり暑い。さっき買ったばかりのコーラがもう汗をかいている。
ファミレスでのやり取りの流れから勢いとはいえ初めて自分から誘ったシチュエーションに恋愛経験までレベル0の上条は緊張していた。
上条「麦野か…どうなんだろうな、結局のところ」
第十九学区での告白とも取れる言葉と、薄れていった意識の中にも感じた唇の感触。なのに麦野は茶化すように蒸し返す事はあっても本筋には触れない。
また上条もどう返して良いのか態度を決めかねていた。一本気な性格ではあるが、こうした経験に乏しいが故である。
上条「ったく、わかんねーっつの…自分で自分がわっかんねえよ」
一度目は狂気に満ちた殺人者、二度目は泣き叫ぶ子供のようで、今は…時折口の悪さが出るものの普通の女子高生に見える。
出会って、触れ合って、ぶつかって。まだ出会って1ヶ月かそこらなのに…驚くほど近くに、側に、傍らに、麦野沈利はいた。
――そして今も――
麦野「かーみじょう」ダキッ
上条「おうわっ!?」
慣れぬ物思いに耽っていた当麻のベンチに音もなく近付くとその豊かな胸に後頭部を抱くようにくっついてくる。
思わず振り返ると16時5分を示す時計台と、ノースリーブの服を来た麦野とが見えた。こんなに時間が立っていたのかとやや驚く。コーラは既にぬるくなっている。
麦野「待った?」
上条「あ、ああ。ちょうど今来たところだ」
麦野「嘘。20分前からここにいたじゃない」
上条「見てたんなら声かけろよ!」
麦野「だって、当麻の顔見てたから」
思わず首を回して抱きつく麦野を見上げる。当の麦野はそんな上条に鼻面をコツンと合わせて間近で囁く。
麦野「気づいてたかなーん?アンタってボーっとテレビ見てたり、こうやって一人で待ってる時が一番カッコいいの」
上条「一人でいる時の自分の顔なんかわかるわけないだろ…って普段上条さんどんな顔してるんでせうか…」
思わず鼓動が高鳴る。見慣れた麦野のはずなのに、何故か一段高く見えた気がした。
麦野「じゃあ移動する?それとも少し涼んでから?遅れちゃった分ご馳走してあげてもいいんだけど?」
上条「そうだな、少し涼んでからにするか!」
麦野「じゃあボックス。歌いたいし」
そして二人は連れ立って歩く。麦野が腕を絡ませながら。広場を出て歩行者天国の至る所から伸びる笹の葉。そこに吊り下げられた幾多の願い。
麦野「ねえ当麻?」
上条「ん?」
麦野「こんな綺麗なお姉さんと連れ立って歩けて嬉しい?」
上条「自分で言うなっての!」
笑いながら答える。確かに麦野は美人だ。この人混みの中でも振り返る男が何人もいた。確かに悪い気はしないのだが…
麦野「そう?どんな服や高い腕時計つけてるより目立てるよ~かーみじょう」
上条「麦野はモノじゃないだろ」
麦野「モノでいいよ。アンタのモノで」
たまにこういうとんでもない爆弾発言をする。返答に窮した上条はその特徴的なウニ頭をかいて誤魔化した。
この雑踏の中で聞かれる事はないだろうが、こんなことを言われて勘違いしない男などいるのだろうか?
麦野「その代わり、腕時計くらいには大切にして欲しいわね」
麦野は答えを出した。次は己の番だと言われた気がした。
~第十五学区・カラオケボックス『ハウリング』~
麦野「っざけんなァァァ!あと4点はどこいったんだよぉぉぉー!」ガンガン!
上条「落ち着けって麦野!マイク叩くな!見ろ!全国一位だろ!!何が不満なんだ!?」
麦野「なーにが全国一位だ。そんなのカぁンケイねェェんだよォォ!94点なんてしょっぱい点数ジジイの××××の方がまだ気合いが入ってんだよぉぉぉ!」キーン!
上条「マイク切ってから叫べよォォォ!」
シルビィ・バルタンの『IRRESISTIBLEMENT』を天使のように歌い上げるも、採点の直後にご覧の有り様である。
歌い上げるその儚い横顔は麦野の新たな一面を上条に感じさせるが、やはり麦野は麦野である。
ヨーロピアンポップよりスラッシュメタルの方が似合いそうとは言わなかった。
上条「そ、それに良い歌声だったと思うぞ?上条さん英語はわかりませんがこう、麦野サンの熱いハートが伝わるような…」
麦野「(絶対わかってないなコイツ)」
IRRESISTIBLEMENT…日本語に意訳すれば『あなたのとりこ』という曲だが、洋楽に明るくない上条はその歌詞を知らない。知っていれば上条の顔が真っ赤だ。
麦野なりの愛のメッセージだったのだが、そんな上条の鈍さはもはや今更であった。
麦野「はー…次アンタなんか歌いなさいよ。90点以下ならオ・シ・オ・キ・か・く・て・い・ね」
上条「ったく…わかったよ。オレも久しぶりだからお仕置きはやめてくれよっと」ポチッ
チャンチャチャラチャンチャチャラ…
麦野「BACK-ON?バクオン?」
緩やかなイントロの後激しいパートへと移り行く様を麦野は見ていた。熱唱する上条の姿がPVのツンツン頭の少年とかぶって見えた。『CHAIN』という曲らしい。
麦野「(英語わかんないって言ったクセに上手いじゃない)」
上条の意外な一面を見たような気がした。採点が始まり…終わった。点数は…
上条「は、89点…!」
麦野「ざぁぁぁんねェェェんでぇぇぇしたァァァかーみじょうー!!」ガシッ
上条「不幸だぁぁぁー!な、なにすんだ麦野!おいなんだ!なにすんだよ!?」
麦野「あっはっはっはー!なーんで私がわざわざこんなボックス選んだと思うかわかるかしら?…音が漏れようが声出そうがカァァンケイねェェんだよぉぉぉー!」
上条「だ、誰かー!」
~第十五学区・人工湖~
夕刻。時間は17時35分を示していた。行き交う人々はそれぞれ繁華街を有する第十五学区と商業区画を有する第十六学区を結ぶ大桟橋か、その下に広がる森林公園内にある人工湖に集まっていた。
麦野「花火って何時からだったけ?」
上条「確か六時から九時までだろ」
二人は広大な人工湖の畔にいた。至るところにあるストーンサークルの一つに腰掛けながら。
麦野「腰痛いわねえ…当麻、膝だっこ」
上条「へいへい…よっと」
手の『マスクメロンのジーザスブレンド』を飲みながら上条の膝に移る麦野。歩くのが苦手というだけあって不得手な人混みで少々くたびれたようだ。
麦野「ふんっ…あーいい気分。あのお子様のクソガキが見たらどんな顔するかしらねー?」
上条「?」
麦野「あのいけ好かない第三位よ。今の私達、付き合ってるみたいに見えない?」
膝の上からもたれるようにしながら腕を後ろに上げて上条の首筋に触れる。勝ち誇ったような表情で。
麦野「それとも…アンタはあの第三位みたいな方がタイプ?」
上条「ビリビリは違うだろ。あれはケンカ友達っていうか…う~ん友達か?未だに見つけたら電撃飛ばしてくるし…オレって嫌われてるのかな…」
リンゴ飴を舐めながら溜め息をつく上条。ただし肝心の『付き合ってるみたい』という部分には敢えて触れない。だが麦野は追求の手を緩めない。
麦野「じゃあ、私は当麻のなに?」
上条「…えっ」
麦野「ただの女友達?どうして他人の事には一生懸命なのに自分の事はいつも後回しなのかしらね、アンタは」
屋台からの呼びかけ、出店の賑わい、人々の話し声、雑踏の音、薄暗くなり始めた空に、迷子のアナウンス、目の前の麦野の顔が…見えない。
麦野「私、アンタとお祭り来るって決めてから浴衣買おうかなって思ったんだけど、やめたんだわ。歩きにくいし似合わないし。来年にしようかなって」
こんなに近くにいるのに、麦野が遠い。
麦野「でも、今ちょっと後悔してるのよ」
『――間もなく織女星祭、大花火大会を開催いたします――』
時計が、六時を指し示した。
麦野「――来年が来るだなんて、どうして言えるの?当麻――」
ドン!ドーンドーン!ドーンドーン!
花火が上がる。夕闇が晴れる。腕の中の麦野の顔が見えた。
~第十五学区・人工湖2~
上条「なんだよそれ…ははっ、そんな…死ぬかも知れないみたいな」
麦野「私には今しかねえんだよ上条当麻。来年どころか、明日の保証なんてお上品な代物あのクソッタレな暗部では聞いた事すらないわ」
赤色、黄金色、大輪の菊。様々な花火が夜空というキャンパスに描かれては消え行く。周囲から歓声や拍手が上がる。にもかかわらず
麦野「何が最後になるかわからない。私はそういう覚悟でアンタの側にいんだよ…見くびってんじゃねえぞクソガキ」
麦野から目を離せない。痛いほど真っ直ぐな眼差しだ。
麦野「まっ、こういう言い方は卑怯だったわ。ごめんね当麻。今私スッゴい嫌な女だった」
そういって麦野は目元を和らげた。それが一層、上条の胸に突き刺さった。
上条「…沈利」
麦野「…なに?花火見なさいよ。そのために来たんじゃないのかーみじょ…う!?」
その時、上条は麦野を抱き締めた。小さな背中、細い肩ごと力強く。
麦野「…イッタイわね…何よいきなり」
上条「………………」
手を握る事や、腕を組まれる事や抱きつかれる事は今までいくらもあった。だが…こうして麦野を抱き締めた事は上条にはなかった。
麦野「あれー?どうしたのかーみじょう?さっきの話聞いて不安になっちゃったー?あれー?…大丈夫よ当麻。私はレベル5の第四位よ。それは私と三度も戦ったアンタが一番良く知ってるでしょ?」
上条「でも…その前に麦野だって女の子じゃないのかよ!」
無理にシリアスな空気を和らげようとした麦野に上条が押し殺すように言った。不意に、垣根帝督の言葉が上条の脳裏に浮かぶ。
垣根『――オマエの言うレベル5の女が誰かは知らねえが、女は女だ。女は言葉じゃ納得しねえ――』
今やっと、上条当麻は自分の思いを自覚した。最初は冷徹な抹殺者、次は情緒不安定な女の子、今は…今の麦野沈利は上条当麻の…
麦野「…なら行動で示してみなさいよ上条。紛い物の言葉なんていらない――本当のアンタを、私に寄越しなさいよ」
垣根『――男だってそうだろ?お前だってそんな小利口な生き物に出来てねえハズだぜ?――』
上条の膝の上にいた麦野が顔を寄せる。遠い夜空に夢の中のような花火が上がっている。いくつもいくつも。皆がそちらを向いている。だが
麦野「…二度目は、アンタから来て…」
麦野は上条しか
上条「…ああ、見せてやるよ。オレの答えを」
上条は麦野しか見ていなかった。
ドン!ドン!パラパラパラパラ…ドーンドーン…
花火が上がる。照らされた二人の男女の影絵が2つに重なる…2人しかこの世界にいないように…
麦野「…ヘタクソ」
上条「…悪い、初めてだったんだよ」
麦野「…知ってるわよ童貞」
上条「童貞って言うなよ!!!」
麦野「…でも」
上条「?」
永遠にも感じられた一瞬が、1つの影絵を2人のシルエットに戻して行く。少しはにかんだようにうつむく麦野と、バツが悪そうに顔を赤くする上条。
麦野「…もう一回…」
七月七日…二人にとって、この『織女星祭』は最初で最後の記念日となった。
出会って、触れ合って、ぶつかって、ようやく結ばれた二人。
しかし
?「ハッ…ハッ…ハッ…あ、あそこかも!やっと見つけたんだよ!学園都市!!」
夜闇を駆ける、純白の修道女は光を求めてゲートを目指す。二人と同じく、花火を目印にひた走る。その先に待ち受ける運命も知らずに…
上条当麻と麦野二人の短い夏…残り13日。
夏への扉を開く、夢のような一夜はこうして幕を閉じた。
~第十五学区・モノレール~
麦野「苦しっ…」
上条「(むっ、胸が…!)」
織女星祭終了後、2人は帰りのモノレールの車内にすし詰めにされていた。
最初から予想されていた事だが、思った以上に帰り道である大桟橋は混雑を極め、2人は長蛇の列を並び終えて一時間遅れで帰路への足掛かりを得た。
今は上条が身を挺して麦野に身体を預けさせ仲良く揺られている形である。そのせいか麦野沈利の豊かな胸元が上条当麻の身体に密着している体勢だ。
麦野「…かーみじょう。伸ばした鼻の下に穴もう一個増やして欲しい?」
上条「はい!?か、上条さんはそんなふしだらな男ではありませんの事ですよ」
麦野「…嘘吐きは鼻が伸びるってのも絵本で読まなかった?かーみじょう」グリグリ
上条「イタタタ!?沈利!足!足踏んでるって!」
麦野「ごっめーん狭くってつい☆」
乗客「「「(うぜえ…)」」」
先程までの照れ隠しなのか密着しながらも仕返しする麦野。悶える上条。車内の温度を違った意味で上げる二人への冷たい視線を送る乗客。
麦野「(彼氏、かぁ…)」
ポフッと麦野は上条の胸板に額を預ける。少し高めの体温、少し早めの鼓動、少し汗臭くなっているが嫌ではない。
部屋にあるかなり年季の入ったぬいぐるみに顔を埋めるように目を細める。肌を重ねたでも身体を交わしたでもないのに、麦野はもう離れられる気がしなかった。
上条「(かっ、かっ…彼女、かぁ…)」
先程抱き締めた時の華奢な身体の感触がまだ腕に、手に、指に残っている。
幸福過ぎて現実感が無く、もしやこれは真夏の妖精が見せる一夜の夢ではないかと上条は思う。だがしかし…
麦野「………………」キュッ
上条「…どうした沈利?疲れたちまったのか?もう少し我慢してくれよな。あと二駅だから」
麦野「………………」フルフル
上条「沈利?」
麦野「当麻…」
上条に身体を預けたままジッとしていた麦野がシャツの裾を握り首を横に振る。
モノレール内の蒸し暑さに気分を悪くしたのかと上条は訝った。だが麦野の口から出た言葉は――
麦野「ウチくる?」
上条「」
麦野「おいおい黙んないでよ。優しくさすってやれば感覚戻るかにゃーん?」ナデナデ
~第?学区・麦野沈利の別宅~
上条「(拝啓…私こと上条当麻は、今カノジョの部屋におります)」
ひと月分の家賃で軽く一年分の仕送りと奨学金を凌駕する高級マンションの一室に上条当麻は放り込まれていた。
麦野曰わく、イタリア製の聞いた事もない家具ブランドのソファーに座り、頭を抱えて。
上条「どうしてこうなった…」
初めて自分からデートに誘った、初めて自分からキスをした、初めて自分に彼女が出来た、初めて尽くしの一日の帰路の中…麦野が告げた言葉に上条は激しくうろたえ、最初は固辞しようとした、が…
麦野『タマ落としてんじゃねえよこのエセ紳士!まだ早いとか関係ねえよ!!初めてとかカァンケイねェェんだよォォォ!!女が腹くくって誘ってんのに恥かかすんじゃねえぇぇ!』
と、強制連行されてしまったのだ。当の麦野は今シャワーを浴びている…年上の綺麗なお姉さん系にして初めての彼女…初めて上がる部屋…
上条「お、大人の階段の~ぼ~る♪」
何故か父が口ずさんでいた歌を歌ってしまう上条当麻であった。
~第?学区・麦野家バスルーム~
麦野「どうしてこうなった…」
麦野沈利は浴槽に身を沈めながらバチャバチャとお湯を弾きながら顔を真っ赤にしていた。羞恥と湯当たりに。
電車内でのやり取りはもっと可愛らしく誘いたかった。女の子らしくしたかった。なのに上条がビビって拒もうとしたから…
麦野『なんだなんだぁその引け腰はぁ!そんな腰使いじゃ○○○もイケねえぞォォッ!ウブなネンネじゃねェェんだよォォ!遅いか早いかやるかどうかなんだってんだァァ!』
麦野「…どうしてこんなにひどい流れになっちゃったのかな」
めでたく恋仲となり、舞い上がって、帰りのモノレールで別れ離れるのがたまらなく怖くなり、勢いで誘い、吐いた唾を飲み込めずにここまできてしまった。
麦野「あああぁぁぁー!当麻が!当麻が!ここから出たら当麻があああァァァ!」
バスルームから出る勇気が湧いてこない。自分の家なのに。そこで
~ムギノ(M)ネット(N)ワーク(W)~
【初夜】彼氏とお泊まりなんだが…【初体験】
1 :以下、名無しにかわりましてアイテムがお送りします ID:Mugino
誰か助けて。今彼氏来てるけどどうしていいか全然わかんない。バスルームから出られない。
2 :以下、名無しにかわりましてアイテムがお送りします ID:Kinuhata
またあの男ですか!またあの男ですか!バスルームとか>>1超不潔です超ふしだらです
3 :以下、名無しにかわりましてアイテムがお送りします ID:Furenda
結局、>>1も男に走るって訳よ!あああグッバイマイラブ!!でもバスルームなら>>1のオッパイうp
4 :以下、名無しにかわりましてアイテムがお送りします ID:Takitsubo
だいじょうぶ、わたしはそんな乙女な>>1を応援してる(o*′ω`*)
5 :以下、名無しにかわりましてアイテムがお送りします ID:telephone
YOUヤッちゃいなYO!男はみんなケダモノ☆ナッシングパンティで迫っちゃいなYO!相手はきっと期待してるYO!
6 :以下、名無しにかわりましてアイテムがお送りします ID:Hamadura
バニーガールのコスプレすりゃ楽勝だ、レベル5
麦野「ダメだコイツら使えねえ…やっぱりあがろう…」
脳内会議を打ち切る。なんか知らないヤツまでいるし。それにひどくのぼせた。もうあがらなければ――
クラッ…
麦野「アレ…?」
力が…入らな――
バタンッ
~第?学区・麦野家リビング~
麦野「ごめん…当麻」
上条「いいって。疲れてたんだろ?」
今麦野沈利はリビングのソファーで上条の膝枕に頭を乗せていた。
夏の陽射し、織女星祭、告白と成就、そして不安と長湯が重なり疲れていた麦野はのぼせて倒れてしまったのである。
その物音を聞きつけた上条に引っ張り出され、今はバスローブ姿だ。
麦野「せっかく来てもらったのに…」
上条「いいんだっつの」
麦野「期待してたでしょ?」
左手を伸ばして上条の頬に触れる。その言葉に上条の方がのぼせたように熱い。その手を取られる。
上条「無理すんなって。焦る事ねえよ…俺達は俺達のペースで行こう…今は沈利の身体の方が大事…だろ?」イケメンAA
麦野「(ずるい…)」
だがもうそんなムードではない事も確かである。女慣れしていないくせにこういうところだけガツガツしていない。
こっちは離れるのが忍びなくなって、決死の思いで誘ったというのに…
麦野「じゃあ、朝までいて」
上条「!?」
麦野「それともぉ…こ~んなフラフラの女の子ほったらかして帰れるのかなか~み~じょ~う?」
~第?学区・麦野家寝室~
上条「(~~~ッッッ!!!)」
麦野「あれー?あれー?さっきまでのイケメン面はどこに行ったのかなー?あれー?」
2人は天蓋付きのクイーンサイズのベッドに同衾していた。向かって左側が寝ているのにほぼ直立不動の上条、その右側に侍るは麦野。
上条の腕枕に頭を乗せ、胸板に手を乗せ、際どく脚を絡めている。逃がすまいとでもするように。
上条「むっ、ムギノサン?カミジョウサン、フロバネル、イキナリヨクナイ」
麦野「なにインディアンになってるのよ…“ただ”寝るだけじゃない?お客さんをバスに寝かせるなんて出来るはずないでしょ」
上条「カミジョウサンソファーデネル、マダハヤイ、イマナンジ?ソーネダイタイネー」
『ただ』という点を敢えて麦野は強調する。上条が理性を無くせばこちらの勝ち、手を出さなくても上条がヘタレという事でやはり勝ち。どちらに転んでも麦野の優位は動かない。
麦野「(上条当麻…この土壇場に来て…やっぱりアンタは童貞よ…ふふふふ…ごくありふれたラブコメしか知らない人間の考え方をする…)」
麦野「(付き合ったその日にお泊まりイクナイ』とか女から誘うのなんてありえないだとか…)」
麦野「(便所のネズミのクソにも匹敵するそのくだらない物の考え方が命取りよ!フッフッフッフッ…)」
麦野「(この麦野沈利にはそれはないわ…あるのはたったひとつの思想だけ…たったひとつ!“惚れさせて独占する”)」!
麦野「(それだけよ…それだけが満足感よ!過程や…!方法なんざ…!関 係 ね ェ ェ ん だ よ ォ ー ー ー ッ」)」
どこぞの吸血鬼が乗り移ったように勝ち誇る麦野。一方、上条当麻は…
上条「(どうする?なにをどうすれば…方法は?タイミングは?武器は?何を…どう選べば!?)」
メスライオンに求愛されるオスのシマウマの図である。紳士である前に上条は男である。男に戦いは常である。
上条「む、麦野!本当に寝るだけだぞ!寝るだけだからな!いいよな!?」
麦野「だからそう言ってるじゃない…ちょっとアンタ鼻息荒すぎ」
どこまで奥手なんだ新手の焦らしか?それともフリか?とジト目になりながら麦野は上条を見上げる。
だが当人はひどく弱気な表情で…
上条「わ、悪い…オレこういうの初めてで…」
ブチッ
だが…我慢に我慢を重ねていた麦野にとってはそれが限界点であった。
麦野「わ、私だって初めてだってんだよぉぉぉ!!!」
上条「!?」
麦野「?!」
二人の間に天使が通り過ぎて行った。
上条「は、初めてって…?」
麦野「………!」
言った、言った、言ってしまった。地金と馬脚の両方を晒してしまった。一度に
麦野「ああそうよ!初めてだよ!キスしたのだって彼氏出来たのだって男を家に上げたのだって!」
ボスンと上条に覆い被さり麦野が吠える。肩を小刻みに震わせながら
麦野「重いだろぉがぁ!私アンタより年上なのに!年下のアンタと同じなんて重いでしょうが!!」
上条「痛っ、痛っ!?」
ボスボスと上条の胸を叩く。しかしその力はひどく弱々しい。
麦野「小学校は化け物扱い、中等部は腫れ物扱い、女学院に至っては暗部入りだレベル5だ第四位だ!声かけてくんのはモルモット扱いの研究者かヤリたい盛りで頭カラッポのチャラ男ばっかりだってんだよ!んな重てぇ女アンタ以外の誰が必要とするってんだよォォオッ!」
後半はほとんど涙声だ。必死に築いてきた『自分が周りにどう見られているか』という壁が崩れていく。過剰なスキンシップは、言わば防衛反応。踏み込まれるのが怖いから年上の女を演じる。
まともな恋愛をした事がないから距離感がわからず過ぎた手探りを繰り返す。
上条を手放したくないから身体で繋ぎ止めようとする。でなければ二度目のキスをあんなにしおらしくしない。お風呂でのぼせたりしない。
麦野「ううっ…こうでもしなきゃあの第三位がまた来るでしょうが!あのリンゴ持って来た女の子も!アンタを…当麻を盗られるじゃない!」
上条「………………」
それを上条は黙って聞いていた。しかしそれは涙で目元がグシャグシャの麦野にはわからない。
上条「沈利」
麦野「(ビクッ)」
麦野の身体の震えが上条に伝わる。上条の声音が麦野の耳朶を震わせる。
上条「オレはそんなに頼りない彼氏か?」
麦野「ちっ、違う…!」
上条「言っただろ…お前の全部抱えて引きずり上げてやるって!」
麦野沈利はまだ見誤っていた。上条当麻という男を。
上条「いいぜ…お前が自分の事を重い女だって思い込んでるってなら…オレが年下だから本当の“麦野沈利”を偽るってなら――」
麦野「と、当麻…!あうっ!」
泣いている女の子を前にしてヘタレ続けるほど上条当麻は臆病ではなく…安っぽい同情や薄っぺらい使命感で動くほど人間が出来ていないと言う事を
上条「――まずは、その幻想をぶち壊す」
麦野「とう――んむっ!」
~第三学区・プライベートプール~
上条「むっ、麦野さん?どうしてもここじゃないとダメでせうか?」
麦野「不満?なんならもっと広い所借りて――」
上条「広すぎるだろ!二人だけって時点で!!」
上条当麻と麦野沈利は第三学区にある高級プライベートプールにいた。
トランクスタイプの上条と黒のビキニスタイルの麦野の二人きりである。
周囲は当然ながら無人であり、堆く広がる入道雲以外に二人を見下ろす者はいなかった。
上条「どうなってんだよレベル5の財力って…学校か市民プールしか行けない上条さんには想像も出来ない世界です」
麦野「お金は使わなきゃただの数字よ。使ってこそ意味があるの」
上条「その数字すらオレには縁がないっての!」
麦野「それに…」
バーン!
上条「いっ!?ったあああぁぁぁー!」
麦野「アンタ、“そんな”背中で本当に市民プール行くつもりだったの?」
剥き出しの上条の背中に麦野は平手打ちを食らわした。さほど力は込めていないが上条には叫ぶほど痛がる理由があった。それは…
上条「~~~沈利が爪立てるからだろうが!!」
麦野「だよねー。だいぶ治ってきたけどまだ蚯蚓腫れ引いてないし」
上条の背中を走る十指の爪痕。誰の目にも明らかなそれは、二人の今現在の関係性をこれ以上なく雄弁に語るそれだった。
麦野「まっ、そういうのも男の勲章かも知れないけどこれからはそういう事にも気を使いなさい――アンタは私の男なんだから」
フフンと鼻を鳴らして満足度に腰に手を当てる麦野。未だヒリヒリする背中を後ろ手にさする上条が恨みがましい視線を向けるもなんのその。
上条「麦野さん…なんか当たりがキツくなってないでせうか?」
麦野「気のせいね。さっ、泳ぎましょ(マーキングよマーキング)」
依存心を脱したとは言え麦野沈利は独占欲と執着心が人一倍強い女である。ましてや相手はお人好しかつフラグを乱立させる上条である。念はどれだけ入れても不足はない。
麦野「(同じ女ならわかるでしょ。あんな爪痕立てるような女相手にしたらヤバいって)」
恋は戦争、と誰かが歌っていた。その通りだと麦野は真っ黒なイイ笑顔を浮かべた。
~第三学区・プライベートプール2~
上条「(女の子って…わっかんねえ生き物だよな…)」
上条はとりあえずプールの端から端までを目標にクロールで泳いでいた。背中の痛みはだいぶ引いたし水に触れても大丈夫だ。だが…
上条「(なんて言うか…たった数日で化けるっつーか…どんどん変わってくんだな)」
ふと水底に足をつけて立ち、プカプカと水面に揺蕩うプールボートの上の麦野を見やる。1ヶ月前に出会い、数日前から交際を始めている年上の彼女を。
麦野「ん?どしたのかーみじょう?足でもつったー?」
上条「いやー!大丈夫だー!」
麦野「じゃあなによ?…私の水着姿に見蕩れてたとか?」
上条「…実は」
麦野「ばっ…ナマ言ってんじゃねえぞクソガキ。元が良いんだから当たり前でしょ…それに」
そこでフロートを進めドンっと上条に体当たりし、耳元に囁きかける麦野
麦野「…水着なんかよりもっと恥ずかしい所見てるくせに」
上条「!!!」
チャプ…チャプ…
プールの波が打ち寄せる音と、遠くからは死に急ぐ汗ばんだ蝉の声…
麦野「…まだちょっと痛いんだからね」
上条「悪い…夢中だった」
麦野「いいよ。嬉しかった」
青天に座す真昼の月は高く、アクアブルーの水面とクリアブルーの迫間で二人は互いを見つめ合う。通り抜ける風が濡れた素肌を優しくさらって、麦野の緩く巻かれた柔らかな栗色の髪を揺らす。
麦野「嬉しかったよ。当麻」
上条「――――――」
麦野「だから…聞いてちょうだい」
その微笑が、何故か上条には消え入りそうなほど儚く見えた。触れれば消えてしまう真夏の陽炎のように。
麦野「あのスクランブル交差点で、あの一九学区の高速道路で…私、アンタを二度も死に目に合わせた」
上条「それはもう済んだ話だろ?一度目は沈利が助かった。二度目はお前が…最終的にはオレを助けてくれたろ?それでいいじゃねえか」
麦野「ううん…パッと見わかんないけど、お風呂入った後とかやっぱりわかる。うっすら残った白い傷跡がさ、浮かんで見えるのよ」
ボートの上から麦野が手を伸ばす。冥土帰しの腕を持ってしても朧気に残る原子崩し(メルトダウナー)の光芒が穿った古傷。
それを艶めかしい手付きで麦野は触れる。愛おしむように慈しむように。
麦野「それを申し訳なく思う気持ちと、それを嬉しく思う気持ちの両方が私にはある…私は、歪んでるからね」
上条「………………」
麦野「だから、やっと私にもアンタから痛みを与えてもらえた気がする…やっとアンタのモノになれた気がする…」
麦野「ありがとう」
麦野「壊す事しか知らない私に、たくさんのモノをくれてありがとう…当麻」
いつものような下品な悪態も付かず、かといってお姉さんぶるでもない…始めて口づけを交わしたあの星空で見たような、洗い流されたように透徹な笑み。
上条「…壊す事しか知らねえってのはもう無しにしようぜ沈利」
あの時と違うのは水着を着ている事と『光の翼』がない事くらいか、などと思いながら上条はボートの麦野に手を差し伸べる。『アルカディア』でのローズバスの時と同じように。
上条「前にも言ったけど…リンゴの皮むきだって上手いし、淹れてくれた紅茶はあったかかった。退院祝いに鮭料理作ってご馳走してくれたろ?」
麦野もその手を躊躇なく取る。片足をプールへと入れる。それを上条が両腕でしっかり抱き留める。
上条「第一九学区の時だって、最後は必死になってオレを助けてくれた…もうそれでいいんじゃねえか?」
麦野「…そうかしらね…」
寄せては返す緩やかな波の間に二人は抱き合う形で互いに濡れた身体を温めあっていた。ここに辿り着くまでに何度も殺し合いを繰り広げた偽善使いと首狩りの女王が。
上条「…オレさ、ある人に言われたんだ。“欲しいもんがあるなら力づくで奪え。守りてえもんがあるなら腕づくで浚え。”って」
麦野「…どっかのホスト崩れのチャラ男みたいな言い草ね…それで?」
上条「…なんつーかあんまそういうの好きじゃなかったんだけどな…今ならその人の言う事が少しわかる気がするんだ」
今、消え入りそうな夏の幻を抱くように身を寄せ合っているなどと誰が知れただろう?あの血溜まりの路地裏での出会いから。…それはきっと誰よりもこの二人が信じられはしなかっただろう。
上条「…オレは、これから先もずっと…沈利を離したくない…そう思ってんだ」
麦野「うん…私も、アンタと一緒にいたい…これからもずっと…アンタから離れたくない」
身を寄せ合う。入道雲が、水面が、夏の空が一体となった青のパノラマの下一枚の絵画のように。
後に麦野沈利は振り返る。この時、子供のようにはしゃぎまわっていた数日間…自分達はきっと何かを感じ取っていたのだと。
逃れ得ぬ永遠の離別、免れ得ぬ永久の惜別の予感を
二人の短い夏の終わりは、もう目の前だった。
~第三学区・プライベートプール更衣室~
麦野「じゃ、髪乾かしたら出るからちょーっと先に行って待っててくれないかにゃーん?かーみじょう」
上条「ああ!じゃあ出入り口の自販機の所でな!」
二時間後、プールから上がった二人はそれぞれ待ち合わせ場所を決めて一度別れた。
麦野「ふんふふん♪ふんふふん♪ふんふんふ~ん♪」
丁寧にドライヤーをかけ、鼻歌混じりに更衣室の鏡を見やる。こういう時男の子は楽でうらやましいな、などと詮無い事を考えながら――
『pipipipi!pipipipi!マヨエー!ソノテヲヒクモノナドイナイーカミガクダスーソノコタエハー…』
麦野「…チッ…」
鼻歌を止め、ドライヤーを切り、着信が鳴り響く携帯電話の通話ボタンを押す。画面は番号非通知。『電話の女』ならば番号通知不可と表示される。キナ臭い匂いがした。
麦野「―もしもし?」
?「こん・にち・わ~」
尻上がり気味のイントネーション、電話越しにも透けて見える不敵な笑み、それでいて拭い去れないキナっぽい香り…その声音に麦野は聞き覚えがあった。
土御門「せっかくのデート中のところ悪いんだぜい。ちょーっといいかにゃー?」
麦野「あの時のグラサン野郎かテメエェェェェェェ!!!」
麦野の怒号が轟く。夜の歩道橋で出会した同じ暗部の匂いがする金髪グラサンアロハシャツの男の声音。忘れようもない記憶。
土御門「おーおーカミやんの時とはエラい違いだにゃー…レベル5最恐の第四位でも彼氏の前じゃ」
麦野「関係ねえよ!!カァンケイねェェんだよォォォ!!その趣味の悪いグラサンには出歯亀機能もついてんのかァ?ツラ出せ狸野郎!そのニヤケ面上下左右にブチ割って、腐ったハラワタまでジュージュー真っ黒焦げのイイ男にしてやるからさぁぁぁっ!」
上条との三度目の戦いから奥底に封じ込められた内なる怪物の目を覚まさせる。己の闇を乗り越えた麦野はそれを飼い慣らす。同じ暗部なら容赦も躊躇も逡巡もしないと。
土御門「狂いっぷりは相変わらずだな原子崩し。吼えるな。今日は上からのメッセージじゃない。お前個人に対する助言だ」
土御門に動じた様子はない。聞く人間の鼓膜はおろか叫ぶ人間の声帯を潰すような怒声を聞いても揺るがない。
麦野「はぁん?アドバイスぅ?遅めのランチにオススメの店でも教えてくれるって?…その舐めた口血吐く以外に使えなくしてほしい?静脈ブチ裂かれてテメエの血で溺死してぇのか何様なんだよテメエはァァァッ!」
土御門「聞け。第六位からの確定情報だ。七月二十日から上条当麻に向けた目を離すな、とな」
麦野「はあ?」
第六位、という単語に麦野のドスの効いた声音が水を打ったように止む。この間は学園都市上層部、今度は行方不明の第六位からの伝言?何の冗談だと再び罵声を上げようとするが――
土御門「第一九学区」
麦野「!?」
土御門「あの時上条当麻が自分一人の力と足だけで辿り着けたと本当に思うか?」
麦野「なっ、にをっ…!」
土御門「完全下校時刻も過ぎ、足もないまま第三学区から第一九学区まで誰の助けもなくこれたとでも?」
麦野は覚えている。あの月下と星空の下に上条が現れた時…彼は三人乗りのバイクで来た。残る二人は暗がりで見えなかったが、上条はあの場にいた滝壺に『友達』と紹介していた。
麦野「(もしかしてあの場に第六位が?)」
なら同乗した滝壺ならわかるか?金髪野郎ではないもう一人を…いや違う。今考えるべきは第六位の正体ではない。どんな能力かはわからない。だがそれは重要ではない。
麦野「(当麻が…危ない!?)」
上条とアイテムの面々しか知らないはずの『ほしのみえるばしょで』という手掛かりを背景なしのノーヒントで見抜き、上条を目的地まで手助けしたであろう第六位の言葉…くだらないジョークと笑い飛ばすには重い一言だった。
土御門「飲み込めたな?話はそれだけだ。この問題に学園都市は一切関与しない。あくまでもお前と上条当麻に関わってくる。話はそれだけだ。ああそうそう…」
だがはぐらかす土御門はいったん言葉を切り…改めて――
土御門「オレは黒よりもスク水の方が好」ブツッ…ツー…ツー…
麦野「…七月二十日…か」
土御門の戯れ言を断ち切る。上条当麻に迫る危機。どの勢力からの手かそれすらわからない。情報は圧倒的に足りていない。
念の為、などと言う甘い警戒に終始すれば間違いなく何かを失う予感がする。
麦野「“欲しいもんがあるなら力づくで奪え。守りてえもんがあるなら腕づくで浚え”…ね」
青臭い言葉だ、甘ったるい言葉だ、男の身勝手な言葉だ、女は男の持ち物じゃない。だがしかし
麦野「そうさせてもらうわ」
麦野沈利は選んだ。血塗れの手で上条を救ったあの日から。壊すことしか知らない人間が初めて選んだ、誰かを守る戦いを。
偽善使い(かみじょうとうま)と同じ生き方を――
~第三学区・プライベートプール外苑~
麦野「お待たせ」
上条「おう」
土御門元春からの警告から十分後、麦野沈利は出入り口で待ち合わせしていた上条当麻と合流を果たした。
先程まで水を浴びてぺちゃんこだった特徴的なツンツンヘアーも照りつける直射日光を浴びて復活している。
上条「ずいぶん時間がかかってたみたいだけど、やっぱ女の子の身嗜みって大変なんだな」
麦野「ああ…耳が腐りそうなイタズラ電話がかかってきてね。ブチ切ってやったわ」
上条「なんですと!?」
麦野「今の水着は黒より他のが似合うってさあ~ねえ~かーみじょう私怖ーい♪ストーカーかも知れな~い☆」
驚愕に目を見開く上条の腕に寄り添いながら麦野はわざとらしく猫なで声を出してみせる。
同時にこうも考える。『他人の心配をする前に自分の心配をしろ』と
麦野「(フレンダ達は使えない。なら上条に今一番近い位置に私が鍵になる)」
敵勢力の正体が暗部なら同じ毒を以て制する。だがそれもわからないままフレンダ達を投入する訳には行かない。
これが『仕事』ならば麦野はアイテムのメンバーに『死』にも等しい命令を躊躇なく下す。躊躇いなく下せる。
だがこれはいわば麦野個人の私情であり私的な理由だ。そんな理由でアイテム(道具)は使い潰せない。ならば
麦野「(私は当麻を守る盾にはなれない。けれど当麻の敵を屠る剣には――なれる)」
全ての幻想を破壊する上条の右手を、全ての物質を崩壊させる自分の左手が補う。
上条が全ての人間を救うなら麦野は全ての障害を薙払う。
それが血塗られ、壊す事しか知らない麦野の手が掴んだたった一つの冴えた偽善(やりかた)
麦野「だから…恐いからしばらく当麻の家にいてもいい?」
上条「はい!?」
どんな稚拙なやり口も選んでいられない。ようやく手にした彼女という立場も最大限利用する。
お人好しの上条の優しさにつけ込む事もいとわない。必ず転がりんでみせる。
麦野「三食昼寝エッチ付き…悪くない条件だと思うけど?それとも私がストーカーに襲われちゃってもいーい?かーみじょう」
病んでいようが歪んでいようが狂っていようが構わない。この上条当麻(マスターピース)を守るためなら――
麦野「(私は命も惜しくない)」
そう思えるから
~数日後…第七学区・上条当麻の家~
上条「うげっ!?はい…はい。はー…わかりました、行きますよ…」ピッ
麦野「また補修?アンタも大概ね…」
麦野がいもしないストーカーを理由に強引に上条の部屋に転がり込み護衛についてから数日…あの第三位に一晩中追い掛け回されたり、ATMカードを飲み込まれたりと言ったささやかな事件を除けば平穏な日々であった。
たった今朝っぱらから携帯で補修の呼び出しをくらった上条を麦野は呆れた顔で見やり、テレビをつける。
『はい!ウェイクアップTVです!では朝のヒットチャートの時間です!』
上条「悪い麦野。布団干すから窓開けてくれ」
麦野「はいはい」
呑気なアナウンサーが朝のCD売り上げランキングを発表している。上条はドタバタと朝の支度をしながらも、二人で使っているベッドの布団を干そうとベランダを空け――
そこで出会ってしまった。
上条「!?」
麦野「…なによこれ」
二人してベランダに出てみれば、『それ』は物干し台に引っかかっていた。
上条「し、シスター…さん?」
麦野「…生きてんの?それとも死に損なってんの?」
??「うう…もう一歩も動けないかも…」
麦野の制服と同じ純白を基調とした修道服『歩く教会』を身に纏った…麦野よりずいぶん幼く見える少女が
『はい!では次の曲は学園都市で今もっとも熱いナンバー!五週連続トップテン入りの一曲…』
呑気なアナウンスがテレビから流れる音しかしない…上条は絶句し、麦野は沈黙している。聞き慣れたイントロが番組から流れる。
そうだ…この曲は――
禁書「ご飯くれると嬉しいな」
『川田まみのNo Buts!です!』
七月二十日…運命の日。その白い死神は終わりの始まりを連れて来た。
――科学と魔術が交差する時、物語は始まる――
とある星座の偽善使い(フォックスワード)第三部完
後編に続きます



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