光の軌跡がソウルジェムの周りで模る図形は、円。
粒子はある距離までしか近寄れず、ソウルジェムを取り囲んでいる。
ソウルジェムと光子の間に色の無い空白地帯があり、それが侵入を拒んでいるような形。
それはまるで中身を守る壁のような。
それを越えれば、きっとわたしの勝ちだった。
「なるほど、さやかの腕を治したのはその力だったわけだ?」
「確かに、記憶を取り戻すという願いの反映は、そういうことになるかもしれないね」
「だが君の力で、その封を解くのは不可能だよ」
「願いを使ってもできなかったことを、普通にやって出来る訳がない」
「僕だって、こんな力で閉じられたものを見るのは初めてなんだ」
元スレ
まどか「勇気を」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1324997537/
それは確かに道理。
でもなぜか、わたしの口は異論を唱える。
「そうかな」
「やってみなくちゃ、わからないよ」
ベッドを降りて、しっかりと二本の足で床を踏み締めて。
両手に力を集中させて、念じる。
どうか開いて。
どうか。
光の粒子は代わる代わる円の内側へと突っ込んでいくけれど。
片端から弾かれて、周りに溢れてばかり。
空間は次第に飽和して、それでも壁は崩れない。
少しずつ体から力が抜けていくのが分かる。
魔力はわたしの生命力とも等しいという話だったから。
これが全て抜け切ってしまったとき、わたしは死んでしまうのだろう。
魔女になってしまうのだろう。
それでも、力を落とす事はしない。
進むべき道は分かったんだから。
あとはただ、そこに向かって突き進むだけ。
ちょっとずつ、ちょっとずつ削っていって。
進んでは弾き返され、弾き返されては進んでを繰り返して。
壁は薄くなっていく。
わたしの力も減っていく。
その抵抗を無くしていく。
その輝きを失っていく。
空間に亀裂の走る音が聞こえた。
「お願い……!」
そして、限界に達した所で、壁が割れて透明な破片が弾け飛ぶ。
わたしの力はソウルジェムへと雪崩れ込んでいく。
そして、弾かれる。
内から新しい壁が現れて、ソウルジェムを取り囲んで、全ての光を弾き返していた。
力は抜けていく。
膝を折り、勢いのままベッドへと倒れこんでしまう。
「これが現実だ」
「君の力はもう残っていない。その体を維持する事すらままならないだろう」
「残念だったね」
「君は君自身の祈りに裏切られて絶望する。そういう風に魔法少女システムは出来ているんだ」
「ううん、違う」
せめて声は力強く。
わたしは確信と共に、その言葉を口にする。
心の奥底に、ほんの僅かな火が灯って、光っている。
突っ伏した顔を起こし、上体を起こし、ふらふらの体で立ち上がる。
「わたしのかなえてもらった願いは、『なくしてしまった記憶を取り戻すこと』じゃない」
「確かにそれはわたしの願いだった、けど」
かなえられたわたしの願い。
失った記憶を蘇らせること、だとしたら。
全部の記憶が一度に蘇って、わたしの心は折れてしまっていたのではないだろうか。
わたしが取り戻したのは、記憶のほんのひとかけら。
わたしの弱い心が、ほんの少しの支えに助けられて耐えられる、ギリギリのひとかけら。
そんなに都合よく、耐えられる程度に蘇らせてくれるものだろうか。
わたしの記憶が強い力で封じられていたから、本当にそうなのだろうか。
小さな火は消えそうになりながら、それでもわたしの体に熱を与えている。
そのまま続けなさいと、そう言っているようで。
「だってさ、願いが叶わないなら、魔法少女にもなれないんでしょう?」
「わたしの記憶は不完全にしか戻らなかったのに、あなたの名前すら思い出せなかったのに!」
「わたしは、こうして魔法少女になってる」
あの時の言葉を思い出す。
わたしはあの時何を言った。
そんなこと、確認するまでもない。
わたしは願い事を二つ口にしていた。
わたしのもう一つの願いは、『なくしてしまった勇気を取り戻すこと』。
だからきっと、わたしの取り戻せたものは、ほんのわずかな勇気、ただのそれだけ。
あの時記憶を取り戻せたのは、きっと無意識のままに力を、わたしの記憶に対して使っただけ。
でも、だから。
こういう状況に陥っても、わたしは、それでも前に進める。
絶望という名の壁に行く道を塞がれてしまっても、希望の灯りが途絶えてしまっても。
ほんのわずかな勇気を何十回も何百回も繰り返し点す。
暖められた心のエンジンは次第に音を立てて回り、わたしという存在を突き動かす。
「だからわたしは、絶望なんてしない」
「道を見失って心が折れても、何度だって立ち上がるんだ!」
砕けた壁の欠片、空間の欠片は、微細な粒子となって部屋に螺旋を描いている。
片手をそちらに向けて。
持てる残りの力すべてで、その結晶の渦を体の中へと、引き込んだ。
ほんの僅かな記憶が蘇る。
それはたった一言、二言、その程度。
でもその言葉はまさしく、値千金のもの。
「そうだね」
「あなたに、わたしの因果を預けてたんだよね」
「返してもらうね」
果てたはずの力はすべて、増幅して舞い戻っていた。
壁を壊すのにありったけの力を使ったけれど、壁の中には文字通り力の源が眠っていて。
あなたの記憶を取り戻す度に、あなたの存在をこの世界に取り戻す度に。
わたしの力もまた、わたしの因果もまた、取り戻されていく。
それを理解した瞬間、わたしはまた全力で壁に力をぶつけていた。
声が蘇った。
仕草が蘇った。
表情が蘇った。
次々と、次々と、わたしの中にあなたが、戻ってくる。
聳え立つ壁はあまりに多く、それでもあなたに届くまで壊し続ける。
越えた壁が力をくれる。
乗り越えた壁はわたしを高みに運ぶ足場になって。
どこまでも、どこまでも遥か高く。
わたしに集まった因果は、いくつもの世界の記憶そのもの。
あなたの欠片と共に、あなたの思いも、あなたの記憶も、わたしの中に復元される。
喜びがあった。
怒りがあった。
哀しみがあった。
楽しみがあった。
それらすべてを塗り潰して余りあるほどの、あなたの絶望があった。
何度も何度もわたしは死んでいた。
みんなも死んでいた。
ただあなただけが、何度も繰り返し、その絶望の果てに自身の消去を願っていた。
とても悲しかった。
あなたのその終わり方が。
だからわたしは、どこまでも進んでいく。
あなたに行き着くまで。
そしてとうとう最後の壁を超える。
高く聳え立った塔の中に、ひとり少女が佇んでいる。
さあ。
残る仕事は、あとひとつ。
「ここまで来たよ」
「あとはあなただけ。あなたがこの世界に戻ってくるだけ」
「ねえ、そうでしょ」
「ほむらちゃん」
取り戻したのはあなたの名前。
一つのはずのソウルジェムには影が二つ伸びている。
ほむらちゃん、ほむらちゃんと、わたしは何度もあなたの名前を叫びながら、力と意識を集中させる。
もはや火は消えない。
消える訳もない。
【Side:???】
ゆっくりと視界が開けていく。
目蓋を開けた私の周りに広がるのは、とても白い、白い、病室だった。
何度も何度も目を覚ましたこの病室で、私はまた目を覚ました。
白い枕とベッドとシーツ。
白い壁と白い天井。
そして、私が横になっているベッドの傍に、黒く染まった誰かが、佇んでいる。
黒い影は言う。
私はあなただと。
半身を起こして良く見ればその姿は、確かに私のそれとよく似ていた。
黒く流した髪は編んでこそいないものの、確かに私のそれとよく似ていた。
黒い私は言う。
もう疲れてしまったと。
戦いの果ての結末に絶望して、疲れてしまったと。
意味の分からない言葉は、だけど空っぽの私の胸に沈み込んでいく。
自分の言葉を自分でなぞって、記憶の欠片を体へと染み渡らせていく。
絶望した私は言う。
強くなりたかったと。
弱い私なんていらなくて、大切な人を守れる強い私が欲しかったと。
でもその結果はこれだと、自嘲気味に声を歪める。
手も足も、体も顔も、どこもかしこもキズだらけ。
痛みが鮮明に、まるで今体験したものであるかのように、私の体の上でその存在を主張する。
体だけでなく、また心も、ぼろぼろだった。
傷だらけの私に言う。
想いを込めて、言う。
「それで終わって、満足なの?」
強くなりたいがために、弱さという私を捨てた私。
私は傷を認めようとせずに、感情を凍らせて、必死にもがいていた。
痛いと心が叫んでも。
それを許そうとはしなかった。
ただ被った仮面にしがみついて。
狭くなった視界の中で、暗闇を手探りで進んでいた。
そして落ちた。
戻ってこれなくなった。
「違うよね」
本当の強さってなんだろう。
傷つかない事なのかな?
昔はそう思っていた。
でも今はそう思わない。
「だから、さ」
私を強く抱きしめる。
こんなにぼろぼろになってもまだ、必死に前に進もうとした、一人ぼっちの私の体温を感じる。
あなたはとてもよく頑張ったから、だから次は。
「私が、戦うから」
腕の中で震える私は、色をなくしていて、ヒビだらけで。
もう声も出せなくて。
もう息もできなくて。
最後に、目を静かに閉じて、朽ち果て砂粒と崩れて消えていく。
そのすべてを受け止めて、受け入れて、ありがとうと声が零れた。
私が立ち上がれるまで戦ってくれていた私に。
どうしようもないほど傷ついて、それでもまだ必死に未来を見ようとした私に。
あなたがいなければ、きっとこの未来を勝ち取る事はできなかったから。
「約束する。絶対に、無駄になんてしないって」
さあ、胸に宿った、ほんの小さな勇気の篝火を抱きしめて、目を覚まそう。
生きて未来を掴むために。
私は一人じゃない。
私の背中を、押してくれる人がいる。
折れた私の心を、つなぎとめて励ましてくれた人がいる。
だから進んでいく。
傷だらけになっても進んでいく。
傷と引き換えに手に入れるほんの少しの何かを抱えながら。
決意と共に、空間が歪む。
歪みから現れた私の大切な大切な誰よりも大切な友達の手を、握る。
目と目を合わせて。
頷いて。
引き上げられる。
光へと。
――――そして、目を覚ます。
開いた目に飛び込むのは天井。
いつも見てきた、何度も見てきた、白い古ぼけた天井。
もう未来はないと思っていた。
彼女達がたとえ未来を掴み取れたとしても、そこに私の居場所はないと思っていた。
だからこうして目覚められたことは。
奇跡という言葉をおいて、他に表現できるべくもなかった。
いつもの目覚めは、ただ、奇跡だった。
動悸が止まらない。
心臓は早鐘のように打ち、視界はすでに滲んでいる。
必死に上体を起こして。
横を向けば、そこには。
魔法少女の姿をした、彼女が、いた。
「おかえり、ほむらちゃん」
ぼろぼろと涙が頬を伝う。
もう堪える必要はなかった。
感情を殺す必要も、なかった。
ただ、体だけがうまく動かなくて、震えるばかりで、どうしていいのか分からなくて。
手を伸ばして、互いに重ねた。
それは幻ではなく、夢でもなく、そこにある現実だった。
それ以上の言葉はいらなかった。
何を言っても蛇足になってしまいそうだったから。
ただ、二人で手を握ったまま、夜が明けるまでずっとそうしていた。
窓から日差しが差し込む。
白と黒しかなかった病室は、次第にオレンジ色で染められていく。
陽光が照らし出すまどかの表情は、私が心から求めて、そして得られなかったはずのもの。
笑っていた。
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、笑っていた。
「わたし、がんばれたよ」
「あなたのこと、取り戻せた、よ…………」
涙を流して笑いながら、まどかはそう語りかける。
彼女はやっぱり、私なんかより、ずっとずっと強かった。
「ありがとう、まどか」
「私、弱かったね」
「どうしようもないくらい弱かった」
手を離して自分の胸に当てる。
そこには心臓があって、トクトクと脈を打っている。
熱を持って、強く強く、動いている。
「弱かった」
確かに私は弱かったけど。
こんなことが起きてしまって、それでもなお弱くあり続ける必要なんて、もうないよね?
不可能を可能にしてしまうのなら。
不条理を覆してしまえるのなら。
私がたった一人でいなければならない理由なんて、一体どこにあるだろう?
ごめんねと言いたいけれど、それはありがとうに代えて許してもらおう。
それより私が言わなきゃいけないことは、他にあるから。
「だから、変わる」
「まどか、あなたの力を」
「私に貸して下さい」
ゆっくりと、まどかは首を横に振った。
でもその瞳にあるのは拒絶の色ではなく、優しい優しい希望の光。
「まだ違うよ、ほむらちゃん」
「力を貸すんじゃない」
「一緒に戦うんだよ」
「わたし、全部見てきた」
「あなたを取り戻すために、あなたの記憶を、あなたの想いを、あなたの傷を」
「ほむらちゃんがいてくれたから、今のわたしたちがいる」
「だけどね、わたしたちも、あなたに守られるばかりじゃないから」
「わたしたちだって、あなたのことを守れるんだよ」
「だからわたし、今、こう思うんだよ」
「魔法少女になれて―――――――良かったって、思うんだよ」
あったかい言葉の中で、まどかを抱き締めて、まどかに抱き締められて、私は思う。
私も、魔法少女になれて良かった、って。
「僕はどうやら、とんでもない拾い物をしたようだ」
そうキュゥべえが口を開く。
音をなくした世界の中で、その一言だけがやけに響いて残って消えない。
「君がなぜそれほどの因果を持ったのか、そして君は誰なのか、聞きたいことは山ほどあるが」
「まあ、聞いても答えてくれないんだろうね」
尚も言葉を継ぐそいつに、目だけで答える。
お前の言うことに従ってやるつもりなど毛頭ないと。
それを汲み取ったのか、キュゥべえは開け放たれた窓枠に飛び乗って、捨て台詞を残して消えていく。
「それじゃあ、僕は一度退散するとしよう。また後でね」
その姿が消えても、私は虚空を睨み続ける。
自分のなすべきことを再び確認しながら。
いつまでもこうしている訳にはいかないと、そう思ったのは同時だった。
声を上げようとした私に先んじて、まどかが私の手を引き立ち上がらせる。
「じゃあ、行こうか」
「どこへ?」
「さやかちゃんを連れて、マミさんの家にね」
その意味は。
この世界がどのように移ろっているのか、それは私には分からなくて。
その説明をお願いしようかと思ったけれど、その話し振りから何となく察する事ができたから、やめておいた。
「美樹さやかも、魔法少女に」
「……うん」
もう立ち上がってドアの方を向いているまどかの表情は窺う事はできない。
でも、その声は沈んだものじゃなく、力強いものだった。
「大丈夫。あんなことには、絶対にさせない」
「そう、ね」
「大丈夫だから」
私は何度も何度も美樹さやかを魔女にしては殺してきてしまったのだけれど。
そしてそれをまどかは知っているはずだけれど。
まどかがそれを責める事はなかった。
卑怯だと思いつつ、黙ってその後ろに続く。
そして、投げ掛けられる言葉に、身を震わせる。
「ほむらちゃん、変な事考えてるでしょ」
「ダメだよ」
「あなたのしてきた事は誰にも責められない。だからといって、あなたがあなたを責めるのも違う」
「ほむらちゃんは必死に頑張ってた。だから、胸を張って」
難しい要求だった。
でも、努力します。
「さやかちゃん、さやかちゃん、起きて」
「んーぬ……ふぇ、はれ、まどか、どしたのこんな朝早く」
「マミさんを起こしに行くよ」
「!?」
どうしたことか美樹さやかも、病院にいた。
どこも調子は悪くないように快眠していた彼女は、巴マミを起こしにいくと聞いて飛び起きる。
驚愕に目を見開きながら。
起こしに行く、という単語は私にとっても気になるもので。
だけどそれは何となく理解できる気がした。
いつか銃口を私に向けた彼女の歪んだ表情は、今でも鮮明に思い出せるから。
「あんた、なんかあったね」
「ふふ、やっぱりさやかちゃんは鋭いな」
「ちゃんと答えてよ。そういえば、見慣れない子がいるけれど、その子と何か関係あるの?」
そんな思考の中、話を振られて視線を向けられて固まってしまう。
心の中の黒い靄が体を縛って声を出せなくて、何を言ったらいいのか分からなくて。
できたのは、お辞儀だけ。
「さやかちゃん、あんまり虐めないであげて」
「うっ、いやいじめてるつもりはないんだけど」
「大丈夫、ちゃんと全部話すから。でもそれはできれば、マミさんや杏子ちゃんと一緒がいいんだ」
「黙って付いて来いってことね。わかりましたよ、しょうがないなもう」
そう言って美樹さやかはベッドを降りて、ソウルジェムを輝かせる。
まどかが窓を開けるために歩いていって、少しだけ私は時間を貰えて。
そのわずかな時間の中で、あるだけ勇気を振り絞って。
「あの……私」
「あたしは美樹さやか。あんたの名前は?」
「っえ、え、えっと」
「あんた、まどかの友達ってことでいいんだよね」
「は、はい」
「まあ詳しい事は後で聞くとしてだ」
「はい」
「まどかの友達ならあたしの友達だ。ほら、早く名前を教えたまえ」
そう言って屈託のない笑みと共に差し出された右手。
それを取る事に、ほんの少しだけ躊躇したけど。
それでも私は手を伸ばして、握手をして、名前を言う事ができた。
「……暁美、ほむらです。よろしくね」
「まどか、待って」
屋根を伝い空を駆け、巴マミのマンションの正面に辿り着いた時。
こんな深夜に感じるはずのない視線を感じて、先頭に立つまどかを呼び止める。
私だけではなく、まどかも、さやかも、それには気付いているようだった。
でも、二人はそう深刻そうな顔をしていなかった。
どちらかというと、愛しいものを見るような、そんな目をしている。
「仁美ー」
「仁美ちゃん、隠れなくていいよ」
「全く、敵いませんわ」
マンションの陰から出てきたのは、確か……志筑仁美。
二人の学友で、時々上条恭介を巡ってさやかと争い、結果としてさやかが魔女になってしまう一つのトリガー。
思わず身を構えたが、まどかの視線にそれを止められる。
大丈夫だからと。
そう目が言っている。
ゆっくりと歩み寄ってきた志筑仁美が、穏やかな表情で言う。
「また病室がもぬけの殻だと連絡を受けて、勘を頼りに張り込んでいたのですが」
「どうやらその様子では、私の役目は終わったようですわね」
その言葉は私に向けられていた。
ほとんど面識もない彼女は、それでも何故か、私の事を見ていた。
「何か足りないと思っていたんです。あなた方はどこか不完全だと」
「私に何か出来るのなら、と行動したまではよかったのですが」
「話を伺った時、とても私に御しきれる問題ではないと、はっきり思いました」
「きっと私に出来ることは何もないのでしょう」
「あなた方と同じ場所に立つことさえ許されない。でも、それでも、私はあなた方の友人です」
「口出しはしません。話が分からなくとも説明も求めません。ただ、傍に居させて頂けませんか」
私を見てはいるものの、きっとその言葉はまどかとさやかに向けられているもの。
だから私は何も言わず、委ねるように一歩下がる。
二人の横顔に迷いはない。
放つ言葉の中には、ただただ、喜びだけ。
「まどか、あたしらいい友達持ったね」
「……うん、本当に」
「こっちからお願いしたいくらいだよ。傍に居て励ましてくれるだけで、いくらでも力を貰えるからさ」
「ありがとう、仁美ちゃん」
四つに増えた影がマンションへと吸い込まれていく。
このマンションを出るとき、影はいくつになっているのだろうか。
どうか増えていて欲しいと、願う。
巴家のインターフォンを押しても反応はなく。
鍵を開けて入ってみれば、何故か佐倉杏子が、一人膝を抱えて眠っていた。
眠っている場所は廊下。
周囲にファーストフードの空き袋を散らかしながら。
髪はろくにまとめられず、その表情を隠している。
はるか遠くの記憶を辿れば、そこは確か寝室のドアの前のような気がする。
杏子のその姿はとても、心安らかに眠っているとは言い難かった。
おそらくはその部屋の中で、巴マミが静かに眠っているのだろう。
「起きて、杏子ちゃん」
「……んだよ、こんな朝っぱらから雁首揃えて」
「マミさんを起こしに来たの」
そのまどかの一言で、杏子の空気が変わった。
被っていた毛布を放り出し、髪をまとめることもせず、魔法少女へと変身して。
見せる表情は、怒り。
「マミの奴は、自分でそういう道を選んだって言っただろう」
「自分で自分のソウルジェムを壊そうとさえしやがった」
「あんだけ希望に満ち溢れてたくせにさ、皮肉なもんだよな」
「……無理矢理起こすってんなら、容赦しないよ」
私でもこれほどの敵意を向けられた事はなかった。
構えているわけでもないし、得物を取り出しているわけでもないのに。
佐倉杏子はドアの前に一人立ち塞がる。
その表情は、暗い。
こんなことにしか力を使えないことが、何よりも悔しいと、そう眼が雄弁に語っていた。
魔法少女の事実を知って、その結末に絶望して、といったところだろうか。
最悪の事態に発展していないのが不思議になるくらいだった。
まどかの言葉は止まらない。
なすべきことを見つけた彼女は、とても勇敢で、優しかった。
「無理矢理になんて、起こさないよ」
「わたしはほんのちょっと背中を押すだけ」
「ただ、マミさんがかつて懐いていた希望と勇気を、もう一度心の底に」
「立ち上がるか立ち上がらないか決めるのは、マミさんだから」
さやかがその言葉の後を継ぐ。
杏子とまどかと自身の右手、三様に視線を送りながら。
「なんかさ、みんなタイミングなんだよ。悪い状態に悪いことが重なるせいで必要以上に凹みすぎちゃう」
「あたしはそうだったから、そんでまどかに気付かせてもらったから」
「マミさんだって、もしかしたら同じかもしれない」
まあだからと言ってあんなことしちゃったのが許されるとは思ってないのですが、と苦笑して志筑仁美の方を向くさやか。
やや面持ちは重いものの、そこに絶望がある訳ではない。
二人の言葉を受けて、杏子は静かに横に動く。
その手をまどかはがっちりつかんで、杏子を引っ張りドアを開けて入っていく。
部屋の中では、巴マミが眠っていた。
とても穏やかな顔をして。
起こしてはいけないと、そう思わせるような雰囲気を纏って。
そんな彼女を見て固まる私をよそにして。
「始めるよ」
まどかの行動は早かった。
寝室に入るなり巴マミのソウルジェムを手に取り、そこに力を込める。
集められた光は、収束したまま吸い込まれる。
「はい、終わり」
そして終わるのも早かった。
私やさやか、杏子が、思わず声を上げてしまうほどに。
私たちを代表するかのように、さやかがまどかを問い詰める。
「ちょ、まどか、それだけ?」
「言ったじゃん、わたしはただ背中を押すだけだって」
「あとは、マミ次第なのか」
「うん、あとわたしたちにできることは、見守ることだけ」
そう言ってまどかは、巴マミの手を取った。
取った手を握って目を瞑る。
それしか出来ないとしても、出来ることはすべてやるんだと言わんばかりに。
その手に重なる手が二つ。
さやかもまた歩み寄って、重ねた両手に想いを込めている。
どうか起きてと、その願いを込めている。
そしてその想いはまた、私も同じだった。
この世界の彼女は私のことを知らないだろうけど、私は彼女のことをあまりにもよく知っている。
救ってくれた。
教えてくれた。
時を戻す内に敵対することが多くなった。
殺されかけた。
見殺しにした。
いつしか彼女のことを諦めて、まどかを救うための障害物としか捉えないようになった。
そしてそれは間違いだったと、思い知った。
諦めていれば傷つかないなど、大嘘だった。
彼女の死に直面するたびに、私は荒れて、でもその全てを無理矢理に押し殺していた。
どうでもいいのだから問題ないと、そんなことを言い聞かせていた。
全部、全部、どうしようもない間違いだった。
だからどうか起きて。
私はあなたに言わなくちゃいけないことがあるから。
その前に一人眠っちゃうなんて、許さないんだから。
空いているもう片方の手を強く強く握る。
それだけでは飽き足らず、手を胸元へと引き寄せてその脈動を感じる。
あなたはまだ生きている。
だからどうか目を覚まして。
手遅れになるギリギリで踏み止まってくれたあなたは、きっと立ち直ることもできるから。
どうかお願い。
その言葉は、自然と私の口からも零れていた。
志筑仁美は関わらないと言った。
だから残っているのは、杏子。
彼女もまた、こちらへと歩いてきた。
けれどその足取りは穏やかなものではなく、ずっと荒々しいもの。
そのままベッドに上がった彼女は巴マミの胸倉を掴んで上体を起こす。
ついでに私たちも少し引っ張られるけれど、その程度で手を離したりはしない。
杏子は一言も発さない。
ただ歯を食い縛って、両手で巴マミの寝巻きを掴んで、震えている。
沈黙がただ、彼女の空気を凍らせている。
ぐったりと垂れ下がる巴マミの半身は、さらにその心を突き刺しているだろう。
がんじがらめで動けないその姿は、昔の私と重なって見えて。
私の口は動いてしまう。
「あなたが本当に望むようにすれば、それでいいんだと思います」
「きっと、それだけで」
甘えに甘えたその言葉は、きっと昔の私ではとても言えないのだろう。
視線は巴マミに向けて動かさないから、杏子がどう反応したかは見えない。
そんな甘えに対する彼女の返事は少し経ってからだった。
「どこの誰だか知らないけど、知った風な口叩きやがって」
「でも、ま、そうかもね」
「この甘ちゃんのことだしな」
そう言って掴む手を離す。
重力に従ってベッドに沈み込もうとする巴マミの体を寸前で再び支え、静かに元の位置に戻す。
巴マミの寝顔は、変わらず穏やかなまま。
「けどやっぱりさ、無理矢理起こしても意味ないんだよ」
「だから頑張って、自分で起きてくれ」
そう言って首を左右に振って、ベッドから降りて、私の隣へと歩いてくる。
重なる手の温度を感じながら、再び目を瞑って想いを込める。
「夢を見ていたの」
「覚める事のない夢は、現実と変わらないと言い聞かせて」
「とても楽しかった、とても幸せだった」
「でも、なんとなく分かってた」
「夢は夢でしかなくて、私の居場所はここじゃないって」
「それに向き合うのが怖くて目を閉じていたはずなのに」
「気付いたら、この目は開いていた」
「そしてそれでも、私の心は凍らなかった。何かに支えてもらってとても温かかった」
「今はこうして、両手がとても温かい」
「ごめんね。心配かけちゃったね」
私たち四人の手は同時に引かれる。
手を引くのが誰かなんて、今更確かめるでもなかった。
目を覚ましたその人に向かって、まどかとさやかが突っ込んでいく。
起き上がってすぐベッドに倒れ込む彼女は少し困ったような顔をしていた。
そして、とても嬉しそうな顔をしていた。
私はぐっとこらえて動かない。
先にやるべきことがあるから。
私の隣に居る赤い少女もまた動かない。
いや、ちょっとだけ震えていた。
「行かないんですか?」
「行けるかバカ」
「ハンカチ、どうぞ」
「……悪い」
結局、下を向いて動かない杏子は、巴マミに抱き寄せられていった。
その慌て振りといったらなかったが、気持ちは分かり過ぎるくらいに分かるから、からかいようもない。
興奮冷めやらぬといった空気が部屋に満ちている、けど。
私の仕事は、これからだった。
まどかに視線を送ってみると、涙に濡れた目で気丈に目配せを返してくれた。
いつでも大丈夫と言わんばかりの表情にやや説得力はないけれど。
多分それは私も同じだから、指摘するのはやめておいた。
息を吸って、そして吐いて。
全てを知った皆が生きている、この奇跡に感謝して。
言葉をかたどる。
「ごめんなさい、聞いて下さい」
「ここに居る皆さんは、きっと私のことを知らないと思います」
「けど、私は皆さんを知っています」
「話さなきゃいけないことがあります」
「だからどうか、聞いて下さい」
私の肩の荷は、もう随分降りている。
魔法少女の真実、その結末、それはもうみんな聞かされていて、そして耐えたのだろう。
あと乗り越えなければいけない壁はたった一つ。
最後の関門を抜けるべく、私は自分の中の知識を整理して、ただ話す。
何度も何度も、その中で謝罪の言葉を零しながら。
私という存在。
何の取り柄もない少女だった私が、魔法少女の巴マミとまどかに助けられた始まり。
街にワルプルギスの夜が訪れて、全てを壊し、やり直すことを願った瞬間。
時を覆し、幾度も繰り返し、未来を求めて彷徨った日々。
いつしか仮面を貼り付けて、犠牲を厭わなかった罪。
そして何もかもに絶望してしまったこと。
諦観の果てに、自分のしてきたことがあなたたちを苦しめていると理解してしまったこと。
自身の存在を消して、この世界への関与をなかったことにして、あなたたちの手で未来を掴んで欲しいとまどかに願ったこと。
最後のはずだった世界で、まどかが私の存在を取り返してくれたこと。
潰えたはずの希望をまた取り戻すための、勇気を手に入れられたこと。
私はとてもとても希薄な存在になって、まどかの中に溶けていた。
実在と非実在の狭間で見えたいくつかの事実は、私にほんのわずかな希望を見出させてくれた。
いずれ到来する災厄の魔女との戦いの中に。
だから私は今、この言葉を言うことができる。
「統計によると三日後、ワルプルギスの夜がこの見滝原にやってきます」
「お願いします」
「未来を掴むために、私と一緒に戦って下さい」
「話としては興味深いが、証明する手段はあるのかい」
「君のその話が、君の頭の中にしかない夢物語では、ないと」
情報に圧倒され、誰も何も言わない部屋の静寂を裂いて現れるのは、全ての元凶。
キュゥべえを睨み付けながら考える。
私の言葉が彼女たちに通じたことは、これまで一度もなかった。
私の言葉では、不可能だった。
でも、今の私には、とても心強い味方がいる。
「わたしが保証する」
「みんなが望むのならば、わたしの力で証拠を見せたっていい」
私の横にはまどかが立っている。
彼女の力で、私の記憶をここに復元すると、言っている。
蘇る光景は私の心をきっと抉るだろう。
けれどその程度の痛み、彼女たちが実際に味わったものとは比較にならないだろう。
だから、彼女たちに辛い思いをさせてしまうのは、どうしても避けられない。
それだけが心苦しくはあった。
でも、三人はお互いに目を合わせ、頷く。
覚悟はあるとそう頷く。
それを確認して、私は記憶へと浸っていく。
「皆さんにとっても、辛い記憶だと思います」
「どうか、耐えて下さい」
あなたたちを失った記憶の彼方へ。
隠しようのない本音を露にしながら。
まず蘇ったのは巴マミの記憶。
彼女は絶望のまま叫んでいる。
『みんな……みんな死ぬしかないじゃない、あなたも、私もッ!』
そう叫んで私に銃口を突き付けて。
彼女のソウルジェムは砕かれて、事切れる。
次に蘇ったのはさやかの記憶。
彼女は希望を失って呟いている。
『魔女に勝てないあたしなんて、この世界には要らないよ』
私は彼女に銃口を突き付けて。
引き金を引こうとして、押さえ付けられる。
次に蘇ったのは杏子の記憶。
彼女は血塗れで、満身創痍で、槍を支えに立っている。
『悪い、その子頼む……あたしのバカに付き合わせちまった』
私は彼女を見捨てて逃げる。
響く爆音を最後に、私は彼女を見ることはない。
最後に蘇ったのは、まどかの記憶。
彼女はグリーフシードを掌に包んで微笑んでいる。
『ほむらちゃん、やっと名前で呼んでくれたね』
私は彼女のグリーフシードを撃って彼女を殺す。
涙で滲んだ視界もそのままに、世界は歪み時は巻き戻る。
そして、元の世界を取り戻す。
巴マミのマンションの内装が視界に戻って。
私は倒れ込み、それでも尚、言葉を続ける。
「どうか、信じて、下さい」
「こんなことを繰り返さないために、どうか私に力を貸して下さい」
「お願いします」
返事はない。
痛む頭を抑えながら、それでも意識だけは辛うじて繋ぎとめながら、顔を上げて。
言葉を待つ。
いくらでも。
「起きてからずっとね、不思議だったの」
「私に力をくれたこの子は誰なんだろうって」
「あなたは私を知っていたんだね」
「きっとあなたの言っていることは本当で」
「私はあんな風に死んでしまっていた」
「でも、今、私は生きてる」
「私は魔法少女。見滝原を守る魔法少女だから」
「あなたと一緒に、戦うわ」
「過去のあたしとか言われても、あたしはあたしでしかない」
「だから正直、あたしにはよく分からない」
「でも、あんたが嘘を付いてないのは、なんとなく分かる」
「心を込めた言葉を必死に喋ってるって、それだけは分かる」
「だから、あたしも戦うよ」
「あたしもこの街が大好きで、それで」
「友達と先輩が戦うって言ってるんだからな!」
「自分のためだけに、力を使うって決めたんだけどな」
「なんで気付いたら、色んなものを捨てられなくなってんのかな」
「あんた、道理で馴れ馴れしい口を利くわけだよ」
「あたしは、魔法少女だからどうとか、そういうのはどうでもいい」
「ただ、守りたいものがある」
「いいよ、戦うさ」
「たまには、そういうのもいいだろ」
「わたしは、言うまでもないけど」
「未来のために、生きるために、戦う」
「だからわたしたちからもお願いがあるんだ」
「ワルプルギスの夜について」
「あなたの知っていることを、教えてください」
泣き出したくなるような衝動を、ぐっと堪えて。
声を受けて私は話し出す。
私たちの未来の前に立ちはだかる、最後の関門。
何度も何度も私たちの大切なものを奪い去ってきたその魔女の存在を、その概念を。
「ワルプルギスの夜は名前ではなく、通称。割り振られた役割の名称です」
「その役割は、物凄く嫌な言い方をすれば、ゴミ箱」
「私たち魔法少女の魂は、絶望を経て魔女となり、エネルギーを取り出されるけれど」
「取り出されたエネルギーをプラスとするなら、残された魂はマイナス」
「これを放置していたら、取り出されたエネルギーはまた元の通りに吸い取られてしまうから」
「穢れ切った私たちの魂を、隔離する場所が必要でした」
「魔女と化した私たちの魂は円環の理、輪廻転生の淵から零れ落ち、ワルプルギスの夜に取り込まれて」
「その中で未来永劫、何もかもを呪い続けます」
「その力で世界を滅ぼすことのないようにコントロールされながら」
「その力で、かつて同じ存在だった魔法少女を絶望へと引きずり込む役割も兼ねながら」
「魔法少女システムの要であり、始まりにして終わり。それがワルプルギスの夜――【死者を囲い込むもの】」
「繰り返しの中で、まどかがワルプルギスの夜を倒したことはありました」
「でも、その度にまどかはソウルジェムを濁らせて魔女になってしまいました」
「文献を引っくり返してみると、確かに時々ワルプルギスの夜を倒したという記述もあるんです」
「ただ、そこに記されている魔女の特徴が、私の知るものと一致しない」
「ワルプルギスの夜が倒されたら、魔法少女システムは瓦解する」
「ワルプルギスの夜は役割」
「以上から、立てた仮説です」
「ワルプルギスの夜を倒した魔法少女が、次のワルプルギスの夜となる」
「全ての呪いを一身に受けて、その心をへし折られて、その役割を引き継いで」
「文献にはこうもありました」
「ワルプルギスの夜の圧倒的な力、理不尽なまでの絶望を指して」
「オチをつけるもの、機械仕掛けの神――――デウス・エクス・マキナ」
「どんな争いも、どんな悲劇も、彼女の元へと還っていくと、そう書いてありました」
一気に話し終えて、息を吐く。
私が折れてしまった現実。
それを前にして。
皆は等しく、その瞳に闘志を燃やしていた。
「神サマ、上等じゃん」
「ひよっこのくせに元気なもんだ」
「ぶん殴る相手がいるんだから、今までよりずっといいじゃん」
さやかの目線はキュゥべえに。
怒りは全く隠されていない。
視線を受けるインキュベーターは、それでもまったく動じていない。
「ふむ、仮説とは思えない。大したものだよ」
「だが現実は何も変わっていない。これだけの因果を集めたワルプルギスの夜は無敵だ」
「事実を確認して、それでどうするというんだい?」
確かにワルプルギスの夜の力は遥か高み。
どれほど繰り返しても、私の力では及びも付かなかった。
それは悔しさに唇を噛み切りそうになるほどの事実だった。
けれど。
「これだけの予想をしたのなら、策が無いという訳ではないのでしょう?」
「話してみろよ。可能かどうかはそれから考えようぜ」
今の私は一人じゃない。
たった一人の力で、対抗する必要など、どこにもない。
そしてそのためのピースは、私がこの世界に復元された時にまた現れていた。
だから私は彼女に、発言権を譲る。
「ワルプルギスの夜は、倒すんじゃない」
「救う」
まどかはそう宣言する。
救済の魔法少女として。
【Side:美樹さやか】
夜道はもう、かなり寒い。
まどかから詳しいことを聞き、概ね合意して、一度解散したあたしたちは思い思いに残りの時間を過ごすことになって。
こうしてあたしは仁美と夜の見滝原を散歩している。
ただ一人の一般人としてあの場に居た仁美が思い詰めてはいないか、心配だったから。
「仁美はさ、あの話聞いてどう思った?」
「どうもこうもありませんわ。デウスなんて言葉を聞くことになるとは思ってもいませんでした」
「まあ、神サマだもんねえ」
適当に相槌を打っては来るけど、その面持ちは暗い。
少し先を歩く彼女の横顔はいつか見たものとよく似ていた。
何も出来ないと自分を責めていた、まどかのそれとよく似ていた。
何か言葉を選ぼうとするけど、どうしてもうまい言葉が思い付かず、結果的に先手を取られてしまう。
「私、無力です」
「私には何も出来ないのでしょうか」
「あなた方が無事に帰るのを、ただ座して待つことしか出来ないのでしょうか」
その問いの答えはきっと仁美には分かっている。
そしてあたしにも分かっている。
だからそう答えたくはなかった。
そして考えて、でもその答えはすぐに出た。
「ワルプルギスの夜は、スーパーセルっていう超大型竜巻として観測されるんだってさ」
「きっと何もしないでいたら、酷い被害が出ると思う」
「だから仁美には、見滝原に普通に暮らす人たちを避難させて欲しい」
「普通の人間として、あたしたち魔法少女に出来ないことをさ」
「仁美だってあたしたちの仲間だろ。抜け駆けして楽しようったってそうはいかないからな!」
振り返って笑った顔は、とても明るく。
返事もまた、とても心強いものだった。
「はい、お任せ下さい」
「さやかさん、お聞きしたいことがあるんです」
「どったの」
「墓の中まで持って行くつもりだったのですが、気が変わってしまいました」
決意はそのままに、微笑みを消して。
道の真ん中で仁美は立ち止まる。
見たこともないほど真剣な表情から、問いが投げ掛けられた。
「さやかさんは、上条恭介さんのことをどう思っていますか」
その問いに、少し前のあたしは答えられなかったかもしれない。
でも今は不思議と、それを言うことに抵抗はなかった。
「好きだよ」
真っ直ぐに仁美の目を見る。
その質問の意味が分からないほど、あたしもバカじゃないから。
対峙して視線を外さない仁美の顔には、また笑顔が戻っていた。
「私も」
「上条恭介さんを、お慕いしています」
「本当は、さやかさんのお話をお聞きした時から身を引くつもりでした」
「私の割り入る余地はないと。そう思っていました」
「あなたの絶望を見て、私がその原因になってしまったのではないかとも、考えました」
「でも、今のあなたになら」
「正面からぶつかっても、大丈夫な気がしてしまいました」
「そしてあなたは、真っ向から答えを返してくれました」
「同情されて譲られて、それであたしが満足すると思う?」
「全く、思いませんわね」
目の前にいるのは、力のない一般人などでは、もはやなく。
大切な人の一番を争う好敵手。
右手を突き出し、突き合わせ、言葉を交わす。
「ワルプルギスの夜を越えて」
「選んで頂きましょう。同時に、思いを伝えて」
「余計なことは一切なし。あたしの願いのことも、あたしの体のことも」
「上等ですわ」
これでますます死んでやるわけにはいかなくなった。
どれほどの困難が待っているのかは知らないけれど。
今のあたしを、生半可なことで殺せると思うんじゃない。
【Side:巴マミ】
手早に防寒対策をして、右手に地図を握って、玄関まで出た所で。
久し振りの同居人に呼び止められた。
「マミ、どこ行くんだ」
「あと三日でしょ。やれることはやっておこうと思って」
「そういや出現予測言ってたっけ」
「ええ、何とかカバーできる範囲だから」
ワルプルギスの夜の出現場所は、かなり事細かに特定されていて。
それだけ統計を正確に取れるほど、その夜は訪れたのだろう。
そしてその度に、この街の命を狩り尽くして行ったのだろう。
考えるだけで寒気が走る。
そんな少しの動揺も、この子には簡単に見抜かれてしまうらしく。
「なあマミ」
「何かしら」
「お前、本当に大丈夫なのか」
見抜かれているということは、きっと誤魔化しても無駄だから。
素直に答えておこう。
嘘を付いてもしょうがないし。
「……本当は、ちょっと怖いかな」
「本音を言うとさ」
そんな私の本音に、佐倉さんも本音で返してくれるらしい。
この子の本音をぶつけられるのはいつ振りか、少しだけ感慨に浸りながら、耳を傾ける。
「お前には、戦って欲しくない」
「もうごめんなんだよ。誰かがいなくなるの」
「あいつらはあたしが守るから」
「お前には、後ろで見ててほしいんだ」
「……まあ、とか言っても」
「どうせ聞いちゃくれないんだろうけどさ」
「お前は、魔法少女だもんな」
その要求は当然受け入れられない。
それは言ってる本人も、とてもよく分かっているようだった。
「ええ、無理ね」
「私が目覚められたのは、あなたたちと同じ所に居たいと思えたから」
「あなたたちをこの手で、守りたいと思えたから」
「もしもここで逃げてしまったら、私はまた眠ってしまう」
「そんなのは、イヤだから」
どれだけ痛くても、傷つく世界でも、私はみんなのいるこの世界が好き。
色々なものを犠牲にしてきたけれど、その上で勝ち取ってきた、この居場所を今、何よりも愛しく思う。
だから、私は私の居場所を守りたい。
臆病な私はいつでも戦いから逃げようとするけど。
私の心が保つ限りは、厳しくも優しいこの世界で生きていたい。
「私は、見滝原を守る魔法少女だから」
「あなたたちの友人の、巴マミだから」
「だから戦うの。どんなに怖くても、私が私であるために」
ポリポリと頭を掻きながら、佐倉さんは溜息を吐く。
その目には、いつか見た希望がまた、灯っていた。
「じゃあせいぜい頑張らないとな」
「ふふ、佐倉さんがいれば百人力よ」
「足引っ張んなよ」
「あら、あなたこそ」
その変化は何が齎した物だろうか。
もしかしたら、私が為せたものだろうか。
その答えは彼女にしか分からないけど、今はその変化を喜ぼう。
「……無事に戻ってこれたら、またケーキと紅茶、よろしくな」
「そういえば用意してなかったわね。うん、楽しみにしてて」
用意するのは六人分かな。
葉っぱは何がいいだろう。
それを考えるのもまた、とても、楽しかった。
【Side:鹿目まどか】
わたしはほむらちゃんを連れて、病室へと戻っていた。
パパやママに余計な心配をかけたくなくて。
幸い仁美ちゃんはそのあたり気を遣ってくれたらしく、大きな騒ぎにはなってなくて。
なんとかこうして、二人で腰を落ち着けている。
「まどか、ごめんね」
「どうしたの、いきなり」
「どうしてもこれだけは謝りたかったの。私は、あなたとの約束を、破ってしまったから」
会話はほむらちゃんの謝罪から始まった。
思い当たる節は一つ。
わたし自身の記憶ではなく、ほむらちゃんの記憶を通して。
「こうして一番大変な仕事まで押し付けて」
「無理をさせてしまって」
「本当に、ごめんなさい」
そんなことないと、否定しようとした。
でも、わたしは自分の体が震えていることに気付いてしまっていたから。
何も言えなかった。
ほむらちゃんの言葉は止まらない。
わたしは自分の震えを抑え込むのに必死で、彼女に口を挟めない。
目の前の壁。
ワルプルギスの夜、そしてその先にあるもの、手に入れたい未来が、掛け替えのないものであるからこそ。
わたしの心は、怯えて、震えてしまっている。
「でも」
「一人で無理なことも、きっと一緒になら背負えるから」
「勝手なことを言っていると理解しているけど」
「どうか私に、もう一度機会を下さい」
「あなたともう一度、約束をする機会を」
口を挟む必要はなかった。
ほむらちゃんはもう、弱くなんてなかった。
ただわたしの心を支えようと、それだけを。
「この命尽き果てるまで」
「あなたと共に、戦います」
胸の奥で焔が、紅く美しく燃え上がる。
震えはいつしか止まっていた。
決戦の日。
人気のない見滝原を背に、五人の魔法少女が立っている。
各々の決意を胸に、各々の武器をその手に。
十の目で見据えるのは、巨大な積乱雲と、幻想のサーカス。
闇夜の空に、カウントダウンが浮かび上がる。
わたしたちの前に立ち塞がる最後の壁、ワルプルギスの夜が、その姿を現そうと。
心を奮い立たせて。
カウントダウンの最中、何よりも頼もしい仲間へ声を掛ける。
3.
「みんな、少しだけ時間を稼いで」
2.
「でも、絶対に死なないで」
1.
「そしてその先にある未来を、全員の手で掴み取ろう」
0.
そして、惨劇の開始を告げる笑い声が、辺りに響き渡る。
巨大なスカートをはためかせて現れたワルプルギスの夜は、陽気な笑い声を上げながら破壊を撒き散らす。
四人が思い思いに飛び掛かっていく。
彼女たちの無事を願いながら、わたしは両手を天に掲げ力を集め始める。
全ての魔法少女の魂の成れの果ての成れの果て。
あらゆる世界から魂を集めたワルプルギスの夜は、世界を束ねる因果の特異点そのもの。
そして、わたし。
ほむらちゃんの手によって数多の平行世界の因果をこの身に寄せ集められた、因果の特異点。
よく似た存在を前にして。
わたしは力を、自分の限界を越えて、この世界からも引き寄せる。
魔法少女が喪った希望のエネルギーを。
体に満ちる力はとても温かい。
彼女たちの祈りが、希望が、そこに結晶して漂っていた。
「君は、悪魔だね」
「キュゥべえ」
「今からしようとしている事が、どういう事か分かっているのかい」
「わかってるよ」
「僕たちの集めたエネルギーを、君は全て水泡に帰してしまう」
「それでも、わたしは人間だから」
キュゥべえの言葉は、もっともだけど。
わたしは彼らの努力を全て、踏みにじっていくのだろうけど。
「あなたがその道を選んだように」
「わたしはわたしのために、みんなのために、この道を選ぶ」
まだ力は足りない。
焦燥感を圧し殺しながら、ただ祈る。
【Side:暁美ほむら】
ワルプルギスの夜。
幾度も幾度も私は道を阻まれ、希望を砕かれ、迷路の入り口へと戻されてきた。
でもそれは当たり前の事かもしれなかった。
私が時を戻す度に繰り返される希望と絶望のサイクルは、私が存在しなければ起き得なかったもの。
あの魔女の中で呪いに浸る彼女達が恨むべき対象など、私を置いて、他に居ないだろうから。
でも今、私は彼女達に道を示せる。
それがこの手によるものでないのは、どれほど謝罪しても足りる事はないだろうけど。
それでも、今の私のやるべきことは、たった一つ。
誰よりも長く戦ってきた。
だからこそ私が先陣に立つのは必然だった。
雨を風を雷を従えて進軍するワルプルギスの夜に向けて、ありったけの火器を向ける。
極力煙で視界を隠さないように選んだそれらは、続け様に着弾し、ワルプルギスの夜の侵攻をやや遅れさせる。
「まったく、これ全部ホンモノよね? どこから調達してきたのかしら」
そして続くのは、巴マミ。
私のそれは物理的な破壊だった一方、彼女の攻撃は魔法によるもの。
数えるのを諦めたくなるような銃が呼び出され、嵐のような銃弾がすべて地面に降り注ぎ、その尽くからリボンが生まれる。
おびただしい量のリボンはワルプルギスの夜に巻き付き、なお絡み付き、ほぼ完全にその動きを止めた。
「うお、やるじゃん」
「マミさん、さっすがー」
「時間があったから、このために準備しておいただけよ」
念のために私たちの警護に付いていた杏子とさやかも、感嘆の声を上げる。
その拘束は確かに、そう簡単に外れるものではないように見える。
でも、その程度では済まないだろうと、私の中の経験と知識が告げていた。
「飛んで下さい!」
間一髪で、さっきまで立っていた足場が攻撃を受けバラバラになる。
私たちは散り散りに飛んでいた。
孤立させられた私たちへと、ワルプルギスの夜の使い魔が襲い掛かる。
ワルプルギスの夜とは、全ての魔法少女の絶望を内包する魔女。
魔女の成れの果てを従える魔女。
繰り返した時間の中で、あまりに多くの魂が絶望の果てに吸い込まれていった。
ワルプルギスの夜の使い魔はそれゆえに、とても馴染みのある形をしていた。
さやかの所には、さやかの成れの果ての成れの果て。
巴マミの所には、巴マミの成れの果ての成れの果て。
杏子の所には、杏子の成れの果ての成れの果て。
「あ、あ」
そして、繰り返した時の中でも、一度も魔女と化さなかった私の所には。
まどかの成れの果ての成れの果てが、現れていた。
まどかの影は、私に向けて弓矢を構えている。
分かっていてもそれは、私に致命的な隙を生む。
【Side:佐倉杏子】
目の前に現れた黒い人影。
どこからどう見てもあたしだった。
声を上げて笑っていた。
夢とか希望とか正義とか、バカみたいと言って嗤っていた。
魔女になった連れを見捨てて、そのまま緩慢に絶望して。
バカにしてるなら絶望もしないだろうに。
大笑いするそいつは、あたしと同じように槍を振るうけれど。
負けてやる気は欠片もしない。
その耳障りな笑い声を止めてやらないことには、あたしの気が収まらない。
「最後に正義が勝つ希望の物語の、何が悪いってんだよ」
「お前だって、そういうのを信じたかったんじゃないのかよ!」
少し前までのあたしの写し身を、四方八方からの挟撃で貫き砕く。
ずいぶん久し振りに使ったその力は、昔と同じように、この体を守ってくれた。
ちょっと、名前を叫ぶのは無理だったけど。
【Side:巴マミ】
絶え間ない銃撃は、精度が低いにしろ厄介だった。
その源となっている影には、見覚えがありすぎるほどにある。
どう見てもそれは自分のシルエットだったから。
その影は微笑みながら泣いている。
独りぼっちは寂しいと、泣きながら微笑を顔に貼り付けている。
その気持ちは分かりすぎるほどに分かってしまう。
「強がって意地を張って」
「引っ込み、付かなくなっちゃったよね」
ほんのわずかに呟いただけなのに、それだけで弾幕の密度は更に上がる。
どんなに些細な言葉でも聞き逃すまいと。
そうアンテナを張り巡らせる自分の影は、あまりにも痛ましくて。
「わたしはもう、独りじゃないから」
間隙を突いて身を躍らせて、真正面から特大の砲弾を撃ち放つ。
浴びせられたすべての砲撃を押し潰し、そのまま影ごと貫いて遥か彼方へと消えていく。
【Side:美樹さやか】
目の前で鍔迫り合いをする相手は、あたしと瓜二つだった。
違うのは表情と、影か実体か。
目の前の影はただ泣いている。
恭介を手に入れられなかったと泣いている。
でも、あたしはそれが気に入らない。
ただ誰かを呪い続ける、そんなあたしが気に入らない。
「でもさ、あたしはそのために何をしたの」
「恭介の手を治したのは、振り向いて欲しかったからなんでしょ」
「それなのに街のため、マミさんのためって別の理由で塗り潰して、自分の気持ちを偽って」
「そんなんじゃ、あんなに真っ直ぐな仁美に勝てるわけないじゃん」
剣を握る腕に力を込め、弾き飛ばす。
開いた距離を即座に詰めて、そいつの目の前で、言う。
「あんたの分まで、あたしが言っておくからさ」
一瞬固まったそいつを切り捨てて。
ワルプルギスの夜へと、また向き直る。
切って散った影は吸い込まれ、すぐに新しい影が生まれて襲い来る。
気は緩めずに、また同じように泣いているあたしへと切り掛かる。
【Side:暁美ほむら】
ギリギリのところで身体は動いた。
腕を掠めて彼方に消えていく矢は黒く。
その絶望を呪いを、象徴しているかの如く。
ニ撃三撃と続けざまに撃ち込まれる。
全く思うように動かない身体を引きずり、僅かに残された砂で時を止め、かろうじて致命傷は負わないけれど。
いずれそうなるのは目に見えていた。
何をすることも私の心を砕いてしまいそうだった。
まどかを守ってまどかの影を壊すか。
まどかの影を壊せずにまどかを失うか。
選ぶべき道はただ一つのはずなのに。
私の心は囚われて動けない。
影はからからと笑っていた。
誰も救えなかったと笑っていた。
魔女になってまで全てを救おうとした彼女は、自分自身をどうしようもないほど貶めていた。
どうしようもない役立たずだと、世界の何よりも自分自身を呪っていた。
そんな姿がとても痛々しくて。
そしてようやく、私は道を選び取る。
「必ず、助けるから」
銃口を向ける手は震えない。
砕かれた影はワルプルギスの夜に回帰し、また新しい影となって戻ってくる。
私が苦戦している間に、ワルプルギスの夜の拘束は解けてしまっていて。
魔女本体と使い魔と私たちと、戦いはもはや個別のものではなく乱戦となり破壊の嵐が吹き荒れる。
それでも私たちは下がらない。
一歩たりとも進ませるものかと、全員で力の限りに力を振るう。
降り注ぐ炎は大きく避ける。
飛び交う岩は撃ち落とし、切り砕き、時には勢いのまま投げ返す。
ビルが投擲されても、緊急回避のために温存した時間停止が機能して。
全てのピースは、しっかりと噛み合っていた。
大丈夫だと思っていた。
ワルプルギスの夜が、奇怪な声を上げて、引っくり返るその瞬間までは。
最初に感じたのは烈風。
次に感じたのは、やけに低い笑い声。
自分が空高く打ち上げられていると気付いたのは、それからだった。
どこまでも運ばれてしまうような恐怖。
それに従って本能のまま、時間停止を行おうとするけれど、もう時の砂は残っておらず。
掴まるものは何もない。
私を止めたのは、強烈な痛みを伴って私の腕に絡み付き一体化した、巴マミのリボンだった。
混乱のまま、それでも状況を確認しようとして。
風の音に掻き消されないよう大声で叫ぶ。
「……状況は!?」
「なんとか全員掴まっているけれど、最悪ね」
呟くような巴マミの声は、リボンを経由しているからか、それでも私の耳に届く。
どうやら誰も彼方へと飛ばされてしまってはいないらしい。
ただ確かにこの状況は、最悪だった。
視界は皆無で、少し下にいるらしい巴マミはおろか、他の誰も見ることは出来ない。
「鹿目さんの周りは、比較的風がおとなしいみたい」
「近くに居た佐倉さんが、ギリギリでそこに避難して、鹿目さんを守りながら、飛ばされた私を繋ぎとめて」
「私がリボンを伸ばして、何とか美樹さんとあなたを引き止めている」
焦りで頭が空回りして上手く考えがまとまらない。
ただ自分の中に、一つ引っかかるものがあった。
リボンを経由すれば届くとはいえ、何故巴マミの声は、こんなにも小さい?
「巴さん、どうやって杏子と、結ばれているんですか」
「……あはは、鋭いな」
「早く、早くリボンで繋ぎ直して下さい!」
「無理よ。私の両手、あなたたちで塞がっちゃってるもの」
それはつまり、杏子の側から巴マミを繋ぎ止めているということ。
杏子が距離の空いた人を捕まえられるのは、掴めるのは、たった一つしか思い浮かばない。
そしてそれは、とてもそういう用途に使うようなものではない。
「そん、な」
「ふふ、コルセット付いててよかった、かな」
「そんなもの、気休めにもならないじゃないですか!?」
早くしなければ。
私たちは巴マミの結び合わせる魔法で繋がっているから、そう簡単に飛ばされはしないだろう。
でも、鎖で繋がれた彼女は、そうはいかない。
時間が過ぎる毎に、気流が私たちを襲う度に、彼女は少しずつ削られていってしまう。
最悪の事態の想像は、とてもしたくないけど、簡単にできてしまう。
その時はきっと、私もさやかも、彼女の上半身と一緒に、どこまでも飛ばされていくだろう。
風が耳元をごうごうと通り過ぎる。
冷や汗は雨と混じり、私の体温を凄まじい勢いで奪っていく。
なすべきこと。
その答えは、出た。
一つだけ確認をするべく、巴マミに強く呼びかける。
「さやかと私、どちらが上ですか?」
「あなたのほうが、五メートルほど上、かな」
「それなら、大丈夫です」
ただ、完全に博打だった。
全員の命を危険に晒し、そして成功するかも分からない、恐ろしい博打だった。
それでも、やるしかないから。
「巴さん、どうかもう少し耐えて下さい」
「今からそっちに行きます。ちょっと荒っぽい方法ですけど」
「さやかに、巻き込むから覚悟をしておくよう伝えてもらえますか」
もう時間は止められない。
今の私に残されたのは、魔法少女であるという事実と、いくつかの武器。
爆煙を過剰に出してしまうことを嫌って使わなかった、爆弾の数々。
とても怖いと怯える私の心を燃え上がらせる。
今の私が背負っているものは何か。
今の私を支える、たった一つの約束は何か。
私のいるべき場所は、こんな所じゃない。
そして、盾から爆弾を取り出して、点火して。
風の成すがままに後方へと流して。
爆発して、強烈な爆風と、凄まじい熱と、破片の雨を体に受けて。
上昇気流を打ち消して、下へと吹き飛んでいく。
ソウルジェムだけを、必死に守りながら、目を必死に凝らしながら。
まず一人。
さやかは、すぐに見つかった。
風があまりにも強いため、私たちは殆ど一直線上に並んでいたから。
勢いのまま私は彼女に覆い被さり、さらに爆弾を点火して後ろに放り投げ、爆風を生んで推進力を受ける。
「ほむら、あんた何てことしてんの!?」
「大丈夫、だから」
痛みは感じないから。
ただ恐怖だけがこの心に降り積もっていくけれど、それでもこれしかきっと方法はないから。
限られた時間の中で、選んだ最低限の言葉をさやかに伝える。
「信じるから、信じて」
「ソウルジェムだけ、しっかり守って」
背中が焼けていく感覚はある。
何かが私の背中に突き刺さる感覚もある。
それでも、私は私のいるべき場所へと、進んでいる。
そして巴マミが見える。
彼女は案の定、鎖でがんじがらめに縛られて、両手を天に差し伸べて、まるで磔のように。
そのお腹から信じられないほどの血を滲ませて、呆然とした顔で私たちを見ている。
「さやか!」
「ッ了解!」
そしてさやかが、自由な二本の手で巴マミを抱え込んだ。
私の手は絶えず爆弾を取り出し、点火し、投げているために使えない。
でも彼女は、このギリギリの時間でそれを理解してくれた。
「……荒っぽいってレベルじゃ、ないわね」
「後のことはあたしが引き受けますから、マミさんは休んで下さい」
三人の塊になって、風の源に近付いて、さらに抵抗は増している。
ワルプルギスの夜が近いと、そういうことだろう。
もう盾の中の爆弾も残り僅か。
それでも、やれることがある限り、私は止まらない。
生きている限り、絶対に止まらない。
光が見える。
そこにはまどかと杏子がいるはずだった。
きっと杏子は、鎖の感覚から私たちが近付いている事を理解しているだろう。
だから、迷わない。
最後の一つを爆発させて、加速して、抵抗を振り切る。
風を受ける感覚は途端に消え失せた。
私たちを地上へ運んだ力は、その瞬間、私たちを地面へ叩き付ける力となって。
落下するその先には、杏子がいる。
その目に覚悟があることを安堵して、私は着地の衝撃を受けて。
【Side:鹿目まどか】
「いや、いや……いやだよ、こんなの、いやだよ」
「ほむらちゃん、さやかちゃん、マミさん、杏子ちゃん」
「どうして、どうして、こんな、あと少しなのに」
目の前には、地獄絵図。
ついさっきまで戦っていた仲間が、血みどろの中で転がっている。
杏子ちゃんが近付くなと言った、その意味は、こういうことだった。
暴風、竜巻の影響がここになかった原因はわからない。
でもそんなもの、今はどうでもいい。
頭は全然回らなくて、何をすればいいのか全くわからない。
みんな吹き飛ばされてしまった瞬間、とてつもなく嫌な予感はした。
でもそれがこんな形で実現するなんて、信じられなかった。
ほむらちゃんとさやかちゃんは、全身に凄まじい火傷を負っている。
マミさんは火傷だけじゃなく全身血塗れで、ほぼ力も尽き果てている。
そして手を広げて全員を受け止めた杏子ちゃんは、自分自身の赤と合わせて、真っ赤だった。
ほむらちゃんから、霊脈という場所から動かないよう、念を押されていた。
動かないのであれば、首を向けてただ見ていることしかできない。
でも、限界だった。
「動いちゃ、ダメ」
その限界で、瀕死のほむらちゃんが微かに声を漏らす。
その制止はだけど、とても、とても、聞けるようなものではない。
「大丈夫、だから……きっと」
「そんな、そんな訳ない、このままじゃ、みんな、みんな死んじゃう!」
「……わたしたち、魔法少女だよ? きっと、大丈夫だから、あなたは……」
「でも、そんな状態で襲われたら、みんな、戦えないでしょ!?」
「……いつまで、黙ってるの、かな」
その声は、わたしに向けられたものじゃなかった。
その声は、この状況を引っくり返せる彼女に、向けられたものだった。
「ごめん、ちょっと大変だったから……さ」
そして、眩い光が四人を包み込む。
癒しの願いを叶えた彼女が、その力を解き放つ。
自分自身も瀕死の状態で、それでも。
「……まどか、死んじゃダメだって、あたしに……言った、ね」
「その通りだわ、生きてれば、大抵何とか……なるもんだね」
癒しの力が、四人のいる空間を満たしていく。
さやかちゃんのほとんどの力を使い果たすほどのその行為は、確かにそこにいた魔法少女達を癒していく。
目を逸らしたくなるような火傷も、裂傷も、少しずつ消えていって。
光が晴れたとき、そこには傷一つない四人が、横たわっていた。
「鹿目さん、私たちは大丈夫みたいだから」
「お前にしかできないことが、あるんだろ」
残る二人も、弱弱しくはあるものの、声を出して無事を教えてくれた。
その事実に励まされて、また前を向いて。
目の前のワルプルギスの夜と目線を合わせて。
力を集め始める。
残りほんのわずか、それだけの力を。
そしてついに、その時は訪れる。
「ごめんね、長引いちゃって、ケガさせちゃって」
「でも、もう大丈夫だよ、みんな」
「わたしの準備、できたから」
わたしはいつしか変わっていた。
髪は長く伸びてたゆたい、蕾が花開いたような白と桃の衣装を纏い、薄く光の翼を背負い。
温かい力が周囲へと、迸っている。
手を上に横に掲げ、光の弓矢を呼び出して。
わたしの後ろでみんなもまた、力を振り絞って立ち上がるのを、感じる。
時が、満ちる。
弦を強く引き絞る。
キリキリと張り詰めるその音は、やけに強く耳に残る。
それは正面からも発せられていた。
わたしの影は、わたしとワルプルギスの夜を結ぶ一直線上に割り込んで、黒い弓を構えていた。
絶望したわたしの成れの果て。
その奥には、もっともっとたくさんの、魔法少女の成れの果て。
彼女たちの祈りは、希望は、この身体に満ちていた。
わたしの心にあるのは、ただ愛しさだけ。
「もう、いいんだよ」
「あなたたちはもう誰も呪わなくていい。そんな姿でいなくたっていい」
それはとてもとても温かい。
それはとてもとても力強い。
だからそれは在るべき所へ。
「今からあなたたちに、返します」
「あなたたちの祈りを。あなたたちの希望を。あなたたちの愛した世界を」
「勇気を」
「どうか、受け取って」
痛いほどに力を込めた矢の羽根を、離す。
希望を載せた光の束は、向かって放たれた呪いを包み込み、虹を引いて流星と疾る。
全ての魂を擁いて、ワルプルギスの夜という概念を貫いて、空に煌々と光の柱が立ち昇る。
そして、朝陽が射す。
長い長い夜が、たった今明けて、その先に未来が覗く。
射した光が、反射を受けて鮮やかに色付く。
数え切れないほどの魂がワルプルギスの夜から解き放たれ、浄化され、輝いていた。
彼女たちの声が聞こえる。
ありがとう、ありがとうと。
そう言いながら円環の理に導かれ、輪廻転生の内に還っていく。
その中には、たくさんのわたしがいた。
平行世界で息絶えたわたしがいた。
もはや形はないけれど、わたしの欠片は光の粒子としてわたしのところに降りてきて、一つ置き土産をして消えていく。
それはわたしの記憶だった。
何度も何度も絶望した、それでも未来を見ようとした、わたしの希望のひとかけら。
躊躇なく受け取るわたしは、感情を抑えきれず泣き出してしまって。
「あ、ああ、うあああああ」
口を押さえても声は漏れ出て。
それはみんな同じだった。
記憶を受け取って、思い出して、泣いていた。
自分の記憶を、みんなの記憶を混ぜ合わせた坩堝の中で。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
その中でたった一人。
ほむらちゃんだけは、泣きながら謝っていた。
両手を固く組んで、跪いて、祈っていた。
昇って逝く魔法少女に向かって。
「……私、絶対に、忘れません」
「生きている限り、背負い続け、ます」
嗚咽の中でそれだけを何とか言葉にして、また彼女は謝罪に戻る。
そんな彼女を見ていられないのは、みんな同じだった。
ただ、一番乗りを譲るつもりはない。
後ろからほむらちゃんを抱きしめて。
「ほむらちゃん、一人じゃないよ」
「わたしも一緒に、背負うから」
続いたのはマミさん。
正面から、ほむらちゃんを窒息させてしまいそうなほど。
「立派になったね、暁美さん」
「ずっと一人にしちゃって、ごめんね」
さやかちゃんは右肩に手を置いて。
その手に力を込めて。
「転校生とは呼ばないよ、ほむら」
「ごめんね。あたしあんたのこと、ずっとずっと誤解してた」
最後に来たのは、杏子ちゃん。
笑いながら左肩を掴んで、揺さぶって。
「随分と丸くなったもんだ」
「胸張れよ。守りたいもの、守れたんだろ」
まだほむらちゃんの顔はぐしゃぐしゃだったけど。
もう泣いてはいなかった。
そして長い時間を掛けて、光の柱は消えていく。
その役目を終えて、元の見滝原の様相を取り戻していく。
当然、そこは前のままではない。
吹き飛ばされたビルの残骸、吹き上げられた瓦礫の被害、周囲の光景は散々なもの。
でも、誰も欠けてはいなかった。
わたしたちは五人並んで、ただ何も言わず、陽の光を浴びている。
「皆さん、ご無事ですか!」
瓦礫の向こうから、一つ声がする。
聞き慣れたその声を認めて、わたしは瓦礫を飛び越えて声の主を連れてきた。
「仁美ちゃん、おつかれさま」
「まどかさん、それに皆さん、本当にお疲れ様でした……」
「ちゃんと避難させてくれたんだね。ありがと、仁美」
「礼には及びません、当然のことです」
見滝原の街はかなり破壊されてしまったけれど、犠牲者はいなかったそうだ。
そこに人がいるのならば、きっと少しずつではあるけれど復興していくだろう。
そしてわたしには、まだ残った仕事がある。
それをこなさなければ、終わりとは言えないだろうから。
「さやかちゃん」
「……うん」
わたしに残った仕事。
魔法少女はグリーフシードがなければ、いずれ力尽き魔女になること。
それを、覆す。
「ワルプルギスの夜は、もういない」
「わたしたち魔法少女の魂を縛るルールは、魔法少女システムは、もうない」
「だったら、わたしの力で、抜き出され結晶化させられたあなたたちの魂を」
「もとあった場所に復元することだって、できるはずなんだ」
そして、差し出されたさやかちゃんのソウルジェムに、力を込める。
ソウルジェムは力を受けて、少しずつ空中を進んでいく。
さやかちゃんの心臓、心のあるところに向かって。
抵抗する概念はない。
ただ、抵抗する力は、あった。
ソウルジェムは押し戻される。
他ならぬ、さやかちゃんの手で。
「まどか、あんた隠してることがあるよね」
「この世界には、きっとまだ沢山の魔法少女がいて、沢山の魔女がいる」
「あたしらを人間に戻して、それからあんたはどうするつもりだったの」
「あたしらをこの街に残して、自分一人で行くつもりだったの」
「冗談じゃないよ」
さやかちゃんは笑っていた。
口調は厳しいものだったけれど、笑っていた。
「ここまで付き合わせといて、最後だけ別行動なんて、そりゃないでしょ」
「連れて行けよ、親友」
見れば他のみんなも、全く同じ顔つきをしていた。
みんなにはみんなの生活があるから、と思っていたけれど。
どうやらこれでは、連れて行かないほうが恨まれてしまいそうで。
「私も、今度こそは付き合いますわよ」
「仁美ちゃん、すごく長い旅になるよ?」
「地球を文字通り一周するのでしょう」
「それがわかってるのなら」
「旅費はどうするんですの。翻訳は。移動手段は。現地での行動拠点の確保はどうするんですか」
「えっと、魔法少女の力でなんとか……」
「あなた方の力の源は、無限に在るものではないのでしょう。省けるものは省くべきです」
もう、何も言えなかった。
仁美ちゃんにも、十分な覚悟があるのなら。
「お願い、していいの?」
「もちろんです。私もまだまだ半人前ですが、家の者の助けも借りて、きっと十分にサポートしてみせますわ」
「僕は、帰るとしよう」
「キュゥべえ」
「この星で、僕のやるべき事はなくなったからね」
「使ったグリーフシードは」
「君の力で、還してあげられるんじゃないかな」
キュゥべえは相変わらず、何の感慨もないように言葉を継ぐ。
帰るとは、つまりインキュベーターの生まれた星へと、帰っていくのだろう。
そしておそらく、もう二度とわたしたちとは会わないのだろう。
「ありがとね、キュゥべえ」
「一体どういう風の吹き回しだ、僕は君たちにとって不倶戴天の敵ではなかったのかい?」
「あなたのしていたことは、認められないけど、それでも」
わたしたちが手に入れられたもの。
繰り返した悲劇の果てに、こうして掴み取った未来は、間違いなく。
キュゥべえなしにもまた、存在し得なかったものだろうから。
「助けてもらったから」
「本当に不思議な存在だね、君たちは」
わけがわからないといった様子で、歩いていく。
どこまで歩いていくのかは、わたしには分からない。
「わたし、勉強するよ。わたしだけじゃない、きっとこれから生まれる全ての人たちも」
「そして、人類が宇宙のエネルギー問題に取り組めるようになったら、また地球においで」
「その時はまた、一緒に戦おうね」
小さな姿は少しずつ小さくなって消えていく。
またね、というやはり小さな言葉を残して、消えていく。
【Side:美樹さやか】
仁美と一緒に避難者の帰りを待って、待ち人を見つけて、そして真っ先にやったこと。
それはたった一つ、ここまで先延ばしにし続けてきた、そして最後に約束したこと。
「恭介」
「上条恭介さん」
「あたしは」
「私は」
「「あなたのことが、好きです」」
「あーっとストップ。返事はまだね」
「私達、これから長い旅に出なければならないんです」
「いつ帰ってくるかも分からないけど、返事はそれまで待って欲しいんだ」
「勝手な事を言うようで、申し訳ありませんけど」
「帰ってきたら、秘密にしてたことも全部話すよ。だからお願い、どうかそれまで待ってて」
呆けた顔の後に呆れ返った顔。
それでも恭介は、頷いて、約束すると言ってくれた。
まだ心臓のバクバクが収まらない。
答えをあそこで聞いていたら、心臓が止まっていたかもしれなかった。
でも、今のあたしには、一つ確信していることがある。
たとえその結果がどのようなものでも、あたしは、絶望などしないだろうということ。
「ねえ、ちゃんと言えたよ」
「あんたはちゃんと生まれ変わったのかな」
「どうか次は、幸せに生きてね」
空に向かって言う。
絶望の果てに死んでしまった自分に向かって。
どうかあなたの来世に、幸運のありますようにと、願う。
【Side:巴マミ】
近所の花屋で買った花束を抱えて、訪れた先には先客が居た。
同じように花を抱えているのだけれど、その違和感は隠し切れない。
「佐倉さん」
「おう、マミ」
「それ、何」
「見りゃ分かるだろ、花だよ花」
「いや、そうじゃなくて」
「……金無いから、その辺の取ってきた」
「だったらちゃんと摘みなさい。なんで木の枝を折って持ってくるのよ」
彼女が抱えていたのは、どういうことか桃の木の枝。
花としてはやや季節はずれのそれは、それでもいくつかの花をそこに咲かせている。
ここは墓地。
見滝原を離れるのならその前にと、パパとママに花を供えに来た、のだが。
ちょっと憂鬱な気分は、どこかへ吹っ飛んでしまった。
「いいじゃん、別に」
「半分あげるから、半分よこしなさい」
「ああ、ありがと。やっぱ種類は多いほうがいいよな」
朗らかに笑う彼女も、やはり献花に来ているのだろう。
彼女の家族のお墓がここにあるとは知らなかったけど。
私の気も知らず、彼女は墓に花を供えていく。
意外にも手馴れたものだった。
「いろいろ、なくしちゃったけどさ」
「うん」
「その代わりに、手に入れたものもあるんだよな」
「そうね」
「大切にしないと、バチが当たるね」
「大切にしましょう。最後の最後まで、気を抜かないで」
私たちの戦いは、まだ終わらない。
地球を周る旅は決して楽なものにはならないだろう。
それでも、一緒に戦う仲間がいるから、不可能とは思わない。
「これからも、私たちは生きていきます」
「どうか、見守っていてください」
そう言って目を瞑る。
私は今、とても幸せです。
そしてきっと、これからも。
【Side:鹿目まどか】
みんなと待ち合わせた橋の上。
わたしはほむらちゃんと一緒に支度を済ませ、こうして一足早く待っている。
ホムを抱えながら、パパとママの見送りを後ろに受けて。
「ホム、元気でね」
「みゃーお」
「この子、エイミーじゃないの?」
「ふふ、この世界ではホムって名前を付けたんだよ」
「なんか恥ずかしいな」
ホムはさすがに連れて行けないため、うちで預かってもらうことになった。
そもそも旅に出ることから大騒ぎになったため、かなり交渉は大変だったけれど。
それでも二人とも、最後には、笑って送り出してくれた。
ホムを撫でながら、思う。
この子がわたしの全ての始まりだった。
この子を助けたいと願ったのが、わたしの魔法少女としての最初の一歩だった。
そしてこの世界で、ほむらちゃんの欠片を真っ先に感じた、最初の一歩だった。
「この子も、きっとわたしたちのこと、必死に助けてくれたんだ」
「わたしが辛い時、ホムはホムなりに元気付けようとしてくれた」
「あなたも、わたしたちの仲間だったんだよね」
掛け替えのない宝物。
わたしがこの世界で手に入れた、たくさんの宝物の中の一つ。
「じゃあ、ちゃんと帰ってこないとね」
「うん。きっと大丈夫だよ」
「みゃーお」
その顔はまた、これまでと同じように。
大丈夫だから頑張れって、そう言っているように見えた。
「これまで、すごく沢山のことがあった」
ほむらちゃんがそう呟く。
その目は空を見て、いつかそこにあった光の柱を見ているようで。
「こうして私は今、光の中にいるけれど」
「ずっと闇の中で彷徨って、閉ざされた世界の中で廻り続けて」
「大切なあれもこれも、忘れてしまっていた頃があった」
その表情は、冷たい。
いつか見ていた、心を閉ざしていたほむらちゃんに、そっくりだった。
「だから、もう一度」
ほむらちゃんは一つ息を吸う。
深く深く、深呼吸をして、言う。
「私をあなたの、お友達にしてくれますか」
それに対するわたしの答えなど、もう決まっている。
目を見て、笑って、手を握って。
「もうわたしたちは、友達だよ」
「これからも、いつまでも、ずっと。ずっとね」
そして表情は崩れて、満面の笑みが浮かぶ。
わたしがそれを与えてあげられたことに満足して、大きく手を振る。
橋の向こうに、さやかちゃんと仁美ちゃん、マミさんと杏子ちゃんが見えた。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
まだまだ、わたしたちの戦いは終わらない。
わたしたちの人生も、始まったばかり。
この世界を生きていこう。
大切な友達と、宝物に囲まれて、幸せに包まれて。
――fin.
以上、閉幕となります。
長らくお付き合い、ありがとうございました。
今日はしばらく居ますので、何か質問などありましたら。
416 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2012/01/12 23:53:46.75 HRE/lg9n0 320/324とても面白かったです。今までにない内容で非常に楽しめました
物語の構成は全体をしっかり決めてから書き始めたんですか
なんかこういうの書きたいなぁみたいな物があったり?
417 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2012/01/13 00:00:54.50 Xyxr6UoEo 321/324乙
ちょっと自分の理解力が不足しているので
まどかのやったことって
ワルプルさんの希望を復元した結果成仏したって解釈でおk?
魔法少女システムがなくなったっていうのは
既存のルールに何か変更が加わったわけではなくて
まどかの能力によって、魔女になったら救われない
という前提が覆されたという意味?
キュゥべえの悪魔よばわり吹いた
何もかも放置して帰るのは無責任じゃないですかキュゥべえさん
ともあれ完結おめでとう
そしてありがとう
422 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2012/01/13 00:21:41.45 OiNSHiLxo 322/324>>416
ほむらが絶望したらどうしよう
まどかを主人公にしたい
みんな幸せになってほしい、の三つを柱にして、あとは勢いです
>>417
ワルプルギスの夜そのものは、希望とか絶望とかを持った人間のような存在ではなく、大臣とか首相とかの役割と同じものとしてます
浄化され、後に導かれたのは、ワルプルギスの夜の核になっていたサーカスの魔法少女を初めとする中に居たすべての魂で
概念を支える因子が全て失われ、その上でまどかの矢を受けたために、ワルプルギスの夜は崩壊して消えました
魔法少女から少女に戻る事はできない、というルールがワルプルギスの夜に組み込まれていたのですが
それも概念の消滅と共に消え、魔法少女としてのまどかの能力で普通に干渉できるようになりました
魔女化自体は死と同義に捉えているので、魔女から少女に戻る事はないでしょう
ただ、普通の死と同じように、来世へと転生していけるようになったくらいです
いずれはまどかを含めた全ての魔法少女は少女へと戻り、全ての魔女は救済され生まれ変わっていくと思います
そういう意味で、魔法少女システムはなくなった、と思っています
421 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2012/01/13 00:21:30.42 BmASNGzc0 323/324いいハッピーエンドでした でもすこし疑問も
物理的に倒したのではなくて、霊脈を利用して希望で相殺したということ?
423 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2012/01/13 00:32:26.08 OiNSHiLxo 324/324>>421
霊脈はブースト用の道具みたいなものです
細かく説明し切れなかった所は>>422に書いたので、そちらを参照してみてください
多分2割ほどは物理的です
全員にレスを返す余裕が無くてごめんなさい。
とても励みになりました、ありがとうございました。


