※前スレ: PART.1  PART.2

333 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:18:06.08 JI5KpnyFo 203/461


 テストが着実に近付いていた。
 
 ろくに勉強もしないまま、テスト前期間はあっという間に過ぎていく。
 サラマンダーやマエストロはなんだかんだで真面目な人種で、残された時間を使って器用に勝率を上げ続けているだろう。
 幼馴染も一見普段どおりだったが、彼女はそもそも普段から少しずつ勉強しているタイプだった。
 屋上さんは部活がないとストレスがたまるらしく、微妙に声をかけづらい雰囲気だったが、相変わらずツナサンドをかじっていた。
 
 一応、俺もテスト勉強はしていたものの、どこまで効果があるかは怪しいものだった。しないよりはマシだと信じるしかない。
 一問でも解ける問題が増えれば、点を取れる確率はあがっていくわけだし。

 テスト開始前日、幼馴染と妹の誕生日について話をした。
 
「プレゼント、決まってるの?」

「いや、それが……」

 まだ決まっていない。
 CDや本なんて買っても喜ぶタイプじゃないし、化粧品だとまだ早いような気がする。
 かといって服なんかは自分で選びたいだろうし、アクセサリーは買っても学校につけていけない。
 ぬいぐるみなんかを喜ぶタイプでもない。難しい。

「去年はなんだったっけ?」

「エプロン」
 
 それまで使っていたのが家に置いてあった母のお下がり(ろくに使ってない)だったので、新しいのを買ったのだ。
 あまりわざとらしいのは個人的に嫌だったので、水色のシンプルなものにした。気に入ってるらしい。

元スレ
幼馴染「……童貞、なの?」 男「」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1311427993/

334 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:18:46.45 JI5KpnyFo 204/461


「とりあえず、考えてもちっとも思いつかないので、土曜につれまわして自分で選ばせることにした」

 幼馴染は微妙な顔をしていたが、比較的マシな案だと思えた。
 そこで俺が選んだものと妹が欲しがったものを渡せば一石二鳥。我ながら良い案。

「おじさんたちは?」

 幼馴染が尋ねる。少し戸惑った。

「いつも通りだな」

 彼女は納得したように頷く。

「まぁ、当たり前っていったら当たり前だけど」

「そうでもないだろ」

「そう?」

 彼女は不思議そうに首をかしげる。俺が間違っているような気分になってきた。
 俺たちは当たり前だと思ってはいけないのです。

335 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:19:32.18 JI5KpnyFo 205/461


 昼休み、屋上にいくと、彼女はやはりそこにいた。
 屋上さんはサンドウィッチを食べながら単語帳をめくっている。
 
「……お勉強ですか」

 もぐもぐとサンドウィッチを咀嚼しながら彼女は頷いた。

「ねえ、屋上さん、自分が誕生日プレゼントをもらうならなにがいい?」

 参考までに訊いてみることにした。

「なんでもいいかな」

 気のない返事。

「なんだってうれしいもんでしょ。プレゼントって。あることが重要なのであって」

 適当かと思えば、案外まじめな意見。
 とはいえ何の参考にもならなかった。

336 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:20:07.11 JI5KpnyFo 206/461


「じゃあ、兄弟っている?」

「妹が二人」

「誕生日にプレゼントってあげてる?」

「まぁ、一応ね」

 頷いてから、彼女は俺に疑問を返した。

「誰かの誕生日?」

「妹」

「いるんだ」

 彼女は少し意外そうにしていた。


337 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:20:59.17 JI5KpnyFo 207/461

 話題がなくなる。俺は必死になって頭の中をあさり話の種を探した。

 できれば夏休みになるまえまでに距離を詰めておきたいという下心。
 四十連休の間、ずっと会わなかったら忘れられてしまいそうだ。
 
 とはいえ、本当に距離が縮まったら、それはそれで戸惑ってしまうだろう。
 このくらいの距離感がちょうどいい、という見方もできる。

 ずるいかもしれない。

「ところで屋上さん、ちょっと気になったんだけどさ」

「なに?」

「たとえばここで、女子が着替えてるとするじゃん?」

「何言ってるの?」

 頭大丈夫? 的な目で見られる。

「でさ、じっと見てるとするよね、俺が」

 心配そうに見つめられる。
 照れる。

338 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:21:51.38 JI5KpnyFo 208/461


「でも、下着とか一切見えないんだよ、不思議と」

「さっきから何が言いたいのかまったく分からないんだけど」

「たとえば屋上さんが制服からジャージに着替えるとするでしょう」

「ええ」

「そのとき、屋上さんはスカートのまま下にジャージを履いて、そのあとスカートを脱ぐよね?」

 少し考え込んだ様子の屋上さんは、やがて「ああ」と納得するような声を漏らした。

「それが?」

「女の子っていつのまにああいう技術を習得するの?」

 彼女は少し呆れてながら、ちょっとだけ考えて、俺の疑問に答えてくれた。


339 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:22:28.82 JI5KpnyFo 209/461


「たぶん、男子の着替えって、周りに人がいても気にしないんだよね?」

「ああ、まぁ」

 男子同士でも気にならないし、女子がいても、別になんとも思わない。
 騒がれたらまずいので目の前では着替えないだけで。

「でも女子って、男子だろうと女子だろうと、見られるのが嫌なわけね」

「……女子だろうと?」

「女子だろうと。ていうか、男子なら恥ずかしいだけだけど、女子だと本当に見られたくない」

 なんとなく理由は想像がつくものの、今まで気付きもしなかった感覚だった。

「それで、毎回毎回隠しながら着替えているから、もはや習性」

 習性。面白い言葉が出た。習性だったのか。
 和やかな会話をしながら、屋上さんと昼食をとった。

340 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:22:56.97 JI5KpnyFo 210/461


 テスト前日の夜は必死に勉強をした。
 一夜漬け。とはいっても付け焼刃にしかならないと分かっていても、必死になってノートにかじりつく。
 早めに眠って、翌日に備える。万全の準備をした。

 が、それだけ前準備をしていたにもかかわらず、終わってみればテストの手ごたえはほとんどなかった。

「だいたいさ、おかしいだろ」

 俺の呟きに、幼馴染は心底同情するような視線を向けた。

「だって、テストに出ることってだいたい教科書に載ってるじゃん。だったら、分からないことがあったら教科書を見ればいいわけで」

 俺は大真面目に言ったつもりだったのだが、彼女は苦笑するだけで同意はしてくれなかった。
 元素周期表なんてものは必要としている奴が壁にでも貼っておけばいい。本当に必要としているならそのうち覚えてる。
 
 家に帰ってからもしばらく憂鬱な気分は続いたが、終わったことをずっと考えていても仕方ないので、俺は土曜日のことを考えた。
 一応、妹に行き先と目的を告げて出かけることは言ってある。
 財布をいつもより厚くしておく。
 妹だけに決めさせるのも申し訳ないので、俺もいくつか案を考えておいたが、実際に見て気に入ったものがあればそれにすればいいだろう。


341 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:23:38.54 JI5KpnyFo 211/461


 ベッドに倒れこんで一日の反省をした。
 勉強、せねばなるまい。

 蝉の声に耳を傾けてしばらくぼーっとしていると、あるときを境にその音が耳が痛くなるほど大きくなった。

 窓に目を向けると、蝉が網戸に止まっていた。

「おお! すげえ! 近い!」

 思わず携帯で写メる。
 蝉の腹の画像がデータフォルダに保存された。
 夏だなぁ。

 網戸を一度開けて、がんっ! と閉めなおした。蝉は羽を広げてどこかに飛んでいく。

 もう一度がらりと開ける。青い空が広がっていた。

「夏――――ッ!」

 思わず叫ぶ。
 近所の犬が呼応するように吼えた。
 子供たちの笑い声が聞こえる。

 テストは終わった。
 もう夏休みは目前だ。


342 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:24:24.64 JI5KpnyFo 212/461


 土曜は近場のショッピングモールへと行った。
 日用品から服、インテリア、楽器屋、靴屋、雑貨屋、ギフトショップ、アクセサリーショップ、ペットショップ、フードコート。
 大小含めておびただしい数のテナントが並んでいて、大勢の人々がさまざまな店に出たり入ったりしている。
 
 冷房の効いた店内に入っても、人波は独特の熱気を持っていてとても涼めはしなかった。
 
 店が多いのはいいものの、おかげで一日で回りきれるほどの広さではない。
 ある程度目的を決めて動かないといけない。

 とりあえずぼんやりと決める。

 服屋はなしにして、鞄、財布なんかを回るのがいいか、それとも小物か、アクセサリーか。
 考えるのが面倒になったわけではないが、妹に先導をまかせて後をついていくことにした。

 普段はあまり来ないところだからか、妹はいつもよりはしゃいでいた。
 人ごみは得意ではないはずなのに、疲れた様子を見せることもない。

 この反応だけで、まぁいいか、と思ってしまう。


343 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:24:50.87 JI5KpnyFo 213/461


 雑貨屋を回る。クッション、ペン立て、本棚、クッション、ぬいぐるみ、さまざまなものが置いてあった。
 妹はいろいろなものを触ったりしながらいろいろと見て歩いた。
 俺も追いかけながら、いろいろと手にとってみる。

 次にアクセサリーショップを見に行くが、これにはあまり食指が動かないようだった。
 いつも身につけていられるとはいえ、金額も相応だし、学生はおおっぴらには付けて歩けない。
 そもそも兄にプレゼントをされたネックレスやらなにやらを身に付ける女子というのも微妙な塩梅だ。

 そうなるとやっぱり家の中で使うものがいいだろう。あるいは財布のようなもの。
 
「財布は、別になあ」

 と妹は言う。そもそも財布にこだわる感覚が分からないのだろう。
 使いやすくてあまりデザインのひどくないものなら何でもよさそうだ。
 
 しばらくいろんな店を見て回ると、あっというまに昼時になった。
 混み始めてからだと困るので、早めにフードコートへ向かったが、それでも人は大勢いた。

 昼食にラーメンがいいんじゃないかと提案したところ、妹がひどく不機嫌になった。ラーメン、悪くないのに。
 仕方ないのでハンバーガーにする。これも妹は少し難色を見せたが、他よりはマシと判断したらしい。基準が分からない。
 
「こうしてると、デートみたいだね」

 と、言ってみた。俺が。

「馬鹿じゃないの?」

 反応は辛辣だった。ひでえ。

344 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:25:17.58 JI5KpnyFo 214/461


 腹ごしらえを終えて、少し休憩していると、聞き覚えのある声に話しかけられた。
 後輩だった。

「どもっす」

「おす」

「どうも」

 後輩は前にファミレスで会ったときと変わらない様子だった。

「デートすか」

「デートっす」

「違います」

 示し合わせたような会話に、後輩はけらけら笑う。


345 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:26:43.79 JI5KpnyFo 215/461


「そっちはデート?」

「ああいや。家族です」

 彼女はちらりと遠くの席を見た。
 少しの間、話をしていると、食器の載ったトレイを持ったまま後輩に誰かが話しかけた。
 どこかで聞いたような声だと思って振り向いたが、その顔に見覚えはなかった。
 太い縁の赤い眼鏡。まっすぐ下ろした髪。その表情はどこかで見たことがあるような気がした。
 
 彼女は一瞬だけ俺を見ておかしな反応をした。その直後、後輩を置き去りにして早々に去っていく。

「待って、ちい姉!」

 後輩の言葉を耳ざとく追いかける。ちい姉。「ち」がつく知り合いはいない。たぶん気のせいだったのだろう。

「それじゃ、私行くんで。デート楽しんでください」

「デートじゃないです」

 後輩は颯爽と去っていった。スタイリッシュ。

 混み合ってきたフードコードを出る。人の出入りが多い。はぐれないようにあまり離れないように注意する。

「手でもつなぐ?」

「冗談でしょ」

 半分くらい本気だったが、そう言われては仕方ない。

346 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:27:27.62 JI5KpnyFo 216/461


 結局さっきの雑貨屋が一番よさそうだったので、その中を歩いてみることにする。
 
「マグカップ。どうよ?」

 無難なものを押す。
 妹は満更でもなさそうだった。

 長い間、彼女はさまざまなマグカップの形や色や柄を眺めていた。
 やがてこれだというものを見つけたらしく、俺に向けてそれを得意げに抱えた。

 外側が黒く塗られた、シンプルな形のものだった。
 一瞬怪訝に思う。本当にこれでいいのか? 受け取ってよく観察してみると、側面に小さな猫の後ろ姿が白線で描かれていた。
 そしてその足元にはアルファベットが並んでいる。不器用そうなフォントで『can't sleep...』。切なげな猫だ。

「これでいいの?」

 真っ黒というのも変なものだと思う。

「うん。これがいい」

 いたく気に入ったらしい。そこまで言うならと早々に決定した。
 満足顔の妹を横目に笑う。安上がりな奴。もうちょっと贅沢をしても誰も責めないのに。

347 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:27:54.64 JI5KpnyFo 217/461


 俺はレジに寄る前に写真立てのコーナーを探した。少なくない種類がある。どれも同じに見えたが、一応意見を聞いておいた。

「どれがいいと思う?」

 妹はよく分かっていない顔をしていたが、それでもちゃんと選んでくれた。シンプルであまり気取っていない木製のもの。
 カメラは帰りに使い捨てのものでも買うか、と思ったが、デジカメがあるのでそれをプリントすればいいと気付いた。データのまま保存できるし。
 写真屋で現像を頼むことなんていつの間にかなくなった。

 せっかく来たのでもう少しだけ回って歩こうかとも思ったのだが、割れ物を持ち歩くのは少し怖いし、人ごみに疲弊しつつもあった。

 早い時間だが家に帰ることにした。

 妹は帰る途中も期限をよくして鼻歌を歌ったりしていた(鼻歌は歌うで合っているのだろうか)。
 最近は「馬鹿が割り増しになったよね」とか言われることもなかったし絶対零度の視線を浴びせられることもなくなった。
 良い傾向なのか悪い傾向なのかは分からない。

 まぁ、考え事をしたって仕方ないし、と割り切る。

348 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:28:38.28 JI5KpnyFo 218/461


 家に帰ってからひとりで買い出しに出た。
 自分で自分を祝う食事を作るのも妙な話なので、明日の食事の準備は俺がすることになっている。
 せっかくなので大量に作ることにした。豪勢に。好きなものを。

 買い物を終えて家に帰ると幼馴染とユリコさんがいた。
 どうやら妹の誕生日前日ということで、プレゼントを置きにきたらしい。
 
 彼女たちはプレゼントを妹に渡してわずかに言葉を交わしたあと早々に帰っていった。

 その後俺たちは夕飯をとってリビングで暇を持て余した。
 テストが終わったばかりで、何もすべきことが見当たらない。
 とにかく映画でも観るかと思ったけれど、もう見飽きたものばかりで見たいものがない。

 結局その日は何もせずに眠った。

 後で聞いた話だが、幼馴染からは熊のぬいぐるみ的ストラップ、ユリコさんからは熊型目覚まし時計だったらしい。
 なぜ熊なのかは疑問だが、本人が気に入っているようなのでよしとする。

349 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:29:14.24 JI5KpnyFo 219/461


 翌日。
 基本的にはいい親ではない両親も、妹の誕生日だけはきっちりと休みを取る。
 というのも、一度大幅に遅刻した際に妹がかなりのダメージを負ったからだ。

 大泣きした。後にも先にもあんなに泣いたのはあのとき限りだ。
 普段忙しい人たちで、ゆっくり話をすることも難しいので、特別な日くらいは帰ってきてほしいと思ったのだろう。
 その日は結局待ちきれずに先に寝てしまった。かなり落胆していたのか、その日は同じ部屋で寝ようとしたほどだった。
 実際、同じ部屋の同じベッドで眠ろうとしたが、それは今は関係のない話だし、俺が役得を感じていたかどうかもどうでもいいことだ。

 結局二人が帰ってきたのは日付が変わる頃だった。
 物音で目を覚ました俺たちは、両親を出迎えた。嫌な見方をすれば、彼らとしてはなんとか体裁を整えられたということだ。
 間に合ったといえば間に合ったけれど、間に合わなかったといえば間に合わなかった。
  
 生活が切迫しているわけでもないのに、それでもどちらかが仕事をやめたりしないのは、やっぱり好きだからなのだろうか。
 ふて腐れるような歳ではないにせよ、あんまり面白くない。もうちょっと家庭を顧みろ。

 日曜の朝、妹と二人で朝食をとっていると、父が寝室から出てきた。寝癖をつけたまま。
 仕事に行くときはぴしっとしているが、家にいるときはひたすらにだらしない。

 おはよう、って言うとおはようって言う。挨拶は魔法の言葉です。

350 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:29:41.94 JI5KpnyFo 220/461


 三人でダイニングテーブルに向き合って食事をとる。今度は母が降りてきた。
 両親の分も食事を用意するのは妹だった。世話を焼いているだけで楽しそうなのでよしとするが、あまり釈然としない。

 とはいえ俺も甘んじて世話を受けているわけで、まぁ人のことはとやかく言えない。

 だらだらと一日を過ごす。

 遠出をしても疲れるし、ゆっくりと過ごすのが休日の正しい過ごし方。
 我が家に安心を見つけることで、人々は安らぎを得ることができるのです。

 会話がないが、誰かがそれを不服に感じることはない。
 仕事の話なんて聞いたところでちっとも面白くないし、学校のことを話したって仕方ない。
 ぼんやりテレビを見ながら、それでもリビングに揃う。

 二時を過ぎた頃、渋る三人を押し出すようにして出かけさせた。とりあえず店でも回ってきて、帰りにケーキでも買ってくるといい。

「いかないの?」

 妹が尋ねる。

「晩御飯は腕によりをかけようと」

 不服そうだったが、俺がいないほうが両親も落ち着いて妹と話せるだろう。両方いるとどっちと話せば良いか分からないだろうし。


351 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:30:23.18 JI5KpnyFo 221/461


 五時半を過ぎた頃に料理を始める。久々だったので道具の位置やらなにやらで手間取った。
 その頃にちょうど三人も帰ってくる。どこに行ったかは分からないが、とりあえず満足そうだった。

 寝転がりたがる三人を無理やり並ばせてデジカメで写真を何枚か撮っておいた。

 その後、母親が料理の手伝いをしたがった。はっきり言って足手まといだったが、せっかくなので手伝ってもらう。
 
 料理が作りおえてテーブルに皿を並べた頃、ちょうど六時を回った。
 
 たいして苦労したわけではないが、見栄えだけは良かったし量も多いので迫力があった。
 父が大食漢だということを考慮したうえでの量だったが、あっというまに減っていった。

 食事の後、少し時間を置いてからケーキを切り分ける。なぜか巨大なホールケーキだった。
 明らかに余る。
 蝋燭に関しては妹が嫌がったので省略した。そういうこともあるだろう。母は残念がっていた。

 イチゴの乗ったショートケーキ。シンプル。バースデイケーキ、という形。示唆的。 

「おめでとう」

「ありがとう」

 ごく平凡(少し過剰なほど)な家族の誕生日が過ぎていった。


352 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:30:52.38 JI5KpnyFo 222/461


 買い物に行ったときに、プレゼントはもらったらしい。何をもらったのか聞くつもりはなかった。
 両親はリビングに残って買ってきたと思しき酒を飲んでいた。
 夫婦水入らず。二人揃うのも久しぶりなのだと思って放っておく。

 さっき撮った写真を大急ぎでプリントアウトした。
 
 渡さずにいた写真立てに写真を入れて、妹の部屋に行く。
 俺がドアを開けたとき、彼女は疲れてベッドに倒れこんでいたようだった。

「ほれ」

 気安げに渡した。照れ隠し。
 妹は少し驚いていた。素直に感謝される。照れる。

 妹はなんだか微妙そうな顔をしていた。良いことが続きすぎると怖くなるものだ。

「一緒に寝るか?」

 軽口を叩く。

「馬鹿じゃないの?」

 いつもの調子で言われた。

 とりあえず、今日はそこそこがんばった方じゃないかな、と思う。


353 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/31 12:31:46.02 JI5KpnyFo 223/461

つづく

365 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:17:06.30 FfC3rck9o 224/461


 週明けにはテストが返却され始めた。点数は思っていたよりも悪くなかった。
 せっかくなので誰かと点数勝負がしたくなった。

 キンピラくんに声をかける。

「点数勝負しようぜ」

「なんで勝負なんだよ」

「男だからだよ」

 男ならしかたない、とキンピラくんは納得したようだった。

「全教科の合計点数を競う。もし俺が負けたら、なんでもしてあげるよ。三回回ってワンと鳴くくらいなら」

「おい、結構『なんでも』の幅が狭えぞ」

 俺はキンピラくんの言葉を無視した。

「もし俺が勝ったら……」

「勝ったら?」

「お……」

 俺は大真面目に言った。

「俺とメル友になってください」

「何言ってんだおまえ」

 心底心配そうな目で見られた。友達ほしい。



366 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:17:34.41 FfC3rck9o 225/461


「じゃあ、もし俺が勝ったら」

「勝ったら?」

「俺の分の夏休みの課題、全部やってもらう」

「あ、ごめん。俺ちびっこ担任に用事あったんだわ」

「逃げんなてめえぶっ飛ばすぞ」

 シリアスに言われる。負けるわけにはいかなくなった。

 手始めに既に返ってきている答案の点数をお互いに言い合う。

 圧勝していた。

 この分だと俺の勝利は確定的だ。
 それなのにキンピラくんは自分の勝利を微塵も疑っていないようだった。

 何が彼に自信を与えてるんだろう。間違いなく自信だけが先走っている。

 俺は不敵な笑みを浮かべるキンピラくんに少しだけ同情した。

367 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:18:02.79 FfC3rck9o 226/461


 結果から言ってしまうとキンピラくんとの勝負に俺は勝った。
 全教科の答案が返却されたのち、赤外線で互いのアドレスを交換しあう。

「毎日電話するね、ダーリン!」

 語尾にハートをつけた。

「もう死ねよおまえ」

 キンピラくんは辛辣だったが、俺はご機嫌だ。
 携帯のメモリにまたデータが増えた。

 試しに適当な文面を送信する。
 キンピラくんは律儀にも返信をくれた。

 怒りマークの絵文字。
 
 微笑ましい気持ちになる。
 彼が意外とメール魔だと気付いたのは夏休みに入ってからだった。


368 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:18:35.75 FfC3rck9o 227/461


 学期最後の週、屋上さんと昼休みに遭遇する。
 もはや日課と言ってしまってもいいほど、彼女と一緒に昼食をとることが多くなった。嫌がられることも不思議とない。

 とはいえ彼女と話すこともだいぶ消費され尽くしてしまい、既にほとんど会話と言えるものは生まれない。

 老夫婦のような空気。
 と、前に口に出して言ったら「いっぺん死ねば?」と言われた。

 口は災いの門である。

 屋上さんに夏休みの予定を聞いたら、彼女は押し黙ってしまった。

「……部活」

 長い沈黙のあと、彼女は短く呟いた。

「他には?」

「なにも」

 彼女は苛立ちをぶつけるようにハムサンドをかじった。

369 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:19:25.43 FfC3rck9o 228/461


「じゃあ俺と遊ぼう」

 誘ってみた。

「なんで?」

 嫌そうだ。

「え、だめ?」

「ダメ」

 ダメらしい。それなら仕方ない。

 弁当をつつきながら屋上さんのことを考える。
 俺が彼女について知っていることなんて、名前と顔と学年くらいだ。
 あと妹がふたりいる。その程度。
 
 距離が縮まっているようで、まるで縮まっていない。

370 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:19:52.78 FfC3rck9o 229/461


 屋上さんはハムサンドを食べ終わると今度はタマゴサンドをあけた。数個用意してあったらしい。

「食べる?」

 俺は差し出されたタマゴサンドを受け取った。美味い。

 もしゃもしゃと咀嚼ながら彼女の方を見上げる。

 強い風が吹いた。
 ぱんつ見えた。

 ――久しぶりだなぁ。

 しばらく沈黙が落ちた。

「見た?」

 奇妙な迫力があった。

「白でした」

 ありだと思います。

 正直に答えたのに、彼女は何も言ってくれなかった。
 
 屋上さんとの間に溝が出来た気がする。
 でも事故。俺悪くない。

371 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:21:18.56 FfC3rck9o 230/461


「まぁいいや」

 屋上さんは意外にも何の文句も言わなかった。
 思わずのけぞる。

「それは覗いてもお咎めなしという意味?」

 男として聞かずにはいられない。
 彼女は俺の言葉に簡単な答えを返した。

「事故だから許すという意味」

 以前を考えれば格段の進歩だ。
 距離が縮まってないように思えて、やっぱり縮まっているのかもしれない。

 俺はひとつ咳をしてから、屋上さんに別れを告げて教室に戻った。

372 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:22:08.27 FfC3rck9o 231/461


 ある日、妹に贈った写真立てに、二枚目の写真が入っていることに気がついた。

 何が写っているのかを聞こうかと思ったが、あんまり詮索するのもおかしいだろう。
 気にかかっても聞かずにいたのだが、

 まさか彼氏か。ツーショットか。

 と思うとなんだかやりきれなくなったので、やっぱり実際に聞いてみた。

「彼氏?」

「違うから」

 違うらしい。
 じゃあ何が写ってるの? と聞いても答えてくれない。仕方ないことではあった。

373 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:22:36.25 FfC3rck9o 232/461


 幼馴染に電話でそのことを相談すると、反応は淡白だった。

「写真立てにどんな写真を入れたって、妹ちゃんの自由じゃない?」

 まぁそうなのだけれど。
 ちょっと気になる。

「もともとはどんな写真入れてたの?」

「家族の」

「へえ」

「俺は写ってないけど」

「……なんで?」

 単に操作の仕方が分からなかったので、自分で撮るしかなかった。
 それに、なんで俺が写ってないんだろう、と考えるたびに、そのときの状況を事細かに思い出せるのではないかと思った。
 思い出的なものを保存するにはちょうどいい感じがする

374 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:23:03.46 FfC3rck9o 233/461


 幼馴染は呆れたようだった。

「それってさ、たぶん……」

「たぶん?」

 彼女はそこで言いにくそうに言葉を区切る。安楽椅子探偵が何かを言おうとしていた。

「……やっぱり、なんでもない」

 私が言うことじゃないし、と彼女は言った。

 すごく気になる。
 が、問い詰めても答えてはくれないだろう。
 ままならない。

375 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:24:01.92 FfC3rck9o 234/461


 そんなふうにして学期の残りはすごい速さで消費されていった。あっというま。
 最後の部活の日に、予定表を渡される。特に何があるわけではないが、他に予定がない限り部活には出ようと思っていた。
 なんだかんだで学校は嫌いじゃない。特に、夏休みの学校の、あのひんやりとした感じ。

 どことなく空気が軽やかになっていく。
 夏休み、という感覚。開放感。
 それだけで周囲が違って見えた。新鮮に見えたし、色鮮やかに感じられた。

 終業式は暑い日だった。
 あまりの暑さにほとんど記憶がない。
 帰り際に誰かに話しかけられたが、そのときにはもうほとんど意識がなかった。
 あんまりにも頭がぼんやりするので、早々に家に帰ってソファに寝転がっていた。
 
 目を覚ましたときには夕方で、俺は自分が夏休み直前に風邪を引いたことに気付いた。

「体調管理……」

 幸先が悪い。

 そういえばテストが終わってからも、原付の免許の勉強をしていたのだ。
 簡単だとは聞いていたけれど、さすがに知識も何もないのでは話にならない。
 それに不安もあった。勉強は多めにしておくに越したことはない、と感じた。

376 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:24:36.33 FfC3rck9o 235/461


 全身がだるい。
 食欲がない。
 頭痛がする。
 寒気。

 こりゃ風邪だ。

 咳が出る。
 熱っぽい。
 喉がいがいがする。
 苦しい。

「あうえ……」

 謎の声が出た。

 身体がだるくて動かせない。ソファに倒れこんだまま目を瞑る。
 しばらく寝ているのか起きているのか分からない時間を過ごす。

 喉が痛い。
 洟が大してひどくないのが救いといえば救いだが、暑くて息苦しいのは変わらない。
 これは早めに寝たほうがいいだろうと判断して、ふらふらになりながら自室へ向かう。
 ベッドに倒れこむ。本当にひどい。風邪だと認識したとたんに具合が悪くなってきた。プラシーボ効果。

377 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:25:03.41 FfC3rck9o 236/461


 瞼を閉じてから、薬を飲めばよかったと舌打ちした。

 しばらくすると、妹が帰ってきたのが分かった。建てつけが悪いのか、うちのドアは開け閉めするときに大きな音がする。
 そのうち祖父に頼んで見てもらおうと思っていたが、いつも忘れる。

 妹は誰かと一緒に帰ってきたらしい。話し声が聞こえる。リビングに置きっぱなしの鞄を見て文句をこぼしているようだった。
 蝉の鳴き声が、いつのまにか蛙の鳴き声に変わっていた。
 目を開くと、周囲は思ったより暗い。想像以上に長い時間休んでいたらしい。
 少しだけ身体を起こす。そこまでひどくない、と判断する。喉だけが痛み、あとはだるさと熱っぽさだけだ。

 階段を登る音。妹がカーテンを閉めながら部屋に近付いてきた。
 部屋のドアが開けられたとき、それまで遠くに聞こえていた足音を近くに感じた。

「どうしたの?」

「風邪気味なのです」

 げほ、と咳をする。
 
 妹を追いかけるようにふたつめの足音が近付いてくる。
 幼馴染がいた。

「……俺は果報者ですなあ」

「ひどい声だよ」

 渾身の冗談をスルーされた(半分本音だった)。


378 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:25:34.11 FfC3rck9o 237/461


「熱はかった?」

「計ってない」

「起きれる?」

「あー……まあ」

「食欲は?」

「あんまし」

 風邪なんて引いたのは久しぶりだ。

「雑炊つくる?」

「ぞうすいはー」

 苦手だった。猫舌だから。
 ここぞとばかりにわがままを言う。

379 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:26:22.47 FfC3rck9o 238/461


「できればミカンとか桃とかそういうアレな缶詰とか……」

「後で買ってくるけど、ご飯は?」

「今はたべられぬー」

 布団にくるまる。

「じゃあ後で雑炊つくるから」

「うん」

 苦手だけど、食べないと治らない。

「もうちょっと身体が強ければいいのにねえ」

 ちょっと疲れが重なるとすぐに風邪を引いてしまう。普段はなんともないのに。

「いったん風邪引くと弱いからね、お兄ちゃんは」

 妹は呆れたように溜息をついた。


380 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:27:00.51 FfC3rck9o 239/461


「とりあえず、着替えた方いいよ」

 制服のままだった。

 だるさを押して身体を起こす。その場で着替えようとしたとき、幼馴染がいることに気付いた。

 目が合う。

「いつまで見ておられるのか」

「妹ちゃんもいるし、私もいいのかなって」

 何の話をしているのだろう。

「マナー。デリカシー」

 目で語りかける。
 照れられた。なぜ?

「恥ずかしがることないのに」

 子供の頃はビニールプールで裸になって遊んだ間柄ではあるが、今となっては昔のことだ。

 幼馴染を追い出して寝巻きに着替える。中学のときのジャージ。

「だーるい」

 なぜだか口調まで変わる。
 だるい。


381 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:27:37.61 FfC3rck9o 240/461


 携帯を見る。キンピラくんからメールが来ていた。
 
『暑いな』

 しらねえよ。
 俺は手短に返信した。

『むしろ熱い』

 即座に携帯が鳴った。
 何者だ。

『熱いな』

 一旦寝て、明日「ごめん寝てた」とメールすることにした。

 メール文化って馴染めない。

 体温計で熱をはかる。
 三十八度三分。

「平熱!」

「何バカなこと言ってんの?」

 怒られた。

 妹が料理をするためにキッチンへ向かう。なぜか幼馴染が部屋に残った。


382 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:28:07.26 FfC3rck9o 241/461


「なにしにきたの?」

 幼馴染は変な顔をした。

「妹ちゃんと話をしに」

「話、ですか」

 せっかくの終業式の午後に。
 そういうこともあるだろう。

「一緒に買い物してて、帰るの遅れたんだ。ごめん」

 なんで謝るんだろう。

「風邪、うつるから。早く帰ったほうがいいよ」

 幼馴染は頷いたけれど、すぐに立ち去ろうとはしなかった。

「どしたの?」

 彼女は何か迷うような表情をしていた。
 やがてそれを断ち切るように顔を上げて、俺の方を見た。

「ごめん、やっぱり帰るね」

「言いかけて止める癖、やめろよ」

 ちょっと本気で言った。
 幼馴染は苦笑して応える。

「ごめん。なんか、言いたいことはあるんだけど、自分が言うべきことじゃない気がするんだ」

 分からないでもない。
 そのあたりの線引きは難しい。
 俺と幼馴染が、家族のように育ったとしても家族ではないように。
 どこまで踏み込んでいいかは難しい。

383 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:28:34.90 FfC3rck9o 242/461


「なんだよ。遠慮すんなよ。俺らの仲だろ」

 寂しさを紛らわすためにわざと茶化した。彼女はそれを無視して部屋から出て行こうとする。

「明日、お見舞いくるから」

「缶詰買ってきて」

 距離を測りかねている、と思った。
 線引きが難しい。
 
 でもまぁ、しかたない。
 どうせこれから散々悩んでいくことになるんだろうから、今気にしたって損だ。


384 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:29:03.93 FfC3rck9o 243/461


 幼馴染が帰ったあと、少しの間眠っていた。熱のせいでぼんやりとする頭で、ぐるぐると考え事をしていた。

 その考え事はまどろみの夢に反映された。
 夢が心象をあらわすというけれど、俺が見る夢は示唆的というよりも直喩的だ。

「私、童貞の人とはお付き合いできないの」

 心底申し訳なさそうに幼馴染が言う。

「お兄ちゃん、いまどき童貞とか、さすがにないよ」

 心底残念そうに妹が言う。

 そして二人は誰かと一緒にいなくなる。

 いなくなる。
 置いてけぼりの気持ち。

 いつかいなくなってしまうこと。
 不安。

 バカみたいだ。

 でもなくならない。
 
 困った。
 風邪をひくと弱気になってしまって困る。不安になる。
 とても一人が怖くなる。

385 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:29:48.34 FfC3rck9o 244/461


 まどろみの中で、夢はかすかな変化を遂げる。

 いなくなった誰かは、いつのまにか両親に取って代わられた。

 いつまで待っても帰ってこない人たち。
 泣いて追いかけても追いつけない人たち。
 置いてけぼりの気持ち。

 両親が本当に仕事で忙しかった頃、俺と妹は二人で祖父母の家に預けられた。
 彼らはよく面倒を見てくれたのだと思うが、今でもときどき夢に見る。
 引き離された感触。
 眠る直前まで傍にいた人が、目を覚ませばいないこと。
 置き去り。
 
 意識が不愉快な記憶を反芻し始めた頃、俺は浅い眠りから覚めた。

 目を覚ましたのは携帯が鳴ったからだった。キンピラくんからメール。無視するな、という旨。それを無視する。

 うなされていたようだった。滲んだ冷たい汗を拭って溜息をつくと、妹がちょうど食器を持って部屋にやってくる。

386 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:30:14.61 FfC3rck9o 245/461


「雑炊ですか」

「うん」

 妹はベッドの脇に腰掛けて食器を膝の上に乗せた。熱そう。
 スプーンで雑炊をすくって、息を吹きかけて、冷ましてから、俺の口元にそれを運ぶ。

「手、動くから」

「いいから」

「よくないから」

 昔風邪を引いたときに、祖父母が似たようなことをしてくれた。だから俺もまた、妹が風邪を引いたとき似たようなことをしたわけだが。
 さすがにこの状況は想定していない。
 
 でもまぁ、せっかくだし、人生経験で何が役に立つかも分からないので、一応受け入れることにした。

387 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:30:41.49 FfC3rck9o 246/461


「美味しい?」

「美味しい」

 恥ずかしいけど。

「ずっと体調悪かったの?」

「別に」

 身体がだるいのは暑さのせいだと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。

「もういいよ、あとは自分で食べるから」

「だめだよ」

 何がだめなのか。
 結局最後まで妹はスプーンを放そうとしなかった。
 逆の立場になったときは存分に世話をしてやろう。


388 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:31:10.90 FfC3rck9o 247/461


 せっかく病気になったのだし、上手く使えないものかな、と打算。
 ちょっと卑怯かな、と思いつつも。

「なあ」

 妹は俺が寝るまでいるといって部屋に残っていた。
 俺たち兄妹には基準にすべき家族がいない。お互いがお互いの模倣をする。
 だから、互いに対する態度は自然に似通う。性格や立場が大きく言動や態度を変えることはあっても、本質的には似たものになる。

「写真立ての中の、二枚目の写真、なんなんだ?」

 妹は少し迷ってから、立ち上がって部屋を出て行った。少しして戻ってきたときには、手には写真立てを持っていた。

「お姉ちゃんにも、同じこと聞かれた」

 言いながら写真立てを差し出してくる。なんだか不満そうだった。
 受け取って、写真を取り出す。

 ――見なかったことにした。

「なんか言ってよ」

「何を言えばいいやら」

「私がバカみたいじゃない」

389 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:31:38.73 FfC3rck9o 248/461


「いやまぁなんといいますか」

 若かりし頃の僕と妹の写真でした。

「自分が写ってない写真しか寄越さないからわざわざ二枚入れてたのに」

「……なんといいますか」

「全員だったら文句はなかったのに」

 ひょっとして写真立てを渡したときに微妙そうにしていたのもこれだったのだろうか。

 そのあと、少しだけ話をした。俺は気付くと寝ていて、特に夜中目覚めるようなこともなかった。
 悪い夢も見なかった。

 なんだかな、と思う。
 些細なことで浮いたり沈んだり、ちょっとだけ疲れる。楽しいんだけど。

 とりあえず、そのうちまた写真でも撮ることにした。風邪が治ったら。


390 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/01 11:32:19.02 FfC3rck9o 249/461

つづく

416 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:17:11.35 DyoUjAOYo 250/461


 翌朝には、体調も多少よくなっていた。まだ微熱は残っていたけれど、今日一日休んでいれば治るだろう。
 大事をとって薬を飲んでベッドで寝ておく。食事はリビングに下りてとった。

 十一時を過ぎた頃、昨日言った通りに幼馴染がやってきた。

「はい、缶詰」

「苦しゅうない」

 俺はベッドにふんぞり返った。
 咳が出た。情けない。

「まだつらい?」

「だいぶ楽になった」

 養生しております。

417 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:17:40.02 DyoUjAOYo 251/461


「あのね、風邪が治ってからなんだけど」

「なに?」

「水族館行かない?」

「水族館」

 唐突だった。
 幼馴染はたまに突飛なことを言い出す。たいていがユリコさんの案。
 以前、突然思い立ったといって二泊三日の旅行に行ったこともある。
 今回もどうやらそういうアレらしい。

「いつになるかにもよるけど、うん」

 遠出をすると心が沸き立つのです。

 その後、妹が剥いてくれたリンゴを三人で食べた。

418 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:18:23.28 DyoUjAOYo 252/461


 三日もすれば風邪は治った。誰かにうつった様子もない。とりあえずはほっとした。
 失われた夏休みの一部を惜しみながら、課題を少しずつ消化する。後でまとめてやるにせよ、減らしておくに越したことはない。
 
 平日には祖父の車に乗せられて免許センターに行った。
 書類の空欄を埋めるのに悪戦苦闘する。受付に書類を提出すると今度はたらいまわし。
 適性検査。問題なくクリアする。最後に揃った書類を出して申請が終了する。
 
 待合室の長椅子では、俺と同じくらいの年齢の人たちが問題集と向かい合っていた。
 真似してみようと思って鞄から問題集を出す。すぐ飽きる。緊張で集中できない。

 長い時間待たされてからアナウンスで試験会場へと誘導される。番号に従って席に座る。落ち着かない。

 小心者ですから。

 学科試験は手ごたえはあったが自信はなかった。
 問題はほとんど解けたつもりでいるものの、不安が残る問題が五問以上ある。ケアレスミスがないとも限らない。

 時間を置いて合格者の発表。電光パネルに番号が表示される。
 自分の受験番号を見つけてほっとする。祖父にメールをしながら横目で周囲を見た。

419 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:19:00.60 DyoUjAOYo 253/461


 二人で来たのに、片方だけが受かったと思しき人たちがいた。よかった、一人で来て。あれは気まずい。
 片方が安堵で表情をゆるめているのに対して、もう片方が少しいたたまれないような顔をしている。

 また今度がんばれ。上から目線で思った。

 午後の講習が終わってから携帯を開くと、妹からも祝いのメールが来ていた。終わってみると祝われるほど大したことじゃない。

 祖父に電話をすると付近の本屋で待機しているという。歩いていける距離なので、そのまま向かうことにした。

 本屋で部長と遭遇した。手には参考書。自分の未来を見せられているようで思わず不安が浮き上がる。
 少し話をした後、すぐに別れる。次に会うのは部活のときだろう。

 祖父の家に寄って、従兄のナオくん(通称)が昔使っていた原付を譲り受ける。
 彼は車があるのでもう使わないらしい。ちょうどいい。

 さっそく原付に乗って帰る。少しだけ緊張したけれど、運転しはじめると大したことはなかった。
 ただ、多少は心臓が痛かった。

420 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:19:34.96 DyoUjAOYo 254/461


 翌日、目を覚ましてリビングに行くと、誰もいなかった。妹はまだ寝ているらしい。
 起こそうか迷ったが、どうせ休みなのだしと放っておく。
 結局、妹が起きたのは正午になる頃だった。

 昼過ぎには幼馴染がやってきた。

 例の水族館の話で、予定を聞きにきたらしい。
 どうせ部活以外には予定と言えるものはない。妹も似たようなものだったので、すり合わせは簡単にできた。

 明日らしい。

「急な話だ」

「日帰りだしね」

 そりゃそうだけど。

「で、今日、花火しない?」

「なぜ花火?」

「夏だからだよ」

 納得した。

421 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:19:56.83 DyoUjAOYo 255/461


 そんなわけで、日没ちょっとまえに家を出て、幼馴染の家に行った。
 
 暗くなってきた頃、チャッカマン片手に庭に出る。花火は既に用意していたみたいだった。

 ユリコさんが噴出花火を三つ地面に並べる。まさかと思いながら見ていると、あっという間に三つ揃えて点火してしまった。

「てへ」

「てへじゃないでしょういきなり」

 花火の音が周囲に響く。
 はしゃぐユリコさんを放置して、手持ち花火を配る。

 最初の一本から火を分け合って、全員の手に花火が行き渡る。

「夏ですな」

 ぼんやり呟く。

「だねえ」

 幼馴染が頷いた。

「煙! すげえ煙!」

 思わずはしゃぐ。

「振り回さない!」

 妹に叱られる。

422 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:20:27.40 DyoUjAOYo 256/461


 一本ずつ消化していっても、やがて花火は尽きる。
 火が噴き出す音が消えて、急に周囲に静けさが帰ってきた。

 ユリコさんが袋から線香花火を取り出す。

「じゃあ、一気に火つけちゃう?」

「そこは一本ずつでしょう」

「そんな辛気臭いのは夏の終わりにでもやればいいじゃん。どうせ何回でもするんだから、花火なんて」

 ……そういうものだろうか。

「じゃ、点火します」

 喋っているうちに、彼女は数本の線香花火にまとめて火をつけた。火の玉でかい。

「あ、落ちた」
 
 はええよ。

 片付けが終わった後、俺と妹は幼馴染の家にお邪魔して夕食をご馳走になった。
 満腹になった後、スイカを食べさせられる。

「チューハイ飲む?」

「いただきます」

 何度も言うが俺たちは十六歳(数え年)だった。


423 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:20:59.35 DyoUjAOYo 257/461


「やめときなよ。二日酔いになるよ」

 妹に諭される。
 ぶっちゃけ、酒には弱かった。
 三口で酔う。立っていられなくなる。
 缶一本を飲み干したことがない(ちなみに幼馴染はめっちゃ強い)。
 
 男として負けるわけにはいかなかった。

 結果、缶を半分くらい飲むことができた(歴史的快挙)。

「ちょっと強くなったんじゃない?」

 半分じゃなんの慰めにもならない。体質的に無理なのだろう。

 少し休んでからお礼を言って幼馴染の家を出た。

 夜風に当たると酔いに火照った体を心地よい冷たさが撫でた。
 涼しい。風流。

 ふらふらになりながらも自分の足で歩く。

 家についた。

 リビングのソファに寝転んだ。頭がぼんやりとして心地いいのか悪いのか分からないような熱が全身に広がっている。
 酒を飲むとエロいことを考えられない。不思議と。いい傾向。

 風呂には入らずに顔を洗い、歯を磨いて眠る。

 明日は水族館らしい。


424 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:21:35.52 DyoUjAOYo 258/461


 翌朝は幸い二日酔いにならずに済んだ。
 準備を終わらせて幼馴染の家に向かう。

 車の中ではしりとりをしながら時間を潰した。なかなか白熱する。
 妹が「り」で俺を攻める。俺はなんとか回避する。幼馴染が「み」で妹を攻める。
 飽きた頃には海が見え始めた。

 港だけど。

 目的地は寂れた水族館だった。寂れた、というところが絶妙で、本当に寂れている。
 さして大きくもなく、目新しさがあるわけでもない。人も少なくてがらんとしている。

 でもまぁ、水族館は水族館だった。

 適当な駐車場に車を止めて、海沿いの道を歩く。十分もせずに目的地についた。
 ちょうどアシカショーが始まる五分前だったらしい。

 せっかくなので見た。
 どう考えても安っぽいセットにあんまり綺麗とはいえない客席。
 座る。
 見る。
 案外ワクワクする。
 すげえ、ってなる。

「うおー! すげえ!」

 終わったときにはテンションが上がっていた。
 単純。

425 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:22:07.90 DyoUjAOYo 259/461


 大量のペンギン。
 写メってキンピラくんに送った。

『俺はペンギンよりシロクマの方が好きだ』

 謎の返信内容だった。

 館内にシロクマはいなかったので、デフォルメされたシロクマの看板を撮影して送信する。
 返信は来なかった。

 クラゲ、イルカ、ワニ、あとなんかいろんな魚(名前は見ていない)。
 いっそグロテスクですらある見た目をしている魚もいた。

 壁は水槽。周囲は薄暗い。
 ワクワクする。

「サメ、ちっちゃいね」

 幼馴染は残念そうに言った。
 妹はというとクラゲをじっと眺めている。

「超癒される……」

 超って。

 ユリコさんは一人でイカ焼きを食べていた。それはなんか違わないか。

426 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:23:21.20 DyoUjAOYo 260/461


 一通り見終わってから土産物屋を見る。

 シロクマのぬいぐるみがあった。
 超かわいい。

「俺これ買うわ」

 即決した。

 サメの牙のアクセサリーとか、魚型のストラップとかもあったけれど、琴線には触れない。

 妹は亀がたのぬいぐるみを欲しがった。なぜ亀?

「買う。これ買う」

 妹は、一見どうでもいいようなものに強い執着を示すときがある。今だ。
 
 祖父母や両親向けにお土産にお菓子を買っておく。あと自分たち用。

 水族館を出る。一時半を過ぎた頃だった。

「どうだった?」

 ユリコさんは串焼きのイカを片手に尋ねた。

「クラゲもうちょっと見たかったです」

「満喫しました」

 大いに満足した。アシカショーとか。
 帰り際に、ユリコさんが付近で売っていたカレーパンを買ってくる。なぜカレーパン? 彼女は食べっぱなしだった。
 俺たちもご相伴に与る。美味かった。


427 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:23:55.16 DyoUjAOYo 261/461


 家についたときには、父が帰ってきていた。
 夕食を一緒にとってからお土産のクッキーをかじる。
 父はユリコさんにお礼の電話をかけた。

 大人の会話を横目に見ながら俺と妹はリビングでお茶を飲む。
 暑いときこそお茶をすするのです。

 その後、親子三人で花札をした。点数計算ができないので勝敗は適当だった。

 翌日は部活があったので学校に向かった。
 ひんやりした空気。
 人のいない教室。
 遠くに聞こえる運動部の掛け声と、吹奏楽部の練習の音。

 窓からグラウンドを見下ろすと、陸上部が走っていた。
 そのなかに屋上さんの姿を見つけて立ち止まる。
 軽快な速さで彼女はグラウンドを縦横無尽に駆け巡る。ハードルを越える。

 彼女の雰囲気も、夏休みが始まる前とでは、少しだけ違っているように見えた。

 部室に行くとほとんどの先輩は来ていなかった。とはいえ人数は結構いる。
 そもそも何をする部でもないので当たり前といえば当たり前なのだが。

 部活では何をするわけでもなくぼーっと座っていた。
 部長はしずかに本を読んでいた。邪魔をするのも悪いと感じる。

 持ってきておいた課題を進めておく。早めにするに越したことはない。あとが楽でいい。

428 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:24:29.88 DyoUjAOYo 262/461


 部活はつつがなく終了した。帰りに近場のコンビニに寄ると、屋上さんと遭遇する。

「ひさしぶり」

 屋上さんは小さく頷き返した。

 彼女と少しだけ言葉を交わす。夏休みの前とたいして変わらないバカ話。

 でも、会えないのはちょっと不便だ。

「携帯のアドレス教えてよ」

「いいけど」

 頼んでみるとあっさり許可が出た。

「じゃあ今度メールするね!」

「その口調やめて」

 屋上さんのメールアドレスを教えてもらった。

 家に帰ってから屋上さんにメールをする。
 屋上さんのメールの文面はそっけなかったが、その割には返信がすぐに来た。

 どうでもいいメールを交換しあう。
 メール文化は馴染めないけれど、悪くない。

429 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:25:05.12 DyoUjAOYo 263/461


 翌日、サラマンダーとマエストロが我が家にやってきた。
 部屋に招き入れる。ごろごろと退屈な時間を過ごす。

「課題やってる?」

「やってない」

 俺は嘘をついた。

 三人でゲームをする。
 すぐに飽きた。

「どっか行こうか?」

「暑い」
 
 ですよね。
 妹が友達と遊びに行ってしまったので、昼は自分たちでどうにかしなければならない。
 昼過ぎに腹を空かせてファミレスに向かった。

 後輩と遭遇する。

「最近良く会いますね」

 後輩と同じ席に着いた。

430 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:25:31.53 DyoUjAOYo 264/461


「ドリンクバーを奢ってやろう」

「あざす。いただきます」

 後輩はくぴくぴとジュースを飲んだ。

「おまえ酒強そうだよね」

「めっちゃ弱いです」

 親近感が沸く。

 とりあえず昼食を注文した。
 三人とも後輩とは知り合いだったので、話は弾む。

「いやー、暑いすね、最近」

「そうでもないだろ」

「そうですか?」

「そうでもない」

「そうでもないっすね」

 会話はいつでも適当だ。


431 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:25:58.32 DyoUjAOYo 265/461


「休みに入ってから毎日暇で仕方ないんですよ、ホントに」

「じゃあ俺と遊ぼう」

「いいですよ」

 あっさりオーケーされた。
 逆に困る。

「え、なにその。俺デートとか何着てけばいいかわかんないしあのあれ。ごめんなさいこの話はなかったことに」

 思わず初デート前の中学生並に動揺する。
 後輩はからから笑った。

 その後バカ話で盛り上がりながら食事をとった。
 後輩からCDを借りる約束をした。約束があるのは素敵なことです。

432 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:26:43.06 DyoUjAOYo 266/461


 家に帰ると幼馴染と妹と謎の少年がいた。

 謎の少年。

「誰?」

「親戚の子」

 幼馴染が分かりやすく説明してくれた。どうやら夏の間だけ遊びに来ている親戚の子らしい。
 子供同士の方がいいだろうと面倒を任されたらしいが、さすがに歳の離れた異性との接し方なんて分からないという。

「それがなぜ俺の家に?」

「男の子同士の方が遊べるかと思って」

 そんなわけがない。
 子供の面倒なんて見たことないし、充実した子供時代を送った記憶なんてないし、ましてや友達なんていなかった。
 少年に充実した夏のすごし方を提供しろと言われても荷が重過ぎる。

「協力するから!」

 幼馴染に懇願される。
 妹にジト目で睨まれる。
 罪悪感。何も悪いことしてないのに。

433 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:27:15.75 DyoUjAOYo 267/461


「分かった。おい少年、カブトムシ捕まえにいくぞ!」

「だるい」

 シニカルな少年だった。

「一人でゲームやってるからいいです」

 ……なにこいつ。

「……タクミくんはインドア派で」

 タクミくんと言うらしい。

 扱いに迷っているうちに、沈黙が落ちる。

「あ、そう。えっと、じゃあ、なんかジュース飲む?」

「いただきます」

 それっきり会話がなくなった。
 ピコピコとDSに向かい合うタクミくん。

434 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:27:43.71 DyoUjAOYo 268/461


「何やってんの? ゲーム」

 彼はあからさまに面倒そうな表情をしながらゲーム画面をこちらに向けた。

 俺の持ってる奴だった。

「対戦、しようゼッ!」

 強引なテンションで誘う。

 負けた。

「……あっれー?」

 あっさり負けた。
 完膚なきまでにやられた。
 3タテだった。


435 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:28:12.12 DyoUjAOYo 269/461


 今度は妹が対戦を挑む。
 なぜか勝利した。

「……あれ? こいつなんか俺と妹で態度違わない? ね、おかしくない?」

「子供だから、子供だから」

 言いながらも、幼馴染の目は俺が弱いだけだと言っているようだった(そういえば妹には勝ったことがない)。
 負けられねえ、と思った。

「おいタクミ! てめえもう一回だ!」

 鼻息荒く勝負を挑むが、連敗記録を塗り替えただけだった。
 その後、夕方まで彼と勝負を続けたが、かろうじて接戦までは持ち込めても結局敗北した。

「ちくしょう! 今度来たときには叩きのめしてやるからな!」

 タクミくんは苦笑していた。


436 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:29:11.73 DyoUjAOYo 270/461


 夜、炭酸が飲みたくなってコンビニに行く。
 妹と一緒に家を出た。アイスを切らしたらしい。

 帰り際、一人で歩く後輩を見かけた。

 どこへいっていたのかを訊ねると、適当に町をうろついていたのだという。

「女の子が夜道を一人で歩くんじゃありません」

 コンビニ帰りに送っていくことにする。

「送り狼の方が怖いんですけど」

 何かを言われていたが気にしないことにした。

 妹を先に家に帰して、後輩の家を目指す。
 歩いてみると結構距離があったが、さりとて遠すぎるというほどでもない。

「あ、CDですか?」

 後輩は手を打ち鳴らして言った。

「そう。ついでだから」

 別に慌てるほどの用事ではないが、次にいつ会えるかも分からないのだ。

437 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:29:47.65 DyoUjAOYo 271/461


「携帯のアドレス教えてくれれば話が早くて済むのに」

「鳴らない携帯なんて持ち歩きませんよ」

「だから俺が鳴らすというのに」

 後輩は気まずそうに苦笑した。

 彼女の家につく頃には、周囲は薄暗くなっていた。
 それでも、その家の大きさはよく分かった。

「でけえな」

「広いだけですよ」

 広いのがすごいと言っているのだが。
 なんかやたらとでかい家だった。
 
 後輩は気にするでもなく広い庭を通過していく。日本的庭園。飛び石。和、な木々。
 和。

 なぜだか萎縮する。

438 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:31:03.49 DyoUjAOYo 272/461


 後輩は俺を客間に取り残して部屋から出て行った。
 どうしろというのか。

 落ち着かずに周囲を見渡してみる。
 余計落ち着かなくなった。

 そういえば幼馴染以外の女子の家にあがるなんて人生で初めてだった。
 
 緊張する。

 不意に扉が開いた。
 後輩が戻ってきたのかと思ったが、違った。

『ちい姉』だった。

 彼女は変な顔で俺を見た。驚いているようにも見える。

 言葉もなく扉が閉められる。

 なぜ?

 もう一度開けられる。

 奇妙な間があった。

439 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:31:35.46 DyoUjAOYo 273/461


「……なんでいるの?」

 どこかで聞いたことがある声だと思った。
 見上げる。
 赤い眼鏡。下ろした髪。

「……あれ?」

 屋上さんだった。

「お邪魔してます」

 挨拶をする。

「……はあ」

 互いにわけも分からず見つめ合う。素直におしゃべりできない。

「なぜ屋上さんがここに?」

「私の家だから」

440 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:32:11.96 DyoUjAOYo 274/461


 混乱する。

 でもすぐに分かった。

 ――妹が二人。

 ――姉と妹がひとりずついる。面倒見がいい。頼られ体質。

「……あー」

 気付く。
 ありえない偶然だった。

 少しして屋上さんの背後から後輩がやってくる。

「何やってんの? ちい姉」

 ちい姉=屋上さん、だった。


441 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:33:01.80 DyoUjAOYo 275/461


 その日は後輩からCDを受け取って帰った。なんだか気まずいまま。屋上さんとは少しも言葉を交わさなかった。
 でもよくよく考えると負い目に思うことは何もないし、距離を置くような理由もない。

 なぜか話しかけづらいだけで。

 家に帰ってからメールをしておいた。

 なんかごめん、と謝る。なぜか。
 こっちこそ、と返信がくる。なぜか。
 なぜか謝りあっていた。

 髪型が違うのと、眼鏡があるかないかだけで、人って印象が変わるんだな、と奇妙な納得。

 その日はなんだか落ちつかない気分のまま眠った。


442 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/02 11:34:19.46 DyoUjAOYo 276/461

つづく

453 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:48:11.38 W6ABTHBHo 277/461


 借りたものは返さなければ人の道にもとる。

 俺は後輩から借りたCD(インディーズのロックバンドだった。微妙に良かった)をどう返すかを悩みに悩んでいた。
 彼女の連絡先は知らなかったし、家に直接行くというのも少し抵抗がある。

 どうしたものかと悩む。屋上さんにメールすればいいのだと気付いたのは一日悩んだあとの朝だった。

 メールをするとすぐに返信が来た。今なら家にいるというので、さっそく押しかけることにした。
 許可をとって準備を始める。時間には気を遣った。男友達と遊ぶのに遠慮はいらないが、女子の家はそれとはわけが違う。 
 
 遅すぎず早すぎず、あまり邪魔にならない時間帯に留意した。
 ちょっと長居できるかもという打算も含めて。

 原付で行くか自転車で行くか、迷う。せっかくなので原付で行こうと決めた。
 妹に目的と行き先を告げて玄関を出る。彼女は微妙そうな顔をしていた。

 後輩と歩いた道をなぞる。夜だったので分からなかったが、意外と悪くない雰囲気だった。

 原付で行けるところまで行く。さすがに庭園までは乗り入れられない。道の脇に停めて鍵を抜いた。

 玄関まで行ってどうしたものかと悩む。周囲を見回してからインターホンに気付く。
 押してから、身だしなみが妙に気になって髪を手櫛で梳かす。すぐに中から声がした。

454 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:48:41.99 W6ABTHBHo 278/461


 屋上さんか後輩が出ると思っていた俺は、少しだけ混乱した。出迎えてくれたのは小学生くらいの女の子だったからだ。

「こんにちは」

「こんにちは」

 お互い硬直する。あ、俺がなんか言わなきゃダメなんだ。数秒後にそう気付いた。

「あの、アレだ、えっと」

 ……なんといえばいいんだろう。
 そういえば後輩の下の名前は知らないし、屋上さんの方だって分からない。

 困った。

 俺がどうしたものかと考えていると、すぐに屋上さんが玄関にやってきた。髪は結んでいなかったけれど、眼鏡はしていなかった。

「どうも」

「……どうも」

 お互い、気まずい空気になる。なぜか。

455 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:49:09.47 W6ABTHBHo 279/461


「ちい姉の友達?」

「うん、まあ」

「彼氏?」

「ちがう」

 屋上さんは妹(と思われる少女)を手を払って追放した。気まずい沈黙が取り残される。

「……あの。上がれば?」

 彼女も彼女で対処に困っているらしい。
 客間に通される。彼女は麦茶を出してくれた。なんとなくお互いそわそわと落ち着かない。屋上さんはしきりに髪の毛先を弄っていた。

「あ、後輩は?」

「部活」

 いないらしい。

「これ、CDなんだけど」

「あ、うん」

 渡しておく、と屋上さんは頷いた。

 また沈黙が落ちる。
 どうすればよいやら。

456 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:49:45.27 W6ABTHBHo 280/461


 困っているところに、先ほどの少女がやってくる。

「……彼氏?」

「ちがう」

 俺が少女に目を向けていると、屋上さんはそれに気付いて、ほっとした態度で紹介してくれた。

「妹」

「どうも、妹です」

 上二人の姉妹はどことなく雰囲気が似ていたが、一番下の妹はまるで違った。
 天真爛漫で人見知りしない、ような印象。

「姉のことを末永くよろしくお願いします」

 そして人の話を聞かないところがある。

「ちがうってば」

「どこで知り合ったんですか?」

「学校が一緒なんだよ」

「どうして平然と答えてるの?」

 屋上さんは疲れきったように溜息をつく。
 少しだけ緊張が取れた。なんとなく安心する。二人きりになったら固くなって何も言えそうになかった。とても助かる。

457 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:50:19.74 W6ABTHBHo 281/461


 屋上さんは妹さんのことを「るー」と呼んでいた。名前を聞くにもタイミングが分からず、俺もそう呼ぶことにする。
 基本的にコミュニケーションは苦手です。

 るーちゃんは俺と屋上さんの関係をやたら気にしているようだった。
 第三者に説明しようとして初めて気付くことだが、俺と彼女の関係はとても説明しにくい。
 クラスメイトというのではないし、友達というには少し距離がある。その割には毎日のように顔をあわせていた。

 彼女は俺のことも根掘り葉掘り訊ねた。
 仕方ないので、おととし地球を侵略しに来た宇宙海賊ダークストライカーを撃退したことや、
 幼少の頃は国中から天子と崇められていたが、魔人・九島秀則の呪術と謀略によって生まれ故郷を後にしなければならなかったことや、
 夜な夜な町に出没する、白衣のマッドサイエンティストが作り出した黒き魔物と日夜戦いを続けていることつまびらかに語った。

「すごいですねー」

 感心された。悪い気はしない。
 屋上さんは呆れたようで、何も言ってこなかった。

「よくそんなに作り話が出てきますね」

 感心のしかたが微妙に大人だった。この少女、侮れない。

458 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:50:51.28 W6ABTHBHo 282/461


 もっと話して下さい、とるーちゃんはせがむ。

 仕方ないので、これは秘密の話なんだけど、と前置きして話を始める。

 魔術結社に追われていたときの話。
 彼らの扱う魔術は、あまねく人々の命を刈り取ることで生まれる『ガイアの雫』と呼ばれる魔力を源にしていた。
 強力な魔術であればあるほど多くの雫を必要とするので、大量の魔力を得るために彼らは多くの人間を犠牲にする。
 
 けれどの最終目標である因果改竄術は、どれだけの人間を殺したところでとても間に合うような魔術ではなかった。
 魔力の欠乏を解消しようと苦慮した彼らは、あるとき無限の魔力を持つ魔道人形の噂を聞き、彼女を手に入れようと目論んだ。

 くしくもの魔の手がその少女へ伸びる前日、俺は街中で彼女と遭遇し、友達になっていた。
 そして彼女とかかわったことで、俺は事件に巻き込まれ、との終わりなき闘争へと身を投じることになったのだが――

 ――という設定のライトノベルを書こうとしたことがある、と、るーちゃんに話した。
 そのすべてを語るには少しばかり余白が足りない。


459 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:51:22.21 W6ABTHBHo 283/461


「正統派ですね」

 正統派だろうか。 

 その後、三人で人生ゲームをして遊んだ。
 最下位は俺で、一位はるーちゃんだった。なぜか納得のいく順位。

 帰ってきた後輩を交えて四人で話をする。男女比率が夢のようだった。

「また来てくださいね」

 るーちゃんはとても良い子です。
 別れ際、屋上さんがなんだか困ったような顔をしているのが見えた。

 なんだかなぁ。
 お互い、上手く距離が測れていないのかもしれない。

 でも、悪い気分じゃなかった。


460 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:53:14.81 W6ABTHBHo 284/461


 翌朝目覚めたのは八時頃だった。
 妹と一緒に穏やかな朝を過ごす。まったりと朝を過ごすのが久しぶりのような気がした。

「……そういえば」

「なに?」

 不意に口を開くと、妹はきょとんとした顔でこっちを見る。なんだか最近、態度が柔らかくなった気がする。

「俺はおまえと結婚しなければならないようだ」

「何言ってるの?」

 態度が柔らかくなっていたのは錯覚だったようで、絶対零度の視線は健在だったらしい。
 とはいえ、至って正気である。回想する。


461 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:53:39.22 W6ABTHBHo 285/461


『姉って何歳の?』

『たしか、俺と同い年だったはず』

『同じ学校かもね』

『ないない。そんな偶然ない。あったらおまえと結婚する』

 というやりとりが、以前あった。

「ね?」

「いや、ね、と言われても」

 妹は困ったように眉を寄せた。

「同じ学校の人だったの?」

 同じ学校の人でした。世の中って狭い。
 妹は俺の言葉を無視して家事に励んだ。手伝おうかと名乗りを上げると洗濯物を任される。

 洗濯物。
 魔性の気配がする。
 が、妹なのでなんら問題ない。

462 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:54:09.71 W6ABTHBHo 286/461


 正午を過ぎた頃、幼馴染とタクミくんがやってきた。

「また来たよー」

 気安げに幼馴染が言う。タクミくんは今日も今日とてゲームをぴこぴこしていた。

 なんだかちょっと寂しいので、みんなで映画でも見ることにした。
『七つの贈り物』。ちょっと前に見た。眠くなるほど退屈な序盤。独特の空気。
 話は広がるだけ広がり、それはなんの説明も伴わず進んでいく。眠くなる。

 のだが、中盤を過ぎた頃に、その流れは一変する。
 明かされる主人公の背景。過去。事実。目的。それらが前半に積み重なった伏線と同調して急展開を迎える。
 多少の不満点はあるが、それを補ってあまりある勢いがある。
 終盤ではストーリーが一気に転じて、ラストシーンへと静かに収斂していく。

 おしまい。

 見終わった後、しばらく四人で並んで黙っていた。

「いい映画だったねー」

 幼馴染が最初に口を開くが、彼女はだいたいの映画に「いい映画だったね」という感想をつける。眠らない限り。
 妹と俺は一度見たことがある。二度目なので余計面白い部分もあった。
 タクミくんは一本の映画を丸々見たせいで疲れたらしい。

463 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:54:49.14 W6ABTHBHo 287/461


 気付くと彼は眠っていた。ソファに寝かせてタオルケットをかぶせる。
 妹とは四歳くらい違うのだろうか。ちょうど昨日会ったるーちゃんと同じくらいの年齢。
 このくらいの年頃のとき、俺はどんな子供だっただろうか。よく覚えていない。友達がいなかったことだけは覚えている。

 ちょっとしてから、屋上さんからメールがあった。

『るーが会いたがってる』
 
 ……ええー。

 どんだけ懐かれたんだよ、と自問。そこまで好かれるようなことをした記憶がない。

 今、親戚の子が来ているのでいけない、と返信する。厳密には違うが、まぁそんなようなものだろう。
 これなら引くだろうと思ったのだが、屋上さんは難攻不落だった。

『実はもう向かってる』

 俺の家知らないはずなのに。

 後輩か。
 そういえばこの間送っていったときに、途中で通った。

「……うーん」

 まぁ、いいか。
 別に問題ないような気がしてきた。

 いや、問題はあるのだけれど、そこまで必死になって阻止するようなことでもない。

464 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:55:51.17 W6ABTHBHo 288/461


 迎えに行くとメールして、玄関を出た。いったい何が彼女らをそこまで駆り立てるのか。

 ちょっと歩くと、三姉妹が歩く様子が見えた。
 屋上さんが気まずそうな表情をしているのが分かる。

 家に連れて行く。寝ているタクミくんと二人の少女を見て、るーちゃんが「どっちが恋人ですか?」という。どっちも恋人じゃない。

 幼馴染は意外にも屋上さんと面識があったようで、すぐに話を始めた。
 妹は後輩に挨拶をしながらこちらを睨む。なぜ?

 そういえば、幼馴染以外の女子を家にあげるなんて初めてだった。
 混乱する。

 るーちゃんは俺に会いにきたはいいものの、何を話せばいいのか分からずに戸惑っている様子だった。
 仕方ないのでみんなでトランプを始めた。
 人数は大したものだった。俺、妹、幼馴染、屋上さん、後輩、るー、それにタクミくんが目覚めると七人になる。

 これだけの人数がいるにもかかわらず、なぜか俺が負けた。

 昼過ぎに、食料を求めてコンビニへと歩いていくことになった。
 ジャンケンによって選出された二名が。

 やっぱり負けた。
 もう一人は屋上さんだった。

 話をしたかったので、ちょうどいい。
 が、最近ちょうどいい偶然が起こりすぎているような気もする。

 頭の中でずっとエンターテイナーが流れている気分。


465 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:56:22.85 W6ABTHBHo 289/461


「突然押しかけて、ごめん」

 彼女は何かを扱いかねているような表情で俯いた。
 屋上さんは眼鏡は外していたけれど、髪は下ろしていた。私服が大人しい雰囲気のもので、それが妙に似合っている。
 普段のイメージとまるで違うため、違和感はある。こうしていると誰か別人と歩いているようだった。

 虎の威を借る狐の化けの皮を剥いだら、やたら可愛い狐が出てきた感じ。
 いや、ちょっと違う気もするけれど。

 そのせいか、気分がとても落ち着かない。
 さっきまで大人数でいたせいでなんとかごまかせていたのだが、
 とても、落ち着かない。

 なんだかなぁ、と思う。

 屋上さんの態度も、なんだか妙だった。
 妙というか、変だった。

 距離を測りかねている感じ。

「るーが」

 と、屋上さんは話を始めた。

「はしゃいでるというか。私が家に友達入れるの、初めてだったから」

466 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:56:57.01 W6ABTHBHo 290/461


 友達、と言われて、一瞬、歓喜に浮かれると同時に、暗い罪悪感に包まれた。
 そもそも俺はまっとうな友達作りというものができない人種なのだ。

 人の輪に入るということができない。自分が邪魔をしているように感じる。
 だから、サラマンダー、マエストロ、後輩、部長、屋上さん。
 一人でいる人にばかり声をかける。
 
 そもそもやり方が卑怯。
 そんなことは、たぶん言っても分かってもらえないだろうけれど。

 だから、多人数でいると取り残されたようで不安になる。
 
 置いてけぼりの気持ち。

 でもまぁ、そんなことを考えたって仕方ない。

 屋上さんはそれっきり押し黙ってしまって、コンビニにつくまでずっと無言だった。
 買い物をしている間も、なぜか、なんとなく、話しかけづらい雰囲気。
 
 でも、それは悪い意味ではなくて。
 照れくさいような、気恥ずかしいような気持ち。
 俺だけかも知れないけれど。


467 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:57:47.06 W6ABTHBHo 291/461


 いつのまにか頭の中の音楽がエンターテイナーからジュ・トゥ・ヴに切り替わっている。
 単純。

 どっちもどっかで聞いたことがある感じのする曲には変わりない。

 食べ物、飲み物、アイスを購入し帰路に着く。蝉の声はほとんどしなかった。
 
 帰る間も、互いに言葉を交わすことはなかった。
 落ち着かない気持ち。
 なんだかなぁ、という気持ち。

 何かを言うべきなような気もするし、何も言うべきではないような気もする。

 まぁいいか、という気持ち。

 その後、昼食をとってから夕方までゲームを交代しながら遊んだりした。
 後輩、屋上さん、妹の三人は、ほとんど遊びには参加しなかった。ダイニングのテーブルに腰掛けて話をしていた。
 
 夕方を過ぎた頃ユリコさんが迎えに来た。
 タクミくんは遊び足りなそうな顔をしていたけれど、また今度、というと少しだけ表情を明るくした。

「今度バーベキューやろうと思うんだけど」

 ユリコさんはまた唐突に言う。普通は親戚同士で盛り上がるのではないのか。


468 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:58:17.79 W6ABTHBHo 292/461


「行っていいんですか?」

「予定ないならだけど」

 予定はほとんど白紙だが、普通なら遠慮するところだ。

「じゃあ決定ね」

 決定されていた。表情から予定の有無を見抜くのはやめてほしい。

「そっちの人たちも来る?」

 と、彼女は三姉妹に声をかける。

「他にも友達呼びたかったら呼んでいいから」

 勢いだけで乗り切られる気がした。

「……えー」

 人、増えすぎだろう。
 この場にいる子供七人大人一人。その段階でも既に多すぎるくらいなのに。

 かといって男女比的にこのままでは困る。

「やっぱり俺は遠慮……」

「できません」

「俺、ノーと言える日本人なので」

「イエスと言い続ける日本人の方が潔くて好きです」

 ユリコさんには反論できない。

469 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:58:46.42 W6ABTHBHo 293/461


 仕方ないので後で連絡の取れる男子三人に予定を訊いてみようと思った。
 仮に全員揃ったとして、人数はゆうに十人を超える。

 増えすぎだろ。

 ちょっと怖い。

 そんなふうにして一日が過ぎていった。

 
 翌日、妹は幼馴染と一緒に出かけた。水着を買いに行くらしい。
 水着て。

 暑いからプールに行きたいらしい。
 一人家に取り残されて、俺は暇を持て余していた。

 夏休みの過ごし方としては、だらだら家でひとり過ごすというのも正しい気がする。

 暇だったのでテレビをぼんやり眺める。
 すぐに飽きた。
 麦茶を飲みながら静かに時間を過ごす。

 課題やってねえ、と不意に思った。
 でも、めんどくさい、と思った。

 そういえばバイトしようと思ってたのも忘れていた。
 まぁいいか、と思う。

 ダメ人間ここに極まれり。

470 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:59:13.10 W6ABTHBHo 294/461


 暇なのでゲームをする。
 なぜかちっとも楽しめない。

 仕方ないので昼寝をする。
 目が覚めた頃には夕方だった。

 一日があっという間。
 夏休み、という感じ。

 夜は妹と二人で食事をとった。
 穏やかな日々。

「今度プール行くってことになったけど、お兄ちゃんも行く?」

「行く」

 当然。

 いい年して一緒に遊びに行く相手が妹以外にほとんどいないってどうなんだろう。
 
 マエストロは基本的に趣味に没頭するタイプだし。
 サラマンダーは自分の世界に閉じこもってるし。
 キンピラくんとは微妙に距離があるし。

 友達ほしい。

 その夜は暑くて寝苦しかった。


471 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/08/03 11:59:40.02 W6ABTHBHo 295/461

つづく

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