※前スレ: PART.1

151 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:37:23.79 h5xVrpm/o 108/461


 朝、歯を磨きながら、バイトでもするか、と思った。
 夏休みまであとちょっと。来週からテスト前で部活動休止。どうせ原付の免許も取りに行くつもりだったし、ちょっと遠めのところがいい。
 やるならコンビニ。涼しいし、仕事が楽らしいし、時給は安いが、金が入ればとりあえずはかまわない。
 
 できれば顔見知りのいないところがいい。今度探してみよう。
 
 時間になってから玄関を出る。
 
「今日も暑いねえ」

 おじいさんっぽく妹に語りかけてみた。
 妹はごく普通に返事をした。

「そうだね」

 一日がはじまった。


元スレ
幼馴染「……童貞、なの?」 男「」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1311427993/

152 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:37:52.86 h5xVrpm/o 109/461


 校門近くで部長に遭遇する。なぜだか茶髪と一緒だった。
 真面目な部長×不真面目な茶髪=混ぜるな危険。

 のはずが、ずいぶんと和やかに会話をしていた。

「地区一緒で、昔から顔見知りなんだよ」

 茶髪が言う。部長も小さく頷いた。まじかよ。強い疎外感。
 仕方ないので強引に話題に加わることにした。

「なあ茶髪、テスト勉強してる? 俺ぜんぜんしてないんだけど」

「そういうふうに言う奴に限ってきっちり勉強してるんだよな」

 見透かされていた。
 でもやってることなんてせいぜい教科書を流し見るくらい。

「ちゃんと勉強しておいたほういいですよ」

 部長が大真面目に言う。

「イエスサー」

 大真面目に返事をする。
 部長はちょっと呆れていた。

153 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:38:31.74 h5xVrpm/o 110/461

 教室につくと、サラマンダーが携帯と睨めっこをしていた。
 彼は俺に気付くと、にやにやしながら携帯の画面を見せつけてきた。

 今朝、マエストロから送られてきたツーサイドアップ画像。

「白黒しまぱん、悪くねえだろ」

 ツーサイドアップも悪くないだろ。ドヤ顔。

 席についたとき、幼馴染と目が合った。ばつの悪そうな顔をしている。 
 あえて無視するわけではないが、話すことがあるわけでもない。

 とりあえず俺は佐藤に声をかけた。

「給食着ってあるじゃん」

 妹の中学校は給食なので、当然、給食当番がいる。

「あるね」

 佐藤は不思議そうな顔をしながらも頷いた。

154 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:38:57.77 h5xVrpm/o 111/461


「今日、金曜日じゃん」

「そうだね」

「うちの妹、今週、給食当番だったみたいなんだよ」

「なんで妹のクラスの給食事情を知ってるんだよ……」

 佐藤は呆れていた。態度にちょっと余裕がある。非童貞の余裕。悔しい。

「で、俺はどうすればいい? やっぱ匂いとか嗅いどくべき? 兄として」

「やめといた方がいいんじゃないかな……」

 やめておくことにした。そもそも冗談だけど。
 実際、他の人も使うものだしね。うん。

 逆に考えると、別の生徒の兄が妹が使った給食着の匂いを嗅いでいるのかもしれないのだ。
 胃がむかむかしてくる。

155 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:39:36.34 h5xVrpm/o 112/461


 馬鹿な思考を終わらせたとき、誰かが俺の制服の裾を引っ張った。くいくい。

「ちょっといいかな?」

 幼馴染だった。

 呼ばれて廊下に出る。俺がついてくるのを確認すると、彼女は周囲に気を配りながら歩き始めた。

「あのね、実は……その」

 そこまで言ってから、幼馴染は何かに遠慮するみたいに言葉を詰まらせた。
 
 沈黙の中で俺の妄想ゲージがフルスロットル。

『実は先輩とは遊びで、あなたのことが好きなの』

 キャラじゃない。

『先輩、えっちへたなの!』

 キャラじゃない。聞かされてもうれしくない。
 どう妄想しても先輩を貶める方向に話が進む。俺って嫌な奴。

156 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:40:01.52 h5xVrpm/o 113/461


 妄想で時間を潰している間も、幼馴染は押し黙ったままだった。
 何かあったんだろうか、と少し心配になったところで、幼馴染が口を開く。
 同時に、その背中に声がかけられた。

 例の、幼馴染の彼氏。と、その友人と思しき男女三名。
 幼馴染は居心地悪そうに視線をあちこちにさまよわせた。

 そうこうしているうちに、先輩たちが幼馴染の名前を呼んだ。

「ごめん。ちょっといってくるね」

 気まずそうに目を伏せて、彼女は先輩たちに駆け寄っていった。
 何を言いたかったんだろう?

 気付けば、例の彼氏のうしろに並んでいた三人のうちの一人が、俺を睨んでいた。
 ……シリアスな感じがする。

 そのあと、始業の鐘が鳴るまで幼馴染は戻ってこなかった。

157 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:40:33.26 h5xVrpm/o 114/461


 休み時間、ふと気になってキンピラくんに話しかける。

「キンピラくんって童貞じゃないの?」

「死ね」

 キンピラくんはとてもフレンドリーだ。

「クラスメイトとして知っておきたいじゃん?」

 俺は彼が童貞と踏んでいた。なんか仕草から童貞っぽさが滲み出てる。かっこいいけど。
 なんだろう。童貞だけど不良、的な空気。

「童貞じゃねえよ」

 キンピラくんは不愉快そうに続けた。

「仲間が欲しくて必死だな、チェリー」

 せせら笑うキンピラくん。
 見下されてる感じ。
 ぶっちゃけ、キンピラくんの不良っぽい態度はあんまり怖くない。マスコット的ですらある。
 デフォルメされたチビキャラが煙草吸ってるような雰囲気。

158 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:41:22.52 h5xVrpm/o 115/461


「そっかそっか。キンピラくんは大人だったのか」

 適当に返事をする。

「おまえ信じてないだろ」

 彼は語気を荒げた。

「信じてる信じてる」

 軽口を叩く。彼は毒気を抜かれたように溜め息をついた。

「で、相手は誰だったの?」

「……俺、おまえのそういうところすげえ嫌いだわ」

 キンピラくんに嫌われた。
 クラスにはまだ童貞が隠れていそうだ。
 あんまりいじくりまわすのも可哀相なので、そこそこで切り上げる。

159 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:41:58.95 h5xVrpm/o 116/461


 昼休みに、屋上で屋上さんと話をする。
 屋上で屋上さんと話をする。奇妙な語感。

 屋上さんはツナサンドをかじりながら言った。

「好き」

「は?」

 深く動揺する俺をよそに、彼女は俺の胸の中に飛び込んできた。「ぽすん」と漫画みたいな音がする。

 なんだこれ。
 なんだこれ。

 エマージェンシー。

「私のこと、嫌い?」

 屋上さんが俺の顔を見上げる。美少女。

「嫌いじゃないけど」

 思わず目をそらす。どこからかいい匂い。柔らかな感触。
 彼女は俺の背に腕を回してぎゅっと力を込めた。
 胸が当たる。
 なんだこれ。

「じゃあ好き?」

「好きっていえば……好きだけど」


160 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:42:25.79 h5xVrpm/o 117/461


「じゃあ好きって言ってよ」

「ええー?」

 どう答えろというのだろう。

「四六時中も好きって言ってよ!」

 サザンっぽい要求をされた。

 どうしよう。

「あ……」

 脳が混乱している。甘い匂いに脳を侵される。どうしろっていうのよ? 頭の中で誰かが言った。やっちまえよ。頭の中のなおとが言った。

「愛してるの言葉じゃ足りないくらいに君が好きだ」

 消費者金融っぽい雰囲気の返事をした。

 そこで、チャイムが鳴った。

「はい、授業終わり」

 夢だった。

161 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:43:03.78 h5xVrpm/o 118/461


 せっかくだし、正夢になるかもしれないので屋上に向かう。
 屋上さんは今日も今日とてサンドウィッチをかじっていた。ツナサンド。正夢。

「愛してるの言葉じゃ足りないくらいに君が好きだ」

「は?」

 何を胡乱なことを言い始めとるんだこいつは、みたいな目で睨まれた。
 目は口ほどにものを言う。

「何寝言いってるの?」

 確かに、夢の中で言った台詞をそのまま繰り返しただけなので、寝言であってる。

「現実って厳しい」

「なんで落ち込むの?」

「いや、しばらく放っておいて欲しい」

 正夢なんてものを信じるなんて、俺はよっぽど恋愛的なサムシングに飢えていたらしい。

 屋上さんと雑談しながら昼食をとった。

162 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:43:57.87 h5xVrpm/o 119/461


 放課後、部活に行くかどうかを机に座って悩んでいると、ふと天啓を受けた。

「図書室に行くべし」

 その声は神秘的な響きを持って俺の脳を甘く溶かした。
 図書室。素敵な響き。文学少女。無口不思議系後輩。髪色は青か? 悩みどころだ。

 そんなわけで図書室に向かった。

 来なきゃよかった。
 天啓なんてものを信じるなんて、俺はよっぽど運命的なサムシングに飢えていたらしい。

「あれ。君は確か……」

 幼馴染の彼氏がいた。
 
「……ども」

 ふてぶてしい感じに挨拶をした。生意気な後輩っぽさを滲ませるのがポイントだ。目を合わせないで唇を突き出すとそれっぽくなる。

「君、あの子の友達だったよね」

 幼馴染のことだろう、と考えて、違和感を抱く。

『あの子』。

 ――なんだろう、この違和感。
 胸の内側がぞわぞわする。
 何かを見逃している感じ。

 俺を睨む先輩。何かを言いそびれた幼馴染。それに、この人の態度。
 なにかがおかしい。

164 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:44:25.68 h5xVrpm/o 120/461


 黙りこんだ俺を不審に思ったのか、先輩が怪訝そうに眉根を寄せた。

「どうしたの?」

「いえ……」

 そもそも、どうしてこの人は俺のことを知っていたんだろう。
 幼馴染といつも一緒にいたから?
 
 知っていてもおかしくはない、けれど――何か、不安が胸のうちで燻った。
 
「先輩、幼馴染と付き合ってるんですよね?」

 本人に直接きいたことがなかったと思い、訊ねてみる。

「ああ、……うん。まぁ」

 彼は気のない返事をした。
 ――なんだ? この反応。

 答えにくいことを訊かれたように、先輩は頭を掻いた。

「まぁ、いろいろあってね」

 彼の態度があからさまにおかしいのか、それとも、俺が先輩に先入観を持っているせいで、粗探しをしようとしているのか。
 分からないけれど、何かがあるように思える。

165 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:45:36.31 h5xVrpm/o 121/461


「君には悪いと思ったけど」

「どういう意味です?」

「どういう意味って……」

 言ってから、先輩は何かに気付いたように口を覆った。怪しすぎるだろこの人。

「いや……君は彼女が好きなんじゃないかと思ってたから」

 ――この態度。
 
 なぜ、会ったこともないような後輩の恋心を気にかける必要がある?
 たとえば俺は、もし幼馴染と付き合うことになったって、幼馴染を好きだったかもしれない先輩のことなんて気にもかけないだろう。
 それなのに彼の態度はなんだろう。

 まるで、俺がいることを見越した上で幼馴染と付き合い始めたと言うような。

 でも――ただ好きなだけなら、なぜ俺がいることを気にかける必要がある?
 俺が彼女を好きだったかもしれないと思うなら、幼馴染の方に確認をとるだけでいいはずだ。

166 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:46:03.52 h5xVrpm/o 122/461


 先輩は落ちつかないように頬を掻いた。

 悪い人じゃない。そう思う。だから、幼馴染に対して何かをするというのではないのだろう。
 でも彼は、悪い人じゃない代わりに、自分の意志が強いというわけでもないのだろう。ヘタレっぽいのは見れば分かる。
 
 誰かが、何かをしているのか?

 正々堂々と告白して付き合いはじめたなら、なぜ「悪い」と思う必要があるのだろう。
 付き合い始めたなら、「彼の彼女」であって、「俺の幼馴染」ではなくなる。

 なぜ、幼馴染を横取りしたような言い方をするんだ?

 ――後ろめたい手を使ったから?

 考えて、自分の妄想だけが先走っていることに気付く。ただ話したことのない後輩を相手に緊張しているだけかもしれない。
 何もおかしなところなんてない。そうだ。

 ――君には悪いと思ったけど。

 馬鹿馬鹿しい。何を考えているんだろう。幼馴染に執着しているから、彼が悪いように見えるだけだ。
 俺はいまだに、彼が生粋の悪人で、幼馴染が彼にだまされているだけ、という展開を期待しているにすぎない。
 だから、彼が何かを企んでいるように見えるのだ。馬鹿な考えはやめろ。

 でも――この胸騒ぎ。なんだろう。何かが変だ。

167 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:46:33.35 h5xVrpm/o 123/461


 先輩が人のよさそうな表情で俺を見る。その顔は本物だろう。彼は善人だ。――俺の見る目が正しければ。
 彼が善人だとして、どんなパターンがあるだろう。
 幼馴染が何かを言いたげにして、先輩の友人が俺を睨んで、先輩の様子がおかしいという状況は。

 ――俺を睨んだ先輩。

 幼馴染の話を聞いてみるべきかもしれない。

「そういえば、先輩。サッカー部はどうしたんですか?」

 彼は安堵したように溜息をついて、俺の質問に答える。

「テスト前だから休みだよ。今日から」

「ああ、そういえば」

 ちびっ子担任がそのようなことを言っていた。
 教室で悩んでいたとき、部室にいけ、という天啓がなかったことに心底安心する。危なく赤っ恥だ。

 ひょっとして、昨日が最後だったから、部長は俺に部活に出るかどうかを訊ねたんだろうか。

 俺がこれからどうしようかと考えていると、誰かが先輩に話しかけた。

168 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:47:52.15 h5xVrpm/o 124/461


 その顔を見て、また胸中で何かが疼いた。
 今朝、俺を睨んでいた女子の先輩だ。

 彼女は先輩の肩に手を置いて笑いかけたあと、俺の存在に気付いて顔をしかめた。
 あからさまに、邪魔者を見るような目。

「アンタ、ちょっと来て」

 彼女は俺の手を掴んで図書室の外へと誘導した。うしろから戸惑ったような先輩の声が聞こえた。

 彼女は図書室を出てすぐのところにある階段を下りて、誰もいない二年の廊下に俺を導いた。
 教室からは話し声が聞こえるけれど、ほとんどの生徒は既に帰っているか、他の場所にいるのだろう。

「アンタ、なんのつもり?」

「なんのつもり、と言われても」

 今朝からずっと思っていたが、この人は何かを誤解している。
 朝は幼馴染から話しかけてきたのだし、さっきは先輩から声をかけてきた。俺が何か行動を起こしているわけではない。

169 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:48:18.29 h5xVrpm/o 125/461


「何でアイツらの周りウロチョロしてるわけ?」

「どういう意味ですか?」

 女の先輩(面倒なので以下メデューサと呼称。目が異様にでかい。マスカラすごい)は俺を見下すように溜息をついた。
 
「とぼけなくても分かってるから。アイツの彼女に未練あるんでしょ?」

 幼馴染のことだろう。

「言っちゃ悪いけどさ、アンタ、振られたんだよ。ぶっちゃけ、未練がましくて気持ち悪い」

 メデューサの発言は続く。俺は彼女が言いたいことを言い終わるまで待つことにした。
 それにしても――彼女は何をそんなに焦っているのだろう。

「アイツになんか言いがかりでもつけてたわけ? 言っとくけど、あの二人、ホントに付き合ってるから」

 言われなくてもそうだと思っていたし、振られたとも思っていた。
 ――メデューサがそんな発言をしなければ、疑うこともなかっただろう。

170 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:48:47.36 h5xVrpm/o 126/461


「それとも、どっかでなんかの噂でも聞いたわけ? 無責任な噂を信じるとか、馬鹿じゃないの?」

 それはつまり、何かの噂が流れる余地があるという意味だろうか。
 揚げ足を取るような思考。冷静になれ、と胸中で呟いた。それにしても一方的な人だ。

「あの二人の恋路、邪魔しないでくれる? アンタみたいなのにケチつけられたら可哀相だからさ」

 ――何を、こんなに恐れているんだろう。彼女は何かが露呈することを恐れている。それは確実だ。
 確証はないけれど、ひょっとしたら、と思うと自然に考えが進んでいく。

「アンタみたいに見てるだけで恋してるみたいな気分になってる奴が一番イタいんだよ。もう二度と二人に近寄んな」

 メデューサは、最後にそれだけ言い残して去っていった。

 俺は彼女の言葉を踏まえて、改めて思考を組み立てなおした。

 ――言いがかり、噂、「ホントに付き合ってる」。

 それを、なぜメデューサが言うのか?
 わざわざ「本当に付き合っている」と強調したということは、裏を返せば――。

171 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:49:29.74 h5xVrpm/o 127/461


 家に帰ってから、机に向かってテスト勉強を始める。
 といっても、教科書を眺めるだけだ。またPSPを起動する。いやになってすぐにやめた。

 携帯を開いてディスプレイの時計を確認する。五時。まだ早い。
 本当は今すぐにでも電話をかけたかったけれど、まだ出先かもしれない。
 それを思うと夜まで待つべきのように思える。
 
 気持ちを落ち着かせなければ。飲み物を求めて台所に行く。妹が料理の準備を始めていた。

 冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぐ。冷たさが喉を通って身体を伝っていく。緊張は解けなかった。

 電話の発明は相手の家まで行く手間を解消してくれたが、インターホンを押すのに必要な勇気までは肩代わりしてくれない。
 呼び出しボタンに指をあわせると心臓の鼓動が強まるのがその証拠だ。

 六時になる頃に妹が夕飯の準備を終えた。ひさびさに、母の帰りが早かった。何週間か振りに一緒に食事を取る。
 食事の量は足りる。妹はいつも、少し人数が増えても足りるくらいの量を作るからだ。
 妹の気持ちはよく分かっていたから、俺も二人分には多すぎる量を黙って食べた。それがいつも。

 ときどき、母か父かのどちらかと食事が一緒になると、妹はすごく喜ぶ。目に見えて上機嫌になる。
 大抵、帰ってきたとしても、そのときには俺たちが食べ終えているから。
 上機嫌になったあと、両方そろえばいいのに、と考えて、また落ち込む。見てれば分かる。

172 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:50:02.04 h5xVrpm/o 128/461


 母は妹の料理をべた褒めした。学校での様子を聞いた。
 仕事の方が忙しくて、と寂しそうに呟いた。俺も妹もそんなことは知っている。

 分かってるよ、と妹は返事をする。学校はふつうだよ。家事はもうとっくに慣れたよ。心配しないで。

 仕事を一生懸命こなす両親。
 尊敬と感謝を持って接するべき人。
 悪い人たちじゃない。

 夫婦仲も家族仲も悪くない。

 ままならない。
 文句があるわけじゃない。
 時間ができれば、こうやって俺たちと一緒にいようとしてくれる。
 それでなくても仕事熱心というのは尊敬に値することだし、おかげで金銭面でもなんら不自由のない生活を送れている。
 充分すぎる。
 言いたいことがないわけではないが、それを言葉にするにはあまりに長い時間が経ちすぎた。

 一緒にいる時間だけが、圧倒的に足りなかった。
 俺だけならどうにでもなる。
 妹のことを思うと、どうも気持ちが暗くなる。

173 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:50:33.81 h5xVrpm/o 129/461


 食事を終えて、部屋に戻る。一緒にトランプをしたがる母に、用事があるからちょっと待ってて、と言い訳した。

 そう長い話にはならない。
 
 言うことは決まっている。確認するだけ、だ。それなのに、やっぱり心臓は痛いほど脈打つ。

 ボタンを操作する指が、いつものように思い通りに動かない。
 それでもなんとか番号を呼び出す。

 通話ボタンを押した。

 耳に電話を当てる。断続的な音が、やがて呼び出し音変わる。そういえば今は食事時かもしれないな、といまさらながら思った。
 でももうかけてしまった。

 長い時間、同じ音を聞いていたような気がする。
 電話に出た幼馴染の声は、少しだけ固くなっていた。

「もしもし」と言葉を交わした後、沈黙が訪れる。何から話せばいいのか分からない。

174 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:51:11.26 h5xVrpm/o 130/461


「珍しいね。えっと……なに?」

 彼女の声にハッとする。何かを言わなければならない。
 俺は直球に話を進めることにした。

「今朝、何かを言いかけてたなと思って」

 少し卑怯だったかもしれない、と思う。でも、自省的な思考は後回しでいい。

 幼馴染が何かを言おうとしたのが分かる。けれど彼女は、すぐにいつもの調子に戻って茶化すように笑った。

「あれは――ごめん。なんでもなかったの」

 声に動揺が浮き出ているのが分かる。長い付き合いだから。

 彼女が言葉に詰まる様子が目に浮かんだ。気まずそうな表情。電話口でも気配だけで想像できてしまう。

175 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:51:58.51 h5xVrpm/o 131/461

 もういいや、言っちゃえ、と思った。間違っていたとしても俺が恥を掻くだけだ。

「――偽装なんだろ?」

 幼馴染が息を呑むのが分かった。
 しばらく沈黙があった。耳鳴りがしそうな静寂。時計の針の音が聞こえそうなほどだったけれど、ここに時計はなかった。
 不意に、前触れもなく、
 
「……よく分かった、ね」

 幼馴染がそれを認めた。ほっと息をつく。なぜだか、すごく安心していた。

「今朝、言おうとしたのって、それか?」

「……うん」

 できれば詳しい話を聞きたかったが、俺がそれを訊ねるのはおかしいような気がする。
 けれど幼馴染は、自分から事情を話しはじめた。

「先輩の友達の、女の先輩がいるじゃない?」

 先輩の交友関係には詳しくないが、おそらくメデューサだろう。

176 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:52:43.77 h5xVrpm/o 132/461


「あの人にしつこく付き合ってって言われて、困ってる、って先輩に言われて。それで……」

「それで?」

「……付き合ってるふりをしてくれ、って」

 押しに弱い幼馴染のことだから、最初は渋っても、しつこく言われ続ければ引き受けてしまう。
 たぶん、周りに流されたところもあるのだろう。
 先輩がどのような言葉を用いて幼馴染の協力をとりつけたかは、だいたい想像がつく。
 部活動に集中したいこと、そのために誰かの協力が必要だということ、そう長い期間は必要ないこと、迷惑はかからないこと。

「最初は断ったんだけど……」

「断りきれなかった」

「……うん。それで――」

 ――それで、付き合っているふりをはじめた。

 それだけのこと。

 先輩とメデューサが何のつもりかは分からないが、まだ何か含みはありそうだ。
 だとしても、幼馴染の認識でいえば、ただそれだけのこと。

177 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:53:10.23 h5xVrpm/o 133/461


 ただの偽装。
 それを確認できたことに、深く安堵する。

 話を終えたあと、また電話口に沈黙が降りた。お互いの呼吸の音が聞こえる。彼女が息を吸うのが聞こえた。
 幼馴染は、覚悟を決めたように話し始めた。

「ほんとは、さ」

 その言葉に思わず眉間が寄る。何か彼女にも含みがあったのだろうか。

「私、先輩の提案を、積極的に受けたの」

 一瞬、思考がフリーズした。
 数秒置いて、胸の中で暗い気持ちが膨れ上がるのを感じる。

 冷や汗が滲む。電話を持つ手の力が抜けてしまいそうだった。
 
 続く言葉をあらかじめ予想しておく。先輩が好きだったから、先輩と偽装でも付き合えるのは嬉しかったから。
 こうしておくとあらかじめ防壁を張っておける。でも現実は、いつだって想像の上をいく。防壁など、大抵は貫いてしまう。
 俺は覚悟を決めて瞼を強く瞑った。


178 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:53:38.88 h5xVrpm/o 134/461


「友達に、一度、相談したの。そしたら――」

 話がよく分からない方向に進む。俺の想像とは違う方向に。
 俺の想像した通りだとしたら、友人に相談する意味はない。

「――ちょうどいいんじゃないかって」

「ちょうどいい?」

「だから……その」

 幼馴染はそこで言いよどんだ。

「誰かと付き合うって話になったら、何か、反応するかなって」

「……反応?」

 俺の反芻に、彼女は心底困ったように「ああもう」と唸る。

「だから、やきもち妬くかなって」

 誰が? ――と、訊くのはやめておく。
 内心で自分が期待し始めたことに気付いたからだ。
 それは自惚れかもしれない。
 臆病といわれても、聞き返す勇気はなかった。

179 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:54:05.70 h5xVrpm/o 135/461


「で、どうだったんだよ。反応はあったのか?」

 もう考えるのがいやになって、やけになって適当なことを言った。

「……充分すぎるほど」

 偽装だってことになると、たとえば月曜の朝の、

『……童貞、なの?』

 という言葉には、別に経験済み的な意味はなかったことになる。

 脳内シュミレーション。幼馴染の立場。

 朝、教室に入る。静まり返ったなか、マエストロの声が響いている。

『このクラスで童貞は、サラマンダーと、俺と、それからおまえだけだ』

 扉を開けた瞬間に聞こえる衝撃的な発言。
 混乱していると、俺と目が合う。

 何かを言わなきゃ、という気分になり――

『……童貞、なの?』

 思わず鸚鵡返し。
 まさかそんなばかな。

180 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:55:26.01 h5xVrpm/o 136/461


 シュミレーションを続ける。

 火曜日の発言。

『おまえなんて、おまえなんて、サッカー部のなんかかっこいい先輩といい感じになってあげくのはてに卒業してからも一緒にいればいいんだ!』

『……祝福されてるのかな?』

 このとき周囲にはクラスメイトたちがいた。

 偽装を頼まれている立場からして、否定的な言葉を出すわけにもいかないだろう。
 やけに冷静だったところを見ると、ひょっとして俺の反応を楽しんでいたのかもしれない。――それは自惚れか。

 こうやって判断していくと、何もおかしいことなんてなかったような気がする。
 自分の思い込みのせいで勝手に落ち込んでいたんだろうか。ひどく馬鹿らしい気分になる。

 気にかかるのは、

『おまえと結婚の約束をした記憶なんてないッ!』

『私もないよ?』

 このやりとりくらいか。
 彼女は本当に忘れてしまったのだろうか。

181 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:55:53.29 h5xVrpm/o 137/461


 俺が考え事にふけっていると、幼馴染は電話の向こうであくびをかみ殺した。
 まだ八時にもなっていないことに気付いて愕然とする。もっと長い時間、電話していたような気がした。

「――明日、先輩に言おうと思う」

 幼馴染は眠そうな声で言った。

「やっぱり、あの話はなかったことにしてください、って。みんなに嘘つくのも、疲れちゃったし」

 悪女だ。
 悪女がいる。
 学校中を騙してみせたあげく、「疲れちゃった」なんて理由でやめようとしていた。

「ごめんね、心配だった?」

 からかうように、幼馴染は言った。

「馬鹿言えよ」

 俺は見栄を張った。
 ふたりで一緒にひとしきり笑った。

182 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:56:30.17 h5xVrpm/o 138/461


 また、互いに言葉を失う。何かを言わなければならないような気がした。

 言っちゃえよ。頭の中で誰かが言った。好きって言っちゃえよ。
 頭の中のもうひとりが言った。それでいいのか? 勢いと雰囲気に流されてないか? おまえは幼馴染が好きなのか?
 冷静な声に情熱的な声が反論する。馬鹿おまえ、好きじゃなかったらこんな内容の電話するわけないだろ。
 
 不毛なやりとりが何度も繰り返される。その間、俺はずっと黙っていた。
 やがて、幼馴染はしびれを切らしたみたいに言葉を発した。

「それじゃ……」

 名残を惜しむような声だった。俺は何かを言おうとして、やめた。

「ああ、うん……」

 電話を切ると、物音ひとつしない自分の部屋に戻ってきた。今まで、どこか遠い場所にいたような気がした。
 そのあとで、幼馴染の言葉を思い出した。

『――明日、先輩に言おうと思う』

 ……馬鹿だ。
 明日は土曜だし、テスト前だから部活もない。
 ひとりでクスクス笑ってから、また考え事にひたる。

183 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:56:59.69 h5xVrpm/o 139/461


 何で何も言わなかったんだろう、と自問する。
 本棚から一冊の文庫本を取り出した。ブックオフで百五円で売っていた小説。
 冒頭にはこんな一節があった。

 ――なににもまして重要だというものごとは、なににもまして口に出して言いにくいものだ。――

 俺はこの言葉を盾にとって自分を慰める。多くを口に出せないとき。何かを言い損ねたとき。言い訳に使う。
 それでもいつか、誰かに何かを告げなければならない場面は来る。

 考える。
 今回は結局、幼馴染に彼氏ができたわけではなかった。

 でも、もし仮に、本当に幼馴染に恋人ができたとき、どうなるのだろう。俺は祝福するのか、後悔するのか。
 子供っぽい独占欲と恋愛感情との区別を、俺はいまだにつけられていない。

 今回は偽装を偽装と確認するだけでよかった。
 でも、もし今後そうではなく、「本当の」交際相手などというものが現れたら、幼馴染を取り返すなどということはできはしない。
 このところさんざん悩んでいたように、苦しみながらも折り合いをつけていくことになる。

 だから、判断しなければならない。
 俺はいったい、誰が好きなのか。

 幼馴染を取り戻そうとした感情が、もし子供っぽい独占欲だったなら、それは何の為にもならない。決別しなくてはいけない。
 選ばなくてはならない。そもそも、幼馴染の恋愛に口を出す権利など、俺は持ち合わせていないのだから。

184 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:57:29.06 h5xVrpm/o 140/461


 考え事を続けすぎて、頭痛がしそうになる。
 部屋を出てリビングに戻ると、母と妹がふたりでトランプをしていた。

「なにやってるの?」

「ババ抜き」

 ……ふたりで?

 喉を潤してから自室に戻る。しばらくテストにそなえて教科書を見返す。
 文字を目で追うが、ちっとも頭には入っていない。教科書の表面を撫でるだけ。目が滑っている、と感じた。
 長い時間、なんとか教科書を理解しようと苦心していると、不意にノックの音が聞こえた。
 返事をすると、お風呂あがりらしい妹がパジャマ姿で部屋の中に入り込んでくる。

「お母さんは?」

「……電話してる」

 寂しそうに言う。

「そっか」
 
 頷いてから、ふたたび教科書と向き合う。

185 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:58:06.82 h5xVrpm/o 141/461


「ね、なんかして遊ぼうよ」

 さっきまで誰かと一緒にいたせいで、ひとりになるのが寂しくてたまらないのだろう。
 俺は少し考える。遊ぶといっても、できることなんてない。

「テスト近いだろ。勉強したらどうだ?」

 妹は不服そうに口を尖らせた。
 彼女には落ち込めば落ち込むだけ素直になるという習性がある。

「分かった」

 素直に頷く。
 背中に声をかけて呼びとめる。

「カバン持ってきて、この部屋で勉強しろよ」

 妹がカバンを持ってふたたび俺の部屋を訪れるまで、五分とかからなかった。
 しばらくふたりで勉強をする。一時間が経った頃、妹はうつらうつらと舟を漕ぎ始めた。
 明日が休みだから、気が抜けたのだろう。
 肩を揺すって起こす。自分の部屋で寝るように言う。寝ぼけたままの様子の彼女は、ふらふらとしながら自分の部屋に戻っていった。

186 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:58:35.70 h5xVrpm/o 142/461


 どうも、喉の渇きがとれない。
 リビングに行く。
 電話を終えた母が手持ち無沙汰に座っていた。

「あの子は?」

 母は開口一番に尋ねた。

「寝たよ」

「ずいぶん早いのね」

「まぁ、うん」

「学校はどう?」

「悪くないよ」

 曖昧に答える。すべての学生が、両親に学校での出来事をつまびらかに語るわけではないだろう。きっと。

「妹は?」

「がんばってるよ」

 過剰なほど。

「なんとか、やっていけてる?」

「……まぁね」

 親が子供に言う台詞としては、あと数年早い。

187 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:59:12.27 h5xVrpm/o 143/461


 母はまだ何かを言いたげだったが、もう質問が思い浮かばないようだった。
 距離を、測り損ねている。 

 麦茶をコップに注ぐ。

「飲む?」

「ええ」

 ふたつめのコップを用意した。

 少しすると、母は自分の寝室に戻った。

 部屋に戻ってひとりになってから、どうするべきかを悩んだ。
 思い浮かんだのは、先輩の言葉。

 ――君には悪いと思ったけど。

 ひとまず、話の通じる彼から事情を聞いておきたいところだ。
 いったい、何がどうなっていたのだろう。

188 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 13:59:39.41 h5xVrpm/o 144/461


 幼馴染のことはひとまずいいにしても――放置しておけばメデューサに攻撃されかねない。
 あの異常な態度。

 憂鬱だ。

 風呂に入る。歯を磨く。ベッドに潜り込む。

 寝付けない。うだるような熱気に部屋がもやもやと侵食されている。
 ドアを開けっ放しにして空気の通り道を作る。窓を開けると涼やかな風が入ってきた。
 
 起き上がって電気をつける。教科書をめくった。
 テストが近い。勉強しなきゃ。

 こういうとき、何か趣味があればいいのになぁ、と思う。寝付けない夜が多すぎる。


189 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/27 14:00:13.66 h5xVrpm/o 145/461

つづく

213 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:24:56.16 eTEPqKVXo 146/461


 朝、起きて朝食をとる。
 健康的な食事。一日の活力。ハムエッグは好物。
 
 暇だったのでアコギを掻き鳴らした。 
 三十分程度、適当に鳴らして飽きたころ、妹がどこかから「うるさい!」と叫んだ。

 仕方ないのでリビングに下りて階段下の物置から64を持ち出した。
 風来のシレン2。カセットを差し込む。今となっては粗いグラフィック。

 毎回、カタナ+54、オオカブトの盾+62くらいまで装備を強化したところでシレンが運悪く倒れる。
 次はじめるときに装備を取り戻そうと同じダンジョンに挑む。
 強い武器と防具に慣れてしまって適当になったプレイングのせいで、また死ぬ。
 装備が取り戻せなくなる。
 
 むなしさだけが残った。

 妹は暑そうにソファに寝転がっていた。
 せっかくなので誘ってみる。

「一緒にスマブラしない?」

「しないから」

 古すぎるもんね、64は。

214 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:25:24.78 eTEPqKVXo 147/461


 正午を過ぎてから幼馴染にメールを送る。

 返信はすぐにきた。

「ちゃんとメールで言ったよ!」

「明日」と言ったのは間違えたわけではなく、最初からメールで断りを入れるつもりだったのだと主張したいのだろう。
 妙なところで意地を張る奴だ。

 俺は幼馴染から先輩の自宅の電話番号を聞きだした。部活の連絡網。携帯に見知らぬ番号から電話がきたら無視しちゃうしね。

 先輩の家に電話をかけると人のよさそうな母親と思しき人が電話口に出た。
 先輩の名前を言って呼び出してもらう。どうやら家でテスト勉強をしていたらしい。

 彼は少なからず驚いていたようだった。せっかくなので、事情を省みず呼び出ししてみる。

「今から会えません?」

 デート。
 
 嘘だ。


215 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:25:56.06 eTEPqKVXo 148/461


 先輩の了解を聞き届けて、待ち合わせ時間に間に合うように準備を始める。といっても、財布と携帯だけ持っていけばいいだろう。
 待ち時間を潰すために文庫本を持っていこうかとも思ったけれど、ブックカバーをつけたままにしているものがなかったのでやめておく。
 本屋でつけてもらえるブックカバーは便利なのだけれど、手触りがいやだ。
 かといって布製のものは読みにくい。ジレンマ。

 ガレージから自転車を出す。中学のときのステッカーを貼ったままだ。
 先輩の家の位置も考えて、ちょうど中間くらいにある店に待ち合わせた。ハンバーガーショップ。
 蝉の鳴き声を掻き分けるようにペダルを漕いだ。

 俺が店についたとき、先輩はまだ来ていなかった。昼時だからかひどく混雑している。
 注文、支払い、商品の受け取り。空いている座席を探して座る。そう時間をおかず、先輩はやってきた。

 彼が座るのを見届けれから、口を開いた。

「いくつか訊きたいことがあるんですけど、かまいませんよね?」

216 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:26:23.20 eTEPqKVXo 149/461


「その前にひとついいかな?」

 先輩はさわやかに笑った。

「なんでしょう?」

 不敵に問い返す。

「襟元になんかついてるよ」

「え、うそ」

 白いものが付着していた。
 ケフィア的な何かか?
 心当たりは無い。

 よくよく見てみたら歯磨き粉だった。

「やだ私ったら」

 恥ずかしくて赤面する。

 先輩はひとつ咳払いをした。

217 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:26:52.68 eTEPqKVXo 150/461


「それで、訊きたいことって?」

「単刀直入に言うと幼馴染のことです」

 単刀直入に話をはじめた。

「ぶっちゃけ」

 はっきりと言うべきかどうか悩む。
 少しおいてから、悩んでも仕方ないことに気付いた。

「自作自演ですよね?」

 先輩が驚いたように目をしばたたかせる。どんな仕草をしてもさまになる人だ。

「どうしてわかったの?」

「カマかけただけです」

 怪しんではいたけれど、推測の域を出ないものだった。

「なにが目的だったんですか?」

 先輩は言葉に詰まった。だいたいの想像はつく。


218 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:27:20.28 eTEPqKVXo 151/461


「……それ、言わなきゃダメかな?」

「別に言わなくてもいいです」

 想像がつくから。

「で、ちょっと訊きたいんですけど」

「なんだろう」

 爽やかな反応。いい人なのに、流されやすいのだろうか。

「あのメデューサ、暴走気味じゃありません?」

「メデューサ?」

 脳内呼称を口に出してしまった。

「えっと、あれだ。目が異様に大きい人」

 先輩が「ああ」と頷く。

「サコか」

219 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:28:20.85 eTEPqKVXo 152/461


「サコ? さん、ですか」

「昨日、図書室で君を呼び出した人。あ、あの後大丈夫だった?」

「ええ。まぁ、何事もなく」

 何事もなく罵倒された。

「それならよかった。一応、心配だったんだ」

 先輩は安心したように溜息を漏らした。そう時間をおかず、今度は憂鬱そうに溜息を漏らす。
 溜息は口ほどにものを言う。だいたいニュアンスでどんな気分かが伝わってくるものだ。

「――前言を翻すようでアレなんですけど、やっぱり、ちゃんと訊いておきたいです」

 俺は少し考えてから口を開いた。

「先輩、アイツのことが好きだったんですか?」

 アイツ、は、幼馴染のことだ。

 彼は、逡巡するようにあちこちに視線をめぐらせて、最後にはテーブルの上に向けた。
 トレイの上に載ったままのハンバーガー。封の空いていないストロー。一向に減らないフライドポテト。

「……うん」

 長い沈黙のあと、先輩はかすかに頷いた。

220 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:29:12.10 eTEPqKVXo 153/461


「卑怯だよな、とは思ったよ。自分でも」

 自嘲するような笑みを頬に貼り付けて、先輩は言う。

「言い訳はしないけど」

「ええ。納得はしませんけど、理解はしますよ」

「ありがとう」

 とはいえ、彼が悪いのかどうかは、これからする質問次第で分かることであって、今は判断のしようがない。

「昨日、メデューサ、じゃないや。サコさんに言われたこともありますし、実際にあったことを説明していただけるとありがたいんですけど」

 先輩は言葉に詰まった。
 またこれだ、と思う。人には隠し事が多すぎる。

「……まぁ、巻き込んだわけだし、ね」

「言いたくなければいいです。俺、実際にはほとんど無関係ですから」

「そうでもないよ」

 先輩は気まずそうに微笑んだ。

221 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:29:39.88 eTEPqKVXo 154/461


「まず、僕は彼女が好きだったんだ。それは、もう言ったよね?」

「ええ」

 頷いて続きを待つ。先輩は言葉を選ぶような間をおいてから、話を続けた。

「そのことをサコに相談した。彼女は僕の友達の中でも、恋愛ごとに関して一番頼りになる人物だと思ったから」

 ――アンタみたいに見てるだけで恋してるみたいな気分になってる奴が一番イタいんだよ。もう二度と二人に近寄んな。

 言動の節々に見え隠れする、恋に対する自信と自負。
 オブラートに包まずに言ってしまえば、彼女は思い込みが激しく、自信家であり、お節介焼きで、ちょっとイタい人なのだ。

「サコは次の日には具体的な計画を立てて来たよ」

「それが偽装カップル?」

 俺の俗っぽい言い方に、先輩はいささか辟易したようだった。それでも仕方なさそうに頷く。

「そういうこと。口車に乗せられた、という言い方をすると誤解を生むかな。実際には僕も同意したから。でも、その場の雰囲気に乗せられたところはあった」

 これは言い訳かな、と彼は肩をすくめる。その仕草が妙に似合っていて腹立たしい。少しはしおらしくしやがれ。

「つまり、サコさんは、偽装カップルとして一緒に行動させることで、二人の距離が縮まることを期待したんですか?」

 先輩は俺の言葉にきょとんとした。少し間をおいてから、ああ、と頷く。

「そうだよ」

「その話に乗ったわけですか」

「……うん」

222 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:30:22.21 eTEPqKVXo 155/461


 先輩は幼馴染が好きで、それをメデューサに相談した。
 メデューサは、自分が彼に言い寄っていることにして、ふたりを偽装カップルとして近づけることに成功する。
 互いの距離は少しずつ縮んでいったが、今日に至って幼馴染からそれを取りやめる旨のメールが送られてくる。

 先輩の話をまとめると、つまりはこういうことになる。

「俺、関係ないですよ、やっぱり」

 俺という存在は、メデューサの計画にはまるで出てこない。
 
「はっきり言ってしまえば」

 と先輩は前置きした。苛立たしげに言葉を続ける。

「君が羨ましかったんだよ。彼女のそばにいたから」

「……はあ」

「一番最初にサコに相談したときも、そのことを言ってあった」

「だから、あの人は俺を目の仇にしてたんですか?」

「その他にも、あの子が僕やサコの前で君の話をすることがあったから」

「……サコさんとしては、俺が邪魔者だったと」

 つまり、二人の距離を縮めるためだけではなく、幼馴染を俺から遠ざけるためにも、そういう形の計画になったのか。
 遠ざけることに成功したと思っていたのに、幼馴染や先輩の周囲をうろうろする俺を見かけた。
 それが昨日のことで、その後の発言はすべて「ふたりの恋愛を成功に導くためによかれと思ってやったこと」なのだろう。

 ありがた迷惑って言葉もある。
 下手な企みなんて、失敗するものだ。

223 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:31:01.23 eTEPqKVXo 156/461


「なんだかもう、疲れますね」

「僕もすごく疲れた。ここ最近はずっと胃が痛くて仕方なかった。彼女はちっとも振り向いてくれないしね」

 そりゃそうだ。
 なにせ幼馴染は、超がつくほどの鈍感なのだから。
 小学の頃も、中学の頃もそうだった。自分に対する好意にまるで気付かない。
 ナチュラル悪女。

「アイツ、偽装をやめるって、先輩にメールしましたよね?」

 彼は額の汗を手の甲で拭ってから頷いた。

「来たよ。本人の意思に従おうと思う。実際、期限付きで、っていう約束だったんだよ、本当のところ」

「……無理のある話ですね」

「僕もそう思う」

 俺はひとつ溜息をついてから考える。誰も実害をこうむった人物はいない。
 何かを企むことに呆れはしても、責めることはできない。

224 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:31:34.26 eTEPqKVXo 157/461


「男らしくない」

 口をついて出た言葉に、焦る。だいぶ失礼なことを言ってしまった。

「まさにその通りだ」

 先輩は気を悪くするでもなく笑った。

「僕はもともと、臆病というか、そういう気質があるから」

「臆病というか」

 俺はずっと思っていたことを言った。

「ヘタレなんですよね。直接告白もできないような」

 自分のことを棚にあげて先輩を責めた。
 別に、なんだかんだで幼馴染と仲良くなりやがったことに対するあてつけとかではない。断じて。本当に。

「まぁ、そうだね」

 先輩はまた笑った。

225 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:32:02.92 eTEPqKVXo 158/461


「本気で好きなら、直接言うのが一番いいと思いますよ。アイツには」

「敵に塩を送るの?」

「アイツのことを抜きにすれば、俺は先輩のことが嫌いじゃありませんから」
 
 かといって、本当に告白されて、付き合うようなことになれば、俺としては困る。
 すごく、困る。
 勝手だな、と内心自嘲してから溜息をつく。なにをやってるんだろう。全然論理的じゃない。

 いいかげん話を終わらせるべきだと考えて、先輩に向かって最後の確認をした。

「まぁ、先輩の恋についての話はいいです。とにかく俺が言いたいのは、サコさんのことです」

「サコが、なに?」

 きょとんとしてる。
 できれば気付いてほしい。この人も鈍感なタチだ。
 とはいえ、彼にとっては友達のことだ。
 俺は慎重に言葉を選んだ。

226 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:32:32.29 eTEPqKVXo 159/461


「サコさん、なんというか、暴走しがちですよね。偽装をやめたって知ったら、誰かに強く当たったりしません?」

 失礼を承知で言う。必要なことだ。いい気分はしないけれど。
 俺に罵詈雑言を並べ立てるくらいならいいけど、他の人間に当たられては冗談ではすまない。
 その懸念に、先輩は平気そうに答えた。

「大丈夫だと思う。なんだかんだいっても、冷静な判断が出来る人なんだ」

「そうですか?」

 昨日の出来事を思うととてもそうは思えない。

「俺にはもっと、こう……あ、これは別に、昨日罵詈雑言をぶつけられて腹を立てているというわけではないですよ?
 あくまで一意見としてですけど、あの人はこう、暴走しがちなんじゃないかなって。
 別にひどいこと言われた当てつけとかじゃないですけどね。好き勝手言いやがってとか思ってないですし。
 でもちょっと、策士策に溺れる的な、自己陶酔っぽいところがありますよね、たぶん」

 先輩は大笑した。

「大丈夫だよ、そのあたりはきちんとする」

 そういって彼は溜息をつく。端整な顔立ち。さわやか。サッカー部でレギュラー。人望もある。魅力だらけの人。
 彼はひょっとして漫画か何かから飛び出してきたのではないだろうか。
 それでも、彼だって何もかも充実しているわけではない。
 嫌な考え方かもしれないが、それを思うと少しだけ安心する。
 努力していこう、と思える。

227 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:33:08.53 eTEPqKVXo 160/461


「がんばってみるよ」

 なにに対する「がんばる」なのか、少しだけ考えてしまった。
 メデューサを説得することをか、あるいは――。
 それは、俺に言ったって仕方のない言葉だ。ひとりごとのつもりだったのかもしれない。
 俺にも俺の考えがあるから、がんばってください、とは言えない。先輩もそれは分かっているのだろう。

「まぁ、サコさんのことをきちんとしてくれるなら、それでいいです。ぶっちゃけ、今日話したかったのも、そのことだけなんですよ」

 昨日のアレみたいに幼馴染に当たられたらたまったもんじゃないからね。言っちゃなんだけど。
 先輩は少し困ったような顔をした。

「ところで、先輩」

 俺はすっかり熱を失ったハンバーガーを手に取りながら訊ねる。

「アイツ、俺についてなんて言ってたんですか?」

「秘密」

 先輩はもったいぶるように笑ってストローの袋を破った。

228 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:33:40.06 eTEPqKVXo 161/461


 二人でハンバーガーを食べきったあと、どうでもいい話をしながら店を出る。
 互いに変な空気が生まれていた。照れくさい感じ。

「テスト勉強中に呼び出してすみませんでした」

「いや、いいよ」

「悪い点とっても、俺のせいにしないでくださいね」

「……それは、するかもしれないな」

 先輩は大真面目な顔で言った。

 店の出口のところで別れて、俺は止めてあった自転車に向かって歩く。

 むちゃくちゃする人も、世の中にはいるもんだ。

 自転車を漕いで帰り道を急ぐ。家に帰ったらなにをしようか。俺はわざと目前に迫った期末テストを思考から追いやった。
 防風林が木陰をつくった、家々の隙間の狭い道を通る。石で出来た水路がブロック塀の隣を通っていた。
 ひんやりとした空気の中で蝉の鳴き声だけが延々と響いている。それでも自転車のスピードは緩めない。
 もうすぐ、夏休み。

 誰とどこへ行こうか、と考える。いろんなことをしたい。花火。プール。海。夏祭り。
 そういうことを想像するだけで、胸が沸き立って落ち着かない気分になった。

 そういうことをできるだろうか、と考える。
 したいなあ、と思った。みんなで、楽しく過ごせるといい。

 ペダルを踏みながら、そんなことを思った。

229 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:34:04.99 eTEPqKVXo 162/461


 家に帰ると、幼馴染がいた。

「お邪魔してます」

 平然と、妹と世間話に興じていた。
 昨日の今日でこいつは。
 世間様に尻軽女だと思われてしまうでしょうに。

「麦茶を俺にもください」

「コップ持ってきたら注いであげる」

 妹も暑さのせいであまり動きたくないようだった。
 流しに置かれた食器入れの中からコップを取り出す。二人は既に自分たちの分を飲んでいた。

230 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:34:36.51 eTEPqKVXo 163/461


「どこ行ってたの?」

 幼馴染に尋ねられる。先輩と会ってきた、と言ったらどんな顔をするだろう。
 俺は「ちょっとそこまで」と答えてから麦茶を飲み干した。

 コップを置いたところで、妹が何かを思いついたように声をあげた。

「本人に直接意見を聞けばいいんじゃない?」

 幼馴染は意表をつかれたように「ああ!」と頷く。

「何の話?」

「お弁当の話」

「おべんと、ですか」

 何の説明にもなっていない。

「お姉ちゃんが、お兄ちゃんの、作りたいって言うから」

「ふたりで話し合いをしてたんだよ」

「月火水木は半分ずつってことで決まったんだけど、金曜の分をどっちが作るかがなかなか決まらなくて」

 ……なんだろう、このやりとり。


231 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:35:06.57 eTEPqKVXo 164/461


「いや、何でわざわざ分担する必要があるの?」

 幼馴染に作ってもらえたら食費が少しだけ浮くが、そんなみみっちい話ではなく。
 なぜ別々の人間に作ってもらう理由があるのか。面倒だろうに。

 彼女らは当人の意見を無視して協議を再開した。
 なんだかなぁ、と思う。今までずっと、どうでもいいことに時間を費やしていた気がした。とんだ徒労。くだらない悩み。
 一気に肩の荷が下りた気がした。

 話し合いは平行線を辿っているようだ。
 金曜の担当が決まるのと、夏休みに入るのはどっちが早いだろうかと、ふとそんなことを思う。

「あ」

 不意に思いついた。

「なに?」

「週ごとに金曜の担当を交換すればいいんじゃね?」

 その言葉の後もしばらくは話し合いが続いていたが、結局はその方向で決まったらしい。

232 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:35:42.60 eTEPqKVXo 165/461


「でも、何で弁当なんて作りたいの?」

 割と真剣な疑問。面倒なだけだと思うのに。

 幼馴染は簡単に答えた。

「はっきり言って、男の子にお弁当つくるのって、女子からしてもけっこう憧れなのです」

「へえ」

「制服デートとかもね」

「なるほど」

 そのあたりは男子と大差ないらしい。

「つまさき立ちでちゅーするために身長差は結構欲しいとかね」

 妹がさらりと言った。少女漫画的。
 ……やっぱ身長か。やっぱ一七○センチないとダメなのか。

「……ちょっとコンビニで牛乳買ってくる」

 カルシウムの摂取が身長の伸びに直結しない自分の体が憎い。

 幼馴染は、妹の言葉に微妙な表情を浮かべた。

「それはちょっと……違わない?」

「そう?」

 妹さまはけろりとしている。
 なんだかもう、女ってよく分からない。

233 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:36:29.28 eTEPqKVXo 166/461


 本当にコンビニに行こうとすると、二人は慌てて追いかけてきた。
 三人で並んで歩く。両手に花。美少女二人。ぐへへ。

 ――暑さでそれどころじゃなかった。

「……誰? コンビニ行こうって言った人」

 妹がうなる。誰も「行こう」なんて言ってない。

「蝉がうるさいね……」

 幼馴染も疲れ果てていた。なんだか、子供の頃もこうやって歩いたことがあるような気がする。
 なんだかなぁ、と思う。

 恋だ愛だと騒いでおいて、結局、ふたりと一緒にいるだけで、俺はある程度満たされてしまうのだ。
 まいった。
 この居心地のいい立ち位置で、曖昧なままで一緒にいたい。
 
 まぁ、できないんだけど。

 でもまぁ、今は、ね。

234 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:36:55.96 eTEPqKVXo 167/461


 徒歩十分のファミレスの脇に立つコンビニ。広い駐車場。でかい看板。何かのキャンペーンのポスターが張られた窓。
 冷房のきいた店内に入っても、暑さの名残は消えないようで、幼馴染はうんざりしたように呟いた。

「アイス食べたい」

 財布を忘れてきたらしい。

「私もアイス食べたい」

 妹は財布を持ってきていたが、間違いなく便乗しようとしていた。

 仕方なしに、三人分のアイスバーを買うことにした。
 牛乳、炭酸のジュース、少しのお菓子を選んで、レジに並ぶ。

 店を出てすぐに、アイスを配ってその場で食べ始める。

「食べ歩き、食べ歩き」

 上機嫌な様子で幼馴染はアイスをかじりはじめるが、どう考えても「買い食い」と言いたいに違いない。

 店の前におかれたゴミ箱に袋を捨てて、来た道を引き返す。
 太陽に焼かれて、アイスはすぐに溶けそうになる。
 溶けて垂れはじめた雫を舌先で舐めとるふたりの様子をみて、思わず変なことを考えそうになる――などということもなく。
 俺は自分のアイスを食べきるので精一杯だった。

235 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:37:26.03 eTEPqKVXo 168/461


 家に帰ってからも、リビングでぐだぐだと過ごした。
 テスト勉強をしなくては、と思うのに、気が抜けて行動に移せない。
 たぶん、長い間頭を支配していた悩み事がひとつ消えただろう。都合のいいことだ。

 幼馴染は結局、夕方まで家に居座った。

 彼女が帰った後、俺と妹は手持ち無沙汰になった。
 さっきまでいた誰かがいなくなると、寂しさと同時に時間を持て余している感じが訪れる。

 夕食に冷やし中華を食べたあと、映画を鑑賞することにした。
 ターミナルをまたかける。今度は、妹は眠らなかった。最後には涙目になっていた。
 俺は本気で泣いていた。

 さすがに、またビデオカメラを構える勇気はない。

 順番に風呂に入って、早めに寝ることにする。
 ベッドの中で、明日の日曜はどう過ごそうか、と、少しだけ考えた。
 テスト勉強、少しくらいしておかないと。

 そんなことを考えていると、いつのまにか眠りに落ちていた。

236 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/28 10:38:38.47 eTEPqKVXo 169/461

つづく

270 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:32:07.45 ormcuORco 170/461


 次の日曜も、幼馴染は当然のようにうちにやってきた。

 リビングのソファに寝転がってだらける幼馴染。
 テーブルに突っ伏して暑さに負けている妹。
 俺は椅子に身体をもたれて全身の力を抜いていた。

 暑い。

「たとえばさ、朝の六時って『早い時間』だろ?」
 
「そうだね」

 だるそうに幼馴染が頷く。意味もなくつけたテレビでは旅番組をやっていた。
 チャンネルを変える。暑さに負けない健康料理特集。妹が顔を机にくっつけたままちらりと目を向ける。
 リモコンをおいて手の力を抜いた。

「でも、深夜三時って『遅い時間』だろ?」

「そうだね」

 幼馴染がさっきとまったく同じ声音で応じた。
 
「遅い時間が早い時間より先に来るって、おかしくない?」

「そうだね」という幼馴染の呟きを最後に、言葉が途絶える。


271 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:32:45.86 ormcuORco 171/461


 開けっ放しにした窓から、風が一切吹き込まない。風がないのだ。ちょっとでいいから吹け。
 扇風機をつけてあるが、気休めにもならない。近付くと髪が動いてわずらわしいし、遠いと涼しくない。
 
 髪、切りにいきたい。

 けど、動くのだるい。
 テスト勉強どころじゃない。

 夏。

 網戸の向こうから蝉の鳴き声が聞こえる。風物詩。
 
「……暑い」

 何もやる気が起きない。
 このままではいけない。
 何とかしてやる気を取り戻さなければならない。

272 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:33:29.17 ormcuORco 172/461


 しばらく無言のままの時間を過ごしていると、やがてインターホンがなった。
 這うようにして玄関に向かう。客はマエストロだった。

 彼を玄関からリビングに招き入れたときには、二人の少女は居住まいを正していた。どういう理屈だそれは。

「こんにちは」

 にっこりと妹が笑う。
 どういう理屈だそれは。

 マエストロは幼馴染の姿を見つけてひどく戸惑った様子だった。

「なんで?」

「いろいろあって」

 本当にいろいろあった。
 幼馴染はマエストロに向かって笑いかける。だからどういう理屈だ。さっきまでのおまえたちはどこへ行った。女って怖い。

 マエストロは少し怪訝そうな表情をしたものの、すぐに興味を失ったのか、堂々とリビングの椅子に座った。
 女が二人いることに気後れする様子はない。すげえ。逆の立場ならこうは行かない。

「で、だ」

 マエストロはカバンからノートPCを取り出した。

「電気もらうけど」

「いいけど、充電あるんじゃないの?」

「ずっとコンセント繋ぎっぱなしにしてたら数秒で充電切れるようになって」

「……どうにかしようよ、それは」

 具体的な解決法は詳しくないので思いつかない。
 バッテリー買い替え? どこで売ってるんだろう。

273 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:34:00.34 ormcuORco 173/461


「で、これ描いたんだけど」

 画像ファイルが展開される。

 パステルっぽい淡い彩色のされたイラスト。
 リアルっぽい雰囲気で描かれたイラスト。
 アニメっぽい塗りのイラスト。
 なんかすごい凝った風景。
 モザイクなしのモロエロ絵。

 なんてものを描いてるんだ。

「ごめん、これは間違いだわ」

 マエストロがファイルを閉じる。と同時に、俺の様子を窺うようにこちらを見た。

「……おまえ、どうした?」

 彼は驚いたように目を見開いた。

「え、なに?」

 何か変な態度を取っただろうか。
 別におかしなことはなかったように思う。
 それなのにマエストロは、女だと思っていた漫画キャラが男だったと気付いたときみたいに呆然としていた。

274 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:34:44.74 ormcuORco 174/461


「反応が薄すぎるだろ」

「そう、か?」

 マエストロはしばらく考え込んでいた。
 たしかに、マエストロの絵には、いつも強い反応を見せたような気がする。上手いし、ツボをついている。
 クオリティが落ちているとか好みじゃないというわけではない。
 そう考えると、確かに反応が薄いような気もした。

 彼はしばらく押し黙ったあと、不意に幼馴染に目を向ける。

「……なるほど」

「なにが?」

 マエストロは俺の質問には答えずにうっすらと笑う。

「なぁ、チェリー。おまえひとつ忘れてないか?」

「チェリーって言うな」

 妹の前で。
 肝心の妹本人はきょとんとしている。それならまぁいいや。
 と、安心したところに、

「幼馴染との関係が元通りになったって、おまえが童貞だってことは変わらないんだぜ?」

 ――爆弾が投下された。

275 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:35:15.41 ormcuORco 175/461


「どうて……え、なに?」

 妹が戸惑ったように眉をひそめる。幼馴染はもう慣れた様子で、平然と麦茶を飲んでいた。恐ろしい。
 なんてこと言いやがる。

 が、的を射ていた。

「そうだった……」

 俺は依然として童貞だった。状況は一向に打破されていない。
 まいった。完全に忘れていた。

「どうしよう……」

 苦悩する俺を見て、マエストロは楽しそうに笑った。自分だって童貞のくせに。

「童貞か童貞じゃないかって、そんなに重要かな」

 幼馴染が心底不思議そうに言った。重要だよ。むちゃくちゃ重要だよ。
 あと女の子があんまり童貞とかいうんじゃありません。

276 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:35:42.10 ormcuORco 176/461


 夏が近い。
 どうにかしなくては、と考える。

 ……でも、ぶっちゃけ、そんなに焦る必要あるか?
 冷静に考える。

 別に、彼女ができていい感じに仲が進めばそのうちやることはやっちゃうわけで。
 何も焦ることはないんじゃないか?
 童貞捨てたいから女の子と付き合うっていうのも、何か違う気がするし。

 マエストロは眉をひそめて悲しげな表情をつくった。

「昨日までのおまえは切羽詰ってて面白かった」

 彼は寂しそうに呟く。

「今のおまえの、その妙な余裕はなんだよ。キャラが違いすぎるだろ。先週までの童貞丸出しなおまえはどこにいったんだ」

「マエストロ……」

 その発言、普通に失礼だよ。

277 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:36:18.75 ormcuORco 177/461


 一度しっかりと行動しはじめてしまうと、だらだら過ごすのはもう難しい。
 仕方ないので、冷房が効いていることを期待してファミレスに向かう。時間帯のせいか、結構空いていた。

 朝食と昼食をかねた食事。味は悪くない。
 
 数十分居座ってから、店内が混み合い出した頃に店を出る。

 外に出ると太陽がうっとうしいほどに自己主張を続けていた。 
 入道雲。蝉の鳴き声。炎天下。汗。

「暑い」

 口に出すと暑さが増したような気がした。
 今の段階でこうなのだから、夏の盛りとなった頃には熱中症で倒れかねない。

「俺、帰るわ」

 マエストロは汗を肩で拭いながら言う。

「うち来ないの?」

「だっておまえ、エアコンつけねえじゃん」

 幼馴染がちらりとこちらの様子を窺ったのが分かった。

「まぁ、必要ないかなって」

「んなわけあるか。この暑いなかで」

278 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:37:12.38 ormcuORco 178/461


 マエストロが帰ったのを見届けたあと、三人で並びながら家に戻る。

 暇なので、三人でゲームをする。スノボー系のレーシングゲーム。昔よくこれで遊んだ。

 妹は恐ろしくこのゲームが上手いが、俺は恐ろしくこのゲームが苦手だった。
 幼馴染は普通だが、順位はかなり変動する。

「エアコン、つけてもいいよ」

 幼馴染はコントローラーを握ったまま言った。
 何言ってるんだこいつは。
 エアコンつけてると具合が悪くなるくせに。
 ちょっとくらいなら平気かな、と思って青褪められた経験は忘れようにも忘れられない。

「別に気を遣ってるわけじゃないよ」

 俺だってエアコンの風は好きじゃなかった。何度か試して懲りた。妹も寒がり。
 エアコンをつけて得をする人間がそもそもいない。民主的な結論。

「そう?」

 彼女が俺の言葉を信じた様子はなかった。なんだって俺たちは遠慮しあってるんだろう。
 扇風機の電源を入れて首を振らせた。気休め程度にはなるかもしれない。

279 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:37:39.60 ormcuORco 179/461


 夕方までゲームをして過ごしてから、テストのことを思い出す。
 勉強してない。

 これはまずい。
 が、まだ二週間くらいある。
 大丈夫。うん。

 五時を過ぎた頃、幼馴染の母であるユリコさんがやってきた。
 ちなみに本名はユリコではない。どうしてこんなあだ名がついたのかは分からないが、俺の母がそう呼んでいた。

「久し振り。先月以来?」

 母とユリコさんは学生時代からの付き合いで、忙しい俺たちの両親に代わってよく面倒を見にきてくれた。
 最近でも、食事を一緒にとったりする。
 家族全員で揃って食事をとることより祖父母と食事をとることのほうが多いが、ユリコさんと一緒に食事をとることはさらに多かった。
 
 幼馴染と会ったのも、母親同士が友人同士だったという縁があったからこそだ。

「にしても、女ふたりに囲まれて休日を過ごすなんて、ちょっと爛れすぎてるんじゃないの?」

 片方は妹だ。それにもう片方は自分の娘だろうに。爛れるとか言うな。

「夏の魔性が俺を野獣にさせるんです」

 なぜかこの人を前にすると冗談を言わずにはいられない。

280 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:38:08.32 ormcuORco 180/461


「ユリコさんも爛れてみます?」

 四本目のコントローラーを差し込んだ。
 四人でプレイする。首位は妹。二位は幼馴染。三位は俺。四位がユリコさん。

「……ねえ、コントローラーがきかないんだけど」

「いやいやいや」

 正常に動作しております。

 俺のコントローラーの方をユリコさんに手渡して、もう一度レースをはじめる。
 首位妹。二位俺。三位幼馴染。四位ユリコさん。

「……調子悪いなぁ」

「いやいやいや」

 そんな素振り全然見せていなかった。

 その後、何度もステージを変えてプレイしたけれど、一位と四位は全部同じだった。

「……もういっかい。もういっかいだけだから」

「もう六時になりますよ」

 ユリコさんは負けず嫌いだ。

281 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:38:36.07 ormcuORco 181/461


 その後、ユリコさんに誘われて幼馴染の家で夕食をご馳走になる。

 焼肉。
 遠慮はいらない、と自分で思った。

 ばくばくと食べる。
 
「調子に乗りすぎ」

 ユリコさんの不興を買った。

「夏の太陽が俺をおかしくさせるんです」

「もう日、沈んだから」

 ちょっとだけ遠慮しながら食べた。
 どうせならお風呂も入っていけば、と勧められる。
 
 せっかくなので好意を受け取ることにした。

282 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:39:08.07 ormcuORco 182/461


「一緒に入るか」

「調子に乗りすぎ」

 妹の不興を買った。

「私と一緒に入る?」

 幼馴染が真顔で言った。

「なんばいいよっとねこの子は」

 思わずシリアスに突っ込む。
 このところペースが乱れっぱなしだ。

「どうせだから泊まっていけば?」

「調子に乗りすぎです」

 無礼を承知で俺が言う番だった。
 丁寧に断る。風呂まで入っておいて今更だが、一応テスト前だし勉強もしたい。
 お礼を言って、家に帰ることにした。
 いつものこととはいえ、もてなしが過度でちょっと遠慮してしまう。

「またきてねー」

 笑顔のユリコさんに見送られて玄関を出た。おじゃましました。ごちそうさまでした。
 日曜の和やかな夜が過ぎていった。

283 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:39:49.15 ormcuORco 183/461


 その夜は、ぐっすりと眠ったが、変な夢を見た。
 夢の中、俺は夕方の教室で「なおと」と一緒にいた。

「なにやってるんだよ相棒」

 なおとは困ったような声音で言う。

「らしくないよ……女の子と一緒の週末なんてらしくない」

 余計なお世話だ。
 俺は冷静に返事をする。

「よく考えてもみろよ、なおと。俺が何の代価も支払わず女子と一緒にいるなんてありえないじゃないか」

 夢の中の俺は、なんだか紳士な口調だった。

「つまり……?」

「つまり、だ。両津が金儲けに成功したあとに調子に乗りすぎて自滅するように、予定調和があるんだよ」

「予定調和?」

「爆発オチとか、そういう類の。上手く行っているってことは、悪いことが近付いているとみたね」

284 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:40:26.12 ormcuORco 184/461


「たとえば?」

「たとえばだ。明日、朝起きたとする」

「そいつはびっくりだ」

「まだ何も言ってねえ」

 思わず紳士口調が取れてしまうほど、なおとの反応は適当だった。

「明日の朝、目が覚めたら、俺に妹なんていないんだよ」

「……ん?」

「幼馴染もいない。全部妄想なんだよ」

「……そいつは予定調和って言うより、一炊の夢だ」

「もしくは幼馴染はいてもいい。ただ、普通に先輩と付き合ってるって可能性もあるな」

「もうちょっと前向きにものを考えられねえのか」

「じゃあ、明日朝起きたら、妹に彼氏ができてて、夜、遊びに来る。お兄ちゃん、外行っててくれる? って言われる」

「前向きになってないな」

285 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:41:04.14 ormcuORco 185/461


「とにかく、何かあるはずだ。絶対だ。今までのはサービスタイムみたいなもんなんだよ。ここから地獄のどん底に叩き落されるに決まってる」

 なおとは不可解そうにうなった。

「つまり、嫌な想像をしておくと、ちょっと嫌なことが起こっても平気だっていう感じの、心のバリア?」

「それをいわないで」

 なぜそこまで的確に俺の心を読むのか。
 良いことは続きすぎると怖い。
 いつ悪いことが起こるのかと。

「やっぱり臆病者だな、いつもの相棒だ」

「失敬な奴だなおまえは」

 俺のどこが臆病だと言うのか。ぜひ説明してみて欲しい。
 そう思ったときには、なおとの姿は見えなくなっていた。

286 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:41:47.21 ormcuORco 186/461


 しばらく俺は教室にひとりで取り残されていた。

 置いてけぼりの気持ち。

 絆創膏だらけの指。

 場面変わって、俺はベッドに横になっていた。

 仰向けに寝転がっている。不意に、タオルケットの内側に誰かの気配を感じた。
 自然な表情で、妹が眠っていた。今より少し幼い顔。泣き腫らした跡。

 冷蔵庫にしまいこんだバースデイケーキ。

 蒸し暑い夜なのに、妹は決して俺から離れようとしなかった。

 仕方ないな、と俺は思う。いろいろなことが仕方ない。

 両親が来れないのも、妹が悲しいのも、俺にはどうしようもないのも。

 妹の寝顔をしばらく見つめていると、なんだかよく分からない気持ちが湧き上がってくる。
 自分が甘えてるんだか甘えられてるんだか分からなくなる。混乱する。そういうことはよくあった。

 なんだか落ち着かない気持ちになって、俺は意地になったように眠ろうとする。
 けれど、寝ようとすればするほど、逆に目が冴えていく。
 仕方ない、と思う。
 寝付くまではしばらくの時間が必要だった。妹の寝息を聞きながら瞼を閉じる。一緒にいる、という感覚。

 不思議だ、と思いながら、俺はゆっくりと眠りに落ちていった

287 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/29 09:42:13.23 ormcuORco 187/461

つづく

301 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/30 10:15:44.16 7TY25Q1bo 188/461


 夢の内容を覚えていたので、意識がはっきりしたあとも、目を開けるのが少しだけ怖かった。
 
 まさか、本当に妹がいなくなっているということはないだろうけど。
 まさか、幼馴染が先輩と付き合ってなかったというのが夢だったわけではないだろうけど。

 考えごとをしながら身体を揺すると、なにかの感触があった。

 目を開くと、腕の中に妹がいた。
 強く動揺した。
 顔が近い。
 いったいなにが起こったというのか。

 なぜこうなった。

「……起きた?」

 妹は心底困り果てたような声で訊ねた。
 頷きながら、状況を分析しようとする。
 なんだ、これ。


302 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/30 10:16:15.55 7TY25Q1bo 189/461


「起きたんなら、放してほしいんだけど。腕」

 言われてから、自分が妹をなかば拘束していることに気付いた。
 目を開けるとそこには妹が……って、さすがに驚く。

 妹を解放する。
 彼女はベッドから起き上がって居住まいを正した。
 落ちつかなそうに視線を動かしながら、後ろ髪を撫でている。
 なにがどうなった。

 混乱する俺を尻目に(以前も言ったように尻目という言葉には独特の卑猥さがあるが、今はそんな場合ではない)妹は部屋を出て行った。

「朝ごはん、できてるから」

 気まずそうな顔をしたまま去っていく。
 ひょっとして記憶が飛んでるんじゃなかろうか。
 携帯を開く。

 月曜。昨日の記憶もはっきりとしていた。
 なにが起こったのか、妹は結局説明してくれなかった。


303 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/30 10:16:45.11 7TY25Q1bo 190/461


「なんていうか」

 通学路を並んで歩いていると、不意に幼馴染が口を開いた。

「シスコンだよね。妹ちゃんもブラコンだけど」

 自覚はある。
 
「たぶん、寝ぼけて布団の中に引きずり込んでしまったんだと思うんだけど」

 でも、それなら殴られるような気もする。反応がおかしかった。
 ギャルゲーかなんかなら、寝てる間にキスでもされてるところだろうが、現実なのでありえない。

 考え込んだ俺の姿を、幼馴染がじとりと睨んだ。

「なに?」

「別に、なんでもないよ」

 言葉の割には不服そうな表情をしていた。

304 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/30 10:17:15.58 7TY25Q1bo 191/461


 教室についてからは幼馴染と別行動をとった。
 先週までのことを考えれば、突然一緒に行動するようになるのは不自然だというのもあるが、以前からそういうところがあったのだ。
 お互い、教室にいるときはあまり話しかけあわない。
 なにか理由があってのことではないが、いつのまにかそうなっていたし、特別不満は感じない。

 急に手持ち無沙汰になる。
 先週までどうやって過ごしていたかを思い出せない。
 佐藤たちの大富豪に混ざったり、マエストロが俺の席で薄い本を読んでいたり。
 思い返しながら佐藤たちの方を見る。今日も今日とて大富豪に興じていた。

 俺は佐藤たちの円に割って入って大富豪に参戦した。

「今度は負けないぜ?」

 佐藤は苦笑していた。

 今日の俺は絶好調だった。2が一枚、Aが三枚、ジョーカーが一枚。
 3も4もある。絵札も充実している。これならいける、と俺はほくそえんだ。

 最初は様子をうかがうように強い数字を出し惜しむ三人に対して、絵札を駆使して一気に攻める。
 強い数字を出し切ってから、A三枚とジョーカーで革命を起こす。ワイルドカード。

305 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/30 10:17:42.53 7TY25Q1bo 192/461


 あとは大きい数字の順に出していくだけだ。

 俺は勝利を確信しながら9を出した。
 続く佐藤が、8を出した。八切り。

 初手を取った佐藤は6を三枚とジョーカーで革命を起こす。

 結果、俺は大貧民だった。

「……おかしいだろ、あの手札で勝てないって」

 佐藤は困ったように笑っていた。


306 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/30 10:18:27.72 7TY25Q1bo 193/461


 昼休みになってすぐ、あくびが出た。大きく伸びをすると、筋肉が心地よくほぐれていくのを感じる。
 ひさびさに授業に集中できた気がした。
 
 妹が作った弁当を持って屋上へ向かう。結局月水が妹で、火木が幼馴染らしい。

 屋上には、相変わらずの顔をした屋上さんがいた。

 ポニーテール。退屈そうな視線。サンドウィッチをもさもさと食べる。
 土日振りに見る彼女の姿は、先週までと少しも変わりなかった。

  俺は彼女の隣に座って弁当をつつく。彼女は俺を一瞥したあと、視線をフェンスの向こうに送った。

「ツバメでも飛んでるの?」

「それが、いないんだよね」

 月曜だからか、彼女は少し眠たそうだった。

 沈黙が落ち着かなかったので、適当な話題を屋上さんに振る。

「テスト勉強してる?」

「まぁ、そこそこ」

 俺は全然してない。
 ……本当にしてない。

307 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/30 10:19:39.26 7TY25Q1bo 194/461


「それはともかく」

 分の悪い話題だったので話を逸らした。
 自分で振っておいて、という顔で屋上さんがこちらを睨む。俺のせいじゃない、星の巡りが悪かったんだ。

「このまえさ、グーグルで『堤防』って入力して画像検索したのよ」

「突然なに?」

「したらね、すげえの。なんか癒されるの。あ、この町住みたい、って思うよ、きっと。今度やってみ?」

 感動を伝えようと興奮するあまり口調が変化した。
 でも、よくよく考えると喋り方なんていつも安定してないし、まぁいいか。

「こりゃあすごいと思って、次は『海』って検索したよ」

「そうしたら、どうなったの?」

「沖縄に行きたくなった」

 湘南でもいい。なんか、海っぽいところであればどこでもいい。夏だし、どうにかしていけないものか。海。
 この街から海を見に行こうとすると、車で一時間から二時間。自転車でどうにかできる距離じゃない。

「で、画像検索が楽しくなって、今度は『水着』で検索した」

「そしたら?」

 ――めくるめく肌色世界がそこにはあった。

「ごめん、言わなくてもいい。だいたい想像ついたから」

 屋上さんは察しがいい。




308 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/30 10:20:13.91 7TY25Q1bo 195/461


 昼食を食べ終えてから教室に戻ると、茶髪に声をかけられた。

「ネタバラシされたんだって?」

 何の話か、と考えて、すぐに思い当たる。
 幼馴染のことだ。

「茶髪、知ってたの?」

 まぁね、と彼女は頷いた。幼馴染の言葉を思い出す。
 
 ――友達に、一度、相談したの。

 こいつか。

「まぁ、元気が出たようで何よりだな、チェリー」

「いやまぁ」

 あまりそのあたりには触れてほしくない。反応に困るから。

 茶髪との話を終えて自分の席に戻る。授業の再開を待っていると、教室の入り口で誰かに呼び出された。
 メデューサがそこにはいた。

 彼女は俺を見て、一瞬だけ顔を強張らせた。
 一瞬だけ警戒しかけたが、先輩が大丈夫と言っていたのを思い出す。実際、彼女は何もしてこなかった。

 メデューサは気まずそうに俺から目を逸らす。ちょっとどきどきする。

「……あの」

「はい」

「……ごめんなさい」

 謝られた。
 なぜだか後ろめたい気分になる。

309 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/30 10:20:44.21 7TY25Q1bo 196/461


「私、自分のことしか考えられないというか、周りの様子が見えなくなるというか、感情的に行動してしまうというか、 
 ダメなのは分かってて直そうとしてるんだけど、どうしてもこう……」

 メデューサはその大きな瞳を伏せた。
 
「ごめんなさい」

 メデューサは謝った。俺はなんと返せばいいのか分からなくなった。
 例の罵詈雑言はすさまじく恐ろしかったが、別段傷ついたりはしなかったし、実害はこうむっていない。
 腹は立ったが、それは俺がそう思うからであって、メデューサからすれば自然な行動だったのだろう。

「別に怒ってませんよ」

 自分のことしか考えられない、周りの様子が見えない、感情的に行動する、というのは別段悪いことではない。
 周囲のことばかり気遣って、いつも周りとの距離を測っている、理性的な人間。
 そういう人間よりは好感が持てる。
 とはいえ、さんざん好き勝手言われたのは事実。何も悪いことしてないのに責められて、少し落ち込んだ。

 だから、いいところと悪いところを相殺するということにした。
 プラスマイナスゼロ。

「先輩に怒られました?」

「……君を呼び出したことには、うん」

「ならいいです」

 メデューサは不思議そうな顔をしていた。
 そのとき、チャイムが鳴った。メデューサは俺の方を気にしながらも、慌てて去っていった。


310 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/30 10:21:07.79 7TY25Q1bo 197/461


 放課後、帰る前に携帯を開くとメールが来ていた。妹。
 買い物に行くから手伝って欲しいという旨。

 了解の返信して、教室を出た。

 家について荷物を部屋に置く。間を置かずに妹が帰ってきた。肩を並べて玄関を出る。
 ファミレスやコンビニを通過してさらに五分歩く。いつも行く古いスーパー。

 店内に入る。ひんやりとした冷房の空気。
 生鮮食品が並ぶ。魚、肉、野菜、果物。

「今年、スイカちっちゃいよね」

「メロンくらい小さいな」

 昔はもっと大きかった気がする。あるいは俺たちが知らず知らず歳を取ったのか。
 そうかもしれない。毎年こんな会話をしている気がする。

「なにが食べたい?」

「ハンバーグ」

 素直に答えたら変な顔をされた。

「……今、子持ちの主婦の気持ちが分かった気がする」

 俺が子供ですか。

「どんな感じ?」

「しょうがないな、って気持ち」

 完全に子供扱いだった。


311 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/30 10:21:47.85 7TY25Q1bo 198/461


 妹は商品を次々とカゴに突っ込んでいく。
 麺系の食品が多かった。ハンバーグに関係がありそうだったのは、合挽き肉とハンバーグヘルパーのみ。

 楽だしね、ハンバーグヘルパー。

 俺はカゴを持ちながら妹が買い物をする様子を見ていた。
 
 不意に思うところがあって、その横顔に話しかける。

「なんか欲しいものとかある?」

「……そういうあからさまな質問、される側としてはすっごく困るんだけど」

 察された。
 もうすぐ妹の誕生日なのです。ちょうどテスト明けの日曜。
 
「今のところ、何か思いついてるの?」

「そうあからさまに訊かれると、考えてる側としてはすごく困るわけですが」

 まぁ、別段サプライズを狙ったわけでもなし。

「夏だし、浴衣がいいかなと思ったんだけど」

「浴衣て」

 妹はあきれ果てたような表情になった。

「いくらするか知ってる?」

「安いのなら一万は超えないでしょう」

 贈る側の言葉としては最悪だった。

312 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/30 10:22:26.21 7TY25Q1bo 199/461


「そりゃそうだけど、いくら安くてもプレゼントにさらっと出す金額じゃないでしょ」

「うん、まぁ」

「第一、どうせ夏祭りのときくらいしか着ないし」

「うん」

「着付けできないし」

「うん」

 サイズが分からないし、柄のこともあるので、結局は没になった案なのだが。
 そもそも自分で選んだ方がいいだろうし、夏祭りの前にはどうせ買うことになるだろうから。
 どちらにせよ、なにを選ぶにせよ、結局、俺の金というよりは、親の金で買うのだから格好がつかない。

「じゃあ、いらない?」

 妹は少し黙ってから、

「……そうじゃないけど」

 呟いた。
 照れていたらしい。
 着付けはユリコさんに頼もう、と密かに誓った。

313 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/30 10:22:55.54 7TY25Q1bo 200/461


「でも、浴衣は、ちょっと、だめ」

「なんで?」

「もったいないもん」

 よく分からないことを言う。

「年に一回だけでしょ、着るの。どうせならいつも使うものがいい」

 難しい注文をされた。
 
「つまり、俺をいつも感じていたいと」

「そうじゃなくて」

 渾身の冗談だったが、あっさりとかわされた。

「せっかくだからね」

 とりあえず、何か考えておこう


314 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/30 10:23:36.05 7TY25Q1bo 201/461


 荷物を二人で分けて運ぶ。全部を持とうとしたけれど難しかったし、意地を張るほどのことでもなかった。
 帰り道では、どちらも言葉を発しなかった。やがて家に着くというところで、突然強い雨が降り出した。
 慌てて家に入る。さいわい少し濡れただけで済んだ。

 開けっ放しにしていた窓を閉める。家中の窓を確認してから料理を手伝おうとキッチンに向かったところで、妹の大声が響いた。

「わあっ! うわあっ! いやあ!」

 ほとんど悲鳴だった。
 慌ててキッチンに入ると、緑色の何かが飛び跳ねていた。

「かえる! かえるー! かえるがいる!」

 めちゃくちゃ怯えていた。

 かくいう俺も、

「うわあ! なんだこいつどっから入った! こっちくんな! あ、そっちにもいくなっ!」

 半狂乱だった。

 最終的にはなんとか蛙を屋外追放できたが、他にも隠れているんじゃないかとしばらくのあいだ落ち着かなかった。
 いつから蛙を怖がるようになったんだろう。大人になったのかもしれないなあ、と少し切ない気持ちになった。

 料理の手伝いを申し出ると、ひたすら合挽き肉とハンバーグヘルパーを混ぜ合わせたものをこねさせられた。
 言うまでもなく夕食はハンバーグだった。いつのまに用意したのかデミグラス的なソースまであった。
 
 その夜はずっとプレゼントのことを考えていたが、いいと思える案はなかなか浮かんでこなかった。


315 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2011/07/30 10:24:02.84 7TY25Q1bo 202/461

つづく

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