2 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:33:56.93 mVZBQuHy0 1/690

第一話

季節は春、具体的に言うと四月。

古今東西どこへ行っても、入学式や卒業式、俗に言う出会いと別れの季節である。

しかし、進級しただけの俺、折木奉太郎には特に関係が無い事であった。

つまり、高校二年生になった俺には。

そんな事を思いながら、部室に行く。

俺が属する部活は古典部、部員は四人ほどいる。

【省エネ】をモットーとする俺が何故、古典部にいるかと言うと……それすら説明するのが億劫になってしまう。

まあ、何はともあれ、俺の日常はこんな感じだ。

そんな誰に話しかけているのかも分からない内容を頭の中で回転させ、扉を開ける。

奉太郎「なんだ、千反田、もう居たのか」

える「はい! こんにちは、折木さん」

こいつは千反田える。

里志に言わせれば、結構な有名人らしい。

ああ、里志というのは……

里志「お、今日はホータローも来てたんだね」

こいつの事だ。

名前は福部里志。

これでも俺とは結構な付き合いで、世間一般で言う友人、という物だろう。

奉太郎「ああ、少し気が向いてな」

元スレ
奉太郎「古典部の日常」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1346934630/


3 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:34:39.55 mVZBQuHy0 2/690

里志が来たという事は、恐らくあいつも来るであろう。

摩耶花「ふくちゃん、ちーちゃん、お疲れ様ー」

摩耶花「あ、なんだ、折木も居たんだ」

俺の事をおまけみたいな扱いをしてくるこいつは、伊原摩耶花。

小学校からの付き合いで、腐れ縁という奴だろう。

奉太郎「居て悪かったな」

ふう、とにもかくにも、これで古典部は勢ぞろい、という訳で。

える「皆さん揃いましたね」

奉太郎「揃ったとしても、やることなんてないだろう」

我ながらその通り、何しろ目的不明の部活である。

摩耶花「やる事があっても、どうせ折木はやらないじゃん」

奉太郎(間違ってはいない)

里志「それがね、やる事があるんだよ、実は」

里志がこういう顔をする時は、大体よくない事が起こる、主に、俺にとって。

奉太郎「はあ」

それを短い溜息として表す。

える「福部さん、やる事とはなんでしょうか?」

摩耶花「あー、もしかして……あれ?」

伊原はどうやら、既に話を聞いてるらしい。

里志「そ、さすが摩耶花は勘がいいね!」

4 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2012/09/06 21:35:26.20 mVZBQuHy0 3/690

える「なんでしょう、なんでしょう、気になります!」

奉太郎(気になりません)

千反田の気になりますにも、大分早く突っ込みをできるようになってきた気がする。

里志「これだよ、遊園地のチケット!」

里志「親がくじ引きで当てたんだけど、忙しくて行けないから友達と行ってこいって、渡してくれたんだよね」

える「遊園地ですか! 行ったことなかったんですよ」

まあ、そうだろう、千反田が行った事が無くても不思議では無い。

奉太郎(しかし、俺もあんま記憶に無いな……最後に行ったのは幼稚園の時だったか)

摩耶花「え? ちーちゃん、遊園地に行ったことないの?」

える「はい! 一度行ってみたかったんです!」

あー、まずいな、と思う。

これは断るのが難しい……かもしれない。

里志「それなら良かった、行くのは今度の日曜日でいいかな?」

える「日曜日でしたら大丈夫です、行きましょう!」

摩耶花「うん、私も日曜日は空いてる」

奉太郎「残念だ、日曜日はとても忙しい」

主に、家でごろごろするのに。

える「そうなんですか? 折木さん」

える「日曜日は忙しいんですか?」

千反田が顔を近づけ、聞いてくる。

5 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:35:56.71 mVZBQuHy0 4/690

奉太郎(こいつ、俺の予定は常に空いてるのを知ってて言ってるんじゃ……)

すると横から伊原が口を挟む、いつもの光景だ。

摩耶花「ちーちゃん、折木に予定が入ってる日なんてある訳無いでしょ」

里志「まあホータローにも色々事情があるんじゃない? 行けないなら行けないで仕方ないよ」

奉太郎(なんだ、珍しく里志が引いてるな)

そう、いつもなら何かと理由を付け、結局は俺も参加……という流れなのだが、今日は少し違った。

える「そうですか……残念ですが、仕方ないですね」

里志「今度機会があったらって事で、残念だけどね」

摩耶花「いいよいいよ、三人でも楽しいでしょ」

何か気になるが、いいだろう。

奉太郎(行かなくていいならなによりだ)

結果に少々満足し、本に目を移す。

里志「あー、それはそうとさ、ホータロー」

それを狙ったかの様に、里志が話しかけてきた。

奉太郎「なんだ」

里志「今日さ、僕たちは別々に来ただろ? 学校に」

奉太郎「そうだな、お前が朝、委員会の仕事があるとかなんとか」

里志「うんうん、それでね、朝会ったんだよ」

奉太郎「会ったって、誰に」

里志「……ホータローの、お姉さん」

6 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:36:27.40 mVZBQuHy0 5/690

奉太郎「姉貴が帰って来ているのか!?」

奉太郎(まずいことになった、さては里志の奴……)

なるほど、里志は最初からこれを知ってた訳だ、それを踏まえて俺に言ってきた、という事か。

嫌な奴。

里志「それでね、遊園地の事を話したんだけど」

里志「そうしたら、さ」

里志「「あいつはどうせ暇だから、居ても家でごろごろしてるだけだから、連れていってあげてー」ってね」

里志「だけど、そんなホータローに予定が入っていたなんて残念だよ」

里志「後でお姉さんにも報告をしておかないとね」

奉太郎「待て」

奉太郎「今思い出したが、予定なんて入ってなかった」

奉太郎(そんな事が姉貴の耳に入ったら、何をさせられるか分かったもんじゃない)

里志「え? そうなの? 無理をしなくていいんだよ?」

わざとらしい里志。

摩耶花「そうそう、折木の「用事」の方が大事でしょ」

ニヤニヤしながら言うな、こいつめ。

える「そうですね……無理をなさらないでください、折木さん」

何か最近、千反田もこういう流れが分かってきているような気がする。

勿論、思い過ごしだと思いたいが。

奉太郎「いやー、日付を一週間勘違いしていた。 次の日曜日は暇でしょうがない」

いつの日曜日も暇だが、それに突っ込みを入れる奴もいないだろう。

里志「そうかい、じゃあホータローも参加、という事で」

7 : VIPにかわりましてNIPPER... - 2012/09/06 21:37:00.25 mVZBQuHy0 6/690

里志はとても満足そうな顔をして言った。

える「それは良かったです! 楽しみですね、折木さん!」

摩耶花「……強がり」

伊原が何か最後に言っていた気がするが、気にしないでおく。

里志「これで全員参加だね。 よかったよかった」

奉太郎(全く良くは無い)

里志「それで、ね」

里志「今日は、その日の準備や計画をしようと思ってるんだ」

奉太郎「たかが、遊園地だろ」

奉太郎「適当でいいんじゃないか?」

そう、たかが遊園地、予定なんて。特にいらないと思う。

摩耶花「はぁ、折木なんも分かってないね」

摩耶花「行くとしたら、バスか電車でしょ? それの時刻も調べなきゃだし」

摩耶花「遊園地が開く時間とか、閉まる時間も調べないといけないでしょ」

奉太郎(さいで)

える「でも、確かに何時からやっているんでしょう」

える「思いっきり楽しむ為にも、朝は早くなりそうですね!」

すると里志が、巾着から携帯を取り出す。

里志「ちょっと待っててね、今調べちゃうから」

奉太郎「ん、携帯でそこまで調べられるのか」

里志「これは携帯じゃなくてスマホだよ、ホータロー」

奉太郎「似たようなもんだろ」

8 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:37:35.93 mVZBQuHy0 7/690

里志「分かってないなぁ、ホータローは。 ……えっと、朝の10時からやってるみたいだね」

持ってない奴からしたら同じだろう、しかし、持って無い奴の方が珍しいかも知れない。

える「営業時間は何時までやっているんでしょうか?」

里志「うん、えーっと」

里志「夜の10時って書いてあるかな」

摩耶花「12時間かぁ、大分楽しめそうだね」

奉太郎(正気か!? 12時間いるつもりか!?)

える「今からとても楽しみです! そこの場所でしたら、バスで1時間程でしょうか?」

里志「そうだね、丁度、僕たちの最寄駅から直行のバスが出てるみたい」

摩耶花「それなら朝は8時30分くらいに学校の前! でいいかな?」

と、ここで水を差す。

奉太郎「各自、別々に行って、遊園地前で集合でいいんじゃないか」

摩耶花「そんな事したら、あんた何時に来るか分かったもんじゃないでしょ」

奉太郎(確かに、ごもっとも)

里志「はは、じゃあ集合時間は8時30分! 場所は学校の前って事で!」

える「了解です! 後は、他に決めることはありますか?」

里志「そうだねぇ」

すると里志は、何か含んだ言い方で続けた。

里志「……そういえばさ」

里志「次の月曜日って休みじゃない?」

える「次の月曜日……そうですね、祝日ですので」

里志「じゃあ泊まりで行こうか!」

おい、ふざけるな。

9 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:38:17.48 mVZBQuHy0 8/690

ただでさえ三日しかない休みの内、二日も動いて過ごせと?

冗談じゃない。

とは言えず、もっともらしい意見を述べてみる。

奉太郎「おいおい、泊まるにしてもホテルとかどうするんだ」

里志「その辺は抜かり無し! 」

里志「どうやら、このチケットにはホテルも付いているんだよ」

里志「日帰りでもいいらしいけど、皆はどっちがいいかな?」

なんと言うことだ、全く。

摩耶花「じゃあ、泊まりで行きたい人!」

える「はい!」

里志「はーい」

奉太郎「……」

伊原の何か悲しい物を見る眼で見られると、さすがの俺も、ちと悲しい。

摩耶花「……日帰りで行きたい人」

奉太郎「はい」

即答、だがそれに返す伊原も即答。

摩耶花「じゃあ、泊まりでいこうか」

奉太郎(はあ……)

10 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:38:53.83 mVZBQuHy0 9/690

里志「これで、大体の予定は決まったね。 時間もできたし、大分ゆっくりできそうだ」

える「そうですね! 今日の夜、寝れるか心配です」

奉太郎(まだ木曜日だぞ!? 行く頃には千反田、倒れているのではないだろうか)

里志「じゃ、準備とかは各自で済ませておくとして……今日は解散しようか?」

える「分かりました、もう大分日も暮れてきてますしね」

千反田の言葉を聞き、腕時計に目をやる。

奉太郎(いつの間にか、もう17時か)

奉太郎「よし、帰ろう」

摩耶花「あんた、今の一瞬だけやる気出てたわね……」

奉太郎「気のせいだ」

確かにそれは気のせいだ、日帰りがいい人の挙手の時だってやる気はあった。

里志「あはは。 じゃあ僕は摩耶花とこの後、買い物に行かないといけないんだ」

里志「という訳で、お先に帰らせてもらうね」

と言いながら、既にドアに手を掛けている。

奉太郎「じゃあなー」

止める必要も特にないし、友人を見送る。

摩耶花「折木、あんた日曜日ちゃんと来なさいよ、遅刻しないでね」

おまけで、伊原も。

奉太郎(親にしつけられる小学生の気分が少し分かった気がする)

える「はい、では、また明日!」

残された部室には、俺と千反田。

奉太郎(千反田と二人っきりになってしまった)

奉太郎(と言っても、もう生徒はほとんど帰っている)

奉太郎(今から、例の気になりますが出たとしても、明日には持ち越せそうだな)

11 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:39:33.13 mVZBQuHy0 10/690

奉太郎「じゃあ、俺たちも帰るか」

える「はい!」

える「……あ」

千反田が口に手を当て、何かを思い出した仕草を取る。

奉太郎「ん? どうした」

える「鞄を教室に置いたままでした」

こいつはしっかりしているが、どこか抜けている所もある、そんな奴だ。

える「取ってくるので、折木さんはお先に帰っていてください。 すいません」

奉太郎「いや、昇降口で待ってるよ」

奉太郎(待ってる分には無駄なエネルギーを抑えられるしな)

える「そうですか、では私は一旦教室まで行くので、また後で」

奉太郎「ああ」


~階段~

奉太郎「今日は疲れたな」

奉太郎「座っているだけだったが……」

「……でさー」

奉太郎(あれは、漫研の部員達か?)

奉太郎(男子トイレから出てきた? 何をやってたんだか)

奉太郎(まあ、どうでもいいか)

千反田が居たら、ほぼ、気になりますと言っていたであろう。

だが幸い、今は千反田が居ない。

今日はつくづく運が悪いと思っていたが、そうでもないかもしれない。

12 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:39:58.82 mVZBQuHy0 11/690

~昇降口~

奉太郎(遅いな、あいつ)

える「折木さーん!」

奉太郎(優等生が廊下を走っている、中々に面白い)

える「すいません、教室に鍵が掛かっていまして、職員室まで取りに行っていたら遅れてしまいました」

奉太郎「いや、気にするな」

奉太郎「待ってる分には、疲れないしな」

と伝えると、千反田は幾分か嬉しそうな顔をした。

える「……はい!」

える「では、帰りましょうか」



~帰り道~

える「……折木さんは」

若干言いづらそうに、俺の方に顔を向けてきた。

奉太郎「ん?」

える「折木さんは、遊園地は楽しみではないのですか?」

そういう事か、まあ内心、ほんの少しでは楽しみでは……あるかもしれない。

奉太郎「……疲れる事はしたくないからな」

える「そう、ですか……」

千反田は悲しそうにそう言うと、黙りこくってしまう。

奉太郎「でも、まあ」

える「?」

奉太郎「たまには、悪くないかもしれない」

13 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:40:24.59 mVZBQuHy0 12/690

える「それなら、良かったです!」

奉太郎「良くはないが……」

ああ、全くもって良くはない。

良くも悪くも無い、つまり普通。

える「……ふふ」

お嬢様らしく、上品に笑うと、千反田は嬉しそうに前を向いた。

奉太郎(……ま、別にいいか)

える「あ、折木さんの家はあちらでしたよね」

いつの間にか、家の近くまで来ていた様だ。

奉太郎「ああ、そうだな」

える「では、ここで失礼します」

える「また明日、学校で」

奉太郎「ん、気をつけてな」

える「……はい!」

奉太郎(一々、ニコニコしながらこっちを見るな……全く)

.............

時が経つのは早いとは言うが、あっという間に金曜日が終わり、既に土曜日の夜になっていた。

楽しい時間はすぐに過ぎるとはよく言ったものだ。

俺は、楽しい等と思ってはいないと思うが……

とにもかくにも、現在は土曜日の夜7時。

準備が丁度終わり、リビングでゆっくりと無為な時間を過ごしている所だ。

見ていた時代劇も終わり、CMに入ったところで電源を切る。

奉太郎(コーヒーでも飲むか)

と思い、台所へ足を向ける。

すると突然、電話が鳴り響いた。

周りを見渡すが、他に出てくれる人など居ない。

14 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:41:42.08 mVZBQuHy0 13/690

奉太郎(姉貴は部屋にでもいるのか、くそ)

奉太郎(にしても、誰だ、こんな時間に)

傍から見たら、面倒くさそうに受話器を取る。

奉太郎「折木ですが」

向こうから聞こえてきた声は、俺の見知った人物の物であった。

える「折木さんですか? こんばんは」

奉太郎「あ、こんばんは」

急に挨拶をされ、思わず挨拶を返してしまう。

奉太郎「千反田か、何か用か?」

える「えっと、今からお会いできますか?」

奉太郎(今から? 外に出るのは御免こうむりたい……)

奉太郎「えーっと、用件が全く飲み込めないんだが」

える「あ、すいません! お渡ししたい物があるんです」

奉太郎「明日どうせ会うだろう、その時でいいんじゃないか?」

える「いえ、今でないとダメなんです!」

こうなってしまうと、断るのにも中々エネルギー消費が著しい。

仕方ない……が、家から出るのは如何せん回避したい。

奉太郎「……分かった、だが家から出るのが非常に面倒くさい」

える「それなら丁度よかったです、今から折木さんの家に行くつもりでしたので」

さいで。

15 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:42:10.07 mVZBQuHy0 14/690

奉太郎「そうか、じゃあ待ってる」

える「はい!」

そう言うと千反田は電話を切った。

自転車で来れば、結構すぐに着くだろう。

と言っても20分、30分程は掛かるだろうが。

そして俺は元々の目的のコーヒーを淹れ、再びテレビを付ける。

テレビでは「移り変わる景色」等といって、世界の情景等を流していた。

それを見ながらコーヒーを啜る。

そうして又も無為な時間を過ごす。

奉太郎(幸せだ)

最後の景色が映し終わり、番組は終了した。

ふと、時計に目をやると、時刻は20時30分。

奉太郎(電話したのが、確か19時くらいだったか……?)

奉太郎(ってことは、1時間30分経っているのか?)

奉太郎(何をしているんだ、あいつは)

と思った所で、狙い済まされたかの様にインターホンが鳴る。

俺は若干固まった体を動かし、玄関のドアからのそのそと顔を出す。

そこには、予想通りの人物が顔を覗かせていた。

える「あ、折木さん! こんばんは」

奉太郎「随分と遅かったな、何かあったのか?」

える「何か……という程の事ではないのですが、自転車がパンクしてしまいまして」

自転車がパンク? それは不幸な事で……というか。

奉太郎「お前、歩いてきたのか?」

える「ええ、体力には自信があるんです!」

いやいや、体力に自信があっても、結構な距離、ましてや夜だ。

16 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:44:22.00 mVZBQuHy0 15/690

奉太郎「はあ、まあいい」

奉太郎「用件ってのは、なんだったんだ」

える「そうでした、えっと」

おもむろに、バッグに手を入れ、物を取り出した。

える「これです!」

これは……

奉太郎「お守り?」

える「はい!」

奉太郎「これを届けに、わざわざきたのか」

える「ええ、今日の内に渡したかったんです」

える「遠くに出かけるので、是非!」

遠くと言うほどの遠くではないだろう。

いや、こいつにとっては遠くなのかもしれないか。

というか、だ。

これなら別に明日でも構わなかったんじゃないだろうか。

その疑問を、言葉にする。

奉太郎「明日でも良かったんじゃないか? これなら」

える「いえ、その」

える「福部さんと摩耶花さんには、秘密で……内緒で渡したかったんです」

千反田は少し恥ずかしそうにそう告げると、口を閉じた。

ああ、こいつはそんな事の為にわざわざ家まで来たというのか、歩いて、一時間半も。

顔が少し熱くなるのを俺は感じた。

17 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:44:54.72 mVZBQuHy0 16/690

奉太郎「……そうか、ありがとうな」

える「いえ、本当は金曜日に渡せればよかったんですが」

える「ご利益があるお守りも、手に入れるのは難しいんですよ」

奉太郎「すまないな、わざわざ」

える「気にしないでください、私が急に押しかけた様な物ですから」

全く、なんだと思えばお守り一個とは。

まあ、嬉しくないと言えば嘘になる。

える「では、私はこれで帰りますね、また明日、お会いしましょう」

と言い、千反田は再び歩き出そうとする。

奉太郎(これは俺のモットーには反しない……やらなくてはいけない事、だ)

奉太郎「千反田」

後ろ姿に声を掛けると、すぐに千反田は振り返った。

奉太郎「その、送って行く、家まで」

千反田から見たら、俺は随分と変な顔になっていただろう、多分。

える「え、悪いですよ、そんな」

奉太郎「今から歩いて帰ったら大分遅い時間になるだろ、危ないしな」

頭をボリボリと掻きながら、そう告げる。

千反田は少し考えると、笑顔になり、答えた。

える「……では、お願いします」

奉太郎「……ああ」

さすがに、歩いて行くのは遠すぎる。

そう思い、自転車を出し、千反田に後ろに乗るように促した。

18 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:45:30.82 mVZBQuHy0 17/690

える「二人乗りですね! 少し、やってみたかったんです」

奉太郎(なんにでも好奇心があるのか、こいつは)

千反田を後ろに乗せ、家に向かう。

道中は特にこれと言って、会話という会話は無かった気がする。

気がする、というのも変な言い方だが、俺もどうやら緊張していた様だ。

覚えていないのは、仕方ない。

楽しい時間はすぐに過ぎる……等言ったが、あの言葉は概ね正しいのかもしれない。

千反田の家には、思いのほか早く着いた。

える「折木さん、ありがとうございました」

奉太郎「いや、こっちこそ、お守りありがとな」

千反田は優しそうに笑うと「では、また明日」と言い、家の中に入っていった。

俺はそのまま、まっすぐ家に帰るつもり……だったのだが、どうにも気分が乗らず公園に寄る。

この公園というのも、神山市では随分と高い位置に設置されており、景色は結構な物だ。

滑り台に座り溜息を付くと、神山市の夜景を眺めた。

先ほど家で見た「移り変わる景色」程では無いが、中々に美しかった。

俺は、何故か心に少し残るモヤモヤを洗い流せないかとここに来たのだが……どうやら数十分経っても、消えそうには無かった。

第一話
おわり

20 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:46:42.64 mVZBQuHy0 18/690

第二話

どうにも寝心地が悪く、目が覚めた。

時計に目をやると、時刻は5時。

奉太郎「なんだ、まだ5時か……」

今日は8時30分に、学校の前で集合の予定となっている。

それもそう、遊園地に古典部で遊びに行く、という里志の粋な計らいによって、だ。

奉太郎(二度寝したら、寝過ごしそうだな)

そう思い、ベッドからのそのそと這い出る。

奉太郎(少し早い気もするが、仕度するか)

洗面所に行き、寝癖を流し、歯を磨き、顔を洗う。

朝飯にパンを一枚食べ、コーヒーを飲む。

大分時間を使ったと思ったが、時刻はまだ5時30分であった。

奉太郎(後3時間もあるな……どうしたものか)

着替えを済ませると、外に出た。

柄にも無く、少し散歩でもしようと思い至ったからである。

奉太郎(さすがに、まだ朝は寒い)

まだ薄っすらと暗い空の下、目的地も無く歩いた。

20分ほどだろうか、神社が視界に入ってくる。

奉太郎(特に頼む事など無いが、寄ってみるか)

長い階段を半ば程まで上ったところで、若干後悔したが。

一番上まで到達し、息が少し上がる。

ふと、人が居るのに気付いた。

奉太郎(あれは……)

すると、そいつがこちらに振り向く。

21 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:47:08.92 mVZBQuHy0 19/690

奉太郎「千反田か」

千反田はどうやら、少し驚いた様子。

無論、俺も多少驚いた。

一呼吸程の間を置くと、こちらに向かってきた。

える「折木さん、おはようございます。 どうしたんですか?」

奉太郎「少し早く起きすぎてしまってな、ちょっと、散歩を」

える「ふふ、珍しいですね」

奉太郎「里志風に言うと、世にも珍しい散歩する奉太郎って所か」

える「い、いえ! 折木さんも、お参りとかするんだな、と思っただけです」

奉太郎「いや、たまたま寄っただけだ」

奉太郎「お参りって程でも無い」

える「そうですか、では少し、お話しませんか?」

特にこれといってする事が無かったので、丁度いい。

奉太郎「ああ、じゃあ公園にでも行くか」

える「はい!」


~公園~

公園に入ったところで、千反田が口を開いた。

える「ここの公園、私……好きなんですよ」

奉太郎「そうなのか、俺も別に嫌いではないな」

そう言いながら、自販機に小銭を入れる。

温かいコーヒーを買い、続いて紅茶を買う。

奉太郎「お礼といっちゃなんだが、おごりだ」

22 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:47:38.86 mVZBQuHy0 20/690

と言って千反田に紅茶を渡すと、千反田は熱そうにそれを両手で往復させていた。

える「ええっと、お礼……というのは?」

奉太郎「昨日のお守り、飲み物一本で釣り合うとは思えんがな」

奉太郎「また今度、何か渡すよ」

そう言うと千反田はベンチに座りながら、答えた。

える「いえ、大丈夫ですよ。 お気持ちだけで」

俺は「そうか」と言い、千反田の横に座る。

公園の時計によると、現在は6時を少しまわった所だ。

ところで、この公園というのも随分と辺境な場所にあり、知っているのは好奇心旺盛な小学生くらいだろう。

……無論、俺が知っているのは里志に教えてもらったからだが。

神山市を朝日が照らす。

千反田がこちらを向き、嬉しそうに言う。

える「私、この景色が好きなんです」

える「朝早く起きたときは、いつもここに来ているんですよ」

そう言う千反田の瞳は、太陽の光が反射し、眩しかった。

奉太郎「そうか、俺は夜景が好きだな」

もっとも、朝日を見るのにここまでわざわざ来ることが無いというのが1番の理由だ。

奉太郎「でも、綺麗だなぁ」

える「はい、今度、夜景も見に来てみますね」

その後は少しだけ雑談をして、千反田は仕度があるので、と言って帰っていった。

まあ、女子ならば色々と準備に時間がかかるのだろう、良くは分からん。

俺もそのまま家に戻り、後は時間が来るまで、ぼーっとしていた。

ぼーっとしすぎて、集合時間に遅れそうになったのは笑えなかったが。

23 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:48:04.26 mVZBQuHy0 21/690

~バス~

そんなこんなで、今はバスに揺られている。

横で里志が、外に見える景色について様々な雑学を披露しているのを聞き、目を瞑る。

そうやって何も考えずにしているだけで俺は充分に幸せなのだが、里志が唐突に声を掛けてきた。

里志「そういえば、ホータロー」

奉太郎「……ん」

里志「ホータローってさ、遊園地の乗り物、楽しめるのかなって思ったんだけど」

里志「どうなのかな?」

奉太郎「まあ、それなりには楽しめるんじゃないか」

奉太郎(俺も人並みには楽しめるだろう、恐らく)

すると伊原が、後ろから突然話しかけてくる。

摩耶花「折木って、アトラクションを楽しめそうにないよね」

失礼な奴だ、全く。

それを口に出して反論しようとしたが……

える「折木さん!」

今にも食ってかからん、といった距離まで千反田が顔を近づけてきた。

奉太郎「な、なんだ」

俺が若干引くも、千反田は更に距離を詰め、パンフレットを指差しながら言う。

える「私、このジェットコースターという乗り物が……」

える「気になります!」

さいで。

24 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:48:31.75 mVZBQuHy0 22/690

奉太郎「気になるなら乗ればいいだろう」

里志「はは、確かにそうだね、じゃあ最初に行こうか?」

摩耶花「私はちょっと怖いけど……いいよ、賛成」

える「ありがとうございます。 折木さんも行きますよね?」

ああ、参ったな。

俺は乗らないつもりだったんだが、どうやらこの流れだと全員で乗ることになりそうだ。

別に俺は、絶叫系という奴が苦手という訳ではない。

だけど、ジェットコースターは如何せん……


~遊園地~

里志「うわあ、さすが、すごかったね」

える「わ、わたし、ちょっと怖かったです」

摩耶花「私も怖かった……でも、すごかったね」

里志「あれ、ホータローは?」

奉太郎「すまん、ちょっと気持ちが悪い」

如何せん俺は、酔うのだ。

摩耶花「ええ、あんたジェットコースターでも酔うの?」

奉太郎「わ、悪かったな」

里志「ホータロー……」

哀れみの目で俺を見るな。

25 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:49:02.94 mVZBQuHy0 23/690

奉太郎「……すまん、少し休ませてくれ」

える「折木さん、大丈夫ですか?」

摩耶花「もー、しょうがないわね」

なんとも情けない。

俺が既に帰りたくなっていると、遠くからパレードらしき音が聞こえて来る。

里志「おわっ! なんだあれ? ちょっと行ってくる!」

里志はどうやら、そっちに更なる興味を惹かれ、パレードへ向かって走っていった。

摩耶花「ちょ、ちょっとふくちゃん!」

伊原もそれを呼び止めようとし、無理だと悟ると追いかけようとするが、俺と千反田を見て一瞬躊躇う。

その一部始終を見ていた千反田は言った。

える「大丈夫ですよ、摩耶花さん、折木さんは私が見ていますので」

摩耶花「う、うん……ごめんね、ちーちゃん、折木」

奉太郎「……いいから早く行って来い、里志が迷子になる前に」

それを聞くと、伊原は申し訳なさそうな顔を再度こちらに向け、里志の後を追って行った。

奉太郎「すまんな、千反田」

える「いえ、私の方こそ、無理やり乗せてしまったみたいで……」

こいつは、人を責めると言う事をしない。

だからたまにそれが、辛く感じてしまう。

しかし、それもこいつのいい所ではあるのだろう。

それからはしばらく木陰で休み、千反田が飲み物やらを用意してくれたお陰で、すっかりと体調はよくなった。

26 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:49:29.37 mVZBQuHy0 24/690

俺が「もう大丈夫だ」と千反田に言うと、何故か千反田は幸せそうに笑った。

起き上がり、礼を言う。

える「いえいえ、とんでもないです」

える「それより、福部さんと摩耶花さんと、合流しましょう」

ふむ、そうだな、合流しよう。

どうやって?

奉太郎「そうだな、じゃあどうやって合流しようか」

千反田もようやく合流する方法がない事に気付いたのか、若干気まずそうに言う。

える「ええっと……探しましょう!」

という訳で、俺と千反田は里志と伊原を探すことになった訳だが……

える「折木さん! あの乗り物に乗ってみたいです! 私、気になります!」

える「折木さん! あのぐるぐる回っている物はなんでしょうか? 私、気になります!」

える「折木さん! あそこは何を売っているのでしょうか? 私、気になります!」

える「折木さん!」

こんな具合で、目的はすっかりと入れ替ってしまっていた。

だが、千反田もいざ乗る前となると「折木さん、大丈夫ですか?」と聞いてくるので、かなり断り辛い。

まあ、酔うのはジェットコースターくらいで、問題はないのだが。

奉太郎(しかし)

奉太郎(これはもしかして、デートという奴になるのか)

それを意識しだすと、なんだか妙に恥ずかしい。

千反田は全く気付いていない様子だ。

27 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:50:09.06 mVZBQuHy0 25/690

える「折木さん、次はあそこに行きましょう!」

ま、別にいいか。

ただ、二人でコーヒーカップに乗ったときは、かなり恥ずかしかった。

奉太郎「それにしても」

奉太郎「本当に初めてだったんだな、遊園地」

える「ええ、見るもの全てが気になってしまいます!」

奉太郎(それは、良かったです)

散々動いたせいか、少し腹が減ってきた。

気付けば太陽は頂上を通り越している。

なるほど、腹が減る訳だ。

奉太郎「千反田、どこかで飯を食べないか?」

える「そう、ですね。 私もお腹が減ってきてしまいました」

奉太郎「決定だな、どこか近くの店に入ろう」

える「はい!」

俺は辺りを見回し、ファミレスらしき建物を見つけた。

奉太郎「あそこにするか」

ファミレスに入ると、店内は結構な賑わいをかもしだしている。

席に案内され、千反田と一緒に腰を掛ける。

奉太郎(何を食べようか)

メニューを見ながらどれにするか悩む。

千反田はというと、とても真剣にメニューを見ていた。

奉太郎(そこまで必死に見なくても、メニューは逃げないぞ)

奉太郎(に、しても)

「それでさ、あれはそう言う訳であそこにあるんだよ! 分かった?」

「へえ、そうなんだ。 じゃあ、あれは?」

奉太郎(後ろがやけに騒がしいな)

28 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:50:40.68 mVZBQuHy0 26/690

と思いつつ後ろに視線を向けると、何やら見慣れた後頭部。

そしてその、後頭部を持った人物の向かいに座っている奴が声をあげた。

摩耶花「あれ? 折木?」

後頭部も気付いたのか、こちらを振り向く。

里志「ホータローじゃないか! こんな所で何をしているんだい」

あのなぁ。

える「あれ? 福部さんに、摩耶花さん!」

摩耶花「ちーちゃんも! 変な事されなかった?」

最初に聞くのがそれなのか、納得できん。

里志「あはは、ごめんね。 ついつい見たいものがありすぎて」

奉太郎「千反田が乗り移りでもしたか」

奉太郎「ま、別にいいさ、俺のせいで回れないって方が嫌だからな」

摩耶花「ちーちゃんは折木のせいで回れなかったんじゃないー?」

失礼な、しっかり回った……もとい、振り回された。

える「そんな事ないですよ! 色々な乗り物に乗ってきました!」

と、ここで里志は余計なひと言。

里志「色々、ね。 デートみたいに楽しめた訳だ」

一瞬の沈黙。

千反田はそれを聞くと、顔を真っ赤にして必死の言い訳を始める。

える「そ、そんなんじゃないです! ただ、折木さんと一緒に観覧車やコーヒーカップに乗っただけで……」

ああ、そこまで詳細に言う必要は無いだろう。

里志「千反田さん! 世間一般ではね、それをデートっていうんだよ」

こいつはまた、余計な事を。

29 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:51:07.96 mVZBQuHy0 27/690

える「そ、そうなんですか。 知らなかったです」

そう言うと、千反田は顔を伏せてしまった。

奉太郎「はあ」

摩耶花「やっぱりしてたんじゃない、ヘンな事」

おい、それだけで変な事扱いとは、世の中の男はどうなる。

奉太郎「大体だな、本当にただ一緒に回っていただけだぞ」

奉太郎「お前らだって、気になる物があったら見て回るだろ、里志もさっきそうだったように」

そこまで言って、これは俺のモットーに反する事ではないか、と思い始めた。

しなくてもいい事。だったのでは、と。

里志「はは、ジョークだよ。 ごめんね、千反田さん、ホータローも」

奉太郎「俺は、別にいい」

える「い、いえ、大丈夫です。 気にしないでください」

そう言うと、千反田はようやく顔をあげた。

それからは、席を4人の所に移してもらい、談笑しながら飯を食べる。

一通り食べ終わり、会計を済ませ、店を出ようとした所で、千反田がなにやら言いたそうにこちらを見ていた。

奉太郎「千反田、どうかしたのか」

千反田は、伊原と里志に聞こえてないのを確認し、こう言った。

える「あの、折木さん、さっきはありがとうございました」

なんだ、そんな事か。

軽く返事をし、行こうとすると。

える「でも、勘違いされたままでも、私は気にしませんよ」

言われたこっちが恥ずかしくなる。

別に俺も、そのままでも良かったんだが……疲れるしな。

しかし「俺もそのままでも良かった」とは、いくら言おうとしても、何故か言葉にできなかった。

出てきたのは「ああ、そうか」という無愛想な返事。

30 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:51:35.35 mVZBQuHy0 28/690

その後、外で待っていた里志、伊原と合流し、遊園地を再び見て回る。

……お化け屋敷に行ったときの伊原の怖がりっぷりは、是非とも永久保存しておきたかった。

……夜のパレードを見て、千反田は目をキラキラと輝かせていた。

……里志はと言うと、相変わらずすぐにどこかえ消え、気付いたら戻ってきてる、と言った感じだ。

やはり、楽しい時間はすぐに過ぎるのだろうか。

俺も別段、人が楽しめる事を楽しめない……と言った訳でもない。

人並みには、楽しめる。

間もなく閉園時間となり、朝の内にチェックインしてあったホテルへと帰って行く。

俺はすぐにでも寝たかったのだが、里志のくだらない与太話を聞かされ、寝たのは大分遅い時間になってしまった。

翌朝、目を覚まし、里志と共に伊原、千反田と合流する。

すると何やら千反田は申し訳なさそうに、頭を下げてきた。

える「すいません、実は家の事情で……」

要約すると、どうやら千反田は家の事情で一足先に帰らなくてはいけなくなったらしい。

携帯を持っていない千反田にどうやって連絡を取ったのかは謎だが……恐らくホテルへ電話が入ったのだろう。

里志と伊原は残念そうにしていたし、俺も少ないよりは多いほうがいい、程には思うので多少は残念だったと思う。

そして千反田を見送り、3人でどうするか話を始める、つまりこれが現在。

里志「さて、と。 どうしようか」

奉太郎「と言われてもな」

摩耶花「うーん、ここにずっと居てもあれだし……とりあえず遊園地に行かない?」

里志「そうだね、折角きたんだし、楽しまなくちゃ!」

奉太郎「……」

31 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:52:01.56 mVZBQuHy0 29/690

俺はどっちかというと、ホテルで寝ていたかった。

里志がまず「ホータローも来るよね?」といい、伊原までもが「折木も来なさいよ?」等というので、仕方なく、参加する。

二人とも、千反田が帰ったことによって多少は寂しかったのかもしれない。

だがやはり、3人で回った所で何か物足りない気分となってしまう。

それは俺以外の二人も感じていた事の様で、昼過ぎ頃には「帰ろうか」という雰囲気になっていた。

荷物を持ち、バスの停留所まで歩く。

伊原と里志がバスに乗り込んだ後で、あることを思い出した。

里志「ホータロー、もう出発しちゃうよ」

里志が未だバスに乗らない俺に向けて言う。

摩耶花「これ逃したら次は1時間後よ? もしかして遊園地が恋しくなった?」

と続けて伊原も言ってくる。

奉太郎「……すまん、ちとホテルに忘れ物をした」

二人とも、呆れた様な顔をし、続ける。

里志「うーん、ま、仕方ないよ、降りよう摩耶花」

里志「それにしても、省エネの奉太郎が忘れ物をするなんて、入学して間もなくを思い出すよ」

摩耶花「もう、しっかりしてよね、折木」

そう言ってくれたが、二人を連れて行くわけには……ダメだ、連れて行くわけにはいかない。

奉太郎「いや、俺だけ次のバスで帰る。 すまないが先に帰っていてくれ」

二人もそれなら……と言った感じで、納得した様子ではあった。

バスを見送り、遊園地に向かう。

ホテルへ忘れ物をした、というのは嘘。

だからといって、一人で遊園地を楽しむぞ! という訳でもない。

一つ、目的があった。

32 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:52:29.48 mVZBQuHy0 30/690

~バス~

今日の出来事を振り返り、俺は少し眠くなってきた。

奉太郎(もう夕方か)

奉太郎(少し、寝るか)

夢は、特に見なかった。

次に起きた時には、最寄の駅の停留所に居て、バスの乗務員によって起こされた。

奉太郎(体が重い)

奉太郎(帰るか)

辺りは既に暗くなっていて、仕事帰りのサラリーマンが群れをなしている。

奉太郎(祝日まで働いて、大変だなぁ)

それを見て「この二日は、意外と面白かったかもしれない」等、柄にも無いことを考えてしまう。

奉太郎(一週間分くらいは動いたな、この二日で)

奉太郎(いや、二週間か?)

そこまで考え、ああ、これは無駄な事だと思い、放棄する。

俺の視界に我が家が見えてくる、長い二日間も、ようやく終わり。

思えば、省エネとはかけ離れた二日になってしまった。

そんな事を考えながら、重い荷物を背負い、家の扉を開けた。

第二話
おわり

34 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:54:07.66 mVZBQuHy0 31/690

2.5話

昨日は、申し訳ないことをしてしまいました。

折角皆さんと、遊園地に遊びに行っていたのに、途中で用事が入るなんて……

今日皆さんに会ったら、謝りましょう。

私は、いつもより少し早く目が覚めました。

時刻はまだ、朝の5時。

少しどうするか悩みましたが……決めました!

える(いつもの公園に行きましょう)

そう思い、公園に向かいます。

まだ外は少し暗く、日が昇るのにはちょっとだけ時間がありそうです。

公園の入り口に着き、いつものベンチに座ろうとしたところで、人影があるのに気付きました。

える(あれは……折木さんでしょうか?)

近づいて見たら、すぐに分かりました、やはり折木さんです。

える「おはようございます、折木さん」

える「昨日はその……すいませんでした」

奉太郎「千反田か」

奉太郎「別に気にするほどの事でもないだろう」

える「そうですか、ありがとうございます」

える「今日もお散歩ですか?」

奉太郎「いや、今日はちょっと、用があった」

奉太郎「ここで待ってれば、千反田が来ると思ってな」

はて、私に用事とはなんでしょうか……気になります。

35 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:55:22.90 mVZBQuHy0 32/690

える「私に用事……ですか?」

奉太郎「ああ」

すると折木さんは、持っていた袋を私に渡してきました。

可愛らしくラッピングされたそれは、何かのプレゼントの様な……

える「これは、プレゼントでしょうか?」

奉太郎「まあ、そうだ」

どうしてでしょう……何か、今日は記念日なのか……気になります!

える(もしかして、私の誕生日だと思って……?)

える「すいません、私の誕生日はまだ先なんですが」

奉太郎「いや、違う」

奉太郎「それに俺はお前の誕生日を知らん」

える「そ、そうですか。 では、これは?」

奉太郎「この前のお礼だよ、お守りの」

える「あ! そうでしたか。 わざわざありがとうございます」

折木さんがしっかりと覚えていてくれたのは、意外でした。

でも、嬉しかったです。

すると、折木さんはまだ薄っすらと暗い街並みを見ながら答えました。

奉太郎「その、なんだ。 伊原と里志には言わないでくれよ」

える「えっと、でも一緒に買ったのではないんですか?」

奉太郎「いや……あいつらには先に帰ってもらって、後から買って帰ったんだよ」

正直、折木さんがそこまでしてプレゼントを買ってきてくれたと聞いたときは、ちょっと泣きそうになってしまいましたが……

我が子の成長を見守る母親……とはちょっと違います、なんでしょうか。

36 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:55:50.19 mVZBQuHy0 33/690

でも、いきなり泣いたりなんかしたら、折木さんも迷惑することでしょう。

える「あ、そ、その、ありがとうございます。 とても嬉しいです」

少し、顔が熱いです。

折木さんは「袋は帰ってから開けてくれ」と言うと、帰ってしまわれました。

嬉しくて、上手くお礼を言えなかったのが残念ですが。

私はプレゼントを抱くと、今日が昇ってきた朝日に向かい、頭を下げ、言いました。

える「折木さん、ありがとうございます」


~部室~

里志「いやあ、二日間、お疲れ様」

摩耶花「ちーちゃんも残念だったね、今度また行こうね」

える「いえ、初日で充分に楽しめたので」

える「でも、また機会があったら行きたいです」

える「二日目は急用が入ってしまい、すいませんでした」

里志「千反田さんが謝る事でもないよ。 家の事情なら仕方ないしね」

摩耶花「そうそう、ちーちゃんは忙しいんだから、一々謝らなくてもいいのに」

奉太郎「……そうだな、人間誰しも急な用事はあるものだ」

摩耶花「折木がそれを言うの? あんたに急用入ってる所なんて見たことないんだけど?」

奉太郎「うぐ……」

そう言われ、折木さんは苦笑いをしていました。

37 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:56:25.33 mVZBQuHy0 34/690

このお二人も、最初は仲が悪いのかとも思いましたが、どうやら違うようです。

摩耶花さんも心の底から言っている言葉ではないみたいですし。

これはこれで、いいコンビなのかもしれません。

摩耶花「あ、そうだちーちゃん」

える「はい?」

摩耶花「昨日の帰りの事なんだけどさ」

摩耶花「ふくちゃん、話してあげて」

昨日の帰りの事……なんでしょうか?

……気になります。

里志「じゃあ聞いてもらおうかな」

里志「ホータローの忘れ物事件、をね!」

それを聞いた折木さんは、少し顔を歪めていました。

里志「前に話した【愛無き愛読書】は覚えているかな?」

里志「あれで分かったこと、事件の内容は勿論だけど……もう一つ」

里志「ホータローは意外と抜けているって事が分かったよね」

里志「それでね、昨日の帰りなんだけど……」

そう言うと、福部さんは昨日の帰り、バスに乗る時にあったことを話してくれました。

それを聞いた私は、ちょっといたずら心を突付かれてしまいます。

える「そんな事が……」

える「折木さん!」

奉太郎「な、なんだ」

える「折木さんが何故、忘れ物をしたのか」

える「何を忘れたのか」

える「そして、それを見つける事が出来たのか」

える「私、気になります!」

38 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:56:52.44 mVZBQuHy0 35/690

そう言い、いつもの様に折木さんにお願いをしました。

折木さんはというと。

奉太郎「い、いや……それは」

と口篭ってしまいました。

少々やりすぎてしまったかもしれません。

その光景を見ていた福部さん、摩耶花さんの方を向き、私は言いました。

える「でも、やっぱり気にならないかもしれません……」

福部さんと摩耶花さんは少し……かなり残念そうな顔をした後に、興味がなくなったのか二人で話し始めました。

える「折木さん」

える「……冗談、ですよ」

える「折木さんがその時に何をしていたか、私、知っていますから」

奉太郎「み、妙な冗談を急に言うな……」

折木さんはそう言うと、手に持っていた小説に再び目を落とします。

なんだか、不思議と気分がよくなります。

部室に集まり、なんでもない会話をする。

これが、私たちの「古典部」です。


2.5話
おわり

41 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 21:59:42.06 mVZBQuHy0 36/690

第三話

里志「ホータロー!」

後ろから、里志が声を掛けてくる。

奉太郎「里志か」

今は帰り道、時刻は恐らく17時くらいだろう。

里志「いやあ、お見事だったよ」

奉太郎「そんな事は無い。 ただ、集まった物を繋げただけだ」

里志「そうは言ってもね、あれだけの物から結論を導き出すって事は中々容易じゃないと思うなー」

すると里志は、暗い声に反して空を見上げながら言った。

里志「……ホータローも、随分と変わったよね」

俺が? 変わった?

奉太郎「何を見て、お前が変わったと言うのかわからんが」

奉太郎「俺は変わってない」

里志「ふうん」

簡単に説明すると、今日もまた、あいつ……千反田の気になりますをなんとか終わらせた所である。

里志が言っているのは、恐らくその事だろう。

42 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:00:30.02 mVZBQuHy0 37/690

里志「断る事だって、できただろう?」

里志「今日の件もそうだけど、今までの事件もね」

奉太郎「それはだな、あいつの事を拒否したらもっと厄介な事になるだろ」

里志「あはは、確かに、間違いない」

里志「でもね、ホータロー」

里志「その厄介な事も、拒否することはできるんじゃないかな?」

奉太郎「お前は何を見て言っているんだ……」

里志「全部、だよ」

里志「僕から見たらね、千反田さんのそれも、今までホータローが拒否してきた人達も、同じに見えるんだよ」

里志「ホータロー、君は自分では気付いていないのかもしれないね」

里志はそう言うと、何か含みのある笑い方をした。

奉太郎「自分の事は、よく分かってるつもりだがな」

里志「……そうかい」

里志「じゃあ、話はここで終わりだね」

43 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:01:15.56 mVZBQuHy0 38/690

ああ、もうこんな所まで歩いていたのか。

里志の話は半分程度しか聞いていなかった気がするが、どうやら案外耳に入っていたらしい。

里志「じゃあね、ホータロー。 また明日」

奉太郎「……じゃあな」


~奉太郎家~

俺は湯船に入り、気持ちを整理した。

里志に今日言われた事について、何故か心が落ち着かない。

奉太郎(俺が変わった、ね)

奉太郎(何を見てるんだか……)

確かに、確かにだ。

高校に入ってから、動く事は多くなったのかもしれない。

それくらいは俺にだって分かる。

いや、高校に入ってからではない。

千反田と、出会ってからだ。

あいつの「気になります」は、何故か有無を言わせず俺を動かす。

それは、今まであいつのようなタイプが居なかっただけで、俺はそのせいで動かされているのだろう。

仮に、里志や伊原の頼み等が来たら……俺はどうするのだろうか。

俺にも人情という物はある。

だがひと言断れば、あいつらは引いていく。

里志は恐らく「そうかい、じゃあ他の人に聞いてみるよ」と。

伊原は恐らく「折木に頼んだのが間違いだった」と。

44 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:02:53.20 mVZBQuHy0 39/690

それが千反田なら?

あいつの「気になります」も、人の秘密やプライベートの事になると、さすがに聞いてはこない。

しかし、最終的に俺は頼みごとを引き受けるだろう。

その原因は、あいつがひと言断っても引かないから。 である。

奉太郎(やはり俺は、変わっていない)

結論は出た、風呂場を出よう。

リビングへ行き、テレビを付ける。

目ぼしい番組がやっておらず、若干テンションが下がる。

あ、テンションは元々低かった。

する事もないので、自室に向かった。

本でも読もうかと思ったが、ベッドに入りぼーっとしていたら、眠気が襲ってくる。

奉太郎(今日は、寝るか)

明日は土曜日、ゆっくりと本を読もう。

こうしてまた、高校生活の一日は消えてゆく。

45 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:03:45.65 mVZBQuHy0 40/690

供恵「奉太郎、そろそろ起きなさいよー」

姉貴によって、起こされた。

奉太郎(今は……10時か、大分寝ていたな)

俺はまだ目覚めていない体を引き起こし、リビングへ向かう。

寝癖が大分酷いが、今日は外には出ない、何があっても。

それにしても騒がしい、テレビでも付いているのだろうか。

リビングと廊下を遮るドアに手を掛け、開ける。

里志「おはよう、ホータロー」

える「おはようございます。 折木さん」

摩耶花「あんたいつまで寝てるのよ」

大分寝ぼけているようだ。

俺はその幻影達に、少し頭を下げると台所へ向かった。

すると、玄関の方から声があがる。

供恵「あー、言い忘れてたけど、友達きてるから」

そうかそうか。

言葉の意味を飲み込み、状況を理解した。

後ろを振り向き、確認する。

変わらずそこには、里志・伊原・千反田。

46 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:04:50.23 mVZBQuHy0 41/690

奉太郎「さ、最初に言え! バカ姉貴!!」

それと同時に、玄関から出る音がした。

摩耶花「朝から大変ねえ、あんたも」

誰のせいだ、誰の。

里志「それより、ホータロー」

里志「寝癖、直した方がいいんじゃないかな」

ああ、確かにそうだな、ごもっとも。

そして、気のせいかもしれないが、千反田が少しソワソワしながら言った。

える「折木さんの寝癖……少し、気になるかもしれません」

勘弁してくれ。

むすっとした顔を3人に向けると、洗面所へ向かった。

寝癖をしっかりと直し、3人に問う。

奉太郎「それで、なんで俺の家にいるんだ」

里志「えっと、ホータロー、覚えてないの?」

覚えてない、という事は……何か約束していたのだろうか。

摩耶花「3日前に4人で決めたでしょ、ほんとに覚えてないの? アンタ」

3日前……3日前。

4人で話したってことは、放課後だろう。

場所は古典部部室で間違いは無さそうだ。

なんか、思い出してきたぞ……

47 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:05:51.87 mVZBQuHy0 42/690

~3日前~

俺はその日、なんとなくで古典部へと向かった。

部室に入ると、既に俺以外は集まっていた。

何やら3人で盛り上がっているが……ま、いつもの事か。

奉太郎(よいしょ)

いつもの席に着き、小説を開く。

所々で俺に話しかけている気がするが、適当に相槌を打って流していた。

あ、ダメだ。

ここまでしか覚えていない。


~折木家~

奉太郎「なんだっけ?」

溜息が二つ。

里志「覚えてないのかい……」

摩耶花「やっぱり、折木は折木ね」

里志「仕方ない、千反田さん、奉太郎に教えてやってくれないかな」

なんで千反田が。

里志「一字一句、千反田さんなら覚えているでしょ?」

そこまでする必要もないだろう。

える「はい! 分かりました」

える「では、少し演技も入りますが……やらせて頂きます」

そう言うと、一つ咳払いをすると千反田は口を開いた。

48 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:07:03.46 mVZBQuHy0 43/690

える「やはり、何か目的が欲しいですね」

里志(える)「うーん、確かにそうだね」

里志(える)「千反田さんの言葉を借りると、目的無き日々は生産的じゃないよ」

摩耶花(える)「まあ、確かにそうだけど……」

える「何かしましょう!」

おお、これは中々に演技力があるぞ。

里志(える)「何か……と言っても、何をしようか」

摩耶花(える)「話し合う必要がありそうね、こいつも入れて」

こいつ……というのは恐らく俺の事だろう。

える「折木さん! 何かしましょう!」

奉太郎(える)「……そうだな」

ああ、空返事していたのか、俺は。

える「折木さんもオッケーらしいです、では一度、どこかに集まって話し合いをしませんか?」

摩耶花(える)「どこに集まろうか?」

里志(える)「ホータローの家でいいんじゃない?」

こいつ、俺が空返事しているのを分かってて言いやがったな。

える「折木さん! 折木さんの家で話し合いをしたいのですが……いいですか?」

奉太郎(える)「……そうだな」

える「大丈夫らしいです!」

49 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:07:48.34 mVZBQuHy0 44/690

奉太郎「ちょっと待て」

摩耶花「なによ」

奉太郎「俺はここまで無愛想じゃないだろう」

里志「ちょっとホータローが何を言ってるのかわからないよ」

摩耶花「いつもあんたこんな感じだけど……」

大分酷い言われようだな。

奉太郎「千反田、もっと俺は愛想がいいだろ」

える「えっと……いつも折木さんはこうですよ」

そうなのか、少しは愛想良くするか。

える「では、続けますね」

里志(える)「そうか、それは良かった!」

里志(える)「じゃあ今度の土曜日、でいいかな?」

える「折木さん、今度の土曜日でいいですか?」

奉太郎(える)「……そうだな」

える「決まりです!」

後半はどうやら、千反田も分かっててやってはいないか?

える「といった感じでした、思い出しましたか?」

50 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:08:53.88 mVZBQuHy0 45/690

奉太郎「いや全く」

里志は苦笑いをし、言った。

里志「まあ、ホータローがちゃんと聞いていなかったのがいけないかな」

里志「流れは分かっただろう? じゃあ何をするか決めようか」

流れは分かったが……納得できん。

しかし、異論を唱えた所で聞いてはもらえないのは明白だった。

える「そうですね、まずは意見交換から始めましょうか」

奉太郎「今のままでいいと思います」

摩耶花「折木、少し黙っててくれない?」

視線が痛い、仮にもここは俺の家だぞ。

里志「千反田さんは、何か意見あるのかな?」

える「そうですね……やはり古典部らしく」

そこで一呼吸置くと、千反田はもっともな意見を述べる。

える「図書館に行きましょう!」

里志「いい意見だね、確かに古典部らしい」

摩耶花「うん、私もいいと思う」

ダメだ、これだけはなんとか回避せねば。

奉太郎「ちょっといいか」

伊原からの視線が痛い、まだ意見も言っていないのに。

奉太郎「千反田が言っているのは、当面の目的という事だろう」

える「はい、そうですね」

奉太郎「これから毎日図書館に行くのか? そこで本を読むだけか?」

える「そう言われますと……確かに少し、違いますね」

51 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:10:08.59 mVZBQuHy0 46/690

おし、通った。

伊原は尚も何か言いたそうに見てくるが、反論する言葉が出てこないのだろう、口を噤んでいた。

里志「ホータローの言う事にも一理あるね、確かにそれじゃあただの読書好きの集まりだ」

そのあとの「読書研究会って名前に変えないかい?」というのは無視する。

摩耶花「じゃあ、折木は他に目的あるの?」

これには困った。

奉太郎「と言われてもな……ううむ」

里志「あ、こういうのはどうかな」

里志「一人一つの古典にまつわる事を考え、まとめ、月1で発表するっていうのは」

中々にいい意見だ。

だが、月1? 冗談じゃない、頻度が多すぎる。

奉太郎「ちょっといいか」

……伊原の視線がやはり痛い。

奉太郎「最初の内はいいかもしれない、だがその内、発表の内容が同じ内容になってくるぞ」

奉太郎「同じ奴が考える事だしな」

伊原は又しても何か言いたそうだが、反論は出てこない、なんかデジャヴ。

里志「そう言われると、困ったね」

里志「僕じゃあ結論を出せそうにないや、それに」

里志「データベースは 摩耶花「ちょっといいかな?」

あ、里志がちょっとムスッとしている。

52 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:11:28.10 mVZBQuHy0 47/690

摩耶花「こういうのはどうかな、月1でも月2でもいいんだけど」

摩耶花「文集を1冊作るっていうのは」

なるほど、4人で一つを作れば内容は変化していく、確かにこれなら同じような内容にはならないかもしれない。

だけど、やはり却下。

奉太郎「確かに、それなら問題ないな」

摩耶花「じゃあ!」

奉太郎「だが、文集にするほどネタがあるか? 第一に、誰が読むんだ? それ」

摩耶花「……確かに、そうだけど」

おし、やったぞ、全部却下できた。

摩耶花「じゃあさ、折木は何か意見あるの? さっきから反論してばっかじゃない」

里志「それは僕にも気になるとこだね」

える「私も少し、折木さんの意見に興味があります」

ここまでは、予想通り。

問題はこれから。

奉太郎「こういうのはどうだろう」

奉太郎「今までのままで行く」

伊原が今にも殴りかかってきそうな顔をする。

奉太郎「だが」

奉太郎「何か古典に関係しそうな事……それがあったら、皆で話し合う」

奉太郎「そうすればネタも尽きる事はないし、同じ内容になることもないだろ」

53 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:12:15.72 mVZBQuHy0 48/690

通るか? 通るか?

俺の今年一番の強い願いはこれになりそうだ。

そんな願いが通ったのか、3人が口を開いた。

里志「ホータローが言うと、説得力に欠けるけど……言ってる事は正しいね」

える「私は、それでいいと思います。 いい意見です」

摩耶花「なんか納得できないけど……言い返す言葉も出てこないし、それでいい、かな」

ガッツポーズ、心の中で。

奉太郎「おし、それじゃあ今日は解散しようか」

これで、俺の休日は守られる。

里志「いや、そうはいかないんだよ」

まだのようだ。

里志「千反田さんが、何か気になる事があるみたいなんだよね」

千反田がソワソワしていたのは、それが原因か。

える「そうなんです! 私、気になる事があるんです!」

さいで。

える「折木さんにお話しようかと思っていて、聞いてくれますか?」

俺が断る前に、千反田は続けた。

える「私、いつも22時頃には寝ているのですが」

奉太郎(早いな)

54 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:13:45.14 mVZBQuHy0 49/690

える「起きるのはいつも、6時頃なんです」

える「今日は8時に学校の前に集合でした、折木さんのお家に皆で行くことになっていたので」

える「ですが私、少し寝坊してしまったんです、お恥ずかしながら」

える「何故、寝坊したのか……気になります!」

奉太郎(知りません)

奉太郎「と言われてもだな、誰しも寝坊くらいはするだろう」

里志「ホータロー、寝坊したのは千反田さんだよ?」

里志「僕やホータローが寝坊するのならまだ分かるけど……千反田さんが予定のある日に寝坊するって事は」

里志「少し、考えづらいかな」

確かに、あの千反田が寝坊というのはちょっと引っかかる。

奉太郎「だが情報が少なすぎる、考える事もできんぞ、これは」

今ある情報といえば
・千反田が寝坊した
・普段は22時に寝て、6時に起きている
・予定がある日に寝坊するのは、千反田なら普通あり得ない

この3つだけ。

奉太郎「何か他にないのか?」

える「他に、ですか……」

える「そういえば、お休みの日はいつも目覚まし時計で起きているんです、今日も勿論そうです」

える「確かに目覚ましで起きたはずなんです、ですが、居間の時計を見たら既に約束の時間が近かったんです」

奉太郎(目覚ましで起きている、か)

55 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:14:35.31 mVZBQuHy0 50/690

奉太郎「その目覚ましが狂っていたんじゃないか?」

える「それはありえません。 いつも21時のテレビ番組に合わせて直しているんです」

テレビに合わせている、となればまず狂っていないだろう。

奉太郎「その時計が壊れていた、というのは?」

える「それもあり得ません、先月に買ったばかりなんです」

思ったより、厄介な事になってきた。

奉太郎「目覚ましで起きたのは確かなんだな?」

える「ええ、それは間違いありません」

奉太郎「という事は、やはり目覚ましがずれていたのは間違いなさそうだな」

える「えっ、なんでそうなるんですか」

奉太郎「千反田は寝坊したんだろう? それで遅刻したと」

える「私、遅刻していませんよ?」

ん? なんだか話が噛み合っていない。

奉太郎「お前は寝坊して、遅刻したんじゃないのか?」

える「ええ、確かに寝坊はしました、ですが集合時間には間に合いました」

さいですか。

56 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:16:35.47 mVZBQuHy0 51/690

俺は少し頭が痛くなるのを感じ、続けた。

奉太郎「じゃあ、寝坊して遅刻しそうになった。 これでいいか」

える「はい、そうですね」

奉太郎「……続けるぞ、少し考えれば分かる」

奉太郎「遅刻しそうになったってことは、正しかったのは居間の時計だ」

奉太郎「目覚ましが正しかったら、遅刻しそうにはならないだろう」

える「あ、なるほどです!」

こいつは、頭がいいのか悪いのか、時々分からなくなる。

一般的にはいい方だろうけど。

奉太郎(少し、考えるか)

……21時に合わせている時計
……22時に寝て、6時に起きる千反田
……ずれていた目覚ましと、居間の時計

なるほど、簡単な事だ。

里志「ホータロー、何か分かったね」

奉太郎「まあな」

える「なんですか? 教えてください!」

摩耶花「全然わからないんだけど……なんで?」

一呼吸置き、まとめた考えに間違いは無いか確認し、口を開く。

奉太郎(これで、大丈夫だ)

57 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:17:36.61 mVZBQuHy0 52/690

奉太郎「まず」

奉太郎「千反田はいつも目覚ましを21時に合わせて寝ている」

奉太郎「次に、その目覚ましで起きている」

奉太郎「そして何故、今日は遅刻したか」

える「私、遅刻していませんよ」

……どっちでもいい。

奉太郎「遅刻しそうになったか」

と言い直すと、千反田は少し満足気だ。

奉太郎「考えられるのは目覚ましの故障、または時間を間違えて設定した。 これのどちらかだ」

奉太郎「故障は考えから外そう、これを考えたらキリが無い」

摩耶花「でも、時間を間違えて設定したってありえるの?」

摩耶花「テレビが間違えているとは思えないんだけど」

奉太郎「確かにその通り、テレビはまず、正確に放送をしている」

摩耶花「だったら……」

奉太郎「だが、例外もある」

える「例外……ですか?」

奉太郎「里志、この時期にテレビ番組をずらす例外といったらなんだ?」

58 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:19:11.68 mVZBQuHy0 53/690

里志「ううん……ああ、そうか!」

里志「プロ野球、だね」

奉太郎「そう、俺は野球に詳しくないからしらんが、何回か影響でテレビ放送を繰り下げているのは見ている」

奉太郎「つまりこういう事だ」

える(奉太郎)「あー今日も動いたなぁ、寝よう寝よう」

える(奉太郎)「あ、目覚まし時計を設定しないと、めんどうだな」

える(奉太郎)「テレビ、テレビっと」

える(奉太郎)「丁度21時の番組がやっている。 よし、ぴったし」

える(奉太郎)「さてと、今日は寝よう、おやすみなさい」

奉太郎「で翌朝起きたら寝坊していた、ってとこだろう」

何か、空気が冷たい。

里志「ホータローは、演劇とかをやらない方がいいかもね」

摩耶花「……同意」

える「……私って、そんな無愛想ですか?」

奉太郎「……」

少し、恥ずかしいじゃないか。

59 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/06 22:20:48.80 mVZBQuHy0 54/690

える「で、でも」

える「なるほどです!」

える「今度から違う番組も、チェックしないとダメですね……」

むしろ居間の時計に合わせればいいと思うのだが、習慣というものがあるのだろう。

奉太郎「でも、なんでいつもは起きている時間に自然に起きなかったってのが分からないけどな」

奉太郎「体内時計というのもあるだろう」

える「実は、昨日は少し寝るのが遅くなってしまったんです」

夜更かしか、そういうタイプには見えなかったが。

里志「なるほどね、それで自然に起きる時間も来なかったっていう訳だ」

奉太郎「それなら納得だな、なんか気になる物でも見つけたのか?」

える「気になる、と言えばそうかもしれないですけど」

折角終わりそうになったのに、また始まるのか?

今日はもう疲れたぞ、一日一回という制限でも付けておこうか。

える「少し、折木さんの家に行くのが楽しみで……寝れなかったんです」

さいで。

第三話
おわり

67 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:16:15.25 YerrbZjh0 55/690

第四話

日曜日の夜は、どうにも憂鬱になる。

奉太郎(折角の休みがあいつらのせいで一日潰れてしまった)

奉太郎(そしてもう日曜日も終わり……か)

明日からまた1週間、学校に行き、古典部の仲間と会う。

最近では、意外と馴染んでいると思う。

薔薇色に俺もなっているのだろうか。

だけど、だ。

省エネは維持しているし、頼みなんて物は滅多に聞かない(あくまで千反田を除いて、あいつのは断ると余計に面倒なことになる)

ああ、少し安心する。

俺は……まだ灰色だ。

少しの安心感が得られた。

何故? 慣れた環境の方がいいだろう、誰だって。

そんな事を考えている間にも、時はどんどんと進む。

そして気付けば月曜日、1週間が始まった。

今日も、【灰色】の高校生活は浪費されていく。

68 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:18:02.21 YerrbZjh0 56/690

~学校~

今日は登校中里志に会わなかった、委員会か何かがあるのだろう。

奉太郎(ご苦労なこった)

昇降口に入り、下駄箱で靴を履き替える。

階段を上り、教室まで向かった。

途中、何やら話し声が聞こえてきた。

一つは見知った者の声、もう一つは……分からない。

恐らく女子だろう。

恐らくというのも、女声の男子も少なからず居るからである。

える「そう……すね、今……、って……ます!」

途切れ途切れで千反田の声が聞こえた。

盗み聞きをする趣味もないので、そのまま教室へと向かう。

千反田が話している相手は、どうやら漫研の部員であった。

69 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:19:04.57 YerrbZjh0 57/690

奉太郎(そういえば、伊原は漫研をやめていたんだったな)

奉太郎(何か、嫌な事でもあったのだろうか)

奉太郎(まあ、どうでもいいか)

一瞬見た顔は、どうにも俺とは相性が悪そうだ。

俗に言う派手な女子、といった所だろう。

髪を金髪に染めていて、スカートはやけに短い。

そいつと千反田が話していたのは少々意外ではあった。

しかし、俺も人の交友関係にまで口を出すつもりなんてない。

千反田が誰と話そうとあいつの勝手だし、何よりめんどうだ。

少々気にはなったが、そのまま通り過ぎた。

教室に入り、いつもの席に着く。

いつも通り、いつもの風景。

やがて担任が入ってき、退屈な授業が始まる。

70 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:20:23.52 YerrbZjh0 58/690

数学、英語、歴史。

俺は、これといって成績が優秀って訳でもない。

なので授業は一応必死に聞いている。

人間必死になっていれば、時間はすぐに終わる物だ。

あっという間に昼になり、弁当を広げた。

姉貴が作ってくれる弁当は、いつも購買で済ませている俺にとってはありがたい。

突然、教室の後ろのドアが勢いよく開き、俺を呼ぶ声が聞こえてきた。

里志「ホータロー! ちょっといいかい」

俺は無言で弁当を指す。

これを食ってからにしろ、と。

苦笑いしつつ、里志はそのまま教室に入ってくると俺の目の前の席に腰掛けた。

里志「つれないねぇ、ホータロー」

奉太郎「やらなくてもいいことはやらない」

里志「はは、久しぶりに聞いた気がするよ」

奉太郎「それで、用件はなんだ?」

里志「今日、帰りにゲームセンターでも行こうかなって思っててね」

里志「ホータローも一緒にどうだい?」

ゲーセンか、悪くはないな。

奉太郎「別にいいが、委員会の仕事とかはないのか?」

里志「総務委員会は無いんだけど、図書委員会の方をちょっと手伝わないといけなくてね」

71 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:21:37.24 YerrbZjh0 59/690

図書委員? なんでまた。

伊原の関係か、それくらいしか思いつかない。

奉太郎「伊原になんか言われたのか、ご苦労様」

里志「ご名答! さすがだよ」

さすがという程の事でもないだろうに……

里志「摩耶花は少し描きたい物があるみたいでね、僕はそれで利用されてる訳だ」

奉太郎「なるほどな、って」

奉太郎「あいつは漫研やめたんじゃなかったか?」

里志「ホータローでもそれくらいは知ってるか、なんでも個人的に描きたい物があるみたいだよ」

奉太郎「個人的、ねえ」

どうせ、同人誌かなんかの物だろう。

奉太郎「それで、図書委員の仕事はすぐに終わるのか?」

里志「うん、まあね」

奉太郎「そうか、なら俺は部室で待ってる」

里志「了解、多分摩耶花も居ると思うから、気をつけてね」

72 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:22:45.10 YerrbZjh0 60/690

気をつける、か。

伊原が聞いたら、ただでは済みそうにない台詞だな。

奉太郎「ああ、用心しておく。 じゃあ放課後にまた」

里志「いやいや、僕が言ってるのはね、ホータロー」

里志「君が摩耶花に手を出さないでねって事なんだよ」

こいつはまた、くだらん事を。

奉太郎「本気で俺が伊原に手を出すと思っているのか?」

里志「まさか、ジョークだよ」

里志「灰色のホータローが、そんな事をする訳ないじゃないか」

里志「それに、摩耶花の可愛さはホータローには絶対分からないしね」

さいで。

里志「じゃ、また後で」

そう言うと、里志は自分の教室へと戻っていった。

俺は小説を開くと、ゆっくりと文字を頭に入れる。

物語がいい所に差し掛かった時、チャイムが鳴り響いた。

やがて教師が入って来て、授業が始まる。

途中で何回か、夢の世界に旅立ちそうになったが、なんとか乗り切る。

そして気付けば既に放課後。

終わってみればなんて事は無い、短い時間だった。

73 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:24:19.59 YerrbZjh0 61/690

奉太郎(部室に行くか)

ぼーっとする頭をなんとか働かせ、部室に向かう。

奉太郎(着いたら、少し寝よう)

土曜日のアレが、まだ響いてるのだろうか?

等、本気で思う自分に少し情けなくなる。

扉を開けると、千反田、伊原が居た。

奉太郎(里志の予想通りって所か、まあ寝てる分には問題ないだろ)

そう思い、席に着くと腕を枕にし目を瞑る。

千反田は何故かソワソワしていたが、気になりますとは少し違った様子だ。

伊原はと言うと、絵を描くのに夢中で俺には興味も示さなかった。

あ、気づいていないだけか……気づいていても無視されるだろうけど。

これならば問題あるまい。

そう思い、夢の世界へと旅立つ。

74 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:25:24.12 YerrbZjh0 62/690

十分、二十分だろうか、腕の痺れに目を覚ます。

すると伊原が立ち上がっていて、千反田の方を見つめていた。

少し、嫌な空気……? 何かピリピリとした感じだ。

摩耶花「えっと、ちーちゃん……今なんて?」

千反田はニコニコしながら、言った。

える「ですから、摩耶花さんは少しうざい所があると……」

眠気は一瞬で吹き飛んだ。

違う世界に迷い込んだんじゃないかと錯覚するほどの衝撃を受ける。

あの千反田が「うざい」なんて言葉を使うのかと。

その衝撃も引く前に、伊原は部室を飛び出て行った。

残されたのは、俺と千反田。

それと描きかけの絵。

俺は千反田に向けて言った。

奉太郎「……お前、何いってるんだ」

75 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:26:29.71 YerrbZjh0 63/690

千反田がそんな事を言う筈は無いと思っていたし、俺の聞き間違えかもしれない。

える「ええっと、摩耶花さんはうざいと言ったのですが……」

不思議そうに、そう言うこいつには悪気は無さそうに見えた。

あり得ない、俺が知っている千反田ではないのだろうか?

いつの間にか、千反田が誰かと入れ替わって……ないだろう。

奉太郎「千反田、その言葉の意味は、知っているか」

千反田は首を傾げると「今日教えてもらったんです」と言い、続けた。

千反田から説明される内容は、まるで褒め言葉のような意味を持った言葉である。

俺は、この時はまだ落ち着いていた。

未だにニコニコしている千反田に本当の意味を教える。

次に起こった事は、俺の予想外であったが。

76 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:27:44.75 YerrbZjh0 64/690

える「わたし、そんな事を……」

千反田はそう言いながら、伊原が去って行ったドアを見つめる。

える「わたし……」

俺は見た、千反田の目から、涙が落ちるのを。

どんどん涙は溢れていたが、千反田は拭おうとしなかった。

自分でも気づいていないのかもしれない。

奉太郎「千反田……」

える「すいません、私、謝らなければ」

小さく、本当に小さく、千反田が言った。

この感情は、なんと言うのだろうか?

腸が煮えくり返る?

いや、ちょっと違うな。

それを通り越したのは、なんと呼べばいいのだろうか。

俺は、ああ、怒っているのか。

77 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:28:54.84 YerrbZjh0 65/690

こんだけ腹が立ったのは、いつぐらいだろう。

もしかしたら、初めてかもしれない。

勿論、千反田に対してじゃない。

その意味を教えたクソ野郎に、俺は怒っているのだ。

どうにも、冷静な判断はできそうにない。

今からそいつを探し出して、殴ろうか。

そうしよう。

そのまま部室を出ようとすると、千反田が声を掛けてきた。

える「折木さん、わたし……」

千反田は、まだ泣いていた。

奉太郎「ちょっと用事が出来た、すぐに戻る」

奉太郎「お前は悪くない、気にするな」

すると千反田は、泣き笑いというのだろうか。 「はい」と言い、顔を俺に向けていた。

78 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:29:24.47 YerrbZjh0 66/690


どうにも、どうにもだ。

この怒りは収まりそうに無い。

俺は、千反田の事はよく知っているとは思う。

あいつは何事にも純粋だし、人を疑うという事をあまりしない。

そんなあいつを騙した人間には、なんとなく、当てはあった。

まずは、里志に会おう。

79 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:30:43.61 YerrbZjh0 67/690

~図書室~

摩耶花に仕事を押し付けられて、僕はここに居る訳だけど。

里志「なんともやりがいが無い仕事だなぁ」

そんな事をぼやきながら、本を片付ける。

突然、ドアが思いっきり開かれた。

誰だい全く、図書室ではお静かにって相場が決まっているのに。

そっちに顔を向けたら、これはびっくり、ホータローじゃないか。

にしても随分と、あれは怒っているのか? ホータローが?

僕はそそくさと近づき、声を掛けた。

里志「ホータロー、どうしたんだい?」

聞きながらも、ちょっと焦る。

里志(僕、なんかしたかなぁ)

里志(というか、これほどまでに怒ってる? ホータローを見るのは初めてかも)

奉太郎「里志か」

奉太郎「少し、聞きたい事がある」

里志「なんだい? というか、何かあったの?」

奉太郎「俺たちと同級生で、漫研にいる、金髪の女子って誰だ」

人探し? それにしてはやけに怒っているみたいだけど……というか僕の質問、片方無視された?もしかして。

80 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:31:27.64 YerrbZjh0 68/690

ちょっと、茶化してみようか。

里志「うん、分かるよ」

里志「でも、何が起きたのか教えてくれないかい?」

里志「ホータローをそこまで怒らせる事、少し興味があるよ」

奉太郎「いいから、誰だ」

おや、こいつは随分とご立腹だなぁ。

ううん、ま、いいか。

里志「それはC組みの人だよ。 名前は……」

そう言って名前を教えると、ホータローはすぐに図書室を出て行こうとした。

里志「ちょっと待ってホータロー」

どうやらホータローは、状況判断ができない程、怒っているらしい。

クラスに居るなんて保証は無いのに。

里志「とりあえず落ち着こうよ、らしくないよ」

奉太郎「落ち着いてる、いつも通りだ」

里志「そんな、今にも殴りそうな顔をしているのに?」

里志「ホータローが怒る程の事だ、よっぽどの事だとは思うよ。 でもさ」

里志「事情くらいは話してくれてもいいんじゃない?」

81 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:32:00.70 YerrbZjh0 69/690


そう言うと、ホータローは一つ溜息を付いて、話してくれた。

朝、そいつと千反田さんが話していた事。

部室であった事。

僕も勿論、腹が立ったさ。

でもこういう時、落ち着かせるのはホータローの筈なんだけどなぁ。

さあて、どうしたものか。

82 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:33:05.64 YerrbZjh0 70/690

~伊原家~

信じられなかった。

最初聞いた時もそうだけど、2回目を聞いた時。

私はその場に居るのも、辛かった。

ちーちゃんの事は、そんなに知っているつもりはない。

だけど、あんな言葉を使うなんて、とても信じられなかった。

でもそれは、私の勝手な想像かもしれない。

もしかしたら、そういう事を言う人だったのかもしれない。

そう思ってしまう私にも、嫌気がさしてきた。

摩耶花(明日から、どうしようかな)

古典部になんて、顔を出せる訳もない。

私が泣いていたの、折木に見られたかなぁ、悔しい。

ふくちゃんに会いに行こうと思ったけど、そんな気分にもなれなかった。

83 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:33:39.49 YerrbZjh0 71/690

なんか、裏切られた気分。

ずっと、友達だと思っていたのに。

ちーちゃんは「うざい」って、ずっと思っていたのかもしれない。

なんで今日言葉にしたのか分からないけど……部室で自分の絵を描いていたからかな。

確かに、あそこは古典部の部室だし。

居やすい場所だと、思ってたけど。

摩耶花(それは、私の気持ち)

摩耶花(ちーちゃんやふくちゃん、折木がどう思っていたなんて、考えた事もなかった)

摩耶花(やっぱり私、馬鹿だ)

胸がぎゅっと、締め付けられる気がした。

摩耶花(今日は、ご飯食べられそうにないや)

84 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:34:47.00 YerrbZjh0 72/690

~部室~

私は、なんて事をしてしまったのでしょうか。

摩耶花さんには会わせる顔がありません。

しばらく、部室でぼーっとしてしまいました。

茫然自失とは、こういう事を言うのでしょうか。

折木さんも、部室を出て行ってしまいました。

恐らく、怒っているのでしょう。

最後に「気にするな」と言ってくれましたが、顔からは怒っているのがすぐに見て取れました。

勿論、私に怒っているのでしょう。

福部さんも、聞いたら恐らく私に怒りを感じると思います。

85 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:35:33.40 YerrbZjh0 73/690

なんだか、胸が苦しいです。

帰る気分には、今はなれません。

足に力が入らない、というもありますが。

折木さんは、私に言葉の意味を教えてくれました。

もしかすると……折木さんとは、少し話ができるかもしれません。

摩耶花さんとも勿論、話さなくてはいけないのは分かっています。

ただ少し、時間が必要です。

私はそこまで、強くないんです。

ですが、どんな言葉で罵倒されても仕方ないです。

私が……愚かだったんです。

86 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:36:19.39 YerrbZjh0 74/690

~図書室~

俺は、里志に話をして、少し気持ちが落ち着いたのだろうか。

自分では部室を出た後は落ち着いているつもりだったのだが、里志には違うように見えていたらしい。

里志は「どうするつもりだい?」と言って来たのに対し「そいつを殴る」と言っただけなのだが。

里志は苦笑いをしながら「それはホータロー、落ち着いてないよ」と言って来た。

まあ、そうかもしれない。

里志には全てを話した訳ではなかった。

千反田が涙を流していたのを話しては駄目な気がしたからだ。

里志も勿論怒っているだろう、そいつに対して。

しかしどうやら、俺を落ち着かせる為に堪えているらしい。

ああ、やっぱり俺は落ち着いてなんかいなかったか。

一度、深呼吸をする。

87 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:37:21.74 YerrbZjh0 75/690

奉太郎「里志、すまんな」

里志「別に、気にしなくていいよ」

里志「まあ、怒ってるホータローも珍しいから悪くはないけどね」

奉太郎「それはよかったな」

里志はいつも通りの顔を俺に向けていた。

さてと、だ。

まずは状況整理。

千反田に嘘を吹き込んだのはC組みの奴らしい。

朝見かけた奴だろう、千反田と話していたし。

少し、考えようか。

5分ほど、頭を働かせてみた。

漫画研究会、千反田に嘘を吹き込んだ、そして……あの時。

ああ、そうか。

ならば話は早い、意外と簡単に終わるかもしれない。

後は、揃えるだけで大丈夫だ。

88 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:37:48.13 YerrbZjh0 76/690

~帰り道~

ホータローも大分落ち着いたようで、安心だ。

それにしても今回は僕も全面協力させてもらったよ、ホータロー。

後はホータローが終わらせる、明日には終わるかな。

摩耶花と千反田さんは一度、話し合う必要があると思うけどね。

摩耶花はああ見えて、随分と自分を責めるからなぁ。

今夜、電話してみよう。

89 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:38:37.61 YerrbZjh0 77/690

~千反田家~

える「私は、どうすればいいのでしょうか……」

つい、独り言が出てしまいます。

折木さんに貰ったプレゼント、どこか折木さんに似ているようなぬいぐるみを抱きしめます。

える「折木さんに、電話してみましょうか……」

そう思い、電話機の前まで来ましたが……どうにも電話が取れません。

折木さんになんと言えばいいのでしょうか。

私は騙されていたんです?

言い訳です。

皆さんには申し訳ない事をしました?

謝って済む問題でしょうか、これは。

折木さんに相談すれば、なんとかなるでしょうか。

予想外の回答で、私を驚かせてくれるのでしょうか。

90 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:39:34.50 YerrbZjh0 78/690

そこで私は気付きました。

また、折木さんに頼ろうとしてしまっています。

これは甘えです、甘えてはいけません。

それに折木さんは、今回の件は無関係です。

巻き込むような事は、できません。

もう、大分遅い時間になってきました。

夜の21時。

少し思い出します、折木さんの家で、私はまたしても気になる事を解決してもらいました。

折木さんの寝癖を見て、少し気になったのも思い出しました。

思わず笑みが零れます。

やはり、皆さんとまた、一緒に仲良くしたいです。

これは、我侭なのでしょうか?

その時、突然電話が鳴り響いて、思わず受話器を取ってしまいました。

える「は、はい! 千反田です」

91 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:40:18.26 YerrbZjh0 79/690

~折木家~

大体の構図は出来た。

後は俺がこれをどうするか、だけか。

まあ、どうにかなるだろう。

だけどまあ、少しは許してくれよ、里志。

……そういえば。

奉太郎(千反田にすぐ戻るとか言って、すっかり忘れてたな)

千反田は結構ショックを受けていたみたいだし、聞こえていなかったかもしれない。

だけど、まあ……

ああ、仕方ない。

やはり千反田が関係することだと、どうにもうまく省エネができない。

自室から出て、リビングへ向かう。

奉太郎「姉貴、携帯借りていいか」

俺はソファーに座る姉貴に話しかけた。

供恵「はあ? あんたが携帯!?」

供恵「……なんかあったんでしょ」

やはり鋭い、ニヤニヤしながらこっちを見るな。

92 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:41:15.74 YerrbZjh0 80/690

奉太郎「少し、な」

奉太郎「ダメならダメで、いいんだが」

供恵「いいわよ、貸したげる」

意外にも姉貴は快く貸してくれた。

供恵「変わりに洗い物やっておいてね」

指差す先には大量の食器。

前言撤回、快くは間違いだ。

正しくは、エサにかかった獲物をなめまわすような視線を向けながら。 としておこう。

奉太郎「……分かったよ」

奉太郎「ありがとうな、姉貴」

供恵「あんたにしては随分と素直ね、どこか出かけるの?」

奉太郎「俺はいつも素直だ。 少しな、すぐに戻ると思う」

供恵「ふうん、気をつけて行ってきなさいよ」

姉貴が珍しく真面目な顔をしていた、あいつはどうにも勘が良すぎる。

93 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:41:56.85 YerrbZjh0 81/690

服を着替え、外に出る。

少し前まで寒かったが、今は夜も涼しいくらいになってきた。

自転車に跨り、千反田の家に向かう。

以前はそこまで長くない距離だと思ったが、今は自然と長く感じた。

やがて見えてくる、大きな家。

門の前に自転車を止めると、携帯を取り出した。

千反田の家の番号を押し、コールボタンを押す。

近くにでも居たのだろうか、1回目のコールで繋がった。

える「は、はい! 千反田です」

奉太郎「千反田か、遅くにすまない」

える「え、えっと、折木さんですか……?」

奉太郎「ああ、今千反田の家の前にいるんだが……少し話せるか?」

える「……はい、分かりました」

千反田は、いつもより少しだけ暗かった気がする。

だがその中にも少しだけ嬉しそうな感情、そんな感じの声に聞こえた。

5分ほど待ち、千反田が出てきた。

94 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:43:17.29 YerrbZjh0 82/690

える「こんばんは、折木さん」

奉太郎「夜遅くに悪いな、どこか話せる場所に」

そこまで言った所で、千反田が俺の声に被せてくる。

える「あの公園に、行きましょうか」

奉太郎「……そうだな」

公園に向かう途中は、お互いに無言だった。

千反田の様子は、やはり暗く、ショックが大きいのが見て取れる。

そんな千反田を見ていると、また怒りが湧いてきそうで、俺は敢えて千反田の方を見ずに、歩いた。

やがて、公園が見えてくる。

自販機に向かい、コーヒーと紅茶を買った。

千反田に紅茶を渡し、ベンチに腰掛ける。

それを見て千反田は俺の横に座った。

奉太郎(さて、何から話そうか)

95 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:44:15.59 YerrbZjh0 83/690

しかし、考えをまとめる前に、千反田が口を開いた。

える「折木さん、すいませんでした」

える「私があんなことを言ったせいで、古典部に影響を与えてしまって……」

える「折木さんが怒るのも……仕方がない事です」

える「私が馬鹿でした、許してもらえるとは思っていません」

える「でもやっぱり、また皆さんで仲良くしたいんです」

える「……すいません、折木さんに相談する話では、ないですよね」

千反田は泣きそうな声で最後の言葉を告げると、俯いてしまった。

俺は、一瞬何を言っているのか分からなかった。

何故、千反田が謝る?

俺が千反田に怒っている?

また仲良くしたい?

許してもらえない?

それらを並べると、俺は理解した。

96 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:45:01.36 YerrbZjh0 84/690

こいつは、千反田えるは、真っ直ぐな奴なんだ。

今回の事も、人のせいにしないで、全て自分で背負っているんだ。

怒りが湧いてくると思ったが、俺の心に湧いたのは、落ち着いた物だった。

奉太郎「千反田」

奉太郎「お前は、そういう奴なんだよな。 やっぱり」

奉太郎「俺はお前には怒っていない」

奉太郎「千反田を騙した奴に、俺は怒っているんだ」

奉太郎「伊原も、ああいう性格だが捻くれた奴ではない」

奉太郎「少し話せば、すぐに終わる」

奉太郎「皆は許してくれない? それはちょっと不服だな」

奉太郎「少なくとも俺は、お前の味方だぞ」

奉太郎「第一に、俺は省エネ主義者だ」

奉太郎「それがわざわざ千反田の家に来ているんだ」

奉太郎「それだけで、俺がお前の味方ってのは、分かるだろ」

奉太郎(なんか、俺らしくないな)

奉太郎(まあ、いいか)

97 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:46:13.09 YerrbZjh0 85/690

そこまで言うと、千反田は小さく声を漏らした。

える「……折木さん、私」

える「ずっと、ずっと、どうしようかと思っていました」

える「……でも、でもですね」

千反田は今にも泣きそうに、続けた。

える「折木さんが……いえにきたとき……わたし、うれしかったんです……っ」

否、千反田は泣いていた。

える「ずっと……ずっと相談じようどおもっでいて……っ…」

涙を拭い、千反田は自分の胸に手を置いた。

小さく「すいません」と言い、一呼吸置き、再び話し始める。

える「でも、折木さんの、今の言葉を聞いて、私、安心できました」

次に出てきた言葉は、いつもの千反田らしく、しっかりとした物だった。

98 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:47:07.14 YerrbZjh0 86/690

奉太郎「……そうか、ならよかったんだが」

える「……少しだけ、すいません」

そう言うと、千反田は俺の肩に頭を預けてきた。

奉太郎(暖かいな)

俺はこの時、強く確信した。

奉太郎(なんだ、随分と悩まされていたが)

今まで何回か、友人が言っていた言葉。

奉太郎(分かってみれば、大した事はなかったか)

千反田が来て変わったと、里志は言った。

俺はずっと、そんなことは無いと、思っていた。

だが今、確信した。

千反田の頼みを断れないのも。

千反田が関係することだと省エネできないのも。

千反田に振り回され、満更ではなかったのも。

千反田が泣いたとき、俺は酷く怒ったのも。

全ての疑問に、答えを見つけた。

99 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:48:16.56 YerrbZjh0 87/690

奉太郎(俺は、千反田の事が好きなのか)

言おうとした、好きだと。

だが……だが。

どうにもうまく言葉にできない。

前にも、似たような経験はあった。

前の時も、言おうとしたが、少しめんどうくさいというのがあったと思う。

だが、今回ばかりは。

いくら言おうとしても、できなかった。

そのまま、5分ほどが立った。

奉太郎「寝る時間、過ぎてるな」

時刻は23時近く、千反田が寝る時間は過ぎている。

える「そうですね」

える「でも今日は、ちょっと夜更かししたい気分です」

奉太郎「そうか」

奉太郎「夜景が、綺麗だな」

そう言うと、千反田は

える「……はい、折木さんと一緒に見れて、良かったです」

俺は……笑っていた、と思う。


第四話
おわり

101 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:50:13.27 YerrbZjh0 88/690

4.5話

私は、少し体が熱くなるのを感じながら、家に帰りました。

折木さんと一緒に夜景を見ていた時間は、とても短く感じました。

気持ちも、軽くなっています。

やはり、折木さんに相談したのは間違いではありませんでした。

……これは、甘えではないですよね。

明日は、しっかりと摩耶花さんとお話をするつもりです。

私が言った、許してくれないと言う言葉。

それは反対の意味にすると、私は古典部の皆さんを信じていないという事になります。

そんなのでは、ダメです。

私は皆さんを信じています。

摩耶花さんもきっと、分かってくれる筈です。

もし、万が一にでも、想像したくはないですが。

福部さんも、摩耶花さんも許してくれなかったら……

102 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:51:14.31 YerrbZjh0 89/690

多分、私はもう学校に通えないと思います。

そうしたら、味方だと言ってくれた折木さんと、どこか遠くへ行きましょう。

折木さんならきっと、私の思いもよらない場所へ連れて行ってくれる……そんな気がします。

そんな事を考えながら、折木さんが以前くれたぬいぐるみを抱きしめます。

でも、まずは摩耶花さんと話さなければ。

える(明日、明日です)

える(うまく、話せるでしょうか……)

後ろ向きになってはダメです。

ちゃんと、伝えましょう。

折木さんがわざわざ家まで来てくれたんです。

折木さんを裏切らない為にも、また皆で仲良くする為にも。

……また、一緒にあの公園で夜景を見る為にも。

103 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:51:52.97 YerrbZjh0 90/690

なんだか、折木さんの事ばかり考えてしまいます。

何故でしょうか?

私にはまだ、分かりません。

折木さんに聞けば答えてくれるでしょうか?

しかし、何故か聞いてはいけない気がします。

これは、自分で答えを出さないといけない問題……

える(折木さんが家に来てくれて、本当に良かったです)

える(もし来なかったら……考えたくもありません)

える(……今夜は、いい夢が見れそうですね)

104 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:53:06.60 YerrbZjh0 91/690

~折木家~

奉太郎(はあ)

何度、溜息をついただろうか。

どうにも気持ちが落ち着かない。

千反田は別れる時には、いつも通りの顔だったと思う。

しかし、俺はどうだっただろう。

なんとも言えない気分である。

奉太郎(今まで避けてきたが……)

奉太郎(確かに、これはエネルギー消費が激しそうだ)

まあ、いい。

問題は明日だ。

準備は問題無いはず、後は俺次第。

千反田には、話せる内容ではない……か。

落ち着け、落ち着け。

105 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/07 20:53:41.40 YerrbZjh0 92/690

これが終わったら、千反田とゆっくり話でもしようか。

とりあえずは、目の前のを片付けなければいけない。

奉太郎(今日は、もう寝るか)

自室へ向かった俺に、後ろから声が掛かる。

供恵「ちょっと、携帯返してよね」

ああ、すっかり忘れていた。

奉太郎「ありがとな」

再び、自室へ向かう。

しかし再度声が掛かる。

供恵「ちょっと、アンタ寝ぼけてるの?」

奉太郎「……なにが?」

姉貴はニヤリと嫌な笑顔を浮かべる。

供恵「あれ、約束でしょ」

指差す先には食器の山。

奉太郎(どうやら)

奉太郎(もっと先に片付けなければいけない問題があったな)

数えるのも嫌になる程の溜息をもう一つつき、俺は食器の山へと向かうのであった。

4.5話
おわり

115 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 12:50:14.89 nfnPYl4y0 93/690

第五話

今日はあまり眠れなかった。

寝付こうとしても、中々寝付けず、睡眠時間は3時間程だろうか。

奉太郎(学校に着く前にぶっ倒れるかもしれんな、これは)

しかしそうは言ってもられない。

今日は、やるべき事があるからだ。

時刻は7時、準備をしなければ。

寝癖がほとんどついていない、それもそうか……まともに寝ていないのだから。

朝食を済ませ、コーヒーを一杯飲む。

奉太郎(今日で……終わらせる)

奉太郎(少し早いが、行くか)

カバンを背負い、玄関のドアに手を掛けた。

116 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 12:51:01.44 nfnPYl4y0 94/690

供恵「ちょっとアンタ」

奉太郎「ん、なんだ」

供恵「……寝間着で学校に行くの?」

ああくそ、俺はどうやら……すっかり頭の回転が落ちている。

姉貴の横を無言で通り過ぎ、制服に着替える。

供恵「それもそれでありだとは思うわよー面白いし」

後ろから何やら声がかかるが、無視。

しかし、こんな状態で本当に大丈夫だろうか。

いや、駄目だ、これは絶対に……解決せねば。

洗面所で服装の確認をし、再び玄関に手を掛ける。

117 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 12:51:28.29 nfnPYl4y0 95/690

供恵「ちょっとアンタ」

奉太郎「……今度はなんだ」

供恵「別に、ただ言ってみただけ」

奉太郎「行くぞ、構ってられん」

やはりどうにも、姉貴は苦手だ。

供恵「頑張りなさいよ」

考えを見透かされてる様で、苦手だ。

姉貴に返事代わりに手を挙げ、玄関のドアを開いた。

供恵「ま、私の弟だし余裕だとは思うけどねー!」

供恵「そ、れ、と! あんま無理はしないようにね」

朝から元気なこった、だが少し、元気は出たか。

118 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 12:51:55.20 nfnPYl4y0 96/690

家を出ると、意外な顔が見える。

摩耶花「……おはよ」

こいつが俺の家に来るなんて、今日は雪だろうか?

奉太郎「珍しいな、今日は良くない事が起きそうだ」

摩耶花「……そうかもね」

摩耶花「折木、ちょっといいかな」

伊原の威勢がいい反論も聞けない、無理もないか。

奉太郎「ああ、少し頭を回さないといけないしな」

摩耶花「?」

摩耶花「まあいいわ」

伊原は少し疑問に思ったみたいだが、そこまでは気にしていない様子だった。

並んで学校へ向かう。

119 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 12:53:00.71 nfnPYl4y0 97/690

奉太郎(一生に一度あるかないかの、奇跡的な絵になりそうだな)

摩耶花「まさか、折木と学校へ一緒に行くことがあるなんて夢にも思わなかったわ」

全くの同意見。

摩耶花「昨日の、事なんだけどね」

伊原はそう、前置きをした。

やはりそうか、むしろそれ以外だったら俺はどんな顔をしていただろう。

奉太郎「あれか」

摩耶花「……うん」

摩耶花「私、少し邪魔だったかな。 やっぱり」

摩耶花「ふくちゃんから昨日、電話がきてね」

摩耶花「私は悪くない、安心してって」

摩耶花「でもやっぱり……迷惑だったのかな」

なんでだろう……千反田といい、伊原といい、どうして自分を責めるのだろうか?

120 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 12:53:43.26 nfnPYl4y0 98/690

奉太郎「なんで俺にそんな話をするんだ、里志に相談すればいいだろう」

摩耶花「……ふくちゃんにこんな話、できる訳ないじゃない」

摩耶花「ちーちゃんは、あんな事言わないと思っていたのに」

摩耶花「……それだけ」

奉太郎「ま、余り深く考えるな」

奉太郎「千反田は今日、話があるみたいだぞ」

俺が事情を説明してもいいのだが、本人同士で話すのが一番いいだろう。

摩耶花「そう、ちーちゃんが」

摩耶花「……分かった、少し腹を割って、話そうかな」

奉太郎「ああ、それがいい」

奉太郎「だけど、そんなに気を病むなよ」

奉太郎「言い返してこないお前と話していても、つまらん」

121 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 12:54:22.15 nfnPYl4y0 99/690

摩耶花「……折木のくせに」

摩耶花「でも、ありがとね」

摩耶花「けど……やっぱり折木に励まされるのって、なんかムカツク」

おいおい、随分と酷いなこいつは。

今の一瞬で、俺の株は下がって上がって下がったのだろうか。

摩耶花「ちょっと元気出たし、私先に行くね」

そう言うと伊原は走り、学校へ向かっていった。

奉太郎(元気が出たらなによりだ)

奉太郎(けど、今のままの伊原の方が……大人しくていいかもしれない)

伊原に聞かれたら、それこそ俺は生きて帰れる気がしない。

まあ、少しは頭の回転になったか。

あくびをしながら、学校へと向かう。

122 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 12:55:14.71 nfnPYl4y0 100/690

奉太郎(それにしてもだるいな、体が重い)

1……2……3……4……あ、学校が見えた。

あくびを4回したところで、ようやく学校が見えてきた。

校門の前で一度止まり、深呼吸。

奉太郎(今日は少し、気合いを入れんとな)

柄にも無く「おし、行くぞ!」と意気込んでいたところで、背中に衝撃が走った。

里志「おっはよー! ホータロー!」

奉太郎「……いって!」

奉太郎「朝から元気だな、お前」

少々目つきを悪くして、里志を睨む。

里志「そういうホータローは随分とだるそうだね、はは」

奉太郎「昨日は少ししか眠れなかったんだ、寝つきが悪くてな」

里志「そんな日もあるさ! でもね、今日は期待してるよ? ホータロー」

123 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 12:55:59.50 nfnPYl4y0 101/690

奉太郎「……今日はちょっと、気合い……いれていくか」

里志「あんまり無理はしないようにね、大丈夫だとは思うけど」

奉太郎「分かってる、大丈夫だ」

里志「そうかい、じゃあ僕は総務委員の仕事があるから、これで」

そう言うと、里志は俺に手を振りながら昇降口へと走っていった。

下駄箱で靴を履き替える。

階段を上がろうとしたところで、後ろから声が掛かった。

伊原、里志ときたら……あいつだろう。

える「おはようございます、折木さん」

奉太郎「やはり千反田か、おはよう」

える「やはり? ちょっと気になりますが……今はやめましょう」

俺の第六感まで気になられては、対処のしようが無い。

124 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 12:56:42.59 nfnPYl4y0 102/690

える「あのですね、今日の放課後なんですが」

える「部室でお話をしようと思っていて、申し訳ないんですが」

用は、放課後は部室を空けてくれないか、ということだろう。

丁度いい、今日はどうも部活に出れそうになかった。

奉太郎「ああ、空けて置く、今日は部活は休ませて貰う事にする」

える「そうですか、ありがとうございます」

える「それと、ですね」

まだ何かあるのだろうか?

える「少し顔色が優れないようですが……大丈夫ですか?」

125 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 12:57:16.51 nfnPYl4y0 103/690

そう言うと、千反田は俺のおでこに手を当ててきた。

奉太郎「だ、大丈夫だ。 気にするな」

周りの人間がこっちを見ている、何もこんな人が多いところでやることはないだろうが!

える「ならいいのですが、それでは!」

そう言うと、千反田は自分の教室へと向かって行った。

奉太郎(いつも通りの、千反田だっただろうか)

奉太郎(少しは元気が出たみたいだな、あいつも)

そのまま教室へ向かい、自分の席に着く。

奉太郎(にしても、眠いな)

少し寝よう、少しだけ。

俺はそう考えると同時に、眠った。

126 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 12:57:45.00 nfnPYl4y0 104/690

腰が痛い、腕も少しだけ痛い。

奉太郎「ん……」

目が覚めた、クラスは賑やかな様子だ。

「おう、折木」

突然、名前もまともに覚えていないクラスメイトに声を掛けられた。

「お前、中々やるじゃねーか」

奉太郎「ん、なにが」

「昼までずっと寝てるなんて、そうそうできないぞ?」

昼まで……?

時計に視線を移す。

時刻は12時を少し回った所。

127 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 12:58:14.65 nfnPYl4y0 105/690

奉太郎「ああ、寝すぎた」

「先生達、震えてたぞ。 見てる分には面白かった」

それだけ言うとそいつは満足したのか、いつもつるんでいるらしき奴等の元へ向かって行った。

奉太郎(後で呼び出されそうだな、めんどうくさい)

奉太郎(しかし、少しは頭が冴えたか……まだ少しだるいが)

昼休みか、教室は少し気まずい。

朝から昼まで寝ていた奴をちらちらと見る連中がいるからだ。

奉太郎(部室で飯を食うか)

省エネでは無いが、俺にも一応気まずさを避けたいって気持ちはある。

弁当を持ち、部室へ向かった。

128 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 12:58:43.57 nfnPYl4y0 106/690

~古典部部室~

あくびを一つつきながら、扉を開ける。

誰も居ないと思ったが……どうやら先客が居た様だ。

える「あ、折木さん、こんにちは」

奉太郎「なんだ、誰も居ないと思ったのだが」

える「たまに、ここで食べているんです」

える「陽が暖かくて、気持ちいいので」

奉太郎「そうか、邪魔してもいいか?」

える「ええ、勿論です」

千反田の前の席に腰を掛け、弁当を開く。

129 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 12:59:25.82 nfnPYl4y0 107/690

える「おいしそうなお弁当ですね、自分で?」

奉太郎「いや、姉貴が作ってくれている」

える「そうですか、お姉さん優しいんですね」

奉太郎「……本気か?」

える「え? はい、そうですけど……」

奉太郎「何も知らないからそんな事が言えるんだ……」

える「でも、これだけの物って中々作れる物ではないですよ」

そうなのだろうか?

姉貴が家に居るときはほとんど作ってくれるし、そんな事は思った事がなかった。

奉太郎「そうなのか? 普通の弁当だと思うが」

える「いえいえ、折木さんの事を想っている、いいお姉さんだと分かるお弁当です!」

ふうむ……少しは姉貴にも感謝しておくか。

130 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 12:59:55.27 nfnPYl4y0 108/690

奉太郎(姉貴よ、ありがとう)

こんなもんでいいだろう。

奉太郎「少し感謝しておいた、心の中で」

える「ちゃんと直接言った方がいいと思いますが……」

奉太郎「気持ちが一番大事なんだ」

える「そ、そうですか」

千反田の苦笑いが、少し辛い。

奉太郎「それはそうと、千反田の弁当も中々すごいな」

える「そ、そうでしょうか? 私のこそ普通、ですよ」

奉太郎「そんなことはないだろう、とても旨そうだぞ」

える「……少し、食べます?」

131 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 13:00:24.44 nfnPYl4y0 109/690

奉太郎「いいのか? じゃあ一つ」

そう言うと、千反田はおかずを一つ、俺の弁当に移す。

奉太郎(貰ったままでも、なんか悪いな)

奉太郎「俺のも一つやろう」

える「はい! ありがとうございます」

千反田の弁当に、おかずを一つ移した。

そこでふと、本当にどうでもいい考えが浮かんできた。

奉太郎(今千反田に貰ったおかずを、そのまま返していたらどんな反応をするのだろうか)

奉太郎(……なんて無駄な事を考えているんだ、俺は)

勿論そんな事はしない。

132 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 13:00:54.39 nfnPYl4y0 110/690

そして、千反田に貰ったおかずを口に運ぶ。

奉太郎(う、うまい)

奉太郎「これは……うまいな、こんな料理を作れるなんて、なんでもできるんじゃないか? 作った人」

える「ええっと……」

える「これ、作ったの私なんです」

千反田は恥ずかしそうに笑いながら、そう言った。

奉太郎「そ、そうか」

何故か、嵌められた気分に俺はなる。

そんな風に若干気まずい空気が流れた時、ドアが勢い良く開く。

前にも、似たような光景があったような……

133 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 13:01:28.92 nfnPYl4y0 111/690

里志「おっじゃまー!」

里志「あれ、ホータローに千反田さん?」

里志「ご、ごめん! 邪魔しちゃったみたいだね!」

待て、里志よ。

奉太郎「おい、里志」

里志「え、なんだい?」

奉太郎「お前、いつから居た?」

里志「えっと……最初から、かな」

くそ、全然気づかなかった。

そう言うと里志は手短な席に腰を掛ける。

里志「ごめんごめん、盗み聞きするつもりはなかったんだよ」

里志「でも二人がカップルみたいにしてるのをみたら、ついね」

える「カ、カップルだなんてそんな」

える「たまたま、会っただけですよ! 本当に!」

える「折木さんと私は、その……仲はいいですけど、まだそんな仲では無いというか……」

千反田の焦っている所を見るのは、少し楽しいかもしれない。

134 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 13:02:05.29 nfnPYl4y0 112/690

奉太郎「里志、その辺にしておけ」

だが、こいつは一言言わないといつまでも続けるだろう。

里志「あはは、ジョークだよ、千反田さん」

える「じょ、じょーく……ですか」

千反田は胸を撫で下ろし、ハッとする。

える「あ、あの」

える「福部さん」

里志「あー、例の事かい?」

里志はこう見えても、勘は冴えるほうだと思う。

千反田の微妙におどおどした様子を見て、なんの話か分かったのだろう。

える「知ってたんですか、この度は……」

135 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 13:02:33.81 nfnPYl4y0 113/690

つまり、例の事件の事だ。

だが千反田が最後まで言う前に、里志は口を開いた。

里志「これでも僕は、人間観察をしている方だと思うんだ」

里志「それでね、人を見る目も結構あると思っている」

里志「だから、千反田さんの事は信じているよ」

里志「ホータローの事は、どうかな?」

奉太郎「おい」

里志「うそうそ、信じてるよ。 ホータロー」

そう言うと、里志は俺に抱きつこうとしてくる。

やめろ、気持ち悪い。

136 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 13:03:20.97 nfnPYl4y0 114/690

える「ふふ、ありがとうございます」

える「やはり、折木さんの言うとおりでした」

里志「ん? ホータローが何か言ったのかい?」

奉太郎「……なんでもない、気にするな」

える「なんでもない、です」

里志「うーん、気になるなぁ」

俺が最近、非省エネ的な行動をしているのを里志に知られたら……どんな風にいじられるか分かった物じゃない。

どうはぐらかそうか考えていたとき、里志は何かを思い出した様に拳と手の平を合わせた。

里志「あ! 委員会の仕事の途中だったよ、すっかり忘れてた」

奉太郎(この動作を本当にやってる奴は始めてみたぞ……)

しかし、こいつも色々と大変だな。

里志「じゃ、そういう訳で! またね~」

137 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 13:04:01.38 nfnPYl4y0 115/690

一体、あいつは何をしに来たのだろうか……暇なのか。

奉太郎「そういう訳だ、伊原も必ず話せば分かってくれる」

える「はい……そうですよね!」

さて、と。

そろそろ昼休みも終わりか。

奉太郎「じゃあ俺は教室に戻るとする」

える「はい、私はもうちょっとここでゆっくりしてから戻ります」

奉太郎「そうか、じゃあまた」

える「はい」

俺が部室から出ようとした所で、思い出したように千反田が言った。

える「あ、そういえば」

える「午後の授業は、寝ないで頑張ってくださいね」

……どこまで噂が広まっているんだ、全く。

軽く手を挙げ、千反田に挨拶をすると俺は教室に戻って行った。

138 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 13:04:50.37 nfnPYl4y0 116/690

~教室~

教室に入り、10分ほど経っただろうか。

授業開始のチャイムが鳴り響いた。

奉太郎(状況の整理を……するか)

まず一つ目。

・千反田を騙した奴は誰か?

C組の女子、名前は里志から聞いている。

二つ目。

・そして、そいつは何をしたか?

千反田に嘘を吹き込み、使わせた。

恐らく、千反田と伊原が仲が良いのを知っていて嘘を吹き込んだのだろう。

目的は漫研絡みと考えるのが妥当。

139 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 13:05:34.86 nfnPYl4y0 117/690

三つ目。

・そいつの目的はなんだったのか?

千反田と伊原の仲違い。

多分だが、千反田は伊原を傷つける為に利用されたという考えが有力。

つまる所、伊原を追い込むのが目的という事か。


最後に、四つ目。

・そいつに何を話すか?

これには少し考えがある。

正面から言って、千反田と伊原に土下座でもするのなら苦労はしないが……

それをすぐにする奴なら、初めからこんな事はしないだろう。

里志にも協力をしてもらい、手は打ってある。

しかし、里志に話していない事もある。

少し懲らしめないと、駄目だろう。

140 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 13:06:08.51 nfnPYl4y0 118/690

そこまで考え、俺は息をゆっくりと吐き出した。

話をする場も、既に打ってある。

里志からそいつに「今日の放課後、話があるから屋上でいいかな?」と言って貰った。

俺が言ってもいいのだが……直接会ってしまったら何をするか自分でも分からない。

どうせなら人目に付かない所の方が、勿論いいだろう。

奉太郎(ここまで動き、頭を使ったのは随分と久しぶりだな)

奉太郎(たまにはいいか、熱くなるのも)

そして、放課後はやってきた。


第五話
おわり

145 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:44:12.56 nfnPYl4y0 119/690

第六話

俺は、自分を抑えられるだろうか?

大丈夫だ、意外にも冷静になっている。

今は16時、1時間もあれば……終わるだろう。

奉太郎(行くか)

そう思い、教室を出る。

向かう先は、屋上。

146 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:44:54.95 nfnPYl4y0 120/690

~屋上~

屋上に繋がる扉を躊躇せず開く。

空は曇っていた、風は無い。

視線を流すと、そいつが目に入ってきた。

「あれ、福部君に呼ばれて来たんだけど」

「アンタ誰?」

初対面の人間にこの対応とは、なるほど納得だ。

奉太郎「A組の折木奉太郎だ」

「折木? 聞いたことないなー」

「それで、アタシに何か用?」

「まさか、告白とかするつもり? ムリムリ」

そいつは笑っていた、俺にはどうも……汚らしく見えて仕方ない。

147 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:45:24.78 nfnPYl4y0 121/690

奉太郎「千反田える、この名前は知っているだろう」

「ちたんだ……ちたんだ、ああ、アイツね」

「知ってるけど、それがどうしたの?」

奉太郎「それと伊原摩耶花、勿論知っているだろう」

「あー、あのウザイ奴ね。 勿論知ってる」

やはり、駄目だ。

なんとか抑えようと思ったが、里志には穏便に済ませようと言われたが……

俺はどうやら、そこまで人間が出来ていない様だ。

奉太郎「……自分のした事は、分かっているんだろ」

奉太郎「千反田に嘘を吹き込み、伊原に向かって言わせた」

奉太郎「覚えて無いなんて、言わせないぞ」

148 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:46:06.09 nfnPYl4y0 122/690

「あの馬鹿正直な奴でしょ、今時あんなの信じる奴がいるなんてね」

「思い出したらおかしくなってきちゃう」

良かった。

正直な話、これを否定されたら俺には手は無かった。

千反田は誰に言われた等……あいつの性格だ、言わないだろう。

それをコイツは自分で認めてくれた、良かった。

奉太郎「お前は、なんとも思っていないのか」

奉太郎「千反田を傷付け、伊原も傷付け、なんとも思わないのか」

「別に? 騙される方が悪いんじゃない?」

149 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:46:38.81 nfnPYl4y0 123/690

奉太郎「……あいつは、千反田はお前の事を信じて……伊原に言ったんだぞ!」

奉太郎「それを、お前はなんとも思わないのか!」

奉太郎「千反田は人を疑わないし、嘘なんて付かない」

奉太郎「どこまでも……正直な奴なんだぞ」

「ふーん、あっそ」

「アタシも知ってるよ、あいつが馬鹿正直な所」

「それで教えてあげたんだもん」

「こいつなら絶対に騙されるなーって思ってね」

150 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:47:06.24 nfnPYl4y0 124/690

奉太郎「……お前に千反田の何が分かる!!」

自分でも、驚くほどに大きな声で叫んでいた。

言われたそいつは、少し身を引きながら再び口を開く。

「な、なに熱くなってんの? ほっときゃいいじゃん」

奉太郎「あいつはな、千反田は伊原にその言葉を言った後……!」

思いとどまる、こいつに……千反田の泣いていた所なんて、教えたくない。

奉太郎「お前に千反田と話す権利なんて無い!」

「それは残念だなぁ、もうちょっと使おうと思ってたのに」

「ていうかさ、たかが友達の事で本気になってて恥ずかしくないの?」

151 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:47:35.07 nfnPYl4y0 125/690

たかが友達、か。

確かに、俺も昔は少しそうだったのかもしれない。

氷菓事件の時、千反田の家で話し合いをした時。

俺は流そうとした、それが俺らしいと思い。

たかが一人の女子生徒の悩み。

たかが高校の部活動。

だけど、俺とこいつは……絶対に同類なんかじゃない。

不思議と、今の言葉で俺は落ち着けた。

奉太郎「……もういい」

「あっそ、じゃあ帰っていいかな」

奉太郎「違う、お前に普通の話し合いなんて、通じないからもういい」

「言ってる意味が分からないんだけど?」

152 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:48:08.60 nfnPYl4y0 126/690

奉太郎「お前は、漫研で活動してるな」

「……それが何?」

奉太郎「その部室から少し離れた場所」

奉太郎「女子トイレが無く、男子トイレしかない場所があるのも知ってるな」

「それが……なんだよ」

奉太郎「以前俺は、お前がトイレから出てくるのを見かけている」

奉太郎「男子トイレ、からな」

「アンタ、ストーカー?」

もう、くだらない挑発は無視をする。

奉太郎「昨日、その男子トイレを少し調べた」

奉太郎「見つかったのはこれだ」

153 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:48:46.40 nfnPYl4y0 127/690

俺の手にあるのは、ビニール袋に入った【煙草】

奉太郎「これは、お前の物だろ?」

「っ! んな訳ないでしょ!」

やはり、認めないか。

奉太郎「そうか、余りこういう事はしたくないんだが」

そう言い、俺はポケットから一つの写真を取り出した。

そこには、金髪の女子が男子トイレで煙草を吸っている光景が写し出されている。

奉太郎「こいつは、俺の友達が撮ってくれた写真だ」

奉太郎「知ってるか? 図書室のとある場所から丸見えなんだぞ」

「……アタシを脅してるつもり?」

154 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:49:21.35 nfnPYl4y0 128/690

奉太郎「そうなるな」

奉太郎「これを学校側に提出されたくなかったら、今後一切」

奉太郎「千反田と伊原に関わるな」

「……そんな物、出されたら……」

小さいが、俺には確かに聞こえていた。

しかし、すぐに元の調子に戻る。

「おもしろいね、アンタ」

「じゃあ、こういうのはどうかな?」

「アタシが捏造写真で盾にされてる、捏造写真を仕組んだのは伊原摩耶花」

「面白そうじゃない?」

奉太郎「そんなので、先生達が信じる訳ないだろう」

「確かにね、でも」

「お互いの言い分を尊重し、退学は無し」

「両名にしばらくの停学を言い渡す」

「こうなると思うんだけど?」

「それで停学が明けたら、無事にアタシはまた千反田ちゃんと伊原ちゃんと仲良しこよし」

「いいと思わない?」

155 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:49:48.42 nfnPYl4y0 129/690

奉太郎「……本気でそう思っているのか」

「もっちろん」

奉太郎(これは本当に、使いたく無かったが)

奉太郎(仕方ないか)

奉太郎「俺が、どんな友達を持っているかお前は知らないのか」

「はあ? アンタの友達になんて興味ないし」

奉太郎「そうか」

奉太郎「お前を呼び出した奴、覚えているか」

「福部の事?」

奉太郎「そうだ、あいつがどこに所属しているか知っているか」

「言ってる意味がわからないんだけど、何を言いたいのよアンタは!」

156 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:50:15.52 nfnPYl4y0 130/690

奉太郎「あいつは総務委員会に所属しているんだ」

奉太郎「副委員長としてな」

「総務……委員会?」

奉太郎「俺が持っているこの写真、あいつも既に持っている」

奉太郎「そして、少なからず学校の上層部に影響力のある立場だ」

奉太郎「そんな奴がこの写真を提出したら、どうなるかお前でも分かるだろ」

「や、やめてよ」

急に弱気、か。

「そんな事されたら、アタシは」

奉太郎「お前の意見なんか聞いていない!!」

「ひっ……」

奉太郎「俺が譲歩してやっているんだ、お前が……」

157 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:50:46.31 nfnPYl4y0 131/690

奉太郎「今後、千反田や伊原、里志……福部とも」

奉太郎「それに俺と、一切関わらないならこいつは提出しない」

奉太郎「だがこいつは保管させてもらう、いつでも提出出来る様にな」

奉太郎「お前がもし、俺たちに関わってきたらすぐに退学にしてやる」

奉太郎「分かったか?」

「……」

奉太郎(仕上げだな)

奉太郎「お前も退学になったら困るだろう? 親がどこかしらの学校のお偉いさん、だからな」

「っ! ……わ、分かった」

158 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:51:18.52 nfnPYl4y0 132/690


その情報は、誰に聞いた物でもなかった。

今の会話から、こいつの言葉が小さくなる部分、表情の変化。

それらを繋げて、得た情報であった。

奉太郎「俺もそこまで鬼じゃない、お前が変な事をしなければ何もしない」

「ご、ごめんなさい」

奉太郎「別に謝らなくていい、俺にも、千反田にも伊原にも、里志にも」

奉太郎「お前の謝罪なんて、何も響かない」

奉太郎「……もし今度何かあったら、話し合いだけでは済むとは思うなよ」

それ以降、そいつはうなだれて口を開こうとしなかった。

159 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:51:46.15 nfnPYl4y0 133/690

俺は、屋上から降りる。

階段を降り、一度自分の教室へ向かった。

椅子に座り、大きく深呼吸をする。

奉太郎(5回、くらいか?)

思考を放棄して、殴りかかりそうになった回数。

だが、もし殴ったとしてだ。

千反田はそれで喜ぶだろうか?

伊原は? 里志は?

間違いなく、喜びはしない。

それがなんとか俺を留まらせた。

奉太郎(全く、今日は本当に疲れた)

時刻は……17時30分、か。

少し、長引いてしまったな。

さて、と。

千反田と伊原の方は、無事に終わっただろうか?

160 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:52:40.27 nfnPYl4y0 134/690

私は、昼休みに折木さんと別れた後、摩耶花さんの教室を訪ねました。

摩耶花さんは少し、私を怖がっていた様で胸が痛みます。

しかし、伝えなくてはいけません。

える「あの、摩耶花さん」

摩耶花「ちーちゃんか……何か、用事?」

える「……はい、今日の放課後に少し話せますか?」

摩耶花「……うん、いいよ」

一瞬だけ、摩耶花さんが嫌そうな表情をしました。

それだけで、私はもう……

摩耶花「でも委員会の仕事があるから、終わってからでいいかな」

そして、摩耶花さんは私の顔を見てくれませんでした。

える「はい、では部室で待っていますね」

そう伝えると摩耶花さんは軽く頷き、それ以降は喋ろうとはしません。

私は教室を出ると、自分の教室に向かいます。

また少し、泣きそうになってしまいます。

える(涙脆くなったのでしょうか、私は)

教室に戻るとすぐに午後の授業が始まりました。

あっという間に授業は終わり、放課後となります。

161 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:53:19.32 nfnPYl4y0 135/690

摩耶花さんの委員会は大体17時頃に終わる予定となっていました。

それまで少し、時間が余っています。

一度部室に行き、座って外を眺めていましたが……校内でもお散歩しましょう。

そう思い、人が少なくなった校内を歩きました。

気付けば自然と、折木さんのクラスへ。

教室を覗くと、まばらには人が居ましたが折木さんの姿は見当たりません。

える(そうでした、折木さんはもう帰っているのでしょう)

朝の事を思い出し、教室を去ろうとした所で不自然な物を見つけます。

える(あれは、折木さんのカバン?)

える(忘れていったのでしょうか……でも、おかしいです)

折木さんは意外と言ったら失礼ですが……忘れ物は滅多にしません。

そんな折木さんが忘れ物? それかまだ学校にいるのでしょうか?

5分ほどそこで待ちましたが、戻ってくる気配はありません。

162 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:53:52.10 nfnPYl4y0 136/690

える(仕方がないです、また散歩でもしましょう)

そして階段まで差し掛かったとき、何やら声が聞こえてきます。

あれは……屋上から?

声の抑揚が、折木さんの物と一緒です。

間違いありません……折木さんです。

える(誰かと話しているのでしょうか? 少しだけ……行ってみましょう)

私は、屋上の扉まで辿り着きました。

これでも意外と耳はいい方だとは思っています。

内容はしっかりと聞こえました。

その内容は、どうやら私の事の様で。

昨日の事のようです。

える(もしや折木さんは、昨日私と話していた方とお話を?)

折木さんの方は、とても真剣に。

もう片方の方は、どこかふざけている感じ……でしょうか。

163 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:54:27.03 nfnPYl4y0 137/690

突然、折木さんが大声をあげます。

える(折木さんが、あんなに大きな声で……)

少なくとも、一年間一緒に居ましたが……ここまで大声を出しているのは聞いたことがありません。

自分で言うのもあれですが、その内容は……私の事を大切に思ってくださっている物です。

ここまで……ここまで折木さんは、していてくれたのですか。

私は本当に、折木さんに頼りっぱなしです。

扉越しに、折木さんに頭を下げその場を去ります。

あまり、聞いてはいけない内容でしょう。

折木さんがその話をしてくれなかったのも、私に知られたくなかったからでしょう。

ならば、聞いては駄目です。

私はゆっくりと部室に戻り、決意を固めます。

える(私は、摩耶花さんにしっかりと気持ちを伝えます)

える(友達を失うのは……耐えられません)

える(絶対に、仲直りします!)

その時、扉が開きました。

摩耶花さんが来たようです。

164 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:54:55.03 nfnPYl4y0 138/690

~古典部部室~

やっぱり、帰ろうかな。

ちーちゃんには悪いけど……

いや、駄目だ。

朝、折木にも相談に乗ってもらったし、ここで逃げちゃ駄目だ。

でも扉は、とても重い。

なんて言われようとも、私はちーちゃんと話さなきゃいけない。

そうしないと、いつまでも弱いままだ。

胸に手を置き、息を整える。

摩耶花(よし!)

扉を、開けた。

そこには、いつも通りのちーちゃんが居た。

165 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:55:21.42 nfnPYl4y0 139/690

摩耶花「……来たよ」

なんて、暗い声なんだろう。

える「摩耶花さん、わざわざすいません」

摩耶花「話って、何かな」

分かってるだろう、自分でも。

性格悪いのかな、私。

える「昨日の、事です」

摩耶花「……そう」

ちーちゃんは、ゆっくりと語り始めた。

その内容を頭に入れる。

そして5分ほどで、話は終わった。

166 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:56:00.88 nfnPYl4y0 140/690

える「言い訳みたいに、なってしまいましたが」

える「摩耶花さん、本当に申し訳ありません」

える「合わせる顔も無いと思いましたが、話さずにはいられませんでした」

える「すいませんでした」

そう話を締めると、ちーちゃんは頭を下げた。

ほんっとに。

ほんとーに! 私って、馬鹿だ。

ちーちゃんが、そんな事……昨日言った事を本気でする訳ないじゃんか。

私は昨日まで、ちーちゃんの事を疑っていたのをすごく後悔した。

ああもう! 最低じゃないか私。

謝るのは、こっちの方だ。

167 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:56:33.02 nfnPYl4y0 141/690

そして、尚も頭を下げ続けるちーちゃんに向け、言った。

摩耶花「……ちーちゃん」

摩耶花「謝るのは、私の方だよ」

摩耶花「ちーちゃん! ごめん!」

するとちーちゃんはキョトンとした顔をこっちに向け、少し困惑していた。

摩耶花「私、ちーちゃんの事疑ってた」

摩耶花「もしかしたら、そういう事を言う人なんじゃないかって」

摩耶花「でも、普通に考えたらありえないよね」

摩耶花「ごめんね、ちーちゃん」

える「あ、あの」

える「……許して、くれるんですか」

何を言ってるんだこの子は!

168 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:57:05.26 nfnPYl4y0 142/690

摩耶花「当たり前じゃない! だって私たち」

摩耶花「友達、でしょ」

今年一番の、いい笑顔だったと思う。

良かった、本当に。

胸の痛みは、とても自然に……心地よく消えていた。

える「……はい! 友達、ですよね」

ちーちゃんの笑顔も、今年で一番可愛らしかった。

える「良かったです、本当に……良かったです」

ちーちゃんの瞳から、綺麗な涙が落ちるのを見た。

摩耶花「良かったよ、私もほんっとに」

摩耶花「……良かったよ」

169 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:57:33.42 nfnPYl4y0 143/690

その後は、時間が許すまでお話をした。

今回の事で、お互いが思っていた事。

その間何回か泣き、笑った。

やっぱり、ちーちゃんはちーちゃんだ。

私の大切な、友達。

そうだ、あれをあげよう。

元からあげる予定だったんだけど、ね。

摩耶花「そだ、ちーちゃん……」

える「はい? なんでしょうか」

摩耶花「これ、あげる」

える「……これは、すごく綺麗ですね」

摩耶花「なら良かった、喜んで貰えるなら私もうれしい」

える「私のお部屋に飾りたいですが……この部屋に飾ってもいいですか?」

摩耶花「ちょっと恥ずかしいけど……うん、いいよ」

摩耶花「ちーちゃんのお部屋用のも、今度あげるね」

える「はい! ありがとうございます、摩耶花さん」

170 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:58:07.32 nfnPYl4y0 144/690

~教室~

少し休んでいたつもりだったが、もう18時か……

ふと窓から外を眺めると、千反田と伊原の姿が目に入ってきた。

お互いに笑顔で、とても仲が良さそうに見える。

奉太郎(向こうも、うまくいったようだな)

奉太郎(俺も帰るか、体が重すぎるぞ……)

教室を出た所で、少しだけ黄昏れたい気分になった。

奉太郎(部室に寄って行くか)

そう思い、普段より重く感じる体を引き摺りながら目的地へ向かう。

古典部の前に着き、ゆっくりと扉を開けた。

夕日が差し込み、中々に趣がある光景となっている。

近くの席に腰掛け、溜息を一つついた。

奉太郎(最近は本当に、体を動かしっぱなしだな)

奉太郎(俺は、今薔薇色なのだろうか?)

奉太郎(わからん……)

奉太郎(まあ、どっちでもいいか)

奉太郎(しかし……何も灰色に、拘る必要もないかもしれない)

171 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 20:58:36.80 nfnPYl4y0 145/690

最終下校を知らせるチャイムが鳴り響いた。

奉太郎(もう少し居たかったが……仕方ない、帰るか)

部室を出ようとしたところで、見慣れない物が視界に入ってきた。

奉太郎(……全く、周りから見たら薔薇色の一員か、俺も)

そして俺は、家へと帰る。

部室には--------

俺、里志、伊原、千反田。

全員が笑顔の、綺麗な色使いの絵が飾ってあった。

今日もまた、高校生活は浪費されていく。

それは灰色か、薔薇色か。

こいつはどうやら、自分で決める事ではないらしい。

今日もまた灰色の……いや、どちらかは分からない高校生活は浪費されていく。

第六話
おわり

173 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 21:01:22.23 nfnPYl4y0 146/690

6.5話

やっと、家に着いた。

今日はとても長く感じる。

色々あったが……無事に終わった。

ま、終わりよければ全て良しと言った所か。

家に入り、自室へ向かう。

姉貴がリビングに居るが、疲れていて姉貴の話に付き合う体力は無い。

奉太郎(やはり少し、体が重いな)

朝からだったが、今がピークだろうか……どうにもふらふらする。

ああ、もう少しで、部屋に着く。

奉太郎(なんか、視界が揺れているぞ)

奉太郎(ま、ずいな)

そこで、俺の意識は途絶えた。

174 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 21:02:03.73 nfnPYl4y0 147/690

摩耶花から連絡が来て、千反田さんと仲直りした事を聞いた。

里志(ホータローの方もうまくいってるだろうし、これで一件落着って所かな)

けど、ホータローには随分と任せっぱなしにしてしまったなぁ。

僕の立場を使うってのは良いと思ったけどね。

とりあえず明日、部室でゆっくり皆で話そう。

里志(にしても、疲れたなぁ)

突然、部屋の電話が鳴り響いた。

里志(誰だろう? 摩耶花なら携帯に掛けて来る筈だし……ホータローかな?)

電話機の前まで行き、映し出されている番号はホータローの家の物だった。

里志(やっぱりか、今日の結果報告と言った所かな?)

そう思い、電話を取る。

里志「もしもし、ホータローかい?」

供恵「ごめんねー。 奉太郎じゃなくて」

里志「あれ、ホータローのお姉さんですか?」

供恵「そっそ、里志君お久しぶり」

里志「どうも! それで、何か用でしょうか?」

供恵「うん、実はね」

175 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 21:02:30.22 nfnPYl4y0 148/690

私は家のベッドに転がると、今日の事を思い出す。

摩耶花(本当によかった、仲直りできて)

一応、敵を作りやすい性格だとは自分でも分かっている。

でも、ちーちゃんに嫌われたと思ったときは本当に辛かった。

しかしそれも思い過ごしで……なんだか思い出したら泣けてきちゃう。

摩耶花(やっぱりちーちゃんとは、友達続けていたいな)

明日は、またいっぱい話をしよう。

今度、どこかへ遊びに行こうかな。

ちーちゃんは遊ぶ場所知らなさそうだし、私が案内しなくちゃ。

そうだ、どうせならふくちゃんも、折木も呼んでどこかへ行こう。

そう思い携帯を手に取る。

電話番号を押そうとした所で、着信。

摩耶花(ふくちゃんから? 何か用なのかな)

摩耶花「もしもし、ふくちゃん?」

里志「摩耶花! ちょっと今から出れる!?」

焦っている感じ……何かあったのかな?

摩耶花「う、うん」

摩耶花「……一体どうしたの?」

176 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 21:03:03.25 nfnPYl4y0 149/690

縁側に座り、夕日色に染まる空を眺めました。

私は……とても友達に恵まれています。

折木さんも、福部さんも、それに摩耶花さんも。

皆さん、とてもいい方達です。

私には少し勿体無いくらいの、そんな人たちです。

でもやはり、最後にはまた……折木さんに助けられました。

いつか、私が折木さんを助ける事はできるのでしょうか?

える(何か、恩返しはできないでしょうか……)

える(折木さんにも、福部さんにも、摩耶花さんにも)

最初に古典部に入った目的は、氷菓の件です。

しかし私しか部員がおらず、どうしようかと思っていたときに現れたのは折木さんでした。

そして私が長い間、考えていた問題も解決してくれました。

他にも色々と、今回の事だってそうです。

える(とても返しきれそうな恩では……ないですね)

気温も大分、気持ちいいくらいになってきます。

もうすぐ夏も、やってきます。

177 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/09 21:03:38.56 nfnPYl4y0 150/690

える(時が経つのは早いですね、これからどのくらいの間、一緒に居られるのでしょうか)

える(後、2年も……ないですね)

考えると寂しい気持ちになってしまうので、気持ちを切り替える為に冷たい水でも飲みましょう。

そう思い、台所へと向かいました。

丁度台所に入ろうとしたとき、家のインターホンがなります。

える(お客さんでしょうか?)

える(こんな時間に、珍しいですね)

私は台所へ向かっていた足を玄関に向けると、扉を開きました。

摩耶花「ちーちゃん!」

える「ま、摩耶花さん?」

摩耶花さんから私の家までは大分距離があるのに……どうしたのでしょう?

える「どうしたんですか? 随分と慌てている様ですが……」

摩耶花「折木が、折木が倒れた!」


6.5話
おわり

187 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 20:59:37.10 xkf9nyGQ0 151/690

第七話

える「折木さんが!?」

今考えると、朝からどこか……具合の悪そうな顔をしていました。

思い出されるのは、今日の屋上で聞いた話。

える(……私のせいです)

私がもっとしっかりしていれば、折木さんに頼らずに済んでいたのに。

なのに折木さんに無理をしてもらって……

える(考えていても、仕方ありません)

える「折木さんはどこに?」

摩耶花「私もふくちゃんから聞いただけなんだけど……今は家に居るみたい」

える「では、行きましょう!」

そう言うと、私は制服のまま自転車を取り出します。

摩耶花さんも自転車で来ていた様です。

精一杯漕いで……15分ほどでしょうか。

それらを計算する時間も勿体無く、私は摩耶花さんと一緒に折木さんの家に向かいました。

188 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:00:28.21 xkf9nyGQ0 152/690

折木さんの家には何度かお邪魔した事があったので、道順は大丈夫です。

少しだけ見慣れた光景なのに……とても長く感じました。

える(早く……まだでしょうか)

たった15分の道のりが、30分にも1時間にも感じます。

摩耶花「ちーちゃん! 道はあってるの?」

える「はい! 何度か行った事があるので大丈夫です!」

自転車を漕ぎながらも、必死で会話をします。

摩耶花「え? ちーちゃん折木の家に行った事あるの!?」

ああ、失念していました。

別段、秘密にしようとは思っていなかったのですが……

なんとなく、隠していたんです。

でも、今は答えている余裕はありません。

える「もう少しで着きます!」

やっと……やっと見えてきました。

189 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:01:05.21 xkf9nyGQ0 153/690

折木さんの家の前では……福部さんが待っていました。

える「福部さん! 折木さんは!?」

里志「ち、千反田さん。 落ち着いて」

里志「ホータローなら家に居るよ、お姉さんもね」

福部さんは、どうしてここまで落ち着いているのでしょう?

摩耶花「ふくちゃん! 早く折木の所へ行こう!」

そうです、折木さんは大丈夫なのでしょうか……

里志「うん、じゃあ行こうか」

福部さんの後ろについて行く形で、折木さんの家に入ります。

玄関を開けると、折木さんのお姉さんが居ました。

190 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:01:34.82 xkf9nyGQ0 154/690

供恵「お、来たね」

供恵「にしてもあいつ、意外と友達に恵まれてるなー」

この方……もしかして。

摩耶花「こんにちは、伊原摩耶花といいます」

える「千反田えると申します」

摩耶花さんに続き、軽い挨拶をしました。

そこでふと、少し気になっていた疑問をぶつけてみます。

える「あの、すいません……以前お会いしましたよね?」

供恵「前に? うーん」

供恵「覚えてないなぁ……どこで会ったの?」

確かに、会った筈です。

える「神山高校の文化祭の時にお会いしたかと……」

191 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:02:02.89 xkf9nyGQ0 155/690

供恵「え? なんか話したっけ、私と」

える「いえ、一目見ただけです。 その時はなんとなく、以前どこかでお会いした気がしていたんですが……」

える「折木さんのお姉さんだったんですね!」

供恵「すごい記憶力ねぇ」

供恵「ま、それにしても」

供恵「私とあいつが似てるー? 勘弁してよ!」

里志「あはは、ホータローもそれは違うって言ってたね」

供恵「あいつがねぇ……」

供恵「と言うか、千反田さん?だっけ」

える「は、はい」

供恵「なるほどねぇ、可能性の一つって所かしら」

192 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:02:32.56 xkf9nyGQ0 156/690

える「え、えっと?」

供恵「ううん、なんでもない」

少し、気になりますが……

いけません!

今はもっと、しなければいけない事があるんでした!

える「それより!」

供恵「な、なに?」

里志「ち、千反田さん落ち着いて。 お姉さんびっくりしてるよ」

いけません、また近づきすぎてしまいました……

える「す、すいません。 で、でもですね」

193 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:03:00.05 xkf9nyGQ0 157/690

える「折木さんはどこでしょうか!? 無事なのでしょうか!?」

供恵「あいつも大切にしてもらってるのねぇ、勿体無い!」

供恵「あ、奉太郎ね」

供恵「今は自分の部屋で寝ているよ、顔だけでも出してあげて」

える「ありがとうございます」

える「行きましょう。 福部さん、摩耶花さん」

摩耶花「うん、そうだね」

里志「りょーかい」

私たちは、3人で折木さんのお部屋に向かいました。

ドアはすんなりと開きます。

目に入ってきたのは、ベッドに横になっている折木さんでした。

える(私が、私のせいで……)

える「折木さん!」

194 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:03:29.27 xkf9nyGQ0 158/690

折木さんの所へ行くと、手を握ります。

摩耶花「折木! 大丈夫?」

あれ? 福部さんも一緒に来たと思ったのですが……

お手洗いにでも行っているのでしょうか? 見当たりません。

で、でも今はそれよりも!

える「折木さん! 折木さん!」

何度か呼びかけると、折木さんは返事をしました。

奉太郎「……おい」

そう言うと、折木さんはゆっくりと体を起こします。

奉太郎「里志だな……こんな大事にしたのは」

大事……とはどういう意味でしょうか?

里志「い、いやあ……僕もここまで大事になるとは思わなかったんだよ」

える(福部さん、いつの間に戻ったのでしょうか……)

195 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:04:05.42 xkf9nyGQ0 159/690

奉太郎「全く、いい迷惑だ」

える「え、ええっと?」

摩耶花「……ふくちゃん、説明してね」

つまりは、どういう事でしょう?

摩耶花さんは何か分かった様な顔をしていますが……

里志「えっとね、ホータローはただの風邪なんだ」

里志「最初に聞いたのは僕なんだけど……ホータローのお姉さんからね」

里志「それを拡大解釈して、摩耶花に連絡をしたんだよ」

里志「ホータローが倒れた! ってね」

里志「そうしたら摩耶花は千反田さんに連絡を入れて……今に至るって所かな」

そ、そうでしたか……

でも、危ない状態ではなくて良かったです。

いえ、一度倒れているんです……良かった事はないでしょう。

える「……そうですか、少しだけ安心しました」

そう言うと、私は床に座り込んでしまいます。

全身から、一気に力が抜けたのでしょうか。

196 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:04:41.08 xkf9nyGQ0 160/690

摩耶花「……ふくちゃんのバカ」

摩耶花「あんな慌てて連絡してくるから、一大事だと思ったじゃない!」

里志「い、いやあ……まあ皆集まってホータローも嬉しいんじゃない?」

里志「結果オーライって奴かな?」

摩耶花「ふーくーちゃーんー?」

二人は、口喧嘩を始めてしまいます。

と言っても、摩耶花さんが一方的に責めているだけですが……

える(こ、ここで喧嘩はダメですよ! 二人とも!)

そんな動作を身振り手振りで伝えていたら、折木さんから声が掛かります。

奉太郎「いいんだ、千反田」

奉太郎「今となっちゃ、こっちの方がいつも通りだからな」

える「そう、ですか」

える「あの、折木さん」

197 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:05:11.10 xkf9nyGQ0 161/690

奉太郎「ん?」

える「すいませんでした……折木さんがこんな状態なんて知らずに、私」

奉太郎「別に、俺が好きでやったことだ」

奉太郎「お前が気に病むことなんてないだろ、ただの風邪だしな」

える「そう言って頂けると、ありがたいです……」

本当に、折木さんは心優しい方です。

折木さんが好きでやったことでは無い事なんて……私でも分かります。

もう少し、もう少しだけ……私も強くならないと。

いつまでも頼ってばかりでは、ダメです。

える「折木さん、ありがとうございます」

そう笑顔を向けると、折木さんも少しだけ……笑った気がしました。

すると突然、ドアが開きます。

198 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:05:37.83 xkf9nyGQ0 162/690

供恵「盛り上がってる所ごめんねー」

福部さんと摩耶花さんはそれを期に、口喧嘩を止めました。

供恵「ご飯作っちゃったけど、食べてく?」

里志「おお! ホータローのお姉さんの手作り! 是非!!」

摩耶花「私も、いただこうかな……」

摩耶花さんが、少しだけムッとした顔を福部さんに向けています。

える「では、私も……」

供恵「そっ、下に置いてあるから勝手に食べちゃってねー」

里志「あれ、お姉さんは一緒に食べないんですか?」

摩耶花さんが、さっきより更に鋭い視線を福部さんに向けています。

少し、怖いです。

供恵「あー、私はね」

供恵「今夜から旅行!」

確か前に、折木さんが「姉貴は世界が好きなんだ」って言っていましたが……

なるほど、と思いました。

199 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:06:10.16 xkf9nyGQ0 163/690

里志「そうなんですか、気をつけて!」

供恵「うんうん、何かお土産皆に買ってくるね」

供恵「それじゃあまたねー」

そう言うと、さっそく折木さんのお姉さんは家を出て行きました。

行動が……早い人です。

里志「もう行っちゃったね」

里志「ご飯、食べようか」

福部さんの言葉を皮切りに、私たちはリビングへと向かいます。

それにしても何か忘れている様な……

そんな考えも、おいしいご飯を食べている時は忘れてしまいます。

30分ほど3人でご飯を食べ、また少しお話をします。

里志「あっははは、それはまた、ははは。 面白いね」

摩耶花「でしょ? 私はいい迷惑だったけどね!」

える「そうですね……あ、もうこんな時間ですか」

時計を見ると、時刻は20時となっています。

随分と、長居をしてしまいました……

200 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:06:36.34 xkf9nyGQ0 164/690

長居?

里志「そうだね、そろそろ帰ろうか」

あ、思い出しました……!

摩耶花「うん、明日も学校だしね」

える「あ、あの」

える「少し、言い辛いんですが……」

摩耶花「どしたの? ちーちゃん」

える「折木さんは……?」

私がそう言うと、二人も思い出したのか焦りが顔に出ています。

里志「す、すっかり忘れてた」

摩耶花「物凄くリラックスしてたね、私たち……」

える「ちょ、ちょっと折木さんの部屋に行きましょう」

里志「そ、そうだね、そうしよう」

少々皆さんの顔が引き攣っていますが……戸惑ってはダメです!

201 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:07:04.39 xkf9nyGQ0 165/690

ドアを開けると、折木さんがベッドの上に座り、手を組んでいました。

奉太郎「楽しかったか?」

里志「ま、まあ……」

奉太郎「……随分と、盛り上がっていたなぁ?」

摩耶花「う、うん……」

奉太郎「飯はうまかったか?」

える「折木さんごめんなさい!!」

急いで、頭を下げます。

折木さんは、一つ溜息をつくと、ゆっくりと口を開きました。

奉太郎「ま、いいさ」

奉太郎「それより悪いんだが、俺の飯を運んできてくれないか?」

える「は、はい!」

折木さんのご飯……ご飯。

202 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:07:31.28 xkf9nyGQ0 166/690

あれ?

里志「ほ、ホータロー」

奉太郎「……ん」

里志「とても言い辛いんだけど、ホータローの分、皆で分けちゃったんだ」

奉太郎「……」

奉太郎「お前ら、一応ここ俺の家だからな?」

摩耶花「ご、ごめん折木……」

どうしましょう、どうしましょう……

すると突然、誰かの携帯が鳴りました。

摩耶花「私のだ、誰だろ」

摩耶花さんは廊下に出ると、電話でどなたかとお話をしています。

続いてまた、携帯が鳴ります。

今度は……福部さんでしょう。

部屋に二人っきりになりました。

203 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:09:24.80 xkf9nyGQ0 167/690

える「あの、折木さん」

える「すいません、本当に……」

奉太郎「……はあ」

奉太郎「いいんだ、別に」

奉太郎「そこまで腹が減ってた訳じゃないしな、構わないさ」

える「い、いえ! でも……」

そうは言っても、折木さんのとても悲しそうな顔ときたら……

やはり、申し訳ないです。

するとどうやら、話し終わった福部さんと摩耶花さんが部屋に戻ってきます。

摩耶花「お母さんからだった、何してんのーって」

里志「はは、僕も一緒だ」

お二人はどうやら、そろそろ帰らないとまずいようです。

える「そうなんですか、折木さんのご飯……どうしましょう」

奉太郎「気にするな、明日も学校だろ。 お前ら」

ですが、ですが。

福部さんも、摩耶花さんも、やはり少し後ろめたさがあるようです。

204 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:10:07.78 xkf9nyGQ0 168/690

私、決めました!

える「私が何か作ります!」

奉太郎「た、確かにそれは有難いが……時間、大丈夫なのか?」

える「はい、今日は大丈夫です」

える「両親は今日、挨拶でとなりの県まで行っているので」

える「戻ってくるのは明日のお昼の予定です、問題はありません」

里志「うーん、じゃあちょっと悪いんだけど……千反田さんに任せようかな」

摩耶花「そだね……ごめんね? ちーちゃん」

える「いえいえ、構いませんよ」

そう言い、二人は帰り仕度を始めます。

奉太郎「ありがとな、里志も伊原も……千反田も」

里志「気にしない気にしない、どうせ暇だったしね」

摩耶花「別にあんたの為に来た訳じゃないし……ふくちゃんが行くって言うから……」

摩耶花「でも、早く元気になってよ。 病気のあんたと話しててもつまらないし」

奉太郎「……ま、すぐに治るだろう」

そして、摩耶花さんと福部さんは自分の家へと帰って行きました。

205 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:10:37.98 xkf9nyGQ0 169/690

さて、どうしましょう……

える「とりあえず、ご飯作りますね!」

奉太郎「ああ、悪いな千反田」

える「いえいえ、折木さんは寝ていてください」

そう言い残し、私は台所へと向かいました。

える(何を作りましょうか……)

える(お米は、御粥にしましょう)

える(生姜粥がいいですね)

える(後は……ネギを炒めましょう)

える(少ないですけど……風邪ですからね、仕方ないです)

私はお粥を作り、ネギを醤油で炒め、折木さんの部屋へと持って行きました。

える「折木さん、できましたよ」

える「ちょっと見た目も良いとは言えませんし、量も少ないですが……風邪に良いと思いまして」

206 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:11:16.57 xkf9nyGQ0 170/690

奉太郎「おお、うまそうだ」

える「そう言って頂けると、うれしいです」

折木さんは食べ始めると、ひと言も喋らず食べ続けます。

そんな様子を見ていたら、なんだか顔が綻んでしまいます。

奉太郎「あ、あんまジロジロ見ないでくれ」

える「あ、す、すいません」

慌てて視線を泳がせますが……やはり気になってちらちらと見てしまいます。

える(どうでしょうか……)

奉太郎「……ふう」

折木さんは食べ終わると、箸を置き、息を吐きました。

奉太郎「……うまかった、ご馳走様」

ああ、良かったです。

える「そうですか、お粗末様です」

207 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:11:52.23 xkf9nyGQ0 171/690

奉太郎「悪いな、色々と」

える「い、いえ……元を辿れば私のせいですので」

やはり、申し訳ない事をしてしまいました。

私がもっとちゃんとしていれば。

そこで気付くと、折木さんが私の顔の前に手を持ってきていて……

える「いっ…」

デコピン、してきました。

奉太郎「何回言ったら分かるんだ、お前のせいじゃない」

奉太郎「もう自分を責めるのはやめろ」

える「は、はい。 でも……」

奉太郎「ん?」

える「デコピンは、ちょっと酷いです……」

そう言い、私が俯き悲しそうな顔をしていると折木さんが口を開きます。

208 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:12:46.02 xkf9nyGQ0 172/690

奉太郎「わ、悪い」

折木さんは、顔を私から逸らします。

今です!

奉太郎「悪かったよ、千反田……いてっ」

やり返しちゃいました。

える「ふふ、お返しです、折木さん」

奉太郎「……全く、俺はもう寝るぞ」

える「そうですか」

奉太郎「それより、お前は帰らなくてもいいのか」

……すっかり忘れていました。

える「あ、もう22時ですね」

える「……通りで眠いと思う訳です」

もう外は、真っ暗です。

でも余り折木さんの家に長く居ても迷惑ですし……そろそろ帰らなければ。

209 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:13:14.15 xkf9nyGQ0 173/690

える「では、私はそろそろ……」

奉太郎「なあ……」

える「はい? なんでしょうか?」

奉太郎「今日、泊まっていかないか」

と、泊まり!?

お、折木さんの家に!?

そ、それはつまり……どういう事でしょう?

える「え、えっと、そ、そのですね」

奉太郎「べ、別に嫌ならいいんだ」

奉太郎「その、なんだ」

奉太郎「今から一人で帰すってのも、ちょっとあれだしな」

奉太郎「夜遅くに、女子を一人で帰すのは……ちょっと気が引けるってだけだ」

210 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:13:49.88 xkf9nyGQ0 174/690

える「え、あ、ありがとうございます……」

奉太郎「……千反田が嫌ならいいんだがな、無理にとは言わん」

ど、どど、どうしましょう。

嫌って訳ではないんです、ないんですが……

なんで、私はここまで緊張しているのでしょうか……?

折木さんが言っているのは、帰っても帰らなくてもって事ですよね。

……どうしましょう?

える「お、折木さん、あの」

える「……泊まらせて、もらいます」

自然と、口から出てしまっていました。

奉太郎「……そうか」

奉太郎「……風呂も一応沸いてるから、使っていいぞ」

える「は、はい」

える「では、頂きますね」

そう言い、ちょっと恥ずかしいのもあり、私は一度リビングへと行きました。

211 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:14:16.28 xkf9nyGQ0 175/690

リビングに着き、ソファーに座ります。

える(びっくりしました)

える(まさか、泊まる事になるなんて……)

ふと、思い出します。

える(着替え……どうしましょう)

そんな事を思いつつ、ソファーの隅に一枚の紙切れが落ちているのに気付きます。

その紙には【これ私の服ね、使っていいわよ、千反田さん。 折木 供恵】と書いてありました。

える(全部、全部予想されていたって事ですか……)

折木さんのお姉さんは、随分と勘が鋭い方だとは聞いていましたが……ここまでとは。

でも、助かりました。

そう思い、その紙と一緒に置いてあったパジャマを手に取り、私はお風呂場へと足を向けます。

第七話
おわり

213 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:21:48.96 xkf9nyGQ0 176/690

7.5話

僕は、皆より一足先にホータローの家に着いていた。

そこで、盛大な勘違いをしたことを知ったんだけど……

お姉さん曰く、ただの風邪らしい。

それでも無理に動いていたから、倒れたとの事だ。

まあ、普段から体を動かしてないからってのもあると思うけどね。

とにかく、摩耶花と千反田さんになんて言い訳しようかな。

里志(うーん、参ったなぁ)

里志(あれ? もう来てるし!)

予想以上に千反田さんと摩耶花が来るのは早かった。

二人に軽く挨拶をして、ホータローの家に入る。

ここまできたら、どうにでもなれ!

214 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:22:24.29 xkf9nyGQ0 177/690

お姉さんと千反田さんの会話を少し聞いたけど、千反田さんの記憶力はやはりすごい。

里志(これほどまでとは、ね)

そんなこんなで、ホータローに会おうという流れになってしまう。

うう、参ったなぁ。

お姉さんの横を通り過ぎようとした所で、呼び止められた。

供恵「里志くん、ちょっといいかな」

なんだろうか? まあこのまま行っても気まずいし、少し道草をしよう。

里志「なんですか?」

供恵「奉太郎の事なんだけど、さ」

供恵「最近学校で何かあったの?」

里志「うーん、確かにあるっちゃありましたね」

215 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:23:11.91 xkf9nyGQ0 178/690

供恵「内容までは言えないって事ね」

里志「ま、そんな所です」

里志「すいません、いくらお姉さんでも言う訳には行かないんです」

供恵「……それってあの千反田さんに関係してるのね」

里志「……違うといえば、嘘になります」

うひぃ、やっぱり鋭いなぁ。

ホータローが苦手になるのも、少し分かる気がする。

供恵「そう、それだけ分かれば充分だわ」

供恵「にしても、あのホータローがねぇ」

216 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/10 21:23:39.24 xkf9nyGQ0 179/690

里志「ええっと、どういう意味ですか?」

供恵「その内分かるわよ」

なんだろうか……

やはりこの人は、何か知っているのか?

ううん、僕には思いつきそうにないや。

そして、そう言うとお姉さんはリビングへと戻っていった。

供恵「里志くん、ごめんね呼び止めちゃって」

供恵「奉太郎に会いにいってあげて」

そう言い残し、扉を閉めようとする。

そして、これは僕が聞いていなかった言葉、聞けなかった言葉。

供恵「あの奉太郎が飛び出して行ったと思ったら、なるほどね」

供恵「中々青春してるじゃない、あいつも」

第7.5話
おわり

227 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 17:55:25.49 29A0yJOO0 180/690

第8話

俺は、俺はどうすればいいのだろうか。

勢いで千反田に泊まっていけ等と言った物の、どうにも落ち着かない。

奉太郎(何をやってるんだか……)

第一に、風邪を移してしまう可能性もあるだろう。

そんな事をしてしまったら本末転倒ではないか。

あいつは、あいつの性格からしたら……

これでも1年と少しの間、千反田と過ごしている。

一緒に居た時間もそれなりにはある。

そこから予想できる、次の千反田の行動は。

恐らく、風呂を出た後はこの部屋に一度やってくるだろう。

その時、俺はどんな顔をすればいいのだろうか。

全くもって、面倒な事になってしまった。

普段の俺なら、絶対に泊まっていけ等と言う筈が無いのに。

どうやら大分、風邪のせいで思考は弱くなっているらしい。

しかし今考えなければいけないのは、次に千反田が部屋に来た時どうするか? だ。

228 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 17:56:01.12 29A0yJOO0 181/690

奉太郎(寝た振りでもしてしまおうか)

生憎だが、眠気は吹っ飛んでしまっている。

振りならば可能と言えば可能だが、そこまでする必要はあるのか……?

奉太郎(普通に接するか)

普通に接する……?

普通とは、どんな感じだったっけか。

ううん……

奉太郎(千反田、お風呂出たんだ。 じゃあ次は僕が入ろうかな?)

あれ、俺ってこんなキャラだっけ?

違う違う。

奉太郎(ちーちゃん、お風呂気持ちよかった? 私も入って来ようかな)

これは伊原だろう!

奉太郎(千反田さん、お風呂あがったんだね。 そう言えば、人間の体を温めた時に起きる作用なんだけど)

これは里志。

半ば半分ふざけて思考遊びをしていた時に、来てしまった……奴が。

229 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 17:56:32.01 29A0yJOO0 182/690

える「あれ、起きていたんですね」

える「お風呂、ありがとうございます」

奉太郎「あ、ああ」

そう言いながら、千反田に目を向け、ぎょっとする。

この服は、姉貴のだろうか。

姉貴は意外にも身長があるし、体格も女の割りには結構がっちりとしている。

かと言ってスタイルが悪いと言う訳でもない。

そんな姉貴の服を千反田が着ると、どうなるかというと……

ぶかぶかだ。

それだけなら、まだいい。

余りこういうのは言いたくは無いのだが……

つまり、胸元が、見える。

える「折木さん、大丈夫ですか?」

える「顔が真っ赤ですけど……また熱でも上がったのでしょうか……」

230 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 17:57:08.74 29A0yJOO0 183/690

奉太郎(ち、近い)

それをこいつは自覚しないから始末に終えない。

本当に、言いたくないが……このままでは風邪どころか神経を使いすぎて倒れかねない。

奉太郎「ち、千反田」

える「はい、どうかしましたか?」

奉太郎「その、その服だと、目のやり場に困るから、何か下に一枚着てくれると助かる」

える「え、あ! す、すいません!!」

がばっ!と胸元を隠す。

この際なら、なんでもいいだろう。

部屋にある引き出しから、手頃なシャツを一枚千反田に渡す。

奉太郎「これは俺のだが、着てくれると助かる」

える「は、はい! ありがとうございます!」

千反田もようやく気付いた様で、慌てっぷりは中々の見物だ。

そしてそのまま姉貴の服に手を掛けると……

231 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 17:57:51.90 29A0yJOO0 184/690

奉太郎「お、おい! 外で着替えろ馬鹿!」

全く、全く全く。

千反田は顔を真っ赤にして、部屋から出て行った。

奉太郎(疲れる……本当に疲れるぞ、これ)

どうにも千反田は、天然と言えばいいのだろうか?

所々抜けており、言われるまで分かっていない節がある。

それを一個一個指摘するのは、大変な労力なのだ。

ほんの2、3分だろうか、千反田が再び部屋に戻ってきた。

える「あ、折木さん、本当にす、すいません」

奉太郎「……もういい」

話を変えよう、気まず過ぎて窓から飛び出したい気分になってしまう。

奉太郎「それより、布団を出しに行こう」

奉太郎「さすがにソファーで寝ろとは言えんからな」

そして、再びこのお嬢様は俺に疲れをもたらせる。

える「あれ、一緒のベッドで寝ないんですか?」

奉太郎「寝る訳あるか!」

232 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 17:58:32.26 29A0yJOO0 185/690

俺は……俺の言葉を恨む。

泊まっていけなど、口が裂けても言うべきでは無かった。

奉太郎「……大体、俺は風邪を引いてるんだぞ」

奉太郎「移ったらどうするんだ」

える「私は大丈夫ですよ! うがいと手洗いには気を使って居ますので」

奉太郎(そういう問題では無いだろ)

しかし、飛びっきりの笑顔で言われては俺も参ってしまう。

奉太郎「そうか、でもとりあえずは別々で寝よう」

手段は、強行突破。

える「……そうですか、少し残念ですが、分かりました」

奉太郎(はぁぁ)

どうにも熱が上がってしまいそうで、本当に千反田はお見舞いに来たのだろうか? 等と思ってしまう。

だが納得してくれたのなら引っ張る必要も無いだろう。

そのまま別の部屋に移り、布団を引っ張り出す。

233 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 17:59:34.79 29A0yJOO0 186/690

一応は客室となっている為、そこに布団を敷こうとしたが……

える「あの、折木さんの部屋に敷かないのですか?」

こいつはそろそろわざとやっているんじゃないか? と疑ってしまう。

仕方ない、はっきりと言おう。

奉太郎「あのな、千反田」

える「はい、なんでしょう」

奉太郎「俺は男で、お前は女だ」

える「ええ、そうですね」

奉太郎「男と女が一緒の部屋で寝るのは……その、余り良くないだろう」

える「確かに、分かります」

ん? 分かるのか。

奉太郎「だったら」

える「でも私、折木さんの事を信用していますから」

ああ、そう言う事か。

こいつは俺の事を信じているから、一緒のベッドで寝てもいいし、一緒の部屋で寝てもいい、というのか。

今までのこいつの態度の原因が、少しだけ分かった気がした。

信じていなかったのは、俺の方なのだろうか。

ここまで言われては、無下にするのも気が引けてしまう。

奉太郎「……分かった」

奉太郎「俺の部屋に布団は敷く、だけど風邪が移っても知らんぞ」

234 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:00:20.60 29A0yJOO0 187/690

える「はい! ありがとうございます、折木さん」

やっぱり、泊めるべきでは無かった。

どうやら今年一番の失敗は、これになりそうだな。

渋々布団を抱え、自室に戻る。

床に落ちている物を適当に足でどけると、そこに布団を敷いた。

すると千反田はとても満足そうな顔をしていた。

俺は、とても不満足な顔をした。

える「ふふ、折木さんと、お話したかったんです」

奉太郎(一応病人だぞ、俺)

でも、千反田と話していると何故か元気が出てくるのは自分でも分かっていた。

奉太郎(ま、少しくらい付き合ってやるか)

える「今日の事で、お話しようと思っていて」

今までの少し楽しんでいた千反田とは違い、一転空気が引き締まるのを感じた。

今日の事か、どうせ後で話すことになるんだ、今でもいいだろう。

奉太郎「俺も、その事は話さないといけないと思っていた」

235 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:01:08.08 29A0yJOO0 188/690

える「そうでしたか、ではお話しますね」

千反田は一呼吸置くと、続けた。

える「本当に、折木さんには感謝しています」

える「私一人では多分、摩耶花さんと話し合いをしていたのかも分かりません」

える「福部さんとも、お話はとても出来ると思っていませんでした」

える「正直に、言いますね」

また一段と、空気が重くなる。

える「最初、摩耶花さんが帰った後」

える「一番怖かったのは、折木さんに嫌われるという事でした」

える「今まで少し、頼り過ぎていたのでしょう」

える「折木さんがすぐに戻ると言ってくれた時、ちょっとだけ安心できたのも覚えています」

覚えていたのか、俺は……くそ。

236 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:01:39.05 29A0yJOO0 189/690

える「それから1時間程は、足に力も入らず、ただ呆然としていました」

える「外が暗くなってきて、ようやく立てる様になったんです」

える「今までで一番、体が重く感じました」

える「家に帰る道も、とても長く感じました」

俺がもし覚えていたら、千反田はこんな思いをしないで済んだのでは?

一緒に帰っていれば、そんな思いをさせずに済んだかもしれない。

える「それでようやく家に着いて、これからどうしようか考えていたんです」

える「気付くと電話機の前に居て、掛けようとした先は……折木さんの所です」

える「ですが、電話を取れませんでした」

える「……また、折木さんに甘えていると思ったからです」

237 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:02:11.09 29A0yJOO0 190/690

それでか、それで千反田はすぐに電話に出たのか。

たまたま前に居たんじゃない、俺に電話を掛けようとしていて……電話機の前に居たんだ。

える「しかし、そんな時に電話が鳴ったんです」

える「お相手は、折木さんでした」

える「私は、その時とても嬉しくて、嬉しくて」

える「そこからは、折木さんの知っている通りです」

える「これは私の気持ちですが、知って貰いたかったんです」

さっき、俺はこう言った。

どうやら今年一番の失敗は、これになりそうだな。と。

そんな事は無い。

さっきまでの俺は……とんだ馬鹿野郎だ。

239 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:04:29.66 29A0yJOO0 191/690

奉太郎「千反田……」

奉太郎「俺の話を、聞いてくれるか」

千反田の方に顔を向けると、返事代わりに笑顔を一つ、俺の方へ向けた。

奉太郎「俺は、最初の一瞬……お前が言ったのかと思った」

奉太郎「けど、すぐにそれは違う事が分かった」

奉太郎「まずは謝る、ごめん」

千反田は何か言うかと思ったが、どうやら俺の話が終わるまでは話す気はないらしい。

奉太郎「自分で言うのもなんだが」

奉太郎「俺は怒るって事や、他の事もだが……あまりしない」

奉太郎「疲れるし、な」

少し、少しだけ千反田が笑った気がする。

奉太郎「だが千反田に経緯を教えてもらったとき」

奉太郎「俺は多分、怒っていた」

奉太郎「多分って言うのも変だがな、あんな感情は初めてだった」

奉太郎「怒りを通り越していたのかも知れない」

奉太郎「勿論、千反田に対してじゃない」

奉太郎「千反田に嘘……その言葉の意味を教えた奴に、だ」

240 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:05:34.74 29A0yJOO0 192/690

奉太郎「それから図書室に行って、里志と話をした」

奉太郎「里志に少し、事情を話して……大分落ち着いたのを覚えている」

奉太郎「そして次に、俺は」

言っていいのか? 俺のした事を。

本当に、言っていいのだろうか?

それは千反田には、言ってはいけない内容だ。

けど、俺は……千反田の気持ちを全然理解していなかった。

もしかすると、自分の為に動いていたのかもしれない。

正体不明の感情を、消す為に。

奉太郎「……俺は!」

える「折木さん」

241 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:06:12.26 29A0yJOO0 193/690

会話を、千反田が止めた。

える「もう、いいですよ」

える「折木さんの気持ちは、私に伝わりました」

奉太郎「そう、か」

える「先ほど、こう言いましたよね」

える「自分を責めるのはやめろ、と」

える「それは、折木さんにも言える事ですよ」

そう、だろうか?

俺は……自分を責めているのだろうか?

……そうかもしれない。

える「私は、何回も救われています」

える「氷菓の時も、入須先輩の時も、文化祭の時も、生き雛祭りの時も、今回の事も」

える「だから、たまには……折木さんの事を、助けたいんです」

える「でもやっぱり、私じゃとても役不足みたいです、ね」

える「今日も、迷惑を掛けてしまいましたし……」

242 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:06:53.86 29A0yJOO0 194/690

そうか、こいつはそれでわざわざ飯を作るだのしていたのか。

少しでも俺の、手助けになれるようにと。

俺は天井を見つめながら、言った。

奉太郎「今日は、随分と楽をできたな」

奉太郎「具合が悪い所に友達がお見舞いに来てくれたし」

奉太郎「うまい飯も食えた」

奉太郎「お陰で大分、楽になってきたな」

自分でも、演技っぽいのは分かっていた。

だが、言わずにはいられなかった。

奉太郎「そういう訳だ、千反田、ありがとう」

える「で、ですが」

奉太郎「ありがとう、千反田」

強引だっただろうか?

しかし俺には、これしか思いつかなかった。

える「……はい」

える「どういたしまして、折木さん」

ま、少しは分かってくれたか。

243 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:07:27.41 29A0yJOO0 195/690

奉太郎「もう0時近いな、そろそろ寝るか?」

える「そうですね、電気消しますね」

そう言い、千反田が電気を消した。

える「おやすみなさい」

小さいが、俺の耳には確かに聞こえていた。

奉太郎「ああ、おやすみ」

今日は多分、長い夢を見る事になりそうだ。

244 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:07:56.15 29A0yJOO0 196/690

~翌朝~

雀だろうか、鳴き声が騒がしい。

風邪は大分良くなったようだ。

千反田のおかげ、と言うのも勿論あるだろう。

奉太郎(喉が渇いたな)

部屋ではまだ千反田が寝息を立てている。

どうやらこいつも、昨日は随分と疲れた様子だ。

起こさない様に、そっと部屋を出た。

部屋を出たところで、一度立ち止まる。

部屋の中には千反田、ドアは開いているが不思議と少しの距離感を感じた。

奉太郎「……お疲れ様、ゆっくり休め」

聞こえては、いないだろう。

俺はゆっくりとドアを閉めた。

245 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:08:30.19 29A0yJOO0 197/690

そのままリビングに行き、水を飲む。

朝飯は……いいか、面倒だし。

奉太郎(コーヒーでも飲むか)

コーヒーを一杯淹れ、ソファーに座る。

テレビをつけると、丁度昼前のバラエティ番組がやっていた。

頭に入れることは無く、ただ画面を見つめる。

奉太郎(この分なら学校に行けたかもな)

嘘ではない。

昨日までのダルさは無く、ほとんどいつもの調子だ。

奉太郎(ん?)

奉太郎(テレビ……)

神山高校は、普通の学校である。

普通と言うのはつまり、平日は普通に授業を行っている。

俺は今日休みだが、昨日の内に連絡は入れてあった。

しかし、部屋にはあいつがいるではないか。

奉太郎(あいつ学校は!?)

246 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:08:59.02 29A0yJOO0 198/690

そう思い、自室へと急いで戻った。

ドアを開けると、そこには相変わらず熟睡している千反田の姿がある。

える「……すぅ……すぅ」

呑気に寝息を立てている千反田を見て、ちょっと起こす気が引けるが仕方ない。

奉太郎「おい、千反田」

奉太郎「起きろ」

そこまで声は出していないつもりだったが、千反田はすぐに起きた。

える「……折木さんですか? おはようございます」

目を擦りながら、朝の挨拶をしている。

奉太郎「ああ、おはよう」

奉太郎「今何時だと思う?」

える「……えっと、今? でしょうか」

える「時計が無いので、わからないです」

奉太郎「12時前だ、学校大丈夫なのか?」

247 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:10:06.67 29A0yJOO0 199/690

大丈夫な訳は、無いだろう。

える「あ、学校?」

える「ええっと、折木さん」

える「今は、何時でしょうか?」

俺は大きく溜息を吐きながら、もう一度時間を教えた。

奉太郎「正確に言うと、11時ちょっとだ、昼のな」

える「ち、遅刻です!!」

もはや遅刻という問題では無い気がするが……

がばっと起きるというのは、こういう事を言うのだろう。

千反田はがばっと起きると、何からしたらいいのか分からないのか、部屋の中をぐるぐると回っている。

奉太郎「とりあえず、学校に連絡だ」

やらなければいけない事なら、手短に。

248 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:10:37.96 29A0yJOO0 200/690

既に持っていた子機を、千反田に渡す。

携帯は俺も千反田も持っていないのだ、仕方あるまい。

える「あ、ありがとうございます!」

そう言うと千反田は暗記しているのか、迷い無くボタンを押し、電話を掛けた。

える「もしもし、2年H組の千反田えるです」

える「連絡が遅くなり申し訳ありません」

える「ええ、少し……」

俺はこいつの事は真面目な奴だとは思っていた。

少なくとも、この時までは。

える「体調が悪くて……休ませて頂いてもよろしいですか?」

奉太郎「お、おい!」

そう声を発したか発する前か、千反田は空いている手で俺の口を塞いできた。

249 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:11:20.70 29A0yJOO0 201/690

える「はい、ありがとうございます」

える「ええ、それでは」

ようやく、俺の口から手が離される。

奉太郎「どういうつもりだ」

える「えへへ、ずる休みしちゃいました」

とんだ優等生が居た物だ、本当に。

える「そんな事よりですね」

奉太郎(そんな事で終わらせていいのか?)

える「折木さん、具合は大丈夫ですか?」

奉太郎「まあ、かなり良くなったな」

える「そうですか、それならよかったです」

える「本当に、無理はしていませんよね?」

なんだろう、くどいな。

奉太郎「少し体を動かしたいくらい元気だが……」

える「そうですか!」

える「それなら、ですね!」

奉太郎「な、なんだ」

千反田がこういう雰囲気になる時は、何か嫌な予感しかしない。

251 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:24:05.10 29A0yJOO0 202/690

える「お出かけしましょう!」

奉太郎「どこに? と言うかだな」

奉太郎「学校、休んで行くのか」

える「見つからなければ大丈夫です!」

いつもの千反田とは、ちょっと違うか?

ま、いいか。

どうせする事も無い。

奉太郎「分かった、見つからない様にな」

奉太郎「それで、どこに行くんだ?」

える「水族館です!!」

252 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:25:34.12 29A0yJOO0 203/690

~水族館~

何故、平日の昼過ぎに俺は水族館に居るのだろうか?

勿論客はまばらにしかいない、平日だから。

受付の人は少しばかり不審がっていた、平日だから。

俺たちと同年代の人は周りにほとんどいない、無論……平日だから。

奉太郎「それで、なんで水族館なんだ」

える「神山市の水族館は日本でもかなりの大きさと聞いていたので」

える「来てみたかったんですよ……わぁ、かわいいですね」

小さな魚を見て、千反田が言った。

いや、むしろだな。

奉太郎(なんでこいつは制服で来ているんだ)

それがより一層、不審人物を見るような目を集めていることは言うまでもない。

える「あ、折木さん」

奉太郎「ん、なんだ」

える「イルカのショーがあるみたいですよ、気になります!」

253 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:26:15.94 29A0yJOO0 204/690

奉太郎「……そうか、じゃあ行くか」

千反田の気になりますも、随分と久しぶりに聞いた気がした。

最近は何かと忙しかったからな、仕方無いだろう。

そして、イルカのショーを見に来た訳だが……

隣同士で座っているのに、イルカはどうやら俺の方に恨みでもあるらしい。

さっきから俺だけ何度も水を掛けられている。

奉太郎(冷たい……)

入り口で雨具を貸し出していたので、服は濡れなくて済むのだが。

える「わ、わ、可愛いですねぇ」

どうやら千反田はかなりの上機嫌の様だった。

しかし何故、俺だけこうも水を掛けられるのだろうか?

数えているだけで5回。

あ、丁度6回目。

254 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:26:55.48 29A0yJOO0 205/690

える「ふふ、折木さん気に入られてるんですね、羨ましいです!」

さいで。

回数が10回を越えた辺りで、ようやくショーは終わった。

千反田はと言うと、イルカを触りに行っている。

える「おーれーきーさーんー!」

こっちに手を振っている、周りの視線が痛い。

える「かわいいですよー!」

分かった、分かったからやめてくれ。

える「おーれーきーさーんー!」

イルカは恐ろしいと思った、狙って俺に水を掛けてくるから。

だが千反田も狙って俺に手を振ってくる。

奉太郎(恐ろしい所だ、水族館)

255 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:27:32.71 29A0yJOO0 206/690

その後はほとんど千反田に引っぱられ、水族館を見て回った。

エスカレーターに乗ったとき、全面ガラスで魚が泳いでいたのには驚いたが……

千反田はその光景に、言葉を失っていた。

目がいつもより一段と大きくなっていたので、すぐに分かる。

そして今は水族館内で、昼飯と言った所だ。

える「すごいですねぇ、来て良かったです」

奉太郎「ま、そうだな……イルカは納得できんが」

える「折木さん、随分気に入られていたみたいでしたね」

奉太郎「イルカに気に入られてもなんも嬉しくは無い」

える「そうですか……少し、羨ましかったです」

奉太郎「俺は千反田が羨ましかったけどな」

える「ふふ、あ、今度は小さいお魚が居る所に行きませんか?」

しかし、元気だなぁ。

奉太郎「そうだな、行くか」

256 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:28:31.23 29A0yJOO0 207/690

奉太郎「にしても、千反田は水族館、初めてか?」

える「はい! テレビ等で見て行きたいと思っていたんです」

やっぱりか、通りで見るもの全てに目を輝かせている訳だ。

そろそろ帰ろうか、と切り出そうとしていたが……もう少し居てもバチは当たらないだろう。

奉太郎「じゃ、あっち側だな、小さい魚は」

える「はい、次はどんなお魚が居るんでしょうか……気になります!」

257 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:29:02.95 29A0yJOO0 208/690

える「わぁ……ヒトデですね、触れるみたいですよ」

通路の脇に設置されている水槽には、ヒトデが何匹も入っていた。

える「可愛いですねぇ……」

奉太郎(可愛い? これがか……?)

える「あ! あっちにはクラゲも居るみたいですよ」

クラゲの水槽までとことこと小走りで行くと、千反田はクラゲを見つめながら言った。

える「知っていますか、折木さん」

奉太郎「ん?」

える「酢の物にすると、おつまみにいいんですよ」

奉太郎(今その話をするのか……クラゲの目の前で)

奉太郎(哀れ、クラゲ達)

える「どうしたんですか? そんな悲しそうな目をして」

奉太郎「いや、なんでもない」

258 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:29:55.08 29A0yJOO0 209/690

それからは本当に隅々まで回った。

千反田はと言うと、相変わらず見る度に感動している。

える「タコもいるんですね! すごいです!」

……やはり俺と千反田では、受け取り方が違う。

確かに面白いが……ここまでの感動は俺には無い。

千反田は何にでも興味を示す、それは恐らく……家の事が関係しているのであろう。

外の世界を知識として蓄えたい、そう言った物が千反田にはあるのかもしれない。

水族館を出た頃には、すっかり夕方となっていた。

帰り道、千反田と会話をしながら自転車を漕ぐ。

259 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/12 18:30:40.29 29A0yJOO0 210/690

える「折木さん、今日はありがとうございました」

奉太郎「家に居ても暇だったしな、これくらいならいつでもいいぞ」

える「はい……ありがとうございます」

える「今度は皆さんで、どこかに行きたいですね」

える「行きたい場所が、沢山あります……」

ふいに、千反田が自転車を止めた。

奉太郎「どうした?」

える「あの、折木さん」

千反田の顔はいつに無く真剣で、真っ直ぐに俺を見ていた。

える「私、今日はとても嬉しかったです」

える「やっぱり、折木さんといると楽しいです」

える「すいません急に、行きましょうか」

ふむ、千反田も色々と思うところがあるのだろうか?

える「……時間も、無いので」

その最後の言葉は、急に強くなった風に消され、俺には届いていなかった。


第8話
おわり

270 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:11:22.66 oWSK7tDW0 211/690

第9話

千反田とは、一度俺の家に行くことになっていた。

それで水族館から1時間程自転車を漕いで帰ったのだが……

里志「おかえり、ホータロー」

なんで、家の前にこいつが居るのだろうか。

いや、里志だけではない。

摩耶花「どこに行ってたのよ」

伊原もだ。

える「え、ええっと」

奉太郎「なんでお前らが俺の家の前に居るんだ」

すると伊原が盛大な溜息をつき、ひと言。

摩耶花「ちーちゃんが休みって聞いたから、折木の風邪が移ったと思って来たんじゃない!」

摩耶花「ちーちゃんの家に行っても居ないし……」

摩耶花「折木の家に来ても誰も居ないし!」

摩耶花「一体どこに行ってたのよ」

あ、ひと言ではなかった。

というか、なるほど。

千反田が心配でまずは千反田の家に行ったが誰もおらず。

その後、俺の家に里志と伊原で来たが……そこにも誰も居なかった。

どうしようかと呆然としているところに俺と千反田が戻ってきたと言う訳だ。

解決解決。

271 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:11:52.60 oWSK7tDW0 212/690

える「あ、あのですね。 摩耶花さん」

える「今度、動物園に行きましょう!」

いや、解決する訳がなかった。

摩耶花「え? 動物園?」

摩耶花「ごめん、ちょっと意味が……」

ま、そうだろうな。

そして里志が少し考える素振りをしてから、口を開く。

里志「大体分かったかな」

里志「つまりホータローと千反田さんは遊びに行ってたって訳だ」

里志「二人とも学校を休んでね」

こいつも随分と勘が冴えるようになってきたな……

悔しいが、当たっている。

奉太郎「まあ……そうなるな」

摩耶花「折木が無理やり連れ出したんじゃないの?」

こいつは、よくもこう失礼な事を言える物だ。

える「ち、ちがいます! 私が水族館に行きたいと言ってですね……」

272 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:12:35.50 oWSK7tDW0 213/690

摩耶花「水族館ー!?」

里志「あのホータローがよく一緒に行ってくれたね」

里志「僕はどっちかというと、そっちの方が驚きかな」

奉太郎「ずっと寝てたからな、体を動かしたくなったんだ」

摩耶花「折木、やっぱりまだ熱あるでしょ……あんたが自分で動きたいなんておかしいよ」

……そこまで俺は動かない奴だっただろうか?

里志「まあまあ」

里志「確かにそれは気になるけどね……でも千反田さんも風邪じゃ無かったし」

里志「ホータローも元気になったってことでよかったんじゃないかな?」

そう言うと、里志は俺の方を向き、いたずらに笑った。

……里志、少し感謝しておくぞ。

とりあえずこれで一安心といった所か。

摩耶花「まあ……ちーちゃんが無事ならいっか」

273 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:13:06.80 oWSK7tDW0 214/690

える「動物園に行きましょう!」

いや、まだだ。

こいつが居た。

摩耶花「ちーちゃん、どういうこと?」

える「今日、水族館に行ってですね」

える「是非、動物園にも行ってみたいと思ったんです!」

さいで。

里志「ははは、いいんじゃないかな?」

える「そう思いますか、福部さん! 」

摩耶花「そうね、私もちょっと行ってみたいかな」

える「摩耶花さん!」

里志と伊原は承諾してしまった。

……俺の方を見ないで欲しい。

奉太郎「……分かった、今度行こう」

274 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:13:57.14 oWSK7tDW0 215/690

結局は、こうなってしまう。

最近ではほとんど諦めに近い感じとなってきているが……ま、いいか。

える「良かったです、楽しみにしていますね」

最悪の展開は避けられたし、良しとしよう。

つまり、俺が言う最悪の展開とは、千反田が俺の家に泊まったという事が伊原と里志にばれると言う事だ。

そんな事がばれてしまったら、俺はこれからずっと風邪で学校を休むことになりそうである。

奉太郎「よし、じゃあ今日は帰るか」

里志「そうだね、そろそろ日が落ちて来ているし」

摩耶花「うん、じゃあ予定とかは明日の放課後に決めようか?」

える「はい! では明日の放課後に部室に集合で」

奉太郎「ああ、それじゃあまたな」

油断していた。

釘を……刺しておくべきだった。

275 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:14:42.94 oWSK7tDW0 216/690

ドアに手を掛ける、後ろにはまだ千反田、伊原、里志が居る。

俺は振り返り、手を挙げ別れの挨拶をした。

千反田の口が動いているのが分かった、何を言おうとしている?

さようなら? とは違う。

口が「お」の形になる。

お……お……

これは、風邪を引くことになりそうだ。

える「折木さん! また泊まりに行きますね!」

伊原と里志が千反田の方を向く、ついで伊原の叫び声。

摩耶花「お!れ!きー!」

ドアを閉めよう、俺は知らん。

鍵を掛け、チェーンを掛けると俺は外から聞こえる叫び声に震えながら、静かにコーヒーを淹れるのであった。

そして、ようやく外が静かになった頃、家の電話が鳴り響いた。

276 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:15:14.52 oWSK7tDW0 217/690

この番号は……里志か。

奉太郎「里志か、どうした」

里志「いきなりそれかい? ホータロー」

里志「僕が摩耶花をなだめるのに使った労力をなんだと思っているんだ」

奉太郎「おー、それはすまなかったな」

里志「……ま、いいさ」

里志「それより少しは説明してくれると思って電話したんだけど」

里志「どうかな?」

奉太郎「今、近くにあいつらは?」

里志「んや、いないよ」

里志「家の方向が違うからね、なだめた後は別れた」

奉太郎「そうか」

里志「それで、話してくれるのかい?」

奉太郎「……少しだけな」

こうなってしまっては仕方ない、別にやましい事をした訳でもあるまいし。

277 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:15:46.12 oWSK7tDW0 218/690

奉太郎「俺は別に、無理やり泊まらせた訳ではない」

里志「だろうね、ホータローがそんな事をするとは思えない」

里志「何か、理由があったのかい?」

奉太郎「理由、か」

奉太郎「あるにはあった」

里志「へえ、どんな?」

奉太郎「色々世話になってな、夜遅くになってしまっていたんだ」

奉太郎「そんな中、帰す訳にはいかなかった」

奉太郎「かと言って、無理に泊まれって言った訳じゃないからな」

里志「ふうん、それは意外だなぁ」

奉太郎「意外? 無理に泊まらせなかったのがか?」

278 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:16:18.49 oWSK7tDW0 219/690

里志「いや、違うよ」

里志「あのホータローがそれだけの理由で泊まらせたってのが意外だと思ったんだ」

奉太郎「……何が言いたい」

里志「やっぱり変わったよ、ホータローは」

奉太郎「それは……少し自分でも分かっている」

里志「自覚があったのか、前のホータローなら」

奉太郎「絶対に千反田を泊めていなかった、だろうな」

里志「そう、その通りだよ」

奉太郎「それで、結局お前は何が言いたいんだ」

奉太郎「前の俺の方が良かった、か?」

里志「いや? 今のホータローも充分良いと思うよ」

里志「ただ、ね」

里志「今のホータローは、ちょっと見ていて辛いんだ」

奉太郎「は? 意味が分からんぞ」

里志「……いや、なんでもない」

里志「まあ、事情が聞けて安心したよ! それじゃあ僕はこれで」

奉太郎「お、おい!」

……切られた。

279 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:16:49.66 oWSK7tDW0 220/690

なんなんだあいつは、俺を見ていて辛いだのなんだの。

客観的に見ても、昔の俺よりは幾分かマシだろう。

そのマシの判断基準になる物はなんなのかは分からないが、一般的に見て、という事にしておく。

あいつの言っている事は、時々意味が無いこともあるし、大して相手にしないのだが……少し気になるな。

気になる、か。

俺にも千反田が乗り移り始めているのかも知れない。

あまり頭を使うと、熱がぶり返して来そうだ。

明日は……行くしかないだろうなぁ。

里志がなだめたと言っていたので、多少は安心できるが……

ううむ、今から寒気がするぞ。

いや、決めた。

男には腹を括らねばならない時がある物だ。

それが今なのか? という疑問は置いといて、とりあえず頑張ろう。

さて、明日はなんて言い訳をしようか、と思いながら残りの時間は消費されていった。

280 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:17:30.27 oWSK7tDW0 221/690

~翌朝~

今日の作戦はこうだ。

まず、朝は伊原をなんとか回避する。

できれば千反田も回避した方がいいだろう。

なんせ、セットでいる可能性が高い。

そして放課後は、里志と一緒に部室に行く。

以上、作戦終わり。

奉太郎(はあ……行くか)

朝から気分が悪いな、全く。

放課後までは生きていたい、俺にも生存本能はある。

いつもの場所で、里志を見つけた。

奉太郎「おはよう」

里志「おはよ、ホータロー」

奉太郎「昨日はすまんな、伊原の事」

里志「なんだい、そんな事か」

里志「構わないさ、摩耶花をなだめるのも慣れてきたしね」

奉太郎「そうか、じゃあ一つ頼みがあるんだが」

里志「ホータローが? 珍しいね」

281 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:18:02.84 oWSK7tDW0 222/690

奉太郎「今日一緒に部室に行ってくれないか?」

里志「うーん、生憎そういう趣味はないんだけどね」

奉太郎「……里志」

里志「ジョークだよ、でも一緒にはいけないかなぁ」

里志「今日は委員会があるからちょっと遅れそうなんだ」

早くも、作戦は失敗に終わってしまった。

奉太郎(仕方ない、千反田と行くしかないか)

奉太郎(伊原と二人っきりだけは、避けたいしな)

282 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:18:32.04 oWSK7tDW0 223/690

~放課後~

まずは、千反田と合流しよう。

ちなみに、俺はA組で千反田はH組である。

奉太郎(遠いな……)

しかし、ここで省エネしていては後が怖い、なんとかH組まで到達し、扉を開ける。

人は結構居たが、千反田が見当たらない。

奉太郎(もう部室に行ったのだろうか?)

ならば仕方ない、部室の様子をちょっと覗いて、居なかったら帰ろう。

283 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:19:07.89 oWSK7tDW0 224/690

~古典部前~

ドアを、そっと開ける。

奉太郎(静かに開けよ……)

少しだけ開いた隙間から、中を覗いた。

見えるのは……伊原。

千反田は見当たらない。

奉太郎(さて、帰るか)

誰も俺を責める事はできない。

考えてみろ、わざわざ牙を向いて待っているライオンに飛び込んで行く餌などは居るはずがない。

という訳で、俺の行動も別段普通の事である。

教室のドアを閉めて変な音が出ても困る、そのままにして帰る事にした。

足音を立てないように、そっと階段まで戻る。

ここまで来れば、もう安全だろう。

284 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:19:35.13 oWSK7tDW0 225/690

5秒前の俺は、そう思っていた。

摩耶花「あれ、折木じゃん」

摩耶花「どこに行くの?」

奉太郎「い、いや……ちょっと散歩を」

摩耶花「あんたが散歩? 珍しいわね」

摩耶花「でも疲れたでしょ、部室で休んでいきなさいよ」

奉太郎「あ、ああ。 そうしようかな」

会話だけ見れば、普通の会話だろう。

だが、伊原の手は俺の肩を掴み、骨でも砕く勢いで力を入れている。

渋々、伊原の後に付いて行く。

付いて行くという表現は正しくないだろう。

正しくは、連れて行かれてる。

285 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:20:05.88 oWSK7tDW0 226/690

~古典部~

摩耶花「よいしょ」

そう言うと、伊原は席に着く。

ここで小さくなっていてもどうしようもない。

いつも通りにしておこう。

そう思い、席に着き本を開く。

やはりというか、部室には俺と伊原だけだった。

3分ほどだろうか? 突然伊原が机を叩く。

奉太郎(言ってから叩いてくれよ……)

寿命が縮まることこの上ない。

奉太郎「ど、どうした」

摩耶花「昨日の事、話してくれるんでしょうね」

奉太郎「……やはりそれか」

摩耶花「まあね、ちーちゃんに聞いても答えてくれないし……あんたに聞くしかないじゃん」

奉太郎「ちょ、ちょっと待て」

奉太郎「伊原は関係無いだろう、今回の事は」

摩耶花「私の友達に何をしたか聞いてるのよ!!」

奉太郎(千反田とは違う形で後ずさるな、これは)

奉太郎「わ、わかった」

286 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:20:32.26 oWSK7tDW0 227/690

奉太郎「まず、これは最初に言っておくが、変な事は一切してないからな」

摩耶花「ま、そうだとは思ったわ」

摩耶花「折木に何かする度胸なんてあるわけないしね」

奉太郎(……ひと言余計だ、こいつは)

奉太郎「それで、千反田が飯を作ってくれたのは知ってるだろ」

奉太郎「それを食べて少し話をしていたら、すっかり辺りが暗くなっていて」

奉太郎「そのまま帰す訳にもいかないから、泊まるか? と聞いたんだ」

摩耶花「ふうん」

奉太郎「別に強制した訳じゃないぞ」

摩耶花「そうなんだ、分かったわ」

なんだ、意外と素直だな……

287 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:21:10.02 oWSK7tDW0 228/690

摩耶花「ま、今日はそれが本題じゃないんだけどね」

奉太郎「……まだ何かあるのか」

摩耶花「前からすこーしだけね、気になってたんだけど」

摩耶花「折木って、ちーちゃんの事好きなの?」

奉太郎「は、はあ!?」

やられた、こいつの目的はこれか。

摩耶花「別に嫌なら言わなくてもいいよ、少し気になっただけだし」

奉太郎「……前から、って言ったな」

奉太郎「いつぐらいからそう思っていたんだ」

摩耶花「もう大分前、去年の文化祭の時くらいだったかな?」

そ、そんな前から?

奉太郎「……そうか」

摩耶花「で、どうなの?」

伊原には、話しておくべきなのだろうか?

いや、むしろこれは隠すことなのか?

伊原がそう思っていると知った以上、隠すのにも労力が必要になるだろう。

ならば、話は早い。

288 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:21:42.45 oWSK7tDW0 229/690

奉太郎「……そうだ、俺は千反田の事が好きだ」

否定する必要も、無い。

俺がつい最近気付いた事を、伊原は去年から知っていたと言うのだ。

それを聞いた俺が無理に隠しても、どうせいずればれてしまう。

摩耶花「へええ、あの折木がねぇ……」

奉太郎「……悪かったか」

摩耶花「ううん、折木も一緒なんだなって思ってね」

奉太郎「一緒?」

摩耶花「私たちとって事」

摩耶花「あんた、何事にもやる気出さなかったじゃない」

奉太郎「まあ、否定はしない」

摩耶花「そんな折木でも恋とかするんだなぁって思っただけ」

奉太郎「……俺も確信したのは最近だったがな」

摩耶花「そうだろうね、あんたって自分の変化には疎そうだし」

奉太郎「……悪かったな」

289 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:22:15.08 oWSK7tDW0 230/690

まさか、最初に伊原に知られる事となるとは思いもしなかった。

しかし周りから見たらそれほどまでに分かりやすかったのだろうか……

まあ、もう10年近い付き合いになる、気付かない方がおかしいのかもしれない。

摩耶花「ところでさ、あんたは私に聞かないの?」

奉太郎「……何を?」

摩耶花「ちーちゃんが折木の事をどう思っているか」

摩耶花「私がちーちゃんに聞けば、答えてくれると思うよ」

奉太郎「それはいい」

摩耶花「即答、ね」

奉太郎「知りたくないと言えば嘘になるが、それは千反田の口から直接聞くべきだろ」

奉太郎「面倒くさいのは嫌いなんだ」

摩耶花「やっぱり、折木は折木ね」

奉太郎「それはどうも、話は終わりでいいか?」

摩耶花「うん、ごめんね引き止めちゃって」

奉太郎「別に、いいさ」

摩耶花「ちーちゃんは今日部活に来れないってさ、さっき廊下で会った時に言ってた」

奉太郎「じゃあ、話し合いは明日だな。 俺は帰る」

290 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:22:41.10 oWSK7tDW0 231/690

摩耶花「うん、また明日」

奉太郎「ああ、じゃあな」

全く、なんという余計な行動だったのだろうか。

だが、別に話したからと言って何も変わる事ではないだろう。

気楽に、考えるか。

それにしても伊原とあんな感じで話したのは初めてじゃないか?

根はいい奴と言うのも、間違いではないな。

今日は帰ろう、風呂に入りたい気分だ。

第9話
おわり

292 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:25:27.81 oWSK7tDW0 232/690

9.5話

「……そうだ、俺は千反田の事が好きだ」

私は、聞いてしまいました。

聞いてはいけない事だったでしょう。

ですが、私に聞きたいという感情さえ無ければ……聞かずに済んでいました。

つまり私は、折木さんの気持ちを一方的に知ってしまったという事です。

何故こんな事になったかというと、少しだけ時間を遡らないといけません。

293 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:26:04.17 oWSK7tDW0 233/690

~古典部前~

私はいつも通り、部室に入ろうとしました。

そこで、丁度階段を上ってきた摩耶花さんと鉢合わせとなります。

える「摩耶花さん、こんにちは」

える「他の方は、まだみたいですね」

摩耶花「あ、ちーちゃん」

摩耶花「後で皆も来ると思うよ」

える「えっと、それなんですが……」

える「すいません、今日はちょっと用事が入ってしまいまして」

折角の話し合いだったのに、少し残念です。

ですが、家の用事は絶対に外せないので仕方がありません。

摩耶花「あー、そうだったんだ」

摩耶花「じゃあ私が皆に伝えておくよ」

える「そうですか、では宜しくお願いします」

私は頭を下げると、摩耶花さんが部室に入るのを見てから、ドアを閉めました。

294 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:26:45.16 oWSK7tDW0 234/690

える(明日は一度、皆さんに謝りましょう)

そう思いながら階段に差し掛かった時です、聞き覚えのある足音がしました。

える(これは、折木さんのでしょうか?)

今でも、何故こんな行動を取ったのか分かりません。

私は咄嗟に部室の前まで戻り、更に奥の物陰に隠れました。

と言っても、大して隠れられていません。

恐らく、見つかるでしょう。

ですが、折木さんは何かに怯えている様な顔をし、視線が泳いでいます。

そして私に気付かないまま、部室の扉を少し開けると、中を覗いていました。

える(何をしているのでしょうか?)

そして覗いた後にすぐ、部室から去ろうとします。

折木さんが去ってからほんの数秒後に、ドアを開けて摩耶花さんが出てきました。

295 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:27:34.28 oWSK7tDW0 235/690

少しだけ開いたドアに、違和感を覚えたのでしょう。

摩耶花さんは階段の方まで走って行くと、折木さんと会った様です、話し声が聞こえてきました。

える(折木さんは、どこか落ち着きがなかったのでばれなかったみたいですが……)

える(摩耶花さんが来たら、ばれてしまうかもしれません)

そう考えた私は、一度部室の中へと入ります。

こんな事さえしなければ……

そして、やはり摩耶花さんと折木さんは部室に向かってきました。

える(どこかに、隠れないと……)

私が隠れた場所は、部屋の隅にあるロッカーの中でした。

える(……私は一体何をしているのでしょうか)

296 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:28:06.54 oWSK7tDW0 236/690

次いで、摩耶花さんと折木さんが部屋に入ってきます。

そして、少し時間を置いて会話が始まります。

どうやら昨日の事の様です。

何度か迷いました、ここから出て行こうかと。

ですがタイミングを失ってしまい、次に始まった会話で更に失ってしまいます。

「折木って、ちーちゃんの事好きなの?」

摩耶花さんが言う、ちーちゃんとは私の事です。

つまり私の事を好きなのか? と折木さんに聞いている事になります。

私はこの先を聞いてもいいのでしょうか?

ダメです、聞いてはダメな内容です。

297 : ◆Oe72InN3/k[] - 2012/09/13 10:28:44.91 oWSK7tDW0 237/690

しかし、そんな私の気持ちを知らずに、折木さんと摩耶花さんは会話を続けます。

そして、聞いてしまいました。

「……そうだ、俺は千反田の事が好きだ」

その言葉を、聞いてしまいました。

私は、どんな顔をしていたのでしょうか。

嬉しいという感情が溢れていたのは分かります。

ですが、何故……私の目からは涙が落ちているのでしょうか?

折木さんの気持ちに、私は答えていいのでしょうか?

その資格が、私にあるのでしょうか?

考えれば考えるほど、涙が溢れてきます。

そして、ある事に気付きます。

える(これが、私が自分で答えを出さないといけない問題なのでしょう)

える(折木さんの事ばかり考えてしまうのは、そういう事だったんですね)

える(私は……折木さんに)

える(答えていいのでしょうか)

える(好きです、と……答えていいのでしょうか)

そう考えながら、やがて誰も居なくなった部室に出ると、静かに外に出ます。

今回は、少し卑怯でした。

私は自分の行動を後悔しながら、帰路につきました。

第9.5話
一章
おわり

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