関連
凛「私は――負けない」【前編】
凛「私は――負けない」【中編】


553 : 再開 ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:01:07.68 ScZmVB2Io 492/681


・・・・・・

凛が目を開けると、天井が見えた。

……あれ? ……プロデューサーは?

そう云おうとしたところで、彼女は声がくぐもってうまく話せないことに気付いた。

口と鼻を覆うように酸素マスクが装着されている。


――なんで私がこんな状態でいるんだろう


「病……院……?」

そうだ、Zeqqで黒井社長に会って、化粧室で戻して、それから……。それから――

凛には、そこからの記憶がなかった。

554 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:03:19.94 ScZmVB2Io 493/681

少しだけ首を動かすと、身体は碧の入院着に包まれている。

左前腕には点滴が刺さり、右手の指には血中酸素濃度計のクリップと血圧計、胸には心電図の電極が数箇所取り付けられ、

鎖骨近辺には高カロリー輸液のチューブが埋め込まれ、股の違和感は……尿道カテーテルか。

一体この大仰な姿はなんなのか。ただの風邪のはずではなかったか。

もぞもぞ、と身体を少しだけ動かすと、傍らに置かれたナースコールに気付く。

ひとまず現在の状況を確認しなくては。

ボタンを押し込むと、すぐさま、ナースと同時に、血相を変えノートパソコンを脇に抱えた男性が、勢い良く入ってきた。

555 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:06:15.44 ScZmVB2Io 494/681

「凛ちゃん、目が覚めたか!」

その人物は、鬼気迫る表情でベッドへ駆け寄る。

「副プロ? ……私、どうしたの?」

鈷は寝ていないのだろうか、だいぶやつれた顔をしている。

「肺炎と極度の疲労で担ぎ込まれたんだよ」

「肺炎?」

「ああ、あと胃潰瘍にもなりかけてるらしい。
 Zeqqの化粧室で倒れているのを奈緒たちが見つけて、119番したんだ。
 救急搬送されたと聞いた時は心臓が止まるかと思ったよ。今ナースコールが押されるまで生きた心地がしなかった」

鈷はほっとしたように胸に手を当てて云った。

556 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:08:47.42 ScZmVB2Io 495/681

その鈷の肩越しに時計が見え、十時を指している。

窓から光が差し込んでいるから、午前だ。

「……ねえ、私どれくらい気を失ってたの?」

「今日で三日目だよ。ライブがあったのは一昨日だ」

凛は驚きに目を大きくした。そんなに時間が経っているとは思いもしなかったのだ。

「そんなに経ってたの……その、ごめん。ずっと風邪だと思ってて、まさか肺炎なんて」

「ほんと無茶は勘弁してくれよ。まあ症状が重篤になる前だったからまだよかったさ。
 それに、そのことに気付けなかった僕の責任でもある。
 ま、あと一週間は入院して安静にしてることだ。特に明日明後日くらいまでは絶対安静な」

「あと一週間も!? そんなに入院してたら仕事が――」

「大丈夫だ。ちひろさんが処理したからほとんど問題ない。せいぜい日本放送のニュージェネのレギュラー一回分が凛抜きで進行するくらいだ」

557 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:10:12.77 ScZmVB2Io 496/681

凛が出演していた月9はライブ前に撮影が終わり、ついこないだ最終回を迎えたばかり。

ブッキングが決まっていた番組ゲスト等は他の第一課アイドルが代役で出る。

凛専用の、どうしても動かせない仕事がなかったのは、不幸中の幸いであった。

ちひろの謎の力によって、問題なくリスケが完了していたのである。

「何をするにも、身体を治さないことには始まらないしな。
 だから、ひとまず何も考えず休みな。今の凛ちゃんの最大の仕事は、一日も早く回復することだ」

鈷は親指を立てて笑った。

「……わかった。色々とごめんなさい」

凛が謝ると、小さく頷いて「じゃあ俺は仕事に戻るよ」と言い残して去っていった。

558 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:12:01.46 ScZmVB2Io 497/681


ひとまず、治そう。

凛は、そう自分に云い聞かせて目を瞑る。無理矢理にでも寝なければ。

視界が黒に包まれると、先ほどの夢の光景が浮かんだ。

――プロデューサー、逢いたいよ……

その瞬間、Pの向こうに、黒井社長の姿も浮かぶ。

自分の脳味噌が、自分に安寧を許してくれない。

考えるのを放棄したいのに、思考は、とぐろを巻くようにどんどん濁っていく。

559 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:13:30.04 ScZmVB2Io 498/681

最適な着地点とはどこなのか、まるでわからない。

――アイドル辞めて普通の女の子に戻っちゃおうか……

脳裏に不穏な考えが浮かぶが、すぐに打ち消す。

――そんなことをしたらプロデューサーへの裏切りになるから駄目……

凛の思考は、あちらを立てればこちらが立たずの問題に直面し、どこへも進めなくなっていた。

昔の、何も考えず漠然と“トップアイドルを目指す”と云っていた自分が、ひどく幼いように思えた。

560 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:17:36.30 ScZmVB2Io 499/681

確かに、トップアイドルを目指すのは、Pと約束したこと。

しかし、果たしてそれはPの存在を否定する結果を示してまで、目指すべき場所なのだろうか。

しかし、トップアイドルにならなければPの正しさを世に見せつけられないのだ。

しかし、自分なんかにその場へ立つ資格があるのだろうか。

『しかし』の連続。或る事柄を考えると、すぐにそれを否定する思考が浮かんでくる。そしてさらにそれを打ち消す――

終わりのない否認の反復。

561 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:21:52.31 ScZmVB2Io 500/681

凛はゆっくり目を開けた。濁った精神状態では何もいい考えが浮かばない。

袋小路に迷い込んでしまう“弱さ”も、自己嫌悪を加速させる。

「駄目々々だ、私……」

溜め息と共に、一粒の泪がこぼれた。

枕で拭いてしまおうと首を回すと、枕元に、鈷が置いていった凛のiPhoneが目に入った。

画面を点けると、通知センターに、アイドルたちからのSMSやLINEがたくさん表示されている。

その中に、春香から心配するメールがあった。

トップアイドルの彼女は、これまで何を見、何を為し、何を得、何を棄ててきたのだろうか。

「春香さん……助けて……」

短く、シンプルな文章を、春香に送った。

562 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:24:43.15 ScZmVB2Io 501/681


――

ふと、凛は目を覚ました。

いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

背中や腰がだいぶ痛い。身体がチューブまみれで満足に寝返りも打てないのだから当然だ。

その痛みで目が覚めたと云っても過言ではない。

顔をしかめながら目を開ける。空の色を見るに、今はどうやら夕方のようだ。

563 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:27:38.21 ScZmVB2Io 502/681

「あ、目を覚ましたね。おはよ、凛ちゃん」

明るい声が凛に届いた。その声の主を認めて息を呑む。

「ッ? は、春香さん!? い、いつからいらしてたんですか?」

そこには春香がいた。

「はい、天海春香ですよー。お昼過ぎくらいに来て、まったりしてた。寝入ってたから、起こすの憚れたんだ」

つまり凛がメールを送ったその数時間後には来てくれたと云うことだ。

凛は春香のあまりのフットワークの軽さに驚き、また恐縮した。

564 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:30:28.81 ScZmVB2Io 503/681

「ご、ごめんなさい、お忙しいのにメールした張本人が寝てしまっていて……。しかもお一人でなんて、手持ち無沙汰だったでしょう」

「あーううん、外に赤羽根プロデューサーがいるし、今日は午後はオフだったから問題ないよ。
 待ってる間はゆっくり仕事の資料読んでたしね。それに凛ちゃんのSOSならすぐに飛んでくるって」

「……すみません……色々とありがとうございます。
 あと、こんな姿でごめんなさい。私の声、聞こえにくくないですか?」

凛は安静状態で風呂に入れていない、汗とチューブまみれの身体や、酸素マスクを気にしながら訊いた。

「大丈夫。幸い周りは騒がしくないから、ゆっくり話してくれれば聞き取れるよ」

そして春香は凛の右上腕に手を添えて、訊いた。

「それで、凛ちゃん、どうしたの? メールには助けてとしか書かれていなかったけど……」

凛は数瞬、目を伏せて、逡巡する。

しかしすぐに顔を挙げ、春香の目を見た。

565 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:32:32.39 ScZmVB2Io 504/681

「……春香さん……私、わからなくなっちゃったんです」

「わからなく?」

「はい、アイドルとしての自分がわからなくなっちゃったんです」

凛は目を閉じて息を長く吸い、

「私の夢であったトップアイドル、そこを目指す意味が見えなくなってしまって」

春香は柔和な笑みから、真面目な顔つきになって凛の言葉を聞いている。

「勿論トップアイドルになるのは目標なんです。
 でもトップアイドルになって私をここまで磨いてくれたPプロデューサーに報いようとすると、
 逆に、Pさんは必要なかったと云う相反する結果になってしまうんです。
 そのことを、先日、黒井社長に、突きつけられました」

そして凛は春香の目をすがるように見て問う。

「前にも後ろにも進めなくて、どうすればいいのか……」

566 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:34:33.71 ScZmVB2Io 505/681

春香は目を閉じて、しばらく考えてから、衝撃的な言葉を告げた。

「……こんなこと云うと怒られちゃいそうだけど、トップだとかそうじゃないとか、私はあまり興味ないんだ」

凛は驚愕のあまり目を見開いた。口をぱくぱくと開閉させ、声にならない声を出している。

春香は構わずに続ける。

「アイドルって、手法はどうあれ人を笑顔にするのが究極の存在意義なわけでしょ?
 ランクがどこにあっても、そのことさえ考えてればいいんじゃないかな。
 応援してくれる人、笑顔になってくれる人から見れば、そのアイドルこそが、その人にとってのトップアイドルなんだと思うよ」

凛は自分の足元が、崩壊して底なし沼に変化していく感覚を憶えた。

目指していたトップアイドルが、その地位にいる人物から直々に、意味のないものと突きつけられたのだ。

567 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:37:04.57 ScZmVB2Io 506/681

しかし春香は「ただね――」と付け加える。

「でも、そんな自分とファンとの間だけで完結する意識の話でなくて、
 所謂第三者の視点で、指標としてアイドルの地位をわかりやすくランク付けすることに異論はないよ。
 世界は自分とファンの第二者だけで形作られているわけじゃない、むしろ無関係な第三者の方が圧倒的に多いわけだからね。
 その第三者に対して、番付で説得力を持たせるのはとても重要なことだと思う」

腕を組んで、少しだけ考える振りをし、人差し指を立てて、軽く振った。

「たぶん凛ちゃんが目指しているトップアイドルって云うのは、その『如何に説得力を持たせるか』の部分を云い換えた言葉なんだよね」

ファンとの間にある概念としてのトップアイドルと、世間との間にある指標としてのトップアイドルの違い。

そこを履き違えると、会話に大きな齟齬が出る。春香の言葉は、その確認の意味合いもあったのかも知れない。

凛は、足元が崩壊したわけではないのだと、安堵した。

早とちりもまた、凛の悪癖であった。

568 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:38:57.44 ScZmVB2Io 507/681

「で、凛ちゃんが云うには、その指標としてのトップアイドルを目指すと、相反する結果が一気に顕在する、てことだよね?」

凛はゆっくりと頷いた。

春香は顔を伏せ、左手を顎に持っていって考え込んでいる。

「――うーん、そもそもさ。それって、本当に相反する結果が出るものなの?
 今後活動を続けたところで、これまでの凛ちゃんが否定されることってないんじゃない?」

春香は不思議そうな顔をして、言葉を紡いだ。

569 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:40:30.52 ScZmVB2Io 508/681

――今からトップアイドルになったとして、確かにそれはPさんの力を借りずに登り詰められた、と云う意味を持つだろうけど、

だからといってPさんの存在を否定することになるのかな?

普通の女子高生だった原石を磨いて、ここまで連れて来られたのは間違いなくPさんと凛ちゃんの二人三脚の結果でしょう?

その歴史までは誰も否定できないはずだよ。

むしろ厳然たる事実として輝いていると思う。

『渋谷凛の根幹を作り上げたのはPの腕だ』ってね。

今からトップアイドルになっても、それは“今までの積み重ねの延長線上”であって、

これまでの凛ちゃんが存在しなければ、即ちこれからの凛ちゃんも存在しないわけ――


難しく考えることはないと思うよ、と凛の額に手を置いてゆっくり語り掛けた。

570 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:43:02.94 ScZmVB2Io 509/681

凛は、驚嘆に言葉を失っていた。

自分は、現在を分岐点に、これまでの渋谷凛とこれからのそれは、別物だと思っていたが……

しかし、過去の積み重ねこそが未来を作る、春香はそう指摘したのだ。

その言葉によって、思考の暗闇へ一筋の光が差した感覚を受けた。

571 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:45:37.62 ScZmVB2Io 510/681


一呼吸置いて、春香はゆっくりと続ける。

「凛ちゃん、Pプロデューサーさんのことが好きなんだね?」

彼女は見抜いていた。

「……はい。アイドルとプロデューサーが結ばれることなんかない、わかっていても、止められませんでした。
 そして、私は……禁を破ってしまったんです。赦されないのに、はっきりと言葉に出してしまった」

凛の額に手を置いたまま、目を閉じ、しばらく黙っていたが、

「……私もわかるよ。その気持ち」

「えっ? ……春香さんも誰かを?」

春香は言葉では答えず、こくりと頷いた。

572 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:48:14.36 ScZmVB2Io 511/681

「私、春香さんの周囲からはそう云う浮ついた話を全く聞かなかったので……ただただ、驚きです……」

凛の嘆息の混じった言葉に、春香は手を横に振った。

「そんなことないよー。私は嘘をつくのがうまいだけ。それに……昔の話だしね」

そして、春香は、凛が初めて見る、哀しい顔を浮かべた。

「……凛ちゃんは真面目だね。だから、自分の気持ちに嘘をつけないんだと思う。
 この業界って、ハッタリ噛ましてナンボ、って部分があるじゃない。だから余計に凛ちゃんは苦しいのかも」

そう云って、春香は12階の病室の窓から見える空を、遠い目で眺めた。

凛もつられて視線を窓の方へ向ける。

黄昏れに染まる雲が、ゆっくりと、流れている。

しばし、無言の刻が過ぎ――

573 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:49:46.05 ScZmVB2Io 512/681


「――そしたら、有無を言わさないトップアイドルになって、スパッと辞めちゃうとか?」

凛は慌てて春香の顔へ向き直った。

「ちょ、春香さん、そんな……」

「別にそれって、凛ちゃんが初めてじゃないよ?
 山口百恵とか、トップアイドルになって、好きな人と一緒になるため潔く辞めた人がこれまでにもいるんだ。
 日高舞だってそうでしょ?」

「トップへ立って、辞める……」

「そう。凛ちゃんがさっき云ったように、今後誰かの許でトップになる、そのことでPさんが否定されるのであれば、
 そうならないように、自分の意思で、自分で考えて、自分の行動でトップになればいい。
 誰かに引っ張られてトップになるのではなく、自分の歩みだけでトップへ登れば、ね」

574 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:51:46.24 ScZmVB2Io 513/681

「“Pが育てたアイドル”が、自らの脚のみでトップへ登れば、“それを育てたP”は、否定されることはない……」

凛が、一節一節、ゆっくりと間を置いて呟いた。

「そういうこと」

春香の言葉によって、凛の頭の中に、明確な目的地が見えた。

――プロデューサー、あなたへ逢いに行くため、私はトップアイドルになる――

しかし凛は春香の目を覗いて、独白のように云う。

「でも私、欲張りなんです。好きな人と一緒になって、その上で、皆に輝きを届けられる存在になりたい」

575 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 22:54:27.09 ScZmVB2Io 514/681

春香は、おっ? と不思議そうな顔をした。

「今はその手法は見えないけれど、でも、まず自力でトップアイドルになること。
 そして愛しい人へ報告しに行くこと。
 ――それを第一の目標としようと思います」

「うんうん、その意気だよ。
 勿論、私もそう易々とトップアイドルの座を明け渡したりはしないけどね」

春香は不敵な笑みを浮かべる。

「本気で、獲りに行かせて貰います。 ――負けませんよ」

凛も、口元に微かな笑みを浮かべて、宣言した。

どちらからともなく、腕を出して、拳をこつり、と触れ合わせた。

576 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:20:38.01 ScZmVB2Io 515/681


――

それと前後して、病室の外では。

赤羽根と鈷が、長椅子に腰を掛けて、缶コーヒーを傾けていた。

「まさかP君が移籍した直後にこう、問題が表へ出てきてしまうとは、大変だね」

「……いえ、ある程度は予測済みでしたから」

ふぅ、と大きな呼吸をすると、芳ばしい薫りが鼻をくすぐる。

577 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:22:17.04 ScZmVB2Io 516/681

「そうか。……まあプロデューサーたるもの、様々な可能性は考えておかないといけないからね。
 765―うち―も昔はそれで大分ゴタゴタしてしまった」

「赤羽根さんほどの人でもですか?」

「はは、当時は新米もいいところだったし、独りだったからね」

赤羽根は、過去を思い出して苦笑した。

事務所に所属する十人全員を一手に引き受けていた初期の頃は、頼れる人もおらず試行錯誤の連続だったと云う。

「そのせいで、春香や美希をはじめ事務所のみんなに、辛い思いをさせることになってしまった。
 そんな意味で云えば、P君は僕のときよりまだマシな状態かもしれないね」

「どう云うことです?」

「人間には、どうしても平等に分配できない要素があると云うことだよ。P君なら、凛ちゃんだけに専念できる」

赤羽根は、ふっ、と目を細めて長い吐息を漏らした。

578 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:25:02.38 ScZmVB2Io 517/681

不思議そうな顔をしている鈷に顔を向けて、そのうち君にも判るようになる、と語り、

「凛ちゃんの例で云えば、P君が戻って来さえすれば、ある程度は解消できる問題だ。
 勿論、問題の根幹部分はそうはいかないだろうし、根本的に解決しようとすると、CGプロの範疇には収まらないだろうけどね」

赤羽根は後ろの壁にもたれて、難儀な問題だよ、と呟いた。

鈷は膝に肘を乗せ、口の前で手を組んで考え込む。

「今の凛ちゃんに一番必要なのはPさんだと云うのは何となく判るのですが、
 事務所の全体にも関わることなので、僕の一存でPさんを呼び戻すことは出来ないですし……」

「そうだね。結局は、彼女が、自分で見つけるしかないよ。僕たちは、ヒントやアイデアは与えられるけど、答えそのものは、あの子の中にしかないんだ」

鈷は姿勢を変えず、黙ってゆっくりと頷いた。


そこへ歩み寄ってくる影が二人。

鈷がそれに気付き、親指で病室の中を示した。

579 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:28:27.41 ScZmVB2Io 518/681


――

凛と春香が微笑み合っているところへ、扉をノックする音が響いた。

どうぞ、と云おうとするが、酸素マスクのせいで大きな声が出せない。

代わりに春香が「どうぞ」と返答した。

扉がそろりと少しだけ開いて、その隙間から中を窺うのは、奈緒と加蓮。

凛が手招きをすると、二人はようやく引き戸を大きく開けた。

580 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:29:58.40 ScZmVB2Io 519/681

奈緒が何かを告げようと口を開いた瞬間、凛の隣へ座る女性を、加蓮と共に視認し、目が点になる。

「アイエエエ!? ハルカ!? ハルカナンデ!?」

奈緒も加蓮もHRSを発症し、立ったまま硬直している。

その後ろから赤羽根プロデューサーが、「春香、そろそろ行こうか」と呼んだ。

「あ、はーい。じゃあ凛ちゃん、お大事にね」

そう云ってウインクを投げる。

「今日は本当にありがとうございました。何とお礼を云えばいいのか……」

凛が顎を引きながら述べると、春香は「いーのいーの」と笑い、手を振って赤羽根と共に去っていった。

581 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:32:48.12 ScZmVB2Io 520/681


「なななななんで天海春香がいるの?」

春香たちが扉を閉めると、加蓮が慌てた様子で訊いてきた。

「お見舞いに来てもらっちゃった。……いや呼び付けちゃったって云う方が正確かな……」

奈緒は半ば呆然と口を半開きにしている。

「一体どんなパイプだよ……って、もう大丈夫なのか? いや大丈夫じゃないから入院してんだから適した言葉じゃねえな……」

「まあ、峠は越えたみたいだから大丈夫だと思うけど……」

凛が答えている間に、奈緒たちはベッドの傍へ椅子を寄せて座った。

582 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:34:31.88 ScZmVB2Io 521/681

「はい、凛。ひとまず入院で必要になるものを見繕って持ってきたよ。足りないのがあったら持ってきたげるから云ってね」

そう加蓮から渡されたバッグの中には、およそ入院生活に必要そうな、あらゆるものが入っていた。

「ありがとう。すごい、よくわかったね。欲しかったものばっかりだよ」

「私は昔病弱だった、って云ったでしょ。入院なんか数え切れないほどしたから、慣れたモンなんだ」

ま、最近はご無沙汰だけどね、と軽く笑って、すぐに少しだけ眉根を寄せる。

「それにしても肺炎なんて、どれだけ我慢重ねてたのよ、凛」

その口調は咎めるようだったが、「手遅れになる前に済んでよかったけどさ」とホッとする様子も見せた。

583 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:35:45.65 ScZmVB2Io 522/681

「ごめんね。二人が私を見つけてくれたんだって?」

「ああ、凛の戻りが遅いから見にいったら廊下に居なかったからさ。スタッフに訊いたら外へ出た形跡は
 なさそうだから、って中を探し廻ってたらぶっ倒れてるのを見つけたんだ」

奈緒の言葉に加蓮も頷く。

「アタシ、血の気が引くってのを実感したのは初めてだったよ」

凛は溜め息をついた。仲間にこれほどの心配をかけるなんて。

「ありがとう。二人がいなかったら、私もっと大変なことになってたと思う。命の恩人だよ」

「いいさ、大事に至らなかっただけでもな」

奈緒は掛け布団をぽんぽんと叩きながら笑う。

584 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:37:46.17 ScZmVB2Io 523/681

「あーそうだ、凛、早速色々おかしく云われてるよ」

加蓮が思い出したように前日のスポーツ紙を取り出して云った。

『渋谷凛 公演後倒れる』
『凛ちゃん 意識不明か――』

センセーショナルで無責任な文字が踊っていた。

「あー……まぁ、そうなるよね……」

凛が観念したように嘆息すると、

「午前中、鈷さんから目覚めたと知らされるまで、アタシたち――いや、事務所の皆こんな感じだったけどね」

と加蓮が苦笑する。

「で、こんな不穏なトップ記事見せたいんじゃないんだ。ほら、こっち」

585 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:39:10.01 ScZmVB2Io 524/681

そう云ってばさばさと芸能面を開くと、そこには

『新ユニット:トライアドプリムス、鮮烈なデビュー! 渋谷凛と組んだ新人、貫禄あり』

と、決して扱いは大きくないながらも、ユニットの初ライブ初勝利を報じるスペースが設けられていた。

凛が倒れたことで、善かれ悪しかれ、トライアドプリムスも注目の的となったようだ。

「怪我の功名……なのかな、これって」

凛は目を瞑って、心なしか口角を上げて呟いた。

「いづれにしても、注目株になったからにはもっとレッスンに励まねえとな」

奈緒が手を叩いて気合を入れると、加蓮も「そうだね、凛が退院してくるまでに腕をもっと磨いて、驚かせてあげないと」と同調した。

「ふふっ、それじゃ、退院後追い付かれないように、私も気合いを入れないとね。早く治さなきゃ」

三人はお互いを見詰め合って、どちらからともなく笑みを浮かべた。

586 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:41:12.91 ScZmVB2Io 525/681


――

三日後。

凛は順調に快方へ向かい、酸素マスクは鼻チューブへと、一段軽くなった。

しっかり話せることがこんなにも気持ちのいいものだとは、一度身体を壊すと、些細な事柄が幸せに感じる。

さらには、ようやく病院食が許可され、高カロリー輸液のチューブが外された。点滴経由での投薬も、経口へと切り替えられた。

心電図は前日に外されており、これで凛を束縛するものは右手の酸素濃度計と血圧計のみだ。

ようやくシャワーが許可され、久しぶりに人心地が付いた。

普段全く意識しない日常を、改めて噛み締める。

588 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:45:25.36 ScZmVB2Io 526/681


今日は、ニュージェネレーションレギュラー番組の日。

今頃卯月と未央は、ブースで待機しているはずだ。

本来であれば、凛も日本放送へ仕事に出るはずだが、当然、そんなことは許可されない。

先ほどシャワーを浴びたとき、調子が上がってダンスのステップを少し踏んだだけでもナースから怒られたほど。

今回はおとなしく、ベッドの上で、いちリスナーとして楽しませてもらおう。

まもなく四時。凛はiPhoneのサイマル放送を起動した。

時報と共にオープニングテーマが流れ、番組が始まる。

589 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:46:50.42 ScZmVB2Io 527/681

≪こんにちは、今週も始まりました、日本放送、ザ・ボイス・オブ・シンデレラ。パーソナリティは、ニュージェネレーション島村卯月です!≫

≪みんな、おっ待たせ~! 同じくパーソナリティの、ニュージェネレーション本田未央でーっす!≫

≪まず最初に、残念なお知らせです。いつも一緒にお話をしている渋谷凛ちゃんが、本日はお休みさせて頂くことになりました。ごめんなさい!≫

≪みんなもう知ってるかもしれないけど、しぶりん、急病で入院しちゃったんだ。今週はしまむーと私の二人でお送りします!≫

≪えーと、早速メールを頂いてます。ラジオネーム、おぉっ!サンさんから≫

≪いつもありがと~!≫

590 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:51:15.45 ScZmVB2Io 528/681

≪凛ちゃんが倒れたと云うニュースがありましたが大丈夫ですか?
 凛ちゃんのことは勿論、NGの皆さんの心持ちは如何ほどのものかとお察しします。
 それと比例するようにCSでのタイガースの調子も下がり心配です、凛ちゃんの一刻も早い回復を祈っています。――とのお便りです≫

≪うぅ……皆が気遣ってくれて嬉しいねえ……泪が出ちゃうよ。しぶりんは、だいぶ快方へ向かっているから心配しないでね!≫

≪他にも沢山の、凛ちゃんを心配してくれるメールやお葉書を頂いてます≫

≪すごいよ、リスナーが送ってきてくださったお見舞いの品がこんなに。ほら! ――≫

マイクの向こうからガサゴソと音がする。目には見えないが、沢山の便りや見舞いが来ているようだった。

ファンのみんなに、心配をかけてしまったことは理解しているが、こうやって実際の反応として感じると、更にその思いは強くなる。

凛は心の中で手を合わせた。

591 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:52:20.01 ScZmVB2Io 529/681


その後番組は、エンディングまで問題らしい問題はなく、つつがなく進行した。

凛が居ない分、卯月と未央の喋る量が増えて若干大変そうではあったが、手慣れたもので二人カバーし合っていた。

番組開始当時は、放送事故にも等しいような間があったりして、それが逆に話題となったことを思い出す。

そこから考えれば、大した進歩だと思う。

ザ・ボイス・オブ・シンデレラの次番組を聴きながら昔の軌跡を思い出していると、ノックと共に来客があった。

卯月と未央である。

592 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:53:55.11 ScZmVB2Io 530/681

凛は驚いた。番組が終わってからまだ一時間と経っていないのだ。

「凛ちゃん、調子はどう?」

卯月が覗き込むようにして訊ねるが、凛は起き上がってベッド上に座しながら、まず驚きを口にした。

「さっき終わったばかりなのに、もう着くなんてびっくりしたよ」

「有楽町から三十分で来られるしね、ここは」

あはは、と卯月は笑った。

例の件以来、仕事での最低限の用事以外はあまり喋らなかった凛と二人。

このようにゆっくり何かを話す機会は、久しぶりであった。

特に、未央はどことなく余所余所しい。

あんなことを云ってしまったのだから仕方ないし、未央のことだ、根を詰めすぎて倒れたのは、自分に原因の一端があると思っているのかも知れない。

593 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:55:26.28 ScZmVB2Io 531/681

「ねえ、未央」

そんな未央に、凛は穏やかな顔で語り掛けた。

未央は、一体何を云われるのかと怪訝な様子だ。

「……ごめんね。私、どうしようもない馬鹿だった」

「しぶりん……」

未央は、驚きと哀しみを併せた、複雑な表情をする。

「ううん……私が考えなしだったんだよ。
 Pさんが突然居なくなって、しぶりんが一番辛かっただろうに、それを判らず、支えられなかったんだもん。
 ニュージェネレーションの仲間失格だよ……」

目を伏せて、ゆっくりと語った。

594 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:56:45.76 ScZmVB2Io 532/681

凛は顔を横に振って、未央の掌を持つ。

「私が弱かったの。それが一番の原因。未央は悪くなんかないよ。
 それに、こうやってぶつかり合って、大事なことに気付けた。私はもう、大丈夫」

力強く宣言すると、卯月が凛の目を見て問う。

「凛ちゃん、答えを見つけたの?」

「答えはまだ見つかってない。でも、何をすべきかは判ったと思う」

凛は頷きながら答えた。

「まずは、年末のライブを成功させること。そして、IUでトップに立つこと。これが私の為すべき行動――」

卯月と未央はその言葉に度肝を抜かれた顔をした。

595 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/25 23:57:51.49 ScZmVB2Io 533/681

「ええっ? 凛ちゃん、IUって、あの?」

「そう。アイドルアルティメイト。そこで私はトップに立つ」

IU、アイドルアルティメイトは、年に一度、年明けの頃に開催される、真のトップアイドルを決めるためのオーディション番組だ。

古今東西、腕に覚えのあるアイドルたちが、こぞって目指す頂。

ここで優勝すれば、名実共にトップアイドルであることが証明されるのだ。

ここ数年は、女性部門は春香をメインに、765のメンバーの誰かが優勝の常連。

男性部門は961のジュピターの独擅場だ。

596 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/26 00:00:00.41 1KZGbwkRo 534/681

昨年度のIUには、凛は出場しなかった。

CGプロの中でトップとはいえ、まだまだ世間には上が居たし、予選で敗退したときの事務所への負の影響を避けようとした意味合いがあったからだ。

その代わり、三月の凛単独ライブで存在感を示すと云う戦略を採ったのである。

「ね、ねえ、それってPさんか鈷さんの指示なの?」

おずおずと訊いてきた未央に、凛はきっぱりと云う。

「ううん、私の意思。勿論、退院してから上層部―うえ―と相談するけど、自分で考えて、見つけたことだよ」

未央と卯月は、凛の瞳の奥に宿る強い炎を感じ取った。

「……わかった。しぶりんの意思がそこまで固いなら、私も手を貸すよ。上と話すときとか、援護する」

「凛ちゃん、私もだよ」

「二人とも、ありがとう」

凛は表情を柔らかく変え、卯月と未央それぞれの手に、自らの掌を重ねた。

597 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/26 00:04:08.37 1KZGbwkRo 535/681


「あ、そうだすっかり話し込んでて、これを伝えてなかったね」

と卯月が気付いたように云い、紙袋を取り出した。

「はい、リスナーさんからのお見舞いの品」

そこには、百貨店でたくさんの買物をしたときのような、ぱんぱんに膨れ上がった袋が二つあった。

贈られた品々を、感謝の気持ちと共に三人で開封する。

「なにこれ、『ノニジュース』……?」

「なんか凄く身体にいいらしいって」

「でもスタッフは笑顔が引きつってたよね。なんでだろうね」

わいわいと喋りながら、久方振りの心の安寧に、身を委ねた。

602 : 再開 ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/26 23:44:59.96 1KZGbwkRo 536/681



・・・・・・・・・・・・


12月に入り、CGプロライブツアーが始まった。

結局、入院等の影響で、凛の三つ目の新作がレコーディングされたのは、11月の末。

どうせだからと、ライブツアー最終日25日に発売するよう手配された。

ライブで先行披露し、話題を攫っておいて最終日にリリースする。

そんな、ピンチをチャンスに変える戦術に、凛は他人事のように感心した。

603 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/26 23:46:37.92 1KZGbwkRo 537/681


1日、札幌ドーム。7、8日、名古屋ドーム。14、15日、大阪ドーム。20日、福岡ドーム。

21、22日、東京ドーム。

全国を飛び回り、現地のファンと熱狂的な時間を共有する。

音響や照明スタッフは、条件が不利なドームでも、精一杯の環境をこしらえてくれた。

CGプロのアイドルたちは、それに応えるように、毎回最高の舞台を彩った。

特に人気の高い凛ソロやニュージェネレーションだけでなく、鮮烈なデビューを飾ったトライアドプリムスも注目の的であり、

デビュー間もないうちから大きなステージに放り出された奈緒と加蓮は、目を回しながらも毎回きちんと演り切っている。

604 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/26 23:48:17.46 1KZGbwkRo 538/681

実地こそが一番のレッスンになるのか、ツアー中であるにも拘わらず奈緒と加蓮の腕はどんどん上がっていった。

――この分なら、奈緒と加蓮がCGプロの顔になるのも時間の問題かな。

凛は隣で舞いながら、冷静にそんなことを思う。

その後、音響設備の良い横浜アリーナで23、24日と満杯にし、のべ約40万人の動員をこなしたツアーは、世間に、CGプロをAクラス事務所と認識させた。

そして、ついに千秋楽25日。

オーラス公演は、通常公演とは違う演出で進行することもあって、一万五千席がまさに一瞬で捌けるほどの競争率となった。

605 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/26 23:50:19.27 1KZGbwkRo 539/681


五時、開場。

新横浜駅から人々が続々とアリーナへ向かい、環状二号道路に蟻のような列を成している。

その様子が逐一報告される楽屋・控室では、アイドルたちが武者震いを禁じ得なかった。

全国ツアーなおかつ六日連続公演の最終日と云うことで、テンションは既に最高潮。

凛でさえ体験したことのない領域に、全員が脚を踏み入れようとしているのだから当然だ。

606 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/26 23:52:32.57 1KZGbwkRo 540/681


本日のトップバッターは凛とのあ。珍しい組み合わせだ。

二人とも、サイバネティックな衣装と、寡黙な女王の如きメイクは、まさにアンドロイドと形容するに相応しい格好をしている。

特に凛は、云われなければ彼女だと気付かないほどの変貌を遂げていた。

のあと揃うよう、銀髪のウィッグとカラーコンタクトレンズを装着した凛が、もの静かに座っているのあの許へ歩み寄る。

そののあは、泰然自若としているようで、実は非常に緊張していることが、凛にはわかっていた。

607 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/26 23:53:40.96 1KZGbwkRo 541/681

「のあさん、珍しく緊張してるね?」

鏡越しに、のあの顔を凛が覗き込む。

「……このような珍しい組み合わせ、かつ最初の演目で出されたら……誰でもそうなると思うわ……あなたはCGの頂なのだから」

「気にしない気にしない。ステージの上では誰もが等しく『アイドル』だよ」

正面の鏡を見ていたのあが、凛に顔を向けた。

「ステージの上では誰もが等しく『アイドル』……確かにその通りね……」

そう云って、ふう、と軽く息をつく。

見た目は感情の読めないままだが、内心では少しは緊張が解けたらしい。

608 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/26 23:55:00.20 1KZGbwkRo 542/681


プロデューサー陣が顔を出した。

まもなく開演の六時だ。

「よォし、最終日だ! お前ら! ぶちかましてこい!」

舞台袖で鏷が全員に発破をかける。

色とりどりの衣装に身を包んだ沢山のアイドルたちが、自らの一番輝く場所を目指さむとしている。

その光景は、実に美しい。

609 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/26 23:59:59.95 1KZGbwkRo 543/681


――

会場内の照明が下りた。

暗黒が館内を支配し、客席には様々な色のサイリウムが無秩序に動いている。

闇の中で、シンセサイザーの分厚いパッドサウンドが、腹の底へ響き渡るように鳴った。

610 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:00:37.87 KWDGeRH/o 544/681
611 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:01:13.71 KWDGeRH/o 545/681

豊かなリバーブが横に拡がり、観客の歓声がより一層大きくなる。

バンドパスフィルターが縦横無尽に音を彩り、ダイナミックに躍動した。

場を支配する音は、電子の波、テクノ。

よもやアイドルのコンサートで流れることなど予測できない、まさかのサウンドの轟流に、観客は度肝を抜かれ、黄色い声が大きな潮流となる。

そして、トップライトによって、暗闇に浮かび上がる二つの『人形』。

『のあ』と『誰か』

観客は、凛に気付いていない。

612 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:02:29.75 KWDGeRH/o 546/681
613 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:03:49.95 KWDGeRH/o 547/681

ボコーダー経由でロボット化されたボーカルが、パッドサウンドと規則的なリズムに乗って流れていく。

そこへ照明が一気に点され、ステージを輝かせた。


 Radio Tour information

 Transmission télévision

 Reportage sur moto

 Caméra, vidéo et foto

 Les équipes présentées

 Le départ est donné

 Les étapes sont brûlées

 Et la course est lancée ――

614 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:05:18.47 KWDGeRH/o 548/681


のあの風貌でこの演出は最高のインパクトであった。

舞台上でアンドロイドが唱い、踊っている。

これまでのツアーとは明らかに異なる演出に、会場のボルテージはあっという間に針が振り切れた。

客席のサイリウムは、のあのイメージカラー、銀白に染まった。

そこへ、凛がボコーダーを外して地声になる。

615 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:06:26.36 KWDGeRH/o 549/681


 Les coureurs chronométrés

 Pour l'épreuve de vérité

 La montagne les vallées

 Les grands cols les défilés

 La flamme rouge dépassée

 Maillot Jaune à l'arrivée

 Radio Tour information

 Transmission télévision ――

616 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:07:27.20 KWDGeRH/o 550/681


のあともロボットボイスとも違う、澄み、落ち着いた声。

誰だあれは、と客席に驚きと戸惑いが混じる。

やがて、その声に気付いた一部の人々が、蒼いサイリウムに切り替えると、それが伝播していく。

会場は、蒼と白の協奏曲となった。

617 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:09:02.60 KWDGeRH/o 551/681


アウトロが、たっぷりの余韻を引き連れて響いていく。

「みんな! 今日はCGプロライブツアー千秋楽へようこそ!」

凛がウィッグを取り、客席へ投げ込んで叫んだ。

銀髪が描く放物線の、着弾予測地点では、歓喜に沸く客が手を伸ばしている。

「最初、私が誰かわからなかったんじゃないかな? でも、途中から、正体に気付いてくれた人がいたみたいだね!」

会場は、歓声でそれに応えた。

照明が絞られ、のあがMCを引き継いで喋る。

「――どうやら掴みはOKのようね。さあ、これから約二時間、魔法の掛けられた世界へ浸りなさい。
 続いては、CGプロと云えばこの三人、ニュージェネレーションがお相手よ」

客席からは「のあ様ァ!」と崇拝者の叫びが止まらない。

618 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:11:11.22 KWDGeRH/o 552/681

のあがMCをしている間に、凛は床下へ降り、カラコンの脱去と髪型の変更、早着替えを済ませ、所定の位置へスタンバイ。

卯月と未央も既に舞台下で準備完了していた。

三人、息を合わせて宣言する。

「ニュージェネレーション、行くよっ! 輝く世界の魔法!」

PAからキューが入り、新たなイントロが流れ始めた。

ベルの音に合わせて、ニュージェネレーションを乗せたセリが上がる。

白い三つのピンライトが、各々を下からアオリで照らしている。

619 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:12:59.84 KWDGeRH/o 553/681

ゆっくりと、三人が浮かび上がってくると共に、そのライトがステージ上へ洩れていく。


 輝く世界の魔法 私を好きになれ

 ほら笑顔になりたい人 一斉の


 唱えてみよう――


ニュージェネレーションが励起する様は、CGプロを象徴しているかのように見えた。

卯月、凛、未央が連携して一番をサビまで歌い上げると、すぐに二番。

 おやすみ 優しく瞬く星達――

ステージ中央に設けられた階段の上から蘭子、アナスタシア、楓、幸子が歌いながら降りてくる。

ライブ開始初っ端からCGプロトップクラスのメンバーが現れて、観客席は大興奮に沸いた。

620 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:15:08.00 KWDGeRH/o 554/681


そのまま、プログラムはCDデビュー組がそれぞれローテイションで進んで行き、トライアドプリムスへ。

歌った曲は先日のライブバトルと同じものだが、パフォーマンスは明らかに別次元へと昇華されていた。

ゆっくり、しっとりした曲を、情緒豊かに演じ上げる三人は、照明効果もあって非常に艶かしく見えた。

ライブバトルでのデビューから僅か二箇月。

トライアドプリムスは、ニュージェネレーションに比肩し得る、立派な二大巨頭ユニットへと成長していた。

凛、奈緒、加蓮、それぞれ強烈なカリスマを持った三人が、力を合わせて一つの舞台を組み上げるその姿は、まさに第一課の集大成であった。

曲が終わり、切り替わる僅かな間、一旦、照明が落ち、客席に踊る蒼、赤、橙のサイリウムが、より映える。

数瞬後、照明が戻ると、そこには、コンコードベース、テナーサックス、ショルダーキーを身につけた三人が、立っていた。

621 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:16:54.38 KWDGeRH/o 555/681


――

「――ちょっとアイドルらしくないことをやってみたいんだよね」

11月のとある日、凛は第一課のソファで、ヨーグルトドリンクを飲みながら独言のように呟いた。

「アイドルらしくないこと?」

正面で楽譜を読んでいた奈緒が鸚鵡返しで訊く。

「そう。今度の年末ライブなんだけどさ、最終日に、ちょっとお客さんを驚かせたいなーって」

「驚かせるって云ったって、何をやるの?」

隣でネイルを塗りつつ加蓮が問うと、凛は間髪入れずに答えた。

「ジャジーなインストバンドとかどう?」

622 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:18:40.07 KWDGeRH/o 556/681

「……は? 幾ら何でもそれは明らかにアイドルの範疇じゃないだろ」

奈緒が、凛の言葉の意味するところを考えていたのか、少々の間を置いて突っ込みを入れてきた。

「だからだよ。前に『如何にもアイドルアイドルした普通の曲を演ったって面白くない』ってプロデューサーが云ってたの。
 それを受けて出した新曲は大ヒットしたんだ」

キレッキレのダンスが巷に強烈な印象を与えたことは、記憶に新しい。

「それは憶えてるけどさ、バンドって何をやるの? 楽器?」

あのPV凄かったね、と付け加えながら、加蓮は塗り終わった場所に、息を吹きかけて、凛を向いた。

623 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:20:09.38 KWDGeRH/o 557/681

「そう。加蓮って、鍵盤楽器は弾けるよね?」

「まあ……簡単なものなら」

「じゃあ加蓮はショルダーキーボードで決まり。奈緒は……サックスとか吹けない? ビジュアル的に合いそう」

「ハァ!? サックス? 吹けるわけねーだろ、あたしリコーダーしかやったことないんだぞ」

「リコーダー吹けるんだ? じゃあサックスも大丈夫だよね、はい決まり」

「ちょっと待てェ!」

「大丈夫、奈緒なら出来るよ。まだ時間あるし」

にこりと凛は笑った。柔和だが、有無を云わさぬ、見えない圧力がそこには在った。

624 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:21:41.67 KWDGeRH/o 558/681

「ぐ……し、仕方ねえな……。トライアドプリムスの注目度を上げるためなら一肌脱ぐか……」

と云って、奈緒はあっさりと受諾した。彼女は、意外と押しに弱い。

「ギターは李衣菜辺りに声を掛けておくよ。ドラムやその他のパートはサポートバックバンドの人にお願いするつもり」

凛はパン、と手を叩いて、構想を述べた。

そのまま鈷を経由してPに簡単なスコアを書かせ、一週間後には初回のセッションレッスンを行なう迅速ぶりに、他の人間は目を白黒させている。

トップを目指す、と意思を明確に固めた凛は、以前にも増してイケイケドンドンになっていた。

奈緒は、麗の付きっきりの特訓の成果か、譜面を渡して二週間後にはそれなりに吹けるようになった。

サックスは音を出すことすら難しいのだが、やはりセンスがあるらしい。

625 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:24:13.47 KWDGeRH/o 559/681


――

楽器を肩から提げたトライアドプリムスの面々に、ざわつく客席。

「ちょっと息抜きしない? たまには箸休めも必要だよね」

凛が会場へ向かってウインクしながら語り掛けた。

その顔をレンズが追いかけて、バックスクリーンに様子が大きく映し出される。

ステージへ李衣菜が駆け寄り、カウントを開始すると、バックバンドのドラムの合図ののち、サックスのイントロが流れる。

その奈緒を見て、観客は歓声を上げた。

626 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:24:54.43 KWDGeRH/o 560/681
627 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:25:48.25 KWDGeRH/o 561/681


凛のスラップベースと、李衣菜のカッティングがオーバーダブされ、加蓮のシンセリードが煌めくラインを彩る。

バックバンドのキーボードには、しれっと菜々が混ざっている。

李衣菜はともかく、凛が人前でベースを披露するのは初めてのことだ。加蓮の演奏も然り。

トライアドプリムスが、これまで一度も現していない、別の一面を見せたことに、客席は興奮の渦を巻く。

全楽器がワイヤレスシステムになっていて、行動に制約のない面々が、楽器を奏でながら縦横無尽にステージを舞い回る。

628 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:27:05.86 KWDGeRH/o 562/681

これまでと全く違うアイドル像。

きらびやかに着飾った可愛い女の子たちが、笑顔を振りまき、渋さ満点の楽曲をノリノリで自ら演奏している。

ベースのソロ、サックスのソロ、シンセのソロ、そしてギターのソロ。

それぞれのパートがこなされる毎に、会場全体から拍手喝采が浴びせられる。

アイドルらしからぬ動きと、各自の見せ場を最大限に活かすその姿を見て、度肝を抜かれ熱狂しない者はいまい。

凛がPから受け継いだ、新世代の偶像の定義付けに、観客は酔いしれた。

629 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:29:05.84 KWDGeRH/o 563/681


五分間の演奏が、まるで一瞬のように過ぎ去り、そのままの流れで凛メインのプログラムへと移行する。

Never say neverで徐々にボルテージを上げ、

CGプロの研究生を後ろに従えたキレッキレのダンスで、すっかり暖まっていた会場は熱狂し、

ブリティッシュロカビリーでは、はっきりとしたリズムに揺れるサイリウムが、蒼一色に染まった。

全篇英語詞にも拘わらず、客席と一緒に歌い上げる一体感。

トライアドプリムスの出番から通算して、五曲連続。

当初、凛のプログラムはもっとばらけていたのだが、意図的に後半へ集積させたい、と、鈷に変更を願い出た。

そんなプログラムを、20分以上ぶっ通しで、歌唱を張り上げ怒濤のダンスを舞っても、鈍くならない動作。

630 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:30:47.81 KWDGeRH/o 564/681

CGプロが誇るアイドル――

否、アイドルの枠を越えた“渋谷凛と云う存在”の威力が、横浜アリーナに炸裂している。

その力は、三月の単独ライブを遥かに凌駕する勢いであった。


 He’s no good, girl

 No good for you

 You better get to gettin' on your goodbye shoes……


バックの演奏が消え、凛の独唱で曲が終了する。

同時に消える照明。

631 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:32:22.04 KWDGeRH/o 565/681

「この、みんなと一緒に作り上げるムード、最高だね」

漆黒に眼を塞がれ、耳だけで感じる凛の語り掛けに、聴衆は歓声で応える。

そして一瞬の間を置いて照明が戻り、早着替えを済ませた凛がステージの中央へ立った。

落ち着いた、黒基調のゴシック服だ。

「激しい曲ばかりだとみんなも疲れちゃうだろうから、この辺りで、しっとりバラードでもいこっか。
 実は、私が静かな曲を持ち歌にするのって、これが初めてなんだよね。
 そして奇しくも、今日がそのCDの発売日。皆、もう買ってくれたかな?」

さらに大きな歓声が上がる。

「皆、ありがとね! この曲は、私が初めて作詞に挑戦した曲です。


 聴いてください――」

632 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:33:33.98 KWDGeRH/o 566/681



この空の永遠のように
http://www.youtube.com/watch?v=1ayWnXwvVpg


633 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:34:08.14 KWDGeRH/o 567/681

余韻の長いシンセベルのイントロが響き、そして、甘いギターが、副旋律を奏でる。


 誰かが わたしを呼ぶ 声が 聞こえて
 甘い 夢の途中 ぼんやり 目覚めた

 恋は どこから やってくるの?
 窓を 開けたら 不思議な夜明け

 小さな 詩―うた―の中に 秘めた 思いは
 長い 時代―とき―を越えて 涙を 伝える

 果てしない この道で いつの日か 出会うひと
 伝えたい 優しさを いつまでも その胸に

 誰よりも 信じあい 求めあう 気持ちだけ
 抱き締めて いられたら 何もかも こわくない

 果てしない この道で いつの日か 出会うひと
 穏やかな 優しさで あなただけ 見つめたい

 この空が 永遠に どこまでも 続くように
 変わらない 願いだけ いつまでも 抱き締める…

634 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:38:46.85 KWDGeRH/o 568/681


アウトロがフェードアウトしていくと、静かに聴き入っていた会場が歓声に包まれた。

ツアー初日にこの曲の存在が公となったとき、渋谷凛の新境地としてマスコミを賑わせたが、

そのままの手応えが、この横浜アリーナでも感じられる、そんな喝采であった。

「みんな、ありがとう。……たまには、こういう落ち着く曲も、いいよね?」

凛の言葉に呼応するように、拍手が大きくなる。

その拍手に対して、申し訳なさそうな声で、魔法の解ける刻を告げる。

「さて、名残惜しいけど……次が最後の曲です」

客席から響く、「えーっ」「もっと続けてー!」と云う声。

635 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:40:17.79 KWDGeRH/o 569/681

会場全てが、もっと魔法にかかっていたい、そんな願いが籠った声に包まれると、何故か照明が全て落ちた。

ステージ上は真っ暗闇で何も見えない。

そこに、どこからともなく割り込むMC。

「……あくまで、プログラム上は、ですけどね!」

観客席が、一気にざわついた。

「こっ、この声は……一体誰ッ!?」

凛が、実にわざとらしい大仰な演技をする。

瞬間、舞台の中心をスポットライトが照らすと。

636 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:42:01.05 KWDGeRH/o 570/681

そこには、凛の隣に、パンキッシュゴシックの衣装を纏った天海春香が立っていた。

「箱根……じゃなかった、横アリのみなさ~ん! 天海春香ですよ~!!
 今日は、CGプロさんのライブツアーが楽しそうなので、お邪魔しちゃいましたー!」

「はい、と云うわけで、千秋楽限定シークレットゲスト、春香さんが来てくださいました!」

凛が春香の言葉を引き継いで続ける。

まさかの大物ゲスト登場に、会場は大歓声に包まれた。

「今、私がしっとりした曲を歌ったので、ラストへ向けて、徐々に、ゆっくりと、もう一度熱を上げていこうか」

「いえす! それじゃあまずは、凛ちゃんと私で、オ・ト・ナなデュオを披露しようかな!」

「では、もう一度柔らかなナンバーを。Je t'aime... moi non plus ――ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ――」

ステージを、柔らかい光が包み、歓声の波が静かに引いて行く。

637 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:43:25.26 KWDGeRH/o 571/681
638 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:44:00.58 KWDGeRH/o 572/681

しっとりしていながらも、ファンクなドラムとギター、オルガンが、ゆっくりと空間を満たしていく。


 Je t'aime je t'aime, oh oui je t'aime

 Moi non plus

 Oh mon amour, tu es la vague, moi l'île nue
 Tu vas, tu vas et tu viens entre mes reins
 Tu vas et tu viens entre mes reins et je te rejoins

 Je t'aime je t'aime, oh oui je t'aime...

639 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:45:46.97 KWDGeRH/o 573/681


超人気アイドル二人が魅せる、新たなステージ。

妖しく、色艶やかな歌唱は、大人を思わせる色香を放っていた。

凛は、もう18歳だ。

デビュー時から続く、“少女”と云うイメージを、変遷させる力を以て唱い上げる。

“少女”が“オンナ”に変わる刻――

――それは、観客の心を、どくんと鼓動させ、掴み上げた。

640 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:48:28.36 KWDGeRH/o 574/681


「しぶりーん、そんな色気たっぷりなの演られちゃ、私たちが出て行き難いよー」

未央がそう云いながら、卯月と共に下手から、

そして奈緒がコンコードベースを持って、加蓮と共に上手から舞台へ現れた。

凛が奈緒からベースとヘッドセットマイクを受け取り装着している間に、卯月が

「せっかく春香さんが来てくれたんだもの、CGを代表するユニットでお迎えしないとね」

と云い、客席へマイクを向けた。拍手と指笛が沸き起こる。

春香が、卯月のMCに応え、

「おおっと、沢山のお出迎えが来てくれましたね! この人数を活かして、渋いチョイスを行きましょう!」

そのまま、凛のベースに合わせて、独り、歌い出した。

641 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:50:59.35 KWDGeRH/o 575/681
642 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:51:28.87 KWDGeRH/o 576/681


 I know somebody who declares he has it made
 He won't admit it, but it's just a masquerade ――

そこから春香のリードに併せ、フィンガースナップと共に、横ノリな五声のハーモニーが響き渡る。

ベース以外には全く伴奏がない。

そう。 ア・カペラ。

瞬間、その場は、黄色のような、はたまた、橙のような色に包まれた。

その色の照明が焚かれたわけではない。

音だから色なんて判るはずが無いのに、確かに、横浜アリーナの中を、色の付いた複雑なハーモニーが奔流したのだ。

643 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:53:20.99 KWDGeRH/o 577/681


――

11月末、まもなくツアーが始まろうかと云う頃の、ある日の夜。凛は春香にメールを送った。

【今度カメオして頂ける最終日なんですが、一緒に歌う曲をリクエストしてもいいですか?】

希望リスト、そして楽譜と歌詞を添付すると、すぐに返信ではなく電話が来る。

『やっほ、こんばんは。……なるほどね。これ、凛ちゃんなりのメッセージ……だよね?』

「こんばんは、お電話をくださってありがとうございます。その通りです。流石、春香さんにはすぐに見破られちゃいました」

『一番目はいいとして、二番目の曲、これを演るの? 音取りや和声が相当難しいよ?』

644 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:54:21.16 KWDGeRH/o 578/681

「はい、お客さんの度肝を抜きたくて。春香さんがカメオして頂けると云うサプライズの上に、さらにこのギミックを出したいんです。
 春香さんはリードに専念して頂いて、ハーモニーはCGメンバー側でこなしますので、あまりお手間は掛けさせません――』


春香は、電話から一度添付ファイルのPDFへiPhoneの画面を切り替え、ざっと見てから云う。

「わかった。私はハーモニーに関わらないとは云っても、一回か二回くらいは合わせた方がいいよね。
 赤羽根プロデューサーに予定を固めてもらって、一度CGプロへ伺うよ」

『すみません、ありがとうございます。こちらも鈷プロデューサーに伝えておきます』

「うん、それじゃあね、おやすみ」

春香は電話を切り、iPhoneをスクロールさせ、凛から送られた歌詞を、再び読んだ。

645 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:55:20.87 KWDGeRH/o 579/681

 Je t'aime je t'aime, oh oui je t'aime

 Moi non plus

 Oh mon amour, tu es la vague, moi l'île nue
 Tu vas, tu vas et tu viens entre mes reins
 Tu vas et tu viens entre mes reins et je te rejoins

 Je t'aime je t'aime, oh oui je t'aime...

  愛してる、愛してるわ……

  ――さぁてね?

  私は一糸纏わぬ島、あなたは波。
  寄せては返す波……

  愛してる、あぁ、愛してるの……


凛ちゃんめ。

大胆な作戦に出たね。

次の曲のメッセージもだいぶ強いし。

ここまで想われる人が羨ましいな……

646 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:56:04.78 KWDGeRH/o 580/681


――

六人で唱う、ア・カペラの和声が着々と盛り上がって行き、サビへと突入する。


 Spread love, instead of spreading lies

 Spread love, the truth needs no disguise

 I've often said love could open any door

 Oh, but I wish we had much more

 More love is what we need

647 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:56:43.32 KWDGeRH/o 581/681


Spread love ―― C7(9)からB♭6へ落ちる極めて印象的なフレーズ。

――愛を蒔こう。嘘を塗るのではなく。

――温もりを拡げよう。本当の気持ちに仮面は要らない。

――愛はどんな障碍でも越えられるとよく言ったけれど

――その欠かせないモノがもっと溢れていればよかったのに。

648 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 00:59:46.77 KWDGeRH/o 582/681


最後のハーモニーですぱっと曲を終了させると、ホールに六種類の残響が漂う。

高度な和声をこなしたアイドルたちに、聴衆は呆然としていた。

一瞬の間を置いて、はっと気付いた観客が、一斉に拍手と喝采を轟かせる。

「こう云う、複雑なハーモニーの歌も、またいいもんでしょ?」

加蓮が指をピストルの形にしながら訊ねると、更に歓声の音量が上がった。

649 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 01:01:25.05 KWDGeRH/o 583/681

「さあ、後ろ髪を引かれる思いだけど、ラストの曲になっちまった!
 最後はパァーッと、春香さんと一緒に、CGプロ全員と一緒に、そして皆も一緒にいこうぜ!」

奈緒の掛け声に併せ、凛や春香が叫ぶ。

『お願い!シンデレラ!』


 お願いシンデレラ 夢は夢で終われない
 動き始めてる 輝く日のために――

六人のイントロ重唱が終わると、

『イェーイ!』

上手下手の両手袖からCGプロのアイドルが全員、大挙してステージへ走り寄った。

650 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 01:02:59.54 KWDGeRH/o 584/681


凛は、ア・カペラの時のまま、踊りながらベースをスラップさせ、

李衣菜と夏樹はギターを肩に掛け、それぞれカッティングとリードを弾き、

加蓮はアナスタシアからショルダーキーを受け取って、シンセアルペジオを鳴らしている。


 Everyday どんな時も CUTE Heart 持ってたい――

春香と第二課全員が可愛く唱い、

 Pinchもサバイバルも COOLに越えたい――

第一課全員が澄ましてこなし、

 Update 無敵なPASSION くじけ心 更新――

第三課全員が熱く飛び跳ねる。

そして杏ときらりは相の手を入れ、観客がそれに同調する。

651 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 01:04:48.75 KWDGeRH/o 585/681

わかりやすい曲構成、会場全体が一体となる。

熱情の四分間は、あっという間だった。


 涙のあとには また笑って スマートにね
 でも可愛く 進もう!――


照明の輝度が落ちて行く中、加蓮のアルペジオで曲が終わりを迎えると、今日一番の熱狂が沸いた。

652 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 01:05:49.56 KWDGeRH/o 586/681

しかし、暗くなっても、客席のライトはまだ点かない。

それの意図するところ。

そして、方々から止まない、アンコールを求める手拍子。

薄暗い会場の中に、凛の声が響く。

「ふふっ、拍手が途切れないね。……じゃあ、みんなのアンコールに応えよっか」

待ってましたとばかりに盛り上がる歓声の予定調和。

653 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 01:07:16.27 KWDGeRH/o 587/681

「さあ! 折角春香さんが来てくれたんだし、敬意と謝意を表して、『READY!!』を行くよ!」

凛の声を合図とし、PAがキューを送る。


 Are you ready!? I'm LADY!!
 始めよう やれば出来るきっと 絶対私NO.1


横浜アリーナを熱く滾らせる興奮が、冬の夜空に溶けてゆく――

660 : 再開 ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:08:54.46 KWDGeRH/o 588/681



・・・・・・・・・・・・


「なんであれだけ大規模なツアーの翌日に、フツーに仕事入ってんの~?」

ニュージェネレーションのラジオ番組を済ませ、太陽が没して航海薄明が終わる頃。

麻布十番の駅から事務所までの道を歩きながら、やれやれと云う顔をして未央がぼやいた。

「レギュラー番組なんだから仕方ないよ、未央ちゃん」

「そうだよ。むしろ今日は、朝事務所へ出社しないで、夕方日本放送に直行していいって云われたんだから、休みを呉れたようなもんだよ」

卯月と凛が未央を窘める。

661 : 再開 ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:10:30.18 KWDGeRH/o 589/681

ツアー終了翌日の放送というだけあって、ライブの出来を賞賛する感想メールが非常に多かった。

放送前に目を通すのが大変な量だったほどだ。

世間では、CGプロの躍進と、春香のサプライズカメオ及びその理由に関するニュースがお茶の間を賑わせ、

番付番組は、凛が、“春香に認められた者”として、Aランクへ登り詰めたことを示した。

卯月や未央もBへ上昇し、奈緒と加蓮に至っては、Eから一気にCへ跳ね上がった。

蘭子や楓など、その他のアイドルたちも、今回のツアー成功に伴って軒並み評価を上げている。

662 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:12:02.93 KWDGeRH/o 590/681


事務所のビルに入ると、普段よりも静かなフロアが三人を包んだ。

本日、ニュージェネレーション以外のアイドルたちは休日を貰っている。

勿論、後処理の残っているプロデューサー陣含め事務方は休むわけにいかないので、人気が皆無と云うわけではない。

「なんかこう、いつもと違う雰囲気だと、落ち着かないね~。じゃあまたあとでー!」

未央が苦笑しつつ洩らし、第三課へと入って行った。

その後凛は卯月と第二課前で別れ、独り、第一課をくぐる。

663 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:14:57.55 KWDGeRH/o 591/681


デスクで作業している鈷に終業の報告へ向かおうとすると、

「おう、お疲れ」

ソファから声が掛けられた。


――この声は。


凛が、勢いよくその方向を向くと。


Pが、座っていた。

664 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:17:09.66 KWDGeRH/o 592/681


その姿を認めた瞬間、凛はまるで蝋人形のように動きが固まる。

長く美しい髪だけが、慣性の法則に従って揺れた。

何秒ほど硬直していただろうか、不意に、泪が、ぽろっとこぼれた。

「お、おい」

あまりにも急激に変わる凛の表情を見て、Pは慌てた。

そんな彼に構わず、事務所の中であることにも構わず、一粒こぼれた雫が呼び水となって、双眸から泪が止め処なく溢れ出た。

顎から滴り落ちたそれが、カーペット地の床に、点々と染みを作っていく。

665 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:18:45.29 KWDGeRH/o 593/681

Pが立ち上がると、凛は持っていたバッグを放り出して、コートも脱がず、帽子もマフラーも取らず、懐へ飛び込んだ。

「プロ……デューサー、なんで? なんで……?」

震える涙声で問う凛の背中に、Pは腕を廻し、とんとんと優しく叩いた。

「それは、なぜ俺がここに居るか、って云う意味でいいのか?」

凛は声を出せず、Pの胸に押し付けた顔を上下に動かした。

「昨夜のライブをストリーミングで観ててな、居ても立ってもいられなくて夜明けと同時に飛んできたんだ」

666 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:19:58.66 KWDGeRH/o 594/681

CGプロは、遠方で会場へ来られない人のため、ファンクラブ上級会員向けにコンサート映像のストリーミング配信サービスを行なっている。

Pは、向こうでそれを観ていたらしい。

ライブが終わったのは夜の八時過ぎだから、ロサンゼルスは当日未明の三時だ。

そのまま夜明けを待って、朝の便で飛び発ち、サンフランシスコ経由で入国、ついさっき着いたと云う。

「ひとまず、どこかゆっくりできる処へ行くか。鈷がこのままじゃ仕事できない」

鈷は、先ほどから、意識してこちらを見ないようにしていた。

勿論、その状態では仕事に力は入るまい。

667 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:22:46.27 KWDGeRH/o 595/681

「今日は他のアイドルいないから、ダンスルームでも開けるか? 休憩室でもいいし」

「私……屋上が……いい……」

凛が、嗚咽に声を詰まらせながら、希望を述べる。

屋上は、普段は開放されない場所だ。確実に邪魔が来ないことを、彼女は知っていた。

「寒いだろうけど大丈夫か?」

身体を心配するPに、凛はゆっくり頷いた。

「そうか。ちひろさんに鍵を貰ってくる。階段で待っててくれ」

Pは凛へハンカチを差し出し、衣紋掛けに吊るされたロングコートを持って第一課を出て行った。

668 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:24:29.92 KWDGeRH/o 596/681


屋上へ出ると、夜の帳が下りて、明るい星が、次々と瞬き始めている。

気温は、日没からしばらく経ったせいか、だいぶ下がっていた。

その上、設置されたエアコンの熱交換器から排出される冷気が相俟って、相当寒く感じる。

「こりゃ、かなり冷えてるけどいいのか?」

念のため再度訊ねると、凛は、ぐす、と鼻を鳴らしながら、Pが着ている外套の中へ正面から潜り込んで、

「大丈夫。むしろ、その方が堂々とくっつけるからいい」

真正直な返答を寄越した。

屋上のスペースと、置かれた室外機の間へ設けられた金網に、Pは背中を預ける。

カシャン、と響く乾いた音は、すぐに機械の動作音と混じり、消えて行った。

669 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:26:00.71 KWDGeRH/o 597/681

「お前、最終日のライブのプログラムに大分口を挟んだらしいな?」

「……うん、表現したいことが、あったから」

Pは軽く、それでいて少し長めに息をついた。

「……やっぱり、あれは意図的だったか」

凛は何も云わずに頷く。

「俺がこないだトライアドプリムスに書いた曲、その真意に気付かないお前じゃないだろう?
 そんな凛が、今度は作詞を手掛けた曲であんな、“いつまでも想う”なんてことをこっちに伝えてきて。
 ……更には春香ちゃんとのセッションではあの露骨なラインナップだ」

しばらく戻ってくるつもりはなかったんだが、と嘆息し、

「あそこまでやられちゃ、飛んで来ざるを得ない」

降参、と云った様子で両手を挙げると、凛は、先ほどと同様、懐に顔を押しつけ、埋めた。

670 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:27:28.55 KWDGeRH/o 598/681

そして、右手の拳で、Pの鎖骨の辺りを強めに何度も叩く。

Pは何も云わず、彼女の身体が冷えないよう、自らのコートで深く包み込み、静かに、叩かれ続けた。

やがて、叩く力は段々と弱くなり、再び嗚咽が聞こえてくる。

細かく震える身体は、むせび泣きのせいか、はたまた寒さのせいか。

Pは、外套の中で、凛の背中を、楕円を描くようにゆっくりさすった。

シャツの胸に拡がる、濡れた感覚。

これは、女の子を泣かせてしまった、不名誉な痕と云えるだろう。

凛は、不規則にしゃっくりを上げる。

671 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:29:52.75 KWDGeRH/o 599/681


「なあ凛、顔を上げてくれないか。このままじゃ、話をし難い」

しばしの後、Pはゆっくりと、凛の頭上から語り掛けた。

「やだ」

「どうして」

「……メイクがぐしゃぐしゃだもん」

この辺はやはり乙女の感覚だろうか。

男としてはあまり気にしないのだが、女の子にとっては一大事なのかも知れない。

「今更そんなことを気にする間柄でもないだろ。既に俺はお前のすっぴんさえ見慣れてる」

672 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:31:29.89 KWDGeRH/o 600/681

凛は、ゆっくりと、泪の跡が残ったままの顔を挙げて、誹る。

「……すっぴんとメイク崩れは違うんだよ。……ばか」

「……すまんな」

「それは何に対しての言葉? 今デリカシーのない発言をしたこと?」

少し険しい顔をして、凛は問うた。

「諸々全て、……だな」

「そんな、今謝るくらいなら、どうして何も云わずに居なくなったの? 当初私がどんな状態になったか、知ってるんでしょ」

「……順を追って、話そうか」

673 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:33:43.05 KWDGeRH/o 601/681

Pは瞼を閉じ、ゆっくりと、深く呼吸してから続けた。

「……お前が俺のことを悪く思っていないというのは、比較的早い段階から気づいていたよ」

凛は、驚きに目を見開いた。

これまで何度も、誘惑する仕草をしても全く気に留める様子なんてなかったのに。

「鈍感なフリをするのは、それはそれで結構大変なんだぞ――」

凛の表情から、その心の中を読み取ったPは、少しだけ、責めるような口調と顔つきで、凛の目を覗き込んだ。


 ――判り切っているだろうが、お前はアイドルで俺はプロデューサー。そんな二人が恋に落ちるなどあってはならないことなんだ。

 それでもはっきり断らず、鈍いフリをしたり有耶無耶な反応に留めたりしていたのは、

 お前の、俺の期待に応えたい、または俺に褒められたいと云う感情をモチベーションとして利用する、そんな下衆い計算があったからだ――

674 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:35:32.87 KWDGeRH/o 602/681


凛は、まだ、何も云わずに、じっと、Pの言葉を聞いている。


 ――だが、その作戦は、あの日、お前が直接俺に伝えてきたことで破綻した。

 間接的な表現ならまだしも、はっきりと直接云われては、もうとぼけた振りは出来なくなった。

 だが、きっぱりと拒絶すればお前のモチベーションに少なからず影響が出るだろう。

 もうトップアイドルは目の前、掴めそうな場所にあるというのに。

 だから断れなかった。

 なによりも、俺だって本心では、お前を離したくなかった。

 ……プロデューサー失格だな――

675 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:36:41.04 KWDGeRH/o 603/681


ここで一度、Pが深く息を吸って吐き、続けた。


 ――だがそんなことは赦されない。

 俺個人の勝手な欲望で、国民の宝を台無しにするなど赦されない。

 お前の想いに、イエスともノーとも云えなかった。

 ……運命の選択ができなかった。

 お前の想いを受けても間違いだし、拒んでも正解には遠い。

 理想の解が存在しない問題――

676 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:37:41.62 KWDGeRH/o 604/681


凛は、Pも、自分と同種のヂレンマを抱えていたのだと知った。

苦しんでいたのは、自分だけではなかったのだ。


 ――俺は結局、その問題から逃げたんだよ。

 俺は、意志も情も薄弱な人間だった。

 逃避して、ほとぼりが冷めるまで待つことしかできなかった――


Pは、ここで一度言葉を止めた。

677 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:39:53.88 KWDGeRH/o 605/681

そして逡巡してから、眼を瞑り、意を決したように続ける。

「――男として答えれば、お前を離したくない。お前が欲しい。
 ……だがプロデューサーとして答えれば、お前に手を出すわけにはいかない」

Pの真意を知った凛は、あの誕生日のときと同じように、感情を吐露した。

「今、私を欲しいと云ってくれて、どれだけ天へ昇る気持ちになったか! 私は、Pさんが欲しいの! プロデューサーでもない、貴方が欲しいの!」

「まだだ。まだ駄目だ」

Pは、凛の唇に指を置いて制止した。

「凛には云ってしまうが、俺は今、事務所の戦略上、外せないことをやっている。
 向こうで修行して、技術をつけたらまたCGプロへ戻ってくる。今度はチーフプロデューサーとしてな。
 研修ではなく移籍と云う体裁を採っているのは、ライバルや利害関係者にぎりぎりまで勘付かれないようにするためだ」

本来であれば、修行を終えて戻ってくるまで云うはずのなかった言葉。

678 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:41:23.02 KWDGeRH/o 606/681

しかし、二人三脚で歩んできた戦友――いや、愛しい女性―ひと―を前にして、隠し通せるほど冷酷には成り切れなかったのだ。

「一つだけ確かに云えることは、俺だってお前を好いている。好いているからこそ、今直ぐにはどうこうできない。それはわかって欲しい」

「じゃあ、私がアメリカへ行く。日本に居るのが都合悪いなら、行き先はどこでもいい、この国から出る」

凛が、眼力鋭くとんでもないことを宣言した。

その強い言葉に、Pは肝を冷やす。

「何を云っている! 折角ここまで重ねてきた軌跡を自ら棄てる気か!?」

「誤解のないように云っておくね。私、決めたの。トップアイドルには勿論なるよ」

Pの胸に両手を置いて、真面目な表情で、顔をあおり見る。

679 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:42:59.73 KWDGeRH/o 607/681

「年明けか、再来年か、それとも更にその次の年か。
 いつになるかは判らないけど、必ずトップアイドルになって、あなたの選球眼が正しかったんだと証明した後、胸を張って、あなたへ逢いに行く。
 私がトップアイドルになる前にあなたが日本へ戻ってくるなら、一緒に頂へ登り詰めて、そしてスパッと辞める」

凛の真っ直ぐな瞳に、その意思の強さを感じ取ったPは、ついに折れた。

「……俺は明日、社長へこのことを報告しにいく。
 もはやこの問題は、俺たち二人の間だけで済む性質の物じゃない」

Pは、凛の頬を両手で包んで、硬い声音で告げた。

「お前には火の粉が飛んで行かないように頼んでくるから、もし俺が腹を切ることになったら、介錯してくれ」

凛は首を振った。

「介錯なんてしないよ。
 ……私も、一緒に……征く」

680 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:44:45.43 KWDGeRH/o 608/681


――

「突然帰国してきたと思えば、穏やかじゃない雰囲気だねえ」

翌日、社長室。

Pは、凛を連れて、報告に訪れていた。

ライブの成功を受けて二人とも喜んでいるものと思いきや、現れた顔が硬く締まっているのを見て発した社長の言葉である。

執務机から立ち上がり、応接スペースへ歩いて来ながら問う。

「こんな急に飛んできて、向こうの仕事は大丈夫なのかね」

「キリスト圏は今、クリスマス休暇中ですので」

答えるPに、そう云えばそうだったね、と社長は自らの後頭部を叩いた。

681 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:46:09.49 KWDGeRH/o 609/681

ソファへ促され座ったPは、身を乗り出して、緊張した面持ちで、上半身を社長へ向けた。

そして、言葉を選びながら声を発する。

「単刀直入に申し上げます。昨夜、私と凛は、互いに、想いを伝え合ってしまいました」

深く、ソファに腰を沈めた社長は、眉をぴくりと僅かに上げた。

「私の、プロデューサーとして自覚欠如の結果であり、弁解の余地はありません。
 私への処分はどんなものでも甘んじてお受けします。ですが、凛は、凛だけは咎めないよう、お願いします」

社長の言葉が出る前に全てを云い切ろうと、Pは、ゆっくりながらも、声を途切れさせずに述べた。

そして、頭を下げる。

「ちょっと、プロデューサー、自覚欠如の誹りを受けるのは私だよ。プロデューサーは私のせいで苦しんだんだから」

凛はPの二の腕部分を持って、軽く揺すった。

682 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:47:21.91 KWDGeRH/o 610/681

社長は腕を組んでPに問う。

「それは、P君も渋谷君も、お互いに好き合っていて、その思いの丈を、どちらも吐露した……と云うことでよいかね?」

「はい」

「P君は渋谷君を想っており、そして渋谷君もP君を恋い慕っていて、その気持ちを、二人とも明確に認識し合った、と?」

「はい」

Pは頭を下げたまま。

社長は、眼を瞑って動かない。

683 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:49:14.26 KWDGeRH/o 611/681

凛が不安になって、戸惑った表情でPと社長の顔を交互に見ていると、社長はゆっくりと目を開けた。

「……予想していたよりも、大分時間をかけたねと云うのが正直な感想かな」

「なっ!?」

Pが驚いて顔を挙げる。凛も同様に、口を開けて固まっている。

「君たちが惹かれ合っているのは、薄々勘付いてはいたのだよ。勿論、確信ではなかったがね。
 渋谷君が不調になったのはP君が発った直後だものな、一種判りやすい反応ではあった」

凛は申し訳なさに縮こまった。

684 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:50:27.49 KWDGeRH/o 612/681

「まさか、既にお気づきとは……」

Pが嘆息すると、社長もまたソファの背もたれに体重を預け、

「曲がりなりにも芸能事務所の社長兼スカウトマンなのだよ? 女の子を捉える眼はそれなりに鍛えられていると自負しているのだが」

恐れ入りました、とPは顔を伏せる。

「で、想いを確認し合って、既に昨夜、肌は重ねたのかね?」

その言葉の中にある社長の意図を汲み取って、凛は赤面した。

――そ、それって、つまり……アレ、だよね……?

685 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:51:53.59 KWDGeRH/o 613/681

初心な反応を見せる凛とは反対に、Pはきっぱりとした態度で云う。

「いえ、想いは伝えましたが、まだ男女の仲ではありません。凛の生身に触れることは何もしておりません。口づけさえも、です」

社長は眉を上げて、ほう、と呟き、

「ふむ、その辺りはきちんとしているようだね」

「曲がりなりにもアイドルのプロデューサーですので……その最終ラインのけじめはきっちり守っているつもりです」

Pは少し困った顔をして答えた。

「はっはっは、すまんすまん、これはこちらが一本取られた」

下腹部の前で手を組んで、社長が笑った。

686 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:53:32.03 KWDGeRH/o 614/681

「正直に云ってしまえばね、この業界、こんなことはザラにある。
 君たちが既に性交渉を済ませていたとしても何ら驚きのない世界なのだよ。――ああすまん、これは言葉の綾だ。
 決して君たちを見くびっているわけではない」

社長は、右手を軽く挙げ、衝撃的な言葉を続ける。

「破天荒で有名な日高舞は、動機はどうあれ普通の結婚をして引退したが……
 更にその昔、ファンクラブ結成直後と云うタイミングで、担当プロデューサーと電撃結婚、引退したアイドルがいたくらいだからね」

前例があることに凛は驚いた。

アイドルとプロデューサーが結ばれることはない、と、盲目的に刷り込まれていたからだ。

687 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:55:31.30 KWDGeRH/o 615/681

「そ、そんなことをして無事で済んだんですか……?」

口に両手を当てて、凛が訊ねた。

「あー、まぁ当時は色々あったね。脅迫やら何やら。
 しかし、その者はまだ業界に残って、アイドルのプロデュースをしているよ。
 ……まあ彼の場合は例外中の例外と云えるかも知れんが」

さらに凛は驚いた。例外とは云え、そんなことが実際に赦されているとは。

「……プロデューサー、知ってた?」

横目で問い掛けてきた凛に、Pは軽く肩を竦める。

688 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:56:53.54 KWDGeRH/o 616/681

「話は聞いたことがある、と云う程度だな」

「無理もなかろう。今からおよそ25年以上も前の話だ」

社長は遠い目をした。

「勿論、アイドルとは夢を振りまく存在であるから、建前として潔癖さを求められるのは当然だ。
 だが、渋谷君、君を含め、アイドルたちは機械ではない。人間なのだ。だから誰かを好きになることがあるのもまた当然だ」

社長は前に屈み、声のトーンを少し下げる。

「こんなことを云っては怒られるだろうが、表に漏れさえしなければ、アイドルが誰かと付き合うのを禁じることなど無用だと思っている。
 無論、情報の封じ込めが難しいからこそ、一律に禁止と云うのが通例になっているわけだがね」

689 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:58:12.53 KWDGeRH/o 617/681

社長は姿勢を戻し、「で、君たちはどうするつもりなのかね?」と問うた。

Pが佇まいを正して答える。

「私は現在、社の戦略上、重要なことを任されている認識を強く持っています。
 凛と結ばれるために業界を去る、と云う選択肢は有り得ません。
 現段階は、二人が結ばれる時期ではないと思いますし、凛もそれをきちんと認識しています」

凛は黙って、Pの言葉に首肯を添えた。

「君たちはストイックだね」

社長は感歎の溜め息をつく。

690 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 22:59:36.33 KWDGeRH/o 618/681

「だが、それでは渋谷君がアイドルである以上、結ばれることはないのではないかね? P君のその意気には社長として感謝しているが」

凛が、社長へ向けて口を開く。

「……私が、去ります」

強い意思を宿して、そう答えた。

「私の活動を応援してくれる方々に、今後も応えていきたいと云う想いはあります。
 でも天秤に掛けると、どうしてもPさんを選んでしまう……ですので、トップアイドルの地位まで登り詰め、
 ファンの期待への回答を果たしたら引退し、Pさんの許へ向かおうと考えています」

「まだ世に出て三年も経っていないのに、勿体無い話だね」

落胆の声に、凛は目を伏せた。

「申し訳ありません」

691 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 23:00:51.08 KWDGeRH/o 619/681

「正直、君の才能は、『トップアイドルになったから』と引退させるには惜しいと思っている」

社長の意見に、顔を挙げて、泣きそうな表情で問う。

「そっ、それは、私がPさんに添い遂げることを許可しない……と云う意味でしょうか」

凛の問い掛けに答えず、社長は話を変えた。

「渋谷君、いま君は『P君の許へ向かう』と云ったが、アメリカへ飛ぶと云うことかね?」

「……いえ、必ずしもそうではありません。
 IUにてトップアイドルを獲ると云う目標達成が早ければアメリカへ逢いに飛びますし、
 時間が掛かってPさんが日本へ戻ってきていれば、一緒に頂へ登ってから、引退、と」

社長は、その言葉を受けて何やら考え込んでいる。

692 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 23:02:31.52 KWDGeRH/o 620/681

「渋谷君、私としては、先ほども云ったように、君の才能は引退させるには惜しいと思っている。
 だがトップアイドルになるという目標を達成したなら、その後どんな道を選ぼうが、勿論それは君の自由だ。
 こちらに不利益が発生するのでない限り、君に、身の振り方まで指示する資格は、我々にはないからね」

「で、では」と口をつく凛を制し、しかしだ、と社長は続ける。

「君自身、今後もファンに応えていきたいと思っているのだろう?」

「そ、それは……赦されるのであればそうしたいですが……」

言質を取った、とばかりに笑む社長。

「芸能活動を維持しつつ、P君と結ばれる。その両方を目指すのでは駄目なのかね?」

693 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 23:03:37.54 KWDGeRH/o 621/681

「……え?」

Pが思わず聞き返した。凛は、自分の理想に近い言葉を社長から得られたことに、息を呑んでいる。

社長はそれらを意に介さず、言い放つ。

「渋谷君。IUでトップを獲りたまえ。――そして、アメリカに飛ぶのだ。さっきの君の言葉でティンと来た」

Pも凛も、社長の真意を理解できず、ぽかんとしている。

「そ、それはつまり、どう云うことでしょう?」

Pがおずおずと訊ねた。

694 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 23:05:01.78 KWDGeRH/o 622/681

「君らが海の向こうで何をしようが、日本にいる者たちはどうにも手出しできない、と云うことだよ。
 アメリカで、結ばれると良い」

Pと凛は驚きの顔のまま、二人、見詰め合った。

社長が、仲を認めてくれたのだと理解するのに、少々の時間を要した。

徐々に喜びの表情へと変える二人に、社長は「その上で、これから云うことは命令ではない。あくまで提案だ」と付け加える。

そして肘を腿の上に置き、顔を少し近づけた。

「渋谷君、将来日本で芸能活動を続けられるように、アメリカのショービズ市場で、結果を出したまえ。
 そうすれば、君が既に男性と結ばれていようとも、逆輸入と云う形で堂々と迎えることが出来る。
 P君も、それまで一緒に向こうで技術を磨き続けたまえ」

社会には、理由付け・大義名分と云うものが必要とはいえ――なんと大胆な、二兎を追い、その両方を得る作戦。

仮に、アメリカで結果を残せなくとも、Pと結ばれることで一兎は得られる。

695 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 23:06:33.20 KWDGeRH/o 623/681

社長なりに、凛の希望を叶えたいと慮った結果だろう。

彼にとって、凛は事務所躍進の立役者であり、更には設立当時からの“愛娘”なのである。

「勿論、日本に復帰する気がないのなら、P君のハリウッド研修が終わった時点で人知れず戻ってくればよい」

私としてはその選択はあまりして欲しくないがね、と笑いながら。

どうかな? との問いに、凛は力強く答える。

「やります。私、……実は欲張りなんです」

そう云って大きく笑顔を拡げた。

696 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 23:08:36.43 KWDGeRH/o 624/681


――

「えっ? アメリカ!?」

社長室を出た後、そのままニュージェネレーションとトライアドプリムスの面々が集められ、報告された。

「まだ、“もしかしたら”の話だけどね。振り回す結果になるかも知れない。申し訳ないと思う」

凛は頭を下げ、ことの経緯をかいつまんで説明した。

「……つまり、IUで優勝できたら、アメリカに挑戦して、何年か後に、また戻ってくるってこと?」

卯月が代表して凛に問うた。

「の、予定。失敗したら、たぶん私はそのまま表舞台から消えるだろうけど……」

697 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 23:10:17.48 KWDGeRH/o 625/681

「ちょっと凛、不吉なこと云わないでよ!」

加蓮が血相を変えて詰め寄った。

「それにしてもアメリカかぁ。折角ユニットを組んで、滑り出しも順調なのにな」

少しだけ不満そうに口を尖らせた奈緒に、

「ごめん、それは……」

顔を伏せる凛。

「ちょ、ちょっと奈緒ちゃん」

卯月が奈緒を制止しようとするが、

「ううん、卯月、我が儘な私が悪いんだ。
 それに、入院しているとき、漠然と身の振り方を考え始めた時点で、皆には伝えておくべきだった。
 どの面下げて云えばいいのか、って先延ばしにしてた私が悪い」

凛はそう呟いて、微かに首を横へ振った。

698 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 23:12:04.07 KWDGeRH/o 626/681

奈緒は、目を瞑ってこめかみを掻いている。

「まぁ、あたしだって本気で云っちゃいないし、困らせるのは本意じゃないんだよ。感情に任せて喋っちまって済まなかった。
 そりゃ、いつまでも凛に、おんぶに抱っこの状態じゃ駄目だってことは、判ってるよ」

奈緒の言葉に、加蓮は大きく頷き、

「そ。アタシたちはもうCランクなんだから、独り立ちしても大丈夫なようにしておかないと。
 凛に引っ張られたとは云え、EからCに飛び級したアイドルは稀らしいよ?」

と、胸を張った。

699 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/27 23:13:33.31 KWDGeRH/o 627/681

未央が気丈に振舞い、

「私は、しぶりんがPさんとそうやって決めたなら、文句は云わないよ。
 アメリカへ行っている間、留守中のニュージェネレーションは、私にまっかせなさい!」

「凛ちゃんがPさんと決めたこと、私、応援してるからね」

卯月も微笑ましそうに笑って云った。

二人とも『Pさん』の部分をやけに強調したように聞こえたけど、気にしない。

「そうだね、トライアドプリムスだって、アタシたちがきちんと守っていくからさ。ね、奈緒?」

「おう、勿論だ」

加蓮と奈緒が拳を握って、小さなガッツポーズ。

――私は、本当に、いい仲間と巡り会えた。

707 : 再開 ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 22:23:18.74 atFf61f2o 628/681



・・・・・・・・・・・・


2014年 三月某日



≪本日、気象状況に恵まれ、左側には、数百キロも離れているサンフランシスコの街並を、微かにご覧頂けます――≫


成田を飛び立っておよそ九時間、機内のモニタを見ると、現在時刻、朝の十時を少し過ぎた頃。

出発したのは“今日の夕方五時”。

まるで過去へタイムスリップしたかのような、この日付変更線の感覚は面白い。

JAL62便、ボーイング・トリプルセブンの小窓から、北米大陸西海岸の、長く連なる海岸線が見える。

黒い海と、乾燥した大地、肥沃な森林、白い高山が、メリハリのあるコントラストを描いている。

上空から俯瞰する大地のあらゆる場所で、ここからは見えないながらも、人の営みと云うものがある。

この大陸で――あの人が待っている。

708 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 22:29:31.73 atFf61f2o 629/681


――

年明け早々の22日に開催されたIU。

男性部門は、予想通りと云うべきか、ジュピターが並み居る挑戦者を悉く蹴散らして、波乱なく終わった。

しかし女性部門は事務所の代理戦争と化し、史上稀に見る激戦となった。

序盤戦で876プロや東豪寺プロなどに所属するアイドルが散っていく中、

三浦あずさや双海姉妹、おにぎりを事前に食えなかった美希を次々と打ち破る新星が、快進撃を見せていた。

しかし倒しても倒しても立ちはだかる鉄壁の765布陣。

そこに単騎挑むCGプロ、渋谷凛の姿は、もはや、悲壮とも感じられるオーラがあった。

強者へ果敢に立ち向かう様が共感を得、その人気は、ネットそして双方向テレビ放送の投票で、本命視の天海春香と競るほど。

709 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 22:31:58.14 atFf61f2o 630/681


決勝で相見えた両者は、先輩後輩であり、良き友人であり、そしてライバルであった。

「凛ちゃん、ごめんね、私は負けないよ」 春香が笑顔で云い、

「春香さん、申し訳ないですが、勝たせて貰います」 凛も笑む。

710 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 22:36:51.04 atFf61f2o 631/681


力の拮抗する者がぶつかり合ったとき、勝敗を左右するもの――

それは、ベクトルの方向である。

711 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 22:37:20.44 atFf61f2o 632/681

片や、これまでの実績を強調し、守りに入ってしまう者。

片や、新しい偶像の姿を提示し、攻めの姿勢を見せる者。

時代が求めたのは、後者。

蓋を開ければ、審査員の批評と一般投票を併せた結果は、雪崩を打ったかの如く、凛の圧勝だった。

王者がその座を後進に譲った瞬間、それは、凛が正真正銘のシンデレラガールとなった“瞬間”。

……そして、一般市民の与り知らぬところで、凛のアメリカ行きが本決定した“瞬間”であった。

712 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 22:39:52.30 atFf61f2o 633/681


IUの翌日、Pが一時帰国し、社長と共に凛の実家を訪ね、報告した。

預かった大切な子を無事頂点へ立たせられたこと。

高校卒業を機にアメリカへ挑戦させること、――将来は、凛と一緒になりたいと考えていること。

勿論、凛の両親は、大層驚いた。

アメリカ挑戦のビジョンと、何よりも、添い遂げむとするPと娘の意思に。

しかし、何の変哲もない普通の高校生だった我が子を日本のトップアイドルにまで押し上げた者たちを、信頼してくれた。

お前は、社会を三年経験した、もう充分な大人だ。自分の信じる道を、信じる人たちと共に歩め――

Pの隣に座る娘へ、父親はこう、言葉を掛け、

その凛は、頬を濡らしながら、ゆっくりと、万感胸に、深く頭を下げた。

713 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 22:45:49.96 atFf61f2o 634/681


――

高校の卒業式から一箇月が経ち、出国を約半月後に控えた日、情報が一部解禁された。

『渋谷凛、俄の無期限活動休止』

『シンデレラ、激務で療養の噂』

『裏に男の影、引退への布石?』

『アナリスト、米国進出を予測』――

714 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 22:46:47.81 atFf61f2o 635/681

トップの座を掴んだばかりのアイドルが、突然、活動を休止すると云う異例の電撃発表。

そのニュースは瞬く間に拡がり、お茶の間の話題はそれで持ち切りだ。

芸能誌、スポーツ紙はおろか、一般紙にまで特集が組まれるほどであった。

明確な理由までは公開しなかったので、憶測が憶測を呼び、様々な飛ばし記事が行き交った。

正解に近いものもあれば、てんで的外れなものもある。

まさに、情報の錯綜と云えた。

715 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 22:48:43.48 atFf61f2o 636/681


「うーん、凛ちゃんの件、大騒ぎになってるよねー。予想通りだけど」

事務所の休憩室で新聞や雑誌を読んでいるトライアドプリムスの正面に、局での収録から帰ってきた卯月が座った。

凛が紙面から顔を挙げると、卯月の顔には、やれやれ、と少しだけ苦笑いの色が浮かんでいる。

「……やっぱり、マスコミにしつこく訊かれた?」

「芸能記者はシャットアウトするよう手配されてたからそれほどでもなかったんだけど、局の制作関係者たちからは、大分ね。
 簡単に見越せることだったから、模範解答を準備してそれで押し通したよ」

卯月はそう云って、あはは、と軽く笑んだ。

716 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 22:50:30.12 atFf61f2o 637/681

凛と同じユニットを構成するメンバーに、強引な取材が入るのは充分に予期できた。

勿論、関係の深いアイドルは全て車で送迎したりと、充分な対策を練ってある。

しかし現場と関わる以上、根掘り葉掘り訊かれるのは避けられないことだった。

そこへ、同じく仕事から戻って来た未央が到着し、つと嘆息した。

「はー、参った参った」

「未央ちゃん、お疲れだね」

労う卯月に、くたびれた顔をした未央が片目を瞑って答える。

「今日はグラビアだったんだけどさ~、撮影スタッフが野次馬根性で
『ねェねェ、ユニットメンバーなんだもん、知ってるんでしょ? こっそり教えてよ』
 とか色々尋ねてきて。知ってても云わないっての~! もー振り切るの大変だったよー」

スタッフの台詞を妙なダミ声で真似て、そのまま、どかっ、とカウチに飛び込んだ。

717 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 22:53:22.96 atFf61f2o 638/681

「ごめんね、煩わしい思いをさせて」

凛は眉をハの字に下げて顔の前で合掌した。

「まあまあ、いいのいいの~! うざったいとは云っても、むしろ注目される私たちの露出が増えて美味しいよね♪」

そう云って未央は高く笑う。実に逞しい考え方だ。

隣の加蓮も、「そーそー、そう考えれば苦じゃないよね。むしろチャンス?」と同意している。

「そうだな、IUに前後して、あたしらもソロの出番を増やして手応えを掴んできたし、今は攻めの時期さ」

奈緒が、顔を綻ばせ、そして凛の目を覗いた。

718 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 22:54:28.47 atFf61f2o 639/681

「何年掛かってもいい。絶対に成功して、戻ってこいよ。そして……もう一度トライアドプリムスをやろうな」

未央が挙手してつなげる。

「勿論ニュージェネレーションもね~!」

皆の嬉しい激励に、凛は滲み掛けた泪を我慢して、力強く首を縦に振る。

「元より、そのつもりだよ」

719 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 22:55:37.76 atFf61f2o 640/681

「まあ、凛が還ってくる頃には皆がトップアイドルになっちまってて、入る隙間がないかも知れないけどな!」

奈緒が、ニッと、白い歯を見せたので、凛は口元に軽い拳を添えて笑った。

「ふふっ、そうだね、その頃には、きっと皆もアイドルの頂点に立ってるはずだよ」

卯月が、にっこり微笑みながら、大きく、何度も頷く。

「そうそう。未央ちゃんも奈緒ちゃんも加蓮ちゃんも、私だって躍進してるもんね、今!」

戦友同士が、朗らかに笑い合った。

今生の別ではない。泣くのではなく、笑顔で羽ばたこう。

720 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 22:57:22.34 atFf61f2o 641/681


――


≪間もなく着陸態勢に入ります。座席、テーブルは元の位置にお戻しください。以後お手洗いのご利用はご遠慮ください――≫


到着を予告するアナウンスで我に返った。

腕時計を見ようと左手を挙げると、赤いモルガナイトの指輪、そして橙のインペリアルトパーズのブレスレットが目に飛び込んでくる。

耳につけた蒼いアイオライトのピアスと共に、成田で卯月たちから贈られたものだ。

『蒼、赤、橙。これは、ニュージェネレーションとトライアドプリムス、両方に共通するイメージカラーだよ』

721 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 22:58:48.27 atFf61f2o 642/681

卯月と奈緒は赤、未央と加蓮は橙、凛は蒼。

奇しくも、凛の関わったユニットは、それぞれ同じ色で構成されていた。

『一応、意味も吟味して選んだんだよ』

そう云って、皆は笑っていたっけ。飛行機から降りたら調べてみよう。

眼下にチャネル諸島が見えてくれば、間もなく接地。

微かな衝撃と、スラストリバーサによる制動は、地に降り立ったことを明確に伝えてくれた。

722 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:02:09.10 atFf61f2o 643/681



・・・・・・・・・・・・


ガラス張りのターミナルに、昼の日射しが降り注ぐ。

ロスの三月末は、日本で云えばもう初夏のような陽気だ。

スーツの上着が要らないと思えるほど。

ここはロサンゼルス国際空港、トム・ブラッドレー国際線ターミナル。

――そろそろかな

Pは到着便情報を確認して、独り言つ。

723 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:03:27.38 atFf61f2o 644/681

凛の搭乗したJAL62便は、先ほど着陸した。今は、入国審査に並んでいる頃だろうか。

IUで勝利後、社長はすぐに関連書類の作成へと取り掛かり、凛のO-1ビザは、Pの時よりも圧倒的にスムーズに取得できた。

トップアイドルと云う巨大な実績があるのだから当然か。

今日から、元トップアイドル渋谷凛の、新たなフェイズがスタートする。

まずは早速、どのような戦略で凛を売り出すのか、練り上げていこう。

Pの研修先のスタッフは精鋭揃い。どんなアイデアが出てくるか楽しみだ。

そして凛が、どのような驚きを全米へ届けてくれるのか、今から既にワクワクしている。

724 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:05:13.46 atFf61f2o 645/681


ふと、数十メートルほど離れた到着ゲートから、多数の人に紛れて、長く美しい黒髪の少女――否、女性が姿を現すのを視認した。

遠くから一目見て判るのは、きっとオーラを纏っているからと云う理由だけではあるまい。

それだけ惚れているのだ、彼女に。

大きな大きなスーツケースを傍らに転がす愛しい人の許へ、ゆっくりと歩き出す。

すぐに、向こうもPを認識した。

自意識過剰かも知れないが、Pだからこそ、凛はこの距離でも気付いたのだと思う。

725 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:07:20.66 atFf61f2o 646/681

それぞれ、小走りで駆け寄る。

お互い、少しだけ息が弾んでいる。

しっかり、十秒ほど見詰め合ったのち、

凛が、目の前の懐へ勢い良く飛び込んだ。

Pは、しっかりと受け止める。

726 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:08:30.19 atFf61f2o 647/681


ようこそ、アメリカへ。


そう声を掛けるPに、凛は微笑みを返す。

そして、


何も云わず、Pの首へ腕を廻し、


熱い抱擁と、深いキスを交わした。

727 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:10:33.51 atFf61f2o 648/681



西海岸の太陽が、唇を強く重ねて抱き合う二人に降り注ぎ、優しく、暖かく、包み込んでいる――


728 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:16:17.86 atFf61f2o 649/681


――――
――









729 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:17:55.52 atFf61f2o 650/681



・・・・・・・・・・・・
EPILOGUE


「うー……ねっむーぃ……」

春麗らかな朝八時。

未央が、だるそうな目を擦ってCGプロ事務所へ出社した。

「あー未央ちゃん、おはよー……」

玄関ホールで卯月と一緒になる。彼女もまた瞼が半分閉じ、相当に眠そうだ。

それも仕方ない話。最近、二人の睡眠時間は充分確保できても四時間程度なのだから。

今をときめくAランクアイドルの代償と云うべきか。

かつての天海春香は、長距離通勤の上、全く睡眠不足な素振りを見せていなかったのだから、どれだけ強靭な身体をしていたのか、甚だ恐ろしい。

730 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:19:10.68 atFf61f2o 651/681


凛がいなくなって、もう何度目の桜が咲いただろう。

CGプロは、各アイドルの活躍で、961、765に並ぶ、最大手へと躍進していた。

かつてトップアイドルとして一時代を築いた765の面々、春香や美希たちは引退し、

現在は、卯月、未央、奈緒、加蓮、蘭子などの他、765の後進がAランクを彩っている。

731 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:21:35.36 atFf61f2o 652/681


そんな超売れっ子の未央が第三課のソファへ身を投げると、鏷に丸めた雑誌で頭を叩かれた。

「行儀悪い振る舞いするんじゃねーって」

「やるのは事務所の中でだけだよー眠いんだから勘弁~」

間延びした声で抗弁する未央に、鏷は廊下の向こうを指差して云う。

「じゃあまだ仕事へ出るまで少し時間あるから、休憩室行ってこいよ。たぶん目が覚めるはずだ」

「ん~? なにそれ?」

「まあ行きゃ判る」

つれない鏷に未央は首を傾げながら、ゆっくりと立ち上がって休憩室を目指した。

732 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:23:03.93 atFf61f2o 653/681


廊下では、銅に同じことを云われたのか、第二課から卯月が出てくるところであった。

「ねぇしまむー、休憩室に何があるんだろ?」

「私も詳しくは聞かされなかったんだよね。でもなんかアイドルは、皆ほとんど休憩室へ行ってるらしいよ」

卯月が顎に指を当てながら答えた。

二人、疑問符を頭上へ浮かべながら廊下を歩く。

733 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:24:28.15 atFf61f2o 654/681

休憩室を覗くと、果たして、そこにはアイドルが大挙して押し寄せ、方々で何かを読んでいた。

その中に、奈緒と加蓮の姿もある。

二人とも、卯月や未央と同じく、睡眠時間があまり取れていないはずだが、食い入るように本を見ている。

「奈緒ちゃん加蓮ちゃんおはよー。それ、なに?」

「ブルボードだよ。あっちのテーブルにある」

卯月の問いに、奈緒は紙面から目を離さず、右手奥のテーブルを指差した。

「え、ブルボードって、あの?」

未央が驚きの声を上げると、加蓮が、声を出さず頷く。

734 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:26:37.83 atFf61f2o 655/681

アメリカで最も権威ある音楽業界チャート、ブルボード。

そのブルボード誌が、テーブルに沢山置かれていた。

訊けば、Pが大量に送ってきたのだと、第一課のアイドルが云う。

一目見ただけで判る、明らかに日本のものではないそれ。

アメリカの雑誌特有の匂い。

日本の書籍とは異なるデザインセンスや、開く方向。

735 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:27:42.21 atFf61f2o 656/681


――その表紙に、凛が載っていた。

Special Features : RIN - the entertaining giant from the Far East. の見出しと共に。

736 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:28:46.82 atFf61f2o 657/681


2014年に西海岸へ上陸し、ロサンゼルスを拠点にアメリカのショービズ界に風穴を開けた新人、渋谷凛。

無謀とも云える渡米を行ない、充分な後ろ盾もない状態にも拘わらず、地道に芽を伸ばし、
ついにはAmerican Top 40の上位を賑わせるまでになった、かつての日本のトップアイドルにフォーカスを当てた記事だ。

当然全て英語なので、未央は細かい部分まで正確には理解できないが、貪るように読んでいく。


――ただの普通の高校生だったこと。

――大きく迷い、惑ったこと。

――日本でトップアイドルに駆け上がったこと。

これまでの軌跡などが、インタビューを交えて記録されている。

737 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:34:00.44 atFf61f2o 658/681


日本でアイドルをしていた――それだけでは、アメリカじゃ、やっていけない。

アメリカで成功できた理由は、一に努力二に努力、三四に努力、五に才能。そして、人々の支え。

日本とアメリカの習慣の違いに戸惑ったことなどにも触れられ、

それら中身は一見重いが、インタビュアーとの軽妙なやり取りが印象的だ。


ハリウッドやシリコンバレーと云った、最先端へ常に触れられる環境だからこそ湧くインスピレーションや、

西海岸特有の制作環境の心地よさ、そして何より、愛する人が傍で導いていること。

それらが自らのモチベーションを高めてくれる、と語っている。

738 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:35:27.62 atFf61f2o 659/681


聞き手は、今後の展望は? と訊ねるが、

凛は、未来のことはわからないし、わかってても秘密、と、はぐらかしたようだ。


未央たちにとって、それは今最も知りたい情報の一つであった。

事実、CGプロの人間は誰も、凛とPが今後どうなるのか、聞かされていないのだから。

唯一それを知っている社長は、未だ誰にも話さない。

739 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:37:23.13 atFf61f2o 660/681


お預けを喰らった犬のように残念がりながら、未央はページを捲った。



そして、記事の最後には。

――『貴女の信念とは何か?』

740 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/28 23:38:53.33 atFf61f2o 661/681







「I'll never say ... NEVER」  私は――負けない。






747 : 再開 ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/29 23:24:11.63 5W8IVjQro 662/681






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748 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/29 23:25:38.87 5W8IVjQro 663/681




PERSONAL DATA

□□ 凛 RIN (UNDEFINED)

AGE
 ――24 years old
BIRTHDAY
 ――10 Aug.
HEIGHT
 ――166cm
WEIGHT
 ――46kg
VITAL STATISTICS
 ――85-58-84


IDOL RANK
 ――S:extreme idol



749 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/29 23:27:35.39 5W8IVjQro 664/681

――彼女は、落ち着いた美声と佇まいを持っていた。

――彼女は、類稀なる美貌とオーラを持っていた。

――彼女は、すらりと伸びた脚、絹のように輝く長い黒髪を持っていた。

――彼女は、女としての武器が特定部分に偏っていない、バランスの良いプロポーションを持っていた。

――彼女は、輝く世界に魔法をかける素質と、努力の才能を持っていた。


彼女は――まさにトップアイドル、否、アイドルを超えた存在となる運命を背負って生を授けられた人間だった。

750 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/29 23:29:22.64 5W8IVjQro 665/681




・・・・・・・・・・・・


2019年 初秋


ここは神宮外苑、新国立競技場 ――オリンピック・スタジアム。


つい先日竣工したばかりの、我が国が誇る最新最大のスタジアムだ。

開演前にも拘わらず、会場全体に歓声が響き、

八万人のキャパシティを、観客と、蒼いサイリウムが埋め尽くしている。

751 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/29 23:31:04.59 5W8IVjQro 666/681


およそ五年前、日本アイドル界頂点の座を掻っ攫い、
そしてそのまま突如アメリカへと羽ばたいて行ったトップアイドルが、再びこの地を踏んだ。


スタジアムのゲートに華々しく踊る文字。


 ――渋谷凛 2019 凱旋公演――



「もう姓は変わってるのに、渋谷凛って呼ばれるの、なんかヘンな感じだね……」

「ここ数年、向こうでは 『RIN』だけで通してたもんな。
 でも、ファンにとっては、苗字が変わっても、アイドルからアーティストに変わっても、
 お前は永遠に渋谷凛であり、『しぶりん』なんだよ」

「そうだね。本当はあなたの苗字で呼んで貰いたいけど……まぁ、旧姓を一種の芸名だと思うしかなさそう。ふふっ」

752 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/29 23:32:41.79 5W8IVjQro 667/681

24歳になった元トップアイドルは、舞台袖で開演時間を待っている。

社長との約束通り、海の向こう、世界最大の芸能市場で結果を残して、堂々と胸を張って帰って来られた。

再び日本で、今度は、アイドルから更に一歩進んだエンターテインメントアーティストとして活動を復帰させる。

その足掛かりが今回の凱旋公演だ。


八万席もの余裕があるにも拘わらず、入場券は即時完売、超プレミアがつくプラチナチケットとなった。

その話を聞かされたときの凛は、ほっと胸を撫で下ろしていたが、プロジェクトに関わる者たち、
特に執行部のPやCGプロ社長は、当然の結果だねと驚くことはなかった。

753 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/29 23:34:19.48 5W8IVjQro 668/681

「みんな、まだ、私のこと憶えててくれたんだね」

「そりゃそうだろう。アメリカでの活躍ぶりは海を越えて伝えられていたし、
 それに、これほどセンセーショナルな娘を忘れることはないって」

トップになったと思ったらいきなり姿を消しちまうなんて日高舞以来だからな、と笑いをこらえて話すPを、凛はぽかぽかと叩いた。

「もう! それはあなたのせいでしょ!」

「ははは、すまんすまん勘弁してくれ」

Pは苦笑しながら軽く降参の姿勢を取った。

「そんなお前が日高舞と違うのは、引退したのではなく、活動の場を変えたと云うこと。
 そして、再び舞い戻って、もう一度、更に進化した姿を披露できると云うことだな」

754 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/29 23:35:45.92 5W8IVjQro 669/681

ゆっくりと腕を組んで告げる。

――お前はもう、日高舞を超えたと云っていい――


凛は目を閉じて胸に右手の拳を当てた。

「私が……日高舞を……」

「そう、そしてこれからは、この古巣のCGプロを拠点として、世界中へ同時に発信していく。
 日本の芸能界だとか、アメリカのショービズ市場だとか、そんな観点はもはや要らん。全世界がお前の舞台だ」

頷き、瞼を開けた凛は不敵に笑った。

755 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/29 23:37:43.02 5W8IVjQro 670/681


「でもバックダンサーにCGプロ全員を動員してくれるなんて、社長随分と太っ腹だね。
 今回はCGプロ公演じゃなくて、名目的にはあくまで私――凛の単独でしかないのに。ノーギャラだよ?」

「まったくだ。ま、社長ならではの祝賀会ってところだろ。
 俺もチーフプロデューサーとしてCGプロに復帰するし、ようやく社長の構想が実現できそうなんだ、そりゃ祝儀も弾むさ」

凛とPは翌日付けでCGプロへ復帰する。

CGプロが芸能界の足場を更に固めるための、社長のかつてのプランが、今、具体化に向け走り出していた。

「お前が俺を追って日本を飛び出てきたのよりも後に所属した奴らは、緊張のあまり心臓吐きそうな勢いだったぞ。
 一番肝っ玉が据わってそうな結城晴でさえな」

Pが先ほど控室の様子を覗きに行った際のことだろう。

756 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/29 23:38:58.17 5W8IVjQro 671/681

状況を想像して、凛は若干気の毒になった。

「なんかちょっと可哀想なことしちゃったかも」

「なーに、後進にとって、今回はいい経験になるさ」

Pは回れ右をして、首から上だけ凛の方へ向けた。

「お前は、事務所で常に背中を見せる立ち位置にいる運命なんだよ、きっと」

とんとん、と自らの背中を人差し指で叩いて、笑う。

757 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/29 23:40:19.41 5W8IVjQro 672/681


――

開演の時刻、舞台上では、それぞれ日本アイドル界のトップを張っている、卯月、未央、加蓮、奈緒が一堂に会している。

これも通常では考えられない、豪華なメンバーの共演であった。

「私たちの!」

「仲間が!」

「この日本に!」

「帰ってきたぜ!」


観客のボルテージが、地鳴りのように、どんどん上がっていく。

758 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/29 23:41:56.03 5W8IVjQro 673/681


「準備運動は、懐かしいナンバーから始めましょう!」

「うんうん、『お願い!シンデレラ』行っちゃうよ!」

「私たちも手伝うからねー!」

「それじゃあ皆で呼ぼうぜ! せーの!」


 ――しーぶりーん!!


さあ、世界に、輝く魔法をかける時間だ。

「よし行ってこい。ブルボード上位常連の威力を、故郷の島国にぶつけてやれ」

力強く、大きく頷く凛の背中を、ぽん、と叩いて、眩い輝きを放つステージに送り出す。

759 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/29 23:43:22.80 5W8IVjQro 674/681


が、やおら凛はPを向き、出しなに彼の耳元へそっと手を添え、

「そうだプロデューサー、……三箇月だって。ふふっ……」

そう囁いた。

760 : ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/29 23:44:19.45 5W8IVjQro 675/681

一瞬のタイムラグを経て、Pが驚愕する。

わざわざ今それを云うか。凛め、タイミングを狙ってたな。

「おまっ、土壇場でプログラムから激しいナンバーを減らした理由はそれか!」

凛は、答える代わりに、笑ってウインクを返し、コンコードを担いで舞台へ走っていく。

Pはやれやれ、と降参し、両手を挙げる。


「観客の熱狂に気圧されるなよ!」

761 : finale ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/29 23:45:55.35 5W8IVjQro 676/681



「もちろん。


 never say ... NEVER!」



そして、歓声が、更に大きな喝采となり、唸りを上げる――――



~了~


762 : VIPに... - 2013/09/29 23:46:53.28 5W8IVjQro 677/681



平安時代、人々は歌(和歌)で恋のやり取りをしていました。
そんな人間模様を渋谷凛の世界で描いたら――と云う作品は、ひとまず、これにて終わりです。
長い間お付き合いくださってありがとう。


763 : VIPに... - 2013/09/29 23:48:00.40 5W8IVjQro 678/681

おわっったああああああああぁぁあ
『くぅ~疲』って書く人の気持ちが判ったよ……
そして東京五輪開催万歳

いやはや、まさか半月かかるとは予想だにしませんでした
読み返すと表記揺れが激しかったり、云い回し表現等が拙い処も多々あったりしましたが何卒ご容赦を

構想初期の主テーマは単純にクールで熱くて可愛いくてちょっぴり泣き虫なしぶりんを書きたいだけだったのにどうしてこんなに長くなった
まさか1万行超え、16万文字に迫るとは……


こぼれ話:
『自然派の春香&人工的な凛』と云うのは、
かつてそう呼ばれ対比されていたキャンディーズとピンクレディーにヒントを得ています

764 : 最後に ◆SHIBURINzgLf - 2013/09/29 23:49:45.36 5W8IVjQro 679/681


三時間でこしらえた即席ですが、エンディング代わりに置いときます
https://soundcloud.com/shiburin/iolite


780 : VIPに... - 2013/10/02 08:05:19.00 jhNTIQbbo 680/681

リアルタイムで追いたかった
もしかして初作?
酉でググってもここしか出てこないんだ
他に書いたのがあったら知りたい

782 : VIPに... - 2013/10/02 21:25:51.79 lLrXsqXao 681/681

完結して数日経つのに未だコメント頂けるとは冥利に尽きます
ありがとうありがとう

>>780

モバP「凛が目覚めた?」
http://ayamevip.com/archives/54905367.html

モバP「そうだ、北海道いこう」
http://ayamevip.com/archives/54905383.html

今まで書いたのはこの二つですが、後者はSSの名を借りた雑談スレです(小声)

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