1 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/05 22:22:37.80 futDQkgo 1/120


 出会わなければよかった。そんな風に思うことがある。
 でも出会えてよかった。そんな風にも思う。

 彼女に出会わなければ僕はこの大きな喪失感を抱えることにはならなかった。
 だが、彼女と出会うことで僕は僕を乗り越えることができた。
 だから、やっぱり出会えてよかった。この二枚の絵を前にしてそう思う。

 僕が彼女と出会ったのはちょうど二年前。ある廃村でのことだ。
 正確に言うと廃村で、ではないのだがまあいいだろう。ともかくとして、僕は彼女と出会ったのだ。

元スレ
青年「描きとめよう、全てを」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1294233757/

2 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/05 22:24:32.41 futDQkgo 2/120


<朝と昼の間.村>


青年「誰も、いない……」


 シーン……


青年(思いのほか家々がきれいであまり廃村って感じはしないけど、でもやっぱり人はいない。野宿続きで、今日はようやくベッドで寝られると思ったのに……)

青年「参ったなあ」

青年(とりあえず――どこか絵を描けそうな場所を探してみようか)

青年「えっと、あっちに森があるね。行ってみよう」

3 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/05 22:25:22.34 futDQkgo 3/120


<森>


 チュンチュン――


青年「ふぅふぅ、森歩きはなかなかこたえるなあ」

青年「画材を背負いながらだからなおさら――ん?」

青年(湖だ。なかなか大きい。そしてきれいだ。水の色が澄んで底まで見通せそうなほどに)

青年「……決めた」


     ・
     ・
     ・


青年「位置取りはここでいいかな? いや、もうちょっとこっち……いやこれじゃあできすぎてる。すこしだけこっちだ」

青年「……」

青年「気に入らない。やっぱり反対側に回ろう」

4 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/05 22:26:35.56 futDQkgo 4/120


青年(この角度でいいだろうか)

青年(ちょっと気に入らないけど、まあ……いや)

青年「そうやって妥協するから僕は上達しないんじゃないか?」

青年(……)

青年(でもまあ、完成させることが第一だ)

青年「うん、僕はやっぱり駄目な奴だね。だからスランプから抜け出せないんだろうな」


     ・
     ・
     ・


青年(ここはもっと抑えた色で……)ペタペタ

青年「いや――」

青年(ここはあえて攻撃的に。うーん……)

「……」

青年「よし。やっぱり抑え目でいこう」

「ふふ、お上手ですね」

青年「っ!?」

5 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/05 22:28:04.26 futDQkgo 5/120


青年(だ、誰?)

「絵描きさんですか?」

青年(女の子……?)

少女「あらごめんなさい、びっくりさせてしまいましたか?」

青年「ああ、いや、えっと」

少女「わたしルルっていいます。あなたは?」

青年「ぼ、僕? キリト、です」

少女「キリトさん。いい名前ですね」

青年「……いつの間にそこにいたんですか?」

少女「ほんの少し前から」

青年「全く気付かなかった……」

少女「あら、そんなにわたし、影が薄かったかしら」クスクス

6 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/05 22:29:21.97 futDQkgo 6/120


青年「あなたは一体どこから来たんですか? さっきの村には誰もいなかったはずだけれど」

少女「わたし、この近くの家に住んでいるんです。この場所はわたしのお気に入りの場所なんですよ」

青年「あなたの場所でしたか、勝手に居座ってごめんなさい」

少女「いいえ。旅の方ですか?」

青年「ええ」

少女「旅の絵描きさん?」

青年「一応、そういうことになります」

少女「すごい。それで生計を立てているんですね」

青年「あ、いや、僕はそんなに大した者じゃないですよ。絵だけで食べていくことなんてできません」

少女「そうですか? こんなにお上手なのに」

青年「ありがとうございます。でも、最近スランプ気味で」

少女「スランプ、ですか」

青年「ええ」

7 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/05 22:30:24.04 futDQkgo 7/120


少女「まだ、描くんですか?」

青年「あ、はい。この場所を借りてもいいのなら」

少女「確かにここは私のお気に入りの場所ですが、誰かがのんびりするのを邪魔する権利なんてありません」

青年「それならば。しばしの間失礼します」

少女「お構いなく」


     ・
     ・
     ・


青年「……」ペタペタ

少女「……」ジー


     ・
     ・
     ・


少女「暗くなってきましたね」

青年「……あれ? もうこんな時間ですか」

少女「真剣になりすぎて時間が分からなかったんですね」クスクス

青年「よし、じゃあ僕はこれで」カチャカチャ

少女「待って」

青年「え?」

8 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/05 22:31:40.91 futDQkgo 8/120


少女「どこへ行くんですか?」

青年「いえ、村まで戻って家の一つを借りようかと。まずいですかね?」

少女「まずくはないですが。それならわたしの家へ来ませんか?」

青年「え?」

少女「あ、遠慮はしないでくださいね。わたし、一人暮らしが長くて話し相手がいなかったんですよ、ただの一人も。だからうちに来て相手してくれるとうれしいのですけれど」

青年「あ、や、でも」

少女「お願い、できませんか」

青年(上目遣い……)

青年「えーと、そちらがよろしいのなら」

少女「やった。じゃあ、わたしについてきてください」

9 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/05 22:32:50.45 futDQkgo 9/120


 簡潔な、それが僕と彼女の出会いだった。
 そう、僕らは出会った。
 その終わりゆく小さな村の近くで。

 残念ながら、僕と彼女の交流は短いものだったけれど。
 それでも出会えてよかったと。今ならそう思えるのだ。

17 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/06 22:46:39.74 j9iITcQo 10/120


<夜.少女の家>


少女「はいどうぞ」

青年「すみません、いただきます」カチャ


     ・
     ・
     ・


少女「ところで、キリトさんはどこからいらっしゃったんですか?」

青年「あ、僕ですか」

少女「あっと、その前に」

青年「?」

少女「キリトさんて、何歳ですか?」

青年「十九歳ですが」

少女「わたしは十五歳です」

青年(十五……もっと上かと思った。大人びているな)

青年「意外です。でもそれが何か?」

少女「キリトさんの方が年上なんですから、もっとくだけた話し方でいいですよ」

青年「そ、そうですか?」

少女「また敬語」

青年「あ。じゃ、じゃあ気を楽にさせてもらうよ」

18 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/06 22:48:04.17 j9iITcQo 11/120


少女「それで、あなたはどこからいらっしゃったんですか?」

青年(あ、そっちは敬語なんだ)

青年「えーとそうだね。もっと西の方から」

少女「王都のあたりですか?」

青年「ああ、そうだよ」

少女「素敵。都会の方だったんですね」

青年「まあ、そうなるかな」

少女「王都のこと、聞かせてもらえませんか。わたし、王都に行くのが夢だったんです」

青年「うんと、そうだな、王都のイメージってどんなのだい?」

少女「中心にきらびやかな白亜の城が建っていて、そこから放射状に広々とした街路が伸び、そのわきには整然とした街並みが――」

青年「あー、ストップストップ」

少女「?」

青年「参ったな。ちょっと美化しすぎだよ」

19 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/06 22:48:42.10 j9iITcQo 12/120


少女「というと?」

青年「うーん、でも人の夢を壊すのもなあ」

少女「それでもいいです、教えてください」

青年「そうかい? じゃあまず、お城なんだけど」

少女「はい」

青年「だいぶ老朽化が進んで灰色になってきてる」

少女「まあ……」

青年「で、次に街路なんだけど、王都が拡大するにつれて計画性がなくなって、端に行くほど曲がりくねった感じになってる」

少女「あら……」

青年「街並みも同じで、中心に近いところはいいんだけど、そこを離れると途端にごちゃごちゃしてくる」

少女「……」

20 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/06 22:49:28.60 j9iITcQo 13/120


青年「ごめん。やっぱり言うんじゃなかったね」

少女「いえ……」

青年「でもね」

少女「え?」

青年「王都のいいところはその見た目だけじゃないよ。そこに住む人たちはみんな心優しくて誇り高い。いろいろな人が集まるのに、差別が起きないんだ。みんな平等、みんな自由。王都はそんなところだ」

少女「……」

青年「これでまた王都のこと見直してもらえた?」

少女「はい」

青年「うん、いい笑顔だ」

21 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/06 22:50:06.62 j9iITcQo 14/120


少女「でも、そんな王都も昔は……」

青年「うん、そうだね。東の国と戦争をしていた」

少女「……」

青年「十年前。僕はその時九歳だった。でも、僕は王都に住んでいたから全くもって実感がなかった」

少女「……」

青年「でもそんなことは関係なく、大勢死んだ。東の国の人もこちらの国の人も。どちらも大きな傷を負った」

少女「……」

青年「王都は辺境の立て直しにかなりの労力を注がねばならなかった」

少女「……」

青年「ごめん、君はきっとその戦争の苛烈さを直に味わったんだろうね。ここは国境近くだから。でも本当に僕と戦争は遠かった」

少女「いえ……」

青年「暗い話はここで切り上げようか。あ、ところで」

少女「はい?」

青年「君はオッドアイなんだね」

少女「……」

22 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/06 22:50:34.68 j9iITcQo 15/120


青年「右が青で、左が赤。うん、きれいだ」

少女「ありがとう、ございます」

青年「生まれつき? いや、当たり前か。変なこと聞いたね」

少女「キリトさんは眠くありませんか?」

青年「うん? あー、そうだな。ここのところ野宿続きだったから久々にベッドで寝たい」

少女「でしたら二階の部屋を使ってください。階段を上ってすぐ右の部屋です。わたしは左の部屋で寝ますから、何かあったらそちらのドアをノックしてください」

青年「分かった、ありがとう」

少女「おやすみなさい」

青年「うん、おやすみ」

27 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/08 20:01:11.49 5oF6CZwo 16/120


<翌朝>


青年「おはよう」

少女「おはようございます」

青年「僕も早く起きたつもりだけど、君はもっと早起きだね」

少女「習慣ですから。もうちょっとで朝ごはんできますね」

青年「僕も何かしようか?」

少女「いいえ、特にやることはありません」

青年「そうかい?」

少女「キリトさんはお客さんですからゆっくりしていてください」

青年「いやいや、そんなわけにはいかないよ。何かやることはないのかい?」

少女「それなら今日使う分の水を汲んできてもらえませんか? 裏に井戸があるんですが、これがなかなか重労働で」

青年「まかせて」

28 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/08 20:01:40.89 5oF6CZwo 17/120


<食後>


青年「ごちそうさま。それじゃあ僕は」

少女「絵描きに行くんですね。湖ですか?」

青年「ああ」

少女「行ってらっしゃい」

青年「うん、それじゃ」

青年(行ってらっしゃい、なんてどれくらいぶりだろう)


     ・
     ・
     ・


青年「到着」

青年「今日もいい天気だ」

青年「ただ、光の加減が昨日と異なるな」

青年「……昨日のは破棄して描き直そうか」

29 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/08 20:02:11.70 5oF6CZwo 18/120


青年「~♪」カキカキ

青年「うーん?」

青年「……」

青年「うん」カキカキ

青年「――よし、下書き完成」

少女「お疲れ様です」

青年「!」

少女「あら、ごめんなさい。また驚かせちゃいましたか?」

青年「あ、いや、大丈夫。なんか用かな?」

少女「これ」

青年「バスケット?」

少女「サンドイッチです」

青年「あれ、もうそんな時間?」

少女「ええ、お昼にしません?」

青年「そうか。じゃあ、頂こうかな」

30 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/08 20:05:50.03 5oF6CZwo 19/120


少女「凄いですね。これで下書きですか。ずいぶん描きこんでますね」

青年「本当はここまで描く必要はないんだけどね。塗っちゃうと分からないし」

少女「だけど、こだわる?」

青年「うん。僕の美学」

少女「なるほど」

青年「神は細部に宿るっていうしね」

少女「目に見えないところにこそ神様はいるんでしょうね」

青年「あはは、深いね。そういうこと」

31 : VIPにかわりましてGEPPERがお送りします - 2011/01/08 20:08:41.57 5oF6CZwo 20/120


少女「じゃあ、わたしはやることがありますので家に戻ります」

青年「ああ、分かった」

少女「絵ですけど」

青年「うん?」

少女「完成したら見せてくださいね」

青年「うん、かまわないよ。ちょっと待ってて」

少女「はい、それでは」

44 : VIPに... - 2011/01/14 23:59:49.03 yq50uZXso 21/120


<一週間後>


青年「……」ペタペタ

青年「……」ペタ……

青年「……うーん」

青年「こう、なんか……なあ」

青年(スランプの根が、結構深い……)

少女「はかどりますか?」

青年「あれ、もうお昼? はかどり具合はぼちぼちかな」

少女「ぼちぼちですか。でも、まだ一度も完成品を見せてもらってませんね」

青年「ごめん。なかなかいいのができなくて」

少女「完成しないのですか? 一つも?」

青年「いや、いくつかはできてる。でも、見せられるレベルじゃないっていうか……」

少女「もしかして後ろにあるのが」

青年「うん、まあ」

少女「見ても?」

青年「いや、ちょっと……」

少女「そうですか……」

青年「そんなにがっかりしないで。すぐにいいのを完成させるから」

45 : VIPに... - 2011/01/15 00:00:26.60 8c2NwONQo 22/120


少女「今日もサンドイッチです。どうぞ」

青年「ありがとう」

少女「……」

青年「うん、おいしい」モグモグ

少女「よかった」

青年「胡椒が効いててなかなか……」

少女「……」コソ

青年「ん、どうかした?」

少女「いえ、何も」

青年「こっちのはイチゴジャムか、これもおいしいなあ」

少女「……」ソー

少女「それ」バサ

青年「あ」

46 : VIPに... - 2011/01/15 00:01:10.06 8c2NwONQo 23/120


少女「わあ!」

青年「ちょ、ちょっと」

少女「きれいな絵じゃないですか。これでスランプ?」

青年「あ、いや、えっと……あまり見ないでくれないかな、恥ずかしい」

少女「この水の色なんか、清らかな透明感がよく再現されていて。お上手です」

青年「……」

少女「あ……ごめんなさい。どうしても見たくて……」

青年「いや、いいんだ」

少女「……」

青年「……」

少女「でも、やっぱりお上手です。本当にスランプなんですか?」

青年「うん、まあ、ね」

少女「本当にきれい……」

47 : VIPに... - 2011/01/15 00:01:50.32 8c2NwONQo 24/120


青年「はい、ここまで」バサ

少女「あ……」

青年「……」

少女「……。あの」

青年「ん?」

少女「描いてほしいものが、あるんですけど」

青年「描いてほしいもの?」

少女「ええ」

青年「なんだろう?」

少女「人物画です。わたしを描いてもらえま――」

青年「だめだ」

少女「え?」

青年「ごめん。でもだめなんだ。それが僕のスランプの根っこだから」

少女「スランプの、根っこ?」

青年「ああ、そうだ」

48 : VIPに... - 2011/01/15 00:04:13.05 8c2NwONQo 25/120


少女「……聞いてもいいですか?」

青年「くだらない話だよ?」

少女「気になります。わたしはあなたの絵がみたいのに」

青年「……」

青年「……僕は、絵を描くことが好きだった。他のどんな娯楽よりも好きだった」

青年「だから、それを生業にして生きていきたいと、そう思っていたんだ」

青年「でも両親は反対だった。もっと安定した仕事についてほしかったらしい」

青年「両親の反対は強かった。だけど僕は、それでも絵を自分の生きる手段にしたかった。だから僕は家を飛び出した」

青年「まあ、でもそれは僕のスランプの話には関係ない。問題は、それから半年後に起きた」

少女「半年後?」

青年「ああ。いまから数えておよそ一年前だ」

青年「僕はその時、ここから西に少しと、北に少し行ったところにある町に滞在していた。旅費を稼ぐためもあったけど、別の目的もあった」

少女「別の目的、ですか?」

青年「……ああ」

49 : VIPに... - 2011/01/15 00:05:13.18 8c2NwONQo 26/120


青年「その町は、大きくなかったけど、小さくもなかった。いろんな人がいて、いろんなものがあった」

青年「となれば僕の描きたいという欲がうずくのは当然だろう? 僕は思う存分その欲を満たした」

青年「描いた絵はそこそこに売れたよ。いろんな人がいるだけあって、もの好きも多かったんだろうね」

少女「あなたの絵は上手ですから」

青年「……どうも。ともかく、僕はその町で描いて描いて、描き続けた。それまでもたくさん描いていたけど、あの町ではもっとたくさん書いたと思う。僕の基礎を形作ったのはあそこだろうね」

青年「とにかくいろんなものを描いたよ。人も物も景色も、それ以外のものも」

青年「でも、僕が一番好んで描いたのは、ある女性だった」

少女「……」

青年「きれいな人だったよ。とてもね。僕は彼女を描いている時が一番幸せだった」

青年「彼女は僕の絵を褒めてくれたよ。僕の絵は世界に通用するって。僕はうれしくなって、たくさんの絵を彼女に贈った。彼女は喜んでくれた。僕はそう思っていた」

少女「……?」

青年「……違ったんだ」

少女「え……」

青年「違ったんだよ」

50 : VIPに... - 2011/01/15 00:05:55.52 8c2NwONQo 27/120


青年「僕がその町にとどまり続けた理由は彼女だ。もしかしたら……もしかしたら一緒になれるんじゃないかなんて思ったりもした。でも、駄目だった」

青年「ある日いつも彼女と待ち合わせている場所にいったら、彼女はいなかった。僕は待ち続けたけど、彼女はその日は来なかった」

少女「……」

青年「そして、その次の日も来なかった。さらにその次の日も。そのまた次の日も」

青年「僕はついに待ちきれなくなって彼女を探した。探しに探して、そしてある人から話を聞いた」

青年「僕は彼女にだまされていたんだ」

51 : VIPに... - 2011/01/15 00:06:47.47 8c2NwONQo 28/120


少女「だまされていた?」

青年「……彼女はね、僕の絵なんてどうとも思ってなかったんだ。もちろん僕のこともね」

青年「僕の描いた絵は、彼女の手元には一つも残っていなかった。らしい。彼女は僕から貰った絵を適当に金に換えていたんだ」

青年「売れない絵もあったらしい。そんな時彼女は」

少女「……」

青年「……その絵に唾して、踏みにじって、最後には燃やしていたらしい。僕をののしりながら」

青年「そして彼女は適当なところで僕にたかるのをやめて町を出ていったんだ」

青年「町の人たちはみんなそれを知っていたらしい。だけど僕が気の毒だったんだろう。だれもはっきりとは僕に教えなかった」

青年「ただ、町の人たちは責められない。みんなはそれとなく僕に彼女から離れるように教えていてくれたんだからね」

青年「……落ち込んだよ。数日間は口がきけなかった」

52 : VIPに... - 2011/01/15 00:07:28.98 8c2NwONQo 29/120


少女「……それで、絵が?」

青年「それもまああるんだけど」

少女「……?」

青年「それよりもショックだったのは、僕が人を見る目がないという事実を突き付けられたことだ」

青年「人物画、肖像画っていうのはね、その人を絵の中に閉じ込める、またはすっかり写し取る作業なんだ」

青年「だから、その人の本質、その人の人格、その人の気持ち、その他もろもろを読み取って克明に、正確に写し取らなければならない」

青年「……その見抜く力が、僕にはなかったんだ」

少女「……」

青年「僕から見た彼女はとても優しい人で、人をだますなんてことは絶対にしない、情に厚い人だったんだ」

少女「あ……」

青年「そう、見事に正反対だったわけだ」

53 : VIPに... - 2011/01/15 00:08:05.08 8c2NwONQo 30/120


青年「そんなこんなで、僕は町を出たけどしばらく……そうだね、たっぷり一ヶ月は絵が描けなかった」

青年「だまされて悲しのもあったし、悔しくもあったし、それに自分の未熟さがせつないほどよくわかった」

青年「僕には絵を描く資格はないんじゃないか、そう思ったこともある」

少女「……でも」

青年「……?」

少女「あ……いいえ」

青年「そうか……」

少女「……」

青年「……」

少女「……帰りましょう。そろそろ日が暮れます」

青年「……ああ」

58 : VIPに... - 2011/01/15 18:00:32.24 8c2NwONQo 31/120


 カチャ カチャ……


青年「……」モグ モグ

少女「……」モグモク……チラ

青年「……」モグ

少女「……」フゥ

青年「……ごめん」

少女「え?」

青年「気、つかってるでしょ。あんなこと話したから」

少女「あ……いいえ」

青年「大丈夫だよ、一応吹っ切れてはいるから。僕だって子供じゃない」

少女「……でも、人物画は」

青年「そうだね、しばらくはまだ描けないよ。でも、心のダメージの方はもう大丈夫なんだ」

少女「……」

59 : VIPに... - 2011/01/15 18:01:49.58 8c2NwONQo 32/120


少女「人物画を描いていると、つらいですか?」

青年「さあ……あれから一度も描いてないから分からないな」

少女「そうですか……もう描きたくは、ない?」

青年「……どうだろう。描けるようになれば、商売的にはいいんだろうけどね」

少女「そうですか」

青年「うん」

少女「……だったら、いいリハビリ方法がありますよ」

青年「ん?」

60 : VIPに... - 2011/01/15 18:02:39.39 8c2NwONQo 33/120


<翌日.湖>


青年「――それで、昨日言ってたいいリハビリ方法ってなんだい?」

少女「ちょっと待ってくださいね。えーと、確かあの辺に」

青年「?」

少女「あ、いたいた! モモちゃ―ん!」

青年「モモちゃん?」


 バサバサ!


「チチ!」

青年「小鳥?」

少女「モモちゃん、おはよう」

「オハヨウ!」

青年「……しゃぺった?」

少女「はいよくできました」ナデナデ

「チュルン!」

青年「もしかして、その小鳥はインコってやつかい? 東の国の?」

少女「ええ、あたりです」

61 : VIPに... - 2011/01/15 18:03:24.81 8c2NwONQo 34/120


青年「すごい、初めて見た……」

少女「西の国にはいませんからね」

青年「どうして、こんなところに?」

少女「わたしにも正確なところは分かりません。ですが、ここは国境近くですから、越えてきたんでしょうね」

青年「……あ。で、この子がリハビリとなんの関係が?」

少女「はい。人物画が駄目なら、動物の絵ならどうかなって」

青年「……」

少女「動物は無垢ですから裏切られるとか、そんな小難しいことは考えずにすみます。それに人間と同じで生き物ですから練習にもなるかと思ってですね……」

青年「……」

少女「……駄目でしたか?」

青年「あ、いや、そんなことはないよ。ただ、本当にリハビリになるのかなって思って」

少女「自信はありませんが、やってみるだけやってみては? モモちゃんは人懐こくて大人しい子ですから、モデルには最適ですよ」

青年「うーん」

少女「とにかくやってみましょうよ。それで人物画に復帰できればもうけものですよ」

青年「……そう、だね。分かった、やるだけやってみよう」

62 : VIPに... - 2011/01/15 18:04:17.06 8c2NwONQo 35/120


     ・
     ・
     ・


少女「モモちゃん、もうちょっとじっとしてて」

「チュル?」

青年「ああ、大丈夫。大体描きたい映像は頭に焼きつけられるから」カキカキ

少女「へえ、便利ですね」

青年「本来、時間が立つと風景画であっても微妙に光加減が変わっちゃうからね。絵描きならそれくらいは必須の能力さ」カキカキ

青年「っと、下書き終わり」ピッ

少女「見せてください。――わあ、可愛い!」

青年「ありがとう。後は色塗りだけ」

少女「順調ですね」

青年「うん……」

63 : VIPに... - 2011/01/15 18:04:46.61 8c2NwONQo 36/120


青年「完成」

少女「どうなりました」

青年「こうなりました」

少女「わあ! 色がつくとまた一段と」

青年「うん」

少女「描けましたね」

青年「描けたね」

少女「どう、ですか?」

青年「どう、か。案外どうってことないな。動物と人じゃ、やっぱり違う」

少女「そうですか……」

青年「……でも、やっぱり生きているものを描くのはいいな」

少女「! そうですか、よかったです」

青年「うん、君にお礼を言わなきゃね。ありがとう」

少女「ふふ、どういたしまして」

66 : VIPに... - 2011/01/16 18:49:39.49 0jJyxE+oo 37/120


少女「まだ描きますか?」

青年「そうだね、もうちょっとだけ」

少女「モモちゃんはいい?」

「チュルン!」

少女「ふふ、ありがとう」

青年「ん?」

少女「どうかしましたか?」

青年「ちょっとモモちゃんいいかな?」

少女「ええ」

青年「ん。――うん、やっぱり」

少女「何か?」

青年「いやね、さっきから違和感はあったんだけど」

少女「ええ」

青年「モモちゃんもオッドアイなんだね」

少女「……」

67 : VIPに... - 2011/01/16 18:50:38.75 0jJyxE+oo 38/120


青年「右が黒で、左が赤。左だけ、君と同じだ」

少女「気がつきませんでした」

青年「え?」

少女「いえ、ですから今日初めて気付きました」

青年「そうなのかい? じゃあ、僕が第一発見者だ」

少女「……」

青年「鳥にもオッドアイってあるんだね。しかも左目は君とお揃い」

少女「ええ」

青年「面白いなあ。でも――」

少女「あの」

青年「ん? なんだい?」

少女「お願いがあるんですけれど」

青年「……人物画はまだ」

少女「そうですね。でもそちらではありません」

青年「というと?」

少女「わたしに絵を教えてもらえませんか?」

68 : VIPに... - 2011/01/16 18:51:06.89 0jJyxE+oo 39/120


青年「……」

少女「……」

青年「絵を?」

少女「駄目ですか?」

青年「駄目っていうか。なんでまた急に?」

少女「あなたの絵にあこがれてはいけませんか?」

青年「……」

少女「お願いします」

青年「いや、別にかまわないけど。僕程度でよければ」

少女「本当ですか?」

青年「嘘はつかないよ。でも」

少女「何か?」

青年「いや」

少女「……」

青年(はぐらかされた、よな?)

69 : VIPに... - 2011/01/16 18:52:05.58 0jJyxE+oo 40/120


少女「ではそうですね、明日からお願いします」

青年「ああ、いいよ」

少女「ふふ、楽しみ」

青年「……」

70 : VIPに... - 2011/01/16 18:53:34.56 0jJyxE+oo 41/120


 別にこの子を疑ったわけではなかった。
 でも、この子は何かを隠そうとしている。それは分かった。

 その隠そうとしているところは知らない。
 だが。僕はあまりいい気はしなかった。

 それは過去の嫌な思い出によるものか。
 きっとそうだろう。

 僕はだまされたり裏切られたりといったことに敏感になっているらしい。
 そんなことを考えながら、その日は床についた。

73 : VIPに... - 2011/01/17 22:14:11.59 vTmlklIRo 42/120


青年「用意はできた?」

少女「ええ」

青年「じゃあ……こほん、今から、青空絵画教室を始めます」

少女「はーい」

青年「開始にあたってだけど」

少女「何か?」

青年「説教くさい話は苦手?」

少女「キリトさんの話なら聞きますよ」

青年「うん、よろしい」

74 : VIPに... - 2011/01/17 22:16:52.38 vTmlklIRo 43/120


青年「まず、道具の使い方よりも先に絵描きの心構えを教えようと思うんだ」

少女「心構え、ですか?」

青年「うん。僕は技術云々よりも、そっちの方が大事だと思ってる」

少女「技術よりも大事なこと……」

青年「絵というのは、かきうつす作業だ。この世にあるもの、そしてないものをこの平面の中に魂ごと閉じ込める」

青年「閉じ込めるという言い方が乱暴だったら、そっと掬い取って移し替えるといういい方でもいいかもしれない。似たようなことは人物画のときにも言ったね」

少女「ええ」

青年「だから、絵の基本は正確に、忠実に、真摯にかきうつすことなんだ」

少女「あの。抽象画とか想像で描いた絵は?」

青年「それだって基本は変わらないよ。そういう一見あやふやなものでも、本質だけはきっちり写し取ってる。魂を掬いあげるという点では同じなんだ。想像で描いたものだって、頭の中の映像を克明に写し取ることに変わりはない」

少女「ええと」

青年「……ちょっと難しいかな?」

少女「ええ。でも、なんとなくわかる気もします」

青年「うん、それでいいよ」

75 : VIPに... - 2011/01/17 22:17:20.55 vTmlklIRo 44/120


青年「それでね、僕個人は、絵というのは本来いい加減に描いてはいけないと思ってる。大袈裟ないい方かもしれないけど、魂を扱うからね」

少女「……」

青年「もちろん、気軽に絵を楽しむのを否定はしないよ。でもそれが僕の、絵に対する姿勢なんだ」

少女「キリトさんは、真面目ですね」

青年「よく言われるよ。もうちょっと肩の力を抜けたらいいんだろうけどね」

少女「でも、キリトさんらしいです」

青年「ありがとう。でいいのかな?」

76 : VIPに... - 2011/01/17 22:17:50.54 vTmlklIRo 45/120


青年「僕流の心構えを分かってもらったところで、それじゃあ細かいところに入って行こうか」

少女「はい!」

青年「とりあえず、この湖の風景を描いてみよう」


     ・
     ・
     ・


青年「デッサンはこんな感じかな」

少女「難しいですね……」

青年「こればかりは経験を積むしかないと思うよ」


     ・
     ・
     ・


少女「どうでしょう?」

青年「悪くないね。でも、ここはこうしたほうがいい」

少女「なるほど」

青年「これでだいぶ違うと思う」

少女「ええ、見違えました」

77 : VIPに... - 2011/01/17 22:18:16.36 vTmlklIRo 46/120


青年「っと、もうこんな時間か」

少女「あれ。日が暮れますね」

青年「はは、絵は本気になって取り組むと、時間もその平面の中に持っていくからね」

少女「早くお夕食の用意をしないと」

青年「僕も手伝うよ」

少女「じゃあ、お願いしますね」

青年「なら今日はここまでってことで」

少女「はい。色塗りは次回ですね。明日もよろしくお願いします」

青年「うん、まかせて」

81 : VIPに... - 2011/01/18 20:01:16.71 1E+Z2nF/o 47/120


<翌日>


少女「――できた」

青年「どれどれ?」

少女「あ、ええと……」

青年「そんなに恥ずかしがらなくてもいいよ」

少女「でも」

青年「教えた通り真剣に描いた絵なんだろう? だったら胸を張って人に見せられるはずだよ」

少女「……」

青年「大丈夫、ルルは筋がいいから」

少女「……では。こんな感じになりました……」

青年「お。へえ……」

82 : VIPに... - 2011/01/18 20:02:10.87 1E+Z2nF/o 48/120


少女「どうでしょう?」

青年「ふふ」

少女「なんで笑うんですかっ」

青年「ああ、ごめん。いろいろと初々しいなあ、って」

少女「……キリトさんのと比べられても困ります」

青年「はは、そりゃ僕はもう何年も描いてるからね。比べられたらこちらも困るよ」

少女「それで……いかがでしょう」

青年「うまいよ」

少女「でも、さっきは初々しいって」

青年「初々しさとうまさは共存しないかな?」

少女「それは、そうかもしれませんが」

83 : VIPに... - 2011/01/18 20:02:38.03 1E+Z2nF/o 49/120


青年「僕の言ったことが分かってもらえたようで良かった。これが僕の感想かな」

少女「え?」

青年「絵に真摯に取り組んだのが分かるよ」

少女「そうなんですか?」

青年「もう何年も絵だけを見て生きてきたからね。見る目はあるつもりさ。初心者なりに丁寧に描いてある。デッサンの手のかけ具合、観察の熱心さ、配色の手間」

少女「……」

青年「合格だ」

少女「! ありがとうございます」

84 : VIPに... - 2011/01/18 20:03:11.24 1E+Z2nF/o 50/120


青年「とはいっても入門編、だけどね」

少女「あら」

青年「僕としては、ぜひもっと描いて腕を上げてほしいのだけれど」

少女「わたしはやりますよ?」

青年「そうか、よかった。僕も本腰を入れて教えよう」

少女「あ、ひどい。今まで手を抜いていたんですか?」

青年「あ、いや、今のは言葉のあやだよ」

少女「分かってますよ?」

青年「ええ?」

少女「ふふ」

青年「ちょっと、からかわないでよ」

少女「あら、ごめんなさい。ふふ」

87 : VIPに... - 2011/01/19 21:22:14.71 xdjIVYCIo 51/120


<一週間後>


少女「~♪」

青年「順調?」

少女「わわっ」

青年「……なんで隠すの?」

少女「あ、ええと……そう、ちょっと頑張って描いているものなので、完成してから見てもらおうって」

青年「そうなの? まあ、いいや。じゃあ、僕のを見てもらおうかな」

少女「モモちゃんの絵ですか?」

青年「そうそう。どうかな?」

少女「お上手です」

青年「ありがとう」

少女「でも、一つ言うならば」

青年「なんだろう?」

少女「モモちゃんはもっと、しっとりした雰囲気です」

青年「しっとり? ……ああ、なるほど」

少女「伝わりました?」

青年「なんとなくは」

88 : VIPに... - 2011/01/19 21:22:49.90 xdjIVYCIo 52/120


青年「でも」

少女「なんですか?」

青年「やっぱり君は、才能あるよ」

少女「本当ですか?」

青年「教えたことの呑み込みが本当に早い。今の観察眼もなかなかだ。僕に追いつくのもそう遠くないだろうね」

少女「ええ? どれくらいで追いつけます?」

青年「ざっと……五年かな」

少女「五年、ですか……」

青年「はは、これでも短い方だよ。僕は十歳の時から本格的に描き始めて、九年だしね。それと比べれば」

少女「五年……」

青年「……どうかした?」

少女「いえ。五年後の世界はどうなっているんだろう、って」

青年「……?」

89 : VIPに... - 2011/01/19 21:23:22.07 xdjIVYCIo 53/120


少女「わたしはきっと、ここで一生を終えますから、他のことは、何も分からないままでしょうね」

青年「……」

少女「世界が大きく動いても、わたしはそれを見ることができない……」

青年「なら簡単だ、旅に出ればいい」

少女「え?」

青年「こんななよなよした僕みたいなのでもここまで――って言ってもまだ数年だけど――やってこれた。君にだってできるはずだよ」

少女「簡単に言わないでください!」

青年「!?」

90 : VIPに... - 2011/01/19 21:24:03.16 xdjIVYCIo 54/120


少女「あ……ごめんなさい」

青年「え? いや……」

少女「ごめんなさい……」

青年「……どうかした?」

少女「いえ、別に。ただ」

青年「ただ?」

少女「わたしはこの村から出られるほど強くはありませんから……」

青年「でも」

少女「すみません、絵に集中します。話しかけないでください」

青年「……」

94 : VIPに... - 2011/01/20 23:00:21.62 HrAxA8v3o 55/120


     ・
     ・
     ・


青年(怒らせちゃったんだろうか? でも、なんで?)

青年「君はどう思う?」

「チュル?」

青年「うーん……」カキカキ

青年(なんとなくだけれど。気軽に訊けることじゃなさそうだ)

少女「あの」

青年「ん?」

少女「できました。見てください」

青年「ん、分かった」

少女「あ、見る前に一つだけ」

青年「何かな?」

少女「真剣に描きました」

青年「……分かった」

95 : VIPに... - 2011/01/20 23:00:55.49 HrAxA8v3o 56/120


少女「……」

青年「……これは」

少女「どう、でしょう?」

青年「僕、かな?」

少女「ええ。キリトさんです」

青年「人物画」

少女「そう、人物画」

青年「……」

96 : VIPに... - 2011/01/20 23:02:16.84 HrAxA8v3o 57/120


青年「ごめん。何を言っていいか分からない」

少女「そうですか……」

青年「うまいと思う。でも……」

少女「……」

青年「……絵描き失格だな。全くもって分からないんだ」

少女「キリトさん」

青年「なんだろう?」

少女「人を信じましょう。自分を、信じましょう」

97 : VIPに... - 2011/01/20 23:04:01.66 HrAxA8v3o 58/120


青年「……どういう意味かな?」

少女「あなたが絵を描けなくなった原因です、きっと」

青年「……」

少女「キリトさんは言いました。絵というのは正確に写し取らなければならないと」

青年「言った」

少女「しかしあなたは裏切られ、正しく写し取るための自分の目に自信が持てなくなった」

青年「……そうなんだろうね」

少女「……人間というのは、よくわからないものです。昨日言っていたことが今日やっていることと違うなんてこと、たびたび起こります」

青年「……」

少女「愛を讃えながら人を裏切ることも、平和を謳いながら人を虐げることも……」

青年「……」

少女「人間はそういうものなんですよ」

98 : VIPに... - 2011/01/20 23:04:49.29 HrAxA8v3o 59/120


少女「人間は汚れています。そういう意味では、モモちゃんたちの方がよほど清らかなのでしょう」

青年「そうかもしれない」

少女「でも」

青年「……?」

少女「それでも信じるに値します」

青年「……なぜ?」

少女「心はどこにありますか?」

青年「え?」

少女「愛はどのようなものですか?」

青年「何を……?」

少女「疑うことは賢い。信じることは愚か。でもどちらも同じこと」

青年「それは一体……?」

少女「理由がなくとも信じるべきなんですよ。信じるべきものはあるんです」

99 : VIPに... - 2011/01/20 23:06:41.01 HrAxA8v3o 60/120


青年「分からないよ……」

少女「心の実在、愛の形。難しいことです。でも同時に、とっても簡単なこと」

青年「……」

少女「人を理由がなくとも信じることです。たとえ裏切られても、心引き裂かれようとも。それが人間に与えられた救いでもあります」

青年「そうだろうか……?」

少女「大丈夫、心はそこにある。わたしはそう信じています」

青年「……」

少女「愚か者の言うことですよ。でもきっと大事なこと。キリトさん、人を信じてください。自分を信じてください」

青年「……」

100 : VIPに... - 2011/01/20 23:07:33.14 HrAxA8v3o 61/120


 まるで。
 僕が彼女を疑ったのを見透かされたかのようだった。

 彼女は言う。人を信じろと。自分を信じろと。
 難しいことだった。裏切られた以上、知ってしまった以上、それを覆すのは難しいことだった。

 それでも彼女の目は真剣で。
 だから僕はこう言ったのだ。

101 : VIPに... - 2011/01/20 23:08:06.29 HrAxA8v3o 62/120


青年「そう簡単には、ね……」

少女「……」

青年「でも」

少女「……?」

青年「君を信じることなら、できる。多分」

102 : VIPに... - 2011/01/20 23:11:20.81 HrAxA8v3o 63/120


 彼女はそれを聞いて、しばらく目を丸くした後……

「……ふふ」

 かすかに、笑ったのだった。

 その微笑を見ながら思った。
 絵描きとしては彼女の方が才能があるんじゃないかな、と。

105 : VIPに... - 2011/01/22 11:17:46.60 SiJfSgc3o 64/120


<数日後.りんご園>


青年「よい、しょ」プチ

青年「はい、お願い」

少女「はいどうも」

青年「だいぶ集まったね、そろそろ休憩にしない?」

少女「ええ、そうしましょう」


     ・
     ・
     ・


青年「……」カキカキ

少女「~♪」カキカキ

青年「それにしても」

少女「はい?」

青年「こんな場所があったとはね」

少女「ふふ、素敵でしょう?」

106 : VIPに... - 2011/01/22 11:18:16.01 SiJfSgc3o 65/120


<前日>


青年「うーん」カキカキ

少女「どうかしました?」カキカキ

青年「あ、いや」

少女「何でも言ってくださいね」

青年「ええと、じゃあ。そろそろ描くものがなくなってきたなって」

少女「モモちゃんではご不満ですか?」クスクス

青年「モモちゃんはいいモデルだよ。でもさすがにずっとこの子ばかり描いてるってのも。湖もだいたい描き尽くした感があるし」

少女「だったら、いい場所がありますよ」

青年「いい場所?」


     ・
     ・
     ・

107 : VIPに... - 2011/01/22 11:18:45.92 SiJfSgc3o 66/120


青年「確かに素敵だね」

少女「でしょう?」

青年「なかなか絵になる風景だ。りんごのいい香りも漂ってくる。それを絵に表せないのが残念なくらいだよ」

少女「それでも表現するのが絵描きのお仕事でしょう?」

青年「はは、それもそうだね。じゃあ、頑張りますか」

少女「ええ」

108 : VIPに... - 2011/01/22 11:19:31.35 SiJfSgc3o 67/120


     ・
     ・
     ・


青年「……それにしても、りんごというと故郷を思い出すよ」カキカキ

少女「キリトさんのですか?」

青年「ああ。近くにりんご園があってね、僕はよくそこにりんごをねだりに行ったんだよ」

少女「りんご、お好きなんですか?」

青年「食べるのも好きだったけど、描く方が好きだったな。もらったりんごを模写して、一日の終わりにそのりんごを食べるんだ。それを飽きもせず繰り返した」

少女「へえ……」

青年「何が面白かったのか今では分からないけどね、りんごは僕の絵描きの基本を形作ったものの一つなんだ」

少女「じゃあ、わたしも頑張って描かないと」

青年「うん、そうだね」

109 : VIPに... - 2011/01/22 11:20:12.45 SiJfSgc3o 68/120


青年「ところで、このりんご園は君が手入れしているの? なかなか状態がいいけど」

少女「……かつては村全体で管理していました。ですが今はわたしがしています」

青年「一人で? 大変じゃない?」

少女「そうですね。全体にはとても手が回りませんから。そのせいで実をつけなくなった木も多いです。以前と比べると質も落ちましたし」

青年「ふーん、そうか」

少女「ええ」

青年「そういえば今までなんとなく訊かなかったけど……なんであの村は廃村になっちゃったんだい?」

少女「……」

110 : VIPに... - 2011/01/22 11:20:58.59 SiJfSgc3o 69/120


少女「……あの村は廃れる前は農業が盛んだったんですよ。村の北に行くと広い小麦をはじめとするいろいろな農作物の畑がありました。今はほとんどが使えなくなっていますが。このりんご園は数少ない例外なんです」

青年「ふむ」

少女「でも、この手の農村にはありがちなんですが、都会の方に人が流れてしまいまして」

青年「それで過疎化して、って感じか」

少女「その通りです」

青年「……君は?」

少女「え?」

青年「君は、出ていこうとは思わなかったのかい?」

少女「それは……」

青年「……」

少女「前にも言いました。私はこの村から出ていけるほど強くはないので……」

青年「あ……ごめん」

少女「いえ……」

111 : VIPに... - 2011/01/22 11:21:29.67 SiJfSgc3o 70/120


少女「そろそろ帰りましょう。お夕食の準備をしないと」

青年「……ああ」

少女「……」カチャカチャ

青年「……」

112 : VIPに... - 2011/01/22 11:23:06.44 SiJfSgc3o 71/120


『一緒に行かないか?』

 その一言を言うか否かを、僕は迷った。
 そんな申し出ができるほど僕と彼女は親しくなったわけではないし、彼女が頷くとも思えない。

 何より、断られたら、と恐れて僕は尻込みしてしまった。
 確かに彼女と僕は親しくない。だが、僕の中で彼女と一緒に絵を描くこの時間は大切なものになっていたので、それを台無しにしたくはなかったのだ。

「……明日は雨になるな」

 見上げて、つぶやく。
 彼女もそれを聞いて空を仰いだ。

117 : VIPに... - 2011/01/24 18:32:10.86 o7n1wXi3o 72/120


<翌日.家>


青年「……」

少女「降ってますねえ」

青年「ああ。絵を描きに行けない」

少女「雨はお嫌いですか?」

青年「そうでも、ないかな? 雨の音は結構好きだよ」

少女「じゃあわたしと一緒ですね。雨の日の落ち着いた空気が好きなんです」

青年「分かるよ」

少女「よいしょ、っと」

青年「できた?」

少女「ええ。こんな感じです」

青年「いい感じに焼けたね」

少女「ええ、昨日のりんごがうまくなじみました。早速いかがですか?」

青年「いただくよ。――うん、おいしい」

少女「よかった」

青年「雨の日にアップルパイっていうのもなかなかいいね」

少女「そう言ってもらえると幸いです」

青年「君も食べたら?」

少女「ええ、では」


     ・
     ・
     ・


青年「ごちそうさま」

少女「満足していただけました?」

青年「存分に」

少女「ふふ、うれしいです」

青年「さて……」

少女「暇そうですね」

青年「はは、否定できないな。普段絵ばかり描いてると、他の時間つぶしが思いつかない」

少女「じゃあ、いいものがありますよ」

青年「いいもの?」

118 : VIPに... - 2011/01/24 18:32:52.46 o7n1wXi3o 73/120


青年「これは、何だい?」

少女「『将棋盤』というものだそうです」

青年「ショウギバン?」

少女「ええ。東の国の遊び道具と聞いてます」

青年「ふうん?」

少女「こちらの国で言うチェスみたいなものだとか」

青年「ああなるほど、ボードゲームか」

少女「遊び方について書いてある紙がここにあります。もしよろしければやってみませんか?」

青年「うん、じゃあ、お相手願おうかな」


     ・
     ・
     ・


 パチン パチン……


少女「王手」ピッ

青年「じゃあ、これで」パチン

少女「王手」パチン

青年「……」スッ

少女「王手」パチン

青年「ううむ……」スッ

少女「王手」パチン

青年「……参りました」

少女「ありがとうございました」

119 : VIPに... - 2011/01/24 18:33:31.03 o7n1wXi3o 74/120


青年「強いね……」

少女「自分でもびっくりです。あまりこういった遊びはしないんですけれど」

青年「才能かあ」

少女「そんなこといわれると照れちゃいます。ふふ」

青年「なかなかおもしろかったね。チェスと違って取った駒を自分のものにできるところなんか特に」

少女「ええ。やられちゃってもまた活躍できるチャンスがあるのが気に入りました」

青年「時間も結構潰れた。もう夕方か」

少女「そろそろおしまいにしましょう。お夕食の準備をしないと」

青年「……もう一戦だけ」

少女「それくらいならかまいませんよ。ただし」

青年「なに?」

少女「わたしが勝ったら、またお夕食の手伝いをしてください」

青年「じゃあ、僕が勝ったら」

少女「なんですか?」

青年「夕食の手伝いをさせてくれ」

少女「あはは、なんですかそれ」

120 : VIPに... - 2011/01/24 18:34:24.89 o7n1wXi3o 75/120


     ・
     ・
     ・


青年「さて、そろそろ寝ようかな」


 コンコン


青年「はい?」ガチャ

少女「キリトさんキリトさんっ、窓の外見てください!」

青年「え、外?」

少女「早く早くっ」

青年「……? 何もないけど」

少女「上です!」

青年「空? ……!」

少女「素敵でしょう?」

青年「これはすごいな……」

少女「流星群、って言うんでしたっけ?」

青年「初めて見た」

少女「わたしもです」

青年「……」

少女「……」

青年「流れ星に願い事をすると、それが叶うんだよね?」

少女「お願いし放題ですね」

青年「……」

少女「……」

青年「よし」

少女「何をお願いしたんですか?」

青年「絵が上手になりますようにって」

少女「今でも十分お上手ですけどねえ」

青年「ルルは?」

少女「わたしですか? わたしは――」

青年「うん」

少女「秘密です」

青年「うん?」

121 : VIPに... - 2011/01/24 18:34:54.92 o7n1wXi3o 76/120


青年「なんで?」

少女「なんでも、です」

青年「教えてよ」

少女「駄目です。ふふ」

青年「そんなこと言わずに」

少女「教えませ―ん」

青年「……残念」

少女「ふふふ」

122 : VIPに... - 2011/01/24 18:35:21.64 o7n1wXi3o 77/120


「どうせ叶いませんから」

 そう言って彼女は笑った。
 でも、それはどこかさびしそうな笑みで。
 だから僕はふと、得体の知れない不安を覚えた。

128 : VIPに... - 2011/01/25 18:57:16.48 SQ36GrHfo 78/120


<数日後.湖>


青年「……」カキカキ

青年「……こんなところか」ピッ

青年「さて、次は……」


 ガサガサ


青年「……?」

「……」

青年(……鹿だ)

「……」

青年(特に危険もなさそうだし、無視しとこう)

青年「……ん?」

129 : VIPに... - 2011/01/25 18:58:33.31 SQ36GrHfo 79/120


 ガチャ……バタン


少女「あ、おかえりなさい。すぐにお夕食の用意をしますね」

青年「……」

少女「そうそう、明日手伝ってほしいことがあるんですけど、聞いてもらえますか?」

青年「……」

少女「……? どうかしました?」

青年「訊きたいことがあるんだ」

少女「……なんでしょう?」

青年「ここの近くの生き物は」



青年「――どうしてみんなオッドアイなんだい?」



少女「……」

130 : VIPに... - 2011/01/25 18:59:36.79 SQ36GrHfo 80/120


青年「今日、湖のそばで絵を描いていたら鹿に出くわした。オッドアイだった」

少女「……」

青年「水鳥が泳いでいた。オッドアイだった」

少女「……」

青年「おかしいと思った。他の生き物を探してみた。全てオッドアイだった。みんな左の目が赤いんだよ。……いや違うな、例外がいた」

少女「……それは?」

青年「両目が赤い、兎」

少女「……」

青年「これらのことが何を表すかは……分かるね?」

少女「……」

青年「でも、僕にはその理由が分からない」

少女「……」

青年「説明してもらえるかな?」

少女「知りません」

青年「……君は村から出られないと言っていた。そのオッドアイと何か関係があるんじゃないのかな?」

少女「……知りません」

青年「……」

少女「……」

131 : VIPに... - 2011/01/25 19:00:26.79 SQ36GrHfo 81/120


青年「……分かった」

少女「え?」

青年「君は本当に何も知らないんだね」

少女「それは……でも……」

青年「君が言ったんだ。知らないって」

少女「……」

青年「……そして、僕は言ったはずだ」

少女「……?」

青年「他の誰を、何を信じられなくても、君を信じることはできるって」

少女「っ……」

青年「だから。僕は、君が言ったことを信じるよ」

132 : VIPに... - 2011/01/25 19:01:15.87 SQ36GrHfo 82/120


 彼女はそれきり俯いた。
 その手は強く握りしめられて。
 身体は何かに耐えるかのように震えていて。

 僕は何も言わなかった。
 彼女が決めることだったから。
 そして、僕は彼女を信じると言ったのだ。

 彼女はしばらく口をぱくぱくさせた後、

「ありがとうございます」

 と。ただそれだけをか細い声で呟いた。

139 : VIPに... - 2011/01/27 20:14:52.06 oryh3XABo 83/120


<翌日.村>


青年「よいしょっ――と」

少女「こちらにお願いします」

青年「了解」ドサ

少女「これだけあれば十分です。家に戻りましょうか」

青年「うん、分かった」


     ・
     ・
     ・


 ガラゴロ、ガラゴロ……


少女「小麦粉の運び出しのお手伝い、ありがとうございました」

青年「いや、気にしないで。それにしても驚いたよ。村の倉庫にまだあんなに小麦粉が残っていたなんて」

少女「もともとそれなりに規模の大きい農村でしたからね……」

青年「……」

青年(元気がないな。昨日の、か)

青年「帰ったら、また絵を描きに行かないかい? 昨日は君は来なかったけど」

少女「……いえ、やりたいことがあるので遠慮します」

青年「……そっか」

140 : VIPに... - 2011/01/27 20:15:35.35 oryh3XABo 84/120


 ガラゴロ ガラゴロ……


少女「……あの」

青年「ん?」

少女「すみません、寄りたいところがあるんですけれど、よろしいですか?」

青年「うん、かまわないよ。行こう」


     ・
     ・
     ・


青年「ここは……」

少女「村の、共同墓地です」

青年(……広い)

少女「……」

141 : VIPに... - 2011/01/27 20:16:14.66 oryh3XABo 85/120


 彼女は墓の一つに近寄ると、その前にしゃがみこんだ。
 小さい、簡素な墓。比較的新しいもの。

「……」

 彼女の黙祷は長かった。
 僕はそのわきに立って、じっと黙っていた。

 風が吹く。
 清浄だが、どこかさびしく弱弱しい風。

 そのとき、ふと彼女が呟いた。

「もうすぐ――――から」

142 : VIPに... - 2011/01/27 20:16:45.38 oryh3XABo 86/120





「もうすぐそばに行くから」



143 : VIPに... - 2011/01/27 20:17:39.78 oryh3XABo 87/120


青年「え?」

少女「……」

青年「……今、なんて?」

少女「キリトさん」

青年「……何かな」

少女「キリトさんは戦争から遠かったんですよね」

青年「ああ」

少女「ここは国境の近くです。十年前は、目と鼻の先で戦闘が行われていました」

青年「……」

少女「目の前で人が死ぬことも少なくありません。わたしは戦いで散っていく人を何人も見てきました」

青年「……」

少女「死体はゆっくり冷たくなります。血は乾くとくすんだ色になります。人はじくじくと腐っていきます。あなたは知らないでしょうけれど」

青年「……そうだね」

少女「一年続きました。一年。わたしにとっては短くありません。いつまでも、どこまでも続く泥沼に思えました。延々と続く鈍い苦痛」

青年「でも終わった」

少女「ええ。でも、それがなぜかはご存知ですか?」

青年「え?」

少女「終わりの見えない戦争。それが終わったのはなぜですか?」

青年「それは……」

144 : VIPに... - 2011/01/27 20:18:08.42 oryh3XABo 88/120


 ――それはなぜだ?
 今まで深く考えたことはなかった。

 両者が疲弊し、消耗し、そして戦いの常として片方が勝ち、片方が負けた。
 それだけではないのか?

145 : VIPに... - 2011/01/27 20:18:54.98 oryh3XABo 89/120


少女「……」

青年「……?」

少女「帰りましょう」

青年「え?」

少女「……」

146 : VIPに... - 2011/01/27 20:19:49.45 oryh3XABo 90/120


 彼女はそのまま立ちあがると歩きだした。
 僕は手押し車を押してそのあとを追ったが、何かを訊けるような雰囲気ではなかった。

 十年前の戦争のこと。そして――
 僕は胸の奥にざわつきを覚えた。

151 : VIPに... - 2011/01/28 21:41:04.50 MNH19CE7o 91/120


<翌日.家>


少女「――っしょ」ギュッギュッ

青年「……」コネコネ

少女「ん」ギュッギュッ

青年「……」コネコネ

少女「こんなところですね、こねたパン生地は寝かせておきましょう」

青年「……ああ、わかった」


     ・
     ・
     ・


少女「あとは焼くだけです。お手伝いありがとうございました」

青年「……うん」

少女「……さっきから、変ですよ? どうかしました?」

青年「……」

少女「?」

青年「あの」

少女「はい」

青年「見てもらいたいものが、あるんだ」

少女「はい?」

152 : VIPに... - 2011/01/28 21:41:32.47 MNH19CE7o 92/120


     ・
     ・
     ・


青年「これなんだけれど」

少女「……それは」

青年「なんの絵か、分かるかな」

少女「あの日の、流星群……」

青年「……それと?」

少女「女の子……わたし、ですか?」

青年「その通り」

153 : VIPに... - 2011/01/28 21:42:00.53 MNH19CE7o 93/120


 流星群と少女。
 それが、描かれているものの全てだった。

 漆黒の夜空には幾重にも星が弧を描き、少女がそれをひっそりと見上げている。
 それは久方ぶりに僕が描いた、人の姿だった。

 ただし人物画が描けた、というにはいくらか足りなかった。
 絵の少女はこちらに背を向けていたから。

154 : VIPに... - 2011/01/28 21:42:32.14 MNH19CE7o 94/120


青年「それでも、一生懸命描いたよ。ここ最近はずっとこれを描いてた」

少女「……」

青年「君の願いが、叶うはずの願いが叶うといいなって、そう思って描いたんだ」

少女「……っ」

青年「ねえルル」

少女「なん、ですか?」

青年「僕と一緒に…………行こう」

155 : VIPに... - 2011/01/28 21:43:18.73 MNH19CE7o 95/120


 行こう。
 そのただ一言だけで、僕は全ての勇気を使い果たしてしまった。

 心臓が早鐘を打つ。口の中がからからに渇く。
 また何かを裏切られるかもしれない。その恐怖を乗り越えるのに払った代償だ。

 そして、彼女は。
 目を見開いて、そこに立っていた。

 それは驚きによるものであることはもちろんだったろうが、僕はそこに別のものも見いだした。
 苦悩と、そして渇望。
 彼女はゆっくりと俯くと、唇をかみしめた。

156 : VIPに... - 2011/01/28 21:43:44.34 MNH19CE7o 96/120


青年「……君は。きっと僕以上の絵描きになるよ」

少女「……」

青年「だからこの村を出るべきなんだ」

少女「……」

青年「……いや、それは欺瞞だな。僕は君と――」

少女「……」

青年「君と一緒にいたい」

少女「っ……」

青年「君が何に囚われているのかは知らない。でも、そんなのは関係がない。僕と一緒に行こう」

少女「……」

青年「ルル、僕は君のことが――」

少女「わ、たし、は……」

青年「うん」

少女「わたしは……!」

157 : VIPに... - 2011/01/28 21:44:26.94 MNH19CE7o 97/120


 彼女は、勢いよく顔を上げた。
 その顔は必死で、ひたすら必死で。

 だが、次の一言をぶちまける前に、彼女の身体が傾いだ。

158 : VIPに... - 2011/01/28 21:45:02.78 MNH19CE7o 98/120


青年「ルル!?」

少女「……っ」

青年「ルル、大丈夫!?」

少女「っ……っ……」

青年「一体、何が……?」

少女「キリトさん」

青年「なんだい」

少女「もう、出て行ってください」

青年「え……?」

少女「もう、ここから出て行って、そしてもう二度と戻ってこないでください」

青年「ルル……?」

少女「お願いします」

青年「で、でも、君の具合が悪そうなのにそんな……」

少女「出て行って、お願い!」

159 : VIPに... - 2011/01/28 21:45:33.72 MNH19CE7o 99/120


 彼女の声は、張り裂けそうなほどに悲痛だった。
 何かを言いたくて、でも言えなくて、それらが内側から圧迫している声だった。

 だから、僕はただ立ち尽くすことしかできなかったのだ。

166 : VIPに... - 2011/01/29 00:56:12.03 XmzYscdqo 100/120


<森の道>


青年(……結局、出てきてしまった……これでよかったんだろうか)

青年(……でも、彼女があそこまで必死なんだ。きっと訳があるんだろう)

青年「僕に言えない理由か……僕たちは親密になれていたわけじゃなかったのかな、ルル」

青年(思い上がり、なのかな。ともかく、僕は彼女を信じる。なら、彼女の言葉に従って出ていくのが正しいんだ)

青年「……そうだ。そうなんだ」

青年(本当に?)

青年「……」

青年(自分をごまかしているだけじゃ、ないのか? 僕はこれ以上自分が傷つくのが怖くて……)

青年「でも……」


『わたしはこの村から出られるほど強くはありませんから……』


青年「……」


『どうせ叶いませんから』


青年「……」


『人を信じましょう。自分を、信じましょう』


青年「……」


『もうすぐそばに行くから』


青年(僕は……)

167 : VIPに... - 2011/01/29 00:56:59.60 XmzYscdqo 101/120


 足が止まった。
 本当にこれでいいのか。
 心の中で声がこだまする。

「……」

 進めない。だが戻ることもできない。
 葛藤がしばらく続いた。

 ……ふと顔を上げると、いつもの湖が目に入った。
 いつの間にかここまで歩きついていたらしい。
 底まで見通せる清らかな水。

「……ん?」

 その水面になにかが浮いていた。

168 : VIPに... - 2011/01/29 00:57:34.11 XmzYscdqo 102/120


<家>


 バタン!


青年「ルル!」

少女「――」

青年「……ルル!」

169 : VIPに... - 2011/01/29 00:58:16.11 XmzYscdqo 103/120


<寝室>


少女「――ん……」

青年「ルル?」

少女「……あれ、キリトさん……出発したんじゃ……?」

青年「うん。でも戻ってきた」

少女「……見られちゃいましたねえ」

青年「そうだね」

少女「ひっそりと、一人で死ぬはずだったんだけどなあ……」

170 : VIPに... - 2011/01/29 00:58:44.18 XmzYscdqo 104/120


 彼女はそう言うと、弱弱しく微笑んだ。
 その微笑みに、僕は心を貫かれるような悲しみを覚えた。
 彼女はもう長くはない。
 そう悟った。

171 : VIPに... - 2011/01/29 00:59:13.64 XmzYscdqo 105/120


青年「……」

少女「……あんまりびっくりしないんですね」

青年「君が倒れてるのを見たときは肝をつぶした。でも、なんとなくわかってた」

少女「……」

青年「湖で、モモちゃんが死んでいるのを見つけたんだ」

少女「……」

青年「どこにも外傷はなかったし、病気のようでもなかった。あんまり詳しくはないけれど」

少女「……そうですか、モモちゃんが……かわいそうに」

青年「話してもらえるかな。君たちのこと」

少女「……はい」

172 : VIPに... - 2011/01/29 00:59:40.80 XmzYscdqo 106/120


少女「わたしたちのオッドアイ。もっと正確にいえば左の赤い目。もうおわかりでしょうが、これが原因です」

青年「うん」

少女「わたしたちにつけられた、これは呪いの刻印なんです」

青年「……うん」

少女「この刻印によって、わたしたちはその寿命に枷をはめられました」

青年「……」

少女「……わたしたちは、長くは生きられないんです」

青年「……」

173 : VIPに... - 2011/01/29 01:00:22.12 XmzYscdqo 107/120


少女「事は十年前にさかのぼります」

青年「……戦争」

少女「そう。戦争は一年続き、当時泥沼の様相を呈していました。血で血を洗う地獄絵図。関わった誰もが疲弊し、次々に倒れて行きました。わたしの父はその時に亡くなった人々の内の一人です」

青年「そうか……」

少女「終わらせる必要がある。どんな手を使ってでも。……国の上の方々はそう考えたようです」

青年「……それは?」

少女「……それに名前はありませんでした。ただ≪兵器≫、とだけ言われていました」

青年「≪兵器≫……」

少女「それは強大な力でもって戦いを終わらせました。それは一瞬でたくさんの人を殺しました。数万の単位で、です」

青年「……」

少女「公式にはなっていませんが、それがその時起こったことです。信じられないでしょうけれど」

青年「信じるよ。ルルの言うことなら」

少女「……」

174 : VIPに... - 2011/01/29 01:01:25.28 XmzYscdqo 108/120


少女「……≪不信≫」

青年「え?」

少女「≪兵器≫の核です。それは人の心に作用するんです」

青年「どういうことだい……?」

少女「呪いのようなものです。人にとって信じるという要素は大きなものですから、それを蝕まれてしまうと人は最悪生きていくことができない」

青年「『人に与えられた救い』……」

少女「ええ。極端に凝縮されたそれは、もう不信とは別の何かになってしまっていたんでしょうけれど」

青年「……」

少女「……≪兵器≫は、当時のその一瞬にもたくさんの人を殺しましたが、その効果はそれにとどまりませんでした」

青年「オッドアイ……」

少女「その通りです。わたしたちのこれは、≪兵器≫が残した傷跡なんですよ」

青年「……」

少女「左の赤い目は≪汚染≫の証です。わたしたちは内側から蝕まれています。あの村は西の国の汚染者が集められた場所なんです」

青年「なんだって……?」

少女「村の墓地を見たでしょう? あそこには隔離された全ての人々が埋葬されているんですよ」

青年「そんな……」

175 : VIPに... - 2011/01/29 01:02:08.31 XmzYscdqo 109/120


青年「何が平等だ……何が王都だ……僕たちの国はそんなひどいことを!」

少女「……。わたしたちはゆっくりと浸食されていきます。ゆっくり、ゆっくりと心を殺されるんです。心が死ねば身体もまた死にます」

青年「……止めることは?」

少女「方法はありません。弱い力で抗うしかないんです。信じることでしか、生きることはできません。ああ、でも。わたしは信じきることができなかった……」

青年「何を?」

少女「あなたを。そして自分を」

青年「……」

少女「真実を知ればあなたは恐れる。幸せを知れば死にたくなくなる。わたしは恐れて疑ってしまいました。もっと信じる強さがあったなら……」

青年「っ……」

少女「最期に、頼みがあります」

青年「最期だなんて、言わないでよ……」

176 : VIPに... - 2011/01/29 01:02:48.44 XmzYscdqo 110/120


<湖>


青年「……」

少女「ここでいいです、下ろしてください」

青年「本当は、君をベッドから動かしたくはなかったのだけれど」

少女「呪いの進行は不可逆です。わたしが死ぬ運命は変えられません。ならば最後に願いを叶えたいんです」

青年「……願い?」

少女「わたしの絵を、描いてください」

青年「君の……?」

少女「ええ」

青年「それは、どうして?」

少女「キリトさんは言いました。絵はその人をそっくり写し取ったものだと。魂を掬い取る作業だと」

青年「言った」

少女「わたしは死ぬ運命です。死ねば全ては無に還ります。でも、あなたに絵を描いてもらえれば、私はまだしばらくは生きることができます。あなたと一緒にいろんなところに行くことができます」

青年「……」

少女「わたしを描いてください」

青年「……」

177 : VIPに... - 2011/01/29 01:03:32.31 XmzYscdqo 111/120


 画材を用意し、キャンバスを広げて。
 僕はゆっくりと筆を走らせた。

 スランプが嘘のように筆はすらすらとキャンバスの上を滑った。

178 : VIPに... - 2011/01/29 01:04:25.46 XmzYscdqo 112/120


少女「……」

青年「……」

少女「……いかがですか?」

青年「……順調だよ」

少女「あなたはきっと世界に認められる絵描きになりますよ」

青年「……君が言うなら、そうなんだろうね」

少女「……」

青年「……」

179 : VIPに... - 2011/01/29 01:04:55.84 XmzYscdqo 113/120


 筆は、悲しいくらい順調に進んだ。
 絵描きの音だけが静寂を満たしていた。
 風は吹かない。水音はしない。
 世界に二人だけ。そんな気分になった。

 そのとき彼女が口を開いた。

180 : VIPに... - 2011/01/29 01:05:23.41 XmzYscdqo 114/120


少女「ああ……」

青年「うん……?」

少女「わたし、キリトさんともっと将棋がしたかった」

青年「……」

少女「作ったパンも食べてほしかった」

青年「……」

少女「もっといろんなところに行って、いろんなものを見たかった」

青年「……っ」

少女「そして、キリトさんと一緒に、もっと絵を描きたかった……」

青年「っ……っ……」

少女「ねえ、キリトさん」

青年「……なんだい?」

少女「わたし、キリトさんのことが――」

181 : VIPに... - 2011/01/29 01:06:11.78 XmzYscdqo 115/120


 そう言うと、木にもたれて座ったまま、彼女はふんわりと笑った。
 青ざめた顔に、それは輝いて見えた。
 ……そして、彼女はそれきり何も言わなくなった。
 何も。何も。

 僕は叫び出したかった。
 筆を投げ出して彼女に駆け寄って、抱きしめたかった。
 でも、彼女の願いをかなえるために、こらえねばならなかった。

 ああ。
 僕にはこぼれおちた命をもとに戻すことはできない。
 こぼれおちる涙もしばらくは止められそうにない。
 僕にできることはただ一つ――

182 : VIPに... - 2011/01/29 01:06:56.49 XmzYscdqo 116/120







「描きとめよう、全てを」





183 : VIPに... - 2011/01/29 01:07:24.61 XmzYscdqo 117/120



     ・
     ・
     ・

184 : VIPに... - 2011/01/29 01:09:30.65 XmzYscdqo 118/120


<二年後.王都.画廊>


青年「……」

画商「失礼するよ!」

青年「うん? ああ……」

画商「どうしたね、先生。ぼんやりしなさって」

青年「ちょっとね。絵を見てたんだ」

画商「おや、二枚。わしも見てよろしいですかい?」

青年「かまわないよ」

画商「ふむ。こちらの絵の男は、先生かい? なかなかうまいが、素人っぽさがあって売り物にはならんね。もう一枚。こちらは木にもたれて眠る少女の絵か。こちらは素晴らしい。先生、ぜひうちで売らせてもらえませんかいね?」

青年「悪いけど、どちらも売る気はないんだ。どちらも大切なものなんでね」

画商「……うーむ、そりゃ残念。先生は王都でも有名だから、高く売れるんだがねえ」

青年「はは、あなたのその正直なところは嫌いじゃないよ。でも、これは僕をスランプから救ってくれた恩人の絵だから」

画商「ほほう、絵の少女。先生のコレですかい?」

青年「ふふ、そうだったら、良かったんだけれどね」

画商「……ふうん?」

青年「さて、出発しようかな」

画商「先生、前にも聞きましたが正気ですかい? 東の国に行くなんて。先生ならこっちで十分やっていけるのに」

青年「彼女と約束したからね、いろんなところに連れていくって。それに、僕は後三年で、世界中に認められる絵描きにならなくちゃいけないんでね」

画商「はあ、よくわかりませんなあ」

青年「それじゃあね」

画商「お気をつけて!」

185 : VIPに... - 2011/01/29 01:10:01.02 XmzYscdqo 119/120


     ・
     ・
     ・


<街道>


青年「ルル、そろそろ国境だよ。ここから先は東の国だ」

青年「緊張するよ」

青年「でも、君と一緒なら、きっとどこまでも行ける」

青年「そうだよね、ルル」

青年「じゃあ、行こうか。全てを描きとめに……!」

186 : VIPに... - 2011/01/29 01:10:29.38 XmzYscdqo 120/120


青年「描きとめよう、全てを」




     ~了~

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