1 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 18:58:55.25 3k7Y9koF0 1/21




茄子「ほたるちゃんほたるちゃん」

ほたる「はい。なんですか茄子さん」

茄子「お昼なんだけど、一緒に食べに行きませんか?」

ほたる「いいですよ。どこに行くんですか?」

茄子「ほら、近所に新しいラーメン屋ができたじゃないですか」

ほたる「ああ、あの噂の」

茄子「前から気になってたんだけど一人じゃ心細くて」

ほたる「茄子さんってあんまりそういうの気にしない人だと思ってました」

茄子「こう見えて恥じらいのあるうら若き乙女なんですよ、私も」

 ~

ほたる「わぁ、すごい行列ですね」

茄子「待ち時間30分だって。ほたるちゃん、どうします?」

ほたる「私は少しくらい待ってもべつに……」ぐぅ~

茄子「…………」

ほたる「……///」

茄子「……あっ、なんだか急に牛丼が食べたくなってきました。あら? ちょうどあそこの牛丼屋さんが空いてるみたいですね。やっぱりお昼は牛丼にしましょう♪」

ほたる「は、はい」

元スレ
白菊ほたる「傘を弔う」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1582538334/

2 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:00:37.16 3k7Y9koF0 2/21




茄子「ほたるちゃんほたるちゃん」

ほたる「はい。なんですか茄子さん」

茄子「今朝、私素敵な夢を見たんです」

ほたる「どんな夢ですか?」

茄子「部屋の掃除をしていたらタンスの中に3億円の札束があって」

ほたる「すごい。大金じゃないですか」

茄子「でもよく見たら賞味期限が切れちゃってて」

ほたる「それは残念でしたね」

茄子「それで私、『もったいないなー』って思いながら泣く泣く山に捨てに行ったんですけど、」

茄子「そしたら何が起きたと思う?」

ほたる「う~ん……お金の成る木が生えてきた!とか?」

茄子「ぶっぶー。でも惜しい!」

ほたる「ええ~じゃあ答えはなんですか?」

茄子「正解は、あたり一面に彼岸花が咲いた!でした」

ほたる「……それは、素敵な夢でしたね」

3 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:01:47.13 3k7Y9koF0 3/21




茄子「ほたるちゃんほたるちゃん」

ほたる「はい。なんですか茄子さん」

茄子「ほたるちゃんは好きな映画ってある?」

ほたる「好きな映画、ですか?」

茄子「うん」

ほたる「えー、なんだろ? 特にこれといったものは……」

茄子「もしかして普段あんまり映画とか見ない?」

ほたる「そうですね、私はそんなに……あ、そういえば『くらげと火星の王子さま』っていうアニメ映画が好きで昔よく見てました」

茄子「へ~、なんだか不思議な題名ですね」

ほたる「子供向けのアニメですけどね」

茄子「どんなお話なんですか?」

ほたる「どんなお話……えと、主人公のくらげくんが自分の生まれ故郷を探すために宇宙船に乗って冒険するシリーズものなんですけど」

ほたる「その映画では遠い宇宙の果ての星に不時着してしまうところから始まるんです」

ほたる「宇宙船は壊れて助けも呼べないし非常食も残りわずかで、絶体絶命のピンチだったんですけど」

ほたる「ちょうどその星にはひとりだけ住人がいて、それが偶然にもくらげくんとそっくりな姿形をしていて」

ほたる「それで、半分故障した宇宙翻訳機を使ってなんとか会話してみたところ、その住民はくらげくんのことを『火星の王子さま』って呼んでることが分かったんです」

ほたる「くらげくんはまさにこの星こそ自分の故郷なんだと思って喜んで、その住人と友達に、なるん、です、けど…………」

茄子「……それで、どうなるの?」

ほたる「…………ネタバレになっちゃうので秘密です」

茄子「ええっ、気になる~。ハッピーエンドだといいなあ」

ほたる「……そうですね」

4 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:02:23.95 3k7Y9koF0 4/21




茄子「ほたるちゃん、ほたるちゃん」

ほたる「はい。なんですか茄子さん」

茄子「ほたるちゃんは『死にたいなあ』って思ったことありますか?」

ほたる「急にどうしたんですか?」

茄子「ほら、今日はすごく天気が良いじゃないですか」

ほたる「はあ」

茄子「それでさっきふと青空を見上げた時に思ったんです。『あ、死にたいなあ』って」

ほたる「茄子さんが?」

茄子「うん」

ほたる「意外です」

茄子「うふふ、ありがとう」

ほたる「褒めてないです。ねえ茄子さん。本当にどうしちゃったの?」

茄子「心配してくれるの?」

ほたる「はい。だって、茄子さんがそんなこと言うの、初めて聞いたから」

茄子「そう? 私、けっこう普段から考えてますよ。死んだらどうなるのかなあ、とか」

ほたる「……死んだらだめですからね。ぜったい」

茄子「……ごめんね」

ほたる「ばか」

5 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:03:14.38 3k7Y9koF0 5/21




茄子「……ほたるちゃん、ほたるちゃん」

ほたる「はい。なんですか茄子さん」

茄子「一緒に、お墓参りに行きませんか?」



.

6 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:03:56.62 3k7Y9koF0 6/21




わたしたちの出会いは運命だったと、疑いもせず信じきっているのはおそらく世界で茄子さんただ一人だった。
それは安アパートの錆びた手すり、がたがた揺れる階段の上……
きっかけなんて、わたしにとってはありふれた災難のうちのひとつでしかなかったのに。

「危ないところでしたね」
そう言って擦りむいた頬に血をにじませながら微笑んでいた。
わたしは言葉を失ったまま見知らぬ女性の腕の中に抱かれていた。

「新しく引っ越してきた人……ですよね? 私、101号室の鷹富士茄子っていいます」

とても寒い日だった。
確か、雪も降っていたと思う。


……覚えているのはそれだけ。

7 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:04:54.63 3k7Y9koF0 7/21




茄子さんの部屋は六畳間ワンルームとは思えないほどたくさんの物で埋め尽くされている。

まず、玄関の扉を開けると最初に目に入るのはあちこちに立て掛けられた傘の数々。
それらをなんとかかき分けて家に上がりこむと今度は目の前に分厚いキャビネットが立ち現われる。
時代錯誤な固定電話を上に乗せたそれはいわばこの部屋の貴重な給仕なのだった。
主な仕事は、食器、おやつ、未開封の郵便物、化粧品、その他さまざまな小道具をしまっておくこと。
あるいはお風呂上がりのタオルをひっかけておくための場所。
あるいは、過去へとつながる一方通行の四次元ポケット。

玄関から歩いて五歩、藍色ののれんを分けて入ればそこには見たこともない世界が広がっている。
それは一種のエンターテイメントであり、ファッションであり、思想だった。
けれどその様子を具体的に合理的に述べることは誰にもできない。
茄子さんでさえも。

ただ、もしもわたしに、ある日の夕方、茄子さんの部屋へ招かれた話をすることが許されるなら、それは確かこんな夢だった。
白いふわふわした羽が床一面に海のように波打っていた。
見ると羽毛布団の布切れがベッドの上に投げ捨てられていた。
天井に吊り下げられた飛行機、UFO、鳥と魚の模型たち。

――空を飛んでる!

茄子さんが笑いながらわたしの手を取る。
そうして二人ベッドの上に倒れこんだら羽が舞い上がってきらきら光った。
わたしたちは鳥になりたかったんだろうか。
この光に満ちた宇宙の中で?

8 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:07:06.28 3k7Y9koF0 8/21




夏の、暑い日だった。
わたしたちはいつものように近所のお寺の境内へ涼みに来ていた。
部屋に冷房がないわたしたちにとってここは貴重な避暑地だったのだ。

「ほたるちゃんはどっちが勝つと思う?」
「え、これもう8回裏ですよ。さすがにこの得点差で逆転は無理なんじゃ……」
「いやいや、そんなのまだ分かりませんよ?」
言った直後、ラジオから後攻の追加得点が叫ばれた。
「ほら、無理ですって」
「がんばれがんばれ!」
結局、その高校は茄子さんの応援もむなしく一回戦敗退となってしまった。

「あーあ、残念」
「……甲子園、そんなに面白いですか?」
「うん、面白い」
「ルールよく知らないのに?」
「ルールを知らない方が楽しめることもあるんですよ」
そんなことあるのかな。
わたしが首をかしげてみせると茄子さんはすっくと立ちあがって奇妙なポーズをとった。

「それ、なんですか」
「ピッチャー、ふりかぶって……投げます!」
そうして透明なボールは明後日の方向に飛んでいき、けたたましい蝉の鳴き声の中に消えていった。
「いま右手と右足が同時に出てましたよ」
「それじゃダメ?」
「いや、ダメかどうかは分かんないですけど……たぶん、変だと思う」
「じゃあ次はほたるちゃんの番」

茄子さんに指名されたわたしはしぶしぶ立ち上がって、とりあえず投球フォームっぽい動きをしてみる。
「えっと……こう、かな?」
「ほたるちゃんって左利きなんだ」
「はい」
「じゃあアレですね、右脳が発達してるんだ。芸術肌なんですね」
「そうなんですか?」
「はい。昔テレビの人が言ってたんです、左利きの人は右脳が発達していて感覚派で、逆に右利きの人は左脳が発達していて理論派なんですって」
わたしは、ふぅん、と一瞬納得しかけて、
「……あんまり、信憑性ないですね。それ」
「えー、当たってると思うけどなあ」

茄子さんは再び透明なボールを握ると、頭の後ろまで腕をふりかぶった。
するとボールがリリースされるより先に右足のサンダルがすっぽ抜けて宙を舞った。

9 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:09:29.59 3k7Y9koF0 9/21




茄子さんにはいろんな特技がある。

たとえば、買い物をする時に二桁以下の端数がゼロになるようにぴったり計算できる。
だから茄子さんの財布の中は比較的小銭が少ない。
でも代わりにクーポン券とかポイントカードがぱんぱんに詰め込まれているので財布の見た目はボンレスハムみたいに膨らんでいる。
正直、かっこわるいと思ってるけどわたしは言わない。

他にも、たとえばアイロンがけとか、手話とか、立ったまま眠れるとか、時々茄子さんは思い出したように、
「そういえば私こんなこともできるんですよ」
と言って自慢げに特技を披露する。
それは役に立つものもあれば、本当にただの一発芸に過ぎないものまで、いろいろ。

そういえば、いつだったか、「実は私、耳を動かせるんです」と言ってわたしにそのうさぎのようにぴくぴく動く耳を見せてくれたことがある。
けれどわたしはそれを見ても驚いたりはしなかった。
むしろ嬉しくなって、
「それ、わたしもできます!」
そう言って実際に披露してみせた直後、わたしは後悔しかけた。
茄子さんをがっかりさせてしまったのではないかと恐れて。

でも茄子さんは「わっ、すごい!」とまるで手品に騙された人のように素直に驚いて、
「おそろいだね」そう言ってとても喜んでくれた。
真っ赤になったわたしの耳に茄子さんの指が優しく触れてくすぐったかった。


一方、茄子さんには苦手なこともあった。

たとえば、辛いものが食べられない。
あと苦いのもダメで、コーヒーを飲む時なんか信じられないくらい大量の砂糖を入れたりする。
茄子さんはわたしの前ではあんまり好き嫌いを言わなかったけど、彼女が意外にも偏食家だということはわたしも薄々気が付いていた。
二人に外食に行くとよく「キクラゲあげる」とか「メンマ、いる?」とか「少しお腹一杯になっちゃったから、これ、食べていいですよ」と言って茄子の漬物をくれることがあったから。
「茄子って名前なのに、茄子が苦手なんですね」
「だってあの食感が……」
ただしどんなに嫌いでも出されたものを残したりはしなかったのが茄子さんの偉いところだ。
たとえ咀嚼しながら涙を零すはめになっても。

10 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:10:52.98 3k7Y9koF0 10/21

それから、たとえばゲームがものすごく下手。
テレビゲームもそうだし、将棋とか、オセロとか、いわゆる勝負事にめっぽう弱い。
わたしもどちらかと言えば下手な方だったけど茄子さんほどではない。
二人でマリオカートをすると大抵わたしがビリから3、4番目くらい。
茄子さんは10回連続で最下位なんてこともザラだった。
だけど茄子さんはどれだけビリになっても不機嫌になったりしない。
真剣にコントローラーを握って、それでもコースアウトすると「ああー」なんて言って笑う。
結局、先に飽きるのはいつもわたしの方なのだった。


そう、茄子さんはべつに勝負事が嫌いなわけじゃなかった。
むしろ彼女は無類の勝負好きなのだった。
たちの悪いことに。

ぷよぷよで遊ぶ時は大連鎖を組もうとして毎回失敗するし(たまに成功するけど)、将棋なんて場合によっては王将がひとりで最前線に繰り出されたりする。
ジェンガをする時は毎回ギリギリの崩れそうなところから攻めるから長続きしたことがない。
一人でプレイするゲームでも(たとえばRPGとか)なぜか回復アイテムを使わなかったり極力レベル上げせずにボスに挑んだりするせいでまともにクリアできたゲームはわたしの知る限りポケモンだけだった。
ちなみに茄子さんのお気に入りはラッキーというポケモンで、理由はゲームセンターのUFOキャッチャーで初めて取ったぬいぐるみだから。

「それはずいぶん前に失くしちゃったんですけどね」
けれどわたしは知っている。
その巨大なぬいぐるみは茄子さんの部屋の見えない中心に迷い込んでしまったのだ。
そうしてそれはきっとこの小さな宇宙のすべての引力を司っているに違いなかった。
……わたしが立てた仮説のひとつ。


あ、それと思い出した。
茄子さんが唯一得意だったゲーム。
彼女は桃鉄とか人生ゲームといったすごろくで遊ぶタイプのゲームでは非常識なくらい強かった。
記憶にあるかぎりだと、CPU相手でもたぶん一度も負けたことがない思う。
けれど茄子さんはそういうのはあまり好みじゃないらしくて、以前、商店街の景品で当たった人生ゲームは2、3回遊んだだけで部屋の奥深くに仕舞われてしまった。
それもたぶん、ラッキーのぬいぐるみの餌になって。

11 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:11:36.67 3k7Y9koF0 11/21




わたしたちの共通点。
それは雨の日が好きということ。

「私、晴れ女なんですよ。だから雨の日って特別な感じがしてワクワクしちゃうんです」
「そうなんですか。わたしなんかむしろ雨女で、雨の方が自然なので……」
「え! いいなあ」
「でも晴れてくれた方がやっぱり嬉しいです。洗濯物とか、干せなくなるし」
「言ってくれればいつでも晴れにしてあげますよ」
「ふふっ、じゃあその時は茄子さんにお願いしようかな」
「逆に、雨が降ってほしい日はほたるちゃんにお願いしてもいいかしら?」
「ええっ、できるかなあ、わたしに」
「できますよ、きっと。だって、そのために私たちは出会ったんですから」

二人が出会うのは運命だったと、はっきり言葉にするようになったのはそういえばこの頃からだった。

最初は冗談だと思っていた。
というか、今でも何かの冗談だと思っている。
それはまさしく奇跡の力だったのだ。
あるいは、茄子さんがたくさん隠し持っている特技のうちの、取るに足らない一つだったのかもしれないけど。


そういうわけで、わたしは茄子さんのために雨を降らし、茄子さんはわたしのために雲を散らした。
何も難しいことなんてない。
ただ願えばよかった。
「そろそろ雨、降ってほしいですねえ」と茄子さんが言う。
わたしは「そうですね」と返事をしながら、その表情を覗き込む。
目が合って、茄子さんがにこりと笑うと、わたしはどこかくすぐったくなって、そして願う。
あしたは雨が降りますように。
すると翌朝にはもう、あかるい灰色の雨雲が空を覆っている。
天気予報なんておかまいなしに、やがて遠慮がちな小雨が風のない空から降りてくる。

そんな日の朝はわたしもつい早起きして、そわそわしながらテレビのニュースをチェックする。
耳を澄ませるとアパートの階段をのぼってくる足音、そしてドアをノックする軽やかな音。
はい、と返事をする頃にはもう、わたしは出かける準備ができている。
玄関の扉を開けるとそこには傘を手にした茄子さんが、いつものように楽しげに微笑んで言う。

「天気もいいですし、散歩に行きませんか?」

12 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:12:54.19 3k7Y9koF0 12/21

そうしてわたしたちはよく雨の日に散歩に出かけた。
目的もなく、決められた道を行くわけでもなく、ただ気の向くままにぶらぶらと雨の中を歩いていく。
べつに会話が弾むこともないし、ただ二人並んでぼんやり散歩するだけだったけど、そんなイベントがわたしはなんだか好きだった。
茄子さんの隣で、傘を並べながら歩く。
それだけで不思議と心が浮き立ったのだ。
いつしか雨の日の散歩はわたしにとって特別な時間になっていた。
心地よい雨音や土とアスファルトのざらざらした匂い、水たまりに反射する町の景色……

そうだ!
わたしたちは鏡の世界を冒険していたんだ。
そんな無邪気な子供みたいな閃きを、気づけばわたしは興奮に任せてしゃべっていた。
「……えと……な、なんでもないです」
言った後、思わず恥ずかしくなって黙ったわたしを、茄子さんは真面目に見つめてこう答えた。

「そう、ここは鏡の世界なんですよ。ほたるちゃんの言う通りです」

その時わたしは、なんだかからかわれたような気がして素っ気ない返事をしてしまった。
でも今なら分かる。
茄子さんは別にふざけてたわけじゃなかった。

わたしたちはきっと同じ世界では生きられない二人だった。
だから、鏡のあちら側とこちら側からお互いを見つめることしかできなかったんだ。

……そんなおとぎ話を、悲劇だと疑いもせず決めつけていたのはたぶん、わたしの方。

13 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:14:10.93 3k7Y9koF0 13/21




そういえばあのあと、茄子さんが『くらげくん』シリーズの劇場版一作目を借りてきたので二人で一緒に観た。

「……それで『火星の王子さま』はレンタル中だったので、とりあえず一作目を借りてきました」
「わ、なつかしいー」
「クレイアニメなんですね、これ」
「そうだったっけ……全然覚えてないです」
「じゃあさっそく観よっか♪ あ、ついでにおやつも持っていく?」
「あ、はい。わたしもお茶用意しておきますね」

茄子さんの部屋にはテレビがないので映画を見る時やゲームをする時はいつもわたしの部屋に来ることになっていた。
つまり実質的に茄子さんの第二の部屋になってしまっていたわけだけど、それを言ったらわたしも茄子さんの部屋に入り浸っていたからおあいこだ。

テレビとベッドと机以外にほとんど物がない部屋でわたしたちは『くらげくんと星の旅人』を観た。
本編が30分、短編が15分だったのですぐに観終わった。

「おもしろかったー」
と茄子さんは満足そうに言っていたけど、わたしは正直いってそこまで楽しめなかった。
全体的に不気味だったし、そのうえセリフがない映画だったのでお話もよく分からなかった。

「これ、本当に子供向けだったのかなあ」
「ほたるちゃんは子供の時に観たことあるんでしたよね?」
「たぶん……」
「でも確かに、ちょっと不思議な作品でしたね。実験的というか……」

茄子さんの言う通りだった。
あとで聞いた話によれば、劇場版一作目はその前衛的な映像表現によって非常なカルト的人気を誇っているらしかった。
くらげくんシリーズは、それこそ映画化するくらいには当時人気があったから、こんな難しい内容でもそれなりにヒットはしたのだという。
「でも結局見るのは子供しかいなくて、当時はあんまり評価されてなかったんですって」
「じゃあこういうのはほんとに最初の映画だけだったんですね」
「うん。でも私、この路線でずっと作ってほしかったなあ」

そんな話をしたのは茄子さんがいつの間にか『くらげくん』シリーズの映画を全部借りて観るくらいハマった後のこと。
まあ、視聴環境的にわたしも一緒に全部観るはめになったんだけど。

14 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:15:24.05 3k7Y9koF0 14/21

もちろん、『火星の王子さま』も茄子さんと一緒に観た。
記憶にあるよりもずっと子供向けだったけど、意外にもけっこう楽しめた。
ただ、あの物悲しい結末だけは、子供の頃に感じた痛みとほとんど変わらない印象をわたしの心に再び刻んだ。

「……そっかあ」
観終わった後、茄子さんはそう呟いたっきり黙ってしまった。
横目にちらりと伺うと、彼女は何か思いつめたようにエンディング後のメニュー画面をじっと見つめていた。
わたしは、自分が悪いことをしたわけでもないのになんだか申し訳ない気持ちになった。

「……初めて見た時、わたしまだ小さかったから最後の意味もよく分かってなかったんです。ただなんとなく面白いなあって思って、それで無邪気に何度も観てて……。
「そしたらある日、突然ラストシーンの意味に気づいたんです。ああ、これって悲しいお話だったんだ……って」
「……それ以来、スズランの花を見かけるたびにこの映画を思い出して、胸が苦しくなるんです」
「でも、救いはありましたよ」
茄子さんはわたしの方をまっすぐに見つめてそう言った。
「救い……」


くらげくんが不時着した星は火星でもなんでもなかった。
それは砕けた星のかけら、夢を見る巨大な石のかたまりだったのだ。
バラバラになった自身の片割れを求め、ひとりぼっちで宇宙をさまよう星のこども……

結局、くらげくんは星のこどもの夢を見ていただけだった。
自分とそっくりの姿をした友人も、星のこどもが彼のために作り上げた虚像にすぎなかったのだ。

「夢の世界で冒険した思い出は幻だったかもしれないけれど……でも二人は確かに出会って、友達になったんです。それって幸せなことだと思いませんか?」
「……そう……なのかな……」

冒険の果て、くらげくんはついに星の中心部へたどり着く。
そこには宇宙船を飛ばすために必要なエネルギーの塊が、生き物のように脈打っている。
気づけば彼の友人はもういない。

そして最後、くらげくんは星のこどもを目覚めさせ、崩れゆく夢の世界から脱出する。

ラストシーン、くらげくんは宇宙船の窓から真っ黒な巨大な石のかたまりを眺めている。
コックピットには幻の友人と一緒に摘んだスズランの花が、ガラスケースに収められて揺れている。

目覚めた星のこどもはもう二度と夢を見ることはない。

15 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:16:15.53 3k7Y9koF0 15/21




あの小宇宙のような六畳間の空間は茄子さんそのものだった。

いや、より正確に言うなら、茄子さんという存在はあの空間に限定された現象だった。

もちろん、実在としての彼女自身は生きている限りどこにだって存在しうる。
わたしが言いたいのはそういうことじゃない。

秘匿性、多様性、循環性、機能性、そして永遠性……
茄子さんを構成するあらゆる性質が、あの安アパートの101号室によって決定されていた。
それは言い換えるならつまりこういうことだ。

茄子さんが生活を作り出しているんじゃない。
生活が、茄子さんを作り出していた。
機械仕掛けの舞台の上で、与えられた役割を演じ続ける人形のように。

この関係は、確かに一種のパラドックスには違いなかった。
人が生まれるよりも先にその人の生活が存在するなんてことがありえるだろうか?
意志さえも超えて?
……わたしには、考えても分からないことだけど。


どちらにせよ、茄子さんという現象はあの空間なしには成り立たないものだった。
そして、茄子さんにとって傘を差すというのはいわば自身の拡張であり、世界と融和するための試みだったのだ。
彼女は傘の下に間借りした彼女自身を持ち運び、その存在を少しずつ世界に馴染ませようとしていた。

けど、その方法は結局のところあまり上手くいかなかった。
茄子さんという宇宙を留めておくには、傘という容れ物は少し脆弱すぎたのだ。

そこでわたしが選ばれた。
茄子さんが世界と通じるための、もうひとつのチャンネルとして。

『わたしたちが出会ったのは、運命だったんです』

茄子さんは言う。
あるいは、そう信じることが彼女にとっての救いだったのだろうか?

……そんなつまらない運命なら、わたしはいらない。

16 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:16:46.15 3k7Y9koF0 16/21




初めて茄子さんとお墓参りに行ったのはわたしたちが出会ってちょうど一年経った頃だった。

それはひどく寒い日、おまけに雪が降っていて……
死者を弔うにはうってつけの空模様だった。

わたしたちは町はずれにある山林へ向かっていた。
茄子さんは紺色の大きな傘を、わたしは水色の子供っぽい傘を広げて、二人並んで歩いている。

「あ」

途中、傘の亡骸が、雪に覆われて道端に捨てられていたのを発見した。
茄子さんは無言で傘を拾うと、慈しむように雪を払って手に持った。

「行きましょうか」

わたしは小さく頷いた。

17 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:17:50.54 3k7Y9koF0 17/21

人気のない山林の奥、ひらけた場所に墓場はあった。

といっても、べつに墓石や十字架が建てられているわけじゃない。
言われなければ通り過ぎてしまうような、何の変哲もないただの空地だった。
今、その上には雪の絨毯が敷かれていて……

「ちょっと待っててくださいね」

茄子さんはそう言うと、さきほど拾った傘の亡骸を下に置き、手袋を外した。
そして再び亡骸を持ち上げると、慣れた手つきで傘の骨を折っていった。
ぱきん、ぱきん、と軽やかな音が雪の林の中に響く。
わたしは茄子さんの手が雪に冷えて赤くなっていく様子をただ眺めていることしかできなかった。

やがてバラバラになった骨と皮が雪の上に丁寧に並べられて、そこでわたしはようやく口を開く。

「それ、どうするんですか」
「ここに埋めるの」
「え、そんなことしていいんですか? いろいろ……ほら、不法投棄とか」
「大丈夫ですよ。許可は取ってあるし、死んだ傘たちはちゃんと自然に帰りますから」

わたしは何も言えずに再び黙った。
茄子さんは背負ったリュックを降ろすと中から小さなスコップを取り出した。

18 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:18:57.87 3k7Y9koF0 18/21

―――さく、さく、さく。

まるで違う国に来てしまったみたいに、ここは静かだった。

―――じゃく、じゃく、じゃく。

茄子さんが雪の上にしゃがみこんで、雪と、その下の地面を掘り返していく。
わたしはそんな茄子さんの頭上に傘をかざしながら、その黒髪に、肩に、背中にほんのりと降りかかったままの雪の跡をじっと見下ろしている。
それは灰と呼ぶには綺麗すぎ、宝石と呼ぶには儚すぎる光の粒だった。

そうだ、これは儀式なんだ、とわたしは思った。
茄子さんが、茄子さん自身の支配から逃れるために続けてきた革命の行進、その尊い犠牲のための……。


「……ここには今、どれくらいの傘が埋められているんですか?」
「これでちょうど20本目、かな」
「どうして?」
わたしは思わず尋ねた。

「どうして」
茄子さんはまるで自分の名前を思い出そうとするみたいにわたしの言葉を繰り返した。
そして、
「ん~……別に、これといった理由はないんだけど……ただ、なんだかこうしなくちゃいけないような気がするんです。やっぱり変かな?」
「ヘンっていうか……」
わたしは急に、自分のした質問を愚かしく感じて言葉に詰まった。

死者を弔うのに理由がいるだろうか?
それがたとえ道端に落ちていた傘だとしても、誰かの生活の一部だったことに違いはないのだ。

わたしは、気まずい思いからつい、視線を逸らしてしまう。

「……ほたるちゃんも、もしよかったらお祈り、してあげてください」

わたしは傘を閉じ、同じように傘をささずに雪をかぶっている茄子さんの、その細く冷たい手をそっと握る。
傘をなくした彼女の心が空へと消えてしまわないように。
彼女の中心にわたしが触れることは叶わないかもしれないけど……それでも、と。
それが、わたしの祈りだった。

19 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:19:52.55 3k7Y9koF0 19/21




「ほたるちゃんほたるちゃん」

「はい、なんですか茄子さん」

「ほたるちゃんの将来の夢って、なに?」

「将来の夢、ですか……う~ん、今は特に……」

「ほら、小さい頃とか、何かあったでしょ? 小学校で発表したりしなかった?」

「あー、まあ、はい。でもちょっと……なんていうか、恥ずかしいので……」

「大丈夫大丈夫、笑ったりしないから」

「本当ですか?」

「うん」

「……アイドルに、なりたかったんです」

「アイドル! いいですねえ。きっとなれますよ、ほたるちゃんなら」

「あ、いや、さすがに今はもう諦めてますけど」

「ええっ、そんなのもったいない! まだ13歳でしょ? 私、応援するよ」

「あ、ありがとうございます……ていうか、茄子さんの方がむしろ向いてると思いますよ。アイドル」

「そう? ふふ、ありがとう」

「茄子さんの将来の夢は何だったんですか?」

「私の夢?」

「はい」

「んー……笑わないって約束してくれたら、教えてあげる」

「笑いませんよ」

「……えっとね、私の夢はね……――

20 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:22:13.27 3k7Y9koF0 20/21




「――お先に失礼します。おつかれさまでした」

夜勤明けの朝8時、ぺこりと一礼して事務室を出ると、テナントビルの薄暗い廊下は雨音のノイズに満ちていた。
わたしは鞄から折り畳み傘を取り出して出口へと向かう。
階段の窓から見えるのは灰色にぼやけた午前の空、そして横殴りに叩きつける洪水のような雨。

ビルの重たい扉を開けると、突風とともに冷たい雨が顔に降りかかってきてわたしは思わず顔をしかめた。

(地下鉄に行くまでに飛ばされないようにしなきゃ)

意を決して外へ飛び出るとズボンの裾はもうびしょ濡れで、あっという間に靴下まで水が染み込んでしまう。
わたしは傘を盾に構え、暴れ狂う風に立ち向かいながら都会の隅っこを歩いていった。

そしてようやく地下へ降りる階段に辿り着いた時だった。

「あ」

おそらく誰かが捨てていったのだろう。
ぐちゃぐちゃになったビニール傘が階段の隅に転がっていた。
通行人たちが、まるで死体を避けるように忌々しく迂回してそこを通り過ぎていた。

わたしは自分の折り畳み傘を仕舞い、捨てられた傘の元へ近づいた。
内側から爆発したようにひしゃげた骨、地下鉄の泥と埃に濁ったビニールの薄皮に人工の灯りがてらてらと反射していて、間近で見ると一層グロテスクだった。
そして、この数えきれない生活の往来の中にあって、死者に憐れみの視線を向けているのはどうやらわたし一人だけらしかった。

わたしは人目も気にせずにその傘の亡骸を拾い上げた。
すると次の瞬間、わたしはこの傘を捨てた人の気持ちを理解して、思わず皮肉な笑みを浮かべてしまった。
死んだ傘はそのまま持ち歩くにはあまりにも無造作で狂暴な形をしていた。
わたしはなんとかコンパクトにまとめようと頑張ってみたけど自分の不器用な手では綺麗に折り畳むのは難しかった。
結局わたしは傘を解体するのは諦め、そのまま地下鉄に乗って帰ることにした。

電車の中で、凶器のようなアルミの塊を持ったわたしは乗客の好奇の的だった。
ドアの窓に映ったわたしの姿は控えめに言って滑稽、でも恥ずかしいとは思わない。

それよりもわたしが考えていたのは、かつて彼女と過ごしたあの懐かしい日々の思い出。
もう何年も昔の話で、だけど昨日のことのように思い出せる。まるで長い夢を見たあとのように……
あの人は今ごろ何をしてるんだろう?

21 : ◆wsnmryEd4g - 2020/02/24 19:23:29.60 3k7Y9koF0 21/21

……わたしたちがそれぞれ別の道を歩み始めたことについて、その具体的な経緯ははっきりと覚えていない。
気が付いたらわたしはこの街に暮らしていて、あのアパートの101号室は空っぽになっていた。

けど、わたしたちが別れることになった理由やきっかけを語るのは実はそんなに難しいことじゃない。
わたしに言わせればそれは単なるタイミングの問題。
あるいは、茄子さんの言葉を借りるなら、これもまた運命なんだろう。
きっと。

『だって、別れる時はいつか必ずやってくるんです。だから出会いだって偶然なんかじゃない。そう思わない?』

……ねえ、茄子さん。
今のわたしなら、そういう考え方も嫌いじゃないって言えるよ。
でも、運命なんて大げさな言葉じゃなくたっていい、わたしはただわたしたちの思い出が偽物じゃなかったってことを誰かに証明してほしいだけなんだ。
それってそんなに難しいこと?



地下鉄を降りて地上に出ると外は相変わらずひどい雨風、わたしはふたつの傘をしっかりと手に握り、コンクリートの大地を踏みしめ歩いていく。
そうして巨大なビルの隙間、細い裏通りの交差点に差し掛かった時、

「あっ!」

突風が吹き、傘ごと体が引きずられる。
わたしは思わず目をつぶり、転ばないよう必死に踏ん張った。
ところがどんなに踏み出そうとしてもわたしの足は大地に届かず、スカスカと宙を蹴ってばかりいる。

ふわり、と体が浮く感覚。
おそるおそる目を開けると、眼下には石でできた巨大な街が広がっている。
それはまるで雨の底に沈んだミニチュアの箱庭で、そしてわたしは空を飛んでいた!
ぶ厚い雲の裂け目から晴れ間が覗き、その陽光の中にわたしは見たんだ。
雨の中を泳いでいく傘たちの群れ。
きらきら瞬く太陽の粒。
空には虹がかかっている。

わたしは今、とっても幸せ!


おしまい。

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