1 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 20:46:59.89 95mImiJ10 1/53

建物だって歳は取る。
この音楽室も、最近は、夜になるとかなり大きく軋む音を立てる。
壁にはいくつか穴も開いているし、窓ガラスも立て付けが悪くてなかなか開かなくなった。
だから、私が少し年をとったくらいの事は、許して欲しい。
それに、今はお昼、年始で人もいないから、部屋だって軋まない。

「それじゃあ、紅茶でも淹れましょうか」

「では、遠慮せずにいただきます」

にこにこと笑って、和ちゃんは言った。
少し伸びた髪を、鬱陶しそうに指で摘む。




元スレ
さわ子「紅茶、淹れるわね」
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1293968819/

6 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 20:50:01.05 95mImiJ10 2/53

「髪を切るのにも二、三千円かかりますからね。馬鹿馬鹿しくって」

「年頃の女の子がそんなこと言っちゃ駄目よ。世間の目も考えなさいな」

「世間っていうのは、結局あなたですよ。それに」

和ちゃんは喉をくつくつと鳴らした。

「昼間っから毎日紅茶を飲んでいるのはいいんですか。先生、言っちゃあ悪いですけど、カフェイン中毒じゃあ?」

「あら、そんなに毎日飲んでるわけじゃあ無いわよ」

「嘘ばっかり。校長先生、言ってましたよ、山中先生は四年間感傷に浸り続けてる、って」

無邪気に和ちゃんは笑った。
それを見て、私は息を吐いて笑う。

「やな言い方」


7 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 20:55:01.60 95mImiJ10 3/53

お湯が沸いた。
一度ポットにお湯を入れて、ポットを温める。
また湯沸かし器に水を移し変えて、ポットに茶葉を入れ、しばらく茶葉を蒸す。

「随分と」

和ちゃんが感心したような声を上げた。

「堂に入ったもので。最初の頃はもっとグダグダだったのに」

「そりゃあ、四年間淹れ続けてりゃあ、ね」

「先生、語るに落ちてますよ」

沸騰した熱湯をポットに淹れる。
茶葉がポットを舞った。


8 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 20:58:05.42 95mImiJ10 4/53

「してやられたわね」

「先生が勝手に喋っただけですよ」

和ちゃんがくすくすと笑う。
ポットからいい香りがする。
私はポットの中の茶を、茶越しを通して他のポットに移し変えた。
食器棚から瓶を取り出して、和ちゃんに見せた。

「ブランデー、入れる?」

「遠慮しときます。ニルギリはストレートで、というか、お酒嫌いなので」

「ありゃりゃ、今年も断られちゃったか」

結局、私は自分の分にだけブランデーを数滴入れた。
別に大して味が変わるわけでもないし、酔うこともないのに、和ちゃんはブランデーを入れるのを嫌う。

「なんていうか」

私は和ちゃんに紅茶をさし出して、席に座った。

「変わらないわねえ、あなたは」

「なんです、失礼な……そういえば、他の皆も帰ってくるそうで。やっぱり、年始って楽しいですね」

そう言って、和ちゃんは紅茶をすすり、笑った。


9 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:01:05.99 95mImiJ10 5/53

次の日にやってきたのは、ムギちゃんだった。
髪は少し短くなって、笑顔は少し引き締まっていた。

「音楽室、変わりありませんね、今年も」

「そうかしら。ほら、あのファイヤーバード、今年の二年生のよ。渋いわよね」

「物は変わりましたけど、部屋は変わってませんよ」

そうかもね、と相槌を打って、私はムギちゃんを座らせた。
椅子が少し小さいように見える。

「ムギちゃんは、ミルクティー?」

「ええ、今年も」

「はいはい……じゃあ、今年も私がミルクを入れるわよ?」

「それが楽しみなんですから」

ムギちゃんは首を少し傾けて、頬杖を付いた。
私が紅茶を出すと、ふう、と息を吹きかけて冷ましてから、くい、と顎を上げて飲んだ。


10 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:04:06.49 95mImiJ10 6/53

「去年と同じシロニバリ。一昨年も、三年前も、先生が淹れてくれるのはいつもこれですね」

「あら、気に入らない?」

「いいえ、大好きです。それに、いつもミルクの量が丁度いいのも評価するべきでしょうね」

もう一度、くいと顎を上げる。
音も立てずに、紅茶はムギちゃんの小さい口の中へ流れていった。

「そりゃあ、どうも。あなた、大人ねえ」

「それ、もう四年くらい前から聞いてますよ。高校三年生の頃から、です」

「あら、失礼。でも、何度も言いたくなるのよ」

頬杖を付いたまま、ムギちゃんは小さく笑った。
声に出したかのように、はっきり、ふふ、と聞こえた。

「そうですか。じゃあ、何度でも聞いておきましょうか」

「いやよ、恥ずかしいじゃないの」

「あらあら、まあまあ」

最後の言葉にだけ、高校時代のムギちゃんの口調が戻ってきて、私は嬉しかった。
けれど、ムギちゃんは直ぐに口を押さえて、恥ずかしそうにいった。


12 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:07:06.90 95mImiJ10 7/53

「すみません」

「別に」

そこで言葉を区切って、私は自分で淹れたミルクティーを飲んでみた。
少し、甘さが足りないような気がした。

「別に、良いじゃないの」

「そうですか?」

「ええ……別に、私の前でそこまで気張る必要もないでしょうに」

「じゃあ……お言葉に甘えようかしら?」

ムギちゃんははにかんだ。
幾分か、口調は柔らかくなっていた。


13 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:10:07.32 95mImiJ10 8/53

「ふふ、先生は結婚のお相手は見つかりました?」

「……いやな質問ね」

「あら。和ちゃんなんてどうですか?」

ムギちゃんはにこにこと笑っている。
今度は私が頬杖を突いた。

「何言ってんのよ」

「冗談ですよ」

「でしょうね」

そのあともムギちゃんと色々なことを話した。
ブランデーは、食器棚から出さなかった。


16 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:13:07.77 95mImiJ10 9/53

次の日にやってきたのは、りっちゃんだった。
ジーンズに首もとの緩いTシャツを着て、帽子をかぶっている。
私に促されると、嬉しそうに席に着いた。

「なあ、さわちゃん、私」

「わかってるわよ。ほら、ダージリンと、板チョコ」

「お、やった。板チョコ食った後に紅茶飲むと良いんだよな……うん、美味いよ」

私の淹れた紅茶を飲んで、りっちゃんは笑いながら言った。

「さわちゃんはさ、ティーパックは使わないな。なんで?」

「紅茶でしか歓迎できないもの」

「ふうん……いいよな、そういうとこ。さわちゃんの良さが分からない男は見る目が無いよ」

私は喉でくぐもった笑い声を立てた。


17 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:16:08.20 95mImiJ10 10/53

「お上手。じゃあ、ほら、ブランデー入れてあげるわ」

「ラッキー。瓶ごとくれてもいいのに」

「それは駄目よ。あくまで紅茶に淹れるためにあるのよ、そうじゃないと校長に怒られるから」

「屁理屈だなあ」

りっちゃんは頬を膨らませた。
なんだか、ハムスターみたいだった。

「良いじゃないの。それより、バンドは中々上手く行ってるみたいね」

「お、そうなんだよ。ま、武道館は無理でもさ、細々と音楽で暮らしていけたらな、ってさ」

りっちゃんは頭の後ろで腕を組んで、天井を眺めた。
ぽつり、と独り言のように呟いた。


18 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:19:08.62 95mImiJ10 11/53

「なんかさ、低いな、天井」

「身長は大して変わってないじゃないの」

「言ってくれるじゃんか……そういう意味じゃあ、ないよ」

ぱき、と音を立てて、りっちゃんは板チョコを割った。
それを頬張って、噛んでから、紅茶を口に流し込む。
私もそれを真似してみた。
口の中に残るチョコレートの甘さが、紅茶で流し落とされて、ほんの一瞬だけ、後を引かない甘さを楽しめた。

「うまいだろ?」

「ええ、本当に……これ、去年も聞いたわね」

「いいじゃんか、美味しいんだから。何度でも言いたくなるんだよ」

りっちゃんはそう言って声を上げて笑った。
彼女を眺めていると、私はつい、息を吐き出して笑ってしまった。


20 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:22:09.20 95mImiJ10 12/53

「大人になったわねえ、あなたも……これも、何度でも言いたくなるんだから、文句は言わないでね?」

「はいはい、もう三度目だな。毎年、言われてる……どこでそう思うのさ?」

りっちゃんの質問も、もう三度目だ。
三度目の正直というから、答えなければと思う。

「板チョコを食べた後に、紅茶を飲むのはどうして?」

「そりゃあ……いつまでも甘いだけなんてさ、嫌だろ」

「だからよ」

私がくすくすと笑うと、りっちゃんは頬杖をついて、眉をひそめた。

「わけわかんないな。どういう意味?」

「再来年教えてあげるわ」

「ああ、はいはい、三度目の云々、ってやつね」

ため息をついて、りっちゃんはまた天井を見上げた。
あ、と大きな声を上げる。


21 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:25:09.79 95mImiJ10 13/53

「なあ、さわちゃん、天井に穴空いてるよ。ほら、あの小さいの」

「ああ……あれ、確かスーパーボールで遊んでたら空いちゃったらしいわ」

「なにやってんだよ」

呆れたように笑いながら、りっちゃんは何となく安心したようだった。
なあ、と誰に言うでもなく言った。

「大丈夫だよな……武道館は無理でも、バンドで食っていくくらい、きっと……」

私は答えられなかった。
けれど、りっちゃんはすっきりした顔で帰っていったから、多分それでよかったんだろう。
帰って行く時に、ようやく、りっちゃんが前髪を下ろしていることに気がついた。


22 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:28:10.38 95mImiJ10 14/53

次の日にやってきたのは、梓ちゃんだった。
ツインテールを長いポニーテールにして、白基調の落ち着いた服を着ていた。
その背には高校生の頃から使っているギターがあった。

「煙草、吸ってないでしょうね」

音楽室に入るなり、梓ちゃんは私に言った。
腰に手を当てて、子どもを叱るように言った。

「吸ってないわよ……あの一本だけよ」

「じゃあ、いいです……あ、ブランデーは入れないでくださいよ、酒も嫌いです」

「面倒くさい子ねえ」

ぶつぶつ言いながら、私は紅茶に切ったレモンを浮かべて、しばらくして取り除いた。
紅茶の湯気に、柑橘系の香りが溶け込んだ。


23 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:31:10.86 95mImiJ10 15/53

「レモンティー……相変わらず全部自分で淹れるんですね」

「だから」

「ええ、理由は知ってますよ……素敵だけど、あまり合理的じゃありませんよね」

私は思わずため息を付いた。

「ええ、ええ、そりゃあ悪うございましたね」

「別に悪くありませんよ、素敵ですってば」

梓ちゃんは喉を鳴らして笑って、ギターを床に寝かせてから、席に着いた。
長い髪を指で弄りながら、紅茶を飲んで言った。

「ん、美味しいです……ふふ、もしかしたら、喫茶店を開きたいと思ってる男性と結婚できるかもしれませんね」

「ピンポイント過ぎるわよ」

「そうですねえ……でも、先生は結婚できるんですから、した方がいいですよ……私は、できませんから」

立ち上る湯気を、ふっと吹いて、かき消した。
じっと猫のような目で私を見つめてくる。


25 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:34:11.31 95mImiJ10 16/53

「私だって」

搾り出すように、私は言った。
それが本当かどうかは抜きにして、とにかく言った。

「私だって、結婚出来ないかもしれないわ」

梓ちゃんは、また私をじっと見つめて、困ったように笑った。
レモンのいい香りがする。

「どういう意味で私が言ったか、お分かりで?」

「……そのまんまの意味でしょうに」

「まったく……」

梓ちゃんは溜息をついて、手を広げた。

「先生は相変わらず、わからない人ですね……結婚なんて、引く手あまたでしょうに」

「引く手あまたって、何か怖い言葉よね。こう、地獄に引きずり込まれるみたいな」

「なあに、くだらないこと言ってんです」

梓ちゃんはぐいっと一気に紅茶を飲んで、肩にかかった髪を払った。
口元には、曖昧な微笑が浮かんでいた。


26 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:37:11.86 95mImiJ10 17/53

「あれですか、結婚は人生の墓場、とか言う」

「ああ、なんかそんなこと言うわね。じゃあ、結婚しなければ人生はいつまでも活き活きと、ってことね」

「活き活きと」

梓ちゃんはその言葉を繰り返した。

「いきいきと、って、どういうことでしょうね」

「……さあ、ね」

そういうと、梓ちゃんはいたずらっぽく笑って、私を人差し指で指した。

「去年は、私みたいなことよ、って言ってたくせに……三十路って怖いんですね」

「あんた、ぶち殺すわよ?」

「ふふ、すみません……でも、ねえ、先生」

梓ちゃんは言葉をさがすように天井を見た。
そして、納得したように頷いた。


27 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:40:12.27 95mImiJ10 18/53

「うん、先生は去年と変わりませんよ。相変わらず、活き活きしています」

「あら、ありがとう」

梓ちゃんは床のギターケースからムスタングを取り出して言った。

「どういたしまして……さて、それじゃあ、今年は何を弾きましょう?」

「なんでも……あ、三味線の小唄は?」

「無茶ばっかり……じゃあ、今年は無しですね」

「あら、残念……ねえ、あなた、バンドはこれからどうするの?」

「どうって……」

梓ちゃんはぼうっと天井を見上げた。
スーパーボール大の穴を、目を細めて見つめている。


28 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:43:12.85 95mImiJ10 19/53

「どう……無理、ありますもんね、バンドで食っていくのは。
 大学でたら、音響機器関係の仕事について、ちょっとだけ音楽と関わって生きていきますよ」

「ふうん」

自分で聞いておいて、何の感想も言えなかった。
だって、そんなの……なんて、つまらないんだ。

「大人になったのね、あなたも」

「それ、二年前に言われましたよ。大学に入って、初めて迎えた正月に」

「あら、そうだったわね……うん、そうだった」

そのあとも、あのバンドが活動を再開するらしいとか、
最近はテクノにハマっているだとか、音楽関係の話をして、日も暮れてきた頃に立ち上がった。


29 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:46:13.27 95mImiJ10 20/53

「それじゃあ、そろそろ帰りますね」

「ええ……ねえ、梓ちゃん?」

訝しげに梓ちゃんは私を見つめる。
少し、恥ずかしがってくれればいいなと思って、私は言った。

「唯ちゃんと、お幸せにね」

梓ちゃんは、うれしさ半分、怒り半分と言った表情で、額に手を当てた。
大きなため息を吐いたけれど、その顔は真っ赤だ。

「……バレてましたか……不味いですね」

私がなにか言う前に、梓ちゃんは音楽室を出て行った。
扉のところで振り向いて、眉を下げて笑う。

「天井の穴、塞いでおいたほうがいいですよ……不快です」

私は、肩をすくめるしか無かった。


31 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:49:13.68 95mImiJ10 21/53

次の日、澪ちゃんがやってきた。
ボディーラインの目立たないゆったりとした服を着ていた。
まるで将校のような、自信に満ちた笑顔で席に着いた。

「紅茶、淹れるわね」

私がそう言っても、澪ちゃんはにこにこと笑っているだけだった。

「……ほら、アールグレイ。ストレートだと味が濃いんじゃないの?」

私が紅茶を出すと、途端に疲れたような顔になった。

「……このくらい濃くないと、ね」

「濃すぎると思うけどなあ」

いい香りのする紅茶を、口に入れて、澪ちゃんは足を組んだ。
少し釣り上がった目で、こちらをじっと見つめてくる。

「先生は……いえ、大人になるって、大変なんですね」

「あら、どうしたのよ、唐突に」

「いえ、ちょっと聞いてくださいよ……」

どうやら、澪ちゃんは音楽関連の企業に就職したいらしい。
けれど、持ち前の人見知りから、どうも上手くいかない感じだとか。


33 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:52:14.10 95mImiJ10 22/53

「それでにたにた笑ってたの」

「にこにこ、です。社交スマイルの練習ですよ」

「でも、ねえ、私は去年、あなたに」

「ええ、覚えてますよ。バンドは続けられないから、せめて音楽関連の職に就きたいって言いましたね、先生に。」

「そう、そのときに、私はあなたに、大人になった、って言ったわよね」

口元だけ微笑んで、眉を下げて、澪ちゃんは言った。

「言いました、ね。でも、私はまた大人にならないといけないんじゃないか、って思うんです」

「大人になるって、どういうこと?」

「そりゃあ……諦める、ってことでしょうに」

しばらく、私も澪ちゃんも何も言わなかった。
澪ちゃんが、苦笑しながら重い口を開いた。


35 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:55:14.49 95mImiJ10 23/53

「とりあえずどこでもいいから中小企業に就職して、そこで恋愛結婚、なんてのが合理的ですよね」

「それは、そうだけど」

気がつけば、私は言っていた。

「それは合理的だけど、あまり素敵じゃないわよね」

澪ちゃんは、不服そうに口を尖らせた。
イライラしたように、指でとんとん、と机を叩いている。

「素敵、とかいう問題じゃないんですけどね。いつまでも実家にいるわけにもいかないでしょうし」

言いたいことはあった。
けれど、言えないと思った。案の定、言えなかった。

「……そうよね、ごめんなさい。頑張ってね」

澪ちゃんは、とても悲しそうに笑って、アールグレイを飲んだ。
味の濃い紅茶を飲み込んで、搾り出すように言った。

「ええ……先生、先生は……」

言葉を探して、澪ちゃんは宙を眺めたけれど、そこにあるのは、紅茶から立つ湯気だけだった。
澪ちゃんはしようがなく、湯気を透かして、私を見つめて笑った。


36 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 21:58:15.05 95mImiJ10 24/53

「さわ子先生は、素敵な先生だったんですね。今になって、ようやく分かりました」

私は何かを言おうと口を動かした。
けれど、打ち上げられた魚のように、無様に、開けたり閉めたりするだけだった。
ようやく喉から搾り出した言葉も、何の変哲もない、くだらない言葉だった。

「ありがとう」

「いいえ……」

私はその雰囲気に押しつぶされるのが嫌で、強引に話を変えようとした。
澪ちゃんも、それに文句は言わないだろうと思った。


39 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:01:15.48 95mImiJ10 25/53

「あなたたち、五人揃っては訪れてくれないのね、寂しいわ」

「はは、それはすみません……でも、今日みたいに、二人きりじゃないと話せないことってありますよ」

「それは、貴方達の仲でも話せないことなの?」

「私たちの仲だから話せないことで、先生にだから話せることです。
 そういうこともあるって、最近になってわかった気がします」

澪ちゃんは急に立ち上がった。
優しく笑って、私に言った。

「それじゃあ、私は帰りますね……さようなら、私より、素敵な大人のさわ子さん」

澪ちゃんは振り向かずに音楽室を出て行った。
ひとり残されて、私は呟いた。

「やな言い方」


41 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:07:46.84 95mImiJ10 26/53

次の日、唯ちゃんがやってきた。
もう、日が傾きかけていた頃に、だ。
長く伸びた前髪は目にかかっていて、すごく大人っぽかった。
私は、真っ先に灰皿を差し出した。

「あんたが去年煙草落としていくから、私が梓ちゃんに怒られたのよ」

「あー、そりゃあごめんねえ。上手く誤魔化してくれてさ、あのときは本当に感謝してるよ」

「全く……で、あなたはミルクティー?」

湯気じゃない煙が、音楽室をふわふわと漂っていた。
私は黙って窓を開けた。

「いやあ……ストレート。ニルギリのね、ストレートでも、飲んでみようかなって思う」

「……ま、理由はどうでもいいけどね」

湯気と煙が混ざった。
去年と違って、なんとなくいい匂いがしたから、私は唯ちゃんの方を見た。
長い煙管を口に加えて、唯ちゃんはぼうっと窓の外を見ていた。


42 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:10:47.45 95mImiJ10 27/53

「それ、キセルね」

「うん……あずにゃんがさ、紙タバコは臭くて嫌だっていうから」

「ふうん。煙管だと意外にいい匂いね」

「なんかね、紙の匂いがなくなるからだって。不思議だよねえ」

ニルギリの匂いが混ざる。
私は、薄赤色の紅茶をカップに注いで、唯ちゃんの前に出した。
唯ちゃんは、バッグからなにやらゴツゴツとした木製の箱のようなものを取り出した。

「それは?」

「煙管用の灰皿だよ。物々しいよね、これ」

随分と大きい。
茶器を圧倒するほどの存在感を持って、机の上に居座っている。
ふう、と煙を吐いて、灰皿に灰を落とす。


43 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:13:47.85 95mImiJ10 28/53

「からだに悪いわよ……去年も言ったかしらね」

「うん、去年も言われちゃったね。でもさ、うん、やめられないんだ」

煙管を一旦灰皿に置いて、唯ちゃんは紅茶を啜った。
煙管からは、まだ細い煙が立ち上っている。

「まあ、私が文句を言ってもどうにもならないんでしょうけど……そういえば、あなたは就職先どうするの?」

唯ちゃんは、意外そうにこちらを見た。

「え、ああ、就職ね……うん、どうしようかな……」

カップを置いて、また煙管を加える。
細い煙を吐いて、寂しそうに笑った。

「決めてないよ、まだよく分かんない」

「でもあなた、もう大学四年生でしょうに」

「そうだよ……そうだけど、さ」 

唯ちゃんは窓際まで歩いて行って、外に顔を出して煙を吐いた。
そして、私のほうを振り向いて、目を細めた。


44 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:16:48.27 95mImiJ10 29/53

「そんなつまんないこと、訊かないでよ……このごろは、皆そう」

思わず私は目を伏せた。
唯ちゃんの瞳は、高校生の頃から変わっていなかった。
それは、私が待ち望んでいたものなのに、少し怖くて、見ていられなかったのだ。

「そりゃあ、悪かったわね」

「うん……就職、か」

また、煙を吐く。
煙は夕日を浴びて、少し赤くなった。

「ぶどーかーん、とか言っていたのは、どうなっちゃったんだろうね。
 あの頃の根拠の無い自信は、どこから来てたんだろう」

「そんなの……そんなの、私には」

わからないわ、と言いかけて、口を閉じた。
唯ちゃんは、私がそうすることを知っていたように、優しく微笑んでいた。
だから、私は彼女をまっすぐに見つめて言った。


45 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:19:48.70 95mImiJ10 30/53

「私……と、あとは、あなたの周りの人達、でしょうね」

「うん、そうかもね。この学校、素敵だったんだな、って思うよ」

私は紅茶を啜った。
少し、味が濃すぎる気がした。

「何も諦めなくてさ、済んだんだよね、この学校にいた頃は。
 部活して、ギターして、それなりに勉強もして、それで……それで、あずにゃんと」

その先を、唯ちゃんは言わなかった。
ただ、黙って煙を吐いただけ。
私は煙管用灰皿と、ティーカップを持って窓際の唯ちゃんに近づいていった。

「ん、ありがと」

そう言って、唯ちゃんは灰を落として、刻みたばこを詰め替えた。
私は紅茶を飲んで、窓から夕陽を眺めた。
少しは様になっているかと思ったけれど、悔しいことに、隣で物憂げな表情で煙管を吸う唯ちゃんには、到底敵わなかった。


48 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:22:49.12 95mImiJ10 31/53

「紅茶、あなたの分冷めちゃうわよ」

「あ、そうだね」

へらっと笑ってそう言ったくせに、唯ちゃんは動かず、窓から上体を乗り出している。
仕方がないから、私は唯ちゃんのカップをテーブルから持ってきた。

「ほら、とっとと飲みなさい。せっかく私が入れてやったんだから」

「あはっ、そういうところ、好きだよ」

「やめてよ、梓ちゃんが妬いちゃうわよ?」

その名前を聞いて、唯ちゃんはまた、寂しそうに笑った。
煙管を置いて、紅茶を飲む。

「梓ちゃん、か……ねえ、のろけていいかな?」

「勝手にしなさいよ。内容によっては、終わった後にお代を請求するけどね」

「そっか、気を付けなきゃねえ」

唯ちゃんは紅茶を飲み終わった。
また、寂しくなった口に煙管を咥える。煙を吐く。


50 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:25:49.69 95mImiJ10 32/53

「随分と堂に入ったものね」

「どうも。あのねえ、私とあずにゃん付き合ってるんだあ」

しばらく、何も言わなかった。
というのも、今更言うこともないと思ったからだが、唯ちゃんは期待を込めて私を見つめていた。

「いや、そんな目で見られても。前から知ってたわよ」

ええっ、と唯ちゃんは驚いたような声を立てた。
そして、煙管から宙に漂う煙を、息を吹きかけてかき消した。

「それでかあ。一昨日さ、あずにゃんに怒られちゃったよ。
 同性愛は異常なんです、唯先輩も世間体を考えて振舞ってください、って」

「そりゃあ、また……」

「うん。なんていうか、悲しいよね」

しつこく立ち上る煙に指を絡ませて、唯ちゃんは寂しそうに続けた。

「普通にクリスマスにデートして、相手のためにお弁当作って、帰り際にそっとキスする。
 どっちかの家で互いに抱きしめて、喘いで果てて、一緒に眠りにつく、なあんて」

そこまで言って、唯ちゃんは無様に口を開けたり閉めたりした。
空中に答えがないことを知って、すう、と煙管を吸った。
煙を吐いて、へらっと笑う。


52 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:28:50.25 95mImiJ10 33/53

「そんなの、無理なんだ。だって、あずにゃんが……あずにゃんは」

顔は笑っているくせに、目は少し湿っていた。
夕陽が図々しくそこに入り込んで、真っ赤に光らせている。

「あずにゃんは、私のことだけを見てくれやしないんだね。
 そんなの、誰にだって出来ないんだよ。誰だって、視界の端に世間を見ちゃうんだって、最近気づいた」

私は何も言えない。言う資格はないと思った。

「そんでもって、気付きたくなかった。
 誰もそんなことには気付きたくないから、先生はそれを隠してたんだね」

唯ちゃんが私の頬を突付く。
唯ちゃんはまだ笑っていた。


54 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:31:50.64 95mImiJ10 34/53

「優しいんだから、先生。それに、みんなも……結局、私が最後に気づいて、一番傷つくんだね」

唯ちゃんが私を見つめている。
ゆっくりと口を動かした。

「なんか、言ってよ」

「言えるわけ無いじゃないの」

「それはさ、卑怯だよ。絶対に私は文句を言わないから、何か言って欲しいんだ」

「そうねえ、そうかもしれないわ」

しばらく迷って、私は言った。


55 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:34:51.09 95mImiJ10 35/53

「世間っていうのは、結局梓ちゃんのことかもしれないわ。恥ずかしいのを、誤魔化そうとしているだけかもしれない」

「それは、詭弁だね。それに、無責任だ」

「文句は言わないんじゃないの」

私が肩をすくめると、唯ちゃんは曖昧に笑った。

「感想だよ、ただの。ふふ、まあ、梓は高校生の頃から恥ずかしがりだったから」

また、唯ちゃんは灰皿に灰を落とす。
けれど、刻みたばこを詰め替えることはしなかった。

「唯ちゃん、呼び方」

「うん、梓。あずにゃん、なんて、もう卒業だね。煙草も止めにして、ミルクティーもやめる」

「私には、それを止める権利なんて無いわよね」

「うん、無いよ……だって、もしかしたら、梓が突然キスしてくるかもしれない。
 そのときに、ヤニ臭かったり、乳臭かったら嫌だもんね」

「してこないかもしれないわ」

「してこないなら、適当に就職して、梓とギターを弾いて暮らすんだ。
 それでいい、けど、それ以上は絶対に妥協しないよ。今決めたんだ」

唯ちゃんは私のほうを見ていない。
ただ、私は、教師として言えることを言おうと思う。


57 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:37:51.71 95mImiJ10 36/53

「今日で子供をやめるなら、最後くらい、世間体を気にしないことをしたらいいじゃないの」

「そうだね……それって、うん、素敵だと思うよ」

唯ちゃんは明るく笑って、帰り支度を始めた。
煙管と灰皿は、バッグに入れなかった。

「これ、あげる。話聞いてもらったお代」

「いらないけど、まあ、貰っておくわ。そうそう、前髪、切れば?」

「これ、一応セットしてたんだけどね……それに、髪を切るのにもウン千円かかるんだもん」

「それは……まあ、いいわ」

「ふふ、今度は紅茶にブランデー入れてよね?」

「来年ね」

唯ちゃんが机に置いた煙管に、刻みたばこを詰めてみる。
唯ちゃんが、ライターをこちらに投げて寄越した。
私にひらひらと手を振って、唯ちゃんはなにやら電話をかけている。

「あ、もしもし」

唯ちゃんが音楽室を出るときに、言った言葉が聞こえた。

「梓、愛してる」


59 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:40:52.27 95mImiJ10 37/53

ひとり残されて、私は煙管を吸った。
猛烈に気持ち悪くなって、私は酷く咳き込んだ。
窓に駆け寄って、冷たい空気を吸う。

「まずいじゃないの、これ」

そう言って外を見てみると、もうすっかり日は沈んで、月が出ていた。
みしり、と音楽室の悲鳴が聞こえた。

「大人に、なるのね」

ぽつりと、窓の外に言葉を吐いた。
煙管から出る煙が、ふわふわと空へ向かって漂っていた。


60 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:43:52.69 95mImiJ10 38/53

そろそろみんなは帰省を終えて戻ってしまう頃だろう。
そんなときに、和ちゃんがまた音楽室に遊びに来た。

「あなたも暇ね」

「先生こそ……それ、煙管ですか?」

「ええ……吸ってみる?」

煙草を詰めて、和ちゃんに煙管を渡した。
和ちゃんは煙管を吸って、こん、と咳をした。

「うえ……全然美味しくないですね、煙草って」

涙ぐんだ目で言う和ちゃんが可笑しくて、私は笑った。
食器棚からブランデーを出す。

「そういえば、唯ちゃんにブランデーのこと言ったでしょ?」

「ええ、っていうか、みんな知ってますよ」

「もう、あんまり言いふらさないでよね。校長に怒られちゃうわ」

和ちゃんはくつくつと喉を鳴らした。猫みたいだ。


62 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:46:53.26 95mImiJ10 39/53

「すみません。あ、なに勝手に入れようとしてるんですか」

「まあまあ、一回くらい飲んでみてよ」

和ちゃんは眉をひそめて、文句を言いながら、ブランデーの入った紅茶を飲んだ。
うえ、と舌を出す。

「変な味がしますね」

「まあねえ。私は好きなんだけど、嫌いかしら?」

和ちゃんはしばらく黙って、微笑んだ。

「嫌な言い方。それじゃあ、好きになろうと思っちゃうじゃないですか」

こんな言葉を、もう何度も聞いた気がする。
正確な数はわからないけれど、きっと、何度でも言いたくなるのだろう。


63 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:49:53.66 95mImiJ10 40/53

「ねえ、和ちゃん、私そろそろ結構な歳になっちゃうけど」

「三十路ですね」

「いや……うん、まあ……それでもさ、こうしてお茶してくれるかしら」

和ちゃんは少し残念そうな顔をして、ふっ、と息を漏らした。

「何いってんですか、歳は関係ないでしょうに」

私は愛しくて、和ちゃんの髪を撫でた。
さらっとして、冷たい。

「変わらないわね、あなたも私も」

和ちゃんは顔を赤くして俯いて、煙管を机においた。

「変われないんですよ、先生も私も」

煙が立ち上って、湯気と混ざり、窓の外へ流れていく。
誰かが見ても、それが煙なのか、湯気なのかは分からないから、平気だろうと思った。


65 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:52:54.08 95mImiJ10 41/53

おしまい
誰も死んでなくてなんかごめん


67 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:55:54.61 95mImiJ10 42/53

「こんな犬、見たことあるわね」純「プードル?」


70 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 22:58:55.37 95mImiJ10 43/53

日は沈みかけている。
私は蒸し暑い夏の夕暮れ、シャツを汗で少し湿らせながら、走った。
提灯がぶら下げられて、浴衣を着た男女が仲良く歩いている。
それを横目に見て、私は走った。

「あら、純ちゃん」

和さんは、喧騒から少し離れたところにあるベンチに座っていた。
紺色の、目立たない小袖を着ている。

「憂は一緒じゃないの?」

「一緒でしたけど、軽音楽部の人たちとばったり出くわしちゃって」

「ああ、気まずいってわけね」

「和さんこそ、何をしてるんです?」

「んー、はぐれちゃったのよね、みんなと。私方向音痴だから、あまり動きまわらないほうがいいかなって」


71 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 23:01:55.92 95mImiJ10 44/53

私は和さんの隣りに座った。
ベンチからは、屋台の後ろが見えた。
人ごみは同じ場所を流れるばかりで、少し離れたこの小道には、ほとんど人は来ないようだ。

「意外です。方向音痴なんですね」

「そうよ。自分でも驚くくらいにね」

「誰かに電話してみました?」

「してみたけど、繋がらないのよね」

これは、吉兆か。
私は思わずほくそ笑んで、和さんに言った。

「和さん、和さん。私の髪の毛、どう思います?」

「うん?ふわふわね」

「ですよね。何に見えます?」

「あー……こんな犬、みたことあるわ」

私は手を打って、和さんを指さした。


74 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 23:04:56.47 95mImiJ10 45/53

「そう、それです。すばり、プードルですね?」

「いや、ダックスフンドよ」

そう言って、和さんは私の頭を撫でた。
思わず、びくっ、と身を震わせた。

「な、なにしてんですか」

「頭撫でてるの……ほら、おいでポチ」

和さんはニコニコ笑って、自分の腿を叩いた。
そこをじっと見つめていると、吸い込まれるように、顔から突っ込んでしまった。

「いやらしいわね、あなた」

そう言いながら、和さんは私の後頭部を撫でた。
私は体の向きを変えて、横を向いて言った。

「いやらしくないです。和さんの腿のほうがいやらしいです」

「なにいってんの……あなたの足は、あれね、短いわ。やっぱりダックスフンドね」

「そういう意味だったんですか」

少しむっとしたけれど、和さんがずっと頭を撫で続けるから、私は黙っていた。
和さんが楽しそうに言った。


77 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 23:07:56.88 95mImiJ10 46/53

「気持ちいいわね、あなたの髪の毛……ほら」

そう言って、和さんは人差し指で私の首を掻いた。
私は、顔が赤くなるのを感じて、なんとか誤魔化そうとして言った。

「う……わんわん!」

和さんは一瞬呆気に取られて、くすくす笑った。

「ダックスフンドの声はもっと高いわ」

「え、あ、えっと……ふわん!」

和さんはまた私の首を掻く。
もう片方の手では、私の頭を撫で続けている。


78 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 23:10:57.44 95mImiJ10 47/53

「だめ」

「わあん!」

「だめ」

「きゃん!」

「だめ……はっきり言って才能ないわよ、あなた」

そう言って、和さんは大袈裟にため息を付いた。
すっ、と人差し指を私の耳にずらしてくる。
やけに暖かかった。
妙な悲鳴を上げてしまった。

「うまいうまい」

和さんは子供っぽくけらけらと笑って、何度も私の耳を撫でてきた。
私は頬をふくらませて、和さんを見あげた。


79 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 23:13:57.99 95mImiJ10 48/53

「もう無駄ですよ」

「みたいね。不意打ちじゃないとだめなのね」

和さんはふう、とため息をついて、袖に手を突っ込んだ。
取り出したのは、長い煙管だった。

「和さん、それ」

「そ、煙管。売ってあったから買ってみたわ……ダックスも吸ってみる?」

「ダックスって呼ばないでください。遠慮しておきます……不良行為ですよ、それ」

「あら、そう。お堅いわね」

和さんが長い指で、煙管に刻みたばこを詰める。
これまた袖から取り出したライターで火をつけた。
私はそれを、和さんの腿に頭を載せて、じっと見ていた。

けふ、と小さな音がした。


81 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 23:16:58.44 95mImiJ10 49/53

「全然美味しくない。製作者の意図が知れないわ」

「ほうら、私の言ったとおりじゃないですか。そんなの吸うなんて碌でも無いです」

「そんなこと言ってないじゃないの……」

そう言いながら、和さんはまた煙管を吸った。
顔をしかめて、ゆっくりと、口から細い煙を吐いた。

「うん、不味い」

「不味いなら、どうしてわざわざまた吸ったんですか」

和さんは煙管を持ったまま、私をじっと見つめてきた。
空いている手で、私の首を撫でる。

「ちょっとくらいさ……ちょっとくらい、反抗的なところ、無いと頼りないでしょう?」

「よく分かりませんけど」

「そっか。私は……私は、人通りの少ないところでさえ、あなたに膝枕をするのを恥ずかしいと思っちゃうから」

「……よく分かりません」

和さんはくすくす笑って、私の耳をつまんだ。
少し、声が漏れた。
煙管から出る煙が、私たちを無視して高くへ登っていた。


83 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 23:19:58.87 95mImiJ10 50/53

「そう……本当に?」

「……唯先輩は、いつでもどこでも梓に抱きつきますもんね」

「そうよねえ」

和さんは、もう一度煙を吸って、吐いた。
今度は、相変わらず顔をしかめたけれど、スムーズに一連の動作を終えた。

「煙管の煙って、いい匂いですね」

「そうねえ」

私は、和さんの顔に手を伸ばした。
煙管の煙はどこまでも登って行くから、私もそのくらい許されると思った。
けれど、和さんは自分の手を私の手に重ねた。


85 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 23:22:59.27 95mImiJ10 51/53

しばらく、黙り込んだ。
虫がりんりんと鳴いていた。
和さんが、ぼうっと、消えそうな声で言った。

「恋に焦がれて鳴く蝉よりも……続き、知ってる?」

自分に尋ねられていることに気がつかずに、私は黙っていた。
和さんがぎゅっと強く私の手を握ったから、慌てて返事をした。

「あ、えっと……鳴かぬ蛍が身を焦がす?」

「そ、正解。じゃあ……浮名立ちゃ それも困るが世間の人に。続きは?」

分からない。
悔しくて、振り絞るような声で私は言った。

「……わかりません」

「……知らせないのも 惜しい仲」

「秘密だけどバラしたい仲ってことですか」

「そう」

和さんは微笑んで、私の口元に煙管を持ってきた。
街で嗅ぐ紙タバコの臭いより、少し甘い匂いがする。


86 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 23:25:59.70 95mImiJ10 52/53

「秘密、つくりましょうよ」

そう言われて、私は煙管に口をつけた。
煙が口の中に満ちて、飲み込んだとたん、空気が逆流した。
汚い音を立てて咳き込む。

「ね、不味いでしょう?」

声を立てて笑って、和さんはまた私の頭を撫でた。
そのときに、梓と憂に頼み込んで単独行動を取っただけの価値はあった、と思った。
私の頭をだきかかえて、和さんは私を起こした。かたん、と煙管を置く音がした。
すっくと立ち上がって、大人びた笑顔を見せる。

「合流しましょうか」

「方向音痴じゃなかったんですか?」

「流石に、地元でまで迷子にはならないわ」

私は肩をすくめた。和さんは微笑んだ。

「あなただって、嘘をついていたんだから、これでおあいこよ」

こちらを振り向きもせずに歩いて行く和さんのうなじは、少し赤らんでいた。
嬉しくて、私は和さんの後に、走ってついて行った。
振り向くと、煙管の煙がぼんやりと、空を目指して伸びていた。


87 : 以下、名... - 2011/01/02(日) 23:29:09.51 95mImiJ10 53/53

これで おわり だ!
とりあえず、俺のじっちゃんの煙管がいい匂いがしたのは今でも謎
のどのどは可愛い


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