比企谷八幡「雪と」 渋谷凛「賢者の」 絢瀬絵里「贈り物」【1】


103 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 10:55:10.21 NSPCnO+e0 96/531

<五月中旬、昼。浜松町ラジオ局喫煙室>

八幡「ふー……。いよいよか」

――こんこん。がちゃっ。


「プロデューサー、プロデューサー……。あ、いた」

八幡「うお。なんだ、渋谷か。ちょっと外で二分くらい待ってろ、すぐ消すから」

「い、いや。ここで大丈夫だから」

八幡「大丈夫じゃねぇよ。もうすぐラジオなんだぞ、喉痛めたらどうすんだ。いいから待ってろ」


――ばたん。


「あ、ちょっと! ……もう。なんで煙草なんか吸うんだろ」


八幡「はいよ、お待たせ。どした」

「ん……いや、実は、何もないんだけど」

八幡「あぁ? ……本当か?」

「いや……ごめん、嘘」

八幡「言っとくけど女子お得意の『察してよ』みたいなやつ、俺には無理だからな」

「え? プロデューサーが?」

八幡「そうだよ。自慢じゃないが『察した』と思って致した黒歴史は多いぞ」

「なにそれ。微妙に興味ある」

八幡「やめとけって、双方気まずくなって終わりだ」

「……はあ。わかった、プロデューサーにそういうの求めるのはやめとくよ」

八幡「そうしとけ」

八幡「他人に期待したって、ロクなことにはなんねぇぞ」

「それは、黒歴史からの人生訓?」

八幡「……そうだな」

(じゃあ、私には?)

(そう聞くのは少し怖いから、やめた)

「言葉にしないと伝わらないことってあるよね……よし」



104 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 10:56:47.00 NSPCnO+e0 97/531


「……めちゃくちゃ緊張してます」

八幡「……ま、それもそうか。初めてだもんな、ラジオ」

「まず公共の電波に声を乗せるのも初めてだよ。……情けない話、怖いんだ。失敗してパニくって喋れなかったりしたらどうしよう」

八幡「……そうか。まぁ、それが普通だわな」

「うん……未央なら話したくて話したくてうずうずするよとか言いそうだけどね」

八幡「あいつの場合どこカットしていいのかわかんなくなりそうだな」

「わかる。生放送とか怖いタイプだよね」

八幡「その点お前は安心できるって戸塚が言ってたよ。だから今回の仕事が来たんだが」

「よくそういう感じのこと言われるよ。しっかりしてるから、大丈夫だろうって。手のかからない子だなーとか」

八幡「羨ましい限りだ。手のかかる子だなとしか言われてこなかったぞ」

「たまに、そっちの方が羨ましくなる時ってあるんだ。……私も、たまには」

八幡「いやいや何言ってんの? お前も十分手のかかる子だぞ。俺からしたら」

「え? 私?」

八幡「自覚ねぇのかよ。いっつも危なっかしいからな」

「……そう言われると、なんか悔しい」

八幡「ワガママなやつ……どっちがいいんだよ」

「うー……! 私のどこが危なっかしいのっ」


放送作家「あ、渋谷さん、比企谷さん。高垣さん予定より早く到着したので、もう打ち合わせ始めてしまおうと思うんですが来ていただいても構いませんか?」


「あ、はい!」

八幡「すいません。すぐに向かうんで」

放送作家「ではでは、お願いします~」


「……この続き、いつか絶対聞くからね」

八幡「はいはい、覚えてたらな」

「それ絶対流すやつでしょ!」

八幡「ま、なに。手がかかるのは悪いことじゃねぇよ。その分、手塩にかけてると思えばな」

「口ばっかり回ってさ。手が焼けるよ」

八幡「やかましい。それよりどうだ」

「何が?」

八幡「緊張。ほぐれたか」

「……あ」



105 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 10:59:23.11 NSPCnO+e0 98/531

<居酒屋「かえで」収録>

「それでは今日のゲストに登場してもらいましょう。四月からなんと私と同じ事務所に所属してる新人さんです。ラジオ、なんと今日初めてだそうですよ? ふふ、有名になったら私、自慢しちゃいますね。そんな未来を信じんましょう……ふふふっ」

「346プロクールプロダクション所属、渋谷凛ちゃんです」

「こ、こんにちはっ! 渋谷凛ですっ、よろしくお願いします」

「ふふふっ、よろしくね、凛ちゃん。この前事務所で会った以来かしら?」

「はい、そうですね」

「一緒に飲みに行こうって言ったんですよね~」

「私は十七だから飲めないんですけど……」

「そうそう、だから凛ちゃんが二十歳になったら飲みに行く約束をしたんですよ」

「そうですね。指切りをしました」

「私、昔指切りのハリセンボンって魚の方だと思ってたんですよね~」

「えっ、魚じゃないんですか!?」

「うふふっ、あらあら」

「えっ、私十七年間ずっとハリセンボンって魚の、あれっ、違うんですか?」

「そんな凛ちゃんにたくさんの質問メールが来ているので読みますね~?」



八幡(……まあ順調な滑り出しだな。話の広げ方とかタイムキープの感覚とか、その辺も含めて高垣さんはマジ一流だ。歌えて踊れて喋れて可愛いってなんなの?)

八幡(ゲストコーナーは十五分程度だが、渋谷はやはり苦戦していた。しかしそこはやっぱり放送作家さんの台本の貢献や高垣さんの絶妙なフォローがあって、ラジオはつつがなく進行していった)


106 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:01:21.87 NSPCnO+e0 99/531

「もう一通大丈夫ですかね? ……大丈夫? いきましょう。日本酒ネーム剣豪大魔神さんからのお便りです。『楓さん、渋谷さん、越乃寒梅わ!』かんばいわ~」

「かんばいわっ。……あの、この挨拶って何なんですか?」

「私なりの愛なんですよ~。『僕は渋谷さんと同じで今年から高校三年生です』おっ、そうなんだ。『だというのに、どういう大学に行きたいとか、どんな勉強をしたいとか、全然思いつきません! 進路ってちゃんと考えないといけないのはわかってるんです。でも何をしていいかわかりません。周りの友達たちはちゃんとどこに行きたいとか考えてて、すごく焦ります。そこで質問です。渋谷さんと楓さんは、どうしてアイドルになったんですか? 進路についてどう考えていますか? 真面目な質問ですいません。是非きいてみたいです』……はい、ありがとうございまーす」

「あ…………」

「進路、進路かぁ。懐かしい言葉ですね。私はもうずーっと行きたいままにって歩いていたらここにいた気がします。ふふふっ」

「…………」


八幡『おい渋谷。話せ、事故になる』


「っ! 進路、進路ですか」

「凛ちゃんにはホットな話題ですね~。メールにもありますし聞いてみましょうか? 凛ちゃんはどうしてアイドルになったんですか?」

「あ……え、えっと」

「ふふふっ、ちなみに私はですね。モデルのお仕事を先にしていたんですが、当時プロデューサーをしていた人にスカウトされてね。最初は受ける気なんて全くなかったんですけど、プロデューサーさんの熱意に負けてアイドルになることにしたんです。すごーい寡黙でわかりにくい人なんですけど、アイドルのことになると熱意がむき出しでね。それで、この人がここまで夢中になるアイドルってどんなものなんだろう、どんな世界なんだろう? そう思ったのがキッカケです。そっからハートに火がついちゃって今に至りますね」

「へえ、そうだったんですか……」

「凛ちゃんもスカウト組だったよね?」

「そ、そうです。渋谷で歩いてて」

「あらあら、お名前と不思議なご縁ね。それで面白そうだと思ったのね?」

「そうです。……はい、そんな感じですね」

「うふふ、二人して参考にならなくてごめんなさいね。でも、いい悩みだと思います」

「もうおばさんの私から言わせてもらうと、そういう悩みって大人になるともうできないものですから、悩めるうちにいーっぱい悩んでください。大丈夫です、なるようになりますよ。あなたの目の前で早く決めろー決めろーって言ってる大人たちも昔は悩んでいたんですから」


107 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:02:57.61 NSPCnO+e0 100/531


放送作家「んー、ここ編集点にしちゃいますね。大丈夫ですか?」

八幡「あ、はい、すいません。お願いします」

放送作家「いえいえ、いいんですよ。年頃ですからね、答えにくいところだったのかもしれませんし」



「それでは凛ちゃんとはそろそろお別れの時間が近付いてまいりました~。早いですねえ」

「楽しかったです! 楓さんは本当に憧れの先輩なので、話してるのが夢みたいでした」

「大袈裟ですよ~。どうですか凛ちゃん、アイドルの世界は」

「そうですね……。まだわからないことばっかりなので、もっと楽しめるように色々勉強できたらいいなって思います」

「ふふふっ、そんなにうまくやろうと気張らなくて大丈夫ですよ。これは比企谷くんにちゃんと見てもらわないとですね~?」

「な、何でそこでプロデューサーの名前が出てくるの!」

「あっ、可愛い。そういう話し方でいいんですよ? 比企谷くんというのはですね、四月から入った弊社の新人プロデューサーくんなんですよ。今は凛ちゃんだけの担当なのかな。彼、本当に頑張ってるのでリスナーの……お客さんのみなさんもぜひ応援してあげてくださいね? いい子なんですよー本当に」

「良い子かなぁ。捻くれてるし煙草吸ってるし優しくも……ないことはないか」

「うふふ」

八幡(おいおい公共の電波で名前出すなよ。マジっすか高垣さん。あ、渋谷のやつようやくこっち見たな)

「あ、ガラスの向こうにいる。ま、一緒に頑張ろうね。……信頼してるよ」

八幡(リスナーに俺たちが見えるわけないのに、思わず俺は顔を逸らした。照れくさくって、直視できなかった)


「それじゃあ凛ちゃんのこれからの活躍、期待していますよ?」

「ありがとうございました、また呼んでください!」

「はい、勿論。それでは本日のゲストは弊社の渋谷凛ちゃんでした~」



108 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:04:59.39 NSPCnO+e0 101/531

<放送終了後、ブース横会議室>

放送作家「では直しはこういう感じでいきましょう。お疲れ様でした」

八幡「お疲れ様でした。今日はありがとうございました」

放送作家「いえいえ、とんでもない。渋谷さんには頑張ってほしいですね」

八幡「そうですね、喋りの方はやはりまだまだですが……」

放送作家「ははは、そうですね。でも、初めてにしては及第点じゃないでしょうか。最初から上手かったのは城ヶ崎の美嘉ちゃんくらいですね。あの子いるでしょう、島村さん」

八幡「ああ、はい」

放送作家「あの子とも別のラジオでこの前一度やりましたけど、終始テンパってててんやわんやでしたよ。逆にそれが好評でしたがね」

八幡「そこがあいつの短所でもあり長所でもあるといいますか」

放送作家「そうですね。渋谷さんは確かに未熟ですが、何か……こう……」

八幡「なんですか?」

放送作家「いやね、何か化けるんじゃないかなって思わせてくれるんですよ」

八幡「いや、そんな社交辞令をかけていただかなくても」

放送作家「いえいえ、本当ですよ。そういう資質が一番大事なんです。それって後天的には身に付きませんからね」

八幡「……そうですか。ありがとうございます」

――がちゃっ。

「あ、比企谷くん。作家さん。お疲れ様です」

放送作家「お疲れ様です」

八幡「お疲れ様です。あの、高垣さん」

「どうしました?」

八幡「渋谷がどこにいったか知りませんか。あいつ、ちょっとヘコんでたみたいで」

「ああ、それなら。さっきエレベーターの↑ボタンを押してたので――」


109 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:06:26.74 NSPCnO+e0 102/531

<ラジオ局、屋上>            
「…………」

(ハートに火がついちゃって、かあ)

(私の心にも燃え時が来るんだろうか。それはいつ? 心に火を点けるものは何?)

(山手線の駅は近い。高い高いところから私がスカウトされた場所の辺りを見渡していた)





<四か月前。クリスマス>
(あの日は何もなくて、ただ当てもなく渋谷をさまよっていた。クリスマスに華のJKが一人で何やってんだかって思われても仕方がない)

(友達はいないわけじゃない。誘いはあったけど気乗りしなくて断った)

(クラスの男の子に言い寄られたことも何度かある。でも断った。その気もないのに付き合うって、お互いにプラスにならないと思う。内面を見てくれ、とまで言わないけど外見だけ見られると流石にちょっとうんざりだ)

(一人で渋谷の街を歩く。クリスマスイルミネーションが幻想的で美しくて目を奪われた。だけど、素直に楽しむ気にはなれなかった)

(ウインドウショッピングを終えて、ハチ公の前で立ち止まる。時刻は夕刻過ぎだった)

「……お前はいいね。好きなものがあって」

(勉強も、部活も、恋愛も。そつなくこなす自信はあるけれど、何にも夢中になれないでいた)

(ハチ公は亡くなった今も飼い主を待っているのかな。好きなものを。ただ、好きってだけで)

「…………あ」

(首筋が冷たい。上空を仰ぐと、白い雪が落ちてきていた。私は避難代わりにスクランブル交差点正面の大型レンタル店に逃げ込んだ)

(二階の喫茶店でコーヒーを頼んで、窓際の席に座る。窓からはスクランブル交差点が見下ろせた)

(見下ろす限りの人、人、人――)

(誰が誰だなんてわからない。どこの誰ともわからないたくさんの人たちが、ものすごい速度ですれ違っていた)

(……私も。このままどこの誰ともわからない、ただの人間で終わっていくんだろうな……)



110 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:08:37.09 NSPCnO+e0 103/531


――ぶーん。ぶーん。

「ん……お母さんか。はい、もしもし」

『あ、凛。今大丈夫? 暇してる?』

「クリスマスにJKが暇だと思ってるの?」

『暇でしょ?』

「……暇だけどさ」

『良かった。悪いんだけどちょっと帰ってきて店番代わってくれない? クリスマス料理作らないといけないのに買い物するの忘れてたのよ』

「えー……」

『時給はクリスマス手当つけてあげるわよ』

「……はぁ、わかったよ。帰る」

『お願いね~』

(電話を切って、外に出る。思わずまた天を見上げた。今日はホワイトクリスマスだ)

「……たまには、何かプレゼントはないのかな。サンタさん」

(良い子にしてるんだから――)



武内P「……すいません、少しよろしいでしょうか?」

「ん……?」

武内P「私、こういう者です」

武内P「――唐突なお誘いなのですが、弊社のアイドルになってみませんか?」



111 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:10:00.57 NSPCnO+e0 104/531

<同日、夜。凛の花屋>

「怪しい……。本当なのかな?」

(自分のお店のカウンターの中で一人、私は名刺を睨みつけていた)

「アイドルのスカウトって、本当にあるの? 大体なんで私が……」

(それにこういうのってアレでしょ。……えっちなやつかもしれないんでしょ)

「それにしても……」

「アイドル、か」

(嫌いなわけじゃないけれど、いつものようにピンと来ない。本当に? 私が? アイドル?)

「ないない、やめとこ」

(私は名刺を四つに折りたたむと、ゴミ箱に向かって投げた。……外れて手前で落ちた)

「おのれ、しつこい」

(投げたフォームそのままだったので、右手につけた腕時計が見えた。時刻はもう九時。閉店時間はとうに過ぎていた)

「あ、やば。閉めないと」

(そんなときだった。店に入って来る一つの人影)


「いらっしゃいませ。ごめんね、お兄さん。もうあと数分で閉めちゃうんだけど……」

八幡「……あ、そすか。すんません」


(ああ、あなたに出会ったのはそんな時だったよね――)

112 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:11:53.46 NSPCnO+e0 105/531


八幡「よう、こんなところにいたか」

「! プロデューサー!」                             八幡(柵に組んだ両腕を置いて遠くの景色を見つめている渋谷は絵になっていた。声をかけるのは少し無粋だと思ったくらいだ)

八幡(俺は渋谷から人二人分くらいの感覚を空けて、同じように柵に腕を乗せた)

八幡「お疲れさん」 

「ん……ありがと」

八幡(春のぬるい風が俺のスーツと渋谷の髪を揺らす。桜はもう散ってしまっていて、こいのぼりだってもう降りてしまっていた)

「今日の私、ダメダメだったな」

八幡「そうか? 作家さんは褒めてたぞ。及第点だってな」

「そんな社交辞令はいいってば」

八幡「……ふ」

「何。何か変なこと言った?」

八幡「いや、答えがそっくりだったもんでな」

「誰と?」

八幡「言っても喜ばないからな」

「気になるじゃん」

八幡「……俺と」

「……ふーん」

八幡「そこは『うわっ、プロデューサーと同じとか……』て言うところだと思ってたが」

「言わないよっ、私を何だと思ってるの」

八幡「俺の記憶の中では、女子にその反応以外頂いたことはなかったもんでな」

「……つらい」


113 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:14:14.51 NSPCnO+e0 106/531


「ああ、ほんと……。ガチガチだったし、最後なんて何も言えなかったし……あれは多分カットだね」

八幡「そうだな。お察しの通りだ」

「……はぁ」

八幡(渋谷は額を柵に押し付けてぐりぐりしていた。いつも涼しい顔をしている彼女がこんな風に露骨にへこむ姿を晒しているのは新鮮で、申し訳ないが少し微笑ましく感じてしまう自分がいた)

「笑わないでよ……。結構本気で沈んでるんだから」

八幡「いや悪い。そんなにへこんでるところ初めて見たもんでな。つい」

「性格悪いなぁ、もう」

八幡「それは誰より知ってる」

「本当だよ。……はぁ」

八幡「…………」

――かちっ。しゅぼっ。

八幡「ふー……」

「副流煙で死んじゃうかも」

八幡「風下で離れてるだろ? 嫌なら下で吸ってくるよ」

「……いいけどさ」



「もっと上手くやれるって思ってたんだ」

八幡「ん……ラジオか?」

「うーん、それもだけど……もっと色々。アイドルのこと」

八幡「……」

「自慢じゃないけど、何でもよくできる子で通ってきたからさ。だから、もっと上手くやれるのかなって」

八幡「さっき言ったが、お前の手のかかる所がそこだよ」

「え?」

八幡「何でも上手くやろうとしすぎだ。そんなに思う通りにはいかねぇよ」

「……そうかな」

八幡「そうだよ」

「まぁ、思い知らされてるんだけどね。今とか。何でもするする思い通りにはいかないのはわかるんだけど」

「でも、それってちょっと悔しいから。早く一人で何でもできるようになりたい」

「私、最近まで知らなかったんだけど結構負けず嫌いなのかも」

「それが今のモチベーションなんだ」

八幡(……一人で何でも、ね。同感だな)


114 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:16:42.86 NSPCnO+e0 107/531

「ねぇ、ちょっとアイドル失格っぽいこと言っていい?」

八幡「いくらでも言えよ。俺なんか人間失格って言われたまである」

「何それ、あはは」

八幡「鏡みたいな本だったが」

「んー?」

八幡「いや、なんでもねぇよ。どうぞ」

「うん、私ね。……私、実は、アイドルなんて興味なかったんだ」

八幡「…………」

「自分で言うと痛い子みたいだけど、私って結構なんでもできちゃうんだ。勉強もあんまり困らず都内有数の高校に入ったし、運動もそこそこできるつもりだし。……その、男の人に告白されたことだってあるし。見た目は悪い方じゃないのかな、なんて」

八幡「そうだな。可愛いよ、お前は」

「……な、なに。急に」

八幡「お前が言ったんじゃねぇか。客観的な意見だよ」

「……主観的には?」

八幡「いーから、続きは?」

「あ、うん。……だから、なんて言えばいいのかな。部活とか恋愛とか、どんなことにも夢中になれなくて」

「私、高校三年生でしょ。進路だって決めなきゃいけない。自分が興味ある事とか、やりたいこととか、そういうものがあればよかったんだけど、ないから」

「私はこのまま何もないまま生きていくのかなって思うとね……」

八幡「アイドルになるなんて普通の人生じゃないだろ?」

「うん、だからだよ」

「私、アイドルなんて興味なかった。街頭のヴィジョンで流れる歌も、雑誌を彩る人の姿も、テレビを賑やかす笑顔も、意識したことなかったから。毎日普通に生きてたんだ。今まではそれで不満に思ったこともなかったけど」

「もうすぐ私十八歳になるんだよ。大人になっちゃう。このままずっと生きていくのは、その……なんだかなって思っちゃって」

「そんな時かな。アイドルにスカウトされちゃって。最初は受ける気なんて全くなかったけど、その日に少し思うこともあって……受けることにしたんだ」

「――アイドルになれば、何か変わるかなって」

「全然好きじゃないけど、自分の為だけに受けてみたんだよ」



八幡「そうか……」

八幡(もう十八歳ね。まだ十八歳の間違いだろって思うけどな。……生きる動機がないと罪悪感を感じるってか。真面目な奴だよな、本当に)


115 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:17:59.19 NSPCnO+e0 108/531


八幡「なら、俺と同じだな。俺だってプロデューサーなんてなる気もなかったぞ。アイドルなんて全員同じ顔に見えたし、度々言ってるが働きたくもない」

「ふふっ、何それ」

八幡「動くことに立派な理由がなけりゃ、不安か?」

「そうなのかも。卯月も、未央も、他の人たちも。……みんなこの職業に憧れを抱いてるなって感じるから。私のような半端者がって、最近」

八幡「でもお前は少しとはいえ、自分を変えたいって思ったんだろ」

「変えたい、というよりは……変われるかな、って感じで」

八幡「ならそれも立派な動機だろ」

「でも下心だよ。私、自分の為にアイドルを利用してる」

八幡「それのどこがいけねぇんだ? 自分の為に何かを利用すんのは当たり前のことだ」

「……突き抜けてるね」

八幡「よくはみ出してるって言われるけどな。大体下心ほど純粋なもんはねぇよ。白川の清きに魚も住みかねて、だ。キラキラしてるあいつらより、そっちの方が人間らしいだろ」

八幡「俺は、お前の方が好きだけどな」

「っ……」

八幡「? どした」

「べ……別に。そんなこと言う人、初めて見たから。珍しいだけ」

八幡「そうかぁ? 俺より捻くれた奴はいくらでもいるぞ」

「捻くれた人って意味じゃなくて……」

八幡「どういう意味だよ」

「……なんでもない」

八幡「そうかい」


116 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:19:19.93 NSPCnO+e0 109/531


「ねえ、プロデューサーはどうしてプロデューサーになったの?」

八幡「黒塗りのリムジンに轢かれたから」

「真面目に聞いてるんだけど?」

八幡「真面目に答えてるんだが。去年のクリスマス……お前と会った後だな。本社の車に轢かれてな」

「え!?」

八幡「入院先で武内さんにスカウトされた。そんな感じだ」

「でも、プロデューサーの性格だったらスカウトされても受けなさそうだよね。『は? アイドルのプロデューサー? 何言ってんですか』とか言ってさ」

八幡「何そのムカつく口調。誰? もしかして俺なの? え? 俺もっとクールな感じじゃないの?」

「いっつもこんなだよ。で、どうなの」

八幡「ま、確かにな。最初は受けるつもりはなかった」

「じゃあ、どうして?」

八幡「その点、お前と似てるよ。俺は理由がないと動けない人間だからな」

八幡「妹に頼まれたんだ。……腐った性根を直してこいってな。俺もそうだ。目的の為にプロデューサーを利用してる」

「……ふーん。本当にシスコンなんだね」

八幡「もっと褒めてくれ」

「――ねえ。本当にそれだけ?」


雪乃『……ねえ、比企谷くん。……雪は、好き?』



八幡「……嘘はついてねぇよ。俺の志望動機は純粋な下心だ」

「妹の頼みに応えるのが?」

八幡「そうだな。まあ将来の夢のためってのもある」

「前も少し言ってたね。プロデューサーの夢ってなんなの?」

八幡「専業主夫。養われたい」

「うっわー」

八幡「なんでだよいいだろ専業主夫。働きたくない……」

「ま、応援しておいてあげるよ。叶うといいね」


117 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:20:47.04 NSPCnO+e0 110/531


「ね、プロデューサー。私、変われるかな」

八幡「知らん」

「……はぁ」

八幡「言ったろ。他人に期待すんな。俺のポリシーだ」

「わかるけどそこはさぁ」

八幡「俺はお前を変えてやれない。お前が勝手に変わるだけだ」

八幡「人に人が変えられるなんて、思い上がりでしかない」

八幡「だからお前は自分に期待しろ。自分が期待しないで、誰がお前を肯定する」

八幡「俺はずっと見ててやるよ。何もしない代わりにな」

「……うん。約束だよ」

八幡「指切りでもするか? ハリセンボン飲んでやるぞ、くく」

「……いじわる」

八幡「仕事だからな。一度受けた仕事は絶対に途中で投げない」

八幡「あ、バイト辞めたりしたのはノーカンな。俺がバイト辞めるのは俺が悪くない。社会が悪い。俺という存在が器に収まりきらなかっただけだから」

「仕事だから、か。プロデューサーらしいからそれでいいや。ふふっ、それにしても」

「プロデューサーの、その弱さを肯定してしまう部分。嫌いじゃないよ」

八幡「……そうか」

八幡「俺は、少し前からこんな自分が嫌いだけどな」



118 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:22:35.27 NSPCnO+e0 111/531

<週末、346本社内テニスコート>

八幡「本社にこんなとこがあったのか……。しかしでかいな」

戸塚「うん! 社員は無料で使えるんだけど、意外に知られてないんだー」

八幡「さすが天下の346だな……」

戸塚「じゃ、ストレッチしたらやろっか? 八幡」

八幡「お手柔らかにな。引きこもりが経験者に本気出されたら死んじまう」

戸塚「あはは、心配しないで。多分大丈夫だよ」



戸塚「はいっ」パーン

八幡「おっと」ポーン

戸塚「スキありー」スパァン!!

八幡「ちょっ!! 無理だろそれ!!」

戸塚「無理なところに打つのがテニスだよ、はちまんっ」

八幡「なんて性格の悪いスポーツなんだ……」

戸塚「よーし、次いこう次!」

八幡「おー……」

八幡(やっぱ戸塚も体育会系なんだな。俺の嫌いなノリだが……戸塚だったら興奮するな。素晴らしい)


八幡「よっと」スパンッ

戸塚「わ、うまい」ポンッ

八幡「せいっ!」スパーン

八幡(会心のショットなのにもう回り込まれてるんだが? なに戸塚ってエスパーなの? それとも俺と同じくらい性格が)

戸塚「あ」スカッ

八幡「お、おお……。珍しいな」

戸塚「あはは、やっちゃった。恥ずかしいな……」

八幡(おい頬赤らめてこの台詞とかダメだろ。アイドル全員廃業まである。プロデュースしたい。俺にプロデュースさせて? いやでも戸塚がアイドルをやれば全世界の人間が戸塚の魅力に気付く……? いやそれはダメだ。戸塚は俺だけの戸塚でいてほしい……)

戸塚「八幡? 次、八幡からのサーブだよ?」

八幡「あ、ああ。悪い」


119 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:26:27.72 NSPCnO+e0 112/531


八幡(それ以降のテニス対決は戸塚によるハイパーレイプタイム)

八幡(と、いうわけでもなかった。戸塚はたまにさっきみたいに空振りすることもあるし、ダブルフォルトをやらかすこともあったし、ホームラン級のアウトをかますこともあった。何より一歩も動けない、みたいな無情なショットはなかったように思える。それでも実力差は歴然だったのだが)



八幡「はぁ……、はぁっ……」

八幡(息切れるわ動悸がとまらねぇわでヤバイ。なんだこれ、恋?)

戸塚「あはは、疲れた? ちょっと休憩にしよっか」

八幡「お、おう……。頼むわ……」

八幡(戸塚は少しも息を切らさずに、左肩にラケットの打面を乗せて笑っていた。……? 左肩?)

八幡(そういえば……)

八幡「戸塚って利き手どっちだったっけ」

戸塚「ぼく? 右利きだよ!」

八幡(……おい、まさか)

八幡「今まで全部逆手でやってたのか……」

戸塚「あ、バレちゃった? あはは」

八幡「言葉もねぇわ」

戸塚「ふふ、テニスの王子さまだからね」

八幡「ウス……」

八幡(戸塚王国の建国はまだですか? と思っていると、戸塚は水買ってくるね! と言って自販機の方へ振り返った。その時の様子は忘れられそうにない)

八幡(戸塚は右手でラケットを地面に軽く投げてぽんと跳ねさせた。宙を舞うラケット。それを戸塚は振り向きもせずに背面で跳ね返ったグリップを掴んで見せた)

八幡(まるで手のひらに向かってラケットが吸い寄せられてるみたいだった。それぐらい、呼吸のように当然だと言わんばかりの動作)

八幡(その何気ない所作に、戸塚のテニスにかけてきた時間が滲み出ていたような気がした)


120 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:28:57.88 NSPCnO+e0 113/531


戸塚「――ふぅ。じゃあ、今日はこれで終わりにしよっか!」

八幡「………………」

戸塚「はちまん?」

八幡「……あぁ」

戸塚「あ、返事がある。まだ屍じゃないね。ふふ」

八幡(戸塚は最後まで息を切らさず、右手も使わなかった)

八幡「戸塚、上手すぎ……。なんで俺の打つとこ打つとこに先にいるんだよ。ペガサスなの?」

戸塚「うーん、テニスって相手のこと考えるスポーツだから。ぼくは八幡のことずっと考えてたからわかったんだよ!」

八幡(もうゴールしていいかな。男だけど。いやむしろ男だからいいのか……!?)

戸塚「ずーっと八幡とまたテニスしたかったんだ」

八幡「ずっとって……俺はそんなに上手くなかっただろ。壁としかやったことねぇぞ。あとマリオテニス」

戸塚「そういうことじゃないんだよ。八幡、ぼくと初めてテニスしたときのこと覚えてる?」

八幡「覚えてるよ。雪ノ下が鬼教官だったやつな。あぁ、そういえばテニスコートかけて葉山と三浦ペアと勝負したこともあったっけ……」

戸塚「勝ったのに葉山くんに全部持っていかれちゃったやつね」

八幡「仕方ねぇだろ。なんなら葉山が勝った方が客には良かったんだけどな」

戸塚「うーん、それはぼくが嫌、かな」


121 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:30:24.22 NSPCnO+e0 114/531


八幡「そうか? まぁあの時は三浦もとんがってたしな……」

戸塚「そうじゃなくて。ぼくは、八幡と一緒がよかったの」

八幡「……なぁ戸塚。一緒にオランダ行かね?」

戸塚「え? 急だね……でも八幡が行きたいならいつか一緒に行こうね!」

八幡(そう言って俺に笑いかける戸塚。純粋な好意だと信じたいのに、暗く深い心の底から奴が鎌首をもたげるのを感じた。ああ、なんて無粋な奴――)

八幡「戸塚は変わってるな。なんでこんなのに近づきたがるんだか」

戸塚「……自分を悪い人間だと思わせたがるのは、その方が楽だからでしょ?」

八幡「っ!」

戸塚「ぼくは楽させてあげないよ。八幡はいい人。ぼくの友達だもん」

八幡「……」

戸塚「……人は人を変えるものじゃないかな? 少なくとも、ぼくは変わったよ」

八幡「思い上がりだよ、それは。人は勝手に変わるもんだ」

戸塚「……ねえ、八幡。ぼくはテニス上手かった?」

八幡「なにそれ嫌味? さっきも言っただろ……。逆手であれとか上手すぎなんだよ……」

戸塚「……ふふっ。じゃあそれが答えだよ」

八幡「……?」




八幡「俺はもう少ししたら渋谷たちのレッスンが始まるから見に行く。戸塚は?」

戸塚「ぼくも養成所、一緒に行こうかな。あの人オフにしてるけど絶対いるだろうしね……。八幡、レッスンのあと何かある?」

八幡「俺? いや、今日は休日だから元々レッスンの見学はマストじゃないし、何もないぞ」

戸塚「ほんと!? じゃあ終わったら一緒に飲みにいかない?」

八幡「あ、ああ。いいけど俺ちょっと事務所に寄って取りたいもんがあるから九時とかになっちまうぞ。いいのか?」

戸塚「全然構わないよ! 約束ね!」

八幡「俺と飲みに行くって言ってテンション上がるのはお前くらいのもんだ」

戸塚「えー。そうかなぁ」

八幡「いつだか雪ノ下にいつかあなたのことを好きになってくれる昆虫が現れるわって言われたの思い出すなぁ……」

戸塚「……世の中、蓼食う虫は多いなあ」


122 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:31:59.42 NSPCnO+e0 115/531

<346プロタレント養成所:レッスン室>

星空凛「よし、じゃあ今日は最後に合わせてみよっか!」

未央「え、えぇー! もうヘトヘトだよ……」

卯月「未央ちゃん、最後だからがんばろ?」

「ん、いつでも」

星空凛「おお、しぶりんは頼もしいね! 疲れてるのはわかるけど、だからだよ! 疲れてるときが一番無駄な力が抜けるにゃ。ギリギリのところをもう一歩、が一番実力アップにつながるんだよ」

未央「うう……わかりましたよぉ。しまむー、しぶりん! 終わったら一緒にご飯行こうね!」

「未央、なんかその台詞」

卯月「フラグっぽいです……」

星空凛「へぇ……。まぁ、誰も『一回で終われる』とは言ってないけどね!」

未央「ひぃいい!! しぶりん、しまむー、集中だよっ!?」

「してる」

卯月「音楽お願いしますっ」

未央「あぁっ、ちょっと待って!」


八幡(上手いことやってんなぁ。あいつら誰も気付いてないけど終了十分前なんだよな。発破かけて集中させてんだな。ムラッ気の多い本田とかには効きそうだ。にしても……)


『I say――! Hey,Hey,Hey,START:DASH!』


八幡(こいつ、ここ一番の集中力はマジでずば抜けてんな。センターじゃないのに目線が引っ張られる、みてぇな。ダンスはまだまだプロレベルとは言い難いが……こいつこの前まで素人だったんだよな)


123 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:33:28.19 NSPCnO+e0 116/531


星空凛「ひっきーも休みの日にお疲れ様だね。偉いにゃ」

八幡「だって渋谷が来なかったら『この前のレッスン来なかったよね。ふーん。ま、いいけど』とか言ってスネるんだもん……あいつめんどくせえ……」

星空凛「無駄にうまいね……そのモノマネ」

八幡「まあ仕事してるときほとんど一緒にいるからな。特徴くらいは掴めて当然だろ」

星空凛「ふーん? ……はい、これ今日の分の報告書と今週分の概観!」

八幡「ん、お疲れさん。休みの日に悪いな」

星空凛「なんのなんの! 日々伸びてってる子たちを見るのは本当に楽しいにゃ」

八幡「そうか。後で目を通すが、渋谷はどうだ。もうそろそろ二ヶ月じゃないか?」

星空凛「伸びてるね。しぶりんはアイドルのメイン、歌とダンスどっちにも偏りがないのがいいと思うにゃ。成長率という意味では一番だね! 三人の実力差、最初はあったけど今はもうみんな同じくらいになってるよ」

八幡「そうか。なんとなく上手くなったな、くらいは俺もわかるんだが」

星空凛「あ、それすごいことだと思うよ」

八幡「そうか?」

星空凛「素人から見ていいなって思われるのが一番大事! 見てる人はみんなただの一般人だからね。何もわからない人にわからせるのは本当にむずかしいよー。それぐらい成長してるのかもね! それか、ひっきーの眼力がついたか、だね」

八幡「担当としては前者であることを祈るがな。……っと悪い、急がねぇと」

星空凛「何か用事?」

八幡「ちょっと夜に人と飲むことになってな。戸塚となんだが」

星空凛「あ、戸塚くん! わぁ、楽しそうだなー!」

八幡「何ならお前も来るか?」

星空凛「あはは、邪魔しちゃ悪いからやめとくにゃ。それにもうすぐあれがあるし」

八幡「? あれって何だ?」

星空凛「おっとと、ひっきーにはギリギリまで秘密ってことになってるから聞かないでくれるとうれしいにゃ」

八幡「良く分からんが、聞かないでおくよ」

星空凛「うん、じゃあ楽しんでね!」


124 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:37:01.13 NSPCnO+e0 117/531

<レッスン室205>

海未「ふぅ……、もう一回、行きましょうか」

戸塚「だぁめ。やっぱりここにいた」

海未「!? と、戸塚くん!? きょ、今日はお休みのはずでは」

戸塚「その言葉、そっくり園田さんに返すよ。今日はたまにの半日オフだから、ゆっくり休むようにって言ったよね?」

海未「う、うぅ……。担当アイドルが練習してるんだから、褒めてくれたっていいじゃないですか」

戸塚「そんなにオーバーペースでやると身体壊しちゃうだけ。プロなら休むのも仕事のうちだよ?」

戸塚「やめないなら、力づくで連れてっちゃうよー」ニコニコ

海未(う……!)ドキッ

海未「わ、わかりました! わかりましたからニコニコしながら近づかないでくださいっ!」

戸塚「その言い方、ちょっと傷つくなぁ……。ほら、早く早く」

海未「汗を拭いてから行きますから、先に出てください」

戸塚「わかった。そんなこと言って練習してたら覗くからねー?」

海未「しませんからっ!」

戸塚「あはは、それじゃ待ってる」バタン

海未「うー……! 本当にあんな顔して強引なんですからっ。性格悪いです、誰に似たんでしょう……」


海未「お待たせしました」

戸塚「うん、今日もお疲れ様。前にも言ったけど、やりすぎで身体壊したら意味ないからね?」

海未「はい……。わかってはいるのですが。なんだか、練習しなければ落ち着かなくて」

戸塚「そうだね……気持ちはわかるけど、身体が壊れたら他人に迷惑かかるからね」

海未「う……」

戸塚「ふふ、利くでしょ。他人を持ち出されると」

海未「戸塚くんはずるいですっ。どうしていつもいつも私の弱みばかり突くんですか」

戸塚「誠実な人の弱点はみんな似てるからねー」

海未「こんな意地悪のどこが天使なんでしょうか……全く世間は騙されてます。こんなんじゃ友達減りますよ?」

戸塚「あはは、そうだね。確かに同性の友達は少ないかも。……だからこそ」



――♪「悲しみに閉ざされて 泣くだけの君じゃない
    熱い胸 きっと未来を 切り開くはずさ」




125 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:38:14.14 NSPCnO+e0 118/531


戸塚「あ、八幡たちのところかな」

海未「この曲……」

戸塚「知ってる曲?」

海未「知ってるもなにも、私たちの曲ですよ。μ'sの」

戸塚「へえ、そうなんだ! あ、でもトレーナーが星空さんだから練習曲に使うのも納得だよね」

海未「この曲は、私たちが初めてライブでやった曲なんです。凛もその時はお客さんでした」

戸塚「最初から全メンバーがいたわけじゃないんだね」

海未「ええ。絵里なんてもう私たちを目の敵にしていましたからね。全然なってないーって。ふふっ、まあ絵里ほど踊りが上手ければそう言うのも当たり前なんですが」

戸塚「園田さんたちほど可愛い人たちがいれば、集客とかもの凄そうだね」

海未「戸塚くんに言われると嫌味にしか聞こえないですが……。最初はそんなことないですよ。それこそこの曲を三人でやったときは、最初お客さんが誰もいなくて。胸が締め付けられましたね……泣き出しそうで、帰りたくなったのを覚えています」

海未「私は恥ずかしがりの緊張しいで、いっつも肝心なところで逃げようとして。そんな私を引っ張ってくれたのが穂乃果でした」

戸塚「高坂さんが……」

海未「本当に懐かしいです。ことり、穂乃果……。もう、ずっと会えていません」

戸塚「……」

海未「私はつくづく、二人がいないと何もできないのだと……。最近、そう思います」

戸塚「そんなことない」

海未「やめてください。現に結果に――」

戸塚「やめない。園田海未は最高のアイドルだよ。自信をもってよ。君がいなければ、ぼくはここにいなかった」

海未「? それ、どういう――」


――がららっ。


126 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:39:37.03 NSPCnO+e0 119/531


未央「よっしゃぁあー!! 終わったぞーー!! ごっはんっ、ごっはんっ」
「うーん、最後少し体幹がぶれちゃったかな」
卯月「へとへとです……」



戸塚「あ、やっぱりニュージェネレーションズだった!」

海未「おつかれさまです」

未央「さいちゃん! 海未ちゃん!」

卯月「うわぁー! すごい、園田海未さんだ!」

「戸塚さん。久しぶりです」

戸塚「うん、渋谷さんも久しぶり! 会えて嬉しいよ!」ニコッ

「くっ……毎度の敗北感」

海未「あれ? 渋谷さん、靴が」

「え? あっ」

未央「うわぁ! ボロボロだよっ」

八幡「おう、お疲れ。どうした?」

卯月「あ、比企谷さん。凛ちゃんの運動靴がボロボロで……」

八幡「おぉ……。見事に靴底がぱっくりなっちまってるな」

未央「新しいの買った方がいいよ!」

「うーん、そうするよ。来週あたり買いに行こうかな」

八幡(……なるほど。覚えた)

八幡「お前ら早く着替えて来い。汗冷えたら風邪ひくぞ」

卯月「あ、はい!」

戸塚「ぼくは園田さんを送っていくよ! 本社の車で来てるし、送りがてら置いてくるよー」

海未「すいません、ありがとうございます。それではみなさん、またどこかで」


127 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:40:59.52 NSPCnO+e0 120/531


八幡「どした? 本田と島村はもう行ったぞ」

「今日さ、休みなのに来てくれたんだね」

八幡「誰かが来ないと拗ねるからな」

「拗ねないよっ」

八幡「まぁそれはついでだ。今日は戸塚と約束があったから寄っただけ」

「……どうせ私はついでだよ」

八幡「だーもう、お前は見ても見なくても拗ねんのかよ。めんどくせぇな」

「はぁ、でも見に来てくれてありがとう」

八幡「仕事だから」

「じゃ、ないでしょ。今日は休みだもん」

八幡「うるせ」

「ふふっ、めんどくさい人」

八幡「面倒くさがりなのは否定しないがな。おら、早く着替えて来い」

「ん。ねえ、プロデューサー、この後時間ある? 一緒にご飯食べない?」

八幡「俺じゃなくて本田と島村と行けよ。ラーメンラーメン騒いでたぞさっき」

「私はプロデューサーがいいの」

八幡「……悪ぃ、今日は先約がある」

「嘘だ。そんな友達いないでしょ」

八幡「失礼な。本当だ、戸塚と飲みに行くんだよ。その前に事務所に忘れもん取りに行くし」

「……戸塚さんと?」

八幡「成り行きでな。今日は昼間から会ってたからその時に約束したんだ」

「休みの日に会ってたの?」

八幡「休みの日に友達と遊んで何が悪いんだよ……」

「私とはオフに会ってくれたことないのに戸塚さんとは遊ぶんだね。ふーん」

八幡「……今会ってるだろ」

「そういうことじゃなくてっ」

八幡「大体お前と会って何すんだよ。会う理由がない。よって会わない、はいQED」

「むー……。ねぇ、私も行っていい?」

八幡「飲みっつったろ。未成年はラーメン食べに行けって」

「えぇ、いいじゃない。飲まないから」

八幡「ダメだ。もし誰かに見られたらどうする。飲んでなくても場所がアウトだ。大衆は邪推する生き物だからな、飲んでいようがいまいが関係ねぇんだよ」

「……わかったよっ。でも今度いつか私とも出かけてね」

八幡「機会があれば。行けたら行く」

「馬鹿。きらい」

八幡「言われ慣れてるわ」



八幡「ようやく行ったか……はぁ」

八幡「高校生相手に何ドキドキしてんだ、俺……」


128 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:42:53.75 NSPCnO+e0 121/531

<レッスン後、ラーメン屋「二十郎」>

「もうっ、何であんなにガード固いかな」

卯月「凛ちゃん、どうしました?」

「何でもない」

未央「そんな不機嫌な顔でもやし食べられても説得力ないよ……しぶりん」

卯月「うっうー、もやしです! ……多すぎません?」

未央「ごめんなさい、完全に甘く見てたよぉ……」

卯月「未央ちゃんが二十郎に行ってみたいって言ったんじゃないですかぁ!」

未央「だってここまでキツイって思わなかったんだもん!」

卯月「ああっ、早く食べないとまた麺が増えちゃいますっ」

未央「やばいよっ、ロットなるものを乱したらつまみ出されちゃうらしいから……」

「ごちそうさまでした」

未央「嘘ぉっ!?」

「ふん。戸塚さんにはデレデレしちゃってさ。私のこと邪険にしてばっかりなんだから。いいじゃん別に、たまには構ってくれたって……」

卯月「ううう、凛ちゃん、余裕があるなら手伝ってくださいよ~!」


130 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:44:44.26 NSPCnO+e0 122/531

<5月末日給料日夕方、346プロタレント養成所レッスン室301>

ルキトレ「以上が今回のライブ用の曲の振付になります。覚えましたか?」

「よーし覚えたよ。お疲れ様でしたっ!」

美嘉「いやいやいや!! 帰っちゃダメだから!」

アーニャ「ダー……杏、練習しましょ?」

雪乃(この子ったら本当に……。思わずこめかみを抑えたくなるわね)

「えぇー。でもみんなライブに向けて練習あるんでしょ。いいよいいよランク低い杏のためにわざわざ時間割かなくて。杏に任せてここは先に行けっ!」

ルキトレ「だめですよ、杏ちゃん。一応二人には課題を渡しています。問題があればすぐ対応しますし大丈夫ですよ。さ、パートごとに分けて反復練習しましょう?」

「い、いやだー! 杏の嫌いな言葉ランキングは一番が頑張るで二番目が反復なんだぞー!」

雪乃「双葉さん?」ニッコリ

「……はい。ね、ルキトレさん」

ルキトレ「何ですか?」

「パートわけなくていいよ。反復もいらない」

ルキトレ「え、でも」

「言ったじゃん、覚えたって。もし一発で通ったら杏、休んでいい?」

雪乃「出来たらね。本当にできたら飴をあげるわ」

「ホントっ!? ほほう、軽くひねってやろうじゃあないか……」


雪乃(そんなことを言って、彼女は本当に一発で一度見ただけの曲を通してしまった。……まあ、この子なら当然ね)

「ふぇぇ……疲れた。飴がしみるよ」コロコロ

雪乃「私と同じで体力がないのね。それ以外はずば抜けているけれど」

「さっきのやつ? 記憶力の問題じゃない?」

雪乃「掛け値なしにすごいと思うわよ」

「そうかな。多分同じことプロデューサーもやれって言われたらできるでしょ」

「プロデューサーからは同じにおいがするね!」

雪乃「あなたは私を買いかぶり過ぎよ。私にだってできないことはあるわ」

「……そーぞーできないなぁ」

雪乃「それで結構。そんなところ見られても恥ずかしいだけだから。それより次のシングルの話が来てるわ」

「え、もう? いやでもそろそろ稼いでおくか……」

雪乃「あら、殊勝ね。どういう風の吹き回し?」

「ひっきーに言われたんだよ。お金はすぐ無くなるって」

雪乃「あの男は本当に余計なことしか言わないわね。まあ、あなたが仕事してくれるならいいけれど」

「そういえばさ、プロデューサーは杏に何も言わないんだね」

雪乃「言ってるじゃない。仕事しろ」

「そうじゃなくて、こう、もっとまじめにレッスン受けろーとかさ」

雪乃「あなたはやりたくないからやらないんじゃなくて、できるからやらないだけでしょ」



132 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:46:08.39 NSPCnO+e0 123/531


「……」

雪乃「あら、図星かしら。キャラがブレたら困る?」クスクス

「……仮にそうだったとして、どうしてわかるのさ?」

雪乃「そういう人が身内にいたのだもの。ソースは姉」

「へえ、お姉さんがいるんだ」

雪乃「そうよ。腹立たしいくらいなんでもできる姉」

「プロデューサーも大概じゃなーい?」

雪乃「私の比じゃないわ。自分もできるほうだとは思うのだけれどね」

「うわぁ、自分でそういうこと言っちゃう? 嫌われそう」

雪乃「そうね、否定しないわ。こうならないように気を付けなさい」クスクス

(……自嘲も絵になるんだから、反則だよねぇ)

「よし、じゃあも一回くらい練習してこようかな」

雪乃「まずいわね、傘を持ってきていないのだけれど……」

「降るなら飴の方がいいな、杏としては」

雪乃「あ、そうそう。今日の夜、参加でいいのかしら?」

「うん! ただ飯だからねっ、行くっきゃないよ!」

雪乃「わかったわ。絢瀬さんには全員参加で言っておくわね」

「ういー。じゃ、ちょっとお腹空かせてこよっかな」


133 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:47:36.60 NSPCnO+e0 124/531

<夜、クールプロダクション事務所>

八幡「ただいま戻りましたー……あれ?」

「お帰り。今日はテレビ局だったっけ」

八幡「おう、アーニャの収録の関係でちょっとな……って、なんでお前いるんだ? 今日はレッスンも何もなかったはずだが」

「ふふ、用がなきゃ会いに来ちゃいけないの?」

八幡「で、本当は何なんだ?」

「……反応がつまんない」

八幡「アホ。こちとら自意識こじらせて生きてきたんだよ。その程度で勘違いするか」

「少しくらい動揺してくれないとアイドルとして立つ瀬がないんだけどな」

八幡「そのパターンは中学の頃学習した。じゃんけん負けた奴の罰ゲームだった……」

「……女子ってえぐい」

八幡「で、結局なんなんだ? 教えてくれねぇならいいよ別に、仕事するから。絢瀬さんは?」

「先に下の居酒屋さんだよ」

八幡「え? もう上がったの? だって七時から事務所で仕事の引継ぎがあるって」

「うん、それ嘘。今日は下で346プロの合同歓迎会だよ」

八幡「おい、聞いてねぇぞ!」

「言ってないもん。だってプロデューサー、歓迎会やるって言ったら『あの、俺ちょっとアレなんで。忙しいんで。無理っす』とか言うでしょ」

八幡「俺の思考プロセス完全に読まれてんじゃねぇか……。仕組んだのは誰だよ」

「絵里さん」

八幡「はかられた……。マジか、誰が参加するんだ」

「知ってる人ばっかりだよ。戸塚さんも来るし」

八幡「おい渋谷。早く行くぞ。ドキドキしてきた」

「……立つ瀬はないけど腹がね、うん」

134 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:49:23.00 NSPCnO+e0 125/531

<居酒屋「一休み」>

絵里「今日はみなさん、集まっていただいてありがとうございます。比企谷くんや新しいアイドルのみなさんの加入。そして戸塚くんの異動、武内さんの昇進……。まとめて祝おうと思ってスケジュールを確保しようとしたら、少し遅いこの時期になってしまいました」

ちひろ「本当に頑張ったんですからね! みなさん忙しすぎです!!」

にこ「悪いのはどこの会社よ……」

「まあまあ、にこちゃん。飲めるんだからいいじゃありませんか」

アーニャ「楓はいつもそれ、言ってます」

海未「穂乃果、本当に久しぶりですね」

穂乃果「そうかなー? そうだっけ?」

星空凛「凛はどっちとも頻繁に仕事で会ってるにゃ!」

花陽「おにぎりは、おにぎりはないんですかっ!?」

莉嘉「うわーすっごい! こどもビールなんてあるんだ!」

美嘉「こら莉嘉! 走り回らない!」

きらり「杏ちゃーん?☆ はぴはぴしてるぅ?」

「杏はおいしいご飯があればはぴはぴだよ。ほらほら、みくもはぴはぴー」

みく「にゃっ!? みくの前に魚料理置かないでよっ!?」

未央「フライドチキンがある! すっごい! ねえもう食べていいかな!?」

卯月「未央ちゃん、乾杯までダメですっ」

「みんなグラスもった? あ、そっち一つ足りない?」

戸塚「すごいなー、本当にみんな集めちゃうなんて!」

武内P「流石は絢瀬さん、千川さんと言ったところでしょうか」

雪乃「目が死んでいるわよ。諦めなさい、ちひろさんが絡んだ時点で逃げられないのよ……」

八幡「俺のは元々だからほっとけ。てかお前も遠い目をしてるぞ……」


絵里「よし、グラスは行きわたったみたいね。それじゃ、ちひろさんにお願いしようかしら」

ちひろ「何言ってるんですか、絵里ちゃんが一番頑張ってたでしょう? 絵里ちゃんがやってください」  

絵里「そんな、私は」

ちひろ「いいからいいから、ほらっ」

絵里「……うぅ、苦手なのに。えぇっと、それじゃあ皆さんグラスを持ってください! これからも新しい人たちと一緒に頑張っていきましょう! 今日の会計は全額本社持ちですっ!」

ちひろ「ヒャッハー!」

「ただ飯だー!」

絵里「それじゃあ……乾杯!」


――――「乾杯!」



135 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:50:59.51 NSPCnO+e0 126/531


にこ「お疲れ、比企谷」

八幡「あぁ、お疲れさん。いつぶりだっけか」

にこ「あんたが先週のアーニャのオーディションに付き添ってた時以来じゃない?」

八幡「そうだったな。ありがとよ、無事アーニャ『は』役もらえたよ」

にこ「何それ嫌味でしょムカつく―っ!! 言っとくけどにこが落ちたのはたまたまなんだから!!」

八幡「無理して大人のお姉さんっぽい役なんか受けるからだろ……」

にこ「うるさいわね! 同じような役ばっか受けてたら先がないでしょ!」

八幡「……驚いた。意外と考えてんだな」

にこ「ふふん、一流のアイドルともなると先を見据えないと駄目なのよ」

八幡「一流ね……。そういえば、ソロアルバム出すそうだな。おめでとさん」

にこ「あら、業界に疎いあんたからしたら珍しいじゃない。誰? 雪乃から聞いたの?」

八幡「まぁ、その辺からだ。やっぱりライブツアーとかやんのか?」

にこ「うん、もっちろん! 東名阪って感じかしら」

絵里「ふふふ、にこも偉くなったものよね~」

にこ「……アンタ、もう顔赤いわよ」

絵里「赤くなってるだけよ。どーも、矢澤にこのバックダンサーで~す」

八幡「?」

にこ「ちょっ、そんな昔の話まだ覚えてたの!?」

星空凛「あははっ、あの時は真姫ちゃんと絵里ちゃんは特に必死だったからねー」

八幡「どういうことだ?」

星空凛「昔、にこちゃんは凛たちのグループみんなはにこちゃんのバックダンサーだって家族に嘘ついてたにゃ」

絵里「まさか嘘が本当になるとはね~」

八幡「ふーん、バックダンサーねぇ……」



136 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:52:42.23 NSPCnO+e0 127/531


戸塚「武内さん、日本酒きましたよー」

武内P「ああ、戸塚君。ありがとうございます」

花陽「武内さん本当にひさしぶりですねー! 本社はどうですか?」

武内P「仕事に問題はありません。順調です」

ちひろ「違うでしょう? そういうことを聞いてるんじゃありませんよー」

武内P「と、言いますと」

ちひろ「楽しいこととか、苦労したこととか! お話をそこから広げないとっ。まったく、プロデューサーをやってた時から口下手なのは変わらないんですからっ」

武内P「も、申し訳ありません……」

海未「ここまで上に立てるちひろさんとは何者なのでしょう……」

美嘉「あれ、海未さん知らないカンジ?」

雪乃「武内さんとちひろさんは同期入社らしいですよ」

海未「ああ、なるほど。それでですか」

ちひろ「最近キュートには寄り付きもしないんだから。嫌われちゃったのかなーわたし」

武内P「そ、そういうわけでは。ただ引継ぎの仕事の量が膨大でして」

戸塚「……ふふっ、なんだかアレだね」

美嘉「ね★ 尻に敷かれてるダンナさんみたい」

雪乃「あの人には私も勝てません……」

花陽(あれ? 楓さん……)

「…………」

花陽(なんだろう、ずっとこっち見てるなあ?)


「アーニャは本当にすらっとして綺麗だね、ちょっと杏にもわけてくれてもいいんじゃないかな、身長とかおっぱいとか」
卯月「羨ましいです……」
アーニャ「そ、そう言われても、困り、ます」
きらり「杏ちゃんがもっと大きくなったら、もーっとはぴはぴだにぃ☆」
未央「きらりちゃんサイズの杏ちゃん……!?」
莉嘉「起こすのに笛とかいりそう!」
「人にカ○ゴン扱いされたのは初めてだよ……」

138 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:54:57.63 NSPCnO+e0 128/531


穂乃果「凛ちゃんは2回目だよね。穂乃果、昨日オンエアだった楓さんのラジオ聞いたよ!」

「きょ、恐縮ですっ!」

みく「しぶりん、固いにゃ……」

穂乃果「新しい子がどんどん入ってくるね! でも、穂乃果も負けないよ~!」

(……無邪気で本当に可愛いなぁ。これがうちのトップアイドルなんだね)

みく「……はい。みくは、穂乃果さんにも……しぶりんにも。誰であっても負けないにゃ」

「!」

穂乃果「あはは、頼もしいねっ! そんなみくにゃんには穂乃果のぶんのカレイをあげちゃう!」

みく「に”ゃっ!? お魚には負けるにゃあ!!! いらないです!!」



戸塚「八幡、お疲れ様ー!」

八幡「おお、戸塚。みんな結構席を動き始めたな」

雪乃「良かったわね、周りが気を遣える人たちばかりで」

八幡「まあな。小町から動かざるごと山の如しって褒められたからな」

雪乃「人はそれを揶揄と言うのよ。飲み会の席くらい動きなさい……」

戸塚「あはは、まあいいじゃない。……あ、電話。ちょっと外すね」

八幡「おう。富士山級の動じなさを誇るぞ、俺は」

雪乃「草も生えないというのはこういう状況を指すのかしら?」

八幡「おいちゃんと生えるだろ、月見草とか」

雪乃「……万年国語三位は相変わらずね」

八幡「伊達に恥の多い生涯を送って来てねぇんだよ」

雪乃「……富士山にはもう、雪は降った?」

八幡「……太宰も言ってたろ。愚問なんだよ」

雪乃「聞かないと悪いと思ってね」

八幡「聞く方が悪いだろ。……もう降ったどころか、ずっとだよ」

雪乃「そうね。……意地悪だったわ」

八幡「くく。お前が意地悪なのはいつものことだろ」

雪乃「ふふ、そうね。……あ、日本酒が来たわね」

八幡「どうです。もう少し交際してみますか、なんてな。くく」

雪乃「いいえ。もう、たくさん。……ふふっ」



139 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 11:57:21.04 NSPCnO+e0 129/531


「むー……」

(やっぱり、仲良いな。雪ノ下さんも、プロデューサーも、自分からは何でか近づかないようにしてる節はあるけど。いざ近付いたらあれだもんね。ていうか何が面白いのかわからない。何喋ってるんだろう。……暗号? ……何かイライラするなぁ。いつもより楽しそうで。私といるのはそんなにつまんない?)

絵里「なーんか、仲、いいわよね……」

「あ、絵里さん。顔赤い」

絵里「赤くなるだけで大丈夫よ、まだ。……あれ、本当に仲良いわよね」

「本人に聞いても否定するのにさ。絶対嘘だよね」

絵里「雪ノ下さんがあんなに毒吐きなの、知らなかったわ」

「じゃれ合いって感じだよね。プロデューサーもいつもより饒舌なの、お酒のせいだけじゃないと思う」

絵里「そうよねぇ、この前一緒に来た時も飲んでたけどあんまり変わらなかったし」

「……え?」

絵里「……あ」

「え、プロデューサーとここ来たの。いつ。なんで」

絵里「う。つ、ついこの前よ! しまったー、口止めされてたのに……」

「なんで口止め? も、もしかして二人で」

絵里「そ、それは違うわよ! 事務所でちょっと電話番だけしてたら、戸塚くんと飲みにいくけどあがりが一緒なら来ないかって……」

「あの日かっ! 私は行きたいって言ったけど断られたのにっ」

絵里「だって凛ちゃんはアイドルだし未成年でしょ。そっか、行きたいって言ったからナイショだったのね」

「大人組だけずるい」

絵里「ふふ、いいじゃない。普段四六時中一緒にいるんだから、お酒の時ぐらい借りてもいいでしょ。私は事務所以外で会ったことないのよ、彼とは」

「……絵里さんってもしかしてプロデューサーが好きなの?」

絵里「あら、もちろん。ちょっと目がアレだけど、命の恩人だし、最近は仕事も半人前以上だもの。頼もしいわー」

「そ、そういう意味じゃなくて」

絵里「ふふふ、いいわねー! 高校生の女子トークっぽくて」

「二人して子ども扱いするんだから……」

絵里「私もせっかくだからあそこに行ってこようかな。それじゃね」

「……こんな風に扱われたことないよ。はぁ」



戸塚「ねー、はちまーん。今度はどこいく?」

八幡「えぇまたどっか行くの……。動かざるごと山の如しって言ったぞ俺は」

戸塚「じゃあぼくが八幡の家に行けばいいのかな」

八幡「……いいけど。なんもねぇぞ」


海未「なぜ戸塚くんは比企谷くんの前だとああなのでしょう。私には全然優しくないのに……」

絵里「比企谷くんは戸塚くんの前だとちょっとアレよね」

雪乃「高校の頃からですよ、戸塚くんに対する倒錯的な嗜好は」

絵里「戸塚くんも笑顔倍増しって感じなのよね。これは……どうなのかしら……」

海未(うう、悔しい……。いや、これはアイドルとして、女としてですからっ。他意はないんです。きっとそうです!)

142 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:01:59.59 NSPCnO+e0 130/531

<居酒屋の外、喫煙所>

八幡「ふぅ……」

――かちっ。しゅぼっ。

武内P「ああ、比企谷くん。煙草を吸われるのですね」

八幡「ああ、ども。嗜む程度に。武内さんも?」

武内P「とは言っても自発的にはあまり吸いませんが。先輩が吸うもので、つい」

八幡「へぇ……」

武内P「今は、違う事務所にいるのですがね」

――かちっ。しゅぼっ。

武内P「…………ふぅ」

八幡「…………」

武内P「……プロデューサーは、いかがですか」

八幡「悪くはない、ですかね。覚えることが多くててんやわんやでしたが、少なくとも没頭できる程度には。やれることが増えていくってのは悪い気分じゃないです」

武内P「……そうですか。それは比企谷くんが仕事に向いているというだけで、プロデューサーの楽しみを知ることはまだできていないようですね」

八幡「そうですかね? 渋谷とかが頑張ってるのを見ると、まあ俺も人の子なんで良くしてやろうって思いますけど」

武内P「いえ、その答えではまだでしょう。まだ、比企谷くんはそこにたどり着いていない」

八幡「……根拠は?」

武内P「個人的な経験です。あなたはまだ、手にしていない」

八幡「クールそうに見えて、意外と主観的なことを言うんですね」

武内P「私は最初から比企谷くんには主観的です。えこひいきをしているのですよ」

八幡「……一番初めに会った時から、武内さんが俺に入れ込む理由がわからない」

武内P「最初に言ったとおりです。今も昔も、私が人を見出す理由はたった一つしかありません」

八幡「…………」

武内P「私は戻ります。また、会いましょう」



八幡(手にしていないもの、か。そんなもん本当にあるのかな)

八幡「ふぅ……」

――かちっ。しゅぼっ。

八幡「…………」

八幡(よしんばこの世にあるとして。それが俺の手に入るかどうかは別問題なのだ。求めよさらば与えられんな世界なら、俺はきっとこんなものを吸っちゃいない)

八幡(欲して欲して欲して。それが手に入るなら他の何もいらなくて。狂おしいまでに"それ"を求めて。……いつ現れると決まったわけでもないそいつを両手で掴むためだと言って、誰の手も掴むことはなかった。誰にも手を差し伸べなかった)

八幡(あの時からもう、問いに対する答えは動かない)

――『本物なんて、あるのかな』


八幡(……そんなもん、この世のどこにも)


――「プロデューサー、やっぱりこんなところにいた」

143 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:05:38.72 NSPCnO+e0 131/531


八幡「!」

「どうしたの、そんなに月が綺麗だった?」

八幡「……渋谷か。そのセリフ、あなたと見るとが前にないと誤用だぞ」

「……あ。漱石?」

八幡「そうだ。あんまり無意識に言ってやんなよ。ドキドキするから」

「プロデューサーが?」

八幡「クラスの男子共だよ。そうやって気まぐれな女に付けられた傷は死ぬまで残るんだぞ、男ってのは」

「ちょっとは勘違いしてくれないと、アイドルも傷が付くんだけどな」

八幡「言ってろ。その気もないくせに」

「……そうだね」

八幡「本当に隅っこで漱石読んでるようなぼっちにそんなこと言うアイドルの同級生がいたらテロだな。やられた側に同情しかねぇ……」

「ねえ、もしプロデューサーと私が同じ高校生で同じクラスだったら、どうなってたかな」

八幡「あぁ? そんなん決まってんだろ。一回も会話を交わすことなく終わりだろ」

「……そうかなぁ」

八幡「賭けてもいいぞ」

「うん、じゃあこれでよかった」

八幡「ん?」

「さっきね、ちょっと雪ノ下さんが羨ましかった。仲よさそうで。プロデューサー私とはあんなに近くないもんね」

八幡「……仲は良くないと思うけどな。ってか、俺と仲良くて嬉しいなんざ」

「何言ってるの? 嬉しいよ?」

八幡「っ……」

「だってプロデューサー、変だけどちょっと優しいんだもん。簡単には懐かないところが猫みたいで、逆に燃えるかも。同じ高校生だったら出会えなかったんだから、だったら今が一番だよね」

「ねえ、私たち、パートナーなんでしょ。仲良くなりたいに決まってるじゃん」

「どうして、いろんなことわかるのに、それがわかんないの?」


八幡(あ……)
――どくん。

八幡(雲間から覗く月明かりを浴びて、渋谷はふわりと笑った。純粋な好意を前に、心は久しぶりに強く揺れた。俺の中に潜む自意識の化け物がだからどうしたと抑えにかかる。好意なんてない。厚意なんだと身を切り叫ぶ)

八幡(この身に巣食う化け物は邪悪で強い。きっとこの感情の揺れも、すぐに収まり風化していくのだろう。だから)

八幡(だから、今だけは。この感情に身を任せていたいと願った)

144 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:07:55.38 NSPCnO+e0 132/531


「プロデューサー、戻ろ? 絵里さんが酔っぱらっててね、面白いよ」

八幡(店に戻る渋谷の後ろ姿のなかで、店のサンダルを履いた足が目に止まった。ああ、そういえば)

八幡「渋谷、ちょっと渡すものがあるんだが――」



絵里「もー、比企谷くん、どこいってたの~? エリチカ、寂しかったんだから~」

八幡「ちょっ、近い近い! 絢瀬さんどんだけ飲んでんすか!」

八幡(やべぇって! 胸! 胸当たってるから!!)

花陽「流石μ's最弱ですぅ……」

星空凛「絵里ちゃん、お酒入るとダイタンになるからね……。セクシーだにゃ……」

八幡「絢瀬さん、もう飲まない方がいいと思いますよ……」

絵里「えー? だーいじょーぶよー、よってないよってない~、ふふー」ギュッ

八幡「酔っ払いはみんなそう言うんだ! 絢瀬さん、マジ近いって」

絵里「絢瀬さん絢瀬さんって、距離おかれてるみたいで、おねーさん寂しいな~?」

八幡「現在進行形でめっちゃ近いと思うんですが!?」

絵里「絵里って呼んでみてー? ふふふっ、ほらほら。言わないと離してあげないわよ~?」

八幡「え、えぇ……。無理っすよ……」

絵里「Я не понимаю вас~」

八幡「な、何言ってんだこの人」

アーニャ「仰ってることがわからないわ~、言ってるです。絵里」

八幡(……ああくそ! マジで心臓仕事しすぎなんだよ! 人間って鼓動の回数決まってなかったっけか? このままだと本当に死にかねん……!)

八幡「千川さん、助けてくれ!」

ちひろ「REC! REC!」パシャッ! パシャッ!

八幡「悪魔かよ……」

絵里「こらぁ、どこ見てるの~? ふぅ~」

八幡「言うから! 言うから耳はやめろって!」

八幡「え……絵里さん。離れてくれ」

絵里「っ……! Повторите, пожалуйста, ещё раа!」

八幡「離れろって! アーニャ、何て言ってんだ!?」

アーニャ「ごめんなさい もっかい言ってよ ぱーどんみー」

八幡「勘弁してくれ……」

戸塚「そうだそうだー、八幡はぼくと飲むんだよー?」ギュッ

八幡「戸塚。もっとだ。もっと強くだ」

花陽「なんだかんだで比企谷くんも酔ってますね……」



145 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:10:14.69 NSPCnO+e0 133/531


雪乃「……………」

にこ「ゆ、雪乃……?」

雪乃「なに」

穂乃果「か、顔が怖いよー……?」

雪乃「あら。どうして私が怖くなる必要性が生じるのかしら。あの男がいつどこで誰と戯れようが私には関係のないことなのだし。私と彼は何の関係性もないただの同級生なのだし」

穂乃果「……誰もひっきーのことなんて言ってないんだけどなぁ」

雪乃「何か言ったかしら」ニッコリ

にこ「ひぃっ! 何も言ってません!」

穂乃果「ほ、穂乃果は海未ちゃんのところに行ってこようかなー」



「…………」バキッ、バキィッ!

未央「し、しぶりん? フライドチキンって骨はたべなくていいんだよ?」

「……あぁ。すっかり忘れてたよ。ごめんね」

卯月「それって忘れるものなんですか……? そ、それにしてもおいしいですよね!」

「うん、メシウマなんだけどね。個人的にはメシマズって感じだよね」

「……バカ。節操なし。勘違いするようなこといっぱいしてるのはどっちなんだって話っ」



海未「むむむ…………!」

武内P「園田さん、どうかしましたか?」

海未「私、他のアイドルよりも先に勝たないといけない相手がいるような気がします……」

ちひろ「ふふっ、みんな色々ですね。そろそろお開きの時間でしょうか」

武内P「そうですね。そろそろ二十三時近くですし」

ちひろ「あっ、武内くん。おちょこが空いてますよ。注ぎますね」

「私が、注ぎます」

ちひろ「あ、楓さん」

「わたしが。注ぎますね?」ニッコリ

武内P「……ありがとう、ございます」


ちひろ「…………見えすぎて辛いこと、多いんだよ。雪乃ちゃん……」


146 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:12:50.75 NSPCnO+e0 134/531

<飲み会終了後、帰り道>

八幡「絢瀬さん心配だから送ってく。遅いからみんなで帰るようにしてくれ」

絵里「うー……。大丈夫よ~……」

八幡「そんな眠そうにして何言ってんすか。津田沼行きに飲まれますよ」

「私もそっちから帰ろうか?」

八幡「お前は電車違うし東京だろ。千川さんたちが同じ方向らしいから送ってもらってくれ。キュートは早抜けした前川以外全員一緒に帰っちまったしな」

「ん……わかった。別に一人でも大丈夫だけど」

八幡「バカ、こんな時間に一人で帰らせられるかよ。心配だから頼むわ」

「了解。ふふっ、こういう時は素直なんだね」

八幡「うるせ、さっさと行け」

「はいはい。また明日ね、プロデューサー」

八幡「はいよ、また明日な」



<帰りの電車内、キュートプロ>

穂乃果「今日、楽しかったなー!」

きらり「きらりも久しぶりにパッションプロのみんなに会えて嬉しかったにぃ!」

「きらりは元々あっちだったもんね。逆に海未ちゃんはむこう行ってからちょっと元気なくなってたかも」

にこ「そうかしら。にこは特に思わなかったけど」

「にこは鈍いからなぁー。はいはい、にっこにっこにー」

にこ「雑に扱うなっ! それに指間違ってるっ。こうよ、にっこにっこにー☆」

卯月「海未さんって元々キュートだったんですか?」

にこ「卯月までスルーしないでよっ!?」

雪乃「そうよ。トレードで移籍したのだけれど。本当に良くできる人で、私もよく助けられたわ」

――ぶーん。

雪乃「……? メール?」カチカチッ

雪乃「……っ!」

雪乃「……?」カチカチッ

雪乃「……はぁ。知ってた」



147 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:14:26.76 NSPCnO+e0 135/531


穂乃果「……ゆきのーん」ニヤニヤ

にこ「メールの相手、誰なの?」ニヤニヤ

「面白い百面相だったねー。これはメスの顔だよ」ニヤニヤ

雪乃「だ、誰でもいいでしょう。何なのあなたたちは、不快よ、その表情」

卯月「もしかして、……比企谷さんですかっ!?」

きらり「気になるー!☆」

雪乃「っ! 島村さん、諸星さん、あなたたちまでっ」

卯月「だ、だって! 私だって女子だから気になるんだもん!」

「その動揺、マヌケは見つかったみてーだな」

穂乃果「ほらほら吐きねぇ吐きねぇ。大丈夫、痛いのは最初だけだから……」

にこ「そうよそうよ。そろそろ高校の頃の話も聞かせなさいよ」ニヤニヤ

雪乃「に、にじり寄らないで頂戴っ。嫌よ、何も話さないんだから」

(……可愛い人だなぁ。同じ女から見ても)

卯月「どうなんですか、どうなんですかっ」

にこ「……あれ? 次の駅……」

穂乃果「ああ”っ! ゆきのんの最寄りだっ!?」

卯月「東京……とっくに出ちゃってます……」

「今から引き返して電車ある?」

きらり「にぃ☆」

「……。ねぇ、プロデューサー」

雪乃「……はぁ。仕方ないわね、今晩だけよ。言っておくけれど六枚も布団はないわよ」

穂乃果「やったーっ! お泊りお泊りっ♪」

卯月「尋問の続きですっ」

きらり「うー。きらり、おっきいから邪魔じゃない?」

「だいじょぶだいじょぶ、にこが風呂で寝ればいいんだよ」

にこ「さらっとなんてこと言ってんのよ!? 嫌よっ、明日ダンスレッスンなんだからぁ!」

雪乃「……帰りたい」

きらり「帰ってるよー?☆」

雪乃「知ってるわ……」


149 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:16:40.88 NSPCnO+e0 136/531

<帰り道、旧クール>

武内P「……高垣さん。ああ言った露骨な行動は控えるように言ったはずですが」

「違うでしょう? プロデューサーさん」

「二人の時は、楓で、って言ったじゃないですか」

武内P「……自分はもう、プロデューサーではないので」

「私にとっては、ずっとプロデューサーさんですよ」

武内P「……あなたがそのように不用心だから、私が脅されたりするんですよ」

「はい?」

武内P「……まあ、あれは私にとってもWinWinでしたから、良いのですけど」



「わたしがー、おばさんになーってもー♪」

武内P「……古い歌を、歌われるのですね」

「若い子にはまだ負けませんけどね。ふふふっ、会ってなさすぎて、おばさんになるかと思っちゃった」

武内P「最近、会えなくて申し訳ありません」

「ふふふっ、良いんですよ。たまにこうして会えるなら」

武内P「最近、記者も多い。気を付けないといけません」

「……いつか、人目を気にせず会えるといいですね」

武内P「あなたがアイドルである限り、それは不可能でしょう」

「そうです、ね」

武内P「怨みますか。アイドルという存在を」

「いいえ。歌うのは好きですし、あなたに会えたから」

武内P「…………」

「早く、頂点に立って。あなたを迎えに行きますから」

武内P「……」

(そんなことを言って、あの人はうっすらと笑った。そんな顔が大好きだった)

(早くあなたの下に行きたいから。……必ず、頂点へ)

「765プロなんて、なむこのもんじゃい。……ふふふっ」


150 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:17:58.03 NSPCnO+e0 137/531

<五月最終日:キュートプロダクション事務所>

雪乃「もう後戻りはできないわよ。いいのね?」

八幡「俺は、あいつらならやってくれると思っている。本番までの伸び率も加味してな」

戸塚「ぼくも大丈夫だと思う。経験から考えると確かにちょっと早いかもしれないけど、でも、やってみる価値はあるよ。あとは矢澤さんの意志次第だね」

八幡「矢澤はなんて言ってた?」

雪乃「……面白いからやってみなさい、ただ」

八幡「ただ?」

雪乃「並大抵の出来だったら、私の背景にもならないわよ、だそうよ」

八幡「はっ、大した自信だ。頼もしい限りで」

戸塚「そう言えるだけのものを持ってるからね、矢澤さんは」

八幡「じゃあ、頼む雪ノ下。無茶言ったんだ、折衝とかその部分は俺がやる」

戸塚「えー、ぼくも混ぜてよっ。ぼくだって本田さんの担当なんだしさ」

雪乃「それじゃあ、新しくできた作業分は三等分で行きましょう。……残業祭りね?」

八幡「おおよそ祭りってもんにいい思い出がないんだが……」

雪乃「また雑務なのね。宿業なんじゃない?」クスクス

戸塚「今度はぼくも運営委員の仲間入りだねー、ふふっ」

八幡「あいつらには誰が言うんだ?」

雪乃「あら、あなた以外に誰が言うの?」

戸塚「言いだしっぺが責任取らないとねー!」

八幡「マジか……。わかったよ。まずは星空に連絡からだな」


151 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:19:57.33 NSPCnO+e0 138/531

<夕方:養成所レッスン室201>

星空凛「ん……? しぶりん、ちょっと来てー? あ、二人はそのままストレッチしてていいよ」

「あ、はい」

未央「はぁい……。今日も疲れたなぁ、アイドルってみんなこうなのかなぁ」

卯月「…………」

未央「し、しまむー? しっかりぃ!」

卯月「心なしか、最近、量が……増えてる…気が……」



星空凛「もっかい声のテストしてみよっか。ピアノで音出すからね」

「え? でも、先月やったよね?」

星空凛「いいからいいから。せーのっ、La La La La La La……」

「――らーらーらっ、けほっ、けほっ。あーダメ、ここは出ない。ミックスボイス? って言うの? まだ全然わかんないんだよね」

星空凛「うん……やっぱりすごいにゃ」

「先月よりちょっとは出てたかな?」

星空凛「ちょっとどころか、高いほうが地声でhiDくらいまで出るようになってるにゃ……」

「あ、ホントですか? やった、嬉しいな。前は裏っぽくしてCが限界だったから、悔しくてさ」

星空凛「……うん! すごいにゃ! よしよーし!」

「わっ、凛さん。髪やめてよっ、今汗かいてるんだからさ」

星空凛「細かいこと言わないっ。このこのー! やるじゃん!」

星空凛(この伸び具合……。ひっきー、この子たちならきっとやれるよ!)


八幡「ういっす、お疲れさん」

卯月「あ、比企谷さんだ!」

未央「おっすおっすハチくん! 差し入れはっ?」

八幡「ある。星空、全員着替えさせてから休憩室に集めてくれ。例の話するから」

星空凛「おっけー! ああもうっ、楽しみだなあ!」

八幡「あぁ? お前、さっきまだ早いと思うにゃーとか言ってなかったか?」

星空凛「さっきはさっき、今は今! もうね、凛はこの子たちの今後が楽しみっ!」

「さっきから何言ってるの?」

八幡「話してやるよ。着替えて来い」



152 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:20:53.51 NSPCnO+e0 139/531


星空凛「よっし、全員傾注っ! お話を聞くにゃ!」

八幡「よし、じゃ、直球で言うぞ。お前らには来月末のライブに出てもらう」

未央「えっ、ライブ!? やったぁ! ついにだー!」

卯月「うわぁ……ライブ、ライブですよっ、凛ちゃん!」

「へえ……。ねえ、どこでやるの?」


八幡「Zepp東京だが?」


三人「………………は?」

卯月「あ……あ……」パクパク

未央「いやいやいや!! 何言っちゃってんの!?」

「何。逝っちゃってんの……?」

八幡「あー、つってもお前らの名義じゃない。名目は、矢澤にこのサポートだ」

八幡「お前ら三人には、矢澤にこのゲスト兼バックダンサーとしてライブに出てもらう」

八幡「ニュージェネレーションズ、初舞台だ」

星空凛「うーっ! テンション上がるにゃー!」


153 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:22:56.02 NSPCnO+e0 140/531

<夜、パッションプロダクション事務所>

戸塚「ただいまー……ってあれ、本田さん。珍しいね」

未央「あ、うん。たはは、ちょっと急すぎてびっくりしちゃって……落ち着かなくて」

戸塚「ふふ、紅茶飲む? 雪ノ下さんほど上手じゃないけど」

未央「ホント!? 飲む飲む!」



未央「ふぅ……。なんだか落ち着くねー」

戸塚「そっか、良かった」

未央「さいちゃんも大変だねぇ、一人でこーんなお転婆たちを相手にしてさ!」

戸塚「あはは、楽しいからいいんだよ。むしろ本望って感じかな」

未央「楽しいから、ねー」

戸塚「アイドルは楽しくない?」

未央「……ぶっちゃけ、レッスンはキツくて嫌いかも。サボりたいのだ。だから目がキラキラしてるしまむーとか見ると罪悪感がさー」

戸塚「ははっ、ぶっちゃけるねー。でもわかるよ、ぼくも練習は嫌いだったから」

未央「さいちゃんってテニスやってたんだよね?」

戸塚「うん、まあね」

未央「結構強かったのー? さいちゃんって」

戸塚「うーん、まぁまぁくらいかな、あはは」

未央「さいちゃんにも嫌いなものってあるんだねー」

戸塚「あるある、人間だもん。でも練習はしたけどね」

未央「嫌いなのにぃ?」

戸塚「そうだねぇ」

未央「ねね、さいちゃんはどうして嫌いなものも頑張れたの?」

戸塚「……弱いって思われるのが嫌だったからかな。練習は嫌いだったけど、弱いって思われるのはもっと嫌だったから」

未央「さいちゃんって結構負けず嫌いなんだね」

戸塚「そうかも。ぼくってさ、よくかわいいかわいい言われるんだけどね」

未央「実際そうだし……」

戸塚「うーん、他人がどう思うかは置いといて、まあべつにそう言われるのが嫌ってわけではないんだけど。そう言われて負けると軟弱だなーって思われるちゃうじゃない?」



戸塚「ぼくは誰が何と言おうと男の子だからね。かっこよくありたいんだ」



154 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:24:52.58 NSPCnO+e0 141/531


未央「今のはちょっとかっこいいかも!」

戸塚「そう言われるとちょっと嬉しいな、あはは。本田さんははどうしてアイドルになったの?」

未央「だって、アイドルってキラキラしてるし可愛いし! あとはね、菊地真さんいるじゃん! 真くん!」

戸塚「ああ、菊地さんね」

未央「私もあんな風にかっこいい人になりたいなぁって。一回だけ765プロのライブを見に行ったことがあってね! もう目がハートになっちゃった」

未央「それで勢いでオーディション受けてっ、面接官にさいちゃんがいてっ、今に至るよー!」

戸塚「そっかそっか」

未央「でもアイドルって難しいんだね。踊りながら歌って笑うのって難しいし、練習は厳しいし。私はさいちゃんみたいに頑張るこだわりとかないしなぁー」

戸塚「……ふふ、そっか。じゃあ尚更もうちょっと頑張らなきゃね」

未央「ええー?」

戸塚「やる気はやりながら出すものだし、こだわりだって見つけるもの。今回の舞台はきっとチャンスだよ。がんばれがんばれ」

未央「……さいちゃんって、たまに思うけど考え方がちょっと体育会系っぽい」

戸塚「ふふ、こういうのは嫌い?」

未央「んーん! ギャップ萌えってやつだよ! 未央ちゃんはとてもいいと思います!」

戸塚「あっ、女子高生から褒められた。嬉しいな」

未央「さいちゃんって好みのタイプとかないの!? 女子高生は知りたいなー!」

戸塚「ふふ、ナイショだよ」

未央「えぇー。ケチィー!」

戸塚「いつか教えてあげるよ、いつかね。……そろそろ帰ろうか。送るよ」

未央「ねーねーさいちゃん、今日帰りにどっか寄ってかない?」

戸塚「だめー。直帰させます」

未央「ちぇー。あ、じゃあさじゃあさ」

未央「さいちゃん、LIVE終わったらデートしよっか。これからのこと、話そう?」


155 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:27:56.26 NSPCnO+e0 142/531

<六月初頭、レッスン室305>

ベテトレ「矢澤。まほうつかいの終盤のハーフテンポになるところのダンスが歌につられているぞ。注意しろ」

にこ「わかったわ。にこぷりの方はどうかしら?」

ベテトレ「そちらは大したものだ。特に問題はない。にしても君、ゲスト曲の方は完璧だな」

にこ「高校生の頃死ぬほどやりこんだもの。身体が覚えてるわよ」

ベテトレ「高校生ねぇ……」チラッ


星空凛「はいダメー! 三人ともダメー! バミってる所からまたズレてるにゃ。一人だけ踊れたらいいってのはソロの時だけだよ。バックダンサーはその名の通りバッキング。緻密にやらなきゃだめにゃ。言い方は悪いけど誰も君たちを見に来てるわけじゃないよ。でも、乱れたら一発でバレるんだよ。気になるもん」

「なんだか、損してるって感じだね……」

星空凛「それでも、やんなきゃねー。これが出来るようになるとソロの時の精度がケタ違いにゃ。どんなことも経験になる!」

卯月「頑張りますぅ……」

星空凛「ダンスするとき、歩幅とか腕の振り幅とかを意識するといいにゃ。大袈裟に言えば百回やって百回同じ動きをやれるようになれればいいの!」

未央「Oh... ダンサブル精密マシーンだ!」

星空凛「そうだそうだ! 機械になるのにゃ! 無論コーラスのピッチもね?」

「うぐっ……」

星空凛「しぶりんはつられ過ぎ! 主旋律歌わないの! ちゃんと三度上でハモる! おらおらやり直しにゃ!」

三人「はぁい……」



ベテトレ「ふふ、星空君は容赦ないな。どうだい、彼女たちを見て」

にこ「……大したもんよね。この前まで普通の学生だったんでしょ?」

ベテトレ「そうだな。彼女たちの才能を加味しても、星空君の指導力が優れている証左だろう」

にこ「ま、でも見に来てる人たちにはそんなの関係ないからね。厳しくしてもらうべきね」

星空凛「にこちゃん、も一回合わせてもらっていい?」

にこ「ふふ。はいはい、何度でも」

卯月「今度こそ間違えませんから!」

にこ「あら、いいわよ間違えて」

にこ「たかが後ろ三人間違えても、私のステージは変わらないわ。安心してヘマしなさい」

「……!」

ベテトレ「よし、ではセトリの一曲目から行こう。これは本当にダンスとコーラスのみだからな、私も君たちの指導に入ろう」

未央「よろしくお願いしますっ!」

星空凛「よし、いくよー!」


――1、2、3、4!


156 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:29:41.57 NSPCnO+e0 143/531


星空凛「よーし、いったん休憩ね!」

「ふぅ……。まだまだ、だね」

未央「私もだー。まだまだ、もっともっといけるっ!」

卯月「今日は二人とも、モチベーションがすごいです!」

未央「うんうんっ、ライブが終わったらご褒美あるからねっ! モチベも上がるってもんだよ」

卯月「そうなんですか?」

未央「そうなのだ! さいちゃんに貰うんだー」

卯月「へえ……わ、わたしも雪乃さんに何かお願いしようかな」

「あ、雪乃さんって言うようになったんだ」

卯月「うんっ♪ この前、みんなで雪乃さんちにお泊りしたんだよ!」

未央「へー! あ、そういえばしぶりん」

「ん? なに?」

未央「新しい靴、買ったんだね! それ凄いかっこいいよ!」

卯月「あっ、だから今日はいつもよりモチベ―ション高いんですね♪」

「ふふっ、そうかも。買ったんじゃないんだけどね」

卯月「買ってもらったんですか?」

「……うん。初任給だったんだって」

星空凛(……あ。なるほどね)

「ガラスの靴じゃないってところが、あの人らしいよね」



157 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:31:39.12 NSPCnO+e0 144/531

<数日後。都内某所:撮影スタジオ>

カメラマン「凛ちゃん、久しぶりだね!」

「お久しぶりです、また一緒にお仕事ができて嬉しいです」

八幡「お久しぶりです。渋谷、スタイリストさんが到着したらしいからメイクを」

「わかった。行ってくる」


カメラマン「凛ちゃん、大分慣れましたね。物怖じしなくなりました」

八幡「まぁ、ちょっとビビってるくらいの方が可愛げがあっていいんですがね」

カメラマン「ははは、今のはオフレコにしておきますよ。今回は急なお話ですいませんね」

八幡「いえ、むしろありがたいくらいです。まだまだ新人ですから、仕事を頂けるのはあいつにとって本当にありがたい。自分も意外なところにコネがあるんだと上から思われるし、いいことしかない」

カメラマン「あっはっは! いいですね、そういう風にぶっちゃけてくれる人は僕は好きですよ。それに、今回の企画に合っている」

八幡「ロックバンド系女子……でしたっけ」

カメラマン「ええ。僕はこの前の撮影の時の凛ちゃんのアレが忘れられなくてですね。まさしくロックだったじゃないですか。いい子いないかってたまたま先方に聞かれたもんで、写真提出したら向こうが最高じゃないかって言ってくれまして」

八幡「……何が次の仕事に繋がるかわかんねえもんだなぁ」

カメラマン「ははは、この業界って思ったより狭いですからね。コネは大事ですよ」

八幡「つくづくぼっち殺しの業界だよなぁ……」


158 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:34:49.49 NSPCnO+e0 145/531


「プロデューサー、お待たせ」

八幡「お? ……おお」

八幡(ストライプが入った青いジャケットとスカートに着替えた渋谷は、やはり綺麗だ。いつものピアスもリングに変わっている。右手の指出しグローブなんて、普通の人が付けると痛いだけなのに彼女が付けると話は別だった。……カッコいいな)

八幡(極めつけは身につけたベースだった。茶色と黒……サンバーストって言うんだっけか? クールな彼女に似合う落ち着いた色だと思った。なんか、ギターじゃないところもこいつらしいな)

八幡「似合ってんな」

「……あ、ありがと。素直だね。それにしてもベースって意外と重たいんだね」

八幡「ただの感想ぐらい普通に言うわ。おい、そのベース高いんだから気を付けろよ」

「え? そうなの?」

八幡「サイトに載る販促用だからな。いいやつらしい。三十万は超えるぞ」

「ええぇ!? ちょ、ちょっ、それなんで今言うの!」

八幡「なんだっけ、サト……サトウスキーだっけか? そんな感じのメーカーのやつだ。あ、社員さん来たな、始めるぞー」

「知らなければ幸せなことってあると思うんだ……」



社員「それではスナップの方は終了ですっ。お疲れ様でした。それから今回は聞いていると思いますがスナップと同時に、雑誌付録の動画の方も撮影させていただきますね」

「はい。プロデューサーにそのことは聞かされてるんですけど、どんな風の動画を取るのかっていうのは詳しくは聞いてなくて」

社員「ああ、それはわたしがお願いしたんです。前情報なしで撮らせてもらいたかったので!渋谷さんには本当にゼロの状態からベースのレッスンを受けてもらって、その様子を収録するって感じの動画にしたいなって思ってます」

「あ、そうなんですか。ふふっ、楽しみかも。レッスンはどなたが?」

社員「僭越ながらわたしが担当させていただきます。わたしも昔はバンド女子だったんですよ」

「へえ、そうなんですか! だから音楽の会社に勤めているんですね」

社員「あはは、三つ子の魂ナントカって言いますか。いつの間にか仕事になっちゃいました」

「……そういうの、すごくいいと思います」

社員「ありがとうございます。カメラマンさん、準備は大丈夫ですか?」

カメラマン「いつでもおっけーです!」

社員「はい、じゃあいきまーす」

「よろしくお願いしますっ」


159 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:36:46.70 NSPCnO+e0 146/531



社員「――なので、チューニングするときは四弦から順にE、A、D、Gとなります。曲によってはここから半音ずつ下げたりもしますね。ちなみにさっきの撮影用のベースにはヒップショットというものがついてまして、一瞬でドロップDチューニングに――」


社員「それじゃ、一曲やってみましょうか!」
「えっ、早くない……?」
社員「いえいえ、本当に簡単ですから! 時間かかっても編集いじれば全然OKですんで。じゃあこれをやってみましょう、Don't say lazy」

「あ、私これ知ってるよ。アニメのやつだよね。ふふっ、私は右利きだけど」

社員「そうです! この曲は入門に最適で見せ場もあるので是非是非――」



社員「はい、それではおしまいです! ありがとうございました」

「ありがとうございました! ……その、すごく楽しかったです」

社員「ふふふ、わたしもです。この次も機会がありましたら是非」

八幡「ありがとうございました。こちらこそ願ってもないです」

カメラマン「ううん、こういう場を見るとこの業界にいて良かったと思うんだよなぁ……。安いけどさ」

社員「あはは、それは言いっこなしですよ」

カメラマン「おっと、やべやべ。凛ちゃんもオフレコでお願いね。上に怒られちゃうからさ」

「ふふっ、わかりました」


160 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:39:38.31 NSPCnO+e0 147/531

<移動中、車内>

「プロデューサーって運転上手いよね」

八幡「そうか?」

「うん、性格出てるって感じかも。安全運転」

(車間距離も広めだし、煽られても無反応ってところも)

八幡「当たり前だ。送迎中に事故に遭ったらどうすんだ。責任取れん」

「女の子は結構キズモノにされたいものなんだよ、ふふ」

八幡「抜かせ。変なのに捕まんなよ」

「……初恋もまだなんだよね。ちょっとは捕まってみたいかも」

八幡「……意外だな」

「そう? 確かに、少数派だとは思うけど」

八幡「なに、お前とかアイドルやるくらいだから大層おモテになるんじゃないの」

「……否定はしないけど」

八幡「うっわ、嫌な奴」

「でも、プロデューサーは多分、自分の値段がわかってるのに表に出さないような子の方が嫌いだよね」

八幡「…………よくわかったな」

「まあね。あ、信号青だよ」

八幡「あ、ああ」

「……色んな人がさ、……こくはく、してくれたりするんだけど、ね」

八幡「贅沢な悩みなこった」

「付き合ったことだってないわけじゃないよ。一度もしたことのないのに下らないって決めつけるのはなんかおかしいかなって、一回、中学の時。……でも、結局手を繋ぎもしないまま終わっちゃった」

「好きってなんなのか結局わかんなかった」

八幡「中学生の恋愛なんてそんなもんじゃねぇの」

「……ん、そうかもしれないけど。それから今に至るまでいろんな人に声をかけられたんだけどね。……見た目が好みだとか、ちょっと話しただけだったり、とかだけでさ」

「私が恋愛に理想を抱きすぎなのかもしれないけど」

「――少なくとも、それは本物じゃないのかなって」


161 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:41:16.01 NSPCnO+e0 148/531


八幡「っ!」

「? プロデューサー、どうかした?」

八幡「なんでもねーよ」

(……なんでもなくなさそうなんだけどな)

「ねね、プロデューサーは?」


――ききっ。


「わっ」

八幡「着いたぞ。降りろ」

「……逃げたね?」

八幡「何度も言ってるだろ、俺の思い出なんて痛いものばっかりだ。触れても誰も得しない。そんな暇あったらレッスンしとけ」

「いいもん。戸塚さんに聞くから」

八幡「あいつは何も知らねぇよ。良くも悪くもな」

「じゃあ、雪ノ下さん」



八幡「やめろ」
八幡「絶対に、やめろ」



「う……ご、ごめん」

八幡「! わ、悪い。怒ってる訳じゃねぇから」

「ううん、ごめん……。今のは私、無神経だった……」

八幡「……帰りは迎えに行けない。そのまま直帰で頼む」

「……わかった」


――ばたん。ぶぅーん。


162 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:43:58.01 NSPCnO+e0 149/531


「……ああああ。やっちゃった。やっちゃった! 馬鹿だ私!!」

「……冗談とかじゃなくて、ホントに触れちゃダメなところだったんだ」

「……ああ、私、何やってんだろ。馬鹿馬鹿馬鹿。なんにも上手くできてないじゃん……」

「うう、どうしよ、嫌われちゃったかな……? 謝んなきゃ……! うあああああ……!」

「…………はぁ」

「……雪ノ下さん、羨ましいな」

「……羨ましい?」





<夜、クールプロダクション事務所>

八幡「まーっつりだ、まつりだまつりだ」カタカタカタカタ

絵里「きょーおーは楽しい残業祭り~」カタカタカタカタ

八幡「……楽しくねぇよ」カタカタカタカタ

絵里「だめ。言ってはダメよ。終わらないから……。そっち終わりそう?」カタカタカタカタ

八幡「仕事は辞めることはあっても終わることはないんすよ……」カタカタッターン

絵里「知ってるわ……。進捗よ進捗」

八幡「予算の見積書は今終わりました。次は当日撮影してくれるところに送る仕様書を……」

絵里「え? 予算終わったの?」

八幡「一応。まあ上のチェック次第でリジェクトもあり得ますけど……」

絵里(……予想より早いわ。明日の昼頃を予想してたのに。成長してるのね)

絵里「やるじゃない。私はもう必要ないかしら」

八幡「何言ってんすか。絢瀬さんの方は?」

絵里「今絶賛再来月のアレのエントリー書いてるわよー。最初だけ色々手続きあってめんどくさいのよねー……」

八幡「あれ? 俺が送ったアーニャの報告書のチェックと楓さんのレギュラー番組のディレクターさんが、仕様変更に伴うリテイク出してきたやつどうなりました?」

絵里「へ? それはもう昼前には終わったわよ?」

八幡「…………マジすか」

八幡(仕事早すぎだろ……。俺だったら今日日付変わるまで戦っても終わんねぇぞ)

絵里「なぁに? どうかした?」

八幡「絢瀬さんはすげーなと思って。俺だったら終わりませんよ」

絵里「……」ピクッ


絵里「絢瀬さん、なんだ」


163 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:48:17.59 NSPCnO+e0 150/531


八幡「へ?」

絵里「ふぅん……」

八幡「ん、なんのこと……あ」

絵里「思い出したの?」

八幡「う……。ていうか、絢瀬さんも覚えてたんすね」

絵里「え?」

八幡「だってあの時、腕に」

絵里「え、あっ」

八幡(そう言うと絢瀬さんは透き通るような肌を、あの時みたいに真っ赤にした)

絵里「わ、忘れなさい!」

八幡「忘れろっつったり思い出せっつったり何なんすか……」

絵里「違うの、違うのよぉ! アレはお酒のせいなんだからっ。ああ、なんで私あんなこと……あああっ! 恥ずかしい! 死にたいっ」

八幡「まぁ結構飲んでましたからね。矢澤が結構勧めてくんだよな……曲者だわあいつ」

絵里「……ほらぁ、にこには敬語使わないくせに」

八幡「え、いや、だってあいつは矢澤だし」

絵里「私だって絢瀬絵里なんだけど? あ、そういえば凛と花陽にもっ」

八幡「勘弁してくださいよ。あいつらは年下じゃないすか……」

絵里「え? にこは私と同い年よ?」

八幡「え、マジすか。いやあいつはそういうキャラだからいいんだ」

絵里「むー……。μ'sは敬語禁止なのよ?」

八幡「俺μ'sじゃねぇし」

絵里「もうっ! ああ言えばこう言うんだから!」


――ぶーん、ぶーん。

八幡「あ、電話……渋谷からか。すません、出ていいですか?」

絵里「電話終わっても逃がさないんだからっ」

八幡「……こういうところが渋谷と違ぇ。はい、もしもし」ピッ


164 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:50:06.92 NSPCnO+e0 151/531


『あ、も、もしもし。渋谷ですけど』

八幡「知ってる。名前出るっての」

『そうなんだけど、電話するの初めてだからちょっと緊張しちゃって』

八幡「いまさら俺相手にする遠慮なんてあんのか」

『ふふっ、そういえばないね』

八幡「それはそれで何かアレなんだが……。で、なんか用か」

『あ、その、今日……ごめんね?』

八幡「……まだ気にしてんのか」

『だ、だって。ちょっとしつこかったのは本当だし……。あの、……ごめんなさい。嫌わないで、欲しい、かも』

八幡「……いいよ、そんなもん。一々気にしてねぇっての」

『ほ、本当!? ……良かったぁ』

八幡「用はそれだけか? 切るぞ」

『……む。用がなきゃ電話しちゃいけないの?』

八幡「そうは言ってねぇだろ。仕事中なんだよ」

『えっ? まだ仕事してるの?』

八幡「そうだよ、泣きたくなってくる。その、なんだ。……絵里、さんがまだ仕事してるから。早く戻りてぇんだ」

絵里「!」

『わかった。ごめん、邪魔したね』

八幡「ああ、じゃあな」 ピッ


八幡「……これでいいんでしょ」

絵里(電話を切ると、彼は一緒に私との視線も切ってぶっきらぼうに言った。きっと照れてる。大人びた彼のそんな子供っぽいところが微笑ましい)

絵里「ふふ、可愛いわね」

八幡「言っときますけど、呼び方だけですからね。よっぽど特殊じゃないと先輩にタメ口なんて俺には無理です」

絵里「えー」

八幡「えーじゃないです。てかマジで勘弁してください……」

絵里「ま、いっか。今のところはそれで許してあげる」

絵里(つい緩んでしまう私の表情を誰が責められるって言うんだろう。後輩いじりに満足した私は、再び仕事に意識を集中していった)


165 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:51:01.13 NSPCnO+e0 152/531


八幡「――さん」

八幡「絵里さん」

絵里「っ!? は、はい!」ドキッ

八幡「集中してるとこすいません。この部分なんですが」

絵里「ちょ、ちょっと待ってね。聞いてはいるから口で問題個所を言ってくれる?」

絵里(こ、これ、思ったよりドキドキするわね。慣れるかしら?)

絵里(……それにしても)


「……私は渋谷で」


八幡「ここは雪ノ下が言うには――」


絵里(雪ノ下さんも雪ノ下で)

絵里(私だけが絵里、か)



「……何か、いらつく」
絵里「……何か、いいわね」


166 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:53:20.07 NSPCnO+e0 153/531

<ライブ二週間前、昼。346プロタレント養成所レッスン室201>

『――にこっ☆』

ベテトレ「よし。それまで」

「……ふう」

卯月「やった! やりましたっ、ノーミスですっ!」

未央「あれれ? 今日、あんまり疲れてない?」

にこ「基礎体力ついてきたんじゃない? 凛のレッスンって体力つくから」

星空凛「にこちゃんも久しぶりにやってみるー?」

にこ「本番明日だから遠慮しとくわ。どう考えても調整向きじゃないわよあの内容……」

星空凛「えー、つまんなーい」


八幡「おお、今のは良かったんじゃないか」

雪乃「ひとまず基準点はクリア、と言ったところかしら」

八幡「厳しいな」

雪乃「そうかしら。現状だと矢澤さんだけに視線が集中してしまう気がするわ」

八幡「あくまでメインは矢澤だろ?」

雪乃「否定はしないけれど、わざわざバックダンサーを入れるのよ。一人でやっているのと変わらないのならやる意味はないわ。少なくともこの数曲は個としてより群として完成しなければ駄目よ」

ベテトレ「……本当に346の人間は優秀だな。私から言うことが無くなってしまったよ」

雪乃「いえ、そんな。出過ぎたことを申しました」

ベテトレ「何を言うんだ、建設的な意見とは誰が口にしてもいいものなんだよ。いやしかし、慧眼だね。雪ノ下さんはまだ現場に出て数年なのだろう? ……才能の世界か。社の方針通りだな」

八幡「『才能が輝く世界を』、ねぇ」

雪乃「胡散臭い方針よね、相変わらず」

八幡「全くだ」スタスタ

雪乃「どこに行くの?」

八幡「休憩がてら飯頼んでくるよ。矢澤に至ってはすぐに移動だし、小泉のおにぎりでも頼んでくる」

雪乃「あ、なら一つだけ。道中で双葉さんを見たら回収してきてくれるかしら」

八幡「は? あいつ、今日いんの?」

雪乃「午後からだから引っ張ってきたのに気付けばいなくなっていたのよ……」

八幡「遠い目すんなよ……わかったわかった、見つけたらな」


167 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:55:15.56 NSPCnO+e0 154/531

<食堂>

八幡「おう、小泉」

花陽「あ、比企谷さん。お疲れ様です!」

八幡「お疲れさん。ちょっと早いが、レッスン終わったらすぐ昼食渡してやりたいから今からおにぎり頼んでもいいか? 多いが八人分頼む」

花陽「わかりました! ちょっと時間もらいますね。あ、おにぎりといえばっ! これどうぞ!」

八幡「ん? なんだ?」

花陽「試作品の塩おにぎりですっ! 塩の配分とか考えないといけないのでまだメニューとしては出さないんですけど、良かったら食べてみてほしいです!」

八幡「ああ、サンキュ。ちょっと双葉を探さなきゃいけないんで今食うってわけにもいかんが」

花陽「杏ちゃんですか? そういえばさっき門の辺りで見ましたよ」

八幡「マジか、どっちの方だ?」

花陽「あのたばこが吸える方ですっ」

八幡「サンキュ、ちょっと行ってくる」


八幡「いた。呑気に芝生に寝転びやがって……」

「あ、ひっきーじゃん。杏を連れ戻そうったって無駄だぞ! こんな天気のいい日にレッスンなんて論外だねっ」

八幡「全くだ。こんな天気のいい日は家から一歩も出ずに本読んだりゲームするに限る」

「……ひっきーって、北風と太陽なら太陽側だよね」

八幡「俺が何か言ってどうにかなるならそうしてやるけどな。それに自分の分じゃない仕事はしない。面倒くさい」

「杏は面倒くさいことから解放されたくてアイドルになったのに、これじゃあ逆だよ逆」

八幡「雪ノ下の口車に乗せられたか」

「乗ってみたらトゲつきだったんだよ……。あーあ、ひっきー飴持ってない?」

八幡「生憎これしか持ってねえな」

――かちっ。しゅぼっ。

「その飴、おいしい?」

八幡「ふー……。苦いぞ、やめとけ」

「心配しなくても杏にはムリだよ。アイドルだしこんな身体だし」

八幡「は、確かに似合わねぇな」

「やれやれ、きらりの分を少しわけてもらえたら杏も煙草の似合う大人の女なのにさっ」

八幡「そういう問題じゃねぇと思うが……」



???「ううー……。ここどこなの~……。お腹も空いてきたの……」


168 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:56:54.16 NSPCnO+e0 155/531


八幡「……おい、あそこで歩いてる女の人、フラフラで倒れそうじゃないか?」

「ホントだ。まぁ今日は暑いからねぇ……」

八幡(帽子を深めに被ってるから顔がよく見えねぇが……金髪、だな。しかしいいスタイルしてんな。モデルか? アイドル業界でもあのプロポーションは中々お目にかかれないぞ)

「ヒッキー、鼻の下伸びてるよ。あと目が腐ってる」

八幡「後者は元々だっつの」

八幡(双葉とだらけたやり取りをしていると、女性は俺たちの目の前を通りがかったあたりでへなへなと崩れ落ちた)

八幡「! おい、大丈夫か」

???「お……」

「お?」

???「お腹空いたのぉ……」

八幡「……聞き違いか。なんて言ったこの人」

「シーセッドアイムハングリー」

八幡「この飽食の時代になんて人騒がせなやつだ……」

「ほっとくわけにはいかないけどね。杏食べ物何も持ってないよ」

八幡「あ、待て。小泉から貰ったおにぎりがあった」

???「おにぎり!?!? 欲しいのっ!!!」

八幡「うおっ、なんて食いつきだ! やるから襟から手を放せっ、ほら」

八幡(そいつは俺の手からおにぎりを奪うと即座に口に運び、……震え始めた)

???「お…………」ブルブル

「お?」



美希「美味しすぎるのっ!?!? なんなのなのこのおにぎり!! こんなのミキ初めてなのっ!!」



169 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 12:59:11.18 NSPCnO+e0 156/531


「!! ……まさか、本物?」

八幡(彼女が叫んだ拍子に、一瞬だけ帽子がずれて顔が見えた。芸術品のように整った身体にまさに相応しい、と思わざるを得ない。何より特筆すべきは、その眼だろうか)

八幡(まるでエメラルドをはめ込んだようなその瞳は、吸い込まれそうなほど透き通っていた。双葉もそれにやられたのか、ぽかんと立ち尽くしている)


美希「ねぇねぇおにぎりの人! このおにぎりどこに売ってるの!?」

八幡「おにぎりの人って……。これは売ってない、うちの食堂のやつだ」

美希「えーっ!? 売ってないの?」

八幡「346のタレント養成所の食堂な。食いたきゃタレントになれ」

美希「タレント養成所……わかったの! 今日はお仕事だから急ぐけど、今度また食べにくるの。ねえねえ、そこの小さい子、駅はどっち?」

「あ……、そこの道、真っ直ぐ歩けばすぐだけど」

美希「ありがとうなの! それじゃ、またねー!」タタタッ


八幡「何だったんだ今の……。台風みたいだったな」

「……ヒッキー、もしかして気付いてないの?」

八幡「ん? 何が?」

「わかんないなら、わかんなくていいと思う。ところで何あげたの? さっき」

八幡「小泉特製の塩おにぎり。まだ試作品らしいが」

「……えらい相手に塩を送っちゃったねぇ」




<移動中、車内>
「ここからどれくらいなの?」

八幡「あと三十分ってところだな。うちのお得意先らしい」

「ふーん、お付き合い長いの?」

八幡「いや、ブランドの歴史自体は短いんだが、うちにコネがあったらしくてな。業界でも一目置かれてる新鋭らしい。社長は俺と同い年なんだと」

「へえ、すごいね。……ちゃんとした衣装って着たことないから、ちょっと楽しみ」


170 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:00:57.64 NSPCnO+e0 157/531

<都内某所:服飾店「Little Birds」事務所>

八幡「初めまして、クールプロダクションのプロデューサーの比企谷八幡です」スッ


ことり「ご丁寧にありがとうございます! Little Birdsの南ことりです!」スッ


(うわあ、可愛いなぁ……。声であたまがとけちゃいそう)

ことり「クールってことは絵里ちゃんがいるところですよね! 元気にしてますかっ?」

八幡「ええ、元気ですよ。知り合いということはやっぱり?」

ことり「えへへ、はい! わたしもμ'sの一員ですっ」

八幡(この人もか。あと会ってないのは……二人か? しかし個性派揃いのグループだな)

ことり「今日はわざわざお忙しい中ありがとうございます! やっぱり受注生産だから、どうしても最初はクライアントさんと顔を合わせておきたくて」

八幡「いや、当然のことです。渋谷、挨拶しとけ。これから先きっと何回もお世話になるから」

「うん。アイドルの渋谷凛です。よろしくお願いします」

ことり「うんうんっ、よろしくね! ……凛ちゃん、可愛いね~! 写真よりずっとずっと可愛いよ!」

「え、あ、そんなことない、です」

ことり「そんなことあるある! ねねね、この前作った服があるんだけどちょっと着てみない!? 凛ちゃんきっとゴスロリとか似合うと思うんだぁ、あっでも趣味で作ったチャイナドレスとかも捨てがたいかも! あれもいいな――」

八幡(以下、南さんの忘我の時間が数分程度)


171 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:03:54.68 NSPCnO+e0 158/531


ことり「ごめんなさぁい、取り乱しました……」

「い、いや」

八幡「μ's慣れしてきたんで大丈夫です」

ことり「ほんとぉ? うー、恥ずかしいな。とりあえずお仕事のお話しますね?」

八幡「はい、お願いします」

ことり「今回はにこちゃんのバックダンサーをするんだよね。ということは、衣装はにこちゃんのものに合わせた感じがいいですか? にこちゃんの衣装も私が作ってるんです、完成品の
写真はこんな感じですっ」ピラッ

「うわ、可愛い……」

八幡「それに関しては、残りの二人のプロデューサーと協議したんですが。矢澤が可愛い系の衣装で攻めるんなら、あえて後ろはクールな感じの衣装の方が映像として映えるだろうって結論になりました」

ことり「なるほどなるほど、ちょっとシックよりな感じがいいんですね。白いシャツとグレーのベスト、みたいな」

八幡「あ、そんな感じです」

ことり「ちょっと待ってくださいね、今似てるようなデザイン図出しますから……はいっ、こんな感じです!」ピラッ

「! これ、いい」

八幡「良いと思います、三人で話したイメージにとても近い」

ことり「そうですか! でも既存のものをそのまま出すってなるとちょっと嫌だから、これに少しアレンジしちゃいますね。ハットとか付けるといい感じになるかもぉ」

八幡「そうですね。いっそのこと指ぬきグローブくらい突き抜けてもらって」

ことり「はぁあそれ良いですっ。いただき!」

八幡「大体の方針はそういう感じでお願いします。アレンジ加えたもののデザインが上がればすぐにこちらに送付してもらえれば」

ことり「わかりましたっ。それじゃー採寸だけさせてもらっていいかな?」

「はい、お願いします」

八幡「じゃ、俺は出てるんで」


ことり「……ふふっ」

「? どうしたんですか?」

ことり「なんかね、凛ちゃんって海未ちゃんと雰囲気似てるなって」

「そ、そうかな」

ことり「うんうんっ、カッコいいのにかわいいところがね」

「……愛想悪いってよく言われるのに」

ことり「そんなことないよっ、凛ちゃんは可愛いよー?」

「う……」

ことり「謙遜はなしっ。あのね、自分で自分のことかわいくないって思っちゃうと本当にそうなっちゃうんだからね! わかった?」

「……うん、わかった」

ことり「よろしい。今度言ったらことりのおやつにしちゃうぞー?」

「はい。……ありがとう、ございます」

ことり「そうやって照れると可愛いところがますます海未ちゃんと似てるー! きゃー!」

(一番可愛いのって、実はこの人なんじゃないのかな……。絵里さんといい、μ'sはずるい)


172 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:06:55.11 NSPCnO+e0 159/531

<夜、クールプロダクション事務所>

絵里「今日は先に上がるわね。定時なんていつぶりかしらっ」

八幡「お疲れ様です。あ、また会いたいって南さんが言ってましたよ」

絵里「あら、ことりと会ったのね。私もまた会いたいな……。元気だった?」

八幡「渋谷に興奮して服めっちゃ着せようとしてましたが」

「実は採寸の時に何着か着せられたんだよ……」

絵里「ふふ、相変わらずね。安心したわ。……おっといけない、約束に間に合わないわ。それじゃ、お疲れ様。凛ちゃん、明日もレッスン頑張ってね」

「うん、ありがとう」


八幡「…………」カタカタカタカタ

「…………」

八幡「…………」カタカタカタカタ

「……二人、だね」

八幡「ん、ああ」カタカタカタカタ

「…………」

八幡「…………」カタカタ

「……最近ね、ちょっと楽しくなってきたんだ」

八幡「……」カタカタカタカタ

「出なかった声が出るようになったり、勝手に身体が動くようになったり、お仕事でいろんな人に会えたりするとね。……ちょっと、楽しいかなって」

八幡「……そうか」

「色んな事がつまんないって私言ってたけど、そうじゃなかったのかもね」

「つまんないのは私だったのかも。まだ、言い切れないけど」

八幡「楽しめてきたんなら、何よりだ」

「うん」

八幡「…………」カタカタカタ

「…………」

「ステージ、楽しみだな」

八幡「…………楽しみにしてる」

「うん、頑張る」

「頑張るから、ご褒美欲しいな」


173 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:08:29.61 NSPCnO+e0 160/531


八幡「……ああ?」

「ライブの次の日、みんなオフでしょ?」

八幡「そうだな。でかいイベントが終わった後はできるだけ休みをくれるみたいでな、少なくともうちの事務所は休みだ」

「じゃ、その日ちょっと付き合ってよ。買いたいものがあるんだ」

八幡「えぇ……。学校の友達か本田と島村と行けよ。俺と言っても面白くねぇだろ」

「プロデューサーと、行きたいんだけど」

八幡「……蓼食う虫が湧く季節なのかね」

「だめ?」

八幡「……はぁ。わかったよ」

「やたっ」

八幡「お前が翌日外に出られるくらいのメンタルだったらな」

「もうっ、煽らないの」

八幡「はいはい……よし、終わり」ッターン

「あ、じゃあ私も。ね、帰りに何か食べていかない?」

八幡「天華一品に行きたいんだがそれでもいいならな」

「二十郎とどっちが厳しい?」

八幡「ベクトルが違うとしか言えねぇ……」

「ま、なんでもいいよ。一緒に食べられるなら」

八幡「……お前のようなやつと中学時代に出会わなくてよかったよ」

「え? なんで?」

八幡「さぁな」



(それからの毎日はあっという間に過ぎていった。無限に時間が足りていない気もした)

(ひとつだめなところが見つかると、もう一つだめな所が見つかった。それを直すともう一つ、というように)

(それでも私たちは時間がある限り鏡の前に向かった。この使命感はどこからくるのかな。失敗できないから? 大きい舞台だから? 初めてのライブだから? ……それとも、好きだから?)

(鏡と心に問いかけた。それでも答えは見つからない。だけどそれは、きっとステージの上にあるような気がしていた)

(――そして、とうとう前日がやってきた)



174 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:11:06.46 NSPCnO+e0 161/531

<ライブ前日、夜。ZePP東京>

スタッフ「はい、それでは舞台の確認に入ります。下から飛び出ての登場なので、足元の感覚は是非今回で掴んでおいてください。けっこう衝撃がありますので注意してください!」

三人「はいっ!」

スタッフ「矢澤さん、先に上手から入って位置の確認をお願いします」

にこ「わかりました」


八幡「でかいな……。初めて入ったわ」

雪乃「私も仕事で来るのは初めてね。キャパはスタンディングで二千四百人くらいだったかしら」

戸塚「あ、さっき情報来たけどもうソールドアウトだって! 当日券も出せないくらいらしいよ」

八幡「……あのちんちくりん、やっぱりすごいやつなんだな」

雪乃「そうね。やはりうちの主力だけあるわ」

戸塚「ぼく、PA席の方行ってくるね」

雪乃「私は少し物販の設営の方へ行ってくるわ。あなたはここで監督をお願い」

八幡「了解」

八幡(俺は大きな会場の一番後ろに行って壁にもたれかかって、舞台を見つめた。……思ったよりも遠い。ここからだとあいつらの顔までは見えないか? そんなことを思っていると、舞台の下からあいつらが飛び出てくる)
八幡(――島村を含め、誰も転倒しなかった。本田に至っては重力を手懐けたみたいだった。流石三人の中で一番動けるだけはある。……今日は、何も心配いらないな)


PA「はいそれでは、矢澤さんマイクテストお願いしまーす」

にこ「はい、よろしくお願いします。はーはーはー、つぇ、つぇ。にっこにっこにー! あなたのハートににこにこにー! 笑顔届ける矢澤にこにこー! にこにーって覚えてラブにこー!」

PA「……はい、ありがとうございます。それでは後ろの方々、同時にコーラスマイクの発声お願いしまーす」

三人「La――――」

PA「はい、ありがとうございます。それじゃあ逆からやってくんで、動き込みで最後の曲から通しでお願いします」

にこ「わかりました。……あんたたち、用意はいい?」


「はい!」
未央「ばっちこい!」
卯月「お、お願いしますっ!」

175 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:13:29.35 NSPCnO+e0 162/531


八幡(少し三人とも動きが固いか? 特に島村……いや、今更粗を探してどうなる)

にこ「未央の、えーっと、上手のコーラスマイクの返しを少し強めにお願いします。……はい、大丈夫です! それじゃあこの設定でお願いします」

PA「はーいよろしくおねがいしまーす。次の照明の設定までちょっと時間があるので、バックの方々はその間再度位置取りの確認をおねがいしまーす」


「広い、ね」

未央「そーだねぇ。お客さん、どれくらい入るのかな?」

卯月「チケットは完売だって言ってたよ」

「完売……」

(私たちが今立っている広大なステージに、チェック用の色とりどりの照明が降り注ぐ。スモークを炊いたりもして、私たちの表情は蒼く、朱く、非日常の色に染まる)

(そんな明滅する私たちの前に広がるのは、ステージなんかよりはるかに大きな闇。ここに明日、たくさんのお客さんが現れるらしい)

(嘘みたいだと思った。明日上手くやれるだろうか。不安をどろりと溶かして満たしたような深淵に、魂をもっていかれそうになる)

(そういえば聞いたことがある。こちらが深淵を覗いているとき、深淵もまた――)

「あ……」

(身体が震えた。にこさんに、二人にバレていないだろうか。私はごまかすように闇の奥を見た)

(――そこに、あなたがいた)


(顔まではわからないけれど、きっといつもの気怠そうな目で私を見てくれている)

(明日もそこにいるんでしょ? なんか、なんとなくそんな気がするんだ)

(そういえば、うまくいけば明後日はプロデューサーと出かけるんだっけ。なら、頑張らなくっちゃね)

(震えは止まった。明日、カッコいい自分でいたい)

「ずっと私のこと、見ててね」


176 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:15:29.66 NSPCnO+e0 163/531

<前夜、キュートプロダクション移動車内>

雪乃「それじゃ、明日は頼むわね」

にこ「任せなさいって。私があんたの前で一度でもヘマしたことある?」

雪乃「手間ならかけさせられているけれど? あぁ、この前現場でよそのアイドルに掴みかかったのは誰かしら」

にこ「うぐっ……。それは謝るけど! でもそれはあいつが!」

雪乃「わかっているわよ、プロ意識に欠けて気に入らなかったのでしょ。あなたのその感情的なところ、嫌いではないけれど損をするわよ」

にこ「……わかってるわよ」

雪乃「と、プロデューサーとしては言っておくわ」

にこ「?」

雪乃「雪ノ下雪乃としては、よくやったわ、と言ってあげる」

にこ「……あんた、やっぱり私のプロデューサーよね」

雪乃「それじゃ、体調に気を付けて」

にこ「あ、待って。この車、事務所に戻すのよね?」

雪乃「ええ、そのつもりだけれど」

にこ「じゃあちょっとついでに養成所に寄ってあげてくれないかしら。……卯月が残っているのを見たって、きらりから連絡がね」

雪乃「わかったわ。……ふふ」

にこ「何笑ってんのよっ」

雪乃「あなたは誤解されやすいけれど、本当にお姉さん気質ね」

にこ「ち、違うわよ! あの子が今日もしケガでもしたらにこのステージに影響するから言ってるだけなんだからね!」

雪乃「はいはい」クスクス



<346タレント養成所:貸出レッスン室>

卯月「うーん……あと一回だけ確認しようかな~」

星空凛「悪い子はいねぇかー!! おらー!」ガララッ!

卯月「ひゃあっ!?」

星空凛「やーっぱり居た。もう、みくにゃんといい努力バカはこれだから」

卯月「えっ? えっ?」

星空凛「命令。今すぐストレッチしてシャワー。……OK?」

卯月「はっ、はいっ!」


177 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:18:04.85 NSPCnO+e0 164/531



星空凛「――ほら、ホットミルク」

卯月「わあ、ありがとうございます!」

星空凛「それ飲んだら、今日は帰らないと駄目にゃ」

卯月「……すいません」

星空凛「あはは、怖いのはわかるけどね。本番前に休むのは一番大事なレッスンだよ?」

卯月「わかっては……わかってはいるんですけど。今日、リハだったんですよ」

星空凛「知ってる知ってる。行けなかったけどね」

卯月「そこでも私、またミスしちゃって。練習ではできたんです。でも、明日もしできなくなっちゃったらどうしようって、そう思うと……」

星空凛「んー、そっかそっか」

卯月「あ、凛さん。コップ返します」

星空凛「……ねえ、しまむー。それ置いて立って?」

卯月「え? はい」

星空凛「じゃ、片足立ち十分! よーいどん!」

卯月「わわわっ!?」


――十分後

星空凛「はい、おわり!」

卯月「ふ、ふぅ。できて良かったあ……」

星空凛「……ほら、できたにゃ」

卯月「!」

星空凛「最初にレッスンしたとき、三人とも一気に倒れちゃったの覚えてる?」

卯月「はい。あの時は十分なんてむちゃくちゃだ~って思ったんですけど、毎日やればなんとかなるものなんですね!」

星空凛「うんうん。ところで今日、報告で聞いたんだけど、登場はジャンプ台だったんでしょ?」

卯月「そーなんですよ! こう、ごーって上がって、いきなりぴょーんと!」

星空凛「その時、しまむーはこけたかにゃ?」

卯月「いえ、大丈夫でした! ……あ」

星空凛「ほら、ね。少し前のしまむーだったら、きっとジャンプ台なんて不安定な場所で立てなかったと思うな。片足立ちが効いてるんだよ」

卯月「ホントだ……」

星空凛「練習は嘘つかないよ。凛が最初に言ったこと覚えてる?」

卯月「はい!」

星空凛「毎日やればできるけど、毎日やらないと絶対にできるようにはならない。……でも、しまむーはそれができるようになったんだよ?」

卯月「……」

星空凛「誇りなよ。凛はずっとみんなを見てたよ!」


178 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:21:05.55 NSPCnO+e0 165/531


卯月「はい……はい」

星空凛「本番でミスしないのって、ひょっとしたら無理かもしれないけど。でもしまむーはそれでいいんだと思うよ。そこがしまむーの魅力だよ!」

卯月「ミスが……ですか?」

星空凛「あはは、正確にはミスそのものじゃなくてね。しまむーはミスしちゃっても、きっと楽しすぎてやっちゃったんだなーって見た人は思うんだよ。それぐらい、アイドルやってるしまむーは楽しそうでキュートだにゃ。……ねえ、しまむーはどうしてアイドルになろうと思ったの?」

卯月「私が……私がアイドルになりたいわけは」

卯月「アイドルが好きだからです! ステージの上のアイドルはとってもキュートで楽しそうで、それを見ているお客さんも釣られて一緒に楽しくなって! まるで魔法みたいだなって!私も765の天海春香さんみたいな、あんなアイドルになってみたいって思ったからです!」

星空凛「そっか、じゃあ明日はその気持ちを忘れずにステージに立とうね! 凛もお客さんと一緒に見てるよ!」

卯月「はいっ!」


――こんこん、がららっ。


雪乃「失礼します……あら、星空さん」

星空凛「雪ノ下さん、お疲れ様です。しまむーはもう帰る準備できてますよー」

雪乃「あら、そうですか。余計なお世話だったかしら」

卯月「いいえ、迷惑かけてすいませんっ! 今出ます!」

雪乃「ねえ、島村さん」

卯月「なんですか? 雪乃さん」

雪乃「まだ、明日が怖い?」


卯月「……楽しみですっ!!」


179 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:23:18.75 NSPCnO+e0 166/531

<当日夜、ZePP東京>

アナウンス『本日はキュートプロダクション所属、矢澤にこ1stフルアルバム"Miracle Track"発売記念ツアーファイナル、"笑顔の魔法、にっこにっこにー"ZePP東京公演にご来場いただきまして、誠にありがとうございます。当会場は――』

――がやがや。がやがやっ。

八幡「うぇえ、なんて人だ。人がゴミのようだ……」

雪乃「本当ね、しかも喋るなんて」

八幡「俺を見て言うのやめてくれません? しかし、ここまで人が来るもんなのか……」

雪乃「あなた、アイドルのライブは初めてなの?」

八幡「ない。人の集まる所が嫌いだからな」

雪乃「……頭が痛くなってきたわ」

八幡「人に酔ったか?」

雪乃「相変わらず都合のいい解釈がお得意なのね」

星空凛「おーい、ふたりともー!」タッタッタッ

八幡「ああ、星空。来てたのか」

星空凛「教え子の初舞台だからね! 行くにきまってるにゃ!」

雪乃「うちの事務所の子たちも大体来てるわね。相変わらず高坂さんだけは過密スケジュールで無理だったのだけれど。ついこの前までごねてごねて大変だったわ……」

八幡「このド派手な献花はそのせいか……他の花の三倍くらいのサイズあんぞ」

星空凛「三人の様子はどうだった?」

八幡「他の二人は知らんが、少なくとも渋谷は堂々としてたぞ。……大したもんだよな」

雪乃「同じく島村さんもね。礼を言います、星空さん」

星空凛「わはは、なんのなんの!」

八幡「控室に付くのは今日は戸塚に任せてある。ま、本田も大丈夫だろ」

星空凛「そっかそっか、じゃあ安心だね?」

雪乃「矢澤さんに会わなくていいんですか?」

星空凛「えへへ、やめとくにゃ。どーせ真姫ちゃんが来てるだろうし、邪魔するのもねー」

八幡「? そうか」

星空凛「あ、もう始まるね! 凛、行くね」

八幡「ん、もう行くのか?」

星空凛「うん! やっぱライブは前の方で見ないとね!」

八幡「じゃ、俺も行くかね。雪ノ下は?」

雪乃「私は二階の関係者席があるから。あなたの分も取ってあったと思うけれど?」

八幡「今日はやめとく。柄じゃねぇし」

雪乃「そう。では、これを渡しておくわ」

八幡「? なんだこれ」

雪乃「サイリウムよ。アイドルのライブでは使うものなの。持ってないと浮いてしまうわよ。いや、あなたもともと浮いてたわね」

八幡「お前の認識に憂いてるよ俺は……。サンキュ、じゃあ後でな」

雪乃「ええ、またあとで」


180 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:25:48.00 NSPCnO+e0 167/531


――がやがや。がやがや。

ことり「凛ちゃーん!! 久しぶりー!」ダキッ

星空凛「ことりちゃん!! 久しぶりだにゃ! また可愛くなってる!」ダキッ

「ちょっと痩せたんと違う?」

ことり「それを言うなら絵里ちゃんもじゃないかなー?」

絵里「お互い健康的な痩せ方をしたかったわね……」

花陽「今度そっちの事務所にもおにぎり持っていくね! 試作品が完成したんです!」

ことり「……あれー? 穂乃果ちゃんは聞いてるけど、海未ちゃんと真姫ちゃんは?」

絵里「真姫はにこの楽屋に会いに行ってたからそろそろ戻るんじゃないかしら。海未は……詳しくはわからないんだけど、来れないって言ってたわね」

ことり「そっかぁ……残念だなぁ」


――がやがやっ、がやがやがや。

アーニャ「もうすぐ、はじまりますね?」

きらり「にこちゃんのステージ、すっごく楽しみだにぃ!」

莉嘉「未央ちゃんたちだけずるいー! アタシも出たかったー!」

美嘉「そう言わないの。今度アタシと一緒にやろ?」

みく「……どんなもんか、見届けてやるにゃ」


――がやがやっ、がやがや。

八幡(数えると気が遠くなりそうなぐらい人がいた。やはり男性が多いが、老若男女と言っていいだろう。……これだけの、数千の人間があの幕の向こうのたった一人の存在のために集まっている)

八幡(口では何度も言って理解したつもりだったが。やっぱりあいつ、すげえんだな)

八幡(これだけの人の中、前に行くなんて俺には理解しがたい。だから、いつものように一番後ろの壁際にもたれかかった。周囲を見ると、皆サイリウムを折っている。俺も思い出したようにポケットからそいつを取り出し、折った。――まるでそれがスイッチになったみたいだった)

八幡(薄く流れていた音楽とぼんやりとした照明が一気に消えた)



――わぁぁあああああああああ!!!

181 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:28:44.49 NSPCnO+e0 168/531


八幡(途端に湧き上がる場内は、ピンク色のサイリウムで幻想的に彩られた。幕に向かってハートが桃色のレーザーで描かれる)

八幡(心を描かれた幕が、真ん中からゆっくりと割れていく。暗闇に現れるは、雄々しく小さな後ろ姿だ。背中は覚悟を現すのだと言う。なるほどそうだとその時思った)

八幡(観客の叫びに応えるようにドラムのシェイクビートが始まる。バンドインと同時に、彼女はそのトレードマークの二つ結びを勢いよく振り回して、満天の笑顔で振り返った)


『にこぷり! にこにこ! にこぷり!』
――Yeah! 『にこにこ!』
『にこぷり! にこにこ! にこぷり!』
――YeaH!
『Pretty Girl! ……こんにちは! 矢澤にこですっ!』


――わぁああああああああ!!


八幡(……これが、プロのステージなのか)

八幡(圧倒される。観客たちは心から夢中になっている。音の、声の一つ一つに臓腑を揺さぶられる。……魔法はあるんだって、信じたくなる)

八幡(組んだ腕の左指が自然とリズムを取っていることに気付く。サイリウムを握っている右手に心臓の鼓動がダイレクトに響いた。この灯は命でも燃やしているのだろうか)


八幡(そこから、洗練された彼女のステージを熱に浮かされたように見ていた。……相対性理論って本当なんだな)

八幡(――時間が飛んだみたいに、もう次の曲であいつらの出番になった)



スタッフ「MCあけたら行きます! スタンバイお願いします!」

三人「はいっ!」

(……! 未央、震えてる。大丈夫かな、私が――)


182 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:30:26.57 NSPCnO+e0 169/531


戸塚「本田さん、震えてる。ふふふっ、可愛いね」

未央「は、はー!? 震えてないし! 可愛いとかさいちゃんに言われたくないなぁ!」

戸塚「ああ、そっか。それは失礼しちゃった」

未央「ふんだ!」

戸塚「……ねぇ、本田さん。この前ぼくの好みのタイプのおはなししたよね?」

未央「あ、うん。結局教えてくれなかったけど」

戸塚「じゃ、今教えるよ」

戸塚「――ぼくはね、カッコいい人が好きなんだ」

戸塚「だからね。カッコいいとこ、見せてほしいな?」

未央「……うん! 任せろ!」

戸塚「よしっ」

未央「さいちゃんこそデートプラン決めといてよね! いい加減だったらダメ出しするよ?」

戸塚「ふふ、はいはい。それじゃ、行ってらっしゃい」

――ばたん。

卯月「ねえねえ未央ちゃん! デートってどういうことですか?」

未央「このライブが成功したらね、さいちゃんに連れてってってお願いしたんだ! それがこの前言ってたご褒美なのさっ!」

「……未央も、なんだ」

未央「え!? もってことはしぶりんも?」

「うん、ゴネたらしぶしぶ聞いてくれた」

卯月「実は私も、今日成功したら雪乃さんとお買い物しませんかって!」

未央「…………ぷっ」

卯月「あははっ」

「ふふっ。似た者同士、だね」

未央「だね! ……よーし、ニュージェネレーションズ、いくぞ!」

卯月「ジャンプするとき掛け声しましょうよ!」

「何にする?」

未央「そんなの」

卯月「決まってます!」

「……だよね!」


183 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:33:25.58 NSPCnO+e0 170/531


にこ『さて、そろそろ魔法使いを始めようかしら! いくわよ!!』

――うぉおおおおぉお!!


――♪『届け魔法 笑顔の魔法 みんなを幸せに
    にっこりの魔法 笑顔の魔法 涙さよなら
    にっこ にっこ にこにこーだよ♪』


    『ほら――楽しくなっちゃいなさい!!』



スタッフ『セクション突入! ジャンプ行きます! カウント!』
    
           「せえのっ……」
    


          ――にっこ にっこ にー!――
    





八幡
戸塚「「「よしっ!!!」」」
雪乃



にこ『On Backs――ニュージェネレーションズ!!』

――わああああああああ!!!



184 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:35:36.83 NSPCnO+e0 171/531


(その瞬間、時が止まった)

(宙に浮く私たちを待っていたのは、星めいたサイリウムの灯)

(燃えている。笑顔のお客さんたちが持っている心の灯火は、確かに酸素を喰って燃えている)

(私の瞳はそのとき、きっと導火線だった。暗い現実の世界に灯る輝く世界の魔法を吸い込んで、心の臓腑に辿り着く)

(凍っていた私の心は、今、燃え始めた)


――わああああああああ!!



にこ『みんなありがとう! ……ありがとう!』

未央『はぁ、はぁ……。やった……!』

卯月『ありがとうございまーすっ!』

(あぁ……。もう、終わっちゃうんだ……)

にこ『今日はみんな本当に来てくれてありがとう。にこは、今日みんなと一緒に時間をすごせて、本当に本当にうれしいです!』

――おれもだー!!!


にこ『あははっ、ありがとう! みんな、ニュージェネレーションズの子たちはどうだった?』

――わああああああ!! ありがとー!!

にこ『聞くまでもないみたいね。感想でもきいてみよっか……凛!」

『!』

にこ『どう? 初めてのステージは』


『……最っ高!!』

――わああああああああ!!


185 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:38:10.75 NSPCnO+e0 172/531


にこ『次で最後の曲です。……ふふふ、お決まりのやつありがとね。じゃあ曲に入る前に一つだけ。今回、にこは初めてフルアルバム出して、そのツアーをして、今ここにいるけど。……でもこれがゴールなんかじゃないからね! にこのアイドル生活は、まだ始まったばっかりだから』

にこ『ニュージェネレーションズも今日はありがとう。でも、あんたたちはもう今日から可愛い後輩なんかじゃない。頂点を争うライバルなんだからね!』


卯月『……はいっ!』
未央『待ってろー! すぐ追い抜いちゃうからねー!』
『負けないよ?』


にこ『ふふっ、頼もしいわね。新しい世代はそうじゃなくっちゃ。……それじゃあ最後の曲にいこうかしら。アルバムには入ってないけど、最後にどうしてもこの曲がやりたかったの。ふふ、にこのファンならきっと知ってる曲だから』

にこ『それじゃ、この曲を。にこたちを応援してくれるみんなに。ニュージェネレーションズの門出に。支えてくれるスタッフやプロデューサーたちに。……この曲を作ってくれた、親友の為に! 聞いて!』



にこ『START:DASH!』



にこ『I say――hey,hey,hey,START:DASH!』

『Hey!』

未央『Hey!』

卯月『Hey!』


『START:DASH!!』


186 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:41:15.43 NSPCnO+e0 173/531

<翌日、昼。竹橋駅>

「あ、来た。遅い。遅刻だよ」

八幡「まだ十分前じゃねーか……。いつから来てんだよ」

「……別にいつだっていいでしょ」

八幡「ライブの翌日くらい昼まで寝ればいいのによ」

「ハナコの散歩があるからね。そういう訳にはいかないよ」

八幡「立派なことで。……で、どこ行くんだ?」

「お茶の水のほう」

八幡「はぁ? じゃなんで竹橋なんだよ、総武線ユーザーなんだからお茶の水集合にしてくれよ……」

「私が東西線なんだもん」

八幡「明日から剛田って呼んでいい?」

「ふふっ、リサイタルが上手くいったんだから許してよ」

「ね、プロデューサー。歩こう?」


「わあ、紫陽花が綺麗」

八幡「そうだな」

「皇居って、散歩すると楽しいからさ」

八幡「なるほどな。だから竹橋なのか」

「うん。ちょっとランナーが邪魔だけどね」

八幡「事務所も近いし、最近千代田区ばっか来てる気がすんな」

「あ、そういえば絵里さんの高校も千代田区なんだって」

八幡「どこだっけか、μ'sがいたとこだよな」

「音ノ木坂」

八幡「……なに?」

「あれ。知ってるの?」

八幡「妹の母校だ。俺は行ったことねーけど」

「ふーん。……あ、千鳥ヶ淵だ」

八幡「……早いもんだよな」

「覚えてるんだ。初めて一緒に挨拶回り行ったとき通ったよね。もう、葉桜も残ってない」

八幡「三ヶ月か。会社に勤め出してからもうそんなに経つのか……。ひょっとして俺ってこのままズルズルと社の畜生として一生を終えるのか? え? やばくね?」

「年貢の納め時なんじゃない?」

八幡「夢を売る業界なんだから専業主夫の夢くらいいつまでも持たせてくれよ」

「夢見るだけなら自由だけどさ」

八幡「嗚呼、あそこのボートに乗って一日過ごすだけの仕事に就きてえ……」

「何言ってんの。……乗ってみる?」

八幡「いや、いい」

「そう? じゃ、次来た時一緒に乗ろうね」

八幡「ん、ああ」

「約束だよ」

「いつか、果たしてね」


187 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:44:31.84 NSPCnO+e0 174/531

<お茶の水、楽器街>

八幡「楽器屋がありすぎてどれがどれやらわからん」

「私も。とりあえず中古屋に入ろうかな」

八幡「聞いてなかったが何買うんだ?」

「……ベース。この前の撮影で、面白いなって思って」

八幡「へえ。いいんじゃないか」

「私も全然楽器わからないんだ。プロデューサーは楽器できる?」

八幡「家にギターがあるけどな。無事Fで挫折した」

「ふふっ、楽器できなさそうな顔してるもんね」

八幡「方向性の違いでコンビ解散すんぞ」


八幡「なんか初心者セットとかあんぞ。これでいいんじゃないのか」

「こういうのってしょぼくて安物買いの銭失いになるからやめた方がいいんだって。最初は中古で買って、音楽のことがわかってきたら二本目がセオリーだってさ」

八幡「それ、誰から聞いたんだ?」

「撮影のときの社員さん。メール送ったらばーって超長文が来たよ」

八幡「ああ、そうか。てっきり雪ノ下に聞いたのかと」

「え。雪ノ下さん楽器できるの?」

八幡「少なくともギターは上手いぞ。文化祭の時弾いてたしな」

「……本当に何でもできるんだね」

八幡「そうかね。意外と欠点だらけだぞ、あいつ」

「…………ふーん」

八幡「あ、おい。どこ行くんだよ」

「試奏。その辺うろついてればっ」

八幡(急に不機嫌になったな。……ないない。思い上がるなっつの。そんなことはありえない)


「――うん。これにします」

店員「はい、ありがとうございます。ただいまケースをお持ちいたしますので。お支払方法はいかがなさいますか?」

「現金一括で」

店員「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

八幡「……漢だな」

「お給料入ったからね。高校生には多すぎるくらいだけど、こういう時くらいはね」


店員「あのう……」

188 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:45:28.27 NSPCnO+e0 175/531


八幡「ん?」

「なんですか?」

店員「その……不躾な質問なんですが、お客様はモデルなどをされていらっしゃるんですか?」

「うーん……似たようなもの? かな?」

八幡「俺に聞くなよ」

店員「ああ、やはりそうですか。道理でお綺麗でいらっしゃると思いました」

「あ、いや、その……どうも」

店員「実は当店、ただいまバンドガールキャンペーンを実施してまして。右手のコルクボードが見えますか?」

八幡「お、写真だな。めっちゃある」

店員「そうなんです。当店で楽器をお買い求めになる女性のお客様が、もし買い物の後にお写真の掲載を許可していただけますと、十万円までの楽器のお値段が二割引きになるキャンペーンでして」

八幡「へえ。安くなるんならいいんじゃないか」

店員「お客様はとても美人でいらっしゃいますので、撮らせていただけると当店としても大変嬉しいです!」

「うーん。じゃ、条件が二つ。この人と一緒に写ってもいいですか?」

店員「ええ、全く構いませんよ。お連れ様と一緒の写真も何点かございますので!」

八幡「えぇ……」

「プロデューサーが二割持ってくれるんなら撮らなくてもいいよ」

八幡「俺って写真大好きなんだよな。魂躍動しちゃう」

店員「ありがとうございます。それでは撮らせていただきますね――」


「ふぅ。ベースって結構重たいんだね」

八幡「持ってやろうか?」

「いい。自分で持ちたい」

八幡「そうかい。にしても、二つ目の条件。一枚持って帰りたいってなぁ……」

「いいでしょ。一緒に写真撮ったことないんだもん」

八幡「……いいけどよ。用は済んだし、帰るのか?」

「え? 何言ってるの?」

「せっかくのご褒美だもん。一日付き合ってもらうよ?」

八幡「……へいへい。イエス、マイアイドル」


189 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:47:39.94 NSPCnO+e0 176/531

<夜。帰り道>

「すっかり遅くなっちゃったね」

八幡「本当だよ。どうしてこう女子って奴らは買い物に時間がかかるんだ……」

「そんなこと言えるほど経験ないでしょ」

八幡「ほっとけ。妹もいるしそれぐらいあるわ」

「……なるほど。だからなのかな」

(私何も言ってないのに荷物とか持ってくれてるし。……そういえば、一緒に歩いてるとき、疲れたことないかも。歩幅、合わせてくれてるんだ)

(ああ、ほんとあなたって人はさ)

「優しいよね」

八幡「……何言ってんだ」

「ひとりごとだよ。得意でしょ?」

八幡「お前は皮肉の方が得意みたいだな」

「ふふっ、こんな人と三ヶ月ずっといたらそうなるよ」

「ねえ。プロデューサーは、優しいね。……今度は、独り言じゃないよ」

八幡「……ひとつだけ為になる話をしてやる。今から言うことは、決してツンデレの裏返し発言なんかじゃない。お前は何か勘違いをしてる」

八幡「――俺は、お前が思っているほど、いい奴なんかじゃない」

「……ふうん。そっか。ふふっ」

八幡「おい、わかってんのか?」

「うん。わかってるわかってる」

八幡「勝手にわかった気になるなよ。誤解だぞ、それは」

「誤解も、解のひとつでしょ?」

八幡「っ……」

「どうしたの? 変な顔。……あのね、ひとつ言っとくけどプロデューサーをいい人だなんて思ったことないから」

八幡「……は。お前は俺のトラウマを抉るのが得意だな。昔、同じことを言われたよ」

「そうなんだ。その人がどうだったか知らないけど、私はプロデューサーのこと」

「優しいから、厳しい人なんだなって思ってるよ。どういう意味かは教えない」

八幡「なんだそりゃ。考え方はわからんが、好意的解釈が過ぎないか」

「それでもいいよ。当たってても外れてもいいし、それに私がどう思おうとプロデューサーには関係ないし、何より変わってなんてくれないでしょ」

八幡「……そうだな。変わらないことに関しては定評がある俺だ」

「そんなあなたが育てるアイドルだよ。プロデューサーが何か言ったところで解を変えてくれるわけないでしょ」クスクス

八幡「捻くれた超理論だな」

「全くだよね。誰に似たんだか」

「……人に人が変えられるだなんて思い上がりだ、か」

八幡「いい言葉だ。言った奴はきっと絶世の美男子に違いない」

「そうだね。目はひどいけど、カッコいい人が言ってた」

八幡「……。調子狂うからやめてくれ」

「ふふっ、無理無理。悪役気取るにはツメが甘すぎだよ」


190 : ◆I0QEgHZMnU - 2015/07/07 13:49:33.45 NSPCnO+e0 177/531


八幡(大きなベースを背負った渋谷はそう言うと、俺の数歩先へ駆けて、振り返った)

八幡(丸くて大きな月を背負う彼女の笑みが幻想的で、思わず足を止めてしまう)

「……ライブね、すっごく楽しかった。終わっちゃうのが寂しかった」

「レッスンは死ぬほどきつくて、正直行きたくないなって思った日もあったけど、それでもやってよかったって心から思えた」

「楓さんが、ハートに火が点くんだって言った意味、わかったんだ」

「お客さんがこっちを見てくれて、私も熱くなって。……忘れられない」

「プロデューサー、私ね。……私ね」


「アイドル、やってよかったよ」


八幡「……そうか」

「プロデューサーのお蔭でもあるんだよ」

八幡「いや、俺は何も」

「何を言おうと、私の思ってることは変えられないよ?」

八幡「……」

「だからね、終わったら言おうと思ってたこと、言うね」

「……ありがとね。これからも、一緒にいてね」

八幡(この感情を何と言い表せばいいのだろう。仕事冥利? ……いずれにせよ、言葉にならん)

八幡(彼女が俺に何を思っているのか、与り知ることはできない。他人が何を思っているかなんて理解することなんて不可能だ。頭はそうと知っているんだ)

八幡(それなのに、……それなのに。知りたいと思い始めている俺は傲慢なのだろうか)

八幡(それはなぜだ。……好きだからか。それだけは絶対にないと信じている)

八幡(たぶん今も昔も、俺が好きなのはたった一人だけだから。ではなぜ、知りたいと思う。いつも通りのアレなのか。……それこそもっとないと信じたい)

八幡(自ら問いかけた、きっと重要であろう問題の解答欄は空のままだ)

八幡「……ああ。半人前だが、これからもよろしく頼む」


八幡(けれど、今は思うのだ)

八幡(きっとそれは「今」解けないだけであって、いつかこの問いに答えを出せる日が来るのだと)

「うん。じゃ、帰ろっか」

八幡(明確な根拠が何一つなくて俺らしくないが、ここはひとつ彼女の笑顔に免じて空欄のままにしておこう)

八幡(そしてその時が来るまで、俺はまた忙しさに愚痴を吐きながらあいつを見ていよう)

八幡(右ポケットで震えた仕事用の携帯に彼女の新たな未来を感じながら、俺は凛として夜を裂くベースのシルエットを追いかけた)



続き
比企谷八幡「雪と」 渋谷凛「賢者の」 絢瀬絵里「贈り物」【3】


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