「はぁ、バイトねぇ……」
とある高校の学生食堂で注文した味噌ラーメンを受け取った上条当麻が怪訝そうな顔をした。
「そうや。一日だけやしカミやんのお勉強の邪魔には、まぁそんなにはならんと思うで。
僕が居候してるパン屋の営業先なんやけどな。
新しくチャペルつくったホテルなんや。
そこでイベントとして花嫁さん花婿さん募集したいってワケなんよ」
熱弁を振るうは悪友であり奇人でもある通称青髪ピアス。
一年の時点で百八十を超えていた身長は百九十を伺う直前にまで成長している。
その反面威圧感というものをまったく感じさせないのはある意味で人徳なのだろうか。
パチン、と箸を割って麺を口の中に啜り込みながら上条がイエスでもノーでもなく曖昧に頷いた。
上条の成績は今のところ上昇中だ。
現在三年生の夏休み。
受験生として油断は禁物ではあるが、単発のイベントならばどうとでもなる。
目の前の飄々とした奇人は就職一本に絞っている上に就職先も決まっているのだから余裕が溢れているが、上条も受験生としては余裕がある方かもしれない。
モクモクとそびえ立つ入道雲とうっとおしい湿気と、何よりも熱気とでスタミナを根こそぎ奪われる夏という季節。
上条当麻にとっては高校生活が残り少なくなるということよりも受験の方で頭がいっぱいのサマーシーズンだ。
実際問題、この食堂の中でも参考書片手に飯をかっくらっている人間があちらこちらに存在する。
夏休みが始まったばかりだというのにわざわざ学校にまで来て勉強している受験生たちだ。
特段進学校というわけではないのだが学園都市という「学園」と名目のついた名称の地域なだけあって受験生は無料で夏期講習を受けられる。
彼ら彼女らのためにオープンしている食堂に何故このあんぽんたんがいるのかは、上条の出没に合わせたのだろう。
元スレ
▽【禁書目録】「とあるシリーズSS総合スレ」-38冊目-【超電磁砲】
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1350107497/
頭二つ遅れていたはずの上条の成績だったが二年次に入ってからは急上昇している。
元々自頭は悪くなかった。
それに今は素敵な家庭教師がついている。
さらに余計なことを記述すれば上条が目指している教育学部の世界史系というのは学園都市では非常に人気がない。
科学の方向に重心を置いている学園都市の内部では文学や美術関係への進学を考える生徒は少数といっていい。
このまま余計な不幸が発生しなければまず合格ラインを超えるだろうことは担任月詠小萌の太鼓判が付いていた。
それどころかもうワンランク上を目指しても十二分に行けるとまで言われた。
「あんなにおバカちゃんだった上条ちゃんがこんなに立派になって。先生としては嬉しい半面少し寂しかったりしますのです」
とピンク合法ロリ教師に言われて曖昧に笑うことしかできなかったのはつい先日のことである。
(もっともカイハツの単位に関しては本当に最低ギリギリでなんとか潜らせてもらったのだが)
「うん。要するに客寄せパンダになれってことなんだろ?
誰かの隣にドレス姿の美琴を立たせるなんて言ったら速攻で断るところだが、そういう条件じゃあ考えなくもない。
考えなくもないが、あいつがなんて言うかなぁ」
割り箸片手に上条が首を傾げると少し伸びている黒髪がさらりと揺れた。
髪自体は立っているのだがハードに固めているわけではない。
年月というのは細部で変化するものだ。
そんな上条の態度に青髪ピアスが細かい傷がびっしりついている透明な飴色のプラのグラスを傾けた。
一口水を飲む。
そして眉を顰ませて言った。
「なんや、カミやんなら一発で乗り気やと思ったのに。
なんかヘラクレスやらコーカサスやらをプレゼントしたいとか言ってたやろ?
こんなグッドチャンスなかなかあらへんでぇ。可愛い彼女さんに純白のドレス着させてやろうという気概はないのかい」
「アトラスな。
カブトムシじゃないんだから。
それはそれとしてアイツは学園都市の広告塔としてのイメージとかあるからさ、下手なところからツッコミ入りかねんぞ」
ホワイトゴールドにダイヤをあしらったそれほど主張の激しくないリングを脳裏に思い浮かべながら上条が返答する。
ブランドものとしてはそれほど高いものではないが学生の身には十二分すぎるほど高価だ。
一無能力者として奨学金ももらっていない、もらったとしても雀の涙状態の上条としては一ヶ月フルでアルバイトを入れなくては届かない代物である。
(もっとも夏休みをバイトで丸潰しなんてやったら受験生失格もいいところだ)
両親に甘えてねだれる代物でもない。
学生の身には分不相応なのぞみではあるが、一品ぐらいはそのようなものをプレゼントしてみたいとも考えている。
さて。
当然ここで会話に上がっているのは皆様ご存知の御坂美琴嬢である。
御年十六歳になってまさに花満開直前のつぼみのような美しさを纏った女性に成長した彼女は未だに学園都市で一番有名な存在だ。
超能力者第三位、四つの力の一つ電磁力を支配する雷羽の姫君。
超電磁砲。
まさに学園都市という科学と異能の街を体現したようなシンデレラガールだ。
彼女の時計は十二時を過ぎたけれども、魔法は溶けてしまったけれども、ガラスの靴などなくとも彼女は舞台の上で輝いている。
しかし付き合っている上条当麻としては超電磁砲だのなんだのは御坂美琴の付随する一部分であって彼女そのものではない。
レベルというレッテルで人格も人生も関係なく分類されるこの学園都市で低能力者から超能力者まで駆け上がった唯一の存在。
だからこそ『超電磁砲』という存在は第三位という、その上の存在を許しながらも超能力者の代表的な存在であり低位能力者たちの希望なのだ。
だとしても。
まさにその『銘』は必ずしも御坂美琴のすべてを表しているとは考えていない。
上条当麻は学園都市の二百三十万の人口の九分九厘が等記号で結ぶであろうイメージの乖離を一番知っている人間だとも言える。
恋人の可愛らしいところ、弱いところ、意地っ張りなところ、甘えん坊なところ、子供っぽいところ、泣き虫なところ。
そんなものを欠片なりとも反映していない表面だけの「超電磁砲」などは正直見当違いも甚だしいと呆れてしまうのだ。
だからこそこういった事柄を煩わしいと捉えてしまう。
別に自分がおまけでしかないことはどうでもいいのだ。
実際そこは割り切っている。
御坂美琴と付き合うということはそういう一面もあるのだから。
小市民は小市民として格というものを知っている。
ただ、ウェディングドレスという神聖なものにまで広告主義的な色で踏み込んだりしたら傷つくのではないかとそう感じているだけだ。
若干嫉妬のようなものが混じっていることも否定できないのだが。
「条件だけでも聞いてくれると嬉しいんやけど」
と、青髪ピアスが上条の返答も待たずに話を続ける。
詳しく聞けば三時間の拘束で報酬は最低十万円。パーティ内の写真も撮るのだがその間の飲食は当然ながら無料。
それどころか当日の夕方から翌朝までホテルの一室を無料で借りられるのだという。
流石にスィートというわけではないがホテルのランクと学生の身分というものを考慮に入れれば破格の待遇だ。
無作法だが伸びないよう麺を啜りながら聞いた。
聞き漏らしはなかったはずだ。
スープを飲み干して丼を置いて、上条当麻は考える。塩分摂取量? 気にするな。
もちろん、これは上条から見た視線であって、御坂美琴をその程度のギャラで雇おうというのは巫山戯ているのかもしれない。
そうだとしてもたかだか一学生の視線からすれば「おめでとうございます貴方は幸運にも当社の抽選に当選しました!」と言われているぐらいの内容である。
つまり、胡散臭い。
御坂美琴というラベルがそれほど重要なのかそうでないのか――その観点以外のリトマス紙なら目の前にあった。
「どうや? 悪い話やないと思うんやけど」
悪い話どころか破格の好条件である。
十万円があれば貯金と合わせてアトラスリングに手が届く。
しかしそれはあくまで上条にとっての話だ。
青髪ピアスは友人でありそれなりに信頼は置ける。
だとしてもこの条件の仕事をやっかんだり何か奢れだの言わずに紹介するとなれば何かしらの裏がある。
「だったら青ピがやればいいだろう?」
「あのなぁ、ボクにはあんな可愛い彼女はおらへんのや。
ボクが自分で出来るんならカミやんにこんな好条件の仕事紹介するかい。
そういう返しをカミやんがするんであればボクは恋人募集のチラシを学園都市中にバラまかなきゃならなくなるで?
ま、たとえボクに彼女いたとしても美琴ちゃんじゃあらへんのだからこの話には繋がらんわな」
「うん、自分でも気づかなかったが上条さん結構独占欲強いんだな。
冗談でもアイツが青ピの彼女だとか言ったらはっ倒してるわ。
――で、青ピのメリットはなんだ」
「ん。
一つ目は言ったとおりアルバイト先の営業やな。
アルバイト先でもあるし居候先でもあるし、んでもって就職先や。
少しでも恩を返して、欲を言えば恩を売っておきたいんや。
二つ目は演出とはいえ結婚式やからな、仰山エキストラが必要になるやろ? 三十人ぐらいかな。
で、そこにボクも混ぜてくれるんゆうんや。一々モデルさん雇うのも金かかるし仕事忙しい従業員さんたち使うのもアレやし。
どうせ後ろ姿映るだけやからな、ボクでも構わんのや。
んでもってやな、当然ながら花嫁さん側のエキストラも必要やろ? 着飾った綺麗なお姉ちゃんがわんさか用意せにゃならんやろ!
それってもうあれやないか! 運命選り取りみどりやないか!
着飾ったボクを見てときめいてくれる娘もいるはずなんや!!!
ボクだってなんとか学校卒業する前に彼女作って最後の夏休みをイチャイチャしたいんや!!!!
うっひょうっ!!!! 想像するだけでヨダレが止まら」
どす。
眉間にしわを寄せた上条はラーメンを平らげて用済みになった割り箸を青髪ピアスの眉間に突き刺した。
食らった青髪はどう、とそのまま椅子ごと後ろに倒れこむ。
あだ名の由来たる青髪のテノールボイスの百九十近い大男がくねくね腰を振って踊りだしそうだったので緊急処置である。上条さん悪くない。
ぬおおお、と獣が吠えているような呻き声をあげて青髪が打ち上げられた小魚のようにびったんばったんその身体で床を叩きまくった。
周囲の迷惑を顧みないことこの上ない。
やがてホコリを立てるのに飽きたのか、赤くなった眉間を抑えて涙目になりながら立ち上がった青髪ピアスが倒れたパイプ椅子を元の位置に直して座り直した。
「カミやんのいけず、酷いわ」
「やかましい。うちの美琴をダシにして自分の欲望を果たそうだなんて、天地人すべてが許しても俺が許さんわ」
じと、と上条の視線が軽蔑の色の染まっているのを鉄面皮で受け流した青髪ピアスが細目に涙を浮かべながらもテーブルに両肘をつく。
そのまま手を組んで顎を載せて、上条を見遣った。
「でも、正直悪い話やないと思うで?」
ニコニコと笑う表情には悪意はない。
この友人は変態で欲望に忠実だが悪人ではないのだ。
先ほどの言葉も嘘ではなかろうが案件そのものは善意から持ってきてくれたものだろう。
その善人が組んだ手をほどいてゴソゴソとポケットをあさって、通常の折りたたみ状態からさらに二つに折りたたんだパンフレットを取り出した。
上条はそれを受け取って拡げる。
すると大理石作りの白亜の教会、荘厳なパイプオルガンをバックにした二人の男女の写真があった。
光沢のある白い生地のタキシードを纏った新郎が恥ずかしげに微笑み、一見すれば白に見えるほど薄いベージュのドレスを着飾った新婦が満面の笑みでブーケを差し出している。
それは演技であって演出なのだろうが、とても幸せそうに見えた。
「それな、そのホテルの系列のチャペルなんや。
六月のジューンブライドに合わせて撮ったもんや。
学園都市の外やけどな」
「ふぅん。でも学園都市内部にもモデルさんとかいるだろう?」
「そりゃいるで?
ただ、どっちが話題になりやすいかとか、どっちに共感しやすいかとかはあるなぁ。
なんだかんだで学園都市は学生結婚多いから、学生として名前が知られとる美琴ちゃんなら最高や、ということなんやろ」
青髪が言う台詞とパンフレットの写真に上条の心は動いた。
実際学園都市では学生結婚が非常に多い。
これは単純に学生の数が圧倒的に多く、しかも両親の下から離れて暮らしているものがほとんどであるため自立心が高いからだろう。
そしてそんな現在の学園都市の状況とまったく関係なく、パンフレットの写真の二人は幸せそうに見える。
着飾ったドレスと腕を組む生涯の良人の存在とが華やかに表情を彩っているのだ。
それが表面だけ色付けしたような演技だとしても、その幸福のオーラは上条に伝わってきていた。
こんな顔で隣にいてくれたらどんなにか幸せだろう、と思ってしまうぐらいに。
「それに、や。
きちんとしたホテルやさかい、まずイメージ云々に関しては問題ないと思うで。
表の側のルートから交渉すればいい、とかいうツッコミは無しやで。
ボクは堀埋める係や。本人が『うん』言ってればホテル側が喜んで仕事通すさかい」
追撃する青髪の言葉に上条の心の天秤は傾き始めていた。
受験本番まで一切気を抜いてはいけないのが受験生である。言語道断である。
が、正直休み一つなく頑張ってお勉強してきたのだからこういうご褒美があってもいいような気もしないではない。
実際にはいろいろとイチャイチャするようなご褒美は多かったのだが大きなイベントをスルーしていたのも事実だ。
成績的にも時間的にもそれほど追い詰められているわけでもない。
それに、やはり。
可愛い恋人のドレス姿を見てみたい。
デートでゲーセンに行って、コスプレプリクラなんかで試しに着てくれたことはあるけれども、やはり本物のウエディングドレス姿が見たい。
自分のためだけのレースを沢山つけたウエディングドレス。
恥ずかしげに頬を染めながらブーケを胸元に抱えて、それでも笑ってくれている大切な人。
想像しただけで心臓が高鳴る。
なんだかんだいって、上条当麻も普通の男子でそれなりに浪曼主義者なのだ。
「――話はしてみる。ダメになっても恨むなよ?」
「安心しとき、思いっきり恨んでやるわ。
モテナイ男のネタミヒソミを甘く見たらいかんでぇぇ」
応挙の幽霊の如くぶらりと手を下げて恨めしそうな表情を見せて、直後に破顔する友人。
パンフレットをありがたく頂戴したあと、立ち上がって軽く青い頭を小突いて、午後から始まる受験用の特別授業に参加するために上条は食堂を出て行った。
「御坂さん、何見てるんですか」
ボディーラインの悩ましい黒髪少女がテーブル越しに御坂美琴の携帯を覗き込んだ。
背伸びして、頭をおろして、当然ながら豊かな胸元がたゆんと揺れた。
その圧倒的なボリュームに一瞬表情が凍るも、次の瞬間には笑顔を取り戻した御坂美琴が答える。
「うちの母親からのメール。
なんかねぇ、昔の写真が出てきたってわざわざ送ってきたのよ」
正確には違う。これはあの母親が嘘をついているのだろうと美琴は判断しているがそれを表に出す必要はない。
カエルのキャラクター、ゲコ太の携帯電話、ミントモデルを手の中でひっくり返して好奇心の塊のような少女、佐天涙子に突きつける。
ほうほう、とオヤジ臭く興味津々といった態度で画面を覗き込まれた。
「――これ、御坂さんですか?」
これっていう言い方も失礼かもしれませんけど、と付け加えてクリーム色のワンピースを纏った佐天涙子の視線が御坂美琴に移る。
まん丸く見開かれた目を見て、勘違いされたかなぁ、と思って。
別に失礼でもなんでもないわよ、と言い返した。
さらに、
「違うって。うちの母親よ」
と付け加えた。
その言葉に「私も見ていいですか」と佐天涙子の隣に座っていた制服姿の初春飾利が興味を示す。
私服でないのは風紀委員の仕事をこなしたあとだからだ。
美琴はウンもイヤもなく携帯電話を二人に渡す。
肩を寄せ合って美琴の携帯を覗き込む二人の姿は好対照だ。
初春飾利の大きな花の髪飾りは今も健在で、というか二年前から全く成長していないスレンダーな肢体とあどけない顔は来年高校生になるとは到底思えない。
シルエットは当時と何も変わっていない。
だが醸し出すような色気が明確に大人の階段を上っていることを感じさせる。
かたや佐天涙子はスタイルこそ大人びているが表情は好奇心旺盛で子供っぽさを感じさせる。
天然、というキャラクターに分類してもいいかもしれない。
鬼も十八、番茶も出花。
ましてや元が良い二人の少女はこれからどれぐらい美しくなるのだろうか。
自分も人並みの外見を備えていると自負している美琴だが――まぁ、その評価が高いか低いかはさておくとして――このふたりを前にしてるとたまに居心地が悪くなる。
「ふえぇ。こう見ると御坂さんソックリですね、お母さん。昔から似てましたけどますます似てきたというか」
「初春、それ言うんだったら御坂さんがお母さんに似てきたんだよ」
女三人集まればかしましい、と言うがこの二人の場合は一人足らなくても十分に賑やかだ。
やいのやいのと騒ぎ立てる。
あまりの喧騒に美琴がわざとらしく咳払いすると察した二人はしゅんとなるも小さな声で会話を続けた。
ここはどこにでもあるようなファミレスの一隅。
二年前は何かのこの三人+一人が集まって会話を楽しんだ空間である。
御坂美琴が高校に進学し、ほかの三人も受験生となって何かと忙しくなって以前ほど頻繁に会うことは少なくなった。
それでも週に一度は集まって近況を報告し合っている。
ただ、この年齢の少女たちにとって一週間という時間は長い。
顔を合わせるたびに綺麗になっていく年下の友人たちの姿を見て、たった一歳しか年が変わらない御坂美琴は微妙な焦りを感じ始めてもいた。
去年の私はこんなに大人だったかなぁ、とドリンクバーの安いオレンジジュースを飲み干す。
グラスの中に残った氷のタワーをストローで突き崩して、二人から携帯電話を取り上げた。
「あー、まだ見ていたいのにぃ」
「あんまりジロジロ見せるものでもないし。
しっかし、昔は親は自慢していい存在だったけど大人が近づくと恥ずかしい存在になっていくわねぇ」
「恥ずかしくなんかないじゃないですかぁ。
とっても綺麗ですよ、御坂さんのお母さん」
携帯電話の中の写真で笑っているのは御坂美鈴。
美琴の母親である。
そして、同様に御坂旅掛。
白い燕尾服に白いウェディングドレス。
そう、二人の結婚式の写真だ。
娘である美琴が生まれる半年前の写真だから十七年前になるのだろうか。
当然ながら今の美鈴自身よりも今の美琴の方が写真の中の美鈴の年齢に近い。
特にこの頃の美鈴は肩甲骨のあたりまで髪を伸ばしており、冬口から髪を伸ばしている美琴とシルエットが共通している。
四十が射程に見えてきてなお外見を維持している母親には悪いとは思うが、一見すればこの写真は美琴の結婚式と勘違いされても仕方あるまい。
(余談だが美鈴が髪を切ったのは赤ん坊だった美琴を背負っていると纏め髪をいつも引っ張っててとても痛かったからなのだが美琴はそれを知らない)
まだヒゲの生えていないあどけなさを残す父旅掛の不自然な笑顔はどことなく恋人のそれと似ている。
「昔の写真なんてなんでわざわざ送ってくるのかなぁ、あの馬鹿母。
しかもさ、『まだとってあるから美琴ちゃん着てもいいのよ?』って。
絶対胸のことでからかってるに決まってるんだから」
ゲコ太の緑色の携帯電話の中で本当に幸せそうに笑っている実の母親。
自分の『母』ではない、父の『女』としての顔。
自分の親が自分の知らない女の顔をしているというのはある意味で精神的に不安になる。
と同時に自分の中にある明確な『女』の部分が羨ましくも思っている。
でありながらも『子供』の部分が『母親』を取られたと拗ねているのもわかる。
トータルで言うのならば居心地が悪い。イライラする。
「自慢、したかったんじゃないんですかね」
メロンソーダの人工的な色合いをストローで吸い込んで、初春飾利が言った。
そのセリフに美琴の片眉が釣り上がった。
「ごめん、初春さん。ちょっと意味わかんないんだけど。
あの馬鹿母が何を自慢したいって言うのよ」
特段不機嫌になる要素はない。
ないのだが、自分の母親のことを自分以上に理解しているかもしれないという言葉遣いに電撃姫の情緒が些か揺れた。
「えっと、ですね。
御坂さんのお母さんは御坂さんのことをひとりの女性として認めた、ってことなんじゃないですかね。
だから、自分の女性としての一番のものを御坂さんに見せつけたんじゃないかなって、そう思うんですけど」
美琴の強めの口調に俯きがちになりながら、それでも初春が自分の意見をしっかりと発言する。
気弱に見えて意外と頑固なところのある年下の友人――まぁ、それが正義感なのだろうけれども――の御高説を美琴は受け取る。
その言葉の芯の強さにわずかにあった反発心が押し倒される。
倒されるも勝気の強さがどうしても残った。
「そうかなぁ。
私が何歳になっても母親は母親だと思うけれども」
「でも、御坂さんは大人になっていってるじゃないですか」
「そうそう、綺麗になりましたし仕草も大人びてると言うか」
佐天涙子も初春飾利の応援に加わる。
褒められれば擽ったくなってしまうのは人間としての当然の反応で、その当然の反応が美琴の中にも起きたのだが今回は流されない。
でも、やはり嬉しくはある。
「やっぱり、恋人がいると違うんですかね」
「御坂さんの場合はドレスを着るっていうことが夢物語じゃないですからねぇ。くそう、羨ましくて妬みたくなりますね」
「モテナイ女としてはどす黒いオーラを送りたくなるよね、初春」
「ちょっと、二人共やめてよ」
佐天涙子が両手を突き出して、はぁあ、とか言い始めたので美琴は両手を振って嫌がる。
タダの冗談なのだから笑って返している。
どうにも振り回されるなぁ、と笑みに苦いものが混ざった。
ここにいない後輩の白井黒子は男嫌いで通っているが佐天涙子も初春飾利も恋に恋する可憐なオトメだ。
この二人に恋人がいないなんて世の男どもは見る目ないなぁ、と嘆息する。
が、その「男ども」の中から一名を無意識に除外していることには気づかない。
その事実だけでも御坂美琴にはどす黒いオーラを浴びる資格がある。
あるけれども特段罪というわけでもない。
誰かを好きになって、その恋が叶うことが罪なわけがない。
御坂美琴の悪意のない空気に今度は逆に二人の乙女が嘆息した。
「あーあ、私もドレス着たいなぁ。ウエディングドレスでなくてもいいから。親類お友達コースのでもいいから」
「パーティドレスなら持っているわよ?
常磐台ではしょっちゅうだったもの。
まぁ、その、私のは佐天さんには着れないと思うけれども初春さんだったらサイズ的に問題ないものもあるし」
「……それ、言外に胸が小さいとか言ってます? 私にだったら勝てるとか言ってます?
喧嘩だったら買いますよ、ハッカー勝負で」
「初春ぅ、それは被害妄想だよぉ」
「うるさいですね。
この件に関しては佐天さんは敵です。明確に敵です」
「ええぇ! こんなものあったって役に立たないよぉ」
「両腕で挟まないでください! 持ち上げないでください!」
ぐい、とわざとらしく両の二の腕で挟んで谷間を強調する佐天に初春が激怒する。
くっそう、と美琴もダメージを受ける。
谷間なんて出来たことがないぞ、と。
「あははは、佐天さんもそれぐらいにしてくれると嬉しいなぁ。
こっちも無傷じゃすまないんで」
「そうです!
だいたい同い年でこんなに差がつかなきゃいけないんですか!」
「いいじゃない、初春はいっつも可愛いパンツ見せてるんだから」
「見せてませんっ!
佐天さんがスカート捲るからじゃないですか!?」
うりうり、と強調した胸を押し付ける佐天涙子の前に圧倒的な敗北を繰り広げる初春飾利。
そっかぁ、初春さんもレベル2かぁ。
感慨深いなぁ。
けどそれ以上に佐天さん年下なんだよなぁ。
なにあのサイズ。
食蜂ぐらいあるんだけど。
「でも、馬鹿母のウエディングドレスは佐天さんサイズだったりするのよね、これがまた。
何故かここだけは似なかったもので。
送ってもらおうか?」
あはははは。
美琴が乾いた笑いを立てると逆セクハラをしている方と受けている方が固まった。
ぎぎぎ、とオイルのさしていないブリキロボットのように首をこちらに向ける。
しらけた空気が三人のあいだに漂った。
冗談にしては宜しくなかったらしい。
「えっと、その、申し訳ありませんでしたっ!」
がば、と立ち上がり思いっきり頭を下げる佐天涙子。
並びにあわあわとそれに従う初春飾利。
唖然とする美琴をそのままに二人が必死に謝罪を繰り返した。
「え、いや、その怒ってるわけじゃなくてね」
「ドレスに興味がないとは言いませんがっ!
お母さんが御坂さんに譲りたいウェディングドレスを冗談でも着ようなんて考えてませんからっ!」
「別に思うのは個人の自由であってね?」
「すいません、すいませんっ!
親しき仲の礼儀を踏み越えてしまいましたっ!」
あはははは。
乾いた笑いを浮かべるしかない。
どうにも美琴の冗談はふたりに完全な誤解を与えたらしい。
別に気にしてなんかいないんだけどなぁ、と思ったが、反面結婚式というものをそれぐらい神聖に考えているんだなとも感心する。
うん、ここに黒子いなくて助かったわ。
肩の上に重いものが乗っかってくるのを自覚しながら美琴は氷が溶けてオレンジジュースの香りを纏った冷たい水を飲んで気分を落ち着けることに専念した。
自分がずれているだけなのか、それとも上条との距離が近くなりすぎたのだろうか。
特段純白のドレスに感慨を持っていない自分に気付いた美琴は、嫌な意味で大人になったな、と自分を省みていた。
『申し訳ありませんですの!
黒子も不本意だったのですが、どうしても外せない用事がありまして!』
「いいってば。黒子も風紀委員の支部長に推薦されて忙しいんだからさ」
『きいいぃぃ! せっかくのお姉さまとのデートをすっぽかさなくてはいけないなんて黒子一生の不覚ですの!』
「いや、デートじゃないし。初春さんも佐天さんもいるし、つうかきいちゃいねえ」
『お姉さまとの熱いハグもベーゼも! メモリアルな夜も!
とてもとても楽しみにしていたのですのよ!』
「ごめん、そういうの当麻じゃない人とはできないのよ。
またの機会を楽しみにしてるわ。夏休み中だし、タイミングさえ合えば明日にでも」
『――くぅうう。申し訳ありません。
あと三日は講習が続くんですの……」
小さな声で「あの類人猿いつか殺す絶対殺す三枚におろしてわさび醤油に漬け込んでやるお姉さまもお姉様ですのノロケなんて聞きたくないですの」とつぶやいているのは無視した。
もしかしたら携帯電話の電波状況が悪くてそう聞こえているだけかもしれない。
うん、きっとそうだ。
美琴は白井黒子との連絡を終えて携帯電話を折りたたんだ。
ソファがわりにしていたベットから立ち上がる。
ぎし、という音がする安いベットだがそれなりに大切な空間だ。
上条当麻の寮は学園都市の外部の判断で見ればちょっとしたマンションである。
八階建てですぐそばまでとなりの建物が迫っていることを考えると集合住宅地という趣が強い。
それでも代表的な寮の形態なのだから学園都市という名前は伊達ではない。
で、教育機関が用意してくれた寮なのだから当然ながら男女がともに住む、所謂同棲というやつは御法度だ。
御法度だがそれは実際問題名目上。
自分の部屋が別個にあって、それでなお勝手に泊まりに来て、その泊まっている時間が少しばかり長いのであればあくまで個人の自由の裁量の中である。
事実上の同棲であっても書類上はそうなっていない。
もっとも相方である上条当麻はこの部屋で銀色の髪とエメラルドの瞳を持つシスターと同居していたのだが。
だが少なくとも今現在ここにいるのは御坂美琴であり、夫の帰りを待つ新妻のごとく上条当麻のための夕食は先ほど作り上げたばかりだ。
温めて盛りつけだけをする状態で、洗濯物の取り込みも部屋の掃除も終わって手持ち無沙汰となっていたので白井黒子と連絡を取りあったのだ。
スレンダーな外見とともにまったく変わっていない思慕の情を垣間見て少々呆れながらも同量嬉しくもあったりもした。
常磐台中学を卒業して少し距離が離れていても相変わらずでいてくれている。
一生慕ってくれてるかどうかはわからないけれども、この関係は長く続いて欲しい。
美琴は恋人に対するのと同じような気持ちを抱いた。
そして、再び携帯電話を開く。
ラブリーなゲコ太の携帯――と当人は思っている――を操作して昼間の写真を開く。
嬉しそうに幸せそうに笑っている結婚式の母親の写真。
佐天涙子と初春飾利の前で自分はドレスに固執していないと結論づけたが感傷がないわけではない。
だが、二人ほど神聖なものとは思えなかった。
手に届かないものとも思えなかった。
なぜだろう、と思考する。
恐らくは、イベントそのものにはさほど興味がないからだろう。
節目であって気持ちの切り替えであって重要ではないとは思わないが、そのあとに続く生活の方がはるかに重要に思える。
そして、その後の生活というものに対しての安心感があるのだ。
お互いまだ大人になったとは言い切れないけれども、真摯に想ってくれて慈しんでくれている恋人のことを完全に信頼している自分がいる。
確かに付き合ったばかりのような有頂天が続くような激しい恋をしているわけではないけれども。
その気分を味わいたいと思えばいつでも受け止めてくれる。
結論、現状の幸せで十二分にお腹がいっぱいなのだ。
もちろん、彼の隣で綺麗に着飾って最高の笑顔を見せ付けられるのならばとても素敵なのだけれども。
まだ学生の身分では到底それは望めない。
一応、付き合ったばかりの頃に将来を誓い合ったりもしたがあの時に彼が言ったとおりアレは恋愛に酔っていただけなのかもしれない。
それでもきちんと就職して自分の足で立てるようになったら言葉をくれるとは約束している。
明日明後日の話ではなくてまだ遠い先の未来のことで。
今から夢を見ていても疲れてしまうのだろう。
「ま、いいや。そろそろ帰ってくるし」
ふと壁掛けの時計を見上げて独り言をつぶやくと、ほら。
がちゃり、と玄関のノブが回った。
その瞬間には携帯電話を放り投げてしっぽを全力で振る子犬のように軽い早足で駆け寄っていた。
「うい、ただいまー」
「おかえりー。暑かったでしょ」
玄関の戸が開いて見知った、そして一度も飽きることのないツンツン頭が入ってくる。
その髪はくたびれたのか多少垂れ下がり顔にも疲労の色があるが、それでも美琴を見てにっこりと微笑んだ。
「いや、今日も頑張った。
帽子掛けレベルの冴えない頭で一生懸命頑張ってきましたのよ」
「お疲れ。冷たいお茶入れるから座ってて」
「ああ、じゃあちょっと着替えてくるわ。汗かいてるから。
あとこれ、コンビニでアイス買ってきた。
安物だけど一緒に食おうぜ」
学生鞄を机の横に置いて上条が着替えを持って浴室へと移動する。
この季節は外を歩いているだけで体力を消耗する。
疲れてるわねー、とその後ろ姿を見ながらも、それぐらい頑張ってきたんだな、と納得した。
肉体的披露と机の上で努力することは必ずしも繋がるわけではないけれども、それを同じと思わせるぐらいには頑張っている姿を見ている。
それなのに自分のためにちょっとしたお菓子を買ってきてくれる。
応援しなきゃ嘘だよなぁ、と思うとともにその優しさが嬉しかった。
渡されたコンビニのビニール袋から二つ、大きなアイスクリームを取り出して膝の高さのテーブルに並べる。
冷蔵庫から取り出した二リットルのペットボトルのお茶に氷を三つ入れたグラスを二つ、同じように並べる。
座布団の位置を整えて埃を払って、そうして膝を崩してヒップを座布団に埋もれさせながら美琴は上条を待つ。
ちなみに。
テーブルは二人が横に並べるサイズではないが、座布団は横に並べている。
斜め四十五度の席よりも彼の隣に座りたい。
それぐらいの我儘を貫けるぐらいには美琴は努力している。
帰ってくると分かっていれば待つ時間も悪くはない。
その待つ時間も終わって、次はそばにいる時間だ。
上条が浴室から出てくると学生服の白いシャツからスカイブルーのTシャツへと着替えていた。
顔も洗ったのだろう、気持ちすっきりした表情で美琴の隣にまで来て乱暴に胡座で腰を下ろす。
はい、とペットボトルのお茶を入れたグラスを渡すと、ありがとな、と一言いって上条がお茶を一気に飲み干した。
「ふぅ、甘露甘露。
暑い時に飲む冷たいものは最高ですねぇ」
「コンビニ寄ったのならなんか飲めばよかったのに」
「高いでしょうが。
部屋戻ってくればまとめ買いした安売りのお茶があるんだからさ」
二リットル六本の入ったダンボール箱抱えてくるのとどっちが楽なんだろう、と美琴は一瞬思うが上条の言いたいことがそこではないのはわかる。
暑い最中、くたびれているところ、わざわざコンビニに寄り道して手を伸ばせば届くところにある水分を我慢して部屋まで帰ってきたのだ。
その意味は何か。
本当にコイツは馬鹿なんだから、と思う反面その馬鹿さが可愛らしく思える。
馬鹿な努力を無駄にさせちゃいけないな、と美琴は上条のグラスに半分ほどお茶を追加して注いだ。
「お、サンキュ」
「噎せないように気をつけなさいよね」
「いくら上条さんでもそこまで子供ではありませんのよ」
言って再びグラスを傾ける上条。
美琴もグラスを両手に抱えて一口。
そのままそっと肩を預けた。
自然斜め上を見上げると目と鼻の距離で上条が苦笑している。
「今の上条さん汗臭いですよ?」
「いいわよ、そんなの気にならないし。
いやなら止めるけど」
「いやなわけはないんだけどさ。美琴を不快にさせてないかな、ってさ」
「信用がないなぁ」
「信用とかそういうのじゃなくってさ……」
言葉尻を濁してあさっての方を見る上条。
照れくさいのだろう。
もっと素直に甘えてくれればいいのに。
仕方ない、こっちが甘えてやりますか。
グラスをテーブルに置いて上条の逞しい胴体に両腕を回した。
なるほど、確かに汗臭い。
けれども嫌いじゃない。
恋人の体臭は芳香とは言えないがとても心を落ち着かせる。
それなのに上条は慌てて逃れようとする。
逃がさない。
上を見て苦笑している恋人を睨みつけた。
「お、おい美琴」
「充電してあげてんだから黙ってなさいって」
「だから汗臭いってば」
「うっさい。アンタは黙って美琴さまのエネルギーをありがたく充電されてればいいのよ」
「ああ、もう――敵わないなぁ」
観念した上条が愛しげに美琴の頭を撫でた。
分厚い右手が撫でられると美琴の頬がどうしても緩んでしまう。
それに気づかれたくなくて逞しい胸元に思いっきり額を擦りつける。
猫のマーキングと同じだ。
自分のものだと、訴えている。
確かに暑い季節だけれどもこういう熱さだったらいつだって大歓迎だ。
一方、上条も恋人の明るい色の髪を撫でながら感慨にふける。
やっぱり、あの話は受けようと決断する。
喜んでくれるかどうか、きっと喜んでくれるだろう。
今はまだ本物を着せてあげられる力はないけれども、いつかの日のために隣で笑ってもらいたい。
こういう人が存在している自分は決して不幸なんかじゃないな。
と、そう上条が考えていると。
ふと視界の隅に美琴の携帯電話が映った。
省電力設定にしていなかったのか、開きっぱなしのそれは画面が明るいまま。
無意識に首を傾けて覗き込むとそこには自分ではない誰かの横で幸せそうに満面の笑みを浮かべるウエディングドレスを纏った恋人の姿があった。
「―――なっ!」
「きゃ、なによ、いきなり」
思わず美琴を突き飛ばし上条がミントゲコ太の携帯を鷲掴みにする。
ふるふると震えながら画面を覗き込めば自分がして欲しい笑顔をしている彼女の姿が自分ではない誰かの為に向けられている。
愕然と、した。
「ど、どういうことだよ、これ!
美琴、ほかに誰かいるのかよ! ふざけんなよ、くそっ!」
上条は自分の心臓が捩れる音を聞いた。
苦しくなる、氷の塊を内臓に突っ込まれたかのよう。
自分に甘えてくれた恋人が自分の欲しい笑顔を自分ではない誰かに向けた。
浮気じゃない、浮気どころの話じゃない。本気で本物の笑顔。
何度も何度もそのイメージが繰り返しに脳に焼き付けられる。
青髪ピアスに対して自分は嫉妬深い、といったがその言葉の意味を自分で痛いほどに体験していた。
絶叫したい。
何もかも壊してしまいたいという衝動が湧き上がる。
子供じみた否定妄想を止められなくなっている。
「―――よく見てよ。それ、うちの両親の結婚式だってば」
が、白けた目をした美琴がそう言って、後ろから抱きついてくると上条は呆気にとられた。
「え? その、旅掛さんと美鈴さん?」
「そ。私が生まれる前の写真よ? 勘違いして傷つかないでよ」
冷静になる。再度見直す。
その写真の世界は纏う空気も髪型もとてもよく似ているし、なにより顔つきがそっくり。
だがよく見れば確かに違った。これは美琴では、ない。
はあああ、と肺に溜まった息を吐き出す。
へなへなと腰が崩れ両腕を床について上体を支える。
あはは、と軽く笑う声には力がなかった。
「そっか、よかった――」
「良くないわよ。痛かったんだから」
言いながらも気の抜けた上条に力強く抱きつく美琴。
ここに居るよ、と言わなくても体温が伝わる。
上条にはそれがとても嬉しかった。
「なぁ、美琴」
「うん、なあに?」
「―――愛してる」
心のままに言葉を告げる。
その瞬間、沈黙が二人を包んだ。
何時間もの意味のある数秒の緊張。
二人の心臓はそれほどまでに加速した。
言葉一つで上条のエネルギーはごっそりと奪われた。
言葉一つで美琴のエネルギーは満タンを超えて充填された。
とても言える言葉じゃない。覚悟が、いる。
相手の気持ちなんて関係ない。ただ、自分の中でそれがどれだけ高められているか、だけ。
「えへへ。えへへへっ☆」
感極まって、短い呼吸を繰り返しながら。
御坂美琴が幸せで堪らないと笑い始める。
恋人の身体に回した両腕に力を込めて、溶けてしまえとばかりにしがみつく。
笑いながら目尻には涙が浮かんでいた。
だめだ、ああ、コイツのこと好きだ。好きで好きでたまんない。
くすぐったくなる。
少しだけ、母親の美鈴に感謝した。
こんな素敵な思いができるなんて、と。
花弁なような半開きの唇から、無意識のうちに言葉が漏れた。
「私も、愛してる―――」
上条の右手が自分の胸元にまで伸ばされている恋人の両手に重ねられた。
強く、握られる。
身体が強ばっていながらも心が暖かい。
やがて。
三分もしたころようやく気を取り戻した上条が上体を立て直し、そしてその膝に美琴が座った。
心の底から相手を求める言葉を重ねて、これまでも近かった距離がもっと近くなったような気がする。
暖かい。
背中を預け、美琴は携帯電話を開いて写真を見つめる。
上条はアイスクリームの蓋を開けてスプーンですくいながらそのアイスを二人の口に交互に運んだ。
甘くて冷たくて美味しい、と笑う少女の重さが心地よい。
「ねぇ? いつか、当麻も私にドレスを着させてくれるのかな?」
悪戯っぽい目線で上条を見上げながら美琴が笑う。とても幸せそうに。
ここにいてくれるだけで活力が湧く。勇気がみなぎってくる。明日のために頑張ろうというエネルギーになる。
ずるいし卑怯だと上条は思った。
自分にあんな思いをさせておいて恋人は一言も謝っていない。
あんなにエネルギーを使った言葉を返してはくれたけれど、そんなものでは足りない。全然足りない。
それどころか嫉妬に狂った自分を楽しそうに嬉しそうに見つめている。
ふざけんな。
絶対泣かせてやる。
嬉しくって泣かせてやるからな、覚悟しやがれ。
「なぁ、美琴―――」
「うん、どうしたの?」
「いつか、じゃなくってすぐにでも着てくれる――か?」
耳元で小さな声で囁く。
腕の中でぴくんと小さく跳ねた。
「え、いきなりなによ? コスプレでえっちなことしたいっていうの!?」
「それも魅力的だけど、違うって。
いや、これはもう命令だな。美琴の意見なんて関係ない。
絶対着させる。純白のドレスを着て俺の横で笑ってもらうからな」
腕の中の小さな女の子。
その華奢な身体を強く抱きしめながら。
上条当麻は単発で入ったアルバイトのことをぽつぽつとやさしげに語って言い聞かせた。
334 : VIPに... - 2012/12/17 00:12:45.17 BtI8NK64o 24/24以上です
最後のシーンを書きたかっただけです