1 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:25:45.68 2U3TPLP80 1/78


ある日転入生がやってきた。
彼は教室に入るなり、自分の苗字だけを名乗って、私の隣にある空席に腰を下ろした。

「おはよう。」

一応挨拶をする。ついでに顔も一緒にチェックした。
悪くない容姿だった。目の下には酷いクマがあったけど、それを差し引いてもかっこいいと思う。




2 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:26:59.88 2U3TPLP80 2/78


「・・・おはよう。」

今にも消えそうな声でそう言った後、彼はまた前を向いた。

「自己紹介くらいしたら?」

彼のその礼儀のなさに少しイラっときた私は、きつめの口調でそう言った。

「それならさっきしたじゃないか。もう名前は知れたでしょ?それ以上は時間の無駄じゃないかな?」

「それでも礼儀ってものがあるでしょ?」

「どちらかって言うとあなたの方が失礼だよ。」



3 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:28:39.98 2U3TPLP80 3/78


正論を返された私はまさしくぐうの音もでない状態で、次の授業、もとい今日最初の授業が始まるのを待った。

全く集中できない。ただつまらないだけの数学の授業。その間に私は男に話しかけることにした。さっきのままのイメージが付いてるかもしれないと思うと、少し癪だった。

「さっきは悪かったわね。私は女よ。」

「知ってる。」

「何で?」

「先ずこの教室の後ろに名前が出席番号順に書いてある紙が張ってある。今は新学年が始まってから間もないから、席替えをしている確率も低い。順に数えれば名前は分かる。」

「だからさっき後ろ向いてたの?でも席替えした可能性もあるじゃない。」

「名札してるじゃん。」




4 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:30:17.04 2U3TPLP80 4/78


そうだった。私たちは名札をつけていたんだ。なんかムカツク。
せっかく自己紹介したのに。

「よく見てるわね。」

「そうかな?」

「たぶん普通の人よりは。」

小声で話していたはずだったのに、うっとおしい数学の教師が男に因縁をつけた。
お前の学校ではもっと進んでいたのか?だそうだ。漫画じゃあるまいし・・・と思いながら、男はどうするのかを観察した。




5 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:31:43.37 2U3TPLP80 5/78


「すみません。」

立ち上がってそう言ってからすぐにまた着席した。
無論、その姿に教師は腹を立て、問題を解くように言った。

「分かりません。」

なら話すなと教師は怒鳴る。でも男は教師に放課後は居残りだといわれた瞬間、前へ出て、教師のチョークを奪い、その問題を解いた。

教師「・・・っ!何故最初からちゃんとやらない。」

「前へ出てするのは時間の無駄だと思いました。」

「でも補修のほうがもっと時間が無駄なのでやりました。」

ますます不思議なやつだ。さっきから抜け目がない。
負けを知らないイメージだ。
そしてやけに時間にこだわる。遅刻したら許してくれないタイプだろう。




6 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:33:11.01 2U3TPLP80 6/78


「勉強できるんだ?」

「人並みにはね。」

「ふ~ん。」

「私とこうして無駄口たたくのは時間の無駄じゃないの?」

「他にすることがないから。」

「授業聞きなさいよ。」

「女さんがそうすべきじゃない?」

「私はできるからいいの。」

「そうなんだ。」

「あなたも、毎日遅くまで勉強してるんでしょ?」

「??なんで?」

「クマがすごいから。」



7 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:34:25.34 2U3TPLP80 7/78


男は少し戸惑っているように見えた感じどう答えたらいいのかを迷っているようだった。

「転入とかの手続きで忙しかったからね。」

「いつ引越ししてきたの?」

「一昨日。」

それはクマもできるだろう。

「親の都合か何か?」

「・・・まぁうん。そんなようなもん。」

やけに歯切れが悪くなった。家の話はタブーなのかもしれない。

「何かいろいろありそうね。」

「うん・・・」



8 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:35:37.11 2U3TPLP80 8/78


私はその後、男と昼ごはんを食べた。私は女同士でつまらない話をするのは好きじゃなかったし、男は一人だったのでなんとなくそうなった。
そこでもまた不思議なことを発見した。
男のご飯がえらく貧相だったからだ。

「おにぎり一つ?」

「うん。」

まぁ日にちが経てばきっとちゃんとした弁当になるんだろう。引越しの影響で、両親が何か作れなかったんだな。自分の中で結論をつけて食事に戻った。

「そういえば珍しい転校生なのに誰も話しかけてこないわね?」

「どうでもいいよ。」



9 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:36:52.84 2U3TPLP80 9/78


そういうと思った。ほんとにどうでもよさそうだったから、逆にすがすがしい気持ちになる。

その日の学校では、もう男についての収穫はなく、放課後をむかえ、彼は颯爽と帰り、私も家に帰ってから犬の散歩にでかけた。

いつもの散歩コース。駅前で、まだ制服姿の男を見かけた。少し離れていたから声はかけれなかったが、何かを手に持っていた。

次の日、また男と昼ごはんを食べることになった。
今度の彼のお昼はパンの耳で、思わず聞いてみる。

「え?それご飯なの?」

「そうだよ。」

「家でちゃんと食べれてる?」




10 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:38:05.26 2U3TPLP80 10/78


何だか急に心配になってきた。

「・・うん。」

この歯切れの悪さ。きっと家に事情があるんだろう。

その次の日も、そのまた次の日も、男の昼ごはんは貧相で、おにぎりとパンの耳の繰り返しだった。
私はついに見かねてお弁当を作ることにした。
さすがにかわいそうすぎる。
育ち盛りの男子がおにぎりやパンの耳なんてありえない。だから弁当を作る。そう決めた。

「はい。これ食べなよ。」

「え?悪いよ。」

「あのね、見てるこっちがお腹減るくらいあなたは何も食べてないの。」

「じゃ、一緒に食べるのやめる?」

「そうじゃないの!」



12 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:39:18.39 2U3TPLP80 11/78


「じゃ、お金払うよ。」

「そうじゃないの!」

「一人分も二人分も作る手間は同じだから食べなさい。」

「ね・・・」

「?なんか言った?」

「じゃ食べさせてもらうね。」

「はい。」

ついつい何度か声が大きくなってしまった。男は誰かに迷惑をかけることをすごく嫌がる。迷惑なんかじゃないのに。少なくとも私には。

「明日も明後日も作ってくるから。」

「え~それはほんとに悪い。」

「いいの! 言うこと聞きなさい。」

「・・・」

無言を肯定と解釈した私は、男の刺々しさがだんだん無くなっていたことに気づいた。

それから毎日男のために弁当を作るのが日課で、それが楽しかったのは否めない。
休日の彼はどうしてるのだろう。気が付くと、最初はムカついた男のことを考えるようになっていた。どうしちゃったんだろ。
出かけよう。気分をリセットしたい



13 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:40:30.90 2U3TPLP80 12/78


転入初日、俺は自分の苗字だけを言い、席に座った。
となりにいた女子が声をかけてきた。少しその女子と言葉を交わした俺は、けったいな女に出会ってしまった、そう思った。

突き放してしまえばそれまでだったが、彼女が見せるそ優しい目に、過去の思い出と同じ匂いを感じて、突き放すことができなかった。

初日の放課後、駅までの道すらもよく分からなかったが、とりあえず駅に向かった。

あの辺にバイトの求人誌が無料で置いてありそうだったからだ。実際俺はそういう類のものを駅でよく見かけた。
金が無い。まさに貧乏だった。
無事求人誌を見つけた俺は、帰り道にパン屋を見つけた。



14 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:41:44.20 2U3TPLP80 13/78


「パンの耳、余ってませんか?」

店員「あ~あるよ~どうしたの?」

「俺、貧乏で、食べるものに困ってて、だから譲ってもらえないですか?」

店員「いいよ~毎週火曜日と木曜日にあげれるから。」

「おいくらですか?」

店員「お金ね~いいよタダで。」

「ありがとうございます。」



15 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:42:58.58 2U3TPLP80 14/78


タダでもらえるのは本当にラッキーだった。

電気代節約のために、二週間に一度しか炊飯器は使わない。
米をまとめて炊いておにぎりにして、冷凍しておくのだ。そうすれば昼飯の時間になるといい具合に溶けて、食べれるようになる。
電子レンジなんてもっての外だ。

暗い狭いワンルームのアパートで、一人で寝て、起きて、学校に行くのが通例になっていた。

ある日を境に、毎日話すようになっていた女が弁当を作ってきてくれるようになった。女が言うことが姉にそっくりで、俺は言葉に困った。できるだけ考えないようにしていたことが、女のせいでそうできなくなってしまう。

何週間かが過ぎていったころ、俺はやっとバイトにありつくことができた。
休日なんて関係ない。金がないと生きていけないから。だから土日を返上でバイトに出かけた。



16 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:44:11.86 2U3TPLP80 15/78


「こんにちは。」

店長「おう。」

「男といいます。」

店長「よろしくな。」

店長「お前、料理はできるか?」

「レシピさえあれば可能です。」

店長「じゃ厨房を担当してくれ。」

「わかりました。」



17 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:45:58.79 2U3TPLP80 16/78


俺が手に入れたバイトは居酒屋でのバイトだった。
料理は昔姉が教えてくれたから、慣れているつもりだったし。
学校なんて辞めて働きたかった。
でもそれはできない。
だからできた暇を全部バイトにあてがうことにした。

「俺、できれば毎日入りたいんですけど・・・」

店長「ん~それはお前の働き次第だな。」

店長「とにかくしばらく様子を見てからだ。」

それから数日後、俺は希望通りとはいかないが、ほぼ毎日仕事にありつくことができた。
それに比例して毎朝起きるのが辛くなり、遅刻も増えた。授業中は寝ることに専念した。


でもそんなのは関係ない。勉強は問題ないし、体さえ壊さなければ金は手に入る。
生きていくのに必要な金がある程度たまれば、バイトも減らすつもりだったからなりふり構わず働いた。

そして目標としていた額が貯まったとき、俺はバイトを減らした。
緊張が解けたのか、寝込んでしまった。
それが初めて学校を休んだ日だった。



18 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:47:13.85 2U3TPLP80 17/78


ここから先は貼りと同時進行で書いていくので、下手かもしれないです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

長かった休日が終わり、また学校が始まった。
長かった理由は明らかで、男に会ってないからだった。

学校についてから、しばらくすると、男がやってきた。

「おはよ。」

「おはよう。」

「休日は何してたの?」

「バイト。」

「バイトしてたのね。知らなかった。」

「うん。」

「そっか。」




19 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:48:52.83 2U3TPLP80 18/78


いつもより会話が弾まない。…ような気がした。きっといつも通りなのだ。私の気持ちが変わってしまったから、そう感じるのだ。

「何でバイトしてるの?しかもうちの学校バイト禁止だし。」

「え?そうなの?じゃ秘密な。」

うまく誑かされた。同時に二つも質問したのが駄目だった。まぁ聞かれたくないんだろうから深くは聞かないし、二度も聞くとしつこいと思われるかもしれないから、それ以上は聞かなかった。




20 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:51:23.80 2U3TPLP80 19/78


やっぱこの時間じゃ誰も見てないですよね・・・

昼になり、また一緒に弁当を食べた。
その時間を私は、自分でも気づかなかったけど、心待ちにしていたみたいで、すごく幸せな気分だった。もう完全に男のことが頭から離れなくなっていた。

それからしばらくの間、頭から男のことが離れた日はなかったが、学校ではそれとなく過ごした。

そのしばらくの間に男も変わった。

先ず、学校に遅刻するようになった。

「最近遅刻ばっかりじゃない。」

「うん。」




21 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:53:05.71 2U3TPLP80 20/78


素直に返事をされたので何も言えない。言葉が無かった。
彼は勉強ができたから。内申点などというくだらないシステムのない高校では、彼の素行は問題になり得なかったからだ。

「体には気をつけて。」

「じゃ寝るわ。」

「起きてるのは時間の無駄だし。」

自分と話す時間も無駄なのかなぁ?前までは少しイラっとしていた男の物言いも、今じゃ別の種類のイライラになってる。




23 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:56:51.40 2U3TPLP80 21/78


それからまたしばらく経って、夏の匂いがする風が吹き始めたころ、男は学校初めて学校を休んだ。

私はその日に、先生からのプリントを渡しにいくと言う口実で男の住所を聞きだして、放課後、男の家へ向かった。

道中、お見舞いも買って行かないとな。と思い直し、スーパーに寄った。自分勝手な理由で押しかけようとしてるんだから、これくらいはしないと。もしよかったらご飯も作ってあげよう。材料を買い、再び男の家へ向かった。




25 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 11:59:19.17 2U3TPLP80 22/78


呼び出しのベルが鳴った。
俺に客かよ・・・風邪でだるくなった体を無理やり起こし、ドアへ向かう。ワンルームだから移動距離は少ないが、それでも風邪の体には堪える。

「あの、男さんのお宅でしょうか。」

俺は一瞬すごく驚いた。どうやって家の場所を知ったんだろう。

「そうだよ。」

「あ、渡すものあるから入れてもらっていい?」

正直どうしようか迷った。部屋は汚くない。むしろ物がないので汚くはならない。けど何か言われそうで、それがなんだか少し嫌で、しばらく黙ってしまった。




28 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:02:19.99 2U3TPLP80 23/78


「男?」

「しんどいならいいよ・・・ごめんね。」

「いやっ・・・」

俺はドアを開けた。女の言動が、気の使い方が、死んでしまった姉にそっくりで突き放せなかった。

「狭いけど・・・」

「お邪魔します。」

「何でここが分かったの?」

「えっ。あっ先生から聞いたの。手紙も渡さなきゃいけないし。」






30 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:03:35.38 2U3TPLP80 24/78


「明日提出日のがあるから、しんどいなら今私が書いて明日もって行くけど・・・」

「どんなやつ?」

それは夏休み前の保護者懇談だった。
まずい、それは本当にいろいろとまずい。

「じゃ読んでいくから質問に答えてね。」

「保護者の名前は?」

また沈黙。一応親戚の名前を伝えることにしようかと思ったが、やめた。

「・・・」

「?」

「・・・」

「い・・いないの?」

「・・・うん。」



31 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:05:36.24 2U3TPLP80 25/78


仕方なくそう答えた。なぜだろう。涙が出そうになるのを堪えながらただうん。と返事をした。

「・・・」

彼女は、女は、絶句しているように見えた。答えを探している。そう思った。

「だから・・・」

「だからご飯・・・」

「うん。」

「バイトも・・・」

「うん。」

全てを察したように彼女はそう言った。悲しげな顔がまた姉に重なって、涙が出そうになる。



33 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:07:04.14 2U3TPLP80 26/78


「ごめんね・・・・」

「いや、女が謝ることじゃない。」

「・・・」

もう空気が持たない。そう思った俺は女が持ってきたビニール袋について、話題を変えることにした。

「それ、何?」

「これ?」

「うん。」

「ご飯の材料・・・」

「作ろうと思って・・・」

「・・・」

ここでも反応に困る。どうすればいいのだろう。
作ってと頼むべきなのか、そうじゃないのか。



34 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:09:16.80 2U3TPLP80 27/78


「何もたべてないんでしょ?」

「作っていい?」

俺は節約中だから。そう言いたかったが、温かいご飯が食べたい気持ちもあった。
電子レンジが家にないので、ご飯を食べようにも、冷凍されてあるおにぎりが溶けるのを待たなければならない。それに女は姉に似てたから。弁当もおいしいし、少し期待する面もあったので了承した。

「よろしく頼む。」

「うん。」

心なしか女はうれしそうだった。

料理を作っている後姿が、窓からもれる日に当たって、絵の中の人のように映っていた。
俺が風邪で、おかしかったのかもしれない。でも綺麗だった。

女の作るご飯は案の定おいしかった。暖かいご飯を食べたのはいつぶりだろう。




36 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:11:55.41 2U3TPLP80 28/78


「おいしい?」

「うん。」

「!?」

「泣い・・てる?」

「え?」

自分でも気づかないうちに、自分でも気づかないくらいの量の涙が目から零れていた。全く風邪というのは恐ろしい。本当に風邪のせいなのかは疑問だが・・・

「明日は来れそう?」

俺が涙を拭くのを見てから、女はそういった。




39 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:14:27.68 2U3TPLP80 29/78


「うん。多分。」

「バイトで無理してたんでしょ?」

「無理しちゃ駄目よ。」

「もうシフトも減らしたから大丈夫。暖かいご飯も食べれるよ。」

「そう。」

「・・・あの・・」

「ん?」

「ううん。何でもない。」

いつもより歯切れがわるい。十中八九ここに来てしまったせいだと俺は思った。
昔姉に言われた言葉を思い出す。



43 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:16:36.22 2U3TPLP80 30/78


俺は女の前でそんな顔をしてしまったんだろうか。そもそももっと辛い人たちがいるのは心底理解しているつもりだった。例えば姉がそうだった。

「食べ終わったら置いといて。」

「片付けは明日やるよ。」

「いいから寝てて。片付けたら帰るから。」

「・・・」

俺はもうかける言葉を失くしていた。女の気持ちが全く分からなかった。女は洗い物を済ませた後、じゃあね。お大事に。という言葉を残して帰って行った。

部屋に誰かがいたのも久しぶりだったなぁ。



44 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:18:04.39 2U3TPLP80 31/78


玄関の呼び鈴を鳴らすとき、私がいかに自己中心的かを悟った。
料理だって家族の人が作ってくれているのかもしれないし、こんなアパートにもし私が住んでいたら誰も来てほしくない。何より男は風邪で辛いのかも知れないのだ。

そしてその玄関を出るとき、私は男の暮らしに凄く驚いていた。
自分と同い年の少年が自分の力で生活している。
私には親もいるし、食べ物にだって不自由しない。風邪をひけば誰かが病院に連れて行ってくれる。



46 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:19:35.36 2U3TPLP80 32/78


でも、男にはそれらがないんだ。何一つ私が持っているものを持っていないんだ。
家には電子レンジも無かった。冷蔵庫にはマーガリンが入っていただけで、何も無かった。
冷凍庫には男がいつも持ってきてるおにぎりと、パンの耳がぎっしり。

私がこんな生活をしたら死んでしまう。なのに男は学校に来てる。授業も受けてる。

私が作ったご飯を食べながら泣いていたし、その上で私にも気を使った。
いったいどれくらいの苦しみがあったんだろう。
男に何も言えなかった自分が、何より許せなかった。



48 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:20:55.46 2U3TPLP80 33/78


「ねぇ・・・風邪に効く料理教えてよ。」

「え?あなた料理はできるじゃない。」

「いいの。もっとうまくなりたい。」

「何かあったの?目が充血してるわよ。」

「私には何もなかったわよ。」

「ねぇ・・・」

「お母さんが今まで一番つらかったことって何?」

「ほんとにどうしちゃったの?」




50 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:23:30.42 2U3TPLP80 34/78


料理を作って男の家に行く。帰り道でそう決めた。
男は節約しているみたいだったし、家で作れば男の家の負担にはならない。
料理を食べて泣いていた男にまた料理を持って行くのは、彼には酷なのかもしれない。
それでも健康は大事だ。

「何かあったらいいなさい。」

「うん。ありがとう。」

お母さんは優しい。何も聞かないでくれて、肝心なときはいつも相談に乗ってくれる。
だから私が想いを溜め込むことはあまりない。
今までそれが無い生活なんて考えたことが無かった。
誰にでも一人はそういう人がいて当たり前だと思っていた。



52 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:26:01.93 2U3TPLP80 35/78


次の日、私は家を早めに出て一旦男の家に向かった。
手には学生カバンとクーラーボックス。作った料理を暖かいまま届けたかった。

玄関の呼び鈴を鳴らす。

「はーい。」

「女です。」

「はいはい。」

「おはよう。」

よかった。元気になったみたいだ。

「ご飯、作ってきたんだけど。食べる?」

「本当?」

「まだ暖かいはずだから。」

「・・・」

「ありがとう。」

また余計なことしちゃったかな。そう自分に問いかけて大丈夫。と自分を励ます。
もう決めたから。男を少しでも楽にするって。
どんなちいさなことでもいいんだって。




53 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:28:18.48 2U3TPLP80 36/78


・・・・・・・・・・・・・・

朝起きたら風邪が治っていた。女の料理のおかげなのか。
女が持ってきてくれたご飯を食べて、学校へ向かった。

俺に気を使ったのだろうか。家では洗い物をしたり、火を使ったりはしなかった。
すごく助かる。女は優しい。

「何か授業中に男と話すのも久々って気がするわね。」

「そうだな。」

「さっき放送で呼び出されてたけど何だったの?」

「保護者面談とやらの件で・・・」

「なるほど。」



54 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:30:40.30 2U3TPLP80 37/78


一瞬数学教師と目が合う。でももう何も言ってこない。俺と女が授業中に話すことに関しては、ほとんどの先生が目を瞑っている。

「もうすぐ夏休みね。」

あと一週間で夏休みなんだ。そうすれば・・・きっとおそらく地獄が待ってる。
最悪だ。そんなもんなくなってしまえばいい。

「何か予定あるの?」

「・・・う~んと・・・」

「あ、あのうん。無理して答えないでいいから。」

「ごめん。」

「でもたまに家に行っていい?」

「えっ?」

「ご飯。ご飯持って行くから。」

「いつもごめん。」

「気にしないで。好きでやってることだから。」

「ありがとう。」



55 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:31:55.06 2U3TPLP80 38/78


嫌な事が先に待ち受けていると、それまでの時間は驚くほどに早くなる。
気がつけばもう終業式で夏休みが始まってしまった。

予定はもう立ててある。先ずは姉のために仏壇を買うこと。
お墓参りに行くこと。バイトをすること。そしてなるべく家にいないようにすることだ。
とにかく、越前屋にでも行って仏壇を見よう。そのために金も貯めてある。そのために・・・な。




56 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:33:40.92 2U3TPLP80 39/78


・・・・・・・・・・・・・・・・

終業式が終わった。
ただ長いだけの校長の話が、いつもは早く終わってほしい校長の話が、今日だけは長く続いてほしかった。
男との時間が一ヶ月以上もなくなってしまう。

校長が夏休みの有意義な過ごし方について熱をこめて語っていたとき、私は確信した。
前々から分かっていたことなんだ。そこから目を背けていただけで。

私は男が好きだ。きっとどうしようもなく好きだ。彼にどんな過去があっても、全部私は受け入れる。



58 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:36:05.85 2U3TPLP80 40/78


幼稚な考え方なんだ。きっと男には迷惑になる。
人間も猫みたいに、幸せを具体的に表現できればいいのに。私たちが唯一聞ける幸せの音は、どれだけ願っても猫からしか出てこない。

男を幸せにしたい。でもどうやればいいんだろう。迷惑になるかもしれないんだ。
結論は、校長の話の間には出なかった。



60 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:38:00.65 2U3TPLP80 41/78


「じゃ、また家に行くね。」

「うん。」

「無理しないでね。一応私の携帯番号を渡しておくから。」

「でも・・・俺持ってないよ?」

「いいの。緊急用よ。また風邪引いたりしたらかけて。」

「ごめん。世話かけて。」

「お願いだから私が世話を焼いてるって思わないで?」

「私がやりたい事なの。やらせて?」

「お、おう。」

少し無理やりだったかもしれない。でもそれでいいんだ。もう男に「ごめん」なんて言ってほしくない。

会話を長く引き伸ばしたかったけど、そうもいかなかった。
来てほしくない時間はあっという間に私を飲み込んで、私は男と別れた。



61 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:39:54.35 2U3TPLP80 42/78


・・・・・・・・・・・・・・

夏休みの内、一週間が過ぎた。
宿題はすでに片付けてある。仏壇もいろいろ見積もってもらった。
いまのところ大丈夫だ。平和だ。あの人も来ていない。
このままゆっくり時が過ぎて、無事にバイトに行ければ、今日はもう大丈夫だ。

俺は一瞬びっくりする。玄関で呼び鈴が鳴った。

出るか出ないか。まぁどっちにしても一緒か・・・諦めてドアに手をかける。
でもそこにいたのは女だった。

よかった。




62 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:41:09.94 2U3TPLP80 43/78


「上がっていい?」

「・・・うん。」

何があるかわからなかったから、少し躊躇った。でもせっかく作って来てくれたご飯を食べないわけにはいかなかった。

「バイト何時から?」

「後五時間くらいある。」

「そ、そうなんだ。長いね。」

「うん。長いんだ。」

「食べる?」

「いただきます。」



63 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:43:03.45 2U3TPLP80 44/78


女は俺がそう言うなり、皿を食器棚から出して、持ってきた料理を取り分けてくれた。
すっかり自分の家のようになっている。

いただきます。もう一度そう言おうとしたとき、また呼び鈴が鳴った。

「出てこようか?」

「だめだっ!」

思わず大きな声が出る。
畜生。女が来てるときに来るなよ。俺はドアに向かう。

「悪いけど、帰る用意してくれないかな?」

「えっ?」



65 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:45:31.41 2U3TPLP80 45/78


ドアノブに手をかけた俺の中は、もはや恐怖でいっぱいだった。でもどうにもならない。
ましてや女もいるんだから。

「お久しぶりです。」

伯父「おう。」

伯父「用意できたか?」

「まだです・・・」

伯父「時間かかりすぎじゃないか?」

「姉のために仏壇を・・・」

伯父「なんだとおおおおおおぉ?」

伯父のパンチが顔面に飛んでくる。



66 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:48:27.24 2U3TPLP80 46/78


「うっ・・だって・・・大事な人ですから・・・」

伯父「死んだやつにいつまでも未練タラタラと!」

伯父「早く金を返せ!」

「すみません。」

もう何が俺を攻撃してるのかわからない。足かもしれないし、手かもしれない。女が配膳してくれた料理もあちらこちらへ散乱している。女は辱のほうで固まっている。

伯父「お前、働かずに何飯なんかくってんだよ!」

伯父「高校も辞めろって言っただろ?」

伯父「しかも女まで連れ込みやがって。」

「女は関係ありません。たまたま来ただけです。」

伯父「じゃこの飯は何だよ。」

「これは・・・とにかく責任は俺にあるんです。女には手を出さないでください。」

伯父「なんだとぉ?一丁前な口聞きやがって。」




68 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:50:29.59 2U3TPLP80 47/78


どれくらい殴られただろう。学校の学期中は絶対に顔を殴ってこないこの人が、今日はたくさん殴ってくる。だから長期休暇は嫌いだ。

伯父「また顔出すからな。今日はこれで我慢してやる。」

散々俺をボコボコにした後で、俺の財布から金を抜き取りやっと伯父は去っていった。
俺は財布を確かめる。

よかった。姉とのプリクラは無事だった。

ふと女のほうを見てみる。もう動けない。だから俺は女に言った。



69 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:53:17.28 2U3TPLP80 48/78


「帰る準備できた?」

「うっ・・・・うっ・・・」

しまった。泣いている。

「泣くなよ。女のせいじゃない・・・」

「それと料理も悪かった。」

「俺は寝るから帰ってくれ。頼む・・・」

もう意識が持たない。眠くなってきた。
部屋片付けるのめんどくさいなぁ・・・



72 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:55:22.79 2U3TPLP80 49/78


・・・・・・・・・・・・

もう何がなんだか分からなくて、ただ殴られるだけの男を見て、涙だけが反応として表れた。
私はどうすればいいんだろう。男は寝てしまった。

先ず、男をベッドに運んで、部屋を片付けよう。
男は帰れって言ってたけど、そんなことはできない。それに考えるのは一件落着してからだ。




74 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:56:53.79 2U3TPLP80 50/78


涙を拭って男をベッドに運ぶ。すごく痛そう。後でドラッグストアに行こう。
部屋も凄く散らかってしまっていた。主に私の料理が。
掃除機を探そうとして、部屋に唯一ある押入れを開ける。そこには写真と、遺骨入れ、そしてダンボールが一箱あった。

私は見なかったことにして、掃除機を取り出す。
寝ている男には悪いが、そうしないと部屋が汚いままだ。起きた時に気分が悪いだろう。

とりあえず一通り片付け終わった。私の脳もクールダウンされた。
ドラッグストアに行こう。消毒液とか買わないと。




75 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 12:58:38.05 2U3TPLP80 51/78


店員「いらっしゃいませ~」

「あの、擦り傷によく効く消毒液と、スポーツドリンクとヒエピタ。それに鎮痛剤と解熱剤を下さい。」

店員「かしこまりました。どのような種類がよろしいでしょうか。」

「安いやつでお願いします。」

「あ、あと絆創膏もください。」

店員「少々お待ちください。」

きっとこの後男は発熱するだろう。病院に連れて行けばいいのだが、保険証がない。
それに国民保険を払っていないかもしれない。
だからやめた。



76 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:00:50.21 2U3TPLP80 52/78


見た感じでは骨折とかはしていなかったし、していたらその時に連れて行けばいい。今日のバイトは休んだほうがよさそうだな。

店員「お待たせしました。」

私は料金を払う。
店を出た後、さっきの光景がふと蘇った。

そして、あの写真の人。さっきの怖い人も言ってたけど、お姉さんなんだろう。きっと。

でも余計な詮索は止めだ。聞くなら男が話してくれるのを待つ。それだけだ。こんなに苦労している人が身近にいたなんて。今でも信じられないくらいだ。




78 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:03:56.98 2U3TPLP80 53/78


男の家に再び到着。男はまだ寝ていた。
彼の寝顔を見つめて、かわいい。そう思ってしまった。
ときどき辛そうに声を出すので心配だったけど、大丈夫そうだった。

「そうだ。掃除機を元の場所に入れておかないと。」

思わず声に出してしまう。
押入れの戸を開けて、掃除機をしまう。

後は男が起きるまで暇な時間だ。
そうだ、ヒエピタでも貼ってあげよう。そろそろ発熱してもおかしくない頃合だし、冷やしてあげたほうが涼しい。
今日は暑いから、換気もしっかりやって、男が熱中症や、脱水症状にならないように気をつけないと。



80 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:06:37.42 2U3TPLP80 54/78


どれくらい時間がたったかな。きっと二時間くらい男は寝ていたと思う。男の目が覚めてから、私は鎮痛剤などを用意して、男の枕元へ行った。


81 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:09:11.53 2U3TPLP80 55/78


・・・・・・・・・・・・・・・・

何で女がいるんだ?部屋も片付いてるし・・・
起きて一番最初に思ったことだった。女に伯父とのいざこざを見られたのはまずかった。
やっぱり夏休み中は来るなって言ったほうがよかったんだ。ん?部屋が片付いている?

「掃除機、場所分かったのか?」

「えっ・・・うんごめん。」

「そうか。見たんだな。」

まぁいまさらとやかく言ったりはしない。伯父も大声で姉のことを言ってたからな。それに女の場合はおそらく善意だ。





82 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:12:31.05 2U3TPLP80 56/78


「何で帰らなかった?」

「嫌になっただろ?俺といるのが。」

「男は悪くないよ。それに嫌になんてならない。」

「これからだって弁当も作る。何一つ変わらないよ。」

「ありがとう。」

女は思ったより逞しいみたいだ。そうだ、バイトだ。バイトに行かないと。
重くなった体を起こそうとした瞬間、痛みが体中を駆け巡った。そうだった。
今更だけどボコボコにされたんだった。バイトどうしようか・・・




83 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:15:32.64 2U3TPLP80 57/78


「バイトには休むって言ったほうがいいと思う。」

「でも・・・」

「分かってる。あの人が言ってたから。お金いるんでしょ?」

「うん。」

「でも今日は休んだほうがいい。そしたら明日からまた働けるよ。」

「・・・」

「休むのも必要だよ。お節介かもしれないけど。」

そうかもしれない。でもさっさと金を返さないと・・・実際殴られるのに慣れるなんて言葉は通用しない。痛いのは痛いし熱だって出る。



84 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:18:20.83 2U3TPLP80 58/78


「じゃ休むよ。」

「うん。」

沈黙が場を支配した。

「あのね・・・」

「あの・・・」

「よかったらお姉さんのことを教えてほしい。」

「えっ?」

正直話すのは嫌だった。でも薬も買ってもらって、弁当とかも作ってもらって、理由を話さないでそんなことをしてくれるなんて一般的にはありえない。だから話すことにした。一種のお礼みたいなもんだった。お礼にしては重すぎるのだが・・・

「長くなるぞ。それにきっと反応に困る。」

「うん。それでもいい。」



85 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:21:00.85 2U3TPLP80 59/78


~中学時代~

親父が死んだ。
学校からの帰ろうとしたとき、校内放送で俺の名前が呼ばれた。
やんちゃした記憶は無かったし、おそらく叱責をくらう類の話じゃないことは分かっていた。
予想通り、俺についての話じゃなかった。担任の教師から聞かされたのは、親父の死だった。

家に帰るなり、姉に聞いた。

「親父死んだって・・・」

「うん・・・自殺。」

「薄々はするんじゃないかって思っていたけどね、止められなかったな・・・」

「・・・」

「大丈夫よ。私がいる。もう社会人だし、男にもいろいろ教えてあげるから。」

「うん・・」



86 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:24:08.60 2U3TPLP80 60/78


俺は何の迷いも無く諒解した。金のことは知らなかったが、それでも姉が大変なのは理解していた。借金をしているのにもかかわらずギャンブルを止めなかった親父。
その代わりに姉が一生懸命働いていたのを、俺は知っていた。それに昔から姉は何でも教えてくれた。勉強から料理まで、すべてを姉から学んだ。俺はそんな姉が好きだった。

「それと、お金の心配はしなくていいから。」

「どういうこと?」

「絶対に高校は行きなさいってこと。」

「まだ中一だよ。」

「早めに決めるに越したことは無いの。」

「分かったよ。」



87 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:27:04.55 2U3TPLP80 61/78


それから俺は毎日姉に言われた以上の家事をこなすことにした。勉強もした。部活には入れなかったし、学校からは毎日すぐに帰っていたので友達はあまりできなかったけど、それでも姉と過ごす、というより姉のために過ごす日々は心地よかった。

「ねぇ、バイトしちゃだめ?」

「ダメ!勉強しなさい。あなたはバイトより勉強よ。」

「夏休みも?」

「・・・女の子でも誘って遊びなさいよ。」

「お金を稼ぐのは私の仕事なんだから。気にしなくていいの。」

「でも・・・」

「いいの。それにご飯も毎日お腹いっぱいになるまで食べなさい。」




88 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:29:47.25 2U3TPLP80 62/78


ばれていたのか。でも俺が腹いっぱい食べると、姉の食う量が少なくなる。俺はそれを知っていた。
だから遠慮した。俺だけが腹いっぱい食うなんてありえないから。

それから夏休みになった。姉は俺にこう言った。

「今日伯父さんが来るから、家に来ちゃダメよ。」

「祭りにでも行って遊んできなさい。」

そのときの言葉の意味が俺にはよく分からなかった。なぜ伯父が来るから俺が家を空けなければならないのか。
でもその日の夜、言われたとおりに遅くに帰ってみると、姉がもう寝ていた。

顔にたくさんの傷をつけて。



89 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:34:31.79 2U3TPLP80 63/78


何をされたのか当時の俺には想像がつかなかったから、次の日に聞いた。

「昨日なにがあったんだよ。」

「何にも無かったよ。」

「じゃあその傷は何さ。」

「・・・」

「いい?伯父さんに逆らったりしちゃダメよ。」

「借金のこと?」

「うん。」

「ごめんね。」

姉は泣いていた。泣いている姉を俺は見たことがなかった。
伯父に従わなければ、つまりされるがままにならなければそっちの筋の人を呼ぶ。
そう脅されているらしい。警察なりなんなりに行けばよかったのかもしれない。
でも身寄りの無い俺たちの小さな世界では、そんなことはできなかった。
伯父の脅しの効果は覿面だった。



91 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:36:04.61 2U3TPLP80 64/78


「・・・」

「今日は仕事休みなの?」

「うん。」

「じゃ一緒に出かけよう。何か買ってあげるよ。」

俺の精一杯の言葉だった。これ以上何も出てこない。

「何言ってるの。自分の好きなもの買いなさいよ。」

「普段世話になってるからさ。」

「・・・」

「それに彼氏とかいないんでしょ?」

「余計なお世話よ。今は精一杯なの。」

「ごめん。それは分かってる。」

「まぁいいわ。いきましょう。」




92 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:38:13.01 2U3TPLP80 65/78


俺は姉といろんなところに行った。いろんな店を回った。
でも最終的に姉がほしいと言ったものは無かった。その代わりにプリクラ撮ろう。
そういっていた。

そうやって、中学卒業近くまで姉と暮らした。
俺は有名私立高校に合格してしまって、高いからやめよう。そう姉に伝えた。

「行きなさいよ。お金くらい何とかなるわ。」




93 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:39:54.28 2U3TPLP80 66/78


そういって姉は強引に手続きをした。
姉はそのころよく頭痛を訴えていて、でも俺は頭痛薬を買ってくることくらいしかできなかった。

それは突然訪れた。
卒業式の後、また校内放送で呼び出された。
担任の教師の口から出た言葉を、俺は信じることができなかった。
何回も聞きなおして、みんなが卒業アルバムに寄せ書きをしていたとき、俺は学校を飛び出した。



94 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:42:06.80 2U3TPLP80 67/78


もう世界が転覆してしまったかのように思えて、それと同時にものすごい不安に駆られた。
俺はどうなってしまうのだろう。姉はどうなってしまうのだろう。
どれくらい走ったかは分からない。でもとりあえず病院には着けた。

俺は急いで受付に行って、姉がどうなっているかを聞いた。
今は病室にいるらしい。そして危険な状況にあることも同時に聞いた。
くも膜下出血らしい。

病室に駆けつけると、姉は体を起こしていた。



95 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:43:40.64 2U3TPLP80 68/78


「ごめんね。」

「大丈夫なの?」

「そんな世界中の不幸を背負ったような顔しないの。もっとつらい人達がいるんだから。」

「でも・・・」

「ごめんね。ごめん。」

「もう私は駄目かもしれない。」

「そんなこというな。」

「聞いて。お願い。」



96 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:44:51.54 2U3TPLP80 69/78


本当に最後なのかもしれない。
こんな弱弱しい姉の声は今まで聞いたことが無かったから、そう思った。

「高校には絶対行きなさい。」

「やめたりしちゃ駄目よ。」

「それとこれ、通帳ね。私がこんなになっちゃったから、ちょっと減っちゃうかもしれないけど・・・」

「それでも、あなたのためのお金が入ってる。」

「私はお墓とか要らないから、私がいなくなったら自由に生きなさい。」

「そんな・・・」

「泣かないの。」

「姉ちゃんだって泣いてる・・・」

「うるさい。」



99 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:46:21.80 2U3TPLP80 70/78


「あと謝らないとね。」

「伯父さんの事と、借金のこと、あなたに迷惑をかけることになる。」

「私が駄目な姉だから、残っちゃったけど、それでもがんばったのよ。私。」

もう俺の口から言葉はでなかった。うめき声のような音が、病室を飲み込んでいた。

「あなたと出かけたの覚えてる?」

「もちろん。」

「楽しかったわ。今でも大事にしてるの。」

「俺もだよ。」

「うん。」

「まだあなたに教えたいことがあったのになぁ。」

「結婚とかもしてみたかった。」

「ちゃんと恋もしたかった。」

「ごめん。」

「最後に愚痴言っちゃってごめんね。」

「あなたは最高の弟よ。」

「愛してるわ。」

「・・・」

「・・・」



100 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:47:45.88 2U3TPLP80 71/78


それから二日間、姉は寝込んで、そして三日目の夜中に死んでしまった。

手続きをいろいろして、火葬して、お墓は作れないけど、仏壇を買うことに決めた。
受かった私立の高校は蹴って、公立に行くことにした。

中学校に行って、担任にその旨を伝えた。
でももう入学手続きをしてしまっていたから、転校扱いにするしかなくて、引っ越すことにした。




101 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:50:02.27 2U3TPLP80 72/78


全てが一段落して落ち着けるようになった。家で姉が使っていた布団を敷いてみる。そこで初めて、俺は泣いた。
病室とは違う種類の涙があふれて、引っ越すことにして正解だった、そう思った。
荷物をとりあえず整理する。姉はあまり物を持っていなくて、ダンボールひとつに収まった。

女の子として生きるのは、諦めていたのかもれない。
俺という荷物がいたから、それを背負うので精一杯だったのだ。
俺のために途方も無い額の貯金を施し、自分は犠牲にして、死んでしまった。

姉の不幸は量りきれなくて、それでも何一つつらい顔をせずにやってくれた姉を思い出して、また泣いた。

そして、俺は転入生として高校に入学した。



104 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:51:49.79 2U3TPLP80 73/78



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一体どこにこんな重いものを隠しておけるのだろ。私なら、もうどうにかなってる。
男は話しながら泣いていた。
でも当たり前だ。男のつらさは想像を絶する程で、思わず男の手をとる。

「ごめん。本当にごめん。」

「こんなの話したくないに決まってる。」

男は嗚咽を漏らしながら私の手を握り返した。

「俺、もう何度も死のうと思った。」

「・・・」

「もう駄目だよ。俺も。」



105 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:53:47.42 2U3TPLP80 74/78


男が手のひらで語りかけたその孤独は、私をも飲み込んで、気がつけば涙を流していた。
いや、もうずっと最初から泣いていたのかもしれない。

「死なないで。」

「私、男がいなくなっちゃたら嫌だよ。」

「できることは何でもするから。」

「お願いだから私と生きて。」




106 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:55:19.28 2U3TPLP80 75/78


・・・・・・・・・・・・・・・

もう一生どこにも行かない、俺が信じきれる人がほしかった。
ずっとずっとそれを願っていた。
女の手は暖かくて、女がいれば、また気力を取り戻せるかもしれない。そう思った。

俺の涙は止め処なくあふれて、気がつけば、女が俺を抱きしめてくれていた。
もう女しかいない。女がいなくなってしまえば、俺も本当に消えてしまう。

「一緒にいてほしい。」

「もう何も失くしたくない。」

その日から、女はずっと一緒に居てくれた。




107 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:56:44.10 2U3TPLP80 76/78


~数年後~

俺は大学に入ると同時に、借金を完済して、伯父とは縁を切り、姉の仏壇と共に引越しをした。

「はい弁当。」

「いつも悪いな。」

「いいの。」

「ねぇ、お互い就職したらさ、一緒に住まない?」

「もちろん。」

女は俺を受け入れてくれた。だから精一杯女を幸せにしたい。姉を幸せにできなかった分、幸せにしたい。そう思った。




109 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:57:55.44 2U3TPLP80 77/78


・・・・・・・・・・・・

男は一緒に住むことを許してくれた。
男は高校を一年留年して、借金完済のために働いた。
私は男のお姉さんみたいにはなれない。それでも、男が好きだ。
もう二度とあんな悲しい目をしてほしくない。
お姉さんの「愛してる。」にはまだ勝てないけど、私も彼を愛してる。ずっともう離れない。
そしてこれからは前を向くんだ。たまに後ろも向くけど、それでも最終的には前を向く。
男と一緒に。

「男。大好き。」

「急にどうした?」

「ずっと居るからね?あなたのそばに。」



         おしまい。  



111 : 名も無き... - 2012/05/13(日) 13:59:52.27 2U3TPLP80 78/78


最後が若干雑になってしまい申し訳ありません。
これが私の限界でした。
駄文に付き合っていただいて、ありがとうございます。


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