【艦これ】漣「ギャルゲー的展開ktkr!」【1】
【艦これ】漣「ギャルゲー的展開ktkr!」【2】
【艦これ】漣「ギャルゲー的展開ktkr!」【3】

708 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/02 21:57:52.35 p0oYgmPq0 507/860


 遅かったですね、と漣はまずそう言った。そこには非難の色は見えず、寧ろ心配が色濃く出ていたように思うのは、単なる自惚れだろうか。それとも俺の青痣のある顔を見て、出先であったことに想像がついたのだろうか。
 扉から頭をぬっと突き出したのは漣だけで、響の姿は見えない。帰ったのか、と尋ねると、漣は首を横に振る。ぐっすりです。端的な言葉。あぁなるほど、俺もすとんと落ちる。まさに子供じゃないか。

 これが庇護欲というものなのか? 響を一人にしてはおけないと思ったし、事実漣もそうなのだ。だから起こさずにそっとしといてやっている。
 もしかしたら雪風もそうなのかもしれない。常軌を逸した過保護は、単に同じ施設で育った妹分という度を超えているように思う。雪風なりの矜持と自己実現のために、あいつもまた響を護っている可能性は?

「遅かったのはいろいろあったから、ですか?」

「ん」


709 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/02 21:59:25.17 p0oYgmPq0 508/860


 どう説明したものか。俺と雪風の間にあったことを説明するということは、つまり俺と雪風の間にいる人物について説明するということでもある。それは畢竟、俺の過去にも当然ぶち当たる。敷衍することが得策には思えなかった。
 だが、それと同じくらいに漣に隠し事をすべきではないともまた感じている。俺の過去を、というわけではない。この島において任務を遂行するための全てを、という意味で。

「力づくで止めようとされた」

 結局は臆病が勝った。事実ではあるが、真実とは遠い言葉を用いて、漣に事情を説明する。
 漣は途中相槌を入れながら聞いていたが、全てを聞き終ると即座に面白くなさそうな顔をする。
 本当に、まったく面白くなさそうな顔だった。

「よくわかんないですけど、何様なんですか、そいつ」

「よくわからんことに」

「口を出すべきじゃない。はい、わかってます。わかってるつもりでは、あるんですが、でも」

「身の安全を第一に考えることが悪いとは思わないけどな」

「どっちの味方ですか。本人は戦いたいって言ってても?」

「勇気と無謀の違いを教えてやるのも、大人の役目さ」

「折衷案としての遠征、ですか。まぁ理解はしました。ご主人様の判断は間違ってないと思います。だから漣もそれに従います」

710 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/02 22:01:09.56 p0oYgmPq0 509/860


「悪いな」

「ぜんぜん。ただ、漣の話も聞いてほしいなって思います。反対するわけじゃありません。お願いが、あるんです」

 漣は俺の服の袖をくいくいと引っ張って、サンダルをつっかけ脇をすり抜けていく。視線を吸い寄せられるも、それでもまだ部屋の中に響がいることを懸念し、物音がないのでまぁ平気だろうと判断。漣を追う。
 ぐるりと集合住宅を回って、反対方向へと抜けた。そこには少し広めの空き地があって、手入れのされていない防風林がある。木はやせ細り、葉も大して茂っておらず、見るだけで不安になってくる。

 半分くらい朽ちかけたロッキングチェアが裏寂れた雰囲気を助長している。それに座ることは当然せず、その先、洞が人の顔の形をしている木の傍へと立つ。

「どうした?」

 素直に考えれば、響に聞かれたくない類の話なのだろうが。

「座ってください」

「ここに? 地べたに?」

「はい」


711 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/02 22:01:44.35 p0oYgmPq0 510/860


 どうやら選択肢は与えられていないようだ。理解すれば観念もできる。こいつは妙に強情なところがあるから、大人しく従っておくのが吉なのだ。
 土は夜露で湿り気を帯びているものの、座る分には問題ない。ケツが少々冷たくなりはするだろうが……まぁ必要経費と割り切ろう。

 促されるままに座ると、胡坐をかいた俺の脚の上に、さらに漣が腰を下ろした。太ももに尻が、鳩尾に背が、胸板に頭が、それぞれ当たる。
 重たさはまるで感じないが、それ以上に動揺の方が強かった。俺の中学二年女子のイメージは貧困極まりなく、反抗期真っ盛りで父親のことを意味もなく毛嫌いしている、というありきたりなもの。どうしてこうも密着してくるのか。
 俺はロリコンではない。漣くらいの年は、それこそ庇護欲の対象でこそあれ、性欲の対象にはならない。それでも、俺の目の前に鎮座する高い体温、そして仄かに香るシャンプーの匂いは、俺の平静をかき乱すには十分すぎる。

 そもそも手の置き場が見当たらなくって、俺は必然、ホールドアップの体勢になる。


712 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/02 22:02:13.33 p0oYgmPq0 511/860


「……何やってんですか?」

「いや、だってお前」

 前に降ろせば抱きしめる形になるし、横にぶら下げておけば手と手が触れ合うじゃねぇか。
 俺のそんな弁明に、呆れたように漣はため息を一つ。

「ぎゅーしていいんですよ、ほら。ぎゅー」

 手首を引っ掴まれた。そのまま漣の脇の下をくぐって、腹のあたりで交差させられる。
 そのかたちよりも寧ろ、いましがたこいつの口から発せられた擬音の方が、なんだか無性に恥ずかしくて仕方がなかった。

 なんだなんだ。こいつは一体どういうことだ。

「ほぁー、落ち着きますねぇ」

 落ち着かない。断じて落ち着かないぞ。

「月ですよ、月。今夜は空気が澄んでます。綺麗な月」

 桃色の後頭部から視線を上げれば、隙間の多い防風林の向こう側に、はっきりとした輪郭をもった月の姿があった。あと数日で満月になろうかという月。俺は月齢の名前に詳しくないが、漣は知っているのだろうか。
 というよりも、「月が綺麗ですね」。そんなロマンチストのたまには見えない。単なる偶然だろう。


713 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/02 22:02:50.82 p0oYgmPq0 512/860


「……用件を言えよ。お願いとやらが、あるんだろう」

「落ち着きがないご主人様ですねぇ。別にいいですけど。漣も、この感じ、ふっと寝ちゃいそうで……本題は済ませておく方が、いいかも」

 漣はそう言って俺へと体重をさらに預けてきた。俺にもたれかかり、そして俺もまた、背後にあった木へともたれかかる。
 くあぁ、と大きいな欠伸を一つ。

「大したお願いじゃないですけど」

 そう断って、

「ご主人様は優しい人だから、大丈夫だと踏んではいるんですが、きちんと口にすることに……意志を見せることに、意味があるのかなって」

「買い被りすぎだ」

「でも助けてくれますよ。大丈夫、漣が太鼓判を押します。
 で、お願いってのもそれです。ご主人様、約束して欲しいんです。これから先にどんな困難が待ち受けていても、弱いひとたちを、決して見捨てないって。苦しんでいる人たちに手を差し伸べるって」

「……響か?」

「も、です。もちろん」


714 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/02 22:03:20.51 p0oYgmPq0 513/860


 漣の言葉は理解できるようでいて、その実不透明だった。無論否やはない。それはもとより俺の行動原理の一つで、目的の一つ。
 助けろと言っているのではなかった。聡明な漣らしい言葉の選び方である。助ける努力を怠らないでくれと、そう「お願い」しているのだ。同時に、どれだけ難しいことを要求しているのか、こいつはわかっているのだろうか。
 助ける努力を怠るな。換言すれば、助けられるまで助け続けろということ。一縷の望みに懸けろと、そういうこと。

 望むところだった。今度心残りを作ってしまえば、もう俺は立ち上がることはできないだろう。そんな自覚が確かにあった。

「当然漣もがんばります。響ちゃんを遠征に連れていくなら、漣も一緒に出してください。そりゃ漣は弱いですけど、それでもなんかの役には立てるはずです。きっと。絶対に、立ってみせます」

「そりゃ願ったりだが、お前は大丈夫なのか。前線にも出るつもりだろ」

「大丈夫、って言いたいとこですけどね。わかりません、正直。だけど、音をあげるまでは、やらせてください」


715 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/02 22:03:48.70 p0oYgmPq0 514/860


「……お前は、どうして」

 思い返せば、漣は雪風にも喰ってかかっていた。弱者を助けるのが軍人の使命と、そう誇りをもっているようにもとれるし、もっと壮大な算段があるのかもしれない。

「ヒーローになりたいんです。なりたかったんです。」

 過去形で言い直したことの意味が、俺にはまだわからない。

「響ちゃんを助けて、新型を見つけて、倒して……なんだかんだでみんなを、赤城さんまでひっくるめて幸せにして、漣たちも未来がうまくいけば、文句なしのハナマルっしょ? それは凄いことで……とっても凄いことで、特別なことで……」

 限りなく具体性に欠けた、綿飴のようにふんわりとした言葉を、漣は熱に浮かされているかのように紡いでいく。
 いつしかその小さな手が俺の袖に回され、ぎゅっと力強く握りしめられている。腹に密着する俺の手のひら。変なところを触ってしまいそうで、ぴくりとも身動きがとれない。

 仄かに甘い香り。高い体温。体が変に反応してしまわないか、冷や汗ものだ。


716 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/02 22:06:15.91 p0oYgmPq0 515/860


「でもきっとそれは漣だけじゃだめなんです。ご主人様の力がないと、漣はなんにもできません。
 この島についたとき、漣はギャルゲーと言いましたね? 多分そうなんです。ご主人様は諦めちゃだめなんです。漫画とかアニメとかゲームみたいに、歯を食いしばってがむしゃらにやって、その先に開ける何かが必ずある。漣はそう信じてます。
 だから、ご主人様も信じて欲しいんです。その上で約束してください。弱者を決して見捨てないと」

「……」

 漣が少しだけ震えていることに気が付いた。寒いから、ではない。トラックの夜は今日も蒸し暑い。
 恐怖心と戦っているのだ。克己しているのだ。それだけ、俺の返事を聞くのが、こいつにとっては覚悟のいることなのだ。
 その理由こそわからないが、しかし、漣の言葉は俺にとっての杖となりえた。弱者を見捨てない。決して諦めない。言うは易し、行うは難し。よく言ったものではある。安請け合いはできない。


717 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/02 22:07:10.93 p0oYgmPq0 516/860


 だが、俺は諦めきれなかったからこそトラックにいるのだ。

 であれば答えは当然決まっていた。

「わかった。約束しよう」

「えっ?」

「弱者を見捨てない。諦めない。いいぜ。どいつもこいつも一筋縄じゃいかねぇだろうが、無念のままに沈めてたまるか」

 言ったからには、やる義務が生じる。
 俺はもう口に出してしまった。

「本当ですか? 本当にですか? だって漣、すんごいめちゃくちゃなこと言ってますよ? ご主人様に全部お願いして、そりゃ漣も一生懸命手伝いますけど、こき使ってやろうって、そういうことですよ、わかってますか」

 驚きとともに、うるさいくらいの念押し。漣が思わず体を起こし、こちらの顔を覗き込もうとしてくるのを、俺は腕力で抱きしめてやった。恥ずかしさでさえもこのときばかりは勝る。

 わかっているともさ。

「自分の脚で歩くためには、まず自分の脚を信頼しなくちゃな」

 車椅子から立ち上がる時。眼の包帯を解く時。勇気を振り絞ってこそ、初めて前に進める瞬間というものが、必ず人生には存在する。
 いまがそうだった。――いまがそうであり続けている。


718 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/02 22:08:05.05 p0oYgmPq0 517/860


 立ち上がる時の、解く時の、ほんの一瞬が大きく引き伸ばされた、いわば「巨大な一瞬」。トラックで過ごす時間はまさにそれだ。それからどうなるかは未知数で、もしかしたら地べたに倒れこんでしまうかもしれないし、視界は闇に閉ざされているかもしれない。
 それでも漣は諦めるなと言ったのだ。ならば、諦めない覚悟をもって、全てが十全に収まるように、俺は事にあたろう。

「俺たちの存在を、神様にドヤ顔で見せつけてやろう」

 こんな俺でも生きていてもいいのだと、空に向かって高らかに宣言してみせよう。

 強く漣を抱き寄せた。漣は「うー、たばこくさいー」と体を捩じらせるが、声は笑っていた。
 ふっとその体が弛緩する。緊張の糸が切れたのか、目をごしごしと擦って、たった一言「眠い」とぽつり。それが少しおかしくて、思わず笑ってしまったのを、この距離では流石に隠せなかった。体重をずしんとかけられる。

 漣がこの島に来た理由を俺は知らない。立候補と言っていた。ならば、当然、目的があるのだ。大なり小なり、それでも本人にとっては重大極まりない目的が。
 ヒーローになる。なりたかった。諦めるなと俺に言ったその口で、過去形を持ち出すというダブルスタンダード。到底許容できることではない。あぁそうだ、響だけでなく、赤城だけでなく、大井だけでなく。


719 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/02 22:08:33.36 p0oYgmPq0 518/860


「漣」

「んー?」

 眠そうな、とろんとした声が耳へと浸み込む。

「俺はお前を幸せにしてやるからな」

「んー、んー? うへへへへ」

 くすぐったそうに笑う漣。恥ずかしがっているのだろうか。収まりのいいところを探して、俺の前でもぞもぞとやりだす。

「ごしゅじんさまぁ」

「なんだ」

「……うへへへへ」

 漣はそう言って目を瞑ったようだった。寝るまで、そう時間はかかるまい。
 仕方がない、部屋まで抱きかかえて連れていってやろう。

 こいつらのためにやるべきことが一つ増えたくらい、いまの俺にはどうってことはないのだ。
 

731 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/06 20:31:43.90 ddfT+5XQ0 519/860


 響と漣は早朝に出発した。遠征。目的は、とりあえず近場の採取地点へ向かい、資源を確保してくること。航路を見る限りは駆逐艦二人でもなんとかなるように見えたし、想定外の事態に対しては、即座に引き返すよう指示を出してある。
 限りなく大丈夫であろうルートであっても、完全に確立した安全などは存在しない。俺はただ二人の無事を祈りつつ、自分にできることをやるのみだ。

 それにしても、出発前の響には、申し訳ないが笑ってしまった。なんせあいつはいくら感謝の言葉を述べても足りないらしく、しきりに「ありがとう」「この恩は忘れない」などと言うのだ。俺なんて大したことはしちゃいないというのに。
 遠征に行く確約を取り付けることはきっかけに過ぎない。強くなりたいと心の底から希うのなら、さらにそこから一歩踏み出す必要がある。
 さすがに響がそのことを理解していないとは思わなかった。一歩踏み出そうとしているからこそ、あいつは俺たちにコンタクトをとろうとした。その結果雪風たちと摩擦が生じることを恐れながらも。


732 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/06 20:32:21.62 ddfT+5XQ0 520/860


「ということで、漣は響と遠征に出かけている。捜索には四人で行ってもらうことになった」

「うーん……」

「不服か、最上」

「不服って言うか」

「まぁ別にいいんじゃないの?」

 困ったような最上に返答したのは霧島だ。視線を最上の隣にずらし、小さく嘆息。

「神通にも話は通してあるし、俺たちの目的は繰り返しになるがあくまで捜索だ。サーチ・アンド・デストロイじゃねぇ。見つかるまで帰ってくるな、っつーわけでもねぇ。四人でも問題ないと判断したが、まずかったか?」

 時間的な余裕がたっぷりある、という現状でこそないにしろ、当て推量で探すには海は少しばかり広すぎる。二組がかりで一週間かけ四分の一を絞り込み、ようやく一月かけて網羅できる試算だ。
 俺個人のことを考えれば、最悪のパターンでもぎりぎり間に合う。龍驤たちにとってはこちらの事情などどうだっていいのだから、多少時間はかかっても確実な方策を採るのは当たり前だろう。
 とはいえ、該当する海域を探せば必ず見つかるという確証もない。こればかりは運の要素が強い。


733 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/06 20:32:57.93 ddfT+5XQ0 521/860


「提督、二人が言っているのは作戦内容のことではなく」

 神通の視線に釣られ、俺もそちらを向いた。

「……何よ」

 目を逸らし続けていたものがそこにはある。

「本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。何度言わせるの」

 生まれたばかりの小鹿のようなへっぴり腰で、大井が海の上でバランスを取っていた。

 何度言わせるのとは間違いなくこちらの台詞だ。十分ほど前に海の上に降り立ってから、大井はずっとバランスをとれていないようで、小波の揺れでさえ足元を掬われそうになっている。
 艦娘でない俺には、海の上に立つことがどれだけの荒行なのか、想像することさえできない。しかし漣や響と言った比較的新参でさえ難なく行えているのだから、技術としては初歩の初歩なのだろう。艦娘全体でも最古参である大井が身に着けていないはずはない。
 だとすれば、やはり空白期間のせいだ。大井自身は決して認めないが、病院のベッドに臥せっていた期間が、彼女と船の神を引き離したのだ。


734 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/06 20:33:57.68 ddfT+5XQ0 522/860


 大井はこれまでの病院着ではなく、濃緑のセーラー服に、見るからに重たそうな艤装を携えていた。筋力に対して不釣り合いなのか肩で息をしている。
 険のある瞳は生来のものに違いないが、それはいつも以上に苛立っているように見えた。事実そうなのだろう。思い通りに動かない自らの体に癇癪を起している。

 十分がたとえ一時間だとしても大井がまともに海の上に立てない可能性はあった。確率的には、随分と高いように思われた。
 大井がどれだけの間病院暮らしだったか、調べようと思えばいくらでも調べられたに違いない。しかし大井は詮索を嫌がるだろう。ならば、そこは立ち入ってはいけない領域だ。

 とにかく、時間は――時間だけが唯一艦娘と海を引き剥がせる存在で、大井はそのあおりをまともに受けてしまっている。
 俺たちにできることは、大してない。

 大井が波に足をとられて尻もちをつく。

「……」

「……」

「……」

 それでも、三人が大井を待っているという現状は、俺にとっては眩しくもあった。

「……」

 俺も当然のように無言を貫く。礼儀。あるいは、敬意。
 時折「大丈夫か」と声をかけるも、返ってくる答えはいつも同じ。


735 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/06 20:34:31.06 ddfT+5XQ0 523/860


 目的の遂行を第一位に考えるのなら、大井は残念だが置いていくしかない。だが三人はそうしない。そうするという考えそのものがない。
 俺は北上について、大井の実妹であるという以上のことを知りはしなかった。ただ、どれだけ大井が「北上」という妹を大事にしていたか、その必死の表情から想像はつく。

 大井はまた転んだ。

 ほっそりした手足と、不健康に白い指先で、懸命に波を掴む。

 普段は鋭い舌鋒も、今は真一文字に結ばれた唇の奥底へとしまわれて。

 いつか、彼女が笑顔になる日が来ればいいな、と思った。
 いや、それは弱気というものだろう。
 そうするのが俺の為すべきことなのだと、再度決意を新たにする。

 大井がまともに水面に立てるようになったのは、昼過ぎになってからだった。おおよそ一時間半、格闘していたことになる。
 他の三人に比べても見るからに不安定だったが、多少の強い波がやってきても、もう転んだりすることはない。問題なかろうと判断したのは俺だけではなく、旗艦である霧島も頷いた。


736 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/06 20:35:40.29 ddfT+5XQ0 524/860


「……待たせたわね」

「肩で息をしてるぞ」

「暑いのよ」

 俺なんかは海風で寒いくらいだが。

「お前らの健闘と無事を祈る。霧島、あとの仕切りは任せた」

「はいはい、任されました。
 とりあえず海図のデータと航行記録はきちんと照らし合わせて、ログが残るように各自設定しといて。カメラも起動。いつ敵が現れてもいいように、分析用の情報は決して逃さないこと。オーケー?」

「うん」

「了解しました」

「わかったわ」

「作戦目的は新型の発見、及び敵本拠地の解明。作戦内容は海域の捜索よ。さっき提督が言ったように、敵を倒すのが目的なわけじゃない。ケースバイケースだけど、戦闘はなるべく回避が望ましいかな」

737 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/06 20:36:58.64 ddfT+5XQ0 525/860


「資材の節約ってことかい?」

「それも勿論あるし、こっちは四人だから。イ級くらいなら問題ないだろうけど、少しでも戦闘が長引きそうと判断したら、即座に提督に帰投指示を出してもらうわ」

「うん、わかった」

 それは半分が真実で、半分が嘘だった。こちらには大井がいる。海に立つだけで精一杯の彼女を庇護しながらの激しい戦闘は、極力避けたい。
 霧島も俺と同じ判断だった。龍驤に確認をとったが、やはりそれが望ましいとも。

「目的の完遂のために戦闘は必須じゃない、それだけは頭に入れておいて。たとえ私たちが今回の出撃で新型を発見したとしても、即座に戦闘には入らない」

「その時点で目的は達したと? そうして後日、ログを頼りに、万全の準備で同海域に出撃するという認識でよいですか?」

「そうね」

「同海域に新型……レ級が現れる確証はないのでは?」

「えぇ、だから理想は敵本拠地を把握すること。棲息地、っていったほうがいいのかな。敵がどこから現れるか、誰も知らない。それを暴くことには尋常ならざる意義があるはずだわ。
 あとは敵の出現パターンの情報の蓄積もしたいの。何が目的なのか。それとも目的なんてものは何もなくて、ただ本能に従っているだけなのか。そのあたりを明らかにするためでもある」

「なるほど。長期戦の見込みですか」


738 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/06 20:37:48.70 ddfT+5XQ0 526/860


 十分程度のブリーフィングを経て、四人は遅ればせながらも出発した。海風をその身で切り裂きながら、少し控えめな速度で、海の上を進んでいく。
 大井は落伍しないだろう。三人が過保護だとは俺は思わなかった。俺が望んでいることでもあった。

 四人の後姿が水平線の向こうに消えて、ようやく港を後にする。あいつらが海に出ている間、いくつかまとめておかなければならない情報もあった。

「霧島」

『あぁ、はい。早速ですか』

「状況が悪いか? 厳しそうならそっちから折り返し連絡が欲しい」

『いえ、大丈夫ですよ』

 秘匿回線を使用していても、素振りから霧島が俺と通信しているのに気付かれるのは避けたかった。

「おかしいよな?」

『そうですね』

 即応。あらかじめ、この件についてのやりとりはしていたが、話が早くて非常に助かる。


739 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/06 20:38:39.58 ddfT+5XQ0 527/860


 漣でもなく大井でもなく、あえて霧島を選んだのは、彼女が最もこの情報を有効活用できると踏んだからだ。というよりも、彼女の未来に役立つ可能性が少しでもあるならば、といったところ。

「どうしてレ級とヲ級、そして北上に似た新型が現れたと思う?」

『新型自体はいまも海のどこかで生み落されているとは思います。ただ、レ級もこれまで未確認の機体でした。青い気炎のヲ級も希少種です。それらが一堂に会するのは、偶然にしてはできすぎですから……』

 少しの空白。考えているのではなく、言葉を整理しているようだ。

『その、「新型を生み出す場所」、つまり深海棲艦にとっての建造施設のようなものがトラック近海に存在している可能性は十分にあると思います』

「深海棲艦に意志はねぇよ」

『……』

 思わず語気が強まった。霧島も黙る。
 少し申し訳ない気持ちもありつつ、俺は言葉を続ける。

「だから建造施設じゃなく、発生する場所……産卵、孵化、増殖、まぁそんなところだろうが、有体に言えば『巣』ってことになるか」


740 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/06 20:39:51.38 ddfT+5XQ0 528/860


『目に見える形であればいいですが』

 そして巣ということなのであれば、夥しい数の深海棲艦がそこに詰めていることも覚悟しなければならない。
 霧島が出発時に三人に向けて言ったように、もし巣があるとして、それを暴くことには大いなる意義がある。価値もある。霧島が本土に戻る手土産としては十分すぎるくらい。

『ですが、司令。私はたまに思うんです』

「どうした」

『そもそもあいつらは生物なのかどうか。私たちの装備が特攻を持つのは、信じがたいことではありますが、まじないによって神を降ろしている――と言われている――からです。ならば、あいつらは』

 神の類なのでは? 気軽な冗談を言うように、霧島は呟いた。

「……だとしたら、どうする?」

『どうもしませんよ。やることに変更はありませんから』

「あれが威力偵察だとしてもか」

 それはもう一つの可能性。
 イベントは過ぎ去り、しかし東南アジアは依然として敵の脅威に曝され続けている。第二波がないとは言い切れない。


741 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/06 20:40:49.63 ddfT+5XQ0 529/860


 先の三体が威力偵察任務に赴いたのだとすれば、発見されて、艦娘たちと戦ったことも全て作戦の内。そして、その仮定の先にあるものは、未来の大侵攻。
 やつらに意志など認められない。俺はそのスタンスを堅持しつつも、本能に基づく生物ならば、ある程度組織だって行動することは有り得るだろうと感じていた。

『どちらにせよ論文にするには有意義です。最早、なにもないのが一番いい、なんて楽天的なことを言える状況ではありませんからね。
 ……私も赤城のことを言えませんので』

 復讐鬼。無念のうち失われた者への鎮魂。
 霧島は理由を知ることこそが自らにできる最大の手向けであると考えている。

「……ま、地道に行こうや。そっちの状況はどうだ?」

『天気明朗、なれども波高し。私が戦闘、大井を左翼に方形陣。右翼は最上、殿は神通。平和な海です』

「了解。定時報告をよろしく頼む。一度切るぞ」

『ヤー』

 結局その日の成果はなかった。
 霧島はああ言ったが、俺はやはり、なにもないのが一番いい。たとえ無為に過ごしたというレッテルを張られたとしても。


748 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/08 23:50:03.69 JeF2SQf30 530/860


「じゃ、いってくんねー!」

 手をぶんぶんと大きく振って、漣は発進した。スケートのように水上を滑る感覚は一体どのようなものなのだろう。大井は随分と苦労していたが……。

「ほら、響ちゃんも! はやくっ」

「ん。じゃあ、行ってくるよ」

 小ぶりに響が俺へと手を向けてくれる。腰から頭上まで振り回す漣とは違い、肩のあたりまで上げるだけの素っ気ないもの。それひとつとっても個人差があるものだ、と今更ながらの発見に唸ってしまう。

「おう、気を付けてな」

「大丈夫。元気」

「そうか。連日の出撃で疲労が溜まったら、すぐに言えよ。神通でもいいが」

「ん」

 こくり。一度その小柄な体を大きく頷かせて、離れてしまった漣に追いつこうと、きもち急いで発進。銀髪の輝きは水面の輝きと混ざってすぐにわからなくなってしまう。


749 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/08 23:50:38.74 JeF2SQf30 531/860


 二人が遠征に出始めてから既に一週間が経過した。それは海域の捜索にも一週間が費やされたということであり、しかし依然として成果はゼロ。散発的な戦闘こそあったものの、お目当ての新型は影も形もない。
 少なからず一日ごとに捜索範囲は塗り潰せている。成果がゼロ、は言い過ぎか。兵は拙速を尊ぶという格言も、きっと俺のような人間がいたからこそ生まれた言葉なのだ。
 巧遅と拙速のどちらがよいかは一概に語れない。気持ちは急くが、抜け漏れや見落としを防ぐためにも、そして深海棲艦との遭遇に備えるためにも、今は巧遅を尊ぶべき。わかってはいるのだが。

 無力を痛感する。艦娘たちの寄与に対し、俺の寄与はあまりにも少ない。戦闘のデータ、備品や資材の管理、録画された映像の保管などは率先して行ってはいるものの、やはり罪悪感は拭えない。
 本来ならば書類仕事がたんまりとあるはずだが、名目上の提督は、いまは龍驤となっている。それ以前に本土との連絡は途絶していて、そもそも書類を出す相手もいないのなら、自慰的な捺印に意味があるとは到底思えなかった。


750 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/08 23:51:09.13 JeF2SQf30 532/860


 とどのつまり、俺にできることは、帰投したあいつらに飯を振舞ってやるくらいのものだ。殆どヒモじゃねぇか、とショッピを吸いながら自嘲してみる。

「だが、まぁ」

 嘆いても仕方がない。できることを粛々と。
 分不相応は罪業である。偽物の英雄も、でっち上げられた悲劇のヒロインも、みな身の程を知らぬ欲望が発端だったことを俺は当然忘れちゃいない。
 本人だけでは完結しないのなら、なおさらだ。

 今日の海域捜索は龍驤組の番だった。龍驤と、夕張と、鳳翔さんと、雪風。本来は響も所属していたが、たっての願いにより最近は殆ど遠征ばかりに出向いているようだ。

 俺は煙をふかしつつ、海岸沿いを歩いていく。

 少し先の海上で人影が立っている。濃緑の制服は大井のものだ。自主練をしているのかもしれない、先の出撃では不甲斐なさばかりが目立ち、立腹していたようだったから。
 大井は皮肉屋で言葉もきつく、あまり他者と心を通わせようと言うそぶりを見せない。性格が悪い、と切って捨てるほどには大井のよさを知らない俺ではなかったが、あの厳しさはやはり自分にも向いていたようだ。


751 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/08 23:52:29.08 JeF2SQf30 533/860


「精が出るなぁ!」

 叫んでやると大井もこちらに気付いたようだ。動作を止め、こちらに向かってくる。

「なんですか。邪魔をしないで欲しいのだけど」

「あぁすまん、そんなつもりでは。調子はどうだ」

「……別に。もともと入院もいらなかったのよ。みんなが変に心配して、それだけだから」

「体は大事にしろよ」

「もちろんよ。わかりきったことを言わないで頂戴。体が資本だということは、資本を欠く者こそが一番わかっているというものなのよ」

 さもありなん、といったところか。

 一朝一夕では覆らない練度の差が、大井と他の艦娘たちの間には存在する。巨大な壁。今からどれだけ修練を積んだところで、大して縮まるまい。
 ただ、問題はそもそもそこにはない。別にこいつは宗旨替えをしたわけではないのだ。


752 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/08 23:53:38.24 JeF2SQf30 534/860


 いま自分にできることをする。そのスタンスは一貫していて、見ているこちらが清々しいほどに。
 だから大井は俺に海図を渡したし、焚きつけもした。ヒントをいくらでも寄越した。そして今は海に出て戦う準備を整えている。

「煙草も、なら吸わんか」

 禁煙の辛さは何度も失敗した俺自身よくわかっている。吸っていた一本を携帯灰皿へとしまいこむ。

「あなっ」

「あな?」

 穴? が、どうしたというんだ、一体いきなり。

「……」

 大井は大罪人を咎めるような目つきで俺を睨んでいる。やんちゃはしたが、俺はこいつの親の仇ではない。そんなに睨まれる謂れはない。

「……えぇ、そうよ。煙草はやめたわ。……やめてる最中」

 それがいい。煙草なんて所詮格好つけの道具にすぎないのだから。
 だから俺をそんな目で見るのはやめてくれ。


753 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/08 23:54:43.83 JeF2SQf30 535/860


「北上ってのは、どんなやつだったんだ」

「……」

「いや、他意はねぇよ。ふと気になってな。喋りたくないなら、無理にはいい」

「別に喋りたくないなんて言っていないでしょう? ただ……あんまり喋ることもなくって」

「そうか?」

「だって妹だもの。いるのが日常でしょう。日常について特筆すべきことはないわ。特筆すべきことのない安寧を日常と、嘗ての人々は呼んだの。大辞林にもそう書いてあるのを知らないかしら」

「生憎、浅学でな」

「その顔を見てればわかるわ」

 おいこらてめぇ。

「ただ、毎日お見舞いに来てくれたの。学校帰りにね。ちょうど通学路の途中に、入院していた付属の病院があったから、そのおかげだとは思うのだけれど。
 ……毎日よ? 誇張はなく、毎日。雨の日も雪の日も、友達と遊んだ帰りであっても。きっと矢が振ろうが槍が振ろうが、来てくれたんでしょうね。それで十分とか二十分とか喋って、ばいばいって手を振って、また明日って」

754 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/08 23:56:13.04 JeF2SQf30 536/860


 大井は髪の毛をかきあげた。長い髪の毛が海風に揺れるのを、少し鬱陶しく思っているようだった。

「また明日って言われちゃ、ねぇ?」

 苦笑。大井の病状は知らないが、恐らく、完治はしない類のものなのだろう。そして相応に命の危険もある。

「そして、私は艦娘になったわ。人体実験みたいなものよ。屈辱的なことをされたことも、何度もある。でもね、一縷の望みがあるならそれに縋りたくなるじゃない? ……って言われても、困るか」

「わかるぞ」

「……あぁ、そう」

 決して社交辞令ではない言葉をどう受け取られたのかは定かではない。大井は表情を変えずに続ける。

「神様の力か、はたまた次世代の最先端医療の力か、私はいまでも生きていられている。だけど、妹がいなかったら、どうだったかな。わかんないや」

 ふっと顔から険が抜けた。年齢相応の少女の、柔らかな微笑。

「……変な話をしたわね。忘れて頂戴。私は、トレーニングに戻るから」


755 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/08 23:56:49.28 JeF2SQf30 537/860


「大井」

「なによ」

「俺にどれだけの力があるかはわからんが、貸せるだけを貸す。困ったら言え」

「……急にどうしたの。殊勝じゃない」

「してもらいっぱなしは悪いしな。初めからそう言う約束だったろう」

「そうだったわね。すっかり忘れていたわ」

「……?」

「ま、今度荷物持ちにでも付き合ってもらうわ。それじゃ」

 大井は薄く笑みを浮かべて海の上を歩き出す。何かを言おうとも思ったのだが、適切な言葉が浮かんで来ず、そうこうしている間に大井の後姿は小さく霞んでしまった。

 俺は無言のまま煙草を再度咥えた。手持無沙汰だった。


756 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/08 23:57:18.19 JeF2SQf30 538/860


 露天商や屋台、民家、低階層のビルが海の近くには並んでいる。メインストリートをもう少し島の中心へと行けば、もう少し近代的な街並みが見られたが、いまは食指が働かない。
 そのまま海沿いをぐるりと行く。目指すのは泊地跡だ。道中、俺の傍を何台も原付が走り抜けていく。

 これと言った用事は特になかった。強いて言えば、扶桑に会っておきたいとは思った。
 いつになるかわからないが、決戦の時は必ずやってくる。戦艦である扶桑が間に合うかどうか、それは戦況を大きく左右する。療養の経過は聞いて損はない。
 間に合うといえば、もう一つある。が、それは今はいいだろう。運の要素に左右される部分が大きい。

 泊地跡につくと、まず真っ先に目に飛び込んできたのはスクール水着の少女だった。つまりは58だった。大樹の木陰で、組んだ腕を枕に、気持ちよさそうに眠っている。
 大井か雪風あたりに見つかったら蹴飛ばされるのではなかろうか。そんな心配をよそに、寝返りをうつ58。その拍子に涎が口元から垂れた。年頃の女としての尊厳など微塵も感じられない。
 なんとなく悲しさを覚えながら、ところどころが砕けた建物の中へと入っていく。


757 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/09 00:00:37.85 qsjtFasv0 539/860


 尋ねたのは数度目なので部屋は覚えた。安全にとおることのできる場所も。
 何回か曲がって、医務室へとたどり着く。

「あら、珍しい」

「ほんとだ」

 扶桑の病室には先客がいた。最上だ。パイプ椅子に座って談笑している。

「どうしたの? なんかあった?」

「別にそういうわけじゃないが」

「なら私に用事ですか?」

「ん、少し違うが、まぁ似たようなもんか。怪我の具合はどうだと思ってな」

「あぁ、それでしたら随分とよくなりました。骨もうまく接げたようですし、明日明後日にはリハビリも兼ねて、海へ出ようと龍驤と話していたんです」

「大丈夫なのか?」

「それを確かめるために出るんじゃないか、提督」

 最上がけらけらと笑う。


758 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/09 00:01:03.29 qsjtFasv0 540/860


「いや、ほら。大井を見た後だとな」

「あぁ……。まぁあの人は前線から長らく離れていたからね、そのせいもあると思う。来る途中で自主練してたのを見たよ」

「俺も見た」

「北上を一番助けたいのは勿論大井ですから。……私が見たあの影が、本当に北上であれば、いいんですけど」

 扶桑はそう言うが、果たしてそれが一番なのか、俺にはわかりかねた。実妹と敵対し銃口を向けあうことなどということが、この世の中にあってたまるかという憤慨が湧いてくる。
 けれど同時に、その敵影が本当に北上本人であり、大井との再会が果たせることを願っている自分も確かにいた。
 人間はどうしてこうも贅沢なのだろう。複数個の選択肢を混ぜ合わせて、全てのいいところだけを採ろうとする。あまりにも都合のいい思考回路。


759 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/09 00:02:01.35 qsjtFasv0 541/860


「どうしたのさ提督、にやにやして」

 ……にやにやしていただろうか? 思わず頬に手をやるが、わからない。

「生まれつきだ」

「それはそれでどうかと思うよ」

 最上はまたもけらけらと笑う。

「……まだ新型は見つかっていないのですか?」

 真剣な表情で扶桑は尋ねてきた。俺は細かく映像を見たわけではないが、龍驤と大井、霧島の分析によれば、十中八九リストには載っていない新型だろうという話だ。つまり、それだけ脅威度も増す。
 見つからなければ全てが丸く収まるんだがな。冗談半分、本気半分の言葉は、愛想笑いで受け止められた。

「宙ぶらりんのままは、私は嫌ですね。発端でもあることですし」

「俺だって嫌だよ。いるかどうかもわからん敵に怯えるよりは、こっちから探しに行った方がよっぽど精神衛生上健康的だ。違うか?」

「違わないね。それに、何もしない生活ってのは、ボクは苦手だなぁ。目的を見据えて生きてるほうが、やっぱり張り合いもでるってもんだよ。ね、扶桑」

「……最上は本当に前向きね。羨ましいわ」

「楽観的なだけさ」


760 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/09 00:05:07.08 qsjtFasv0 542/860


 ひとまず目的は達した。時間に追われているわけではないが、のんびり駄弁って時間を消費するほど、贅沢にもなれない。
 扉を開けると、予想外に二人から声がかかる。

「あれ、もう行っちゃうの?」

「扶桑の容体を見に来ただけだしな。元気そうなら、それでいい。あんまり長居するのも悪い」

「そんなことはありませんが……提督のことをもう少し知りたいとも思いますし」

「全てが終わったあとにならいくらでも話してやるよ。どうせ半年も保たんけどな」

「えっ?」

「提督、それってどういうことだい?」

 しまった、と思った。この話題に関しては、まだこいつらには伝えていなかったか。
 いや、伝えるもなにも、まだ少しも決まってすらいないのだ。ただ俺たちが勝手に考えて、勝手に悲観しているだけ。それこそさっきの「いるかどうかもわからん敵に怯えている」に過ぎない。
 今更ごまかしは利かないだろう。未確定でも、口に出してしまえば風説の流布。それにこれは俺の信用問題でもある。

 観念した。勿論俺の過去や確執などは全て語らず、要点だけを掻い摘んで伝える。俺がここへやってきたのは権力闘争の結果であって、またすぐに――半年いられるかどうかわからないほどの「すぐ」――転任の指示が出るだろうと。


761 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/09 00:05:36.22 qsjtFasv0 543/860


「何それ! 酷いじゃん!」

 自分のことのように最上が怒ってくれることが嬉しかった。宥めつつ、でもな、と続ける。

「だからこそ、やる気にもなる。成果が欲しいんじゃない、お前ら何の信頼が欲しいんだ。それは不幸中の幸いってやつだ」

「不幸、ですか」

 扶桑は苦虫を噛み潰したような顔をする。

「結局個人は組織に叶わないのでしょうか」

 諦念を交えた言葉は、単なる字面以上の意味を内包しているように思われた。もっと大きな規模の、例えば、トラック泊地と大本営のような。
 それに応ずる抽斗は俺の中にはなかった。だが、叶わないと断言することには、非常に抵抗があった。それは、奔流に身を委ねることを、消極的に選んだだけなのだ。

「勝つとか負けるとか、究極的には興味がねぇや。俺はな。俺はもう後悔したくなくて、誰にも後悔して欲しくねぇだけだ」

「後悔なんて誰もしたくないってば」

「そりゃそうか」


762 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/09 00:06:04.81 qsjtFasv0 544/860


「……その時が来たら、よろしくお願いします」

 部屋を出ようとする俺の背中に、扶桑の声。それはこちらの台詞だ。
 お前たち艦娘に、俺の命を預ける。金輪際そこの領分を犯す気はなかったし、逆に、お前たちの命を簡単に数えるつもりもないことだけは信じて欲しかった。

「あ、提督、お願いがあるんだけど」

「どうした?」

「夕張がね、いまドックの修繕をやってるんだけど、人手が足りないらしいんだ。もし気が向いたら見に行ってもらえないかな?」

 ドックは半壊以上の被害を被ったと聞いた。開発設備や建造機構は全損。もし修復できれば、今後の泊地の運営において、多大なアドバンテージが見込めるのは明らか。

「わかった」

 後ろに手を振りながら部屋を後にする。
 やるべきことは些細なものばかりで、微々たる力にしかなれないまでも、彼女たちの役に立てるのならばこれ以上の幸いはない。
 こんな日々が永遠に続かないということだけが、幸い中の不幸だった。


769 : 以下、名... - 2018/05/10 11:29:56.53 TS1B2hd7O 545/860

「や、本当にごめんね。ありがとう」

「いいですって! 漣たちにお任せください!」

 漣は薄い胸をどんと叩いた。夕張はもう一度礼を言って、ドックから小走りで駆けていく。これから海域捜索が始まるのだ。
 ドックには俺と漣が残された。先日最上が言っていたドックの修繕、そのために力を貸せないかと夕張に尋ねたところ、片付けを手伝ってほしいとのことだった。こちとら時間だけはたっぷりとある身、否やはない。
 漣がついてきたいと言い出したのが唯一の予想外。海域捜索は一日おきとはいえ、休みの日は響と一緒に遠征に出ることも多いのだから、疲労も溜まっているだろう。ゆっくり休んでいてもいいんだぞと声をかけたが、漣は頑なについていきたいと言うのだ。

 折角の好意を無碍に断るつもりはなかった。一人より二人のほうが、当然作業は早く進む。本人がいいと言っているのだからと自らに言い訳をして、俺は甘んじて受け入れることとした。
 ドックは広く、ただしその三分の一が瓦礫に埋もれている。天井の鉄骨が折れ、一部天蓋が砕けている部分さえある。トラックの空は今日も快晴だが、滴った雨水の痕だけが、経過した時間を教えてくれた。
 目立つ破壊痕などには木材が打ち付けてあるものの、万全とは言い難い。コンクリの破片も地面に大量に転がっている。修繕とは言うものの、まずは夕張の言うとおり、片付けから始めるしかなさそうだ。

770 : 以下、名... - 2018/05/10 11:31:59.66 TS1B2hd7O 546/860

 一通り崩れ切ったあとだから、と夕張は言っていた。本当かよ、と思う。壁や梁に近づいた瞬間に崩れてきたりやしないだろうな。

 天井には備え付けのクレーン。動けば瓦礫の除去にも使えるのかもしれないが、残念なことにリモコンのコードが途中で千切れてしまっている。諦めよう。

 どうやらドックは建造や開発だけでなく、荷捌きも兼ねていたようだった。打ち付けられた木箱や小型の鉄製コンテナなどが隅に積み上げられている。瓦礫に埋もれているのもあったが、むき出しのものが大半だ。
 資材、あるいは、役に立つ道具。装備であればなおのこと良い。それとも泊地に対してのものではなく、ここは経由地であって、さらに本土へと旅立つ荷物なのかもしれなかった。

「思ったより埃っぽくないですね」

「時間も経ってるしな」

 特有の饐えた臭いはするものの、別段空気が淀んでいるとか、そういうわけではないようだった。

771 : 以下、名... - 2018/05/10 11:33:11.46 TS1B2hd7O 547/860

「俺たちの任務は瓦礫の除去と、あとはあの木箱やらコンテナやらを解体なり移動なりしてほしいと。いけそうか?」

「ここは海に近いから、まぁ多少は頑張れると思います。ドックってのも親和性ありますしね。最悪鉄骨かなんか下に挟んで、梃子の原理でえいやっとやっちゃいましょ」

「使えそうなものがあったら持っていっていいそうだ」

「マジですか! キタコレ! お菓子とか入ってないかなぁ!」

 流石に食品は悪くなっていると思うが。包装されていても、塩水に浸かってはどうしようもなかろう。

「腹壊すなよ」

「へーきへーき!」

 平気なものかよ。

 とはいえ、いきなりメインに入る必要もあるまい。まずは作業の環境を整えることから始めたほうが、結果的に物事は円滑に進むものだ。
 急がば回れ。ということで、俺と漣は箒とちりとりを用意し、地面に転がった瓦礫や鉄筋、その他もろもろの塵芥の除去からスタートする。

772 : 以下、名... - 2018/05/10 11:34:23.78 TS1B2hd7O 548/860


「響の調子はどうだ」

 響は、今日は龍驤とともに海へ出ているはずだ。漣以上に体を酷使しているが、それでも弱音ひとつ漏らさない。
 勿論それはあいつ自身が望んだことなのだから、文句をつける相手など存在しないのである。誰も強制をしていない。きついならやめたっていい。誰も批判はしない。
 自分だけだ。自分だけが、自らの行いに対して、後ろ指を指せる。

 だからあいつは絶対に音を挙げない。

「気にかけますねぇ」

「まぁな。お前とも約束したしな」

「んふ。感心感心、って感じです」

 漂着したと思しき木片をいくつか拾い上げ、窓の外へと放り投げた。
 漣はごみ袋に細々したゴミを拾っては突っ込み、また拾っては突っ込んでいる。

「響ちゃんは……んー、必死ですから。や、別に他の人が必死じゃないってわけじゃなくて、漣だってそりゃ必死ですし……ただ、いっつも泣きそうな顔してますから」

「泣きそうな?」

「っていうのかなぁ。説明が難しいんですけど」

 小石を蹴っ飛ばした。かん、かん、こつん。広いドックに反響する。

「試験当日に寝坊して遅刻しそうで、猛ダッシュ! って感じ?」

「なるほど」

 全然わからん。

773 : 以下、名... - 2018/05/10 11:35:10.68 TS1B2hd7O 549/860


 雪風は、俺と響が似ていると言った。響を助けることによって俺もまた救われるかもしれない、とも。
 あながち間違いではない。幸せになりたい響が幸せになる、それ以上素晴らしいことがあるか? そうすれば俺にも僅かながらの価値が生まれる。達成感が生まれる。そのためにあいつを気にかけて何が悪い!

「だけど、雪風」

 ぼそりと呟いた。漣には聞こえていないようだった。

 雪風、お前は勘違いをしている。大きな、途轍もなく大きな勘違いを。

 響だからどうというのではない。そして、なにより、響だけが幸せになりたいわけでもない。
 そんなの誰だって同じだ。

「ご主人様のほうはどうなんですか?

「俺のほう?」

「です。ギャルゲー的なアレです。攻略は進んでますか?」

「攻略ってお前」

「あ、漣は攻略済みなので」

 えぇい、しなを作るな、しなを。
 そういうのは色気のある女がやってこそ初めて意味があるもんだろうが。

「うっふん」

「いまのでお前のIQがだいぶ下がったぞ」

「え、うそっ」

「ほんとほんと」

774 : 以下、名... - 2018/05/10 11:36:47.26 TS1B2hd7O 550/860

 ひとまず床に落ちている異物はあらかたなくなった。壁に立てかけていたバールを手に取って、木箱へ向かう。

 木箱はコンパネが釘で打ち付けられている。バールを振りかぶって、蓋との隙間に力任せに叩き込んだ。そのまま渾身の力を籠めて、少しずつ隙間を広げていく。
 一回の工程にはそれほど体力を使わないが、一箱を開けるのに同じことを何度も繰り返さなければならないと考えると、途方も知れない。考えるだけで汗が滲んでくる。
 まぁ今日で全てを終わらせなければならないわけではない。夕張立会いのもとにあらためなければならない品もあるだろうし、泊地の長が龍驤であること俺は忘れてはいないつもりだ。

「とりあえず最低限話は聞いてもらえているし、信用も、されていると思いたいがな」

「あー、そこは大丈夫だと思いますけどねぇ」

「そうか?」

 手応えは感じているのだが、それさえも脳内麻薬が作り出した都合のいい妄想である可能性は十二分にあった。

775 : 以下、名... - 2018/05/10 11:38:19.36 TS1B2hd7O 551/860


「この時期に、この状態のトラックに来るってことは、よっぽど有能か、でなけりゃよっぽど上とソリがあわないか、二択じゃないですか。どっちに転んでもトラックのみなさんとは噛みあいますよ。
 有能なら泊地の再興を手伝ってもらえばいいんだし、上とソリがあわないのなら……まぁ敵の敵は味方ってやつで」

 敵の敵は味方、か。
 確かに俺もトラックの艦娘たちも、辛酸を舐めさせられた相手は同じだ。しかし、だから復讐だ、とは俺はならない。龍驤をはじめとする艦娘たちも、勿論恨みは骨の髄まで染み渡っているとしても、いますぐにテロを起こしてしまえと思っているわけではない。
 赤城でさえもそうなのだ。そして、それは前向きな――極めて現実的な処世術。

 人生には杖が必要だ。いつなんどきでも突くわけではないにしろ、立ち止まって休むとき、急斜面を登るとき、それは俺たちの辛さを軽減してくれる。

 大井にとってのそれが北上であるように、雪風にとってのそれが響であるように。
 霧島にとってのそれが野望であるように、赤城にとってのそれが敵であるように。

776 : 以下、名... - 2018/05/10 11:39:50.94 TS1B2hd7O 552/860

十分ほどの時間をかけてようやく一つ目の蓋が開いた。中には梱包材にくるまれた家具……机か? 黒檀の高級そうなものだ。さすがに漣でも机は食おうとはすまい。
 視界の裏側でばきりと音がする。振り返れば漣もバールで木箱をこじ開けていた。一体何を夢見ているのか、腕をまくって、鼻息は荒い。ふんす、と擬音が聞こえてきそうな意欲の高さに、俺はつい笑ってしまう。

「龍驤たちはなんだかんだ、俺たちを排除するつもりではないようだし……扶桑や最上は協力的だ。神通はまだ掴みきれないところがあるが、響を任せてくれているから、少なくとも毛嫌いされてはいないだろう。……多分」

「負担が軽くなるからでは?」

「そういうタイプにも見えんかったがな。責任感が強く、禁欲的なやつだ。わかったように語るつもりもないけど」

 あの三人はどこか似ている。責任感が強く、自らの為すべきことを固く信じ、その反面自分を追い込みがちだ。

777 : 以下、名... - 2018/05/10 11:41:51.03 TS1B2hd7O 553/860

「大井は険こそあるものの、必要な情報をきちんとくれるし、なにより北上の捜索に懸命になってる。善人ではないだろうが、悪い奴ではない。お前とは少しあわないかもしれないが」

「別にぃ……ただ、あぁこの人コミュ障なんだなーって思うだけです」

 コミュ障というか、そもそも対人関係を構築する場数を、一般人に比べて踏んでいないのが原因かもしれない。

「長らく入院していたそうだからな。艦娘になったのも、そのあたりが理由だと」

「でも、それなら関東のほうで詰めてればよかったのに。いい病院だっていっぱいありますよね。なんでわざわざトラックまで来たんでしょうかね?」

「それは……さぁ?」

 考えてもみなかったことだ。
 まぁ望まない異動などごまんとあるし、その類なのではないだろうか。

「58と赤城と雪風。この三人は、ちょっと難しいな。58は敵対的というわけじゃねぇが、赤城と雪風は……はっきり言って、関係はよくない」

778 : 以下、名... - 2018/05/10 11:43:07.75 TS1B2hd7O 554/860


「よくないっていうか」漣は少し考えて「こっちのことなんてどうでもいい、って風ですよね。まず深海棲艦の殲滅ありき、じゃないですか」

「それも仕方ないとは思うけどな」

「はい、漣も思います。だけど、……本当に赤城さんが危機に晒されたとき、誰も助けてくれない。違うんですよ? みんな赤城さんを助けたいはずなんです。でも、本人がそれを拒否している。あるいは自覚してないのかも」

「……」

 それは、誰にとっても不幸であるような気がした。赤城にとっても、残された面子にとっても。
 赤城は、自らが沈むことによって、残された者が、今の自分と同じ苦しみを味わうことに気付いているのだろうか。それとも気づいたうえで無視を決め込んでいるのだろうか。

 二つ目の蓋を開いた。鈍色に輝く艦娘の装備が入っている。四連装の魚雷のようだ。

「装備があったぞ」

「お、マジですか。やったぜ」

「そっちはどうだ」

「ネジとバーナーが山盛り入ってました。なんでしょうかね、これ」

「食べるか?」

「たーべーまーせーんー!」

 仮にそれらが戦闘糧食であったとしても、腐りきっているだろうが。

779 : 以下、名... - 2018/05/10 11:43:56.51 TS1B2hd7O 555/860


「雪風ちゃんとはうまくいきそうな展望、あります?」

「……どうかな。まぁ一応、響を前線に引っ張り出さなきゃ、あいつとの関係はこれ以上悪化しないだろうが」

 それでは響は満たされない。

「プランはある。うまくいくかは、神のみぞ知る、かな」

「神様に頼るのなんてやめたほうがいいですよ。あいつ人間に興味がありませんので」

「そうなのか?」

「はい、こないだ言ってました」

 マジか。俺にも会わせてくれ、一発ぶん殴ってやるから。

「霧島さんはどうなんですか? 前になんか、話をしてませんでしたっけ」

「あぁ……」

 言うべきか言わざるべきか迷ったが、その時点で漣的にはNGだったらしい。何かあるなと嗅ぎつけられて、ジト目が俺に向けられる。

「全てが解決したら、一緒に本土に渡ってくれと言われた」

「えっ、なんでっ!? 愛の逃避行!?」

 バールを投げ捨てて漣が詰め寄ってきた。
 俺も慌てて向き直り、弁明する。

780 : 以下、名... - 2018/05/10 11:45:22.46 TS1B2hd7O 556/860

「馬鹿、違ェよ。霧島の目的のために俺が必要なんだっつー話だ」

「目的、ですか」

「あぁ。トラックがこんなになった原因を究明したいんだと。そのためには本土に渡って、偉くなる必要があると、そう考えているらしい。俺が必要ってのは……」

 『鬼殺し』にまつわる一連の過去を、漣はまだ知らない。あえて言う必要もないと思ったし、そんなこと関係なしに懐いてくれる漣との関係を、俺も壊したくはなかった。
 またも臆病さが顔を出して、適当にはぐらかす。

「ある程度本土の派閥をわかっているやつがいたほうがやりやすいって話だ」

「……そう、ですか」

 漣は俺のシャツの裾を握った。硬く、硬く、逃がさないとでもいうように。

「行っちゃうの?」

「行くつもりはねぇよ、いまんところはな」

 意味もなく桃色のツインテールを動かしてみる。柔らかいそれはふさふさ揺れた。

781 : 以下、名... - 2018/05/10 11:47:02.78 TS1B2hd7O 557/860

「全て解決したらって、そもそも全部きっちり決着がつくかどうかも怪しいんだ。俺の任期中にな」

「半年?」

「あれば上等だろうな。一ヶ月で俺の安否と状況がこっそり確認されて、後任がすんなり決まれば三か月、決まらなければもう少し、ってのが俺の読みだ」

 誰もトラックには来たくなかろう。次が決まらなければ辞令は出ない。その間だけ俺はここに腰を落ち着けていられる。
 叶うなら、一生ここにいたってよかった。

「漣は、どうなるんでしょうか」

 どうやら漣はシャツの裾を離すつもりはいまだないようだった。

「普通の提督付、秘書艦扱いだったなら、提督が別の泊地に移動する場合でも、融通は利かせてもらえる。だけど今回は話が違う。俺は確かにいまは提督の肩書だが、それもここでおしまいだろう。次、俺は提督じゃねぇ。だから秘書艦は当然いねぇ」

「それって」

「お前とはここでお別れだな」

 努めて明るい声を出そうと思ったが、それが存外難しいもので、言葉の終わりは震えていた。上ずってもいた。

782 : 以下、名... - 2018/05/10 11:48:30.31 TS1B2hd7O 558/860



「やだ」

「……」

「やだ。やです」

「あんまり我儘を言うもんじゃねぇぞ」

「いいじゃん我儘だって! 漣は、ご主人様と一緒なら、いっそ艦娘でなくったっていい!」

 めっきり参ってしまった。漣が好意を寄せてくれているのはわかるが、その源がどこにあるのか、どこにあったのか、まったくわからないのが一因だった。
 俺はこいつのことをさして知らないのだ。その自覚はあったが、はっきりと認識したのは、もしかしたら今が最初かもしれない。
 こいつの中で俺は単なる上官以上の何かだとして、父親として見られているのか、兄として見られているのか、……それとも異性として見られているのか。

「……どうせ漣なんて」

「……勝手にネガティブになってんじゃねぇよ」

 少し気まずくなったのか、漣はようやく手を離した。そのままバールを拾い直し、木箱へと再度向き直る。
 それから約二時間、うってかわって会話は殆ど消失した。俺は漣になんと声をかければいいのかわからなかったし、漣は漣で不貞腐れているのかそうでないのか、難しそうな顔をしながら木箱にバールを叩き込んでいる。

783 : 以下、名... - 2018/05/10 11:49:09.15 TS1B2hd7O 559/860


 俺がトラックを離れる時、それがどんな状況のもとでそうなるのか、まるで予想がつかなかない。新型を打ち倒し北上も見つかり赤城や雪風とも親交を深めて……あぁ、もしそうなのだとすれば、どれだけいいか。
 全てがまるっと解決していれば、それに越したことはない。だが現実的には厳しいはずだ。それでも、全ては叶わずとも、七を、八を、九の解決を目指すしかできない。
 こんな俺でも、彼女たちのために何かを擲って、生きていてもいいのだと思える日がいつかくるのだろうか。

 この世に普くありとあらゆる事象を俺たちは予想できない。ただ、覚悟はできる。意志を持って生きていくことはできる。

784 : 以下、名... - 2018/05/10 11:49:58.85 TS1B2hd7O 560/860




 海域捜索が始まってから十五日目。

 新型と遭遇、砲火を交えたとの一報が、龍驤より入った。
 十四時三十二分のことであった。


792 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:08:36.33 1DkYOICX0 561/860


「大丈夫ですか? 高速修復剤の用意はしてありますけど」

「ウチはいらん。雪風と夕張に、適量」

「じゃあボクはベッドの用意をしてくるよ」

「あたしは平気。それよりもやらなくちゃいけないことが、でしょ」

「雪風もこれくらいなら全然です」

「発信機はまだ生きてます。ポイントF-8まで移動、後に停止」

「ほうか。なら『そこ』が『そう』やな」

「でしょうね」

 港は慌ただしかった。ばたばたと龍驤たちが戻ってくる。みな、眉根を寄せ、口を真一文字に結び……それは激戦の後だからではない。寧ろ、これからの激戦の気配を感じて、緊張に体を強張らせているのだ。
 そしてそれは俺も同じだった。鳥肌がぞわぞわと立つ。目の前の龍驤たちの容体を心配しながらも、頭はこれからの戦いをどうやって有利に進めていくか、そのための策で一杯になっている。


793 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:10:53.87 1DkYOICX0 562/860


 龍驤は無傷。鳳翔さんと響が小破。先頭を担っていたという雪風と夕張が中破で、その中でも雪風の傷は少し重たいように見える。
 額が割れ、顔面が血塗れ。右肩には杭で打たれたかのような牙の痕が二つ。
 それを見ながら苦い顔をしている響。

 港には赤城を除く全員が揃っていた。58までもいる。それぞれ、タオルやブランケットなどを用意して、血を拭いてやったり肩にかけてやったり。飲み物を渡している光景もあった。
 落ち着かないのは五人の怪我のせいではないのは明白。龍驤は言う、これからすぐにブリーフィングに入る、と。戦闘の様子は逐一録画してある。それを基に、今後の対応について協議するのである。

 確かに時間に猶予はなかった。俺個人の問題というよりは、新型とぶつかったことにより、あちらが本拠地を移動させる可能性があったためだ。無論それは相手に相応の知恵があることが前提となってはいるが……。
 戦闘時に敵の新型へと発信機を打ち込んだ、とは鳳翔さんの弁。それを辿っていけばまた遭遇することは容易だが、圏外まで出られてはお手上げだし、海に潜られたりして外れる可能性も無きにしも非ず。

 大井は海から上がる五人へと視線を送るばかりで、声をかけるようには見られない。ただスカートをぐっと握り締めている。


794 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:14:00.02 1DkYOICX0 563/860


 龍驤から連絡があったのは数時間前だったが、それさえも遥か昔のことに思える。
 昼過ぎのことである。五人は海域を捜索中、ついに目的の新型を含む敵作戦行動群を発見した。内訳は、目視できる範囲で、青い気炎のヲ級が二体。戦艦レ級が一体。そして新型が一体。計四体。
 彼我の戦力差は明らかだった。しかし、殲滅が目的でないとはいえ、発信機を打ち込むという目的もあり、龍驤は戦闘に踏み切る。勿論適当なところでの撤退が前提だ。

 時間にして数十分程度の戦闘後、発信機の定着、及び正常な動作を確認したのち、五人は撤退。帰投し、現在に至る。

「……ご主人様」

 漣が俺の隣で呟いた。少し待っても、その次の言葉は出てこない。
 気持ちはわかる。この切迫した空気、ただ黙って立っているだけでは、心が焦燥感に苛まれるばかりだから。


795 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:15:07.23 1DkYOICX0 564/860


「総員、泊地へ行くで。58、赤城は?」

「さぁ? 通信は届いてるけど、返事はきてないよ」

「あのくっそバカが……」

「一人で突っ込むほど愚かだとは思わんでち。でも見張ってた方が安全かもね。その役目は58がやるよ。やらせて」

「任せるわ。もし独断専行かますようなら、それに合わせて全体出撃通達出す」

「ん。了解」

「龍驤」

 声をかけると、龍驤は俺の姿を認めて苦笑する。

「なんや、おっさんか。まだおったんか」

「行くあてもないもんでな」

 軽口のたたき合いも最早お決まりだ。

「やな。ほうやったな。……本当は外様のあんたらに手伝ってもらいたくはない。気が退けるっちゅーんやないよ。これは矜持の問題やねん」

 自分たちの手で決着をつけなければならない。それは責任を取るということであり、過去に対する決別ということでもある。


796 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:15:42.02 1DkYOICX0 565/860


「悪いな。だが、俺も、じっと見てるのは性にあわねぇんだ」

「そう言うと思うとったわ。正直な、助かるっちゃ助かるんよ。ウチも前線出るからな、客観的に戦況を把握できて、指示できるヤツは置いときたい」

「任せてくれるなら、全力で当たる」

「んで、一応そっちの要望、できる限りは叶えたったけど……おっさん正気か? 失敗したら死ぬで?」

「勝機はあるさ」

「ま、詳しい話は、あっちでやろうか」

 そう言って龍驤は足早に集団の先頭を切った。ブランケットを肩に、ぐんぐんと風を切って進むその姿には、威風堂々たる貫禄があった。

 漣と響が何やら話している。響はいつにもまして暗い、落ち込んだ様子だった。それを漣が慰めているようにも見える。
 神通は雪風と話していた。そこに霧島が混ざり、敵の戦力分析や戦術を、一足早く議論しているらしい。

 鳳翔さんが大井を促しているのが視界の端で捉えられる。大井は何を思っているのだろう。これからの戦いに際して、どんな心構えなのだろう。攻撃的な言葉を吐く人間が、おしなべて強い精神を持っているとは、俺には到底思えなかった。


797 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:16:34.92 1DkYOICX0 566/860


 心が落ち着かない。浮足立つ。一刻も早くやらなければ、為さなければならぬ何かがどこかにあるようで、だけどもその正体が見つからない。それが焦燥感の正体に違いなかった。
 待つのも仕事のうちだ。十分に休息を取り、備える。機を待ち、然るべき時に動く。人間とは不思議なもので、仕事をすることよりもしないことのほうが、よほど落ち着かなくなるらしい。

 だから泊地へ向かう足がつい早まるのもそのせいなのだと思う。

 泊地に辿り着く。一目散に目指すのは、会議室という名の空き室。扉を開ければ既に扶桑がいて、いくつかの長机と、人数分の椅子。その数十四。
 扶桑の体調は恢復にほぼ近づいていた。海域捜索に出ていなかったのは、最大戦力でぶつからなければいけない時までの温存だ。

 それぞれが腰を掛けていく。前に龍驤と鳳翔さん。そこから時計回りに神通、夕張、響、雪風、大井、霧島、最上、俺、漣、58。最後に扶桑が扉を閉め、座った。赤城のための椅子だけが、空席だ。


798 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:17:49.49 1DkYOICX0 567/860


「みんな、お疲れさん。色々訊きたいこと、言いたいこと、あるやろうが……まぁ口上が長くなってもあれやな。まずは戦闘の映像を送る。各自確認して欲しい」

 龍驤が手元でキーを叩くと、俺の――俺たちのもとに一つの動画ファイルが送信されてくる。
 件の新型が映っている映像だ。

「……」

 沈黙。誰もが素早くファイルを開き、食い入るように見ている。
 当然、俺も。

 映像の中で、海は凪いでいた。曇り空が水平線の向こうまで広がっている。龍驤を除く四人が映っているということは、映像の撮影者は龍驤だということになる。
 示されている時刻は十四時の三十分丁度を指していた。

「……軌跡」

 神通がぼそりと呟いた。巻き戻して確認すれば、なるほど確かに、波と陽光の反射に紛れた中にも、一本の細く白い線を見つけることができる。
 魚雷の線。

 爆裂が撮影者本人――龍驤を襲う。しかし龍驤の対応はまるで神がかっていた。すんでのところで完全回避、と思えば次の瞬間には既に全機発艦を済ませている。いつ経巻の展開を行ったのかさえ見えなかった。
 化け物じゃねぇか。こんな神業をたった一度だって見たことはない。隣の漣も驚いているようだが、他の艦娘たちは平然とした顔。


799 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:19:03.39 1DkYOICX0 568/860


 宙に浮かぶは梵字、九字、五行と五芒。空を飛ぶ艦攻、艦爆、艦戦に爆戦。おおよそ八十機。

 丸い悪鬼が大編隊を組んで向かって来ていた。艦載機はそれらを片っ端から打倒していき、その奥にいる青い気炎目指して飛行を続ける。
 獣の咆哮。姿勢を低くして突っ込んできた尾と巨大な砲塔を、夕張と雪風が体を張って止めた。大きく波打ち、響が吹き飛ばされる。その際に雪風が何らかの悪態をついたが、聞きとることはできなかった。

 黒と赤が視界の端でたなびく。

 螺旋のようにうねりを挙げて、同時に粒子となって辺り一帯を黒く染めて、三体の奥からずるり、ずるぅり、一歩ずつ、もったいぶったかのように、前へと歩を進める巨大な姿があった。

 一瞬、新型が三体いるのかと思った。しかしすぐに己の考えを改めることになる。

800 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:19:43.39 1DkYOICX0 569/860


 本体は中央にいる人型で、真っ白な長髪を三つ編みに足首まで垂らしており、両目からは黒く、そして赤い炎が立ち上り、口の中には鋭利な牙。拳の周囲に単装砲を二基ずつ展開させている。
 そしてその両脇、俺が別個体だと誤認した「それ」は、あくまで予想の域を出ないものの……魚雷の化身に見えた。神聖な言葉を深海棲艦に使うことが許されるのであれば、大権現に違いなかった。

 ヲ級が飛ばしてくる丸い悪鬼にも似た、けれど段違いで巨大な「それ」。あんぐりと開いた口には深海棲艦の象徴たる牙と舌こそ見えないものの、反面、剣山の見間違うほどの細長い筒が――魚雷発射管が、口内から生えている。
 十? 二十? ……いや、そんなもんじゃあない。片方だけでも五十はくだらない。

 雷巡。嘗て漣が言っていた艦種を想いだす。大井はなれずじまいだった、北上がそうであった、雷撃特化の巡洋艦。


801 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:20:23.98 1DkYOICX0 570/860


「これはっ!」

 大井が叫んだ。殆ど悲鳴と言っても差し支えなかった。

「北上さんじゃないっ!」

「あぁ、そうや」

 龍驤も即座に返す。

「新型は北上やない。こんなのが北上であっていいはずがない」


802 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:21:05.14 1DkYOICX0 571/860


 映像の中での新型は、もしかしたら雷巡を模しているのかもしれない。そして北上にも似ているのかもしれない。だが、龍驤の言うように、これはどう見ても化け物だった。魚雷が人の形をとっただけの代物だった。

「只今より、映像に出とる新型を、『雷巡棲鬼』と呼称する。以後ウチらトラック泊地は、この雷巡棲鬼を、全力を以て打倒することとする」

 映像の中の雷巡棲鬼は、巨大な悪鬼を従えて、片方へ腰かけ、もう片方へ肘を乗せ体重を預けた。体が水面から僅かに浮く。優雅で、かつ怠惰な姿勢。
 あふ、と声が聞こえてきそうな欠伸をした。気味が悪くなるほど人間に似たそのしぐさをきっかけにして、巨大な悪鬼が二体、膨張する。

 映像の中の龍驤が何かを叫んだ。怒気と緊急性が交じり合って、最早人の言葉になっていない。それでも四人はその意図を察したらしく、即座に反転、雷巡棲鬼と可能な限りの距離をとるよう試みる。
 膨張したものが次にどうなるのか、考えなくてもわかることだ。

 即ち、収縮。

 辺り一面を埋め尽くすほどの魚雷が、二体の悪鬼から吐き出される。

 轟音が響き渡った。炸裂は炸裂を呼び、連鎖に次ぐ連鎖、炎と閃光と水柱が視界を覆い、収まる様子すら見せず、ただ全力で走る龍驤の手足だけを映し出している。

803 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:21:32.25 1DkYOICX0 572/860


 映像はそこで切れた。

「とりあえずここまでや。もっと長いのもあるが、それはまた後で渡す。まずはブリーフィングや」

「ブリーフィング、ったって……」

 最上が大井を見た。大井は椅子に深く腰掛けて、薄く笑みを浮かべながらも、眼には涙も湛えている。すっかり放心状態だ。

「……そう、北上さんでは、なかったのね」

 ぽつりと零れたその言葉の意味を、俺はどう解釈すればいいのかわからなかった。

「きついのはわかる。別にうちも無理に参加しろとは思っとらん。大井、席を外すか?」

「……いえ、いいわ。私にも使命感というものがあるもの。
 北上さんの姿を深海棲艦が真似るなんて、許されるはずないわ。それは北上さんへの侮辱に他ならない。コケにされて黙っているほど、私、大人しくないから」

「……ほうか。ならわかった。大井、あんたも前線に出るんやな」

「そのつもりだけど、もし足手まといになるようなら、遠慮なく言ってくれて構わないわ」

「考慮にいれとく。
 んで、参加辞退するやつはおるか? 一応ウチとしては、トラック泊地全体であたらにゃならんことだと考えとる。種別は『鬼』、見てみぬふりはできんし、手をこまねいとる間に事態はいくらでも悪化しうるからな。
 ただ、やりたくないことをやらせるつもりもない。強制力をウチはなるべく持ちたくないし、行使したくもない。それはみんなわかってくれとると思うが」


804 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:22:04.58 1DkYOICX0 573/860


「……」

 誰も手を挙げなかった。瞳には意志、心には決意。生きるべきは過去にではなく未来に。

「……響」

 押し殺すような低い声が発せられた。誰何するまでもなく雪風である。

「雪風」

 予想していたのか、龍驤の窘める言葉も早い。

「でも」

「『でも』やない。あんたにその権利はない。それは雪風、あんた自身が一番よくわかっとるんちゃうか」

「……」

 雪風は今度こそ押し黙った。響は自らの手元に視線をやって、手を硬く握りしめている。

「おらんか? ……おらんな。わかった。ならこの十三人で、ことにあたろう」

「赤城さんはどうしましょう?」

 鳳翔さんがおずおずと声をあげる。
 たった一つの空席。赤城は今も海に出ているはずだ。

「あたしがやるよ」

 58が立ち上がる。


805 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:22:55.65 1DkYOICX0 574/860


「ゴーヤに任せてほしいでち。本当は、もっと最初になんとかしなくちゃいけないことだったんだ。龍驤もゴーヤも、気ィ遣って後手後手に回って、その結果がいまのこれなら、あたしがやらなくちゃ。
 ね、龍驤。いいよね。それでいいよね? 赤城はもう十分苦しんだでち。楽になってもいいと思う」

 約束を思い出す。きっと58は、今度こそ赤城を沈めることに抵抗はないはずだ。
 いまここに赤城がいないことが、58の想いを一層強くしている。

 正論ならいくらでも述べることができる。しかし、そんな誰もが吐けるような言葉は、既に二人の間で吐き尽くされたに違いないのだ。
 だから龍驤は頷かざるを得ない。それが一番の選択ではないことを理解しつつも、熟慮の末の激論、激論の果ての回答は、しっかりとした重みを持っているから。

「……異論がなけりゃ、次に進む」

 議題は二転三転する。十二人の艦娘による聯合艦隊での出撃が決まったのはいいものの、第一艦隊と第二艦隊の割り振り、及び作戦目標に関してはまとまりが悪かった。具体的には、集中して雷巡棲鬼を沈黙させるべきか、それともヲ級やレ級と戦闘を行い引き付けておく役割の部隊を用意すべきかで議論が紛糾したのだ。

 どちらの案にもメリット/デメリットがあるのは当然として、問題は敵作戦群の規模だった。今回の攻撃は電撃作戦でなければならない。更なる追撃の手を差し向けるほどの余裕は、いまのトラックにはないのである。


806 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:23:27.57 1DkYOICX0 575/860


 その点では一体残らず根絶やしにするのが上等。頭のすげ替えが効く可能性を考えれば、手足諸共に沈めるべきだと主張したのが神通だった。

 だが鳳翔さんも論陣を張る。敵の殲滅に足るだけの銃弾、燃料の補給が、洋上では不可能なのだ。
 何も敵はヲ級、レ級、雷巡棲鬼だけではない。道中でイ級を初めとする雑魚との戦闘が不可避であることを考えれば、雷巡棲鬼を集中攻撃し沈黙させ、即座に転進すべきであると。

 現実的には鳳翔さんの案一択であるように思われた。神通の案は確かに問題の根源から断ち、脅威を遠ざけるという意味でも有効だ。しかし今回の作戦は、繰り返しになるが電撃作戦でなければならない。失敗は許されない。
 最悪のパターンは弾薬と燃料が枯渇した状態で敵作戦群中央に取り残されること。神通の案では、その可能性は十分にある。今回は殲滅よりも漸減を主眼に置かなければ、万が一のときに再起不可能な損失を被る。


807 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:23:53.50 1DkYOICX0 576/860


 神通はようやく頷く。取るべき作戦は決まった。が、まだまだ決めねばならないことは多い。
 艦隊の編成もそうだったし、最終作戦海域に到達し、目標艦隊と対峙した際に、誰がどのように動くのか。それ以前に各個の役割の割り当ても必要だ。全員が吶喊し、頓死。そんなくだらない死は何としてでも避けなければならない。
 無尽蔵に湧いてくる深海棲艦とは違って、俺たちの命はひとつしかない。それを燃料とし、燃やしてこそ成せるなにかがある。その覚悟こそが俺たちがやつらを撃滅しうる唯一の要素。

 既に龍驤たちが帰投してから五時間が経過していた。外はとっぷりと闇に覆われ、議論は苛烈さを増すが、議決には程遠い。進展がある部分も当然あるものの、議題によっては何度も同じ議論を繰り返すばかりという光景もままあった。

 頭が痛い。気分が悪い。
 精神的な疲労のせいだろうか。

 俺でさえこうなのだから、戦闘を終えて戻ってきた五人が辛くないはずはなかった。全員に覇気がない。殆ど根性ばかりが体を動かしている。


808 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:24:30.46 1DkYOICX0 577/860


「……龍驤」

「なんや」

「一旦お開きにしないか。明日か明後日、また集めよう。体力を回復させて、頭もすっきりさせて……でないと身のある話し合いにはならなさそうだ」

 そうだ、雪風や夕張は怪我さえろくに治療していないのだ。

「……時間がない」

「一秒を惜しんで誰かが沈んでもいいのか」

 卑怯な言い方だという自覚はあった。しかし、こうでも言わねば、龍驤や神通や、他の艦娘たちは止まらないだろう。

「おっさんに言われるのは癪やな」

 小さく舌打ちをして、立ち上がる。

「解散や。明日の夕方に、またここで。日付が変わっても終わらなんだら、また解散して次の正午。そこまでで何としても決める。ええな」

「了解」

「わかったわ」

「うん」

 各自が返事をし、三々五々、疲れた体を鈍重に動かしながら、部屋を後にしていく。言葉は少ない。雑談をする気力はなかろう。それ以上に、何を話せばいいのか混乱しているのかもしれない。
 かくいう俺も人に対して意見できるくちではなかった。体が重い。なにより頭が重い。熱っぽく、ぼんやりする。胃が裏返った感覚。不快感。倦怠感。吐き気。怠さ。
 身を床に投げ出してしまいたかった。

 このまま消えてしまいたかった。


809 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:24:58.91 1DkYOICX0 578/860


「ご主人様、あの、その」

「あぁ、漣。どうした」

 椅子の背もたれに体を預けていると、心配してくれているのか、漣がおずおず近づいてきた。

「だいじょうぶ、ですか?」

「……なんとかな」

 あまり強がる気はなかった。ばればれな嘘をつくくらいなら、いっそ正直の方が得も多い。

「先に家、戻っていろ。少し休んだら戻るから」

「……」


「大丈夫だって。安心しろ」

 頭を撫でてやる。そこに漣は自らの手のひらを重ね、ぎゅっと握った。

「本当ですね? ちゃんと戻ってきてくださいね。待ってますから」

「おう」

 どうして待つ必要があるのかはまったくわからなかったが、それでようやく満足そうな顔になり、部屋を出ていく。


810 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/12 07:25:31.05 1DkYOICX0 579/860


 部屋には俺と龍驤だけが残っていた。

「龍驤」

「なんや」

「話がある」

「知っとる」

 詳しい話は、あっちでやろうか。龍驤自身が言ったこととはいえ、あのときの言葉をしっかりと覚えていてくれていたようだった。

「策があるんやろ。言うてみぃ。モノによっては、オールインしたる」

「策なんかねぇよ」

 笑い飛ばしてやった。

 頭が痛い。

 いま、俺はどんな顔をしているのだろう。
 ちゃんと笑えているか?
 精一杯の虚勢を張れているか?

 弱音を吐くな。強がれ。自信を持て。恐れるな。堂々としていろ。龍驤に信じ込ませろ、勝ち目があるのだと。
 体が震える。自分の指揮で、采配で、艦娘たちが傷つき沈むかもしれないということを考えるのは、途轍もない重責としてのしかかってくる。それでも逃げることはできない。

 俺は、提督だから。

「あるとしたら……」

 それは策なんかではなく。
 もっと不確かで、曖昧な……。

 言うなれば、賭けに違いなかった。


818 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/13 02:08:28.09 x2roJrSC0 580/860


 ずくずくと頭が痛んだ。
 胃が張って、内容物が逆流してきそうだった。

 気分が悪い。理由は明白だった。だが俺はその理由を見据えたくなかった。真っ向から向き合いたくなかった。自分が最低の人間だと認めるのは勇気がいることで、俺は勇敢な人間ではないのだった。
 空気を求めて深く呼吸。体調不良は、認知の歪みを引き起こす。と同時に、嫌な記憶さえも呼び起こしてしまうものだ。

 比叡のことを想った。

 それは苦しいことだ。必ず、後悔と懺悔がついてまわる。あの時ああしていればだとか、もっといい方法があったんじゃないかとか、さして意味がないとは知りつつも。
 過去を振り返ることは辛さしか齎さないのに、なぜ俺はこうも頻繁に向き合うのだろう。答えはいまだに出ない。過去に対する答えも、同様に、未解決問題。
 ただ、責任は果たさなければならない。そうしなければならないと俺の心が告げている。俺のあの時の行動が与えた影響は万事に大きく、利益を享受したのなら、損失も被るのが筋というものだ。


819 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/13 02:08:57.87 x2roJrSC0 581/860


 冷たい海に比叡は沈んでいった。そして家族とも会えず……いや、会うべきではなかったのかもしれないが、それは誤魔化しに過ぎない。
 死してなお彼女は祀り上げられている。俺はそれが身もよだつほどに恐ろしかった。自らが神になろうとした結果ならばともかく、生きた人間が物言わぬ死者を好き勝手に装飾することへの生理的な拒否感が、胸の内に確かにあった。
 民衆の手によって神になれるのならば、悪魔にだって貶められる。全ては印象操作一つでがらりと変わる。

 比叡のことを想うたびに胸が痛むのに、もうあいつのことなど忘れたいと思ったことがないのは不思議なことだった。それこそ責任の為せる所業なのかもしれない。あいつを忘れて俺だけ楽しく生きようなんてのは、虫の良すぎる話だ。

 胸を張って生きていきたかった。

 胸を張って生きていきたいのだ、俺は。

 こうやって生きていくのだと。こいつと生きていくのだと。そう、比叡にきちんと言えて初めて、責任を果たせたことになる。まだ道の途中でしかない。


820 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/13 02:09:49.15 x2roJrSC0 582/860


 一人の夜道は暗い考えに囚われる。漣が隣にいればどれだけ安らぐだろう。あの、少女特有の落ち着きのなさが、落ち着くのには必要だった。

 龍驤との話し合いは一通り済み、けれど予想できない部分も多い。策ではなく賭け。いくら小細工を弄しても、最終的には運を天に任せることとなる。龍驤が賛成してくれたのにはほっと胸をなでおろした。
 恐らく龍驤もいまが、これこそが、千載一遇の好機と読んでいるのだ。トラックに蔓延する澱んだ空気を吹き流す南風だと。
 そうでもしなければ、いずれ赤城は死ぬ。そうすれば他の艦娘たちも、一人、また一人と消息を絶つに違いない。確信めいた予感はあった。

 トラックの夜は、今日に限って少し肌寒かった。気温が、というよりは、風が冷たい。強く吹き付けるわけでもないのに骨身に沁みる。

「……」

 そんな夜更けに、少女が一人、俺の目の前に立っていた。


821 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/13 02:10:14.63 x2roJrSC0 583/860


「司令、お話があります」

 雪風。

 俺は何かを言おうとして、結局口を噤んだ。驚きはない。予想はしていた。こいつは決して龍驤に刃向おうとはしないから――圧倒的な力量差を知っているから、それくらいには賢しいから。
 だから俺へと狙いを定めるのだ。

 用件はただ一つ。

「響を前線に連れていかないでください」

 月夜を反射する何かが、後ろ手に握られているようだった。ナイフ。また物騒なものを持ち出してきたものだ。
 無理やりにでも俺の首を縦に振らせようと、そういうことだろう。

 笑ってしまいそうだった。雪風を軽んじているがための笑いではない。あぁ、こいつはやはり子供で、どこまでも幼くて……その精一杯を見て、微笑まずにいられるものか。
 俺なんかはもう大人になってしまったから、雪風や響や、もしかしたら漣も該当するような、よい意味での盲信を失っている。視野や世界が狭いことは一般には悪しざまに言われがちだが、だからこそ振り絞れる力もあるのだと、こいつらを見て思う。


822 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/13 02:10:46.66 x2roJrSC0 584/860


 年齢を重ねるごとに人間は賢しくなり、そして自らの全能感や万能感を失う。自分の正しさを信じきれなくなる。
 雪風にはまだそれが残っていた。だから、刃物を持ち出してまで、響を前線から遠ざけようとする。目的のために手段を正当化して、それこそが唯一無二の正しい行いだと信じているから。

「へっ」

 ……上から目線で、なにをわかったふうなことを考えるのだ、俺よ。

 別にニヒルに酔っているわけではない。少なくとも、そのつもりではあった。
 ただ、子供を導くのは大人の役目だと、昔から相場が決まっている。

 暴力に暴力で返すつもりはなかった。雪風の暴力に屈するつもりも、またなかった。

 響も信じている。強くなって誰かを助けることによって、助かり続けてきた自分の過去を清算し、未来を見据えて歩けるようになるのだと。
 俺は俺がため、響もまた幸せにせねばならない。


823 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/13 02:11:43.26 x2roJrSC0 585/860


「雪風」

 その名を呼んだのは俺ではなかった。風上から、足音を立てずに、気配さえ殺して、ゆっくりと人影が現れる。

「もうやめましょう。やめてください」

 神通だった。悔悟の表情を張り付けて、敗北を悟ったかのようで。

「響の好きにさせましょう。私たちの出る幕はどこにもありません」

「そ、そんな、神通さんまでっ!」

 雪風がナイフを取り落とした。神通の登場と発言はあまりにも雪風にとって衝撃的だったようだ。

「なんでですかっ!? なんでいきなりそんなことを!? 龍驤さんに説得されましたか、それともその男に絆されましたか!
 だって神通さん、あなた言ったじゃないですか! 言ったんですよ! あなたが言ったんです、自分から! 『もう誰も死なせやしない』って! 嬉しかった! 志を同じくする仲間だと思った! だから雪風は、ずっとあなたと一緒に、それなのに!」

 神通に縋りついて雪風は叫んだ。まるで見捨てないでと泣いているかのようだった。


824 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/13 02:12:14.47 x2roJrSC0 586/860


 とはいえ、忘我は俺をも襲っていた。神通がここにいるのはこの際置いておくとして、なぜ今更俺の味方を? 長く連れ添った少女を傷つけてまで。
 
「雪風、もういいんです。私が間違っていたんです。『誰も死なせやしない』という旗印を降ろしたつもりは毛頭ありませんが……」

「じゃあなんで、どうしていきなりそんな意地悪を言うんですかっ!」

「強ければ死なない。私は、私がみなを鍛えれば、強くすれば、戦いで生き残れるように育て上げれば、それでよいと思っていました。そうすれば誰一人欠けることなく日々を過ごせると」

「その通りじゃないですか! 強ければ死なない、間違ってないです、だって雪風はほら! いまちゃんと生きてる!」

「ならなぜ!」

 冷えた風を切り裂いていく、神通の怒声にも似た叫び。
 怒りの矛先は雪風ではなく、当然俺でもなく。

 前にも一度似たような状況に遭遇したような気がする。

「響は戦場に赴こうとするのでしょうか! 赤城さんは命を削ってまで敵の殲滅を目論むのでしょうか!
 ……強さには、限りがありません。そして、頑健な肉体、強靭な精神、豊富な経験、それらを求めて戦いの場に人が向かうというのなら、『強さ』こそが人を殺し得る刃なのです。
 雪風、私はあなたに謝らなければなりません。響にも、です。私は、刃を研ぐことばかりを教えて、鞘にしまうことは一切教えなかった。いえ、鞘の作り方すら、教えていない」


825 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/13 02:13:04.93 x2roJrSC0 587/860


 強ければ死なない。強ければ誰かを護ることができる。雪風の言葉は正論だ。常に正しい強者の論理。
 しかし響は、そういった強さを得るために、命の危険を冒そうとしている。
 そういった強さから、雪風は響を護ろうとしている。

 ブリーフィング時に58は言っていた。「本当は、もっと最初になんとかしなくちゃいけないことだった」と。
 神通、彼女もそうなのだ。もっと、ずっと前にそうすべきであったことが、負債となって重く圧し掛かっている。
 58も含めて彼女たちを愚かだと評するつもりは無論まったくない。泊地が襲撃され、大半が死に、絶望の中で最適解を求め続けられるのはナンセンスが過ぎる。そもそも俺自身が過去の最適解に苦しんでいるというのに。

「いまさら、いまさらそんなことを言わないでください! 言われてもっ!」

 どうすればいいのだ、と無言で叫んでいる。


826 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/13 02:13:30.65 x2roJrSC0 588/860


「……申し訳ありません。私も、最近、ようやく目が覚めたんです」

「うぅうううぅっ……」

 ついに雪風はその場から走り出した。最早どうすればいいのかわからなくなっているのだ。よろめきながら、道の向こうへと消えていく。

「雪風ッ!」

 駆け出そうとして踏みとどまる。夜道は危険だ。だが、それで俺があいつに追いついて、どうすればいい? なんて声をかければいい?
 わかった、響を前線に連れ出さないとでも言うか? 生き方を変えようと諭すか? 神通ともう一度話し合ったらどうだと大人の対応をしてみるか?

 それがあいつのためなのか?

「……」

 振り向いた。神通は依然そこにいて、微動だにしていない。
 今すぐにでも舌を噛み切って死ににいきそうなほど、その表情は虚ろ。


827 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/13 02:14:19.48 x2roJrSC0 589/860


「神通、どうして」

 同じ言葉で、同じ意味を、目の前の少女へと問いかける。
 あれほどに凛として背筋の通っていたその姿は、いまや迷子になった子供のように頼りなかった。

 ……あぁ。いや、そうか。
 違うのだ。
 今の神通が弱弱しく見えるのではなく、真っ直ぐに力強く立っていた彼女が本当の姿なのではなく。

 単純なことに気が付かなかった。思いを馳せることができなかった。
 だとしたら、俺も、俺だけじゃなく、龍驤や鳳翔さんや夕張や……泊地の全員が、神通を苦しめていたことになる。

「遠征」

「遠征?」

「はい、遠征です。響が、漣さんと、出ていましたよね。それを決めたのは提督であるとお聞きしました」

「……そうだが」

 話の着地点が見えない。

「遠征でも、経験になります。戦うよりは少ないかもしれませんが、ずっと安全で、効率も決して悪くない。違いますか」

「違わないな」


828 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/13 02:15:01.82 x2roJrSC0 590/860


「ですよね。……恥ずかしながら、私の頭には、それすらもなかったのです。
 強くせねば、強くせねばと焦っていました。多少スパルタになったとしても、前線へ連れまわし、トレーニングを積むべきだと。そうしなければ深海棲艦の餌になると」

 先ほど雪風が叫んだように、そのやり方そのものが間違っているとは思わなかった。
 しかし神通の口調は違う。間違っていたのだと、そう言外に伝えてくる。

「近視眼的でした。何も見えていなかった。あの子たちの幸せを願って、生きていればいつかいいこともあるだろうと、そのためには辛いことを乗り越える実践的な力をと思って、稽古をつけてきました。
 ですが気づけば二人の仲は劣悪です。きっとそれは私のせいなのです」

 顔に陰り。なにかを言わなければ、風と共に溶けてなくなってしまいそうな。

「……結局、私も、父親の真似をしていたんだと気付いてしまって……その途端、自分があまりにも愚かな人間に見えてしまって……」

 父親。
 神通の実家は武道の道場だと言っていたのは誰だったか。
 酒を呑んだ次の日の朝、神通は俺の脚を枕にして、なんと寝言を呟いていたか。


829 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/13 02:15:42.46 x2roJrSC0 591/860


「親父さんが嫌いなのか」

「……頑固で、融通の利かない、時代錯誤の堅物です。女は家を守れ、大学になんか行かなくていい、そんなことを平気で言う人でした。あの人は、『厳しいことを言うのも全てお前のためだ』と教育をしてきましたが、それがあの人の価値観を私に押し付けているだけなのは、すぐにわかりました」

 だから、艦娘の適性があると知ったとき、家を出られると喜んだのです。訥々と神通は語る。

「あぁ、ですが、血には抗えません。親の薫陶の賜物です。私はすっかり、自分が嫌いだったはずの父親と、同じような押し付けがましさを発揮して……」

 両手で顔を覆った。彼女の目の前にはいま絶望の仄暗い沼が広がっていて、それから必死で眼を背けているのだと思った。

「私は、あの二人の幸せを願っていたはずなのに、そのはずだったのに……!」

 なんで。

 湧き上がってきたのは、世の中の理不尽に対する疑問と、伴う猛烈な怒りだった。

 誰も間違えていない。誰もが誠実で、誰かのことを考えている。
 強くなければ戦場で生き残れないという雪風の言葉は絶対的に正しいし、かと言って強さを求め続けた結果が雪風と響の不仲で、それを放置してきた神通の後悔も有り余るほどに理解できる。
 おかしい。どうしてこうなってしまうんだ。


830 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/13 02:16:10.56 x2roJrSC0 592/860


 神通たちの悲しむ理由なんて、どこにもありはしないのに、現実問題三人はどうしようもない袋小路にはまり込んでしまっている。

 それが人生ってもんさ。煙草の紫煙とともに吐き出そうものなら、それこそニヒルの病に罹っているといってもいい。

「お前の努力を無駄にはしない。させるもんかよ」

 行動、想い、全てが間違いであるかのように彼女は言うが、そんなことはない。「誰も死なせやしない」と誓った志、それには確かに意味が、価値があったのだと、証明してみせる。

「神通、お前はもしかしたら、見落とした部分があったのかもしれねぇ。だけど、お前のおかげで、二人は助かる。幸せになるんだ。お前のやってきたことは、褒め称えられるべき行為だったんだ」

「……ふふ、ありがとうございます」

 お辞儀をして、

「……そうなら、よかったんですけど」

 走り去っていった。


831 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/13 02:16:43.20 x2roJrSC0 593/860


 ……付け焼刃の言葉では、流石に届かない、か。
 自分を信じられない人間が他人を信じられるはずもない。言葉が無力だとは思わないが、もし本当に神通の眼を覚まさせたいなら、現実を目の前に突き付けてやるしかないのだろう。

 俺にできるのか?

 できるしかない。やるのだ。

 お前みたいな人間に? 本当に? 

 失敗すれば、あいつらは、ずっとあのままになってしまう。

 別にいいだろう。所詮は他人なんだから。

 架空の声が俺を苛む。

 頭の痛みが、気持ちの悪さが、ぶり返してきた。
 道中出会ったのが雪風と神通でよかった。最悪の邂逅を果たしていたら、俺はどうなっていたかわからない。発狂してしまっていたかもしれない。

 脂汗が滲む。脚が縺れる。
 すれ違う通行者が、必ず俺を見てひそひそ言った。


832 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/13 02:17:29.03 x2roJrSC0 594/860


 やっとのことで自宅まで辿り着く。漣の部屋はまだ明るかった。待っていると言っていたが、本当に待っていてくれるとは、思いもしなかった。
 あぁ、だが、すまん。心の中で謝罪する。この状態で、漣、お前とまともに話すことは不可能だ。お前に何を吐き散らしてしまうかわかったものじゃない。

「……」

 心臓が跳ねた。
 俺の部屋の扉の前に、人がいる。

「……どうして」

 どうしてお前がここにいるんだ。

 まさか、俺の心を読んで、咎めに来たのか。

 大井。


833 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/13 02:18:09.46 x2roJrSC0 595/860




 北上が見つからなくてよかったと思った俺を、罵倒しに来たのか?



840 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:12:00.09 UpItBwFj0 596/860


 逃げ出したい。いますぐ踵を返して、どこかへ隠れることができたなら、きっと迷わずそうしただろう。どこへだってよかった。雨風が凌げるかどうかさえ問うつもりはない。
 実際には、俺の脚は楔で打たれたかのように大井の前に固定されている。磔刑に処された聖人もかくやと言わんばかりだ。

「随分と遅かったのね」

 大井が言った。心配するかのような口調だった。俺を責めるようなそれではなく。

 あぁ、当たり前の話なのだ。他人の心を読むことなんてできない。
 そんなことにさえ、たったいま合点がいくこの俺の混迷具合ときたら!

 とても素晴らしいことだと思った。知らぬが吉とは古人もいいことを言うじゃないか。俺の悍ましい考えなど大井は知る由もないし、金輪際知ることもない。それでいいのだ。誰も傷つかず、平和裏に全てが済む方法があるのだとすれば、それしかない。
 自らの後ろ暗さを全て曝け出すことが、即ち絶対的に肯定されることであるとは思わなかったから。


841 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:13:22.22 UpItBwFj0 597/860


「……?」

 大井はこちらを覗き込んでくる。十センチと少し低い身長差を背伸びで埋めて、真っ直ぐ向こうに綺麗な瞳があった。

「どうしたの? 何かあった?」

 って、ないわけないでしょうけれど。いつも通りの澄ました微笑。

 あ、だめだ、これは。
 愕然と理解が襲う。俺は知ってしまった。この少女の、苛烈さと苛烈さの隙間に、溺れることを逃れられない。

 大井のやけに眩しい微笑みが、俺の心の薄汚い部分に差し込まれていく。決して見せまいと、隠し通そうとしてきた汚泥が、ごぼりごぼりと音を立てて沸騰していくのがわかる。
 謝らなければならなかった。そして一度ならず二度三度、殴打して罵倒してもらわなければならなかった。それさえも全て自分のためで、この罪の重さから逃げたいがための行為でしかなくて。

 それでも俺は楽になりたかった。

 こんな罪悪感を抱えたまま、大井と作戦行動に参加することは、到底不可能だった。

842 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:13:58.53 UpItBwFj0 598/860


「大井、すまない」

 細い手首を引っ掴んで部屋の中へと引きずり込む。頭の中はぐちゃぐちゃだ。俺のため、大井のため、言うべきだ、言ってはならぬ、まとまりのない思考の嵐が吹き荒れている。

「え、ちょっ、なに、やめ、やめて!」

 当然の反応。大井は俺を突き飛ばし、よろめく。俺は大井の華奢な細腕の、大してない腕力でさえ、前後不覚になって……俺は部屋の床へと転んだ。

「あ、え? ……なに、どうしたのよ。本当に大丈夫?」

「大井」

 言葉が止まらない。

「俺はお前を裏切った。お前の信頼に背いてしまった。
 ……新型が北上でなくてよかったと、そう思ってしまった……!」

「は? ちょっと、何を言っているの?」

 大井と龍驤、二人の口からブリーフィング中に聞かされた言葉、「新型は北上ではない」。それを受けてまず俺の中に去来したのは、何よりも喜びだった。北上でなくてよかった。俺は確かにあのときそう思ったのだ。
 信じてもらえないことを承知で言うが、俺自身、そんな考えが浮かんだことに驚愕した。何を言っているのだろう、どうしてそんなことを。次いでやってきたのは狼狽だ。

 その理由を紐解いていって、答えらしきものにたどり着くまで、そう時間はかからなかった。


843 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:14:27.40 UpItBwFj0 599/860


「……どうやら俺は、あんなやつらに言われたことを、真に受けているようなんだ」

 嘗て、俺が英雄から戦犯へと転げ落ちたとき。
 やつらは言った。何も知らない群衆は俺に石や卵やペットボトルを投げつけながら、調和の破壊者めと。深海棲艦とコミュニケーションがとれたかもしれないのにと。友好的アプローチをなぜ模索しなかったのだと。

 馬鹿言ってんじゃねぇ。そう叫び返した気がする。

 そんなことは認められなかった。あいつらは所詮他人事だと思っていて、現場も知らず、思いつきを口にするばかりなのだ。だから簡単に難題を提示する。拒否すれば二言目には「努力が足りないんじゃないか?」などと。
 深海棲艦、あんな存在が知的生命体なはずはなかった。コミュニケーションをとれるわけがなかった。だから、殲滅するしかない。戦った比叡は決して間違っていないし、……彼女を送り出した俺も、間違ってはいない。

 間違ってはいないのだ。

 間違っていないはずなのだ。

 ……本当に?


844 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:14:58.00 UpItBwFj0 600/860


 深海棲艦に意志はない。あるとしてもそれはあくまで生存本能であって、蟻や蜂がコロニーをつくるのとなんら違いはない。蟻や蜂を駆除して心が痛むか? なぜ殺したのだと文句を言われるか?

「それでも、不安だったらしい。恐れていたらしい。立ち止まって考えるのは初めてだった。深海棲艦が、知的生命体なんじゃないか、なんて……考えたことはなかった。大井、お前はあるか?」

「……ないわ。ない。だって」

 そんなことを考えたら撃鉄を起こせないでしょう。引金を引けないじゃない。

 大井の答えは明瞭。ゆえに想定内。

 俺と同じ。

「もし報告にあった新型が北上だったなら、でなくとも、知的生命体だったなら……そんなことはあっちゃならねぇことだ。だから俺は願った。願っていたことに、今日、ようやく気づいたんだ」

 お前の助力を得ながら。信頼を得ながら。
 お前はあんなにも北上の生存を熱望していたというのに。

 その実俺は、北上が生きていないことを、希望していた。


845 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:16:15.55 UpItBwFj0 601/860


 大井、お前が虚弱な体に鞭を打って、障害のある心臓を酷使して、新型との戦線に加わるために――実妹である僅かな望みに賭けたその決意を。努力を。意志を。俺は知っていたのに。
 応援してさえいたのに。
 心の中では、頑張りが全て無に帰すことを、願っていた。

 それが裏切りでなくてなんだ。背信でなくてなんだ。

 善悪の定義については興味がなかった。しかし、他人を利用し、益だけを貪ろうとする行為が、善として罷り通るとは思えなかった。
 俺を利用しようとした軍の上層部と、俺は同じことをしてるじゃあないか。

 いまなら神通の気持ちが痛いほどによくわかる。自らがこうはなるまいと嫌悪していた存在と、知らず知らずのうちに近しくなり……それどころかそのものに変質してしまったとしたら、嫌悪の感情は自らへと向く。
 もう死んでしまいたかった。塵一つ残さず消えてなくなりたかった。自分がこんな人間だとは知りたくなかった。


846 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:16:49.21 UpItBwFj0 602/860


「すまん、大井。本当に、すまない」

 もうトラックにはいられまい。決戦を前にして抜けることはさすがに無理だとしても、ひと段落ついたら姿を消す心づもりだ。でなければいつ、また誰かに不義を働くか、わかったものではないから。

 比叡はやはり、俺の犠牲になったのだ。

 俺は自分が生き残る確率を少しでも上げるために、あいつを持ち上げたにすぎないのだ。

 気づきたくなかった事実は重く、頭を大きく揺さぶった。
 知らなければ幸せに、とはいかないまでも、自身の善良さに疑いの目を向けることもなかっただろうに。

 涙は出ない。俺が俺を悲しんでどうするのだ。加害者と被害者の垣根を飛び越えることが許されるわけがない。
 いくらでも拳を振るってくれて構わなかった。どれだけの悪辣な罵倒でさえ今の俺には生ぬるい。いや、懲罰そのものが、俺が自らを楽にさせる行為なのだとすれば、無言の非難の視線こそが最も効果的な責め苦かもしれない。

「……」

 無言が暗闇を支配する。あちらの動きは感じられない。
 それからどれだけの時間が流れただろうか。五分? 十分? あるいは、まだ数秒しか経っていないのか?


847 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:17:16.51 UpItBwFj0 603/860


「……馬鹿ね」

 端的な言葉。それは事実だった。

「本当に、馬鹿なんだから」

 郷愁を感じた。声が震えている。大井が? なぜ? どうして? 
 なんでお前が泣いているんだ?

「立ちなさいっ! 前を向きなさいっ!」

 軍隊式の発声方法で大井は俺の名前を叫んだ。隣の部屋で漣が、驚きのためだろうか、がたんと転げた音が聞こえた。

「立てと言っているでしょうっ!」

 その言葉でようやく体が動く。染み付いた動き。踵をあわせ、爪先を三十度に開き、芯を入れたように背筋を真っ直ぐぴんと張る。

 初めて大井と目があった。頬に二筋、涙の零れた跡がわかる。
 しかし表情は笑っていた。俺を馬鹿にしている笑いだった。それでいて、困ったような顔でもあった。

「北上さんだったらだったで、それでいいじゃない。生きていた、よかったでいいじゃない。
 違ったら違ったで、それでいいじゃない。仲間と殺し合いにならなくて済んだことを素直に喜べばいいじゃない」

 勿論、そりゃあ、生きていてほしかったけれど。大井はぽつりと呟く。


848 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:17:55.93 UpItBwFj0 604/860


「生きるのが下手なんだから。あなたは、ずっと前から、本当に……損な役回りばかりを背負って、自分に責任の所在があるんだと思い込んで」

「……大井?」

 言っていることの意味が、ちっとも理解できない。
 俺はお前とあったことがあったか? ……いや、そんなはずはない。こんな顔に見覚えはない。

 大井は一歩踏み込んできた。それだけで、手の届く距離になる。
 彼女の右手が俺の左の頬に触れた。冷たく、ほっそりとした指先だった。

「でも、そんなあなただから。不器用で、要領がいいわけでもなくて……天才でもなんでもない、どこまでも平凡なあなただから、私は」

 頬に触れた手がゆっくりと下がり、肩へ、そして脇腹へとたどり着く。
 もう片方の腕もするり、伸ばされ……大井はそこで、さらに一歩、詰めた。
 必然、俺へと抱きつく形になる。

 柔らかい感触と、甘い匂いと、仄かな暖かさ。
 何より、優しい声。

「私は、あなたに憧れたのよ。あなたのおかげなの。あなたがいたから私は、決して腐ることなく、今もこうして艦娘をやれているの」


849 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:18:31.86 UpItBwFj0 605/860


「……どこかで、会ったか?」

 尋ねるが、どこまで記憶を遡っても、大井との接点は見当たらない。

 そんなわけないでしょうと大井が首を横に振った。そうして余計に腑に落ちない。一体、なら、どこで俺を。
 とそこまで考えて、はっとした。その可能性は十分にあった。

「テレビで、俺を」

 英雄として祀り上げられていたころ、俺の姿がテレビに映し出されないときはなかった。名前も、生い立ちも、家族構成も、全て包み隠さずに報道されたはずだ。
 大井は幼少期から病院に通っていた。暇な時間を潰すのは、本か、携帯ゲーム機か、でなければテレビと相場が決まっている。

「私は妹がいたから生きてこれたわ。『また明日』。その約束を何としてでも守るために、必死だった。新薬の投与はなるべく受けたし、そのためなら艦娘にだってなってやろうと思った。
 結果的に容態は安定したわ。自分の脚で風を切る喜び、水を手のひらで掬う気持ちよさ、芝生の上で寝転ぶ爽快感、あなたは知っているかしら。あれほど世界が輝いて見えたことは、一度もなかった」

 大井はさらに腕に力をこめてきた。密着度があがる。俺は手の置き場所に困るばかり。


850 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:18:58.79 UpItBwFj0 606/860


「だけど、人間、欲が出てくるものよね。恢復にも健康体にも程遠い私だったけれど、艦娘になったからには、みんなの役に立ちたかったのよ。家族の住む国を護りたかった。それって変なことじゃあないでしょう?
 でも駄目だったわ。艦娘に適性があるってことと、ちゃんと動けるってことはイコールじゃない。見たでしょ、転んでばかりの私の醜態を。訓練校にいたころも酷くて、怒られてばかりで、授業をサボるなんてことはしょっちゅうだった。
 ……そのたびに、みんなに捜索されて、連れて帰られたけど」

 その話を、俺は嘗て、どこかで。
 ……比叡から、聞いたことがあった、気がした。

「艦娘に選ばれたことが、即ち特別の証じゃないってことに気付いたのはいつだったかしら。子供のちっぽけなプライドはずたぼろで、自分があまりにも矮小な人間で、いやになって、こんな自分にできることなんて一つもないと思って。
 ……そして、あなたを見たの。テレビの中のあなたを」

「……」

 幼少の彼女の目に、俺は一体どのように映っていたのだろうか。上官の遺志を継いで深海棲艦を打ち倒した英雄、その凱旋。見せかけの輝きも区別がつかなかったに違いない。


851 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:19:50.08 UpItBwFj0 607/860


「凄い人だけど、特別な人じゃなかった、って言っていたわ。いまなら理由がわかる。特別な人間が特別なことをするよりも、一般人が特別なことをするほうが、より功績が強調されるから、なんでしょうね。
 そして幼い日の私は純粋で――まぁ今もなんだけれど――その策略にあっさりと引っかかってしまった。嵌ってしまったの」

 つまり、ね。大井はいたずらめいて、また笑う。
 こいつの笑みは不思議だった。常に笑っているように見えるのに、同じ笑いには見えないのだ。

「こんな普通の人でも英雄になれるのだから、私だってきっといつか、誰かの役に立てるに違いないと、思ったのよ」

 誰かの役に。
 俺のように。

「それを杖にして、私はここまでやってきた」


852 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:20:17.18 UpItBwFj0 608/860


 津波のような「なにか」がやってくる気配があった。音が聞こえる。震動を感じる。さきほどとは異なる理由で、これはだめだ、と思った。
 自分が自分でなくなってしまう。
 抗いがたい未知への恐怖。

 それほどまでに強い喜びの感情を覚えたことはなかったから。

 俺は誰かの役に立ちたかった。誰かを幸せにしたかった。生きている理由が欲しかった。誰かから生きていてもいいのだと承認を得たかった。
 そしてその全ては目の前にいるこいつが持っていた。
 とっくの昔に俺は為し得ていたのだ。ただそれに気づかず、ただそれを知らず、ゆえに路頭に迷っていただけだった。

 知らないほうがいいこともある、なんて言ったのはどこのどいつだ!

 俺の行動は、決して無駄ではなかった。

 その認識が浸透するには、ほんの少しばかり、感動が邪魔をして時間がかかった。


853 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:20:51.44 UpItBwFj0 609/860


 多幸感は三半規管さえも犯す。またも前後不覚を覚えて、今度は大井ごと、俺は床へと倒れる。咄嗟に大井を抱きしめてしまい、華奢な体はすっぽりと収まる。
 心臓が早鐘を打っていた。俺のものなのか、大井のものなのか、まるで判断がつかない。相手のせいにするのはあまりにも容易く、どうやら大井はその選択肢を採ったようで、こちらに非難の視線を向けている。

「……それからあなたのことを調べたわ。英雄から堕してなお、ね。情報にフィルターがかからなくなって、ようやく真実らしい情報にも、手が出せるようになった。
 辛かったでしょうね、なんて月並みな言葉は言わないわよ。心情は察するに余りあるけれど。
 ……提督」

 俺の両肩に手をついて、大井は自分の上半身を持ち上げた。

「私はあなたを信じるわ。たとえ世界の他の全員があなたを嘘つきだと指をさしても、私はあなたを信じる。
 だからあなたも私を信じて頂戴。私はあなたの期待を、裏切るつもりはない」

「……あぁ」

 それだけを言うのが精一杯だった。

 精神的にも、肉体的にも、疲労困憊。柔らかい大井の肌を指先に感じながら、俺の意識はゆっくりと暗闇へ埋没していった。


854 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:21:17.93 UpItBwFj0 610/860


* * *

 とても心地よい夢を見ていた気がする。

 床にはカーペットが敷いてあるが、それでもまだ硬い。関節の痛みを覚えつつも、俺は状態を起こした。

「あぐっ!」

「っつぅ!」

 俺の額がなにかに当たった。眼を開けてみれば、大井が口元を抑えながら、こちらを睨みつけている。
 カーテン越しの窓からは朝の陽ざし。どうやら床で寝てしまっていたようだが、妙に頭の下だけが柔らかいのが謎だ。

「……なによ」

 大井の脚だった。俗に言うひざまくらというやつを、俺はされているようだった。


855 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:21:51.03 UpItBwFj0 611/860


「あ、その、……すまん!」

 ひざまくらもそうだし、昨日の醜態もそうだ。大井は恐らく一晩付き添っていてくれたようなので、それについても。
 関節の痛みなどなんのその、恥ずかしさと申し訳なさが勝って、俺は跳び起きた。大井も少し遅れて、脚の痺れを誤魔化しつつ、立ち上がる。

「……大丈夫?」

 問われた。真っ直ぐに返すのは戸惑いも大きいが、しかし、それが筋だろう。

「あぁ、もう大丈夫だ。ありがとう」

「……別に。
 今日のブリーフィングは正午からよ。遅れないようにすることね」

 さっと大井は踵を返す。すっかり皺のついた濃緑の制服がひらりと舞う。

「これから、よろしく」

「……こちらこそ」

 ぱたん。ゆっくりと扉が閉まって、俺は部屋に一人になった。
 だが、どうしたことだろう。まるで一人であるような気がしないのだ。心強いなにかが、力強いなにかが、炎となって体の中心に存在しているように思えた。


856 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:22:17.61 UpItBwFj0 612/860


「御主人様ッ!」

 打って変わって大きな音をあげ、漣が扉を叩きつけて飛び込んでくる。

「昨日はなんだったんですかどうしたんですか、大井さんの声が聞こえてきてご主人様の声もわっ! って感じで、一体何があったんですか!? なんで二人は一晩を共にしているんですかっ!?」

 漣は昨晩待っていたんですよ、と俺の腰をべちんべちんと叩いてくる。それに関しては非常に申し訳なく、弁論のしようもないのだが、もし間に合うようならば今すぐにでも聞かせて欲しい。

「もういいです! どうせブリーフィングまでそんなに時間はないですか! ぷんすこ!」

 擬音を口で表現する滑稽さは残ってはいるが、どうやら漣は本当に怒っているようだった。


857 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:22:47.77 UpItBwFj0 613/860


「ん? あれ?」

 漣が俺の顔をじっと見る。

「どうした」

「なんかついてます。おデコんとこ」

「え? あぁ……」

 指で擦ると、薄桃色の塗料のようなものが付着した。きっと大井がつけていたリップグロスか何かだろう。

「あ、まだついてますよ」

「そうか?」

 額をこするが、鏡がないので場所がいまいちわからない。

「あ、そっちじゃなくて」

 漣は俺の顔を指さして、


858 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/14 22:23:15.22 UpItBwFj0 614/860




「こっちです、唇」




869 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:43:47.49 dc2E7mY00 615/860


「ねぇねぇ、なにがあったんですか? ねぇったらー」

 泊地へと向かう俺の袖を先ほどから漣が引っ張り続けている。話題は変わらずに、昨晩俺と大井の間になにがあったのか。
 しつこいな、と声を荒げることは簡単だった。しかしそれでは漣に義理が立たない。折角得たであろう信頼を、こんなこと――というには聊か軽んじすぎてはいるが、ともかく大井とのやりとりで失うわけにはいかなかった。
 とはいえ、包み隠さず話したとして、それが信頼の失墜につながる可能性も少なくはない。

 その塩梅が最も難しい。

 第一、どこから話せばいいのかも曖昧だった。俺が遅くなった原因は龍驤との話し合いだし、そこに雪風と神通の一件が輪をかけている。大井とのやりとりを話すには、俺の過去に触れるのだ。
 ナイーヴな部分を曝け出したくない、という気持ちは俺にだってあった。仮初の英雄「鬼殺し」と評されたあの過去が、たとえ大井によい影響を与えたのであったとしても、やはり手放しでは喜べない。そこまで単純にはなれない。


870 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:44:26.52 dc2E7mY00 616/860


「そんなに気になるのか」

「んー、誤解されちゃ困るんですけど、隠し事を暴きたいってわけじゃないんです。喋りたくないなら喋りたくない、でいいと漣は思うわけです。そしたら漣だって尋ねたりはしませんよ?
 ただ、ご主人様の感じ、すっごい疾しさがあるっぽいんですよねー。後ろめたさ? とにかく、そーゆーの」

 鋭い指摘だ。本当にプライベートな問題なら、そう言えばいい。そうすれば漣も訴追はしてきまい。
 きっと俺は初動を間違えてしまったのだ。堂々としていればいいのに、それができなかった。大井との一件があったのだから仕方がないと今ならば開き直れるが、少しタイミングが遅い。

「……大井は俺のことを知っていたみたいでな」

「……? だって、そりゃそうでしょ? 最初に会ったときに『鬼殺し』だって」

「それで、なんというか、あんまり自分で言うのも恥ずかしいんだが……俺のファンだったらしい」

「嘘乙」

「だよなぁ?」


871 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:44:54.95 dc2E7mY00 617/860


 即答に対して素直な感想だ。逆の立場だったら、きっと俺も「はいはいそうだな」と返していただろう。
 昨晩のことを思い出せば自然と恥ずかしくなってしまう。大井は俺のことを知っていた。それは、俺が「鬼殺し」であるという事実以上についての理解であり、その上で俺のことを肯定してくれたのだ。

 そして俺もまた大井に対しての一定の理解を得た。お互いの弱みを曝け出した、とまではいかないが、彼女が俺を信頼すると言ってくれたように、俺もまた彼女のことを掛け値なしに信頼できると思う。
 俺は決して特別な存在ではなかった。それでも為し得たことには、きっと特別ならざるがゆえの価値があるのだろう。
 
「特別、ねぇ」

 そうである人物と、そうでない人物、二人を隔てる事柄が浅学な俺にわかろうはずもない。結局はどの方向から見るか、なんじゃないかとも。


872 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:46:41.27 dc2E7mY00 618/860


「して、なぜに大井さんはご主人様のファンに?」

「俺ははねっかえりだからな」

「わかります」

 わかられて堪るか。

「大井も皮肉屋で、どうにも気が合うらしい」

「漣は? 漣とは?」

「合う合う。頼んだぜ、相棒」

「えへへへへー」

 屈託なく漣は笑った。ぴょんぴょん跳んで、俺の少し先を歩く。

「ヒーローになりたかったんだっけか」

「え?」

「お前はさ。ヒーローになりたかったって言っていたろう。あの夜」

「あぁ……そうですね。なりたかったですよ」


873 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:47:29.27 dc2E7mY00 619/860


「今は?」

 それはかねてからずっと引っかかっていたことだった。
 弱者を見捨てず、手を伸ばせ。敷衍すれば「助けようとし続けろ」。漣は俺にそう言って、自らも可能な限り手伝うからと言ったが、しかし、ならば、それを自らに適用しないのはダブルスタンダードではないのか。

 ヒーローになりたかった。今は?
 もしそんな自分を過去に置き去りにしてきてしまったのだとしたら、漣は、そんな自分をこそ見捨てずに手を伸ばさなければならない。
 あるいは、見捨てずに手を伸ばさなければならなかったのではないか。

 後悔が漣のその言葉の源となった可能性は十分にあったが、迂遠な話の持っていきかたは不得手だ。こいつ相手ならば直球に尋ねたほうがいい。

「今は? 今は……うーん、サポート役ですかねぇ。これは、ほら、ギャルゲーの世界ですから。主人公はご主人様で、漣は……悪友そのいち、みたいなもんです。お助けキャラっていうか」


874 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:48:16.16 dc2E7mY00 620/860


「主人公ってガラじゃねぇやな」

「ですか?」

「だよ。
 なら漣、どんなやつなら主人公に向いてるのか教えてくれよ」

 軽口を叩きながら泊地を目指す。あと五分も歩けばつくだろう。
 漣は顎に指を当てて、少し考えているふうを見せた。

 その指を俺に向け、

「まず両親が海外出張してます」

「いきなりハードルたけぇなぁ、おい」

「んでんで、留守を任された幼馴染が起こしに来てくれるんです」

 二分の二、当てはまらない。
 どうやら俺はやはり主人公の器ではないようだった。

「高校は坂の上にあって、桜並木が少しだけ有名で、変な部活に無理やり所属させられて、そのせいで生徒会長からも目をつけられるんです。で、都市伝説的なおまじないがちょろっとだけ流行ってるから、真偽を確かめるべく活動していくうちに不思議な事件に巻き込まれて……」

「空から女の子が降ってくる?」

「あははっ、それもありですね」

 漣はくるくると回った。花びらの舞う中を踊るようにも見えたし、寧ろ彼女自身が桜の花びらのようにも見えた。


875 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:49:28.99 dc2E7mY00 621/860


「漣」

「なんですか、っとっと」

 制動があまく、少しよろめいた。俺は手を取って立たせてやる。

「ありがとうございます。
 ……なんですか?」

 頬をむにむにと摘まむ俺と、怪訝そうな顔でこちらを見てくる漣。

「あんまりそんな顔すんな」

「どんな顔ですか?」

「辛そうな顔だよ」

 女の涙は苦手だった。苦手だというのに、この島に来てから、やたらとそんな場面にばかり出くわすものだから……俺だって機微には多少なりとも敏くなる。
 殆どごまかしのようなものだ。こいつの頬を触って何がどうなるというわけでもない。

 ってか、こいつの頬、めちゃくちゃ柔らかいな。何を喰ったらこうなるんだ。


876 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:50:10.42 dc2E7mY00 622/860


「……心配かけて、ごめんなさい」

「別に、たいしたことじゃねぇよ。子供が大人に心配をかけるのは当たり前だ」

「本当は、漣もちゃんとお話ししたいと思ってるんですけど」

「焦んな。気が向いた時でいい」

「でも」

 顔を真っ直ぐに見据えてくる漣。

「ご主人様はいなくなっちゃうんでしょ?」

「……」

 もしかしたらこいつはついてくる気なのかもしれないな、と思った。
 それが自惚れであればよかった。こんな敵の多い人間に連れ添った先に、幸せなんて待っているはずがない。

「ほれ、着くぞ」

 泊地が見えてきた。

「うん」

 俺の人差し指を控えめに握りしめながら、漣は俺の隣で洟を啜る。


877 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:50:58.45 dc2E7mY00 623/860


* * *

 昨日と同じ一室には、昨日と同じ数の椅子が並んでいて、昨日と同じ面子が腰かけている。
 即ち、赤城はいない。

 龍驤と58は最早その件について深く考えるのをやめたようだった。空席を一瞥し、嘆息。58が「必ず来るようにとは言ったんだけどね」と弁明めいたことを言うも、それで赤城がやってくるとは誰も思っていなかっただろう。
 それよりも周囲の関心はおおよそ二人に集まっていた。雪風と神通。どちらも佇まいこそしっかりとしているが、その厳格さの中には過度な排他性を有している。
 会話もない。そもそも瞬きをしているのか、息をしているのかさえ、瞬時には定かにはならなかった。

 龍驤と目が合う。何かがあったんだな、と睨みつけるように問われた。俺は沈黙で以て雄弁に返す。


878 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:51:27.51 dc2E7mY00 624/860


 龍驤がどこまで二人のことを――そして雪風と神通それぞれのことを知っているか、俺は知らない。だがなんとなくの想像はつく。きっと個々人の領域に踏み込むような真似はしなかったに違いない。
 やはり龍驤は決定的に間違ってしまったのだと思う。58も同じで、本当ならば見捨ててはいけないはずの事柄を、不干渉に澄ませてしまった。勿論それはいまだから言えることで、その時その時では、二人の対応は決して間違ってはいなかったのだろう。

 あとから来た俺がとやかく言うのは万事に失礼だった。先人には敬意を持ってあたるべきだ。そしてその示し方は、何も言葉である必要はない。
 俺が同じ轍を踏むことだけは避けなければならなかった。でなければ、それこそ不敬というものだ。

 大井とはついぞ視線が合うことはなかった。避けられているふうでもなかったが、大井ならそれぐらい白々しいことも平気でやってのけるに違いない。
 大体、なんて訊けばいいのか。お前俺にキスしたか、だなんて、頭がおかしくなったと思われるのがオチだ。
 きっとあれは夢だったのだろう。唇の汚れは、まぁ、あれだ。偶然だ。


879 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:52:24.95 dc2E7mY00 625/860


「んじゃ、まぁ、第二部を始めようか」

 龍驤が指で机を小さく叩いた。こんこん、と軽い音が部屋に響く。

「鳳翔さん、発信機の位置は昨日から動いとらんのやったな?」

「はい。ポイントF-6から変わらず」

「状況に変化がなければ、出発は明朝八時を想定しとる。総勢十二名による聯合艦隊。水上打撃部隊を構築し、全力で以て敵作戦行動群中央部を突破、新型――雷巡棲鬼を打倒し次第帰投する。大まかなプランは以上や」

「中央部突破はいいけれど、作戦群の規模は判明しているの?」

 問うたのは大井だ。龍驤はその言葉を受けて頷く。

「大体はな。ちゅーても正確やない。索敵機を数機飛ばして、あと58にも昨晩いくらか突っついてもらった程度や」

「作戦行動群に動きは無し? 見つかったから逃げる、ではなく」

 霧島が不思議そうに呟いている。

「迎撃はあった。ただ、移動はいまのところ見られん。そこが所謂本拠地なのか、それとも雷巡棲鬼が傷を癒しているだけなのかは、判断がつかんな」

「もう死ぬかと思ったでちよ。駆逐とか軽巡級ばっかで、対潜はきっちりしてたかな」


880 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:53:22.11 dc2E7mY00 626/860


「でもそれって、逆に言えば戦闘力自体はそれほどでもないってことだよね?」

「そうや。最上が今いったように、真正面から会敵することを恐れるほどではないと、うちは睨んどる」

「聯合艦隊とはいえ正面からの中央突破は難しいのではないかしら。自分で言うのもなんだけれど、私、あまり戦力にはならないわよ」

「勿論それも考えた。敵戦力の漸減やな。だけど、雷巡棲鬼がいつまで滞留しているかわからんのはネックや。昨日も話したが、やっぱり電撃作戦でいくべきやと思う」

「電撃作戦は構わないけどさ」と最上「中央突破が危険性も高いってのは大井の言った通りで、リスクとリターンは見合うのかなぁ」

「そこは、うーん、土壇場にならないと判断できん部分もあるんよ、正味の話な。
 燃料と弾薬は背反関係にある。最短距離で敵を倒せば弾薬は使うが燃料の消費は抑えられるやろうし、なるたけ敵の薄い地点を選んでいけば、時間はかかって燃料喰うけど弾は最低限や。作戦目標とぶつかった際に、偏りのないようにチャートを都度都度で修正していけたらなぁ、と思っとる」


881 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:54:21.32 dc2E7mY00 627/860


 そのあたりが落としどころだろうな、とは感じる。机上で全てが済むのなら、そもそも戦闘は発生しない。人死にも出ない。だが現実は机上はあくまで机上であって、何事もそううまくはいかない。
 俺たちが考えるのは目的と目標だけでいい。なんのために、どうするか。それが最も重要だから。

「水上打撃部隊の第一艦隊、第二艦隊の案は、一応草案ではあるが、考えてあるんよ。うちと、あとは……まぁそこのおっさんやな。二人で昨日ちょこっと話した。
 勿論決定稿やないから、こうしたほうがええんやないか、みたいのがあったらどんどん言ってくれて構わん」

「……あー、一応今紹介に預かった。作戦立案に関しては、俺も少し口を挟んだ部分がある。気に入らなければ言って欲しい」

 俺は胸ポケットからメモ用紙を取り出す。

「第一艦隊は本隊だ。メンバーは……」

 俺は名前を読み上げていった。
 既に脳内では何度も反芻していた言葉の羅列。

 夕張、霧島、龍驤、鳳翔さん、大井、扶桑。


882 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:55:04.71 dc2E7mY00 628/860


「旗艦は龍驤に任せる。航空機による索敵と、出合い頭での爆撃による強襲で、まずは敵の戦力を削ぐことが重要だ。大火力で可及的速やかに殲滅が可能な面子を選んだつもりだ」

「……」

 特に反論の声は上がらない。俺はひとまず胸をなでおろす。
 が、まだ一山すら超えていないのだという自覚はあった。次、第二艦隊。その話がどれだけ拗れるか、想像もつかなかった。龍驤も覚悟の上だと思いたいが。

 第二艦隊は必然的に消去法で判明している。先ほど呼ばれなかった名前が、第二艦隊である。
 即ち、神通、雪風、響、58、最上、漣。

 ならば、なぜ、どうして、紛糾するのを恐れるかというと……。

 唇を舌で湿らせて、一息で俺は言い切った。


883 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:55:32.54 dc2E7mY00 629/860




「旗艦は響だ」




884 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:56:47.32 dc2E7mY00 630/860


 当然か。雪風が机を思い切り叩きつけて立ち上がった。それは想定の範囲内のできごとではあるが……その剣幕に、心臓が暴れる。視線に質量があったとしたら俺は押し潰されて死んでいるだろう。
 そして、驚愕しているのは雪風だけではなかった。神通も、漣も……大井や霧島でさえ怪訝な表情でこちらを窺っている。考えはみな同じ、「こいつは何を言っているのだ?」か。

「旗艦は単なるお飾りじゃありません! 司令と私たちの間を仲介する唯一無二の存在です! 旗艦の大破はそれ以上の作戦の遂行不可を示します、それくらい司令、あんただって知っているでしょう!?」

「あぁ」

 気弱にならぬよう努めて言う。

「百歩どころか千歩、一万歩譲って、響を前線に連れ出すのは目を瞑ったとしても! それを仮に響が望んで、雪風にも誰にも止められないのだとしても! してもです! なぜこいつを、こんなよわっちいやつを旗艦に据える必要があるんですか!
 愚かです、自殺行為です! 響が随伴艦なら、中破しても護衛をつけて帰せばいい。でも旗艦ならそうはいかない。今回は電撃作戦でなければならないとは龍驤さんが言った通りで、二度目があるかはわかんないんですよ!」


885 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:57:38.30 dc2E7mY00 631/860


「……そうだ。そのとおりだよ、司令官」

 響は気圧されながらも凛とした声を響かせる。

「どうしてだい? 私を旗艦にするのは、リスクだけが高い。リターンなどあってないようなものじゃないか。そこの説明がないと、私も……誰も、わかったとはならないよ」

 そりゃそうだ。俺は龍驤を窺った。彼女も当たり前だというふうに頷く。

「こんなっ、こんなよわっちいやつがっ……!」

「雪風ッ!」

 椅子を後ろに倒しながら雪風が立ち上がった。もう我慢がならないといった様子で、そのまま足早に部屋から出ていこうとする。

「待ちぃや!」

「雪風!」

「雪風、止まりなさい」

 咄嗟に伸ばされた神通と響、両者の手を振り払って、雪風は叫ぶ。

「触んなっ! あんたらなんかもう仲間じゃない!
 雪風がっ、雪風だけがみんなのことを想って、考えてるのに、それなのにどいつもこいつもそれをおじゃんにしようとするんだ!」


886 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 01:58:40.28 dc2E7mY00 632/860


 扉を開け放って部屋から飛び出していく。響も短く悲鳴のように叫んで、雪風のあとを追った。
 最上が立ち上がる。漣もまた。扶桑と霧島、夕張と鳳翔さんが、それぞれ目を合わせ、席を立つ。

 大井がこちらを見ていた。

 龍驤が目を伏せていた。

「ボクは追うよ」

「漣も、です」

「私たちも、一応」

「年長者がいたほうがいいでしょ」

「あたしも行くよ。怪我でもされたら厄介だし」

「私は……心の休まる飲み物でも、用意しておきます」

 駆け足で部屋を出ていく者、ゆっくりと地を踏みしめる者。

「前言撤回はしないわよ。理由、あるんでしょう?」

 大井はそれの返事を待たずに去っていった。聞くまでもない、ということなのだろう。
 その信頼は、こんな俺という人間には過ぎたものだったが……それでもやはり、ありがたい。


887 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 02:00:00.04 dc2E7mY00 633/860


「刺されんでよかったな」

 机に頬杖をついて、龍驤は言った。めっきり疲れてしまったような口ぶりだった。

「ひやっとした」

「あはは、おっさんもさすがに刺されたくないか」

「……悪いな」

「ん? いきなりなんや」

「話を拗らせるような真似をして。いざこざを起こさせたのは、間違いなく俺だ」

「許可したのはウチや。勘違いしてもらっちゃ困るよ、この泊地の提督は、ほんとはウチやで? ええっちゅーたらええねん」

「だが、うまく行く保証は……」

「なに急に弱気の虫が顔出してるのさ。あほう。あんたよりもウチのほうが、みんなの幸せ願ってるんや。説明くらいはなんぼでも労力割いたるから。
――なぁ? 神通」

 喧騒から解き放たれたような静寂を身にまとい、神通は椅子に座ったまま、微動だにしていなかった。
 雪風のいなくなったほうをじっと見ている。そこには、当然、誰もいない。しかし神通の目は確かになにかを捉えている。


888 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/23 02:01:14.16 dc2E7mY00 634/860


「……仲間じゃないと、言われてしまいました」

「言葉のあやや、そんなもん」

「……雪風だけが、みんなのことを考えているのに、と言っていました」

「子供にありがちな肥大した自尊心や。気にせんとき」

「わたしは」

 か細い、消えてしまいそうな声。

「みなさんを、仲間と思わなかった日は、信頼しなかった日は、一日たりともありません。みんなのためを思い、二人を想って、これまで……こういう言葉は好きではないのですが、私はこれまで『頑張ってきたのに』」

「諦めるのはまだはえぇよ」

 今や、最初に出会った時のような白刃めいた鋭さは、神通からは抜け落ちている。触れれば指さえ落ちんといったふうの雰囲気は、もしかしたら他者を寄せ付けないためのものでもあったのかもしれない。
 雪風と響を二本柱として神通はトラックを生きてきた。それしか彼女には支えがなかったのだ。
 そして、それも失われた。俺の選択が一枚噛んでいるのは、否定のできない事実である。

「俺は」

「ウチは」

「お前も」

「アンタも」

「幸せにするために動いているんだ」
「幸せにするために動いているんや」


895 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 14:55:01.23 TQxeMSFf0 635/860


 夕暮れはセンチメンタリズムを増幅させるが、そもそも浸れるような感傷は俺にはなかった。比叡との思い出はどうやったって俺を苛む。それ以降の思い出ならば猶更だ。
 データ上の資材の確認は済んだし、装備も同様。弾薬と油はありったけをかき集めて、補給も万端。漣と響が毎日遠征に出てくれなければ、恐らく足りなかったに違いない。
 全員のバイタルチェックも済んで、あとは明日の出発を待つだけである。

 結局、雪風は戻ってこなかった。追った響も憔悴している様子で、二人の間でどんなやり取りが交わされたのか、俺は知ることができなかった。
 鳳翔さんと夕張、そこに扶桑が混じって、四人で話をしていたことは聞いた。俺が出る幕ではない。決定的に拗れさせたのは俺で、龍驤は「許可を出したのは自分だ」と言ってくれてはいたものの、どうにも俺自身を納得させられなかったのだ

 ただ、響や雪風、他のメンバーに対する申し訳なさはあっても、決定の正しさには自信があった。響も、雪風も、神通も、まとめて絶望の淵から掬い上げるためには、多少の無茶はしなければならない。

896 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 14:56:20.85 TQxeMSFf0 636/860


 全てがたちどころに解決する術は、もしかしたらないのかもしれない。仮にあったとしても、それはきっと、多大な痛みを伴う手法だ。
 痛みは俺が負うつもりだった。もし他者が傷つくことが不可避だったとしても、その痛みは必要なものだと説得して、納得してもらえるだけの信頼が必要だった。

 信頼。――信頼。
 どうだろうか。俺は果たして、信頼されているのだろうか。

 作成した航路図を全員に送付しても、雪風だけが未読である。赤城でさえ確認しているというのに。

「……大丈夫? 落ち込んでない?」

 漣が心配そうに顔を覗き込んでくる。
 俺たちはちょうど帰路についていた。

「落ち込みはしてねぇよ」

 強がりではなかった。それでも、心が少しだけ弱くなっている自覚はあった。

 響を旗艦にするという案は結果的には受け入れられた。意図も、意義も、存分にある。艦娘たちはみな、神通がぽつりと漏らしたように、仲間想いのいいやつらだ。こちらが熱意を持って説明すればわかってくれるだろうとは思っていたが。
 あとの懸念は間に合うかどうかだけだ。これだけはわからない。実際に会的し、どれくらいの敵の密度なのかで大きく変わる。


897 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 14:57:12.95 TQxeMSFf0 637/860


「ご主人様」

「ん?」

「手」

「ん」

 漣が差し出してきたので、俺も差し出す。自然と手が繋がれる。

 殆ど無意識の行動だった。あまりにもその動作が滑らかで、俺は全てが終わってから、ようやくなにをやっているんだろうと思ってしまう。
 なんだかとてもまずい気がした。俺は自分がよくない領域に片足を突っ込んでしまっているのではないかと不安になる。

 いやまさか。俺はアレではない。
 ボンキュッボン至上主義ではないにしろ、こんな中学生相手に意識してしまうようでは、人間としておしまいだろう。

「……なんですか?」

「なんでもねぇよ」

「見惚れちゃいました?」

「たぶんな」

「まぁ仕方がないですねー。漣は美少女ですから」

 無難に否定をしないでおくと、漣はそれに機嫌をよくしたのか、ぶんぶんと繋いだ手を大きく振り出した。歩きにくくってしょうがない。


898 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 14:58:46.60 TQxeMSFf0 638/860


「ね、ね。ご主人様。漣はご主人様の特別ですか?」

 甘えた口調の漣だった。
 特別。つい先日もそんな単語を聞いた気がして、少し躊躇う。だが今そんなことはどうでもいいことだ。

「特別だよ、特別」

 こいつは俺の秘書艦で、極論、俺の仲間はこいつだけ。その構図は今も昔も変わりない。
 大井は俺のことを信頼していると言ってくれはしたものの、本当に俺があいつらと仲間になるためには、踏まなければならない手順があった。
 俺はまだトラック泊地の提督ではないのだ。

 なりたいなぁ、と思った。それは二つの意味で。

 一ヶ月と言わず、三か月と言わず、一年と言わず。トラックに腰を落ち着けて、こいつらと一緒に生きていきたいと思った。

「ご主人様も特別ですよ」

 ふふふ、と笑う。


899 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 14:59:39.59 TQxeMSFf0 639/860


「特別、ね」

 特別だと名乗ることは難しいことだ。無根拠な自信に基づくだけなら、いずれ砕けて消えてしまうだろう。無根拠な自信を貫けるなら、社会で生きていくことはできないに違いない。
 俺は平凡な人間だ。特別という要素があるのなら、特別嫌われているという悲しい事実くらいのもので、他人に比べて優れているなにかがあるわけではない。

 だが、そんな俺の平凡さこそが大井を救えたのならば、彼女の一助になったのならば、それは素晴らしいことだった。

 きっと順序の問題なのだ。平凡だから/特別だから、偉業を成せない/成せるのではない。偉業を成し得た人間に対して帰納的に付与される表彰状が「特別」という周囲からの認識。でなければ初めから「特別」として生まれなければ、人生に価値など見いだせなくなる。


900 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:03:25.71 TQxeMSFf0 640/860


 俺は、神通、彼女が自らを卑下することに耐えられなかった。自分を愚かだとこきおろし、平凡で、故に成果を出すことができなかったと決めきっているあの態度。演繹的手法。そんなことはないと示してやりたかった。
 平凡だろうが特別だろうが、俺たちにできることは必ずあるはずなのだ。

 龍驤を見てみろ。泊地の復興に一度失敗したのであろうあの少女は、けれど今でも前を向いて、なんとか立ち上がろうとしている。全員がうまくいくように考えている。自身の価値などあとからついてくることを知っているから、レッテルを貼ったりなど絶対にしない。

「……明日が決戦ですね」

「そうだな。怖いか」

「怖い……まぁ、不安はあります。漣にできることは、きっとそれほど多くないから、それを精一杯にやるだけなんですけど」

「んなこと言ったら、俺にできることの方がずっと少ないさ」

 海の上に立てないのだから。

「でも、ご主人様は、いろいろやってくれてます」

「なんだそりゃ」

 笑う。いろいろアバウトな漣の言葉はいまいち要領を得ないが、思いやってくれているのだということは理解できる。


901 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:04:00.86 TQxeMSFf0 641/860


「響ちゃんを旗艦に据えたこともそうですし、その前の遠征も……大井さんとも、うまくやったんだと思います。龍驤さんとだって作戦練ってたんですよね? だから漣もそれに報いなくちゃって」

「前線で血を流すのがお前らなんだから、俺こそがそれに報いなきゃなって話だ」

「お互い様ですね」

「そうだ」

 その通りだ。

「自惚れだとは思ってますけど、聞いてもいいですか?」

「ん? いいぞ」

「前の約束守ろうとしてくれてます?」

 弱者を見捨てない。
 絶対に手を差し伸べる。

「それも、当然ある。だけどもともとそれは――お前との約束な、あれは結構、俺の目的とも合致してるんだ。俺は俺の存在意義を確立させるためにここに来た」

「ここ? トラック?」

「あぁ」

「自分探しってことですか?」

「似てるような、そうでもないような」


902 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:04:51.41 TQxeMSFf0 642/860


 こんな子供じみたことを考えているのは俺くらいなものかと思っていたが、なかなかどうして、世の中には為すべきこと――天命とでも言える何かの探究者が多いようだ。
 道に迷い、悩んで、後悔しながら、自分の価値を見出していく。

「見つかりました?」

「見つかったような、そうでもないような」

 もし、俺が本当に、心からみんなに迎え入れられて、トラックの提督になれた暁には、全てが満たされるのだろう。
 そのためにやるべきことは少なくない。

 漣はふーん、ほー、と話を聞いていた。何か反応があるかと思いきや、別にそれ以上話を膨らませる気はないらしく、ぼんやりと歩き続ける。
 握られた手の力だけが少しだけ強くなった気がした。

 家が見えてくる。と、漣は咄嗟に口にする。

「お話があるんですけど」

「あぁ、そういえば言ってたな」

 待っているとか、なんとか。

「あの日はご主人様来てくれませんでしたけど、今日はいいですよね? 明日が決戦で、それにまつわる大事なことだから」

「作戦についてか?」

「んー、違います。ま、すぐにわかりますよ」


903 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:05:29.71 TQxeMSFf0 643/860


 先の戦いのことを思い出せば、漣はどうしても古参の面子には見劣りする。場数を踏みなれていないことによる不安は大きいだろう。
 俺は漣を含めて誰も死なせるつもりはなかったし、漣だって死ぬつもりはない。だが、覚悟が全ての恐怖に打ち克てるとは到底信じがたい。

 家の扉を開ける。女子中学生の部屋に入るよりは、そちらのほうがデリカシー的ななんやかんやでマシだという判断だった。

「おっじゃまっしまーす」

「おう、入れ入れ」

 部屋の中の空気は生ぬるかった。窓を少し開けて出てきていたのだが、それくらいでは大した換気にはならなかったようだ。
 仕方がなしに扉を全開。一気に、少しだけ潮の匂いのする風が、部屋へと満ちた。

 俺の背後ではばたんと扉が閉まって、がちゃりと鍵がかかる。

「鍵なんかかけなくっていいだろうに」

 物取りが入るわけでもあるまい。

「いや、まぁ、邪魔が入っても困るんで」

「邪魔?」

 またよくわからないことを言っているなぁ。振り返った俺の目に飛び込んできたのは、


904 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:06:08.83 TQxeMSFf0 644/860


「……は、おい」

 なにやってんだ。

 漣がスカートの脇を少しいじると、重力に負けて、するり、スカートが玄関へと落ちる。

 その下には短パンやスパッツなどは身に着けられておらず、当然、白い下着が露わになった。
 ローファーを脱いで、スカートから脚を抜き、部屋の中へと一歩。そうして今度は上着へと手をかけ、赤いスカーフをとった。胸元のチャックを開き、すっぽりと頭から脱ぐ。

 フリルがあしらわれたキャミソール。生地は薄く、そのためかブラが透けて見える。下と同じ白い花柄。

「……おい」

 言葉が出てこない。違う。何と言ったらいいのかわからない。
 俺の頭の中に、対応策などそもそもない。

 漣はうっすらと笑った。楽しそうな、ではない。妖艶に。これから起こることを予期している笑み。

 思わず眼を背けた。漣の意図はわからないまでも、この空気に呑まれてしまってはいけないと思った。

 なんだ? なんだなんだ何が起こっている? どうしてこうなった? くそ!


905 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:06:36.86 TQxeMSFf0 645/860


「ご主人様」

 その声もいつもと違って聞こえる。熱っぽさが混じった……いや、気のせいだ。俺の脳が混乱して、偏向して聞こえてしまっているだけ。そうであってほしい。
 ぎ、ぎ、一歩漣がこちらへ近づくたびに、床が微かに軋む。逃げ出そうと思えば逃げ出すことは可能だった。しかし、それで何が解決する? この状況をほっぽって、俺は明日からどうやって生きていけばいい?

「漣」

 意を決して振り向いた。

 大きく背伸びした漣の顔が眼前に大きく映し出されていて、

 がちん。歯と歯が、唇と唇が、勢いよくぶつかって音を立てる。
 そのままの勢いで俺たちは床へと倒れこんだ。

 俺の上にまたがっている漣の、太もも、そして尻、柔らかい感触が、シャツ越しに感じる。今朝に頬を触って柔らかいなと感じたあの瞬間がまるで嘘のようだった。
 漣は自分の唇にうっすらと滲んだ血を舌で舐めとった。味に少し顔を顰める。「キスって難しいなぁ」とぼそりと呟いたのを、この至近距離では聞き逃すはずがない。


906 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:07:10.09 TQxeMSFf0 646/860


「約束を守ってください、ご主人様」

「やく、そく?」

 なんだそれは、一体どういうことだ。
 問い質そうとした瞬間に、それが先ほどのやりとりの延長線上にあることに気が付く。気が付いてしまう。

 弱者を見捨てない。
 絶対に手を差し伸べる。

 瞬間、俺は理解した。全てをと言っても過言ではなかった。

「……漣、お前は」

「あはっ、さすがご主人様、話が早いです」

 自虐的に笑う漣の顔には陰りがある。それは神通と同じだった。自らの価値がわからず、特別だと思うこともできず、人生を彷徨する迷い子の顔だった。

 なぜ漣がトラックへと志願したのか。

 雪風と真っ向から対立したのか。

 響を助けようと思ったのか。

 あんな約束を俺にとりつけたのか。

 漣が嘗て雪風に向かって切った啖呵。「強くなれなくたっていい。強く在れなくたっていい。弱いままで、それでも幸せに生きていくことができる世の中に」。あのときは、それは響と、響に辛くあたる雪風に向けての言葉だと思っていたが。
 もし「そう」なのだとすれば。

 そう思わなければ心が折れてしまいそうだったのだとすれば。


907 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:08:02.24 TQxeMSFf0 647/860


「漣はこれまで嘘ばっかりついてきました。ごめんなさい。
 漣、トラックの艦娘のことなんて、どうだっていいです。響ちゃんのことも、本当は、辛くてあんまり見てらんないです。
 誤魔化して、騙して……自分の言葉で喋らないで、どっかで聞いたことある言葉とか、キャラクターとか、上っ面だけ塗って……」

 でも、だって、しょうがないじゃないですか。
 そこだけ、そこだけは自信ありげに――そんな自信など意味はないと言うのに――漣は言い放つ。

「漣は特別じゃないんだから。
 ご主人様みたいにヒーローにはなれないんだから。
 ……大井さんや神通さんには、見抜かれてたっぽいですけどね」

「お前、俺のことを、知っていたのか」

「んーん。知ってたっていうか、ほら、大井さんが『鬼殺し』がどうのって言ってたでしょ? あのあとに調べたんですよ。そしたらわんさか出てくるじゃないですか。史上初、戦艦棲鬼を倒した、稀代の英雄。ご主人様のことでしょ? 写真ありましたよ。
 知らないふりをしてたのはごめんなさい。トラックに飛ばされてくるくらいだから、きっとなんかあったんだろうなって、変に刺激して嫌われてもやだなって」


908 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:09:52.57 TQxeMSFf0 648/860


 脱力感があった。漣が俺のことを知らずにつきあってくれているというのは、完全に俺の愚かな勘違いだったのだ。
 それどころか、まったくの正反対で。

「あぁ、こんな特別な人の下で、漣は働けるんだって、とっても喜ばしかったです」

 違う、違うんだ、漣。
 俺は決して特別なんかじゃない。

 たとえ特別という評価があとからついてくるものであったとしても、その「特別」は捏造されたものだ。お前が夢見ている像は、メディアによって作られた紛い物であって、真実には掠りもしない。
 だが漣がそんなことを今更聞き入れようとしてくれないのは明白だった。

「でも、漣、ご主人様のことはちゃんと好きです。本当です。これは、嘘じゃない」

「なにをしたいんだ? どうして、なにが、お前をそこまでさせるんだ」

 下着になって。俺を押し倒して。そうやって関係を持とうとしてまでやりたいことなんて、想像もつかない。


909 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:10:41.86 TQxeMSFf0 649/860


「大したことじゃないですよ。漣は特別になりたいんです。特別になれば、自分に自信が持てるでしょ? 自信が持てたら、もっと人生、楽しく、強く、生きていけるでしょ? そうでしょ?
 でも漣はヒーローにはなれないから。なれないってわかったんです。分不相応だって。なら、せめて特別な人の特別な人になろうって、そうしたら幸せになれるかもって思って」

 その先に本当に幸せはあるのか?

 口をついて出そうになった言葉を嚥下する。

 他人を杖にする生き様を俺は否定できない。人間、独りでは生きていけないというのは、そんな意味を含んでいるからだ。誰しもがそれを経験則的にでも、あるいは本能的にでも理解しているからだ。
 しかし漣の今言った言葉は、言うなれば依存。他人を杖にするのではなく、他人を脚にして、他人の背中に乗って生きていくと言うこと。

 子供がゆえの愚かさだと思った。中学生にありがちな自尊心の肥大、そして自意識の発露。承認欲求と、現実を直視してのギャップ。誰しもが罹患する思春期特有の症候群に違いなかった。
 本当ならば時間が解決してくれる問題だ。だが、漣は艦娘で、決戦を前にして生き急ぐ。そして龍驤や神通たちと戦場を経験するごとに、自らの矮小さや無力さを痛感するのだろう。
 それが一層焦燥を強くする。症状を悪化させる。


910 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:12:14.34 TQxeMSFf0 650/860




「本当は、漣もちゃんとお話ししたいと思ってる」




911 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:15:06.14 TQxeMSFf0 651/860


 けれど、自分の言葉で自分の本心を伝える勇気が、いまの漣には、きっとない。

 それはなんとも悲しい話だ。

「約束を守ってください、ご主人様。漣を助けてください。手を差し伸べてください。……漣をご主人様の特別にしてください。そしたら漣、なんだってやります。絶対に頑張れるって、そう思うんです」

 甘ったるいにおいが鼻孔を衝く。白い、きめ細かい肌が目の前にある。興奮のためか、羞恥のためか、頬を少し赤らめた漣は、俺の胸元と首筋に存在を固着させるように、髪の毛を擦り付けてくる。
 鎖骨と首筋に軽い口づけ。柔らかい唇と、熱い舌の感触。心臓が跳ねそうになるのを根性で抑えつけた。

 ここで漣を抱くことは簡単だった。だが、抱いてどうする? その先に幸せがなくとも、同情でそうして、責任を取って……俺がしたいのはそんなことではない。
 後悔しない生き方を探して、自分に胸を張って生きていきたいとそう願って、そのためにトラックにきたのだ。ここで無責任に、安易な選択肢を採ることは、比叡の教訓を何も活かしていないのと同義。

 漣は俺の股間に手をやった。


912 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:16:11.52 TQxeMSFf0 652/860




「でっかくなってない!」

 そうして、叫んだ。




913 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:17:45.15 TQxeMSFf0 653/860


「え、え、なんで!?」

 困惑の表情。それが余りにも年齢相応すぎるので、堪えきれずに笑ってしまう。

 やっぱり漣、お前には妖艶な顔は似合わんよ。それくらい大口開けて、感情豊かに驚いたり、笑ったり、そっちのほうがずっといい。
 よっぽど可愛いし、魅力的だ。

「……ご主人様って、もしかして、アレですか?」

「アレじゃねぇよ」

 っていうか、アレってなんだアレって。

「こんな状態で中学生相手にチンコおっ立たせてるやつがいたら、そっちのほうがよっぽどアレだ」

 俺は違う。誓って違う。

「アレってなんですか?」

 知らねぇよ。

「な、舐めたりすれば?」

「やめてくれ」

 その歯をむき出しにして大口を開けるのはマジでやめろ。男として本能的な恐怖があるから。


914 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:18:40.33 TQxeMSFf0 654/860


「うー、なんなんですかぁ、もー!」

 地団駄を踏むかのように漣は俺の胸板に拳を振り下ろす。どすん。息の詰まる衝撃とともに、漣の涙もまた、俺のシャツに沁みこんでいく。
 それから暫し、八つ当たり気味に俺の胸を叩き続けていた漣であるが、感情が落ち着いてきたのかそれとも体力的な問題か、ついに体を俺の上へと投げ出した。柔らかな頬を俺の肩へとくっつけて、こちらを涙目で睨みながら、浅く呼吸をしている。

「……うぅ」

 洟を啜る音が聞こえた。

「強くなりたい、強くなりたいよぅ……」

 こんな自分でも好きになってあげたいよぅ。

 アニメや、漫画や、ゲームの言葉ではなく。
 ネットのスラングでもなく。

 それが漣の本心だった。

 ゆっくりと、触れる場所を考えながら、俺は漣の頭と背中へ手を回す。力を籠めないように抱きしめ、とりあえず、頭を撫でてやった。
 漣からの反応はない。相変わらず洟を啜る音ばかり。


915 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:20:07.10 TQxeMSFf0 655/860


「……する?」

「しない」

「……」

 またも無言。

「……ごめんね」

「いいってことよ」

 結局、力尽きた漣は、そのまま眠ってしまった。
 俺は変に動くこともできず、ひたすらに思考を巡らせるばかり。

 さて、どうしたものか。


916 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/24 15:20:37.65 TQxeMSFf0 656/860


* * *

 次の日、出撃は三時間半という大幅な繰り上げとなった。

 赤城が独断で出撃したとの一報が入ったためだった。


926 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/25 23:38:14.15 FPx4nitK0 657/860


 飛び起きた。

 漣が俺の上から転がって、着地に失敗した猫のような声をあげる。しかし非難の声は来ない。桃色の少女は起き抜けの瞳を真ん丸にして――きっと俺も同じような顔をしていることだろう――俺を見ている。

「嘘っしょ……?」

 嘘だったらどんなにいいか!

 漣に返事をしている暇はない。俺は叫ぶ。

「58ァッ!」

『でちっ!』

「どういうこった! どうなってるんだ!」

『どうもこうもないよぉっ! 夜の哨戒が終わってっ、赤城と交代しにいったらっ!』

 赤城がいなかったんだもん!

 58も負けじと叫んでいる。焦りを苛立ちに変換して俺にぶつけているかのようだった。いや、それで済むなら問題はない。最悪はそれだけでは済まない。
 散歩か、買い物か、トイレか、風呂か。そのうちのいずれかであればどんなにいいことか。しかし、恐らく、現実は過酷だ。こんな時に限って俺たちの予想を裏切ってはくれやしないのだ。くそ!


927 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/25 23:38:46.23 FPx4nitK0 658/860


「心当たりは本当にそれだけなのか!?」

『わかんないけど、こんなこと初めてだもん!』

『事実や。冗談やないで』

 通信に介入。龍驤だった。
 そうか、龍驤はトラック所属の艦娘の位置情報を割り出せるから……。

『赤城は現在海上や。真っ直ぐに敵の本拠地むかっとる。距離から類推して、二十分以上前には出てるやろうな。ほぼ日の出とおんなじや』

 となると、殆ど計画的な行動ということになる。
 後悔が襲ってくる。赤城に海図を渡すべきではなかったか? いや、それではだめだ。赤城の助力は目的の完遂には必要不可欠だ。彼女ならば黙って同行するだろうと予測していたが、まさか同行ではなく先行するとは。

 だが、解せないのは、なぜ赤城がこのタイミングで動き出したのかということだ。俺たちの出撃を待たない、待てない理由が、何かあるのか? それともただ単に、やはり深海棲艦は自らの手で抹殺するのだと意気込んでいるだけか。


928 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/25 23:39:16.43 FPx4nitK0 659/860


「58、赤城に今回の作戦の話は伝えたか?」

『つ、伝えたよぉ。でもそれは龍驤にもてーとくにも言っておいたでちよ!』

 やはり赤城はこちらの計画が動き出すよりも先に、そういう意図を持って出た。そして俺たちが気づき、急いで後を追ってくることも想定内なのだろう。

『とりあえず全員港に集合、今すぐや! 総員起こし! 全軍、全速力で赤城を追う!』

 龍驤と58の通信が切れる。二人とも泡を喰って港へと向かったようだ。
 俺たちも急ぎ向かわなければならない。漣は既にセーラー服と艤装を身に着けている。すぐに出る準備は整った。

 だが。

「……ご主人様?」

 本当にいいのか? 大丈夫なのか?

 これで計画を遂行して、間に合うのか?

「……だめだ。間に合わない」

 計画は瓦解を告げていた。事前の計算と航路、そこに赤城の性格を加味すれば、結論は明らかだった。
 かといってリプランの猶予は与えられていない。いま、手持ちの財産で、軌道を修正するしかない。


929 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/25 23:39:53.42 FPx4nitK0 660/860


「ご主人様、どうしたんですか? 早くいかないと!」

 間に合わなくなっちゃいます。漣はそう俺を急かすが、寧ろ最早遅きに失したくらいなのだ。赤城が先んじた時点で、全ては終わっている。

 だから。

 終わっているなら、一から始めるしかない。

「漣」

 思ったよりも強い声が出た。漣は昨晩の気まずさのせいか、俺と直接目を合わせることを避けているようだったが、不安げにこちらをちらりと窺う。

「……はい」

「説明している時間はない。勿論、追って話すつもりだが……頼みがある」

「漣にできることなんてないよ」

「ある」

「ない」

「ある」

「ないもん!」

「あるから俺が頼んでんだろうがっ!」

 人が何かを成し得る際に、「特別」は先立つ理由にはならない。
 世界は酷薄で、現実は残酷で……だが、そういうところだけは、妙に平等主義的なのだ。


930 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/25 23:40:19.91 FPx4nitK0 661/860


「お前、最初にレ級と戦ったあと、言ってたよな。『死ぬのは怖くない』って。んで、そのあとに、こうも言った。『でも』」

 死ぬのは怖くない。もっと怖いものは山ほどある。
 たとえば……、

「何も成し得ずに死ぬこと、とかな」

 自分が生きた後に残ったものが、ただの墓標ひとつだけでは、あまりにも寂しすぎるじゃないか。
 漣は何かを成し遂げたくて、だけれど特別な、ひとかどの人物には到底なれそうもなくて……そして人より少しだけ、往生際が悪かった。
 普通なら大人になる過程で身に着けるはずの「諦める」という行為が、ちょっとだけ苦手だった。

 この少女は恋い焦がれていたのだ。俺に、ではない。「特別」という概念に。


931 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/25 23:40:51.66 FPx4nitK0 662/860


「これはお前にしか頼めないことだ。引き受けて欲しい」

「なんで? なんで漣にしか頼めないことなの?
 みんないるじゃん。いっぱいいるじゃんか!」

 なんで? なんで、か。

「……なんでだろうな」

「はぁっ!?」

「ぶっちゃけ言えば、いまちょうどここにお前がいたから、かな?」

「は、ちょ、ま、えっ!? うそ、いやいや、ぶっちゃけ過ぎじゃん!? ここはもっと、こう、なんてーの? いいこと言う時じゃないの!?」

「でもなぁ、漣、よく聞いてほしいんだが」

「だめ、だめだよ! 漣は誤魔化されないんだかんね!」

 そんなつもりはねぇよ。

「経験上、理由なんてのは大抵後付で……大体は『ただちょうどそこにいたから』ってパターンが多いんだぞ」


932 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/25 23:42:02.31 FPx4nitK0 663/860


 比叡と俺が、ただちょうどあそこにいたから。
 仲がいいとか悪いとか、好きとか嫌いとか、大義の有無とかは、結局のところ局面を大きく左右はしないのだ。
 仮にあそこにいたのが俺ではなく高木だったら、あるいは齋藤だったら、事態は変わっていたのかもしれない。しかし現実は、あそこにいたのは俺で、その結果こうなってしまっているという厳然たる事実だけが、長く伸びて横たわっている。

「……ご主人様は、特別なんでしょ? 特別じゃないの? 英雄なんでしょ? 前人未到を成し得たんでしょ!?」

「そうかもしれんな。それでいいよ。それも全ては、俺と比叡があの時あの場所に偶然いたから成し得たわけだが」

「……なにそれ」

 浪漫がない。呆然と漣は言う。

「そして、だ。漣」

 俺はバーチャルウインドウを呼び出し、編成画面を表示させる。

「ここには俺がいて、お前がいる。お前が選ばれる理由はそれで十分。違うか」

 特別とか、平凡とかではなく。
 そんなものにかかずらわっている暇があるのなら、一秒でも早く海へと出るべきだった。


933 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/25 23:42:39.20 FPx4nitK0 664/860


「……」

 逡巡して、

「……ううん。違わない、です。
――違わない!」

「頼まれてくれるか」

「はい! ご主人様!」

「あいわかった」

 編成画面に二人の艦娘を放り込む。
 第三艦隊。旗艦に響。随伴艦に漣。

「お前ら二人は別海域にて別行動だ」


942 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:41:15.88 FuTol7nv0 665/860


 母は良家の出だった。

 夜明けすぐの海風は非常に冷たく、その中を切って進むものだから、体感温度はもっと低い。息が白く曇らないだろうかと心配になるくらいだけれど、トラックは今日も熱帯気候。寒さは私の大いなる勘違い。

 良家の出であることが即ち幸福にはつながらない。勿論、良いこともたくさんあっただろう。贅沢や放蕩を許してもらえるかとはまた別に、いい洋服を着ていい家に住み、いいものを食べさせてもらっていたはずだ。
 でも、母は一回りも離れた、社交場で顔を数度としか合わせたことのない男のところへ嫁がされた。十八歳。高校卒業後すぐ。

 政略的な意味を多分に含んだ結婚でも、私は両親の間に愛がなかったとは思えなかった。何故なら私には兄がいて、世継ぎを生むためだけの胎だったとしたら、私はこの世に生まれていないから。
 恋は恋愛へ、恋愛は愛へ、愛は愛情へ、愛情は情へ、年月とともに移り変わる。そして伴侶の最期の瞬間に情けへと変わり、菩薩へと至るのだと、嘗て有名な僧侶は口にした。

 私にはその真偽はいまだわからない。


943 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:41:43.88 FuTol7nv0 666/860


 母は確かに父を愛していた。きっと幸せだったことだろう。ただ、心残りがなかったと言えば……賛同しかねる。
 口癖のように聴かされていた言葉。「あなたは自立しなければだめよ」。自立。自らの脚で立つこと。転じて、自分の道は自分で選ぶこと。自分の決めた道を進むこと。

 母には選択肢はなかった。現在が満ち足りていたとしても、過去、もし別の選択を択べていたとしたら。そう思うことは非難されるべきことではない。

 もし、別の選択を択べていたら。

 私はどうしただろうか?

 専守防衛に意見を翻しただろうか?

 それともやはり、反攻作戦を支持しただろうか?

 脚に巻きついた鎖は重く、胸に打たれた楔は深く。
 私を過去に留めて逃がしはしない。

 奇怪な声が聞こえた――眼前にイ級の群れ。

「……ありがたいですね」

 戦闘状況が開始してしまえば、過去の呪縛から解放される。

 敵を殲滅するだけの愛国の士へと変貌できる。
 仲間の死を悼むだけの憂国の士へと転生できる。

 その時だけ、私は全てから解放され、「自立」して生きていくことができるのだ。


944 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:42:15.90 FuTol7nv0 667/860


 矢筈は塗り分けられている。艦爆が赤、艦攻が青、艦戦が緑。そして赤と緑の縞模様が爆戦という具合に。
 それぞれは九字、梵字、五行に対応している。ここ数日、夜なべしてひたすらに書き取りに努めた甲斐があり、残弾は十分にあった。丸一日はゆうに戦える。

 術式展開。矢筈に弦をかけると対応した文字が浮かび上がる。艦爆の赤、そして九字。「臨兵闘者皆陣列在前」と網膜に投射され、遠山の目付でイ級群をぼんやりと睨む。距離は目測で七十五、北西からの微風、誤差調整……捕捉。

 射た。

 一本の矢から九字が噴き出るように分散し、それらは十機ほどの爆撃機へと生まれ変わった。初速をそのままに、猛速度でイ級群上空へと到達、即座に爆撃で殲滅を図る。
 爆弾投下。直撃。
 イ級の群れは爆散し、血なのか油なのか、肉なのか機械なのか、神経なのかコードなのかわからない、ぬめった何かが海へと浮かぶばかり。しかし安心をする暇はない。はぐれたイ級ではなく、群れとしてのイ級が現れたということは。

 私の眼前に立ちはだかる、深海棲艦の群れ、群れ、群れ。


945 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:43:06.33 FuTol7nv0 668/860


「敵にとって不足なし。航空母艦、赤城、参ります」

 足元は揺らめく波のはずなのに、私の脚はしっかりと固定され、何を踏みしめているのかは定かではなかった。しかし、確かに踏みしめている。存在感ははっきりとある。
 鼓動を感じた。それが母なる海のそれなのか、私自身のそれなのか、不思議と判別できない。

 艦戦を一本、艦攻を二本、番える。曲芸のような射撃にも随分と習熟した。
 発射と同時に海を蹴る。たったさっきまでいた場所が、今は弾幕の渦中。イ級はその巨大な頭部と顎部でこちらを磨り潰そうとしてくるし、敵艦載機もこちらに負けじとその数を増やしつつあった。
 和弓は射程距離と速度こそ勝るけれど、そのぶん大ぶりで、連射が利かない。無論龍驤のような式神形式とは一長一短があって、どちらが上位互換であるというわけはないのだが、こんなときばかりはあちらが羨ましくもあった。


946 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:43:34.85 FuTol7nv0 669/860


 矢筒から四本――爆戦、艦戦、艦攻、艦攻。そのうち縞模様を一本口に咥え、残りの三本を一気に射出。艦戦と爆戦が敵艦載機を一度に吹き飛ばし、敵群の中央部を艦攻から放たれた魚雷が貫いていく。

 私は跳ねた。

 人の形により近い深海棲艦、ツ級がその巨大な手を叩きつけてきたのだ。私は横っ飛びになりながらも口に咥えた一本を放つ――ツ級の頭部に命中、撃沈。
 五行が術式展開。木火土金水の五文字とともに、艦攻が更なる魚雷で追撃。激しく揚がる水しぶきの中へと自ら体をねじ込んでいく。

 戦艦タ級巨大な砲塔が私を狙っていた。爆戦を誘導、爆弾投下でその射線をずらす。
 振動が空気を震わせ海面を抉るも、放たれた砲弾は数機の艦爆を巻き込んだだけだった。その間に、既に私はタ級へと肉薄し、矢筒から抜いた矢を二本、無造作に握りしめる。


947 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:44:14.13 FuTol7nv0 670/860


 タ級が二発目を構える。その顔面へ爆撃。
 揺らぐ上体、その鳩尾へ――果たして深海棲艦に横隔膜など言うものが存在するのでしょうか? ――爪先を叩き込み、足掛かりとしてさらに一歩、私は宙へと跳びあがる。
 右手に握った矢を二本、顔面へと突き刺した。

 一本は眼球から脳内へ達し、もう一本は口腔内を貫いて首筋まで。

「術式展開」

 そのまま艦攻へと変化させ、上半身が木端微塵に霧散する。

 倒れたタ級の体を踏み潰す勢いで、その後ろから大群が。イ級、ヘ級、リ級。背後には艦載機を放ちながらのヌ級もいる。
 流石にその数相手には分が悪いと判断、反転して距離を置く。追いすがる大群の戦闘へと矢を適当に放ち、適宜数体ずつ削りながら、私は果てしなく広い海の上を転戦する。

 狙いの大して定まっていない砲弾を恐れる必要はなかった。死が切迫した時の、肌へと氷が流れたような刺激、嘗ての戦場にはいまだ遠い。
 大群は黒い津波のようにその数を膨れ上がらせて、私を飲み込もうとしている。意志の感じられない本能的な攻撃、統率のとれていない奔放な移動。しかし、狙いはぶれることなく私を一筋。


948 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:44:40.42 FuTol7nv0 671/860


 脚を止めた。矢を抜き、番え、艦爆と艦攻がリ級を一体、ヘ級を三体、まとめて吹き飛ばす。
 爆炎の中からイ級が先陣を切って現れたのを確認すると、私はまた走り出す。

 58からの着信があった。それを無視して、海図へと目をやる。うん、当初の予定通りだ。波は高くない。敵の数は多いけれど、想定を上回ってはいない。このままならば真っ直ぐに敵艦隊中央へとたどり着ける。
 今頃陸では大わらわになっているのかもしれない、と思った。58からの着信があったということは、私の家がもぬけの殻になっていたことに気付かれたということで、海へ出ている可能性には真っ先に辿り着くだろう。
 追ってくるまで十分か、二十分か。それ以上はきっとない。このアドバンテージをなんとか活かしたいものだ。

 振り返りざまにツ級を撃ち抜く。

「ふぅ」

 汗を拭う。出発時の寒さはどこへやら、既に汗だくだ。

 陸の面子には悪いことをした。とはいえ謝るつもりは毛頭ない。
 というよりも、謝る機会が訪れるとは、思えなかった。

「まったく」

 矢の射過ぎだろうか、人差し指と親指が、僅かに痛んだ。

「私は本当に大馬鹿者ですね」


949 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:46:03.51 FuTol7nv0 672/860

* * *

「あのっ、大馬鹿もんがっ!」

 全身全霊を込めての全速力。ウチを先頭に総勢十名、海の上を菱形の隊列で進んでいく。
 赤城の位置は提督権限で追跡ができている。陸から殆ど一直線に、敵の本拠地を目指していた。途中、多少の蛇行や反転が見られたが……それは恐らく会敵、及び戦闘の証左なんやろう。
 赤城、あいつに敵との戦闘を避けるだなんて高尚なオツムがあるとは思えん。敵がおれば打ち倒すやろう。やけど、油にも火薬にも限りがあって、それすらわからんほどポンコツになっとるとは信じたくはなかった。

 あくまで赤城はクレバーに戦う。あいつは死地にこそ喜んでいくが、それは死にたがりを意味してはおらず、常に最善を尽くし続ける。だからこそ今回の突出には疑問が残る。どうしてあいつは、わざわざウチらを出し抜くようなことを?
 いくら考えてもわからんかった。まぁ、もともと頭を使う作業は得意やない。そういうのはこれまで提督やら大井やらに任せてきたし、きっとこれからもそうすべきなんやろうなぁということは、なんとなく実感はあった。
 
 やけど、それがよくなかったんやろうなぁ、という自覚もまたある。


950 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:46:34.78 FuTol7nv0 673/860


 役割分担で、苦手なことをお願いして、得意なことを引き受けて……勿論社会っちゅーのはそういうもんや。組織も同じ。自分のおまんま、全部一から作るか? 畑耕して、魚釣って、牛やら鶏やら育てて? は、アホくさ。
 そうした役割分担の結果、ウチはたぶん、赤城について考えることをやめたんやと思う。いや、赤城だけやない。辛い思いをしたみんなの苦痛を惹起させんようにすることに専念して、それから先に頭を回すことを止めた。
 答えが出ずとも考え続けるべきやったんかな。赤城に寄り添って、神通に寄り添って、どうすべきか一緒に考えてやるべきやったんかな。

 どうなんやろう。

 そう言う意味では、おっさん、あの男は素直に凄い。「鬼殺し」の異名を頂くあいつがどうしてトラックに漂着したのか、うちは寡聞にして理由を知らん。大井辺りに聞けばわかるやろうが、そうすることはしなかった。
 ただ、おっさんは殆ど自分とウチら艦娘を同一視しとるように見えた。勿論変態的な意味やなく、自分のことのように艦娘を――例えば最上やら響やらを大事にしとる。
 この世に「絶対」はおらんくとも、「絶対」幸せにしたるんやっちゅー目を見張るほどの意志の力がそこにはあった。


951 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:47:14.01 FuTol7nv0 674/860


 あぁ、提督。結局ウチは頭には向いとらんかったよ。あんたの代わりは務まらんかった。
 指輪に誓ったあんたとの約束、反故にするつもりは毛頭ないが、やっぱり適材適所っちゅーもんはあるんやね。

 恐ろしいくらいに海は静かやった。稀に見る凪。この進んだ先で赤城がドンパチしているとは、これまでの事情がなければ信じられん。

「鳳翔さん、発信機は正常か?」

「えぇ、はい。移動はありません。……赤城さんは」

「こちらも変わらず、や。目的地目指して全速力。時折戦っとるみたいで、立ち止まったりもしているみたいやから、追いつく可能性は十分にある」

 赤城のことを想った。

 赤城の想いを想った。

 聯合艦隊は十二人の艦娘によって編成される。おっさんの秘書艦である漣を加えれば、トラックには現在十三人がおって、必然的に誰かが一人があぶれる。

 赤城は来なかった。ならば、その誰か一人とは、赤城にならざるを得ない。

 どこまであいつの読み筋なんやろうか。


952 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:47:40.13 FuTol7nv0 675/860


 ただし、当然誤算もあるはずやった。赤城が先行したことにより、響と漣が第三艦隊として離脱したことは、本人は知る由もない。それはウチだって寝耳に水で……あぁ、そうや、口惜しいことに認めたくはないが、そこがおっさんの長所。

 迷いがないのだ。

 いや、その認識には、きっと誤謬がある。迷いがないというよりは、迷いを断ち切る速度が尋常ではない。そんな暇が自らにないことを理解し、生き急いでいる。
 ウチはあのおっさんに乗ることを決めた。今更尻込みをするつもりはなかったし、失敗した時のことを考えるつもりもまたなかった。そういうのは性に合わん。結果は常に過程のあとにある。
 全てが間に合うことを願うだけや。

「龍驤さんっ、あれ!」

 夕張の慌てた声。一瞬、赤城を見つけたかとでも思ったが、まさかそんなはずはなかった。
 だが、似て非なるものではあった。

 ぐずぐずに溶けていく最中の、深海棲艦の残骸。黒い油が海に流れ、微粒子となって深海へと戻っていく。

953 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:48:16.35 FuTol7nv0 676/860


 それがおおよそ二十数体分、積み重なっていたり、まばらに間隔をあけて倒れていたり、広い範囲にぷかりぷかり浮かんでいた。イ級を初めとする雑魚から、リ級やタ級といった強敵まで、軒並み雁首揃えて息絶えている。
 破壊の痕を見ればほぼ全てがヘッドショット。でなくとも、限りなく致命傷に近い箇所を積極的に狙っているのがわかる。

「……まずいな」

「なんでですか?」

「戦闘を短く終わらせる気ィ満々や」

「それのどこがまずいんです?」

「ウチらに追いつかれたらまずいっちゅー意識が赤城にあるってことや。あるいは、油と弾の問題を気にしとるのかもしらん」

 たとえどんなに赤城が強かろうとも、艦娘である以上は、燃料と弾丸の限りでしか戦闘を続行できない。短時間で戦闘海域から脱するのはリソースの消耗を抑える一番手っ取り早い方法だ。
 ……それはずっと前に、ウチが赤城に直々に教えた戦いのコツ。こんなにも複雑な気分になるとは思わんかった。


954 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:49:00.15 FuTol7nv0 677/860


「早く行きましょう、龍驤さん」

 雪風が神妙な面持ちで先を促した。赤城の強さを雪風ももちろん知っとるはずやが、もしかしたらそれは伝聞によるものが大きかったかもしれない。鬼神のような戦いの片鱗を見て、飽くなき強さを求めるコイツは、一体何を考えているのだろう。

「……そうやな。ぼーっとして、これ以上差を広げられても困る」

「放っておいても縮まるよ」

「……58」

 水面から頭だけ出して、58は吐き捨てるように言う。

「赤城が敵作戦群に突っ込んだら、あとは追いつくだけ」

「そん時に、あいつは跡形ものうなっとるかもしれんのやで」

「それを理解してない赤城だとは思わんでちよ」

「死ぬつもりで出とるっちゅーことか?」

「どうかな。死ぬつもりはなくても、死ぬ覚悟はあるかもしれない」

「言葉遊びはやめーや、58。あんたには似合わん」

 そういうのは大井か霧島あたりに任せておけばええ。


955 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:50:36.39 FuTol7nv0 678/860


「龍驤、58は真面目に話をしているでちよ。真面目な話を、しているでち」

 ……妙に突っかかってくるやんか。

 赤城に寄り添うことをしなかったウチであっても、赤城のことを慮らなかったということにはならない。言い訳がましく聞こえるかもしれんが、ウチはウチなりに赤城のことを考えた結果、不干渉を貫くことに決めた。それが正解であったか不正解であったかは、この際どうでもええ。
 反攻作戦の草案を出したのは間違いなく赤城。やけど、じゃあ、赤城が反攻作戦を唱えなければ素直に専守防衛に移ったかとなると、そこはかなり怪しい。
 ウチも58も赤城をそれについて責めたことは誓って一度もないし、大井だってそう。提督も、死の淵まで、恨み辛みを言うことはなかった。

 それでも赤城は責任をとろうとした。とろうとしている。
 58はその介助をして……最悪、介錯すらもする気でいる。


956 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:51:14.99 FuTol7nv0 679/860


「赤城は何らかの意図を持って、あたしたちよりも先行した。それが子供じみた癇癪だったり、功に逸っただけだったり、そんなことだとは思わないんだ。それは龍驤もそうじゃないの?」

「……そうやな」

 無謀な戦いこそするやつではあるが、その背後には必ず策があった気がする。

「こんな土壇場で、赤城が何を考えてるのかは、あたしにはわかんない。だけど目的があるのはわかる。強く心に決めたからこそ赤城は動いた。この行動には覚悟がある」

「だったらなんやっていうのさ。覚悟があるからなんやって?」

「覚悟がある人間にかける言葉を、58たちは持ってるのかなって言いたいんでちよ」

 あちらの問題なのではなく。
 こちらの問題だと、58は言っている。

 赤城に追いついて、それで? それでウチらはなんて声をかければいい?
 お涙頂戴は苦手や。クサい台詞は好きくない。抱き合って涙を流せばわかりあえるなんてのはお伽噺もいいところ。
 じゃあ、それ以外の手段ってなんやの?


957 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:51:42.06 FuTol7nv0 680/860


 ……まったく。

「因果が巡り巡ってきとるな」

 頭を掻いた。赤城のことが大事なはずなのに、赤城をどうすれば救えるのか、まるで考えが浮かばないのだ。

 それはあまりにも恐ろしい事実やった。過ぎ去った過去が牙を向いてきている。

「死にたいなら、黙って死なせとくのが人の心ってやつやろ」

「龍驤ッ!」

 58がここまで感情を昂ぶらせるのは初めて見た気がした。いつもは怠惰で、ごろごろしていて、様々なことに我関せずを貫く昼行燈だった。
 あんたも結局赤城を放置して、腫物に触るように扱って、ここで今更宗旨替えか? それでウチを責めるのか? あんたにそんな資格はあるんか? 

「ウチはウチを嫌いになりたくない。今ここで態度を翻したら、これまで守り続けてきたもんの価値は一体なんだったんや」

「今ならまだ間に合う。いや、間に合わなくても、58たちは『今』なんでち。今後悔しておかないと、この先もっと後悔することになる!」

「……あんたの言っとること、ぜーんぜん」

 わかるよ。

「わからんなぁ」


958 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/05/29 02:52:29.10 FuTol7nv0 681/860


 赤城を助けたい。もし助からないのなら、自分の手でケリをつけたい。58がそう言ったとき、ウチは怒るべきやったんやろう。
 物事の正誤は後にならないとわからないから、振り返って反省することに大して意味はないけれど、きっとあの時に最も大きく道を違えてしまったのだと、ぼんやりと思った。
 「あんたにケリなんかつけさせんよ。赤城はなんとしてでもウチが助ける」。どうしてその言葉が言えなかったのか。

「……龍驤。58に龍驤を、見損なわせないで欲しい、でち」

「……ほうか。ごめんなぁ」

「……」

 58は無言で海に潜った。気づけば艦隊は随分と先に進んでいて、58と話している間に大きく後れを取ってしまったようやった。

「なぁ、みんな」

 九人の背中に呟きかける。

「赤城をなんとしてでも助けてくれな」

 まったく。

「ウチは本当に大馬鹿者やね」



続き
【艦これ】漣「ギャルゲー的展開ktkr!」【5】

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