【艦これ】漣「ギャルゲー的展開ktkr!」【1】
【艦これ】漣「ギャルゲー的展開ktkr!」【2】

453 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:36:47.09 c0G7atQB0 334/860


 外は曇り空ではあったが、空気は不思議と澄んでいた。気温はそう高くないが、湿度は相応に高い。それとも海が近いせいだろうか、少し粘り気が感じられる。
 俺はこっそり漣から拝借してきたピースを咥えた。ショッピである。昔はホープを吸っていたものだが、軍に籍を置いていると、金だけが溜まっていく。船の上に一度乗ってしまえば長らく降りられないのはざらだし、そのせいでこういった嗜好品にこだわりだすのだ。

「平和に、希望、ね」

 健康に悪い煙を吸いながら、似合わない単語を吐く。人間とは自らにないものを希求する生き物だとは、随分と皮肉な話だと思う。

「寿命を縮めますよ」

「いいんだよ。吸うか?」

 ソフトボックスを差し出すと、霧島は毅然と「結構です」。

「私、吸わないので」

「そうしたほうがいい。俺も煙草を吸う女は苦手だ」

「随分とずるいひとなんですね」

「男は馬鹿だからな。すぐに格好つけたがる生き物だから、これくらいは大目に見てもらわんと」


454 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:37:21.50 c0G7atQB0 335/860


「大井は? あのコ、吸いますけど」

「あいつは……あいつかぁ」

 大井が苦手だというのは、別段煙草が云々という問題からかけ離れているように感じる。というか、あいつを得意とする人間なんているのか?

「酒に呑まれている間は大人しくてよかったけどな」

 大井は負けず嫌いな性分なのか、それとも不安を紛らわすためなのか、龍驤、霧島と三人で山崎を空けていた。俺もちびちびそのご相伴にあずかり、絶好のタイミングで鳳翔さんが持ってくるつまみに舌鼓をうったものだ。
 残る面子はジュースやらお茶やら、缶チューハイやらを呑んでいた。年齢のことは気にすまい。そもそもトラックが日本の法律の適用範疇なのかを俺は知らない。

 それに、トラックはどうせ見捨てられたのだ。


455 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:37:49.48 c0G7atQB0 336/860


 山崎を一舐めして思い切り咽ていた漣は、その後缶ビール、缶チューハイとチャレンジしていたようだが、全てにあえなく撃沈していた。カルピスサワーならなんとか、といった程度。まぁ中学生のうちから酒の味を覚えられても困る。
 それでも酒は回っていたらしく、やたらと俺にべたべたしてきたのが印象的だった。

「ん!」

 と胡坐をかいている俺を指さして、何が何だかわからないうちに、そこへとすっぽり収まる形で座り込んでしまう。
 俺の右手にはビール、左手には焼き鳥の串があって、腰の上に漣。こっちへ体重を預けてきて、「うへへ」と笑っていた。あれはなんだったのだろう。悪い酔い方をしていなければいいのだが。
 あいつは俺に父性を感じているのだろうか。家庭環境に思いを馳せたことはないが、単なるホームシックならまだマシだ。


456 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:39:29.85 c0G7atQB0 337/860


「夕張は泣き上戸だったな」

「大体あんな感じです。技術畑の人間でしょ? 感情移入のくせが強くって」

「最上はあんまり変わらなかったな」

「酒豪ですから。面倒見もいいので、大体布団敷いたり軽空母たちを部屋まで連れていったり、そういう役回りですかね」

「扶桑は大丈夫なのか?」

「怪我の具合は、まぁ後遺症が残るようなものではないでしょうけど、一部骨までいっているのもあるようなので、そちらが完治し次第、じゃないですか。一週間ほどで海の上に立てるまでは回復する見込みだと。
 お酒に関しては、すぐに寝るので」

「なるほどな。お前は?」

「嗜み程度には呑みますけどね。ちゃらんぽらんになるまでは、流石に」

「龍驤みたいにか?」

 苦笑した。なんといっても山崎を用意していたのだ、ある程度想像はついていたことだが、呑むし、喋る。宴会が楽しくて仕方がないと言ったふうだった。
 ただ、宴会が楽しいというのは、龍驤流に言えば事実でこそあれ真実ではない。あいつは他者との交流が楽しくて、また仲間たちと喋り、食事をし、杯を酌み交わし、笑いあうことを悲願としていたのだから。


457 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:40:01.06 c0G7atQB0 338/860


「軽空母は大抵みんなああいう文化です。鳳翔さんは違いますが」

「まぁ軍人だからな。わからなくはない」

「提督のところも?」

「ま、そうだな」

 記憶の霞に隠されて、寮の同室の名前も顔も、おぼろげではあるが。

「で、霧島、お前はどうした」

「少し早く目が覚めてしまって。勝手に帰るわけにもいきませんし」

「あぁ、いや、悪い。言葉選びを間違ったな」

 そういうことではなく。

「俺に何の用だ?」

「……酒の席での、話ですか?」

「酒の席でする話じゃない、話だろう?」

 大井も龍驤もこいつも、どうして揃って腹の探り合いに持ち込もうとするんだか。一度裏切られた人間なりの処世術なのかもしれないが、それで人間性を測りきれるほど、個人の底は浅くない。
 お手並み拝見、という態度なのか。それともこちらがボロを出すのを待っているのか。単に引っ込み思案なだけか。


458 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:40:38.95 c0G7atQB0 339/860


「あと、一応確認したいんだが、お前は俺を尾行していたか?」

 懸念は払拭しきれていないもので。
 霧島は訝る表情をしていたが、それでも小首を傾げながら、「いえ」という返事。

 なるほどね。

「別におまえの目的がなんであれ、俺がそれの一助になれるのなら、手を貸してやるよ。上から目線ってわけじゃねぇぞ、そこは勘違いしてくれるなよ?」

 とっくに吸いきってしまったピースを、俺は揉んで携帯灰皿に押し込んだ。

「俺は死にたくないし、お前らを死なせたくもない。
 俺は無念を残したくないし、お前に無念を残してほしくもない。
 酸いも甘いも噛み分けた大人だっつー自信はねぇが、お前らの気持ちは共感できる。だから俺もこんなところにいる」

「……そうですか。提督も、何か理由がある身なんですね」

「……」

 逡巡した。そして躊躇した。数秒後にやってきたのは驚愕だった。
 俺は今、なにを言おうとした?

 自らが鬼殺しであると、どうしてそんな自傷的な真似を。


459 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:41:24.66 c0G7atQB0 340/860


 ……それは打算的な面が多分にあった。それを伝えることにより、ほんの僅かでも霧島が俺を信頼してくれればよかった。虚像でも、俺が実力のある人間であると誤認してくれればよかった。
 だが何よりもまず、彼女たちに対して誠実であるべきではないのか、と疑問が生まれたのだ。

 言うべきだ。もし本当に霧島が俺を頼ってくれると言うのならば、事情を詳らかにしたうえで助力を願うというのならば、俺もそれなりの態度で臨まなければいけない。
 それなのに、喉から言葉が出ていかない。気管に張り付いて、だんだんそれは溜まり、空気を塞ぐ。

 息ができない。

 まるで呪いのようじゃないか。

「提督、私はいずれ、トラックを出るつもりです」

 俺の決意よりも、霧島の決意のほうが、先んじた。
 幸か不幸か。

「勿論、全てが終わってから。現状を放ってはいけませんからね。そして、いずれは本土に戻りたいと思っています」

「……そうか」


460 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:42:00.52 c0G7atQB0 341/860


 それはある種当然の考えかもしれない。ここに骨を埋めようとするほうが少数派で、俺だってそうだし、漣もそうだろう。龍驤や最上、大井、そのほかみんなが全員日本の地をもう一度踏みたいと思っていないとは、どうしても考えづらい。
 トラックが悪い場所だということではなく。そう、先ほど神通を見ながら思ったことだ。誰にだって家族がいる。置いてきたはずの親しい友人が。

 それとも、誰もいない? 深海棲艦の侵攻で家族を喪った人間はあまりあるほどいたし、復讐心と生活の二軸を理由に海軍に所属する子女の例は、枚挙に暇がなかった。
 父親の名を呼んでいた神通。存命なのか、そうでないのか。

「そうして、将来、指揮官の立場でまたトラックの地を踏みたいんです」

「……」

 反応できず、反応に困る。
 霧島の言っていることは、つまり、提督の立場を目指すということだった。


461 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:43:21.46 c0G7atQB0 342/860


 艦娘が現れてから今まで、艦娘の提督は生まれていない。彼女たちは階級というシステムからは基本的に区分けされている。
 理由は諸説あるが……反攻が怖いのではないか、と踏んでいた。

 艦娘という存在は、現在に至ってもまだ、全国民からの承認を受けているとは言い難い。子女が徴兵されることへの抵抗。非科学的な艤装への疑問。深海棲艦と敵対することそのものへの問題提起。一般人は、気楽なものだ。それを守るのが俺たちの仕事であるとしても。
 とはいえ不思議はなかった。医療、栄養学、電磁波など、統計的に正しいとされているものにたいして信頼を置かない人間は一定数いる。俺だって艦娘の艤装やらシステムやら、そういった神道にまつわる一切合財を全て頭から信じているかと問われれば、答えはノーだ。
 前々回の選挙では、深海棲艦との友好的アプローチを試みることを公約に掲げた政党が、一気に議席を伸ばした。その公約が影響を与えたとも言いきれないが……。

 障害は多かろう。しかしそれらを全て乗り越えた上で、霧島が指揮官の地位につけたとするならば、恐らく全国で初めての事例になるはずだ。


462 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:43:54.71 c0G7atQB0 343/860


「志が高いな」

 俺はそう言うので精一杯だった。

「高くなんかありません。私は、権力の虜なんです」

 霧島はすぐに「いや、虜囚かな?」と言い換えた。

「権力です。権力! あぁ、なんて素敵な響き! 権力があればなんだってできる! お金も手に入るし、安全は確保されるし、責任はもちろんあるでしょうけど、得られる利益に比べたら屁でもない!
 ――それに、どんな情報にだってアクセスできる!」

「情報」

「提督、私は」

 気の振れたような大声とは一変、地を這う声音で霧島が俺を射抜く。

「何が、誰が、トラックの仲間を殺したのか。それを突き止めるまでは、死ねません。死ぬわけにはいかないんです。
 どうして本土から助けは来なかったのか。上の立場になれば……言ってしまえば元帥まで上り詰めれば、きっと知ることができる。そうでしょう?
 赤城が。龍驤が。58が最上が扶桑が夕張が鳳翔さんが大井が響が雪風が。……私が。なんで、どうして、こんなに苦しまなくてはいけないんですか? 死んでいった仲間たちは、どうして、一縷の希望に縋りながら沈んでいかなくてはならなかったんですか?」


463 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:44:26.29 c0G7atQB0 344/860


 希望を持たせた罪は重い。
 たとえ、誰もが援軍の到着など有り得ないと非情な現実を理解してなお、それでも最期の最期まで希望の灯を絶やすことはない。人間とはそう言う生き物だ。
 生き物だった。

 だからこそ、生きるのは時として拷問なのだ。

「それを知る権利がお前たちにはある、と」

「無論」

「そのために、俺に何をしてほしい? 俺になにができる?」

「全てが解決したら、私と一緒に本土に渡ってください。私は寡聞にも本土のことをよく知りません。派閥だとか、社会情勢だとか、勝ち馬がどこだとか。政治は得意です。目的のためならなんだってする覚悟はあります」

「議員秘書になれってか」

「端的に表現するならば」

「見る眼がない、と言わざるを得ねぇな」

「トラックを再興に導いた、名誉ある司令官の肩書が、そのときはあなたの両肩にあります。それだけではありません。唯一無二の情報もあるじゃないですか」

 霧島はそう言って、地面と垂直にウインドウ、平行にタッチパネルを呼び出した。
 静電容量方式を遥か過去のものにした、特異点的な技術。音もなく滑らかな動作で、動画が三本、ポップアップする。


464 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:44:55.01 c0G7atQB0 345/860


 そのうち二つは、俺も見たことがあった。暗夜の、新型、及びヲ級との戦闘の動画だった。違う角度から……恐らく撮影者が別。映っている人物から判断するに、最上と夕張のものだろう。
 そしてもう一つは……視界の端が明るい。現地語による叫び声が時たま入る。視界はぶれていて、撮影者の荒い息遣い。三つの敵影。

 扶桑のものだ。青い気炎も見える。残念ながら、北上と思しき敵の姿は闇に溶け込み、人物の同定には使えそうもなかった。

「魚雷を撃て、航空機も展開でき、砲戦にも十分対応できる新型。青い気炎の空母ヲ級。そして、北上に似た敵。データベースにあたっても、これらの深海棲艦は見つからなかった」

「俺も探したことはある」

「ならわかりませんか? 大本営でさえ情報を把握していない新型が、ここ、トラックの作戦海域にはいる。ならこの情報を手土産にしない理由はどこにもない。
 倒した残骸は溶けて消えてしまうから、持ち帰って解析することは叶わないだろうけど、動画と戦闘詳報だけでも十分。斬りこむ材料にはなると思います」


465 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:47:25.35 c0G7atQB0 346/860


 その案はまったく悪い案だとは言い切れなかった。情報が生命線になるような状況は珍しくない。棲息海域が判明すれば、その海域を避けて通ることによって、商船などの被害も抑えられるだろう。
 それが彼女の目指す地点に直結しているかどうかはひとまず置いておくとして、部署によっては喉から手が出るほど欲しいようにも思われた。

 だが、そのためには課題がある。

「第一発見者じゃなけりゃ意味がねぇな」

「はい。鮮度が命です。後塵を拝せば、その時点でつけ入る隙はなくなります。可及的速やかに、本土とのある程度のコネクションを作らなければなりません」

 そんなことはもう知っていると言われてしまえばおしまいだ。この場合速度は何よりも優先される。

「わかった。お前と一緒に日本に帰るかどうかは、今の俺にはその気はねぇし、俺自身の独断じゃ決められねぇっつーことだけ言っておく。だが、お前がそういう事情で動くなら、できる限りの手伝いはさせてもらう。漣の戦闘データを、今後は送ろう」

「ありがとうございます。夕張と一緒に分析しています。新型の便宜上の呼称は、レ級」


466 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:47:54.35 c0G7atQB0 347/860


「レ級」

 戦艦、レ級、ね。
 いや、あれは戦艦なのか?

 と、そこで俺に通信が入った。漣だ。どうやら俺の居場所を探しているらしかった。外にいる、と端的に送る。

「どうかしましたか?」

「いや、うちの秘書艦だ。どこにいるのか、とさ」

「そろそろみんなが起き出す頃合いですか。わたしも戻ることにしますよ」

「あぁ、そうだな。頭が重てぇや」

「寝起きに煙草は辛いんじゃ?」

「逆だよ、逆」

「あー、ご主人様なにやってんですか!」

 漣の呼ぶ声が聞こえた。あれだけ騒いでいたのに、随分とまぁ元気なものだ。充電はしっかりできたらしい。
 酒に酔ったぼんくらな昨晩の姿でも教えてやろうと思ったが、背中を叩かれたことを想いだしてやめておいた。

「霧島さん、大丈夫でした? うちの提督が迷惑かけてなかったですか?」

 おい。


467 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:48:36.01 c0G7atQB0 348/860


「大丈夫よ。ありがとう」

「もう二人とも、みんな待ってますよ。とりあえず明日以降の海域調査の割り当て、どうするか決めるんだって」

「ローラー作戦で海域を塗りつぶしていくんだろう?」

「そうですね。それだと、出没海域の推定も楽なはずなので」

 歩き出す。待たせてしまったのなら、それは随分と申し訳ないことをした。

 いつの間にか隣に並んで歩いていた漣が、俺の脇腹を肘でつついてくる。

「なんの話をしてたんですか」

「ん? まぁ、ちょいと同盟をな」

「え、本当ですか。同盟ウマー! さすがご主人様、やり手ktkrって感じですよ」

「お前の言葉はよくわからん」

「草」

「はぁ?」

「盛大に草生える」

 よくわからないのは変わらなかった。とりあえず、足早に歩を進めることにする。

「あーん、待ってくださいよーう」


468 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:49:36.19 c0G7atQB0 349/860


 * * *

 泊地を出るころには、既に日は落ちかけていた。
 水平線にちょうど半分夕日が隠れている。空と海が同じだけ橙色に染まり、木々や砂浜も同様に染めていた。

 今後の行動方針、また手段と海域については、ほぼ確定した。大井作成の地図はここでも大きな役割を果たし、本人は感謝されることをうざったそうにしていたが、あれはまんざらでもない表情だ。
 とりあえず赤城のエリアは手を付けないことに決まった。レ級、及び北上らしき敵との邂逅が、独立海域であったこともあるが、それ以前に赤城へどういう対応をすればいいのか、判断が付きかねていたのだ。

 北上が本人であってもそうでなくても、赤城は敵を殺すだろう。見境なく。それだけではなく、そいつが強大であればあるほど、喜んで探し出すだろう。そこでぶつかるのはできるだけ避けたい。
 虱潰しに海域を探すローラー作戦。ひとまず一日おきに、俺と龍驤それぞれの部隊が交代で捜索にあたることとなった。


469 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:50:03.40 c0G7atQB0 350/860


 遭遇しなければいつまでも仮初の平和、遭遇し打ち倒せば嵐の後の静けさ。であるならば、俺は後者を選択したい。

「それじゃ」

「ほなな」

 龍驤、夕張、鳳翔さんが俺たちを見送ってくれた。夕張の大あくび。確かにいろいろありすぎて、こんな時間なのに眠気があるのは俺も同じだ。

 夕日に向かって漣と歩く。港からの帰路に就く、トラックの現地民たちと何人かすれ違った。

「ご主人様、手、繋ぎましょ」

「……なんで?」

 返事はなかった。漣が思い切り俺の手を握り、引っ張るので、思わずつんのめる。
 相変わらず漣の手のひらは熱い。体温が高い。


470 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:50:34.68 c0G7atQB0 351/860


「クソデカ」

「手がか? そりゃ子供と比べたらなぁ」

「漣も、いつかこう、もっとでっかくなる?」

「身長はまだ伸びるだろう」

「おっぱいは?」

「そりゃしらねぇよ。っていうか、恥らえ」

 恥らえ恥らえと人をばんばん叩きやがったのを、もう忘れたのかこいつは。

「えへへ」

 何かが違う気がした。ただ、ツッコむ気力も最早ない。代わりに手を二度ほどぎゅ、ぎゅとしてみるが、漣はさらに顔を蕩けさせて「えへへへ」と笑うばかりだ。


471 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/25 23:51:17.43 c0G7atQB0 352/860


 十分ほどで自分の部屋が見えてきた。長屋なのか、アパートなのか、正しい表現はわからない。集合住宅という言葉が一番しっくりくる。
 俺が大きく欠伸をすると、つられて漣も欠伸をした。

「んじゃ、おやすみなさい」

 と言っても隣なのだが、漣はばいばいと手を振り、扉を開く。俺もノブを握った。

「漣」

「なんですか?」

 玄関の地面が濡れている。

「誰か、いるか?」

「誰か?」

 ホルスターに手をかける。敵ではないだろうが……いや、敵ではないと思いたいが。

「撃たないで欲しい。驚かすつもりはないんだ」

 建物の陰から小柄な人影が姿を現す。

「疲れているとは思うけど、少し時間を貰えないかい?」

 夕日に照らされてもなお、銀色の立ち姿。

「話が、あるんだ」

 駆逐艦、響がそこにいた。


480 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/29 13:55:10.98 HJ/jw2RC0 353/860


 言うべきことはいくらでもあった。その上で、言うべき場所はここではない、と理性が語りかけている。立ち話で済ませていいことではない。外で大声で話せることでもない。

「漣」

 俺は再度、秘書艦の名前を呼ぶ。

「来い」

「はい!」

「お前もだ、響。事情は部屋ン中で聞く。……全部教えてもらうぞ」

 軍人は独立しているようで独立していない。個人としての人格まで否定されるわけではないが、集団を規律する規範、それを至上のものとして生活する生き物に訓練を通して変革される。
 艦娘もその例に倣うはずだった。泊地、鎮首府の雰囲気は指揮する提督によるところも大きいが、それでも最低限度の「集団」という枠組みでの行動様式は必要不可欠。

 だが、トラックはどうだ。どいつもこいつも、自分の生き様を貫いている。あるいは、貫こうともがいている。誰もこっちの都合なぞ知ったことではないとばかりに、言いたいことを言うだけ言いやがる。

481 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/29 13:55:46.70 HJ/jw2RC0 354/860


 やりたい放題やっている。

 上等だ。

「付き合ってやるよ」

 そこまでの生き様ならば、応えてやるのが筋というものだろう。

 響を部屋に通す。砂浜には相応しくないローファーを脱ぐが、部屋の入口あたりできょろきょろしていた。居心地が悪そうだ。

「座っちゃっていいですよ、気にしなくて平気です」

 漣が言うのはおかしいような気もしたが、事実そうだった。俺にお伺いを立てるように視線を向けてきたので、鷹揚と頷く。そこでようやく、硬いフローリングの上へ腰を下ろしたのだ。
 座布団をくれてやる。それを下に敷き、幼い見た目には似合わないほど綺麗な正座で、響はかしこまった。

 正座は苦手だ。胡坐で応対する。


482 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/29 13:56:15.62 HJ/jw2RC0 355/860


「響」

 名前を呼ばれただけで響は肩を震わせた。まるで自らがした悪いことを咎められているかのように。
 俺を尾行していたことを気にしているのか、もっと別の何かを早合点しているのか、それとも単にそういう性格なのか。現時点ではどれもがあり得る。俺はまだ、彼女のことをまるで知らないのだ。

「緊張しなくていい。俺はお前の味方だ」

「ご主人様の顔は怖いですからね」

 漣が言いながら響の隣に座した。自分の方が年上だと踏んだのだろうか、少々物言いが先輩ぶっている。

「そうか?」

「考え込んでると、おでこに皺が寄るんだもん。それがなんか、すっごい怒ってるように見える」

 そうだろうか。一度意識して、眉の付け根辺りを揉んでみる。

「ふっ」

 笑い声の主は響だった。漣が「笑った!」とはしゃいでいる。
 と、間髪入れずに秘匿通信。主番が未所属――未所属?

483 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/29 13:56:45.37 HJ/jw2RC0 356/860


 漣が意味ありげな目配せをしてきた。……こいつか。確かに、俺は正式なトラックの提督になれてはいない。俺の直接の部下である漣も、ならば現状は無所属。

 それにしても、なんだ? 一メートルも離れていない状態での秘匿通信。聞かれたくないというのなら、それは当然、響にだろう。もしかすると漣には何らかの心当たりがあるのかもしれない。ならば漣の響に対する態度にも合点がいく。

『どうした?』

『一応、釘を刺しておこうと思って。大丈夫だとは思いますけど。一応。
 あんまり直截的な物言いは避けて、オブラートに包む感じでヨロ。漣が思うに、ご主人様、響ちゃんはいじめられてると思うんですよ』

『いじめ?』

『っていうとセンセーショナルですかね? 神通さんとこで、雪風ちゃんと、あんまりうまくいってないんじゃないかって。うまくいってなさそうだったなって、漣はそう思うわけです。
 ここに響ちゃんが一人で来る理由がそもそもないっしょ? 神通さんからの伝書使でもなくて、自分の意志で尋ねてきたなら、きっと二人には頼れないことなんです』


484 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/29 13:57:14.40 HJ/jw2RC0 357/860


 俺たちには頼れて、より親しいはずの二人には頼れない事柄。

 親しければ親しいほうが、言いたいことをなんでも言える。それが明らかな間違いであることは俺にもわかる。しかし漣が言いたいのはそんな表面的なことではなく、さらに深部、なぜ俺たちを頼り、いや、俺たちを選んだのかという選定基準。
 龍驤ではなく。霧島ではなく。最上ではなく。大井ではなく。

 俺のところにきた、そのわけ。

 親しくなければ親しくないほど、人間関係に起因したいざこざには巻き込まれ辛い。
 漣はそう推論を立てたのだ。

「響、あまり喋るのは得意じゃないか?」

 無理やりに聞き出すつもりはないが、相槌や率先した話題など、そういったものが欲しいならそう振舞うつもりはできていた。
 響は体躯同様ちんまりと頷いた。帽子からさらさらした髪の毛がするする流れ落ちていく。


485 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/29 13:57:48.15 HJ/jw2RC0 358/860


「よし、漣任せた」

「ふぁっ!? そういうのはご主人様の仕事でしょー!」

「いや、年齢も近いほうが気兼ねなく話せると思ってだな」

 半分は本当だった。もう半分も、嘘ではない。
 漣のやつは直截的な物言いは避けろ、オブラートに包めと軽く言ってくれたが、そもそも見るからに物静かな少女を相手取る技量は俺にはないのだ。
 漣だとか大井だとか、そういう小憎たらしいのが相手ならば気後れもしないのだが、目の前の響は小さく儚げで頼りない。華奢なものと面と向かうことの経験の浅さが露呈した瞬間だった。

『なっさけないなぁ』

『うるせぇ』

「響ちゃん? あたしは漣。こないだはお疲れ様、ありがとうね。おかげで助かったよ」

「別に。大したことはしてないよ」

「でも、きっと漣たちだけだったらまずいことになってた」

「それはみんなの力さ。私たちがどうとかじゃない」

「途中から凄い連携だったじゃん?」

「毎日訓練してるから」

「神通さんと雪風ちゃんと? 三人で?」

「……うん」


486 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/29 13:58:15.65 HJ/jw2RC0 359/860


 響の表情が僅かに曇った。

『ktkr! ビンゴ、かな?』

 秘匿通信を飛ばして、けれど漣の視線は相変わらず響に注がれている。

「どんな訓練してんの?」

「大体は深海棲艦を倒したり……あとは体捌き、とか。神通は武道をやっていたみたいだから」

「武道。へー! あ、でもそれっぽいかも。だからあんなに強いんだ」

「……うん、そうだね」

「なんか辛そうな顔してんね。なんかあった?」

 何もなければ俺たちのもとへ赴くはずはなかった。詭弁と言えば、詭弁か。
 響もそのニュアンスは感じ取ったらしい。びくり、体を震わせる。
 怯えているわけではないようだ。決意……そう、決意と呼称して差し支えない何かを、自らの胸の内からなんとか捻りだそうとしているように見えた。

『自分に自信がないんだ』

 それは秘匿通信を介したものではあったが、俺に伝える必要性に迫られた故のものではないように見えた。感傷深い漣のその評価が、あながち間違いであるとは思えない。俺を尾行しながらも、ここまで姿を現さなかったちぐはぐな行動が、全てを物語っている。


487 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/29 13:59:04.16 HJ/jw2RC0 360/860


「俺は席を外した方がいいか?」

「ご主人様?」

「子供が苦手とかじゃなくてな。大人で、男の俺がいると、気後れすることもあるだろう」

 ことが本当にデリケートで、ナイーブな問題であればあるほど、決意が固まるには時間がかかる。
 俺なんかはもうとっくにそのあたりの割り切り方は心得ているつもりだったし、年長者の艦娘もある程度は自制が効く。しかし響くらいの年齢にそれを求めるのは酷か。

「……いや、いい」

 言葉の上では気丈に、響は言う。

「こんなところでさえ弱いままなら、一生強くなれない」


488 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/29 13:59:55.23 HJ/jw2RC0 361/860


「響ちゃん、無理はせずに」

「ありがとう、漣。だけど無理をしなくちゃいけないときくらい、わかってるつもりさ。だから大丈夫。あぁ、大丈夫だとも」

 自らを奮い立たせる魔法の言葉。響は膝の上で拳を握りしめる。

「私を鍛えて欲しい」

「……」

 漣が驚いた目で俺を見てくる。嘘でしょ、とか、ご主人様どうします、とか、たぶんそんなところ。
 だがすぐに俺も返事はできない。ちょっと待て、今、考えているから……どいつもこいつも、俺を混乱させるようなことばかり言ってきやがる。

 漣に言われたことを思いだし、眉根を揉んだ。皺が寄っていただろうか?

「神通は?」

 真っ先に頭に浮かんだ言葉を率直に口に出してみる。

「お前は神通の……部下? 配下? 弟子? まぁそんなところだったはずだ。違うか?」

 こくりと響は頷いた。先ほど響自身が答えていたことだ。毎日三人で訓練をしていると。
 ならばどうして。


489 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/29 14:00:25.84 HJ/jw2RC0 362/860


「お前の申し出を聞いて、はいわかりました、っつーわけにゃいかねぇ。お前のことがどうだと言うより先に、納得があるべきだ。俺はそう思う」

 納得は全てに優先する。全てが言いすぎだとしても、普遍的には。

 俺たちは響の事情を知らない。彼女がどんな境遇にいて、どんな目的を持ち、なにを考え、どんな決意でここに臨んでいるのかを。そして俺たちになにを望んでいるのかを。
 手を貸すことに否やはない。いや、もっと積極的に、相手が許すのならば俺たちは助けに行くつもりだった。利害は一致している。トラックの艦娘に与することは俺たちの目的を果たすことに繋がる。

 だからこそ、だからこそ、だ。

「神通を蔑ろにするわけにもいかないしな。あっちに話は通してあるのか」

「……ないよ。全部、独断さ」

 その判断の是非を問うつもりはなかった。響がそう考えた結果の行動なら、神通は彼女を責めることはしまい。だが、俺たちに対してはどうだろう。
 せめて筋は通していたかった。神通の不興を買うことだけは避けたかった。


490 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/29 14:01:03.48 HJ/jw2RC0 363/860


 俺たちの戦力が増えることを小躍りして喜ぶだけなら泥棒猫と同じである。神通も面白くないだろう。彼女に不義を働くことのないように、それが彼女たちでは成しえない何かであるのならば、手を貸すことも吝かではない。そういう姿勢でなくてはならない。

「……随分と雪風ちゃんにつらく当たられてましたね。もしかして、それが原因ですか」

 一気に漣が切りこんでいった。性急すぎるように感じるが、漣なりの考えがあるのかもしれない。
 だが、響ははっとして、大きな声で否定した。

「そんなことはない! 雪風はみんなのことを考えてるんだ! ……雪風も、神通も、強いから。私は足元にも及ばない。いつも足手まといになってばかりで」

「だから、鍛えて欲しい、と」

 首肯。それも力強く。
 意志の力を感じた。不可能を可能にする力。成功を手繰り寄せる力。

「神通じゃだめなのか。今更俺たちに鞍替えして、なにがしたい?」


491 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/29 14:01:34.45 HJ/jw2RC0 364/860


「ご主人様」

 少し棘のある口調になってしまったかもしれない。漣が咎めるように口を挟んでくるが、許してほしい。そこを尋ねずして決断はできないのだ。
 こいつは俺たちに何を見出した? 神通にはできず、俺たちにならばできること、そんなものはどこにある?

「鞍替えなんて、違うんだ。神通から離れるつもりはない。訓練だって続けていく。それとは別に、司令官、私を使ってくれないか。そういう話なんだ」

「ますます解せんな。二足の草鞋を穿いてどうする」

「……雪風に」

「勝ちたい?」

 漣が後を継いだ。

「まさか!」

 響が即応する。そんなことは有り得ない、という具合に。

「……私はだめなやつなんだ。臆病で、弱虫で、……なんで生き延びてしまったんだろう、こんな私が、なんで私が、もっと他に強かった人も、頼りになる人もたくさんいたのに、お母さんじゃくて、お父さんでもなくて、弟でもなくて、どうして私が! どうして!」


492 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/29 14:02:14.86 HJ/jw2RC0 365/860


 両手で顔を覆い、ぼろぼろと響は大粒の涙をこぼす。話の辻褄が合っていない。自責……慙愧の念に駆られている。
 俺は手を出せなかった。恐慌の源を知らずに、おいそれと声をかけることは憚られた。

「響ちゃん」

 落ち着いてください、と言葉にはしないまでも、漣は柔らかく彼女を抱きしめる。
 こちらを見た漣と目が合う。俺は頷いて、部屋を後にした。

 外に出れば、既に夕焼けはその殆どを水平線の向こうに隠し、赤から紫へ変わりつつある空だけが残滓となっている。その光景に一抹の郷愁を覚えるが、今はそれどころではない。
 煙草を咥えて火をつける。同時に大井を呼び出す。

『……何よ。私、今頭がガンガンして、辛いのだけれど』

『響の境遇を知っているか?』

『「どっちの」?』

 大井の答えには大きな含みがあった。


493 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/29 14:03:00.15 HJ/jw2RC0 366/860


『駆逐艦である響のことならば、わかるわ。略歴をまとめたファイル、送ってあげる。艦娘である響のことは……ワケありということは察しているけれど、それ以上のことはなんにも。
 ……まぁ、艦娘なんて大概みんながワケありなのだけどね』

 至極面白くなさそうに大井は自嘲した。

『響の過去のことなら、詳しい人が一人いるわ。識別番号の枝番教えてあげるから、連絡してはどうかしら』

『大井』

『なによ』

『事情を話してもいないのに、どうして手伝ってくれる』

『あら? 手伝ってほしくないのなら、初めからそう言えばいいのに』

『そういうわけじゃねぇ』

『わかってるわよ。冗談よ、それくらいわかりなさい。
 理由は二つ。あなたには北上さんを探してもらわなければいけないから。扶桑の見たという敵が本当に彼女なのか、それともそうでないのか、判明するまで生きた心地がしないのよ』


494 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/29 14:03:35.79 HJ/jw2RC0 367/860


 その敵影が北上であればいいのか、それとも北上でなければいいのか、大井はどう思っているのだろう。
 生きてさえいてくれればいいという考えもあるだろうし、敵側に寝返っているのならばいっそ、という考えもわかる。
 いや、仮に北上本人だとしても、敵側に寝返ったというのは早合点が過ぎる。情報がまるでない状況で結論を急くのはいいことではない。

『……』

 たっぷり思考の間が空いて、

『それだけよ』

 と大井は言った。

 理由は二つと言ったじゃないか。そんな追及を回避するためだろうか、すぐに大井からファイルが送られてくる。
 駆逐艦響の略歴。そして、誰かの識別番号。

 主番はトラック。枝番は028。
 艦娘の名は、神通。


501 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/01 00:02:35.36 /yXGzkJu0 368/860


 漣が部屋の扉から顔を出したのは、ショッピを一本吸い終わる、ちょうどその頃だった。
 困ったような顔をしていたそいつは、すぐに俺の喫煙を見咎めて顔を険しくさせる。だが今はそんな時間も惜しく、結局何も言わずに俺を手招きして、

「地雷踏んだっぽいです」

 と、それだけを手短に言った。
 漣の言葉の意味するところ、所謂一つのスラングがわからないほどではない。実際のところ、地雷を踏んだのは俺たちではなく響自身だと思うのだが、そのあたりは言葉遊びに過ぎない。
 艦娘を相手にするというのは、地雷原に足を踏み入れるに等しい。時には玉砕覚悟で突っ込まなければいけない場面もあるだろう。

 もしそうなのだとしたら、今がその時であるような気がした。

「事情はわかったか?」

「ぜーんぜん。泣いちゃって、どうにも。ただ、やっぱりあれですね。自信喪失してます。ネガティブはいっちゃってるというか、自分にできることなんて何一つないんだーって」


502 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/01 00:03:05.06 /yXGzkJu0 369/860


「それが、俺たちに声をかけた理由だと思うか?」

「暫定的には」

 今のところはそれくらいしか見当たりません。呟きながら、漣は部屋の中へと視線を一瞬戻した。響の様子が気になったのだろう。

「弱い自分を鍛えたいから神通さんに師事した。それだけじゃ足りないからご主人様からも学ぶ。わかりやすい話だとは思います」

「聊かわかりやすすぎるな」

「ご主人様がひねてるだけでは?」

 そう言う漣も、その実自らの言葉をさして信じていないのだろう。笑いが自嘲気味だった。

「わかりやすい話、うまい話、世の中にはたくさんありますけど……大抵期待するだけ損です。楽にいかないかなぁって物事は厳しくて、心構えをして挑んだ物事が拍子抜けするほどあっさりいく。寧ろそっちのがありがちじゃないですか?」

「わかりやすさが担保することなんてありゃしねぇ、か」

「そもそも、それでおしまいの話なら、響ちゃんは泣いてないと思います。はじめから」


503 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/01 00:03:36.70 /yXGzkJu0 370/860


「何かが過去の琴線に触れたか」

「です。だから、地雷」

「お前は響の略歴を知っているか?」

「え? なんです急に。知らないですけど」

「嘗て存在した駆逐艦、響のほうは大井から資料を貰った。そして、艦娘である響の方は、神通が詳しいらしい」

「大ヒントですね。じゃあ、ご主人様は、神通さんにあたってください」

「今からかよ」

「早けりゃ早い方がいい。そうでしょ。あんまり猶予もないんだし」

 それは確かにそうではあるが。

「お前は」

「流石にあの状態の響ちゃん置いてけないです。漣は漣で、うまく聞き出しますよ。
 ……しょーじき、強くなりたいってのは、漣にも少しだけ、ほーんのすこーしだけ、覚えがあるんです。だから、大丈夫」


504 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/01 00:04:05.04 /yXGzkJu0 371/860


 なにがどう大丈夫なのかはまるで説明がなかった。が、漣の言葉には、響と同様に決意が宿っている。どう転んでも今以上の悪い結果にはなるまい。
 そこにあるのは打算より高潔な代物だ。崇高と言い換えてもいい。
 誰かのために、心底何かをしてやりたいという感情こそが、他人の心を打つ。そうやってでしか解決できない事態がある。漣ならば十分すぎる。

「任せた」

「任せられましたっ」

 敬礼。似合わねぇ。

「んじゃ、行ってくるわ」

「行ってらっしゃーい」

 夜の帳が落ちる中を、俺は家を背に歩き出した。

 時間に余裕はない。猶予はない。漣の言った通り。
 自然と足が早まる。焦ってはだめだとその都度自分に言い聞かせながら、それでも可能な限りのマルチタスク。駆逐艦響の略歴を開く。
 同時に、神通の識別番号を検索欄に挿入。通信を試みる。

 ……コールが5を超えたところで一度切った。


505 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/01 00:05:00.21 /yXGzkJu0 372/860


 慌ててもいいことはない。話す内容、順番、そもそも切り出しすら用意せずにぶっつけ本番? 阿呆の所業だ。
 わかっていながらも気持ちは急く。理由なんて確たるものなどありゃしなかった。ただ、嫌な予感がした。それだけだ。

 女の涙が苦手だと言ったら、漣は笑うだろうか。大井は皮肉の一つでも拵えるだろうか。龍驤なんて転げまわるかもしれない。

 妹も姉もいなかった。従姉妹もいない。
 父親と、母親と、兄が俺の家族だった。
 だが、三人も、最早俺にはいないのだ。

 駆逐艦響の略歴は別ウインドウに展開。おおよそ用紙3枚分……。
 大井、あいつはこの分量を、あの一瞬で書き上げたのか? それとも趣味の一環でまとめてあっただけなのか?
 どちらにせよ、今は感謝してもしきれない。

 トラックの人通りは、夜になると一際少ない。メインストリートで露店や屋台がぽつんぽつんとある程度だ。そのうちの一件、屋台で飲み物を買おうとして、俺はチューク語を話せないことを思いだした。身振り手振りでなんとか炭酸水を手に入れる。
 数セントの釣りをもらい、足早にその場を去る。瓶の蓋は屋台の青年が抜いてくれた。口に含めば、ぱちぱち、かちかち、細かな気泡の弾ける音が響く。


506 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/01 00:05:31.65 /yXGzkJu0 373/860


 駆逐艦響とは。一九三三年、舞鶴にて竣工――読み飛ばす。知りたいのはそこではない。

 神様にも意識というものが、あるいは趣向というものが存在するらしく、艦娘に選ばれるのにはそれなりの素養がある。最たるものが、あの大井だろう。選ばれるべくして大井に選ばれたあの女の理由は、心臓に欠陥を抱えているから。
 艦娘全てに当てはまることだとは思わない。全ての大井に心臓の欠陥があるという話は荒唐無稽に過ぎる。だが、親和が強ければ強いほど、近い神が降りてくるという論理には整合性はあった。説得力もあった。

 響は――あの銀色の少女は、果たして選ばれるべくして選ばれたのだろうか。もしそうなのだとすれば、駆逐艦響を知ることは、間接的にあいつを知ることにもつながる。

 どのみち響の件で神通には一度会わねばならない。遅いか速いかの違いしかそこにはない。


507 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/01 00:07:05.06 /yXGzkJu0 374/860


 第六駆逐隊の結成。「雷」「電」「暁」。キスカ島攻略。「暁」の撃沈。そしてまたキスカ。「雷」の消失。「電」の死。
 レイテ。
 坊ノ岬。

 賠償艦。

 幸運艦。

 飲み終わったラムネの瓶を投げ捨てた。割れて、砕けて、散らばる。

 早足は既に小走りを超え、全力疾走に変わっていた。景色が流れる。ウインドウは俺についてくる。戦争を生き延びた船の歴史を見せつけてくる。そこに記載されているのは事実であって、真実ではない。

 戦争を生き延びてしまった船の歴史がそこにある。
 沈み損なった船の歴史がそこにある。

 認めるわけにはいかなかった。生より死が栄誉なのだとしたら、この世の生物はみな息絶える。だから俺は龍驤の、夕張の、鳳翔さんの、幸せの中で死ねるならばそれでもいいという言論に賛同できなかったのだ。
 俺は走る。選ばれるべくして選ばれていないでくれと、切に願って。

 神通がどこにいるかもわからないままに。


508 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/01 00:07:30.39 /yXGzkJu0 375/860


『提督? 私に連絡を――』

 その折り返しは値千金。一拍も置かずに俺は叫ぶ。

『神通ッ! 響のことを教えろっ!』

 話術も交渉術も意味がなかった。いま考えるべきは、最悪のパターンだけだった。

『え、あの、一体なにが? あのコが、何を』

 神通の戸惑い。俺は無性にそれに腹が立って仕方がなかった。
 だってそうだろう。神通も、雪風も、響のすぐ近くにいたのだ。いたのに、こいつらはなにをしていた。傍観者を気取っていたのか、個人の領域に不可侵を決めていたのかはわからない。わからないがしかし!

 息が上がって走れなかった。肺が酸素を求めるままに、俺は脚を止めて呼吸に専念する。

『……響が、俺のところにきた。理由は知らん。知らんが……泣いていた。泣いていたんだ』

『響が……?』

『強くなりたいだとか、どうして私が、だとか、そんなことを言っていた。神通、正直に答えて欲しい。お前は響の過去に何があったか知っているか?』


509 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/01 00:08:07.28 /yXGzkJu0 376/860


『……』

『神通、頼む。お願いだ、答えてくれ』

 神通の無言はあまりにも雄弁だった。彼女は、知っている。その上で答えない。響を慮っての判断なのか、それとも言葉にできないほど凄絶な過去があるのか。

『響は生き残ってしまったのか?』

 物に感情があるのなら、本懐とはなんだろうか。誰にも使われぬままに壊れ、捨てられることを、恐らくはよしとしないだろう。
 軍艦ならば? それは、敵を打ち倒すことだ。だから艦娘は海に降り立てる。在りし日の艦の幻影を背負って、化け物と戦える。

 響は。

『……二度』

 回線から聞こえる神通の声が暗闇に呑まれていたのは、きっと聞き間違いではない。

『二度、あの子は……あの子だけが、生き残りました。
 艦娘になる前に一度。なってからも、一度』

『神通、お前はどこにいる? 話を聞きたい』

『海の上ですよ。提督には、遠すぎます』


510 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/01 00:09:03.94 /yXGzkJu0 377/860


 断絶を感じた。距離が一メートルでも、決して辿り着けないだろう位置に、いま神通はいる。
 なぜだ。どうして神通、お前までも曇る。響を助けようとしないお前が、響の境遇に思いを馳せるのは、ダブルスタンダードではないのか。

『今、どこにおられますか』

 どこ? どこ、と言われても。
 俺には土地勘がない。辺りを見回すが、海と岩場、桟橋、小屋、エンジンつきのボートがあるくらいで、他には何も。
 いや、何かの名前らしきものが書いてあった。俺はそれを読み上げる。

『そう、ですか。
 そこにボートがあるでしょう? それは島民の共用ボートです。小屋の中にエンジンのキーがあるはずで、小屋自体に鍵はかかってはおりません』

 神通が何を言わんとしているのか、さっぱりだった。しかし、俺はなぜか、誘われるように小屋の扉を軽く押す。
 重たい、軋む音とは裏腹に、扉はあっさりと手前に開いた。

 丸い木製の椅子が数脚、テーブルが一つ。網やポリタンクや、漁に使うと思しき道具。どうやらここは休憩小屋らしい。
 壁に鍵がかかっている。フックは四つだったが、鍵は一つしかない。


511 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/01 00:09:31.42 /yXGzkJu0 378/860


『こちらへ来ますか? 来られますか? その覚悟が、おありですか?』

 覚悟。なんの? 決まっている、響を助けるという覚悟だ。
 否。助けるのではない。救うのだ。

 言葉遊びと笑うだろうか? 「助ける」は現状の打破に手を貸すこと。一方「救う」は根源からの解放を意味している。

『強くなければ生きてはいけません。弱い艦娘はみな沈みました。響は……雪風もそうですが、強くなろうとしています。私になら、彼女たちを強くしてやれる。戦いで命を落とさない程度には、屈強な兵士にしてやれる。
 あなたは私ではだめなのです。私は二人もいりません。こんな人間、一人ですら多いくらい』

 嫌悪の情がそこにはあった。俺に対してではない。勿論、響に対してでも、雪風に対してでもないだろう。
 必然、対象は一人に絞られる。

「……」

 が、俺は置いてけぼりだった。

『だから』


512 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/01 00:10:25.51 /yXGzkJu0 379/860


 背後から首筋を掴まれた。反射的に腕で振り払おうとするが、まるで小動物のように軽快に、ソイツはぴったり俺の背後についてくる。

 思わずホルスターに手が伸びる。それを予期していたかのように、襲撃者は巧みにこちらの脚を払い、体勢を崩してくる。
 膝が木の床に激突した。四つん這いのかたち。これはまずい、と突っ張った腕をさらに払われ、顔面から再度床に激突。

 勢いをつけてせめて仰向けになろうと転がるも、肩を掴まれて強引に逆側へ。ごりり、関節と腱が痛めつけられる感覚。硬い骨が俺の頸椎にあてられ――恐らく膝だろう――脅しのように体重がかけられた。
 多少の圧迫でも、神経に障っているのか酷く痛んだ。この時点で抵抗するのは止め、大人しくする。

「しぃ、れぇ、いぃ?」

『まずは、雪風の許可が下りるかどうかです』

 ぎらぎらと輝く瞳を限界まで開き、雪風が俺を見下していた。
 親の仇にでもなった気分だった。


519 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/04 01:23:03.98 Lhwhz8/t0 380/860


 吐息が首筋にかかる。はぁはぁと荒く、熱い。髪の毛の匂いを嗅いでいるように思えたが、まさかそんなことはするまいという理性が、直感を打ち消す。ならば雪風が何をしているのかと問われても、返答に窮するばかりであった。
 雪風の姿は俺の視界から消えている。必死に首を捻っても、彼女の顔は範囲に入らない。ワンピースのかたちに仕立てられたセーラー服の端が、暗い小屋の中にあって、唯一月光を反射して白く見えた。

『神通、こいつはお前のさしがねか』

『えぇ。騙すかたちになってしまったことは、申し訳なく思います。ですが衒いはありません。私は二人もいらないのです。
 提督の逸話は知っております。ですが、人となりを知っているわけではありません。雪風が話をしたいと申し出まして、それを快諾しました』

 響の行動は、本人も言っていたように独断だ。神通も知らなかった。あの驚きは演技ではない。
 俺の居場所を答えさせた、あのやり取りこそが罠。居場所にあたりをつけた神通は、俺をこの小屋へと誘い込み、そして雪風を向かわせたのだ。

520 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/04 01:23:34.19 Lhwhz8/t0 381/860


 信頼されていないことへの悲観や落胆はなかった。そりゃそうだ、と案外自分でも驚くほどにあっけらかんとしている。敵対することへの覚悟は初めからある。真摯に対応するだけだ。

「司令、雪風とお話しましょうよ。神通さんとじゃなくって」

 頭上から言葉が振ってくる。年齢相応に黄色く、そして怖気がよだつほどに冷たい。

「拷問吏みてぇだな」

「ごーもんり? なんですか、それ」

 伝わらなかったらしい。俺はとりあえず口を噤むことにする。

「雪風がその、ごーもんり? だって言うのなら、司令は笛吹男ですね。いや、奴隷商人かな?」

「冗談はよせ。人事にゃ俺は関わってねぇ」

 艦娘を戦地に連れていくのは俺の仕事ではない。艦娘となる素体を選び出すのも、また然り。こちとら一介の兵隊に過ぎないのだ。
 だが、雪風の言葉にはしっかとした断定があった。俺のことを知っていて、俺がそうであると知っていて、発言している。単なる決めつけではない、裏付けによる確信が、雪風にはあるように感じられた。


521 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/04 01:24:02.66 Lhwhz8/t0 382/860


「響か」

 選択肢はそれしかなかった。

「そうですね、それもですね」

「それも?」

 まるで解せない返答に、顔が渋る。

「司令は響をどうしたいの? あんな弱っちいこ。なまっちょろいこ。どう鍛えたって使い物にならない。雪風は知ってるんです。ずっと一緒にいたから。ずっと見てきたから。
 神通さんが頑張って強くしようとしてますけど、でもだめ。ぜーんぜんだめ。
 ね、司令。司令は響をどうしたいの? 響に何をしてほしいの? 司令の目的のために、本当に響は必要なの? 一時の感情で、響が可哀そうだからって、なんとか一人で立たせてあげたいなんて傲慢な考えを持ってるんじゃないの?」

 ごりごりと頸椎が膝で押し込まれる。雪風の体重は随分と軽かったが、それでも急所を抑えられているという緊張は、抵抗の意を削ぐには十分すぎた。
 なぜ。どうして。なんのために。そう問われると、実に難しい。泣いていたから。そう答えるのが最も正しく、そして最も不正解に近い。少なくとも雪風は納得しないだろう。
 とはいえ、彼女が望む答えをするのが俺の役割ではなかった。俺が俺であらんと志向しなければ、全ての行いに意味は生まれない。


522 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/04 01:24:29.55 Lhwhz8/t0 383/860


「……あいつは、泣いていた」

 結局、正直に答えることにした。

「だからだ」

「だから? 答えになってなくない?」

「俺はこの島に、泊地を再興するために来た。これから先、トラックはいくつもの被害に見舞われるだろう。対策をうたねぇと全員死ぬ。島民も、艦娘も、俺もだ」

「そのために響の力も必要になるときが来る?」

「あいつが自信を持って生きていくためにだ」

「そうやって!」

 一層頸椎に体重が込められた。激痛。頭から背中を通って四肢の末端まで走る電撃。
 俺はついに堪え難くなって、雪風ごと体を捩じって脱出した。雪風が尻もちをつく。断続的な痛みが残る中、暗闇に慣れた視界は少女の姿を鮮明に捉える。
 雪風は四肢を地面につけ、獣のような姿勢をとっている。真っ直ぐに俺を見据え、今にでも飛びかからんと、好機を窺っているようにも見えた。

「……お姉ちゃんも殺したんだ」


523 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/04 01:24:57.03 Lhwhz8/t0 384/860


「お姉ちゃん?」

 予想外の単語に反応が遅れる。雪風はその一瞬の隙をついて俺に切迫。鳩尾へと爪先を叩き込む。
 肺腑が痙攣、空気が俺の意志とは裏腹に吐き出される。吸えない。引き攣った横隔膜はまるで役に立たない。一拍置いて猛烈な気持ち悪さがこみ上げてきたが、根性でなんとか胃の内容物を堪え、追撃の構えをとる雪風の両手首を掴んだ。
 視界の四隅の色がおかしい。集中していなければ昏倒してしまいそうだ。

 雪風は勢いのまま俺を床に押し倒した。先ほどと違うのは、お互いが向き合っているというその状況。

「比叡のお姉ちゃんも、そういう理由を作り上げて、逃げられない状況に追い込んで、殺した。そうでしょ?」

 鋭い刃が俺の心を突き刺した。本当はもっと考えるべきことがあるはずなのに、俺の心は既に俺の制御下から離れ、嵐の中の小舟に等しい。
 感情が駆け巡る。怒りで全てが赤い。ただし、その怒りが果たして誰に向けられているのか、俺にはわからないのだ。

 そうじゃない、違うんだ、と叫びたかった。


524 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/04 01:25:27.42 Lhwhz8/t0 385/860


「お前、施設の……?」

 雪風の瞳が涙を湛えているのが、この距離だとはっきりわかった。

「そうです。雪風も、舞鶴ひかり園の出身。お姉ちゃんは……艦娘になってからも、よく遊びに来てくれてました」

 舞鶴ひかり園。俺も何度か、訪ねたことがあった。
 孤児院。特に、現代においては、非常に腹立たしいことではあるが、そこは艦娘の素体を見繕うに最適の場所だった。だから雪風が施設出身であることに別段驚きはない。
 驚きがあるのは、こいつが比叡と旧知の仲であったという点に尽きる。

 比叡が施設の出身であることは、彼女が沈んでから初めて知った。あまり語りたくない事柄だったことは察しが付く。詳細は知らないが、両親からのネグレクトが原因であったと、第三者からの余計なお世話で教えてもらった。
 舞鶴ひかり園自体は中規模の施設だが、それでもまさかこのトラックで、あそこ出身の艦娘に出会うことになるとは。

 ならば、雪風の言葉の裏にある確信、それにも納得がいく。


525 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/04 01:25:55.43 Lhwhz8/t0 386/860


「比叡のお姉ちゃんは、どんなに忙しくっても、三か月に一度はみんなに会いに来てくれました。その日は決まって御馳走です。だけど、それももうない。
 園長先生は言ってました。お姉ちゃんは兵隊さんに連れていかれたんだって」

 それは事実であって真実ではなかった。俺は知っている。比叡がどんな気持ちで艦娘になり、どんな気持ちで敵と戦い、どんな気持ちで施設の子供たちに手紙を書き、どんな気持ちで我が家に戻っていったかを。
 だが、今の俺に、雪風にそのことを伝える権利があるとは到底思えなかった。

 比叡を殺したのは俺だった。違う、俺じゃない。だが、指示を出した。そうだ。だから責任は俺にある。責任という言葉でくくれるほど簡単な話ではない。目的があったから。誰かのために。何かのために。
 トラックの艦娘たちのように。


526 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/04 01:26:29.47 Lhwhz8/t0 387/860


「違うんだ。違うんだ、雪風」

 その弱弱しい声が自分のものだと、どうすれば信じられるだろう。俺はもう決定的に参ってしまった。致命的に虚脱してしまった。
 それでも、ただひとつ違えてはならないことがあるのだとすれば、雪風には……比叡を知っている彼女には、比叡の意志を知っていてもらいたいというその想い。沈めた俺に権利があるとも思えないが、それでも俺は、そこだけは、一度たりとも揺らいだことはない。

 俺はそのために生きてきたから。
 生きているから。

「俺は立派な人間じゃない。比叡だってそうだ」

 誰も彼もが俺たちを被膜で覆った。その被膜には、美辞麗句が書かれていたり、逆に罵詈雑言が書かれていたりする。
 結局自分たちが見たいと思った、信じたいと思った像を、その膜へと投影しているにすぎないのだ。映し出されているのは俺たちの偽物。都合のいいように解釈され、孤独に踊る操り人形。


527 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/04 01:26:57.62 Lhwhz8/t0 388/860


「お姉ちゃんの悪口を言うなっ!」

 きっと雪風も、優しく、頼りがいのある、姉としての比叡を誇りに思っている。俺の犠牲になって死んだ姉の存在を、心の支えにして生きている。

 くらくらする頭の中で、頬に暖かいものが滴った。許容量を超えた雪風の涙。
 怒りのため。それとも、悲しみのため。理由の出処のわからない涙が、一滴、二滴と数を増やし、俺の顔や首元に零れ落ちていく。

「なにしにきたんですか。なんでここに来たんですか。響をどうしたいんですかっ。雪風たちをどうしたいんですか!」

 なぜ。どうして。なにをしに。

 愚問だった。そう任命されたからだ。燻っていた俺は、厄介者だった。各地が俺を押し付け合う。流れ流れたその最果てが、ここ、トラック。
 ただ、全てにおいて意気消沈していたわけでもない。人死には少ないに越したことはない。精一杯、いまを生きる少女たちの姿を、支えてやりたくならないわけがない。


528 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/04 01:27:24.24 Lhwhz8/t0 389/860


 響が何を考え、決意し、涙したのか、真実は遠い闇の中にある。
 だがしかし、神通は確かに零した。二度、生き延びた。艦娘になる前に一度、艦娘になてからも、一度。

 駆逐艦響との親和性。

「響は戦いたがってる」

「『戦いたがってる』!? はっ、くだらない! 司令、そんなのはちっとも面白くないです! あんな弱っちいのがいたって、ちっとも足しにならないですから!
 戦場に私情を持ち込まないでください! そんな我儘で首を突っ込まれて、足手まといになって、被害が拡大したらどうするつもりですか! 人死にの責任をどうやってとるつもりですか!?」

「人死にの責任をとろうとしているのは響のほうだ」

「そうです! あいつ、本当に馬鹿で、馬鹿すぎて、馬鹿なんだから! だから戦いたがる! これまで生き残ってきたのなんて、実力じゃなくて、ただ運がよかっただけのくせに!」

 雪風は俺に叫んでいるようで、その実虚空に叫んでいた。虚空の向こう側にいる響か、でなければ神様とやらに悪罵を叩きつけていた。


529 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/04 01:27:50.17 Lhwhz8/t0 390/860


「実力を弁えてない人間は屑です、ゴミです! そんな低い意識で立つ場所ではないんです、戦場ってのは! 一秒後に死んでるかもしれないのに、それでもいいだなんて思いながら生きるのは、生への冒涜じゃないですか!」

「強くなって、誰かを守って、それで死ねたら」

 それでもいい。響はそう言うに違いない。

「ばっかじゃないの!」

「あぁそうだ、大馬鹿だ」

「だから嫌い、響なんて大ッ嫌い! むかつく、むかつく!」

「俺があいつを死なせやしない」

「できっこない! 勇気と無謀を履き違えたやつは、守った相手と一緒に沈むのがオチです!」

「でも、響は誰かを守ることさえできなかったんじゃないのか」

「そうですよ! でも、誰かを守るってのは、誰かを守る力がある人間に許された特権なんです! あいつに軽々しく与えていいもんじゃ、ない!」


530 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/04 01:28:18.89 Lhwhz8/t0 391/860


「雪風」

 肩を掴む。細く、薄い。少しでも力を入れてしまえば、軽く折れてしまいそうなほどに、雪風は少女然としていた。

「守るものがある人間は強い。鬼でも、殺せる」

 目を見開く雪風。

「それは、それはっ! ……比叡、お姉ちゃんの、ことですか」

「そうだ」

「でも司令は知らないからっ! トラックのことを、響のことを、だからそんなことが言えるんです、無責任なことが!」

 無責任なこと。
 無知ゆえの。

 あぁ、だめだ、と思った。これはだめだ。よくない。通り越して、まずい。
 雪風は悪くない。欠片も落ち度はない。確かに俺は響のことなどまるで知らないし、トラックのことだって、知っていることは僅かだ。それでも雪風の言葉は俺の心をはっきり大きく揺さぶった。
 ぐわんぐわんと心が揺れる。心の臓を流れる血液が燃えている。不満と苛立ちが蜷局を巻き、うねり、猛っている。


531 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/04 01:28:45.99 Lhwhz8/t0 392/860


 そうだ。俺は嘘をついていた。

 自分で自分を騙そうとしていた。
 否。騙せていたのだ、いまのいままでは。

 俺がトラックに来た理由。
 流されてきたのはその通りだ。紛うことのない事実。厄介者と疎まれていたのも、いっそ死んでくれとさえ思われていることも。

 だが、俺はトラックに、希望を胸の内に宿して――巧妙に隠して、やってきていた。

 誰にも気づかれないように。

 自分にもわからないように。

 暴いたのは、雪風、お前だ。


532 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/04 01:29:16.98 Lhwhz8/t0 393/860


「ならお前はっ!」

 視界が歪む。泣いている? まさかそんな、有り得ない。

「俺のことを、比叡のことを、一体どんだけ知っているっていうんだよ!」

 俺はこの島に、

「比叡が何を思って戦いに赴き、どんな気持ちで沈んでいったのか、あの時そこにいなかったやつらが何をわかってるって!?
 俺が誰を守りたくて、どんな思いであいつに指示を出したのか、どうして後からやってきたやつらが物知り顔で批評できるっていうんだ!?」

 自分が生きていてもいい理由を探しにやってきたのだ。

「どいつもこいつも、俺たちのことを何一つ知らないくせに、あのとき起こったことを何一つわからないくせに、さも全知全能ぶってしゃべくりやがる! 鬼殺しだ、英雄だ、無謀な指揮官だ、人殺しだ、ふざけんじゃねぇ!」


533 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/04 01:30:03.31 Lhwhz8/t0 394/860


「……司令。司令は、あの」

 雪風が言葉を紡ごうとしているが、その先の内容に微塵も興味はなかった。

 肩から手を外し、十本の指先を見た。
 あの日、比叡と触れあった、指の先を。

「それなら、俺は、俺が、俺の、……」

 俺たちを見る全ての人間が、被膜を通して、そいつらが見たいように俺たちのことを見るというのなら。

「俺たちがしたことには、一体なんの意味が……?」

 もしそうなのだとすれば。
 俺もあのとき、比叡と一緒に沈んでいればよかったのだ。


541 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/08 23:42:49.35 gjD6HFLS0 395/860


 天気予報は、ピークで三十五度を超えると伝えていた。

 発艦直前の船上は非常に慌ただしい。計器異常なし。総員配置。上官の声がひっきりなしに響いて、俺も足早に準備をこなしていく。
 俺が士官した最初の頃よりもチェックは厳重だ。ルーチンが変わり、それがまだ身に沁みついていないからこその喧噪。早く慣れないとだめだ。毎回毎回これでは精神に悪い。

 係留ロープが外される。スクリューが回転。バルバスバウが海水を押し分け、潮風の中をゆっくりと、だが確実に進みだす。
 ある程度沖に出るまでは緊張が持続する。何かあるとすれば、出発直後のこのタイミングが一番多いことを、俺は大して長くもない在籍歴からでも経験則的に理解していた。大抵は杞憂に終わるのであるが。
 とはいえ、十回に一回の、あるいは百回に一回のそれが今起こらないとは限らない。油断や慢心が許される職務ではないことは重々承知しているつもりだ。

 三十分ほども海の上を進んでいくと、緊張も次第にほぐれだす。船は自動操舵に切り替わっただろう。横浜の近海はまだ平和だ。四国沖まで出ると、怪しい。勿論何もなければそれに越したことはないのだが。


542 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/08 23:43:29.10 gjD6HFLS0 396/860


 丸い窓から外を見ると、既に陸地は見えなくなっていて、少し離れた位置に護衛対象のタンカーがあるのがわかった。
 俺の任務は、油を運ぶタンカーの護衛だった。この艦には機銃や砲塔が備え付けられてあり、俺たちも緊急の際には89式小銃を手に取って戦うこととなる。急造艦一隻の装備としては一般的だろう。

「おい、見たか?」

 仲間が一人声をかけてきた。俺は「いーや」と短く答える。

「今まで見たことあるか?」

「いや、ねぇな」

「どうなんだろうな」

「どうなんだってのは、どういうこっちゃ」

「だから、本当に人間が、海の上を走れんのかって話だよ」

「水の上に踏み出すだろ? で、足が沈むよりも先に反対の脚を踏み出すとだな」

「くだらねぇこと言ってんじゃねーよ」

 あっさりと言われてしまった。確かにくだらない話ではあったが。


543 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/08 23:43:56.54 gjD6HFLS0 397/860


「近海の掃海作戦も大方の目途がついてきたってよ。新聞、読んだか? 俺たちが会ったことねぇだけで、そこそこの数はいるらしいが」

「そらそうだけどさ。百聞は一見にしかずって言うだろ。今も船の後ろついてきてのかな?」

 仲間は窓の外へと視線を走らせる。当然、誰もいない。

「客室にいるらしいぞ」

「マジか。誰情報?」

「誰っていうか、出発前に。三尉やら一尉が客室のとこに集まってた。広報官もいたな」

「じゃあ本当にいるんだ、艦娘」

 仲間が興奮した語り口で喋れば喋るほど、俺はどこか醒めた目で、そんな彼を見ることになる。
 艦娘。それは科学とオカルトの相の子であり、日本にとっての輝かしい希望の光だった。一縷の望みだった。俺たちの仲間であり、俺たちにとって代わる存在であり、……得体のしれない何かでもあった。


544 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/08 23:44:56.21 gjD6HFLS0 398/860


 正体不明の化け物が漁船や客船を襲っているという情報は、かねてから海上保安庁に連絡があったという。しかし当然、そんな情報をはいそうですかと信じる海保ではない。
 ただ、船の不可思議な沈没や有り得ない座礁などの件数の上昇が、統計的に有意な値を示すようになった頃、ついに海保も事態の究明へと乗り出した。

 鯨か、あるいは他国の密航船か。原因は最初こそそう思われていたが、半年もしないうちに撮影された現場の映像には、到底これまで確認されたことも無いような生物が映りこんでいた。
 海洋哺乳類でないことは明らか。だが、頭足類でもない。船であるはずなどない。

 ならばそいつらは何なのか。高名な学者が何人集まっても、結論を導き出すことはできなかった。ただ、どうやら積極的に船を襲っているらしいということは判断できた。即ち意思がある。知的生命体なのだ。

 仮称・巨大海洋未確認生命体。いまでは深海棲艦と名を変えたそいつらは、今や日本の近海を中心に、我が物顔で闊歩している。


545 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/08 23:45:29.59 gjD6HFLS0 399/860


 俺が海軍へと志願し、一通りのカリキュラムを習熟し、一兵卒として任官したのはちょうど深海棲艦の存在が世間へと公表されたまさにその年。
 その時点で既に海のルートによる交易は難しくなっており、銃も爆弾も効かない謎の存在に対し、人間は決定打を模索していた。対抗策を開発していた。俺は俺で、当時は二十の小僧だったから、日本を深海棲艦の脅威から守ってやるぞと奮起したものだった。

 新人は一年から二年、各地の様々な部署を転々とし、経験を積むことがならわしとなっている。整備や情報通信系には回されなかったものの、兵站、広報、人事と渡り歩いたのち、護衛艦の乗船が決まった。

 随伴護衛艦「ひえい」。航続距離と最高速度、旋回半径を重視した取り回しの効く設計になっており、同名「ひえい」としては四代目、らしい。
 主な任務はインド洋を経由する商船や大型漁船の護衛。深海棲艦の出没はシーレーンの封鎖、でなくとも大幅な効率悪化を招いており、政治的経済的に大打撃を与えた。空輸では輸送の量に限界がある。海運に頼らなければいけないのが現状だ。
 

546 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/08 23:46:09.54 gjD6HFLS0 400/860


 深海棲艦と交戦したことは二度や三度では済まなかった。イ級と呼称される、最も格下らしき敵だとしても、機銃掃射や誘導弾を難なく耐える。数匹を沈めるのに三十分と弾幕を張り続けてようやくと言った具合なのだ。
 それは別段「ひえい」が急造艦で機銃や砲塔の口径が小さいが故というわけでなく、俄かに信じがたいことであったが、どうやらやつらは俺たちとは異なる物理法則の中を生きているようなのだった。

 眉唾だ。俺はそんなもの、与太話と笑い飛ばしてやりたかった。しかし実際に相対するたびに、その認識を覆されてしまう。

 だから、上層部が、対深海棲艦特攻を持つ兵器の――そうだ、あいつらは確かに兵器と呼んだのだ――開発に成功したと発表したとき、世間は沸き立った。俺だってそうだ。さすがと思ったものだ。
 それがあんな、埒外なものだと知るまでは。


547 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/08 23:46:41.57 gjD6HFLS0 401/860


「艦娘って女の子なんだろ? かわいい子だったらいいよなぁ」

「そりゃ艦『娘』だからなぁ」

「んじゃ、行くわ。艦娘にあったら、あとでどんなんだったか教えてくれよ」

「おう」

 俺は去るそいつの後姿を眺めながら、会いたくねぇなぁ、と思ったものだった。

 女はあまり得意ではない。姉妹はいないし従姉妹もいない。兄が一人いるだけで、身近な女性は母親か兄の婚約者といったぐらいだ。これまで大した慣れの機会を得ずに来てしまった。
 軍人など男所帯で女日照りの毎日なのだから、あいつの反応がもしかしたら正常なのかもしれないが。
 恋人がいたことはあるし、肉体経験もある。きっと女の好むような趣味へ理解が乏しいのだ。それが気疲れを齎しているのだろう。

 それも、艦娘。戦場で深海棲艦などという化け物と丁々発止やりあうのだから、そりゃもう気が強くて男勝りで、俺たち一般兵卒など塵芥のように思っているに違いない。
 少しは冗談交じりだった。そして半分ほどは誇張なれど信じてもいた。

 ただ、一体どんな人間が「艦娘」として抜擢され、戦うのか、興味はあった。眉唾がどこまで真実なのか、気にならないわけではなかった。
 結局俺もまたミーハーなのかもしれない。


548 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/08 23:47:08.52 gjD6HFLS0 402/860


 ……そうして、比叡と出会ったのは、数日後の夜だった。

 当番が同じグループの二人と食堂で飯を喰っていたときのことだ。夜帯で、その時間帯は人がまばらだった。閑散している中で話す内容は、大抵が陸の話。
 出身はどこだ、結婚はしているのか、趣味は、最近見た映画は、そんな他愛もないものばかり。今日の当番は終わったので酒を呑んでもよかったのだが、次の日が少し早かったので、二人の誘いを断って俺はウーロン茶で紛らわしていた。

「あの、ここいいですか?」

 黄色い声。海の上では到底聞けないトーン。
 どうしてこっちへ来るんだ、いくらでも席が空いているだろうに。思いながら振り向いた先には、驚くほど素朴な少女――でいいの、だろうか。二十歳前後の、短髪の女性が立っていた。
 手にはトレイ。その上には夕食のホイコーローと味噌汁、白米、サラダ。愛想笑いを浮かべながら、意志の強そうな眉を真っ直ぐに、俺たちを見ている。


549 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/08 23:47:35.06 gjD6HFLS0 403/860


「……」

 三人ともぽかんとしていた。俺の対面に座っていたやつなんかは、ビールが口の端から垂れてもいた。
 誰だコイツ。
 船の上にいる人間全員を網羅することなどできない。数週間経っているのならまだしも、出航して数日では、せいぜい同じ勤務シフトの人間と、上官が精一杯。

 しかし俺は、いや、俺以外の二人も、目の前の女性の身分に心当たりがあった。それはかなりの部分が推測を占め、残りに僅かな希望的観測を含んでいた。

「あ、えっ、もしかして、艦娘の?」

 仲間の一人が驚きとともに呟く。

「あ、はい。そうです。あれ、知ってるんですか? あたしのこと。ひえぇ、恐縮です」

「知ってるって言うか、噂って言うか? 僕らきみのこと結構、ほら、聞くんだ」

「オレは齋藤。こっちは高木で、こいつは……」


550 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/08 23:48:12.03 gjD6HFLS0 404/860


「おい、ちょっと待てよ」

 俺は声の上ずり出した二人に制止の声をかける。

「いいのか? 軍規に抵触しないのか?」

 艦娘自体は公のものだが、俺たちが個人的に接触することが可とされているのか、自信はなかった。

「そもそも階級は艦娘のが上じゃないのか」

 目の前の艦娘はジャージを着ていて、階級章らしきものはどこにも見当たらない。

「大丈夫だろ」

「そ、平気だって。向こうから接触してきたんだから」

「あの、階級とかは多分関係ないと思います。一応書類上は軍曹だっけ? あれ、三尉だったかもしれない。ちょっと覚えてないけど」

「だってよ」

 ぽんと俺の肩を叩く齋藤。

 相手がそれでいいと言うのに俺が頑なに否定する理由はなかった。艦娘は満足そうに頷いて俺の隣の椅子を引き、そこへちょこんと座る。
 女性にしては上背があるほうだ。茶髪。瞳に僅かに青みがかっているような気がするのは、ハーフだから? 顔はそれほど日本人離れしているようには見えないが。


551 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/08 23:48:47.53 gjD6HFLS0 405/860


「あのさあのさ、艦娘ってぶっちゃけどうなの?」

「どうなの? って言われましても」

 苦笑交じりに白菜、豚肉を口の中へと放り込む艦娘。

 なるほど、確かにそのとおりだ。
 艦娘は困ったような顔をしながらも、元来まじめな性格なのかもしれない、顎に指を添えて宙を仰ぐ。

「多分みなさんが思っている通りだと思います」

「やっぱり、その」

「深海棲艦と戦ったり?」

「まぁ……そうですね。この間、ROEの記載事項に変更があったんですが、知ってますか?」

「外洋航路申請時の戦力規定か?」

「はい。商船、及びタンカーについては、これまでのROEだとDDHか、それに準ずる武装の随伴が必須だったんです。で、今回の変更で、それに艦娘も帯同するようになりました」


552 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/08 23:49:20.43 gjD6HFLS0 406/860


「深海棲艦の動きが活発になっている?」

「そう……ですかね。ごめんなさい、あたしはそこまで詳しくないから、滅多なことは言えないんです。曖昧なことを言って不安がらせるのはよくないって思いますし、実際そう教えられてますし。
 悪い懸念だとそうかもしれませんけど、良い方向に考えれば、遠洋に出せるまで国内の艦娘の数が充実してきたってことでもあります。これまでは近海掃海が主でしたから」

「いざとなったら頼むよ! えーと……」

「比叡です。金剛型二番艦、比叡。素体の名前は、ごめんなさい。神様が離れてっちゃうので」

「神様、ね」

 艦娘の話を聞いて、いまこうして実物を見てなお、俺は半信半疑だった。目の前の比叡、彼女は年頃の女性でこそあれ、火薬と油の臭いはしない。いや、現代戦において、そのどちらも最早重要視はされなくなってしまっているのだが。
 先ほどちらりと見た比叡の指は白く、細い。傷一つない白磁のようだ。腕も同じ。
 こんな彼女が深海棲艦などという化け物と戦えるのか。もっと言ってしまえば、俺や、他の誰かの命を守れるのか。いまいち実感がわかない。


553 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/08 23:51:07.83 gjD6HFLS0 407/860


 艦娘の現状はどちらかと言えば偶像的だ。その理由も、今ならばわかる気がする。本当に、彼女らに命を預けてもいいものかと、これまでの常識が疑問を呈しているのだ。

 常識。常識! 深海棲艦の出現とともにとっくに壊れてしまったものを、今でも大事にしているそのさまは、滑稽ですらある。俺は自嘲せずにはいられない。

「基本的には客室で待機してます。お手伝いとかしたいんですけど、あたし、そういうことはさっぱりで。勿論有事の時には、真っ先に海に降りて深海棲艦ぶっ倒すんで、期待しててくださいね!」

 まぁ本当は、あたしの出番なんてないのが一番いいんですけど。比叡は笑いながらそう言った。

「比叡ちゃんは高校生? 大学なの?」

「海軍の海防局所属、遊撃特務群です。その前は高校で、そこで適応検査受けて入った形になります。第四期生かな」

 等々、よくもまぁ話題も尽きないものだと感心するほどの長話。女っ気のない職場に艦娘がいれば、そりゃあ士気も上がるだろうさ。そんな厭味を俺は仲間二人を見ながら思った。随分と浮かれてしまって。

554 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/08 23:52:10.54 gjD6HFLS0 408/860


 比叡も、どうやら今回の護衛が初であるようで、俺たちのような現役の軍人とは接する機会がなかったようだった。質問攻めにした分だけ質問まみれにされそうになるも、厨房の人に「もう閉める時間だから」と言われて、そそくさと退散する。
 同じ艦に乗っているのだ、どうせ図らずともすぐ会える。随分と名残惜しんで別れようとする三人が大袈裟なのか、俺が薄情なのかは、よくわからない。

 比叡は夜風にあたるのだと甲板のほうへ歩いて行った。海に落ちないようにしろよ、とは口が裂けても言えない。俺たちは反対方向の船室へと戻る。

「比叡ちゃん可愛かったな」

「そうだな。元気があって、僕ァ好きだよ、ああいうコはさ」

「お前はどうだった? 好みか?」

 水を向けられてしまう。どうだ、と訊かれてもな。

「……思ったより普通だったな」

「ゴリラでも想像してたか」

「いや、そうじゃなく」

 あれではまるで少女じゃないか。天真爛漫で快活な、どこにでもいる、元気印のついた。

 俺の想像が捻くれているのか? 創作に感化されたか?


555 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/08 23:52:40.08 gjD6HFLS0 409/860


「んじゃな」

 齋藤が扉の向こうへと消えていく。二人一部屋が基本単位。俺は齋藤と同室で、次の角を曲がったすぐ先に部屋があった。

「あんなコが艤装を背負って戦うってんだから、世の中は変わったもんだよなぁ」

「あぁ」

 俺たちが適応できるか否かに関わらず、世間というものは、世界というものは、無慈悲に前へ前へと進んでいく。俺なんかはついていくので精一杯だが、どうやら高木も同じことを思っているらしかった。
 比叡が深海棲艦と十二分に戦えるのかという疑問と同時に、果たして俺は――俺たちは、ああいう明るく朗らかな存在を守るために軍人になったのではなかったかと、自問してしまう。

 別に戦場でなくてもそれはよかった。被災地だろうが、それこそ日常だろうが。


556 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/08 23:53:28.12 gjD6HFLS0 410/860


「よくねぇな」

「なにがさ」

「センチメンタルが襲ってきた」

「わからないでもないよ」

「泣いても笑っても、今後の主戦力はあいつら、か」

 比叡は言っていた。遠洋まで派遣できるほどに、国内における艦娘の徴用は進んでいる、と。それは逆説的に、状況は決してよくなってはいないことを意味する。
 前線を艦娘に任せるのは時代の流れだろう。俺たちの仕事は後方支援にスライドしていく。不満がないわけではない。しかし、平和をそれで守れるならば、別にいいという思いもまたある。

「やめやめ」

 言い聞かせるように呟いて、俺は自室の扉を開けた。
 明日も早いのだ。考えるのもほどほどにして、キリを見つけて寝床につかねば。でないと朝食を喰いっぱぐれてしまう。

 さっとシャワーを浴び、歯を磨いて、俺は体をベッドに滑り込ませたのだった。

567 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/12 22:29:37.92 F7ZfP2x10 411/860


 朝食は蕎麦かうどんを選べたので、俺はうどんを選んだ。かき揚げに似た天ぷらとほうれんそうのお浸し、少な目に盛られた白米の上にはゆかりが振りかけられている。
 あまり朝は食べない方だったが、海軍に入ってからはそれだと体が保たない。塗り箸を手に取って、いただきます。
 点呼まではまだ時間があった。ばたばたせずに済む朝は久しぶりだ。珍しく眠りが浅かったのが原因かもしれないが、そのせいで少し頭が重たい。まだ額のあたりに睡魔が居座っている。

 普段と違うのはよくなかった。今日はなんだか噛みあっていないなという日は誰にでもある。その予兆だと、俺は思った。

「あ……あの、ここ」

 前に立つ誰かの気配を感じ、うどんを啜るのを止めて上を見る。

「空いてますか?」

 はにかんだ笑みを浮かべながらの比叡。周囲を見渡してみるが、朝早い時間帯は人もまばら。誰もかれもが一人で喰っていて、それは俺も同じである。

568 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/12 22:30:15.32 F7ZfP2x10 412/860


 俺が周囲を見渡しているのと同様に、周囲もまた俺を窺っているのがわかった。視線が合うと慌てたように食事へ戻る。が、集中していないのは明らかだ。
 聞き耳を立てているのかもしれない。艦娘が同行しているという噂は艦艇中に広まっている。明らかに軍人ではなさそうな女がいたら、そいつこそが艦娘であると判断するのは、決しておかしな話ではない。

「席は空いてるだろ」

「なら、遠慮なく」

 比叡はそう言って俺の前に陣取った。違う、そういう意味で空いていると言ったのではなかったのだが。
 他に空いているだろ、と言えばよかったのか。しかし意味もなくつっけんどんに返すのも抵抗がある。
 階級上は比叡は上官にあたり、かつ政治的な立場を鑑みればそれ以上の差が開いていた。聞き耳を立てているであろう周囲から、なんだあいつはと思われるのは、決していい振る舞いとは言えない。

569 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/12 22:30:49.80 F7ZfP2x10 413/860


「俺に用事でも?」

 ぶっきらぼうにならないよう努め、俺は尋ねた。

「いえ、そういうわけではないんですが」

 比叡は控えめに蕎麦を啜った。

「知り合いが誰もいなくてですね」

「昨日の積極性はどうしたんだ。昨日声をかけてきたとき、俺たちは知り合いじゃなかったろ」

「昨日はみんな初対面でしたから、勇気を出すほかなかったんですよ。今日は初対面の中に一人、知り合いが混じってるわけですから、そりゃまぁ、ね?」

 誤魔化すように比叡は笑った。
 返事をどうすべきか考えている間に、その機会を失って、俺は半分くらい完成していた言葉を飲み込む。麺と、汁とともに。

「朝早いんですね」

「ん? まぁ、そうだな。当番が、早くからあるな」

「どんなことするんですか? あー……」

 言い淀んだ比叡に名前を名乗ると、口の中で数度反芻し、頷かれた。


570 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/12 22:31:40.66 F7ZfP2x10 414/860

口の中で数度反芻し、頷かれた。

「多分言ってもわかるかどうか」

 専門的な知識や言葉をなるべく噛み砕きながら、俺は比叡に持ち場や任務などをざっくりと説明する。比叡はそのたびに目を輝かせて頷いていた。どうやら好奇心はだいぶ旺盛らしい。
 陸の上で生活する人間にとって、海の上がどんなものか想像つかないのもしかたあるまい。海や空は自由の象徴かもしれなかったが、自由がゆえの不自由さもまたある。

 深海棲艦が出るまで、特に彼女に与えられた仕事はないのだという。まぁそうだろう。変に仕事を与えて怪我でもされては責任問題になるし、何より訓練も受けていない人間できるような仕事は、船の上では多くない。
 一週間か一ヶ月か、OJTを行ったうえでならば、頭数には入れられるはずだ。彼女自身それを目指している節があるという。

「暇で暇で死んじゃいますから」

 持ち込める本にも限りがある。スマホは電波が基本的に入らない。仕方のないことだ。


571 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/12 22:32:10.00 F7ZfP2x10 415/860


「お前が暇な方がいい」

「でしょ? いや、わかってるんですけど。司令とかは何もしないで部屋でごろごろしてていいよーって言うんです。けど、往路と復路、合わせて三か月超って聞いたら、ひえーって思いませんか?」

 まるで思わない。だがそれを表明するわけにもいかず、俺は曖昧な笑みを浮かべる。

「顔引き攣ってますけど、大丈夫ですか?」

「ん? ……一味を入れすぎたかな」

 言ってから、テーブルの上に一味はないことに気付いた。あるのは七味だ。

「ごちそうさま」

 あまり朝飯をだらだらと喰うつもりもなかった。俺が立ち上がると、比叡は寂しそうな表情を一瞬だけつくる。
 罪悪感が生まれた。別にこいつとなんら関係がないと言うのに。

「あの」

 比叡が俺の名を呼んだ。脚が止まる。

「また」

「……」

 またも何と返すべきかわからない俺がいた。今度ばかりは嚥下できない。それは、なんというか、完全に感覚的なことなのだが、ここでそうするのはあまりにも彼女に悪いと感じたのだ。


572 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/12 22:34:09.56 F7ZfP2x10 416/860


「……またな」

「っ、はい!」

 まるで夏に咲く満開の花だった。俺は思わず面喰ってしまって、直視できない。
 男所帯で女日照りは俺もなのだ。それをすっかり忘れてしまっていた。

 それから比叡とはしばしば食事でかちあうことがあった。その時は俺一人であったり、あるいは齋藤や高木と一緒であったりさまざまだが、比叡は常に一人だった。

「司令ですか? いますよ。ただ司令は兼任なので、普通に艦艇内でのお仕事があります」

 この船のナンバーツーの二佐が、書類上は比叡の直属の上官であり、彼女に直接指揮できるのも彼だけらしい。
 本土で、かつ近海防衛に特化した部署では、一人の提督が十人から三十人ほどの艦娘部隊を率いることが通例となっている。少なくとも一佐は部隊の運営が仕事ではない。ROEが先に策定されてしまい、まだ運用が固まってはいないのだろう。

 比叡の興味は、最近は艦の仕事や語句知識ではなく、それに乗っている軍人へとシフトしているようだった。中卒で入った人間、高卒で入った人間、防衛大を出た人間、それぞれどんな違いがあるのか。詳細に説明するだけで食事の時間はすぐ潰れる。


573 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/12 22:34:47.09 F7ZfP2x10 417/860


「艦娘はどうなんだ。採用形式、っていうのか」

「……あたしの時は、スカウトマン? みたいな人が来ましたね」

「スカウトマン? 人事ってことか?」

「や、わかんないですよ。うちの……うちに来て、あたしとあと二人、どっか連れてかれて、あれは多分今思えば神祇省の付属の病院だったと思うんですけど、そこで検査して」

「検査、ねぇ」

 艦娘適性がなければ神は降ろせない。海に立てないし艤装も背負えない。話には聞いてこそいるが、それがどんな科学的根拠に基づいているのか、俺は知らない。比叡自身もぴんと来ていないようだった。

「神様は自分と似た境遇のひとが好きなんだっていってました。いや、好きっていうか、誤解してるって。自分と勘違いして、あぁ自分の体が戻ってきたんだやったーって、騙して騙してあたしたちは艦娘の力をふるえるんだって」

「他の艦娘をお前は知ってるのか?」

 本土にはそれなりの数がいるらしいが、部署が大きく違うということもあり、俺は見たことはなかった。


574 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/12 22:36:44.46 F7ZfP2x10 418/860


「いますよ。艦娘の訓練学校みたいなのがあって、検査を通過したひとたちはみんなそこで訓練です。知識とか、戦い方とか。基本は戦艦も駆逐艦も空母もごっちゃでした。専門性が高い時だけ別カリキュラムで」

「ふぅん」

「いろんな人がいましたよ。あたしの姉妹艦の人もいたし、潜水艦なんかはみんな水着でずっと泳ぎの訓練だったし。駆逐艦はみんな小学生で、陸上やってた島風ちゃんとか、スマホ見たことなかった吹雪ちゃんとか、漫画書いてる秋雲ちゃんとか。
 高専にいたって明石さんはいっつもドックに籠って、わけわかんないの作ってたなぁ。ネガティブでやさぐれた大井さんが授業に出てなくて、みんなで探しに出かけたこともあった。
 赤城さんと加賀さんは弓がすっごい上手で、朝練してるところを青葉さんが写真撮って、売りさばいてたの見つかって……あはは、懐かしいなぁ」


575 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/12 22:37:39.11 F7ZfP2x10 419/860


 怒涛のように語る比叡の視線は、俺ではなく目の前の食事でもなく、昔日の映像をうっとりと眺めているように見えた。訓練学校がどれだけ楽しかったのか、それだけで想像するに十分だ。
 俺も、自分のことを思い返せば、きっとそんな表情をするに違いない。似合わないとはわかっているが、あの辛く苦しかった数年も、今となってはいい思い出だ。

 また別の日、艦艇内は緊迫した空気に包まれ、針で突かれた瞬間に弾けてしまいそうなほどに張り詰めていた。
 各自が小銃を肩から降ろし、点呼、のちに持ち場へと向かう。

 その間にも船が大きく揺れた。

 比較的小型の敵艦が二体、こちらに体当たりをしているのだ。ごおん、ごぐんと不快な重たい金属音が、気密性の高い窓や扉を突き抜けて、俺たちの耳へと届く。
 窓の外には異形の飛行体が編隊を組んで飛翔していた。時折思い出したように爆撃や銃撃を行ってくる。厚い隔壁を撃ち抜くほどの威力はないようだったが、逃げ遅れた甲板員が三人、既に死んでいる。


576 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/12 22:38:58.21 F7ZfP2x10 420/860


 南無三。仮に意識が消失したとて、訓練で染み付いたその動作は忘れることができない。俺たちは素早く外へと転がり出、飛行体の攻撃の間隙を塗って銃撃で撃ち落としていく。
 対して幅の広くない船の通路では大規模な戦闘は難しい。基本は三人一組。俺たちは集中射撃で飛行体を狙う。

 放たれた爆弾が一人の足元付近に着弾、紫色の炎を交えて炸裂し、そいつの膝から下を吹き飛ばす。

「ぐ、うぉ、うああああっ!」

「掴まれ、立てるか!? 肩を!」

 一人が担ぎ上げて逃げる時間を稼ぐべく、俺は必死に銃口を謎の飛行体へと連射する。金属と肉が交じり合ったような不快な様相。それがこの世のものだとは到底思えないほどに。

 不意に視界が翳った。かんかんかん、と靴底で強く床を叩く音。

「抜錨!」

 比叡だった。食堂にいる時の普段着ではない、正装――と言えばいいのか、巫女服? 修験服? 学のない俺には形容しがたい、けれど理解できる……あれは悪鬼と戦うための神聖なものなのだと。


577 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/12 22:39:57.75 F7ZfP2x10 421/860


 比叡は船内から飛び出し、空中でいままさに俺たちに襲いかかろうとしている飛行体を、拳で直接殴打した。細く、白い腕。しかし敵は一撃一撃で体を削剥させられ、消失していく。

「大丈夫ですか!?」

 そこでようやく、目の前にいるのが俺だということに気付いたらしい。照れくさそうに「あはは」と笑う。
 だが、今はそんな場合ではない。すぐに比叡も表情を引き締める。

「気合! 入れて! いきます! あたしの活躍、ちゃんと見ててくださいねっ!」

 比叡はその後、敵艦三体を順次撃破、無事に帰投した。負傷した仲間の保護に専念していたため、海上で行われた戦闘は比叡の言葉に反して見届けることができなかったが、仲間が言うには天使のようだったとも。
 埒外な存在に、こちらもまた埒外な存在を動員して当たる。それはあながち間違いではない。敵戦闘機を比叡が殴り飛ばした時、俺が彼女に感じたのは、感謝ではなく畏怖だったように思う。


578 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/12 22:41:16.51 F7ZfP2x10 422/860


 どちらも人間だ。
 互いに人間だ。

 だが。

 俺には当然あんなことできやしない。そして可能なのが彼女であり、艦娘なのだ。
 それは確実に兵器としての側面。

 しかし。

 死者四名。
 負傷者十二名。

 その報告を知った比叡の、あの悲痛な表情。あれが果たして兵器の顔だろうか?

「……よぉ」

 深海棲艦との戦闘があった日から十日ほどが経過して、俺はようやく比叡に出会った。比叡は食堂でカレーライスをつまらなさそうに食べている。
 もしかしたら俺が後からやってきて、先にいた彼女に声をかけるなんてのは、これまでで始めてからもしれない。


579 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/12 22:41:55.80 F7ZfP2x10 423/860


 比叡は俺の姿を認めて、笑う。疲れた様子を隠そうともしていない。
 最後に会ったのは戦闘後の全体集会のときである。ただ、それも会ったというよりは、俺が遠くから一方的に比叡を見ていたに近い。彼女の活躍によって敵勢力は退けられたと、二佐が胸を張って語っていたのを覚えている。
 護衛対象であるタンカー自体は大きな影響はなかったようで、航行は続行。しかし殉職した乗組員の遺体の引き渡しや船の精査もどこかで行わなければいけないため、少し予定に変更が出ると伝えられた。

「ここ、空いてるか」

「どうぞ」

 促されるままに俺は比叡の対面に座った。カレーを掬って口へ運ぶ。味がしない……まさか、気のせいだろう。意識が目の前の存在に引っ張られすぎている。
 まずそうな顔しながら喰うんじゃねえよ、とは言えなかった。先日の件で、人死にが出たことを気に病んでいるのは一目でわかった。かく言う俺たち軍人の間でも、重たい空気は流れているのだ。


580 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/12 22:43:27.96 F7ZfP2x10 424/860


 軍人だから死人に慣れているというわけではない。特に俺たちは前線で戦う歩兵ではないのだし。
 脚を喪ったあいつは一命を取り留めたが、もう同じように勤務することは難しいだろう。俺の前でこそ死人はでなかったものの、それは比叡が助けてくれたからであって、もしあの場に比叡がいなければ俺さえも死体となって転がっていた可能性はゼロではない。

「あの時は助かった。ありがとう」

 だから、やはり礼は言うべきだった。
 礼を言わずに知らん顔はできなかった。

「……それがあたしのお仕事ですから」

「でも」

 それとこれとはまるで関係がないのだ。

「でも」

 比叡は遮った俺の言葉をさらに遮る。

「よかった」

「よかった?」

「はい。無事で、いてくれて。襲われていた人も、その……脚は戻らなかったけど、生きてはいるって聞いて」

「調べたのか? 自分で?」

「そうです」

 それが比叡の美徳なのだ。誰かの気持ちに寄り添い、痛みや辛さを分かち合おうとする姿勢は、なによりも尊い。
 反面、全てを自分の肩に乗せていては、いずれ潰れてしまうのではないかと余計な心配さえしてしまう。

「……よかった」

 青ざめた顔から発せられた言葉が、俺には気になってしょうがなかった。


586 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 03:51:37.13 xlx1rXlG0 425/860


「待った」

「だめです」

 俺の懇願を比叡は一蹴した。なんて女だ、無情すぎる。少しは手心を加えてくれたっていいじゃないか。
 全く心の籠っていない非難を受けて、比叡は呆れ顔ながらも盤面を指した。

 俺の玉は既に龍やら馬やら銀やらと金やらに包囲されて、少しの逃げ場もない。

「じゃあ何手前まで戻します?」

 どこまで戻せば勝ちの目が生まれるのかちっともわからなかった。尤も、わかっていれば、こんな惨状にはなっていなかっただろうが。

「負けでいいっつーの」

「素直でいいですねー」

 楽しそうに笑う比叡だった。

「比叡殿に初心者を甚振って楽しむ趣味がおありとは思わんかった」

「えへへ、そんなでもないですよぅ」

 てれてれと頬を赤らめながら比叡。
 褒めてねぇよ。

 駒の動かし方と矢倉の組み方しか知らない相手に、居飛車穴熊とか組むんじゃねぇ。


587 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 03:52:19.91 xlx1rXlG0 426/860


 俺たちは娯楽室にいた。最近比叡が将棋を題材にした漫画にハマっているという話で、相手を探していたのだった。俺はただ廊下を歩いていただけなのだが、抵抗虚しく蜘蛛の巣に捕まってしまった蝶の気分だ。
 娯楽室には他にも利用者がいたが、みなそれぞれの娯楽に興じている。卓球だったり、読書だったり。ソファの背もたれに体を預け、うつらうつらしているやつもいた。

 ほどほどの静寂の中で、もう一戦しましょうと張り切りながら、比叡は駒を初期配置に並べ直している。
 随分と懐かれたものだ、と思った。鼻歌なんか歌っている。ふんふんふーん、ふふんふんふーん。ポップなリズムが将棋盤の上空でほどけて溶ける。

 俺と比叡が出会ってから、既に一年が経過していた。

 依然として俺は四代目「ひえい」に乗艦していた。階級は据え置きだったが、多少なりとも責任のある立場は任されている。今年か来年の早い段階で、昇進試験を受けてみるのもいいかもしれない。
 比叡もまた、当然のように「ひえい」付で深海棲艦相手の護衛を務めている。今は艦のことも少しずつわかるようになってきているらしく、時たま誰かの手伝いをしていることを見かけることもある。


588 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 03:52:56.57 xlx1rXlG0 427/860


 四代目「ひえい」は相変わらずにインド洋を経由するタンカーの随伴。変わらないことはよいことだ。それは安心と安定、そして落ち着きを齎してくれる。

 目の前の比叡は角道を開けるか悩んでいた。真剣なまなざしを盤に落とす彼女は、まるで普通の女子大生のようだ。文化系と言うよりは体育会系。冷静と言うよりは熱血。ありありと目に浮かぶ。
 そんなこちらの視線に気づかず、比叡は結局角道を開けた。俺も合わせて開けて、角交換に持ち込む。

「やりますねぇ。これは負けてられませんっ」

 そうなのか。どうやら俺は知らず知らずのうちにやるようになったらしい。
 彼女が負けじと何かをするのもまた不変、通常運行だ。

 俺たちを取り巻く環境はこの一年でさして変化しなかったものの、こと関係性という面についてのみ語れば、激動の、激変の一年であったと言っても過言ではない。その中心には、目の前に座るこいつがいる。
 なまじ艦娘なんかと仲良くなってしまったものだから、当然齋藤や高木をはじめとする同僚からは色々根掘り葉掘りせっつかれた。内容は色恋沙汰もあり、艦娘の職務に関するものもあり。


589 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 03:53:25.69 xlx1rXlG0 428/860


 くだらん、と一笑に付すことは簡単だった。だが立場が逆なら俺も無粋な質問の一つや二つはしていたに違いない。それを思えば、広い心で赦せようものだ。

「……手番ですよ?」

 比叡がこちらを覗き込んできていた。

「何かついてますか?」

 頬を両手でぺたぺたと触る。どうやら注視しすぎてしまったようだ。

「いや、なんでも――」

 世界が揺れた。

 体の奥底まで響き渡る、重たい震動。ごぐん、と一度、大きく。
 警報が鳴るまでに時間はさして要さなかった。爆裂音。遠くはない。かといって巻き込まれる懸念をするほどには。
 しかし誘爆の危険性は常に孕んでいる。先ほどの揺れが事態の原因なのか、それとも隔壁が閉じる音なのか、一瞬では判別できなかった。

 全員の視線が交わる。思考の必要はない。誰かが息を呑んで、それを合図に俺たちは娯楽室を飛び出した。


590 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 03:54:01.00 xlx1rXlG0 429/860


 爆裂音がまたも響く。しかも、今度は二発。どぉん、ごぅん。同時にまたも艦が大きく揺れて――事態の逼迫は明白、だがそれ以上の嫌な予感が胸中に渦巻いていた。これは普通ではない。通常の非常事態ではない。
 心臓が高鳴る。それに反して頭は冷静だった。血流は全て体の動作に使われているから、頭に上るだけの余裕などないことが、冷静の原因だ。

 深海棲艦の襲撃。しかし、それ以上の何かが起きている。

「比叡、頼んだ」

「はい! 比叡、任されましたっ!」

 拳を打ち付けあって、俺たちは丁字路を逆方向に向かう。比叡は右へ、俺は左へ。

 警報は今や最大級の警戒音を鳴らし続けていた。断続的な揺れの中に、時たま一際強い揺れが混じり始め、頻繁に肩や肘を強か船の壁にぶつけることとなる。
 床が傾いでいる。丸窓から見える世界は、平衡感覚に厳しくノーを突きつけてきた。俺はそれに、さらにノーで突っ返す。おかしいのはこの船だ。俺ではない。


591 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 03:54:33.67 xlx1rXlG0 430/860


「おい、どうして通信が入らん……!」

 仲間の一人が苦々しげに吐き捨てた。誰もが疑問に思っていた、しかし口にしなかった禁忌の言葉。
 最悪に輪をかけての最悪、そのパターンを想定することは軍人にとって必要な能力だ。その上で、俺たちは生き延びることを、現状の打破を期待されている。ゆえの軍人でもある。

 沈没。その二文字が脳裏で点滅していた。

 無論、その状況も訓練していないわけではない。集合、点呼を経てからの救命ポッドによる脱出まで、一連の動作に淀みは存在しないはずだった。だが、その指示を出すはずの上官による通信が、いまだ入らない。
 指揮権を持つ者が――考えたくないことであったが――死んだ場合、その下の階級のものが基本的には指揮権を継承する。脱出の判断を示すのが誰なのかを俺は知らなかったが、一佐か二佐のどちらかなのではないかと踏んでいた。

 いまだ通信は入らない。有線の艦内放送設備が使えないというのならばまだわかる。しかし無線まで誰も応答しないというのは……。


592 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 03:55:19.92 xlx1rXlG0 431/860


 何度目かわからない爆裂音とともに、廊下の先から熱波が俺たちの肌を焼き焦がした。気管の炙られる感覚に思わず息を止める。
 さらに大きく艦が傾いだ。

 あぁ……。

「駄目だ! 甲板だ!」

 叫んだのは誰だったのか。もしかしたら自分だったのかもしれないと思うほどには、その時の俺たちは以心伝心だった。一蓮托生だった。
 駄目だ。言葉を省略しないのならば、この船はもう駄目だ。

 多重隔壁で浸水や砲撃には頑強なつくりになっているはずだった。それでなくとも、可能な限り水平を保とうとするスタビライザーは、比較的新しいものをとりつけている。それだのにあまりにも事態の悪化が早い。
 想定外をして有り得ないと断ずるのは浅慮に過ぎる。現実は想定を容易く上回ってくることを、俺たちは深海棲艦の登場で骨身に沁みたのではなかったか。

 甲板に出る。

「……っ、比叡……!」

 思わず祈りが零れた。


593 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 03:55:49.73 xlx1rXlG0 432/860


「なんだよ、これ。なんだよこれぇえええっ!」

「負傷者の――生存者の確認を急げっ!」

「タンカーは、タンカーの方はどうなんだ!? 救命ポッドを!」

 視界を埋め尽くすほどの、飛行体の群れ。
 口が、そこに収まらない巨大な歯が、空を縦横無尽に飛び交って、

「ひ、とを……」

 喰っていた。
 噛みつき、引き裂いていた。

 銃声が断続的に響く。
 船の後方では今も爆炎が閃光を撒き散らし、空いた穴から黒煙を撒き散らしている。
 左舷から船を突き抜ける衝撃。解体作業のような音が、頭蓋を揺らす。

 指揮系統もクソもありはしなかった。使命感は胸にある。しかし、それが今この場でどれだけの威力を発揮するだろうか。
 形而上の何かは、実存的なそれに、比べるべくも及ばない。
 小銃が火を噴いた。金属の削れる音、肉の抉れる音、悪鬼の奇声、奇声、奇声――あぁもう気が狂いそうになるほどに!


594 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 03:56:32.88 xlx1rXlG0 433/860


 今や信じられるものは両手に抱え上げられた鉄の重みだけだった。それさえも悪鬼の前には大して役に立たない。一体、二体を打ち倒したところで、三体目四体目五体目がすぐさまこちらへ向かってくるのだ。
 連射は既に乱射へと変わっている。姿勢保持などは所詮机上のものにすぎなかった。寄るな寄るなと腕を振り回す子供に等しい愚かさだったが、それでも。

「齋藤、高木!」

 エレベーターを背に射撃を行っているのは知り合いだった。俺はひとまず安堵を覚えて、二人に駆け寄る。

「生きてたか!」

「やばいね。こりゃあやばいよ」

「何があった。どうなってる。通信は?」

「知らねぇよ!」

「僕たちも、困ってる。深海棲艦の通信妨害じゃないかって思うんだけど」

「生きてれば、みんな救命ポッドに向かってるはずさ。僕たちも向かいたいけど、いかんせん数が多すぎるね」


595 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 03:57:05.10 xlx1rXlG0 434/860


「左舷はイ級の群れだ。どいつもこいつも吶喊してやがる。この飛行体群の親玉がどこにいるかはわからんが、密度が濃いのは右前方。だが、それよりも」

「ケツか」

 大穴が空き、爆炎が見え隠れする船の後方。既にあそこから海水が浸入しているようで、傾きの大本だ。
 あそこを何とかしなければ船は沈む……いや、デッドラインはとうに超えているに違いない。穴を塞ぎ、水を掻き出すのは、あまりにも非現実的。残された手段は脱出だけ。

「あれは尋常じゃないね。やばいやつがいるよ」

 高木の意見には同意だった。これまでこの船は何度かの深海棲艦の攻撃に耐えてきたが、今回はこれまでの比ではない。単純に規模が大きいと言うのもそうだろうが、それでも大穴を一瞬で開けるような敵の存在に、俺は今まで出会ったことがなかった。
 強力な存在がいるとしたら、それは船の後方だ。幸いにして救命ポッドが備え付けられているのは右舷の中央から前方にかけて。飛行体の群れを抜けていければ、あるいは。


596 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 03:57:36.26 xlx1rXlG0 435/860


 と、一際巨大な爆発音が聞こえた。ついにメインエンジンに火が回ったか――そう思って振り向くが、違う。
 それどころか、この船ですらなく。

「たっ」

 タンカーの横っ腹から黒い煙が濛々と噴き出しているのが見えた。

「まずい! 油が!」

 そうだ。もしも油が流れ出て、それに火がついてしまったのならば、救命ポッドで逃げ出したところで焼け死ぬばかり。油は当然水に浮く。文字通りの火の海だ。

「逃げ出すなら早くしねぇと」

「ったってさぁ!」

 銃身の熱を感じるほどに撃ち続けても、敵の数は一向に減る気配を見せなかった。

「逃げてください、はやく!」

 巫女服が翻った。烈日にも似た光が迸り、俺はそのとき、確かに在りし日の戦艦の幻影を垣間見た……気がする。
 比叡だった。なぜここにいるのか。そんな疑問を投げかけるよりも早く、彼女は拳を握りしめ、大きく振りかぶった。

 振り下ろす。


597 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 03:58:03.76 xlx1rXlG0 436/860


 不可視の砲弾が放たれた。それは限りなく霊的な、俺たち凡人には殆ど感じ取れない巨大な何か。
 それが俺たちの周囲に蠢いていた飛行体の群れを一瞬にして蒸発させる。

 戦艦たる存在の底力。

「比叡!」

「逃げてください!」

 比叡は潮風、爆炎、そして深海棲艦の奇声に負けじと繰り返し叫んだ。

「この船は恐らくもうだめです! 敵の包囲も凄くって……いまみなさんを救命ポッドまでお連れします、逃げる手伝いしてるんです、あたし!」

「それはありてぇが……」

「比叡ちゃん、きみは、その」

「そうだ、深海棲艦の大本を断て。俺たちは三人でなんとか辿り着いてみせる」

「……っ」

 比叡は苦い表情をした。言葉を一瞬言い淀むが、仕方がなしに口を開く。

「二佐は、亡くなられましたっ……! 指揮権は喪失、あたしは……勝手には動けません」


598 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 03:58:43.23 xlx1rXlG0 437/860


「でも今のがあるんじゃねぇのか!?」

「だめなんです! 敵戦闘機を追い払うくらいのことはできますけど、大口径砲や徹甲弾、電探の使用は、認証が必要なんです!」

「なんだそりゃ、くそシステムじゃねぇか!」

「齋藤、いまここで文句を言ってもしょうがないよ!」

 そうだ、俺たちのすべきは制度やシステムの是非を問うことではない。そんなのは病院のベッドの上で好きなだけやればいい。
 齋藤は憎々しげに舌打ちをして、エレベーターの壁から背を離した。救命ポッドの位置に当たりをつけ、高木と視線を交わらせ、頷く。足元さえ見て走れば、あとはそれだけでいい。

「お前も行くぞ」

「おう」

 俺は応えて……気が付いた。

 気が付いてしまった。


599 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 03:59:13.39 xlx1rXlG0 438/860


「どうした、早くしねぇと!」

「比叡」

「なんですか?」

 比叡の目を見た。疾しいことなど何一つない、きれいな、澄んだ瞳だった。

 だから確信を抱くことができる。

「全員を救命ポッドに乗せて、お前も当然、それに乗るんだよな」

「あたしは艦娘ですから、海の上を走れますから」

「タンカーから油が漏れだすかもしれねぇ。最悪、火の海だぞ」

「あははっ! そんなのうまく避けてみせますって! だーいじょうぶ!」

「……」

「……なんですか?」

「敵が救命ポッドを見逃してくれると思うか?」

「だから、あたしがそこは何とかします! してみせますよー!」

「何やってんだ、早く!」

 齋藤が叫ぶ。比叡が殲滅したはずの飛行体は、また数を増やしつつあった。


600 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 03:59:42.82 xlx1rXlG0 439/860


「……先に行ってくれ」

「でも!」

「……何を考えてやがる」

「それはなぁ」

 俺じゃなくて比叡に言って欲しかった。

「ばかげてる!」

「必ず追いつく。ほら、行けよ」

「……くそ!」

 二人は走り出した。俺は視線を二人から切って、比叡に正対する。
 俺の背後、二人が向かった方角から、銃声。その音が心地よい。

「……なにやってんですか。逃げてくださいよ。逃げないと。ほら!」

「お前の命を犠牲にしてか」

「もう、失礼なことを言わないでください。あたしは死ぬつもりなんてこれっぽちもありませんってば」

「艤装は使えない。敵は大群。恐らく、格の違うやつもいるんだろう?」


601 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 04:00:31.86 xlx1rXlG0 440/860


「……種別、鬼。聞いたことありますか?」

「ねぇな。強いのか」

「はい。滅茶苦茶に。ROEの話はしましたよね? 艦娘にも当然それはあって……種別鬼とは戦うな、必ず逃げろ、と」

「なら」

 お前も逃げるんだよな?

「だから!」

 ……逃げるに決まってるじゃないですか。

「乗組員が逃げたのを確認して、逃げおおせるのを見届けてから?」

「……ひえー、参ったなぁ」

「比叡」

「だーいじょうぶですって。あたしはこのために艦娘になったんですから」

「大丈夫ってのはそういうことじゃねぇだろう」

「そういうことですよ」


602 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 04:02:03.94 xlx1rXlG0 441/860


「誰かを護るために艦娘になったから、それで死ぬなら本望だってか!?」

 悔いがないから。本望だから。
 だから、大丈夫。

 そんな言葉遊びを認めるわけにはいかなかった。

 だって、俺は、お前のような存在をありとあらゆるこの世の脅威から守りたくて、軍人になろうと決心したのだから。

「違いますよ」

 比叡は笑った。虚勢には見えない。
 心底満足そうな、そんな。

「あたしは、こんなあたしにでも、価値が生まれて、生きててよかったんだって思えることに出会えて、感謝してます!」

「お前は、何を言ってるんだ……?」

 おかしな話だった。満足そうに笑う比叡が、どうして泣いているように見えるのだ。
 頬に一筋の輝きが見えるのだ。

「あたしのことです。『あたし』の」

 『比叡』ではなく。


603 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 04:02:38.70 xlx1rXlG0 442/860


「神様は『あたし』を『比叡』だと誤解してるんです。みんなが自分の傍から離れてっちゃう寂しさに引き寄せられてるんです。誰かに雄姿を見てほしいんです。独りはいやなんです。いやなんですよぉ」

 比叡の言葉が、俺にはわからなかった。もとより俺が理解できるように喋っているつもりもないのだろうが。

「あたしが独りなのは、あたしが悪い子だったからです。駄目な子だったからです。きっと『比叡』もそう思ってます。活躍できなかったから、誰にも看取られなかった。頑なにそう信じてる。
 だけど、あたしはもう違う。変わるんです、生まれ変わってやるんだ。
 頑張って頑張って頑張って、艦娘で大活躍したら、お母さんもお父さんもあたしのところにちゃんとお迎えに来てくれるはずなんです!」


604 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 04:03:19.33 xlx1rXlG0 443/860


 駆けだした比叡の手首を、俺は反射的に掴んでしまっていた。

「やっ、なんですか、やめて、離してください! あたしなんかに構わず、早く逃げて!」

「認証」

「えっ?」

「認証ってのが、必要なんだろう」

 目が見開かれた。流石にそれは、いくらこいつでも予想していなかったようだった。
 俺も、よくそんなことを思いついたものだと――試してみる気になったものだと、自分で自分が恐ろしい。一体どれだけのやけっぱちだろうか。

「二佐は死んだ。指揮権は宙ぶらりん」

 なら。

「今から俺が、お前の司令だ」

「はっ、……はぁっ? ちょっと、それは、えぇ?」

「時間がねぇんだろう。可能なのか? それとも、やっぱり無理か?」

「いや、そんなことしたらだって、あたしの責任が、死んだら、失敗とか規則違反とか全部、いやいやだめですだめだめだめだってば!」


605 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 04:04:20.32 xlx1rXlG0 444/860


「その言い方、可能なんだな」

「……」

 たっぷりと間を置いて、たぶん、と彼女は答えた。

 親指。人差し指。中指。薬指。小指。

 五指をあわせて、手早く認証の手続きを済ませていく。

「……あの、どうして、ここまで」

 尋ねられると困ってしまう。どうして。ここに来るまで、理由を考えたことなどなかった。
 なんとなく。それが一番近いかもしれない。俺は俺が善人だとは思えなかったが、それでも困っているひとや、泣いている人を、

 ……それだろうか。

「泣いている女は苦手なんだ」

 認証が完了。指揮権が俺に移る。
 それがどれだけの規則破りなのか、考えるだに恐ろしかった。放逐されるだけなら御の字で、それ以上の処罰もいくらでもあり得る。まぁ益体の無い考えに違いない。まずは俺が生きて日本の地を踏めねばならないのだから。


606 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/15 04:05:01.56 xlx1rXlG0 445/860


「司令」

 比叡が小さく呟く。その口当たりを確かめるように。

「司令」

 そして、俺を見て、もう一度。

「司令」

 はにかむように、恥らうように、笑った。

「気合、入れて、いってきます」

「頼む」

 俺は一体、何を頼んだのだろうか。
 深海棲艦の殲滅か。時間稼ぎか。彼女の生還か。

――結果的に、最後のそれだけは果たされることはなかった。
 艦娘「比叡」は、嘗ての戦艦「比叡」と同じように、誰にも看取られずに海の底へと沈んでいった。


614 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/17 02:08:31.23 fb5PHZgP0 446/860


 DDH「ひえい」、及びタンカー「洲崎」、全乗組員数合わせて三九七名のうち、確認されているだけで死者は一一九名、重軽傷者は一七二名にも上り、史上初の――そして史上最大の、三桁数の死者を出した深海棲艦による海難事故となった。
 随伴していた艦娘「比叡」は、「ひえい」乗組員の避難を誘導したのちに深海棲艦へと対峙、戦闘を開始。それが十三時十八分のことである。

 まず比叡はDDH「ひえい」を離れ、タンカーへと向かった。「ひえい」の沈没が不可避であることを見据え、タンカーの乗組員の救助、及び油の漏出を少しでも遅れさせようとする判断だと思われる。
 タンカーに取り付いていたイ級、ヌ級、それぞれ数機ずつと会敵、これを撃破したのが十三時三十一分。この時点で乗組員は全員避難が完了していたが、タンカー自体の動力は停止しきっていなかった。比叡はタンカー内部に侵入しようと試みた形跡が残っている。
 深海棲艦の第二波との交戦が十三時三十五分。戦艦タ級、及び戦艦棲鬼一体ずつと、比叡は放火を交えることとなる。


615 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/17 02:09:57.29 fb5PHZgP0 447/860


 比叡がタ級の顔面を殴り、バランスを崩したところへの胴回し蹴り。波濤へ埋もれたその隙をつき、大口径砲の掃射で屠る。しかし背後から戦艦棲鬼が接敵。反応の遅れた比叡は数発の砲弾を受けるも、即座に反撃に移る。十四時十八分のことである。

 ……一撃を受けるごとにカメラの映像が乱れ、飛沫が舞う。

 鬼の従える怪物が、気の狂ったように両腕を振り回す。比較対象の少ない海上でさえ、その太さは明らかだった。比叡はそれを間一髪で回避していく。どう見ても反応が当初より鈍い。
 ついに回避しきれない時が来た。何とか間に合わせた体の防御の上から、重たい一撃。画面の左上が欠け、音は途切れる。画面の隅が白くハレーションしたのは砲撃による爆裂だろうか。

 一拍の、ぐ、という溜め。その後の吶喊。最短距離を往く比叡の目には鬼の本隊、虚ろな目の女しか見据えていない。
 怪物の腕が振るわれた。最早比叡には避ける気がない。いや、あるいは……。

 手首から先が弾けて水の中へと落ちていくのが映っていた。


616 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/17 02:11:20.90 fb5PHZgP0 448/860


 映像が震える。光が収斂し、比叡の周囲へ集積。八門の砲塔。残った右腕、人差し指が、ぴんと鬼の頭部を狙っている。
 比叡の顔は見えない。

 笑っているのか? 笑っているんだろう。
 笑っていてほしかった。

 いや、それは結局、勝手なこっちの都合を押し付けているだけなのかもしれない。

 映像はそこで途切れる。信号消失。最後の時間は、十四時五十四分。
 比叡は、実に一時間半もの時間を、たった一人で持ちこたえたのだ。

 あの深海棲艦の大群を相手に。

 俺たちを逃がすために。

 膝についた手に力が入る。あそこに俺がいたとして、何もできやしなかったろう。銃弾は効かない。爆撃も無意味。そもそも俺は海の上に立てやしない。だからこの歯がゆさは、きっと解消のしようがないものなのだ。
 だから? だから座して見ていろと? 指を咥えて黙っていろと?

 だが、結局、逃げたのが俺だった。あいつに任せたのが俺だった。
 認証などせずに無理やりにでも引っ張って逃げるべきだったのか、それすらも曖昧だ。ただ、あいつの奮闘のおかげで、油の燃焼から大部分が逃げ出せたと言うのもまた事実。


617 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/17 02:12:27.01 fb5PHZgP0 449/860


 結果はわからない、故に正しい過程を経ることこそが重要なのだ。そう知ったように嘯くやつがいたとしたら、俺は間違いなく殴っていただろう。なぜ? どうして? なんのために?
 俺にその権利があると?
 一体全体、何様のつもりなんだ、お前は。

 スクリーンに投影されていた、比叡の今わの際の録画が、ボタン一つで停止させられる。プロジェクターが小さく部屋の中央で唸りを挙げていた。
 俺はアームチェアに座っていた。スプリングのよく利いた、高級そうな代物だ。事実高級なのだろう。なんせここは大本営の参謀本部なのだから。

 円卓を挟んで目の前におわすは、その主。海軍の幕僚長であらせられる、元帥閣下。
 海防局の局長と、広報部の部長補佐、沿岸警備部深海棲艦対策室の室長もその隣に立っている。錚々たる面子に俺は息も満足にできない。

 わからなかった。すぐさまに査問にかけられ処分が下ると思っていたが、俺に与えられたのは一週間の休暇、そしてこのお歴々の面々に会いに行けという指示だけだった。その通りにしている現在でも、現状の把握が十分とは言えない。


618 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/17 02:14:01.64 fb5PHZgP0 450/860


 とりあえずは今すぐに放逐されるという様子ではなさそうだ。寧ろ手厚い歓待さえ受けているようで、逆に恐ろしささえ感じる。

「これは」

 室長がこちらを見た。眼鏡をかけた、神経質そうな男だった。

「きみの指示かい?」

「……これ、とは、なんでありましょうか」

 思わず直立の姿勢をとろうとするも、局長が「座ったままで結構だ」。居心地の悪さを感じながらも腰を椅子へ戻す。

「素体名は船坂夏海。検体番号はKON-2-15。きみが知るところの戦艦比叡、彼女のことだ。
 きみは彼女に、深海棲艦と戦うように指示を出したか?」

「……出していません」

 改めて考えても、やはり答えはノーだった。深海棲艦の戦いに赴こうとしたのは、あいつ自身の意志だ。無論そこには俺の願いもあった。だが、仮に俺が止めたとて、乗組員の生存率を少しでも上げるためならば、敵陣に突っ込むことを厭わなかったに違いない。
 俺の返答が意外だったのか、それとも予想と外れていたのか、お歴々の視線がそれぞれ交わされる。僅かなどよめきとともに。


619 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/17 02:14:46.09 fb5PHZgP0 451/860


「なら、なぜ彼女は?」

「そのために、艦娘になったから、と」

 どこまで言っていいものか判断にあぐねた。彼女は言っていた。誰かに認めてほしかったと。活躍して、両親が戻ってくることを期待しているのだと。
 俺は彼女の事情を知らない。事情を知らない人間が、まるであたかも真実であるかのように、他人のことを詳らかにするのは抵抗があった。
 それともこの上層部は比叡の全てなど御見通しで、ただ確認のために俺へ問うているのかもしれなかった。だとするならば、俺がきちんと答えないことは、認識の齟齬を招く。

 それは比叡に申し訳が立たない。

「みんなを助けて、艦娘として活躍して、……そうしたら、両親が迎えに来てくれると、そのようなことを」

「なるほど。どうですか、局長」

 局長は白髪が特徴の男だった。温和そうな顔に、でっぷりとした腹を備えている。
 問われ、小さく頷く室長。

「彼女は養護施設の出身でした。辻褄はあいます」


620 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/17 02:15:13.68 fb5PHZgP0 452/860


「補佐殿は」

「まぁ、どうにでもなりますよ。どうにでもね」

 部長補佐はこの中では一番若いように思われた。明るい髪の色をしていて、スーツの着こなしもカジュアルに近い。

「きみは、KON-2-15に認証を行った。勝手に、だ。そのことがどれだけ重大な規律違反か、わかっているかな」

 きた、と思った。本題だ。

「……はい」

 さぁ、どんな処罰が下る? どんな処遇でも受けてやるつもりはあった。
 孤独に海の底へ沈む以上の辛いことがあるか? そうだろう?

「なぜ、きみは、そんなことを?」

「……え?」

「重大な規律違反と知っていた、ときみは今言った。なるほど、となれば私たちは、当然こう考える。
 即ち、『重大な規律違反と知ってなお、そうせざるを得ない状況があった』。違うかな」


621 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/17 02:16:46.04 fb5PHZgP0 453/860


「……?」

 なんだ、これは。どういうことだ。
 まさか、俺を慮ってくれていると、そういうことなのか?

「……はい。私は依然、比叡本人から、彼女に指揮できるのは樫山二佐のみであると聞いていました。そして深海棲艦の襲撃の最中、二佐が亡くなったことを受け……比叡への指揮権が消失し、そのため武器の使用ができない状況なのだと知りました」

「つまり、『深海棲艦打倒のために必要な、緊急事態的な措置であった』と?」

「そういう、ことに、なります」

「なるほど」

 鷹揚に室長は頷く。そして三人を窺い、また頷いた。


622 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/17 02:17:19.81 fb5PHZgP0 454/860




「ならば、きみは英雄だ」




623 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/17 02:17:54.02 fb5PHZgP0 455/860


 鳥肌が全身に浮いた。声のもとは局長でも、室長でも、補佐でもない。
 これまで無言を貫いていた、この部屋の主人。革張りの豪奢な椅子に体を預け、徽章や飾緒を見せびらかすように、ある程度の角度をつけてこちらに向いている。

「英雄の誕生には、乾杯をせねばならないな。おい、ワインを。この間貰ったいいやつがあっただろう、それだ。それを持ってきなさい」

 元帥が二度手を叩くと、部屋の外で待機していたのであろう、女従が二人、部屋へと入ってくる。一人は手にワインを持ち、もう一人はワイングラスを。
 コルクが小気味よい音とともに抜かれた。少し離れた位置からでもわかる、頭がくらくらしてしまいそうなほどの芳醇な、妖艶な香り。

 頭がくらくらしてしまそうなのは、ワインのせいだけではないかもしれなかったが。


624 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/17 02:18:29.94 fb5PHZgP0 456/860


「あの、これは……?」

「ワインは苦手だったかな? それとも、つまみが必要かな? だったらクラッカーなどを用意させよう」

「もっ、申し訳ありませんが、私はなぜ、ここに呼ばれたのかを、理解しておりません」

 意識していても声が上ずる。目の前の元帥、この老人から、俺を圧倒する生気が放たれていた。

「あまり答えを急いで求める必要はない。きみは英雄だ。それにふさわしい振る舞いというものがある」

「お言葉ですが、私は英雄などでは……全ては比叡が」

 俺はただ認証をしただけだ。願っただけだ。

「英雄はきみだ。きみなのだよ」

「ですが!」

「あまり声を荒げるな、老体に響く……。
 きみは処罰を覚悟で、亡き二佐の遺志を継ぎ、規律違反を犯してまで艦娘を使役。その結果、百数名の死で、食い止めることができた。
 無論、死んでしまった者たちには哀悼の意を捧げたい。だが、事実として最悪は避けられた。……何よりきみは、深海棲艦、その中でも不可能とされてきた鬼を、屠ったのだ。胸を張って凱旋するべきだ」


625 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/17 02:19:15.17 fb5PHZgP0 457/860


「え、あ……?」

 声が出ない。違うと叫びたかったのに、それさえも俺から奪われてしまっている。

「違うかね?」

「違いませんねぇ」

 代わりに答えたのは部長補佐。

「やはり艦娘は我々が指揮してなんぼでしょう。兵器は兵器として存在してくれなければ困ります。自我を持つのは結構ですが、それでは統率がとれませんし」

「あ、お、ま……」

 愕然とするほかない。
 俺はここでようやく、自らが嵌められたのだということに、気が付く。

 深海棲艦が現れた。海が支配された。艦娘が登用され、配置される。俺たちの武装はまるで意味を為さない。護衛船に、さらに艦娘の護衛が付く。前線を支えるのは彼女たちだ。軍人は後方支援に回らざるを得ない。
 俺たちは、そういうものだと思っていた。だってそうするしかないじゃないか。艦娘しか立ち向かえないなら、彼女たちが前線に立つべきで、俺たちは後方支援に徹するのが、最も効率的というものだ。


626 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/17 02:20:09.95 fb5PHZgP0 458/860


 当たり前の話だ。ずっとそう思っていた。勿論抵抗がないわけではなかったが、そんな安っぽい矜持で人を護れるはずがない。
 戦場を艦娘に渡したくない人間がいるなんて、範疇外。

「まさか、そんな、あんたらはっ!?」

「口を慎みなさい。元帥の御前です」

「これまで不可能だった、強敵の打倒が、ここにきて初めて成った。しかも一兵卒による、処罰を恐れない決死の行動によって。やはり小娘どもの自主性などに任せておいては、効率的な運用など夢のまた夢! 我々が采配を振るわねば!」

 局長が狂ったように叫ぶ。室長も音こそならない拍手をしている。

「きみには勿論厚遇を用意してるからさ、まぁセミリタイアだと思って、ゆっくりしてよ。自伝でも出しちゃうかい?」

「俺は、俺はっ! そんなつもりで戦ったわけじゃない、あいつを行かせたわけじゃない、見殺しにしたわけじゃ、ないっ!」


627 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/17 02:20:48.10 fb5PHZgP0 459/860


「落ち着きたまえ」

「落ち着いてられるか!」

「落ち着きたまえよ、きみぃ」

 元帥が立ち上がった。そのぶんだけ、俺の体に荷重がかかる。

「長い目で見れば、これこそが、最も手早く国を護ることに繋がるのだよ。きみのような若者にはまだわからないかもしれないがね、結果のために手段を選んでなどいられない場面など、世の中には多々ある。
 そもそもあいつらが、艦娘などという兵器を勝手に作り上げ、結果のためには手段など選んでいられないと……先にこちらの面子を潰したのは向こうなのだ。神祇省のやつらなのだ。わかるだろう?」

「……俺が、もし、協力しないと言ったら?」

 精一杯の虚勢を張ってみる。今すぐ撃ち殺される可能性は十分にある。

 冷や汗が流れる。手のひらはべとべとだ。心臓の鼓動がいやにうるさい。
 唇が引き攣る感覚があった。怒りはすでに通り越した。俺は何ということをしてしまったのだという自責が血を滲ませる。


628 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/17 02:21:15.86 fb5PHZgP0 460/860


 元帥はふ、と笑った。俺を嘲っていることは一目瞭然だった。

「そこまで我々を敵対視しなくともよいだろう。部長補佐もいったように、セミリタイアだと思えばよい。ほとぼりが冷めたら、世間から離れて、ゆっくり外国で暮らすのはどうだ?」

 一歩、元帥が近づいてくる。

「お兄さんも結婚を控えているのだろう? ご両親を心配させたくはないのではないか?」

 どくん、どくん。早鐘が体の内側で鳴っている。
 それは敗北を告げる音だった。俺は、死ぬのが自分であるのなら、どうにでもなった。それは比叡と指を合わせたときから覚悟していたことだったから。
 だが、家族は。兄は。義姉となるひとには。

「英雄を喪うのはこちらとしても辛いのだ。……どうだ? わかってくれまいか」

 巨大な権力を相手にしたのが、致命的な俺の過ちに違いなかった。


635 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 00:33:00.30 weAmJvBW0 461/860


 一躍、時の人。

 頭が割れそうだった。気が狂いそうだった。表情筋がブチ切れてしまいそうだった。
 記者会見で大々的に俺の偉業が発表される。我が身を省みることなく、上官の遺志を継ぎ、指揮を執った稀代の正義漢。死者百名余という大惨事、けれども見方を変えれば全滅の危機を救ったことになる。

 焚かれるフラッシュ。信じているのかいないのか、記者の顔はどいつもこいつも読み取れない。

 部長補佐が熱っぽく語る。彼のような人物が増え、艦娘を指揮することができるならば、いずれ深海棲艦など容易く全滅させられるだろう、と。
 あくまで艦娘は添え物。軍人が指揮し、戦場を支配することが前提の論陣。
 俺には笑顔が強制されていた。自らの言葉を喋ることは許されない。全ては部長補佐が捻りだしたシナリオに沿って事が進む。

 そこには俺はいなかった。


636 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 00:33:59.67 weAmJvBW0 462/860


 稀代の英雄。善意に篤く、弱きを助け悪を挫き、不正を決して見逃すことのできない人格者。訓練時代から突出した能力とリーダーシップを発揮し、周囲をまとめ、出世頭と目された……らしい。一体誰のことだ? そりゃ。
 ついには全く見たことのない親友までが現れて、したり顔でインタビューを受けていたのには、驚愕を超えて笑ってしまった。

 きっとテレビの中の俺は煙草など吸わないのだろう。酒も嗜む程度にしか飲まないに違いない。人付き合いもよくて、休日は恋人と仲睦まじくデートをしているのだ。
 ばかばかしい。くだらない。

 お偉いさん方が言っていたとおり、報酬は莫大だった。金。家。上等な女を幾人もあてがわれたし、俺の希望は何でも通った。仕事はテレビカメラに向かって手を振るだけ。上っ面のいい、耳触りのいい言葉を、穏やかな調子で喋るだけ。
 あぁ、なんて割のいい仕事だろう! トップクラスの俳優だって、ここまで軽くは稼げまい!


637 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 00:35:06.39 weAmJvBW0 463/860


 毎日毎日俺の映像がニュースで流される。比叡が戦っているあの映像さえも放映され、軍事評論家と名乗る人間が、いかにこの戦闘が素晴らしいものかを語っていた。
 曰く、歴戦の司令官でもこうは指揮できない。護国のためという情熱が画面から伝わってくるようだ。的確に倒せる戦力から削ぎ、距離の取り方も絶妙だ。

 嘘も大概にしろ、と叫んだところで、俺の言葉など誰も聞いてはいない。聞くつもりさえないのだ。どいつもこいつも紛い物の美談に酔い、偽りの輝かしい未来を見据えて悦に入っている。
 それは俺に力がないからではなかった。そもそも、後ろ暗い真実など、誰も求めてはいないのだった。

 悲しいニュースはもう沢山。楽しい、明るい、幸せな話を聞いていたい。話に多少の齟齬があったって、各自が都合よく脳内で補完、修正する。

 本当に戦いが素晴らしいものであるのなら、それは勿論、比叡の功績だ。


638 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 00:35:55.05 weAmJvBW0 464/860


 護国のためという情熱が伝わってくる? 本当に? あいつがそんなもののために戦っていたとは、俺には到底思えなかった。
 国が尊く、個人の上位にあり、そのためならば全てを犠牲にしてでも赦される。そんな価値観はあまりにも前時代的すぎる。少なくとも、比叡はそんな巨大なもののために戦っていたのではなかった。彼女はあくまでも自分のために戦っていた。
 結局俺はあいつのことを大して知らないままだ。戦いに赴く前に比叡の言った言葉の理由、背景については、問い質せば答えは貰えただろう。今の俺の機嫌を損ねることに意味はない。そう判断できるくらいには、俺は冷静でいることができた。

 それでも知ろうとしなかったのは、あぁそうだ、俺はどうしようもなく臆病だった。全てに倦んで、やけっぱちだった。
 自らを包む暖かいそれが、毛布ではなく泥濘だと理解してなお、逃げ出す努力を怠った。
 だってそうだろう、仕方がないじゃないか。そんな言い訳はいくらでもできた。敵は巨大で、組織立っている。こんなちっぽけな個人で太刀打ちできるわけがない。

 それでもやはり、一言で表すならば、俺は臆病だったということになる。


639 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 00:36:41.81 weAmJvBW0 465/860


 比叡に後ろめたかった。あいつを直視して、懺悔しながら生きるには、俺は途轍もなく矮小な人間だった。

 自らの運命に自ら決着をつけられない、殆ど愚かな人間だった。

 誰も彼もが俺を見ない。これからの海軍と国防を背負って立つ人間として、拍手喝采、期待の言葉を投げかける。だが、持て囃す偉業全てが虚構。

 俺は比叡を指揮していない。ただ彼女に願っただけだ。頼む。一言、それだけを。
 それがどんなに無責任な言葉だったかを知らずして!

 そして比叡も俺に巻き込まれた。俺は俺として生きる権利を剥奪され、彼女は彼女として死した後、彼女ではないナニカとして語り継がれる辱めに遭う。
 虚構の中で、彼女は強く正しく生きる学徒だった。両親の不幸に見舞われながらも懸命に前を向き、児童福祉施設では年長者として保護者として慕われ、艦娘による給金の殆どを施設へ送っていたという。
 現代のジャンヌ・ダルク? 誰だ、そんなうすら寒いキャッチコピーをつけたのは。

 確かに強く正しく生きていたかもしれない。懸命に前を向いてもいた。児童福祉施設云々は、このときの俺には知る由もなかったが、そう言うこともあり得るだろうとは思っていた。

640 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 00:37:12.28 weAmJvBW0 466/860


 だが、違う。違うのだ。
 あいつはそんな華々しい活躍がしたいがために、戦ったのではなかった。人の命がどうだとか、国のためにこうだとか、それはあいつを語る上では不適切。本懐からは大きく外れている。

 俺は比叡のことを知らない。まるきり知らないというわけではなかったが、人となりや経歴は、知識として皆無と言ってもよい。
 だからすんなりと呑みこめた。有名になって、両親のもとへと帰りたい。あの時の叫びが心からのものであるということを。

 彼女は両親のもとへと帰りたかった。
 今やその願いは塗り潰されて、志高い愛国の戦士の仲間入り。

 軍の上層部やマスコミ、そして報道を簡単に真に受ける人々を恨まなかったわけではない。
 だが、一番の原因は、俺だ。

 俺さえいなければ。

 比叡は生き延びることができたのかもしれなかったし、仮に戦場で命を落としたとしても、彼女として語られていたはずだ。
 その可能性を俺が奪ったのだ。


641 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 00:39:33.28 weAmJvBW0 467/860


 そんな俺の絶望なぞ露知らず、人々は戦いに沸き立ち、軍の入隊希望者は前年比で1・4倍。艦娘の徴用も進み、1・2倍。検査対象者の数だけならば、1・9倍を記録したという。
 その増加に、俺にまつわる一連の出来事がまったく無関係だとは思えなかった。

 だが、愚かなのは俺だけではなかった。

 軍の上層部は見縊っていたのだ。なまじ戦場に、非日常に近いから、気が付かなかった。遠くを見すぎて足元を掬われた。

 上層部の過失はたった一つ。比叡の戦闘の動画を繰り返し放送してしまったこと。それに尽きる。

 そこには戦場で血塗れになって戦い、苦しみの中で沈んでいく少女の姿が、克明に映し出されている。
 例えば、どうだろう。自分の兄弟や、恋人や、あるいは子供が。艦娘の適性があることを理由に徴兵され、艤装を背負い、海の上で化け物相手に血まみれになりながら殴り合う。撃ち合う。抵抗のない人間などそうはいない。


642 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 00:40:04.38 weAmJvBW0 468/860


 日常を望む一般市民の声。彼らは、彼女らは、言う。声高に叫ぶ。プラカードを掲げる。艦娘は現代の徴兵制だ、軍国主義の先触れだ。国家機関による市民への人権侵害だ。
 なるほどその主張は決して間違いではない。反面、独善や、無知や、不見識が、庭の石を持ち上げたときの裏側のように、悍ましくこびりついている。
 今もこの世のどこかで勃発している争いが、絶対に自らの傍では起きないと信ずるのは、あまりに無責任と言ってもよい。

 あの種の輩はテレビに映っている映像が地続きであることを知らないのだ。芸能人やスポーツ選手が自分に縁遠いものだと思うのと同じレベルで、難民や凶悪事件の被害者や、そして俺や比叡が、同じ空の下で暮らしていることが想像できない。
 遠い国で起こったハイパーインフレ。宗教と人種の違いから起こる内戦。麻薬の蔓延。政治の腐敗。地震と津波。原子力発電所の老朽化。隣町で起こることはあっても、隣の家では、それは起こらない。

 当然根拠はない。


643 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 00:40:42.38 weAmJvBW0 469/860


 深海棲艦も同じ。
 ガソリンが高騰して、野菜が高騰して、これまで輸入されてきたありとあらゆるものの流通が制限され、店頭から姿を消し、そこで初めて声をあげる。「こんなことになるなんて聞いていない」。
 艦娘が戦わずして、軍人が戦わずして、どうやって国を護るというのか!

 そして、これは別角度からの有り得なさではあるが――あの動画には深海棲艦の姿が映っていた。戦艦棲鬼と呼ばれる、女と怪物が組み合わさってできた化け物が。
 深海棲艦の声も、当然。

 「深海棲艦が言語らしきものを発するのなら、コミュニケーションもとれるはずだ」などという世迷言を、まさか誰が想像し得よう?

 誰も彼もが愚かに輪をかけた愚かさを発揮していた。その中には当然、俺も含まれる。寧ろ俺が、俺こそが愚者の先達なのだから。


644 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 00:41:28.17 weAmJvBW0 470/860


 誰も彼もが愚かに輪をかけた愚かさを発揮していた。その中には当然、俺も含まれる。寧ろ俺が、俺こそが愚者の先達なのだから。

 流石の軍の上層部も、マスコミも、じわじわと勢力を拡大していく市民運動を掌握しきることはできなかった。もしかしたら利害関係のある何者かの差し金の可能性すら。
 陰謀論だと笑い飛ばすことは、誰にもできない。俺の身がそもそも陰謀に巻き込まれているのだ。証人はここにいる。

 議席の過半数を獲得していた与党は軍の上層部と友好関係にあったが、選挙の結果過半数を割り込む。躍進したのは艦娘の運用を見直すと公約に掲げた野党最大派閥と、深海棲艦との友好的アプローチを目指す新進の党。
 上層部の目論見は瓦解した。全ての議論は振出しに戻り、そもそも艦娘の是非という、これまで俎上にさえ上らなかった話題からスタートする。


645 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 00:42:20.70 weAmJvBW0 471/860


 当然、俺は英雄ではなくなった。梯子は外され、足場は崩れ、掴まるものはなにもなく。

 転げ落ちた先は人でなし。
 人を人とも思わぬ運用の結果、虎の子の艦娘、しかも戦艦クラスを沈めるという無能の烙印。あるいは、折角の深海棲艦との交流の機会を棒に振った、調和の破壊者。

 同時に比叡の美化は止め処なく、軍上層部の犠牲として数百人を守り抜いた人身御供であると、それこそ宗教が生まれかねん勢いだった。
 二度と彼女のような悲劇を繰り返してはならないと、「ノー・モア・ヒエイ」と書かれたシャツを着た数千人が、街中をパレードする始末。

 お前らは一体何を言っているんだ?

 お前らは一体俺の何を知っているんだ?

 お前らは一体比叡の何を知っているんだ?

 俺は何もしていなかった。だから責任がないと言うつもりはない。寧ろ正反対で、何もすることのできなかった無能がゆえの責任が、両肩にのしかかっている。
 だが、俺がまるで直接比叡を地獄に叩き込んだかのような物言いをされるのは、非常に、非常に、業腹だった。


646 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 00:43:03.28 weAmJvBW0 472/860


 比叡はそこまで高尚な人間ではなかった。崇高な人間ではなかった。数百人を助けるためならばこの身を犠牲にしてもよいとは絶対に思っていなかったはずだし、死の間際には家族の夢を見ていたに違いない。
 彼女の大事なものが見るも無残に襤褸にされ、ありもしないものへと変容させられる様をまざまざと見せつけられるのは、何事にも耐えがたい苦痛だった。

 苦痛こそが無能の罪業を雪いでくれるというのなら、謹んで承る所存ではある。だが実際はそうではない。踏みつけられ、貶められるのは比叡であって、俺ではない。

 何よりも苦しいのは、恐らくその真実を知っているのが、俺だけだということだ。

 いっそ死のうと何度思ったことか。

 だがだめだ。俺には、比叡の想いを、本当に知るべき人に知ってもらう責務がある。その責務を果たさずに死ぬつもりはない。
 死ぬつもりはないのだ。


647 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 00:44:11.53 weAmJvBW0 473/860


 比叡が生まれ育った児童養護施設を調べるのは簡単だった。その時点では、既に比叡は我が国の悲劇のヒロインとして扱われていた。その補強に彼女の境遇が深く関係していたから、新聞やネットを漁ればいくらでも情報は見つかったのだ。

 ならば次は連絡手段だ。俺はそう踏んで、出入りの記者でも顔見知りのやつを半ば力づくで引き止める。
 顔見知りの記者は俺となど少しでも会話をしていたくないという風であったが、俺の顔に何を見たのだろう、唇を震わせながら場所や施設長とのアポイントメント確保を約束してくれた。
 掘り下げた比叡の生い立ちも、そのとき聞いた。

 施設長は五〇前後の、人の優しそうな婦人だった。応接室のような部屋に通され、俺たちはソファに腰を掛ける。
 俺はあの日あったことを全て施設長へと話した。それよりも前の、俺と比叡の出会いから、事細かに。声が上ずることを気にもせず、彼女が何を想い、何のために、深海棲艦との戦いに向かったのかを。

 施設長は俺の話を最後まで黙って聞いていたが、俺の話が終わったとみると、眼尻と眉をきつく吊り上げて言った。

「そうやってあの子の死を正当化するんですか? もう結構です。話すことはありません。お引き取り下さい」


648 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 00:44:42.65 weAmJvBW0 474/860


 ……。

 俺、は。

 正当化なんて、違う、そんなつもりじゃ、あいつの死を、俺は。

 酸欠に喘ぐように比叡の両親を探した。無我夢中で、そのとき籍はまだ海軍にあったが、殆どの人間が俺をいないものとして扱った。俺もそちらのほうが心地よかった。時間は無限にあるように感じられた。
 せめて、せめて両親には。あいつが帰りたいと願っていた居場所があなたたちなのだと、それを伝えることは、でなければあいつの死に意味が、魂の帰るところが!

 比叡の両親は離婚しているらしく、父親はついぞ見つからなかったが、母親は何とか見つけることができた。関東圏で、夜の仕事をしているようだった。

「っていうかさぁ、遺族年金? 見舞金? っていうの? あれっていつ入るの?」


649 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 00:45:14.14 weAmJvBW0 475/860


 ……。

 俺は。
 比叡は。

 空気の壁があるようだった。前にも動けず、さりとて後ろにも戻れず。焦燥感と、圧迫感だけが、間断なく苛み続ける。

 親から連絡があった。
 兄の結婚が中止になったと、それだけ書いた官製はがきが一枚、郵便受けに突っ込まれていた。
 その原因が俺であることは、想像に難くない。

 俺たちは。

「……一体、何のために……?」

 少なくとも、こんな仕打ちを受けるために生まれてきたわけではなかった。

 生まれてきたはずでは。

 こんなはずでは。

 本当に?

 あぁ。

 誰か。


650 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 00:45:48.21 weAmJvBW0 476/860




 助けてくれ。




660 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 19:40:25.24 weAmJvBW0 477/860


 頭の中で閃光が炸裂した。思考や意志を全て真っ白に塗り潰す、その光の名は諦念という。
 一体俺に何ができただろう。俺はどうすればよかったのだろう。
 問い質すことすら俺にはできない。その権利はとっくの昔に喪失している。

 それでも生きていかざるを得なかった。前にも後ろにも進めなくとも、体は生を望んでいた。
 何より、ここで死ぬことは、それこそ比叡の背信に他ならないと思った。
 それだけだ。それだけが、俺を俺たらしめ、この肉体を動かしている。やるべきことを為さずして、絶えるにはまだ早すぎる。

 トラックの艦娘たちの力になりたかった。それは嘘ではない。信じられなくともいい。ただ、それでも信じて欲しい。比叡のような死も、俺のような生も、見過ごすには辛すぎる。
 自分と彼女たちをダブらせているのかもしれない。寄る辺ない弱者。同じ轍を踏ませたくないがゆえに、こんな南の島で俺は今、必死をこいているのだ。


661 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 19:40:59.64 weAmJvBW0 478/860


 もしも、万が一でも希望があって、彼女たちを救うことができたなら、それは幸せなことだった。こんな俺にも何かを為せたという実感が伴う。生きる価値を見いだせる。
 俺が何のために生き、何のために苦悩し、何のために死ぬのか。それを知るまでは精一杯喘ぐしか方法はないように思う。そのときに初めて、比叡に対する大きな罪悪感と真正面から向き合えるのだろう。

 だから。

「俺は、響を助けないとならない」

 その言葉を吐きだすことの、なんと勇気のいることか。

 雪風は下唇を噛み締めていた。涙を堪えているようにも見えるし、怒りを押し留めているようにも見えた。口に出す言葉を選んでいるようにも。
 考えていることはその表情からは読み取れなかった。俺の語ったことには嘘も衒いも一切ない。だが、それを雪風が信じるかどうかは、また話が違ってくる。

「……そんなこと」

 ぽつりと雪風が零す。

「そんなことって、ないよ」

「……」

 それがどういう意味かは判断がつかない。話そのものを否定しているのか、それとも俺の境遇に同情してくれているのだろうか。


662 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 19:41:51.56 weAmJvBW0 479/860


「司令がここに来たのは、だから? 死に場所を探し求めて、生き様を探し求めて、だから響も助けるって、そういうこと?」

「……そうだ」

 最早誤魔化すという選択肢は頭にない。
 真摯に向き合うことでしか、雪風の信頼は得られない。

「辛いことばっかりだ。酷いことばっかりだ。なぁ雪風、そうじゃねぇか。お前はそうは思わねぇか」

 力が抜ける。肩と言わず、脚と言わず、全身の。
 ここが漁師の休憩小屋でよかった。俺はよろめきながらも椅子を引き、全体重を預ける。

「それでも俺は生きなきゃならん。少なくともあの時、俺が比叡に認証してなければ、こんなことにはなってなかっただろう。例えあれが考えうる最善だったとしても、だ。
 いや、それとも、もっといい方法がどっかにあったのかもな。足元に転がっていて、気づかなかっただけなのかもしれない。だったら余計に悪者だわな。
 もうわからねぇんだ。自分に何ができて、これからどうしたらいいのか。お前らの力になるってのは、一番わかりやすいじゃねぇか。簡単に存在理由がブチ上がる。だろ?」


663 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 19:42:27.21 weAmJvBW0 480/860


「……そんなの、自分で勝手にやってください」

 巻き込むな、とばっさり。

「真理だな」

 自分の振る舞いは全て最終的には自分に返ってくる。良くも悪くも。情けは人のためならずという格言の意味はそういうことだ。
 全ての行動が己が身のためならば、当然勝手にやったって構わない。そう、トラックの艦娘たちのように。勿論、一般的にはそれは、公共の福祉に反しない限りという暗黙の了解が定められてはいるが。

 大井に手を貸すのも、響を鍛えるのも、そうすることが自らの利益になるからである。雪風はその姿勢に対して否定的なわけではない。畢竟、彼女もまた、自らのためにしか生きていない――生きられない。俺を批判するのは難しいだろう。
 とはいえ俺は論戦で勝ちたいわけではなかった。この身の不遇を盾にすれば、殆どの場合同情が買えることを、なんとなくは理解している。それではだめなのだ。

 俺は彼女たちに、俺を受け入れて欲しい。

 ああ、なんて甘ったれた考えだろうか。三十も近づく男が、十も十五も離れた少女に対して受け入れて欲しいと思うなんて、客観的に見れば変態以外の何者でもない。
 それでも、俺は一人で生きられるほどには強くなかった。社会から逸脱してなお、拒絶されてなお、孤高を貫けるような人間ではなかった。


664 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 19:43:11.10 weAmJvBW0 481/860


「俺が響を鍛えると言ったらどうする?」

「邪魔しますよ」

「勝手にやらせてくれねぇんじゃねぇか」

「勝手にやってください? 雪風も勝手にやるだけです」

「なるほどな」

 勝手同士のぶつかりあいの構図だ。

「……比叡のお姉ちゃんは、きちんと死ねなかったと、言いましたね」

「あぁ」

 俺のせいで。

「無責任な第三者は、優しい言葉で心を刺します。勝手に自分の物差しで他人を測って、勝手に不幸だって決めつけて、勝手に可哀そうがる。
 司令はどうです? 比叡お姉ちゃんが本当に家族のもとに帰りたかったと思ってますか? 司令の抱いてる責任感こそ、無責任の賜物だとは思わないんですか?」

 他人の気持ちなんて究極的には理解不能だ。自分の気持ちでさえ定かでないときも多いのに、それはある種当たり前の話なのかもしれない。
 マスコミや活動家の連中は、比叡を悲劇のヒロインに仕立て上げたが、俺もまたそうでないとは言い切れない。悲劇の形が違うだけだ。

 そんなことはない、と断言できる要素はどこにもなかった。


665 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 19:43:55.50 weAmJvBW0 482/860


 だから、こう言うべきなのだと思った。

「俺の価値観だ」

「価値観? 結局は独善ってことですよね」

「そうだ」

「それで雪風たちに迷惑をかける、と」

「うまくやるさ」

「今までの話を聞いてて、うまくやれた試しが全然なさそうに思います」

 痛いところをついてくる少女だった。

「そのチャンスが欲しいんだ」

「ゲームじゃありません。もう一回、にはならないんですよ」

「それでも」

 少し息を吸い込んで、

「俺は、お前たちの力になりたい。お前たちを幸せにしたい。そうすることでしか、俺は幸せになれない、そんな気がするんだ」


666 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 19:44:22.98 weAmJvBW0 483/860


「……あなたは、幸せになる権利のある人間なんですか?」

 吐きそうなほどの頭への衝撃。雪風の言葉は力を持っている。
 選択を間違えた俺に、比叡を不幸にした俺に、果たしてそんな権利があるのだろうか。死者を振り切って逃げることは罪悪ではないのか?

「……なれなかったら」

 せめてもの抵抗として、俺は目一杯の笑顔を作ってやった。

「権利がなかったんだろうな」

「きもっ」

 どうやら雪風は俺の笑顔が大層お気に召したらしかった。くそ。

「……」

 沈黙。雪風と目が合うが、露骨に逸らされる。

 そのまま何秒が経ったのか。五秒? 十秒? 随分と長い間を置いて、雪風は言葉を選び、確認しながら空中に置いていく。

「なら、響も、そうです。だから、司令が響を助けることは、もしかしたら司令の救済に繋がるのではないかと、雪風は思います」


667 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 19:44:58.82 weAmJvBW0 484/860


「……それで?」

「だけど! ……それはやっぱり、司令、あなたの都合です。あなたの都合で響を危険な目に合わせるということです。戦場に引っ張り出すということです。あのクソ雑魚を。激弱女を。それは我慢がなりません。
 雪風にも矜持というものがあります。ちっちゃな体かもしれませんが、それでも譲れないものが、ちゃんとこの中には眠っているんです」

「二度、死に損なった」

「はい」

「艦娘になる前に一度。なってからも一度」

「はい」

「駆逐艦『響』の略歴を知っているか?」

「はい」

「……そうか」

 なんでも知っているんだな、雪風、お前は。
 いや、響のことだけ、か?
 少なくとも響のことに関しては、かな。


668 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 19:45:39.62 weAmJvBW0 485/860


「響の家族は事故で全滅してます」

「……」

 ……いや、まさか。

 雪風が響の境遇を俺に漏らすとは欠片も思っていなかった。だから、予想外のタイミングで予想外の角度からぶっこまれたその情報は、俺に予想外の効果を齎す。
 脳髄が痺れる。呼吸も忘れ、横隔膜が引き攣り、雪風から視線が離せない。

「なん、で」

「知らないくせにと言っておきながら、いざ蓋を開けたら、雪風もなんにも知らなかったってオチはムカつきます。いちゃもんに正論で返された気分。知らないなら知ればいい、ただそれだけの話じゃないですか。
 それに、……知らないところで話のネタにされて、次に会ったら謎の同情……それって最悪です。だけど司令は多分それどころじゃないと思いました。なら、変に嗅ぎまわられて、響に嫌なことを思いださせるよりは、そっちのがマシです」

「……あぁ、同情なんてしねぇよ。傷をなめ合ったってしょうがねぇしな」


669 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 19:47:52.37 weAmJvBW0 486/860


「響も施設の出身です。舞鶴ひかり園。……やってきたときは車椅子で、包帯も完全には取れ切って無くて、腕をギプスで固定しました。
 詳しくは知りません。交通事故で、響だけが生き残ったそうです。お父さんと、お母さんと、お兄ちゃんが死んでしまって、幸運なことに――不運なことに、響だけが」

 幸運と不運。
 生き残りと死に損ない。

「持つ者にのみ許された苦悩があるように、残された者にしかわからない痛苦もまた、あるんですよ司令。
 雪風のがお姉さんだったから、一年先に施設を出て、身よりもなかったので艦娘になって……トラックに来て、あとから配属された響と再会して」

 トラックを深海棲艦の大群が襲って。

「あのときの響の練度は、確か五だか十だか、まぁそれくらいで、新参でよわよわのへぼへぼで……本当だったら死んでてもおかしくないのに」

「何かが、あったのか」

「ほんとね、くだらないんですよ、司令。くだらない理由なんです。うん、響の不幸は、くだらなさが原因って言っても過言じゃないかもしれません」

 雪風はテーブルの脚を軽く蹴とばした。がたん、すっかり目の慣れた暗闇の中で、一際大きな音が鳴る。
 苦笑していた。困ったなぁ、本当に困っちゃうなぁ、そんなふうだった。


670 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 19:48:24.43 weAmJvBW0 487/860




「死んじゃった提督がね、遠征を間違えちゃったんです」



671 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 19:49:25.57 weAmJvBW0 488/860


「……」

 思わず「それだけ?」と訊こうとして、すんでのところで留まる。納得がいく。それだけ。それだけなのだ。
 たったそれだけのくだらなさが故に、響は生き残り――死に損なって、苦悩の源泉となっている。

「多分何かにミスあったんでしょうね。演習と間違えたのかな? まぁとにかく、響は一人で遠征に出かけて、……本来は一週間の遠征が、途中で泊地と連絡がつかないことに気づいて、五日で帰ってきたときには……」

 泊地は壊滅状態。死者多数。

 戦う機会すら与えられずに、響は今、人生に右往左往している。
 もし神様がいるのだとしたら数発殴りつけてやりたい。悪戯好きを通り越して、そんな偶然は性悪に過ぎた。

 俺はここでようやく合点がいった。響がどうしてあそこまで強くなろうとしているのか、自らを鍛えて戦いに赴こうと思っているのか。


672 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 19:49:53.54 weAmJvBW0 489/860


 響のそれは赤城のそれとはまったく趣が異なっている。誰かのためと自らのためが殆ど同一化してしまっているのだ。
 誰かを助けることが自らを助けることに繋がる。生き残ってしまったことへの罪悪感が、源としてあるのだろう。命を拾って助かった、幸運だ……それで済ませておけない。その命を燃やして何かを成し遂げなければ、余生を死んだように生きるだけ。

 まるで俺じゃあないか。

 雪風の先ほどの言葉、響の救済が俺自身の救済に繋がる。それは正鵠を得ていた。鳥肌が立つほどの相似がそこにはある。
 正しい生を。でなければ、せめて正しい死を。

「雪風、あいつは、俺は……」

「わかりましたよね? 戦って生き残ったわけじゃないんです。だから弱っちくて、戦場の厳しさも全然知らない。そんなのを連れていって欲しくない。いや、本当に、流れ弾当たって一発でお陀仏です」

 危険なものから引き離す。一面では正しいその対応も、別の側面から見れば悪手となる。火傷せねば炎の危うさを学ばないように。


673 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 19:50:46.55 weAmJvBW0 490/860


「……勝手にやらせてもらう、と言ったら?」

「夜道に気を付けてくださいね」

 まぁ、そう来るか。

「わかった。遠征だ。遠征だけに、連れていく」

 とりあえずここは折れたふりだけでもしないとまずい。

「新型の深海棲艦が二体発見されたっつー話は、神通から聞いていると思うが……今後はそれの捜索がメインになる。艦隊を組んで、海域を塗り潰していく。当然資材の消費は激しくなる。それを調達する係は、別途必要になると踏んでいたところだ。
 面子に関しては龍驤や神通に相談しよう。少なくとも危険がある海域にはいかせないし、当然一人で向かわせもしない。
 ……どうだ?」

「別に――」

「お前や神通がいけばいい、とか言うんじゃねぇぞ。いましがたお前が言ったばかりだ、響は弱い、と。なら、強いやつらを戦場から引き離すわけにはいかねぇ。違うか」

「……違わない、です」

 不承不承といった感じの雪風。


674 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/19 19:51:18.14 weAmJvBW0 491/860


 論理で攻めることに意味がないのはわかっていたが、こちらにも譲れない一線はある。それさえも雪風の「知るかそんなもん」という一声でソデにされてしまうのだから、圧倒的にこちらは分が悪い。
 ただ、決定権という意味であれば、そもそも雪風にすらそんなものはないのだった。響の体は響のもので、彼女がどう動くかを、雪風は縛ることができない。こうして俺に圧をかけているのは、そのことを雪風自身よく理解しているからだ。

 俺たちを脅して響を受け入れないようにすれば、ひとまずの安心は得られる。釘を刺しにきたのであって、であれば折衷案を受け入れてくれる余地は十分にあった。

「……少しでも不審な編成をしたら、ぶっ殺しますから」

 龍驤にも似たようなことを言われた気がする。こいつらはみんな揃って血の気に逸りすぎてはいまいか。

 用事は済んだとばかりに雪風が扉へと向かった。勢いのままに扉を外へと押し出して、

「ふぎゃっ!」

「……だから言ったんですが」

 人影が二つ。
 鼻っ柱を抑えた潜水艦と、月夜においても爛々と瞳の輝く航空母艦だった。


684 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/26 18:55:11.03 zmYsrQkn0 492/860


 初見の感想は「思ったよりもでかくないな」だった。

 前に見たときは漣の視覚を通してだったから、必然多少なりとも見上げる形だった。今、赤城は俺より頭半分くらい小さく、霧島より少し低い。一六五センチとかそれくらいだろう。
 だからこそ信じがたくもある。目の前の少女二人から発せられる気配は、まったく常人のそれとは違う。満ち満ちていて、張り詰めている。少しでも視線を切れば、すぐにでも縊り殺されそうだった。

 いや、まさか58はそんなことをしないだろうし、赤城だってそうだ。それでも二人は歴戦の猛者だった。凛と立つその姿は、背筋が凍るほどに直立していて、ゆえに美しい。

「初めまして、提督。それともお久しぶりのほうが正しいですか?」

 赤城は丁寧に頭を垂れた。長い髪の毛がさらりと肩から滑り落ちる。
 58はそんな赤城を細目で睨みつけていた。いや、見張っているという表現の方が正しいだろう。

685 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/26 18:57:15.97 zmYsrQkn0 493/860


「なっ、なんで、お二人が、ここに」

 雪風の狼狽。純粋な驚きというよりかは、この二人の年長者が不得手であるために見えた。赤城は神通の競合相手であり、58はどちらかといえば赤城に与している、そのせいだろう。
 58と赤城の二人は雪風に対した反応を見せなかった。年長者の余裕。同時に、雪風がここにいることをあらかじめわかっていたように思える。でなければこんな寂れた漁師の休憩小屋を尋ねはしまい。

 それとも、俺か?

「どったんばったん夜中に物音がするから、なんだと思って気にしてみれば、ってとこかな」

 つまらなさそうに58は言った。

「勿論、万が一の時は止めるつもりだったでち。殴ったり蹴られたりはともかくとして、外したり折ったりはさすがにまずいもんね」

 外すって何をだ。折るってどこをだ。

 心の中で文句を言いつつも、その実感謝している自分も確かにいた。58なりの心配……というか、気にかけてくれているのだ。
 勿論純粋な好意ではない。俺たちは、俺が他の艦娘ともそうであるように、互いの利益によって結ばれている。互恵関係。互いが互いのために動くことを前提に成立した間柄。


686 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/26 18:57:52.70 zmYsrQkn0 494/860


 と、そこで俺は58の物言いから気が付いてしまった。

「お前ら、結構前から居たのか」

 ということは、つまり。

「申し訳ないでち。盗み聞きするつもりはなかったけど。
 ……まぁ、聞こえるよね」

「提督、なぜあなたは復讐をしないのですか?」

 問うたのは、当然か、赤城だった。
 その瞳は爛々と輝き、しかし至って平静に見える。怒りはない。同情もない。純粋な疑問だけが、虹彩の中で色を帯びている。あくまで復讐を行うことが当たり前として、その当たり前なことをしない俺が、到底理解できないかのようだ。

「酷い仕打ちを受けたのならば、復讐をすべきです。その権利は誰にでもあります。なぜですか? 自らの傷を自ら癒す、その行為に意味がないとは言いませんが、敵に背を向けることが日本軍人の嗜みだと習った記憶はありません」

 それは血で血を洗う論理だった。もっと言ってしまえば、テロリストとなんら変わりがない。
 赤城ならばやってのけるだろう。完膚なきまでに叩き潰す努力をするだろう。例え敵がどんなに強大であっても、多数であっても、怯むくらいならば初めから行動に移さない。そういったある種の潔癖さや高潔さが彼女には備わっている。


687 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/26 18:58:25.28 zmYsrQkn0 495/860


 だから、なぜと問われれば、俺と赤城は人種が異なる、という結論しかない。

 もしも俺が全知全能の神で、今すぐに、指を鳴らすだけで、敵を破滅させることができるとしたら……その能力を行使することに何ら躊躇いはないに違いない。街中で見つけたうまそうな定食屋にふらりと入るのと同じくらいの気軽さで、気に障るやつらを皆殺しにするはずだ。
 だが、俺には無論そんな力はない。恨みはある。しかし、復讐をすることが果たして俺の幸せに繋がるか、確信が持てないでいるのだった。

 赤城はそんな俺を愚かしいと思っているようだ。だが、俺も赤城のことを、視野狭窄に過ぎると思っている。そして互いに、互いがそう思っていることをなんとなく察している、そんな距離感が確かにあった。

 周囲を見渡せば、赤城のことを大事に思ってくれている奴らなぞいくらでもいるというのに、それに気が付かない。優先順位が硬直しているのだ。
 まず復讐ありき。それが赤城という人間の本質。
 そして復讐の対象は……。

 そんなことをして何になる、とは言えなかった。


688 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/26 18:59:25.76 zmYsrQkn0 496/860


「復讐をするくらいなら、お前らの手助けをしてるほうが、よっぽどいいな」

「……?」

 言語が通じていないかのような顔をされた。赤城は俺の正気を疑っているのかもしれない。首を傾げ、まぁいいや、と小さく呟く。

「ゴーヤ、私は戻りますね。夜明けまで任せました」

「ちょっと待つでちよ、赤城」

「はい? なんですか?」

「新型の話は聞いてるの? 扶桑を大破に追い込んだのと、数人がかりで倒すのがやっとだったやつ。あと青いヲ級も」

「あぁ、龍驤から報告来ましたね。掃海作戦をやるとか。こちらの邪魔をしなければ、どうぞお好きにという感じではありますが……新型がどこから来ているのかは気になります」

 深海棲艦がどこから湧いて出てくるのか、いくつか仮説はあるものの、全て根拠は薄弱だ。


689 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/26 18:59:52.78 zmYsrQkn0 497/860


 防衛省としては、やつらは生物と金属の融合した「金属生命体」という全く新しい種なのだと、対外的には発表している。艦船を襲うのはやつらの主食が金属や重油であり、我々が行っているのは戦争というよりは危険生物の駆除に近い。
 反対に、神祇省は、あれは怨念や邪念が神格を得て顕現したものであるとしている。定義としては妖怪に近い。
 ネットや世間のうわさ話まで広げればそれこそキリがなかった。宇宙から侵略しにやってきたエイリアンだとか、外国が秘密裡に育てた生物兵器だ、海の底で暮らしていた知的生命体がついに我々と接触を図りに来たのだ、エトセトラ。

 赤城の興味が学術的な面から来ていないのは明白だった。棲家さえわかれば、あるいはプラントさえわかれば、一網打尽にできる。そういうこと。

 爆薬を抱えての特攻をしてもおかしくはなかった。


690 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/26 19:00:49.35 zmYsrQkn0 498/860


「あんたはどうするの? ってか、あたしはどうすりゃいいの、ってこと。もし興味があるなら、こっちでもそれなりの準備と心構えはしておくけど、そうじゃないなら適当に雑魚追っ払って終わりにするよって」

「いきなりどうしましたか? ……あぁ」

 赤城は俺を見て冷笑した。

「なるほど。58、あなたも絆されてしまったの?」

「そういうわけじゃねーでち。58の代わりに働いてくれる手足が見つかったってだけ」

「……お二人も、新型を狙ってるんですか」

 雪風が地を這うような声を吐いた。覚悟を決めて問い質す声音。
 赤城と58の瞳が少女へと向く。人を人とも思わない、その価値を値踏みすることに特化した色が、そこには宿っている。

 一瞬だけ割って入ろうかとも考え、結局躊躇してしまう。自分が介入していい事態のレベルをいまだ理解しきっていなかった。きっと依然として自らが部外者であるという意識が、心の奥底に鎮座しているのだろう。
 とはいえ雪風と二人を比べればまるで子兎と獅子である。武力でも、胆力でも、叶うまい。一方的なやりとりになれば体が自然と動くはずだった。


691 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/26 19:01:43.28 zmYsrQkn0 499/860


「狙っている、とは。はて? 多分に誤解が含まれていますね」

「赤城、あんまりそう言ってやるもんじゃねーでちよ。相手は子供、そこんとこは考えとかなきゃ」

「58、それはだめよ。全くの悪手。というよりも、そうですね、無礼極まりない。少なくとも私は、こと礼節に関しては、拘っていきたいと――筋を通した生き方をしたいと、そう思っているの」

「だから復讐か」

 ぼそりと俺の呟きを赤城は聞き逃さなかったようだった。こちらを一瞥して、さも自慢げににこりと微笑む。微塵も臆した様子がなく、気後れしているようにも見えない。

 礼節。仁義。
 失った仲間たちのための。

 やられたら、やり返す。

「こんな眼をして、こんな語気を発する相手に、子供呼ばわりは到底できない」

 赤城は屈んだ。膝に手をついて、軽く腰を曲げ、目線を雪風と合わせる。
 爛々と輝く瞳がそこにはある。


692 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/26 19:03:05.08 zmYsrQkn0 500/860


 雪風は体を震わせ硬直するも、最後の意地なのか、赤城から目を逸らすまいと必死になっているようだった。

「覚えておきなさい、雪風。あなたは何かを勘違いしているようだから。
 ――私たちの道行に、終わりなどはないの。狙いだなんて、そんな……目的じみた存在は、まるであたかもこの世に魔王がいるかのような……ふふっ!」

 赤城の体が弾ける。一息で姿勢を直立まで戻し、踵を返して反転、小屋から数歩離れる。

「そんなものがいればいいんだけど、存外世の中とはそううまくはできていなくて……根絶やしにするしかないのでしょう。ないのでしょう?」

 問われても、返事に窮する。俺の中には答えはなかった。適当な言葉をでっちあげたところで、赤城は瞬時に見透かすだろう。そうしたときの亀裂は致命的に思われた。

「新型を探すならお好きにどーぞ。あたしと赤城には作戦目標なんてもんはどこにもなくってさ、そういうくだらないもんは全部海の底に沈めてきたから」

「くだらっ」

「ないの。ない」

 断言する58。


693 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/26 19:03:52.73 zmYsrQkn0 501/860


「雪風、あんた自分の目的を見直した方がいいんじゃねーでちか? 海の平和とか、北上かどうかとか、そんなのどーでもいいはずじゃん? ゴーヤはめんどくせーことは嫌いだけど、仲間が不幸になるのを黙って見てるほど、冷血でもないつもりでち。
 新型を倒すために新型を探すんじゃ意味がねーって話。わかる? なんのために生きてるか、もっかい見直した方がいいよって、これは年上のおねーさんからの忠告」

 58も赤城を追った。赤城の活動できない夜間は58が海域を哨戒している。それは前にも聞いた話だ。

 なんのために生きているのか。俺はそれを探し求めてやってきた。さらに一歩踏み込んで、俺は生きていてもいいのか、誰かに問うために。
 あるいは、誰かから「生きていてもいいよ」と言われるために。

 赤城は復讐がゆえ。58は、よくわからない。
 なら雪風は? この狂犬のような少女は一体なんのために?

「そんなのっ、決まってますっ……」

 唇を噛み締めた雪風の口から、決意の言葉が出てくることはついぞなかった。

694 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/26 19:04:37.21 zmYsrQkn0 502/860


 決意や決心に真贋があるとは思わない。しかし、雪風は今、58に言い返そうとはしなかった。否、言い返すことができなかったと見るべきだろう。口内から意志が溢れなかったということは、そういうことだ。
 何らかの感情が、それも単一ではない坩堝の色彩を持ったそれらが、複雑な気流を伴って雪風の言葉を堰き止めている。

「赤城!」

 去りゆく背中に声をかける。幸いにも赤城は反応し、振り向いてくれた。

「もし、お前が一人じゃどうしようもなくなったとき、俺たちを頼って欲しい!」

 返答はなく、ジェスチャーもない。
 ふっと酷薄な笑みを浮かべ、真っ直ぐに前を向いた。58が赤城の手を握り、自分の肩越しにこちらを窺っている。諦めろと、そう言っている。

 諦めたのはお前だろう。違うか、58。


695 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/26 19:05:25.32 zmYsrQkn0 503/860


「雪風も、もう、行きます」

 夜の闇の中で、白いワンピースは僅かな光を反射して浮かび上がる。
 しかし、一歩踏み出して、雪風は躊躇した。何か言い残したことがあるのか、口をもごもごとさせている。

「……ありがとうございます」

 まさか礼を言われるとは思っていなかった。心当たりもない。

「なんで?」

「……比叡お姉ちゃんのことを、考えてくれているから。覚えていてくれているから。忘れて、気にせずに生きていくほうが楽なのに。それができないって……司令はおばかさんです」

 そうかもしれない。事実、そうなのだろうな。

「それだけ。それじゃ」

 今度こそ雪風は暗闇の中を走っていった。角を曲がって、見えなくなる。


696 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/26 19:05:54.16 zmYsrQkn0 504/860


「……」

 ふぅ。息を吐きながらまた椅子へと腰かける。

 とりあえず人心地がついた気分だ。一服したいが、さすがにまずは、やらなければならないことがある。
 漣にこちらは落着したぞと連絡をとろうとし、いや、それよりも神通と話をする方が先だということに気付いた。雪風にはああ言ったものの、響を遠征に使う許可が下りるかどうかは、神通次第。
 それもまた誤謬か。雪風が響の自由意思を縛れないのと同様に、神通も響を縛ることはできない。

 神通に向けてコールをすると、すぐに彼女は出た。集音機が波の音を拾っている。今日は少し波が高いようだった。

『終わりましたか。かかりましたね』

「あぁ終わった」

『雪風はなんと?』

「絶対にだめだ、させない、と」

『なら私も「はいどうぞ」とはなりませんね』

「待て。だが、遠征になら、と。戦場に連れ出すなと、言われた」

『……そうですか』

 どこか暗い神通の声。

『それは私にも適用されるのでしょうか』


697 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/26 19:06:29.45 zmYsrQkn0 505/860


 神通は雪風と響を伴って深海棲艦との戦いに赴いている。俺はだめで、神通はよいとする根拠は、彼女の中には希薄なのかもしれない。
 まさかそんなクソ真面目なことを尋ねられるとは思ってはいなかったので、不意打ちに吹き出してしまう。俺と神通、どちらのほうが信頼がおかれているか、共に過ごした時間を考えれば答えは明白だと言うのに。

「そういうわけで、響には遠征をお願いしたいと思ってる。勿論、神通、お前の権限で戦場に連れていくのは構わんし……雪風も文句は言わないだろう。
 どのみち新型の捜索で資材も必要になる。誰かが遠征にはいかなきゃならん」

『そう……そうですね。そうか。そうですよね』

 呆けているのか? 神通の返事には力がない。

『結局、私は……』

「神通?」

『いえ。結果はわかりました。なら、私に口出しのできることではありませんので……。
 響のこと、お任せいたします。何卒、よしなに』

 それだけを言って一方的に通信が切断された。


698 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/04/26 19:07:52.27 zmYsrQkn0 506/860


「……なんつうか、すげぇ嫌な予感がするな」

 これまでのパターンだと大体そうだ。誰しもに苦しみや悲しみや、背負った過去が存在する。普段は不可視のそれは、些細なことをきっかけにして――本人にとってはかけがえのない一線を超えて――一気に顕現しだすのだ。
 響と、雪風と、神通。果たしてその三人の関係性に、微塵も打算がないとは俺には思えなかった。

 誰かを心の支えにして生きている。赤城のように、自立して生きていける人間は多くないし、赤城にしてもそれは独立が故の脆さと紙一重だ。

 だが、今の俺に採れる選択肢はそれほど多くなかった。できることからコツコツと。まずは響をなんとかしなければ、雪風の心配、戦場での轟沈が現実のものともなりかねない。

 俺は小屋を出て、家路を目指す。



続き
【艦これ】漣「ギャルゲー的展開ktkr!」【4】

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