【艦これ】漣「ギャルゲー的展開ktkr!」【1】

217 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/03 21:32:25.11 KLCOlPwi0 171/860


「ご所望ではなかった?」

 屈んで、煙草をこちらに差し出したまま、大井は言う。
 相も変らぬ病院着。日除けの麦藁帽は庇が大きく、顔から鎖骨のあたりまでをすっぽりと陰で覆っている。長袖は日焼け対策かもしれない。熱くないのだろうか。
 茶色い髪の毛が首から鎖骨へ流れ、そして胸の谷間へと落ちていっていた。俺は妙に恥ずかしくなって、思わず視線を逸らす。向こうがなにも意識していないのに、こちらだけ意識しているということが、なんだかいやらしく思えたのだ。

「ここは散歩のコースなのか?」

「火。持ってるでしょう? 貸してほしいんですよ」

 言葉のキャッチボールは明らかに失敗していた。それでも意思が疎通できるということは、俺たちが投げ合っているのは言葉ではないに違いない。

「病人が吸っていいのか」

 その前にこいつはいくつなんだ。

「あら、体のことを気にしてくれるんですか?」

「戦力のえり好みをできねぇのが辛いとこだな」

 本心である。たちの悪い女に雁字搦めにされるような趣味は、今も昔もこれからも、持っていないし持つつもりもない。

218 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/03 21:32:52.76 KLCOlPwi0 172/860


「ひどいですね。こんなにも積極的に、あなたに与しているというのに」

「俺は煙草を吸う女が嫌いだ」

「くくっ。煙草を咥えながら言うのは卑怯ですよ、『ご主人様』」

「……ちっ」

 どうにもこいつといるとペースが狂う。真正面から相手にしようとした俺が馬鹿だった。

 煙草は漣に没収されたが、ライターはあった。ズボンのポケットをまさぐって、大井の口に加えられたブツに火をつけてやる。

「……待機時間が長いんですよ、艦娘ってのは。参ります」

 自分の煙草にも火をつけ、大きく息を吸う。煙をたっぷり肺に溜める。


219 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/03 21:33:24.14 KLCOlPwi0 173/860


「随分とやられたみたいですね」

「見ていたのか」

 こいつは盗み聞きと出歯亀が得意だから、このタイミングでここにいるということは、つまりそういうことのはずだが。
 なら助けろよとは口が裂けても言えやしない。矮小であるが、俺にも矜持というものがあるのだ。

「まぁ落ち込むことはありません。神通は薙刀だか空手だかの道場に通っていたとのことなので」

「お前が俺のことを教えたか」

「まさか!」

 甚だ心外だ、という風に大井。どうやらそれはポーズではないらしい。

「漣はあなたのことを知らないようだったけれど、第三次徴兵までの面子は、大体知っていると思うわよ。前人未到の偉業だ、日本軍人の誉れだなんだ、あの時は騒がしかったから」

「……実際に戦ったのは俺じゃねぇ」

「そりゃそうだわ、あなたは艦娘ではないもの。でもね、寧ろそっちのほうが都合がよかったんじゃない? 戦いが艦娘だけのものになることを、決して快く思わない連中もいるでしょうし。
 そう言う意味で、あなたは適任だったんでしょうね。『戦い』をそちらに取り戻すための言い訳としてね」


220 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/03 21:34:56.96 KLCOlPwi0 174/860


「龍驤や最上も、知っていて黙ってるのか」

 だとすれば俺は稀代の道化だ。

「さぁ? 純粋に知らないってことは、ないと思うけれど。……まぁ、数年前のことだし、興味がないコは顔なんてとっくに忘れているでしょう?
 ――人相もだいぶ悪くなっているようだし、ふふ」

 余計なお世話だった。大井はどこか楽しそうに、縁起の悪い俺の表情を論う。

「でも、謙遜するなというのはその通りだと思うわよ。あなたが成し遂げたのは、実際讃えられて然るべきことだと思うし、……艦娘の中にも、憧れているコはたくさんいたわ」

「はぁ?」

 なにを言っているんだこいつは。一体どこからそんな話がでっちあがる。
 艦娘の寄宿舎なんてのは、海の上に出る前も出てからも、男性一切立ち入り禁止の女の園。隔離された文化が奇妙に歪むのは今に始まったことではないが、大井の口から語られた事象は、俺の理解を容易く超えた。

「何度でも言ってやる。戦ったのは俺だけじゃねぇ。倒したのは俺じゃねぇ。事実を誇張されても煩わしいだけだ」

 本当にあの行いが名誉なのだとすれば、なぜ、どうして、俺は。
 いや、彼女は。


221 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/03 21:36:23.99 KLCOlPwi0 175/860


「どんな強大な敵でも、いずれ、いつか、打ち倒せるときが来る。そう信じられるには十分な出来事だったのよ、あなたがやったことは」

 諦めなければ、きっと、必ず。大井が語ったのは理想であり、現実ではない。大抵の人間の夢への道中では、目的地のずっと前に諦めの境地が横たわっているものだ。
 自らの行為をして自らが特別であると信じるには、俺は少し大人になりすぎていた。あるいは心が歪んでいた。諦めなければ俺はトラックに来ずに済んだろうか。今よりももっと幸せになっていたと?

「もう、その話はするんじゃあねぇ。その結果がこれじゃあ、誰もうかばれねぇだろう。違うか」

 言及するのはやめにした。何を喋っても墓穴になりそうな予感がしたから。


222 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/03 21:37:17.41 KLCOlPwi0 176/860


「なにしに来た」

 こいつと二度目の不毛な探り合いをするつもりはなかった。切り口鮮やかにさっさと済ませてしまうに限る。

「煙草を吸いに来たらあなたがいた、ではダメ?」

「病院を抜け出して、か?」

「もちろん。院内は完全禁煙ですから、たとえトラックだとしても」

「ならあとは勝手にしろ。漣たちを待たせてある」

「進捗を尋ねようと思いまして」

 驚くべき変わり身の早さだった。大井は変わらぬ姿勢で大空へと紫煙を吐き出す。

「時間は有限なので。あんまりぼやぼやしていると、何もかもが手遅れになります」

 それさえ盗み聞きしていたのか、とさえ思えるほどのどんぴしゃり。それくらいはやってのけそうな人間性だと感じるが、後ろめたさが漏れ出していないことを考えれば、お得意の頭脳労働なのだろう。
 俺たちが間に合わなければ、大井の実妹である北上を探す約束、それも当然反故になる。大井自身で探しきることは能わず、俺の代わりの助力を得られる可能性はどこにもない。


223 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/03 21:38:12.86 KLCOlPwi0 177/860


 こいつは北上の生存をどれだけ信じているのだろうか。願っているのは当然だとしても。
 言葉遊びには違いなかった。ただ、願いが裏切られることが常の世であれど、期待はなるべくなら裏切りたくないものだ。

 常識的に考えて、数か月前に海へと消えた人間が、今なお生きている可能性は絶望的だから。
 そして、絶望的だからこそ、悔いが残らないようにしたいものじゃない? 大井は決してその口で紡ごうとはしないけれど、シニカルな笑みの向こう側に、俺はそんな意図を感じたのだった。

「当て所ねぇな。仲間は少ない、協力も得られない。どころか海へ出たら赤城に襲われる始末だ」

「陸の上でも神通に襲われて?」

 襲われっぱなしじゃねぇか。
 どいつもこいつも、血気に逸りやがって。

「とりあえず、いまは少しでも助力が欲しい。協力的なやつらの居場所、知っちゃいねぇか」

 こちらを襲って来ないような。


224 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/03 21:39:39.76 KLCOlPwi0 178/860


「仲間の居場所はわかりませんが、敵の居場所ならわかります」

「はぁ?」

「狩場、というやつです。赤城の、神通の、どちらにも属さない、どちらにも属す、とりあえず4パターン。それを作ってきたので、うまく役立ててくださいというお話をしに来たわけですが。
 あなたの秘書艦、さすがにあの練度じゃあ、どう転んだって死にますよ。こちらとしてもそれは困るんです。役立たずが三人集まったところで北上さんを探すことなど叶わないので」

 病人の大井、新人の漣、そして海の上に立てない俺。

「最上も仲間になってくれた」

「へぇ、それは」

 大井は意外そうな表情でこちらを見た。

「しょっぱなから当たりをひいた、と。中々運のいい。あのコはいいコです。素直で、仲間想いで、練度もそこそこ。偵察機も飛ばせますから、目として活躍してくれるでしょう」

「あぁ、随分と気持ちが楽になった」


225 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/03 21:42:31.94 KLCOlPwi0 179/860


 楽観的な気持ちでやってきたわけでは勿論ない。しかし、実際の有様、そして艦娘たちの姿を見れば、どこまでいっても俺が部外者であることは明白だった。
 手を取り合える艦娘が現地でできたことは僥倖と言って差し支えないだろう。癪であるが、大井、こいつもそのうちの一人のつもりだ。

「まぁ、ですが、それだけでは困るんですよ」

 わかりきったことを、さも講釈のように大井は言う。

「最上が戦力として十分でない、とは言いません。どの口が、と反論されるのがオチでしょうし。ただ彼女一人で戦況ががらりと変わるわけではないのもまた事実。あなた方には、是が非でも戦艦、ないしは航空母艦を仲間にしてもらいたいのよね」

「大物狙いってわけか」

「雑魚なんていないわよ、うちの泊地には。馬鹿にしないでもらえるかしら」

「……すまん」


226 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/03 21:43:01.10 KLCOlPwi0 180/860


 適材適所。戦闘力で駆逐艦が戦艦に及ばずとも、それだけがために駆逐艦の必要性がなくなるということは、決してない。

「わかればいいんです。戦艦や空母を動かすための燃料や弾丸も、結局は主として駆逐艦、あるいは潜水艦に調達してもらうことになりますから。兵站を疎かにする者に勝利の二文字は訪れません。
 頭数は最重要ですし、艦種も様々揃えておいたほうが、万事に融通が利くでしょうね」

「霧島、扶桑、伊58、だったかな。最上から名前があがったのは」

「ですと、霧島あたりは協力的かと。あとは、うーん。微妙なラインですね。協力的かもしれませんが、協調性に欠けているというか」

 それはお前のことではないのか?

 顔に出てしまっていたかもしれない。大井がこちらを冷めた眼で見ていた。

「私は単に性格が悪いだけです。怠惰でも強欲でも傲慢でもありませんから」

 いや、それもどうかと思うが……。


227 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/03 21:43:36.51 KLCOlPwi0 181/860


「どういうことだ?」

「どういうことも、そういうことですよ。七つの大罪、まさか知らないなんてことはないでしょう? 権化がいるの。我が泊地の誇るナチュラルボーン屑が」

 大井はパジャマのポケットから携帯灰皿を取り出し、ちょうど一本吸いきったそれをしまいこんで、踵を返した。

「それでは、私は逃げますので」

 は?

「おい、ちょ」

「狩場のデータ、海図と照合したものをあとで送りますので、隅から隅まで余すところなく目を通してください」

「大井ッ」

「必ず、ですよ」

「ちょっとちょっと、ちょぉーっとぉっ! 大井ッ、さっきから聞いてりゃあんた、人のことをボロクソに言い過ぎなんでちっ!」

235 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/04 21:08:28.60 MZkUa+Q60 182/860


 建屋の中から小走り気味に走ってきたその少女は、勢いもそのままに地を踏み切った。低い弾道で放物線を描き、そのまま大井に跳び蹴りを喰らわせる。
 しかしすんでのところで大井は身を翻していた。大井の口元から、ちっ、とはっきりと舌打ちがこちらまで届く。遭いたくない相手と遭ってしまった、そんな表情。顰めた眉を隠す様子さえ見せない。

 跳び蹴りを放ったのは……うん? なんだ、こいつは。

「なんだこいつは」

「はぁっ!? あんたまでそんなこと言うでちか! さもてーとくヅラしてるけどね、来てまだ数日のペーペーじゃん! それはこっちの台詞なんでちよ!」

 桃色の髪の毛はショートボブ。流れる二筋の髪留め。白いセーラー服は撥水加工の光沢が見られるが、なぜか上だけしか身に着けていない。
 かといって下が裸というわけでは当然なく……なんだ?


236 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/04 21:09:07.05 MZkUa+Q60 183/860


「なんだこいつは」

「だーかーらー!」

 水着だった。濃紺の、普通の、といえばいいのか。俺は少なくともソレを説明する言葉を持っていない。競技用ではなく、学校指定の。そう、それに近しい。
 しかも靴さえ履いていない。

 ここは陸の上だぞ。

「大井! こいつが龍驤の言っていた、新しくきたてーとくでちか! このファッキン不躾なヤローが!? 勘弁してくだち、冗談じゃないでちよ!」

「……でちでちうるさいのよ、でち公。あなたのテンションに付き合ってられる程、私は体力が有り余ってないの。脳筋ではないの。わかる?」

「うっせーばか! 知識で海が泳げるわけねーでち!」

 俺そっちのけで二人は言い争いをしていた。言い争いというか……不快感をあらわにする大井と、烈火の如き勢いで喰ってかかる水着、といったふうだ。
 割って入るべきなのかどうなのか、一瞬だけ躊躇する。矛先がこちらに向いたら厄介だ。一方的に知られている状況はやりにくい。話を漏れ聞く限りでは、やはりこの水着もまた、艦娘であるようなのだが。


237 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/04 21:09:58.73 MZkUa+Q60 184/860


「提督」

「ん、なんだ」

「先ほどの話、努々忘れぬよう、よろしくお願いします」

「あぁ。狩場と海図の照合データ、な」

「隅から隅まで余すとこなく、十全に役立ててください、です」

「目論見はわかんないけど、赤城と神通の邪魔だけはすんじゃねーでち。あの二人が戦いたいって言ってるなら、おとなしく戦わせとけばいいのに、首突っ込む真似は野暮でちよ」

 不貞腐れ顔だった。その辺の椅子に腰かけて、頬杖をついて、ぶすっくれている。
 こいつが俺と大井の話をどこまで聞いていたかは不明だ。予め龍驤から、俺が新しくやってきた提督であることは知らされていたようではあるが、俺の目的や立場を全て知ってくれていると考えるのは流石に都合が良すぎる。

「あなた、『野暮』なんて言葉をよく知っていたわね」

「おーおーいー? 艦娘から喧嘩の小売りに商売変えたでちかぁ?」


238 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/04 21:11:11.92 MZkUa+Q60 185/860


「大井、さっさと病院に戻れ。なんでいがみ合ってんだ、馬鹿かお前ら」

「へへーん、ほーら、てーとくもこう言ってくださるでち! 病弱はさっさと建物ン中に戻るでーち!」

 おい馬鹿。

「もとよりそのつもりよ。それじゃあ、提督。ついでに58も」

「その減らず口がいつまで叩けるか見ものでちっ」

 付き合ってられないとでも言うように、大井は手をひらひらさせて、その場を後にした。煙草を吸いに来たというのは事実なのだろうが、まさか二言三言の会話で済むのは意外だ。もう少し込み入った意図があると思っていたのだが。
 いや、あいつの意図は一旦置いておこう。件のデータ、それを見てからでも遅くはない。

 と、唐突に通信承認が入った。対外秘匿通信。視界の隅に小窓が映り、表示されたいくつかの数字の羅列、識別番号は……主番がトラック泊地、枝番が001。
 目の前の水着の少女に気取られないよう、出る。


239 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/04 21:11:43.19 MZkUa+Q60 186/860


『あ、もしもし。大井よ』

 大井だった。001……まさか語呂合わせではないだろうが、奇妙な偶然もある。

「で、てーとく、あんたとは話したいことが山ほどあるでちよ。返事次第によっては、力を貸してあげなくもないかなって」

『さっきのは伊58。ゴーヤと呼称されてるわ。艦種は、潜水艦。
 別に仲間にしたいってのなら、止める権利は私にはないけど、存分にろくでもない人間なので、徴用するならそれは覚悟の上でお願いするわ』

「あたしは伊号の58。まぁゴーヤでいいでち、みんなそう呼んでるし」

 同時に喋るな。俺の頭はそう言う風にはできていない。

『仲悪いのか』

『別に? 私が文化系、あっちが体育会系。論理が違うのよ』

 いまいち同意しづらい内容だった。
 まぁ、だが、確かに、一連のやり取りを見聞きしている限りではそのようである。
 大井の思慮深さと慎重さを陰気と受け取る人間もいるだろうし、58の自信と直情を傲慢と受け取る人間もいるだろう。


240 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/04 21:12:20.29 MZkUa+Q60 187/860


「てーとく? 聞いてる?」

「あ、あぁ、悪い」

「ぼーっとしちゃってさぁ。そんなんじゃ困るんでちよ」

「お前、話をどこまで聞いてた?」

「大体、でちよ。神通とのやりとりもそうだし、大井とのもそうだし。あたしは新聞読まないからよくわかんなかったけど。
 ……てか、赤城のも見てたでち」

『多分潜水艦の生き残りはゴーヤだけよ。一応練度は泊地で三番目だから、戦闘力に関しての保証はするわ』

「は?」

 待て、大井もそうだが、58も、同時に言うんじゃあねぇ。
 頭の処理が追いつかない。

 58は赤城との一件を見ていた、という。それは今朝のできごとだ。現在時刻は十五時を回っている。58はここにいて、大井とのやりとりも、その前の神通とのいざこざも、全て目撃している。
 ……目撃? その言葉が本当に正しいのか、疑問であった。図らずとも見てしまったのならそうだろうが、しかし、そうではないのだとしたら?
 誰かに尾行されている気がしたのは、やはり勘違いではなかったようだ。
 

241 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/04 21:12:56.55 MZkUa+Q60 188/860


 いつの間にか大井との通信は途切れていた。58と俺を慮っての通信、だったのだろうか。よくわからない。

 それよりもまずは58に集中すべきだった。すべきである、と俺の感覚が告げている。狙いのわからない相手とのやりとりに、精彩を欠くわけにはいかなかった。

「偶然ってわけでは、なさそうだな」

 極力脅しに聞こえない声音を作って、そう詰めてみる。

「ん、まぁね」

 58は俺の目の前に立ちはすれど、手を後ろに組んで、視線を逸らす。踏ん切りがつかないのかもじもじしている。大井を前にしていた時とはえらい差だ。
 俺から切り出した方がいいのか、それとも彼女が自発的に話してくれるのを待つべきなのか、結論すら出ずに時間だけが流れていく。58は困ったような顔をしているが、恐らく俺も似た表情のはずだ。


242 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/04 21:13:25.02 MZkUa+Q60 189/860


「ごーしゅじーんさまー!」

 救世主か、はたまたその逆か。遠くからぶんぶん手を振って、漣がこちらへやってくるのが見えた。その後ろには当然最上もいて、しかし龍驤の姿はない。
 58がびくりと震えた。漣に、というよりは、最上の存在に対して驚いたのだろう。
 最上の口ぶりでは、あいつは58に出会ったことがある様子だった。そしてその邂逅が決して幸運ではなかったことも、俺は少なからず理解している。詳細はわからない。ただ、トラックの過去と現在を考えれば、不幸なニアミスはいくらでもあると思った。

 龍驤もそうだったに違いない。俺たちは遅れてきたから、時間が瘡蓋にしてくれた傷が、彼女の時よりも少しだけ多い。たったその程度の、ゆえに決定的な、状況の差異がそこにある。

 最上もやや遅れて58に気が付いたようだった。気まずそうな表情で、明らかに歩幅が狭くなっている。
 事情など露知らぬ漣は、反対に大股で、元気いっぱいという様子だった。赤城に襲われ、ほうほうの体だったのが今朝のこととは思えない。高速修復材の場所を教えてもらったという話だから、そのせいもあるのかもしれない。


243 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/04 21:14:11.26 MZkUa+Q60 190/860


「あれ、誰ですか、この人」

「伊58。潜水艦だそうだ」

「あぁ、どうりで。……もしかして、仲間になってくれると?」

 期待を込めた瞳で58をじっと見る漣。58は漣と視線を合わせ、なぜか助けを求めるように俺を見て、最後に最上を見た。

「……ゴーヤ」

「そっか、最上は戦うんでちね。偉いなぁ。偉いよ」

 58が駆け出す。逃げ出す、と表現しても、きっと間違いはないのだろう。

「ばっかみたい」

 潮風に乗って吐き捨てるようにそんな言葉が聞こえた。漣にも聞こえたようで、面喰った顔をしている。

「……」

 最上にも聞こえたようで、ばつが悪そうに、取り繕うように笑った。

「あはは、嫌われちゃってるみたいだね。ごめんね」

「まぁた気難し屋ですか」

「漣」

 窘めるように名を呼ぶと、漣はしおらしく肩を落とした。


244 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/04 21:14:57.52 MZkUa+Q60 191/860


 誰が望んでああいう風に――龍驤や、赤城や、神通のように――なるものか。その責任も、悪名も、彼女たち自身に背負わせるのはお門違いだ。
 俺たちは既に境遇を知ってしまっている。知らない人間がとやかく言うのでさえ不快極まりないというのに、俺たちがそうするのは、まるで配慮に欠けている。

 とはいえ前線で傷を負い火花を散らすのは漣である。彼女の不満や不安も、俺は理解しなければならない。どちらか片一方ということでなく。

「龍驤から話は聞いてきたか?」

「そうですね、好きに使っていいとは言ってくれました。資材も……もう必要とする人間は、殆どいないから、と。
 まぁ、漣は駆逐艦なんで、燃費はすこぶるいいから」

「将来的には入用になるだろうし、備蓄に越したこたぁねぇよ」

「ですねっ。三か月だなんて、漣、言わせませんよ!」

 そうだった。それはさしあたりの問題ではないにせよ、いつか解決しなくてはならない、捨て置けない問題だ。

「とりあえず漣的な用事は済んだかなーって感じなので、あとはご主人様次第ですよ。最上さんも、あの、多分いろいろあったとは思うんですけど。おーあーるぜっと、みたいなのは、漣はやっぱりよくないかなって」


245 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/04 21:15:54.06 MZkUa+Q60 192/860


「なんだ、そのおーある? ぜっと、ってのは」

「英語ですよ」

 と言って漣は空中にアルファベットの小文字を描く。orzか。英語じゃねぇし、使い方があっているのかもてんでわからん。

「うーん、困ったな」

 最上は笑った。正真正銘困ったように。

「死にたくないんだってさ。戦いたくないんだってさ。無駄なことは、したくないんだってさ」

 顔をぷいと背けて歩き出す最上。目指す先は家だろう。どんな顔をしているのか想像もできないが……見られたくないから、前を歩いているのだ。それを想像するのはデリカシーが足りない。

 デリカシー、ね。縁のない言葉だとずっと思っていたが。

「なるほど、怠惰か」

 七つの大罪。その意味するところ。

 漣の小さな手のひらが、俺の左手を握った。外気に晒されてなお、体温は漣の方が高い。
 くいくいと引っ張られる。行きますよ、と示していた。

 俺たちは最上のあとを辿り、そのまま帰路へとついたのだった。

250 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:44:08.77 yRNRvsBm0 193/860


 トラックは熱帯夜であることが多い。高温多湿の熱帯で、そこの夜なのだから、熱帯夜なのは当然かもしれなかったが、まぁとにかく。
 深夜であった。もともと少ない街の灯りはさらに数を減らし、一つ二つ、数えられるほどだ。さらに遠くを見れば小さな光点が中空に浮いているのがわかる。星とは違う瞬き。恐らくあれは漁火だろう。

 こんな遅くまで漁に出ている船があるのだ。いや、もしかしたらあれは艦娘の灯かもしれない。護衛か、哨戒か。戦闘ではないだろう。方角的に、あそこは深海棲艦の出没が稀な海域だから。
 俺はピンチアウトで海図を拡大した。大井からもらったそれと、この数日間ずっと格闘していたのだ。

 海図自体は読み慣れている。大井は専門ではないから、記述についてまるで要領を得ない部分があったのも確かだが、最終的には読解できた。一人でこれを完成させたとすると、大井が自らを指して頭脳は貸せると言ったのも、あながち大風呂敷を広げたわけではなさそうだ。
 海図上に書き込まれた四つの象限。赤城、神通、共有、独立。厳密な境界があいつらの間で定められているとは思えなかったが、ゼロからの手探りを考えれば助かるどころの話ではない。


251 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:46:40.48 yRNRvsBm0 194/860


 そして、俺の目下の問題は、この海図をどう活用するかだった。

 大井は言った。隅から隅まで利用しろと。
 表向きの用件は漣の練度をあげろということだったが、果たしてそれが全てではないことを、短い付き合いながらも理解するに至っていた。
 
 手付かずの海域を哨戒し、イ級を初めとする小物を倒し、経験値を稼ぐ。漣に現在できる精一杯がそれだ。
 それはいいとして、俺は俺で、やはり何らかの動きを起こさなければ、それこそたんなるお飾りになってしまう。すげ変わっても一顧だにされない木偶の坊に。

 それは何としてでも避けたかった。矜持の問題ではない。尊厳の問題でもない。俺の存在意義を表明しなければ、トラックの艦娘は誰一人として俺について来やしないだろう。

 だからきっと大井は言外にこう言っていたのだ。「赤城と神通に接触を図りなさい」と。そこまで命令的ではないせよ、赤城と神通を仲間に引き入れないことには、トラックの再興も、北上の探索も成立しないと理解している。

252 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:47:16.18 yRNRvsBm0 195/860


「まぁだ起きてんですかぁ? 乙カレー様です」

 扉をノックもせずに漣が俺の部屋へと入ってくる。淡い青のパジャマにナイトキャップをかぶり、手には兎のぬいぐるみ。随分と少女趣味だったが、実際に少女なのだから不思議はない。

「お前こそまだ起きてたのか。子供は寝る時間だぞ」

「あっ、子ども扱いして! もう漣は中学二年、立派な大人ですよ」

「ちんちくりんが何言ってんだ」

「それはご主人様が漣の『ぷろぽーしょん』を注視していたという申告ですか?」

 ふふふ、と笑って背後から首へ腕を回してくる漣。小柄な体は随分と軽い。このままでも難なく立ててしまいそうだった。
 なので、とりあえず立ってみることにする。

「ぎゃー! 脚が! とど、届かなっ、ちょっと!
 ……あっぶなぁ」


253 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:47:43.67 yRNRvsBm0 196/860


 十センチ浮いたくらいで何を言ってんだ。地面からの距離で言えば、海に浮いている方が、ずっと高くを浮いているというのに。

「漣はこれからぼんきゅっぼんの、魅力あふれる女性になる予定が控えてるんです。あとで後悔しても知りませんからね」

「その頃俺は四十近くのおっさんだわな」

「その時まで一緒にいれたらいいですけどねぇ」

「いいかぁ?」

 思わず言ってしまった。漣はその返事が大層お気に召さなかったように見えて、思春期の女子にあるまじきしかめっ面をしている。

「……ご主人様は漣のことが、その、お嫌いですか」

 その口調が余りにも深刻に聞こえてしまったので、俺も慌てて背筋を伸ばした。これだから子供はやりづらい。言葉がぶっきらぼうなのは悪癖だとわかっているのだけれど。


254 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:48:18.64 yRNRvsBm0 197/860


「嫌いじゃねぇよ。お前はよくやってくれてると思うし、こんなところで味方はお前っきりなんだ」

「でも、最上さんも大井さんもいます」

「そりゃそうだが、そういうことじゃねぇだろう。どこまでいってもあいつらはトラックの艦娘で、お前は……お前だけが、俺の部下なわけだ」

「……うん」

「龍驤がこの間言ってたろ、遅かれ早かれ新しい提督が来る。その時俺がどうなるかはわからんが、まぁいいようにはならんだろうな」

「いいように?」

「配置転換ってんならまだ不幸中の幸いだ。現実的なラインは、事務仕事に回されるとか、倉庫番とか、まぁそんなところか。少なくとも人目につくところには就けねぇだろうが」


255 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:48:49.24 yRNRvsBm0 198/860


「なんで?」

「なんで、って」

 あぁそうか。こいつは俺のことを知らないのだ。
 ようやく気が付いたその事実に、俺はなぜだか心底ほっとした。こいつが見ている俺は、正しく俺なのだ。

 鬼殺しとしての俺ではなく。
 人殺しとしての俺でもなく。

 ただそれだけのことが、どんなにか嬉しいものか!

 上がる口角を必死に抑えて続けた。

「とにかく、代わりが来た後に、じゃあお前の処遇はどうなるんだっつー話よ。お前の行く先はお前じゃ決められない。理不尽かもしれないけどな、軍人のみならず、公僕ってのはそういうもんだ」

 いや、生きるということそのものが、そういうことなのだ。


256 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:49:45.75 yRNRvsBm0 199/860


「ご主人様といられるわけではないと?」

「引き続き艦娘を指揮できる立場に就けるとは思えんなぁ。サンドバッグ役くらいになら、なれるかもしれん」

「よくわかんないですけど、うーん、それはやっぱり嫌ですね。漣はご主人様がいいです。一期一会だと思いますから、世の中ってのは。人生ってのは」

「おいおい、十四、五のガキが人生を語るかよ」

「だったらご主人様だって三十くらいしか生きてないくせに」

 そりゃまぁそうだが。

「だから、なるべく頑張ります。可能な限り尽力します。とりあえず敵をぼっこぼこにして、一杯経験値を手に入れればいいんですよね?」

「そうなるな。経験を積めば、神様の憑依も深まる。艤装もスムーズに動かせるし、攻撃の効果も高まる、らしい」


257 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:50:20.87 yRNRvsBm0 200/860


 本当かどうかはわからない。俺に理解の及ばない、高度な統計的情報処理を経て、そういう結論が導き出されるという噂は聞いた。そこまでだ。
 とはいえ使えば使うほどに馴染むというのはしっくりくる考え方だった。例えそれが八百万の神だったとしても。

「練度、ねぇ」

 漣は空中をスワイプして自分のステイタス画面を呼び出している。

「ゲーム感覚じゃないですか」

「理屈は軍の学校で習ったろう」

「……多分」

 あんまり覚えてないです、と漣。

「kwsk」

 そう言われても、俺も精通しているというわけではないのだが。


258 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:51:17.24 yRNRvsBm0 201/860


「艦娘の登用も増えて、階級を逐一割り振るなんてかったるい、とさ。昨日やってきたばかりの戦艦と、設立当初からいる駆逐艦、どっちが偉い? お前は伍長だ曹長だ、一週間したら軍曹だ? やってられるかよ。
 それでも上意下達は軍隊には必須だ。練度の高い者を優先する仕組み自体は、俺は間違っちゃいないと思うが」

「やっぱり経験が、ってこと?」

「あと武勲だな。だから旗艦とMVPが加算されるような式になってるんだと思うぞ」

 練度は無論給金にも深くかかわってくるし、改、あるいは改二への換装も含めて、よりよい環境が与えられる。モチベーションの維持は重要だ。
 現在の漣は改にさえ遠い。一人だけの出撃ならば自然と旗艦ボーナス、MVPボーナスは手に入る理屈になるが、それでも一週間はかかるかもしれない。最近は最上も伴うことが多くなったから、きっとさらに。

「……頑張る」

 そうしてくれ。


259 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:51:47.51 yRNRvsBm0 202/860


「明日も朝から哨戒と掃海作戦なんですよねっ、じゃあ漣、本当にそろそろ寝ます!」

 形だけの敬礼をして、ばいびー、と古臭い言葉とともに漣は俺の部屋を去った。どうせ隣の部屋だ、ぽつねんと残されても思うところは何もない。

 漣の練度を十分にあげないまま、赤城や神通に掛け合うのは気が退けた。どうやら自分でも知らないうちに、俺は随分と臆病になってしまったようだ。いたいけな少女を痛めつけるリスクをなるべくとらないようにしてしまっている。
 しかし、赤城と神通が鍵であることに半ば確信を抱いていた。戦力的にも、それ以外の面でも。

 将を射んと欲すればまず馬を射よという言葉もある。赤城と神通を仲間にしなければならない、という考え自体が性急なのか。だとすれば、次に打つ手は、すべき行動は、一体どこに正解が?

 結論は出ない。


260 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:52:23.54 yRNRvsBm0 203/860


 もし仮に、先に馬を射るのが正しくあるのなら、まずは二人にとってのそれが誰で何なのかを知る必要があった。俺に残された時間はあまり多くない。赤城と神通が重要人物だとしても、二人に時間をかけすぎるのは、

 ……。

 あまりにも下種な思考に吐き気がした。自らがくそやろうだと認めるのは、非常にきつい。

 違う。違うのだ。俺がすべきは、一人一人について真摯に向き合うことだ。その結果時間が足りなかっただとか、そもそもうまくいかなかっただとかは、今ここで考えるべきことじゃあない。
 考えていいことじゃあない。

 いくら保険をかけることが重要だからといっても、時間内に終わらせられないようだから、こいつはパスして次の誰かを――そんな判断は認められない。認めていいはずがない。

 だって、指示したのは俺なのだから。


261 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:52:58.33 yRNRvsBm0 204/860


 右手の指を見た。何の変哲もない、五本の指。普段と違いなどありゃしないのに、五本それぞれの先端が、じんわりと熱く感じた。あの時比叡と触れあった先端が。

 熱がゆっくりと手のひらへ降りてくる錯覚。骨まで浸み込んで、そのうち体中を犯し尽くすのではないかというありもしない恐怖に、俺は思わず椅子から立ち上がる。

 部屋の扉を開けると生ぬるい、湿度の高い空気が押し入ってきた。不快感に抗いながらサンダルをつっかけて外へと踏み出す。
 闇がそこにはあった。足元の感触を確かめ、砂利を往く。

 漁火はまだ消えていない。
 それとも、やはりあれは漁火などではなく、セントエルモの灯なのかもしれなかった。

「……?」

 灯はもう一つあった。少し離れた先の岩場に、小さな灯りが転がっている。
 ランタンだ。当然そばには持ち主がいた。夜だのに麦藁帽を被って、釣り糸を垂らしている姿が、灯りによって夜の闇の中に浮かび上がっている。


262 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:53:24.10 yRNRvsBm0 205/860


「最上」

 俺が声をかけると、一瞬最上はびくりと体を震わせた。まさかこんな時間に出会うとは、お互い思っていなかったようだ。

「提督か、なんだ驚かせないでよ」

「そんなつもりはなかった。夜釣りか。何が釣れるんだ?」

 聞いたところでわかるとも思えなかったが。
 だが、最上はゆるゆると首を振った。

「真似事だよ。……眠れなくてね、なにもしないでベッドで横になってるのも、なんだかなと思って」

「そうか……」

 気の利いた言葉を返せるほど、こんな場数は踏んでいない。隣に座ることすらできず、ぼおっと釣り糸の先、墨汁のように暗い海面を眺めていた。ともすれば吸い込まれそうになるほど、底知れない佇まい。
 深淵を見る時、深淵もまたお前を見ているのだとは、誰の言葉だったか。そもそも言葉ではなく、文章の一節だったような気もする。


263 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:53:51.55 yRNRvsBm0 206/860


「……58か」

「も、かな」

 だけではなく。58も。
 俺はまた「そうか」と返した。どこまで最上に踏み込んでいいものか、判断がつかないのだった。

 無言に耐え兼ねて視線を上へとずらす。海と空の境界線は曖昧だ。月光に照らされて、ほんのわずかに水平線の輪郭が白い線となっているのが、わかるような……どうだ? 目を細めれば、なんとか。
 そのとき、海上を揺蕩っていた灯りが、ふっと消失した。漁が終わったのだろうか。あるいは、もしあれが本当にセントエルモの灯なのだとすれば、加護がなくなったことを意味するように思えた。


264 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:54:31.65 yRNRvsBm0 207/860


 とん、とん、とん。

「最上?」

「え、なに?」

 いや、これは、違う。最上ではない。
 というよりも、俺の耳に直接届いているわけでは、ない?

 つー、つー、つー。

「……お前には、聞こえるか?」

「聞こえる、って……あれ、え? これ?」

 とん、とん、とん。

「最上!」

 これは! まさか!

「龍驤!」

 寸分の狂いもなく同時、最上も叫ぶ。


265 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:55:10.68 yRNRvsBm0 208/860




「メーデーか!?」
「救難信号だ!」



266 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:55:36.74 yRNRvsBm0 209/860


 すかさず最上はピンチ・アウト。バーチャル・ウィンドウを展開させ、艦娘のリストから龍驤を選択する。先ほどの叫びで既に彼女と通信は確立していたようで、応ずる龍驤の返事も早い。

『わかっとる! こっちも受信した!』

「龍驤! 俺も一緒だ! 今から最上を現地に向かわせる、通信を共有にして、俺にも寄越せ!」

『なんや夜の逢瀬かいな!』

 くだらない冗談に返している余裕はなかった。俺も龍驤も最上も、咄嗟のメーデーに混乱しているのが現状だ。

「最上、悪いがっ」

「わかってるさ、ぜんっぜん、悪くない!」

 地面を踏み切って最上は跳んだ。そこそこの高さなどものともせずに着水、勢いをそのままに夜の海を切り裂いて走る。


267 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:56:19.87 yRNRvsBm0 210/860


『ほい、やったよ!』

『……デー! メーデー! こちらは扶桑! 日本海軍トラック泊地、遊撃特務作戦群、「艦娘」所属! 繰り返す、こちら扶桑!』

『扶桑! うちや、龍驤や! オーバー!?』

『オーバー! 龍驤、あぁよかった、本当に……!』

『追跡信号辿る! 最上をそっちに向かわせた! 何があった!?』

『あぁ、本当に、よかった……幸運、だわ……』

『扶桑! 答えぇや!』

『不幸中の、幸い……』

 断絶。

『扶桑ッ!?』

 通信途絶。ぶちりと引きちぎられた電波からは、悪い予感しか想起しない。


268 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:56:55.94 yRNRvsBm0 211/860


 体は勝手に動いていた。共有通信に追加、リストから選び出す漣の名前。

「漣ィッ!」

『ん、んにゃっ!? なんですか、ご主人様!』

「悪ィが起きろ! 不測の事態だ、艤装を伴って信号消失地点まで全速力! ことは一刻を争う、猶予はねぇ!」

『な、なにが――』

 回線越しに、ばちんと何かを張る音が聞こえた。……恐らく、頬。気付けの一発。
 小躍りするほどの歓喜。漣は、あいつはわかっている。理由など二の次三の次で、「今」動かなければならない時があることを。

『――了解しました! 駆逐艦漣、向かいます!」

「龍驤、お前は泊地にいるのか!?」

『おらんよ! どうして!?』

「こ」

『高速修復材なら夕張と鳳翔さんに持ってきてもらう算段はついた! ウチはいま、そっち向かってる! けど、くそ、陸はあかんな、ちょっちかかるよ! それまで大事なければええんやけどっ!』


269 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:58:19.28 yRNRvsBm0 212/860


「消失点まではどれくらいだ、最上ッ」

『もーちょい! 2海里も離れてない!』

 俺は視覚の共有申請を最上へ――即座に承認。海の暗さと空の暗さが印象的な中を、ぐんぐん進んでいく最上の視界がウインドウに表示される。
 並行して漣、最上の生体情報。装備、耐久、ステイタスも表示させた。途端に俺の目の前はバーチャルウインドウで埋め尽くされたが、拡大と縮小で最適化を図り、少しでも脳内で整理しやすく並び替える。
 血を流すのも、苦しむのも、艦娘に任せきりだ。提督業がそういうものだと理解してなお、気分が悪いことこの上ない。ならば俺にできることは、眼を背けず、目を逸らさないことだけ。

『龍驤、提督、もうすぐつくよ!』

 青白い光が見えた。
 橙色の光が見えた。

 それらは互いに絡み合い、螺旋を描いて、海上をいったりきたり、浮遊している。


270 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:59:10.67 yRNRvsBm0 213/860


『あれは……?』

 最上の戸惑いの声。しかし俺はそれすらも出なかった。驚愕に喉が引き攣って、一瞬で口の中が乾燥し、声がうまく出せないのだ。

 俺はそいつを知っていた。

 髑髏にも似た巨大な頭部、杖のようなインタフェース、そしてその周囲を旋回する球状の悪鬼。

『空母ヲ級だ。提督、見えてる?』

 通信が入るが、返事ができない。

『でも、あれ……?』

 そうだ、おかしいじゃないか。

 今は夜だ。

 空母が夜戦に参加できる道理はない。今までそんな個体は確認されていない。

 公式には。

 深海棲艦はたとえ同種であっても、個体差が存在する場合がある。やつらがどうやって生まれ、死したのちにどうなるのか、海軍は依然として詳細を把握していない。ただ、赤い気炎や黄色い気炎を纏った、上位種の存在は、かねてより知られていた。
 種別エリート。種別フラッグシップ。名づけられたそれらの上位種の、さらに上。

 一度だけしか見たことのない、二度と見たくもない、青い気炎。

 俺はそれを、改フラッグシップと理解していた。

271 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 09:59:43.72 yRNRvsBm0 214/860


「そのヲ級は夜戦もできる。お前は夜戦は」

『苦手じゃないよ。だけど、一人だと、どうかな。こいつを潰してる間に……扶桑の行方が分からなくなるのは困る』

 最上とは視覚を共有しているため、見ている景色は同一だ。少なくとも今見えている映像の中には、扶桑と思しき影は見当たらなかった。

 ヲ級は最上へと真っ直ぐに意識を向けているようだが、周囲に展開した悪鬼を飛翔させる様子は、今のところは見られなかった。燃料が切れているのか、それとも間合いを計っているのか、わからない。何らかの目的のためにあえてそうしている可能性もある。

「今、漣が向かってる。龍驤も、遅れてくる。夕張と鳳翔さんは高速修復材を持って」

「わかった。それまで任さ」

 閃光が世界に満ちた。海中から突如として生まれた光が、熱が、何より水柱が、最上を宙高く打ち上げたのだ。

 敵襲! 二隻目!?


272 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 10:00:11.06 yRNRvsBm0 215/860


『ぐ、うっ』

 痛みに悶える声が俺の胸を掻き毟る。
 焦燥に吹き荒ぶ脳内の片隅で、しかしやけに冷静な自分が確かにいた。そいつは最上の声などおかまいなしで、どうやればこの窮状をなんとかできるか、目一杯に思索の手を広げている。

 視界には依然として暗い夜の海と空と、そして黄色と青のたなびく気炎しか映っていない。だが、今の攻撃は確実に雷撃だった。雷撃。それが空母ヲ級のものではありえない以上、二隻目は確実に、どこかにいる。
 潜水艦。あるいは、雷巡……いや、雷巡で開幕雷撃を行うほど索敵能力の高い個体はいまだ確認されていない。雷巡だとしたら新種になる。

 空中で脅威のバランス感覚を発揮し、最上は無事に着水した。損傷は軽微。艤装にも異常は見られない。
 ちりちりと服の端が焦げて赤熱している。頬に煤。手の甲から出血。咄嗟の回避が成功したのか、とりあえずはその程度で済んだようだった。


273 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/08 10:00:39.18 yRNRvsBm0 216/860


「うご、ぅえ、ぐる、ぁ」

 獣のような方向と吐息が、緊張感を伴って伝わってくる。

「……増援確認」

 戦いは避けられないと察したのか、俺が指示を出すよりも早く、最上は瑞雲を展開。砲も全門構え、背後にうっすらと、だがしっかりと、嘗て沈んだ艦船の存在感。

「……なんだ、ありゃ」

 現実感など喪失して久しいと思っていた。深海棲艦なんて化け物が姿を現した時に半分、比叡が沈んでからの事後処理で半分、俺は地面に足をつけずに生きてきたと言っても過言ではない。
 だが、ここにまだ、直面している光景を疑いたくなるだなんて。

『ボクに聞かないでよ』

 最上も笑っている。苦笑だ。信じられないというよりは、彼我の戦力差に、笑う以外の決着をつけさせられないのかもしれない。

『……新型だよ』

 それは見るからに人間であった。
 パーカー? レインコート? ともかく、フードを被った、水着の女のように見えた。


285 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:20:49.65 rHObM76b0 217/860


「うぐ、え、がぅる、ぶぁがばばばばっ!」

「きひっ!」

 尾が叫び、呼応して人型も叫んだ。

 不可視の衝撃が――否、眼には捉えられない速度の砲撃が、強か波を撃つ。波濤は砕け、水柱を立て、閃光と熱風が暗夜を一瞬煌々と照らす。
 その新型の深海棲艦はどこからどう見ても完全なる人型をしていた。唯一異なるのは、脚先が奇締目のようになっていること。そして衣服の後ろから太く凶暴な尾のようなものがまろび出て、醜悪で奇怪な叫び声を発していることだけ。

 だけ? 冗談じゃない。

 俺は頬を張った。漣がそうしていたように。

 データベースにアクセス、最上の視覚情報を援用し、敵の同定を試みる。……0件。候補は見つかりません、条件を変えて再検索をしてください。


286 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:21:58.51 rHObM76b0 218/860


 深海棲艦は基本的に化け物のような姿をしている。イ級などそれが顕著で、機械の硬質な要素と生体の脈動する部分が謎の融合を遂げているように、油と血の区別が不明瞭なのがやつらだった。
 そして、より高位になればなるほど、深海棲艦の「肉」の部分は割合を増していく。たとえばル級。たとえばツ級。たとえば、目の前に佇むヲ級。俺は絶対にその事実に対して「人」の割合が増していくとは考えたくなかった。

 極地が種別・鬼。二本の脚を持ち、二本の腕を持ち、口と舌と牙から成る艤装を携え、まるで艦娘然とした存在。
 人型に近ければ近いほど、その戦闘力、脅威の度合いが増していくという予測を立てることはとても容易かった。事実として海軍の行動規範には、撃滅の優先順位として人型を狙うべし、となっているのである。

 種別・鬼からは逃走を図れ、とも。


287 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:22:31.52 rHObM76b0 219/860


 最上の目の前にいるそいつは、信じたくないことであったが、やはり新種の個体に違いない。さらに、鬼とも見間違うほどの形態。雷撃、砲撃、果てには艦載機までも展開し、枯渇を知らない殺意を持って、今なお最上に襲いかかっている。
 種別が鬼クラスに分類されるかどうかは海軍の稟議を経て決定される。だが、対峙している俺たちにとっては、そんな書類上の区分は問題ではなかった。

 唯一の問題は、敵の戦闘力が段違いであるという点。それだけであり、それが全て。

 尾の口の中に砲が見える。光が収斂し、放出。暗夜と空気と海面を切り裂き、高圧と高熱で触れた全てを蒸発させた。
 瑞雲が音も立てずに数機、消失。タイミングを同期させて意識の虚を衝かんとする雷撃は、最上が踊るように回避したが、合わせて飛んでくる爆撃機を避ける術はない。吹き飛ばされるも波を掴んで体を起こす。

 空高く敵影が舞った。巨大な尾を叩きつける一撃。防御を放り投げた動きはまさに本能的で、最上はその隙を逃さない。ありったけの力を籠めて砲弾を二発、敵へと撃ちこんだ。


288 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:22:58.20 rHObM76b0 220/860


「ぐる、ぅ、ぎぃ、ぎゃっ!」

 単純な質量は、単純が故に対処法が少ない。敵を大きく引きはがすが、すぐさま海を蹴って切迫、砲弾と尾による狭叉射撃が最上を襲う。

『照明弾! いっくよー!』

『最上ッ、伏せぇっ!』

 飛来した何かが空中で弾けた。と同時に、あたり一面が、まるで昼間のように明るく照らされる。暗闇に慣れた視界では、全てが真っ白に塗り潰されんばかりに。

 投下された爆弾が敵の表面で激しく爆ぜる。十や二十ではとてもきかない物量に、敵も負けじと砲撃で応ずるが、闇と硝煙の中では思うように狙いが定まらない。
 轟音と共に最上の放った砲撃が圧倒。尾ごと人型を吹き飛ばし、二回海面をバウンドさせ、波濤に勢いよく頭から突っ込ませる。

『待たせたな! 状況はどないや! ってか、なんやあれは!』

『龍驤! 夕張に、鳳翔さんも!』

 照明弾に照らされる中を全速力、現れたのは何とも頼りがいのある三人。


289 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:23:28.73 rHObM76b0 221/860


 臙脂色の上着とツインテールが風に靡く中、龍驤は巻物を模した艤装を再展開。周囲に梵字と九字を混ぜ込んだような陣が現れ、式神が通るごとに艦爆、ないしは艦攻へとその姿を変える。
 夕張は機銃を主として敵艦載機への警戒。二門の砲塔と、肩から腰までには魚雷管を山ほどぶら下げていた。
 鳳翔さんの獲物は弓と矢だ。いつか見た、赤城のそれと酷似している。彼女は既に弓を持ち、構えることはしないまでも、いつでも筈に矢をかける準備は万端整っているようだった。

「ヲ級のほうは改フラッグシップだ、夜戦対応型、気をつけろ」

『改フラッグシップ、ですか?』

 通信に介入。鳳翔さんの声。

『聞いたことありませんね。種別フラッグシップまででは?』

「そのさらに上位個体がいる。
 ……もう一体のほうは、俺もわからん。データーベースに情報はねぇ」


290 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:23:57.41 rHObM76b0 222/860


 重々しい音を立てて、狂ったような唸りとともに、敵が立ち上がる。今にも跳びかからんという前傾姿勢。あわせて、ようやくヲ級も艦載機を展開しだした。

『鬼ってことはないよね。人型にだいぶ近いけど……新型、か』

 夕張が探照灯を小脇に龍驤の傍へと立った。鳳翔さんも、恐らく高速修復材と思しき容器を持って。

『ちっ! おっさん、ウチはヲ級とやる。どのみち暗がりじゃ本気は出せんしな。余力がありゃ、あの尾っぽも相手するけど』

『私は扶桑さんを探したいと思います。信号消失地点はすぐです。……大破なら、まだ間に合います』

『なら、もがみんさんとあたしで、あの怪物と? あっちゃあ、きっついなぁ』

『漣もっ!』

 超々高速で突っ込んできた桃色の影が、一直線に新型へと向かい、そしてそのまま突っ込んだ。

『いますよっ!』


291 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:24:31.49 rHObM76b0 223/860


 いや、突っ込んだのではない。大きく水面を蹴ってのドロップキックだった。横っ面と首筋を的確にとらえ、おおよそ30ノットは出ていたであろう速度での蹴り、それは最早衝突と言っても過言ではない。
 ごぐん、と思わず耳を覆いたくなる鈍い音。新型は大きく吹き飛び、張本人の漣も空中で数回転の後に落水。加護で溺れることさえないものの、その際の衝撃は地面にぶつかったときと似たようなもの、らしい。

『逃がしませんから!』

 漣は倒れながらも砲を構えた。艦が啼く。吼える。本懐を遂げることがこれほどまでに嬉しいのだと、滂沱の涙を流している。
 両の脚で波濤を捕まえ、耐衝撃姿勢、そのまま撃つ。

「げ、ごあ、ぎぃ、ろっ!」

「きひっ!」

 しかし新型の対応も早い。巨大な意思を持つ尾、それがバランスを取る役割を果たしているようで、上半身が捩じ切れそうな体勢からも砲弾へと手を伸ばして軌道を逸らした。

『んなっ!?』

 漣が叫ぶ。だが気持ちは他の者も同じだったろう。

292 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:24:59.91 rHObM76b0 224/860


 新型の右腕はほぼ半壊になったが、それを一顧だにする様子は見えず、寧ろ痛みこそが快楽であるかのように笑った。至極満足そうに。

 ごぎ、ごぎ、ごりりと首を唸らせ、百八十度回転。その視線の先には漣がいる。
 漣へと跳ぶ。狙いを定めた――それとも、遊んでくれる相手だとでも、思ったのか。

『さ、せぇえええっ!』

 慌てて最上が割って入った。大ぶりな尾のスイングを体捌きで回避し、胴体へと組みつく。

『るかぁあああああっ!』

 投擲。踵を中心にして、遠心力を利用した。

 夕張へと向かって。
 既に彼女は砲を全門構えている。漣よりも、最上よりも、単純な数だけならば圧倒的な砲塔。どういう仕組みなのかビットが如く宙に浮いたものまで存在している。
 遅れはとるまいとばかりに漣が吶喊をかけた。魚雷をちょうど十基顕現させ、巨大化とともに発射。さらにその後ろを全速力で追う。

『全弾ッ、叩き込んでやるんだからっ!』


293 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:25:35.55 rHObM76b0 225/860


『合わせますよぉ!』

 砲弾を受け止めようとした襤褸の右腕、それを機銃の掃射が肉片まで薙ぎ払い、肘の先から断裂させた。防壁を失った新型の右肩へ砲弾が直撃、体液と僅かな火花を散らして大きくぐらつく。
 ビットから放たれた弾丸が、浮いた新型を上から射抜く。だが、金属音とともに周囲へと散らばる数の方が多いように見えた。一体どれだけ頑丈な装甲をしているのか。

 月を背負って最上が大きく駆ける。瑞雲を数機足場にして、そのままもう一度跳躍。軸を横に回転しながらの踵落としは寸分の狂いもなく新型の鼻っ柱を捉えた。

 着水。そこを襲う漣の魚雷群。
 轟音と共に巨大な炎が、水が、水蒸気が、新型を呑みこんだ。

「ぐ、ぎる、ぐげ、ご、じるる、ぐじゅはっ!」

「きひ、きひひひっ!」

 月光の微かな光の中でも確かにわかる、その笑顔。
 爆炎と水柱、そして濛々と立ち込める水蒸気の晴れた後に、その新型は殆ど無傷で立っていた。
 唯一目立つ損壊と言えば、右腕の肘から先がないことだけだが……。


294 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:26:01.62 rHObM76b0 226/860


 金属製の皮膚と細く残ったどす黒い筋線維、数本の神経を模したコードだけで繋がっている右腕を、新型は珍しそうに見て、掴んだ。

『ボクが真正面から行くから、二人は左右』

『わかった』

『わかりました』

 焦燥感を含んだ声音で三人。

 ぐちゅり。油なのか、それとも血液なのか、暗い中では判断がつかない。新型は断裂面を無造作に継ぎ当てると、皮膚を食い破って上腕から二の腕へ、うぞうぞと肉片のようなものがまとわりついていった。
 固定。保護。修復。肉片が同化したのちには、健全な右腕へと戻っている。

『自己修復機能まであるのか……っ』

『こりゃ、俄然調べてみたくなるわね!』

『砲じゃだめですね、やっぱり魚雷、ありったけぶつけてみましょう!』


295 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:26:52.02 rHObM76b0 227/860


「……」

 俺は何も指示を出すことができなかった。そんな暇さえなかったと言えば、それはある種の事実ではある。一秒かそれよりも短い単位の世界に生きている彼女たちに対し、俺が耳元でうるさく喋る必要は、どこにもない。
 彼女たちの思うがままに任せて最高の結果が得られるのであれば、無論それが一番良いに決まっている。
 だが、岡目八目という言葉もある。客観的に物事を見て初めてわかること、当事者では決して気づかないこともまたあるのだ。

 この新型に、果たして勝利することはできるのだろうか。

 共有された視界の中で、新型は依然として醜悪で奇怪な声を発しつつ、まるで子供が絵具をぶちまけたかのように、狙いも意図も何もない攻撃を続けていた。
 航空機が機銃を放ち、魚雷を、爆弾を投下する。分断された三人の真ん中へと突っ込み、砲を乱射したかと思えばすり抜け様に全方向への魚雷。少しでも掠れば、装甲の薄い三人には致命傷と見えて、必然距離を詰め切れない。


296 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:28:11.23 rHObM76b0 228/860


 砲は当たる。しかし新型の装甲は硬く、バランスを崩す助けにはなれど、効果があるようには見えなかった。すかさずに反撃を喰らい、最上は魚雷の炸裂に巻き込まれて吹き飛ぶ。それを助けに行った夕張も巨大な尾の一撃を回避しきれずに海面へと叩きつけられた。
 何度目かわからない漣の吶喊。魚雷に応ずる敵の魚雷。それらは海中でかちあって、連鎖に次ぐ連鎖、からの大爆発を引き起こす。

 塩水の驟雨が激しく降り注ぐ中、水滴に目を瞑ることなく、二者が激しくぶつかり合う。漣の砲弾は左肩と顔の一部を削ることに成功するが、それで敵が怯んだ様子をまるで見せないことが、なによりも恐ろしかった。
 もう一発と構えた漣の右手首を新型が掴んだ。鋭い爪がそれだけで柔肌に食い込み、血が滲む。

 新型の尾が大きく口を開けた。舌が砲塔になっていること以外、どこに繋がっているのかわからない虚空がただ広がっているばかり。
 牙が唾液に濡れててらてらと艶めいている。

『なめんっ、なっ!』

 口の中に魚雷を叩き込んだ。尾の下顎と上顎がもろとも吹き飛んで、彼我の距離も開く。


297 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:28:46.86 rHObM76b0 229/860


「ぐぅるぎえやごるがぁごぎがっ!」

「きひ、きひ、きひっ!」

 自己修復。だが、修復が済むより先に、新型は漣へと向かって走り出した。
 ……狂っているとしか、思えなかった。

「龍驤! そっちは!」

『無茶言わんでや! このヲ級、さすがに頭おかしいで! 電探の、精度……くそ、防戦一方や!』

 それでもあのヲ級をたった一人で食い止めているのだから、龍驤の働きは値千金どころの話ではない。普通のスケールから大きく上に外れている。

『もしもし! こちら鳳翔!』

 全体への通信。今にも泣きだしそうな鳳翔さんの声。

『扶桑さんを発見! 状態は大破……まだ、なんとかなります!』

『よっしゃ! 鳳翔さんは泊地へ急旋回、即座に扶桑の回復を図ってくれ!』

『わかりました!』


298 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:29:20.78 rHObM76b0 230/860


 いつでも退かせる用意はできていた。俺たちの目的は扶桑の保護であって、こいつらの討伐ではない。勝利条件を見失ってはならない。欲をかけば全てを失う。
 そう思う反面、この敵たちを野放しにしておいていいものか、と極大な不安が胸を占拠するのもまた事実。こいつらが海を闊歩するというだけで、俺たちは夜も眠れなくなるだろう。

『夕張、漣、散開!』

『弾幕集中させないと!』

『ってか、どっちが本体ですか!? どっちを狙えば!? ヒトガタか、尻尾か!』

 尾が強か漣を打ちつける。苦し紛れに魚雷を放つも、新型は装甲の頑丈さで以て無理やりに突破。夕張へ砲口を向けた。
 最上の砲弾が敵の顔面を半壊させる。眼球がだらりと垂れさがり、脳漿と血の混じったどす黒い液体が、首元までべったりと染めた。

「きひ、きひひっ!」

 それでも止まらない。
 まさかその状態から即応してくるとは思わなかったのだろう。接近する新型に対し、最上はあまりにも反応が遅れた。それ故に懐へ入ることを許し、気づいた時にはもう、彼女の肩へと手がかかっていた。

299 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:29:46.21 rHObM76b0 231/860


 お返しだと言わんばかりに新型は最上の顔面へと拳を振るった。大きく仰け反るが、肩を掴まれているために距離が開かない。そのまま二度、三度と殴打を受け続ける。
 苦し紛れの反撃、砲を構えるが、発射よりも先に尾に備わった牙が最上の上腕へ食らいついていた。

『――ッ!』

 声にならない声が最上の口から溢れ出す。聞いているこちらが耳を塞ぎたくなるような悲痛の声。

『吹き飛べっ!』

 苦肉の策。夕張の放った魚雷の群れは、甚振ることに集中していた敵を、最上ごと吹き飛ばした。

『大丈夫!?』

『く、ぅ、つぅっ、……ま、なんとか、ね』

 激痛に顔を歪める最上ではあるが、なんとか五体満足を保っていた。出血量は多いが、意識を失うほどでもないようだった。

 俺は大きく深呼吸をする。これは、だめだ。そう思った。
 ここでこの新型を倒せるならば倒すべきではある。だが、それにただの一人も犠牲を出すつもりはなかった。このまま戦いをつづけたとき、新型が沈んだ後の海に誰が立っているのか、俺には読み切れない。


300 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:30:24.24 rHObM76b0 232/860


「全員に通達。撤退だ」

『撤退!?』

 真っ先に反応したのは漣だった。

『待ってくださいご主人様! 漣は、まだ、やれます!』

『ボクも、こいつをこのままにはしておけないよ』

『同意見。新型、なんでしょ。ならもうちょっとデータは取るべきじゃないかな』

 夕張と最上もそれに同調する。

『ウチは戦いには賛成できん。が、こいつがこのまま逃がしてくれるとも思えん。泊地まで連れてくわけにも、な』

 龍驤は中立。立場的には俺の気持ちを汲んでくれているのだろうが。

『俺は、お前らが沈む可能性があるような判断を、するわけにはいかねぇ』

『といいますか、手負いの皆様は退けてくれると助かるのですが』

 ノイズ。通信への強制的な介入。


301 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/10 23:30:52.74 rHObM76b0 233/860




『あとは私が――私たちが、引き受けましょう』




309 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:20:30.66 SeQhtB0C0 234/860


『あぁ、いい夜風です。颯爽と吹いて……姉さんを思い出します』

 ちゃぷん、ちゃぷん。極めて静かに、だが極めて素早く、神通は歩を進める。

『あぁ、いい月です。まるでスポットライトのようで……那珂さんを思い出します』

 鉢金を巻いている。腰には魚雷が三連装。眼には光。口には決意。

『龍驤さん、提督殿、この場は私に預けていただいても?』

『好きにしぃ、どのみちウチはこいつで手いっぱいや』

「任せる。戦術論を、俺は大して知らん」

『ありがとうございます』

 待っていられるかとばかりに新型が墳進。水を蹴り上げながら、最も近くにいた漣を襲う。
 漣へと向けられる大口。その中に砲弾を撃ち込んで頬を半壊、けれど勢いは止まらない。すんでのところで回避、水面へと突き刺さる。
 そこを支点にして新型が跳んだ。漣が応戦――砲弾は装甲の前に弾かれた。


310 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:21:00.78 SeQhtB0C0 235/860


『ちっ!』

『狙いがぶれてます。腰が落ち切っていない。重心を低くできていないから、反動に耐えきれないんです。一発目はきちんと撃てていても、連射するごとにずれていきます』

 土壇場に至っても神通は目を見張るほど冷静で、神通と同期し通信を行う雪風と響にも、新型の異形を目にしたことによる動揺は見られない。
 雪風が海面と新型の間に体をすべり込ませ、砲撃でかちあげた。効果は少ない……しかし至近距離からの攻撃により、大きく体勢が揺らいでいる。

 尾を振り回し、無理やりにバランスの修正を試みる新型。しかしそこへ響の放った魚雷が炸裂、尾を半ばから大きく抉り取った。そして、ほぼ同じタイミングで、神通が新型へ接近している。
 反撃は艦爆による目晦まし。だが神通は怯まない。何より躊躇がない。初めから決めていたその挙動を、例えどんな困難があっても貫き通す、一振りの刃のような鋭い意志。
 リボンを焼け焦がしながら切迫した。尾の再生は間に合っていない。砲塔が四つ神通を狙うも、光が収斂するより先に神通が新型を蹴り飛ばしていた。


311 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:21:40.26 SeQhtB0C0 236/860


 その先には雪風がいる。管からありったけの魚雷を顕現させて、神通から送り込まれたそいつへ、容赦のない雷撃をぶち込んだ。

「きひ、きひぃっ!」

 左の頭部から頬にかけてがごっそりと抉れている。右の腰から肋骨までが損壊、肺腑がコードに絡まって垂れ下がり、海を油で汚す。
 左足の膝からしたは消失し、再生途中の尾で補っていた。

「きひひ、きひ、ぎ、ぎひぃっ!」

 それでも戦意は衰えない。

『最上さん、夕張さん、漣さん、戦えますか?』

 勿論、と三人が応えた。

『近接はこちらで対応します。可能な限りの魚雷を展開し、私からの合図で一斉射出をお願いします』

『響ッ、動きがありますよ!』

『……うん』


312 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:22:06.37 SeQhtB0C0 237/860


『基礎を疎かにしては、万事がうまくいきません。きちりと狙いを定めて……あと、そうですね。四肢の末端などを狙うのは下策です。脚や腕の一本二本吹き飛ばしたところで、それにどのような戦術的価値が?
 少なくとも、私なら動きます。赤城さんでも動くでしょう。身体的欠損など、精神的支柱によって、どうとでもなるものです』

 動き出す新型に対し、駆逐艦二人が応戦した。雪風は前に、響は後ろに陣取って、周囲を旋回しながらも徐々にその半径を狭めていく。
 新型は荒々しい獣のようだった。一人に突進したところをもう一人が背後から狙い撃ち、それに反応すれば、今度は逆から撃つ。回避に自信のある駆逐艦ゆえの戦法だ。だが、それも僅かな動揺で瓦解する綱渡り。二人の練度は間違いなく神通の業に違いない。

『狙うなら、ここ』

 と、神通は自らの顔を指さした。

『顔面を潰しましょう』

『漣も、やりますっ』


313 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:22:54.37 SeQhtB0C0 238/860


 加勢しようと踏み出した神通へと声がかかった。神通は首だけで振り返り、肩越しに漣の姿を見る。
 小さい桃色の少女は疲弊し、恐らく初めての実戦だからだろう、殺意に中てられて脚ががくがくと震えている。額は割れて眉のあたりまでが赤く染まっており、非常に痛々しい。数多の火傷。セーラー服からむき出しの肌には、いくつもの青痣ができていた。
 それでも、依然として目には闘志が宿っている。いや、それは本当に闘志なのか、回線越しの俺には判断がつかない。決死の覚悟は無論あるとして、なら、なぜ漣は今にも泣きそうになっているのか。

 神通は漣にかかずらわっている時間すら惜しいというふうに、無感動で前を向いた。

『待って! 待ってください!』

『自分の言葉で喋りなさい』

 神通はぴしゃりとそれだけ言って、推進する。


314 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:23:35.80 SeQhtB0C0 239/860


 新型と二人の戦いはいまだ続いていた。航空機の攻撃も、魚雷も、砲撃も、全て二人は紙一重で回避していく。神経を使うだろう。疲労の蓄積も並みの比ではないはずだ。僅かに反応が間に合わなくなってきているのを、俺は理解した。

「神通、二人が」

『無論です』

 響に叩きつけられんとしていた巨大な尾を神通は正確に撃ち抜いた。砲塔が粉々に砕け、生まれた隙を見逃すまいと雪風は反転、海面を蹴って一直線に新型へと向かう。両の手には魚雷を握って。

「雪風ッ!」

『頭上!』

 しかし気づいていなかった。彼女の死角から敵の航空機が編隊を組んで雪風へと向かっている。
 俺の声と、神通の叱咤が雪風の意識を頭上に向ける。しかし間に合わない。既に爆弾は投下された。
 闇夜が爆ぜる。爆炎に包まれはじき出された雪風を、響が咄嗟に回り込んで抱き留めた。


315 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:24:01.55 SeQhtB0C0 240/860


『雪風ッ、大丈夫かい!?』

『ばか、だめ! なにやってんですか!』

 損傷は軽微。それ以上に位置が悪かった。
 最悪、と言い換えてもいい。

 二人を、新型はすでにその手の届く範囲までに近づけている。尾が振りかぶられ、左翼から航空機、右翼から魚雷群が既に放たれていた。新型の殺意に限りはなく、故に暴力も桁外れ。それはこの場にいる誰もが理解していること。

『神通ッ!』

 魚雷は神通が咄嗟に迎撃、水面下で大爆発を起こして無力化させる。水柱は煙幕にも障壁にもならず、新型の吶喊は止まらない。
 砲撃は装甲の前で効果はたかが知れている。最早敵は狙いを駆逐艦二人に定めたようで、神通を一瞥することすらせず、その中でも一際巨大な砲塔をがごんと構えた。

 と、その時である。

 水面下が一瞬の盛り上がりを見せ、数瞬後に巨大な爆炎が新型を呑みこんだのだった。
 全ての火力をその一撃に籠めたかのような、途方もない光と衝撃、迫力は、その場にいた者の呼吸すらも困難にさせる。閃光に視界が潰れ、轟音が音を掻き消し、突然の出来事は意識を正常に働かせない。


316 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:25:12.89 SeQhtB0C0 241/860


『斉射!』

 神通以外は。

 漣も、最上も、夕張も、予想だにしない事態に対して反射的に行動できるほどの訓練は積んでいない。が、俺は咄嗟に海図のデータ、そして敵機の位置を照合し、網膜へと投影する形で送りつけてやった。
 自分と相手の位置がわかって、あとはどちらを向くか、それだけでいい。何故ならそこは海の上で、敵も同じ平面上にいるのは自明の理。

 魚雷の軌跡が海面を走り、四連装が四人分、計十六基の熱量が、新型を今度こそ、完膚なきまでに破壊しつくす。
 尾が千切れ、首から上が消滅し、残った四肢も右脹脛と左上腕だけという惨状になって、ようやく新型はその動きを止めた。自動修復も起こらない。ぐずぐずの黒い油が体表へ浮かび上がると思えば、そのまま溶解して海の底へと沈んでいった。


317 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:25:44.93 SeQhtB0C0 242/860


『そっちはやったんか!?』

 龍驤の声。

「なんとか、恐らく! 増援を送るぞ!」

『いや、もうえぇ! 負けを察したのか逃げていきおった! 深追いはする気ィはないが、神通、お前はそれでもええか』

 もしも彼女が経験を欲しているというのなら、逃げた敵すらも追いすがる可能性は十二分にあった。

『いえ、今晩はやめておきます。航空機との経験はまだ浅く、いきなりあの練度のヲ級と戦わせるのは、聊か分が悪く感じますから』

『……ほうか』

 龍驤は少しばかり安堵しているようだった。

『ウチは扶桑が心配や。最上、夕張、お前らもなるべく早く泊地に戻ろう。その怪我、残っても嫌やろ。
 ……お嬢ちゃんも』

 声をかけられても漣はぽかんとしていた。先ほどまで新型のいた、新型が沈んでいった水面から視線を逸らそうとしない。


318 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:27:00.51 SeQhtB0C0 243/860


「漣、大丈夫か」

『……うん、大丈夫、だよ。……マジ卍。草生える』

 絞り出す何のような強気。それには嘆息で答える。

『龍驤さん、漣はあとで、ちゃんと行くから、先に行ってて』

『おっさん、ええんか?』

 ……悩むふりをしてみるが、俺にできることなど、どう考えても何一つ存在しなかった。俺はこいつらを慮ることはできるが、寄り添えはしないのだと痛感するばかり。

「……あぁ、すまんが、漣は後で向かわせる。すぐに処置に入れる準備だけしてくれると、助かる」

『おっけー』

 それだけを言うと、龍驤は最上と夕張を伴って、暗い海の向こうへと消えていった。

 俺は視界を漣の視野に切り替える。

 いくつか、考えなければならないことがあった。例えばあの新型はなんなのか、なぜ突如としてこの海域に出没したのか、何が目的だったのか。最後の最後で隙を生み出してくれた魚雷の主は。
 だが、それらは全ていつでもできることだった。後回しにできることだった。


319 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:27:28.97 SeQhtB0C0 244/860


「漣」

 俺が声をかける、たったそれだけのことで、漣は大きく肩を震わせた。
 隠し事がばれてしまった子供のような反応。それの何が悪い、隠し事だとか後ろ暗いことだとか、言ってしまえば全部過去だ。過去がない人間なんているものか。
 ……そう言ってやれればどれだけよかったろう。少なくとも、そんな権利は、俺にはないのだ。

「疲れたか」

『……うん』

「風呂でも沸かしとくか」

『うん。……あ、でも、高速修復材、使うから。お風呂にも、そのとき』

「あぁ、そうか。そういうもんか」

『あの、ご主人様』

「ん?」

『……なんでもないです』

「……そっか、気を付けて」

 帰投しろよ、と言いかけた俺の声を、何かが弾けるような音が掻き消した。

 漣が思わず振り向いた先には、雪風が響の頬を張った、その直後の現場があった。
 雪風は涙を浮かべ、響は頬の痛みではない何かを堪え、そして神通は無念そうにただ見守っている。


320 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:27:55.58 SeQhtB0C0 245/860


『このぐず! どうして、どうしてあそこで陣形を崩しちゃうんですか!?』

『……ごめん』

『ごめんじゃありませんっ!』

 雪風が手を振り上げた。漣があわやと一歩を踏み出すが、それよりも自制のほうが早いのは助かった。ぐっと手を肩の位置でとどめ、下唇を噛み、代わりとばかりに響をきつく睨みつけている。

『先日のブリーフィングで決定したじゃないですか! ツーマンセルの基本は挟撃! だからそれを終始、しつこいくらいに徹底すると! それなのになんですか、さっきのあの動きは! 自ら的になりにいってどうするんです!』

『……ごめん』

『それはもうわかりましたったら!』

『ちょ、ちょっと、ストップ! ストーップ!』

 とどまる様子を見せない雪風の激昂に、さすがに漣も割って入らざるを得なかったようだ。


321 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:28:39.98 SeQhtB0C0 246/860


『雪風さんの言いたいこともわかりました。でも、響さんはあなたを助けようとしたんですよ? それなのに……』

『部外者は首を突っ込まないでください。これはわたしと響、そして神通さんの問題なんですっ』

『違います! 一緒に戦って、深海棲艦を倒すという目的に変わりはないはずです!』

『わたしが響とか、たとえばあなたを守って、代わりに沈むかもしれない。今回だって、結果的に助かったからよかったものの、最悪二人で沈んでいました。作戦の遂行率を下げるような真似をする軍人がどこにいますか?』

『そりゃそうですけどっ、でも違うでしょ! 仲間じゃないんですか。まずは『ありがとう』の一言じゃないんですか!? なのになんで、そんなつらく当たれるんですか!』

『強く在るべし。弱者に生きる権利はないんですよ』

『っ!』

 ひりつく何かを、疑似感覚越しに感じた。

 思い出す。赤城との邂逅を。神通との激突を。その感覚はあの時に感じたものと酷似していて、いや、そもそも同一なものなのかもしれなかった。
 しれなかったが、しかし。


322 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:29:14.17 SeQhtB0C0 247/860


 漣。

「漣!」

『なんですか』

「お前」

『それよりもご主人様』

「拒否する」

『強制帰投を解除してくれませんか』

「繰り返すぞ。拒否、だ」

 まさか畏怖にも近い感情を、この桃色の少女に対して抱くことになるだなんて。

 意識してでの行動ではなかった。俺は半ば無意識に、反射ともいえる速度で、漣に対して強制帰投の要請を飛ばしていた。
 強制帰投を俺が指示している以上、漣は艤装の使用ができない。リソースは全て足回りに消費する、航続距離と速度を重視した出力に変更されている。


323 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:29:51.51 SeQhtB0C0 248/860


 漣は同じくらいの背丈の雪風を、不動でぎろり、睨みつけている。相対する雪風もまた同じ。

『弱者に生きる権利がない? 何言ってんですか、あんたは軍人でしょ? 艦娘じゃないんですか?』

 そうして胸ぐらを掴んで、

『弱者を守るのが漣たちの役目でしょうが! 悪を挫き、弱者を助く、それが艦娘ってもんのはずです! それが「弱者に生きる権利はない」だなんて、よくもまぁ言えたもんです!
 強く在るべし、確かに結構! 雪風さん、あなたはもう十分強いのかもしれません。神通さんだって百戦錬磨なのでしょう。でも、じゃあ、あなたたちが守るべき人々にまで、そんな強さを要求するんですか!
 強くなれなくたっていい! 強く在れなくたっていい! 弱いままで、それでも幸せに生きていくことができる世の中にするのが、あたしたちの役目じゃん! 違う!?』


『……なに泣いてるんですか。ださ』

 雪風は吐き捨てるようにそれだけ言って、もう付き合っていられないとばかりに反転、飛沫も大きく岸を目指しはじめる。


324 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:30:19.25 SeQhtB0C0 249/860


 漣は雪風が指摘するとおりに泣いていた。大粒の涙を眼尻から眦から関係なくぼたぼた落とし、海のまにまに消えていく。それでも決して嗚咽は零すまいと歯を食いしばっているのが強情だった。
 その涙が少女の心の何処から来ているのか、俺には依然判断しかねた。感情の高ぶりが自然と涙腺を刺激したのか、何か思うところがあったのか、響を悲しんでいたのか。

 強くなれずとも、強く在れずとも、平穏を。寧ろ、弱者にこそ幸福を。漣のそういう価値観は過去にも垣間見たことがある。
 優しい少女だと、俺は誇らしく思う。

『……ありがとう。ごめんね』

 正反対の言葉に同じ想いを混めて響もまた反転。漣は一瞬何か声をかけようとしたようだが、諦めたのかうまく言葉を紡げなかったのか、伸ばした手を空中で止める。
 神通も響のあとを追い、すぐに三人の姿は見えなくなった。泊地へ戻ったか、損傷は少なかったので、自分たちの棲家へ帰ったのだろう。


325 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:31:02.66 SeQhtB0C0 250/860


『うー……っく、ひっく』

 ようやくしゃくりあげだす。誰も見ていないからだと思うが、俺がいることはすっかり忘れているようだ。

 正誤の判断をするのは俺ではなかったし、そもそも正誤なんてものがこの世に存在するはずもなかった。何より俺に正誤が判断する資格があるとも思えず、三重で俺に出る幕はない。
 ただ、漣の言葉は守られる側の論理であり、雪風の言葉は守る側の論理である。そこに食い違いが生じている部分はあるのかもしれない。雪風は仲間を何人も失っているのだから、なおさら。

 大群が襲い、提督が死に、それでも終わらぬ地獄のような邀撃に次ぐ邀撃。押し込まれる戦線を維持するのが精一杯な、いつ終わるとも知れぬ泥沼の撤退戦。
 結果として平和は訪れた――平和? 違う。彼女たちはこの平和が仮初だと知っている。一時的な安寧だと知っている。


326 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/11 22:32:49.61 SeQhtB0C0 251/860


 兵隊は凪に身を委ねたりしない。

 死にそびれたのは苦しかろう。
 漫然と生きるのも辛かろう。

 このままではいけないと誰もが思っている。発露の仕方が違うだけ。

 ……しかし、少し気になることが見つかった。アレは単なる言葉のあやだろうか。それとも。
 もしそうなのだとすれば、随分と利用価値があるのではないか。

 少し癪だが、仕方がない。大井に確認を取ろう。

「漣、お疲れ。怪我を治してゆっくり休め」

『……うん。わかった、そうする。もう、やだ』


332 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/13 01:45:03.57 IXUNONRt0 252/860


 夜が明けた。

 漣は結局泊地で寝泊まりするということで、本人から直々に連絡があった。監督は龍驤か鳳翔さんか……どちらにせよ、まぁ安心だ。あちらとはスタンスこそ違えど、目的は一致している。決して悪いようにはされない。
 最上や夕張の損傷は酷いものだったが、話をちらりと伺う限りでは、扶桑の被害が甚大らしい。高速修復剤によって見てくれの怪我や艤装自体はどうにかなったものの、まだ目を覚まさないと。
 神経や臓器、精神の状態も安定していないとのことだ。あの新型、そしてヲ級と数的不利を抱えながらの戦闘だったはず。よく沈まずに耐えてくれたと、素直に思う。

 いずれ扶桑にもあって挨拶し、話も交わさなければならない。とはいえそこを急いてもしょうがない。俺にもやるべきことは山積している。


333 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/13 01:47:04.15 IXUNONRt0 253/860


 湯を沸かしてインスタントのコーヒーを溶かす。酸味が強く、味は薄い。経年のため到底飲めた味ではないが、これくらいのまずさが意識を賦活させてくれる。ぼんやりとした朝の頭では何もできやしない。
 漣を迎えに行くべきだろうか。いや、あいつも一人になりたいときはあるだろう。少なくとも、こんな歳の離れたおっさんといるよりは、同世代の女子に囲まれている方が気も休まるに違いない。
 そう、たまに忘れそうになるが、あいつはまだ十代半ばの子供に過ぎないのだ。俺が理解しえない生き物なのだ。

 漣が俺の傍らにいないのであれば、こちらも今しかできないことをすべきだった。邪魔というわけでは当然ないけれど、俺たちの問題と言うよりは、寧ろ向こうの問題である。
 大井。あいつの顔が脳裏をよぎって、しかし俺は頭を振った。まだ、いい。あいつと話すときは自らの中で確信を得てからだ。
 

334 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/13 01:47:55.99 IXUNONRt0 254/860


 ならばと俺は外へ出た。朝はまだ日差しも弱い。うだるような暑さも、噎せ返るほどの湿度も、どこにもない。
 海辺へときもち小走りで急ぐ。通信がとれればいいのだが、一度も回線を確立したことのない相手には、こちらからコンタクトすることができないのだった。
 提督としてのあらゆる権限は龍驤にある。ネットワークの外にいる俺は、自分の脚で探すか、向こうからこちらへの接触という幸運を待つしかない。

 だが、心配はさしてなかった。恐らくあちらはこちらを意識している。四六時中監視、というわけではさすがにないだろうが、海辺を歩いていれば接触を図りに来る可能性は高い。
 伊58。
 尾行者の正体。

 なぜ、どうして、何の目的で。それらを考える必要はなかった。全て、本人に聞けばよかった。

「……」

 少しの沖合で、桃色が水面から突き出ているのが見えた。
 二筋の流星が、真ん中から左にかけて流れている。


335 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/13 01:48:24.69 IXUNONRt0 255/860


 58は言った。自分の目的を手伝ってくれるのならば、こちらを手伝うことに抵抗はないと。
 互恵関係、望むところだ。そしてそれ以上に、単純な利害関係を超えたところで、あいつに力を貸すことへの抵抗はなかった。
 あぁ、認めよう。俺はトラックの艦娘たちの力になりたいと思ってしまったのだ。

 どうやら漣の言葉が俺の心に火をつけたらしかった。悪を挫き、弱きを助くのが軍人の使命であるというのなら、俺はまだ軍人でいていいようだ。

 比叡は沈んだ。俺が沈めた。鬼を殺す犠牲となって、提督でもなんでもなかった俺の指揮によって、死体さえ上がらない海の底へと消えていった。鬼殺しの名は誉れではない。犠牲を見ずに功績だけを捉えて讃えられるのは、気が狂いそうになる。
 罪滅ぼし。手向け。追悼。耳触りのいい言葉なら山ほどあった。しかし、きっとこれは、そんな清廉なものではないのだ。

 俺だった。

 俺がする、俺のための、行いだった。

 こんな気持ちのままに死んで堪るか!


336 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/13 01:48:53.53 IXUNONRt0 256/860


「なにぼーっとしてんの」

 砂浜をぺたぺた58が歩いてきていた。桃色の髪の毛は濡れ、頬や額に張り付いている。撥水性の高い上着や水着は独特な光沢だ。

「……いやらしい眼で見ないで欲しいでち」

「見てねぇよ」

 断じて見ていない。

「秘書艦もつけずにお散歩なんて、実に優雅でちね。それとも、そこまでして58とお話がしたかったの?」

 海面からこちらを逐一窺っていた女に言われたくはなかった。が、そんな返事よりもまず先に言わねばならないことがある。

「昨晩は助かった」

「……なんのことでちか? 全くわからんでち」


337 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/13 01:49:21.96 IXUNONRt0 257/860


 58はその辺に投棄されていたクーラーボックスを木陰へ引っ張っていき、そこへと腰を下ろした。頬杖をつき、値踏みするような眼でこちらを見ている。
 手招きはされなかったが、俺も木陰へと足を踏み入れた。拒否はなかった。それを幸いに背中を硬い木の幹へと預ける。

「お前の魚雷のおかげで、響と雪風は沈まずに済んだ」

「……今朝方、神通も来たよ。みんな誰かと間違えてるんでちよ」

 嘆息。やれやれ、困ったやつらだ。58の口ぶりからは、年長者の余裕なのか、それとも生来のものなのか、満ち溢れた自信が透けて見える。きっとこれが大井とそりがあわない理由なのだとふと思った。
 実力と責任は隣り合わせ。できるからやる。面倒みるから偉ぶる。それらを当然だとして憚りもしない。
 傲慢と評するのは恣意的にすぎるだろう。自らの背中を後輩に見せることによって、あるべき姿を示すのが、きっと彼女の流儀なのだ。そこは神通とも似通っている。

「なら、誰だと思う?」

「……」

 またも嘆息。これ見よがしな面倒くささを混ぜて。


338 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/13 01:50:08.84 IXUNONRt0 258/860


「どうしてわかったでちか?」

「消去法だ」

 それは単純な話だった。
 響と雪風は当然除外。最上でも、夕張でも、漣でもない。赤城と龍驤は有り得ない。ならば神通? そういうふうには見えなかったし、なにより、その可能性はたったいま58自身が否定した。
 扶桑は大破でいない。鳳翔さんも付き添っている。まだ見ぬ霧島? 戦艦があえて、わざわざ魚雷で敵を討つか?

「病床の大井か、潜水艦のお前かなら、58、お前だろう」

「……そりゃそうか。ちぇ、変に恥ずかしいまねをしちまったでち」

「お前があの海域にいたのは偶然か?」

「なに、ゴーヤが深海棲艦の仲間だって?」

「そういうことじゃねぇ。お前は俺の行く先々に現れるからな」

「……んー」

 ふくれっ面でそっぽを向く58。拗ねたかと一瞬考えたが、どうやら何かを悩んでいるらしかった。

「夜は潜水艦の時間でちから」

「なんだ、そりゃ」


339 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/13 01:50:39.73 IXUNONRt0 259/860


「暗い海の中は本当になんも見えなくて、泳いでるうちに、どっからどこまでが自分の体かわかんなくなるんだ」

 そうして58は太陽に向かって手を伸ばした。指を広げ、その隙間から漏れる陽光に目を細める。
 手の届かないものを希うかのように。

「それが心地よくて、世界中が全部ゴーヤの体になったみたいで、そりゃもう、学校のプールなんかよりも全然。だからゴーヤ、夜の海は大好きなんでち。
 ……でも時々、本当に時々だけど、25メートルプールに戻りたくなる時もあって」

「……」

 ゴーヤの話はいまいち要領を得なかった。それが一体どんな話に向かい、繋がっていくのか、予測がつかない。
 きっときちんと話すことが不得手なのだろう。感性で喋る58の言葉は、それでも生命力にあふれていた。

「だから赤城と組んだんでち」

 いきなり、意外な名前が飛び出した。


340 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/13 01:51:06.31 IXUNONRt0 260/860


「待て。赤城と? 組んだ?」

「うん。夜は潜水艦の時間。昼は空母の時間。航空機を飛ばせないから、代わりにゴーヤが、海の様子を見ることにしたの」

「それを他の奴らは知ってるのか? どうして赤城と?」

「ちょっと、てーとく、一気に質問されても困るでち。そもそもあたしは、別に質問にきちんと答える義務があるわけじゃないし」

「いや、それでも泊地の防衛体制のことだし、聞かなかったことにはできんぞ」

「……てーとくも、戦いのことしか頭にないでちか」

 ふん、と58は鼻を鳴らした。嘲っているように見せているのだ。ポーズと本音が半々、といったところか。

「みーんなそればっかり! ばっかみたい!」

 58が砂を蹴り上げる。白く、きめ細やかな砂は、ぱっと飛び散って輝いた。

「あーあ、こんなことになるんだったら、徴兵なんか蹴っ飛ばしてやればよかったなぁ。インターハイおじゃんにする理由なんか、どこにもなかったでち」


341 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/13 01:51:45.81 IXUNONRt0 261/860


「インハイまでいったのか」

「うん。一応、自由形の高校記録持ってるでちよ」

「そりゃ凄い」

「名門で、顧問の先生のほかに外部のコーチもついて、普通のだけじゃない……加圧? よくわからんでちが、そういうのもやって、メニューをこなせばこなした分だけタイムも伸びたし。
 いや、勿論スランプとかもあったけど、でも、二年で高校新出せてインターハイ決めて、あの時は……嬉しかったなぁ……」

 過去を語る58の表情は底抜けに明るくて、その内容があたかも昨日のことかのように、鮮明に、克明に、途轍もない現実感をもって語られる。
 幼いころから水泳を習っていたこと。色々な賞をとったこと。強豪校から誘われたこと。先輩との確執と和解。タイムが伸び悩んで苦しかった数か月。負けて泣いた時。勝って泣いた時。

「素直であれば素直であるほど、成績はよくなるもんでち。なんだかんだ、ゴーヤは世の中ってのはそういうもんだと思ってきたんだ。でも、ここじゃ違った。素直で、優秀で、嫌なことを断れないひとから死んでく。死んでった。
 はっちゃんが最初。イムヤもほどなく。イクは最期の最期まで、何考えてんのかわかんないやつだったけど、朝起きたら隣にいなくて、結局そのまま帰ってこなかったでち。多分通商破壊に失敗したんだろうって、龍驤は言ってた」


342 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/13 01:52:22.69 IXUNONRt0 262/860


 58の口ぶりは極めて平坦だった。意識してそうしているのだということは、想像に難くない。それを指摘するほど俺も野暮ではない。
 恐らく彼女にとっての戦いとは、上から押し付けられたものなのだ。それに従った友人が、次々自分の傍からいなくなっていく。
 軍を疎んでいるわけでなく、戦いに倦んでいるわけでもなく、命令や強制という押し付けに対しての嫌悪感。怠慢なのではない。自由主義的といえばいいのだろうか。

「なら、あたしは素直じゃなくていい。悪い子でいい。昼行燈と後ろ指さされるくらいが、きっとちょうどいい。そう思うでちよ。てーとくはそう思わんでちか?」

「俺は……」

「なんのために鬼を倒したかわからんでち。あれじゃあ、てーとくも報われんでち。じゃない? 違う?」

「……知ってるのか」

「ま、ね。かわいそうだなって、テレビ見て思ったから」

「そうか」

 こんな子供にまで同情されるとは、なんとも不憫な話である。

343 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/13 01:53:09.64 IXUNONRt0 263/860


 報われたくてあんなことをしたわけではない。褒賞も、徽章も、名声も金銭も、あの時あの場では何の意味もなかった。指揮をとったのは生きるため、鬼を倒したのは結果に過ぎない。

「身の上話が長くなってしまったでち。まぁよーするに、あたしは働くつもりはもう全然全くない、ってことなんだよね」

「だけど、二人を助けてはくれた。夜の哨戒もしている。
 それに、この間の口ぶりじゃあ、俺たちがお前の要求を呑めば、お前は俺たちを手伝ってくれるんだろう?」

「流石に仲間を見捨てるほど薄情じゃねーでちよ。それに、赤城のことは……うーん、あたしにも責任の一端があるというか、でもなぁ、今思い返しても、あれが一番良かったと思うし……」

「どういうことだ?」

 重要な話に片足を突っ込んでいる、そんな気はするのだが、いかんせん話の糸口がまるで見つからない。

「全ての原因は赤城にあって、でも赤城は全く悪くないって話でちよ」


344 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/13 01:53:38.98 IXUNONRt0 264/860


 心拍数が自然と上がる。全ての原因。原因? なんのだ?
 状況。現状。泊地の。トラックの。

 壊滅の?

「てーとく、あたしはあんたに協力するでち。だから代わりに、お願いを一つ――いや、二つかな。聞いてほしいんだ」

 58はクーラーボックスから勢いをつけて立ち上がり、そのままターンして俺の方を向いた。
 屈託ない笑みがそこにはある。

「赤城の冤罪を晴らしてよ。
 それに失敗した暁には、あたしにあいつを雷撃処分させてくだち」


353 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/15 00:42:01.62 xHLOeXTA0 265/860


 こいつは何を言っているのだ?

 不思議と頭は冷静だった。冷静な頭で考えて、真っ先に58が冷静ではないのではないかと判断が下った。言動こそ常人のそれだが、その実精神がお釈迦になっているに違いない。
 雷撃処分。安楽死。

 こいつは俺にそれを言うのか?

「お前は……イカれてるのか?」

「半分くらいは?」

 58が俺に向かって踏み込んでくる。一歩。俺は詰められた一歩分後ろに下がろうとして、それまで自分が木にもたれかかっていたことを、今更思い出す。
 下がれない俺を尻目に、58はさらに一歩、また一歩と距離を詰める。ずんずんと。ぐいぐいと。

 桃色の頭が俺の顎へ触れるか触れないか、それくらいまで縮まった距離で、こちらを見上げてくる58。

「お願いって言ったけど、ぶっちゃけお願いじゃないんでち。これは命令というか、警告というか、そんなとこかな。その代わり手伝ってあげるよ、って」


354 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/15 00:42:29.60 xHLOeXTA0 266/860


 力と意志の籠った瞳が俺の感情を射抜いている。
 内側からの生命力に溢れている、その肢体。自信に満ちた口元。先ほどこいつから感じた、一本の芯が詰まった人間性を、俺はこれまで以上に感じていた。
 感じてしまっていた、というべきか。

 お願いではなく、命令。あるいは警告。それは確実に事実だろう。58はそのような駆け引きや脅しを好む種の人間ではない。こうすると決めていて、それを宣言しただけに過ぎないのだ。
 赤城が幸せに生きられないのなら、いっそ沈めてしまったほうがよい。苦悩と精査の果てに、58はその結論を選んだ。

「龍驤が認めるはずはない」

 言ってはみたものの、俺自身が半信半疑だった。艦娘に好き放題やらせている首魁のようなあの少女ならば、58の案に積極的に賛成こそしないけれど、かといって決死の覚悟で止めることもすまいと思ったのだ。
 そして俺は、58のにへらっ、とした笑みによって、自らの予想が的中したことを理解する。


355 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/15 00:43:03.05 xHLOeXTA0 267/860


 ひらりと距離を開け、くるりと回って、58はまたクーラーボックスに座りなおした。

「龍驤から許可は貰っているでち。あとはてーとくが邪魔さえしなければ、それだけでいい。
 ……トラックに流されてくるって聞いたから、本当はもっとダメダメでグズグズのひとが来るんだろうな、って思ってた。それだったら、ゴーヤもこんな話はしなかったでち。だけどてーとくはちゃんとしてて、ちゃんとできるひとみたいだから。
 万が一、ゴーヤが雷撃処分することになったとき、邪魔されても困るなって。
 ……億が一、兆が一、赤城を助けてくれるかもしれないし」

 だからこんな話をしたんだ、と58は漏らす。

「……赤城の冤罪を晴らせば、いいのか? それは赤城が誰かから誤解を受けてるってことなのか?」

「違うよ。いや、違うってわけでもないけど。
 さっきゴーヤ言ったよね、原因は赤城にある、って。でも、本当はゴーヤと龍驤にもあるでち。死んじゃった提督にも。だけど赤城は自分だけ背負い込んで、だから冤罪」

「……トラックが壊滅した、理由、か」

「へへ、やっぱりてーとくは、あたしが見初めただけあるでちね。それくらいは御見通しかぁ」


356 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/15 00:43:34.86 xHLOeXTA0 268/860


「いや、だが、あてずっぽうだ。なんとなくだ。何が起こったのかは、58、お前から説明してもらわないと」

 俺に察することができるのは、所詮「何かがあったのだろう」までである。「何があったのか」までは、最早範疇外。そこまでわかれば超能力者だ。
 だが、もし全ての元凶が赤城にあるならば、赤城にあると彼女自身が思い込んでいるのならば、あの深紅に染まった鬼の容貌も納得がいく。

「簡潔に言っちゃうとね、深海棲艦の邀撃、その作戦草案を提出したのが赤城なんでち」

 深海棲艦の邀撃……トラック泊地で起こった「イベント」にまつわる、諸処の防衛任務のことだろう。敵の規模や、攻撃の波数まで俺は知らない。漣が持ってきた資料にも記載されていなかったように思う。
 そうだ、俺は常々疑問だったのだ。トラック泊地の艦娘たちが大本営を恨んでいるとして、ならば、そもそも、大本営が力を貸してくれると何故みなが思っていたのか。信じていたのか。


357 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/15 00:44:10.17 xHLOeXTA0 269/860


 危機一髪で本土から来た友軍が助けてくれるという、創作みたいな話を全員が信じ、だから裏切られたと憎んでいる。そんな仮定は荒唐無稽だった。だから、最初からそれが邀撃作戦に組み込まれていたはずなのだ。
 トラックだけでは戦力が足りないことを見込んで、あらかじめ本土に打診をする。確約を貰う。例えば一方面の防衛や、兵站の維持のための人員を派遣してもらうように。

 そして約束は反故にされた。

「……のだとすれば」

「察しが良くて助かるでち。それだけ理解が早いと、ほうぼうでいらん苦労を買いそうでちね」

 うるせぇ。

「全員が膝を突き合わせて話すなんてことはできないからさ、あたしと赤城と龍驤、あと大井。それに前のてーとくを加えた五人が作戦立案を担ってた。
 トラック含めた東南アジア一帯が襲撃対象になってることは、出没状況だとか頻度から、結構前にはわかってたよ。どうやって手を打つか、五人で集まったのは一度や二度じゃない」


358 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/15 00:46:13.71 xHLOeXTA0 270/860


「赤城が邀撃論を唱えたわけではない?」

 それでは58自身が言ったことと矛盾するのではないか。
 邀撃に前向きだった彼女が、惨禍を見ての自暴自棄なのだとすれば、単純に解釈できると踏んだのだが。

 ……いや、違う。58はその前に表明していたではないか。自分たちにも責任の一端はあり、どう考えても赤城の案が最善であったと。
 最善。それしかない、ということ。誰であってもそれを選択するであろう、ということ。

 ゆえに58は冤罪という言葉を使う。

「邀撃は、当然する前提だったよ。そりゃそうでち、じゃなきゃこの泊地の意味がないじゃん! ……ってな具合かな。そもそもトラックの島民置いてけないし」

 考えてみれば当たり前の話だった。俺は自らの浅はかさを恥じ入る。

「色々と話しあいをして、赤城が積極的邀撃論、だったっけな。それを唱えたんでち」

「積極的邀撃論」

「うん。反攻作戦ってやつ」

 鸚鵡返しにも58はきちんと返してくれる。


359 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/15 00:46:45.10 xHLOeXTA0 271/860


「防衛海域までやってきた深海棲艦を片っ端から片付ける、専守防衛で堅実に行こうとしていたのが大井と前のてーとくでち。理由は……色々言っていたけど、一番は戦力の不足、かな。
 今もくっそ人員不足でちが、まともに機能していた頃も、別に大して人は多くなかったよ。長門とか大和とか、弩級戦艦の適合者もいなかったし」

 まぁ、いたとしても、燃費を賄えるほどの余裕はあったかわからんでち。58は苦笑しながら呟いた。

「でもそれじゃあジリ貧で、局面を打破しきれないって言ったのが赤城だったでち。そりゃそーだよね、ってあたしは今でも思うよ。
 籠城戦を攻略するのは五倍の戦力が必要だって大井は言っていたけど、あっちは無尽蔵だもん。一年後か、二年後か、必ず五倍以上に戦力が開くときが来る。大井もそれはわかってて、てーとくもわかってたから、赤城に異を唱えることはなかったでち」

「……だが、戦力は足りなかったんだろう」

 籠城になんとか足りるだけの戦力しかないのなら、必然的に二部隊以上での作戦となる反攻行動など、夢のまた夢。


360 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/15 00:47:11.36 xHLOeXTA0 272/860


「そうでちよ」

 わかってるくせに、と58は厭味ったらしく微笑んだ。俺の言葉が、寧ろ彼女にとっては厭味に聞こえたのかもしれなかった。

 たとえわかっていたとしても、既知の確認になるのだとしても、声に出して尋ねなければならない事柄は存在する。もっとも、その神髄は尋ねるという行為にあるのでなく、行為を裏打ちするものの存在にある。
 誰もが聞かずに、訊かずに済むならそうしたい何かを、恐怖せずに知ろうとする姿勢。原初、人はそれに「勇気」と名前を付けた。


361 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/15 00:47:44.64 xHLOeXTA0 273/860




「足りない分は本土から友軍を呼べばいいと、赤城はそう考えたでち」



362 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/15 00:48:21.49 xHLOeXTA0 274/860


 ……。

 ……。

 言葉、が。

「……」

 出てこなかった。

 なんと言えばいいのか。なにを言えばいいのか。いや、俺に何かを言う権利が、あるのか?
 結局俺はどこまでいっても外様で、彼女たちの力になりたいと考えてはいるが、それが余計なお世話である可能性は、否定できない。

 聞きたくなかった。訊かなければよかった。58の発言は、俺に深い後悔を齎すには十分すぎるほど十分すぎる。だが、そうなることをわかっていてなお、俺は尋ねたのだ。勇気を振り絞って。

 赤城の後悔は俺の比ではない。


363 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/15 00:48:53.31 xHLOeXTA0 275/860


 胸ポケットを自然と探っている自分がいた。力を籠めて手を握り締め、ポケットに突っ込む。

「結果的に、友軍はこなかった。約束は果たされなかったでち」

 58は真っ直ぐ海の向こうを見た。俺もつられて視線を向ける。
 青い空と、蒼い海と、白い雲と、浮かぶ船と、……その先にはきっと、日本がある。
 それとも天国を58は見ているのだろうか。

「依頼はちゃんとしたよ。承認もされた。事務手続きに不備があったなんて、そんなくっだらないオチじゃねーでち。何があったか、いまとなっちゃわかんないよね。
 こっちに戦力を回せる余裕がないほど戦況が逼迫したのかもしんない。深海棲艦がチャフを撒いて通信を妨害したのかもしんない。……ただ単に、忘れられてただけかも、しんないでち」

 58の視線が俺に向く。俺は何も知らない。夏の本土襲撃のごたごたから復帰しきれていなかった可能性はあったし、人権派を気取る団体の妨害が大きく摂り沙汰される時期もあった。艦娘の運用で政局が傾いていたことだってあるのだ。

「ばっかじゃねーの!」

 58は叫んだ。天にも届けとばかり、怒りの抗議だった。


364 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/15 00:49:33.07 xHLOeXTA0 276/860


「赤城の判断が間違っていたとは、ゴーヤには思えなかったでち。今でも正しいと思う。それに、仮に専守防衛を選ぶことになっていたとしても、戦力の追加補充は本土に申請することになっていたはずでちから、きっとまたそこで何かが起こってたに違いないもん。
 半年か、一年か、死んでったやつらの寿命が延びたにすぎんでち。結局のところは、それだけ」

 戦場で、一分一秒、敵の侵攻を命を張って食い止めようとしている艦娘の、58のその言葉の裏側に隠されたものを、見落とせるはずがなかった。
 心臓を引っ掴まれたような息苦しさ。

「多分十回決定を迫られたとしても、ゴーヤは十回全部赤城の案に乗るよ。だから、赤城が、全部一人でしょい込むのは見てらんない。それはフェアじゃない。スポーツマンシップに悖る。
 だけど、それでも夜毎に思うでち。もしかしたら、重石と一緒に沈むのが、赤城にとっては幸せなんじゃないかって」

「それは違う。違うぞ」


365 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/15 00:50:02.32 xHLOeXTA0 277/860


「もしそうなら、友のよしみであたしがあいつを沈めてやりたい。
 苦しい思いをして、必死に、歯を食いしばって生きて、最期の瞬間まで呻きながらってのは、やっぱりやーな感じだから」

「58、俺の話を聞け。それは違うんだ」

「経験者は語る、でちか?」

「そうだ」

「ならてーとくがやるでち。てーとくに託すでち。比叡さんは沈んじゃったけど、赤城はまだ沈んでない。
 あたしも龍驤も、赤城になんて声をかければいいのかもうわからないんだ……」

 沈む際に、自らの使命を果たしたと確信し、消えていくのは気持ちのいいことかもしれない。自らの存在意義を胸に抱きながら意識が消えるのは、確かに絶頂なのかもしれない。
 だが、俺は知っている。知っているのだ。たとえどんな崇高な生き様だろうと、死した瞬間から風化していくことを。

 矜持や信念は剥奪され、十把一絡げにラべリングされ、加工を経て世間へと提供される。それは死者への冒涜だ。墓碑銘すらない無縁塚に、親しい人間を誰が入れたいものか。


366 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/15 00:50:35.58 xHLOeXTA0 278/860


 比叡は比叡として死んだが、比叡として安らかに眠ることを認められなかった。

 赤城に同じ轍を踏ませることは、到底看過できやしない。

「58。俺がやる。俺が何とかする。何とかしてみせる。
 安心しろ、とまでは言ってやれないが……」

 こいつは俺の後を尾けてまで、俺と接触を図りに来た。それだけのウェイトを、58の中で占めているということだ。
 58は少し驚いた表情をしたが、すぐににへらっ、と笑う。

「ありがとっ」

「なら、IDを教えてくれ。俺は今日はやりたいことがあるが、明日以降、俺の家に来てくれればもてなす用意はしておく」

 とりあえずは泊地に寄って漣と合流したかった。夕張や最上の様子も気になる。扶桑の顔を、俺は一度も見ていない。確認すべきは少なくない。
 この58から聞いた話をどれだけ龍驤や漣に伝えるべきか、それについては考える余地があるだろう。会議に参加していなかった艦娘たちが、赤城についてどう思っているかを尋ねる必要もあったし、それ以前に赤城が反攻作戦の草案を提出したことを知っているのがどれだけいるか。


367 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/15 00:51:05.96 xHLOeXTA0 279/860


「てーとく?」

「ん、あぁ。悪い」

 不思議そうに58がこちらを覗き込んできていた。

「あの、ゴーヤ、てーとくのお家を知らんでち」

「……は?」

 いや、だって、お前。

「俺の後をついてきてたろ?」

 58はあからさまに気味の悪そうな顔をして、こう言った。

「何言ってるんでちか?
 てーとくを尾行なんてしてないし、てーとくの家に行ったこともないでちよ?」
 


378 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/19 22:37:22.85 OuJsRaB60 280/860


 足取りは遅々として進まない。一歩踏み出すのにも神経を使い、自分の体であるはずなのに、まるで自分の支配下にないかのような使い心地。
 俺は泊地へ向かっていた。そこに漣や龍驤はいるらしい。合流して、今後の策を練らねばならない。赤城の話は……いまは、ひとまず、置いておこう。
 あぁ言っておいてなんだが、解決策などちっとも浮かんでいなかった。全てをたちどころに解決する魔法など存在しない。あれば俺が自分で使っているとも。

 やるべきことも、前提として確認すべきことも、多岐にわたる。トラックへ着いてから一週間足らず、俺はずっと頭を回し続けているような気がした。だがそれでいいのだ。何故なら俺は前線には立てないのだから。
 別段持論があるわけではなかった。ただ、いたいけのない少女を戦場へ送り出すからには、それだけの自らの責任と価値を自らが信じていなければならいような気がするのだ。


379 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/19 22:38:04.60 OuJsRaB60 281/860


 赤城は積極適邀撃論を唱えた。反攻作戦。こちらを攻めている相手の手薄な本丸を狙う、ハイリスクハイリターン。
 58は赤城の選択を正しかったと判断していた。責任は赤城にはないとは繰り返し言っていたことだ。誰であってもそう決断し、誰であっても惨状を回避できないのなら、その責任を個人に問うのはおかしい。そう言う話。

 俺も58には同意だった。いや、赤城の作戦の正誤判断が俺にできるはずもないから、選択によって得られた結果がたとえ失敗であっても、という部分についてだ。
 未来はわからない。結果は知れない。だからこそ過程が大事なのだ。
 正しい過程さえ踏めば、正しい結果を得られずとも、一連は正しくある。

 ただ、幸せに生きられればよく、その結果死ぬことも許容できるというトラックの艦娘たちの姿勢に関しては、極論のような気がしてどうにも同意できなかったが。

 決定の場に同席していた龍驤や大井が赤城について何も言わないのは、彼女たちも赤城の責を問うつもりがないからなのだろう。それでも誰かが決定をせねばならず、決定には責任がどうしてもついて回る。
 赤城はその責任を果たそうとしているのだ。


380 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/19 22:38:45.10 OuJsRaB60 282/860


 自らの死によって? 否。赤城の鬼のような佇まいは、死に向かう人間のそれとは違う。赤城はあくまで死の淵に立っているだけだ。
 信じられないことだった。まるで常人の発想ではない。

 深海棲艦の殲滅。
 赤城はそれを一人でやろうとしているのだ。

 最初の邂逅で、彼女が言った通りに。

 それが彼女なりの責任の取り方。

「……いや、無理だろ」

 つい、独り言が漏れる。
 そんなことができるなら、今までの海軍の労苦は、一体全体なんだったのかということになる。
 敵は強大で、無尽蔵で、だからこそ俺たちは相互に協力し合わなければならない。そうしてこそ、初めて邀撃を成せる。それがわからないはずの赤城ではないはずだ。ならば意図的に無視しているのか。-

 それはつまり、迂遠な自殺。

「……」

 俺は58の魚雷を、友に向けさせるわけにはいかなかった。

381 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/19 22:39:14.86 OuJsRaB60 283/860


「赤城……神通たち、は、……まぁいいとして」

 この泊地には十二人の艦娘が残っている。

 龍驤、夕張、鳳翔さん。
 神通、雪風、響。
 赤城、58、最上。

 戦力としてカウントできるかは未知数だが、大井。

 まだ見ぬ扶桑と霧島。

 そして、俺の秘書艦として、漣。

 現状、仲間は最上、大井、58の三人。とはいえ大井は戦闘に不向きだろうし、58に至ってはどれだけ手を貸してくれるかわからない。腕前は確かなのだろうが……。

 神通一派の三人は、どうだろう。仲間とは決して呼べない。あちらはあちらの論理で動いているし、俺たちには与しないだろう。阿ったりしない強さを彼女らは持っている。
 不幸中の幸いは、彼女らが深海棲艦を倒すことは、そのまま俺たちの利益にもつながるということだ。真っ向から対立する関係ではない。互いが互いに砲を向け合うことにならず、よかったと心から思う。それは龍驤たちについても同じだ。


382 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/19 22:39:42.31 OuJsRaB60 284/860


 その龍驤たちとは手を取り合ってこそいないけれど、ひとまず足並みをそろえるところまでは来たように思う。あの三人とは神通たち以上に目的が合致している。
 泊地の再興であり、中長期にわたる深海棲艦の邀撃。それは個人が好き勝手にやってどうにかなるものではない。お粗末でも、人や資源を管理しなければ、到底為し得ない。
 俺たちは人死にを減らす――究極的にはゼロにするためにそうするのに対し、あちらは艦娘個人個人の満足を追求するためにそうしている。その部分の違いは決定的ではあるものの、途中までの道程が似通っているのは、どちらも理解していることだった。

 前向きに、神通、及び龍驤一派と協調路線が結べたと喜ぶならば、泊地に残存している艦娘の半分以上と手を組めたことになる。残るは赤城と、まだ見ぬ二人。
 最上や大井の言葉を信用するならば、霧島と扶桑には期待できそうだ。まぁ、最上の言葉とは裏腹に神通に銃口を突き付けられた過去もあるが、それはそれとして。

383 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/19 22:40:40.04 OuJsRaB60 285/860


 だが、その裏で俺は形容しがたい蟠りを感じていた。不完全燃焼感、とでも言えばいいのだろうか。
 順調にことが進んでいるように見えて、その実なあなあのままでやってきているだけ。俺はその事実が酷く恐ろしかった。
 急いてもしょうがない。基盤を盤石にしてから次へと進んだ方が、結果的には早く済む。それでも俺はどうすればいいのかわかっていないのだ。

 北上を探す。どうやって?
 神通たちから信頼を得る。どうやって?
 赤城を救う。どうやって?

 なんとなく、このままでも前に進んでいけるのではないかという楽観が、警鐘を鳴らしている。

 そうだ、俺を尾行していた相手の存在も、現状では不明瞭。消去法的に霧島か? 誰も知らない新たな艦娘がいる可能性は……いないことの証明はできない。が、相当に低い。
 立ち止まって後ろを振り返ってみる。当然、誰もいない。気配もない。
 もしかしたら尾行されているのは勘違いだったのか? 単に神経質になっているだけで、だからそんな有りもしない感覚を得たのか?

 なら、あの玄関先の染みは一体?


384 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/19 22:41:24.31 OuJsRaB60 286/860


 泊地の入り口をくぐる。もうこんなところまで来てしまったらしい。
 漣にメッセージを送ると、今は休憩室にいます、とのこと。場所を教えてもらい、そちらへ向かう。

 たとえば神通たちは放っておいても深海棲艦を殺すだろう。赤城だってそうだ。だから、彼女たちのことを考える必要はないという結論を、俺は出せない。出せなかった。
 完全に得られるものを追求するだけならば、神通の信頼も赤城の信頼も、さして価値はない。

 信頼に、価値は、ない。

 こめかみに力が入る。

 それは虚飾だった。欺瞞だった。
 なにより、そんなことを信じたくないのだった。

「……うじうじしてんなぁ、俺」

 ぐちぐちしている、とも言う。
 気が付けば随分と頭でっかちになってしまった。自身を理屈と論理で納得させなければ、自信を持つことすらできやしない。
 正しい理屈や論理に裏付けられているからこその自信、そうではないのが猶更たちが悪い。理屈づけられている、論理立てられていることを、盲目的に担保としているだけに過ぎない。

 結局は、自分で自分を誤魔化しているだけだった。


385 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/19 22:41:55.48 OuJsRaB60 287/860


 息が苦しい。自然と歩く速度が速まる。廊下の先に、休憩室の文字が見える。

「邪魔するぞ」

 そこに酸素があるかのごとく、俺はドアノブを回し、飛び込んだ。

「あ、や、だめ!」

 下着姿の漣の姿があった。
 セーラー服に半分だけ袖を通し、ブラと、ショーツが丸出しになっている。隣の丸椅子にスカートがひっかけてある。

「あぁ、すまん」

 謝罪して、扉を閉める。

 思考に紛れはない。漣が着替えを終えるまでに、どこまで話すか、どこまでを胸の内に推しとどめておくか、最終判断を下さねば。
 
 指揮をする立場の俺が信頼を擲つことは、決して許されることではない。艦娘の死の責任を、でなければ一体誰がとるというのか。
 彼女たちの苦しみも、不幸な生い立ちも、全て彼女たち自身のものではある。だがそこに俺が、指揮する側の人間が無関心であれば、待っているのは悲劇だけだろう。


386 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/19 22:43:10.34 OuJsRaB60 288/860


 廊下の壁に背中を預ける。モルタルの壁はひんやりとしていて心地いい。

 足早になりすぎていたのかもしれない。龍驤が言っていた可能性は、現実のものとなるだろう。いずれ俺は任を解かれる。トラックに飛ばされて、さらにそこからどこへ飛ばされるのか、まるで見当はつかないが。
 だからといって彼女たちを疎かにしてはならない。以前自省したように。

 その時に俺が何を成せたかは、深海棲艦の侵攻を喰いとめたかどうかよりも、彼女たちに何を残せてやれたか――あるいは、彼女たちに残ってしまった何かを、どこまで解消できたかが全てなのかもしれない。
 存在価値。行動規範。

 生きている理由。

 がちゃり。そんな音ともにゆっくり扉が開かれ、漣が姿を現した。
 なぜか顔を赤くして、こちらを睨みつけていた。


387 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/19 22:43:38.96 OuJsRaB60 289/860


「……ご主人様、後ろを向いてください」

「後ろ? なんか汚れでもついてるか」

「いいから」

「……?」

 言われるとおりに背中を向けた。

 途端、尻に衝撃と激痛が走った。全力でぶっ叩かれたのだと、すぐにわかった。

「いってぇっ!?」

「人のしっ、下着見といて、なんですかあの反応は!
 せめて恥らえ! あるいは恥らえ! さもなくば恥らえぇえええっ!」

 べちんべちんと漣が背中をはたいてくる。さすがに女子中学生と言えど、全力での平手打ちはなかなかに響く。


388 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/19 22:44:13.75 OuJsRaB60 290/860


「す、すまん、考え事を! いてぇっ! してた!」

「思春期の女子の着替えにぶっこんで! とらぶってんじゃないですっ! 草も生えないですーっ!」

 べちんべちんべちん。

「おこ! 激おこ!」

 べちーん、と一際大きな音が背中から響いて、漣は肩で息をしながら頬を膨らませていた。

「……いや、本当にすまなかった」

「……マジでそう思ってます?」

「思った。思ってる」

 恥らえという漣の理屈はよくわからなかったが、異性に着替えを見られて喜ぶ女性もそういまい。

「……興奮しました?」

「は? してねぇけど……」

 べちーん。

「いってぇ!」

 なんなんだこいつ!


389 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/19 22:44:54.81 OuJsRaB60 291/860


「べーっだ! ご主人様のへたれ! 根性なし! どうてー!」

「よくわからんが、他の奴らはどこにいった?」

「……」

 漣は廊下に置いてあった丸椅子を自分のもとへと引き寄せると、それに座ってそっぽを向いた。

「漣」

「……」

 どうやら本気で怒らせてしまったようだ。着替えを見てしまったのは本心で申し訳ないと思うが、どうにもこの年頃の女子の心の機微は理解できない。
 困ったものだ、と頭を掻いた。どうすれば機嫌を直してもらえるのか。

 甘いものでも買ってきてやればいいのか? ここはトラックだぞ?

「ん」

「ん?」

 漣が手を差し出していた。上目遣いでこちらを見ている。
 ……立たせろ、ということか?


390 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/19 22:45:30.33 OuJsRaB60 292/860


 手に触れていいものか一瞬悩んだが、ここで行動を起こさなければ、また何を言われるかわからない。漣の手を取ると、別段嫌そうな顔はしていなかったので、握る手に力を籠める。

 ぐ、とこちらへ引き寄せる。漣はその勢いに任せて起き上がり、俺の腰に抱きついてきた。

「なんだ。あちぃよ」

 トラックは今日も快晴だ。湿度はそれほどでもないが、気温は相変わらず30度を超えている。

「ご主人様ってあれですよね」

 あれってなんだ。どれなんだ。

 漣の体温は高い。子供特有のものなのか、体質的なものなのか、艦娘がゆえのものなのか、判別は難しい。
 シャンプーの香りだろうか? いい匂いが鼻を衝く。

 少しして、なんだかとても変態じみた感想だなと、自己嫌悪。

「もうちょっとだけこうしてても?」

「……」

 否やはないのだが、いいぞと即答するのも憚られて、返答代わりに俺は漣の頭をくしゃりとやった。
 それを受けて、漣は俺のシャツをぎゅっと握りしめる。


391 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/19 22:46:07.95 OuJsRaB60 293/860


「死ぬかと思いました」

「……」

 それが昨日の激戦のことを指しているのだと、すぐに理解ができた。

「みんな、あんな世界で戦って、生き延びて、きてたんですね」

「……怖かったか」

「怖いって言うか。うぅん。怖くはないんです。死ぬことは怖くない。もっと怖いことは、本当に怖いことは……」

 漣が唐突に俺を見上げた。頭一つ分以上の背丈の差があって、大きな瞳と艶やかな唇、桃色の髪の毛が視界いっぱいに映る。
 不覚にもどきりとしてしまった。なぜか漣の頬が紅潮していて、俺にも伝染してしまったのだ。

「ご主人様、漣は……」


392 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/19 22:46:48.54 OuJsRaB60 294/860


「神聖な建屋で何をしているのかしら?」

 険のある声が響いた。漣は驚いて俺を突き飛ばし、距離を離す。

 廊下の向こうからやってきたのは大井だった。こちらを多分に避難の色が含んだ視線で眺めている。そしてその後ろに……誰だ? 長身の女性。眼鏡をかけている。袈裟? 修験服? 巫女? どういうことだ?
 いや。俺ははっとした。消去法は単純だが、効果的だった。

「……お前が霧島か」

「そうです。お初にお目にかかりますね、提督」

 なんのために俺を尾行していた? 喉元まで言葉が出かかったが、すんでのところで嚥下に成功する。
 それはおかしい。理屈に合わない。
 理屈と論理がたとえ全てではないとしても、いまこそはそれらを信ずるに値するときだった。

 霧島が本当に尾行していたのなら、こんなタイミングで出てくるはずがないのだ。

 尾行する目的は二つに大別できる。情報を秘密裡に得たいか、それとも何かの機を窺っているのかだ。

393 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/19 22:47:30.45 OuJsRaB60 295/860


 仮に前者であるのならば、そこまでして手に入れたい情報とは何か、疑問が生まれる。信頼に足る人間か知りたかった? 裏を抱えた人間と踏んで、本心を知りたかった? だが俺は尾行者の存在に気が付いている。腹に一物があるとして、それを呆気なく曝け出したりはしない。
 そして後者であるのならば、それこそ理屈は破綻していた。機を窺うのは効果的な場面で現れるためだ。俺は、今がそうだとは、どうしても思えない。

「私の顔に、何かついていますか?」

「……いや。知り合いに少し似ていて、驚いただけだ」

 虚実を織り交ぜた言葉は多分に効果的だったらしい。大井と霧島はそれ以上追及することなく、俺たちを追い越して廊下の先を急ぐ。

「本当は今後の話をしたいのですが」

 霧島は眼鏡の位置を直しつつ、言う。

「今は急いでます。あなたも呼ばれたんでしょう? その後でもいいですか?」

「呼ばれた? 誰に?」

「龍驤よ」と大井がそっけなく返す。「扶桑が意識を取り戻したって」
 

403 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:27:12.96 1dH04i4G0 296/860


 医務室は同じ建屋にあった。医務室と言ってもしっかりとした作りのそれではなく、なんとか破壊を免れた一室に、ベッドや薬品や包帯などを詰め込んだだけのものらしい。

「入るわよ」

 とノックに応えがあるよりも早く大井は医務室の扉を開いた。真っ直ぐに前を見据えた大井の表情からは、普段の飄々とした余裕は掻き消え、心なしか苛立っているようにも見える。
 大井の次に霧島、そして俺が続き、後ろに漣。

「意識が戻ったんだってな。よかった」

「……どうしておっさんが?」

 俺の姿を認めて龍驤は僅かに眉を顰めた。霧島は自分たちが龍驤に呼ばれたのだと言っていた。しかし俺は呼ばれておらず、漣も同様。つまりは招かれざる客ということだ。
 部屋の中には龍驤と夕張、鳳翔さんがベッドを囲んでいた。少し遠巻きに最上。なんと神通もいる。窓際へ腰かけて目を瞑っていた。


404 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:27:56.68 1dH04i4G0 297/860


 ベッドの上には儚げな雰囲気を湛えた女性が伏し目がちに横になっている。どうやら彼女が戦艦扶桑その人のようだ。
 火傷と打撲痕が眼に見えて酷い。顔の左半分は大きくガーゼが当てられている。痛々しさこそあれど、命にかかわるような大きな怪我は見えないが、それ以上に消耗が酷いと感じて口を噤む。あの化け物相手、命があっただけでも儲けものだ。

「私が連れてきたわ」

 大井が龍驤に向かう。すると龍驤は「お前が?」と口の端を釣り上げた。「珍しいこともあるもんやな」。笑っているようで、その実笑っていない。

「こいつは私の手足なのだから、同席を許可してもらえないかしら?」

 なったつもりは毛頭ないが、口を挟むほどの野暮ではない。

「断ると言ったら?」

「退席させるわ、勿論」

 あなたとやりあうつもりはないのよ、と言外に大井。

「そっちのお嬢ちゃんは」

「私の管轄外。この人についていくでしょ」


405 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:28:39.73 1dH04i4G0 298/860


「龍、驤」

 扶桑がここで初めて口を開いた。口内に何か詰め物をしているような、喋りづらそうな声色だった。

「わたしは、べつに、構わないわ」

「悪いが扶桑、黙っててくれんか。話はあんたとウチだけの問題やのうなってしもうとる」

「それでも、戦力は、多いに越したことは、ないのでは?」

「低練度の駆逐艦一隻を戦力に数えるほど耄碌した覚えはありません」

 それまで沈黙を保っていた神通がおもむろに言う。意図して棘のある言葉を選んでいる。それがわからない俺ではなかったし、漣でもなかった。
 背後で漣が拳を握りしめている。事実に対して突っかかることほど虚しいものはない。

 そんな言い方をしなくても、と最上が困ったふうに窘めた。神通は依然窓際に腰を掛け、目を瞑っている。
 ……俺はそんな彼女を「らしくない」と思った。たった一度や二度会っただけの人間に対し、一体何様だと思われても仕方がないかもしれないが、ここで漣に対して喧嘩を売ることに何の意味があると?


406 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:29:11.80 1dH04i4G0 299/860


「耄碌はともかく……矜持と、リスクマネジメントの問題や。物事には順序っちゅーもんがある」

「戦力の逐次投入は愚策だって、それこそ神通なら知っているんじゃないのかい? ボクはやっぱり、可能な限りの最大数で当たるべきだと思うよ」

「最上、ウチとあんたじゃ目的が違う」

「目的? 今更そんな言葉を担ぎ上げてどうするっていうのさ。
 敵の全容が知れない今、全力で以て当たることしかボクたちにはできない。それが龍驤の言うリスクマネジメントじゃないの?」

「全容が知れないからこそ、無責任な情報の拡散はすべきでないと、私たちは考えています」

 訴えかけるように鳳翔さん。彼女自身それが最善手なのか自信が持てないでいるようだった。
 それに夕張も続いて、

「まずは情報を確定させること。集まってもらったのは、そのための手段をどう講じるかを話し合おうと思ったの」

「ほうやな。扶桑を信じてないわけじゃないが、俄かには信じがたいのも確かや。それは最上、あんたもそうやないんか」

「……だからこその、念には念を入れ、だと思うけどね」

「平行線やな」

「だね」


407 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:29:41.66 1dH04i4G0 300/860


 議論は紛糾している。だがしかし、彼女たちの言葉は俺の耳を素通りしていくばかりだ。
 それは漣も同じだったらしい。俺の服の裾をくいくいと引っ張って、何事かとそちらへ視線を向けてみれば、理解に助けを求めるような目線を向けてきやがった。

 扶桑が目を覚ました。彼女は何らかの情報を持っていて、それはこれまで誰も知らなかった新しいもののようである。その対処について、いま議論は割れている。

「……なにがあったんですか」

 漣の勇気が張り詰めた空気を震わせる。龍驤と最上のみならず、この場にいた全員が漣を見る。
 数多の視線を受けてなお、漣は怯まなかった。寧ろ撃ち返さんとばかりに言葉を紡ぐ。

「大事なことなんですよね。皆さんにとって、きっと、多分。だから漣たちには知られたくない。触れられたくない。違いますか。大事なことを、……外様に、……もっと言っちゃえば、敵かもしれないやつらに、関与して欲しくないから」

 人手が多い方がいいのは正論だ。だが正論だけで人が動いているわけではない。


408 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:30:47.97 1dH04i4G0 301/860


「心には聖域があります。決して踏み越えてはならない一線があります。漣はみなさんの胸の内に、土足で上がることをよしとは思いません。それはご主人様もおんなじで、そこだけはみなさん、信じてくれませんか。トラックに来てからの一週間では、まだ不足ですか」

「人情話は苦手や、ウチはな」

 龍驤は冷たい眼をして言った。

「あんたらに期待して、また裏切られたら、今度こそほんまもんの道化や」

 いや、違う。俺にはわかる。それは龍驤の本心ではない。
 龍驤は、第二、第三の赤城を作りたくないだけなのだ。

「ちょっとだけいい?」

 挙手をして、ここでようやく霧島が中心へと躍り出る。

「わたしは賛成よ、この人たちの協力を仰ぐのは。目的――最上は否定的だったけど、わたしとしては、人生ってのは目的に向かうことにより推進力が得られると思っているから、少しその言説には否定的ね。
 で、なんだっけ。そうそう、目的。わたしは当然みんなに協力するし、この人にも協力を惜しむつもりはないわ。無念に絡め取られるなんて虚しいのはごめんだもの。そうじゃない? 龍驤」


409 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:31:50.32 1dH04i4G0 302/860


「……」

 どうやらその言葉は龍驤にとってはクリティカルだったようだ。何かを言おうとして、破綻していると気付いたのか、はたまた結局思いつかなかったのか、空気を飲み込む。

「大井がこの二人も、というのなら、そうするべきなんじゃない? だって一番当事者に近いのは、大井なんだから」

「別に我を通すつもりはないわ。どうせ私は、海に出られないのだし」

「だけど、何とかしたいと思っている。狂おしいほどに」

「……」

 強い肯定の意志を感じた。それを堪える、より強い自制と卑下も。

 ……俺は、もしかしたら自分が気づいてしまったのかもしれない、ということに眩暈を覚えた。俺が一声あげれば、恐らく誰も協力を拒否はしないだろう。そのような立場にいる自覚はあった。
 だが、いまこの場を制するのは、絶対に俺であってはならないという確信も胸中にはある。

 信頼を勝ち取りたい。

 体中を焼き尽くす焦燥の念。


410 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:34:13.37 1dH04i4G0 303/860


「おっさん」

「……なんだ」

「大井を裏切ったら殺す」

 バイザーの目庇の奥の瞳は、それが単なる脅しではないことを如実に示している。裏切ったら。単なる失敗を指しているのではない。大井の心を蔑ろにすることを決して許さないというサイン。

「神通さんは」

 漣が問うた。神通は漣を一瞥し、物憂げに何かを考えているようではあったが、その深謀は知れない。

「……別に構いません。ただ、独断専行は止めてほしく思います。必ず、全員で。それが徹底できるならば。
 全員で集まり、全員で話し合い、全員で稟議にかけ、全員で取組み……」

 自らの細い手首を、もう片方の手できゅっと掴む。

「全員で、生きて帰ると約束できるならば」

「全員とはいってもね」

 霧島が苦笑しながら部屋を見回した。

「赤城は? 58は? 神通、あなたの部下二人がそもそもいないじゃない」


411 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:35:31.58 1dH04i4G0 304/860


「赤城は『関係ありません』だと。58は既読スルーや」

「雪風と響には、それぞれ休息と哨戒を交互に。海域を無人にはできませんから」

「なるほどね」

「……で。唐突な話で申し訳ないのだけれど、そういうことになったから。精々よろしくね、『ご主人様』」

 俺の肩にぽんと手をやる大井。冗談交じりの文言とは裏腹に、その口調はどこまでも真剣みを帯びている。それこそ、文字通り、触れれば指が落ちんほどに。

「なら、何があったかを教えてもらえるんですよね」

 漣の言葉に不思議と大井が、神通が、霧島が、最上が、ぴくりと反応する。

 自然と扶桑に視線が集まった。どうやら、全員が全員詳細な事情を把握しているわけではないらしかった。
 極々重大な要点だけを掻い摘んで、通信か何かで伝播されたのだろう。大事な部分のみを知っているがゆえの焦燥感。大井も、神通も、龍驤でさえ普段と違うように見えるのはそのためだ。


412 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:36:19.31 1dH04i4G0 305/860


 扶桑は痛々しい笑みを浮かべている。そして視線で龍驤へ伺いを立てた。喋ってもいいんですか、と。
 それに対して、臙脂色の軽空母は重々しく頷く。

「まず、わたしは、お礼を言わねばなりません。ありがとうございました。助けってくださって、本当、感謝しています」

「それは筋違いですよ、扶桑さん」

「鳳翔さん」

「仲間は助けるものです。助け合うのが仲間。違いますか?」

「親しき仲にも礼儀あり、ですから。
 ……では、わたしが三体の深海棲艦に襲われたあの夜の話を、致しましょう」

 おい、待て。

「3体?」

「黙って聞いとれ、おっさん。ウチらは今から、『その』話をするために集まったんや」


413 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:39:04.64 1dH04i4G0 306/860


「わたしは基本的に、漁船の護衛などをして、活動しています。その日は夜に漁を出るとのことで、十一時過ぎ、でしょうか。詳しい時間は覚えてませんが、それくらい、だったかと思います。
 漁も終わりに近づき、最後のウインチが巻き上げを開始した、そのときでした。大きな衝撃と、爆発音。船が揺れて、傾き、急速にその均衡を失って……」

 すぐに、この船が沈むことはわかりました。それは誰の目にも、明らかでした。
 わたしは人員の避難を優先させ、救命艇が落水するのを見届けると、すぐに発進したのです。機関部の故障ではありえないほどの規模の爆発。考えられる可能性は、たった一つしかありません。

 深海棲艦。

 扶桑の訥々とした喋りに俺は聞き入る。一言も聞き漏らすまいと。

「最初に、わたしを襲ってきたのは、雷撃、でした。巨大な爆発に、大きく吹き飛ばされて、しかしこれでも、戦艦の端くれ。即応して、反撃を試みましたが、艦載機による波状攻撃……えほ、げほっ」


414 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:40:32.38 1dH04i4G0 307/860


「あんまり無理して喋らんとき。時間はある。一時間が二時間でも付き合うよ」

 意識を取り戻したばかりだというから、当然本調子ではないのだろう。包帯やガーゼのせいで口を動かしづらいというのも、きっとある。

「時間なんて……!」

 しかし扶桑の懸念はそこにはないようだった。掛布団を強く握りしめている。

「……助けてくれた際の話は、龍驤さんから、ある程度は聞いています。青い気炎のヲ級、そして新型と交戦したと。ですが、わたしは、見ました。見たのです。三体の深海棲艦を!」

「私たちが作戦海域に到着した時、既に離脱していた一体がいる。そういうことですか」

 漣の納得。だが、話の続きがあることを、俺は知っている。真偽が問われているのは三体の深海棲艦がいたかどうかではない。さらに一歩踏み込んだ先にある。

「わたしは、あれは……でも、もし本当に、そうだとしたのなら、嘘であって欲しいと、見間違いであって欲しいと……」

「端的に答えて」

 大井は扶桑の瞳を覗き込んだ。


415 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:41:19.00 1dH04i4G0 308/860




「あなた北上さんを見たのね?」



416 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:43:32.44 1dH04i4G0 309/860


 北上。
 艦娘。
 大井の実妹。

 そして、話の流れからして、北上が実は生きていて、扶桑を助けてくれた――そんな良い情報でないことは自明だった。

「……確信は、ない。断言もできない。ただ、数年一緒に、戦線に立っていたもの。姿かたちは、声は、雷撃の威力は、わたしには、そうとしか思えなくて」

「でも! じゃあ!」

 空気を破裂させたのは、想像通りに漣だった。現実に理解が追いついていないのだろう、助けを求めるかのように周囲を見回す。

「北上さんは生きていて、でも、その、深海棲艦と行動を、それって……!」

「うっさいわ! お嬢ちゃん、少し黙れや。最初に言うたやろ、ウチらは扶桑を信じるが、信じられんこともあるって。
 そのために召集をかけた。やるべきことは真実を明らかにすることや。事実はどうでもえぇ。そのために何ができるか、何をすべきかを、ウチらは考えにゃならん」


417 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:44:33.84 1dH04i4G0 310/860


「真実……?」

「事実は扶桑が言ったとおりや。漁船護衛しとった。深海棲艦に襲われた。そこに北上……『らしき』敵の姿があった。だが、それは真実やない」

「まずその北上さんに似た敵が、本当に本人なのか。ただ似ているだけの新型の可能性も十分にあります。もし単なる勘違いであれば、それは十全でしょう。
 ですが、もし万が一、本人であるとするならば。なぜ深海棲艦と行動を共にしているのか……私たちを裏切ったのかを突き止めねばなりません」

「神通!」

 踏み込んだ神通の言葉に最上からの叱責が飛ぶ。

「滅多なことは言うもんじゃない! ここには大井もいるんだ!」

「どのみち考えねばならないことでしょう。大井さんともあろう方が、その可能性を除外した思索を展開しているとも思えません」


418 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:48:15.85 1dH04i4G0 311/860


「最上には悪いけど」と霧島が挙手を伴って発言する。「人を慮ってばかりだと機を逸するわよ。真実如何によっては――」

 霧島は窓の外を見た。恐らくそちらには海が広がっているはずだった。

「……友軍が来なかった理由もわかるかもしれない」

「それはっ!」

「最上さん!」

「もがみんさん!」

 激昂。最上は我慢ができないという様子で詰め寄り、霧島の胸ぐらへと掴みかかった。慌てて夕張と鳳翔さんが割って入る。
 しかし彼女は梃子でも動く気はなさそうだった。荒く息を吐き、きつく相手を睨みつけている。

「撤回しなよ」

「いやよ」

「撤回しろ! 北上を侮辱するのもいい加減にしろ!」

「しないわ」

 今度は立場が逆だった。最上の胸ぐらを霧島が掴み、それぞれ額がぶつかるまで顔が近づく。

「じゃないと、わたしは何のために生きているのかわからない」


419 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:50:20.99 1dH04i4G0 312/860


 獣の咆哮にも似た声音。血走った彼女の瞳は、何が何でも譲れない領域の存在を、如実に示している。

 北上が本人であるか、それとも他人の空似であるかは、今議論しても詮無いことだ。結論は出ない。手段として、実際にその個体を確認するまでは、宙ぶらりんのままにならざるを得ない。
 そして北上が、もしも、最悪の場合として本人だった場合、なぜそんなことになってしまったのか。

 深海棲艦に洗脳されてしまったのか? それともスパイとして潜り込んでいるのか?
 ……考えたくないことだったが、本人の意思か。

 58は言っていた。友軍の申請は確かに出したと。それなのに助けは現れず、泊地は壊滅し、人は死に、誰もかれもが傷ついた。
 本当に申請はされていたのか? 何らかの邪魔が入ったのではないか?
 北上が、深海棲艦の回し者だったとして、それを現段階の「事実」からでは誰も否定できないのだ。


420 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:53:00.70 1dH04i4G0 313/860


 最初、この部屋に渦巻いていた歪な空気。きっと誰もがその可能性に行き着いていたに違いない。
 否定したくて否定したくて堪らないのに、否定できない歯がゆさ。
 事実よりも真実を、と龍驤が言ったのは、そういうことだ。

「最上、外の空気吸って落ち着いてきぃ。鳳翔さん、悪いけどついってってくれんか」

「わかりました」

 力なく最上の手が修験服から離れる。眼尻に涙を湛え、せめてそれを零さんとしている姿は心に響いた。

「で、どうするの? 当面は仮称・北上カッコカリを捜索するって感じでいいの?」

「夕張、その名前はどうかと思うわ。
 私としてはもともとそれが目的なのだから、やることにあまり変わりはない。手足もきちんとあることだしね」

 流し目で俺たちを見てくる大井。
 手足になる覚悟はいくらでもあった。だが、俺はそう思いつつも、大井のことを想う。聡明であることは枷にもなり得る。理性で押し留められることには限界があって、大井も例外ではない。
 一番この中で感情が嵐と化しているのは、誰よりも彼女であるはずなのに。


421 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:54:17.76 1dH04i4G0 314/860


 俺たちは互恵関係にある。労働力を差し出す代わりに、智慧を借りる。
 北上を見つけてほしいと彼女は俺たちに言った。大井はどちらを願っているのだろうか。件の深海棲艦が、自らの実妹であったほうがいいのか、はたまた。

「……一旦解散やな」

「龍驤?」

「勘違いすんなや。各自着替えやら喰いもんやら飲みもんやら……必要なモンもって、夜にまた集合や。ウチらはどうすべきなのか、ここで決着つけんと、おちおち寝られもせんやろ」

「……ん、わかった」

 真っ先に応えたのは夕張だった。無論彼女も言いたいことや聞きたいことは山ほどあるのだろうが、全てを飲み込んで、夜に回すつもりなのだろう。
 次いで神通が部屋を出る。最後まで一切こちらを振り向くことはなかった。

「わたしも行こうかな。それじゃあ、また夜に。……提督も」

 霧島が手をひらひらとさせて壁の向こうへと消えて行った。まだ俺は霧島のことをよく知らない。行動原理と目的がどこにあるのか、それを知るまで評価も信頼もおあずけだ。


422 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:55:21.37 1dH04i4G0 315/860


「長い夜になりそうやね」

 それだけ言って、龍驤も出入り口へ向かう。
 廊下へと踏み出して、こちらを振り向いた。

「大井、ちょっちツラ貸しぃや」

「カツアゲかしら。怖いわ」

「そんな冗談吐く余裕があるなら十分やな」

 二人揃って、いなくなる。

 残ったのは俺と漣、そして扶桑。扶桑と目があうと、彼女はにこりと微笑んだ。今も激痛に苛まれているだろうその体で。

「こんにちは。はじめまして」

「……不幸だったな」

「えぇ、そうね。不幸だわ。いっつも、こうなの。ふふ。でも、不幸中の幸いよ。僥倖。命があるわ」

「北上は、その、どうだったんだ」

「どうだったんだ、と言われても、ね。陽気で、朗らかな、楽天家。雷巡、北上。三つ編みの、ほっぺたが柔らかい、セーラー服の……」


423 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:56:50.79 1dH04i4G0 316/860


「本人そのものだったのか? 闇夜だった。探照灯や照明弾は積んでいなかったんだろう? 漁船が沈んでいるなら船の灯りも大して役には立たなかったはずだ」

「爆炎と、水しぶきで、この目でしっかりと見たわけでは、ないの。ただ、あれは、わたしたちが今まで戦ってきたような、そんなやつらとは違っていて……人型。そう、人型が二人いて、おどおどろしい笑いと、鳥肌が立つような寒気が、あった。
 シルエットは酷似していた。大井さんが、彼女を探していることは、知っていたから、つい呼んでしまったの。『北上さん!?』って。そうしたら、あっちは動きを止めて、……雷撃をしてきたわ」

「……」

「自信はなかった。だから、龍驤さんに言うのも、最初は悩んだ。だけど、少しでも、何らかの助けになれば、そう思って……」

 少し扶桑の顔色が悪くなっていた。俺はそれ以上話すことをやめさせて、漣を促し部屋を出ようとする。
 どうせまた夜に集まりがあるのだ。それならば、全てはその時でいい。いま扶桑を酷使することに意味はない。必要なのは休息。


424 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/22 12:59:22.82 1dH04i4G0 317/860


「提督、みなさんを、よろしくお願いします」

「……俺が? どうして」

 まるでそんなことを言われるとは思っていなかった。思わず歩みを止め、振り返ってしまう。

「わたし、みんなにこう言って回っているんです」

 俺は苦笑した。なるほど、なかなかの策士のようだ。

「任せてください!」

 漣がサムズアップで応えた。
 

431 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/24 23:09:51.23 9hF8Rehv0 318/860


 目を覚ました。部屋は空気が籠っている。
 五感の中で真っ先に働いたのは、鼻だった。
 酒と、清涼飲料と、菓子と、カレーの匂い。汗と、鉄と、ひとの匂い。饐えた毛布と、薬液の匂い。

 扶桑はベッドで眠っていた。そこに倒れこむ様に、最上と夕張。
 龍驤は部屋の隅で膝を抱えて体育座り。頬を壁に預け、時折バランスを崩して身を震わせた。スカートの中が見えそうになって、俺は慌てて目を逸らす。
 毛布にくるまって眠っているのは鳳翔さん。漣も潜り込んでいて、鳳翔さんに抱きしめられたまま、心地よさそうな顔をしている。

 やけに足が痺れると思えば、神通が俺の太ももを枕の代わりに、すやすや寝息を立てていた。きりりと引き締まったいつもの表情はどこにもない。必要以上に責務の中に自らを置くことは、夢の中では流石にしていないのだろう。
 大井と霧島の姿は見えなかった。大井はわかる気がする。あいつは誰かに寝顔を見られるのを殊更に嫌がりそうな女だ。誰とも馴染みそうにない。

 俺は起こさないように、神通の頭をそっと避けてやった。


432 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/24 23:10:21.46 9hF8Rehv0 319/860


「お父さん……」

 言葉が零れたのを聞き漏らさなかった。いや、聞いてしまった、というべきか。
 当たり前だが、こいつら全員に家族がいるのだ。俺とは違う。その隔たりは、決心を強固にさせるには十分だった。
 こいつらを沈めさせるわけにはいかない。

 立ち上がる。固い床で眠っていたせいか、体の節々がごきり、音を立てる。眠りが浅かったのか頭はまだぼんやりとしていて、本調子ではない。
 大きく伸びをして深呼吸。新鮮さとは程遠い、ごちゃまぜになった空気が肺を満たす。

 清涼感を求めて廊下へと脚を進めた。

 現在時刻は正午に差し掛かろうとしていた。随分と眠っていたものだ。いや、議論がいつまで続いていたのか、覚えはない。最後の方は意識が朦朧としていた。気づけば寝落ちしてしまったのだ。
 病床の扶桑が疲れのためか真っ先に眠りに落ち、鳳翔さんもすぐに後を追った。漣はうつらうつら船を漕いでいたが、意識が飛びそうになるたびはっと眼を覚まし、大丈夫アピールをしていた気がする。それでも日付が変わるくらいには入眠していたはずだ。

 結局俺の意識の中では、残っていたのは龍驤と大井、そして霧島だった。


433 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/24 23:10:53.84 9hF8Rehv0 320/860


 昨日、あのあと。
 俺たちは家へと戻り、簡単にシャワーで体の汗を流すと、着替えてすぐに出た。そうして泊地までの道すがら、屋台でいつぞや食べたフィッシュアンドチップスのまがい物をそれぞれ買い、軽く腹ごしらえしてから臨もうとしたのだった。

「どうしますか、ご主人様」

 漣の尋ねに対し、なるようになるさと返す。それを受けて漣は頬を膨らませた。

「そんなんでいいんですか?」

「お前の気持ちはわかるけどな、あいつらの気持ちもわかる。だろ?」

「うー、そりゃそうですけどぉ。
 漣だって別に、わざわざデリケートな部分に突っ込んでくほど馬鹿じゃないです。でも、でもですよ? 扶桑さんが見たという個体が単なる他人の空似だとしても、裏を返せばそれは、漣たちが戦ったあの新型と同レベルのやつがいることになりますよね。
 で、北上さん本人だったとしたら、それはそれで非常にまずいことじゃないですか? 対応を後手に回すほどの余裕? 余力? が今のトラックにあるとは、漣にはどうしても思えなくって」


434 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/24 23:11:21.54 9hF8Rehv0 321/860


「その判断は正しいと思うが」

 決断には責任が伴う。彼女らはみな、責任を負うことを恐れているのではない。責任を負えるほどの覚悟がないことを、わかっているのだ。
 最悪の最悪、北上が裏切り者だったとして、砲を向けることができるのか。全てはそこにかかっている。
 それでも、因縁を断ち切るのは彼女らの手でなければならないと、俺は半ば盲信していた。漣の手ではなく、勿論俺の手でもなく、自らの道行を決めるのはやはり自らであるべきだと思ったから。

 矛盾することではあるが、だがしかし、因縁に囚われて引き金を引けないことこそが人間らしくあるとも思う。

「ご主人様はどう見てます?」

「判断材料が少なすぎるな。何を言ってもあてずっぽうだ」

「もー! そんなのはわかってますよ、ばかちん!
 大事なのはパターン分けじゃないんですか。漣たちはタイトロープの真っ最中なんですから、右に落ちるか左に落ちるか、それぞれの応じ手を講じとかないと」


435 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/24 23:12:12.32 9hF8Rehv0 322/860


「それこそ意味がねぇだろう。戦って、倒す。それ以外に俺たちに何ができる? 右に落ちようが左に落ちようが、やるこた一緒だ」

「んー……」

 問題は恐らく俺たちには存在しないのだ。

「まぁ、そこは信じます。ご主人様にならいますんで」

 それはありがたいことだった。

 そのまま少しの雑談を交わし、医務室へと脚を踏み入れた。俺たちがやってきたときにはすでに大半が座しており、大井と霧島を残すだけとなっていた。その二人もじきにやってきて、ついに会議が始まる。

 漣はタイトロープという言葉を使ったが、それは言い得て妙だった。右に落ちるか、左に落ちるか。どうなるかはその時が来るまでわからない。丁半博打と同じだ。
 ある種考えても無駄なことなのだ。北上が本人であるかどうかは、実際に会うより他になく、扶桑の曖昧な情報から類推することに利があるとは全く思えなかった。無聊ですらない、心の毒。


436 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/24 23:13:09.63 9hF8Rehv0 323/860


 だから漣の道中での言葉は正しかったのだろう。パターン分け。それぞれの応じ手。あるいは、そこまでの道すがら。
 自分たちはどうすればいい。そもそも積極的に北上を捜索しに行くべきなのか、それとも普段の生活を送りながら偶然の接触に期待するのか。その人員配置は? 誰が参加する? ローテーション? 役割固定? 赤城は? 58は? 考え出せばきりがない。

「北上は探す」

 開口一番に龍驤がそう言った。

「ウチは募集をかけるよ。参加したいやつだけ参加すりゃええ。扶桑が接近遭遇した海域を中心に、虱潰しにあたるつもりや」

「あの新型がいるかもしれないのに、ですか? 希望者が一人や二人で哨戒しては、扶桑さんの二の舞ではありませんか?」

 神通がすぐさま異議を唱えた。とはいっても、それは方法論にであって、北上を探すという結論に対してではないようだ。

437 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/24 23:13:38.11 9hF8Rehv0 324/860


 龍驤の決断には、無論彼女が言っていたような矜持やリスクマネジメントもあるのだろうが、何よりも大井を想ってのような気がした。こうでもしなければ、大井は独りで海に出そうだと判断したのだろう。
 少なくとも、俺ならばその危惧が頭から離れない。

「まぁそうやな。神通の言う通りや。んで、じゃあ、もし北上を探すっちゅーたら、手伝ってくれるやつは何人おる?」

 真っ先に手が上がる――大井。

「あほ。病弱の手ェなんぞ借りれるか」

「龍驤、あなたは私に、無能の烙印を押したいの?」

「あんたの智慧は死ぬほど役に立っとる」

「そういうことじゃない。私を、『大事な妹の一大事に、何もせずただ見ているだけの女』にさせたいのか、って聞いているのよ」

「なら」

 ここしかない、と思った。部外者の俺が発言できる数少ないタイミングを見逃すわけにはいかなかった。


438 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/24 23:14:15.26 9hF8Rehv0 325/860


「俺と漣で、大井を守ろう。どのみちこっちも漣一人にはできん。神通の言うことももっともだと思うしな。
 もし無茶をしそうだったら、ぶん殴ってでも止める。それでいいか? 龍驤」

「ちょ、まっ、ぶん殴るのはご主人様じゃなくて漣だと思うんですけど!」

「じゃあボクも見張るよ。何があっても、心残りができるよりは、きっといい。大井さんは強い人だから」

 最上はそう言って大井の横に座った。顔を大井の肩に乗せ、くくくと悪戯っぽく笑う。

「……まったく」

 心配性なんだから。呆れたふうを装っているが、安堵の色は隠せていない。

「……」

 龍驤は俺を細目で一瞥した。少しの思考の沈黙があって、口元を歪めて笑う。

「まっ、ええんやない? 神通もそれで文句はないやろ」


439 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/24 23:14:44.66 9hF8Rehv0 326/860


「文句と言いますか」

 挙手。

「私も……いえ、私たちも、捜索には参加します」

「ええんか?」

「勿論です。私の目的は、響と雪風を鍛えることですから……近海でイ級ばかりを倒しても、しょうがありません。
 それに、……龍驤さん。あまり私を、冷たい女だと思わないで欲しいんです。たとえ苦しみが伴ったとしても、私は前に進みたい」

「……ほうやな。ほうやったな。すまんな」

「いえ」

「当然あたしたちも手伝うよ! ね、鳳翔さん」

 夕張が鳳翔さんに後ろから抱きつく形で手を挙げ、もう片方の手で鳳翔さんの左手をとり、ぐいと持ち上げた。

「勿論ですとも。また漁船が襲われて、民間のかたに多大な犠牲が出てからでは、面目がありません」


440 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/24 23:15:36.04 9hF8Rehv0 327/860


「私も、手伝いたいのですが」とおずおず挙手をする扶桑。「まずは、怪我を治すことに、注力すべきです、かね」

「慌ててもしょうがないやろ。怪我人は怪我を治すことが仕事や」

 九つの手が挙がった。残る一人、霧島に視線が集中するのは当然のことだった。

「私? 私は、そうねぇ」

「霧島。これは、完全に個人的なお願いよ。私に力を貸してはくれないかしら」

 真っ直ぐな言葉。馬鹿にしているわけでも、見縊っているわけでもないが、大井がそういう物言いができるということが、俺には新鮮に映る。
 きっと、もっと見栄えのいい言葉を使うことは容易だったはずだ。霧島の利益を標榜したり、深海棲艦の戦力を削ぐ一助であることを強調したり。だが大井はそうはしなかった。そうしないことを選んだ。

 俺は思わず頬が緩む。

 霧島の手が挙がったのを見たからだった。


441 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/24 23:16:19.51 9hF8Rehv0 328/860


 どこまでが龍驤と大井の描いた絵図だったのかは、この際気にしないことにした。北上の捜索。大井は捨て置けない。仲間を想う気持ちを利用した、二人の茶番。
 利用されたというのに、この心地よさはなんだろう。

「よっしゃ! 未来は決まった! 決意は固まった! 今日はええ日や!」

 おもむろに立ち上がり、龍驤は薬棚から何かを引っ張り出した。ボトル。頭部は黒く、白いラベルが貼ってあるようだ。中には赤みを帯びた琥珀色の液体が入っている。
 薬液じゃないな? なんだ?

「ひひっ。これで乾杯といこう」

 龍驤はボトルをくるりと回し、その白いラベルが俺たちに良く見えるよう向けた。

「……山崎かよ」

「しかも二十五年や」

 おいおい、数年前の時点で四十万以上していた気がするが。本気か?
 漣を初めとする未成年たちはぽかんとしていた。俺と霧島、そして大井は、別の意味でまたぽかんとしている。


442 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/24 23:17:12.32 9hF8Rehv0 329/860


「よくもまぁそんなものを、こんなところに……」

「軽空母どもは蟒蛇ばっかやったからな。あんなやつらにはトリスでも飲ませときゃええねん」

「気持ちはわかるけれど、まずは北上さんの捜索について、詰めるべきところを詰めないの?」

 大井が正論を吐く。

「乾杯してからでええやろ。どのみち全員でお手々繋いでー、とはいかんやろうしな。おっさんチームとウチのチームに別れて……」

「俺が? いいのか?」

 こいつは俺の参加を反対していたはずではなかったか。

「今更おっさんを『はみご』にしたってしゃーないやんか。手伝ってくれるゆうなら、きっちりこき使う主義でな。
 おっさんとこが漣、大井、最上、霧島、神通。
 ウチんとこが、ウチ、鳳翔さん、夕張、雪風、響。これでどうや」


443 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/24 23:18:00.55 9hF8Rehv0 330/860


「霧島と神通を? ありがたいが……そっちは大丈夫なのか?」

 見縊っているわけではないが、軽空母が二隻に軽巡一隻、駆逐艦二隻なんて構成は、火力不足にしか思えなかった。

「はっ、いっちょまえに心配しよって。そっちは病弱とお嬢ちゃん連れて、ハンデもハンデ、大ハンデや。
 鳳翔さんと夕張は連携し慣れとるし、雪風と響も神通に鍛えられてる。心配はなんもない。大体、現状の主目的は捜索や。見敵必殺? 古い古い。案外機動力に優れたこっちのが、向いとるかもしれんで?」

 なるほど、そう言う考え方も確かにある。

 漣が戦力外だとは俺には思えなかった。事実、先だっての新型との戦闘では、落伍することなく食らいついていたように感じる。それでも、龍驤や神通といった歴戦の面々にとっては、やはりまだまだということらしい。
 大井は58が泊地で上から三番目だと言っていた。それはそれで驚きだが、トップツーはならば龍驤と神通か? いや、赤城もいる。難しい問題だ。


444 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/24 23:18:51.24 9hF8Rehv0 331/860


「よろしくね」

 霧島が俺にそっと耳打ちをしてきた。わざわざそんな内容にも思えず、俺は怪訝な表情をしていたのだろう、霧島はこちらを見てふふっと笑う。

「まぁその話はおいおい、ってことで。酒の席でする話じゃあないので」

「神通はそれでええか? 響と雪風、こっち預かりでも」

「構いません。粗相がなければいいですが」

 とくとくとく。特有の音を響かせて、ほんの僅かにとろみのある液体が、瓶からグラスへと注がれていく。
 龍驤が手酌で山崎を空けていた。かぐわしい芳香が、快楽にも似た刺激を俺の鼻へと与える。まさしくいい酒の証だった。

「ちょっと、龍驤」

 大井が窘めようとするが、言い終わるよりも早く、龍驤がグラスを彼女へと渡す。

「ほれ。いい酒や、飲まずにおくには勿体ない」

「あなたねぇ」

「ウチはまさか、また人がこうやって集まるとは思うとらんかったよ。在りし日を思い出す。
 ……なぁ大井。まるでウチらがまともに戻れたみたいやんなぁ」


445 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/24 23:19:52.65 9hF8Rehv0 332/860


「……」

 沈黙が場を支配した。どこまでいっても彼女らは、今を生きてはいないのだ。
 いつか赤城が笑い飛ばしたように、トラック泊地の艦娘は、誰もかれもがみんな亡霊である。

 意を決したのか、ひったくるようにして大井がグラスを奪い取った。その勢いのままにあおろうとするも、気化したアルコールの強さを感じたのか、グラスの縁に口をつけた状態で急減速。そのままちびり、口に含む。

「――ッ!」

 顔を顰めた。煙草の吸い方は堂に入っていたものだが、アルコールの方はからきしらしい。案外、暇つぶしに煙草を覚えたというのも、本当なのかもしれない。
 大井は眉間に皺を寄せつつも、その対抗心に燃えたような瞳は依然として残っていた。

「……そう言われちゃ、呑まないわけにはいかないわ」

 グラスが鳳翔さんに回り、霧島に回り、扶桑に回り、神通に回り、……漣に回って、俺に回った。
 いいのか? と尋ねると、誰からも返事はない。ただ黙って、こちらを見ているばかり。


446 : ◆yufVJNsZ3s - 2018/03/24 23:20:22.68 9hF8Rehv0 333/860


「……」

 酒はワン・ショットほど残っていた。ワン・ショット。一発。一撃。必殺の。

 ちくしょうめ。俺は努めて明るく笑って、そう言ってやった。

 俺がグラスを空にすると、まるでそれが合図だとでも言うように、自然と宴会の流れになったのだった。



続き
【艦これ】漣「ギャルゲー的展開ktkr!」【3】

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