417 : 以下、名... - 2018/07/23 21:06:26.96 eCLY4xXr0 1/12

          1

 ラボと外界を隔てる安造りの扉を押し開けると、柔らかで親しみのある雰囲気が鼻に届く。

「おかえりぃ、オカリン」

 玄関先で無造作に靴を脱ぎ捨てる俺を見つけ、まゆりがゆったりとした声をだした。そんなまゆりの言葉に、いち早く反応を示したのは俺ではなく──

「やばっ」

 ソファに腰掛けていた紅莉栖が、妙な奇声を上げた。
 買出しから帰還した俺に視線を向けることなく、テーブルの上に広げていた何かの冊子を手早く閉じる。そして、慌てた様子でそれを自分の背後に隠そうとして──

「んが!?」

 次の瞬間、悶絶の表情を浮かべながら、上半身をテーブルの上にベチャリと貼り付けた。

 テーブルに広がった、線の細い華奢な背中。その真ん中辺りに、紅莉栖の手に握られた冊子の角が食い込んでいる。

 目にした状況のままを解釈すれば、冊子をとり急いで背後に隠そうとした拍子に、勢い余って本の角を自分の背中に突き立ててしまった──という現状のようなのだが。

「大丈夫、クリスちゃん?」

 紅莉栖の見せた唐突な奇行に、まゆりが心配そうに声を上げる。それとは対照的に俺は、

「帰ってくるなり、ドジっ子アピールか? 熱心だな、助手よ」

 ふてぶてしくも、そんな言葉を投げかける。そして、やれやれといった表情をぶら下げて紅莉栖に歩み寄る。

「……いたい」

元スレ
【シュタインズ・ゲート】岡部「このラボメンバッチを授ける!」真帆「え、いらない」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1530382344/

418 : 以下、名... - 2018/07/23 21:07:16.95 eCLY4xXr0 2/12

 テーブルに突っ伏したままの紅莉栖から、小さな呻き声が聞こえた。俺の発した言いがかりにも等しい言葉や、お約束の呼称誤差に対して突っ込んでこないところを見ると──

『どうやら、相当に痛かったらしい』

 少しだけ哀れみにも似た気持ちを浮かべながら、何気に紅莉栖の背中に生えた冊子に目を向けた。

「って、おま……それ、どこで……」

 少し驚いた。どうして紅莉栖の手に──いや背中に、そんな物があるのか戸惑い、そしてその答えを想像してまゆりに目を向ける。

「まゆりだな、これは?」

 少しだけ問いただすようにそう言うと、「えへへ~。ばれてしまったのです」などと、とぼけた様子でニッコリと微笑んだ。

「まったく……」

 俺はしかめっ面を顔面に貼り付けて、紅莉栖の背中からその冊子を引っこ抜く。

「あ……」

 紅莉栖は短く声を立ると、緩慢な動作でテーブルに張り付いた身体を引き起こす。そして、俺が取り上げた冊子に追いすがるように手を伸ばし──

「見たいのか、助手よ?」

 俺の声にビクリと反応し、紅莉栖が手を引っ込めた。

「べ……別に岡部の過去に興味あるとか、そういう事じゃないからな。勘違いするなよ」

 そんな言い訳じみた捨て台詞に耳を傾けながら、俺は取り上げた冊子を適当に開く。そこには、色合いや配置などにまで気を配って並べられた、たくさんの写真。

「また古いものを……」

419 : 以下、名... - 2018/07/23 21:08:14.48 eCLY4xXr0 3/12

 それは、俺の実家に保管されていたはずの、幼少の頃の記録。まだデジカメなどという近代兵器が浸透するよりも前に残されたのであろう、アナログでできた思い出の数々。

 恐らくは、まゆりがお袋にでも頼んで借り出したのであろう、一冊のアルバム。
 そんな物を手に取りながら、それが紅莉栖の手に握られていた事実に、微かな嬉しさと、少しばかりの気恥ずかしさを覚える。

「で、なんだ。助手よ……感想は?」

 俺が、はにかんだように問いかけると、紅莉栖が表情の無い声で答えた。

「ハードカバーの角は硬かった」

「誰がそんな話をしている。まったく、そんなに痛かったのか? 見せてみろ」

 俺が腰を落として手を伸ばすと、まゆりが「ああ~オカリンがやさしい~」などと煌びやかに騒ぎ立てる。

「ちょ岡部! バカ! まゆりがいる……じゃなくて、HENTAI! とりあえずHENTAI!」

 どうやら、紅莉栖が真っ赤にした顔をゆがめている理由は、先刻受けた痛みのせいばかりでもなさそうであった。

 仕方なく、俺は紅莉栖の背中に伸ばしかけた手を押しとどめ、身体を立て直す。と、まゆりが俺の動きにあわせるかのように立ち上がった。そして──

「ええとね~。クリスちゃんがお気に入りしてたのはね~」

 まるで新しい発見を母親に報告する子供のように、無邪気な笑顔で俺の手にあるアルバムに顔を寄せる。

「ほう……」

 俺はまゆりにアルバムの主導権を譲り、その手がページをめくっていく様を眺める。

 そんな俺とまゆりの行動に、紅莉栖が泡を食ってソファから腰を跳ね上げる。

420 : 以下、名... - 2018/07/23 21:09:09.33 eCLY4xXr0 4/12

「ちょっとまゆり!?」

 しかし、そんな紅莉栖の悲鳴などどこ吹く風。まゆりは一つのページで指を止めると、

「クリスちゃん、このページでうっとりしてたんだよ~」

 うっとりしていた紅莉栖。いつだって冷静に周囲の状況に目を配る天才少女。鋭さこそ本質とでも言わんばかりの、あの牧瀬紅莉栖が──うっとり。

『よもや、そんな言葉を耳にする日がこようとは……』

 そんな事を思いながら、まゆりの指し示したページの写真に視線を這わせる。そこには、義務教育に突入したてであろう幼少の俺が、家族と共に映った写真が数枚。中には、小学校の入学式と思しきシュチュエーションの物もあり──

『どこの小学生名探偵だ……』

 蝶ネクタイに半ズボン。その、無理やりに着飾らされたいでたちに、何とも言えない恥ずかしさが湧き上がる。

「助手よ……お前、こういう趣味……」

「ちがうぞ! 誤解だ! 勘違いするな、私が気になってたのは……はう」

 慌てた様子で俺の手にあるアルバムを覗き込んだ紅莉栖が、目にした何かに当てられたかのように、か弱い声を出してヒザを──

「ふんぬ!」

 気合と共に、崩れそうになった身体を立て直して見せる。類まれなる、助手の根性であった。

「わ、わ、私が! 私が見てたのは、ええと! ああ、そうだ! ここ! ここよ!」

 そして、一枚の写真の片隅に、びしりと指先を突き立てる。

421 : 以下、名... - 2018/07/23 21:10:27.32 eCLY4xXr0 5/12

「ああ~。オカリンパパだ~」

 まゆりの声が表すとおり、紅莉栖の指先には、俺の隣で突っ立って映る、一人の男の姿。

「お……親父じゃないか……」

「そうなのよ! もうシブ面すぎて、うっとりしても仕方ないじゃないの、これだったら!」

「人の親をこれってお前……。というか、なんだかもう色々と無理するな助手よ……」

 何となく、必死な紅莉栖の弁解に、不思議な哀れみさえ感じてしまう。

「別に無理なんてしてないだろ! 私はシブ面でうっとりしてただけで、誰が好き好んで、隣におまけみたいに映ってるチビ岡部なんて……はうぅ」

 紅莉栖が指先を、俺の父親から隣のチビ俺へとスライドした瞬間。今度こそ耐えかねたかのように、紅莉栖がヒザを折って、ガクリと床に腰を落とす。

 もはや、弁解の余地さえないと思えた。論より証拠とはよく言ったものだが、紅莉栖の言葉が真意でないという事は、紅莉栖の言動を見ていれば、ありありとうかがい知れた。だが──

「そうなんだ~。うん。オカリンパパって昔からカッコよかったから仕方ないね~」

 紅莉栖の無理目な物言いを真に受けたのか、まゆりが両手を顔の前で合わせて、嬉しそうに小さく跳ねる。

「あ~、でも最近のオカリンは、少しオカリンパパに似てきたように思うのです! このままオカリンがシブシブになっていけば、きっとそっくりになるねぇ~。あ~、でもそうなると今度はクリスちゃん、オカリンにうっとり──」

 そんなまゆりの発言に、床にへたり込んでいる紅莉栖の肩が、ピクリと動く。

「ストーップ! まゆり! それ以上の考察は、ノーサンキューよ!」

 床の上からまゆりに向けて、開いた手のひらを突きつける紅莉栖。その必死な挙動を見ると、今にもその手のひらから、気の塊でも放出しかねないような──そんな勢いに思えた。

422 : 以下、名... - 2018/07/23 21:11:54.78 eCLY4xXr0 6/12

 仕方なく、俺自らが取り乱し続ける紅莉栖に、助け舟を手配する。

「分かった、もう分かったから助手よ。とにかく貴様は、シブ面好みのファザコンティーナという事で手を打つとうではないか」

「どこにティーナをつけている!?」

 上目遣いで、眼下から睨みつけられる。その綺麗で鋭さを伴った眼光に、思わず見とれてしまい──

「ねえねえクリスちゃん。クリスちゃんのお父さんは、どんな人なのかな?」

 何気なく響いたまゆりの一言が、ラボを満たしていた暖かな空気を、微かに凍りつかせた。










423 : 以下、名... - 2018/07/23 21:13:22.45 eCLY4xXr0 7/12

        2

 まゆりがバイト先へと旅立ち、紅莉栖と二人で取り残されたラボの中。ソファの上でうーぱクッションを抱え込み、身体を丸めていた紅莉栖が口を開いた。

「どうしてあんな事を言った、岡部……」

「何の話だ」

 どこか空々しい声色で問い返す俺に、紅莉栖がうつむけていた顔を微かに持ち上げる。

「とぼけるな。まゆりに変な事を言っただろ。……どうして?」

「どうして……と言われてもな」

 俺は紅莉栖の問いかけに、小さく顔をゆがめて頭をかく。


 ──クリスちゃんのお父さんは、どんな人なのかな?──


 あの時、まゆりが紅莉栖に投げかけた、他愛のない一言。そして、ラボメン仲間の何気ない質問を前に、返答を詰まらせた紅莉栖。

『無理もない……』
 
 言葉を告げられない紅莉栖を前にして、そう思った。

 牧瀬紅莉栖の父親。これまで何度も垣間見てきた、科学者崩れの一人の男。そんな男の人となりを思い起こし、俺は胸中で唸り声を立てる。

『答えようなど、ないではないか……』

 自らの娘が見せた才能に嫉妬し、自らの娘の成長を、自分にとっての屈辱だと言った男。

424 : 以下、名... - 2018/07/23 21:14:21.28 eCLY4xXr0 8/12

 そんな父親をぶら下げて、紅莉栖がそれをまゆりに伝える。それは、彼女にとって余りにも酷な作業だと思えた。

 だから──

「よかろう。助手ファザーの事ならば、この俺が説明してやろう」

 そんな妄言を口ずさみ、俺は紅莉栖本人の言葉を待つことなく、まゆりに対して勝手に講釈を垂れた。

 俺の話を聞いたまゆりは、俺が紅莉栖の父親と面識がある事に驚きつつも、紅莉栖の父親の人となりに対して、一応は満足をしたようで──

「やっぱりクリスちゃんのパパさんだねぇ~」

 などと、一人納得しきりであった。

 だがしかし、とうの紅莉栖にしてみると、俺の取った勝手気ままな言動に釈然としないようであった。

「勝手にしゃしゃり出たのが気に食わないのなら、あやまろう。すまなかった」

 俺は素直に、紅莉栖に謝罪の言葉を向けた。しかし──

「そういう事を言ってるんじゃないだろ。何であんな心にもない事を言ったのかと聞いてるんだ」

 俺の謝罪がお気に召さなかったのか、紅莉栖の口調はどこか問い詰めるように聞こえた。

「あれじゃまるっきり、嘘──」

「別に嘘をついた覚えはないが」

 紅莉栖が吐きかけた言葉を先読みして遮る。そして、

「どうして俺が、助手の父親に関して、まゆりに嘘をつかねばならん。俺にはそんな義理も人情もないぞ」

425 : 以下、名... - 2018/07/23 21:15:52.92 eCLY4xXr0 9/12

 きっぱりと言ってのける。

「どこがだ。変に気を使って……バカだろ」

「失礼な助手だな」

「うるさい嘘つき岡部。何が偉大な科学者だ。何が感謝しているだ。あんたがパパの事をそんな風に思ってるわけないだろ」

 そんな紅莉栖の悪態を聞き流しながら、俺は小さくため息をつく。

「だからちゃんと、前に『色々な意味で』とつけただろ。色々な意味で偉大。色々な意味で感謝。俺はそう言ったはずだぞ」

「だとしても、嘘だって事にかわりないでしょ」

 紅莉栖がうーぱクッションに顔を埋めこんだ。そんな紅莉栖の様子を視界におさめながら、俺は言う。

「そうでもないだろう。あんな男だとしても、科学者だという事に変わりはない。それに偉大かどうかなんて物は個人の主観によるものだ」

「じゃあ、あんたはパパを偉大だと思ってるわけ?」

「色々な意味では、そうとも言える。誰に見返られる事もなく、たった一人で狂気の道をひた走る。そんな男を前にして、狂気のマッドサイエンティストたる俺がそれを否定など出来るものか」

 俺は鼻も高々に、そんな答えを紡ぎ上げる。

「なによ。物は言いようってだけじゃない、それ」

 ウーパから顔を上げた紅莉栖の言葉に、『まあ、そうとも言うかもな』などと胸の内で呟きながら言う。

「それにだ。感謝しているというのも本当だ。というか、貴様は感謝していないのか?」

 俺の言葉に、紅莉栖が目を点にする。

426 : 以下、名... - 2018/07/23 21:16:46.20 eCLY4xXr0 10/12

「何がどうしてそうなるのよ……」

「どうしてもこうしてもあるか。俺と貴様を引き合わせたのは、他でもない貴様の父親ではないか」

「……え」

 紅莉栖の口から、小さな吐息が漏れる。

「まったく、これだからスイーツ(笑)は……。いいか? 確かに中鉢という男は、人として尊敬できるような人物などではない。しかしだ。だからこそ、俺と貴様は出会う事が出来た」

 俺は言う。

 あの最低最悪な一人の男が、悪の道をまっしぐらに駆け抜けたからこそ、俺たちの今があるのだと。

「あいつが貴様を刺す……などという暴挙にでなければ、最初のDメールも最初の世界線移動も起こりえなかった。娘に辛く当たっていなければ、貴様が日本へ来る事もなかったかもしれない。仮に訪れる機会があったとしても、きっと俺達が出会う事などなかっただろう。違うか?」

「……それは」

「もしも貴様の父親が、聖人君子のような人間であったなら、俺とお前は今でも見ず知らずの他人同士。ならば、尊敬こそできないとしても、少しくらいは感謝してやってもいいのではないか?」

 まくし立てるような俺の言葉に、紅莉栖は相変わらずキョトンとした表情を浮かべていた。

 正直に言えば、俺はあの男の事が、大嫌いである。自分の娘を手にかけようとし、割って入った俺のどてっぱらに、風穴を開けた。そんな男を、どうして許す事ができよう?
 だがしかし──

『それでも、紅莉栖の父親なのだ』

 そんな男と和解がしたいと、涙を流していた紅莉栖を知っている。
 そのために、一緒に青森へ来て欲しいと告げられた、紅莉栖の切ない願いを覚えている。

 出来ることなら、彼女の抱いた小さな願いを、いつかかなえさせてやりたいと、そう思う。

427 : 以下、名... - 2018/07/23 21:17:39.96 eCLY4xXr0 11/12

 紅莉栖の思い描いている、幸せな家族。そんな些細な幸せを、その華奢な手に握らせてやれればと、身の程もわきまえずにそんな事を考える。

 だからこそ──

「ともに青森へ、行くのだろう?」

 俺は、いつかの約束を口にする。と、紅莉栖が微かに唇を震わせた。

「あんな事があったのに……一緒に来てくれる……の?」

「ふん、勘違いするなよ。というか、むしろ貴様が拒否しようとも、俺一人でも行かねばなるまい」

 そう言葉にし、そして胸を張ってふんぞり返る。足を踏ん張り両手を開き、まとった白衣を盛大に羽ばたかせて声高に叫ぶ。

「この世に狂気のマッドサイエンティストは二人もいらぬ! 再びの直接対決を経て、どちらが真に狂気をつかさどる存在なのかを知らしめてやる!」

 少し恥ずかしかったが、それでも声を弱めることなく想いを口にする。

「そして、いつかあの男に、自分がただの中年オヤジであるという事を認識させてやろう! ああ楽しみだ! 自らの非力さに打ちひしがれて、ガックリと肩を落とした奴が、すごすごと妻や娘の下へと逃げ帰る様を見る事が、今から楽しみでしょうがないぞ! フゥーハハハッ!!!」

 声がかれんばかりに、高笑いを響かせる。そんな俺の姿に紅莉栖が小さく微笑んだ。

「それは……私も楽しみだ」

「ならば、貴様もついて来い。この鳳凰院凶真の実力を見せ付けてやろう。必ず……な」

「何がついて来いだ。立場が逆だろ……バカ」

 紅莉栖の瞳から涙が零れたように見えたのは──きっと気のせいだろう。

 牧瀬紅莉栖のたどり着く先に。この俺が導く彼女の未来に、涙など必要ない。だからきっと──

428 : 以下、名... - 2018/07/23 21:18:23.90 eCLY4xXr0 12/12

「ほんとあんたって、たまにそういう事する……反則だろ」

 紅莉栖の微かな呟きが聞こえた。

「何か言ったか?」

「何でもない!」

 言い張って、そっぽを向く紅莉栖。どことなく複雑そうな表情を覗かせている。

「どうした? ひょっとして、まだ背中が痛むのか?」

 そんな俺の言葉に、紅莉栖は少しだけ間を置いて──

「ちょっと……痛いかも……」

 なぜだか、顔を赤く染めていた。

「おいおい……どれだけ強くぶつけたんだ?」

「だって、焦ってたから……」

「まあいい。見せてみろ」

「うん……」

 彼女の横に腰を降ろし、彼女の背中に手を伸ばし、彼女の髪に触れ──

 次の瞬間にラボに響いた、「バイトお休みでした~」というまゆりの発言に、俺と紅莉栖が飛びのいた事は──言うまでもない事であったりするのである。





                                              お~しまい


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