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498 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/11 11:14:10.38 1ZoVarZvo 360/702



 俺たちに魂はあるんだろうか?
 艦娘という我が身を顧みると、そんな疑問に行き当たることがある。

 艦娘は元になった艦の生まれ変わりって言われている。
 生まれ変わりなら魂があるという前提だろう。生きてなきゃ魂が宿るなんて考えはないはずだし。
 そもそも艦という無機物に魂が宿るのかって疑問もあるにはある。
 まあ、これは付喪神のようなもんなのかもしれない。

 俺には先代の記憶が多少なりとも残ってる。
 だから俺の場合は先代と混じってるって言ってもいいんじゃないかな。
 でも実際にゃ俺は俺だし、先代は先代だ。
 先代の記憶があるからって、それは俺自身の体験ってわけじゃない。

 あいつはあいつ、お前はお前。
 いつか言ってもらったことだけど、こういうのが正しいんだと思う。
 姿形が似ていて同一の艦娘として生を受けていても、同じであって同じではない存在。
 だから先代と俺がよく似ていたとしても、やっぱり俺たちは別物なんだ。
 たぶん、魂が違うんだから。

 艦娘に魂があるなら、魂を魂たらしめてるのは記憶なんじゃないかな。それも実際に体験した上での記憶。
 要は経験だ。
 だから記憶があったからって、それはそいつだって言えない。艦娘は軍艦じゃないし同型艦でもないってことで。
 なんで、こんな話をするのかって?
 ……まあ、あれさ。認めたくないんだ。

 俺たちは出会った。出会っちまったんだ、戦場で。
 俺が俺であるように、あいつはもうあいつじゃなかった。
 だって、やつには俺たちと過ごしたという体験はない。
 逆にあいつには俺たちと撃ち合った経験なんてないんだ。
 ……どうにも、こいつはいけないな。回りくどくて要領を得てないや。

 つまり俺たちは新種の深海棲艦と邂逅した。
 それだけなら、そういう話で済む。
 しかし俺はそいつから提督の気配を感じてしまった。

 ありえない話だよ。そう、ありえないんだと思っていたかった。
 あれは確かに深海棲艦だったから。
 だが魂がもしも記憶に根ざすなら……あの深海棲艦はやっぱりあいつでもあったんじゃないかって。
 俺はそれ認めたくないだけって話さ。
 実際やつは……やつも振り回されてたんじゃないかな。自分自身に、自分が持っていたモノに。



499 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/11 11:17:20.76 1ZoVarZvo 361/702



五章 咆哮の海


 港湾棲姫たちを受け入れてから一夜が過ぎた。
 その間、交戦の意思がない一団は積極的にトラック泊地からの要求や指示に従っている。
 元から受け入れるのも考慮して接触しただけあって、泊地としての対応も早かった。
 提督も港湾棲姫と通信を行い事の経緯や彼女たちの目的を改めて確認すると、今後に向けた当座の取り決めも交わしている。
 大本営からも近日中に人を派遣して話し合いを行うとのことで、それまで友好的な態度を取るよう言ってきたという。
 鳥海は思う。ここまでは司令官さんの計算通りなのかもしれない。
 この先どうなっていくのかは委ねられてしまった。

 翌日になって深海棲艦たちに夏島への上陸許可が認められた。
 提督さんと港湾棲姫の間で、改めて協議を行うために。
 もっとも上陸できるのは三人だけで、港湾棲姫にホッポと名乗る幼女のような見た目の姫、それに青い目のヲ級になる。
 他の深海棲艦は海からは離れられなかった。
 これは以前ワルサメからもたらされた情報とも合致している。
 砂浜では提督や何人もの艦娘が見守り、海上では二十名近くの深海棲艦が見送る中、最初に上陸した港湾棲姫がしみじみと言う。

「コンナ形デ戻ッテクルナンテ思ワナカッタ……」

 トラック諸島が深海棲艦の勢力圏だった頃、深海側の司令官を務めていたのが彼女だ。やっぱり思うところはあるんだと思う。
 続いて島に足を踏み入れたホッポが胸一杯に息を吸い込む。

「コーワン、匂イガ全然違ウヨ!」

「ソウ……ナノ?」

 少し戸惑い気味に港湾棲姫が言う。
 そんな彼女と鳥海はなぜか目が合った。
 いえ、私にも分かりませんが……そういえば、港湾棲姫はと号作戦の折に交戦したのを覚えているのかしら。
 あの時の夜戦で左腕を折られたんだっけ。今更持ち出す気はないけど左腕を思わず触ってしまう。
 当たり前の話だけど、港湾棲姫は私よりもホッポという姫を気にしていた。



500 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/11 11:20:20.17 1ZoVarZvo 362/702



「ココハナンダカ優シイヨ?」

「ソウ……ヨカッタネ」

「ウン!」

 子供をあやすようにほほ笑む港湾棲姫にホッポは無邪気に笑い返す。
 本当の親子みたいで、相手が深海棲艦であっても和んだ気持ちになっていた。
 だから司令官さんは彼女たちを助けたいと考えたのでしょうか……。
 最後に青い目のヲ級が上がってきたところで提督が代表して前に進み出る。

「先任の意向を受けて、あなたがたを受け入れたいと思います」

「感謝シマス、提督サン……」

 提督はそこで握手のために右手を差し出す。敬語を使ってるのも、彼なりの立場の示し方なんだろうと後ろから見ていた鳥海は考える。
 港湾棲姫は戸惑ったように提督の手を見ていたが、同じように右の手を開いて前に出す。
 彼女の手は大きなかぎ爪のようになっているから、お世辞にも握手には向いていなさそうだった。
 提督は港湾棲姫の人差し指と中指の二本を握って応じた。

「とは言ったものの喜ぶにはまだ早いかもしれません。先任や艦娘たちが認めたとしても、それは我が国の総意とは言えませんので」

「エエ……ソレデモ始メルコトガ……必要デス」

「そうですな……今はまずお互いがこうして出会えたのを感謝しましょう」

 提督の言葉に港湾棲姫も頷き返す。
 二人の様子を見ていたホッポが首を傾げる。

「コノ人モ提督?」

「ああ、提督って言うのは役職だからね。お姫様と一緒で何人かいるんだよ」

「フーン。アノネ、ホッポモ姫ナンダヨ。コーワントオンナジ!」

 嬉しそうに喋るホッポに提督さんは屈むと目線を合わせて褒めてあげる。
 できるだけ威圧感を与えないようにという配慮のようで、そういう気配りができる人らしい。



501 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/11 11:21:35.90 1ZoVarZvo 363/702



「では今後も含めて踏み込んだ話をするとして、そちらをどう呼べば?」

「イカヨウニデモ……私ノ名ハ人間ニハ認識デキナイ。デモ、コノ子ハコーワントイウ呼ビ方ガ気ニ入ッテル」

「コーワンハカワイイ!」

「それではコーワン、どうぞ泊地へ」

 提督が先頭に立って歩き出すと、それに従って鳥海たちも港湾棲姫たちも歩き始める。
 鳥海たち艦娘は護衛と監視を兼ねていたが、これまでの出来事からじきにそうする必要がなくなると察していた。
 それもこれも以前ワルサメと過ごしたからで、彼女の存在は深海棲艦への印象を変えるには十分だった。

 しかし、わだかまりもまた解消されていない。
 今まで戦ってきているのもあるし、何よりも司令官さんのことがある。
 先を見据えたいと考えていても、そこまでの割り切りができたなんて言えない。
 全てを水に流すには、お互いにまだ時間も理解も足りていないのだから。
 それでも今は言葉を交わすことはないけれど、これからは協調路線を取っていく。
 こうやって変わっていくのだけは確かなんだと鳥海には思えた。

 泊地の司令部施設内にある会議場で会談は行われた。
 最初から最後まで雰囲気は悪くなくて順調に進んでいく。
 会談の終わり際になって港湾棲姫が白露に会ってみたいと言いだした。ワルサメに良くしてくれていたと聞いていたからだという。
 そして提督は即答を避けた。
 この日の白露型は武蔵や空母たちと一緒に洋上へ訓練に出ている。
 訓練を中止して呼び戻すという手もあるけど、提督さんはそうはしなかった。

「今は洋上に出ているので戻ってきてから。それに我々も立ち会いますが、よろしいですな」

 確認というより条件の提示。港湾棲姫は頷いた。

「代わりと言ってはなんですが泊地を案内しましょう」

 提督のその一声で会談は終わりを迎えた。



502 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/11 11:23:18.79 1ZoVarZvo 364/702



 扶桑姉妹と夕雲型の何人かが引き続き港湾棲姫たちに付き添う中、鳥海はその任から外れた艦娘に含まれている。
 提督たちを見送ってから鳥海はため息をつくと、軽く頭を振る。
 それを高雄に見られていたのに気づく。

「お疲れね」

「昨日今日で色々ありましたからね。なんだか世界が変わってしまった気がします」

 気安く言ったつもりでも間違いではない。
 この数ヶ月で鳥海たちを取り巻く環境は大きく様変わりし、今もなお変わり続けている。
 激流に放り込まれたような我が身を顧みれば、疲れるというのが無理なのではないでしょうか。

「本当にそうね……」

 高雄も肩を落とすと鳥海と同じようにため息をついた。
 そんな二人に声がかかる。愛宕と摩耶だった。

「ちょっとー、二人とも湿っぽいわよ」

「だな。こんな時は間宮で息抜きしようぜ」

 摩耶は間宮券をちらつかせてみせる。

「いい考えね、ほらほら」

「もう、強引なんだから」

 愛宕が高雄の背を押していくが、高雄も満更でもなさそうにはにかんでいる。

「鳥海も来いよ」

 摩耶に促される。確かに名案かもしれないと鳥海も思う。ここは英気を養う時だと。



503 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/11 11:24:11.85 1ZoVarZvo 365/702



「うん。でもみんなは先に行ってて。工廠に用があるから先に済ませてくるね」

 鳥海は一人で行くつもりだったが、すぐに愛宕が手を挙げる。

「私も一緒に行きたいな!」

「別に面白い用事じゃないですよ? 先に食べていたほうがいいかと」

「それだと鳥海があとから食べてるのを眺めることになるかもしれないのよ。高雄には目の毒だわ」

「どうして私なのかしら」

「高雄ってばおなか周り気にしてるじゃない。食べ終わっちゃった後に見てたら、お代わりしたくなるでしょ?」

 愛宕は悪気のかけらもなく言う。
 高雄は一瞬頬を引きつらせたが、すぐにそれを表情から消す。

「人を食いしん坊みたいに言って……」

「でも事実でしょ?」

「それはそうだけど……」

「姉さんの腹はとにかく、工廠にどんな用があるんだよ?」

「うん……実はね」

 鳥海は指輪を取り出す。
 港湾棲姫の手を経ての私の元へとやってきた司令官さんの指輪。唯一の形見らしい形見になった指輪を。
 他の三人が息を詰める気配を感じながら鳥海は困ったように笑う。



504 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/11 11:25:04.48 1ZoVarZvo 366/702



「ペンダントにしてもらおうと思うんです。お守りの代わりに持っていたいので」

 指にはめるのも考えたけど、私と司令官さんではサイズが合わなかった。
 指輪は軍の装備に当たるから本来は返却しないといけないのでしょうが……どうしても、そうする気にはなれなかった。

「鳥海がそうしたいなら好きになさい。それにいいと思うわ」

 高雄が後押しするように言う。その表情は穏やかだった。
 愛宕も一緒に行く気はなくなったらしい。

「間宮で待ってるから、ちゃんと来てよね」

「もちろんです。摩耶のおごりですし」

「あんまりゆっくりしてると高雄姉さんが二人分食べちゃうかもしんないけどな」

「……摩耶?」

 抑えた声の高雄に摩耶が冗談っぽく謝ったのをきっかけに、鳥海は姉たちと別れて一人で工廠に向かう。
 工廠は司令部施設とは別の建物なので、鳥海は外に出てから歩いていく。
 何人かの妖精が装備や資材を確認する傍らを抜けていくと、工廠の奥で夕張が資材管理の帳簿に記入をしながら頭を捻っていた。

「今週の消費資材は……オーバー気味かあ。そろそろ成果も出さないといけないし……」

「夕張さん?」

 鳥海が声をかけると、我に返ったように夕張は立ち上がった。
 しかし相手が鳥海だと分かると安心したように胸をなで下ろす。



505 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/11 11:26:06.66 1ZoVarZvo 367/702



「なんだ、鳥海か。ああ、そうだ。資材の割り当てってもう少し増やせないかな?」

「どうでしょう。私も今は秘書艦じゃないですし」

「そっか……ごめん」

「いえ。いっそ夕張さんが秘書艦になっては? そうすれば資材の融通に悩まされないかと」

「私はこっちのほうが性に合ってるんだよね。秘書艦やってたら、工廠の仕事が疎かになっちゃうだろうし」

 工廠は夕張と明石の二人が中心になって機能している。
 得意な領域が微妙に違うのもあって、二人は協同して成果を挙げていた。
 もっとも開発される兵装の全てが実用に耐えるとは限らないが。

「やっぱり秘書艦って必要ね。ところで今日はどうしたの?」

「頼みたいことがあって」

 夕張は鳥海に椅子を勧めると、麦茶をコップに注ぐ。
 鳥海はそれを受け取ると、一口飲んでから話を切り出した。

「加工をお願いしたいんです。ペンダントのように」

 指輪を差し出すと夕張はそれを手に取って注視する。

「これ、提督の指輪かな?」

「はい。どうでしょう?」

「加工はできるし難しくもないけど」

 夕張は鳥海に一度指輪を返してくる。



506 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/11 11:27:08.70 1ZoVarZvo 368/702



「本当にいいの?」

 鳥海が頷くと、逆に夕張は困ったような冴えない表情になる。
 乗り気に見えない表情だけど理由が分からない。

「ペンダントってことは肌身離さず持っていたいということよね?」

「……はい。司令官さんとの繋がりがあった証明ですから」

 だからお守り代わりに。そして、あの人を救えなかった自分への戒めとしても。

「そこよ。ずっと持ってるなら戦闘中になくしちゃうかもしれないのに」

 夕張が渋っていた理由に鳥海は気づいた。
 戦闘の最中に失ってしまえば、今度こそ二度と戻ってこなくなる。
 わら山で針を探す、という慣用句があるけど海はわら山と比較できないほど広大で深奥なのだから。
 こうして鳥海の手元に指輪があることが、すでに奇縁の為したいたずらと言えるのに。

「私も前、提督から指輪はもらってるけど二人のはなんていうか特別じゃない。同じ指輪なのに本当に通じてたっていうか……だから、これは大切に保管しておいたほうがいいんじゃないかしら」

「それは考えました。というより最初はそのつもりだったので」

「だったら、どうして?」

 そこで鳥海は少しの間、沈黙した。
 夕張の言うように指輪を大事に取っておけば、鳥海が健在な限り二度と失われることはないかもしれない。
 しかしトラック泊地も決して襲撃とは無縁の拠点とは言えなかった。
 どこかに保管していても、敵の襲撃で灰燼に帰してしまう可能性もないなんて断言できない。
 だから手元に持っておきたい。
 理屈で考えればこうなってくるがそう言えなかった。

「司令官さんは私たちに感謝の言葉を遺していきました」

「そうみたいね……らしいっていうかなんていうか」

 夕張は寂しげに笑う。自分も同じような顔をしているのかもしれないと鳥海は思った。

「それで一晩考えてみたんです。あの人はどんな未来を思い描いてたんだろうって」

 見返す夕張は驚いたのか感心しているのか、相づちを打つように頷いてくる。



507 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/11 11:27:59.90 1ZoVarZvo 369/702



「何か分かったの?」

「いえ、残念ながら。でも司令官さんは私たちに期待してくれていたんだと思うんです」

 私たち艦娘が将来どう生きてどうなっていくのか。
 あの人はその点ではとにかく楽天的だったように今では思う。
 前途にどんな困難があっても、それを越えていけると信じているようで。

「これが司令官さんの代わりだなんて言いません。だけど……」

 掌に戻ってきた指輪に視線を落とす。
 これ自体はただの指輪だった。司令官さんが何を考え、どんな想いを込めていたとしても。
 それでも司令官さんは『ありがとう』の言葉と一緒にこれを託してきた。

「この指輪は私に教えてくれたんです。私たちが過ごした時間は無駄なんかじゃなかったって」

 だから私が望まない限り離したくない。
 大切だったことを忘れないためにも、先に進んでいくためにも。

「後生大事にしておくより私の近くでこれからを見届けてほしいんです。私が生きていく時間を」

「……あーもう、そこまで言われたら断れるわけないじゃない」

 夕張は今度こそ指輪を受け取り、鳥海は頭を下げた。

「何日か時間をちょうだい。最近面白い鋼材を開発できて――とにかく丈夫に作ってあげるから」

「当てにしてます」

「任せて。鳥海の艤装より丈夫にするから」

「それなら艤装のほうも丈夫にしてほしいです……」

「意気込みの話だよ」

 夕張は上機嫌そうに笑う。
 自信が覗いている笑みに、鳥海はもう一度礼を言ってから頭を下げた。
 後はできることをやっていくだけ。鳥海は人知れず気を引き締めていた。



513 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/17 16:34:38.79 XnFMKPV8o 370/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 白露が港湾棲姫へ抱いた第一印象は大きいだった。
 実際に近づいてみると、つくづくそう思える。
 訓練が終わって帰港すると、白露は汗を流してから姫が待つ波止場に向かった。
 そして姫の両隣には扶桑姉妹が並んでいる。

「大きいね」

 隣の時雨も同じようなことを言う。
 指名されたのは白露だけだったが、時雨は勝手についてきていた。
 というより他の妹たちもこっそりと追ってきている。
 以前、時雨が扶桑姉妹を同じように評していたのを白露は思い出す。
 港湾棲姫の足にはホッポが隠れるようにしがみついているが、怖がっているわけではなく逆に好奇の眼差しを二人に向けていた。
 少し離れたところにはヲ級と夕雲たちがいる。

「あれがホッポか。あっちは見た目通りというか小さいね」

 白露が無言で頷くと時雨は続ける。

「しかし……あの三人はまるで山だね」

「山かあ。ちょっと分かるかも」

 一人が山なら、三人並べば連峰?
 別に大女って意味じゃないけどさ。

「白いし氷山ってところかな。並んでるとすごく大きいし。いや、一人でも大きいんだけど」

 言われてみると三人とも白い。氷山というのも分かる――冷たすぎる気もするけど。

「大きい……あれが巨乳。違うね、爆乳か」

「うん……うん?」

 時雨は何を言い出すんだろう。白露は不審そうに時雨を見た。



514 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/17 16:35:40.06 XnFMKPV8o 371/702



「なんだい、姉さん。その目は」

「大きいっておっぱいのこと?」

「他に何があるんだい?」

 さも当然のように言う時雨に、白露はげんなりとする。
 白露は時雨を置いていくように歩調を早めた。

「ちょっと! 何か言ってほしいな……」

 すぐに時雨も追いついてくる。白露は顔を向けず、声に呆れを乗せて言う。

「あたしは背とか体全体のことを言ってたんだけど……そっか、時雨ってばそういう子だったよね」

「ちょっと待って。ボクについて良からぬ誤解がある気がするんだけど」

「どの口がそれを言うの?」

 さっきのは完全に時雨の落ち度だと思うんだけど。
 間近に来て分かったのは扶桑が柔和な笑みを浮かべる一方で、山城は仏頂面をしていたということ。
 気を取り直して白露は挨拶する。

「あたしが白露だよ。それでこっちは時雨」

「ハジメマシテ、私ハ港湾棲姫……コーワン。ソレカラ、コノ子ガホッポ」

「ハジメマシテ!」

「それから私が氷山ね」

 ふて腐れたように山城が言い足す。
 白露は思わず肘で時雨を突いていた。
 あたしは知らないよ。この件では時雨と一切関わりがないという姿勢を貫こうと白露は内心で決めた。



515 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/17 16:36:38.29 XnFMKPV8o 372/702



「やあ、山城。今日も一段ときれいだ」

「見え透いたお世辞で懐柔できると思われてるなんて……やっぱり不幸だわ」

「あはは……」

 白露は乾いた笑いで誤魔化してから港湾棲姫に顔を向け直す。

「それで港湾棲姫が……」

「コーワント呼ンデ」

「じゃあコーワンがあたしに会いたいって聞いたんだけど」

 なるべく笑顔を意識して白露は話しかける。
 怖いという印象はなくても少しは緊張していた。
 ホッポが港湾棲姫から離れて前に出る。

「白露……ワルサメノオ友達?」

 見上げてくる顔はまっすぐ白露を見つめてくる。その目は何かを期待しているようだった。
 ワルサメがホッポやコーワンの話をしていたのを思い出す。
 その時のワルサメは二人を上手く伝えようと真剣だった。
 今ならその気持ちが白露にも分かる。きっとこの子は今と同じ目でワルサメを見ていたのだから。

「一番の友達だったよ」

「イチバン……」

「あなたがホッポね?」

「ウン……」

「あたしとお友達になろうよ」

 白露は手を差し出していた。
 ホッポは驚いた顔で固まったが、すぐに満面の笑顔と一緒にその手を握り返すと嬉しそうに振る。



516 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/17 16:37:26.87 XnFMKPV8o 373/702



「白露、ホッポトモオ友達!」

 あたしたちよりずっと小さな手だった。ホッポの白い手は見た目と違ってずっと温かい。
 港湾棲姫が頭を下げてきて、白露を驚かせた。

「オ礼ガ言イタカッタ……ワルサメノコト……大事ニシテクレテアリガトウ……ソレニホッポニモ」

「あたしは自分がしたいようにしてきただけで別に」

 こんな形で深海棲艦から感謝されるなんて思わなかった。
 なんでだろう。嬉しいのに……悲しかった。
 だって、ここにワルサメがいれば……あの子はきっとこういうところが見たかったんだと思えて。
 でも、この気持ちは表に出さないと決めた。もういないワルサメのためにも。

「それにしても、どうして白露とワルサメのことを知っていたのかしら?」

 扶桑の疑問に港湾棲姫が答える。

「提督ガ教エテクレタ」

「提督が?」

 一瞬どっちの提督か考えてしまったけど、前の提督としか思えない。
 でも、それならちょっと気になる。

「他にワルサメのことは何か言ってたの?」

「ココデワルサメガドウ過ゴシタノカ教エテクレタ」

「あたしの妹のことは?」

「提督ハ……必要以上ニ艦娘ノ話ハシタガラナカッタ」

 やっぱり春雨の話はしてないんだ。白露は確信した。
 たぶん情報の漏洩を嫌ってのことだろうとも。



517 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/17 16:38:05.15 XnFMKPV8o 374/702



「妹たちにも会ってくれないかな。紹介したいんだ」

 実を言えば春雨たちも隠れてこの様子を見ている。
 春雨は深海棲艦たちに会うのに戸惑っていた。自分がワルサメ――駆逐棲姫と互い違いでよく似ていると知っているから。
 でも遅かれ早かれ会ってしまう。同じ泊地にいて避け続けるなんて無理。
 それなら下手に時間を空けてしまうより、今の内に会ったほうがいいに決まってる。
 白露の声を待っていたように、残りの白露型一同が姿を見せる。
 コーワンもホッポもその中の一人、春雨に気づいた。

「ワルサメ!」

 ホッポが止める間もなく駆け出すと、春雨に飛びつく。
 春雨は腰の辺りに飛びついてきたホッポを受け止めたものの、手で触れて支えるのはためらっていた。

「コレハ……ドウイウコトナノ?」

「話せば長くなるんだけど」

 コーワンも戸惑っていた。白露はそんな彼女の手を取る。

「行こう、コーワン。春雨はあれじゃ動けないし」

 白露は返事を待たずにコーワンの手を引いていた。
 一方の春雨はホッポに抱きつかれてたじろいでいる。

「あの……私はワルサメじゃなくって春雨です。はひふへほのはです」



518 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/17 16:38:37.35 XnFMKPV8o 375/702



 春雨は恐る恐るといった手つきでホッポを体から離そうとするが、しがみついたホッポは離れない。
 むしろ万感を込めて春雨を見上げてくる。
 妹のさらに妹を見ているような気分だと、白露は思う。
 コーワンがすぐ近くに来たために、春雨の進退はいよいよ窮まった。

「あの……」

「アナタ……」

 春雨とコーワンは互いに口を開いて、上擦った呼びかけが重なる。
 視線を絡ませたまま今度は沈黙した姫を前に、やがて春雨は話し始めた。

「私、春雨って言って白露型の五番艦です、はい。姉は白露、時雨、村雨、夕立。妹は五月雨、海風、山風、江風、涼風――あ、山風はまだいないです、はい」

 普段よりも早口で春雨は言う。

「ワルサメのことは白露姉さんから聞いてます……私だけ彼女には会ったことないんです。入れ違いで保護されて……でも私はワルサメじゃなくって春雨で!」

 その時、春雨の頬を涙が伝っていった。

「あ、あれ……?」

 春雨は目元を拭うが、それをきっかけに次から次へと涙がこぼれ出す。

「なん……なんで涙が? 悲しくなんて、ないのに……」

 春雨は嗚咽をなんとか我慢しようとしているが、明らかにできていない。
 釣られたように顔をくしゃくしゃにしだしたホッポがコーワンを見上げる。
 つぶらな瞳には黒っぽい涙が溜まり始めていた。



519 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/17 16:39:06.07 XnFMKPV8o 376/702



「コーワンガ……泣カセタノ?」

「エ!? チ、違ウ! 別ニ何モ……」

 コーワンの言葉はホッポには届いていないようだった。
 春雨も限界が近いようで、震える声で夕立に助けを求める。

「夕立ねえさん……!」

 急に言われても夕立はどうしていいのか分からないのか、動転したように言う。

「お姉ちゃん、パスっぽい!」

 ここであたしに振らないで、夕立!
 内心を呑みこんで白露は言っていた。

「な、泣きたい時は泣いちゃうのがいっちばーん!」

 二人分の堰が切れて泣きじゃくってしまう。
 コーワンはそんな二人を前に、どうしていいのか分からずおろおろ混乱している。
 火でもついたかのようなうろたえ振りだけど、白露も置かれている状況としてはさほど変わらなかった。
 なだめようにも二人には白露の声が届いていないし、届いていたとしてもどうにかなるわけでもない。

「大惨事ね……不幸だわ。主に白露とコーワンが」

 山城さんが冷静に指摘してくるけど、助け船を出してくれるつもりはなさそうだった。
 二人の泣き声はいっそう激しくなってきて、あたしまで泣きたくなってきた。



520 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/17 22:29:15.35 XnFMKPV8o 377/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 私が最初に見たのは同じ深海棲艦だった。
 白くて長い手足に、頭は兜か鎧のような外殻に守られている。その一方で腰や胸の下は肌が露出していた。
 寒くはないのだろうか――私の格好も似たり寄ったりかもしれないが。

「オハヨウ……ゴザイマス」

 頭部に似合わず綺麗な声だと思った。
 その深海棲艦が手を伸ばしてきたので、私はそれを掴んで立ち上がる。
 どうすれば立ち上がれるのかは体が理解していた。それに従って体を動かせばいいだけ。

「状況……分カリマスカ?」

「イヤ、私ニハ何モ……」

 答えながら、他に誰かが私を見ているのに気づいた。
 私を立たせた深海棲艦の奥に二人の――姫と呼ばれる存在が立っている。
 言われずとも理解できた。相手が姫なのは。
 片方は私をせせら笑うように、もう片方は険しい目つきで見ている。

 そして警戒してしまう。
 この二人は私に害を為すかもしれないと。
 すでに何かされているのか。何かって何を?
 偏執狂なのだろうか、この頭は。

 私の戸惑いをよそに姫の片方が近づいてくる。
 何も着ていないようにしか見えないが、それはいい。
 唇を線にした薄い笑いは、私を値踏みしているようだった。
 私を立たせた深海棲艦は手を握ったままで、その力が強くなる。
 この姫が近づいてから、それは顕著だった。少しばかり痛い。



521 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/17 22:30:53.58 XnFMKPV8o 378/702



「艤装ノテストヲシマショウ。ソウソウ、私ノ名前ハ――」

 そこから先はほとんど聞き取れなかった。
 姫はそこで彼女の名や、どうやら一緒に私の名も口に出したようだったが。

「アナタノ名ヨ、声ニ出シテミテ」

 姫はまた何かを言い復唱を求めてきたができなかった。
 雑音や叫びを回らない舌で再現するのは不可能。
 その音は言わば壊れたテープを聞かされているようなものだ。
 ……テープとはなんだろう?
 私の頭は私の知らないことまで考え出す。
 生まれたばかりでも、この頭に知識はある。
 それにしては、この頭には私が知り得ない知識まで詰め込まれているような気がする。
 なぜそう思えるのかは分からないが……単なる思い違いかもしれない。

「ソッチノ彼女トイイ、名前ヲ認識デキナイノガ続クナンテ……出自ノ問題カ」

「出自?」

 姫は笑う。いくらかの嘲りも含まれている気がした。

「アナタタチニハ今ガアルジャナイ」

 何も教えるつもりはないようだった。
 しかし一理あるかもしれない。
 私がなんであれ、私は必要以上に私を知りたくないかもしれない。

「サア、来ナサイ」

 姫は背を向けて歩き始める。
 ついていくしかない。そして未だに手を握られたままだった。

「……アマリ強ク握ラナイデホシイ」

「……ゴメンナサイ」




522 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/17 22:32:56.77 XnFMKPV8o 379/702



 彼女はゆっくりと手を開いていく。
 私以上にさっきの言葉か、あの姫に対して何か思うことがあるのだろうか。
 仮面のようですらある頭部からは、表情が見えず感情を推し量ることもできない。

「握ルナトハ言ッテナイ」

 気づけば私は自然とそんなことを言っていた。彼女は首を横に振る。
 私は自分から彼女の手を取った。
 彼女をそのままにしておくのは……なぜか良くない気がして。
 私は手を引きながら、自分の歩調を確かめるように歩き始めた。
 前方にいる二人の姫の会話が少しだけ聞こえてくる。

「私モ行クノカ?」

「見タクナイ?」

「……責ハアルカ」

 私たちは通路を進む。天井には青白い明かりがあるが、ここは洞穴のように思えた。
 進んでいくと、それまでとは異なる深海棲艦がいた。
 黒いフードを被った深海棲艦だ。
 そいつは壁に寄りかかっていたが、姫たちに目配せしたようだった。

「好キニシナサイ。イツモノコトデショ」

 姫の声が聞こえてきた。面白がるような声だった。

「アリガタイ」

 そいつは壁から離れた。
 意外に幼い顔が笑みを張りつかせて、目を赤々と光らせて私を見ている。
 好戦的に見える表情に私は危険を感じた。



523 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/17 22:35:38.24 XnFMKPV8o 380/702



「危ナイ……」

 隣の彼女が警告しきる前に、私は手を離すと前へと踏み出していた。
 その時には向こうの深海棲艦も同じように私めがけて駆けだしている。
 ほとんど衝突するようにぶつかり合っていたが、互いに引きも倒れもせず押し合う。
 私はぶつかった直後に、そいつの手首を両手で押さえ込んでいた。

「生マレタバカリニシテハイイ反応ダヨ。気ニ入ッタ」

 そいつは楽しそうに笑っていた。悪気というものをまるで感じない。

「ダガ手数ハアタシノホウガ多イノサ」

 首に冷たくて太いものが巻き付いてくる。見ればそいつの体から尻尾が伸びて締め付けてきていた。
 巨大な口を持った尻尾の先端が顔のすぐ横に来ている。
 その気さえあれば噛み砕くのは簡単、ということか。

「ヒヒッ、怒ルナヨ。歓迎ノアイサツッテヤツサ」

 首への圧力が弱まり、尻尾が離れていく。
 これ以上をする気はないとみて、私もそいつから手を離した。

「ソッチノヤツハダメダメダッタケド」

 そいつは私を立たせてくれた彼女を見やる。こいつの判断基準はどうやら強弱らしい。

「オ前ハイイナ。名ハ? アタシハ9レ#=Cッテ呼バレテル」

「……何ヲ言ッテルノカ分カラナイ」

 正直に答える。すると後ろで様子を見ていた裸に近い姫が言ってくる。

「ダッタラ『レ級』トデモ呼ビナサイ」

「レ級?」

「ヒヒッ、十把一絡ゲカヨ」

「人間ハ彼女ヤ同種ヲソウ呼ンデイル。ソレナラ、アナタタチデモ言エルデショウ」



524 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/17 22:36:53.43 XnFMKPV8o 381/702



 確かにレ級なら言えるし分かる。
 レ級本人はその呼び方はあまり面白くないようだったが。

「名ヲ認識デキナイナラ、アナタタチ二人ハ人間ノ呼称デ呼ベバイイ。二人モ名無シガイルノモ紛ラワシイシ」

 改めて、その姫は自分たちの名を言う。

「人間ヤ艦娘流ノ基準デイエバ、私ガ装甲空母姫。コッチハ飛行場姫ダッタカ」

 その言葉なら理解できたので私は復唱した。
 すると装甲空母姫は満足げに笑い、やや距離を取ったままの飛行場姫は私から目を逸らした。
 やはり私は飛行場姫にあまり気に入られていないようだ。
 理由は分からないが、理由などないのかもしれない。人が人を嫌う理由など、意外に大した理由ではなかったりする。
 ……今、私は人間を基準に考えたのか?
 どちらにしても私とて彼女に理由のない警戒心を抱いている。お互い様というわけか。

「アナタタチハ新種ダケド姫デハナイカラ艦種ニ合ワセテ呼ビ方ガアルハズ。二人トモ重巡ノ艤装ニ適正ガアルケド、コッチノ彼女ハ軽巡ニヨリ適正ガアッタカラ」

「イロハ歌」

 急に後ろの飛行場姫が言い出す。

「イロハ歌……ソウ、ソレカラ名ヲツケテイルト確カニソウ言ッテイタ」

 誰が言っていたのだろう。飛行場姫の言葉からは分からない。
 ただ、その言葉は私に閃きを与えた。

「ソレナラ私ガ『ネ級』デ彼女ハ『ツ級』ニナル」

 私はまた私の知らない知識で話していた。
 ただ、これで決まった。私にはネ級という名がある。名と呼んでいいのか分からない名が。



531 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/27 23:23:08.48 lKPQ86Ago 382/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 港湾棲姫たちがトラック泊地に保護されてから半月が過ぎた。
 先日になって大本営から使節団が派遣され、港湾棲姫との協議も済んでいる。
 鳥海は会談には参加しなかったが、議事録を取っていた夕雲から要旨は教えてもらっていた。

「要は何も変わらないということですよ」

 夕雲は苦笑いしながら前置きとしてそう言った。
 決まったのは港湾棲姫たちを守るためにも、彼女らの安全を脅かす存在に対して艦娘や泊地の基地機能が行使されるということ。
 つまり正式な保護対象として認定された形になる。

 大本営は深海棲艦の生態調査を申し込んでいるが、これは深海側から拒否されている。
 調査という名目で何が行われるのか分からないのだから、断るのも当然だというのが夕雲と鳥海の共通認識だった。

 一方で将来的に港湾棲姫たちが人間に害を為すのなら、実力をもってして排除することになっている。
 そういった事情もあって、当面はトラック泊地でのみ深海棲艦の滞在を認めていた。
 また深海棲艦たちもただ守られるだけでなく、可能な限りの協力を約束している。
 協力するといっても具体的な形は定まっていなかったが、港湾棲姫は自分が持つ情報をここに至って開示していた。
 深海側の拠点や勢力に関する情報で、それは新たな戦いの幕開けも意味している。

 深海棲艦の主力がガダルカナル島に拠点を築いているのが港湾棲姫により判明したが、艦娘たちもMI作戦にまつわる被害からすぐに動けないというのが実情だ。
 各鎮守府や泊地では戦力の増強、あるいは立て直しを図りながら、本土ではガ島を攻略するための作戦の実施に向ける準備が始まっていた。
 トラック泊地でも新提督による体制が固まりつつある中、艦娘やマリアナ救援で摩耗した基地航空隊の練成が進んでいた。



532 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/27 23:24:50.29 lKPQ86Ago 383/702



 他方、港湾棲姫ら深海棲艦は泊地の艦娘や人間に馴染もうと努力している。
 多くの深海棲艦は言葉が通じないなりに身ぶり手ぶりで意思表示をしようとしているし、中には発声の練習をしている姿も目撃されている。
 港湾棲姫も自らをコーワンと呼び、日常に少しでも溶け込もうとしていた。
 艦娘たちもそんな深海棲艦たちを受け入れ始めた頃、鳥海はある妖精と再開を果たした。

「お久しぶりです、秘書艦さん」

 第八艦隊内での紅白戦を終えて帰投した鳥海の前に現れたのは、白の帽子を被ったセーラー服の妖精だった。
 と号作戦前に本土を訪れた時に、二人目の鳥海と引き合わせてきた妖精だ。
 彼女は以前と同じように白い猫を吊すように持ち上げている。

「あなた……確か司令官さんと一緒に会った」

「ええ、十ヶ一月ぶりですか」

「もうそんなに……」

 鳥海は以前の夜を思い出して動揺した。
 あの夜、あの場にいた司令官さんも二人目の鳥海も、この世界のどこにもいない。
 一年に満たない時間なのに、喪失は確実に迫っていたと気づかされた。
 言葉をなくした鳥海に妖精は言う。

「こうなると次は私の番かもしれませんね」

 内心を見透かしたような一言はどこまでが本気か分からず、鳥海はあえて何も答えなかった。

「少しお時間よろしいですか?」

「ええ、ちょっと待ってください」

 鳥海は高雄に後のことを頼んでから、妖精とその場を離れる。
 妖精は他で話したいというので、鳥海は妖精が先導していくのに任せた。
 屋外に向かう道中で、妖精は自分から話を進めていく。



533 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/27 23:25:37.03 lKPQ86Ago 384/702



「今日は深海棲艦の見定めに。新しい提督さんにもご挨拶しておきたいですし、秘書艦さんとも少し話しておきたくて」

「話すのは構わないんですけど、私ならもう秘書艦ではありませんので」

「そうなのですか? 失礼しました。それでも鳥海さんと話しておきたいのは本当ですよ」

 妖精が猫を支えるように抱き直すと、猫はその顔を見上げてから体を丸めて目を閉じる。
 寝に入るような猫を見て、鳥海は表情を柔らかくする。

「好きなんですね、猫」

「いえ、特には」

 妖精はきっぱりと否定する。

「でも前回も一緒でしたよね、その猫」

「この子は悪さをするから懲らしめてたんです。そうしたら懐かれてしまっただけで」

 口でそう言っても嫌がってるようには見えない。
 何よりも猫が懐いてるのは自明だし、好きでもなければこの子なんて呼ばないでしょうし。
 鳥海は一種の照れ隠しなんだと受け止めた。

「それはそれとして今の秘書艦はどなたです?」

「今は夕雲さんですね」



534 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/27 23:26:18.48 lKPQ86Ago 385/702



 夕雲さんが会談の議事録を取っていたのも秘書艦に抜擢されたため。
 今の提督さんは左腕がいくらか不自由で、そこに最初に気づいたのが夕雲さんだった。
 何度か仕事の話をしている時に、夕雲さんが馴れ初めを話してくれた。

「最初はただのぶきっちょさんかと思っていましたが」

 夕雲さんは提督さんが食事を取る時に右手だけで全部を済ませようとしていたのが引っかかったようで、しばらく意識してみていたら左腕が変だと気づいたという。
 それからは目立たないように提督さんの手助けをしていたら、ある時に提督さんから秘書艦を打診されて今では彼女が秘書艦を果たしている。
 端から見ていて、今の夕雲さんはとても充実しているようだった。
 司令官さんと一緒にいた時の私もそう見えていたのかもしれない。鳥海は一抹のさみしさを覚える。

「ここにしましょうか」

 妖精が口にした言葉に鳥海は今に意識を向けなおす。
 二人と一匹の組み合わせは屋外のラウンジに出ていた。
 日除けのパラソルと一緒に置かれているテーブルに向かい合って座る。

「提督さんのことは残念でした」

 司令官さんのことを言ってるのは、聞き返さなくなって分かる。

「我々は提督さんへの協力を約束していました。しかし、それもできずにこんな結果を迎えてしまったのは残念です」

 妖精の表情は薄い笑顔から変わらない。
 この表情の見えなさはそのまま腹の内の読めなさに繋がっている。
 いまいち感情が見えてこないから、どうしても形だけの言葉のようにも解釈できるけれど。

「まだこれからですよ。司令官さんはいなくなってしまいましたが、あの人は私たちに後事を残していきました」

「深海棲艦ですか。上手くやっていけそうなのですか?」

「……そう願いたいですね」

 大丈夫だと鳥海には言えない。
 共存を目指すような形になりつつある一方で、その先が大丈夫と断言するのはあまりに楽観的すぎるように思えたために。



535 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/27 23:26:52.04 lKPQ86Ago 386/702



「率直に申し上げると予想外でした」

「ここに深海棲艦がいるのが、ですか?」

「はい。だからこそ我々妖精も戸惑っているのです。この変化をどう捉えるべきなのか」

 鳥海にもその気持ちは理解できた。
 楽観視できないのも根ざすところは同じ理由だ。

「我々にとって深海棲艦は脅威でした。しかし今の状況では必ずしもそう言いきれなくなっています」

 妖精は初めて無表情を鳥海に向ける。
 なぜだか、その目は助けを求めているように鳥海には見えた。

「本来なら提督さんに聞くところでしたが鳥海さんに聞きます」

「……どうぞ」

「今のあなたたちは深海棲艦を受け入れ始めていますね?」

 鳥海はしっかり頷いた。
 心を許したとは言えないにしても、受け入れられるようには努めていた。
 鳥海だって例外ではないし、むしろ提督との関係が深かった自分こそが率先して受け入れる必要もあるとさえ感じている。

「では、もしも港湾棲姫たちを撃てと命令されたら撃てますか?」

 妖精の質問に鳥海は素直な反応を見せた。戸惑いという反応を。
 戸惑っているからか、妖精の言葉は感情を欠いた他人事の声に聞こえた。

「人間が全てあなたの提督さんのように考えるわけではありません。深海棲艦を恐れ憎む者もいますし、深海棲艦もまたそんな人間とは相容れないでしょう」

「そうかもしれませんね……」

「あるいは港湾棲姫たちがそういった理由から人間を見限るかもしれません。いずれにせよ理想がどうであれ、火種そのものは消えないでしょう」



536 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/27 23:28:38.79 lKPQ86Ago 387/702



 言いたいことは分かるし、敵対した場合も想定されているのは知っている。
 この場は口だけでも撃てると答えてもいいのかもしれない。模範的な回答という意味では。
 だけど……簡単に撃てるとは言いたくなかった。
 言葉にした瞬間、それが現実になってしまいそうな気がした。裏を返せば撃ちたくないということでもある。
 かといって戦うのを嫌がってるわけじゃない自分も自覚していた。
 言葉が思うように出てこない鳥海に構わず、妖精は話し続ける。

「さっきも言ったように本当ならこれは提督さんに問う話でした。今まで人間を見てきましたが、時に理想や主義主張ばかりが先行すると本当に大事なものを犠牲にしてまで通そうとするのです。それは本末転倒ではないでしょうか」

「本当に大事なもの……ですか」

 鳥海は呟く。
 すでに私はなくしている。
 でも、そこには理想とか主義とか関係あったの? そうは思えない。
 だから難しく考えることなんてないと、鳥海は素直に答える。

「……その時にならないと分からないですよ、撃てるかなんて。状況だって分からないですし」

 よくよく考えると、この答えはあまりよくない。
 場合によっては命令を拒むと言っているのだから。
 それでも本心なのは間違いない。
 下手に追及される前に鳥海は付け足す。

「ただ、そうならないように力を尽くすのが私たちや港湾棲姫、それにあなたたち妖精もじゃないですか?」

「我々も?」

「客観的でいたいのかもしれませんが、あなたの言うことは少し……他人事に聞こえました。この世界に生きておいて、なんにでも他人事を決め込むのは……ちょっとずるいです」

 鳥海の指摘に妖精はなにやら感嘆の声を出して頷いている。
 しかし鳥海は恥ずかしかった。
 偉そうに言ったけど私自身が誰かを批判できるような立場でもなく。
 妖精は満足そうに笑っていた。
 その笑顔の意味を伝えることもなく、妖精は話を切り上げた。



537 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/27 23:29:34.19 lKPQ86Ago 388/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 陽光の照り返しを受けた海面が白く輝いていて、直視していると目が痛くなってくる。
 ネ級は意識して視線を上げた。そうすれば光を気にせずにいられる。
 艤装の適合を確認してからは、連日のようにツ級と共に洋上で様々な訓練を行っていた。

 この日は飛行場姫が用意した練習機の集団を相手に、回避行動や対空射撃の要旨を叩き込まれていた。
 およそ四時間ほど、朝から始まり正午を回ってからもしばらく続いた訓練は終わり、今は休止の時間に入っている。
 飛行場姫は相変わらず私を避けているが、訓練に関してはとても真摯だった。
 丁寧に諸々の説明をするし、実際に体が反応できるように時間をかけて付き合ってくれる。
 公私の二面的なズレの意味は未だに分からないままだが。

 ネ級の顔に水しぶきがかかった。
 原因はネ級の腰に装着されて背面へと伸びている艤装、その中核を為す二基の主砲だ。
 二基の主砲はそれぞれ海竜のような頭部に三門の主砲と黒い装甲壁を被せた姿をしている。
 ネ級とは別に自立した意識を持つ主砲たちは、ネ級の体に頭を押しつけていた。

「ソンナニジャレツカナイデ」

 ネ級の制止を無視して体をすり寄せてくるので、右の主砲へと手を伸ばす。
 主砲は被弾の危険が少ない下部には装甲がなく地肌が露出している。
 少し強めに顎の辺りをかいてやると、気持ちいいのか喜んでいるのが分かった。
 そうしていると左側もせがむように頭を押しつけてくるので、ネ級はそちらもかいてやる。

「仕方ノナイヤツラダ」

 硬い金属の感触は冷たく心地よいとは言えないが、ネ級は形ばかりの抵抗をして好きなようにさせていた。
 私の体からは粘性のある黒い液体が分泌されていて、それが主砲たちを汚してしまう。
 しかし主砲たちはまったく気にしていないようだった。
 すぐ近くにいたツ級が笑うような気配を見せる。

「懐カレテマスネ」

「少シグライ離レテクレテモイインダケド」



538 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/27 23:30:49.94 lKPQ86Ago 389/702



 答えながら艤装を身につけたツ級の姿を見る。
 連装両用砲を二基四門載せた艤装を、それぞれ両腕にグラブのようにはめていた。
 背部には航行を支援するための機関部を背負っている。
 やはり目立つのは両腕の艤装で、さながら巨人の腕のようになっていて物々しい。
 あの腕相手に殴り合いはしたくないとネ級は内心で思う。

「シカシ海トイウノハ静カナンダナ」

「エエ、ナンダカ落チ着キマス」

 風こそ吹いているが他に音らしい音はなかった。
 強いて言えば波が足に当たる水音や艤装のかすかな駆動音はあるが、それも私たちがいなければ存在しない音かもしれない。
 本当にこんな世界で戦いなんかやっているのだろうか。
 この空と海の狭間には静寂しかないのに。

「狭間……?」

 私の頭に突如として何かが思い浮ぶ。
 女だ。女が海の上に立っている。背を向けているので顔は分からないし、この後ろ姿も知らない。

「ネ級?」

 ツ級の声がこだまのように響く。その声のほうが現実感がなかった。
 私の前にいるのは緑と白の服を着ていて、黒髪の長い女。誰なのか私は、俺は、知らない、知っている。
 女の先には空と海、静かなる狭間。こことは違う、どこか遠い世界。
 私は何かを声に出していた。口が動くのを実感し、しかし声の意味が分からない。



539 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/27 23:31:30.29 lKPQ86Ago 390/702



「シッカリシテクダサイ……ネ級」

 体をツ級に揺り動かされ、私は現実に立ち返った。
 ツ級の表情は分からないが私を心配してくれているようだった。主砲たちも気遣わしげに顔を覗き込んできている。
 握られた肩が痛かったが、今の私の関心事はそこじゃない。

「大丈夫デスカ?」

「アア、私ハ一体……」

 白昼夢とでも言うのだろうか。
 私の頭に残った残像が今はとても遠い。実際に見た光景とは思えない……それは間違いないだろう。
 しかし現実味のない幻、そう呼んでしまうにはあまりに間に迫る引力があった。
 私の頭の中の誰かが見たのか、それとも想像したのか……私の知らない感情が何かを急き立ててくるようだった。
 ……頭の誰か、とはなんだ? 私はなぜそんなことを考える?

「名前ヲ……呼ンダヨウデシタ」

「名前? 誰ノダ?」

「……ソコマデハ。ヨク聞キ取レマセンデシタ」



540 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/27 23:32:10.99 lKPQ86Ago 391/702



 嘘だ。ネ級はすぐに察した。
 よく聞き取れていないのに名前だとどうして分かる。
 しかしネ級は問いたださなかった。
 ツ級がどう感じたのかは定かでないが、ネ級が知らないほうがいいと考えたのだろう。
 今はその配慮を信用することにした。
 ネ級が信用しているのはツ級と二匹の主砲だけだった。
 他の深海棲艦は意思の疎通が困難か、腹に一物隠していそうな連中だけだった。

「ツ級ハ私ヲ……知ッテイル?」

「……言葉ノ意味ガ分カリマセン」

 確かにそうだ。私だって同じようなことを聞かれたら首を傾げる。
 だが他に言い方が見つからなかった。
 私は時に自分が知り得ないことまで知っている。この頭には他の誰かがいると考えた方が自然に思えてしまう。
 ネ級以外の何がいるというのだ、私は。

「デモ……私タチハ元ハキット……」

 ツ級は何かを言いかけてやめてしまった。
 仮面のような顔は追求も気遣いも、全てを拒んでしまっているようだった。
 ネ級はツ級を見ていて、ある考えが思い浮んでくる。
 彼女もまた、もう一人の誰かに住みつかれているのだろうか。



541 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/27 23:35:59.83 lKPQ86Ago 392/702


─────────

───────

─────


 装甲空母姫は少し離れた洋上でネ級とツ級の訓練状況をつぶさに観察していた。
 隣では飛行場姫が同じように様子を見ている。
 互いに艤装を装備していて、どちらの艤装も体の左右を囲むように飛行甲板と砲塔が並んでいるという共通点がある。
 もっとも装甲空母姫は名の由来通りに飛行甲板が装甲化されているなどの差異も多い。
 違いが顕著なのは砲火力だろう。
 装甲空母姫が大口径の単装砲を片舷三門の計六門に対し、飛行場姫は小口径の連装砲を片舷二基四門の計八門を装備している。
 またこの場では装着していないが、飛行場姫の右腕に接続する形で運用する大口径砲を有した生体艤装も存在していた。

「君ガ指導ヲ買ッテ出タノハ意外ダッタ。気マグレデハナイノダロウ?」

 装甲空母姫の言葉に飛行場姫はぶっきらぼうに応じる。

「気マグレヨ」

「ソウ。君ガソウ言ウノナラ、ソレデイイ」

 装甲空母姫はあくまで自分のペースで話す。

「ツ級ハ艦娘ヲ基礎ニシタ個体。コッチハ改造ト呼ンダホウガ、イクラカ近イ言イ回シカモ」

「ソウ」

 関心がなさそうに飛行場姫は答えた。
 ただ、表面的な反応で内心は興味を持っている。

「私ノ知ッテル艦娘?」

「君、艦娘ニ知リ合イガイルノ?」

「……イナイワネ」

 他の姫たちは艦娘について……というより元になった軍艦についての知識を有してる場合がある。
 戦艦棲姫なら戦艦のことは知っているし、空母棲姫なら空母といった具合に。
 装甲空母姫はどうなのか、そういう話をしたことはないと飛行場姫は振り返る。



542 : ◆xedeaV4uNo - 2016/12/27 23:36:35.24 lKPQ86Ago 393/702



「アノ男――提督ヲ混ゼタ個体デ生キ延ビタノハ、アノネ級ダケ」

 当然言われたことに装甲空母姫は口をつぐむ。
 二人はしばらく無言で訓練を見ていたが、やがて沈黙に折れたのは飛行場姫だった。

「続キハ? 今ノ話ダトネ級以外ハ……」

「ヤッパリ気ニナッテル」

 含み笑いをしてから、何か言い立てられる前に装甲空母姫は口を開き直す。

「建造ト呼バレル手法デイクラカノ資材ト核ニナル素体、ソレカラ提督ノ部位ヲ小分ケニシテ混ゼテミタ。生マレ返ッタ個体ハドレモ健常ダッタガ、ホボ幼体ノ間ニ死ンデシマッタ。唯一、成体マデ成長デキタノガネ級トイウワケ」

 飛行場姫は説明の光景を想像して不快そうに表情を歪めたが、装甲空母姫は気にしていないのか気づいていないのか話を続ける。

「アレハ一番混ザッタ個体。頭ヲ丸々使ッタカラ」

「……ダカラ提督ニ準ズルヨウナコトヲ知ッテイタ?」

「断片デ無自覚ノヨウナ状態ダロウガネ。タダ限定的ニダガ有益ナ情報ハ引キ出セルカモシレナイ」

「ソウ都合ヨク話スカシラ」

「サテ……少ナクトモ隠シ立テハシナイハズ。彼女ハ深海棲艦ダカラ」

 飛行場姫は返事を控えた。
 何を聞いたところでやることは変わらない。
 できることならネ級を沈ませたくないのが、彼女の偽らざる気持ちだった。
 提督を殺したことは悔やんでいない――提督がそれを望んだのだから。

 だが、この状況を承服するかは別だ。
 納得のいかない部分があるからこそ、ネ級にできる限りはしてやろうと思っている。
 差し当たっては生存率を高めるための協力を。
 どうネ級と接していいのか分からないままだが、戦闘に関しては彼女の方に一日の長があった。
 ネ級、それにツ級もそうだが、飛行場姫はどこかで憐れみに近い感情を抱いている。
 飛行場姫は内心で自問していた。
 これは感傷なのだろうかと。



551 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/09 22:21:31.61 LBV/bUw6o 394/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海は港湾棲姫たちと話す必要があると感じていた。
 妖精の問いかけが気になっていたし、最初の接触時以来ほとんど言葉を交わしていない。
 どちらも多忙だったのはあるが、それを口実に接触を避けようという気持ちが少しはあった。

 陸上にいる深海棲艦は三人だけで、まだ個室は与えられていないし将来的にどうなるかも分からない。
 今はそれぞれ個別に分けられて艦娘たちと相部屋という形になっていた。
 港湾棲姫は扶桑山城と、ホッポは白露型と、そしてヲ級は蒼龍たちと同じ部屋を使用している。
 これは素行の監視も兼ねている処置なのだけど、深海棲艦たちは不満には思っていないようだった。
 というより、どちらかといえば艦娘と接点が持てるのを歓迎している節がある。
 案外、彼女たちは社交的らしい。

 鳥海が赴いたのは扶桑たちの部屋だった。
 とにもかくにも深海棲艦を知るには、まず港湾棲姫を知るのが最も近道だと思えたから。
 部屋のドアをノックすると、中から扶桑が誰何の声をかけてきたので応じる。

「鳥海? 珍しいわね、ここに来てくれるなんて」

 扶桑がドアを開けると、部屋の奥で山城と港湾棲姫がちゃぶ台を挟んで何かしているのが見えた。
 掃除の行き届いた清潔な部屋で、本人たちの希望で扶桑型は和室を使っている。

「港湾棲姫、いえ。コーワンと少し話がしたくて」

「もちろん構わないわ、たぶん。でも少し待ってあげてくれないかしら」

 扶桑は鳥海を中へと案内しながら言う。
 山城と港湾棲姫はボードゲームに興じていて、集中している二人は鳥海に気づいていない。
 姉さんたちとやったことあるけど、なんという名前だったっけ……。
 名前は思い出せないけど、海戦をモチーフにしたゲームでルールと目的はシンプルだった。
 二人がやっているのは盤上に軍艦を模した複数の駒を並べて、それを相手より先に見つけて沈めていくというゲームだ。

「山城も私とならいい勝負ができるんだけど……」

 扶桑はすでに勝負は決したかのような言い方をする。



552 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/09 22:22:03.89 LBV/bUw6o 395/702



「あなたもやってみる?」

「いえ、今日は遠慮しておきます。熱中しすぎちゃいそうですし」

 計算だけではどうにもできない運の要素も大きいから、一度始めてしまうとついつい没頭してしまう。
 特にどちらかが負けず嫌いだと。そして艦娘というのは意外というべきか当然というべきか負けず嫌いが多い。
 それにしても艦娘と深海棲艦の姫がボードゲームをやってるのはシュールな光景なのかも。
 見守っていると港湾棲姫が山城の持ち駒を順調に沈めていき勝負は決した。
 山城さんには……運がなかったとしか言いようのない推移だった。

「また負けてしまうなんて……」

 肩を落とす山城に港湾棲姫は慰めの言葉をかける。

「今回ハ運ガナカッタダケ……」

「今回もの間違いでしょ……不幸だわ」

 山城が深々とため息をついたところで、港湾棲姫は苦笑する調子で顔を上げた。
 視線が鳥海と絡む。山城もそこでようやく鳥海に気づいた。

「鳥海……ダッタカシラ。イツカラココニ?」

「少し前からね。あなたと話したいって」

 扶桑の説明に港湾棲姫は落ち着いた顔で見返す。

「私たちは外したほうがいいかしら?」

「いえ、そういう話にはならないと思います」

 鳥海がかぶりを振ると、扶桑は座布団を敷いて座るように勧めてきた。
 左側に港湾棲姫、右に山城が見える場に座る。
 山城はそそくさとボードゲームを箱に片付け始めていた。



553 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/09 22:25:11.32 LBV/bUw6o 396/702



「コーワンにこちらの生活はどうか聞きに来たんですけど」

 心配する必要がないのは間違いなさそう。彼女はすっかり馴染んでいるようだから。
 港湾棲姫はほほ笑む。

「知ラナイコト、分カラナイコトハ多イ……シカシ、ソレモ含メテ充足シテイル」

 鳥海もつられたように笑い返す。自然とそうしたくなるような魅力を感じて。

「そうみたいですね。あなたたちには慣れない環境で苦労もあるかと思ったんですが」

「苦労……ソレハ違ウ。コレハ私タチガ未来ヲ望ンダカラ……」

 港湾棲姫は鳥海を見つめている。優しい目だと鳥海は思う。

「今ノ提督ニモ前ノ提督ニモ感謝シテイル……私タチダケデハ……コウハナラナカッタ」

「それなら教えてくれませんか? あなたはどんな未来を望んでいるのかを」

 どう答えるのだろう。鳥海は興味があった。
 この返答こそが今後の自分たちの関係を決定づけるはずだった。

「私ニハ付キ従ッテクレル者タチガイル……皆ヲ穏ヤカニ暮ラセルヨウニシテヤリタイ」

 ほほ笑みから一転して、引き締めた表情で港湾棲姫は答える。

「中デモホッポガ一番。ホッポガ笑ッテイラレルヨウニシテアゲタイ。アノ子ハ私ニトッテノ……」

 港湾棲姫はそこで言い淀む。
 言葉を探るような間を置いたが、彼女は続くはずの言葉を変えたようだった。



554 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/09 22:26:23.63 LBV/bUw6o 397/702



「以前、提督ガ私ニ言ッタ……ホッポニドンナ道ヲ残シタイノカト。私ハアノ子ニ笑ッテイテホシイ」

 母親みたいなことを言うんですね。内心でそう思う鳥海だったが口には出さなかった。
 親の情というのが想像しかできない身としては、コーワンのほうが艦娘より生き物らしいのかもしれない。
 それが彼女にとって褒め言葉になるかは分からないけど。

「大切なんですね、ホッポが」

「エエ、私ノ命ヲ賭セル。アナタタチニハ……奇異ニ見エル?」

「いえ。その気持ちは分かります。私にだって……」

 司令官さんがいた。だから分かるって断言していい。
 しかし鳥海は言葉を濁したままにした。
 名前を出したら責めるような形になってしまうかもしれなくて、それは望ましくない。
 責めるのも、その理由に司令官さんと口にするのも。

 続くはずだった言葉をなくすと、港湾棲姫もまた沈黙した。
 鳥海が見る限り、港湾棲姫はごく当たり前の――喜怒哀楽の感情を持っている。
 ならばコーワンは司令官さんに対して、人並みに罪悪感や後悔の念を抱いているのかもしれない。
 憂いを漂わせる顔を見ていると、そう思えてしまう。

 黙している二人に、扶桑が切り分けた羊羹を運んできた。
 小皿に載せられたそれを並べると、扶桑は鳥海の向かい側に座る。
 よく見ると扶桑と山城の羊羹は半分の大きさしかないのに鳥海は気づいた。
 しかし鳥海は触れなかった。客人への気遣いかもしれず、尋ねるのは無粋な気がして。

「わざわざ聞きに来たからには何かあったの?」

「頃合いだと思ったのもあるんですけど……」



555 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/09 22:27:38.52 LBV/bUw6o 398/702



 山城に訊かれて、鳥海は要領を得ない返事をしていた。
 どうするか迷ったが、妖精と話した内容を素直に打ち明けてしまおうと決める。
 下手に隠すと、不要な誤解を招いてしまうような気もした。
 妖精との話を一通り説明すると扶桑がため息をつくように感想を漏らす。

「ずいぶん意地悪な質問をされたのね。将来、コーワンたちと戦うかもしれないなんて」

「……イヤ、ソノ妖精ノ懸念ハ……人間ノ懸念? モットモダト思ウ」

 港湾棲姫は平静に見える様子で言う。

「今ノ我々ガ排サレナイノハ人間ニトッテモ価値ガアルカラ。ダケド私タチガ協力ニ応ジズ……アルイハ他ノ理由デモ危険ト見ナサレタラ……」

「可能性はある、と言いたいんですか?」

 鳥海の疑問に港湾棲姫は弱々しい笑みを投げかける。

「未来ハ誰ニモ……分カラナイ」

 それはそうかもしれないけど……。
 今度は山城がむくれたような顔をして言う。

「あなたはそれでいいの、コーワン?」

 自分は嫌だと言うような物言いに、港湾棲姫は俯きがちに答えた。

「ヨクハナイガ……必要トアレバ、ソウシナクテハナラナイ。ソレガ私」

「ここまできて、そうなるのは……不幸ね」

 山城から口癖のように出てくる不幸という言葉だが、今回のは鳥海も同感だった。
 やっぱり、そういう不幸な事態を避けられるようにしていくしかない。
 司令官さんが……ううん、これは私もまた望んでいるのだから。


556 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/09 22:28:15.27 LBV/bUw6o 399/702



 不意に扶桑が呟く。

「幸せって何かしら?」

 え、と鳥海は少し抜けた声を出した。
 その呟きが問いかけだと気づいたのは、扶桑が三人を順に見ていったからだ。
 まさか、そんなことを尋ねられるなんて考えてもいなかった。
 幸運とか不運という話は扶桑さんでなく山城さんがする話だとばかり。確かに扶桑さんにも幸薄いところはあるにしても。
 真っ先に山城が身を乗り出して宣言した。

「姉様とご一緒できるなら、いつでもどんなところでも幸せです!」

「ありがとう、私もそう言ってもらえるのは嬉しいわ。それで、さっきのあなたたちの話を聞いてて、二人は誰かの幸せを望んでるんだなって思ったの」

 私の場合は望んでいる、というより望んでいた。言葉にすれば小さな違いは、もう二度と変えられない。
 ……少しだけコーワンが羨ましかった。彼女にはまだホッポがいるんだから。

「でも気になったの。二人とも誰かの幸せと引き替えにできるなら、自分を捨ててもいいって考えてるようで。もし、そうならよくないと思うわ」

 扶桑は気遣わしげに二人を見る。

「今の私たちは……これからも何かの犠牲の上に立って生きていくことになるはずよ。こんな言い方が相応しいか分からないけど、それは仕方ないの」

 扶桑は深く息を吐き出す。物憂げな眼差しだが、同時に優しげでもあった。
 彼女は鳥海を見て、それから港湾棲姫に視線を定める。

「だからといって自分を犠牲にして、というのも違うんじゃないかしら。あの子の幸せにはあなたもいなくちゃだめでしょ?」

「ソウカナ……」

「そうよ。ホッポがあなたの幸せを望まないはずないでしょ? だからコーワンがホッポの幸せを望むなら、あなたも無事でないと。鳥海なら分かってくれるかしら?」



557 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/09 22:28:58.11 LBV/bUw6o 400/702



 いきなり話を振られた鳥海は驚き、しかしはっきりと頷いた。

「言いたいことは分かります……いえ、その通りなんだと思います。ホッポのためを思うならこそ、コーワンは自分も大事にしなくてはならないのでしょう」

 残される者の気持ちを考えれば。
 扶桑さんの言うように、もしもコーワンに何かあればホッポは悲しむ。それはきっと……どんな想いから生じた結果でも幸せではない。
 ……なら司令官さんは私たちの幸せを願いながら、私たちを不幸にしたの?
 違う。そうなんだけど、そうじゃない。考えがまとまらなくて言葉にならない。
 だけど私は……幸せとは言えないけど絶対に不幸でもないんだから。
 鳥海は自分の気持ちを整理できず、複雑な思いに囚われる。
 表情にそんな様子が出たのか、扶桑は鳥海を見据えて謝った。

「私こそ意地悪な話をしてしまったわね、ごめんなさい」

「いえ……」

 鳥海はそう返しながらも、釈然としていない顔をしていた。
 ……幸せってなんだろう。
 満足すること? 悲しまないこと? 思うがままにすること?
 はっきりとは分からないけど、私たちは誰かと関わっている……だから一方通行の想いは幸せに至らないのかもしれない。

 いずれにしても分かったこともある。
 港湾棲姫の動機というのは鳥海に共感できる理由だった。
 確かにコーワンが言うように未来は分からない。
 しかし彼女にホッポのためという理由があるなら、今この時を信用するには十分なのではないかと。



558 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/09 22:41:26.93 LBV/bUw6o 401/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 日暮れ前に降り出した夕立のために、夜気は普段よりも湿っぽかった。
 雨露に濡れた夜の歩道を進み、鳥海は海岸へと足を運ぶ。
 なんとはなしに見上げると月には墨を塗ったような雲がかかっている。
 海外線にざっと目を通すと、波打ち際に彼女の探す相手――ヲ級がいた。

 砂を踏みながら近づいていくと、話に聞いていた通りヲ級は一人ではない。
 イ級が三人、整列するように波間にいる。
 ヲ級の後ろから近づいてくる鳥海に気づいて、イ級たちが一様に鳴くような声を出した。

「ヲキュー、ウシロウシロー」

 ゆっくりとヲ級が振り返る。
 暗い海を背景にした青い目に白い肌の少女は、どこか隔世の存在のように見えた。
 とはいっても彼女の声は現実のそれである。

「ドウシテ、ココニ?」

「飛龍さんに教えてもらったんですよ。夜はここで発声練習しているって」

 話を聞いた時、飛龍さんは夜遊びに行ってるだなんて言ってたけど。
 ヲ級は分かりにくいが小さく頷く。イ級たちは恥ずかしがっているのか警戒してるのか、波の中に体を半ば隠しながら鳥海とヲ級を見上げていた。

「ミンナ話シタガッテル。飛龍ガ発声練習ハ……コウスルノダト教エテクレタ」

 ヲ級は息を吸い込むと早口に言う。

「隣ノ牡蠣ハヨク客食ウ牡蠣ダ」

「よく柿食う客ですよ、それを言うなら」

 客を食べる柿なんて、どう考えても妖怪じゃないですか。
 柿の言い方が少し違う気がするのも気になったけど……もしかしたら貝の牡蠣を指してるのかも。
 どっちにしてもずれてる。


559 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/09 22:41:59.41 LBV/bUw6o 402/702



「……間違ッテル?」

「えっと、練習法はそれでいいと思います。言葉の意味が少し変なだけで」

「難シイ……」

 あまり表情の見えない顔でヲ級は言う。
 鳥海は気になったことを訊く。

「ヲ級はどこで言葉を覚えたんです? 深海棲艦って話せても、意味の通じないことを言うだけの場合もあるのに、あなたや姫は違うようだけど」

「アレハ……ココニ勝手ニ浮カンデクル」

 ヲ級は自分の頭を指し示す。頭の中で何かが、ということでしょうか。

「アノ時期ヲ過ギルト話セルヨウニナル……ダケド、アノ時期ハ一番生キ延ビルノガ難シイ」

「どういうことです?」

 ヲ級の物騒な一言に鳥海は眉をひそめていた。

「ソノ頃ダト体ガ戦闘ニ耐エラレルヨウニナル……ダカラ艦娘ト戦ウ……ソシテ多クハ沈ム」

 鳥海は息を詰めた。藪蛇だったのかもしれないと思い。
 ヲ級は淡々と言う。

「我々ハ海カラ生ジテ海ニ還ッテイク……摂理。気ニシナクテ、イイ」

 応えられない鳥海に、ヲ級はイ級たちへと向き直る。
 どちらも声を出さないまま、少しばかりの時間が過ぎた。
 ややあってヲ級がまた振り返ると、青い目がともし火のように揺れる。

「ズット考エテイタ。私ハドウシテココニイルノカヲ」


560 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/09 22:46:01.02 LBV/bUw6o 403/702



 鳥海は真っ直ぐ見つめられて、それまで予想もしてなかった言葉を急に思い浮かべた。
 案の定というべきなのか、ヲ級は予想通りのことを言いだした。

「鳥海、私モ一緒ニ戦ワセテホシイ」

 鳥海はすぐに首を左右に振っていた。

「その必要はありません。それに私たちの相手は深海棲艦なんですよ?」

 分かっているんでしょうか。
 同胞殺し、というのはどう受け止めていいのか見当もつかない。
 ヲ級は分かってると言いたげだった。分かってないはずなんてないのだと。

「私ハ私ヲ認メテクレタコーワンノタメニ戦ッテキタ。ソレハ正シカッタシ、コレカラモ変ワラナイ」

「そのコーワンは知ってるんですか?」

「話シテナイ……」

「それに仲間だった相手に銃を向けるんですよ……本当にいいんですか?」

「……私ノ仲間ナラ、ココニイルヨ。ココニイタ」

 ゆるやかに告白しながらヲ級は後ろのイ級たちに手を向けた。

「私ノ仲間ハ、ミンナココニイル……ソウ教エテクレタ人間ガイタ。ダカラ私ノ力ヲ……私ノタメニ使イタイ」

 鳥海は今一度、首を左右に振る。
 断るためではなく観念したという意味で。
 ヲ級のことはよく知らない。知らずとも、その言葉が真摯なのは伝わった。



561 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/09 22:47:59.32 LBV/bUw6o 404/702



「提督さんに私から進言してみます。どうするかは提督さんが決めることですけど……コーワンにはあなたから話して、自分で解決してください」

「感謝スル……」

「嬉しくないです……だって、きっとあなたにはつらいことですよ、ヲ級」

「コレデイイ……必要ナコト……私タチガ、ココデ生キテイクタメニ」

 ヲ級の後ろのイ級たちが鳴くと、ヲ級もまた短く鳴き返した。イルカのようだと鳥海は思う。
 悲しげに聞こえたのは、自分がそんな気分でいるせいかも。
 ……私たちはみんな不安なんだ。
 艦娘も深海棲艦も人間も妖精も。種がどうこうでなく、今の私たちはそれぞれが変化の岐路に立たされている。

 司令官さんはずるい。こんな大事な時にいないなんて。
 私たちにきっかけを与えるだけ与えて、自分はどこにもいないなんて。
 きっと私たちに未来を繋ごうとして……でも、司令官さん。私の未来にはあなたがいたんですよ。
 いてほしかったのに。
 不安でも、ううん。不安だからこそ私たちは戦わなくちゃいけない。
 私なら、私たちならどうするかを考えていかないと。



562 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/09 22:48:30.31 LBV/bUw6o 405/702



─────────

───────

─────


 トラック泊地では初の正月を迎えていた。
 前任を偲びながらも湿っぽさを望まないとも考えられ、また港湾棲姫たちがいるのもあって大々的に新年会が執り行われた。

 鳥海は十二月の暮れからしばらく、提督にもらったマフラーをかけていた。
 常夏の島では季節外れの防寒具だったが、彼女は年が明けるまでは頑なに外そうとしなかった。
 年が明けると、姉たちと一緒に新たに建てられた神社に初詣に行った。実は神頼みはしていない。

 木曾は天龍や龍田、まるゆに向けて年賀状を書いた。
 どこかでちゃんと顔を合わせて話そうと心に決めている。トラック土産は決まらないままだった。

 コーワンは扶桑たちと一緒におせち作りに挑戦している。
 彼女の作った料理の評判は上々で、コーワンもまた楽しそうだった。

 ホッポはお年玉の存在を知って、晴れ着姿の白露たちと一緒になって提督にせがみに行っていた。
 もっとも提督からは餅の現物支給しかなく、はぐらかされたのには気づかないままだった。

 白露はそんなホッポをほほ笑ましく思い、しっかり守ってあげようと思う。
 ワルサメの代わりをする気はないが、単純にホッポが好きだと言えた。

 ヲ級は艦種対抗の餅の早食い大会に、空母代表の一人として駆り出されていた。
 帽子のような頭と一緒に食べるのは有りか無しかで物議を醸したが、敢闘賞という形で決着を見ている。
 ちなみに優勝者の武蔵はそれ以上に食べていた。

 球磨と多摩は晴れ着に着替えたものの終始マイペースに過ごした。
 ただ二人は、今年こそは身近な誰かを失わないようにと願っている。

 島風はリベッチオや清霜たちと羽子板に興じた。
 トラック泊地の駆逐艦では年長者になる自分に気づいてしまい、しっかりしないとと内心で決意を固めていた。

 夕雲は年始は秘書艦を休業し、妹たちの面倒を見ている。
 あまり普段と変わらないと気づいてしまったが、それも悪くないと笑っていた。

 嵐と萩風は手違いがあって野分と舞風からの年賀状が年明け前に来てしまった。
 もう一度四駆を組みたいと決心したが、同時にトラック泊地から離れたくない自分たちにも気づく。

 それぞれが思いを秘めて迎えたその年。
 一月の後半に差しかかった頃、ガダルカナル島攻略に向けての作戦が開始された。



570 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/23 10:50:57.31 /xxkOiGKo 406/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 コーワンからもたらされた情報により、深海棲艦の主要拠点はガダルカナル島にあると判明している。
 彼女から引き出せた情報を元に立案された作戦は廻号作戦と命名された。
 攻勢に出ていたはずが、いつの間にか守勢に転じていた現状を転換させたいという意味も作戦名には込められている。とのこと。
 もっとも作戦に参加する艦娘や人間の将兵からすれば、肝心の作戦の中身が重要に。

 廻号作戦の最終目標はガ島にいる深海勢力の掃討になるものの、そのためには継続的な攻撃により敵戦力を漸減していく必要があると判断された。
 しかしガ島はどの拠点からも遠すぎて、一番近いトラックからでも片道だけで二千キロを越えてしまう。
 そこで手始めにラバウル、次いでブインとショートランドを占領し拠点化することで、前線基地として運用しながらガ島の攻略を目指すことになった。

 トラック泊地から選抜されたのは鳥海を旗艦とする第八艦隊を筆頭に愛宕と摩耶、球磨型と嵐、萩風、武蔵。夕雲型とイタリア艦が全艦。
 空母の艦娘に至っては蒼龍、飛龍、雲龍、飛鷹、隼鷹、龍鳳、鳳翔の計七名がトラックに所属しているが、鳳翔以外の全員が作戦に帯同している。
 またトラック泊地そのものがラバウルの制圧後、基地航空隊を派遣する出発点として活用される手はずだった。
 さらに第八艦隊に帯同する形で、青い目のヲ級も加わっている。

 迎えて一月二十五日。
 ラバウルの占領はいざ始まると一日足らず、しかもほぼ無血で完了していた。
 ガ島方面から飛来した爆撃機や小規模の艦隊による攻撃こそ受けたものの、深海棲艦の抵抗は弱い。
 司令部からの命令で、この日の内に作戦は第二段階のブイン、並びにショートランドの制圧に移行した。
 ラバウルには一部の工兵と護衛艦隊を残して、基地航空隊を運用できるよう急ピッチで飛行場の建設が始まった。

 鳥海らトラック泊地の艦娘たちは先行しブーゲンビル島を通り越し、鉄底海峡を抜けて進攻してくる艦隊を迎撃することになっていた。
 初動こそ順調でも、この先は本格的な抵抗が予想されていた。案の定、これは現実となる。
 二十六日に入ってから鳥海たちは先遣艦隊らを二度の戦闘を経て撃退しているが、さらに後方に重巡棲姫と存在を示唆されていた装甲空母姫。
 さらに軽重それぞれの巡洋艦級の新種を擁した艦隊が控えているのを偵察機が発見している。

 この間にもガ島から飛来したと思われる爆撃機の大編隊がブインとショートランドに猛爆を行っていた。
 敵機の数は優に千機を超えていて、一部は鳥海たちにも流れてきた。
 またソロモン海方面にも迎撃を受け持っている艦隊があるが、空母棲姫と戦艦棲姫、複数のレ級からなる艦隊を発見したと知らせてきている。
 ここに至って、それぞれの戦場では主力艦隊同士がぶつかり合う構図を描き始めていた。



571 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/23 10:56:48.96 /xxkOiGKo 407/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海は微速で警戒航行を続けたまま空を仰ぎ見た。
 時刻は現地時間で一○二○を指している。
 日が高く昇っていて天候も快晴。
 しかし南海の空は雲量が多く、縦に膨らんだ厚雲が低高度まで降りてきている。
 きっと上空からの見通しは悪いはず。もっとも電探の発展は目視に頼らずとも、索敵を容易にさせている。
 そして、それは別に人類や艦娘だけに許された特権というわけでもない。
 艦娘も深海棲艦も互いの位置や目的を把握した上で作戦を遂行しようとしている。

 鳥海たちは二度の戦闘と一度の空襲を経てなお、ベラ・ラベラ島北方三十キロ付近に布陣していた。
 じきに現れる重巡棲姫たちを迎撃するのが、今の鳥海たちの任務だ。
 トラックの艦娘たちは状況の変化に即応するため、水上打撃艦隊と機動部隊とで大きく二つに分かれていた。
 機動部隊はヲ級を除いた空母陣に夕雲型の半数で構成され、出雲型輸送艦と行動を共にしおよそ百キロほど後方に控えている。

「鉄底海峡……行けなくはなかったのでしょうが」

「ソノ先ハガダルカナル……行ッテミル?」

 つぶやいた鳥海に近くにいたヲ級が反応する。鳥海はおかしそうに首を振る。

「やめてください、ヲキュー。それとこれは別なんです」

 自分で言ってから何がそれこれで別なんだろうと思ったが、今はガ島に行く気がないという意思表示ができれば十分だった。
 青い目のヲ級――ヲキューは重々しそうに頷く。
 彼女がよく見せる反応だった。話が分かっていてもいなくても。

 そんなヲ級だがトラック泊地に馴染むに従って、一つの問題が浮かび上がってきた。
 彼女をどう呼んで、その他のヲ級と区別するかという問題が。
 何か名前をつければ解決する話でも、当のヲ級が名前をつけられるのに抵抗があるようだった。
 かといってヲっさんだとかヲっちゃんではあんまりだ。
 結局、飛龍さんや隼鷹さんがアクセントを変えて、心持ち柔らかく聞こえるような呼び方に変えていたのが定着して落ち着いた。



572 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/23 10:57:35.79 /xxkOiGKo 408/702



 そのヲキューは第八艦隊に帯同――というより鳥海の隷下に加わる場合のみ戦闘に参加するのを認められている。
 表向きの扱いは義勇兵になっていた。彼女の背景はともかく、動機を踏まえると適切な扱いと言えそう。
 純粋に戦力という単位で考えても、ヲキューの存在は第八艦隊にとっても有益だった。

 一方で鳥海は察している。
 ヲキューが万が一を起こした場合は、自分の手で責任を取らなくてはならないのだとも。
 そんな最悪と呼べそうな事態が訪れるとは考えたくなかった。
 でも、何が起きてもおかしくないのだけは痛感している。
 鳥海は軽く頭を振って悪い考えを追い払うと、ちょうど二人の後ろからローマが声をかけてきた。

「ここはあなたには縁のある海域だそうね」

 鳥海がローマのほうを振り返ると、腕を組んで航行している姿が目に入った。
 ローマの艤装には黒くすすけた箇所がいくつかある。
 被弾した痕跡だけど、そこはさすがに戦艦。中口径ぐらいの砲弾ならたやすく弾き返していたのを見ている。
 二度の海戦ではいずれも先遣艦隊と呼べる程度の規模の相手で、水雷戦隊が中心になって攻めてきていた。

「鉄底海峡ですか? そこなら、もっとこの先ですし私より夕立さんや綾波さんの語り草だと思いますけど」

「そう? 大活躍したって聞いてるけど」

「ソウナノ?」

「軍艦の話ですし戦術的にはそうだったかもしれませんけど……」

 鳥海は言葉を濁しながら、自然と胸元にかけた提督の指輪を使ったペンダントをまさぐっていた。
 夕張さんがペンダントを完成させるまで二週間近くかかっていたが、その分だけいい仕上がりだとは本人の弁。
 デモンストレーションでクレーンとで引っ張ってみましょうかと言いだしたけど、それは丁重にお断りしている。
 鳥海は意識せずやっている行動に気づいて手を離す。今はもっと目の前のことに集中しないと。



573 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/23 10:59:08.89 /xxkOiGKo 409/702



「とにかく……次の戦闘が正念場になります。相手はあの重巡棲姫ですから」

 敵艦隊の数は四十を越えていて、数ならこちらの倍以上いる。
 すでに機動部隊の艦載機が敵主力艦隊へと二次に及ぶ攻撃をかけているが、消耗が激しい割にどちらの攻撃も成果は芳しくない。
 多数の戦闘機隊に事前に阻まれ、包囲を突破した攻撃隊も二種の新種による対空砲火のために大きな被害を被っていた。
 特にツ級軽巡は単身でハリネズミのような弾幕を展開し攻撃隊を阻んだという。
 いずれにしても攻撃隊の損耗が想定を超過しているので、第三次攻撃が最後になりそうだった。

「取り巻きを排除しながら私と姉さん。それに武蔵とで集中砲火を浴びせてやればいいのね」

「ええ。向こうはこちらの倍以上いますし新種もいるので、一筋縄ではいかないでしょうけど。それとヲキューには今回の戦闘から参加してもらいます」

「分カッタ」

「最初に機動部隊が航空支援をしてくれるので、それが済んでから艦載機を射出してください。いくらIFFで識別できるようにしていても、見た目は敵機そのものですから」

 先の二戦ではヲキューの存在を隠すために海中に身を潜めさせている。
 鳥海は彼女をできるだけ温存しておきたかった。
 ヲ級の艦載機による攻撃は確実に奇襲となる。本当に最初の一撃目に限れば。
 コーワンを始めとした一部の深海棲艦がトラックに身を寄せたと知っていても、ヲキューが戦列に加わってくるのは想定してないはず。
 仮に想定していても、それまでの戦闘で秘匿できていれば警戒心は薄れている。
 彼女の使いどころは今しかなかった。これから先はヲキューにも戦ってもらう。彼女の選んだ道として。
 そんな鳥海の気持ちを知ってか知らずか、ヲキューは今一度首を縦に動かす。

「分カッテイル……私ヲ使ッテミセテ」

 どの道、後に引けない。
 接敵予想時刻まで一時間を切って、鳥海は迷いのない声で戦闘準備を命じる。
 ローマとヲキューの二人は所定の位置に動くために離れていく。



574 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/23 11:00:45.06 /xxkOiGKo 410/702



「あの」

 離れる二人を鳥海は呼び止める。
 考えがあって声をかけたわけではなかったが鳥海は素直に言う。

「お二人とも頼りにしてます」

 ローマはかすかに目を見開き、すぐに視線を逸らすと頬をかく。

「……ふーん。ま、私はやるようにやるだけよ。ビスマルクだったら当然だとか言ってはしゃいでるんでしょうけど」

 ローマは少し早口になっているが、鳥海は指摘しなかった。
 ヲキューは頷かず沈黙を保った。ややあって気づいたように言う。

「任セロ」

 それからおよそ三十分あまりが過ぎた頃、鳥海たちの頭上に機動部隊の第三次攻撃隊が到着した。
 戦爆連合でその数は百五十機ほど。
 六人の搭載機数は四百機ほどで稼働率を八割と仮定すると、もう半数が失われたか使用不能になっていると考えられた。
 機動部隊は現在地を隠すために無線封鎖を続けているけど、攻撃隊の重い損害に苦い思いを抱いているのは疑いようもない。
 それでも猛禽のように上空を飛ぶ航空機の存在は力強かった。

「こっちは甲標的の展開終わったよー」

 北上からの通信に鳥海は了解と返す。
 所定海域から大きく離れなかったのは、北上ら重雷装艦の甲標的を使用するためだった。
 甲標的は特殊潜航艇とも言うべき小型の兵器で、事前に海中に展開しておくことで待ち伏せての雷撃を行える。
 こちらから進攻しての戦闘では使いにくいけど、あらかじめ待ち構えていられる今回のような状況では頼りになる。
 やれるだけの準備はできたはず。
 そうして数分後には電探が目視できるよりも遠くの敵艦隊の存在を捉えるも、すぐにジャミングの影響下に入り本来の機能を果たせなくなる。
 今になって鳥海は思う。今日は長くなりそうだと。



575 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/23 11:02:36.50 /xxkOiGKo 411/702



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───────

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 電探で探知した頃には目視もできなかったが、今はもう敵の艦種まで判別できるようになっていた。
 決戦の口火は鳥海らの突撃と足並みを揃える航空隊によって切られる。
 なけなしの攻撃隊の血路を開こうと、果敢に烈風隊が乱舞する敵集団の中に飛び込んでいく。
 烈風が海鷲だとすれば、敵艦載機の集団は蜂だった。
 個々の性能では烈風の方が高くとも執拗に群がる敵機の群れは一機、また一機と烈風の数を減らしていく。
 制空権争いは劣勢。贔屓目に見ても拮抗していればいいほうというのが鳥海の見立てだった。

 しかし攻撃機隊もまた勇敢で、わずかな直掩機と共に次々と攻撃態勢へ入っていく。
 駆逐艦が急降下爆撃の直撃を受けて爆散したかと思えば、リ級重巡が航空魚雷の直撃を受けて海の藻屑へと変えられていく。
 投弾前に被弾して翼から火を噴きだした流星が、抱えたままの爆弾ごと深海棲艦に体当たりして果てていくのも見た。

「死に急ぐような真似なんか……」

 鳥海は航空戦の推移を苦しく思う一方で不審に感じていた。敵機の対空砲火は想像してたほどには激しくない。
 報告にあがっていたツ級がいないのかもしれない。
 動向を探るためにも観測機を飛ばしたいけど、制空権もままならなくてはすぐに撃墜されるのが関の山。
 不審を疑念として抱えたまま、鳥海は下命した。

「全艦、射程距離に入り次第、順次砲撃を開始してください! まずは敵艦を減らします!」

 返事を聞きながら鳥海もまた砲撃を開始する。
 ここまで来て弾薬を温存する気は鳥海になく、深海棲艦もまた砲撃を始めていた。

「役立タズドモ……マトメテ沈メロォッ!」

 回線に割り込んで重巡棲姫の大音量が広がる。
 敵艦隊の陣形は複縦陣を三つずつ並べたような状態で、中央の縦陣の最奥に重巡棲姫がいる。その後ろには三隻のル級が遅れながらも追従していた。
 深海棲艦の動きそのものは分かりやすい。
 一言で表わせば力押し。航空隊の攻撃を凌げば、あとは数を頼りに呑み込もうとしてくる。
 まともに相手をしては消耗ばかり強いられてしまう。
 そんな状況を変えたのは、航空攻撃が終了したのを見計らって投入されたヲキューの艦載機だった。



576 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/23 11:03:50.27 /xxkOiGKo 412/702



『調子ガヨケレバ六十機グライ飛バセル』

 そう語っていたヲキューだが、ざっと見たところ九十機は向かっていく。
 二番艦として鳥海の後ろに位置する高雄が苦笑するような響きで言う。

「聞いてた話より多いわね……」

「計算通りには行かないものです」

 嬉しい誤算だった。
 ヲキューの艦載機はどれもが戦闘爆撃機として使われていて、縦列の二列目以降にいる深海棲艦めがけて次々と攻撃をかけていく。
 見た目上は味方機と変わらないために、攻撃を受け始めた深海棲艦たちは隊列を崩していった。

 明らかに混乱し始めたところに、続けて左翼方向から甲標的の魚雷が敵艦隊の横腹めがけて突入していく。
 甲標的から放たれた魚雷は酸素魚雷でないため白い航跡が発生する。
 なまじ軌道が見えるだけに、狙われた深海棲艦たちを中心に恐慌をもたらしていく。
 不運な何隻かが魚雷の餌食になる間にも、ヲキューの艦載機は烈風に代わって制空権争いへと加わっていった。

 敵の足並みが乱れている間に混戦に持ち込んで流れを決定づける。
 鳥海は突撃の命令を出す一方で、戦場が混乱している隙に零式水上観測機を射出する。
 観測機は艦隊の上空を避けるように旋回し、敵艦隊の配置や動きを艦娘たちへと伝え始める。
 つぶさに敵情を伝えていた観測機だが、やがて重巡棲姫の艦隊から離れた位置にいる別の艦隊を発見した。
 ネ級とツ級を含んだ艦隊で鳥海たちの左方を突くよう迂回している、と伝えてきたところで通信が途絶える。
 撃墜されてしまったと見るしかない。

「新型には球磨たちで対処するクマ!」

「お願いします、ご武運を!」



577 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/23 11:04:52.82 /xxkOiGKo 413/702



 球磨たちの一団が砲撃を加えながら離れていくのを横目に、鳥海は中央の敵陣へと飛び込んでいく。
 砲撃を浴びせながら縦陣を割るように進むと、重巡棲姫までの道が一気に開く。
 敵が総崩れになったのではなく、意図して重巡棲姫と向かい合わせるような動きに感じられた。
 三方から攻められてはたまらない。

「イタリア組は左を、武蔵さんたちは右の敵を! 第八艦隊と愛宕姉さん、摩耶は私に続いて!」

 左右を抑えてもらっている間に重巡棲姫に一撃を与える。でなければ、その後ろにいる取り巻きの戦艦だけでも排除しておく。
 そんな矢先だった。

「雷跡確認! 右から来るぞ! 近すぎる!」

 長波からの警告の声、というより悲鳴が鳥海の耳に届く。
 雷跡を確認するより前に轟々と水柱が立ち上るのが見えた。それも二つ。
 被雷の水柱を見てどこから何がという疑問と、誰に当たったという恐怖とが同時にやってくる。
 ……命中したのが誰かは分かる。味方の位置は常に把握するよう務めているから。
 あの位置は愛宕姉さんと摩耶だった。

「潜水艦!? じゃない、甲標的みたいなやつよ!」

「摩耶さんの浸水がひどい! このままだと……」

 天津風と島風がそれぞれ伝えてくる。
 鳥海より先に摩耶と愛宕の切羽詰まった声が入った。

「クソがっ! あたしらに構うな!」

「そうよ、このまま攻撃を!」

 それは聞けない。鳥海は胸の内で即答すると言っていた。

「島風、リベッチオさんは摩耶、天津風さんと長波さんは愛宕姉さんを護衛しながら後退を」

「重巡棲姫はどうすんだ!」

 摩耶の怒鳴り声に、感情をできる限り抑えるよう意識して伝える。

「あいつは私と高雄姉さんが相手をします」

 告げてから鳥海は怖気を感じて、その場から弧を描くように大きく離れる。
 姿勢を立て直すと、やや遅れて本来の進路上に砲撃による水柱が林立する。そのまま進んでいれば確実にいくつかは命中していた。

「フフ……アハハ、イイゾ……当タッタノハ高雄型カ! レイテノ再現トイコウジャナイカ!」

 重巡棲姫はあざ笑いながら、海蛇のような主砲で砲撃してくる。
 最初の接触の時と違って素面らしかった。酔い潰れていれば楽なものを。

「私は触雷してない……あの時とは違う。鳥海の言う通りよ、あいつは私たちが相手をする」

 高雄の声は静かなのに聞き漏らせないような迫力があった。
 姉が何を言いたいのは分かっているし、同じ気持ちだったから。
 鳥海は短く息を吐いて胸元を意識する。もう取りこぼしたくない。だから戦うまで。

「やらせないわよ、鳥海。愛宕と摩耶を」

「ええ。もう誰も失うつもりはありません」



583 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/27 22:47:17.47 B/Ye64Jxo 414/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 付き合いきれない。
 遠目に戦闘の状況を見た上で抱いたネ級の感想になる。
 それはネ級がツ級の他に二人ずつのイ級やチ級を率いて、計六人から成る即席の水雷戦隊を組まされた時と同じ気持ちだった。
 きっかけは装甲空母姫が次の戦闘に際して、自分ならどう行動するのか聞かれたためだ。
 その場には艦隊の総司令と言うべき重巡棲姫もいた。
 どこか試すような問いかけを不思議に思いながらも、自然に浮かぶままに答えていた。

「敵ノ大マカナ位置ガ分カルナラ別働隊ヲ用意シテ両側カラ牽制スル……頭数ハコチラガ多イノダシ。ソレニ艦娘トイウノハ輸送艦ト行動スルナラ、ソレモ叩イテシマイタイ」

 輸送艦を叩くには艦載機が必要、と言ってからネ級は二つのことに気づいた。
 まず装甲空母姫はともかく、重巡棲姫はネ級の話など聞く気はないのだと。
 もう一つは重巡棲姫はネ級を、そしてツ級も嫌悪しているということ。
 転じてネ級は一つの誤解にも気づく。飛行場姫は自分を避けてはいるが、どうやら嫌ってはいなかったらしいと。
 装甲空母姫が興味を、重巡棲姫は嫌悪を、飛行場姫は……ネ級は思い浮んだ感情をたとえる言葉を知らない。

 なんにせよ重巡棲姫が聞く気がない以上は話もここで終わるはずだったが、何を思ったのか装甲空母姫が自身の配下をネ級に預けてしまった。
 ネ級とツ級は装甲空母姫の直属という扱いなので、重巡棲姫を飛ばして融通も効くらしい。
 しかしネ級は思う。私に面倒を押しつけないでほしいと。事態に介入できない我が身をネ級は初めて鬱陶しく感じた。

 そして現在、重巡棲姫はしないでもいい消耗をしている。
 敵に動きがないのは、それが敵にとって適した場所だからだ。
 誘いに乗るのは構わないが無闇に突っ込んでいい理由にはならない。
 あるいは――姫という連中は総じて強い。にもかかわらず自分たちを基準に物差しをはかる。
 そうやって生じた食い違いがこの結果になるのか。

「ドウスル……ネ級?」

「行クシカナイダロウ」

 ツ級の問いかけにネ級は断じる。
 戦況がどうであれ無視する理由にはならないし、それに艦娘たちも放っておいてはくれない。



584 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/27 22:51:02.88 B/Ye64Jxo 415/702



「抑エガ来タ。アレヲマズハドウニカ……」

 敵の艦種や出方を見極めようと、ネ級は艦娘たちに焦点を定める。
 ――どれも見たことのある顔だと感じた。
 相手は七人。駆逐艦と軽巡が二人ずつに、重雷装艦が三人。ネ級はそう確信していた。
 二人ずつが似通った服装をしているが、一人だけ黒い外套を幌のようにはためかせているのがネ級の興味を引く。
 その艦娘の顔を見て、ネ級の頭の中に何かの光景が去来したような気がした。
 それが何かを顧みる間もなく、ネ級の頭に電流が駆け巡るような鋭い痛みが走る。
 目の奥に生じた痛みに、両目を隠すように頭を抑えてうずくまった。
 速度を維持できずに落伍していくネ級に、ツ級が慌てて寄り添うように近づく。
 他の深海棲艦はネ級の異状に反応する素振りを見せるが、それ以上に艦娘に引かれるように接近していくままだった。

「ソノ目……!」

「目ダト……」

 ネ級は全身の血が逆流し、内蔵を締め上げるような正体不明の痛みに悶えていた。
 視界は霞がかった赤になり、口から漏れる呼気は沸騰したかのように熱い。
 食いしばった歯からは声にならない声が漏れ出す。凶暴な獣としての唸りが喉奥から震えてくる。
 ネ級の瞳が深紅に染まり、同じ色の光が体からも立ち昇り始めていた。
 犬歯を剥き出しにして、怒りに染まった形相を向ける。

「落チ着イテ……ソノ子タチモ怯エテイル」

 事実、主砲たちのか細い声が聞こえてきて、ツ級の巨人のような指が戸惑いがちにネ級の腕に触れる。
 払いのけなかったのは、まだネ級を一部の理性が押さえつけていたからだった。
 燃えたぎる衝動に駆られながら、ネ級は先行した形の四人に吠える。

「奥ノ三人ヲ狙エ! ヤツラガ最モ魚雷ヲ積ンデイル!」

 何故分かったのか理解できないまま、ネ級はツ級を置き去りにして水面を蹴っていた。
 火力を集中――とかすかに浮かんだ考えは霧の中へと消えている。
 重雷装艦を守るように正面に位置する四人――軽巡と駆逐艦が二人。
 ネ級は急速に距離を詰めながら彼我の砲撃音を聞いていた。



585 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/27 22:53:34.86 B/Ye64Jxo 416/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 木曾は姉たちの会話を聞きながら、相手の出方を窺っていた。
 砲撃をしようにも、まだ適正距離とは言いがたい。

「魚雷撃つ前に命中するのはいやだよねー。や、撃った後でもやだけどさ」

「だったら口じゃなくて足を動かすにゃ」

「ごもっともで」

 気の抜けたやり取りだが戦闘準備は整っているし、自然体なのは余計な気負いがないからだと木曾は前向きに受け止めていた。
 球磨と多摩を先頭を併走し、その後ろに萩風と嵐が。そして北上、大井、木曾の三人が続く。

「怖いのは新型クマ。何をしてくるクマ?」

 新種、新型。艦娘でも、この辺りの言い回しはまちまちだ。
 どっちにしても未知数の敵で、警戒するなというのが無理な注文だ。
 ネ級重巡もツ級軽巡も対空戦闘に秀でているのは分かっている。特にツ級軽巡は。
 だが水上戦闘がどれほどのものかは実際に戦ってみなければ分からない。
 木曾はネ級と目が合ったような気がした。
 きっと気のせいだろう。そう思った直後、ネ級が後ろへと脱落していく。

「ん……?」

 木曾は出し抜けに胸への疼痛を感じた。
 弱いが確かな痛み。一時期は頻繁に感じていたが、やがて提督との関係が清算されて行くにつれて消えていったのと同じ痛みを。
 なんで、こんなところで。
 確かめるように胸元を握っていると、大井が目ざとく気づいた。

「ちょっと大丈夫なの?」

「ああ、なんでもないさ」

 連戦の疲れが取れていないのかもしれない。
 気に留めないことにした。その痛みは覚えている。だからこそ気にしてはいけないと。



586 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/27 22:55:12.37 B/Ye64Jxo 417/702



「それより変だぞ、あのネ級とかいうの」

「不調ならこっちが助かるから、そのままでいてほしいんだけど」

 大井の声はどこか冷ややかで容赦がない。敵にかける情けはないとでもいうように。
 多摩は用心深く目を細めた。

「誘われてるかにゃ?」

「でも向こうの隊列は乱れてますよ?」

 萩風の指摘するように脱落したネ級に合わせてツ級も減速したが、イ級とチ級は前に先行しすぎているようだった。
 遠目だがネ級は苦しんでいるように見受けられる。普通の状態でないのは間違いなさそうだが。
 木曾は疼痛が治まっていくのを感じた。
 それを知る由もないが、意気込んだ声を嵐があげる。

「今の内に叩きましょうよ!」

「俺も賛成だ。こいつらを叩いたって重巡棲姫が残ってんだ」

 新型を沈めてはい終わり、というわけにはいかない。
 あくまで主目標は重巡棲姫だからだ。

「その通りクマ。さっさと蹴散らして合流するクマ」

「待つにゃ。様子がおかしいにゃ」

 動きを止めていたネ級から赤い燐光が瞬き始めていた。
 エリートなんて呼ばれ方をする強化個体がまとっているのと同じ赤い光だ。
 きっかけなんて分かりやしない。ただ厄介なやつだと直感した。



587 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/27 22:56:42.52 B/Ye64Jxo 418/702



 そしてネ級が何事かを叫ぶと深海棲艦たちが一気に動き出す。
 ネ級が猛然と向かってくる中、イ級とチ級たちが砲撃を始めた。
 砲撃の飛翔音が近づいてくるが、同時に遠いとも感じる。
 実際に砲撃は木曾や北上の後方に大きく外れていた。
 それは二つの事実を暗示している。

「練度は大したことないようだが、真っ先に俺たちを狙ってきやがったか」

「北上たちはこのままイ級とチ級を頼むクマ。球磨たちは新型二人をやるクマ」

 球磨の指示に一同は応じると、迅速に隊列を組み直す。
 木曾は正面の敵たちを見据えながらもネ級が気になって仕方なかった。
 盗み見るように目を向ければ、ネ級は赤く染まっていた。比喩ではなく、自身が発する光のために。
 だが何よりも興味を惹くのは……なんだ?
 新型としての性能か、未知の強敵への好奇心。それとも危機感か?
 どれも違う。
 言葉にできない、というよりは認めてしまいたくない違和感。提督にまつわっていた胸の疼きが原因だ。

「……まさかね」

 浮かんだ疑念を形にしないように言葉で取り消す。
 イ級とチ級の練度が低かろうと余所見は余所見。油断は油断だ。
 それでもなお木曾はネ級を観察してしまう。

 細身の女だ。赤い光をまとっているが、深海棲艦らしい白い肌に白い髪、黒い衣服に艤装。
 顎の辺りが歯のような装甲に守られているようで、この点はヲ級に似ていると思った。
 武装は三連装二基の主砲が海蛇だか海竜のように背中の方から伸びてるようだ。こちらは鳥海たちと交戦している重巡棲姫と似ていた。
 大腿部にはどうやら副砲もついているらしい。ここからでは分からないが、どこかに魚雷発射管もあるはず。
 火力ならこちらの重巡組のほうが充実しているように思えるが、火力で全てが決まるわけじゃない。
 ネ級は一心不乱に球磨たちへと向かっていく。
 まるで獣のように。あいつには、あんな一面なんてきっとない……ないよな。



588 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/27 22:58:40.09 B/Ye64Jxo 419/702



「さて、こっちはこっちでやりますかねー」

 北上の声に木曾の注意が正面へと引き戻される。
 物事には順序があって、今はネ級ばかりに気を取られている時じゃない。

「俺がイ級の露払いをやる。姉さんたちはチ級を」

 主砲の照準を先頭のイ級に合わせる。
 あいつ――前任の提督の代から、各艦とも運用する兵装の見直しが図られている。
 重雷装艦には性能の陳腐化した14センチ砲に代わって、イタリア組からもたらされた152ミリ三連装速射砲に改められていた。
 その火砲が猛然と砲煙をあげながら砲弾を吐き出していく。
 たちまちイ級が水柱に包まれ、二射目には命中の閃光が生じてイ級を無力化していた。
 北上も大井も、それぞれチ級への砲撃を開始している。
 木曾はとどめになる三射目を行いながら、すぐにもう一体のイ級へと狙いを変えていた。

 さして練度の高くないイ級なんぞ、正面から当たってしまえば怖い相手でもなんでもない。
 それはチ級にしたって同じだ。
 護衛を固められて魚雷をばら撒かれるだとか、混戦中に乱入されるだとか生かす方法なんていくらでもあるのに。

「お前らの指揮官は無能だな」

 俺たちには十分な装備を与えられて、実戦も訓練も多くの機会が与えられて。
 それもこれも相手を倒すためでなく、自分たちを助けるためにだ。

「望んでくれたやつがいたんだよ、俺たちにはさ」

 誰の救いにもならない言葉を木曾はつぶやく。
 砲戦はさほどの時間を要さず、木曾たちが圧倒する形で終わった。



589 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/27 23:00:18.50 B/Ye64Jxo 420/702



 すぐに三人は転進する。ネ級とツ級が残っているためだ。
 球磨たちが苦戦しているのは通信のやり取りで分かった。

『何クマ、こいつ! 訳の分からない動きばかりするなクマ!』

『大丈夫なの、嵐!?』

『くそっ、やられた! 火が回る前に魚雷を投棄するぞ!』

『萩風、球磨と嵐を下がらせるから護衛を……うっとうしいにゃ、ツ級!』

 損傷した球磨と嵐を守る形で、多摩が矢面に立っていた。
 孤立していたツ級も今や砲戦に加わり、ネ級や球磨たちとは距離を開けたまま支援砲撃を行っている。
 対空戦闘を視野に入れた両用砲だからか、口径は小さいが矢継ぎ早に砲弾を送り込んでいた。

「……嫌なやつだ」

 ばらまくような撃ち方だが上手い。
 損傷している球磨と嵐の退路を塞ぐ狙い方で、命中せずとも動きを阻害する効果がある。
 水上艦への砲撃は相手の未来位置を予測して行うのだから、ツ級は球磨たちの動きを計算し予測しているのか。
 ……こいつはネ級ともまた雰囲気が違う。だが厄介なやつなのには変わりない。

「多摩ねえ、そっちの支援に入るよ!」

 窮状に北上の声から間延びした調子が消えている。

「こっちよりツ級を先に頼むにゃ!」

「りょーかい、任せちゃって!」

 北上と大井がツ級へと向かっていく。
 木曾もそちらに向かおうとして迷った。
 球磨や多摩を信用していないわけじゃない。退路を確保するためにもツ級は邪魔だ。
 しかし球磨たちを無視してはいけないという直感があった。
 木曾は決断していた。




590 : ◆xedeaV4uNo - 2017/01/27 23:01:50.27 B/Ye64Jxo 421/702



「姉さんたち、ツ級は頼んだ!」

「ちょっと木曾! 勝手な真似は……!」

 大井が呼び止める声が聞こえてくるが、その時にはもう木曾は転進を済ませている。

「あのネ級は危険なんだ!」

 こんな理由で独断をやっていいわけがない。それでも――。
 木曾はネ級へと向かう。
 ネ級の速度はかなり速く、不規則な機動を見せている。
 球磨たちを二手に分断させ、集中砲火を浴びても怯む様子させ見せない。
 最初と違い、今は黒い体液を体にまとっているようだった。

 だが砲撃はでたらめだ。
 ネ級は獣のように首を巡らせながら、背中から伸びた主砲と大腿の副砲が乱射していた。
 ……違う、あれで狙いは絞ってやがる。
 損傷で動きの遅くなった球磨と嵐を主砲が狙いつつ、副砲は多摩と萩風に向けて撃たれていた。
 異質なのは誰か一人に絞らず、全員を同時に相手取ろうとしているかのような動きだ。
 戦力を削ぐという発想がないのか。
 そのお陰で球磨も嵐も健在なのかもしれないと思えば、木曾としてはそのままでいいと考えるしかない。

 木曾としては雷撃を当てて流れを変えたいところだが、下手に撃てば同士討ちの危険もある。
 縦横無尽に暴れるネ級がどこまで意図しているかは分からない。
 考えてる場合じゃないと自覚する意識が砲撃を始めさせ、すぐに一弾がネ級の主砲に当たるが装甲を抜けずに弾かれる。
 後方からの攻撃にネ級は素早く反応し振り返った。
 赤く染まった目が残光の線を引く。
 歯を食いしばったネ級が腹の内からゆっくりと声を震わせる。

「カン、ムス……カンムス! カンムスウウゥゥゥ!」

 海風に乗った叫びは遠吠えだった。
 衝動と敵意を露わにし、誇示するけだものの咆吼。
 目を見開き、木曾を凝視している。その目に浮かんでいるのは純然たる敵意だった。

「……違う! お前は違う!」

 今では痛みは完全に消えている。むしろ疼痛を感じた理由が分からなくなっていた。
 代わりに重圧が体中にまとわり付いていた。

「どうして、こっちに来たにゃ!」

「多摩姉、こいつはここで沈める! 沈めなくちゃならない!」

 叱責するような多摩に叫び返していた。
 そうとも、こいつはここで終わらせる。
 俺の疑念が確信に変わる前に、鳥海がやつに出会っちまう前に、俺自身の手でやる。
 木曾の表情に一切の迷いはなく、相対した強敵に対する固い決意が浮かんでいた。



596 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:14:24.98 2TZ4vk5Ao 422/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 島風はリベッチオと共に摩耶を守りながら敵艦と交戦していた。
 摩耶の艤装はひどく損傷していて、艤装の主機は咳きこむような音を出している。

「摩耶さん、浸水はどう?」

「鈍足なら排水が間に合うけど、これ以上は無理だな……クソが!」

「もー、マヤってば口が悪いー!」

「ほっとけ!」

 今の摩耶は七ノット程度の速度しか出せず、控えめに見ても艤装が大破しているのは確実だった。
 浸水により電装部もショートし、主砲の発射すらままならなくなっている。
 とはいえ、離れた位置にいる愛宕も含めて、体が五体満足なのは不幸中の幸いだと言えた。

 損傷している摩耶を狙わせないために、二人は敵艦に肉薄することで注意を引きつけていた。
 砲撃の威力が弱くとも近づけばそれなりに有効だったし、何よりも敵は雷撃を恐れてくれる。
 二人は代わる代わる一人が接敵し、もう一人が摩耶の周辺を警戒しながら敵を追い払っていた。

 それでも遠からず限界が来てしまうのは明白だった。
 迎撃の度に二人は傷ついていき、摩耶はそんな二人を見ていることしかできない。
 困難な状況にもかかわらず、二人の士気は高い。自らが傷つくのさえ厭わないように。
 だから摩耶は思い切って言う。

「なあ、あたしより愛宕姉さんを助けてくれないか?」

 見捨てていいから。言外に隠れている言葉が分からない二人でもない。
 島風とリベッチオは顔を見合わせていた。

「お前たちがあたしに付き合う必要なんかないからさ」



597 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:16:24.63 2TZ4vk5Ao 423/702



 島風は振り返ると摩耶の顔を見る。
 必要ならあるよ。その言葉は飲み込んで。

「んー……リベはどう思う?」

「えっ、リベにそれ聞いちゃうの?」

「だって私はそんなつもりないし……」

「リベだってそうだよ!」

「というわけだよ、摩耶さん。この話はこれでおしまいだね」

 摩耶が言い返す間もなく新手の砲撃が続けて来る。
 命中弾こそなかったが、今度は一隻や二隻でなく多数による砲撃だった。

「駆逐艦と重巡が二人ずつ!」

 敵影を確認した島風が素早く伝える。
 複数による攻撃は初期の混乱から立ち直って、統制の取れた行動を取り始めている証拠だ。
 弱気の虫が覗く摩耶より先に島風が言っていた。

「摩耶さんを諦めたら絶対に後悔するし」

「マヤも主砲ぐらい撃てないの? 手で装填するとかして!」

「無茶言うなぁ……けど、そんぐらいしないと死んでも死に切れないか……」

「だから死なないってー!」

 続く砲撃も外れたが、摩耶が吹き上がった水柱をもろに被る。
 それで摩耶も頭が少しは冷えたようだった。



598 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:17:02.69 2TZ4vk5Ao 424/702



「島風、連装砲ちゃんを一つ貸してくれ。やるだけやってみなくっちゃな」

「いいよ。でも、無茶はダメだからね」

 島風は振り返り、摩耶の目を見ながら言う。
 応じる言葉はないが、ヤケになった顔でないと島風は感じた。
 連装砲ちゃんの一つを送ろうとしたところで、第三者の声が入った。

『それには及ばないわ』

 耳のインカムから聞こえてきたのはローマの声。
 やや遅れて摩耶たちを狙っていた艦隊に横方向から砲撃が見舞われ、一発が重巡リ級を直撃し沈黙させた。

『よし、そちらに合流する』

 砲撃の手応えを感じた声を残して、ローマは通信を切る。
 戦艦砲を受けて、建て直しのためか敵艦隊が後退していく。入れ代わるようにローマが三人の前に到着する。
 決して無傷ではなく、折れ曲がった主砲も何本かあった。

「グラッチェー、ローマ!」

「ディ、ディモールトベネ?」

 島風はしどろもどろに答えると、ローマが軽くため息をつく。

「いいわよ、日本語で」

「なんでローマがこっちにいるんだよ、重巡棲姫は?」

「取り巻きに邪魔されてるうちに距離を取られてしまったのよ。だから、まずはあんたたちを助ける」

 そういう指示もきちゃったし、と小声でローマがつぶやくのを島風は聞き逃さなかった。

「愛宕のほうには姉さんと武蔵がいるから大丈夫よ。あんたはまず自分の心配だけをしてなさい」

 損傷の激しい摩耶を一瞥してローマは告げると、摩耶は食い下がるように聞く。

「じゃあ重巡棲姫はどうなるんだよ」

「鳥海と高雄が相手をしている。今は……!」

 ローマは再攻撃の様子を見せ始めた敵艦隊を睨むように見ていた。

「今あなたたちを守れって言うのは、まずここを支えろってことでしょ? やってみせるわよ、そのぐらい」

 姫を倒しても戦線が崩壊して、こっちが壊滅してたら意味がない。ローマが言いたいのはそういうことなのだと島風は解釈した。

「……早く落ち着かせないとね」

 そう応じる島風の内心では、鳥海への信頼と不安がせめぎあっていた。
 重巡棲姫の手強さは、じかに交戦した経験がある島風にも分かっていたから。
 あの二人はかなりの無理をしでかそうとしているはずだった。



599 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:17:48.44 2TZ4vk5Ao 425/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海、高雄と重巡棲姫との交戦は主戦場の横へ流れる形で続いていた。
 引き離したのか、引き離されたのか。その線引きは曖昧だった。
 というのも愛宕と摩耶から重巡棲姫を引き離すという点では鳥海たちの都合に適っていたし、二人を孤立させるという姫の意図とも合致していたからだ。
 だから、これは互いの意図が一致した結果。少なくとも鳥海はそのように現状を捉えている。

「役立タズドモ……沈メエェッ!」

 重巡棲姫が戦意を音量に乗せて砲撃してくる。
 正面に位置する鳥海と左方から攻める高雄は撃ち返しながらも、熾烈な砲火に邪魔をされて距離を詰め切れずにいた。
 砲撃の飛翔音が近づいてくるのを感じ、鳥海は右に針路をずらす。
 これで当たらないという確信は、五秒後に後方に生まれた水柱が証明していた。
 調子そのものはすこぶる良好だった。

「ペンダントのおかげかしら?」

 独語してから、それはちょっと違うような気がした。かといって間違えてるとも思い切れないのは胸の辺りに熱を感じるせいかも。
 でも、なんだってよかった。
 経験、直感、加護。思い込みでも何かが助けてくれると信じて、それが私自身の動きに噛み合っていい影響を与えてくれるなら。
 大事なのは後れを取らないという自信があるということ。
 側面を取っている高雄への狙いを減らす意図も込めて、鳥海は声を張る。

「私に当ててみなさい、重巡棲姫!」

「見下スナァ、艦娘!」

 それまで高雄も狙っていた主砲が二基ともしなると鳥海へ向く。白い肉塊のような主砲は、視覚が退化した竜をどことなく想起させた。
 倍になった殺気が砲炎の光を瞬かせる。
 それを消すように側方から放たれた高雄の主砲弾が重巡棲姫に命中するが、大した損傷にはなっていない。
 鳥海もまた回避運動を行いながら砲撃を続けるが、全弾が命中したとしても同じような結果にしかならないと予測していた。
 重巡棲姫の腰部にある連装副砲が速射を行い、突撃の機会を窺う高雄の出足を阻む。



600 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:18:48.14 2TZ4vk5Ao 426/702



「出来損ナイドモガ調子ニ乗ッテ!」

「火力が強い……重巡って言ってるけど戦艦並みじゃない!」

 高雄の評価は適切だった。
 火力もそうだけど打たれ強さも、並みの戦艦級を凌駕している。
 こちらは主砲の残弾は四割を切り、魚雷は一斉射分のみ。
 姉さんも魚雷は使ってないけど主砲弾は同じような状態のはず。
 無駄弾を使わなければいいだけ、と鳥海は高揚の続く頭で判断する。
 どっちにしたって撃てるだけ撃ち込まないと、まずこの姫は沈められない。

「……二度モ私ノ手ニカカルトハ……愚カナヤツ!」

「二度……?」

「マリアナデ沈メタヤツヨリハデキルヨウダガ、艦娘ハ艦娘ニスギナイ!」

「マリアナ? もう一人の鳥海を言ってるの!」

 問い詰める声に重巡棲姫は笑い声を上げた。

「ナンダ……知ラナカッタノ? 一人デノコノコヤッテ来テサア!」

 一人で。そう、その通り。二人目の鳥海は味方の撤退を支援するために単身で。
 そうして交戦したのが重巡棲姫だなんて思いもしなかった。
 だとしたら……これは仇討ち?
 思いもしなかった言葉が鳥海の頭を過ぎった。

「教エテヤロウカ! アノ出来損ナイガ、ドウヤッテ沈ンデイッタノカ!」

 重巡棲姫の高笑いが耳朶を打ち、鳥海は我知らず奥歯を噛む。
 事情があろうとなかろうと、ここで討たなくてはならない敵なのは承知している。
 それでも私怨のような感情が芽生えそうだった。
 しかし答えたのは鳥海ではなく、割り込んだ高雄の声だった。

「結構よ」



601 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:20:00.56 2TZ4vk5Ao 427/702



 高笑いを遮るように高雄が放っていた主砲弾が、立て続けに重巡棲姫へと落ちていった。
 より正確になった命中に、重巡棲姫は忌々しげに高雄を睨めつける。
 その毒々しさを高雄は正面から受け止めていた。

「あなたの口から鳥海を語ってほしくないもの。たとえ直接の妹じゃなくっても」

「死ニ損ナイメ……ダガ喜ブトイイ。今度ハ貴様モ妹トモドモ……水底ヘ送ッテヤル」

 白い肉塊のような主砲がまた高雄を指向するが、高雄もまた決して一箇所には留まっていなかった。

「私たちのことなんて何も知らないくせに!」

「不本意ダガ知ッテルトモ……タダ一人レイテヲ生キ延ビタ姉ハ、無様ニ終戦マデ生キ長ラエタモノノ……譲渡サレタ敵国ニヨッテ処分サレタ」

 重巡棲姫の顔に喜色が浮かび、さも愉快そうに言う。

「ミジメジャナイカ、艦娘! ダカラ沈ンデシマエエッ!」

「それは軍艦としての話じゃない! 知らないのよ、艦娘としての私たちを!」

 それに、と高雄が言い足すのを鳥海は聞く。

「無様ではあっても、みじめではなかったもの。戦うための誇りは失っていなかった!」

「誇り……」

 鳥海はつぶやき、もう一人の鳥海に思いを馳せた。
 あの子は仲間のために戦って、そうして沈んでいった。
 どう沈んだかなんて分からない。
 最期まで撃ち続けたかもしれないし、独りでいるのを悔やんで寂しがったかもしれない。
 沈んでいくのを嘆いて恐れたかもしれなければ、もっと生きたいと願ってもおかしくなかった。
 あるいは何もかもを受け入れて満足したか、自分の代わりに他の誰かが命を繋いだと信じて。

 全てが仮定で可能性だった。真実はあの子の内にしかない。
 そして……鳥海には確かに理由があった。彼女は使命を果たしたのだと思う。
 一つ。本当に一つだけ言えるのは。

「姉さんもあの子も……出来損ないと呼ぶのは許しません!」

 鳥海として、そこだけは譲れなかった。


602 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:22:12.93 2TZ4vk5Ao 428/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 木曾と多摩の主砲がネ級を捉える。
 十字火線の交点となったネ級は複数の直撃弾を受けるが、構わずに木曾へと向かう。
 すぐに木曾も軸をずらすように移動しようとするが、そこに主砲が撃ち込まれていく。
 より正確になっていく砲撃により、至近弾を受けて艤装が悲鳴を上げる。
 木曾もまた撃ち返し続けるが、加速がつき始めたネ級は左腕を盾代わりに掲げて突進を続ける。

「カン……ムス!」

「島風並みに速いのに硬いときたか……!」

 木曾の放った主砲は左腕を抜けずに弾かれる。
 砲弾の破片と一緒にネ級の体液も落ちて、傷ついた白い肌が露出した。
 しかし、それもすぐに浸出したらしい体液が隠す。
 横から多摩の砲撃を受けながらも、強引に距離を埋めてきたネ級と木曾とが交錯する。
 接触したのは木曾が引き抜いたサーベルと、黒い体液にまみれたネ級の腕だった。

「っ……重たいっ!」

 木曾は刃先を通して伝わってきた痺れを伴った感触に顔をしかめる。
 生身の腕ではなく鋼鉄を切りつけてしまったような不快感だった。
 歯を食いしばったまま、木曾は距離を取りながらネ級の背へ向き直る。

 四つん這いの姿勢から、ネ級は振り上げた両腕を海面へ交互に突き立てながら右へ急旋回してくる。
 まるで硬い地面へ杭を打つかのような動きで、二基の主砲は慣性を打ち消すために左へと身をしならせていた。
 曲がりきったネ級は、そのまま這うように海面に爪を立ててから木曾へと向かっていく。

「海面を叩いて……沈みもしないで、どういう理屈だよ!」

 舌打ち一つ、木曾は砲撃で迎撃する。
 艦娘も艤装の効力で海に沈んでいかないが、それはあくまで沈まないだけだ。足場として使えるわけではない。
 こう接近されては不利だが、ネ級がそれを許さない。



603 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:23:08.77 2TZ4vk5Ao 429/702



「まったく獣みたいなやつにゃ!」

 それを多摩姉が言うのか、と出かかった言葉を口内に留めたまま木曾は撃ち続ける。
 ニ方面からの砲撃にネ級の主砲が多摩へと応射すると、悲鳴が飛び込んできた。

「にゃあ!」

「多摩姉!?」

 被弾したのか? それを確認する間もなくネ級が突っ込んできた。
 白刃と黒く染まった腕がぶつかりあって火花を散らす。
 斬れず、砕けず、押し合い、踏みとどまろうとする。

「こっちは光り物だぞ、ちったぁ怖がれ!」

 威嚇するよう木曾は叫ぶが効果はない。
 刃物を前にすれば砲撃のやり取りとは別の緊張が生じるもんなのに、こいつはお構いなしだ。
 見た目はサーベルでも、実際にはラフな扱いに耐えられるよう手を加えられている。
 そんな物に素手で挑むのは、どんな心境だ。
 よほど腕に自信があるか、単に見境がないのか。あるいは……恐れを知らない?

 数度の打ち合いを経て、ネ級の体液が堅牢さの理由だと木曾は見抜いた。
 粘性のせいなのか剛性も備えているのか、特殊な防護膜として機能しているらしい。
 さっきの急カーブもこれが機能しているのかと考え、しかし対処法までは思い浮ばなかった。

「――シイッ!」

 ネ級の主砲が木曾に向かって噛みついてくる。
 予想外ではなかったが警戒は薄れていた。
 左右同時の噛みつきを身を捻っていなすが、ネ級そのものが迫ってきた。

「ジャマ、スルナッ!」

 拳が振り上げられ、木曾は受けるしかないと直感した。
 右手でサーベルの刃先を下げた状態で握り、左腕を寝かせた刀身に添わせる。
 ネ級の拳が刃の上から衝突し、左腕が不気味な音を立てる。
 折られる――そう感じた時には体が後ろに弾き飛ばされていた。
 水面に二度三度と叩きつけられてから、木曾は姿勢を立て直しながら右へ転回する。追撃が来る。
 ……そう考えた木曾だが、追撃はこない。
 ネ級は木曾を忘れたように明後日の方向を見ていた。



604 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:24:51.31 2TZ4vk5Ao 430/702



「……ツキュウ」

 その声を残してネ級は木曾に背を向けて離れていく。
 合流する気だと悟り、阻止しようとした木曾が腕の痛みに苦悶の表情を浮かべた。

「バカ力しやがって……!」

 折れてはいないが、痛みと痺れで上手く力が入らなくなっていた。
 だが、それでも追撃の主砲を撃つ。
 必中の念を込めて撃ったそれはネ級に当たる軌道を描いている。
 しかし、思った形では命中しなかった。
 主砲の片割れが振り子のように揺れると、自ら砲弾へ当たりに行き本体への命中を防いでいた。
 装甲部分で受けたのか、主砲は何事もなかったかのように元の位置へと戻る。

「なろぉ……」

「すぐ追うにゃ!」

 飛んできた多摩の声に、木曾はそちらの様子も見る。
 多摩の艤装には大穴が開いていて、そこから白煙がくすぶっていた。

「大丈夫なのか、多摩姉?」

「見ての通りにゃ!」

「無傷ってわけでもないだろ」

「動くし撃てるにゃ。それより北上たちに連絡するから、すぐ行くにゃ」

 強がりかもしれない。だけど心強かった。
 ネ級を過小評価しているつもりはなかったが、見通しが甘かったのも否定できない。
 早く撃退するどころの話じゃなくなっていた。



605 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:26:23.87 2TZ4vk5Ao 431/702


─────────


───────

─────


 ネ級がツ級を視界に捉えた時、すでに彼女は苦境に立たされていた。
 北上と大井の連携はネ級から着実に戦闘能力を奪っている。
 左腕の砲塔群は沈黙し、主機にも損傷があるのか機動が鈍くキレがない。
 ネ級は残った右側の両用砲で応戦しているが、今や翻弄されている。
 振りきろうにも振りきれず、かろうじて雷撃だけはさせないようにするのが精一杯のようだった。
 そこまで見て取って、ネ級は主砲を撃つ。

 より近い大井が水柱に囲まれるが命中弾はない。
 ネ級の接近は知らされていても、北上たちは手負いのツ級への追撃の手を緩めなかった。
 すでに半壊していた左腕がさらに穿たれ、巨人じみた指が崩れて元のか細い指が露出するのを見ながら、ネ級は砲撃を続けながら横合いから割り込むように向かっていく。

「コノバハ……マカセロ……」

「ネ級……? ナゼ来タ……?」

 ツ級に指摘され、初めて自分が何をしているのかネ級は疑問に思った。
 しかし、その疑問もすぐにより大きな衝動の波に呑まれていく。
 狙うべき敵がいて倒すべき敵がいる。ツ級への意識が薄れ、目前の敵だけしか見えなくなる。

「サガレ……!」

 ネ級は誰に向けたかも定かでない言葉を吠えていた。
 主砲のみならず副砲も撃ちかけながら接近しても、まっすぐとした動きで北上たちはツ級への砲撃を続けていた。
 その時、二人の艤装から長い物がいくつも飛び出し海面へと落ちる。魚雷だ。
 誘われた。と頭の片隅が判断し、魚雷を探すが航跡は見えない。
 よくよく目を凝らすと、海とは違う黒色が高速で向かってくるのを見つける。
 酸素魚雷、片舷二十発の計四十発。
 それを知っているのを疑問に思うことなく、ネ級は網を張ったように疾駆する魚雷へ自分から向かう。



606 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:27:51.52 2TZ4vk5Ao 432/702



 焼きつく衝動が彼女に行動を促すと、体がその命令を実行するために体液が――血が甲冑のような装甲の隙間から漏れ出て足底へと流れていく。
 海面への反発を得たことで、踏み切りの要領でネ級は海面を蹴り上げ跳んだ。
 そうして魚雷を上から飛び越えたはずだったが、着水すると同時に脚に強い負荷がかかる。
 さらに後ろの海面で魚雷が爆裂し、海中からの衝撃波に押し出された。
 着水時に沈み込んだ足をより傷つけながらもネ級は止まらない。

「こいつ!?」

 大井が驚きの声をあげた。
 魚雷は喫水線下からの攻撃なのだから、要は直上近辺にさえいなければ無効化できる。
 想定外の手段で雷撃を凌がれた大井だが、切り替えは早かった。
 砲撃能力を損なったツ級からネ級へ砲撃を向け直す。

 着水時の負荷と足元からの衝撃で、ネ級は体を上下に揺らしたまま副砲を撃ちかける。
 しかし姿勢の不安定さは命中率の低下に繋がり、全弾が外れ副砲も動かなくなった。弾切れだ。
 大井の放った一弾が首元にある歯のような装甲を破壊する。
 それでも構わずネ級は大井へと低い姿勢で飛びかかった。

 ざわめきの収まらない海面に大井の体が腰から押し倒される。
 艤装の効力により彼女の体は沈まずに仰向けの体勢となり、かぶさるようにネ級がのしかかる。
 すでにネ級は右の拳を握り締めると腕を振り上げていた。

「あんたなんかに――っ!?」

 大井はとっさに手に持った主砲を向けるが、ネ級が素早く払い飛ばす。
 得物を失った大井はネ級と目を合わせ、思わず顔を引きつらせる。
 爛々と輝く目は血走っているようなのに、ネ級には表情がない。
 すぐに大井は腕を盾代わりにして頭を守り、無言のままネ級は拳を振り下ろす。
 そして――肉を殴りつける音が乱打され、暴力が繰り広げられた。



607 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:34:48.48 2TZ4vk5Ao 433/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「離れて! 大井っちからどきなよ!」

 五秒か、十秒か。さして長い時間はかからず北上が助けに入ってくる。
 大井を巻き込まないようネ級の主砲を狙い撃つ。
 主砲に連続して被弾し、回避のできない体勢はまずいと見てかネ級はすかさず離れた。
 北上が砲撃を続けながら、打ちのめされた大井の安否を確認する。

「大井っち、返事できる? 動ける?」

 矢継ぎ早に聞きながら、北上は大井とネ級の間に入り砲撃を続け、残る魚雷も引き離すために発射する。
 大井の体は小刻みに震えていた。左手は顔を隠すように置かれたままだが、口からは一筋の血が流れているのを北上は見る。
 一方のネ級は雷撃から避けるためにも距離を取り直しながら、ツ級が後退を始めているのを視界の片隅に入れた。
 その頃には木曾も追いついてきて、後ろからも砲撃を加える。
 倒れたままの大井の姿を見てか、木曾は無線に怒鳴っていた。

「大井姉は!」

「生きてるよ! 生きてるけど、よく分かんなくて……」

 北上に動揺した声を返されて、木曾も焦った。
 こういう反応は今までに覚えがなかったからだ。
 だが北上はすぐに言う。動揺の影は引っ込んでいた。

「とにかく、今はこいつだよ。こいつをどうにかしないと、大井っちを連れて帰れないし」

「ああ、分かっ――」

 木曾が答え切る前にネ級は動いた。
 背部に隠れた魚雷発射管が筒先を横へとスライドさせて発射体勢に入る。
 間を置かず北上に向けて魚雷を撃つと、ネ級は木曾へと向き直り砲撃と共に突出する。
 木曾が距離を保ったまま砲戦を継続しようとする傍らで、北上は最初から雷撃を避けるコースに乗っていた。



608 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:37:33.34 2TZ4vk5Ao 434/702



「こんな軌道だったらさー……」

 最初から自分なら撃たない。
 そう考えてから、北上はその軌道が厳密には自分を狙っていないのに気づき、急旋回すると後方へと引き返し始めた。

「……さいてーじゃん、あいつ」

 ネ級の狙いは動けない大井の方だった。
 そう気づいてしまうと、扇状に広がる魚雷の射界は当てずっぽうではないと分かる。
 軌道と雷速から概算すると、大井への命中を防ぐには誰かが間に入って代わりに盾になるしかなさそうだった。
 そして誰かとは北上以外ありえなかった。
 魚雷の命中率自体はかなり低くとも、今の大井には危険すぎる。

「それは困るんだけどなー!」

 北上の艤装が焦りが乗り移ったように咳き込むと、可能な限りの速度を出して魚雷の進行方向上へと回り込もうとうする。
 大井が弱々しい声を振り絞ったのは、そんな時だった。

「来ないで……来ないで、北上さん……」

「よかったよー。無事だったんだ」

 できる限り大井からも離れたかった北上だが、そうするだけの余裕がなく回り込めたのは大井のすぐ近くになってしまう。

「ガラじゃないのは分かってるんだけどさー、大井っちが逆の立場だったら守ってくれるよね。だからあたしもね」

 緊迫感のない軽口を言いながら、北上は息をつく。
 大井を抱えて動いても間に合わない。ならば、少しだけでも前で当たったほうがいい。

「ああ、でもこれ……絶対に痛いよねー……」

 北上は目を閉じた。痛いのは分かりきっていたから。



609 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:41:49.18 2TZ4vk5Ao 435/702



 そうして耳が一瞬聞こえなくなるような轟音と、足元が崩れてしまったような衝撃。そして横から海面に倒れる体を自覚した。
 ……それは北上の想像とは違った。

「……あれ?」

 思ったほど痛くない。というのが北上の感想だった。
 そんなはずないと思い目を開けると、向かい合うように倒れる大井の顔が正面にあった。
 血の気が薄くなった大井の顔に、何がなんだか北上には分からない。

「……は?」

 体を起こして、大井も起こそうと触って気づいた。
 大井が背中にひどい傷を負っているのに。
 回した手が赤黒い血で濡れている。

「……何やってんのさ……大井っち」

「よかった……北上さんが無事で……」

 本当に安堵したように大井は笑う。
 かばうはずが、かばわれた。北上は愕然とした。

「こんなのあべこべじゃん! どうして……!」

「だって……北上さんですよ……当然じゃないですか」

「こんな、こんなの嬉しくないよぉ」

 大井は少しだけ困ったようにほほ笑む。
 しかし、すぐに痛みのせいか表情を歪める。




610 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:42:59.15 2TZ4vk5Ao 436/702



「一つ……お願いしていいですか?」

「いいよ、なんでも言って」

「木曾を……助けてあげてください」

「でも、でも大井っちが……!」

「大丈夫です……当たり所がよかったみたいで。こうして話せてるじゃないですか……」

 力なく笑う大いに北上は何も言えない。

「それに多摩姉さんが拾ってくれると思いますから……向かってるんですよね……」

「うん……通信じゃそう言ってたから……」

「だったら心配いらないじゃないですか……」

「大井っち……私ね……」

 北上はそれ以上言わなかった。
 何を言っても泣き言になってしまいそうで、それでは大井の頼みを果たせないと思って。

「また……またあとでねー」

「ええ……北上さん……好きですよ」

「……私もだよ」

 それで二人の話は終わった。
 北上は木曾を助けるためにも、未だに戦闘を続けている二人の元へと向かう。
 中破状態でも向かっているという多摩には、大井の保護を頼んだ。
 まだ戦いは終わっていない。


─────────

───────

─────


 北上が遠ざかっていき、残された大井は空を仰ぐ。
 あとは大丈夫だろうと思う。
 まぶたが重い。ちゃんと次に目を開けられるのかは不安だったけど、大丈夫だと思うことにした。

「北上さんの楽天が移ったのかな……」

 北上とお揃いと思えば満更でもなかった。
 楽しそうに笑うと、顔にその余韻を残して大井は眠るように目を閉じた。



611 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:44:11.30 2TZ4vk5Ao 437/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 木曾は遠方で立ち上る水柱を見た。
 遅れてやってきた衝撃波が水面を伝い足下を揺らしたような気がした。
 そしてネ級は目もくれない。気にもかけない。結果を知ってた以上、顧みる必要はないと言わんばかりに。
 それが木曾の怒りをかき立てる。

「……見ろよ」

 返答は主砲による一斉射だった。

「自分が何をやったか見やがれ!」

 砲撃をかいくぐり木曾も撃ち返す。

「お前のやったことだろ! 知らん顔してさあ!」

 すれ違った砲撃が木曾とネ級のそれぞれに命中する。
 木曾は主砲に被弾し、発射できなくなったそれを投棄する。
 ネ級は腹部や腕部に複数の命中弾を出すが、動きが鈍った様子もなくまだまだ健在らしい。
 ただネ級も弾を切らしたのか、主砲は威嚇するように口を打ち合わせるばかりだった。
 木曾は今一度サーベルを抜き、ネ級もまた木曾に向かって猪突する。

「せあっ!」

 木曾はサーベルがネ級の腕を打ち払い、蛇のように体を伸ばして突っ込んでくるネ級の主砲を側面に回り込んで避ける。
 返す形で突き入れられたサーベルを、ネ級もまた逆の手で逸らす。
 互いに足を止めず、ごく近い距離で攻防の応酬を繰り広げる。
 両者はどちらも中心になれないまま円を描くような軌道で、相手の死角を求めて攻撃を続けていた。

 膠着した状況が動いたのは、ネ級の右主砲が攻撃を空振りしたことだ。
 噛みつきが外れ、元の位置に戻ろうとしたタイミングを木曾は逃さなかった。
 主砲が引くのに合わせて、装甲のない下側を斬りつけるように払う。

 斬りつけられた主砲が悲鳴を上げて、ネ級が戸惑う。
 即座に木曾はネ級の右側を狙って攻撃を始める。
 やや遅れながらネ級も防御に回るが、主砲の片割れが崩れたことで綻びが見えた。

 木曾は左手でマントを破るように外すと、風上に回るのに合わせて叩きつけるように投げつける。
 視界を突然塞がれたネ級は、体を引くが動きが大きく鈍った。
 事態を飲み込みきれないままの声が吠える。

「コドモダマシガァッ!」



612 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:47:01.05 2TZ4vk5Ao 438/702



 まったく、その通りだよ。
 マントを引きちぎろうとする、その瞬間をついて木曾のサーベルがネ級の胸部を貫く。
 素早く手首を返して、さらに捻りこむ。
 ネ級がそれまでとは違う、明確な痛みを訴える叫びを上げる。
 サーベルを引き抜こうとする木曾だったが、ネ級の体にがっちりと食い込んでしまったのと左の主砲が逆襲してきたので素早く手放し離れる。

 ネ級が痛みに悶えながらもマントを引き裂く。
 赤い目はまだ戦意に燃え、武器を失った木曾へと向かう。

「直線すぎるんだよ!」

 木曾は迅速に体の左側を向けると必殺の酸素魚雷を投射する。
 こう近くては自分も無傷でいられる保証はなかったが、木曾は相討ち覚悟で撃っていた。
 至近距離で水柱が弾ける。木曾は左側のスクリューがねじ切れるのを感じた。
 空高く昇った水柱の余韻が収まらない内に、ネ級が水しぶきを突き割って飛び込んでくる。

 木曾は右手でサーベルを収めるはずの鞘を掴む。
 ネ級はどこかの砲撃で装甲が破壊されたために、白い顎が露出している。

「おおおおっ!」

 気合いを込めて狙い澄ました鞘を右から左へと顎に叩きつけた。
 顎を打たれたネ級は弛緩したように片膝を崩しかける。衝撃で脳を揺さぶられたために。
 木曾は素早く腕を戻す形で、逆側の顎も打ち付けた。
 今度こそネ級の両膝が崩れる。だが左の主砲がネ級を守るように木曾に噛みついてくる。
 すぐに身を引いた木曾だったが、鞘に噛みつかれ奪われてしまう。
 鈍った右のスクリューだけで下がる木曾は雷管の調子を確認するが、さっきの衝撃で動作しない。
 もう手持ちの武器は残されていなかった。



613 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:48:45.89 2TZ4vk5Ao 439/702



 昏倒したようなネ級だったが、ゆっくりと体を起こす。
 まだ目や全身から揺らめく赤い光は消えていない。
 そのネ級は頭をふらつかせながらも、木曾を見ようとする。

 まだ来るのか。
 そう考えた途端にネ級の首が前に倒れる。
 ネ級が鼻を押さえるが、指の隙間から黒い体液が流れ出す。
 タールのような重みを持った体液は、脈打つかのように次々にあふれていく。
 それが鼻血だと理解すると、木曾は気づいた。
 今までネ級の体を守っていたのは、ネ級自身の血なのだと。

 こいつは血を垂れ流しながら戦い続けていたのか。
 その精神性がどこから来るのかは木曾にも分からない。
 獣ならば傷つけば身の安全を考える。理性があっても同様だ。
 だったら、こいつにあるのはなんだ?
 攻撃本能? 自壊をためらわずに攻撃するのを本能などと呼んでいいのかよ。

「……おかしいぜ、お前」

 木曾は自分の声に憐れみの色が混じっているのに気づいた。こいつからすれば余計なお世話だろうに。
 ネ級から赤い光が消えていく。と同時に木曾は胸の内に疼痛が甦ってくるのを自覚した。

「お前は……誰なんだ?」

 木曾はネ級を見つめる。
 ネ級もまた見つめ返していた。混乱したような顔のまま口を開く。

「……キ……キ……ソ?」

「なん、なんで俺の名前を!」

 いや、ちゃんと言ったわけじゃない。何かの偶然かもしれない。
 ネ級は木曾の疑問に答えることはなかった。



614 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/05 21:51:00.92 2TZ4vk5Ao 440/702



「木曾、離れて。そっちに砲撃行ったから」

 一瞬、誰の声だか分からなかった。
 北上の声だとすぐに分からなかったのは、無線の調子も悪いのかもしれない。
 だけど無事だったと思い、待ってほしいとも考え、しかし何も言えないまま木曾は条件反射でさらに距離を取ろうとした。
 そうして飛来した砲弾が――ネ級の頭部を吹き飛ばした。
 正確には完全は吹き飛ばしてはいない。右目を蒸発させ右脳を海面にぶちまけ、重油のような体液を辺りに撒き散らせはしたが。
 ネ級の主砲たちがすぐにネ級の頭の前で盾になるように丸まる。

「とどめは刺させてもら――砲撃っ!?」

 木曾は近づいてきた北上と、それを襲う砲撃を見た。
 一度は後退したはずのツ級が戻り、北上へ牽制の砲撃を続けながらネ級に高速で近づいてくる。
 ツ級は木曾にも視線を向けたようだが、武装がないと見て脅威ではないと判断したのか撃ってはこなかった。
 すぐに辿り着いたツ級は、ネ級の体を左側に担ぎ上げる。ネ級の主砲たちは傷ついた右側も含めて、威嚇するように口を打ち鳴らす。

「待て、お前たちは……!」

「撃タセナイデ……」

 仮面のような顔から漏れた声は、それだけ言うと北上へ牽制の射撃を続けながら今度こそ戦場から逃れるように東の方へと後退していく。
 木曾は何もできないまま遠ざかっていく深海棲艦たちを見ているしかできなかった。

「なんなんだよ、お前たちは……」

 ぶり返した胸の痛みはもう遠い。
 出会った。出会ってしまった。もしかしたら出会ってはいけないやつと。
 木曾は放心したように水平線を見続けることしかできなかった。



619 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:34:05.63 AUGE67Ido 441/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 奔流から生じた飛沫が頬を打ちつける。
 鳥海は自身を包囲するかのような水柱を突き破って主砲で反撃する。
 しかし主砲弾は重巡棲姫の体に届く前に弾かれた。
 姫から伸びる太い尾のような主砲の仕業だ。
 盾代わりになって姫への攻撃を防いだ主砲が、返礼とばかりに砲弾を次々と吐きかけてきた。

「ドウシタ、モウ終イカ?」

「あの主砲をどうにかしないことには……!」

 主砲も副砲もどちらも脅威だけど、より怖いのはやはり主砲だった。
 火力面は言うに及ばず、姫の周囲を自動で警戒し防衛してくるせいで死角というものを感じさせない。
 攻略のためには、あれを潰すしかない。というのは頭では分かってる。
 問題はそのための手立てが限られていること。

「悔しいけど、私たちの火力だけではじり貧ね……」

 合流を果たしていた高雄はやり切れない顔をしていて、鳥海は慰めにもならないことを返していた。

「意気込みだけで沈めようとは思いませんが……」

 二人とも明確な直撃弾はないが、至近弾だけでも艤装の損傷は積み重なっていた。
 どちらも最高速は三十ノット程度まで落ち込み、心許なかった弾薬はさらに減っている。
 一方の重巡棲姫は人の体も含めて何度も被弾しているが、堪えたようには見られない。

 鳥海たちは少しずつ後退を始めている。
 ヲキュー艦載機から中継されて全体の戦況がどう動いたかは伝えられていた。

 三人の戦艦を中心にして、体勢を整えつつあった敵艦隊へと再攻勢をかけたことで海戦の勝敗は決しつつある。
 さらなる被害を受けた深海棲艦は散り散りになって各個撃破されるか、戦域外へと逃亡を図ることとなった。
 一方で新種に当たっていた球磨たちの艦隊は半壊状態に陥り、三人の戦艦もそれぞれ小中破といった損傷を被っている。



620 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:34:46.14 AUGE67Ido 442/702



 鳥海は重巡棲姫と砲火を交える一方で、新たにいくつかの指示を送っていた。
 夕雲と巻雲には、愛宕と摩耶の二人を護衛しながら輸送艦まで後退するよう伝え、球磨たちにはザラと早霜、清霜の三人に護衛に回るよう言っている。
 そして武蔵と第八艦隊には、針路上の残敵を掃討しながら重巡棲姫に向かうよう指示を出した。
 想定していた経緯からはだいぶ変わってしまったけど、本来なら姫には可能な限りの総力で当たるはずだったのだから。

 だから、今はこのまま増援が到着するまでの時間を稼げばいい。
 それが鳥海と高雄の共通認識だ。
 ただ、それがあくまで二人の現状が悪化しなければという前提による考え方だった。
 厄介なのは鳥海たちと重巡棲姫は南東に向かう形で交戦を行ってしまったのに対し、愛宕たちを守る形になった他の艦娘たちは西に向かう形での戦闘を行っていた。
 彼我の距離は鳥海が想定していたよりも広がってしまっている。

「フーン……ドウヤラ私カラ逃ゲタイヨウネェ……!」

 背を向けているこちらの動きですぐにでも気づいていただろうに、重巡棲姫は今更とぼけたことを言い出すと増速して距離を詰め始める。
 砲撃も執拗に迫ってきた。
 回避のためにはどうしても横にも大きく動く必要が出てきて、それが時間のロスになって姫との距離がより近づいてくる。

「沈メ! 沈メエエエ!」

「くっ……!」

 主砲の斉射と副砲の乱射に見舞われ、回避行動に揺さぶられるまま主砲を指向する。
 狙うは副砲……せめて、あれだけでも!
 一発目が正確に右副砲の天蓋部を叩くと、続く二射目が同じ箇所に削り取るように命中すると副砲が止まる。
 もう片方も――と狙いを変えようとした意識が、横から聞こえてきた破砕音によって削がれる。

「ああっ!?」

「マズハ一人!」

 直撃を受けた高雄が行き足を鈍らせて、撃ち返す砲撃も右側の四門だけに減っている。
 一拍置くような間を開けてから、追撃のための砲撃を重巡棲姫も放つ。
 それは狙い済ましたように高雄に直撃する、そう鳥海は感じていた。



621 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:35:41.51 AUGE67Ido 443/702



「姉さん!」

「ダメよ、鳥海!」

 そう言われながらも、鳥海は高雄の前へすぐに回り込んでいた。
 鳥海は左側の艤装――艦橋や通信アンテナなどの艦上構造物を模した装備が載った側を、自身の前へと掲げる。
 姫の放った主砲弾が連続して、そこに命中していく。
 艦上構造物がひしゃげ、その下にある装甲も衝撃に耐えきれずに弾け飛ぶと、破片が二の腕を切って鮮血が流れ出る。
 鋭い痛みに思わず傷口の近くを押さえてしまう。

「釣レタ! コレデ二人トモドモ!」

「そうはさせないと!」

 高雄が先んじて残る四門の主砲を撃つ。
 それは徹甲弾ではなく対空用の三式弾だった。姫の前面で弾けた弾頭から焼夷弾子が花火のように咲いて体を押し包む。
 艤装の装甲を抜けるような貫通力はないが、姫の体や髪に火が燃え移ると、たまらずに耳障りな悲鳴を残して海中に飛び込んだ。

「今の内に引き離すわよ!」

 高雄に促されて、二人は一気に後退を図る。
 しかし高雄の速力はさらに二十ノットそこそこまで落ち込んでいた。鳥海は先行しすぎないように速力を調節する。
 二人はそれぞれ被害状況の確認を済ませていた。

「私の通信網は全滅ですね……姉さん、以降の指揮や連絡はお願いしてもいいですか?」

「こっちにも無理よ。私ではあの姫から逃げられないもの……」

「私だって同じです。もう三十ノットも出せないんですよ」

「それでも、あなたのほうが戦力として確実だわ」

 高雄は言いつつ後ろを振り返る。
 重巡棲姫はまだ海面に姿を現していない。
 前に向き直った高雄の顔から、鳥海は悲壮な決意を感じ取っていた。
 次に高雄の口から出た言葉は実際にそれを裏づけていた。

「鳥海、私を置いていきなさい。あなたが他のみんなを連れてくるまでは持たせてみせるから」

「無謀です、姉さん!」

 即答していた。姉さんは何も分かってない……分かってるのかもしれないけど分かってない。



622 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:36:25.92 AUGE67Ido 444/702



「このままでは二人とも沈められるわ。でも、あなただけなら……」

「姉さんがどうしてもそうする気なら私もご一緒します」

「鳥海……」

「考え直さなくてもいいです。姉さんがそうするなら、私もそうするまでですから」

 頑なすぎるのかもしれない。だけど、これは正直な気持ちでもあった。
 少しの間、二人は無言で進む。次は鳥海から話し始める。

「戦闘が始まってすぐに流星が特攻するのを見ました。仕方ないと思って……だけど、すごく嫌な気分でもあったんです。そうやって消えないでほしいって」

 ふと扶桑さんと交わした言葉を思い出していた。
 誰かの幸せには別の誰かも必要というなら……私には姉さんが必要で、姉さんにも私が必要……なんだと思いたい。

「考え直さなくていいなんて言いましたけど嘘です……私は司令官さんがいなくなってから、自分なんか沈んでしまえばいいって思ってたんです」

「あなた……そこまで思い詰めていたの?」

 高雄が息を呑む。その頃の話は申し合わせずとも、お互いにしないようにしてきていた。
 克服はしているつもりでも、まだ持ち出すのはつらく思えると感じていたから。

「でも怒られました。今なら分かりますけど怒られて当然でした。そんなことになっても、今度は他の誰かを悲しませるだけだったんですから」

「……そうね」

「私は……私たちはもう、みんな艦娘として知ってるんです。残される苦しさを……やるせなさを。だから簡単に背負わせないでください……どうか、どうかお願いします」

 鳥海は目を伏せ頭を下げる。
 高雄はそんな鳥海を見て、ぽつりとつぶやく。

「……怖かったのよ」

「え……」



623 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:37:58.72 AUGE67Ido 445/702



「愛宕、摩耶と被雷して思ってしまったの。ああ、次は鳥海の番だって――それで私はまたひとりぼっちになるんだって。そうなるぐらいならって……」

 高雄は深く息をつく。悔いを全て吐き出してしまおうとするかのように。

「でも、そうじゃなかったのよね。あの姫に言ったこと……艦娘としての私たちを知らないって。私たちはもう艦娘なのよね」

 高雄は笑う。少しの自負と、姉としての寛容さを持ち合わせた笑顔を。
 それは鳥海が好きな表情の一つだった。

「自分で縛っていたのよ。軍艦としての出来事をそのまま、私自身に」

「姉さん……」

 その時、まだ後方の海面に弾着の水柱が生じる。
 慌てて振り返ると重巡棲姫が猛追してきていた。

「ヤッテクレタジャナイ……デモネエ!」

 姫の皮膚はやけどのせいかところどころが赤くなり、髪の端にも焼けた痕跡が残っていた。
 しかし三式弾をもろに浴びたにしては、軽すぎる負傷としか言えない。
 不意を打たれた怒りからか、金色の瞳はより一層輝いているように見えた。

「コンナ小細工ヲスルノハ……追イツメラレテルカラヨネェ……高雄型ッ!」

 重巡棲姫は喜色を浮かべながら追撃を始めてきた。
 せっかく引き離した距離がじりじりと詰められていく。
 あの姫が言うことは正しい。確かに私たちは追い詰められている。
 けれど。

「……悲観するには早すぎたみたいですね」

「ええ……ええ!」

 西方への進路上から進入してくる深海棲艦の艦載機の編隊が見えた。
 ヲキューの艦載機群だ。数は二十機ほどになっているが、頼もしいのに変わりはない。
 高雄はすぐにヲキューに連絡を入れて状況を確認する。

「距離は二〇〇〇〇ぐらいだけど、私たちと向こうの間に深海棲艦の残存艦艇が防衛戦を敷いてるって」

「足止めか分断か……どっちにしても、いやらしいですね」



624 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:38:30.42 AUGE67Ido 446/702



 ヲキュー艦載機を迎え撃ちながらも、なお近づいてくる重巡棲姫を見て、鳥海は作戦を考え直していた。
 今のままだと合流するだけの時間は残されていない。仮に彼我が妨害をまったく受けなくても合流まで十分以上はかかる。
 あるいは逆襲に出れば……。

「姉さん、向こうの残存戦力はどの程度の戦力なんです?」

「……重巡が三、軽巡が四、駆逐艦が二だそうよ」

「大型艦はなし……できるかしら……?」

 どちらにしても姫には早晩追いつかれてしまうのなら、ここで雌雄を決するしかない。
 かといって自分が犠牲になる気も、姉さんを犠牲にする気もなかった。
 危険を冒すなら勝算がある形で。
 気づけば鳥海は胸元のペンダントに触れていた。
 心なしか熱を持ったように感じて、鳥海は意を決した。

「姉さん、弾着観測をお願いします」

「観測って、あなたの?」

「いえ、私ではなくて武蔵さんたちのです。三人の中から二人でいいので」

「武蔵たちの? もしかして……この距離から姫に砲撃させるの?」

「護衛をしてる島風たちには苦労をかけますが」

 鳥海は微笑んだ。これだけのやり取りでも、何を考えているのか分かってもらえているのだから。
 長距離からの艦砲によって、姫を直接攻撃してもらう。高雄が観測を行い鳥海が足止めを行えば、命中も十分に期待できるはずだった。

「待ちなさい! 弾が届くのと当てられるのは違うのよ」

「ですが、あの三人ならここでも有効射程内のはずです。それに重巡棲姫の動きなら、私ができる限り抑えてみせますし、姉さんなら……」

「やりたいことは分かったけど、それなら私も……」

「ダメです、姉さんは観測手に専念してもらわないと。私からは通信できないですし」



625 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:39:13.31 AUGE67Ido 447/702



 鳥海の指摘に高雄は渋面を作る。
 言い分が正しいと認めながらも、簡単には納得できていない。そんな顔だった。

「本当にいいのね? 味方の砲撃に巻き込まれる恐れもあるのよ?」

「私なら大丈夫です。姉さんこそ、しっかり指示してあげてください。これから目になるんですから」

 その間にも重巡棲姫は艦載機を突破して、再び鳥海たちに迫りつつあった。
 高雄も意を決して、離れた第八艦隊の艦娘たちに作戦の説明をし始める。
 姫の放った砲撃はまだ外れたままだが、一射ごとに正確になっていく。

「次の弾着が終わったら行きます!」

「了解! 頼むわよ、鳥海!」

「頼まれました!」

 鳥海は後方を確認すると、浅く息を漏らす。
 高雄の横顔を見て、最後になるかもしれない言葉を伝える。

「姉さん。月並みですけど……信じてくれてありがとうございます」

「そういうのは無事に帰ってきてから言いなさい……」

「はい。でも姉さんもみんなも信じてますよ。でないと、できませんので。こんな無茶は」

 水柱が鳥海の前後に合わせて四つ生まれる。挟叉弾だった。
 このまま行けば次は直撃弾かもしれないが、鳥海は弧を描くように右回りで後ろへ――重巡棲姫へと向き直る。
 損傷による重心のズレを意識し、出力が落ちた缶の調子を気にし、艤装を失って手持ち無沙汰気味の左手でペンダントを握り締めた。
 大丈夫。すぐ後ろには姉さんがいて、もっと後ろには他の仲間もいる。私は一人で戦うわけじゃない。
 だから進む。だから下がらない。難しいことは何もないんだから。

「第八艦隊旗艦、鳥海! 行きます!」

 現時点での最大速力は二十七ノット。損傷により本調子ではないが、それでも普段以上に艤装が力強いように鳥海は感じていた。
 一度は開いた距離を自ら近づきながら、彼女は再び姫へと戦いを挑んだ。



626 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:39:51.78 AUGE67Ido 448/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 高雄から作戦内容を説明する通信を受けて、ローマは隊列の組み直しを指示していた。
 島風を先頭に駆逐艦が縦陣による突撃隊形を作ると、最後尾には火力支援のためにリットリオが就く。
 防衛線を形作る残存艦隊を撃破し突破するのが、彼女たちの役目だった。

 指示を出したローマは速度を二十ノットに合わせて武蔵と並走する。
 ローマの艤装は中破判定されるだけの損傷を負って速力が落ちているのもあるが、それ以上に砲撃諸元のズレを少しでも小さくするという理由のほうが大きい。
 二人が重巡棲姫への長距離砲撃を担っていた。
 最後列には艦載機を全て放ったヲキューがいる。

「私が第一、第二主砲で十五秒間隔で砲撃。その諸元を修正してから武蔵が一斉射。あとは順次斉射でいいわね」

「ああ、それでいい」

 砲撃の段取りを打ち合わせれば、あとは高雄からの砲撃命令を待つばかりだった。

「それにしても目視できない相手への砲撃なんて……」

 残存艦隊に対応するために、二人の前方に位置するリットリオが言う。
 驚いてるとも呆れてるとも取れる口振りだったが、武蔵はなんでもなさそうに笑い返す。

「電探射撃の応用と考えればいいさ。固定目標でないのが難しいところだが」

 例外はあるものの、艦娘と深海棲艦の砲雷撃戦は五キロ圏内で行われるのが常だった。
 艦娘の身長では水平線までの距離、およそ五キロまでしか見通せないためだ。
 しかし本来の有効射程距離はもっと長い。

 それを有効に生かせたのが、と号作戦時のような対地攻撃だった。
 もちろん海上でも、相手の位置座標が分かっていれば狙うことはできる。
 ただ対地攻撃の目標というのは固定目標かつ大きい場合がほとんどで、多少狙いから逸れても有効だが、深海棲艦相手となればそうもいかない。
 目視外の距離から狙うには小さく速すぎる。
 それを補うために観測機と電探を併用しての射撃を行うのだが、深海側のジャミング能力が増強されたのもあり安定性には欠けていた。



627 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:40:20.37 AUGE67Ido 449/702



「姫の動きなら鳥海が抑えてくれるでしょ。観測も高雄がしてくれるから、その点は心配しなくていいはずよ。要は当てられるかは私たち次第よ」

 当然のように言ってのけるローマに、リットリオは感激したように言う。

「ローマがそんなに素直に人を評価するなんて……ザラにも聞かせてあげたい!」

 リットリオに言われてローマは頬を赤くする。

「っ……そんなことより姉さんはそっちをお願いね。私も武蔵も砲撃されようが雷撃されようが、こっちに集中したいから」

「うん、露払いも護衛もお姉ちゃんに任せて!」

「はぁ……姉さんってば調子いいんだから」

 そんな二人のやり取りを見聞きしていた武蔵はしみじみと言う。

「姉か……うん、姉妹とはいいものだな」

「他人事みたいに言って。あんたも姉さんと妹がいるんでしょ。有名な大和が」

 口を尖らせるようなローマに、武蔵は苦笑いで答える。

「艦娘になって、まだ一度も会ったことないんだ。だから、どんなやつかも分からん」

「……いつかは会えるわよ」

「そうだな。気が合うといいんだが」

 その話はここで終わった。今為すべきは別のことだ。
 ローマは改めて指示を出す。

「駆逐艦たち。あんたたちは残存艦隊を突破したら、鳥海と高雄の救援に向かいなさい。どうせ無茶しすぎて、護衛無しじゃ帰ってこられない状態になってるだろうから」



628 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:40:57.75 AUGE67Ido 450/702



 程なくして、高雄からの砲撃命令が伝えられる。
 ローマは返答として、稼動する第一主砲を仰角を高めにして発射していた。
 それを合図にして島風たちも突撃を始める。
 最後尾にいたヲキューがローマたちの前に進み出ると、そのまま島風たちに追いすがろうとする。
 駆逐艦の縦列の中で最後尾にいた長波が近づいてきたヲキューに気づく。

「何やってんだい、ヲキュー? 後ろにいないと危ないぞ」

「私モ行ク……空母ガ飛ビ出シテキタラ……ドウ思ウ?」

「そりゃあ、いい的だとしか……囮でもやろうっての?」

「大丈夫……私ハ巡洋艦ヨリシブトイ」

「そういう問題かぁ? どうする、島風?」

 話を振られた島風は後ろを振り返るが、すぐに正面に視線を戻す。

「ついてくるのはいいけど、先行するのはなし。それならいいよ」

「アリガトウ……」

「それでいいですよね、ローマさん」

「……その子の好きにさせてあげなさい。面倒は嫌よ」

 無愛想に答えるローマだが、ヲ級の安全をまったく気にしてないわけでもない。
 ただ高雄からの砲撃命令が届いた以上、そちらに意識は切り替わっている。
 だからヲキューのことはひとまず他に任せてしまおうと考えた。



629 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:42:11.20 AUGE67Ido 451/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海は砲撃を交えながら、重巡棲姫へとより接近していく。
 砲火の応酬の中、重巡棲姫は愉快そうに笑う。

「ヤケニナッタカ!」

「あいにく水雷戦の本領は接近戦なので……!」

 迫る砲撃をかいくぐりながら、鳥海は砲撃を連続して重巡棲姫へと当てていく。
 肩や腹に当たった砲弾が姫の体を削り、金色の輝きを撒き散らす。
 すぐに二本の主砲が撃ち放しながら、姫を守るように前面に並ぶ。

 砲撃を避けつつ側面を取ろうとする鳥海だが、避けきれずに一撃を受ける。
 体ごと後ろに押し返されるような衝撃と、艤装が潰れそうになるのを骨に感じた。
 着弾の轟音が耳を襲い、肌にかかる水が熱い。明らかに不正な振動が体を揺さぶる。
 しかし鳥海は衝撃を振り切る。
 帽子や探照灯、衣服の端が衝撃で吹き飛んでいたが、大きな損傷もなく砲撃を凌いでいた。

「フン……艦娘ノ考エルコトハ同ジダナ……助カラナイト悟レバ……スグ突撃シテクル!」

「勝ちを捨ててるつもりはありません!」

「ナラバ、モウ一度沈メエ!」

 さらに互いに撃ち合う。鳥海の砲撃が姫の艤装の一角を削り飛ばすと、逆に姫からの砲撃を紙一重で避ける。
 すでに夜戦距離に入っているので、この先の被弾は一発でも命取りになりかねなかった。
 鳥海は深く息を吐く。緊張はしてるけど、体を強張らせる類じゃない。

 耳が自分とも姫とも違う砲弾の飛翔音を聞きつけた。
 それは空気を裂きながら、姫の後方の海面に落ちると三つの盛大な水柱を生じさせた。
 ローマさんかリットリオさんのどちらか……。
 水柱の大きさと太さからイタリア艦だと鳥海は当たりをつける。
 いつもより水柱が高く思えるのは、俯角がついてる影響かもしれない。



630 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:43:30.45 AUGE67Ido 452/702



「戦艦砲ダト……狙イ撃ツトイウノカ、私ヲ……!」

 驚きと怒りなのか、重巡棲姫の声が震えている。
 鳥海は頭の中でカウントを始めた。この場で撃ち合う以上、弾着までの秒数を計算しておく必要があった。
 さらに数度の撃ち合いをしていると、次の砲撃が降り注ぐ。
 今度もイタリア艦からの艦砲射撃で、最初よりは姫に近い位置に着弾していた。
 そうしてやってきた三射目は前二つよりも激しかった。
 武蔵が放った四十六センチ砲は重巡棲姫の間近、そして鳥海の付近にも落ちた。
 九つの砲弾によって地震が起きたかのような揺れに見舞われるが、鳥海は引き倒されないようにこらえる。

「オノレ……同士討チガ怖クナイノカ!」

「怖くないわけないでしょう!」

 言い返しながら砲撃する。狙い澄まそうとしていた主砲の頭部に当たると、体勢を崩させる。
 もしも一発でも戦艦たちの主砲が誤って鳥海に命中しようものなら、鳥海も終わりだった。
 それでも鳥海は退こうとしない。怖いという気持ちより、ここで姫の足を止めるという意思のほうが強かった。

 互いに命中弾を出せないまま、さらに数度の砲撃が降り注ぐが水柱を立てるだけに終わっていた。
 こっちももっと攻めて足を止めさせないと。
 チャンスはやがて訪れた。
 徐々に正確になっていく砲撃から逃れようと、弾着のタイミングに合わせて姫は右に舵を切る――その時には鳥海も予想針路に向けて魚雷を投射していた。

 扇状に放たれた魚雷が姫の体の下に潜り込んで消える。
 一拍置いても何も起きない。外れてしまった……と鳥海の胸中に過ぎった瞬間、重巡棲姫の足元が爆発した。
 その衝撃にほんの短い間だが、姫の体が空中に投げ出される。
 鳥海は投げ出された足先が砕けたようになっているのをはっきりと見た。



631 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:45:19.52 AUGE67Ido 453/702



 魚雷の爆発に翻弄された重巡棲姫が、鳥海に憎悪のこもった視線を向け、怒りに燃えた咆哮をあげる。

「キサマアアアアア!」

 大気を鳴動させるような大声に、鳥海は思わず両耳を押さえてしまう。
 初戦時からの対策として、耳のインカムから姫の声を打ち消す周波数が出るようになっていたが、実際は焼け石に水にすぎなかった。
 より大きな波である姫の声が他の音を呑み込んで、耳をつんざき苛む。
 その最中、重巡棲姫の主砲が鳥海へと狙いを定めるように動く。
 三半規管が揺さぶられたことによる酔いに似た不快感を我慢しながら、鳥海はなんとか舵を切りつつ主砲で反撃を試みようとする。

 だが、どちらも主砲は撃てなかった。
 両者の間にいくつもの水柱が生じたからだ。外れた主砲弾によるものだが、姫よりも鳥海の近くに着弾していた。
 弾着によって生じた荒波に鳥海は落ち葉のようにあおられる。だが、それによって姫の砲撃が外れていった。
 命拾いしたという思いを抱え、ふらつきをごまかすように頭を一振りすると鳥海は重巡棲姫に追いすがる。
 外しようのない距離からの砲撃が姫の体に少しばかりの傷を負わせ、姫の砲撃が右の艤装の側部についた主砲を基部から根こそぎ抉り取っていく。

「撃てるのはこれで四門……」

 魚雷も使い切って、主砲も連装砲塔を三基失っているから火力は半分未満。艤装もひどい有様になってる。
 それでも重巡棲姫もまた消耗し、鳥海よりも速度が鈍っていた。
 鳥海は側面に回り込みながら、小さくカウントを刻む。そろそろ次の艦砲が来るはずだった。

「五、四、さ――」

 鳥海の計算より二秒ほど早く武蔵の放った主砲弾が到達する。
 今度の砲撃は極めて正確だった。
 姫を包み込むように水柱が生じ、恨みがましい姫の声が砲撃音にも負けずに聞こえてくる。
 やがて水柱が収まった時、重巡棲姫は額の二本角の長い方が半ばで折れ、腕や体、そして白い主砲たちの至る所にもひび割れが生じていた。
 傷口から金色の光を流す姫は、なおも敵愾心を向けていた。

「ヨクモ……ヨクモ……ヤッテクレタナ! オ前ハココデ……!」



632 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:47:21.95 AUGE67Ido 454/702



 重巡棲姫が鳥海に接近し、鳥海もまた下がるどころか前に出ていた。
 少しずつ速度を上げると、右手側から回り込みながら懐に飛び込もうと近づいていく。
 それを迎撃せんと重巡棲姫の主砲たちも動く。
 より近い左の主砲が鳥海へと急速に迫る。
 長砲身を角のようにして突っ込んできた頭を、鳥海は減速しながら左手と体を横から押し当てるようにしながら外へと受け流す。
 擦れた勢いで手袋が破れ、肌からは血が流れるのを痛みとして感じる。鮫肌のような感触だとぼんやり思う。
 それでも鳥海は右手で艤装を操作すると、残る四門を主砲の横に押し当てて――撃った。
 至近距離からの砲撃と爆炎を受け、主砲が海面に打ち据えられると痙攣して起き上がらなくなる。

「ヤッタナ、艦娘ゥ!」

 後退しようとする鳥海に向かって、残った右の主砲が砲撃しようと前へと動いてくる。
 ……そう。離脱するように見せれば、頭に血が上っている姫は必ず追撃に移ろうとする。
 足のスクリューを後進から前進へと切り替えると、鳥海は艤装を握った右腕を引き絞ると殴りつけるように前へと突き出す。
 その先には白い頭の口があり、連装砲の一基が口内へと押し込まれる。
 砲身をくわえ込んでしまった主砲が身じろぎし、姫が明らかにうろたえて目を見開く。

「これなら狙いは必要ないですね……!」

「ナッ……ヨセ、ヤメ――」

「主砲、てー!」

 重巡棲姫の主砲が後ろに引き伸ばされるように膨らむと、泡が内側から生じたように表面がぼこぼこと細かく浮き上がる。
 そうして膨張した肉塊が姫の腹付近の結合部付近から破裂すると、炎と金色の液体をまき散らす。
 連鎖的に起きた小爆発がそれもすぐに呑み込み、溶岩が出現したような大爆発が起きる。
 その爆発に鳥海もまた吹き飛ばされ、海面へと叩きつけられた。

 前後不覚に陥ったまま、鳥海はぼんやりと空を見上げる。
 しかし爆発の衝撃で、一時的に視力と聴力に支障をきたしたために、そうしていることさえ認識できないままでいた。
 至近距離での爆発は鳥海と艤装も摩耗させている。
 口内に突っ込んだ二門の砲身は溶断され、残る二門も爆発の衝撃で歪んでいた。
 艤装の損傷もいよいよ壊滅的で、かろうじて浮かんでいるだけだった。



633 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:50:00.96 AUGE67Ido 455/702



 少しずつ意識を取り戻し始めた鳥海は、上空を砲弾が放物線を描くのを見た。
 それが砲撃だと漫然と思い、時間の存在を意識した。
 そんな鳥海の首に腕が伸びる。重巡棲姫の左腕だった。

「帰レナイ……帰レルカ分カラナイジャナイ……ドウシテクレルノ? ドウシテクレルノ! ドコニ帰レバイイノオオッ!」

 半ば錯乱した重巡棲姫が鳥海の首を締めると、その膂力で持ち上げた。
 かなり消耗している姫だが、それでも鳥海一人ではとても引きはがせないだけの力を残していた。
 混沌に揺れる目をしていた鳥海だが、急速に瞳が色を取り戻す。
 状況を飲み込みきれていない頭でつぶやく。

「重巡……」

「黙レエ! シャベルナア!」

 首が締め上げられ、鳥海は苦悶の声を漏らす。
 重巡棲姫の右腕や腹部は黒炭のようになっていて、そうでない部分も深いひび割れが生じていた。
 金色の輝きも薄れつつあり、腹部から繋がっていた二つの主砲は当然ない。

「マダ戦艦ガ狙ッテルノヨネエ……イイワ、沈ンデアゲルワァ……艦娘ガ艦娘モ沈メルノヨ」

 引きつったような笑い声を出すが、すぐに姫はむせてそれをやめる。

「弾着マデ何秒カ、計算シテミナサイ。ソレガオ前ニ残サレタ時間ヨ!」

「――あと二十秒」

 声を振り絞って鳥海は重巡棲姫の目を見返す。
 重巡棲姫は呆然としたような顔をしていた。予想外の反応といった風に。

「たぶん……こうしてる間にも十五秒を切ったわよ、重巡棲姫――あなたが終わるまで」

 宣告のような声を受けて、目覚めたように重巡棲姫は一転して怒りに任せた声を浴びせる。

「殺シテヤル! 今スグクビリ殺シテヤル!」

 喉が締めつけられて、体の内から鋼がきしんで瓦解してしまいそうな音が響いてくる。
 苦しそうに顔を歪める鳥海を前に、姫はけたたましい哄笑をあげはじめる。
 それでも鳥海は気丈に見返す。
 気づいたんだ。ここで終わるとしても、私はお前が望むような反応なんかしてやらない。



634 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:51:55.11 AUGE67Ido 456/702



「沈メ! モロトモ沈メエエッ!」

 指に込められた力が強くなる。最期だとばかりに。
 その瞬間、爆ぜる音と風が生まれて姫の笑い声をかき消した。
 鳥海は首への圧力が緩むのを感じたが、同時に耳鳴りにも見舞われる。
 瞬間的に平衡感覚を失った体だけど、抱きかかえられたらしいのがなんとなく分かった。

「姉、さん」

 呂律が回ってるのか疑わしい声が出てくる。
 見上げた先の高雄の顔は凛々しかった。

「レイテの焼き直し? そんなことが本当に起きると? 起こさせると? バカめと言って差し上げますわ!」

「揃イモ……揃ッテエッ!」

「この私がいる限り、あんなことは絶対に繰り返させません!」

 今にも吠え出しそうな重巡棲姫に、高雄の主砲がダメ押しのように放たれ動きを封じる。
 怯みながらも重巡棲姫は吠える。怨嗟の声こそが己の証明だとでも示すかのように。
 重巡棲姫はもう一人の鳥海の仇で。姉さんたちや私を、他の誰かを沈めようとしている敵。
 だとしても……彼女を哀れに思った。思ってしまう気持ちを止められない。
 そう受け止めてしまう私の感情こそ、重巡棲姫は許せないのだとしても。

 ついに弾着の時間になった。
 大気を切り裂く飛翔音ごと、巨人の拳のような砲弾が降り注いでいく。
 そして私は確かに見た。重巡棲姫が砕かれて壊れていくのを。



635 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:52:53.02 AUGE67Ido 457/702



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「……こんな無茶をするのなら、一人で行かせるべきじゃなかったわ」

 高雄は鳥海を抱きしめるようにして言う。
 鳥海は言葉もなかった。代わりにできるだけの力を込めると姉を抱き返した。

「……提督がいたら、絶対に今のあなたを叱りつけるわよ。だから、あんな真似はもうしないで……」

 小さく頷く。約束はできない。でも姉さんの言ってることは正しい。
 やっぱり私は何も言えなかった。
 申し訳なくて視線を下げると、司令官さんの指輪が胸元で光っているのが見えた。
 あれだけの戦闘後でも無事なのには、加工してくれた夕張さんにひたすら感謝するしかない。
 ただ、太陽を照り返しているのか、いつになく光って見えるのが気になった。
 何かを訴えかけてくれてるかのようで。

 鳥海は気づいた。
 高雄の背後に金と白のまだらな姿が現れたのを。重巡棲姫の主砲だった。
 傷だらけの主砲は鎌首をもたげ大口を開く。
 高雄も危険に気づくが、鳥海はぽっかりと開いた口の中も金色に輝いているのを見る。

 ――だけど主砲は私にも姉さんにも届かなかった。
 錫杖を右手に握り締めたヲキューが主砲の頭を横殴りに弾き飛ばしていたから。
 最後の力だったのか、主砲は続いて何度かの振り下ろしを受けると、動かなくなって海中に没していった。

「ヲ……無事デ何ヨリ……」

「あなたこそ……」

 高雄が息を弾ませながら応じる。
 ヲキューは左腕を肩から流れる黒ずんだ血と一緒に垂らしていた。

「先に行くなって言ったじゃない! 被弾までしてるのに!」

 島風の声が聞こえる。無線ではなく、大きな声での呼びかけが。
 本当に戦闘が終わったんだと、私はやっと安心した。

「島風を……怒らせたらダメですよ……」

「ヲ……」

 困ったような顔のヲキューを見ると、なんだかおかしかった。
 ……結果で語るなら、この戦闘で私たちは初めて姫級の撃沈を果たした。
 だけど達成感はない……少なくとも私には。
 私にあったのは、ただただ疲労感とやり場のない倦怠感ばかりだった。



636 : ◆xedeaV4uNo - 2017/02/13 10:53:34.19 AUGE67Ido 458/702



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ネ級はツ級に担がれたまま意識を取り戻した。
 ただし頭の右側を失っているために、半ば夢の中にいるようでもあった。

「私ハ……」

「ヨカッタ……起キテクレタ……」

「ツ級……オ前タチモ無事ダッタノカ」

 主砲たちが普段よりは控えめにネ級に頭をすり寄せてくる。
 ネ級は主砲たちを労うために手を伸ばそうとして、自分の体に剣が刺さったままなのに気づいた。胸から柄が生えている。
 断片的だがネ級は覚えている。自分が衝動に取り憑かれたまま、艦娘たちと交戦したのを。
 ネ級が動こうとしているのを察したのか、ツ級が言う。

「ココデ無理ニ抜イタラ……出血ガ止マラナクナル……カモ」

 ネ級はその言葉に従った。痛みを感じていないというのもある。
 目を閉じたネ級は代わりに強烈な眠気に襲われる。
 夢うつつのまま、意識できないままに言う。

「俺ハ……愚カナノカモシレナイ。大切ニシテイタモノヲ……自分カラ……私ハ……」

 傷つけてはならないものを傷つけてしまったのではないだろうか。
 まどろみの中にネ級の感情は溶け始めている。元より、ネ級はまだ後悔も悔恨も明確な形では知らない。
 ツ級はネ級の不安定さには気づいていたが、それを当人にも含めて口外する気はなかった。
 代わりに彼女は本心を覗かせた。

「ソレハ私モ同ジ……私ハキット元ハ艦娘ダッタ……アナタモソウダッタノ? ネ級……」

 ネ級は答えなかったが、ツ級の言葉はしっかり聞いていた。
 まどろみの中、艦娘という単語に刺激されてネ級はささやくように誰かの名を呼んだ。
 ツ級は確かに聞こえた、その名を呼び返してみる。

「チョウ……カイ?」

 ツ級は何故だか胸が痛かった。理由は分からない。もう一度声に出してみると、やはり痛いと思えた。
 一つ思ったのは、その名がネ級に根ざす何かと結びついてるということ。
 あの時――最後にネ級と戦っていた艦娘だろうかとツ級は考えたが、それは正しくないような気がした。
 名前が意味するところは分からないままだが、きっとネ級には重要な意味を持つのだろうとツ級は漫然と考える。
 その意味が分かった時、ネ級はもう手の届かない場所に行ってしまうのかもしれない。
 ネ級の主砲たちが小さく鳴く。不安げな声は潮風の中に消えていった。



 六章に続く。





【艦これ】鳥海は空と海の狭間に【六章-前】


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