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【艦これ】鳥海は空と海の狭間に【一章】
いっちばーん!
……あれ? もしかして一番じゃない?
まあ、そんなことだってたまにはあるし。たまには。
ところで影響ってあるでしょ。他の人とか事件とかで何かが変わるっていうあれ。
一番影響したのは誰かって提督に聞いたら、大体は親だろなんて言うんだよ。
艦娘の親ってなんなんだろうね? 妹たちは親じゃないし、向こうもあたしを親なんて見ないだろうし。
ああ、うんとね。別に親がどうこうって話じゃないの。
えっと、あたしにたぶん一番影響を与えた人がいてね。
んー……人っていうのは、ちょっと違うか。その子は深海棲艦だったから。
でも、やっぱりその子なんだよね。あたしを一番変えたかもしれないのって。
……や、変わったっていうか気づいた?
あたしはどうしたいのかとか、みんなはどんな気持ちだったのかって。
分かってるようで分かってなかったことに気づけたの。
だから、たぶんあたしが一番影響を受けた話。
あたしとあの子の、そしてみんなとの間にあったこと。
あたしはきっと忘れない。
二章 白露とワルサメ
その日、白露は妹たちと臨時の哨戒任務に就いていた。
トラック諸島近辺で不審な電波が感知され、その調査に駆り出されたわけである。
付近の海域では先だって海戦が生起していて、その際の深海棲艦の生き残りが電波の発信源と見られていた。
炎天下の空の下、白露は夕立と組んで小島の海岸線を調べていく。
「退屈っぽい」
「文句言わないでよ。あたしだって別に面白くないんだから」
「面白くない……もう夕立には飽きたっぽい?」
「なんなの、その誤解を招く言い方……夕立こそあたしに面と向かって退屈って」
「じゃあ、お姉ちゃん。水遊びしない?」
何がじゃあなんだろう。白露にはたまに妹がよく分からなくなる。
でも提案自体は悪くないじゃん。白露はそうも思う。
「いいねー。でもお仕事が先だよ」
「隠れてるのが姫級なら、さっさと出てきてほしいっぽい」
「深海棲艦の姫かあ。ちゃんと見たことないんだよね」
先日の海戦では港湾棲姫に続く二番目の姫級、駆逐棲姫の姿があった。
海戦こそ艦娘たちの勝利で幕を閉じていたが駆逐棲姫の撃破は確認されていない。
今回の電波も駆逐棲姫が救援を呼ぶために発した可能性もあった。
「夕立は姫とも戦ってたんだっけ。どんなやつなの?」
「黒くて白かったっぽい」
「深海棲艦って基本その二色だよね……」
夕立の返答に白露は力なく笑った。
本人には悪気が一切ないのを知ってるだけに、白露としては強く言い返せない。
「お姉ちゃん」
「何? まだ退屈とかっていうのはやめてよね」
「姫を見つけたっぽい」
夕立が言うように駆逐棲姫が浜に打ち上げられていたのが見えた。
ロウソクのように白い肌と髪、墨のようなセーラーにネイビーブルーのスカーフ。
仰向けの体からは手足が力なく投げ出されている。
あれじゃ日焼け確実だね、と白露は少し場違いな感想を抱いた。
「写真で見た姿に間違いないね……夕立」
「分かってるっぽい。みんなも呼ぶね」
夕立が油断なく主砲を向ける中、白露は浜に乗り上げる。近くに落ちていた流木を拾うと、それで駆逐棲姫を突いてみた。
「起きて。起きなさいってば」
返事がない。ただのしかばねのようだ。
白露はそんな決まり文句を思い出したが、実際のところ反応があった。
「ン……」
駆逐棲姫がうっすらと目を開ける。その目は白露を見たが、すぐには視界に映る光景を認識できなかったらしい。
目をしばたき、そうして置かれた状況を悟ったようだ。
「艦娘!」
何かをまさぐるような駆逐棲姫に夕立が言い放つ。
「動くな! 動いたら撃つっぽい!」
鋭い声に駆逐棲姫は沿岸の夕立に気づいて、素直に従った。
「……殺セ」
「いい覚悟っぽい」
本当に撃ちかねない夕立をすかさず白露が止めに入った。
「ちょっと待ちなさいって。そのつもりなら初めっから撃っちゃってるし」
駆逐棲姫が白露を見上げると、白露もその目を見返す。
この子の目ってそんなに怖くないんだ。
「あなたが抵抗しなければ、こっちも撃たないよ」
「……ナンデ撃タナイノ?」
「戦う力も残ってないんでしょ? それに敵だからって好き好んで撃ちたいわけじゃないし」
駆逐棲姫は顔を逸らすように夕立の方向を見る。
「あの子だってそうだから。まあ。やる時は徹底的にやるけどね」
「逆ナラ……沈メテタ」
「でも、今はあたしたちがせーさつよだつけんっての握ってるんだよね。だったら、あたしはあなたを連れ帰るよ。話も通じてるんだし」
白露は駆逐棲姫を怖いとは思わなかった。
でも、この子は怯えてる。というのは分かった。
逆ならと言ってたけど、逆ならあたしも怯えるなと白露は思う。
「でも深海棲艦の捕虜なんて無茶っぽい」
「だからって無闇に撃つのがいいわけないじゃない」
「むぅ……」
「捕虜って言っても、まずは提督の許可を取り付けるところからだけどね」
「お姉ちゃんがその気ならいいっぽい……」
夕立は渋々といった感じではあるが姉の言葉に従った。
駆逐棲姫は観念したようだ。初めから拒否権もない。
「……好キニシテ」
白露は提督の承認も取りつけると、他の妹たちも合流したところで駆逐棲姫をトラック泊地へと連れ帰ることになった。
白露は夕立と共に周囲を警戒しながら、駆逐棲姫に話しかける。
少しは警戒心を解きたい、という気持ちもあった。
「ねえ、あなたの名前は? あたしは白露。白露型の一番なの」
「……サメ……」
「ん?」
「ワル……サメ……」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「――そんなこんなで駆逐棲姫、ワルサメを連れてきました!」
執務室では白露が提督と鳥海の前で説明を終えたところだった。
自信に満ちた白露の語りを前に、二人は感心したように何度も頷いていた。
「話は分かった。鳥海はどう思う?」
「そのワルサメを直接見ないことにはですが、私は白露さんの判断を全面的に支持します」
全面的に、ということはそれだけ信じてもらってるということ。
秘書艦さんにそうまで言われると、こっちも自信が湧いてくるね。
「ありがとう、秘書艦さん!」
「いえいえ。それに司令官さんも狙いがあって連れてくるのに同意したんですよね?」
「俺も深海棲艦には興味があるからな。でなきゃ連れてこさせないさ」
「ですが、本当によかったんですか? こういった事例は初めてだと思うんですが」
「つまり一番か……やったな、白露」
「やったー! いっちばーん!」
喜ぶ白露を鳥海は微笑ましく見つめていたが、すぐにそうではないと気づいた。
「……司令官さん」
「分かってる。これは深海棲艦に踏み込むいい機会だ。多少の危険を冒してでもやる価値があるはずだ」
「あの子、そんなに悪い子じゃないと思うよ」
白露は口を出していた。提督も頷く。
「責任を押しつけるわけじゃないが、俺もその点では白露を信じてるからな。ただ駆逐棲姫を信じてるわけじゃない」
まあ、それは仕方ないか。白露も第一印象だけで話してる点は自覚していた。
その時、明石から検疫や検査の結果が出て、ひとまず病原体やワルサメ自身の異常は見受けられないとの連絡が入った。
そうと決まればと三人はドックへと向かい、道すがら提督が言う。
「しかしワルサメか。白露型とは縁が深そうな名前だな」
「春雨みたいだよね」
白露型には春雨と山風という、未だに艦娘として確認されていない姉妹艦が二人残っている。
ワルサメという名はその内の春雨を意識させる名前だった。
夕立が突っかかるのも、その名前のせいなのかも。夕立が春雨を気にかけてるのは白露もよく知っていた。
「白露はワルサメから何か感じないのか?」
「感じるかって言われたって……分かんないものは分かんないよ」
「司令官さんは駆逐棲姫が春雨さんだと考えているんですか?」
「可能性としてはありだろ。木曾や大鯨――今は龍鳳がそうだが、海上で保護された艦娘もいるからな」
そういった艦娘の存在が、深海棲艦は艦娘の成れの果てという説の根拠になっている。
白露にせよ鳥海にせよ、その説は知っているが確認のしようもなければ確認する気も起きない話だった。
「そういえばワルサメに対して、白露を飴として誰かに――たとえば鳥海に鞭役をやらせてみたほうがいいか?」
提督はどちらに向けたのか曖昧な質問をしていた。
鳥海がそれに聞き返す。
「情報を引き出しやすく、ですか?」
「俺たちはあまりに深海棲艦を知らなさすぎるからな」
「……それは反対かな。あたしが仮に同じ立場だったら、そういうのはちょっと。面と向かって正直に話せばいいのに」
白露が鳥海を見上げると、鳥海は柔らかい表情をしている。
「だいたい秘書艦さんが鞭って人選がおかしいよ。人当たりのいい人なんだから、すぐにボロが出るって」
「じゃあ誰ならいいと思う?」
「普段からツンケンしてる人だから山城さんとかローマさんとか……待って。あたしがそう言ってたって言わないでね?」
あの二人、ちょっと怖いって言うか冗談通じないところあるし。
「山城さんもローマさんも真面目すぎるところがありますからね」
「鳥海がそれを言うのか……」
「ここは白露さんの言うように自然体で接するのが一番だと思いますよ」
「やっぱり、そうだよね!」
「ええ。下手に小細工をして裏目に出てしまっても意味がありません。司令官さんも私にはそういうことしませんでしたよね」
鳥海は指輪をなぞるように触っていた。
同じ物を白露も左の薬指にはめているが鳥海と白露、というより鳥海とその他では意味合いが違った。
白露は興味津々だった。
「提督はどんな感じだったの?」
「誠実で直球でしたよ」
「もっと聞かせて!」
「なあ、本人がいる前でそういう話はやめてくれないか」
提督は歩くペースを早くして二人の前を歩き出す。
白露は小声で鳥海に訊く。
「照れてるのかな?」
「照れてますね」
そんなやり取りが聞こえたのか聞こえなかったのか、提督は二人から逃げるように歩調を早めていった。
「もう、司令官さん。そんなに急がないでください」
鳥海は小走りで追いかけ始めた。
いいなぁ、と二人の背中を見ながら白露は思う。
とはいえ白露も置いていかれると困るので、すぐに駆け出して追いかけた。
ドックに着くと、ちょっとした人だかりができあがっていた。
手空きや非番の艦娘たちも集まってワルサメを見物に来たようだが、相手が深海棲艦の姫というのもあって取り巻く空気は重い。
提督が近づくと、それに気づいた艦娘たちが道を空けようと脇へ動く。
人だかりが割れるように動くと、提督、鳥海、白露の順にその間を進む。
渦中のワルサメはすっかり縮こまっていた。
すぐ隣で明石が医療キットをたたみ、ワルサメの後ろには夕立が艤装も外さずに見張っている。
いつでも実力行使に出られるのは明らかだ。
このぐらいの用心が必要なのも分かるけど、それを差し引いても今の夕立はちょっと怖いかも。
検査を終えた明石に提督が話しかける。
「この子がワルサメか。話せるか?」
「ええ、検疫も身体的にも異常がありませんので。まあ生身の深海棲艦を見たのは初めてなので、ひょっとしたらひょっとするかもしれませんが」
「構わない。何か起きるなら、もっと以前に起きてるはずだ」
提督がワルサメと目を合わせると、ワルサメは一歩引いた。提督の後ろでは鳥海が横に移動する――不審な動きを見せたらすぐにでも間に入れるように。
「ようこそ、ワルサメ。ジュネーヴ条約に則って……といっても知らないだろうし適用外だが、身柄の安全は保証したいと思う」
ワルサメは視線を落ち着きなくさまよわせ、白露を見つけると不安げにそちらを見つめた。
提督は提督なりに意図を察すると白露に言う。
「白露。妹たちと一緒にワルサメの世話をするんだ。詳しくは追って伝えるが」
提督はそこで夕立に視線を向ける。
「捕虜ではなく、あくまで客人に応対するつもりで頼む」
釘を差される形になった夕立は頬を膨らませるが、提督はそれを無視する形で集まっていた艦娘たちに向き直る。
「あまり必要以上に怖がるな。向こうだって俺たちが怖いんだ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
提督はワルサメを客人のように扱うと言ったが、その方針は必ずしも嘘ではなかった。
というのもワルサメを拘束しようにも艦娘の力を借りる以外に方法はなく、それならば監視を兼ねた世話役を付けた上である程度の自由を与えたほうがいいというのが提督の判断になる。
有り体に言ってしまうと拘禁よりも軟禁のほうが都合がいい、というわけだ。
もっともお目付役を言いつけられた白露型としては、そこまで分かって行動しているかは疑問符がついた。
少なくとも白露はお構いなしにワルサメと接しようとしている。
あたしだってあたしなりの責任感を持ち合わせているつもりだし。
ワルサメのやってきた晩、簡単な自己紹介などを済ませた白露型一同とワルサメは食堂に足を運んだ。
入り口の前に置かれた『味処 間宮』という木製の立て板を前にしてワルサメは立ち止まった。
「ココハ……」
不思議そうに文字を見るワルサメに白露は答える。
「間宮さんの食堂だよ。その看板は鳳翔さんが書いたんだけど、って言っても分からないよね」
「そもそもワルサメって文字は読めるんですか?」
海風の疑問にワルサメは首を傾げて答えると、夕立が冷ややかに言う。
「読めないふりかも知れないっぽい」
「あんたはまたそんなトゲのあることを」
「ふーんだ」
すっかり拗ねた調子の夕立に白露も困ってはいたが、納得し切れていない妹の気持ちも理解していたので強く怒れなかった。
「まあまあ、まずはお腹いっぱいに食べましょう! 幸せは満腹からです!」
あからさまに明るい声を出した五月雨は、歩きだした途端に立て板に足先を引っかけた。
盛大な音を立てながら立て板を倒し、五月雨は手をばたつかせながら額から床に倒れ込んだ。
「いったーい! なんでこんな……」
「ア、アノ……」
「ああ、うん。気にしないで。よくあることだから」
白露はそう言ったが、ワルサメは恐る恐るといった様子で倒れた五月雨に手を差し出す。
涙目になった五月雨がその手を迷いなく掴むとワルサメは五月雨を立たせた。
「ありがとう……」
「……イエ。足下ニハ気ヲツケテクダサイ」
二人のすぐ後ろでは、涼風が倒れた立て板を元の場所に立て直していた。
「ほんと気をつけろよなー。あんたも助かるよ」
ワルサメは涼風にまで礼を言われると、萎縮して俯いてしまった。
涼風は白露にどうしようと言いたげに顔を向けたので、白露はワルサメの空いた手を引いて間宮に入っていった。
九人はテーブルに座る。白露はワルサメと向かい合う席に、ワルサメの両隣には村雨と五月雨が座って夕立は一人で端に陣取る。
夕食時なので、全員ではないにしても鎮守府の艦娘たちも間宮に集まっていた。
そのため活気はあるのだが、空席もまた多かった。
「とりあえず、あたしとワルサメはお任せ定食にしちゃうから、みんなは好きなの頼んじゃって」
各々が何を食べるかを決めてる間、ワルサメは白露型以外の艦娘を気にしていた。
多くの艦娘たちもまたワルサメを気にしていた。提督がどう言ったところで簡単に、ましてや一日やそこらで変わるわけもない。
けど、これじゃよくないよね。白露は振り返るとワルサメの視線を追い、見ている相手について教えていこうと決めた。
「あれは武蔵さんと清霜だね。日焼けしてる眼鏡の人が武蔵さんで豪快な人だよ」
「ゴーカイ?」
「細かいことは気にするなって感じ? さすが大戦艦っていうか。手を振ったら振り返してくれるかも」
「……ヤメテオキマス」
ワルサメの反応も仕方ないか。まだ妹たちにも気を許せてないのに、まったく知らない武蔵さんに手を振れというのは難易度が高いだろうし。
白露がそう考えていると五月雨が自然と後を引き継いでいた。
「清霜ちゃんは私たちと同じ駆逐艦です。将来は戦艦になりたいって言ってますけど」
「艦娘ハ駆逐艦カラ戦艦ニナレルノ?」
「えーっと……それはどうでしょう? どうかな、涼風?」
「気合いがあれば大丈夫さ。いけるいけるぅ!」
「艦娘ッテスゴイ……!」
無理なんじゃないかなと白露は思ったが、敢えて訂正はしなかった。夢を壊してはいけない。
五月雨は意気揚々と紹介を続けていく。
「それから、あっちはイタリアのみなさんですね。リットリオさんにローマさん、ザラさんとリベちゃん。みなさん優しいですけど……ローマさんはちょっと怖いかも」
「あたしもあの人はちょっと怖いかなぁ。視線が冷たいっていうか」
白露が五月雨に同意すると、村雨も会話に入ってきた。
「それは二人がローマさんをよく知らないからだよ」
「そうなの?」
「水着を買いに行った時にご一緒させてもらったんだけどね」
「いつの間に……」
「ここは常夏の島だよ? それで一緒に選んでもらったんだけどセンスが洗練されてて勉強になったし、お酒のチョイスもいいし」
「そういえば村雨はワイン派だったっけ」
「ええ。それでこの前飲んでたらイタリア産のも勧められてね……その話はまた今度として、みんなローマさんを怖がりすぎなのよ」
「村雨にそう言われると、そんな気がしてきたよ」
「姉さんも今度話してみればいいじゃない。ってごめんなさいね、私たちばっかり話しちゃってて」
村雨がワルサメに話を振ると、彼女はゆっくりと首を横に振る。
「ミナサンノ話ハ聞イテルダケデ面白イノデ続ケテクダサイ」
「そう? じゃあ次は……あっちの窓側にいるのが木曾さんね。いつもはお姉さんたちといるんだけど今日は一人みたい」
白露は木曾をどう言っていいのか上手く思い浮んでこなかった。
「木曾さんは……なんていうか色々あった人だよね」
イケメン枠という言葉も思い浮んでいたが、白露の知る限りでは木曾は強さと弱さの同居している艦娘だった。
だから説明に困った。表層しか捉えていない説明になるのではないかと考えてしまって。
悩む白露の代わりに海風が言う。
「木曾さんにはメイド服を着せたい……私じゃなくて多摩さんが言ってたんですけど」
「木曾にメイド服ってどういうチョイス――」
ちょっと呆れたような時雨が言いかけて固まる。
白露たちも大体同じような想像をしていた。
時雨はどこか愕然としたように声にだす。
「アイパッチの美形メイド。マントは当然そのままだとして、黒のメイド服に白のエプロン。スカートの裾は当然短いしフリルもついてる……当然本人は照れている」
白露型の視線を一身に受けた木曾は、その異様さに気づいたが敢えて無視を決め込むことにした。
時雨は唾を飲み込んだ。
「結構、ううん。かなり有り?」
「多摩さンってすげーンだな……」
江風からもそんな反応を引き出せるんだから、それだけのインパクトがある。
実際に着せようとするのはかなり大変なのは白露も分かっていたが。
「それにしても空席が目立つなぁ……仕方ないか」
白露は辺りを見渡しているとワルサメが不安そうに聞いてくる。
「私ガイルカラデスカ?」
「ううん、そうじゃないよ。もっと深い理由があるんだよ」
「深イ?」
「そ。深いふかーい理由がね」
実際はもったいぶるほどの理由じゃないのは白露にも分かっていた。
そして五月雨があっさりと漏らしてしまう。
「他の鎮守府ができて人が減っただけじゃないですか。今じゃ五十人ぐらいで、ここに来た時の三分の一しか」
「五月雨、そんなことまで言わなくていいよ」
時雨が口を挟むと、五月雨は慌てて口を閉じる。
五月雨が言わなくても、数日もすればワルサメにも察しがついてただろうし、そもそも攻撃をかけてきたのもこっちの頭数が減っていると分かってたからだと思うけど。
時雨はそのまま話を引き継いだ。
「今度はボクからもワルサメに紹介しておこう。あそこにいるのが扶桑と山城だよ」
時雨に言われてワルサメは扶桑と山城を見る。改造巫女服を着た二人の姿はワルサメに別の相手を思い出させた。
「大キイデスネ……」
「そう、扶桑と山城は大きいんだ。君の反応は見所があるね」
「≠тжa,,ミタイデス」
ワルサメの言葉に時雨のみならず一同は困惑した。すぐにワルサメも異変を察した。
「私、言ッテハイケナイコトデモ……?」
「ううん、そうじゃなくってね。名前だと思うんだけど、何を言ったのかちっとも分かんなくて」
白露の返事にワルサメはもう一度同じ名を出した。
「≠тжa,,」
「うん、それ。あたしたちにはちょっと早すぎるかなーって」
ワルサメは立ち上がると、手を上下させて体型を示すようにジェスチャーをする。それから額に手を当ててから前に伸ばすように突き出す。
その動きを何度か見てから白露は聞く。
「もしかして私たちが来るまでこの島にいた姫?」
「ソノハズデス」
「私たちは港湾棲姫って呼んでたけど」
「コーワン? コーワン……カワイイ名前デスネ」
「ちなみにワルサメは駆逐棲姫って呼んでるんだけど」
「コッチハカワイクナイ……」
「そうなんだ……」
白露にはよく分からない感性だった。
疑問が解けたところで時雨がワルサメに尋ねる。
「それで君からしたら扶桑たちは港湾棲姫に似ているのかい?」
「似テイルノトハ違ウカモ……デモ私ハ≠……コーワンヲ思イ出シマシタ。大キクテ優シイカタデ、私ヤホッポニヨクシテクレテ」
「ホッポ? 他の姫とか?」
「ハイ、コンナ小サイ子デ」
ワルサメは手のひらを下に向けて胸の高さで左右に振る。
嬉しそうに説明するワルサメへ時雨が少し踏み込んだことを聞く。
「そうなんだ……そういえば港湾棲姫は健在なのかい?」
「ハイ、元気デス」
「なるほどね」
と号作戦から四ヶ月が過ぎているが、港湾棲姫の安否は不明のままだった。この時までは。
ワルサメは余計な話をしたと悟ったらしく、椅子に座り直すと口を噤んでしまう。
乗せられたと思って、殻に閉じこもってほしくはないけど。
白露はそんな風に考えながらも話し続ける。そうしないと本当に騙しただけのようになってしまうと思えて。
「他にはあっちにいる着物の人たちが蒼龍さんと飛龍さん。もこふわしてそうなのが雲龍さんで三人とも空母だね」
「空母ハ苦手デス……」
「ありゃ、そうなのか。じゃあ、あっちの駆逐艦。島風と天津風に長波だね」
「着任した頃の島風はスピード狂って感じだったけど、ずいぶん丸くなったわね」
村雨が懐かしむように呟くと、それまで一言も発さなかった夕立がテーブルを叩く。
テーブルの足が軋む不協和音と一緒に夕立も立ち上がると白露を睨みつける。
「お姉ちゃん、いつまでこんなことやるっぽい」
白露は夕立が不満を抱いているのは承知していたが、この場で噴出するとは思っていなかった。
椅子に座ったまま白露は夕立を見る。
「いつまでって……晩ご飯が届くまで?」
「こんなの、すごくバカっぽい!」
唾を飲み込んでから、白露は気づいた。
緊張してるよ、あたし。
それはそうだった。夕立の雰囲気は戦闘中に敵に向けるそれに近い。
純粋な戦闘能力で評価すれば、夕立は白露型でも一番で駆逐艦という枠で見ても頂点を争える。
そんな夕立が穏やかじゃない雰囲気を漂わせれば、意識するなというのが無茶な注文だった。
「何が気に入らないの」
怖くない。と言ったら嘘になってしまうが、それでも白露は聞く。
夕立は他の艦娘たちからも注目を集めてるのにも気づいて、少しは落ち着きを取り戻していた。
それでも溜め込んだ感情を吐き出さないと、夕立の収まりもつかない。
「まず名前が気に入らないっぽい! 何がワルサメなの!」
「名前は関係ないんじゃないの、名前は」
「大ありっぽい! ふざけた名前! 春雨みたいで!」
「ハルサメ?」
不用意に口にしたワルサメを夕立は一睨みで黙らせる。
「考えすぎだよ、夕立。あたしも初めて聞いた時はふざけてるのかと思ったけど、それはあくまで白露型の事情でしょ」
妹を意識させる名前なんだから気にするなっていうのも難しいだろうけど。
「確かにお姉ちゃんの言うように、こっちの内輪事情ってやつっぽい」
「だったら……」
「でも、つい最近撃ち合ってたのに、今日になって仲良くご飯食べましょうなんておかしいっぽい!」
夕立はワルサメに視線を移すと、少し抑えた声で言う。
「駆逐棲姫はそう感じないっぽい? 夕立は何発か当ててやったっぽい。覚えてない? 夕立にも一発当ててきたっぽい。覚えてない? 何も感じないっぽい?」
恫喝じみた口調に白露の声も尖る。
「いい加減にしたら、夕立」
「待ちなよ。江風も夕立の姉貴に賛成。裏がないって決めつけンには早すぎないか?」
「裏ぁ?」
うわ、なんか変な声出た。これじゃ怒ってるみたいだと白露は思ってから、実際にあたしも怒ってるんだと考え直した。
江風はしまったという顔を少しだけ浮かべたが、すぐに振り払うように言う。
「たとえばスパイだとか」
「それっぽい。この子がスパイじゃない証拠とかもないのに、みんな気を許しすぎっぽい!」
二人の言い分に異を唱えたのは村雨だった。
「別にこの子の肩を持つわけじゃないけどスパイって線は薄いんじゃない? 話を聞く限りだと計画通りって感じじゃないし」
「自然なほうが本当っぽく見えるっぽい」
「それにしては偶然に頼りすぎって言ってるのよ。見つけたのがたとえば夕立と江風だったらその場で終わりでしょ? そんな運任せの工作なんてあるかしら」
「時雨張りの強運ならいけるっぽい」
「さすがにそういうのでボクを持ち出さないでほしいな」
「時雨はどっちの味方っぽい!」
「どっちの味方でもないし敵でもないよ」
時雨が呆れ顔をしたところで、海風が宥めるように言う。
「夕立姉さんもここは一回……江風も後でちゃんと話を聞いてあげるから、ね?」
「ここで全部話しておいたほうがいい気もすンだけど」
落ち着くタイミングを見計らっていたのか、伊良湖がポニーテールを揺らして席に近づいてくる。
伊良湖は夕立とワルサメは見ないようにしながら白露に聞く。
「用意はできたんだけど運んじゃってもいいかな?」
白露が夕立を見ると椅子に座ったので、運んでもらうよう伊良湖にお願いをする。
すぐに間宮も出てきて白露型とワルサメたちに夕食を配っていく。
白露とワルサメのお任せ定食は魚の開きがおかずで、アサリと小ねぎのみそ汁と小鉢が二つ。
開きはアジを使っていて間宮自家製。小鉢は青菜のおひたしとオクラをかつお節で和えた物だった。
白露型一同は先程までの様子はどこ吹く風で、息を揃えて手を合わせる。
「いただきます」
そんな様子にワルサメだけは困惑していたが、とにもかくにも手を合わせる。
次いでワルサメはアジの開きを真剣に見つめることとなった。
「コレハナンデスカ?」
「魚の開きだけど……こういうのは初めて?」
「魚ハコンナ姿デ泳ガナイノデ……神秘デス」
「そんな大げさな……」
みそ汁を飲んでいた涼風がワルサメに尋ねる。
「こんな時に聞くのもなんだけど、深海棲艦って普段は何食べてんのさ?」
「まさかに――」
「五月雨、それ以上いけない」
時雨が素早く制する中、おずおずとワルサメは答える。
「魚トカ貝トカ海藻ヲ……」
「海産物か。海は食べ物の宝庫だからね」
「アノ……コレハドウ使ウンデスカ?」
ワルサメは割れ物を触るように慎重な手つきで箸を持ち上げていた。
「村雨、教えてあげて」
「いいけど、そういうのは姉さんの役じゃない?」
「あたしは決めるの担当だからです!」
胸を張って宣言する白露に、村雨は気の抜けたような笑顔で返す。
それでも村雨としては教えるのは満更ではなかった。
村雨がワルサメの手を取ると、驚いたワルサメは手を引っ込める。しかし、すぐに手をおずおずと元の位置に戻すと、村雨は箸を握らせる。
「まずお箸はこうやって持ってね……そうそう。いい感じ、いい感じ。次はね」
「串刺しにすればいいっぽい」
「エ? 刺スノ?」
「刺すんじゃなくて摘む感じ? 夕立は変なこと吹き込まないように」
「ぽいぽい」
適当な返事をする夕立をよそに、村雨は箸の使い方を丁寧にワルサメへ教えていく。
ワルサメは箸を開いて閉じるのを繰り返してから、開きの身を言われたように摘む。
「うんうん、飲み込みが早いわね」
感心する村雨が見守る中、ワルサメはほぐれた身を口に運ぶ。
一口噛んだ途端にワルサメの顔が晴れやかに明るくなる。
これ以上ないほどの満面の笑顔で何度も噛んで、味を存分に堪能してから飲み込んだ。
「オイシイ……」
ワルサメは満足したように深く息を吐く。
「ナンナンデスカコレ。同ジ魚トハ思エマセン」
ワルサメに振られた白露は村雨に聞き返す。
「開きだから干物だよね? 半分に切って外に干しとくんだっけ?」
「塩水に浸けたりとかもしてたような……」
「コンナ美味シイ物ヲ毎日食ベテルンデスカ?」
「毎日というか毎食?」
「ズルイ! ナンテズルインデスカ!」
白露たちの予想外の反応を見せながら、ワルサメは食事を再開する。
不意にワルサメの目から黒い体液が流れ出していく。
血の涙にしか見えないそれに、白露たちは悲鳴を上げて飛び上がるように離れた。
「ナ、ナンナンデスカ?」
食べ物を頬張っていたワルサメは、鼻にかかるような声を出す。
時雨がその様子に閃いて手を打つ。
「ボクらや人の涙は血と成分が同じなんだ。きっと深海棲艦も」
「じゃあ、これは泣いてるの?」
「たぶん深海棲艦の目には黒い原因の成分か色素を濾過するフィルターがないんじゃないかな」
「仮説をありがとう、時雨。そうだとしても、さすがにこれは驚いたよ」
「つまり……泣くほど感動しちゃったんですか?」
ワルサメは白露型の視線を気にしながらも食欲には勝てなかったらしく、食事をやめる様子はなかった。
そんなワルサメを見て江風が吹き出した。
「なンつーかさ……普通なンだな。深海棲艦も」
「血の涙が?」
「そうじゃなくって旨いもン食べたら喜ぶンだってこと」
「そんなの……まだ分からないっぽい」
夕立は否定するが、そこには少し前までの勢いはなくなっていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ワルサメが鎮守府に保護されてから一週間。
一週間という時間で白露型とワルサメの距離も縮まっていて、江風はワルサメを受け入れるようになっている。
ただし夕立は前のような強硬的な面を見せないだけで、打ち解けようという素振りは見せていなかった。
昼下がりを迎えた頃、ワルサメが提督と話したいと言いだした。
いい機会かもね、と白露は相づちを打つとこの日の当番の海風と一緒に執務室に向かう。が、三人が着いた時にはもぬけの空になっていた。
「提督ってば、最近は暇になるとすぐにラウンジに行っちゃうんだから」
「でも、そのほうが平和ってことじゃないですか」
「それはそうなんだけどね」
白露たちはラウンジに向かう。そこは艦娘たちからは休憩室や談話室、待機場などと好き勝手に呼んでいる部屋だった。
トラック島鎮守府が設立された際に新設された部屋で、もちろんクーラーも完備。これが重要。この島って暑いからね。
すぐ隣には酒飲みの艦娘のためのバーも併設されている。
白露たちはすぐにソファーに座る提督を見つけ、提督もまた白露たちに気づく。
秘書艦の鳥海の他に島風と天津風、長波もいてソファーや椅子に座りながら何かを話し込んでいるところだった。
「提督ー。ワルサメが何か話したいんだって」
白露たちが近づくと島風と天津風が提督の正面にある椅子を空ける。
この一週間で艦娘側はワルサメに慣れ始めていた。少なくとも露骨に嫌悪感や警戒を向けられるようなことはなくなっていた。
白露が見る限り、ワルサメも感情を表情として出すようになっていたし、極端に萎縮してしまうような事態は減っていた。
それでも完全になくなったわけでもなく、時雨に紹介されて扶桑姉妹に会った時は背中に隠れようとしている。
扶桑姉妹が港湾棲姫に似ているとはワルサメの弁でも、直接会って話すのはやっぱり違うらしい。
怖がるワルサメの様子に「不幸だわ……」と呟く山城の姿は、相手が深海棲艦という点を除けば日常とあまり変わらない一幕だった。
ワルサメは場所を空けてくれた島風に礼を言うと提督の正面に座る。
白露はふと疑問に感じた。
「そういえばワルサメって島風たちと面識あったっけ?」
「イエ。遠クカラ見タダケデス」
「私たちも間近で見るのは初めてだね。よろしくってことでいいのかな?」
「そうしてもらえると、あたしは嬉しいかな」
「分かった。私は島風、こっちは天津風でこっちが長波」
「島風ハ知ッテマス。若イ頃ハスピード狂ダッタトカ」
「今も若いよ!?」
「スピード狂に反対するところだろ」
「この子、今でもそうだから」
そんなやり取りを交わしてる間に、提督はやや前のめりに姿勢を変えている。
ワルサメの話をちゃんと聞こうという態度かもしれないと白露は思った。
「提督ノ知恵ヲ貸シテホシイ。避ケテクル相手ト仲良クスルニハドウシタライイ?」
まじめくさった顔でワルサメの言葉を聞いた提督は、その意味を考えて拍子抜けしたらしい。
「姫様にそんな質問をされるとは思ってなかったな……白露たちは知ってたのか?」
「まさか。誰のことかは心当たりがあるけど」
どう考えても夕立しかありえない。
ワルサメも夕立とは仲良くしたいんだと、白露は少ししんみりとした。
「あたしたちってここにいないほうがいいのかな?」
「それならワルサメも話してないだろ」
「ハイ。ソレデ提督ナラドウスル?」
「そうだな……鳥海や島風たちならどうする?」
提督が話を振るとすぐに島風が手を上げる。
「はい、島風」
「頬を思いっきり引っぱたくの。バシーンって!」
いきなり提督の横にいた鳥海がむせたような咳をする。その反応に提督はおかしそうに笑った。
白露は二人の反応が分からなかったが、ワルサメが夕立にビンタをした場合の展開を想像して即断する。
「却下でお願いします」
「なんで!」
「たぶん血が降ると思うし……どうして島風はそんなことを思いつくのよ」
「実体験? 鳥海さんにはたかれたから、私たちは仲良くなれたっていうか」
「え……本当なんですか、秘書艦さん?」
「叩いたのは事実ですけど、別にそれで仲良くなれたわけじゃ……」
鳥海はしどろもどろに話し、長波が感想を漏らす。
「そこだけ聞くと島風が単なるドMとしか思えないな……ああ、あたしならドラム缶積んで一緒に輸送作戦にでも従事すれば、大抵のやつとは仲良くなれると思うぞ」
「悪くない案のような気がするけど、この子を外に出すのはなー……」
「今回は見送ったほうがいいだろうなぁ。はい、というわけで天津風の番!」
「うーん……私が教えてほしいぐらいよ。提督、なんとかしてちょうだい」
話が戻ってきた提督は自信を持って断言する。
「胃袋を掴むしかないな」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ワルサメが料理をするという案はあっさり採用された。
厨房を使ってワルサメへの指導が始まり、白露は提督と鳥海と一緒にその様子を見学に来ていた。
提督は少し心配そうな顔をしている。あんな自信満々に言ってたのに。
でも、心配するのも分かる。白露たちと話す限り、深海棲艦には調理の概念が乏しいらしいと推測できる。
当然ワルサメも一度だって料理をしたことがないはずだった。
提督が鳥海に確認する。
「初心者だから、おにぎりとみそ汁なのか」
「はい。基本中の基本ですし、おにぎりなら練習用に作りすぎても糧食として持っていけますから」
「うん、いい考えだ。それに間宮もついてるんだから、滅多なことにはならないはずなんだが」
意外だったのは、白露たちが場所を貸してもらうように頼みに来ると間宮が直々に教えたいと言い出したことだった。
白露は一人で仕込みを続ける伊良湖に訊く。
「どうして間宮さんが教えてくれるんです?」
「それはあの子がいつもおいしそうに食べてくれるからですよ」
伊良湖は間宮の代弁をする。
「性格診断なんかになると話半分ですけど、食べ方に性格って出ますからね。おいしそうに食べてくれる子への好感度は鰻登りですよ」
「分かります、おいしそうに食べてもらえると作った甲斐がありますよね」
鳥海が同意すると伊良湖は自信を持って頷き返す。
「だから間宮さんも、ちょっとしたお礼のつもりなんだと思います」
「ほほー……なるほどなるほど」
納得だね。あんな風においしそうに食べてくれる子はちょっと他に思い当たらないし。
白露は何故か誇らしげに思えた。
「そういえば、あの子っていつまでここにいられるんですか?」
伊良湖が提督に訊くと、提督は苦笑いを浮かべる。
「いつまでかな。海軍省も大本営もワルサメについては何も言ってこないんだ。どう扱っていいのか決めかねてるのかもしれない」
「そうだったんですか」
「足場を固める期間だと思えばいいさ。ワルサメも白露たちに懐いてるみたいだし」
「ふふん」
「なんだ、変な笑い声出して」
「提督にだけは言われたくないよ。せっかく提督の考えが分かったのに」
「俺の考え?」
「提督だってワルサメとか深海棲艦と仲良くしたいってことでしょ?」
「……平たく言えばそうだな。和解の芽が出てきたんじゃないかとは思いたいよ」
そう答える提督に鳥海が異を唱える。
「そう考えるには些か性急すぎませんか? 確かにワルサメとは上手くやっていけるかもしれませんが……」
「鳥海の懸念はもっともだが、この一歩の差は大きいと信じたい」
「あたしもそう思いたいな」
ワルサメみたいな子がいるなら深海棲艦とだって仲良くやっていけるのかも。白露はそんな期待を抱いていた。
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白露は時雨と一緒に夕立を『間宮』に誘った。
甘味を食べに、というのは表向きの理由で時雨には事情を話している。
白露たちが注文をしている隣では、提督と鳥海が何食わぬ顔で座っていた。
提督の前には手つかずのお汁粉、鳥海は器からはみ出そうなほど盛りだしたクリームあんみつを崩している。
「ずいぶん頼むじゃない」
「今日は時雨がしつこかったからおなかも空いてるっぽい」
「ボクもたまにはしっかり動きたいしね。夕立はいい訓練相手になってくれるし」
おなかを空かせるのが狙いで時雨にも協力してもらったんだけどね。白露は内心で考えるが表には出さない。
「そういえば、たまには鳥海と演習したいっぽい」
「それはボクも同感だね。提督にだけ独占させておくのはもったいない」
蚊帳の外にいたつもりらしい鳥海は戸惑っていた。
鳥海はスプーンにすくったクリームを器に戻す。
「どうして私と?」
「上達するには手強い相手とやったほうがいいっぽい。その点、鳥海からなら一番学べるっぽい!」
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど買い被りすぎですよ」
「そんなことはないさ。ボクからもお願いしたい。提督、どうかな?」
「水を差す気はないよ。というわけだから、今度付き合ったらどうだ?」
「そういうことでしたら……」
「でも時雨はまだしも、夕立が真面目に訓練するなんて」
「お姉ちゃんでも、それは聞き捨てならないっぽい!」
「あはは、ごめんごめん」
夕立はサボったりはしないけど、基本訓練以外はあんまりしたがらなかったけど。
白露が不思議に思った。
「私は迷いを捨てたいっぽい。そのためには強くなりたいし、それには動くのが一番ぽいって」
「へえ……ちゃんと考えてるんだね、夕立は。えらいよ」
「えへへ、ありがとうお姉ちゃん」
やだ何、この子ちょろかわいい。
白露は少しの間、夕立に見とれてから我に返る。
「そうだ、時雨はどうして?」
「雪風に差をつけられるのは面白くないからね。最後に模擬戦やった時は負け越してるし」
ああ、そうだった。時雨ってこれで結構な負けず嫌いだったっけ。
同じ幸運艦と評される雪風相手だと、尚のことそう思ってしまうみたい。
雪風は陽炎型の大半と一緒に別の鎮守府に移っちゃったから、なかなか会う機会はないかもしれないけど。
「それにしても遅いっぽい。おなかがくっつきそうっぽい……」
「オ待タセシマシタ」
「待ってたっぽい――」
夕立は給仕服のワルサメを見て固まる。
ワルサメは恥ずかしいのか気後れしてるのか、おどおどした手つきで白露たちの甘味を並べていく。
夕立が頼んだのは鳥海が食べているのと同じ物だった。
そして最後に自分が作ったおにぎりとみそ汁を載せた盆を運んできた。
おにぎりの数は四つで、みそ汁からは湯気が立っている。
「アノ……夕立ニ食ベテホシクテ作リマシタ」
ワルサメはそれだけ伝えると一歩引く。
夕立はというと、うろたえていた。
白露と時雨は夕立の前に並ぶご飯を見て言う。
「取り合わせが悪かったかも」
「言われてみれば確かに。残念だったね、夕立」
夕立は今になって何かに気づいたように慌てて首を振る。
「そうじゃなくってなんで……だいたい深海棲艦が作った物なんて」
夕立が思わず言ってしまった一言は、それなりの重さを持ち合わせていた。
ワルサメや白露はおろか、言ってしまった夕立も含めてその言葉に絡め取られてしまう。
そんな空気を破ったのは提督だった。
彼の手が夕立のおにぎりへと伸びると、一つを奪い取りそのまま食べてしまう。
次に立ち直った鳥海が柔らかな声で言う。
「人のご飯を横取りなんてはしたないですよ、司令官さん」
「おいしそうだったから、つい」
その言葉をきっかけに白露は時雨を見た。時雨もまた白露を見た。
二人は同時に手を伸ばすと夕立のおにぎりを取ってしまう。
四つの内三つを失った夕立は、まだ手を伸ばしていない鳥海と視線を絡ませた。
場の空気を察した鳥海が手を伸ばそうとするが。
「これは渡さないっぽい!」
早業で夕立は最後のおにぎりを確保していた。
立ち尽くすワルサメと目と目を合わせ、夕立はおにぎりを一気に食べた。
「どう、夕立?」
白露の問いに夕立が答えようとする。
しかし白露はワルサメのほうに顔を向けた。
「あたしじゃなくって、あっちにね?」
夕立はワルサメを見つめて、意を決したように言う。
「……おいしかったっぽい」
「……オカワリ、シマスカ?」
「食べてもいいなら……ほしいっぽい」
ワルサメは嬉しそうに微笑んで、夕立は肩の荷が下りたようだった。
白露はそんな二人を見て胸をなで下ろした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
夕暮れ時、白露はワルサメと二人で窓から外を見る。
本当なら一人だけでワルサメのお目付役をするのは御法度だったが、白露が少しだけという条件で無理を言っていた。
日中に強い日差しを投げかけていた太陽は、墨をかけたように黒い山の稜線に隠れるように沈んでいる。
今ではダークブルーの夜空が、オレンジ色の残光を西に追いつめていた。夜が来る。
「空ニハコンナ色モアルンデスネ……」
「夕焼けなんて見慣れちゃってるんだけど、たまに見ると思い知らされた気になるんだよね。あたしたちってすごい所にいるんだって」
「海ノ果テニハ……」
ワルサメは何かに思いを馳せてるみたいだった。
「今日ハアリガトウゴザイマシタ」
「ううん、あたしは何もしてないよ。ワルサメが自分で解決したんだから」
「デモ白露ガイナカッタラ、ドウニモナリマセンデシタ。初メテ話シタノガ白露デヨカッタ」
「あ、そうか。深海棲艦とちゃんと話したのってあたしが最初になるんだ」
つまり一番。いっちばーん。うん、やっぱり一番はいいよね。
気を良くして白露は今日の感想を訊く。
「楽シカッタデス」
「うんうん。今度はみんなで料理したいね。もっとワルサメの作ったご飯も食べてもらったりなんかして」
白露からすれば、それはなんでもない口約束のつもりだった。
ワルサメなら二つ返事で乗っかってくると思っていたけど、消え入りそうな声で聞き返してくる。
「ホントニ……イインデスカ?」
「ん? なんで?」
「ダッテ私ト白露タチハ敵ナノニ」
「でも、ほら。ワルサメは捕虜みたいなもんだし仲良くなれちゃったし……うーん……」
自分の気持ちを白露は上手く伝えられない。
白露なりの判断基準はあるが、それは言葉として出そうとすると漠然として要領を得なくなりそうだった。
「夕立とだって仲良くしたかったんでしょ? それってもう敵とか味方って話じゃないよ」
「ソウデショウカ……」
「そうじゃないの? ねえ、あたしともっと話そう。話してくれないと分からないけど、話してみれば分かることってきっとあるよね?」
それは白露がワルサメと関わっていく内に実感し始めている思いだった。
「私ハ……白露ガ好キデス。他ノ艦娘ダッテヨクシテクレテマスシ、夕立トモモット仲良クシタイ」
「うんうん、みんないい人たちだよ。妹たちも提督や秘書艦さんだって」
「ハイ。見テイルト、ココニ熱ヲ感ジテクルンデス」
ワルサメは自分の胸を両手で覆う。白い指がきれいだった。
「あたしたちって、そんなに変わらないってことだよ。艦娘とか深海棲艦とか関係ないんだから」
「デモ……ソウダカラコソ怖クナルンデス。今ガ満チ足リテルカラ……」
「怖がることなんてないよ」
ワルサメは首を横に振る。今にも崩れてしまいそうな表情で。
「艦娘ハ私ノ仲間ヲタクサン沈メテル……コレカラダッテキット……」
「そんなの! 襲われたらやり返すしかないじゃん……深海棲艦がどれだけ人間を殺したと思ってるの!」
責める気はないのに語気が荒くなる。
ワルサメは視線を避けるように俯いた。
「ソウ、ナンデスヨネ……」
「最初に始めたのは深海棲艦なのに……そんなこと言うのはずるいよ……」
戦争だから仕方ない。ありきたりに思える言い分で納得していいと白露は思わなかった。
だけど他にどんな言い分で納得できるの?
こっちが何もしなければ深海棲艦は何もしてこなかった? そうじゃないでしょ。
「ワルサメ。あなたは……」
白露は言い淀む。けれども続きを言う。知らないといけない。
「今までに人を襲ったことはあるの?」
ワルサメは言葉なく首を横に振った。
やっぱり。意外でもなんでもなく、そんな気がしてた。
過ごせば過ごすほどこの子は。ううん、たぶん初めて会った時から、この子に戦いには似つかわしくないと思えていたから。
「白露ハドウナノ?」
「そんなの……関係ないじゃない」
そう言い返すのが精一杯だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
かつて血みどろの戦いが繰り広げられた島。その海岸沿いに黒く壺のような建造物がいくつも建ち並んでいる。
鋼材を大雑把に組み上げ樹脂で固めたような作りの壁は、人間が作った物ではない。深海棲艦による建築物だ。
建築物はどれも同じ作りだが大きさはまばらだった。
その中でも一際大きな建造物の中に丸い部屋がある。丸い円卓があり天井の光源も丸く、淡く青い光を全周に照らしている。
例外も一人いるが、その部屋では深海棲艦の姫が円卓を囲んでいた。その数は七人。
港湾棲姫以外はまだ人類に認知されていない姫たちだった。
「ツマリ≠тжa,,ハ総力ヲ挙ゲテ、ワルサメヲ奪還スベキト言ウノネ?」
「ソノ通リ」
≠тжa,,――すなわち港湾棲姫の主張を空母棲姫は確認した。
トラック泊地を監視している潜水艦たちからは、ワルサメの反応を今でも感知できるとの報告が届いている。
それを受けてワルサメをいかにするかというのが、姫たちの議題だった。
「≠тжa,,に賛成の者は?」
一人の姫が機械仕掛けの黒ずんだ右手を挙げる。後々に飛行場姫と認定される深海棲艦だった。
「生存ノ可能性ガアルナラ、デキル限リ手ハ尽クシタイ」
飛行場姫はそう言うが、二人に賛同する者は続かなかった。
進行役を担う空母棲姫は面白そうに笑う。
「ナルホド。他ノ者ハ……反対トイウコトカシラ? 私モ反対ダワ」
「何故ダ?」
「簡単ナコト。反応ヲ確認シタトコロデ無事トイウ証拠ニハナラナイモノ。我々ガ人間ヲ捕ラエタラドウスル?」
空母棲姫はますますおかしそうに笑う一方で、港湾棲姫からは表情が消えていく。
「第一、時間ガ経チスギテルワ。キットモウ手遅レ」
「デハ何モシナイト言ウノ?」
「ソウネエ。ソレデハ納得デキナイ気持チモ理解デキルワ。コウシマショウ」
空母棲姫は立ち上がると二人の姫を指名する。戦艦棲姫と重巡棲姫だった。
前者は黙々とし、後者は露骨に嫌そうな顔をする。
「我々デワルサメノ返還ヲ要求スル。ソレデワルサメガ無事ナラヨシ。返還ニ応ジレバナオヨシ。向コウガ拒否スレバ力尽クデ事ヲ為ス」
空母棲姫のこの提案には、港湾棲姫が独断で動くのを防ぐ狙いもあった。
結局、空母棲姫の提案は通り三人の姫を中心に出撃することになるのだが、ちょっとした要求をする者がいた。
七人の中で一人だけ姫ではない深海棲艦、レ級だった。
「戦イニ行クナラサァ、アタシモ連レテッテヨ」
従来のレ級のように黒いローブを被っているが、その目は流れ出る血を思わせる赤に輝いている。
好戦的な笑みで頬を吊り上げる彼女だったが空母棲姫はやんわりと拒否した。
「9レ#=Cモ連レテイッテアゲタイケド、アナタガイタラ交渉ドコロジャナイデショウ?」
空母棲姫はレ級をそれなりには評価していた。あくまで番犬の範疇としてなら、という前提つきだが。
まだ数こそ少ないものの、レ級はいずれも一騎当千と呼べる戦闘能力を有している。
特にこの場にいる9レ#=Cと呼ばれるレ級は図抜けた能力で、すでにレ級全体の束ね役になっていた。
その能力といくつか姫と同じ特徴を有しているために、彼女は姫たちとの会合に参加する権利を有している。
「ヒヒッ、確カニアタシガイタラ殲滅戦ニナルカモダケドサァ」
「私ガオ誂エ向キナ戦場ニ連レテ行ッテヤロウ」
レ級にそう言ったのは最後の姫、装甲空母姫だった。
「パナマ運河ノ防衛ニ手ヲ貸スヨウ頼マレテイル。アメリカノ艦娘ドモガ攻撃準備ヲシテイルラシイ」
「連レテッテクレルノカ! ヤッパ、アンタハイイヤツダナァ!」
「褒メテモ艦載機シカ出ナイゾ」
「新型? 新型カア!」
「働キ次第デハオ前ニモヤロウ」
結論は出たと見て、空母棲姫は戦艦棲姫と重巡棲姫に向かって意味深に笑う。
「サア、我々モ出陣シマショウ。ワルサメノ尊厳ノタメニモ」
とても本心には聞こえないその言葉は寒々しくて軽薄だった。
港湾棲姫はそんな様子をただ黙って見ていることしかできなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌日の夜になっても白露は悶々としていた。それもこれも全てはワルサメとの会話が原因だった。
「うーん……」
今は村雨と五月雨が様子を見ているので、白露は一人で悩む。
「でもなぁ……」
白露型の部屋で白露はひたすらに悩んだ。
「ああでもないし……」
「お姉ちゃん、さっきからうるさいっぽい! 構ってほしいなら言ってほしいっぽい」
「夕立、それは直球すぎる。姉さんは脳天気だけど、あれで地味に繊細なんだ」
「時雨姉さんは毒っぽいです……」
「ちょっとー! 好き勝手言いすぎ!」
白露は夕立、時雨、海風と順番に見ていく。
長女というプライドは妹たちに悩みをあけすけに打ち明けるという真似を許さなかった。
許さなかったが行き詰まっているのも確かで、遠回しに探りを入れるという抜け道を閃いた。
ここは邪推とかされなさそうな夕立でいいかな。
白露は夕立に質問する。
「夕立は今までに敵を何隻沈めたか覚えてる?」
「十から先は数えてないっぽい。なんで、そんなことを?」
「えっと……白露型で一番沈めてきたのって誰なのかなって。夕立か時雨だと思うんだけど」
「いや、そこは姉さんだと思うよ」
夕立ではなく時雨が意外な答えを寄こした。
信じられないといった思いで白露は聞き返す。
「うそ、あたし?」
「うん。だってボクや夕立は大物食いしたがるから目立つけど、数で言ったら姉さんだと思うよ」
「言われてみれば、そうっぽい。取り巻きを沈めてくれて、いつも助かるっぽい」
「さすが白露姉さんですね」
礼を言う夕立や本気で感心しているような海風に対して、白露はぎこちなく笑い返した。
「……そう、あたしなんだ」
「いっちばーん、だね」
「あはは、いっちばーん!」
一番あたしが沈めてるんだ。白露は笑顔を顔に貼り付けたまま部屋を出て行く。
部屋に残っていたら、妹たちの前で馬脚を現してしまいそうで。
白露は当てもなく歩く。思考も同じように出口の見えない袋小路に陥っていた。
「たとえ敵でも助けたい……かあ。電と潮。初霜も似たようなこと言ってたっけ」
その三人はいずれも他の鎮守府に引き抜かれていったので、白露がすぐに話を聞ける相手ではなかった。
こんな疑問を持ってしまった以上、誰かの話をもっとちゃんと聞いておけばよかった。
後の祭りとは分かっていても白露は落胆する。
この悩みが自分にとってどれだけ大事で、解決しないことには満足に戦えないと悟ってしまっていた。
白露は窓から夜空を見上げる。
「あの三人は誰にも言えないでこんな気持ちを抱えて、それとも誰かに助けを求めてたのかな」
あたしが知ってるぐらいだから、誰かにどんな気持ちか言いたかったり教えてほしかったのかも。
この空の下であの三人は何を考えて、どうやってこの気持ちに折り合いをつけているんだろう。
あたしってば悩める美少女だね。と白露は内心で茶化してみたが、乗ってくれる相手のいない軽口は面白くなかった。
白露はため息をつく。声をかけられたのはそんな時だった。
「あら、こんばんは」
「あ、ああ! こんばんは!」
部屋に戻る途中だった鳥海だった。白露はため息をついたところを見られてしまい、どうしようかと慌てていた。
白露は声も出せずに口を何度も開け閉めする。
鳥海はそれには何も触れずに横に並ぶと、同じように空を見上げた。
「すごい星の数ですよね。ちょっと頭がくらくらしちゃいます」
「あ……」
白露も空を見直して、それまで見ていたはずの星々の光に圧倒された。
自分がどの光を見ていたのかも曖昧になってしまうほどの数であふれている。
こんなに近くが見えていない。遠くも見えていない。このままじゃダメなんだ。
「秘書艦さん、あたし……」
どうしよう。こんなこと聞いてしまったら艦娘失格なのかも。
鳥海は急かさず待つ。白露はたっぷり時間をかけて、迷いに迷ってから打ち明けた。
「秘書艦さんはどうして戦うんですか?」
「そうですね……艦娘だから、でしょうか。私たちの意義は戦うことにあるんですから」
白露はいかにもだと思った。模範的で当たり障りのない回答。
そんな白露の感想を汲んでいたのか、鳥海は言葉を続ける。
「これは建前みたいな理由ですね。突き詰めてしまえば、もっと色々だと思います。撃たれたくない、沈められたくない。単純に戦いたいだけという人だっているかもしれません」
「そんな人……」
いるかも。何人かの好戦的な顔が白露の脳裏を過ぎった。
「もちろん、それがおかしいとは思いませんよ。戦う術をひたすら磨いて、それを発揮できないまま生涯を閉じる……それって心残りでしょうし」
「うん……」
「私はそうですね、初めから明確な理由なんてなかったと思います。好きだとか嫌だとか、そういうことは全然関係なくですね」
「今は違うの?」
「あまり聞かせるような話じゃない気もしますけど聞きたいんですよね?」
鳥海は笑顔を崩さなかった。
「私には姉が三人いるのはご存知ですよね? 軍艦としての話をすると、同じ日にレイテで三人とも失ってしまって」
「あれ、けど高雄さんは確か終戦まで生き延びたんじゃ」
「ええ、五体満足ではなかったですけど。でも落伍した時点で私は助からないと思っちゃったんです。そそっかしいですよね」
柔らかい語りで、冗談のように言う。
こんな話をどうして笑いながら話せるのか、白露には分からない。
分からないけれど、本当の意味で笑ってるわけじゃないのは分かった。
「あの時、私には何もできなかったんです。だけど今はこうしてまた艦娘として巡りあって、今度こそはと思ったんです」
「今度こそは……」
「ええ。それと司令官さんですね。私は……あの人と競争してるんです」
「競争?」
鳥海は頷くが、どんな競争かは白露に教えなかった。
ただこの時の笑顔は本当に優しそうだと思う。
「他にも島風とか伊良湖ちゃんとか、いつの間にか気づいたら周りのみんながどんどん大切になっていって、守らないといけないって思えるようになったんです」
正しいと白露は感じるが、だけどとも思う。
敵がワルサメみたいな相手だったらどうするんだろう。
本当は戦わないでも済む相手かもしれないのに戦うしかないだなんて。
白露のそんな思いを知ってか知らずか鳥海は言う。
「私の選択はもしかしたら……いえ、どんなに愚かでも私は戦います。いつか報いを受けるとしても、他に守る手段がないのなら」
「……提督やみんなのために?」
「司令官さんや皆さんと一緒にいたい私のためにも、です」
「……そっか。自分のためでもあるんだ」
「ええ。自分自身が欠けた理由というのは……きっと辛いですから」
鳥海は深く息を吐く。充足感の伴った呼吸だった。
そのまま鳥海は白露の手を取る。
「白露さんだって守りたい一人ですよ」
「あたし……」
白露は俯いて鳥海の体に身を預ける。溜め込んでいた気持ちを震える言葉として一息に吐き出した。
「あたし、どうしたらいいんだろ……全然分かんないの。どうしたいかも分かんなくて……。
これからだって戦わなくちゃいけないのに相手がワルサメみたいな子だったら、ううん、今まで沈めた深海棲艦もあの子みたいな子だったらって思うと……。
あたしがやってきたことって間違えてたのかな……ワルサメを助けないほうがよかったのかな……もう、もうぜんっぜん分かんなくなっちゃって……」
鳥海は白露が落ち着くまで、何も言わずに待った。
しばらくして白露の様子が元に戻ってくると、鳥海はささやいた。
「私は答えを教えてあげることはできません。だから悩むだけ悩めばいいと思います」
「悩んでいいの……?」
「白露さんの悩みはあなただけのものですから。だから見つけてください。白露さんらしい一番の答えを」
いいんだ。おかしくないんだ。こんなこと考えてても。
白露は今の自分を否定されないどころか肯定されて嬉しかった。
「ありがとうございます」
素直な言葉が白露の口から出る。
「あと秘書艦さん、提督みたいだよ?」
「え……それはなんとも言えない気分です」
「一応は褒め言葉のつもりだったんだけど……」
「私は別に司令官さんになりたいわけじゃありませんし」
鳥海は微笑みながらも、困ったように手を振る。白露にはその気持ちはまだよく分からなかった。
好きな人となら一緒になりたいって考えそうな気がするのに。
けど、今はそれよりも。
「あたし……悩みむよ。これ以上ないってぐらい一番悩むんだから」
まだ何も前進できてないのかもしれない。
それでも白露の心はずっと軽くなっていた。
――二日後。
トラック泊地の前に深海棲艦の姫たちが姿を現し、白露は自分の答えを示すことになる。
そして白露は悩んでいたのが、自分だけじゃなかったのを知る。
導いた先の答えが正しかったとしても、望む結果を得られるとは限らない。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その日、提督は午前中からワルサメと話す時間を設けていた。
保護という形で接触してから、すでに二週間が過ぎている。
鳥海や白露、村雨の立会いの下、提督は深海棲艦や姫という存在について質問をしていき、いくつかの事実を知る。
もっともワルサメも全ては語っていなかったし、提督もそれは承知の上だった。
提督は聞き出せる範囲から仮説を立てていき、一つの推測に至る。
深海棲艦の地上侵出というのは、どうやら人間が考えていたよりも困難らしい。
それが戦況の突破口になるかまでは分からないが、闇雲の中に差した一筋の光明のように思えた。
「アノ、モウ一ツ」
聞ける限りの話が済んだと提督が思っているとワルサメが言う。
「コーワンハ提督ヲ気ニシテイタ」
「どういう意味だろう?」
「ドンナ人間ガ艦娘ヲ束ネテイルノカト興味ガアルミタイ」
なんだそれは、と提督は思う。
興味を持たれてるなら、うまく立ち回れば接触もできるのか?
提督の考えはサイレンの音で中断された。
初めて聞いたであろう、けたたましい音にワルサメが痺れたように飛び上がる。
「ナンデスカ、コレ!?」
「ワルサメの仲間が近づいてきてるんだ」
深海棲艦発見を知らせる第一報だった。
提督はすぐに鳥海に出撃準備を始めさせ、戦闘配置で待機していた艦娘たちに先行するよう指示を下す。
航空隊からも追加の彩雲が発進し、戦爆連合の発進準備が急ピッチで進められていく。
提督は白露たちとワルサメを連れて作戦室に向かう。
本来ならワルサメには見せてはいけない場所だが、それでも構わないと提督は判ずる。
一行が到着すると敵情についての詳細が分かる。
深海棲艦はトラック泊地を艦載機の射程圏内に捉えながら、ラジオの周波帯に乗せて通達を発信していた。
要求は簡潔だった。
速やかにワルサメの身柄を返還しろというもので、拒否した場合やワルサメが無事でないなら総攻撃をかけるという。
時間までに返答がない場合も同様で、一三三○までに返答を求めていた。
提督が時間を見ると、すでに午後一時を回っている。
「あと三十、もう二十七分か。余計な手立ては講じさせたくないわけか」
偵察機が深海棲艦の艦隊に触接しているが迎撃はされていない。
むしろ陣容を誇示しようとしているようだった。
偵察機から転送されている映像には、深海棲艦の集団からやや離れた箇所に三人の姫が集まっているのが映っている。
「ワルサメ、あの姫たちについて教えてもらえないか?」
ワルサメは三人いる姫の中から中央の一人を指す。
一航戦の赤城と加賀を足したような髪型だと提督は思った。
「三人とも初めて見る姫だ」
「>An■■■……アナタタチ風ニ言エバ、タブン空母棲姫。コッチガ戦艦棲姫デ重巡棲姫」
それからワルサメは画面の向こう側の空母棲姫を見ながら、ためらいがちに付け加える。
「怖イヨ、コノ姫ハ」
警告と提督は受け取った。
姫たちを除いても、全体の数は六十強。こちらの総数よりも頭一つは多い。
どの艦種も赤か金色の光を発している強力な個体だけで固められていた。
「レ級がいないだけマシか」
率直な感想だった。一人で複数の艦種の役割を担えるレ級の存在は、姫よりも厄介かもしれない。
時間はもうあまりない。決断して行動に移る必要がある。
深海棲艦の要求を呑むか呑まないか。そもそも信じられるか否か。
戦いを選んでも避けても、満足のいく結果にはならないのかもしれない。
「ワルサメはどうしたい? 俺は君を返すべきじゃないと考えてるし、そのためなら総力を挙げて連中を叩き返すべきだと思っている」
「デモ……アノ姫タチハ強イヨ……」
ワルサメは本心から艦娘たちの身を案じているようだった。
「分かってる。こちらも無傷というわけにはいかないだろうのも。それでも、戦うだけの意味はあると思ってる」
「ソレハ私ガ深海棲艦ノ姫ダカラ?」
「そうでもあるし、それだけでもない。俺たちとこうして意思の疎通ができてる相手だから、俺は守る必要を感じてる」
極端な話、やり取りさえできるなら駆逐棲姫でなくイ級やロ級であっても提督は構わなかった。
「ただ、それはこちらの事情だ」
「提督、あたしは……」
「白露、今はワルサメと話してるんだ」
会話に割って入ってきた白露を提督はすぐに制する。
語調を荒げたわけではないが、白露は力なく引き下がった。
艦娘の自由を尊重してるし多少振り回されても文句を言わない提督ではあるが、あくまで時と場合によりけりだった。
「もし深海に戻りたいなら止めないし白露だろうと邪魔はさせない。決められないならそれでもいいし、俺が言った以外の考えがあるならそれでもいい。今ここで決めてくれ」
ワルサメは目をきつく閉じると真剣に考え始める。
提督は深く息を吐いて待った。急かすよりも、自身にも落ち着くための一拍が必要だった。
「提督ハ私ヲ守ッテクレルンデスカ?」
「それが俺や艦娘を守ることに繋がるのなら」
「デハ深海ニ戻リマス」
意を決したよう、力強くワルサメは提督に告げた。それからワルサメは白露と村雨も見る。
「私ガ戻レバ戦闘ハ避ケラレマス。ソレニミンナヲ説得シタインデス。私タチハ折リ合エルハズダカラ」
ワルサメは明らかに白露を意識していた。当の白露は無言で見つめ返す。
普段の白露ならここで何か言いそうだったが、今回はそうじゃないらしい。
「それでいいんだな?」
「ハイ」
提督は作戦室に詰めている妖精に深海棲艦との通信を繋げさせ、その内容を艦娘たちにも聞こえるようにする。
深海棲艦も通信に応じてきた。
『こちらはトラック島鎮守府を預かる准将だ。貴艦の要求を受け入れ、そちらにワルサメを返す』
提督は時刻を確認する。
『ただし彼女が航行するための艤装を用意するのに時間がかかる。引き渡しには一七○○まで猶予がほしい。また護衛に艦娘をつけるが、そちらが戦端を開かなければこちらからも攻撃は行わない』
『イイトモ、護衛モ用意モ理解シタ』
画面では空母棲姫の口が動いている。深海棲艦の艦隊を仕切っているのは間違いなかった。
『シカシ長スギル。一六○○ニハ返シテモラウ。ソレトコノ羽虫……アア、スマナイ。コノ偵察機以外ノ航空機ヲ差シ向ケテキタラ、ソチラノ主張ハ虚偽ト見ナシ攻撃スル』
『寛大な配慮と格別の理解に痛み入る。しかし一五○○まではこちらも動けない』
『一五三○マデハ待ツ』
深海棲艦側から通信が切られた。
各島の民間人が避難する時間も含めて、もう少し時間を稼ぎたかったがやむを得ない。
それにしてもおかしなものだと提督は内心で苦笑する。
これまでなら互いに見敵必殺と言わんばかりに問答無用で撃ち合っていたはずが、今はどちらもワルサメを巡って要求を押し通そうとしていたなんて。
仮にふりだとしても奇妙なのには変わりない。
あとは茶番でないのを願うばかりだったが、提督としてはあまり期待していなかった。
一縷の望みを託すには、空母棲姫というのは疑わしい存在に映っていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
白露は妹の時雨、夕立を伴ってワルサメの護衛についていた。
艦隊速力は二十三ノット。巡航速度よりも速いのは、この速度でないとワルサメの引き渡し時間に間に合わないためだ。
「ココノ波ハ穏ヤカデスネ」
久々に外に出られたワルサメはそんな感想を漏らす。
風を一身に受けて水上を滑るように進むワルサメは、今にも飛び跳ねそうなぐらい軽やかだった。
ワルサメの艤装は意外なところから用意された。
夕立が改二以前に使用していた艤装を、武装類を撤去して使っている。
誰が最初に言い出したのか分からない方法だけど、試しにワルサメに装備してもらうと思いの外馴染んでいるらしい。
白露は夕立に耳打ちする。
「よく夕立も渡す気になったね。改二艤装があるとはいっても、自分で使い込んできた艤装なのに」
「あの子ならいいかなって」
白露の疑問に夕立は言葉少なに答える。
夕立はワルサメには聞かれないように気を遣っているようだけど、別段嫌そうな顔もしていない。
「夕立はあの子にちょっと冷たくしすぎた気がするから、少しは恩を売りたくなったっぽい」
「ちょっとかー。だいぶだった気がするけどね」
「別に反省はしてないっぽい」
まったく、この子も素直じゃないんだから。白露はそんな風に考えながら夕立から離れると前方に目を向けた。
白露たちとワルサメは二つの艦隊に前後を挟まれている形になる。
前方には水先案内人も兼ねた艦隊が先行していて、内訳は鳥海、武蔵、ローマ、島風、天津風、長波となっている。
白露たちの後方にはトラック鎮守府に戦闘艦として籍を置く四十人あまりが続く。
「提督さんは護衛って言ってたけど、これじゃ総力戦みたい」
「実際そうでしょ。あの数の深海棲艦と戦うことになったら出し惜しみとかできないし」
一触即発。そんな雰囲気の中でワルサメを返さないといけない。
本当にこれでワルサメを無事に返せるのかな?
白露は他の艦娘たちも同じ懸念を抱いているような気がした。
しばらく航行を続けていると、深海棲艦の艦隊を目視できるようになる。
深海棲艦が止まるように要求しているのが聞こえてくると、先頭を進んでいた鳥海が全員に微速まで減速するよう伝えてくる。
完全に足を止める気はないという意図を白露も察した。
白露がワルサメを見ると、少し前までの楽しそうな様子は消えていた。表情も強張っている。
あの日の夕方以来、白露はワルサメとはあまり話していなかった。
「ミナサン、今マデアリガトウゴザイマシタ。私ハ私ニデキルコトヲシテキマス」
それからワルサメは白露を見て、自分から話しかけてくる。
「白露、アリガトウ。楽シカッタヨ」
「あたし……」
ワルサメとは、これでお別れかもしれないんだ。
そう思うといても立ってもいられなくてワルサメを抱きしめていた。
ワルサメもまた同じようにしてくれる。
「ゴメンナサイ……白露ニ酷イコトヲ言ッテシマッテ……」
「そんなことないよ!」
今でも悩みは解消し切れていないが、白露はそれでワルサメを悪く思ったりはしなかった。
白露が笑うとワルサメも笑い返してくるけれど、泣くのを堪えているような気がする。
そう感じたのは白露がそんな気持ちだったからかもしれない。
これ以上名残惜しくなってしまう前に、白露は微速でワルサメから離れていく。
ワルサメは時雨と夕立にも一声伝えると最後に全体へ一礼をして、艦娘たちに背を向けて深海棲艦たちへと移動を始める。
「行っちゃったね」
時雨が呟く。夕立とは違った意味で距離を置くようにしていた節があったけど、表情は冴えていない。
「仕方ないよ。あの子にはあの子の目的があれば居場所もあるっぽい」
「だから帰らなくちゃならない、か。姉さんはよかったの?」
「……よくない。よくないけど、ワルサメがそう決めたなら送り出さないと」
白露は遠のいていくワルサメの背中から目を離せなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ワルサメは夕立の艤装を操っている内に、その艤装を扱っている自分をごく自然なように感じていた。
今までがずっとこうであったような慣れ親しんだ感覚で、自身が望む微妙な動きにも明確に反応してくれる。
艤装というよりも自分の体の一部であるように捉えていた。
だからこそ三人の姫を前にして、艤装の反応がぎこちなくなるのも仕方ないのかもしれないとワルサメは考えた。
「戻ッテコラレタワネ、ワルサメ」
薄ら笑いの空母棲姫を前にして、ワルサメは萎縮していた。
ワルサメが白露たちから感じていた気持ちを感謝や郷愁のような前向きなものだとすれば、空母棲姫からは拒絶や敬遠といった後ろ向きの感情になる。
夕立の艤装はワルサメの感情を如実に反映しているようだった。
「言イタイコトハイクラモアルケド、今日ノトコロハ帰リマショウカ」
「待ッテ。今日ダケジャナイ。私タチト艦娘ハモウ戦ワナイデイイカモシレナイ」
ワルサメの言葉に空母棲姫は興味を示す。
「何カ根絶ヤシニスル作戦デモ?」
「ソンナノナイ。私ハ艦娘ヤ人間ト和解デキルノヲ理解シタ。コノママ争イ続ケルナンテ不毛スギル」
「ソレハ本気カシラ?」
ワルサメが頷くと空母棲姫は信じられないと言いたげに頭を振った。
論外、と重巡棲姫が呟く。戦艦棲姫は無言を貫いたまま哀れむような眼差しを向ける。
「信ジラレナイワネ」
空母棲姫はおかしそうにくすくす笑う。ひとしきり笑うと、その眉が逆立っていた。
「艦娘ニ何モ感ジナイノ? 壊シタクナラナイ? 沈メテヤリタイトハ? 燃ヤシテヤリタイトカ!」
「感ジナイ! アナタタチガ戦ウカラ、私ダッテ戦ワナイトイケナカッタダケ!」
「ツマリ、ワルサメハ初メカラ戦ウ意思ガナイト?」
ワルサメは唾を飲んだ。
できるのなら、それまでの発言をなかったことにしたいとワルサメは思って――思いはしても本当に望んだりはしなかった。
ワルサメは覚悟を決めて頷く。
「モウイイワ」
空母棲姫は言うが早いか、艤装の20.3cm相当の単装砲でワルサメを撃った。
直撃弾を受け、ワルサメは悲鳴ごと海面に叩きつけられる。
「ココマデ変節シテイタノハ残念ヨ。ヤハリ、オ前ハ姫以前ニ深海棲艦トシテモ相応シクナイ」
空母棲姫からは怒りの表情は消え、代わりに唇を酷薄に吊り上げていた。
すでに照準はつけられていて、単装砲はワルサメに向けられていた。
「≠тжa,,ニハ、ワルサメハスデニ壊レテイタト伝エテオクワ」
港湾棲姫の名を聞いて、ワルサメの体に力が入る。
彼女ならきっと話を聞いてくれて、しかも分かってくれるはず。そう考えて。
ワルサメには何も打開策はなかったが、艤装がワルサメの意思を組んだように唸りを上げる。
端から見れば艤装がワルサメの体を引きずるように動かして、空母棲姫が止めとばかりに放った一弾を避けてみせた。
「アラ? アラアラ、避ケテシマウノ? マルデ亀ネ。楽ニシテアゲヨウト思ッタノニ」
引きつったように笑いだした空母棲姫だが、不意にワルサメから視線を外して横を向く。
その方向から遠雷のような砲撃音が何度も聞こえてくる。
「ヤッパリ、ソウコナクテハ。見ナサイ、ワルサメ。艦娘ドモガ戦ッテル。オ前ヲ救イタイヨウネ」
ワルサメが恐る恐る一瞥すると音だけでなく、水柱がいくつも立ち昇っては消え、時に爆発の閃光が混じるのも見えた。
戦局はどちらが有利なのか、あるいは互角なのか。ワルサメには判断できなかったが、この戦いが止めようもない段階なのは悟った。
「戦ワナイデイイト言ッタオ前ノタメニ艦娘ハ我々ト戦ウノヨ。分カルデショウ? コレハ必然、宿命ナノヨ」
「私ノタメニ……」
「サア、助ケハ間ニ合ウカシラ?」
空母棲姫は艦載機を発艦させないで単装砲でワルサメを狙う。あくまでもいたぶろうという魂胆を隠そうともしていなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ワルサメが空母棲姫に攻撃されたのを白露は見た。
なんで、という疑問はすぐに別の思いに消される。ワルサメを助けないと。
動揺が広がる中、何人かの艦娘は素早く戦闘態勢に移行するが、その中でも最初に動いたのが白露だった。
背中にマウントしていた主砲を外すと体の正面に固定するよう構える。
「総員、戦闘用意!」
鳥海の号令が全員に通達されるが、その時にはもう白露は先行していた。
「一番最初に突撃するよ!」
白露はそう叫ぶなり真っ先に先陣を切った。
距離が近かったので、すぐに戦艦は砲戦距離に入る。
互いの戦艦の砲撃が行き交う中を白露は進む。すぐ後ろには時雨と夕立もついてきている。
敵艦隊を牽制するために、白露は両側面に向けて魚雷を放つ。
命中は期待できなかったが、魚雷の進路から外れようとしてにわかに隊列に乱れが生じる。
白露は敵艦の撃沈よりも、少しでも早くワルサメと合流することを優先した。
「白露さんの支援を――――」
通信機から聞こえる鳥海の声は後のほうになるに連れてノイズが混じるようになっていた。
電探の調子も急に悪くなる。遠方まで捉えていたはずが、輝点は消えて近くの敵艦の反応を捉えるのがやっとだった。
「電探が変?」
それは白露に限った話ではない。時雨が通信を入れてくる。
「姉さん、電装系統がおかしい。深海棲艦の攻撃かもしれない」
通信網にも影響が出ているみたいで、普段よりも声が聴き取りづらくなっている。
改めて鳥海からの通信が一同に入る。いくらか音声が明瞭になっていた。
「先行する白露さんたちを支援しながら前進、ワルサメを救出します! ジャミングを受けていますが訓練を思い出して動いてください!」
「秘書艦さんの言う通りだね」
元々、電探に頼りすぎないように訓練をこなしてきている。今だってその延長だって考えればいい。
道具を当てにしすぎないっていうのは古い考え方なのかもしれないけど。
その考えをゆっくり反芻している暇はなかった。
突出気味の白露たちに砲撃が降り注いでくる。
当てずっぽう気味に反撃しながら、視界を塞ぐような水柱を何度もかいくぐっていくと砲撃の手が緩んでくる。
白露たちの後方から追いすがる鳥海たちが敵を引きつけ始めていたからだ。
この間にワルサメに一気に近づこうとするが、ト級軽巡とハ級駆逐艦二隻が白露たちの行く手を阻む。
「時雨と夕立はハ級の二番艦を!」
白露の指示は短いが妹たちに意図は伝わる。
ト級の動きを電探でチェックしながら、より速いハ級から狙う。
艦娘の主砲としては最小に近い12.7cm砲でも手で保持して撃てば、それなりの反動を感じる。
慣れた反動を受けながら、主砲が次々に弾を吐き出していく。
首だけで航行しているように見えるハ級も、側面の耳に見える部分から砲口を露わにして撃ち返してくる。
互いの周りに砲弾が集まり海面を泡立たせるが、白露に集まる弾はすぐに減った。
一発がハ級に命中し、砲戦能力を削いだ結果だ。
「このまま押し切っちゃえば……」
瞬間、白露の脳裏に甦る。
――あたしが一番沈めてる。ワルサメかもしれない相手を。
白露はハ級が健在な砲口を向けているのを見る。敵はまだ諦めていない。
だったら撃つしかないじゃない。
やられたらワルサメを助けられなくなる。妹たちだって危なくなるかもしれない。
「撃つしかないじゃない!」
白露の砲撃がハ級にとどめを刺す。苦い思いを抱きながらも、そればかりに気を取られてられない。
「姉さん、後ろ!」
「分かってるって!」
白露は時雨の警告より先に取り舵を切っている。
それまでの進路上に水柱が連なっていく。
両肩に砲塔を積んだト級が白露を狙ってきていたが、逆に側面から撃ち返していく。
白露の砲撃が吸い込まれるように命中していき、ト級の左側の主砲をねじ曲げて発射不能に追い込んだ。
そのまま回りきった白露は優速を生かしてト級の背後を取ると、右肩の主砲にも集中砲火を加える。
衝撃で基部から浮かび上がった主砲が外れる。もう撃てないはず。
「これで十分でしょ! 帰りなさいよ!」
白露の言葉にト級は嗤うように顔を歪めると、逆に猛然と向かってきた。
十分想像できる行動だったが、白露の反撃が遅れる。撃ち返さないといけないのに撃てない。
そこに時雨と夕立の砲撃が届いて、ト級を滅多打ちにする。
悲鳴を上げる代わりにト級は腕を伸ばす格好で海中に没していき、白露は硬い表情でそれを見ていた。
こうなってもおかしくないのは分かっていたはずなのに。
「姉さん、大丈夫?」
周囲への警戒を怠らないまま時雨が尋ねる。
努めて明るい声で白露は応じようとした。
「ありがとう、おかげで命拾いしたよ」
「それはよかった。でも……」
時雨の歯切れは悪い。それもそうだ。
きっと撃つのをためらっていたように見えていたのだろうから。実際に白露はためらった。
「ゆっくりしてる暇はないっぽい。敵が集まってきてる」
「よーし、急ごう。追いつかれる前に抜けちゃわないと」
白露たちはワルサメと三人の姫たちへと針路を取る。
針路上に他の深海棲艦は見当たらない。このまま抵抗を受けずに到達できそうだった。
「秘書艦さんたちを待ちたいとこだけど……突出しすぎちゃったかな」
「まあ鳥海たちもボクたちが先行できるようにしてくれてたから、それは問題ないと思うよ」
「鳥海たちなら追いついてくれるっぽい。それよりお姉ちゃんは戦えるっぽい?」
率直な質問に白露が夕立を見ると、まっすぐに見返してくる。
白露は周辺警戒をしながら、その視線から目を逸らす。
「お姉ちゃんはさっきからずっと苦しそうっぽい。それって何かに悩んでるからでしょ?」
図星だった。言い返すつもりだったのに口ごもってしまう。
「それってワルサメを助けたら解消するっぽい? 夕立には分からないけど、お姉ちゃんには大切なことなんだよね」
「でも、あたしは!」
「何がでも、なのかは分からないけどボクも夕立に賛成だ」
「時雨までそんなこと言う!」
「言うさ。妹が姉の心配をして何がおかしいんだい?」
「心配って……」
「さあ。迷ってる時間はもうないよ、姉さん。ボクらはもうすぐ姫級たちからワルサメを助け出さないといけない」
「だから失望させるなって言いたいの?」
「失望なんかしないさ。だって姉さんは真っ先に飛び出したじゃないか。それって本当はとっくに心が決まってるんじゃないかな」
時雨に言われて白露は気づいた。確かにその通りかもしれないと。
白露は悩みそっちのけでワルサメを助けたいと思った。
それは紛れもなく白露自身の心から生じた行動だった。
「大丈夫だよ。姉さんがそうと決めたことなら、ボクたちは信じてついていく」
時雨の言葉に夕立まで頷く。揃いも揃って、こうまで言われたら引き下がれない。
でも、この気持ちは悪くないどころか、むしろ清々しかった。
白露は天を仰ぐ。大丈夫、できるできる。
「やってやろうじゃない! ついてきて、二人とも!」
「それでこそ姉さんだ」
「世話のかかるお姉ちゃんっぽい」
妹二人の言葉を背中に白露は進みだした。
それから三人は抵抗らしい抵抗を受けずに進む。
白露たちが近づいてもなお、空母棲姫はワルサメを狙い撃っていた。
ワルサメの体が水流に捕まった小枝のように弄ばれている。
直撃させてないようだけど、裏を返せばそれだけ長くワルサメを苦しめていることになる。
「あいつ……!」
許せない。そう思う白露だったが、すぐに悪寒を感じる。鳥肌も立っていた。
戦艦棲姫と重巡棲姫のせいだと、すぐに気づく。
二人の姫はワルサメと空母棲姫の間に立ち塞がるっている。
一発も撃ってこないが、白露たちに気づいていて視線は三人を追ってきている。
ただそれだけなのに、動きそのものを阻害してくるような重苦しさがあった。
姫たちの視線は威圧感そのものだった。
時雨がいつになく硬い声で言う。
「どういうつもりなんだ?」
「……外さない距離まで待ってるっぽい?」
撃たれないまま接近できたのは好都合でも、意図が不明なのは不気味だった。
「姉さん、ボクと夕立で姫たちを牽制してみる。ワルサメのほうを」
「分かった。でも不用意に撃たないほうがいいかも」
「……そこは臨機応変にやるっぽい」
時雨と夕立が白露とは別に横に逸れ、戦艦棲姫の側面から近づくような針路を取ったのを白露は見る。
すると重巡棲姫が両者から離れるように移動を始めた。波に流されるように緩慢な動きで、どこかしら興味をなくしたようでもある。
時雨たちが戦艦棲姫と対峙している間に、白露はワルサメへと一気に近づいていく。
ワルサメは息も絶え絶えに海面に膝をついている。
沈んでいかないのは艤装がまだ生きているのか、深海棲艦としての特性なのかは白露には判断がつかなかったし、どっちでもよかった。
「ワルサメ!」
「白露!? ドウシテ……」
「助けにきたに決まってるでしょ!」
白露は空母棲姫に向けて砲撃するが、巨大な艤装に反して軽快な動きで空母棲姫は直撃を避けていく。
逆に加速しだした空母棲姫は砲撃を受けながらもワルサメに急接近すると、その体を抱えあげて自身の体の前に突き出す。
「ワルサメを盾にして……!」
白露が砲撃を急いでやめる。最後に撃った一弾がワルサメのすぐ横を擦るように行き過ぎた。
空母棲姫が声を押し殺すように笑う。
「撃タナイノ、艦娘? コイツハオ前タチノ情報ヲ探ルノガ目的ダッタノニ」
「スパイだって言いたいの? そんな見え透いた嘘には騙されないよ!」
「ドウシテ嘘ト言エル?」
「ワルサメはそんな子じゃないし、あんたの言葉は薄っぺらいし」
空母棲姫はつまらなさそう鼻で笑う。
「フーン、カラカイガイモナイ。モット右往左往シテクレタライイノニ」
空母棲姫がワルサメの頭を掴み直すと、ワルサメの口から苦しげな声が漏れる。
白露は主砲こそ向けているが撃てない。代わりに怒りをぶつける。
「人質なんて卑怯だと思わないの!」
「……ソコヨ、ソコガ分カラナイ。艦娘ガ深海棲艦ノ心配ヲスルノ?」
「当たり前でしょ。あんたこそ、どうして同じ深海棲艦にそんなことできるの!」
「コレハ私ガ思ウ深海棲艦デハナイ。ダカラ死ニ体ヲ盾代ワリニシタダケ」
空母棲姫は掲げるようにワルサメを突き出してくる。
体の所々から黒い体液を流してはいるけど、致命傷を負ってるようには見えなかった。
つまり……助けられるってことだよね。
「その子を離して」
「ソウネエ……武器ヲ捨テタラ考エテモイイワ」
「ダメ……ソンナコトシタッテ……」
「黙リナサイ」
ワルサメの髪を引っ張って、空母棲姫は無理やり黙らせようとする。
すかさず白露は言っていた。
「待って! 言う通りにするから……」
なんなの、この展開。映画やドラマじゃあるまいし。
しかも、これって悪党……つまり空母棲姫は絶対に約束を守らないやつだ。
こんな分かりやすい嘘に引っかかる主人公なんて、今までずっとバカだと白露は思っていた。
しかし、今の白露はどうしてそうするのか理解できる。
ワルサメを助ける可能性に賭けるなら、すがるしかない。
白露が主砲を足元に落とすと、空母棲姫は遠くに捨てるよう言ってきたので言われた通りに投げる。
艤装についている対空機銃も同じようにしないといけなかった。
「魚雷ハ?」
「とっくに使い切ってるよ」
嘘じゃない。次発装填分も含めて道中で使い切っていた。
こういう時、映画の主人公だったら武器を隠し持ってたり仲間が助けに来てくれるけど、どちらも期待できなかった。
白露は武器を隠し持っていなければ、時雨と夕立もすぐには来れないはず。むしろピンチかもしれない。
空母棲姫はいよいよおかしそうに笑い出す。
「ソウマデシテ、ワルサメヲ助ケタイノ? 一体オ前ニトッテワルサメハナンナノ?」
「なんだろうね……」
空母棲姫に指摘されるまで、白露はワルサメをどんな存在と考えているのか気にしていなかった。
それでも、すんなりと言葉が出てくる。
「あたしの、大切な友達だよ」
「……不可解ダワ。シカモ不快ヨ」
空母棲姫は忌々しそうに顔を歪めると、ワルサメを突き飛ばすように押しやってきた。
本当に解放してくると思ってなかった白露だが、すぐにワルサメに近づく。
そうして空母棲姫がワルサメに向けて砲口を向けているのも見た。
白露は叫んだ。自分でもよく分からない声で叫びながら、ワルサメを抱きかかえるようにして庇う。
そうして衝撃に見舞われて、音も消えた。
─────────
───────
─────
ワルサメの顔が間近に来る。
「白露! 白露!」
ワルサメが名前を呼んでいる、と白露が意識すると他の感覚も戻ってくる。
耳の痛みと一緒に音が戻ってくる。
心臓がものすごい勢いで音を立てていて、外の音が聞き取りづらい。
背中が焼けるように熱くて痛かった。
艤装の損傷の程度が中破に当たると、白露の頭に自然と思い浮かんでくる。
そして空母棲姫に撃たれたのを思い出して、当たり所がよかったんだと察した。
重巡と同じ大きさの主砲弾が直撃したのに中破程度の被害で済んでるんだから。
「生カスモ殺スモ私次第。イイワァ」
陶然とした様子で空母棲姫は白露とワルサメを見下している。
白露はワルサメの手を借りながら体を起こす。痛くても体にはまだ力が入っている。
「どうせ……殺すんでしょ?」
「当然ジャナイ。オバカサンナノ?」
「二択ですらないじゃない……」
白露は思い出す。ワルサメと初めて出会った時を。
あの時、ワルサメには選択肢があった。
もしもワルサメが死を望んでいたのなら……きっと望み通りにしたのだと白露はふと思った。
「ゴメンナサイ、白露……私ノセイデ……」
ワルサメが白露にしがみついてくる。
白露もまたうずくまるような格好でワルサメを抱きしめ返す。
今のワルサメは白露から離れない。これもワルサメの選んだ選択肢なんだと思う。
「あたしなら……助けたい」
「白露……?」
ワルサメと出会った時のように、今の空母棲姫のように誰かの命を握ってしまったのなら。
「あたしなら助ける。逆を選ぶんだから!」
空母棲姫も自分との比較と気づいたみたいで、おかしそうに笑った。
唇の端は冷笑で吊り上っている。
「ナラバ助ケタ亀ゴト沈ンデ逝キナサイ、艦娘!」
白露はとっさにワルサメを後ろへと突き飛ばす。
こんなのは時間稼ぎにもならないと思いながら、それでも何かせずにはいられなかった。
両腕を広げて砲撃を、自分への止めを待ち構えた。
――しかし、その瞬間はやってこなかった。
その原因は音だ。航空機のエンジン音が近づいてきている。
空母棲姫の注意が空に向く。
白露にもワルサメにも武器はなく、それ故に脅威なしと判断したに違いなかった。
近づいてきたのは二機の烈風と彗星と流星が一機ずつ。
どうして四機だけが飛来してきたのかは分からない。
分かったのはわずか四機でも、艦載機を発艦させていない空母棲姫には脅威になりえるということだった。
彗星が翼を振るような動きを見せると、四機は三つに分かれる。
二機の烈風は増速すると20mm機銃を空母棲姫に浴びせかけていくと、空母棲姫の艤装に火花が散る。多少の傷がつく程度だが、牽制にはなっている。
その間に流星が海面に接触しそうなほどの低高度まで降下し、彗星は左に横転しながら降下位置につこうとしていた。
白露は彗星の尾翼に三本線が入ってるのを見た。
「羽虫ドモガ!」
空母棲姫は烈風の銃撃の合間を縫って、無理にでも艦載機を発艦させようとしていた。
もう白露もワルサメも眼中にない。目論見が台無しにされて焦りを隠そうともしていないように白露には見えた。
そして白露は自分の間違いに一つ気づく。まだ武装が残っている。白露も今の今まで忘れていた武装が。
白露は艤装から爆雷を取り出す。空母棲姫の艦砲を受けても誘爆しないでいてくれた。
頭の片隅に陽炎型の嵐を思い出す。以前、何かの折に爆雷をどう放り投げるか実演していたことがあったからだ。
多少うろ覚えであっても構わなかった。
「ただで、やられるかあ!」
オーバースローで投げた爆雷はアーチを描いて、空母棲姫の艤装上の左甲板に落ちる。
爆雷は偶然にも飛び立とうとしていた空母棲姫の球状艦載機を押し潰し、それにより勢いが殺がれ甲板から飛び出さなかった。
左甲板の中央に留まった爆雷はそこで炸裂した。
想定外の攻撃に空母棲姫の体が前につんのめり動きが鈍る。
そこに彗星が急降下爆撃を敢行する。直角に見えるような鋭い角度からの逆落としだった。
彗星は体当たりするのかと思うほどに急接近してから、爆弾を切り離し機首を上げて退避していく。
投弾された爆弾は空母棲姫の無事だった右甲板に命中し大穴を穿った。
さらに流星の雷撃が空母棲姫の右側に突き刺さり、盛大な水しぶきを生み出した。
「バカナ! タッタコレダケノ攻撃デ私ガ!?」
わずか四機の艦載機と手負いの白露によって、空母棲姫の艦載機は封じられた。
「油断しすぎなのよ、空母棲姫!」
「オノレ、オノレェェ!」
髪を振りかざして、それまでとは違う本気の形相で空母棲姫が向かおうとしてくる。
しかし空母棲姫は突撃せずに素早く後進する。
すると、空母棲姫が進むはずだった付近に砲撃が続いた。
「時雨、夕立!」
二人は矢継ぎ早に回避行動を取る空母棲姫に砲撃を加えていく。
空母棲姫は舌打ち一つを入れながら砲撃を回避していき、自身の体に直撃する軌道上の砲弾を両腕で叩き落とす。
「アノ二人ハ何ヲシテイル!」
「あっちならメガネーズが相手をしている」
時雨が応じると、イヤホン越しにローマが声を張り上げる。
「誰がメガネーズよ、誰が!」
「はっはっは、我々以外にいるまい!」
おかしそうに笑い飛ばしている声は武蔵だった。
歯噛みするローマの顔を白露は自然と思い浮かべていた。
「何が面白いのよ……あんたも何か言ってやりなさい、鳥海」
「聞こえる、白露さん?」
「はい!」
「無視しないでよ!」
「まだ動けるなら、このままワルサメを連れて下がってください」
「了解! でも空母棲姫は……」
空母棲姫は状況を不利と判断したのか、時雨たちの砲撃をやり過ごしながら後退し始めている。
被雷した損傷で速力は落ちてるようだと白露は見て取った。
「時雨さんと夕立さんだけで仕留められそうですか?」
「……難しい、と思う」
本気になったのか、飛行甲板を破壊する前後で空母棲姫の動きはまるで違う。
一矢報いられたのも、どこかで姫に慢心があったのと幸運に恵まれたからこそだと白露は分析した。
手負いの獣は手強いって言うけど、今の空母棲姫は正にそれだった。
追い込んだようで本当は追い込めていないという予感がある。
「ではワルサメと撤退を。時雨さんたちはそのまま二人の護衛に回ってください。姫級の撃沈は初めから想定してなかったんですから」
最後の言葉は言い訳、というよりは慰めのように白露には聞こえた。
そこで通信は切れ、各々がそれぞれの行動に移っていく。
白露はワルサメの手を取る。
「帰ろう、ワルサメ。こんなことになっちゃったけど、あたしはもっとワルサメと一緒にいたいよ」
ワルサメは目に黒い涙をためていた。
血の涙みたいで白露は少し苦手だったけど、今はもうどうでもよくなっていた。
ワルサメは白露を抱きしめる。
「ウン……私モ白露ト、ミンナトイタイ……傷ツケテ、ゴメンナサイ……」
「いいんだよ……いいんだから」
白露は痛む体を押して、ワルサメの頭を撫でていた。
戦闘はまだ続いていたし、泊地まで撤退しないことには本当に安全とは言えない。
それでも白露はこの日の戦いはもう終わると考えていた。
気が緩んでいた、と言えるのかもしれない。
白露もワルサメも、合流した時雨たちも気づかなかった。
海中の脅威がつけ狙っていることには。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
武蔵の体が水柱に包まれ、巨大なハンマーで殴られたような衝撃を受ける。
やや遅れて武蔵の放った斉射が戦艦棲姫に到達する。
同じように戦艦棲姫も巨大な水柱に隠れ、獣じみた艤装が痛みを訴えるように叫ぶのが海上に響く。
「……大和型カ?」
砲戦の最中、戦艦棲姫が武蔵に通信を流してくる。
そして武蔵は応じた。応じない理由がない。
「そうとも。大和型二番艦とはこの武蔵のことだ!」
「アア……アノ大和型トハ。良キ敵ニ出会エタ……」
「それはこちらも同じだ!」
状況はなし崩し的に動いている。
重巡棲姫を鳥海と駆逐艦たちが相手をする一方で、武蔵とローマの二人は戦艦棲姫を相手取るはずだった。
しかし後方からの増援に対処するためローマが離れたので、戦艦棲姫には武蔵一人で当たっている。
姫級との一対一は極力避けるよう申し合わせているが、武蔵からすれば望むところだった。
先のと号作戦では港湾棲姫と戦う前に中破判定を受け主力から外れていたし、ワルサメを迎撃した時も相間見えることはなかった。
武蔵にとって初めての姫級との直接対決で、その中でも戦艦の名を冠した姫だ。
気合が入らないはずがない。
「武蔵ハ私ヲ沈メラレル……?」
問いかけるような言葉を発しながら、戦艦棲姫の艤装が咆哮と共に砲撃を続ける。
発射の爆風にナイトドレスを翻す様は魔女を思わせた。
「それが望みなら、そうしてやろう!」
武蔵もまた攻撃の手を緩めたりはしない。
艦娘としての武蔵は己の主砲を存分に振るう機会を何度なく得ていた。
それでも今回の敵は戦艦棲姫。これ以上の相手というのは、まず望めなかった。
二人の撃ち合いは殴り合いの様相を呈していた。
すでに二人とも被弾して疲労や損傷が蓄積し始めているが、どちらも砲撃のペースは衰えないし撃つ度に精度も上がっていく。
防御性能を頼りに回避は考えず、ひたすら相手に主砲を撃ち込んでより多くの有効弾を狙う。
それが両者の戦い方だ。
武蔵の放った主砲弾がもろに戦艦棲姫の腹部に直撃する。
ル級やタ級ならまず耐えられない命中の仕方だったが、戦艦棲姫は含み笑いさえ浮かべる。
逆に戦艦棲姫の主砲弾が武蔵の艤装に破孔を穿って浸水を引き起こす。
「さすがに手強いな。火力の優劣だけで勝敗が決まるわけでもあるまいが!」
武蔵の表情には焦りはなく、むしろ戦闘を楽しんでいるように見える。
ただし彼女は決して猪武者ではなく戦艦棲姫の戦力も分析していた。
戦艦棲姫の主砲は長門型と同程度の大きさと見て取るが、貫通力はより優れているのを身をもって感じていた。
長砲身の主砲なのか使用している徹甲弾の差かまでは分からないが、決して火力面で優勢に立っているとは思わなかった。
それに何よりも発射速度の差は明確だった。
照準の補正を加えても、五秒から十秒ほど速く戦艦棲姫は弾を撃ち込んできている。この手数の差は砲撃戦が続くほど響く。
単独での勝負にこだわらなければ十分に勝機はある。
それが武蔵の手応えだった。しかし今は一人だったし、この強敵との交戦は武蔵の血を滾らせるだけの理由にもなった。
さらに直撃弾を受けたところで戦艦棲姫は言う。独白するように。
「……痛イノハ好キ。私ヲ満タシテクレル」
「貴様との砲撃戦はやぶさかではないが、そっちのケはなくてな!」
言葉通りの表情というべきか恍惚としたように見える戦艦棲姫に、武蔵は初めて嫌悪感を掻き立てられた。
武蔵は戦艦棲姫に好敵手と認めつつあっただけに、その認識の差は大きすぎた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
鳥海たちは二組に分かれて重巡棲姫に砲撃を加えていた。
島風と天津風でペアを作り、鳥海自身は長波とコンビを組んでいる。
二組は重巡棲姫に対し、一定の距離を付かず離れずで保っていた。
「ヨッテタカッテ撃ッテクレテ……」
間断なく続く砲撃に重巡棲姫は頭を抑えながら呻く。
重巡棲姫の主砲は、巨大な口を持ったウミヘビのような生物の眼部を砲身に置き換えたような特異な形状をしている。
それを二つ尻尾のように体に巻き付けたまま、縦横に駆使しながら反撃を行っている。
しかし命中精度は甘く、艦娘たちには一度も被弾が発生していなかった。照準を特定の誰かに絞りきっていないのも精度が甘い一因かもしれない。
腰部の副砲も砲撃を始めるが、水柱を海面に発生させるだけの結果になる。
「……意外と弱い?」
「このまま押し切れそうね」
島風と天津風がそんな感想を漏らす。二人には打たれ強いだけの相手、という感触だった。
一方、長波は警戒心を隠さないまま鳥海に尋ねる。
「どう思う、鳥海さん?」
「この程度とは思えませんが……」
長波にそう返す鳥海だが、鳥海もまた相手の強さに確信を持てなかった。
ただ二人の懸念は外れなかった。
重巡棲姫は体と尻尾の隙間からビンを取り出す。
鳥海の帽子の上に見張り員を務める妖精が現れ、一時的に視力を強化する。
「あれは……お酒?」
ラベルの銘柄までは読み取れなかったが、洋酒の類だと鳥海は見極めた。
重巡棲姫は突然ラッパ飲みを始める。砲撃を受けているにもかかわらず。
一本を飲み干すと、さらに別の二本目を取り出しあおり始める。
「なんなんだよ、あいつ……」
長波が唖然とする。だが、砲撃の手は緩んでいなかった。
重巡棲姫が飲んでいた酒瓶が砲弾の破片に当たって割れる。
琥珀色の酒を体に被り、握っていた口だけが残ったビンを見つめた重巡棲姫は体を震わせ始める。
歯を食いしばり何かにこらえていた重巡棲姫が――弾けた。
「ヴェアアアアア!」
声にならない声で叫ぶ。
その叫びは周囲の海面にうねりを呼び起こし大気を割るように打ち付け、下手な砲撃音以上の大音響となって鳥海たちの耳を襲う。
あまりの音に鳥海たちは耳を塞ぐ。
そうして叫びが収まった時、重巡棲姫の目には金色の光が生き生きと宿っている。
「ヤット酔イガ落チ着イタワ……」
「さっきのは迎え酒かよ……?」
長波が呟く。呆れ半分、恐ろしさ半分と言った様子だった。
重巡棲姫はその長波を睨みつける。
「見テイタゾ、私ノ酒ヲ台無シニシタノハオ前ダナ? デキソコナイガ頑張ッチャッテサア……イイ迷惑ダ!」
とっさに鳥海は長波を守るよう前に出る。それまでと違い、重巡棲姫からはもはや危険な気配しかない。
重巡棲姫は周囲を圧倒していた。
「高雄型ガ先カ? ソレトモ後ロノチビ二人カ、ソコノ愚カ者カ、ドイツカラ狙オウカ……強イヤツカラカ弱イヤツカラカ」
そこで重巡棲姫はおかしそうに笑い出す。
「アア、出来損ナイナンテ、ミンナ私ヨリ弱インダ。誰カラデモ一緒カア!」
本来の力を発揮しだした重巡棲姫が牙を剥いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
戦闘そのものは継続していたが、白露たちはすでに戦域から離脱しつつあった。
損傷のより大きいワルサメに合わせ十二ノット弱の速度しか出せていない。
それでも追撃してくる深海棲艦は見当たらなく、白露は胸をなで下ろす。
今は大回りに迂回する針路でトラック泊地への帰投を目指していた。
負傷している白露とワルサメには、それぞれ時雨と夕立が引率する形で護衛に就いている。
その時雨は白露の負傷の度合いに眉をひそめていた。
「姉さんは無茶しすぎだよ」
「しょうがないでしょ、こうでもしないとワルサメが危なかったんだもん!」
「それにしたって、もっと体を大事にしたほうがいいよ」
「心配性だなあ、時雨は」
あくまでも、なんでもないと言うような態度を白露は取る。
本当は心配をかけたのを反省している。
ただ白露は自分で言ったように、必要があるから取った行動の結果なので悔いがあるわけじゃない。
だから時雨にはあまり気にしてほしくなくて、そんな態度でいるのが一番だと思った。
「……そうだね。確かに姉さんの言う通りかも。うん、今は二人が無事だったのを喜ばないとね」
「そうだよ」
時雨は表情を和らげた。白露もその様子に安心して口が軽くなる。
「はあ、帰ったら一番風呂に入れてもらお」
「じゃあボクは姉さんを丹念にマッサージしなくちゃ」
時雨が指を揉みしだくように動かしてる。
「やだ、いやらしい」
「ボクは至って真面目なのに?」
確かに真顔だけど、その動きはどうなの。
時雨には遠慮願うとして、後続のワルサメと夕立を見る。
二人は、というか夕立はワルサメとはあまり顔を合わせないようにしているみたいだった。
それでも白露は知っている。夕立がワルサメに歩み寄ろうとしているのを。
ワルサメの護衛を進んで買って出たのは夕立だった。
それにワルサメへためらいがちに、だけど真っ先に言った言葉も覚えてる。
「……よくがんばったっぽい」
そんな言葉を受けてワルサメもはにかんでたっけ。
まだ二人には距離があるけど、少しずつ近づいているのは分かる。
ワルサメの居場所は艦娘の側にあるのかもしれない。
こんなことになった以上、深海に帰るよりもいいのは確かなはず。
「雨降って地固まるだね。これでよかったんだと思うよ」
「そうだよね」
同じようなことを考えていたのか、時雨がそんな風に言う。
時雨の言葉は雨にちなむ自分たちの名前と重なって、ぴったりだと白露には思えた。
どこかで落ち着き始めていた、この空気は夕立の声で破られた。緊迫して険を含んだ声。
「夕立から九時方向より雷跡確認! 数は六で、お姉ちゃんたちに向かってる!」
こんな場所での雷撃なんて、撃ってきたのは潜水艦以外にありえなかった。
夕立は魚雷が自分たちに向かっていないのを見極める。
「掴まって、ワルサメ!」
「エエッ!?」
「早くするっぽい!」
夕立はワルサメを抱きかかえるなり雷撃地点に出せるだけの速さで向かう。
爆雷投射を行うためで、かといってワルサメを放置できないので、そうせざるをえなかったみたい。
白露たちから見ると、およそ七時と八時方向の間になる角度から追尾してくる形での雷撃だった。
狙われている白露は違和感が頭をよぎったが、今はそれを追求している暇はなかった。
白い泡を吐き出しながら雷速五十ノットという高速で魚雷は迫ってきている。
白露は魚雷と平行になるよう回頭を始めるが、損傷のせいで舵が重くてスクリューの利きも悪い。
「姉さん!」
時雨が手を掴むと、自身に引き寄せるようにしながら射線外へと誘導する。
本調子という前提はあるにしても、後ろからの魚雷なら回避はそこまで難しくない。
距離を自然と取れるから、その間に回避機動も取りやすくて命中率もそれだけ下がる。
怖いのは音響追尾や磁気反応型の魚雷だけど、そういうのは雷速が三十ノット程度だからやっぱりこの逃げ方で正解。
――ただ雷速五十ノットというのは、厄介なやつに狙われている証拠でもあった。
「こんな所にまでソ級が入り込んでるなんて!」
深海棲艦の潜水艦で、これだけ速い魚雷を撃ってくるのはソ級しか確認されていない。
夕立は雷撃点付近に来ると、ワルサメを近くに下ろしてから爆雷を投射していく。
調定深度はたぶん百とか八十だろうけど、正確な位置までは掴めてないからソ級の撃沈は難しいはず。
「二人とも対潜装備は!」
「基本装備だけだよ。水上戦闘しか想定してなかったからね」
時雨は冷静に答えるが顔は曇っている。
ソ級みたいな手強い相手の場合は標準装備だけでなく、主砲を下ろしてでも対潜装備に特化させておかないと力不足になる。
特にソ級は遭遇例こそ少ないけど、水中をほぼ無音ながら高速で動ける上に魚雷の数も多いのが分かってる。
何よりも積極的に反撃も試みる攻撃性も、対潜狩りをする駆逐艦たちから恐れられていた。
夕立の爆雷はすでに爆発し終わっていたけど、ソ級に被害を与えた証拠みたいなのは何も浮かんできていない。
「三式セットでも持ち込んでればよかったんだけど……」
「ない物ねだりっぽい」
「向こうも奇襲に失敗したから、すぐに次の攻撃は来な――もう来た! 三時方向に雷跡!」
そう考えた矢先に次の雷撃が来る。白露が想定してたよりもずっと早い行動だった。
今度の雷撃も白露たちを狙っていたが、先程とはほとんど逆方向から撃たれる。
白露はまた時雨の手を借りて射線から脱した。
時雨は白露から離れ周囲を用心深く警戒しながらも、二度目の雷撃点に急行し爆雷を投下していった。
「ソ級は二人いるね。一人にしては移動が速すぎる」
「みたいだね。二人に囲まれてるのは勘弁してほしいけどさ」
夕立が通信を入れてくる。
「提督さんには対潜哨戒機を要請したけど、通じたかは怪しいっぽい」
「他のみんなも同様だね。救援は当てにしないほうがいいかも」
「提督なら基地航空隊を出撃させてるはず……でも、そうだよね。あたしたちの居場所が分かるとも対潜装備があるとも限らないか」
あくまで自力で乗り切るのを考えなくっちゃ。
そこで白露は先ほどの違和感を思い出していた。
違和感は疑問として白露の頭に引っかかる。
「ソ級は一体誰を狙っているんだろ」
「どういうこと?」
「最初の雷撃って不自然だったでしょ」
あの時、ソ級から見れば夕立とワルサメは側面を見せていて狙いやすかったはず。
なのに遠ざかっている白露と時雨に向けて雷撃を行っている。
それってつまりワルサメを狙ってなかったからじゃ?
どうかな、ありえるの?
空母棲姫はワルサメを沈めようとしてたのに、ソ級はそうじゃないなんてこと。
白露は考え、悩んで気づいた。
「そっか。通信が通じにくいのは、何もあたしたちだけじゃないんだ」
推測は立てられたけど、仮定とこじつけを前提にした都合のいい思い込みかも。
それでも白露は筋は通ってると思えた。このまま動きが取れないよりかはいいとも。
白露は他の三人に向かって言う。
「聞いて。このソ級たちはワルサメは狙ってないと思う」
「私ヲ?」
「二回目はともかく一回目なんか夕立とワルサメのほうがずっと狙いやすかったのに、わざわざこっちを撃ってきてる。
この電波障害で深海棲艦もうまく連携が取れてなくって、そうでなくてもソ級は海中にばかりいるから通信の電波をキャッチできてないんだと思う」
「つまりソ級はワルサメを助けるために仕掛けてきてるっぽい?」
「たぶん空母棲姫のしたことも知らないんだと思う」
「姉さんの推測は正しい気がする。ということはワルサメの護衛は一回忘れてもいいのか」
「うん。あたしの推測が間違えてなければだけどね」
「でも、それが分かったからってどうすればいいっぽい?」
問題はそこ。ワルサメだけ逃がしても、このソ級たちなら脅威にならないかもしれないっていうだけ。
ワルサメを狙わないなら取り囲んで盾みたいにして……いやいや、それじゃ空母棲姫と同じになっちゃう。
それに推測が外れてたら一網打尽にされかねない。
ここは時雨の言うように、ワルサメの護衛をこの間は無視していいって考えられるんだから。
「時雨と夕立だけだったら振り切れるよね? あたしはワルサメと一緒にいれば、そう簡単には狙われないだろうし先にいってもらって助けを呼んでくるとか」
すると時雨が反対してくる。落ち着いた声で、なんとなく試験の採点をされてるような気分。
「姉さんは大事なことを忘れてる。敵がソ級だけならいいけど、この先もそうとは限らない。それに護衛が姉さん一人になったら、ソ級はもっと積極的に襲ってくるよ」
時雨の指摘はもっともだった。
白露は内心で歯噛みする。もしも自分の損傷がなければ、もっと強硬的ではあってもワルサメを連れ出せていけるのに。
逃げるのが難しいなら、やっぱりここでソ級たちと戦うしかない。
改めてそう考えた白露にある思いつきが浮ぶ。妹たちはきっと反対する思いつきが。
「となるとソ級を沈めるか魚雷を撃てないぐらいの損傷を負わせるしかないかー。夕立はこのままワルサメをお願い」
「いいけど……お姉ちゃん、おかしなことを考えてるっぽい?」
夕立が急にそんなことを言い出す。
なんで分かるんだろう? 姉妹だから? それとも表情に出ちゃってた?
白露にも分からなかったが、だからこそ白露は笑う。普段そうであるように明るく。
「まさか。ちょっとピンガーを鳴らすだけだよ」
「だめっ!」
夕立は両手を握り締めて反対する。本気で反発しているのは表情を見れば分かった。
白露が使おうとしているのは、いわゆるアクティブ・ソナーで自発的に音を発生させることでソ級の位置を特定しようとしていた。
ただ、それは逆に白露の位置も露呈させ、ソ級がピンガーに反応して反撃してくる可能性は極めて高い。
「ほんと大丈夫だから。魚雷の命中率って知ってるでしょ? すっごく低いんだから。時雨からもなんとか言ってよ」
「ボクも反対だ」
「えー、時雨まで?」
二人に反対された時にどうするかは考えてあった。
時雨はじっと白露を見ている。そうすれば白露が考え直すと信じてるみたいに。
「このまま根競べをしてれば他のみんなも来てくれるかもしれない。無理をしなくてもいいはずだ」
「でも、それってソ級が大人しく待ってくれるならでしょ。それにあの敵の数じゃみんなだって余裕ないだろうし。時雨だってそう言ってたじゃない」
「だったらボクがやればいい」
「それは考え物だよ。時雨も夕立も損傷はないんだから、それは有効に生かさないと」
説得は難しそう。
というより白露が逆の立場なら、何をするにしても不穏な動きをしてたら反対して止めるだろうと思った。
「白露、危ナイコトハシナイデ。アナタニ何カアッタラ私ハ……」
ワルサメまで、そんなことを言い出した。
気持ちは嬉しいけど、他に方法が思い浮かばなかった。
だったら勝手に始めちゃうしかないよね。
「あたしは自分が正しいと思ったことをやるよ。時雨も夕立も信じてくれるんだよね?」
「それは時と……」
時雨が何かを言い出す前に、艤装からちょっと間の抜けた音が鳴る。
甲高くて、空き缶を落とした時の音をもっと大きくしたような音が海中に広がっていく。
時雨の表情が変わる。目を丸くして、生まれて初めて見た相手に驚いたみたいに。
「やっちゃった。あたしったら五月雨みたい」
引き合いに出した五月雨には心の中で謝るとして、これでもう後戻りはできない。
白露は艤装の主機を動かす。避けるためには同じ場所に留まっていられない。
「ずるいよ姉さん」
時雨は心底そう思ったらしくて、悪い予感を確信してるようだった。
……なんで、そんな顔するかな。時雨みたいな幸運艦じゃないけどさ。
「なに考えてるっぽい!」
夕立は今にも飛び出してくるんじゃないかと思った。
そこにすかさず時雨の声が飛ぶ。
「待って、夕立!」
「なんでっ!」
「音を聞き逃さないで! 姉さんもワルサメもボクたちが守るんだ!」
探知音は海中の二箇所から跳ね返されてきた。時雨が予想したようにソ級は二人いる。
それぞれ離れた位置にいて、どちらも深度四十付近と意外と浅い位置にいた。
攻撃に移るつもりだったのかもしれない。白露は叫んでいた。
「二人ともワルサメに近いほうを狙って!」
ワルサメを狙ってこないというのは白露も頭では分かっていたが、万が一を考えるとそう言っていた。
時雨たちが動く中、白露は二人が狙うソ級に向けてより範囲を絞ってさらにピンガーを使用する。
感知したソ級の深度は深くなっていた。潜行してやり過ごすつもりらしい。
より近かった夕立が対潜攻撃を始める。時雨もすぐに合流しそうだった。
あとは二人に任せるしかなく、白露がもう一人のソ級にピンガーを打とうとする。
だけど、そっちのソ級は身を隠さずに反撃に転じていた。
六本の魚雷がすでに白露の針路を塞ぐように放たれている。
白露は背を向けながら魚雷と角度を合わせようとするが、傷ついた艤装の動きは遅かった。
どうしよう、と考える前に白露はピンガーを鳴らす。
せめて二人目の位置だけでも特定しておきたかった。それがせめてもの抵抗だった。
「ワルサメ、二人を守ってね」
「ナンデ、ソンナコト!」
白露はワルサメに通信を入れていた。どうして、ああ言ったのかはよく分かっていない。
ワルサメの言うように、白露自身もなんでという思いだった。
守らないといけないのは自分たちのほうなのに。
白露は間近まで迫った魚雷を振り返る。軌道はまっすぐ白露に向かって伸びていた。
当たると分かっていてもどうにもできなかった。
だから、せめて歯だけは食いしばる。痛いのは分かってるから、少しでも我慢しようと。
魚雷が足元に入る。信管が不発でこのまま行き過ぎてしまうのを、白露はほんの少しだけ期待した。
だけど、そんなことは起きなくて――。
─────────
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─────
白露が目を覚ましたのは、ふくらはぎに激痛が走ったからだった。
肉を内側から上下左右に無理やり引っ張るような痛みに、白露の喉から悲鳴が漏れ出した。
痛い。足が痛い。
あまりの痛みに涙が浮かんできて、水を被ったような視界に時雨の顔が見えた。
下から見上げる時雨の顔はすごく慌てていて、白露が見ているのにも気づいていない。
時雨に抱きかかえられてるんだと、どうしてかすぐに分かった。
白露は震えを抑えられない手を時雨の首に回す。
「あ、たし、あたしの足って」
体を起こそうとした。時雨に支えられてるんだから、上半身の力だけでも難しくない。
だけど時雨は目元を抑えてきて、体も抑えてくる。それに逆らえなかった。
「見るな、姉さん! こんな傷、バケツに浸かればすぐに治る! だから見なくていい!」
目を覆われる前に見た時雨の唇は震えていて血の気が引いていた。
ああ、そんなに酷いんだ。足。
さっきまですごく痛かったのに、今はすごく寒かった。
時雨が心配してる。
でも大丈夫だよ。『白露』が沈んだ時はすごく熱くて息もできなかったんだから。逆なんだから。
白露は自分ではそう口にしたつもりだったが、実際には何も声に出ていなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ワルサメは呆然としていた。
耳に届くはずの音は全てがこだまのように遠くて実感がなく、目に映っているはずの光景は色あせて時間がずれたような進み方をしている。
傷ついた白露は時雨に抱きかかえられている。
波と血で濡れた顔、小さな体がうなされるように震えている。そして足。赤くて、もう足じゃない。
ワルサメはよろめいた。
これは全て自分が招いてしまった結果なのかと。
その通りだ、と内なる声が肯定する。
同胞のはずの姫たちと別離したのも、今こうして白露が傷ついて倒れたのも全ての端はワルサメ自身にある。
どちらもワルサメ自身が望んでいた結果ではないが、ワルサメを取り巻いて起きたことには変わらない。
「終ワラセナイト……」
何を、というのは出てこない。代わりにワルサメは別のことを考えていた。
白露はワルサメを友達と呼んだ。友達が何かはワルサメも知ってはいる。
他の深海棲艦で一番近い関係にいるのは誰だろうと考える。ホッポかもしれないと考えて、少し違うと思った。
でも何が違うのか分からなくて、一つ分かったのはワルサメにとって白露は唯一無二だということ。
それは夕立にも時雨にも言える。村雨だってそうだし海風だって同じだった。
白露はワルサメに二人を守ってほしいと言った。
なんでああ言ったのかワルサメには分からない。だけど、それは白露の望みなのは確かだと思えた。
「夕立トハモット仲良クナリタカッタナ」
驚く夕立の顔を横目にワルサメは前に進み出す。
ソ級と呼ばれている潜水艦型の内、一人はもう反応を感じない。
残る一人は海底で息を潜めているらしかった。だけど諦めていないのは分かる。
まだワルサメたちがこの場に留まっているのだから。
「……アリガトウ、白露。アリガトウ、時雨」
「何言ってるっぽい! こんなのまるでお別れじゃない!」
夕立が隣に来てワルサメの腕を掴む。
小柄な体からは想像できないぐらいに強い力だった。
「痛イヨ、夕立」
「離さないっぽい!」
「提督ヤ他ノミンナニモ伝エテ。短イ間ダッタケド楽シカッタッテ」
「自分で言ってよ!」
「私ハ深海棲艦。ダカラ大丈夫ダヨ」
「全然分かんないっぽい!」
「夕立、私ハ……戦ワナクッチャイケナカッタノ」
「夕立とあなたはこれからでしょ!」
「ゴメンナサイ」
ワルサメは自身の腕を捻るように動かし、夕立の腕を振り解く。
そのまま夕立の袖を掴むと、力任せに投げ飛ばす。
どこにそんな力があったのかワルサメにも不思議だったが、夕立は海面を石切りの石のように跳ねた。
ワルサメが使用している夕立の艤装が自然と体から外れる。
それが正しいと、ワルサメの決意を後押しするように。
海面を歩くワルサメの足が少しずつ沈んでいく。
「時雨も止めてよ! お姉ちゃんになんて言えばいいっぽい!」
倒れた夕立が顔を上げて叫ぶ。
時雨はワルサメを見て、抱えていた白露をより強く抱き寄せる。
「許して……本当は止めなくっちゃいけないのにボクは君を……」
「時雨ガ気ニスルコトジャナイヨ」
ワルサメは笑う。その笑顔は儚げで、時雨と夕立の前から水面に消えていった。
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─────
ワルサメは海底へと沈んでいく。
深海棲艦の体が、細胞が沈み行く感覚を喜んでいるのを自覚しながらワルサメは深く落ちていく。
潜水艦たちほどではないが、深海棲艦であるワルサメの体も海中に適応している。
程なくしてワルサメはソ級を見つけた。
白露が予想したように、潜航してきたワルサメに対してソ級は警戒感を抱いていないようだった。
裏を返せば、あくまで艦娘に囚われている姫を助けるために攻撃を仕掛けてきたということになる。
ソ級もワルサメに近づいてくる。
動きらしい動きもないのにワルサメよりもずっと速かった。
ソ級は長い髪を顔や体に巻き付け、右目だけが誘導灯のように怪しく光っている。
人型の頭の上には扁平な魚のような外殻を身につけている。外殻には水上戦で用いるつもりなのか、小口径の砲が載っている。
ワルサメに対してほとんど無警戒のソ級はすぐ側まで来た。
ぐるりと回り体の無事を確かめたらしいソ級は、ワルサメの正面に戻ってくる。
ワルサメは自分がしようとしていることにためらった。
ソ級があまりに無防備で、何も知らされていないのは明らかだったから。
そんなワルサメに決意をさせたのは、ソ級が頭上を見上げたからだった。
攻撃を続行する意思を見せ、それが声としてワルサメの頭蓋に響いてくる。
だからワルサメも行動した。
両手で人型の首を握り締める。
その異様さに気づいたソ級の口から空気が漏れる。
ソ級の青い眼が揺れ、黒い筋が毛細のように浮かび上がっていた。
驚きと恐怖が入り混じった顔でソ級はワルサメの腕を爪を立てて何度も引っかく。
黒い血がワルサメの指から流れ出るが、ワルサメもまたさらに力を込める。
ソ級は手足をばたつかせて暴れ、魚のような外殻が口を開く。そこからは魚雷が覗いている。
ワルサメからすれば、魚雷を避けるのは容易だった。首を締め上げたまま、体を正面からずらせばいいだけだから。
しかしワルサメはそうしなかった。
自分を助けに来たはずの同胞を手にかけようとしている事実が、ワルサメからその意思を奪っていた。
ワルサメはそのまま首を締め続ける。
そして、それまで硬い抵抗をしていた何かが割れた。
抵抗を失った首は柔らかかった。ソ級の口から拳大もある呼気の塊がいくつも出てくる。
壊れた機械のようにソ級の口が上下に揺れる。
そうして魚の口からは魚雷が滑り落ちるように転がり――炸裂した。
小規模の爆発は、連鎖的にソ級が装備していた魚雷や砲弾を巻き込んで誘爆を引き起こしていく。
水中爆発が二人の体を呑み込んでいった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
戦艦棲姫はトラックの各基地から発進してきた陸攻隊を目敏く発見した。護衛の戦闘機も多い。
空母棲姫以外にもヌ級やヲ級も数人引き連れているが、とても対抗できる数ではないと見て取る。
すでに空母棲姫も後退している以上、それ以上の戦闘は下策と判断し残存の艦隊にも撤退命令を出す。
「名残惜シクハアルガ……」
「ここまで来て逃げるのか!」
戦艦棲姫はそれまで砲撃戦を繰り広げていた武蔵に対して後進を行う。
互いに満身創痍の状態だった。
武蔵は三基の主砲の内、一基が伝送系の断線により使用不可。
装甲の薄い主要区画以外は袋叩きにされて浸水や延焼を起こしている。
戦艦棲姫も艤装口部の歯を何本も折られるか砕かれるかしていて、右肩側の主砲は旋回不能に陥るほどの損傷を受けている。
姫自身の体も裂傷による出血で、ドレスを元の色とは違う黒みで汚していた。
「武蔵……アナタノ攻撃ハ重クテ痛クテ……素晴ラシイ時間ダッタ」
「はん、そんなに痛いのがお好きか?」
「言ッタデショウ。痛ミガアルカラ満タサレル。感覚ト存在ヲ実感デキル」
「知らん!」
武蔵は稼動する二基の主砲を撃つ。戦艦棲姫は撃ち返してこなかった。
「痛みなぞ望まずとも向こうからやってくる。それをありがたがる気持ちなど分かるものか!」
「ソウ、残念」
戦艦棲姫はおかしそうに笑う。
「本当ニアナタニハナイノ? 攻撃ヲ受ケレバ受ケルホド、救ワレルトイウ気持チハ?」
武蔵は答えずに無視する。弾着の時間だった。
戦艦棲姫の体が吹き飛ばされる。それまでとは違い、わざと踏みとどまらなかった。
大きく吹き飛ばされた姫はそのまま体が水中に没していく。
「痛ミガ自ズトヤッテクルノハ……正シイ。相応シイ時ニ決着ヲツケマショウ……アナタガ痛ミヲ引キ連レテクル……ソノ時ニ」
「……相応しい時があるとは思えんがな」
海中に潜られた以上、武蔵にも追撃する余力はなかった。
武蔵は戦艦棲姫をいずれ倒さなければならない相手だと認識している。
その一方、今まで出会ったどんな相手とも違う戦いづらさも感じていた。
「これが厄介事を背負い込むということか」
大抵のことは笑い飛ばせる自負を持つ武蔵だったが、この時ばかりは勝手が違った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
鳥海たちは苦戦していた。
重巡棲姫は本調子を取り戻してからは、四人を相手取りながら一方的に攻勢に転じている。
闇雲だった砲撃は狙いが不規則ながらも高い精度を発揮していた。
四人の艤装には損傷が蓄積し、今ではいずれも中破に相当する損傷を受けている。
「出来損ナイ風情ガヨク動ク……」
戦闘を優勢に推移させていた重巡棲姫だったが、彼女もまた攻撃隊の接近を察知していた。
重巡棲姫は忌々しげに戦闘を継続し続けている四人を見ていく。
姫は戦闘を継続し誰でもいいから沈めておきたいという欲求に対し、冷静な部分が撤退の要を認めていた。
互いにまだ雷撃戦には移っていない。航空隊の攻撃も加われば予期せぬ被害を受ける可能性があった。
また調子を取り戻すまでに無駄弾を撃ちすぎていたというのもある。
残弾が少なく、ものの数分で撃ち切るという状態だった。
弾が切れても素手で襲えばいいという発想はあるが、魚雷を持っているかもしれない相手に接近しすぎるの得策ではない。
結局、重巡棲姫は感情よりも理性を優先させた。
転回を行うと、包囲を抜けるために加速を始める。
その動きに合わせて、最も厄介だと判断した鳥海に向けて砲撃を行う。
鳥海は至近弾を受けながらも砲撃で応じる。
「逃げるんですか!」
「バカメ、ト言ッテヤロウ。見逃シテヤルノダ!」
追撃したい鳥海だったが、彼女もまた追撃が困難なのを察していた。
被弾が重なりながらも最初から最後まで最高速を維持していた重巡棲姫に対し、鳥海たち四人は三十ノットを超える速度は出せなくなっている。
重巡棲姫は牽制と呼ぶには正確な砲撃を何度か行ないながら四人を振り切っていった。
「機嫌の悪い姉さんみたいなことを言って……!」
鳥海は重巡棲姫の追撃を断念した。もっとも彼女たちの戦闘はまだ終わっていない。
すぐに島風たちの被害状況を確認し、味方の援護に向かわなくてはならない。
鳥海は白露たちの安否を気にかけたが、通信には失敗している。
何事もなければいいけれど。そう思うも不安を拭うことはできなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「先に行くっぽい。お姉ちゃんをお願い」
夕立が湿った声で時雨に言う。顔は時雨のほうを向かなかった。
「あたしは最後まで見届けるっぽい。誰かがいてあげないと、あの子がかわいそう」
時雨は少しだけ迷って、白露の様子を見て踏ん切りがついた。
「……分かった。夕立は戻ってきてよ」
「うん、分かってるっぽい」
夕立は時雨の艤装が唸るのを聞きながら、ソナーに耳を傾ける。
海底からの音に声はない。しばらくすると爆発音が聞こえてきて、泡が立つ音が生まれた。
その音も消えると、海には静寂が戻ってくる。波はとても穏やかだった。
夕立は波に身を任せたまま待った。その時間はそれほど長くはなかったが、夕立はもっと長く続いてほしいと思う。
海上に浮かび上がってきたものを見て、夕立は下で起きたことの結果を悟った。
「仕方ないっぽい」
言い訳を口にした夕立は自己嫌悪する。
それでも夕立は自分を必要以上に責めまいと決めた。それはワルサメの行為を台無しにしてしまうような気がしたから。
夕立は目元を拭った。波がしぶいて顔にかかったからだと、そんな風に言い聞かせて。
帰ろうとした夕立はすぐに異変に気づいた。それはほとんど確信めいた予感だった。
桜色の髪をした少女が浮かび上がってきた。
夕立は急いで少女に近づく。少女にはワルサメの面影があって、しかし肌の血色はずっとよかった。
「生きてる……」
息もあるし脈も正常だった。
服は何も着ていなかったので、夕立は艤装からハンモックを取り出すと少女の体に巻きつける。
この子が誰とか何かは、夕立にとってはどうでもよかった。
ただ、この少女だけは助けないといけないと思った。
夕立は前に進み始める。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
白露が目を覚ました時、まだ新しくて白い天井が見えて、ほんの少しだけ戸惑ってから思い出した。
ここはトラック鎮守府にある病室だと。そして、ここにいる理由も。
「ん……足はあるみたい……」
白露は目を閉じ直して、何も見ないようにして足の指を動かしてみる。
痛いところはないし、ちゃんと動いてるらしかった。
この感覚が幻でなければ、と思って白露は体を起こす。
白露はベッドに眠っていて、すぐ隣では時雨がベッドに頭を乗せて寝息を立てている。
時雨を寝かせたまま、白露は足下の毛布をめくってみた。
足の指はついている。というより、どこにも傷の跡はない。
「ん……姉さん?」
白露の動きに気づいて時雨が目を覚ます。
少しの間、無言で見つめ合った。
「ねえ」「あのさ」
そして声が重なった。
白露はここで少しだけ笑う。だけど、それは本心から出たような笑顔ではなかった。
「時雨から先に言って」
別に気を遣ったわけじゃない。先延ばしにしたかっただけ。
向き合わなくちゃいけないけど、やっぱり怖かった。
「足の調子はどうかな?」
「問題ありません! やっぱり酷かったの?」
「それはもう。バケツのお陰で直ったけどね。直ってしまったと言うべきか」
「何それ。時雨はあたしの足が不自由なほうがよかったの?」
問いかけに時雨は意味ありげに笑い返してくる。
「まさか――ヤンデレじゃないだし。バケツさえあれば戦えるこの身にぞっとしただけだよ。まるで呪いみたいじゃないか」
「……あたしは五体満足のほうがいいよ」
この体がたとえ戦うためにあるとしても。
白露はそんな思いをため息と一緒に吐き出した。
「ねえ」「あのさ」
また声が重なった。
白露は笑った。今度はさっきよりも自然に出てきた笑いだった。同時に覚悟も決まった。
「今度は何?」
「えっと……調子はどうかなって」
「さっき聞いたこととどう違うのよ」
「あー、体全体とか気分の?」
「そうだね……うん、ワルサメは?」
時雨は黙ってしまった。
大丈夫、時雨の顔を見た時から分かってたから。
時雨も話すつもりでいたのは分かってる。こういう役は自分の役みたいに背負い込んじゃって。
「ワルサメは……」
白露は時雨の話を聞いた。それは短い話で、だけど白露にはワルサメの気持ちが分かってしまったような気がした。
「そっか」
顔を両腕で隠して息を吸おうとするが、浅くて早くてなんだかうまく吸えないと白露は思った。
分かっていた。分かっていたけれど、それでも期待はしていた。
だって、そうじゃない。
「姉さん」
「あたし、あたしさ」
白露は時雨の胸に顔を当てる。体を預ける。他にどうしていいのか分からなくって。
「いままでいちばんがんばったんだよ。でもうまくいかないよねぇ」
「……ごめんなさい」
「なんでしぐれがあやまるの」
「だってボクは姉さんが必死に守ってきたワルサメより、姉さんを選んでしまったんだ……姉さんの気持ちを分かってたのに」
「ずるいよ」
「ごめんなさい」
白露も時雨も互いを抱き寄せた。二人とも傷ついていた。
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いつかは誰かの身に起こること。
まだそんな風には割り切れなかったけど、それでもいつかそんな風に割り切っていかないといけない。
白露はそんなことを思いながら、自分の頬を叩いた。
鏡がほしかった。しゃんとした顔をしていたかったから。
「……どうかな、姉さん」
時雨が聞いてくる。白露は真顔になって言う。
「時雨は目が赤い」
「えっ!?」
「嘘だよ。引っかかっちゃって」
「ひどいや、姉さん。でも、これなら会わせても大丈夫そうだね」
「会わせるって誰に?」
「誰って妹たちに決まってるじゃないか」
時雨はまた意味ありげに笑うと、病室のドアを開ける。
ぞろぞろと白露型の一同が入ってくる。
海風と五月雨は心配そうな顔して、村雨と涼風は白露の顔を見ると笑い、江風は心配してるんだか安心したんだか殊勝な顔つきだった。
「夕立は?」
「あれ? 入っておいでよ、夕立」
「分かってるっぽい! さあ、あなたも来て」
「でも……」
「でももすともないっぽい!」
「すとってなんですか?」
「知らないっぽい!」
夕立が入ってくる。その手は別の誰かの手を引いていた。
その少女は白露型の制服を着ている。片手を夕立に引かれ、片手は白い帽子を押さえている。
桃色の髪をしたその子は、ワルサメによく似ていた。
その子は帽子を外すと、白露に向かって頭を下げる。
「はじめまして。白露型駆逐艦五番艦の春雨です、はい」
あたしは大切なものをなくして、大切なものが増えて、何が大切か思い知った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
日差し除けとして設置されたパラソルの下、白露は沖合を見ていた。
その顔には精彩が欠けている。
「はぁ……」
「ため息をつくと幸運が逃げると言いますよ、白露さん」
「あ、秘書艦さん。こんにちは」
白露は鳥海に挨拶してから、視線を海に戻す。
今は沖合で実戦形式の演習が行われている。
組み合わせは夕立と春雨。結果はとうに見えているが、それでも春雨は少しでも夕立に食い下がろうと悪戦苦闘していた。
「一ヶ月ですか、春雨さんが着任してから」
「長かったのか短かったのか……よく分からないなー」
春雨が着任してから、白露は少し気が抜けたような日々を送っていた。
それは上手く隠せているようで、実は全然隠せていなかったのかもしれない。
鳥海と話す機会が増えたのは、そういうことなんだと白露は思っている。
「夕立ってば春雨にべったりなんですよ。春雨も春雨で夕立にべったりで」
夕立の場合、ワルサメに当たって上手く仲良くできなかった反動もあるのかもしれない。
春雨がべったりなのは……夕立が好きだからなのかな。
「白露さんにはどうなんです?」
「あたしは……どうかな……まだ整理できてなくて」
白露はどうしても春雨にワルサメの影を見てしまう。
それは常日頃ではなくて、ふとした仕種や何気ない時に重なってしまっていた。
だから白露はまだ春雨との距離を上手く掴めていない。
「秘書艦さんだったら、どうします?」
抽象的で要領を得ない質問でも鳥海は真剣に考える。
そして答えた。
「向き合って話します。春雨さんも不安でしょうし」
「春雨が不安?」
「当たり前のことだって話さないと伝わらなかったりするじゃないですか。話しても伝わらない時は行動で示したりとか」
「それって提督と秘書艦さんの話?」
「私より司令官さんと木曾さんの話ですね。お互いがいくら大事に思っていても、その気持ちを伝えられなかったらだめなんだと思います」
「そっか……そうだよね。あの子はあの子で、この子はこの子だもんね」
分かってた。ワルサメを乗り越えていかないといけないのも。
だから白露はその日、訓練を終えたワルサメを呼び出した。
いつかワルサメと二人で夕陽を見た窓を前に、白露と春雨は並ぶ。
「ご用って……なんでしょうか?」
春雨は緊張していた。春雨も不安というのは本当らしかった。
白露は自分が少し情けなかった。妹を不安にさせる姉にはなりたくなかったから。
肩の力を抜いて春雨を見る。春雨の顔にワルサメがダブっていた。
でもごめん。今は春雨とお話したいの。あなたを絶対に忘れないから、今は大人しくしててほしい。
「春雨には余計な話かもしれないけど、どうしても話しておきたくてね」
白露が声に出すとワルサメの影が春雨から消える。
戸惑って、だけど白露に興味を持っている春雨の顔が残った。
「あたしの……あたしの一番大切だった友達のことを」
白露は笑いながらそう言った。
鳥海がいつか笑顔でレイテのを話してくれたのがどうしてか、やっと分かった。
あたしは最後まで笑っていられないかも。それでも、できるだけがんばってみないとね。
そして白露は春雨に語り始める。
傷はいつか癒えていく。
三章に続く。
276 : ◆xedeaV4uNo - 2016/08/20 00:21:54.74 il5anoy/0 203/702日をまたいでしまったけど二章はここまで。
主役が誰か分からなくなりそうですが、三章からは鳥海と提督の話に戻る形になります。
そして冒頭の内容も回収することになるので……いわゆる鬱展開になるんでしょうかね? どうなんだろう?
なのでまあ、投下ペースよりも投下量を意識しての更新になってくるかと思います。
ここまでお付き合いいただいた方々には感謝を。
劇場版が始まってしまう前までには完結させたいですが、どうなるやら。
277 : ◆xedeaV4uNo - 2016/08/20 00:25:17.19 il5anoy/0 204/702備忘録的な設定のような何か
以下は二章終了時点でのトラック島鎮守府の在籍艦娘。順不同。
ちなみに完結まで、このメンバーは固定となります。全員にスポットは当てられませんが。
○重巡
鳥海、高雄、愛宕、摩耶、ザラ
○軽巡(重雷装艦含む)
夕張、大淀、球磨、多摩、北上、大井、木曾
○戦艦
武蔵、扶桑、山城、リットリオ(イタリア)、ローマ
○空母
蒼龍、飛龍、雲龍、飛鷹、隼鷹、龍鳳、鳳翔
○駆逐艦
島風、リベッチオ
・白露型
白露、時雨、村雨、夕立、春雨、五月雨、海風、江風、涼風
・陽炎型
天津風、秋雲、嵐、萩風
・夕雲型
夕雲、巻雲、風雲、長波、高波、沖波、朝霜、早霜、清霜
○その他
明石、秋津洲、間宮、伊良湖
○基地航空隊/運用機種
戦闘機/疾風
陸攻・陸爆/銀河、連山(試作機を試験運用)
偵察・哨戒機/彩雲、二式大艇
278 : ◆xedeaV4uNo - 2016/08/20 00:29:35.02 il5anoy/0 205/702無駄に分けてしまった
姫級との数度の戦闘を顧みて、鳥海を旗艦として第八艦隊を再編することに。
高速艦を中心とし砲雷撃戦能力に秀でた艦隊で、作戦の目的や戦況に併せて多目的に運用される戦力として扱う。
具体的には戦線への切り込み役や敵主力との決戦戦力、迎撃作戦時の遊撃部隊など。
任務内容に応じて、基幹戦力とは別の艦娘も加えて作戦に当たる。
基幹戦力は鳥海、高雄、ローマ、島風、天津風、長波、リベッチオとなる。
【艦これ】鳥海は空と海の狭間に【三章】