【音楽室】
梓「あのっ、澪先輩っ…!」
梓「こ…ここ、これ。受け取ってくださいっ」
どこに隠していたのか、梓は小さな包みを私に差し出した。
かわいく飾られたその包みからは、ほのかに甘い匂いがした。
梓「わ、私…澪先輩のことが好きですっ」
梓「だから、その。つ、つつつ…」
梓「付き合っていただけませんかっ!」
雪がしんしんと降る2月14日。
私は梓に告白された。
元スレ
梓「マイ ファニー バレンタイン」
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1290333498/
梓「マイ ファニー バレンタイン」
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1290679314/
澪「…へ?」
間抜けな声を出してしまった。
こんなこと全く予期していなかったからだ。
澪「えーっ…と、…梓?」
梓「………」
黙りこくっている。
どうやらドッキリとかそういう類のものではないようだ。
そもそもどうして今の状況に至ったのか、頭の中で整理が必要だった。
2月に入り3年生は自由登校になった。
すでに進路の決まっている人は残り少ない学生生活を楽しみ、
受験生は最後の追い込みと本番の試験を迎える、そんな時期。
私たち4人は最後の試験を終え、その報告のために学校に来たのだ。
――――――
――――
―――
――
…
律「ふぃ~っ、さみぃなぁ」
唯「本当だねー」
紬「でも無事に試験が終わってよかったわ」
澪「あとは結果を待つのみ…か」
澪「………」
澪「う、受からなかったらどうしよう…」
唯「大丈夫だよ澪ちゃん!きっとみんな合格してるよ」
紬「そうよ、私たちなら大丈夫!」
澪「2人とも…」
澪「そうだよな。あんなに頑張ってきたんだ、大丈夫だよな!」
つるっ
澪「うおあっ」
どてっ
律「あ、スベった」
澪「みんな、今までありがとな…」
唯「は…早まらないで澪ちゃん!」
紬「そうよ!雪が降ってるんだもの、仕方ないわ!」
澪「そ、そうだよな。こんなの雪の日なら誰にだってあることだ。うん、きっとそうだ!」
すくっ
澪「よし、早く学校に行こう」
唯「おー!」
ぽとっ
紬「あ…」
律「おーい澪。財布落としたぞー」
澪「もう死ぬ」
唯「澪ちゃぁぁぁん!!!」
【学校】
律「いやー久々の学校だな。みんないるのかな?」
紬「もう入試もほとんど終わりだし、いるんじゃないかしら?」
律「そっか、和とかめっきり見てないからなぁ。うぅっ、上履きつめてっ!」
唯「ずっと予備校通ってたみたいだよ」
律「うげー、やっぱすげぇなあいつ」
紬「さわ子先生に会うのも久しぶりね」
唯「あずにゃんも元気してるかなぁ」
澪「うわあああっ!」
どさどさ
律「な、なんだどうした?!」
澪「げ、下駄箱の中に…」
唯「…チョコレート?」
紬「なるほど。バレンタインデーだからね」
律「それにしてもすごい量だな…さすが澪だ」
澪「て、ていうか何で私が今日来るって知ってるんだよ!」
律「いやー、それはあれじゃん?ファンクラブの情報網的な」
唯「恐るべし秋山澪ファンクラブ…」
紬「そういえば、あちこちで甘い匂いがするわね。にぎわってるのかしら」
律「今年は受験でそれどころじゃなかったからなぁ~」
「あ、秋山先輩だ!」
「澪先輩!これ受け取ってください!」
澪「あ、ありがとう…」
律「ふむ、やはり凄まじい人気だな」
唯「いいなぁ澪ちゃん」
紬「よきかなよきかな」
澪「うぅぅ…」
【職員室】
さわ子「お疲れさま。みんな第二志望まで合格してるから、あとは第一志望の結果を待つのみね」
律「澪は滑ったり落としたりで実に縁起悪いけどな!」
澪「うるさい!それ以上言うと泣くぞ、いいのか!」
紬「まぁまぁ。りっちゃんもあんまり不安を煽らないで、ね?」
さわ子「みんな同じ大学に行けるといいわね」
唯「うん、大丈夫だよ!」
律「その自信はどっから出てくるんだよ…」
さわ子「あ、それと澪ちゃん」
澪「はい?」
さわ子「今年は豊作みたいね」にやり
澪「んなっ?!」
紬「ば、バレてる…」
さわ子「はぁ…。若いっていいわねー。私におすそわけしてもいいのよ?」
唯「さわちゃんは誰かにあげないの?」
律「まっさかー!さわちゃんにあげる人なんていないっしょ!」
さわ子「りっちゃん、もう1年高校生やる?」にこっ
律「すいませんでした」
さわ子「今年は忙しいのよ、私が担任になって初の卒業生だから」
さわ子「ま。何にせよ試験は全部終わったんだし、めいっぱい羽を伸ばすといいわ」
唯澪律紬「失礼しましたー」
バタン
唯「ん~!終わったぁー」
紬「久しぶりに学校に来たことだし、お茶して行きましょうか」
律「そうだな、澪のもらったチョコレートをつまみにして!」
澪「な、なにっ?!」
律「冗談だよ。いやしんぼだなぁ澪は」
紬「でもそれだけの量食べたら体重に響きそう…」
澪「さぁみんな遠慮するな、どんどん食べるんだ!」
唯「わぁーい♪」
律「現金なやつ…」
【音楽室】
唯「んー、おいしい~」
紬「今日は寒いからいつもの紅茶にちょっとシナモンをブレンドさせてみたんだけど、どうかしら?」
澪「体の芯からあったまる感じがするな」
律「あれだな、これぞ五臓六腑に染みわたるってやつだな!」
唯「おぉ、りっちゃんなんか賢いよ!」
律「へっへーん、どんなもんよ!」
澪「じゃあ律、五臓六腑ってどこか言えるか?」
律「うっ…そ、それはだな…」
紬「うふふ」
【放課後】
ガチャ
梓「先輩方、こんにち―――」
唯「あーっずにゃーん!」
梓「ひゃあっ!」
唯「ん~、久しぶりだねぇあずにゃん」
梓「や、やめてくださいっ!」
唯「いいじゃんいいじゃん久しぶりなんだからぁん」
梓「んもうっ…離れてくださいっ!」ずいっ
唯「あずにゃん、ちゅめたい…」ずーん
律「ったく、お前らは相変わらずだな」
澪「久しぶりだな、梓。元気にしてたか?」
梓「はい!先輩方もお疲れ様でした」
律「まだ合格が決まったわけじゃないけどな」
梓「大丈夫ですよ、先輩たちなら!」
紬「梓ちゃん、今お茶淹れるわね」
梓「すいません、いただきます」
唯「あずにゃん…。あずにゃん…」
律「お前はいつまでヘコんでんだよ…」
梓「あのっ!せ、先輩方っ」
唯澪律紬「?」
梓「こ、これ、みなさんで食べてください!」
律「おぉ、チョコケーキじゃん!どうしたんだ?」
梓「ば…バレンタインデーだし、試験も無事に終了したことですので…」
紬「まぁ、おいしそう」
澪「すごいな、梓の手作りか?」
梓「ちょっと憂に手伝ってもらっちゃいましたけど…」
唯「いっただっきまーす!」
律「立ち直り早すぎだろ!」
もぐもぐ
梓「ど、どうですか…?」
律「んんめぇな!」
唯「おいひいぃ~♪」
紬「お茶にもよく合うわね」
澪「本当だな」
梓「よかったぁ…」
・・・・・・
唯「ふわ~…あ。なぁんか眠くなってきちゃったよ」
紬「最近ずっと試験づくしだったからね」
澪「そろそろ帰ろうか、雪もまだ降ってるみたいだしな」
律「そうすっかぁー」
梓「………」
唯「どしたのあずにゃん、帰らないの?」
梓「私これからちょっと純と約束があるんで、先輩たちは先に帰ってください」
律「そっか。そんじゃな、梓」
紬「今日はありがとうね」
澪「気をつけて帰るんだぞ」
梓「はい。先輩方もお疲れさまでした」
律「よぉーっし!ずっと我慢してたゲームやりまくるぞー!」
唯「私も思いっきり寝よーっと」
律「唯は普段から寝てばっかじゃんよ」
唯「そんなことはないよ失礼な!」ぷくー
紬「ふふふ」
ちょんちょん
澪「ん?」
梓「あの、み…澪先輩っ…」ぼそっ
澪「どうした?」
梓「あとで、またここに来ていただけますか…?」
澪「?いいけど…」
…
――
―――
――――
――――――
そして私は忘れ物を口実に3人を帰し、再び音楽室へやってきた。
梓の約束も、私と2人きりになるための嘘だったようだ。
澪「ど、どうして私なんだ?」
梓「わ、私…。入部した時からずっと澪先輩のことが気になってたんですっ」
梓「でももう先輩たちは卒業しちゃうし、想いを伝えられないまま会えなくなるなんて嫌だから…」
梓「だから…そのっ、バレンタインの力を借りようと思って」
梓「タイミングが悪いのはわかってます。まだ受験が終わったわけじゃないし」
梓「だけど、いまを逃したらきっと後悔するから…」
梓「い、嫌ならはっきり言ってくださいっ。同情とかで付き合ってもらうのは、私もやです…」
耳まで真っ赤にしていた。
私のそんな間抜けな問いに対して目の前の後輩は正直に答えた。
何てことを言わせてしまったのだろう。後ろめたさすら感じる。
ずっと私のことが気になっていて、勇気を振り絞って私に想いを告げた。
それ以外に何があると言うのだろう。
澪「………」
とはいえ、私も動揺を隠せないままだった。
てっきり梓は唯のことが好きなのだと思っていたからだ。
確かに入部したての頃はよく私の元に来てくれていた。
しかし次第に唯が梓のことをかわいがるようになり、梓も唯に懐いていったからだ。
だから梓の告白は正直驚いたし、それと同時に不思議な感覚にも陥っていた。
梓「………」
梓は下を向きながら震えていた。
私の返事を待っている。
澪「…梓」
梓「は、はいっ…!」
澪「こんな私でよければ、よろしくお願いします」
梓「……!」
丁寧に返事をした。
同情とかではなく、本当の気持ちだ。
もっと梓のことを知りたいと思ったし、私のことも知ってほしいと思った。
いきなり恋愛感情を持った関係を意識するのは難しいかも知れないけど、そんなの時間の問題だ。
私は梓の告白を受けた。
梓「………え?」
澪「ど、どうした梓。きょとんとして」
梓「いいん…ですか…?」
澪「に、2回も言わせないでくれ、恥ずかしいから…//」
梓「……澪先輩っ!!」
だきっ
澪「うわあっ」
梓「うっ、ひぐっ。せんぱぁぁぁい」
澪「ど、どうしたんだ梓?!い…嫌だったか?」
梓「ぢがいます…ちがうんでず…」
梓「絶対っ、無理だと、思ってたから…」
梓「私、うれしくて、うれじぐて…ひっく」
梓は泣いていた。
泣き顔を見せまいと必死に私の胸の中に顔をうずめている。
澪「…そっか」
ぎゅっ
かける言葉の見つからなかった私は、梓をそっと抱きしめた。
腕の中にすっぽりと収まる小さな体。長くて綺麗な髪。
この日、私と梓は恋人同士となった。
【帰り道】
梓「…へへ」
澪「どうしたんだ?」
梓「いや、何かこうしていることが夢みたいで…」
澪「みんなには報告した方がいいかな?」
梓「うーん、変に気を遣わせるのも申し訳ありませんし…今はいいんじゃないでしょうか」
澪「まぁみんな茶化しそうな気もするしな」
梓「…それに」
澪「?」
梓「秘密の交際って、何かドキドキするじゃないですかっ」
澪「…!」ぼんっ
澪「あ、ああああ梓…なんてことを言うんだ///」
梓「ダメですか?」
澪「ダメじゃないけどっ!その、恥ずかしいというか…」
梓「えへへ」
梓「せーんぱい」
澪「な…なんだ?」
梓「手、つないでもいいですか?」
澪「う、うん…」
ぎゅっ
梓「先輩の手、あったかいです♪」
澪「うぅ…」
私と梓は手を繋いで一緒に帰った。
雪はもうすっかり止んでいた。
【澪の家】
澪「ふうっ…」
部屋に入りベッドに横たわる。
手に残るあたたかい感触。
澪「私と梓が、恋人…か」
実感がいまいち湧かない。
あんな梓は今まで見たことがなかった。
だけどその顔はとても幸せそうで、かわいくて、私の頭から離れなかった。
澪「そうだ」
私は梓からもらった包みを開けた。
中には生チョコとチョコケーキ。
ケーキはみんなと食べたものとは違い、かわいくデコレーションされていた。
生チョコを一つ口に運ぶ。
澪「…おいしい」
そのチョコは今まで食べたどんなチョコよりもおいしくて、甘かった。
【梓の家】
梓「ただいまー」
私はまだドキドキしていた。
夢じゃないよね。嘘じゃないよね。
何度も頬をつねる。
その度に、これが現実だと実感する。
梓「…はぁっ」
どっと疲れた私は、部屋に入り枕に顔をうずめた。
澪先輩、よろこんでくれたかな?
憂に教えてもらったから、味は保証出来るけど…。
brrrr brrrr
梓「メール?」
―――――――――――――
From:澪センパイ
Subject:梓へ
本文:
ありがとう。
チョコもケーキもすごくおいしかったよ。
改めて、よろしくな。
―――――――――――――
短くまとめられた文。
それは私の不安を取り除いてくれた。
梓「…たまには王道もありかな」
そう言って私が流した曲は、
「マイファニーバレンタイン」
いつもはMJQのバージョンを聞いてるんだけど、
今日はマイルスの気分。
梓「…ふふっ」
私は何度も何度も、頬をつねっていた。
【翌日】
律「おーっす!」
唯「おはー」
紬「おはよう」
澪「…おはよう」
律「なんだよ、元気ないなぁ」
澪「当たり前だろ!なんでお前はそんな元気でいられるんだ!!」
今日は第一志望の大学の合格発表日。
私は推薦を蹴ってみんなと同じ大学を受験した。
この大学に4人で合格して初めて私たちの受験が終わるということだ。
唯「で、でもいざ来てみると緊張するね…」
紬「大丈夫よ、落ちたら私が何とかするから!」
律「冗談なのか本気なのかわからないからやめてくれ…」
唯「よかったぁ、それなら安心して見られるよー」
律「お前も乗ってんじゃねーよっ!」
澪「うぅぅ…」
律「だーもー!うじうじしやがって!もう覚悟決めろ澪!」
澪「だ、だって…」
律「よし、じゃあせーので見るぞ!」
律「せー…のっ!――――」
【音楽室】
バン
律「やっほー!帰ったぞー!」
唯「ただいまー!」
澪「よかった…よかったぁぁぁ」
紬「澪ちゃん、泣きすぎ…」
憂「みなさん、合格おめで―――」
さわ子「あなただぢぃ~!!!!」がしっ
唯「ど、どうしたのさわちゃん!」
さわ子「合格おめでどう~~!!すごいわ、すごいわみんな…。ずずっ」
律「何でさわちゃんが一番泣いてんだよ…」
私たち4人は無事に第一志望の大学に合格した。
晴れて大学生になることが出来、長かった受験に幕を閉じた。
その場で合格の報告をした後、急いで学校に向かった。
音楽室には梓、憂ちゃん、和、さわ子先生までいて私たちを祝福をしてくれた。
唯「うい~私やったよぉぉ」だきっ
憂「おめでとうお姉ちゃん…」ぐすっ
和「みんな、合格おめでとう」
律「和も第一志望の大学受かったんだろ?すげーじゃん!」
和「まぐれよ。まさか受かると思わなかったわ」
律「またまた、まぐれじゃあんなとこ受かんねーって」
さわ子「これで安心してムギちゃんのお茶が飲めるわ!」
紬「はい!今から準備しますね~」
梓「先輩!おめでとうございます!」
澪「うぅ…、ありがとう」ずずっ
それから私たちはムギの入れたお茶で乾杯をし、
憂ちゃんが作ってくれた特製のケーキを食べながらみんなで祝いあった。
【澪の家】
澪「おえっぷ…。く、苦しい」
腹がぱんぱんに膨れていた。
あの後はどんちゃん騒ぎだった。
久しぶりにあんなにはしゃいで、あんなに笑った気がする。
澪「それにしても…太りそう…」
冬太りする体質を心配していると電話が鳴った。
prrrr prrrr
ピッ
澪「もしもし」
梓『あっ、澪先輩ですか?私です。梓です』
梓からだった。
澪「梓か。どうした?」
梓『ちゃんとおめでとうって言えてなかったなぁって思って…』
梓『澪先輩。合格おめでとうございます』
澪「うん、ありがとう。こちらこそ、あんなに祝ってくれてうれしかったよ」
梓『私は何も…。お礼なら憂とさわ子先生に言ってください。ほとんどあの2人が中心でしたから』
澪「私は梓に言ってるんだぞ」
梓『へへ、すいません…。ありがとうございます』
澪「なぁ、梓。そんな堅苦しくしなくてもいいぞ。その…つ、つつ、付き合ってるんだから!!」
梓『今の先輩の方がよっぽどガチガチですよ?』
澪「う、うるさいっ///」
梓『ぷぷ…』
澪「わ、笑うなぁぁぁ!」
梓『すっ、すいません…ふふっ。でも、先輩は先輩ですから』
澪「むぅ…」
梓『嫌なんですか?』
澪「嫌じゃないけど、それじゃみんなと同じじゃないか…」
梓『ん~…。じゃあ、少しずつ変えるよう努力しますね』
澪「本当かっ?えへへ…//」
梓『先輩、かわいいですね♪』
澪「なっ?!」
澪「ば、馬鹿にしたなっ!」
梓『そんなことないですって』
澪「ふんっ!もういいっ、寝る!」
梓『あっ、先輩!』
澪「なんだよっ」
梓『おやすみ』
澪「っ////お、おやすみっ!!」ピッ
梓の『おやすみ』にどきっとしてしまう自分がいた。
顔が真っ赤だ。熱い。
自分から言いだしたとは言え、しばらくは慣れそうにないなぁ…。
そんなことを思いながら眠りについた。
2月も終わりにさしかかっていた。
春の訪れを予感させる、そんな天気だった。
澪「今日はあったかかったな」
受験が終わってからも、私たち4人は毎日学校(というより、音楽室)に来ていた。
放課後、梓が来て5人揃ったらいつものようにお茶をして、たまに演奏なんかもして毎日を過ごしていた。
いつもの私たち。何も変わらない日常。そんな毎日を淡々と過ごしていた。
今日も例のごとくお茶をし、雑談をし、2人で帰っていた。
2人でと言っても毎日一緒に帰っているわけではない。だいたいは軽音部のみんなと帰る。
数日に一度、みんなと別れたあと約束した場所に待ち合わせてぶらぶら散歩しながら帰るのだ。
梓は同じ目線での口調にすっかり慣れていた。
とはいっても『澪先輩』と呼ぶことにはどうやらこだわりがあるらしい。
梓「………」
澪「ど、どうした梓…?」
梓「そうだねっ」ぷいっ
梓は見るからに不機嫌そうだった。
何か梓の気に障るような言動をとったのだろうか。
澪「それにしても今日の律はアホだったなぁ。日ごろの行いが悪いからああなるんだよ」
梓「………」むすっ
澪「なぁ、梓。具合でも悪いのか…?」
梓「ちがうよっ」
澪「じゃあどうして」
梓「だって澪先輩、律先輩といるときすごく楽しそうなんだもん」
澪「……?」
律といるとき楽しそうなことで何で梓の機嫌が悪くなるのだろう。
少し考えてると一つの結論に至った。
これはいわゆるヤキモチ、というやつなのか?
澪「もしかして梓、律にヤキモチやいてる?」
梓「…っ?!ち、ちがうもん!」
どうやら図星のようだ。
その反応が憎らしいくらいにかわいい。
ほんのちょっぴり、いじわるしてみたくなった。
澪「そっか、私の勘違いだったか。ごめんな」
澪「そういえば今朝の律ったらすごく眠そうでな。一緒に来るとき―――」
ぎゅっ
澪「?!」
梓「いじわる…わかってるくせに」
腕を組まれた。その顔は涙ぐんでいた。
本当にかわいい子だった。私なんかでいいのだろうかと不安になるくらい。
澪「冗談だよ、梓。ごめんな」
澪「まぁ確かに律といるときは楽しいよ。もちろん唯やムギといるときも」
澪「でも、一番幸せなときは梓と一緒にいるときなんだぞ」
恥ずかしいことをよくもまぁあっさりと言えたものだと自分でも驚いた。
でもこれはまぎれもない事実だった。
軽音部のみんなといる時間は確かに楽しい。何にも代えがたい時間だ。
だけど、それ以上に梓とこうして過ごす時間は私にとって幸せで、充実した時間なのだ。
梓「…本当?」
澪「ああ。本当だ」
梓「…そっか」
うれしそうな顔をした。さっきの顔が嘘のようだ。
子猫のように、愛くるしかった。
梓「でも、先輩はいいよなぁ」
澪「なにがだ?」
梓「ヤキモチとかやかなそうだし。私もそうなりたいけど…無理だし…」
澪「私だって、ヤキモチやいてるぞ?」
梓「うそだっ。全然そんな風に見えないもん」
嘘じゃなかった。
梓が律にヤキモチをやくように、私も唯にヤキモチをやいていた。
澪「唯が梓にあんなにべたべたしてて妬かないわけないじゃいか」
澪「梓だって、その…まんざらじゃない感じだし」
澪「わ、私だってあれくらい梓にべったりしたいんだぞ!」
澪「…でも恥ずかしくてそんなの出来ないし。だから、その…」
唯の人懐っこさは本当に見事なものだった。
私もあれぐらい大胆になれたら、と何度も思う。
そして唯が梓に抱きつくたび、胸の奥がちくりと痛んでいた。
子猫を抱くかのごとく梓に抱きつく唯。
嫌々言いながらも満更でもないと言った様子の梓。嫉妬しないわけがなかった。
でも先輩だし、ヤキモチなんてみっともないと妙なプライドを持ちずっと我慢していたのだ。
梓「そうだったんだ…」
澪「私が律といるときよりもずっと幸せそうな顔してるぞ梓は」
梓「澪先輩もしていいんだよ?」
澪「だって、恥ずかしいよそんなの…」
梓「恋人なのに?」
澪「そ、そうだけどっ…!」
梓「告白した時はぎゅってしてくれたじゃん♪」
澪「そ、それは咄嗟のことで…」
梓「でもしてくれたよ?」
澪「うぅ…」
打って変わって攻めの態勢だ。
さっきまで私の方が優勢だったのに…。
けど、こういうやりとりも悪くない。
恋人っぽいなぁ、なんて思ったり。
そうこうしているうちに梓の家の前まで来た。
春が近づいてきたとは言え、まだ陽が落ちるのは早く辺りは暗かった。
梓「それじゃあ、またね」
澪「ま、待ったっ!」
梓「?」
梓を引きとめた。
このままやられっぱなしで引き下がってたまるもんか。
梓「どうしたの、澪せんぱ――?」ぐいっ
ぎゅっ
私は梓の腕を引き寄せ、抱きしめた。
澪「………」
梓「……ぷっ」
梓「ぷくくっ、どうしたの?先輩」
澪「~!!////」
梓は吹き出した。
私は恥ずかしさで顔が燃えそうになった。
澪「あ、ああ…梓が茶化すからいけないんだぞっ!」
梓「そうだけどね。でもまさかこんなタイミングでするなんて…ぷふっ」
ぱっ
澪「も、もう絶対しない!しないんだからな!」
梓「してくんないの?」
澪「しないったらしない!」
梓「そっか…。先輩は私のこと嫌いなんだね…」しゅん
澪「へっ?」
梓「私はしてほしいのに…。今の、すごくうれしかったのにな」
梓「でも、先輩が嫌ならしょうがないよね…。私、諦める」
澪「うっ…」
ずるい、ずるいぞ梓!
そんなこと言うなんて…。
梓「それじゃあ、私お家入るね…」
澪「す、するっ!やっぱりするっ!」
梓「………」
梓「えへへ…ありがとっ」ぱぁぁ
してやられた。
梓はこれでもかという満面の笑みを見せた。
澪「だ、騙したな!」
梓「騙してなんかないよ?」にやにや
澪「ぬぬぬ…」
梓「ごめんね先輩♪」
梓「でも、うれしかったのは本当だから…」
梓「また今度ぎゅってしてねっ」
澪「う、うん」
梓「それじゃあ、またね」
ばたん
梓は家に入っていった。
澪「はぁ…」
見事に梓に振り回された。
でもこんな梓は私しか知らないんだろうと思うと、うれしかった。
3月1日。
私は桜ヶ丘高校を卒業した。
同じ大学に進学する私たち4人はそれぞれ実家を出ることとなった。
唯とムギは一人暮らし、律と私はルームシェアで。
律とルームシェアすることに関しては随分と梓にヤキモチをやかれた。
梓「ずるい…。私だって澪先輩と一緒に暮らしたいのに」
澪「梓が高校卒業したら一緒のとこに住もう、な?」
梓「むぅ…」
いささか不満が残るようだった。
アルバイトに関してはすんなり決まった。
以前みんなでやったムギの父親の経営している系列の喫茶店に雇ってもらったからだ。
律はそれに加えて居酒屋のバイトを掛け持ちするらしい。
なんでも車の免許が欲しいんだとか。危ないから取らなくていいのに…。
ともあれ、新しい生活に向けての準備が着々と行われていた。
梓との交際は順調だった。
お互いの家で遊んだり、時折学校まで迎えに行ったりもしてた。
3月14日。ホワイトデー。
この日は軽音部のみんなで遊んだ。
学校が終わった梓を4人で迎え、いつものファミレスでご飯を食べる。
そして、各自梓にホワイトデーのお返しをした。
唯「はい、あずにゃんホワイトデーだよ!」
梓「ありがとうございます」
唯は何やら豪華な袋に包まれたクッキーをあげた。
梓「す、すごい…!これ、唯先輩が作ったんですか?」
唯「うん!憂に少し手伝ってもらったけど!」
おそらく8割は憂ちゃんの力だろう。
まぁ、唯らしいと言えば唯らしいか。
紬「はい、梓ちゃん」
ムギは何やらバッグをプレゼントした。
言わずもがな高級そうなものだ。
梓「こ、こんな高価なものいただけませんよっ!たかがバレンタインデーのお返しなんかに…」
紬「いいのよ。あげられなかった分もあるから」
梓「す…すいません、なんか」
かといってせっかくのお返しなので断るわけにもいかず、梓は受け取った。
随分と恐縮していた。それもそうだろうなぁ…。
律「ほれ、梓。手ぇ出しんしゃい」
梓「…?」すっ
律は袋を梓に渡した。
中には小さくて白い何かがいくつも入ってる。
律「マシュマロだ。これで背と胸を大きくするんだな」
梓「むかっ。余計なお世話です!」
律「そして聞いて驚け。そのマシュマロは私の作ったオリジナルマシュマロだ」
梓「えっ?す、すごい…!」
私も気づかなかったがこのマシュマロは律の手作りらしい。
本当器用なやつだな…。
律「あ、一個だけわさび入れてあるから気をつけてなー」
梓「」
こういうところも相変わらずだ。
無駄に手が込んでいる。
澪「梓、はい」
私は梓に小さな包みを渡した。
梓「これ、なんですか?」
澪「ひ、秘密だ!」
唯「いちごのタルトだよあずにゃん」
澪「ば、馬鹿唯!何で言うんだ!」
唯「えー?だってその方がいいじゃん♪」
澪「うぅ…」
恥ずかしいからあとでこっそり見てほしかったのに…。
梓「じゃあ失礼して…」
澪「えっ、開けるの?!」
梓は包みを開けた。
不格好に飾られたタルトが顔を出した。
唯「おぉ」
紬「あら」
梓「うわぁ、おいしそう…」
律「気をつけろー梓。澪の作るお菓子はとんでもなく甘いからな」
澪「よ、余計なお世話だ!」
梓「これ、食べていいですか?」
澪「い、今食べるのか…?」
梓「はい。すごくおいしそうですので」
律「私らの作ったものはおいしそうじゃないんだとさ」
唯「まぁ、失礼しちゃうわね!」
梓「そ、そういう意味じゃありませんよ!」
何もみんながいる前で食べなくても…。
なんてことを思いつつもタルトを口に運ぶ梓を見守る。
<中野家>
梓「先輩っ、はいっ、あ~んっ♪」
澪「はっ恥ずかしいよ、梓……」
梓「えぇ~!いいじゃないですかぁ~二人きりなんですよぉっ!」プンプン
澪「分かった分かった…あ~ん////」
梓「ふふっ、あーんっ♪」
澪「」ポリポリ
梓「たくあんおいしいですか?頑張って漬けたんですっ」
澪「うんっ、おいしい。梓のつくる物は何でもおいしいよ!」
梓「///」ポッ
梓(ああ……幸せ………)
澪「でも…そろそろデザートが食べたいな」スッ
梓「せ、先輩…?」ドキッ
澪「梓…可愛いよ」チュッ
梓「あっ…////」
澪「」チュッ…ペロッ…チュッ…
梓「あっ……み、澪先輩………」
澪「」スッ
梓「あっ…!そ、そこは………っ///////」
澪「ダメ…か?」シュン
梓「////えっ、あのっ、ダ、ダメとかじゃなくて///そのっ////」ドキドキッ
澪「じゃあ、触って欲しいのか?」クスッ
梓「!?」
澪「別に私はやめたっていいよ…?梓の私への気持ちは、その程度って事なんだろ」ニヤニヤ
梓(いや…先輩に嫌われちゃう)
梓「さ…触って下さ……い………」
澪「それじゃ分からないなぁ」
梓「えっ?////」
澪「梓のどこを触って欲しいんだ?はっきり言わないと分からないよ」クスクス
梓「…っ………あ、梓の……おま……ぉまんこ……触って…下さ…い//////」チラッ
唯「おま○こー?あずにゃん、おま○こって何?」
梓「ゆゆゆゆゆゆゆ唯先輩っ!!!??な、ななな何でっ????//////」
唯「ねぇねぇあずにゃん、おま○こって何?おま○こを触ってどうするの~?」
梓「うわああああぁーん//////////////」
・・・・
梓「う~ん…う~ん……」ハッ
梓「ゆ、夢か………すごい夢………っ」ゼェゼェ
梓(………あとちょっとだったのに…邪魔なんだよ、唯先輩)チッ!
梓「夢の中くらい空気読めっつーの」イライラ
梓「いただきます」ぱくっ
梓「………」
澪「ど、どうだ…?」
梓「…おいしい」
梓の顔がほころんだ。
唯「むぅ~…。あずにゃんだけずるい!私にもちょうだい!」
梓「だ、ダメですよ!私がもらったんですから」
律「スキあり!」ひょいぱく
梓「あっ、律先輩!!」
律「ん~!うめーなー。相変わらずあまあまだけど」
唯「あっ、りっちゃんずるい!」
律「へっへ~ん!」
澪「何つまみ食いしてるんだ馬鹿律!」がつん
律「んがっ!」
てんやわんやだった。
結局唯がだだをこねたので、みんなでタルトを食べることにした。
梓のむなしそうな顔がやたら印象的だった。
・・・・・・
律「そんじゃなー!」
紬「またね」
唯「ばいばーい」
梓「今日はありがとうございました。失礼します」
夜も更けてきたので解散した。
どたばたしたけど、私たちらしい時間を過ごしたと思う。
もうこんな風にみんなが集まる機会が減るのだと考えると、少し寂しい。
【澪の家】
澪「…さて」
まだ私の一日は終わっていない。
私はそわそわしていた。
ピンポーン
澪「来た」
プツッ
澪「はい」
梓『中野です』
梓が私の家に泊まりに来るのだ。
そう、今日はホワイトデーであると同時に梓と付き合って1ヶ月の記念の日。
ガチャ
澪「いらっしゃい。あがって」
梓「お、お邪魔します…」
澪「そんなかしこまらなくて大丈夫だよ。ママ…じゃなくて、両親は出かけていないから」
梓「…へへ」
【澪の部屋】
梓「今日はありがとね。タルト、すごくおいしかった」
澪「ごめんな、甘ったるくて…」
梓「ううん、私甘いの好きだし。他の先輩にとられたのはちょっと悔しいけど…」
澪「また今度作るからさ」
梓「ほんとっ?!」
澪「あぁ、本当だ」
澪「あ、そうだ」
梓「?」
澪「梓、1ヶ月おめでとう」
梓「…うんっ!」
澪「なんか、あっという間だったな」
梓「そう?私はまだ1ヶ月なのって感じがするけど」
梓の言うことも一理あった。
あっという間に過ぎた気もするけど、まだ1ヶ月なのかと思う部分もある。
何にせよ、充実した時を過ごしたことには変わりがないのだけれど。
澪「なぁ、梓」
梓「なに?」
澪「実はな、私からプレゼントがあるんだ」
梓「えっ、本当?!」
澪「じゃあ、ちょっと目をつむってくれるか?」
梓「うんっ!」
梓は期待に胸をふくらましながら目を閉じた。
私はこの瞬間を心待ちにしていた。
あの時の仕返しをする絶好のチャンスだからだ。
梓「先輩、まだぁー?」
まだかまだかといった様子が伝わってくる。
このプレゼントは私も初めてだ。緊張する。
でも、その後の梓の顔が見たいと思う気持ちが私を後押ししてくれた。
私は身を乗り出し、そして…。
ちゅっ
梓に、キスをした。
梓「……?」
梓は目を見開ききょとんとしている。
まるで自分が今何をされたのかわかっていないかのよう。
唇を2、3度触る。すると…
梓「…!!!」ぼんっ
梓の顔が途端に沸騰した。
人の顔ってこんなに赤くなるものなのか…。
思わず感心してしまった。
梓「せ、せせせ…先輩っ?/////」
澪「ん?どうした?」
私はとぼけたフリをした。
当然のことをしたまでだ、と言わんばかりに。
梓「…!」ばっ
梓は両手で顔を隠す。
そんなことしても真っ赤なの見え見えだぞ。
私は意地悪な口調で言った。
澪「いつかの仕返しだ♪」
梓「……!」
梓「先輩の…ばかっ」
そう、あの時の仕返し。
梓もそれに気づいたようで、とても悔しそうな表情をしていた。
梓「…ねぇ」
梓「もう一回」
梓「もう一回、して。ちゃんと」
澪「えっ?」
梓「こういうのは、ちゃんとしてほしい…」
梓「だから、もう一回」
悔しがっているのかと思ったら、梓は急にしおらしくなった。
その表情に含みは感じられなかった。
本心からの言葉であり、態度だろう。
梓「………」
梓は再び目を閉じ、あごを上げた。
さっきとは違う、キスを待つ体勢だった。
澪「梓…」
梓「んっ…」
一回目は軽く触れる程度だった。
今度は、深く、長く。
ほんのりいちごの味がした。
どれぐらい唇を重ねていたのだろう。
少し息苦しくなったところで、唇を離す。
澪「…ぷはっ」
澪「………」
梓「………」
しばしの沈黙。
決して気まずいものではなく、互いに幸せをかみしめている瞬間だった。
どちらからというわけでもなく、自然な流れで梓と抱き合った。
梓の心臓の鼓動が聞こえる。速くて、大きな鼓動だ。
それは私も同じだった。きっと梓にも聞こえているだろう。
幸せだった。
梓もそう感じているだろう。
私は残された高校生という立場を、誰よりも幸せに過ごしていた。
4月。大学生としての生活がスタートした。
中学から高校に上がるのとは訳が違った。
大勢の学生、90分の講義、棟を移動しての授業、履修登録。
今までとまったく異なる環境についていくのに精いっぱいだった。
唯「ねぇムギちゃん…。履修登録ってどうやるの…?」
紬「パソコンで自分のとりたい授業を選ぶのよ」
唯「で、でもこんなに授業がいっぱいあったらどれとっていいかわかんないよぉ…」
紬「うーん、それに関しては講義の要綱とか見ないとわからないかもね…」
律「うがぁー!さっぱりわかんね!どれが必修でどれが選択なんだ!」
澪「ここに書いてあるだろ?よく読め」
律「そもそもこれ読みづらいんだよ、もっと図とか使ってわかりやすくだな…」
唯と律は特に参っているようだ。
学部での新入生歓迎会(いわゆる新歓コンパというやつだ)にも参加した。
居酒屋を貸し切るといった規模の大きなものだった。
年齢的にまずいのではと思ったが、店的にも企画側的にもそのへんは暗黙の了解らしい。
歓迎会はそれなりに楽しかった。
うちは女子大だからまだ落ち着いているものの、共学だともっとすごいようだ。
つくづく共学に入らなくてよかったと思う。
唯と律はお酒が入るといつもの調子にさらに拍車がかかった。
律「ぐへへ、お姉さん。いい身体しとるやないですか」
唯「けしからんお胸ですなぁ…!誘ってるんですかい?!」
澪「…はぁ」
正直手もつけられない、こう言っては何だがかなり面倒だった。
一方でムギはいくら飲んでも全然といった感じだった。
紬「私、パーティーとかでこういうのは飲み慣れてるから♪」
改めて琴吹家の凄さを知った。
ムギ、同い年…だよな?
【澪と律の家】
律「これ味付け濃くないか…?」
澪「そ、そうか?」
律「いや、濃いだろ絶対!つかなんか変に甘いぞこれ、お菓子か!」
澪「そんなことないっ!」
律「いやいやいいから食べてみろって」
ぱくっ
澪「う…」
律「だろ?」
大学のことだけではない。普段の生活も大変だった。
ルームシェアとは言え、それまでやってこなかった炊事・掃除・洗濯をすべてやる必要があったからだ。
親の存在がどれだけ大きかったかを知った。
家事は週ごとの当番制にした。
片方が炊事をやり、もう片方が掃除洗濯をやる、といったものだ。
最初に私が炊事当番、律が掃除洗濯当番ということになった。
さっそく晩御飯を作ってみたものの、味付けが濃いというか、謎の甘さがあるらしい。
律には「詞も料理も甘いんだな!」とからかわれた。
翌週、律が炊事をする番。
ぱくっ
澪「お、おいしい…」
律「だろ?料理ってのは、味付けの絶妙な加減が大事なんだよ」
澪「うぅ…」
律の料理はおいしかった。
料理だけではない、掃除も洗濯も手際がよかったし、慣れていた。
普段のずぼらな感じからは想像も出来ないくらい家庭的だ。
悔しさ反面、情けなさも感じた。
アルバイトも本格的に始まった。
以前とは違う。お給料を貰い、雇われている立場。
覚えることもやらなければならないこともたくさんあった。
梓とは全然会えなかった。
家が離れてしまったというのはもちろんだが、
何より私自身に余裕がなかったのだ。
大学、家事、アルバイト。
たくさんのことに追われている。
もっとも、それは唯やムギや律も同じなのだろうけど。
でも、もしかしたらそこまで苦に感じていないのかも知れない。
3人は私と違って要領がいいから。
梓は今、何をしているのだろう。
私たちが卒業しても、しっかりやっていけているのだろうか?
寂しい思いをしてないだろうか?
会いたい。梓に会いたい。
話がしたい。あの笑顔が見たい。
夜な夜な梓を想う日々が続く。
こうして4月はあっという間に過ぎていった。
【桜ヶ丘高校】
4月。
私はとうとう3年生となった。
未だに自分が最高学年であることが信じられない。
キーンコーンカーンコーン
始業式が終わると、私の足は当然のごとく音楽室に向かっていた。
ガチャ
梓「………」
そう。もう音楽室には誰もいない。
先輩たちは卒業してしまったから。
わかってはいたけど、寂しかった。
先輩たちが卒業してから、軽音部は私一人だった。
その後憂と純が入部をしてくれて、3人になった。
本当は4人以上部員がいないと部として認められないんだけど、
さわ子先生が無理言って認めてくれたみたい。
さわ子「トンちゃんも立派な部員でしょ?」
って。
とはいっても純はジャズ研と掛け持ちしてるし、
憂も家のことが忙しくてなかなか揃うことはなかった。
集まった時はセッションしたり、お菓子食べたりと、そんな感じだった。
それでも私はよかった。あの空間にいるだけで幸せだったから。
私は毎日音楽室に足を運んでいた。
トンちゃんに餌をあげて、ギターを弾いて、適当な時間に帰る。
たまにさわ子先生が来てくれて色々とお話をしてくれた。
先生が学生だったときの話とか、先輩たちが1年生だった頃の話、
3年生の担任だった時の話とか、尽きることはなかった。
ギターも一緒に弾いてくれた。
新歓ライブや勧誘はやらなかった。
さわ子先生は勧めてくれたけど、断った。
何て言うか、あの空間が壊れてしまいそうな気がして。
澪先輩とは連絡はとっていたけど、会うことはなかった。
あっちも大学が忙しいみたいだし、家も離れてしまったから。
憂や純はいてくれるし、さわ子先生も来てくれるけど、
胸にぽっかりと穴が空いたような日々が続いた。
ひと月が過ぎ、5月に入っていた。
部室に足を運ぶとだいぶ散らかっていることに気づいた。
梓「…よし!」
私は部室の掃除を始めた。
ゴミを拾い、雑巾をかけ、機材や窓もピカピカに磨いた。
ついでにやってしまえと物置の整理もした。
たくさんの写真や物が出てくる。全部、先輩たちとの思い出だった。
梓「………」
少しの間感傷に浸っていると、
こつん
何かの音がした。
梓「あ……」
水槽からだった。
梓「ごめん、トンちゃん。餌まだだったね」
急いでトンちゃんに餌をあげる。
よほどお腹が空いていたのか、いつもよりたくさん餌を欲しがった。
梓「ごめんね、ちょっと懐かしいものがいっぱい出てきちゃってさ」
トンちゃんに話しかける。
梓「そういえば、トンちゃんがもうここに来て1年が過ぎたんだね」
1年前を思い出す。今でも鮮明に覚えていた。
あの時も部室の掃除をしてて、さわ子先生の古いギターが見つかって、
そのギターが凄い額で売れて、使い道とかみんなでいっぱい考えてて、
先生に1万円だったって嘘つくんだけど結局バレちゃって、それから、それから…。
梓「うっ…ぐすっ」
いつの間にか涙が頬を伝っていた。
寂しかった。どうしようもなかった。
戻りたい、あの頃に戻りたい。
5人で机を並べて、毎日お茶していた時に。
何で私だけ、置いてけぼりなんだろう。
トンちゃんが心配そうな顔で私を見ていた。
梓「えへへ…。ごめんね、ちょっと寂しくなっちゃってさ」
梓「今日はもう帰るね。また明日」
そう言ってトンちゃんに別れを告げ部室を出た。
あのままあそこにいたら、もう戻れなくなってしまいそうだったから。
帰ってる途中も先輩たちとの思い出が走馬灯のように駆け巡っていた。
この道は…。このお店は…。ひとつひとつが思い出の場所だった。
もう我慢出来ないよ…。
澪先輩じゃなくてもいい。会いたい。先輩に、会いたい。
ふたたび目に涙がこみ上げてきたその時、
「あーずにゃん」
私の後ろで懐かしい声がした。
梓「えっ…?」
唯「やっほー、あずにゃん久しぶり♪」
唯先輩だった。
高校生の時とは全然違う、大人びた格好。
梓「唯先輩、どうしてここに…?」
唯「いやぁー実家に取りに行くものがあってさ。その帰りなんだ」
唯「あずにゃんも今帰り?お、ちょっと背伸びたんじゃ―――」
梓「先輩っ!!!」ぎゅっ
唯「うおぉっ?!」
梓「私…わだじ…っく。うわああああああん」
思いっきり先輩に抱きついた。
たまたま会った、その偶然が本当にうれしかった。
私は泣いた。子どものように、泣いた。
唯「どったのあずにゃん、寂しかった?」
梓「………」こく
唯「…そっか。ごめんねあずにゃん」ぎゅっ
この匂いと優しい声、まぎれもなく唯先輩。
ほんのひと月ふた月会わなかっただけで、こんなにも懐かしく思えるものだった。
唯「そうだあずにゃん!」
梓「…はい?」
唯「私の家、おいでよ!」
私は唯先輩の家に招かれた。
【唯の家】
唯「ただいまー」
梓「お、お邪魔します」
唯「ごめんねーちょっと散らかってるかも知れないけど」
私は唯先輩の一人暮らししている家に上がった。
散らかってるとは言ったけど、もともと物が少ないからか質素な感じがした。
唯先輩の匂いがたくさんする。懐かしい匂い。
唯「適当なとこ座ってていいよ」
梓「はい」
私は唯先輩のベッドの近くに腰かけた。
唯「はい、あずにゃん」
梓「すいません。いただきます」
簡単なお茶菓子を用意してくれた。
唯先輩の好きそうな、甘いお菓子と烏龍茶。
私は烏龍茶をすすった。
唯「こうして飲んでるといつも思うんだよね」
唯「やっぱりムギちゃんの淹れるお茶が一番だなぁって」
梓「…そうですね」
本当にその通りだ。
部室でムギ先輩が淹れるお茶は、他のどんな物よりもおいしい。
唯「あずにゃんは最近どう?学校は楽しい?」
梓「………」
梓「楽しいですよ、音楽室はがらんとしちゃいましたけど」
梓「でも憂や純もいてくれるし、充実してます」
本当は寂しくてどうしようもなかったけど、私は強がった。
先輩に迷惑や心配をかけたくなかったから。
でも、唯先輩はそれもわかっている気がした。
梓「先輩たちは、みんな元気ですか?」
唯「うん!澪ちゃんもりっちゃんもムギちゃんも、元気にやってるよ!」
梓「そうですか」
みんな相変わらずのようだ。
それが聞けただけでもうれしかった。
梓「あ、そろそろ帰らないと…」
唯先輩との話に夢中になっていると、いつの間にか夜も更けていた。
時間の流れが早いと感じたのはいつ振りだろう。
唯「そっか、一人で帰れる?」
梓「大丈夫です、ありがとうございます」
唯「あずにゃん」
梓「はい?」
唯「またおいでよ!一人暮らしって結構寂しいんだ」
梓「…はい!」
私は久しぶりに味わった充実感を噛みしめながら帰路についた。
【大学】
5月も終わりに近づく。
ようやく環境の変化にも慣れ、生活のリズムも安定してきた。
キーンコーンカーンコーン
律「ふいーっ、やぁっと終わったよ」
澪「90分まるまる寝てたくせによく言うよ」
唯「お腹空いちゃったぁ」
紬「お昼にしましょうか」
とはいえ90分という授業時間にはまだ慣れず、
時計をちらちら見つつ授業を受けていた。
律はバイトの掛け持ちで疲れもあるせいか、寝ることが多かった。
律「そういや梓のやつ元気にしてっかなぁ?」
紬「バタバタしてなかなか会う機会が作れなかったもんね」
唯「あずにゃんは元気だよ♪」
律「ん?なんだ唯、最近梓に会ったのか?」
唯「うん!あずにゃん最近私の家に遊びに来てくれるんだ」
澪「えっ…?」
初耳だった。
梓が唯の家に遊びに行ってる?
なんで?どうして?
律「なんだよ唯ばっかり!ずるいぞ」
紬「そうよ唯ちゃん!私だって梓ちゃんに会いたいわ!」
唯「今度うちで5人で遊ぼうよ♪きっとあずにゃんもよろこぶよ!」
律「そうだな!ていうか実は唯の家って行ったことなかったし」
紬「そういえばそうかも。お茶とケーキ用意しなきゃ!」
唯「うん!」
澪「………」
私の気は確かではなかった。
確かにここのところ忙しくて会えなかったけど、
だからって何で唯のところに…。
嫉妬と不安の入り混じったどろどろした感情が私を襲った。
【澪と律の家】
その日の晩、私は梓に電話をかけた。
いてもたってもいられなかった。
律は居酒屋のバイトに出てるから今は私一人。
prrrr prrrr
ガチャ
梓『もしもし。澪先輩?』
澪「やぁ、梓」
梓『どうしたの?こんな時間に』
澪「その…ちょっと聞きたいことがあってさ」
梓『なに?』
澪「最近、唯と会ってるのか…?」
梓『んー?うん、まぁ。たまに誘われたりするんだ』
澪「そっか…」
梓は肯定した。
澪「………」
梓『もしかして、怒ってる…?』
澪「いや…」
ウソをつく。
素直になれない自分がいた。
梓『別に何があるわけじゃないよ。ただ、その…久しぶりだったから』
梓『…ごめんなさい』
梓が謝ってきた。
別に謝罪の言葉が欲しかったわけではなかった。
怒っているわけでもない。
でも、もやもやするものは残っていた。
もしかしたら梓を唯にとられちゃうかも、そんな不安だったのかも知れない。
澪「いや、いいんだ。私がいけないんだし」
澪「私と会えない分、唯と仲良くするんだぞ。いっぱい構ってもらうといい」
そしてよくわからないもやもやは、皮肉となって言葉に出た。
梓『………』
梓『なに、それ…』
澪「?」
梓の口調が変わった。
梓『先輩、本当は私に会いたくないんでしょ』
澪「何でそういうことになるんだよ」
梓『だって!先輩…忙しい忙しいって言って、全然会ってくれないじゃん!』
澪「仕方ないだろ!本当のことなんだから…」
梓『私、唯先輩のところじゃなくて澪先輩のところに行きたいよ!澪先輩に甘えたいよ』
梓『でも、澪先輩は一人で暮らしてるわけじゃないじゃん…』
澪「律がいたところで関係ないだろ?来ればいいじゃないか!」
梓『律先輩がいたら絶対澪先輩は強がって私に構ってくれないもん!!』
梓『そんなの、私悲しいよ。やだよ…』
忙しい、そんなの他人から見たら単なる言い訳だ。
唯だって忙しいはずだ。ましてや一人暮らし、家のことも全部やらなくちゃいけない。
でも時間のやりくりが出来るのは唯の要領のよさ、才能だ。
私は唯やみんなとは違う。要領も悪いし、不器用。
やるべきことをこなして、さらに時間を作って…なんて器用な真似が簡単に出来るはずもなかった。
自分を恨んだ。そして唯がうらやましかった。
どこにぶつければいいかわからない怒りがあった。
梓『それに、澪先輩が会いたいって思ってないのに会うなんてもっとやだ』
澪「そんなことない!私はいつだって梓に会いたいって思ってる!」
梓『唯先輩は、ちゃんと時間空けて私を誘ってくれるよ?!』
梓『けど、澪先輩はそんな素振りすら見せてくれないじゃん!!』
頭に血がのぼっているのがわかる。
もう理性の歯止めがきかなかった。
澪「じゃあ私と別れて唯と付き合えばいいだろ!!!」
澪「そうすれば会いたい時に会えるし、寂しい思いなんかしないじゃないか!!」
梓『…!!』
梓は黙り込んだ。
しばらく沈黙が流れる。
興奮から覚めた私はひどく後悔した。
私は、なんてことを口にしてしまったんだ…。
梓『………』
梓『ひっく、っぐ、うっ…』
受話器の奥からすすり泣く声が聞こえる。
梓は、泣いていた。
澪「…ごめん。その、つい…」
梓『…そんな風に、言われるなんて、っく、思わなかった…』
澪「あ、梓…。今のは勢いで…」
そう、本当に勢いだった。
そんなこと微塵にも思っていない。
誰にも渡したくない、どこにも行ってほしくない。
つくづく私は不器用な人間だった。
梓『ひどいよ、そんな風に言うなんて…』
澪「梓…」
梓『もういいよ…先輩なんて』
澪「…ごめん。そんなこと、ちっとも思ってないから」
梓『…きらい』
澪「え?」
梓『澪先輩なんて、大っきらい!!!』
ブツッ
電話が切れた。
かけ直そうかと指を構えたが、やめた。
今かけ直したところで意味のないことだと気づいたから。
思えば梓とぶつかったのは初めてだ。初めての、ケンカ。
こんなに辛いなんて。
本当に嫌われてしまったのかもしれない。
でもどうすればいいかわからない。
不安と悲しみに押し潰されてしまいそうだった。
【梓の部屋】
梓「うっ、ぐすっ…えぐ」
カッとなって電話を切ってしまった。
思えば、初めてのケンカだった。
大嫌いなわけがなかった。
好きで好きでしょうがない。
先輩が不器用なのはわかってる。
だけど、やっぱり寂しかった。
我慢出来なかった。
何度も会いに行こうとした、びっくりさせようとした。
だけど、もし忙しかったら。かえって先輩の負担になったら…。
そう思うとどうしても踏みとどまってしまう。
梓「会いたいよ、澪せんぱぁい…」
涙と一緒に出た本当の気持ち。
最近、泣いてばっかりだな。
翌日。
泣き疲れた目をこすりながら大学に向かう。
律「ふぁ~あ」
澪「ふあ…」
紬「あら、今日は2人ともおねむさん?」
律「私は居酒屋のバイトがあって帰りが遅かったからな」
唯「澪ちゃんはどうかしたの?」
澪「ん?あぁ、ちょっと昨日寝れなくて…」
紬「目腫れぼったいみたいだけど、大丈夫?」
澪「平気だよ、ありがとう」
私は昨晩まったくと言っていいほど眠れなかった。
ただひたすら、枕を濡らしていた。
そのせいで心なしかまぶたが重いし、おまけに寝不足で散々だった。
キーンコーンカーンコーン
律「唯、バイト行こうぜー」
唯「うん!澪ちゃんムギちゃん、また明日ね」
澪「あぁ」
紬「またね」
律「あ、澪。洗濯物しまっておいて!」
澪「わかった」
唯「りっちゃん、急がないと遅刻しちゃうよー」
律「わーかってるって」
今日は唯と律がバイトなので、ムギと2人で帰ることとなった。
紬「ねぇ澪ちゃん」
澪「ん?」
紬「最近、何かあった?」
澪「え…?」
突然ムギに問いかけられる。
紬「澪ちゃん今日元気なかったし」
澪「な、なんでもないよ!ただ寝不足なだけで」
紬「目が腫れぼったいのは?」
澪「その…あれだよ!ずっと眠い目こすってたから」
紬「昨日、泣いてたんでしょ」
澪「…!」
紬「隠しごとは、してほしくないな…」
紬「私に出来ることであれば、協力するから、ね?」
こらえていたものが溢れそうだった。
ムギの優しさに、甘えたくなってしまった。
澪「…うっ。うぐっ」ぽろぽろ
澪「ムギ…ごめん。私、本当はつらい…」
澪「でも、どうすればいいか…わかんなくて…」
紬「大丈夫よ、澪ちゃん」
そう言うとムギは私の頭を優しく撫でてくれた。
紬「よしよし」
紬「少し、お話しましょ?」
澪「…うんっ」
【紬の家】
紬「どうぞ」
澪「お邪魔します…」
私は一旦家に帰ったあと、洗濯物を取り込みムギの家に向かった。
ムギの家にお邪魔するのは初めてだった。
大学生の一人暮らしとは思えないほど立派な部屋だった。
紬「今お茶淹れるわね」
私は適当な場所に腰かけた。
それにしてもきれいな部屋だ。
きちんと毎日掃除を行っているのだろう。
ことっ
紬「はい、どうぞ」
澪「ありがとう」
久しぶりに飲むムギが淹れてくれたお茶。
懐かしい味がした。
紬「それで、何があったの?」
秘密の交際ということだったから今まで誰にも言わなかったけど、
ここまでしてもらってもう隠すわけにもいかなかった。
適当なことを言ったところで鋭いムギはすぐに見抜くだろう。
私は梓とのことを話すことにした。
澪「実は…その…梓のことで」
紬「梓ちゃん?」
澪「あ…あのなっ、ムギ!誰にも言わないで欲しいんだけど…」
紬「?」
澪「実は、私…梓と付き合ってるんだ」
紬「………」
紬「まぁ!」
ムギは一瞬きょとんしたあと、
ぱあっと明るい表情を見せた。
紬「どうして早く言ってくれなかったの?!」
澪「ご、ごめん…。みんなに茶化されるのが嫌だったんだ」
紬「いつから?いつから付き合ってるのっ?」
澪「…今年のバレンタインデーから」
紬「そんなに前から付き合っておきながら隠すなんてひどいわ澪ちゃん!」ぷん
澪「はは、かたじけない…」
どんな反応をするかと思えばいつも通りの反応だった。
相変わらず、といえば相変わらずの反応だったが、それだけでも心が軽くなった。
そして、秘密にしていたことを怒られた。
紬「梓ちゃんとどうかしたの?」
澪「この前、梓とケンカしたんだ」
私は最近あったことを包み隠さずに話した。
梓とケンカしたことはもちろんのこと、
唯にヤキモチをやいていること。
自分の不器用さが原因で、梓につらい思いをさせてしまっていること。
今の自分がどうすればいいのかわからないこと。
紬「なるほど…。そんなことが会ったんだ」
澪「う、うん」
紬「ふふっ、かわいい」
澪「うるさいっ///」
ムギにからかわれた。
紬「どれぐらい会ってないの?」
澪「こっちに越してからはたぶん一度も…」
紬「一回会ってみたら?案外そういうのって、会ってみたらどうってことないものよ?」
澪「そう…なのかな」
紬「今度の週末、会いに行っておいでよ」
澪「で、でもバイトあるし…」
紬「私が変わってあげるから、大丈夫よ♪」
澪「ムギ…」
紬「ねっ?」にこっ
澪「…ありがとう」
週末になった。いい天気だ。
澪「ありがとう、ムギ」
私はムギにメールを送り、家を出た。
澪「………」
向かう途中、不安でいっぱいだった。
もし会いたくないって言われたら…。
嫌いだって言われたら…。
そんなことばかりが頭をよぎる。
澪(ダメだダメだ!せっかくムギが作ってくれたチャンスなのに!)ぶんぶん
澪(でも…)
落ち込んでは首を振り、落ち込んでは首を振り、
起伏の激しい道のりだった。
【梓の家】
梓の家に着く。
ベルを押すと、インターホンから梓の声がした。
梓『はい?』
澪「………」
緊張して声がうまく出せなかった。
梓『どちらさまですかー?』
澪「あ、秋山です。秋山澪です」
梓『えっ?み、澪先輩?!!』
ガチャ
玄関から梓が出てきた。
どれくらい振りだろう、こうして面と向かって梓に会うのは。
梓「先輩、どうして…?忙しいんじゃなかったの?」
澪「その…、会いたかったから」
澪「バイト代わってもらって、梓のとこまで来たんだ」
澪「ダメ…かな?」
梓「…部屋に上がって」
澪「うん」
私は梓の家にお邪魔した。
【梓の部屋】
澪「………」
梓「………」
部屋に入ったはいいが、何を話したらいいかわからずお互い沈黙のままだった。
重苦しい空気が流れる。
澪「………」
このままじゃダメだ。
私が、私が言わなきゃ。
澪「……梓」
梓「………」
澪「その…ごめんなさい」
私は勇気を出して口を開き、そして深く頭を垂れた。
澪「ついカッとなって、あんなこと言っちゃったけど…」
澪「私、梓と別れたくない」
澪「唯のところにも行って欲しくない。ずっと私のこと見ていてほしい」
澪「だから…その…」
言葉が続かなかった。
思っていることをつらつらと口にしているだけだった。
梓「ううん、もういいの。謝らないで」
梓がそれを制する。
梓「私の方こそ、ごめん」
梓「忙しいのわかってあげられなくて、わがままばっかり言って…」
梓「私、澪先輩に…っく。嫌われたのかと…思って…」
澪「梓…」
泣くのを我慢しているようだ。
じっくり梓の顔を見てなかったから気づかなかったけど、
梓の目も腫れぼったくなっていた。
きっと、私と同じように毎晩泣いてたんだろう。
澪「梓、おいで」
澪「仲直り、しよ?」
梓「…うんっ」
梓を引き寄せる。
私の体にすっぽり収まる感覚が久しかった。
ずっとくっついていた。言葉はなかった。
こうしているだけでよかった。
今は、梓といれること幸せを噛みしめていたいから。
ごめんな、そしてありがとう。梓、大好きだよ。
【大学】
紬「おはよう」
澪「おはよう。昨日はありがとな」
紬「ううん、大丈夫。それで、澪ちゃんの方は?」
澪「…うん」
紬「その顔は、仲直り出来たってことでいいのかな?」
澪「…あぁ」
今の私はどんな顔をしているのだろう。
幸せそうな顔をしているのかな?
ムギもうれしそうだ。
澪「夏休みまであんまり会えないけど、記念日には絶対会おうって2人で決めたんだ」
紬「そっか♪」
記念日だけは大切にしたかった。
だから、梓にそう提案した。
梓も納得してくれた。
澪「ムギのおかげだよ、本当に感謝してる」
紬「いいのよいいのよ~、幸せそうで何よりだわ」
紬「それで、澪ちゃん」
澪「?」
紬「…仲直りのキスとかはしたの?」ぼそっ
澪「ぶっ!」
紬「冗談よ冗談、うふふ♪」
澪「ったく…///」
思わず噴き出してしまった。
何を言い出すんだ突然。
…まぁ、したけどさ。
【桜ヶ丘高校】
憂「梓ちゃん、おはよう」
梓「あ、憂。おはよう」
純「おはー」
梓「純もおはよう」
純「梓、何かあった?」
梓「何で?」
純「いや、なーんか今日は元気だなぁって思って」
梓「そう?」
憂「ここ最近梓ちゃん元気ないねって純ちゃん心配してたんだよ」
純「ちょ、ちょっと憂!余計なこと言わないでよ!」
憂「ふふっ、ごめんね純ちゃん」
純「ったく…」
梓「心配してくれてたんだ、純のくせに」
純「失礼なっ!い、一応梓は大事な友達だからね!心配になったりもするよ」ぷーっ
梓「純、ありがとう。もう大丈夫だから」
純「えっ?!う、うん…」
純(なーんか調子狂うなぁ)
自分ではまったく気づかなかったけど、
憂や純にも心配かけていたらしい。
ごめんね、2人とも。
【梓の部屋】
家に帰り、ベッドに飛び込む。
梓「へへっ、澪先輩の匂いがする」
昨日、澪先輩が突然来たことには本当にびっくりした。
もうこのまま会えないで別れちゃうのかなって思ってたから。
気まずくて何を話せばいいか戸惑ってたら、澪先輩から謝ってきた。
それに釣られるように、私も謝った。
初めてのケンカ、そして初めての仲直りだ。
そのあとは、澪先輩にずっとぎゅってしてもらった。
久しぶりすぎて、甘え方を忘れちゃってた。
でも、本当に幸せだった。
その後、澪先輩から記念日は必ず会おうって提案された。
本当はもっと会いたかったけど、それは言わなかった。
澪先輩だって頑張ってるんだから。
夏休みになれば澪先輩はこっちに戻ってくるみたいだし、それまでの辛抱だ。
梓「私も、頑張らなきゃ」
6月。梅雨の季節に入った。
雨が毎日のように降り、気分を落ち込ませる。
せっかくの日曜日なのに。
あとちょっと、もう少しで14日だ。
そしたらまた澪先輩に会える。
今度は、どこかに行きたいな。雨降らなきゃいいけど。
そんなことを考えていると電話が鳴った。
brrrr brrrr
ピッ
唯『もしもし、あずにゃん?』
梓「どうしたんですか唯先輩」
唯先輩からだった。
唯『暇つぶしにお菓子作ってみたんだけどさ、いっぱい作りすぎちゃって…』
梓「はぁ」
唯『だからさ、食べに来ない?』
梓「えぇー…。律先輩とか呼べばいいじゃないですか」
唯『みんなバイトとかで忙しいんだってー』
唯『それに、一人で食べるのはちょっと寂しいから…』
梓「………」
梓「わかりました。今から行きますね」
唯『本当っ?!わーい!』
「寂しいから」
この言葉にどうも私は弱かった。
自分がそういう思いをしてるからなのか、そう言われるとつい断れなくなる。
私は唯先輩の家に向かった。
【唯の家】
ピンポーン
唯「いいよ、入ってー!」
ガチャ
梓「お邪魔しま…うっ!」
焦げくさかった。
少し心配ではあったんだけど、案の定図星のようだ。
唯「えへへ、実はちょっと失敗しちゃってさ」
梓「これ、ちょっとどころの騒ぎじゃないんじゃ…」
唯「でも見てよ!ちゃんと出来たのもあるんだよ!」
そう言って見せてくれたのはクッキーだった。
動物やら星やらハートやらたくさんの型があった。
唯「ね?おいしそうでしょ?」
梓「まぁ、確かに…」
梓「というか他の先輩方は忙しいみたいですけど、唯先輩は忙しくないんですか?」
唯「私だって忙しいよ!課題たまってるし!」ふんす
梓「いや、全然誇れませんからね…」
唯「まぁまぁ、たまには息抜きも必要なんだよ」
梓「息抜いてばっかな気もしますけど…」
唯「さっ、食べよ?」
梓「…はいっ」
相変わらずのマイペースっぷりだ。
でも、ちっとも憎めない。入部した時からそうだ。
この先輩には人を魅きつける不思議な力がある。
たぶん私も、それに魅かれてこの部に入部したのだろう。
梓「うっぷ、もう食べれない…」
唯「な…なかなかお腹にたまるね。晩御飯は作らなくてよさそうかな」
結局2人で全部たいらげてしまった。
形は不格好なものが多かったけど、味はおいしかった。
私も、お菓子作りに挑戦しようかな。澪先輩のために。
そういえば、澪先輩ってどんなお菓子が好きなんだろう。
梓「………」
澪先輩のことを考えたら急に寂しくなった。
寂しい、会いたい。
今日…電話しよっかな。
そんなことを考えながらお茶を飲んでいると、唯先輩が口を開いた。
唯「ねぇ、あずにゃん」
梓「はい?」
唯「あずにゃんってさ、好きな人とかいるの?」
梓「えっ…?」
突然のことだった。
梓「好きな人…ですか?」
唯「うん!」
梓「な、なんでいきなりそんな…」
唯「なんで?んー…」
唯「なんとなく♪」
なんとなく、か。
先輩らしいと言えばそうだけど。
唯「それで、いるのっ?」
梓「………」
澪先輩の顔が頭に浮かぶ。
私が澪先輩と付き合ってるって言ったら唯先輩はどんな反応をするんだろう。
よろこんでくれる?それとも…。
梓「………」
唯「あずにゃん?」
梓「はっ、はい?!」
唯「言いたくないなら別にいいよ?」
梓「いえ…」
何を不安になっているんだ。
付き合っていることを報告する、たったそれだけのことじゃないか。
言おう、澪先輩のこと。
梓「…実は私、澪先輩と付き合ってるんです」
唯「へっ?」
梓「で、ですからっ…!私、澪先輩と付き合ってるんです…//」
唯「………」
唯先輩は目をまんまるくし、その姿で固まった。
石になった、って表現すればいいのかな…。
唯「………」
梓「あの、唯先輩…?」
唯「ええぇえぇえぇぇっ?!!」
梓「ひっ!!」
そして我に返ったかと思いきや、大声を出して驚いていた。
そんなに衝撃的だったかなぁ…。
唯「い、いつの間に澪ちゃんと…」
唯「それって最近?!」
梓「いえ、バレンタインデーの時からです…」
唯「っていうと、1…2…3ヶ月も経ってる!」
唯「…何で」
唯「何で教えてくれなかったのさ!ひどいよあずにゃん!」
梓「す、すみません…」
すごい剣幕で迫られた。
澪先輩と付き合ってたことはもちろんだが、ずっと黙ってたことの方がショックだったようだ。
唯「んもう、あずにゃんのバカっ」
梓「すいません、隠してて…」
唯「それでさ、澪ちゃんとはどうなのっ?!」
梓「え、えぇーっ…」
唯先輩は興味津津だった。
こんな純粋な目で見られたら言わないわけにはいかなくなった。
結局私は澪先輩とのことを話した。
付き合った時のこととか、私といるときの澪先輩のこと。
この前ケンカしたことも話した。
唯先輩はどれも面白そうに聞いてくれた。
唯「へぇーっ、幸せそうでいいねぇ」
梓「えへへ…」
唯「やあねぇ惚気ちゃって!」
梓「そ、そんなつもりじゃっ…//」
梓「そ、そういう唯先輩はどうなんですか!」
唯「ん?」
梓「好きな人です!私にだけ聞いといて自分は言わないなんてずるいですよ!」
唯「好きな人かぁ~」
唯「いるよ♪」
梓「へぇ…」
いるんだ、唯先輩にも好きな人が。
どんな人が好きなんだろう、私の知ってる人かな?
梓「だ、誰ですかっ?!」
唯「それはね…」
唯「あずにゃんだよ」
梓「えっ…?」
頭の中が真っ白になった。
唯先輩の好きな人は、私…?
唯「なぁんてね、冗談♪」
梓「………」
唯「あれ、あずにゃん?おーい!」
梓「はっ、はい?!」
唯「大丈夫?ぼーっとしてたけど」
梓「そ、そんなことは…」
唯「でも、あれだね。ごめんねあずにゃん」
梓「何がですか?」
唯「いや、何度も家に誘っちゃったりして。澪ちゃんに悪いことしちゃったかな」
唯「これから気をつけるから、ごめんね?」
梓「え…」
梓「ま、待ってください!何でですか?!」
唯「私のせいで澪ちゃんにヤキモチやかせるのは嫌だし、何よりそれが原因でケンカとかしてほしくないからさ」
梓「それは…。確かにそうかも知れませんけど」
梓「でもだからって唯先輩と会えなくなるのはやです…」
唯「会えないって言ってるわけじゃないよ?これからもみんなと一緒にたくさん遊ぶつもりだし」
唯「ただ、2人で遊ぶのはちょっとやめよっかって言ってるだけ」
梓「それが、嫌なんです…」
梓「そんなこと、言わないでくださいよ…」
唯「あずにゃん…?」
自分でも何を言っているのかわからなかった。
唯先輩が私と澪先輩に気を遣ってそう言ってくれてる、
その気持ちはすごくうれしいんだけど。
だけど、唯先輩に会えなくなるのは嫌だ。
矛盾した思いが駆け巡る。
唯「ねぇ、あずにゃん。もしもだよ?」
唯「澪ちゃんが誰かと2人っきりでちょくちょく遊んでるって知ったら、どう思う?」
梓「それは…」
唯「自分とは会えないのに、どうして。って思わない?」
梓「………」
唯「でしょ?」
確かに嫌な思いをするかも知れない。
ましてや嫉妬深い性格なんだ、不安にもなる。
それはわかってる。わかってるんだけど…。
梓「でもっ――」
ぎゅっ
唯「わがままだなぁ、あずにゃんは」
唯「さ、バイバイだよっ。これから雨強くなるみたいだしね」
梓「…はい」
半ば突き放された形で、私は唯先輩の家を後にした。
私には澪先輩がいる。大好きで、大切な恋人。
だけど、何だろう。
―――あずにゃんだよ―――
その言葉が頭から離れなかった。
冗談だって、わかってるのに。
6月14日。
私と澪先輩の4ヶ月の記念日。
今日はちょっと遠くに出て買い物をすることになった。
天気は、雨だった。
澪「うーん、雨やだなぁ」
梓「そうだね、早く梅雨明けるといいけど…」
澪「早く夏休みにならないかな」
梓「どうして?」
澪「だって、そうすれば梓にたくさん会えるじゃないか」
梓「…そうだね!」
澪先輩といる時間は幸せだった。
月に一度しか会えないんだもの、幸せじゃないわけがない。
帰りたくなかったし、もっと一緒にいたかった。
充実していたし、満足もしている。
でも、胸につっかかることもあった。
あれから、唯先輩から連絡は一度もなかった。
【大学】
7月。
梅雨も明け、気温もあがってきた。
もうすぐ夏がやってくる。
律「やべぇよ、澪!どうしよう!課題終わんないよ!!」
澪「自業自得だろ、バイトばっかしてるからだ」
律「そんな冷たいこと言わないでよ澪しゃあん…」
この時期は多くの授業でレポートの提出が課される。
一年生の私たちは履修科目も多く、当然たくさんのレポートが出されていた。
唯「ムギちゃんだずげで~!!!」
紬「じゃあ、今日私の家で一緒にやろっか♪」
唯「本当っ?!ありがとう~」
律「…なっ?」ちらっ
澪「なんだその目は」ずびし
律「あてっ」
紬「せっかくだし、みんなで一緒にやる?」
律「おっ、いいねー!待ってました!」
澪「ムギ。あんま甘やかすと今後のためにならないぞ」
紬「まぁまぁいいじゃない。今日はみんなバイトもないんだし」
紬「久しぶりにお茶でもしましょ?」
澪「けど…」
紬「う~ん…。澪ちゃんがそこまで言うなら仕方ないわね…」
紬「じゃあ3人でやりましょうか♪」
澪「」
唯「わぁい!ムギちゃんのお茶飲むの久しぶりだなー」
律「わりぃな澪!家のこと頼んだわ!」
澪「………」
澪「……私も」
澪「…私もいぐぅ~!!!」
紬「うふふ、やっぱりね」
澪「あっ、ムギ!こうなるってわかっててわざと言ったんだな!」
紬「さぁ、何のことかしら♪」
澪「ぬぬぬ…」
ムギに一本食わされた。
ムギだけじゃない、唯も律もにやにやしていた。
3人揃って、まったく…。いじわるな奴らだ。
こうして私たちはムギの家にお邪魔することとなった。
【紬の家】
律「ふぅ~っ…」
律「飽きた」
澪「まだ30分も経ってないだろ!」
律「だってほら、ムギのお茶がないとやる気出ないって。な、唯?」
唯「その通りだよりっちゃん!」
紬「それじゃあちょっと休憩しましょうか」
そう言うとムギはキッチンに向かった。
紬「はい、どうぞ」
律「あぁー…幸せ」ずずっ
唯「んんー、おいしい」
紬「よかった♪」
結局ティータイムを満喫していた。
レポートの進み具合に関しては…言うまでもなかった。
【澪と律の家】
律「ふわ…おやすみ」
澪「えっ?!もう寝るのか?」
律「お腹いっぱいでさ、そんじゃ」ばふっ
あの後、みんなでご飯を食べ解散した。
久しぶりに4人で一日中いた気がする。
律は帰るなり布団をかぶり寝てしまった。
澪「………」
ピッ
私は携帯を取り出し、電話をかけた。
prrrr prrrr
ガチャ
紬『もしもし』
そう、ムギに。
澪「ごめんな。今大丈夫?」
紬『大丈夫よ、どうかした?』
澪「その、相談があるんだけど…」
紬『梓ちゃんのこと?』
澪「な、なんでわかったんだ?!」
紬『誰にも知られたくないことだから、わざわざ電話にしたんでしょ?』
澪「実は、8月14日で梓と半年になるんだ」
澪「だから、何かプレゼントしたいなぁって思って」
澪「全然会えなかったし、構ってあげられなかったから…」
紬『それで、私に何が良いか相談に乗ってほしいってことかな?』
澪「う、うん…」
ムギはこういうところにはいつも助けられていた。
みなまで言わなくても、理解してくれるから。
紬『うーん、アクセサリーとかどうかしら?』
澪「指輪とか?」
紬『そうね…。でも指輪はもっと大切な日にあげた方がいいと思うわ』
紬『イヤリングは高校生だからまずいし…』
紬『ネックレスとかどうかしら?小さくてかわいいのもたくさんあるし』
澪「ネックレスか、なるほど…。確かにいいかも」
紬『今度一緒に見に行ってみない?私もイヤリング見てみたかったの』
澪「本当か?助かるよ、ムギ。ありがとう」
紬『じゃあ、今週末にお出かけしましょ』
澪「うん!」
ムギには感謝してもし尽くせなかった。
いつか恩返ししなきゃな。
どんなネックレスにしようかな、梓に似合うやつがあればいいけど…。
想像は膨らんだ。週末が楽しみだった。
週末。いい天気。
照りつける日差しが眩しい。もう夏も目前だ。
紬「おはよう」
澪「おはよう、ムギ」
紬「それじゃ、行きましょうか」
澪「どこか行くあてがあるのか?」
紬「ちょっと電車で行ったところに大きなデパートがあるの。だからそこに行きましょ」
澪「わかった」
私とムギは電車に乗って、目的地に向かった。
【デパート】
澪「うわぁ、大きい…」
紬「この中にアクセサリーショップがいくつか入ってるの」
紬「行きましょ♪」
澪「うん」
ムギは慣れた様子で案内してくれた。
何度も足を運んでいるんだろう。
澪「何かごめんな、付き合ってもらっちゃって」
紬「いいのよ全然。こういうお買い物って、わくわくしない?」
澪「…そうだな!」
目的のアクセサリーショップに着く。
澪「うわぁ、いっぱいある」
紬「好きなの見てていいわ、私もイヤリングのところ見てくるから」
澪「わかった」
ムギの言うとおり、たくさんのネックレスがあった。
大きいものから小さいもの、形も様々だった。
「何かお探しですか?」
澪「へ、へっ?!あ、えと…」
店員の人に話しかけられた。
こういうのはどうも苦手だ。
澪「あの、その…。プレゼントにネックレスを買おうと思ってまして…」
「記念日ですか?」
澪「まぁ、そんなところです…」
その後たどたどしくも店員の人と話をし、
小さなハートのネックレスを買うことにした。
「後ろに名前を彫ることも出来ますが、いかがなさいますか?」
澪「あ、じゃあお願いします…」
言われるがままに頼んでしまったが、
サンプルを見るととてもかわいらしく彫られていた。
紬「おまたせ、いいのあった?」
澪「あぁ、かわいいのが買えたよ」
紬「どんなの買ったの?」
澪「だっ、ダメっ!恥ずかしいから…」
紬「むぅ~…」
澪「あ、梓に渡したら梓から見せてもらってくれっ」
紬「まぁ、澪ちゃんったら♪」
澪「う、うるさいっ///」
澪「ムギもいいのが買えたみたいだな」
紬「うん!」
梓「ふぅ、暑いなぁ…」
私は今日、電車で行きつけの楽器屋に向かっていた。
ギターの鳴りが悪くなった気がするので、メンテをお願いしに行くのだ。
私の住んでるところとは違ってこの辺りは随分と栄えていて、
楽器屋も大型の店舗が揃っている。
梓「………」
メンテをしてもらっている間、私はずっと考えていた。
澪先輩のこと。そして、唯先輩のこと。
私は澪先輩のことが好き。
これは偽りなく本当のことだし、一緒にいるときは幸せ。
欲を言ってしまえば、本当はもっとたくさん会いたい。
記念日だけじゃなくて。
私は会わないとどんどん不安になっちゃう人間だから。
でもそれは言わなかった。
頑張ってる澪先輩の邪魔をしたくはなかったし、
何より、澪先輩を信じてるから。
とはいえ、唯先輩のことも私の心を揺らしていた。
いつもなら、軽く流す程度で終わったのに。
なぜかあの冗談はいつまでも頭に残っている。
今思うとあの時の唯先輩の表情は少し違った気がした。
悲しげって言うか、何て言うか…。
梓「……考えすぎか」
そうこうしているうちにメンテが終わる。
梓「うん、いい感じ」
せっかく来たんだからもう少しぶらぶらしてから帰ろうかな、
そう思いデパートに向かうと見覚えのある姿があった。
梓「あ…!」
澪先輩だ。
まさに偶然だった。こんなところで会うなんて。
梓「澪せんぱ――」
声をかけようとしたが、澪先輩の隣にもう一人知っている姿があった。
ムギ先輩だ。
2人は買い物を済ませたらしくデパートから出て行った。
私は声をかけるのをやめた。
ムギ先輩といる澪先輩が、あまりにも楽しそうで、眩しかったから。
梓「…なんだよ、澪先輩」
梓「あんなにうれしそうな顔してさ」
ちらりと見えた澪先輩の横顔は、とても幸せそうだった。
私の前でなくても、あんな顔してるんじゃん…。
ほんの少し悲しくなった。それと同時に、不安にもなった。
私は結局澪先輩には声をかけず、帰路についた。
【電車】
紬「楽しかったね」
澪「あぁ」
買い物が終わった私たちはその後街をぶらぶら回ったり、
お店に入ったりと楽しい時間を過ごしていた。
澪「梓、よろこんでくれるかな…?」
紬「大丈夫よ。好きな人からもらったプレゼントがうれしくないわけないわ」
澪「本当に、色々とありがとうな」
紬「それにしても、梓ちゃんは幸せね」
澪「どうして?」
紬「だって、こんなに澪ちゃんから愛されてるんだもの♪」
澪「ばっ…ムギ!!///」
紬「澪ちゃん、しっ!ここ電車よ?」にやにや
澪「うぅ…」
つい電車の中で大きな声をあげてしまった。
照れくさかったけど、うれしいことだった。
【澪と律の家】
澪「ただいまー…ってあれ?」
律の姿がなかった。
またバイトか。本当、よく働くな。
澪「ふうっ」
私は今日買ったネックレスを見つめる。
早くこれを梓に渡してあげたかった。
ずっと構ってあげられなくて、寂しい思いをさせてきたから。
brrrr brrrr
電話が鳴った。
澪「もしもし」
梓『あ、もしもし。先輩?』
梓からだ。
澪「どうした、梓」
梓『なんとなく、声が聞きたくなって』
澪「そっか」
梓『先輩、今日何してたの?』
梓のためにプレゼントを買いに行ったんだよ。
そう言いたかったけど、はやる気持ちを抑えた。
私は適当に言ってごまかすことにした。
楽しみで楽しみでうっかり口を滑らせちゃいそうで怖い。
これからはボロが出ないよう少し意識して接しなきゃな。
澪「朝起きて、課題やって、バイト行って…いつもの通りだよ」
梓『………』
梓『……そっか』
――ウソつき。
心の中でそうつぶやく。
私は澪先輩に電話をした。
なぜだかわからない。無意識のうちにボタンを押していた。
本当は、抱えていた不安な気持ちを取り除きたかったのかもしれない。
「何してたの?」その単純な問いに正直に答えて欲しかっただけかも知れない。
でも、その不安は取り除かれることはなかった。
澪『梓は今日なにしてたんだ?』
梓「私は…」
梓「私は特に。家でギター弾いて勉強してたぐらいかな」
澪『そうか。もうすぐ期末考査だもんな』
梓「…うん」
梓「疲れてるだろうから、切るね」
梓「おやすみ」
澪『あぁ、おやすみ』
ほとんど一方的に電話を切った。
―――自分とは会えないのに、どうして。って思わない?―――
唯先輩の言葉を思い出す。
澪先輩も、あの時同じようなことを思ったのかな。
先輩はウソをついた。
私が澪先輩に問いつめられたときは正直に話したのに。
裏切られた気分だった。
不安と不信感が募る。
もしかしたら、もう…。
梓「…私のことなんて、どうでもよくなっちゃったのかな」
もやもやとした日々が続く。
勉強にも、ギターにも身が入らない。
あれからも澪先輩とはやりとりしてるけど、
私の抱いた不安は増えていくばかりだった。
その一方で私は期待をしていた。
唯先輩からの連絡を。
高校の時からそうだった。
私が悲しんでたり、不安になってる時、
先輩はそれを察したかのように現れて、手を差し伸べてくれる。
正義のヒーロー。
稚拙な表現だけど、私にとってはそんな存在だった。
いまの私は、澪先輩よりも唯先輩を求めていた。
brrrr brrrr
電話が鳴る。
梓「唯先輩?!」
ピッ
純『や、梓』
梓「…なんだ、純か」
純『なんだって言い方はないんじゃないのー?』
梓「なに?」
純『いや、英語のテスト範囲教えてもらおうと思ってさ』
梓「はぁ…」
電話の相手は純だった。
そうだよね、そんな都合よくいくはずないよね。
梓「えーっと…」
私は純にテストの範囲を教えた。
純『いやー、助かった。ありがとね』
梓「じゃあ切るよ」
純『ちょっと待った!』
梓「なに?」
純『梓、また何か悩んでんの?』
梓「………」
純『ふふっ、図星か』
純『まぁ何をそんなに悩んでるのか知らないけどさ』
純『自分に素直になんなよ。梓はすぐ意地張るから』
純『それだけ、じゃね!』
純に見抜かれていた。
そういうところは変に鋭いんだから。
梓「素直に…か」
純の言葉に心が揺れる。
私は今、何が一番したいんだろう。
私は今、何を一番望んでいるんだろう。
梓「………」
ピッ
prrrr prrrr
ガチャ
唯『もしもし?』
私は、唯先輩に会いたかった。
梓「唯先輩、こんばんは」
唯『どうしたの?』
梓「その…特に何があるってわけじゃないんですけど」
梓「元気ですか?」
唯『うん、元気だよ♪』
梓「あの、先輩…」
唯『ん?』
梓「今度の週末、会いに行っちゃダメですか…?」
唯『んー…』
唯『ダメっ!』
梓「ど、どうして…」
唯『前も言ったでしょ?澪ちゃんヤキモチやいちゃうって』
梓「で、でもっ!今回は私からじゃないですか」
唯『そんなの余計ダメだよ、澪ちゃん悲しむよ?』
梓「いいんです、もう…」
唯『あずにゃん…?』
梓「澪先輩は、たぶんもう私のこと好きじゃないですから…」
そう。たぶん澪先輩は、もう私のことなんてどうだっていい。
あれからも澪先輩はずっとそっけなかった。
隠しごともしてるみたいだった。
何度か問い詰めてこともあったけど、「ないよ」とあしらわれた。
前の先輩は本当に私のことが好きで、想ってくれていた。
自惚れるぐらい、それがわかった。
けど、今の先輩からはわからない。
募る不安。次第に薄れていく澪先輩への想い。
梓「私、会いたいんです。唯先輩に」
唯『………』
梓「ダメ…ですか…?」
唯『…おいで、待ってる』
【唯の家】
梓「おじゃまします」
唯「ん、いらっしゃい」
週末。私は唯先輩の家に出向いた。
私から唯先輩に会いに行くのは初めてのことだ。
いつもの場所に腰かける。
唯「澪ちゃんと何かあったの?」
唯「あんなに幸せそうな顔してたのに」
梓「…実は」
ムギ先輩といたときの澪先輩のこと。
ウソをつかれたこと、それからのこと、すべて話した。
話してどうなるわけでもないことぐらいわかってる。
それでも、聞いてほしかった。それだけで、救われるから。
唯「そっか…」
梓「………」
しばらく部屋に沈黙が流れる。
今日の唯先輩は少し違う。
いつものあの明るさがなく、終始静かだった。
どうしてだろう。
そう思っていると、唯先輩が口を開いた。
唯「ごめんねあずにゃん。私、最低だよ」
梓「何がですか?」
唯「今の話を聞いて、心の底で浮かれた自分がいた」
梓「…?」
唯「やっぱりダメみたい。我慢出来ないや…」
唯「私、あずにゃんのことが好き」
突然の告白に戸惑いを隠しきれなかった。
梓「えっ…?先輩、それは冗談だって…」
唯「冗談で終わらせるつもりだった」
唯「会わなければ忘れるかなって思ってたから、連絡もしなかった」
唯「でも、ダメだった」
梓「先輩…」
唯「わかってる、澪ちゃんと付き合ってるって」
唯「でもさ、好きなんだよ…」
真剣な目つきだった。
泣きそうな顔をしていた。
今度は冗談じゃない。
私は、唯先輩に想いを告げられた。
梓「………」
私はどうすればいいのだろう。
ここで先輩の想いに応えてしまったら、
私は澪先輩のことを捨ててしまうことになる。
裏切ってしまうことになる。
澪先輩のことは今でも好きだ。
だけど、唯先輩の想いにどきどきしている自分がいる。
様々な思いが錯綜していた。
梓「あの…その…」
言葉が出てこない。
間を持たせるかのように、あの。その。と繰り返していた。
唯「………あずにゃんっ」
梓「えっ―――んんっ?!」
いきなり唯先輩は私に迫ってきた。
一瞬何が起こったのかわからなかった。
気づくと目の前には唯先輩の顔。
唇には、あたたかい感触。
私は、唯先輩にキスをされた。
梓「………」
どれくらいこうしていたのか。
唯先輩はゆっくりと唇を離す。
胸の高まりを抑えられなかった。
どうして、こんなにどきどきしているんだろう。
自分でもわからなかった。
梓「せ…先輩…?」
唯「…私、あずにゃんを幸せにする」
唯「絶対に裏切らないし、捨てないよ」
唯「ずっと、大好きだから」
梓「………!」
そうだ。
よく考えたら先に見捨てられたのは私の方じゃないか。
裏切られたのも、私の方じゃないか。
このまま辛い思いをするのなら、もう…。
唯先輩に、すべてを委ねてしまった方がいいんじゃないのか。
先輩は私をベッドに押し倒した。
抵抗はしなかった。心のどこかでそれを望んでいたのかもしれない。
そして――――。
【大学】
7月の半ば。
この時期になると授業は終わり、補講やテストが始まる。
今週は、梓との記念日の週だ。
律「えっ、持ち込みありって何でも持ちこんでいいのか?!」
紬「みたいね。教科書もノートもいいみたい」
律「すげー!大学すげー!テストとか余裕じゃん!」
澪「そうやってると落とすぞ。持ち込んでいいってことは、それだけ難しいってことじゃないか」
唯「………」
澪「唯?どうかしたのか?」
唯「へっ?ううん、何でもないよ!」
澪「本当か?なんか最近元気ないぞ」
唯「そんなことないよ、ほら元気!」ふんす
紬「大学内はどこも空調がきいてるから、もしかしたらそれのせいかもね」
律「あー確かに。唯はクーラーだめだもんな」
澪「夏バテの可能性もあるかも知れないし、気をつけた方がいいぞ」
唯はここのところ元気がなかった。
テストもあるし、体調崩さないといいけど…。
律「てか、9月になっても夏休みってすごくね!?」
唯「私夏休みはずっと実家にいようかなぁ。憂もいるし、ラクだし」
律「んなつまんないこと言うなよー。せっかくだし色んなとこ行こうぜ!海とか山とかさ」
紬「いいわね、おもしろそう」
澪「そうだな」
夏休みは長い。
たくさんみんなと遊べるし、もちろん梓とも会える。
夏だからな、プールとか花火大会とか行くところもたくさんある。
浴衣を着てお祭りなんてのもいいな。
色んな事を考えてた。
【澪と律の家】
律「ただいまー」
澪「ただいま」
今日はめずらしく2人で一緒に帰って来た。
授業がなくなって時間に余裕が出来たからだ。
律「はぁ、それにしてもあっちいなー」
澪「そうだな。クーラーでもつけるか」
クーラーをつけたあと、私は引き出しを開ける。
引き出しの奥に、小さく眠るネックレス。
あとひと月だ。胸が弾む。
律「なにしてんの?なんかおもしろいもんでもあんのか?」
澪「な、なんでもないっ!」
律「ふーん」
律のことだ。
私のいない隙を見て開けるとも限らない。
私はかわいく包装された箱をバイト用のバッグにしまった。
これなら見つからないし、痛むこともない。
夕方。
私と律はずっと家にいた。
ゲームしたり、勉強したり、久々に律との時間を過ごした。
律「そんじゃ、行ってくるわ」
澪「また居酒屋?テスト近いのに大丈夫なのか?」
律「平気平気。それに、こっちは今月いっぱいだからさ」
澪「辞めるのか?」
律「あぁ、金も十分貯まったしな。8月から教習所行くよ」
律「少しは家にいる時間も増えると思う。悪かったな今まで」
律が謝るだなんてこれまためずらしいことだ。雨でも降るんじゃないのか?
確かに律は家を空けることが多かったから、私は大概家で一人だった。
澪「こっちとしてはやかましいのがいなくて清々してたけどな」
律「とかいって、なんだかんだ私がいなかったら寂しいくせに」にやにや
澪「なんだとっ?!」
律「よちよち。お利口な澪しゃんは、お家でお留守番しててくだしゃいねー」
澪「ぐぐ…!早く行けこのバカ律っ!」
律「はーいはい。いってきまーす!」
バタン
澪「ったく…」
こんなやりとりもいつ振りだったか。
そういや、律には梓のこと言ってなかったな。
帰ったら教えてやることにするか。
律のやつ、きっと腰抜かすぞ。
しばらくして、私は梓に電話をかけた。
今度の14日なにをするか話し合うためだ。
prrrr prrrr
prrrr prrrr
澪「…ん?」
なかなか出なかった。
何かしてるのかな、そう思って切ろうとする。
すると、
ガチャ
梓『…もしもし』
出た。
澪「あぁ、もしもし。梓か?」
梓『うん』
澪「電話なかなか出なかったから何かしてたのかと思ったよ」
梓『ごめん』
澪「それで、今度の14日のことなんだけどさ」
梓『…ごめん、私その日用事が入っちゃって。たぶん会えない』
澪「えっ…?」
月に一度しか会えない記念日なのに。
そんなに大事な用事なのか?
澪「そ、そっか。何の用事なんだ?」
梓『…言えない』
梓の声は沈んでいた。
何だろう、訃報か何かかな。
だとしたら、深く探るのは失礼だ。
澪「…わかった。じゃあまた今度だな」
梓『…うん』
澪「またメールするよ、それじゃ」
電話を切った。
仕方ないと思った。
梓が記念日を楽しみにしてないわけがないから。
その楽しみを奪うほどの用事なんてよっぽどのことだなんだろう。
もうすぐテストも終わる。
テストも終われば夏休みだし、たくさん梓に会いに行ける。
でも…。
澪「少しでもいいから、会いたかったな」
寂しく思っていることには変わりがなかった。
電話が終わった後、すこしうとうとしてしまったせいか。
いつもより遅い時間まで起きていた。
律「ただいまー」
澪「おかえり」
律「あれ、まだ起きてんの澪」
澪「ちょっと眠れなくてさ」
律「何か悩んでんの?」
澪「ど、どうして」
律「ん?なんとなく。さてと、汗かいちゃったし風呂入ってくるわ」
澪「あ…あぁ」
そんなわかりやすい顔をしていただろうか。
いや、付き合いが長いからだろうな。
結局律には梓のことは報告せず、
だらだらと話して眠りについた。
【大学】
唯「あぁ…疲れた」
律「ぜ、全然出来なかった…。ヤバい」
紬「大丈夫よ。出席してるしもレポートも出したし、きっと大目に見てくれるわ」
紬「それに、もし落としたとしても私が何とかするから♪」
律「もうさすがに笑えないからやめてっ!!」
紬「うふふ」
7月も終わりに近づき、テスト期間に入る。
相変わらず唯ちゃんとりっちゃんは参ってるみたい。
澪「………」
澪ちゃんも元気がなかった。
テスト出来なかったのかな?
いや、澪ちゃんに限って勉強でヘマすることなんてない。
何かあったのかもしれない。
私は澪ちゃんに聞いてみることにした。
紬「澪ちゃん」
澪「ん?」
紬「最近、梓ちゃんとはどう?」
澪「あ、あぁ…うん」
紬「この前記念日だったでしょ?どこか行ったの?」
澪「いや…会ってないんだ」
紬「えっ、どうして?」
澪「その…なんか用事があったみたいで」
紬「でも月に一回の大事な会える日なのに用事?」
澪「うん」
紬「何の用事だったの?」
澪「教えてくれなかった」
澪「でもさ、記念日よりも大事な用だってことは、よっぽどのことだから…」
紬「けど、別に何かあったわけでもないんでしょ?」
澪「うん。ないんだけどな…」
紬「?」
澪「その、最近。連絡もあまりとってないんだ」
澪「メールもあんまり返ってこないし、電話も出てくれることが減っちゃって」
澪「きっと梓も忙しいんだよ。だから、しょうがないよな。はは…」
紬「澪ちゃん…」
澪ちゃんは目に涙をためていた。
しょうがないなんて思ってるわけない。
そんな悲しい顔をして、どうしてそんなことを言うの?
会えない分たくさんメールも電話もしてたのに、
それがぱったりと減っちゃうなんておかしい。
変な胸騒ぎがした。
8月に入る。
テストも今日で終わり。
長い夏休みがもう目の前に迫っていた。
キーンコーンカーンコーン
唯「終わったぁ~」
律「いよっしゃあー!夏休みだぁぁ!!」
唯ちゃんとりっちゃんは飛ぶようによろこんでいる。
本当なら、そこに私も加わっているはずだった。
澪「………」
紬「澪ちゃん…」
澪ちゃんは日に日に元気がなくなっていった。
おそらく、梓ちゃんとはずっとその調子なんだろう。
話がしたかった。力になってあげたかった。
紬「ねぇ、澪ちゃん」
澪「…ん?どうした?」
紬「この後、暇かな?」
【紬の家】
ピンポーン
紬「はーい」
澪「ごめんな。今日はお世話になります」
紬「いいのよ。さ、あがって」
澪ちゃんは今日私の家に泊まることになった。
少しでも気分転換出来たら、と思って。
りっちゃんは居酒屋のバイトの人と送別会があるらしく
今日は帰らないみたいだから、泊まりに来ない?と誘った。
紬「お腹空いたし、ご飯食べよっか」
澪「うん」
私はキッチンに向かい、夕飯を作った。
澪ちゃんも手伝ってくれた。
紬「それじゃ、食べましょ♪」
澪「いただきます」
澪「あ…おいしい」
紬「本当?よかった」
澪「今度、作り方教えてもらってもいいかな?」
紬「いいわよ」
澪「私、相変わらず料理下手でさ…」
紬「そんなことないと思うわ。あんなにお菓子おいしいんだもの」
澪「でも、律によく甘いって言われちゃって…」
紬「ふふっ、そっか」
澪「わ、笑うなっ!真剣なんだぞっ」
紬「ごめんごめん」
久々に澪ちゃんの照れた顔を見た。
澪ちゃんは笑ったり照れたりしてる顔が一番素敵だった。
ご飯も食べ終わり、落ち着いたところで私はあるものを持ってきた。
澪「…ワイン?」
紬「実家から送られてきたんだけど、なかなか飲む機会がなくて」
紬「せっかくだし、飲んでみない?」
家でパーティーする時のためにって実家から送られてきたワイン。
そういうのはしないからいらないとは言ったんだけど、結局送られてきた。
でもせっかくだし、お酒の力を借りてみようかな。
澪「ワインって初めて…」
紬「結構おいしいわよ♪」
私たちはグラスにワインを注ぎ、乾杯をした。
澪「うっ、にが…」
紬「すぐに慣れるわ、何かつまむもの持ってくるね」
私はずっと飲んできてるからおいしく飲めたけど、
初めての澪ちゃんにとってはなかなか口に合わないみたいだ。
適当なお菓子を開け、それをつまみとして飲み進めた。
紬「ねぇ、澪ちゃん」
澪「ん?」
紬「あれから、梓ちゃんとは…?」
澪「………うん」
変わらずのようだ。
高校生も夏休みに入ってるから、忙しいことなんてないはずなのに。
澪「私、梓に嫌われちゃったのかな…」
澪「私がダメだから、梓が…」
紬「澪ちゃんは、梓ちゃんのことが好きなんでしょ?」
澪「当たり前だよ!誰よりも好きだし、いつでも梓のことを想ってる」
酔いが回ってきてるのか、澪ちゃんは恥ずかしげもなく言った。
紬「なら、大丈夫よ。その想いは伝わってるわ」
紬「次の記念日で、仲直りしましょ?ね?」
澪「…うんっ」
仲直り、というのは少し変な表現かもしれない。
ケンカをしたわけではないし、ぶつかりあったわけでもないから。
けど、澪ちゃんも私もプレゼントに懸けていた。
そのネックレスが、再び2人を戻してくれると。
酔いが回った澪ちゃんは饒舌だった。
澪ちゃんは色々な話を聞かせてくれた。
梓ちゃんのどんな仕草が好きだとか、
自分の前で甘えてくれる梓ちゃんこと、
他人から見たらただの惚気話。
でも、私にとってはそれがうれしかった。
梓ちゃんの話をしている時の澪ちゃんは、本当に幸せそうだから。
紬「ふふっ、幸せそうね」
澪「うん!」
紬「そろそろ寝ましょうか」
澪「あぁ」
夜も遅くなったので寝ることにした。
私は目が覚めてしまってしばらく寝れなかった。
一方で澪ちゃんは寝息を立てている。
澪「………あずさ…」
ずっと2人が幸せでいられますように。
澪「ありがとうな。楽しかったよ」
紬「また今度、ワインでも飲みながらゆっくり話しましょ」
澪「うん、それじゃ」
紬「ばいばい」
澪ちゃんと別れた。
部屋に戻ると、私はあることに気づく。
紬「あ…」
ソファの上に澪ちゃんのいつもつけてるアクセサリーがあった。
忘れてしまったのだろうか。
今度会う時渡してあげなきゃ。
【澪と律の家】
澪「ただいま」
ムギの家から帰る。
初めてワインを飲んで、酔ってしまった。
思い出したくないぐらい恥ずかしいことをぽんぽん言ってた気がする。
律「……zzz」
律は寝ていた。
たぶん酔っぱらって帰って来たのだろう。
服も脱ぎっぱなし、辺りもちらかっていた。
澪「おーい」
律「…んがぁ」
律は一向に起きる気配を見せなかった。
仕方なく、私は部屋を片付けた。
それから数日が経つ。
刻々と8月14日が近づいていた。
律は教習所に通い始めた。
律「ちゃちゃっと取ってきてやるよ!」
澪「まぁ頑張って。事故るなよ」
梓とは相変わらずのままだ。
何度も不安に押しつぶされそうになる。
だけど、あと少し。
あと少し我慢すれば、きっと前みたいに戻れる。
後ろ向きに考えるのはやめた。
今のうちに、どう梓を驚かせようか考えておこう。
私は、バイトに向かった。
澪「いらっしゃいませ」
今日は唯と同じシフトだった。
いつも明るく接客している唯が、今日はおとなしかった。
休憩中も変わらず、話をしてもあまり盛り上がらなかった。
何か悩みでもあるのかな?
帰りに聞いてみよう。そんなことを考えながら仕事をしていた。
バイトが終わる。
夏休みに入ったからか、お客さんの数が多くてんやわんやな一日だった。
帰り道、唯に聞いてみた。
澪「なぁ、唯…」
唯「なぁに?」
澪「なにか、悩みでもあるのか?」
唯「…どうして?」
澪「なんていうか、元気なかったからさ」
澪「最近ずっとそんな感じだし、何かあるのかなと思って」
唯「………」
唯はしばらく黙りこんでいた。
もしかして、人には言えないようなことなのかな。
澪「い、言えないようなことならいいぞ?」
澪「ただ、その…いつもの唯らしくなくて心配だっただけだから」
唯「大丈夫。平気だよ」
澪「そっか、ならいいんだけど」
唯「ねぇ、澪ちゃん」
澪「ん?なんだ?」
唯「あずにゃんと別れて」
澪「………えっ」
澪「いま、なんて…」
意味がわからなかった。
梓と別れろ?
何で唯が私と梓の関係を知っているんだ…?
澪「ど、どういうことだよ…」
唯「もう、あずにゃんを傷つけないで」
傷つける?私が?
確かにずっと会えなかったし、構ってあげられなかったのは事実だけど…
傷つけてるわけじゃない。梓だってちゃんと理解してくれたんだ。
なのに、どうしてそんなこと言われなきゃならないんだよ。
澪「き、傷つけてるかどうかなんて唯にはわからないじゃないか!」
澪「それに、何で唯にそんなこと言われなきゃいけないんだ!!」
唯「あずにゃんは、私のものだからだよ」
――ドクン…。
心臓が停止したかのような感覚。
私の…もの…?
ちがう!ちがう!!
梓は、私のだ。
私の大好きな恋人なんだ。
唯「澪ちゃん、自分が何をしたかわかってないの?」
澪「当たり前だ!どうして、唯のものって言いきれるんだ!!」
唯「本当に、わからないの…?」
澪「わかるわけないだろ!!」
唯「…そっか」
唯「 最 低 」
なんで…なんでここまで言われなきゃいけないんだ。
私が梓に何をしたっていうんだ。
唯「わからないなら、わからないままでいいよ」
唯「あずにゃんは、私が幸せにするから」
唯「じゃあ、またね」
なんだよ、なんなんだよ…。
唯に何がわかるっていうんだ。
私が、どれほど梓のことを想っているか。
どれほど寂しい思いをしてきたことか。
prrrr prrrr
私は梓に電話をかけた。
梓『もしもし』
澪「梓か…?」
梓『どうかしたんですか?』
澪「唯にな、さっき梓と別れろとか言われてさ」
澪「ひどい冗談だと思わないか?しかも私のものとか言ってさ」
泣くまいと必死だった。
いま出来る最高の明るさで振る舞った。
冗談だよ、そうだと言ってほしかった。
梓『冗談じゃないですよ』
澪「えっ…」
梓『私は、唯先輩のものです』
澪「なんで…どうして…」
梓『どうして…?澪先輩が私を見捨てたんじゃないですか』
私が梓を見捨てた?
そんなこと一度もない。
唯も梓も、何を言っているのか全然わからなかった。
梓『私に隠し事して、ウソをついて、冷たくして…』
梓『先輩が、私を突き放したんじゃないですか』
澪「私は…私はそんなことしてない!」
梓『…ウソつき』
澪「………!」
私は気づいた。
ムギとプレゼントを買いに行ったことを隠したこと。
それを悟られまいと、少し固く接していたことに。
梓を驚かせるためにしたことが、裏目に出たのだ。
澪「梓。ちがうんだ、これは―――」
梓『もういいんです』
梓『唯先輩が、私の心を埋めてくれたから』
…やめてよ。
梓『だから、もう。いいんです』
敬語なんて使わないで。
梓『澪先輩といれて、すごく幸せでした』
好きだって、言ってよ…。
梓『さようなら、澪先輩』
澪「!!待って、あず――」
プツッ
ツー ツー ツー
澪「………」
終わった。何もかも。
涙も出なかった。
私が間違ってたのかな。
私のせいなのかな。
でも、少し考えてみればわかることだ。
何をやってもうまくいかない、不器用な私。
そんな私が誰かと付き合うだなんて、最初から無理な話だったんだ。
だけど、本当に楽しかった。人生で一番、幸せな時だった。
梓
あずさ
私はずっとずっと
大好きだよ
【紬の家】
prrrr prrrr
電話が鳴った。
こんな時間に誰だろう。
紬「もしもし?」
澪『ムギか?私だ、澪だよ』
紬「澪ちゃん、どうしたの?こんな時間に」
澪『その、謝ろうと思ってさ。ごめんな』
紬「どうしたの、急に」
澪『プレゼント、無駄になっちゃった』
紬「…澪ちゃん?何があったの…?」
澪ちゃんの声はとても低く、沈んでいた。
私は澪ちゃんに問いかける。
澪『梓にさ、振られちゃった』
紬「えっ…?」
澪ちゃんはさっきあったことを話してくれた。
今、澪ちゃんがどれだけつらい思いをしているのか、
想像することすら怖かった。
紬「そんなの…。そんなの梓ちゃんの勘違いじゃない!!」
紬「ちゃんと誤解を解けばまた仲直り出来るわ!」
澪『いいんだ、もう。どのみち梓は唯しか見てない』
澪『私が何を言ったって、もう無駄だよ』
澪『ごめんな、ムギ…。たくさん迷惑かけて』
紬「澪ちゃん、会って話そう?またお酒でも飲んでさ、一緒に考えよう?」
澪『もういいんだ、ありがとう』
『…もなく…番線に…列車が…通…ます。
白線の…下がっ…待ち…さい』
受話器の奥からアナウンスが聞こえた。
嫌な予感がした。澪ちゃん、あなたまさか…。
紬「澪ちゃん…。今、どこにいるの…?」
澪『言わない。言ったらムギは来るから』
紬「澪ちゃんダメよ!早まらないで!」
澪『無責任なのはわかってる。不器用だってことも知ってる』
紬「待って澪ちゃん!私の話を聞いて!!」
澪『でも、私にはこうするしか出来ないから…』
紬「やめて、そんなこと言わないで…」
紬「……私が」
紬「私が、澪ちゃんを幸せにするからっ…!」
紬「だからお願い、戻ってきて…」
私は涙ぐみながら澪ちゃんに訴えた。
傷が癒えるまで、私が傍で支えてあげるから。
だから、やめて。
死のうとなんて、しないで。
澪『ありがとう、ムギ』
紬「!」
紬「澪ちゃん、私今から迎えに―――」
澪『でも、もう迷惑はかけられないよ』
紬「えっ…」
澪『本当に、ごめん』
紬「馬鹿な真似はやめて!お願い!!今すぐ戻って!!!」
澪『―――ばいばい』
紬「澪ちゃ―――ッ?!!」
ブツッ
ツー ツー ツー
紬「ウソでしょ…?ねぇ、澪ちゃん。ウソだよね…?」
轟音と同時に電話が切れた。
無機質な機械音だけが耳に流れた。
バンッ
私は家を飛び出した。
最寄りの駅の駅員から電車の運行情報を聞く。
ここから2、3ほど離れた駅で人身事故が起こったようだ。
私はタクシーを拾い、急いでそこに向かった。
現場はブルーシートに囲まれていた。
車掌を始め、駅員、警察にレスキュー隊までいる。
時間も時間なだけに、人だかりがたくさん出来ていた。
紬「すいません、どいてください!」
私は野次馬を跳ね除け『立入禁止』と書かれたテープに向かう。
「何してるんだ!下がりなさい!」
駅員に止められる。構うもんか。
紬「うるさい…。離して…っ!!」
私はつかまれた腕を振り払い、中に入った。
紬「澪ちゃん!!!」
紬「………」
すべてを見ずともわかった。
澪ちゃんは、死んだ。
駅員やレスキュー隊員がしぶしぶ事故処理をしている。
警察は車掌に事情聴取をしているようだ。
現場には「またか」「やれやれ」といった空気が流れていた。
何よ…何も知らないくせに…。澪ちゃんが…どんな思いをしていたことか…。
少し離れたところに、場違いな細長くて小さな箱があった。
私は近づき、小奇麗なそれを手に取る。
紬「これは…」
小さなハートの形をしたかわいいネックレス。
後ろには『to Azusa from Mio』と掘ってあった。
そう、これは澪ちゃんが梓ちゃんのために用意したプレゼントだった。
紬「うぅっ、くっ…澪ちゃん」
私はネックレスを抱き大粒の涙を流した。
どうして、どうして…?
どうして澪ちゃんがこんな目に遭わなきゃならないの?
あんなに幸せそうで、あんなに楽しみにしてたのに。
澪ちゃんが、何をしたって言うの?
「こら君、ここは部外者が立ち入っていいところじゃないんだよ!出ていきなさい」
悲しみに暮れているのもつかの間だった。
駅員に連れられ、外に追い出された。
…私が。
私が、伝えなきゃ。本当のことを。
このまま終わるなんて、あまりにも報われなさすぎる。
私が梓ちゃんの誤解を解いてみせる。
それが澪ちゃんのために私が出来ること。
澪ちゃんを止められなかったことへの、償い。
悲しみを胸にしまいこみ、私は帰路についた。
8月14日。
澪ちゃんのお葬式が行われた。
奇しくも、梓ちゃんとの半年記念日だった。
和ちゃんを始めとしたクラスのみんな。
さわ子先生に、先輩や後輩も。
みんなが澪ちゃんの死を悼んだ。
一番悲しんでいたのは、りっちゃんだった。
律「澪…みおっ!!!何で、何でだよ…!」
律「ふざけんなよ…!勝手なことしやがって…」
律「おいアホ澪!返事しろよ…!」
律「うっ、ううっ…うわああああああああ!!!」
式場全体にりっちゃんの叫びが響く。
もう、見ているのもつらかった。
唯ちゃんと梓ちゃんも来ていた。
2人は、どんな気持ちでこの場にいるのだろう。
責めるような真似はしない。そんなことしたって澪ちゃんが悲しむだけだから。
だけど、本当のことを知らないまま澪ちゃんを忘れさせるわけにはいかない。
お葬式が終わる。
みんなが次々と澪ちゃんに別れを告げていく。
私たち4人は、最後の最後まで澪ちゃんの傍にいた。
紬「梓ちゃん」
紬「これを梓ちゃんに持っててほしいの」
私は梓ちゃんに声をかけ、袋を渡した。
梓「これ、なんですか?」
紬「今は持ってるだけでいいから」
梓「はぁ…」
これを、私が持っているわけにはいかないから。
澪ちゃん。ネックレス、ちゃんと渡したからね。
あとは、真実を伝えるだけ。
【紬の家】
私は電話をかけた。
prrrr prrrr
梓『もしもし』
紬「もしもし、梓ちゃん?紬ですけど」
梓『ムギ先輩。どうしたんですか?』
紬「いま、大丈夫かな?」
梓『はい、大丈夫ですよ』
唯『あずにゃーん、誰と話してるの?』
梓『ムギ先輩ですよ』
遠くで唯ちゃんの声がした。
紬「いまどこにいるの?」
梓『唯先輩の家です。電車無くて家に帰れないので』
紬「そう」
本当は梓ちゃんが一人の時がよかったんだけど、
電話を掛けた以上引き下がることも出来なかった。
紬「ねぇ、梓ちゃん」
梓『はい?』
紬「今日が何の日だったか、知ってる?」
梓「何の日…?」
紬「記念日よ、梓ちゃんと澪ちゃんの半年の記念日」
梓『…そうですか』
紬「何も思わないの?」
梓『思うも何も、もう関係ないことじゃないですか…』
紬「ねぇ、梓ちゃん」
紬「澪ちゃんは、本当に梓ちゃんを見捨てたと思う?」
梓『えっ?』
紬「澪ちゃんはね、一度たりともあなたを見捨てたことなんてない」
紬「最後の最後まで、あなたが大好きだったんだよ」
梓『………』
梓『なんですか、それ…』
梓『そんなのウソです、デタラメです』
梓『澪先輩は、私を捨てたんです』
梓『ムギ先輩とデパートに買い物に行ってたところ、私は見ました』
梓『声をかけようと思いました。ほんの少しでもいいから、澪先輩に会いたかった』
梓『でも、出来なかった…』
梓『あんなに幸せそうな顔をしてた先輩に、声なんてかけられなかった!!』
梓『そして澪先輩は、そのことを隠した!何回問い詰めても、知らんぷりをした!』
梓『会話もそっけなくなった、冷たくなった!!』
梓『ウソをついて、私を騙して…』
梓『そんなの、恋人でも好きでも何でもないじゃないですか…』
梓ちゃんは自分の思いを吐露した。
そんなちっぽけなことで、あなたは澪ちゃんを…。
梓ちゃん、あなたはまだまだ子どもだね。
澪ちゃんは、あなたが思ってるよりずっとずっと大人だったよ。
私は焦ることなく、落ち着いた口調で話す。
紬「それはちがうわ、梓ちゃん」
紬「あの日はね、梓ちゃんのための買い物だったの」
梓『…私のための?』
紬「澪ちゃんとネックレスを買いに行ったの。半年記念のプレゼントにね」
紬「ずっと構ってあげられなかったからって、寂しい思いをさせてきたからって」
紬「私といたとき幸せそうな顔をしてた。って言ったよね?」
紬「何でだと思う?」
紬「あなたのことを、ずっと想っていたからよ」
梓『………!!』
【唯の家】
ムギ先輩が何を言っているのか理解出来なかった。
ネックレス?プレゼント?そんなの、聞いたことない。
紬『あの日、澪ちゃんは話題はずっと梓ちゃんことだった』
紬『ううん、あの日だけじゃない。いつでも澪ちゃんは梓ちゃんの話をしてた』
紬『そっけなかったのは、きっと梓ちゃんに悟られないため』
紬『梓ちゃんを驚かせたかった、よろこばせたかったのよ』
紬『澪ちゃんが不器用なの、知ってるでしょ?』
梓「そんなの…」
梓「そんなのいきなり言われて、信じられるわけないじゃないですか!」
紬『私がさっき梓ちゃんに渡したもの、持ってる?』
紬『そこに真実があるわ』
梓「えっ…?」
私はバッグを取り出し、お通夜の帰りにムギ先輩からもらった袋を開ける。
袋の中には、細長い小さな箱。ほんの少し土で汚れていた。
中を開けると手紙があった。
―――――――
あずさへ
私と梓が付き合ってから、今日で半年だな。
おめでとう。思えばあっという間だった。
大学生になってからめっきり会えなくなっちゃったな、ごめん。
でも私はいつだって梓のこと考えてし、大事に想ってるよ。
ネックレスにしたのは、梓が寂しくないようにって思ったからなんだ。
そのネックレスをつけてれば、私が傍にいるって感じられるだろ?
少しは、寂しさも紛れるんじゃないかな。
夏休みはいっぱい遊ぶぞ。祭りも花火もプールも、全部行こう。
今まで遊べなかった分、取り戻すんだから。
これからも、よろしく。
ずっと大好きだから。
8月14日 みお
―――――――
かわいい文字で書かれた手紙。
紛れもなく澪先輩の字だった。
梓「そんな…」
手紙の下にはネックレスがあった。
小さいハートのネックレス。
私はそれを手に取る。
裏には小さく文字が彫られていた
『to Azusa from Mio』
ねぇ、澪先輩。
ムギ先輩の言ってることは、本当なの?
私のこと、ずっと想ってくれてたの?
―――梓、半年おめでとう。これ、私からのプレゼントだ―――
―――秘密にしててごめんな。梓のこと、驚かせてやりたかったんだ―――
―――てっ…、手紙は恥ずかしいから家で読んでくれっ―――
―――こ、こらっ!読むなって言ってるだろ///―――
―――ふふっ、似合ってるよ。すごくかわいい―――
澪先輩の姿がよぎる。本当だったら、今日こんな会話をしてたのかもしれない。
でも、もうそれは叶わぬこととなった。会うことも、声を聞くことも、抱きしめてもらうことも。
私が…。私が、先輩を捨ててしまったから。
梓「いや…。いやっ……いや…!」
梓「いやあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
唯「あずにゃん?いきなり叫んで、どうしたの…?」
ごめんね。ごめんね。
澪先輩。私最低だね。
先輩のこと疑って、勝手に不安になって、
挙句の果てに、浮気までして…。
たくさんひどいことしたのに、
いっぱい傷つけてしまったのに、
それでも、好きでいてくれたんだね。
梓「先輩…待っててね」
梓「すぐ、行くから…」
私はベランダに向かった。
空には星がいくつも輝いている。
この中のどこかに、先輩がいたりして。
ベランダの柵に足をかける。
唯「あずにゃん、何してるの?!」
・・・・・・
【紬の家】
紬「………」
受話器の向こうから梓ちゃんの悲鳴が聞こえた。
後悔、自責、絶望。梓ちゃんはたくさんのものを背負った。
だけどそれを乗り越えることが、これから梓ちゃんのすべきこと。
唯『あずにゃん、何してるの?!』
突然唯ちゃんの声が響く。
梓『何って、澪先輩のところに行くんですよ』
唯『やめて…。そんな高いベランダから飛び降りたら…』
胸騒ぎがする。
梓ちゃん…?まさか…
私は大声で叫んだ。
紬「梓ちゃん!!待って!!!」
紬「そんなこと、澪ちゃんは望んでなんかない!!」
紬「澪ちゃんの前でちゃんと謝って!そして、澪ちゃんの分まで生きるの!!」
私の声は聞こえていない。
おそらく梓ちゃんの携帯はベランダのどこかに置かれたままだ。
唯ちゃんと梓ちゃんの声だけが聞こえる。
梓『澪先輩、見てよ。ネックレス似合うでしょ?』
梓『今から行くね。ふふっ、目の前で手紙読んじゃうんだから』
唯『待って、やだ!!行かないで!!あずにゃん!!!』
梓『先輩、これからはずっと一緒だから』
唯『あずにゃ―――』
2人の声が消えた。
唯『あ…ああ……うあ』
唯『うああああああああああああああああああああああ!!!!!』
少し間を空けて、唯ちゃんの悲鳴が聞こえた。
梓ちゃんは澪ちゃんを追って命を落とした。
少し考えればわかることだった。
あんな脆くて子どものような子が、簡単に向き合えるわけがなかった。
もし、私が真実を伝えなかったらこうはならなかったのかも知れない。
だけど、真実を伝えなければきっと梓ちゃんは澪ちゃんのことを忘れていただろう。
どちらが正しかったのか、わからなかった。
ただ一つ言えることは、
梓ちゃんを死なせたのは、私だということだ。
あれから何日かが経つ。
これで、よかったんだろうか…。
自分に問いかける日々が続いた。
ねぇ、澪ちゃん。
いま、あなたは幸せ?
ねぇ、梓ちゃん。
澪ちゃんと仲直りできた?
教えて、誰か…。
私のしたことが、正しかったのかどうか…。
紬「…ん?」
ポケットに何か入っていることに気づいた。
取り出してみると、かわいい首飾りだった。
これは澪ちゃんがうちに泊まりに来た時に忘れたもの。
次会った時に渡そうと思っていたのに、まさかこれが形見になるなんて。
…そういえば、りっちゃんはあれからどうしているのだろうか。
澪ちゃんのことも、
梓ちゃんのことも、
唯ちゃんのことも、
きっと何も知らない。
りっちゃんに会いたい。
私のしたことが正しかったのかどうか、教えてほしい。
私は救いを求めるかのように、りっちゃんの元に向かった。
【澪と律の家】
ピンポーン
紬「りっちゃん。紬ですけど」
紬「………」
紬(…留守かな)すっ
ガチャ
紬(鍵が開いてる…?)
紬「りっちゃん、入るよ?」
家の中は真っ暗だった。
部屋の電気をつけると、隅に小さな人影があった。
りっちゃんだ。
律「…あぁ、ムギか。どうした…?」
髪はぼさぼさで、服装も礼服のままだった。
それだけじゃない。体も痩せ細っており、瞳には光がなかった。
とてもじゃないけどあのりっちゃんとは思えなかった。
紬「りっちゃん…」
りっちゃんは、澪ちゃんを失ったショックからまだ立ち直れていなかった。
もしかしたら。と思ったが、その通りだった。
律「なぁ、ムギ…」
律「澪のやつ、知らない?」
紬「えっ…?」
立ち直れていない?ちがう。
現実は、もっと残酷だった。
りっちゃんは、澪ちゃんの死を受け入れていなかった。
律「あいつさ、かれこれ一週間ぐらい帰ってないんだ」
律「連絡もよこさないし、つながらないし」
律「今週あいつが炊事当番だってのにさ」
律「ムギ、何か知ってる?」
光の消えた眼差しが、私に向けられる。
どこを見ているかもわからない。虚ろな瞳が。
紬「………」
私は悩んだ。
もしここで本当のことを伝えてしまったら、
澪ちゃんの死を受け入れてさせてしまったら、
りっちゃんは壊れてしまうのではないか。
梓ちゃんのように。
紬「…私も、ちょっとわからないな」
もう、誰も失いたくない。
いつかきっとりっちゃん自身が澪ちゃんの死を受け入れる日が来る。
そう信じて、私はウソをついた。
紬「りっちゃん、お風呂に入っておいで。その間に片付けておくから」
律「…あぁ」
りっちゃんがお風呂に入っている間、私は部屋を簡単にだが片付けた。
澪ちゃんが死んでから随分とりっちゃんが荒れた生活をしていたというのがよくわかった。
あらかた片付け終えた私は澪ちゃんの私物の整理を行った。
洋服やアクセサリー、もちろんベースもきれいに整頓する。
りっちゃんが澪ちゃんのことを受け入れられるように。
このままだと、いつか帰ってくるものだと思いこんでしまうから。
ガラッ
お風呂からりっちゃんが出てきた。
律「……!」
紬「さっぱりした?お腹空いたでしょ、何か軽く作って―――」
律「………みお」
紬「えっ?」
律「お前、帰ってたのか…?」
何を言ってるの、りっちゃん。
私は、澪ちゃんじゃない。
律「お前な、連絡ぐらいしろよ!どんだけ心配したと思ってんだ」
紬「りっちゃん…?ちがうよ、私は紬だよ」
律「なに言ってんだよ、おかしな奴だな」
律「それ」
紬「?」
律「その首飾り、この前私と買いに行ったやつじゃん」
澪ちゃんが私の家に忘れた首飾り。
形見として私が身に着けていた首飾り。
これが、りっちゃんを目を狂わせた。
澪ちゃんの私物整理をしているうちに澪ちゃんの匂いがついたのかもしれない。
りっちゃんは、私の姿に澪ちゃんを重ねていた。
紬「………私は」
――――――
――――
―――
――
…
8月も終わりにさしかかっていた。
私は今、りっちゃんの家に同居している。
ガチャ
律「ただいまー」
紬「おかえり」
律「はぁー疲れた。なぁなぁ見てくれよ、じゃーん!」
紬「あ、免許!」
律「やっと取れたぜ。しかも一発合格だ、すげーだろ!」
紬「すごいすごい♪」
律「なぁんだよそっけないなぁ。もっとほめてくれよー」
律「 澪 」
そう、澪ちゃんとして。
私は「琴吹紬」を殺し、「秋山澪」として生きていくことに決めた。
失いたくない。その一心だった。
紬「ごはん出来たよ」
律「おぉっ、なんか今日は豪華だな!」
紬「無事に免許も取れたことだしね」
律「へへへ」
紬「それじゃ、いただきましょ」
律「いっただっきまーす!」ぱくっ
律「おっ!おいしいなこれ」
紬「そう?よかった」
律「ようやく澪も味付けの加減がわかってきたみたいだな」
律「最初の頃は濃くてあまあまだったのにな。いやぁ人間ってのは成長するもんだ」
濃くてあまあまな澪ちゃんの味付け。
その独特の味、もう味わうことが出来ないのだ。
律「なぁ澪」
紬「なに?」
律「今度みんなでさ、ドライブ行こうよ!」
律「私そのために金ためて免許取ったんだぜ」
律「ムギも唯も誘ってさ。梓も呼んで」
律「梓なんて全然会ってないからなぁ、元気してるかな」
律「そういや、唯も最近見かけないな。バイトも来てないみたいだし」
紬「…実家に帰ってるんじゃない?憂ちゃんもいるし」
律「ふーん、そっか」
バイトのオーナーの話しだと、唯ちゃんはバイトを辞め実家に戻ったらしい。
たぶん実家でも色々なものを背負い、追われながら暮らしている。
もしかしたら、もう…。
紬「………」
律「どうした?黙りこくっちゃって」
もうみんないなかった。
澪ちゃんも梓ちゃんも、唯ちゃんも。
2人は私が手を下したと言っていい。そのことは重々わかってる。
いっそのこと、私も死んでしまえばと思ったこともあった。
でもそれじゃあ残されたりっちゃんはどうなるの。
何も知らないまま独りになるなんて、そんなのあまりにも悲しすぎる。
紬「ううん、何でもないよ」
律「あーっ、楽しみだなぁー!みんなとドライブ」
紬「…そうね」
この笑顔だけは、失ってはいけない。
それが今の私に出来る唯一のことだから。
ピンポーン
律「あ、誰か来た」
紬「私が出るね」
ピンポーン ピンポーン
紬「はーい」
呼び鈴が何度も鳴った。
誰だろう、こんな時間に。
私は早足で玄関に向かい、扉を開けた。
ガチャ
憂「こんばんは、紬さん」
憂ちゃんだった。
ポニーテールの髪をおろし、前髪をピンで止めている。
見てくれは唯ちゃんそのものだった、恐ろしいほどに。
紬「憂ちゃん…」
憂「お久しぶりですね」
紬「…そうね」
そっか。
あなたがこうしてここに来るということは、そういうことなんだね。
唯ちゃんは、もういないんだね…。
憂「いい匂いがしますね、ご飯中ですか?」
紬「そんなところかな。どうしたの、こんな時間に?」
憂「今日、お姉ちゃんが、死にました」
紬「………」
憂「死にました、っていうのは少し違いますよね」
憂「殺されました」
憂ちゃんの目はあの時のりっちゃんの目に似ていた。
光のない、絶望感に浸された瞳。
でもりっちゃんのそれとは少し違う。
猟奇と憎しみを含んだ、どす黒い目だった。
憂「お姉ちゃんは、ずっと苦しんでました」
憂「私のせいだ。私のせいだ。って」
憂「梓ちゃんと幸せに暮らしてたのに。やっと想いが伝わったのに」
憂「紬さんのせいで、お姉ちゃんは…」
紬「憂ちゃん、聞いて。梓ちゃんは―――」
憂「………」どすっ
紬「………?!」
紬「…げほっ」
腹に鈍痛が走った。
口の中に鉄の味が広がる。
私は憂ちゃんに刺された。
憂「返してよ、ねぇ。お姉ちゃんを、返してよ…!!」
私は事の顛末を話すつもりだった。
だけど、もしそれを知っていたところで、関係はないだろう。
姉が理不尽に殺された。その程度の認識にしかならないのだから。
紬「うっ…」
痛みで意識が飛びそうだった。
でもここで倒れるわけにはいかない。
りっちゃんに、余計な不安を与えるわけにはいかない。
律「澪ーっ、いつまでやってんのー?」ととっ
紬「?!こ、来ないでっ!来ちゃダメ!!」
ダメ、来ないで…。
あなたはこんなところを見る必要はないの。
あなたは、笑っていればそれでいいの。
律「………おい。何だよ、これ」
律「何で、血を流してんだよ…」
律「澪ッ!!」
律「大丈夫か、おい澪!しっかりしろ!」
憂「澪…?律さん、何言ってるんですか?」
律「憂ちゃん…?お前が…やったのか…?」
憂「………」
律「何の恨みがあって澪にこんなことすんだよ!!!」
紬「私は平気。大丈夫だから…」
律「平気なわけあるかよ!!こんなに血を流して…」
律「すぐに救急車呼ぶからな。ちょっとだけ耐えろよ、澪」
憂「………」
憂「…そういうことでしたか。紬さん」
今のやりとりで憂ちゃんはすべてを理解したようだった。
憂「そうやって律さんを騙して。罪滅ぼしのつもりですか?」
憂「偽善者」
紬「……!」
辛辣な言葉が胸に突き刺さる。
偽善者。
そうかも知れない。
私がやっていることは、所詮自己満足、偽善でしかなかった。
澪ちゃんを止められなかった。
梓ちゃんを殺した。
唯ちゃんを追い込んだ。
全部、私のせい。
だけど私は知らないうちに、そこから逃げていた。
りっちゃんを盾にして。
憂「律さん。よく聞いてください」
憂「そこに倒れているのは澪さんじゃありません。紬さんですよ。琴吹紬さん」
律「え…?」
律「………ウソだ」
律「ここにいるのは澪じゃないか!なぁ、澪!そうだろ?お前は澪だろ?!」
紬「………」
何も言えなかった。
言ったところで無駄だと悟ったからだ。
私はもう「琴吹紬」になってしまったから。
律「お前は…本当にムギなのか…?」
律「じゃあ澪は…。本物の澪はどこにいるんだよ!なぁ!!」
憂「律さん、忘れちゃったんですか?」
律「忘れた?!何のことだよ!!」
憂「いや、受け入れてないだけか…」ぼそっ
紬「?!や…やめて、憂ちゃん!ごほっ、それだけはっ…!」
お願い、言わないで。それだけは…。
りっちゃんを、壊さないで。
せっかく取り戻したのに。
ようやく笑えるようになったのに。
りっちゃんから、笑顔を奪わないで…。
憂「 澪 さ ん は 、 と っ く に 死 ん で る じ ゃ な い で す か 」
律「え………?」
憂「律さんもお葬式に出たでしょう?」
憂「8月14日を、思い出してください」
律「……………」
律「………そうだ」
律「……澪は。電車に轢かれて……それで……」
律「は…はは、ははははは。そうだよな、私、一体何を…」
律「そ、そうだ…!唯は?梓は?!みんな何してんだよ、澪が死んだってのに」
憂「お姉ちゃんも、梓ちゃんも、もういません」
律「……嘘…だろ…」
もう、おしまいだった。
すべてを知ったりっちゃんは、その場に崩れた。
それと同時にりっちゃんの叫びが響く。
断末魔の叫びとは、まさにこのことだろう。
結局、私は最後まで何も出来なかった。
助けることも、守ること。
もう何も失いたくない。そう決意していたのに。
意識が遠のいていく。
私はりっちゃんが壊れていく姿を、ただただ見つめることしかできなかった。
ごめんね。
END
612 : 以下、名... - 2010/11/28(日) 04:34:05.56 Mf78OYPhP 234/236
おしまい。
だらだらとすまんかった。
618 : 以下、名... - 2010/11/28(日) 04:40:44.21 kF3hL4B+0 235/236
>>612
乙
この結末ってスレ立てた時から決めてたの?
630 : 以下、名... - 2010/11/28(日) 04:55:43.98 Mf78OYPhP 236/236
>>618
そうよ。全部筋書き通り。
予想が次々的中しててびっくりしたよ。
死なない鬱ものが書けるようになりたいね。
俺が鬱もの書くとだいたい死ぬからwww
案のひとつとして
唯→梓じゃなくて
唯→澪ってがあったんだけどもしかしたらそっちの方がおもしろかったかもなwww