※『とある神父と禁書目録』シリーズ

【関連】
最初から:
ステイル「最大主教ゥゥーーーッ!!!」【1】
1つ前:
ステイル「まずはその、ふざけた幻想を――――――」【3】

697 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:05:16.13 alZg/OVZ0 1905/2388



ステイルは混乱を収めるべく瞑目し、必死で頭の中身を整理していた。

一世紀以上も遡った時の果てですでに胎動していた『プラン』。
“彼”の娘、リリス。
一人目の『魔女』。
リリスは原典の毒に絶えること叶わず、死んだ。
そして『図書館』は受け継がれた。

瞼を開く。
ステイルの差し向かいには遠い目で、格子窓の外側の闇を見るともなしに眺めている女。

ローラ=スチュアート――――いや、ローラ=ザザ。
彼の娘にしてリリスの妹。
そして、二人目の『魔女』。
より正確には、魔女だった女。


「一つずつ、疑問を潰させてもらいましょうか。リリスが原典の毒に侵された、とは?
 彼女の父親が原典の危険性を理解していなかった、などという阿呆なオチはまさか
 つかないでしょうね」

「無論、あり得ない話ね。彼は当時はおろか、人類史上でも随一の大魔術師なのだから」


ならば何かしらの対策をリリスの側になり、原典の側になり、施していたということだろうか。
そして、それが思いがけず不発に終わったからこそ――――


「いいえ。彼は、リリスになんの策も打たぬままに、数冊の原典を渡したらしいわ」

「な…………?」


698 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:06:48.37 alZg/OVZ0 1906/2388



ぽかん、と口を開いて阿呆面をさらしてしまった。
それではリリスは、死ぬべくして死んだというだけではないか。


「これが彼の単なる知的好奇心の走りにすぎなかったことを、『ローラ=ザザ』は
 はるかのちに知った。娘が、リリスが、偶然『完全記憶能力』を持っていたから。
 ただ、ただそれだけの理由で……あの男は稚い実の娘を利用して、自らの知識欲を
 満足させようとしたのよ」


好奇心? 知識欲? 満足?
それでは、まるで。


「それではまるで――――実験ではないですかッ!」


ステイルは、飲み込みがたい憤りから吼声を上げた。
実の娘を、九割九分命を落とす狂気の沙汰のモルモットにしたというのか、“彼”は。
そんなものは狂気以外の何物でもない。
ローラは、力なく口の端を歪めた。


「『ローラ=ザザ』も、そう言った。そして彼は、こう返した」


――――失敗を積み重ねてこその、成功だ――――


「彼は『失敗』が何を意味するのか、理解しているのかも怪しい軽い語調でそう言った」


そうして“彼”は、『ローラ』を次なる被験体に選んだ。


699 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:08:24.22 alZg/OVZ0 1907/2388



「……………………失礼、話を先に進めましょう」


ステイルがこの場で如何に義憤にかられようと、すべては歴史の彼方に遠ざかった、
決して手の届かない一ページだ。
第一、所詮は血塗れの大量虐殺者であるステイル=マグヌスが、ご立派な倫理観を
振りかざして正義をのたまったところで虚ろに響くだけである。


「リリスは、最大主教と同様『完全記憶能力者』だった。彼女の死後脳から原典が
 電気信号として取り出された。そして、ローラ=ザザに受け継がれた」


男は一息に、入手した情報を簡潔に羅列する。
質したい事柄のオンパレードであった。


「脳から情報を、電気信号として抽出…………こんなことが百年もの昔に可能だった
 などとは、にわかには信じがたいのですが」

「でもねぇ、ステイル。生体電気や神経系が人類の歴史上で発見されたのは十八世紀の
 出来事なのよ。意外に古いでしょう?」


脳科学、という言葉が一般人にも抵抗なく受け入れられるようになったのはここ三十年
ほどの話だが、脳に関する研究という観点で見ればそれ以前から大脳生理学という名で
日進月歩、進化は続いていた。
さらに十九世紀末には、言語処理の中枢を担うブローカ野や、知覚性言語中枢とも
称されるウェルニッケ野が次々に発見されている。

十九世紀末。
それは正に、“彼”が活動を開始した時期と重なるではないか。


700 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:09:19.56 alZg/OVZ0 1908/2388



「ましてや。“彼”が不世出の大魔術師であると同時にどのような肩書を負っていたのか、
 まさか知らないわけではないでしょう」

「…………そう、でしたね」


電気信号がどうの、脳神経がどうのというテーマは明らかに魔術の領域ではない。
中枢に原典という“魔術”の神秘の結晶を据えておきながら、この計画は厳然と
――――“科学”にその屋台骨を支えられている。


「しかし、原典の継承につきまとう問題点は依然として多々残ります」


そもそもの始まりからして、リリスは『完全記憶』を有していたから被験者とされたのだ。
つまり、『魔女白書』計画はその能力なくして前進し得ない。
『ローラ=ザザ』にも、それが備わっていたとでもいうのか。


「そんな偶然はあり得ない……そうでしょう」

「もちろんないわ。『ローラ』の完全記憶は後天性よ」


ローラが何でもないように放った一言。
示されたのはすなわち、『完全記憶』の移植。


「それこそ、無茶苦茶な話だ! 記憶ならまだしも、『能力』を移植するなど……」


息せき切ってまくし立てようとして、ステイルは唐突に言い淀んだ。
浜面理后のぼんやりとした顔つきを、思い出してしまったからだった。


701 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:10:27.19 alZg/OVZ0 1909/2388



「サヴァン症候群のメカニズム自体は、すでに学園都市の研究機関によって解明が
 成し遂げられているのだけどね」


サヴァン症候群。
狭義には自閉性障害者に稀に見られる、限られた分野に対して異様な能力を発揮する症状。
たとえば、特定の年の特定の月日の曜日を瞬時に言い当てられる。
たとえば、航空写真を少し見ただけで、細部にわたるまで描き起すことができる。
たとえば、並外れた暗算をすることができる。


たとえば、読んだ書籍を一言一句に至るまで、精緻に脳味噌というハードディスクに
保存できる。


彼らの能力の根源は、そのことごとくが“脳”にある。
脳開発の最先端たる学園都市は数年前、長年原因物質と目されてきたテストステロンに
変わる新物質を発見したと発表した。
既成の脳を弄りまわす方法など、あの科学の街にはいくらでもある。
というよりも、学園都市とはそのための箱庭だった。

垣根帝督の『人助け』などは、まさしくそれを裏打ちするものと言えるであろう。


「意外と詳しいのね」

「誰かさんのおかげで、脳について詳しくならざるを得なかったんですよ。
 十一年前から、暇を見ては逐一知見を蓄えていたものでね」


ステイルはこれ見よがしに、憎々しげに吐き捨てた。


702 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:11:33.22 alZg/OVZ0 1910/2388



大脳生理学の初歩の初歩を些かばかり、公共のごく普通の図書館でかじった。
それだけで己の筆舌に尽くしがたい愚劣さを思い知らされた、うだるような十一年前の夏。
眼前の女狐に対する、凍るような、冷たい殺意の炎を胸に抱いたあの日。
その後十一年を経て、いまこの瞬間もなし崩しに熱を失っていく、仄暗い灯。

ステイルは顎に手を伸ばし、今朝の髭の剃り残しを探るように撫でた。


「…………あの街の研究チームが何年もかけて見つけた新物質と利用法は、その実一世紀
 前の“彼”の手柄だった、と?」


手柄とはこの場合、後天的な、強引な、非人道的な『完全記憶』の植え付けを指す。
そしてその対象は。


「まあ、彼らをこき下ろすのは酷というものよ。当時からかの魔術師が駆使する
 “科学”には、これでもかとふんだんに“魔術”が入り混じっていたのだから」


実の父親に実験動物同然の扱いを受けた、哀れむべき少女は。


「血縁者に効果を限定するような、一種の制約条件を課すことで性能を底上げするタイプの
 魔術があるでしょう。『ローラ=ザザ』にもそれが用いられたわ。血液中の魂の情報を
 共有して、脳内物質の作用が『リリス』同様の箇所を肥大化させるよう、方向性を与えた」


学生のレポートを採点するかのような平坦な口調を崩そうとしない、この女なのだ。

十年前から隙あらば、状況さえ許せば、焼き殺してやりたいと願ってやまなかった、
ローラ=スチュアートその人なのだ。


703 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:13:06.26 alZg/OVZ0 1911/2388



「脳内物質の作用箇所を、魔術で操作……またしても、『融合』ですか」

「当時はまだ、科学と魔術の境界線が決定的なものではなかったの」


近現代の組織にはとある不文律が存在していた。
曰く、組織は魔術か科学、いずれかに勢力に傾倒していなければならない。
その法則を破るものに世界は容赦せず、“彼”もまた、狭間をたゆたったからこそ
世界を敵に回した――――


(…………本当に、そうなのか?)


突如としてステイルは、根拠もなくそんな思考に脳を支配された。

融合を推し進めた男。
世界などという得体の知れない力によって線引きされた地図。
そして、そこから弾きだされた男。

肺の裏側に張り付いてこそぎ取れないような微細な違和感が、ステイルの呼吸を
わずかに乱す。
なにか、この先になにかがあるのか――――?


「…………ステイル?」

「っ!?」


びくり、と全身を小さく跳ねさせた。

焦点を思索の果てから現実世界に合わせ直すと、ローラが身を乗り出してステイルの
顔を覗きこんでいた。
狐に化かされたのかと思うほどに、その表情が真摯にこちらを慮るものだったため、
ステイルは今度は呼吸の仕方を忘れてしまった。


704 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:14:20.50 alZg/OVZ0 1912/2388









「……………はぁ」


深呼吸を一度。
時計の針の現在地を確認する。
インデックスは今も、マタイと和気藹々とした談笑にふけっているのだろうか。


「マタイには、私たちが向こうに行くまでインデックスを引きとめておくよう
 強く“お願い”してあるわ」

「…………なにも言ってませんよ、僕は」


紫煙の滞留する閉鎖空間が恋しい。
こういう些細な、人の心理を見透かしたような心臓に悪い一言が日常茶飯事のように
飛び出てくるから、この女との会話は気が滅入るのである。
右手の人差し指と中指を二本、立てたまま口許に運ぶ。
鉤爪のように、そこにはないシガレットを求めて二指が空を虚しく切った。


705 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:15:14.26 alZg/OVZ0 1913/2388



「それよりも、まだ『毒』の問題があります」

「それは別段、いまさら不思議がることでもないと思うのだけれど?
 インデックス本人に訊く方がよほど早いと思うわ」


ステイルは顔を露骨にしかめた。
ローラの言わんとするところは理解できる。
なぜかといえば単純明快、インデックスが生きている、その事実があるからだ。
その上残留思念レベルの些細なものとはいえ、インデックスはショチトルの『毒』を
取り除くことにも成功している。


――――だからと言って、それ以前の『手法』については話が別だが。


「原典の毒を遮断するために、彼女がどんな調整を施されたのか。神裂とも、あまり
 積極的には交わそうとはしてこなかった話題ですね」


それはまごうことなき逃避の一種だった。
自分も神裂も、インデックス本人さえも知らない彼女の過去がどれほどに壮絶なもの
だったのか。
ステイルはずっとずっと、その先を知ることを怖がって逃げ続けてきた。

しかし、いつまでも無知な少年のままでいいはずがない。
否、いつまでも“そう”であれたのなら如何ばかり幸せだったろう。


「私も“彼”がとった手法については、詳らかには聞かされていない。ただ、原典には
 ある特性が存在するでしょう? それを利用した、らしいわ」


魔道書の原典はすべからく、『自身の知識をより広める者に協力する』性質を有している。
いつだったか酒の肴に、アステカの皮被り魔導師が関連性のある武勇伝を披露してきた、
こともあったような気がしないでもないような。


706 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:16:10.87 alZg/OVZ0 1914/2388



「エツァリの話では、原典を騙すことは不可能ではない、ということでしたが」

「記録する側の脳に細工をした、と私は考えているわ。なにせ『ローラ』は、
 父親の手を離れて以降も愚直に蔵書数を増やし続けたのだから」

「…………“離れた”、ですか」


おざなりながら、ステイルの三つの疑念は一応晴れた。
いよいよ、物語のゴール地点が水平線の彼方に霞んで見えてきた、ということらしかった。


「親子は、リリスの死を優秀な……とびきり秀逸な反面教師として、その後四十年間
 『魔女白書』計画を前進させ続けた。その間二人の外見は、正常な人間なら等しく
 訪れて然るべき“老い”を置き去りにした」


ステイルは、ローラの若々しい肢体を髪先からつま先まで眺めた。
およそ三メートルにはなるであろう、馬鹿馬鹿しいまでに長ったらしいブロンド。
いったい何年間伸ばし続けるとこうなるのだろう、と場違いにもそう思った。


「そして今からおよそ七十年前。イギリスの片田舎に居を構えて、終わりなき実験に
 明け暮れていた、そんないびつな日々の一ページ。ついに、決定的な事件が起きた」


そこから先は年表にも載っている、周知の『史実』だ。


「彼が科学に傾倒している事実が、明るみに出たというわけですね」


707 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:17:20.73 alZg/OVZ0 1915/2388



『世界最高最強の魔術師』は一転、『世界で最も魔術を侮辱した魔術師』と誹りを受けて
世界中の魔術師という魔術師を敵に回し――――その数年後、公式にはイギリスの片田舎
ヘイスティングスで一人寂しい最期を迎えた。


「『ローラ』にとって何にも代えがたい屈辱だったのは、魔術世界に暴露された彼の
 『実験』が、彼女の知るよりはるかに多岐にわたっていた、ということだった」


ローラが目を束の間伏せ、わずかののちに虚空を見上げた。
ステイルは、われ知らず目を瞠った。


「人間としての尊厳を実の父親に傷付けられ、地獄の底を歩き続けてきた己の人生が、
 数ある『対照実験』の一つにすぎなかったと知り、娘はついに父親の許を出奔した。
 本当の“最悪”がその後に訪れるなどとも知らず、追われる恐怖からただ、ひた駆けた」


今日一日で、ステイルは“生まれて初めて”を何回体験すればいいのだろう。
手の甲で瞼を幾度も擦って、眼前の光景が現のものかどうかを、思わず確かめていた。


「父は、娘を追ってはこなかった」


708 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:17:58.32 alZg/OVZ0 1916/2388



「一晩経って、二回目の夜が明けて、三度朝日が昇っても、父は娘の前には現れなかった。
 一週間後、ようやく『ローラ』は悟った。何ということはなかった」


ローラの瞳の奥に、火が在った。


「彼にとって『ローラ』は、『スペアプラン』ですらなかった。手掌からこぼれ落ちて
 しまったところで、拾う価値すら見出さぬ、その程度の代物だった」


ちりちりと、ゆらゆらと揺れる憤怒の情炎。
血液を燃料に、心臓での奥で滾る恩讐の怨火。
寝ても覚めても消えなかったであろう鬼火。


「だから『ローラ』は――――“私”は」




ローラが胸に抱えて離さなかった『生きる理由』を、ステイルはそこに見た気がした。




「残りの人生を、父親への復讐のためだけに費やすと、そう決めた」


709 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:19:05.97 alZg/OVZ0 1917/2388



「それからおよそ四十年間を、私は世界に散らばる原典の蒐集に注いだ。そこに紛れも
 ない、絶対的な『力』が宿っていると信じていたから。…………滑稽な話ね。父への
 恨みを晴らすために、当の父親のプランに縋ったのだから」

「…………ローラの、いえ、“あなた”の復讐は、結果どうなったんです?」


言ってから、意味の無い問いかけだと気が付いた。
ローラの復讐の成否は、その後の歴史の流れから火を見るより明らかである。


「二十六年前、運命の日。世の原典のほぼ九十九%にあたる一〇三〇〇〇冊を揃えた
 私は、単身父親と思われる男の根拠地に乗り込んだ」

「“思われる”、とは?」


不可解な言い回しをステイルが聞き咎めると、ローラは軽く爪を噛むような仕草を
見せてから語りだすが、どこか理路整然としておらず、良く要領を得ない。
二度、三度と聞き直して整頓すると、次のようになる。

彼女は父親と四十年のあいだ一切の接触を断っていた。
その間に“彼”が己の父であるか証明はできなくなっていた。
なぜなら、科学へと身をやつした“彼”は著しく存在の根本が変わり果てていたから。
もはや娘である『ローラ』にも、“彼”が本当に自分の父親なのか自信が持てなかった。


「無理やり理屈付けすると、そんなところかしら」

「だから、イギリス清教には“彼”を――――『ローラの父親』をサーチする術式が
 あった? にしても、無茶苦茶だ。真に復讐の対象なのかどうか、確信もないままに
 殴り込みをかけたわけですか」

「私に文句を垂れないで頂戴。それは『ローラ=ザザ』に言ってあげて」

「都合の悪い時だけ『ローラ=スチュアート』に戻らないでください」


710 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:20:41.26 alZg/OVZ0 1918/2388



兎にも角にもローラは、その身に蓄えこんだ魔術の極地ともいうべき力で、立ちふさがる
障害をことごとく薙ぎ払った。
ローラは“その日”を回想して恍惚としていた。


「楽しかったわ……たとえ父親が無価値だと切り捨てたとしても、原典が有する
 『力』の脅威は、間違いなく私の内側に、形として、暴力として、確かに在った」
 

ステイルの聞く限りでは『竜王の殺息』の、そのまた原点のような力、そんな風に思えた。
幾重にも折り重なった純魔力の束が数千の光子を内側から生み、一つ一つが異なる性質を
帯びて対敵の抵抗を無に帰す。
十一年前に“上条当麻抹殺”を目的として選択されたかの術式は、その圧倒的すぎる
性能から絶対的多数に対抗する鬼札としても十二分に機能したことであろう。


「科学がいかなるメカニズムで私の行く手を阻もうとも、すべて一蹴できた」


飛び散る脳漿、噴き出す鮮血、土くれに帰る死体の山。
上半身を吹き飛ばされた哀れな骸、消えた己の下半身を絶叫とともに探し求める贄の姿。
そしてその中央を、血と死に彩られた花道を、ステイルの向かいで今まさに披露している
魔女のごとき嬌声を響かせて、優雅に横行濶歩するローラの血塗れの背中。

なにもかもすべて、ステイルには容易く想像できた。


「…………最終的には、どうなったんです」


ステイルはそんな彼女から目を背け、素っ気なく先を促した。
幼子のような無邪気な笑い声がどこか泣いているように聞こえて、見ていられなかった。


711 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:21:51.48 alZg/OVZ0 1919/2388



神父の態度に無言の戒めを感じとってか、魔女はほのかに頬を染めてうつむく。
その表情が論戦に負け、赤くなって黙りこくるインデックスにあまりにも瓜二つで、
ステイルは手の甲の柔肉を後先考えず力の限りつねった。


「……よく、覚えてはいないの」

「っつつ…………なんですって?」


理屈に合わないことを言うではないか、とステイルは訝しんだ。
当時のローラには『完全記憶』があったはずである。
しかし滔々と物語る声は止まず、事実が列挙されていく。


当時は未完成だった『ビル』に突入して、物資搬入用のエレベーターを使って上へ上へ。
最上階に辿りついて、一面を『力』で焼き払う。
内壁を片の端から吹き飛ばしていくと、どうしても破壊できない部屋が見つかる。
薄緑色に輝く壁に取り囲まれた空間。
扉があった。
前に立つと独りでに、音もなく開いた。
躊躇わずに飛び込む。
途端に、視界が歪んで上下左右がバラバラになった。
肩に鈍い痛み。
倒れこんでいることに気が付く。
懐かしい声が聴こえた、ような気がして顔を上げた。


記憶に残る最後の景色は――――逆さまの、笑い顔だった。


712 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:23:11.07 alZg/OVZ0 1920/2388



目が覚めると視界が黄ばんでいた。
全身に得も言われぬ浮遊感。
実際に身体が浮かんでいた。
ローラはビーカーの中の標本だった。

意識を取り戻した瞬間ローラは、あらゆる現実の認識を置き去りにして真っ先に、
モルモットに戻ってしまったのだと、どうしようもなく実感したと言う。
巨大な試験管の中で、裸に剥かれて薬液に浸されている無力な己。
世界を実験場に見立て、矮小な好奇心を満たす“彼”と大差などないと、自傷と中傷を
同時に、器用にこなしながら、彼女は意識を失う直前にそうしたように再び面を上げた。

対面に、もう一つ、同型の――――空っぽのビーカー。

タイミングを計ったかのように満たされはじめるオレンジ色の薬液。
無数に繋がれた太いパイプ。
それはやがて細いチューブに連結されて、試験管の内側のローラの“脳”まで届いた。



「そうして私は、ビーカー越しに目撃した」



ステイルは唾を飲み込むのも忘れて、物語のクライマックスに没入していた。
テーブルについた握りこぶしが小刻みに震えている。
誰かが鼓膜の内側から囁いてきた。

これ以上は聞くな。
取り返しのつかないことになるぞ。
引き返すなら今のうち――――

鈍い音。

三センチほど浮かせた拳が振り下ろされて、木製の卓の鈍重な悲鳴を呼んだ。
鼓膜の奥からの、煩わしい怯懦の声が消える。
その間にもローラは休まず、丁寧に己が体験した情景を描写していた。


713 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:24:08.77 alZg/OVZ0 1921/2388



泡立つ液体。
時を同じくしてローラの頭の中から、致命的な“何か”が抜け落ちていく
自分の傍にずっと一緒に居てくれた、“誰か”が去っていくような感覚。
悲しみの正体も杳として知れぬままに、現実は無慈悲に時計の針を進める。

試験管の中心に、微小な肉塊が生まれた。
やがてそれは、時間を掛けて、徐々に徐々に、悠長に、緩慢に、穏やかに次第次第にゆっくりとゆるゆるとのんびりとじわじわと、人の形を成すように生長していく。



そして、数百年の月日が流れた。

















少なくとも、当時のローラの主観ではそうなる。


714 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:25:52.80 alZg/OVZ0 1922/2388



「私は、写真立ての向こう側にしか見たことのなかった“彼女”を、肉眼で見た」


後で計算したところによれば――そう、ローラの人生はこの後も続くのだ――およそ
一ヶ月、彼女はこの世のどんな『死』よりも無情な『誕生』を、是非もなく見届け
させられたらしい。

長いのか短いのか、ステイルには判断がつきかねた。
確かなことといえば、ローラは間違いなく狂いかけていた、ただそれだけだ。


「かつて喪った姉とまったく同じ姿形をした少女が、目の前でゼロから形成されていく
 様を、この眼で見た」


父親が娘を生き返らせた。
文章に起こすとそういうことになる。
道義性、倫理性を軽視すれば、美談と言えなくもない。


「二、三歳程度の、リリスが死んだ時分と寸分たがわぬ少女が、すやすやと私の目前で、
 幸せそうに眠っている。流れるような銀糸、無垢な幼い肢体」


最大の問題は、そこにどんな感情と目的が介在していたか、だ。
喪った娘をその手に取り戻すため、狂気の研究に没頭したマッドサイエンティスト。
そういう美談を好き勝手に脳内で仕立て上げられれば、ローラは如何ばかり幸せだったろう。


715 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:26:47.96 alZg/OVZ0 1923/2388



だがしかし、ローラは悟ってしまった。
これは『実験』だ、と。
四十年前の、『魔女白書』の続きなのだ、と。



                ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「きっとその瞼の裏には、父親譲りの翠色が隠れているのだと、私は疑わなかった」




ステイルの顔面は、頭髪の色合いと鮮やかに対照が際立つような、蒼白に染まっていた。




「……………………三…………人目………………?」





716 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:27:56.04 alZg/OVZ0 1924/2388



               『インデックスはこの通り、何も気にしてなきよ?』

                        『ふふふ。結局、ローラなら大丈夫な訳よ』

                                   『こうして見ると、“姉妹”のようだねぇ』



『……それは、安全なんだよね?』

  『あ、ご、ごめんなさいこもえ! その、“学園都市を信じられない”、ってわけじゃあ』



                                        『乱暴に言えば、クローン体ね』

                                           『“クローン”…………』



  『つ、ついにみことのデレ期がとうまとまこと以外にも解放されたかもぉ!』
 
  『そういうこと言うともう呼ばないわよ!』

 『やだやだ、もっと“お姉ちゃん”って甘えて欲しいですの!』




     『ただそうだな、彼女は時折、思い出したように年上のお“姉”さんぶってくるんだ』



717 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/04 20:29:50.36 alZg/OVZ0 1925/2388



「そう。私が『禁書目録』と名付け、あなた達が『インデックス』と呼ぶ女性」

「彼女は、私の“姉”で」

「“彼”の最初の娘、リリス=クロウリーの遺髪から生まれたクローン人間で」





                                         ムーンチャイルド
「同時に“彼”――――アレイスター=クロウリーの魔力から産まれた、『人造人間』よ」







Passage7 ――姉妹―― END


724 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 22:44:39.38 lZs3emjR0 1926/2388



――Passage8――



科学と魔術は、相容れ得るのか。


それは三月の事件以来、ステイルの頭を悩ませてきた題目だ。
イギリス清教と学園都市は、手を結びあうことで一つの回答を世界に示した。
一方で第三世界の『半端者』は破滅を体現することで、やはり一つの答えを世界に
見せつけた。
そして、こんなにも身近にまた、一つの回答が。


ステイルの愛する女性は、『科学』と『魔術』の融合領域で“創られた”存在だった。


目を瞑る。
ステイルは反芻しながらこめかみを押さえた。
ローラの姉、アレイスターの娘、創られた人間。
脳の容量が圧迫されたでもないのに、頭が痛くなるような質量のある事実だった。

だが。
だが――――



(それが、なんだ。だったら、どうしたって言うんだ)


725 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 22:45:31.98 lZs3emjR0 1927/2388



人は誰もがみな、等しく造物主の創造物である。
ステイルも上条もローラもアレイスターも、誰もがそうである。
聖書の記述に従うならば、インデックスとて――――


(……違うだろう、ステイル=マグヌス)


それは言い訳だ。
インデックスの存在を十字教の教義に照らし合わせて正当化しようとする。
そんな思考に身を任せるということは、裏を返せば彼女を、本能のどこかで認めて
いないと認めるようなものではないか。

そうではないだろう。
頭でっかちの理屈をこねようがこねまいが、ステイル=マグヌスにとっての愛する
人は微塵も色褪せないはずだ。

深呼吸。
肺に燃料を供給し、全身の縮み上がった筋肉を燃やす。
瞼に隠れた紅玉を外気にさらし、酸素と結ばせ焚きつける。
口腔を開いて、凛と呼気を吐いた。


「十二時の鐘を聞く前に、寝床に就きたいものですね。続きを」

「…………本当に、あなたは強くなったわね」


対面の女の眼差しは、子を抱く母の腕(かいな)のように優しかった。


「だから……あなたに成長を見守られた覚えなど、前々世まで遡ろうと断じてありません!」


見守られたかつての少年は顔を背けて悪態をつき、しかし自分でも気づかぬ間に微笑んでいた。


726 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 22:46:00.91 lZs3emjR0 1928/2388




Passage8 ――魔女と神父――




727 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 22:47:34.08 lZs3emjR0 1929/2388



咳払いを一つ。
熱を帯びる眼球とは裏腹に、ステイルの脳は努めて冷徹に検めるべき疑念を発させた。


「アレイスターのホムンクルス理論はパラケルススのそれを否定するものであると、
 『ムーンチャイルド』の偽書版でそう読んだ記憶がありますが」

「赤子の肉体を用意して魂を招き入れる、という手法ね。だからこその、クローン工学
 との『融合』だとは思わない?」


クローン。
その存在に関していまさらあれこれと述べる必要もない。
ステイルはほんの二十四時間前に、創られた女性が創りものではない幸福を掴みとるために
刻んだ、大事な大事な一歩を見届けたばかりだった。


「『魂』を招く、ね…………それが肝というわけですか。冒頭に僕が並べた疑問のうちの
 片割れについて、そろそろ答えをいただきたいのですが」

「『何故、「禁書目録」は人の身に記録されなければならなかったのか?』」


即座に返ったローラの山彦に、ステイルはこくりと小さく頷いた。

魔道書の原典を電気信号変換することが可能だというのならそのまま、比喩でもなんでもなく
ハードディスクに保存してしまえばよい。
人間に搭載するデメリットは先刻ステイルが言及したようにはっきりしている。
『首輪』と『自動書記』という二重の防衛ラインを張って守護を万全なものにしたところで、
所有者の寿命までは無視できない。
『リリス』から『ローラ』に、『ローラ』から『インデックス』に継承されたように半永久的
な保存は可能だとしても、反逆の意思なき鉄の塊に保管させる以上のメリットはごく限られる。

あるいはそれは――――アレイスターが彼女たちを、機械同然に見ていたことの証明、
なのかもしれなかった。


728 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 22:48:48.12 lZs3emjR0 1930/2388



ステイルの腹の底に、容認しがたい黒い怒りが滞留をはじめる。
ローラは神父の裏側の激情を胡乱な眼で見透かしていた。


「奴は魔道書の中身そのものよりも、魔道書に触れる『魂』にもたらされる変化にこそ
 着目したに違いないわ。…………推測を超えるものだと断言ができないのは、私が
 アレイスターから『魔女白書』の真に到達すべき終点を教えられていないから、よ」


奸智に長けた女狐らしからぬ、無知の露呈だった。
『実験材料』が『実験』の行き着く臨界点を知る必要などない、ということだ。
この世で一、二を争うほど気にくわない女が哀れな使い捨ての駒にすぎなかった証拠に
あやかったというのに、ステイルの頭上にかかる暗澹とした黒雲は晴れてはくれない。

鮮烈な事実を突きつけられてなお、『禁書目録』の真実はいまだ遠かった。


「脳から何かが抜け落ちる感覚。これが『禁書目録』の継承の瞬間だったと考えても?」

「よろしいわ。その日を境に“一〇三〇〇〇冊”は私の手を離れた」

「アレイスターは最初から、あなたから最大主教への譲渡を意図していたのでしょうか」


憎悪と怨念にとりつかれた『二人目』に見切りをつけ、『三人目』へとリセットすること
でより御しやすい『禁書目録』――彼にとっては『魔女白書』――を手中に収めようとした。

アレイスターならばやりかねない、ステイルは苦い思いで結論付けた。


「……真実がどうであれ奴は、『禁書目録』を再び放棄したのだけれどね」

「……そういえばそうでしたね」


729 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 22:49:39.66 lZs3emjR0 1931/2388



アルバムのページをめくるまでもない。
『ローラ=ザザ』はこの数年後には『ローラ=スチュアート』として、そしてステイルも
よく知る怪女としてイギリス清教に君臨し、『三人目』は『インデックス』として歴代の
パートナーと終わらない死に絡め取られる。

歴史がそれを証明している、と言えばやや大げさだが、すなわちローラとインデックスは
こののち、アレイスターの掌中を脱するという偉業を成し遂げていることになる。


「リリスの姿をした少女の誕生に呆けていた私に、背後から声がかかった」


意気消沈した、あまりにも人間じみた落胆の声だったという。
お気に入りのおもちゃを壊して途方に暮れる、少年のような声だったという。


――やはり、『魔女白書』は失敗だったか――


ローラは声の主を顧みようと、全身に力を込めた。
しかし、チューブの檻に縛られた身体は脳の指令を聞きいれてくれなかった。
いますぐにでもその喉を掻き切ってやりたかった。
衝動的な願いと、束縛される現実との狭間でもがき苦しむローラを、次に耳を打った
一小節が完全に狂わせた。


――――まあ、仕方のないことかな――――


それはローラの全人生を、完膚なきまでに否定する一言だった。
視界のみならず、全身に走る神経系の一本一本が弾けるように真っ白になった。


730 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 22:51:00.25 lZs3emjR0 1932/2388



「仕方のないこと…………か」


耳に痛い言葉だった。
それはステイルが十二年前、インデックスから逃げ出す切欠となった“諦観”の象徴である。


「つまりアレイスターは、そこまでしても彼の望む結果を拾えなかった、と」


話を聞く限りでは、何が失敗だったのかまるで理解できないが。
元より狂人の思考など辿るだけ無駄なのかもしれない。


「そして、『仕方ないこと』だと割り切って再び目を背けたのよ、あの男は」


失敗したプランに興味を失った――――のかまでは、窺い知れない。
その前に、怒り狂ったローラがすべてを破壊し尽くしたからだ。


「『禁書目録』を奪われた後で、よくもまあそこまでの『力』を振るえたものですね」


731 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 22:52:17.95 lZs3emjR0 1933/2388



ローラは自慢げに、しかし自嘲気味に笑む。


「奪われたのは『知識』のみ。世界最悪の魔術師の直系たる『魔力』は健在だったのよ」




脳漿が沸騰したかのような怒りに身を任せたローラは一切の術式を通さず、純然たる
マナを放出して虎口を脱した。
立ち昇る蒸気と白煙を合図に、再び阿鼻叫喚に満ちた地獄へと変わる『窓のないビル』。
みしりと音を立てる肉体に鞭打ち、ローラはとっさにリリスの小さな体を抱えあげ――




「……まさかいまさら、“姉”に情が移ったなどとほざくんじゃないだろうな」


今度こそ水を差すまいと固く黙りこくっていたステイルだが、たまらず冷えた文句が
口をついた。


「当然、と言ったらあなたは怒るでしょうけど、私の胸先には打算が多分にあったわ。
 …………ただ、信じてほしいとは言わないけれど。損得勘定以外のなにかがあの日
 私を突き動かしたのも、また事実だった」

「当然、と言ってもあなたは怒らないでしょうが、信じませんよ」


732 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 22:53:46.44 lZs3emjR0 1934/2388



不機嫌に顎を軽く振って、ステイルは先を促した。
ローラは苦笑するばかりで、やはりいささかの憤りも顔には表さなかった。


「あなたにとって、ここからはさらに興味深い話になるはずよ」


再び、舞台を『窓のないビル』に戻す。

脱出口を求めてさまよったローラの視線が、材質の計り知れぬ奇妙な床に転がる白衣を捉えた。
このとき初めて、ローラはその空間に数人の科学者が同席し、この一大『実験』の挙行に
携わっていたのだと気が付いた。
彼女はアレイスターが動きを見せる前に散らばる研究者の白衣を探り――――


「“これ”を二つ、掴みとった」


しばし懐を探ったローラの右手が、“ある物体”をステイルに向かって差し出した。
視界に入れた途端に汗が噴き出る。
奇怪な紋様がところどころに刻まれた、乳白色をした円筒状の霊装。
十一年前にもステイルは、“これ”がローラの手の内で弄ばれているのを目撃している。


――――早く動かないと、“こいつ”を使うぞ――――


「彼女の『遠隔制御霊装』……!?」


733 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 22:54:58.10 lZs3emjR0 1935/2388



ステイルの脳裏に絶望と挫折の日々が蘇る。
苦みばしった酸味が舌を刺したように感じたのは、きっと気のせいではない。
近づいては遠ざかる過去を俯瞰で眺めるうちに、ステイルはローラがひた隠しにしてきた
『第三の虚構』の正体を悟った。


「…………『自動書記』は」


腰を椅子から浮かし、身を乗り出して女に詰め寄るステイル。
ローラの瞳に映る己の白目は血走っていた。



                     ・ ・ ・
「清教派と王室派の合意の下で、貴女が彼女に掛けた魔術ではなかったのか……っ!!」




彼女が生まれた段階でアレイスターの手元に『遠隔制御霊装』があった以上、そうなる。
インデックスの出自に直結する『虚構』を知らされたのとは、驚愕の質がまるで違った。
より肝を冷やされたのは前者だが、後者は自分や神裂の三年間の苦悶と密接に関わってくる。

はいそうですかと聞き逃すには、ステイルにとってあの三年間はあまりに苦すぎた。


「王室までも束になって、僕らを、彼女を、二重に欺いていたというのか!」

「結果としてはそうなるけれど……エリザード様の名誉のためにも言わせてもらえば、
 “現在の”王室派の面々は一切この件を関知していないわ」


734 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 22:56:26.72 lZs3emjR0 1936/2388



『ビル』を逃れたローラは、今後の復讐を武力ではなく権力で果たすと決めた。
幸いにして彼女の手には、脳内の“一〇三〇〇〇冊”と引き換えに手に入れた素晴らしい
手駒が二つもあった。


「感嘆すべきバイタリティだ、あやかりたいですよ」


唾をかけたい苛立ちを抑えてそう吐き捨てた。
要するにその後三十年に渡って繰り広げられたローラとアレイスターの『高度な政治的
駆け引き』は、地球をチェス盤に見立てて繰り広げられた壮大な親子喧嘩だった、
ということではないか。


「祖国イギリスにどうにか帰り着いた私は当時の女王、つまりエリザード様の母上にとある
 取引を持ちかけた。悲しいかな、彼女の女王としての器は娘には遠く及ばなかったわ。
 なぜなら」


くるり、ローラの手の中で『霊装』が一回転する。

                こ れ
「世界に二つしかない『遠隔制御霊装』と引き換えに、私に『最大主教』の座と
 『ローラ=スチュアート』の名を、いともあっさり渡してくれたのだから」

「それはそれは、よほど真摯な“お願い”に聞こえたことでしょうね」


超能力者の脳さえ凌駕する資産価値が『禁書目録』にはある。
というより、それこそが『魔道図書館』の本来的な価値であるはずだ。


「畢竟貴女とて、彼女に道具以上の価値を見出していなかったんでしょう。十一年前、
 最大主教をやけに簡単に上条当麻に預けた理由も、ここまでくれば想像がつく」

「あら、そう?」


735 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 22:58:29.81 lZs3emjR0 1937/2388



「アレイスターの鼻先に、かつて廃棄した『プラン』をぶら下げて出方を窺った。
 ……………そんなところでしょう」

「そして奴は五年間、『魔女白書』に見向きもしなかった。実りの少ない『実験』
 だったわね」


ローラの物言いは、いつの間にか『ローラ=スチュアート』のそれに染まっている。
いちいち怒り狂うのにも疲れて、ステイルは彼女の言う“五年間”を回想してみた。

インデックスが学園都市に在住していたあの時期。
確かにアレイスターはひたすら彼自身の『メインプラン』に邁進するばかりで、
『幻想殺し』の隣に常にあった彼女に対してはなんらアクションをかけていない。
ゆえにステイルも二人に血縁があったなどとは露知らず、上条当麻の家族であることこそ
彼女の幸福なのだと思い込んでいた。

アレイスターと『禁書目録』の間に、目に見えるような繋がりなど何一つない。
もしあったなら、世界中の魔術師がその関係性に疑惑の眼差しを向けていたはずだ。


「…………いや」


と、そこまで考えてステイルは気が付いた。
接点なら一つあるではないか。
アレイスターの『プラン』にどこまで関係してくるかは不明瞭だが、この際疑念は
すべてぶつけておくべきだ。


「十一年前の、『法の書』事件についてですが」

「あら、懐かしい」


それはある意味では、ステイルとインデックスのリスタートの端緒となった事件の名だった。

736 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 22:59:16.88 lZs3emjR0 1938/2388



ローマ正教のシスター、オルソラ=アクィナスがエドワード=アレクサンダーの著書たる
第一級の原典、『法の書』の解読法を発見したことに端を発し、イギリス清教
(プラス一般人約一名)、天草式十字凄教、ローマ正教の三つ巴となったあの争奪戦。

最終的には、ことの初めから真実を知った上で事態を静観し、見事神裂火織(せいじん)
の枷となる天草式(くびわ)を手中に収めたローラの一人勝ちに終わる。


「……というのが、事件直後の貴女の説明でしたね」

「よく覚えているわね」

「しかし、それですべてだったのですか?」

「ほう?」


ローラ=スチュアートは清教派の、ひいては自己の利権を最優先に戦略行動を決定していた。
清廉であるべき聖座に身を置くこの女の行動原理は、むしろ魔術結社のそれに近いものがある。

だとするならば、真実に対してほぼ100%に近い確信がない限り、オルソラと『法の書』
という世界を揺るがすワンセットの総取りを狙わないのはやや不自然である。
変革を恐れたローマ正教とは違って、ローラが『十字教の時代』に固執していたとも思えない。


「起こらなかった『たとえば』の話は虫が好きませんが……もしも十一年前、オルソラの
 解読法が真実を的確に突いたもので、かつ『法の書』が天草式の手に渡っていたと
 したなら、貴方は」

「必要なかったわ」


ローラの回答は簡潔なものだった。
ステイルはやはり、と溜め息をついた。


737 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 23:00:16.83 lZs3emjR0 1939/2388



「それは、つまり。貴女が『法の書』を……」

「かつて“持っていた”から、に他ならない。さらに言えば、断片的な内容も知っていた」


『法の書』の著者、エドワード=アレクサンダー。
またの名をアレイスター=クロウリー。
彼が『魔女白書』に注入した原典の中には、当然のことながら自らの著作もあったはずだ。

そしてローラの目的はアレイスター勢力への妨害、牽制、究極的には復讐。
水と油とまではいかなくとも、親和性はさほど高くはなさそうだった。


「なるほど…………しかし、毒を持って毒を制す、という考え方もあったでしょう。
 最大主教をそう扱ったように、ね」

「“アレ”の中身を知らないからそんなことが言えるのよ。『法の書』の記述をもとに
 動いたところで、アレイスターを喜ばせるだけの結果に終わったでしょうね」


ローラはステイルの推測を、珍しく明快に否定した。

ローラが『禁書目録』という撒き餌を鼻先にぶら下げて相手の出方を伺ったことに対する、
アレイスターなりの意趣返しだった――――というのは、流石に穿った見方にもほどがあるか。
あの事件にアレイスターが関わっていたなど、証拠はおろか痕跡の欠片すらもないのだから。


738 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 23:01:23.53 lZs3emjR0 1940/2388



「それにつけても、『ローラ=スチュアート』の滑り出しは笑いたくなるほどに順調
 だったわ。脆弱な借り物とはいえ権力基盤を手中に収め、なにより『ローラ=ザザ』
 以上に『禁書目録』を自在に制御する術がある」


込み上がる喜悦を抑えきることができずに、ローラはくつくつと哂った。
その表情が一瞬、偽悪ぶった舞台女優の仮面に見えてしまった事実を、ステイルは意図的
に無視した。
無視せずとも、寸刻も待たずに意識の彼方に吹き飛んでだろうが。


「順風満帆そのもの。そんなときだったわね、『七月二十八日』がやってきたのは」

「――――――っ!」


その日付の意味するところは極めて明白だった。
『首輪』。
『自動書記』と併せてインデックスを縛っていた鎖。
十一年前、イギリス清教が覆い隠してきた『虚構』に触れたステイルと神裂に対して、
ローラが行った説示とは完全に食い違う真実だった。


「『首輪』までもが、アレイスターの仕掛けだったと言うのか……!」

「最初の七月二十八日はまさに間一髪だったわ。記憶の消去がトリガーであると霊装で
 強引に『自動書記』から聞き出したときには、すでにリミット寸前だったもの」

「……っ、さも彼女を救ったかのような面でのたまうな!」


二つの鎖で四肢を縛り、『魔道図書館』としての人生を選択の余地のないものにした。
イギリスという国家全体でそう仕向けた。


「――――あれらがすべて、『よくできた作り話』だったとでもいう気かッ!!」


739 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 23:02:59.67 lZs3emjR0 1941/2388



とうとう激昂をあらわにして食ってかかったステイルに、ローラは小さく、
しかし明確に頷いた。


「『よくできた作り話』だった。それ以上でも以下でもないわ」


荒い息を吐いて顔を振るほかに、ステイルにできることはなかった。


「貴様はどこまで僕らを、彼女を弄べば気が済むんだっ……!」

「…………ごめんなさい」

「謝るなッ!! どんな事情が、どんな真実が貴女の裏側にあったのだとしても、僕は
 貴女を赦す気など断じて、永遠にないッ! 謝罪するならなにより先に、最大主教に
 向き合うのが筋で」

「それは、もう済ませたわ」



ステイルの憤怒にさらされ加熱していく空間に、唐突に『第四の虚構』が降ってきた。



「………………え?」



それは、ローラがステイルを欺いて生まれたものではなかった。


740 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 23:04:58.42 lZs3emjR0 1942/2388



「私は歴代のインデックスに対して、あなたにしたのと同じ説明を十度以上繰り返して
 いる。だってそうでしょう? 一〇三〇〇〇冊の矛盾を私がどう取り繕ったところで、
 彼女はすぐに気が付いてしまうのだから」


一〇三〇〇〇冊の矛盾。
世界中を廻ったにも関わらず増えていない蔵書数。
言われてみればそうだった。
いくらステイルを、神裂を、アウレオルスを欺いたところで、当のインデックスの蔵書量
に対する認識までは誤魔化しようがない。

――――ならば、まさか。


「あの子たちは…………“覚えたふり”をしていた……? でも、なんで、そんな」


なぜそんな、無意味な真似をしたのだ。


「インデックスは、自分の運命を受け入れていた。私は、そんな彼女に――――」


ローラが顔を背けて押し黙った。
なにか言いかけたようだが、正直なところステイルにはどうでもいいことだった。
『第四の虚構』が覆い隠していたのは、これまでで最もささやかで、他愛もない真実。



“インデックスはステイルに嘘をついていた”




741 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 23:07:21.53 lZs3emjR0 1943/2388



ただ、それだけのことだった。
ただそれだけのことが、ステイルには。


「……………………ない」

「どうしたの、ステイル」


アスファルトと擦れたような声とも呼べぬ掠れ声が、かすかに漏れた。


「……あの子たちは、なにも悪くなんかない」

「そう、かもしれないわね」

「あの子たちは、良かれと思ってやったんだ。僕らを騙すなんて、そんなつもりはきっと
 なかったんだ」

「きっとそうなのでしょうね」

「だいたい、そうしろと強要したのは貴女だ。僕らを、すべてのパートナーを欺けと、
 貴女が吹き込んだ、そうだろう。だからあの子は」

「ええ、そうよ」

「だから――――――」


742 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 23:09:49.76 lZs3emjR0 1944/2388



大きく吸いこんだ酸素はきちんと肺に辿りついてくれたのだろうか。
そう疑いたくなるほどに、呼吸が苦しくて仕方なかった。
肺臓を裏側から引っ張られたような痛みが走る。



「だから、だからだからだからッ!!! あの子が僕らに、永遠に隠したままだった
 事実があったとしても、それは、あの子のせいなんかじゃない!!」



愛した少女が、信頼を寄せてもらっていたと少なからず自惚れていた相手が、
空の上まで――少女に墓標はない――持っていってしまった秘密が存在した。


「そう、悪いのは私。だからステイル、そんな顔はお止めなさい」


悲しかった。
そしてそれ以上に悔しくてたまらなくて、ステイルは目を片手で覆った。
少女の真の苦しみを結局自分は見過ごしていたのだと思うと、己が身が惨めでならなかった。


743 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 23:10:58.01 lZs3emjR0 1945/2388



十一時の鐘が鳴り響いた。
ステイルは目を伏せたまま言葉を発した。


「このことは、“最大主教”にも?」

「もちろんあの子にも、学園都市からロンドンに帰ってきたのちに、この事実を伝えたわ。
 本来なら十二年前にしておくべきだったのだけど、あなたたちが私の許可を得ずに『敵』
 になってしまったことで、その機会は長らく失われていたから」

「…………それはどうも、申し訳ありませんでした」


あれはいつの事だっただろうか。
インデックスとローラはステイルたちの反対を振り切って、余人を交えず一対一で対話している。
四次大戦が終結した後しばらくしてのことだったから、おそらく二年ほど前だったはずだ。

つまり“現在のインデックス”もまた、この秘め事を打ち明けてくれなかったことになる。
上条当麻にしこたま呑まされた酒席で、ステイルは彼女の『貯蓄癖』に言及したが――


『彼女は事が深刻であればあるほど、相手が親密であればあるほど、相手が彼女を
 心配すればするほど、自らの胸に悩みを仕舞いこんでしまう。彼女がようやく
 相談してくれるのは、ある程度自分の中でその問題を消化してからだ』


裏を返せばそれは、インデックスの中で消化しきれていない問題だった、という証にもなる。


744 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 23:12:19.98 lZs3emjR0 1946/2388



「聞かされた彼女は、どんな反応を?」

「…………………………驚くほど、“いつもの”あの子と変わらなかったわね」


“いつもの”とは要するに、ローラの暴露した衝撃的な事実を、何度も何度も新鮮な思いで
受け入れたであろう歴代のインデックスのことであろう。
吹きつける豪雪のような厳しい現実にさらされ憔悴するステイルは、“インデックス”に
言及するローラが、寸刻言い淀んだことに気が付かなかった。


「彼女は、貴女を」

「インデックスは、内心の動揺を表に出さずに綺麗に微笑んで、私を赦した」

「…………くそっ」


何故だ、と叫びたかった。
同時に、やはり、とも思った。
やはり何度『死』んでも、彼女はしなやかで美しい聖女のままであり続けた。


「自分がクローン人間だと知らされようと、私の姉で、奴の娘だと聞かされようと、
 “いつものように”真実を、ありのままに受け入れた」


745 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 23:16:05.46 lZs3emjR0 1947/2388



インデックスはローラを受け入れた。
愚直に受け入れたまま、整理しきれない現実に押し潰されようとしているのではないか。


「…………ステイル。いまからあなたに、『最後の虚構』を伝えるわ」

「まだ、あるんですか」


ステイルもまた、受け入れがたい現実を次々に肩に載せられて、膝を折りたかった。

だがステイルは、もう決めたのだ。


「嫌なら、耳を塞いでいても構わなくてよ?」

「聞きます」


インデックスと幸せになることを諦めない。
そのためならどんな地獄を潜ることも厭わない。
最後に彼女と笑っていられるならば、他になにもいらない。

だからこそ、どんな残酷な現実でも受け入れてみせる。
そしてインデックスを隣で支える。
そういう男になると、決めたのだ。


746 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 23:16:29.36 lZs3emjR0 1948/2388



「―――――――――」


「―――――――――――――」




「―――――――――――――――――」






「―――――――――――――――――――――――――」






747 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/06 23:17:07.18 lZs3emjR0 1949/2388



ステイルは深く深く深呼吸し、テーブルの陶器に手を伸ばそうとする。
喉がカラカラだった。


「あら? 『ローラ=スチュアート産の紅茶』には口を付けない主義でしょう?」


言葉に詰まって唇を噛む。
愛する人の妹なのだと知ったところで、最悪の魔術師に振り回された被害者なのだと
悟ったところで、長年培った憎悪は消えてくれはしない。
忌々しい底知れぬ微笑が、常通り女の頬に張り付いている。




「…………やはり貴女は、生粋の“魔女”ですよ」




そう、ステイルは思った。




Passage8――――END

755 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/08 22:38:15.44 TOSg5uqg0 1950/2388



――Passage9――




そして時計の短針は七周進み。




---

-------

-----------

------------------

-----------------------------

-------------------------------------------

------------------------------------------------------



『十一』と『十二』の間へ戻ってくる。




756 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/08 22:39:01.47 TOSg5uqg0 1951/2388




Passage9 ――魔女裁判――




757 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/08 22:39:52.22 TOSg5uqg0 1952/2388



七月二十七日、午後十一時三十分、聖ジョージ中央大聖堂。


煌々と照りつける魔力の灯に、浮かびあがる二つの人影。
一人は金刺繍の入ったベールで銀髪を隠し、純白の聖衣を炎圧にたなびかせる女。
いま一人は燃え上がる炎以上に盛る灼髪の、漆黒の神衣をまとってそびえたつ男。

舞台装置は女の背後の窓から射す月明り。
霧の街の濃霧は止んでいた。

男の辺縁を取り囲む赤い揺らめきもステージを彩る。
男を包む湿気は弾けていた。

女には、守りたいものがあった。
男には、譲れないものがあった。

二人が同じ方向を見て、同じ人のために手を取り合えない理由は。
二人が互いに向き合って、迸るような敵意を衝突させる理由は。




突き詰めれば、ただそれだけのことだった。





758 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/08 22:40:42.63 TOSg5uqg0 1953/2388



「…………君は」


口火を切ったのは焔の魔術師だった。
ステイル=マグヌスは一週間前ローラに暴露された真実を、インデックスに質す目的で
今日この場に立つはずだった。


「なんでしょうか」


ステイルの目前に立つ女は息を荒げていた。
それでいて、冷静さを保とうと必死で身を固くしていた。
仕草の一つ一つに至るまで人間を想起させる、『術式』にすぎぬはずの女。
ほんの一週間前までは、ステイルの認識下において『プログラム』でしかなかった存在。


「自分が術式などではなく、れっきとした一個の人間であるという自覚が、あるのか?」

                                 ウ ソ
彼女に向かってステイルは、ローラの言うところの『最後の虚構』を叩きつける。




「自分が『リリス』だったという記憶が、あるのか?」




硬い声で、虚構そのものである女に、虚構の中身をぶちまけた。


759 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/08 22:41:34.88 TOSg5uqg0 1954/2388



ローラ=ザザは言った。
アレイスターの目的は『魂』を原典に触れさせて、彼の望む形に精錬することだった。

ローラ=スチュアートは疑問を抱いた。
なぜローラの『魔女白書』は、父の望む形に『魂』を変じさせられなかったのか。

ローラは推測した。
必要なのはきっと『リリス』だったのだ。
だからインデックスはリリスの身体を与えられた。
そして、肉体と同時に『魂』を注ぎ込まれた。


「認めたくはないが、君と最大主教の関係は『羊』と『羊飼い』ではなかったのだと、
 ローラ=スチュアートの言い分を信じるならそういうことになる。君と彼女は」


それこそが『自動書記』――――




「解離性同一性障害で言うところの、『主人格』と『交代人格』だったんだな」




――――否、『リリスの魂』だった。


760 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/08 22:42:16.55 TOSg5uqg0 1955/2388



一方通行はいつだったかステイルに言った。
『魂などという得体の知れないモノの扱いは、魔術の領分だ』と。
まったくもってその通りだった。

一例を挙げるなら――――ブードゥーの死霊崇拝などが、まさにその最たるものである。

『自動書記』は鎖などではなくインデックス同様、魔術によって『外に出る条件』を
強制された虜囚(にんげん)だった。
それを知ってもなお、ステイルにとって彼女は本能的に受けつけがたい存在なのだが。



「…………この子は一度だって、私を『リリス』と呼んだことはありません」



激情を鞘に無事収め終えた、涼やかな音色が耳朶を打った。
束の間物思いにふけっていたステイルに語りかけたものかは定かでない。
独白、のようにも聞こえた。


「確かなことは、ただ一つ。この子が、インデックスが――――『ヨハネのペン』と、
 私にそう呼びかけてくれたから」


怜悧なエメラルドにかすかな温度が宿った。
ステイルは刹那そこに、母性の胎動を見たような気がした。


「私は、この子の命を守りたいと、そう“感じた”のです」


761 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/08 22:43:33.46 TOSg5uqg0 1956/2388



それは何物にも代えがたい無垢だった。
自意識の存在しなかった希薄な人格が、十一年の時をかけて主人格と触れ合ったからこそ
真っ白なキャンバスに描き得た、尊く純粋な愛そのものだった。

だが。


「君は、踊らされているぞ」


それこそが“彼”の『予備プラン』が求める実りなのだと、ステイルはそう確信していた。


「アレイスター=クロウリー、ですか」

「そうだ。奴は必ずやどこかで、この状況を好奇の目で観察しているぞ」
 

七月二十八日を目前にして、何の前触れもなくロンドンに出没したアウレオルス。
裏側にアレイスターの作為が働いていると、ステイルは信じて疑わなかった。


「君が『最大主教を守る』という意思をもって力を振るったとき何が起こるのか。
 十一年かけて練磨された君の『魂』がもたらす実験結果を、腹立たしいほど
 楽しげに覗き見ているはずだ。わからないか? この状況をつくったのは、奴だ!」


アウレオルスが『禁書目録』に携わったことでいかに悲惨な運命を辿ってしまったか。
それをインデックスに目撃させ、生気を根こそぎ奪うことで『首輪』を発動する隙を生んだ。
聖女の絶望を喚起し、『誘拐犯』の焦燥を誘い、魔術師と対立させて『力』を解放させる。

ステイルの推測するアレイスターのシナリオはこんなところだ。


762 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/08 22:44:36.54 TOSg5uqg0 1957/2388



このままではなにもかもがアレイスターの思う壺だと、ステイルは『自動書記』に呼びかける。


「………………たとえ彼女が、僕が最初に出会った少女ではなくても。創られた命でも。
 そのはじまりにあった存在理由が、アレイスターの欲求を満たすためだったとしても。
 いまの僕には、関係などない!」


なぜなら、ステイルはインデックスを愛している。
どれほど陳腐な文句だろうが他に言葉はない。


「僕は彼女に生きていてほしい。傍にいてほしい。君とてこの十一年で彼女を愛おしく
 想ったんだろう。ならば僕たちは同じ方向を向いて、手を取り合えるはずだ」


科学の巨人の野望になど負けはしない。
圧し掛かってくる絶望を跳ね退けるだけの力が、いまのステイルにはある。
浅薄な子供だましの啖呵だと笑わば笑え。
すべての原動力が愛する人への熱情から生じている限り、ステイルはどこまででも青臭く、
薄っぺらで、継ぎ接ぎの『正義』を掲げて闘える。


「手はすでに複数打ってある。僕一人を盲目に信じろとは言わない。だが僕が譲れない
 もののためにならどんな手でも使う男だということだけは、疑ってくれるな。僕は
 アレイスターに、彼女を絡め取った死の環に、今度こそ打ち克つ。今度こそ成功する」


ステイルはちっぽけなプライドを丸めてかなぐり捨て、頭を深々と下げた。
世界で一番気に食わない、インデックスを直接縛り続けた女に平身低頭する。
こんな屈辱は譲れない一線と天秤にかければ、犬はおろか鼠の餌にしようがなにほどの
こともなかった。


「だから………………頼む。彼女に身体を返してくれ。その後は、必ず僕が」


763 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/08 22:45:36.67 TOSg5uqg0 1958/2388















「――――――――――――――――――あはっ」






764 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/08 22:46:18.64 TOSg5uqg0 1959/2388



生きたまま全身の皮を剥ぎ取られたような、凄まじい悪寒が背筋を駆け抜けた。



「あは……ははっ!」



先刻の激昂にも、確かに驚愕はさせられた。
彼女が『人間』であるという予備知識を得ていたおかげで、幾ばくか冷静に対処できたと
ステイルは自負している。

だが“この光景”は決定的に、徹底的に予想外だった。
『自動書記』に“この”感情が存在するなどとは、完璧に慮外だった。
あたかもテレビの向こうで笑顔をふりまくハリウッドスターを眺めるかのように、ステイルは
眼前の情景を現実感のない異世界の出来事なのだと、一瞬自分を納得させようとしてしまった。



「あはは、あはははははははははっっ!!!!」



それは哄笑を飛び越えた狂笑だった。
まるでそうするのが当たり前だとばかりに、『自動書記』は心底から高笑いしていた。
歓楽、愉悦、欣喜。
ステイルが彼女に備わっているはずなどないと、そう高を括っていたものに突き動かされて、
『自動書記』は感情を爆発させていた。


765 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/08 22:46:59.08 TOSg5uqg0 1960/2388



やがて、狂笑がぴたりと止まる。




「やはり、なにも解っていないではないですか」




それでも女は『ステイルが無知である』という事実を受けて、なお美貌を喜悦に歪めていた。


766 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/08 22:48:21.52 TOSg5uqg0 1961/2388


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「彼女のあの表情を眺めていると、いかにかつての自分が愚かだったか思い知らされるな」


確たる光源もないのに男女の姿だけがくっきりと、切り取られたかのように闇の中に
浮かびあがっていた。
映像を流しているにも関わらず光を発しているように見受けられない不可思議な
スクリーンを、ローラは唇を真一文字に結んで睨んでいた。


「『自動書記』……彼女が、誘拐犯?」

「その通りだ。これで、私が『遠隔制御霊装』を使用していないと立証できたのではないか」

「…………」


ローラがアレイスターを探し求めた短期的な要因はまさにそこにあった。
インデックスの真の生みの親であるアレイスターが、ローラが二十六年前に回収した以外の
『霊装』を保有している『1%』は否定しきれなかった。
ゆえに迫りくる肉体のリミットを前に拙速を心がけた彼女は、可能性を根本から叩き潰すべく
父親を捜しだすのだと決心した。

どうやら結果は、徒労に終わったようだった。


「しかし、リリスが『首輪』を仕掛けてあの子を殺す動機などない」

「まだご納得いただけないようだ」

「……そもそも、どうして『首輪』が必要だった?」


その疑問はローラが十年以上、ステイルや神裂から詰問されては胡散臭い笑顔で
受け流してきた苛烈な憎悪と、まったく同一のものだった。


767 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/08 22:49:50.41 TOSg5uqg0 1962/2388



「君のような輩に『図書館』を持ち逃げされる可能性を想定したリスクヘッジ、
 ではいけないかな」


機密情報が外部に漏れることを防ぐための時限爆弾だとアレイスターは言うが、


「機密情報もなにも、貴様は『ローラ=ザザ』を四十年以上野放しにしていたでしょう」

「……ああ、そういえばそうだった」


頭に上る血の巡りが激化するのをローラは感じた。
この父親は家出娘にも、彼女が持ち出した“一財産”にも目をくれず、ひたすら七十年間
科学に明け暮れたのだ。


「…………ではこういう観点から切りこもう。脳科学では一個の人間を構成する要素を
 『記憶』、『意識』、『人格』の三つに大別している。このうち電気信号の交換運動
 による“科学的な”存在証明と作用メカニズムの解析が『インデックス』誕生時点で
 完了していたのは記憶だけだ」


科学者アレイスターは、滔々と語り始めた。
ローラは、モニタの向こう側の男女から目を離さず返答した。


「『意識』や『人格』がどこに存在するのか、という議論はおよそ思想的、哲学的……
 そして“宗教的”問題に帰結せざるを得ないわ」

「いかにも。私は“魔術的”に言うところの『魂』こそが『意識』であると定義し、
 『魔女』の誕生にあたって『人格』は不要なものだと考えた。魂の精錬を感情が
 阻害するのではないかとね」

「だがあの子にはれっきとした人格が、感情がある。誰からも平等に愛される、才能と
 でも呼び換えるべき清い心が」

「……才能か、言いえて妙だ。しかしだな、ローラ=スチュアート」


768 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/08 22:50:41.11 TOSg5uqg0 1963/2388


                げんてん     たましい
『魔女白書』に必要なのは、『記憶』に触れる『意識』だけで十分だった。
    かんじょう
だから、『人格』という異物が混じってバイアスがかかることは可能な限り避けたかった。

ゆえにアレイスターは――――




「『インデックス』の人格にも私の手が加わっていると言ったら、君は驚くか」




「…………!?」


極限まで、実子と同じ顔をした命のかたちを、『実験』のために弄んだ。




「――――ぬ、かせ。あの子の、インデックスの人格は誰かに方向性を与えられた
 ものではない。あの子自身が、必死で生きてきた十一年の中で育ててきたものが、
 貴様ごときに箍められていたなどと……っ、侮辱も、ほどほどにしておきなさい」


叫び声を上げなかったのはほとんど奇跡だと、ローラは思った。


769 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/08 22:51:48.30 TOSg5uqg0 1964/2388


     ・ ・ ・ ・ ・
「だがその証拠に、君も彼女に随分と感情移入しているようだ。仕方がないことなのだが。
 さぞ辛かったろう……『自動書記』も『首輪』も自分の仕業ではないのだと、本意では
 ないのだと、ステイル=マグヌスにもっと早く打ち明けたかったのではないかい?」


そんな彼女に、“父”は優しく語りかける。


「私の敗北と失踪など待たずに、冷酷非道な魔女の仮面などかなぐり捨ててあの子を
 抱きしめたかったんじゃないのか。復讐などさっさと諦めて、愛する男のもとに
 走りたかったんじゃないのか」


父性を凝縮したような声に、ローラは耳を塞いだ。


「私の『ビル』から逃れて、最初の『七月二十八日』が訪れるまでの三ヶ月間。
 生まれて初めて家族と、“姉”とかけがえのない時間を過ごして、最後に己が
 手で彼女を“殺した”あの日」


電脳空間では無意味な行為だと知りながら、塞いだ。


「君は、たった一回で折れたのだろう。逃げたくなったんだろう。だからこそ
 勿体ぶった理由を捏造し、記憶の消去役を歴代のパートナーたちに押しつけ」




「――――――――黙れ、貴様ァァァッッ!!!!」





770 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/08 22:53:23.43 TOSg5uqg0 1965/2388



絶叫に従って、アレイスターはあっさりと口を閉じた。
ローラはこみ上げる虚脱感に抗いながら呼吸を整えようと胸を押さえて、


「……………………“その証拠に”……?」


その手を、胸部から口許へと当てなおした。
黙する狂人は、出来の良い生徒を見る目で眦を下げた。


「君は、子猫を飼ったことはあるかな。彼ら愛玩動物は、どのような仕草で擦りよれば
 人がほだされるのか本能的に知悉している。それと同じことだ」

「貴様、そんなこと」


餌を必死でねだる小動物は愛らしく、それだけで普遍的に庇護の対象となり得る。
それと、同じこと。



――――おなかいっぱい、ご飯を食べさせてくれたら嬉しいな――――



インデックスもまた、誰彼かまわず可愛らしい“おねだり”をしては無条件に愛を
返してもらえる『小動物』なのだと、アレイスターは事もなげに言った。
ローラはその酷薄な事実を、頭の片隅で納得し消化しかけている己を見つけて
激しくかぶりを振った。


「万人を愛し、万人に愛される、天賦の才。それは私が彼女を産みだす際に先天的に
 付与した――――『才能』だ」


776 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/10 22:35:22.13 RZTZJE4J0 1966/2388



誰もがインデックスの“特別”になりたがった。
アウレオルス=イザードも、上条当麻も、その他大勢の『失敗者』も。
身の栄達をはるか彼方に捨て去ってまで、愛くるしい聖女の“何か”になりたがった。


「この上なく強力な『呪い』だっただろう? なにせかつての魔女、ローラ=スチュアート
 ですら無意識に懐柔し、籠絡したのだから」


ローラは男から思わず目線を逸らした。
アレイスターの指摘は的を射ていた。
“姉”の姿をした少女が毎年のように黄泉路をさまよう様を見ていられなかった、
というのも大きな要因ではある。

しかしそれ以上にあの無邪気で無垢な笑顔を傍に置いていると、彼女を利用してまで
果たそうとする復讐が途端に無味乾燥としたものに思えてきてしょうがなくて。
『ローラ』という人間の根本を成すアイデンティティを跡形もなく破壊されてしまいそうで。

そうしてローラは少女を遠ざけるべく、『失敗』をパートナーたちに押しつけた。

 
「恥じることはない。彼女の本質に触れてしまえば誰であろうと、嫌でも、例外なく
 “そうなることになっている”のだ」

「…………まさか貴様が、学園都市に半ば放置状態だったインデックスにあの五年間、
 見向きもしなかったのは?」

「ご名答。リリスの『才能』は産みの親である私ですら――――いや。父親である私
 だからこそ、この身と心を強く惹きつけるであろうとわかっていたんだよ。そうなれば
 『プラン』に修正誤差を上回るひずみが生じかねない」


777 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/10 22:36:18.26 RZTZJE4J0 1967/2388



心にもないことを。

そう毒づく一方でローラは、アレイスターその人に内容物を弄ばれた脳を回転させた。
父親譲りの優秀な頭脳が導きたくもない真実を導くのに、画面の中の蝋燭が一滴、
融け落ちるほどの時間もかかりはしなかった。

アレイスターは『誕生』の段階からインデックスを手元に置くつもりなど毛頭なかった。
それは、つまり――――


「私が、あの子を連れて『ビル』を逃れたのは……!」

「……ああ。あれは、私の仮想したルートの中でもまさしくベストアンサーだったよ。
 さすがは我が娘、私の期待に違わぬ行動をとってくれた」

「――――ッ!!」


舌を噛み切りたい思いだったが、電子の身体に血液は流れていない。
そのくせ心の痛みだけはいやに忠実に再現してくれるのだな、とローラは呪わしい
電脳世界を恨んだ。


「もともと『魔女白書』計画の再出発(リエンター)は君の学園都市襲撃が発端だった」


つまりは計画外のイレギュラーだ。     ことり
しかし、わざわざ籠の中に飛び込んできた『原典』を無為に放してしまうのも惜しい。


「とうの昔に打ち捨てた、片手間の『予備プラン』再開のために『メインプラン』の
 進捗を疎かにしたくはなかった私は、どうすればこの閃きと資源を有効活用できる
 のだろうと考えて」


778 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/10 22:37:19.01 RZTZJE4J0 1968/2388



嫌だ、聞きたくない。
聞いてしまったら、壊れてしまう。
ああしかし、ステイルはこんな苦痛にも耐えた。
あの子の前で微笑を崩さなかった自分が、ここで折れる訳には。
でも、でも、でもでもでも。


『やはり、『魔女白書』は失敗だったか』

『まあ、仕方のないことかな』


積み上げてきた憎悪の土台が、よりにもよって――――





「君を挑発(コントロール)して、リリスの親代わりになってもらおうと結論した」





憎悪の対象の作為によって築かれたものだった、などと。

全身から力が抜け落ちる。
身を焦がす復讐心を“有効活用”された哀れな女は、膝から崩れる四肢を支えられなかった。


779 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/10 22:38:10.02 RZTZJE4J0 1969/2388



「そう自分を責めることはない。仮に君がリリスを連れて再び家出していなければ、
 私はあの娘を処分するつもりだったのだから。誇りたまえ、君は今日(こんにち)
 世界から愛されるまでになったあの聖女を、間一髪のところで『悪の科学者』から
 救いだした『正義の魔女』というわけだ」


怠惰な無気力感に全身を支配されかけていたローラは、アレイスターの口上をほとんど
耳に入れていなかった。
与えられた人生の“理由”を七十年前に否定され、そして今また掴みとった“理由”を
利用されていたのだと思い知った。


燃え上がるような復讐心。

ひたひたと積もる怨念。

首まで浸かった絶望。

吹き荒れ狂う憎悪。


それらすべてが、無意味で無価値なものだったと思い知らされた。
ローラ=スチュアートの、ローラ=ザザの生きる理由が薄れていく、消えていく。
瞼を閉じて、プレスされたようなのっぺらぼうの呼気を吐いて。


なにもかもが嫌になって、ローラは考えることを止めた。



780 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/10 22:38:53.17 RZTZJE4J0 1970/2388





























781 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/10 22:39:55.62 RZTZJE4J0 1971/2388










――――そっか。じゃあ私は、ローラのお姉ちゃんなんだね!――――









その時、思い出した。


「…………ぁ」


782 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/10 22:40:59.10 RZTZJE4J0 1972/2388



生と死の境界線をたゆたっているはずの“姉”の声を聴いたような気がして、ローラは
もはや永遠に持ち上げるまいと決断したばかりの瞼をこじ開けた。

それはローラがインデックスに二年前、秘したまま九年がすぎてしまった真実を、
ありのままに伝えた時の優しい、慈しみの声だった。


――――ふふーん、じゃあじゃあ、お姉ちゃんって呼んでくれると嬉しいな!――――


「…………ぁあ」


――――あ、あはは。正直に言えば、複雑な気分なんだよ。でも――――


「あぁ、ああ」


――――心が、あったかいの。私にも、血のつながった家族がいたんだって――――


「あぁあああっ……」


――――私は、ひとりぼっちなんかじゃなかったんだって――――


「…………インデックスっ、インデックス……!」


783 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/10 22:42:13.72 RZTZJE4J0 1973/2388



うずくまり呻く女を、無感情に見下ろす男という構図。
しばらくの間女の嗚咽だけを拾っていた男の耳が。


「……………………まだ最初の質問に答えてもらっていないわ」


突如として。

                           くびわ
「今まさにインデックスをとり殺そうとしている『凶器』の正体を、仔細洩らさず吐け」



――――覇気に満ちた、『魔女』のソプラノトーンを捉えた。



「……それで、私になにかメリットが?」

「無い」

「では、交渉は始まりもしないな」

「ええ、始まらないわ。これは交渉ではなく」


女が指を鳴らす。
一条の斜光が男の瞳孔を刺激して狭めた。
色相なき暗闇が歪んで渦を巻き、渦の底から光が生まれ出ずる。


「略奪だもの」


アレイスターの世界に、彼自身の意思以外では昇らないはずの太陽が、昇っていた。


784 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/10 22:43:39.86 RZTZJE4J0 1974/2388



父は娘との対話を開始して以来、最高と言ってよいほど上機嫌に目を細めた。

    
「君がこの回線のマスターシステムをクラッキングできるほど、科学に関する知見を
 深めていたとはな」
                          ちから
「お忘れかしら。私にはあなたから貰った『完全記憶』がある」

「…………素晴らしい。では、もう一つ聞くが」


心底からの好奇に突き動かされてアレイスターは口を開く。


「君には、なんのメリットがある?」


そして、端を歪めて吊り上げる。


「これは芳情から言うのだが、『首輪』に秘められた真の意味を理解したところで
 『魔女白書』を救う手立てには繋がらないと、私はそう思う」


ローラはわずかに首を下に傾げる。
返答は静寂に塗り替えられた。


「よしんば足がかりをつかめたところで君の意識は電子の海(ここ)に在って、
 君の肉体は学園都市(むこう)に在る。これではロンドンで進行している彼女の
 『死』には間に合わない。干渉などできはしない」


アレイスターは無情に、しかし嘘偽りのない現実を押し並べる。
相対するローラは――――


785 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/10 22:45:21.85 RZTZJE4J0 1975/2388



「……それでも」



一度は見失った生きる理由を、どうしてこんなにも簡単に取り戻せたのか。
ローラ自身にもよくわかってはいなかった。

ただ、愛しい家族の声が聴こえたから。
ただそれだけで、ローラはこうして青臭い“理由”に弾き飛ばされ、再び立ち上がった。


「それが、何もせずに坐して、のうのうと傍観者を気取っていていい理由にはならない」


たとえローラ=ザザが復讐のために積み上げた一〇三〇〇〇冊が、彼女の人生を決定
づけてしまったとしても。

たとえローラ=スチュアートが、復讐のための道具として彼女を利用していたとしても。

無数の罪を、ローラが彼女に対して負っているのだとしても。





「それがあの子を諦めていい理由になど、なりはしないッ!!」






786 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/10 22:46:55.40 RZTZJE4J0 1976/2388



「私は是が非でも、貴様が胸の内に秘めたありったけの真実を暴く」


“今日”が最期と定めていたはずのローラ=ザザの人生に。


「真実をインデックスとステイルに、必ずや伝えてみせる。あの二人がどうして
 苦しまねばならなかったのか、なぜ幸せになるべきなのか、私の口から」


父と刺し違えることも辞さないと、覚悟を決めていたローラ=スチュアートの人生に。



「それが私の“理由”よ」


新たに“明日”を生きる理由が、生まれた。



「…………理由が果たされる前に、彼女は死んでいるかもわからないが」

「インデックスは、ステイルが救う」

「他力本願か。なんとも君らしく、清々しい話だ」

「なんとでも言いなさい。私の役目は他にある」


787 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/10 22:48:31.21 RZTZJE4J0 1977/2388



「アレイスター。私は貴様の雁首を、インデックスの目前に引きずりだす」


ローラ=ザザでもローラ=スチュアートでもなくなった女は、それでも彼女の父である
という因果を断ち切れぬ男に向かって、凛と声を張る。


「…………きっとあの子は貴様をも赦すでしょう」

「貴様が与えた『才能』が、きっと貴様を許してしまう」

「それでもインデックスには貴様を断罪する権利があって、その機会は公正に、誠実に
 設けられるべきだわ」

「貴様一人でとは言わない。私も、もう一度あの子の眼を見て」


息を大きく吸う。




「『魔女』として、あの子に裁かれる」





788 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/10 22:49:11.71 RZTZJE4J0 1978/2388



「さあ」


女は、凄絶に笑っていた。


「互いの罪を、指折り数え合いましょう」


男は、もう笑ってはいなかった。











「…………ああ。いいだろう、“ローラ”」


しかし男は、なおも喜ばしげだった。


794 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 22:42:39.66 j+pF/QzM0 1979/2388



「さて、どこまで話したのだったか…………私が『魔女白書』の人格に手を加えた、
 そこまでだったな」


魔女と怪物の対決は怪物の一言によって、対話という形で再開した。
武力の行使をも視野に入れていたローラは、正直に言えば拍子抜けだった。


「そこまで巻き戻すか…………まぁ、まどろっこしいのは嫌いではないわ。これも父親
 譲りの性分なのかもしれないわね」


しかし魔女は妖艶に唇を舐め、そう応じた。
寿命を目前とした残りわずかな生に新たな“理由”を見出した女は、ほんの十分前とは
別人かと疑うほどに血色が良くなっていた。


「貴様が言うところの『魔女』の誕生に、癖の強い人格は邪魔だった。『魔女』の
 正体がいまだ漠然としているのが歯痒いけれど、まあそこは置いておきましょうか」

「性急も行きすぎると、馬鹿を見るのは他ならぬ君だからな」

「まったく、その通りね」


軽いジャブのような皮肉に肩をすくめるローラ。
オーバーに頭を左右へと振りながら、スッと軽快になった脳を回転させる。


「ふむ…………バイアスによる結果の歪みを恐れるのなら、最初から外的要因たる『人格』
 を取り除いてしまえば良いだけの話ではなくて?」


795 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 22:44:18.36 j+pF/QzM0 1980/2388



『意識』と『記憶』はあるが、『人格』の存在しない人間。
仮にインデックスがそんな少女だったらと思うと身の毛がよだつが、ローラはその寒気
すら表情をふてぶてしい冷笑へと固定するための力に変えた。


「言っただろう。脳“科学的”に人の構成要素は三位一体。人格だけをゼロとして、
 ないものとしては扱えない」

「人体における人格の存在箇所は、二十六年前の時点で“科学的”証明がなされて
 いなかった。これも貴様が言ったことよ、アレイスター」


互いの肉を刺し、骨を抉るような言葉の応酬。
ローラは得も言われぬ高揚感を覚えていた。


「起源説、というものが魔術世界にはある」


『起源』。
生命は生物学的発生段階よりもはるかに根本的な誕生の段階で、aという存在を
aたらしめる一定の方向性を与えられて生まれてくる、とする理説のことである。


「科学で為せない部分を魔術で補う。要するにまた『融合』ね。大科学者殿はよほど、
 世界地図に引かれた大小様々の境界線がお嫌いだったと見える」

「私が嫌いなのは、どちらかと言えば十字教そのものなのだが……旧約聖書における
 『不朽の愛』という一節が私の目的に合致していたので、忸怩たる思いで採用した」

「不朽の愛、アガペ…………それを、インデックスの『起源』として埋め込んだのね」


796 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 22:45:42.17 j+pF/QzM0 1981/2388



インデックスは誰でも味方にしてしまう。
その心根に深く接触した上で、それでも敵対という茨道を選べる人間は極めて希有である。
世界のすべてを愛して、世界のあまねく人に愛されて。
そうしてこの世のことごとくを、『自分の味方』という円線で囲ってしまう。


「しかしそれは逆に言えば、世界をただ二つに分けている、とも解釈できる」

「…………『自分』と、『それ以外』…………」


聖女は愛に見返りを求めない。
なぜならアガペとは、神のみが持つ『無償の愛』でもあるからだ。
聖女は目に映るすべてを救おうと奔走して、しかし他者からの救いを是とはしない。
聖女は自らの心の内側に、本当の意味で他者を踏み入らせようとは、決してしない。


「ゆえに『魔女白書』は、真に他者と魂の交流を図ろうとはとしない。彼女が触れるのは
 決して消えずに己の隣に寄り添い続けてくれる『記憶』のみだ」


そしてそれでこそ、アレイスター=クロウリーの『サブプラン』は達成され得る。


「しかしこの広くて狭い地球という盤面には、少なからずその道理を破壊する例外と
 いうものが存在し得る」


ローラはまばたきを一つ終えるか終えないかという間に反論を練った。

例えばそれは、地獄の底でもがき苦しむ少女の心に、強引に割って入った主人公。


「『幻想殺し』か。『予備プラン』と『メインプラン』が交差したあの日のことは、
 流石に私といえども感嘆の吐息を禁じえなかったよ」


797 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 22:47:23.68 j+pF/QzM0 1982/2388



少女は少年を愛してしまった。
その鮮やかで真っ直ぐな魂に触れてしまった。

上条当麻に出会ったインデックスがそうであったように、アウレオルスの隣にいた彼女が、
神裂やステイルと過ごした彼女が“そう”ではなかったのだと、いったい誰が断言できようか。


「ご心配には及ばない」


しかし断言できる“誰か”がこの世に存在するかと問われれば、ローラは眼前の男こそが
そうであると、一点の曇りもなく答えるだろう。


「そういう時のために、『首輪』があるのだから」


眼前の『怪物』アレイスターの一言で、『魔女』ローラはすべてを悟った。


「そうか………………そういうこと、か」




       かんじょう
「『首輪』は、『人格』のリセットボタンだったのね」





798 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 22:48:39.22 j+pF/QzM0 1983/2388



リセットボタン。
まさしくそれは、リセットボタンだった。

テレビゲームで言うところの『システムデータ』を残し、『シナリオデータ』のみを
消去する行為に似ている。
この場合、消去される『シナリオデータ』とは人格にバイアスをかけてしまう
『エピソード記憶』であり、残る『システムデータ』は魂を磨く『意味記憶』となる。

あるいは『強くてニューゲーム』、そう例えてもいいかもしれない。
インデックスは毎年決まった日、強制的に『強くてニューゲーム』を選択させられては
記憶(ストーリー)を振り出しに戻して、記録(レベル)だけは継続する。


「ふふ、ふふ…………アレイスター、貴様はとことん狂人ね」


こんな気狂いじみたゲームの登場人物に、己が娘を据えられる人間がこの世にいるのか。
ローラはある種の感動すら覚えて戦慄し、虚ろに笑った。


「ほう。『0と1で描写しきれる』存在になった私にも狂気と呼べる感情が在るのだと、
 君が保証してくれるのか。ありがとう、観測者。君のおかげで、私はまだ『人間』と
 呼べる代物であるらしい」

「どういたしまして。御高説を垂れているところ申し訳ないのだけれど、ではいったい、
 “あれ”はどういうことなのかしら?」


淑女らしからぬ仕草で親指を立てて、くい、と世界の端にたたずむモニタを指す。
四角形に切り取られた近くて遠い別世界では、いまなお『自動書記』と神父がいつ終わる
とも知れぬ対峙を続けていた。


799 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 22:51:58.44 j+pF/QzM0 1984/2388



「リセットボタンを壊されたことで、白紙のページになに不自由なく記されてきたあの子の
 感情。それを貴様は満足げに観察していた…………あらあら、おかしいわね。感情(それ)
 は貴様にとって邪魔なモノだったはずでしょう?」


そしてなにより、インデックスは蘇った『首輪』に殺されようとしている。
あれはいったい誰の仕業なのか。
アレイスターでないとするなら、『殺人犯』は誰なのか。


「いまとなっては『首輪』に大した存在意義はない。と、言うより」


男は、珍しく消沈したような相貌を前面に押し出してきた。
その仮面の裏側に何がひそんでいるのかなど推して知るべし、だが。


「結論から言えば、最初から『首輪』に大した意味などなかった」

「…………言葉は、良く考えて選びなさい」


ローラのハイソプラノが、ぐっと低く重いものになる。


「だから私は先刻、かつての己を愚かだったと認めたのだ。『感情』が『魂』の精錬を
 阻害するというのは、私の魔術解釈上の誤謬だった。有り体に表現すれば」


アレイスターの声には、対照的重みがまるでない。
男は夕餉のメニューを問い質すような気楽さで――――


800 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 22:53:20.80 j+pF/QzM0 1985/2388




「判断ミス、だ」


ステイルとインデックスの苦悶に満ち溢れた十数年を、失敗した原稿のように丸めて
屑籠に投げ捨ててみせた。




801 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 22:54:44.51 j+pF/QzM0 1986/2388



パァン。

乾いた音が閉じた世界に何重にも反響して、やがて消えた。


「…………あなたの辞世の句に、良い候補が見つかったわ。インデックスに、
 面と向かってこう懺悔なさい」


ローラは開いた右の手のひらを、身体の左側に寄せた状態でそう告げた。
アレイスターは、向かって左側から衝撃を浴びたような格好で、顔を逸らしていた。


「『私があなたに仕掛けた「首輪」は、私が無能な魔術師で、かつ低脳な科学者だった
 がゆえに起こった間違いでした。あなたの二十六年を、私のミスで目茶苦茶なものに
 してしまいました』」


冷え切ったブルーサファイアが、凍った炎を内に秘めて細められる。
魔女はその名に恥じぬ冷酷を体現し、無表情に男を蔑んだ。


「もしも仮にインデックスが、それに対して一片の怒りでも見せたら。私は貴様を、
 その電子の体にとって考え得る限り最も残忍な方法で苦しめて、悲鳴を上げさせ、
 然るのちにこの世から抹消してやる」


実の娘に頬をはたかれた父親もまた、別段感情を顕わにするでもなく呟く。


「………………検討しておこう」


802 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 22:56:33.79 j+pF/QzM0 1987/2388



「そもそも私は、貴様が『殺人犯』でないという供述に納得したわけではない」

「ほう? それは何故だ」

「…………アウレオルス=イザードよ。決まっているでしょう」


アレイスターがリセットボタンの発動日と定めたのが、明日である。
ステイルとインデックスが過去に決着を付けようとしたのが、明日である。
アウレオルスがふらりとロンドンに迷い込んだのも、明日を目前にした今日である。


「これらがすべて偶然の一致を見た、ですって? 馬鹿馬鹿しい……さらに付け加える
 なら、四次大戦の終結日が七月二十八日だったことも、私は貴様の恣意だったと確信
 している」


三年前の七月二十八日、上条当麻とインデックスは『窓のないビル』でアレイスター=
クロウリーと直接対峙した。
そしてアレイスターは敗れ、世界から消えた。

もう一つおまけに、ステイルがインデックスへの告白に七月二十八日を選んだことも
『首輪』に密接な関わりがあるのだと、ローラは知っていた。

四分の三の“偶然”にアレイスターが少なからず関与している以上、残り四分の一の
偶然――――アウレオルスの彷徨にもこの怪物の作為が働いていると推測することは、
至極自然な推移であった。


「ああ…………懐かしいな。そうだな、そこは認めよう」


ローラは内心の緊張を億尾にも出さず、冷たく父親を睨みつける。
するとアレイスターはあっさりと、あまりにもあっさりと、白状した。


803 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 22:58:59.51 j+pF/QzM0 1988/2388



アレイスターは語る。

『メインプラン』の破綻が避けられない情勢となっていた当時、彼は苦し紛れ――――
まさしく苦し紛れ以外の何物でもなく、『予備プラン』を生かせないかと思索を巡らせた。
その時アレイスターの視界に入ったのは、上条当麻の隣に立っていたインデックスだった。
そして彼はほんの、本当に些細な気まぐれの産物として。


「私に向かって振りかぶられた『幻想殺し』をわずかだが、世界のどこかで生きていた
 “かつてアウレオルスだった男”に横流ししたのだ」

「……なにゆえ、そんなことを」

「魔がさした、としか言いようがないな。すまないが、私が世界に働きかけた“作為”は
 正真正銘それが最後だよ」


要するにアレイスターの突飛な思い付きで、アウレオルスは三度までも人生を狂わされた、
ということらしい。
さしもの魔女も憐憫の情を禁じえなかったが、その双眸はさらに先を見据えていた。


「耄碌したか、アレイスター? それではアウレオルスが、見計らったような時機に
 ロンドンを訪れた理由にはなっていないわ」

「君こそ、私を失望させないでくれよ。すでに何度も繰り返したように、上条当麻に
 敗れて以降私は世界に対して『なにもしていない』」

「………………ちっ」


804 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 23:00:16.17 j+pF/QzM0 1989/2388



魔女の辛辣な語勢が止まった。
『なにもできない』と言った方がより正確であることを、悔しいがローラは察していた。
 
『滞空回線』は確かに悪魔的な技術と思想のもとに設計されたシステムではあるが、
あくまで用途は情報の蓄積と収集にすぎない。
外側でその情報を受け取り活用する人間がいるからこそ意義のある発明であり、内側に
“棲む”電子データに神のごとき全知全能を約束するような代物では決してない。

つまりアレイスターはこの箱庭に居る限り、外の現実に干渉できない。
それはローラが現在、身をもって体感している真っ最中だった。


「本気で、『偶然だ』などと主張するつもり?」


問うと、アレイスターは顎に手をかけてしばし目を瞑る。


「観測結果から事実を推理するしかないのが辛いところだが」


そして目を見開くと話題を九十度直角に、急激に転換した。


「七月二十八日は『記憶』が『絶望』の呼び水となり、『絶望』が『禁書目録を殺す』
 日になった」

「はっ。貴様がそう仕向けたことでしょう」

「誰の意図だったか、というのはこの際重要ではない。問題は“これ”が十五度にも
 渡って繰り返されることで君や歴代のパートナーたちの絶望が積もりに積もって、
 『七月二十八日はそういう日なのだ』と世界に認識された点にこそある」


805 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 23:02:25.19 j+pF/QzM0 1990/2388



ローラは乾いた笑いを科学者に贈った。
突拍子がないにもほどがある。


「根拠なき仮説だ。笑って聞き流してくれても、まあ構わないがね」

「もとよりそのつもりよ、この狂人が」

「とにかく。『禁書目録を殺す』という結果を実現するべく『アウレオルスが現れる』
 という原因が、帳尻を合わせるために差しこまれたのだと私は見ている」

「ナンセンス。穴だらけの論理ね」


毎年のようにインデックスが死に瀕する、そんな因果が発生するのならば、去年の七月
二十八日についてはどう説明する。
ステイルから懐中時計を贈られたのだと、インデックスが幸福感いっぱいの笑顔でローラ
に自慢してきたのが昨日のことのようだ。

第一、『アウレオルス』と『インデックスの死』に因果関係が成立しているとも思えない。
ローラはアレイスターのロジックに潜む欠陥を一つずつ拾い上げて、思うさまつついてやった。


「確かに、やはり仮説は仮説だ。真実には程遠いのかもしれない」


勢い込んだ女の反論を、男はしかしさしたる動揺も表に出さずに受け止める。


「だが感情ゆえに現状があるのもまた事実だ。かつて私は、君が私に抱く『憎悪』こそが
 『魔女白書』の完成を妨げているのだとばかり思い込んでいたが、それは間違いだった
 らしい」

                      リセットボタン  
感情が邪魔だったから、アレイスターは『首輪』を付けた。
その『首輪』が数多の人間の絶望を創ったからこそ、ステイルとインデックスはいまこの
瞬間も苦しんでるというのに、それでも。


806 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 23:07:20.02 j+pF/QzM0 1991/2388



「『自動書記』のあの絶望に満ちた、素晴らしい魂のかたちが見えるかい? 必要なのは
 “あれ”だったのだと、恥ずかしながら今にして悟ったよ」


――――それでも怪物は、再び笑った。


「……そんなこと、証明は不可能だわ」


理解不能の怪物を前に、かろうじて人間である女は小さく洩らす。


「そう、まさにその点だけが未練と言えば未練だ。しかし私はもはや科学者でもなければ
 魔術師でもない、一介の聴衆だ。そんなことを大真面目に考察する必要はない」


人間をやめ、『0と1でしか描写できなくなった』怪物は、抑揚なき悦びに天を仰いだ。
誕生日を目前にした子供のような声だ、とローラは思った。
だが、ローラは知らない。
家族に生誕を祝われるという実体験の乏しさゆえに、知らない。


「さあ。因果の収束まで、あと半刻だ」


この世には『プレゼント』を前に単純な喜悦のみを覚える子供ばかりではないのだと、
まだ知らない。


807 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 23:08:44.01 j+pF/QzM0 1992/2388


---------------------------------------------------------------------


「貴方にとって、この子は何者ですか」


ほとばしるような“感情あふれる”殺気に、ステイルは気圧されていた。
説得は失敗に終わったと、そう判断せざるを得なかった。


「何者、とはどういう意味だ」

「一〇三〇〇〇冊の魔道図書館。イギリス清教が誇る最大主教。
 アレイスター=クロウリーの娘。ローラ=ザザの姉。上条当麻の家族。
 あるいは、Index-Librorum-Prohibitorum。“どの”彼女ですか?」


ステイルは鼻を鳴らして強がった。
そんなことはハナから決まりきっている。


「どこの誰だろうと関係がない。いま目の前にいる彼女が、上条当麻を愛した彼女が、
 僕と共にこの六年間を生きた彼女が、僕にとっての彼女だ」


ローラに面と向かって切った啖呵を、ステイルはローラの“姉”に繰り返した。


「だから、立ち塞がる障害がいかに高く険しかろうと、それも僕には関係がない。
 たとえそれが『世界最悪の魔術師』の仕掛けた罠だろうと、僕は」

「――――ほら、また『アレイスター』が出てきた」


808 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 23:10:10.53 j+pF/QzM0 1993/2388



無表情に回帰した『自動書記』は、鬼の首をとったような文句を侮蔑とともに放った。
不揃いなパーツが組み合わさって、ステイルへの嫌悪感をより顕著に表現する。


「どうしても貴方はアレイスター=クロウリーを、この舞台に黒幕として上げたいよう
 ですね」

「“上げたい”もなにも、それが事実で……」


唾を飲む音が、静寂の中でいやに大きく心臓を打った。


「…………違うの、か?」


ステイルの表情が見る間に一段険しくなる。
『自動書記』はそれを見やって満足げに頷き、同時に苛立ち混じりの嘲笑を浮かべた。
ステイルの『不正解』が嬉しくてたまらない様子だった。


「この子の苦しみは、外側から干渉した“誰か”が“何か”をしたから。結局は貴方も、
 そうやって大所高所からこの子を見下ろしているというわけですね」

「なんだと……!」

「事実以外の何物でもないでしょう。アレイスタ=クロウリーやローラ=スチュアート。
 巨悪の大それた陰謀に振り回される、哀れな子羊としか見ていないではないですか。
 そこで思考が停止しているではないですか」


カッとなって感情任せの罵詈を吐きそうになるも、続く『自動書記』の糾弾にせき止められた。
そうではないと断言することを、ほんの一瞬でもためらってしまった。
そんな自分を恥じて、反論が口をついてくれなかった。


809 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 23:10:56.18 j+pF/QzM0 1994/2388



ステイルが押し黙ったことを契機に、『自動書記』が語調を著しく速める。


「この子は、世界を揺るがすような巨大な企てのためにしか苦しんではいけないのですか?」


彼女ははたして『禁書目録』なのか、『魔女白書』なのか。


「人々の救済などという、高尚な大義名分のためにしか悩んではいけないのですか?」


最大主教なのか、尊き聖女なのか。


「好きな男性を想って、涙を流してはいけないのですか?」


上条当麻という男を、愛した女なのか。


「だから、貴方はなにも解っていないと言うんですよ」


ローラに意味深長で重苦しい真実の欠片を与えられて以降、“そういう”視点からしか
インデックスの内面を慮ろうとしなかった男だと責められて、またそれが事実であると
認めざるを得なくて、ステイルは口を噤むほかなかった。


「…………だったら」


だが、それでも。


810 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 23:13:11.04 j+pF/QzM0 1995/2388



「だったらどうして、彼女が死ななきゃならないって言うんだ!! 君がその理由を
 しかと知り尽くしていると言うのなら、なぜ君は諦めて彼女の記憶を殺すなどという
 逃げに走る!?」


ステイルがいかに浅慮で考えなしの粗忽者だとしても、それとインデックスの死を
座視することは、まったく別の話だ。


「答えろ、『自動書記』ッ!! どうして彼女の心を、諦めようとする!?」


男の獅子吼を真正面で観察していた女は、長い溜め息を聖堂の冷たい床にこぼした。
その呼気が帯びる色が次第に『嘲り』から『妬み』へ、そして『憎しみ』へと染まっていく。
四方に配置された蝋燭を燃やす赤が、怖気ついたように一度大きく揺れて火勢を弱めた。

       まじょ
壇上に立つ聖女が、ステイルには瞬刻いやに背の高い巨人に見えた。


舞台が、姿を変える。
再び彼女がステイルと視線を交えた瞬間――――



「いいでしょう。貴方は、いい加減に自覚するべきです」



――――魔女が神父を裁くための裁きの庭が、重々しく開かれた。


811 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 23:14:51.81 j+pF/QzM0 1996/2388



「『誘拐犯』は私でした。それは認めましょう」

「しかし、この子を殺す『殺人者』は私ではない」

「アレイスター=クロウリーでも」

「ローラ=スチュアートでも」

「アウレオルス=イザードでも」

「『リリス』でもない」






「貴方です」






「この子を殺そうとしているのは、私ではなく貴方です」

「それを骨の髄まで思い知るべきだ、貴方は」


812 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/12 23:16:04.52 j+pF/QzM0 1997/2388








「さぁ――――貴方の罪を数えてあげましょう」







Passage9 ――魔女裁判―― END


819 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:19:55.18 ky54UWEJ0 1998/2388



――Passage10――



福者マザー・テレサは言った。

『愛の反対は無関心である』と。

関心こそ、愛のはじまりであるのだと。





ならば、目に映る世界すべてを脳に刻んでしまうインデックスは――――






820 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:20:59.14 ky54UWEJ0 1999/2388




Passage10 ――死に至る病――




821 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:22:02.83 ky54UWEJ0 2000/2388



「この子の愛は膨大すぎると、そう思ったことはありませんか?」


裁く者の冒頭弁論は、裁かれる者に対してそう発話された。


                アガペ
「まるで、そう――――『無限の愛』のごとく」


  アガペ
『無限の愛』。
旧約聖書における『不朽の愛』。
かつて救世主が弟子たちに向けて、無限であり無償であると説いた『神の愛』。
『愛の六類型』研究を行った心理学者ジョン=アラン=リーが百を越える被験者の中に、
真の意味でそれを有する者を発見できなかったという『愛他的な愛』。

インデックスがそれを有する稀有な存在であるのかと問われれば、ステイルは迷わず
首を縦に振るだろう。


「しかしリーが定義するところの『愛他的な愛』と、この子がかつて上条当麻に対して
 見せた嫉妬や…………貴方への態度は、根本的に矛盾してはいないでしょうか」


要するにアガペとは、『相手が幸せなら自分も幸せだ』などという、舞台の上のヒロイン
のみが持つ浮世離れした愛である。


822 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:34:10.66 ky54UWEJ0 2001/2388



しかしインデックスはれっきとした人間だ。
嫉妬もすれば、駄々をこねもする。


「そんなものはあくまで、学者が類型したタイプにすぎない。一個の人間の人格を
 学術的な型に当てはめて、そこからはみ出したら異常だなどと……思考が固着的に
 すぎるぞ」

「ですが現に、なぜだか彼女は有しているのですよ。無垢で、純粋で、誰をも平等に
 愛し、誰にも平等に愛される、ひのき舞台で煌めくヒロイン然とした『人格』を」


否定はできなかった。
ステイルが愛したのは紛れもなく、そんな彼女だったのだから。


「…………そんな彼女がある日、『上条当麻』に出会いました。『生』まれて初めて、
 この子はただ一人に向けるための狂愛(マニア)などというものがこの世に、自分の
 中に存在するのだと知ったのです」


それはステイルとて十分承知していることだった。
インデックスの愛は本来世界すべてに注がれる尊いものだ。
そんな巨大な愛をたった一人の男に集約する方法が、彼女にはわからなかった。
わからないから、持て余した。
そうしてぬるま湯のような家族としての生活が一年続き、二年を越え、五年が経って。

インデックスは、御坂美琴(こいがたき)に敗れた。

彼女は己が内の『無限の愛』ゆえに、愛する男を別の女に奪われてしまった。


823 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:35:43.67 ky54UWEJ0 2002/2388



「傷心を隠して学園都市を去った彼女の胸中には、その実ほんの小さな安堵が在った
 のだと、後日インデックスは私にそう語りました」


これで、愛に狂わずにすむ。
上条当麻と御坂美琴を祝福できる女になるための、時間を稼げる。
傷付いた誰かに手を差し伸べることを、迷わない自分でいられる。


「…………彼女が、そんなことを」

「ロンドンに渡ったインデックスは失恋の痛みを掻き消すように、『禁書目録』の
 編纂作業に生きがいを見出して没頭しました」


防衛機制でいうところの昇華にあたる行為、だった。


「やはり、君もあれに力を貸していたのか」


ステイルは嘆息した。
六年もの昔から、インデックスは自分ではなく『自動書記』にこそ信頼を寄せていた。
『電話相手』の正体を悟った日からわかってはいたことだが、歴然たる事実として付き
突けられると、やはり胸が締めつけられるように苦しかった。


「ええ。私は、それでこの子が救われるならと『偽書』編纂への協力を惜しみませんでした」


そうやって『無限の愛』を再び確立したインデックスは、やがて生来の才能をもって
『聖女』と内外から崇敬の念を集めるようになっていった。
のちにローラが最大主教位を退いてインデックスを独断で後継に指名した際、この
時期に築いた民衆からの圧倒的支持が反対勢力を封じ込めることになる。


824 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:37:22.64 ky54UWEJ0 2003/2388



「……そこで終わっていれば、この子はこんなにも苦しまずに済んだというのに」


上条当麻への愛を無理矢理“忘れた”インデックスに、日常が戻りつつあった。
神裂火織をはじめとした友人たちと、笑顔で日々を送れるまでになった。
このままいけば、なんの問題もなくインデックスは平和に健やかに生涯を終えられた。


「なのに…………なのにインデックスは、貴方に気が付いてしまった!」


嫌味な台詞を吐くだけの一同僚にすぎない大男が、時折自分を悲しげな眼で追っていることに。
普段はぶっきらぼうな仕事仲間が、自分の身の安全をどんな時でも第一に考えていることに。
自分の恋の終わりを知った彼が、矢も盾もたまらず上条当麻を殴りに行ったことに。

自分とステイルの間に、永遠に取り戻せない過去が横たわっている事実に。


「この子は貴方に興味を抱いてしまった。同情してしまった!」



『同情は、慈悲っていう心の、いちばん初めの一歩なんだよ』



インデックスがいつか、垣根帝督に掛けた言葉だ。

インデックスはステイルに興味を抱いた。
関心を引かれると同時に、同情を覚えた。
それらはやがて渾然一体となって混じり合い、彼女の中に狂おしい愛が帰ってきた。
そして同時にインデックスは、上条当麻を思い出した。


825 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:39:36.81 ky54UWEJ0 2004/2388



それは緩やかな清水の湧き続ける、巨大なホースの口を思いきり絞ることに似ていたの
かもしれない。
インデックスの愛はただ一人の男に向けるにはあまりに莫大で、甚大な激流だった。
彼女は無意識にもう一人の男に、上条当麻に愛を分散させた。

だから“口”は二つあったのだ。
ゆえにインデックスは煩悶し、懊悩し、やる方ない愛惜の果てに上条当麻と向き合った。

そして、“口”を閉じてしまった。
その先に、不義の愛に焦がれる以上の絶望が待ち受けていることなど、思いもよらずに。


「決定的な契機が訪れたのは、ほんの二週間前のことです」

「二週間前……『0715事件』か!」


思い当たる節はステイルにもあった。
あの日以降、インデックスの挙動は目に見えて奇矯なものとなった。
ステイルと滅多に目を合わせなくなったし、身体的な接触もぐんと減った。

そして何をおいても七月十九日。
一方通行との激闘で辛うじて命を拾った直後に彼女が見せた、落涙、自失、銷魂。
あの涙の理由がまるでわからなくて、ステイルは――――


「なにを他人事のようにのたまっているのですか」

「な…………?」


826 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:41:22.23 ky54UWEJ0 2005/2388



考えにふけっていたところを邪魔されて、ステイルは間抜けな声を漏らしてしまった。
『自動書記』は魔術師に、射殺すような視線を浴びせていた。


「まさか、気付いていなかったのですか? あれは他の誰でもない、貴方のせいです」

「なにを言って……だったら僕に直接、不満なりなんなりぶつければいいだろう」

「言いました」

「は?」

「インデックスは間違いなく、しっかりと貴方に“お願い”しました。覚えてませんか、
 天才魔術師?」


お願い。
お願い?
七月十五日、インデックスがステイルにしたお願い――――


「……………………あ」

「ようやく、解ったようですね」

「ちょ、っと、待て。そんな……そんな、ことで?」

「信じられませんか? しかしこれが真実です。いかに他愛なく、くだらないことだと
 貴方が思ったとしても、これだけが真実なのですよ」


827 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:42:35.12 ky54UWEJ0 2006/2388






『お願い、死なないで。私は、あなたが生きててくれればもう』






828 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:43:14.67 ky54UWEJ0 2007/2388



『アドリア海の女王』発動を目の前にして、敵の奇襲を受けた時のことだ。
紆余曲折を経てステイルはインデックスを守るべく、文字通り盾になった。


「あの日この子は、考えてしまった」




『もうやめて、やめようよステイル』




「目の前の男性さえ生きていてくれれば、他の連中なんてどうでもいいから」




『やめよう、後はしずりやフィアンマたちに任せて、ロンドンに帰ろう?』




「なにもかも見捨てて逃げ出そう――――そう、思ってしまったんですよ」


それは、聖女が聖女でなくなった瞬間だった。


829 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:44:21.50 ky54UWEJ0 2008/2388



「じゃあ彼女は、そんな自分を恥じて……?」

「まだ言いますか、この愚か者が」


痛烈な糾弾にステイルは二の句を継げなかった。
『自動書記』はもはや、たぎる激情を制御しようともしていなかった。


「貴方のような臆病で愚かな男に、どうしてこの子は惹かれてしまったのか……私には、
 まったく納得できない。先刻とてそうです。貴方が『人払い』を行使した気配を敏感に
 察知して、この子は走り出した」


アウレオルスとの対話を“聞かせてしまった”時のことだと、ステイルはすぐに理解できた。
『自動書記』がどれほど押し留めても、インデックスはステイルの身になにか災いが
降りかかってはいないかと、それだけを考えていたという。


「なのに…………どうして、どうしてそこまでこの子に強く想われている貴方が、
 この子の真の懊悩を察してあげられないのですか」


ステイルは指の付け根が白くなるまで拳を握った。
そして、口を固く閉ざした。


830 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:45:41.77 ky54UWEJ0 2009/2388



「アウレオルス=イザードを襲った悲劇を知って、この子が一番になにを考えたのか、
 貴方には解らないでしょうね…………解って、たまるものですか」


女の表情にかすかに昏い悦びが浮かんだ。
愛しい少女を追い詰めた魔術師を思うさま詰っていることに、彼女は愉悦という名の
新たな、革新的な情動を見出していた。


「この子は、目の前の破滅した錬金術師への同情よりも先に、貴方のことを考えて
 恐怖したのです」


ステイル=マグヌスを、いつかこんな風にしてしまうのではないか。
ただでさえ自分に関わることで“不幸”になった彼が、より大きな災禍に飲み込まれて
『上条当麻』のように死んでしまうのではないか。


「は、ははは…………いったいこれの、どこが『聖女』なのでしょうね。この子は、
 この子は世界中で起こっているどんな悲劇よりも、なによりも」


上条当麻を殺してしまった過去(きのう)よりも。
アウレオルス=イザードを苦しめている現在(きょう)よりも。
インデックスは――――



                あした
「貴方を失うかもしれない『未来』が、怖いんですよッ!!」





831 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:47:34.04 ky54UWEJ0 2010/2388



ステイルは小さく、しかし震えを知らぬ声を絞り出した。


「…………そんなことを言ったって、どうしようもないだろう」


人間は、いつか必ず死ぬ。
魔術師同士の抗争に巻き込まれなくても、薄暗い闇の底に潜らなくても、愛する人の
ために命など投げ出さなくても、ほんの些細なことで、簡単に人は死ぬ。
それは天地開闢以来、絶対不変の真理だ。


「そんなことを恐れていたら、生きていくことなどできない。この世で生を営み続ける
 人々は、多かれ少なかれいつか訪れる死の恐怖を頭のどこか片隅で認識していて、
 それでも強く生きている!」


ステイルは傷を負っても病に冒されても、力強い営みを諦めない人々を目の当たりにした。
絶望に抗う力はそこから分けてもらったものだ。


「彼女がその恐怖を克服できないほど弱い人間だ、などと……僕は信じないッ!!」


それはインデックスにとっても同じだったと、ステイルはそう信じていた。
現に彼女は『上条当麻』を乗り越えたではないか。


「身勝手にこの子を、貴方の色眼鏡に当てはめないでください。お忘れですか、
 この子には『無限』の愛があるのですよ」


しかし『自動書記』は、インデックスの強さを否定する。


832 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:49:33.84 ky54UWEJ0 2011/2388



インデックスには世界のすべてを包み込めるほどの巨大な、無窮の愛があった。
十一年前、上条当麻に対しては、それを一点に集約する方法がわからなかった。


「しかしこの子は、十一年を生きました。綺麗なものも汚いものもたくさん見ました。
 たくさん聞いて、たくさん感じました。そしてすべからく、記憶しました」


それはとりもなおさず、成長と呼ぶべきものだった。
制限時間を過ぎれば刈り取られていたはずの新芽は、終わらない猶予時間を与えられた。
若木へすくすくと生長するようにインデックスは、それまでの十五年では学べなかった
人の魂の在り様を知った。
誰も教えてくれなかった『愛』の御し方も、独力で組み立てていった。


「そしてあの日、七月十五日。貴方が自分を庇って死んでしまうのではないかと
 想像してしまったとき、ついに“やり方”の一端を掴んでしまったのです」


この世で唯一の男性へと、地球一個分よりもはるかに重い愛を傾ける、“やり方”を。
同時に、無意識のうちに悟ってしまった。
二つある愛の出口を一つに絞ってしまったとき、いったいなにが起こるのかを。


「だからインデックスは、生きとし生ける万人に等しく訪れる『死』の中でも、
 ステイル=マグヌスのそれだけが、とびきりに群を抜いて怖いのです。たとえ
 それがたった『1%』の可能性だろうと、怖く怖くて仕方がないのです」


なぜならインデックスがステイルへ注ごうとしている愛は、全人類に分散した慈愛を
かき集めて煮詰めた、世界と天秤にかけてもなお傾く『無上の愛』なのだから。


833 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:51:21.34 ky54UWEJ0 2012/2388



「そして、ますます手に負えないことに…………貴方が死ぬ可能性は、常人のそれより
 はるかに高い。『1%』どころの話ではない」


「0715事件」で、果たしてステイルは何度死にかけたのだろう。

『右方』との初戦では、フィアンマの援護がなければ十回死んで尚釣りがきたであろう。
魔力を著しく消費した肉体で、形振りかまわず亡者の群れから彼女を守ろうともした。
『右方』が最後に振った『腕』に対しても、インデックスを腕の中に閉じこめて庇った。
その度にインデックスを怒らせて、心配させて、あげくに泣かせてしまった。

いみじくも『自動書記』が言及した通り、これらの行動はインデックスの主観に立てば
性質(タチ)が極めて悪い。
ステイルの自己犠牲はそのことごとくが、理性ではなく本能に従った結果であるからだ。
一度など、『歩く教会』で全身を完璧に防御したインデックスを守るべく、身の程知らず
にも全身をなげうった。

まったく不合理な、見下げ果てるほどに馬鹿げた自傷行為だろうが、ステイルは“次”が
訪れるのなら何度でも同じ愚行を重ねるであろう自己を容易く想像できた。


                               アイデンティティー
それこそまさに、ステイルがステイルであるための絶対に譲れない一線なのだから。




834 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:52:31.06 ky54UWEJ0 2013/2388



「あのような無謀を至極当然のように犯しておきながら、ベッドの上で老衰死する
 未来設計図を描いているわけでもないでしょう。この子にとって貴方の死は、
 “明日”にでもすぐ起こり得ることなのですよ」


愛しい男性(ひと)のアイデンティティーを悟ってしまったがゆえに、インデックスの
絶望と悲哀はより救いようのないものとなった。
こんなことを続けていたらステイルは遠からず、自分の前からいなくなってしまう、と。


「極論この子は、窮地にある貴方を助けるための力なんて、欲しくはないのです」


誰かを救う尊い意志など、聖女(ヒロイン)の称号などいらない。


「自分を守るために命を投げ出してしまうような誓いなど、投げ捨ててほしいのです」


命懸けで守ってくれるナイトなど、主人公(ヒーロー)などいらない。


「ただこの子は、貴方がそばにいてくれればそれで、それだけで良かったのに!」


――――平凡で平穏な、脇役としての人生だけが、欲しかった。


835 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:53:29.75 ky54UWEJ0 2014/2388



「だというのに貴方は、いつまでたっても最大主教、最大主教、最大主教! 貴方に
 そう呼ばれるたび、どれほど彼女の心が千々に乱れていたか知っていますか!?」


ただでさえ、態度と行動だけでもその信念を、言外に体現し続ける男の背中。
そんな姿に胸を痛めていたところに、追い打ちをかけるような『言葉』の雨。



『最大主教ゥゥーーーッ!!!』



――――僕は君の部下で、護衛だ。



『しかし最大主教、心配はいらない。何が起ころうと君は僕が守る』



――――だから僕は、何度だって君のために命を投げ出すよ。


836 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:54:15.12 ky54UWEJ0 2015/2388



インデックスには『最大主教』という二人称がそう聴こえていた。
自分と彼の立場をこの上なく的確に表現するその称号が、胸を掻き毟りたくなるほど
憎くてたまらなかったという。




『インデックスって呼んでくれたら…………嬉しいな』




一度だけ、名前で呼んで欲しいと迫ったが、実現はされなかった。




『…………すまない、“最大主教”』

『…………そっか。うん、無理しなくていいよ』




ステイルが、臆病者だったから。


837 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:56:03.96 ky54UWEJ0 2016/2388



「貴方の臆病のツケを、この子は一年間払わされ続けたのですよ。貴方のような
 くだらない男の愛に応えようとして、この子は病んだのですよ」


ステイル=マグヌスを『不幸』にするのが怖い。
ステイル=マグヌスがいつか、自分より先に死んでしまう日が来るのが怖い。
ステイル=マグヌスの死に顔など想像したくもない。
ステイル=マグヌスがいなくなれば、きっと自分は壊れてしまう。


                      ぜつぼう
「これがこの子の、インデックスの『死に至る病』です」



ただ隣にいてほしい。
しかしステイルは自分の傍で自分を守る限りどんな理屈も超越して、死への恐怖
など忘れて命をなげうってしまう。

もうどこにもいない主人公を殺してしまったように。
顔(そと)と記憶(なか)を弄ばれて破滅した生ける死者のように。
『無限の愛』を、『無上の愛』に変える方法を教えてくれた世界より愛しい人を
いつの日か、愛ゆえに死なせてしまう。


なんと忌まわしい――――救いようのない女なのだろう。


ゆえにインデックスは、己が存在を呪った。


838 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 21:58:55.97 ky54UWEJ0 2017/2388



「この子が死ぬ理由は、それ以上でも以下でもないのに。貴方ときたら余所から回り
 くどい理由を引っ張ってきて、彼女の『死』がさも、世界にとって途轍もなく崇高なもの
 であるかのように思いこもうとしている――――先ほどの言葉を、そっくりそのまま
 お返ししましょう」


女が大きく息を吸う。




「ふざけるなッ!!!」




昂騰する怒りに火照り、徐々に透き通っていくエメラルドがステンドグラスから差す
月の光を反射する。


「この子を一番人間として、一人の女性として見ていないのは、貴方ではないですか!」


まるで泣いているようだ。


「貴方が、この世でもっともこの子のことを正確に理解していなければならない貴方が
 こうも愚かだから、この子は、インデックスはッ!!」


啼いている女の瞳には涙粒など浮かんでいないのに、ステイルにはなぜかそう見えた。


839 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/14 22:00:14.94 ky54UWEJ0 2018/2388










  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「自ら死を選んでしまったんですよッッッ!!!!!」









       めいにち
――――七月二十八日まで、あと二十分。



Passage10――――END


847 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:08:38.59 rHzvExoD0 2019/2388



――Passage11――



神はどうして、こうも無情に彼女を見捨てるのだろう。
『首輪』の再来に直面してステイルはそう嘆いた。


「『首輪』が発動する直前、この子の魂の悲鳴が、貴方には聴こえましたか?」


しかし、それは間違いだった。




『――――――――――――――――――い』




「生まれてから十五年、乳兄弟のように寄り添ってきた“それ”」

「十一年ぶりに訪ねてきた、旧友のような“それ”」

「“それ”に初めて、生まれて初めて、この子は自分から話しかけてしまった」




『―――――――――――――――――たい』





848 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:09:09.39 rHzvExoD0 2020/2388



「貴方と神裂火織に一年間追い回されようとも、そこから掬い上げてくれた上条当麻を
 自分のせいで“殺して”しまっても、『無限の愛』を持て余そうとも、恋の鞘当てに
 敗れようとも、一度たりとも向き合おうとはしなかった“それ”を、ついに真正面から
 覗きこんでしまった」




『――――――――――――――――にたい』




「……貴方のせいだ。貴方のせいで、インデックスは」







『―――――――――――――――死にたい』







「貴方がそう言わせたんだ、ステイル=マグヌスッ!!!」


ステイルはようやく真実を悟った。

彼女が、神を見捨てたのだった。


849 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:09:38.06 rHzvExoD0 2021/2388




Passage11 ――とある神父の『      』――




850 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:10:19.88 rHzvExoD0 2022/2388



「彼女は、自分で自分に『首輪』を嵌めたのか」


ステイルの面持ちは、筆舌に尽くしがたい悲痛に悶え狂っていた。


「自ら、絞首台に上ったのか…………ッ!」


残酷な真実に、震える手のひらで目元を覆ってこめかみを砕かんばかりに締め付ける。
そうやって押さえつけていなければ溢れそうな何かが、脳のさらに内側で熱を帯びていた。


「……ローラ=スチュアートが『首輪』を仕掛けた黒幕でなかった以上、十一年前粉々に
 されたこの魔術(げんそう)を再構築できる者の候補は絞られます」


ローラの言い分を鵜呑みにするなら、そういうことになる。
そしてステイルはもはや、かの女狐を頭から疑ってかかることはできなかった。
考えてもみればこれは、最初から二択問題だったのだ。


「『禁書目録』の真の黒幕であったアレイスター=クロウリー。彼が現下いずこに存在
 しているのかは私もインデックスも知りません。しかしそんなことは関係がない」


なぜなら『犯人』は、二択のうちのもう片割れだから。
そしてステイルは『犯人』が有する才能をよく知っていた。


851 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:11:24.50 rHzvExoD0 2023/2388



「彼女は、その魔術分析力と応用力を活用して、『自分を殺す』魔術を…………
 よりにもよって『首輪』を、あの一瞬で、再現してしまったんだな」


インデックスの『魔道図書館』としての真価は莫大かつ迅速な記憶力などではなく、
柔軟で創造性に富む処理能力にこそあると、ステイルは常々そう考えていた。
忌まわしいまでに優秀そのものの才能はこんなところでも余すことなく発揮されていて、
圧倒的すぎる性能がゆえに所有者を蝕み殺そうとしている。
核兵器を抱えた人類のようなものだ。
ステイルは世の残酷さに唾したい気分だった。


「しかし君とて、一〇三〇〇〇の魔に身をひたした天才には違いないだろう。彼女に
 『構築』が可能だったというなら、君が『解除』できてもいいはずだ」


だがそれでも、ステイルはインデックスを諦めない。
『上条当麻』がそうであったように、どんなに無様で不格好だろうともがく。
『自動書記』は、弱弱しく破顔するも肯んじようとはしなかった。


「だから貴方は二流魔術師だと言うのです。そもそも「0715事件」で私が貴方に貸した
 魔力は、インデックスの意思で供給されているのですよ?」

「……まさか」
               わたし
「ええ。この子はすでに、『自動書記』の制御権を手中に収めているのです。
 いまや“インデックス”は私にとって、絶対的な上位存在なのです」


つまり『自動書記』は、インデックスの命令には決して逆らえない。


「そして『首輪』の解呪は、最優先コードによって禁止されました」

「っ!」


852 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:12:19.33 rHzvExoD0 2024/2388



「この事実のみでも、十二分に彼女の絶望が伝わってくるでしょう? インデックスは
 本気です、本気で死のうとしています。…………私には」


よくよく見ればその唇が微細に、しかし内側に秘めた激情によって、確かに震えていた。


「私にはもう、記憶の消去以外になす術がないんですよ」


ステイルはこの瞬間、頭の中でおぼろ気に組み上がりつつあったイメージを確定させた。
『自動書記』が最初に感情を爆発させてからというもの、ステイルには彼女が“誰か”に
だぶって見えて仕方がなかった。

インデックスを死なせたくない。
だが記憶を、自分との思い出を消さないとインデックスは死ぬ。
だから、逃げ出したくなるほど嫌で嫌でたまらなくても、記憶を殺す。
それで彼女の命が助かるのならしょうがないことだ。

一つ一つのピースを丁寧に並べ直せば、何のことはなかった。


「君は、“僕”なんだな」


それは紛れもなく、『失敗者』ステイル=マグヌスの愚行そのものではないか。


「…………貴方と私を、一緒にしないでいただきたい」

「声に覇気がないね。どうやら自覚はあるらしい」


憎々しげに歯を剥き出しにしてくる失敗者を尻目に、ステイルは遠き日に思いを馳せた。
彼女が十一年前のステイル=マグヌスだというなら、彼女と対峙する己は何者なのだろう。
神の定めた奇跡(システム)に抗う者を、世界は何と呼ぶのだろう。


853 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:13:22.65 rHzvExoD0 2025/2388




――――いい加減に始めようぜ、魔術師――――



ステイルは青物独特の臭みに満ちた叫びを追憶して、軽く鼻を鳴らした。
神父の敵は神などではない。
二つの眼球が捉える世界を現在の時間軸に戻す。


「だったら、僕らのこの会話は。ここでいま僕と君がぶつかっていることを、彼女は?」


少なくとも十一年前の段階では、『自動書記』の『迎撃』が発動している最中に起こった
事象をインデックスは観測できていなかった。
しかし今ならどうだ。
インデックスが『自動書記』を掌握したいまこの時なら、あるいはステイルの声は彼女に
届くのではないか。


「不可能、ではありません。そもそも『私が記録した事実』がすべからくこの子に伝播
 しなかったのは、シナプス経路の一部にインデックスがアクセスできない不可侵領域
 が設定されていたからです」


おそらくはアレイスターが、『自動書記』の存在をインデックスに自覚させないために
施した措置だろう。
そしてその不可侵領域も、彼女が『自動書記』の真の主となったことで解放されたという訳だ。

だが、『自動書記』は首を横に振る。


「この子にはもう、私の呼びかけは届いていません。さっきからずっとずっと名前を
 呼んでいるのに、死んでほしくないと幾度も頼んでいるのに、インデックスはもう、
 私の声に応えてくれない…………貴方の、貴方のせいで」


854 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:14:30.40 rHzvExoD0 2026/2388



かつてリリスだった女の表情を、いよいよ絶望が占拠しつつあった。
内側で殻にこもったインデックスが背負ったそれの、何千分の一にも満たないであろう
絶望に支配されて、『自動書記』はいまにも月光に融けてしまいそうなほど脆弱な姿で
聖堂に佇んでいた。


「…………貴方はこの子を、清く正しく、強い心の持ち主だと、揺るぎない聖女だと
 信じていましたか? 貴方の“逃げ”の代償を被せられて、名前も知らない魔術師に
 さんざん追い回されて、それでも心折れずに誰かを心配できる清らかな少女だったから
 大丈夫だと思ってませんでしたか? 上条当麻に抱くどうしようもない哀惜も、きっと
 乗り越えてくれると楽観視していませんでしたか?」


女はハイライトの消えかかった瞳で、怜悧さなどかなぐり捨て感情のままに静かに叫んだ。
ステイルは目を逸らさず、しかし語る言葉を持たなかった。


「この子は貴方ではないのです。この子は貴方のようにはなれない」

「……僕は、強くなどない」

「しかし貴方は先刻、立ち上がったではないですか」


『首輪』の復活を目の当たりにして嘆き、膝を折って。
しかし五分もしないうちにあっさりと、ステイルは自分の脚で立った。


「弱さゆえに折れた貴方は、それでも再び立ち上がったではないですか。幾度となく
 折れてしまったがゆえのしなやかさで、希望をつかもうとしたではないですか」


ステイルが恐怖を克服できたのは、絶望など慣れっこだったから。
そう言われれば、確かにそうなのかもしれなかった。

二度も好きな女の子を殺した。
大事な少女が他の男の傍で幸せそうに笑っている姿に、身を焼かれる思いだった。
彼女の心が己に向いたら向いたで、過去の罪に苛まれてのたうちまわった。


855 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:15:37.28 rHzvExoD0 2027/2388



「でも、この子は違うんですよッ!! もうこの子は、一人では立てないんですよ!」


対してインデックスは、いつもいつも折れる一歩手前で踏みとどまってきた。

悪い魔術師に年中追いたてられても。
そんな地獄から掬い上げてくれたヒーローを殺してしまっても。
恋した少年を他の女に掻っ攫われても。
逃げ出した先で魔術師との苦い恋にもがいても。


「それでもずっとずっと、この子は堪えてきた!」


インデックスは堪えた。
苦痛を溜め込んだ。
堪えて溜めて堪えて溜めて堪えて溜めて堪えて溜めて堪えて溜めて。


「そしてとうとう、今日。生まれて初めてこの子は、芯の中心から、致命的なまでに
 “折れて”しまったんですよ。心臓の甲高い悲鳴を必死で無視してこらえ続けてきた
 からこそ、たった一度の決定的な絶望で」

「へし折れてしまった、か」


ステイルが十二年前挫折したときの絶望と、インデックスがたった今囚われているそれを
比較することに大した意味はない。
だが『自動書記』はその行為で己を慰めるほかに自己の心の安定を求められないのだと、
ステイルは“推し測った”。


856 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:16:40.61 rHzvExoD0 2028/2388



「どうですか。このどうしようもない現実を前に、まだ打つ手はある、などとのたまう
 つもりですか」


無力な己を誤魔化すために、眼前の対峙者を責めることに精力を注いでいる。
場違いにもステイルは、やはり彼女も人間なのだと実感した。


「わかっているのですよ。貴方の頼りとは上条当麻――――『幻想殺し』でしょう?」

「……ああ、そうだよ」


『自動書記』の指摘はまさに正鵠を貫いていた。
上条当麻は日本時間でそろそろ午前九時になるいま現在、第二三学区の空港へと取るものも
取らずに急行している真っ最中である。

インデックスの死に直面したステイルが真っ先に頼ったのは、彼のプライドをこの上なく
傷付けた“実績”をもつ幻想殺し(ヒーロー)だった。
ステイルの判断は、彼自身の自尊心に入った罅を無視しさえすれば、極めて正しい。


「あは、あはは! 貴方のような凡愚が考え付く程度のことを、私が想定しなかったと
 お思いなのですか?」


――――こんな状況でさえなければ。


「たとえ彼でもこの子は救えません。なぜならこれはローラ=スチュアートでも
 アレイスター=クロウリーでもなく、この子が“私たちに”突きつけた選択肢
 だからです」


857 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:17:45.76 rHzvExoD0 2029/2388



『幻想殺し』が『首輪』を破壊した瞬間に、彼女は『首輪』を自らの意志ではめ直すだろう。
それでは根本的な解決には程遠い。

本物のヒーローがご都合主義で颯爽と登場したところで、もはやどうにもならないのだと
女は嗤う。
これはインデックスの、心の内側の問題なのだから。
そしてその内側に踏み込むための切符を、上条当麻はすでに手離したのだから。
インデックスの幻想はとっくの昔に、ばらばらに砕け散ってしまったのだから。


「それとも天才錬金術師、アウレオルス=イザードと手を結びますか。ときに彼は、
 いま何をしているのです? この子と同じく絶望に打ちひしがれているのでしょうか」

「答える義理はないね」


着色されていない透明な声でステイルは短く応答する。


「もしくは科学の最高峰、一方通行に頭を下げますか。愛する女性とのハネムーンを、
 幸福を、満身で享受している最中の男にはたしてインデックスを救えるのですか?
 私には、甚だ疑問ですね」

「確かに検討はしたが……一方通行とは結局、連絡がつかなかったよ」


女の攻撃性はついに、矛先すら見失いつつある。
やり場のない鬱屈とした絶望は、時に世界への憎悪にすら変質し得ることをステイルは
知っていた。


858 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:19:05.38 rHzvExoD0 2030/2388



「成程。いかにも、無力でちっぽけでうすっぺらな貴方らしい、主体性に欠けた選択肢
 の数々です。そしてそれに相応しい答えが、出てしまいましたね」


――――貴方にインデックスは救えない。


心の奥底で愉悦に浸りながら、『自動書記』はそう告げた。
ステイルはもう一度、双眸を手のひらで覆い隠した。


「……もう一つ、決定的な事実をお教えしましょうか、『殺人者』」


魔術師の中で灯火が消えかかっているのだと察知して、断罪者は畳みかける。


「『首輪』は霊装魔術です。そのための儀式霊装はおそらく、もともとの術者が所有
 していたものが唯一です。この意味がお解りですか?」


『霊装魔術』。
読んで字のごとく、対応した霊装無しには発動することすらできない魔術。
つまり本来ならばアレイスター以外には――――そう、『禁書目録』でさえ再構築が
不可能なはずなのである。


「この子がどうやって、“霊装無しで霊装の必要な魔術を発動した”のか?」


微動だにしなかった神父の肩がわずかに、ほんのわずかにだが震えた。


「理解できたようですね」


859 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:20:26.76 rHzvExoD0 2031/2388



またしても、七月十五日に向かってステイルの意識は飛ぶ。



『解釈の歪曲を完了』

『Laguを足元に置いて起点に。南に四センチ刻みでEolh、Is、Yr、Nyd、Cen』



カードから生まれた巨大な地上絵は、本来あの術式に必要な霊装(ふね)の代用品として
用意したものだった。



『僕は何も心配していない。君が一緒だからね』

『いま、あなたと一つになってるって感じる。不思議なぐらい、落ち着いてるんだよ』



――――それと同じこと。
インデックスの細首にかけられたロープの正体は。



「僕たちが、あの日築いた理論、なのか?」



ステイルはこらえがたい嘔吐感に必死で耐えながら、辛うじて呟いた。
あの日ステイルとインデックスが共に、科学の街を救うために作り上げた力が、
廻り廻って彼女を殺そうとしている。
こんな馬鹿な因果があってたまるか。


860 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:21:34.49 rHzvExoD0 2032/2388



「だから貴方はなにも解っていないと言うのです。だから私は貴方を、『殺人犯』だと
 告発したのです。だから貴方は、むごたらしく裁かれるべきなのです」

              どうき
死を想像してしまった『絶望』も。

            きょうき
死を実現してしまう『術式』も。


「これらはすべて、貴方が彼女に贈ったものです」

「そん、な」


突きつけられる現実。






「貴方がこの子を殺すんですよ、ステイル=マグヌス」






裁判官の有罪判決を聞いて、ステイルの胸に去来した感情は、二つ。


「そんな……」


861 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:22:43.70 rHzvExoD0 2033/2388



一つはインデックスの心に深く刻まれ、正視しがたいほどに化膿しきった傷痕に、
気が付いてやれなかった己への怒り。


「そんな、そんな」


そしていま一つは。








「そんな、くだらないことだったんだな」








インデックスその人への、荒れ狂うような激怒だった。


862 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:23:57.53 rHzvExoD0 2034/2388



その刹那、女の形相は羅刹のごとく歪み、


「っ、口を、慎みなさい!! 貴方のせいで死を選んでしまったこの子に対して、
 なんたる言い草――――」

「だってそうだろうがッ!!!」


それに劣らぬ獅子の咆哮が、男の全身から放たれた。
静謐な空気がビリ、と音を立てて軋む。


「大事な人に先に死なれるのが嫌だから、それより先に死んでやるだと!? どんな
 高尚な原因で口を噤んで、どんな理由から生まれた絶望が出てくるのか、身構えて
 いたらこれだ! 神がもし劇作家だというのなら、失笑しきりの観客席に向かって
 土下座しなきゃあ収まらないだろうよ!」

「ステイル=マグヌスッ!! この子の本当の懊悩を察してやれなかった分際で、
 よくもそんな野放図な口を」

「だったら言ってくれれば良かったんだよッ!!」


いまならステイルは土御門と神裂の苛立ちが理解できた。
五か月前、この聖堂で彼らはステイルに、こんなどうしようもない男に言ってくれた。


『だから、そういうのをぶちまけりゃあ良かった、って言ってんだよオレらは』

『辛い、悲しい、苦しい…………感情は、理屈とは別のところで動きます。
 そういった心の澱を、あなたに溜めこませてしまった自分が、私は許せない』


863 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:25:21.88 rHzvExoD0 2035/2388



そう言ってくれたのだ。
そう諭して、怒ってくれたのだ。


「この子は貴方に“言った”と、そう言ったでしょう!」

「何がだ? たった一度、死にかけた護衛に向かって『死なないで』と囁いたことか?
 確かにあの一回で彼女が発していたシグナルに気が付けなかった僕は、どうしようも
 ない愚か者なんだろう…………しかしだ!」


言ってくれなければなにも伝わらない。
なぜならステイルとインデックスは別の人間だからだ。
どれほど心の奥底で深く結び付いていたところで、言葉に出さねば伝わらないものの方が
はるかに多いに決まっているではないか。


「だったら何度でも言ってくれればよかった! 『死んでほしくない、死なれるぐらい
 なら先に死んでやる』…………そんな馬鹿なことを考えているんだと知ったならば!
 神に誓ってもいい、僕は何度でも、いつ何時でもこう答えた!!」


気高い獣の啼き声が、女の足を一歩退かせる。
それを見て男は一歩、床板を踏み抜いて雄々しく前進し。


「僕は君のために命を懸けることは止められない。何度でも死と隣り合わせで闘う。
 ああ、それは変わらない、それだけはどうしようもない。それでも」


――――吼えた。


864 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:26:25.26 rHzvExoD0 2036/2388










「 僕 は 死 な な い ッ ッ ! ! ! ! 」










865 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:27:51.63 rHzvExoD0 2037/2388



「いまこの場で、君に対して誓ってもいい。僕は絶対に、幾度死にかけようとも、
 彼女を一人この世に残して死にはしない!」


女は気圧されて二歩目を後背に向かって踏み、しかしなおも反論を練った。


「……そんなこと、証明できるものですか! いみじくも貴方が先ほど言った通りです。
 人間はいつか死ぬ。デカルトの書を紐解くまでもない!」


人間はいつか死ぬ。
ステイルは人間である。
ゆえに、ステイルはいつか必ず死ぬ。


「ならば、人間など辞めるさ」

「な……っ!」

「たとえば、の話だよ、大袈裟にとるな。しかしそれ以外に証明手段がないのなら、
 僕は人間を超えることも辞さない――――本気だぞ、僕は」


言外に『証明手段』の存在を匂わせた魔術師の覇気によって、場は完全に支配されていた。
男はさらに一歩踏み出す。


866 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:29:05.40 rHzvExoD0 2038/2388



「さて。そろそろ“そこ”をどけ。彼女と話をさせろ」

「なにを、する気ですか……」

「一発ひっぱたく」


『自動書記』が口を大開きにして唖然とした。
無理もない、とステイル自身も苦笑した。
自分の口からこんな言葉が出る日がくるとは、想像だにしたことがなかった。


「そして、こう言ってやる」


神裂を、土御門を、美琴を、上条当麻を、『必要悪の教会』を、多くの友人たちを、
そしてステイルを置きざりにして、一人身勝手に死に逃げようとした馬鹿な女に。
万感を込めて、ステイルは叩きつけてやる。




「君の臆病のツケを、僕たちに押しつけるなッ!!」




沈黙。
瞠られていた『自動書記』の瞳が、ゆっくりと瞼の裏側に隠れていく。
十秒、二十秒と時計の秒針が進む間、聖堂に束の間の静寂が訪れる。
機械で計ったようにきっかり一分後、突如見開かれた眼に。


「…………わかりました」


867 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:30:02.17 rHzvExoD0 2039/2388





「敵性を確認」




凝血のような、毒々しい赤が刻まれていた。





869 : ミス; - 2011/12/16 22:32:52.38 rHzvExoD0 2040/2388



四方八方に鎮座する蝋燭の明かりが一斉に消えた。
しかし聖堂は煌々と、神々しいまでの灼光に照らされ続けている。
光源は祭壇の上に存在していた。


「この子を傷つけると、貴方はそう言いました。ならばもはや、容赦はしません」


凶風がステイルの赤毛をなびかせ、長身を吹き飛ばさんばかりに猛威を振るう。
風上は祭壇の上だった。

     ころ
「貴方を破壊します。貴方を破壊して、私はこの子を守る。それが、私の使命だから」


流麗な銀に空の青を足したような薄光が、女の全身を膜のように包んでいる。
瞳の中の陣と同じ色の赤翼が、女の四肢に絡みついて二度三度と羽ばたいた。


「面白い、やってみろ」

「その強腰、三度目にも関わらずまだ解っていないのですか。知らないのならば教授して
 さしあげましょう。これは世の摂理です」


そこにいたのは人智を超えた魔術師たちの、さらに遥か天上に君臨する、正真正銘の怪物
だった。



 あなた    わたし
「魔術師では、魔神に勝てません」




870 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:34:24.84 rHzvExoD0 2041/2388



                         「……ははっ」



                    しかしそれでも、ステイルは笑った。


              ヨハネのペン
        「いいさ、『自動書記』」                (いいさ、『        』)


    ぼ く   きみ
  「魔術師が魔神に勝てないって言うのなら」      (僕が君に不幸にされるって言うのなら)


                   ルール                          ぜつぼう
     「まずはその、ふざけた幻想を」           (まずはその、ふざけた幻想を)



         勝機など塵の一片も見出せぬはずの『魔女』に向かって、不敵に笑った。





                     「灰も残さず、焼き尽すッ!!」






871 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/16 22:36:10.03 rHzvExoD0 2042/2388






                      さあ、魔女狩りの時間だ。





                      Last Chapter Passage11 


                                ビブリオクラズム
             ――――と あ る 神 父 の 魔 女 狩 り――――



                            END




881 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:33:08.40 gSgBQqZ70 2043/2388



――Passage12――



万物の根源は、永遠に生きる火である。


                         ――――哲学者 ヘラクレイトス



882 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:34:01.54 gSgBQqZ70 2044/2388



地上で最も気に食わない翠玉に融けこんだ朱色を見据えて、ステイルは乾いた唇を舐めた。
『自動書記』の――――インデックスの肉体はわずかに宙に浮き、両腕は開いて軽く後ろ
に逸らされている。
ゴルゴタの丘の救世主よろしく、十字架に磔られたかのような神々しい姿。
微笑みながら見下ろしてくる、聖者が背負ったステンドグラスの聖母の存在はいったい
なんの皮肉なのだろう。

懐に忍ばせたルーンの貯蔵量を確かめながら、ステイルはそんな益体もない感慨にしばし
ふけっていた。


「本気で魔神(わたし)に勝てるなどと、そんな幻想を抱いているのですか」


言の葉一つとっても人一人を殺しかねない威圧感を纏って、魔神はそう唄う。
対する一介の魔術師にすぎない男は、不敵な笑みを引っ込めようとはしなかった。


「逆に聞くが。この僕が勝算無き闘いに身を投げ出すような愚者だと、本気でそう思って
 いるのか?」


獰猛な獅子と化したステイル=マグヌスは、牙を剥き出しにして哮る。



「図に乗るなよ、たかが魔神風情が」




883 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:35:37.77 gSgBQqZ70 2045/2388


                              
「僕はほんの二週間前、学園都市で桁外れの『力』に遭遇したばかりだからね。あんな
 論外の化物と交えた一戦の熾烈さに較べれば、いわんや君程度、といったところかな」

「……二人の『フィアンマ』の間で逃げ惑っていた男が、なにを偉そうに」

「ほう、否定はしないんだな。奴の『腕』の方が君より上だった、という僕の見積もり
 も捨てたものではないらしい」

「貴方が私に勝てない、という現実には些かも影響しません」


『右方のフィアンマ』が見せた『融合』の脅威は、『禁書目録』にもしかと記録されて
いるようだ、とステイルは思った。
青春のすべてを魔術の闇に、そしてたった一人の少女に捧げたステイルが身をもって体験
してきた中でも、長年最高峰に位置していた『自動書記』から頂点を奪い去ったのがあの
『振らない腕』だった。


「あの日の貴方はいかにも二流魔術師らしく、援護に徹することで限界だったでしょう。
 それがこの二週間で何か変わったとでも?」


ステイルは女に向かって肩を竦める。
『自動書記』は男の相貌の裏に焦燥も自棄も発見できなかったらしく、眉をひそめた。


「……まあ、貴方がなにをしようと誤差の範疇です。神に祈る時間は差し上げましょう」


女の頭上に異界の力が収束を始める。
曲がりなりにもインデックスの愛した男である。
『自動書記』はせめて一撃で、痛みも感じぬ間に黄泉へ送ってやろうと決意した。


884 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:38:53.71 gSgBQqZ70 2046/2388






「一千万」





その時男が、己を幾千回だろうと黄泉路へと送れる圧倒的な力を前に涼しげに呟いた。


「なんですか、それは」

「愚にもつかない凡人の、十年間の努力の結晶だよ、天才」


ステイル=マグヌスは凡才である。
ごく普通の、通り一遍の。
そんな枕詞のとてもよく似合う、平平凡凡な魔術師である。
魔術師の戦闘には事前準備が必須だ。
ゆえに準備は念入りに行わなければならない。



「僕がこの十年で、ロンドンに配置したルーンの枚数、さ」




885 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:41:10.26 gSgBQqZ70 2047/2388



「……虚仮、脅しです」

「さて、それはどうかな。知っているだろう、この街全体が僕の陣地だとね」


ステイル=マグヌスはイギリス清教最大主教の護衛である。
インデックスを命を懸けて守るのが義務である。
ゆえに。


「『この街で、彼女を守るために闘うとき』。ステイル=マグヌスは、その条件下では
 この世の誰にも負けてはならない。それだけの話さ」


そしてステイルはインデックスを愛している。
ずっとずっと彼女の傍で、その愛おしいあたたかさをいつまでも守って生きていきたい。
ゆえにステイル=マグヌスの『仮想敵』は、第三世界でも神の右席でも超能力者でも、
上条当麻でもなく――――


                   きみ
「僕の本命は、ずっとずっと『自動書記』だった」



いつかは彼女を越えなければならないと思っていた。
ロンドンを守護する 防衛システムに『守護神』と名付けたのも、彼女への密かな対抗心
が胸の内にあったからだ。
あの術式の命名は、インデックスを守護する防衛システムたる『魔神』に見劣りしない
実力を必ずや掴んで見せるのだという、たった一人の仮想敵に向けた所信表明だった。


886 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:42:26.73 gSgBQqZ70 2048/2388



「分かるかい? 僕はこの十年間、ひたすら君に勝つ方法だけを考えて生きてきた男だ」


決まりきったことだ。
ステイル=マグヌスではインデックスには勝てない。


一度目は横槍。


『行けッ、能力者ぁ!!』


二度目は時間稼ぎ。


『その間にあの忌々しい男が片を付ければ、それで僕たちの勝ちだ』


しかし三度目の今回、横槍を入れている間に突撃してくれる主人公など、時間を稼いでいる
間に黒幕を殴り飛ばしてくれる主人公など、どこを探してもいない。
せいぜいが主人公が必殺技を放つまでの場繋ぎ、程度のキャラクターでしかないステイル
にヒーローの真似事などできはしない。

決まりきったことだ。
決まりきったこと、だが――――


「知ったことか、そんな摂理など」


887 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:43:36.70 gSgBQqZ70 2049/2388



『魔女狩りの王』は十一年前、とっさに展開した一万枚程度のパワーソースで『竜王の殺息』
と拮抗した実績がある。
それが一千万。
単純計算で、千倍の出力をもって顕現する。


「君を相手に小細工が通用しないことは二度の対戦で学習した」


魔術戦闘の基本たる術式の背景伝承の読み合いやトリックの看破も、この魔神相手では
まるで意味を成さない。
さらに悪いことに、ステイルの『魔女狩りの王』は最適のカウンター術式を、初戦でとっく
に構築されているというオマケ付きだ。

しかしステイル=マグヌスは魔術師だ。
魔術とは本来力なき弱者のための知恵だ。
ピンチになったら眠っていた真の力が目覚めて形勢逆転、なんて奇跡はまかり間違っても
期待してはならない、凡人のための技術だ。
プロの魔術師たるもの、勝利のためのピースは常に確固たる根拠を伴って、自分の脳の中
から引っ張り出さねばならないものなのである。


「悪いが、ごり押すよ。対抗術式など練る暇も与えない。圧倒的な物量で一撃必殺、
 君の魔力を削り切る」


北欧神話の主神オーディンに土下座するべきなのかもしれない。
ルーンの使い手の風上にも置けぬ、無粋で不細工、失笑ものの運用方法である。

だがステイルは、インデックスを守るためなら手段を選ばない男だ。
だからこそ、この場にたった一人で立っているのだから。


888 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:44:30.91 gSgBQqZ70 2050/2388



「正気の沙汰とは思えません」


学園都市で十万枚規模のイノケンティウスを発動しただけでも、ステイルは魔力を半分
以上持っていかれた。
それが一千万。
単純計算で百倍の消費量をもってステイルの魔力を、ひいてはその源である生命力を削る。


「貴方はそうやってまた、自分の命を蔑ろにする気ですか。貴方がこうも無謀で、己が
 力量を弁えない考えなしだからインデックスが苦しんでいるのだと、まだ理解でき」

「死なない、と言っているだろう。ぴーちくぱーちく、しつこい女だな君も」

「なっ」

「絶対に死なないよ、僕は。そもそもこの闘いは、僕にとってはまたとない“証明”の
 チャンスでもあるんだからな」

「…………証明?」

「『死なない』証明に決まっているだろう? デカルトへの挑戦さ」


歴然たる殺意とともに襲いかかってくる一〇三〇〇〇の力の奔流を前にしてなおも二本の
脚で立っていられるのなら、これ以上の『死なず』の証明はない。
その姿をインデックスに見せつける。

ステイル=マグヌスはどんな無鉄砲を犯そうが死なない人間なのだ、と。


「貴方は、狂っています。そのような、子供だましにすらなっていない理屈……」


女の唸り声は、冷笑で明後日の方向に受け流した。


889 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:45:11.74 gSgBQqZ70 2051/2388



「…………私は貴方とは違う」


火照って温度の上昇しつつあった声が、ステイルの嘲笑に冷やされたのか平静を取り繕う。
同時に、目に見えるような殺気が赤々と膨れ上がる。


「貴方の向こう見ずには付き合いかねます。私は貴方を殺すことで、貴方が間違っている
 のだと証明する。記憶を消して、悲しみを忘れさせて、インデックスを救う」


どこ吹く風とばかりに、対峙者である黒衣の魔術師は腕を組んで深呼吸した。
もうしばらく、ステイルには時間が必要だった。


「……君は、どうして彼女が『首輪』を断頭台に選んだのか、よく考えたか?」


十一年の時を経て再び『魔神』の降臨する舞台と化した聖ジョージ大聖堂の、建材一つ
一つに至るまでが圧倒的な存在感に悲鳴を上げていた。
あちらこちらから走るみしりという軋みをすべて無視して、魔神は発話する。


「この期に及んで時間稼ぎとは感心しませんね。疾く、殺されなさい」

「これは重要なことだ。いいからご自慢の脳みそを回転させてみろ」


ステイルが提示した命題はこうだ。

“なぜ、インデックスは自殺の手段に『首輪』を選択したのか?”


890 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:46:19.49 gSgBQqZ70 2052/2388



「回りくどい、と思わないかい? 自殺する手立てなんて他にいくらでもある」


高所から飛び降りるなり、本当に首を括るなり、ナイフで胴を突き刺すなり。
人が自殺するのにいちいち大層な魔術を費やさなければ死ねないというのならば、今日日
先進国を悩ます自殺問題はぐっと緩和されるはずだ。


「それは……この子にとって最も手近な道具が、魔術だったからです」

「それにしたってわざわざ構築に手間のかかる霊装魔術を選ぶことはないだろう。
 しかも発動までは、二時間近い猶予があるんだぞ」

「何を言いたいのですか」

「本当は君もとっくにご存じなんだろう。優秀な頭脳をお持ちでいらっしゃるんだからな」


『首輪』の構築から発動までの二時間は、インデックスが黄泉路を踏み越えてしまうまで
のタイムリミットなどではない。


「この長いようで短い空白は、彼女が僕たちに与えた猶予時間なんだよ」


ステイルは外套の内ポケットからルーンを抜いて構えるついでに、もう片方の手で懐中時計
を開いて女に見せつけた。
『自動書記』が断言した発動時刻まで、残り一時間と十五分。


「彼女は」


“もう一時間しかない”のではない。


891 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:47:23.47 gSgBQqZ70 2053/2388



「僕たちに、助けてもらいたがっている。救いを求めている」


インデックスが二人に与えたロスタイムは、“あと一時間もある”のだ。


「……貴方の独りよがりな解釈で、この子の真意を、苦痛を歪曲するな」


怒りを押し殺しながら唸る女は、果たして己が振り回す槍の切先が、何処を向いているのか
しかと把握しているのだろうか。
ステイルはここ数週間縁を断っている紫煙を吐くかのごとく、細く溜め息をついた。


「仮にこの子が救いを欲しがっているのだとしても、それは私が為そうとしている『失敗』
 ――――記憶の消去に違いありません! 忘れてしまえば辛い思いもせずに済む。貴方の
 ようなくだらない男のことなど忘れて優しく、穏やかで、平凡な日常に戻れる!」


確かに可能性は否定できない。
その行動原理は、この長い夜の序幕を務めたステイルと錬金術師の対話の中で、
アウレオルスが語った十一年前の『三沢塾』での真実を模倣したものである。
インデックスは自らが原因となって破滅した男と同じ末路を辿ることで、贖罪をも
こなした気にでもなっているのかもしれない。

可能性は、否定できない。
それは確かだ。


「だがそれだって、君の独りよがりな空想でないという証拠がどこかにあるのか?」


892 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:49:39.87 gSgBQqZ70 2054/2388



「――――私は、貴方とは違うッ!!」


一分前と判で押したように同じ言葉が、まったく違う表情から吐き出された。

手応えあり。
ステイルは内心でにんまりと笑った。


「私は何年も何年もこの子の隣で、中で、この子の懊悩と向き合ってきた! 
 私がインデックスの真意を読み違えるなど」

「だが、君は失敗しただろう」

「……っ、ぅ」

「何年彼女のよき隣人であったかは知らないが、とどのつまり君は彼女が選択した『死』
 を翻意させられなかったんだろう。そんな女の言うことをどうして信用できるというんだ」


女は口を噤む。
赤い翼が、魔力の滞留以外の原因で細かく震え出した。


「これで僕の仮説を、頭ごなしに否定することはできなくなったな……そして君は、
 それでも彼女に身体を返して、僕と対話させる気はないと見なして構わないな?」


論戦に勝利した男は、紅潮した女の頬を微笑ましげに見つめながら勝利報酬の受け取り
を拒否した。
敗者は赤と緑の混じった瞳にさらに一色、疑念の色を差してこう投げかける。


「………………本当に、貴方は何が言いたいのです?」


893 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:50:41.61 gSgBQqZ70 2055/2388



人並みの感情に覚醒した『自動書記』のメンタルを揺さぶるため――――かと思いきや、
男の表情はどこか女を諭すようでもあった。

それは純粋な疑問だった。
憎悪と嫉妬だけを神父に激突させてきた『自動書記』が、はじめてステイル=マグヌスという
一個の人間に抱いた興味だった、と換言してもいい。


「……哀しいな、と思ってね」


宣戦を告げたその口で、ステイルは短くひとりごちた。


「僕と君と。守りたいものは、同じなのに」


闘いは、避けられない。

『自動書記』は、ステイルから目線を逸らしたまま応じる。


「……それは、仕方がないのでしょう。私と貴方では」


欲しいものが、違うのだから。

『自動書記』はインデックスの命さえ守れればそれでよかった。
ステイルはインデックスの命を失う可能性を天秤にかけてでも、彼女の全てが欲しかった。
単純にして、決定的な差異だったが――――


894 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:51:45.78 gSgBQqZ70 2056/2388



「それだけじゃあないと、僕はそう思う。そもそも僕がこんな与太話を始めたのは、君と
 僕が殺し合う理由が、君の中で無駄に肥え太っていると感じたからさ」

「!」


インデックスは死を願った一方、心のどこかで生を渇望している。
ステイルは確信していたが、その主張は自分の中で揺るぎないものであれば良いので
あって、『自動書記』に押しつけることに本来さしたる意味はない。

ただ、ステイルは眼前の女に伝えたかっただけだった。



「僕たちが闘う理由は、世界にとって重要でも崇高でも高尚でもない、とても…………
 とてもくだらない理由なんだよ」



ステイルの闘う理由は単純だ。
“インデックスを救いたい”。

そしてもう一つ。


「僕が世界で一番気に食わない男は『上条当麻』で、二番目も上条当麻なんだが。女となると、
 君とローラ=スチュアートで甲乙つけ難い……という程度には僕は君が嫌いだ」


ステイルは軽薄な口調でもう一つの理由を告げた。
十八番の嫌味ったらしい薄ら笑いを浮かべて、なるたけ腹立たしく見えるように。


895 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:52:38.24 gSgBQqZ70 2057/2388



「さあ、君はどうなんだ?」


『自動書記』の闘う理由は明白だ。
“インデックスを救いたい”。


「…………私は、私の……」


そして、もう一つ。



「……私の心はこんなにこの子の近くにあるのに、身体には指一本触れてあげられない」



ステイルは一層笑みを深めて、女の後に続く。



「僕の体はこんなに彼女の近くにあるのに、どう抱き締めてもその心まで届かない」



これから殺し合う二人の呼吸が共鳴する。
第三者が観戦していたなら驚愕に色をなしたであろう。
二人は同時に、息を吸い、吐いて、唇の形を整えて――――


896 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:53:27.61 gSgBQqZ70 2058/2388






           「貴方が、妬ましかった」         「君が、憎かったよ」





要するに、二人が闘う理由はそれだけのことだった。
だからきっと、この激突は必然だった。


「……感謝は、しません。貴方が一撃で勝利を奪うと言うのならば、私は一撃で、
 貴方の命を刈り取ります」


『自動書記』の勝利条件は、ステイルを殺すこと。


「感謝とか止めてくれ、首を吊りたくなる。何度でも、世界に向けて宣言したって
 いいが…………僕は死なない」


対してステイルの勝利条件は、死なないこと。
なんとも漠然とした勝ち負けの基準だが、ステイルにはそれで十分だった。


897 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/18 20:55:28.81 gSgBQqZ70 2059/2388




「宣戦、第一章第一節。敵対者ステイル=マグヌスの全術式パターンを予測、開始」



“そこ”に、確かに守るものがあるのだから。



「世界を構築する三大元素の一つ、偉大なる始まりの炎よ」



対峙する二つの赤い魔力が、聖ジョージの名を冠する聖域を真紅に染める。
聖堂を震わせていた微振は、いまやロンドン全域を飲み込んでいるのではないだろうか。
ステイルはズボンのポケットに仕舞いこんだ最後の『証拠』を、人指し指の腹で軽く撫ぜた。

七月二十八日まで残すところあと十分。
誰も教えてくれなかった夢をその手に掴むため。
大人になったかつての少年の。



(必ず、君に届けるよ)



――――最後の挑戦が、始まった。


904 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 22:46:13.30 U2VRQ+/e0 2060/2388



「宣戦、第一章第一節。敵対者ステイル=マグヌスの全術式を予測開始」


霧の都を覆うルーンの砦の後押しを受け、爆発的な出力を得る『魔女狩りの王』。
その発動に対して、特定魔術(ローカルウェポン)による迎撃を間に合わせることが
できるか。
あるいは、撃たせる前に殺すことができるか。
死闘の争点はそこにあると、『自動書記』は早々と見当を付けた。


「――――――――――――――――――大なる始まりの炎よ」


聖堂のみならずロンドン全体に波及しつつある大地の震え。
雑音に混じってかすかに聴こえた詠唱は、敵手も同様の焦点に戦闘の帰結を委ねた
なによりの証拠だった。
ステイル=マグヌスは、初手から渾身の切り札を抜く気だ。


(一千万枚のルーン。真実ならば、流石に分が悪いと判断せざるを得ませんね。
 …………まあ、それも)


――――完全無欠の詠唱が伴えば、の話だが。


「シミュレート完了。逆算開始、残り二秒」


意識を魔道書の海へと投げ出す。
『禁書目録』内を検索、該当原典発見、記述抽出、形式変換、術式統合、最適魔術生成。
この間一秒。


「第二三章第三四節。攻撃術式、発動準備完了。命名――」


905 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 22:47:02.53 U2VRQ+/e0 2061/2388



                       アフェス アイ ティース
                      父よ、彼らの罪を許したまえ




906 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 22:47:55.68 U2VRQ+/e0 2062/2388



閃光。
光の洪水。

『自動書記』の全身から走った稲光が大質量を帯びたかのように、延びた先で次々と
大聖堂を破壊して跳ねる。
瓦礫がそこかしこから降りそそいだ。
光の氾濫はやがて、黒衣の魔術師を前後左右から取り囲むように円陣を形成。
そして、『対象』を抹殺するべく刹那で収束した。

しかし、空振り。

石くれを投じた水面のごとく、ゆらゆらと歪む長身。
蜃気楼。
ステイル=マグヌスが戦局をリセットする際に使用する常套手段である。


「無駄です。追加術式発動」



                    ラー ウィ ダシン ティ ポイーシン
                彼らは己が為すところを自覚していないのだから




白い煌めきが一点に集中して生じた光球に、『自動書記』が掌をかざし、握る。
力が弾け飛び――――――三六〇度、拡散した。


「が、ッ!?」


907 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 22:49:48.41 U2VRQ+/e0 2063/2388



ステイルの“居た”座標の周囲に大量に並んでいた長椅子が、ことごとく木端と化す。
聖堂の中心でホワイトホールでも発生したように、すべてが外周に向かって吹っ飛ぶ。
大量の木片が飛散した方向からくぐもった呻きが聴こえてきた。
そして激突音、やや遅れて土煙が上がる。

『自動書記』は過去にステイルと交えた二戦において、逐一彼の魔術を視認してから
対抗策を練っていた。
だがあれは『術式』としての自意識しか有していなかった『自動書記』だ。
インデックスを守るという、確たる自我に目覚めた自分とは違う。
ステイルが何をするのかなど“後出し”せずとも読み切れる。


(直撃は避けましたか、抜け目のない)


初撃を蜃気楼で逸らし、第二波が来ても障害物との延長線上に陣取ることで直撃を免れる。
亜音速で飛来した木屑に相当なダメージを負っただろうが、光の直射を浴びていれば
その程度では決して済まなかったはずだ。

空間を束の間、ほとばしる力場が発する異音が支配した。
詠唱を中断させることには成功したらしい。
とは言え油断はできなかった。
ステイルは、悲鳴を上げなかったからだ。

術式を発動する際、最重要となるポイントを世の魔術師に尋ねたとする。
十中八九『コマンド』と回答が返ってくるであろう。
無論術式を動かす燃料である魔力とて大きな役割を果たすことには違いないのだが、
駆動系統に不備があっては車は走らない。
その点燃料はかつて一大ムーブメントを巻き起こしたエコカーよろしく、代替となる
エネルギーをよそから調達可能だ。


908 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 22:51:01.70 U2VRQ+/e0 2064/2388



ステイル=マグヌスの“切り札”のコマンドは魔法陣の配置プラス詠唱、という
オーソドックスな二つのプロセスから成り立っている。
ルーンの配置は事前にほぼ完了されている以上、『自動書記』が妨害すべきは詠唱だ。


(異音をコマンドの間に割り込ませる試みは、失敗したようです)


扱いに細心の注意を要する魔力注入とは異なり、コマンドはただただ正確に再現さえ
されればそれで意味をなす。
逆に言えば、「ABCDEFG」という詠唱の内側のどこかで、「Z」という異分子を術者本人
に挟み込ませればたったそれだけで妨害は可能なのだ。
平たく言えば『豚のような悲鳴を上げろ』と、そういうことである。



「それは、生命を育む、恵みの光にして」



しかしステイルは土埃の晴れたその先で仁王立ちし、詠唱を再開した。
男のしぶとさを目の当たりにし、苛立ちに奥歯を擦り合わせる。
あわよくば初撃で勝負を決め、悪くとも詠唱を失敗に終わらせ、最悪でも中断に追い込む。
三段構えの仮想のもとに放たれた術式は、しかし最低限の目標しか果たせていない。

強敵との邂逅に際する爽快感など、『自動書記』には存在しない感情であった。


909 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 22:51:57.13 U2VRQ+/e0 2065/2388


----------------------------------------------------------------


「始まったな」


造り物の日輪に眩しげに目を細めてから、スクリーンの向こう側で繰り広げられる死闘を
指してアレイスターは言った。


「インデックス、ステイル……」


ローラはインデックスの動機(ぜつぼう)を知って、左胸を一度だけ強く握りしめた。
さりとて苦痛は面に出さず、二人の闘いを一秒たりとも見逃すまいと目を凝らす。

ステイルの勝機は薄い――――というのは、相当に婉曲した表現だ。
率直に言ってしまえば、ステイルごときがローラとアレイスターの叡智の結晶たる
『禁書目録』、あるいは『魔女白書』に勝てる道理などありはしない。


「ただ眺めるだけ、というのも慣れたものだが……どうだ。ここらで一つ、『自動書記』
 とステイル=マグヌス、どちらが勝者となるか賭けないか」

「一人でやって御破算なさい」

「これは手厳しい」


しかしローラは知っている。
陣地の内か外かなど本当は些細な問題だ。
ステイルの底力を左右するのは、いつだってインデックスの存在ただ一つである。
『インデックスを守る』、その条件下で闘うステイル=マグヌスは、卑に屈することも
卑に劣ることも辞さない。


910 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 22:52:36.42 U2VRQ+/e0 2066/2388



「残念ながら、貴様の思い通りにはならないでしょうね。ステイルは確実な勝算のもとで
 闘っているはずよ」


その声がごく僅かに誇らしげな色を帯びていたことに、ローラは自認しない。
アレイスターは娘の表情を一瞥して、白々しく嘆息した。


「では君は、ステイル=マグヌスの大金星に賭けると。これは困ったな」

「チップ一枚たりとも賭けた覚えはないと言っているでしょう。景品にインデックスの
 眼前でドゲザとやらをするのなら考えなくもないけれど……ああ、支払いができない
 という意味かしら、一文無しの電来坊さん?」


思い切り鼻を鳴らして哂う魔女。
対する怪物は真面目くさって首を横に振ると、顎に手をやる。



「それでは、賭けが成立しない」



ローラの思考が一瞬停止する。
幾百の企てを生んだ頭脳が、次の六徳を刻む前にアレイスターの発言を吟味し終えた。


「…………貴様、それはつまり」


911 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 22:53:02.60 U2VRQ+/e0 2067/2388




「私も、ステイル=マグヌスの勝利に張りたいのだが」




912 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 22:54:19.69 U2VRQ+/e0 2068/2388


----------------------------------------------------------------


間接的な詠唱妨害は失敗に終わった。
状況はやや困難の度合いを深めるが、ならば直接的に詠唱に割り込ませてもらう。
そう決断した『自動書記』は唇を上下に開き、


「――――――!」


すぐさま口を噤んだ。
バケツを引っ繰り返したような灼熱の豪雨が落ちてくる。
高大な聖堂の天井壁画に届かんばかりの赤い壁が迫る。
微振動などではなく、地面がぐらりと揺れた。
床板が“下から”弾ける。
噴出するは摂氏二〇〇〇度を超える高温で融点を超えた母なる大地。


(まさか地中にまで予めルーンを……予測修正開始)


世界で最も簡素な魔術儀式とは“触る”ことだ。
触るだけで発動するルーンを、ステイルはロンドンの隅から隅まで至るところに
――――当然この聖ジョージ大聖堂にも配置している、ということらしい。

『自動書記』が手立てを講じるまでもなく損傷はゼロ。
それもそのはず、彼女には『歩く教会』という最強の鎧があるのだから。
ステイルの通常魔術程度で破れる代物なら、十二年前の追いかけっこは成立していない。
その時ふと、『自動書記』は思い及んだ。



“『歩く教会』を脱いでしまえば、ステイルは攻撃を中止するのではないか?”




913 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 22:55:06.01 U2VRQ+/e0 2069/2388



ステイルの目的はインデックスを殺すことではない。
自分を倒すことだ。
ならばこの肉体を包む鎧を脱ぎ捨てて無防備な姿を晒すことこそが、神父に対する最善手
なのでは――――


(っ、却下です、そんなもの)


滾る溶岩から立ちのぼる蒸気にも涼しい顔を崩さず、しかし『自動書記』は激しくかぶり
を振った。
ステイルがよりにもよってインデックスを殺すような真似をするわけがない。
そんな先入観に凝り固まるということは、目の前の愚かな男に彼女を委ねるも同然である。
ことインデックスに関しては、『自動書記』がステイル=マグヌスという男に信頼を寄せ
てしまっている証左にすらなりかねない。


「――――――裁き――光――――」


見ろ、こんな無意味な思索に惑っているうちにも、敵は着々と詠唱を進めている。
意識を切り替えなければ。

『自動書記』にとって目下最大の懸念は、たぎる融解土が大気を著しく熱して、視界を
満足に確保できないことである。
これでは敵の動きを封じるための、とある最適手が打てない。


「第二三章第四三節。結界術式構築、即時発動。命名――」


であれば、パターンを変更するまで。


914 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 22:55:52.40 U2VRQ+/e0 2070/2388



                       エシ エン トゥ パラディソ
                       汝は今日、私と共に楽園に




915 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 22:57:06.85 U2VRQ+/e0 2071/2388


-----------------------------------------------------------------


「『守るために傷付ける覚悟』というのは、そこまで愚かしいものなのだろうか?」


唐突な議題の提示は、正位置で宙を漂う男の口から重々しくなされた。


「私はこの三年間、『インデックス』より寧ろステイル=マグヌスにこそ注視していた。
 そして発見したのだが…………彼は大多数の者に対して高圧的な態度を取るわりには、
 相当に自己評価が低い。この傾向は上条当麻や一方通行ら『成功した者』が相手だと、
 特に顕著だ」


ローラは返答をしない代わりに、否定もしなかった。

確かにステイルは己を、所詮は一度『失敗』した愚者だと卑下している節がある。
インデックスと長年相思相愛でありながらここまで話がこじれたのも、その性質と無関係
ではないかもしれない。
毎年のように襲い来る記憶消去の苦痛を少しでも和らげたくて、立ち位置を『パートナー』
から『追跡者』へと変えた。
そうやってインデックスの心に深い孤独を刻み込んだ男が、いまさらどの面下げて。

ステイルはこの六年間、延々と己を苛んでいた。


「そう、一度敵に回ってしまったという負い目は彼の中で決して低い比重の瑕疵ではない。
 しかし、考えてもみろ。彼女には――――『無限の愛』があったのだ」


ローラはアレイスターの鋭い指摘に、瞳孔を猛禽類のごとく細めた。
インデックスの尊い慈愛に直接触れてしまった者が、彼女の敵に回るなどあり得ない。
それはローラ自身、その魂で体験していることだった。


916 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 22:58:18.98 U2VRQ+/e0 2072/2388



「ステイル=マグヌスの、『守るために傷付ける覚悟』。衆愚はそれを偽善だとか逃避
 だとか蔑視するのかもしれないが、私にとっては垂涎の珠玉だった。既成のシステム
 を、絶望から生まれたエネルギーで打ち破った素晴らしき青年」

「“打ち破った”、ね」


『失敗者』に対してはあまりに皮肉な物言いだ。
ステイルが聞けば、それこそ天に唾するだろう。


「彼自身は自分を失敗者と蔑み、上条当麻やアウレオルス=イザードよりも下に置いて
 見ているようだが、とんでもない。ステイル=マグヌスこそ、私からすれば余程稀有な
 存在ではないか。『魔女白書』の無限の愛をしかと理解しておきながら、なおも彼女の
 ためを想って敵対の道を選ぶなど、上条当麻にすらなし得なかった偉業ではないか。
 全ての『プラン』が潰え、『幻想殺し』に打ち砕かれたあの七月二十八日。『幻想殺し』
 の隣に佇んでいた『魔女白書』の姿を、魂を目の当たりにして――――私はようやく、
 その異常性を悟った」


長々とした演説をうんざりとした思いで聞き流そうとして、しかしローラは失敗した。
看過するには重要すぎる因子が数多、いまの長ったらしい口上には散りばめられていた。

情報の総合にそう時間はかからなかった。
ローラはいよいよクライマックスを迎えようとしている銀幕を振り返る。


917 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 22:59:33.66 U2VRQ+/e0 2073/2388




「いけない、ステイル」



だが映画のキャストに観客の声は届かない。
いやあるいは、ローラこそがフィルムの中の住人なのか。



「ややもすると彼こそが――――『ホルス』を完結させるための、最後のピースに
 なるかもしれない」



もう一人の観客は、手に汗握る“未知の結末”に心を躍らせて笑った。




918 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 23:00:30.91 U2VRQ+/e0 2074/2388


-------------------------------------------------------------------


直径五メートルほどの光のヴェールが愛しい女性の全身を、『歩く教会』のさらに上
から包みこんでいた。
ステイルの炎はすべて、月光のごとく儚いカーテンに触れて消散していた。


「………………っ、ぅ」


戦闘開始から実質、まだ一分程度しか経過していない。
ステイルは額の汗をぬぐう暇も惜しく、設置型魔術の発動によって稼げる時間と詠唱を
続行するための間隙とを天秤にかけて、必死に計算を巡らせていた。

『魔女狩りの王』発動まで、最速で残り二十秒。
それ以上は『自動書記』の苛烈な妨害により望みようがなかった。


「それは……穏やかな、幸福を満たす…………と、同時……」


『自動書記』の戦闘スタイルは、究極のカウンターパンチャー“だった”。
対峙した敵の放つ魔術を確認し、その構造や元となった伝承を看破して対抗策を練るのは
頭脳労働たる魔術戦の基本にして醍醐味、とでも呼ぶべきものである。

そして『禁書目録』は、覆い隠された仕掛けを看破する天才だ。
唯一その対魔術能力に無理矢理ケチをつけるとすれば、『後出し』しかできないことだろうか。
相手の出した手を瞬時に見極め、間髪入れずに『図書館』から最適なカウンターを選択する。
さらに恐ろしいことには、最善手がなければ己が手で新たな魔術を創ってしまう。

しかしどこまでいこうと後出しは後出し。
所詮は予め定められたプログラムに従う術式にすぎない『自動書記』に、科学でいう
ところの人工知能のような『先読み』はできない――――はずだった。


919 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 23:01:28.99 U2VRQ+/e0 2075/2388



だがステイルはすでに知っている。
彼女が、『自動書記』がリリスという名のれっきとした人間であると。


轟!!


背を付いた壁に後ろ手で触れ、ステルス化していたルーンから無詠唱で炎剣を産む。
そして、吶喊。
光の膜が現れた途端に冷え固まったマグマの直上を駆け抜ける。


「――――――――――ァッ!」


声にならない声――正確には、声に出してはいけない喚声――を上げて、ステイルは
『自動書記』に向かって赤熱する大蛇を振りかぶった。
今まで頑なに中距離を保ってきたというのに、相手が防御を固めるのをわざわざ待って
から突然のクロスレンジ移行。
『自動書記』が単なる術式にすぎないのなら、こんな予想外の事態には対処不可能


「愚か者」


女は無表情にステイルを見下ろしていた。
と同時に、女の辺縁で渦巻く『楽園』が激しく輝く。
あっけなく弾かれた炎の巨柱が天蓋を抉る。
衝撃に体勢を崩した。
宙を仰いだステイルの視界に、一秒前まで天井だった大量の落下物。


920 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 23:02:23.91 U2VRQ+/e0 2076/2388



「っ!!」


一切躊躇わずに手持ちのルーンを小爆破、反動で後方に跳ねる。
胸部に多少の火傷は負ったが、『腹に背は代えられない』とはまさにこのことだろう。


(…………読んでいたのか、この状況を?)


『自動書記』の完璧かつ精密な魔術殺し(アンチマジックプログラム)に加えて、
リリスの柔軟な思考能力、そしてインデックスを守るという確固たる意思の力。
過去の二戦も絶望的な戦況ではあったが、今回は輪を二つ三つかけて最悪の二乗だった。


(はは)


乾いた笑いを声にはならぬよう漏らす。
相変わらず『自動書記』は窮地にある敵手を、しつこい羽虫を見る目で見下していた。

その時、はらりと一枚のカードが後退するステイルの懐から落ちた。

女のとり澄ました瞳が軽く見開かれる。
次の瞬間がらがらと降りそそぐ瓦礫の山。
ステイルが去り際に残していった置き土産は、正確な内容を『自動書記』の網膜に、
そして脳裏に焼き付けることなく石くれの底に埋もれてしまった。


(流石だな。陣地を広げることで僕にが被るデメリットを、この上なく正確に把握
 していたらしい)


921 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 23:03:30.69 U2VRQ+/e0 2077/2388



そもそもステイルが空間限定の『強者』にしかなれないのは、ルーンから供給される魔力
の収束は、陣地が狭ければ狭いほど容易いものになるがゆえである。
一都市を覆うほどの砦に『魔女狩りの王』を出現させようとすれば必然、収束基点が必要
になり――――それこそがつい先刻の突撃の、真に意味するところだ。
これでイノケンティウスは自分と『自動書記』を結ぶ直線状、さらに言えば彼女の目前で
空前絶後の力を振るうべく示現する。
切り札を抜くための下準備はすべて整った。
人差し指を立て、『自動書記』に向けて軽く振る。

ステイルは諦めて笑ったのではなかった。

人格と自我を確立し、より完全な魔術師殺しへと進化した『禁書目録』。
だがステイルの勝機はまさしく“そこ”にこそあった。
男の表情を染めるのは、勝利を確信した者の笑みだった。


「……私も、小細工に堕するのは止めましょう。真正面から破壊してさしあげます」


『自動書記』の眼差しが、宿る冷酷な殺意を一段と強める。
女の表情を染めるのは、敗北してはならない者の悲壮だった。


「第一九章第二六節。連携強化魔術生成、構築、変換、発動。命名――」


連携強化魔術。
聞き慣れない単語に、しかしステイルは直感で判断を下す。

――――ここが勝負の分かれ目だ。


922 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 23:04:50.73 U2VRQ+/e0 2078/2388



                     キナイ イデ オ イジョス ソイ
                    女性よ、そこにあなたの子がいます




923 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 23:05:48.06 U2VRQ+/e0 2079/2388



女のエメラルドに刻まれた紋様に連動して、巨大な魔陣が展開された。
同時に比喩でもなんでもなく、空間に名刀の斬り口のような裂け目が入る。
裂け目の向こう側を覗きこんでしまった者は、おそらく永遠に“こちら”には帰って
これないのだろう、とステイルは理由もない寒気に襲われた。


「展開、完了」


それは紛れもなく、過去二度の対戦で彼女が披露した『聖ジョージの領域』だった。
加えて強化魔術の名に違わず、出力が十一年前とは段違いに上がっている。
ここから繰り出される魔術こそが、『自動書記』の切り札だ。


(上等だ、ここで決着をつけてやる)


こちらの仕込みも完成した。
この上は計算もクソもない。
役立たずの肺に絞られた途切れ途切れの呼吸で、いかに速く詠唱を完了させるか。


「続けて第二七章第二四節。最終術式、構成精査開始。完全発動まで」

(『魔女狩りの王』発動まで……!)


ただ、それだけの勝負だ。


924 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/19 23:06:24.80 U2VRQ+/e0 2080/2388




「――――残り十秒」

(――――残り六秒!)




929 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:29:38.15 y/CthCAG0 2081/2388



残り、十秒。


『竜王の殺息』に上乗せされる、『自動書記』のジョーカーが放たれるまでの時間。
それがまともに発動すればステイルの肉体は消し飛ぶ。
分子レベルまで分解され、文字通り塵一つ残らないだろう。

ステイルは後で知ったことだが、十一年前の『竜王の殺息』は神裂に逸らされた際、
軌道上の人工衛星を撃ち抜いていたという話だ。
つくづく馬鹿げた射程と破壊力である。
しかも今回はあの時と比較して、目算でも『聖ジョージの領域』が十倍近い規模に
達している。
威力の伸びが算術級数ではなく幾何級数だったら、などと考えたくもない。



だが同時に、残り六秒。


「冷たき闇を滅する」


ステイルの勝利を決定づける、『魔女狩りの王』顕現までの時間。
『自動書記』より四秒、先んじている。
そして四秒もあれば、十分すぎるほどに十分だった。


930 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:30:09.61 y/CthCAG0 2082/2388



残り、九秒。


地なりが収まらない。
数万の軍勢が行軍するような、大地の悲鳴が鳴り止まない。
どころか、ますますもって勢力を強めていく。
九秒後。
都市一つ、国一つを揺るがすほどのエネルギーがことごとく一人の男に叩きつけられる
未来を、恐怖に震える大多数の民草はいまだ知らない。



残り、五秒。


「凍える不幸なり」


ステイルの視線は、真正面の魔神に固定されていた。
大事だった少女。
裏切ってしまった女の子。
愛している人。
もうすぐだ。
もうすぐ、そこに行く。


931 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:31:04.15 y/CthCAG0 2083/2388



残り、八秒。


男女の中心点から遠くない座標で音が鳴った。
パチリ。
パチ、パチ。
バチッ!

一点に収束しつつある、異なる二つの力場のせめぎ合いの帰趨。
しかし殺し合う二人は気にも留めない。
喧しい耳鳴りではある。
が、科学の街の雷神様の怒りに較べればこの程度のねずみ花火、なにほどのこともない。



残り、四秒。


「その名は炎」


上条美琴にも夫を通じて話は伝わっているのだろう。
下手をすると、あの騒がしい二ヶ月間で新たに友誼を結んだその他大勢にまで事の経緯は
波及しているかもしれない。

そう言えばロンドンの同僚は、今ごろどんな心持ちでいるだろう。
特に神裂にはまたも歯痒い思いをさせてしまったに違いない。
一番に、彼女と共に頭を下げなければ。
だから、だから――――勝たなくてはならない。


932 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:32:50.75 y/CthCAG0 2084/2388



七秒。


七月も終わりだというのに、異様な冷気が崩落した天蓋から吹きつける。
先刻はステンドグラス越しに存在を主張していた月輪が、またも濃霧に隠れていた。
後光を失ったガラス造りの聖母が泣いていることに、殺し合う二人は気が付かない。



三秒。


「その役はつる、ぎ」


噛んだ。
新人アナウンサーでもあるまいし。
しっかりしないか、ステイル=マグヌス。

喉の中ほどの位置に異物感。
無視して歩を先に進める。
さらに先に。
コンマ一秒でも、先に!


933 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:33:46.60 y/CthCAG0 2085/2388



六秒。


天空から物理法則に従って降る、重苦しく凍える冷気。
地表を焦がし、融かし、大気を天高く跳ねあげる熱気。
衝突する二つの視線の谷間に、ぶつかりあって流れ込む。

爆風。
二人の衣服がたなびいて長髪が流れる。
だが面貌だけは微動だにしない。
最高潮を超えた対峙者たちの眼には、冷気も熱気も最早ない。

目の前の相手に勝てるか。
間に挟まれた女性を守れるか。
二人が見据えているのは、ただそれだけだった。



二。


「けん、っ、――――!!」


まずい。
こんな時に、相も変わらずポンコツ丸出しの肉体が牙を剥いた。
咳き込む。
手で押さえる。
しかし止まらない。
まずい、まずい、まずい――――!


934 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:34:36.80 y/CthCAG0 2086/2388



五。


ついに戦局に異変が発生した。
男が、ぎらつくような眼差しだけをそのままに勝利から遠ざかる。
女は何らアクションを起こさない。
無様に諸手など伸ばさずとも、自ずから勝利は我が手にやってくる、とばかりに。



二。


「~~~~~~~っ、っ!!」


手のひらに鮮やかな赤。
木片のシャワーを浴びた時に内臓を痛めたことは分かっていた。
急げ、馬鹿野郎。
クソッたれの喉が破れようとも構わないのだ。
声帯を震わせて、声を張り上げろ。
ここで追いつかれたら、亀に抜かれた兎どころの話ではない。


935 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:35:31.78 y/CthCAG0 2087/2388



四。


次元の裂け目から、どこか別世界の音が漏れ出す。
此処とは異なる場所の光が溢れ出す。



二。


「――――顕現、せよォッ!!!」


ステイルの時計が再び針を刻みはじめる。
その内部で、致命的な歯車(いのち)のズレを代償にしながら。

心臓が、ドクンと一声啼いた。


936 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:36:05.23 y/CthCAG0 2088/2388



三。


――――人の身では辿りつけぬ領域の、『力』が姿を現す。



一。


「我が身を喰らいて力と為せッ!!」


――――人の身で辿りつける世界の、『限界』が産声を上げる。


937 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:37:00.33 y/CthCAG0 2089/2388



零。


先ほどカードを配置した瓦礫の底の底を基点に、莫大な熱量が渦巻く。
炎が形を成す。
人の形を、魔人の形を成して、黒衣の神父に勝利を捧ぐ。


  イノケン
「『魔女狩りの――――」



勝った。
間に合った。
『自動書記』のカウントは、まだ秒針二つ分残って――――


938 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:37:45.27 y/CthCAG0 2090/2388












                              零。



                       エリ エリ レマ サバクタニ
                     神よ、何故私を見捨てたのですか



                     夜の闇が、朱色に塗り替えられた。


939 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:38:58.33 y/CthCAG0 2091/2388


     ティウス
「――――王』」


ブラフ。
ステイルの脳裏をその三文字が埋め尽くす。
『完全発動まで残り十秒』。
なるほど確かに、敵手に向かって馬鹿正直に情報を開示することはないだろう。

――――感情の無い機械でもあるまいし。


「――――――――――――ァァァッッ!!!!」


炎の魔人が喊声とともに突撃する。
この一戦が主にとって、如何ほどの重要性を持つのかはっきりと知っているような。
鬼気溢れる気迫を満身に漲らせて、雄々しく、猛々しく。
かつてない、天文学的な量のルーンから後押しを受けて、主に勝利をもたらすべく。


駆け抜け、霧散。


竜王の顎に噛みちぎられ。
無限に等しい再生力を、解析され、逆算され、破壊され、蹂躙され。
無残にも、霧散した。



「さよなら、ステイル」




940 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:40:04.81 y/CthCAG0 2092/2388



女の瞳から一粒、零れ落ちた。
女は消えゆく炎の向こう側にいる男に別れを告げた。

世界を嗤う光が、赤々とそびえ立つ柱となって男を無に帰す。
敗北した男の顔を一目見ようと女は目を凝らす。
魔人が消散し、世界のどこかへと帰っていく。
あと数秒で空を染めた赤に飲み込まれる男。

見えた。
その表情は――――






  H    Panta Rhei
「しかし、万物は流転する」

「……え?」







――――まだ笑っていた。


941 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:42:03.31 y/CthCAG0 2093/2388



虚空に帰るはずだった火花が突如躍動を再開し、赤き竜の咆哮に絡みつく。
無論、光の柱はステイルの焔などものともせず飲み込む――――


   I I T N S A I I T M P
「その真の名は魂、その真の役は理」



飲み込んだ先で回転した。
いや、“流転”という言い方が正しい。
逆巻く力の奔流が、焔を喰らった端から内側の火に再び吸い込まれる。
喰らう、吸う、喰らう、吸う、喰らう、吸う。
その繰り返しで焔が徐々に徐々に力を、生命の輝きを増していく。


  I  C  R  M  E  M  C  G  P  M
「示現せよ、魔都の悉くを飲み込み力と為せ」



追加詠唱はなおも続いている。
無限大の射程を持つ竜王の渾身の吐息が、ちっぽけな魔術師一人に届かない。
そんな悪夢のような光景に目を奪われていた女の、膝から力が抜ける。
強烈な虚脱感。
伏した女の前に、またも顕現する炎の魔人――――人――――?


942 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:43:21.36 y/CthCAG0 2094/2388



それは、人のかたちではなかった。
鳥のかたちでもなかった。
獣のかたちでもなかった。
魚のかたちでもなかった。

術者と然程変わらぬ二メートルほどの長躯が、内に秘めた凄まじい魔力を熱に変えて
物言わずに佇んでいた。

生命の行き着く先。
死とは新たなはじまり。
幸福を照らし出す光。
不幸を掻き消す温度。

包みこむような心地よい熱に、次々と言葉が浮かんでは消える。
しかし『禁書目録』をいくら漁っても、女はそのかたちを形容するに相応しい語彙を
見つけられなかった。
それでも、あえて何か一つ、言葉を絞り出すとするなら。




                         ヘラクレイトス
                         『世界の根源』





それは、いのちのかたちをしていた。


943 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:44:12.67 y/CthCAG0 2095/2388



炎の腕が赤い紋様の表面をそっと撫ぜる。

『聖ジョージの聖域』、消滅。







そしてこの瞬間、『自動書記』の敗北が――――ステイル=マグヌスの勝利が確定した。








944 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:46:05.41 y/CthCAG0 2096/2388







   T  O  A  B  T  T
「反転し、対象を焼きはらえッ!!」


それでも、不屈の『強制詠唱』が空気を揺らす。
『自動書記』は勝利を諦めない。
彼女のインデックスに傾ける愛は本物だとステイルは思った。

しかし、無意味だ。


「君に勝つ、ただそれだけのために研鑽したと言ったろう。『強制詠唱』だろうが
 『魔滅の声』だろうが手は講じてある……ちなみにこれは、“自動制御”だよ」


ヘラクレイトスは対『自動書記』を想定して、ステイルが『魔女狩りの王』を叩き台に
編み出した本当の切り札だった。
ステイルにとって『自動書記』から挙げる白星とはすなわち、インデックスの肉体を
傷付けずに彼女の戦闘能力を奪い取ることに他ならない。


「あまり力むな。こいつは一定以上の規模で現界した魔力をどこまでも追いかけて、
 器が限界に達するまで吸収し尽くす術式だ。消えたくなければ大人しくしていろ」


『首輪』に回された魔力まで吸い取れれば最高だったのだが。
顕在化していないエネルギーにまでいちいち反応していてはただの殺戮兵器になって
しまうので、構成の段階でその点は諦めていた。


945 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:47:03.90 y/CthCAG0 2097/2388



「…………なぜ、貴方は…………いき、て」

「『一千万』のルーンのリバウンドかい?」


憔悴しきった瞳を一瞥しただけで言わんとするところは理解できた。
死闘を通して、それほどまでに深く心のどこかで結びついてしまったらしい。
臍を噛みたい気持ちをぐっと堪えて――――同時に、全身から体液という体液が失われた
かのような、千言万語を費やしても表現し得ない渇きを堪えて、


「あー、スマナイ。ありゃウソだ」


しれっと、言ってやった。


「この術式には、『魔女狩りの王』とは別に専用のルーンを用いてるんだが。せいぜい、
 使用枚数は十万がいいところだよ」

「そ、んな……そんなものに、私は、負け…………?」


聳立する魔人と、倒れ伏す魔神の視線が交差した。
ただそれだけで、女は己を打倒した奇術のすべてを悟っていた。


「――――――あ、天草式の、多重構成魔法陣?」

「『五重』だ」

「…………!」


946 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:48:16.89 y/CthCAG0 2098/2388



新術の前段階である『イノケンティウス』発動地点に置いたルーンは、その一枚だけで
すでに逆五芒星の二重構造を成している。
このカードの配置をもう一工夫して再び平面陣を描き、三層目。
さらにステイルの自宅がルーンの坩堝であるように、平面図を効果的に建築物の要所に
張り付けて四重構造の完成。
そして仕上げは。

                                まち
「僕が空間限定の『最強』でいられる、この美しく醜い世界そのものだ。当然ながらね」


ロンドン全体を一つの世界に区切る、直径五〇キロオーバーの大円陣。


「…………机上で理論を構築するのに五年。実際の配置にもう五年かかった。つくづく、
 こういう繊細な作業には向いてないと痛感したよ」


天草式の多重構成陣は陣の内側に存在するあらゆる物質、霊質に働きかけて効力を増す。
“中”に霊的、魔的要素が多ければ多いほど構築の難度は跳ね上がり――――それ以上に
術式の威力に指数関数的な爆発をもたらす。


「『必要悪の教会』のトップなんて腐った肩書に感謝するのは、後にも先にもこの一度
 きりにしたいものだね。ロンドンのあちらこちらに点在するギミック満載の伏魔殿に
 自由に立ち入ることができるんだから、まこと権力とは恐ろしいよ」


ロンドンには聖ジョージ大聖堂をはじめ、イギリス清教の本拠地に相応しく数々の魔術
要塞がひしめいている。
バッキンガム宮殿、ウィンザー城、サザーク大聖堂、ウェストミンスター寺院、そして
ランベスの宮。

霧の都の全てをパーツに組み込んだ凡人の努力の集大成。
威力は概算で、『法の書』事件時のイノケンティウスの――――


947 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:51:14.82 y/CthCAG0 2099/2388



「二三四〇〇倍。加えて君の魔力を吸収し、さらに手がつけられなくなってるぞ」

「あ………………私、は、わたしは…………」


苦い思いで半笑いしながら、口腔の反対側のもう半分で密かに唸る。
ステイルが思うに、この一戦の勝敗を分けたのはそれだけが要因ではなかった。


(君が、人間だったから)


ステイルは考える。
規定されたプログラムに従って『自動書記』がお得意の“後出し”に徹していたら、
勝者と敗者は逆だったはずだ。

無論ステイルとて勝利のためのフラグ構築は怠っていない。
『ルーン一千万枚』のブラフで『自動書記』を揺さぶり、先読みでカウンターを合わせざるを
得ない、そう思わせることに成功した。
基礎となる『魔女狩りの王』が彼女の通常魔術に防がれる程度の威力にとどまっていた
ならば、『自動書記』は従来通りの後出しで『ヘラクレイトス』だろうが何だろうが、慌てず
騒がず後出しで特定魔術(ローカルウェポン)を組み上げていたはずだ。

要するに『自動書記』は人間らしさゆえに敗北したと、そういうことなのかもしれない。


「どうだい。天才が刹那で切り拓く境地に、後追いとはいえ凡人が十年程度で到達できる
 のなら、悪くないとそう思わないか?」


しかしステイルは不確定で不明瞭な勝因ではなく、己が鍛練と精進を居丈高に誇った。
酷な敗因を敗者へ突きつけることを良しとしなかった、などという温情からではけしてない。


(……ないったらない)


948 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:52:40.58 y/CthCAG0 2100/2388



「………………この術式への命名を、もう一度聞かせていただけますか」


雫一滴分の魔力で現世に存在を維持する女が、項垂れたまま呟いた。
ステイルは朦朧とした視界と世界を必死で、地面に対し垂直に保ちながら応じた。


 ヘラクレイトス
「『世界の根源』」



実のところステイルのダメージは、『自動書記』から受けたそれよりも、自らの術式で
削られた生命力の枯渇の方がはるかに深刻である。
波乱万丈きわまりなかったここ数か月でも一番、という程度には瀕死である。
黒衣の裏で壊死した無数の細胞が、今この瞬間も命を司る赤を垂れ流し続けているのだ。



「意味は――――『永遠に生きる』」



それでもやはり神父は、世界の理を傍らに従え、口の端をにやりと吊り上げて笑った。
男の仁王立ちを支えているのは、つまらない男の意地と、くだらない女への愛だった。


949 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:53:29.68 y/CthCAG0 2101/2388



「命題、『ステイル=マグヌスは魔神と死合おうが死なない』」




                            ヘラクレイトス
Passage12 ――――と あ る 神 父 の 不 滅 証 明――――





        Q.E.D.
「これにて、証明完了だ」


950 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:54:23.30 y/CthCAG0 2102/2388














その瞬間。





「bwr理解rnしましyたerk」





時計の短針と長針と秒針が、一点で重なった。


951 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/21 22:55:44.71 y/CthCAG0 2103/2388



目まぐるしく世界が回転した。
ステイルはそこから先、世界に訪れた異常と正常とを正確に記憶していない。
時系列に沿って並べることなど、とてもではないが不可能だ。
が、無理矢理感じたままに揃え直すと以下のようになる。

地なりが止んだ。
音が消えた。
雲が弾けた。
空が割れた。
夜が帰った。
太陽が昇った。

ステイルの眼前で、別の世界の“なにか”が木霊していた。
輪郭線が何重にもぶれているのに名状しがたい存在感を放つそれ。
十二時の鐘が鳴った。
誕生の鐘だった。

ああ、これは天使だ。
そう思った。


(やはり君は、世界の誰より美しいな)


無色透明の翼を聖堂いっぱいに広げる姿を目の当たりにして、見上げるばかりの信徒は
暢気につぶやいた。

現実感のない『女神』の降誕に、そんな感慨を抱いた。




Passage12――――END


961 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:33:40.66 k80yyd4c0 2104/2388




Passage13 ――dedicatus545――




962 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:34:16.21 k80yyd4c0 2105/2388



彼女が生まれて初めて抱いた感情は、『呆れ』だった。


『はじめ……まして、でいいのかな? とにかくはじめまして、“もう一人の私”』


彼女が彼女にそう語りかけてきたのはいまより遡ること十一年前、十月三十一日のこと
だった。
彼女は覚えてはいなかったが、それは彼女が黒衣の魔術師に向けて国家戦争に匹敵する
規模の暴力を浴びせた、翌日のことだった。


『えっと、聞こえてるなら返事してほしいんだよ』

『…………』

『あなたのお名前はなんて言うの?』

『………………』

『あ、そうだった! 人に名前を尋ねる時は自分から名乗るのがれでぃーの嗜みだって、
 こもえが言ってたんだよ! ……Well,good morning! I'm Index!』

『……………………』

『あれ? もしかして、英語通じない人? あるいはとうまに代表される日本の一般
 学生にありがちな、生の英語に触れたことない系の人? はじめてのネイティブとの
 接触に緊張しちゃってるのかな? もしもーし、私は日本語もペラペラだから安心
 してほしいんだよー』

『…………………………はぁ』


一人で姦しい子だな。
そんな溜め息が彼女と彼女の――――『自動書記』とインデックスのはじまりだった。


963 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:35:25.39 k80yyd4c0 2106/2388


---------------------------------------------------------------------------


時計の長針を五周ほど巻き戻す。


紗幕に映し出された世紀の下剋上を眺めながら、しかしローラの表情は強張っていた。
彼女の望み通りに、ステイルはインデックスを救うだけの力と意志を見せつけた。
しかしそれは、同時に。


「これも貴様の工程表通りというわけかしら、アレイスター?」

「………………ああ。ああ、そうだ……そうだ。長かったよ」


ローラの敵である男の、百年越しの望みでもあったのだ。
アレイスターの相貌は、実の娘であるローラがその生涯で目撃した中でも比肩する
もののない、人間味あふれる歓喜に震えていた。


「誰かが『自動書記』を極限まで追い詰める。このステップが必要だったのね」


『無限の愛』を持つ女に触れて、なおそれを打倒する気概のある者。
地球上に他の資格者がまったく存在しないとまでは断言しきれないが、この条件ならば
ステイルは間違いなく有資格者名簿のトップに名を連ねるだろう。


「しかもそれは、『自動書記』がきわめて私的な感情から“負けたくない”と思える
 相手が望ましい。その意味でもステイル=マグヌスはこの上ない適格者だ」


百二十年前リリスだった女の絶望は、半ば八つ当たりのようにインデックスの愛する
男へと牙を剥いた。
その結果として二人は死闘を繰り広げ、その帰結としてリリスはステイルに負けた。


964 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:36:10.70 k80yyd4c0 2107/2388



しかし、これですべてが終わった訳ではない。


「…………これから、なにが始まるのかしら?」


これが、これこそがはじまりなのだ。
“何”が始まるのか、ローラの中で一定の結論は導出されていた。
しかし“どうやって”始まるのか。
それだけは、いくら父譲りの頭脳を巡らせても理解できそうになかった。
頭を抱えたい欲求に抗っていると、当の父親が上機嫌を隠さずに声をかけてきた。


「事ここに至ってそれはないだろう。『融合』だよ、無論」

「またそれか。七十年前自らを世界の鼻つまみ者へと転落させた境界線に、貴様は
 よほどのコンプレックスを持っているようね」


聞き飽きた論旨をまたも持ちだされて、ローラもまた不機嫌を隠さなかった。
融合、融合、融合。
ご立派な題目を立てるのも構わないがインデックスに、『禁書目録』にどう繋がる
のかがまるで理解できない。


「……ん? なにか、勘違いをしていないか」


その時父が、目を丸くして娘に逆質問を投げかけてきた。
怪物のくせに人間らしい表情をするな、と怒鳴りつけてやりたかった。


965 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:36:55.26 k80yyd4c0 2108/2388



「具体的な言及をお願いしたいわね。私がなにを思い違いしていると?」


アレイスターはかつて、魔術師でありながら科学に手を染めた。
当時の世界はどっちつかずの蝙蝠の存在を許しはしなかった。
ゆえに、アレイスターは破滅した。

デカルト相手であろうと胸を張って提出できる、見事な三段論法である。
いったいどこに瑕疵が存在するなどと――


「それでは順番が逆だ」

「はぁ?」

「私が“線”に弾き出されたのではない。当時のことは君にもショックが強すぎて
 よく思い出せないか?」


七十年前の事件。
世界に向けて暴露されたアレイスター=クロウリーの研究内容。
ローラの存在価値を『スペアプラン』以下にまで貶めた真実。
なにが『ショックが強すぎて』だ。
往時のローラの絶望を、いったい誰のせいだと思って――――“誰”?



「私が弾き出されたから、“線”ができたのだ」



息を呑んだ。


966 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:37:47.96 k80yyd4c0 2109/2388



再びこの父親に対して驚愕もあらわな表情を披露するのは鼻もちがならなかったが、
それでも抑えきれなかった。
なぜなら、理解したからだ。


「アレイスター、貴様」


『世界最高の魔術師、科学に走る』。
当時の魔術世界を根本から揺るがすような大事件だった。
あらゆる魔術師がアレイスターを非難し、蔑み、その背景世界たる科学をも敵視した。
魔術は科学から距離を置いた。
混沌たる魔術と科学の勢力図に、歴史上初めて明確な境界線が生まれた。

そして世界は、『科学』と『魔術』に分断された。
――――アレイスター=クロウリーの、思惑通りに。

こうなると、そもそもの『事の起こり』からして疑ってかかるべきだ。
彼の科学に対する妄執が日の当たる場所に晒されたのは、誰の仕業だったのか。


「…………あの『暴露』は、自分で仕組んだことだったのね」


アレイスター=クロウリーその人の自作自演だったと考えるのが、自然な筋だった。


「……第一に、だ。私の研究内容を細部まで把握しているのは君と私だけだったろう。
 しかも科学的実験に関しては君にすら報せていなかった……『犯人』が誰であるか、
 自明の理だと思うのだが」


もう一発ひっぱたいてやろうかと思った。
“それ”が原因で死の淵に足までかけておきながら、何を他人事のようにのたまって
いるのだ、この男は。


967 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:38:54.88 k80yyd4c0 2110/2388



「……なんの説明にもなっていないわ。一方で『融合』を推し進めると言っておきながら、
 もう片手で『境界線』を引く。これでは二流政治家の方がいくらか、二枚舌の扱いには
 習熟しているわね」

「君は、テーゼとアンチテーゼという言葉を?」

「ヘーゲルの弁証法ね。それがなにか?」


『ヘーゲルの弁証法』。
ドイツ観念論の大成者ヘーゲルが提唱した、世界の理念が辿る自己発展過程である。
社会も歴史も国家もすべてのものは運動するが、あらゆるものは自らの中に自らを
否定する要素を内包している。
正(テーゼ)と反(アンチテーゼ)が互いに反発しあい、やがて両者を統合して
合(ジンテーゼ)となり、ある一点で止揚(アウフヘーベン)される。


「彼が導いた最終結論も私にとって興味深いものではあるが、今は置いておこう。
 テーゼとアンチテーゼは、距離をおいていればいるほど望ましい。互いが激しく
 対立すればするほど、止揚はさらなる高みへ登るエネルギーを得る」

「世の哲学者から袋叩きにあっても知らないわよ」

「私とて知ったことではないな。現界に身を置きながら空論を振りかざす者どもなど」


アレイスターもまた、弁証法を世界構造のレベルにまで適用して次なる世界を目指したと
いうことなのだろうか。

たとえばそれは、法治国家と礼治国家。
たとえばそれは、資本主義と共産主義。
たとえばそれは――――科学世界と、魔術世界。


「馬鹿馬鹿しい」


968 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:39:34.81 k80yyd4c0 2111/2388



ローラは吐き捨てた。

ゲオルク=ヴィルヘルム=フリードリヒ=ヘーゲルは、あくまで具体性を伴う理性的思考
の過程で、アウフヘーベンなる極地への道程が“そうである”と発見したにすぎない。
彼が正や反を抽象的事象に当てはめて一般化を図ったなどという事実は存在しない。
アウフヘーベンとは人類の歴史を俯瞰したときに“そこにあった”ものであって、人間が
創造したものでは断じてない。
対立構造を用意してやるだけで勝手に高みに昇りつめてくれるのならば、浮世はいまより
はるかに素晴らしい世界になっている。


「貴様のやっていることは捏造も甚だしい」


論破完了、鼻を鳴らす。


「『捏造』ではいけないのかな」


反論になっていない反論が戻ってくる。
男も肩をすくめていた。

能力者は望む結果を呼び出すために現実の法則を塗り替える。
多くの魔術師は神話や伝承を己の都合のいいように解釈して術式を組み上げる。
大本のところでは魔術師も能力者もやっていることに大差はない。


「あら、それではせっかく引いた境界線がまた曖昧になってしまうわね」


嗤う女。
だが。


969 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:40:26.40 k80yyd4c0 2112/2388



「だから引いておいた。境界線をより太いものにするべく、ペンで上からなぞるように」


笑う男。
眉をひそめる女。
さらに笑う男。
稚児のような笑み。




「能力者の“ここ”にも、線を、な」


――――その顔のまま、とんとん、と人差し指でこめかみを差す男。




「能力者に魔術は使えない。これは私が科学を再編する過程で全ての『時間割』に
 仕込んでおいた、これ以上なく明白な境界線だ」


脳。
それは学園都市にあまねく存在するすべての能力者の根幹をなす演算装置だ。
そのプログラムの開発途中に、密かにコマンドを仕込んでおく。
すなわち『能力開発を受けた者が魔術を使用すると、死ぬ』。

たったこれだけで新たな“線”が誕生する。
そうしてアレイスターは、一つの世界を地図上に捏造した。


970 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:41:08.93 k80yyd4c0 2113/2388



「……『禁書目録』に、能力開発に関する記述などない」


しかしローラの反駁は、アレイスターが数十年がかりで創り上げた根拠を示してもいまだ
留まることを知らなかった。
女の往生際が悪いというより、それだけ男の理論に穴が多すぎるのだ。


「君がそう思っているだけだろう。言っておくがこの三年間、私は君よりよほど多くの
 『インデックス』を目撃している。完全記憶能力を持つ彼女が、その叡智の蔵になにを
 蓄えたのか知っている――――さらに彼女は、この六年でより一層『魂』と『記憶』の
 融和を推し進めているではないか」

「…………っ、編纂作業!」


危険極まりない魔道書の『原典』を、利用しやすく比較的安全な『偽書』へと編纂する、
インデックスのライフワーク。
高度で難解な記述を噛み砕いて他者でも利用可能にするという作業は、その実原典への
深い造詣がなければこなせない。
つまりインデックスの処理能力は、十一年前と比較しても格段に上昇していることになる。

そしてそれは、アレイスターの理論からすれば『魂』の研鑽作業に他ならない。


「まあ、私も偉そうな口を利けた身の上ではないのだが。繰り返すが、私は彼女に干渉を
 試みたことがない。あれは彼女が自発的に始めたことであって、偶然の産物だからな」


ともあれ材料は揃っている。
ならばあとは“やり方”だけだ。


971 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:42:26.98 k80yyd4c0 2114/2388



「……そうこうしているうちに、七月二十八日まであと一分か。参ったな、武者震いが
 止まりそうにないよ」

「心臓ごと止めてあげましょか」

「そんな器官は三年前に捨てたがね」


男は女の罵声にも昂りのままに薄笑いで返答した。
調子づいて、求められてもいない演説が始まる。


「聞こう。七月二十八日とは、世界の大多数の人々にとって“どういう”日だ?」


『首輪』がインデックスを殺す日か。
ローラが姉の死から目を背けた日か。
アウレオルス=イザードが破滅へと歩み始めた日か。
神裂火織が泣いた日か。
ステイル=マグヌスが心折れた日か。
上条当麻が死んだ日か。
人工衛星が落ちた日か。
上条当麻が生まれた日か。


「……知ったことではないわ、そんなこと」


インデックスの人生が、本当の意味で始まった日か。


972 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:42:58.43 k80yyd4c0 2115/2388




「違うな。七月二十八日とは、『科学を牛耳っていた悪の総帥が敗れ」



因果は逆転する。
そして、収束する。



「科学と魔術が融和へ――――“融合”へと歩み出した』、記念すべき日だ」



歪められた結果に向けて、廻り出した歯車はもう止まらない。




973 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:44:39.58 k80yyd4c0 2116/2388


----------------------------------------------------------------------


彼女の懊悩を聞いた。


『とうまのことが好きなの。多分これって、愛してるってことだと思うの。
 でも、どうやって好きだって伝えればいいか、わからないの』


彼女の慟哭を聞いた。


『とうま、みことのことが好きだって。しょうがないよね、みことはいい子だもん。
 しょうがないよね…………私は、何もしなかったんだもん』


彼女の諦観を聞いた。


『これで、良かったんだよね。イギリスに帰れば、二人に酷いこと言わなくて済むかも。
 ………………ああでも、“あの人”に会うのは、ちょっと嫌だなぁ』


彼女の可愛らしい憤怒を聞いた。


『ちょっと聞いてほしいんだよ“ヨハネ”! あの図体ばっかりおっきくてタバコ臭い
 嫌味な神父、私に向かってなんて言ったと思う!?』


974 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:45:34.97 k80yyd4c0 2117/2388



彼女の陰口も、時には聞いた。


『ロンドンに来てしばらくは心細かったけど、友達もたくさんできたんだよ。かおりに
 ヴィリアン、アンジェレネに……そう言えば、アンジェレネって“あの人”のことが
 好きなんだって。あんなののどこが良いんだろうね』


彼女の混迷を聞いた。


『あの人……あ、私がいつも言ってる、仕事仲間ののっぽの神父さんの事なんだけど。
 私、もしかしたら、あの人の…………ゴメン、忘れて』


彼女の悔恨を聞いた。


『どうしよう、どうしよう。私、知らなかった。知らないまま、あの人にずっとヒドイ
 ことばっかり言ってた…………ずっとあの人を、ステイルを傷付けてた』


傷付けたことで傷付いた彼女の苦悶を、彼女はただ聞くことしかできなかった。

そして彼女は、彼女の真実を聞いた。


『私、「リリス」なんだって。ヨハネのペンはこの事知ってた? ……そっか、そうだよね。
 でも不思議だね、ローラが私の家族なんだって聞くとヨハネのことも家族みたいに
 思えてくるかも。そうだなぁ、ローラが妹なら』


975 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:46:50.75 k80yyd4c0 2118/2388




『あなたは、私のお母さんだね』



愛しいと、心の底からそう思った。
こんな無垢な少女を雁字搦めに縛りつけていた己の存在が、十字架に磔にしたくなる
ほど呪わしかった。
自分さえいなければこの子の人生はもっと綺麗で、善意に満ちていたはずなのに。

妬ましいと、そう思った。
こんな純粋な好意をいっぱいに浴びながらその気持ちに応えなかった上条当麻が。
おそらく気が付いているにも関わらず応えようとしないステイル=マグヌスが。
特に後者への敵意は、『自動書記』の内側で日増しに膨張していった。

どうしてそこで一歩引くのだ。
どうしてそこで目を逸らすのだ。
どうして名前で呼んでやれないのだ。
自分に肉体があれば思うさま抱きしめてやるのに。
ああもう、見ていられない。
こんな男に、インデックスを任せることなどできはしない。


『どうしよう。私、ステイルのこと、裏切ってるのかな』

『ステイルが死ぬのが、死ぬより怖い、なんて…………ステイルだって困るよね、
 こんなこといきなり言われたら。どうすればいいんだろう』

『ああ、お願いだから教えて、ヨハネのペン』


だから守りたいと、そう思った。
自分が守ってやらなくてはと、そう思った。


976 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:48:16.40 k80yyd4c0 2119/2388



「……えて君の魔力を吸収し……」


任せられないと確信した男が、何事か語りかけてくる。
口が勝手に呻きを洩らしたが、自らの耳にさえ届かない。
脳を埋め尽くす思考はただ一つ。



インデックスを守ることのできる力が、欲しい。



だがもう、そんなものはどこにもない。
彼女の脳内には依然一〇三〇〇〇の魔道書が健在だが、起動のためには魔力が必要だ。
ガソリンのない車は走らない。
唯一ガソリン抜きで走る強制詠唱(くるま)も、自動制御術式が相手では意味がない。
もう、打つ手がなかった。

  d e d i c a t u s 5 4 5
『献身的な子羊は強者の知識を守る』。


役立たずの魔法名がとっさに浮かんだ。
弱りきった子羊に、羊飼いはなにもしてやれない。
ただ安楽死を選ばせてやることさえできない。

やはり自分は、知識を守るだけのシステムにすぎないのか。
インデックスを守ることはできないのか。
いかに編纂作業を経て知識を深めたところで、一〇三〇〇〇冊の中にこの状況を打開
できる可能性など――――


977 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:50:59.98 k80yyd4c0 2120/2388



(あ)


――――あった。


一冊だけ、あった。
編纂作業の中で幾度となくオルソラやシェリーらと議題の端に上らせたが、結局手つかず
のままの一冊が。
ローラにもそれとなく尋ねてみたがさらりとはぐらかされた、解読法不明の一冊が。
歴史上誰も解読に成功していないとされる禁断の、最後の一冊が。


(……読めるのでしょうか、この私に)


図書館から該当する一冊を引っぱり出す。
表紙にかけた手が震える。
この六年、何十何百の魔道書を読みこんできた経験が今の自分にはある。
しかしもしも、それでも読むことが叶わなかったら。
自分は負ける。
世界で一番負けたくない男に、インデックスを委ねざるを得ない。


(それだけは……それだけは、嫌だッ!!)


目を瞑って、開いた。
おそるおそる瞼を持ち上げる。
視界に入った、最初の一節。


978 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:52:05.48 k80yyd4c0 2121/2388







【汝の欲する所を為せ、それが汝の法とならん】





            d  e  d  i  c  a  t  u  s  5  4  5
Passage13 ――追い詰められた羊飼いは弱者に智慧を捧ぐ――







同時に、時計の短針と長針と秒針が、一点で重なった。


979 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:53:16.24 k80yyd4c0 2122/2388


                          ハディート        ホール・パール・クラアト

             ババロン                  ヌイト
      
     ラー・ホール・クイト     ホルス      エイワス        




理解できる。
理解できているということが理解できない。
理解できているという事実が恐ろしい!
これはなんだ。
いや、わかっている。
しかしわからない。
何が起こる。
どうすればいい?
そうすればいい。
重ねる?
動かす?
再現。
そう、再現すればいい。
それでいい。

いや、しかし、材料が


980 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:55:22.21 k80yyd4c0 2123/2388



             お
             や



981 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:55:53.39 k80yyd4c0 2124/2388




――――――――――――!!!




982 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:56:25.95 k80yyd4c0 2125/2388



                  今回は君か、ア
                           レ
                           イ
                           ス
                           ターの娘



983 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:57:27.64 k80yyd4c0 2126/2388





                                          ?なかのるいでん悩

どうにもその世界では     が……ああ悪い、ヘッダが足りていない
              briqw


む             原料不足はかつて一方通行にも付きまとった問題であるしな  ま
                                                     あ

     私
     がヒントを上げても別
                 に構わないだろう         一方通行の本質を観察した
                                                    こ
                                                    と
   こ              ?ん                        ?なかるあは
   れ
   は…………君はまず、自分の本質を理解していないらしい


                            ば
                            え
                            言
                            に
                            逆


             ヒントは、一節で事足りるかもしれない、ということだな


984 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 22:58:04.79 k80yyd4c0 2127/2388




                  【観察せよ。君の本質はそこにある】



                            で
                            は
                             、
                            ま
                            た
                            い
                            つ
                            か
                            会
                            お
                            う



986 : ミス; - 2011/12/23 23:00:20.68 k80yyd4c0 2128/2388



――――――。


原料不足、観察、一方通行?

                           アクセラレイター
あくせられーた、アクセラレータ――――――『粒子加速器』。


科学最高の頭脳。
観測事象からの逆算。
限りなく真実に近い魔術法則の推論。


『その根源が比較的一般にも知られるルーン文字に起因するっていうなら、普遍性を
 抽出して法則に結び付けることは、不可能じゃねえ』


七月十九日、一方通行とステイルの交戦を知って現場に急ぐ途中、通信用の護符から
そんな勝ち誇った声が聞こえてきた。
恐るべし、学園都市第一位。
これが進化の速度すら日々加速させる、科学の粋なのか。
そう畏怖した記憶がある。
あるいはそれは、一〇三〇〇〇冊の魔道書などよりよほど稀有な能力ではないか。

いや、待て。




だがしかし、この身とて魔術最高の頭脳ではないか。


987 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 23:00:57.97 k80yyd4c0 2129/2388



『法の書』の記述を再現するには明らかに魔術の領域からはみ出した材料が必要だと、
女はそう判断した。
『魔道図書館』にすら存在しない未知の法則を解明しなければならない。
欲しいのは世の科学者が垂涎するような、自然科学を悉く統括するような統一原則。

人間はいつか死ぬ。
ステイルは人間である。
これら一般的な法則から、『ステイルはいつか死ぬ』という個別事象が導き出せる。
演繹。
しかし、これでは辿りつけない境地がある。

いま欲しいのは新たな法則だ。
ならば法則を事象から逆算すればいい。
帰納。
そうだ、できるはずだ。
この脳の裡には、一〇三〇〇〇冊とは別の箇所に蓄えられた、記録(おもいで)がある。



        のう                   のう
科学最高の演算機にできたことが、魔術最高の演算機にできないはずがない!





988 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 23:01:36.21 k80yyd4c0 2130/2388



記録より該当事象抽出。


『大丈夫。私も、人間じゃないから』――正体不明
『ゴメンゴメーン……止める間もなく始めちゃうわよっ』――超電磁砲
『祈りは届く。それで人は救われる』――打ち止め
『ihbf殺wq』――一方通行


“観察”開始。


『とりあえずお二人さんの互いの距離を参考にはしてみたけど』――心理定規
『いま帰ったぞおおおおお!!!!』――念動砲弾
『私の掌握力がイマイチ届かないのよねぇ』――心理掌握
『私にこれからブチコロされるのはどこの腐れトマトかって聞いてんだよ』――原子崩し
『物思いに耽ってる暇なんてないわよ』――座標移動
『この状況でまだイキがってられるとは大した肝だぜ、魔術師野郎』――未元物質


見る。


『貴様に科学と魔術を越えた、この腕の解析など不可能だと知れ』――腕
『 神戮 pv vewy』――神の力
『だって私は、「天使」なんだよ?』――ヒューズ=カザキリ


観る。


『……今までが蛹だっていうなら、これから君は何になるんだい?』
『ああン? 知らねェよ』


989 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 23:02:40.08 k80yyd4c0 2131/2388



視る。


『神様』


診る。

   セカイ           システム
『この物語が、アンタのつくった奇跡の通りに動いてるってんなら』


み――


『まずは』


――――――





『その幻想をぶち殺す!!』






990 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/12/23 23:03:54.40 k80yyd4c0 2132/2388




「bwr理解rnしましyたerk」



『法の書』解読完了
これより『こことは異なる世界の法則』を用いて、世界構成要素の再編を行います

第一段階:記述された全骨子を『神に等しい力』によって蒐集、再現、構築
完了まで一〇秒

第二段階:要素の配置角度を固定するため、仰角一八〇度で疑似太陽生成
完了まで二〇秒

宣誓、第一九章第二八節および第一九章第三〇節および第二三章第四六節

命名、『十字架上の主の最後の言葉』
完全発動まで





そして同時に、十字教の時代が終わるまで――――残り五〇〇秒





Passage13――――END



続き
とある神父と禁書目録


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