※『とある神父と禁書目録』シリーズ
【関連】
最初から:
ステイル「最大主教ゥゥーーーッ!!!」【1】
1つ前:
インデックス「――――あなたのために、生きて死ぬ」【2】
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『神の右席』同士の対峙が続くここ第六学区でも状況は概ね変わらなかった。
違いを挙げるとすれば、二人の『ヴェント』の競り合いにアンデッドが介入してこない点だ。
「んっ、のっ、年増ああっ!!!」
「んで、すってっ、ケバ女ああああっっ!!!!!」
ドギャギャギャギャ、ズガッ、メキメキメキッ!!!
…………いや別に、恐ろしいから割って入れないわけではない。
「………………おっかなぁい」
歓楽街全体を巻き込みつつあるたった二人の災害源を食蜂がそう評した。
トルネード、サイクロン、ダウンバースト、塵旋風。
およそ『風』と分類されるありとあらゆる現象が、
十年前とは違い『虚数学区』の下方修正抜きにフルパワーで荒れ狂っていた。
「お化粧がのってない日のむぎのはだいたいあんな感じだよ」
「やっぱり民間企業は怖いわぁ。学会で派閥争いしてた方がマシね」
異形の獲物にめでたく認定された食蜂と理后は暢気なものである。
『前方』ほどには魔力を身に纏っていないゾンビ共の動きを、
今度こそ妨害されることなく掌握した食蜂はあらゆる手を試した。
ヴェント達への『敵意』の移植は成功したが、『天罰』による酸欠状態など不死者には無意味。
一か所に集めて同士討ちするようにも仕向けるが、謎の黒鎧に邪魔をされた。
「私たちってば今日、あんまり役に立ってなくなぁい?」
「一般の人を助けるのも大事な役目だよ」
「登場シーンがクライマックスだったなぁ…………」
「最初だけクライマックス」
結局十体程湧いて出た怪物撃破への決定打は得られず、
絶えずその異常な精神状態に干渉して木偶の坊を生産するので精一杯であった。
その一方で『天罰術式』の被害者を戦闘開始以降一人も
出していないだろう事を考慮すれば、彼女らの功績は決して小さくはないのだが。
ブオオオオオオンッ!!!
「甘い、のよ! 風遣いが荒いッ!!」
こうせき
美味しい所を掻っ攫っていった女は、無傷で『前方のヴェント』を追い詰めつつあった。
舌のピアスで変幻自在の擬態を見せる『前方』の風を、常に最適な術式で迎え撃つ。
魔術を知らぬ能力者たちからすれば了知は不可能だろうが、
それは拳銃の弾丸を弾丸で、しかもあからさまな後出しで撃ち落とすが如き神業だった。
「なん、でっ?」
「次の行動が読まれてるのか、ですって? 自分で、考え、なさいよ!」
ヴェントは現在、『前方』と同じ椅子に座って性質を得ているのだ。
すぐ隣に腰かけている相手の風向きを読むなど、彼女ほどの術者であれば朝飯前であった。
(フィアンマには悪いけど、ラッキーな相手に当たったわね)
『前方のヴェント』は魔術師として少なくとも自分より下だ。
ヴェントがそう確信できるのは、再現版の儀式で掠め取ったに過ぎない自らの
『天罰術式』が敵のそれと相殺しあっている、という根拠がある為だった。
本来ならば先に坐していた方が有利なはずの椅子取りゲームを彼女が制しているのは、
『フィアンマ』達の奪い合いと違って『ヴェント』達の間に明確な実力差がある証拠だ。
遠からず、この対決はヴェントが制する。
それは一観衆に身をやつした二人の超能力者の目にも明らかだった。
「くうっ………………!!」
「降参するなら命だけは、ってね。常套の文句だけどウソは吐かないわよ」
遂に『前方のヴェント』が、身を切り裂く無数の裂傷に堪えかねて膝をついた。
ゆっくりと歩み寄って大槌をその首筋に突きつけたヴェントが降伏勧告を行うが、
「…………地獄に堕ちろ」
見上げた面から放たれたのは、受諾宣言ではなく呪いの言葉と唾だった。
「ああまったくもう。じゃあ、痛い目見なさ、…………?」
処置なし、と言わんばかりに頬を拭ったヴェントの視界の隅で青白い火花が散る。
店中に張り巡らされた電線がショートしたのか、と彼女が認識した瞬間、黒い影。
――■■■■■■■!――
吐き気を催す風貌を持つ例のモンスターが、何かに向けて一直線に突進していた。
食蜂が動きを封じている連中の方向からやって来たものではない。
それは即ち、『心理掌握』の軍門に未だ下っていない兵隊である証明だった。
「…………え?」
瓦礫の隙間に埋もれて、意識の無い少年の姿をヴェントは見つけてしまった。
魂なき兵隊はその命を奪う使命を帯びていたが、少年は迫りくる死にも目を覚まさない。
――――死んだ弟も、あのくらいの年頃だった。
無意識に過去を重ねてしまった、その矢先。
「んっ、ああああああっ!?」
ヴェントの肉体が、唐突に宙を舞った。
ようやく決着がついたのか、と緊張を微かに解いたのは
二十メートルほど離れた位置で不死者の群れを監視していた食蜂だった。
だが終曲にはいま少し早く、魔術師たちを挟んだ更に先に新たな亡者の影が。
「あらぁ? …………いけない!」
突然意識を敵対者から逸らしたヴェントを見て、食蜂が事態を察した。
コントロール下に置き損ねた守るべき命と打倒すべき敵が一組。
失態を自責する暇も惜しく即座に能力を発動しようとしたが、
ブオンッ!!
「えっ、ちょ」
直撃コースで吹っ飛ばされてきた黄色い女に、慌てて身を捩るも時すでに遅し。
咄嗟に痛覚を遮断して小柄な身体を受け止めるが、
人一人を飛ばす強烈な運動エネルギーを御しきるなど食蜂に出来るはずもなかった。
ドンッ!!
「っ、あの子は!」
「くそ、しまった!」
壁に強かに叩きつけられてやっとのことで止まった二人は、
揺れる視界で彼方の惨劇を防ぐべく早急に行動を開始した。
油断を突かれて浅くはない傷を負ったヴェントが、風圧の後押しを受けて走り出す。
『心理掌握』もこの場の全異形の制圧権を再度確保しようと、演算機を回転させた。
「って、あれ? こんちくしょう!」
その時、地面を強く蹴って疾走していた女魔術師が呆気にとられた。
――■■■■■■■■■■■■■■■!!!――
少年に肉薄していたはずの人形は、既にその矛先を変えていた。
哀れにも生贄とされるはずだった少年は、勿論のこと無事であった。
「まだ私は負けてないわよ!」
しぶとく横槍を入れてきた『前方』に応戦するべく一旦静止。
同型の槌がガン! と鈍い音を立てて交差し、一瞬遅れて旋風が逆巻く。
「痛っ、まだやられ足りないってのかしら!?」
損害状況を脳に教えようと悲鳴を上げる全身を無視して、
ヴェントは殺意と風刃の渦巻く決闘に再び挑んだ。
「…………あら? 私、間に合ったのかしらぁ?」
己に一直線、ロケットの如く突っ込んできたクリーチャーを
さっくり下僕にして跪かせた女王は釈然としない表情だった。
先ほどの『心理掌握』の発動は宙を舞ったヴェントを避けるために
意識を割かれて一瞬間に合わず、現在土下座中のしもべには届かなかった筈だ。
「違うよ、しょくほう。私がやったの」
「ひゃあ!? ちょっと、わざとやってな…………あ、その子」
彼女の疑問に答えたのは、すっかり存在感が薄まっていた浜面理后だった。
口元に手を運んで解を得るべく頭脳を働かせていた食蜂の耳元で、こっそりとウィスパーボイス。
どう考えても確信犯だろう。
涙目を生温かく見やってくる理后に憤慨したが、
その背には食蜂が存在を失念していた少年が負ぶわれていた為強く出られない。
逃げ口を塞がれた怒りが噴出する寸前、
「……待って、浜面さんが『やった』って事はもしかして」
第五位はその言葉の意味するところを瞬時に理解した。
我が意を得たと頷く理后が携帯電話をジャージの脇から取り出す。
「そう。このゾンビたちの探知目標は――――」
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少し時を遡って、第十学区。
この世の暗がりを全て飲み込んだような呪詛が終わったと同時に、
ステイルが燃え盛る剣を倒れ伏す『右方のフィアンマ』に炸裂させようとした。
「くっ!?」
が、届かない。
赤熱する炎の鞭を防いだのは、足元からホラー映画のワンシーンのように這い出た異形だった。
路地裏で仕留めた筈のアンデッドが爆発の衝撃で吹き飛ぶが、
それ以上にステイルを驚愕させたのは彼の張る探知網の反応だった。
学園都市全域をとり囲む『陣地』の内部に、たった今掃除したものと同じ魔力が次々と現れる。
異常なのは、その数であった。
(バカな! 二百、三百、まだ増える…………!?)
不安げに黒衣の神父を見守っていたインデックスも、同様に焦燥していた。
「じゅ、術式が解析しきれないよ!?」
『禁書目録』の叫びは換言すれば、眼前の現象が全くの未知の魔術である事を表していた。
滅多に遭遇しない窮地にある彼女の焦りを鎮めようと、フィアンマが声をかけた。
「バチカンの、結界のようなものか?」
「違う、単純に構成が複雑で、膨大すぎるの。こんなの一時間あっても読み切れない!」
ローマ正教の本拠地バチカンの魔術防衛網は、
多種多様の術式が複雑に絡み合って常時変化し続けると言う侵入者泣かせの代物である。
今回の事象はそれとは違い、単純に理論の構成パターンのみで彼女の解析処理を遅らせていた。
あえて類似したケースを挙げるとするなら、アウレオルスの『黄金錬成』が近かった。
「ど、どんどん増えてくよ!」
佐天の悲鳴に頭を抱えていたインデックスが周囲を見回す。
一つ、また一つと赤紫色の紋様が大地に刻まれ、怪異が湧き出てきた。
数は五十に達し、そのどれもが形成を逆転された彼らを睨んでいた。
立ち塞がる腐肉の壁に遮られ、術者である『右方』の姿は完全に隠れてしまった。
「クソッ!!」
強く歯噛みしながらステイルも後退して彼女らと合流した。
最初になぎ払った一体も例の鎧にダメージを逃がされたのか既に立ち上がっている。
「『魔女狩りの王』でなくては仕留められないか……しかし、この数は!」
「ここにいるので全部じゃないの!?」
「この街で学生がいるだろう、全ての学区に出没している」
「…………!!」
佐天が街全体でこれから吹き荒れる悲劇を予見して、息を呑んだ。
しかし瞼を下ろしたステイルの検索結果は、更なる危機を告げていた。
「ようやく増加が止まった。…………総計、六六六体だ」
「ろっ…………!?」
インデックスもまた、喉から出かけた慄きを抑えて必死に対抗策を探った。
『魔女狩りの王』で一体一体駆逐していたのでは時間が掛かり過ぎる。
その前に現状で限界の近いステイルの魔力が枯渇するのは目に見えていた。
『右方』の特性、『第三の腕』であれば一掃は可能だろうが、それは――――
重苦しい沈黙が場を包む。
その時、フィアンマがよろめきながら起き上がった。
「お前達は逃げていろ。順番から言って、奴はまず俺様を殺しにかかるはずだ」
「待ってフィアンマ! その身体じゃ無理だよ!」
「最後の激突で『第三の腕』が崩れたように僕には見えたがね。死にに行く気か?」
ステイルとインデックスが、異口同音に彼の無謀を制止した。
二人の洞察通り、フィアンマの『聖なる右』は既に崩壊している。
それでも、己の血で着衣をさらに紅く濡らした男の執念は深かった。
「俺様は、いや『右方のフィアンマ』もそうだろうがな、
『知恵の実』を僅かに残しているのだ。
つまり、ある程度の通常魔術なら行使可能だ」
「“ある程度”か、それはさぞかし大層な魔術なんだろうな?
…………そんなモノで『神の右席』に勝てるのなら苦労はしない」
ステイルの冷静な判断も、
「問答の暇はない。俺様が『右方のフィアンマ』を殺せば」
「この術式が停止する、そんな保証は無いよ」
インデックスの理に適った反論も、
「…………お前達の御高説は、尤もだよ。だがな、これは“俺”の業だ」
フィアンマを止める事は出来ない。
彼の肉体を凌駕する信念を断ち切るには、明確な『力』が必要だった。
「どうやら、時間だな」
――■■■■■■■■■■■■■!!!――
――■■■■■■■■■■■!!!――
――■■■■■■■■■■■■■■■!!!――
そして、血肉を求めた『暴力』が遂にその進軍を開始した。
「最大主教!」
「るいこ、まこと、こっち!」
ステイルが短く吠えた。
意を汲み取ったインデックスが真理を抱く佐天の手を引く。
哮び狂う怪異の荒波に正対して、男たちが防波堤となって立ちはだかった。
ステイルがルーンを眼前に構え、フィアンマは死に体で不敵に笑った。
(――――なんだ、これは)
だがその時、修羅場を幾度となく踏んだステイルの直感が囁いた。
(『熱』が無い。感情が有るとか無いとかそういう問題じゃない。
この木偶ども、僕らに『向いて』いない…………まさか!)
耳奥で聞こえた声は、正鵠を射ていた。
――■■■■■■■■■■■■■■■!!!――
「こいつら……!?」
フィアンマも感付き、小さく呻く。
全ての怪物が、彼らを素通りして背後のインデックス達を狙っていた。
「――――――――っっ!!!」
魔力の消費など露ほども考慮に入れず魔術師が渾身の爆炎を巻き起こす。
敵の八割はそれで足止めされるが、残りの二割はそのまま駆け抜けていった。
フィアンマも分厚い獄炎の壁を形成して迎え撃ったが、結果は大差ない。
「行かせるかァ!!!」
前方で持ち直した敵の事など頭から吹き飛んだステイルが、
壁を潜り抜けた波の後を追って地を蹴った。
見れば、先頭を行く人形は今にも彼の守護すべき光に手を伸ばさんとしている。
「――――――ァァァッッ!!!!!」
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背中で想い人の悲痛な叫びを受け止めたインデックスは、
迫る悪意の気流を十年前の逃亡生活で垣間見た『死線』の記録から分析していた。
におい、温度、呼吸、足音、呻き、そして魔力。
天地に飛散しては消えゆくエントロピーを丁寧に手繰り寄せて導いた結論。
敵の狙いは、『無能力者』佐天涙子であった。
「るいこ、行って! 私は大丈夫!!」
決意した聖女が温かい手のひらを離して、身を軽やかに翻した。
そんな、とつられて立ち止まってしまった佐天の肩を、力いっぱい突き飛ばす。
身を挺して二人の盾となったインデックスの視線が、束の間ステイルと重なった。
――心配しないで、ステイル。私には『歩く教会』があるんだよ?
――そんな事は、わかっている! それでもッ!!
交差する、思いと想い。
女の眼に宿る灯火は亡びることなく燃え続け、男にその覚悟の固さを報せる。
怪物は、佐天と真理を守るべく両腕を広げて待つインデックスへ殺到し――――
「……………………え?」
――――襲いかかりは、しなかった。
なんと彼女たちさえ通り越して、更に先へ先へ。
唖然としながら神父とシスターは、
確かに異形の軍隊の『向き』が別のなにがしかに遷った事実を感知していた。
その間にも濁流は第一〇学区の街並みを洗い流して進み続ける。
「あ、あれ…………!」
インデックスが五十メートル程の彼方に人影を発見した。
行軍の最終目標は、人気などある筈ない大通りを、何故か独り歩いていた女性だった。
死神に追い越されて初めて命拾いした事を悟った佐天も、その存在に気が付く。
――■■■■■■■■■■■■■■■!!!――
「逃げてぇぇっ!!」
彼女の必死の叫びも虚しく、瞬く間に女は蟻に群がられた餌のように姿を消す。
インデックスが顔色を失い、膝を地に落としそうになってステイルに抱きとめられた。
惨劇に顔を覆った二人の女性が、己が無力を嘆いた。
カッ!!!
――■■■■■■■■■■■■■■■■■!!??――
その時、閃光。
「おい神父、インデックス」
醜悪な肉塊が集うその中心から、激しい閃光が無数に拡散した。
・ ・ ・ ・
「どいつだ?」
一体残らず滑稽な仰向け姿にされたアンデッドが、次々に聳立して唸る。
女はそれを一顧だにせず、地獄の釜を煮る魔女のような声を漏らした。
「絹旗をやったのはどいつなんだ?」
学習能力もなく突貫をかけた敵が、造作も無く光の奔流に飲み込まれた。
ようやく魔術師たちの視界に捉えられた片眼のみの妖しい赤光は、
目に入る万象を破壊し尽くさねば収まらない狂気を帯びていた。
そして、激昂そのままに開け放たれた口腔から、美しい顔立ちに似合わぬ蛮声が爆発した。
「私にこれからブチコロされるのは、どこの腐れトマトかって聞いてんだよぉぉぉぉ!!!」
メルトダウナー
――――新たな局面を迎えた戦場に、『原 子 崩 し』麦野沈利が参着した。
陽光が人類憎しとばかりにぎらつく学園都市第一〇学区。
しかし荒れ狂う麦野沈利の憎悪の対象は手の届かない太陽などではなく、
――■■■■■■!――
「笑わせんな出来そこないどもぉ!!!
金玉どっかに落としてきたんじゃねえだろうなァ!!!!!」
先刻から幾度となく地べたを舐めさせられている肉塊どもだ。
彼女は辺り一面を覆う腐肉の海の猛攻を、一手に引き受けている真っ最中だった。
「うぜえうぜえうぜえうぜえうぜえうぜえ!!
とっととママの腹ん中でも帰れよビチグソがァッ!!!」
いや正確には、一方的に群がられている、というのが正しい。
三人の魔術師にも、佐天にも真理にも反応する事なく、
意思なき兵隊はただ只管に『原子崩し』に飛びかかっては返り討ちに遭う、
そのワンシーンを焼き直しし続けていた。
「自動制御…………! それしか考えられない!
きっと世界中の魔術体系から、優れた部分だけを抜き出して組み合わせてるんだよ」
「それなら納得だな。いかに奴が秀でた魔術師だろうと
六百を超える傀儡を、あの性能で手繰る事など不可能だ」
魔術世界の誇る『禁書目録』が現況から最適解を導き出した。
ローマ正教最高の魔術師、フィアンマも同意見のようだ。
自然、彼らの視線は混乱の中で意識を外してしまった術者に注がれた。
「フン、尻尾を巻いたか。おい、ステイル=マグヌス」
『右方』が伏していた地点には煤と少量の赤黒い固形が残るのみ。
其処を苦い顔で睨みつけたフィアンマがステイルの名を呼んだ。
『右席』の座へのリンクを切断された今の彼では、術者が何処に逃亡したのかはもはや知れなかった。
「聞いているのか、ステイル=マグヌス?」
「ステイル?」
「大丈夫? …………どこか怪我したの!?」
ところがその神父はと言えば、俯いていて呼びかけに応じようとしない。
怪訝顔の佐天も続けて名前を口にし、
負傷したのかと憂慮したインデックスが駆け寄った。
ガシッ!
「ひゃい!?」
するとその肩が、痛いほどの力で正面から鷲掴みにされた。
「最大主教…………っ!」
「す、すている…………?」
彼女の額に触れんばかりの位置に、護衛の魔術師の真摯な表情がある。
インデックスの頬が紅潮し、目が左右に泳いだ。
余談だがフィアンマと佐天、ついでに真理は男が動き始めた瞬間から空気に徹していた。
「心臓が、止まるかと、思った」
「だ、だから大袈裟なんだよ? あんなの『歩く教会』なら」
理屈の上ではそうなる。
理はインデックスの側にある、それはステイルにも解っていた。
彼女を一年間追いまわして傷つけた男に、その勇気を咎める資格が無い事も。
必然的に、彼は胸の裡から溢れる感情に身を任せて口を動かすしかない。
「恐ろしくは、なかったのか?」
「怖くないわけないよ。でも、あの時はあれが正解だったって、私は信じてる」
「…………君も大概、頑固者だな」
勝てない。
優しくしなやかな彼女の決断を、自分が謗る事など不可能だ。
ステイルは悟り、全身で、そして心で項垂れた。
「……………………それなら、すている」
慈しむ、聖女の音声。
神父が欲しいのは、そんなものではなかった。
「なんだい」
それでも、聞き返す。
ステイルは彼女の声になら、いつまででも耳を打たれていたかった。
「ぎゅって、して。私を離さないで、すている?」
「っ…………」
男がなぜか、小刻みに震える自らの手掌を虚ろな目で、しかし凝視した。
女はその挙動を、もの言いたげに見据える。
やがて男の腕がゆっくり、ゆっくりと愛しい女性を抱こうと
「い・ちゃ・つ・い・て・ん・じゃ・ねえええええ!!!!」
カカッ、という擬音と共に、男女が勢いよくバックステップして身を離した。
隣接するホールで静かなラブ・ストーリーが三人の観客に上映される中、
ただ一人バイオレンスアクションに興じていた麦野の堪忍袋の尾がとうとう切れたのだ。
KYと責めるなかれ、現在■■歳独身の彼女にしては大変辛抱したと、
麦野沈利という女を良く知る『アイテム』の面々なら高評価する筈だ。
「おいおい、もう少しだったというのに」
「えーっと、麦野さんでしたっけ? 後十秒で良いから黙っててくれません?」
「しずりん、けーわい!」
「オーケイ、コイツら始末したらアンタらの番だかんなコラァ!!!」
しかし当然、初対面のフィアンマや名を知っている程度の佐天は白い目である。
現状で最大の功労者は口から泡を飛ばして不遇を嘆き、もとい喚いた。
「始末、なぁ? 一向にその兆候は見えないがな」
「忌々しい『Equ.DarkMatter』のせいだッ!!!
まさか第二位が絡んでるんじゃねえだろうなあ!?」
「ご、ゴホンッ!! …………やはりあの鎧は『未元物質』なのか?」
我に返ったステイルが咳払いをして会話に加わる。
路地裏で燻る黒塊を見た時から、彼の胸には確信に近い疑念があった。
片手間で五十に達するアンデッドを圧倒する制圧力を存分に見せつけながら、
頭に上った血が多少は引いたらしい麦野が受け答える。
カアッ!!!
――■■■■■■■■■■■■!!!!――
――■■■■――
――■■■■■■!?――
「…………超能力の物質への付与ってやつよ。
私が昔遭遇したのとは外見も性能もかなり違うけど、な!!」
開放された『原子崩し』がまたも『Equ.DarkMatter』に叩きつけられた。
よく観察すれば、電子を強制操作して生み出される粒機波形高速砲を、
黒い鎧からのうっすら発生している膜が受け流しているのが確認できた。
「科学と魔術の融合か、下らん」
侮蔑の念を隠さず、フィアンマが吐き捨てた。
それにつけても恐るべきは、
怒れる『原子崩し』の直撃を受け続けて尚活動を続行できるその防御性能とタフネスである。
第四位が致命傷を与えられないとなれば、現状学園都市に不死軍を打倒する術は無い。
「ちょっと待って、そう言えば」
発言したのは、自らの場違いに少々縮こまっていた佐天涙子であった。
彼女に抱えられる真理は、激動の都市の行く末など気にせず健やかに眠っている。
(彼女と真理もいい加減、安全な場所に逃がさなければな)
ステイルは思案するが、この敵の攻撃目標がハッキリしないうちは危険だ。
それならば、この場に留まった方が幾らかマシな可能性さえあった。
すると佐天は魔術師たちに、思いもよらぬヒントを齎した。
「さっき聞こえたアレ、『詠唱』、でいいのかな?
あの中に、プログラミング言語が混ざってた気がするんだよね」
「プロ…………るいこ、詳しく聞かせて!」
聞きなれぬ単語に飛び付いたのは、
先ほどの詠唱を完全に解析する事のかなわなかったインデックスだった。
自らの図書館に蓄えられていない知識の存在は、
こんな時に不謹慎ではあるが彼女のプライドを擽っていた。
何より、この未知の魔術を攻略する糸口になるかもしれない。
「い、いや、そんな期待しないでね?
私はそういうのに詳しい友達からちらーっと聞いただけだし」
「それでもいいよ! ほら早く!」
インデックスの気迫に押されて、佐天が自信なさげに説明を始めようとする。
それを慌ててステイルが遮った。
「ダメだ、忘れたのか最大主教!
能力開発に準ずる行為を受ければ、魔術の行使にリスクが出るかもしれない!」
「…………私は、魔術なんて使えないよ」
「っ!! 僕や、フィアンマの話をしているんだ!」
ほんの五分前までの甘い空気はどこへやら、男女は諍いを起こしてしまった。
特にステイルの剣幕はフィアンマや佐天から見ても少々不自然なほどである。
おそるおそる、能力開発の経験者が二人の間に入った。
「あのー…………」
「なに?」
「なんだ!?」
同時に、その首が闖入者に向けて勢いよく振られた。
こんな時まで相も変わらず息ぴったりな二人である。
はは、と苦笑した佐天がステイルの杞憂について言及した。
「えーっと、プログラミング言語はコンピュータの用語なの。
能力開発とは全然、一切関係ないからね? (…………多分)」
「え」
色をなして喧々諤々だった男の動作が凍った。
専門的にはフリーズと言う。
カクカク、と再起動したステイルの表情はばつの悪さで赤くなっていた。
専門的にはオーバーヒートと
「やかましい!!」
たどたどしい佐天の解説を、砂が水を吸うように取り込むインデックス。
横で膝を抱えるステイルの肩を、ニヤニヤしながらフィアンマがポン、と叩いた。
忘れそうになるが、麦野沈利はいまだバヒュンバヒュンと光線を撒き散らして交戦中である。
「C言語、アセンブリ言語、インタプリタ言語…………」
「人間が喋ってるのなんて初めて聞いたから、いまいち自信ないけど」
「十分だよ、るいこ。ありがとね」
佐天が最後までまごつきながら締めくくる。
些少だが理論の構築を前進させたインデックスが、一定の結論に至った。
「科学的記号を取り入れた魔術……前代未聞かも、そんなの」
「確かに。だがそれなら、一つ仮説が立てられるね」
自分で言っておいて不可解そうな彼女だが、復活したステイルが補足する。
愚直に超能力者へ突撃を繰り返すのみの怪異に対する仮定だ。
魔術師よりも佐天を、佐天よりも麦野を優先して追跡しているという事は。
「こいつらの探知目標は――――」
prrrrr!!
全員の視線が一点に集中する。
電子音の発生源は、ステイルの懐だった。
話の腰を折られたが、管制官の役割もこなす神父は無論応答せざるをえない。
「もしもし。…………そうか、了解した」
短い通信を終えたステイルに、インデックスが視線で問うた。
頷きが返る。
「ミセス浜面が確認した。奴らは、『AIM拡散力場』を自動的に追撃している」
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第二学区のビル陰で、二つのキンキン声が木霊する。
「結標さん? あの見るに堪えないお人形さん達、
どちらかというとあなたを追ってらっしゃるようにわたくしには映るのですが」
「気のせいじゃない? 仮にそうだとしたら、私の美貌も罪よね」
「御同類だと思われて親近感溢れるスキンシップを求められているのではありませんことぉ?」
「私の身内にあんな可愛げのないショ…………子はいないわよ」
「ショ? その先なんと? ほら今なんと仰られようとしたんですの?」
「さらさらショートヘアーが私のタイプだってだけの話よ?」
「んまー度し難い! これだからショタコンは」
「だだだだ誰がショタコンやねん!!! 口を慎みなさいよこのレズビアン!」
「己の嗜好を公言できずに何が特殊性癖か! ですの!」
「無い胸自慢げに張ってんじゃないわよ!」
「ちょっと屋上来いやワレ」
『左方のテッラ』と対峙していた時から好調ではあったが、
『光の処刑』の射程範囲から外れて益々緊張感を失ったが故の醜い争いであった。
ただし此度は、幸か不幸か仲裁役が到来していた。
「ヒャッハァー! なってて良かったレベル0!
いや好きでなった訳じゃないけどってアレェェェェ!?
どこ行っちゃったのお二人さん!? 俺を置いてかないでカムバーーーーック!!」
表通りからの情けないSOSが、低レベルにいがみ合っていた女たちの耳に届く。
直後にビルとビルの隙間の空間に、金髪のチンピラが駆け込んできた。
すぐ後ろには件の人形がダース単位で連なっている。
――■■■■■■■■■■■■!!!!――
「いやんなっちゃうわね」
「それ俺の台詞ううう!!」
能力の封印が解けた今なら、応戦は存分に出来る。
しかし彼女らの真のターゲットはあのニヤケ面の魔術師ただ一人である。
無駄な体力の消耗を避けたい二人の空間移動能力者は、
男を伴って林立するビルの屋上までヒュン、と跳躍した。
ドサリ。
「んぎゃっ!」
音とくぐもった悲鳴を立てて投げ出されたのはチンピラ一人で、能力者二人は華麗に地を踏んだ。
白井がビルの縁から下界を覗き込むと、遠く二十メートルは離れた異形と一斉に目が合う。
生きた心地のしないままに顔を引っ込めた。
「……本当にレベルの強い能力者に引き寄せられて来るんですのね」
「確かめる為に俺を置き去りにした訳ですか!?」
「この目でしかと裏付け取らなきゃなきゃ気の済まない性分なのよ」
「この一大ニュースを届けてやったの俺よ!?
ちくしょうだから理后の方に行きたかったのに!」
統括理事会からの指令を不本意だと嘆くチンピラ風の男――――浜面仕上。
不死者から逃げ回る彼女たちの前に現れて、妻が暴いたカラクリを伝えたのは彼であった。
理不尽な女どもの言い草に浜面はガァンガァンガァン! と右の義手を思い切り
強固なコンクリートに叩きつけて、金属音を鳴らしながら人権侵害を訴える。
視線はあくまで『左方のテッラ』の現在地と思われる方角に固定して、
その座標を逃走距離から概算しつつ、結標は無慈悲にも男の訴訟請求を無視した。
「理事会……っていうか雲川さんに文句を言いたいのは私だって一緒よ。
『光の処刑』とやらの性能が事前情報と食い違ってるじゃないの!」
正しくは結標の元同僚、土御門から提供された情報ではあるのだが。
さておき『左方』によって振るわれる『光の処刑』の猛威が、
十年前に土御門の味わったそれと異なっているのは事実だった。
「モノとモノの間の優先順位を変えられる魔術なんだってな?」
うってかわって真面目顔になった浜面が頭を切り替えて、唸りながら質問する。
憤りを誰でもいいからとにかくぶちまけたい結標が即座に噛みついた。
「聞くところでは『優先』は一個のはずなのよ?
だってのにあのムカつくニヤケ面、『第三優先』まで晒してきて。
…………でも、おかげで一つ掴めたかもしれないわね」
首を捻った浜面が口を開こうとすると、もう一人の女が割り込んだ。
「『事前情報』だの『理事会』だの、
何やらわたくしの存ぜぬ所で色々動きがあるようですが」
どうやら全てを承知の上でこの紛争に臨んでいるらしい二人に
不満げな声を横から挟み込んだのは、純粋に正義感から魔術師に挑んだ白井黒子である。
会話から無意識に彼女を締め出していた事に気が付いた浜面が苦笑した。
「ああ悪いな、嬢ちゃん。今は詳しい事情は省かせてくれや。
ここまで首突っ込んじまった以上何かしら説明があるとは思うけどな」
「じょ、嬢ちゃん…………!? ま、まあいいでしょう。
わたくしが体感したのもまさにあなたが先ほど仰ったそれですの」
三次元と十一次元。
革とコンクリート。
コンクリートと手榴弾。
そしてなにより白井と結標が逃げ出す直前の――――
「っと、もうちょっと詳しい話を聞かせてくれ。奴の戦闘ぶりについてだ」
滔々と流れる二人のストーリーテーリングを、一段と表情を引き締めた浜面が制止した。
ズブの素人――いや、そこらのスキルアウトだろうと出来る顔つきではない。
白井は自らの凶悪犯との対峙経験からそう感得した。
そして彼女には知る由もないが、
“これ”こそ浜面仕上が統括理事会に戦力として数えられる所以であった。
「…………私はそういうチームプレーは苦手だわ。白井さん、お願い」
「え!?」
「あなたの方が先に交戦してたでしょ? だったらあなたが説明すべきよ。
私はあのエリマキトカゲの位置を見張るわ」
どこからともなく――などという文句はアポート能力者には失笑モノだが――
双眼鏡を取り出した結標が首を振って白井にバトンを渡した。
そのまま彼女は、返事も聞かずに『左方のテッラ』が居るであろう座標を監視する。
結標が戦闘中に収集したデータでは『光の処刑』の有効範囲は三二・二メートル。
彼らの目的から考えればそうそう市民を手にかけるとも思えないが、
万が一の為につかず離れずの距離を保つ事が肝要だった。
「は、はあ。まあ、そうですわね。
では、わたくしの記憶の限りをお話すればよろしいんですの?」
「ああ、どんな些細な事でも頼むぜ」
「ただし手短にね。この場所もいずれゾンビさん達が殺到するわよ」
結標の注釈に二人して顔を顰める。
そもそもあの連中との邂逅は精神衛生上よろしくなかった。
「…………一度、場所を変えましょうか」
「だな」
そして僅かに五分ののち。
「これで、イケる筈だ」
「……しかし、その仮説が間違っていたら?」
「三人仲良く御陀仏、ってとこかしらね」
偶然も奇跡も望まず、ただただ残酷に現実だけを見据えて。
「まあ安心してろ、超能力者サマに大能力者サマよ」
イレギュラー
『左方のテッラ』攻略のプランが、『無能力者』の手で組み上げられた。
「底辺のそのまた底床を舐め尽くした負け犬の意地、見せてやるよ」
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「もういいだろう。今度こそ、俺様は奴を仕留めに行くぞ」
亡者の怨嗟が学園都市で最も色濃く蔓延る第一〇学区。
自らに最低限の治療魔術を施したフィアンマが一人、神父の探り当てた座標へと踏み出した。
『右方』は匍匐前進のようなスピードで『目的地』に進んでいる。
水平方向限定の瞬間移動も出来ないほどに『第三の腕』が瓦解している事は間違いなかった。
「待てよ……赤アスパラ。私も、行くに、決まってんだろ。
って言うかな、ハァ、この手で、八つ裂きにしなきゃあ収まらねぇんだよ!」
その肩を掴んで強引に引き止めたのは麦野沈利だった。
彼女が息を弾ませているのは、興奮と痛憤のせいだけではない。
――■■■■■■!?――
――■■■■■■■■■■!!――
四方八方に散らばる腐臭の源を、単独で戦闘不能に追い込んだ疲労ゆえであった。
「……第四位を侮ってたね、正直」
仮想敵として『原子崩し』との対決もシミュレート済みのステイルが呟いた。
激昂に任せて狙いを付けなかった初撃以外、彼女の攻撃は全て怪物の脚部に集中していた。
いかに『未元物質』の防御が鉄壁とはいえ、全力で、それも一点集束された
『原子崩し』の照射を十回どころではなく浴び続ければ劣化は免れない。
結果、下半身を失った異形の軍団は還るべき大地の上で不格好に這うのみの木偶と化した。
「戦果と実力は認めよう、麦野沈利。
しかし、ここから先は天上――――いや、『神上』の領域だ」
「ほざいてんじゃねえ、くたばりぞこないが。
上条だか神浄だか知らないけど、私がやるっつった以上はやるんだよ」
「…………お前達、見ていないでこの女を止めたらどうなんだ」
実際の所立っているのもやっとのフィアンマが、
女とは思えぬ膂力の麦野に詰め寄られて微かに額に皺を寄せた。
苛立ちを押し殺して、拱手傍観する三人にあくまで高飛車に救いを求める。
「あ、あはは、私にはちょっと。おっかないし…………」
「私たちだって散々あなたを止めたのに、聞かなかったよね」
「連れて行かなければ君を殺してでも、彼女は進むだろうよ。
ここで無駄に摩り切れるぐらいなら共闘を選択すべきだ、と僕は思うね」
しかし三者三様の発言はどれ一つとして、フィアンマを擁護するものではなかった。
特にステイルのそれは寒々しい程の現実味を帯びている。
最後に物を言ったのは結局、超能力者という明快な『暴力』であった。
「………………いいだろう、まったく。愚者、愚者なる故を知らず、だな」
「そりゃあそうだろうよ、ぐしゃぐしゃの魔術師野郎?」
下品な女だ、と呆れ果てたフィアンマは冷笑して今度こそ踵を返した。
もはやインデックスたちを顧みる事も無い男だったが一つだけ、懸念について確かめる。
『右方のフィアンマ』が魔術の檻から科学という名の庭に放った猛獣たち。
「残りの六一六体は、お前が何とかするんだな?」
「ああ、一計、と言う程のものでもないが…………考えがある」
フィアンマが希望を託すのは魔神に達する可能性を秘めた者、
『禁書目録』ではなく、一介の魔術師に過ぎない神父だった。
多くを語りはしないが、ステイルの双眸には毅然たる意志と自信が宿っている。
「そうか。では武運を祈らせてもらう、ステイル=マグヌス」
誰の目にも入らず、彼自身自覚してはいなかったが、
フィアンマは僅かに唇の端を持ち上げて信頼に満ち満ちた笑みを零していた。
その後ろ姿に、捻くれた激励が投げかけられる。
「僕は祈らないよ。精々無様に生き残れ、『ただのフィアンマ』」
世界を救いそこねた男と、ただ一人を救いそこねた男。
しかし彼らの物語に、一度や二度の失敗でピリオドが打たれたわけではない。
いま再び、ヒーローが播いた希望の種を絶望の嵐から護り抜くためにも。
二人の失敗者は背を向けあい、視線も交わさず――――各々の戦場に身を投げた。
言葉以外の何かで語り合った二人の男を切なげに見やってのち、
インデックスも死地に赴こうとする麦野に一歩近づいた。
「気をつけてね、しずり」
「誰に向かってモノ言ってんのか考えなさいよ。
アンタも無事で帰らないと…………理后とか、第三位とかが泣くわよ」
男とは逆に脚を止めて受け答えた科学の申し子は居丈高に鼻で笑った……かと思えば、
後半部分でデレる流石のツンデレベル5ぶりであった。
その様子に顔を綻ばせたインデックスが、慈愛溢れる眼差しを向ける。
「しずりは泣いてくれないのー?」
口ぶりはお世辞にも慈母のそれではなかったが。
「シャラップ!! ねえ、そっちのアンタ。警備員なんでしょ?」
「へ!? な、なんでしょう?」
火照った麦野が怒鳴り散らすが、シスターは破顔一笑取り合わない。
業を煮やしたツンデレが、袂で悠然と真理のおしめなど変えていた警備員に牙を剥く。
近年の学園都市のコンビニは実にコンビニエンスであった。
「………………そのシスター、一応さ。その……私の、アレなのよ。だから」
「! 任せてください! 御友人は必ずこの佐天涙子が守って見せます!
っていうか、私にとっても大事な大事な友達ですから!」
「言ってねえ!! 誰が友達だってええええ!?」
女三人姦しい。
先人の言葉は実に偉大で、明敏だった。
「こんな時でも賑やかだな、女という生き物は」
「まったくだね…………はぁ」
フィアンマと麦野、魔術と科学の超人二人を見送ったステイルたちもまた、
己が為すべきを為そうと行動を開始する。
まずは、一連の殺劇にその身を絡め取られた佐天と真理を解放する事であった。
「僕らも行こうか。案内してくれ、涙子」
「うんうん、佐天さんにまっかせなさい!
第ニニ支部には知り合いもいるから、多少なら融通きかせてくれると思うよ」
気丈に胸を叩いて請け負う佐天だが、
今日一日で彼女の世界観はまたしても劇的に変貌してしまった筈だ。
死神が幾度となく吹きかけてきた吐息、垣間見た天上の力。
何もかもが未知で、人知を超えた現象に触れながら、尚も佐天涙子は快活に笑う。
地に在って太陽の如く人々を勇気づける、蒲公英の逞しさだな、とインデックスは感じた。
「それでステイル、どんな手があるの?」
「問題は、『未元物質』の鎧だね」
颯爽と前を行く佐天に目を細め、インデックスは問題提起を行う。
『禁書目録』をもってしても陥落せしめる事のかなわなかった術式を
如何にして破ろうというのか、未だ聞かされていない彼女にも興味があった。
「『原子崩し』でさえ一撃必殺とはならないあの守備力。
『幻想殺し』も『一方通行』も、そして『未元物質』本人も不在の現状、
この街にあれを完全に貫く事が可能な『要因』は存在しない」
ステイルの列挙した要素の一つ一つが、悲観的な結末を匂わせるスパイスでしかない。
垣根ではないが、打破の為には常識にとらわれない発想が必要だった。
「ならば、破壊という『結果』を先に持ってくればいい」
ステイル=マグヌスが“この着想”に到達したのは
ひとえに十二年間力を追求し続けた、自己研鑽の賜物。
魔術の本分である、持たざる者への恩情ゆえであった。
「あ!」
因果律の逆転という大規模魔術。
瞬時に思い至ったらしいインデックスに、男はさすがだ、と頷いた。
彼女は記録から引き出したデータを局勢と照らし合わせ、しかし否定する。
「無理だよ。確かに私は昔、実物を見たけど…………」
「僕もかつて、使用者本人に尋問した事がある」
「だったらわかるでしょ! あれを本当の意味で行使するには『鍵』が必要で」
ジャラ、と鎖の音。
ステイルが懐から取り出したのは、魔道図書館の蔵書には記されていない霊装だった。
二つのエメラルドが束の間、その輝度を落とす。
「これなら、どうだい」
「…………そ、そんな、どこで?」
男の眼が得意げな表情とは裏腹に鋭く尖った。
その棘に気付かないインデックスの翠玉に、やがて光が帰ってくる。
女が声に詰まった。
「拾ったんだよ」
事もなげにのたまったステイルの様子に、瞬刻インデックスが絶句した。
だがその首は未だ、縦には振られない。
「…………ダメ。それでも、もし構築に失敗したら…………!」
術式の発動のために封入された魔力が行き場を失う。
そうなれば甚大なリバウンドが術者を襲って、ほぼ確実に死出の旅へと誘うだろう。
『禁書目録』、いや一人の女として肯んじられないインデックス。
今この瞬間科学の街の人々に齎されている悲劇の存在よりも、
彼女は目の前の愛しい人の喪失を恐れてやまない。
それはインデックスという聖女の本源の、緩やかな変質を意味していた。
「“無理”ではないんだね?」
「それ、は……………………」
ステイルは初志を貫くと定めてしまっている。
フィアンマと立てた、十字架と言う名の誓いも彼の背を押しているようだ。
「君の一〇万三〇〇〇冊と、僕の持つルーン文字三八種。そして、『これ』」
頭を垂れた女の苦悩を振り払って、神父は解放への道筋を示す。
「聖書に語られる炎の雨を、再現しようじゃないか」
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嵐の止まぬ学園都市第六学区で、食蜂操祈が突如頭を抑えて膝を付いた。
「しょくほう、大丈夫?」
気遣った理后にヒラヒラ手を左右させて、煌びやかに食蜂は笑う。
それは二十五年の人生で脆弱を余人に曝け出したことのない、女王の虚勢だった。
『天罰術式』から自分と理后の意識を保護する為、
そして円環状にズラリと跪かせた下僕どもの制御の為に、
『心理掌握』の連続使用時間はとうに一刻を超過している。
第五位という叙階に足を乗せて以来、未知未踏の領域に食蜂は倒れ込んでいた。
「他人の心配してないで、お仕事ちゃんとしてねぇ?」
理后は学園都市を覆う暗雲を払うという大役を担っている。
それとて、『心理掌握』による『敵意』の抑制が失われるか、
「動きが鈍くなってるわよ、『ただのヴェント』さん!」
「囀ってなさい、ヒヨッコ!!」
激しさを増すばかりの台風の目で、ヴェントが斃されれば露と消える。
誰一人欠けても、この戦争を制する事は不可能であった。
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「辛そうじゃない、介護は御入り用?」
『前方』の操る突風がうねり、形をスピア状に変えた。
右脚に力を込めて跳ねとんだ敵手へ、穂先が曲がって更なる追撃。
ヴェントは一瞥して唾を吐くと、十年ぶりに通したピアスで己の疾風に意志を伝えて迎え撃つ。
包み込むように広がった大気の塊が、槍をのみ込んで自らもはじけ飛んだ。
「私は介助する方よ、この厚化粧!」
傲岸不遜にヴェントは格下の魔術師を嘲笑うが戦況は伯仲していた。
先手を取っても劣勢だった一度目の対決とは明らかに、『前方』の術式の精度が違う。
(『座』へのリンク……こんな小細工で散々嘗めた態度とりやがって!)
この思考も伝わっているのだろう、と同じ土俵に漸く上った『前方』が臍を噛む。
するとヴェントが無駄の削ぎ落とされた風捌きを分析しつつ、ハンマーを二度振った。
ゴオン! と金属音を立てて地に激突した暴風が、剥がれかけた床板を巻き上げる。
ワンテンポ遅れて、二撃目が堅固なパネルを弾丸に変えて射出した。
「そんなのが効くと思ってんの!?」
『前方』が迎撃に選択したのは単純明快な巨大空気弾。
ビリ、と大気が悲鳴を上げて、その風船に吹き込まれた衝撃の凄まじさを予感させる。
グシャアアアアッ!!!
交わった攻撃と迎撃の結末を碌に見届けもせず、
『前方』は攻守交代とばかりに鋭利な刃を無数に投げ込もうと構えて――俄かに目を見開いた。
忌々しい先達の姿が、忽然と消えている。
「どこに…………!?」
瞬きと変らぬほどの一瞬の瞑目。
『前方』が一再瞼を持ち上げると、風圧の均衡する点に向き直った。
バリバリィッ!!!!
風化したかのように粉微塵にされた床板のすぐ背面にヴェントの姿。
身を隠して肉薄した女が風塊を避けるべく宙を舞い、
華麗に身を捻りながら直接命中させるべく大槌を一閃した。
「らあっ!!」
「ちいっ!!」
雄叫び二つ。
本格的な鍔迫り合いを制したのは不意を突き、上方を取ったヴェント、
「っ、ああ!」
ではなく、『前方のヴェント』の烈風であった。
押し飛ばされ地に吸いこまれるヴェントの小柄な身体。
墜落の寸前に風に乗って、どうにか二本足で着地した女の左手が一瞬横腹に伸びた。
「内臓、イッちゃった? それとも骨ェ?」
バッと勢いよく引かれ、左腕は大槌に添えられるが後の祭りである。
(わかる、読める、筒抜けだ、お見通しだよぉ!)
肺臓に火掻き棒を突っ込まれたような激痛に、ヴェントは正気を保つのでいっぱいだ。
彼女の艱苦と焦燥が、『前方のヴェント』には手に取るようだった。
クロスレンジ。
最も目の前の女を苦しめて殺す手段を侵攻者は選ぶ。
後方で空気圧を爆発させ、突貫。
「調子に、っつ!」
ヴェントの迎撃行動が初めて、且つ明確に、一手遅れた。
踏ん張り切れずに跪いた敵を見て、『前方』が喜悦を膨らませた。
精神を支配する残虐そのままに兇器を左腹部へスイング。
「があああああああああああっ、あああ、っつがあっ!!!!」
獣の叫びが谺した。
「かっ、が、あああ、くうううう!!!!!」
怒りでも憎しみでもなく、ただただ苦痛に悶える山彦が無機質な機械の里を吹き抜ける。
「んっ、んがああ!!! っの、カハッ!?」
性欲にも似た愉悦に脳を犯されながら、殺戮者が振る、振る、鈍器を振り下ろす。
「か…………」
咆哮が、止まった。
ヴェントはもう動かない。
『右席の座』へのリンクを確認。
魔力反応無し。
死んだ。
死。
「死んだ、死んじまった、殺してやった!」
狂ったように笑いながら、死者を更に辱しめるべく槌を構え、
バァンッ!!!!
「あ?」
銃声。
魔術の世界には存在しない殺しの産声。
食蜂操祈が、ヴェントに震える銃口を向けていた。
「…………アンタに、注意を払ってないとでも思った?」
オイル缶に詰められて腐ったような、停滞した風が空気を伝う。
「そんな鉛玉、逸らすのに指一本要らないんだよ」
表情を彩る殺意の色だけは塗り替えず、『前方のヴェント』は冷静に冷徹に健在だった。
『前方』の目に映る範囲には、拳銃を取り落とした第五位のみ。
しかし彼女は空気の淀みから第九位の位置をあっさり把握した。
食蜂の後方、百メートル以上。
戦場となったゲームセンターを出て別の施設でしゃがみ込んでいる。
(仲間を見捨てた? それともまだ足掻く? だが、動きが無い)
どのみち、次の犠牲者は膝をガクガク言わせて大量の脂汗を流す『心理掌握』だ。
絶望に武器を握っていられなくなったのだろう、その顔には笑みが――――笑み?
「別にあなたにプレゼントしたわけじゃあないのよ。
ところで、電気伝導率の一番高い金属って何か知ってるぅ?」
突然余裕の、しかし意味不明の講釈を垂れる女。
嫌悪感以上の何かが『前方のヴェント』の背筋を昇って消えた。
「いま撃ったのは鉛玉じゃなくて、いわゆる『銀の弾丸』よぉ。
とぉっても良く『電気』を通すの」
バチリ。
間違いなく後背から鳴った、雷の弾ける耳障りな音。
「どうしても、『彼女』が欲しいって言うからパスしたの…………ねえ」
金属、弾丸、電気。
連想ゲームの正答に、『前方』は辿りついた。
『「『超電磁砲』って言葉、知ってる?」』
振り返った先に第三位、上条美琴がいた。
「馬鹿な、アックアは…………!?」
親指に紛れもない『銀の弾丸』を乗せ準備万端の第三位に向かって、狼狽して構えをとる。
マズイ、撃たれる、今すぐにでも発射される。
『後方のアックア』はとうの昔に敗れ去ったというのか。
戦場に生き、戦場に死ぬあの男が。
あり得ない。
思ったと同時に、凛々しく佇む『超電磁砲』の輪郭が薄れた。
(――――――――やられたッ!!!)
徐々に消えゆく第三位の体を通して見えた、銃弾を撃ち込まれて中破し、放電する配電盤。
言い聞かせるような口調、丁寧に与えられたヒント。
何より彼女の能力『心理掌握』と、魔力の壁を潜るほどにその強度を補正する『能力剥奪』。
全ては脳内に、ありもしない上条美琴の幻を産む布石。
連想ゲームは、解かせる為に出題されていた。
そこまで悟った『前方のヴェント』のすぐ背後に気配が一つ。
(第五位が、接近戦だと?)
違和感が肌を這うように撫ぜるが、今度こそ他の解は導出し得ない。
『超電磁砲』の幻影に怯え上がって、隙だらけになると甘く見られたのか。
「人をおちょくるのもいい加減にしな、『心理掌握』ッ!!」
再び百八十度回転。
怒りに吠えてその華奢な身体から血の花を咲かせてやろうと――――
「御存じなかったかしらぁ?」
癪に障る猫撫で声の発信元は先刻と変らぬ位置、およそ十メートル。
「ん、な」
唸る豪風は、眼前一メートル未満。
「女王蜂はね、自分では働かないものなのよ」
驚愕する『前方のヴェント』の五体を、蘇った『ヴェント』の風撃が派手に吹き飛ばした。
十年前、少女はロシアという国に暮らしていた。
極寒の大地は自然の厳しさを幼い少女に刻み込んだが、それは同時に家族の温もりを際立たせた。
父と母、三人だけの寒くても暖かい日々。
しかし穏やかな日常はある時、日記のページを破り捨てたかのように切り裂かれた。
第三次世界大戦。
いつも通り幾重にも毛布をかけてベッドに潜る少女は、轟音に呼び覚まされた。
鉄と硫黄と――――血の匂い。
一つ夜を越えて陽が昇る間に、少女は何もわからぬまま全てを失った。
ただ、己の命だけを除いて。
戦争が終わって少女は、親戚の伝手を頼ってイタリアへ渡った。
遠縁の新しい家族は優しく接してくれたが、少女は夜毎に魘された。
救いを求めた少女はやがて、世界最大の宗教にのめり込んでいく。
科学が憎い、わけではなかった。
ただ、恐ろしかった。
忘れられなかった。
家族の鼓動を、絆を、暖かい暮らしを断ち切ったにおいが、焼き付いて消えなかった。
抑圧された恐怖は、いつしか裏返って破壊への衝動に変わり。
そうして少女は、『前方のヴェント』になった。
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「………………なんで」
重なるように倒れ込んだ二つの黄色。
下敷きにされた方の女が、心底不思議そうに呟いた。
「どうして、科学を、受け入れられた……?」
勝利しながら指一本動かせないヴェントは、すぐには口を開かなかった。
瞼を閉じてその裏側に何を――――誰の顔を、描いたのか。
「こ、たえ、なさいよ」
屍に身を偽装した際、魔力精製を止めたからこそ彼女は『前方』を欺けた。
その状況で『天罰術式』を回避する方法はただ一つ。
「さあ、ね」
かがく
ヴェントは、憎んでやまない筈の『心理掌握』に己の生命を委ねたのだ。
『敵意』を鎮めると同時に、骨という骨を粉砕されて湧き上がる痛覚を一時的にカット。
疾走し、『前方のヴェント』に最後の一撃を加える直前、『風の術式』を再発動したのだった。
「しあわせ、そうなツラしやがって。ほんと、むか、つく…………ぁ」
言葉に乗らない返事を聞いた『前方』は悔しげに唇を尖らせ。
その貌が、重力に従ってカクンと落ちた。
「お疲れさまぁ」
「アンタもね」
二人の『ヴェント』のすぐ脇に、食蜂がふらふら歩み寄ったかと思うとへたり込んだ。
女魔術師が苦境に立たされた最大の原因であった、白壁への凄まじい激突。
本来、より大きなダメージを身体に遺しているのは
彼女と障壁のサンドイッチにされた食蜂のはずだ。
ゆとり溢れる物腰を崩さない女の口元から、ツ、と一筋赤が伝った。
「お互いさまよねぇ。ところであなた、さっき厚化粧さんに訊かれた事だけど」
「…………マジでえげつないわね、『心理掌握』って」
鉄の匂いがする紅を妖艶にしなを作って塗りながら、突如ガールズトークを切り出す女。
ヴェントは勝利への報奨として、心理を掌握されるというこの上ない大金を支払う事と相成った。
居なくなれ、と願えば願うほど精密に脳内で焦点を結ぶ『アイツ』の像。
繕っても第五位相手では無駄だ、と開き直った女はおバカな雇い主の声を耳奥で再生した。
『なんだヴェント、意外と似合うじゃないか』
声をリードしたのか、食蜂がしめやかなムードなど気に掛けず豊かな肢体を揺さぶる。
「惚れた弱み、ってヤツぅ? いいないいなぁ」
「そんなんじゃないわよ」
そう、そんなものではない。
『見ろ、ヴェント。俺様の知らん事が世界にはまだまだ満ちているな』
恋だの愛だのでは、間違ってもない。
ただ、世界を救うなどと豪語する阿呆の生き様を、見届けたくなっただけなのだ。
自分が居なければ、妙に世間知らずのアイツは長生き出来そうもなかった。
『おい、俺様は何も諦めたつもりなどないんだぞ』
もしもアイツが世界を救ったら、自分の憎しみも消えるのだろうか。
『いつか、お前も救ってみせるさ。上条当麻が、誰かにそうしたようにな』
誰に『敵意』を向ける事も、向けられる事もない。
そんな優しい世界が、アイツとの日々の先に待っているのだろうか。
(…………なーんて、ね。馬鹿みたい)
下らない妄想に自嘲して、意識を手放す直前。
「ふふ、そうねぇ。馬鹿だとは思うけど」
食蜂が心理を読んで放ったであろう弾むような一声が、妙にヴェントの耳に残った。
「だけど、すっごく羨ましいなぁ」
とある休業日 メイド喫茶『ベツレヘムの星』 従業員控室
ガラッ
フィ「おお、居たな」
ヴェ「そりゃ居るわよ、明日の営業チェックもあるし」
フィ「メイドさんがかなり板に着いてきたじゃないか」
ヴェ「うるさいわよ! 好きでやってんじゃないっつってんでしょ!?」
フィ「そうは言うが、お前のご奉仕ぶりは素人のそれではないと思うけどな」
ヴェ「当然でしょ、介護士の資格持ってんだから。こちとらプロよ」
フィ「冗談は顔と厚化粧だけにしておけ」
ヴェ「ウソじゃないわよ! あの化粧は術式の為だって言ったでしょうが!
っていうか全体的にどういう意味よ今のはぁ!!!」
フィ「それより聞け、ヴェント」
ヴェ「アンタが私の話を聞け! そっちが振ったんでしょうが!」
フィ「ん? 今日はやけに喧嘩腰だな」
ヴェ「アンタがそういう顔してる時にね、ロクな目に遭った試しがないのよ」
フィ「そういう顔? どういう顔だ」
ヴェ「いい歳こいてガキみたいに目ェキラキラさせてるそのアホ面よ!」
フィ「男は常に少年を胸に抱いてなければ革新を起こせないんだ、ヴェント」
ヴェ「したり顔で良い台詞吐いてんじゃねーよ。
言っとくけどアンタの口から出た時点で胡散臭さが五次関数で右肩上がりだからね?」
フィ「と、言う訳でだな」ゴソゴソ
ヴェ(希望溢れるヴィジョンを幻視できない自分が、幾分悲しいわね…………)
フィ「この『神にご奉仕☆メイド風あーくびしょっぷ』のプロトタイプを試着しろ」
ヴェ「少年は少年でも思春期真っ盛りの中学生だろうがそれはああああ!!!!
露出度ヤバすぎでしょイメクラにでも方針転換する気なのかァァーーーーッッ!!!!!」
フィ「ッ! 天啓………………ッ!!」
ヴィ「天罰ゥゥゥゥーーーーーッッッッ!!!!!!!」ドグシャアッ!
フ※■■※「」※残酷描写につきお見せできません
ヴェ「なんなの!? アンタの生甲斐って私を弄る事なの!?」
フィ「人の嫌がる事は積極的にやれっておじいちゃんが」ケロッ
ヴェ「それただの嫌がらせぇぇぇぇぇ!!!!
私が嫌がってる事わかってたんかいアンタあああ!
そのおじいちゃんいま何処にいるのか教えなさいしばいて来るから!!」
フィ「バチカン」
ヴェ「前教皇ォォォーーーーーーーーーーッッ!!!!!!!」
フィ「他人行儀な言い方だな、お前にとってもおじいちゃ」
ヴェ「ちっがああああう!! そのそれは、ええっと、罰ゲームとかそういうアレで負けたアレであって」
フィ「もしもし、おじいちゃん? おじいちゃんの可愛い可愛いヴェントが実はこんな事を言って」ピポパ
ヴェ「やめて私が悪かったああ誤解しないでおじいちゃんこれは違うの!」
フィ(なるほど、前教皇の言うとおりだ。結構可愛いな)ホノボノ
ヴェ「ゼェ、ハァ…………くそ、アンタのせいよ!」ピ
フィ「何が」
ヴェ「今度帰った時に、メイド服で介護するって約束させられたのよ!」
フィ(あの古狸は全部計算の上だろうがな)
ヴェ「はぁ………………そういえばアンタ、さ」
フィ「なんだ?」
ヴェ「メイド喫茶なんて営んでおきながら、自分では侍らせないわよね、メイド」
フィ「ほう、良い心がけだな。ご褒美に思う存分俺様に跪く権利をやろう」
ヴェ「気持ち悪い勘違いしてんじゃないわよこのノータリン!!」
フィ「とりあえず、紅茶を一杯もらおうか」
ヴェ「誰が!」
フィ「だったら棚の空けられた茶葉はなんだ? あれは確か昨日買った新品だ」
ヴェ「わ・た・し・が一人で飲むのよ! 自分の分は自分でどうにかしなさい」
フィ「CEO命令だ。メイド、茶を一杯よこせ」
ヴェ「………………少々、お待ち、下さいませ!」
フィ「よろしい」
コポポポポ
ヴェ(雑巾の絞り汁でも入れてやろうかしら)
フィ「あまり俗な『天罰』を行使すると格が知れるぞ」
ヴェ「ああもう! お熱いのでご注意ください!!」
フィ「おお、なんという偶然だろうな? 俺様の愛するダージリンではないか」
ヴェ「~~~~~っ!! 神にでも感謝してなさい!」
フィ「まずは淹れた相手を労うのが礼儀だろう。頂くぞ」ズズズ
ヴェ「どこで礼儀なんて言葉覚えてきたのよ世間知らずが……」ズズズ
フィ「………………」ズズ
ヴェ「………………」ズズ
カチャ
「……美味かった。ありがとう、ヴェント」
「…………どういたしまして」
ヴェ「で? 私に茶を淹れさせるためだけに来たわけ?」
フィ「だからこの新作を試着してだな」
ヴェ「全メイド率いてストされたいのね」
フィ「遂に我が社にも労使対立問題が……」
ヴェ「主に私とアンタの対立よ!!」
フィ「なに、今度行く学園都市店で現地のスカウトを担当してもらおうと思ってな」
ヴェ「……………………本気で殺されたいの?」
フィ「ははは。やれるものか、お前にそんな事」
ヴェ「どうかしらねぇ? 私の役目は危険分子の監視だもの、
いっそ消しちまえばお役御免、晴れて自由の身だわ」
フィ「そうか、じゃあ好きにしろ」
ヴェ「!」
フィ「驚く事は無いだろう、お前が言いだしたんだ。
今の生活に堪えられなくなったらいつでも俺を殺してバチカンに帰っていいぞ」
ヴェ「………………わざわざアンタに促されなくたって、その気になればやるわよ」
フィ「なら、構わないさ。じゃあ俺様は仮眠をとるから、一時間したら起こせ」ヨッコイセ
ヴェ「人を、おちょくってんの…………!」
フィ「zzzzzz」
ヴィ「警戒感を少しは持て! の○太か!」
フィ「zzzwww」
ヴィ「起きてるわねアンタァーーーーッッ!!!!」
フィ「………………zzzzzz」
ヴェ「クソッ!」
フィ「zzz」
ヴェ「……………………」
スタ スタ スタ
「…………私は、アンタの監視役よ、フィアンマ」
「世界を救うなんて誇大妄想に浸ってる大うつけの死に顔は、絶対私が鼻で笑ってやるわ」
「だから」
「馬鹿みたいに何年も何十年も足掻いてもがいて、その挙句に」
「そうね例えば、ベッドの上とかで」
「私の見てる前で、死になさいよ」
ガチャ バタン
「…………己の死を厭うには、屍を踏み越え過ぎた。そう思ってたんだがな」
「誰か一人がそう言ってくれるなら、俺の人生もまだまだ捨てたものじゃないらしい」
ゴロリ
(任せておけ、ヴェント)
(だったらお前は、俺より先に、下らん罪悪感などで死ぬなよ)
(まあ、死なせるつもりもないが)
(見てて飽きないその慌てふためく面を)
「いつまででも、目に焼き付けていたいからな」
オワリ
第一〇学区の警備員活動支部に無事到着したインデックスとステイルは、
佐天の協力でスペースを空けた装甲車両の駐車場に巨大な魔法陣を組もうとしていた。
「…………解釈の歪曲を完了」
「元がローマの術式で助かったね、ラテン文字からなら転写は容易い。
じゃあ土台部分から、位置と一緒に読み上げてくれ」
全長にしておよそ七、八十メートルに及んだ“オリジナル”には
比肩すべくもないが、スペースは十分確保できている。
後はインデックスの記録に収められた術式をステイルのルーンで十全に再現すれば。
(…………出来ないわけがない。僕一人ならまだしも、彼女がいてくれるなら)
彼がフィアンマにも披見した自恃の根源は、まさにそこにあった。
完全コピーのみならず、環境に合わせた応用まで自由自在にこなすインデックス。
ステイルに言わせれば、彼女の真価は莫大かつ迅速な記憶力ではなく、
柔軟で創造性に富む処理能力にこそあった。
「さあ、最大主教」
「………………Laguを足元に置いて起点に。
南に四センチ刻みでEolh、Is、Yr、Nyd、Cen、これを七セット」
清廉な鈴の音を強張らせて、インデックスが構築の指示を始める。
失敗は術者の、即ちステイルの死に繋がる。
だから震えているのだろうか、と彼女の笑顔を曇らせた自分を呪いつつも、
一方でステイルは不所存と知りながら喜びも感じていた。
(彼女を安心させたければ、やり遂げればいいんだ)
インデックスが自分の身を案じて一喜一憂している。
その苦くも幸福な事実はステイルの自制心を微かにだが緩めた。
さりとて現在の作業は一瞬たりとも気を抜けない。
「次は起点に戻って、北に二、三、一、三の間隔でGeofu、Is、Is、Eolh…………」
ただでさえ得意属性の大いに異なる、特殊霊装が不可欠の魔術を空手で再構築しようというのだ。
世の魔術師一般からしたら正気の沙汰ではない。
精緻に精密、厳格な配置が歪めば彼女を悲しませることになる。
ステイルにとってそれは、自らの命が失われる以上に許容しがたい事であった。
-----------------------------------------
「鉄装先生、無理言ってすいません!」
頭を下げて支部に詰めていた顔なじみに礼を述べたのは、
防護服に身を包んで警備員らしい装いとなった佐天涙子である。
大事な愛娘を行きがかり上とはいえ保護した上条夫妻への責任感、
そして麦野と交わした違える事の出来ない約定を胸に、彼女は駐車場の入り口に陣取っていた。
「まあ、それは別にいいんだけど…………あの二人って、この間テレビに出てた」
「ど、どうかその点については触れないでもらえるとありがたいかなー、なんて、はは……」
人の良さそうな顔にタラリと汗を流した第二二支部の隊長、
鉄装綴里は本部からの指示で解禁された実弾ライフルを点検していた。
高位能力者が狙われているという情報は既に警備員各支部にも降りてきており、
彼女を除く二二支部の隊員は出払って街を埋め尽くすゾンビ軍団の対処に向かっている。
AIM拡散力場に反応する以上、能力に依存しない武力を持つ警備員と不死者の相性は抜群であった。
「美琴さん…………ダメだ、繋がんないか。旦那さんの番号は知らないし……」
一息ついた所で、支部内にて頑是なく眠りこける真理の現状を
両親に伝えようと連絡を取るも、そう上手くはいかない。
やはり美琴はこの騒動の首魁と直接対決しているのだろう。
上条当麻に至っては日本国内にさえいないのだが、佐天が知る筈もない。
「鉄装先生、人的被害はどれくらいになってるんでしょうか?」
「いまの所死者は出てないみたい。でも、重傷者は十や二十じゃ利かない数に上ってるって……」
心優しい女教師の一面を覗かせた鉄装が沈痛に言葉を絞り出す。
被害の中心は比較的高い強度(レベル)でありながら、
自衛に足りるだけの能力を持たない強能力者(レベル3)だという。
「でもね、ついさっきから被害報告がパタリと止まったの。
何でも敵勢力が、問題のレベル3以下を狙わなくなったんだって」
「そ、そうなんですか?」
暗いニュースばかりが続く学園都市にも、一縷の救いは残されていたのだろうか。
そういえばステイル達の話では、魔術師の目的はあくまでレベル5狩りのはずだ。
(まあ、『かみのうせき』? の目標からすればおかしくはない…………かな?)
そもそも魂なき兵隊が振るう暴虐こそが、彼らの目的と微妙に合致しない。
高レベル能力者の犠牲は少なく抑えられているのだから、戦略目標は達成されていないのだ。
「私が考えても、仕方がない事かなぁ」
「どうかしたの?」
「な、何でもありません!」
何にせよ根本的解決への最も重要な鍵を握るのは、
恐ろしいほど真剣な眼差しで次々に地にカードを投げていく二人の魔術師だ。
(あの二人の邪魔さえさせなければ、それで私たちの勝ち、だよね)
相身互いに強く深く、複雑に想い合っていることが
短い付き合いの彼女にも理解できてしまうほど結び付いた男女。
もはや錯覚などと誤魔化せないほど狂おしくなった胸の痛みを押し殺しながら、
意気込みを新たに特殊装備を構え直す佐天。
その時彼女の背後に、黒い影が忍び寄った。
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「順調かしら、浜面さん?」
科学と魔術の異色タッグが死闘を制した第六学区は、未だ亡者の巣窟であった。
しかし現在彼女らを取り巻く魔窟は、意図的に作り出されたものだ。
「学園都市の全レベル0からレベル3のAIM拡散力場を剥奪完了。
…………しょくほう、もっと“上げ”ても大丈夫?」
「もっちろぉん」
学園都市を襲う悪意の嵐を防ぐのは、『学園個人』こと浜面理后。
彼女は被害が甚大になりつつあった強能力者から優先的に力場を抑制、剥奪し、
更に目の前の超能力者の強度を上方補正して撒き餌とした。
“レベル5.5”とでも称すべき現在の食蜂を越えるアトラクションなどこの街には無く、
後は飛んで火に居る夏の虫、女王の御前に跪く奴隷ピラミッドの一丁上がりである。
「他の皆はどうなのかしらねぇ」
「まぐぬすにさっき確認したよ。
むすじめとしらい、みこととそぎいた、それにむぎのはまだ闘ってるって」
瑕疵を敢えてあげつらうとするなら、
超能力者からターゲットを強制変更させる程の引力は供給できなかった事か。
残る三人の『神の右席』と尚も対峙しているだろう彼らへの援護は、事実上の失敗に終わっていた。
「あの人は大丈夫なの?」
「痛みがぶり返す前に安らかにおねんねしてもらったわ。
それに学園都市には世界一のお医者様がいるしぃ?」
決着後間もなく『前方』同様に限界を迎えたヴェントは救急車に運ばれて既にこの場を去った。
搬送先は論ずるまでもなく、第七学区のとある病院である。
あそこでは今日も、黄泉路を行く旅人を現世に送り返すべく、生涯を医に捧げた戦士が闘っている筈だ。
「うん、そうだね。あの先生なら安心。
私たちの仕事は、ここで囮になって皆の負担を減らすことだね」
「…………不安じゃないの? 私が管理を少しでもミスれば、それでジ・エンドよぉ?」
理后の泰然たる態度に、呼吸の荒さを隠しきれないほどの能力行使の疲労から棘を含ませる食蜂。
そんな彼女に、母としての強さを知る女性が固くなった気を解すように笑いかけた。
「大丈夫、そんなしょくほうを私が応援するから」
「う………………もう、知らない!」
第五位にもどうやら、ツンデレベル5の素質が開花しつつあるようだった。
耳をそれとなく赤くして金髪を梳かし始めた食蜂を慈しんでのち、
浜面理后は大切な人と明日を生きる為に戦地にある仲間たちに、愛する夫に想いを馳せた。
そして、遥かな魔術の地から肩を並べに訪れてくれた二人の同盟者――――いや、友人。
「あとはまぐぬすといんでっくすが、この火を必ず消してくれるよ」
お節介で、お人好しで、頼まれてもいないのに駆け付ける。
能力者たちの参謀、雲川芹亜が苦笑交じりにそう評定した彼ら、と言うより彼女の人となりは、
学園都市はおろか今や世界でもその名を知らぬ者などない、とあるヒーローにとてもよく似ていた。
「御信任が厚いのね…………浜面さん、どうかした?」
ほんの二度、公の場で対面しただけの魔術師たちの姿を思い返したのか、食蜂が首を捻る。
するとその脇で理后が目を細めて、いきなり真夏のぎらつく太陽を見上げた。
「何だろう、強い? ううん、多いんだ。束ねてる」
疑問を口にしてあっという間に自己解決してしまった彼女を胡乱気に見やって、
付いていけるはずもない食蜂が電波発言の真意を尋ねた。
「えっと、説明はしていただけるのかしら」
「たった今、上空四十メートルを飛行した物体があった」
四十メートル。
ヘリコプターなどより遥かに低い高度である。
何かが通過すれば陽の光が遮られて、その存在は自ずと認識される筈だ。
しかし理后の感知した未確認飛行物体は、音を立てなければ、影も産まなかった。
「…………これは、AIM拡散力場の集合体?」
-------------------------------------------------------------
「配置完了、間違いない」
枚数にして三万を超えるルーンを配置する事二十分。
場所が場所なら激賞されて然るべき驚異的な早業で描かれた陣が薄蒼く輝き始めた。
二、三度と目を瞬かせて確認してのち、ステイルは次なる行程に突入する。
インデックスが祈るように、無言で両の手を胸前で組む。
彼女の不安を晴らそうと男は首だけを回して笑いかけようとして、
「後ろだっ!!」
言うが早いか、駆け出した。
――■■――
『それ』の肩越しに、額から血を流す佐天ともう一人の警備員の姿を認めたステイルは
よろめき、地に伏したがる肉体を精神の支配下に置いて、呆然とするインデックスに飛びついた。
ざらざらしたコンクリート上を横転する間も、自身が下敷きになる事は忘れない。
「怪我は?」
「だ、大丈夫」
構築に集中するあまり探知術式が疎かになっていた。
悔みながら三度遭遇してしまった異形を睨みつけるステイル。
アサシンと呼ぶに相応しい細くもしまった躰つきは、他の亡者とは一線を画していた。
「また構成が違う! 多分、今度は遠隔操作なんだけど」
「だから、僕らを、正確に狙ってくるんだな…………ルーンの痕跡を辿られた、か!」
情報交換の暇を与えず、腐敗した葡萄色が俊敏に毒々しい鉤爪をかざす。
陣が乱れるのも止むを得まい、とステイルが炎剣を抜こうと構える。
が、鞘を出る直前にその刃は止まった。
バッ!!
――■■、■■?――
「な、なに?」
「るいこ!」
遠隔操作ゆえの弊害か、強靭なネット弾を避けられずまともに浴びた暗殺者。
「へへ、ざまーみろ……無能力者を甘く見ないでよね」
死角から息も絶え絶えの佐天が放ったのは女の、レベル0の意地、という名の弾丸。
彼女もまた、誓いを胸に使命を果たそうとする立派な戦士だった。
「二人とも、今のうち…………ステイル!?」
しかし、好機を生んでくれた佐天の声が、ステイルには異常に遠い。
瞼が落ちてもいないのに視界が闇に染まり、脳髄が内側から殴られたように痛む。
(さい、あくだ…………! よりにもよって、今!)
ステイルの全身を襲った虚脱感の正体は、魔力枯渇を訴える脳からのシグナルだった。
足に力を籠めるが、立てない。
隣の大事な人の気配さえ朧だ。
どうにか拘束を抜けだしたらしいアサシンの怒号だけが、腹の立つことに実によく聴こえた。
――■■!!――
幻聴だろうか、それに重なる、人を人とも思わぬ無感動な音吐。
――――滅しろ、非力な虫けらが――――
路地裏で掛けた宣戦布告は、処刑宣告になって跳ね返って来た。
異形が浮かべた嘲笑は、『右方』の傲然たる相貌そのものだった。
「安心して、すている。私が必ず守るから」
そして、ステイルの全身が、脳が、心臓が。
急激に、冷えた。
解析している時間が無いと判断したのだろうか、聖女が咄嗟に守護神の前面に回った。
無謀な献身ではなく、『歩く教会』の防護力を計算に入れた上での冷静で、勇気ある決断だ。
ステイルも客席に立てば、合理的な行動だと納得するだろう。
(………………ふざけるな)
理屈の上ではそうなる。
彼女が傷つくのが嫌だったなら、上条家に閉じ籠っていればよかったのだ。
そもそも、彼が日本行きに反対していれば今回の作戦が実行に移されることはなかった。
ステイルの理性がインデックスの強さを認め、頷いたからこそ現状がある。
理屈の上では、彼も納得しているはずだったのだ。
だが、衝動は、本能は、心は。
(ふざけるなよ)
賢しい理などに説き伏せられるはずがない。
(ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァッ!!!)
合理的な、正しく賢いやり方などクソくらえである。
ステイル=マグヌスは護るべき女性を己の盾とする事など、決して是とは出来ない。
これはどこまでもくだらない、男の意地の問題だった。
(何だ、動くじゃないか。このポンコツめ)
腕をやわらかで無垢な躰にそっと、壊れものを扱うように回す。
背後から抱きすくめられた彼女が肩を強張らせたことを
肌越しに感じながら、ステイルは身をくるりと反転させた。
その目的を数瞬遅れて理解したインデックスが何事か短く叫ぶが、関係ない。
(…………君さえ)
腕の中の世界一愛しい女性さえ、無事ならば。
男の脳裏を原始的な喜びと使命感だけが埋め尽くす。
かくご
背に走るだろう激痛を計算に含めて、止まらない腕の震えを押し殺した。
「ごめんなさい」
覚悟した痛みは、微塵も生じはしなかった。
ステイルの視界に黄金色の、無機質な羽がひらりと舞入ってくるのと。
「バカッ!!!」
頬に、華奢な手のひらが聖女の悲しみを刻んだのは、ほぼ同時であった。
「ごめんなさい、『あなた』を助けてあげられなくて」
光の刃を携え凛然と立つ人工の天使。
「でも、私の大切な友達を傷つけるのならば」
インデックスが、科学の街で得たかけがえのない親友。
「容赦はしません」
降臨したヒューズ=カザキリ――――風斬氷華の一刀が、
哀しきマリオを『未元物質』ごと両断した。
---------------------------------------------------------------
麦野や美琴のように、膂力のない己が恨めしい。
いくらその胸板に縋りついて、血液が逆流したかのような怒りを叩きつけようと収まらなかった。
「バカバカバカ、ばかあっ!!!!」
気障で、ヘタレで、短気で、微妙に鈍感で。
感情のまま、命を自分の為に投げ出してしまうこの救い難く愚かな男を。
それでもインデックスは。
「私は本気で怒ってるんだよ!?」
愛してしまっていた。
愛しい、愛しい、こんなにも愛おしい!
いなくなって欲しくない。
永遠に、傍にいて欲しい。
その喪失に堪えられるだけの心のしなやかさは、もう彼女の裡の何処にも無い。
「……僕は、謝らないよ」
ああもう、絶対に■■になど■■■ないのに!
「僕は君の命を預かっている。
君を護らなければならない。
同じ目に遭えば、何度でも同じ事を繰り返すだろうね」
まだ言うか。
この想いはまるで伝わっていないのか。
こんなにも近くに、心臓の鼓動が聴こえるというのに。
「もうやめて、やめようよステイル!
軽々しく自分の命を放りだしちゃうような人に、絶対にこの魔術は使わせられない!!
魔力だってもう、立てないぐらいギリギリなんでしょ?
やめよう、後はしずりやフィアンマ達に任せて、ロンドンに帰ろう?」
崩れる、崩れる、音を立てて崩れ落ちる。
彼女はこの五年大事に温めてきたパーソナリティを、己が手で粉々に砕いた事を自覚しない。
目の前の男に死なないで欲しいから、この街の友人を見捨てて逃げ出そう、そう言ったのだ。
もはや、インデックスは聖女でも何でもない、ただの女だった。
「お願い、死なないで。私は、あなたが生きててくれればもう」
「だったら」
なおも懇願を重ねようとすると、ステイルの腕が抱かれた時と同様にそっと解かれた。
そういえば、彼に初めて抱きしめられたな、とインデックスはぼんやり思った。
「だったら今日は、君が僕の命を護ってくれ」
代わりに十指に指輪の嵌められたごつごつとした手が、滑らかな曲線を描く両肩に置かれた。
「え?」
仄暗くも誠実な焔色が、眼球同士が触れ合うほどの間近にある。
「僕を死なせたくないなら、君の持てる全てで僕を支えてくれ」
耳元で囁かれるよりずっと熱を帯びた吐息が頬を撫ぜる。
「魔力が足りないのならば、君のそれを貸してくれ」
そして、物理的距離を離したはずの心と心が不可視の糸で繋がる。
「僕の命を、君に預けさせてくれ」
ステイル=マグヌスは、魂の最も深く澄んだ部分からインデックスを欲している。
「僕たちで、行き場の無いあの魂を、解放しよう」
根源からの叫びを満身で受け止めて、彼女は歓喜に震えた。
「今、この瞬間だけでいいんだ」
叶う事なら、この人のためだけに。
「僕のために生きてくれ」
あなたのためだけに、生きたい。
ああ。
叶う事なら、そうでありたいのに。
浜面の練った作戦遂行に必要な『材料』を探し求め、
結標淡希は一人第二学区のとある実験場周辺を走り回っていた。
「いける! これで第一段階はクリアね」
目に映る範囲全てに注意を払いながら、
結標は額に玉のように浮かぶ汗を拭って実験施設を取り囲む壁に背を預けた。
その時。
「っ!?」
滴を拭き取り終わって下ろそうとした腕の動きが、突如として鈍った。
まるで大気が筋肉の伸縮を妨害するほどに重くなったかのような。
「しま、った…………!」
『座標移動』を発動させようとするが、始点にある己の身体がもう『入って』しまっている。
辛うじて動く口唇がひとりでに毒づいた。
誰にも届かず消える筈の呪詛に、
「やあやあ、ようやく捕まえましたよ第八位さん?」
ラファエル
全身に『神の肉』を纏う『神の薬』の象徴がいらえを返した。
「もう一人のテレポーターは逃げ帰りましたか?
まあ、無理もありませんがねぇ。
私だってあなた達と同じ状況に置かれたら震えあがってしまいますよ」
張り付けたような笑みがかつての同僚の一人に似ているな、
などと呑気な事を考えながら、結標は白井の現在地に目線をやらないよう努めた。
同時に『光の処刑』を受けないよう四十メートルは距離を空けながら、
二人はお互いの位置情報は逐一共有していた。
結標から見て『左方のテッラ』を挟んだ四十八メートル先のビルの角。
そこに白井は隠れて、隙を窺っているはず――――
「なんだ、いるじゃないですか」
「っ!?」
結標が、混じりっ気なしに声にならない声を上げた。
『左方』は眼前に佇んでいるというのに、その視線は全くこちらに向いていない。
(違うッ! こいつ、『此処』にはいない!!)
眼球さえ碌に回せない結標の不自由な視界の中で、
白井黒子の四肢もまた見えない十字へ磔にされていた。
再び彼女が魔術師を睨むと、予想通りその姿が陽炎の如く揺らいだ。
彼女の前に安置されていた白井にとっての墓標とは即ち、透き通った水のスクリーンだった。
「そこの実験場にあったモノをお借りしたんですよ。
あなた達テレポーターはこれが苦手らしいですねぇ」
偏光能力
水面というキャンバスに描かれた、即席のトリックアート。
『光』の名を冠するこの術式の応用性は『超電磁砲』にさえ匹敵する、と結標は評価せざるを得なかった。
目視によって『左方のテッラ』の座標を掴んでいた白井は、
知らず知らずのうちに有効範囲に足を踏み入れてしまっていたのだ。
(それよりも、こいつ今…………!)
(一体いくつ、『優先』させてるんですの!?)
「三次元と十一次元、小麦粉と窒素、空気と人体、水と可視光。
優先権四つ。それが私の手の全てですよ」
“四”。
あっさりと暴かれた手品のタネの、その“数”に女たちがピクと肩を震わせた。
テレポート殺しと光学迷彩に加えて、『空気』で敵対『者』を拘束。
しかしそのままでは己の動きも封じてしまうが故、
『自身』を『小麦粉』でコーティングする合わせ技で自身の移動経路と適量の酸素を確保。
(完全無欠、ってのはこの事かしらね)
悔しいが、賞賛に値すべき汎用性と活用力であった。
だが結標も白井も薄氷を踏む思いなら何度も経験してきた。
(浜面さんのプラン、今すぐ実行に移せれば……!)
(しょうがないわね。不完全だけど、一か八か…………、っ!?)
「おやおや、まだ足掻くんですか。しかしあなた、何のために私が
わざわざ指し手の解説などしたのかおわかりでないようですねぇ」
――■■■■■■■■■■■■!!!!――
「私が手を下すまでも無く、チェック・メイトだからですよ」
十歩先に、冥府への案内人。
術式の考察に囚われて、接近を見逃してしまった。
表情の欠落した筈の貌が、結標には『左方』同様喜悦を堪えているように見えて仕方がなかった。
首筋に冷やりと当たった死の感触が、勝利へ踏み出す第一歩にまとわりつく。
『武器』を呼びよせる為に必要な精密演算を、環境の全てが阻害していた。
「終わりですねぇ、『座標移動』。どうやら私が一番手となったようです」
(ああ、ちくしょう。そんなニヤケ面見ながら死ぬなんて、絶対イヤだったのになぁ)
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「す、すいません…………一般の方に助けてもらうなんて警備員失格ですぅ……」
全身の輝きをどうやってか収めた風斬は、
支部に常備されていた担架に佐天と鉄装を寝かせて応急治療を施していた。
その彼女に、目線だけは黒衣の魔術師から一時も離さず、インデックスが親愛に満ちた謝辞を贈る。
「助けてくれてありがとうね、ひょうか…………怪我、してない?」
「ちょっと噛み付かれただけだよ、今日一日で慣れちゃった。
それよりこっちこそごめんね、インデックス。私は、ここまでで精一杯みたい」
彼女が言うには全学園都市のAIM拡散力場の出力が何故か落ちて、
『ヒューズ=カザキリ』にまで影響を及ぼしているのだという。
その肉体の性質上数多くの亡者に強襲されて力を削がれながらも、
風斬は自分に出来る事は無いかと縦横無尽に都市中を飛び回って、親友の窮地に出くわしたのだった。
「………………終わり、だな」
インデックスが見つめる先で、神父が一言、小さく呟く。
同時に、巨大な楕円形を描くよう配置された数万のルーンが青白く赫った。
この鮮烈な光芒から放たれる魔力を察知して、『右方』も刺客を送って来たのだろう。
「涙子、ミズ鉄装、ミズ風斬。貴女達の協力なくして、
この術は完成をみる事はなかっただろう。改めて、感謝を」
「ちょっとは、役に立てたのかな……? これで、麦野さんや美琴さんに顔向けできるよ」
「私、特に何もしてないような、あううう」
「い、いえ! 私も別にそんなあの、大した事をした訳じゃ」
インデックスが佐天の頭部に痛々しく巻きつけられた包帯を優しく撫でる。
眼鏡二人の謙遜が過ぎる態度に苦笑して、ステイルは仕上げに十字架型の霊装を掲げた。
直径二メートル強の氷球が前触れもなく五人の前に現れる。
そして、鍵となる補助術式の発動に使用されるのは“普通ではない”魔力だ。
――――■■、■■?――
「…………Amen」
十字を切った神父が神秘的な球体に閉じ込めたのは、
風斬によって頭頂部から兜割にされた暗殺者の成れの果て。
このような有様になって尚主の意向に沿うよう繰られるマリオネットを、
ステイルは無表情で、そしてインデックスは悲しげに眉を顰めて見送った。
――■■■■――
「ごめんね、救ってあげられなくて」
魔術師の掌中で十字架が強く握られ、中の骸もろとも氷の棺が砕かれる。
そして二度と、元には戻らなかった。
「最大主教」
感傷に浸っている暇は無い。
今この時にも、どこかで誰かが命を懸けて闘っている。
ステイルは大魔法陣の中心に佇立し、インデックスを手招いた。
「すている」
しずしずとルーンの海に足を踏み入れた女は、沖合で待つ男に寄り添った。
「僕は何も心配していない。君が一緒だからね」
屈んだ男の右肩と、微笑む女の左肩が触れ合い、手が重なる。
「うん。いま、あなたと一つになってるって感じる。不思議なぐらい、落ち着いてるんだよ」
魔力が重なり、命が重なり、心が重なり。
「終わらせよう、僕たちで」
最後に燠火のような静かなバリトンと、蒼穹の如く澄んだソプラノが唱和した。
O T F O T R
――――開け、解放への戦火!――――
--------------------------------------------------
七月十五日、午後二時〇三分。
学園都市に配備された対空防衛システムが、
超高密度熱エネルギーの“内部からの飛来”を感知した。
第一〇学区から上空二千メートルに向けて打ち上げられたのは、太陽。
そう錯視しても不思議のない程の強烈な光源。
日輪はやがて輝きを赤く紅く転じさせて、無数の火の矢にその姿を装った。
降りそそぐ天よりの硫火は迎撃に当たった科学の粋を難なく避ける、逃げる、躱わす。
そして二三〇万の溢れかえる人々の営みを容赦なく蹂躙――――
――■■■■■■■■■■!!!!――
――■■!!!!!――
――■■■■■■■■!?――
――■■■■■■■■■■■■!!――
――■■■■!――
――■■■■■■!?――
――――しようとする亡者を、ただただ正確に、冷徹に、焼いて焼いて焼き尽したのであった。
聖書を僅かにでも齧った事のある者が目撃したなら、口を揃えてこう言っただろう。
退廃の街ソドムとゴモラを滅ぼした、硫黄の雨の再来だ、と。
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第一〇学区のとある路地裏。
『右方のフィアンマ』を追跡しようとして亡者どもに行く手を阻まれていた
麦野とフィアンマは、荘厳な終曲を目の当たりにしていた。
「くっくっくっく、ははははははは!!!」
「なによ、気でも違った?」
フィアンマが全身のヒリヒリとした疼きを気にも留めず、高々と笑いさざめく。
呆気にとられる麦野を無視して、世界でも五指に入るであろう魔術師は喝采した。
「全くもって優秀な解答だよ、ステイル=マグヌス。まさか、まさかだ」
「自分では決して認めないだろうがな、俺様は認めてやる」
「お前は間違いなく、天才だ!」
散々彼らを苦しめた『Equ.DarkMatter』を容易く掻い潜って炎雨は異形を殲滅する。
そう、“掻い潜って”だ。
鈍く黒煌する鎧はその中身を失って一つ、また一つ虚しく地にカラン、と落ちる。
その表層には、熱に焼かれた形跡の片鱗も有りはしなかった。
「見事な再現だ、完璧だよ! まさしくこれはローマ正教聖霊十式が一つ――――」
熱に浮かされたようにフィアンマが興奮冷めやらぬ声音で遠方の神父を賞賛し続ける。
大開きにされた口腔はやがて、ステイルの成し遂げた偉業の名を高らかに告げた。
「『アドリア海の女王』だ!!」
『アドリア海の女王』。
対象都市によって齎されたあらゆる文明を破壊する、まさに世界地図を塗り替えるための大魔術。
ステイルは嘗ての行使者であるビアージオ=ブゾーニからの尋問で
その存在の一端を耳にして、大切な少女を守るための力にしようと研究した経験があった。
勿論のことインデックスは十年前、ヴェネツィアで『女王艦隊』そのものを目の当たりにしている。
ステイルにとって僥倖だったのは本来対象がヴェネツィアのみに固定されている
照準のロック解除キーを、作成者本人から偶然とはいえ入手していた事だった。
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『がああああ!!! アンタ一発殴らせて頼むから!』
『どうどう』
――カラン――
(ん、何だコレ)
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「ヴェントの奴め、俺様に詰め寄った時によりにもよって
『刻限のロザリオ』を落としたんだな。はは、これは傑作だ!」
『刻限のロザリオ』の発動条件たる、
“異常な精神状態に追いやられた”『資格者』の選定も現在の学園都市では然程の難題ではない。
ロックが外れれば後は、対象を複数置いてアンド条件で結んでしまえば良いのだ。
いずれも『禁書目録』の知識をフル回転させれば造作もないだろう。
「世界がまだまだ広いとは言っても、なるほど他には存在し得ないな」
『違う、単純に構成が複雑で、膨大すぎるの』
佐天涙子に教授された科学知識が、インデックスの解析をより精密なものに変えた。
『AIM拡散力場の自動追跡』などという前代未聞の魔術を構築するために、
探知に長けた英国式、侵略に秀でたローマ式、死霊崇拝のブードゥー式、
そして力場の探索と追跡を行わせるプログラミング言語(かがくしき)など、
世界のあらゆる文明から理論を拝借した点を実に鮮やかにステイルは突いた。
「『右方』のこの術式以外に、五十を超える都市が習合した『文明』など!」
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「な、っ………………!!」
勝利を確定させ、白井に矛先を変えようとした『左方のテッラ』の眼前を、劫火の矢嵐が通過した。
狼狽して振り返ると、結標に飛びかかったクリーチャーが空中で幾条もの光球に貫かれていた。
――■■■■■■■■■■!!!!――
『左方』の美意識からしても存在を許し難い醜悪ではあるが、
逃げに徹したテレポーターどもを追い詰める際、効果のほどは認めざるを得なかった。
それが、あっさりと打ち破られていく。
硫黄の雨粒は亡者の防具をスルリと通り抜けて、内容物だけをものの見事にくり抜いて消滅させた。
邪魔な『過程』は存在しないかのように無視し、対象の破壊という『結果』だけがこの世に残る。
それは即ち、男がチェックメイトに用いた下品な騎士(ナイト)が失われた事を意味していた。
「…………良かったですねぇ。死が一手だけ、遠のきましたよ?」
だから、どうしたというのだ。
ムーブポイント
『左方のテッラ』は己が優勢の不変を信じて第八位、 『座標移動』 へ慇懃に笑いかける。
自在にその形状を変える小麦粉の刃を地に伏す女に射出しようとした時、声。
「一手あれば、十分だわ」
掠れた声は、しかし舞台の上のプリマドンナのように堂々たるものであった。
「それでは御開帳。“プロ”の能力者による」
何かを仕掛けてくる。
結標淡希との距離は約二〇メートル、こちらから攻撃するには距離を取り過ぎた。
瞬刻で判断した魔術師が上空九〇度を振り仰ぐ。
「奇抜な一発芸の時間よ」
『座標移動』の手品の大道具は、『左方』も利用した
直近の――とはいっても百メートルは先の――実験場に鎮座していた物質。
「――――――――――――な、」
頭上三二・三メートルの高さより加速度を得て高速落下するは、
全長十五メートルに及ぼうかというの氷の巨塊であった。
更に『左方のテッラ』の視界の端に、手投げ弾のピンを抜く白井の姿が。
動作を『空気』に遮断させられる直前、彼女は密かにポーチに手を伸ばしていた。
『光の処刑』の射程距離ギリギリに居る分だけ、彼女には『優先』の効力が薄い。
手榴弾か、それともまた煙幕弾か。
あの形状は――――手榴弾。
刹那の間に思索を巡らせて、『左方』は矢継ぎ早に手を打っていく。
「第四優先! 人体を上位に、氷を下位に!」
用済みの偏光マジックを解除、さしあたっての脅威に対処する。
「続けて第五優先!」
白井が息を呑む音が辺りに響くかのようだった。
『神の肉』の象徴たる物質こそ、『左方』最大の矛であり盾だ。
「小麦粉を上位に、爆発物を下位に、っ!?」
ガッシャアアアアアアン!!!
衝撃、いや、物理的なものではない。
テッラに激突して僅かばかりのダメージも与えられずに砕け散った巨塊に、違和感。
氷塊そのものからではない。
巨塊の死角。
つまり、真上。
(誰かが“乗って”いる!?)
「――――――――――!!!」
粉々になった欠片の間を、金髪の冴えない男が重力に任せて急降下して来た。
その全身は濡れ鼠のごとき有様で、何事か叫んでいるが空気中までは伝わってこない。
『人体』を『水』で固めて、より上位の『空気』を無視、呼吸は止める。
魔術師自身がとった方策の劣化模倣で、『第三優先』は既に突破されていた。
ドオンッ!
同時に、すぐ横から爆音。しかし二人の男は一切気を割かない。
(こんな能力者のデータは無い……!)
何者だ、そう『左方』が記憶を探った時には男は既に目と鼻の先だった。
(最初から、これが狙い。見事な作戦ですね――――しかし)
「――――第六、および第七優先」
最後の二枚の優先権。
『左方のテッラ』の手駒は未だ全て開示されてはいなかった。
この一連の連携攻撃が、能力者たちの最後のあがきと見て間違いないだろう。
故にここさえ凌いでしまえば、『左方のテッラ』の勝利は揺るぎない。
「小麦粉を上位に、人体と水を下位に!」
『水』を『空気』宙に固定して動きを止めてもいいが、一手遅れる。
振り上げた右腕のせいで目立たないが、
男の左手に小型拳銃が隠れているのを『左方』は見逃さなかった。
(これで、詰みです)
コンマ三秒で練られた魔術師の一手は、攻防一体の最善手。
白井の放った――今度こそ本物の――爆炎を防ぎ続けていた鎧が、
謎の男が振り抜く拳をチーズのように切り刻むギロチンと化す。
無謀にも処刑台に向かって飛び降りてくる男を魔術師が憐れんだ。
まじゅつし
「楽勝だ、『神の右席』」
勝ち鬨が、裁かれる立場であるはずの科人から何故か上がった。
『左方のテッラ』の脳裏に疑問符が浮かび、消える前に。
イレギュラー
その細身の躰を、浜面仕上の『鋼の右手』が打ち砕いた。
青年は、イタリア人と日本人のハーフである。
両親は彼が生まれてすぐに離婚し、父親と二人、イタリアの片隅の小さな漁村で育った。
成長した彼は絵画に目覚め、その道を志すと告げると父は喜んで支援してくれた。
ある日、優しい父が何でもない夏風邪をこじらせて死んだ。
芸術の世界には何かと金が必要だ。
民衆に訴えかける才能があったところで、伝手を作らなければ埋もれるのみ。
息子に天賦を感じていたのだろうか、父は身体を壊すまで朝から晩まで汗だくになって、死んだ。
男手一つで己を支えてくれた偉大な存在を失って、青年は東洋の島国に帰った母を頼る事になる。
彼の記憶のどのページにも姿を刻まれていない母は、
初対面と言っても過言ではない息子を最初に自らの職場に連れて行った。
母の職業は、学園都市という科学の最先端を行く街の研究者だった。
そして青年は、科学という大地の下に広がる深い深い獄を目の当たりにした。
人の尊厳という尊厳を踏み躙る悪魔の所業の数々、薬液に浸された“生きた”人体標本。
彼の美意識からは、決して許容できる代物ではなかった。
一族の端くれとして、などとわけの解らない理屈で地獄に引きずり込まれそうになって。
気が付けば、青年は母を縊り殺してしまっていた。
なぜ、どうしてこうなったのだろう。
自分はただ、世界の美しさを、光を、キャンバスに切り取れればそれで良かったのに。
あの掃き溜めのような悪臭のする街が、彼の世界を何回転もさせて歪曲させてしまった。
逃げるように、否、実際にイタリアに逃げ帰った青年はもう、絵筆を握る事など出来なかった。
心の芯を徐々に腐らせ、父の遺産を食い潰すだけの宿主なき寄生虫に成り下がった青年は、
いつしか科学の洞の存在を本能的に、微塵たりとも認められなくなっていた。
身体にこびりついた腐臭を清めるためにも、目の前で上がった実験体の断末魔を振り払うためにも。
学園都市を、地図から消してしまわねばならない。
そうだ、それで救われる命もある。
堕落していく己と、犠牲になる誰かを同時にあの奈落から引きずり上げる。
なんて甘美な大義名分だろう。
故に青年は、『左方のテッラ』になった。
青年の母方の姓は、木原と言った。
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「ぐっ、つうう!!」
『左方のテッラ』に会心の一撃をブチ込んだ浜面は、
その反動で魔術師とは逆方向に、意図的に跳ねた。
小麦粉製処刑具が健在である事を視認してしまったが故の苦肉の策だったが、
どうにか上半身と下半身がオサラバ、という惨事だけは避けられた。
「か、はっ」
サクリと右肩を裂かれた浜面が呻きの上がった方向を即座に睨むと、
自らのギロチンに身を切り刻まれた『左方』の姿が。
傷ましい形貌だが、もとより現況はこの無能力者の予定調和に織り込まれていた。
主の血で刀身を真っ赤に染めた刃がサラサラと元の形を取り戻す。
術者の命が風前の灯火である事の、何よりの表れだった。
「本当に、上手くいったわね」
浜面の後方三十メートル程の地点から、女の声。
結標と白井が晴れて自由を奪還したのだと、男は振り返らずに悟った。
「確かにその男、常に具体的な対象を『優先』させていましたの」
「はあ、もう。仕入れたネタが全く役に立ってないじゃない。
『攻撃』とか『防御』みたいな抽象的な指定も出来るって話だったんだけど」
仮にその情報が真実であったなら今ごろ自分は“はま/づら”だっただろうな。
考えながら男は左手のデリンジャーを瀕死の敵手に向けたまま、痛む右手で無精髭を擦った。
「どうして、そんな博打が打てたんですの?」
パン、と埃に塗れたスーツの裾を軽くはたいて、白井がチンピラ顔に対して疑問を呈した。
忙しなくデニムパンツのポッケなど弄りながら、結標も同意見のようだった。
「お前らは二人とも、『優先』が幾つあるのかに気を取られてただろ?
それはこいつの思う壺だったんじゃねえのかな」
「どういう事よ?」
「ぶっちゃけた話、こいつが何枚手札を握ってたのかなんて
俺らにはどう頑張ってもわかりっこねえ事だろ。
なのにお前らが最初の勝負で逃げ出す直前……」
『そんな訳ですから、殺しますね。第二優先』
これ以上優先権が無いと思わせるかのような、突如の『第二優先』宣言。
優秀な頭脳を持つ能力者たちに、“数”に関する考究を進めさせるには十分なクルーだった。
「そうやって『左方のテッラ』は、抽象的な優先指定をしない不自然さから目を背けさせたのさ」
そもそも三つ『優先』させられるのなら、空間移動を封じて、
小麦粉を武器にして、『敵の攻撃』を『自身』より下位にしてしまえばそれで済むだろう、
というのが戦闘の経緯を聞いた浜面の第一印象であった。
この着想を土台に白井の詳説を噛み砕いて、自説の正しさに確信を持った無能力者。
こうして『左方のテッラ』撃破は、レベル5でもレベル4でもなく――――
「な? 無能力者も捨てたもんじゃないだろ」
学園都市の最底辺、レベル0によって成し遂げられたのであった。
「なんとまあ…………規格外のレベル0というのは、案外ありふれて……。
いえ、レベルがどうのという括りは下らないお話ですわね。
それよりそちらの魔術師さん、早く病院に運ばなければ命が」
呆れと感嘆のない交ぜになった白井が自らの職分を思い出す。
どのような思惑が『左方』にあったにせよ、死なせてしまっては意味が無い。
今度こそ役目を全うさせるべく携帯電話を胸ポケットから取り出す女警備員。
「…………ゴメンね、白井さん」
「え? なにをなさっ、ぁ…………」
その背を、いきなり結標が羽交い絞めにした。
反射的に投げ飛ばそうとした白井の口元に、薬品臭濃い薄布が当てられた。
トサ、と固いコンクリートに吸いこまれそうになった身を結標が支える。
闇に生きた経験を持つ男女の視線が刹那交錯し、直ぐに分かたれた。
「…………後は、任せたわ」
「ああ」
意識を落とした白井に肩を回し、『座標移動』がブン、と残響を置いて消え去る。
薄暗いビル陰には、浜面仕上と『左方のテッラ』だけが残された。
「…………おみ、ごとで……した」
一歩、浜面が漆黒の意志を瞳に宿して半死人に歩み寄る。
「あな、たが何者な、のか…………? 聞いて、も、いいですかねぇ」
一歩。小銃がガチャリと鳴る。
「名乗るほどのもんじゃねえよ。ただの無能力者だ」
一歩。魔術師の口から鮮血。
「れ、べるぜろ…………なる、ほどね」
一歩。残り三メートル。
「もう……ひとつ、いいで、すか」
止まる。外しようのない、完全な射程距離内。
「なんだ」
銃口がゆっくりと、確実に額を狙う。
「あなたは、この街で………………生きて、いますか?」
引き鉄に指が掛かる。
「ああ。俺の生も死も、希望も絶望も、この肥溜にこそある」
力が篭る。
「――――――――そうですか、それは良かった」
銃声。
「――――――」
死。
そして一つの闘いと、一人の青年の人生が終わった。
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「………………見事なものだな」
殺戮の宴の終焉を見てとった『後方のアックア』が、ゆるりとベンチから立ち上がった。
ブン、と愛用のメイスに風を切らせて好敵手たちに切先を向ける。
その表情は抑えきれない闘争への喜びに沸いていた。
「どうだ、一息入れるか? 私は構わないのだが」
冗談交じりに、どんな呪いが掛かっているのか
あの混乱の最中で生き残っている謎の自販機を顎で指す。
「冗談。アンタはどうやら闘いに“公正さ”を求めてるみたいだけど、
そんなもの私たち相手には無用よ」
二十余のアンデッド軍団との抗争に水を差された形の上条美琴が獰猛に笑う。
高圧電流と『超電磁砲』の乱発にもしぶとく喰らいつき続けた異形を、
安々と滅した火の矢が彼女とて気にならない訳ではないだろう。
しかしそんなものは大事の前の小事である、と言わんばかりに美琴の辺縁を青光が渦巻いた。
「お前との熱い勝負に較べりゃ、いいクールダウンになったな!」
削板軍覇が屈伸しながら言った。
こちらは強がりでも何でもない、『後方』はそう思った。
この男に小賢しい腹芸や駆け引きは似合わないと、
僅か半刻に満たない拳と拳の会話で魔術師は清々しく悟っていた。
「ふ、ふふ…………失礼に当たったな、今のは」
血が熱い。
今、確かに己は生きている。
この一時を与えてくれた神に、生涯で初めて『後方のアックア』は感謝した。
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「聖母の慈悲は厳罰を和らげる」
頷き、『後方』の性質を発動。
そして次の瞬間、消失。
「「ああああああああっ!!!!」」
咆哮が重なった。
ような、気がした。
男の世界から、音が消えていた。
「――――――!!!」
叫んだ。
しかし、何も聞こえはしない。
次いで匂いが、光が、身体の感覚が、消えていく。
「――――――――――――」
熱。
燃え上がるような、体温。
ぶつかり合う眼前の超能力者の魂と、己の根幹を成す“誇り”の摩擦によって生まれた熱。
男は心の底の底から笑った。
獲物を大上段から振り下ろす。
右に一回転して削板が躱し、そのまま後ろ回し蹴り。
神速の袈裟切りで返す。
当たれば脚が千切れ飛ぶはずの一閃が、生身の人間の脚部とどうしてか拮抗する。
何故、などとは『後方』にとっては瑣事でさえないが。
「っあ!」
競り勝ったのは、魔術師。
“熱”が離れて押し合いの勝利を知った男は追撃をかけず、メイスを地に突き立てる。
バッシャアアアアアアアッ!
出来あがったのは即席の噴水。
地下を走る上水道を貫いた『後方』はもう一人の強敵に対処する。
肉食獣のように身を丸め、左斜め前方に低空で跳躍。
ヒュッ―――――――ドオオオオオオン!!!
『超電磁砲』。
余波でさえ強靭な体幹を崩しかけるその威力に男の口角がますます吊り上がった。
これこそ、闘争である。
跳んだ先で角度を修正、再び地を蹴って大砲の発射口を潰しにかかる魔術師。
疎らな電撃の雨。
しゃらくさい、突っ切った。
第三位が、今度こそ砂鉄の塊などでない上条美琴が、『後方』の制空圏に入る。
「――――ァァ!!!」
しかしその攻撃は中断。
巻き上がった水流が巨大な破城槌を模して固まり、猪突してきた第七位を迎撃する。
またも、力と力の衝突。
密な水塊の向こう側で美琴が素早く魔術師と超能力者を結ぶ直線の延長上に移動。
コインを取り出すのが視界に入る。
するとハンマーの勢いが緩み、削板がこれを突破した。
下手に構えられていた金属棍棒が、真上に薙がれて能力者の体を意思なき肉へと帰さんとする。
空を切る。
前方への運動エネルギーを無理やり四五度押し上げ己を跳び超えた削板と、一瞬眼が合った。
バチッ!
魔術師の世界に光が戻って来る。
熱情と併せられた冷静が一連の攻防の勝利を告げた。
『後方のアックア』の巨躯に隠れて、蒼の巨大弓。
「ちいっ!!」
「削板さ――――」
『超電磁砲』を自身もろとも魔術師に直撃させる為、
背後に回り込んだのであろう削板をバリスタが捉える。
「ふんぎぎぎぎっ!!!!」
堪えられた。
顔面を貫くはずであった槍は両拳に挟まれて辛うじて止まっている。
だが、空中で無防備になった削板の胴体を――――刈り取る。
「か、 」
獲物を振り上げた勢いで飛び上がった戦士の一撃が胴にめり込んだ。
メキャリ。
幾百の死体を作ってきた経験を持つ『後方』の手。
伝わる感触が、内臓を一つ破裂させたと教えてくれた。
空を舞った足元を科学の砲撃が通過する。
ドッ、ドオン!!!!!
轟音二つ。
削板が受け身なしで地面に叩きつけられ、『超電磁砲』はやはり的中しなかった。
第七位は悲鳴すら上げず、ピクリと指先を震わせるが四肢は動かない。
残るは、第三位。
迫る決着を予感して昂る血潮が、今にも狭い管を破って躍り出しそうだった。
「参った、わね」
『後方のアックア』は答えなかった。
言葉は不要の筈。
眼だけで意図を察知できる相手ではあると、魔術師は女を評価していた。
「まあまあ。次の勝負でケリつくんだから、語らせてちょうだいよ。
………………宣言するわ、最後の『超電磁砲』よ。これがラス1のコインだもの」
絶体絶命の好敵手の姿が、いやに大きく見える。
それでこそ、殺し甲斐があるというものだった。
美琴の口上は続く。
「背水の陣って、東洋では言うんだけどね。
生物が持つ生存本能を極限まで引き出す為に、自分を追い詰める一種の自己暗示よ」
彼我の距離は、いつの間にか三〇メートルほどに。
面白い、と男は思った。
正面から突貫し、必殺の一撃を避けられるかどうか、伸るか反るか。
身を切るようなギリギリの一瞬を演出してくれるこの間合い。
「…………行くわよ、『後方のアックア』」
「来い」
短く答えた瞬間、弾かれる安物の硬貨。
くるりくるりと表裏を見せて、上がる、上がる、陽光を反射してキラリと舞い上がる。
上昇のエネルギーがやがて大地からの引力とつりあって失われる。
降下を開始。
爪の先まで丁寧に整えられた美琴の指とコインが重なり。
男の五感が、再び消えた。
軋む筋肉。
身を低く屈め、空気抵抗を減らす。
知覚を置き去りにする視界。
躰が戦場の一部と化す。
吼える。
何も聞こえない。
耳元で熱。
――――――――――――掠った光輝。
決闘を制した。
左耳を失って、衝撃に体勢をぐらつかされて尚、そう認識出来た。
さりとて慢心はせず、敗れた超能力者に迫る、あと一秒で終わる。
「私の『ベクトル計算』も、なかなかのもんだと思わない?」
『超電磁砲』の変わらぬ笑み。
音速の攻防の中で、いやに静かに、悠々と、頭に響く女の自画自賛。
先ほどの砲撃は射角がやや“下”を向いていた、と『後方』は思い出した。
ゴオン!
鈍い音、まるで鉄くずが跳ねとばされたような。
地表を抉った砲弾が、直近に存在した“何か”を衝撃で弾いたのだ、と気が付く。
背から迫る無機質な気配。
迅い。
――――しかし。
(下らん)
第七位との死闘を耐え抜いたこの肉体に、今さらそんな小細工が何だというのだ。
その重量が一トン近いものであろうと、聖人の致命傷にはなり得ない。
美琴の『二次砲弾』を顧みもせず、後ろ手にメイスを――――――
(………………ぬっ!!)
男の動きが、止まった。
肉薄する鉄塊の正体を、紙一重で悟る。
(後方にあったのは、『アレ』か!)
撃ち落とすのは拙い。
即座に切り替わる対応策、即ち回避。
「な」
前方に這うように飛ぶと、その先に驚愕を隠せない美琴の姿。
脳に染み付いた闘いの記憶が、瀬戸際で男に更なる攻撃を選ばせた。
勢いそのままに頭蓋を粉砕するのも容易い距離。
棍棒が快音を唸らせ――――――上!
「やはり貴様は、まだ死なんかぁっ!!!」
「アアアアアアアアアアッッッッ!!!!!」
空を仰いだ『後方』の上空に、削板軍覇。
左腕が千切れかけ、白骨は肘から剥き出し、顔面は血塗れ。
その死に体で尚も闘争を選択した強敵に報いるならば、もはや“解放”をもって当たる他ない。
右の武器に『聖痕』からの爆発的なテレズマを上乗せして、第七位を迎え撃つ。
同時に左の徒手で術式を組んで第三位を牽制。
放散する水の弾丸。
ショットガンの数百倍の水勢が電熱の壁を潜って三発命中。
たったそれだけで、美琴の身体がダンプに跳ねられたように宙を舞った。
この間0.2秒。
ズガアンッ!!
直後飛来した鉄屑が、標的を仕留める事叶わず地面と強烈に接吻する。
そんな情報を取得するのに割く脳の容量が惜しい。
今この瞬間は、意識が残っているかも定かではない眼前の男との勝負が全て。
三度、男の世界が消滅。
肉体を突き動かすのは体内に流れる血潮の熱さのみ。
「「――――――――――――――――――」」
“説明できない力”と『神の力』の、最大出力同士での、最後の激突。
「――――――――――――」
勝者は。
「――――――――――――」
いなかった。
「ぐは、くっ」
余りの圧力に基盤さえ歪んだ地に伏して、『後方のアックア』は呻いた。
ドサ、と大の字になって魔術師から遠く離れた位置に落下した削板。
呆れた事に、未だ存命であるようだ。
「…………終止」
呟き、テレズマを制御しきれなかったゆえの高負荷で弾けそうな巨体を起こす。
相討ちにはなったが、癒し難きを癒す、男にとっては清水を飲み干したような一瞬だった。
根元からへし折れてしまったメイスを打ち捨て、中空に複雑怪奇な水の紋様を描こうとする。
その時、全身に纏わりつく異様な感触。
「水も滴るイイ男じゃない」
女の凛とした声と同時に、バチリと火花。
「…………ジュース、だけどさ」
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理論純水、という言葉を上条美琴は思い浮かべていた。
これは電気抵抗率にして18×10^6Ω/㎝に及ぶという事実上の絶縁体を指している。
万から億に達する印加電圧に耐えられる絶縁体が仮に存在したとして、
シャットアウトされた電気エネルギーが熱エネルギーに変換される以上は
摂氏二〇〇度以上の高熱を帯びて融解、あるいは蒸発してしまう筈だ。
蒸発。
そう、上条美琴の雷撃を再三に渡って阻害した『後方のアックア』の鎧はその度に蒸発していた。
電撃を防いだ直後に巻き起こった濃霧。
夏の熱気をまるで無視した涼しげな顔色。
蜃気楼に映されたような巨躯の揺らめき。
微弱にしか捉えられなくなった電磁波。
そして闘いの最中で美琴と削板の全身に飛散した、発汗作用にしては異常な水分。
魔術師が身に纏っていた見えない『抵抗』とは、
幾度となく攻撃術式に使用されては彼らの前に曝け出されていた『後方』の象徴たる水。
――――そこから魔術で精製されていた理論純水であった。
雷を浴びて蒸発してしまったなら、精製し直せば済む。
水ならばそれこそ、学園都市中で蛇口を捻ればすぐに手に入るのだから。
体表面の温度を一定に保ちながら美琴のレーダーを妨害し、
電撃に対する防御まで、まさしく一石三鳥の恐るべき鎧であった。
科学のセオリーがまるで通用しない魔術という世界において、
理論純水やそれ以上の電気抵抗を生む苛性ソーダ溶液をポンと精製する方法があった所で驚くには値しなかった。
『後方』の打った妙手の正体を悟った美琴は返し手を、思わぬ物体に見出す。
(今まで散々蹴っ飛ばしてゴメンね)
それこそが。
美琴の『超電磁砲』の着弾衝撃によって滑空し、
魔術師が間一髪でメイスによる破砕を思い留まり、
『後方のアックア』と削板の最後の闘争による余燼でその内容物を爆発させた――――
ファンファーレ
(最高の、存 在 証 明 だったわ)
御坂美琴が中学時代からお世話になってきた、“あの”自動販売機であった。
魔術師の四肢に絡みつく温冷多様な液体は“純水”を“不純水”に変質させた。
「『超電磁砲』…………っ!」
激痛をこらえながら美琴が溜めに溜めた雷光を防ぎとめる盾は、もう存在しない。
「最初に言ったでしょ」
今にも暴れ出さんとする『龍』のリードを握りながら、
女は男の苦悶と雀躍が混じり合った唸り声に訂正を求める。
「私には『上条』美琴っていう、誰にも」
そう、誰にも。
たとえあの大好きな親友が、姉貴分のシスターが相手だろうと。
ほこり
「絶対誰にも譲れない、名前があんのよ」
稲光を全身から迸らせる蒼い龍が、顎を開いた。
男は、イギリスの片田舎で生まれついた瞬間から特別な存在として扱われた。
聖人。
貴方は神の子としての特徴をその身に宿す、人を越えた人なのです。
手近な教会の牧師に教わったところで何一つ実感は湧かなかった。
ただ、男は子供の頃からかけっこで負けた事は無かったし、
人生の節目節目で何かと幸運に見舞われては周囲の尊敬を集めた。
しかし、男は飢えていた。
人々が口煩く語りかけてくる聖人としての特異性など、彼には心底どうでもよかった。
誰もが敬ってくる、誰にでも容易く勝利できてしまう。
見えざる手に糸を付けられたような生き様に、己の意思を、生を感じられなくなった。
だから男は、誰よりも『生』の反対側にある『死』に触れてみたくなった。
だから男は、傭兵となった。
そして男は戦場で、ウィリアム=オルウェルに出逢った。
彼と闘わずに済んだのは、“不運”にも味方同士であったからだ。
そうでなければ、間違いなく勝負を挑んでいた。
酒を酌み交わしながら男が告げると、ウィリアムは面白くもなさそうに答えた。
惜しいな。
貴様は、ただ強いだけだ。
ただ勝てるだけだ。
敗北と勝利の先に何があるのか、考えた事もないのだろう?
貴様には、志が無い。
確かに無かった、解らなかった。
そんなものを持っていたところで、死を知ることが可能になるのか。
そんな感傷を抱いたところで、生のシャワーを、体いっぱいに浴びられるのか。
理解はできなかった。
男はただ、闘えれば、死に触れて生を実感できればそれで良かった。
渇いた心の中に芽生えた“誇り”を一つ、守れればそれで良かった。
だから男は、『後方のアックア』になった。
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左手に転がる自販機だったものを何の気なしに二、三度、手の甲で叩いていた。
普段は優しい喧騒に包まれているであろう公園を、
塗りつぶすように覆い尽していた隔絶感が消えた、と削板軍覇は感じた。
『火と祓い』だったか、なんだったか。
雲川の忠言を朧気に回想したところで、彼は黒煙に向かって語りかける声を聞いた。
「終わりよ、『後方のアックア』。これ以上は」
途方もない雷を放ち終えた上条美琴が、臥した魔術師に降参を迫っていた。
「待て、上条」
削板は尋常ではない厳しい声色で女を制止した。
ビク、とその脚が止まる。
「なによ」
「それ以上、不用意に近づくな」
「あまり人を舐めないでもらえるかしら?」
確かに左半身に並々ならぬ負傷を受けた自分よりは、第三位は比較的軽傷である。
しかし、そういう問題ではないのだ。
「お前、その手で人を殺した事があるのか?」
美琴が、虚を突かれたように押し黙った。
対する削板は仁王の如く雄々しく聳えて、静かに吠えた。
「だったら、退がっていろ。ここから先は俺がやる」
「どうして殺さなくちゃならないの」
「この闘いは、どちらかが死なねば終わらない。そうだな?」
唇を強く噛んだ美琴の問いかけに、削板は瞳を『後方のアックア』へと向けながら応じた。
く、と低い笑い。
「そうだ。闘いとは、須らくそうあるべきだ」
女が肩までかかる生命力に満ちた長髪を振り乱す。
残酷なまでに優しい女だ、と削板は思った。
「俺には、帰りたい場所がある。泣かせたくない奴がいる。だから死ねない」
削板は、最初からそのつもりで決闘に臨んでいた。
だからこそ。
「だから、殺す」
美琴が鋭く、納得できないと此方を睨んでくる。
その視線が背中に注がれる位置まで、既に削板はゆっくりと進んでいた。
目的地からまたも、愉悦を帯びた音。
「誇りを語ったな、上条美琴。誇りとは何かわかるか?」
やけに楽しそうだ、と削板は思ったが、尋ねられた美琴はと言えばそれどころではなかった。
「わかってるの、死にかけてるのよアンタ」
「質問に答える気は無し、か」
ふふ、と魔術師が吐いた死臭濃い溜め息に、自然と言葉が口をついた。
「根性よりも…………命よりも重いものだ」
「削板さんッッ!!」
美琴がたまらず爆発させたのは怒号か、それとも悲鳴か。
「そう、その通りだ。私と貴様は価値観が合うな」
「誇りの為に、命を捨てるって言うの……わかって、たまるもんですか」
悲痛な訴えを無視して、魔術師の巨躯がじわりと起動する。
右腕が最初に地面に立てられ、次いで右脚が曲がる。
男が右半身をこの期に及んで力強く、ゆるりと起こす様を二人の超能力者は何故か止められなかった。
「違うな、逆だ」
そしてとうとう、『後方のアックア』が聳え立った。
「私の世界では、命より軽いものを誇りとは呼ばない」
全身の肉が焼け焦げて赤黒く変色している。
「死んでも譲れないものなのだ」
顔面の左半分など炭化し、損傷は脳髄に達しているのではないだろうか。
「アンタたちは間違ってる。
命を守るために誇りを捨てるとか、そういうものじゃないでしょ?
生きていればこそ、意味のあるものでしょ?
それは、天秤にかけちゃあいけないものよ」
「ならば、仕方がないな。価値観の相違だ」
恐怖ではなく憤慨に喉を震わせ、美琴が自死に歩んでいるとしか見えない敵を咎める。
二、三度顔を合わせただけだが、夫に良く似た真っすぐで、曇りの無い眼差しだと削板は笑う。
つられて、『後方のアックア』まで豪快に破顔した。
男たちは笑いを揃え、唖然とした女は長く長く嘆いて天を仰いだ。
「良く考えたら、俺はお前からまだ、名前を聞いてないな」
悪いな、と胸中でひとりごちて削板は、中天を過ぎた太陽を挟んで好敵手と向かい合った。
美琴はもう口を挟まず、動きもしない。
彼女の反射速度ではどう足掻いても男達の決着に先んじられない。
達観した顔で、しかしその視線は愚直にも、二人の男からは逸らされなかった。
「む、そうだったか? それは失礼した」
半面が失われた凄絶な相貌で、『後方』が穏やかに笑む。
削板は右腕を引いて、半壊状態の左拳を固く握った。
鏡のように『後方のアックア』もまた、空の拳をはち切れんばかりに引き絞る。
ぽつり、頬に一雫。
天気雨が降ってきた。
ぽつ、ぽつ。
血に染まった戦場が洗い流されていく。
昂騰した体温を急激に奪っていく、異様に冷たい大粒。
なまえ
「最後に聞こう。お前の、 誇 り は?」
だが沸き立った魂と誇りは冷めない、覚めない、醒めない、褪めない。
黄土色の土壌が、焦げたように色濃く染まる。
Victoria198
「――――『敗れざること』」
ぽつぽつぽつぽつ。
染まる、染め上げられていく。
「いい名前だ」
次の瞬間、二つの影が交差し――――男の闘いが、終わった。
通り雨は、二人の全身を心地よく濡らしてすぐに去った。
「見る必要なんて、ないんだぞ」
物言わぬ敗者を前に、勝者が決闘の見届け人を気遣う。
「逃げるもんですか。私に力が無かったから、この人は死んだんだもの」
「………………そうか」
削板軍覇は死の先にあるものを捜そうとした事が無かった。
こんな時に、生と死の狭間にある何かの存在を、痛い程に感じるだけだ。
その何かを乗り越えてしまった眼前の骸からは、答えはもう返ってこない。
「ねえ、削板さん」
「ん?」
「人を殺すのって、難しい?」
「簡単だ」
短く、極めて簡潔に返答した。
汗と血と、涙雨で濡れに濡れた鉢巻を脱いで高く放り投げると、一つだけ付け加えた。
「嫌になるほど、な」
舞い上がった向こうの青空に、七色の弓が架かっていた。
とある休日 浜面家
仕上「うーっ、おはよーさん…………」
理后「もう十二時だから全然『おはよう』じゃないよ、しあげ?
もっと早起きしないとりとくが真似してお寝坊さんになっちゃう」
仕上「いいじゃんかよ、日曜ぐらいさ…………」
理后「典型的な日本のお父さんだね」
仕上「父親が板についてきたって事で、な。多目に見てくれよぉ」
理后「……許して欲しかったら、いつもの」
仕上「おう、いつものな」
チュ
仕上「…………」
理后「んっ…………はぁ、や、まだ」
仕上「満足して……ないな」
理后「しあげぇ、もっと」
仕上「おいおい、こっちは寝起きだぜ…………我慢しろ、な、理后?」アタマポンポン
理后「はぁぁ」
仕上(理后は各種パラメータの管理をミスるとすぐヤンデレるからな。
いついかなる時も油断は禁物なんですよテレビの前の奥さん!)ズバッ
理后「お昼はラーメンだよ」ゴト
仕上「寝起きだっちゅーとんのに」
理后「何か言った?」ゴゴゴ
仕上「イエス、マム! ありがたく頂戴します!!」ワリバシパキッ
理后「召し上がれ」ニコニコ
仕上「ほういや、裏篤ふぁ?」ズルズル
理后「まことと向こうの部屋で遊んでるよ」
仕上「何だ、今日は居候たちまで揃って不在か?」
理后「第二一学区の公園でダブルデートだって」
仕上「子供をほっぽって何考えてんだアイツら……」
理后「それがどうも、まことの発案らしいの」
仕上「………………パードゥン?」
理后「両親と煮え切らないバカップルを口八丁手八丁で丸めこんで送り出し、
見事浜面家に転がり込むことに成功したまことは彼らに背を向けてほくそ笑みました」
仕上「いやいやいやいや」
理后「 計 画 通 り 」
仕上「二歳児があのドヤ顔披露するとか歴史に残る名シーンだなオイ!」
理后「そしてまことはりとくと二人きりになるというミッションを成し遂げたのでした、まる」
仕上「天才ゲームメーカーか! 末恐ろしいっていうか現段階で完成しきってるよねあの子!?」
理后「伊達にサラブレッドはやってない」
仕上「つうか両親より一歩も二歩も進んでねえか……」
理后「まぐぬすたちもかみじょう夫婦も恋の駆け引きを楽しむタイプじゃないもんね」
仕上「特に魔術師二人はあの歳で中学生みたいな恋愛してるからな」
理后「手を繋いで歩くだけで心の底から満たされた顔してるよ」
仕上「微笑ましさだけならあっちのお子様たちと良い勝負かもな。
俺らにもあんな頃が…………あるようで、あんまりないな」
理后「色々あって、お互いの気持ちを確かめた頃にはとっくにキス済ませてたね」
仕上「三次大戦の後もあちこち飛び回ったしなぁ。
もしかして俺ら、デートとかあんまりしてないのか?」
理后「んーっと、十回ぐらい?」
仕上「世間一般のカップルがどうかは知らねえけど……多分、少ないな」
理后「そっか」シュン
仕上「…………今度、麦野に頼んで休暇取ろうぜ」ゴッソーサン
理后「え?」
仕上「裏篤も上条たちに預けて、夫婦水入らずさ。
偶にはこっちが世話になったって文句は言わせねえよ」スッ
理后「しあげ?」
ギュ
理后「…………んぁ」
仕上「だから、今日はこれで我慢しろ。な、理后?」ポンポン
理后「……うん、満足満足」ギュ
仕上「世のお母さんにも、こういう時間は必要だよな」
理后「月々のお小遣いと引き換えにハグタイムを要求しようかな」
仕上「時給はおいくらほどになりますかね?」
理后「1,000円になります」
仕上「おいおい、昼飯代の確保だけで何時間ひっついてなきゃならねえんだよ」クツクツ
理后「…………プラス、インセンティブ契約付き」
仕上「おっ、ボーナスも出んのか?」
「キス一回、500円」
仕上「…………」
理后「………………」ドキドキ
仕上「とりあえず、二〇回ぐらいいっとくか」
理后「…………しあげは現金だね」
仕上「はっはっは、卑しくて結構! それが浜面仕上様の生き方よ!!」
理后「うん、よく知ってる」
仕上「あっさり頷かれると複雑なもんがあるぞ…………とにかく」
「いつも家事と子育てお疲れさん、お母さん」
「お父さんこそ。私たちの為のお仕事、ご苦労様」
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裏篤(…………たまーにあんなことしてるからゆだんできないよな)ドアノスキマジー
真理「りとくーん、どうしたのー?」スリスリ
裏篤「……父さんも母さんもたのしそうだなって」
真理「こ、こっちこない?」
裏篤「……きてほしくないのか」
真理「りとくんともっといちゃいちゃしたいもん」
裏篤「……べつにいいじゃんか、父さんたちがいたって」
真理「むり!」
裏篤「……まことさ、いちどカエルせんせいにみてもらったほうがいいんじゃないのか」
真理「うー…………」
裏篤「『遺伝子レベルのツンデレ』らしいぞ、おまえ」
真理「わかんないもん……そんなの」
裏篤「………………おれは、もっとすなおなまことのほうが好きだな」
真理「!!!」ボン!
裏篤「…………………………」ポリポリ
真理「あう……」カァ
裏篤「……ちょっとずつでいいから治せば、いっしょにさんぽできるぞ」ナデナデ
真理「りとくんと、おさんぽ……」ウットリ
裏篤「……じゃあ、早速リハビリするぞ」
真理「へ?」
ガラッ
仕上「んおっ!?」
理后「!?」
真理「」
裏篤「………………」ナデナデ
真理「にゃにゃにゃにゃにしてんのよキモヅラ!!
にゃれにゃれしくあたまにゃでてんじゃにゃいわよ!!!!!」バシッ!
ドアトジル
真理「り、り、りとくん? なにして」
裏篤「……『でこちゅー』、してほしいか?」
真理「よろしくおねがいします!」
裏篤「……すなおでよろしい」
チュッ ガラッ
仕上「また!?」
理后「昔のお笑い番組みたいだね」
真理「ええええええええええええ!!!!!?」
裏篤「……ほら、いやなのか?」
真理「あほぬかしてんじゃにゃいわよ!!!
だだだだだれがすきであんたにゃんかと!!!!!」バックステップ!
トジル
真理「」パクパク
裏篤「……こっちこい、だっこしてやるから」
真理「あ…………あ……」フラフラ
ガラッ
真理「ちょうしにのるのもいいかげんに」
トジル
真理「えへへ、だっこー」
ガラッ
真理「だっこしなさいよねってあれええええ!?」
トジル
真理「ちょま、りと、くん、すとっぷ、すとっぷ!」
裏篤「だがことわる」
真理「いつまでやるのー!?」
裏篤「……ツンデレが治るまでつづけようか」ニヤリ
真理「ひっ」ゾクゾクッ!
裏篤「……やになったらいつでも言えよ」ボソッ
真理「や、や、やじゃないもん! …………はっ!」
裏篤「……そっか、まことはいい子だもんな」ナデナデ
真理「りとくぅん…………」デレデレ
仕上「………………」コッソリ
理后「………………」ノゾキミ
仕上「…………絶妙なアメとムチで調教してやがる」ゾワゾワ
理后「あの二人の将来が楽しみだね」フフフ
仕上「………………」
「ある意味、な」
オワレ
「ああ、ったくもう!」
苛立たしげに水気を含んだ茶髪を後頭部で一まとめにする麦野沈利。
彼女を一瞥もせず、フィアンマが寂れた街並みの端に屈んで静かに呟く。
「近いな」
「これが偽装って可能性もあるでしょうが」
二人が囲んでいるのは急な雨で流されかけたらしい、色褪せた血痕であった。
道端に大量にこびり付いていた事が幸いして、完全に消失してはいない。
ステイルによって荼毘に付された際、焼き塞がった傷痕が強行軍で開いたのであろう。
「無い」
「断言したわね。根拠ぐらいは聞いてやるわよ」
「逃走などというカードを掴まされた時点で、奴の脳髄は焦げに焦げ付いているはずだ」
一時とは言え座を通して思考の一端さえ共有した相手だ。
フィアンマは『右方』の人格を深い所まで洞察していた。
「一心に目的地へ向かっているのみ。
この上つまらん小細工などしてみろ、奴の下らん自尊心が剥げ落ちるだけだ」
そして、目的地は間近に迫っている。
到達する前に何としても、『右方のフィアンマ』を捕捉せねばならなかった。
揃って我先にと走り出す。
それにしても、ダッシュしながら喧々囂々する必然性は那辺にあるのか。
「その、ご立派な、脳味噌で理解は出来ているな、麦野沈利? フゥ」
「アンタの懇切、丁寧なご説明が単純極まりなかったおかげでねぇ、魔術師野郎、ゼェ」
息の合った連携など期待しようがない殺伐としたミーティング。
故に二人は、互いの戦闘に不干渉を貫くと既に合意していた。
フィアンマの提示した基本方針さえ守ればそれで良い、というスタンスだ。
「協調性が欠落した女のせいで、このザマだ。まあ俺様一人でも十分すぎるが」
「お生憎様、これでも企業のトップ張ってまーす」
「ほう、奇遇だな。何を隠そう俺様も年商一千万ドルの大企業でCEOを務めていてな」
「あ? ガキみてーなホラ吹いてんじゃないわよ」
「くくく、そう囀っていられるのも我が社の麗しき名を聞くまでだぞ」
「すごいでちゅねー、年商一億ジンバブエドルなんて。あーびっくりしたわこりゃー」
口の減らない下品な女の相手が自分の宿命なのだろうか、
とフィアンマは冷え冷えとした視線を受け流しながら考えた。
高慢ちきな超能力者がこれからぽっかり口を開いて晒すであろう、ペリカンのような阿呆面を想像する。
男がB級映画の悪役のような薄ら笑いを堪え切れないでいると、
『………………どうしてコントをやっているんだい、君たちは?』
フィアンマの掌中からふにゃりとふぬけきった声色。
思わずお前がどうしたツッコミ返したくなるようなツッコミが入った。
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『お前がどうした、ステイル=マグヌス』
「緊張感の無い連中だな、全く」
「もう、動いちゃ駄目なんだよステイル!」
「ああ、ごめんよ。あまりに心地よくて痛みを忘れてしまった」
「ば、ばか…………」
『聞けよ』
こちらは警備員第二二活動支部。
大仕事を終えた魔術師が、通信護符を片手にシスターの膝上で至福の一時を過ごしていた。
「すいません鉄装先生、『お前らが言うな』って突っ込んできてもらえます?」
「じ、自分でやったらいいじゃない佐天さん!」
「インデックスがあの写真より一歩進んでる……何だか遠い世界のヒトみたい…………」
「けっ、バカップルが」
「あれ、今の誰? まこちゃん…………のわけないよね、あはは!」
ボロソファーでいちゃつくロンドンからの客人を遠巻きにして、
独り身の女四人(うち一人は幼女)が思い思いに愚痴をこぼす。
体を寝かせながら真上に伸ばされた男の腕が、女の頬に軽く触れて薄紅を散らした。
そのままの体勢で、声を潜めて状況報告が行われる。
「『前方』は辛うじて生き残って治療中、警戒には第八位、結標淡希が当たっている。
『左方』と『後方』は…………死亡が確認された」
『そうか、では残るはあの若造ひとりだな』
「科学サイドもダメージが大きい。援軍は期待しないでくれ」
死闘を越えた五人の超能力者のうち最も深手を負ったのは第七位、削板軍覇。
ついで第三位、上条美琴と第五位、食蜂操祈、そして白井黒子も例の病院に搬送されていた。
第九位、浜面理后には夫である浜面仕上が付き添っているが、能力の大規模行使の反動が色濃い。
『端から何も期待などしていないよ。俺様一人でも、と何度言わせる気だ』
「その意味不明の自信はいったいどこの生産工場出なのやら。
………………『ヴェント』の事は聞かないのかい?」
ステイルが一層小さく、インデックスを撫でていない方の掌に収めたカードに囁いた。
間を置かず、平然とフィアンマが返す。
『生きているなら、必ず俺様の元に怒鳴りこんでくる。そういう女だ』
「なら…………いいん、だがね」
ヴェントの負傷は削板にも劣らず深刻なものであったが、
インデックスを通じて情報を提供してくれた番外個体曰く、命に別状ないという事だった。
『…………さあ、いよいよ捉えたようだ。切るぞ』
返事を待たず、護符から魔力光が絶える。
僅かに呼吸を乱し始めていたステイルが苦い顔をした。
通信用の魔術でさえ精一杯のコンディションだと見抜かれていたのかもしれない。
「はぁ……………………」
肺の奥からの長い吐息を聞いて、インデックスが赤髪の下の額に手を当てた。
体温を測りながら、不意にその表情が歪む。
「…………とうまが帰ってきたら、謝らなくちゃね」
「そうだね。今回ばかりは、何発だろうと甘んじて受けざるを得ない」
統括理事会が上条当麻を学園都市外に出すと決定した際、二人は異を唱えなかった。
上条一家を今回の一件に巻き込みたくはない、その一心だった。
しかし現実はどうだ。
美琴を常盤台に軟禁状態で保護する計画は早々に破れ、
真理は真っ先に『右方のフィアンマ』に狙われて命を落としかけた。
一言、上条にそれとなくでも示唆すれば、
あの男は海外出張を力づくでも拒んで家族を守るべく闘いに身を投じた筈だ。
「それが嫌だったのに、なのに、みことは大怪我して、まことだって」
「…………君一人が責めを負う必要は無い」
IFについて考えても仕方がない事だった。
ステイル達は美琴が戦火に飛び込むのを止められなかったし、
真理の身に降りかかる火の粉を、事前に十分予測していなかった。
それが事実だ。
作戦の根幹に関与した身として、頭を下げる程度で済むとはステイルも思ってはいない。
(…………どうあれ、アイツが帰ってくるまでに学園都市が平穏を取り戻せるかは)
『ただのフィアンマ』と、麦野沈利の力に懸かっている事は間違いなかった。
prrrrr!
「ん?」
「電話だよ」
その時、ステイルの端末が着信を知らせた。
表示は非通知。
インデックスと一瞬顔を見合わせ、ボタンを押して耳に当てた。
「…………誰だい?」
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麦野沈利は己を、図太い神経の持ち主だと常々自評していた。
それは十年前に麦野自身の不始末から壊滅した筈の『アイテム』のリーダーを、
今なお皮の分厚い面で務めている事からも明白だった。
※週に十食は注文するシャケ弁に関しては特例とする
「いやだって昨日のなんて国産だって表示されてるくせにどう考えても
養殖もののアトランティック・サーモンでちょっと原子崩しっちゃっても仕方な」
「どうした、化粧崩し(アンチエイジング)?」
「いや何でも…………今なんつったんだ赤マルコちゃんよおおお!!!」
さておき、性分である以上は如何ともしがたい。
更に言えば、いつ何時でもその性質が彼女の人生を順風満帆にしてくれたわけではない。
むしろ麦野沈利のそう長くはない大河において
最も濁っていた“あの流れ”を生み出した主因と言っても過言ではなかった。
「静かにしろ、五十メートル程先に魔力の流れだ。紙一重のところで追いついたらしいな」
「…………ああ、確かに。『目的地』はあの塀の向こう側よ」
肌を刺す、喉が涸れる、呼吸が乱れる。
生殺が争われるこの感覚を脳がキャッチしておきながら、
その命令を無視して肉体をコントロール出来るのが麦野の長所であり――――欠点だった。
十年前、忌むべきホスト崩れのような男に対峙した際もそうだった。
泥の底で培った鼠の糞のような経験則はあの時、確かにアラートを最大音量で鳴らしていた。
だというのに、意地か、傲慢か、それとも生理的嫌悪感か。
兎にも角にも理性の拘束を振り切った結果として。
「アンタが右、私が左。他の打ち合わせは要らないわね」
「俺様が前、お前は一八〇度後方に反転。でもいいぞ」
「…………はっ」
麦野沈利は、全てを一度失った。
「一発で、それで終わりにしてやるわよ」
「ほう、人間身の程を弁えんとここまで傲慢になれるものなのだな」
今にも互いを撃ち合いそうな剣呑な空気の中、男女が二手に別れる。
麦野にも既に、鮮血より赤い敵魔術師の着衣が視認できていた。
『目的地』入口を目前に覚束ない足取りで、残り十メートル。
麦野は走る。
『原子崩し』の発動シークエンスは完了している。
『右方のフィアンマ』が振り返った。
死人だ、そう思った。
生気の失せ切った、腐った土壌のような顔色。
構わず、光を三条瞬かせる。
(先手は取った!)
先手必勝。
二人の超人の間で取り交わされた条約の中身は、その四文字で事足りた。
『言っておくべき事はただ一つだ。奴に「第三の腕」を使わせるな』
麦野に魔術の講釈など垂れてもしょうがないと判じたのだろう、
フィアンマの事前説明はそれで全てだった。
彼女としても、能力的にも性格的にも、シンプルな短期決戦こそ望むところだ。
「欠伸が出るようなスットロイ動きしてんじゃねえぞ!」
故に、躊躇いもせず初弾から急所を狙った。
頭を、心臓を、首を、殆どタイムラグ無しで『原子崩し』が貫く。
「――――っ!」
しかしおかしい、鮮血が一滴たりとも噴き出ない。
これは――――
「中だ、麦野沈利!」
「わかってんだよんなコトォ!!」
逆サイドから肉薄していたフィアンマが、肩口から炎の腕を出現させながら叫んだ。
一瞬早く、麦野は『目的地』内部へと駆け出していた。
途端に俊敏な挙動を開始した『右方のフィアンマ』――――
いや、それによく似た『死体』が彼女の背後を襲おうとして、逆にフィアンマに阻まれた。
魔術師に囮人形を任せた麦野は、石造りのアーチを潜って眼を血走らせた。
(どこだ、どこにいる?)
トレーシングペーパーで写したような風景が延々と続く“この場所”ではそうそう身を隠せはしない。
忙しなく首を動かし、三六〇度余すことなく地平線を見回す。
足下の地面に赤い跡、点々と奥へ続いている。
再び走り出す、同時に胃が裏返ったような痛みを覚えた。
(なんで…………)
辿る、辿って疾走する。
麦野は終着点がどこなのか知っていた。
(なんで、なんで!)
毎年のように、というより毎年必ず一度、この道を通って“そこ”に行くのだ。
今日とて、この乱痴気騒ぎが収まれば夜半過ぎにだろうと訪れるつもりだった。
(なんで、アイツが“あそこ”に向かってる……!?)
桁外れの自分から見ても、更にもう一つ二つ、桁を踏み外した怪物の気配。
だけではなく、ベクトルの違う、得体のしれない危機感が麦野の心臓を不規則に掻き鳴らす。
血痕がぐねりと曲がって進路を報せる。
全速力を出すと、後ろで束ねたウェーブがかった髪が解けて、バサリと空に投げ出された。
眼球にかかる毛髪をかき分ける時間も惜しく、走る、走る。
「はあっ、はぁ!」
遂に、“その場所”に辿り着いた。
「――――――――――――――――――」
上半身裸の無残に爛れた黒い背中が、“それ”を前に膝を折って囁くように唱っている。
日中伊仏、トルコにポルトガル、ヒンディーとブルガリアの言語。
麦野に聞き取れたのはそこまでだが、何故“そこ”にいるのかも含めて、取るに足らない瑣事だ。
今この場で、必殺以外は求められていない。
跡形も残さず消し飛ばすつもりで、全身全霊の『原子崩し』。
破壊の光芒が一帯を包もうとした、その時。
「ん…………」
『右方のフィアンマ』の陰に隠れる位置に、何か横たえられている。
人だ。
麦野は認識した瞬間、尻もちをついてわなわなと震え出した。
「………………ふ、れ、」
すっきりしたブレザータイプの私服にかかるほど長い地毛の金髪。
色白の肌に目立った外傷は見られないが、ところどころ泥が付着して汚れている。
脇には紺色の帽子、昔は同じデザインの色違いだった。
そしてスカートからすらりと伸びる、赤タイツに包まれた脚線美。
「なにして、ん、だ、おい」
「――――――――――――――――――」
途切れ途切れに詰問する。
そうではないだろう、一刻も早く始末しなければ。
しかしそれでは彼女を巻き込んで、傷付けてしま
「麦野沈利! 口を塞ぐだけで構わん、早くやれ!!」
「っ、あ、あ」
誰かが、後ろから何かを言ってくる。
だがわからない、一体どうすればいいのかわからない。
「ちいっ!! 『右方』、貴様そこまで堕したか!」
死体と見紛う不気味な腕が彼女の首筋にかかって、背後の誰かの動きも止まる。
纏わりつく恐怖を無理やりに排除して、眼前の大敵に勇敢にも挑む。
嘗て麦野沈利はその決断で、全てを失った。
自ら打ち捨てたガラクタのような輝きの中には、どうしても取り戻せないものが一つだけあった。
「フレ、メアあああああァァァァッッッ!!!!!」
それはこの場所に、学園都市で唯一つの『墓地』に、寂しく葬られていた。
「Death Comes As The End」
詠唱の完了を、フィアンマは指を咥えて聞き届ける他なかった。
ここまでプライドを、自我を捨ててまで『右方』が事を成し遂げようとするとは。
大地があちらこちらで隆起して、割れ目からあの世帰りの旅人が現れる。
ざっと一〇〇体、みすみす兵力の補充を許してしまった。
魔術師と人質の目前に依然変わらず佇む十字を初めとして、
全ての棺から黄泉帰りが現れたわけではなさそうだが、何の救いにもなりはしない。
(何故あの女はここにいて、麦野沈利は慄いている?)
七月十五日。
東京や横浜の一部地域で故人と交流する風習が存在する事を、
そして数年ぶりに亡き姉と恩人の墓参りのため訪日した女性が
彼らの眠る死者の園に命からがら逃げ込んだ事を、フィアンマが知る筈もなかった。
「…………去ね」
「な…………?」
「あ、ふ、フレメアっ!!」
『右方のフィアンマ』が、およそ人間のそれとは思えない声を喉から吐いた。
緩慢な動作からは想像もつかない膂力でもって、女性を肉の壁越しに投げて寄こす。
麦野がおっとり刀で彼女の肢体をキャッチした。
息は、ある。
どのような策を講じて取引材料を奪取すべきか、
攻めあぐねていたフィアンマには急転直下の事態だった。
目下最大の障害があまりにもあっさり、しかも敵自身の手で排除されたのだ。
激しく回転を続ける戦況に、いい加減脳神経が焼き切れないか心配になってきた。
しかしそれでもフィアンマは思考を止めはしない。
「いまさら愚を恥じたところで、脳に刻印された“折り目”は消えんぞ」
「黙、れ」
人質を取ってしまったた事で自ら抉った自尊心に対する
涙ぐましい代償行為か、とフィアンマは分析から一定の結論を出した。
(すぐに突き返す質(しち)ならば初めから取らなければいいものを、クソガキが)
内心で強烈に悪態をつく。
下卑た手段に走らざるを得なかった『右方』の揺らぎは、麦野に負けず劣らず激しい。
そのような精神状態と頭脳を切り離して術式を完遂できるのは、男が優秀な魔術師である証だ。
「あの節操の無い鎧は品切れか。これでは時間稼ぎ程度にしかならないな」
揺さぶりをかける。
異形の胴に、厄介極まりない『未元物質』は影も形もない。
僅かでも動揺を誘えれば、術の維持を阻害できるかもしれない。
打算的な男になってしまったなと自嘲しながらもう一つ、フィアンマは着目する。
(『腕』を出さない、という事は)
矛の役割を果たさないほどに弱体化したか、行使者のダメージが深刻に過ぎるのか。
あるいは――――完全に崩壊したか。
「二十分……いや、十五分でそこまで行ってやる。首を洗う清め水は自分で探しておけよ」
いずれにせよ、勝機は失われてはいない。
問題はむしろこっちだ、と目線を横に流した。
「フレメア、生きてる!? 答えなさい、起きろ、フレメアッ!」
魔術で昏睡させられたらしい元人質、現お荷物に麦野が必死で名を呼び掛けている。
「いつまで足手纏いになっているつもりだ、麦野沈利。邪魔な荷物を抱えてさっさと失せろ」
「なん、だと………………っ、悪い」
漸く現実を認識したのか、今にも『原子崩し』をかましそうな殺気が瞬時に薄れる。
命より優先したいらしい“荷物”を横抱きにしようとして、麦野が首を横に振った。
「駄目だ、逆だ。私が突っ込むから、フレメアを頼む」
「…………そう、だったな」
敵が大挙して執拗に狙うのは、超能力者のAIM拡散力場だ。
フレメアという名らしい女性を守りながらでは、彼女の能力は存分に発揮しきれない。
麦野を囮にして自分が突撃しようにも、フィアンマにはちらほら感知出来てしまうのだ。
「直衛も居る、油断はできんな」
麦野ではなく己を、主同様に怨念がましく睨みつけてくる遠隔操作型の存在が。
「頼む、お願いだ。どうか、フレメアだけは護ってくれ」
「俺様にとっては路傍の石だ、そんな女」
見苦しい懇願。
プライドを犬に食わせてでも貫きたいものがあるのは、『右方』も麦野も同様だった。
フィアンマには、それが奇妙に羨ましかった。
「そんな、おねが」
「いいか覚えておけ、俺の夢はな」
フィアンマの暴言にも女の平身低頭は変わらない。
遮って、いつも通りに大胆不敵に大言壮語を高らかに謳う。
「石ころ一つとて取りこぼさず、世界を救う事だ」
「………………ぷっ、ははは!! なに、ガキみたいなホラ吹いてんのよ!」
ぽかん、と口を大開きにしてペリカンのような阿呆面を晒してのち、女が笑い出した。
手足に、心臓に、瞳に、脳に、『原子崩し』麦野沈利が蘇る。
一度崩された精神がこの程度の叱咤で完璧に再起動するものなのか。
そんな微かな疑念は、フィアンマにとっては路傍の石そのものだった。
「わかったら行け、武運を祈る」
返事は無い。
――■■■■■■■■、■■■■!!??――
背を向けた女が放った無数の光条が、何よりの応えだった。
「十分でそこまで行ってやるよ!
しっかり水洗い済ませとけ腐れトマトおおおおおっ!!!!」
「…………下品な女だ」
光精をしもべに引き連れて亡者を屠る後ろ姿。
口さえ悪くなければ、正に北欧神話の戦乙女だったんだがな、とフィアンマは惜しがった。
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脆い、脆い。
面白いように群がる怪物を千切っては投げ、はせず、只管に千切り破っては肉片を撒き散らす。
――■■■■■■■■■■!!!!――
「けっ、冷蔵庫野郎の板切れがなきゃこんなもんかぁ!?」
――■■■■■■!?――
『Equ.DarkMatter』が無ければ楽勝だ。
声を大にして叫びたいが、それは第二位の能力を認めるようで業腹だった。
どうあれ、予告通り十分あれば殲滅は終了する。
後はやってはならない事をしたあのクソッタレ魔術師を、文字通り微塵に引き裂くのみだ。
――■■■■!――
「おらおらおらおらおらぁっ!!!! 噛み応えが無さ過ぎんだよぉ!!!」
――■■!!!!!――
弾け飛んだ脳漿がこびり付く。
――■■■■■■■■!?――
飛びかかってきた一体の腹部を素手で穿って、内部で電子の弾頭を爆裂させた。
――■■■■■■■■■■■■!!――
三体同時。
全身からの一斉掃射で顎から上を、胴体の中心を、右半身を削り取って、まとめて土くれに還す。
そして、遂に視界に捉えた憎き赤髪の男。
アンデッド兵は十体近く残存しているが、麦野の意識はそれらをシャットアウトする。
(義眼がチリチリする)
『右方』の掌中に剣と秤を携えた、天使を模った像が視認できる。
(髪筋の先の先が尖ってる)
魔術の道具?
知るか、殺すだけだ。
(喉の奥が焼けたみたいに熱い)
今度こそ己と怨敵を結ぶ殺意の交錯を阻むものは何一つ無い。
(考えるな、その前に殺せ!)
殺った。
「ロートル」
男の口唇が、三日月を描く。
(――――――――――――ぁ)
毛穴から噴き出た脂汗が、顔面を逆さに上った。
「そのちっぽけな無能力者を庇い立てして、
“超能力者ごとき”に俺様の首を取らせようと高みの見物を決め込んだのが」
ビビるな、麦野沈利、震えるな。
魔術師がこの期に及んでどう足掻こうと、自分の光撃に二歩、遅れを取る事は決定事項である。
演算開始、電子を固定、『壁』状に停止、高速で操作、叩きつけられる電子線、演算終了。
既に『右方のフィアンマ』は終わっている。
「民の屍で固められた王道を歩めなかったのが」
刹那、麦野の秀逸過ぎる演算機が状況をシミュレートする。
《一射目、脳天を貫ぬく。頭蓋から血反吐が噴き出し『右方』が真後ろに倒れ込m“エラー”》
《二射目、右肩を消し飛ばす。『右方』が苦悶の唸りをけだものの如k“エラー”》
《三射目、どてっ腹に風穴を空ける。孔を通して向こう側g“エラー”》
《四射目、首を落とす。汚いスイカがゴロリt“エラー”》
《五射目、心臓を抉r“エラー”》
《六射目、“エラー”》
《“エラー”》
《“エラー”》
《“エラー”》
結論。
「貴様の敗因だ」
《黄泉帰った『聖なる右』が麦野沈利の生命ごと、その肉体を薙ぎ払って粉々にする》
ドオン、耳のすぐ近くで爆音。
(あ、死んだ)
麦野の躰が、骸になる音だった。
――――そんな気がした。
「……………………あれ?」
そんな気がした、だけだった。
肉体は、五体全て揃って健在である。
「王道、良識、通念、コモンセンス、合意、暗黙知」
幻聴を聴いているわけではないらしい。
実際に現れた結果は、『腕』が突如として麦野を捉えていた筈の軌道を変更し、
『原子崩し』と別の飛来物を一緒くたに薙ぎ払うという全くのシミュレート外のもの。
「格好いい演説だな。OK、OK」
幻聴であったなら、どれほど良かっただろうか。
十年前、麦野沈利が破滅する端緒となった声を、よりにもよって今。
「大いに良しとしようじゃねえか」
高級スーツともすんなりマッチしそうな上質のスラックス。
ダークレッドの上着は軽く着崩され、第三ボタンまで開けられたワイシャツから胸元が覗く。
アイドルもどきの長い金髪は、麦野の胸のムカツキを最高潮まで押し上げる対視覚兵器である。
「だがもちろん」
背に負うは『神が住む天界の片鱗』として顕現した――――六枚の白翼。
「この俺、垣根帝督にそんな常識は通用しねえ」
続き
インデックス「――――あなたのために、生きて死ぬ」【4】