※『とある神父と禁書目録』シリーズ
【関連】
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ステイル「最大主教ゥゥーーーッ!!!」【1】
1つ前:
インデックス「――――あなたのために、生きて死ぬ」【1】
第六学区。
浜面理后に向けて獲物を振るいながら、『前方のヴェント』は現状に違和感を感じていた。
(…………この女が此処に来たのは、偶然か?)
学園都市への襲撃が事前に漏れている可能性は否定できない、と彼女のリーダーは語った。
事実であるなら、目の前の『能力剥奪』は自分を阻止するために現れた事になる。
しかし、この女の能力では魔術師相手には意味が薄いことは事前に調べが付いていた。
能力者の位置特定を行い、あまつさえ力場の『剥奪』さえ可能なこの超能力者は、
確かに対能力者なら矛として、盾として、目として桁外れの汎用性を誇るだろう。
「……ッ!」
理后は無様に逃げ回るのみで、なかなかどうして敵に対する悪意を見せない。
その事実を不気味に感じた『前方のヴェント』は、
スマートではないが手っ取り早く目の前の女を始末する策をとる。
一瞬でも、僅かでも。『ソレ』を感じてしまえば終わりだ。
「アンタの息子……浜面裏篤だっけ? 第十三学区の幼稚園に通ってるよね」
敵手の目的を察知した理后が慌てて耳を塞ぐ。
その挙動を見た『前方のヴェント』は自らの術式が分析されている事を確信するが。
もう遅い。
「今頃私の部下が向かってるところだ。もうグチャグチャだろうね」
「…………っ!」
ごくごく微小なモノであろうと、『天罰』には戦闘能力を奪うには十分にすぎる効果がある。
『前方』の口の動きからその内容を察知、そして想像してしまったのだろう。
理后の鋭くなった眼差しが刹那、『敵意』に染まる。
――次の瞬間、ゆっくりとその身体がアスファルトに吸いこまれていった。
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第二学区。
白井黒子は突然使用できなくなった己の能力に戸惑いながらも、撤退を意識する事は無かった。
『左方のテッラ』の投げ放った袋からばら撒かれたのは、白い粉。
何かの攻撃の前兆である、と直感した白井が己の脚で距離を空けた。
「第二優先。――小麦粉を上位に、人体を下位に!」
前兆では、無かった。
「っ、あああっ!?」
『小麦粉』が男の武器そのものであることに彼女が気付いたのは、
かすかに触れた飛沫が肉体に激痛をもたらした後の事であった。
「あなた程度に時間をかけていられないんですがね。さっさと終わらせましょうか」
男は、白井の事など敵とも認識していなかった。
発言の主旨を悟った彼女の脳が瞬間沸騰するが、それは同時に好都合でもある。
(侮ってくれるのなら、やりやすい……いや!)
しかし現実には、男は女が能力を発動する前から、これをあっさり封じてきた。
キャパシティダウンを使っている様子が微塵も見られない以上、
彼女の顔と能力を予め知っていた、と考えるのが妥当となる。
確かに空間移動能力には極めて高度な演算が要求され、
能力者の精神状況が安定していなければ能力行使は困難である。
何らかの外的要因で発動を阻害する事は、白井にとっては遺憾だが容易い事だ。
だが、この状況は違う。
三次元から十一次元への座標変換そのものは脳の中で確りなされているにも拘らず、
空間移動が全くと言っていいほど発動しないのだ。
(先ほどあの男が呟いた……いわゆる『詠唱』? というヤツでしょうか。
あれが鍵を握っているのは間違いありませんわ)
『第一優先。――三次元を上位に。十一次元を下位に』
(だとしたら、随分科学に詳しい魔術師さんですこと)
身を捩って次なる攻撃をかわしながら、白井は微かな糸口を掴む。
力強く身構えて、魔術師に啖呵を切った。
「……上等ですわ。能力を封じたぐらいで挫ける白井黒子ではありませんわよ!」
「威勢が良くて結構ですねぇ」
舐めた態度の変わらない男を睨みつけてから、まずは距離を取ることに彼女は専念する。
幼いころから鍛え続けてきた女豹のごとき肉体もまた、紛れもない白井黒子の武器であった。
(ああ、隊長の地獄の扱きに感謝する日が来るなんて……!)
などと場違いに遠い目で明後日の方向を見つめたその時。
「第三優先。革を上位に、コンクリートを下位に」
冷静に一声。
履いていた『革』靴が地にめり込み、体勢を崩しながら彼女は絶叫した。
「わたくしは馬鹿ですのーーーーーーっ!!??」
「馬鹿ですねぇ」
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第七学区。
砂鉄剣と棍棒が交差し、耳障りな金切り声を上げる。
『後方のアックア』と『超電磁砲』は真正面から力と力の鍔迫り合いを演じていた。
(『コレ』は違う……!)
互いの獲物が激しく弾き合って、使い手も同時に後方へ跳ね跳ぶ。
超能力者に拮抗するほどの怪物を相手取りながら、しかし上条美琴はそんなことを考えていた。
(この男が当麻からチラリと聞いた『後方のアックア』なら……)
――悔しいことだが、美琴程度がまかり間違っても伍せる相手ではない。
「ぬんっ!!」
男が手近にあった噴水から水を巻き上げ、巨大な水塊を生みだす。
一直線に己に飛んでくるそれを、彼女は惜しげも無く『超電磁砲』を放って蒸発させた。
(確かに、そこらの水を片っ端から掌握するこいつの魔術は厄介だけど……)
蒸気で曇る視界に乗じて迫る巨躯をに対し、牽制気味に軽い雷撃を放つ。
しかしそれは男の金属棍棒によって防がれ、再び二人の間に間合いが生まれた。
「……やっぱりこっちを聞いとくべきだったわね。アンタ、何者?」
「…………そのような問いに、意味など無い」
晴れた視界に精悍な顔を捉えて、美琴は確信する。
夫のアルバムの中に一枚、英国第三王女の挙式に出席した際の写真を彼女は見た事があった。
「そんなこと言わずに答えなさいよ。ウィリアム=オルウェル」
金髪青目の浅黒い風貌が、その名を聞いた途端にハッキリと歪む。
苦悶か、憤怒か、屈辱か。
そこまでは遠目には判別し難い。
勿論電撃姫は敵の虫の居所などお構いなしに真実を問うた。
「――――じゃあないわね、アンタ」
「…………『幻想殺し』か」
「彼はイギリスでお姫様とヨロシクやってるはずだわ。で? アンタは結局なんなの?」
男の顔が俯いて、その表情が美琴の視線から隠れる。
美琴はこの戦闘の帰結に勝敗以外のポッシビリティを見出し、
それを追求すべく『後方のアックア』に迫った。
「もし、アンタが…………」
「甘いと、言った筈なのだが」
しかし、彼女の僅かな気の緩みを男は見逃さなかった。
ここ迄の激闘の中では一度たりとも披露しなかった超スピード。
(靴裏に水――摩擦を減らして!)
巨体の疾風のごとき突撃は、もはや美琴には不可避のものであった。
腹を括って、本格的な激突への準備体勢を取る。
(……覚悟決めるしか、ないわねッ!)
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そして、何処とも知れぬ路地裏。
佐天は幼い真理を抱えて、鍛えた自慢の足をフルに活用して細い路地を逃げ回っていた。
携帯電話を尻ポケットから抜いて助けを呼ぶ暇もない。
彼女は自分が現在、極めて細いロープの上を渡っているという自覚があった。
――■■■■■■■■■■■■■■■!!!――
追跡者は、先刻の赤い男ではない。気味の悪い紫色と黒い鎧で覆われた別の異形。
かつて初春に借りたホラーアクションにあんなクリーチャーが居た、と佐天は頭の隅で思い出した。
そもそもあの『腕』を目にした瞬間、彼女は自らの死さえ予感した。
『アレ』はこの街の超人達をも凌駕するモノだ、という認識が佐天にはあった。
しかし現実に彼女は、振られた『腕』から脇目も振らず逃げ出した結果として、生きている。
何か、奇跡とはまた違う何かがあの男の邪魔をした。
そうとしか思えないほどに計り知れない力だったのだ。
(――っ!! そんなこと考えてる場合じゃないでしょ、涙子!)
『腕』は追っては来なかったとは言え、
現在の脅威はやはり佐天に太刀打ちできる代物ではない。
まずは何をおいても、この身に抱えた小さな命の安寧を獲得する事だ。
後ろの奇怪な化物の狙いは、どうやら真理にあるようだった。
(白井さんか、隊長に連絡出来れば…………!!)
だが残酷な事に彼女の両腕は、その守るべき鼓動によって現在塞がっている。
そして真理を抱え直す時間が惜しいほど、追跡者の迫撃はすぐ後ろにある。
最寄りの警備員支部にこの足で駆け込む以外の方法を、焦燥の中では考え付かなかった。
(っはあ、はぁ、第一〇学区の二二支部までは、あと、五百メートルぐらい……!)
楽勝だ、体力にだけは自身がある。
挫けそうな己を励ましながら駆け続ける佐天の脚はしかし――遂に限界を迎えた。
「ああっ!!!」
角を曲がった先の死角に、空き缶がばら撒かれていた。
近頃はその絶対数を大きく減らしたスキルアウトが、このあたりに屯していたのであろうか。
避けようと交差させた脚がもつれ、彼女の身体が前方へと投げ出された。
咄嗟に真理だけは守ろうと身を反転し、背中からアスファルトに落下する。
「つう…………ッ!!」
――そして、異形と視線が交錯した。
――■■■■■■■■■■■■■■■!!!――
肉薄していた追跡者が醜悪に嗤ったように、彼女には映った。
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黄が大鎚を無防備な理后に振り下ろす。
緑は白井の頭上にばら撒くべく、二つ目の袋を取り出す。
青が美琴の迎撃をものともせず、クロスレンジで術式を構築し終える。
「子の方は生かしてやるさ」
そして赤は哀れな女の末路を見届け、無感動に呟いた。
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「――――――なあっ!?」
『前方のヴェント』の目前で、起こり得る筈の無い現象が起こった。
『天罰』に完全に意識を断たれたはずの浜面理后が
あろうことか踏みとどまって、頭部を狙った一撃を躱したのだ。
「ごめんねぇ、浜面さぁん。ちょっと遅刻しちゃった」
場違いにキャピキャピした声が、女の戦場に介入する。
鼻につく高い声に、女魔術師のこめかみに血管が浮き出た。
「神様の罰って怖いのねぇ。こんな集団仮死状態を引き起こせるなんて。
ああそうそう、そこのオバサン部下なんていないぼっちだから、お子さんは無事よぉ」
姿を現したのはプロのファッションモデルと言っても通用しそうな着こなしの美人。
スタイル良し、顔良し、性格――――は本人の名誉の為にもノーコメントとさせて頂く。
「うん、私もわかってはいたんだけど。とにかく、助けてくれてありがとう」
知己であるのか、呆然とする敵を差し置いて理后が呑気に声を掛ける。
そう、目の前の魔術師が単独犯である事は彼女とて承知していた。
ただ家族への愛しさが、冷徹であるべしという戦場の鉄則を上回ってしまった。
女は謝礼に手を振って鷹揚な態度を見せるが、
形の良い顎は軽く持ちあがって自慢げな内心を代弁している。
「気にすることないわよぉ。だってこんな魔術如き――」
「――――私の改竄力で、どうとでもなっちゃうものねぇ」
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白井黒子は、せめてもの抵抗を見せようと矢に手を伸ばし、直接投擲すべく男へ振りかぶった。
が、すでに『左方のテッラ』は彼女から距離を取り、その背後に向かってニコニコしている。
背後――――経験豊富な警備員の女は気配を感じ取っておそるおそる振り返った。
「あら、白井さんじゃない。さっきのお間抜けボイスはあなただったわけ?」
そして白井の耳を、神経を逆撫でする『天敵』の声が打った。
パク、パクと二、三度口を開け閉めする彼女だが、あと少しで言葉にならない。
その間に声の主は白井の返答を待たず、『左方』との前哨戦を開始してしまった。
「……どうやってこの場所を掴んだんですかねぇ。
滞空回線はとっくにあなた達の手を離れた技術だと思ってましたが」
「確かにタネの割れてる今の御時世に使用したら人権問題ね。
だから使ってないわよ? …………今回は」
「んきーっ! まったくあなたという人はーーっ!!」
完全に舞台の中心からはじき出された格好となった白井が、
ようやく甲高い声を上げて主座をまんまと簒奪してくれた相手を糾弾する。
「私を無視してシリアスに会話を進めないで下さいませ!!
――――結標さん!!!」
「あら、まだ居たの? もうお家帰っていいわよ」
「むきぃーーーーーーっっ!!!!!」
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上条美琴は咄嗟に現出させた雷槍を振り抜くが、
もとより接近させないために中距離を保っていたのだ。
当然この近距離では体格的に遥かに不利となるが、その瞳に諦観の色が浮かぶ事は無い。
絶体絶命の状況に陥ってなお敵を射抜く女の意志の強さに、『後方のアックア』は瞠目した。
(せめて、苦しまずに逝くがよい)
五トン近い質量で圧殺する水属性の大魔術を、男が今まさに零距離で発動しようとした、
その時。
「ぬおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」
上条美琴の背後に、夥しい土埃が上がっているのを『後方のアックア』は目撃した。
するとピョーン、と逆巻く砂塵の中から白い物体が飛翔する。
そして異様に暑くるしい雄叫びを、二人は同時に聞いた。
「『すごすごの…………
――――――バズーカァーーーーーッ!!!!!!!』」
ドッカーン。
それ以外に擬音を付けようのない怪音を立て、魔術師の巨躯が三十メートルは跳ね飛んだ。
「ぬぐおおっ!!!」
ついでに美琴も五メートルぐらいぶっ飛んだ。
「ええええええっ!!!!?」
辛うじて受け身を取った二人が色々なモノを無視した衝撃の発生源を睨んだ。
敵味方の視線が交わる一点でスタッ、と軽やかな着地音が鳴るが、
どう見ても二十メートル以上の高さから降ってきた様にしか見えない。
何事も無かったかのように降り立った元凶は、腹の底からやかましい声を張り上げた。
「良く持ちこたえたぁっ!! 素晴らしい根性だったぞ、第三位っっっ!!!!!」
----------------------------------------------------------
佐天涙子は迫りくる死から、せめて腕の中の幼い命だけでもと決めて背を向けた。
真理が彼女の悲壮な決意を本能で感じ取ったのか、泣き声を一層強める。
それが、生命を賭した鬼ごっこの終焉だった。
(ごめんなさい、上条さん、美琴さん)
(ごめんね、最愛ちゃん、白井さん、初春…………)
現れては消える、親しく愛しい顔、顔、顔。
そして、なぜか最後に過ぎったのは。
(……………………ル)
(…………もう一回、会いたかったなぁ)
最後に許された行いは、目を瞑って死神の鎌音を待つ事のみ。
「レディーはもっと丁重にエスコートするものだ、下種が」
ゴオオオオオウッ!!!!
しかし次の瞬間聞こえたのは、異形ではなく焔の猛る声だった。
「大丈夫かい? よくここまで逃げてきた」
「あ…………」
「ん、効き目が薄いな…………あの鎧か」
唖然とする佐天の耳に、たったいま回想した声が飛び込んできた。
だが炎剣の直撃を受けておいて僅かに後ずさるのみの肉塊が、再び迫る。
その間に体勢を立て直した彼女が後ろに跳ね起きようとした時。
T T T R B B F T T N A T W I T O D
「右方へ歪曲! 両足を交差、首と腰を逆方向へ回転!」
右方へ吹き飛び、脚がもつれ、嫌な音を立ててその関節が軋む。
クリーチャーが披露した異様なステップは、
清廉な音色が奏でる舞曲に導かれたものだった。
佐天は背後をふり返り、霞む視界に二人の救世主を捉えた。
「いんでっくしゅ、いんでっくしゅ!」
稚い声が呼んだのはまさしく、白い聖女と、黒い守護神。
「いいよ、『右方のフィアンマ』」
そして白衣の聖女は力強く右手を前に掲げ、敵対者に向けて裁きを告げる。
「あなたが私の大切な人たちを巻き込むって言うのなら」
聖なる声に邪悪な怪物が呻くその様は、正しく神話の一節の様な崇高さを――
「まずは、そのふざけた幻想をぶち[ピーーー]!!」
「…………」
「………………」
「……………………んー? るいこー? しゅているー?」
「決まったッ! 第二部完なんだよッ!! 一度でいいからやってみたかったかも!!!」
「ほーおそれで誰があのゾンビにトドメを刺すんだい?」
「その前に、インデックス? ちょっと↑見てみた方が…………」
「へ? ってあああああああぁぁぁっっ!!!!??」
「今頃気付いたのか」
「ちょっと! このsaga忘れはあまりに酷すぎると思うんだよ!?」
「別に忘れたわけじゃあないよ。
仮にも一宗教のトップがする発言ではなかったからフィルタリングしたまでさ」
「すっ、ステイル! まさかステイルの差し金なの!?」
「馬鹿を言え、イギリス清教の総意だよこれは。いつかやるんじゃないかとは思ってたからね」
「そういうアレは事前に最大主教たる私を通すべきかも!!」
状況を弁えずにギャーギャー騒ぎ始めた二人に、
佐天涙子二十三歳独身は肺の奥から呼気以外のもろもろが体外に洩れ出るのを感じた。
「とりあえず、こんな時のための『アレ』だよね……」
学園都市で今年度流行語大賞の候補にノミネートされた例の台詞を
悲しい実感とともに彼女は吐き出す。
「不幸だ……………………」
――■■■■■■???――
「って、ちょっと! まだ動いてるよアレ!!」
すっかり存在感を失った悲しい異形がそれでも立ち上がり、
邪魔者を排除すべく濁った眼をぎらつかせた。
「灰は灰に、塵は塵に」
それを一瞥した神父は静かに詠唱を始め、十字を切った。
「吸血殺しの紅十字」
――■■■■■■■■■■!!!???――
辺り一帯を火の海に変えるほどの熱量を一点に集中され、地の底から響くような濁声が上がった。
佐天は思わず息を呑んだ。
大能力者の発火能力もかくや、というその威力にではない。
炎の十字架に拘束された怪物に向ける男の視線が、ゾッとするほど無温であったからだ。
「喚くな。……すまないが、君ごとき木偶に名乗る魔法名の持ち合わせがなくてね」
ステイルは油断なく庇護すべき者たちを背後に庇いながら、一歩、また一歩と歩を刻む。
その瞳は人形の向こう側の真の敵を見据えていた。
「まあ、『貴様』の方にも教えてやる気はないが。僕らはただの――」
投げ捨てた煙草が地に届く前に灰と化す。
コンクリートまで融けるような灼熱に満たされた路地裏の気温が、更に一段と燃え上がった。
其処に、マグマを血肉とする焔の魔人が顕現した為だ。
そして黒衣の守護神は、『神の右席』への宣戦布告を行った。
「――――通りすがりの、魔術師だからね」
とある日 ロンドン市街
老人「おお、最大主教様。おはようございます」
イン「おはようございます、おじいちゃん」
子供「インデックス、おはよう!」
母親「コラ!! 申し訳ございません、息子が失礼を……」
イン「全然気にしてませんよ。ねえボウヤ、これからもインデックスって呼んでね?」
子供「うん!」
ワイワイガヤガヤ アリガタヤ
神裂「ものすごい人だかりになってしまいましたね」クスクス
ステ「だからカモフラージュを怠るべきじゃないのに……」ハァ
イン「んっしょ、よいしょ、ぷはぁ!! やっと抜けられたんだよ」
ステ「困るくらいならやはり術式を解除すべきではなかったと思うよ」
イン「でもたまにはステイルとかおりと、三人で散歩してるって実感したかったんだもん」
火織「インデックス…………」
ステ「………………まあ、偶にならいいかな」
イン「ふふ、ありがとねすている」ギュ
ステ「…………」ギュ
火織(この辺りは昔とは少し違いますね)クス
スタスタ ヒョコヒョコ スタスタ
イン「あ、ホットドッグの屋台だ」
火織「珍しいですね、ロンドンに」
ステ「最大主教」
イン「い、一個だけ!」
火織「いけません、一個だけなどという安易な気持ちが堕落を」
ぐー
イン「…………」
火織「………………」
ステ「神裂…………」
火織「一つだけなら良いと思いませんか、ステイル?」
イン「お願いステイル!」
ステ「…………はあ。お代は君が持ってくれよ、神裂」
火織「任されました」フンス
イン「やった! どれにしよっか、かおり!」
火織「このスペシャルホットドッグは美味しそうで……一つ十五ポンド!?」
イン「三つくださいな」
火織「あっ、ちょっ、ま」
ステ(やはり、僕らは彼女に甘いな)ヤレヤレ
購入後 オープンテラス
ステ「へえ、これはなかなか」モグ
火織(今夜はあの人の為に奮発しようと思ってたのですが……)シクシク
イン「よく見たら学園都市に出てた屋台と同じなんだよ」ジロジロ
火織「そうですか、かの街は食文化も侮れませんね……はぁ」
トテトテ
幼女「シスターのお姉ちゃん!」
イン「あ、こんにちはなんだよ!」
ステ「おや。君はよくミサに来てる子だね」
火織「ほう、まだ幼い身空だというのに感心ですね」
ステ「何の御用かな、小さなレディー?」
イン「」イラッ
幼女「あのね、あっちの木にね、私のフーセン引っかかっちゃったの」
イン「え、大変」ホットドッグオク
ステ「おい、最大主教……」
火織「あなたが行って取ってあげたらどうです?」
イン「このお兄ちゃんがノッポを生かして取ってくれるって!」
幼女「ありがとう、おじさん!」
ステ「」
火織「相手は子供ですよ」
ステ「ええい、わかってるよそんな事! ……どれ、どの木だい?」ホットドッグオク
火織(む…………『これ』は)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
幼女「おねえちゃん、『おにいちゃん』、ありがとう!」フリフリ
イン「またねー」フリフリ
ステ「やれやれ」チャクセキ
イン「ふふ、カッコよかったよステイル。
…………あれ、どっちが私のだったっけ?」
ステ「な、なにを言ってるんだ。その記憶力で覚えてないわけが」アセ
イン「ステイルが私より後に置いたシーンは見てないもん」アセアセ
ステ「ぐ。おい神裂、君ならわからないか?」
火織「いえ、全然」ニッコリ
ステ「そのツラは知っているな!」
火織「聖人ウソツカナイヨ」
ステ「誰からそんなボケを仕込まれた!?」
イン(…………こ、このシチュエーションはみことの惚気話の中に出てきた……!)
ステ「もういい、こんな俗っぽい聖人をあてに出来るか!」
火織(聖人って割とそんなものですけどね)
ステ「最大主教、よく考えたら貴女の能力で『食べ口の形』を覚えてる筈じゃないか」
イン「!!!」
ステ「それで見分ければ一発さ。頼むよ」
イン「………………えっと…………」
ステ「? どうしたんだい、早く」
イン「こ……………………こっちかも」
ステ「いや『かも』じゃなくて。断言できるだろう?」
イン「~~~~~~!! こっちが私ので、そっちがステイルのなんだよ!」
ステ「な、なぜ怒ってるんだい……?」
イン「怒ってない!!! ん、やっぱり、スペシャルな、味なんだよ!」バクバクモグモグ
ステ「…………?」ハテ
火織「…………ほらインデックス、そんなに急いで食べるから」
イン「んぐんぐんぐ、え?」
火織「マスタードが頬に付いてますよ、こっちを向いてください」つハンケチ
イン「ん…………」フキフキ
ステ(…………昔を思い出すな)シミジミ
イン「……あ、ありがとなんだよ、かお」
火織「ステイル味のホットドッグはスペシャルでしたか?」ゴニョゴニョ
イン「っっっ!!??」シュー
ステ「どうした!?」ガタッ
イン「こ、来ないで! お願いだからいま私の顔を見ないで欲しいかもぉ!!」マッカ
ステ「そういう訳にはいかな」
イン「後生だから!」
ステ「はあ……そこまで言うなら」チャクセキ
イン「ほっ」
火織「個人的にはやはり煙草の味がするのかな、と思うのですが」ニヤニヤ
イン「かおりぃーーーーーーーーっっっ!!!!!」ンキーッ!
ステ「?」パク
オワリ
とある夜 上条家 一家の寝室
真理「zzzzzz」
当麻「…………寝たな」
美琴「もう夜中にぐずり出すような歳でもないしね」
当麻「大変だったよなぁ、ほんの一年前までは」
美琴「でも、私のパパもママも、お義父様もお義母様も」
当麻「ああ。こうやって、俺たちのこと育ててくれたんだよな」
美琴「うん。そのおかげで、私たちはこうして出逢えたんだから」
当麻(………………俺は、何にも覚えてねえけど)
美琴「私だって覚えてないわよ、そんな小さい時の事なんて」
当麻「へ? 口に出てたか?」
美琴「ふふん。インデックスはステイルの考えてる事、
だいたいわかるなんて自慢してたけどね。
私は当麻の考えてる事なんて、全部お見通しよ」
当麻「……良い嫁さん貰ったなぁ、俺」
美琴「今ごろ気付いたの?」
当麻「いいや、ずっと前から知ってるさ。
俺の奥さんは、痺れるぐらいイイ女だってな」
美琴「………………とうまぁ」モゾモゾ
当麻「……おいおい、二人目はまだ早いって話し合ったろ?」
美琴「そんなの関係ないもん」ブー
当麻「はぁぁ。まだあったっけなアレ」
美琴「ね、とうま」
当麻「?」
「――――はやく、しよ?」
当麻(………………鉄壁と自負していた上条さんの理性も、脆くなったなぁ)
美琴「とうま、とうま? って、ふにゃああ!?」
当麻「……久しぶりだからな、覚悟しろよ美琴?」
美琴「んっ、やあっ!? い、いきなりそんにゃ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
真理「zzzzzz」
美琴「ステイルってさあ」
当麻「ん?」
美琴「当麻の事嫌いよね」
当麻「…………あれでもかなりマシになったぜ?
初対面の時なんて開幕炎剣ぶっぱされたからな」
美琴「やっぱりインデックスを間に挟んでるから?」
当麻「それは…………なんつーか、違うんじゃねえかな」
美琴「そうなの?」
当麻「アイツは多分さ、もっと根本的に俺を嫌ってるんだと思うんだよ」
美琴「うーん…………生理的嫌悪、って事かしら」
当麻「インデックスの事が無かったとして、なんて言い方は悪いけどさ」
美琴「確かに悪いわね」
当麻「話の腰を折るなよな……」
美琴「折れそうなポイント提示してきて何言ってんのよ」
当麻「とにかく! それで俺とステイルが仲良しこよしになれるのかって言われたら」
美琴「あー……想像つかないわね」
当麻「だろ?」
美琴「じゃあ当麻はステイルを好きじゃないって事?」
当麻「…………その質問にどう答えりゃ満足なんだお前?」
美琴「まあまあ照れないで正直に言ってみましょうよ」
当麻「照れてませんよ? 上条さん別にそういうキャラじゃないからね?」
美琴「じゃあどうぞ」
当麻「…………ただ一点を除けば、気にくわねー野郎だよ」
美琴「うーん。やっぱり」
当麻「やっぱりって何だよ」
美琴「当麻の口から、そういうマイナスの人物評が出るのって珍しいと思うのよ」
当麻「そうかぁ? 結構他人の行動にケチつけてると思うけどな」
美琴「(いや結構っていうか……)性善説論者でしょ、当麻」
当麻「そんな大仰なものじゃあありませんことよ」
美琴「大仰も大仰よ。当麻の『性善説』にどれだけの人が助けられたと思ってるの?」
当麻「結果論だろ、そんなの」
美琴「終わりよければ、大いに結構じゃない。今日の当麻、なんか弱気よ?」
当麻「………………」
美琴「でも俺は、ステイルとインデックスには何もしてやれてない」
当麻「!!」
美琴「…………言って? 思いのままにぶちまけて?
私だって、私の全部を当麻に打ち明けてる訳じゃあないけど」
当麻「……美琴」
美琴「わがままだよね。自分の汚い部分は知って欲しくないのに。
当麻の事ならどんなに暗くて、狭くて、孤独な場所でも知りたいの」
当麻「美琴」
美琴「当麻の苦しみを分けて貰うのは、私の特権。そうでしょ?」
当麻「…………っ! 美琴、みことぉ!」
美琴「も、もう! 別にっ、そういう事しろって、わけ、ひゃあん
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
美琴「じゃ、次行きましょ」
当麻「え、まだ続けんの? いい加減上条さんも眠くて」
美琴「…………だ、誰が寝かせてくんないと思ってるのよ」
当麻「………………スイマセンデシタ」
美琴「よろしい。インデックスの事、どう思ってる?」
当麻「決まってるだろ、家族だよ」
美琴「便利な言葉よね、それ」
当麻「ぐ」
美琴「そこをハッキリさせるのが、当麻に出来る『何か』だと思うわけよ」
当麻(静かに淡々と説教されるのって、意外とくるなぁ)
美琴「だからってもっと暑苦しく説教されてもアレよね」
当麻「ぐはっ」
当麻「そろそろ丑三つ時だぞ、おい」
美琴「いいじゃん、明日休みだし」
当麻(……考えてみりゃ夜更かしは学生時代から慣れっこだったな)
美琴「一方通行とか、残骸の時とかね……それじゃあ、次でラストの質問にするね」
当麻「やっとかよ」
美琴「んん………………」
当麻「おい、どうした?」
美琴「あのね、当麻」モジモジ
当麻「だからいったい」
美琴「私の事、好き?」
当麻「」
美琴「ねえ、当麻」
当麻「…………おい待て。まさか今までの全部この為の前フリだったのか?」
美琴「答えてよ、私だけの当麻」
当麻「…………愛してるよ、俺だけの美琴」
リビング
ステ(…………)ウイスキーチビチビ
ガチャ
イン(…………)ネレナイ
「「あ」」バッタリ
「「………………」」
イン「…………真剣に、遷るホテルの検討をしたいんだよ」
ステ「…………土御門に、掛けあってみよう」
オワリ
路地裏に、ドロドロとした巨躯に抱かれた哀れなマリオネットの断末魔が響く。
目を逸らした佐天やすっかり泣き止んでしまった真理を尻目に、魔術師二人は淡々としていた。
「最大主教。解析は?」
「――基本理論はブードゥー。主要用途は敵性の排除。抽出年代は一九世紀。
元魔術(オリジナル)に正教魔術の混合を確認。
言語体系はフォン語からラテン語に変換。遠隔精密操作と構成より判断――だよ」
「…………ブードゥーの死霊崇拝か。ならば、これは死体を使っているんだな」
日ごろの温かみが極限まで排除されたインデックスの詳説にステイルは小さく舌を打つ。
イノケンティウス
『魔女狩りの王』に長々とその身を焼かれながらも、異形はいまだに原型を留めている。
摂氏三千度を軽く超える炎を間近に受けながら、恐るべき生命力――命などないが――であった。
「す、ステイル、インデックス! どうしてまだ日本に居るの!?」
専門家として眼前の事象を分析し続ける二人に、我に返った佐天が声を掛ける。
彼女の疑問は尤もであった。
イギリスから来訪した最大主教は七月十二日。
往路と同様に大勢のカメラに囲まれて、確かに日本を飛び立っているのだから。
インデックスは困り顔で傍らの長身と顔を見合わせる。
神父は真面目くさった表情で巻き込まれてしまった女に警告した。
「悪い事は言わない。ここから先は聞かない方が良い」
ここまで来て無力な部外者扱いか。
そんな文言が浮かぶと、彼女の口は勝手に声を張り上げていた。
「いやだ!!」
ところが、寸刻も待たずに返った応えを聞いて二人は諦めたように笑った。
その反応は読めていた、と言わんばかりである。
「ごめんね、私たちの力不足でこんな目に遭わせちゃって」
「君には知る権利がある。今のは念のため意思を確認しただけさ」
こうなると慌てるのは佐天の方である。
二度まで命を助けられた恩人を感情のままに怒鳴りつけるなど、子供の癇癪そのものだ。
顔に血がのぼってくるのを自覚し、その重さに引かれたのか頭が自然に下がった。
「ご、ごめん! せっかく助けてくれたのに」
場のムードは穏やかなものになったが、鼻をつく異臭に女性陣が顔をしかめる。
消し炭すら残さず焼き尽くされたのか、クリーチャーも魔人も既に姿を消していた。
その身に装着していた黒い鎧のような物体だけが、大地をも溶かす高温に耐えて残るのみ。
眉をひそめたステイルは、しかしかぶりを振って佐天に向き直った。
「礼だの詫びだのは全て終わってからでいいさ。まずは場所を移そう」
屍に残されていた脂肪分が飛散し、周囲の大気は嫌なべた付きを彼らの肌に伝える。
先導してこの場を去ろうとしたステイルだったが、
「…………失礼するよ」
一瞬歩みを遅らせて懐で震えた端末に即座に反応した。
「……ステイルは少し忙しいから、私から説明するね」
長くも短い逃走劇を終えた女性と幼子をいたわりながら、シスターが代わりに先頭に立つ。
彼女は真理を抱きかかえると血液の付着した部位を撫でながら、今回の一件の発端を語り始めた。
「――――事の起こりはね、三月にロンドンで起きた紛争まで遡るの」
そもそもの端緒は、三月初めに倫敦を舞台にして起こった『戦争』の後始末にあった。
戦後交渉を担当したのは言わずもがな、土御門元春である。
味方の犠牲を最小限に抑えて、尚且つ敵を殲滅し尽くしたというわけでもない。
戦略的にも最上の結果をカードとして、土御門は第三世界をテーブル上で手玉に取った。
しかし一次大戦後の某体制でもあるまいし、
経済的根拠を持たない敗者に巨額の賠償金など求めるわけにもいかない。
とくれば、彼が欲したのは更なる優位性を確保するための戦略情報であった。
「土御門…………?」
「知ってるの?」
「あ、いや。話続けて」
「? そのもとはるが手に入れた情報の中に、学園都市への襲撃計画があったの」
元々第三世界の結社の標的はイギリスと学園都市であった。
三月の事件でイギリス清教は中南米のゲリラグループに対し壊滅的損害を与えたが、
それとはまた別の勢力による学園都市強襲計画の輪郭が、おぼろげながら明らかになったのである。
土御門にしても多数の友人が今も在住する科学の街に
関わる問題だけに、無碍に政争の具にするつもりはなかったのだろう。
だがこの計画を知った彼の上司の学園都市に関する思いは殊に強く、
あまつさえ自らが赴いて支援するなどと言いだしたのだ。
上司とは勿論、インデックス=ライブロラム=プロヒビットラムその人であった。
過保護な聖人をはじめとする周囲は当然強く反対したが、
なんと清教派が誇る頭脳は最大主教の提案を作戦の一部に組み込む事でこれを了承してしまった。
更に聖ジョージ大聖堂のみならずロンドン全体を震撼させたのは、
君のために生きて死ぬの名フレーズでお馴染み、
筆頭護衛官ステイル=マグヌスが彼女の日本行きに賛成してしまった事であった。
「だけどこの情報のネックはね、相手がいつ頃『来る』のかが不明瞭だった事なんだよ」
「判明したのは五月の終わりぐらいだったんだがね」
連絡を終えたらしいステイルが、インデックスの説明に補足する。
その後は二人がかわるがわる口を開いたが、佐天の理解は不思議とより明快に進んだ。
「そこで我らが今孔明の得意技、『釣り針』を張ったってわけさ」
「私の公式訪問を大々的に宣伝して、相手の決行時期を誘導しようとしたんだよ」
友好関係にある二つの大勢力の結びつきが強まるとなれば敵対勢力は黙っていないだろう。
しかも当日の第二三学区は学園都市始まって以来の一般への大開放を行い、
下らないバラエティー企画まで組んで付け入る隙をこれでもかと晒したのだが。
「でも、何も起こらなかった…………?」
「その通り。露骨に過ぎた、ということかな」
目論見を外された迎撃側は、雲川芹亜の献策で『餌』の攻略難度を引き下げる事に決めた。
それが科学サイド最強の超能力者、学園都市第一位『一方通行』と、
魔術サイドでは彼以上に恐れられる『幻想殺し』の戦線離脱である。
「細かい情報戦は僕らが担当したわけではないんだが…………。
この事実をそれとなく流して、再び誘いを掛けたってわけだ」
「彼らの目的からすれば、千載一遇の好機に映ったはずだよ」
「ちょっと待って。その…………テロリスト? の目標って一体なんなの?」
流れるようなプロのレクチャーに、初めて佐天が口を挟んだ。
失念していた、とインデックスとステイルが同時に額を叩く。
その息の合った仕草に、彼女は真理と一緒になって思わず吹き出してしまった。
「なぜ笑うんだい……まあ、重要なポイントを忘れていた事には違いないけど」
「……『それ』を聞いちゃったから、私も居ても経ってもいられなくなっちゃったんだよ」
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学園都市の行政機能が集中する第一学区でも、ひと際重要な施設である統括理事会本部。
その一室で雲川芹亜は、同盟相手への状況報告の最中だった。
『「アイテム」の大能力者が一人、重傷か』
「……第四位の怒り様といったらない。並の魔術師ならご愁傷様、なんだろうけど」
『止めただろうな。他の三人ならまだしも、「右方」には「原子崩し」では勝てん』
「正直言って、助かったよ。危うく無為に犠牲者を増やすところだったけど」
『薄気味悪いな』
「感謝の気持ちぐらい素直に受け取って欲しいけど。
『レーダー』の事も含めて……あれが無ければ救助は間に合わず、
絹旗最愛は命を落としていただろうよ」
『…………それにしても、よく超能力者を統率なんてできたな。
オレの知ってる「奴ら」は、第三位を除いて人格破綻者の見本市だったんだが』
その最たる例として元同僚の第一位を思い浮かべながら、土御門は話題を逸らした。
珍しい相手からの珍しい感謝の言葉に、彼も多少は照れを感じたのだろうか。
「それは間違ってると思うけど」
『アイツらの人格擁護か? あぁ悪い、アンタのダーリンは』
「そういう事じゃないんだけど」
雲川はつい先刻、その第三位に苦汁を嘗めさせられたばかりである。
『じゃあアレか、指揮官の人望ってやつか』
「皮肉はよしてくれ。まあ実際、最後には人徳が物を言った、という気がするけど」
『親船最中に、貝積継敏か。腐った大人ばかり見てきた実験体達には、
彼らみたいな存在が眩しかったのかもな』
「特に貝積さんはな。あの人は、甘い上に優しすぎる」
かつて雲川が雇われブレーンを務めていた元理事、
貝積継敏は既に老齢を理由に政治の第一線からは退いていた。
助力を求められていた当時は厳しさの足りない姿勢に度々苦言を呈した彼女だが、
その性質が闇に浸かった高位能力者たちの心を解すに一役買った事は間違いなかった。
元を糾せば雲川と『彼』が今の関係にあるのも、
貝積がその能力を解明すべく躍起になっていたことが切っ掛けで――――
『………………おい、聞いてるか?』
「……もちろん聞いているけど。続きをどうぞ」
『やれやれ、どこまで話したんだったかにゃー。そうそう、アンタの戸籍を改竄して「そぎい』
「貴様がアステカの女魔術師に『お兄ちゃん』と呼ばせた時の映像がこちらにはあるんだけど」
『…………マーヴェラスだぜい、雲川芹亜』
「もう止めようか、土御門元春。不毛なんだけど」
土御門が親船顔負けの『平和的侵略』で獲得した情報は大まかに分けて三つである。
一つ、襲撃計画の存在。
一つ、その目的とするところ。
一つ、襲撃者の規模。
彼がこの三ヶ月間追い続けてきたのは、三点目に関する詳報であった。
なにしろ概略では、十人以下の超少数精鋭で学園都市の心胆を寒からしめようという魂胆だったのだ。
「にわかには信じられなかったけど。『そんな目的』を、そんな人数で達成しようなんて」
『気持ちはわかるさ。だが「0930」の様な前例がある』
土御門にしてみれば、ロンドンでの一件のように大勢押し掛けてきてくれた方が都合が良かった。
少数であるという事は、それだけ己の力に自信を持っているに違いない。
魔術の世界には尚尚存在するであろう『怪物』級が混じる可能性は極めて高かった。
なればこそ、敵に関するデータは鮮明にしておかねばならない。
地下に巡らせた諜報網を蟻の如く這いまわり続けて苦節三ヶ月。
遂に彼は先日、第三世界が外部の魔術師集団に協力を依頼した事実を突き止めた。
――――『神の右席』を名乗る四人の魔術師による、超能力者殲滅計画。
それが、事件の全貌だった。
「……示威行為としてはこの上ない効果があるんだろうけど」
「奴らの実力を持ってすれば、効率面から見ても悪くは無い」
現在の世界趨勢における科学と魔術の天秤は、
緩やかとはいえ成長を止めない科学側にやや傾いているとの見解が大方を占める。
そこに楔を打ち込むために、象徴たる超能力者を消し去る。
実現性は兎も角として、見事成った場合の科学側のダメージは計り知れないだろう。
そして土御門の知る『神の右席』には、絵空事を現実に変えるだけの力があった。
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「そ、それじゃあ、美琴さんや隊長も狙われてるの?」
「…………うん。とうまとみことには、何も知らせてなかったんだけど」
「まこちゃんの事は?」
「あんまり考えたくは無いけど…………とうまに対する、人質のつもりなんだろうね」
インデックスに抱かれた真理は、泣き疲れたのかスヤスヤと眠ってしまっている。
その姿に目を細めてから、ステイルは彼女の問いに事務的に答えた。
「残念ながら、美琴も既に戦闘に入ってしまっている。彼女と削板は現在共闘中だ」
「それは一体どこで?」
聞いた佐天の目の色が変わるが、
「やめるんだ、勇気と無謀を吐き違えるんじゃあない。
…………そんな馬鹿は、アイツ一人で間に合ってるよ」
すぐにステイルがそれを強く窘める。
忌々しい男の背中が脳裏に浮かんで、思わず煙草とライターに手が伸びかけた。
すると今度は神父がシスターのありがたい説教を受ける番だ。
「………………すーているぅ?」
「!!! ち、違う!」
「没収だからね、コレ」
「Jesus…………」
肩を落としたステイルにつられて、佐天も張り詰めていた息を吐き出す。
「じゃあ次は、あなた達がこの街で何をしてたか聞きたいんだけど」
「はぁ…………いいよ、続けよう」
滞空回線という最強の目を手放した学園都市にとって、
少数でのゲリラ作戦に出られるのは最も忌避すべき事態であった。
能力者ならば第九位の力で銀河の果てであろうと位置を特定できるが、相手は魔術師だ。
そこで雲川らが欲したのが対魔術の精緻なレーダー、ステイル=マグヌスだった。
彼は計画の実行される一月も前に秘密裏に日本入りし、
地道に地道に、学園都市を己が知覚の行き届く陣地として再構築していった。
ステイルが三十五日掛けてばら撒いたルーンの枚数――――――実に五十万。
ロンドンのように『天罰術式』の形成までは至らなかったものの、
彼は迎え撃つ能力者達の管制官として十二分にその役割を全うしていた。
「専門用語が多くてなかなかわかりづらいなぁ。
私が会った時二人がIDを持ってなかったのは…………」
「僕らが学園都市をチマチマ造り替えているのを連中に察知させないためさ」
そもそも入国時の無茶苦茶(穴三)からして敵の目を欺くためのものだったのだ。
斯様な奇跡体験の果てに秘密入国しておいて、
内部に入り込んでからの隠蔽工作がお粗末だったら目も当てられない。
(と言うか、仮にそうだったら土御門のアホを生かしておくものか…………!)
「入国を会談当日だって公言したのもその一環なんだよ」
「…………でもさ、十字教のトップが一ヶ月も行方知れずだったら流石に不自然じゃない?」
詳細を知れば知るほど、疑念は後ろから湧いてくるだろう。
そんな佐天が重ねた質問に、赤毛の神父は苦り切っていた表情を一変、ニヤリと笑った。
「居るとも、最大主教なら…………ずっとイギリスに」
「へ?」
「さっきも言っただろう? ここに居るのはただの通りすがり、フリーの魔術師さ。
イギリス清教の最大主教とその護衛は七月十日に来日し、七月十二日に帰国したんだよ」
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ロンドン、聖ジョージ大聖堂。
荘厳に、厳粛にミサが執り行われている広間の最前列で、
『日本から帰ったばかりの』最大主教その人が常より幾分固い笑みを浮かべていた。
(ああああああ、何度やっても慣れない!!)
儀式を終えた彼女が疲労困憊で壇上から降りると、
脇に控えていた赤髪の神父が極力靴音を鳴らさずに寄り添った。
(お疲れ様でしたね、ショチトル)
(エツァリぃぃ、たまには変わってくれ……)
(無理です。その為にはもう一度彼らの皮膚を剥がないといけませんよ?)
(うう、そうも正論で諭されると)
(では、感情に身を任せて慰めてあげますよ。自分の部屋に行きましょう)
(お兄ちゃぁん………………)
今やイギリスでも一、二を争う話題のカップルの抱擁シーンに、
会衆のヒソヒソ話はもはやまったくヒソヒソしていない。
「やっぱよう○べに流出した映像はモノホンだったんだ……」
「まあワシゃ五年前からこうなるんじゃないかと思ってたけどな」
「私のステイル様がぁ!」
「俺たちのインデックスちゃんがあああ!!」
『愛しのお兄ちゃん』の腕の中で恍惚としている最大主教は野次馬などアウトオブ眼中だが、
その『お兄ちゃん』の方は可愛い義妹を撫ぜながらしっかりほくそ笑んでいた。
( 計 画 通 り )
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「そういう訳だから、僕らをイギリス清教の人間としては扱わないでくれ。
少なくとも、今回の一件が無事に終息を見るまではね」
自分達の外堀がもはや堀として機能しないほどに埋められてしまっている
危機的状況など露知らず、ヘタレの代名詞としてその名を轟かせる神父はしたり顔である。
そうこうしている内に四人はほの暗い路地裏を抜け、光溢れる世界に帰還した。
少年院や墓地など特殊施設の多い第一〇学区には、人影は殆ど見当たらなかった。
「っつ…………」
と、その時だった。ステイルが突然苦悶の声を上げると、額を抑えて蹲った。
「ステイル!?」
「ああ、気にしなくていい……わかってたことだろう?」
『魔女狩りの王』はステイルの行使する魔術の中で一、二を争う魔力消費を誇る。
ましてや今回の発動は学園都市中に張り巡らせたルーンのうち十万枚ほどをパワーソースとした。
それほどの火力で無ければ消滅させられない相手と踏んでの判断だったが
ステイルが払った代償は相当量に達し、軽い頭痛に一瞬平衡感覚を失うほどであった。
しかし彼はインデックスの気遣いにもおざなりに答え、再び立ち上がって歩き出した。
ドオオオオンッ!!!
轟音と共に手近な施設の壁がガラガラと崩落した。
「しまった…………っ!! こんな近くまで一瞬で!」
「今度はなに!?」
度重なる異常事態に、佐天が顔色を失って轟音と粉塵の上がった地点を見た。
ステイルは咄嗟に二人を後ろ手に庇い、魔力の発生源を探る。
ついさっきまで二キロは離れていた反応が、
突如としてこの位置に『飛んで』来た事に彼も焦りを隠せなかった。
真理をその腕に護るインデックスは、もしもに備えて小さな身体を強く抱きしめた。
やがて砂煙が晴れると――――その場所には誰もいなかった。
「…………へ?」
「そう間抜け面をしなくてもいいだろう、警備員の女?」
――――三人の背後に、全身赤尽くめの痩身がにやにやと笑いながら現れていた。
その鮮やかな赤を目に入れた瞬間、佐天はインデックスの手を引いて一目散に駆け出した。
「お、おい。ちょっと」
「…………自分の格好と彼女の現況を把握しているのか貴様。逃げられて当然だろう」
「ショボーン」
「黙らっしゃい!」
「ま、待ってるいこ! あの人は、違うの!」
「……………………………………へ?」
短い間に二度も間抜けな声を洩らしてしまった女性が、
百メートルほど走った先でようやく止まる。
思い切り引っ張ってしまったシスターの指摘に耳を良く傾けようとふり返ると、
「俺様は一応は命の恩人なんだぞ。そう脱兎のごとく逃げられては流石に傷付く」
「きゃああああああああああああああ!!!!!!」
またしても視界いっぱいに広がる赤。
「フィアンマ! あんまりからかわないで!」
「そのおかっぱ頭に脳味噌は詰まっているのかぁ!!!」
一人だけ百メートルの彼方に置いて行かれたステイルが合流すると、
混乱が頂点に達している佐天を落ち着かせるため手短に事情の説明が為された。
「べ、別人?」
「まったく失礼な話じゃないか。この甘いマスクとあんな凶悪な魔術師を見間違えるとはな。
誰が路地裏に逃げ込むお前達の助けになってやったと思ってる?」
「え、そ、その節はどうも?」
「雑談に耽ってる暇は無い。あと突っ込んでる暇も無い!! 『右方』はどうした!?」
「それはお前の役目だろう……と言いたいが、今は魔力精製を行っていないのだな」
「ああそうだとも、だから探知できない。貴様ならわかるんだろう、早く吐け!」
「す、ステイル…………ちょっと落ち着くべきかも」
凄まじい剣幕で詰め寄るステイルに対して、『フィアンマ』は飄々と受け答えた。
だが良く見ればその満身は、戦場を抜けてきたかのように傷と埃に塗れている。
インデックスが手当のために負傷の具合を訊こうとすると――
「そこに居る」
――フィアンマが殺気を纏った。
「―――――――――ッッ!!」
急激に表情を変貌させた男につられて、全員が弾かれたように振り向く。
その先には確かに、『フィアンマ』と瓜二つの装束に身を包む男がいた。
今度こそ、佐天が恐怖に膝を折った。
(『アレ』だ…………!)
先刻感じた『死』は、間違いなく遠方に在るあの赤が齎したものだ。
佐天は自らの脳のどこかが麻痺し続けていた、と今更ながらに自覚し慄然とした。
「涙子、立てるかい? いいか、今すぐこの場から逃げろ」
「ごめんなさい。あなたとまことを、同時に護る自信が無いの」
「全員逃げてもいいんだぞ。『アレ』の相手は俺様にしか務まらない」
次々に、彼女の身を案ずる声が掛けられる。
しかし、立てない。怖い。恐い。こわい。
佐天涙子の反応は、認識し難い鬼胎に出逢ってしまった、正常な人間のそれに相違なかった。
ユラリ、と立ち上るような怒気を渙発させながら赤が一歩一歩とにじり寄って来る。
最悪の場合、おぶってでも佐天たちを逃がさねば。
ステイルがそう腹を括った時、遂に男が言葉を発した。
「ロートルが。どこまで俺様をコケにする気だ?」
「ロートル、ロートル……はは、これはご挨拶だな若造。俺様はまだまだ現役の三十代だ」
男の暴言を二度、三度と噛み砕き、フィアンマは不敵に笑う。
二人の『赤』の間に射殺すような視線と口撃が飛び交った。
その場に居る他の誰一人として、口を挟めない。
ただポツリと、無力に震える女から独語が漏れ出したのみだ。
「なんなの、あなた…………?」
「科学の狗が。その心臓を動かす事を許可した覚えは無いぞ」
「よく言うなぁ、『右方のフィアンマ』? 主の許しも得ずにその椅子を手中にした罪人が」
「黙れ…………!」
「黙らん。何度でも言ってやる。
お前は、自らの身勝手な判断で、神の領域を侵した――――盗人だ」
「…………死ね」
ストン、と一切の表情が抜け落ちた男の右肩から、『第三の腕』が顕れる。
佐天の口から音にならない悲鳴が上がった。
「逃げて!」
彼女はそう発音したつもりだったが、誰にも聞こえてはいない。
ステイルにもインデックスにも余裕がないのか、あるいは声が掠れているのか。
しかしただ一人、『フィアンマ』だけがくつ、と応じるように喉を鳴らした。
――――同時にその右肩から、三本目の『腕』が顕れた。
それは実像か虚像か、はたまた神の御業か。
科学の街に、天上から降りてきたと謳われても頷ける神々しい造形物が一対。
「……………………え?」
理解のまったく追いつかない女など目にもくれず――――
「では仕切り直しだ、『右方のフィアンマ』」
「神に祈る間など与えると思うなよ、『ただのフィアンマ』」
――――二つの『腕』が、ミシリと空間を軋ませながら交差した。
356 : >>1 ◆weh0ormOQI - 2011/07/25 20:56:01.34 FB/zXp6x0 980/2388
どうも>>1です
>>348
そこはまさしく>>1の一番の急所です
まあ神の『火』だからいけるんじゃね? 曲解したルーン魔術がどうちゃらで
みたいな安易な考えでしたゴメンナサイ
他の皆様もレスありがとさん
今日もくどくど説明タイムの上にちょっと長いです
気長にお付き合い下さいな↓
およそ、三年ほど前の事になる。
ローマはバチカンの聖ピエトロ大聖堂に驚愕の来訪者があった。
第三次世界大戦を糸引いた大罪人、『神の右席』のリーダー格。
かつて教皇にさえ牙を剥いた『右方のフィアンマ』が、バチカンへ帰還したのである。
厳重かつ複雑な魔術防衛網を事もなげに潜りぬけたフィアンマは、
ローマ教皇ペテロ=ヨグディスに半ば強引に面会。
更に彼はペテロに対して前教皇マタイ=リースへの引き合わせを求めた。
退任後も全ローマ正教徒からの求心力に衰えは無く、
自らも敬愛するマタイの身に何かあってはと、ペテロは命懸けでこれを拒んだ。
しかしフィアンマは意外にも一切魔術に訴えることなく、
請願が聞き届けられるまで聖堂の一角に座り込むのみであった。
ローマ正教にとっての爆薬になりかねない危険物に頭を抱えたペテロは、
二人の魔術師に水面下で連絡を取った。
一人は英国王室に婿入りしたかつての『後方のアックア』。
そしていま一人は、隠棲するマタイの介助を買って出ていた『前方のヴェント』だった。
『何のつもりでこの国に戻ってきた、フィアンマ?』
『前教皇に危害を加えようって腹なら、一戦交えても良いわよ』
『なんだお前、介護中もそんな堅苦しい呼び方なのか?』
『真面目に答えなさい!』
『いや、確かヴェントは「おじいちゃん」と照れながら呼んでいたのである』
『アックアーーーーーーッッ!!! 余計な事言ってんじゃないわよ!』
『おじいちゃんwwいやなかなか良いではないか。俺様も出来ればそう呼びたい』
『ふざけんじゃないわよ! 死んでも会わせるもんですか!!』
二人の説得(?)にも関わらずフィアンマは翻意せず、
やがて事の次第はマタイにまで伝播してしまった。
必死で押し留めるペテロとヴェントをやんわり振り払い、
マタイは聖ピエトロの大礼拝堂にてフィアンマと一対一で向かい合った。
最後まで渋って礼拝堂を出ようとしなかったヴェントが去り際に見たものは――
『な………………?』
――――マタイの正面で膝を付く、フィアンマの祈るような姿態であった。
------------------------------------------------------------------
第六学区、『前方のヴェント』と食蜂操祈、浜面理后の交戦地点。
「しょくほう、気絶した人たちを起こせないの?」
『心理掌握』で『天罰術式』を抑え込んで尚、戦局は侵略者に有利であった。
直接戦闘に適応できない食蜂と理后の能力では、
牽制用にと振るわれる『風の術式』でさえ致命傷になりかねない。
「…………ダメ、倒れてる人たちは科学的にはただの酸欠状態だもの、私の管轄外だわぁ。
もう少し遅れてたら、浜面さんだって助けられなかったかも」
結果、二人は手近な大型アミューズメント施設に逃げ込んで
立ち並ぶアトラクションを盾に逃げ回る他なかった。
施設内は使役される暴風に切り刻まれ床はズタズタ、壁の配線が剥き出しという有様。
不幸中の幸いは、『前方』が正面からの対峙を避ける女達以外には眼もくれない事だった。
「ああもう、荒事は第六位が片付けてくれる予定だったのに!」
視界に入った一般人を片っ端から『操作』して無事に戦場を離脱させていた食蜂が、
苛立ちを紛らわすために艶やかなハニーブロンドを弄くる。
同時に彼女が身を隠すクレーンキャッチャー台が嫌な音を立てて軋んだ。
「…………それってつまり、二人で何とかするしかないって事?」
『能力剥奪』で『心理掌握』の有効範囲を補正していた理后が、呆れ顔でひとりごちた。
「定かでない戦力を当てにしちゃ、やっぱり駄目よね……不幸だなぁ。
それにしてもあの厚化粧、やっぱり私の操作力が届いてないみたい」
食蜂操祈が超能力者たる所以は、十徳ナイフに例えられる精神感応系能力の幅広さにある。
そもそも彼女にはごく一部の例外を除いて『敵』など
この世に居ないのだから、戦闘能力など身に付ける必要性もない。
しかし数年前に彼女の世界に新たに加わった魔術師という存在は、その原則の外にあった。
思い返せば数週間前、統括理事会ビルで会った二人の客人もそうだった。
そして今、理后によって強度の補正を受けた『心理掌握』でさえ、
精々『前方のヴェント』の思考を朧に読み取るのが限界なのだ。
(ちょ――かちょこま―と逃――って、大した――いわね、超能力―ってのも)
「っ、危ないなぁもう」
脳内をリードされている事を悟っているのか否か、敵は思考の内でさえ挑発を繰り返している。
自らの心理を騙しながらの防戦一方は荒事に慣れない食蜂にとっては全く未知の体験だ。
次なるバリケードを求めて視線を彷徨わせると、何やら携帯を耳に当てる理后が目に付いた。
(余裕あるわねぇ、浜面さん…………)
自分とは違って血腥い事態にも慣れっこの理后を
羨ましいなどと思った事は無い食蜂だが、この時ばかりは話が別だ。
飛来した空気弾が後頭部を掠めた事に悲鳴を飲み込みながら、
通話を終えたらしいジャージの女性に彼女は問い掛けた。
「何の電話だったの浜面さん、ひゃっ!?」
先ほどより精度を増して放たれた一撃を避けられたのはひとえに神のきまぐれだった。
キャラに似合わぬ――いや、これはこれで――情けなくも可愛らしい悲鳴を上げて
飛び退いた先で、食蜂は理后の受けた『業務連絡』を汗だくになりながら聞いた。
「ほ、本当なのかしらぁ?」
「キャラを必死になって立て直さなくても。もうすぐそこまで来てるって」
「前半部分は心に仕舞っておいてもらえると嬉しいんだけどぉ!?」
まあ仕舞われたところで『心理掌握』には聞こえてしまうのだが。
言わぬが花、というヤツである。
などと緊迫した空気を無視して漫才などに興じている間に、
気が付けば二人が使える盾は、現在背にしているパンチングマシーンのみとなっていた。
その防護壁に集中して叩きつけられる風、嵐、暴風、突風、烈風。
「ちょこまかちょこまかと逃げ回っちゃって。大したことないわね、超能力者ってのも」
「考えと言葉に大差の無い厚化粧さんに言われたくないわ」
「どこのファンデーション使ってるの? 変えた方が良いと思うよ」
障壁がその役目を果たさなくなる直前に、遂に理后と食蜂はその身を敵に晒した。
余計な一言で『前方のヴェント』のお株を奪う余裕を見せながら、であった。
「はん、観念したってわけじゃあなさそうね」
感情を煽りたてる物言いに対し過剰な反応を期待した二人だが、
『前方のヴェント』は目前の非戦闘員に対して油断している様子は無かった。
一方の超能力者たちはと言えば、態度に出したほどの楽観は持てていない。
ただ、事がここに及んだ以上は最後の博打を打たねばならなかった。
メンタルアウト
「第五位、 『心 理 掌 握』こと食蜂操祈さまの掌握力、舐めないでもらえる?」
「観念するのは、あなたの方だよ」
第五位と第九位が能力を全開で行使し始める。
それを鼻で笑った『神の右席』は、トドメを刺そうと風切る大槌を頭上に掲げた。
女の闘いが決着を迎えようとしていた。
それ故に。
「…………科学の狗にしちゃあ、いいわねぇ。女は諦めの悪さが肝心よ」
横合いから第三者の声が掛かった事は『前方』にとっては予想外、そして。
「ああもう、折角やる気出したのにぃ」
「しょくほうにしては珍しかったね」
「あの浜面さん? 私が居なかったらとっくに
昏睡状態にされてるって事実、憶えてらっしゃるぅ?」
即座に身と言を翻してその方向に逃げ出した二人にとっては、仰望していたものだった。
『前方のヴェント』の貌が戦闘開始以来、最も不格好に崩れた。
「――――何で此処に居るっ、ババア!!」
鏡を間に立てたように、同配色の黄色い女が空間の彼方と此方に陣取る。
「誰がババアよ小娘!! 私はまだ三十前半だあああ!!!」
口汚く罵り合いながら、二人の『ヴェント』がここ第六学区で睨みあった。
「まあピッチピチの私たちから見ればどっちも、ねぇ?」
(私もそろそろ三十路…………)
「何故!? アンタはそこの能力者による『敵意』の抑制なんて受けられない筈!
なのにどうして、私の『天罰術式』の影響を受けていない!」
ヴェントが『前方』との闘いに魔術師として臨む以上、
魔力精製によって食蜂のマインドコントロールは阻害されるはずだ。
だからこそ『前方』自身も『心理掌握』の支配下に置かれずに済んでいるのだから。
「はーあ、所詮勝手に『席』に収まったヒヨッコなんてたかが知れてるわね。
あ、それともアンタが名前負けしてるのかしら?
『右方』はちゃーんと気付いてるみたいだし」
「…………ちいっ!!」
最大出力で振るわれた『風の術式』がヴェントに襲いかかる。
しかし同型のハンマーをどこからともなく取り出した女が
スラッガー顔負けのスイングを披露すると、両者を結ぶ中間地点で二つの風塊が弾けた。
爆発的な風圧に、そこらに散らばる遊具の成れの果てが全て店舗の壁際に吹き飛ぶ。
「……おわかりかしら? 今のと同じ事が起こってるってわけ」
「なんで、なんでアンタが『風の術式』を………………っ!?」
狼狽をはっきりと表に出した敵手を嘲笑い、素顔のヴェントが口角を持ち上げる。
その笑みは十年前より遥かに美しく――――その分だけ、酷薄であった。
「やっと気付いたの? 『右席』としての特性に干渉されてるのよ、アンタ。」
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マタイとの対話を終えたフィアンマは、憑き物の落ちたような晴れやかな風貌だった。
その表情を一目見たヴェントがゴクリと息を飲んでしまった事は、
彼女が主の元に召される日まで絶対に口外するつもりのない最重要機密であった。
……フィアンマを除く全員に気付かれていた事などは、やはり知らぬが花である。
そして彼は一つの提言をペテロに向けた。
『ローマ正教秘密諮問機関、「神の右席」――――今代で廃するべきではないだろうか』
三年前の時点で、もはや『神の右席』というかつてのローマの影の象徴は形骸化していた。
それもその筈、『左方』は粛清され、『後方』は離脱、『右方』に至っては反逆者の身。
三次大戦以降新たにその座に就く者もペテロの指導下で居りはせず、
聖ピエトロの地下聖堂に調整用の儀式場が不気味に佇むのみとなっていた。
フィアンマの提案する所とは即ち、その禍々しい儀式場の封印、あるいは破壊だった。
元より教皇専門の相談役である『右席』の存在を知る者はローマ正教内にもごく少数だ。
先代と当代、二人の教皇に『後方』と『前方』の賛同があれば決断には十二分であった。
三人は影に刻まれた歴史に終止符を打つべくいま一度だけ儀式を行い、正式に『性質』を返上。
そして『右方』と『前方』は、自らが最後の『神の右席』である徴となるべく――
『俺様の事は、ただの「フィアンマ」と呼べ』
――今後の生涯を通じて、ただの『フィアンマ』、『ヴェント』と名乗ろうと定めたのであった。
続いてフィアンマはヴェントと共に、彼女にとっての因縁の地、日本に渡ろうと決めた。
儀式場の完全なる破壊に必要なピースとして、あの上条当麻の力を借りようとしたのだ。
『神の右席』はかつて悉く彼と敵対関係にあったが、
故にそのパーソナリティについては(説教されたし)熟知していた。
目的を明らかにした上で真摯に頼みこめば、周囲は兎も角として上条自身は
協力を申し出てくれるだろう、というのが彼を知る者の一致した見解だった。
この旅程はもともとフィアンマの一人旅になる予定であったが、
なぜかニヤニヤ顔のマタイに『前教皇命令(権力的裏付け一切なし)』を
理不尽に下されてしまったヴェントも同行する羽目になった。
現在に至るまでの彼女の受難はここから始まったと言って過言ではない。合掌。
それはさておきローマから日本に向けて飛ぶ
航空機――搭乗に際してヴェントが散々駄々をこねた――上で、
二人は歴史に名を残す衝撃の事件の遭遇者となる。
第四次世界大戦――世に言う上条戦争の勃発である。
彼らの乗る便は洋上で謎の対空砲撃によって破損、インド洋に不時着。
乗客を助けるため奔走したフィアンマとヴェントに吊り橋効果が――特に発生するでもなく、
結局彼らは一般人を救いこそしたものの上条当麻への対面は果たせなかった。
なんやかんやでバチカンに帰国した彼らを泣きっ面に蜂、更なるバッドニュースが襲う。
封印された地下聖堂に大戦の混乱を突いた何者かが侵入し、
儀式に必要な霊装や魔道書の類を全て持ち去ってしまったのだ。
バチカンに残っているはずだったアックアは折悪く
イギリスで起こった魔術師の暴動鎮圧のため帰国しており、
彼はその後の顛末を知らぬままロンドンを離れられない状態に陥ってしまっていた。
こうして十字教の歴史の闇を闊歩してきた『神の右席』の系譜は、
ローマ正教ですら杳として把握できない更なる深みにその姿を消したのであった。
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現在、第一〇学区。
だがフィアンマは消えた『神の右席』を執念深く追い続けた。
世界各地に店舗にカムフラージュした拠点を築き、独自の情報網をゼロから形成し。
三年後の七月十五日、遂に彼自らが『後始末』せねばならないカルマを視界に捉えた。
「ふん」
次元が捻れる、歪む、軋む。
音を立てて空が崩れてくるとさえ錯覚させる『腕』と『腕』の衝突。
趨勢は、明らかに『右方のフィアンマ』に有利に運んでいた。
「はぁ…………はぁ……」
新たに『神の右席』の座に収まった魔術師たちを追う中、
その目的を知ったフィアンマとヴェントは彼らとの対決が不可避であると悟った。
いくら優秀とは言え回路を特殊術式専用に調整された自分達の通常魔術では、
『性質』を身に付けた彼らに勝利する事はかなわないだろう。
「笑わせるなよ、ロートル」
そこでフィアンマらが取った方策は、『右席』の座の再奪取であった。
新参者どもは正規の手順を踏んでその位置を手にした訳ではない。
記憶における儀式の様子や霊装を、バチカンの支援を受けて可能な限り再現。
その結果、『神上』に達するため各々一つしかない位置に干渉して
一部ながらその『性質』を奪い取るという快挙が、皮肉にもこの学園都市で実現したのだ。
「今に吠え面を、かかせてやるさッ!!」
しかし足りない。まだ完璧ではない。つまるところフィアンマの行いは、
『右方』が既にどっかり腰かけている椅子に後から座ろうとするようなものである。
敵の『第三の腕』の出力を本来からすれば見る影もない程に減衰させる事には成功したが、
彼自身の『腕』はその半分にも満たない威力でしか振るわれない。
かつては数振りで空中分解の憂き目に遭うなど不完全だらけだった代物だが、
フィアンマ自身が四大属性の歪みを正した事でいくつかの弱点が解消されてしまっている。
勝負の帰結は誰の目にも明らかである――――はずだった。
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T I A F I M H I H T S O T S A I H T R O T C
「我が手には炎、 その形は剣、 その役は断罪!」
火炎が息吹き、二つの赤の狭間により一層煌々と盛る紅を躍りこませる。
『聖なる右』の押し合いに勝利した『右方のフィアンマ』は憎き邪魔者に
追撃を掛けようとするが、その度に取るに足らない炎の魔術師に時間を稼がれてしまう。
「鬱陶しい雑魚が……!」
炎剣の迎撃に適した出力調整が自動的に為され、『腕』が蠅を払うように一振りされた。
続けてもう一撃放てば、ステイルは無様に吹き飛ばされて戦闘不能だ。
「余所見をするとは余裕綽々だな」
しかしまたしても妨害が入る。
『右方』とステイルを結ぶ破滅の射線上に、『フィアンマ』の姿。
今度は決して生身で受けるわけにはいかない『腕』による攻撃だ。
「寝ていろ、年寄りが!」
そして、膠着。
一度感情の消えた『右方』は激闘の中、見る間に色をなしていた。
それもそうだろう。魔術世界でも文字通り右に出る者のいない力を手に入れながら、
敵になるはずもない前任者と凡才相手に、こうも拮抗状態を作られているのだ。
その屈辱感たるや、ステイルに果たして想像がつくであろうか。
(知りたくもないな、そんな事)
恥を忍んで言ってしまえば、この敵はステイルの遥か格上であった。
『第三の腕』には敵対者の打倒に必要な分だけの威力を自動的に生み出す機能がある。
有史上『腕』のぶつかり合いなどというふざけた事象が
他に存在するのかどうかはステイルの関知するところではないが、
要するに現在目の前で繰り広げられている未曽有の血戦では、
少なくともフィアンマの『腕』はその最大出力を発揮していることになる。
(何が完全状態の十%未満だ、『竜王の殺息』と比較してもなんら遜色ないぞ…………!)
喫茶店で事前に受けた説明を苦い顔で振り返りながら
ステイルが座標のサーチを欠かさないのは『歩く教会』の位置であった。
その近くには魔力こそ持たないので探知は出来ないが、佐天と真理も居るはずだ。
(彼女らの身の安全だけは、せめて僕が)
次元の違う攻防に直截に割って入るのは彼の実力では到底不可能であり、
出来る事と言えばフィアンマの援護に過ぎない。
元より人影の殆ど無いことだけが不幸中の幸いだったが、
第一〇学区の街並みはもはや紛争地域の如く荒れ果ててしまっている。
(…………勝てればいいんだ、それで。
それで彼女を、最大主教を守れるなら何だって構わない)
少しでも気を抜けば鎌首をもたげる弱気に必死に抗いながら
しかしステイルは、いずれ必ず勝機が齎されると“信じて”いた。
「か、はあっ!!」
僅かにステイルが思索に耽った間に、十二度目の激突をやはり『右方』が制した。
その躰が跳ね飛ばされた先と『彼女』の位置を照合して――――心臓が止まりかけた。
「最大主教ッッ!!!」
フィアンマが蹲るすぐ傍らに、インデックスの聖衣が揺らめいていた。
あの位置ではフィアンマが庇ったとしても、『腕』同士の激突の余波に巻き込まれかねない。
(いくら『歩く教会』と言えど――――!)
叫ぶ、駆ける、ルーンを翳す。
どの行動を初めに取ったのかはステイル自身にも知れなかった。
ただ、大切な人の身が危うい。その一心が身体を、脳を突き動かした。
「揺らいだな、虫けら」
見誤った。戦況を読み違えた。自分がすべきは、敵への牽制のはずだ。
そうステイルが認識した時には、『右方のフィアンマ』は哄笑しながら彼を標的に定めていた。
見上げれば、天高く『聖なる右』が掲げられていた。
――――死んでたまるか。
眼光で自らを殺そうとする相手にそう伝えるだけで、死にゆく男には精一杯だった。
刹那、澄み切った声が大気を震わせた。
C T O O H R A T T R A T T M P O
「『聖なる右』の軌道を右に! 出力を最低に調整!!」
『腕』が、不可視の衝撃に弾かれたようにその軌道と輝きを大きく変じさせる。
「!?」
――――ロンドンからその名を世界に知られる『魔道図書館』が、
とうとうローマ正教最大の秘術、『神の右席』の特殊術式を解析しきった瞬間だった。
必中必殺である筈の『腕』が虚しく空を切り、『右方』が体幹を大きく崩す。
「ああああああっっ!!!!!」
好機を逃さずフィアンマが荒々しい雄叫びを上げ、
最強の矛のコントロールを失った『右方』に満身創痍の躰で迫った。
この一撃が決まれば、疑いようもなく決着だ。
「 舐 め る な あ っ ! ! 」
だが、だがである。
修羅の如き形相で『右方のフィアンマ』もまた、獣の如く吠えた。
『強制詠唱』の支配下に置かれ、右方に弾かれたはずの『第三の腕』が再起動する。
二人の『フィアンマ』は正面から十三度目の交錯をし。
・ ・
――――双方が、力の均衡点から弾き飛ばされた。
「まだ、まだぁ、………………!?」
背中から強かに打ちつけられた『右方』が身を起こそうとする。
T O F F
「原初の炎」
そこに、炎天下というだけでは説明のつかない熱気が渦巻く。
T M I L
「その意味は光」
日輪にしては明らかに近すぎる灼光が瞬く。
「塵芥が、図に」
瓦解寸前の『聖なる右』がなお足掻こうとするが、
F
「動くな!!」
怨念を浄化すべく聖歌の一小節が紡がれ、
「く、そおおおおおォォォォっ!!」
アスファルトに縫いつけられたかの様に、その動きは再び停止した。
D D A G G W A T S T D A S P T M
「優しき温もりを守り、厳しき罰を与える剣を――――ッ!!!」
「――――――――――――ぁぁっっ!!!?」
耳を、いや全身を劈く爆音が、上がるはずの悲鳴を掻き消した。
天高く立ち上る火柱を見るともなく見ながら、フィアンマは地べたに身を委ねていた。
「おい、生きているかい?」
ステイルが、着火点から注意を逸らさず歩み寄る。
その足取りは失った魔力の割には、存外堅調であった。
「…………はは、心配してくれるのか、ステイル=マグヌス?」
「教科書通りのツンデレをやる気分じゃあないんだ。その様子なら心配ないな」
十年来の戦友のように軽口をたたき合うと、神父は止血に忙しいシスターに声を掛けた。
しゃがみ込んで黙々と作業に没頭する彼女の表情は、長身の彼には窺えなかった。
「あー、最大主教。その………………済まない。貴女に助けて貰っているようではね」
頭を下げるステイルの脳内天気予報では、土砂降りマークが全国的に点灯中だ。
己が為すべき役割を見失って護衛対象に救われるなど、全くもって笑えない話だった。
(情けないな、くそ…………)
目元を掌で覆い隠し、どうしようもない無力感に浸るステイル。
「…………………………るよね?」
「え?」
その時、自己嫌悪の深みに沈み切っていた彼の耳に微かな声が届いた。
声量が小さすぎた為に内容は聞き取れなかったが。
「……生きてるよね、ステイル?」
「…………見ればわかるだろう、五体満足さ。
僕の不甲斐なさについてはいくらでも謝るよ。だから顔を上げてくれないか?」
きょとんとした顔で返すステイルの言い草がまるで見当違いなのは、
脇で伸びてインデックスの手当を受けていたフィアンマにも、
物陰で行く末を見守っていた佐天にも、明白極まりなかった。
二箇所から同時にはあ、と吐息が空に逃げた。
「なあ、最大主教…………?」
「~~~~~っ!」
俯かせていた美貌が振り上げられると、勢いで白地に金刺繍の入ったベールが外れる。
白布を慌てて掴んだステイルの全機能が、それを彼女に返そうとした瞬間停止した。
――――聖女は滂沱の如く涙を流して、かんばせを濡れそぼらせていた。
「………………へ、あ、え?」
「わ、私があんな所にいたから、すているが、あぶ、危ない目に遭って」
泣いている。自分の目の前で彼女が泣いている。
誰だ、誰が泣かせた? そんな奴は万死に値する。
地の果てまでも追いかけて、必ず消し炭にしてやる。
磔にして、串刺しにして、火炙りにして、屍体になろうが骨も残さず
「わた、しのせい、で? すているが……すているが!
後ちょっと、えい、しょうがお、お、遅かったらぁ……!」
そこまで考えたところで、ステイルはようやく大罪人の正体に辿りついた。
(――――僕か)
「いき、てるよ……ね? すているがし、し、しんじゃったら!! わ、わたしぃ…………」
僕が、泣かせたのか。彼女は、僕の為に涙を零しているのか。
参ったな。どうすればいい? 何をすべきなんだ?
この身体を力の限り引き裂けば、許してくれるのか? 無理だろうか?
いやそれ以前に、僕は僕自身を赦せるのか? 無理だろうな。
こんな罪深い――――
「おい、ステイル=マグヌス……お前ちょっと、かふっ、げほっ!」
危険な方向にふらつき始めたステイルの脳内行程を見てとったのか、
フィアンマがお節介にも目的地の修正を図ろうと試みる。
が、肺をやられたのか上手く言葉を吐き出せない。
ポン、と自失状態の神父の肩に手を置いたのは、別の人物だった。
「あのさあステイル。まず、何よりも最初にやること、あるよね?」
震える四肢に鞭打って、こちらも何故か泣きそうな笑顔の佐天が叱咤を引き継いだ。
そして、彼女に抱かれる稚い体温も続いた。
「いんでっくしゅ、ないてるよ?」
「あ…………」
吸い寄せられるように長躯が屈んで、泣きじゃくる女にそろそろと右手を伸ばす。
すると柔らかな純白がたおやかな腕を強く強く胴に回し、男の衣服をしとしとと濡らした。
空中をしばし彷徨ったステイルの腕はおそるおそる角度を急にしていくが――
「ごめん」
「すている…………」
「本当に、ごめん」
最終的には、流れるような銀髪の上に着地するに留まった。
そのまま、銀糸の上を慣れた手つきで滑る。
「すている」
「………………ごめん」
「謝らないで、すている」
「でも」
「悪いの、私だよ? …………それに」
「…………それに?」
「生きててくれたら、それでいいもん」
「……僕も、君さえ生きていてくれれば」
地固まった白黒コンビを妙な虚脱感と共に見届け、傍観者二人はまた溜め息をついた。
「はぁぁぁあぁぁ」
「心持ちは痛いほどわかるがな、警備員の女。
…………やれやれ、いま一歩という所であのヘタレっぷりか」
「まあ、私はそれだけじゃあないんですけど…………あれ?」
「どうした? ………………ッ!! おい!!!」
あそこまで行っても尚先の長そうな二人に同情していた佐天が、ふとある地点を見やる。
フィアンマがその視線の先に何があるのか察して声を絞り上げた。
「――――――――――」
寄り添い合っていたステイルとインデックスが事態に気が付く。
それは微かな幽かな、暗い昏い言霊だった。
「――――――――――――――」
息苦しい地の獄から、あるいは生の存在しない死体置き場から、這いずるような音吐。
多種多様な言語が代わる代わる、即席の火葬場から紡がれていた。
「――――――――――――――――――」
ルーン文字を極めた赤毛の神父でさえ聞き取れない言詞が幾つも混じった。
その全容はなんと、彼に身を寄せていた魔道図書館ですら把握しきれなかった。
フォン語。ワロン語。ブルガリア語。ア■ンブ■言語。グルジア語。カンナダ語。
ポルトガル語。フランス語。アルバニア語。蒙古語。トルコ語。トラキア語。
■■タプリ■■語。ラテン語。コプト語。ガ語。西フラマン語。ソト語。日本語。
広東語。チベット語。バルーチー語。ヒンディー語。C■語。イタリア語。
ステイルがルーンから炎を生み、阻止すべく走り出したのと同時に。
最後の一節は、誰もが馴染み深いブリテンの言語で締めくくられた。
D C A T E
――――死が最後にやってくる――――
第七学区のとある公園。
『後方のアックア』と上条美琴、削板軍覇の激闘が
「だらっしゃああああああ!!!!」
……超能力者の中でも戦闘向きの能力者二人の共闘である。
第三位と一対一で互角だった『後方』に対してなら優勢であってもおかしくはな
「ドララララララァーーーーーッッッ!!!!!!」
…………しかし実際には削板の到着後、魔術師の動作は遥かに鋭さを増した。
美琴が手を抜かれていたと感じても無理からぬ事だろう。
女の不機嫌そうな態度に、『後方のアックア』は律儀に弁解を始めた。
「手加減していた、というわけではないぞ『超電磁砲』。
この力は一度解放すると制御が困難、自爆の危険性も孕むのだ」
「いや別に、それで怒ってるわけじゃあ…………やっぱり手ェ抜いてたんじゃないのよ!」
「手加減ではなくて、温存と言うのだこれは」
「どっちにしろ同じこ「ワッショオオオオオーーーーーーーーーーイ!!!!!!!!!」
「ああもう、削板さん!! お願いだからちょっと静かにしてくれる!?」
超能力者と言うこれ以上望むべくもない援軍を
手に入れられたのは、間違いなく美琴にとっては僥倖であった。
目に見えて動きの変わった筋骨隆々の大男に対して決定打となるような攻撃は、
彼女の反射スピードでは容易には放てなくなってしまったからだ。
そこに来るとこの第七位は常識の通用しないスピード、パワーの相手に
劣勢を強いられながらも真正面から拮抗しているではないか。
彼の到着しない内に『スティグマ』とやらを解放されていたらと思うと背筋が凍る。
「んぜぇ、はぁ、なんだ上条、俺に闘うなって言いたいのか?」
「叫ばなくても闘えるでしょうが!
どうして戦闘=咆哮に直結エレベーターが開通してんのよ!?」
だがこの男、兎にも角にもうるさい。
一にうるさく二に喧しく、三四が熱くて五にけたたましい。
美琴の鼓膜が破れるのが先か、敵を打倒するのが先かという残念な勝負に既になりつつあった。
「我吠える故に我在り!! 意味はよく知らん!!!」
「ちょっとアンタ脳神経いっぺんスキャンさせなさい!」
「…………もう良いか?」
手持無沙汰に巨大なメイスを手入れしていた『後方』の問いに、
慌てて両足を肩幅に開き臨戦態勢を取り直す美琴。
一方の削板と言えば腕を組み、呑気にクエスチョンマークなど頭上に浮かべていた。
「しっかし上条! あいつが使ってる魔術ってのは水なんだろ?
だったら電気とは相性が良いはずじゃないか?」
「……ちなみにそのありがたーい情報、参考資料は?」
「ポ○モン」
(んなことだろうと思ったわよ……)
何とも幼稚な相性論ではあるが、言っていることは尤もらしい。
水に濡れれば感電しやすいとは子供でも知っている初歩の物理だ。
しかし最大十億Vの雷撃を従える美琴ほどの『電撃使い』ともなれば、
濡れているどうこうなど関係なく相手は黒子げもとい黒焦げである――――本来ならば。
「……いい加減に、再開したいのだが」
「おお悪いな、いつでもいいぞ」
「私の台詞なのだが、それは」
聞いていて気の抜ける会話が交わされた次の瞬間には、
ブオンッ!!!
二人はマッハ三近い速度で再び一合、二合と打ち合っていた。
バンッ、ガッ、キン!!
「――――――――――――――ダ――――ラァッ!!」
「――――――――――――――――――ヌンッ!!!」
木々が揺れ、地面が抉られ、高低様々の快打音が跳ねた。
それにワンテンポ遅れて裂帛の気合いがあちらこちらから反響してくる。
取り残された美琴は軽く目を瞑り、電子の領域で超人二人の激闘を追い続けていた。
邂逅時に美琴が察知した電磁波はいつの間にやら微弱なものになっていて追い辛いが、
最初から『第三位』を標的に定めていたのなら、レーダー対策を取ってきても不思議はなかった。
よって正確には削板が放つ、これまたおかしな波形で美琴は戦局を把握する。
頬を流れる汗を拭うための寸暇も今の彼女には惜しかった。
「―――――――――――――――――無駄、無駄、無駄ァァッ!!!!」
「―――――――――――――――――――――――」
ひとしずく、ぽたりと小粒が顎を伝って地表に滲んだ瞬間。
(喰らいなさい、一億Vッ!)
敵が標的を削板から己に変えた事を瞬時に察知した美琴が、
溜めていた電圧を真正面二メートル地点と肉薄していた『後方』に解放した。
ギギギギギギギギギッ、ガアンッッ!!!!
直撃。
しかし美琴はすぐさま横に身を投げた。
(人体に電流が流れたような音じゃないっ! 何か強い抵抗に邪魔されてる!!)
凄まじい白煙が同時に上がり、霧中を青い影が突っ切る。
棍棒が大気と、霞む世界に倒れ伏す人物を切り裂いた。
「む…………」
それは、砂鉄をひと固めにして模られた人形だった。
本物の第三位は自らの身体を電磁石の様にして、
ペンキのはげかけた電灯に吸い寄せられるように宙を舞う。
それを視界に捉えた『後方』が跳躍して追撃しようとするが、
「超ウルトラグレートすごーい!」
「!!」
緊迫感皆無だが危機感をあおる口上が、茹だるような暑苦しい声で唱えられる。
男が早急に防御術式を組み上げる間に、美琴は無事地面に降り立っていた。
「大車輪パアアアアアアンチ!!!!!!!」
轟音をよそに、今得た情報を学園都市ナンバースリーの演算機が反芻する。
『幻想殺し』相手でもあるまいし、決して人間に向けて良い強さの雷ではなかった。
だがその殺人的な攻撃が相手にダメージを通していない事は美琴にはよく解っていた。
何をもって一億Vという桁外れの電圧を防いでいるのか、理解できないのはそこだ。
「やっぱり、『超電磁砲』を当てるしかないのかしらね」
御坂美琴時代から代名詞とする技に、実の所彼女はそう強い拘りが有るわけではない。
『超電磁砲』は美琴の真骨頂である戦術的多角性から目を逸らす為の、謂わば隠れ蓑なのだ。
しかし電撃というわかりやすい攻撃手段が防がれた今、やはり火力ではこれが一番だ。
(でも、どうやって?)
当たらなければどんな切り札だろうと持ち腐れである。
いくら『超電磁砲』の弾速が一千メートル毎秒に達した所で、狙いを付けるのは美琴自身だ。
先ほど『後方』が突貫して来たのも手中に弾丸が無い事を確認した上でのものだろう。
あんな好機がもう一度、最高の環境で到来すると思えるほど、美琴は楽観主義者ではなかった。
(待てよ? だったら、逆に考えれば)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
――当てられないのならば、当てなければいいのでは?
脳の一方で勝利への方程式を組み上げながら、
もう片方で同時に回転していた索敵レーダーが状況の変化を告げた。
緩まる点の移動速度。そして、停止。
魔術師と超能力者は、申し合わせたように闘争を中断していた。
「……………………ぶはああああっ!!!」
小休止中でさえ常人の五倍は喧しい削板軍覇。
一方の『後方』は距離を詰めて来ないところから見ると、一応消耗はしているようである。
ピリピリと圧迫して来た存在感が薄まったのは、『聖痕』の解放を止めた為だろう。
「やっぱりキツイわけ? そのナントカってのを使うのは」
「まあな。これ以上は危険なので一旦封印だ」
「その割には涼しい顔して、腹立つわね……」
苛立ち以上に危機意識で顔が歪む。
然程動き回っていない美琴が肩で息をしていると言うのに、
削板と音速の領域で激闘を繰り広げていたこの男は平常そのままの顔色だ。
ややもするとうっすら汗を掻いているのかもしれないが、
隆々とした体格さえ熱気に揺らめいて見える今の美琴では、どうにも把握しようがなかった。
(私だって、当麻と一晩中激しくやりあった事あるのに……歳なのかしら)
芳紀二十と四の女は聞き様によればどうとでも取れる呟きを脳内に留めながら、
『後方』とは対照的に滝に打たれたかのような男を気遣った。
「大丈夫、削板さん?」
「…………はああああっ、ふううう、ぜええっ…………!
モウ・マン・タイ!! 一分で元通りになってみせるぜ!!!」
「いや声の方は今ぐらいでいいです」
「えっ」
叫ぶためではなく回復の為に酸素を取り入れる削板の全身はびっしょりと濡れている。
気が付けば、美琴のベビーピンクのYシャツも首筋から胸元、脇腹まで汗だくになっていた。
(ああもう、真理ちゃんと一緒に早くお風呂入りたい…………!
夏とはいえこんなぐしょぐしょになるほど汗掻くなんて初めて、――――――!!)
走った電流――能力の産物ではない――に息を呑む美琴。
天啓。
と言うほどのものでもなかった。
環境を読む、探る、分析して、計算する。
わかってみれば、実に呆気ないものだった。
(――――読めた、アイツの使用してる『抵抗』の正体!)
学園都市第三位の頭脳は、演算の果てに遂に一つの勝機を弾き出した。
だがその時、どういうわけか『後方のアックア』がくるりと敵に背を向け、
「興が醒めた」
「…………は?」
平然とのたまって、激戦の中一つだけ運良く原型を保っていたベンチに腰掛けた。
当然、戦闘狂の気があると言われれば否定しきれない美琴と削板は納得しない。
「おいおいおいおいおい!! ここまで来てそりゃあねえだろう!!!!
根性足りてるのか? そうか、足りてねぇのか!!!」
「ちょ、ちょっと静かにしてて。アンタ!!
折角人が勝ちの算段付けたってのに逃げるワケ!?」
救いようの無いバトルマニアを同類を哀れむ眼で見つめたのち、
男は死合った相手に晒すにはあまりに“違う”穏やかな表情を形作った。
「そうではないのだが。これはコチラの問題でだな。
そんな腐れた戦友を持つ気にならん、というだけの話だ」
「……………………は、はぁ? 指示語多すぎよ、何言ってんのかサッパ」
――――そして『ソレ』は、前触れもなくやってきた。
「『ソレ』に殺されるようなら、特段惜しい相手とも思わんのだが」
誰に対してのものかは美琴と削板には知れないが、
魔術師の声色には明らかに侮蔑という名の画材が混ぜられていた。
残りの色は、期待か、それとも諦めか。
「頼むから、生き残ってくれよ」
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第六学区。
白井黒子は旧敵かつ仇敵である結標淡希の助けを得て、
ひとまずは救援を求めるべく端末に手を伸ばしていた。
「無駄よ白井さん。あなた達の隊長なら、
このエリマキトカゲ以上の化物と一戦交えてる最中だわ」
「いろいろと物申したいですねぇ、今の発言には」
「ああもう!」
やはり彼女とは相性が悪いなと考えながら、白井は携帯電話を胸ポケットに戻す。
気に食わないのは何もかもお見通し的な上から目線だけではなかった。
「お次はこれよ?」
上空四十メートルほどから、手榴弾のような物体が降ってくる。
敵の魔術の効果範囲をある程度把握したうえで
その射程外から射程外に向けて能力を発動、
重力に任せて武器をお取り寄せ、と言うのが白井の見立てである。
直接触れた物以外は転移させられない彼女の『空間移動』では真似しようのない芸当だ。
「やれやれ。第三優先、コンクリを上位に、手榴弾を下位に…………おや?」
ところが物体の着地点から上がったのは、炎ではなく大量の白煙であった。
警備員が制圧に用いる煙幕弾。
『左方』の認識のズレが、『光の処刑』の有用性をゼロに変えてしまった。
(一言ぐらい相談してからやって欲しいですの、そういう事は!)
ブチブチ愚痴を口内で噛み殺しながら、白井は今度こそ金属矢を的中させるべく構えた。
いかに能力自体が発動せずとも、座標の把握はテレポーターにとってはお手の物だ。
緻密な計算に基づいて煙に消える直前の敵の位置を割り出す。
弓の達人がそうであるように人体の急所を知りつくす彼女は
命は奪わず戦闘能力を喪失させられる部位に狙いを定め、
名門女子校の卒業生らしく優雅に手首のスナップを効かせた。
「喰らいやがれですの、おおおおっ!?」
スッテーン。
結果は、全く優雅なものとはならなかったが。
突如何者かの足払いを受けた白井の必殺の一矢は、
明々後日辺りの方向に全力ですっ飛んで行くはめに相成った。
「むぅぅぅすじぃぃぃめさぁぁぁぁんん!?
何なんですの、アナタわたくしに恨みでもあるんですの!?」
淑女が披露してはいけないような鬼の形相で足払いの主の名を呪う白井。
どうにか後頭部だけは守るよう受け身をとった彼女は、
勢いよくブリッジ状態から腹筋をフル活用して跳ね起き。
ズガンッ!
その直後、彼女の頭蓋が一秒前まであった地点でアスファルトが破砕された。
「!?!?!?」
「あのね白井さん、あなたが私に対して真っ先に述べるべきはお礼なの。
そのへんおわかり? ドゥーユーアンダスタン?」
「…………全く、醜い。美意識の欠片も感じませんねぇ」
パニック状態の白井がようやく現状を理解し始めた。
徐々に徐々に戦場を覆っていた白がフェードアウトしていく。
透明な空気と強い日差しが三人の前に戻ってくると。
――――そこには地獄があった。
ぐちゃりと音の聞こえてきそうな荒れ果てた表皮。
両腕は重力に従って伸ばされ、指先から紫色の粘液がビチャ、と落ちた。
ハイライトの存在しない眼球は中空を彷徨ってその機能を果たしておらず、
顔面に開いた穴と表現した方がしっくりくる口腔からは、
声と呼ぶのも憚られる異音が漏れるのみだった。
そして胴体部には、時代考証を誤ったかのような黒光りする西洋鎧。
「これは酷いわね、イロイロと」
極限までグロテスクにリメイクされた人体模型が五、六、七体。
某保母さんが目の当たりにすれば黄色い悲鳴の上がりそうな
B級テイスト漂う光景が、二人の能力者を取り巻いていた。
その光なき眼はやがて、温度無き悪意を伴って一斉に結標と白井を捉えた。
「一大事ですねぇ。しかし私はあなた達に容赦するつもりはありませんのでご安心を」
ただ一人クリーチャーにターゲッティングされていない
魔術師は他人事のように絶体絶命の女性たちに笑いかける。
「そんな訳ですから、殺しますね。第二優先……」
すると二人のテレポーターは、ふてぶてしい笑みでもってそれに応じた。
「白井さん、提案があるわ」
「多分わたくしも同じ事を考えてますの、結標さん」
「ほほぉ、何か手があるんですか?」
興味があるのか、『左方のテッラ』が行使しようとした優先権を一時保留した。
『後方』といいこの男といい、溢れる余裕と引き換えに緊張感が欠如し過ぎる嫌いがある。
それが学園都市側にとって珠となるか瓦となるかは、神のみぞ知る事だった。
「ええ、起死回生の策よ」
「とっておきの中のとっておきですの」
「凛々しいですねぇ。惚れ惚れしてしまいますよ、お嬢さん方」
結標と白井が前傾姿勢を見せると、流石に『左方』も口許を引き締めた。
術式の性質上チェスのような読み合いを得意とする魔術師は、
既にこれから起こり得る数十のパターンを構築、その全てで『詰み』に辿りついていた。
「嫌だ、照れちゃうわね」
「それでは行きますので、お覚悟を」
視線がぶつかり合って生まれる火花に熱されて、緊張が高まっていく。
先に待ちきれなくなったのは、能力者と魔術師の狭間の空間を埋める異形の群れだった。
それまでの緩慢な動作が一変、短距離スプリンターと見紛う突進。
白井と結標、二人の空間移動能力者の不敵な笑みは最高潮に達し――――
次の瞬間、身を反転して全力疾走した。
「「逃げるんだよォォォーーーーーーッ!!!!」」
思考能力など皆無のはずのゾンビたちがあんぐりと口を開けて見事な爆走を見送った。
やや遅れて彼らも――彼女も混じっているかもしれないが、ともかく駆け出した。
その背にコミックテイストの汗模様を幻視した『左方のテッラ』が一言。
「………………ですよねぇ」
そうは言うものの、パターンには無い展開らしかった。
とある日 午後五時 統括理事会本部ビル
雲川「では、私はお先に上がらせてもらうけど」スッ
職員A「お疲れ様です、雲川理事」
職員B「あれ、いつもよりお早いですね。もしかしてデートとか?」
雲川「いけないなぁ、上司のプライベートを探ろうなんて。脅迫の材料でも掴みたいのか?」フフ
B「め、滅相もございません! 単なる興味本位ですよ」
雲川「よせよせ、こんな女に深く踏み込むと…………戻れなくなるぞ?」
B「……………………」ゴクリ
雲川「ははは。では諸君、また明日」
ツカツカツカ
B「………………ぶはぁっ!」
A「お前も命知らずだよなー。雲川理事はそりゃあ美人だけどさ」
B「いいじゃんかよ、高嶺の花。フリーなんだろあの人?」
A「男の影がまったくチラつかないからな。まあ、何かしらの手段で揉み消してるのかも」
B「くうーっ! そのデンジャラスな香りがたまらねぇ!」
A「へいへい、一生やってろ。職場に厄介事持ち込まなきゃなんでもいいよ」
B「実はさ、いっぺん帰り際に尾けたことあるんだよ」
A「うわぁ…………マジないわぁ。お前そろそろ死ぬんじゃね?」
B「いやいや、ストーカーとかじゃなくて!
そもそも途中で捲かれたって言うか、あの人の帰宅ルートわけわかんないんだよ!」
A「はあ? なんだそりゃ」
B「例えばだな…………」
統括理事会本部ビル前
タクシー運転手「はいよ、どちらまで?」
雲川「このルート通りに行って欲しいんだけど」ピラ
運ちゃん「は? えーっと…………(なんじゃこりゃ)」
雲川「文句でも?」
運ちゃん「いや、お客さんの頼みならやりますよっと。
…………まずは、第二三学区ですかい」
雲川「悪いが、読み上げないでくれ」
運ちゃん「え? あ、いやすいません。じゃあ出します」
雲川「正確に頼むけど」
運ちゃん「そりゃあ勿論、任せといて下さいよ」
ブロロロロロ
運ちゃん(第二三学区から、ぐるりと…………十個も学区回んのかよ)
運ちゃん「途中で降りたりは」
雲川「ない」
運ちゃん「…………」
雲川「…………」
運ちゃん「は、はは。お客さんあのでっかいビルから出てきましたよね。
スーツも上等だし、お若いのに結構なお偉いさんだったり?」
雲川「だったら何か」
運ちゃん「やっぱり? でもそんな人なら普通黒塗りで帰りません? 不思議だなぁ、と思って」
雲川「………………運転手、そこ右なんだけど」
運ちゃん「お、おおっと!」
A「ふーん、そりゃわかんねぇわ」
B「ミステリアスだよなぁ。どんな裏の顔があるのか、いつか暴きてぇなー!」
午後八時 ??学区 ????
ツカツカ
雲川「…………ふう」
雲川(開いてる。今日は私が後か)
雲川「………………た、ただいま」ガチャ
??「お帰りいいいいい!!!!」ズギャアアアアン
雲川「」バタン
雲川「…………スーッ、ハーッ」
雲川「ただいま」ガチャ
??「おっかえ」
雲川「やかましいいい!!!!」イソイソ バタン! ガチャガチャ
??「どうした、なんで一回閉めたんだ雲川?」
雲川「そのアブラヨタカも裸足で逃げ出すクソ喧しい声が
どれだけ防音しようとドアから漏れるからなんだけど!!
私がどうしてこういう暮らしを送ってるのか忘れたのか削板!!」
削板「忘れた」
雲川「このやり取り何回目だと思ってる!?」
削板「三二回目だな!」
雲川「何故そっちは覚えてるんだあっ!」
雲川「…………私は、人の恨みを買うのが仕事だ。
学園都市の後ろ暗い部分を一手に引き受けると決めた以上、
あらゆる弱みは隠しておかなければならないんだけど。そういうわけだから、いいか?
私がこの『削板軍覇の家』で暮らしている、という事実はなんとしても」
削板「あと、恥ずかしいからだな!」
雲川「何でこの流れでそうなるのか意味不明なんだけど!」アタフタ
削板「お前がくどくどと言い訳始めたらこう言えって親船の婆さんが」
雲川「くうううっ、また統括理事長か!」
削板「うーん。正直、俺はお前の言い分に未だに納得ができないぞ」
雲川「なんだと?」
削板「俺とこうやって向かい合って、飯食って、
一緒に寝て、おやすみとおはようを言って。
そういう生活が、雲川にとっては誰かに知られたくないほどみっともないモノなのか?」
雲川「そういう話じゃないんだけど。
私が一つ“仕事”をしくじれば、お前や……………………その。
いつか私たちに、こ、子供が出来た時、その子にまで危険が及ぶかもしれない」
削板「ふーん、やっぱりわかんねえ」
雲川「おい!」
削板「あのなあ、この際だからはっきり言っておくぞ」グイ
雲川「か、顔が近いんだけど…………じゃなくて、なんだ!」
削板「俺はなあ…………………… 強 お お お お お い ! ! ! 」
雲川「は?」
削板「お前の心配はだな、あれだ、堀越ジローってやつだ!」
雲川「誰だ!? それを言うなら取り越し苦労なんだけど!」
削板「おお、良くわかったな!」
雲川(哀しい経験則なんだけど)
削板「俺はお前がやってる仕事に守られなきゃならない程弱い男じゃあない!
っていうか逆だ逆! 俺が、お前やマイベビー(仮)を守って守って守り抜く!!
………………それを信用してもらえないなら、何処まででも強くなるのみ!!!」
雲川「そ、そんな単純に、簡単にいってたまるか」
削板「無理が通れば道理が引っ込む! 俺の座右の銘だ!」
雲川「……本当に、馬鹿な男なんだけど。こんな厄介な女のどこが良いんだか」グス
削板「ん、そうだな。まず第一に…………」
ギュルルルルルルルル ドッカーン! ギャアアアア メディーック!
雲川(…………西部戦線の塹壕内で聞けそうな異音だったんだけど)
削板「おお、腹の虫が大合唱だな!」ハハハ!
雲川「合唱って言うか合掌した方がよさげな音だったんだけど!?
…………あれお前、夕飯はまだ食べてないのか?」
削板「お前の手料理を一緒に食いたかったからな!
それまで筋トレして腹を空かしてた!」
雲川「ん、な………………」パクパク
削板「ああいや、疲れてるなら無理しなくていいんだぞ!
男の夜食、カップ麺の買い置きはまだまだ大量に」
ガタッ
雲川「つ、作るんだけど! だからちょっと待ってて、軍覇!」イソイソ
削板「はっはっは、そうかそうか流石の根性だ! 楽しみに待ってるぞ、芹亜!」
雲川「…………当然だ、軍覇の飯を用意するのは私の役目と決まってるんだけど」
削板(軍覇って呼ばれた後じゃないと芹亜って呼べない謎ルール、そろそろ解消してーなー)
食事中
削板「そうだ、んぐ、俺が、べねっと、芹亜が良い、めいとりっくす、理由だったな」ガツガツ
雲川「咀嚼音に無理がありすぎなんだけど。で、なに?」
削板「っく、ぶはぁ! 一緒に飯食ってると、最高に美味いからだな!」
雲川「ふ、ふん。結局、原始的な欲求に基づいてるだけなんだけど」プイ
削板「ん? 駄目か、そんな男は嫌いか?」シュン
雲川「……………………きだ」
削板「え? 聞こえんなあ」
雲川(素か、それは…………!)
削板「もっかい、大きな声で言ってくれ。俺を見習って! プリーズワンスモア!」
雲川「あーもう、一回だけだぞ、良く聞け!」
「軍覇あああ!! だ、大好きだーーーーーーっっ!!!!」
削板「…………」
雲川「はーっ、はあ、な、何か言ってくれないと凄く居た堪れないんだけど」
削板「………………」ダキッ
雲川「ひゃあっ!?」オヒメサマダッコ
削板「良く考えたら、芹亜と食うメシより好きなものがあった」
雲川「そ、それとこれと何の関係があるって」
削板「所謂一つの、『プロレスごっこ』だ!」
雲川「なななななな、まだお夕飯の途中なんだけど!」
削板「思い立ったが吉日! 俺の座右の銘だ!」
雲川「もう…………まったく何個あるんだか、お前の座右の銘は」
削板「何個だ?」
雲川「私の知ってる限りじゃ、二七二個だな」ハァ
削板「つまり、それで全部だな!」
雲川「軍覇の言う事は八割方理解不能なんだけど」ボソボソ
削板「またまた、解ってるんだろう! お前は頭がトンデモ良いんだからな!
俺の事で芹亜が知らない事なんてあるのか?」
雲川「…………………………な、ない。絶対に無い。軍覇の全ては私のモノで」
削板「芹亜の髪の毛から爪先まで俺のモノ、だな!」
雲川「どこでそんな艶っぽい言い回しを……いや親船さんだな、こういうのは」ハァ
削板「いや、貝積の爺さんが」
雲川「まさかの伏兵!?」
寝室
ポフン
削板「っしゃ、おっぱじめるか」
雲川「ううぅ」
削板「…………本音を言うとだな、俺もいい加減、
職場に『愛妻弁当』ってヤツを持ってって自慢したいんだ」
雲川「うっ」グサ
削板「きせいじじつってのを作っちまえば、大手を振ってお前と歩けるんだよな」
雲川「!? あ、ちょ、今日はマズイんだけど」アセアセ
削板「好きだ、芹亜」ボソ
雲川「~~~~~~っ!!!!」
削板「まぁ、そんな訳だから。ここはちょっと根性出して……」
「本気で、やるぞ」
オワリ
続き
インデックス「――――あなたのために、生きて死ぬ」【3】