勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」【1】
勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」【2】
勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」【3】
勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」【4】
勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」【5】
勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」【6】

322 : 以下、名... - 2016/08/06 16:30:35.13 AsT68X2i0 702/829

 魔界、大魔王城―――試験都市フィルストより大河を挟んで南東に位置する険しい山脈の中腹に、それは在った。
 外敵を阻む城壁、その門を守護する門番、その他勇者達の進撃を止めるべく雲霞の如く現れる魔物の群れ―――そんな修羅場を想定して突入した勇者と戦士であったが、魔物の抵抗は拍子抜けするほど無かった。
 勇者達は大魔王城の奥へ奥へとあっさりと進み続け、遂には最奥の大魔王の間へとたどり着いたのだった。

戦士「こんなにも簡単に辿りつくものなのか。大魔王の懐というものは」

勇者「どうかな。何かの罠かもしれない。この大魔王城、城というのは名ばかりで、実際ここに来るまで下へ下へと降りてきた。潜ってきた。これはもはやダンジョンと呼んだ方が正しい。もしここで何か罠を仕掛けられたとしたら、地上に出るのは、まあ、骨だろうな」

戦士「引き返すか?」

勇者「虎穴に入らずんば虎児を得ず、って奴さ。進もう。周囲への警戒を怠らないで」

戦士「了解だ」

 これは、大魔王の間へと通じる扉を前にした時の、勇者と戦士の会話だ。
 そして今、勇者と戦士は扉を潜り、広大で静謐な大広間で大魔王と向かい合っている。
 広間の中央に立つ大魔王は、身の丈2m程で、癖のついた長い黒髪を後ろに流した切れ長の目の男だった。
 白を基調とした衣服に黒いマントを羽織った大魔王の姿は、その額から二本の角が伸びていること以外は、およそ人間とほとんど変わらぬものだった。
 少なくない皺の刻まれたその顔からして、年の頃は(あくまで人間の基準で言えば)五十も半ばといったところだろうか。

大魔王「ようこそ余の城へ。歓迎するぞ、勇者よ」

勇者「そうかい。おもてなしってんなら、テメエの首を差し出してくれよ」

 鷹揚に話しかけてきた大魔王に、勇者は軽口をもって返した。
 しかしその実――――大魔王から感じ取れる圧倒的な強者の雰囲気に、勇者は己の肌がヒリヒリと痛むような感覚を覚えていた。

勇者「ふぅぅ~…」

 肺の底で押し固まるようになってしまっていた空気を吐き出し、勇者は突進の姿勢を取る。
 隣で戦士も同様に剣を構えた。

大魔王「ほう、こうして面と向かって対峙してなお、余に挑む気概があるか」

 大魔王は感嘆するように言った。
 そして大魔王は一度静かに目を瞑る。
 再度の開眼と同時に大魔王の眼光はギラリと鋭さを増し、その全身から放たれていた圧力が倍増した。
 もはやどす黒い気の流れとして可視化できるまでになったソレは、勇者と戦士の体を否が応にも震えさせる。
 だが、このようなプレッシャーに晒されるのは初めてのことではない。
 既に一度、受けたことがある。
 勇者と戦士は気後れしそうになる己を鼓舞し、下っ腹に力を入れて大魔王の姿を睨み付けた。
 そんな二人の様子に、大魔王は己の顎を撫でてふぅむと声を漏らす。

大魔王「力の差がわからんはずはないのだ、お主等ほどの力量があれば。挑めば死ぬと、それを察することが出来ん程に愚鈍というわけでもあるまい」

 そこまで言って、大魔王ははたと気づいたように首をひねった。

大魔王「いや、逆か? 敵わぬと悟った上で、余の手から逃れきる算段をつけておるのか。だから、敵わぬと知ってなお、挑める。であれば、その賢しさは『俺』の好むところではあるが」

 勇者と戦士は、こちらに語り続ける大魔王の様子を伺い、仕掛ける機を探る。
 そしていざ、飛びかからんと地を蹴ろうとした刹那―――その機先を制するように、大魔王が手のひらをこちらに向けた。

大魔王「よせよせ。まずは話をしようぜ。俺達には話し合いでケリをつけることが出来る脳味噌がある。そうだろう? 『伝説の勇者』の息子よ」

 トントン、と己の額を指で叩き、大魔王は不敵に笑った。


323 : 以下、名... - 2016/08/06 16:31:06.85 AsT68X2i0 703/829







第三十三章  あなたは何のために戦うのですか?







324 : 以下、名... - 2016/08/06 16:31:37.24 AsT68X2i0 704/829

 大魔王はばさりとマントを翻すと、なんとその場にドカッと胡坐をかいて腰を下ろしてしまった。
 そして懐からキセルを取り出して口に咥え、火をつける。

大魔王「面白きものよな。異なる世界を生きていながら、俺達の姿形は驚くほど酷似している。どうも知性持つ生物の進化過程というものは、世界程度の違いでは変わらぬ決まった型があるらしいな」

 呵々と笑った大魔王は肺に入れた煙を吐き出し、ぷかぷかと紫煙を漂わせた。

大魔王「どうした。座れよ。敷物が無きゃ座れねえなんてお上品なことはまさか言わねえだろう?」

 大魔王は口の端でキセルを噛んだまま、手で差して勇者と戦士に着座を促す。
 勇者と戦士は困惑してお互いの顔を見合わせた。

大魔王「なんだ、面食らった顔をして。ああ、この喋り方か? 気にするな、こっちのこれが俺の素だ。さっきまでのはな、如何にも大魔王様って感じで振る舞って、お前達をビビらせて戦意を削ぐための演技だ。戦わずにケリをつけられるなら、それに越したこたぁないと思ったんでな」

勇者「……とても魔王軍のトップとは思えない台詞だな」

大魔王「誰だって戦うのは嫌さ。それでも、戦わなければならないから戦うんだ。そうだろ? 『伝説の勇者』の息子―――勇者よ」

 大魔王は再び手で勇者と戦士に着座するよう示す。
 勇者と戦士は頷き合い、勇者だけが大魔王に倣って胡坐をかいて腰を下ろした。
 戦士は勇者の傍で直立不動のまま動かない。

大魔王「まあ、上等だ」

 大魔王は咥えていたキセルを手に取ると勇者に向かって差し出した。

大魔王「吸うか?」

勇者「いらん」

大魔王「くくく。そう警戒するなよ、勇者」

勇者「元々煙草は吸わないんだよ。というか、魔界にも煙草なんてものがあるのか」

大魔王「いやいや、これはお前たちの世界の一品よ。人間、エルフ、竜種……知性ある種族の数の差というのかな、こういった嗜好品の発展はお前らの世界と魔界とでは比べるべくもない。魔界でお前達人間ほどに知性が発達している種族なぞ稀よ」

勇者「……そうなのか? そりゃ、ケダモノじみた魔物が多いことは認めるが、ある程度高位の魔物となると俺達の世界の言語を理解し、操っていた。それは相当な知性が無いと出来ない芸当だ。そして、そんな魔物の数は決して少なくないと、これまでの旅の中で俺はそう感じていたが」

大魔王「ああ、それは違う。あやつらのアレは俺が与えてやったものに過ぎん」

勇者「なっ!?」

大魔王「対象にある程度の知性があればな、俺にはそれが出来るのだ。脳みその隙間に、俺の持つ知識を分け与えることが出来る。でなければ、あの獣共が独力で他言語の習得なぞ出来るものかよ」

 勇者は慄いた。
 そんな芸当が可能だとすれば、目の前の男はまさしく――――

大魔王「故に神と―――ケダモノ共が数多跋扈するこの魔界において、俺は『大魔王』などと神の如く崇められたのだ」

 ぞくりと勇者の背筋が震えた。
 大魔王の得体の知れぬ威圧感に圧され、勇者はごくりと唾を飲む。


325 : 以下、名... - 2016/08/06 16:32:09.52 AsT68X2i0 705/829

大魔王「時に勇者よ。この大魔王城に辿り着くまでに魔界の地を歩き、お前は何を思った。何を感じた」

勇者「何……というと?」

大魔王「自らの世界との違いに驚きを感じなかったか? 余りにも荒れ果てた大地を見て、とある感想を抱きはしなかったか?」

大魔王「すなわち――――魔界という世界は、とっくに終わってしまっているのではないか、と」

 勇者は草一つ無かった大地を、飢えて死に物狂いになっていた恐竜型魔物の姿を思い返した。

大魔王「その印象は正しい。木々は悉く枯れ、水は隙間なく濁り、大地は命を腐らせる毒に満ち満ちている。もはやこの地で自然のままに次世代に命を繋ぐことなど不可能だ。これを終わっていると言わずして何と言う」

大魔王「何とかせねばならなかった。この世界に生きるいち生命体として、このまま絶滅することを良しとするわけにはいかなかった」

勇者「それで、お前は魔王軍を組織し、俺達の世界へ差し向けたわけか。自分達の生きる新天地として、俺達の世界を奪い取るために」

大魔王「そうではない。そうではないのだ、勇者よ」

 大魔王はふるふると首を横に振った。

大魔王「俺がお前達の世界の事を知ったのは偶々、偶然によるものだった」

大魔王「初めてお前達の世界を目にした時、俺はただただ感動したものだよ。大地には植物が雄々しく茂り、その実りは数多の生命の営みを支えていた。清涼なる川の流れは海に繋がり、海より出でる雲は大地に雨を降らす……澱みなく循環する水は、あらゆる命の温床となっていた」

大魔王「俺は分析した。俺は考察した。何故この世界は俺達の世界とこうまで違う? この世界をここまで豊かたらしめている要因とは何だ? それを知ることで、俺達の世界を蘇らせることが出来るのではと、俺は夢見たのだ」

大魔王「だが、結果として分かったのは、お前たちの世界を豊かたらしてめている要因などではなく、逆だった。俺達の世界が荒廃してしまった理由。それが浮き彫りになっただけだった」

大魔王「魔界はどうひっくり返っても生命豊かな世界などにはなれん。世界の構造が、そうなっていた。俺達の世界は、どうしようもなくどん詰まってしまっていたのだ」


326 : 以下、名... - 2016/08/06 16:32:45.61 AsT68X2i0 706/829

大魔王「食物連鎖、という言葉がお前達の世界にはある。知っているか? 勇者よ」

勇者「植物を食べて生きる虫や動物は、肉を食べて生きる生物の糧になり、その上位捕食者もやがては死して土へと還り、植物の育つ温床となる。その命の循環を食物連鎖と呼ぶと、以前書物で目にしたことがある」

大魔王「博識だな。その通りだ。食物連鎖とは、世界の命の総量を一定に保つ、奇跡のサイクルの名だ。奇跡、そう、まさしく奇跡なのだ。そんな世界を当たり前に生きてきたお前達には実感できぬことだろうがな」

 勇者はここまでの会話の流れから、大魔王の言葉の意味を推し量った。

勇者「つまり……魔界では食物連鎖が成立していない、と?」

大魔王「そうだ、その通りだ」

 大魔王はその顔に自虐の笑みを浮かべた。

大魔王「魔界の生態系は円環の形を成さず、奈落へとひた走る一本道よ。ならば今こうして魔界が終末を迎えているのも、自明の理ではないか」

 呵々と笑った後、大魔王はその顔から笑みを消した。

大魔王「勇者よ。お前も知っていよう。俺達魔界に生きる者は、お前らの言う所の『魔物』は、死したところで土には還らん。死したところで、我等の体は大地を腐らす毒となる」

大魔王「なんと罪深い命よ。そうは思わんか? 魔物は基本的に雑食だ。いや、その節操のなさはもはや悪食と呼ぶべきものだ。草、虫、鳥、獣……魔物はあらゆる命を己の糧とする。そうして一つの個体が我武者羅に周囲の命を食い散らかして、挙句の果てにその体から毒を無遠慮に周囲に撒き散らすのだ」

大魔王「これでは魔界の生物の総量は目減りする一方だ。故に対策を打つ必要があった。その為に俺は『大魔王』として己を神格化した。そうすることで、あのケダモノ共をコントロールしようと画策したのだ」

大魔王「まず、少しでも毒による大地の侵蝕を遅らせる為、死した魔物の死体は必ずそれに気づいた者が既定の場所に運搬するよう仕組みを整えた。結果として、確かに毒の無秩序な拡散はある程度抑えられたが、代わりに山積した死体から大量に染み出た毒が大規模な沼となり大地を抉ってしまった」

大魔王「次に、徒に数を増やすことなく、秩序ある繁殖を心がけるよう触れを出した。しかし程度の低い獣共はそんなことおかまいなしに性交した。確かに俺は他者に知性を与える術を持ってはいたが、当然にして限界はあった。全ての愚者に英知を授けることは不可能だった」

大魔王「だから俺は戦争を起こした。『魔王軍』を組織し、お前達の世界に攻め入った。そうする以外に、魔界を救う方法は無かったのだ」

 大魔王の言葉を聞いて、今度は勇者が首を横に振る番だった。

勇者「それでは結局、俺の言った通りじゃないか。お前達は、自分達の新しい棲家として俺達の世界をぶんどるために俺達の世界に攻め入った! そんな俺達の間に、交渉の余地などあるものか!!」

大魔王「結論を急くな勇者よ。それは違うと、俺はさっきはっきりとそう言った。いいか、断言してやるぞ。俺は何かが欲しくてこの戦争をお前たちの世界に仕掛けた訳じゃない。緑雄々しい大地も、青く澄み渡る海も、何もいらん」

 勇者は困惑した。
 ならば、何故? と、勇者は震える声で大魔王に問う。

大魔王「俺の目的はお前達の世界から何かを得ることではない―――逆だ。俺はあるものを失いたいが為にこの戦争を起こした」


327 : 以下、名... - 2016/08/06 16:33:17.65 AsT68X2i0 707/829










大魔王「すなわち、お前達に魔物という名の『害獣』を駆除してもらうため――――そのためだけに、俺は魔王軍をお前たちの世界に送り込んだのだ」











328 : 以下、名... - 2016/08/06 16:33:54.06 AsT68X2i0 708/829

勇者「なん…だと…?」

大魔王「俺達のような呪われた命が世界と折り合いをつけて生きていくためには、無秩序な繁殖を抑え、個体数を適正に管理することが必須だ。無論、食事に関してもある程度の縛りを設ける必要がある」

大魔王「しかしこれは生存本能に意思の力で無理やり蓋をするようなものだ。叶うのは、俺や試験都市フィルストに居住している者共のような、一部の知性が高い種族に限られるだろう。いわんや、あの無秩序な獣共にそのような我慢が出来るはずもない」

大魔王「だから、強制的に『間引き』を行う必要があった」

勇者「……その為に、そんな事の為だけに、俺達の世界に攻め入ったと?」

大魔王「そうだ」

 勇者は勢いよくその場に立ちあがり、大魔王の顔を指差した。

勇者「ふざけるな!! そんなもんはテメエの手で勝手にやりやがれ!! いちいち俺達の世界を巻き込んでんじゃねえよ!!」

大魔王「俺自らの手で直接間引きを行えば当然『大魔王』としての威光は地に落ちる。そうなれば俺の言葉に耳を傾ける者などいなくなる。それはならん。間引き後の魔界改革にこそ『大魔王』としての立場が必要だ。俺は『大魔王』の立場を、統率力を保ちつつ、事を成さねばならなかった」

勇者「だから……そんなのはテメエの勝手な都合だろうが!!」

大魔王「許してくれとは言わん。だがどうか見逃してくれ。あと一度の遠征があれば、魔物の数は俺の想定する適正値に落ち着く。あとたった一回なのだ。だから、頼む。なあ、勇者よ」

大魔王「なぁに、これまで通りきちんとそちらに配慮して攻め入るので、間違ってもお前達の負けは無い。まして、お前とそこの娘が戦列に加わるとなれば」

勇者「待て……待て待て……! なんだと? 今何て言った? 配慮? 配慮して攻めていたと、今そう言ったのか?」

大魔王「そうだ。まさしくそう言った。余りにも魔王軍の用兵は稚拙だと、これまでにそう感じたことは無かったか? 一つ所に戦力を集中せず、世界各地を散発的に攻める様子に違和感を覚えなかったか? 所詮は獣が為すことだと、見縊っていたか?」

大魔王「調整していたのだ、この俺が。間違ってもお前たちを滅ぼしてしまうことが無いように。適切にお前達が勝利できるように。微に入り細に穿ち、丹念に、念入りに」

 勇者は震える手でくしゃりと己の前髪を握りしめた。

勇者「は…はは……なんだよ………結局俺達は、お前の手のひらの上で転がされてただけだったってのか……?」

 勇者の脳裏に、これまでの旅路で経た数々の困難が急速に思い返される。

勇者「あ? じゃあなんだ? それならむしろ、俺はお前にお礼を言わなきゃいけないじゃないか。手加減してくれてありがとうって。俺はお前のおかげで親父のような英雄になれましたって」

 言い終わると同時に、勇者は大魔王に向かって駆けた。
 その手には精霊剣・湖月を固く握りしめている。

勇者「―――――――ざっけんなコラァッ!!!!!」

 大魔王の心臓目掛けて突き出された勇者の剣先は、突如大魔王の前に現れた暗闇に飲まれて消えた。
 ぽっかり空中に空いた穴に吸い込まれた勇者の剣だが、暗闇の先で確かに肉を突き刺す感触を勇者に伝える。

戦士「か……は……」

 戦士の背後に突然現れた暗闇から勇者の剣が突き出していた。
 その剣先が戦士の胸を背中から貫いている。

勇者「せ……」

 勇者は慌てて剣を引き抜いた。
 ずるりと剣の抜けた戦士の体がゆっくりとその場に崩れ落ちる。

勇者「戦士ぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいい!!!!!!!!」

 勇者の絶叫が『大魔王の間』に響き渡った。


329 : 以下、名... - 2016/08/06 16:34:30.03 AsT68X2i0 709/829

大魔王「『異空間魔術』と、俺はそう呼んでいる。どうも俺の一族はこの手の術に長けていてな。お前達の世界と魔界を繋げられたのもこの能力があった故だ。今のように離れた空間を繋ぐトンネルを設けたりと、用途は様々よ」

 ゆっくりと立ち上がった大魔王の周囲に、次々と暗闇が生まれ始めた。
 その中には、奥に明らかに大魔王城とは違う野外の景色が見て取れるものもある。
 勇者は講釈する大魔王に構わず、戦士に駆け寄った。

戦士「う…ぐ…」

勇者「良かった…急所は外れてる…! 『呪文・大回復』!!」

 勇者の放つ癒しの魔力の輝きに包まれて、戦士は意識を取り戻す。
 立ち上がった戦士の姿を見て、大魔王は感嘆の声を漏らした。

大魔王「ほぉぉ……即死しておらぬのか。これは流石だと言うしかない。やはりお前達と直接事を構えるのは得策ではないな」

勇者「逃げるのか!!」

 大魔王の言葉に反応し、勇者は吼えた。
 そんな勇者に対し、大魔王はあくまで鷹揚に頷く。

大魔王「うむ、逃げる。そこな娘、確実に死角から剣を放ってやったのに、剣先がその身に触れた瞬間に身を躱し、即死を免れおった。恐るべき反応よ。その娘が躱しきれぬお前の剣の鋭さも侮りがたい」

大魔王「実際戦えば、まあ俺が勝つだろう。しかし、お前達が勝つ可能性もゼロではない。だから逃げる。俺は万が一にもここで死ぬわけにはいかんのだ」

戦士「私達がお前を易々と見逃すと思うか!!」

大魔王「それを可能にするのが俺の能力【ちから】よ」

 大魔王の言葉と同時、一際大きな暗闇が大魔王の頭上に生じた。
 そしてその暗闇から、足、膝、腰―――と姿を現し、何者かがゆっくりとその場に降り立つ。
 その正体に思い至った勇者と戦士は驚愕で足を止めてしまっていた。

大魔王「このように離れた地点に居る者を召喚することも出来る」

 大魔王を守護するように、勇者達と大魔王の間に立ち塞がったのは、虚ろな目をした銀髪の魔族だった。
 大魔王と同様に、額から伸びた二本の角と、青みがかった肌の色以外に、一見して人間の容姿と大差がある部分は見受けられない。
 その魔族の顔に、勇者と戦士は見覚えがあった。
 以前、魔王討伐に成功した武の国兵士長達が持ち帰ってきた魔王の首。
 その顔が、今勇者達の目の前にいる魔族と非常によく似ている気がする。
 いや、似ているというより、これはもはや、完全に同一の――――――――――

大魔王「お察しの通りよ。こいつはお前達が魔王と呼んでいた者に相違ない」

 勇者達の心を見透かしたように、大魔王は笑って言った。

大魔王「つまるところ三人目となる、魔王」

勇者「魔王………さ、三人目……?」

大魔王「全滅することが目的の軍の指揮を、新天地を夢見る魔物共の誰かに任せると思うか? かといって俺の賛同者に犠牲を強いるのもしのびない。故に俺はコレを造った。『魔王』という名の人造生命体。俺の意思を媒介するための操り人形を」

戦士「ば、馬鹿な……」

勇者「俺達が長年追いかけていた魔王という存在が……複製可能な作り物だった……?」

 次々と判明する想像の斜め上をいく事実に、勇者は眩暈すら覚えた。
 しかし同時に、どこかで勇者は納得もしていた。
 勇者は、自身にとっては初の対峙となる魔王の姿を見て、思う。

勇者(きっと、親父の心を折ったのは―――――今の、この光景だ)


330 : 以下、名... - 2016/08/06 16:35:10.40 AsT68X2i0 710/829

 勇者達が魔王の討伐に成功した時は、『宝術』という切り札を用いていた。
 宝術の影響下では、魔物の力は半減し、逆にこちらの力は倍増する。
 故に、武の国兵士長を始めとした魔王討伐隊は、さしたる困難も無く魔王討伐に成功したと聞く。

 だが、勇者の父は―――『伝説の勇者』は違う。

 『伝説の勇者』は単身魔王城という敵地に乗り込み、万全の状態の魔王を独力で打倒した。
 そこには数多の困難があったはずだ。そこには無数の苦難があったはずだ。
 死に物狂いで死力を尽くし、艱難辛苦の果てに―――『伝説の勇者』は魔王討伐を成し遂げた。
 だからこそ――――この光景を前にした時の衝撃は、恐らく今勇者自身が感じている物とは比べ物にならなかっただろう。

大魔王「さて……」

 大魔王が魔王の頭に手を触れた。と同時に、虚ろだった魔王の目に光が宿る。

魔王「ここから先に進みたくば、私を倒していくのだな。人間」

 魔王はそう言って改めて勇者達の前に立ち塞がった。
 『魔王』という定型の人格を、大魔王によって植え付けられたのだ。

勇者「………ふん…」

 勇者は震える膝を殴りつけ、剣を握る手に力を込めた。
 そんな勇者の姿を目にして、戦士もまた、己を奮い立たせ、剣を構える。

大魔王「この事実を目の当たりにして、まだ折れぬか。やはりお前は俺の想像を悉く超えてくるな、勇者よ」

勇者「今まで散々手のひらの上で弄んでおいて何を言う」

大魔王「いやいや、本当だ。お前だけが唯一、俺の描く絵図の通りに動いてくれぬ。特にあの『宝術』とやらには参った。まさかあんなものを引っ張り出してくるとは思いもしなかった」

大魔王「おかげで新たな門を開くのに四苦八苦よ。流石にあの規模で世界を繋げ、安定させるにはそれなりの手間がかかるのだ」

 大魔王の掌の上に暗闇が生じた。
 目を凝らせば、暗闇の奥に見慣れた空の色が見て取れる。
 勇者はふっ、と諦観の笑みを浮かべた。

勇者「手間はかかるが出来ないことはない……つくづくお前の手のひらの上じゃないか、俺達は」

 『魔王城以外に魔界との出入り口が作られる心配はない。何故なら、それが出来るならとっくにやっているはずだから』
 それも、違った。
 大魔王は嗤う。
 新たな門とやらを造るために、自ら生み出した暗闇に紛れ、大魔王の姿が消える。


 同時に、魔王の体から漆黒の炎が巻き上がり、勇者達に襲い掛かった。



331 : 以下、名... - 2016/08/06 16:35:55.90 AsT68X2i0 711/829

 魔王との戦いは熾烈を極めた。
 宝術の加護の無い、全くの実力同士でのぶつかり合い。
 躱しても躱しても追尾してくる魔王の漆黒の炎を相殺するため、勇者もまたその指先から真っ赤な炎を生み出し、魔王の炎にぶつける。

魔王「隙ありだ!!」

 その隙に、魔王は勇者の背後に回り込み、その腕を振りかぶっていた。
 魔王の手には剣も鋭い爪もない。
 だがその腕を振り回すだけで人間の体など紙のように引き裂く威力を持つ。
 その速度、威力―――――成程確かに、魔王軍を率いる首領に相応しいと言える。
 かの獣王をすら、遥かに凌ぐその力。
 しかし。

戦士「つあぁッ!!」

魔王「ぬぅっ!?」

 魔王の動きに即応した戦士が勇者との間に割って入り、魔王の腕を斬り飛ばした。

魔王「チィッ!!」

 肘辺りから吹き飛び、宙を回る己の右腕に頓着せず、魔王は戦士の体を蹴り飛ばす。
 吹き飛ぶ戦士と入れ替わるように、今度は勇者が前に出た。
 魔王の首目掛けて水平に振るわれた勇者の剣を魔王は紙一重で躱し、背後に飛んで距離を取る。
 魔王が何事か呟くと右腕が発光し、ちぎれた腕が再生した。

勇者「『呪文・大回復』」

 勇者もまた、戦士に向かって回復呪文を唱える。

勇者「大丈夫か?」

戦士「ああ。ありがとう」

魔王「……大したダメージは無しか。ならば!!」

 魔王の姿が掻き消えた。
 間髪入れず勇者と戦士は反転し、背後に向かって斬りかかる。
 魔王の両腕と勇者と戦士、それぞれの剣が衝突した。

魔王「ぬううう!!!!」

勇者「があああ!!!!」

戦士「はああ!!!!」

 そのまましばらく拮抗状態が続いたが、埒が明かぬと判断したのか魔王が先に飛び退った。
 黒い炎が魔王の体から巻き上がり始めるのを見て、そうはさせぬと戦士が追撃を行う。
 戦士の全力の剣は魔王の体すら容易く寸断する。それは先ほどのやり取りで既にわかっていた。
 故に魔王は剣を受け止めることはせず、身を躱すことを選択した。
 しかし即座に斬り返した戦士の剣が、身を躱した魔王の首を追う。

魔王「う、おおお!?」

 今度は躱しきれず、魔王の頬を戦士の剣が掠めた。

332 : 以下、名... - 2016/08/06 16:36:24.13 AsT68X2i0 712/829

 ぎり、とその顔に焦りを浮かべて魔王は奥歯を噛みしめる。

魔王「大したものだ……宝術とやらに頼らなければ獣王にすら勝てぬ程度の実力と踏んでいたが……」

戦士「魔王よ。お前は確かに速い。確かに強い。お前は確かに、私達が戦ってきた魔物の中でも一番強いのだろう。まさしく、魔王という名が相応しい」

勇者「だけど魔王。俺達はお前よりもっと速い奴を知っている。俺達は、お前よりもっともっと強い奴を知っている」

魔王「……? お前達が戦った中で、私が最も強いのではないのか?」

勇者「『魔物』の中じゃな。こちとら、もっと化け物みてえな『人間』とやりあってんだよ!!」

 勇者は一気に魔王との距離を詰め、剣を振り下ろす。
 魔王は剣を受けることはせず、再び背後に飛び退って躱すことを選択した。
 何か嫌な予感が頭を巡ったからだ。
 しかし、その魔王の動きこそが勇者の狙い通りだった。

勇者「『呪文・大雷撃』!!!!」

 魔王が着地したその瞬間を狙いすまして、虚空から生じた雷が轟音と共に魔王の体を打つ。

魔王「うが、ぐあああああああああああああ!!!!!!」

 大雷撃のダメージに悶える魔王へ向かって、勇者と戦士が追撃を行う。
 魔王は痛みに耐えて、二人を迎撃せんと迎え撃つ。
 否―――――迎え撃とうとした。
 だけどその体は痺れ、まったく言う事を聞いてくれなかった。

魔王「なぁ!? ぐ、か…!!」

勇者「その程度の実力じゃ、騎士【あいつ】にくらべたら雑魚みてえなもんだぜアンタ!!」

 勇者と戦士の剣が煌めく。
 交差するそれぞれの剣が、魔王の首と魔王の上半身を寸断した。


333 : 以下、名... - 2016/08/06 16:37:20.50 AsT68X2i0 713/829

勇者「勝った……」

 魔王の息の根が完全に止まっているのを確認して、勇者は呆然と呟いた。
 ふと気が付くと、戦士が勇者のすぐ隣まで歩み寄って来ていた。
 そしてそのまま、二人はお互いの体を抱きしめあう。

勇者「は、はは……勝てた。魔王に実力で勝てた。やべえよ、なんか俺すっげえ震えちゃってる」

戦士「うん…うん…! やったな、勇者。私達、やったんだ」

 しばしそうして喜びに打ち震えていた二人だったが、我に返ってぱっと体を離した。




















 カツーン――――――……………

 どこかから、足音が聞こえる。





334 : 以下、名... - 2016/08/06 16:38:03.32 AsT68X2i0 714/829


戦士「どうする? このまま先に進んでみるか?」

勇者「そうだな。大魔王の奴がどこに行ったのか、現時点じゃ判断しようがない。ここが最奥だと思っていたけど、もしかしたら先に進む道がどこかにあるかもしれない」




















 カツーン――――――……………

 その音は、勇者達の進んできた道を辿る様に。

 勇者達の後を追いかけてくるように、大魔王城の中に響く。





335 : 以下、名... - 2016/08/06 16:38:56.78 AsT68X2i0 715/829


勇者「大魔王の奴は、魔王を人造生命体と言っていた。ということは、それを造る工房のようなものがあるはずだ。少なくとも、そこだけは今回破壊してしまいたい」

戦士「そうだな。魔王の『在庫』なんてものを次々造られたら冗談じゃないしな」

勇者「工房を見つけられれば、大魔王の奴も大慌てて戻ってくるかもしれない。よし、決定だ。先に進む隠し扉のようなものがないか、この部屋を隈なく探そう」




















 カツーン――――――……………

 足音が、止まる。

 大魔王の間へと通じる、その扉の前で。





336 : 以下、名... - 2016/08/06 16:39:44.87 AsT68X2i0 716/829





 ギイイィィィ――――――と殊更に音を響かせて、大魔王の間の扉が開かれた。

 勇者と戦士は音に反応し、反射的に振り返った。

 そして、目を丸くした。

 次いで、言葉を無くした。

 大魔王の間に入室してきた男の姿を見て、勇者と戦士はただただ固まってしまっていた。


「そこまでだ、勇者」


 男は、とても聞き覚えのある声で勇者達にそう言った。

 聞き覚えがあるのは当然で、それはほんのちょっと前に聞いたばかりの声だったからだ。

 具体的には、魔界に在った試験都市フィルストで。

 この大魔王城を目指す直前に、聞いている。

 だけどその姿は見慣れぬものになっていた。

 白銀に輝く鎧に身を包み、そしてその手には鮮烈な輝きを放つ白金の剣を持っている。

 神々しささえ伴う、その姿。

 まるで『伝説に語り継がれる勇者のような、その姿』。

 否、違う。

 この男が、この男こそが―――――――






337 : 以下、名... - 2016/08/06 16:41:16.23 AsT68X2i0 717/829











伝説の勇者「それ以上先に進むというのなら、私が相手になろう」










338 : 以下、名... - 2016/08/06 16:41:50.60 AsT68X2i0 718/829





 そう言って、『伝説の勇者』は勇者に向かってその剣先を向けた。






339 : 以下、名... - 2016/08/06 16:42:27.26 AsT68X2i0 719/829








        第三十三章








340 : 以下、名... - 2016/08/06 16:43:17.62 AsT68X2i0 720/829









        あなたは何のために戦うのですか?









341 : 以下、名... - 2016/08/06 16:44:14.51 AsT68X2i0 721/829






















 プチン、と自分の何処かで何かが切れる音を、勇者は聞いた。







400 : 以下、名... - 2016/11/06 01:17:19.10 ZSsiH8ra0 723/829





 いつから自分は特別なのだと思い上がってしまったのかは曖昧だ。



 だけどその幻想(ユメ)から覚めた時のことははっきりと覚えている。






401 : 以下、名... - 2016/11/06 01:17:50.73 ZSsiH8ra0 724/829






第三十四章  『伝説の勇者』、その結末





402 : 以下、名... - 2016/11/06 01:18:27.68 ZSsiH8ra0 725/829

 彼の生まれは何の変哲もない農家だった。

 由緒正しき騎士の家柄というわけでもない。名のある貴族の跡取りというわけでもない。

 日々の営みの中で獣と対峙することはままあるけれど、彼は基本的に争いというものからは縁遠い立場にいるはずの人間だった。

 転機が訪れたのは、彼が15歳の時。

 とある日のこと。

 彼の住む村が盗賊の集団に襲われた。

 盗賊たちは金品の類と食料を要求し、従わぬ村民に理不尽な暴力をふるった。

 元より彼は正義感の強い青年であったので、そんな盗賊たちの行為に対して激しい憤りを見せた。

 刃向えば死―――周囲からのそんな説得によって、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでいた彼だったが、盗賊の一人が村の女性を――その美しさが大層評判であった彼の母を辱めようとしたことで、彼の怒りは弾けた。

 彼は農作業用の鉈を取り、盗賊たちに挑んだ。

 相手は戦闘を生業とする盗賊集団だ。当然、いち農民如きが勝てる訳がない。

 勝てる訳はないのだが―――驚くべきことに、彼は負けなかった。

 多くの傷を負い、血に塗れながらも―――遂に彼は十人以上もの盗賊達を、知らせを受けた王宮騎士団がそこに駆け付けるまで足止めしてみせた。

 そんな彼の働きを当時の王宮騎士団の団長はいたく気に入り、なんと彼は騎士団長直属の部下として王宮騎士団に召し抱えられてしまった。

 ただの農民から王宮騎士団へ―――しかも王宮騎士団長の懐刀への大抜擢。

 彼の存在は、周囲の注目を否応なしに集めた。

 周囲の好奇の目に晒されながらも彼は真摯に修業に打ち込み、めきめきと剣の腕を上げていった。

 彼が騎士団随一の剣の使い手になった背景として、勿論本人の才覚もあっただろうが、何より騎士団長の熱心な指導があった。

 「どうして自分などにここまでしていただけるのか」と、彼は問うた。

 「なに、ただの気まぐれさ」と、騎士団長は答えた。

 騎士団長には息子がいなかった。

 独身というわけではない。騎士団長には仲睦まじいと評判の妻がおり、その間に三人の子をもうけている。

 しかしその子らは全て女児であった。

 そのことに、騎士団長は内心忸怩たる思いがあったのかもしれない。

 だから、才ある彼を召し抱え、息子のように可愛がったのだ―――と、周囲はもっぱらそのように解釈していた。それは、騎士団長の寵愛を実際に受けた彼自身でさえも。

 だが、事実は少し違う。

 彼を息子の『代わり』などと―――騎士団長は断じてそんな風には考えていなかったのだ。


403 : 以下、名... - 2016/11/06 01:19:04.17 ZSsiH8ra0 726/829

 さて、更なる転機が訪れたのは彼が王宮騎士団に召し抱えられて五年が経った時のこと。

 隣国との小競り合いの最中、件の騎士団長が戦死した。

 歴戦の勇士として名高かった騎士団長は、戦時の混乱の中、誰が放ったかもしれぬ流れ矢に倒れた。

 矢尻には毒が塗られていた。

 騎士団長はもがき苦しみ、傍らにいた彼に介錯を頼んだ。

 無論彼は拒んだ。諦めてくださるなと懇願した。

 しかし間に合わぬと騎士団長は断じた。

 早くせよ。間に合わぬ。毒では駄目だ、『お前がやらねばならぬのだ』。

 その時、騎士団長の言葉の意味を深く考察できるほど、彼は冷静ではなかった。

 彼は騎士団長に対して非常に大きな恩義を感じていた。

 だから彼は、騎士団長の願いのままに介錯し、その亡骸に縋りついて涙を流し、慟哭した。

 その時生じていた不可思議な現象には目もくれず。

 『加護の継承』。

 騎士団長がその身に宿していた精霊の加護が、彼の身に移行していた。

 それも一部ではなく、一分の残りもなく――――全て。

 彼が自身の異常に―――自身の力が飛躍的に向上していることに気付いたのは、騎士団長の葬儀を終えて、落ち着いてからだった。

 彼はそれを奇跡と解釈した。騎士団長の遺志によりその使命を託されたのだと信じた。

 以降、彼は『国を守ること』を絶対の使命として己に課し―――――彼は騎士団史上最年少かつ最速で騎士団長の立場に就任する。

 まずはこれが、彼の伝説の始まり。






 ――――もはや殊更に述べる必要もないかもしれないが、一応訂正しておこう。


 彼が何の変哲もない農家の生まれというのは、誤りだった。


 どうも、どうやら――――彼の出自は中々に複雑なものだったらしい。




404 : 以下、名... - 2016/11/06 01:19:37.82 ZSsiH8ra0 727/829

 騎士団長となった彼の活躍は目覚ましく、彼は周辺諸国との争いに悉く勝利し、『始まりの国』の平定に多大に貢献した。

 彼はまさしく全ての戦に勝利した。こと武力という点において、彼に並び立つ者は存在しなかった。

 その上、彼は政の分野でも類まれな才覚を披露した。かつて農民であった経験を持つ彼の助言は、時の為政者を大いに唸らせた。

 彼の活躍によって『始まりの国』は確かな繁栄を得た。

 人々は彼を『太陽の騎士』、『神々に選ばれた男』、『常勝無敗の大英傑』などと褒め称えた。

 あるいは、そう―――――『勇者』、とも。


405 : 以下、名... - 2016/11/06 01:20:05.03 ZSsiH8ra0 728/829

 彼は騎士団長に就任して間もなく、王宮内で給仕を務めていた女性と結婚した。

 その女性との結婚に関しては、彼の同僚はおろか女性の家族、果ては女性自身からも反対されていた(曰く、身分が違いすぎるだの、恐れ多いだの)のだが、まあそれはともかく。

 彼は彼自身が見初めた女性と結ばれ、さらにその間に男子を授かるなど、まさに幸せの絶頂にあったのだ。

 とりわけ彼を喜ばせたのは、その息子が類まれな剣の才能に恵まれていたことだった。

 まだ歩き始めて間もない頃に、彼は戯れに息子に剣を模した木の棒を与えた。

 日夜修練として剣を振る父の姿が目に焼き付いていたのだろう。その息子はその棒の意味をすぐに理解し、父の真似をして振り回し始めた。

 これには彼も、彼の妻も、周囲の者達も大いに喜んだ。

 父を超える勇者の誕生だと盛大に盛り上がった。

 そして彼は嬉々として息子に剣の稽古をつけ始めた。

 メキメキと剣の腕を上げる息子を見て、彼はこの上ない喜びと高揚感を覚えていた。

 それは熱狂と言ってさえ良かっただろう。

 まさしく、熱に狂っていた。

 でなければ――――年端もいかぬ幼子に真剣を向けるという凶行など行われるものか。




 そして悲劇は起きた。



406 : 以下、名... - 2016/11/06 01:20:39.02 ZSsiH8ra0 729/829

 彼の剣は彼の息子を切り裂き、彼の息子は死の淵を彷徨った。

 一気に熱から覚めた彼は己の愚行を後悔し、激しい自己嫌悪に陥った。

 しかしながら彼を責め立てたのは彼自身ばかりで、他の誰も彼を責めることはしなかった。

 それは、本来最も彼を非難するべき彼の妻でさえも。

 『人でなし』と誹りを受けることすら覚悟していた彼である。

 「僕を責めないのか」と、不安になって彼は妻に問うた。

 妻の返答に、彼は戦慄した。

 妻は、まったく無垢な顔でこう言ったのだ。


407 : 以下、名... - 2016/11/06 01:21:04.19 ZSsiH8ra0 730/829








 『どうして?』







408 : 以下、名... - 2016/11/06 01:21:37.44 ZSsiH8ra0 731/829

 ここに至り、ようやく彼は自身の置かれた状況について理解が及んだ。

 そう―――――『始まりの国』において、もはや彼の存在は神格化しており、彼の発言、行動は全てが是とされてしまう。

 例えどんなに荒唐無稽な政策を王に具申したって、王はそれを実施するだろう。

 例えどんなに的外れな軍事作戦を展開したって、部下たちは何も疑問に思うまい。

 この事実は、彼に非常に大きな重圧を与えた。

 だってその事実に気づいてから、彼は決して間違えられなくなってしまった。

 誰も彼の過ちを糾してなんてくれないから、彼は自分だけで正解を掴まなければならなくなってしまったのだ。

 彼がその状況に開き直ることが出来れば、王をも凌ぐ権力を得たのだと喜ぶような感性の持ち主であれば、まだ良かったのだろう。

 だけど彼はまったく清廉潔白で、良心に満ち、正義感に溢れていた。

 彼は『絶対的な英雄』として、皆の期待に応え続けようとしてしまった。

 そして―――――応え続けることが出来てしまった。


 かくして彼は、『絶対的な英雄』としての当然の流れとして魔王討伐に旅立つ。

 その心に、僅かに黒い影を落としたまま。



409 : 以下、名... - 2016/11/06 01:22:13.08 ZSsiH8ra0 732/829

 大魔王城大広間に剣戟の音が木霊する。
 剣を交えているのは『伝説の勇者』とそのかつての愛弟子である戦士だ。

戦士「つああッ!!!!」

 裂帛の気合いをもって振るわれる戦士の剣は、しかし悉く『伝説の勇者』に打ち払われる。

戦士「チッ…!」

 斬り払われた剣を握りなおし、体勢を整えた時には『伝説の勇者』の剣が戦士の目前に迫っていた。

戦士「うお…!」

 戦士は大きく体を逸らし、そのまま後方にバク転して一度『伝説の勇者』と距離をとった。

戦士「くっ…!」

 『伝説の勇者』の追撃はなかった。
 体勢を整えてから、戦士は一度大きく息を吐き、剣を構えなおす。
 その顔には陰りがあった。
 戦士はその端正な顔に眉根を寄せて、苦々しく目の前の男を睨み付けていた。

伝説の勇者「強くなったな、戦士」

 優しい声音で目の前の男はそんな言葉を吐く。
 やめてほしい、と戦士は願った。
 かつて敬愛してやまなかった師。その背中を追い続けてきた男。
 覚悟は決めたはずだった。その男が敵に回った瞬間に自分の感情は切り捨てたつもりだった。
 だけど、目の前の男は余りにも思い出の中の姿のままで――――胸に去来する思いが、どうしても戦士の剣を鈍らせた。

戦士「うあああああああああ!!!!!!」

 そんな自分が許せなかった。
 獣のように雄叫びを上げたのはそんな自分を打ち払いたかったからだ。

戦士(ふざけるな!! なんなんだ私は!! 私が! ここで私がやらないと!! でないと……!!)

 煩悶する戦士の横を追い抜いていく影があった。
 勇者だ。

戦士「あっ…!!」

 咄嗟に伸ばした戦士の指先は勇者のマントを掠めただけだった。
 勇者は『伝説の勇者』に向かって飛びかかり――――二人の持つ刃が交差した。


410 : 以下、名... - 2016/11/06 01:23:04.63 ZSsiH8ra0 733/829

伝説の勇者「勇者…!」

勇者「……」

 父と子の持つ剣が拮抗する。
 『伝説の勇者』の顔には苦渋の色があった。
 対する勇者は無表情で、その感情はうかがい知れない。
 二度、三度と切り結び、勇者が後退したことで両者の間の距離が開く。
 その隙に再び勇者より前に出ようとした戦士だったが、その動きを勇者に手で制された。
 戦士の動きを制した手で、続いて勇者は目の前の『伝説の勇者』を指差す。

勇者「『呪文・大雷撃』」

 虚空より生じた雷光が『伝説の勇者』の体を打った。
 『伝説の勇者』は突如前触れなく現れた雷に碌な反応も示せなかった。
 勇者は精霊剣・湖月の柄をぎゅうと握りしめて前進する。

勇者「おおお!!!!」

 短い気合の声。
 振るわれた勇者の剣は真っ直ぐに『伝説の勇者』の喉元を狙っていた。
 呪文・大雷撃の直撃を受けた者は電撃に痺れ、体が一瞬硬直する。
 その一瞬を狙いすました、この上ないタイミングの一撃だった。
 しかし勇者の剣は『伝説の勇者』によって打ち払われた。

伝説の勇者「光と轟音で前後不覚に陥らせる呪文か……肝を冷やしたぞ」

 『伝説の勇者』の呟きを拾った勇者は一瞬で理解する。
 呪文・大雷撃は『光の精霊』の加護の力でもって放たれる一撃。
 どうやらそれは、同じ『光の精霊』の加護を身に着けたこの男には通じないらしい。
 格上の相手をする時の切り札が無為になった衝撃、その理不尽さに爆発しそうになる感情を勇者は抑えた。
 勇者は一度『伝説の勇者』と距離を取った上で、努めて冷静に状況を分析する。

勇者(おそらく、火炎も烈風も睡魔もコイツには大した効果がない)

 ならば、使いどころを考えなければならない。
 ダメージを与えることではなく、不意を突くことで大きな隙を生む――――そのために、勇者は呪文の温存を選択することにした。
 勇者が思索に転じていた間に、戦士が再び『伝説の勇者』に攻撃を繰り出していた。
 150センチにも及ぼうかという刀身を小枝のように振り回す戦士の剣戟はさながら竜巻のようで、圧巻と言う他に無かった。
 どんなに強力な魔物であっても、この剣の奔流に飲み込まれれば瞬く間に細切れと化してしまうだろう。
 しかし『伝説の勇者』はその全てを捌き切り、どころか戦士の連撃の間を縫って攻撃を仕掛けることで戦士の攻撃からリズムを奪った。
 『伝説の勇者』の攻撃をギリギリで躱すことは出来たものの、連撃の勢いを止められてしまった戦士は一度呼吸を整える為に間を取った。
 その間、ただ泰然と構えてこちらの様子を伺っている『伝説の勇者』の姿に、戦士は苦々しく唇の端を噛む。
 手加減されている。それは明らかだった。
 先ほどからギリギリで躱している『伝説の勇者』の攻撃も、こちらが『ギリギリで躱せるように』攻撃をしているだけなのだと、戦士は理解していた。
 そも、手加減というものは両者の技量に余程の差が無ければ成立しない。
 もちろん、戦士とて十全にその力を揮えているわけではない。
 かつて敬愛してやまなかった男を相手にして、困惑と躊躇いによる心理的なブレーキが如何ともし難く戦士の体を縛り付けている。
 しかし、だからといって、それにしても――――――だ。
 元々望んでいない戦いである。
 これ程の力量差を見せつけられて、なお心を奮い立たせることが出来るのか―――――


 そのようなことは、どうやら勇者にはお構いなしであったようだ。


411 : 以下、名... - 2016/11/06 01:23:35.36 ZSsiH8ra0 734/829

 無言で駆け出した勇者はその勢いのままに『伝説の勇者』に剣を叩き付ける。

伝説の勇者「まだわからないのか勇者!! お前達の剣は、決してこの私には届かない!!」

 力量差を殊更に誇示するためであろう。『伝説の勇者』は勇者の全身全霊の剣を片手一本で受け止めた。
 勇者は怯まず両手で柄を握りしめ、怒涛の勢いで剣を打ち下ろす。
 勇者は剣を『伝説の勇者』に向かって叩き付け、叩き付け、叩き付け、叩き付けた。
 『伝説の勇者』はあくまで片手持ちで勇者の剣を受け止めた。
 全霊をもって打ち下ろされる一撃を続けざまに受け止めたことで、流石に『伝説の勇者』の手に痺れが生じ始める。
 『伝説の勇者』は勇者の勢いを止める為、勇者が剣を振りかぶった隙に攻撃を差し込んだ。
 それは今まで戦士に放ってきたものと同様に、ギリギリで躱せるように絶妙に加減された一撃。
 ずぶり、と肉に刃が沈み込む感触があった。
 驚愕したのは『伝説の勇者』と戦士だ。
 勇者は『伝説の勇者』の剣を一切躱そうとせず、結果、『伝説の勇者』の剣は深く勇者の胸元を抉っていた。

勇者「……痛えなぁ。あぁ…ひでえよアンタ。一度ならず二度までも、実の息子を剣で斬りつけるなんて」

 勇者の胸から溢れ出した血が刃を伝い、『伝説の勇者』の手を濡らす。
 勇者の血に濡れた『伝説の勇者』の手はカタカタと小刻みに震えていた。

伝説の勇者「あ、あぁ…!! ち、違う……違うんだ…! 勇者、私は……!!」

 勇者は振り上げたままだった剣を渾身の力で振り下ろす。
 『伝説の勇者』の体が大きく切り裂かれ、血飛沫が舞った。

伝説の勇者「が…ふ…!」

 『伝説の勇者』の体がゆっくりと倒れる。
 『伝説の勇者』に刻まれた傷のその位置は、奇しくも幼い頃に勇者が受けたものとほぼ一致していた。


412 : 以下、名... - 2016/11/06 01:24:12.17 ZSsiH8ra0 735/829

 『伝説の勇者』は倒れた。
 まだ息はあるものの、そう長くは保つまい。
 戦士の目からは大粒の涙が溢れだしていた。
 戦士は自分の目から溢れるソレを、怪訝な表情で拭った。
 戦士は自分の涙の正体を自分自身掴めず、ただ困惑していた。
 憧れの男が敵に回ったこと、そして死んだこと。
 それもよりにもよって、勇者自身の手でそれをさせてしまったこと。
 悲しみと後悔と憤りと悔恨と―――色々な感情がない交ぜになって戦士の心は千々に乱れていた。
 胸を刺す痛みに耐えかねて、遂に戦士はその場にしゃがみ込んでしまった。
 勇者は無感情に自らの胸に突き立ったままだった『伝説の勇者』の剣を引き抜き、がらんと床に放った。
 血だまりの中にうつ伏せに倒れた『伝説の勇者』の姿を見下ろす勇者は、どこまでも無表情だった。

 『伝説の勇者』は、薄れゆく意識の中でそんな勇者の姿を見つめていた。

(ごめんな、痛かったよな)

 勇者の胸元から溢れる血を見て、『伝説の勇者』は思う。

(痛かったよな、苦しかったよな)

 『伝説の勇者』の脳裏に浮かぶのは、傷を負い、熱にうなされる幼い勇者の姿。

(俺のせいで、お前は痛みをひどく怖がる子供になってしまった)

 『伝説の勇者』が想うのは、回復はしたものの、痛みに怯え、遠巻きから自分たちの修業を冷めた目で眺めていた勇者の姿。

(痛いの嫌だって泣いてたよな。苦しいの嫌だって震えてたよな。なのに……)

 『伝説の勇者』の目に映るのは、己の傷口に無感情に処置を施していく現在の勇者の姿。

(お前をそんな風に壊してしまったのは俺なのか? 俺のせいで、お前の人生は無茶苦茶になってしまったのか?)

(だとしたら俺は一体、何のために……)

 『伝説の勇者』は思い出す。思い返す。まるで夢を見るように。
 かつての敗北の記憶を。幻想(ユメ)から覚めた瞬間を。


413 : 以下、名... - 2016/11/06 01:24:41.59 ZSsiH8ra0 736/829






『俺は魔界を救う。その為にお前の力を貸せ。「伝説の勇者」よ』





414 : 以下、名... - 2016/11/06 01:25:12.40 ZSsiH8ra0 737/829

伝説の勇者『ぐ…う……』

大魔王『まだ立とうっていうのか? やめとけよ。力の差はもう十分理解しただろう』

伝説の勇者『黙れ…俺は負けない……負けるわけにはいかないんだ……』

大魔王『死ぬことが怖くはないのか?』

伝説の勇者『怖いさ……死ぬのは怖い……だけど、それ以上に俺がここで諦めてしまうことで、今まで積み上げてきたものが全部台無しになってしまうことの方がよっぽど怖いんだよ…!』

大魔王『立ちやがった。よせ。それ以上無理をすると本当に死ぬぞ。ここでお前に死なれては、お前を殺さぬように立ち回った甲斐がない』

伝説の勇者『な…に……?』

大魔王『お前ほどの猛者を相手にして、殺さぬよう加減するのは相当苦労したんだぞ? 色んな思惑とか全部うっちゃって、全力で暴れまわれりゃ俺も楽だったんだがな』

伝説の勇者『ぐ…く……!』

大魔王『……少しは話を聞く準備が出来たようだな。なぁに、心配するな。俺の話を聞いてまだ俺の首を取るつもりがあれば、もう一度機会を設けてやるさ』

伝説の勇者『……?』

大魔王『何から話そうか……そうだな。「伝説の勇者」よ、この大魔王城に辿り着くまでに魔界の地を歩き、お前は何を思った。何を感じた』


415 : 以下、名... - 2016/11/06 01:26:18.34 ZSsiH8ra0 738/829

大魔王『……とまぁ、こんなところだ。魔界のクソッタレな現状ってのが少しでも伝わってくれたのならありがたい』

伝説の勇者『まさか…そんな……』

大魔王『―――俺は魔界を救う。その為にお前の力を貸せ。「伝説の勇者」よ』

伝説の勇者『お、俺の力を…?』

大魔王『そうだ。俺は「向こう側」の、お前たちの世界の知識が欲しい。お前達「人間(ヒト)」の営みを、俺はこの魔界で再現したいのだ』

大魔王『そのために、「伝説の勇者」よ。俺の下につけ。俺の下につき、お前の世界の事を俺に教えるのだ』

伝説の勇者『お、俺に人類を裏切れというのか』

大魔王『断るのならば仕方がない。その場合はお前にはここで死んでもらう。「向こう側」にこちらの真の目的を伝えられても厄介なのでな』

大魔王『しかし協力を約束するのならば俺はお前に最大限便宜を図ろう。生活に不自由はさせないし、必要な時以外はお前の行動を一切束縛することはない。お前は、自由だ』

伝説の勇者『……ッ!!』

大魔王『揺れたな。ふむ、やはりお前の核はこの辺りか。気になってはおったのだ。「世界平和」などという曖昧模糊な理由の為に、単身魔界に乗り込んでくるなどと常軌を逸している。狂気の沙汰だ。その行動理念について、俺は少し考えてみたのだ』

大魔王『察するに、お前は降りられなくなったのではないか? 皆の期待に応え続けたことで、応え続けすぎてしまったことで、次第にお前は皆が期待する通りにしか動けなくなったのではないか? 「伝説の勇者」たる者こうでなくてはならない、そんなイメージを誰よりも強くお前自身が持ち続けてしまったのでは?』

伝説の勇者『う、あ……』

大魔王『うむ、その顔が何よりも雄弁に答えを物語っている。「伝説の勇者」よ。良いのだ。お前はもう「伝説の勇者」を辞めていい』

伝説の勇者『ち…が、う…!! 違う!! 俺は、俺の意思でここに来た!! 俺には守りたいものがある!! その為に、ここでお前に屈する訳には』

大魔王『お前が俺に協力すればお前の家族の命は保障しよう。俺手ずから調整し、お前の故郷には決して強力な魔物は近づけさせん』

伝説の勇者『………ッ!!?』

大魔王『正解か。そうだよな。家族は大事だ。その気持ちは俺にも痛いほどよくわかる』

伝説の勇者『う、ぐ…! く、うぅ……!!』

大魔王『まったく強情な奴だ。わかったわかった。しょうがないから、俺がお前を負けさせてやる』





大魔王『こう言えばよいのだろう? ―――――家族の命が惜しければ、俺の軍門に下れ。「伝説の勇者」よ』





416 : 以下、名... - 2016/11/06 01:26:56.63 ZSsiH8ra0 739/829




 おいおい、そんな暗い顔をするな。



 お前、折角自由になれたんだぜ?



 魔界で一番の美女を世話役につけてやるから、まあ元気出せや。



 なぁに―――――生きてりゃその内いいこともあるさ。







417 : 以下、名... - 2016/11/06 01:27:33.90 ZSsiH8ra0 740/829

 ぴくり、と『伝説の勇者』の指が動いた。
 その手が地面に打ち捨てられた己の剣を取る。

伝説の勇者(そうだ……何もかも、生きていてこそだ)

 『伝説の勇者』は己の剣を杖として立ち上がった。
 目を見開いてこちらを見てくる勇者と目が合って、『伝説の勇者』は薄く笑う。

伝説の勇者(今更父親面なんて出来ないし、するつもりもないけれど……)

 かちゃかちゃと震えの止まらぬ手で、それでも『伝説の勇者』は剣を構える。

伝説の勇者(せめて、最初の志だけは貫いてみせる)

 『伝説の勇者』の脳裏に、目の前に立つ勇者が幼かった時の記憶がよぎる。
 剣に見立てた木の棒を持って、よちよちと自分の後ろをついてきていた勇者の姿。
 母の胎内から生まれ出でて、おぎゃあと己の腕の中で力いっぱい泣いていた勇者の姿。

伝説の勇者(―――――お前だけは絶対に死なせない!!)

 ごぼっ、と『伝説の勇者』は己の口内に溜まっていた血液を吐き出した。
 そしてすぅ、と息を吸い、静かに口を開く。

伝説の勇者「導け――――『覇王樹(ハオウジュ)』」

 『伝説の勇者』の体から黄金の輝きが迸った。
 その余りに鮮烈な光の奔流に、勇者も戦士も思わず手で目を覆ってしまう。
 光がやみ、勇者は恐る恐る『伝説の勇者』の方に目を向けた。

勇者「……なんだ…」

 わなわなと、勇者の肩が震える。

勇者「何なんだよ、それはぁッ!!!!」

 勇者が『伝説の勇者』と相対して初めて感情を爆発させた。
 今もなお仄かに輝きを放つ『伝説の勇者』の体からは、先ほど勇者がつけた傷が綺麗さっぱり消えていた。

伝説の勇者「これが―――俺の剣、『覇王樹』の力だ」

 『伝説の勇者』は己の持つ剣を、『伝説剣・覇王樹(デンセツケン・ハオウジュ)』を勇者の前に掲げる。

伝説の勇者「一日に一度だけ使用者の傷を全快させ、更に一定時間精霊加護を爆発的に高めてくれる」

勇者「精霊加護を……高める?」

伝説の勇者「そうだ」


418 : 以下、名... - 2016/11/06 01:28:18.78 ZSsiH8ra0 741/829




 すまない。すまない。すまない。


 きっと、とても痛いだろう。きっと、たくさん苦しむだろう。


 だけど、たとえ心折れてしまったとしても。


 ―――――それでも、生きてさえいれば。




419 : 以下、名... - 2016/11/06 01:29:29.94 ZSsiH8ra0 742/829

伝説の勇者「こういう風に――――な!!」

 『伝説の勇者』が動く。
 ただならぬ気配を感じ取った勇者は反射的に防御の体勢に移行する。
 しかし勇者の防御をあっさりと潜り抜け―――『伝説の勇者』の剣が勇者の体を切り裂いた。

勇者「あ……」

 勇者は信じられぬといった面持ちで自身の体を見下ろしている。
 その体に刻まれた傷の様相は、まさしく幼少の頃の再現であった。
 鮮血が噴き出し、勇者の体が崩れ落ちた。

戦士「いやあ!!!!」

 戦士が勇者に駆け寄った。
 うつ伏せに倒れた勇者の傍らに膝をついて、戦士は涙に濡れた目で『伝説の勇者』を睨み付ける。

戦士「『伝説の勇者』様……!! どうして…こんな……どうして……!!」

 『伝説の勇者』は戦士から顔を逸らした。
 いや、正確には血を流し続ける己の息子から目を逸らしたのだ。

伝説の勇者「……これでわかっただろう。私にすら及ばぬ者が大魔王に挑んでも、徒に命を散らすだけだ」

 『伝説の勇者』は必死で表情を取り繕い、厳しい視線を戦士に向ける。

伝説の勇者「勇者を担いで『向こう側』に帰れ、戦士。そして二度と魔界に戻ってくるな。人類に出来るのは大魔王の『間引き』が早々に終わるのを願うことだけだ」

 それだけ言い捨てて、『伝説の勇者』は再び戦士と勇者に背を向けた。

戦士「う、うぅ…!」

 ごそごそと戦士が荷物を探る音が聞こえてくる。
 おそらく手持ちの薬草で勇者に応急処置を施すつもりなのだろう。
 つまり戦士は完全に剣を置いたという事だ。もうこちらに向かってくるということはあるまい。
 何とか自分の思惑どおりに事が進み、『伝説の勇者』はほっと胸をなで下ろした。

勇者「……『呪文・大回復』」

 聞こえてきた勇者の言葉に、『伝説の勇者』も戦士も目を見開く。
 『伝説の勇者』は後ろを振り返った。
 勇者の体が仄かに輝きを放っている。
 やがて勇者がのそりとその場に立ちあがった。

伝説の勇者「勇…者……」

 『伝説の勇者』は祈るような気持ちで勇者の動きを注視する。
 勇者はにへら、とその顔に笑みを貼りつけ、精霊剣・湖月を構えた。


420 : 以下、名... - 2016/11/06 01:30:04.03 ZSsiH8ra0 743/829

伝説の勇者「勇者ッ!!!?」

戦士「勇者ッ!!!?」

 『伝説の勇者』と戦士の、悲鳴のような声が重なった。

勇者「何を驚いてんだよ、アンタ……」

 勇者は『伝説の勇者』をせせら笑うように言った。

伝説の勇者「もうよせ! 敵わないのはわかったはずだ!」

 勇者は『伝説の勇者』の言葉に聞く耳など持たず、一歩踏み出した。
 よく見れば、勇者の体は全快などしていない。
 傷は塞がり切らず、ポタポタと零れる血は床の水溜りを広げ続けている。

伝説の勇者「何故お前は……そこまでして……」

勇者「大魔王を倒すのに邪魔な敵が目の前にいる。剣を振るのにこれ以上の理由がいるかい?」

伝説の勇者「俺は!! ……俺は……お前の敵なんかじゃ……!!」

勇者「……くく」

 勇者は笑い出した。

勇者「くく、ははは……あは!! あはははは!!!! ぎゃははははははははははは!!!!!!」

伝説の勇者「勇者……!!」

勇者「あー、傷が痛え。笑わせんなよ親父―――――父さん」

 一転して、勇者の顔から笑みが消える。
 笑みどころか―――勇者の顔からは、あらゆる感情が抜け落ちてしまったようだった。

勇者「もう俺にとってはあなたの存在自体が耐え難い。あなたが息をしているってだけで息苦しい。あなたが生きる世界に同時に生きていくなんて、俺にはもう無理だ」

勇者「――――俺が死ぬか、アンタが死ぬか。どちらかが死ぬことでしか、もうこの話は決着しないんだよ」

 勇者からの剥き出しの敵意を受けて、しかし『伝説の勇者』は逆に覚悟を決めた。

伝説の勇者「……そうだな。わかってもらおうだなんて、許してもらおうだなんておこがましかった。恥知らずにも程があったよ」

 勇者に呼応するように、『伝説の勇者』は剣を構える。

伝説の勇者「次は確実に意識を刈り取る。回復呪文など唱えさせはしない。俺は絶対にお前を救ってみせるぞ、勇者」

勇者「喋んなよ。俺を救うってんなら、黙って今すぐ喉を掻き切ってくれ」


421 : 以下、名... - 2016/11/06 01:30:43.23 ZSsiH8ra0 744/829

戦士「勇者…!」

勇者「悪いけど下がっててくれ戦士。邪魔だ。巻き込まれるぞ」

 勇者は精霊剣・湖月を右手に持った。

勇者「『呪文・大火炎』」

 そして上に掲げた左手から巨大な火球を出現させる。

伝説の勇者(呪文…! 勇者の奴、一体いくつの呪文を習得しているんだ…!)

 一瞬目を見開いた『伝説の勇者』だったが、すぐに冷静になって勇者の生み出した火球の威力を推し量る。

伝説の勇者(成程、大した威力だが……覇王樹によって加護が増大した今ならば、たとえ無防備な所に直撃したとしてもダメージは無い)

伝説の勇者(しかしあれだけの規模の火球だ。ダメージは無くともこちらの視界を塞ぐことは十分可能。ならば何かをされる前に火球に自ら突っ込み、剣風で炎を散らすが最善!!)

 そう決断した『伝説の勇者』がその足に力を込める―――より早く。
 勇者の口は動いていた。

勇者「穿て――――『湖月』」

 右手に持った精霊剣・湖月から水流が迸る。
 そしてその水は勇者の頭上にあった火球に突っ込み、瞬く間に蒸発して大量の蒸気を生んだ。

伝説の勇者「むお…!」

 蒸気に巻かれ、『伝説の勇者』の視界が白く染まる。
 だが視界の制限は形こそ違えど元々予期していたところであったため、『伝説の勇者』に動揺は無い。

伝説の勇者(小癪……!! いくら煙に紛れて近づこうと、いざ剣を振る瞬間には必ずその勢いで蒸気は割れ、勇者は姿を現す。俺が剣を振るのはそれからでいい。たとえ勇者がどれだけ早く攻撃の姿勢に移っていても、それを覆すほどの速度差が今の俺達にはある!)

 『伝説の勇者』は剣を構え、周囲に向かって気を巡らす。
 あらゆる動きを逃さぬよう集中する。
 煙が割れた。
 例えそこに現れたのが勇者ではなく戦士であったとしても、『伝説の勇者』は動揺なく迎撃できる自信があった。


422 : 以下、名... - 2016/11/06 01:31:23.67 ZSsiH8ra0 745/829







 しかしそこに現れたのは勇者の母であった。



 つまり、『伝説の勇者』の妻であった。



 当然に『伝説の勇者』の剣は止まった。




 突然そこに現れた、『伝説の勇者』の妻であり勇者の母であるその女性は、その手に持った精霊剣・湖月の蒼い刃で『伝説の勇者』の胸を切り裂いた。




423 : 以下、名... - 2016/11/06 01:32:24.70 ZSsiH8ra0 746/829

伝説の勇者「が、は……! ば、か…な……これは…一体どういう……」

 仰向けに崩れ落ちた『伝説の勇者』は必死で首を持ちあげ、自身の妻であった女性に目を向ける。
 その目の前で、その女性の体から煙が噴き出し、やがて煙の中から勇者が姿を現した。
 『変化の杖』。
 持って念じるだけで、イメージした人物に化けることが出来るマジックアイテム。
 何しろ自分の母親だ。その姿を寸分違わずイメージすることは容易であった。

伝説の勇者「勇者…!! き、さま……何という……!!」

 伝説の勇者は激高し、勇者に掴みかかろうともがくが、体はちっとも言う事を聞かず寝返りを打つように僅かに身じろぎ出来ただけだった。

伝説の勇者「し、死ぬのか……俺は、ここで死ぬのか……!?」

 どくどくと『伝説の勇者』の胸の傷からは血が溢れ続けている。
 どんどんと自分の体が冷たくなっていくのを、『伝説の勇者』は自覚した。

伝説の勇者「あ、あぁ…あぁぁああああぁぁぁぁあああああ!!!!!! い、嫌だ!! 怖い!! 死にたくないぃぃ…!!」

 戦士はぎゅう、と己の胸の辺りで拳を握りしめた。
 勇者はあくまで無表情で己の父の姿を見下ろしている。
 二人とも、今『伝説の勇者』が味わっている死の感覚を知っている。
 それがどれ程の恐怖なのか、勇者も戦士も身をもって知っているのだ。

伝説の勇者「ゆ、勇者……頼む……助けてくれ……」

 青白くなった顔で、『伝説の勇者』は途切れがちにそう口にした。
 ぴくり、と勇者の指が震える。

伝説の勇者「もうお前の邪魔はしない……共に大魔王に立ち向かうと誓う……だからどうか……助けてくれ……」

 今まさに死にゆく父の、必死の命乞いを目の前にして、遂に勇者の感情が揺れた。
 眉根にはっきりと皺を寄せ、勇者の顔には苦渋の色がありありと浮かびでている。

伝説の勇者「頼む……どう、か……勇、者………」

勇者「う…あ…」

 勇者は思わずその手のひらを父に向かって開いた。
 あとは回復のための呪文を唱えてやれば、父は一命を取り留めることが出来るだろう。
 しかし勇者は開いた手を閉じた。
 そして代わりに精霊剣・湖月を手に取り、父に向かって高々と掲げて見せた。
 せめて苦しみを長引かせることなく一瞬で――――そう考えた上での勇者の行動であった。
 そんな勇者の姿に気付いた『伝説の勇者』の表情は、まさしく絶望と、そう表するに相応しいものだった。


424 : 以下、名... - 2016/11/06 01:33:23.66 ZSsiH8ra0 747/829

伝説の勇者「あ、あぁぁぁあああああ!!!!!! いやだ!! いやだ!! いやだぁぁぁああああぁぁぁあああ!!!!!!!」


 ただただ悲痛に叫び、ぼろぼろと涙を零すその姿に、もはや伝説に謳われるような威厳など欠片も無い。


伝説の勇者「あぁ、すまない…!! すまない××××……!! すまない……!!」


 『伝説の勇者』の口から勇者の知らない名前が飛び出した。
 もしかしたら試験都市フィルストにいた魔族の母の名前かもしれない。


伝説の勇者「ごめんな××××…ごめん、ごめんよ……!!」


 また勇者の知らない名前だった。
 もしかしたら、仲睦まじく手を繋いでいた魔族の娘の名前かもしれない。


伝説の勇者「すまなかった……○○○○……俺は、俺は……君を……」


 今度は勇者の知っている名前だった。
 それは勇者の母であり、彼の妻であった女性の名前だった。


伝説の勇者「勇者……はぁ……勇者……」


 遂に彼は勇者の名を呼んだ。
 勇者は剣を掲げたまま、思わず彼の言葉の先を待ってしまう。


425 : 以下、名... - 2016/11/06 01:34:06.43 ZSsiH8ra0 748/829










伝説の勇者「………勇者…………よくも……」









426 : 以下、名... - 2016/11/06 01:34:36.18 ZSsiH8ra0 749/829
















 ガァン、と勇者の剣が床を叩く音が響き、ごろりと『伝説の勇者』の首が転がった。





427 : 以下、名... - 2016/11/06 01:35:12.69 ZSsiH8ra0 750/829







 『伝説の勇者』の死体から溢れ出た精霊加護が勇者の体へと移っていく。


 勇者は『伝説の勇者』の加護を継承した。





428 : 以下、名... - 2016/11/06 01:36:03.99 ZSsiH8ra0 751/829

 大広間の虚空に突如暗闇が生まれた。

 その暗闇から、ゆっくりと一人の男が姿を現す。

 それが誰かなど、問うまでもない。


大魔王「加護継承の例外だと…? まさかそんな厄介な現象が存在するとはな」


 大魔王が、魔界の民から神とまで崇められた怪物が再び大広間に降り立つ。

 しかしその顔からは先ほどまでの余裕は全く消え失せていた。







第三十四章  『伝説の勇者』、その結末  完






547 : 以下、名... - 2017/06/25 16:05:30.63 dyU/3Fo20 753/829

『「伝説の勇者」の伝説は我が子によって首を刎ねられて終わりを迎えた。ふむ、なんとも痛ましいものだ。己が父の首を刎ねた時、君は一体何を思った?』

「特に、何も」

『強い覚悟をもって事に臨んでいたということかな。何が起きても心が揺らがぬよう、君は心を決めていた』

「いいや、違う。そんなんじゃない。ただ、本当にどうでもよかった。俺は、どちらでもよかったんだ」

『どちらでも、とは?』

「勝っても負けても、どちらでもいいということさ。親父が大魔王の手先として剣を取り、俺の前に立ちふさがった時点で、俺と親父のどちらかが死ぬことは決まってしまった」

「親父にそんな意図は全くなかっただろう。あの臆病なお人よしは、あの場に及んでさえ俺との間に平和的な解決があるものと、きっとそう考えていた」

「あいつは、何も知らなかったから」

「この世に『加護の継承の例外』なんてものが存在することを知らなかったから」

「迂闊にも、その時俺は運命というものを信じてしまいそうになったよ」

「俺は知っていた。知ってしまっていた。その現象を、騎士に教えてもらっていた」

「知っていたから、自暴自棄というのかな、もうどうなってもいいと思ってしまっていた。ああ、誤解はしないでほしい。どうでもよくなったのは、自分の命に関してだけだ。『伝説の勇者の息子』としての使命は、変わらずこの胸に抱いていたさ」

「俺が死んでも、親父が死んでも、その加護は生き残った方に集中する。たとえ親父が生き残ったとしても、流石に俺の力をまるごと継承すればもう一度大魔王に挑もうという気概も沸くはずだ。俺はそう思った」

「……結果は知っての通りさ。俺は親父の首を断ち、その加護を、つまりはあんたの加護を丸ごと継承した。死んでも構わんと捨て身でかかる俺と、何とか俺を殺さず無力化しようと手加減していた親父じゃ、この結果も当然と言えるのかもしれないが」

『しかし、君は父の死に対して随分と淡泊な印象を受ける。普通の人間ならば、自らの手で父を殺めたことをもっと気に病みそうなものだが』

「あの親父のせいで今まで散々苦労を背負わされてきて、それでいて魔界であんな手酷い裏切りを受けたんだ。親子の情なんてきれいさっぱり無くなっちまうさ」

『「伝説の勇者」の責務も何もかもを放り投げ、魔界で隠遁していたという話か。なるほど確かに、これはひどい話だ。捨てられた本人である君が憤るのも理解できる』

『しかし、そんな彼の心情を最もよく理解できるのもまた、君なのではないかな?』

「……はあ?」

『彼は「伝説の勇者」としてその身に大きな使命を背負っていた。世界中の期待を一身に請け負っていた。それはどれ程の苦悩であったことか。それを、諦めていいのだと、そう思った時に彼が覚えたであろう安堵の気持ち……君こそが、一番わかってあげられるのではないか?』

「冗談はやめてくれ。俺とあいつは全然違う。そりゃ、『伝説の勇者』の名前の重圧に、皆の期待に雁字搦めにされていたってのは一緒なのかもしれないが、それでも」

「あいつは、望んでそうなった。何でもなかった一青年から、本人の意思で『伝説の勇者』になったんだ」

「俺は違う。俺は生まれた時から『伝説の勇者の息子』だった。俺に自身の在り方を選択する余地なんてなかった」

『周囲の期待も何もかもを投げ捨てて生きるという選択肢もあったはずだ。現にそうして生きた青年がいたことを君は知っている。「伝説の勇者の息子」としての人生を全うすると選択したのは、まぎれもなく君の意思であったはずだ』

「………」

『責めているわけではない。君がそういう人間であるということを改めて確認しただけだ』

『自己犠牲を嫌いながら、それでも他者を優先してしまう善性の塊。極めて特異な「勇気ある者」』

『実に、実に興味深い』

『さあ、もっと聞かせてくれ』



『「伝説の勇者」の息子―――――――勇者。君の物語を』



548 : 以下、名... - 2017/06/25 16:06:22.42 dyU/3Fo20 754/829










     最終章











549 : 以下、名... - 2017/06/25 16:06:57.96 dyU/3Fo20 755/829

 爆ぜる衝撃が戦士の頬を撫でた。
 勇者の体を中心に荒れ狂う嵐が『大魔王の間』の広大な空間を切り裂いていく。

勇者「『呪文・極大烈風』」

 勇者の魔力によって生み出された風の塊は、まるでそれ自身が意思を持つかのように唸りをあげ、その様相は風でかたどられた龍の姿を幻視させた。
 荒れ狂う暴風の龍は勇者の指さす先、大魔王へと襲いかかる。

大魔王「風刃(ふうじん)」

 大魔王がその腕を振るうとまるで巨大な獣の爪に引き裂かれたように風の龍の体は千切れ飛んだ。

勇者「『呪文・極大火炎』」

 間髪入れずに勇者は次なる呪文を紡ぐ。
 極大火炎の名のもとに生み出された火球はまるで太陽が地上に顕現したかのようで、並の者ならば直撃を受けるまでもなくただその場に居るだけで焼け溶けていただろう。

大魔王「虚空(こくう)」

 大魔王の手から放たれた暗闇が極大火炎を飲み込んだ。
 火球の放つ光と熱に照らされていた『大魔王の間』に一瞬の静寂が訪れる。

勇者「『呪文・――――極大雷撃』!!!!」

 轟音と烈光が静寂を引き裂いた。
 突如現れ瞬時に部屋全体を蹂躙した雷光は、流石の大魔王といえども完全に躱しきることは叶わなかった。
 端が焼け焦げたマントを払い、大魔王は勇者を睨め付ける。
 勇者と大魔王、二人の戦いに戦士はただただ圧倒されていた。
 勇者の放つ魔法は人知を超えた威力で、大魔王城が今も形を保っていることが奇跡に思えるほどだ。
 しかしそれを、大魔王は事も無げにいなしている。
 がり、と戦士は奥歯を強く噛みしめる。
 レベルの違いを痛感した。
 この二人の戦いに、自分の力量では割って入ることは叶わない。
 これはもはや――――神々の領域の戦いだ。

勇者「戦士。大魔王の相手は俺に任せて、君は先に城を離れるんだ」

 いつの間にかすぐ傍まで戻ってきていた勇者の言葉に、しかし戦士は首を振った。

戦士「いやだ。誰がお前を一人で戦わせるものか。私はずっとお前の傍にいる」

 勇者は困ったような笑いを見せた。
 戦士とてわかっている。
 この局面において、自分はもうただの足手まといにしかならない。
 それでも、今の勇者を。
 父をその手にかけ、深く―――とても深く傷心しているだろう勇者を一人にすることは耐え難かった。
 ――――それでも。

戦士(私がここにいれば、巻き込むことを恐れて勇者は本気を出せない。それに、大魔王のあの得体のしれない術に私が捕まれば、人質として利用されてしまう可能性すらある)

 そんな戦況も、戦士にはよく理解できていた。
 嫌だ嫌だと喚く自分の感情に蓋をする。
 たまらず涙が込み上げてきた。
 弱い自分に、この一番大事な時に、大切な人の傍に立てない自分の弱さにはらわたが煮えくり返る思いだった。
 ぐっ、と戦士は爆発しそうになる感情をこらえ、こぼれそうになっていた涙をぬぐう。

戦士「勇者、約束しろ。―――――必ず、絶対に戻ってこい」

勇者「ああ。わかったよ。約束する。必ず戻るよ、戦士」

 戦士はその場を立ち去ろうとして踏みとどまり、床に転がっていた『伝説の勇者』の首を胸に抱え上げて駆け出した。
 勇者は戦士が『大魔王の間』から出て行ったことを横目で確認し、大魔王へと向き直る。

勇者「随分と素直に行かせるんだな」

大魔王「お前を刺激するような真似はせんよ。俺たちにはまだ交渉の余地がある。そうだろう?」

550 : 以下、名... - 2017/06/25 16:07:35.39 dyU/3Fo20 756/829

 大魔王は勇者に問う。

大魔王「なあ、勇者。俺のやっていることは悪か? 俺がこの胸に抱き、叶えたいと望む願いは断罪されるべきものなのか?」

大魔王「だって、見てみろよ。この魔界の荒れ果てた様を。新たな命など芽吹くはずもない荒涼とした大地を。こんなの、誰が見たってこう思うだろう」

大魔王「『何とかしなきゃ』、と」

大魔王「後に生きる者のため、健全な世界を残したいと思うのは、今を生きる者として当然の感情だ。いや、もはや義務と言ってしまってもいい」

大魔王「だから俺は行動を起こした。確かにお前たちの世界に迷惑をかけていることは認めよう。しかし俺たちには他に手段が無かったのだ」

大魔王「……あと少しなのだ。あと少しで俺の魔界再生計画は成る。頼む、勇者。異なる世界に生きようとも、俺たちの根底にある思いは同じのはずだ」

大魔王「『皆が幸せになる世界を作る』―――――俺たちは、手を取り合って共存できるはずだ。それともお前は、それでも俺たちを否定するのか。一匹残らず滅び絶えろと、俺たちにそう言うのか。勇者よ」

 大魔王の言葉を受けて、勇者はしばし目を瞑り、それから大きく息を吐いた。
 そして、勇者は口元に笑みを形作る。

勇者「そうやって、親父も丸め込んだのか?」

 なるほどな、と勇者は愉快そうに呟いた。
 そして、勇者は大魔王に返答する。

勇者「確かにお前は間違っちゃいないよ、大魔王。お前のその思いは当然だ。お前の立場なら、自分の世界を救いたいと願うのはひどく真っ当な感情だ」

勇者「だけどな、やり方が悪いよ。わかるぜ? 人の家の庭を見て、芝が青いなと憧れるのは、羨ましがるのはしょうがねえ。でも、だからって、テメエんとこの庭のゴミをこっちに投げ込まれちゃたまったもんじゃないんだよ」

勇者「どんなに綺麗ごとを並べても、お前がやってることってのは結局そういうことなんだ。 そりゃゴミを投げ込まれた俺たちはキレるだろ? それをなんだ? 『あと少しでこっち側も綺麗になるんですからあとちょっとだけ辛抱してくださいよ』って? 馬鹿言ってんじゃねえよ」

勇者「お前たちは自分たちが生きるために俺たちを犠牲にしようとした。だから俺たちは反撃した。それだけのことだろうが。どれだけ高尚な言葉を並べ立てようと―――つまるところ、これはただの生存競争。望む結果を得たいなら――――それに反発する俺たちを駆逐してみせろ」


551 : 以下、名... - 2017/06/25 16:08:33.42 dyU/3Fo20 757/829


 戦士は大魔王城を脱出し、城の南西に位置する小高い丘の上にいた。
 ある程度の距離が離れたこの場所にまで伝わってくる大地の鳴動が戦いの激しさを戦士に伝えている。
 光の柱が大魔王城の壁を突き破って噴出した。
 勇者の呪文・極大雷撃だ。

戦士「勇者……」

 戦士は祈るようにその手を胸の前で握りしめ、ただ勇者の無事を願った。


552 : 以下、名... - 2017/06/25 16:09:15.92 dyU/3Fo20 758/829

 勇者が大魔王に肉薄し、剣を振る。
 一度、二度――――三度、四度、五度。
 絶え間なく繰り出される連撃を、大魔王はその腕で打ち払う。
 大魔王の腕は理外の強度を誇り、今の勇者の剣をすら両断されることなく受け止めている。
 衝突、衝突。そのたびに巻き起こる空気の爆裂とそれに伴う轟音。
 大振りになった大魔王の腕をかいくぐり、勇者が懐に入り込む。

大魔王「ぬう!?」

 大魔王は勇者と自分の間に、空間転移魔法・虚空を発動させる。
 だが間に合わない。
 『暗闇』が生じた時にはすでに勇者の剣はその場所を通り抜け、大魔王の体に迫っていた。

大魔王「ぬがぁ!!」

 大魔王は慌てて勇者の剣を右腕で防御する。
 肘のやや下あたりに勇者の剣がめり込んだ。

勇者「はああ!!」

 これを機と見た勇者の全霊の剣。
 いかに強固な大魔王の腕といえども受け止めきれるものではなく、その刃はずぶずぶと肉と骨を裂き進んでいく。
 ズバン! と勇者の剣が振り切られ、大魔王の右腕が宙を舞った。
 勇者は即座に剣を切り返し、続けざまに大魔王の首を狙う。
 ぞくり、と勇者の背に怖気が走った。
 勇者の第六感が危機を告げている。
 よく目を凝らせば、宙を舞う腕に大魔王の体から魔力の糸が伸びていた。
 直後、大魔王の右腕から四方八方に槍のような刃が飛び出した。
 勇者は身をかわし、心臓と頭への直撃はまぬがれたものの、左肩と両足を貫かれてしまう。

勇者「ぬ…ぐ…!!」

 勇者は大魔王から距離をとり、己に刺さった刃を剣で叩き折った。
 大魔王の右腕はもう元の形に戻っており、床に転がっている。
 眼前に立つ大魔王。その腕の切断面からは血液が零れる気配がない。

勇者「その手……義手か。道理で、馬鹿みたいに固いわけだ」

大魔王「ふん。してやったり、と高笑いのひとつでもしてやりたいものだが」

 勇者に一杯食わせたはずの大魔王の表情は渋い。

勇者「『呪文・極大回復』」

 その理由は、先ほどから負ったダメージを瞬く間に治してしまう勇者の治癒呪文にあった。
 今しがた負わせた肩と両足の傷も、綺麗さっぱりと無くなってしまう。
 その様子に、大魔王は歯噛みした。

大魔王(……これ程とは、な)

 攻撃力や防御力、或いは魔力―――両者の単純な戦闘能力は互角といっていい。
 しかしながらその力を活かす戦闘技術において、勇者と大魔王の間には雲泥の差があった。
 それは常に格上を相手にしてきた勇者と、常に君臨してきた大魔王との経験値の差。
 大魔王は、これ程実力が伯仲した相手との戦いになると、己の空間魔法が全く戦闘の役に立たなくなることを知った。
 ひとつの暗闇を生み出す間に、10も20も攻撃が飛んでくるのだ。それだけの速度差があっては、空間魔法を攻撃や防御に利用できるはずもない。
 大魔王ははっきりと自覚した。

大魔王(認めざるをえまい……勇者の力は、すでに俺を上回っている……!!)



553 : 以下、名... - 2017/06/25 16:10:39.90 dyU/3Fo20 759/829

 大魔王は戦闘態勢を解き、再度勇者に語り掛けた。

大魔王「勇者よ……これが最後だ。今一度問う。剣を収める気はないか?」

大魔王「このままだと、俺は奥の手を使わなくてはならなくなる。これをしてしまうと、俺もお前も絶対にただではすまん。そうなる前に、平和的解決を模索したいのだ、俺は」

勇者「下手な脅しだな。まあいい。言ってみろよ、お前なりの折衷案ってやつを」

大魔王「これ以上お前の世界を侵攻することはしない。その代わり、俺の強権をもって、あらゆる不平不満を鏖殺して魔物を一つ所に集めるから、そ奴らをお前の手で始末してほしいのだ」

勇者「もうなりふり構わず有害な魔物を駆除してしまおうって腹か。別にやってやってもいいが、それだと巨大な毒沼が俺たちの世界に出来上がってしまう。やるなら魔界でだ」

大魔王「……それは出来ん。血気盛んな魔物を一つ所に集めるためには、全軍総突撃のためという大義名分がいる。その為にはお前の世界でなくてはならぬ。集合地を魔界にすれば、それは全軍退却の意味を孕んでしまう。それでは奴らは聞かんのだ」

勇者「なら交渉は決裂だ。魔界のゴミをこちらが引き受けてやる義理はない」

大魔王「そうか……ならば……やむをえん、な……」

 大魔王は残った左腕を前に向かって掲げた。
 勇者は油断なく剣を構え、大魔王の様子を注視する。
 何か妙な動きがあれば、即座に首を切り飛ばしにかかるつもりであった。



大魔王「『奈落(ならく)』」



554 : 以下、名... - 2017/06/25 16:11:45.38 dyU/3Fo20 760/829

 唐突であった。
 ほんの僅か、ほんの数ミリほど、大魔王の左手の先に暗闇が生じた瞬間。
 大魔王の左腕がもぎ取られ、その穴に吸い込まれていった。

大魔王「ぬ、ぐ…!!」

勇者「な、あ…!?」

 目の前で起きた現象に理解が追い付かず、逡巡した一瞬の間に、その穴は拡大した。
 今までに生じた暗闇とは違う。
 あらゆるものを飲み込まんと口を開けたその穴は、凄まじい吸引力で周囲にあるものを吸い込んでいく。
 勇者は咄嗟に床に剣を突き立て、吸い込まれないように踏ん張った。

大魔王「かつて、空間魔法の能力を自覚したばかりの俺は、とにかくいろんな世界に穴をあけてはその世界の様子を見てまわっていた。ある時だ。いつものように適当に世界を繋げた瞬間、俺は両腕を持っていかれた」

大魔王「あらゆるものを飲み込む深淵の闇。そんな世界がどうやらどこかには存在していたようなのだ。あらゆる命の存在を許さぬ暗黒空間。さしずめ、ブラック・ホールとでもいうべきか。その時はとにかく必死で門を閉じて、両腕の犠牲だけで済んだのだが」

 大魔王は地に伏せ、必死で『奈落』の吸引に抗っている。
 両腕を失くし、それでもなお地面にしがみつく。
 如何にしてそんな芸当を可能にしているのか―――その秘密は床にあった。
 いつの間にか、床の一部が突出しており、触手のように大魔王の体に巻き付いていた。

大魔王「先ほど見せたように、俺の義手は特別製だ。俺の魔力に反応し、任意にその形を変えることが出来る。そしてだな、実はこの大魔王城も同じ材質で出来ているのだ。俺の魔力が通っている間は途轍もなく頑丈になるし―――こんな芸当だって、可能になる」

 大魔王が嗤った。
 大魔王の体から発せられた魔力に反応し、勇者の足元の床が輝く。
 剣を突き立てて踏ん張る勇者の足元が爆砕し、勇者の体が宙に投げ出された。

勇者「な、に…!?」

大魔王「さよならだ、勇者。出来ることなら分かり合いたかったぜ」

 宙に浮いてしまっては、どんなに強大な力を持っていようと踏ん張ることは出来ない。
 虚空を泳ぐように手足をばたつかせたって、『奈落』の吸引に抗うだけの推進力を得られるわけもない。
 だというのに、勇者は笑った。
 こんな状況もまた、勇者にとっては慣れっこのものだった。

勇者「『呪文・極大烈風』!!!!」

 勇者は己の体に風をぶつけ、空中での推進力を得る。
 これは勇者が今まで好んでよく使っていた戦法だった。
 しかして呪文の威力はこれまでとは比にならず。
 その威を得た勇者はもはや一筋の流星となって大魔王の元へと突進する。

大魔王「なに!?」

 驚愕する大魔王。着弾する流星。
 大魔王の体を支えていた床は爆散し、大魔王の体が宙に投げ出される。
 その体を、勇者が両腕でがっしりと拘束した。

勇者「行くなら一緒に行こうぜ。奈落の底ってやつによ」

 勇者と大魔王は二人して宙を舞い、『奈落』に向かって吸い込まれていく。
 両腕を失くした大魔王に、勇者の体を振りほどく術はない。
 この状況では、如何に床から体を繋ぎとめるための楔を伸ばそうと、勇者によって切り離されてしまうだろう。

大魔王「ぬああ!!」

 大魔王は慌てて『奈落』を閉じた。
 『奈落』の吸引によって宙を舞っていた大魔王の体は落ち、背中を強か地面に打ち付けた。

大魔王「ぐ…ぬ…」

 苦痛に顔を歪める大魔王。
 ごほっ、とひとつ咳をして、大魔王は咄嗟に閉じてしまっていた目を見開いた。


 ―――大魔王の目に飛び込んできた光景は、自身に跨って剣を振りかぶる勇者の姿だった。


555 : 以下、名... - 2017/06/25 16:12:26.58 dyU/3Fo20 761/829

 ドスン、と肉を裂く音がする。
 大魔王の心臓を、勇者の剣が貫いていた。
 がふ、と大魔王は血の塊を吐き出す。

大魔王「…そうか……」

 大魔王はぼぅ、と視線を虚空に彷徨わせ、呟いた。
 しかしその後には再び爛と目を輝かせ、にやりと笑ってしっかりと勇者の顔を見据える。

大魔王「お前の勝ちだ、勇者。俺はもう死ぬ。俺の魔界再生の夢は儚くもここで志半ばに散るというわけだ。はっはっは。あっはっはっは!!」

 大魔王が背にしていた床が輝いた。
 ボン! と音を立てて飛び出した鎖が勇者の体を絡めとる。

大魔王「先ほども言ったがこの城は俺の魔力でその形を自由に変える。つまり、『壊すのも自由というわけだ』。俺の夢を、魔界の未来を潰したお前だけは絶対に生かして帰さん。ここで潰れて死ね、勇者。俺と共に」

 大魔王の背から伸びる光が、城中に広がっていく。
 それはまるで、波にさらされた砂の城に罅が刻まれていくように。






大魔王「奈落の底まで付き合ってくれると、そう言ったよな? 勇者」














 勇者を待ち続ける戦士の目の前で、大魔王城が崩落する。


 ―――――戦士は勇者の名を絶叫した。


556 : 以下、名... - 2017/06/25 16:13:14.79 dyU/3Fo20 762/829

 時を大魔王城完全崩壊の直前に巻き戻す。
 勇者は大魔王の拘束を解き、出口に向かって城内を駆けていた。
 振動は絶え間なく続き、頭上からは次々と巨大な瓦礫が降り注いでくる。
 その内のひとつが勇者の体を直撃した。
 しかし勇者はあっさりとその瓦礫をひっくり返して立ち上がり、再び駆け出す。

勇者「崩壊するまであと十数秒ってところか……」

 そう呟く勇者の顔に焦りは無い。
 それは例え脱出が間に合わず、崩壊に巻き込まれようと、先ほど瓦礫を押しのけたように簡単に生還できることが分かっているからだ。
 そこで、勇者ははたと気づいた。

勇者(……大魔王は、どうしてこんな真似をした?)

 大魔王の最後の様子を見れば、なるほど確かに、狂乱の果てにこんな自爆紛いのことをしたのも納得できる。
 しかし、本当にそうなのだろうか?
 大魔王は賢しい。この程度では今の勇者にダメージを与えられないことなど、百も承知のはずだ。
 あの男が、こんな無意味な真似をするものだろうか?
 死の際に乱心したのだと結論付けるのは簡単だ。
 だがもし、そうではないとしたら?
 この行動にも、れっきとした意味があるとしたら?
 城を崩壊させたのは、勇者の命を奪うためではないことは明白。
 だとしたら、他にどんな理由が―――――
 勇者は踵を返し、再び大魔王城の奥へと舞い戻った。
 直後に大魔王城は崩落し、勇者の姿は瓦礫の中に消えた。


557 : 以下、名... - 2017/06/25 16:14:07.37 dyU/3Fo20 763/829

 ―――――全壊したはずの大魔王城において、ひとつだけ傷ひとつ入っていない部屋があった。
 室内には円柱形の水槽が三本立っており、それぞれに魔王と同じ姿をした魔物が浮かんでいる。
 壁際の本棚には手垢で汚れた様々な書物がみっちりと並んでおり、その中には勇者の世界の言語で記された物もあった。
 たくさんの資料が綴られた分厚い冊子を片手に、魔王のサンプルを観察する少女がいた。
 ゆるくウェーブがかった黒髪を肩甲骨の辺りまで伸ばしている。
 その額の両端からぴょこんと小さな角が二本飛び出していること以外は、その見た目に人間との大きな差異は見当たらなかった。
 年の頃は、人間でいえば12~3歳といったところか。
 部屋の入口のドアが開き、入ってきた者の姿を見て、少女は驚きに目を見開いた。

「お父様!!」

 部屋に入ってきたのは、血にまみれた大魔王だった。

大魔王「娘よ、すぐに室内の資料を持ち出す準備をせよ。上の城を崩壊させた。ここはもう研究室として機能できん」

 娘はまず、何より目についた大魔王の傷―――無くなった両腕を補うため、新しい義手を部屋の奥から持ち出してきた。

「一体何があったのですか?」

 義手を大魔王に取り付けながら、娘は問う。

大魔王「勇者だ。俺たちの理想郷に住む人間たちの代表。奴にやられた」

「信じられません……神の如き力を持つお父様を凌駕する人間がいるなど……」

大魔王「しかし事実だ。くそ…『伝説の勇者』と奴を接触させたのが最大の間違いだった。まさかこんなことになるとは……これで、計画は10年単位で遅れてしまうぞ」





「いや――――やっぱりここで終わりなんだよ。その計画は」




558 : 以下、名... - 2017/06/25 16:15:03.51 dyU/3Fo20 764/829

 室内に響く、もう一人の男の声。
 大魔王の顔が凍り付いた。
 大魔王が恐る恐る部屋の入り口に目を向けると――――そこには、勇者が立っていた。

勇者「お前が城を崩落させた意味を考えた」

 一歩、勇者は歩みを進める。

勇者「俺を殺すためじゃない。であれば、考えられるのは俺をあの場から離れさせるため。ならば、俺をあの場から離れさせる理由は? 可能性として考えられるのは、俺にあの部屋から奥に進んでほしくなかったから」

 さらに一歩。
 大魔王の肩が震えだした。

勇者「お前があんなはったりをかましてまで守りたいもの。それは何かを考えた。候補として浮かんだのは研究成果。試験都市フィルストを造り上げた、魔界再生のための叡智の結晶。そういうものが、残っているんだと考えた」

 さらに一歩。
 勇者は遂に大魔王とその娘の眼前に。

勇者「だけど、そんなもんじゃなかったな――――成程、受け継ぐ者がいたって訳だ」

大魔王「ま、待て!! 待ってくれ!!!!」

 大魔王は激しく狼狽した。
 大魔王の視線は勇者の持つ剣に釘付けになっている。

大魔王「わかった!! 終わりだ!! 全ての計画は棄却する!! 二度とお前たちの世界には関わらない!! お前たちの世界に残っている魔物たちも責任をもって俺が全て処理する!! だから―――」

 大魔王は地面に膝をつき、首を垂れた。

大魔王「だから……娘の命だけは助けてくれ……」

「お父様…!」

大魔王「何も言うな。頼む、勇者……この通りだ……」

 しばしの沈黙が部屋に満ちる。
 チャキ、と勇者が剣を揺らす音が響いた。
 大魔王はぎくりと肩を震わせる。

大魔王「待て!! 待ってくれ!! 勇者!!!!」

勇者「聞けないよ、大魔王。お前の娘、ばっちりお前の助手やってますって感じだ。お前の計画の理念も骨子も理解できているものだと、そう判断せざるを得ない。であれば、お前の娘を見逃すことは後に大きな禍根を残すことになる」

大魔王「誓う!! 絶対に娘には計画を受け継がせない!! この研究室も今からお前の目の前で破壊する!!」

勇者「駄目だ。大魔王再誕の可能性は万に一つも残せない。お前の娘は見逃せない」

大魔王「が…か…!」

 大魔王は思案する。何とか異世界への扉を開き、娘だけでも逃がすことは出来ないか。
 駄目だ。勇者の速度は身に染みてわかっている。
 異世界への穴が開き切る前に、勇者の剣は娘の喉元を切り裂くだろう。
 煩悶の末に、大魔王の目尻から一筋の涙が零れ落ちた。
 大魔王はその顔に慈愛に満ちた笑みを浮かべ、娘の頭にぽんと手を置いた。

「お父様……?」

大魔王「事ここに至ってはもはやお前の命だけが全てだ。ただお前が生きてさえいれば、俺はそれでいい。苦労ばかりかけたな。すまなかった」

「お父様、まさか!!」

大魔王「全てを忘れ、人として生きよ。愛しているぞ、娘よ」

 バヂン、と電気が流れたように、娘の体が跳ねた。
 大魔王が娘の頭から手を離す。
 虚ろな顔でしばらく虚空に視線を彷徨わせていた娘だったが、やがて目の焦点が合うとキョトンと首を傾げた。

「あーうー?」

 まるで赤子のような声を発しながら、娘は部屋中を見回している。

大魔王「見ての通りだ」

 大魔王は憔悴した笑みを浮かべ、言った。

大魔王「俺が他の生物の脳に干渉できるという話はしたな。今、俺は娘から全ての記憶を奪った。この子はもはや言葉を発することすら叶わぬただの赤子だ。俺の跡を継ぐことなど出来ようはずもない」

 大魔王は指先を娘の鼻先に近づけ、くるくると回してみせた。
 娘は不思議そうにその指の動きを目で追って、やがてきゃっきゃと笑い声をあげた。
 大魔王は目を細める。穏やかなその顔は、かつての幼い娘との日々を思い返しているのかもしれない。

大魔王「だから勇者、あらためて頼む。俺の首は自由に持っていけ。だが、哀れなこの子の命だけは、見逃してやってほしい」

559 : 以下、名... - 2017/06/25 16:16:17.64 dyU/3Fo20 765/829

 ――――沈黙。
 長い、とても長い沈黙があった。
 やがて、勇者が口を開く。伏せられたその顔からは、表情が読み取れない。

勇者「……そうだな。確かに、もうその子がお前の計画を継ぐなんてことは無理なんだろう。俺たちの世界に連れ帰り、人として育てれば、魔界なんて世界があることさえ知ることなく生きていくことも出来るかもしれない」

 勇者が顔を上げた。
 勇者の顔には笑みが浮かんでいた。
 だけどもそれは、とても寂しくて、大事な何かを諦めてしまったような、そんな力の無い笑みだった。



勇者「だけどな――――それでもゼロじゃない。いつかその子は何かのきっかけで記憶を取り戻して、俺たちの世界に牙をむくかもしれない。そんな可能性が万が一にも存在している以上――――この子を見逃すことは出来ないんだよ、大魔王」



 大魔王の顔が凍り付く。
 勇者が一歩を踏み出した。

大魔王「うおあああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

 奇声を発し、半狂乱で暗闇を発動させる大魔王。
 そして、娘の手を引き、その暗闇に押し込もうとして――――ごとり、と大魔王の首が地面に転がった。
 一拍遅れて噴き出した鮮血が娘の頬を濡らす。

「うゆ?」

 どさりと大魔王の体が崩れ落ちた。
 首を失くし、地面に血の水たまりを広げ続ける己の父の姿を、娘は不思議そうに見つめている。
 勇者は振り切った剣をもう一度構えなおした。
 娘が勇者の気配に気付く。キョトンと目を丸くし、首を傾げながら娘は勇者の顔を見上げている。
 剣を振りかぶる勇者の姿を見ても、娘は逃げようとしない。

「あう。うー! うー!」

 娘は勇者に向かって両手を伸ばした。
 まるで、抱っこをせがむ赤子のように。
 勇者の目から大粒の涙がこぼれた。







 そして勇者は剣を下ろした。




560 : 以下、名... - 2017/06/25 16:17:12.36 dyU/3Fo20 766/829

 ―――――試験都市フィルスト。

 勇者の実家を模した家の中で、魔族の娘が窓越しに空を見上げている。
 物憂げなその表情からは、彼女が己の父―――『伝説の勇者』の安否を心配していることが容易に読み取れた。
 はぁ、と魔族の娘は大きなため息をつく。
 どうしてこうなってしまったのだろう。本当なら今頃は、家族三人で仲良くピクニックに行っているはずだったのに。
 自分が初めて作ったお弁当を、自慢気に父に披露するつもりだったのに。

「お父さんのことが心配?」

 かけられた声に振り向く。
 いつの間にか、母が部屋の中に入ってきていた。

魔族娘「心配だよ。パパ、すごく怖い顔してた。あんな物々しい格好までして…」

魔族母「大丈夫よ。あの人はとても強いもの」

 母は娘を抱き寄せ、安心させるようにその背を撫でる。

魔族母「あの人は大魔王様と戦い、それでも生き残った唯一の人。敵であったはずの私達を慮って剣を振れなくなった優しい人。本当はもう戦いたくなんてないのに、誰かの命を救うためにもう一度立ち上がった勇気ある人―――『勇者』、なんだから」

 娘は母に背を預け、ふうと息をつく。

魔族娘「……パパが助けに行ったあいつ。あいつも、パパの子供なの?」

魔族母「そう……そうね。そのようだわ」

魔族娘「ママは知ってたの? パパに他の子供がいるってこと」

魔族母「知っていたわ。それでも、ママはパパを愛した。戦いに傷つき、魔界と自分の世界との間で葛藤するあの人を救ってあげたかった」

 魔族の母は、かつて大魔王との戦いに敗れ瀕死となった『伝説の勇者』の世話役として、彼と共に過ごした日々に思いをはせる。
 『伝説の勇者』はずっと自分を責めていた。ずっとずっと誰かに謝っていた。
 その姿を見て、胸が締め付けられるような切なさを感じた。
 キュンと締め付けられた胸の熱は庇護欲をそそり、母性を刺激し、やがて大いなる愛情となった。
 ほう、と魔族の母は熱のこもった息を吐く。

魔族母「パパはきっとあの子を連れて帰ってくる。ねえ、○○。どうかあの子と、パパのもう一人の子供と仲良くしてくれないかしら?」

 娘は頬を膨らませた。
 父を殴りつけた勇者の姿を思い出して怒りを再燃させたのだろう。
 しかし娘はぷしゅーと息を吐くとにこりと母に微笑みかけた。

魔族娘「しょうがないなぁ。ママと、何よりパパのためだもの。我慢して、仲良くしてあげる」

 それは、母譲りの慈愛に満ちた笑みだった。
 娘は窓の向こう、空の彼方を見据え、父に思いを馳せる。

魔族娘「……あれ?」

 広い空の下、小高い丘の上。
 娘はそこに、何だか見覚えのある人影を見たような気がした。


561 : 以下、名... - 2017/06/25 16:18:17.60 dyU/3Fo20 767/829










     「『呪文・―――――極大雷撃』」









562 : 以下、名... - 2017/06/25 16:18:52.66 dyU/3Fo20 768/829




 轟音が鳴り響き、烈光が迸る。



 極大の熱量が、フィルストの街を焼き尽くした。



563 : 以下、名... - 2017/06/25 16:19:27.20 dyU/3Fo20 769/829

 パチパチと、火の手が家屋を燃やす音がする。

魔族娘「痛い……痛いよ……ママ…どこ……?」

 衝撃に家ごと吹き飛ばされた魔族の娘は、痛む体を引きずって瓦礫の隙間から這い出した。
 烈光をまともに直視してしまった彼女は既に視力を失ってしまっている。
 だから、彼女はすぐ傍で物言わぬ肉塊となっている母の姿に気付けない。
 暗闇の世界を、母を求めて彼女はただひたすらに手探りで進んでいく。

「ぎゃあ!!」

 遠くで悲鳴が聞こえた。
 びくり、と彼女は肩を震わせる。

「やめ、たすけ…あぁぁ!!!!」

 すぐ近くで悲鳴が聞こえた。

魔族娘「なに…? なんなの…?」

 目は見えなくなってしまったけれど、皮膚に伝わる熱が燃え盛る街並みを彼女に想像させる。
 轟々と燃える炎の音の中で、小さくサクリと草を踏む音が聞こえた。

魔族娘「誰…?」

 返答は無かった。
 そしてそれが彼女の最後の言葉になった。


564 : 以下、名... - 2017/06/25 16:20:09.36 dyU/3Fo20 770/829

 魔族娘の喉に突き立てた剣を引き抜き、勇者は剣についた血を払う。
 勇者の腰には二つの首が――――大魔王と、その娘の首が下げられていた。

戦士「ここまで……ここまでする必要があったのか?」

 勇者の背後から、神妙な顔で戦士が声をかけた。

勇者「あったさ」

 勇者はとても平坦な声で戦士に返答した。

勇者「この試験都市フィルストに住む者は皆知性の高い高位の魔族ばかりだ。ここに住む者は誰しもが第二の大魔王に成り得る。残しておけば必ず後の禍根となる。親父の家族なんて、その最たるものだ。とても生かしておくことなど出来なかった」

 勇者は戦士に向かって振り向いた。
 血と煤で汚れた顔が、炎の赤い光に照らされている。

勇者「親父の首もここに埋めていく。本望だろ。愛する家族と一緒に眠れるんだ」

 そんな勇者の言い草に、戦士は何だかとても泣きたい気持ちになった。

勇者「なんだよその顔……いいんだぜ、別に。もうついてこなくたって」

 勇者は戦士に背を向けた。
 そして、言った。
 震える声を、必死に押し殺して。






「正直、もう無理だろ。こんな奴」




565 : 以下、名... - 2017/06/25 16:20:45.61 dyU/3Fo20 771/829

『―――それで? 彼女とはその後、どうなったんだ?』

 光の精霊の荘厳な声が、神話の森に響く。

勇者「別に、どうも。特に会話もなく、俺たちは地上に戻ってきた。今頃彼女は武の国で体を休めているんじゃないかな。明日からの祝勝パーティーに備えて」

光の精霊『勝利に浮き立つ城を抜け出し、君はここに来たというわけか。しかし、城を出たのは皆が寝静まってからだろう? そう考えると、君はほんの僅かな時間でこの森の最奥までたどり着いたことになる』

光の精霊『数多の精霊の加護に加え、私の加護を完全に得た君は、まさしく神の如き力を得たと言えるだろう』

勇者「そうだ。俺はその点で確認したいことがあってここに来たんだ」

光の精霊『何かな? 面白い話を聞かせてもらった礼だ。何でも答えようじゃないか』

勇者「俺は魔界で親父に会った時、一目でそれが親父だと分かった。五年以上の歳月が経過しているにも関わらず、『親父は余りにも昔のままの外見をしていて、俺の記憶にあるそのままの姿』だったからだ」

勇者「そこで仮説だ。つまり光の精霊。アンタの加護を得た者は老化を抑えることが出来るんじゃないか?」

光の精霊『ご明察だ。強大に過ぎる私の力は、生物を命の理から外してしまう。老化を抑える、どころではない。不老だ。私の加護がある限り、君に老いによる死は訪れない』



『まさしく―――――神の如き力を、君は得たのだ』



566 : 以下、名... - 2017/06/25 16:21:23.61 dyU/3Fo20 772/829

 武の国は連日、祭りの如き喧騒に包まれた。
 何しろ、世界に真の平和が訪れたのだ。
 人々は一様に、その顔に笑みを浮かべていた。
 感激の涙を流している者さえあった。
 酒に顔を赤らめて、陽気に肩を組んで踊る男たちがいる。

「「「世界に平和が訪れた。恐ろしい魔物の王はもういない。一体誰がしてくれた。一体誰が、こんな偉業を成し遂げた」」」

「「「勇者、勇者だ、『伝説の勇者』の息子、勇者様! 親子二代に渡って人類悲願の世界平和を成し遂げた! おお、なんたる献身、なんたる勇気!!」」」

「「「『伝説の勇者』、万歳!! 『伝説の勇者』の息子、万歳!!!!」」」

 人々は声高に歌い、勇者の偉業を讃えた。
 詩人はこぞって勇者の冒険譚を謳い上げ、勇者は瞬く間に幼子まで憧れるような英雄へと祭り上げられた。
 世界中から人々が集まった武の国の盛り上がりは、今、最高潮を迎えていた。
 何故なら今宵、大魔王討伐を成し遂げた勇者が遂に民衆の前に姿を現すことになっているからだ。
 武の国中央広場は、世界を救った英雄を一目見ようと集まった群衆によって埋め尽くされていた。
 広場の北側に用意された舞台上には、武王を始めとした諸国の王が並び、大魔王討伐記念のセレモニーが進められている。
 ざわ、と広場の前列から声が上がり、やがてそれは歓声の波となって民衆の最後尾まで到達した。
 楽団による演奏と共に、勇者が壇上に姿を現したのだ。
 中央広場は割れんばかりの歓声に包まれた。
 勇者はいつもよりは小奇麗にしているものの、華美な衣装は身にまとわず、およそいつもと変わらぬ風体をしていた。
 豪華な衣装も準備されてはいたが、どうしても袖を通す気にはなれなかったのだ。
 勇者は眼前に広がる人々の姿を―――自分が救った人々の姿を目に納める。
 盛り上がる広場の熱気に酔い、やや興奮しすぎの様子ではあるものの、皆その顔に笑みを浮かべていた。
 それを、素直に嬉しいと勇者は思った。
 ごほん、と勇者が咳払いし、武王が民衆を手で制した。
 途端にしん、と広場に静寂が満ちる。
 聴衆は皆、勇者の言葉を聞き漏らすまいと、じっと耳を傾けていた。
 勇者は一度深々と頭を下げてから、語り始めた。

勇者「今日は、私の口から皆さんに改めてご報告をさせていただきます」

勇者「大魔王は倒れました。もう、獰猛な魔物が皆さんを脅かすことはありません」

 歓声が上がった。
 人々は口々に勇者の名を連呼し、褒め称えた。

勇者「ありがとうございます。しかし、この平和を手にするまでに多くの苦労がありました。本当に―――沢山の、辛いことがありました」

 勇者は目を閉じた。
 脳裏には、これまでの旅路が走馬灯のように駆け巡っている。



567 : 以下、名... - 2017/06/25 16:22:41.70 dyU/3Fo20 773/829



 旅の当初によく起きていた、戦士との衝突。


 第六の町での、騎士との出会い。


 獣王との邂逅。瀕死の傷を負い、死の恐怖に打ちのめされた記憶。


 エルフ少女との出会い。


 母に追い詰められ、自身の価値を喪失した。


 盗賊との争いで、初めて人間を殺めた。


 心の均衡を保てず、仲間を困惑させた。


 善の国での人身売買撲滅活動で、自身に似た境遇に生きた『神官長の息子』を死に追いやった。


 武の国で参加した武闘会では、騎士に手も足も出なかった。


 アマゾネスという部族の存在を知り、ハーレムの実現を夢想した。


 そしてその夢は武道家に丸ごとかっさらわれた。


 狂剣・凶ツ喰――――呪いまで生み出すほどの人の執念を知った。


 呪いを解くために海を越えてはるばる倭の国を目指した。


 道中、かつて救った黒髪の少女との再会があった。


 端和で、とある武器職人家族の末路を知った。


 神を騙る竜との激戦があった。


 かの獣王との決戦があった。


 神話の森の冒険があった。


 魔王討伐のための大作戦があった。


 己の分身ともいえる男との――――騎士との、決着があった。


 父との決別があった。


 大魔王との戦いがあった。




 ―――――心に反した、苦渋の決断があった。



568 : 以下、名... - 2017/06/25 16:24:01.20 dyU/3Fo20 774/829



 勇者はゆっくりと目を開けた。



勇者「……どうか、お願いです。ようやく実現したこの平和を、たくさんの犠牲があってようやくたどり着いたこの幸せを、どうか永久のものとしてください」




勇者「本当に、本当に……苦労したんです。どうか、皆が笑顔で過ごせるこの日々の継続を。誰かが夢見た理想郷を、この世界に実現させましょう」




勇者「もしもちっぽけな我欲のためにこの平和を脅かす何者かが現れた時―――――私は、その存在を決して許しはしません」




 その言葉をもって、勇者のスピーチは終わった。

 これからも平和の為の献身を続ける宣言とも取れるその内容に、聴衆は熱狂したのだった。


569 : 以下、名... - 2017/06/25 16:25:14.01 dyU/3Fo20 775/829

「何だと!!?」

 大声が上がったのはセレモニー後の武の国大会議室だった。
 そこには、勇者の要望により世界各国の代表が集められていた。

「一体何を仰るのだ! 勇者殿!!」

 泡を吹く勢いで勇者に詰め寄っているのは武の国の大臣だ。
 ひどく慌てた様子の大臣とは対照的に、勇者は冷静に先ほど行った各国への通達を繰り返した。

勇者「ですから、これより全ての国において武力の保有を禁ずると申し上げたのです。この世界から魔物は消え、もう人々が武器を持つ意味も無くなった」

勇者「であればもう武器など無用の長物。いやむしろ徒に人の命を奪う害悪。故に、破棄を命じます」

国王「馬鹿な!!」

 反論の声を上げたのは誰あろう、勇者の故郷である『始まりの国』の国王だった。

国王「気は確かか勇者! 魔物はいなくなっても悪事を働く盗賊などの犯罪者は依然存在する! 国家が武力をもって治安維持に務めねば、住民の安寧を維持することなど出来ん!!」

勇者「その役目は私が負います。今の私は万里先の事象を見通し、千里の道すら一歩で駆けることが出来る。この世界のどこにおいても、罪を犯した者の前に瞬時に姿を現し、裁きを下すことが可能です」

国王「ば、馬鹿な。そんなことが出来るはずが……」

勇者「疑われるのならここの地下牢を見学に行くとよろしい。戦勝に酔う人々の隙をついて盗みなどの不逞を働こうとした者達を私の手で捕らえております。既に収容するスペースが足りないほどだ。悲しいことにね」

国王「な……」

 国王は武王の顔を見た。
 武王は苦々しげに頷いてみせる。

国王「し、しかし、軍事力の無い国などというものはそもそも成立しない! 税の徴収などに強制力を持たせていられるのは、あくまで国家の武力が背景にあってこそなのだ!!」

勇者「その程度で成立しなくなる国なら無くなってしまえばよろしい。民の不満を武力で押さえつけていた無能領主をあぶりだすいい機会となるでしょう。例えば善の国などは、きっとこの程度のことで揺らぎはしない」

善王「買い被りが過ぎるぞ。勇者殿」

勇者「そうかな? 罪を犯した者に対する苛烈な罰則。それが私の裁きという形態で存続する以上、あなたの国政には武力の有無はさして影響しないはずだ」

武王「影響があるのは強大な武力で国力を維持していた我が国が最たるものだよ、勇者。お前は我が国の勇壮な兵士達に路頭に迷えと言うのか?」

勇者「逆に聞くがこれからの世界で勇壮な兵士の剣は誰に向かって振るわれるというのだ? 人々を脅かす魔物はもういない。他の国々が一斉に武力を放棄すれば他所に侵略される恐れもない」

勇者「あなたが持つ兵士の強靭な肉体は、これからは畑を耕すことや土地の開発を行うことに使ったらいい。そしてその改革は、決して難しいことではないはずだ」

国王「民は混乱する。そんな大規模な改革を行えば、せっかくお主がもたらしたこの平和も露と消えることになるぞ!!」

勇者「混乱は私が収束する。必要となれば、私が一時的に世界を統一して導く役割として君臨しよう。何しろ、実際に私にはその為の力が備わっている」

 勇者のこの言葉に反応したのは善王だった。
 ずっと難しい顔で思案していた善王は、抱いていた疑問を勇者に投げかける。

善王「勇者殿。君は罪を犯した者に対する罰則装置になると言ったな。確かに、大魔王を倒した今の君ならば、そんな途方もない芸当も可能なのだろう」

善王「だが、君亡き後の世はどうなる? 君ほどの男が、こんなことにすら思い至らず、短絡的に物を述べるはずがないと様子を伺っていたが……先程の発言、君はもしや……」

勇者「やはり貴方は優秀だ、善王様。私の望む治世には今よりもっと整備された法の存在が必須。貴方にはその制定に存分に手腕を発揮していただきたい」

勇者「ともあれ貴方の疑問に答えよう、善王様。お察しの通りだ。余りに多量の精霊加護が集中したことで、私は人の理を外れた。私に寿命は存在しない。未来永劫に渡り、罪に対する抑止力として存在することが可能だ」

善王「それは想像もできない、したくもない、茨の道のりだ。君は感情ある人間だ。神ではない。己の意に反した決断を迫られることもあろう。それが、どれほど君の心を削り取っていくことか」

勇者「なに、心配には及ばない――――『もう慣れた』さ、そういった類のことは」

570 : 以下、名... - 2017/06/25 16:27:08.37 dyU/3Fo20 776/829



国王「ふざけるな……ふざけるな!!!!」

 『始まりの国』の国王は、勇者を指差し、弾劾するように叫んだ。



国王「何たる不遜な物言い…!! 神を気取るか、痴れ者が!!!! それでもお前は、あの『伝説の勇者』の息子か!!!!」







 その言葉に、ぴくり、と勇者の肩が震えた。



 そして、勇者は笑い始めた。



 大口を開けて、大声をあげて、笑い続けた。



 とても楽しそうに。腹の底から愉快気に。



 その異様な雰囲気に、誰も口を挟むことが出来ない。




571 : 以下、名... - 2017/06/25 16:28:01.84 dyU/3Fo20 777/829






 ――――どれほどの時間が経ったのだろう。




 やがて―――笑みがやんだ。




 そして勇者は、ゆっくりとその場に集まった者たちの顔を見回し――――――――







 ―――――――その口を、開いた。




572 : 以下、名... - 2017/06/25 16:28:56.40 dyU/3Fo20 778/829












     最 終 章











573 : 以下、名... - 2017/06/25 16:30:04.14 dyU/3Fo20 779/829












   『伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件』














666 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:18:11.03 uAQKxthS0 781/829








 ―――――三十年後。








667 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:18:47.13 uAQKxthS0 782/829

 ――――雲一つない青空。
 一面に広がる黄金色の小麦畑。
 涼やかな風がたわわに実った穂を揺らした。
 荷台にくくられた馬は、たてがみを靡かせながら街道沿いでのんきに草を食んでいる。

「んしょ。んん…!」

 小麦畑には、うんうんと唸りながら収穫作業を行う二人の少年の姿があった。
 二人とも顔立ちがよく似ている。きっと兄弟なのだろう。
 年の頃は―――兄が10歳ほどで、弟はその二つか三つ下といったところだろうか。
 二人とも額に汗をかきながら一生懸命小麦を掴み、鎌を振るっている。
 ふと、ごろごろと雷の音が聞こえて、弟は空を見上げた。
 天気は変わらず快晴で、雨雲らしきものはひとつも見当たらない。
 弟は怪訝に思って周りを見回すが、兄も、少し離れたところで作業をしている父も雷の音を気にした素振りは見せず、急な雨を警戒する様子もない。

「……?」

 首を傾げる弟だったが、すぐにその疑問は彼の頭から消えた。
 道の向こうに、彼の敬愛する祖父の姿を見つけたからだ。

「うわあ~! じいちゃん、すっげえ~!!」

 弟も兄も、実に子供らしく大はしゃぎで声を上げた。
 彼らの祖父は、なんと2m四方に及ぼうかという小麦の束を担いできたのだ。
 重さは500㎏以上あろう。
 およそ人が持ち上げられる重さではない。いわんや、担いで歩こうなど。

「俺も早くじいちゃんみたいに力持ちになりたいなぁ~」

 兄が無邪気に願いを口にした。
 荷馬車の荷台に収穫した小麦を下ろしながら(それは片腕で抱えられるほどの量で、精々2~3㎏程度だ)、父は苦笑して言った。

「じいちゃんみたいには無理だよ。あの人は、ちょっと特別だからな」

「とくべつ?」

 弟が聞き返した。

「ああ、特別だ。なんせあの人は、大魔王を打倒してこの世界に真の平和をもたらしたあの勇者様のパーティーの一員だったんだからな」


668 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:19:29.38 uAQKxthS0 783/829



 ―――この平和な世の中に、魔物の姿はもはや無い。


 つまりそれは、『精霊の加護』という現象の消失をも意味していた。


 土地を害する魔物が姿を消した今、精霊が人間に力を貸す義理はない。


 さりとて精霊は個々人に既に与えられていた加護を殊更に取り立てるような真似もしなかった。


 この世界にわずかに残る、その身に精霊加護を宿した人間は、治水工事や農地の造成、その他都市建設などの分野において大いに活躍した。


 しかしながら、更にあと三十年も時が経過すれば、加護を持つ人間はこの世に一人もいなくなるだろう。



669 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:20:14.16 uAQKxthS0 784/829




 かつて勇者が断行した武力の根絶により徴兵制が廃止になり、多くの人材が野に下ったことで人々の生活文化は目覚ましく発展した。


 例えば、元兵士であった者の多くは冒険家となり、世界各地を探検した。


 その結果、これまで人類未踏の地とされていた地域が次々と開拓され、新種の動植物や鉱物が数多く発見された。


 国家による過度な徴税が禁じられ、衣食住に余裕が出来たことで研究に没頭できる学者も増えた。そういった者たちの手によって前述の新しく発見された動植物、鉱物の研究は進み、様々な利用法が開発された。


 また、探検・開拓が進んだ副産物として、地図の精度が格段に向上したこともこの三十年間の特徴の一つと言えよう。



670 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:20:49.87 uAQKxthS0 785/829




 生活水準が向上し、医療技術も発展したことで世界人口はどんどんと増加していた。


 増加する人口を賄うため、土地開拓は進み、人々の生活圏は広がっていった。


 開拓の拠点として集落が生まれ、多くの人の交流点では街が発展する。


 そうして目まぐるしく進む開拓の中で、国境線はあやふやになりつつあった。


 いつか人類は、境界線をめぐって隣人と争いを起こすことになるかもしれない。


 しかし今のところ、世界は確かに活気に満ちていて、人々は熱気に溢れていた。



671 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:21:32.60 uAQKxthS0 786/829


「ああ……確かに、世界は平和で、人々は幸せなのだろう。だがな……」

 背負っていた小麦を下ろし、汗をぬぐって初老の男性は―――かつて勇者と共に旅をした男―――武道家は、ぽつりと呟いて空を見上げた。
 澄み渡る青空の下にありながら、武道家の顔は暗い。
 それはきっと、収穫作業の疲れだけが原因ではなかった。
 雲一つない青空に、遠雷が響いている。

武道家「お前の幸せはどこにある? お前は今、笑っているのか? ――――勇者」

 今もどこかで、平和維持のための断罪装置として彼はその力を振るっている。
 ふぅ、と武道家は深く長くため息をついた。


672 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:22:25.48 uAQKxthS0 787/829

 港町ポルトでは、近年になって実用化された蒸気機関を搭載した船―――『蒸気船』が盛んに行き交っていた。
 その船の一つから、港町ポルトに降りる影がある。
 肩のあたりで切り揃えられた水色の髪。
 優しいまなざしに、老いてなお瑞々しく張りを保つ豊かな胸。
 かつての勇者パーティーの一人―――――僧侶だ。

「相変わらず若々しいわね。羨ましいわ」

 僧侶を出迎えたのは、腰まで伸びた艶やかな黒髪が特徴的な女性。
 かつてこの地で僧侶の友となった『黒髪の少女』だ。
 この少女も美しく年を重ね、今はもう『黒髪の貴婦人』といった様子だ。

僧侶「あなたこそ。相変わらず素敵な黒髪ね」

 笑みを浮かべ、言葉を交わした二人は肩を並べて歩き始めた。

僧侶「この町も相変わらずね。素晴らしい活気だわ――――お仕事は順調?」

黒髪の貴婦人「ええ、とても。この町が想定外のスピードで発展を続けるせいで、家の仕事はもうてんてこまいといったところだけど、それも嬉しい悲鳴として享受しているわ」

僧侶「お手紙が少なくなったのは寂しかったけれど、それもお仕事が順調な証だと喜んでいたわ。あなたが仕事を継いで、今やご実家はこの町最大手の商会にまで発展したものね」

黒髪の貴婦人「私に商才があったなんて、我ながら意外だったけれど。お手紙の返事が遅くなったことは本当にごめんなさいね。お詫びに今日は美味しいケーキを御馳走するわ」

僧侶「あら、それは楽しみ」

 三十年―――彼女たちはあれからずっと親交を深めてきた。
 近況を報告し、悩みを共有し―――――互いを導きあってきた。

僧侶「……旦那さんとは、うまくやってる?」

黒髪の貴婦人「ええ、とても……こんな私をずっと愛してくれて……本当に、ありがたいことだわ」

 仲睦まじくケーキをつつき、和やかに談笑していた二人だったが、いつしかその顔は神妙な面持ちになっていた。
 きっかけはきっと、さっき遠くで聞こえた雷の音。

黒髪の貴婦人「幸せにならなくてはならないと思った。あの人が平和にしてくれた世界で、幸せになる努力を怠ることはひどい裏切りだと思った。そう思ったから、二十年前に夫のプロポーズを受けた」

 黒髪の貴婦人は、かつての『黒髪の少女』は、きゅっと唇を引き結ぶ。

黒髪の貴婦人「けれど私は未だにあの人を吹っ切ることが出来ずにいる。この遠雷の音を聞くたびに胸がぎゅうと締め付けられる思いがするわ。そんな私を、夫がどんな思いで見ているのか……とても不安だわ。とても不安で、とても申し訳ない……」

僧侶「いいのよ」

 黒髪の貴婦人に、僧侶は柔らかな笑みを向けた。

僧侶「私たちは人間で、ましてや女なんだもの。感情を完全に整理することなんてできないわ。大事なのは、今確かにある想いを見失わないこと。旦那さんのこと、愛してるんでしょ?」

黒髪の貴婦人「もちろんよ。それだけは断言できるわ。でなきゃ、体を許して子供を産むなんてことするものですか」

僧侶「ならいいの。女なら誰だってたまには甘やかな初恋の記憶に浸りたいものよ。あなたが特別なことなんてな~んにも無い」

 胸を張ってそう断言する僧侶に、黒髪の貴婦人はくすりと笑顔を見せた。

黒髪の貴婦人「本当に強い人ね。あなた、昔っからちっとも変わらないわ」

僧侶「うふふ。こう見えても私、世界で二番目に強い女よ? それに、もう六人も孫のいるおばあちゃんなんだから! 強くなきゃ、やってられませんっての!」

黒髪の貴婦人「そうそう。実はね、私も来年にはおばあちゃんになるのよ」

 僧侶は目を丸くする。
 黒髪の貴婦人は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

僧侶「うわぁ~!!!! いつ!? 予定日はいつになるの!? 私絶対お祝いに行くからね!!」

 まるで我が事のように喜び、僧侶は肩を弾ませる。
 机の上のケーキはまだ半分以上残っている。
 淑女二人のお茶会はまだまだ終わりそうにない。


673 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:23:09.91 uAQKxthS0 788/829

 『第六の町』の西に位置する大森林。その奥深くに存在する『エルフの里』。
 エルフの里も、この三十年で大きく変わりつつあった。
 魔王との決戦の際の共闘がきっかけで、人間との共存の道を探ろうという気運が高まったのだ。
 このエルフの歴史の大きな転換点を迎えて、エルフの長老は長の座から身を引き、年若いエルフの少女が新たな族長となった。
 新たな族長となったエルフの少女が元々人間に対してかなり好意的であったことも手伝って、エルフと人間の交流は進み、エルフの里の存在は公になりつつあった。

エルフ少女「ああ~もう! 人間滅ぼしちゃおっかなぁーー!!!!」

エルフ少年「うわぁ!! いきなり何言ってんだ姉ちゃん!!」

 椅子の背もたれに思いっきり背を預けながら両手両足を伸ばし、新たな族長、『エルフ少女』は叫んだ。
 族長補佐という立ち位置についたその弟、『エルフ少年』はその突飛な発言にただただ目を丸くするばかりである。

エルフ少女「…………ダメか~。二十年くらい前まではこれ言うと目の前に飛んできてくれたけどな~。もう相手にしてもらえなくなったか~」

エルフ少年「そりゃおんなじ手口を何年も使ってりゃあそうなるよ。ってか、姉ちゃんそのうちマジで裁かれるぞ。あの手この手で勇者様を呼ぼうとして……」

エルフ少女「だぁって彼ったら全っ然こっちに顔出さないんだもん。こっちから行こうにも居場所全くわからないし……ここまで世界開拓が進んだこのご時世で、未だに影も形も掴めないなんて信じられる?」

エルフ少年「簡単に手が届く場所に居ちゃ、威厳が損なわれる。そう考えてのことじゃないかな。もっともあの人の場合は、どこにでも現れすぎて逆にどこにいるのか分からなくなっちまってるパターンだと思うけど」

エルフ少女「……ほんとに、どうしてそこまで自分を犠牲にしちゃえるんだろうね。ずっと一人で、孤独に役割に徹して……馬鹿だよねえ、ホント」

エルフ少年「……姉ちゃん」

エルフ少女「いくらエルフが人間より長生きだって言ったって私の寿命は精々あと150年程度……永遠を生きる彼には到底寄り添うことは出来ない。ならばせめて、私は私に出来ることで彼の手伝いを―――なんて、柄でもない族長なんて立場を引き受けちゃったけどさ」

エルフ少年「……正直、ちょっと意外」

エルフ少女「何がよ?」

エルフ少年「勇者様のこと、結構本気だったんだな、姉ちゃん」

エルフ少女「好きでもない男に肌を晒すほど、私は軽薄な女じゃないよ」

エルフ少年「今明かされる衝撃の事実……姉は勇者様に裸を見せていた……いや、それを何で今更弟に言うんだよ……リアクション困るよ……」

エルフ少女「結局あれからいい男も見つからずに三十年間も独り身のまま!! あ~あ、族長なんて辞めて婚活の旅に出ようかな~」

エルフ少年「焦るなよ。俺だってまだ独り身だ。今みたいにエルフの発展の為に頑張っていれば、きっとこの先いい出会いもある」

エルフ少女「う~ん……今から10歳くらいの杜氏の子を探して手をつけちゃおうかしらん」


674 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:24:06.04 uAQKxthS0 789/829

「長、ご報告が」

 固い声が部屋の中に響いた途端、それまでの弛緩した空気は一気に打ち切られた。
 報告を聞いたエルフ少女とエルフ少年の二人は、真剣な面持ちのまま視線を交わらせた。

エルフ少年「……今年に入ってもう五回目だ。人間たちが取り決め以上の量の木々を伐採している」

エルフ少女「……若い衆を何人か集めて、現地に向かわせて。出来るだけ口が達者な者がいい」

エルフ少年「腕の立つもの、じゃなくてか?」

エルフ少女「武力による排斥は絶対に禁止だ。それをすれば、現在狩りのためとして最低限所有を認められている武具すら取り上げられる可能性がある。それだけならまだしも、私たちエルフそのものが粛清の対象になる可能性だって……」

エルフ少年「――――絶対中立の制裁装置、か。やれやれ……俺も現地に行くよ」

エルフ少女「ごめんね。お願い」

エルフ少年「人間は、数を増やして、ただでさえ薄かった精霊信仰の意識がますます希薄になってきてる。そこあたり、俺たちの言葉が伝わってくれればいいんだけどな……中立の神様にも」

エルフ少女「………」

 エルフ少年が立ち去り、一人になった部屋でエルフ少女はひとつ大きく息を吐いた。

エルフ少女「いや~、平和ってのも大変だね、こりゃ。最近は竜神ちゃんとこのアマゾネスも色々大変だって聞くし……」

 いつもの明るい調子ではなく、ほんの少し疲れを滲ませた笑みをエルフ少女は浮かべる。

エルフ少女「人間なんて滅ぼしちゃおっかな……なんて、私が本気で口にしたとき、果たして君は――――」

 ぶんぶんと、エルフ少女は大きく頭を振った。
 ぱん、と両手で頬を叩いてエルフ少女はニカッと笑う。

エルフ少女「ま、君も頑張ってるんだ。私だって、やれる限り頑張らなきゃだ!」

 殊更に明るい声で、自分を鼓舞するようにエルフ少女は言った。
 どこか遠くで、どことも知れないところに落ちる雷の音が聞こえた。


675 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:24:45.33 uAQKxthS0 790/829

 大陸南端に位置する霊峰ゾア。
 その山頂で、空を走る遠雷を苦々しく睨みつける影があった。

竜神「勇者よ。貴様がアマゾネスの試練を禁じてから、より良き子種の選別が出来なくなった我が子らは確実に力を弱めておる。種族として、弱体化の一途をたどっておる」

 銀色の鱗が雷光を反射する。
 唸りを上げる竜神の口からは、鋭い歯がこぼれ見えている。

竜神「貴様は我らアマゾネスの風習に手を突っ込んだ。我らアマゾネスの在り方を捻じ曲げた。結果がこれじゃ」

竜神「貴様の前でとても竜の神などとは名乗れぬ無様を晒した儂じゃ。今は従ってやる。しかし言わせてもらうぞ。聞こえておるのじゃろう?」

竜神「貴様は力をもって我らを管理する。貴様の価値基準に則って、有無を言わさず」

竜神「我らはこのままではいずれ滅ぶ。人との融和は我らの種としての優位性、独自性を失わせ、アマゾネスという種は緩やかに死へと向かっておる」

竜神「はてさて、貴様、何様のつもりじゃ?」

竜神「貴様にとって、我らは滅ぶべき悪であると、そういうことか?」

竜神「貴様が儂らをそう断じるのであれば、儂らにとって貴様は―――――」


676 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:25:35.39 uAQKxthS0 791/829

 勇者の故郷、『始まりの国』。
 もっとも、当時の国家は解体され、今は名を変えているが―――そこに、ひとつの墓があった。
 墓に刻まれている名前は、もはや世界の誰もが知っているもので。
 つまるところ―――世界を救った勇者、その母の名前がその墓には刻まれているのであった。
 『伝説の勇者の息子』を正しく育て導いた者として、『聖母』と崇められすらした女性の墓前に、武道家の姿があった。
 武道家はこうして足繁くこの墓に通い、その維持管理に務めている。
 それは、本来それをすべき彼の役目を肩代わりするかのように。

武道家「……こうしてここに来るたび、あなたの死に顔を思い出します。とても満ち足りた、悔いなど欠片もないような顔……」

武道家「人々はあなたを讃えました。実際、あなたは正しかったんでしょう。あなたが居なければ、きっと今の世の平和は無かった」

 墓前に花を添え、武道家は黙とうする。
 深くしわの刻まれた目が、ゆっくりと開いた。

武道家「だけどね……俺はやっぱりアンタを許せない。どうしてこんなことになっちまったんだって、いつも思っちまうよ……おばちゃん」

 そう言って立ち去る武道家の脳裏に浮かぶのは、勇者の母が死んだ日のこと。
 死ぬ間際に、勇者の母が口にした言葉。

『ああ、勇者……私たちの息子……私はあなたを本当に誇りに思います……』

 武道家は親指で目元を拭う。
 目頭が熱くなったのは、悲しみからでも、ましてや感動からでもない。
 煮え滾りそうになる感情を武道家は努めて押し殺す。

武道家(―――どうして、どうしてたった一言―――――)





 もういいのだ、と―――――あいつに言ってやらなかったのか。




677 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:26:22.26 uAQKxthS0 792/829

 世界の中心、地球のへそというべき場所に存在する『世界樹の森』。
 常人では決して到達することの出来ない、その森の最奥に勇者はいた。
 膝ほどの高さの岩に腰かけ、目を閉じて瞑想している。
 傍には半ばで折れた精霊剣・湖月が打ち捨てられていた。
 伝説剣・覇王樹も血錆に塗れ、かつての輝きを失い、今はもうただの鈍らと化して転がっている。
 だけど、それで別に問題は無かった。
 今の勇者には剣など必要ない。
 なにせ今の勇者は腕の一振りで何十もの人間を同時に肉塊と変えてしまえるほどの膂力を備えている。
 ぴくり、と勇者の肩が震えた。

勇者「……少し、眠ってしまっていたか」

 そう呟き、勇者は目を開けた。
 勇者の目の下には色濃く隈が刻まれているけれど、三十年の月日で勇者の顔にあった変化と言えば逆にそこくらいのものだった。
 光の精霊の言葉の通り、勇者は老いることなく、かつての姿のまま今を生きている。
 勇者は腰に下げていた水筒を手に取り、ぐい、とあおって喉を潤した。

勇者「……疲労感が強いな。もう少し、休む必要があるか……」

 勇者は不老ではあっても不死ではない。
 命の理すら捻じ曲げる大量の精霊加護によって、勇者の体は物理的なダメージや病魔を跳ねのけることが出来る。
 出来るが、それだけだ。
 飢えれば死ぬし、寝なくても死ぬ。
 蓄積された疲労によって体調も悪くなる。
 備蓄していた食料に手を伸ばすために立ち上がろうとした勇者の足ががくりと崩れた。

勇者「ふ、ふふふ……」

 勇者から自嘲の笑みがこぼれる。

勇者「たかだか三十年だぞ……これからあと何年この状況が続くと思ってんだ。気合い入れろ、馬鹿野郎……」

 がつんと己の膝を殴りつけ、勇者は立ち上がる。
 干し肉を噛み、水筒をあおって無理やり喉の奥に流し込んだ。
 そこで、勇者ははたと気づいた。


678 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:27:13.90 uAQKxthS0 793/829

『気づいたかね?』

 勇者の脳裏に直接響いてくるのは『光の精霊』の声だ。

光の精霊『君ともあろうものが随分と迂闊だったな。いつもならば十里も寄れば気配を察知して即座に身を隠していたろうに。何者かに近づかれたぞ―――もはや視認することすら可能な位置にまで』

勇者「………」

 気づいていたなら声をかけてくれれば―――そう言いかけて、勇者は口を噤んだ。
 光の精霊は、勇者の生き方・在り方を面白がってちょっかいをかけてきているだけで、別に仲間という訳ではない。
 光の精霊は誰の味方もせず、誰とも敵対せず、ただ好奇心のままに動く特異な精霊だ。
 勇者は思考を侵入者の方に戻す。
 確かにお互いの姿を視認できるまでに近づかれたのは迂闊だったが、今から逃げればいいだけのこと。
 今の立場になってから、勇者は誰とも関わりを持とうとはしない。
 それはいつまでも絶対中立の装置であり続けるために。

勇者(あの人影がこちらに駆け寄ってくる十数秒の間に俺は万里の彼方まで離れることが出来る。何も問題は無い。とはいえ、この世界樹の森の最奥までたどり着くとは、並の者ではないな)

 勇者は侵入者の正体を探ろうと人影に目を凝らして、固まった。
 長く動かしていなかった心を鷲掴みにされたような気分になった。

 鷲掴みにされて、揺さぶられた。

 人影はほんの一瞬の間に、もう勇者の目の前まで迫っていた。
 完全に想定外の速度。かつ放心した虚を突かれた勇者は、その動きに碌な反応も出来ず。
 勇者はその人影にがっしりと腕を掴まれてしまった。

「ようやく……ようやく見つけた……!」

 はぁはぁと息荒く口を開いた人影の正体は金髪の美しい女性だった。
 勇者は掴まれた腕を振り払うこともせず、硬直してしまっている。
 勇者は混乱していた。
 突然目の前に現れた、年の頃およそ二十の半ばに見えるその女性は。
 かつての仲間に。
 かつての最愛の人に。
 三十年前に袂を分かったはずの。

 ―――――戦士に、とてもよく似ていた。


679 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:28:06.02 uAQKxthS0 794/829

 だけど、この女性が戦士であるはずはない。
 三十年。三十年だ。
 あれからもう三十年もの月日が経過している。
 つまり戦士はもう五十歳に届こうかという年齢になっているはずだ。
 目の前の女性の年代は二十の半ばから、どんなに多めに見積もっても三十の前半だ。
 だから、この女性は戦士本人ではない。
 だとすれば、そう、この女性の正体は―――――

勇者「もしや君は―――――戦士の子供なのか?」

 ぴくり、と女性の眉が上がった。

勇者「は、はは……」

 勇者の胸中に複雑な思いが溢れた。
 けれど、様々な感情がない交ぜになって込み上げる中で、最も大きかったのは――――安堵の気持ち。

勇者「……良かった。幸せになれたんだな、彼女は……」

女性「おい…」

 眉根にしわを寄せて、女性は勇者の顔を覗き込んだ。
 勇者の目には、これ以上ないほどの慈しみの感情が満ち溢れている。

勇者「ふふ……俺に、こんなことを問う資格なんて無いんだけど……正直、気になってしょうがないな。教えてくれないか? 戦士は、君の母さんは……一体どんな奴と結婚したんだ?」

 ビシィ!と空気に緊張が走った。
 女性のこめかみに血管が浮かび上がり、ひくひくと蠢いている。

女性「おい…!」

 それは地の底から響いてくるような、低くドスのきいた声だった。

勇者「……ん? あれ?」

 様子を一変させた女性の剣幕に、勇者は恐怖を覚え後ずさりする。
 しかし腕を掴まれた勇者は逃げられなかった。
 はう、と息を飲む勇者。全身を突き抜けていくこの絶体絶命感。
 それはすごく――――――ものすごく、懐かしい感覚だった。

勇者「もしかして……」

 女性は掴んでいた勇者の手を放し、がしりと胸倉を掴みなおした。
 そして、女性はすぅ~、と息を吸い始めた。
 吸って、吸って、吸って―――――そして。


680 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:28:50.95 uAQKxthS0 795/829







「誰がお前以外の男と結婚するかッ!!!! この大馬鹿たれがぁぁぁああああああああああああ!!!!!!」





 鼓膜よ破けよとばかりに勇者の耳元で思いっきり叫んだ。







681 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:29:35.53 uAQKxthS0 796/829

 キーン、と響く耳鳴りに勇者は目を回す。
 はっと我に返って、勇者は女性を振り返った。

勇者「戦士…? まさか、戦士なのか!?」

 勇者の問いに、女性は――――かつて勇者の仲間であり、恋人でもあった戦士は頷いた。

戦士「ああ、そうだ。正真正銘、私だ」

 勇者は信じられない、という風に頭を振った。

勇者「馬鹿な…ありえない。三十年だ。三十年だぞ? どうして君は、そんな若々しい姿のままなんだ? 君のもつ精霊加護の量では、寿命に影響なんて無いはずだ」

戦士「奇跡を起こすのは精霊の専売特許というわけではあるまい? 少なくともお前はそれを知っているはずだ。他ならぬお前自身がその身で味わったことなのだからな」

勇者「何…?」

戦士「『狂剣・凶ツ喰(キョウケン・マガツバミ)』。覚えていないか?」

 勇者は目を見開く。
 当然、その名前には覚えがあった。
 忘れるはずもない。
 『狂剣・凶ツ喰』。
 竜に殺意を燃やす人間の狂気が生んだ、呪いの剣。
 装備した者を不死に近い回復能力を持った狂戦士へと変貌させる―――人の怨念が生んだ、奇跡の産物。

戦士「苦労したぞ。あの時お前に拒絶されてから、私はお前と同じ時を生きる方法を探し続けた。探して、探して―――――そして、遂に見つけたんだ」

 戦士は勇者の目の前に左手を差し出した。
 その中指には、一目で分かるほど禍々しい気配を放つ指輪がはめられていた。

戦士「『死者の指輪』という。この指輪には不老不死の呪いがあり、これを装備した者は永遠に老いず、永遠に『死ねない』。一体どれほどの怨念、情念が込められればこんな馬鹿げた一品が生まれるのか……想像もつかないよな」

 戦士はそう言って悪戯っぽく笑った。

勇者「そ、そんな……」

 わなわなと、勇者は肩を震わせている。

戦士「12年。この指輪を発見するまでに12年もの時を要してしまった。だから、私の肉体年齢はお前より12年分年上になってしまったけど……まあ、自分で言うのもなんだけど、綺麗に成長できただろう? 胸も、ほら、僧侶ほどじゃないけどちょっと大きくなった」

勇者「馬鹿野郎!!!!」

 戦士の言葉は勇者の怒号で遮られた。

勇者「なんて…なんて馬鹿なことを!!!! どうして、こんな……俺は、お前に普通に幸せになってほしくて、だから、俺は……!!」

 勇者の目に涙が浮かぶ。
 実に三十年ぶりに流す、人間としての涙。
 しかしそんな勇者の様子に、戦士はふんと鼻を鳴らした。

戦士「言っておくが、この件についてお前にどうこう言う資格はないぞ。三十年前、今のお前のように叫んだ私達の気持ちを、お前は蔑ろにしたんだ」

勇者「そ、れ…は……」

戦士「いいんだ。今更責めるつもりはない。私の願いはひとつだけ。ひとつだけなんだ、勇者」

 戦士は再び勇者の手を取った。
 今度は優しく―――温もりを共有するように、柔らかく―――手を握る。


682 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:30:28.09 uAQKxthS0 797/829






戦士「いつも肝心な時に私はお前の傍にいられなかった。今度こそ…今度こそ、だ」



戦士「誓うよ。私はお前の傍を離れない。私はお前を絶対に一人にはしない」



戦士「死すら、もう私達を分かつことは出来ない」




戦士「共に生きよう。今度こそ、一緒に―――ずっとずっと、一緒に」






683 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:31:34.68 uAQKxthS0 798/829

 長い沈黙があった。
 そして―――ぽたぽたと、勇者の頬から大粒の涙がこぼれ始めた。

勇者「お、俺は…俺は、自分が情けない……!」

 嗚咽を漏らし、言葉を詰まらせながら、勇者は心中を吐露する。

勇者「本当は駄目なのに……俺は独りでなくてはならないのに……だけど、嬉しくってしょうがない…! 戦士の気持ちが、ありがたくってしょうがない……!!」

 戦士は微笑みを浮かべ、勇者の手を引き、その体を抱き寄せた。

勇者「うぐ、うぅ…! なんて体たらく…! 何が神だ……俺は、無様だ……!!」

戦士「いいんだ。いいんだよ、勇者。ずっと、どんなことがあっても、私だけはお前の味方だ」

 ぐしゅぐしゅと、勇者は子供のように泣きじゃくる。
 戦士もまた、その目にうっすらと涙を浮かべて、勇者の頭を抱きしめた。

戦士「不死になるために12年。それからも18年もの間、お前を探し求め続けたんだ……やっと、やっとこうしてこの手で抱きしめることが出来た……!」

勇者「ごめん…! ごめんよ……戦士……!!」

戦士「ううん、いいよ……愛してる、勇者……」






 これまでの空白を埋めるように、二人は熱く抱擁を交わす。


 しかし、もう間もなく、人の世で新たに罪を犯す者は現れる。


 そうなれば、勇者は裁きの為にこの地を離れなくてはならない。


 現在、勇者は自らが生きる時間のほとんどを裁きの執行に費やしている。


 勇者と戦士、共に生きると誓っても、これから先二人が蜜月の日々を送ることはない。



 それが、絶対の罰則装置として君臨することを選んだ彼の運命。



684 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:32:36.22 uAQKxthS0 799/829











 だけれども、ほんの僅か、一日のうちほんの僅か数分だけでも。


 彼が人としての幸せを享受することを、どうか許してほしい。


 それが、長い長い旅路の果てに彼に与えられた、唯一の報酬だろうから。






685 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:33:18.26 uAQKxthS0 800/829







戦士「ところでお前、この三十年でまさか浮気とかしていないだろうな?」


勇者「見くびらないでほしいですぅ~!! 僕まだ童貞ですぅ~!! は!? まさかそういう戦士は…!」


戦士「処女だよ大馬鹿野郎!!!!」


勇者「ヒィ! サ、サーセン!」






686 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:34:24.56 uAQKxthS0 801/829







 願わくは―――――少しでも長く、彼らが笑顔で過ごせる日々の継続を。





 これにて、『伝説の勇者の息子』として生を受けた、とある少年の物語は終幕とする。







687 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:38:31.19 uAQKxthS0 802/829
























 だから―――――ここから先は、見なくていい。










688 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:39:15.42 uAQKxthS0 803/829






 物語の結末としては、これで十分だ。





689 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:40:10.92 uAQKxthS0 804/829





 ただ―――――語り部の義務として、彼の人生の結末をこれから記す。


 だけど、見なくてもいい。


 知る必要はない。








 きっと―――――気分のいいものではないだろうから。



690 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:41:22.68 uAQKxthS0 805/829


















































 

691 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:42:24.96 uAQKxthS0 806/829







 ―――――人間は住処を作るのに森を切り開いたり川の流れを好き勝手に弄繰り回したりするでしょう?



 ―――――いつか人間は精霊様の住処を悉く奪い尽くすって、長生きのお爺ちゃんお婆ちゃん達は危惧しているんだ。







692 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:43:30.44 uAQKxthS0 807/829

 彼のおかげで、世界は長く平和であった。

 平和であったから、人は増えた。

 人が増えたから、土地が必要になった。

 人は木を切り、山を拓き、川を曲げ、海を埋めて生活圏を拡大していった。

 当然に、森に生きるエルフ、山に生きる竜種などの亜人種との衝突が起きた。

 しかし彼によって彼らは平和であることを強制された―――あらゆるいざこざを、力尽くで収束させられ続けた。

 『繁栄を妨げる邪魔者』として、人は彼を嫌った。

 『人に肩入れする不公平な偽神』と、エルフは彼を憎んだ。

 人食を禁止されたこともあり、竜種は元より彼を快く思ってはいなかった。

 結果として彼は排斥された。

 その気になれば彼はその排斥に抗うことも出来ただろう。

 その力を十全に振るえば、彼に敵対する悉くを打ち倒すことが出来ただろう。

 しかし彼はそれをしなかった。


 彼に剣を向ける者達を―――――新たな『勇者』として擁立され、彼に立ち向かってくる少年を―――――彼は、どうしても薙ぎ払うことが出来なかった。


 敗北した彼は世界の果てというべき場所へと追いやられた。

 歯止めの利かなくなった人と他種族の生存競争は、その圧倒的な数の差により人が圧勝した。

 エルフや竜種などの亜人種は歴史から消え去り、人はなお一層勢力を拡大していった。

 木々は減り、山は姿を変え、精霊は眠りにつき世界から姿を消した。

 それは、あの光の精霊であっても例外ではなく。

 勇者の力の源として、世界樹の森は徹底的に破壊されてしまった。

 精霊加護を失った彼は、いつしか普通に年老い始めた。

 そして、やがて彼は病に侵され、程なくして――――普通に、死んだ。



 それは、彼によって大魔王討伐が為されてから、およそ二百年後のことであった。



693 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:44:14.18 uAQKxthS0 808/829






 ―――――まるで自分は世界にとって有益だとでも言いたげだな。


 ははっ。


 笑わすんじゃねえよ―――――勇者。





694 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:45:07.07 uAQKxthS0 809/829






 今際の際に、彼の耳に蘇ったのは――――いつかどこかで誰かが口にした、嘲るような声だった。





695 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 18:46:03.85 uAQKxthS0 810/829






   Epilogue of this story.



   >> http://ayamevip.com/archives/51106819.html








699 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:01:40.80 uAQKxthS0 812/829








   - Last episode -







700 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:02:21.78 uAQKxthS0 813/829

 ポチャン、と鼻先に落ちた水滴がきっかけだった。
 久方ぶりにまぶたを刺激する陽光に、戦士は目を開いた。
 すっかり闇に慣れきってしまった瞳はうまく光を感じ取ることが出来ず、視界は白く塗りつぶされてしまっている。
 瞳が光に順応するまでの間、戦士はぼんやりと考える。
 こうやって思考を巡らせることも、ずいぶんと久しぶりだ。

 ――――この目が光を捉えるのは、一体何年振りのことだろう。

 幾百、幾千、幾万―――はたまた幾億年ぶりなのかもしれない。
 長い―――ずっと長い時間を、一人で旅をしてきた。
 一人だ。
 呪いに侵された我が身は子を成すことが出来なかった。
 食物すら拒絶する我が身に、愛する者の種など到底受け入れられるはずもなかった。
 一人で―――長い時を、不老不死の呪いを解く方法を探してさ迷い歩いた。
 しかし如何なる方法をもってしても肉体は死せず、あらゆる外法に手を出しても五体は無事で――――いつしか、心だけが死んでしまった。
 既に遥か昔のことになるが、天変地異が起きて人の世は滅んだ。
 それからはじっと目を瞑って眠ることが多くなった。
 雨が降ろうと、大地が揺れようと眠り続けた。
 砂が被さり、体が土の下に埋まってしまっても、起き上がろうとはしなかった。
 当然、息が出来ずに死ぬ。しかしこの身に宿る不死の呪いは魂を無理やりに引き戻す。
 そうして延々と繰り返される死と再生の苦悶の果てに、いつしか考えることすらやめてしまった。

701 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:03:26.63 uAQKxthS0 814/829

 ようやく光に目が慣れて、ぼやけていた視界が輪郭を取り戻す。
 戦士の目の前に広がっていたのは、巨大な植物群だった。
 色鮮やかな、生命力溢れる緑、緑、緑―――――
 どうやら大量の木々が密集する密林地帯にいるようだ、と戦士は自身の置かれた状況を把握する。
 そこで気付いたが、戦士は巨大な木の根にその身を絡めとられていた。

戦士「いよ、っと……」

 戦士はその身を束縛していた木の根を引きちぎり、立ち上がった。
 地面に降り立ち、体を捻る。ぱきぽきと小気味良い音が鳴った。
 まともに体を動かすのも、随分と久しぶりだ。
 バキバキと首を鳴らしながら、戦士は周囲の様子を見渡した。

 ――――しかし、植物の力とはすさまじいものだ。

 かつて起きた、人類を絶滅に追い込むほどの天変地異は、植物界においても甚大なダメージを与えた。
 すっかり荒野と化した地上の光景を、戦士は確かに目にしている。
 それでも長い年月をかけて植物は成長し、勢力を拡げ、かくも雄大な自然の様相を再び創りあげた。
 鳥や獣の鳴き声が森の中に反響する。この森には多くの命が息づいているのだ。
 戦士はふと、自分が全裸であることに気付いた。
 まあ当然か、と戦士は思う。
 自分の知る景色から激変した周囲の状況を見るに、自身が土に埋もれてから相当な期間の年月が、それこそ少なくとも数千年規模で経過しているはずだ。
 身に着けていた衣服などとっくに朽ちて無くなってしまっただろう。
 とはいえ、人類が絶滅して久しい。
 はしたなくはあるが、今更人の目など気にする必要もあるまい。
 戦士は気にせずそのままの姿で行動することにした。
 行動―――といっても、陽光に誘われて気まぐれに起きただけだ。
 やるべきこと、やりたいこと――――どちらも特に無い。
 強いて言えば、体にへばりつく土と埃っぽさが気にはなった。
 戦士は清流を求めて密林を探検することにした。
 川はすぐに見つかった。
 川の水に身を浸しながら、戦士は考える。
 これからどうしようか。これから、何をすべきか。
 気まぐれではあるが、久しぶりに身を起こした手前、少しは行動を起こしてみようという気にはなっていた―――これも、気まぐれだが。
 今の世界の様子がどうなっているのか、歩いて見て回ってみようか。
 目の前に広がるこの雄大な大自然の姿に、死んだはずの心が少しは動かされたから。
 なにしろ、これ程の大自然はかつて自分が真っ当に生きていた時代ですらお目にかかったことはなかった。
 真っ当に、生きた時代――――今もなお色褪せることのない、輝かしい思い出。
 じんわりと、戦士の目に涙が浮かぶ。
 戦士はバシャバシャと水で顔を洗った。


 歩き続けよう―――――戦士はそう思った。



702 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:04:30.40 uAQKxthS0 815/829



 世界中を歩いて回って―――――変わってしまった世界で、それでもかつての面影を探し続けよう。


 この記憶が決して色褪せないように。


 この胸に、永遠に彼らの――――彼の姿を思い描けるように。


 歩いて、歩いて、進み続けよう。


 いつか、彼のいる場所にたどりつけることを夢見て。



703 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:05:28.38 uAQKxthS0 816/829

 戦士がそんな風に考えていた時だった。

『×××、××××××』

 耳慣れないが、それでも人間の言語であることは明白な声が聞こえた。
 戦士は両手で秘所を隠し、咄嗟に体を川の水の中に沈める。

『△△△? 〇〇〇〇〇』

『”’&%$#$’&%|=`{*?><!!!”#$???』

『faygfiugiuhvnaurygoahviuaga?jdfgyrwyaiyegyaugwe?』

 謎の声は連続した。
 戦士とて悠久の時を生きてきた中で、それなりに多くの言語を体得している。
 それでも、声が次々に異なる言語に切り替わっていることを掴むのが精一杯で、言葉の意味まではわからなかった。

戦士「何者だ?」

 周囲の気配を探りながら、戦士は問う。
 これだけはっきりと声が聞こえながら、周囲に人、あるいはそれに類するものの存在を一切感じることが出来ないのが不可解だった。

『――――何者だ。おはようございます。ありがとう。こんにちは』

 再び声が聞こえた。
 今度はわかった。意味の分かる言葉を聞き取れた。
 しかし文脈が意味不明だ。
 戦士は首をひねった。

戦士「何だ? 何を言っている。訳がわからんぞ」

『――――あぁ、そうだった。この言語だったな。ようやく行き当たった』

 声はようやく明瞭な響きをもって戦士に応えた。

『何者か、と君は私に問うたな。さて、私は果たして何者であったか。君たちは、私をなんと呼んでいたのだったか』

『私の中に累積する記録に劣化はない。しかし何しろ量が膨大だ。検索するにも時間がかかる――――あぁ、そうだ。見つけたぞ。私は、そう』


705 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:06:22.80 uAQKxthS0 817/829











『私は―――――かつて君たちが光の精霊と呼んでいた存在だ』










706 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:07:28.68 uAQKxthS0 818/829

光の精霊『君たちのことは実に印象深く私の記録に刻まれている。幾星霜の時を超えてまさかまたこうして邂逅することがあろうとは』

光の精霊『驚きを感じるよ。これが縁というものなのかな。久しぶりだな。かつて我が加護を一身に受けた者―――その伴侶、戦士よ』

 戦士は驚きにぽかんと口を開けたまま、ぐるりと周囲を見回す。

戦士「光の精霊…? ならば、ここはもしかして、あの世界樹の森なのか?」

光の精霊『君の知る当時とは場所はかけ離れているがね。海も大地も大きく動いた。それだけの時が経ったのだ』

光の精霊『そういえば、君には礼を言わなくてはな。まさしく奇縁というものか。この森の復活の一因を担ったのは君だった』

戦士「……? 何のことだ?」

光の精霊『忘れているのならいい。遥かな昔の、ほんの小さな物語だ』

光の精霊『それよりも、それこそ覚えている範囲で構わない。私に話して聞かせてくれないか? 戦士。ここに至るまでの旅路を――――悠久の時を生きた、君の物語を』

戦士「………」

 まあいいか、と戦士は思った。
 どうせ時間はたっぷりとある。
 誰かとコミュニケーションをとるのは本当に久しぶりだ。
 その相手がまさかあの『光の精霊』というのは甚だ意外ではあったけれど。
 これも、いい暇つぶしになるだろう。

戦士「いいだろう。話してやる。そうだな、とはいえ、どこから話したものか――――」


707 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:08:39.57 uAQKxthS0 819/829

 ――――長い時間が過ぎた。
 あれから、夜の帳が下りてなお戦士の話は尽きず、結局、戦士が一度話を区切りとしたのは実に15回目の太陽が昇った時だった。
 戦士は樹皮をほぐして得た繊維を編み込んで作った簡易的な服を身にまとっていた。
 永遠に近い時間を旅してきた彼女だ。こういった生活のノウハウはもうすっかりと身についている。

光の精霊『ありがとう。実に面白い話だった』

戦士「どういたしまして。私もいい頭のリハビリになったよ」

光の精霊『それで、これからまた旅に出るというのか? それだけの苦難を経験しながらも、なお諦めずに?』

戦士「まあ、折角目を覚ましたからな。また飽きるまで、しばらく頑張ってみるさ」

戦士「それに、希望が全くないというわけでもない。これだけ自然に満ちた世界だ。どこかに何かとんでもないパワースポットみたいなものが出来ているかもしれないじゃないか」

光の精霊『確かに、我ら精霊の力は今が最盛と言っても過言ではないが……ふむ。いいだろう。本来、我らのようなものが人間にここまで肩入れすることなどあり得ないのだがね』

戦士「ん?」

光の精霊『興味深い話を聞かせてもらった礼だ。何か願いをひとつ言いたまえ、戦士』










光の精霊『それが如何なる願いであったとしても――――私は、その願いを叶えよう』







708 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:09:28.56 uAQKxthS0 820/829

戦士「……………なに?」

 ぶるり、と戦士の体が震えた。

戦士「それは、私を殺してくれるということか?」

光の精霊『違う』

 光の精霊は戦士の言葉を否定する。

光の精霊『君の願いは他にあるはずだ。真なる望みを言うがいい』

戦士「………呪いを、解きたい」

光の精霊『違う。繰り返すが、我らの力は今が最盛。およそ不可能なことなど無い』

光の精霊『―――――君の、真なる望みを言うがいい』

戦士「―――――!」

 戦士は息を飲んだ。
 その瞳に、大粒の涙が浮かぶ。



戦士「――――――会いたい」



709 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:10:11.92 uAQKxthS0 821/829













戦士「勇者に会いたい。勇者に会って、普通の人間として二人で生きていきたい」











710 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:11:03.94 uAQKxthS0 822/829

 ――――瞬間、世界が輝いた。
 その様子は、かつて『宝術』が発動した時に似ている。
 大地から立ち昇る光は、まるで世界全体が輝きに満ちているかのような錯覚をその中に居る者に与える。
 しかし光の強さがかつてとは桁違いだ。
 周囲の景色はもはや白銀の一色で塗りつぶされ、視認できるのはかろうじて自分自身の体のみ。

戦士「――――あ」

 戦士の目の前で、中指にあった『死者の指輪』が、高熱に焼かれた木くずのように灰と化した。
 涙が溢れる。
 歓喜に震え、戦士は己の肩をかき抱く。

 ――――その手の甲に、そっと重ねられる手があった。

 どくん、と心臓が跳ね上がる。

 ごくり、と戦士は息を飲みこむ。

 ゆっくりと―――戦士は後ろを振り返った。


711 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:12:01.86 uAQKxthS0 823/829


















勇者「………よう」












712 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:13:52.64 uAQKxthS0 824/829

 抱きしめた。
 言葉も出なかった。
 涙は滝のように溢れ、嗚咽が怒涛の如く込み上げた。

戦士「えぐ、うぐ、ふぅ、う、うぅぅ~~~!!!!」

勇者「ごめんな。ずっと辛い思いをさせちまった」

 戦士は勇者の胸に顔を埋めながら、ううんと首を横に振る。

光の精霊『感動の再会に水を差すようで申し訳ないが、少しいいかな。戦士』

 光の精霊の声が響く。
 ぐしゅ、と鼻をすすり上げて、戦士は勇者の胸から顔を上げた。

光の精霊『実はね、先ほどは不可能など無いと嘯いてみせたが、遠い過去に死んで、魂すら失せた人間を今更生き返らせることなど、いくら今の私でも出来ないのだよ』

光の精霊『通常は、だがね』

光の精霊『それが可能となったのには理由がある。要はだね、勇者の魂は消えることなく君の傍らにあったのだ。魂が今もなお存在していたからこそ、私は願いを叶えられた。なにしろ肉の器を用意するだけでいい。その程度であれば今の私の力なら容易いものだ』

 光の精霊の言葉の意味を理解した戦士は、目を大きく見開いて勇者の顔を見上げる。
 勇者は照れたように、あるいはばつが悪そうに、ぽりぽりと頬を掻いてはにかんでいた。
 戦士の目から、ぽろぽろと大きな涙が次から次に零れ落ちる。

戦士「ずっと―――ずっと傍にいてくれたのか。今までずっと……ずっと――――!!」

勇者「だって、お前ときたら、本当に俺の為だけに生きてるんだもんな。途中でお前が俺のことを忘れて他の奴になびいてたりしたら、俺もこう、気兼ねなく成仏的な感じになろうと思ってたのに――――」

 ―――――勇者の言葉は戦士の唇で遮られた。
 最初は驚きに目を見開いていた勇者も、やがて目を閉じ、戦士の体を抱きしめる。
 長い間、二人は互いの体を強く抱きしめたまま、口付けを交わしていた。


713 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:14:47.13 uAQKxthS0 825/829








「子供を作ろう――――たくさん、たくさん子供を作ろう」




「幸せになろう―――――今まで歩んできた道のりに比べたら、ほんの短い、一瞬のような時間かもしれないけれど、精一杯幸せになろう」







714 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:15:44.23 uAQKxthS0 826/829








 二人は寄り添いあって、これまでのことと、これからのことを話し続ける。




 時折、思い出したように口付けを重ねながら。






715 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:16:46.68 uAQKxthS0 827/829






 これにて、彼と彼女の長きにわたる物語に幕を引く。



 那由他の時の果てに、彼らは遂にめぐり逢った。



 永劫に渡る暗闇の道を踏破した、彼らの不屈の魂に喝采を。



 そして―――――――これから歩む、二人の未来に祝福を。










716 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:17:48.49 uAQKxthS0 828/829
















勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」




 ―――――以上、完全終了。




719 : ◆QKyDtVSKJoDf - 2017/11/03 20:20:23.50 uAQKxthS0 829/829

というわけで、終わりです

演出なども色々頑張ってみたつもりですが、いかがだったでしょうか?

コメント、乙をくださった皆さんのおかげでやりきれましたよ~

特に最初からずっとコメをくれてた方には感謝してもしきれません

三年間、見捨てずに見てくれて本当にありがとうございました!!

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