勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」【1】
勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」【2】
勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」【3】
朝、とある町の宿屋で目を覚ました勇者は、荷物をまとめて置いていた部屋の片隅に目を向け、ため息をついた。
勇者「駄目か……ほんと、どうなってんだこの剣は……」
勇者の視線の先では霊峰ゾアで拾得した狂剣・凶ツ喰が変わらず壁に立てかけられていた。
第十八章 過去の呪縛
武道家「やはり戻って来てしまったか」
勇者「砕いても駄目、土に埋めても駄目……どうすりゃこの剣を手放せるんだろうな」
戦士「そもそも一体全体どんな原理でその剣は勇者の下に復活するんだ?」
勇者「それがマジでわからんのよ。ふと気が付くと俺の荷物に紛れているんだ」
僧侶「それは……恐ろしいですね」
武道家「教会によってはこういった類の物の解呪も行うと聞いたが」
僧侶「いえ、教会で行うのはあくまで儀式的なもので……言い方は悪いですが気休め程度のおまじないです。この剣の呪いを解くことは出来ないでしょう」
勇者「んえ~……どうすっかねマジで」
戦士「しかし、名を解放せずに振るえば大丈夫なのではないか?」
勇者「今のところはなんともないけど……でも、たまに立ちくらみみたいに意識がもっていかれそうになる時があるんだ。持ち続けるといずれ意識を乗っ取られたりするのかもしれない」
武道家「ならばやはり早急に事態を解決しなければならんな」
僧侶「あれ?」
戦士「どうした僧侶」
僧侶「その剣、鞘に文字が刻まれていません?」
勇者「あれ、ほんとだ。気付かなかった」
僧侶「でも、なんて読むんでしょう……複雑で、難しい字。どこの国の言葉かしら」
勇者「あ……」
勇者の頭の中で、自身の知識とこの剣の本来の持ち主であったであろうあの死体の装束とが結びついた。
勇者「これ、漢字だ。この剣、『倭の国』で作られたものなんだ」
『倭の国』は東洋に浮かぶ島国である。
海によって外界との繋がりが限定されたことによりかなり独自の文化が発達したと伝えられている。
エルフ少女がこよなく愛するジャポン酒も倭の国が原産だ。
さて、そんな倭の国を訪ねるために勇者たちが訪れたのは港町ポルトだ。
交易の要として栄えるこの町には多くの船が行き交い、その中に倭の国へ向かう船もある、と情報を得たのである。
商人「へいらっしゃいらっしゃい!! 南国列島でしか手に入らない貴重な鉱石だ!! 剣にすれば切れ味抜群! 盾にすれば頑強極まる物になる!! さあ、買った買った!!」
漁師「獲れたてピチピチ新鮮魚介!! 新鮮だから生で食べても旨いぜ!!」
僧侶「ふわぁ……凄い活気ですねえ」
勇者「人や物が一番集まる所だからね。当然、それに応じて街も発展していくのさ」
武道家「それにしても船が多いな。どれが倭の国行きの船なんだ?」
勇者「ちょっと手分けして情報を集めようか。二刻後に部屋を取った宿屋に集合にしよう」
戦士「了解した」
勇者はまず酒場にてこの町で栄えている商会の情報を聞き出していた。
商会の規模が大きくなればそれに伴い保有する船の数も多くなる。
故に、規模の大きい商会から虱潰しに聞き込みをしていこうという算段であった。
聞き込みを始めて三件目、『北の商会』を訪ねたところで勇者はようやく船の情報を得た。
北商会主人「ようこそおいでくださいました、勇者様」
勇者「私の事を御存知なのですか?」
北商会主人「当然でございます。かの『伝説の勇者』様のご子息にして魔王討伐の旅を続ける素晴らしき若人。『善の国』にて行われた人身売買撲滅の働きはこの町にも広まっているところであります」
勇者「恐縮です。実はお訊ねしたいことがあって本日は参りました」
北商会主人「なんなりと」
勇者「この『北の商会』では倭の国との交易を行ってはいないでしょうか?」
北商会主人「行っておりますよ? 倭の国から買い付ける珍品は当商会の目玉でございます」
勇者「本当ですか!? であるのならば、不躾で申し訳ありませんが重ねてお願いがございます! 私達一行をその船に同乗させていただきたいのです!」
北商会主人「それは構いませんが……実はつい先日、倭の国行きの船が出たばかりでして、次の出航はひと月先になってしまうのです」
勇者「い、一か月…?」
勇者はちらりと腰元に装備した剣に目を向ける。
ぞくりと背筋が震えた。
地の底から響くような声を感じ取った気がしたのだ。
勇者「な、何とか早急に船を出してはいただけませんか?」
焦る勇者を怪訝そうに見つめ、北商会主人は二重になった己の顎を揉むように撫でた。
北商会主人「私めも勇者様のお力になりたいとは思いますが……何分、倭の国へは実に7日を要する旅路になります故、それなりの船とそれを操る人員が必要となります。その費用は無視できる額ではないのです」
北商会主人はさらさらと紙にペンを走らせた。
人件費、食糧費、船の補修費等々、必要経費を次々に書き連ねていく。
最終的な合計額を見て。勇者は顔を青ざめさせた。
勇者(と、とても捻出できる金額じゃない……)
北商会主人「臨時で船を出すとなればこれくらいの金額をいただかなくてはとてもとても……」
勇者「ち、ちなみに、他に倭の国と交易を持っている商会は?」
北商会主人「ございません。倭の国との交易権は我が商会が独占しております。故に我が商会はこれ程の発展を得ることが出来たのです」
勇者「そ、そうですか……」
北商会主人「申し訳ありませんが勇者様、これから私めは人と食事をする約束があるのです」
勇者「あ…ご多忙の中お時間をいただき、ありがとうございました。それでは、私はこれで……」
でっぷりと肥えた腹を抱えて立ち上がった北商会主人に頭を下げ、勇者は応接間を後にする。
勇者が向かう前に玄関の扉が開いた。どうやら食事の相手とやらがやって来たらしい。
美麗なドレスで着飾った美しい少女だった。
勇者は顔を紅潮させ、ドギマギしながらすれ違いざまに会釈をする。
少女の足が止まった。
少女「勇者様……?」
目を丸くして立ち止まる少女。勇者は怪訝に思いながら少女を振り返り―――唐突に思い至った。
勇者「君は…!!」
美しい黒髪を伸ばした少女―――彼女は、かつて『神官長の息子』の地下室で勇者に解毒剤の在りかを教えてくれた黒髪の少女だったのである。
勇者と黒髪の少女は酒場で落ち合っていた。
ちらちらと周囲のギャラリーがやたらこちらに視線を向けている。
少女の美しさ故か、と一人納得して勇者は少女に向き直った。
勇者「いや~まさかこんな所で君に会えるとは思わなかった。驚いたよ」
黒髪の少女「私もです。北商会主人の屋敷で見かけた時は目を疑いましたわ」
勇者「堅苦しい敬語はいらないよ。素の君を知ってるからね。何かむずむずする」
黒髪の少女「そう…? じゃあ、遠慮なく。本当に久しぶりね、勇者」
勇者「ああ、久しぶり……」
黒髪の少女「どうして顔を赤くしているの? まだそれ程お酒も飲んでいないでしょう?」
勇者「いや、恥ずかしいんだよ……君にはみっともない所を見せちまったからなあ」
勇者はかつて『神官長の息子』の地下室で、黒髪の少女の前で号泣してしまったことを思い出していた。
黒髪の少女「みっともないだなんて……そんな事は決してなかったわ。少なくとも私の目には、あの時のあなたはとても尊く映った」
勇者「んが~~!! 忘れてくれ!! もうこの話は無し!! 元気してた!?」
黒髪の少女「ええ、元気にしていたわ」
勇者「そうか! そりゃよかった!!」
照れを誤魔化すように勇者は酒杯をぐいっと呷った。
勇者「……本当に、よかった」
一息ついて、勇者はしみじみと言葉を繰り返した。
勇者「寄宿舎には住まなかったんだな」
寄宿舎とは、盗賊の被害者となった少女たちを住まわすために勇者が建てさせたものである。
黒髪の少女「私は家族が健在だったからね。実家に戻ることにしたの」
勇者「家はどのあたりなんだ?」
黒髪の少女「西の商会よ」
勇者は今日集めた情報を思い出す。確か西の商会とは、大きくもなければ小さくもない、言わばそこそこの商会だったはずだ。
勇者(ああ、それでか……)
勇者は周囲から向けられる視線に納得した。
そこそこの規模の商会の娘として、黒髪の少女は顔が売れているのだろう。
黒髪の少女「勇者は?」
勇者「ん?」
黒髪の少女「あなたは、元気にしてた?」
んぐ、と勇者は喉を詰まらせた。
思わず視線を腰元の狂剣・凶ツ喰【キョウケン・マガツバミ】に落としてしまう。
黒髪の少女「……あまり元気とは言えないみたいね」
何かを察した黒髪の少女に根掘り葉掘り聞かれ、勇者は自身の現状を洗いざらい喋ってしまっていた。
黒髪の少女「成程…それであなたは北の商会を訪ねていたのね」
勇者「そうなんだ。念の為に聞くけど、西の商会は船なんかは……」
黒髪の少女「ないわ。小さい船ならいくつかあるけど、倭の国まで渡り切ることが出来るものとなると一隻もない。ノウハウを持った船員もいない」
勇者「だよなあ……」
黒髪の少女「でも、もしかしたら何とかなるかもしれないわ」
勇者「ほ、本当か!?」
黒髪の少女「ちょっと心当たりがあるの。明日の昼にここで落ち合いましょう」
勇者「よ、よろしく頼む!」
翌日―――
黒髪の少女「こんにちは……あら?」
勇者「ああ、紹介するよ。この三人が俺のパーティーで、武道家、戦士、僧侶だ」
武道家「武道家だ」
戦士「戦士という」
僧侶「僧侶です! よろしくお願いしますね!」
黒髪の少女「ご丁寧に、どうも。こちらこそよろしくお願いします」
三人に対し、黒髪の少女は深々と頭を下げた。
黒髪の少女「早速だけど本題に入るわね。船の都合はついたわ」
勇者「マジか!!」
黒髪の少女「マジよ。今日、明日と準備させてもらって、明後日には出航できると思うわ」
勇者「あ、ありがとう!! マジでありがとう!! んで、費用は……」
黒髪の少女「結構よ。全て無償で提供させていただくわ」
勇者「いやいやいや! 少しだけでも払わせてくれよ!」
黒髪の少女「いいえ。恩人からお金を取るなんてできっこないわ」
勇者「お、恩とか……そんな大袈裟に考えなくても……」
黒髪の少女「私が人としての筋を通したいだけなの。気にしないで」
勇者「む、ぐ……じゃあ、お言葉に甘える。本当にありがとう」
黒髪の少女「どういたしまして。二日間はこの町でゆっくりしていって。自分で言うのもなんだけど、中々飽きない町よ。本当は私が案内してあげたいのだけど、用事があるのよ」
勇者「いや、そこまでしてもらう訳にはいかないよ、ホント」
黒髪の少女「それじゃあ、私はこれで。準備が整ったら使いの者を宿屋に寄越すわ」
勇者「ああ、またな」
武道家「いやしかし気前のいいことだ。余程いい所の令嬢なのだろうな」
勇者「いんや、そうでもないよ。確かに商会の娘だけど、規模としちゃ中堅どころだからな」
戦士「その割には費用を全部負担してくれたりと大盤振る舞いじゃないか」
勇者「いや、ホント、恩とかそんなんいいんだけどね。逆に心苦しいわ」
僧侶「あの、勇者様……」コソ…
勇者(僧侶ちゃんが近い! むっほう!!)
僧侶「あの方……昔の知り合いというお話でしたけど、もしかして盗賊の一件の……」
勇者「あ~……うん……武道家と戦士には黙っておいてね。言いふらされていい気分するはずないからさ」
僧侶「はい……」
勇者「でも、何で分かったの?」
僧侶「『恩』と言っていたのと、それと……いえ、何でもありません」
勇者「……?」
商人A「積み荷の手配、あらかた終わりました」
北商会主人「船乗りは集まっておるか?」
商人A「何とかギリギリ所定の人数に達するかと」
北商会主人「最悪の場合、勇者たちも人員として働いてもらう。それなら余裕をもって確保できるであろう?」
商人A「はい、そうですね」
北商会主人「段取りを急げよ。準備が終わった時、ようやくあやつが儂の手に入るのじゃ」
じゅるり、と北商会主人は涎をすすった。
北商会主人「くふふ…今から涎が止まらんわい」
勇者「やっぱり海沿いは魚が旨い!!」
武道家「魚を生で食すのは初めてだが……この海鮮丼というのはたまらんな」
僧侶「これも倭の国から伝わった文化らしいですよ」
勇者「『北の商会』様様やんけ!!」
戦士「この白子というのはとろとろで旨いな……主人、これは何なのだ?」
店主「魚のキャンタマだ!! がっはっは!!」
戦士「ぶほッ!!」
勇者「なんか港のあの一角だけやたらバタバタしてるな」
店主「ああ、何でも北の商会が急遽『倭の国』行きの船を手配しているらしいぜ。しかも北商会主人直々に大急ぎでって命令があったって話だ」
武道家「倭の国行きということは、俺達の乗る船か?」
勇者「北の商会? 西の商会じゃなくて?」
店主「そうだ。大体西の商会にあんなデカい船は手配できねえよ。あそこは最近落ち目だって話だからな」
勇者「………」
僧侶「……もしかして…」
町人「西の商会の娘が盗賊に攫われたっていうのは有名な話さ」
町人「隣町に出かけていた時に馬車を襲撃された。同行していた使用人は皆殺しにされていたが、娘の死体だけが見当たらなかった。だから、攫われたんだろうってな」
町人「あの『伝説の勇者』の息子によって助け出されてから、この町に戻ってきたみたいだが……誰だって、わかっちまうよな。今まで、彼女がどんな生活を送って来たか」
町人「『汚れた女』として町中に評判が広まるのは早かったぜ。見てくれはいいから、そこに嫉妬した女連中が噂を広めまくったと俺は読んでるんだけどな」
町人「そんな噂が広まっちゃあ、商売のイメージも悪くなる。生還を喜ばれたのは最初だけで、今じゃ家族からも疎まれはじめた。その証拠に、用もなくただ街をぶらついてる姿が毎日のように目撃されてる」
町人「家を飛び出して誰かの所に飛び込むことも出来ねえ。そりゃ誰だって、汚れた女なんかごめんだからな」
町人「だが物好きが現れた。それが北の商会の主人だ」
町人「北の商会の主人は熱心に娘を口説き始めた。西の商会の連中は大喜びさ。娘が北の商会の主人の妻となれば、北の商会と太いパイプが出来る。家族は喜んで娘を差し出した。北の商会の主人の噂を家族も知っているはずなのにな」
町人「北の商会の主人はどSのど変態なんだよ。若い娘の使用人がいつの間にか行方不明になってるなんてのは一度や二度じゃねえ。地下室にある拷問部屋でいじめ殺されたんだって話さ」
町人「そんな北の商会の主人にとって、お誂え向きだったんだろうさ。『汚れた女』ってのはさ」
勇者は苦渋の表情で目頭を押さえていた。
酒場で彼女と談笑していた時の、周囲の視線の本当の意味をようやく理解した。
勇者「……情報ありがとう」
町人「な~に、いいってことよ」
勇者「ただ……」
勇者は町人の胸ぐらを掴み上げた。
勇者「二度と彼女を汚れたなんて言うんじゃない」
万力のような力で締め上げられ、町人は青ざめながらこくこくと首を振った。
どさり、と町人の体が下ろされる。
ごほごほと咳き込みながら、町人は去りゆく勇者の背を茫然と見つめた。
町人「何だあの力…尋常じゃねえ……そしてあの迫力……まさか、あいつ、『伝説の勇者』の…?」
勇者の足は自然と北の商会へ向いていた。
足音が一つ、勇者の隣に並ぶ。
僧侶だった。
僧侶「勇者様……私に、彼女とお話をさせてくれませんか?」
勇者「僧侶ちゃんが…? どうして…?」
僧侶「私…彼女の気持ちがわかるんです。だから…」
僧侶の言葉を受けて、重ねて何故と疑問がよぎったが、勇者は口にしなかった。
とにかく、僧侶がそうしたいというのであれば、任せよう。
自分は自分のやるべきことをやるだけだ。
そう結論付けて、勇者は僧侶への思索を打ち切った。
そうすることが、彼女への最大の気遣いだと思った。
勇者様のお願いを聞いてくれたら、私のことを好きにしていい。
それが黒髪の少女が北の商会の主人に対してした提案だった。
北の商会の主人はこれを快諾し、出航の準備が整ったことを少女自身が確認出来たらその身を明け渡すという契約が結ばれた。
そして少女は今、北の商会へと続く夜道を歩いている。
北の商会の入口に人影が立っていた。
僧侶「こんばんは」
黒髪の少女「……こんばんは」
少し思案してから黒髪の少女はその人物が勇者の仲間の僧侶であることに思い至る。
だが、彼女が自分に何の用があるのかはさっぱりわからない。
僧侶「少し、お話をしませんか?」
黒髪の少女「……人と約束があるんです。私、行かないと」
僧侶「大丈夫、ほんのちょっとだけです。さあ」
黒髪の少女「あ、ちょっと…!」
黒髪の少女は僧侶に手を取られ、無理やり連れられてしまう。
パーティーの中では非力とはいえ、僧侶も相当に精霊の加護を受けている。少女に振りほどける力ではなかった。
黒髪の少女が連れられたのは近くにあった酒場だった。
貸し切りにしているのか、店内には誰も客がいない。それどころか、店主の姿さえ無かった。
いつもの煩わしい視線が無いのはありがたい。
黒髪の少女「あの…話って…?」
僧侶「ええ。単刀直入に言うわね。駄目よ。今あなたがやろうとしていること……やめなさい」
黒髪の少女「……何の事かしら?」
僧侶「私たちに船を提供する代わりに体を売ったでしょう? そして今、あなたはそのために北の商会を訪ねようとしていた……違うかしら?」
黒髪の少女「何の話をしているのかさっぱりよ」
僧侶「とぼけても無駄よ。裏は取れているわ」
嘘だ、と黒髪の少女は断じる。
契約は少女と主人の二人のみが知る事実であり、自分は誰にも言っていないし主人が漏らすはずもない。腐っても大商会の主である。
周囲の状況で勘付くことは出来ても、あくまで推測の域を出ていないはずだ。であれば、知らぬ存ぜぬで貫き通せる。
黒髪の少女「……付き合っていられないわ。私、本当に急いでいるの。失礼するわね」
黒髪の少女は立ち上がり、出口に向かった。
僧侶「そんな風にして船をもらっても、勇者様は絶対に喜ばないわ」
少女の足が止まる。
僧侶「既に勇者様も事態に勘付いてる。そんな手段によって都合をつけられた船になんて、絶対に乗らないでしょうね」
それは駄目だ。それでは自分は何のために。
黒髪の少女はふぅ、とため息をつくと僧侶に背を向けたまま語り始めた。
黒髪の少女「仮に……仮に、あなたの言っていることが事実として、何がいけないの?」
黒髪の少女「私が北の商会の主人にこの身を渡せば、あなた達は倭の国に行けるし、西の商会は立て直しが出来るし、北の商会の主人だって満足できる。皆が幸せになれるじゃない。それの何がいけないの?」
僧侶「いけないわ」
僧侶ははっきりと言った。
僧侶「だって、あなたが幸せになっていないじゃない」
少女は振り返った。その顔には少し怒りがにじんでいる。
黒髪の少女「いいのよ、私の事なんて」
僧侶「いいえ、よくないわ」
黒髪の少女「いいの!! どうせ私はもう幸せになんかなれない!! だから多くの人が幸せになれる道を選んだ!! それでいいじゃない!!」
僧侶「いいえ! あなたはまだ幸せになれる!! 自分の人生を諦めないで!!」
黒髪の少女「知ったふうな口を利かないで!! あんたみたいな女に私の気持ちは、汚れてしまった女の気持ちなんかわからない!!」
僧侶「いいえ」
僧侶は再び否定の言葉を重ねた。
僧侶「わかるわ。だって私も一緒だもの」
僧侶「私も盗賊に攫われて―――――犯され続けていたことがある」
僧侶の生まれはとある小さな町のごく一般的な家庭だった。
慎ましくも幸せに生活し、僧侶はすくすくと美しく成長した。
十三歳の時、町が盗賊の集団に襲われた。
家族は皆殺しにされ、僧侶はその死体の傍で盗賊に組み敷かれた。
生き残ったのは僧侶も含め、盗賊に気に入られた十人余りの少女のみだった。
そこからの三か月間のことを、実は僧侶はあまり覚えていない。
盗賊の慰み者として生きた過酷な記憶を無意識に閉じ込めてしまったのだろうと僧侶自身は解釈している。
盗賊の虜囚としての生活はふとした時に終わりを告げた。
少しばかり自由に出歩ける機会があったので、川に身投げしたのである。
激しい流れにまかれ、滝を落ち、それでも僧侶は生き残った。
川岸に打ち上げられた僧侶は空腹感に耐え兼ね、とにかく食べ物を探して当て所なく彷徨った。
そして三日の後に、遂には餓死寸前のところを勇者たちの故郷、『始まりの国』の司祭に発見され、保護されたのである。
なお、この三日の経験が彼女の『全ての子供たちに暖かな家を』という志の原初体験となっている。
僧侶「だから、あなたの気持ちはわかるわ」
いつの間にか、僧侶の瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。
僧侶「幸せにならないと駄目よ。そんなに酷い目にあったんだもの。それを取り返すくらい絶対に幸せにならないと駄目…!」
僧侶は立ち上がり、黒髪の少女を抱きしめた。
少女の目からも涙がぼろぼろと零れ落ちる。
黒髪の少女「う…ぐす…!! ひっく…! なれますか……? 私、まだ幸せになれますか…!?」
僧侶「なれる…!! 絶対になれるわ…!! いいえ、なるの!! 絶対に!!」
僧侶と少女はしばらくの間、互いを抱きしめあって泣き続けた。
黒髪の少女「あ~……泣きすぎて頭がぼ~っとするわ」
僧侶「私も……いつ以来だろ、こんなわんわん泣いたの」
泣き疲れた二人はそのまま床にへたり込んでいた。
肩を寄せ合って座る二人はしばし黙り込む。沈黙は苦ではなく、むしろ心地よかった。
僧侶「ねえ…」
黒髪の少女「…なに?」
僧侶「私と友達にならない?」
黒髪の少女「……私でよければ、よろこんで」
僧侶「ありがとう」
黒髪の少女「どういたしまして」
僧侶「……」
黒髪の少女「……あ~、でもどうしよう」
僧侶「なにが?」
黒髪の少女「船のこと。倭の国に行けないと本当に困るんでしょ?」
僧侶「大丈夫よ。きっと勇者様が何とかしてくださるわ」
黒髪の少女「信頼してるのね」
僧侶「ええ。いつでも、ここぞという時に頼りになる方だもの。あなたも知ってるでしょう?」
黒髪の少女「……ええ、そうね」
そして―――現在、黒髪の少女は北の商会の主人の前に立っていた。
北商会主人「ぐひょひょひょ……よくぞ約束通り現れた。覚悟は出来ておろうな?」
黒髪の少女「……はい」
北商会主人「では早速これから地下の部屋へ来てもらう。当然、そこでのことは一切他言無用じゃぞ?」
黒髪の少女「……はい」
北の商会の主人の先導に従い、黒髪の少女は静々と歩を進める。
そこに抵抗の意志は一切感じられないように思えた。
北商会主人「ここじゃ」
厳重に鍵がかけられた重厚な扉が開き、中の様子が少女の目に飛び込んできた。
黒髪の少女「ぐ……」
思わず少女は絶句する。
噂に聞いていた通りの、いや、それ以上に醜悪な拷問器具の数々が所狭しと並べられていた。
何よりも少女の心を抉ったのは、どれもこれも使い込まれているのがはっきりと見てわかるということだった。
北商会主人「今さら怖気ついても逃がしはせんぞ? なに、慣れるまではかる~く遊んでやる。安心せい」
北の商会の主人が少女の肩に手を触れる。
びくりと少女の体が震えた。
北商会主人「では……脱げ」
威圧感のこもった拒否を許さぬ命令。
少女はわなわなと震え、拳を固く握りしめ、口を開いた。
黒髪の少女「……駄目だ。てめえはもう駄目だ。北の商会の主人」
北商会主人「なにッ!?」
少女の体から煙が噴き出す。
北の商会の主人は目を疑った。
黒髪の少女の姿はまさしく煙となって消え―――そこに立っていたのは、紛れもなく勇者であった。
勇者「どらぁッ!!!!」
怒りに震えていた拳を勇者は主人の顔面に叩き込む。
盛大に吹き飛んだ主人は壁に背中を強か打ちつけ、地面に倒れこんだ。
北商会主人「んな!! んば! 馬鹿なぁ!! 何故貴様がここに!? あの女はどこに消えたぁ!!」
勇者「俺が化けてたんだよ! この変化の杖でな!!」
北商会主人「んな、はあ…!?」
勇者の説明を受けてなお混乱を増す北の商会の主人。
勇者はそんな主人に構わず言葉を続けた。
勇者「駄目だ駄目駄目!! まったくの不合格!! てめえみたいなクソ野郎にあの子はやれねえなぁ!!」
北商会主人「な、何のつもりだ貴様! こ、この儂にこんなことをして、タダで済むと思っておるのか!!」
勇者「ああん!? 言っとくがめッッちゃくちゃ手加減してんだからな!? 俺が本気で殴ったらお前の頭ボーン!ってなるからね!?」
北商会主人「ひ、ひい!!」
勇者「噂の真偽を確かめるために来たはいいものの、噂以上に真っ黒じゃねえか!! お前本当殺されないだけラッキーだと思えよ!?」
北商会主人「く、くそ……いいのか? 儂に逆らえば倭の国には行けなくなるぞ?」
勇者「ああん!? ざけんな船はもらうに決まってんだろボケ!! 明日予定通り乗ってくからな!!」
北商会主人「そ、そんなふざけた言い分が通るわけ……!!」
勇者「じゃあぁぁこの部屋の事を町中に、国中に、大陸中に言いふらすからな!! 『伝説の勇者』の息子の言葉だ、みぃんな信じるぜ!! そうなりゃお前の商売は終わりだよ。いや、下手したら縛り首かもな」
北商会主人「な、な…が……!!」
勇者「あと、二度と女の子に乱暴なことをするな。この部屋を少しでも使ったのが分かったらすぐに殺しに来るからな」
北商会主人「ひ、ひぃ……」
勇者「わかったな?」
北商会主人「ひ、人の弱みを握って、暴力で言う事を聞かせて……そ、それでも『伝説の勇者』の息子かぁッ!!!!」
主人の言葉を受けて、勇者は目を点にして固まった。
そして、笑い始めた。大爆笑だ。
北商会主人「な、何が可笑しい!!」
勇者「可笑しいよ!! あんまり笑わすんじゃねえよ!!」
勇者「伝説の勇者の息子が、清廉潔白な『勇者』とは限らねえだろうがよ!!!!」
黒髪の少女は、穏やかな風の中、馬車に揺られて草原を駆けていた。
行き先は勇者が善の国にて建設した寄宿舎である。
港町ポルトを出た方がいい、という勇者の進言に従っての事だった。
黒髪の少女「幸せ…か……」
少女は自身の幸せの形について思いを馳せる。
そんなもの、決まりきっていた。
黒髪の少女「勇者と結婚できたら、凄く幸せだろうなあ」
でも、少女は想いを告げることはしなかった。
魔王討伐の旅を続けなければならない勇者には、少女の気持ちに応えることは出来ない。
それが分かっていたから我慢した。それを分かっていて告白することは勇者の重荷を増やすだけの、ただの自己満足だと思ったから。
黒髪の少女「大好きだよ……この気持ち、伝えさせてね。勇者」
だから、待つと決めた。
勇者が魔王を倒して帰ってくるまで、いつまでも待ち続けると。
風が吹いた。涙の痕はもうない。
少女は穏やかにはにかみながら、流れる景色に目を向けた。
同じころ、船上にて僧侶も風を感じていた。
僧侶(酷い目にあったんだから、それ以上に幸せにならないといけない―――か)
自分で言った言葉が、自分の胸に深く突き刺さっている。
僧侶(私も―――いいんだろうか。こんなに汚れた私でも、幸せになることを目指していいんだろうか)
自問するも、答えはとっくに出ている。
それを否定することは、新しくできた友達の―――あの少女の人生を否定することだ。
僧侶(幸せになれるよう、頑張ってみよう。精一杯、頑張ってみよう)
僧侶もまた、自身の幸せの形を夢想する。
振り返って、海に向けていた視線を甲板に向けた。
その視線の先に居たのは―――――
第十八章 過去の呪縛 完
倭の国。
勇者たちの故郷・始まりの国や善の国などが属する大陸から東の海に浮かぶ島国だ。
その交易は主に勇者たちも訪れた港町・ポルトを介して行われており、その船旅は実に七日の時を要する。
倭の国の大きな特徴は何といってもそこに住まう人々の独特な出で立ちだ。
男子は裾に行くほど広がる構造になっている袴と呼ばれる物を穿き、長布を羽織って帯で締める。女子は下着を身に着けた後、肩から足まである長衣を纏い、男性のそれと比べて大きな帯を締める。これが所謂『和服』の一般的な形である。
町を行き交う大部分の人々は麻や綿で拵えられた和服を身に着けているが、時には艶やかに輝く絹製のものを身に纏った人もいる。聞くところによると上質な絹は主に輸入によって賄われているので、希少価値が高く高級品として扱われているのだそうだ。
住居は木造を良しとしており、レンガや石造りの建物は住宅街の中には見られない。石造りの建築物が見られるのは精々商人宅の倉庫か、町を治める主の住まう城くらいのものだった。
勇者「もっちゃもっちゃ。さて、んぐ、これからどうすっかな」
団子屋の縁側に腰掛け、団子を頬張りながら勇者達一行はそんな町の様子を眺めていた。
倭の国中心街―――『央都(おうと)』にて。
第十九章 ドラゴン・クエスト(前編)
この身滅ぶとも必ず怨竜討ち果たすべし ―― 鉄火志士丸。
町の住人に教えてもらった結果、どうやら勇者の持つ狂剣・凶ツ喰に刻まれていた文字はそういう風に読めるらしい。まさしく、竜殺しの魔剣に相応しい文言であると言えた。
後段の『鉄火志士丸(てつかししまる)』については、おそらく人の名前であろう。だが、それが所有者の名なのか、製作者の名であるかまでは判別がつかない。
武道家「まずは『鉄火志士丸』について聞き込みを始めるか」
勇者「そうだな。とりあえずそれしかやること浮かばねーや」
僧侶「勇者様、体の調子はどうですか?」
勇者「んー、今のところは特に何も……船酔いは僧侶ちゃんの回復のおかげで殆ど良くなったし……」
実は勇者、倭の国に到着した直後は船酔いでダウンしていた。
戦士「倭の国が見えたと船の舳先でずっとはしゃいでいるからだ。まったくみっともない」
勇者「はしゃいでたのは戦士も一緒だろ。戦士は船酔いしなかっただけで」
武道家「とにかく、その魔剣は今のところはまだ大人しいということか」
勇者「そうだな。コイツが黙っているうちにさっさと手がかり掴んじまおう。それじゃみんな、よろしく」
頷き合って一行はその場を散る。
何となく進んだ道の先で、またしても勇者は珍しい者と顔を合わせることになった。
「うおーいマジかよ!! お前なんでこんな所にいんの!?」
そんな風に勇者に声をかけてきたのは、額に赤いバンダナを巻いて金髪を後ろに流し、腰に蒼く輝く剣を帯びた男。
圧倒的な実力を持つ冒険者。
『伝説になれなかった騎士』の息子。
騎士である。
勇者「いやいや俺の台詞なんだけど。お前なんでこんなトコにいんの?」
騎士「いや、この前港町に寄ってみたらさー、なんか倭の国に向かって船が出るって言うからさー、特に予定もねえし、ちょっと行ってみっか!って。まあ要は暇だったからだな」
勇者「ってことはお前北商会の主人に会ったわけ?」
騎士「え? 誰それ」
勇者「え? いや、倭の国行きの船の持ち主。お願いして乗せてもらったんじゃねえの?」
騎士「いや、勝手に乗ったよ。出航しちまえばこっちのもんだってな。まあ密航がばれた時は一悶着あったけど」
勇者「いやお前マジか。よく船から叩き出されなかったな……ああ、いや、お前を力で叩き出せる船員なんている訳ねーか」
騎士「なんかその言い方だと俺凄い身勝手な悪い奴に聞こえるじゃん。言っとくけど食糧とかは自前のもん食ってたからね? マジほんと乗せてもらっただけだから。迷惑とか全然かけてねーから」
勇者「まあでも納得……お前があの北商会の主人に頭下げるなんて想像できねーもんな。武王様にすらタメ口きくような奴だし」
騎士「ってかお前が来るタイミングも大分おかしくね? 確か倭の国への船って一か月に一回しか出ないはずだろ? 俺がこの国に来てからまだ二週間もたってねーべや」
勇者「……まあ、いろいろありまして」
騎士「お? 何それすごい興味ある。ちょっと聞かせてみ? ほら、近くに旨い酒屋あるから」ガシッ!
勇者「いや、騎士くんボク凄い急いでんねんけど力強ッ!!!! 何コレ全然抵抗できない!!!!」ズルズルズル…
騎士「ガッハッハ!! ガッハッハ!!」
勇者から港町ポルトでの事のあらましを聞いた騎士は大口を開けて笑い出した。
言うまでもないが、黒髪の少女絡みの話は『北商会主人の悪事を暴いて~』程度にぼかしてある。
騎士「悪いやっちゃ!! 『伝説の勇者』の七光りフル活用じゃねえか!! いや、愉快痛快!!」
勇者「う~るせいな。しょうがねえだろ」
騎士「いや、責めてねえよ褒めてんだ。いいじゃん勇者。お前、強かになったじゃんか」
何やらとても嬉しそうに騎士は言う。
その雰囲気が、まるで弟の成長を喜ぶ兄のようで、どうにも面映ゆくなって勇者は顔を背けた。
騎士「んで? 何でまたそんな事までしてこの国に来たんだよ。『伝説の勇者』―――お前の親父も、ここじゃ特になんにもしちゃいねえだろ?」
勇者たちが、基本的には『伝説の勇者』のかつての旅路を辿っていることは騎士も知る所だ。
勇者「ちょっと今面倒なことになっててな。一応聞くけど、『鉄火志士丸』って名前に聞き覚えとかあったりしないか?」
騎士「あん? 何よソレ」
勇者「この剣にそういう名前が刻まれているらしいんだよ」
勇者は腰に携えていた狂剣・凶ツ喰を掴み、騎士に文字が見えるように動かした。
騎士「ふ~ん。ちょっと貸してみ?」
そう言って騎士は狂剣・凶ツ喰に向かって無造作に手を伸ばした。
思わず勇者の顔が凍り付く。
想像してしまったのだ。
もし、騎士が呪いの支配を受け、正気を失ってしまったら―――それを止められる人間が、果たして存在するのだろうか。
騎士が正気を失い、全力で暴れまわる―――冗談抜きで、それは世界の破滅に他ならないのではと勇者は思った。
勇者「待て騎士って力つっよ!!!!」
慌てて騎士の手を掴み止めようとした勇者だったが騎士はおかまいなしで狂剣・凶ツ喰の柄を取った。
騎士「むっ…!」
騎士の顔色が変わる。
ぎくりと勇者の背が震えた。
騎士は勇者の剣から手を離すと、上げていた腰を椅子に下ろす。
騎士「な~るほど。こりゃまた面倒なことになってんなあ、お前」
どうやら騎士は剣を掴んだだけでおおよそのあらましを推察したようだった。
勇者「さ、触っただけでわかるのか?」
騎士「そりゃわかるさ。お前が初めて俺の湖月を握った時と同じだ。特殊な剣ってのは握った瞬間にその力が使用者にも伝わるもの。そんで、俺は今その剣からも妙な力を感じた」
騎士「精霊装備ってのは本当に希少なものだ。それこそ、俺の故郷に国宝として伝わってきたくらいにな。だから、その剣が精霊装備だっていうのは中々考えにくい。それよりも、もっと可能性が高いものがある」
騎士「それが『呪い』。精霊の加護ならぬ超常の力―――人間の怨念だ」
騎士は腕を組み、ふう、とひとつ大きなため息をついた。
騎士「――――『鉄火』って名前には聞き覚えがある」
勇者「ほ、ホントか!? 騎士!!」
騎士「確か……うん、そうだったはずだ。暇だったからな。この十日余りの間、俺は色んなところを見て回ってた。ここ、倭の国中心街『央都』から南西に二百キロ程度進んだ所に『端和(たんわ)』と呼ばれる集落がある。そこに剣を造る鍛冶屋があって、その一族が代々冠する名前が『鉄火』だったはずだ」
勇者「『端和』か……行ってみる価値はあるな」
騎士「多分、その剣の起源はそこで間違いない」
勇者「……? 何でそこまで言い切れるんだ?」
騎士「俺もさっき声を聞いた。竜殺しの呪いなんだろ? なら……思い当る節がある」
酒杯を呷ると騎士は立ち上がった。
騎士「さっさと仲間を集めな、勇者。俺が『端和』まで案内してやる」
勇者「あ、ありがとう騎士!!」
騎士「気は進まねーがな……ま、お前を見捨てるわけにもいかねーし」
妙に不機嫌な騎士の様子が気にはなったが、現状その厚意に甘えるしかない勇者は特に追求はしなかった。
勇者「と、いうわけで騎士がしばらく僕達に同行します」
騎士「よろぴこ」
武道家「は!?」
戦士「なぁっ…!?」
僧侶「ふえぇ…!!」
盛大に一悶着あるかと思われた騎士の加入だが、驚きはあったものの意外にすんなりと受け入れられた。
それぞれ思うところはあるだろうが、貴重な情報を持つ騎士を無碍には出来ぬと理解してくれたのかもしれない。
みんな大人になったなあ、としみじみ感じ入っている勇者の後ろではこんな会話が行われていた。
騎士「あれっ!? ちょっと待ってそれ精霊装備じゃない!?」
武道家「ご明察の通りだ。どうだ? 威力を試す気はないか?」
騎士「気が向いたらね! やあ僧侶ちゃん! 相変わらず可愛いね!!」
僧侶「近寄らないでください。そして指一本私に触れないでください」
騎士「辛辣ッ!! そういえばおっぱい触ったこと謝ってなかったね、めんご!!」
僧侶「許される気あります?」
騎士(ないよ!!)
武道家「言っておくが一度でも僧侶や戦士に狼藉を働いたら問答無用でこの『竜牙』を叩き込むからな」
勇者(うん! みんな仲良くやってるなあ!!)
無論、勇者の耳はしっかりとその会話を聞き取っている。
勇者の言葉は心の声だというのに驚くほど棒読みであった。
戦士「おい」
騎士「ん?」
さて、そんな勇者に聞こえないよう殊更声を潜めて騎士に話しかけたのは戦士である。
戦士「武闘会でのあの言葉の真意を教えろ」
騎士「あの言葉って?」
戦士「とぼけるな。勇者がまた壊れてしまうと、お前は言ってただろう」
騎士「言ってたっけ? 覚えてねえや」
戦士「おい!」
騎士「いや、マジで俺その場その場のノリで適当言うからさぁ~。あんま気にしなくていいよ? ホント」
戦士「お前…!! あの言葉で私がどれだけ悩んだと…!!」
騎士「めんご☆」
戦士「ぐぬぬ…!!」
憤りを抑えきれない様子の戦士を見て、騎士は笑う。
騎士(実際、気にしてもしょうがないことは気にしない方がマシだぜ。お嬢ちゃん)
その笑みの真意に気が付く者は、まだ誰もいない。
倭の国領土内、南西に位置する集落―――『端和』。
その集落内に足を踏み入れた直後だった。
勇者「……ッが!? な、ぐぁ……!!」
猛烈な耳鳴りと頭痛が勇者を襲った。
耳元で金属器を大音声で打ち鳴らし続けているような不快感。
吐き気が込み上げ、視界が赤く染まり始めた。
そこで勇者は気づく。
勇者(凶ツ喰…!! これは、この剣が暴れているのか!!)
魔剣が遂に牙をむき勇者の意識を乗っ取ろうとしている。
勇者は歯を食いしばり、全力で剣の浸食に抗った。
武道家「おい、勇者! おい!!」
異変に気付いた武道家が勇者の肩を揺する。
戦士はいつでも勇者を抑えられるように背後に回り、僧侶はいつでも呪文を行使できるよう杖を握る。
騎士は事の成り行きを静かに見守っていた。
やがて勇者の息遣いが落ち着きを取り戻す。
勇者「もう……大丈夫だ……すまん、心配かけた」
武道家「そうか……異常を感じたらすぐに知らせるんだぞ。勇者」
勇者「ああ。しかし……剣がこれだけ反応したということは、やっぱり騎士の言う通り、この村には何かがあるな。皆、気を引き締めていこう」
勇者はごくりと唾を飲み込み、躊躇う自分を鼓舞して歩みを再開した。
村娘A「ようこそおいでくださいました、旅の方!!」
村娘B「ようこそ、端和へ!!」
集落の入口をくぐった勇者たちを出迎えたのは美しい村娘たちの満面の笑みだった。
勇者「お、おお?」
思わず勇者の目が点になる。
僧侶「ず、随分熱烈に歓迎されてますねえ…」
僧侶の言葉を耳にした村娘が快活に笑った。
村娘A「はい!! 私達端和の民は、来訪されるお客様を最大限おもてなしすることを生き甲斐としておりますゆえ!!」
村娘B「宿もお食事も無料で提供させていただきます!! どうぞ、ご遠慮なくおくつろぎください!!」
武道家「そ、それはまた太っ腹なことだな」
戦士「見たところ、そんな飛びぬけて豊かな村だとは思えんが……」
村娘A「確かに、物質的な豊かさはさほどではないかもしれません。しかし、端和は土地神様のご加護により決して困窮することはなく、民は常に安定した生活が送れるのです!」
村娘B「端和の民がお客様に無償でご奉仕させていただきますのは、土地神様の素晴らしさを全世界に広めるためでございます!!」
勇者「『土地神』?」
村娘の言葉に勇者が反応する。
勇者「土地神ってのはもしかして――――」
騎士「――――竜のことだよな?」
勇者の言葉を騎士が引き継いだ。
村娘A「ひっ!?」
騎士の姿を認めた村娘の顔が恐怖に歪む。
騎士「おいおいどうした? まるで化けて出たみたいな目で人を見やがって」
村娘A「はわ…! そ、村長様ーーーッ!!!!」
あれ程人懐っこい笑顔を向けていた村娘たちは、勇者たちに背を向けると一目散に走って逃げていった。
勇者「騎士……これは一体……?」
騎士「まあ見てな。そうすりゃこのクソみてえな村の本質がわかる」
やがて困惑する勇者たちの前に十数人の武装した男を引き連れて、一人の老人が姿を現した。
今までは勇者たちの後ろに隠れるようにしていた騎士が、今度は前に出て老人と相対する。
騎士「よう村長さん。三日ぶり」
村長「お主……どうやってあの洞窟から……お主が今無事でここにいるということは、洞窟の赤竜様は……」
騎士「相手にもしてねえよ。面倒くせえ」
騎士の言葉に村長と呼ばれた老人はほっとしたような、残念がるような、複雑な表情を浮かべた。
村長「そうか……では何しにこの村に戻ってきた。復讐か? 腹いせにこの村を蹂躙するつもりか?」
ぴくりと騎士の眉が動く。
俄かに緊張が走り、武装した男たちがそれぞれの武器を構えた。
騎士はふぅ~、ととても長い溜息をついた。
騎士「ごめんなさいも無しか。つくづく救えねえな、お前ら」
騎士は村長たちに背を向けた。
騎士「安心しな。今回はこいつらをここに案内しに来ただけだ。俺自身、この村をどうこうしようなんてつもりはねえよ」
そう言って騎士は再び勇者たちの後ろに戻った。
あからさまにほっと息をつく村長たちに、騎士は言葉を付け足した。
騎士「ただし俺がこの村にいる間は俺の機嫌を損ねないように気をつけな。そうだな、今度こそ見返りなしで飯と宿を提供してもらうぜ」
今を遡ること四日前―――騎士は一人でこの端和を訪れていた。
騎士は今回勇者たちがされたように、村娘たちによって熱烈な歓待を受けた。
おもてなしのムードは村全体に及んでおり、豪奢な宿と豪勢な料理が無料で騎士に振る舞われた。
倭の国独特の山の幸、新鮮な海の幸、さらに極上の美酒として大陸にも伝わるジャポン酒。
すっかりいい気分になった騎士はこんな風に考えて痛快に思ったものだ。
何の見返りもなく、他人が喜ぶ姿を見ることが至上の幸福だなんて――――ああ、なんて素晴らしく、脳みその膿んだ奴らだろう。
さて翌日。
騎士は村の民から土地神様への拝謁を勧められた。
なんでも、ありがたい土地神様のご加護を得ることで今後無病息災で居られるのだとか。
飛びぬけた加護を既に得ている騎士を侵せる病魔など恐らくこの世に存在し得ないので、そんな拝謁を行うメリットなど毛ほどもなかったが、余りにも熱心に勧められるので結局騎士は根負けした。
そもそも、来訪者を無料で歓待するのは土地神の信仰を流布するため、と昨晩案内されている。
それを知っていて歓待を受けたのだ。それでこの勧めを断るというのは余りに不義理というものだろう。
自由奔放の体現者とも言うべき騎士がこんな殊勝なことを考えるくらいには、騎士は端和での歓待に満足していたのだった。
騎士は村民の案内に従って土地神が住まうとされる山を登った。
ぞろぞろと二十人余りの男たちに案内されたので、何とも大袈裟なことだと騎士は呆れていた。
「何ともまあ、自分以外の何かをよくそんな風に敬えるものだ」と、こんな感じに騎士は思っていた。
やがて洞窟の入り口に着き、ここで騎士は村民たちより先に行くよう案内される。
洞窟の奥から感じる熱気。この奥に火砕流やマグマが溢れていることは明らかだ。
本来であればこの先こそ地元の人間が先に立ち、案内するべきだ―――普通であれば、ここでそんな疑問を抱いたかもしれない。
しかし常人より遥かに高い耐久性を持つ騎士は、「そりゃ普通の人はこんな所行きたくねーよなー」と納得するばかりであった。
しばらく進んだ所で、突如騎士の背後に重く厚い石造りの扉が下ろされた。
「何のつもりだ?」―――当然騎士は問う。
だがその問いへの返事はなく、扉の向こう側から聞こえてくるのは奇妙な歌だけであった。
それは騎士が倭の国中を放浪していた時に何度か耳にしたことがある歌だった。
『念仏』―――倭の国において最もポピュラーな、死者に捧げる鎮魂歌。
ああ―――なるほどね。
騎士は全てを察し、しかし驚くほど腹は立たなかった。
むしろ安心した。納得がいき、合点がいった。
「なんだ、やっぱりそうだ」
「やっぱり理由があった。あの歓待は、ちゃんと見返りを求めての事だったんだ」
「そうだ、やっぱり―――全くの無償で誰かに奉仕できる人間なんている訳がない」
「居るとしたら―――――そんな奴は、人間として壊れている」
騎士はしばらくどうするかその場で思案した。
騎士の力ならこの程度の石扉などあっさり粉砕できる(なお、ぞろぞろと二十人もついてきたのはこの扉を動かすためだったのかと騎士はここで理解した)。
しかし騎士はそもそも暇つぶしの為に倭の国に渡ってきた身だ。
端和の民をこのような狂気に走らせる土地神とやらの正体への興味が勝って、騎士は先に進むことにした。
果たして、騎士は洞窟の最奥にて赤い鱗の竜と対面した。
対面し、二言三言竜と言葉を交わして、『端和の土地神の仕組み』を理解した騎士は、呆れた。
呆れて、騎士は目の前の竜に言葉を放った。
「戻るのも面倒だ。この洞窟の裏口―――というか、お前用の出入り口か。あるだろ。道を教えろ」
騎士「―――とまあ、こんな訳だ」
用意された宿にて、勇者たちは騎士の部屋に集まって話を聞いていた。
勇者「生贄……ってことか」
騎士「そういうことだな。来訪者を歓待するのは土地神の所へ案内しやすくするため。もしかすると、罪滅ぼしの意向もあるのかもしれねーけどな」
武道家「とすると、勇者の持つ魔剣の呪いはかつて生贄にされた何者かの怨念…?」
騎士「或いは、その縁者か。どちらかと言えばこっちの可能性が高いだろうな」
戦士「何故だ?」
騎士「元々その剣が生贄になった誰かの物だったとしたら、それを洞窟内から持ち出した奴がいるってことになるだろ。剣が落ちてるのは当然竜のいる最奥だ。そんな所に残っているかさえも怪しい遺品をわざわざ取りに行くやつがいるか?」
僧侶「しかし、縁者というのも……その旅人が行方知れずになった原因が、こんな遠い島国の竜に食べられたからだと気づくことが出来るでしょうか?」
騎士「まあ、出来んわな。つまり……」
武道家「つまり…?」
勇者「つまり、旅人だけじゃないんだ。生贄は」
重々しく口を開いた勇者に全員の視線が集中する。
勇者「そもそも、旅人だけをターゲットにしたって、足りる訳がないんだ。足りない分をどうやって補うかなんて……そんなの答えは分かりきっている」
勇者はその手に持った狂剣・凶ツ喰を目の前に掲げた。
勇者「その犠牲となったのが、恐らく『鉄火志士丸』に近しい誰かなんだ。とにかく俺達は、『鉄火』の家に行って話を聞かなければならない」
端和の集落、その片隅にひっそり設けられた墓地。
そこにある墓石のひとつ―――『鉄火志士丸』と刻まれた墓石の前に、花を添える少女がいる。
遺体のないその墓の前に跪き、少女は涙を流して祈りを捧げた。
それは恐らく、端和に伝わる土地神に対してではなく、もっと別の何かへ向けて。
少女は祈り続ける。拝み続ける。
縋るように。願うように。
「兄上……どうか御無事で、お戻りくださいますよう……!!」
ああ―――――その願いの結末は。
勇者「そして、何故端和の民がこの生贄を受け入れているのか、俺達はその謎も解かなければならない」
騎士「そんなもの、弱いからじゃないのか? 刃向えば全員殺される。だから、素直に従って見逃してもらっていると、ただそれだけの話じゃないのか?」
勇者「いいや、村民に危害を加える竜が近隣に住み着いた時点で、倭の国中央部に討伐依頼を出すのが自然だ。だが、倭の国中央部ではそんな話は一切聞かなかった。つまり、当初からこの端和では竜の存在を許容していたんだ」
勇者「そこには何か理由があるはずだ。端的に言えば、『端和の民から定期的に犠牲者を出してでも得るべきメリット』。竜の存在が端和にどんな利益をもたらしているのか……それを探る」
武道家「言われてみれば妙な話だ。普通に考えれば、集落を捨てて全員が逃げ出してもおかしくない。それをしない確たる理由が、確かに有りそうだな」
勇者(……けど、命に釣り合うようなメリットなんて、本当にあるのか? 少なくとも、俺には思いつかない……俺の中で、命こそが何よりも重いものだと定義されているからだ)
勇者(……今考えても仕方がない。今考えるべきは、情報収集を如何にして行っていくかだ)
端和の集落の中央部、大屋敷の一室にて村長は畳に膝をつき、頭を垂れていた。
おかしな光景である。
村長とはその名の通り村の長。
村長が膝をつくべき上位存在など、本来村の中に居るはずはないのだ。
村長「先日、生贄の任を逃れた騎士が舞い戻ってまいりました。加えて、数人の仲間を連れきた様子で……もしや、赤竜様へ弓引くことを考えておるのかもしれません」
村長の視線の先―――帳(とばり)の奥で影が動く。
村長「いかがいたしましょう……竜の巫女様」
村長の座る畳より一段高く設けられた舞台に鎮座する巫女服の少女―――竜の巫女と呼ばれた少女は、その黒々とした瞳を見開き、こう口にした。
竜の巫女「――――不届き」
第十九章 ドラゴン・クエスト(前編) 終
勇者「情報収集は二手に分かれて行おう。俺と武道家は『鉄火』の家を訪ねる。戦士と僧侶は村の人たちから土地神――竜の話を聞いてみてくれ。主に、どうして生贄を欲する竜なんかを信仰し続けるのかって辺りを、なるべく刺激しないようにな」
戦士「む、難しいな……」
勇者「『鉄火』の家にはどうしても実際に剣に呪われている俺が行く必要があるから、出来ればそっちの方は任せたいんだけど……どうしても無理なら、二手に分かれるのはやめて、みんなで順番に行こうか?」
僧侶「いえ! 勇者様に頼りっきりにするわけにはいけません。こちらは私と戦士にお任せください!」
戦士「ああ、が、頑張る……」
勇者「そう? じゃあ、悪いけどお願いするよ。騎士はどうする?」
騎士「んー? まあ、このままじっとしてんのも暇だし、勇者の方についていこうかな。この村の奴らの信仰の話とかはクソ程どうでもいいけど、剣の話は面白そうだ」
よっ、と声を上げ、ベッドに仰向けに寝転んでいた騎士が身を起こす。
騎士「人の意思を喰らう魔剣。どれ程の恨みが、執念があればそんな代物が出来上がるのか……これはちょっと興味深いぜ」
第二十章 ドラゴン・クエスト(中編)
端和の村の南西に位置する鍛冶屋―――『鉄火』。
勇者「……ここだな。確かに、看板にこの剣に書いてあるのと同じ『鉄火』の文字がある」
武道家「随分と静かだが……誰もいないのか? 村人の話では営業はしているとのことだったが…」
騎士「まあ取りあえず入ってみようぜ」
勇者は入口のドアを開ける。ちりんちりんと鈴がなった。
店内に足を踏み入れ、様子を伺うが、誰も出てくる気配がない。
店内は狭く、入口から入ってすぐにカウンターが設置され、そこに料理包丁や鉋などの刃物類が展示されている。
壁に掛けられている展示品などを見ても、剣など、所謂武器の類は一切置いていなかった。
騎士「んー? 武器屋じゃねえのか? ここ。剣なんて一個も見当たんねーけど」
勇者「おかしいな……てっきりこの剣はここで造られたんだと思ってたけど、違うのか?」
武道家「おーい!! 店の者は誰かいないのか!?」
??「あ、はーい!! 只今!!」
武道家が奥に向かって呼びかけると、ようやく反応があった。
ドタドタと慌てたような足音を響かせて、一人の少女が顔を覗かせた。
黒く艶のある髪は耳の下あたりで切り揃えられており、頭にはタオルを巻いている。
目鼻立ちは整っている方だと言えるが、汗に濡れた頬は煤で黒く汚れていた。
着ている物も女性的な着物ではなく、作務衣と呼ばれる男性用の作業着だ。
少女「申し訳ありません。奥で作業をしているとどうしても鈴の音が聞こえづらくって」
勇者「あなたが店主なのですか?」
少女「はい。女の身で不肖なれど、今は私が『鉄火』の看板を継いで切り盛りさせていただいております。お客様、本日は何をご入り用でしょうか? とはいっても、冒険者がお求めになられるような武具の類は今は取り扱っていないのですが……」
勇者「ああ、いや、申し訳ない。実は私達は物を買いに来たわけではないのです。少し『鉄火』の店主様にお話を伺いたくて参りました」
少女「はあ…わたくしに? 旅の方がこんなしがない鍛冶屋の娘に何のお話でしょう?」
少女は小首を傾げ、やや困惑したような素振りを見せた。
勇者は腰に差していた狂剣・凶ツ喰(キョウケン・マガツバミ)をカウンターの上に置く。
それを目にした少女の顔色が変わった。
少女「そ、そんな……これを……どこで…!?」
口元に手を当て、わなわなと震えだす少女。
その様子に少しためらいながらも、勇者は言った。
勇者「霊峰ゾアと呼ばれる竜神の住まう山……そこで見かけた遺体が、抱えていた物です」
少女「あ、ああ……!」
勇者の言葉を聞いた少女はその場に崩れ落ちた。
少女「兄上…! 兄上ぇぇ…!!」
ぼろぼろと少女の目から大粒の涙が零れ落ちる。
少女「うぐ…うぇ…うぁぁ…!!」
嗚咽を漏らす少女にかける言葉が見当たらず、勇者はぐっと唇を噛みしめていた。
やがて少女は泣き腫らした目を擦りながら立ち上がった。
少女「ごめんなさい……取り乱しました……」
勇者「いえ…」
少女「それで、お話というのは……」
勇者「単刀直入に申します。私は今この剣から、その…所謂、『呪い』……を、受けています。その解呪の手がかりを得るために、この剣が生まれた経緯を知りたいのです」
少女「呪い……」
勇者の言葉を繰り返した少女は、恐る恐る剣の鞘に手を触れた。
しばしそのまま目を閉じて―――やがて、何かを決意したように口を結んだ。
少女「わかりました。私が知る限りのことをお話ししましょう。どうぞ、奥へ。客間がございます。狭いですが、それでもここで立ち話するよりは寛げるでしょう―――長いお話に、なるでしょうし」
勇者、武道家、騎士の三人は通された客間に足を踏み入れる。
六畳の畳に丸いテーブルが置かれていた。少女が押入れから座布団と呼ばれる綿の詰まった座具を取り出す。
座布団を尻の下に敷き、初体験の感触に少し感動しながら、勇者は部屋を見回した。
壁の一角に設けられた飾り棚のような空間――後に少女に聞いたところ、床の間と呼ばれる空間らしい――に飾ってあった剣に目を奪われる。
飾台に寝かされた二振りの剣―――どちらも、相当の業物であることが雰囲気から感じ取れた。
少女「父と―――長兄の造ったものなんです」
思わず剣に見入ってしまっていた勇者に、少女がはにかみながら説明してくれた。
少女「この『鉄火』の家は、倭の国でも有数の刀鍛冶でした。先代店主だった父は本当に凄腕の鍛冶屋で……倭の国お抱えの武士団は皆父の剣で装備を統一する程でした。私が店を継いでからその技術はすっかり途絶えてしまいましたが」
少女の微笑みが寂しげなものに変わる。
客間からは作業場の様子が見えた。
炉の中に僅かに残った火が、黒々とした作業場を照らしている。
少女「私は剣を造れません。精々、見よう見真似で家庭用の刃物を造るくらいで……父は、私に技術を継ぐ前に、死んでしまいましたから……」
勇者たちの目の前に、茶の入った湯呑が置かれ―――少女は勇者たちに向かって居住まいを正した。
少女「『鉄火志士丸』は私の父の名前。私は鉄火の娘、蓮華(れんげ)と申します」
鉄火蓮華を名乗った少女は勇者に向かって深々と頭を下げた。
蓮華「まずは、勇者様に深く感謝を。よくぞこの剣を、この鉄火の家まで持ち帰ってくれました」
勇者「あ、や…礼を言われるようなことじゃ……むしろ、遺体の物を勝手に持ち出したりなんて、最悪なことをしたわけで……」
蓮華「確かに、その行為自体は褒められたものではありません。しかし、それでも……遠い異国の地に置き去りにされるよりは救われたでしょう。兄上も……父上も」
それに、と少女―――蓮華は、言葉を続ける。
蓮華「勇者様も、私利私欲の為にこの剣を持ち出した訳ではないのでしょう? この剣を売り払おう等とはせず、何かを討ち果たすために使ったからこそ、この剣の呪いを受けてしまった。ならばどうして私に勇者様を責める言葉などありましょうか。むしろ我が一族がご迷惑をかけたことをお詫び申し上げるところです」
勇者「ああ! いやいや!! やめてください! いや、ホントに!!」
またも深々と頭を下げる蓮華に、勇者は慌てた。
蓮華「いえ。この度は誠に申し訳ありませんでした」
勇者「ああもう! 顔を上げてよ!! そんなんじゃないんだってマジでぇ!!」
ごほん、と咳払いをしたのは武道家だ。
武道家「すまない、こちらがそんな事を言える立場ではないのは重々承知しているのだが、そろそろ本題に入っていただけないだろうか。事は一刻を争うのだ」
騎士「そうそう。こうしてる今も意識持ってかれそうでやばいんじゃねーの? 勇者」
勇者「んぐ、まあ……」
騎士の言う通りであった。
最初に村に入った時ほどの衝撃は無いが、あれからずっと耳鳴りのようなものが勇者の精神を蝕んでいる。
蓮華「ごめんなさい…では早速本題に……といっても、何から話せばよいか…」
しばし思案する素振りをして、蓮華は口を開いた。
「この村にはおかしな風習があります。『土地神様』―――西の山に居る竜を崇め奉り、定期的に貢物をしているのです」
「その貢物と言うのが―――ご存知でしたか。流石です。そう、人間です。竜は、定期的に人間を生贄として要求してきます」
「どうして村の人々がそのような風習を受け入れているのか、私にはわかりません。父はおおよその経緯を知っている様子でしたが、私には教えてくれませんでした」
「というのも、父は村の信仰に非常に懐疑的だったのです。いくら村全体の繁栄の為といっても、その為に村人が犠牲になるのを良しとはしていませんでした」
「もちろん、父のように異を唱える人は決して少なくありませんでした。だから、当時の村長はある対策を講じました。それが、村外から人を呼び、その人を生贄とする今の仕組みです」
「『端和は無料で最高のもてなしが受けられる、桃源郷のような場所だ』と噂を流布し、集客を図りました。結果は上々でした。この仕組みのおかげで村民の犠牲は大幅に抑えることが出来ました」
「……怖い顔をしないでください。わかっています。最低ですよ、こんなこと。父も、兄達も、もちろん私も、そう思っていました。だから、父と長兄は……」
「剣を、造っていたんです。竜を殺すための剣を」
「それが、良くなかったのでしょうか」
「次に村民からの生贄として指定されたのは、長兄だったのです」
「……あの日のことは、正直思い出したくもありません。家の中に、二十人以上の大人が入って来て、抵抗する父と兄達を押さえつけて……私も縛り上げられて、喉に刃を押し付けられました」
「それが、とどめでした。『妹の命が惜しければ』―――長兄は抵抗をやめ、素直に彼らについていきました」
「去り際の兄の顔が忘れられません。泣きながら、笑っていて、とても悲しそうな声で―――」
『なんだかなぁ。なんでこうなっちまうんだろうなぁ。俺はさあ、ただ、ただ皆の為に―――』
「あとに残された私たち家族は、放心状態でした」
「長兄が連れていかれて丸一日以上たっても、誰もその場から動こうとはしませんでした」
「父の憔悴ぶりはその中でも群を抜いていて……その瞳がどこを見ているのか、全くわかりませんでした」
「長兄は父の宝でした。『鉄火』を継ぐ者として、父の持つ技術を全て受け継いだ……そんな長兄を連れていかれて、父はきっとすっかり生きる気力を無くしてしまったに違いありません」
「どうして私たち家族を皆殺しにしなかったんでしょう? ―――ええ、わかっています」
「『鉄火』は倭の国でも指折りの鍛冶屋……その名の集客力を失いたくはないという、浅ましい思惑があったに違いありません」
「やがて、最初に立ち上がったのは誰あろう、父でした。父はそのままフラフラと作業場に進むと、一心不乱に鋼を打ち始めました」
「父がそうして動き始めた以上、私もじっとしている訳にはいかないと、私も立ち上がり、食事の準備を始めました」
「どうやら父に死ぬつもりはない。ならば生きていかなくてはと、食事をしなくてはならないと思ったのです」
「しかし父は私の作った食事に手をつけませんでした」
「父は三日三晩、作業場に籠りっきりで狂ったように剣を打ち続けました」
「狂ったように―――いえ、実際、父はもう狂っていました」
「長兄が連れていかれてから一切食事をとっていなかった父は」
「最後に、自らが造った剣を飲み込んで果てていました」
「その時の私が何を思ったか―――どうでしょう、あまり覚えていません」
「ただただ衝撃的で―――私は思わず父の元へ駆け寄ろうとしました」
「しかし、そんな私の肩を掴んで制止する者がありました」
「―――私の、もう一人の兄でした」
「どうして止めるのかと私は兄に問い、兄はあれが父の望みなのだと答えました」
「訳が分かりませんでした。すぐに分かると兄は言いました」
「父の供養をしようとする私を兄は押し留め、その必要はないと言いました」
「ならば父をあのままにしておくのかと私は問い、そうだと兄は答えました」
「人でなしと私は叫びました。そうだと兄は言いました」
「俺も父も―――とうに人間をやめていると、そう言いました」
「一夜が明けました。兄はまだ作業所の前に陣取っていました」
「二日が経ちました。兄と私は作業場の前で睨み合っていました」
「三日が経ち、兄が終わったようだと言いました」
「父の死を確認してから、実に三日ぶりに作業場の扉が開かれました」
「私はそこに、どんなおぞましい光景が広がっているかと身構えました」
「放置され、腐敗した父の遺体など誰だって見たくはないでしょう」
「しかし、そこに広がっていたのはある意味私の想像を遥かに超えておぞましい光景でした」
「そこにあったのはただ一振りの剣のみで、父の遺体は跡形もなく消えていたのです」
「私は混乱しました」
「父の遺体をどうしたのか、私は問いました」
「見ての通りだと兄は答えました」
「片付けたのかと問いました。いいやと兄は首を振りました」
「父は―――剣になったのだ、と兄は言いました」
「俄かには信じられませんでしたが、しかし現実に父の遺体は跡形もなく消えていたので、そうなのだろうと私は納得しました」
「これからどうするの、と私は兄に問いました」
「旅に出る、と兄は答えました」
「旅に出て、必ず竜を打ち倒す術を得てくると。お前が生贄に選ばれる前に必ず帰って来ると、そう言い残して、兄は旅立ちました」
「―――これが、私が知る限りの、この剣に関する経緯です」
鉄火の娘、蓮華の話が終わってから、場にはしばらくの間沈黙が満ちていた。
騎士「……なんつーか、すげえ話だな」
騎士ですら、遠慮がちに口を開いている。
武道家「……辛い話をさせた。申し訳ない」
蓮華「いえ、いいえ……私も、初めて人に話して、ようやく自分の中で整理がついたような気がしますので……」
勇者「………」
勇者は押し黙ってしまっていた。
自ら刃を飲み込んだ鉄火志士丸の壮絶な狂気に当てられもしたが、それ以上に勇者には思うところがあった。
蓮華の話の結びとなった、彼女の兄の旅立ち。
勇者は、その結末を知っている。
霊峰ゾア。
竜の神がおわします山脈。
その洞窟の深い穴の底に、彼は居た。
一体、どんな気持ちだっただろう。
竜の打倒法を知るため、遠く遥か異国の地まで歩んできて。
足を滑らせ、あの穴に落ちて、足掻いても足掻いても抜け出せなくて。
一体、どれ程の絶望だったろう。
最後に事切れるまで、彼はあの穴の底で何を思っていたのか。
きっと、それもまた呪いだ。
父の狂気と兄の絶望で狂剣・凶ツ喰は構成されている。
蓮華「あの……お役に立ちましたでしょうか」
勇者の様子に、不安げに蓮華が声をかけてきた。
勇者「……ああ、そうだな。ありがとう。おかげで、やるべきことがはっきりした気がするよ」
勇者の声には、固い決意が込められていた。
村人「土地神様には常に感謝しているよ。僕らが日々を豊かに過ごせているのは、全て土地神様のおかげだからね」
僧侶「そうですね。他の皆様のお話を聞いていても、端和を守る土地神様がとても力のある神様だというのが分かりますわ」
村人「うむうむ、そうだろうとも」
僧侶「それで、とても恐縮なのですが、実際に土地神様が何か奇跡をお示しになられた事例がございましたら教えていただけませんか? 私も神職に就く身ですから、とても興味がありますの」
村人「土地神様が直接僕らに何かをするという事はないよ。しかし、土地神様は常に端和をより良く発展させるために神託を下される。竜の巫女様を通じてね」
戦士「竜の巫女?」
村人「土地神様に認められ、その神通力を授かった巫女様のことさ」
僧侶「へえ…是非会ってみたいですね。その方はどちらに?」
村人「村長の屋敷さ」
僧侶「どうもありがとうございました」
村人「いやいや、土地神様の素晴らしさを広める一助になれたんだ。お安い御用だよ」
村人と別れ、僧侶と戦士は二人並び歩く。
戦士「竜の巫女、か…どうする? 会いに行ってみるか?」
僧侶「そうしたいところだけど……村長様の屋敷に居るというのが痛いわね。村長様も私達の動きを警戒しているはず。会いたいと言って、まともに取り合ってくれるかしら」
戦士「とりあえず、行くだけ行ってみないか? 駄目だったら、その時に対策を考えよう」
僧侶「そうね……どの程度私たちが村長様に警戒されているかを計るいいチャンスかもしれないわ」
端和中央部―――村長屋敷。
僧侶「こんにちは」
使用人「はい、本日はどのような御用件でございますか?」
僧侶「村長様に一度正式にご挨拶をと思いまして。お取次ぎ願えますか?」
使用人「少々お待ちくださいませ」
戦士「……門前払い、というわけではなさそうだな」
僧侶「使用人が私たちに気付いた様子もない。どうやらそこまで徹底して排斥されているわけではなさそうね」
村長「……お待たせした」
僧侶「どうも、改めましてこんにちは。村長様」
村長「一体何用で来られたのかな? 女二人ということで、どうやら襲撃の類ではないと判断したが」
戦士「単刀直入に申せば、竜の巫女様に拝謁賜りたい」
村長「ふむ……何故?」
僧侶「私達は知りたいのです。この村で行われている土地神信仰の実態を。そしてその是非を判断したい」
戦士「今のところ、我らは騎士からしか話を聞いていないからな。それでは情報に偏りがある。正しい判断の為には、村側の話を聞く必要がある」
村長「そういうことであれば……良いでしょう」
村長は屋敷に戦士と僧侶を招き入れた。
村長「これより竜の巫女様がおわしますお座敷に案内しますが……くれぐれも、粗相のなきようお願いいたします」
戦士と僧侶は畳張りの広間に通された。
二人の正面には舞台が設置されており、舞台を覆う帳の奥に人影が見える。
僧侶(あれが…)
戦士(竜の巫女…?)
村長「それでは、竜の巫女様の、おな~り~!!」
村長の声と共に、舞台の帳が開かれた。
舞台の中央に鎮座する、巫女服の乙女が姿を現す。
竜の巫女の黒々とした瞳が戦士と僧侶を射抜いた。
僧侶(年端のいかぬ少女なのに、なんて威圧感……)
戦士(確かに只者ではないな、これは)
竜の巫女「お初にお目にかかる。私は竜の巫女。端和の安寧を司る者。そなたらは何者じゃ?」
僧侶「私は僧侶」
戦士「私は戦士だ」
竜の巫女「ほうか。ならば僧侶、戦士よ。此度は何用があって我が前に現れた?」
戦士「私達はこの村で行われている土地神信仰について非常に興味がある」
僧侶「土地神様の話を聞くには、その仲介者である竜の巫女様に話を伺うのが最も良いと思ったのですわ」
竜の巫女「然り。よかろう。ならば話して聞かせようではないか。この村を襲った悲劇を。竜による救済を」
「さて、しかしどこから話したものか」
「そうじゃな。この村の土地神信仰が始まったのは、もう五十年ほど前になろう」
「その年は作物に得体の知れない病気が蔓延り、端和は大不作であった。このままでは村人の大半が餓死してしまうほどの、の」
「何度作物を植えなおしても枯れてしまう、そんな状況に皆が絶望していた時じゃった。村に一人の旅人がやって来たのじゃ」
「旅人は作物の惨状を見て言った。『これは大地の呪いだ。土地神様の加護を失ったこの大地は、悪い神から呪いを受けている』」
「『土地神様とは何か?』と村の人々は問うた。『知らないのか。では土地の加護を失うもの仕方なき事。信仰を無くした民に、土地神様も呆れていらっしゃるであろう』」
「『しかしまだ間に合う。私は知っている。この土地の神は西の山に居る。うら若き娘を遣いとして送るのだ。さすれば土地神様はこの村の行く道をお示しになるであろう』」
「村の人々は、どうせこのまま飢え死にするのならと、旅人の言う通りにした。一人の娘を選抜し、旅人の言う山に向かわせたのじゃ」
「間もなくして娘は無事に帰ってきた。しかしどうも様子がおかしい。村人は問うた。『どうした? 何があったのか?』」
「娘は言った」
「『私は土地神様の加護を得て、竜の巫女となりました。私の言葉は土地神様の言葉。これより神託を賜わします。その通りに薬を調合し、土に混ぜよ』」
「純朴だった娘とは思えぬ威圧感に、皆飲まれていたそうじゃ。とても娘の冗談だとは思えず、娘の言うがままに村人は従った」
「するとどうじゃ。あれ程病魔に蝕まれていた土地は瞬く間に回復し、作物は大いに実りだしたではないか。端和は飢饉の危機を乗り越えたのじゃ」
「それから幾度となく、竜の巫女となった娘は神託を下した。その言葉に従うことで、端和はどんどん豊かになっていった」
「ある時のことじゃ。竜の巫女となった娘が言った。『土地神様の力が弱まっている。回復のために、精力豊かな若い人間を捧げよ』と」
「村人は戸惑った。そして聞いた。『もし従わなければどうなるのか?』」
「『ならばこの土地は加護を失い、やせ衰えるだけだ。土地神様が力を失えば、当然神託を授けることも出来なくなるであろう』。娘は淡々と言い放った」
「まだあの飢饉の絶望の記憶が新しい村人は慌てふためいた。そして、苦渋の決断じゃったが、一人の娘を土地神様が棲む洞窟に行かせた」
「最初の娘がそうであったように、再び巫女として帰ってくることに期待していたんじゃな」
「しかし娘は帰ってこんかった」
「しばらくして、またも土地神様から生贄の要求があった。村人は必死で頭を垂れ、願った。どうか、別の物での代用を、と」
「竜の巫女は言った。『構わぬ。であれば、土地神もろとも端和も滅びるだけだ。それが民の願いであれば、それも仕方なかろう』」
「……村人は、再び生贄を選び、洞窟に向かわせた」
「そんなことが何度か続き、悲嘆にくれる村人を見かねた竜の巫女は言った」
「『何か勘違いしているようであるが、贄は別に村の者でなくともよい。若い人間であれば誰でもよいのだ。むしろ余所者の方が良い。その方が、土地神様の心も痛まぬ』」
「その言葉をきっかけに、端和は余所から来た人間を無料で歓待する『もてなしの町』となったのじゃ」
「村人の犠牲は大幅に減り、二十年が経つ頃には土地神様の加護を疑う者は誰もいなくなった」
「その大きな理由のひとつに、竜の巫女の姿があった」
「土地神様の加護を受けた竜の巫女は一切老いることなく、うら若き乙女のままであったのじゃ」
「こんなに分かりやすい、目に見える奇跡はあるまいて。かっかっか」
そこまで話を聞いた時、僧侶と戦士は思わず口をあんぐりと開けていた。
僧侶「ま、まさか、今の話に出てきた竜の巫女様って全部……」
竜の巫女「左様。私じゃ。故に今の話は誓って真実じゃよ。伝聞によって捻じ曲げられることのない、私自身が見聞きしてきたことじゃ」
戦士「ご、五十年ってことは、少なくとも六十代の後半……む、無理だ。化粧での誤魔化しにしたって限度がある」
竜の巫女「む、疑り深い奴じゃ。何じゃったら触って肌の張りを確認せえ。ほれ、ちこうよれ」
村長「み、巫女様!!」
竜の巫女「冗談じゃ。そんなに慌てるでない、村長。みっともない」
村長「軽率な言動はお控えください! 御身に何かがあれば、それは直接端和の存亡に関わる事になるのですぞ!!」
竜の巫女「わかったわかった。さて、そういうわけじゃが、何かわからんことがあるか?」
僧侶「いえ、その……」
竜の巫女「なければ話はこれで終わりとするぞ」
戦士「りゅ、竜の巫女!」
竜の巫女「騒々しいなあ。叫ばんでも聞こえとるわい」
戦士「そ、その……お前は後悔していないのか? そんな体になって、巫女として生きていかなきゃならなくなって……その、辛くないのか?」
竜の巫女「後悔なんてあるか。そも、私が巫女にならねば今のこの村そのものが無くなっていたんじゃ。今の端和に生きる者達が笑っておるだけで私は満たされておるよ」
戦士「そ、そうか……」
竜の巫女「お主等がこの村に来た目的など知らんがな」
竜の巫女の眼差しが、真剣なものとなって二人を射抜く。
竜の巫女「お主等の目にどう映ろうと、今の私達は幸せなんじゃ。その幸せも、多くの犠牲の上にようやく掴んだものなんじゃ。頼むから、余計なことをして、今の端和の平和を乱すような真似だけはせんでくれ」
戦士と僧侶が去った部屋で、村長がぽつりと呟いた。
村長「なあ……本当に後悔はしてないのか?」
竜の巫女「本当だよ」
答える竜の巫女の声は、先ほどまでの老獪な響きを無くし、見た目の年相応の純朴さを孕んでいた。
村長「だけど、あの時俺がお前を守ってやれなかったばっかりに、お前はそんな風に特別になっちまって、普通の人間としての幸せを掴めなくなっちまった」
竜の巫女「そんなことないって。大体さ、いつまでも若いままでいられるなんて女の夢じゃん」
村長「はは……そうだな。俺ばっかりしわくちゃになっちまった」
竜の巫女「安心してよ。あんたがいなくなった後も、私がこの端和を守り続けてみせる。だからあんたも、ほら、笑って笑って! さっきの奴らにも言ったけど、あんた達が笑ってくれるのが、私の幸せなんだから!」
村長「……わかったよ。末永くこの村をお願いします。竜の巫女様」
竜の巫女「承ったよ。村長様」
村長「それじゃあな」
別れの言葉の後に、村長はかつて竜の巫女がただの少女だった時の名を呼んだ。
しかし竜の巫女は微笑むばかりで、それに返事を返すことはしなかった。
宿屋に集い、勇者一行はそれぞれが得た情報を交換する。
重苦しい雰囲気の中、勇者は口を開いた。
勇者「西の山に棲む竜を殺す。この村の土地神信仰を終わらせるんだ」
それは、並々ならぬ決意に満ちた声。
しかし勇者の提案に歓声を上げたのは騎士ただ一人であった。
第二十章 ドラゴン・クエスト(中編) 終
部屋の中に重苦しい沈黙が落ちる。
勇者の、『端和』の信仰の源である竜を討伐するという決定を受けてから、皆伏し目がちになって口をつぐんでしまった。
我が意を得たりとにこやかに勇者を見ているのは騎士だけだ。
戦士「それは……私達の話をちゃんと踏まえた上でのこと、……なんだよな」
戦士は勇者に顔を向けぬまま、躊躇いがちに口を開いた。
勇者「……そうだ」
戦士「つまり……端和の村は滅んでしまっても構わないと、そういうことか?」
戦士の言葉に顔を顰めたのは騎士だ。
騎士は「何言ってんだコイツ?」とでも言いたげな視線を戦士に送っている。
僧侶「私は……反対です」
今度こそ騎士は「はあ?」と声に出して僧侶の方に顔を向けた。
僧侶「確かに、この端和で行われている生贄の風習は、とても残酷で……勇者様がお話を伺ってきた『鉄火』の家の方々のように、悲しみを生んでいることは事実です」
僧侶「……でも、それでこの村の安寧が保たれているのもまた、事実なんです。村に住む人々は生贄の風習を受け入れています。そこに、部外者である私達がとやかく言う資格があるのかと……私は、考えてしまうのです」
騎士「何言ってんだあんたら? じゃあ勇者がこのまま魔剣に喰い殺されてもいいってのかよ」
僧侶「そうは言っていません! しかし件の竜を討ち取ったとして勇者様の呪いが解ける保証はないではないですか! ……でも、端和は違う。端和の村は、心の拠り所である土地神を失えばきっと存続することは出来ないでしょう」
僧侶「ですから……結論を急がず、もっと別の手立てを模索する必要があると、私は思います」
戦士「……私も、概ね僧侶と同じ気持ちだ」
僧侶と戦士の言葉を、勇者は目を閉じて黙って聞いていた。
騎士「はあ~、マジで何言ってんだか。信じらんね」
呆れたように言葉を漏らす騎士には取り合わず、僧侶は武道家に目を向けた。
僧侶「武道家さんは……どうお考えですか?」
武道家「……俺は…」
第二十一章 ドラゴン・クエスト(後編)
武道家は努めて冷静に状況について考える。
武道家個人の感情としては、鉄火の娘・蓮華から生贄の悲劇を直接聞いただけあって、そんな風習など無くなってしまえと思っている。
僧侶と戦士は、それでも犠牲を選択せざるを得なかった村の事情に大きく肩入れしている様子だ。
やはり当事者から直接話を聞くというのは、相当に個人の意思決定に関与してくるのだろう。
騎士はそもそも一度端和の民に謀られ、生贄として竜の元に放り込まれた身だ。端和など滅んでしまえと、そんな気持ちを持っていてもおかしくない。
それ故、騎士はこれ程勇者の決定を歓迎しているのだと考えられる。
では―――勇者は?
勇者もまた、直接悲劇に触れたその感情に引っ張られて竜討伐の決定を下したのだろうか?
或いは、自身を蝕む呪いに耐え兼ねて、そんな結論を下すしかなかったのだろうか?
―――どちらも違う、と武道家は断じる。
勇者はあらゆる行動を決定する際、『自身の感情や事情を度外視して最善を希求する』傾向がある。
そしてその最善とはあくまで周囲の状況を勘案しての最善であり、『勇者自身が享受する利益の最大化』はその目標には含まれない。
ともすれば、それが最善と判断されれば自身を犠牲にすることすら厭わないのだ。
今まで武道家は何度も勇者がそんな行動をとるところを目にしてきた。
そんな勇者が竜の討伐を決意した。
周囲の状況――つまりは端和の民にとっても、それが最善だと判断したのだ。
ならば。
武道家「俺は……勇者の決定を支持する」
僧侶「……そうですか」
騎士「ちゅーかよ、どう考えたって勇者の呪いを解くためにはその怨念の向く先になってる竜をぶち殺すってのが必要だろ。それでクソみてえな村のクソみてえな風習がどうなろうが知ったこっちゃねーだろ」
武道家「騎士、お前は少し黙っていろ。……勇者、お前はいつだって俺達より一歩先まで物事を見通している。だから、教えてくれ……お前が何を考え、何を思い、その決断を下したのかを」
勇者「買い被りが過ぎるぜ、武道家。そんな大したもんじゃねえよ。ハードル上げんな」
勇者はゆっくりと皆の顔を見回した。
皆勇者を注視し、その言葉を待っている。
勇者「じゃあ俺の考えを話すよ。納得できないところがあったら遠慮なく指摘してくれ」
勇者「まず最初に言っておこう。この村で行われている生贄の慣習は―――悪だ」
はっきりとそう断じた勇者に、戦士、僧侶、武道家の三人は面食らった。
僧侶「そ、そうでしょうか。生きるために必死であった彼らの行いを、そう言い切るのは些か酷では……」
勇者「生きる為ならば、無辜の民の命を犠牲にしても構わないと?」
僧侶「そ、れ…は…」
勇者「百歩譲って生贄が全て覚悟をもった端和の民で、犠牲も恩恵も端和の中で完結しているのなら、まだいい。だが実際は違う。端和の民は自分たちの発展のために余所から来た人たちを騙し、犠牲にし続けてきた」
勇者「これを悪と言わずに何という? しかもそんな風に余所者を犠牲にしておきながら、余所者は関係ない、口を出すな、ってのは余りにも虫が良すぎる。どのツラ下げてって感じだ、正直な」
確かに―――それは、そうだろう。
そこに関しては誰からも反論は出なかった。
反論があったのは、もっと別の観点からだった。
戦士「では……勇者、お前は……端和の民は悪であるから、むしろ滅びるべきだと、そう言うのか?」
騎士「そらそうだろ」
口を挟んできた騎士に戦士と僧侶は鋭い視線を向ける。
勇者「いや、そうじゃない」
四人「「「「!!!?」」」」
勇者の言葉に皆、騎士ですら驚きの声を上げた。
勇者「俺は、端和の民もまた、被害者なんだと思ってる」
騎士「はあ?」
勇者「ちょっとその辺りを確認したいから、村長と村の古株の人何人かにもう一度話を聞きたいんだ。悪いけど武道家、遣いを頼まれてくれるか?」
数刻後、宿屋の談話室には村長を含め、五人の端和の民が集められていた。
勇者の指示で、宿屋周囲の人払いは済ませてある。
宿屋の主人すら、金を握らせて退室させていた。
つまり今からここで話される内容について知ることが出来るのは、勇者一行と村長たちのみということになる。
警戒心を露わにする村長たちに、勇者はぺこりと頭を下げた。
勇者「まずはこのような場所に呼びつけた非礼をお詫びします」
村長「……あなた様はかの『伝説の勇者』の息子であると、遣いの御仁から伺った。故に召喚には応じた。まさか、そのような方が我らをだまし討ちなどはすまい? そんなことをすれば、『伝説の勇者』様の威光も地に落ちるというもの」
『伝説の勇者』は倭の国を訪れたことはない。
少なくとも勇者はそんな逸話は聞いたことがない。
それでもこうして伝説は海を渡り、東海の島国にまで伝播している。
父の影響力の大きさに改めて感嘆と呆れ混じりの溜息をついてから、勇者は口を開いた。
勇者「本来ならば私がそちらに出向くのが筋でありましょうが、どうしてもここで話を進めたい事情があり、皆様にこうして出向いていただいた次第であります」
村長「その事情とは?」
勇者「それは追々お分かりになっていただけると思います。まずは確認をさせていただきたいのですが、この中で端和の土地神信仰が始まった当初からこの村にいらっしゃった方はいますか?」
勇者の問いを受け、村人たちはきょろきょろとお互いの顔を見回している。
やがて戸惑いながらの様子ではあるが、何人かが手を挙げた。
勇者「村長を含めて三人か……うん、十分だろう。それだけいれば記憶の祖語も大分補正が効くはずだ。手をおろしてくださって結構です」
勇者は村人たちの顔を見回して言った。
勇者「私が知りたいのは土地神によってこの端和がどのような恩恵を受けてきたのか、その詳細です。今、私は土地神が竜の巫女を通じての神託で端和を導いてきたのだと、それだけしか知りません。知りたいのはその『神託』の具体的な内容」
勇者「どのような状況下で土地神の神託は下され、またその神託によって端和はどのような利を得てきたのか……それを、当初から今日に至るまで、可能な限り事細かに教えていただきたい」
勇者「それでは始めましょう。武道家、悪いけど書記を頼む。話の内容を書き取ってくれ」
武道家「お、俺がか? 字にはまるっきり自信が無いんだが……」
僧侶「私が代わりましょうか?」
武道家「た、頼めるか? すまん」
騎士(何でもかんでもまず武道家に振るな、勇者の奴。まだまだ女連中にはグイグイいけないとみた)
勇者「では、村長。まずは信仰の始まりの時から。私は仲間たちから端和の作物に奇妙な病気が蔓延し、土地神の神託によりそれに対処する薬を得ることが出来たと、そう聞いていますが」
村長「おおよそ相違はない」
勇者「ありがとうございます。ではその次に神託が下された時の状況について教えてください」
村長「んむ……次は、何だったかな…?」
村の古株A「あれではなかったか? あの、あれ……雨が異常に少ない年があって…」
村長「おお、そうだ。少ない水でも何とかやりくり出来る仕組みを賜りなさったのであった」
勇者「ふむ…他には?」
村の古株B「逆に洪水が起きた時の対策をお教えくださった時もあった」
村長「作物だけでなく、人の流行病の特効薬の調合法を賜りなさったこともあったな」
村の古株C「どれもこれも人の身では到底考え付かぬ、まさに神の御業であったことよ」
村の古株D「他にもこんな神託もあったぞ?」
村人たちは次々と神託の例を上げていく。
僧侶(……凄い。これ程わかりやすく益をもたらされているのならば、端和の民が土地神様に心酔するのも無理のない事だわ……)
それらを黙々と書き連ねながら、僧侶はそんな風に思った。
たっぷり一時間ほど、もはや土地神自慢と化した会合は続いた。
僧侶が記入していた紙の余白がほとんどなくなり、新しい物を準備しようと僧侶が席を立とうとした時だった。
勇者「非常に興味深いお話を多々いただき、ありがとうございました」
勇者が会合のまとめに入った。
勇者「最後に……土地神の存在を端和に伝えた旅人は、その後どうなったかご存知ですか?」
村長「彼はいつの間にか消えていた。十分な礼をしたかったのだが……旅人とはとかく気ままなものよ」
勇者「成程……うん、皆様のおかげで、私も自分の考えを取りまとめることが出来ました」
村長「考え?」
勇者「ええ…土地神の正体に関する、私なりの考察とでも申しましょうか」
ざわ…、と俄かに場がざわつく。
村長「それはどういう意味かね?」
勇者「では土地神に対する私の見解を申し上げましょう」
勇者「端和の民が信奉する竜は―――ただの狡猾な蜥蜴だ。神などではない」
村長「馬鹿な!!」
村の古株A「何をぬかすか、余所者が!!」
村の古株B「無礼千万であるぞ!! 不届き者め!!」
村長を始め、村人たちは皆声を荒げ立ち上がった。
勇者「落ち着いて。まずは冷静に私の話を聞いていただきたい」
村の古株C「馬鹿を言え!! 貴様のような輩の話などこれ以上聞いていられるか!! 我々は家に戻る!!」
そう言って立ち上がり、出口に向かった村人の背を、突如猛烈な寒気が走った。
思わず村人は振り返る。
騎士が鋭い視線で村人を睨み付けていた。
騎士「オイ……黙って座ってろよ」
村の古株C「ヒ…!」
その重圧に、村人は足を震わせて立ち尽くしてしまう。
勇者「やめろ、騎士。……失礼しました。ですが、彼の言う通り、どうか私の話をお聞きください。その後であれば、退出されて結構ですので」
村長「ふん……では言ってみるがいい。我らの神をそのように貶める根拠を」
勇者「……そうですね。まずは、『土地神の加護とやらの疑わしさ』が挙げられます」
村長「……どういう意味だ」
勇者「最初の飢饉の時、旅人はこう言ったそうですね。『土地神の加護を失ったことで、端和は悪い神の呪いを受けた』と」
村の古株A「そうだ。そして我らは土地神様に娘を捧げ、加護を取り戻したのだ」
村の古株B「その結果、我らは滅亡の危機を回避することが出来た」
勇者「そうですね。そして、それから端和は土地神を厚く信奉し、定期的な生贄を受け入れまでして土地神に尽くし続けた」
村長「その通りだ」
勇者「では何故、その後も流行病が村を襲ったりしたのでしょう。おかしくはないですか? 土地神の加護を取り戻したのであれば、その加護によって病魔は――悪い神の呪いとやらは、端和を侵せないはずでしょう?」
村長「そ、それは……」
勇者「ここに矛盾が生じている。これによって『端和が飢饉に陥ったのは土地神の加護を失ったから』という前提が崩れ、そもそもの『土地神の加護と土地の健常さ』の間の因果関係すら疑わしくなってくる」
村の古株C「し、しかし、実際に土地神様は我らを何度も救って……」
勇者「第二に、『奇跡の有無』です。『神』とはなにか。それは人の身では決して為し得ぬ『奇跡』を起こす超常の存在です。では端和の土地神はどうか。聞く限り、端和の土地神の神託とやらは全て後出しの対処療法ばかりです」
勇者「干ばつが起きたから貯水設備を整える。洪水が起きたから排水設備を整える。病にかかったから薬を準備する。……こんなもの、ただの人の営みだ。精々が『賢人の助言』程度だ。神託などと、形容するのもおこがましい」
勇者「雲なき空に雨を降らせたわけじゃない。洪水を飲み込んだわけでも、病を消し去ったわけでもない。……ただ、その場しのぎの打開策を授けただけだ」
勇者「竜の寿命は長い。数百年も人の営みを観察していれば、ある程度の知恵の蓄積があるでしょう。端和の竜は、生じた問題に対してその知恵を小出しにしていただけに過ぎない」
勇者「端和の竜は端和を守ってきたわけじゃない。ただ、餌の飼育箱として……端和を維持していただけだ」
―――村人は皆、押し黙ってしまった。
頭の中では、必死に勇者の言葉を否定する材料を探しているのだろう。
そうしなければ―――彼らの五十年の根幹が崩れてしまう。
自らの所業を正当化することが出来なくなってしまう。
「……奇跡は、ある」
絞り出すように言ったのは村長だった。
村長「竜の巫女様の存在だ! 彼女こそ、土地神様の奇跡の証!! いつまでも老いぬ彼女こそ神の加護の証明よ!!」
村長の言葉に、村人は皆、そうだそうだと追随した。
勇者は首を振った。
勇者「それを奇跡と認めるとして、たった一人の人間の老化を抑えるのが精一杯の竜を、あなた方は神と崇め奉りますか? ……無辜の民の命を捧げてまで」
村長「不老の加護を与えられるのが、一人と決まった訳では……」
勇者「やれるのであればやっているはずだ。その方が村民の信仰も確たるものとなる。こんな風に余所者の私に何を言われても揺らがないほどに」
村長「う、ぐ…」
がくりと村長が項垂れる。
しばらく、そのまま重い沈黙が続いた。
村長「………それで、」
やがて村長が呻くように声を漏らした。
村長「そんなことを我々に話して……一体、何が目的なのだ」
勇者「端和には偽りの土地神信仰を脱却していただく。いや、しなければならない。何故ならこれより、我々が竜の討伐に向かうからだ」
村長「な…!? 何を馬鹿なッ!!?」
村の古株A「そ、そんなことをされては、この端和は!!」
勇者「滅びません。言ったはずです。竜がもたらす恩恵はただの知恵。無くとも、十分に営みを続けることは出来る」
村の古株B「簡単に言ってくれるな! 土地神様のお言葉は我らにとって無二の道標なのだ!! 余所者が、知ったふうに……!!」
勇者「ふざけたことを抜かすなッ!!!!」
勇者はダンッ! とテーブルに拳を叩き付けた。
勇者「言っただろうが!! 竜の神託は人の知恵の延長線、そこに住む者の努力で何とでもなるものなんだ!! かけがえのない命を犠牲にしてまで得るもんじゃない!!」
村の古株C「しかし…しかし……!」
勇者「じゃあアンタ等、今のこのクソみたいな生贄制度をこれからも続けていくっていうのか!? 今の俺の話を聞いて、まだそんなことをほざけるっていうのか!?」
村長「う、うぐ……」
勇者「どうなんだッ!!!!」
勇者の叱責を受け、がっくりと項垂れたまま村長は顔を両手で覆う。
村長「わかっている…わかっているんだ……でも、勇気が出ない。今更、誰の守護もなく自らの足のみで生きていくなど……怖くって仕方がない……」
勇者「……まあ、いいでしょう。いや、事が済むまではむしろあなた達はそのままのスタンスでいてもらった方がいい」
村長「え…?」
勇者「私達は押し留めようとするあなた達を無理やり振り払って竜の討伐に向かった。そういう事にしておきましょう。そうすれば万が一私達が竜に敗れた時も、この端和が報復の対象となる可能性は低い」
村の古株A(土地神様が勇者如きに打ち倒されることがあれば、確かにそれは偽神であることの証明)ヒソヒソ…
村の古株B(たとえ勇者が土地神様に敗れたとしても、この村に累は及ばぬ)ヒソヒソ…
村の古株C(どちらに転んでも損は無い、か……それなら、まあ…)ヒソヒソ…
ガタン、と椅子から立ち上がる者があった。
騎士だ。
騎士「……あらかた結論出たろ? 俺先に部屋に戻るわ」
そう言って騎士はさっさと部屋に戻ってしまった。
勇者「準備が整い次第、私達は西の山に向かいます。村長たちも、どうか覚悟だけはしていただきますよう……」
村長たちはよろよろと立ち上がると、宿の出口へと向かう。
途中、村長が力なく勇者を振り返った。
村長「もし、勇者様が竜を打ち倒したとして……竜の巫女は、どうなりますでしょうか」
勇者「……西の大陸の南端に、竜神の血脈を継ぐアマゾネスという部族がありました。竜の血を引く彼女らもまた、老齢となっても若々しく、美しかった。おそらく、竜の巫女の不老も竜の血が関係しているのだと思います」
勇者「老いるのが遅くとも、不死ではないはず。役目から解き放たれれば、人としての幸せを掴むことも可能でしょう」
村長「……そうですか」
勇者「村長、この件はくれぐれも竜の巫女の耳に入らぬようお願いいたします」
村長「わかった……。そうか、だから……」
勇者「ええ。この話をあなたの家でするわけにはいかなかったのですよ、村長」
勇者が自室で準備を進めていると、ドアをノックする音が聞こえた。
勇者の許可を受け、入室してきたのは騎士だった。
勇者「なんだ? どした? 騎士」
騎士「いや、お前に言っときたいことがあってな」
勇者「なんだよ?」
騎士「……お前は、誰でも救おうとするんだな」
勇者「は?」
騎士「端和の連中のことだよ。竜が居なくなってもやっていけるようにケアしたり、自分が失敗した時の予防線まで張ってやったり……そこまで気ィ回してやるような連中かね?」
勇者「はは…そりゃ、お前からしたらふざけんなって感じだろうな。でもさ、俺はお前ほど端和の人々を憎み切れない。だって、彼らだって被害者だと思ってしまうんだ」
騎士「最初からそう言ってたな、お前。でも、どこがだよ? そりゃ竜は飴玉並べて奴らを惑わしたかもしれねえが、結局飴玉を取ることを決断したのは奴ら自身じゃねえか。自業自得だ」
勇者「そうだな。でも、飴玉を取らざるを得ない状況まで竜が演出したものだったとしたら、どうだ?」
騎士「……あん?」
勇者「騎士は怪しいと思わなかったか? 端和を訪れて、土地神について村人に教授していった旅人……何でお前そんなこと知ってんだよって、そうは思わなかったか?」
勇者「考えてもみろよ。土地神のことなんか、長くその土地に住み続けてきた端和の民すら誰一人知らなかったことなんだぜ? 何で流浪の人間がその土地に住む者よりその場所の事情に精通してんだよ。おかしいだろ」
騎士「おいおい、まさか……」
勇者「俺は、この旅人こそが竜だったんじゃないかって考えてる。竜は旅人に化けて、でっち上げの土地神信仰を端和に立ちあげたんだ。大恩ある旅人の行く末を村人が誰も知らないって異常性も、これなら納得できる」
騎士「まあ確かに。普通に考えりゃ、村の救世主たる旅人が人の目を盗んでコソコソ村を出ていく理由はねえからな」
勇者「そうなると、こんな仮説が立ち上がる。『もしや、初めに端和を襲った謎の作物病すら、竜が仕組んだことなのではないか』」
騎士「な…?」
勇者「そうじゃなければ、竜はたまたま飢饉にあえぐ端和の村を見つけて、たまたまその作物病についての知識を持ってて、たまたま西の山なんて近場にいい棲家もあったからここに居座ることにした、ってことになる。ちょっとこれは納得し辛いだろ」
勇者「さっきも皆の前で言ったが、西の山の竜は狡猾だ。自身のメッセンジャーとして竜の巫女を村に置き、生贄を村外から都合するよう誘導したり、反乱の芽を事前に摘み取ったり、奇跡の象徴として利用したり……その老獪さには舌を巻くほどだ」
勇者「そんな奴が行き当たりばったりで端和を手中に収めたと思えるか? 俺は思えない。最初から最後まで事態は竜の自作自演だった……そう考える方が、自然だ」
勇者の言葉を聞いた騎士は、ぼりぼりと頭を掻いた。
騎士「確かに筋は通ってるように聞こえるが……所詮は推察だろ? 何の証拠もねえ」
勇者「そうだな」
騎士「仮にお前が言ってることが当たっていたとしても、それで奴らが犯してきた罪が帳消しになるか? ならねえだろ」
勇者「そうかもしれない。でも、咎人として断罪する気には、俺はなれない」
騎士「そうか……勇者、俺は竜の討伐には付き合わねえぜ」
勇者「えっ!?」
騎士「ホントはこれを言いに来たんだ。いやな、もしお前が、端和の奴らの事なんか知ったこっちゃねーって、俺の呪いを解くことが最優先じゃーってスタンスだったら、俺も手伝う気でいたよ」
騎士「でも、そうじゃない。あろうことか、お前は端和の奴らを救うために、むしろ自分の呪いの事なんておまけみたいな感じで行くつもりだ。ちょっとそれにゃついていけねえ。理解不能すぎて、モチベーションが全然上がらねえよ」
勇者「騎士……」
騎士「悪いな、勇者。でも、お前になら分かんだろ」
騎士「俺は、誰かに何かを押し付けて、それで平気な顔をしてる連中が大嫌いだ」
―――西の山、竜の棲家への道 <登山道>
武道家「勇者、調子はどうだ」
勇者「ん? ああ、今のところは何ともないよ。村を出てからは耳鳴りもやんだ」
武道家「安定期に入ったという事か。ならば、その間に決着をつけたいものだな」
戦士「それにしても騎士の奴は身勝手な奴だな。ここに来て急に協力せんと言い出すとは」
勇者「やー、ほら、元々騎士はこの竜の討伐に付き合う義理は無かったわけだからさ。むしろ端和まで案内してくれただけで御の字だと思わなきゃ。ね?」
戦士「ふん……まあ、奴の事など元々当てにはしていなかったが」
勇者(俺は正直当てにしまくってましたー!! やべーよ、騎士居なかったら負ける確率万が一どころか五分五分くらいになっちゃうかも!!)
戦士「………」ギロリ
勇者「な、なんすか? 戦士さん」
戦士「お前今なんか不愉快なこと考えてなかったか?」
勇者「いやいやそんな!! 滅相もありません!!」
戦士「なら、そんな情けない顔してないで、村長たちに啖呵を切った時のようにしゃんとしていろ」
僧侶「そうですよ! あの時の勇者様、カッコ良かったんですから!!」
勇者「え、そう? て、照れちゃうな。えふ、でゅふふ……」
戦士「言った傍から……」
武道家「締まらん奴だな」
僧侶「でも本当に、先ほどは感心してしまいました。私達の情報からあれだけ深く考察することが出来るなんて……私、改めて勇者様を尊敬してしまいました!!」
勇者(ウッヒョー!! 僧侶たんからの評価爆上げきたウッヒョー!!)
勇者「ウッヒョー!! あ、声出てもうた」
戦士「こいつは……」
武道家「つくづく締まらん男だ」
僧侶「うふふ…」
―――西の山、竜の棲家への道 <洞窟入口>
武道家「ここか? 一応、騎士が言っていた外観的特徴は一致するが」
僧侶「距離的にも多分ここで合ってますよね?」
戦士「どうする? 誰か様子見で入ってみるか?」
勇者「いや……ここだ。間違いない」
僧侶「…ッ!? 勇者様、顔色が……!!」
勇者は奥歯を噛みしめ、必死で失いそうになる意識を繋ぎとめる。
一際甲高く響く耳鳴りは耐え難いほど不愉快で、腰元の剣は細かに振動すらしているようだ。
勇者「ここに来てから、頭痛が酷い。まるで内側から脳みそを喰い破られてるみたいだ」
武道家「……急ぐぞ」
武道家の言葉に皆頷く。
勇者たちは熱気込み上げる洞窟の中へと足を踏み入れた。
―――洞窟、竜の棲家 <入口より100m地点>
煌々と赤く照らされる洞窟の中を勇者たちは進む。
道の端に所々に開いている大穴を覗き込めば、赤く熱された溶岩がねっとりと流れているのが見えた。
武道家「足元には十分気をつけろ。いくら俺達が精霊の加護を得ているとはいえ、マグマに落ちれば無事ではすまん」
僧侶「それにしても、凄い熱気……」
戦士「結構堪えるな、これは……」
勇者「……こんな所を好んで棲家にするあたり、端和の竜は炎竜の類なのかもしれないな。赤い鱗の竜だという話だし」
戦士「だとすれば、私の精霊剣・炎天の特殊能力は効果が薄いか……」
勇者「俺の火炎呪文もだな……そうするとどうしても肉弾戦になるな」
武道家「構わん。どれだけ鱗が固かろうともこの精霊甲・竜牙で貫いて見せるさ」
僧侶「私も精一杯サポートします!」
―――洞窟、竜の棲家 <石扉前>
武道家「ん? 行き止まりか?」
僧侶「いえ、この大きな岩で道を塞がれているだけみたいですね」
戦士「動くか? ん……持ち上げられそうだ。私が上げておくからその間に皆通ってしまってくれ」
ふん、と気合の声を上げて戦士は大岩を肩の上まで一気に持ち上げた。
全員が通過してから、戦士自身も岩を支える手のひらを滑らすように前進し、体が抜けると同時に岩から手を離した。
再び岩は地面に落ちて、ズン、と鈍い音を立てる。
勇者「あー、これが多分あれだ、騎士が言ってた閉じ込め用の岩なんだ」
勇者は頭痛をこらえるように額を指で押さえながら感想を漏らした。
武道家「確かにこれは普通の者ならぴくりとも動かすことは出来んだろうな」
勇者「男二十人がかりって言ってたもんね。今回戦士が一人で上げちゃったけど」
戦士「何だ、怪力女だとでも言いたいのか?」
勇者「頼りになるっつってんの」
戦士「ふん……」
僧侶「熱気、強くなってきましたね……」
武道家「赤竜とやらとの対面も、もう間もなくらしいな」
勇者「……そうだな。この剣も、そう言ってる」
やがて、勇者たちは開けた空間に出た。
壁に開いた無数の穴から漏れる赤い光が薄明るくその空洞を照らしている。
その光に強調されるように、中央に何かがぽつんと置かれていた。
その正体を確かめるべく、勇者たちがそれに歩み寄った瞬間――――
――ズシン、と大地が揺れた。
勇者たちは振り返る。
「 ギ ャ ア ア ア ア ア ア ア ア ア オ ! ! ! ! ! ! 」
耳をつんざく雄叫びがビリビリと空気を震わせた。
人間など丸呑みできそうなほどに大きく開かれた口には、ぎっしりと鋭い牙が並んでいる。
大地を掴む足は千年を生きる大樹を思わせる太さだ。
全身を覆う鱗は燃え盛る火炎よりもなお赤い。
ばさりと大きく広げられた翼が、その神秘性を殊更に強調しているようだった。
この空洞への入口を塞ぐように、赤い鱗の竜がその威容を現した。
武道家「現れたな……」
戦士「いくぞ!!」
皆が臨戦態勢に入る中、勇者はもう一度空洞の中央へ視線を向けた。
置かれていた物の正体は祭壇だった。
成程、今までここに送られてきた被害者は皆土地神への拝謁と案内されていたはずである。
洞窟に閉じ込められて、訳も分からないまま取りあえず祈りを捧げようと、被害者がここまで歩み寄った時―――こうやって、竜が入口を塞ぐのだ。
どこまでも狡猾で――――姑息。
ぎり、と勇者は奥歯を噛みしめる。
絶対に倒さねばならない。絶対に討たねばならない。
いや、どうあれ殺さなくては。バラバラに引き裂いて、臓物をぶちまけてやらなくては。
殺す。殺ソう。殺すンだ。
コロシテ、バラバラニシテ、スリツブシテ―――ニクノヒトカケラモコノヨニノコサヌ
戦士と武道家が駆け出す。
戦士と武道家が先陣を切り、勇者と僧侶がサポートに回る、そのいつもの陣形を構築するために。
しかしそんな二人を猛然と追い越していく影があった。
勇者だ。
勇者「グルルオアアアアアアアアアアア!!!!!!!」
口の端から涎をまき散らし、獣じみた雄叫びを上げて勇者は赤竜に突っ込んでいく。
戦士「勇者!?」
戸惑いの声を上げる戦士。
即座に気付いたのは武道家だ。
武道家「魔剣に乗っ取られたか!!」
端和の刀鍛冶・鉄火の怨念が詰まった呪いの剣。
狂剣・凶ツ喰。
勇者は決して名を呼んでその剣を解放したわけではない。
むしろ抑え込もうとずっと気を張っていた。
しかし実際に竜を目にした一瞬、勇者自身もまた、竜に対して激しい怒りを感じてしまった。
剣の持つ怨念に、共感してしまった。
視界が赤く染まったことに気付いた時にはもう遅かった。
剣の怨念と勇者の怒りは融けて混ざり合い、勇者はただ殺意に駆られるだけの獣と化した。
「 ゴ オ オ オ オ ! ! ! ! 」
赤竜は立ち上がり、その右腕を勇者に向かって振り下ろしてきた。
勇者は避けようともせず、ただ赤竜目掛けて加速する。
掠めた爪が勇者の左肩から肉の塊を削いだ。
勇者は意に介した様子もなく、地を蹴り宙を舞った。
目指すは赤竜の心臓一点。
突き出した剣はしかし竜の左腕に阻まれる。
勇者「うがああああああ!!!!」
勇者はそのまま竜の腕にしがみつき、我武者羅に剣を竜の手に叩き付けた。
固い鱗を剥がされ、切り裂かれた皮膚から紫色の血飛沫が舞う。
「 ギ ャ ア オ ! ! ! ! 」
痛みが堪えたのか赤竜は思い切り左腕を払い、勇者の体を弾き飛ばした。
中空に放り出された勇者に顔を向け、赤竜はかぱりと口を大きく開ける。
次の瞬間、赤竜の口からは轟々と燃える火炎が吐き出された。
勇者の姿が炎にまかれて見えなくなる。
戦士「勇者ッ!!」
武道家「こっちにも来るぞ!! 戦士、僧侶! 俺の傍に寄れ!!」
赤竜が炎を吐きながらぐるりと顔を巡らせる。
武道家の声に従い、戦士と僧侶は武道家の背後に控えた。
横薙ぎに迫る火炎に、武道家は精霊甲・竜牙を装着した拳を突き出す。
武道家「吼えろ、竜牙!!」
武道家を中心に爆発的な風が巻き起こった。
戦士と僧侶は風圧に目を細め、吹き飛ばされないよう足を踏ん張る。
炎は竜巻のような風に巻かれて四方に散り、武道家たちまで届かない。
これが武道家の持つ精霊甲・竜牙の特殊能力。
『咆哮』に類する言霊によって解放され、爆発的な風を巻き起こす。この風は使用者の意思によって任意に指向性を持たせることも可能だ。
どさり、と音がした方を向けば、黒く焼け焦げた勇者の体が地面に横たわっているのが見えた。
武道家「僧侶、勇者の回復を! 戦士、俺と二人で竜の意識をこっちに向けるぞ!!」
僧侶「わかりました!」
戦士「承知!!」
「 ゴ ア ア ア ア ! ! ! ! 」
駆ける戦士に向かって、勇者の時と同様に赤竜がその腕を振り下ろしてきた。
戦士「試すか…」
そう呟き、戦士はその場に足を止め、十分に力を溜める。
戦士「はぁッ!!!!」
振り下ろされてきた竜の手のひらに、思い切り剣をぶち当てた。
巨大な質量に押し込まれ、戦士の足が地面にめり込む。
耐えきった。戦士は潰されることなく、その剣で竜の手を受け止めきった。
精霊剣・炎天の刃は竜の手のひらに食い込んでいた。紫色の血が刃を伝って戦士の手を濡らす。
戦士「流石に両断は出来んか……しかし、敵の重さは分かった。絶対に避けねばならんという程でもない」
戦士に攻撃が集中した間に武道家が赤竜の間近まで迫っていた。
武道家「その顔面、叩きやすい位置まで下ろしてもらうぞ」
武道家は赤竜がその体重を支える右足に拳を叩き込んだ。
赤竜はその足も固い鱗に守られているが、精霊甲・竜牙により増幅された衝撃は厚い鱗を貫通し、その内部を揺らす。
骨と肉が軋み、赤竜は苦悶の叫びを上げた。
嫌がるように赤竜はその足を蹴り上げ、その尾を振り回した。
武道家「ぬぐッ!!」
竜の目前まで接近していた武道家は流石に避けきれず、尾の直撃を受けて吹き飛ばされた。
暴れまわる尾を潜り抜けて竜に接近しようとしていた戦士に、上から炎が降りかかる。
熱のダメージもさることながら、視界が封じられてしまうのが厄介だ。
竜が口を開いて待ち構えている可能性もある。戦士は迂闊に飛び込むのは控え、一度後退した。
戦士、武道家と竜の距離が再び開く。
回復が必要だ。二人は勇者の元に向かった僧侶に目を向ける。
僧侶「勇者様!! ま、まだ駄目です!!」
僧侶は悲鳴を上げていた。その視線の先では立ち上がった勇者が今にも駆け出さんとしている。
僧侶の言葉通り、勇者の傷は到底全快したと言える状態ではなかった。
しかしおかまいなしに勇者は赤竜へ突進していく。
僧侶「勇者様!!」
武道家「やむを得ん!! 僧侶! こっちの回復を優先してくれ!!」
赤竜が炎を吐く。
勇者の体が炎に巻かれる。
戦士が後退を選んだ局面。勇者は止まらずに前進する。
待ち構えていたとばかりに地面を舐めるように振り上げられた爪が勇者の体を縦に切り裂いた。
右脇腹から右肩まで、内臓がこぼれ肋骨が露出してもおかしくない深さの裂傷。
しかし魔剣の効果か、切り開かれた肉はぐじゅぐじゅと異常な速度で修復されていく。
勇者「ガッ!!」
突進し、斬りつける。
突進し、斬りつける。
何度爪に肉を抉られようと、尾に叩き潰されようと止まらない。
走って斬る。走って斬る。
その愚直なまでの繰り返しで勇者は確実に赤竜にダメージを蓄積させていく。
その身を染めるのは、最早自身の赤い血だけではない。
僧侶「すごい……このまま倒せるかも……」
武道家「……いや、駄目だ。動きが単調すぎる。このままではいずれ致命的な一撃を食らうぞ。いくら魔剣の回復があろうとも、流石に不死身という訳ではないはずだ」
戦士「しかし今の勇者は私達の動きに頓着しない。下手に近づけば勇者の攻撃に巻き込まれるから、援護も難しい」
武道家「まずいぞ…どうする……?」
直後、武道家の悪い予感は的中した。
もう何度目になるかわからない突進を勇者が行ったとき、遂に赤竜はその大きく開いた口でもって勇者を迎え撃った。
がぶり、と躊躇なく閉じられる顎。
勇者の体が鋭い牙に貫かれた。
僧侶「いや…」
僧侶は目を見開き、口元を抑えた。
戦士「勇者……」
戦士は思わずその手から剣を取りこぼしそうになった。
武道家「勇者ぁぁぁああああああ!!!!」
武道家は悲鳴のように勇者の名を呼ぶことしか出来なかった。
ぴくり、とそれに反応するように勇者の手が動いた。
生きている。閉じられた牙に遮られて下半身の状態は見えないが、どうやらまだ息はあるようだ。
かぱり、と竜が再びその口を大きく開いた。
武道家「……咀嚼する気かあの野郎ッ!!!!」
戦士「……ッ!!」
最悪の未来を予感し、武道家と戦士が駆け出す。
しかし間に合わない。どう足掻こうとも、赤竜が再び口を閉じる方が早かった。
がじん、と音を立て、竜の口が閉じ―――
――――られなかった。
勇者がその手に持つ剣をつっかえ棒のようにして、牙を受け止めていた。
勇者「ごぼ……いい加減に……」
勇者は口から血の塊を吐き、大きく息を吸った。
勇者「いい加減に、しやがれぇぇぇぇえええええええええ!!!!!!」
絶叫し、勇者は死力を振り絞って赤竜の牙から脱出する。
そして、その剣を竜の右目に突き刺した。
「 ギ ャ オ オ オ オ オ オ オ オ オ ! ! ! ! ! 」
勇者を叩き潰そうと竜の手が迫る。
勇者「『呪文・―――――大烈風』!!!!」
勇者はその手から発生させた魔力を竜の顔面に叩き付けた。
その反動でもって勇者は高く宙を舞い、竜の腕を躱しつつ距離を取る。
両足から地面に降り立った勇者だったが、すぐに力を失い崩れ落ちた。
僧侶「勇者様ッ!!」
即座に僧侶は勇者に駆け寄り、治癒を施さんとする。
傷の具合を確認した僧侶の顔が歪んだ。
腹の方から背中まで、完全に大きな穴が貫通している。
勇者が意識を保っているだけでも奇跡的だった。
勇者「くそ……いい加減に、しやがれ……!!」
脂汗を浮かべながら、勇者は歯を食いしばっている。
僧侶は、てっきり傷の痛みに耐えているのかと思ったが、違った。
勇者の視線は己の持つ狂剣・凶ツ喰に向けられていた。
その剣がガタガタと震えている。
恐らくそれは、勇者の痙攣によるものだけではない。
勇者「下手くそなんだよ、お前ら…! いいから俺に任せてろ…!! 俺が必ずあの竜をぶっ殺してやるから……!!」
その言葉が果たして誰に向けてのものだったのか、僧侶にはわからない。
勇者は腹の傷よりもむしろ頭痛の方が耐え難い様子で、ずっと左手で額を抑えていた。
やがて―――剣の振動が止んだ。
武道家「勇者、正気に戻ったのか!?」
勇者「何とか…な」
武道家「しかし、どうやって?」
勇者「今回は俺が剣を解放したわけじゃなくて、無理やり乗っ取られた形だったからな。侵食が浅くて、意識は残ってたんだ。ずっと抵抗してたんだけど、やっと体の自由を取り戻せた」
戦士「傷の具合は?」
僧侶「相当に深手です。回復には時間がかかります」
ズシン、と地面が揺れた。
赤竜が、憤怒の表情でもってこちらへ一歩踏み出している。
戦士と武道家が倒れる勇者を庇うように前に躍り出た。
戦士「ならばそれまでの間、私達がお前達を守ろう」
武道家「安心して治療に専念しろ。お前らには指一本触れさせん」
赤竜の口から火炎が吐かれた。
それを合図に二人は動き出す。
戦士は右に飛んで火炎を躱し、赤竜に向かって駆ける。
武道家「吼えろ、竜牙!」
武道家は竜牙を用いて再び風の楯を発生させ、迫る炎を遮断する。
戦士は直線的にではなく、大きく弧を描くように徐々に竜に接近していく。
赤竜の左目は勇者によって潰された。
赤竜が火炎を武道家たちの方にぶつけ続ける限り、向かって右側から近づく戦士の姿は赤竜の死角に入っているはずだ。
赤竜は当然それを嫌い、戦士の方に顔を向ける。
炎が戦士を追いかけてきた。
戦士には武道家の様に炎を遮断する術がない。故に、炎を躱し続ける必要がある。
今の様に多少距離をあけていれば赤竜の口から戦士まで炎が届くのにタイムラグが生まれるので、躱し続けるのはそれ程困難なことではない。
問題は、どうやって戦士の剣が届く位置まで距離を詰めるか、だ。距離を詰めるほど炎を躱すのは難しくなる。
しかしその点は問題なかった。
何故なら近づくのは戦士の仕事ではなかったからだ。
戦士が赤竜の気を引いている間に、武道家が十分な距離まで詰め寄っていた。
武道家は既に赤竜の足元の位置。狙うは先ほどと同じ右足。
武道家「ふんッ!!!!」
武道家の全身全霊の一撃が叩き込まれる。
骨が砕ける音がした。
それこそ、大木がへし折られるような音が。
「 ギ エ エ ェ ェ ェ ェ ァ ァ ア ア ア ! ! ! ! ! ! 」
悲鳴のような鳴き声と共に、赤竜の体が傾ぐ。
武道家は拳を構える。
倒れこんできた顔面に一撃を食らわせてやるつもりだった。
武道家「なに…?」
武道家は驚愕の声を上げた。
赤竜の右足は完全に破壊されている。
その足では巨大な体を支えることは不可能なはずだ。
なのに赤竜の体は倒れてこない。
―――尾だ。
赤竜は、尾を地面に押さえつけ、そちらに体重を預けることで垂直の姿勢を保っていた。
武道家を見下ろす赤竜の喉に炎がともる。
この距離では躱せない。
竜牙の発動も到底間に合わない。
僧侶が勇者の治療に専念している今、大きなダメージを負うのはまずい。戦線復帰の目処が立たない。
戦士一人で三人を庇いながら戦うのは無理だ。
どうする―――?
目まぐるしく頭を回転させていた武道家だったが、直後に視界に映った光景に、頭の中は真っ白になった。
それは、遠くからその光景を眺めていた戦士も同様で。
最初から最後までその光景を見送っていた僧侶などは、放心状態で開いた口が塞がらない有様だった。
勇者が、空高く宙を舞っていた。
狂剣・凶ツ喰の刃を下に向け、赤竜の頭部に向かって落下を始めていた。
勇者「初見は流石に、結構そこそこ、でかい奴だと思ったけどよ」
勇者は体内で魔力を紡ぐ。それは風を発生させる呪文。
勇者「――――やっぱ、竜神様と比べりゃまだまだだな。お前、『神』を名乗るにはちっさすぎんぜ」
対象は、自分。
勇者「『呪文・大烈風』!!!!」
風のハンマーを己の背中に叩きつけて、勇者は落下速度を加速させる。
巨大な一本の矢となった勇者の剣が、赤竜の額を貫いた。
勇者「づおおおぉぉぉらあああああああああ!!!!」
勇者はそこから全身全霊で剣を横に振り払い、赤竜の脳を真一文字に切り裂く。
「 ギ ャ ア ア ァ ァ ァ―――――――――――……………………」
一際高く長く響く断末魔の叫び。
絶命した竜の体が崩れ落ち、洞窟を大きく揺らした。
僧侶「もう…!! 勇者様ったら、もう……!!」
僧侶は涙を浮かべながら勇者の治療を再開していた。
僧侶「まだ全然傷が塞がってないのに、動いたりして……!! それも、自分の体に風の呪文を二回も当てるなんて……下手したら死んじゃってたんですよ!?」
勇者「いやあ、ごめん……とりあえず動けるようにはなったからさ。武道家が竜の意識を足元に集中させてくれてて、チャンスだと思って……」
赤竜への不意打ちを思いついた勇者は、治療もそこそこに行動に移った。
風の呪文を自身に当てることで推進力を得て、竜を見下ろす高さまで飛び上がることに成功したのである。
武道家「……正直、助けられたのは確かだが……お前はもう少し、戦い方を考えろ。本当に、命がいくつあっても足りんぞ」
勇者「今回が特別だよ、マジで。言われんでもこんな痛ぇの二度とやりたくないわ」
戦士「……剣の呪いはどうだ?」
戦士が神妙な顔つきで勇者に問う。
勇者「ん~……今のところ、呪いが解けたって実感はないな。とりあえず鉄火の娘さんに預けてみて、様子見んべ」
僧侶「端和は、これからどうなるでしょうか」
勇者「わかんね。もしかしたら、これから何らかの危機に陥った時、『神託』の無い端和の民は右往左往してしまうかもしれない」
勇者「だけど、本当はそれが正しい人の営みなんだ。神の助言なんかじゃなく、人間同士で話し合って、協力して、答えを導いていく……そりゃ、今より苦労することは多くなるだろうけど、犠牲の上に成り立つ偽りの豊かさに依存していくよりは……きっと、ずっと良い」
武道家「そうだな。それに、戦ってみて分かった。この竜は、神なんかじゃない。竜の神を名乗っていたあの『竜神』に比べて、何というか、神々しさの欠片もなかった」
勇者「あ、やっぱりお前もそう思った? だよな~。戦い方も獣とそんな変わらなかったし、吠えてばっかで知性の欠片も感じなかったし……」
勇者「……あれ?」
ふと、勇者の頭に疑念が生じた。
勇者(そういや、本当に一言も喋らなかったな。神様気取りのご高説を垂れたり、命乞いのひとつでもしてくるもんだと想定してたけど……)
勇者(いくらなんでも、知性のある竜が死に際まで一言もこっちに何も言ってこないなんてことがあんのかな……ああ、もしかしたら、竜自体は言語機能を持ってなくて、意思を表明するのに竜の巫女っていうツールが必要になるってことなのかも)
ぞくり、と勇者の背筋が震えた。
勇者(いや、待てよ。待て待て。最初に端和に来た旅人ってのが竜の化けた姿だって仮定したのは俺だろうがよ。それに、そうだ。騎士は言ってた、確かに言ってたぞ。端和の竜と喋ったって)
勇者(喋るんだ。端和の竜は喋るんだよ。え、じゃあなんでこいつは……)
勇者はちらりと横たわる赤竜の亡骸に目を向けた。
その瞬間、ついさっきの自分の言葉を思い出して、息が止まった。
――――やっぱ、竜神様と比べりゃまだまだだな。お前、『神』を名乗るにはちっさすぎんぜ
小さい。
神を名乗るには小さすぎる。
小さい――――幼い?
――――――こども?
勇者「 う あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ ! ! ! ! ! ! 」
勇者は絶叫した。
びくりと肩を震わせて、三人はきょとんと勇者を見る。
戦士「な、なんだ? どうした、勇者」
勇者「どうして…!! どうして気付かなかった…!! そこに至るまでの材料はいくらでもあったじゃないか…!!」
僧侶「勇者様、余り興奮しては傷に障ります!」
勇者「端和に戻るんだ!! 今すぐに!!」
武道家「なに? 何故だ?」
竜に反応するこの剣が、洞窟の奥に進むたび反応を強めた。それは分かる。
ならば何故、最初に端和の村に着いた時までこの剣はあれだけの反応を示した?
村長は言った。いつまでも若いままでいる竜の巫女こそが奇跡の証明だと。
そうだ、その通りだ。
アマゾネスに紐つけて、奇跡を否定したつもりでいたけれど、本当に一歳たりとも年を取っていないというのならば、それは間違いなく奇跡の産物だ。
だが、端和の竜は神ではない。つまり奇跡は起こせない。
なぜあの時、そう断定してしまわなかった―――!
奇跡じゃないんだ。つまり、理由があるんだ。
人間が五十年も年を取らないままでいるなんて不可能だ。
そんなことは、例えば、いつまでも幼い少女の姿をとっていた竜神のように、竜、そのものでもない限り――――――
勇者「端和には――――――竜が二匹いるッ!!!!」
端和の村、村長の屋敷。
竜の巫女にあてがわれた広間にて。
竜の巫女「……死んだ」
茫然と、目を見開いたまま、竜の巫女は呟いた。
その言葉を聞いて、びくりと村長は肩を震わせる。
村長「死んだ、とは……どういう意味でございましょう……」
竜の巫女「言うた通りじゃ。死んだ、死んでしもうた! ああ何という事じゃ!! ああ、何という事じゃあ!!」
竜の巫女の様子から、村長は勇者たちが竜の討伐を成し遂げたことを確信した。
取り乱す竜の巫女を落ち着かせるように、村長は竜の巫女の肩を抱く。
村長「なあ、『○○○○』」
村長は竜の巫女の、かつてただの少女であった頃の名を呼んだ。
その声音は村の長としてのそれではなく、共に時間を過ごした少年としての名残を持っていた。
村長「実は今、勇者様が西の竜の討伐に向かっていたんだ。お前が竜の死を感じ取ったというのなら、きっと勇者様は討伐に成功なされたのだろう」
竜の巫女「なん……じゃと……?」
村長「だから、お前はもう、竜の巫女なんて役目から解放されて、普通の女の子として……がッ!!?」
竜の巫女は村長の体を突き飛ばした。
その膂力に、村長の体は部屋を仕切る襖を突き破るまでに吹き飛んでしまう。
村長「な、が…? なんだ、この力は……」
当然、村長の知る少女にこんな怪力は無い。
吹き飛んだ村長を追って竜の巫女はつかつかと歩む。
村長を見下ろすその視線は尋常でなく冷たい。
竜の巫女「貴様、今何と言った? 何のつもりでそれを容認したぁ!!」
村長「は、ぐ、勇者様に言われたんだ。端和の竜は神なんかじゃないって。端和の民を利用して餌としての人間を都合してるだけのずる賢い竜だって……」
竜の巫女「貴様はそれで踊らされたのか。これまで受けてきた恩も忘れて!! ええ!?」
村長「勇者様の言葉で、やっぱり俺達は間違っているって、そう思ったんだ。竜の助けを得て俺達は今まで生活してきたけど、その為にお前の人生や、何も知らない人々の命を犠牲にするのは、間違ってるって……」
竜の巫女「ちっぽけな人間風情がしょうもない感傷に流されおって!! ああ、何ということじゃ!! 貴様らのような愚鈍な連中に、『私の息子が殺されてしまうなんて』!!」
村長「私の、息子…?」
竜の巫女の言葉をうまく飲み込めず、村長はただその言葉を呆然と繰り返した。
竜の巫女「おお、おお…! 許せぬ。貴様ら、ただで死ねると思うな。生きたまま五臓六腑を引きずり出し、この世のものとは思えぬ苦悶を与えきってから殺してやる。一人も逃がさぬ。端和の民は皆殺しじゃ!!」
竜の巫女の体が膨れ上がる。巨大な質量が屋敷内に突如出現する。
障子を突き破り天井を破壊し床板を踏み抜いてなおその巨大化は留まるところを知らない。
村長「は、はあ…はわわ……!」
村長は進行する事態に一切理解が追いつかないまま、とにかく潰されぬよう必死で屋敷から抜け出した。
「 ゴ ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ! ! ! ! ! ! ! ! 」
世界を震わす大音声。
村長の屋敷を粉々に破壊し、端和の村に巨大な竜が降臨した。
赤い、紅い、人の血のように赤黒い鱗。
村のどこに居てもはっきりと姿を確認できるその巨大さは、ああ、確かに―――――
――――神と呼ばれるだけの威容を誇っていたかもしれない。
「りゅ、竜だ!!」
「竜だあああああああああ!!!!」
「な、なんで竜が!? どうして!?」
端和の村に突如出現した竜の姿に、村の中は阿鼻叫喚となった。
混乱し、右往左往する人の群れの中で、一人じっと佇む少女がいた。
蓮華「あれが……竜……。兄上を食い殺した……竜……」
『鉄火』の娘、蓮華。
少女は静かに、事の成り行きを見守り続ける。
村長「は、わ……馬鹿な……竜…? 竜だと…? 竜が、アイツに化けてたっていうのか? それじゃあ、本物のアイツは、アイツは一体……」
真の姿を現した紅い鱗の竜からすればちっぽけに過ぎる村長の呟きを、竜はしっかりと聞きとっていた。
竜の耳は良い。
それこそ、西の山で上がった子の断末魔の絶叫を聞き取れるほどに。
紅竜「戯けめ。そんなもの、最初に山に来た時点で食ろうてやったに決まっておろうが」
村長「そんな、そんな……! 今までずっと、俺を、俺達を騙してきたのか…!?」
紅竜「その通りじゃ。馴れ馴れしく話しかけてくる貴様に付き合うてやるのも辟易したわい」
村長「死んでた…? もう、とっくにアイツは死んでたのか…?」
村長はその場から逃げ出すのも忘れ、蹲って頭を抱えた。
村長「あ、ああ……あああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
紅竜「童のように泣きじゃくりおって、見苦しい。良い、まずは貴様からじゃ。この私に盾突いたことを骨の髄まで後悔して死んでゆけ」
紅い鱗の竜―――紅竜はその巨大な足を上げ、村長に向かって振り下ろした。
それはまるで人が害虫を踏み潰すが如き気安さだった。
ズン、と大地が揺れた。
―――しかし村長は死んでいなかった。
振り下ろされた竜の足を、その巨大に過ぎる質量を、事も無げに受け止めた男がいた。
騎士「やれやれ……まったく性に合わねえなあ、こういうのは」
それは、勇者の方針に反発して村に残っていた――――騎士だった。
数分前、竜が村に出現した直後、混沌とする村の中央広場にて―――――
村人A「お終いだ!! 端和の村は今日で全滅するんだぁ!!」
村人B「誰か……誰でもいい、誰か何とかしてくれえ!!」
騎士「よお、あんたら。それと、ここに居る連中。全員聞け」
混乱の中にあって、騎士の声は不思議と良く響いた。
俄かに静寂を取り戻した民衆の視線が騎士に集中する。
村人A「な、なんだ? 誰だ、あんた」
村娘A「あ、あなたは…!!」
騎士「知ってる奴もいるようだが、俺ぁこの前あんたらに騙されて西の山に放り込まれたモンだ。この村には縁も所縁もない、むしろ恨み辛みしかねえような俺だが、そんな俺があの竜を何とかしてやるって言ったらどうする?」
騎士の言葉に村人たちは皆大きく目を開いた。
村娘B「た、助けてくれるんですか!?」
騎士「お前らがこんな得体の知れない野郎に命を預けられるってんなら、な」
村人B「願ってもない話だ!!」
村娘A「お願いします!! 私達の命を助けてください!!」
村人たちに躊躇はない。
繰り返される懇願の言葉に、騎士は笑った。
騎士「オッケー、承ったぜ。アンタ等、今の台詞忘れんなよ」
村長「お、お主は……な、何故…?」
騎士「ま、ちょっと気が向いてな。柄にもねえ慈善活動ってやつだ。一応あんたにも聞いとくぜ。あんた、俺がこの竜を何とかしてやるっつったら、任せるか? 自分が生贄として扱ったような男に、自分の命を託せるか?」
村長「……なんて厚顔無恥なことを言うのかと、自覚している。だが、もしお主が、いや、あなたがこの竜を成敗してくれるというのなら……私の無念を晴らしてくれるというのなら……」
村長「この老いぼれの命など……いくらでも預けましょう!!」
騎士「二言はねえな? オッケー、あんたの命も確かに俺が預かった。じゃあさっさと逃げな。このままここに居たら巻き添え食らうぜ」
村長「わ、わかった。頼んだぞ!!」
紅竜「……?」
紅竜は怪訝な顔をして自らの足元に視線を向けた。
何故、村長が自身の足元から無事に駆け出している?
そういえば、何かが地面と足の間につっかえている。
その正体も掴めぬまま、紅竜は取りあえず踏み込む足に力を込めた。
騎士「おい、うぜえよ。くせえ足の裏近づけんな」
左腕で巨竜の体重を支えていた騎士が、空いた右腕で巨竜の足の裏を殴りつけた。
巨竜の体が、浮く。
紅竜「な…に……?」
突然の衝撃にバランスを崩した竜の体が横転した。
大地を叩く巨大な質量に押され、爆発的な空気の流れが生じる。
その風圧の中にあって、騎士は泰然と、涼しげに立っていた。
紅竜「ぬ…ぐ…!」
紅竜は大地に横たわっていた体を起こす。
足元に立つ騎士の姿を視界に収め、ようやく紅竜は己の敵を認識した。
紅竜「ガァッ!!!!」
紅竜がその巨大な腕を振り下ろす。
右腕の一撃。騎士は一歩後ろに飛ぶだけでそれを躱す。
紅竜は続けざまに左腕を横薙ぎに振るった。騎士はその場を動かず、背中を後ろに曲げてブリッジの体勢でそれをやり過ごした。
鼻先を掠める竜の腕を、騎士は鼻歌まじりで見送る。
紅竜「ゴアアアアア!!!!」
紅竜は明らかに苛立ち混じりにその腕を振り回した。
我武者羅としか形容できない稚拙さだがしかしその勢いは苛烈。
その巨体にそぐわぬ俊敏さで振るわれた鋭い爪が騎士を襲う。
騎士がその手を精霊剣・湖月にかけた。
今度は躱さない。足を止めた騎士が湖月を抜く。
青く輝く刃を迫る紅竜の腕にぶつける。
受け止めるために―――?
否。
一閃――――――両断された紅竜の右腕が宙を舞った。
紅竜「ガ…?」
紅竜は呆然と宙を舞う己の腕を見送る。
回転しながら飛ぶ紅い腕は、その切断面から紫の血をまき散らしながら地面に落ちた。
紅竜「ア…ガアアアアア!!!?」
紅竜は戦慄する。
心中に生じた恐れを否定するように、紅竜は大口を開け、その牙を騎士の体に突き立てんと首を伸ばした。
騎士「おいおい、不用意すぎるだろ。なんだ、早々にギロチン希望か?」
嘲笑うような騎士の声。
騎士はあっさりと竜の牙を躱し、その伸び切った首にトン、と手刀を押し当てた。
慌てて竜は首を戻す。目の前に飄々と立つ騎士と視線が交錯する。
紅竜「くそ……何故じゃ! 何故貴様が私を狙う!! 貴様が私を狙う理由なぞ無いはずじゃろうが!!」
たまらず紅竜は騎士に問う。
紅竜の言葉を受けて、騎士は目を丸くした。
騎士「あれ? お前ひょっとしてあの時洞窟に居た奴? あれ? じゃあ今洞窟に居る奴ってなんなの?」
紅竜「………」
騎士「オイ、テメエに聞いてんだよ」
紅竜「ぐ……こ、子供だ。あの洞窟には私の子供が居たのだ」
騎士「子供…? あ~、成程ね。そういうこと……あの洞窟は本来お前が子供を育てるための餌箱だったってことか。……クハッ、オイオイ、お前子供のご飯つまみ食いしてんじゃねえよ。悪いお母さんだな。いや、お父さんか? まあどっちでもいいけど」
騎士「……その様子だとその子供、勇者たちに殺されちまったらしいな」
紅竜「そうだ!! だから、私は愚かな村の者共に我が子が味わった苦しみを百倍にして味わわせてやるのだ!! だのに、何故貴様が邪魔をする!? 貴様にとってこの村の事などどうでも良いはずではないか!!」
騎士「そうだな。俺にとっちゃ本当にどうでもいいよ、こんな村。本来ならお好きにどうぞって、むしろ応援しちゃうくらいだ」
紅竜「ならば…!!」
騎士「だけどお前がこの村を滅ぼしてしまったら、きっと勇者が壊れてしまう。それは駄目だ。あいつには、何としても魔王の所まで辿りついてもらわなくっちゃならない」
紅竜「ぐ…く…!」
騎士「運が悪かったな。あのお人好しがこの村に来たりしなかったら、皆そこそこ楽しく生きていけてただろうに」
精霊剣・湖月をその手に持ったままの騎士が、一歩前に踏み出した。
びくりと紅竜の体が震える。
剣の切っ先をこちらに向ける騎士のその雰囲気が、逃がすつもりはないと雄弁に物語っていた。
紅竜「………グガアアアアアアアアアア!!!!!!」
もはや涙混じりに紅竜はその牙を騎士に向けた。
騎士は剣を振りかぶり、ぼそりと言った。
騎士「……ほんと、ご愁傷さまって感じだ」
勇者「これは……一体……?」
騎士「よう、遅かったな。勇者」
端和に急いで戻った勇者たちの目に飛び込んできたもの。
それは、紫色の血の池に横たわる、四肢を無くした竜の巫女の姿だった。
竜の巫女「う、うう……うああ……」
紫色の血に濡れて、四肢を根元から無くし芋虫のようになった竜の巫女が嗚咽を漏らす。
その光景の凄惨さは、駆けつけた勇者一行が思わず目を背けてしまうほどだった。
勇者「騎士……一体何があったんだ?」
騎士「慌ててここまで戻ってきたところをみると、お前ももうわかってんだろ? こいつの正体は竜だった。子供を殺された恨みで端和を滅ぼそうとしてな、俺がそれを止めた」
騎士「その辺に池みてえに溜まってる紫色のは全部そいつの血だぜ。さっきまで竜の姿してたんだけどな。羽まで全部斬り飛ばしてやったら人の姿に戻りやがった。まあ、戻るっていうか、竜の姿の方が素なんだけど」
つまり、わざわざまた人の姿に化けたのだ。
その理由など、ひとつしかあるまい。
果たして、竜の巫女は嗚咽まじりに言葉を発し始めた。
竜の巫女「おお……何卒、何卒慈悲を……私が死ねば、私の一族は途絶えてしまう。これからは決して人は喰いませぬ。人里に近づきもしませぬ。だから、どうか、命だけは、命だけはお助けくださいぃ…!!」
年端のいかぬ少女が、手足をもがれた状態で悲痛な叫びを上げるその光景は、見る者の心を確かに打った。
僧侶も、戦士も、武道家すら、直視できずに目をそらしている。
勇者もまた、沈痛な面持ちで竜の巫女を見据えていた。
勇者「お前がいなくなれば、お前の一族……多分、炎竜なんだろうけど、その一族が滅びてしまうと……お前はそう言うんだな?」
竜の巫女「そうです、そうなのです。それだけは、それだけは、嫌なのです。何卒、何卒…!」
勇者「でもそれは、裏を返せばお前を生かすと人に仇なす竜の一族が存続するということになる」
竜の巫女から表情が消えた。
武道家たちは一気に自分たちの体が冷たくなるのを自覚した。
竜の巫女「ああ!! 決して、決して人は襲いませぬ!! くれぐれも、くれぐれも後の子に言って聞かせまする!! どうか、どうか!!」
勇者「……そうだな。もしかしたら本当に、お前は心を入れ替えてどこか山奥でひっそりと暮らし続けるのかもしれない」
勇者「だけど、万が一のことを考えたら――――やっぱり、お前を見逃すわけにはいかないよ」
竜の巫女「ひ、ひああ!!!! うあああああ!!!!!!」
半狂乱になって竜の巫女は身をよじる。
だが、無駄だった。無益だった。勇者との間の距離は一向に変わらない。
やがて竜の巫女の変化が解けた。
竜の正体を現して、だけど四肢がない状況は変わらなくて、どうしようもなくて、紅竜はひたすら獣の如く雄叫びを上げている。
竜の姿に戻っても、その瞳からは次から次へと涙が零れ落ちていた。
勇者が、騎士も含め四人の仲間たちの方に振り返る。
その顔には、何とも形容しがたい、寂しげな笑みが浮かんでいた。
勇者「……みんな。これから先は、見ないでくれないか?」
勇者の言わんとするところを、全員が察した。
全員が口を固く引き結び、その場を後にする。
騎士が振り返って、言った。
騎士「……なんつーか、しんどいな。お前」
勇者「いいよ。慣れてる」
騎士「大概にしといた方がいいぜ。自分の気持ちを殺すのはさ」
勇者はその言葉には答えなかった。
反論するのは、心の中だけに留めておいた。
勇者(いいじゃんか。何が悪い)
人の命と自分の気持ち―――――殺すなら、断然後者だろう?
勇者は狂剣・凶ツ喰をその手に持った。
首を振り、その力だけで体を引き摺って、少しでも勇者から距離を取ろうとする紅竜にその刃を向ける。
そして、言った。
勇者「喰らい尽くせ――――『凶ツ喰(マガツバミ)』」
――――その後の事は描写すまい。
ただ紫色の血の池がなお広がって――――紅い鱗混じりの挽肉がそこら中に散らばっていたと、それだけ伝えておこう。
結論から言えば、勇者は魔剣の呪いから解放された。
『倭の国』から大陸に渡る船の中にあって、勇者の周りにあの剣の姿はない。
代わりに、勇者の腰には新たな剣が携えられていた。
名を真打・夜桜(しんうち・よざくら)という。
鉄火の娘より託された、父の―――あの魔剣の源となった父の、生前の最高傑作だ。
神秘の結晶である精霊剣には及ばないものの、その切れ味と剛健さによる武器威力は、当代の人類が創造しうる最高峰の物となっている。名の由来は黒い刀身に乱れ散る刃紋が夜に舞い散る桜の花びらを想起させることからだ。
既に魔剣としての力を失ったあの剣は、今は『鉄火志士丸』の墓に収められている。
「父の体で出来てるようなものですから、遺骨の代わりにちょうどいいですよ」
そう言って屈託なく笑った鉄火の娘・蓮華のことを勇者は思い出す。
家族を全て失った彼女は、これから旅に出ると言っていた。
旅に出ていたもう一人の兄の死が確定した以上、辛い思い出のある端和に留まる意味はないと。
彼女はこれから先、幸せになれるだろうか。
幸せになってほしい、と切に願う。
少し高い波が当たって、船が揺れた。
勇者は慌てて柵を掴み、バランスを取る。
揺れが落ち着いたころ、勇者は振り返って甲板の様子を眺めた。
武道家も、僧侶も、戦士も、思い思いに船旅を満喫しているようだ。
―――そこに、騎士の姿は無かった。
「俺はもうちょいこの国を回って楽しんでいくよ。お前らと違って、急ぐ旅でもねえし。ちょっとやりたいこともあるし」
そう言って、騎士は『倭の国』に残った。
「勇者、しばらくしたら俺は魔王城に一番近い国、『武の国』に活動の拠点を移す。魔王城に乗り込むときは必ずそこに寄れ。……お前が行く時に、俺も一緒に行く」
最後に、そう言い残して。
勇者(認められた、ってことなのかな。やっと)
自然と顔が綻ぶ。
武道家がいる。戦士がいる。僧侶がいる。そして遂に、あの騎士も仲間になることを確約してくれた。
たとえ魔王が相手だとしても負けることは無いと、そう思える自分がいる。
当初の予定とは大違いに大真面目に続けることになってしまったこの旅も、何とか終わりが見えてきた気がした。
勇者(取りあえずまた珍しいジャポン酒買ったし、もう一度エルフ少女を訪ねてみよう。何とか口説き落とせば、ほいほい僧侶ちゃん用の精霊装備盗ってきてくれるかもしれないし)
高揚する気分が楽観的思考を加速させる。
そういえば自分達用にもいくつか酒を都合していたことを思い出し、勇者は三人に声をかけた。
勇者「みんな! 飲もう飲もう!! 今回の祝勝とこれからの旅の無事を祈念して宴じゃーーー!!!!」
殊更陽気に飛び跳ねる勇者に、武道家、戦士、僧侶の三人はやれやれと肩を竦めた。
しかし、勇者の提案に異を唱える者は誰もいなかった。
当然、勇者たちは知らない。
『倭の国』から大陸までの七日の船旅。
そのたった七日の間に、『端和』が滅びてしまったことを。
第二十一章 ドラゴン・クエスト(後編) 完
そして―――――高台からエルフの集落を眼下に収め、歓喜の声を上げる者が居た。
「ようやく―――ようやく見つけたぞ、エルフ共!!!!」
響く声音は圧倒的な威圧感をもって大気を震わせる。
流暢に人語を語るその魔物の身の丈は三メートルを優に超し、その巨大な体躯を黄金色の毛皮が覆っている。
ともすれば美しさすら感じるその姿は、その魔物の名に実に相応しい威容を誇っていた。
魔物の名は『獣王』。
魔王の側近として名高い獣の王が、エルフの集落に終末をもたらさんと迫る。
第二十二章 決戦
勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」【5】