勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」【1】
勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」【2】
武の国。
その城下町の人口規模はおよそ八千人。
魔王軍が本拠地としている魔王城に近く、それ故、幾たびも魔王軍の侵攻に晒されてきた。
にもかかわらず、国は栄え、町に住む人々には活気が溢れている。
その理由は、何度も魔王軍の侵攻を退けてきた、確かな実力を持つ兵士団による生活の保障と―――今現在、勇者たちが参加している武闘会による集客力にある。
おおよそ三月に一度行われるこの大会は、武の国を治める王、『武王』の計らいで優勝者に莫大な賞金と極めて貴重な宝物が賜わされる。
それ故、参加希望者は非常に多く、やがて開催を重ねるごとに世界中から様々な武芸者が集まるようになり、大会は権威を帯びていった。
今では世界一強い者を決める大会だと謳われるほどである。
当然―――それ程の大会となれば観覧を希望する者も多い。開催の一週前にもなれば宿は埋まり、観光客を対象とした出店が数多く出て連日祭りの如き賑わいとなる。
武王「此度も無事開催の日を迎えることが出来た。世界中から集まりし強者共よ、今日は存分にその腕を振るうがよい。何、心配はいらん。大会中に負った傷は十全な治療を行う。心置きなく敵を討て」
武王「ただし殺すのは御法度じゃ。勝敗は降参か相手が戦闘不能に陥った時決するものとする。では、諸君らの健闘を祈る!! 大武闘会の開幕じゃ!!!!」
武王による開会宣言。
闘技場に集められた参加者と、それを円形に囲う観客席から地を揺らすほどの歓声が上がった。
第十一章 つわものどものカーニバル(前編)
既に三つの試合が消化され、遂に勇者の出番を迎えた。
闘技場に入場してきた勇者と騎士を、唯一天蓋のついた観覧席から武王が見下ろしている。
武王「ほう、これは……実に面白そうなカードじゃな。この二人、先までの参加者たちと比べて実力が突出しておる」
武王自身も秀でた武芸者である。
既に御年50を迎えた身であるが、年齢を感じさせぬ屈強な肉体に、豊かにたくわえた髭を撫でながら武王は言う。
武王「勇者と…狂乱の貴公子、か。狂乱の貴公子はよく聞く名前じゃな?」
そう言って武王は傍に控えていた壮年の兵士に目を向けた。
兵士「はい。毎回この大会に参加しては初戦で消える、所謂賑やかしであったと記憶しております」
武王「一体どのような修業を詰んであれ程の力を得たのか、興味深いのう。勇者というのは?」
兵士「今回、善の国との交易便にあの『伝説の勇者』の息子が同行していたとの噂を耳にしました。もしかするとですが……」
武王「ほう! 言われてみれば、確かにあの男の面影がある!! これは面白くなってきおった!! 兵士長、この両者、お前はどちらが優位と見る?」
兵士長と呼ばれた男は―――すなわち、世界で最も屈強であると謳われる武の国兵士団にあってさらに最強の剣の使い手である男は、静かに言った。
兵士長「……狂乱の貴公子です。間違いありませんよ。おそらく、私でも歯が立ちません」
武王「……そんなに?」
武王は目を丸くして闘技場に立つ勇者と騎士に視線を戻した。
観客席では勇者の対戦相手の姿を確認した武道家、戦士、僧侶の三人が息をのんでいた。
三人の脳裏にはかつて四人がかりで騎士に攻撃をかすらせることも出来なかった記憶が蘇っている。
僧侶「で、でも、あれからみんなずっと強くなっています!! その上、あの盗賊団を倒して、勇者様は更に強くなりました。今なら、きっと……」
武道家「いや…」
かぶりを振ったのは武道家だった。
武道家「あの時は気づかなかったが……騎士の奴、まさかこれ程の……」
僧侶「ええ!?」
僧侶は戦士に目を向ける。
戦士も武道家と同じものを感じ取ったのだろう。
額に汗を浮かべ、言葉もなく騎士を睨み付けている。
僧侶「勇者様……!」
僧侶は祈るような思いで闘技場に立つ勇者に目を向けた。
勇者は笑っていた。
勇者「いやいや……はは、マジかよおい……」
心中抱いた感想が思わず口をつく。
勇者の目の前に立つ騎士。
その男の立ち姿から感じ取れる圧倒的な重圧は、もはや笑い飛ばすしかないほどの実力差があることを勇者に予感させていた。
騎士「いやあ、成長したな勇者」
騎士はそんな勇者の心中を知ってか知らずか、あっけらかんと口にした。
勇者「はあ?」
騎士の持つ雰囲気に及び腰になっていた勇者からすれば、騎士のそんな言葉は嫌味にしか聞こえない。
しかし騎士は本当に感心した様子で言葉を続けた。
騎士「積み木を10段まで積んだ者は、100段積んだ者を凄いと褒める。50段まで積んだ者は、100段積んだ者を凄いと尊敬する。その事柄についてある程度精通して初めて本当の価値を推し量ることが出来るって話さ」
騎士はにやりと笑った。
騎士「その顔。俺の力を感じ取ったんだろう? 前に比べりゃ、マジで成長してるぜお前」
騎士が剣を抜いた。
勇者は目を見開く。
騎士の持つ剣は、その刀身が青く透き通っており、その剣自体が輝きを放っているように見えた。
勇者「なんだその剣…? 金属…なのか…?」
騎士「さあ、まずは小手調べ……LEVEL1ってとこだ。行くぜ、勇者!!」
騎士が立っていた地面が爆ぜた。
驚異的な脚力で騎士は一歩で勇者との間にあった15mの距離を潰す。
騎士は青く輝く剣を振り下ろした。
ギイン、と高い金属音が響く。
勇者とて騎士の動きに遅れていない。
一瞬で肉薄してきた騎士に意表を突かれるとこもなく、振り下ろされた剣に刃を合わす。
騎士「やるな! まだまだいくぜぇ!!」
騎士は次々と剣を振り下ろす。
その剣戟は単調で、ただ我武者羅に剣を叩き付けているように見える。
ただ、その速度と重みが桁違いだった。
勇者「ぐ、おお…!!」
技巧も何もない、フェイントもない、ただ剣を引き、振る。
騎士はそれを連続しているだけだ。
だがその速度と重さが、かつて勇者と戦士を苦しめた盗賊の頭領と比較しても恐らく上。
ギャリン、と一際大きく音が鳴った。
騎士の剣の威力に後方に吹き飛ばされた勇者が、何とか地面に足を踏ん張って勢いを殺す。
がりがりと地面は削れ、およそ10mに渡るまで勇者の吹き飛んだ軌跡を描いた。
「お、おお……」
「オオオオオオオオオオオオーーーーーッ!!!!!!」
観客席から歓声が上がる。
「なんだ今のは!? 見えなかったぞ!?」
「あの相手もよくしのいでるぜ!! 普通ならもう終わっててもおかしくねえ!!」
ふうう、と長く息をつき、勇者は剣の柄を握りなおした。
勇者(速い…重い……やっぱり騎士の奴、とんでもない強さだ。だけど……)
勇者の眼光に強い光が宿る。
勇者(捉えきれないほどじゃ、ない!! 俺も段々あいつの速さには慣れてきてる。次はあいつの隙を突くことが出来るはず…)
パチパチと騎士が手を打ち鳴らす音で、勇者の思考は中断した。
騎士「やるな、勇者。本当に強くなった。前のお前だったら、このLEVEL1にすらついてこれなかっただろうぜ。さあ、次だ。行くぞ」
騎士「LEVEL2だ。――――遅れずに、ついてこい」
騎士の姿が消えた。
勇者(見え―――)
今度こそ、勇者の目にもその姿は捉えられなかった。
ぞくりと背筋が震え、勇者はただの勘で剣を上に向かって振った。
ギャリイン、と刃が鳴る。
いつの間にか勇者の眼前に跳躍し、振り下ろしてきた騎士の剣と勇者の剣が合わさった。
勇者の足が地面に沈む。勇者の背骨が衝撃に軋む。
騎士「そらそらそらぁ!!!!」
勇者「うあああああああああ!!!!」
地面に降りた騎士が続けざまに繰り出す五連撃。
閃光のように右から左から襲い来る剣を、勇者は無我夢中で打ち払う。
最後の一撃は突き。反射的に後ろに飛ぼうとした勇者は愕然とする。
地面にめり込んでいたことで足を取られた。ぐらりと勇者の体勢が崩れる。
一瞬の判断。勇者は体内で魔力を紡ぐ。
勇者(『呪文・―――烈風』!!)
風の塊が生まれる。しかし狙いは騎士ではない。
騎士の加護レベルの前では、この程度の呪文はそよ風同前。剣の軌道を変えることすら出来ないだろう。
風の塊が仰向けに倒れかけていた勇者の腹を叩いた。
その衝撃により、勇者はまるで誰かに引っ張られたように勢いよく地面に背中を打つ。
騎士の突きが空を切った。
騎士の体が勇者に覆いかぶさるように前のめりになる。
驚きに目を見開く騎士と、勇者の視線が交錯する。
勇者「おらぁッ!!!!」
仰向けの姿勢から左に巻き込むように繰り出した勇者の右蹴りが騎士のわき腹にめり込んだ。
騎士「ぐ…!?」
吹き飛んだ騎士の体がごろごろと地面を転がる。
勇者「はぁ…はぁ…」
勇者は即座に立ち上がり、騎士に向かって油断なく剣を構えた。
対する騎士は背中を勇者に向けて倒れたまま、起きあがろうとしない。
勇者「……?」
騎士「……くっくっく」
騎士の肩が震えだした。
騎士は堪え切れないというように笑みを漏らし、ゆっくりと立ち上がる。
騎士「あっはっは……いや、こんなに楽しいのは久しぶりだ。どうやって最後の一撃をかわしたのかは知らねえが、まさかLEVEL2をも凌ぐとは……すげえぜ勇者。タケノコもびっくりの急成長だ」
勇者「……そりゃどうも」
騎士「なんだか俺はとことんお前とのバトルを楽しみたくなったぜ。そこで勇者、俺の提案を受け入れちゃくれねーか?」
勇者「提案?」
騎士「ああ。俺の武器とお前の武器を交換しようぜ」
勇者「はあッ!?」
騎士はその刀身を見せつけるように、勇者に向かって剣を突き出す。
騎士「俺の剣が普通の剣じゃないってのには、薄々勘付いちゃいるんだろう?」
勇者「まあ、な」
勇者は頷いた。
何度か打ち合った感触から、剣の材料が金属であることは間違いないと勇者は思うがしかし、それ自体が青く輝く金属など聞いたこともない。
騎士「今回のこの武闘会。優勝者への賞品が何やら特別な武器らしいってのは聞いてるか?」
勇者「ああ」
騎士「おそらくそれは俺のこの剣と似たような武器のはずだ。武器自体が精霊の加護を宿している―――言わば『精霊装備』」
勇者「精霊装備?」
騎士「武器自体が強力な加護を宿している為、加護レベルの差を覆すことが出来る。これを使えば、小童でも固い竜の鱗を裂くことが出来るだろう」
騎士「そして非常に頑丈だ。俺くらいのレベルになってしまうと、本気で振るえば普通なら剣の方がもたないんだが、この剣なら問題なく振れる」
勇者「それを、俺の剣と交換するっていうのか? 悪いが俺の剣は何の変哲もない普通の剣なんだぜ?」
騎士「そう、つまりハンデだ。お前が俺の剣を使えば俺に問題なくダメージを通せるようになるだろう。俺がお前の剣を使えばその剣が折れない程度に力を抑えなきゃならない。そうすりゃ、ちょうど互角のいい勝負になると思うんだよ」
勇者「舐められたもんだな」
と、言いつつ勇者は心中やぶさかでないと思っていた。
このまま戦い続けても万に一つも勝ち目は見えない。
だが騎士の提案に乗れば万に一つどころか、『勝てるかもしれない』と思えるほど勝率は上がる。
元々勇者は自分の実力に誇りを持っていない。
それ故騎士の提案は勇者にとって何ら侮辱的な意味合いを持たず、ただただ千載一遇のチャンスと勇者は受け取った。
警戒すべきは武器の交換が騎士の罠である可能性だが―――勇者はその可能性を一蹴した。
そもそも実力で大きく上回っている騎士がそんな姑息な手を使う必要はないし、勇者が把握している騎士の性格上、彼がそんなことをするとは考えづらかった。
勇者「乗ったぜ」
騎士「さすが。そう言ってくれると思ったぜ」
二人は目の前の地面に己が剣を突き立てる。
そしてゆっくりと歩み出し、すれ違った。
勇者は騎士の剣の前に、騎士は勇者の剣の前に立つ。
勇者「せーの!」
騎士「せーの!」
同時に剣を抜き放ち、振り返る。
第2Rの始まりだった。
騎士の剣を握った勇者は驚愕していた。
勇者(軽い…! まるで重さが無いみたいだ。それに凄く手に馴染む…とても今初めて握った剣だとは思えない)
騎士の攻撃を、先ほどまでとは違い、勇者は余裕をもって受け流す。
勇者(それに、何だこの感覚は……まるで剣が俺に語りかけているような、剣が俺を導いているような…奇妙な感覚がある)
困惑する勇者の様子を見て取って、騎士は笑って言った。
騎士「初めてその剣を握った時の俺と同じ顔してるな、勇者。そいつの声に戸惑っているんだろう?」
勇者「声…? やっぱりこれは声なのか? 俺に何かを語りかけてくるような感覚はあるが……」
騎士「明確な意思を持っている訳じゃねえがな。装備した者に情報を流すんだ。自分の力を十全に揮わせるために。自分の名前と、その能力を」
勇者「能力?」
騎士「精霊装備はおおよそ全て特殊な力を秘めているって話だ。まあ初めてその剣を握ったお前はまだ、そいつの声を確信出来ないだろう。だから俺が教えてやる」
騎士「そいつの名前は『精霊剣・湖月(コゲツ)』。力を揮う言霊は『穿つ』だ」
騎士の言葉を聞いた途端、勇者の頭の中で取り留めなく揺蕩っていた情報がかっちりとはまった。
その剣の名と、その能力を把握した勇者は後ろに飛んで騎士との距離を取る。
そして、間髪入れず剣を振り、叫んだ。
勇者「穿てッ!! 『湖月』ッ!!!!」
いつの間にか、勇者の持つ剣―――精霊剣・湖月は水色に濡れていた。
刀身を濡らす水滴は勇者が剣を振る勢いに流され、剣先に集う。
瞬間―――凄まじい勢いで剣先から放たれた水は槍と化し、騎士の体に向かっていた。
騎士「おっとぉッ!!」
騎士は身を躱す。
外れた水流は闘技場の壁に十数センチの穴を開けた後、勢いを無くして流れ落ちた。
勇者「す、すげえ……」
自ら水流を放ったにも関わらず、ぽかんと勇者は結果を見つめている。
騎士「要は水の槍を生み出す能力ってわけだ。すげえだろ? 武器としての攻撃力も高く、道具として使っても効果がある。こんな便利な武器はちょっと無いぜ」
勇者「お前、こんな物をどこで……」
騎士「俺の場合は故郷に国宝として伝わってたんだ。精霊装備は人間に造れるものじゃない。一説にはエルフが造ったんじゃって話もあるらしいが……とにかく今の世の中、現存している精霊装備ってのはかなり貴重だ」
勇者「こりゃ是が非でも、今回の賞品を手に入れなきゃって気持ちになってきた。ってなわけで降参してくれ騎士」
騎士「やなこった。こんだけハンデくれてやってんだ。実力で掴み取ってみな勇者」
騎士の剣と勇者の剣が再び合わさる。
速度と重さで一気に攻める騎士の剣。変幻自在に踊る勇者の剣。
ガガガガ、と絶え間なく響く剣戟の音に、観衆は声を出すことも忘れ見入っていた。
勇者「ふぅ…ふぅ…!」
何度目になるかもわからない打ち合いの後、再び距離を取った勇者は考えていた。
勇者(ジリ貧だ。このまま打ち合いを続けていても勝ち目は見えない)
勇者は騎士の様子を伺う。
騎士「どうした? もう終わりか?」
勇者(やはり全然消耗しているように見えない。当然だ。あいつはずっと軽く流して走っているようなもの。常に全力疾走な俺が先にへばるのは当然)
勇者(ここらで一発勝負に出るしかない)
勇者は両手で握っていた剣の柄から左手を離し、その手のひらをじっと見つめた。
勇者(……呪文を使う。それで一気に決めてやる)
勇者(俺が今まで呪文を使ったのは最初の突きを躱すために使った一度きり。あえて、だ。あえてそうした)
勇者(俺は騎士の前で呪文を使ったことはない。騎士は、俺が呪文を使えることを知らない)
勇者(今ここで呪文を使えば騎士の不意を打てる。致命的な隙を生み出すことが出来るはず)
勇者(この『湖月』なら、加護レベルの差に関係なくダメージを与えられる。一度でも奴に直撃させられれば、それで決着をつけることが出来るはずだ)
勇者(問題は、どの呪文を使うか)
勇者(俺が使える風や火の初歩的な呪文じゃ、騎士にほんの少しのダメージも与えられない。それじゃ隙を生むことだって出来やしない。『睡魔』もあっさり無効化されるだろう)
勇者(……賭けるしかない、か)
勇者(呪文のレベルを上げる。練り上げる魔力が足りなければ不発に終わっちまうが、大丈夫だ。あの盗賊も倒して、俺の加護レベルは最近急激に上がった。きっと出来る。自分を信じろ!)
勇者(……よし…)
騎士「お、表情が変わったな。いい顔だ。腹をくくったな」
騎士は勇者を追撃しようとせず、その場で迎え撃つ構えを取った。
騎士「楽しみにしてるぜ勇者。俺に、まいったと言わせてみな」
勇者「『穿て』ッ!! 『湖月』ッ!!」
勇者の持つ精霊剣・湖月から水流が発射される。
騎士は僅かに背を反らすだけでその一撃を躱した。
勇者「『穿て』『湖月』!! 『穿て』『穿て』『穿て』ぇッ!!!!」
二本三本、四本五本六本。
勇者は間断なく湖月を振り、水の槍を次々繰り出していく。
が、その全てを騎士は事も無げに回避した。
騎士「何のつもりだ? 勇者」
勇者「最後の確認さ。これだけの量の水が出せるなら大丈夫だ」
勇者は騎士を指差す。
それはいつも勇者が呪文を放つ際に取るお決まりのポーズ。
体内で練り上げた魔力を、指先に集中させる。
それは、かつて勇者が経験したことのない規模の圧縮率だった。
勇者「いくぜ――――『呪文』」
圧縮された魔力は指先から解放され、その魔力量に相応しい規模の事象を引き起こす。
勇者「―――――『大火炎』!!!!」
直径三メートルにも及ぶ大火球が突如発生し、騎士に向かって発射された。
騎士「何ィィィーーーーッ!!!?」
突然目の前に現れた火の塊に騎士は驚愕する。
騎士(なんだこりゃどういうこった、湖月の力じゃねえぞ、呪文!? まさか、勇者の奴呪文なんて使えたのか!? すげえなあいつマジかおいって、いや、そんなことは今はどうでもいい、こいつを、この火球をどう処理する!?)
騎士は戦闘とは別の方向に飛びかけた思考を戻し、目の前の火球に向き合う。
騎士(躱すか、剣で斬り飛ばすか…!)
じゃり、と背後で土を踏む気配がした。
騎士はちらりと後ろに目を向ける。
そこに、剣を構えた勇者が回り込んでいた。
騎士「野郎…!? この火球は囮か!!」
勇者の呪文による奇襲は、騎士の判断力を少なからず奪っていた。
騎士の加護レベルは桁が違う。これ程の火球でも、騎士には殆どダメージは与えられない。
であれば、その加護レベルの差を無視できる騎士の剣、『湖月』による一撃こそがどうあれ勇者の本命になる。
騎士が冷静であれば、そのことに気付き、火球の処理に思考を割く愚を犯すことはなかっただろう。
だが、まだ間に合う。
勇者の剣が振るわれる前に、騎士は後ろを振り返ることが出来た。
ここからならば十分に防御が間に合う。それ程の速度差が勇者と騎士にはある。
しかし当然その剣を騎士に向かって振るってくるものと思われた勇者は、剣を構えて微動だにせぬまま、口を開いた。
勇者「穿て『湖月』。穿って、穿って、穿ち続けろ」
騎士「な…に…?」
湖月から次々に生み出された水流が迫る火球に撃ち込まれる。
瞬く間に蒸発した水分は周囲に白い蒸気を大量にまき散らした。
騎士「なにぃーーーーーッ!!!!?」
これこそが勇者の真の狙い。
勇者とて、たとえ呪文のレベルを上げても騎士に対して大きな効果は望めないと悟っていた。
それでも、下手すれば呪文の不発というリスクを負ってまで呪文のレベルを上げたのはこのためだった。
精霊剣・湖月により生み出された水分を瞬時に蒸発させることにより蒸気で騎士を包み込む。
そのために、火力が必要だった。そのために、それなりの効果範囲が必要だった。
騎士(ぐ…! 何も見えねえ…!! 煙幕のつもりか、勇者。これで俺の視界を阻害し、改めて不意を突こうと…)
否、そうではない。
騎士「が! ごほッ!!」
騎士は突然咳き込んだ。
当然だ。熱された蒸気を吸い込んだのだ。
いくら加護のレベルが高かろうが関係ない。
それは人間として当然の防御反射だ。
咳き込む。剣を持った敵を前にして行うには、余りにも致命的な隙。
白い煙幕を突き破り、まさしくその瞬間を狙った勇者が騎士に向かって精霊剣・湖月を振り下ろした。
勇者(勝った!!)
勇者は確信した。
蒸気の被害を避けるため、自身は息を止め続けている。
騎士はまだ剣を構えることすら出来ていない。
勇者と騎士の目があった。
ぴくりと剣を持った騎士の腕が反応する。
だが無意味だ。
間に合わない。
今さらどんな行動を起こそうと、間に合うはずがない。
騎士「LEVEL――――3」
ぎゃりん、と途轍もない衝撃が勇者の腕を襲った。
勇者の意識は一瞬空白になった。
自身の一撃を打ち払われたのだ、と気づいた時には既に次の一撃が眼前に迫っていた。
勇者(いや――ちょ――待―――だって、一撃目の衝撃がまだ―――)
混乱。困惑。
勇者はまだ騎士の一撃目を受け止めている。
勇者の認識では間違いなくそうだ。
にもかかわらず、眼前に迫る二撃目の刃。
衝撃が勇者に伝わり切るその前に、既に次の攻撃が振るわれている。
勇者の感覚認識速度をぶっちぎったその一撃を、当然勇者は躱せるわけもなく―――
騎士の一撃は振り切られ、折れた刀身が離れた地面に突き刺さった。
空振り。
騎士の持つ勇者の剣が、根元からぽっきりと折れていた。
騎士「あ~……やっぱりLEVEL3には耐え切らんか」
騎士は折れた剣を見つめ、ぼりぼりと頭を掻いた。
察するに、一撃目の衝撃で刀身に罅が入り、その後の騎士の常軌を逸した速度での振り回しに耐え切れず折れてしまったのだろう。
騎士は勇者の剣を丁重に地面に置き、懐から刃渡りにしてわずか10センチほどの小刀を取り出した。
騎士「どうする? ハンデはさらにきつくなっちまったけど……続けるか?」
勇者は、その場にへなへなと尻餅をつき、笑った。
勇者「冗談だろ? 降参だよ。参った」
騎士「へへ、俺の勝ちぃー。楽しかったぜ、勇者」
騎士が勝ち名乗りを上げると観客席から大歓声が巻き起こった。
僧侶「勇者様、負けちゃいましたけど、凄い、凄かったですよね!!」
僧侶もまた、興奮気味にぴょんぴょんと跳ねている。
武道家は右拳を左の掌にばしんと叩き付けた。
武道家「まったく……盛り上げてくれるじゃないか、勇者」
戦士「………」
戦士は寡黙なまま一言も発しなかった。
しかし闘技場を見つめる目が明らかに熱を帯びていることを、僧侶は見逃さなかった。
勇者「ってゆーか!! 俺の剣!! どーしてくれんだお前!!」
騎士「すまんて。ごめんて。弁償するって。優勝賞金で」
勇者「きいーーーッ!! お前の湖月寄越せコンチクショウ!!」
騎士「それはならん。ならんなぁ~、勇者。……ん?」
闘技場を出て、控室に戻る二人の前に立ち塞がる影があった。
大柄な体に豊かな髭をたくわえた精力漲る老人と、その横に控える壮年の兵士。
騎士「誰だ? おっさん」
勇者「……んああああ!!!? ぶ、武王様!?」
勇者はすぐに目の前の人物の正体に気付き、驚愕の声を上げた。
騎士「ぶおう? ぶおうって何よ?」
勇者「お前マジか!? この国の王様だよ! この国で一番偉い人!!」
騎士「あぁ~、ぶおうって、武王のことね。はいはい」
武王「ふははは! このワシを前にしてその不遜な態度。やはりそこらの凡百とは一味違うのう。いや、愉快愉快」
勇者「ぶ、武王様。御自らこのような場所に降りられて、一体如何様な御用でありますでしょうか」
騎士(あ、出た。伝説の勇者の息子モード。キモッ!)
武王「実はの、ワシはお主たちを我が国の兵士団に勧誘に来たのじゃ。お主等の闘い、年甲斐もなく血が滾ったぞ。はっきり言って惚れた。給金もいい値を払おう。望むなら、この国で最も美しい妻も与える。どうだ?」
勇者「過分な評価をいただき、真にありがとうございます。しかし、私は魔王討伐という使命があるため、一つ所に留まるわけにはまいりません」
武王「そうか……残念だ。狂乱の貴公子、お主はどうだ?」
騎士「まあ、俺もやることありますし? 悪いっすけど今回はパスで」
武王「ふむ…致し方あるまい。重ねて勧誘するのも野暮というもの。あいわかった! しかしワシがお主等に惚れ込んだのは事実! この先何か困ったことがあればいつでもこの国を頼るがよい! 出来る限り力を貸すことを誓おう!!」
勇者「あ、ありがとうございます!!」
騎士「おお、ラッキー。そん時はよろしく頼むぜ、武王様」
兵士長「武王様。そろそろ次の試合が始まります。席にお戻りにならなくては」
武王「うむ。ではな、二人とも。狂乱の貴公子、お主の戦いぶり、これからも楽しみに見させてもらうぞ」
そうして、武王と兵士長は去って行った。
勇者「……そういやお前、狂乱の貴公子って何よ?」
騎士「洒落だよ洒落。痛々しくて中々おもしれーだろ?」
勇者、武闘会初戦敗退。
しかし勇者の奮闘を見てモチベーションを極限まで高めた武道家、戦士は一戦目、二戦目と順調に勝ち上がっていく。
そして迎えた三戦目。
―――――闘技場の中心には、武道家と戦士の二人が立っていた。
武道家「まあ、トーナメントである以上、勝ち上がっていけばこういうこともある」
戦士「そうだな」
武道家「先に言っておこう。この戦い、勝ち上がるのはお前だ。戦士」
戦士「ほう…」
武道家「さっき勇者にな、念入りに釘を刺されたよ。決してお前を傷つけぬよう立ち回り、適当な所で降参しろ、とな」
戦士「そうか……まあ、当然の戦略と言えるだろうな」
武道家「そうだ。優勝のために片方の消耗を避ける。まったく当然、常道だ。だがな戦士……」
武道家の肉体に目に見えるほどの闘志が漲る。
それは、八百長で降参する男が出す闘気では全くなかった。
武道家「悪いが役割を変わってくれ。俺はどうしても、この手で騎士と立ち合いたい」
戦士「それは出来んな。何故なら、私も奴とどうしてもやり合いたいからだ」
武道家「そうか。ならばしょうがないな」
戦士「ああ、まったくしょうがない」
武道家はその場でトントンと二度、軽く跳ねた。
戦士は背負った大剣を抜いて構える。
武道家「……折角だから、本音を言おう」
戦士「なんだ?」
武道家「実は以前から、お前とこうして立ち合ってみたいと思っていた」
戦士「私もだ。何とも気が合うことだな」
観客席から遠巻きに見ていた勇者は、二人の様子がおかしいことに気付いた。
勇者「あれ? 何か雰囲気おかしくない? 全然和やかじゃなくない? むしろ二人ともなんか精霊の祠探検時のボス戦前みたいな緊迫感出してない?」
武王から試合開始の声が上がった。
駆け出し、衝突する二人の剣と拳。
武道家「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
戦士「はあああああああああああああああああ!!!!!!」
勇者「えええええええええええええええ!!!!!? なにマジでやり合ってんのーーー!!!? 馬鹿なのーーーー!!!? 二人とも馬鹿なのーーーーッ!!!!?」
第十一章 つわものどものカーニバル(前編) 終
ここで改めて、勇者と魔王討伐の旅を共にする二人、戦士と武道家の戦闘スタイルを確認しておこう。
戦士が装備するのは両手持ちの大剣。その刀身の長さは150㎝にも及ぶ。
戦士はそれをまるで小枝の様に振り回し、圧倒的なリーチと質量で相手を寸断する。
武道家が装備するのは両手を覆う手甲。手の甲側を肘まで、鱗のように節を設けた鋼で覆っている。
肘の部分からはスピアと呼ばれる槍の穂先を思わせる刃が突き出ており、相手を切り払ったり急所に突き立てたりと多彩な攻撃を可能にする。
つまり、二人の闘いは。
武道家が如何にして戦士の懐に飛び込むか。戦士が果たして武道家を近づけさせずに打ち倒すことが出来るか。
結局のところ、そこが焦点となる。
第十二章 つわものどものカーニバル(後編)
武道家「つあッ!!!!」
戦士「はああああ!!!!」
武道家が戦士に向かって飛びこむ。迎え撃つように戦士は大剣を横薙ぎに振るった。
身を屈めた武道家の頭上を鉄塊が通り過ぎる。
数本の髪の毛が剣を掠め、パラリと風に舞った。
勝機と踏んで武道家は更に一歩、戦士に向かって踏み出そうとして―――自分の顔に影がかかっていることに気づいた。
武道家「なにッ!?」
今やり過ごしたばかりのはずの戦士の剣が、高々と頭上に掲げられている。
戦士「ずぇあッ!!!!」
全霊を持って振り下ろされる戦士の一撃。
手甲をもって打ち逸らすことは不可能。武道家は瞬時に判断する。
前に向かって地面を蹴ろうとしていた足を無理やり方向修正。
足首に嫌な痛みが走ったが躊躇せず地面を横に向かって蹴りぬく。
直後に武道家が元居た所を戦士の剣が叩いた。
土が爆ぜ、砂埃が舞う。
武道家は崩れた体勢を地面に手をつき、体を反転させることで即座に立て直した。
戦士の追撃はない。
戦士はゆっくりと武道家の方に向き直り、かちゃりとその剣を構えた。
武道家「ふぅ~…」
武道家は額を流れる汗を拭い、ひとつ息をつく。
観客席から歓声が上がった。
「おいおいおい!! どうなってるんだ今回の大会は!! レベルが高すぎるぜ!!」
「儂は初回からこの大会を欠かさず観戦しているが……こりゃこれまでの例にないほど当たりの回じゃわい」
僧侶「すごい! 戦士も武道家さんも…二人とも本当に凄いですね!! 勇者様!!」
勇者「……ああ。何で仲間内であんなガチの潰し合いしてんのか、全く理解に苦しむけど、確かに凄いね。二人とも、本当に強くなってる」
勇者(もし仮に、今の二人のステータスを表すとしたらこんな感じかな)
戦士:性別 女
体力☆☆☆☆☆★★★
魔力
筋力☆☆☆☆☆★
敏捷☆☆☆☆★★★
※白星☆ひとつは黒星★五個分に該当
武道家:性別 男
体力☆☆☆☆★★
魔力
筋力☆☆☆☆★★★
敏捷☆☆☆☆☆☆
勇者(ちなみに旅の最初の頃は…)
戦士
体力★★★★★
魔力
筋力★★★★★★
敏捷★★★★
武道家
体力★★★★
魔力
筋力★★★
敏捷★★★★★
勇者(こんな感じだったから二人とも本当に強くなってるよ、うん)
勇者(その強さを何で仲間内でぶつけあってんのかはホントに意味わからんけど!! 意味不!!)
武道家が地を蹴る。戦士が迎え撃つ。
既に五度に渡って繰り返されたこの激突。
これまでは全て戦士が打ち勝ち、武道家を射程外に押しやっていた。
しかし今回遂に転機が訪れる。
横薙ぎに振るわれた戦士の剣。武道家はしゃがんで躱す。
空振りした剣は即座に一周し、今度はしゃがむ武道家の足を狙う。
跳躍。僅かに体を浮かせた武道家の足元を剣が通り過ぎていく。
飛んだ方向は勿論前方。戦士の体に向かって。
二人の視線が交差する。
武道家は笑う。戦士は歯噛みする。
戦士が剣を引きもどす。しかし、その時には武道家の体は既にお互いの手が届く距離。
すなわち武道家の距離であった。
武道家「はぁッ!!!!」
武道家の拳が戦士の腹部を叩いた。
戦士は腹に鎧を纏っている。
しかし衝撃は装甲を貫通し、戦士の内臓を激しく揺さぶった。
戦士「ぐぅ…!」
込み上げる吐き気を必死で戦士は飲み込み、即座に反撃に出た。
脇を締め、腕を折りたたむようにして無理やり武道家の脇の下に刃を持ってくる。
しかしそんな体勢では満足に剣速が出る訳もなく、振るわれた刃はあっさりと武道家の手甲によって打ち払われてしまった。
戦士「くっ!」
武道家「あの騎士の奴に対抗するのに最も重要なのは速さだ。まず奴の動きについていけなければ話にならん」
武道家「戦士。こと速度に関してはお前より俺の方が上だ。奴との対戦、俺に譲ってもらうぞ!!」
振るわれた拳を戦士は身をよじって躱そうとするが、避けきれず肩口に食らってしまう。
その衝撃に戦士の体が後方に弾き飛ばされた。
武道家「わざと踏ん張らずに、衝撃を利用して距離を取る気か。させん!!」
武道家が追撃に移る。
戦士は着地し、体勢も整えぬまま僅かに開いた距離を利用して剣を振る。
武道家「碌に踏み込みも出来ぬまま振られた剣など、……ッ!?」
手甲を用い、剣を打ち逸らそうとした武道家は、しかし戦士の意図に気付き息をのんだ。
振るわれた剣は、切っ先がこちらを向いていなかった。
向いていたのは、剣の腹。
つまり戦士は武道家を斬るつもりではなく、叩くつもりで剣を振ったのだ。
向かってくるのが鋭く研ぎ澄まされた点ならば、斜めに手甲を入れることで打ち逸らすことも出来よう。
しかし向かってくるのが面ならば。逸らすことは出来ぬ。如何なる角度で手甲を入れようとただ叩き潰されるのみである。
ならば躱せばよい―――今更だ。ここから回避行動に映ったとしても到底間に合わない。
武道家に出来るのは、歯を食いしばり、次の瞬間の衝撃に耐えることのみ。
バゴムッ!!!! と凄まじい音をまき散らし、武道家の体は武道場の地を跳ねて転がった。
武道家「が…ぐ…!!」
戦士「速度が大事だと言ったな、武道家」
がくがくと震える足を押さえ、必死に立ち上がろうとしている武道家に、戦士は言う。
戦士「そうではない。騎士を相手にする時に必要なのは一撃の重さだ。いくら速度で追いつこうと、奴の加護を打ち破る力が無くては意味がない」
武道家「ふ……成程、違いない……」
戦士「まだ続けるか?」
武道家「いいや、参ったよ。降参だ。騎士の奴はお前に任せる。頼んだぞ、戦士」
戦士「承知した」
武道家、敗退。
戦士、決勝進出―――――
僧侶「お疲れ様でした、二人とも!」
戦士「ああ…」
勇者「ちょっと武道家、こっちおいでほら君こっち」
武道家「いたたた、引っ張るな。悪かった、指示を無視したのは悪かったよ」
勇者「悪かったですむかーーー!!!! 仲間を(しかも女の子を)思いっきり殴りつけるとか何考えとんじゃ貴様は!!!!」
武道家「つい熱くなってやった。今は反省している」ケロッ
勇者「やかましいおんどりゃ!!!!」
僧侶「それにしても、戦士ってやっぱり凄いのね。あの武道家さんに勝っちゃうんだもの。驚いちゃったわ」
戦士「そんなことはない。武道家は本気で私を倒しに来てはいなかった」
僧侶「え?」
戦士「武道家は一度も私の顔を狙わなかった。加えて、今の対戦で武道家はほとんどスピアを活用していない」
僧侶「それはつまり……」
戦士「私に大怪我をさせる可能性がある攻撃を避けたんだ。あいつは、なんだかんだで勇者の言う事を聞いていたのさ」
僧侶「………」
勇者「おまえホントおまえ」
武道家「すまんて」
そして騎士もまた当然のように勝ち上がり―――決勝戦が始まる。
武王「よくぞここまで勝ち上がった。両者に惜しみない賛辞を贈ろう。志半ばに敗退した者達の思いを背負い、誇りと礼節をもって、最高の試合を我々に見せてほしい」
武王「それでは―――決勝戦、始めい!!!!」
武王による試合開始の宣言が為され、戦士は両手で大剣を構える。
その表情は真剣そのもの。
対する騎士は余裕の笑みを浮かべていて、構えも――剣を抜いてこそいるものの――だらりと自然体の様子であった。
騎士「さて―――さてさて、勇者の成長は目を見張るほどのもんだったが、お嬢ちゃんはどんな感じかな?」
騎士「あんまり成長してないようじゃ、俺を興じさせることが出来ないようじゃ、ぱっぱと終わらせちまうぜ?」
ちゃき、と騎士は青く輝きを放つ精霊剣・湖月の切っ先を戦士に向ける。
騎士「いくぜ? まずは小手調べ―――LEVEL1だ。頼むから、これで終わってくれるなよ?」
騎士が地面を蹴る。一瞬で戦士に肉薄する。
そして振り下ろされる剣。
騎士曰く、小手調べ―――しかしその実、かつて戦士を圧倒した盗賊の首領よりも速く、重い一撃。
―――その一撃が戦士の頭に届く前に、戦士の大剣が騎士の体に横から叩き込まれていた。
戦士「ぬああああああああああああ!!!!!!」
騎士「ご…!?」メキゴキパキパキ
戦士の全身全霊をかけたその一撃は、騎士の剣の速度を遥かに上回っていた。
体をくの字に折り曲げて騎士は吹き飛び、その勢いで闘技場の壁を粉砕する。
「ウオオオオオオオオオオオーーーーー!!!!!!」
観客から上がる大歓声。
僧侶「やった、やった! お二人とも! 戦士がやりました!」
僧侶も歓喜にぴょんぴょんと飛び跳ねる。
しかし勇者と武道家の表情は硬かった。
僧侶「どうしたんですか? お二人とも…」
勇者「相変わらず化物だな……騎士の奴」
僧侶「ど、どういうことです!?」
武道家「今、戦士は間違いなく剣の刃の部分をぶつけた。俺との戦いの時とは違ってな。にもかかわらず、騎士は両断されず『吹っ飛んだ』。それはつまり、戦士の攻撃力をもってしても未だ騎士の体に刃を食い込ませることが出来なかったということを意味している」
がらがらと壁の破片を払いのけ、騎士が土煙の中から姿を現した。
戦士の剣が接触したところの服は破れ、少しだが出血しているように見える。
勇者「あ…!!」
武道家「僅かながら、通っているか! ならば、勝機はあるぞ戦士…!」
ぱんぱんと服に着いた埃を払いながら騎士は闘技場の中央に戻って来る。
騎士「いやいや、やりすぎだろ。殺しちゃ駄目ってルール忘れたの? 今の俺じゃなかったら確実に体真っ二つになって死んでたからね?」
戦士「すまないな。しかし、お前はこの程度では死なないと信じていたよ」
騎士「信頼されるって嬉しいことばっかりじゃないのね」
戦士「今の不意打ちには正直私の私怨が多分に含まれていた。謝罪しよう。そして騎士よ。私はお前に礼を言わなければならない」
騎士「礼? なんの?」
戦士「勇者を立ち直らせてくれたことだ。お前が諭してくれなければ、勇者は壊れてしまったままだった。そのことについては―――本当に、ありがとう」
戦士の礼を受け、騎士はキョトンとした顔になる。
戦士は改めて剣を構え、宣言した。
戦士「さあ、これで互いに過去の事は忘れることとしよう。ここからは純粋な技と力の比べ合いだ。いざ、尋常に―――来い!! 騎士!!」
戦士の言葉を受けて、しかし騎士は構えない。
騎士「くふ…ふふ、ふはははは!!」
それどころか、大口を開けてゲラゲラと笑い始めた。
戦士「な、何がおかしい!!」
騎士「あっはっはっは……いやあ、悪い。だってよ、勇者の件に関して俺が礼を言われる筋合いなんて全く無かったからさ。お前の見当違いのお礼がつい可笑しくなっちゃって」
戦士「な、何故だ。実際、お前は勇者を励まし、元の勇者に戻してみせたじゃないか」
騎士「いや…あいつはさ、いっそあのまま壊れて旅をやめちまってた方が、実は幸せだったんだよ、多分」
戦士「なに…?」
騎士「あいつはいずれまた壊れる。あいつが『伝説の勇者の息子』として旅を続けるのならば、いつか必ず」
騎士「しかも、あいつを一時的にでも立ち直るきっかけを与えたのがよりにもよって俺だった、ってのがまた最悪だ」
騎士「本当にあいつは運が悪い。運命とでもいうのかね? 可哀想な奴だ。まるで世界の全てがあいつをぶっ壊すために動いてるみたいだぜ」
戦士「何のことだ……騎士!! お前は何を知っている!!」
騎士「お前の知らないことをさ、戦士。さて、いつまでも突っ立って喋ってちゃギャラリーが退屈しちまう。お望み通り、互いにしがらみ抜きの勝負といこうじゃねえか」
戦士「待て、騎士! 勇者にこの先何が起こる!? 知っているのなら、それを…!」
騎士「今この場では言えない事情がある。それで納得しろ。そら、行くぞ。構えろ」
戦士「く…!」
騎士「湖月で斬られちゃ痛えじゃすまねえ。頼むから、適当な所で降参してくれよ」
この後、二時間にもわたって繰り広げられた戦士と騎士の激闘は、武闘会史上最高の一戦として観衆の記憶に刻まれた。
武王も、観衆も、敗れた戦士の健闘を称え、惜しみない賞賛を送った。
武王に至っては、通常優勝者にしか与えられない賞金を、特例として戦士にも追加で与えたほどである。
しかし、勇者と、武道家と、戦士だけはわかっていた。
騎士はまだまだ、実力の半分も見せていない―――――と。
武闘会翌日、早朝の城下町の入り口付近にて―――――
騎士「んじゃ、俺行くわ」
勇者「騎士……」
騎士「楽しかったぜ。またな!」
勇者「騎士……待ってくれ!!」
騎士「なんだよ。男の旅立ちを引き止めるなんて野暮は無しだぜ勇者」
勇者「いやお前、剣弁償しろよ」
騎士「ですよねー」
騎士「ほら」ズシ…
勇者「こ、これは……」
騎士「今回の武闘会の賞品――『精霊剣・炎天(エンテン)』。力を引き出す言霊は『焼き尽くす』。これをくれてやる。折れた剣の代わりとしちゃ、十分だろ」
勇者「いいのか?」
騎士「ああ。その代り約束しろよ。必ず―――魔王の所まで辿りつけ」
勇者「……ああ、約束する」
騎士「いい返事だ」
勇者と騎士は互いに笑い合う。
そして勇者は騎士から渡された精霊剣・炎天を装備した。
しかし、勇者には装備できなかった!!
勇者「…………」
騎士「wwwwwwww」
勇者「わかってたよ!! でっけーんだよこれ!! 刃渡りなんぼよ!? 2m弱あんだろこれよぉ!!」
騎士「お腹いたいwwwwwあかんwwおなかいたーいwwwwww」
勇者「俺の得意武器は片手剣なの!! これ完全に両手持ちの大剣なの!! ドゥーユーアンダスタン!?」
騎士「かおwwwwこれ差し出された時のお前の顔wwwwwwくそwwwその後真顔になってやり取り続けやがってwwww卑怯モンがwwwwww」
勇者「笑ってんじゃねーよハゲ!!」
騎士「なんだよ、じゃあいらねーのかハゲ!!」
勇者「いるよハゲ!! 戦士にあげるよ!! ありがとうハゲ!!」
騎士「どういたしましてぇぇぇえええええ!!!!!!」
勇者「ハゲって言わねーのかよ!!!!」
騎士「んじゃ、今度こそ行くわ。これからも色々あるだろうけど、まあ頑張ってな」
勇者「おう……なあ、騎士」
騎士「なんだよ?」
勇者「一つだけ教えてくれ。魔王軍は……お前が追っている暗黒騎士って奴は、お前くらい強くても勝てないのか?」
騎士「ん~、どうだろうな? 案外やってみたら、あっさり勝てたりするかもしんねえ」
勇者「それでも、お前は修業の旅を続けるのか?」
騎士「やってみて、やっぱ駄目だった足りんかった~ってなっても、もうそれでお終いだろ。出来る限り力をつけてから挑むよ。自分なりに精いっぱいな」
勇者「そうか……なあ、騎士」
騎士「何だよ? 聞くのはひとつじゃなかったのか?」
勇者「これでホントに最後だ―――俺達は、まだお前と共に旅をするには不足か?」
騎士「おう。まだまだだな。LEVEL3すら超えられないようじゃ、お話にならないぜ」
勇者(……あの速度の、まだ先があるのか)
騎士「そうだな……せめて、全員分の精霊装備を揃えろ。そうすりゃ、考えてやらなくもないぜ」
勇者「言ったな?」
騎士「おう、約束してやるよ。―――また会う時を楽しみにしてるぜ、勇者」
騎士は勇者に背を向け、街の入口へと向かう。
名残惜しかったが、これ以上引き止めるのは確かに野暮だ。
勇者は騎士から託された精霊剣・炎天を握りしめ、騎士の背中が見えなくなるまでその場で見送っていた。
――――いつか、その背中に追いついてみせる。
朝もやに消える騎士の背中を見つめ、勇者は静かにそう決意するのだった。
勇者(…………とりあえず新しい剣どうすっかな~)
―――闘技場控室のある一室にて。
掃除夫「ふ~やれやれ。今回の武闘会も大盛り上がりだったな」ゴシゴシ
掃除夫「特に決勝まで来てた戦士ちゃんには惚れたぜ。ファンクラブ作っちゃおうかな~」ゴシゴシ
ロッカー「んーーー!! むーーー!!」ガッタンゴットン!
掃除夫「な、なんじゃあ!?」
とあるロッカーの中から激しい物音と人のうめき声のようなものが聞こえる。
掃除夫は恐る恐るロッカーのドアを開けた。
男「んぶーーーー!! んももーーーー!!」
掃除夫「んなんじゃあ!? 妙な男が口をふさがれてぐるぐる巻きに縛られてるぞ!?」
男は長い金髪を振り乱し、掃除夫に視線で助けを求めている。
掃除夫は涎にまみれた猿轡を解いてやった。
男「ぶはあ!! はぁーーーー!!!! 武闘会は!? 武闘会はどうなった!?」
掃除夫「そんなもんとっくに終わったよ」
男「ファッ!!?」
掃除夫(なんだコイツ…男のくせに化粧なんかして…まあ、もう汗と涎で溶けて見れたもんじゃなくなっちまってるが)
男「そんなはずはない!! この僕を抜きにして大会が始まるなんてことがあってたまるか!!」
掃除夫「はいはい。わかったからとりあえず帰ってくれ。私の仕事が終わらないよ」
男「そんな馬鹿なーーーー!! そんな馬鹿なーーーー!!!!」
掃除夫(変な奴……しかし控室に居たってことは、参加選手の一人だったってことか…? しかし今回、あんな奴出てたっけな……)
男「馬鹿なーーー!!!! この僕を、この『狂乱の貴公子』を抜きで大会が開催されたなんて、そんな馬鹿なことがあってたまるかーーー!!!!」
第十二章 つわものどものカーニバル(後編) 完
強固な外殻を纏った魔物の群れが勇者たちに襲い掛かる。
その姿は、言うなれば二足歩行する蟹の化け物。
魔物は先端が大きなハサミとなっている両腕を振り回して攻撃を行う。
武道家は機敏な動作でその腕を掻い潜り、魔物の懐に飛び込んだ。
武道家「せいッ!!」
気合の声と共に腹部に拳を叩き込む。ガイン、とまるで金属を打ち鳴らしたような音が響いた。
魔物は武道家の攻撃を意に介さず、その腕を振りかぶった。
武道家「ちいっ!」
慌てて飛び退り、魔物の一撃を回避する。
同じように敵と一合切り結んだ勇者が武道家の傍まで下がってきた。
勇者「かってえなちくしょう!!」
武道家「どうも打撃は効果が薄いな。かといってスピアも奴らの装甲を通るかわからん。さて、どうするか……」
僧侶「私の呪文で攻撃力を強化しましょうか!?」
勇者「そうだな……あ、いや、どうやらそれには及ばないみたいだ」
勇者の視線の先で、戦士が両手で持った大剣を振り回している。
赤く煌めく刀身を持った精霊剣・炎天。剣自体に強力な精霊の加護を纏わせたその刃は、固い敵の外殻をまるで豆腐を切るかのように寸断していく。
勇者たちに襲い掛かってきた魔物の数は四体。勇者と武道家がそれぞれ一体ずつ相手にしている間に既に戦士は二体の魔物を斬り伏せていた。
息つく間もなく戦士は残りの二体に目を向ける。勇者たちに襲い掛かろうとしている魔物の姿を見て取った戦士はその切っ先を魔物に向け、叫んだ。
戦士「焼き尽くせ、炎天!!」
言葉と同時、剣から炎が迸る。明確な指向性をもって、敵に真っ直ぐ向かった火炎が魔物たちを包む。
驚愕と苦痛に足を止める魔物たち。その隙に距離を詰めた戦士が精霊剣・炎天を振り下ろす。
その長大なリーチで二体の魔物を一撃で纏めて斬り飛ばし、魔物の群れは全滅した。
戦士「ふう……」
僧侶「お疲れ様、戦士」
戦士「ありがとう」
武道家「凄まじいな……これが精霊装備の威力なのか」
勇者「やはり全員分欲しいな、これは。当面は精霊装備の在りかについて情報を集めて回ろう」
勇者は僧侶と談笑している戦士に目を向ける。
勇者の視線に気づいた戦士と一度目が合ったが、戦士はふいと視線をすぐに向こうにやってしまった。
勇者(……いかん、精霊剣で呪文の真似事が出来るから、俺の存在価値が非常に小さくなってきている気がする。あかんで、このままではまた要らない子認定されかねん。なんか、色々頑張らねば……)
武の国で調達した地図と周りの景色をしばらく矯めつ眇めつしていた勇者だったが、やがて三人に向き直って言った。
勇者「う~ん、やっぱりどう計算しても今日中には目標にしている町に着けそうにないや。ちょっとここから西に進んだ所に川が流れているはずだから、今日はそこで野営しよう」
三人は勇者の言葉に頷いた。
その後も何度か魔物の襲撃にあったが戦士の活躍もあって難なく撃退し、さしたる問題もないまま目的の沢に到着した。
勇者は河原に屈みこんで水質を確認する。
勇者「うん、綺麗な川だ。周囲に魔物の気配もないし、今夜はここで野営しよう。テントと飯の準備は俺がやっとくから、三人は好きにしててくれ。ただ、あまり遠くにはいかないように」
僧侶「お手伝いしますよ、勇者様」
勇者「いんや。それには及ばないよ。大丈夫。むしろ俺にやらせて下さいお願いします」
武道家「そうか? ならお言葉に甘えるとしよう」
僧侶「それじゃ、武道家さん……今からまた少しお願いしていいですか?」
武道家「ん? ……ああ、構わんぞ」
そう言って僧侶と武道家の二人は連れ立ってその場を離れていく。
その空気感に二人の仲を邪推した勇者は、しばらくその背中をグギギと凝視していたが、所在なさげに立っている戦士に気が付いた。
勇者「どした? 戦士も好きにしてきていいぞ? 川の水も綺麗だから、水浴びとかしてきてもいいし……あ、今回は絶対に覗きませんから、ハイ、マジで……」
戦士「いや…その……」
勇者「?」
戦士「……なんでもない」
戦士も結局その場を離れていった。
一行が野営地と決めた河原から少し離れた所に開けた草地があった。
その場所で、なんと武道家が僧侶に向かって拳を振るっている。
武道家「はっ!」
僧侶「うやぁっ!」
顔に向かって飛んできた武道家の拳を、体を左に傾けて躱す。その勢いのまま体を回転させ、武道家の顎先に杖を突きつけた。
あまり使われる機会はないが、僧侶の武器は杖である。呪文の命中精度を向上させる目的の武器であるためそもそも物理的な攻撃には向いていない。
ただ、固さはそれなりにあるので、殴る、払う、突く、受け止めるなどの用途にも使えなくはないのだ。
武道家「駄目だ。動き出しが固い。まだまだ恐怖で体が固まってしまっているぞ」
僧侶「も、もう一度お願いします!」
以前、盗賊たちとのいざこざがあってから、僧侶は武道家に稽古をつけてもらっていた。
その内容は、僧侶自身の自衛能力の向上。自分の身を自分で守れるようになることで、仲間たちの負担を減らしたいというのが僧侶の望みである。
武道家「必要なのは反射行動の最適化だ。敵の攻撃を躱し、反撃する。或いは第二撃に備える。その時その時に必要な行動を反射的に行えるようにならなくてはならない」
武道家「恐怖に竦み、縮こまろうとする体を克服しろ。閉じようとする目蓋を見開け。見た物、聞こえる音、あらゆる情報をもって最適な行動を瞬時に判断するんだ」
僧侶「はい!!」
武道家「まだ遅い!! もう一度だ!!」
十度の攻防を終え、その内容について論じていた所に戦士がやってきた。
武道家「三度目の時のような状況では、余り大きく躱すべきではない。体が伸び切ってしまうと、次の連撃に対応できんからな……おっと」
僧侶「どうしたの? 戦士」
戦士「あの……少し、相談があるんだ」
武道家「なんだ、改まって。どうした?」
戦士「その……勇者の為に、私に何かできることはないだろうか?」
戦士の言葉に武道家と僧侶は目を丸くした。
武道家「……これは驚いたな。戦士が自らこんな殊勝なことを言い出すとは」
僧侶「どういう心境の変化なの? 戦士」
戦士「だ、ちが、私自身がどうこうということじゃなくてだな……実は、騎士にこんな事を言われたんだ」
戦士は武闘会の決勝戦で騎士に言われたことを二人にも説明した。
武道家「『勇者はいずれまた壊れる』……か」
僧侶「どうしてあの方にそんなことが分かるんでしょう?」
武道家「さてな。相も変わらず得体の知れん男だ。ともあれ、言っていることを無視は出来ん。立ち直ったとはいえ、実際今も勇者は不安定なのだろう。いつ何がきっかけでまた前のような状態になるかわからん」
戦士「そうさせないために何か私たちで出来ることはないか、という話なんだ」
僧侶「そもそも勇者様があのような状態になってしまわれたのは、『伝説の勇者の息子』として以外に自分に価値を見出せなくなったその劣等感が大きな原因」
武道家「騎士の計らいで、その点に関して勇者は自信を取り戻したと思いたいが……それでも、心労が重なればまた心の均衡を崩すやもしれん」
僧侶「なるべく勇者様にストレスをかけさせないように配慮しなければいけませんね」
戦士「つまり?」
武道家「勇者にストレスが溜まらないよう気を付けて色々と手伝う。勇者のストレス発散に付き合う。そういう事をしっかりやっていかんといかんだろうな、まずは」
戦士「…………」
第十三章 スカイローリング乙女ハート
戦士が河原に戻ってくると勇者の姿は無かった。
既にテントは張られ、河原の石を積み上げて作った即席のかまどに火が焚いてある。
戦士がきょろきょろと辺りを伺っていると、がさがさと川向こうの茂みが揺れ、勇者が姿を現した。
勇者「よっと!」
10メートル以上ある川幅を、特に助走もせず勇者は一っ跳びで越えてくる。
今の勇者たちのレベルならこの程度は造作もないことだ。戦士も全く驚いた素振りを見せない。
戦士「どこに行っていたんだ?」
勇者「ちょっと食えるもんないか見てきたんだ。いいもんが見つかったよ」
言いながら勇者は荷物からすり鉢を取り出し、その中に手に持っていた袋の中身を転がし入れた。
からからと直径五ミリほどの黒い球体が鉢の中を踊る。
戦士「木の実…か? それ」
勇者「いや、ライカって花の種だ。すり潰して使うと香辛料の代わりになる。ちょっと雑な辛みになるけど、塩や胡椒も貴重だからな。節約していかんと」
戦士「よく知っているな、そんなこと」
勇者「まあ、勉強したからな」
勇者の言葉に戦士は自分を省みた。
こういった知識には目もくれず、ただひたすらに剣の研鑽のみに邁進していた自分。
魔王討伐の旅に出るなら、自活の知識は必須だ。そんなことにも気付かず、その習得を疎かにしたのは、今となっては愚かというしかない。
戦士「……今度、そういうのを探しに行くときは私も連れて行ってくれ」
勇者「え? いや、戦士は戦闘で疲れてるだろ? こういうのは俺に任せて、ゆっくりしててくれれば……」
戦士「いいから」
勇者「お、おお? わ、わかったよ」
勇者(な、なんだ? なんか戦士の様子がおかしくないかい?)
戦士「勇者」
勇者「ファイ!?」
戦士「夕食の準備、何か手伝えることはないか?」
勇者(ファーーーーーーーーーー!?!!??)
勇者「えーと、えーっと、そしたら今日はこの肉を使うから、焼くのを手伝ってもらおうかな」
戦士「わかった」
勇者は1キロほどの塊肉を戦士に手渡す。そして鉄製の網を準備しようと荷物入れに手を伸ばした。
戦士「焼き尽くせ、炎天!!」
ゴバッシオォォン!!と精霊剣・炎天から迸った大火力が塊肉を包む!
勇者「ほばあああああ!?!? 何しとんじゃキミィィィイイイイイイ!!!!!!」
勇者は炎に包まれた塊肉を引っ掴み、川の中に突っ込んだ。
ボシュウ、と音を立て、肉を包んでいた炎が鎮火する。
恐る恐る勇者は肉の状態を確かめた。
勇者「ほっ…表面が炭化しただけだ。こそぎ落とせば全然食べられる」
戦士「わ、私なにか間違ったことをしたのか?」オロオロ…
勇者「おう戦士。料理の基本中の基本を教えたる。料理に精霊装備は使わねえ」
勇者は料理用の小さなナイフで焦げ付いた肉の表面を削る。
その後、かまどに焚いた火の上に網をかけ、その上に肉を置いた。
勇者「いいですか戦士さん。肉の下の方が焼けたら転がして別の表面を焼く。それを繰り返してじっくりとローストしてください。オーケー?」
戦士「お、おーけー」
勇者「さて…一応飲料水の補給もしておくか」
勇者は鍋を準備し、その中に川の水を汲んだ。
水を入れた鍋を、戦士が塊肉を焼いている網の上に置く。
網の大きさは40センチ×30センチ程。肉を端に寄せれば十分に鍋を置くスペースは確保できる。
戦士「それは?」
勇者「飲み水用。一度沸騰させて消毒するんだ。……そんなずっと肉を見つめなくていいよ。煙で目が痛くなるぞ」
水の沸騰を待つ間、勇者はこし器の準備に取り掛かった。
手ごろな高さの木の枝に袋を吊るす。袋の中には大小さまざまな石と砂、炭などが詰められており、この中に水を入れれば、濾過されてゴミなどが取り除かれた水が袋の底から染み出してくるという寸法だ。
折よく沸騰した鍋を火から上げ、袋の中に流し入れる。そして袋の底から水がしみ出してくるのをしばし待つ。
水が落ちてくる位置に革製の水筒を置き、風などで倒れないよう石で固定した。
勇者「よし…」
お肉だけでは寂しいので汁物の準備に取り掛かる。
勇者は鍋に飲用の水を張り、火にかけた。その中に魚の燻製を入れる。
煮立ったらざく切りにした根菜類と、これも先ほど調達してきた野草を放り込む。
しばらく煮た後、味見。塩を入れて味を調える。
適当な棒で魚の燻製をつつき、食べやすい大きさにほぐしたら完成だ。
煮込み過ぎを避けるため、一度鍋を火からおろす。
戦士「勇者、お肉も大分焼けてきたようだぞ」
勇者「ん~? ……うん、いい感じ! 戦士、この肉をまな板に移してくれ」
戦士「わかった」
勇者「うし、あとはこの肉を食べごろの大きさにスライスしていくんだけど……やる?」
戦士「う、うむ。やってみる」
戦士は料理用のナイフを手に取り、肉を切っていく。
剣の扱いとはまた違う感覚に四苦八苦しながらも、戦士は塊肉のスライスを終えた。
若干厚さに歪な差があるけれども、そこはそれ、ご愛嬌というものである。
勇者「おー、上出来上出来」
戦士「えへへ…」
勇者は大皿に広げられた肉の出来に拍手を送り、戦士はわりとストレートに照れた。
勇者「折角だから最後まで戦士に任せよう。さっき俺が細かく砕いたライカの種を振りかけるんだ」
勇者はすり鉢にたっぷりと仕上がったライカの粉を戦士に手渡した。
戦士「ど、どれくらいかければいいんだ?」オロオロ…
勇者「そうだな。わりと多めにかけてもいいよ」
戦士「多め…多め……」
モサッ……
勇者「っつおおおおおおおおおおい!!!!!! 山になってしもとるやないけワレェェェエエエエエエエエ!!!!!!」
戦士「だって! だってぇ!!」
夕食時――――――
武道家「辛ッ!! いや辛いなこの肉ッ!!!!」
勇者「だまらっしゃい!!!! 文句いう子はご飯抜きにしますよ!!!!」
戦士「………」ドヨ~ン
僧侶「わ、私これくらい辛い方が好きよ?」 ←何となく状況を察した
観光都市エクスタ。
マキリシ火山の麓に位置するこの街は、豊富な温泉資源を元にした観光産業に特化している。
立ち並ぶ温泉宿、賑わう歓楽街、歓声飛び交う遊楽施設―――行き交う人の流れは絶えず、世界中から多くの観光客が集まっている。
勇者たちが今回この街を目指したのは、津々浦々から人が集まるこの地において、精霊装備に関する情報が得られないかと期待してのことである。
勇者「まあそれはそれとして、いい宿に泊まろう」
勇者はそんなことを提案した。
勇者「こんな所に来る機会なんて滅多にないからな。折角だから、この観光都市の真骨頂を堪能しようぜ。ほら、武闘会お疲れ様でした的な打ち上げも含めて」
僧侶「お金は大丈夫なんですか?」
勇者「無問題。盗賊討伐で善の国から十分な報酬が出たし、武闘会でも戦士が賞金を獲得したしな。実は結構余裕があるのよ」
武道家「ならば是非も無し、だな。今宵は旅の疲れを癒す慰安会と洒落込もう」
僧侶「うわあ~! 温泉、楽しみです!」
戦士「温泉…大衆浴場だろ? うむむ……」
無邪気に跳ねる僧侶とは対照的に、戦士はやや渋い表情だ。大勢で湯浴みをする習慣に慣れていないのかもしれない。
勇者たちは町の入口近くにある案内所を訪ね、宿の情報を聞いた。
豪華な夕食、見晴らしのいい部屋、効能抜群の温泉―――それらの謳い文句に惹かれ、一向は今夜の宿を『極楽館』なる館に決定する。
極楽館はエクスタの町でも高台に位置し、その景色を一望できる露天風呂が一番の売りであった。
期待感に胸を膨らませ、一行は宿へ向かう。
―――――後に起こる騒動のことなど、当然今は知る由もなく。
宿に着き、ひとしきり雰囲気を堪能した後は、各自夕食まで自由時間ということになった。
戦士は宿を出て街を散策する。
否応にも気分を高揚させる雰囲気の観光街に居ながら、しかし戦士は思い悩んでいた。
戦士「くっ…昨晩は勇者の手伝いをするどころか、逆に迷惑をかけてしまった……一体何をやっているんだ私は」
色々な準備を手伝うことで勇者の負担を減らし、かかるストレスを軽減させるつもりが逆に余計なストレスを与える始末。
戦士は結構深刻に落ち込んでいた。
戦士「僧侶は料理も出来るからこんな失敗はしなかっただろう。というか、僧侶なら何を手伝ってもあいつは鼻の下を伸ばして満足するに決まってる」
戦士「武道家はなんでもそつなくこなすからな……勇者の手伝いも難なくやってのけそうな印象がある」
戦士「私は……なんだ? 私に出来ることは何もないのか……!?」
ともあれ、勇者にストレスを余計に与えてしまったものはもう仕方がない。
ならば考えるべきは、与えてしまったストレスをどう解消させるかということだろう。
しかしこの戦士、これまでの人生自身の修業にかまけてばかりで、しかも少々男を見下してきた節があった。
故に人を喜ばすために何をすればよいのかなど、さっぱりからっきし思いつかない。
戦士「くっ…! 私はなんて使えない奴なんだ…! ……ハッ!」
そんな時、あるものが戦士の目に留まる。
ここは観光街。当然行商人も多く露店を構えている。
その中に、書物を扱っている店があった。
戦士の視線の先、木製の陳列棚に並べられた本の内の一冊。
タイトルは―――『男を喜ばす10の方法』とあった。
商人A「精霊装備? う~ん、そんな珍しいものが最近市場に出回ったって話は聞かんなあ~」
勇者「そうですか。ありがとうございます」
商人B「酒なら最高に珍しいものが入ったんだけどな!! 『倭の国』で作られたジャポン酒だ!! 今ならお手頃価格で卸してやるぜ!?」
勇者「はは。凄く魅力的ですけど、今は持ち合わせがないんでまた出直してきますよ」
商人B「売り切れちまってもしらねえぞ~~!!」
勇者はまずは世界各地を巡る行商人にしぼって聞き込みを行っていた。
しかし中々有益な情報は出てこない。
勇者「ふう~。やっぱりそう簡単にはいかないか。もう日も落ちてきたし、一度宿に戻ろう」
宿に戻った勇者は受付で夕食までまだ間があることを確認し、さてそれまで何をして時間を潰そうかと思案しながら割り当てられた部屋までの廊下を歩く。
ちなみに部屋は二部屋、勇者・武道家と戦士・僧侶で分けてとっていた。
勇者はガチャリとドアノブを回し、自分の部屋に入る。
何故かそこに戦士がいた。
勇者「……?」
勇者は一度廊下に顔を出して部屋を確認する。間違いない。ここは自分と武道家の部屋である。
改めて中に入る。やっぱり戦士だ。見間違いじゃない。
戦士「おかえりニャさいませ、ご主人様!!」
そう言って戦士は軽く握りしめた両手を内側にクイッと曲げた。
同時に片膝も軽く上げており、顔に浮かべた満面の笑みと相まってきゃぴる~んとでも音が聞こえてきそうな有様である。
勇者は固まった。
戦士が真顔になって勇者に問う。
戦士「……どうだ?」
勇者「……何がだ?」
戦士は部屋を出ていった。
混乱の極みに達し、固まったまま行動不能となった勇者だけが部屋に残される。
武道家「ふぅ~。中々、精霊装備について知っている人間というのも捕まらないものだな」
そこに勇者同様、街で情報収集をしていたらしい武道家が戻ってきた。
武道家「なんだ? そんなところでぼーっと立ってどうした?」
勇者「……ねえ。俺、戦士に何かしたっけ?」
武道家「は?」
勇者「怖いよう……怖いよう……」ガタガタ…
ドバターン!! と、凄まじい音を立てて僧侶・戦士に割り当てられた部屋の扉が開いた。
部屋の中に駆け込んだ戦士は購入した本をビターン!!と壁に叩き付け、ドサーッ!!とベッドに突っ込んでいた。
戦士「ふおお!! ふおおお!!!!」
戦士は枕に顔を突っ込んでうねうね動き、うめき声を漏らしている。
戦士「騙された!! 騙されたあ!! ふああああ!!!!」
雄叫びを上げる戦士は耳まで真っ赤だ。
しばらくゴロゴロと悶えていた戦士だったが、やがて大きく深呼吸をすると、床に転がった書物を拾い上げた。
戦士「いや、まだそう判断するのは早計か…? それなりの値段したのだ。もう少し試してみる価値はあるはずだ……」
もしやぼったくられただけでは―――よぎる不安を振り払い、戦士は再び書物に目を通し始めた。
深く読み進めるにつれて、戦士の顔がぼん、と朱に染まった。
内容が非常に性的になってきたのだ。
戦士「で、出来るかこんなこと!!」
憤慨し、本をまた壁に投げつけようとして、思いとどまりまた読みふける。
戦士「こ、これくらいなら……何とか……」
ぶつぶつと独り言を漏らしながらページを捲る戦士。
その行動が勇者のストレスを加速させることに、彼女はまだ気づいていない。
夕暮れの時間帯、僧侶は露天風呂にやってきていた。
眼下に広がる夕暮れの町並みに、思わず感嘆の息が漏れる。
僧侶「綺麗……戦士も誘いたかったなぁ」
僧侶はしばらく部屋で町に出た戦士を待っていたのだが、待ちきれず一人でやってきたのだ。
存外、お風呂―――とりわけ温泉には目がない彼女である。
僧侶「さて…湯船に入る前に体を洗わないと」
タオルを体に巻いた状態で僧侶は体を洗うための湯を溜めた湯桶に向かう。
ここ、『極楽館』では温泉に入る時のマナーなるものが脱衣所にでかでかと掲示されていた。
曰く、温泉内にはタオル以外は持ち込まない、湯船に浸かる前には必ず体を洗う、湯船にタオルをつけない。この三つが大原則なのだそうだ。
僧侶はタオルをほどき、露わになった肌に湯桶から湯をすくってかける。
それから湯桶の傍の木製棚に並べられた小瓶を手に取り、中の液体を肌に塗り込んだ。
数種の薬草から抽出される、汚れ取りの油である。
かなりの高級品なのだが、これがアメニティとして常備してあるのは流石に町一番の高級宿であった。
タオルでこすり、油を広げ、湯をかぶり洗い流す。
最後に肩まで伸びた水色の髪を絞り、僧侶は湯船へと向かった。
僧侶「髪…けっこう伸びてきたわね。これほど大きな町なら整髪師もいるでしょうし、明日寄って行こうかしら」
僧侶はちゃぽん、と湯船に足を下ろす。
僧侶「いけない、タオルは湯船につけてはいけないのだったわ」
再び身に巻いていたタオルをほどき、岩で作られた浴槽の縁に置いた。
乳白色の湯に肩までつかり、僧侶は恍惚の息を漏らす。
僧侶「ほわぁ~……気持ちいい~~」
疲れが溶けて流れ出していくような感覚にしばし僧侶は浸る。
ふと見上げると、茜色だった空は段々と黒く染まってきており、ちらちらと星が瞬き始めていた。
僧侶「確か今日は満月……その時間帯に来ても、綺麗かもしれないわね」
その時、ドアが開く音と共に、がやがやと話し声が聞こえてきた。
僧侶(えっ!?)
僧侶は目を見開く。露天風呂にやってきたのは五人組の男だったのだ。
僧侶(だ、男性!? な、なに、何で…!?)
男1「あ~、やっぱ女の子は入ってないか~」
男2「当たり前だろ。混浴に夢を見過ぎなんだよ、お前」
男3「入ってたってもう女捨てちゃったお婆ちゃんだよなぁ~」
僧侶(こ、混浴!? 嘘、この露天風呂って混浴だったの!? ど、どど、どうしよう!?)
僧侶は慌てて岩の影に隠れた。
このまま男たちが出ていくまで隠れてやり過ごすつもりである。
僧侶(お願い、はやく出て行って―――!!)
男たちはやがて体を洗い終え、僧侶が浸かる浴槽へと近づいてくる。
僧侶の心臓が早鐘の様に音を鳴らす。
僧侶(き、気付かれませんように……)
男4「おー、いい湯だなこりゃ」
男5「奮発していい宿に泊まった甲斐があったなあ」
男1「男ばっかで全く華がねえけどな」
「「「ぎゃっはっは!!」」」
男2「ところで知ってるか? アマゾネスの話」
男3「あー? 何よそれ」
男2「大陸の南端にある、竜の住む霊峰ゾア。その麓のジャングルに女だけの民族が住んでいるらしいんだよ」
男1「嘘くせー。大体女ばっかでどうやって民族維持するんだよ。男がいねーと子供が作れんだろ」
男2「そこなんだよ! その民族はな、定期的に余所から男を招待するってんだよ! もちろん、子供を作るためにな!! これってスゲエ夢のある話じゃねえ!?」
男3「マジか!? ハーレム!?」
男2「ハーレムだよ!! しかも噂によるとアマゾネスは皆美人揃いだって話だしよ!!」
男4「次の目的地は決まったな」
男5「夢がひろがりゅうううううううう!!!!」
男1「嘘くせー。マジかよ」
僧侶(ああ、暑い……まずいわ……ちょっとのぼせて…)
男1「あら? 何だこのタオル」
僧侶「ッ!!?」
男1「誰かの忘れ物か…な…」ザブザブ…
立ち上がり、タオルのある場所に歩み寄っていった男の言葉が途中で止まる。
男2「おーい、どした?」
男1「いや……先客がいたわ。それも、とびきり上玉が」
男2「マジ!?」
男たちは口々に歓声を上げ、全員が、僧侶の体が見える位置に回り込んでくる。
男2「マージかよーー!! すげえいいよ!! 超可愛いじゃん!!」
男3「しかも超胸でかくね? やばくね?」
男4「お姉さんどこから来たの!?」
僧侶「あ…や…」
僧侶は男たちの視線から逃れるように湯船の中で身を縮こまらせた。
僧侶「あ…の…私、もう上がります! 上がりますから!!」
僧侶は浴槽の縁に置いていたタオルを手に取って、湯の中で体に巻き付けようとした。
男1「おっとぉ!!」
しかし、そのタオルを男の一人に無理やり奪われてしまう。
僧侶「な、何を…!」
男1「駄目だよお嬢ちゃん。マナーは守らなきゃ。『湯船の中にタオルはつけちゃいけない』んだぜえ…?」
僧侶「う……う…」
男1「ほら、上がりたいなら……立ち上がって、それからタオルを巻いていきな」
男2「ぐひ」
男3「ふひひ……」
男4「ま・な・あ!! それ!!」
男5「ま・な・あ!! ほい!!」
武道家「やれやれ……女性の肌を断りもなく凝視するのはマナー違反じゃないのか?」
男達「「「ひょっ?」」」
いつの間にか男達と僧侶の間に割って入った武道家が、湯船に拳を突き入れた。
爆発的に飛び散った水滴が男たちの顔面を直撃する。
男2「ほんぎゃあ!!!!」
男3「目が、目がああああ!!!!」
男1「ちくしょう! 覚えてやがれ!!」
慌てて男たちは浴槽を飛び出し、浴場から出ていった。
武道家「やれやれ……おい、僧侶。大丈夫か?」
僧侶の方を見ないように背を向けたまま武道家は問いかける。
言うまでもないことだが武道家は腰にタオルを巻いていた。
僧侶からの返答がない。怪訝に思った武道家は悪いと思いながらも後ろを振り返った。
僧侶は、湯船に突っ伏して気絶していた。
武道家「な…!! おい、僧侶!!」
余りにも長時間湯船に浸かっていた僧侶は、意識を手放すほどにのぼせてしまったのである。
僧侶が目覚めたのは自分たちに割り当てられた部屋だった。
ベッドに寝かされ、額に冷たいタオルを乗せられている。
傍らでは、武道家が扇で僧侶に風を送ってくれていた。
僧侶「武道家…さん…」
武道家「お、目が覚めたか。よかった」
僧侶「また、助けてくれたんですね……ありがとう、ございます」
武道家「気にするな」
僧侶「……何だか私、武道家さんに助けられてばっかりですね。ごめんなさい」
武道家「気にするな、と言っている。むしろ忘れた方がいい。特に、今回の件はな」
少し気まずそうな仕草をする武道家に、僧侶は怪訝な目を向ける。
武道家の言葉の真意を探ろうとして―――唐突に思い当り、瞬時に顔を真っ赤に染めた。
バッ、と顔を起こし、自分の体を見下ろす。額のタオルがぽたりと落ちた。
僧侶「み、みみ……見ました!?」
武道家「……すまんな」
僧侶「ひやあああああああああああああ!!!!!!」
武道家「……だからな、忘れろ。俺もそうする」
しばらくひゃああああ、ひゃああああ、と悶える僧侶を前にして、武道家は非常に気まずそうに頬をぽりぽりと掻いた。
僧侶「ふううぅぅ、ふううぅぅ……!」
武道家「悪かったよ、本当に」
僧侶「いえ、いいんです。武道家さんは私を助けるためにやってくださったんですから……いいんです……むおお…」
それにしても、と前置きをして、僧侶は武道家にジト目を向ける。
僧侶「武道家さんのその余裕……随分と女の子の裸を見慣れてるんですね!」
武道家「まあ確かに、勇者ほど初心じゃあないさ。だが経験なんて人並みだ。人を遊び人のように言うんじゃない」
僧侶「でも、勇者様から武道家さんは随分とおモテになっていたって聞きましたよ?」
武道家「あいつの戯言を鵜呑みにするな。大体、俺の恋愛遍歴なんて聞いてもしょうがないだろう」
僧侶「気になりますよ、私」
武道家「お前こそどうなんだ? 今まで男と付き合ったことがあるのか? というか、もしかして今も故郷に恋人がいたりするのか?」
話題を逸らすつもりで言った軽口だったが、意に反して僧侶の表情に影が落ちた。
僧侶「駄目ですよ……私なんて」
続く言葉は武道家の胸の内に深く刻まれた。
僧侶「私は……汚れてますから」
戦士の奇行は夕食の際にいよいよ極まった。
「よし…やるぞ…よし…」としばらくぶつぶつ呟いていた彼女は、ぐい、と酒を勢いよく呷ると、勇者の口元に箸を突き出しこう言ったのだ。
戦士「あ、あーん」
これには勇者だけでなく武道家と僧侶も固まった。
もはや思考停止の域にまで達した勇者はただ言われるがままに口を開け、咀嚼するだけのマシーンと化した。
戦士「美味しいかニャ!? 美味しいかニャ!?」
酒が入ることによって羞恥心がどこかへ行ったのか、語尾にニャが混じり出した。
これには武道家も苦笑い。
僧侶に至っては爆笑である。
戦士「はい、ニャーん」
またも勇者の口元に突き出される食材。戦士が口にする言葉ももはや意味不明の響きとなっている。
戦士「勇者!!」
勇者「ハイ、ナンスカ」
戦士「お前は今、喜んでいるか!? いやさ、喜んでいるニャ!?」
勇者「ウィッス、ヨロコンデルッス。チョウタノシッス。センシサンマジパネエカワイイッス」
戦士「そ、そうか。ならいいんだ。うん」テレテレ…
勇者「お風呂行ってきまああああああす!!!!!!」
勇者は逃げ出した!!
戦士「勇者め、ちゃんと喜んでたのか……しかも可愛いだなんて……ふふふ、やはりあの本は正しかったのだな。くふふ……」
戦士「はい、勇者。あー…あれ? 勇者は?」
武道家「風呂に行くとさ」
戦士「風呂…? そうか…遂に、遂にか……遂にこの時が来たか……」
酒に酔ってか恥じらいに染まってか判別はつかぬが、顔を真っ赤にした戦士はふらふらと勇者の後を追うように食堂を後にする。
残された武道家と僧侶は顔を見合わせた。
僧侶「止めます?」
武道家「止めません」
二人そろってぐふふと笑う。何だかんだこの二人も酔っていた。
体を洗い終えた勇者は露天風呂に浸かっていた。
勇者「ふう……極楽極楽。ここは混浴。流石に戦士もここまでは来れまい」
既に夜も深い。露天風呂から見える景色は夕暮れ時とはまた違った味わいを醸し出している。
何より、真上に輝く満月が素晴らしい。
勇者はようやく心身共にリラックスすることができた。
ガラリ、とドアが開く音がする。
勇者(ん…? 誰か入ってきたか。もう少し一人の空間を味わいたかったけど、まあ、しょうがないな)
戦士「勇者……」
かけられた声に、ビックーン!と勇者の全身が反応した。
戦士だ。間違いない。戦士が浴場に入ってきた。
勇者「は!? いや、戦士、えッ!?」
意味をなさない言葉が口をつく。それ程の混乱。
無理もない。勇者は知っている。戦士の事を知っている。
戦士が、『異性に肌を晒すのは、伴侶となる者にのみ』というまでに強い貞操観念を持っていることを知っているのだ。
だから、これは有り得ない。
どれ程戦士が酒に酔おうと、これだけは絶対に超えてこない一線のはずなのだ。
幸い、勇者は浴場の入口に背を向けていた。まだ戦士の姿は勇者の目に入っていない。
勇者「どうしたんだよ戦士! 昨日から、本当にお前おかしいぞ!? 悩みがあるなら、相談して―――」
戦士「違うんだ、勇者。私はただ―――お前に、楽になってほしいだけなんだ」
勇者「楽に…だって?」
戦士「そうだ。お前が色々と抱え込んでいることも知っている。お前がそれに潰されてしまう前に、私はお前を解放してあげたいんだ」
勇者「解放……どうやって?」
戦士「そのために、私はここに来た。勇者、大丈夫だ。何も問題はない。安心して、振り向いてくれ」
勇者「戦士……」
勇者は緊張をほぐすため、二度、大きく深呼吸をした。
そして、ゆっくりと振り向く。
そこには、一糸まとわぬ姿の戦士が―――――――
否、完全武装の戦士がそこに居た。
勇者「ふえいやほわああああああああん!!!!!?」
じゅびじょばーん!と勇者の目と鼻と口から色んな液体が噴き出した。
タオル以外のもの持ち込むべからず―――温泉のマナーなどガン無視だ。
彼女は己の羞恥心を何より優先させた。
勇者および他の客に万が一にも肌を晒さぬよう、鉄壁の鎧を着用してきたのである。
余りにも場の雰囲気にそぐわぬその格好は、それはそれで羞恥心が喚起されるはずであるが、その辺りやはり彼女はまだ酔っていた。
戦士「ほら、勇者……早く上がれ。その、背中を……流してやるから……」
もじもじと勇者から目を逸らしつつ戦士は言う。
勇者「お、お助けぇーーーーーーーーー!!!!!!」
戦士「は、はあ!?」
そんな戦士に対し、勇者は何と突然命乞いを始めた。
勇者の中で、昨日からの戦士の奇行が、変な感じでかみ合ってしまったのだ。
『俺に野営の準備の手伝いを申し出てきたのは、俺からその技能を盗むため。そうすれば俺はいよいよパーティーに不要な存在となる』
『宿に着いてから妙に俺に媚びるような態度を取っていたのは、せめて最後にいい思いをさせてやろうという情け』
『そして、今。彼女は確かに言った。楽にしてやる、解放してやる、と。ああ、それはまさに苦しみ悶える死に損ないを介錯するが如く』
勇者「だけど死にたくないんじゃぁぁぁああああああ!!!!!! お願いしまっさああああああ!!!!!!」
戦士「ちょ、ちょっと待て!! 勇者、お前何か勘違いして――――」
勇者「頑張りますからああああああ!!!!!! 俺頑張ってパーティーに貢献しますからあああああああ!!!!!!」
戦士「待てえええええええええええええええ!!!!!!!!」
勇者「はいぃ!!」ビックーン!
戦士「ちょっと待て……勇者……ちょっとやり直しさせろ。頼むから」
勇者「は、はあ……」
戦士「そこの、体洗うところ……そこで、座ってろ」
そう言い残して、戦士は脱衣所に戻って行った。
勇者「……?」
脱衣所に戻った戦士はまず脱衣所と廊下を繋ぐ入口につっかえ棒をあて、新しい客が入ってこれないようにした。
そして鎧を外し、衣服棚に置く。
下に着ていたシャツもその勢いのまま脱ごうとして―――ぴたりとその腕が止まった。
恥ずかしい。その気持ちが戦士をためらわせる。
その顔の赤さは、今度は間違いなく乙女の恥じらいによるものだった。
戦士(別に……こんなことしなくても……)
戦士の脳裏に幼いころの記憶が蘇る。
かつて戦士は勇者に勝負をふっかけたことがある。
幼い勇者は「やだよ、痛いから」と勝負を悉く拒んだ。
事情を知らなかった戦士は臆病者め、と吐き捨てていた。
戦士の脳裏に獣王に体を引き裂かれ、苦悶の叫びを上げる勇者の姿が思い出される。
それはどれ程の痛み。どれ程の恐怖だっただろう。
なのに。それ程の苦痛を受けて、なお彼は。
戦士の脳裏に盗賊の首領に組み敷かれていた時の情景が浮かぶ。
立ち上がり、駆けつけてくれた。心をボロボロに壊してまで。
自分自身が崩壊していく中にあって、なお私達を優先してくれた。
戦士(私は……そんなあいつにどれだけ報いることが出来た…?)
戦士はぎゅっと唇を引き結ぶと、ばさりと衣服を脱ぎ捨てた。
戦士に指定された場所に座り込んだ勇者は実にそわそわしていた。
ガラリ、とドアの開く音。
戦士「こっちを向くな」
思わず振り返りそうになった勇者に、戦士の制止の声が飛んだ。
戦士は、今度は本当にタオル一枚で体を隠しているだけだった。
大きめのタオルを巻いているので、ある程度は問題なく隠せているのだが、それでも肩と太ももが大きく露出している今の状態は、戦士からすればとても男の目に晒せるものではない。
戦士「絶対に、振り向くなよ」
なにより、隠しているとはいえ秘所をこんな薄いタオルで覆っただけの状態なのだ。
そんな状態で、半裸の勇者を目の前にしている。
戦士はもう、頭が沸騰してどうにかなりそうだった。
戦士「背中を……流してやる」
戦士は汚れ落としの油を手に取り、勇者の背中に広げていく。
その感触に、勇者は思わず震えた。
戦士「……気持ちいいのか?」
勇者「まあ、その、正直……ハイ…」
戦士「そうか……」
手で背中全体に油を広げた後は、それを刷り込むようにタオルでこすっていく。
勇者「なあ、戦士……なんでまた、こんなことを……?」
戦士「それはさっき言った通りだ。お前は何か変な誤解をしたようだが、さっきの言葉に嘘偽りはない」
戦士「お前は多くのものを抱え込み過ぎている。私は、それを少しでも楽にしてあげたいんだ」
戦士「……今日お前に対してしたことはな、全てある書物を参考にしたんだ。こうすれば、男は喜ぶものだと書いてあった」
ああ、成程と勇者は納得した。
戦士「勇者……お前は今、喜んでいるか?」
戦士の問いに、今度はしっかりと勇者は答える。
勇者「嬉しいよ……すごく」
戦士「そうか、よかった。だけどまあ、これからはあの本を参考にするのはやめておくよ。どうもこういうのは、私にはハードルが高すぎる」
勇者「そうしてくれ。俺も戦士にああいうことされるとドキッとする。心臓に悪いよ」
戦士「ほら、終わりだ」
戦士は勇者の背に湯を流した。そして、立ち上がる。
戦士「私はもう出る。お前はもう少しゆっくりしていろ」
勇者「わかった。そうする」
戦士「今から私は脱衣所に戻るが……くれぐれも、私の体を盗み見ようとしないことだ」
勇者「わかってるよ。俺もまだ死にたくねーしな」
戦士「殺しはせんよ。ただ夫婦になるのを強要するだけだ。お前もこんな女と結婚するのは嫌だろう」
勇者「……別に、嫌じゃ……ないけどさ」
戦士「な…!」
勇者「………」
戦士「………見るなよ?」
勇者「見ないよ」
戦士「絶対だぞ!? 絶対に見るなよ!?」
勇者「見ねえって!!!!」
翌朝―――――
武道家「昨夜はお楽しみでしたね」
勇者「どつきまわすぞ」
僧侶(ねえねえ、勇者様と何かあった?)ヒソヒソ…
戦士「な、何もない!! ないったら!! やめなさいその目!!」
武道家「冗談はさておき、これからどうする? 思ったほど情報は集まらなかったが」
勇者「ああ行くところは決めてるよ。情報は手に入らなかったが、代わりにいいもん手に入れた」
そう言う勇者の手には、『倭の国』特産のジャポン酒の瓶が握られている。
勇者「よく考えたら、精霊装備探すならいの一番に行かなきゃいけないところがあったわ。酒好きの知り合いに、色々話聞いてみんべ」
第十三章 スカイローリング乙女ハート 完
翼竜の羽を用いて空を舞い、勇者たちは以前訪れた『第六の町』に降り立った。
第六の町は騎士と初めて出会った場所であるし、直後の冒険でパーティーがバラバラになったこともあり、勇者たちにとっては印象深い町だ。
とはいえ、今回は町自体に用事はない。
目的としているのは第六の町より西に広がる大森林―――そこに住まう、かつて勇者が出会ったエルフ少女ともう一度会うことだ。
武道家「しかしあらためてとんでもない話だな。エルフが本当に存在しているというだけでも驚きなのに、まさかエルフに知己を得ているとはな」
勇者「なんだよ、疑ってんのか?」
武道家「まさか。お前が持ち帰ってきた『変化の杖』―――あれなど、まさに人の領域を超えた一品だ。お前がエルフと出会った証拠というのに、あれ以上のものなどあるまいよ」
戦士「しかし勇者。実際のところ、大丈夫なのか? エルフは大層人間嫌いと聞くが」
勇者「う~ん、確かに。俺を助けてくれたエルフ少女がマジで変わり者っていう話だったからなぁ~」
僧侶「その、エルフ少女さんをピンポイントで訪ねることが出来るんですか?」
勇者「エルフ少女が狩りの時に使ってる小屋があるんだ。そこに行けば出会える可能性が高いと思うんだけど……道順がうろ覚えなんだよな、正直」
第十四章 エルフ少女、再び
勇者「迷った」
戦士「おい!!」
武道家「小屋から一度町に帰っただけでは、流石の勇者も道順を覚えきることは出来なかったか」
勇者「いや、っていうか……何か、前来た時と森の様子が大分変ってるような気がするんだけど」
僧侶「そうですか? そういえば、今日は霧がすごく深いですね」
勇者「うん。そのせいで方向がわかりづらいってのもあるんだけど……おかしいな。なんかこの辺り、植生が他と全然違う。っちゅうか、見たことない植物がちらほらあんぞ」
戦士「それがどうかしたか?」
勇者「いや、普通同じ森の中でこんなに極端に植生が変わることなんてないはずなんだよ。気温や降雨量……気候が大して変わらない以上、森全体で同じような植物が生えるはずなんだ」
武道家「つまり、同じ森の中でありながら、この一帯だけ気候条件などが異なっているということか。言われてみれば気温も大分下がったように思えるな。肌寒さすら感じる」
僧侶「おとぎ話とかだと、森の中でいつの間にか別世界に迷い込んで――なんて、よくある話ですけどね」
勇者「まさか…な」
戦士「む…? おい勇者、これを見ろ」
勇者「これは……明らかに人の足で踏み均された道だな。取りあえず辿ってみるか」
幾度も往来があっているのだろう、十分に踏み固められ歩きやすくなっている道を勇者たちは進む。
突然、開けた所に出た。
獣の侵入を防ぐためだろうか、ぐるりと円周上に立てられた柵の中に、木造の家が立ち並んでいる。
勇者たちは息をのんだ。
当然、大森林の中にこんな集落があるなどと、聞いたことがない。
勇者「ここ…もしかして……」
村の周囲を囲う柵は一部途切れ、両開きの扉となっていた。
恐らくそこが入口の門だ。勇者達は恐る恐る歩み寄り、こっそり中を覗き込む。
「うおぉ…!」
全員の口から感動の声が漏れた。
村の中を行き交う人々。その全ては、見目麗しく、輝く金髪と長く伸びた耳を持っていた。
実在を知っていた勇者ですら感動を抑えきれない。残りの三人などは口も目も大きく開かれたままだ。
その時、ある一人のエルフが、おそらくは何の気なしに村の入口に目を向けた。
感動に固まっていた勇者たち四人とバッチリ目があった。
ギシ、と音を立てエルフも固まった。
エルフ「に、人間だああああああああ!!!!!!!」
勇者「やべッ!!」
エルフの叫びに呼応するように、村全体がどよめき、次々と家からエルフ達が飛び出してくる。
武道家「まずいぞ、どうする勇者」
勇者「ど、どど、どうする? どうしよう? と、とりあえずこっちに敵意が無いことを示そう!」
勇者たちは両手を上げ、武器を持っていないことを示すとにっこりと顔に笑みを浮かべた。
エルフ男「村の場所を知られたからには生かしてはおけん!! 捕らえろ!!」
僧侶「ひええええ!!!!」
勇者「あかん!! 一時撤退!!」
勇者たちは踵を返し、一目散に逃げ出した。
エルフ男「逃がすな!! 絶対に逃がすなーー!!」
森の中を駆ける勇者たちの背中にエルフ達の怒号が突き刺さる。
勇者「んなああああ!!!! えらいことになってもたあああああ!!!!」
戦士「まさかここまで人間に敵意を持っているとはな」
武道家「ちっ! 速いな…追いつかれるぞ!!」
??「人間にしては中々の速度だけど―――この森の中で私から逃れられるなんて思わないことだね!!」
一人のエルフが凄まじい速度で木を伝い、勇者たちの前に回り込んだ。
エルフ少女「個人的な恨みは全くないんだけど……これも村の掟だ。覚悟してもらうよ、人間!!」
後ろで纏めたポニーテールをなびかせ、両手にナイフを構えたエルフの少女が踊り出る。
勇者「………」
エルフ少女「…………」
勇者・エルフ少女 「「 あ っ ! ! 」」
勇者「……ひ、久しぶり」
エルフ少女(………な、なにしてんの?)ボソボソ…
勇者(いや、違うんすよ……たまたまなんす。迷ってたらたまたまエルフの村に着いちゃったんす)ボソボソ…
エルフ少女(はあ~……もう、何やってんだか)ボソォ…
武道家(……何を喋っているんだ?)
戦士(もしや、この娘が件の『エルフ少女』…?)
エルフ少女「……」クイッ、クイッ
エルフ少女は親指を立て、自らの後ろを指し示した。
勇者(え? なに?)
エルフ少女(早く行けってことだよ! あとは私がうまく誤魔化すから!!)ボッソ!
勇者「あ、ありがとう!! 恩に着る!!」ダダッ!
エルフ少女「うわあ~強引に突破されてしまったぞう(棒)」
エルフ男「エルフ少女! 無事か!!」
エルフ少女「くそうあいつらめ~エルフ族ナンバーワンの戦士のプライドにかけて私が仕留めてやる!! あとは私に任せて、あなたたちは村に戻っていて!!」ダダッ!
エルフ男「あっ! エルフ少女!!」
勇者「エルフ少女のおかげで何とか逃げ切れそうだけど……」
武道家「このまま闇雲に走っていてはどこに着くかわからんぞ」
勇者「そうなんだよな。まあいざとなれば翼竜の羽使えばいいんだけど、まだ数に余裕があるとはいえなるべく節約したいよなあ」
戦士「というか、このまま逃げ帰っては何のためにここまで来たのかわからんぞ」
僧侶「何とかもう一度あのエルフ少女さんだけに会うことは出来ないでしょうか?」
勇者「うん…でもそのために引き返すのはリスキーだよなあ。エルフ少女以外の追っ手に出くわすかもしれないし」
エルフ少女「その必要はないよ」
勇者「うわあ!! いつの間に!!」ビックゥ!
エルフ少女「言ったでしょ? この森の中で私から逃げられる奴なんていやしないよ」フフン
武道家(この距離に接近するまで俺達に気配を気取らせないとは……)
戦士(凄まじい手練れだな、このエルフ……)
エルフ少女「私に何か話があるんでしょ? こんな場所じゃ落ち着かないな。もう少し進めば、私が狩りに使ってる休憩小屋がある。そこで話そう」
そう言って、エルフ少女は勇者たちを先導する。
その背中に勇者は声をかけた。
勇者「……なんでそんなに嬉しそうなんだ? エルフ少女」
エルフ少女「友人がわざわざ訪ねて来てくれたんだ。そりゃ嬉しいよ。そしてそれ以上に面白い。まさか君たちが、もう私たちの村に到達することが出来るなんてね」
エルフ少女「ジャポン酒!! これはジャポン酒じゃないか!! それもこの銘柄は一級品、滅多にお目にかかれるものじゃないよ!!」
勇者「それで、実はお願いがあって来たんだけど……」
エルフ少女「ああ聞くよ!! 何でも聞いちゃう!! 例え私の体と言われても、君になら差し出していい!!」
勇者「マジでッ!!?」
戦士「おいっ!!」
勇者「ひい!? う、嘘っす!! 冗談っす!!」
エルフ少女「なんだ、残念。それで、実際のところどうしたの?」
勇者「あ、ああ。エルフ少女、『精霊装備』って知ってるか?」
エルフ少女「そのもの自体が精霊の加護を宿している武具のことでしょう? それがどうかしたの?」
勇者「今俺達はその精霊装備を探している最中なんだ。それで、そもそも精霊装備を作ったのはエルフらしいって話を耳にしてな。その辺りを確認したかったんだ」
エルフ少女「ううん…確かに、そんな話を耳にしたことはあるね。でも、現在のエルフの村にはそんな物を扱える鍛冶屋はいない。失われた技術ってやつさ」
勇者「そ、そうなのか……」
エルフ少女「まあそう気を落とさないで、勇者。わざわざ来てもらった上、こうやって極上の酒までもらったんだ。私も出来うる限りそれに報いるよ。これから村に戻って、現存するものがないか調べてみる」
勇者「ほ、本当か!? あ、ありがとう!!」
エルフ少女「礼には及ばないよ。さて、一度村に戻るにあたってひとつ頼みがあるんだ。二人の女性陣にとっては少々酷な願いなんだけど……」
僧侶「……?」
戦士「……なんだ?」
エルフ少女「四人の髪の毛をそれぞれ一房ずつもらいたいんだ。それを君たちを仕留めた証として、村の連中を納得させる」
僧侶「かまいません」
戦士「私もだ。是非もない」
エルフ少女「ありがとう。勿論、切る髪の量は必要最小限にするからね。安心して」
武道家「ひとつ尋ねたい」
エルフ少女「なんだい?」
武道家「先ほどの『もう私たちの村に到達できるなんて』という貴方の言葉……まるで我々がエルフの村を訪ねたことそれ自体が特別な意味を持つように聞こえた。あれにはどういう意味があったんだ?」
エルフ少女「初めて会ったときに勇者には話したんだけどね……私たちの村は結界で外界から身を隠している。けれど、その結界はある程度のレベルを超えた者の目は誤魔化すことが出来ないんだ」
エルフ少女「君たちは、エルフの結界を突破した。つまり、それ相応の力をつけたということだ。私が初めて勇者と会ったあの時から、こんな短期間でこんなにも成長しているなんて……感心を通り越して尊敬さえするよ。やっぱり君は私の見込んだ通りの男だった、勇者」
勇者「か、買い被りだよ」
エルフ少女「そういう謙虚な所も好きだよ、勇者。それじゃ、私は行くよ。君たちは急いで森を出て、そうだな、第六の町の酒場で待っていてほしい。夜には私も行くよ。折角の酒だ。共に酌み交わすとしようよ」
夜―――『第六の町』の酒場にて。
エルフ少女「待たせたね。じゃあ早速報告といこうか」
僧侶「あれ…エルフ少女さん、耳が短くなってますね」
エルフ少女「そりゃあ私がエルフなんてばれたら大騒ぎになるからね。これくらいの変装はする。変装というか、変化だけど」
勇者「あれ? 変化の杖は俺にくれたやつだけじゃないってことか?」
エルフ少女「ああ。だから君にあげたんだ。流石にひとつしかない貴重な物を行きずりの人にあげたりはしないよ」
勇者「そうだったのか……借りてるって意識だったから、今回返すつもりだったんだけど」
エルフ少女「気にしなくていいよ。それはもう君の物だ。これからも是非活用してやってほしい……さて、精霊装備の話をちゃっちゃと進めようか」
エルフ少女「今エルフの村にいる鍛冶屋にそれとなく聞いてみたんだけど、かつてほんの何点か、信頼できる人間の為に精霊装備を作った記録が残っているらしい」
勇者はエルフ少女が仕入れてくれた情報を整理する。曰く―――
剣は極北にある王国に。
手甲は竜を信仰するアマゾネスという部族に。
杖はなんと、エルフの村にひとつ現存しているという。
勇者「何とかしてエルフの村にある杖をもらうことは出来ないかな?」
エルフ少女「難しいね。人間である君たちにエルフの宝を賜わすとなると……よっぽどの信頼を得なくてはならない。そしてそのための方法なんて、現状無いと言わざるを得ない」
勇者「そうだよなあ……」
エルフ少女「エルフが皆私みたいに酒好きなら良かったんだけどねえ……」
勇者「となると、まずは残りの二つ、剣と手甲を優先するか」
僧侶「あの、勇者様……」
勇者「ん? どうした僧侶ちゃん」
僧侶「アマゾネスという部族について、私、少し耳に挟んだんですけど」
勇者「マジで!? どこに住んでるとかもわかる!?」
僧侶「は、はい…大陸の南端にある、ゾアという山の麓に居るらしいです」
勇者「流石僧侶ちゃん!! 博識ッ!!」
僧侶「いえ、その、偶々です……」
その情報を得るに至った経緯を思い出したのだろう。
僧侶はぽっ、と頬を赤らめ、ちらりと武道家に目を向けた。
武道家「………」
思い切り目が合った。
思わず、ぶん! と僧侶は思い切り目を逸らす。
武道家は困り顔で頬を掻いた。
勇者(なんじゃこの雰囲気ッ!!!! 武道家の野郎僧侶ちゃんに何しやがったああああああん!!!!?)ギロリンコ!
武道家「近い近い勇者顔近い」
翌朝―――
勇者「それじゃ、世話になったな。エルフ少女」
エルフ少女「行き先はまとまったのかい?」
勇者「ああ、まずはアマゾネスの集落を探す。ゾアって山の麓ってことまでわかっていれば、行き着くのはそう難しくないはずだ」
エルフ少女「アマゾネスに関する伝承が真実なら、行き着いてからが大変だろうけどね」
勇者「そうなのか?」
エルフ少女「珍しいね。博識な君がアマゾネスを知らないなんて」
勇者「生憎、アマゾネスに関わる書物とか目にしたことがなくてなー。知ってるなら教えてくれよ、エルフ少女」
エルフ少女「ふふふ、嫌だね。何も知らない方がきっと君も楽しめるよ」
勇者「楽しむとかどうでもいいんだよ。俺はただリスクを少しでも減らすためにね」
エルフ少女「ひとつだけ。アマゾネスは女だけの部族だ。そして大層な美人揃いと伝わっている」
勇者「マジでッ!!!?」
エルフ少女「マジだ」
勇者「いや、でも有り得ないだろ。女の人ばっかりでどうやって子孫残していくのよ」
エルフ少女「そうだね。子を生すには絶対に雄の存在は不可欠だ。しかし部族内に男はいない。さて、彼女たちはどうやって子種を獲得しているんだろう?」
勇者「……え? ちょっと待って。……え?」
エルフ少女「楽しみだねえ。君のリアクションが」
エルフ少女(そしてそれに対する、女性陣のリアクションが)
エルフ少女はちらりと背後に目を向けた。
こちらの様子を伺っていたらしい戦士が慌てて目を逸らす様子が見えた。
エルフ少女(ふくく…昨夜の彼女も実に面白かった。人の心の壁を取っ払ってくれるのも、酒の素晴らしさの一つだよね)
勇者「……え? マジで? え、そういうこと? うわうわ…うわあ……」
エルフ少女「何て顔してるんだ勇者……全く愉快な奴だなあ君は」
エルフ少女(出来れば一緒に行って君の同行を見届けたいくらいに私は君を気に入っている。でもそれは叶わない。エルフの村近辺の神殿が解放されたというのに、大森林の魔物の数は一向に減らない)
エルフ少女(こんなきな臭い状況の中、私が村を離れる訳にはいかないからね……)
かくして勇者たちは次なる精霊装備を求め、アマゾネスの集落を目指す。
期待と妄想に胸を膨らませる勇者。
しかしそんな勇者の甘っちょろい期待は当然のごとく粉々に打ち砕かれ。
心身を削る壮絶な試練が勇者を待ち構えているのだが―――――何も知らない勇者は、ただにやにやと頬を緩ませていた。
勇者「おうふドゥフフ……」
戦士(やだキモい)
僧侶(やだキモい)
第十四章 エルフ少女、再び 完
霊峰ゾアより北に位置する小さな村にて―――
村人「アマゾネスの集落の場所ぉ?」
勇者「ええ。御存知ないですか?」
村人「ゾアの麓にある密林のどこかにあるとは聞くけども、詳しい場所までは知らねえなあ」
村人「お兄さんたちまさかアマゾネスの集落に行くつもりかい? やめときなって。どうせあの噂を聞いてやってきたんだろうけど、絶対碌な目に合わねえぞ?」
村人「この間も六人くれえの男たちが集落の場所を聞いてこの村を出ていって、それきりだ。アマゾネスに取って食われちまったんだよ。きっとな」
勇者「そ、それは性的な意味で?」
村人「はん?」
戦士(何言ってんだこいつ)
僧侶(何言ってんだこいつ)
村人「『アマゾネスのハーレム』……お前さんのような若者が必死になるのも分かるがな。見たとこお前さん、可愛い女の子をもう連れてるじゃねえか。命をかけてまで、アマゾネスの集落に行く必要があるのかい?」
勇者「おじさん。あなたは勘違いしている。俺達はそんな下賤なハーレムなんかのためにアマゾネスの集落を目指しているんじゃない」
勇者「俺達はただ、そこに眠っていると言われる伝説の武器―――『精霊装備』を手に入れるため、そのためだけにアマゾネスの集落を目指しているんだ。ドゥフフ…」
武道家「顔に説得力が皆無だぞ、勇者」
村人「……そうか。まあ、好きに頑張れや。若者」
第十五章 アマゾネス・ハーレム
戦士「あっつい……」
普段この手の弱音を滅多に吐かない戦士が、耐えかねたように声を漏らした。
現在、勇者達一行は既に霊峰ゾアの麓の密林に突入し、アマゾネスの集落を目指して探索している最中である。
常夏の気候に育まれた植物群は、勇者たちの故郷にあるそれらより一回りも二回りも大きく、またその種別も多様であった。
常夏―――霊峰ゾアの近辺地域には冬がない。一年を通して気温が高く、また降水量も多いため、植物たちは思い思いの成長を遂げるのだ。
そして生い茂った木々は、本来地面から蒸発し空へと抜ける水分に蓋をする。そのため、密林の中の湿気はとんでもないことになっているのである。
武道家「大丈夫か? 戦士。休憩するか?」
武道家が気遣いの言葉を戦士に投げる。普段、こういった提案は主に勇者がするのだが、
勇者「うふ、ふひゅ、ドゥフフ……」
周囲の熱と己の内からどうしようもなく湧き出るリビドーによって勇者の意識は混濁し、そんな余裕は一切無くなってしまっていた。
実際、この熱気と湿度による負担が最も大きいのは勇者と戦士の二人であった。
勇者も戦士も、重く風の通さない鎧を着込んでいるため、その中に熱がこもるのだ。
武道家と僧侶も勿論、急所を守るための防具を身に着けてはいるが、動きやすさを追求したそれらは勇者と戦士に比べれば相当に軽装だ。
このように、ただでさえ装備の面で暑さに弱い勇者と戦士は、さらに行く手を遮る植物を切り払ったりして頻繁に体を動かしている。
そのため止めどなく噴き出す汗は二人の全身をしとどに濡らし、不快感を極限まで引き上げていた。勇者がトリップするのも致し方なしといえる。
戦士「そうだな……少し、休憩したい。そこの馬鹿の頭も冷やさなきゃならんだろうし」
勇者「どぅっふもふふ…むほ…むは……」ズバッ、ズバッ、
武道家「おいずんずん先に行くな止まれ勇者このアホ」
武道家は勇者の頭に水をぶっかけた。
勇者「はっ!? こ、ここは……俺は一体……」
武道家「ようやく正気に戻ったか。どうする、勇者。ここらで一度大休憩をとるべきだと俺は思うが」
勇者「そうだな。戦士も僧侶ちゃんももう限界だね」
お前が言うな、と全員が思った。
勇者「水場で休憩するのが理想だけど、流石にそう都合よく川には行き当らないか。とにかく水分を補給して汗まみれの服を着替えよう。それだけでも随分楽になるはずだ」
僧侶「き、着替えるって、ここでですかぁ!?」
戦士「げ、下衆め……」
勇者「はい、勘違いで先走って人を罵倒しない。僧侶ちゃんそんな目で見ないで。心に来る」
武道家(なんかアマゾネスに対して助平な反応をしてからこの手の事に関して一気に信用を失ったな、コイツ)
勇者「そもそもこんなよくわからん虫とか大量にいる所で肌を晒すなんて論外だから。一度ここにテントを立てる。着替えはその中で、それぞれ交代してするんだ」
勇者「一人が着替えている間、他の三人は周囲を見張る。着替えている間は無防備になるからね」
戦士(僧侶、勇者の見張りは任せたぞ)コソコソ…
僧侶(私の時もお願いね、戦士)コソコソ…
勇者(聞こえてるよ。耳がいい自分が嫌。泣きたい)
武道家(まあ自業自得だ。諦めろ)ポン…
勇者(何慈しむような目で人の肩に手ぇ置いてんだこの野郎…)イラッ
全員の着替えが終わって――――
戦士「ふう……すっきりした」
僧侶「やっぱり、汗を拭いて乾いた服に変えるだけで大分違いますね」
勇者「俺が水や氷系の呪文を使えたら良かったんだけどねぇ……」
武道家「そこまで望みはせんさ」
勇者「はあ、騎士が使ってた精霊剣・湖月が恋しい……あれよく考えたらスゲエ便利じゃね? 旅先で水に困ることなくね?」
戦士「飲めるのか? あれ」
勇者「体も洗い放題じゃね?」
僧侶「体に穴が開いちゃいますぅ…」
武道家「どうする? 今日はこのままここで野営するか?」
勇者「出来れば今日中に水を確保できる場所を見つけたい所だけど……先に進んでも見つかる保証はないしな。テントを立てられるような開けた場所もそうそうあるもんじゃないし…」
勇者はしばし勘案して、結論を出した。
勇者「よし、今日はここで野営しよう。ただ、俺はもう少しこの周辺を探索してみる」
武道家「一人で行くのか?」
勇者『うん! だって何か気まずいからね!!』
勇者(なんて勿論言えませんけどねー。まあ実際この密林全然魔物いないし、一人でも問題は無いっしょ)
そうして、勇者は一人ジャングルの奥へと消えていった。
武道家「……さて、二人とも」
勇者の姿が完全に見えなくなったのを確認して、武道家は戦士と僧侶に声をかける。
武道家「ちょっと最近、勇者に対してそっけなさすぎじゃないか? 勇者に対しては最大限気を遣っていこうと三人で決めたじゃないか」
戦士「む、ぐ…しかしだな…」
僧侶「そ、そうです……いくらなんでもあれは……」
勇者『むぅふ……うほほ、ドゥフフフ……!』ニマニマ…
僧侶「あれは…ちょっと……」
武道家(わからんでもない)
戦士「我々は魔王討伐のために真面目に旅をしているんだ。そこにあんな不純な思いを持ってこられてはたまったものじゃないだろう」
武道家「まあ、あんな噂を聞けば、男なら誰だってよからぬ想像をするものさ。特に勇者は色々と抑圧されて育ってきたからな。多少妄想の度が過ぎても、それは責められるもんじゃない」
戦士「要は女なら誰でもいいと思っているわけだ、勇者は。ふしだらな。そんなに見境が無い奴だとは思わなかったよ」ムス…!
僧侶「男なら誰でも……なら、武道家さんも、そういう風に想像しているってことですか?」
武道家「……まあ、多少はな」
僧侶「そのわりには勇者様と比べて、平然とされてますね。流石、女性に慣れてらっしゃる方は違いますねぇ」
戦士「なにッ!? 武道家、貴様!! 女で遊ぶような輩だったのか!!」
武道家「ば、馬鹿を言うな!!」
武道家(い、いかん! 矛先がこっちを向いた!! 面倒な!!)
その頃、勇者は目の前の光景にあんぐりと口を開いていた。
勇者「あったよ……川…」
勇者が一人で探索を始めてから程なくして、勇者の耳に川のせせらぎのような音が届いた。
勇者はその音を頼りに密林の中を進んでいたのだが、まさか本当にこんなに都合よく行き当るとは思わなかった。
勇者「俺の耳の良さはもはや特技といってもいいのかもしれん……悪口を拾い上げる以外にも役に立つじゃないか」
さて、と勇者は水辺に近づき目を凝らす。水質や魚の有無などを観察するためだ。
勇者「水質は…パッと見、そのまま飲んでも良さそうなくらい澄んでるな。魚も影がちらほら見える。こりゃあいい所見つけたな……んッ!?」
川の中を凝視していた勇者は驚きの声を漏らした。
魚にしては明らかに異様な影が水中を流れている。
大きさにして人間大。色はやや浅黒い。勇者がその影から目を離せずにいると、影は見る見るうちに水面に近づいてきた。
「ぷはっ!」
飛沫を上げて、影が水面から顔を出す。
影の正体は少女だった。
少女の手には槍が握られ、その先には全長三十センチ程の魚が貫かれている。
漁をしていたのか――などと勇者が考えを巡らせていると、少女と目が合った。
「お前、誰だ?」
凛とした高い声が響いた。
勇者「あ、えっと……俺は、勇者。君は、その、もしかして……」
こちらに向かって泳いでくる少女に勇者は恐る恐る問いかける。
川岸に近づいてきた少女はやがて泳ぐのを止め、水底に足をつけたようだった。
最初は顎まで水に浸かっていたが、首、肩と徐々にその姿が現れてくる。
勇者「アマゾネぶっっほぁ!!!!?」
勇者は言葉の途中で噴き出した。
肩まである紫がかった髪は水に濡れて少女の首や肩に張り付いている。
浅黒い肌は日焼けによるものなのだろう。その証拠に普段は布に覆われているであろう胸や下腹部の辺りは健康的な肌色を残していた。
つまり少女は全裸であった。
勇者「ご、ごごご、ごめん!!」
勇者は慌てて少女に背を向ける。
そんな勇者に対し、少女はきょとんと小首を傾げた。
勇者(あばばば…!! 見てもうた…!! えらいもん見てもうたでえ…!!!!)
勇者はわなわなと震え、心臓の高鳴りを抑えようと必死に深呼吸を繰り返す。
―――瞬間、ぞくりと勇者の背中に怖気が走った。
勇者「うおっ…!?」
咄嗟に勇者は身を躱す。勇者の背に向かって突き出された槍が空を切る。
少女「あれ?」
勇者「な、何しやがる!!」
少女「急に背中向けたから、殺していいよってことかと思った」
勇者「んな訳あるか!! き、キミの体を直視出来なかっただけだ!!」
少女「初心なんだな。さては童貞か?」
勇者「どどど童貞ちゃうわ!! ってかうるせえよ!! んなもんお前に関係あるかはああああああん!!!!?」
少女「童貞を恥じるな。私だって処女だ」
勇者の鼻から血が噴き出した。
少女「面白いなお前。目的は私たちの―――アマゾネスの村なんだろう? いいよ、私が案内してあげる」
アマゾネスの村――――
ジャングルの合間に存在する小さな村だ。家は木造で高床式の物が建てられている。
その並びに規則性のようなものは見受けられなかったが、村の奥に、ひとつだけ明らかに位の高い家があるのに勇者は気づいた。
村の人々は興味深そうに、少女に先導されて歩く勇者たちを見つめている。
驚くべきことに、その全てが本当に女性であり、しかも大層美人であった。
加えて、誰も彼もが露出が多い。胸と下半身を最低限の布で覆っているのみだ。
勇者「ここがパラダイスか……」
戦士「おい」
周囲をキョロキョロと見回し、だらしなく鼻の下を伸ばす勇者の頭を戦士は小突いた。
勇者たちが案内されたのは村に入ってから一際目立っていた家だった。
全ての家が見下ろせる位置に建てられたその家は、少女によると村の長の家らしい。
族長、と、村の皆は呼んでいるようだ。
族長「ようこそ、アマゾネスの村へ」
一行を迎えた族長は美しかった。
長い金髪はサイドポニーで纏められ、実に豊満なその胸は下着としか思えないような面積の布地によって押さえられている。
男の目など気にしないとばかりに開けっ広げに胡坐をかいたその股間部から、勇者は目を逸らさざるを得なかった。
族長「私はお前達を歓迎する。特に、実に男前なそこの二人……本当に、よく来てくれた」
族長は意味ありげな笑みを勇者と武道家の二人に向ける。
勇者は真剣に照れてもにょりだし、武道家は居心地悪そうに頬を掻いた。
戦士「族長、来てそうそう不躾で申し訳ないが、我々は探し物があってここに来たんだ」
焦れた戦士が本題を切り出した。
それを受けて、族長は一転して冷やかな目を戦士に向けた。
族長「探し物?」
戦士「そうだ。昔エルフによって造られた精霊装備―――その内のひとつがこの村にあると聞いた。心当たりはないか?」
族長「心当たりも何も、それはこの村の宝として受け継がれている」
くい、と族長は自らの背後を親指で指し示した。
そこに設けられた神棚に、それは祭られていた。
族長「この村の安寧を司る神器―――『精霊甲・竜牙【セイレイコウ・リュウガ】』。もしやお前たちは、私たちからこれを奪うためにやってきたのか?」
族長は目を細めた。
案内を終えて壁際に佇んでいた少女もまた、鋭い目で勇者たちを睨み付ける。
勇者は慌てて両手を振った。
勇者「う、奪うつもりなんて毛頭ない! 落ち着いてくれ!!」
少女「でもお前はそれが欲しいんだろ? 勇者」
勇者「そ、それはそうだけど……力で無理やり奪うなんて、そんな真似をするつもりは全くないんだ」
族長「ではここで私たちが絶対に譲るつもりはない、と言えばお前達はすごすごと引き下がるのか?」
勇者「そ、れ、は……」
武道家「……俺達は、魔王討伐のために旅をしている」
それまで黙っていた武道家が口を開いた。
武道家「それを為すためには、精霊装備の力が絶対に必要だ。特に、そこにある精霊甲・竜牙は俺に扱える唯一の精霊装備。他に『武道家』用の武器など存在しないだろう」
武道家「だから……」
武道家は地面に両膝をつき、真摯に頭を下げた。
武道家「頼む……その精霊装備を譲ってくれ」
武道家に倣い、慌てて三人も頭を下げる。
勇者「お願いします…!」
僧侶「お願いします!!」
戦士「この通りだ……」
しばらく四人を見つめていた族長は、やがて「はぁ…」とひとつため息をついた。
族長「魔王討伐、ねえ……そりゃあ大層なことだけど、正直そんなことは私たちにはあまり関係が無い」
戦士「そんなこと、だと…!!」
僧侶「戦士…!」
武道家「………」
思わず声を荒げた戦士を僧侶が諫める。
武道家も内心穏やかではない様子だ。
勇者は族長の言葉に疑問を抱いていた。
勇者(関係がない…? 思えば、ゾアの密林には魔物が殆どいなかった…だからこそ俺も一人で川探しになんか出たわけだし……)
勇者(この密林は何か特別なのか…? 村の安寧を司る神器……まさか、本当に…?)
族長「勇者、と…武道家だったか? お前たちが『試練』に挑むのではないと言うなら、話はこれで終わりだな」
武道家「試練?」
族長「私たちの主となるための試練だよ。大抵の男は、それが目的でここに来るんだがね」
勇者の耳がぴくりと反応する。
勇者「あ、あるじ…? 主ってことはそりゃつまり……」
勇者の疑問に少女が答えた。
少女「文字通りのご主人様。試練をクリアした者を私たちは主と認め、村全体でその子種を頂戴する。そうして、私達は種を存続してきた」
勇者「ぼ、ぼくその試練受けま―――!!」
戦士「お断りだッ!!!!」
僧侶「結構ですッ!!!!」
勇者「ヒィッ」
勇者の言葉は戦士と僧侶に物凄い剣幕で遮られた。
族長「残念……本当に残念だ。お前たちのような男前がこの村に来るなど滅多にないことなんだがなぁ…少女、四人を客人用の家に案内してやってくれ」
少女「分かった」
族長「密林を踏破するのは堪えたろう。一晩ゆっくりしていくといい。そして気が変わったらいつでも声をかけてくれ」
客人用として案内された小屋で、勇者達は車座になってアマゾネスの少女から話を聞いていた。
勇者「しかし……本当に噂通り、美人や可愛い子しかいないんだな。しかも若い子ばっかりだ」
そう呟く勇者の視線の先には窓からきゃいきゃいとこちらを覗き込んでいるアマゾネス達の姿がある。
少女「そうでもない。勿論集落には年老いた者も居る。余所者に興味を持ち、近づいてくるのが若者だけだというだけ」
武道家「余所から人が来るというのは余程珍しいことなのか? 随分と注目を浴びているようだが」
少女「それも、そうでもない。定期的に噂を聞きつけた奴らが村を訪れる。だけど、族長が気に入るような男が来るのは稀」
少女「私達の好みは種族全体でほぼ似通っている。族長が気に入ったのなら、アマゾネスの殆どが気に入っている。だから皆ああしてはしゃいでいるんだ……私も、お前のことが気に入っているぞ? 勇者」
勇者「うえ!? な、なんで!?」
少女「まず単純に顔が好みだ。そして言動が珍妙で面白い。そのくせ完全に不意を突いた私の槍を躱すほどの力量を持っている。興味深いぞ。本当に試練を受ける気はないのか?」
戦士「ない」
僧侶「ありません」
少女「お前らには聞いていない」
勇者「あ~、えっと……そもそも、試練ってどんなのなんだ?」
少女「簡単だ。霊峰ゾアの頂におわします我々の祖、『竜神』様に謁見し、アマゾネスの主となることを認められればいい」
僧侶「確かに、霊峰ゾアには竜神が住んでいると噂には聞きました。まさか、本当に?」
少女「ああ。太古の昔より竜神様はこの地にあられて、ある時戯れに人の似姿をとり、旅人とまぐわい子を生した。それが私達アマゾネスという種族の始まりだ」
少女「竜神様の血の強さゆえか、アマゾネスの生む子は必ず女となる。子孫を残すためには、余所から男を招く必要があった」
少女「元々霊峰ゾアを訪れるような旅人は心身ともに屈強な者ばかりで、子種の提供者としては申し分なかった。しかし、アマゾネスの存在が周囲に知れ渡るにつれて、ただ獣欲を満たすためだけに村を訪れる者が後を絶たなくなった」
少女「それ故に始まったのが竜神様の試練だ。私達は誰でも彼でも体を開くことはしない。私たちを抱くことが出来るのは、竜神様に認められた者だけだ」
少女「その代わり、試練を乗り越え主となった者に対しては誠心誠意尽くす。この村にいる18歳以下の女はほぼ全員処女だが夜伽の勉強は滅茶苦茶している。主となった者には確かな満足を与えられるはずだ」
勇者「マジでかッ!!!!!!」
戦士「食いつくな!!!!」
武道家(懲りん奴だ……)
僧侶(な、なんか凄い話ですね……)
武道家「ところで……族長の所で祭ってあった手甲。確か名を竜牙と言ったな。もしやその竜神様とやらに由来するものなのか?」
少女「鋭いな。その通りだ。その名の通り、あれはかつて竜神様より賜った牙をエルフの手により武器へと昇華させたもの。当時の族長は『武道家』としての闘いに秀でていたため、手甲という形になった」
武道家「今の族長は使っていないのか?」
少女「そもそも使うような場面がない。竜神様から直々に賜った逸品。些事には使えない」
武道家(では実質ただの置物になっているということか……それは余りに勿体無い)
勇者「そう、それ。それ聞きたかったんだよ。この密林に魔物たちが殆どいないのは何でだ? まさか本当に、あの手甲に魔よけの効果があると?」
少女「手甲というより、山にいる竜神様ご自身の加護によるものだ。竜神様の力を恐れて、魔王軍はこちらに軽々には手を出せない。実際、『前回の魔王』に地上が支配されかかった時も、この場所は静かなものだった」
勇者「マジでか…すげえな竜神様。もしかして魔王より強いのかよ」
少女「当然」
勇者「……ねえ、試練って、竜神様に認められるために何すんの?」
少女「試練の全容は私達も知らない」
勇者「アマゾネスの趣味嗜好って似通ってるんですよねえ……ということは、その祖先たる竜神様のご気性もまた、アマゾネスに似通っていると推測されるわけですよねえ……」
少女「そうかもしれない」
勇者「キミ、初対面でいきなり僕の背中刺そうとしましたよねえ…?」
少女「突いたらどうなるか好奇心がむらむらしたから」
勇者「試練に失敗した人ってどうなってんの?」
少女「知らない。何故なら、試練に失敗したってことは山から帰ってこないってことだから」
勇者(あっぶねッ!!!! あっぶねッ!!!! 出たよこれ確実に死んでるよ竜神とやらに食われてるよ!! 性的な意味じゃなくて!!)
勇者(やーらない!!!! 僕そんな試練やりませーーーん!!!! 痛いの嫌だし、死にたくないし!!!!)
武道家「少女、族長に伝えてくれ。気が変わった。俺と勇者、二人で試練に挑むとな」
勇者「ほわああああああああああああああ!!!!!???」
僧侶「ぶ、武道家さん!!!?」
戦士「お前、何を…!?」
勇者「何を言っとんじゃおんどりゃあああああ!!!! 甘言に踊らされるな、性欲に釣られるなぁぁぁああああ!!!!」
少女「……ほんき?」
武道家「本気だ。明日の朝には挑めるよう段取りを頼む」
勇者「ちょま、ちょ、ちょままま!!!! 馬鹿かオイ!! 何で俺じゃなくてお前が釣られてんだよ!! お前は大丈夫だろ女の子に餓えてねーだろ!!」
勇者「それともあれか!! お前美味しいものはいっぱいいっぱい食べたい派か!! 我慢することを覚えなさいってお母さんいつも言ってるでしょ!!」
勇者「お前みたいなやつが際限なく女の子を食べまくるから俺みたいなやつがあぶれて、うあ、うああ……!!」
武道家「落ち着け。話が脱線してるしいくらなんでも人聞きが悪すぎる。僧侶と戦士、お前らもだ。まず落ち着け。落ち着いて座れ」
僧侶「これがおち、落ち着いていられますか!!」
戦士「所詮貴様らも下半身でしか物を考えられない猿ということか!! ハッ!! 全く失望したぞ!! 全く!! 全く!!!!」
勇者「『ら』ッ!? 今貴様『ら』って言ったかい戦士さん!? そりゃ無いぜ!! 訂正してくれ!!」
戦士「やかましい!! どちらかと言えばお前の方がより猿だ!!!! 鼻の下伸ばしまくってこのドスケベ猿がッ!!!!」
勇者「ひ、酷過ぎるッ!!」
武道家「……はぁ、やれやれ」
少女が族長に会いに小屋を出て行ってから、武道家は三人に説明を始めた。
武道家「少女の話を聞くに、あの精霊甲・竜牙には族長が言っていたような、安寧をもたらすような効果……平たく言えば、魔物を遠ざける結界を発生させるような能力はない」
武道家「にもかかわらず、連中は神器としてあの手甲を奉っている。それはひとえに、あれが連中の祖先である『竜神』所縁の物であるからだ」
武道家「裏を返せばそれは、連中にとってあの手甲の価値はただそれだけしかないと言える」
戦士「それは、つまりどういうことだ?」
武道家「つまり、あいつらは精霊装備である竜牙を、精霊装備として必要としている訳ではない。精霊甲・竜牙に実用性を求めていないんだ」
僧侶「……?」
勇者「つまり連中が求めているのは『竜神の加護を象徴する何某か』であって、それは精霊甲・竜牙である必要はない……ってことか」
武道家「流石勇者だ。理解が早いな」
勇者「それで『試練』ねえ……いや、でもよぉ~、下手したら魔王より強いってんだぞ? しかも絶対竜神の性格サディスティックだしよぉ~」
武道家「とはいえ、まさか本当に手甲を強奪するわけにもいくまい? それこそ、本格的に竜神を敵に回す羽目になるぞ」
戦士「お、おい! 二人で納得するな!!」
僧侶「私達にもしっかり説明してください!」
武道家「結論はこうだ。『俺達は何とかして竜神に接触し、竜神所縁の何某かを手に入れる』。それをもって、族長に精霊甲・竜牙との交換を交渉する」
戦士・僧侶「「 !? 」」
勇者「牙をもらえりゃ最良だけど、そう上手くはいかねえよなぁ」
武道家「その時は鱗でも何でもいいさ。最悪、試練をクリアすれば何とかなる。何しろ誠心誠意尽くすというんだ。神器のひとつやふたつ喜んで差し出してくれるだろうさ」
僧侶「だ、駄目ですよクリアしちゃ!!」
武道家「心配するな。ハーレムなんてものには興味はない。アマゾネスの連中には悪いが、子種の提供は謹んで辞退させてもらうさ」
勇者「え~、マジで?? 俺、どうしよっかな……村全体でのご奉仕……むふ、ドゥフフ……」
戦士「勇者ッ!!!!」
勇者「な、なんだよう!! な~んで戦士が怒んだよう!!」
戦士「う、うるさい!! お、お前が魔王討伐の旅の最中だというのに不埒な事ばかり言うからだ!!!!」
勇者「んだよチックショウわかったよッ!! だったら――――」
勇者「だったら、魔王なんてさっさと討伐して、またここに戻って来たらあ!!!!」
戦士「言っとくが、それやったら私は一生お前を軽蔑するからな」
勇者「はぁうッ!?」
第十五章 アマゾネス・ハーレム 完
早朝―――アマゾネスの村の最奥、霊峰ゾア登山道の入口にて
僧侶「行っちゃったわね、二人とも。……大丈夫かな」
戦士「試練そのものが不透明過ぎて何とも言えんな……まあ、何だかんだあの二人なら大丈夫だろうが」
僧侶「試練に失敗して帰ってきた人間は居ないってことは、やっぱり命に関わるものなのよね。もしかしたら、竜神様に食べられてしまったりするのかしら」
戦士「今回の目的は試練の合格ではないからな。その心配はあるまい。目的の物さえ手に入れば、あとは早々に引き返すだろう。あの二人、特に勇者は引き際を見極めるのが抜群にうまいからな」
僧侶「あら、戦士が勇者様を素直に褒めるなんて珍しいわね」
戦士「……単にすぐに逃げたがる腰抜けなだけかもしれんが」
僧侶「素直じゃないわねえ」
少女「お前達、いつまでここに居る気だ?」
アマゾネスの少女が戦士と僧侶に声をかけてきた。
戦士「無論、二人が戻ってくるまでだが?」
少女「そういう訳にはいかないな。お前達にはすぐに村を出て行ってもらう」
戦士「……なに?」
僧侶「どういうことですか?」
少女「元々私達アマゾネスは余所の女が村に入ることを嫌う。今回は勇者と武道家、二人の従者ということで我慢していたが、それもここまでだ。二人が試練に挑んだ以上、お前達を寛容してやる理由はもうない」
少女は戦士と僧侶に向ける目を細めた。俄かに剣呑な雰囲気が満ちる。
戦士「断ると言ったら?」
少女「その時は力尽くで出て行ってもらうことになる……が、そうまでして二人を待つ理由はもうないだろう? 二人が戻って来るということは試練に合格したということ。試練に合格したということは我々アマゾネスの主になり、この村の新たな長となるということ」
少女「そうなった時に、お前達の居場所はもうない。勇者と武道家が試練に挑んだ時点で、お前達は捨てられたようなもの。お前達を伴侶とするより、勇者と武道家は私達アマゾネスに囲まれることを選んだ」
少女「お気の毒……まあ、私達アマゾネスの魅力が高すぎるのが悪いのだけれど。ごめんね?」
戦士「勘違いも甚だしいな」
僧侶「せ、戦士!」
声荒く反論した戦士を、僧侶が慌てて止めに入った。
戦士(な、なんだ僧侶)ヒソヒソ…
僧侶(駄目よ、勇者様と武道家さんの本当の目的を言ったら。後々交渉する時に何か悪影響を及ぼすかもしれないでしょ?)ヒソヒソ…
戦士(そ、そうか)ヒソヒソ…
少女「……? 勘違い、とはどういう意味だ?」
アマゾネスの少女は首を傾げて戦士の次の言葉を待っている。
戦士はしどろもどろになりながら答えた。
戦士「あ~、あれだ、その……お前達アマゾネスが私達より魅力的だというのがちゃんちゃら可笑しいということだ」
僧侶(せ、戦士!?)ヒ、ヒソォ!
戦士(だ、だって他に言いようないだろ!?)ヒソッソ!
??「聞き捨てならないな」
僧侶「ふぇ!?」
僧侶は驚きの声を上げた。
村の建物から次から次にアマゾネスが現れ、少女の背後に陣取ったのだ。
巨乳のアマゾネス「男を喜ばせるために日々研鑽を積んでいる私達より貴様らの方が女としての魅力が勝るだと!?」ばるん!
美尻のアマゾネス「そこまでいうなら証明してもらおうではないか!! 貴様らのどこが私達より優れているのを!!」ぶるん!
太ももアマゾネス「勝負だ余所者!!」ぱっつん!
僧侶「せ、戦士ぃ~」オロオロ…
戦士「こ、こうなった以上貫き通すしかあるまい。腹をくくれ、僧侶!」
戦士は勇ましくアマゾネス達に相対した。
戦士「望むところだ!! お前達の思い上がりを粉砕してやる!!」
少女「では第一問。一般的に男性は陰茎を口で愛撫されることを好みます。その愛撫の内、喉奥まで深く咥えこみ、口内の空気を吸い込むことで密着度を増して陰茎をしごき上げる性技を何と呼ぶでしょう?」
戦士「ず、ずるい!! その分野で攻めてくるのはずるいぞ!!!!」
第十六章 狂剣・凶ツ喰【キョウケン・マガツバミ】(前編)
霊峰ゾア登山道の序盤、密林エリア。
勇者「うあ~、道なんて舗装されてねえから足場悪いったらないよ。しかもずっと上り坂だよ。しんどいよ~」
武道家「今さらこの程度、何てことなかろう。今まで何度こういった森を踏破してきたと思っている」
勇者「慣れてはいるけど辛いことに変わりはねえんだよ。あ~、くそ。汗止まんねえな。上に行くほど気温は下がるから、どっかで服変えないと……着替え足りっかな」
武道家「そういえば、こういった密林で肌を無闇に晒すことは愚の骨頂だとお前は言っていたが、アマゾネスの連中は皆露出度の高い恰好をしていたな」
勇者「現地人怖いです」
武道家「道は悪いが魔物の姿はなし。試練といってもこの程度か。何やら拍子抜けだな」
勇者「それはお前が体力馬鹿だからそんな感想になるだけで、普通に辛いわこんなん。それに、大ボスに竜神様が控えてるってんだから、道中くらいイージーにしてくんなきゃやってられんわ」
霊峰ゾア登山道の中腹、洞窟エリア。
勇者「天然の洞穴……ここ通って行くんだろな。他に登れそうな道無かったし」
武道家「暗いな。それに随分入り組んで見える」
勇者「『呪文・火炎』―――うし、松明の準備はオッケー。ほれ武道家、お前の分」
武道家「うむ……良く見るとそこかしこに大穴が空いているな。底が見えないということは結構深いんだろう。足元も濡れて滑るし、十分気をつけろ勇者」
勇者「ああ、分かっなああぁぁぁーーーーー――――――!!!!」
武道家「勇者ーーーーッ!!!!」
勇者「いっつつ……早速落ちちまった」
武道家「おーーい!! 勇者、無事かーーー!?」
勇者「上から覗き込んでる武道家の顔が見える……どうやらそんなに深い穴じゃなかったらしいな。助かったぜ……」
勇者「おーい武道家ーー!! 今からそっちにロープ投げるから適当な所に縛り付けてくれーーー!!」
武道家「心得たーーー!!」
勇者「え~と、ロープロープ……ひっ!?」
背負っていた荷物をおろし、中からロープを取り出そうとしゃがみ込んだ時、勇者は絶句した。
勇者の目の前。
岩壁に寄り掛かるようにして座り込んだ、人間の死体があった。
恐らくは男の死体。日光を浴びず、冷涼な温度の中にあったためか、腐敗はあまり進んでいない。
奇跡的に小動物にも食い荒らされることが無かったらしく、その死体は未だ生前の面影を保っていた。
恐らく肩ほどまで伸びているであろう黒髪を後ろで束ねており、特徴的な衣服は和服と呼ばれる類のもので、確か『倭の国』の国民が着る独特な衣装だったはずだ、と勇者は以前書物を読んで得た知識を引っ張り出す。
勇者「倭の国から遠くこんな所まで…? 男の欲望ってのはホント、際限なしやなあ……」
勇者がしみじみと感じ入っていると、一際目を引くものがあることに気が付いた。
勇者「……剣?」
男は棒状の何かを抱え込んで座っていた。観察し、それが鞘に入った剣であることに勇者は気が付く。
その剣が、ゆらりとこちらに倒れこんできて、カランと地面に転がった。
勇者「……今、風とか吹いたっけ?」
少しぞっとしながらも、勇者は何故かその剣から目を離せずにいた。
ちょうど柄がこちらに向けて倒れてきており、さも拾えと言わんばかりだ。
元に戻しておこうという道徳心と、ほんの少しの好奇心で勇者は剣に手を伸ばした。
柄を握る。驚くほど手に馴染んだ。
無意識に勇者は剣を鞘から抜き出していた。
その煌めく刀身に心を奪われる。
勇者「これ……相当いい剣なんじゃないか?」
戦士の持つ精霊剣・炎天ほどではないものの、奇妙な力強さを感じる。
勇者は悩んだ末に、その剣を頂戴することにした。
そんなことをしても自身の慰めにしかならないとわかっているが、剣を持っていた死体に頭を下げる。
こくりと死体の頭が動いたような錯覚を勇者は覚えた。
武道家の助けを得て上に戻った勇者は、事の顛末を武道家に説明した。
武道家「死体を荒らしたようで気が引けるが……魔王を倒すためだ。やむを得まい。全てが終わった後にまた戻しにこよう」
戦力の強化は最優先。この考え方は武道家も一致するものであった。
今度こそ足元に十分注意しながら先に進む。
いくつかの穴の底には、勇者が落ちた穴と同様に死体があるのが見えた。
勇者「単身で挑むと、こういう穴に落ちた時にリカバリーがきかないんだな」
武道家「そうだな。俺達も、一人を助けようとして二人とも落ちるなんてことにだけはならんように注意しよう」
幾度も行き止まりに突き当たり、その度に経路を修正しながら勇者と武道家は着実に前進する。
やがて前方から陽の光が差し込んできた。
勇者「ふう、何とか無事洞窟を抜けたか」
洞窟の出口に立ち、勇者は一息つく。
勇者「結構登ったなあ……」
眼下には絶景が広がっていた。
山裾から広がる密林はやがて草原に変わり、緑の大地は海岸線を境に青い海原へと色を変える。
勇者「世界の果てってのは、どうなってるんだろうねえ……」
遠く水平線を眺めながら勇者がそんな益体もない感想を抱いていると、背後から武道家の声が飛んだ。
武道家「勇者、危ない!!」
声に反応し、咄嗟に身を屈める。
何かが頭上を掠めていったのが分かった。
側頭部に痛みが走る。触ると血で濡れていた。
上空を何かが旋回している。
勇者「鳥…?」
武道家「鷲だ。しかもとびきりでかいぞ。体だけで2mはある。翼を広げた全長は5mくらいあるんじゃないか?」
大鷲が再び勇者に狙いを定めて滑空してくる。
その動きは途轍もなく速かったが、今度は始動からしっかり目で追えていたので難なく躱すことが出来た。
勇者「この場所は足場が悪い。ここで応戦するのはうまくないな」
武道家「一度洞窟内に戻るか?」
勇者「いや、それじゃ堂々巡りだ。それなりに動ける広さがある所まで進む」
武道家「それまでの攻撃はどう凌ぐ? 横は崖。こうも足場が狭い所を移動しながらとなると、回避もままならんぞ」
勇者「ちょっと牽制しとくさ」
勇者はそう言ってまたもこちらに滑空する大鷲に指を向ける。
勇者「『呪文・―――大火炎』!!!!」
勇者の指先から直径三メートルにも及ぶ火球が生まれた。
まっすぐ勇者に向かっていた大鷲は為す術なくその火球に突っ込んだ。
甲高い悲鳴が上がる。たまらず身を翻して大鷲は空へと舞い戻っていった。
そのまま大鷲はずっと勇者たちの上空を旋回している。
武道家「多少警戒を強めた様子だが……諦める気はないらしいな」
勇者「逃げないなら迎え撃つしかないな。よし、この場所ならいいだろう」
切り立った崖が台地のようになっている場所で、勇者と武道家は足を止める。
そして武道家は両手の手甲を打ち鳴らし、勇者は先ほど拾った剣を抜いた。
勇者「さて……それじゃ、早速試し切りと行きますか」
十全に動ける場所となれば、苦戦する理由は無い。
事切れた大鷲を見下ろし、勇者は感嘆の息を吐いた。
勇者「は~、やっぱりこの剣凄いわ。普通の攻撃力じゃない」
武道家「それ程の逸品か」
勇者「騎士の持つ精霊剣・湖月や戦士の炎天に比べれば、特殊能力もないし、剣自体の攻撃力も落ちるけど……それでも十分だよ。市井にありふれてる剣とは比較にならない」
武道家「精霊剣をもう一本見つけるまでの繋ぎとしては申し分ないということか。嬉しい誤算だな。俺用の武器を得るための道中で、勇者の戦力強化を成すことが出来るとは」
勇者はしばらく大鷲の死体を眺め、解体するかどうか考えていたが、結局打ち捨てていくことにした。
勇者「戦士達を村に待たせているし、今回は解体を見送ろう。魔物じゃないから国から報奨金は出ないし、今は資金に余裕があるしな」
武道家「しかし、こんな大きな鷲は初めて見た。世界は広いな」
勇者「竜神に守られた霊峰ゾア故の成長、ってことだろうな。ただそこに生きる動物たちでさえ、強固な精霊の加護を得ている……魔物が侵略をためらうのも納得だぜ」
先に進もうとした二人の足が止まった。
台地の端に肉の塊がうず高く積まれているのが目に入る。
恐らく大鷲にやられた犠牲者たちであろう。
大鷲に食い散らかされ、既に原型を留めてはいなかったが、そこに転がる頭の数から死体の数は六人と推察できた。
比較的損傷の少ない頭部を見て、武道家の顔が歪んだ。
勇者「どうした?」
武道家「……少し、見覚えがある顔だ。無論、友人などではないし、知人と呼ぶにも余りに薄い接触しかしていないが」
そこに転がっていたのは、かつて観光都市エクスタで遭遇した冒険者たちであった。
素行が悪く、お世辞にも褒められた人格ではなかった連中だったが―――武道家は目を閉じ、黙とうを捧げた。
武道家「ここからが真の難関、ということだろうな。気を引き締めてかかるぞ、勇者」
勇者「分かってるよ。最初から油断なんてしてへんわい」
武道家「どうだか。ここで足を滑らせると致命的だぞ?」
勇者「そん時ゃ落ちてる途中で『翼竜の羽』使ってどっか飛ぶわ」
武道家「うわ、ずるいなお前」
そして―――勇者と武道家は、奇妙なほど広く平坦な台地に辿り着いた。
辺りを見回す。自分たちの立つ台地より上に山の影はない。
つまりはここが霊峰ゾアの頂上だ。お誂え向きに台地を囲う岩壁の一部に洞穴が空いており、如何にも何かが住んでいますといった風情を醸し出していた。
「ほほう、久しぶりじゃな。この頂上まで辿りついた人間は」
果たして、その洞穴の奥から声が響いた。
空気を重々しく震わせ、荘厳な雰囲気に満ち溢れているはずのその声を聞いて、しかし勇者は違和感を覚えていた。
「嬉しいぞ。長く暇を持て余していたところじゃ―――儂は、お主等を歓迎する」
洞穴の影からその者が姿を現す。
初めに見えたのは褐色の足。
足先から脛、太ももと次第にその全容が明らかになる。
薄手の黒のワンピース。長く腰まで伸びた銀髪が揺れている。
遂に姿を現したそいつは、切れ長の目を妖しく光らせて言った。
「我が名は竜神―――さあ、存分に戯れようぞ! 冒険者たちよ!!」
その姿を認め、わなわなと震えた勇者は堪え切れず叫んだ。
勇者「ろ……」
勇者「ロリロリしいいいいぃぃぃーーーーーーーーッ!!!!!!」
竜神はなんと褐色ロリだった。これには武道家も思わず苦笑い。
勇者「何か声高いと思ったーー!! 何か声高いと思ったーーーッ!!!!」
竜神「む、何がおかしい」
勇者「いやいや! 竜神様竜神様!! おかしいよ、おかしいですって!! 何ですのその姿!?」
竜神「ふん、竜神である儂にとって人間に化けることなど容易いことじゃ」
勇者「ちがーう!! それにしたって竜神様ってずっと昔からこの山に居るんでしょ!? そしたら、こう、もっと年相応の変化ってあるじゃん!?」
竜神「むッ!! お主、儂を年増扱いするか!! 万死に値するぞ!!」
勇者「いや、そんなつもりないすけど!! それにしたってロリすぎるでしょうが! あんたもう出産も経験してんでしょ!? じゃあその姿がちょっとおかしいなってのもわかるでしょ!? 常識的に考えて!!」
竜神「人間のオスはこのぐらいの年の子が一番そそると聞いた」
勇者「常識が歪められている!?」
竜神「まあ聞け。お主等がこの見てくれの年代の娘を欲情の対象としないのはその娘が実際的に生殖能力を備えていないからじゃろうが。儂は違うぞ? こう見えて中身は完全に熟れ熟れじゃ。この未熟な肢体に『女』としての機能を完備しておる。さあ、そう聞くとどうじゃ? 甘美な背徳感にそそられてこんか?」
勇者「ぬ…ぬぅ……!」
武道家「何を論破されとるか」
武道家が勇者の頭を小突いた。勇者はハッ、と我に返る。
勇者「おい、しかしどうするよ?」
勇者は武道家に耳打ちした。
武道家「ああ…竜神がまさかあんな姿で現れるなど予想もしなかった。牙も鱗もまったく見当たらんぞ」
勇者「髪の毛は……どうだろうなあ。勝手に切ったらめっちゃ怒りそうだなあ」
耳打ちし合う勇者たちに構わず、竜神を名乗る褐色銀髪の少女はえっちらおっちらと洞穴から何かを抱えてきた。
少女の脇の辺りまで、たっぷり一メートルは高さのあるそれは、巨大な砂時計だった。
さらさらと砂が零れ落ちるのを確認して、少女は満足げに笑みを作る。
竜神「試練の内容は単純明快。この砂時計の砂が落ちきるまで生き残ること、じゃ」
勇者「……何ですと?」
竜神「では早速いくぞ? 運動不足は美容の大敵。儂の為にもくれぐれもあっさり死んでくれるなよ、冒険者共!!」
少女の手首から先が獰猛な竜のソレに変わった。
たん、と軽やかに跳ね、勇者に向かってその腕を振り下ろす。
何気なくその一撃を受け止めた勇者の体が後方にぶっ飛んだ。
その頃、アマゾネスの村では―――――
少女「第二十三問!! 本来、排便の用途でしか用いられない肛門ですが、その先には刺激することで男に快楽を与えられる場所があり、その刺激方法とは――」
戦士「うわー! うわー!! ギャーギャー!!!!」
僧侶「ひえ、ひえぇ……!!」
凄い勢いで二人が耳年増になっていた。
上から振り下ろされる右腕を打ち逸らす。
そのままの勢いで回転し、飛んできた回し蹴りを思い切り仰け反ることで躱す。
踊るように軽やかに繰り出される竜神の攻撃を武道家はひたすらに受け流す。
すう、と竜神が大きく息を吸い込んだ。
危機を直感した武道家は両腕を交差し、顔面を覆い隠す。
大口を開けた竜神の口から轟音と共に大量の炎が吐き出された。
全身を包む衝撃と熱を武道家は何とか耐え凌ぐ。
ぱちぱちと竜神はその手を打ち鳴らした。
竜神「いやあ大したもんじゃ。今の炎を受けて灰にならんとは、相当な加護レベルじゃ。素晴らしいぞ。楽しくなってきた」
そう言って竜神は武道家と勇者、二人の顔を見回す。
竜神「しかしお主等、何故仕掛けてこん? いくら条件が生き残ることとはいえ、防戦一方ではジリ貧じゃぞ? お主等からも攻撃した方が時間も稼げる。生存確率も飛躍的に上がろうが」
竜神の言葉に、勇者と武道家は顔を見合わせ、やれやれと同時に肩をすくめた。
竜神「……なんじゃ?」
武道家「俺達から仕掛けろだと? 無理を言う」
竜神「なに?」
勇者「そんな可愛い姿になられちゃ、剣なんて向けられねーっての」
二人の言葉を受けて、竜神はにっこりと笑った。
竜神「ほほう―――素晴らしい。気に入った、気に入ったぞお主等!」
ぼんやりと、竜神の―――少女の姿が、陽炎のように揺れた。
竜神「命を狙われる最中にあってなおその気遣い……並の人間には出来ん!! お主等に敬意を表し、儂も真の姿を披露することにしよう!!」
ボッ、と爆発的に土煙が舞う。
突然その場に巨大な質量が現れ、空気が押しのけられた結果だ。
やがて、竜神がその威容を現す。
陽の光を受けて燦々と輝く銀色の鱗。
鋭く尖った爪を持つ、太く巨大な手足。
長く伸びる尾が地面を打つだけで大地が揺れる。
巨大なトカゲと表すには、余りにも神々しいその姿。
竜神『すまんな。実にすまん』
真の姿を現した竜神は、牙をむき言葉を発した。
その声はまさしく神を名乗るにふさわしい荘厳な響きを伴っていた。
竜神『この姿で暴れることなど百年ぶりよ。高揚し過ぎて、ちとやり過ぎてしまうかもしれん』
人間など一口で丸のみしてしまえるほど巨大な口が開く。
発せられた雄叫びに全身がびりびりと震えるのを感じながら、
武道家「さて、ここからが本番だ」
と、武道家は笑い、
勇者「……?」
勇者は込み上げる違和感にただ戸惑っていた。
先に仕掛けたのは武道家だった。
地を蹴り、臆することなく人間でいうところのわき腹辺りに接近する。
その場所は硬い鱗に覆われてはいない。
武道家「ぜやッ!!」
気合の叫びと共に拳を突き込んだ。
ドズン、と重たい音をたてて拳が皮膚にめり込む。
しかし竜神に苦悶の様子は見られない。
武道家の体を影が覆った。
上空を見上げる。竜神の尾が上から迫って来ていた。
武道家「くっ!!」
慌ててその場を飛び退る。一瞬遅れて竜神の尾が地面に叩き付けられた。
直撃は避けたものの、その衝撃にたまらず武道家の体が吹き飛ぶ。
空中で体を立て直し、着地―――その隙を狙って竜神が炎の息を吐く。
武道家「ぐおお!!」
武道家の体が炎に包まれた。
竜神の視線が武道家に向いたその隙に、勇者は竜神の背に飛び乗っていた。
そして、鱗の隙間目掛けて剣を突き立てる。
が、駄目。がきんと音を立て、刃は弾かれてしまう。
勇者「か、固すぎ…!」
竜神が雄叫びを上げて立ち上がった。
勇者「おうわッ!!?」
その拍子に勇者は竜神の背から振り落とされてしまう。
宙を舞い、身動きが取れなくなった勇者に対し、竜神はその腕を振りかぶった。
勇者「やっべ…!!」
無防備な今、あの質量の攻撃を受けてはひとたまりもない。
何より、吹き飛んだ先が岩壁ならまだいいが、下手すれば崖の向こうに吹き飛ばされて真っ逆さまという可能性もある。
勇者「『呪文・烈風』!!」
勇者はあえて自分の体に真上から風の塊を当てることで落下速度を上げた。
タイミングのずれた竜神の腕は勇者のギリギリ上で空を切る。
勇者「んがッ!!」
両手両足を使って着地。勇者の全身がミシミシと軋む。
武道家「無事か? 勇者」
勇者「何とかな。オメーはどうよ? 回復いるか?」
武道家「いや、まだそれには及ばん。しかしどうするかな。狙いどころがない」
勇者「鱗の一枚でも剥がしてやろーと思って頑張ってんだけどな……戦士の炎天なら多分加護を突き破ってダメージ与えられるんだろうけど……」
無いものねだりをしてもしょうがない、と思考を切り替えたところでまたも勇者を違和感が襲った。
勇者「……? 武道家、なんか言った?」
武道家「……いいや?」
違和感の正体は声だ。勇者の頭の中でずっと妙な声が響いている。
勇者は耳を澄ました―――頭に響く声を聞くのに耳を澄ますというのはおかしいが、とにかく、声の正体を探ろうと集中した。
竜だ。
竜だ。
竜だ。竜だ。竜だ。
――す。―――す。―――してやる!!
名を呼べ。我を解放しろ。
我が名は――――
はっきりと分かった。
これは、この剣が発している声だ。
勇者は思い出す。そう、あれは武闘会で騎士の持つ精霊剣・湖月を装備した時のこと。
まるで剣自身が語り掛けてくるように、勇者は湖月の名とその能力を把握することが出来た。
勇者(あの時は、こんなにもはっきり『剣の声』が聞こえるなんてことはなかったが……もしかしてこれは、本当に精霊剣以上の逸品なのか?)
こちらに突進してくる竜神の姿をしっかりと見据え、勇者は期待を込めてその名を口にした。
勇者「食らい尽くせ―――『凶ツ喰【マガツバミ】』」
――――瞬間、勇者の視界は真っ赤に染まった。
竜神がこちらに突進してくる様を見て、武道家はすぐさま距離を取った。
しかし、勇者にはその場を動く気配がない。
武道家「勇者ッ!?」
思わず、武道家は叫んでいた。
竜神が突進の勢いそのままにその腕を振り下ろす。
勇者「がああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
勇者は迫る竜神の爪にその剣をぶち当てた。
バギン! と凄まじい衝突音が響く。
武道家は驚愕した。
勇者は、竜神の一撃を受け止めていた。
驚きは竜神にも少なからずあったのだろう。その眼が少し見開かれているように見える。
勇者「ごおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
勇者は続けざまに剣を振るった。
いつもの勇者とは思えぬ、我武者羅な剣筋。
しかしその剣は竜神の皮膚を切り裂き、僅かながら確かなダメージを与えていた。
竜神『ほほう…実に久しぶりじゃぞ? 儂の鱗に傷を入れられた者は……面白い!!』
竜神はその巨体に見合わぬ俊敏さでその爪を、牙を、尾の一撃を勇者に繰り出す。
勇者の胸板を爪が掠めた。鮮血が噴き出す。しかし同時に勇者は竜神の掌を切り裂いた。
勇者の太ももに牙が食い込んだ。ぶちぶちと肉が千切れる音がする。しかし同時に勇者は竜神の鼻先に剣を突き立てた。
勇者は尾の一撃に叩き潰された。しかし勇者はそのまま竜神の尾に貼りつき、その皮膚を食い破ろうと歯を立てている。
武道家はそんな勇者の姿に違和感を覚えていた。
明らかにいつもと様子が違う。
勇者は基本的に痛みを避ける―――自身の被害を最小限に敵を討つ戦い方を取る。いや、そういう戦い方を取るしかない。
それは、拭いがたい過去のトラウマの為に。
それが今はどうだ?
自身の負傷を厭わず、むしろそれを餌として敵に攻撃を加えている。
まさしく捨て身。
そんな戦い方を勇者が取るはずがない。そもそもそんな戦い方で命がもつものか。
武道家は気づく。ぎょっと目を見開く。
勇者の傷が、肉を抉りちぎられた太ももが見る見るうちに修復されていく。
勇者が回復呪文を使えることは知っている。
だが、それでこんなレベルの回復が出来るのか? そもそも、呪文を詠唱している様子はない。
おかしいと、これは何か異常な事態が進行している―――そう武道家が判断し、勇者と竜神の間に割って入ろうした刹那。
竜神は、突如として少女の姿に立ち戻っていた。
武道家「……え?」
ぽかんとする武道家に、竜神は悪戯っぽく笑った。
竜神「刻限を過ぎた。―――おめでとう、合格じゃ」
言われて、武道家は砂時計に目をやった。
確かに、全ての砂が下の方に落ちきっている。
武道家「なんとまあ……全然意識していなかった」
竜神「まあ、全力の儂を相手にそんな余裕は無かろう。ともあれ、大したものじゃ。全力の儂とこれだけの時間戦って生き延びた人間など、それこそ儂が初めて見初めた男以来じゃぞ? これは何か、特別賞を与えねばならんのう」
武道家「おお、ちょうどいい。実は頼みたいことがあったんだ」
竜神「そうじゃ! なんと儂にも種付けできる権利をやろう!! 人の子を身ごもるのは久しぶりじゃわい!!」
武道家「いらんいらん。そうじゃなくてだな……」
足を負傷し、膝をついていた勇者がふらふらと立ち上がってきた。
その姿は目を背けたくなるほどに血濡れだが、その実、目立った外傷は無くなっているように見える。
勇者「……してやる」ブツブツ…
武道家「おい、勇者? 大丈夫か?」
武道家には目もくれず、勇者は覚束ない足取りで竜神の元へ歩み寄る。
竜神「お!? なんじゃ? 早速ここで致すのか? よいよい、それもまた一興じゃ!!」
武道家「おい勇者。お前マジか、ちょっと落ち着け」
武道家が焦って勇者の肩に手を伸ばす。
どすり、と音を立てて。
勇者の持つ剣が竜神の胸へと突き立てられていた。
竜神「え…?」
勇者「……してやる」
ぼそぼそとした勇者の呟きが、事ここに至ってようやく武道家の耳に届く。
勇者「竜【ドラゴン】は――――全て、殺してやる」
竜神の手が再び竜のソレへと変貌し、勇者の腹を裂いた。
はらわたをまき散らし、勇者の体がゆっくりと背後に倒れる。
ずるりと竜神の胸から勇者の持つ剣が抜けた。
武道家「勇者ッ!!!!」
武道家は絶叫する。どう見ても致命傷だ。だが。
勇者はゆっくりと身を起こした。
腹から零れ落ちた内臓が、ずるずると傷の中に引き込まれていく。
同時に、ぱっくり裂けた腹の傷そのものも、ぐじゅぐじゅと音を立てて塞がり始めていた。
勇者「殺してやる……殺して、やる……」
竜神「本気で儂の命を所望か、不届き者が」
竜神の目から輝きが消える。
先ほどまでの無邪気さはどこへやら。竜神が勇者に向ける目は害虫を見るソレに相違ない。
竜神「ならばお遊びは無しだ。脳髄をまき散らして死ね、人間」
勇者「ぎあああああああああああああああ!!!!!」
意味不明の絶叫と共に、勇者が竜神に突進する。
迎え撃つ竜神は竜と化したその手を振りかぶる。
そして―――今度こそ、武道家の体が二人の間に割って入った。
武道家「ぐあ…!! かっ…!!」
竜神「お主……!?」
武道家は、竜神の体を抱きかかえて飛び、勇者の剣から庇っていた。
その結果として、勇者の剣は武道家の背を掠め―――それだけでなく、竜神の爪も突如目の前に現れた武道家の胸板を抉ってしまっていた。
竜神「な、何のつもりじゃお主!!」
武道家「た、頼む、竜神……先の奴の一撃、どうか許してやってくれ……今のあいつは、どう見ても普通じゃない……まるで何かに憑りつかれてしまったみたいだ……」
武道家「少しだけ時間をくれ……俺が、必ず奴を正気に戻してみせる……!!」
竜神「……儂はそこまで寛容ではない。もし一撃でも奴がまた儂に危害を加えるようなことがあれば、その時は容赦なく殺すぞ。邪魔立てするというならお主もろとも」
武道家「ありがとう……感謝する。なに、大船に乗ったつもりでいろ。お前は必ず俺が守り切ってみせる」
竜神「ふん、そこまで言うなら守られてやろう。人間が竜神である儂を守るか……ふふ、面白いな。人間、名は何という?」
武道家「武道家だ。忘れてくれてかまわん。むしろあいつの方をこそ覚えておくんだな、竜神」
武道家「あいつは勇者……いつか必ず、この世界を救ってみせる男さ」
武道家は竜神の元へ向かおうとする勇者の前に立ち塞がる。
武道家「よう……ここから先にはいかさんぜ。勇者」
勇者「ぎ…! が…ぐ……!!」
武道家「辛そうだな……な~に、原因の方は大体想像がついてる。すぐに楽にしてやるよ……ほんの少し、辛抱してくれ」
柔らかな笑みを勇者に向けて、武道家は一度目を閉じる。
そして目を開け、憤怒の顔で勇者の手元を睨み付けた。
武道家「勇者の体を返してもらうぞ――――魔剣!!」
第十六章 狂剣・凶ツ喰【キョウケン・マガツバミ】(前編) 終
『はあ…痛い…痛ぇ…クソ、クソ……!』
それは、幼いころの記憶。
まだ勇者と出会って間もない頃。
転んで擦りむいた膝を抱え、あいつはポロポロと涙を零した。
『おいおい、その程度の怪我で泣くなよ。大袈裟な奴だな』
勇者に掛けた言葉には、多少嘲りの要素が含まれていたように思う。
なんて弱い奴だと、情けない奴だと見下していた。
『う…うぐ…! か…おえぇ……!!』
けれど、直後に勇者が吐瀉物を必死に口中で押し留め、飲み下しているのに気づいてからその気持ちは一変した。
これはおかしい。尋常ではない。
こいつの体には今、何が起こっているのだ?
『おい、勇者――――』
そして―――武道家は勇者の抱えるトラウマを知り、以降、彼は勇者の事を無二の親友と尊敬するようになった。
第十七章 狂剣・凶ツ喰【キョウケン・マガツバミ】(後編)
勇者の血で濡れた姿に武道家は顔を顰めた。
脳裏によぎる幼い頃の記憶―――痛みに怯えるかつての勇者の姿が、武道家の怒りを殊更にかきたてる。
武道家「勇者の体を好き放題に操り、傷つけ―――まともな形でいられると思うな、魔剣」
勇者「ぐぅ…! ぐぎぎ…!」
勇者の視線はずっと竜神を向いたまま動かない。
未だ幼女の姿をとったままの竜神は、その視線を受け不快気に鼻を鳴らした。
武道家「竜神」
竜神「わかっておる。奴の攻撃が儂に触れぬ限り儂から仕掛けることはせん……が、裏を返せば少しでも奴が再び儂に危害を加えた瞬間、即座に儂は奴の首を取るぞ」
武道家「十分だ。その寛容な精神に感謝する」
竜神「よい。所詮は余興じゃ。精々頑張れよ? 儂の騎士(ナイト)様」
武道家「生憎と騎士(ナイト)のような気取った立ち振る舞いは出来ん」
勇者「ガア!!」
竜神に向かって振り下ろした勇者の一撃を、即座に割って入った武道家がその手甲に覆われた拳で打ち逸らした。
武道家「所詮俺は野蛮に拳を振り回すしかない『武道家』だからな!!」
武道家は剣の柄を固く握りしめる勇者の右手を蹴り上げた。
ガイン、と音を立て、切っ先が天へと跳ね上がるがしかし、勇者の手はがっちりと剣を握りしめたままだ。
武道家「ちっ!」
武道家は即座に剣を持つ勇者の手首を掴み取るとそのままその腕を脇に抱え、更に足を払うことで勇者をその場に引き倒した。
そして固く握りこまれた勇者の指をほどこうと手を伸ばした所で―――
武道家「なっ!?」
武道家は絶句した。
勇者の手は剣の柄と一体化していた。
厳密には―――柄から伸びた植物の蔦の様な紐が幾重にも勇者の手に巻き付いたうえ、その何本かは勇者の手の皮膚の下に直接潜り込んでいた。
勇者「ぐ…う……!!」ギリギリ…!
武道家「な……馬鹿な…!」
武道家は勇者を仰向けに倒しその右腕を抱え、背中で胸元を押さえつける形で勇者を拘束している。
その状態で、勇者は無理やり起きあがろうとしていた。
身をよじるでもなく、武道家を振り払うでもなく、ただ力任せに仰向けのまま起きあがる。
武道家「馬鹿な…! 勇者よりも俺の方が力は上なはず…!! ぐっ!!」
起きあがった勇者が右腕にしがみついていた武道家のわき腹を膝で蹴り上げた。
たまらず手を離し、武道家は一度勇者との距離を取る。
武道家「ごほっ! ごほっ!! ……スゥー、ふぅ…」
乱れた息を即座に整える。
剣を構えた勇者は、今度こそ殺気を孕んだ視線を武道家に向けた。
どうやら竜神を打倒する上での障害として武道家を認めたようだ。
勇者「ぎああああああああああああああああああ!!!!!」
雄叫びと共に勇者が突進する。
両手で剣を持ってからの、大上段からの振り下ろし。
武道家(速いッ!!)
両腕を交差させ、手の甲側に纏った手甲で勇者の剣を受け止める。
余りの速さと重さに打ち逸らす余裕が無かった。
そもそもよけるという選択肢はない。身を躱してしまえば勇者がそのまま背後にいる竜神に突っ込んでいくことは明らかだからだ。
ビシリ、と嫌な音がした。
武道家の装備する手甲に勇者の剣が食い込み、ひびが入っていた。
武道家「くっ…!」
勇者「はあああああああああああ!!!!!!」
そのまま連撃が来た。
竜神の鱗すら裂いた力任せの振り回し。
技量もへったくれもない攻撃だが、如何せん速すぎる。
防御に徹し、武道家はその刃を受け続けるが、その度に手甲に痛みが蓄積するのが如実に感じられた。
このまま防御に徹し続けるのはまずい。
武道家「許せ、勇者!!」
殊更大きく振られた一撃の隙を突き、武道家は勇者の胸の中心に掌底を叩き込む。
勇者の身に着けていた鋼の胸当てを貫通して衝撃が伝播した感覚があった。
背後に大きく吹き飛んだ勇者がそのまま仰向けに倒れこむ。
武道家「ぜはぁー! ぜはぁー!」
冷や汗と共に大きく息を吐く武道家。その額は赤く流血している。
武道家「完全に躱したと思ったが……想像以上に速かった。今の勇者は力も速度も俺を上回っている……?」
むくりと勇者が起きあがる。
ぞくりと武道家は震えた。
武道家「今の一撃……肺を一時的に機能不全に陥らせるから、普通は意識がブラックアウトするんだがな……」
勇者「コロ…ス……コロォ…スゥ…!!」
武道家「身体能力と自己治癒機能の大幅な強化といったところか…? その剣の能力は……代わりに、理性がどっかに吹っ飛んじまうようだが」
武道家は額の血と汗を拭うと、ふぅ、と大きく息を吐いた。
武道家「……そろそろ俺の体力も限界だ。勝負をかけるしか……ないようだな」
勇者「ゴロォォォォオオオズゥゥゥウウウウウウウ!!!!!!」
勇者が突進する。何の芸もなく、先ほどと殆ど同じく。
まさしく、猪突猛進。
武道家が迎え撃つ。両手の拳を打ち鳴らす。
武道家(勇者が先ほどと同じく剣を振り下ろしてきた所でその刀身を掴み取り捻り折る!!)
つまりは真剣白刃取り。
非常にリスクは高いが勇者から剣を取り上げることが出来ない以上、剣そのものを破壊してしまうしかない。
失敗すれば死は確実。
だが、出来る。武道家にはその自信がある。
武道家(いくら動きが速かろうと、同じ動きを繰り返されればいい加減目も慣れる!!)
勇者「があああああああああああああああああ!!!!!!」
武道家(勇者が剣を振り上げるタイミングに合わせる!)
一歩、両者の距離が詰まる。
武道家(勇者が剣を振り上げるタイミングで―――!!)
ぴくりと勇者の持つ剣先が揺れる。
武道家(勇者が剣を―――)
勇者の体が沈み込む。今までより深く深く前傾姿勢で―――
武道家(剣を――――)
――――――突進する。
武道家(振り上げ―――ない?)
突き出された切っ先が武道家の腹部を貫いた。
武道家「が…は…!!」
武道家は激痛に顔を顰めた。
痛みは吐き気に転化し、胃の中の物が喉へと逆流しようとする。
いや、或いはそれは込み上げた血の塊なのかもしれない。
武道家「理性がないくせに……学習はするのか……厄介な……」
息も絶え絶えに武道家は声を漏らす。
痙攣する指先が己の腹を貫く刃に触れた。
武道家「だが……期せずしてチャンス到来だ。こんなにも狙いやすい位置で剣を固定できるとは」
がっちりと、武道家は左手で刀身を握りしめた。
そしてそれ以上に腹筋をぎっちりと締め上げる。
当然激痛が伴うが構っている余裕は無い。
勇者「ガッ!?」
異変に気付いた勇者が剣を引こうとするがもう遅い。
剣は完全に固定され、もはやびくともしなかった。
勇者「グ、グギ、グッ!!!!」
武道家「これで終わりだ、魔剣。二度と人に憑りつけぬよう、粉々に粉砕してくれる」
ぎりぎりと音を立て、武道家の右手が握りこまれる。
そして―――
武道家「はッ!!!!」
無防備な剣の横っ腹に武道家の拳が叩き込まれ、金属の砕ける音がして――――
――――武道家の装備していた手甲が砕け散った。
武道家「な…に…?」
武道家は剥き出しになった自分の右手を見て茫然としている。
勇者の持つ剣には罅一つ入っていなかった。
武道家「馬鹿な……」
武道家は剥き出しになった拳を剣にぶつけた。
当然、剣はびくともしない。
それどころか、刃の部分に接触してしまった部分が裂け、武道家の手から夥しい量の血が零れた。
武道家「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な!!」
何度も何度も武道家は剣に拳を叩き付ける。
その度に拳からは血飛沫が上がり、剣を、勇者を、武道家自身を赤く染め上げた。
勇者「ぎ…」
勇者はその様をただじっと見つめている。
それもそのはず、遂には武道家の腹部の傷も広がり始めていた。
当然だ。衝撃を与えれば、剣は揺れる。どんなに固定していても僅かにブレる。
ブレた分だけ、刃は進む。肉は裂ける。
つまりこれはただの自殺だ。放っておけば勝手に死ぬ。
勇者が何もしなくても、目の前の敵は勝手に自滅するのだ。
武道家「うおおッ!!」
竜神「もうよい」
振り上げた武道家の拳を、竜神が優しく掴み止めた。
竜神は背中から僅かに生えた翼をはためかせ、武道家たちを見下ろせる高さまで浮き上がっている。
勇者「うぎあ!!! があ!!!! ごあああ!!!!」
竜神の姿を認めた勇者が狂った犬のように吠え始めた。
竜神「いくら友のためとはいえ、お主まで死ぬことはあるまい。……もう休め。あとの始末は儂がつけてやる」
竜神の言葉に、武道家は力なく首を振った。
武道家「駄目だ……それは、駄目なんだ……」
竜神「戯け。どの道このままお主が死ねば結果は同じじゃ」
竜神の手が幼い少女ではなく、竜としてのそれに変わる。
勇者はただ吠えるばかりで竜神に向かって行こうともしない。
武道家が剣を抑え続ける限り、剣と一体化した勇者は身動きを取ることが出来ないのだ。
勇者に近づこうと動き出した竜神の手を、今度は武道家が優しく掴み止めた。
武道家「……竜神」
竜神「……なんじゃ」
武道家「恥知らずなのは分かっている。図々しいと思う。あれだけでかい口を叩いておいて、どのツラ下げてこんなことを言うのか、厚かましいにも程があると思う」
武道家は伏せていた顔を竜神に向けた。
その表情に、竜神は思わず面食らった。
武道家「死なせたくないんだ。こいつは大切な奴なんだ。こいつを助けたいんだ。そのために、頼む竜神――――」
今にも泣きだしそうな、嘆願の表情で武道家は言葉を紡ぐ。
武道家「俺は―――お前の力が欲しい」
竜神「―――――ずるい男じゃなあ。お主は」
竜神は柔らかな笑みを武道家に向けた。
竜神「本当に、母性本能をくすぐるのが上手いわい。そんな顔されちゃ、嫌とは言えんわ」
んふ~、と鼻から息を吐いて、一転して竜神は真剣な顔つきになった。
竜神「それで、具体的には?」
武道家は己の懐に右手を差し入れる。
そこには、念の為と勇者から渡されていた『ある物』が入れられていた。
武道家「竜神、俺の肩に触れろ。離すなよ」
そして武道家、勇者、竜神の体が宙を舞う。
武道家が発動させた『翼竜の羽』の効果によって。
アマゾネスの少女「それでは第五十六問!! 野外での行為時に―――」
戦士「あばばばば」
僧侶「はわわわわ」
既に大勢は決した。
この女性の資質を競うための対決(という名の下ネタクイズ大会)があと何問続くかはわからないが、この時点でほとんどポイントの取れていない戦士と僧侶に勝ち目はない。
ちなみに僧侶が頑張って2ポイントとっていた。
乳ゾネス「おーほっほ!! 口ほどにもないわね!!」ドタプン!
尻ゾネス「そんな体たらくで私達アマゾネスに闘いを挑んだだなんて、片腹痛いわ!!」プリリン!
ももゾネス「あなた達の負けは確定よ! さっさと出ていきなさい!!」ムッチン!
戦士「ぐ、ぐぬぬ…」
直後。
空から何かが落ちてきた。
衝撃と音は無い。しかし風圧で砂埃が舞い上がった。
少女「なに!? 何事!?」
ヒートアップしていた会場の雰囲気は瞬く間に霧散した。
皆が警戒態勢に移行し、砂埃の中心を注視する。
煙が晴れた。
戦士「なッ!?」
僧侶「これは!?」
まず声を上げたのは戦士と僧侶だった。
そこにあった光景は二人にとって衝撃が強すぎた。
何せ、勇者が武道家の腹に剣を突き立てていたのだから。
戦士「勇者、お前なにを!?」
僧侶「武道家さん、すぐに回復します!!」
武道家「駄目だ!! 近づくな二人とも!!」
武道家が声を張り上げ、戦士と僧侶を制止する。
そのまま武道家は傍らにいた褐色の少女に目を向けた。
武道家「それじゃ、竜神……頼んだぞ」
竜神「ふん、言っておくが儂の子らに少しでも被害が及べばただでは済まさんぞ」
武道家「ああ……たとえ死んでも勇者はこの場所から動かさん」
竜神「戯け。死んだら駄目じゃろうが。……ま、信じておるがの」
武道家「光栄だ」
褐色の少女がその背から生えた翼をはためかせ飛翔する。
アマゾネスの少女は、その様を見てあんぐりと口を開いていた。
少女「今の女の子、私に似てた…? もしかして―――!?」
竜神は集落の中でも特に高台に位置した、とある家に飛び込んだ。
竜神「ふむ……お主が今代の族長か?」
族長「あ、ああ……あなた様は、まさか!?」
勇者「がああ!!!! があ!! ごあああああ!!!!」
武道家「そんなに暴れるなよ……腹が疼いてしょうがない」
戦士「なんだ…? 一体、何がどうなっているんだ!! 勇者! どうした!! 勇者!!」
僧侶「武道家さん!! お願いです、説明を!! 説明をしてください!!」
武道家「そうしたいのは山々なんだけどな……悪いが少し待ってくれないか。事が終わったら全て話す……今は、ちょっと…その余裕が……ない……」
勇者「ごおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
武道家「最後の悪足掻きか……逃がしはせんぞ、魔剣!!」
勇者が両手で剣を持って引き抜こうと力を込める。
武道家はそうはさせぬと死力を振り絞って剣を固定する。
武道家の口から血が零れた。剣を握る指は半ばまで裂けた。腹の傷はずっと広がり続けている。
僧侶「いやあ!! 武道家さん!!!!」
戦士「勇者、正気に戻れ!! 勇者ッ!!!!」
竜神「やれやれ、ぴーちくぱーちくと五月蠅いのう」
先ほど飛び去ったばかりの褐色の少女が、その手に何かを携えて戻ってきた。
その姿を確認し、武道家は目を細める。
何事かを悟ったのか、勇者の抵抗が激しくなった。
竜神「男の事を信じて黙っているのが女の嗜みというものじゃぞ?」
僧侶「それ…あなたが手に持っているそれって……」
戦士「……『精霊甲・竜牙【セイレイコウ・リュウガ】』…?」
褐色の少女の―――竜神の翼がはためく。
柔らかな風と共に、武道家の傍に降り立つ。
竜神「ほれ、右腕を出せ。儂直々に―――儂の力を授けてやろう」
武道家「本当に―――光栄だ。恩に着る」
竜神「良い。楽しい余興であった」
武道家の右手に精霊甲・竜牙が装着された。
その加護の力強さに、武道家の体が震える。
武道家「余興―――そうだな。ならば華々しく幕を下ろすとしよう」
武道家は拳を握る。
勇者「んぎい!! んが!! んがあああああああ!!!!!!」
武道家「さらばだ。今度こそ粉々に砕け散れ、魔剣」
振り下ろされた拳は剣の横っ腹を打ち―――まるで何の抵抗もなく、脆いガラス細工のようにその刃は砕け散った。
戦士「呪いの剣か……この世界にまさかそんなものが存在するとはな」
武道家「ああ、全く肝を冷やしたよ」
僧侶「それはこっちの台詞です!! 本当に心配したんですから!!」
戦士「そうだ。あの時少しでも説明してくれれば、勇者を取り押さえる手伝いくらい出来たものを」
武道家「いや、だからこそ黙っていた。勇者に操られている間の記憶があるかは定かではない。だが記憶が残っているケースを想定すると、勇者がお前達に害を及ぼすことだけは避けなければいけなかった」
武道家「そうなった時、あいつはきっと気に病んでしまう。いくらお前達が気にしていないと言っても引きずり続けてしまう……それだけはいかんと思ったのさ」
僧侶「武道家さん……」
戦士「……そういえば、試練の結果はどうなったんだ? 勇者の暴走で有耶無耶になったままなのだろう?」
武道家「そういえばそうだな。まあこのまま有耶無耶のままでいてくれた方がこちらの都合はいいんだが」
少女「武道家はいる?」
武道家「おっと…噂をすればって奴かな」
少女「…? とにかく、族長が呼んでる。来て」
目の前に広がっている光景に、勇者は己の目を疑っていた。
勇者が目を覚ました時、勇者は小屋に一人きりで寝かされていた。
とにかく誰か人を探そうと勇者は小屋を出た。
そこで異変に気付いた。集落に人の気配が無かったのだ。
おかしいな、と思っていると集落からやや離れた場所に明かりがあるのと、そこから太鼓を打ち鳴らすような音が聞こえることに気付いた。
お祭りかな? と軽い気持ちで勇者はその場所に向かった。
寝起きでぼうっとしたまま、碌に考えもせず歩み始めたのが良くなかったのだ。
冷静になり、いつもの彼の判断力を取り戻せていたのなら、少なくとももっと覚悟をもって勇者はその光景を見ることが出来たはずなのだ。
勇者は茂みをかき分け、その広場に辿り着き、そして、その光景を見た。
族長「キャーーー!! 武道家様ーーー!! 素敵ーーー!!」
尻ゾネス「武道家様こっち向いてーーー!!」プリリン!
乳ゾネス「ああ!! 武道家様が私に微笑みかけてくだすったわ!!」ドタプン!
ももゾネス「いいえ私よ!! 私に笑ってくれたのよーー!!」ムッチン!
姉ゾネス「武道家ちゃーん!! 抱いてーー!!」
妹ゾネス「あんもう! お姉ちゃんずるい!! 武道家様! 私を先に抱いてください!!」
武道家「ははは……勘弁してくれ……」
僧侶「ふん、武道家さんったらデレデレしちゃって……」
戦士「デレデレしてるか? あれ」
勇者「なんだよこれ……」
武道家は何かやたら高い所に座らされていた。
そして周囲に何人ものアマゾネスを侍らせて、はいアーン攻撃を連発されている。
まるで玉座のように高台に設置された椅子に座る武道家を見上げ、広場には若く綺麗なアマゾネス達がひしめき合っている。
武道家が何か動くたびに広場のアマゾネス達から黄色い悲鳴が上がっていた。
アマゾネスA「武道家様ーー!!」
アマゾネスB「武道家様ーー!!」
アマゾネスC「武道家様ーー!!」
少女「武道家様ーー!!」
勇者「なんなんだよこれぇ!!!!!!」
うおろろろ~~ん、と勇者は夜の森の中に消えていった。
竜神「なあ、武道家」
褐色の少女の姿の竜神が武道家にしなだれかかる。
竜神「お主が何のためにこの村にやってきたのかは知っておる。そしてその目的を達成した以上、ここに留まる理由もないことも……それでも、お願いじゃ。アマゾネスの主としてここに留まり、子種を儂らに授けてくれんか?」
武道家「悪いが―――本当に悪いが、それは出来ない。俺は、勇者たちと共に魔王を討つための旅を続けねばならん」
竜神「儂らを抱いた後、早々に旅立ってもよいのじゃ」
武道家「そんな無責任なことが出来るか」
竜神「男に責任を負わすほどアマゾネスは弱くない」
武道家「それでも……いや、大恩ある貴方に嘘はつけん。本当は……俺は、惚れた女以外は抱かんと決めているんだ。すまない」
竜神「……そうか。今時珍しい男じゃな。であればこそ、是非お主を儂に惚れさせたかったのう。……して、お主程の男が惚れた女子とは誰なのじゃ?」
武道家「……言えん」
竜神「むぅ……お主、儂に対して大恩があるんじゃろ?」
武道家「だからこそだ。貴方に対して嘘はつきたくない。だから、『言えない』。……どうか、察してくれ」
竜神は、ひょいと周囲に目を向けた。
そんなに遠くないところで、武道家の仲間である戦士と僧侶が夕餉をつついている。
二人は武道家が是非にというのでパーティーへの参加を許されていた。
戦士は呆れた様子で、僧侶はやや眉根に皺を寄せた様子で、じっとこちらの様子を伺っている。
竜神「な~るほどのう。あい、わかった」
竜神はぱっと武道家の体から離れた。
武道家はほっと息をつく。
竜神「武道家、しかしひとつ約束しろ。儂はお主を気に入った。これは本当じゃ。子種の提供は無くて良い、良いが、また必ず儂の元を訪ねて来い。友として、語らいに、な」
竜神はにかっ、と竜の牙をのぞかせて笑う。
武道家もまた、笑みで応じた。
武道家「ああ……いつかまた、必ず」
アマゾネス達「キャーー!! 武道家様が私たちに微笑んでくだすったわよーーー!!!!」
竜神「儂に笑ったんじゃ!! 戯けぇ!!!!」
武道家「…………」
翌日―――霊峰ゾアの北に位置する小さな村。
武道家「あれ? 勇者は?」
戦士「先に寝ると言ってさっさと部屋に戻ってしまったぞ」
僧侶「アマゾネスの村を出てからこっち、元気が無いように見えますねえ」
武道家「うーむ……魔剣に呪われた影響が残っているのかもしれんな。ちと様子を見てくるか」
武道家「勇者~起きてるか~」コンコン
勇者「返事がない、ただの屍のようだ」
武道家「起きてるな、入るぞ」ガチャッ
勇者「おっと…その強引さ…流石ハーレムの王は違いますねえ、げへへ……」
武道家「はん? お前何言って……」
勇者「……昨夜はお楽しみでしたね」ボソッ…
武道家「…………」
勇者「…………」
武道家「……見てたのか?」
勇者「ああ見てたよこんちくしょう!!!! ちっくしょう!! おま、おまえ……おまええええ……!!!!」
勇者「う、うらやましいよおおおお……!!!!」ポロ、ポロポロ…!
武道家(ガ、ガチ泣きだよこいつ……)
勇者「何故だぁ…何故なんだぁ…どうして、どうしていつも俺ばっかり……得するのはいっつも周りのイケメンズなんや……」
武道家「……あ~、その」
勇者「この世の理は……残酷すぎる……!!」
武道家(駄目だこりゃ。まあ、いつも通りなのは確認できたし、部屋に戻るか)
武道家「じゃあ、また明日な。勇者…」
勇者「でも、今回は……お前がいい目にあってくれて、良かったよ」
武道家「……ん?」
勇者「ありがとう、武道家」
武道家「勇者……お前、覚えているのか?」
勇者「いや、覚えているのは本当に断片的なことだけだ。でも、それを繋ぎ合わせりゃ、自分が何をしでかしたかなんて推測できる。……本当に、ありがとう」
勇者は地面に膝をつき、深々と頭を下げた。
武道家「よせ。礼などいらん。俺は当然のことをしたまでだ。お前だって、これまで何度も俺を助けてくれたろう」
勇者「それでも、言わせてくれ」
武道家「いいや、言わせん。いいか勇者。俺達は魔王討伐という志を同じくするパーティーだ。だがそれ以上に俺はお前を友だと思っている」
武道家「だから助けるのは当然なんだ。当然のことにいちいち礼など言っていたらキリがないぞ」
勇者「親しき仲にも礼儀ありって言うぜ?」
武道家「本当に、ああ言えばこう言う奴だなお前は」
思わず二人は笑い合っていた。
ひとしきり笑って、武道家は言った。
武道家「どうだ。久しぶりに二人で飲まんか? 今度は俺の愚痴を聞かせてやる」
勇者「いいねえ、楽しみだ」
その時、立てかけてあった剣で武道家は振り向き様に脛を強打した。
武道家「あっつ…! おい勇者、こんな邪魔な所に剣を置くなよ」
勇者「え? 俺の剣はここに…」
―――瞬間、二人は凍り付いた。
武道家「馬鹿な……何故この剣がここに!! 俺は、俺は確かにこの剣を…!!」
勇者「なんだよ、これ……」
勇者「なんなんだよこれぇ!!!!!!」
第十七章 狂剣・凶ツ喰【キョウケン・マガツバミ】 未完
勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」【4】