贖罪の物語 -見滝原に漂う業だらけ- 【前編】

252 : >>1 - 2016/04/24 01:13:36.76 sIZdqytJP 176/529






 第8話 「多分、それでいいんじゃないかな」





253 : 以下、名... - 2016/04/24 01:14:51.85 sIZdqytJP 177/529


 かずみの元から光の柱が出現した。

 それは積乱雲の裂け目から伸びる夕暮れの日差しのように、

 ネブラディスクのようなヒアデス星雲の天蓋を突き破り、見滝原の空へと上がっていく。



かずみ「チャオチャオ、15秒後にまた会いましょう」



 かずみはその光の柱の中へ、足を踏み入れると。

 風に舞い上がる木の葉のように、勢いよく上へ吹き上げられた。

254 : 以下、名... - 2016/04/24 01:15:55.17 sIZdqytJP 178/529


コルボー(なんだ、上へ・・・?)



 突然その場から消え失せたかずみを見て、コルボーは軽い困惑を覚える。



コルボー(まさか、逃げられたのか!?)



 コルボーは慌ててカンナの方を振り向くが、カンナは目を見開いてその場に座り込んでいた。



コルボー(・・・)



 コルボーの洞察が始まる。

 かずみの言葉を信じるならば、制限時間は15秒。

255 : 以下、名... - 2016/04/24 01:18:30.06 sIZdqytJP 179/529


 カンナを抱えて逃げることができるなら、恐らく最初からそうしている。

 それができなかったから、かずみはずっと絶望的な防衛戦を続けていたのだ。

 かずみはきっと、救おうとしていた相手を途中で見捨てて逃げるような魔法少女ではない。

 数分前に出会い刃を交えた程度の仲だが・・・、できればそう信じたい。


 万が一、敵前逃亡だったとしても。

 こちらには『空間移動』の魔法が使えるミヌゥがいる。

 追い駆けっこになったら逃げ切れるはずがない。


 じゃあなんだ、あの行動の意味は?

 それに、15秒後って言うのはどういう意味だ?



 ・・・。



コルボー(まさか!!)



 12秒が経過した辺りでコルボーは真相へと辿り着いた。


 コルボーが慌てて、その魔力柱の先端を見上げる。


 魔力柱の先端にて。

 水泳のクイックターンのようにかずみが遥か上空で急旋回し、

 空中を思いきり蹴るまさにその瞬間だった。


256 : 以下、名... - 2016/04/24 01:20:07.75 sIZdqytJP 180/529


 急降下爆撃。

 それがかずみの狙った、逆転の一手。


 それは第三者の視点から見れば、極めて合理的な戦術だった。

 コルボーを倒すだけが目的ならば、最高の一手と言ってもいい。

 速度を付けた突進なら、とても素手では撃ち落とせない。

 加えて大振りな武器の居合では、上から来る敵を迎撃できない。


 だが。



コルボー「ククク、ヒヒヒ・・・ハハハッ!」



 コルボーは笑う。

257 : 以下、名... - 2016/04/24 01:22:30.06 sIZdqytJP 181/529


 文字通り全身全霊を掛けた、かずみの全力の一撃。

 その名は『メテオーラ・フィナーレ』。                                                                                                                                                                                  


 上空から標的めがけて亜音速で突っ込むこの一撃は、

 状況が状況なら、あの難攻不落の魔女であるワルプルギスの夜ですら倒すことができたのかもしれない。



かずみ「!?」



 だがその希望的観測も、『当たれば』の話だ。


 着弾地点にコルボーはいなかった。

 代わりに黒い葉と屑鉄でできたようなカカシが直撃を受けて、粉々に吹き飛んでいた。



コルボー「Salve(ご愁傷)」


かずみ「・・・っ!」



 落下の衝撃で身動きの取れないかずみの前へ、ぬらりと彼女は現れる。


 かずみはこんなに簡単なことを失念していた。

 魔女の影をデコイにした変わり身の術は、円環の落とし子が使う魔法の基本中の基本だったのに。



コルボー「Vale, amor in populum!(さようなら、愛しい人よ!)」



 振り抜かれた大鎌。

 それは深々と、かずみの胴体を袈裟懸けに切り裂き、

 致死量を遥かに超えた猛毒が、余すところなくかずみの身体に叩き込まれた。


258 : 以下、名... - 2016/04/24 01:26:09.58 sIZdqytJP 182/529


かずみ「・・・っ!!」



 かずみは切り裂かれた傷口を抑えて跪く。

 まるで何度も何度もエラーを繰り返す古いパソコンのように。

 魔法による傷口の治癒は失敗し、その度に黒ずんだ膿が溢れ出す。



カンナ「かずみ! かずみぃ!!」


ミヌゥ「勝負あり、ですわね。ああなったらもう魔法少女でも助かりません」



 傷口の修復に失敗し、膿と血が流れ出ていくにつれて、

 かずみの顔色はみるみる青白くなっていく。


 失血性のショック症状。

 ゾンビと化した魔法少女にとっては、本来無縁であるはずの肉体的な死が迫ってきていた。



カンナ「お前っ、お前っ!! この人殺しがああああああ!!」


コルボー「ああ、そうさ! かずみは死ぬ、私が殺した!!」



 コルボーは恍惚としたような表情で、かずみを見下ろす。



コルボー「流石だな、かずみちゃん。

       その有様でもなかなか死なないなんて、どこまでソウルジェムのキャパシティが大きいんだ?

       お前、生まれた時代が時代なら、すごい英雄になれていたぞ!!」



 そんなコルボーの称賛も虚しく。

 かずみは俯いて、今にも消え入りそうな意識を必死で繋ぎ止めている。



コルボー「まぁ、それでも死ぬのは時間の問題か。むしろ苦しみが長続きするなんて酷い皮肉だなぁ、オイ?」


コルボー「お陰で私は、少しだけ長く勝利の余韻に浸れそうだな」


かずみ「・・・」


コルボー「あ? なんだって?」



 かずみは笑った、こんな状況にも拘らず。

 不敵にも不遜にも、彼女は笑った。



かずみ「まだ、勝ったと思うなよ・・・っ!」


コルボー「あ? なんだと――


ラピヌ「コルボー! 後ろっ!!」


コルボー「!?」

259 : 以下、名... - 2016/04/24 01:29:10.42 sIZdqytJP 183/529


「そこまでです」


コルボー「なっ・・・、!?」



 突然の背後からの声に、コルボーは反射的に振り向こうとするが。

 ガシャンという金属音と共に、振り返る動作が引っ掛かるように止まる。


 コルボーが握っている大鎌が、魔力の鎖で雁字搦めに縛り付けられていたのだ。



「変身を解いてください、コルボーさん。

 勝敗は既に決しています、これ以上かずみさんに追撃することは許しません」


コルボー「お、お前・・・、エニシか!? これはいったい何の真似だ!?」



 どこか毅然とした雰囲気を感じさせる、振袖の魔法少女がそこにはいた。

 彼女は凛とした面持ちで御幣をコルボーへ向けている。


 彼女は謎めいた魔法少女。

 彼女は円環の理がどうしようもなく破綻しそうな状況になると、

 どこからともなく現れてダメージコントロールを行う精霊のような存在。

 そして彼女こそが、インキュベーターの監視網ですら捕捉できなかった『5人目の円環の落とし子』。


 彼女の名は環 エニシ。

260 : 以下、名... - 2016/04/24 01:31:45.94 sIZdqytJP 184/529


コルボー(まさか・・・!)



 まるで見計らったかのような第三者の乱入に、コルボーに嫌な予感がよぎる。



コルボー(あの空高くに上った魔法は、最初から攻撃の為じゃなく!

       エニシに居場所と危機を知らせるためのものだったのか!?)



 かずみは小刻みに震えながら、小さく笑った。



ラピヌ「ちょ、ちょっとー! エニシが来るなんて聞いてないよぉー!」


ミヌゥ「・・・」


エニシ「変身を解いてください」


エニシ「あなた方3人がどれだけコトワリ様に救われ、

     どれだけコトワリ様を大切に思っているのかはよく理解しています。

     だからこそ円環の理からの脱走なんていう特大の違反を看過していたんです」


エニシ「ですが」



 エニシは目を細めて、コルボーとかずみを交互に見る。



エニシ「これは誰がどう見てもやりすぎですよね?」

261 : 以下、名... - 2016/04/24 01:33:50.70 sIZdqytJP 185/529


エニシ「生きている魔法少女同士ならいざ知らず、『コトワリ様に導かれた魔法少女同士が殺し合いを始める』。

     これが容認され、前例となってしまえば、魔法少女達の風紀は大きく乱れます」


エニシ「ここは止めないわけにはいきません」



 コルボーは歯軋りをし、大鎌を手放して毒を纏った右手を振りかざす。



コルボー「こんな非常時に面子や体裁を守ろうってのか!?」



 猛毒の貫手を喉元へ突き付けられても。

 エニシは怯みも怯えもしない。



エニシ「こんな時だからこそ、ですよ。こんな時にこそ本質が浮き彫りになるんです」


エニシ「『戦争に勝てるのなら何をしてもいい』。

     『多くの命を救えるのなら、犠牲者を出しても許される』。

     そんな風に思考停止を始めると、どんどん社会はおかしくなっていってしまう」



 エニシは白磁を思わせるような滑らかな掌で、そっとコルボーの右手を抑える。



エニシ「『守るべき世界を焼け野原にしてまで勝利すること』は、コトワリ様の望むところではありません」


コルボー「・・・っ!」


262 : 以下、名... - 2016/04/24 01:36:33.31 sIZdqytJP 186/529


 しばしの沈黙が流れた後に、今まで静観を続けていたミヌゥが割って入った。

 ミヌゥの中には既にエニシの理屈を打ち破るレトリックが出来上がっていた。



ミヌゥ「なるほど、あなたの言い分はよくわかりました。

     しかしそれはあくまであなた自身の『動機』でしょう?」


ミヌゥ「現実世界へ干渉する権限のないあなたが。

     ましてや全ての魔法少女の下に位置しているあなたが。

     こんな風に争いを仲裁できる『理由』にはなっていませんよ」


エニシ「そうですね。ええ、全くその通りです。

     こんな風に直接的に魔法少女の争いに割って入るなんて、それこそ私も大きなルール違反となります」


エニシ「ですから」



 エニシは御幣を手放し、しゃがみこんで両手を前の地面につける。



エニシ「これは『命令』ではなく『お願い』です」

263 : 以下、名... - 2016/04/24 01:39:13.39 sIZdqytJP 187/529


エニシ「ラピヌさん、コルボーさん、ミヌゥさん。

     あなた方3人が矛を収めてくださるのであれば、私たちが戦うべき『本当の敵』についてお教えします」


ミヌゥ「当面の敵は暁美 ほむらではなかったのですか?」


エニシ「ほむらさんなんて、顕在化した一現象にすぎません。たまたま浮上した氷山の一角です。

     ほむらさんを倒したところで、すぐに第二第三の悪魔が出現します。

     私たち魔法少女の本当の敵は、もっと本質的な部分に潜んでいるんです」



 エニシはゆっくりと頭を下げる。



エニシ「間もなく歴史的瞬間が訪れます。

     全ての魔法少女の未来を左右する大きな分水嶺が現れます。

     今すぐ私に従ってくださるなら、その映像もお見せします」



 エニシは額を地面に付けた。

 その姿勢は俗に言う『土下座』だ。



エニシ「お願いです、かずみさんとカンナさんを見逃してください」



 エニシは顔を伏せたまま、母に許しを請う幼子のように。

 本当に小さな声で呟いた。



エニシ「ダメですか・・・?」

264 : 以下、名... - 2016/04/24 01:41:07.33 sIZdqytJP 188/529


ミヌゥ(確かにスタンドプレーが過ぎたことは否定できない。

     それに彼女に逆らっても、負けることこそないでしょうけれど、状況は間違いなく泥沼化する)


ミヌゥ(潮時、ですかね・・・)



 コルボーは忌々しげにエニシを睨みつけたが。

 ため息をついて右手を手袋に収めた。



コルボー「なるほど負けたよ、私の負けだ。

      どこまで計算通りだったのかはわからないが、

      ここまで見事にツークツワンクを決められたら降伏するしかない」


コルボー「この屈辱は・・・、またの機会に晴らしてやる」


ラピヌ「えーっ! ヤダヤダ、まだ私は全然戦ってないよーー!

     今すぐエニシごとこいつら殺してやろうよ! ほむらさえ倒せれば後はどうにでも――アイタッ!」



 ミヌゥがラピヌの頭を思いきりどついた。



ミヌゥ「わかりました、ここは退きます」


エニシ「ありがとうございます」


ラピヌ「あーんっ! ミヌゥがぶったーーーーっ!!」


265 : 以下、名... - 2016/04/24 01:42:48.65 sIZdqytJP 189/529


 エニシが「積もる話は後に」とだけ伝えると。

 手足をバタバタさせながら駄々をこねるラピヌを引き摺りながら、3人のイングランドの魔女は去っていった。


 エニシが神聖な魔法陣でかずみを覆うと。

 今まで全く塞がる気配のなかった呪いの傷口が徐々に閉じていく。



エニシ「しばし治癒に時間がかかりますが、死ぬことは無いでしょう。

     これ以上の手助けはできませんので、悪しからず」


かずみ「ははは・・・」



 息も絶え絶えなかずみは、どうにか言葉を絞り出す。



かずみ「ありがとう、手間かけさせちゃってごめんね」


エニシ「お気になさらず、状況が状況でしたので。

     ただ次の危機でもお助けできるかどうかは保証できかねます」



 未だに状況が飲み込めないという表情のカンナが、とうとう口を開いた。



カンナ「誰なんだよ・・・! お前、一体何なんだよ!」



 震えるカンナの方を向き。

 エニシは深々と頭を下げた。



エニシ「環 エニシです、はじめましてカンナさん。

     詳しくは説明できませんが、円環の理が存続しているならば、いずれあなたの下にも着くことになるでしょう」


カンナ(答えになってない・・・!)


かずみ「大丈夫だよ、カンナ。エニシは味方じゃないけど敵でもないから」


266 : 以下、名... - 2016/04/24 01:44:20.57 sIZdqytJP 190/529


 どうにか峠を越えたという感じで。

 かずみは座ったまま足を延ばした。

 もう先ほどのような、消え入りそうな儚さは無い。



かずみ「これからいったい何が起こるのかな?」


エニシ「ごめんなさい、言えません。一応、かずみさんは裏切り者ということになっていますので」


かずみ「そっか」


エニシ「だいぶ良くなったようですね」



 かずみの様子を見ると、エニシは御幣を仕舞って魔法陣を解除する。

 身体は未だに傷だらけだが、解毒は終わっている。

 もうソウルジェムの自己治癒で十分直せる範囲だ。



エニシ「では、これにて失礼させていただきます」


かずみ「チャオ、ありがとう」



 一礼をすると。

 エニシは風に溶けるように、サッと消えていった。


 ヒアデス星雲は解かれ、かずみたちは工場の屋上にいた。

 降りしきっていた雨は止み、西の空は茜が差している。

 一時間もすれば、本物の星空が見滝原を覆うだろう。


267 : 以下、名... - 2016/04/24 01:45:16.95 sIZdqytJP 191/529


 かくしてかずみとコルボーの戦いは終わった。

 敵側の者に情けをかけられ、敵側の者に頭を下げさせ、一度敗北した上で『勝ちを譲られた』。

 この上なく屈辱的な終わり方だった。


 しかしだけれど。



かずみ「あーよかった、本当に死ぬかと思ったよ」


カンナ「・・・」



 それでもかずみとカンナは生き残っていた。

 生き恥を晒しながら生き残っていた。

268 : 以下、名... - 2016/04/24 01:46:33.05 sIZdqytJP 192/529


カンナ(なんだったんだろうな、私は)



 茜色の空を見上げながら、カンナは思う。


 今回の戦いは色んな事がたくさん起こりすぎた。

 円環の落とし子を倒そうとしては失敗し、いきなり現れた別世界の怨敵に命を救われて、

 またピンチになったと思ったら今度は敵方から命を救われた。


 負け負け負け、一度の戦いで3回も連続で負けてしまった。



カンナ「ははは・・・」



 だけれどここまで派手に恥を晒したら、いっそ清々しかった。


 かずみの方を見ると、どうやらもう治癒は終わったようで。

 大の字に寝転がって、うつらうつらとしていた。



カンナ(なんて様だろう、またあいつらが来たらどうするつもりなんだ)



 そう思いかけて、ふとカンナは思い出す。



カンナ(そういえば、ほむらが狩れと言っていた円環の落とし子には、かずみも含まれているんだったな)



 今から不意を討てば楽に勝てそうだが。

 カンナはもう、ほむらの言いつけを守る気概を完全に失っていた。


269 : 以下、名... - 2016/04/24 01:48:17.05 sIZdqytJP 193/529


カンナ「かずみ、かずみ」



 もうなんだか訳がわからなくなったカンナはかずみに呼びかける。



かずみ「んお?」


カンナ「答えが見つかったって言ってただろう」


かずみ「答え?」


カンナ「ツクリモノの命である自分が生きる意味が見つかったって」


かずみ「うん、言ってた」



 なんでこんなことが思いついたのかはわからないが。

 いざ戦いが終わってみて、カンナが真っ先に思い浮かんだのがそれだった。



カンナ「教えてくれよ。その答えって、いったい何なんだ?」


かずみ「ああ、あれはね」



 無理な姿勢で首を起こしてカンナの方を見ていたかずみが、再び空を仰いだ。



かずみ「そこまで大した理屈じゃないよ」


かずみ「望まれなくても、失敗作でも、代替品でも。私たちはきっと『生きているから生きている』」


かずみ「多分、それでいいんじゃないかな」


カンナ(なんだそりゃ・・・)



 拍子抜けするほど単純な理屈だった。

 それはともすれば思考停止に近いような考えなのかもしれない。



カンナ(でも、そうなのかもな・・・)


カンナ(難しく考えて悩んでいるより、それくらいわかりやすい方がよほどいい)

270 : 以下、名... - 2016/04/24 01:50:23.67 sIZdqytJP 194/529


 完全に傷が塞がったかずみが、勢いをつけて立ち上がる。



かずみ「じゃあ、そろそろ私、帰るね」


カンナ「私を倒しておかなくていいのかよ。

     私たちはお前らの大好きな円環の理を破壊するのかもしれないんだぞ?」


かずみ「その時はもうお手上げだよ、私には止めることはできそうにない。

     だからカンナ達が少しでもいい世界を創ってくれることを祈ってるよ」



 「だから」と付け加えて。

 かずみはにっこりと笑った。



カンナ「全部終わったら一緒に美味しい物を食べに行こう。

     あくまでも、敵同士でも、初対面でも。私たちはちゃんと友だちだから」



 どうしてここまで純粋でいられるんだろうか。

 どうしてここまで相手を疑わずに好意を向けられるんだろうか。

 どうしてこんなにも無防備なのに、こんなにも強いんだろうか。


 答えはきっと、「それがかずみという魔法少女だから」で合っている。



カンナ「そういえば――」



 カンナはずっと伝えたかったことを口にした。

 蟠りも緊張もなくなって、ようやく言うことができた。



カンナ「助けてくれてありがとう」


かずみ「どういたしまして!」

271 : 以下、名... - 2016/04/24 01:52:57.37 sIZdqytJP 195/529



 ――


 薄暮の中に、赤い一対の光が揺らめいた。



QB「エニシ、ようやく見つけることができたよ」



 赤い眼のインキュベーターが、この一連の戦いを遠巻きに観察していた。

 編み棒のような槍を持ったほむらの使い魔が、彼の護衛として傍らに立っている。



QB「まさか本当に出てくるとは思わなかった。

  人間の感情という物は、やはり僕たちには御し難い程に複雑怪奇だ」



 インキュベーターは踵を返し、去っていく。

 使い魔たちも笑いを抑えきれないという風に、手で口元を覆いながら歩きだす。



QB「だが、これで次の段階へ移行できる。やはり計画は予定通りに進行しよう」



 彼の感情の無い瞳の奥に。

 身を焦がすような野望の炎が見え隠れしていた。



QB「ほむらが円環の理の因果を完全に巻き取るまで、あと三手」

277 : 以下、名... - 2016/05/12 00:05:22.24 X1DAQ2vHP 196/529






 第9話「最低な君に光あれ」




278 : 以下、名... - 2016/05/12 00:06:22.14 X1DAQ2vHP 197/529


 カガリの襲撃から数日後の美国邸。

 そこに集まる4人の魔法少女、織莉子、小巻、カオル、マツリ。


 結果として、彼女たちはみんな生きていた。

 シイラの介入により勝負はしっちゃかめっちゃかに引っ掻き回され、強制的に打ち切られた。

 それは『シイラのおかげで命拾いした』とも言えるし。

 もしくは『戦死して次の戦いに繋げることすらも許されなかった』とも言える。


 外は晴れ渡り、温かな日差しに満ちていたが。

 4人の表情は一様に沈んでいた。

279 : 以下、名... - 2016/05/12 00:09:11.85 X1DAQ2vHP 198/529


カオル「あれからずっと、あいつらには何の動きはない・・・か」



 カオルは窓にもたれ掛かりながらポツリと呟く。



織莉子「そうでしょうね、最初から膠着状態に持ち込むのが狙いだったようだし」


カオル「呼べないよな、応援」



 小巻はこの陰鬱な空気に耐えかねたように。

 机を思いきり叩いてヒステリックに喚き立てる。



小巻「呼べるわけがないでしょう!? 雅シイラの存在が広まったら間違いなく暴動が起こるわよ!!」



 「今ですら誰が裏切るのか、気が気じゃないのに!」という言葉が、喉まで出かかったところで。

 小巻は寸でのところで、辛うじてそれを言うのを思い留まる。


 小巻はワナワナと震えて行き場のない苛立ちをぶつける矛先を探すが。

 どうやら皆が同じ不安を持っているらしいことを察し、深いため気をついて椅子に座りなおした。



カオル「沙々は?」


織莉子「・・・」



 織莉子はしばし瞳を閉じ、絞り出すように告げる。



織莉子「ずっと塞ぎ込んでいる、食事もほとんど受け付けてくれない」


織莉子「無理もない話だけどね、あんなことがあった後に地下室に監禁されているんだもの」


カオル「ないよな、解放する予定・・・」


織莉子「・・・」


織莉子「ない」



 それこそ、沙々を絞め殺す以外に手は残されていないかのように思われた。

 少なくとも織莉子にはそれ以外の方法が思い浮かばなかった。

280 : 以下、名... - 2016/05/12 00:12:25.77 X1DAQ2vHP 199/529


 記憶操作が得意な魔法少女のアテはあるが、記憶の改竄の際にどうしても情報が漏洩する恐れがある。

 秘密を一生誰にもしゃべらせないように脅迫するなんて不可能だ。

 ましてや沙々は指名手配までされた悪名高き魔法少女である。

 どれだけ秘匿が完璧でも、沙々の存在から誰かが真相に辿り着く危険性がある。



織莉子(まるで囚人のジレンマね)



 何をしても自分たちが不利になる。

 結果として、何も身動きができない。

 シイラの計略は見事に織莉子達を縛り付け、敗北することすら許さずに足踏みさせていた。


281 : 以下、名... - 2016/05/12 00:13:26.53 X1DAQ2vHP 200/529


――



 沙々は悪夢にうなされていた。

 あの瞬間が、逃れがたい呪いのように。

 常に彼女の心を苛んでいた。


 それでもどれだけの絶望を感じても、彼女のソウルジェムが濁ることはない。

 多分、これから一生ない。

282 : 以下、名... - 2016/05/12 00:15:21.62 X1DAQ2vHP 201/529


――



 ニヤニヤ笑いの悪魔が歩み寄ってくる。

 彼女の背後には、サーカス小屋のような毒々しい風景が水面のように浮かんでは消え。

 明滅を繰り返す度に、その不気味な世界は徐々に色濃くなって沙々に迫ってくる。



「沙々ちゃん」


「先走ってくれてありがとう」


「役立たずでありがとう」


「無様を晒してくれてありがとう」


「自分の命を粗末にしてくれて、本当にありがとう」


「おかげで私は何の負い目も感じずに、平気で君に残酷なことができる」



 シイラは笑っていた。

 まるで我が子の誕生日を祝うかのように、心から嬉しそうに笑っていた。

 堕落した心の全てを赦し、喜んでその業を受け入れていた。

 自暴自棄になった魂を認め、どこまでも優しくその咎を包み込んでいた。


 シイラは、指を鳴らした。



「最低な君に光あれ」



283 : 以下、名... - 2016/05/12 00:16:35.65 X1DAQ2vHP 202/529


 一瞬の出来事だった。

 指を鳴らした音の残響が耳から抜けた時、既に事は終わっていた。


 そこにはもう悪辣で有害な魔法少女はいなかった。

 12時を回った後のシンデレラのような、薄汚れた女子中学生が残されていただけだった。



 シイラのトバリ『メフィストフェレス』。

 取り込んだ魔法少女を何のデメリットもなく、掛け値なく完全に人間に戻す。

 あらゆるマギカの物語をぶち壊しにする、史上最悪のトバリだった。


284 : 以下、名... - 2016/05/12 00:17:30.38 X1DAQ2vHP 203/529


「おめでとう、沙々ちゃん。君はもう戦わなくていいんだよ」


「君が傷つけてきた人間や魔法少女は元に戻らないけど、大丈夫だよ。

 人間は何度だって人生をやり直せるさ、これからいっぱい幸せになってね」



 もう沙々にはシイラが何を言っているのかも理解できなかった。

 ただ僅かながら自分の中に残っていた良心と呼べるようなものが、切り刻まれていくような感覚だけがあった。


 誘惑で心を挫き、他人の堕落を歓んで迎える。

 本物の悪魔がそこにはいた。


285 : 以下、名... - 2016/05/12 00:19:47.65 X1DAQ2vHP 204/529


――



沙々「!!」


 沙々は薄明りの中で飛び起きた。

 そこにあったのは低い天井、固いベッド、そして生身の自分。


 汗で下着がべた付いて気持ち悪い。

 携帯電話のバッテリーはとうに切れている、今が何時なのかすらわからない。

 お腹も空いていて、喉も乾いていた。

 低血糖とストレスによる自律神経の失調が脳を蝕む。

 感覚遮断も、体力の補填もできない。


 もう、魔法は使えない。



沙々「ああああ、あああっ・・・」



 沙々は鉄格子を引っ掻き、頭を掻きむしる。



沙々「あああああああああああああああああっ!!」



 叫んだ。

 ただ叫んだ。

 この世の全てを呪いながら叫んだ。


 その悲痛な慟哭は。

 果たして『奇跡の買い戻し』の対価として適正な価格なのだろうか。

286 : 以下、名... - 2016/05/12 00:21:06.76 X1DAQ2vHP 205/529


――同時刻、御崎邸。



 窓から差し込む陽を浴びながら、ベッドに腰かける魔法少女。

 彼女の名は和沙 ミチル。

 魔女のいた世界を幻視し、心が折れた魔法少女。


 憂鬱な視線を向けた先にあったのは、ずいぶん濁ったソウルジェムがあった。

287 : 以下、名... - 2016/05/12 00:22:19.12 X1DAQ2vHP 206/529


 あすなろ市の魔法少女達は、既に限界が近かった。

 今、海香とニコの2人が必死に魔獣と戦っているが、アタッカーを欠いたチームでは決め手が少なく、

 以前のような安定した戦いは全くできなくなっていた。

 魔獣との戦いにおける撤退率はもう5割を超えている。


 グリーフキューブのストックはとっくに尽きていた。

 今一度、ミチルの心が傷ついたらソウルジェムの浄化が間に合わない。

 確実に。


 もう猶予はなかった。



ミチル「キュゥべえ、来て」


QB「呼んだかい?」



 白い魔法の使者が、どこからともなくゆらりと現れる。

 ミチルはついに意を決し、答えを決めることにした。



ミチル「ねぇ、キュゥべえ」


ミチル「魔獣は魔法少女が生み出しているの? 私たちって、ワルモノなの?」



 すなわち、力尽きるまで生き続けるか、今すぐ自決するかの二択を選ぶ時が来た。

288 : 以下、名... - 2016/05/12 00:23:18.54 X1DAQ2vHP 207/529


 キュゥべえは無機質な赤い瞳で、しばしミチルの表情を観察していたが。

 ようやく意図を汲み取ったようで、ミチルに回答を提示した。

 機械的に、快刀が乱麻を断つように。何の躊躇いもなく真実を告げた。



QB「訂正するほど間違ってはいない、けれど肯定できるほど的確でもないね」



 赤い瞳が揺れた。



QB「君はカンナの結界を通して見たんだね、魔女がいた世界を」


ミチル「・・・」



 ミチルは静かに頷いた。

289 : 以下、名... - 2016/05/12 00:25:30.50 X1DAQ2vHP 208/529


QB「1つずつ噛み砕いて説明しようか」



 キュゥべえは考えを整理するようにしばし黙ってから、言葉を続けた。



QB「まず魔獣が発生するメカニズムは、僕たちにも未だに解明できていない。

   君が見た世界の魔女のように、魔獣は魔法少女の成れの果てというわけでもない。

   断言はできないけれど、少なくともソウルジェムが魔獣の発生に関与したという記録は一切ない」



 キュゥべえは尾を揺らした。



QB「けれどね、過去の統計を見るとわかってくるんだ」


QB「『魔法少女が増えると魔獣が増えて』『魔法少女が減ると魔獣も減る』。

   どんな時代でも、どんな国でも。

   どれだけの外的要因が付与されても、この法則だけは普遍だった」


QB「魔法少女が人類に希望をもたらし、人類の心を魔獣が摂食し、魔法少女が魔獣を狩ってグリーフキューブを回収する。

   こんなサイクルを、僕たちと君たちは10万年以上続けてきた」

290 : 以下、名... - 2016/05/12 00:27:48.93 X1DAQ2vHP 209/529


 キュゥべえは彼方を見つめるように目を細める。

 彼らがノスタルジーなんて感情を理解しているはずもないので、

 おそらくこれは過去のデータを検索しているだけなのだろう。



QB「10万年、そう10万年だ。長いよね。

  そしてその10万年間、魔獣も魔法少女も人類もどれも絶滅しなかった。

  争い合い食い合い、その総数は常に変動しているのに、ずっと三者のどれも絶滅しなかった」


QB「これが何を意味しているのかはわかるよね?」


ミチル「・・・」



 ミチルは小さく頷いた。

 キュゥべえの言葉は難解で、中学生には難しい単語を幾つも使っていたけれど。

 それでも『平衡状態』という概念だけはなんとなく理解できていた。

291 : 以下、名... - 2016/05/12 00:30:44.79 X1DAQ2vHP 210/529


QB「ここからはぼく達の仮説だが。

   魔獣は『人類という種そのもの』が生み出している、スタビライザーのような存在なのだと思う」


QB「例を挙げよう。

   例えば1人の魔法少女の祈りで、100人の人間が救われたとする。

   その100人の中に魔法少女の素質を持つ子がいて、その子が契約してまた100人を救ったとする」


QB「そんなことを繰り返していけば、あっという間にこの星はパンクしてしまうよね」


QB「魔獣は人類の集団意識・・・というよりも生存本能が無意識の内に産み出しているのだと思う。

   100の希望が発生したら、100の感情を刈り取って全体の均衡を維持し。

   壊滅的な混沌や、生物としての袋小路を防止するために。

   魔法少女が際限なく生み出す希望に、人類全てが押し潰されてしまわないように」


QB「僕たちはそう結論付けている。

   これはこの星の生態系の役割を、人類と魔獣と魔法少女に代替して考えているだけなのだけれどね」



 食物連鎖、生態系ピラミッド、栄養段階。

 プロダクター、コンシューマー、スカベンジャー。

 彼ら彼女らの命の営みは、やはり逃れ難き生き物としての運命に収斂している。


292 : 以下、名... - 2016/05/12 00:34:30.28 X1DAQ2vHP 211/529


 キュゥべえは見解を述べる。

 『感情を理解できない命』として、『感情という不安定なものに振り回されている生き物』に対する忌憚なき意見を。


 それはともすれば、遥か先を行く文明の中で生きる異星人からの、心からのアドバイスなのかもしれない。



QB「条理に反した奇跡を起こせば、それは何らかの歪みを生み出し。

   いつかどこかで必ず破綻する。

   どんな世界であっても、この根本原理だけは変わらないし、変えられない」


QB「何度宇宙の法則が捻じ曲げられようと、何度新しい世界が再編されようと。

   きっとぼく達は変わらずこう言い続けるよ」


QB「身勝手な奇跡を起こせば、それはいつか災いとなって誰かを犠牲にする。

   そんな当たり前の結末を裏切りだと言うのなら、奇跡を望むこと自体が間違いなんだ」


ミチル「・・・」

293 : 以下、名... - 2016/05/12 00:35:50.52 X1DAQ2vHP 212/529


 ミチルは瞳を閉じて黙っていた。

 ずっと黙っていた。


 キュゥべえが「これ以上ここにいても意味は無い」と判断して去った後に。

 ポツリと一言だけ呟いた。



ミチル「そっか、そうだよね」



 賽は静かに投げられた。


300 : 以下、名... - 2016/05/30 00:28:50.52 j9jzvONNP 213/529






 第10話 「きっといつまでも」






323 : 以下、名... - 2016/06/04 14:29:43.86 6qdz8CrxP 214/529


 滑らかな金属製の風車が回る。

 止めることのできない運命の車輪のように廻り続ける。


 ほむらは絶句する3人を気にも留めず、静かに円環の理を指さした。



ほむら「円環の理、私はあなたに対してクーデターを宣言する」


ほむら「私が勝ったら、魔法少女システムは廃止よ」


円環の理「・・・」



 その宣告が放たれた時、インキュベーター達の数多の瞳が微かに揺らめいた。

 インキュベーター達は静かに記録していた。

 宇宙の再編・・・すなわち全宇宙の支配権を賭した、その聖戦の始まりを。


 今再び、魔法少女によって世界が再編される、その瞬間を。

324 : 以下、名... - 2016/06/04 14:39:12.90 6qdz8CrxP 215/529


マミ「魔法少女システムの廃止って、いったい・・・!?」


杏子「・・・」



 狼狽するマミに対して、杏子は静かに瞳を閉じていた。



マミ「そんなこと、できるわけがないじゃない!

   魔獣はどうなるの!? 魔法少女達のソウルジェムの維持は!?」



 マミには事情が呑み込めていなかった。

 というよりもむしろ、未だにほむらが悪魔と化したことすら受け入れられていなかったらしい。

 神と悪魔の対面に、パニックを起こす寸前だった。


 なんだかんだで一番シビアに状況を理解できていた魔法少女は、やはりさやかだった。



さやか(無駄だよマミさん)


さやか(この悪魔は、既に・・・その問題を塗りつぶしている!)



 ほむらは口元に指を当てて、クスクスと小さく笑う。



ほむら「あなた達は今まさに体験しているじゃない」


ほむら「ソウルジェムが濁らず、魔獣も生まれないという、魔法少女のユートピアを」


ほむら「巴マミ、こんな世界を一番望んでいたのはあなたじゃないの?」


マミ「!!」


 マミは再び絶句した。

325 : 以下、名... - 2016/06/04 14:53:27.59 6qdz8CrxP 216/529


カミオカンデ「もう少し、具体的に説明してくれないかな?」


 恐慌するマミの姿を流し見た後。

 青い瞳のインキュベーターは、静かにほむらへ語り掛ける。

 「理想郷には、必ずどこかに矛盾や破綻がある」、そんな淡い期待を込めて。



カミオカンデ「その魔法少女のユートピアとやらは。

        君が能動的に働きかけて、他の魔法少女のソウルジェムの濁りを取り除き、

        見えないところで魔獣を倒しているだけとしか思えないのだけれど」


 ほむらはダークオーブを翳すと、

 停止した懐中時計のような魔法陣がダークオーブの周囲に浮かび上がる。



ほむら「私の世界、『フェイズゼロ』。この中では何も始まらない、何も終わらない」



 ほむらは瞳を閉じて、腕を畳んでその結界を包み込む。

 その様子は愛しい我が子を抱きかかえる母親の様だった。



ほむら「この世界の内部では、全てのマギカは無力化される。

     魔法少女の素質を持つ少女は生まれない。

     魔獣は勝手に雲散霧消していく。

     ソウルジェムの濁りは自動的に浄化され、魔法少女は半分不死身の存在となる」


ほむら「理解できるかしら、青い眼のインキュベーター。

     見滝原は世界のルールそのものが書き換えられているのよ。

     私を倒せばそれで終わり、というわけではないの」


カミオカンデ「なるほどね・・・。

        君は限定的にとはいえ、神様と同じことをしているわけか」



 ほむらは1つだけ、小さく深呼吸をし。

 自らの計画の着地点を確認する。



ほむら「円環の理の因果を全て巻き取ったとき、私の世界はこの星全てを永遠に包み込む」


ほむら「そして、同時にインキュベーター達を母星に撤退させる。これなら新しい魔法少女は生まれようがない」


ほむら「誰も犠牲にならない、最高のハッピーエンドでしょう?」



 ほむらはかつての友に理想の世界を説いた。

326 : 以下、名... - 2016/06/04 14:59:56.30 6qdz8CrxP 217/529


 マミは俯き、歯軋りをする。



マミ「いいえ、暁美さん。誰も犠牲にならないなんて嘘よ。

   あなたの目的は前提から間違っている・・・!」



 マミは涙を湛えた瞳を見開き。

 食って掛かるようにほむらを睨みつけた。



マミ「あなたは、未来の魔法少女全てから!

   奇跡を叶える権利を奪おうとしているのよ!!」



 その叫びをほむらは嘲笑した。

 まるで何度火傷しても懲りないバカを見るように。



ほむら「巴マミ、あなたは魔法少女になってから何度泣いたの?」


ほむら「何度傷つき、何度裏切られ、何度ひとりぼっちで戦ってきたの?」


マミ「・・・っ」


ほむら「あなたの払ってきた犠牲や献身が、

     今のあなたの幸福と釣り合っているなんて、私には到底思えない」



 爬虫類のように冷徹な瞳が見開らかれた。



ほむら「こんなことなら、あなたはあの時、両親と一緒に死ぬべきだった」

327 : 以下、名... - 2016/06/04 15:03:33.51 6qdz8CrxP 218/529


 その言葉を聞いたとき、マミの中で何かが切れた。



マミ「・・・」



 マミは逆上した。

 ずっと良き先輩、模範的な魔法少女で在り続けた彼女が。

 契約して以来、おそらく初めて感情的に怒り狂った。



マミ「こ、の・・・!!」



 表面加工を施しただけのメフィストフェレスの封印はあっさり破壊され。

 マミの掌の中には拳銃へ変化したソウルジェムが握られていた。



マミ「あなたいったい何様のつもりなのよ!!」



 発砲音が響いた。

328 : 以下、名... - 2016/06/04 15:13:20.89 6qdz8CrxP 219/529


 ダークオーブを狙ったその一撃は、果たしてほむらを傷つけることは叶わなかった。

 ほむらの周囲に張られていた見えないシールドに、弾丸はいとも容易く弾かれた。



マミ「!?」



 ほむらの傍らに、振袖の魔法少女が御幣をかざして立っていた。



マミ「だ、誰・・・!?」


杏子(増援か? いや、こいつはあの日には見なかった顔だ・・・!)


マミ「まさか・・・! 暁美さん、あなたまた悪魔を増やしたの!?」



 さやかが拳を握ってワナワナと震えていた。



さやか「違うよマミさん・・・。

     こいつは悪魔とか魔法少女の味方とか、そんなわかりやすい立場の奴じゃない!」



 さやかは責めるように叫ぶ。



さやか「エニシ、あんたなんでほむらを庇ったの!?」



 彼女の名は環エニシ、円環の精霊だった。



エニシ「公平性を守るためです。

     ほむらさんは正当な手続きを経てコトワリ様に挑戦を申し込んでいます。

     コトワリ様の眷属たる私には、宣戦布告が終了するまでの間。

     極力ほむらさんを暴力や強権からお守りする義務があります」


さやか「相変わらずあんたの言いことは回りくどくて分かり辛い!」


エニシ「つまり・・・、私はほむらさんの挑戦を全面的に支持しているというわけです」

329 : 以下、名... - 2016/06/04 15:22:14.01 6qdz8CrxP 220/529


 エニシは御幣を下ろして円環の理の顔を仰ぎ見る。



エニシ「いかがなされますか、コトワリ様。

     今ならまだ、ほむらさんを円環に送ることは可能ですが・・・」


円環の理「・・・」



 円環の理は静かに首を横に振った。



エニシ「御意に」



 エニシはほむらの傍らから下がると。

 代わるように円環の理はほむらの前へ歩み出た。



円環の理「ほむらちゃん、あなたは自分の願いを叶えたことを後悔しているの?」


ほむら「ええ」


ほむら「馬鹿なことを願ったと思っているわ。

     私はあなたを守れる魔法少女になる必要なんてなかった。

     ただ『鹿目まどかに救われた人間』として生きていくだけでよかった」


ほむら「私が本当に助けたかったのはね、無力な自分自身だったの」



 ほむらは目を細めて笑う。



ほむら「ただ自分が救われたかっただけなのに、

     いつの間にかまどかのことしか考えられなくなっていた」



 ほむらは宙に浮かせたダークオーブを、軽く指ではじく。



ほむら「その結果が、このザマよ」


ほむら「まどかを救った後、私には生きる理由が何も残っていなかった。

     願いを遂げた後の魔法少女には何が残るの?」


ほむら「私は魔法少女を終わらせる。

     あなたの願いが破綻してしまう前に、世界が捩じ切れてしまう前に。

     この矛盾した呪いのような摂理を消し去る」


ほむら「それが不相応な願いを抱いた、私なりの罪滅ぼしよ」


円環の理「そっか」


円環の理「だったらなおさら、あなたとは敵対しなきゃいけないね」

330 : 以下、名... - 2016/06/04 15:26:00.78 6qdz8CrxP 221/529


 円環の理は金色の瞳でほむらの無機質な瞳を見返す。



円環の理「希望を抱くのが間違いだなんて言われたら、私は『そんなのは違う』って、何度でもそう言い返せる」


円環の理「きっといつまでも、ずっとそう言い張れる」


円環の理「だから魔法少女の廃止なんて認められない、認めたくない。

       みんなの祈りをなかったことになんてしたくない」


円環の理「魔法少女の祈りは私が守る、あなたのその願いだけは受け入れられない」


ほむら「・・・」



 ほむらは笑った。

 心から楽しそうに。

331 : 以下、名... - 2016/06/04 15:32:27.61 6qdz8CrxP 222/529


エニシ「コトワリ様。それはほむらさんのクーデターを正式に受理された、ということでよろしいのですか?」


円環の理「うん」



 円環の理とほむらの間に、一陣の風が吹き抜けた。



円環の理「受けて立つよ、ほむらちゃん。

      今度こそ私はあなたを救って見せる」


ほむら「できるかしら?」


エニシ「了解しました、ではしばしお待ちを」



 エニシの周囲にセフィロトの樹のような魔法陣が展開される。

 過去の全ての魔法少女の前例と比較し、統計し、『最適な答え』を彼女なりに探しているのだ。

332 : 以下、名... - 2016/06/04 15:42:16.02 6qdz8CrxP 223/529


 『正式な宣戦布告』を終えたのを認めると。

 底冷えするような悪魔としての本質が、蛇のように這い寄って来た。



ほむら「ああ、それと。今回の宣戦布告とは関係なく。

     『個人的に』

     『あなた自身に対して』

     もう1つだけ言わせてもらってもいいかしら?」



 ほむらはとうとう、その退廃的な本性を露わにした。

333 : 以下、名... - 2016/06/04 15:48:33.49 6qdz8CrxP 224/529



 ―


 私、何にもできない

 死んだ方が、良いのかな・・・


 ―


 私なんかを助けるよりも、あなたに生きていて欲しかったのに・・・!


 ―


 ねぇ・・・私たち

 このまま二人で、怪物になって・・・こんな世界、何もかもメチャクチャにしちゃおっか?


 ―


 「マドカ」・・・

 私を、魔法少女から解放して・・・!


 ―


 まどかの秘密が暴かれるくらいなら、私はこのまま魔女になってやる!

 もう二度と、インキュベーターにあの子は触らせない!


 ―



334 : 以下、名... - 2016/06/04 15:49:27.58 6qdz8CrxP 225/529





 魔法少女になる前も、魔法少女になった後も。



 彼女が本当に欲しがっていたものは、いつだって『自殺』だった。





335 : 以下、名... - 2016/06/04 15:53:48.36 6qdz8CrxP 226/529


ほむら「魔法少女システムが廃止されたら・・・。

     一緒に死んでよ、私の愛しい『魔法少女の鹿目さん』」


 円環の理はしばし瞳を閉じ。

 一拍置いた後。

 決意を込めて、悪魔からのプロポーズに応えた。



円環の理「いいよ」



 叛逆の悪魔、ほむら。

 最終目標、円環の理との心中。

336 : 以下、名... - 2016/06/04 16:00:18.68 6qdz8CrxP 227/529


 さやかは歯軋りをする。

 ある程度、予想できていながら、何もできなかった自分が恨めしかった。



さやか(やっぱりな・・・。んなこったろう思ってたよ、ほむら!)


さやか(あんたが全ての魔法少女の為だとか、

     そんな殊勝な理由で動けるわけがないもんな!)



 さやかは憎々しげにほむらを睨みつけていた。



杏子「・・・」


杏子(気持ちはわかる、としか言えないよな)



 杏子はただ諦観したように、深くため息をついて頭を掻く。

 彼女は内心では、もうすでに悪魔に屈していたのだ。



杏子(悪い、さやか。アタシ、ほむらに味方したい)



 エニシの周囲の魔法陣が動きを止め、

 回るようにエニシの御幣へ収束していった。



エニシ「参照が終わりました」



 エニシは深々と一礼し、両腕を広げ高らかに宣言する。



エニシ「これより新たな条例に基づき!

     『魔法少女総選挙』の開催を宣言いたします!!」

337 : 以下、名... - 2016/06/04 16:04:51.55 6qdz8CrxP 228/529


 ―

 エニシの開催宣言を聞き届けると。

 インキュベーター達は、一匹、また一匹とそこから立ち去って行った。


 彼らはこれより準備を始める。

 エニシとコンタクトを取り、魔法少女総選挙の細やかなルールや日程を決めることだろう。





 魔法少女の存亡を賭けた神と悪魔の最終決戦は、こうして静かに幕を開けた。



341 : 以下、名... - 2016/06/05 18:56:00.51 UaoAV2yRP 229/529





 第11話 「お疲れさま」




342 : 以下、名... - 2016/06/05 18:58:20.79 UaoAV2yRP 230/529


――美国邸、地下室


 地下倉庫を魔法で改造し、簡易な独房となったその場所。

 薄暗い部屋の隅のベッドに、沙々は俯いて座っていた。


 カチャリと、ドアが開く。

 おずおずと顔を出したのはマツリだった。



マツリ「あの・・・。入るね、沙々さん・・・」



 沙々は鬱屈した視線をマツリに向ける。



沙々「何・・・?」



 すでにこの地下牢に閉じ込められて6日目になる。

 元から脆い部分のあった沙々の精神は、限界が近かった。



マツリ「あの、ご飯持ってきたよ・・・」



 先に出されていた昼食は、ほとんど手が付けられていないまま冷え切っていた。

343 : 以下、名... - 2016/06/05 19:01:02.63 UaoAV2yRP 231/529


マツリ「あの、マツリね。織莉子さんを頑張って説得しているんだけど・・・。

     やっぱりそのまま沙々さんを外に出すって言うのは難しいらしくて・・・」



 マツリは酷く辛そうな表情をして言い淀む。



マツリ「それにもし沙々さんを出せるとしても・・・。

     その時は魔法少女の記憶は全部消されちゃうって・・・」


沙々「はっ」



 沙々は自嘲するような表情になる。



沙々「いいんじゃないですか、別に!

   私は魔法少女に未練なんてこれっぽっちもありませんし!」


沙々「いっそこの際!

   魔法少女の記憶だけじゃなくて、私の記憶全部消しちゃってくださいよぉ!」



 沙々は頭をガリガリと掻きむしりながら笑う。



沙々「なんなんだよ、なんなんだよ!

   わけわかんねーよ、なんなんだよどいつもこいつもよぉ!!」


沙々「死ね! 全員死んじまえ!!」



 沙々はフォークを掴んで大きく口を開く。



マツリ「待って! 沙々さん、待って!!」



 マツリは鉄格子を掴んで泣き崩れた。



マツリ「お願い、マツリの話を聞いて・・・」


沙々「・・・」



 沙々は静かにフォークを置いた。

344 : 以下、名... - 2016/06/05 19:04:36.13 UaoAV2yRP 232/529


マツリ「沙々さん、なんで・・・。なんであなたの心はそんなに傷ついているの・・・?」


マツリ「そんなに辛いことばっかりだったの?

     魔法少女になっても、どうにもならない願いがあったの・・・?」


沙々「・・・」



 沙々は冷酷に目を細める。



沙々「逆に聞きますよ、マツリさん。

    あなたは魔法少女になって幸せになれましたか?」


マツリ「・・・」


沙々「私、わかるんですよー!

    コンプレックス丸出しの負け犬の匂いってやつが!」



 ゲラゲラと笑いながら、沙々はマツリの心をえぐる。



沙々「マツリさんは魔法少女になっても役立たずでしたね!

    前の戦いでは足を引っ張りまくっていたじゃないですか!

    このまま特に大した活躍もなく円環の理に消えちゃうんでしょうねぇー! あー、カワイソウ!」



 沙々は無力なものを笑う。

 無価値な者を差別し、攻撃する。



沙々「羨ましいでしょう! 私が!

    願いの対価を踏み倒してのうのうと生きている私が!」



 その攻撃は全て、自分自身を傷つけているということも知らないで。



沙々「アンタの人生、いったい何だったんだろうなァ!!」


345 : 以下、名... - 2016/06/05 19:08:47.66 UaoAV2yRP 233/529


 マツリは泣いていた。

 ただただ悲しかった。

 何も反論できないことが辛かった。

 ずっと素晴らしい存在だと思っていた魔法少女の中に、こんなにも凄惨な者がいることが受け入れられなかった。



マツリ「そうだね・・・、マツリの人生って本当に何だったんだろうね・・・」



 マツリは座り込んだ。

 鉄格子を挟んで、沙々と向き合っていた。



マツリ「マツリね、生まれた時から目が見えなかったの」


沙々「・・・っ!」


マツリ「だから他の人に助けてもらわないと、生活するのも大変で・・・。

     誰かに迷惑をかけることしかできない自分がずっと嫌いだった」



 マツリの脳裏には魔法少女になる以前のことが次々に浮かんでは消えていた。

 初めてキュゥべえに在った日のことを思い出した。

 迷わず叶えたい願いを見つけたことを思い出した。



マツリ「だから、魔法少女になれるって聞いたとき、すっごく嬉しかったの。

     もう誰かに迷惑をかけなくても、自分の力で生きていけるんだって」



 気づかない内に、マツリは涙をこぼしながら笑っていた。



マツリ「こんな私でも、誰かのために役に立つことができるんだって」


346 : 以下、名... - 2016/06/05 19:10:51.48 UaoAV2yRP 234/529


沙々「・・・」


マツリ「でもね、結局何も変わらなかった」


マツリ「マツリは相変わらずみんなに迷惑をかけてばっかりだし、

     自分の力で生きていくなんて全然無理だった」



 マツリの心は答えを出した。

 彼女なりの魔法少女に対する想いを見つけた。



マツリ「それでも、マツリは魔法少女になれてよかった」


マツリ「色んな物が見えて嬉しかった。

     色んな人と仲良くなれて楽しかった」


マツリ「みんなと一緒に戦うことができて幸せだった」


沙々「・・・」



 希望に満ちた表情のマツリとは裏腹に。

 沙々の心は重たく沈んでいた。


 弱くても儚くても、正しく在り続けられるマツリと比べて。

 堕ちるところまで堕ち続けた自分がひたすら惨めだった。

347 : 以下、名... - 2016/06/05 19:12:37.41 UaoAV2yRP 235/529


 マツリは覚悟を決めた。


 それは必要とあらば織莉子を裏切ることも厭わないという覚悟で。

 全ての魔法少女の存在意義を危険に晒すという覚悟で。

 自分の人生を全て誰に託すという、少女にとっては悲痛すぎる覚悟だった。



マツリ「だからね、沙々さんには生きていて欲しい。

     魔法少女になった後も、辛いことばっかりのままで終わって欲しくない」



 マツリは立ち上がって魔法少女の姿へ変身し、鉄格子を飴のように引き裂いた。



マツリ「こんな風にしかあなたを助けられなくてごめんね」

348 : 以下、名... - 2016/06/05 19:14:44.25 UaoAV2yRP 236/529


 呆然と立ち尽くす沙々に、マツリは歩み寄る。



マツリ「これ、受け取って」



 マツリは沙々に紙袋を手渡す。

 僅かに空いた紙袋の口から中身が見えた時、沙々は驚愕した。



沙々「なっ・・・!?」



 それは紙幣の束だった。

 一万円札の重さは、1枚当たり0.2グラム。

 それ以外何も入っていないはずなのに、その紙袋は重みがあった。



マツリ「マツリの貯金とか、学費の積み立てとか全部下ろしてきたの。

     たぶん400万円くらいあると思う。

     家に帰れなくなっても、これなら少しの間は大丈夫だよね?」


沙々「そん、な・・・っ」


 沙々は歯を食いしばりながら打ち震える。


沙々「なん、っで・・・馬鹿だろ・・・!」



 沙々の手から紙袋が落ちた。



沙々「どうしてこんなことするんだよ!?」


349 : 以下、名... - 2016/06/05 19:17:24.81 UaoAV2yRP 237/529


 マツリははにかんだように笑う。


 よかった。

 言葉だけじゃ無理でも、お金なら少しは沙々さんの心に届いたみたいだ。



マツリ「沙々さんの言う通り、マツリはきっと長くは生きられない。

     お父さんには悪いけど、このお金もたぶん使える日は来ないんだと思う」


マツリ「だから思い切って沙々さんに譲ることにしたよ」


沙々「そういうことじゃない・・・っ!」



 沙々は苛立ったようにマツリの胸ぐらをつかむ。



沙々「どうして私にここまでするんだよ!

    私、アンタに何か恩でも売っていたのか!?」



 マツリは静かに首を振る。



マツリ「マツリはただ後悔したくないだけだよ。

     マツリのせいで不幸になった人はたくさんいる。

     もしかしたらマツリが魔法少女になったのは、間違いだったのかもしれないけれど・・・」


マツリ「でも、それはマツリが弱かったからだよ。

     きっと魔法少女が奇跡を起こすことが間違っているわけじゃない」


マツリ「だから、魔法少女になっても辛いことばかりだったあなたには・・・、幸せになって欲しい」



 マツリは笑った。

 弱くても儚くても、確かに彼女は夢と希望を叶える魔法少女だった。



マツリ「それが魔法少女、日向茉莉の願いです」

350 : 以下、名... - 2016/06/05 19:19:18.51 UaoAV2yRP 238/529


 沙々は力なく腕を下ろした。



沙々「・・・」



 沙々は紙袋を拾うと。

 壊れた檻の鉄格子を超えて、静かにマツリの傍らに歩み出る。


 沙々は突き返すようにマツリに紙袋を押し付けた。



沙々「受け取れません」


マツリ「!」

351 : 以下、名... - 2016/06/05 19:21:07.95 UaoAV2yRP 239/529


 沙々は呆れ返ったように頭を掻き、深い深いため息をつく。



沙々「あのなぁー、私は責任とか義務とか・・・。そういうのが大っ嫌いなんだよ」


沙々「後生の想いを託されるなんてまっぴらです」



 それはようやく沙々が見つけることができた、自分自身の心だった。



沙々「マツリさんの希望はマツリさんだけのものです。

    それと同じように、私の絶望だって私だけのものです」


沙々「私は脱落しちゃったけど・・・。

    マツリさん、あなたは最後まで生きてください。

    私みたいなクズに気を取られて、自分の誇りを見失わないでください」



 沙々はやっと素直に笑うことができた。

 それはそれは、小憎たらしい笑い方だったけれど。



沙々「きっと、魔法少女という存在は。マツリさんみたいな人のためにあるんだから」


マツリ「・・・!」



 沙々は歩み出す。

 彼女は一歩一歩と確実に自分の足で進み、光差す世界へ向かう。


 地下室の出口のドアに手を掛けた沙々は、こう言った。



沙々「ありがとう、マツリさん」


マツリ「!!」



 振り向くことなく出ていく沙々の背中へ向けて、

 マツリは大きな声で応えた。



マツリ「うん、どういたしまして!」



 魔法少女、優木沙々の物語は。

 こうして静かに幕を下ろした。

352 : 以下、名... - 2016/06/05 19:23:01.06 UaoAV2yRP 240/529


 ―


 地下牢から出た沙々は、壁にもたれ掛かる織莉子を見止めた



織莉子「・・・」


沙々(あーあ、やっぱりバレてるー)



 織莉子は腕を組みながら瞳を閉じている。

 その表情は穏やかだった。



織莉子「私は、なんて馬鹿馬鹿しいことで悩んでいたのかしらね」


沙々「・・・」


織莉子「ああ、お構いなく。私は感動しているだけなので、素通りしていいですよ。

     一応、あなたの指名手配、外しておきますね」



 織莉子は瞳を少し開き、悪戯っぽく沙々に笑いかけた。



織莉子「それでもあなたを許せないという魔法少女がいたら、私が身を挺してでもあなたを守りますから」


沙々「・・・何企んでるんですか?」


織莉子「人の親切は素直に受け取っておきなさい、早くしないと私の気が変わってしまうわよ?」


沙々「・・・」


沙々「どーも」



 沙々はすたすたと、織莉子の横を通り過ぎ。

 振り返ることもせずに、外へと出ていった。


 沙々の姿が見えなくなった後、織莉子は小さく呟いた。



織莉子「お疲れさま」


353 : 以下、名... - 2016/06/05 19:25:15.38 UaoAV2yRP 241/529


 織莉子は感傷に浸っていた。

 これからどうしようか、と。

 問題は山積みだったが、不思議と心は晴れやかだった。


 今回はたまたまうまくいったから良いものの、雅シイラはやはり脅威だ。

 彼女の力と思想は、暴風雨のように魔法少女のアイデンティティーを引っ掻き回す。


 何より一番厄介なのは。

 「雅シイラはもしかしたら、全ての魔法少女の救世主になるかもしれない」という危険な誘惑だった。


 そんな思考に耽る織莉子の前に、小巻が歩み出た。



小巻「あんた、沙々を見逃したのね」


織莉子「ええ、そうよ」


小巻「あっそ」



 小巻は踵を返し、スタスタと玄関へ向かっていく。



織莉子「どこへ行く気?」


小巻「雅シイラを倒しに行くのよ」


織莉子「できればそれは止めたいわね」


小巻「はぁー・・・」



 小巻は大きくため息をついた。

354 : 以下、名... - 2016/06/05 19:26:23.66 UaoAV2yRP 242/529


小巻「織莉子、あんた優木と日向さんを見てどう思った?」


織莉子「・・・」


織莉子「自分の矮小さを思い知りました」


小巻「・・・じゃあ、次の質問」



 クルリと小巻は織莉子へ向き直る。



小巻「日向さんはこれから先、魔法少女をやめて人間に戻ると思う?」


織莉子「・・・」



 織莉子はしばし黙りこむ。



織莉子「戻らないでしょうね。

     マツリさんは円環の理に導かれるその日まで、誇り高く戦い続けるのだと思うわ」


小巻「ええ、そうでしょうね。私もそう思うわ」


小巻「そうやって少しずつ、世界は腐っていくんでしょうね」



 織莉子は怪訝に眉を顰めた。

 小巻の意図を図りかねているのだ。



織莉子「何が言いたいのかしら・・・?」


小巻「優木みたいな卑劣な魔法少女だけが人間に戻って生き残り。

    日向さんみたいな優しい魔法少女だけが、最期まで戦いに殉じて消えていく」


小巻「雅シイラを放っておいたら、そんなワケの分からない世界が完成してしまう」



 小巻はキッと織莉子を見据えた。



小巻「私はそれが、ただただ気に食わないのよ!!」

355 : 以下、名... - 2016/06/05 19:27:20.13 UaoAV2yRP 243/529


織莉子「そう・・・」



 織莉子は腕を組んだまま、またしばし黙って思考を続けた。



織莉子「でも、現実問題として。あなたは雅シイラに勝てるのかしら?」


小巻「うっ・・・!」



 小巻は虚勢を張るように声を上げる。



小巻「さ、刺し違えてでも、私はあいつを倒すわよ!」


織莉子「刺し違える程度の覚悟じゃ無理でしょうね」


小巻「ぐっ・・・!」



 織莉子は静かに笑った。



織莉子「策を授けましょう。彼女に勝ち、生き残るための策を」


小巻「策・・・?」



 小巻とシイラの決戦の火蓋が切って落とされるのは、この約16時間後である。

 審判の日は、近い。


357 : 以下、名... - 2016/06/05 19:53:48.96 UaoAV2yRP 244/529


――あすなろ市の湾岸展望台。


 そこにはムカデのような長い体を持つ魔獣が、蜷局のように巻き付いていた。

 それは大型の魔獣というわけではなく。

 数多の下級魔獣が連結して発生した個体という、おぞましい姿をしたものであった。


 波打ち際のうろ穴に障壁を張り、その内側に御崎海香と神那ニコは隠れていた。



ニコ「どうかな、逃げられそう?」


海香「無理ね」


海香「あの連結魔獣はずっと臨戦態勢を解かないし、

   下級魔獣達は包囲網を徐々に狭め始めている。

   私たちを見つけるのも時間の問題ね」


ニコ「いよいよ私たちも年貢の納め時か」


海香「冗談でもそういうこと言わないで・・・」



 ニコはスマートフォンを取り出して、メールの履歴を確認し始めた。



ニコ「カオルはどうなったのかな・・・、無事だといいけどさ」


海香「ミチルもそろそろ限界が近い・・・。

    もし私たちが負けたら、カオルが一人残されることになるわよ」


ニコ「ああ、それは嫌だな」


海香「ええ、だからもう一頑張り――
ニコ「伏せろ!!」


海香「え?」



 ムカデの頭部のような魔獣が、こちらを覗いていた。

 迷彩の役割しか果たさない薄膜のような魔法障壁は、いともあっさり破られた。

358 : 以下、名... - 2016/06/05 19:55:54.88 UaoAV2yRP 245/529


ニコ「が、ふ・・・っ!」


海香「ぐ・・・!」



 ニコと海香の身体が宙づりになり、立方体のような結界に拘束される。

 連結魔獣が鎌首をもたげながらこちらをじっと見つめ、

 多くの下級魔獣がわらわらとニコと海香の下へ集まってくる。


 魔獣の食餌が始まるのだ。



ニコ(いよいよ本当に、年貢の納め時か・・・)



 ニコは瞳を閉じ、走馬燈を思い浮かべようとした。

 楽しい記憶、辛かった記憶、忘れられない記憶を精一杯探した。

 探したのだけれど。



ニコ(ダメだ・・・、何も思いつかない)



 死に際に生への執着すらみつからないほど、ニコの心は空っぽだった。


 どころか、彼女は今まさに自分の魂が食われようとしているのにも関わらず。

 「私の感情は、さぞ不味いんだろうな」などという、的外れな同情まで魔獣にしていた。



ニコ「ま、いっか。結構楽しかったしね」



 静かにニコが瞳を閉じた、その直後だった。

359 : 以下、名... - 2016/06/05 19:58:04.56 UaoAV2yRP 246/529




「リーミティ・エステールニ!」



 馴染み深い必殺技の名乗りが聞こえた。

 眼も眩むほどの閃光が奔り、直後に轟音が響き渡った。



ニコ「・・・!」



 連結魔獣の頭部が焼き切られたように無くなり、

 ボロボロと土塊のように連結魔獣の身体が崩れていく。



「遅れてごめん! 海香、ニコ!」



 投げつけられた2本の杖が、海香とニコを捕らえていた結界を打ち消した。

 解き放たれたニコは、よろめきながらも地面に降り立つ。


 ニコは光線を放った黒い魔法少女にニヘラ、と笑いかけた。



ニコ「もう具合はいいのかい、リーダー」


「うん、もう平気」



 黒い魔法少女は大きな帽子の鍔を上げ、凛々しい顔をのぞかせた。



ミチル「私はまだ戦える」


360 : 以下、名... - 2016/06/05 19:59:08.20 UaoAV2yRP 247/529


 ―


 戦いはようやく終結した。

 ずいぶんな接戦の末、魔法少女側が辛うじて勝利していた。



ニコ「本当に危なかったな・・・」



 3人は展望台の麓に座り込んで空を仰いでいた。

 すっかり暗くなった空からは、パラパラと小雨が降り始めている。



QB「だが、見返りも大きい。今回は大収穫じゃないか」



 キュゥべえは拾い集めてきたグリーフキューブを3人の前に広げる。



QB「お疲れさま」


ニコ「おう」

361 : 以下、名... - 2016/06/05 20:00:22.77 UaoAV2yRP 248/529


 海香はミチルの前へ進み出る。



海香「ミチル。本当に・・・、本当にもう大丈夫なの・・・?」


ミチル「うん、心配かけてごめんね」



 海香はガバリとミチルに抱き着いた。

 海香は顔をうずめ、何も言わずにただ泣いていた。



ミチル「・・・」



 ミチルもまた、何も言わずに海香の髪を優しく撫でる。



ミチル「ありがとう、海香・・・」

364 : >>362修正 - 2016/06/05 20:07:02.55 UaoAV2yRP 249/529


 ミチルは遥か遠い空を眺める。


 かつて在りし『魔女のいた世界』。

 それと比べればこの世界の魔法少女達の苦痛や悲しみは。

 それこそ万分の一くらいには減ったのかもしれない。


 そんな優しい世界になっても。

 果たして、魔法少女は本物の『正義のヒロイン』にはなれなかった。


 下手をすると、魔法少女とは関係ない人間達にとっては。

 魔女よりもよっぽど迷惑な存在になってしまったのかもしれない。



ミチル「・・・」



 それでもこの世界の魔法少女は孤独じゃない。

 今はただ、友だちから伝わる温もりが嬉しかった。


 それに、この世界の魔法少女には。

 『自分が生きるため』以外にも、ちゃんと戦う理由がある。



ミチル「私が散らかした希望なんだもん。

     私がちゃんと後片付けしなくちゃね」



 そんなことを小さく呟いて、ミチルは強く海香を抱きしめた。



 きっと、今日の晩御飯はイチゴリゾット。

367 : 以下、名... - 2016/06/16 22:51:06.35 rTC5kH/eP 250/529





 第12話 「すっごく嬉しいわ」




368 : 以下、名... - 2016/06/16 22:53:48.39 rTC5kH/eP 251/529


 ――

 午後2時半、暁美宅。


 そこではまどかが緊張した面持ちで、正座をしていた。

 向かいに座っているほむらがサラサラと赤いペンを走らせて、問題集を採点している。


 そこはまどかとほむらの2人だけの空間。

 愛で満たされた瓶の底。


 ほむらが1つため息をついて赤いペンを置く。



ほむら「89点・・・」



 一拍置いて、ほむらがニッコリと微笑んだ。



ほむら「おめでとう、まどか。

     もうあなたはそこらの中学生よりも、よっぽど日本語を使いこなせているわ」


まどか「!」


まどか「やったーーー!」


ほむら「・・・」



 ほむらは穏やかに微笑んで、問題集を閉じる。

 その問題集は、JLPT試験と呼ばれる日本語の検定だった。

369 : 以下、名... - 2016/06/16 22:55:27.40 rTC5kH/eP 252/529


 勉強の後は、ティータイム。

 嫋やかな蒸気の立つティーカップには、ルビー色の紅茶が満たされていた。


 まどかは少しだけ紅茶をすすった後、驚いて目を丸める。



まどか「はわー、すっごい・・・。

     紅茶のことは全然わからないけど、これおいしいよ!」


ほむら「昔、尊敬していた先輩に少し教えてもらったのよ」


まどか「ほむらちゃんはなんでも知ってるなぁ・・・」


ほむら「無駄に長生きしているからね」


まどか「あはは、変なの。私と同い歳のはずでしょ?」



 ほむらはティーカップを揺らし、含みのある笑顔を浮かべた。



ほむら「どうかしらね」

370 : 以下、名... - 2016/06/16 22:58:45.83 rTC5kH/eP 253/529


 ほむらは果物ナイフでアップルパイを切り分ける。



ほむら「まどか。最近、『あの発作』が起こらなくなったわよね」


まどか「うっ!」



 『あの発作』という単語を聞いたとき、まどかの肩が跳ねた。



まどか「あー、えっと・・・。うん、あれね・・・」


まどか「ちょっと前までは・・・、ね。

    『私には偉大な力が宿っていて、すごく大切な使命がある』とか、

    『自分はすごい存在が人間としてこの世に表れている仮の姿』だとか・・・」


まどか「そんなこと考えていたんだけれど・・・」



 まどかは気恥ずかしそうに俯いて、両手を弄り始める。



まどか「なんだか最近だと、勉強とか部活動とか忙しくて・・・それどころじゃなくなっちゃったの」


まどか「やっぱり、あれって・・・。厨二病ってやつだったのかな・・・?」



 ほむらは2切れのアップルパイが乗ったお皿をまどかの前に置いた。



ほむら「ふふ、そうかもね。

     あなたくらいの年頃の女の子は、みんな魔法少女なのよ?」


まどか「もー! やめてよーーー!!」



 鹿目まどかは、円環の理という母体から独立しつつあった。

 彼女はもうほとんど、『本物の人間』と呼んで差し支えない存在になっていた。

371 : 以下、名... - 2016/06/16 23:00:42.43 rTC5kH/eP 254/529


 まどかは期待に満ちた表情でアップルパイを頬張る。

 しかし直後に表情が少し曇った。



まどか「えーっと・・・、これもほむらちゃんが作ったの?」


ほむら「いいえ、そっちは性格の悪い友人からの貰い物ね」


まどか「あ、やっぱり?」


ほむら「美味しくなかったかしら?」


まどか「いや、美味しいんだけど・・・。

     なんかこっちの紅茶と比べると、普通だなぁって・・・」


ほむら「おかしいわね、あの子は私よりもよっぽど優秀なはずなのだけれど・・・」



 ほむらもアップルパイを口に含むと、納得したような表情になった。



ほむら「あ、確かに普通ね。売っている物みたいな味。

     万能に見えるシイラも案外、アテにならないわね」


まどか「てぃひひ!」



 屈託のない笑みを浮かべるまどかの様子を見て、ほむらは静かに決意を固めた。

372 : 以下、名... - 2016/06/16 23:04:24.68 rTC5kH/eP 255/529



 まどかはもう大丈夫だ。

 そんな諦観染みた幸福感が、ほむらの心を支配しつつあった。


 もう心残りは無い。

 この結末で満足だ。



 幕を下ろそう、ハッピーエンドが濁らない内に。



 そして自分の罪とちゃんと向き合うために、

 幸せな少女時代の夢は、箱に仕舞って片づけなければならない。



ほむら「まどか、今日あなたを呼んだのはね・・・」



 ティーカップがカチャリと置かれた。



ほむら「お別れを言うためだったの」



 幸せな時は、長くは続かない。

 どんなに途中までは上手くいっていても、必ず最期に落とし穴がある。

 だからいつかどこかで、自分は身を引かなければならない。


 繰り返される数多の時間は、そんなマイナス思考をほむらの魂に刻み込んでいた。

377 : 以下、名... - 2016/06/25 23:28:35.02 Bux2mZS+P 256/529


 まどかは目を見開いて固まっていた。

 それは青天の霹靂と呼ぶにふさわしいことで。

 言われた方にとっては、まさに寝耳に水で。


 まどかの華奢な情緒は、あまりにも突然の事態にフリーズしていた。



まどか「え、えっと・・・、ほむらちゃん?」



 手に持つフォークが震えて、カチャカチャと食器を鳴らしていた。



まどか「冗談・・・、だよね?」



 しばし、ほむらは瞳を閉じて思案する。


 もうこの時点で、ほむらは取り返しのつかない場所まで進んでいた。

 だから今更、引き返す道を選ぶことなど、できるわけがないのだけれど。

 もし怖気づくことのできる最後の緊急退避所があるとすれば、ここだった。


 ほむらはカップを置く。



ほむら「私は本気よ」



 紅茶は飲み干されていたので、カップが震えていたのかどうかはわからない。

378 : 以下、名... - 2016/06/25 23:30:37.23 Bux2mZS+P 257/529


 まどかは絶句し、ただほむらの瞳を見つめていたが。

 やっとほむらの意図を察したとき、真っ先に浮上した感情は『怒り』だった。



まどか「どうして・・・、どうしてそんなこと言うの!?」



 まどかはテーブルを叩いて身を乗り出す。



まどか「私、何かした!? ほむらちゃんに嫌われることした!?」


まどか「もしそうだったら教えてよ! 私、ちゃんと謝るから!!」



 ほむらの瞳が、にわかに爬虫類のような冷徹さを帯びる。



ほむら「まどか」


まどか「っ!」


ほむら「お願い、落ち着いて聞いて頂戴。

     あなたがどう思おうと、これが最期の会話になるのだから」


ほむら「だからせめて、ちゃんと語り合いましょう。

     喧嘩別れなんて、私だって嫌なんだから」



 まどかはまだ何かを言い返したくなったのだが。



まどか「・・・」



 喉まで出かかったその言葉を飲み込んで、力なく座った。


379 : 以下、名... - 2016/06/25 23:32:47.81 Bux2mZS+P 258/529


ほむら「まどか。あなたは・・・、悪魔に騙されているの」



 ほむらは手を翳すと、彼女の手に黒い蛇が現れる。

 その蛇は、濡れ鴉のように艶のある真っ黒な羽毛で覆われていた。


 まどかは驚いて目を見開いた。

 ほむらは『魔法少女とは無関係の普通の女の子』の前で、堂々と魔法を使って見せたのだ。



ほむら「悪魔がズルをして、あなたを洗脳している。

     だからあなたが私のことを好きだって思うのも、きっとただの勘違いなのよ」


まどか「・・・」



 まどかは下を向いて、スカートの端を強く握りしめた。



まどか「わからないよ、どういうことなの・・・?」



 ほむらは開いた手を軽く握ると。

 黒い羽毛の生えた蛇は、ほむらの袖の中に引っ込んだ。



ほむら「私が乱心して、正気を失っているとでも思っているのかしら?」



 ほむらは冷ややかに笑う。



ほむら「まぁ・・・、それでもあながち間違いじゃないわね」


ほむら「私の想いとあなたの心が釣り合っていたことなんて、ただの一度もなかったのだから」

380 : 以下、名... - 2016/06/25 23:36:32.85 Bux2mZS+P 259/529


 まどかはしばし黙っていた。

 下唇を噛みしめて、ずっと黙っていた。



まどか「私たちが一緒に過ごしていた時間って、ニセモノだったの?

     ほむらちゃんはずっと、楽しそうなフリをしていただけだったの・・・?」



 俯いたまま、絞り出すように。

 まどかがようやく口に出せた言葉がそれだった。



ほむら「・・・」



 ほむらは一瞬だけ辛そうな表情になった後、それをまどかに悟られる前に瞳を閉じた。



ほむら「ええ、ニセモノよ。気味が悪いくらいよくできたニセモノ。

     今まで疑問に思ったことはなかったの?」


ほむら「私には、クラスにあなた以外に友人と呼べるような人物はいない。

     どころか両親も不在で、あらゆる学校の人物からは距離を置かれている」


ほむら「私には、あなた以外の『他人とのつながり』という物が、一切存在しない」


ほむら「こんな薄気味悪い女に、どうしてあなただけがこんなにも懐いているのかしら?」


まどか「・・・」



 まどかは俯いたままだった。

381 : 以下、名... - 2016/06/25 23:39:28.07 Bux2mZS+P 260/529


 ほむらは微笑みかける。

 まるですすり泣く幼子を、優しく諭す母親のように。



ほむら「あなたにはもう、たくさんの友だちがいる。

     あなたの居場所は、私の傍以外にもたくさんある」


ほむら「それらは全て。魔法なんかに頼らずに、あなた自身の力で手に入れたモノ」



 ほむらは右手にダークオーブを顕現させ、それを片手で玩んだ。



ほむら「私は虚しくなったの」


ほむら「そんな風に自分の力で輝いているあなたを。

     魔法なんてよくわからない力でずっと繋ぎ止めていたら、私はどんどん惨めになる」


ほむら「だからね、この辺が潮時なのよ」


まどか「ほむらちゃん・・・」



 まどかは涙をいっぱいに溜めた瞳で、ほむらを見返した。



まどか「ズルしちゃダメなのかな、魔法に頼っちゃダメなのかな・・・」


まどか「もしほむらちゃんの言うことが本当なんだったとしても」


まどか「私は幸せだったよ、楽しかったよ!」


まどか「ずっとほむらちゃんと友達でいたいよ・・・!」

382 : 以下、名... - 2016/06/25 23:40:50.90 Bux2mZS+P 261/529


 ほむらはダークオーブを握りしめた。



ほむら「あなたは本当に優しいのね、まどか」


ほむら「でもね。その想いもきっと、ただの勘違いなのよ。

     しばらく時間が経てば、いつか必ず私が鬱陶しくなる。

     私の想いは、あなたが未来にはばたく時には、ただの重荷になってしまう」


ほむら「『ここで別れることができてよかった』と、絶対に思うはずよ」



 ほむらは手を止めて、ダークオーブを静かに置いた。



ほむら「けれど、もしも本当に。本当にあなたが幸せだったのなら・・・」



 ダークオーブは、木漏れ日のように温かな光で輝いていた。



ほむら「私はすっごく嬉しいわ、まどか」

383 : 以下、名... - 2016/06/25 23:42:14.66 Bux2mZS+P 262/529


まどか「・・・」



 まどかは静かに身を引いた。



まどか「やっぱり・・・、ほむらちゃんが何を言っているのか全然わからないよ」


まどか「けれど」



 まどかは目を細めてほむらを見つめた。



まどか「本当に、ここでお別れなんだね・・・」



 ほむらの両手に、紫色の魔法陣が展開した。



ほむら「ええ、さようなら」


まどか「ほむらちゃん――

384 : 以下、名... - 2016/06/25 23:43:12.29 Bux2mZS+P 263/529



「大好き」



「私も」



385 : 以下、名... - 2016/06/25 23:43:53.34 Bux2mZS+P 264/529


 ハンドクラップの音が鳴り響き、

 まどかはほむらに関する一切の記憶を忘れた。

393 : 以下、名... - 2016/07/20 23:18:37.55 vPDOCLT4P 265/529





 第13話 「ぼくは円環の理に勝って欲しい」




394 : 以下、名... - 2016/07/20 23:21:47.11 vPDOCLT4P 266/529


 夕暮れに染まる見滝原中。


 まだ舗装の真新しい校門前の通りにて。

 巴マミは困惑していた。



後輩「どもえぜんばいぃーーーー!

    私のこと忘れないでくださいねぇーーーー!!」


マミ「え、ええ・・・」



 後輩の少女が恥ずかしげもなく抱き着き、マミの胸に顔をうずめて大泣きしていたのだ。



マミ(確か2年生の委員長の子よね。私とそこまで深い交友だったっけ・・・?)



 戦いにばかり傾倒し、『昼の時間』を軽視したりすぐに忘れたりする魔法少女は少なくないが。

 それを差し引いたとしても、マミが困惑するのも無理はない。



 なぜならこの後輩がマミとまともに会話をした回数など、実際は片手で数えられる程度だったからだ。



 つまるところ彼女の思い出とやらは、(捏造とまではいわないが)彼女の中にしかない美化された記憶でしかなく。

 マミにとっては特別でも何でもない、無味無臭な『昼の時間』の一場面でしかなかったのである。


 最も。

 魔法少女でなくても、人間関係というのは往々にして、よく一方通行に陥るものなのだけれど。


395 : 以下、名... - 2016/07/20 23:25:21.88 vPDOCLT4P 267/529


 一頻り泣き喚いて冷静になったのち、後輩の少女は勢いよく頭を下げる。



後輩「みっともないところを見せて、すいませんでした!!」


マミ「・・・」



 マミはしばし目を細める。


 彼女のことはよく知らないが、こんな実直な態度には好感を持たずにはいられなかった。

 こんな風にはっきり泣いたり笑ったりできる素直さは、マミの持っていない長所であり。

 過酷すぎる経緯故に、魔法少女・巴 マミには、持つことすら許されなかった心でもあった。



マミ「いいのよ、嬉しいわ。

    まさか私の卒業で、泣いてくれる人がいるなんて思わなかったから」



 ちなみに、両者の与り知らぬところではあるが。

 かつてマミはこの後輩の人生を救っている。

 彼女はかつて友人関係の軋轢に嫌気がさし、

 自暴自棄になった心を魔獣達に食われそうになったことがあったのだが。

 やはりというか当然というか、その魔獣達はマミに討伐された。


 重ねて言うが、両者は助けたことも助けられたことも知らない。

 けれども『袖振り合うも他生の縁』とでも言うべきか。

 徳や業というものは、巡り巡って、自分の下へ帰ってくるもので。

 彼女たちには彼女たちの見えない部分で、深い絆が存在していた。


396 : 以下、名... - 2016/07/20 23:27:30.07 vPDOCLT4P 268/529


 後輩は頭を下げたまま声を上げる。



後輩「みっともないついでに、巴先輩のリボンください!」


マミ「それはいいけど、ごめんなさい。明日の卒業式が終わったらね」


後輩「はい! それではまた明日!」


マミ「ええ、また明日」



 きびきびと手を振る後輩の背を見つめながら、マミは困ったように笑う。

 「そういえば私、先輩だったんだなぁ」などと、今更の様に感傷に耽りながら。


397 : 以下、名... - 2016/07/20 23:30:49.59 vPDOCLT4P 269/529


 後輩が去ったのを見計らったように、今度は同級生が飛び出す。



キリカ「よぉ! モテモテだな、恩人!」


マミ「呉さん・・・」



 アレ系な同級生、呉 キリカ。

 真っ先に目が付くのはド派手な改造制服である。

 『壊れた私』を演出するパンクなファッションは、多くのクラスメイトから距離を置かれるに十分な理由だった。


 この世界のキリカもまた、魔法少女の素質を持っていたのだが。

 結局キリカは、命を賭けてまで叶えたい願いを見つけることはできなかった。


 加えて説明すると。
 
 願いを叶えるタイミングを見失ったキリカは、

 厨二病(暗黒系)を拗らせ、キャラが若干おかしくなっていた。



キリカ「恩人! キミと過ごした一年間、悪くなかったぜ! 明日は最高の卒業式にしてやろうな!」


マミ「えーっと・・・」



 キリカは瞳の端に薄く涙を浮かべ、情熱的にサムズアップしている。



マミ「そうね、私も最後の中学生活をあなたと過ごせて楽しかったわ」



 これはいつも魔法少女の後輩たちにばかり気を配り、昼の時間にほとんど放置して生きてきたマミに非があるのだが。

 いつの間にか学園内でのマミの周囲には、暑苦しくてしょっぱい青春活劇が展開していたのだった。


398 : 以下、名... - 2016/07/20 23:32:36.34 vPDOCLT4P 270/529


 ――巴宅


 自宅に着いたマミはようやく一息を着くことができた。

 リボンを解き、ブラウスを脱いで、Yシャツの第一ボタンを外す。



マミ「ふぅ、まったく・・・。

   こんな色々立て込んでいる時期にクーデターだなんて、暁美さんももう少しタイミングを考えて欲しいわね」


マミ「いえ・・・。こんな時期に起こしてくれたからこそ、感謝しなきゃいけないのかしら」



 マミは手に持った制服のリボンに視線を落とした。



マミ「魔法少女のことを考えずに学校に通ったことなんて、ほとんどなかったな・・・」



 マミは思い出したように、脱ぎ捨てたブラウスを丁寧にハンガーにかけた。



マミ「そっか、魔法少女の未来がどうなろうと。

   私がこの制服を着て学校に通えるのは、明日で最後なのね」

399 : 以下、名... - 2016/07/20 23:34:45.28 vPDOCLT4P 271/529


 普段はひとりぼっちでいる時間の多いマミだが。

 本日はなぜか来客が絶えない。


 聞きなれたあの抑揚のない声が響いた。



「やぁ、マミ。そろそろ話しかけてもいいかい?」


マミ「キュゥべ――、いえ。

   こんな風に空気を読むってことは、カミオカンデの方かしら?」


カミオカンデ「正解だよ」



 青い眼のインキュベーターは、いつの間にかマミの机の上に座っていた。



マミ「今までどこへ行っていたの?」


カミオカンデ「赤い眼のぼくにいろいろ話を聞いていてね、気になったことが幾つかあったものだからさ」



 どうやらこの精神疾患個体のインキュベーターは、特に迫害などされるわけでもなく。

 ほむらの配下となった通常個体達と情報交換をできる程度の関係を築いているようだった。


400 : 以下、名... - 2016/07/20 23:37:57.23 vPDOCLT4P 272/529


 だけれど、マミにとってこの訪問は喜ばしいものだった。

 いや。むしろマミはカミオカンデの訪問を、今か今かと待っていた。



マミ「カミオカンデ、教えてもらってもいい?」



 マミは待っていたとばかりに、今までずっと後ろ髪を引かれる様な思いをしてきた疑問を問う。



マミ「暁美さんからエネルギーを回収するって言っていたけれど・・・。

   まさか暁美さんを魔女にするつもりじゃないでしょうね?」



 ほむらの宣戦布告に対してあれだけ憤っていたマミだが。

 やはり彼女は魔法少女の廃止云々よりも、後輩の行く末の方が気がかりだったようだ。

 もしも暁美ほむらのクーデターが、本人の魔女化という惨劇を前提に成り立つものなのだとしたら、

 何が何でも阻止しなければいけないと思っていた。



カミオカンデ「そこはぼくも気になって問い詰めたよ、どうやらその心配はないらしい」



 カミオカンデの銀の輪が揺れ、マミの脳裏に映像が送られる。

401 : 以下、名... - 2016/07/20 23:42:49.59 vPDOCLT4P 273/529


――まるで、教育番組の中のような世界で。

   宇宙空間の中にある一個の恒星のような光景だった。


 それはインキュベーターの結界の中で急速に燃焼していき、

 まるで寿命を迎えた白色矮星のように、枯れ果てていくダークオーブのシミュレーションだった。


カミオカンデ

「ほむらが円環の理と融合し、新たな世界へパラダイムシフトしたときに起こるのは、

 希望から絶望の相転移ではなく、有から無への燃焼反応になる。

 全ての魔法少女の因果を巻き込んだほむらのダークオーブは、

 莫大エネルギーを生み出しながら一瞬で燃え尽きて、塵も呪いも残さない。

 断言してもいい。

 このエネルギー回収による、人類やこの星の環境への影響は一切ないよ」


カミオカンデ

「これは魔女化の際のエネルギーの回収手順とほぼ同じだけれど。

 最後の感情は『絶望』ではなく『愛』らしい。

 その辺りの心の在り方は、ぼくの情操段階ではよくわからないけれどね」


マミ「よくわからないけれど・・・、暁美さんも他の人たちも安全なのね?」


カミオカンデ「そうだね。ただほむらに関しては文字通り命を燃やし尽くした後だから、生きてはいないけれど」


カミオカンデ

「それでも、安全に事を成すにはかなり大掛かりな準備が必要になるらしい。

 赤い眼のぼく達のほとんどはそのシステムの増設のために駆り出されている。

 だから選挙の際、魔法少女達に干渉する余力はないから、安心していいそうだよ」


マミ「そう・・・」



 とりあえずは一安心だが、マミの中には少しだけ失望の念があった。

 『確かに存在している誰かが明確に犠牲になる変化』だったのなら、迷わず戦うことができたのに。

402 : 以下、名... - 2016/07/20 23:47:34.06 vPDOCLT4P 274/529


――映像は途切れ、マミの意識は再び現実世界の自分の部屋の中へ戻る。


 気付けばカミオカンデは窓の外にある空を見上げていた。

 その青い瞳には、遥か遠い故郷の姿が浮かんでいるのだろうか。



カミオカンデ「待ちに待った時が来たんだ、ぼく達はこのチャンスをずっと待っていた」



 カミオカンデの抑揚のない声にも、どこか熱を帯びているような響きがある。



カミオカンデ「ほむらが当選できれば、宇宙の熱的死は半永久的に先延ばしにできる。

         ぼく達も、この宇宙にある数多の他の星の文明も。

         エネルギーの枯渇に怯えずに、繁栄を続けていくことができる」


カミオカンデ「これこそぼく達が夢見た、楽園そのものだ」



 しかし、その静かな熱狂は長くは続かなかった。

 そこまで言うとカミオカンデの演説は途切れ、しばし黙り込んでしまったのだ。



カミオカンデ「そうだね・・・。ぼく達の目標の達成はすぐ手の届くところまで来ているのに、なぜだろうね」


カミオカンデ「悔しいよ」


403 : 以下、名... - 2016/07/20 23:50:02.22 vPDOCLT4P 275/529


カミオカンデ「こんなに簡単に解決できてしまう問題だったのなら。

         ぼく達が今までやってきたことや、犠牲になってきた魔法少女達は、一体何だったんだろうね」



 青い眼のインキュベーターは、円環の理支配計画の第二段階で生み出された存在だった。

 円環の理の存在を観測できたのなら。

 次はカミオカンデのようなソウルジェムモドキを片っ端から円環の理に送り込んで、

 円環の理に何らかのリアクションがあるのかを探るという実験が執り行われる手はずだった。


 だが。

 カミオカンデはそんなモルモットのような役割すら果たせず、廃棄された。

 無意味に、無価値に。

 ただ引っ越し後のガラクタのように投棄されていた。


 不要となった青い眼は、何を思うのだろうか。



カミオカンデ「自分でも非合理的な考えだと思う。

         だからこれはあくまで、インキュベーターとしての物ではなく。

         精神疾患を起こした異常個体の妄言として聞いてもらいたいのだけれど・・・」


カミオカンデ「ぼくは、円環の理に勝って欲しい」

404 : 以下、名... - 2016/07/20 23:51:05.34 vPDOCLT4P 276/529



 気づけば、マミは泣いていた。

 カミオカンデを強く抱きしめて、ただただ静かに泣いていた。


410 : 以下、名... - 2016/08/08 23:47:31.27 R7HNRDEQP 277/529


――見滝原中学校の卒業式の前日。


 茜色の光が差す、2年生の教室の中。

 卒業生を送るアーチの制作を自ら立候補したさやかは、

 同人誌作家などが口々に言う、いわゆる修羅場という状態に陥っていた。



さやか「うおおおおおお! 終るわけがねぇーーーー!!」



 耐えかねたさやかが頭を抱えて机に突っ伏す。

 その様子を、さやかの友人である志筑 仁美が神妙な面持ちで眺めていた。



さやか「ごめん、仁美! ほんっとーにごめん! こんな遅くまで手伝わせちゃって!!」


仁美「いえ、大丈夫です。それに」



 コトリ、と。

 仁美がハサミを机に置いた。



仁美「私も、さやかさんと二人きりで話したいと思っておりましたので・・・」


さやか「・・・」



 さやかは少しだけ目を逸らした。

 「話したいのは十中八九、あいつのことなんだろうなー」などという、確信めいた予感を抱きながら。

411 : 以下、名... - 2016/08/08 23:48:34.87 R7HNRDEQP 278/529


 仁美は、音もなく深呼吸を1つしてから、しっかりとさやかの目を見た。



仁美「上条くん、やっぱり高校は普通科を志望するそうです」


仁美「天城くんに負けたあの日から、すっかりしおらしくなってしまいまして・・・」



 さやかは瞳を閉じ、少しだけ黙った。



さやか「そっか」


さやか「まー、仕方ないよね。天城がいたんじゃあさ。

     恭介を贔屓目に見ているあたしだって、アイツはすごいと思うもん」


412 : 以下、名... - 2016/08/08 23:52:21.20 R7HNRDEQP 279/529


 さやかの魔法少女の契約によって腕が完治し、学生音楽界に復帰した上条 恭介だったが。

 彼の前には息つく間もなく、新たな壁が立ちはだかった。

 恭介は天城 真人というライバルにぶち当たり、そして完膚なきまでに玉砕していたのだ。



 天城 真人。

 彼の名誉のために一応補足しておくと、

 (少なくとも直接的には)彼の実力に、魔法少女の奇跡は一切関与していない。



 彼は人間としての力だけで、上条 恭介を超越せしめた『本物』だったのだ。


 家柄と魔法で虚飾された上条 恭介に、彼は実直にも正面から立ち向かい、そして堂々と勝った。

 いや音楽の世界に勝ち負けの線引きなど、明確には存在しないのだけれど。

 少なくとも「天城の音色の方が好きだ」という人間が多かったのだ。

 奇跡や魔法になんか頼らなくても、

 元より優れた演奏家には人の心を動かす力があっということを、彼は証明して見せた。


 上条 恭介の夢は、ここで折れた。

 全力を出し切ってなお、骨も残さぬ完全燃焼で敗北した。

 以降、彼がバイオリンに傾倒する時間は、日に日に少なくなっていくことになる。

413 : 以下、名... - 2016/08/08 23:53:55.68 R7HNRDEQP 280/529


 気付けば、仁美は俯きながらスカートの端を握りしめていた。



仁美「いいんですか・・・?」


さやか「・・・」



 仁美は机を叩いて立ち上がる。

 その目には涙が滲んでいた。



仁美「いいんですか!? こんな結末で!!」


仁美「上条くんの為にあなたがどんな思いで! 上条くんの手を治すためにあなたは!!」



 普段は温厚な彼女が珍しく怒っていた、怒り狂っていた。

 恭介に、さやかに、そして自分自身に。



仁美「こんな・・・、こんな結末! 裏切り以外の何物でもありません!!」

414 : 以下、名... - 2016/08/08 23:56:17.15 R7HNRDEQP 281/529


 2人の間に、しばしの沈黙が流れた。

 さやかは1つ深呼吸をしてから、静かに仁美に向き直った。



さやか「仁美さ、それどこで知ったのかな?」


仁美「・・・」


仁美「雅さんという方から教えていただきました」



 選挙という対戦形式が決定したとき、

 即座にシイラは円環の理打倒の策を発動していた。


 魔法少女だった頃、最も近しい友達だった美樹さやかが離反すれば、

 『人間の心を取り戻した円環の理』は戦いを続けることができない。


 『魔法少女は人間で倒す』。

 奇妙な思想から作られたその矢は、円環の理の急所へ容赦なく放たれた。



仁美「私は魔法少女なんて廃止にされてほしいです!

    こんな、こんなの・・・っ! あまりにも報われないではありませんか!!」

415 : 以下、名... - 2016/08/08 23:59:18.50 R7HNRDEQP 282/529


 さやかは腕を組んで、しばし考えに耽る。

 仁美は気づけば手のひらに爪が食い込むほどに、強く拳を握っていた。


 ふと、さやかが口を開く。

 難題を提示するスフィンクスのような、哲学的な光を湛えながら。



さやか「仁美。『願いが叶ったせいで後悔する』のと『願いが叶わなかったせいで後悔する』の、どっちがいい?」


仁美「そ、それは・・・」



 一瞬怯んだ様子の仁美だったが、すぐさま再び厳しい顔つきに戻る。



仁美「そんなのどっちも嫌です!」


さやか「だよね、私も嫌だわ。じゃあ質問を変えてみよう」



 次の瞬間。

 仁美の頬から零れ落ちた涙が、虹色の輝きを放って宙に溶けた。

 さやかの左手には、不完全なメフィストフェレスの戒めを破り、海のように澄んだ青い色を放つソウルジェムがあった。



仁美「これは・・・?」


さやか「『願いが叶って満足する』のと『願いが叶わなくても満足する』のはどっちがいいかな?」


仁美「・・・」



 呆気にとられる仁美を見つめ、さやかは悪戯っぽく笑った。



さやか「あたしは断然、叶って満足する方がいいな」


416 : 以下、名... - 2016/08/09 00:01:51.03 zcjM/8iqP 283/529


 さやかがソウルジェムを握ると、それは左手の中指に指輪の様に収まった。



さやか「あたしの奇跡は、こんな情けない終わり方になっちゃったけどさ。

     それでも自分の命と引き換えにしてでも願いを叶えたいって子は、絶対どこかにいると思うんだよね」


さやか「そんな子が一人でも残っているなら、やっぱり私達の代で魔法少女を廃止にしちゃダメだよ」



 仁美は歯を食いしばって俯いた。



仁美「それでは、さやかさんは・・・」


さやか「仕方ないよ。それに、あたしだってそれを承知で魔法少女になったんだもの」



 さやかは静かに瞳を閉じた。



さやか「人の心っていうのは、幸か不幸か変わるもの。

     後悔なんてあるわけないかと思ったら、すぐに自分の馬鹿馬鹿しさを悔んだり。

     命を賭けてもこれだけは守りたいと思ったら、もっと好きなものが後からひょっこり現れたり」


さやか「わかんないもんだよね、人生って」


仁美「・・・」


さやか「恭介は音楽を諦めることを選んだ。

     それならそれでいいじゃない。恭介は楽器じゃなくて人間なんだからさ」



 仁美は力なく座った。



仁美「無駄なんですね、私が何を言っても・・・」


さやか「うん、ごめんね」


さやか「私は後悔、してないんだよね。全然」


417 : 以下、名... - 2016/08/09 00:04:26.64 zcjM/8iqP 284/529


 仁美は押し黙っていた。

 なんだか気づかない内に、自分の知る親友が、遠く離れてしまったような気がした。


 いや、自分が気付いていなかっただけで。

 恋敵として襷を分かったあの日には既に、

 さやかはもう手の届かない場所へ行ってしまっていたのかもしれない。


 だとしたら、最後にその手を払ったのは、自分自身だろう。



仁美「わかりました」



 長い長い沈黙の後、仁美は口を開いた。



仁美「じゃあ、仕方ないですね」



 仁美は橙色の光に温められた液体のりを、再び手に取った。



仁美「それでは急いで作りましょうか。いくら魔法といえど、卒業生を送るアーチは作れないんでしょう?」


さやか「ありがとうね」



 仁美は窓の外の沈みゆく陽を眺めた。


418 : 以下、名... - 2016/08/09 00:06:17.15 zcjM/8iqP 285/529


 もしかしたら、さやかは明日にでも消えてしまうのかもしれない。

 誰にもわからないまま、ドライアイスが溶けてなくなるように跡形もなく。

 自分の前から、この世界から。


 もしもそうなったのなら。


 自分だけでも、ずっとさやかのことを覚えていよう。

 何があっても、彼女の優しさと正義を忘れないようにしよう。


 それが魔法の使えない自分にできることだから。

 それが魔法少女から奇跡を賜った人間が、魔法少女に送ることのできる唯一の敬意だと思うから。

419 : 以下、名... - 2016/08/09 00:09:52.48 zcjM/8iqP 286/529


 仁美はさやかに何かを言いたかった。

 お礼でも別れでもなく、ただただ何か言葉を送りたかった。


 けれども、こういう時には何と言えばいいのだろうか。

 生憎、中学生の貧弱な語彙では、ピタリと当てはまるような言葉を見つけることはできない。



仁美「さやかさん」


さやか「?」



 散々の逡巡の末。

 ようやく思いついた答えがこれだった。



仁美「お達者で」



 さやかはしばし呆気にとられたようにポカンとしていたが、

 ようやく意味を理解できたようで、にっこりと微笑みを返した。



さやか「うん。仁美の方こそ、お達者で」



 どうやらちゃんと想いは伝わったようだった。

420 : 以下、名... - 2016/08/09 00:12:01.88 zcjM/8iqP 287/529


――見滝原中学卒業式前日。

  風見野の佐倉聖学院にて。


 斜陽の光がステンドグラスを彩った。

 丁寧に磨かれたその彩色のガラス細工は、見ている者の心を鎮静させる作用があるという。

 穏やかな表情で微笑む聖母は、破門された現在でも、この教会を優しく見守っていた。



佐倉神父「いえ、私は仲介をしただけですから」



 佐倉神父は通話中だ。

 電話口の相手は、何度も何度もお礼を言っていた。



佐倉神父「ええ、それではこちらこそありがとうございました。

       また日を改めてお電話させていただきますので・・・」



 佐倉神父は相手の通話が切れたのを確認してから、静かに受話器を置いてため息をついた。


 ここまでの大仕事をしたのは、神父になってから初めてだった。

 人を救うということは、ここまで難解で複雑なことだったのに。

 それを愛と信仰だけで乗り切ろうとしていた時期が自分にあったことには、全く顔から火が出る思いだ。



 本日、千歳 ゆまという虐待を受けていた少女が、父方の祖父の家に引き取られた。

 戸籍や資料を漁り、何度も多くの家にアポイントを取り、数え切れないくらい頭を下げてようやく掴み取れた結果だった。



 本当に、生まれて初めて誰かを救うことができた気がした。

 佐倉神父は手の平で顔を覆い、しばしその燃え尽きたような心地よい余韻に浸っていた。

421 : 以下、名... - 2016/08/09 00:13:44.40 zcjM/8iqP 288/529


 佐倉聖学院は某公益財団法人に吸収され、

 その事業の一端を移譲されるような形で機能していた。


 佐倉神父の『プロパガンダ能力』を十全に把握した上での人事異動であり。

 彼を真っ当に社会の一員として機能させる、気味が悪いほど完璧な采配だった。


 その公益財団法人は、雅 シイラの傀儡と化しているということは、今更説明する必要はないだろう。


 木の戸を叩き、見滝原中学の制服を着た少女が入ってくる。

 その表情は落ち着いているわけでも昂っているわけでもなく、ただただ静かに影を落としていた。



杏子「ただいま」


佐倉神父「おかえり、杏子」



 杏子はしばし躊躇ってから、父の目を真っ直ぐに見て告げた。



杏子「父さん」


杏子「雅 シイラ、魔法少女だって」


佐倉神父「・・・」



 佐倉神父は目を見開いて息を飲んだが、静かに深呼吸をしてから答えた。



佐倉神父「そうか」


佐倉神父「まぁ、そうなのだろうな」

422 : 以下、名... - 2016/08/09 00:15:33.33 zcjM/8iqP 289/529


 杏子はそわそわと目を泳がせながら。

 机に座り、ジュースのペットボトルを開ける。



杏子「驚かないの?」



 佐倉神父は開いていたノートパソコンに視線を落とす。



佐倉神父「・・・」


佐倉神父「驚かないさ。彼女のような人の域から逸脱した優秀さを持つ子どもがいるとするなら、むしろ納得だよ」



 画面には信じられないほど効率的なデータベースソフトが開かれていた。

 それはまるで蜘蛛の巣のような複雑な経路を以って、見滝原と風見野の町を監視していた。


 データベースソフトの名は、『パノプティコン』。

 有識者が聞いたら顰蹙を買うような、挑発的なネーミングセンスだった。


 名義は当然ながらに雅 シイラだ。

 彼女自身が作ったのか、それとも彼女が他の人間を動かして作らせたのか。

 もはやここまでくると、それは些細な違いだろう。

423 : 以下、名... - 2016/08/09 00:17:48.42 zcjM/8iqP 290/529


 杏子は父のどこか諦めたような目を認めると、気まずそうに目線をペットボトルのラベルに落とした。



杏子「父さんはさ、やっぱり魔法って認められないのかな・・・」


佐倉神父「・・・」



 佐倉神父は、しばし押し黙る。



佐倉神父「魔法は異端だ。魔法という力は、私のような『普通の人間』の努力を否定するものだ」


佐倉神父「正直、杏子の起こした奇跡も含めて、魔法という存在は今でも受け入れられない」


杏子「・・・」



 杏子がラベルに爪を立てた。



佐倉神父「けれども」



 佐倉神父は穏やかに微笑んで、ノートパソコンを閉じる。



佐倉神父「杏子や雅さんのような素晴らしい子が活躍できるなら。案外、魔法のある世界も捨てたものではないとも思う」


杏子「!」



 杏子が慌てて佐倉神父の方を振り向く。


424 : 以下、名... - 2016/08/09 00:19:05.80 zcjM/8iqP 291/529


 杏子が振り返った時、佐倉神父は平伏していた。

 彼は実の娘に三つ指をついて、深々と頭を下げていた。



佐倉神父「すまない、杏子。こんなポンコツな父親で。

       本来犠牲になるべきなのは、少女ではなく我々大人のはずなのにな」



佐倉神父「『奇跡を願う必要のない世界』を残してやれなくて・・・、本当に申しわけがない」


杏子「・・・」



 杏子は呆然として立ち尽くしていた。

425 : 以下、名... - 2016/08/09 00:20:39.69 zcjM/8iqP 292/529


杏子「時々、夢を見るんだ」



 頭を下げる父親を見て。

 実の娘に許しを請う父親を見て。

 杏子の中で燻っていた呪いの感情が、一気に噴出した。



杏子「その夢の中で。父さんはアタシのことを、悪魔に魂を売った魔女と罵っていた」


杏子「与えられた奇跡なんかに意味はないって、アタシの力は人の心を惑わす邪悪な力だって」


杏子「何度も否定された」



 不完全なメフィストフェレスの表面加工がボロボロと剥がれ落ちていく。

 彼女の魂が煌々と脈打つ。



杏子「それが今度は、食うに困らなくなったから『許してください』だと?」



 ソウルジェムの枷が外れ、血のように赤い閃光が部屋に満ちた。

 怒りに満ちた表情の杏子は槍を振りかざし、切っ先を佐倉神父に向けていた。



杏子「テメェ、それでも父親か!?」



 間を置かず、佐倉神父の声が返る。



佐倉神父「それでも、父親なんだ」


杏子「!?」

426 : 以下、名... - 2016/08/09 00:22:15.67 zcjM/8iqP 293/529


 佐倉神父は頭を下げたまま、懺悔を続ける。



佐倉神父「自分のことなんだ、誰よりもわかる。

       きっとそれが本来あるべき私の姿で。綱渡りの様な奇跡の連続から、今の私があるのだろう」


佐倉神父「一歩でも間違えば、そんな惨めで無責任な者に、私はなっていた」


杏子「・・・」



 刺すような真紅の光が目に見えて弱っていく。

 杏子は自分の中にある呪いや恨みが、急速にしぼんでいくのを感じた。



佐倉神父「無力な父と罵ってくれてもいい。私を見限ったのならば、その時は遠慮なく切り捨ててくれても構わない」


佐倉神父「けれども・・・、それでも」


佐倉神父「どうか、君が一人の大人として成長できるその日まで。私の娘でいてはくれないか」


杏子「・・・」



 杏子の槍が、砂のように崩れた。


427 : 以下、名... - 2016/08/09 00:24:22.30 zcjM/8iqP 294/529


 杏子はソウルジェムを指輪の形状にする。

 左手の中指に、それは静かに収まった。



杏子「わかんない、そんなこといきなり言われてもわかんねぇよ」


佐倉神父「そうか」


杏子「だから、えーっと・・・」



 制服姿に戻った杏子は、また視線を泳がせる。



杏子「だから、答えは『保留』で」



 今度は杏子の方がぎこちなく頭を下げた。

 脈絡がメチャクチャなように思えるが、動揺している時の人間の行動など、こんなものなのだ。



杏子「しばらくお世話になります・・・、父さん」


佐倉神父「ああ、任された。今度こそ失望されないように頑張ってみるよ」

428 : 以下、名... - 2016/08/09 00:25:28.19 zcjM/8iqP 295/529


 杏子は緊張の糸が解けたようにふにゃりと笑い、慌ててそれをいつもの小生意気な笑みに変えた。



杏子「じゃーね、晩御飯の時になったらまた呼んで!」


杏子「ちょっと未来に行ってくる!」


佐倉神父「そうか」



 佐倉神父は顔を上げた。



佐倉神父「いってらっしゃい」


杏子「ああ、いってきます!」



 杏子は携帯電話を片手に階段を駆け上がる。

 画面には『通話中』『マミさん』と文字が表示されている。



杏子「あー、マミ。やっと覚悟できた。選挙、絶対勝つぞ!」


杏子「この世界は、ほむらになんか渡さねぇ!」

436 : 以下、名... - 2016/08/28 23:19:39.72 K5E20JkSP 296/529





 第14話 「どうか、ご武運を」




437 : 以下、名... - 2016/08/28 23:22:04.24 K5E20JkSP 297/529


 見滝原プリンセスホテル。

 そこには3人の悪魔が集結していた。


 シイラはベッドに腰かけながら紙をヒラヒラとさせている。



シイラ「前代未聞の改革を賭けた選挙なのに、随分と早急・短期間で行うね。

     選挙管理委員長のエニシちゃんは、よっぽど宗教戦争が怖いようだ」


シイラ「『クーデターは認めるけど、暴力は断固拒否する』。何というか、魔法少女らしいね」



 シイラは指で紙を弾いた。

 全ての魔法少女の命運を分ける選挙の要項の書かれた紙が、ひらひらと宙を舞って床に落ちる。



シイラ「まあ、85点ってところかな。これでほぼ目標達成だ、やったね」



 カガリはベッドに寝転びながら、猫のようにシイラに甘えている。

 シイラが左手で髪を撫でると、蕩けたように頬を摺り寄せた。



シイラ「首尾よく進んだよ。これも全部、カンナちゃんが上手く環 エニシを誘き出してくれたおかげだ」




 壁にもたれて立っているカンナが、皮肉めいたように笑う。



カンナ「よくそんな白々しいことが言えるな、本当は捨て駒みたいな扱いだったくせに」


シイラ「そうだね、言い訳はしないよ。けれど元より戦いは覚悟の上だっただろう?」


シイラ「『人を呪わば穴二つ』ってね」


カンナ「ふん・・・」



 カンナは腕を組んで、再び瞳を閉じる。

 その様子は憑き物が落ちたように穏やかだった。


438 : 以下、名... - 2016/08/28 23:25:52.89 K5E20JkSP 298/529


シイラ「じゃあ二人ともお疲れさま。

     これにて任期満了、ミッションコンプリート。ここからは各自自由行動ってことで」


カガリ「はーい!」


カンナ「最後まで食えない女だ」



 シイラは空いた右手でカンナを指さす。

 その指先には、件の極彩色の世界が蜃気楼のように見え隠れしていた。



シイラ「さて、カンナちゃん。報酬の話だけれど・・・、本当に神那 ニコを人間に戻さなくてもいいのかな?」


カンナ「結果オーライだ。いいよ、戻さなくて。

     ほむらさんの世界が実現するなら、私が余計なことをする必要はないだろう」


シイラ「そっか、残念。魔法少女だった頃は、喉から手が出るほど欲しかった魔法だけれど、意外と使う機会が少ないね」



 カンナはポケットから音楽プレイヤーを取り出すと。

 シイラに背を向けて、出口へ向かっていく。



シイラ「どこ行くの?」


カンナ「帰るんだよ、あすなろに。

     年頃の女がいつまでもこんなところで集まっていたら、いい加減不気味がられるだろう」


シイラ「そっか、もう会うことはないのかな?」


カンナ「たぶんな」


シイラ「ばいばい、ありがと、さようなら」



 カンナはイヤホンを耳に着けながら、横目でシイラを流し見た。



カンナ「『友達として』警告してやるけどな。

     シイラ、なんでもかんでもお前の思い通りになると思ったら大間違いだぞ」


シイラ「・・・」



 バタリ、と扉が閉められる。



シイラ「思い通りになるとは限らない、ね」


シイラ「百も二百も承知だよ、そんなことは」



 閉められた扉へ向けて、シイラはそう呟いた。

439 : 以下、名... - 2016/08/28 23:28:09.70 K5E20JkSP 299/529


 カンナが去るのを見届けると。

 カガリはシイラの後ろに回り込んで、首に腕を絡めた。



カガリ「ねー、シイラさぁん。私へのごほーびは?」



 シイラは苦々しく笑い、軽くカガリの腕を解いて立ち上がる。



シイラ「あー、うん、えーっと。なんだったっけかな、カガリちゃんへの報酬って」


カガリ「やだなぁ、とぼけちゃって」



 カガリはうっとりと目を細めた。



カガリ「教えてよ、私のトバリの本当の使い方」


シイラ「・・・」


シイラ「今更だけどね、カガリちゃん。復讐をやめる気はないのかい?」



 シイラはカガリの地雷原(ブラックゾーン)に足を踏み入れてしまう。



シイラ「私ならツバキの代わりになることだってできるんだよ?」

440 : 以下、名... - 2016/08/28 23:30:59.29 K5E20JkSP 300/529


 次の瞬間。

 紅い重金属の茨が、監獄の有刺鉄線のように張り巡らされた。


 中でもシイラの周囲には、まるで雁字搦めのように密集し、身動きを完全に封じている。

 こんな状態で1つも傷がついていないのは不思議なくらいだった。



カガリ「シイラさん、冗談でもそういうこと言ったら殺しちゃうよ?」


シイラ「・・・」



 シイラは深くため息をつく。



シイラ「やるせないね、わかっていたこととはいえ・・・」


シイラ「このままじゃ足が攣りそうだから、とりあえず茨は外してくれ。逃げたりしないから」



 カガリが指を鳴らすと、茨は霞のように消え失せた。



シイラ「カガリちゃん、これ以上何を求めているんだ?」


シイラ「君のその嘆きの森は、世界の全てに対して後出しジャンケンで対応できる。

     こんなの私が強化するまでもなく、最強の魔法じゃないか。これ以上どうしろって言うんだよ」



 カガリは目を細めた。

 その瞳の奥には身も凍るような、幼い残酷さがあった。



カガリ「ううん、こんなんじゃ全然足りないよ。

     マツリとスズネちゃんには、もっともっと苦しんでもらわなきゃ」


カガリ「そう。魔女がいた頃みたいに、ね」


シイラ「・・・」



 シイラは手の平でしばし額を覆っていたが、やがて決心をしたかのように口を開く。



シイラ「オーケー、それじゃあとっておきの使い方を教えよう」


シイラ「ただし、奥の手中の奥の手だぜ? これを使って負ければ、君は死ぬよ」



 幼い喜びが、カガリの嗜虐心に火を着けた。



カガリ「あっは、いいね。そういうの大好き!」


441 : 以下、名... - 2016/08/28 23:34:57.30 K5E20JkSP 301/529


 日が暮れて薄暗くなったホテルの一室に、シイラは残っていた。

 カガリが軽やかな足取りでここから去ってから1時間ほど経つ。



シイラ「さて・・・」



 シイラはダークオーブをタブレット端末へ変えた。



シイラ「今更どうにかできるとは思えないけれど、いい加減鬱陶しいね」



 シイラの瞳に、仄暗い光が宿った。



シイラ「私の聖域を土足で踏み荒らす、愚かなウサギが一匹いる」



 シイラはタブレット端末を操作する。

 シイラの鼓動に合わせるように、裏側に描かれたサソリのエンブレムが明滅している。



シイラ「浅古小巻・・・、1年前のニュースで名前が出ているね。

     火災現場から奇跡の生還、魔法少女の契約を結んだのはこの時かな?」


シイラ「いいだろう、せいぜい遊んでやるよ」



 タブレット端末が再び、ブレスレット状の形に戻った。



シイラ「骨の髄まで教えてやろうじゃないか、悪魔の本当の恐ろしさってやつをね」


445 : 以下、名... - 2016/09/11 23:26:37.32 zRoIW5BFP 302/529


 正午。

 見滝原の高層ビルの屋上にて。


 そこには美国 織莉子、牧 カオル、御崎 海香の3人の魔法少女が集まっていた。

 織莉子は『雅 シイラ』の情報が漏洩することを覚悟した上で、

 あすなろ市から海香を増援として呼んだのだ。


 しばし瞑想を続けていた海香は、パタリと魔導書を閉じた。



海香「信じられないわ、見滝原市はまるで監獄よ」



 見滝原市に張り巡らされた魔力の導線を一本一本丁寧に辿っていた海香だったが、

 同年代の少女と比べて異常に根気強い彼女ですら、これ以上の解析は無意味だと悟った。



海香「魔獣を打ち消し、ソウルジェムを自動的に浄化する。

   こんなデタラメな世界も十分おかしいけれど、それ以上におかしいのはこのセキュリティね」


海香「魔法少女はおろか、全ての人間の一挙一動さえ全て監視されているわ。

   恐るべき悪意が見滝原市を守護している」


海香「いえ・・・。これは悪意というより、愛情や執着と言うべきものなのかしら?」


織莉子「ということは、私たちの動きも?」


海香「筒抜けよ、迎撃してこないのが不思議なくらい」


織莉子「そう・・・」



 織莉子は静かに瞳を閉じる。

 予知の魔法が数多のシミュレーションを行い、織莉子の中で幾つもの選択肢が浮かんでは消えていた。


446 : 以下、名... - 2016/09/11 23:28:13.57 zRoIW5BFP 303/529


織莉子「それよりも海香さん。この奇怪な世界も、水槽さながらの監視体制も。

     あくまで見滝原市の内部に限った問題なのですね?」


海香「ええ、そうね。地図を切り取ったみたいに、全て見滝原市の中で完結しているわ」


織莉子「そうですか」



 織莉子は瞳を開く。

 結論が出た。


447 : 以下、名... - 2016/09/11 23:29:36.34 zRoIW5BFP 304/529


 織莉子は高層ビル立ち並ぶ純白の見滝原市を眼下に見下し。

 青空に吸い込まれるような声で、高らかに宣言した。



織莉子「聞こえているかしら、雅 シイラ」


織莉子「風魔協は、見滝原の調査をここで打ち切り、見滝原に対する一切の干渉を放棄するわ」



 『勝てない』、『どうしようもない』。

 それが織莉子の出した結論だった。



織莉子「故に」



 美国 織莉子は冷静だった。

 だからこそ、彼女は迷わずこんなことが言えるのだ。



織莉子「これから起こるであろう小巻さんの戦いは、全て彼女の独断専行よ」



 風魔協は、小巻を切り捨てたのだ。

448 : 以下、名... - 2016/09/11 23:31:44.20 zRoIW5BFP 305/529


 織莉子は見滝原市の街並みに背を向け、奥で控える海香に歩み寄った。



織莉子「ありがとう、海香さん。これが報酬よ」



 織莉子は海香に、野球ボールほどの大きさのグリーフキューブを手渡す。

 それは沙々の操っていた大型の魔獣が落とした物だった。

 海香はそれをしばし鑑定するように眺めた後、さも大事そうに懐に仕舞う。



海香「確かに受け取ったわ」



 そのやり取りを眺めていたカオルが、後ろ髪をひかれるような思いで口を開く。



カオル「織莉子先輩、本当に私たちは行ってもいいのか・・・?」


織莉子「あなた達の友人が回復した以上、あなたを繋ぎ止めることのできる理由は無いわ。私たちの同盟もここまでね」


カオル「でも・・・」


織莉子「見滝原を覆う影の正体を解析してくれただけで十分よ。

     それに私の目的は調査だったのだから。私もこれで、任務完了よ」



 織莉子は静かに笑い、ペコリと頭を下げた。



織莉子「短い間だったけれど、ありがとうカオルさん。あなた達の友人にもよろしくね」


カオル「・・・」



 歯を食いしばるカオルに海香は語り掛ける。



海香「カオル、目的を見失ってはダメよ。私たちは2つの物を同時に守れるほど強くない」


カオル「わかってるよ・・・」



 カオルは織莉子に力強く頭を下げた。



カオル「短い同盟だったけれど、ありがとうございました織莉子先輩! 何かあったら呼んでください!」


カオル「あなたの友だちとして、いつでも駆けつけます!」



 織莉子は口元に手を当てて笑った。



織莉子「ええ、頼りにしていますよ」


449 : 以下、名... - 2016/09/11 23:33:40.56 zRoIW5BFP 306/529


 ――


 カオルと海香は去り、一人残された織莉子は静かに空を見上げていた。



織莉子「小巻さん・・・」



 織莉子は静かに胸の前で、指を組んだ。



織莉子「どうか、ご武運を」



 支援するわけでもなく、増援を送るでもなく。

 織莉子は祈った。

 どの神に祈っているのかもわからないまま、ただただ彼女は祈った。

 彼女らしくもなく、祈りという非合理的な手段に走ったのだ。


 陽は少し傾いていた。

 彼女の予知魔法を以ってしても、明日小巻が帰ってくるのかどうかわからない。

450 : 以下、名... - 2016/09/11 23:35:00.16 zRoIW5BFP 307/529


 ――



 ファーストフード店にて。

 カンナは一人、不機嫌そうな顔をしてコーラを飲んでいた。


 格好をつけてシイラの下を去ったはいいが、これからどうしたらいいのかわからなかった。

 悪魔として魔法少女の域を逸脱したのだとしても、世界中の魔法少女が投票する選挙に対する影響力はたかが知れている。

 あとは選挙で暁美 ほむらに一票を投じるくらいしかやることがないのだ。


 何より、聖 カンナの物語は何一つ進んでいなかった。

 自分の心は今でも、神那 ニコのお人形のままだ。

451 : 以下、名... - 2016/09/11 23:36:45.92 zRoIW5BFP 308/529


「や、カンナ」



 一人の少女が、ポテトとジュースの乗ったお盆を持ってカンナの隣に立っていた。



「ここ座ってもいいか?」



 カンナは訝し気にその少女の顔を覗く。



カンナ「あー、えーっと・・・。カオル、だったか?」


カオル「そうだよ、牧 カオルだ。久しぶり」



 カオルはまるで友人に会ったかのように軽く笑うと。

 静かにお盆を置いて座った。



カンナ「どうしてここがわかった?」


カオル「織莉子先輩が最期にくれた予知魔法さ。ここならカンナに会えるだろう、ってな」


カンナ「ふぅん」



 カンナは行儀悪く、テーブルに肘をつく。



カンナ「で、何の用だ? ミチルがようやく円環送りになったのか?」


カオル「いや、ミチルは私がこっちに来ている間に立ち直ったよ。だから今からあすなろに帰るところだ」


カンナ「じゃあ、ますますわからないな」


カンナ「仕返しじゃなきゃあ、何しに来たんだよ。私たち、一月前には殺し合った仲だろ」



 カオルは困ったように笑いながら、しばしの逡巡の後にカバンを開いた。



カオル「これ、あんたに渡しとかなきゃって思ってね」


カンナ「なんだそれ」



 カオルは黙って、カンナに一枚のカードを渡した。



 それはメッセージカードだった。

 自分の分身へ向けた、神那 ニコの心からのラブソングだった。


452 : 以下、名... - 2016/09/11 23:38:51.05 zRoIW5BFP 309/529




―――

『聖カンナ』をお譲りします。

これよりあなたの人生はあなただけのものです。

親愛なる私の娘よ、あなたの未来に幸多からんことを願います。

―――



453 : 以下、名... - 2016/09/11 23:40:27.80 zRoIW5BFP 310/529


カンナ「・・・」



 カンナは呆然とした表情で、そのメッセージカードを見つめていた。



カオル「『聖 カンナ』の写真立ての裏に仕込んであったカードだよ。

     あんたがもう少し、自分の生まれた切欠に気づくのが遅かったのなら、自力で見つけられるはずだったんだがね」



 カオルは俯いていた。

 気が付けば、爪が食い込むほどに拳を強く握っている。



カオル「カンナ・・・、ニコはあんたを遊び半分で作ったわけじゃないんだ。ただ、ただ純粋に――」



 カンナは笑った。

 嘲るように、笑い飛ばすように。



カンナ「みなまで言うな、ちゃんとわかっているよ」



 その時の彼女の表情は、実に『悪魔的』だった。


454 : 以下、名... - 2016/09/11 23:42:38.96 zRoIW5BFP 311/529


 次の瞬間。

 カンナの手の中にあったメッセージカードが、燃えるように変色した。



カンナ「なあ、ニコに会わせろよ」


カンナ「あいつには一発ガツンと言ってやらなきゃ、腹の虫が収まらない」



 黒く変色したメッセージカードには、テルテル坊主のようなエンブレムが刻まれていた。


460 : 以下、名... - 2016/09/19 23:50:47.16 4EAFGMK6P 312/529





 第15話 「そんなん気にしてどーすんの?」




461 : 以下、名... - 2016/09/19 23:53:11.80 4EAFGMK6P 313/529



 ――


 そう遠くない昔の話。

 かつて、雅シイラは究極の魔法少女だった。

 一部の魔法少女にとって、彼女は円環の理以上に絶対的な存在だった。


 彼女が究極足りえた理由は、鹿目まどかのような『特別』ではなく、もちろん暁美ほむらのような『特異』でもなく。

 ただ単純に、『優秀』だったということに尽きる。

 彼女の魔法少女としてのカタログスペックは、特筆するほど秀でたものではなかったけれど。

 その人格は、人間社会という環境に完全に適応できた、魔法少女の最終進化形態と言うべき物だった。

462 : 以下、名... - 2016/09/19 23:57:39.00 4EAFGMK6P 314/529


 魔法少女の最大の天敵は、意外なことに人間という生き物だ。

 この星の遍く文明社会を全て占領したホモサピエンスという種こそが、魔法少女が最も恐れる生き物だった。

 その恐怖度は、魔獣などまるで比較にならない。


 青かびがペニシリンを生成して他の種の細菌を制圧してしまうように。

 群れを成して生きる生物は、基本的に他の種を受け入れることはない。


 魔法少女は人間ではない。

 しかし魔法少女は人間社会という環境から離れては生きられない。

 結果、魔法少女は異なる種の生き物に囲まれ、耐え難い環境ストレスを受ける。


 偏見、差別、同情、誤解、憐憫、義憤、嫉妬。

 人間はありとあらゆる『見えざる暴力』を以って、自分の生活圏に入り込んだ侵略種を排除しようとする。


 数え切れない魔法少女が、『自分が守っているはずの存在から迫害される』という矛盾に殺されていった。

「自分は人間とは別種の生き物だ」と自覚できない者は、問答無用で淘汰された。



 ホモサピエンスという種の、この恐るべき生態は。

 果たして魔法少女という種を完全に支配することに成功した。

 魔法少女達は、誰もが自分が魔法少女であることを隠して、人間に擬態しながら生きていた。

 あるいは人間の監視の目が届かない場所に隠れながら生活していた。



 魔法少女達は誰もが、人間に怯えていた。


463 : 以下、名... - 2016/09/20 00:06:12.05 +nDLbOkoP 315/529


 だが。

 雅シイラという魔法少女の最新モデルは、それらをいともあっさり克服してしまう。

 人間社会という過酷な環境に、耐性を持った個体の出現だった。


 彼女の持つ耐性の正体は単純明快だ。


『人間社会の仕組みをよく理解して、ルールに則ってみんなを幸せにする。』


 酷く簡単なことに見えるが、当の人間ですらこの能力を持っている者は中々いない。

 しかしこれこそが、魔法少女を人間の見えざる暴力から守るのに必要な能力だった。


 そして何とも容易いことに。

 見えざる暴力から守られた魔法少女は、あっさりシイラのことを好きになってしまうのだ。

 中には『好き』という感情を通り越して、『崇敬』にまで至ってしまうケースまである。



 魔法少女は安心でき、人間は得をし、社会は豊かになる。

 ケチの付けようのない三方良し。


 だから彼女は受け入れられる。

 だから彼女は誰からも敵対されない。

 だから彼女は他の誰よりも繁栄する。



 本来は敵となるべき存在からすらも愛される、究極の支配種。

 ライバルも天敵も存在しない、生物としての完成形。

 人間も魔法少女も、誰もがシイラに頭を垂れた。

 シイラはそんな自分のことを「イケてる」と思っていたし、

 また他の魔法少女達から感謝されるというのも、悪い気はしなかった。


 この耐性となる能力を維持するのは並々ならぬ努力が必要だが、

 それでもシイラはこのユートピアのような世界を守るには、十分納得して支払える対価だった。

464 : 以下、名... - 2016/09/20 00:10:55.36 +nDLbOkoP 316/529


 ――


 見滝原市の端にある解体中の廃病院。

 電灯が撤去されている棟内は昼間だというのに薄暗く、

 窓から差し込む陽が逆光になって、まるでトンネルの中にいるようだった、


 皹の入ったリノリウムの床を小巻が歩いていく。



小巻「わざわざこんな場所におびき寄せるなんて、まさに臆病者ね」



 病室の戸が滑るように開き、そこからぬらりとシイラは現れた。



シイラ「ゴメンねー、わざわざこんな陰気なところに呼び寄せちゃってさ。

     これでも必死で色々探したんだよ?

     ほら。魔獣の異相空間でもなければ、魔法少女同士が派手にドンパチやっても大丈夫な場所って中々無いからさ」



 シイラはブレスレットの形態になっているダークオーブを撫でると、静かに悪魔の姿へ変身する。

 取り外された窓の穴から差し込む白い光を背に受け、まるで後光のようになっている。



シイラ「じゃ、やろうか。待っててあげるから変身していいよ」


小巻「・・・」



 小巻もまた、魔法少女の姿に変身した。

 そして彼女の固有の武器である戦斧を、リノリウムの床へ叩きつけるように出現させる。



シイラ「ははは、斧か。ずいぶん野蛮な武器を使うんだね」



 小巻は大きく深呼吸をし、シイラの挑発をどうにか受け流した。



小巻「1つだけ、確認しておくわ」



 小巻はキッとシイラを睨みつける。



小巻「アンタの力でこの世の魔法少女を全員人間に戻すことができるとするなら、

   沸き続ける魔獣はどうやって処理する気?」



 シイラは目を見開いて首を傾げた。



シイラ「え、そんなん気にしてどーすんの?」


465 : 以下、名... - 2016/09/20 00:12:15.79 +nDLbOkoP 317/529


 無論、シイラはほむらのトバリのことは知っていた。

 魔法少女を失っても世界の安寧が守られることは知っていた。

 だがシイラはあえてそのことには触れようとしなかった。


 否。


 シイラは本気で、心の底からこう思っていた。



シイラ「どーでもいいじゃん、そんなの」

466 : 以下、名... - 2016/09/20 00:14:54.62 +nDLbOkoP 318/529


 案の定の答えだった。

 想定の範囲内、というより想定のど真ん中の返答だった。

 それでも、小巻は絶句せずにはいられなかった。


 この余りにも無責任な道化の態度には。



小巻「アンタ・・・!」


シイラ「逆になんで私たちが人間なんて守らなきゃいけないの?」



 小巻は歯軋りをする。



小巻「アンタだって・・・、アンタだって前は人間だったでしょう!

   ていうか、アンタの力を食らった魔法少女だって人間になるのよ!?」


シイラ「ああ、そういやそうだったね」



 逆光が差していて助かった。

 小巻はこの立地の偶然のお陰で、命拾いをしていた。


 もしもこの時のシイラの表情が見えていたら。

 間違いなく小巻は策も勝ち目も投げ捨てて逆上し、シイラに斬りかかっていただろうから。



シイラ「けれどもやっぱり、私や魔法少女に責任はないよね。そんなの魔獣に襲われる奴が悪いんだよ」


シイラ「別にいいじゃんか。魔獣なんていてもいなくても。

     壊れる奴は勝手に壊れるし、死ぬ奴はどう頑張ってもすぐに死ぬんだからさ」


シイラ「それで滅ぶ世界なら、滅べばいいんじゃない?」



 小巻は、戦斧を強く強く握りしめた。

 煮え滾る心とは裏腹に、頭の方は冷えて冴え渡っていく。


『雅 シイラとの和解』という選択肢が完全に消えて、むしろ小巻には迷いがなくなっていた。



小巻「理解したわ、アンタ嫌い」


シイラ「よく言われるよ」

467 : 以下、名... - 2016/09/20 00:16:58.03 +nDLbOkoP 319/529


 シイラは雨を手で受けるように、両手を開いて指を天に翳した。

 シルエットのように輪郭を切り取る白い逆光の中で、彼女自身の固有武器が顕現していく。



 それは両手と一体化した、10本の刃物だった。



 シザーハンズ、という心優しき自動人形の物語があった。

 今のシイラの両手はまさに、自動人形エドワードのそれとそっくりなハサミだった。



シイラ「ほら、全力でかかっておいで。可愛がってあげるよ、若造」


小巻「嘗めるなよ、シイラぁ!!」



 戦斧を振りかざし、小巻は駆けだす。

474 : 以下、名... - 2016/09/26 23:55:47.68 hhzcMOfvP 320/529


――


 約16時間前。

 美国邸にて、織莉子は小巻と向き合っていた。


 織莉子はシイラの策に嵌って身動きが取れなかっただけで。

 シイラの喉元を狙う作戦を考えていなかったわけではないのだ。


 織莉子は手を翳すと、幾つかの水晶玉が何もない空間から現れる。

 水晶玉はやがてスフィア型の液晶パネルのように、シイラの姿を映し出した。


 織莉子はテレパシーで、小巻の心に直接語り掛ける。



織莉子《小巻さん、まず最初に。

      『雅シイラは私たちと同じ魔法少女であり、常識がまるで通用しない化け物というわけではない』

      ということを念頭に置いてください》



 水晶玉は、シイラが魔法少女・優木沙々を処刑したシーンを映し出していた。



織莉子《確かに『魔法少女を人間に戻せる』という能力は、掟破りであまりにも反則的ですが。

      この時の様子から察するに、使いこなせているようではありませんでした。

      むしろこの力そのものに、振り回されているようですらありました。

      彼女の大仰な芝居がかった言動は似ているんです、契約を結んだばかりの頃の魔法少女の傾向と》



 織莉子の瞳が狡猾に光った。



織莉子《彼女はこの能力を使うことに新鮮な感動を覚えていた。

      おそらくこちらは何らかの要因で後天的に手に入れた力なのでしょう》

475 : 以下、名... - 2016/09/26 23:58:37.04 hhzcMOfvP 321/529


織莉子《それよりも、問題はこちらです》



 水晶の映像が逆再生を始め、織莉子や魔獣達を地面に釘付けにしたシーンで停止する。



織莉子《命懸けの戦いの連続という性質上、魔法少女の戦闘スタイルというものは簡単に矯正できるものではありません。

      カオルさんの話も加味して考えると。

      雅シイラに本来の能力があるとするのなら、おそらくこちらの『重力操作』が本命なのでしょう》



 織莉子は撫でるように宙に浮かんだ水晶玉を回すと、それは走馬燈のように織莉子や小巻のソウルジェムを映し出す。



織莉子《条理を捻じ曲げる力、魔法。

      雅シイラの攻撃の正体が重力だとするなら。

      自然の法則を捻じ曲げて攻撃してきているだけだとするなら、幾らでも突破口はあります》



 水晶玉はフェードするように映像を移し替え、やがてそれは回転する地球儀へと変わった。



織莉子《重力の原理は意外とわかりやすいものです。

      それこそ新人の魔法少女が無意識の内に理解できる程度には。

      彼女の攻撃の正体を事前に看破すれば、1度だけ隙を引き出せるでしょう。これが1つ目の策です》

476 : 以下、名... - 2016/09/27 00:01:23.55 TkqV+fyzP 322/529


――



シイラ「・・・」



 シイラは飛び出してくる小巻を見てニタリと笑う。


 シイラは侮っていたのだ。

 あれだけ大仰な監視網を持っていてなお、小巻と織莉子のテレパシーによる作戦会議を『取るに足らない女子中学生の浅知恵』と盗聴を省略していた。

 その理由は単に、織莉子達の動きを1から10まで監視し尽す時間も労力もなかったということで説明できるのだけれど。

 この致命的とも言えるケアレスミスを、単なる慢心の結果だと言って切り捨てるのは少々酷かもしれない。



 かつての究極の魔法少女は、暗殺や敵対の心配をしたことなんてほとんど無かったのだから。

 必要以上に強固な監視網は、その弱点の裏返しだった。

 他人を出し抜く為の悪意という感情に対してだけは、シイラは普通の女子中学生以上に鈍感だった。



シイラ「ブラック・カスケード」



 シイラは腕を薙ぐと、見えない攻撃を発動した。


 建物が軋み、コンクリートに皹が走る。

 水面の揺らめきのように、周囲の風景がグニャリと歪む。

 それは光が屈折するほどに強力な重力波だった。



 案の定、織莉子の目論見通り。

 シイラの攻撃の正体は重力だった。



シイラ「え?」



 小巻は歪んだ風景の中を、全く意に介さず突き進んでくる。

 気づけば小巻は目の前にいて。

 その戦斧を軽々と振りかざし、野球のスラッガーのように大きく振りかぶっていた。



シイラ「ちょ、ま――」


小巻「くたばれ、サソリ女」



 一片の迷いもなく振り抜かれた戦斧は、確かにシイラの腕にあるダークオーブを狙っていた。

477 : 以下、名... - 2016/09/27 00:03:24.43 TkqV+fyzP 323/529


 戦斧のフルスイングを受けたシイラは吹っ飛び、建物が解体途中である証の崖から転がり落ちていた。



小巻「ぐ・・・っ!」


小巻(手応えが弱かった! 直前で急所をガードされていた!)



 切り札の1つを早々に切ってしまった小巻は、苦々しい表情で歯軋りをした。



 雅シイラ用の切り札の1つが、自分の周囲に散布された重力中和剤だった。

 重力を低下させる魔法は意外とポピュラーな類で、簡単な物なら新米の魔法少女でも結構使いこなせていたりする。


 魔法の力とは、即ち想像力の力。

 瓦礫を蹴って宙に跳び、華麗に空を舞うイメージは、割と誰でも簡単にできるのだ。


 これはその応用技だ。

 タイミングよく重力低下の魔法を発動すれば、重力による攻撃をジャマーすることは可能だった。

 けれどそのタイミングと出力の調整が難しい。



小巻(重力を減らしすぎた! 攻撃自体の重みが少なくなってしまった!)



 小巻は慌ててシイラの転がり落ちた崖に駆け寄り、追撃を仕掛けるべく下を覗き込む。


 一撃を入れて気の緩んだ状態の彼女に、こんなことを言うのは少々酷かもしれないが。

 はっきり言ってこれは迂闊すぎる行為だった。

478 : 以下、名... - 2016/09/27 00:04:02.20 TkqV+fyzP 324/529






 崖を覗き込んだとき、シイラの笑顔が目の前にあった。






479 : 以下、名... - 2016/09/27 00:06:10.27 TkqV+fyzP 325/529


 ここから先の一瞬の駆け引きは、本当に幸運だったと考えていい。

 単に運が良かっただけとか、それなりに魔法少女として戦ってきた小巻のキャリアがあってこそだったとか。

 とにかく、そういうのを全部ひっくるめて起こった奇跡だったと言っていい。



 そうでなければ。

 小巻がほとんど反射的にシールドを展開していなければ。


 今頃、小巻の脳は。

 その10本の細い刃で滅多刺しにされていたのだから。



 後ろへ飛びのく小巻。

 恐怖が小巻の脳をより鮮明にしていた。


 崖の下を覗き込む直前。

 シイラはつま先一本で、崖の縁に引っ掛かるようにぶら下がっていて。

 そこで小巻が覗き込んでくるのを待ち伏せしていたのだ。


 鋏を突き出すように飛び出したシイラは、一度宙返りをした後、膝を付いて着地する。

 天井に。


480 : 以下、名... - 2016/09/27 00:08:15.44 TkqV+fyzP 326/529


シイラ「あはははははははっ! 惜しかった、惜しかったよ小巻ちゃん!

      私の魔法の正体が重力操作とかそういうカッコいい感じの物だったら、もしかしたら勝てていたのかもしれないね!」



 シイラはヌラリと立ち上がる。



シイラ「けれど残念。重力操作なんて集団戦を想定した、突入・制圧用の応用技だよ」



 カツカツと、ごく当たり前に地面を踏み締めるように。

 シイラは天井を歩き、小巻の下へ近づいてくる。



シイラ「私の本当の魔法は『引力』さ」



 シイラは上から目線で小巻の顔を覗き込む。


『他人から必要とされたい』


 引力を操る魔法は、シイラのそんな歪んだ願望から生まれた力だった。


481 : 以下、名... - 2016/09/27 00:10:46.88 TkqV+fyzP 327/529


――




 究極の魔法少女は、いかにして魔道にその身を堕としたのか。




 とある日のこと。

 栄華を極めるシイラの前に、神名あすみという魔法少女が現れた。

 彼女は『自分と関わった全ての人間に呪いをもたらしたい』という願いで契約した、恐るべき魔法少女だった。

 彼女はどうしようもないくらい絶望的で、手の施しようがないくらい呪われていて、救いようがないくらい不幸だった。


 何もかもが思うがままで、自分に匹敵する者が誰もいなくなっていたシイラは。

 面白半分のままに、この弱者を愛してやった。



 注意一秒、怪我一生。

 驕りと油断は、いともあっさり強者を潰す。

 果たしてあすみは今までの迷える子羊達のように、シイラの思い通りにはならなかった。


 いくらシイラが手を講じても、あすみは一向に行為を改めなかった。

 いくらシイラが説教をしても、あすみは一向に反省しなかった。

 いくらシイラが財産を与えても、あすみは一向に破滅的な思想を捨てなかった。

 いくらシイラが愛情をもって接しても、あすみは一向に不幸のままだった。


 気付けばシイラは、あすみに夢中になっていた。

 究極の支配種は、初めて出会った思い通りにならない存在に躍起になっていた。

 シイラは苦戦を重ねながらも、頭のどこかでは「究極の魔法少女である自分なら、きっと最後にはあすみを幸せにできるはずだ」と慢心していた。

482 : 以下、名... - 2016/09/27 00:13:16.99 TkqV+fyzP 328/529


 あすみのために。

 誰よりも哀れな、この小さき隣人を救うために。

 そんな手段と目的が逆転したような盲目的な優しさは、

 シイラの魂を希望や絶望から逸脱した歪な形質へと変貌させていった。


 いや、というよりもむしろ。

 魔法少女やソウルジェムなど、もうこの際関係なかった。

 彼女はもっとわかりやすい形で暴走していたのだから。


 シイラは本気で、神名あすみの第二の母親になろうとしていたのだ。

 友達でも恋人でもなく、家族になろうとしていた。

 一生かけてあすみをあらゆる暴力から守り続けることを誓い、一生かけて彼女を幸せにする計画を本気で考えていた。

483 : 以下、名... - 2016/09/27 00:16:20.21 TkqV+fyzP 329/529


 ‐ ‐ ‐


 しかしそんなシイラの尽力虚しく。

 あすみのソウルジェムが濁り切り、円環の理に導かれる日が訪れてしまった。

 彼女を愛するただ一人の者として。

 シイラはどんな内容であろうと、あすみの遺言を心から受け止めるつもりでいた。



「あすみなんて、生まれてこなきゃよかったのにね」



 それが呪われた少女の最期の言葉だった。

 その言葉の意味を理解したとき、シイラは膝から崩れ落ちた。

484 : 以下、名... - 2016/09/27 00:17:57.35 TkqV+fyzP 330/529



 何のことはなかった。


 シイラが改心などさせるまでもなく、あすみは既に自分の行いを悔いていて。

 むしろ改心に近づくほどに、罪悪感と劣等感に押しつぶされていて。

 目線の高さが違い過ぎて、あすみの葛藤なんてシイラにはちっとも伝わっていなくて。


 なんとも笑えることに。

 一番あすみを追い詰めていたのは、他ならぬシイラだった。

 小さくて弱い者の気持ちを理解しないまま、ずっと幸せになることを強要していたシイラ自身だった。

485 : 以下、名... - 2016/09/27 00:19:00.55 TkqV+fyzP 331/529



「みんなを幸せにできる魔法少女になりたい」



 そんな尊い願いで魔法少女になったシイラは、

 その奇跡の力に反することなく、関わる者達の全てを幸せにし続けていた。


 だから彼女は知らなかったのだ。

 この世には、不幸と悲しみを無理やり取り除かれたら、何も残らない者がいたなんて。



 全てに愛された魔法少女は、1人を愛したが故に自滅した。

 究極の支配種。それはいざ蓋を開けてみればなんのことはない、極めていただけの平凡な魔法少女だった。

 普通に奇跡を起こし、普通に自分の願いに裏切られた、普通の魔法少女でしかなかったのだ。



 シイラの中で、何かが折れた。

 究極の支配種は、こんな他愛ない矛盾でいともあっさり絶滅した。

486 : 以下、名... - 2016/09/27 00:19:35.35 TkqV+fyzP 332/529






 彼女がこの後、どのような経緯を辿り、どのような手段を以て第二の悪魔と化したのか。


 その真相は誰も知らない。




487 : 悪魔図鑑 - 2016/09/27 00:21:41.07 TkqV+fyzP 333/529



カーテンコールの悪魔、シイラ

呪いの性質:強欲


周囲の絶望を巻き込みながら廻り続ける、底無しの隣人愛。

ハッピーエンド以外の結末を認めることはなく、

悲劇的な運命はあらゆる手を駆使して自分の望む通りに書き換えてしまおうとする。

かつて在りし世界で、彼女がどのように絶望していたのかを想像するのは難しくない。


贖罪の物語 -見滝原に漂う業だらけ- 【後編】

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