―――私の力をもってすれば、願いを叶えることは出来るだろう。
でもその代わりに、お前の声を貰うよ。
それと願いが叶わなかった場合、お前は泡になって消えてしまう。
それでもいいんだね?
…いいわ。あの人と一緒になれるなら。
綾乃「歳納京子ー!!」ガラッ
果たしてこれで何度目か。
七森中生徒会副会長、杉浦綾乃はいつものようにごらく部の部室に乗り込んだ。
京子「あ、綾乃だ」
結衣「今日はどうしたの?」
部室にいたのは二名。
ごらく部部長の歳納京子と、同じクラスの船見結衣。
結衣の態度が、この一連の流れが日常茶飯事であることを物語っている。
それほどに、忘れ物常習犯の京子は綾乃の世話になっているのだ。
綾乃「今日が提出期限の進路表、出してないでしょ!」
今日の綾乃の目的は未提出の進路表。
今朝のホームルームで先生が何度も念押ししていたことだ。
しかし京子はいつものように、右から左へ聞き流していたようだ。
京子「あ、ごめん忘れてた♪」テヘペロ
綾乃「まったくあなたって人は…」
―――だから放っておけないのかもしれない。
綾乃(…なんて、微塵も思ってないんだからね!///)
綾乃は京子に、はたから見ていてとても分かりやすいほど恋をしていた。
綾乃がことあるごとにごらく部部室に足を運ぶのは、京子に会うためでもあった。
とは言え連日ここに来ていては生徒会の仕事もはかどらない。
綾乃(今日もまだまだ仕事がたくさんあるっていうのに…)
いつもなら京子と綾乃の絡みを見るためについてくる親友の池田千歳を、今日は生徒会室に残してきている。
綾乃(それなのに歳納京子ったら…)
京子「んー、書くのめんどくさいから、綾乃のお嫁さん♪で出しといてー」ゴロン
京子はそう言うなり、寝転がって漫画を読み出した。
結衣「お前なぁ…」
結衣が京子をたしなめる。
…となればいつもの光景だった。
しかし。
綾乃「……」
溜まりに溜まった生徒会の仕事。
綾乃の想いを知ってか知らずか、思わせぶりな京子。
さすがの綾乃も我慢の限界だった。
京子「…あれ?綾乃?」
ただならぬ気配を感じて起き上がる京子。
綾乃「いい加減に…」
結衣「ちょ、ちょっと綾乃…」
普段落ち着いている結衣が少し慌てるほど。
綾乃「いい加減にしなさいよー!!」ムキー
ヘタレな綾乃が本気で怒る事態はレアだった。
京子「うわぁ、綾乃がキレたっ!?」
結衣「あ、綾乃落ち着いてっ」
その後、京子は正座をさせられ、二時間程説教された。
綾乃「…やっちゃったわ…」ズーン
その日の帰り道。
綾乃は激しく後悔していた。
生徒会の仕事は生徒会長と千歳を中心に、後輩のサポートでなんとか終わらせたようだった。
しかし京子への説教がなければ彼女達の負担は減っていただろう。
そして。
綾乃(あんなに怒り散らして…。嫌われちゃったわよね…)
もう少し素直になりたい。
そう思いながらも京子の前ではいつもそっけない態度ばかりとってしまう。
綾乃自身、それがどうしてなのかわからなかった。
綾乃(最近は少しずつ距離も近くなってきたかな?なんて思ってたのに…)ハァ
溜め息の数を数えるのも馬鹿らしくなってきた。
そんな風にぐるぐると考えながら家への道をとぼとぼと歩いていると。
綾乃「え…?」
綾乃の目の前に、古びた神社が現れた。
綾乃「こんなところに神社なんてあったかしら…」
歩き慣れた通学路。
だからこそ見落としていた可能性もあるが…。
けれどそれより驚いているのは、前に一度この神社に訪れたことがある、そんな気がしてならないことだ。
ただの既視感にしては少々強すぎるほど。
綾乃「…ううん、気のせいよね」
とは言ったものの好奇心は抑えられず、吸い込まれるように境内へと足を踏み入れる。
綾乃「ここには恋愛の神様が住んでいるのかしら…」
立て看板の文字は掠れていてほとんど読めないが、「恋」や「叶」という字が使われているようだった。
恐らく、願えば恋愛が成就する、そんなことが書かれているのだろう。
さっきあんなことをやらかしてしまった矢先に恋愛の神様が住んでいる神社の出現。
そして謎の既視感。
何か運命めいたものを感じてしまうのは、綾乃が人一倍乙女チックだからという理由だけではないだろう。
綾乃「もしかして、ここでお願いすれば本当に…」
神様にお願いするなんて、ずるいことだとは分かってる。
でも、ほんの少しでいい。
自分の気持ちに素直になるためのきっかけになるなら。
綾乃「……」
―――どうか、私の心が少しでも素直になれますように。
翌日。
いつものように、登校中に千歳と落ち合う。
千歳「おはよー綾乃ちゃーん」
笑顔で手を振りながら走ってくる千歳。
普段からおっとりしている印象がある彼女。
なんだか転んでしまいそうな気がして、綾乃は少し心配だった。
綾乃(おはよう千歳。今日も良い天気ね)
無事に綾乃の元に辿り着いた千歳に、いつものように挨拶をする。
ところが千歳は綾乃の顔を見ながら不思議そうな顔をした。
千歳「…綾乃ちゃん?」
綾乃(ん?なぁに?)
用件を聞いても、やっぱり不思議そうな顔。
千歳「…どしたん?」
綾乃(どうしたって…どういうこと?)
いよいよ怪訝そうな顔をする千歳。
千歳「……」
綾乃(なによ。言ってくれないとわからないじゃない)
いつもとまるで違う親友の態度に、綾乃は少し反感を覚える。
ところが千歳は、慎重に言葉を選びながら…。
千歳「声…」
綾乃(え…?)
千歳「声…出てへんよ?…風邪でも引いた?」
綾乃には千歳が何を言っているのか、一瞬理解できなかった。
綾乃(…え、嘘)
彼女がこんな酷い嘘をつくような子ではないことは分かっていた。
けれど、にわかには信じられない。
綾乃はおそるおそる声を出す。
綾乃(あー。あー…)
喉に違和感はなかった。
しかし確かに、口から出ているはずの音が消えていた。
綾乃(そんな…、どうして…)
千歳「…気付いてなかったん?」
昨日の夜は確かに声が出ていた。
今朝は両親が早くに出かけていて、千歳に会うまでは一人だった。
異変があったとすれば、寝ている間だ。
綾乃「……」
熱があるわけでも、体がだるいわけでもない。
声が出ないこと以外、体に異常はなかった。
一体自分に何が起きているのか、考えても考えても分からない。
千歳「と、とにかく今日は休も?風邪かもしれへんし…」
千歳「送って行ってあげるから―――」
千歳の声も、周りの景色も、全てが遠くへ消えていく。
―――これから、一体どうなってしまうのだろう。
綾乃(……ん)
夕暮れ時、綾乃は自室のベッドの上で目を覚ました。
どうしようもなく嫌な夢を見た。
ところが目を覚ましてみると、それは確かに現実だった。
綾乃(夢じゃ、ないのね…)グス
あのあと千歳に家まで送ってもらい、母親と一緒に病院へ行った綾乃。
ところが医者にも原因はわからない。
検査のために大学病院への入院を勧められたが、綾乃はそれを嫌がった。
体のどこにも異常がなかったせいか、自分が悪い病気だと思いたくなかったからだ。
突然消えた声が、突然戻ってくる可能性も捨て切れなかった。
けれど、14歳の少女にこの現実はあまりにも辛すぎた。
綾乃(このまま一生声が出せなくなったら、私…)ポロポロ
嫌なことばかりが頭に浮かんでしまう。
出口のない迷路に入り込んでしまったかのように。
コンコン。
不意に部屋のドアをノックする音。
綾乃母『綾ちゃんあのね、お友達が来てくれたんだけど…』
綾乃(友達…?もしかして、千歳?)グス
綾乃と千歳の仲は母親公認だ。
もし彼女が来たのなら、そう言ってくれるはず。
綾乃(誰だろう…)
どちらにしても一人でいるのは心細かった。
ドアを開け、顔を見せる。
綾乃母「綾ちゃん…」
母親は綾乃の顔を見て、少し安心した。
綾乃(ごめんね、心配かけて…)
いつものように喋ってみるも、母親には伝わっていないようだった。
綾乃母「どうする?上がってもらう?」
改めて現実を突きつけられる。
それでもやっぱり一人は心細くて。
綾乃「……」コクリ
綾乃母「それじゃ、少し待っててね」
綾乃母「あとでお菓子とお茶、持って来るわね」
変わらぬ母の優しさに、綾乃の胸に熱いものがこみあげてくる。
綾乃(あ、ありがとうお母さん…)
階段を下りていく母の背中に向かって礼を言う。
綾乃母「ふふ、どういたしまして」
振り返り、綾乃に微笑む母。
綾乃(え…?)
声に出ていなくても、娘の気持ちは伝わっていた。
そのことで少しだけ、綾乃の気持ちが軽くなった。
部屋に戻り、脱ぎ散らかした制服をハンガーにかけ、部屋をざっと片付ける。
こんなときでも友人を部屋に迎えるために何をすればいいのか、体が覚えているようだ。
少しして、階段を軽快に駆け上がってくる音。
そして。
京子「やっほー。お見舞いに来たよん」
入ってきたのは、昨日散々説教をした相手、歳納京子だった。
綾乃(ど、どうして…)
京子「千歳に聞いたんだー」
カバンを置きながら、軽く応える京子。
制服姿なのは、学校の帰りだからなのだろう。
綾乃(そ、そうなの…)
京子「具合どう?大丈夫?」
綾乃(それは…)
なんとなく、言い辛い。
そもそも声が出ないのに伝わるわけがなかった。
京子「それは?」
綾乃(えと、声が…って)
はたしてどう伝えたものかとあれこれ思案していたが、何かがおかしい。
京子「ん?声?」
どう考えても、会話が続いていた。
綾乃(私の声、聞こえるの!?)
京子「え、聞こえるけど…なんで?」
おかしな質問をしていることは分かっていた。
綾乃の声が聞こえるという京子にしてみればなおさらだ。
綾乃(本当に、わけがわからない…)
京子「えっと、どういうこと…?」
綾乃(あ、ごめんなさい…。実は…」
信じてもらえるかは分からなかった。
しかし説明しないことには何も始まらなかった。
綾乃(かくかくしかじか)
京子「なるほどわからん」
当然の反応…というわけでもなかった。
普通の人なら「信じられない」と言うだろう。
だが京子は「わからない」と言った。
綾乃(信じて、くれるの…?)
京子「綾乃はそんな嘘つかないっしょー」
好きな人に信じてもらえた。
それがどれだけ心強いことか。
綾乃(あ…、ありがとう…)
京子「いいってことよ!」
京子「それにしても、原因もわからないなんて…」
京子「…様子見するしかないのかな?」
やっぱりそれしかないのだろうか。
京子「…でも大丈夫。きっと元に戻るよ」ニコッ
人は自分が持っていないものを持っている人に惹かれるという。
綾乃は、いつだって前向きな京子に憧れていた。
普段の生活ではそれがだめな方向に働いてしまうこともあったけれど。
綾乃(…どうして、そこまで言い切れるの…?)
京子「だってこのままなんて綾乃が可哀想じゃん!」
綾乃(歳納京子…)
綾乃の胸が、少しざわついた。
優しくしてくれるのは、同情してるからなのだろうか。
そんな風に考えてしまう自分が嫌だった。
京子「大丈夫。私がなんとかしてみせる!」
いつになく自信ありげな様子の京子。
綾乃(…ア、アテはあるの…?)
京子「ない!」エッヘン
清々しいほどに言い切った。
綾乃「……」
京子「あ、ごめん。なんか―――」
綾乃(…ふふっ)
京子「あ、綾乃…?」
綾乃(だ、だって可笑しくて…。根拠もないのにそんなに自信満々で…)
もしかしたら、元気付けようとしてくれたのかもしれない。
京子「根拠がないわけじゃないよ?」
京子「ほら、私は綾乃の声が聞こえるからさ」
たしかに、他にも声が聞こえる人がいる可能性はある。
京子「それに、明日になったら声出せるようになってるかもしれないしねー」
根拠のない希望的観測。
けれど京子がそう言うと、本当にそうなるような気がしてくる。
京子「明日は学校来られる?」
綾乃(…頑張ってみるわ)
京子「うん。困ったことがあったら何でも言ってね」
綾乃(ありがとう、歳納京子…)
京子「へへ、結衣も千歳もいるし、心配ないって」
その言葉に、少しだけ胸がチクッとする。
綾乃(やっぱり、友達として…なのよね…)
でもなんだか少しだけ素直に会話できたような、そんな気がした。
千歳「綾乃ちゃんおはよー」
綾乃(おはよう千歳)
翌日。
千歳との待ち合わせ場所。
今日も時間ぴったりに千歳は現れた。
千歳「…相変わらずなん?」
歩調を合わせ、二人並んで歩き出しながら、千歳が尋ねる。
綾乃(ええ…)コクリ
結局一晩経っても声は戻らなかった。
千歳「…うちにできることがあったら、何でも言うてな?」
綾乃(…声、出ないけどね)
京子のおかげで、冗談を言える程度には心に余裕を持てていた。
落ち込んでいたってどうにもならない。
前向きに頑張れば、道は開けるかもしれない。
千歳「…綾乃ちゃん、今もしかして冗談言うた?」
綾乃(…わ、わかるの?)
綾乃は驚きを隠せなかった。
母親に続いて千歳まで綾乃の言った事がわかったのだ。
千歳「表情でなんとなく、やで」クスッ
きっと母親も、綾乃の性格から何を言ったのか分かったのだろう。
綾乃(私は…恵まれてるのかもね…)
言葉がなくても、わかってくれる人がいるのだから。
綾乃(ありがとう、千歳)
放課後。
クラスメイトの手助けもあり、綾乃は無事に一日を過ごすことができた。
千歳「それじゃ綾乃ちゃん、生徒会室いこ?」
綾乃(ええ)
京子「なんか手伝うことあるー?」
ホームルームが終わるなり、千歳、京子、結衣が綾乃のまわりに集まってくる。
千歳「今日はそんなに仕事ないし、大丈夫やでー」
綾乃(あ、ありがと…歳納京子)
京子「いやいや、とーぜんのことですよ」エッヘン
クラスで綾乃の声が聞こえるのは、やはり京子だけだった。
結衣「今綾乃は大変なんだから、仕事の邪魔したらだめだろ」
京子「えー…、書類整理くらいならできるよー…」
京子も結衣も綾乃のことを気遣っている。
綾乃はそれがわかっただけで充分だった。
綾乃(ありがとう二人とも。その気持ちだけで嬉しいわ)ニコッ
京子「お、おう…///」テレ
千歳「…それにしても、なんで歳納さんだけ綾乃ちゃんの声聞こえるんやろなー」
なんだかわざとらしく千歳が言う。
結衣「…まぁ、大体予想は付くけど」チラッ
京綾「?」
当の本人達は、全く気付く様子も無く。
千歳「前途多難や…」
結衣「そうだね…」
二人同時にため息をつく。
綾乃(な、何か分かったの?)
京子「何か分かったの?って言ってるよ」
結衣「…いや、確証もないし…」
千歳「……」
それきり黙ってしまう二人。
綾乃(一体何に気付いたのかしら…)
京子と結衣と別れ、生徒会室に入る綾乃と千歳。
千歳「あ、会長」
綾乃(こ、こんにちはー)
生徒会室では、生徒会長の松本りせが、一人黙々と書類に何かを書き込んでいた。
りせ「……!」
綾乃を見るなり、椅子から立ち上がり駆け寄るりせ。
りせ「……!?……!」
普段大人しいりせが、綾乃の両腕を掴んで何かを訴える。
綾乃(…ど、どうしたんですか?)
千歳「会長…?」
西垣「…杉浦、お前…」
綾乃と千歳が振り返ると、そこには理科教師の西垣奈々が立っていた。
西垣「松本の大きい声が聞こえたから何事かと思えば…」
西垣はそのままりせの隣に立ち、その頭をぽんぽんと撫でる。
西垣「とりあえず落ち着け、松本」
りせ「……」
綾乃を見るりせの目は、どこか悲しそうだった。
西垣「で、だ」
西垣は綾乃を正面から見据える。
西垣「もしかして、妙な神社に行かなかったか?」
いつになく、真剣な眼差しで。
綾乃(…は、はい)コクリ
西垣「…やっぱりか」
千歳「神社…?」
しかし、何故それを知っているのか。
西垣は少し考えた後。
西垣「話していいか?松本」
優しい声で、りせに問いかける。
りせ「……」
そしてりせも、ゆっくりと頷いた。
西垣「あれは、この学校に赴任してすぐのことだ」
西垣の話を聞きながら、りせもまたあの不思議な出来事を思い返していた。
中学に入学してすぐ、好きな人ができた。
相手は新任の学校の先生。
私は先生とお話しするのが大好きだった。
実験の話をして、子供のように無邪気に笑う先生が大好きだった。
先生は私の声を、可愛いと言ってくれた。
綺麗な髪だと、褒めてくれた。
クラスにはあまり馴染めなかったけど、先生がいてくれればそれで良かった。
それなのに―――。
立場、性別。
そんなものに、一体何の意味があると言うのだろう。
そんなもののために自分の気持ちを諦めなければならないのが大人なら、大人になんてなれなくていい。
失意の私の前に、古びた神社が現れた。
恋愛の神様が祀られている神社。
このまま終わってしまうなんて、嫌だった。
だから、私は願った。
先生が大好きだったから。
ずっと一緒にいたいと思ったから。
願いは叶った。
どういうわけか私と先生の噂はすっかり消えていた。
私達は奇異の視線に晒されることなく一緒にいられる。
けれど。
先生が可愛いと言ってくれた声を、私は失ってしまった。
これでは先生に会えない。
先生もきっと私のことを嫌いになってしまう。
怖い。
先生に会うのが怖い。
拒絶されるのが怖い。
だから…。
私は、全てを拒絶した。
暗闇の中、光が射した。
轟音。
同時に吹き飛ばされる自室のドア。
爆炎とともに現れたのは、先生だった。
―――迎えに来たぞ、松本。
そう言って先生は、子供のように笑った。
どういうわけか、私の声は先生だけに届いていた。
私が先生を好きだから、だから声が届いてるんだ。
先生もそう言ってくれた。
今、先生は私のために薬を作ってくれている。
声が出るようになる薬を。
失敗するのは仕方ないとして、何故かいつも爆発してしまうけれど。
いつかまた、先生に私の本当の声を届けることができたら…。
西垣「…というわけで爆発は大目に見てくれ」
千歳「うちらに言われても…」
常日頃から爆発が趣味だと言い張る西垣。
爆発が本当に薬の作成に関係あるのか追求したいところだが、今はそれよりも…。
綾乃(会長と先生の間にそんなことがあったなんて…)グスグス
りせ「……」ナデナデ
感情移入してしまったのだろうか。
途中からぽろぽろと泣き出していた綾乃。
千歳はそんな綾乃を見て、不思議な気持ちになっていた。
七森に来てから、初めて出来た友達。
この子のために、今はやらなければならないことがある。
西垣「…まぁそんなわけで」コホン
千歳「綾乃ちゃんの声が消えてしまったのは、願いを叶えたから…ですか?」
西垣「科学者としては否定したいところだが…」
理科教師ではなかったのだろうか。
生徒三人はそう思ったが、口にはしなかった。
千歳「…綾乃ちゃん、お願いは叶ったん?」
綾乃の願いは素直になることだ。
ここ二日間の京子とのやりとりを仔細に思い出す。
綾乃(確かに昨日と今日は素直になれてる気もするけど…)
しかし未知の事態に、普段と違う行動をとってしまうのはよくあることだ。
西垣とりせのケースでも、願いが本当に叶っているかは判別のしようがない。
しかし二人とも声が出せなくなっているのは事実だった。
綾乃「……」
千歳「…綾乃ちゃん?」
どうやって伝えたものかと少し思案して。
綾乃(ええと…、そうだ)
綾乃【ごめんなさい。ちょっと判断しにくいかも…】カキカキ
ノートを取り出して、シャーペンを走らせる。
なかなかに不便な状況だ。
西垣「…松本と杉浦が同じように声を失ったんだ。神社と無関係ではないだろう」
西垣「その辺は私が調べてみよう」
綾乃【ありがとうございます】カキカキ
西垣「気にするな。松本のためでもあるからな」
千歳「きっと大丈夫やでー、綾乃ちゃん」ニコッ
りせ「……」
周りの人に励まされて、助けられて。
きっと何とかなる。
このときの綾乃は、そう信じて疑わなかった。
西垣「とりあえず杉浦。神社の場所を教えてくれるか?」
綾乃(あ、はい…)カキカキ
失意の中、どこをどう歩いたのかあまり覚えていなかったが。
大体の場所をノートの切れ端に書き込んでいく。
西垣「…ん?ここは…」
千歳「何かあるんですか?」
西垣「…いや、なんでもない。まぁ任せておけ」
そう言うと西垣は地図を手にして生徒会室を出ていった。
千歳「それにしても…」
綾乃「?」
千歳「歳納さんにだけ綾乃ちゃんの声が聞こえたのは、やっぱり…」ウフフ
綾乃(そ、そんなわけないでしょ!///)
声は聞こえなかったが。
綾乃の気持ちはバレバレだった。
綾乃が声を失って、数日が過ぎた。
西垣の調査のほうは、進展がないらしいと聞いていた。
それでも千歳や結衣、何より京子の手助けのお陰で、不自由はなかった。
京子「それじゃあ綾乃、帰ろうか」
綾乃(ええ…。また送って行ってくれるの?)
京子「そりゃ心配だしねー」
綾乃「……」
京子は綾乃に優しくしてくれる。
でもそれは友達だからなのだろう。
近付けば近付くほど、綾乃の心は締め付けられるような痛みに襲われるようになった。
結衣「……」
結衣「京子、少しいいかな」
京子「え?」
結衣「いいからちょっと」
京子「う、うん…」
そんな二人のやりとりをじっと見ていた結衣が、突然京子を連れ出そうとする。
一体どうしたというのか。
綾乃の心が、少しざわついた。
京子「ごめん綾乃、少し待ってて」
ただならぬ結衣の雰囲気に気圧されて、恐る恐る後についていく京子。
千歳「…船見さん、どうしたんやろ」
綾乃「……」
千歳「…綾乃ちゃん?」
気付くと、綾乃は教室から駆け出していた。
どこへ行ったのだろう。
二人を探して学校中を走り回る。
そして。
体育館裏に、二人の姿はあった。
結衣「……」
京子「……」
綾乃(何を話してるのかしら…)
聞き耳を立てるなんて、いけないことだとわかっているのに。
胸を締め付ける痛みが、自制心を狂わせる。
結衣「…京子の気持ちが知りたいんだ」
―――え?
京子「私は…」
結衣「…どうなの?」
―――何の話をしてるの?
京子「……」
結衣「…京子?」
―――そういえば、二人は幼馴染で。
京子「…好きだよ」
結衣「……本当?」
―――あ、船見さん…嬉しそう…。
京子「…うん」
結衣「…それを聞いて、安心した」
―――そっか、そうよね…。
京子「結衣、私…」
結衣「ほんとに、放っておけないやつだな」
―――私の…入り込む余地なんて…。
千歳「綾乃ちゃんおはよー」
綾乃(……千歳)
千歳「昨日はどしたん?」
千歳「歳納さんと船見さんと、三人でずっと探してたんやで?」
綾乃(…ごめんなさい)
千歳「綾乃ちゃん、目腫れとるよ…?なんかあったん…?」
―――京子の気持ちが知りたいんだ。
―――好きだよ。
綾乃「……」フルフル
千歳「なんもないわけ…」
綾乃「……」ニコッ
千歳「……!」
親友の笑顔。
千歳が求めてやまないもの。
しかしそれは、千歳が一番見たくない笑顔だった。
心がバラバラになっていきそうな感覚。
千歳(このままやと…でも…)
それ以上、千歳は何も聞けなかった。
京子「……」
結衣「……」
千歳「……」
綾乃「……」
ピンと張り詰めた空気。
気まずい昼休み。
心なしか、机と机の間もいつもより離れている気がする。
結衣「…綾乃、プリンいる?」
千歳「…う、うちのもあげるで?」
京子「あ、わ…私のも」
今日のデザートはプリン。
生徒会の仕事のあとのプリンを、日々の楽しみにしている綾乃。
いつもなら喜んで貰っていたかもしれない。
綾乃「……」フルフル
千歳「綾乃ちゃん…」
大好きな親友のために、自分は何もしてあげられない。
泣き出したくなるのをぐっとこらえ、それでも千歳は考えることをやめなかった。
千歳(何かあるはずや。うちが綾乃ちゃんのためにできることが、何か…)
そして結衣もまた、綾乃のためにできることを模索していた。
京子や千歳ほど親密ではなくても。
綾乃も結衣にとって大切な友人の一人なのだ。
そして辿り着いた結論が…。
結衣「……」チラッ
京子「…あ」
京子に視線で訴える。
気持ちは確認済みだ。
綾乃の気持ちは…、聞くまでもなかった。
京子「綾乃、何かあった?私達なんでも相談に―――」
綾乃「……」フルフル
京子「……」
拒絶されてしまえば、追及はできない。
結衣は京子のそんな性格を知っていた。
千歳「綾乃ちゃん、なんでも言ってくれてええんよ?うちら―――」
綾乃「……」フルフル
結衣(…まずいな)
何も言わずに、一人で帰った綾乃。
そして今日、様子がおかしい綾乃。
結衣はなんとなく、その理由がわかった気がした。
誤解を解こうにも、自分の言葉は届かないだろう。
もっと仲良くなっていれば、そんなこともなかったのかもしれない。
結衣(…京子)ツンツン
肘でつついて、京子をせっつく。
京子「…あ、綾乃?」
京子「なんか…元気ない?」
恐る恐る話しかける京子。
綾乃「……」フルフル
京子「だ、だって…全然食べてないし…プリンもいらないって…」
綾乃「……」
京子「…心配、なんだよ」
綾乃(…どうしてそんなに私に優しくしてくれるの?)
綾乃(だって…あなたは…)
千歳「…綾乃ちゃん?」
綾乃の京子への想いは、氾濫寸前だった。
もしあの神社の力が本物なら。
京子への想いは届かず、声だけ失って。
罰があたったのだろうか。
楽をして願いを叶えようだなんて思ったから。
綾乃(…あ)ポロッ
何故か指に力が入らず、箸を落としてしまう。
そのとき初めて、綾乃は自分の体が震えていることに気付いた。
千歳「あ、綾乃ちゃん大丈夫?」
結衣「…洗ってきてあげるよ」ヒョイ
綾乃(あ、自分で…)
京子「しょ、しょうがないなぁ…。京子ちゃんが食べさせてあげるよ」
綾乃(……!)
千歳「あ、歳納さ…」
京子「はい、あーん…」
綾乃(やめてよ!)パシッ
京子「…あ」
綾乃(どうして?あなたは船見さんのことが…)ポロポロ
京子「綾乃…?」
溜め込んだ想いが、溢れて止まらなくなる。
綾乃(好きでもないなら、どうしてこんなこと…)
綾乃(同情なんて、されたくないっ!)
言ってしまった。
誰が悪いわけでもないことはわかっていたのに。
それでも言わずにはいられないほど、綾乃の心は追い詰められていた。
京子「…なんで…」
京子の顔が、青ざめていく。
綾乃の言葉を聞いたから、ではなかった。
京子「綾乃が…何言ってるかわからないよ…」
綾乃(え…)
千歳「…と、歳納さん、それほんまなん?)
京子「う、うん…。今朝からなんだか綾乃の声が聞こえにくいと思ってたんだけど…」
―――嘘…。
千歳「そんな…でも、なんで…」
―――あれ?なんでだろう…。
千歳「綾乃ちゃん!?」
―――頭、痛…い。
京子「綾乃っ!」
それきり、綾乃の意識は闇の中へと落ちていった。
京子「どうして…こんなことに…」
七森病院。
眠り続ける綾乃の横顔を見つめながら、京子が呟く。
結衣「何かの病気…なのかな…」
京子「声をなくして、意識を失う病気?」
京子「でも声は私には聞こえてたし…」
結衣「……」
いくら考えても、京子と結衣に答えなど出せるわけがない。
綾乃とりせの話を聞いた千歳でさえ、何も分からないのだから。
千歳「あのな…」
千歳は、西垣とりせから聞いた話も含めて二人に事情を話した。
信じてもらえるかはわからなかったが、二人は知っておくべきだと思った。
京子「それって、人魚姫みたい…」
京子は幼い頃に読んだ絵本を思い出した。
結衣「人魚姫?…最後は泡になって消えてしまうっていう、あれ?」
京子「うん…」
千歳「言われてみれば…」
記憶の糸を手繰り寄せる。
今の状況を打開する何かが見つかると信じて。
京子「声と引き換えに人魚姫は願いを叶える…」
京子「でも色々なすれ違いから人魚姫は失恋しちゃって、最後は…」
すれ違い。
その言葉に結衣は思い当たることがあった。
結衣「…それって」
千歳「…船見さん何か知ってるん?」
結衣「いや…、綾乃から聞いたわけじゃないんだけど」
結衣「京子と話してたの、聞かれたんじゃないかと思って…」
千歳「ど、どういうことなん?」
結衣「……」
結衣「……」
話せなかった。
もし綾乃が眠り続ける原因が自分にあるのなら…。
京子「結衣は悪くないよ!」
結衣「京子…」
京子「結衣は、私の背中を押してくれただけで…」
千歳「船見さん、うちは綾乃ちゃんを助けたい」
千歳「知ってることがあったら、なんでも教えてほしいんよ」
結衣「……」
もし自分に責任があるなら。
だからこそ話さなければならない。
結衣「綾乃、辛いだろうなって思ったんだ。声…なくして」
結衣「京子も綾乃も、お互い好意を持ってるだろうなってのは分かってたから…」
千歳「バレバレやったもんねぇ」
京子「な、なぬ…」
結衣「だから、少しだけ…少しだけ背中を押してあげようって」
結衣「京子を呼び出して、話をしたんだ」
千歳「綾乃ちゃん、あのとき二人を追いかけていったから…」
結衣「…たぶん、聞かれたんだろうね」
京子「綾乃…」
眠り続ける人魚姫。
もしこれが絵本と同じ結末を迎えるなら…。
もはや一刻の猶予もなかった。
千歳が学校に戻ってきたとき、すでに授業は終わっていた。
京子と結衣を病院に残し、千歳は西垣に調査状況を聞きに戻ってきた。
本当はずっと傍にいたい。
けれどそれでは親友を、大好きな女の子を救えない。
初めて言葉を交わしたときに見せてくれたあの笑顔を、もう見ることはできない。
転校ばかりで友達の少なかった千歳の、初めての親友だから。
―――綾乃ちゃんのシアワセのために、うちができることは…。
一つの決意を胸に、千歳は理科準備室の扉をノックした。
西垣「…来ると思ってたよ、池田」
千歳「先生…」
西垣「あまり収穫があったとは言えないが…聞いてくれ」
千歳「…はい」
西垣「まず杉浦に聞いた神社の場所に行ってみたんだがな…」
西垣「その場所に神社なんてなかったよ」
西垣「そもそも同じような力を持った神社がどうして別の場所にあったのか…」
千歳「…え?」
西垣「松本から聞いた神社の場所と、杉浦から聞いた神社の場所は別なんだ」
西垣「不思議な力を持った神社だ。もしかしたらここではないどこか…別の世界の神社なのかもしれない」
ここではないどこか…。
そんな場所を探し出そうなんて、まさに雲を掴むような話だ。
けれど、まだ道が絶たれたわけではない。
西垣「次に、同じように声を失った人間がいないかを探してみたんだが…」
千歳「…見つかりましたか?」
西垣「さすがに少し難儀したが…」
西垣「松本と杉浦以外で、三人見つけた」
西垣「そのうちの一人は、意識不明で三年間眠っているそうだ」
千歳「……」
現代医学ではどうにもならないということだろうか。
ではどうすれば親友を救えるのだろう。
千歳の頭に浮かんだ答えは、たった一つだけだった。
千歳「先生…」
西垣「ん?なんだ?」
千歳「その三人も…恋してたんでしょうか…」
千歳はもう、それに縋るしかなかった。
千歳の言葉に、西垣は表情一つ変えずに答える。
西垣「そこまではわからないが、お前達と同じ年頃の女の子だ。…おそらくはな」
千歳「……」
迷いはなかった。
自分は心から綾乃の幸せを願えている。
だから、きっと…。
きっと後悔なんてしない。
気がかりはたった一つ。
大切な双子の妹、千鶴のことだけだった。
綾乃「……」モジモジ
始業式までは、まだ少し時間があった。
綾乃「……」チラチラ
―――よろしくねー。
―――仲良くしようねー。
既に仲良くなっている子達もいる。
綾乃「…うう」
ほんの少し、勇気を出せれば、でも…。
綾乃(こ、このまま三年間一人だったら…)グス
??「杉浦さん、やっけ?」
綾乃「…え?」
顔を上げると、柔らかく微笑む少女。
千歳「うちと、お話せぇへん?」
そう言った少女の笑顔が、今も忘れられない。
綾乃「あのとき、千歳が話しかけてくれて凄く嬉しかった」
千歳「ふふ、勇気出して話しかけてみて良かったわー」
綾乃「あのときは本当にありがとうね、千歳」
千歳「うん…。その笑顔が見られれば…うちは…」
綾乃「…千歳?」
千歳「あのな綾乃ちゃん」
千歳「うち、綾乃ちゃんのためなら…」
綾乃「千歳…!待って、どこに行くのっ!?」
千歳「綾乃ちゃんが…」
―――綾乃ちゃんが、シアワセになれますように。
綾乃「千歳!!」
見知らぬ場所にいた。
ひどい悪夢を、ずっと見ていたような気がする。
胸に残る、強烈な喪失感。
京子「あ、綾乃…」
綾乃が現状を把握するより早く、隣から遠慮がちに声がかけられた。
綾乃「と、歳納京子…?」
綾乃は落ち着いてあたりを見回す。
綾乃「ここは…病院…?」
綾乃「そ、そうだわ…。私…」
京子「声…もどって…」
綾乃「え…」
声が、出ている。
京子「綾乃……私……」
今にも泣き出しそうな京子。
喜んでくれているのだろうか…。
なんとなく違和感を覚える。
綾乃「ど、どうして…」
声を失い、体の自由を失い、目が覚めると病院で。
今思い返してもひどい状態だったはずなのに。
ふと、さっきまで見ていた夢を思い出す。
悪い予感がした。
綾乃「そ、そうよ。千歳は?」
京子「……」
どうして何も答えないのだろう。
どうしてそんなに悲しそうな顔をするのだろう。
綾乃「…ねぇ―――」
言いかけたとき、病室のドアが開いた。
千歳「あ、綾乃ちゃん起きた?」
入ってきたのは、かけがえのない親友だった。
変わらない、笑顔のままで。
綾乃「ち、千歳…!」
千歳「体、おかしなとこない?」
綾乃「千歳…良かった…。私すごく怖い夢を…」
千歳「夢?…もう、しゃーないなぁ綾乃ちゃんは」
千歳「歳納さん、綾乃ちゃんのことほんまに頼むでー?」
京子「……」
申し訳なさそうに千歳を見る京子。
京子「……えと、私飲み物買ってくるね」
京子「綾乃はもうしばらく水だって。千歳は…何がいい?」
千歳「あ、うちはええでー」
ぱたぱたと手を振る千歳。
京子「ん。じゃあ行ってくるね」
千歳「いってらっしゃーい」
笑顔で京子を見送り。
千歳「良かったなぁ綾乃ちゃん。元気になって」
千歳「また綾乃ちゃんの笑顔が見られるなんて、うちはシアワセやわぁ」
綾乃「あ、ありがと…」
不安はまだ、拭い切れていない。
綾乃「ねぇ、私どうして治ったのかしら…」
千歳「んー…、それはきっと…」
少し考えて。
千歳「歳納さんと綾乃ちゃんの愛の奇跡、やね…!」
メガネを外して妄想を始める千歳。
どうやら平常運転のようだ。
綾乃「そ、そんな理由で…」
いまいち納得がいかない。
千歳「まぁまぁ、他に理由なんて考えられへんし…」
綾乃「……」
千歳「今はそう思っとこ?」
また、笑顔。
千歳の笑顔を見ると、安心できた。
初めて会ったときからずっと…。
綾乃「ねぇ、千歳」
千歳「なぁに?綾乃ちゃん」
綾乃「本当に、ありがとう」
千歳「……」
千歳「ふふ、変な綾乃ちゃん」
少し笑ったあと。
千歳「…実はな、綾乃ちゃん。とっても大事な話があるんよ」
綾乃「え…?」
千歳は、少しだけ寂しそうな顔をした。
病室の外。
泣いている少女と、仏頂面の少女。
千鶴「…もう、泣くな」
仏頂面の少女、千鶴の顔は、病室内で笑顔を振りまいている少女、千歳に瓜二つだった。
京子「…だって、だって千歳は…」
千鶴「いいんだ。姉さんが選んだことだ」
そう言う千鶴は納得していなかったが。
双子の妹だから、千歳のことはなんでも知っていた。
恋をしていることも。
京子「…本当に、行っちゃうの?」
その手には、大きな旅行カバン。
姉と二人分の荷物が入っている。
姉のシアワセは好きな人と一緒にいること。
それなのに…。
千鶴「杉浦さんにばれたら、おしまいだからな」
京子「…うん」
綾乃のこともわかっていた。
姉から何度も話を聞かされたから。
姉が笑顔で話すその人は、自分のために誰かが犠牲になることを良しとしないだろう。
それが大切な親友であればなおさらだ。
しかし、それでは困るのだ。
千歳の願いは、綾乃のシアワセなのだから。
千鶴「だから…。だからお前は、杉浦さんと…」
姉の幸せのために、姉の失恋を願わなければならない。
他にいい方法はなかったのか。
千鶴はあれ以来、ずっと考え続けている。
千鶴『今…なんて言ったの?』
千歳『だからな、お願いしてくる』
千歳『綾乃ちゃんの、シアワセを』
千鶴『でも、それって…』
千歳『うん…。せやから綾乃ちゃんに嘘つかなあかん』
千鶴『……』
千歳『協力、してくれる…?』
千鶴『私は……』
千歳「お願いや、千鶴」
千鶴『…でも、どうするの?』
千鶴『隠し通せるわけ…』
千歳『西垣先生にな、意識不明の子のいる病院教えてもらったんよ』
千鶴『…え?』
千歳『対価を支払ったのに願いが叶わないから、それが苦しくて、悲しくて眠り続けてるのだとしたら…』
千歳『うちは教えてあげたい。うちのこの気持ちを』
千歳『何年かかってもええ。気持ちが伝われば、その子もきっといつか…』
千歳『綾乃ちゃんとはしばらくお別れかもしれへんけど…』
千歳『でも、いつかまた…きっと笑顔で会える』
千歳『そう思うんよ』
千鶴『…もう、決めちゃったんでしょ?』
千歳『…ごめんな』
千鶴『ううん…。姉さんがシアワセなら、それで…』
結衣「…もう、行くの?」
千鶴「…船見さん」
病院を出ようとする千歳と千鶴に、不意に声がかかる。
エントランスで、結衣が二人を待っていたのだ。
結衣「千歳、ごめんね…。私達…」
千歳は結衣の手を握り、首を振る。
結衣「・・・京子達のことは、心配しないで」
千鶴「それじゃ、元気で…」
結衣「うん…。二人も元気で…」
遠ざかっていく背中に向かって。
結衣「待ってるから!」
立ち止まる二人。
結衣「…みんなで、待ってるから」
振り返った千歳の笑顔は、幸せそうだった。
千鶴「それじゃ、行こうか姉さん」
千歳は、何も言わずに微笑んだ。
手を繋ぎ、二人で七森を発つ列車に乗り込む。
見送りはない。
一体この旅は、いつまで続くのだろう。
隣を見ると、少し楽しそうな千歳の横顔。
千鶴「…どんな女の子なんだろうね」
千歳「……」ニコ
―――きっと笑顔の素敵な子やでー。
声が、聞こえた気がした。
千鶴「…うん」
姉は本当に幸せなのだろうか。
声を失って、恋が叶わなくて。
千鶴「…私にも、見つけられるかな…」
千歳「……」
にぎりしめた拳に、柔らかい温もり。
千鶴の手をとる千歳の笑顔は、あの日見た笑顔と同じだった。
―――うち、素敵な子と友達になれたんよー。
綾乃「…千歳…」
結衣「…きっとすぐ帰ってくるよ」
京子「…うん」
結衣「ご家族の都合じゃ、仕方ないよ」
つきとおせるだろうか。
千歳の、痛いほどに優しい嘘を。
結衣「…それじゃ私、買い物があるから」
京子「あ、うん…」
結衣「京子、頑張ってね」
京子「……」
綾乃「…ふ、船見さんありがとう」
結衣「ううん。…京子の話、ちゃんと聞いてやってね」
結衣「…千歳も喜ぶからさ」
綾乃「…え?」
少し嬉しそうに病室を出て行く結衣。
残されたのは、きょとんとした顔の綾乃と、ひどく緊張した顔の京子。
綾乃「…い、今のってどういう…」
京子「……あ、あのさ」
綾乃「え?」
今度こそ大好きな人を笑顔にしたい。
京子にはもう、迷いはなかった。
京子「わ、私…、綾乃のこと…!」
西垣「…あいつら、うまくやってるかな?」
りせ「……」
理科準備室。
なにやら怪しい色の怪しい薬品が、怪しい煙を出している。
西垣「子供でも大人でもない、微妙な年頃だからな…」
西垣「少し心配だ」
りせ「……」
りせは不満気に西垣の顔を見る。
西垣「ん?爆発のほうが心配だって?」
りせ「……」
西垣「…ふふ、甘いな松本」
西垣「杉浦と池田のおかげでな」
机の上に広がるのは、二人の病院での診断結果のコピー。
りせ「……?」
西垣「…完成も近いぞ」
そう言って西垣は、子供のように笑った。
おしまい!
97 : 以下、名... - 2012/10/14(日) 18:13:38.62 Xjr3nkHb0 72/75
綾乃「不思議の国の…」の番外編だったりします
http://ayamevip.com/archives/49991465.html
支援ありがとでしたー
102 : 以下、名... - 2012/10/14(日) 18:19:28.52 Xjr3nkHb0 73/75
京綾に千歳ちゃんは不可欠、あやちとに京子ちゃんは不可欠と思っております
あと毎度酷い目にあってるけど綾乃ちゃんが嫌いなわけじゃないよ!
103 : 以下、名... - 2012/10/14(日) 18:19:40.81 DWizAj1kO 74/75
不思議の国も読んだ事ある
切ないけど最後に希望があるって事でいいんだよな?
108 : 以下、名... - 2012/10/14(日) 18:27:32.55 Xjr3nkHb0 75/75
>>103
ハッピーエンド以外は嫌いです
千歳ちゃんのキャラソンカップリングがなかったら完成しなかったかもしれない
みんな買ってね!