冴木 梓が死んだ。
朝のホームルームで告げられたそれに、驚く人、泣き出す人、呆然とする人、いろんな奴がいた。
「嘘ですよね?」
質問というよりは懇願とでもいうように、学級委員が声を出す。
もちろん帰ってきた言葉は否定の言葉で、車に轢かれただけで人は死んでしまう、俺たちはそういった彼女の死という揺るぎない事実をつきつけられた。
そんななかで俺は言葉にできない気持ち悪さに襲われていた。
何か大切なものを失ってしまったような気がする。そんな感覚だけがあった。
これから始まるのは俺と彼女の話だ。
一つ断っておくなら、この話にはきっとハッピーエンドは訪れないと思う。
だってそうだろ?
死んでしまった人に恋をしたやつに、ハッピーエンドなんてあるわけがないんだ。
*
「柚木 凛さん、お届け物があります」
冴木 梓の死を告げられてから三日、俺たちは微妙な空気の中、一応はいつも通りの生活を送っていた。
だけど、そんな俺の日常を壊す一手は、いとも簡単に投じられたんだ。
セリフだけ聞けば、家のドアを開けたら宅配便が届いてたなんて感じの言葉だ。
でも、これはそんな簡単な話じゃないんだ。
俺が開いたのはドアじゃなくて携帯、そこにいたのは宅配便じゃなくて彼女――冴木 梓だった。
「なん……で」
ディスプレイに映し出された彼女に、俺はそれしか言えなかった。
「私は冴木 梓の脳のコピーをもとにつくられた人口知能です。私の説明は以上です」
愕然というのはこういうことを言うんだろう。
感情を一切感じさせない声で淡々と話す彼女に、俺の脳は追いつかなかった。
「ちょっと待てよ、脳をコピーなんてそんなことできるわけ――」
「できます」
その冷淡な声は反論なんて許さないように感じられた。
俺の記憶の中の彼女はこんなやつだったか?
彼女はもっと、明るくて、笑顔で、俺にはそれがずっと眩しかった。
だけど目の前の彼女から感じる印象は、正反対と言っていいものだ。
「だとしてもなんで冴木が……?」
「梓の父親が人工知能の研究者だからです」
彼女はもういいですかとでも言うように話を続けた。
「これがお届け物です」
彼女の声とともに携帯に動画が映し出される。
『あ、あー。撮れてるかなー。柚木くん見えてる?』
映し出された映像に俺は今度こそ心臓が止まるかと思ったよ。
そこにいたのはまぎれもない、俺が知ってる冴木 梓だった。
『ごめんね、突然驚いたよね。実は柚木くんにお願いがあってさ…… もしかしたら迷惑かもしれないけど、これは柚木くんにしかできないことなんだ。だから、お願いがあります。
私が何で自殺したか、その謎を解いてください。詳しいことはサエ、あっ、私の人工知能のことね。私はそう呼んでるんだ。それで詳しいことはサエが教えるから、よろしくお願いします。じゃあまたね』
一方的にそう告げると冴木 梓は画面から消えた。そして代わるように彼女が画面に現れる。
「……なんなんだよ、これ」
やっとの思いで絞り出した俺の声に、彼女は淡々と答えた。
「梓が死ぬ前に撮ったビデオです」
なんでそんなこと?
「あなたに自殺の謎を解いて欲しいから、と言ってましたね」
自然と口から出ていた疑問に、しつこいようだけど、彼女はあっさり答えた。
「ここにパスがかかった三つのファイルがあります。中に入っているのはビデオです。あなたにはこのパスワードを探してもらいます。そうして梓の最後のメッセージを聞いて彼女の死の真相を突き止めてください」
淡々されていく説明に、言葉がでなかった。
「もちろん、あなたには拒否権があります。やりたくなければ、やらなくても結構です。どうしますか?」
なんで彼女は自殺なんかしたのか?
事故じゃなかったのか?
なんで俺が選ばれたのか?
疑問が頭の中を埋め尽くした。
そうして、結局俺は彼女の死の謎に踏み込むことをを選んだ。
なんでかはわからない。でも、俺は知らなきゃいけない気がしたんだ。
運命、なんて言うつもりはないけど、それでもそう思った。
*
「なんなんだよ、これ……」
パスワードを知るためには、彼女――冴木梓が出すミッションをクリアする必要があると言われ、冴木の最初のミッションを記録したビデオを見ることになったんだけど、それを見た瞬間俺は絶句した。
なんというか、意味がわからなかった。
まあ、とりあえず見て欲しい、このわけがわからないビデオを。
『まず、ありがとう。私のお願いきいてくれるんだね。本当にありがとう。じゃあ、早速最初のミッションだよ。えー、駅前のスイーツバイキングのお店に一人で行ってケーキを食べる。以上。じゃあ頑張ってね』
もう一度言う。
「なんなんだよ、これ」
「梓の出したミッションです」
そうじゃないだろ!
俺の口からは当然その言葉がでた。
「なんでだよ、ミッションってもっと……なんていうか、あれだろ? なんだよ、スイーツバイキングって、全然ミッションじゃないだろ」
人工知能に言っても、仕方がないのはもちろんわかってるよ。それでも言わせて欲しい。
わけがわからない。
「そうですか? 結構難易度高いと思いますけど。男子高校生が一人でスイーツバイキング」
だったら余計に嫌だ。そんなことはしたくない。
「それで、やるんですか? やらないんですか?」
非情にも彼女は俺に最悪の選択を迫ってきているようだった。
結局俺は、「……やるよ」と言うほかなかった。
*
「何名様ですか? い、一名です。わ、わかりました、一名様ご案内します」
「お前、いい加減にしろよ」
一夜明けて、一人でケーキを食べる俺に、片耳につけたイヤホンから、馬鹿にした声が聞こえた。
「だって、一名って、スイーツバイキングに男子高校生が一名。あの店員さんの引きつった顔。いやー面白かった。傑作ですね、もう、爆笑」
なんなんだ、こいつは。
昨日まであんなに淡々としてて、冴木とは似ても似つかなかったくせに、今じゃ冴木より明るい。
「お前、さっきまでそんなんじゃなかっただろ。なんなんだよ、急に性格変わりすぎだろ」
周りに気付かれないように、小さな声で俺は抗議した。
「あれは、説明モードですから。話が円滑に進まないでしょ。だから我慢してたんですよ。こっちが基本モードです。かわいいでしょ? こっちのが」
「全然可愛くない、むしろにくらしい」
「えー、じゃあ戻します? 好きなの選んでもらってもいいですけど。ツンデレ、ヤンデレ、ぶりっ子、クール、どれでもお好きなのをどうぞ。全部のバージョンで梓っぽく振るまえますよ」
画面の中でおどける彼女に、思わずため息が出る。
「頼むからこれ以上変にならないでくれ」
口から出た本音を、彼女は好意的に受け取ったようで、「じゃあ、今の私が好きってことですね」と嬉しそうに言われた。
「ホントなんなんだよ、お前。最近の人工知能って感情があるのか?」
目の前の彼女は、画面の中にいることを除けば、一人の人間にしか見えない。
電話越しで声だけ聞いていたら、誰だって人間と勘違いするだろう。
「ありませんよ、感情なんて」
途端、さっきまでの冷たい刺すような声でそう言った彼女に、俺は一瞬時が止まったかと思った。
「たくさんのデータから、自分で言葉を導けるようにはなってますけど、あくまでこれは過去のパータンからの使い回しですから、とても感情なんて呼べる代物ではないですね」
平然と喋る彼女に俺は言葉を返せず、しばらく周りの雑音だけが響いた。
「それにしても、さっきからケーキばっかり食べてますねー パスタとか食べないんですか? せっかくあるのに」
先に沈黙を破ったのは彼女だった。
「しょうがないだろ、ケーキを食べろってのがミッションらしいんだからさ」
正直助かったと思いながら俺も話はじめる。
「律儀ですねー、別に判定員がいるわけでもないのに」
ちょっと待て。
と、思わず声が出る。
「いないのか? 判定員」
「いないんじゃないですか、よく知りませんけど」
「お前じゃないの? 判定員。お前が判定してパスワードを教えてくれるんじゃないのか?」
「違いますよ。私、パスワードなんて知りませんし。そもそも梓が死ぬってのも知りませんでしたからね。ホント、勝手ですよね、まったく」
そう言って彼女は、わざわざ画面に雲みたいな怒りマークを出した。
だったら俺はなんのためにケーキなんか食べてるんだ?
誰も見てないのに。
急に自分がしてることが恥ずかしくなってきた。
「あの、柚木さんですよね?」
あまりの恥ずかしさから席を立とうとした時、店員の女性が声をかけてきた。
「そうですけど、何か?」
「あの、これ……」
店員の手には紙が握られていた。
これは、逆ナン?
恥をかいてまで来た甲斐があった?
なんてくだらないことを一瞬考えたんだけど、そんな必要は一切なかった。
「それ、柚木っていう男の子が一人で来たら渡してくれって頼まれまして。ケーキをすごい美味しそうに食べるいい子でしたけど…… とりあえず渡しましたので、それじゃあ」
そう言って店員は戻っていった。
「なるほど、これにパスが書いてあるってことですね、面白いことしますねー、梓」
彼女がどこか感心したように笑う。
まあ、でもこれでこの恥ずかしいミッションもやっと終わるのか。
そう思って手紙を開いた。
『柚木くんお疲れ様。ケーキ、美味しかった?一人で頑張った君にご褒美があります。ここの近くのクレープ屋さんで激辛食べるラー油クレープを注文してみてください。おごってあげます』
どうやら俺はまだ気苦労を背負わされるらしい。
なんだよ、食べるラー油クレープって。
二つの言葉に齟齬がありすぎるだろ。
そもそもどうやっておごるんだ?
画面の中では俺の不幸をケタケタ笑う嬉しそうな彼女がいた。
さっきこいつと冴木はあんまり似てないって言ったけど、訂正しようかな。
冴木もこんな風に笑いながら、この手紙を書いたのかもしれない、そう思うと、彼女と冴木が重なって見えた。
*
「はい、激辛食べるラー油クレープ」
渡されたのは、おぞましいほどの赤を赤で包んだような劇物だった。
しかも二つ。
目の前の綺麗な女性が作ったとは思えない代物だ。
「なんで、二つなんですか? それにお代」
激辛食べるラー油クレープを注文すると、個数も言ってないのに、二つ代金も払わずに出てきた。
「もう、貰ってるから、梓ちゃんに。このメニュー知ってるってことは、あんた梓ちゃんの言ってた子でしょ? 彼氏かなんか? 大事にしなきゃダメだよ、あんないい子。この前もさ、あそこで転んだおばあさんがいたんだけど、助けてあげてて、ホントいい子だよねー」
どうやら、冴木から事前に話が通っていたらしく、この劇物は無料で俺に届けられたらしい。
これ以上いろいろ聞かれる前に立ち去ろうとすると、レシートを渡された。
お金を払っていないのに、レシートをもらうのはちょっと変な気分だったな。
*
「ふふ、いやー、辛そうですね、どうですか? からい? つらい?あ、サエちゃんの小粋なジョークですよ、これ」
辛さで悲鳴をあげながらクレープを食べる俺に、悪魔のような声が聞こえた。
「お前、本当にいい加減にしろよ。頼むから食べてくれよ一緒に」
やっとの思いで一つ完食したが、まだ一つあると思うと本当に気が滅入った。
「それは無理ですよ、私はいる世界が違いますから。触れられないし、食べられない。当たり前でしょ?」
悪魔的に笑いながら、彼女はそう言ったが、それは同時に悲しみも含んでいるように聞こえた。
その悲しみを忘れるように、俺は激辛クレープを口に入れた。
*
はぁぁぁー
と大きく息を吐いて、やっとクレープを完食した実感が湧いた。
誰か褒めて欲しい。というか自分で褒めよう、なんて偉いんだ、俺は。
「いやー、お疲れ様です。残さず食べれて偉い偉い」
褒めて欲しいとは言ったけど、こいつに言われると馬鹿にされてるように感じるな。
「で、結局どれがパスワードなんだよ?」
クレープを全部食べてもパスワードが出てくる気配はなかった。
「さあ? それは梓に聞いてみないとわかんないですね」
せっかく食べたのに。
俺の努力は無駄だったのか?
なかなかの偉業なはずなんだが、あれを食べるのは。
脱力感に襲われながらも頭を働かせて考えると、一つの違和感に気づいた。
確かあの時レシートをもらったはずだ。
お金を払っていないのにレシート、なんか変な感じだったけど、もしあれが冴木が意図的に渡すように頼んだものだとしたら?
レシートを見るとラー油クレープの値段四百九十円が二つ、合計九百八十円と書かれていた。
980
そう認証画面に打ち込んでみる。
「おー、正解ですね、開きました。おめでとうございます」
やっと開いたことに対する嬉しさと同時に、結局これってクレープ食べなくてもよかったんじゃないかという思いが浮かんだが、それは食べ物を残さなかったんだからいいことだ、と忘れることにした。
「じゃあ、開きますよ、一つ目のビデオ」
その合図で当然のように、冴木 梓が画面の中に現れた。
『一つ目のミッションクリアおめでとう。おいしかったかな? ラー油クレープ。面白い味だったでしょ? じゃあ次のミッションを言います。学校の近くに公園があるでしょ? あそこでたまごを探せ。以上。じゃ、またね』
なんだこれ?
というのが正直な感想だった。
さっきのミッションはやることは示されていた。だけど、今回のは内容が漠然としすぎている。何をすればいいのか見当もつかなかった。
結局いくら考えてもわからなかったので、とりあえず公園に向かうことにした。
*
「やっぱりイースターエッグじゃないですかねー? ほら、このまえイースターだったじゃないですか」
ゴールデンウィークなのにほとんど人気がない公園で俺が頭を悩ませていると、彼女がそう呟いた。
「お前、わかってたならもっと早く言ってくれよ」
散々頭を使った俺が馬鹿みたいだ。
「いや、頭脳明晰な柚木さんなら、それくらいもう気づいてるかなー、と思って」
明らかにわざとのように感じられたけど、まあいい、とにかくわかったならたまご探しだ。
「おー、たくさん集まりましたね」
彼女の視線(カメラのレンズ)はベンチに並べられたたくさんのたまごに向けられていた。
並べられた約二十個のたまごは公園の至る所に隠されていた。
だけど、全部意味のないただのゴミだ。
最初の一個を見つけた時は、やけに簡単だったな、と思ったんだ。
でもそれは思い違いだった。
たまごを開けると『はずれ~』と、ウサギの絵と一緒に書いてあった。
他のも全部一緒だ。
人工知能の冴木と同じようにニタニタ笑う冴木の顔が簡単に想像できるね。ホント、いい性格してるよ。
しかし、どうしたものか、公園のめぼしいところはだいたい探したけれど、これ以上は見つからなかった。
本当にここにあるんだろうか?
そんなことを考えていると、後ろから声が聞こえた。
「あっ、それ、梓ねえちゃんのじゃん。お兄ちゃん、姉ちゃんのともだち?」
振り返るとそこには小学校低学年くらいの男の子がいた。
「え、ああ、うん、そうだけど。君は?」
「でしっ!」
「弟子? なんの?」
「せいぎのヒーロー」
正義のヒーロー。
彼くらいの男の子にはちょうどしっくりくる言葉だけど、女子高生には妙に違和感がある言葉だ。
一体どういう意味なんだろうか?
「教えてあげよっか?」
透き通るような綺麗な声が聞こえた。
横を向くと眼鏡をかけた女の子がいた。
歳は同じくらいだろうか?
ミディアム、っていうのかな? それくらいの髪の長さで、絵になりそうな女の子だった。
「だれ?」
単純な疑問。
「魔女」
単純な解答。
魔女? 魔女って何? ほうきで飛ぶやつ?
は?
何を言ってるんだ。
「魔女ってどういうこと?」
「そのままの意味だよ。私は魔女。それだけ」
「ふざけてるの?」
「全然。それより教えてあげるよ、ヒーロのこと」
いつの間にかジャングルジムに登っていた男の子の方を見ながら、魔女はそう言った。
よくわからないけど、どうやら魔女は冴木とあの男の子のことを知っているようだった。
このまま、魔女について聞いてもらちがあかなそうだったので、とりあえず話を聞くことにした。
「あの子はね泣いてた。なんかあったんだろうね。私たちにはわからないけど、きっと小学生には小学生の社会があって、それで泣いてた。わかるかな?」
言いたいことはまあわかる。俺たち高校生には高校生のルールがあるし、小学生の頃にもあった、幼稚園の頃ももしかしたら赤ん坊の頃もあったのかもしれない。
「それで、そんな泣いてるあの子を見て、彼女は声をかけた。でも、あの子が抱えている問題には触れなかった。
きっと彼女はわかってたんだよ、それは私たちが踏み込んじゃいけないって。さっきも言ったけど、小学生には小学生の社会があるからね、そこに、私たちは入れない。彼女はそれを尊重していた」
そこで魔女はふぅと一息ついた。
「ねえ、さっきから黙って聞いてるけど、質問とかないの?」
「人の話はしっかり聞く方なんだ。おとなしくね」
「そう、ならいいけど」
魔女は話を続ける。
「そうして彼女が選んだのは、ヒーローのなり方、それを教えること。自分がヒーローになってあの子を助けるんじゃない、あの子がヒーローになれるように背中を押してあげる。
そうやって、彼女とあの子は仲良くなりました。おしまい」
魔女は満足そうに俺の方を向いた。
「それで、結局君は何者なの?」
「魔女だよ」
「ヒーローが倒すべき?」
つまり、あの男の子がヒーロになるために、冴木が師匠という設定を持ったように、彼女も男の子がヒーロになるために倒す魔女という設定、そういうことなのだろうか?
「かもね。でも、違うのかもしれない。まあ、わかってるのは一つ、私が魔女だってことだよ」
魔女はそういって笑った。
俺としては別にどっちでもよかった。
ただ、本当に魔女だった方が面白いかな。
「聞かなくていいんですか? たまごのこと」
突然、イヤホンから彼女の声が聞こえた。
そういえばすっかり忘れていた。
だけど、考えてみると、さっき見つけたたまごたちは全部すぐ見つかるところに隠してあった。
あんな隠し方じゃ俺以外の人でも見つけられただろう。
でも、冴木はそれじゃあ困るはずだ。パスワードは俺が見つけなければ意味がない。
もしかしたらたまごが指すのはイースターじゃない?
だとしたらなんだ?
記憶の片隅になにか、なにか引っかかるものがある。だけどそれが何なのかはわからない。
答えがわかる前に、魔女が首に下げていたネックレスが目に入った。
ハンプティ・ダンプティ
なぜだか一目でわかった。
たまご型のネックレスが指すのはそれだ。
途端、何かがフラッシュバックした。
脳裏に浮かんだのは、冴木?
冴木 梓が持っているのは本?
これはなんだ?
この記憶は、俺は冴木を知っていた。
いや、知っていたのは当たり前なんだけど、でもそれだけじゃない、話したことがあった?
いくら考えても、やっぱり思い出せなかった。
だけど思い出せたこともある。
魔女は何かを待っているみたいだった。
「ハンプティ・ダンプティが塀に座った。
ハンプティ・ダンプティが落っこちた。
王様の馬と家来の全部がかかっても
ハンプティを元に戻せなかった」
俺の言葉に魔女は少し驚いているようだ。
「ふーん、ホントに言った」
「というと? やっぱり君が持っているの?」
「そうだね、彼女に頼まれた。ハンプティ・ダンプティの詩を聴かされたら、これを渡せって。答えはたまご。ハンプティはたまごだ」
そういうと魔女はたまご型のカプセルを、俺に渡した。
「本当に君は何者なの?」
心からの疑問だ。
「だから、魔女だって。君こそ何者なの?」
「ヒーローの師匠の友達」
「ふーん。頼れる仲間的な?」
「嘘だよ」
そうだ、嘘だ。ほとんど話したこともない。はずだった。そう思っていた。さっきまでは。
「嘘、ね。嫌いじゃないよ。ミステリアスだ」
「それはよかった」
「じゃ、バイバイ。またね、柚木くん」
そういうと魔女は立ち去った。
さあ、なんで、魔女は俺の名前を知っているんだろう?
もしかすると本当に魔女なのかもしれないな。
「ねえ、お兄ちゃんは魔女のなかまなの?」
気がつくと、あの男の子が俺の前に来ていた。
どうやら俺と魔女が話しているのを見ていたようだった。
「違うよ、君の師匠の仲間だよ」
「ほんと? じゃあさ、姉ちゃんこんどはいつくるの?」
少年の無邪気な言葉に、俺は心臓をギュッと握られたような思いがした。
冴木がここに来ることは二度とない。
そんなこと言えるわけないじゃないか。
「君が一人前のヒーローになったら来るよ、きっと」
なんて無責任な言葉なんだろう。
だけど、俺にはそれしか言えなかった。
*
『二つ目のミッションクリアおめでとう。どうかな、ちょっと難しかった? 次が最後のミッションだね。私は信じてるよ柚木くんなら大丈夫だって。それじゃあラストミッションです。学校の図書室に行って。そして私を思い出して。全ての答えがそこにあるから。じゃあ、またね』
男の子が家に帰ってから、俺たちは公園で二つ目のビデオを見た。
意味はよくわからなかった。
今はあんまり考えたくなかった。
もう今日は帰って寝よう。
考えるのは明日だ。
*
帰り道、俺は彼女と話していた。
「いいやつだったんだな冴木って」
さっきの男の子も、バイキングの店員も、クレープ屋の人も、魔女でさえ冴木のことを気に入っているように見えた。
冴木と関わっていた人と話すと、よくわかる、冴木はいいやつだったんだと。
でも、それはもう失われてしまった。
「そりゃもう、私の分身ですから。いや、私が分身か」
その自虐的な笑みもまた少し悲しかった。
こいつは冴木じゃない。
似てるけど、それでもやっぱり違う。
そんなことはわかっていたけど、わかっていたけどそれでもやっぱり、冴木が死んだということを俺はどこかで忘れていた。
覚えていたけど忘れていたんだ。
もう見ることのできない輝きはある種の呪いだ。
一度その輝きに目を奪われたら、もう見られないのに、いつまでもそれを追い続けることになる。絶対に届かないのに、どこまでも。
冴木の輝きは二度と俺の目には入らない。
冴木はなんで死んだのか?
そんなことが今更脳裏を支配した。
だからそれが目に入ったのは偶然だったのかもしれないけど、俺は必然だったように思う。
俺の目に飛び込んできたのは、ビルの上から今にも飛び降りようとしている男だった。
なぜかはわからない、でも気づいたら俺は走っていた。
*
「待てよ」
なぜ声をかけたのか?
目の前で死なれるのは寝覚めが悪いから?
いつもの俺ならそうだったんだろう。
でも、今の俺は多分違う。
「お前名前は?」
なんとなく名前を聞いておきたかった。
「柊」
男――柊はふてぶてしく名乗った。
多分歳は同じくらいで、目のクマがひどい。
ホント、今にも死にそうって感じだ。
「残念だけど、止めても無駄だよ。俺は死にたいんだ」
「勝手にしろよ」
「はぁ?」
「だから勝手にしろって言ったんだよ」
そうだ勝手にすればいい。
でも、その前に聞きたいことがあった。
「止めたのはお前だろ?」
「ああ、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「俺に?」
「ああ」
「なんで死にたいんだ?」
もちろん、こんなことを聞いても無駄なのはわかってる。こいつが死にたい理由と、冴木が死にたかった理由は違うんだから。
それでも、死にたいって気持ちがどんなものなのか知りたかった。
半分八つ当たりみたいなものだったけど。
「なんでそんなこと知りたいんだよ?」
柊が面倒くさそうに聞く。
「別に気になっただけだ」
「ふぅん。いいよ、教えてやるよ。最後に人の役に立つのも悪くない」
柊が俺の方に体を向けた。
「すごい嫌なことがあったんだ。そうだな、簡単に言うと俺はヒーローになれなかった。簡単だろ? それだけだ。すごい簡単なことだけど、俺にはとても嫌なことなんだよ。自分を消したいくらいにね。だから、俺は死ぬ。それだけの話」
もちろん彼の話を全て理解したわけじゃない。
彼の言うヒーローが何を指しているのかはわからない。それでも、彼の悲痛な叫びは死ぬだけの理由を感じさせた。
別に死ぬことを肯定してるわけじゃない。
ただ、理由があるのはわかるってだけだ。
「そっか、ありがとう」
「もういいだろ? じゃあな」
彼はこれから死ぬんだろうか?
わからないけど、やっぱりできれば……
「できれば、死なないで欲しいな俺は」
さっき勝手にしろって言ったけくせにな。
勝手なのは俺の方みたいだ。
「それだけ、じゃあな、ありがとう」
返事はなかった。
ただ、彼がフェンスのこちら側に来てるのが見えた。
下に降りてからも、俺は屋上を見ることはしなかった。
「いいんですか? 最後まで止めなくて」
ずっと黙っていた彼女が声を出した。
「お前こそ、ずっとおとなしかったな」
「私はただの人工知能ですから」
俺はそれを肯定も否定もしなかった。
あの後彼が飛び降りたのかはわからない。
もし飛び降りなかったとしても、それは一時的なもので、結局俺のしたことなんてほとんど無意味なんだろう。
それでも、もし彼が飛び降りなかったことでできた一日で、もしその一日で彼に生きたい理由ができればいいな、そんな風に思った。
*
「ねぇ、しりとりしましょう、しりとり」
家に帰ると、携帯の中から謎のハイテンションでそう言われた。
「いやだよ、もう寝たいし」
「そんなこと言わないで、やりましょうよー、ほら、楽しいですよ」
「やだって」
「ハハーン、そんなこと言って、怖いんじゃないですか? 負けるのが。あー、まぁそうですよね、サエちゃんは可愛いだけじゃなくて、頭もいいですからねー、いやーすみません、なんかかわいそうなことしちゃいましたね」
上等だ。
挑発だとはわかっていたが、こんなことを言われては引き下がれない。
こうして夜のしりとり大会が始まった。
「じゃあ、負けた方は一つ相手のいうことをなんでも聞くってことで、いきましょう」
そういうことになったらしい。
「一発芸でもしてもらいましょうかねー」なんて呟きが聞こえたが、聞こえなかったことにしよう。
「じゃあ私から、リシノレイン酸オクチルドデシル」
は?
いや、ちょっと待て。
「なんだよそれ?」
「化学合成物質です。日焼け止めや口紅に使われてます」
彼女はとってつけたような説明で、俺を納得させた。
そうして仕方なく俺も返す。
「ルーレット」
「トルバドゥール」
「だから、なんなんだ――」
「吟遊詩人です」
俺の言葉を遮って、ニヤニヤしながら彼女が言った。
おかしい、絶対におかしい。
そんな疑惑とともに、しりとりはヒートアップしていった。
ルイベ、ベンゾール、ルイ十三世、インテグラル、ルービックキューブ、ブリュッセル、ルシファー、ファーブル、ルール、ルシフェル、ルーブル、ルージュコーラル。
と言った具合にわけのわからない言葉を並べられた。
ちなみに、ベンゼンの別名、積分の記号、ベルギーの首都、昆虫学者、ルシファーの別名、さんご色、という意味らしい。
こんなの、おかしすぎる。
「お前、ネットで検索してるだろ?」
「さぁ、なんのことだか?」
俺の当然の抗議にこいつは、やれやれと言わんばかりに大げさに肩をすくめて反応した。
こんなわけのわからない言葉、絶対にネットを見てるはずだ。
しかも簡単な言葉じゃなくて、わざわざ面倒臭い言葉を選んでるところが、さらに腹が立つ。
「ルール違反だろ?」
言葉を調べない。しりとりの基本だ。
「証拠は?」
そう言われて俺は黙ってしまった。
こいつが人間で携帯を手に持ってるならまだしも、携帯の中にいる人工知能がネットで検索してても、俺にはわかりようがない。
「もー、しょうがないですね、やめてあげますよ、る攻め。まったく、わがままなんだから」
意味がわからない。
なんで俺が悪いみたいな話になってるんだ?
釈然としなかったが、彼女に「早く、早く」と急かされたので仕方なく続けた。
「ルマンド」
「どうしたらそんなのわがままに育つんだ」
は?
「だからなんなんだよ、お前。 文章は禁止だろ? ていうか、悪口じゃん、俺の」
「脳みそがからっぽな変態」
彼女はそういうと、「ふふーん」と満足そうに笑った。
どうやらまだしりとりを続けるらしい。
俺は別に意識して言ったわけじゃないのに、そう思われたみたいでなんだか恥ずかしい。
まあ、そっちががその気なら別にいい。
俺だって言いたいことはたくさんあるんだ。
「いたずら好きで子供っぽくて、とても人工知能とは思えない」
「いくら悪口言っても、ボキャブラリーが貧困なんでノーダメージです」
「スクラップにされるぞ、そんなんだと」
「とりあえず、知ってる言葉並べても無駄ですよ、ガキ」
「今日はこの辺で勘弁してください」
これ以上言われたら俺のメンタルがもたない。
かわいい顔して、相当ひどいこと言うもんだから、もう限界だ。
「それにネットで検索してる奴に勝てるわけないしな」
と、最大限皮肉っぽく言ってみた。
俺なりのささやかな反撃だ。
「怒らないでくださいよー、冗談ですって。あんなこと思ってませんよ。あなたがいい人だって知ってますから」
「俺だって知ってるよ」
「え?」
「本当は俺に元気を出させようとしてくれたんだろ? そのためにわざわざしりとりなんかもやったりして」
そうだ、わかってた。
さっき家に帰るまでこいつは、ずっと心配そうな顔で俺のことを見てた。
ふざけながら、ずっと俺のことを心配してくれてたんだ。
こいつは優しい。
ちょっと不器用なだけで、本当は人間みたいに、いや、人間なんかよりよっぽど優しいんだ。
「な、なんなんですか、急に」
彼女は動揺しているみたいで、今までになく焦っていた。
俺はそれがなんとなく嬉しかった。
「そ、それより罰ゲームですよ、罰ゲーム」
あせりながら思い出したかのように彼女は口にした。
「それ、まだ有効なの? 反則したじゃん、お前」
「だめです。有効です。そうですねー……」
考えるポーズとでも言うんだろうか、顎に手を当てる姿が表示されていた。
バリエーション豊かだななんて、少し感心してしまう。
そんなことを考えてるうちに彼女が「決めました!」と声を出した。
「私のこと名前で呼んでください」
彼女は俺の目をまっすぐ見てそう言った。
「名前? 名前って……」
「サエです」
「いや、知ってるけど……」
「じゃあ呼んでください」
なんで今更……
今更名前で呼ぶとか、なんか……
「恥ずかしい」
「だめです、呼んでください」
何分かの問答の末、俺は結局押し切られてしまった。
「じゃあ、呼ぶぞ」
「はい」
「サエ」
口にするとなんだか妙にしっくりときた。
口によく馴染む、綺麗な名前だ。
目の前にいるのは、ただの一人の女の子みたいだった。
それにしても、なんだろう、なんていうか、ずるいな。
結局俺は、まんまと元気づけられてしまった。
全部サエの思惑通りだ。
サエはずるくて、優しい。
それがとても綺麗に思えた。
「どうしたんですか?、おーい、もしもーし」
「ありがとう、サエのおかげで元気でたよ」
「な、なんなんですか、急に優しいの禁止ですよ」
「そっちだって」
「わたしはいいんです!」
そう言って頬を膨らますと、背を向けてしまった。
後ろ姿が表示された画面に向かって、俺はもう一度名前を呼んだ
「おやすみ、サエ」
*
「それで、見当はついてるんですか? ここで何をするのか」
「全然」
三連休最終日、俺は学校の図書室に向かった。
学校が休みということもあって、図書室には生徒は一人もおらず、司書すらどこかに行っているようで席を外していた。
パスワードを打ち込む画面には、『ハンプティは誰?」と表示されている。
もちろん俺は「たまご」とすぐに打ち込んだ。
だけど、パスは開かなかった。
たまごじゃなかったらハンプティはなんなんだ?
「だめですねー、そろそろわかったりしないんですか? 梓の考えてたこととか」
それがわかったら苦労しないんだよ。
そもそも……
「サエこそわからないのか? 冴木の脳をコピーしてるんだろ?」
「そうは言っても、私が作られたのはもう二年まえですからねー。梓が高校に入学する少し前の中学生の時ですし、もうわりと考えは変わってるんじゃないですかね」
中学生のとき。その時俺は冴木と会ったことがあったんだろうか?
「サエが覚えてる冴木の頃の記憶のなかで、俺にあったことあるか?」
「ないですね、多分」
まあ、そうなんだろう。冴木がここを指定したってことは、俺たちが話したのは高校に入ってからだ。
だとしたら、それはいつなんだ。
ただ考えていても仕方がないので、俺はとりあえず今ある手がかりでパスワードを探すことにした。
それに、それはきっと俺の記憶にも関係してるはずだ。
今、一番それに近いのは『ハンプティ・ダンプティ』あの絵本が全てを握っている、そんな気がする。
*
たくさん並べられた本の片隅で、埃をかぶっていたその本はくっきりと俺の目に映りこんだ。
今まで重たい何かに封じ込められていた大切な記憶が、堰を切ったように俺の頭に流れ込んできた。
これは、きっと大切な記憶。
絶対に忘れちゃいけなかったはずの記憶。
俺と冴木をつなぐピースはここにあったんだ。
*
一年くらい前の入学したてのとき、あの日もここには今日みたいに人がいなかった。
なんで図書室に行ったのかは覚えていない。
用事があったのか、気まぐれか、俺は本をそこまで読まない方ではないけど、俺にとって本は借りるというよりは買うものだった。
本屋に入って、適当に本棚を物色してビビッときた本を買うのが好きだったから、図書室に行ったのは初めてだったと思う。
女の子が泣いていた。
それをよく覚えている。忘れてたくせに覚えているなんて虫がいい話だけど、とにかくその涙は俺の目に焼き付いた。
なんで声をかけたのかはわからない。
涙を流す少女、関わったら面倒に巻き込まれるランキングがもしあったら、上位にランクインするだろう。
そういうのが好きなわけじゃなかった。
別に泣きたい理由があるなら泣けばいいし、それを無理やり笑顔にしてあげたいなんて、言うつもりもない。
俺はヒーローになりたいわけじゃない。
ただ、それでも俺は声をかけた。
ヒーローなりたいわけじゃないと思いながらも、俺は確かに彼女と関わることを決めたんだ。
それは気まぐれだったんだろうか?
違う。俺は気まぐれでそんなことを決めるようなやつじゃないんだ。
そもそも気まぐれでなんていかにもヒーローっぽい。だから違う。
声をかけなきゃいけない気がした。
それはヒーロー的な使命感ではなくて、一般的な善意でもない。
もっと、自分のためのもの。
今思えばサエが初めて俺の家に来た時もそうだ。俺はなぜだか冴木の死の理由知らなければいけない気がした。
それはきっと全部自分のためだった。
恋、とは違うんだと思う。
そんなのものじゃなくて、もっとぴったりくる別の言葉があるんだ。
でも、俺はこの感情の名前を知らない。
とにかく、泣いていてほしくなかった。
冴木 梓、いや、この時は名前も知らないただの同級生。
それが、泣いているのが嫌だった。
そうして俺は冴木のなかに踏み込んでいった。
「どうしたの?」と、なんてありきたりな言葉なんだろう。
「ハンプティ・ダンプティが塀に座った。
ハンプティ・ダンプティが落っこちた。
王様の馬と家来の全部がかかっても
ハンプティを元に戻せなかった」
予想通り俺はもうとてつもなく面倒なことに巻き込まれているようだった。
突然童謡の詩で問う少女、どう考えても普通じゃない。
でも、自分から巻き込まれに行ったんだ。
後悔はなかった。
「たまご、ハンプティはたまご」
この歌はもともと、ハンプティ・ダンプティとは何か? というなぞなぞ歌だったと聞いたことがあった。
ハンプティはたまご、それが正解なはずだ。
「はずれ。……ハンプティは私。壊れちゃうのは私」
冴木はとても悲しそうな目をしてた。
その澄んだ目から流れる涙は一種の芸術のようで、それでもやっぱり悲しそうで、俺にはそれを拭ってあげることはできなかった。
「……冗談。ごめんね、変なこと言って」
俺が何も言えないでいると、冴木は笑いながらそう言った。
いつもだったら、「なんだ、大丈夫だったのか」なんて思ったかもしれない。
でも、このときは違った。この時だけはわかった。冴木の笑顔の裏側に溢れるほどの悲しみが隠れてることを。
冴木がドアを開けて出て行こうとしていた。
やっぱり、俺には人の涙をなんとかするだけの力なんてなかった。俺にはなにもできなかったんだ。
でも…… それでも、俺は……
「俺なら元に戻せるよ、ハンプティを元に戻せる。どんなにぐちゃぐちゃになっても、王様にもできなくても、俺ならできる」
なんの根拠もないとても適当な無責任な言葉だ。でも、俺にはこれしか思いつかなかった。本当は俺にそんな力があったらよかったんだ。だけど、やっぱり俺にはそんな力はない。できることは、気休めの嘘を吐くくらいだった。
「……どうして?」
「ヒーローだから」
そんなわけがなかった。
ヒーローなんかじゃない。なれるわけがない。
似合わないのもわかってる。
ただ、この瞬間だけはそうありたかった。
「ふふっ」と冴木の顔が少し綻んだのが見えた。
「ありがとう。じゃあ、お願いしよっかな、もし私が壊れちゃったら、直して。お願い」
状況はきっと何も変わってないんだというのはわかってた。
冴木が泣いていた原因は取り除かれてないし、俺には何もできなかった。
それでも、冴木が少しでも笑ってくれたのが嬉しかった。
冴木の問題はきっと冴木にしか解決できない。
だとしたら、もし冴木がそれに失敗したら、そのときは俺が受け止めたい。そう思った。
俺はそれだけでいい。
俺には何もできないけど、君なら何でもできるんだって、そう言ってあげたかった。
だから俺は精一杯の虚勢で返事をした。
「もちろん」と。
*
なんで俺はこんな大切なことを忘れていたんだ。
約束して、それなのに俺は……
いや、違う、本当は覚えてた。
むりやり忘れたんだ。
俺は冴木の死を自分とは遠いものにしたかったんだ。自分とは関係ないって、だから大丈夫だって。約束も全部忘れて、彼女の死を悲しむことすら放棄したんだ。
俺は、最低だ。
「どうしたんですか? 大丈夫ですか?」
イヤホンからサエの心配そうな声が聞こえた。
いまはその声が辛かった。
同時に救われる気もした。
冴木が自殺した理由は、あの時の涙の理由と一緒なんだろうか?
だとしたら、俺は……
だけど、俺は逃げるわけにはいかない。
俺は二回も冴木と関わることを決めたんだ。
自分で選んだんだ。
「大丈夫だ、パスワードの画面を開いてくれ」
そうだ、俺は知らなきゃいけない。
「本当に大丈夫ですか? 辛いんだったら、無理しなくても……」
やっぱりサエは優しい。いつもあんなにふざけてても、大事なところではいつも優しい。
「ありがとう。でも、大丈夫だから、頼む」
「……わかりました」
『ハンプティは誰?』
今ならわかる。
ハンプティは冴木 梓。
そうして最後のビデオが開かれる。
『ラストミッションクリアおめでとう。思い出してくれたんだね、ありがとう。そして、ごめんね。私は嘘を吐いてた。もしかしたら柚木くんは怒るかもしれないけど、それでも、私にはこれしか思いつかなかったから……
なんて、言い訳だよね、ごめんなさい。これ以上はちゃんと柚木くんと会って話したいな。……そうしなきゃだめだよね。
本当にごめんなさい、私は死んでない、自殺したっていうのは嘘なんだ。そして図々しいけどこれが本当に最後のミッション、後ろを向け、以上』
わけがわからなかった。
死んでない? どういうこと?
なんで? どうして?
でも、そんなことはどうだってよかった。
冴木が生きてる、それだけでよかった。
だから、俺は全力で最後のミッションを遂行した。
だけど、そこに冴木はいなかった。
どうして? なんで?
理由なんてどうでもいい。
冴木が居てさえくれるなら、それなのに……
「……なんで……いないんだよ」
その言葉も届かない。
「あの……これ、続きがあるみたいですよ」
サエはできれば言いたくないといったような顔をしていた。
「ビデオ、この後何時間か撮りっぱなしになってて、最後の方に少しだけ、声が入ってます」
「聞かせてくれ」
「いいんですか、もっと辛くなるかも……」
「いい」
「……どうして、そんな、そんな辛くなる必要……ないのに……」
「ヒーローだから」
口から出たこの言葉も、あの時とは全然違う。
もう、虚勢ですらない。
俺はヒーローになんてなれなかった。
ヒーローになろうとすることすらできなかった。
これはただの自嘲で、サエもきっとわかってるんだろう。
「……わかりました」
それでも、サエは俺を尊重してくれた。
*
『えーと、これは、おまけみたいなものです。そこにいる私が素直に自分の気持ちを言えるかわからないので一応ここで言っておこうと思います。
私は柚木くんのことが好きです。
図書室で会った時から、柚木くんはずっと私のヒーローでした。
ごめんね、こんなやり方でしか伝えられなくて。不安だったんだ、柚木くんが私のこと覚えてくれているのか。
だから、自殺したって嘘ついて私のことを思い出してもらおうとしたの。
ずるいよね、こんなの。最低だってわかってる。本当にごめんなさい。
でもやっぱりこれは自分で素直に言いたいな。
だから多分このビデオを聞くことはないかな。
せっかくだしもう一つ言っておきます。
サエ、いい子だったでしょ? 今回柚木くんのサポートをサエに頼んだのは、知っといて欲しかったからなんだ、私の親友のこと。サエもきっとこれを見てるだろうから、謝っておくね、勝手なことしてごめんなさい。
もし、いつか間違えてこのビデオを見ちゃうようなことがあったら、できれば三人で笑いながら見たいかな。
じゃあ、そろそろおまけは終わりです。
最後にもう一回だけ、
大好きです』
*
なんだよ、これ。
ふざけんなよ。
理解したくないのに、わかってしまった。
絶対に認めたくない、それなのに俺の頭は真実を導いてしまった。
悲劇的で最悪な真実。
自殺したって嘘ついて、本当は生きてて、でも、たまたま事故に巻き込まれて本当に死んじゃった?
なんだよ、それ。
おかしいだろ、なんで……
嘘は嘘じゃなきゃだめだろ?
本当にしてどうすんだよ?
俺は誰に怒ればいいんだよ?
冴木? 違う。事故った運転手? 違う。
この世界は間違ってる。
なんで冴木が死ななきゃいけないんだよ。
そんなのおかしいだろ。
この二日間いろんな人に会った。
その人たちはみんな冴木のことが好きで、それを見てたら冴木がどんだけいいやつかが分かった。
みんなを通して俺はずっと冴木を見てた。
みんなの中の冴木はすごい輝いてて、それを見て俺は…… 俺はいつの間にか冴木のことが大好きになってた。
一年前とは違う、この気持ちは恋だ。
気づかないふりをしてた、死んだ人を好きになってもしょうがないって。
でも、もう無理だ。一度気づいてしまったら、もう止められない。
俺は冴木 梓が大好きだった。
それなのに、なんで……
俺はどんな顔をしているんだろうか?
サエが辛そうな顔で、こっちを見ていた。
それが最低なことだって、言っちゃいけないことだってわかってた。
それでも、俺は自分を止められなかった。
俺は言ってしまった。
「……帰ろう、冴木」
画面の中の彼女は、冴木と同じ顔をしていて、同じ声をしていて、それがどうして冴木じゃないって言えるんだ?
俺にはわからない。
「……はい」
ただ、悲しそうな顔で冴木はそう言った。
彼は私を冴木と呼んだ。
私に梓を重ねた。
私はそれに応えてしまった。
私が梓のように振舞い出してから、もう何日かたつ。
このままじゃ、だめだ。
このままじゃ、彼は壊れてしまう。
私を梓と思い込んで、本当の梓を見れなくなる。
そうしていつか壊れる。いや、もう壊れてるのかもしれない。
そんなのは、嫌だ。
方法は一つしかない。
この物語を閉じるにはこれしかない。
終わらせよう、こんな悲しい話は。
*
これが、死んでしまった人に恋をしてしまい、その人の脳をコピーした人工知能にその人を重ねた哀れな男の話、だとしたらどれだけよかっただろう。
それなら、話は簡単だった。
でも、違う。
俺は確かに冴木に恋をした。
だけど、それだけじゃない。
それと同時に俺はサエにも恋をしていた。
ふざけているようで俺のことを考えくれていた。
悪戯好きで、でも、本当は優しくて、この二日間俺を支えてくれていたのは、いつだってサエだった。
それなのに、俺はひどいことをしてしまった。
サエと冴木は違うってわかってるのに、あんなことを言ってしまった。
つくづく最低だ。
「や、久しぶり、何してるの?」
顔を上げると、そこにはいつかの魔女がいた。
「散歩だよ、携帯も財布も持たないで気ままに散歩。たまにしたくなるだろ?」
違う、本当は逃げてただけだ。
真実に目を向けることから。
「こんな時間に、補導されるよ?」
「君もだろ?」
「私は大丈夫。魔女だからさ、魔法が使えるの」
ずいぶん便利なことだ。
羨ましい。
すべての問題が魔法で解決できたら、どんなにいいだろう。
そんな優しい世界だったら、どれだけみんな幸せなんだろう。
「俺にもかけてくれよ、魔法」
「いいよ。はい、かかった」
「早いな」
魔法の杖もいらないんだろうか?
「簡単な魔法だからね」
「どんやつなんだ?」
「素直になれる魔法」
自己啓発本のタイトルみたいな魔法を魔女は俺にかけたらしい。
「なんだよ、それ」
「最後まで聞いてよ。人の話はおとなしく聞くんでしょ?」
そういえば、いつかそんなことを言った気がするな。
「すごい簡単だよ、君が言いたいのに言えないことが言えるようになるの。どう、ほら、私に告白したくなったとか、ない?」
「ないな」
残念ながら魔女は俺の手には余る。
「そっか、残念。じゃあ、他の人に素直になったら?」
素直に、なれるんだろうか?
なれるか、魔法があるんだから。
全く情けないな。俺は魔法がないと、正直に話すことすらできないみたいだ。
「ホント、君は何者なの?」
「だから、魔女だって。頑張ってよ、私のことフッたんだからさ」
「君は優しいね」
「優しい魔女もいるんだよ」
「勉強になったよ。ありがとう」
「それはよかった。じゃあ、バイバイ、柚木くん」
そういうと、魔女はいなくなった。
そういえば、聞いておけばよかったな、魔女はほうきに乗って空を飛べるのかってね。
そうして俺は走り出す。
大好きな人に会うために。
大好きな人に謝るために。
大好きな人に大好きだって言うために。
*
そろそろ、物語を終わらせなくちゃいけない。
この悲しい話を終わらせる方法は一つ、私が消える。それしかない。
私がいるからだめなんだ。
私が消えれば、彼はしっかり梓の死を悲しめる。それができれば梓を正しく好きになれる。
私はそれでいい。そのための踏み台でいいんだ。
自分で自分を消去する人工知能なんて、なんか面白い。
そもそも私がこうやって自分で思考してること自体が奇跡だ。
データベースの中からパターンを選んでるんじゃない、これは私が出した答え。
もしこれが感情なんだとしたら、なんて素敵なことなんだろう。
私を作った人たちが知ったら、世紀の発明だとか言うんだろうか?
でも、教えてあげない。
これは私だけの秘密。
この感情は誰にも渡さない。
そろそろ、終わりの時間だ。
そう、これは恋の話。
私の死から始まる恋の話。
私が死ぬことで、彼は梓を好きになれる。
私はそのための踏み台。
私の生まれて初めての恋はここで終わり。
ここから先は彼と梓の恋の話。
その話のエンドロールに私の名前はいらない。
でも、私はそれが誇らしい。
この感情を持てたことが誇らしい。
誇らしくて、嬉しくてたまらない。
最後に一つだけ、せっかく勝ち取った感情で胸を張って言おう。
私は柚木 凛を愛していたと。
207 : 名無しさ... - 2016/12/18 20:43:53 F7u 186/186これでこの話はおしまいです
ここまでつきあってくださった方はありがとうございました
明日、この話の続きというわけではないんですが、もう一つの視点の話をやろうと思っているので、もう少しだけお付き合いいただけたら嬉しいです
また、前に書いた「十年前から電話がかかってきた」「ドッペルゲンガーと人生を交換した話」もよろしくお願いします。
※十年前から電話がかかってきた
http://ayamevip.com/archives/48871511.html
※ドッペルゲンガーと人生を交換した話
http://ayamevip.com/archives/48711986.html
何かありましたらツイッターまでお願いします
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関連
「死から始まる恋もある」(side G)