【艦これ】Fatal Error Systems【1】
【艦これ】Fatal Error Systems【2】
《第三章 想定外》
《1》
情報部からの接触が増加していた。
横須賀に入り込めた工作員が時雨だけとなった以上、そうなることは予測していた。
だが、その頻度は想定をはるかに超えている。
昼夜の別なく。そして今のように海の上にいても催促はくる。
艦娘として、一人海の上を進んでいるならまだしも、狭い護衛艦の艦橋、他人の目がある中で、そんなものに受け答えができるわけがないのにだ。
囮として使うつもりだったくせに――。
文句の一つでも送ってやりたいところだが、そうもいかない。
『横須賀第二は予定通り作戦を実施中。
敵艦隊の捜索は艦娘と航空機の不足で難航。
二度捕捉するも、遠距離のため触接を継続できず失探。
直前の針路より敵艦隊の移動方向を推測、索敵範囲を南西に拡大。現在は種子島から喜界島にかけての沖合を索敵中。
なお、敵針路次第によっては、輸送船団との接触の恐れあり』
あらかじめ用意されていた電文を手早く暗号化し、送信する。
ここ数回は、その時点での索敵範囲くらいしか変更する内容もない。
読む方も飽きるだろうが、書く方だってそれは同じだ。
行動を強要されている分、時雨の方が精神的疲労の度合いは大きいだろう。
「やれやれ、だね」
「何というか……ご苦労さん」
大きくため息をついた時雨に、提督がねぎらいの声をかける。
「これを見ても、また夕方には『新しい情報を』ってくるんだから、いい加減にして欲しいよ」
「尻に着いた火の大きさに慌ててるんだろうさ」
提督の言葉の通り、情報部には明らかな焦りの色が出ている。
艦娘に関する噂が広まり始めたのがその原因だ。
もちろんそれを操っているのは提督と、横須賀で艦の修理に当たっている護衛艦はづきの艦長だ。
「あれだけいろんな基地で噂がたったら、元を辿るなんて無理だろうしな」
提督はしてやったりとばかりに笑っているが、やられた方はたまったものではない。
噂を広めるのに重要な役割を果たしているのは、練度維持のためにはづきに乗り込んでいた護衛艦きよづきの乗員たち。
訓練のために乗り込んでいたはづきも修理に入り、しばらく身動きが取れない以上、きよづき乗員たちは再び各地の基地へ移動し、別の艦に乗ることになる。
そうやって散っていった彼らが、噂を広めているのだ。
彼らの元々の乗艦であるきよづきは、無理な作戦の挙句に廃艦寸前の被害を受け、仲間も多く喪っている。
その怒りが彼らを突き動かしていた。
「慌ててると言うよりも、火元がわからなくて途方に暮れてるんだろうね」
そうなる気持ちは時雨にも大いに理解できた。
同時発生的に広がり始めた噂の元を辿ろうにも、互いが互いを指差し、向こうから聞いたと言い合っていれば、埒など明くはずもない。
それに加え、艦娘に関しての情報開示を声高に叫んでいた第一容疑者が、噂の広まる前に護衛艦あきさめに乗り、陸を離れていた。
「しかし、お前さんも律儀に返事をしなくていいんじゃないか?」
「そういうわけにはいかないさ。下手に行動を変化させれば、余計な疑念を抱かせるからね」
ここまで話が大きくなってしまうと、打てる手など限られてくる。
たとえ首謀者を作り上げたところで、本当の首謀者が残っている限りその次の手を警戒する必要があるし、証拠をでっち上げても、信憑性に欠ければ逆効果になりかねない。
一番確実なのは首謀者を捕まえ、証拠を見つけ出した上で『組織を混乱させる風説を流布し、利敵行為を行った』と断罪すること。
だから、その前に大きな戦果を上げる必要がある。
それも人類が成し得ない――艦娘が存在しなければ得られるはずのない戦果をだ。それが噂を否定のできない真実に変える。
それこそが提督の考えてきた、状況を変える一手だ。
そして時雨は魔の手が彼に迫るのを、可能な限り先に伸ばす役目を負っている。
「そろそろネタ切れしてるんじゃないのか?」
「……それは否定できないね。いい案があれば随時募集してるよ」
時雨の思案顔をしばし見つめていた提督が、ポンと軽く膝を叩く。
何かを思いついたようだ。
もっとも、こういう時の提督の思いつきがロクなものではないことなど、このわずかな期間でも充分に理解できている。
「いっその事、天気でも報告してやれ。それなら毎回変化はあるぞ」
予想通りの発言に、時雨は再び大きくため息をつく。
「せめて毎食の献立、とかくらいは言えないものかな」
「それは名案だな。やつら腹が減って、仕事やる気なくすぞ」
「もう……提督がもう少し動きを見せてくれれば、報告する内容にも困らないんだけどね」
「そんなの敵に聞いてくれよ。向こうが動かなきゃ、こっちだって何もできやしない。おかげで金剛と足柄、それに瑞鶴まで退屈だとふてくされてる。この上、時雨にまでヘソを曲げられたら、俺はいよいよ孤立無援だ」
輸送船団が出発して、すでに二十六日。シンガポールで荷を積み終えた船団はすでに復路に入っているはずだ。
位置の露見を防ぐために無線は封止され、前回の作戦中に不具合が起きた船団位置情報システムも、完全に問題がないと分かるまでは使えない。
だが、スケジュール通りならばそろそろバシー海峡へ差し掛かっているはずだ。船団からの連絡はそこを抜けてからとなる。
これまでのところ、大きな戦闘はないという報告も各要所の哨戒にあたる艦娘たちから届いていた。
いつもであれば、小規模の艦隊だけでも繰り出して輸送船団の何隻かをさらっていく南シナ海の深海棲艦も、今回はまったくの沈黙を保っている。
恐らく、大東諸島の艦隊のためにあえて見逃したというところだろう。
ここまでの提督の読みは当たっていることになる。
「まぁ、そろそろ動いてるはずなんだがね」
しかし、南西諸島海域を哨戒中の艦娘たちからは、敵艦隊発見の報告はない。
「提督はどこで敵が待ち構えていると思うんだい?」
「沖縄と宮古島の間だね。まずは敵の別働隊が前路哨戒の部隊にそこでしかけて、これを東シナ海へ引きずり込む。そのおかげでフィリピン海はガラ空きに見えるから、船団は直進。そこに時間差を置いて敵本隊が突入――結果は一方的だな」
「本隊が先に見つかってしまえば作戦が崩れるけど?」
「その可能性は考えなくてもいいくらい低い。俺なら大東諸島に艦隊をギリギリまで置いておくよ。バシー海峡通過に合わせて本隊の行動を開始しても充分間に合うんだ。それに燃料の余裕がある分、その後の行動に制約が少なくなって、状況の変化にも対応しやすい」
言ってしまえば典型的な陽動作戦。
今の上層部ならそんなものでも簡単に引っかかる可能性が高い。
前回の成功ももちろんだが、今回も敵の出現がないことで、相手の戦力を完全に見くびっているだろうから。
「ということを踏まえた上で、哨戒部隊には、あえて陽動にかかったフリをしてもらう。その上で我々は、敵艦隊を発見したという情報を流すことで、船団を与那国と西表の間で転針させる。その後、それを追った大東島の敵本隊を佐世保の主力が丁重におもてなしする間に、大東島を叩いて奪還する」
「なるほどね。それなら多少こちらが手間取っても、輸送船団に被害は出ない」
「そういうこと。発奮してもらうために金剛にはああ言ったが、被害が出たら、さすがに寝覚めが悪いよ」
そう言っておどける提督に時雨は微笑み、安堵する。
自分たちはこの人に従えば間違いない。
この人ならば、絶対に誰かを犠牲にするようなことはしない。
「ま、今のうちにメシでも食っておけと他の子達にも伝えてくれ。お前もだからな? 動き始めたらそんな暇はなくなるぞ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『宮古島沖で敵艦隊と接触』
哨戒部隊旗艦の青葉からその一報がもたらされたのは、二時間ほどが経った、正午過ぎのこと。
それを受け、護衛艦あきさめは速力を上げて、大東諸島近海への針路とり一五〇キロの地点まで進出を図る。
それが作戦開始の合図だ。
『輸送船団がバシー海峡を通過。敵機を排除。偵察機の模様』
『名取隊が与那国島近海の敵潜排除。予定航路クリア。音響ブイ設置完了』
『青葉隊、針路三一〇で敵艦隊追撃中。距離は三万のまま縮まらず』
次々とあきさめの艦橋に情報が届く。
提督はそれを確認しながら、艦娘たちへ密かに指示を出す。
おおっぴらに指示を出せば、佐世保司令を刺激することになる。そうなれば作戦全体をぶち壊すような事態を招きかねないからだ。
そして出せる指示も限られる。向こうの作戦計画を大幅に乱すようなことはできない。
「青葉隊はどっちに移動した?」
「接触地点より四十キロ西に移動。二十四ノットで追撃中です」
「やっぱり陽動だな――適当なところまで追わせろ。ただし尖閣には近づくな。別の敵艦隊が待ち構えてる可能性がある」
あきさめ艦長を含めた多くの幹部が情報や資料の集まる戦闘指揮所に移ることを勧めても、提督は「そこは艦長の場所ですから」と、艦橋に残ることを宣言している。
「足柄たちを出せ。島の北側から接近、敵を誘引して東に抜けるように厳命。その後に金剛たちだ。これは島の東側から接近させろ。瑞鶴は偵察機を出した後、金剛と合流。全員偵察情報を待ってから攻撃開始だ。それまでは対潜警戒を密にして進め」
矢継ぎ早の指示は、地図など一切見ることなく出されていく。
提督の頭の中には、この海域すべてが刻み込まれているのだ。
どれだけの間練り続けてきた計画なのかが、それだけでもわかる。
「佐世保の歓迎艦隊は?」
「奄美大島東方沖二〇〇キロで待機中」
追いすがる敵本隊を粉砕するための主力艦隊は、金剛型高速戦艦榛名を旗艦とした戦艦三隻、重巡二隻の打撃部隊。赤城と加賀を基幹とした空母二隻、軽空母二隻の臨時航空艦隊。そして軽巡、駆逐艦四隻の小規模護衛艦隊で構成されている。
これらは、前路哨戒として南シナ海各所の警戒にあたり、一足先に帰還した部隊から再編成、幻の敵艦隊を警戒して配置されたものだ。
「よし。ここまでは順調……後は瑞鶴が敵艦隊を見つけてくれることを祈るだけだ」
それに関しては問題ないだろう。
瑞鶴の航空隊はかなりの練度を誇る、一線級の部隊だ。
だが、時雨の中には言いようのない不安が黒い影となって蠢き始めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なんだかイヤな予感がシマス」
そんなことを金剛が漏らしたのは、偵察機を放って一時間になろうかという頃のことだ。
「ええっ?」
それを聞いて、瑞鶴は思わず声を出してしまう。
金剛のこういう勘だけは妙に当たるのだ。
例えば、台湾海峡の時のように。
その勘のおかげで、他の艦娘たちは難を逃れている。
だから、それを知っている瑞鶴が思わず呻いたのは、当然と言えるだろう。
「ちょっと、勘弁してよ? うちの子たちになんかあっても困るんだから」
瑞鶴の抗議の声は金剛に届いていない。
その瞳は南西の方角をじっと見つめ、何かを感じ取ろうとしている。
少なくとも、自分たちの主戦場となる海域の方角ではないことを知って、瑞鶴は内心で胸を撫で下ろす。
だが、何故か自分にまでその嫌な予感が伝染してきたような気がして落ち着かない。
「っていうか、何なのよ? 戦闘前だっていうのに、らしくないじゃない?」
それを振り払おうと、茶化してみせる。
「それがわかれば、私は予言者になれますネー」
金剛も冗談を言ったつもりだろうが、いつものキレがないし、表情も硬い。
普段とはまったく違うその様子に、さすがの瑞鶴もこれ以上は笑い飛ばす気になれない。
「しっかりしてよ。いつもみたいにちゃんと考えて、はっきりわかるように答えを出してくれる?」
「そうですネ……今この状況で起きると困ることを並べてみまショウカ」
そう言われても、思いつくことなどそれほど多くはない。
一番困るのは、出撃しているであろう敵主力が引き返してくることだ。
だが、それはないだろう。
それをする動機が敵にはない。
たとえ瑞鶴の放った偵察機が発見されたとしても、こちらに結びつかないように、時間がかかることを承知で侵入コースを正反対にしているし、リスクが跳ね上がることを覚悟した上で、離脱も同じ方向にした。
「敵が出撃していないとかは嫌よね」
思いついたもう一つを口にしてみる。
「それはないでショウ。提督の言う通り、戦力の回復には資源が必要デス。そう考えなければ、他の海域で船団に手を出していないコトの説明もつきまセン。それに輸送船団を発見した敵機がいるナラ、敵が出撃したのは間違いないと思いマス」
「だよね。とすれば、あとは……」
「……船団が直進スル。榛名や赤城たちが動カナイ。どっちも最悪デス」
金剛がポツリと口にした。
それこそまさか、だ。
あえて虎口に足を踏みれる者などいない。
瑞鶴の偵察隊が敵の位置をつかんだ直後に、その報は総司令部に伝えられ、そこから間を置かずに当該海域の司令部にも伝達される。
当然、そこを経由する形で船団にも情報が入り、艦娘たちには命令が下る――
「待って。佐世保のバカがまたなんかやらかすかもってこと?」
前回の顛末を考えれば、ないと言い切れる話ではない。
ただ、今回はもみ消すことなどできない規模の被害が発生する。
これで沈むのは、資源を満載した船団であって、あの男が個人的かつ、一方的に敵意を持っている金剛ではない。
「さすがにあの男もそこまでバカではないと思いマス……ケド」
「けど、なによ?」
「今感じてる嫌な空気は、それと同じデス」
「ちょっと……また人間側の裏切りってことじゃないの」
「そうですネ」
「あのバカ以外に、今この状況でそれができるのは一人しか――」
ふと、自分に向けられた殺気によって、瑞鶴は言葉を詰まらせる。
まるで押しつぶされそうなほどの圧力で、息さえもできない。
その殺気の主が静かに告げる。
「瑞鶴。言っておくけど、それは違いマス。たとえ冗談でも口にしないでクダサイ」
目は本気だ。
だが瑞鶴も黙っているわけにはいかない。
事は自分たちの身に関わるのだから。
「……たまたま救われたからって、変に肩入れしてると足元すくわれるわよ。だいたい、人間を信用するなって言ったのは金剛、あんたよ?」
「確かに言いマシタ。デモ、提督は――」
「待って。偵察機から入電」
金剛の言葉を制して、無線に耳を澄ませる。
ノイズに混じって、かすかにモールスが聞こえる。
「敵艦隊発見。南大東島南西八十キロ、針路二二〇で航行中。その後方を輸送艦が続く。守備隊は少数。巡洋艦三、駆逐艦四。島内滑走路に敵機なし――だそうよ」
敵の動きは提督が事前に予測した通りだ。
鹵獲したこちらの輸送船から資源を積み替え、もしくは曳航するための輸送艦が続航しているなら間違いはない。
幸運なことに、島内の飛行場には敵機の姿もない。これならば敵の守備隊に対して、近海で砲撃戦を仕掛けても問題はないはずだ。
思ったよりも早く敵の拠点を粉砕できる。
「オーケイ。うるさいハエがいないならやりやすいデス。島上空の偵察機は離脱、敵本隊のストーキングは継続。提督に今の情報を打電するネ」
「了解――金剛、話の続きだけど」
「ワタシが説明するよりも、現実になにが起こるか見た方が納得できると思うヨ。だから今はワタシに命を預けてクダサイ」
「わかった、けど、もし何かあればその時は……」
金剛から答えはない。
また、南西の方角をじっと見つめているだけだ。
《2》
瑞鶴艦載機による敵艦隊発見の報は、提督の手により多少事実を歪められた上で上層部に伝えられた。
提督の言を借りれば、歪めたという言い方は違うということになる。
続航しているのが輸送艦だと確認できなかったために、それまで追っていた敵艦隊が増援を受けたものと誤解しただけ。戦場ではよくあることだ。
提督からの伝聞情報を送信している時雨が、それをそのまま情報部に送りつけたところで、何の責めを受けるいわれもない。
結果、上層部へは複数筋からの情報ということで、それが確度の高いものとして扱われることになり、各所へ通達されていく。
事態は提督の思い描いた通りに進んでいく。
だが。
情報を操るということは誰にでもできるのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
瑞鶴の手元から矢が放たれる。
二十メートルほども飛んだあたりで一瞬だけ燃えるような光を放ち、全体が包まれる。そしてその光が消えると、そこには九七式艦攻の姿が現れる。
最初は手のひらサイズだったそれは、距離を進むごとに大きくなる。
そして充分に加速すると、わずかに左へ進路を変えつつ緩やかに上昇していく。
隣では同じ手順で、鳳翔が九六式艦戦を空に解き放っていた。
「瑞鶴より艦隊各員。間も無く艦載機の発艦作業を完了」
了解の声が帰ってくるのを確認して、瑞鶴は空を見上げる。
雲はない。
これだけ空の見通しが良ければ、航空隊はまず間違いなく発見され、激しい砲火を浴びることになる。
手持ちの機体には限りがある。今後のことを考えれば、損害は可能な限り抑える必要があるだろう。
何かいい手はないかと、瑞鶴は思案を巡らせていた。
そこへ。
『瑞鶴。艦攻隊は手筈通り残してあるか?』
提督から再度の確認。
「ええ。言われた通りに、爆装した九七式、四個小隊が待機中よ」
島内の施設を叩くためのものだ。
敵守備隊への攻撃と前後して、島の敵通信設備を吹き飛ばし、来援要請を出させないようにする必要がある。
敵機の姿はないが、滑走路も使用不能にしておいた方がいい。
念には念を入れるべきだというのは、提督の考えでもあった。
『足柄たちが敵を引きずり出して、敵の通信に妨害をかけながら移動中だ。通信施設の位置はあきさめで割り出すから、残りを出して待機させろ。一撃で決めろよ?』
戦力を割いてしまったことで、敵艦隊への攻撃が若干手薄になる。手薄になる分、砲火が集中してしまうのだ。
提督の要求は言葉で言うほど簡単ではない。
けれど。
「期待してていいわよ」
『任せたぞ』
難しい要求ほど、こなしてみせたくなるものだ。
それだけ自分を信頼し、期待していると言うことなのだから。
「それで、そのあとは?」
『敵の出方次第……艦攻隊の半数は滑走路へ、残りは敵本隊に攻撃をするつもりで準備をしていい』
「了解。通信終わり」
さっとノイズが消え、無線はそれきり沈黙する。
「――私も」
誰も聞いてはいない無線に向かって、瑞鶴はポツリと呟く。
「信じていいんだよね? 提督さん」
答えが返ってくることはない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
後方から飛来する砲弾の下を足柄たちは全速力で駆け抜ける。
大きく広がって水柱を作っているそれらは、次第にまとまりつつある。
目標は先頭を行く足柄だ。
「うわっ」
その目の前に着弾した砲弾が海水を吹き上げ、足柄の身体を手荒く洗い流す。
もちろん、海水だけなら濡れるだけで済むのだが。
頬に走る痛み。
手を当てると、ぬるりとした感触。指先には赤いものが付着している。
海面で炸裂した砲弾の破片の仕業だ。
「女の顔に傷つけたな! この雑魚が!」
自分なら一撃で沈められるような相手から、偶然だとしてもこんな傷を負わされるとは思っていなかった。
だが囮という役割である以上、反撃も許されず言葉で罵るしかない。
「いや、そのセリフがすでに女っぽくないんですってば」
足柄の咆哮に、後ろから続く村雨が苦笑いをしながら呟く。
無線を通さなければ聞こえないとでも思ったのだろう。
「……村雨、後で覚えておきなさいよ?」
「うげっ? ぜひ忘れてください。私も忘れますから……あはは」
いつもの調子で軽口を叩いたせいで、さらに足柄の視線を真正面から浴びることになった村雨は、無意識に距離を取ろうとする。
「ほら、隊列乱してんじゃないわよ!? 由良。金剛との距離は?」
「二万四〇〇〇。敵は後方四〇〇〇――これ以上増速されると厄介です」
最後尾を行く由良が即座に応答する。由良には敵情の把握と、それを金剛たちに伝える役目を任せてある。
すでに前方で待ち構えている金剛の射程内ではあるが、精度を考えるともう少し引き付けたい。随伴している他の艦娘たちの射程にも入れば、投射火力は一気に増える。
それを考えれば、あと一万。互いが三十ノットで接近しているのだから、時間で言えば五分強は粘りたい。
だが、あまりに近寄られては、その一斉射撃に巻き込まれかねない。
「村雨、このまま先頭に出て適宜回避運動を。ただ、あまり派手なのはダメよ?」
「ちょっ! これだけ砲弾降ってるのにですか!?」
村雨の抗議を聞き届けるつもりなど毛頭ない足柄は、さっさと右へ舵を切り、追いすがる敵艦隊へ正対する。
「フラフラしてたら、金剛たちと合流する時間が遅れるのよ!」
続けざまの着弾と水柱。
その間を縫うように進む村雨が、はたと気付いて問い返す。
「もしかしてさっきの仕返しですか、これ!?」
「そうよ! 仕返しは忘れる前にやっとくことにしたの!」
足柄が右腕の主砲で敵を指向すると、両肩の砲もそれに追随して、同じ方向を向く。
「なんですかそれぇっ! そんなの全然足柄さんっぽくない!」
「うるさい! 全砲門、撃て! 撃てぇっ!」
斉射一連。足柄はそれで踵を返し、由良に続いて最後尾につく。
もとより命中など期待していない足柄の砲弾は、敵先頭艦の周囲に着弾して、派手な水柱を上げるだけだ。
敵はそれで勢いづく。苦し紛れの反撃と見て取ったのだろう。
砲撃の頻度を上げ、追い込みにかかった。
自然と動きは直線的になる。
「村雨、取舵反転! 夕立、面舵反転!」
それを逆手に取るべく、足柄が即座に指示を出す。
弾かれるように左右に分かれた二人は、足柄と同じように後ろを向いて砲撃体制に入る。
「当てようなんて考えるな! 鼻っ面に落として冷や水をぶっかけてやんなさい!」
「了解!」
声と同時に発砲。
砲弾の行方を見ずに、二人は足柄の後ろにつく。
代わりに見守ったのは足柄と由良だ。
ろくな狙いもつけずに放たれた砲弾ではあったが、一発が敵の先頭艦に直撃し、炎を吹き上げる。
「夕立、あんたは相変わらずどんな勘してんのよ」
細かい計算は苦手で面倒な手順は適当に切り上げるくせに、感覚だけでこういう芸当をやってのけるのが夕立。
決して天才肌というわけではない。どちらかというと動物的な何かだ。
「当たったっぽい?」
「大当たりよ」
とはいえ、駆逐艦の主砲弾では被害などそれほどでもないだろう。もう一撃加えるべきかもしれない。春雨と五月雨も合図を待っている。
「敵艦、速度落とします。後方四二〇〇。金剛隊まで一万六〇〇〇」
由良が状況の変化を告げる。少なくとも夕立の一撃は敵の勢いを削ぐには役立ったようだ。
ここまで引き付ければ充分だろう。こちらの意図には金剛も気がついているはずだ。
だが、音沙汰がない。由良からの連絡を受けている以上、撃てないわけがないのにだ。
さすがに不安になった足柄は通信回線を開いて、金剛を呼び出す。
「金剛! そろそろ真面目に仕事しなさいよ!?」
『オウ、足柄。ワタシは別にサボってないヨー』
「なら、ちゃっちゃと撃ちなさいな!」
答えの替わりに大きな水柱が二本、敵艦の後方に立ち上る。
金剛の主砲弾だ。その破壊力を見て敵の行動がさらに鈍る。
「撃ったんならそう言って! 二発とも遠! 下げ三!」
『了解。着弾まで二十秒――マス。我慢――ヨ、我慢』
ところどころが途切れ、最後にはひときわ大きいノイズが入り、それきり無線は沈黙する。
「ちょっと! 撃ったら言いなさいってば!」
『あー、今発砲したわよ。なんか無線の調子が良くないってさ。さっきも発砲の合図は出してたけど、多分そのせいで聞こえなかったんじゃない?』
遠雷のような轟音を背景に、代わって入ってきたのは瑞鶴の声だ。
「前回の大破の影響ね……後で明石に見せるように言っといてくれる?」
『了解。以降は私が通信を代行するわ。で、足柄。そのまま敵の針路を固定してくれる? うちの子たちが行くから』
ふと見上げれば、十機あまりの機影が一丸となって敵艦隊の上空を目指し、高い空を飛んでいる。
それを目掛けて、敵艦が対空火網を形成し始めた。
だが、その火網は明らかに薄い。
一部の敵が足柄たちと航空機、どちらを狙うかで戸惑っているのだろう。
「艦隊一斉回頭、右一〇!」
もちろん、そんな隙を見逃すような足柄ではない。
全員が一斉に右へ舵を切り、敵と正対。
それぞれの主砲が一斉に狙いを定める。
「こんないい女目の前にして、よそ見してんじゃないわよ! 撃て! 撃てっ!」
一斉に放たれた砲弾が次々と敵艦隊の周りに着弾していく。もはやどれが誰の砲弾なのかわかるわけがない。
せいぜい見分けがつくのは、金剛と足柄のもの。
敵が一気に混乱状態に陥る。
空と海、どちらの敵を優先するべきか、決断ができないのだ。
統制のとれていない対空砲火では脅威にはならない。
航空機たちは緩やかに降下を開始、増速しながら突入位置についた。
このまま高度四〇〇〇メートル付近から反転して一気に降下、五〇〇メートルで投弾、身軽になった機体を引き起こして、低い高度で退避する。それが急降下爆撃だ。
その教科書通りに急角度で降下を始めた艦爆隊が、一気に敵艦へ迫る。
この頃になって、ようやく仰角をつけて撃てる火砲が、集中した攻撃をかけ始めた。
だが。
降下をはじめた艦爆隊は一〇〇〇メートル付近で機体を引き起こすと、頭上をそのまま飛び去って行く。
「瑞鶴! 艦爆隊は何をやってるの!」
『足柄が気づかないんなら、うまく言ったわね』
「はぁ?」
『急降下した子たちをよく見てみるといいんじゃない?』
言われた通りに目を凝らして、飛び去って行く機体を追う。
急降下爆撃に使われる九九式艦爆は、その急降下時に速度を抑えるためのエアブレーキとなる板が取り付けられているのが特徴だ。それがなければ、速度がつきすぎ、機体を引き起こした際に分解したり、操作が間に合わず海面に激突する恐れがあるからだ。
だが、急降下した機体にはそれがない。
「あれって、九六式艦戦!?」
『そう。制空戦闘がなさそうだから、鳳翔さんの艦戦に囮になってもらった。こっちの攻撃隊は数が少ないから、できるだけ温存したいの』
確かにパッと見ればよく似ている。だが、よくよく見れば誰にでも気がつく。
けれど戦闘中という特殊な条件下では、そんな余裕があるはずもない。
『本命は敵左舷側低空。突入開始の信号を受信したから、砲撃を停止して』
言われた方向に視線を向けると、海面スレスレを二十機以上の九七式艦攻が、魚雷を抱いてまっすぐに突っ込んできていた。
下手に砲撃をして水柱を立ててしまえば、それに引っかかってしまいそうな低さだ。
「全員、砲撃停止! 砲撃停止!」
慌てて命令を出す。
一方で、敵も艦攻隊の存在に気がついたようだ。
慌てて高空に向けた火砲を水平線に向けて動かすが、想像以上に時間を取られる。
その間に艦攻隊は一気に距離を詰め、魚雷を次々に投下していく。
敵の対空砲がまともに機能を果たし、濃密な火網を形成しはじめたのは、四個小隊が十六本の魚雷を投下し終えた頃だ。
残りの二個小隊が集中砲火を受け、そのうちの三機が海面に激突する。
それでも怯むことなく、残った機体が魚雷を投下し離脱していく。
それらが敵艦の頭上を通過し、大きく旋回を始めた頃、敵艦隊の中に巨大な水柱が上がり始める。
「砲撃再開! 瑞鶴だけに美味しいとこ持って行かせてたまるか!」
回避運動を始めた敵艦隊に向かって、足柄たちの砲撃が集中する。
『悪いわね足柄。私が全部食ってやるわ』
そう言っている瑞鶴がどんな顔をしているか。目の前にそれが見えた気がして、足柄は舌打ちする。
左後方の上空から、今度こそ二十機あまりの九九式艦爆の編隊が現れ、あっという間に足柄たちを追い越す。
それらは最初の艦戦隊と同じように急降下を始め、敵が水平に向けた対空砲を再び動かしているのを嘲笑いながら、次々と爆弾を投下していく。
激しい爆音、いくつもの水柱、炎、煙。
それらが消えた後、洋上に残っているのは、沈みゆく敵の姿だけ。
「ちくしょう、全部持って行かれた……瑞鶴のやつ、どこでこんな手を覚えたのよ」
翼を振りながら飛び去っていく艦載機たちを見送る足柄の顔に浮かんでいるのは、言葉とはまったく裏腹の笑みだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『敵守備隊の壊滅を確認、大東島までの航路上に敵影なし』
足柄の報告に護衛艦あきさめの艦橋がにわかに沸き立つ。
作戦の第一段階が成功したのだ。
だが、時雨の心は晴れない。
むしろ嫌な予感は一層強まっていく。
「瑞鶴。島の施設を叩け。通信設備を最優先で変更なし」
『滑走路も叩いていいのね?』
「余力があればもちろんだ。どこかに隠れていたなんてのは困る」
『了解。しばらく使い物にならなくしてあげるわ』
「ただし、民家や民間の施設に被害は出すな。無理なら目標を変更して構わない」
『また無茶なことを……』
「できると信じてるからこそのお願いだよ」
『なんだか、いいように操られてる気がするわ……まあ、いいけど』
瑞鶴の第一次攻撃隊が、敵の対空砲を含む防衛施設と通信設備を破壊。もし効果不十分ならば第二次攻撃隊として、九九式艦爆がさらに攻撃をかける。
その間に近海まで接近した金剛隊と足柄隊が水偵をあげ、観測射撃でとどめを刺す。
それが第二段階の作戦であり、仕上げとなる。
提督の推測が正しければ、拠点を失った敵本隊は撤退に移るしかなくなる。どれだけ物資を手に入れても、帰る場所がなければ意味はないのだから。
「瑞鶴。触接を続けている偵察機からの連絡は?」
『そういえば……おかしいわね、全然連絡がない』
「通信状態は?」
『問題なし。島影になるってほど近づいてもいないし、妨害を受けてるような形跡もない。向こうに何かあったのなら話は別だけど』
いくら奇襲とは言っても、敵機見ゆを意味するヒ連送、空戦中のク連送、戦闘機の攻撃を受くのセ連送など、そう言った通信を寄越すことくらいはできるだろうと、瑞鶴は付け加えた。
そもそも、そういった状況に対応し、伝えるための通信略号なのだから。
可能性として残るのは通信設備の故障くらいなものだ。
提督がそれを口にしてみたが、瑞鶴は即座に否定する。
『まさか。敵艦隊の位置を捕捉した以上、複数を張り付かせてるもの。全部が一度に壊れるなんてありえない』
「あまり褒められたことじゃないけど、こっちから連絡を取ったほうがいいかもしれないね」
時雨が懸念するのは逆探知による位置発覚もだが、それ以上に通信周波数帯への制限が怖い。
一度使ってしまったものは妨害される可能性が出てくる。もちろん周波数を変更すればいいだけのことだが、それには限りがあるし、それらを特定され帯域すべてを妨害されれば厄介だ。
妨害を打ち破るには、相手よりも強力な電波を送信するしかないが、船や航空機で得られる電力には限度がある。
だが、時雨の意見に瑞鶴が同調する。
『そうね、こっちから呼びかけてみる。少し待って』
ノイズが途切れる。
「何が起きたと思う?」
「さすがにわからないよ……ただ、嫌な感じは作戦が始まった頃からしてる」
「お前が言い出すと、シャレにならないな」
大戦末期まで、数々の戦いをくぐり抜けてきた幸運の駆逐艦。時雨はその魂と記憶を引き継いでいるのだから、その勘は決してバカにできるようなものではない。提督はそう言って苦笑いする。
「歓迎艦隊は動き出してるんだよな?」
「うん。それは佐世保からの指示もあったし間違いないよ。赤城が行動開始を電文してるしね。船団に対しても警告と転進の命令を出してる」
こういう状況であれば、誰もが気にするのは佐世保の出方だ。一度問題を起こしている以上、完全な信用はできない。
だが、今のところは想定に則った行動をしている。
「瑞鶴。連絡はついたか?」
『なんとか、ね。出所は不明だけど電波妨害みたい』
「影響範囲から考えて船団の先頭を行ってる護衛艦かもな――それで、敵本隊の状況は?」
『針路、速度ともに変わらず。そろそろ転進してもいい頃合いなんだけど……向こうも妨害の影響で情報不足なのかしらね』
「それならそれで、構わないが……」
船団と敵本隊が鉢合わせするようなことさえなければ、作戦は成功と言っていいだろう。
敵本隊を痛めつけたという戦果は得られないかもしれないが、迎撃に向かう佐世保側の艦娘にも被害は出ずに済む。
だが、提督には何かが引っかかるようだ。
難しい顔をして考え込んでいる。
『とりあえず、私たちは島の方を叩くわ。攻撃隊がそろそろ突入する』
待つ時間が惜しいと、瑞鶴はそう言って無線を切った。提督の無茶な要求がある以上、指揮には繊細さが要求されるのだ。
入れ替わるように、今度は時雨の通信機が呼び出しを告げる。
また情報部からの催促かと、端末を見た時雨の表情が狐につままれたようなものになった。
それが艦娘間の個人連絡用に使われる周波数だったからだ。
到達距離がそれほど長くない代わりに、艦娘ごとに割り当てられたチャンネルがあるのだが、艦隊に組み込まれることのない時雨のそれが呼び出されることなど滅多にない。
だから、それがなんなのかを思い出すまで、わずかとはいえ時間を必要としたほどだ。
『時雨ちゃん――える? 名取――聞こえ――か? 聞こえ――返事を――さい』
大量のノイズに紛れる微かな声。
与那国と西表の間にある小さな島で、船団の通過を確認するために待機している名取だ。
そういえば昔、艦隊行動を取った時にこの回線を使って夜襲の打ち合わせをしたことがあった。名取はそれを律儀にも覚えていたのだろう。
彼女らしいといえば彼女らしい。
位置を考えると送受信の限界範囲ギリギリか、もしくは少し超えている。ノイズが酷く、聞き取りづらいのはそのせいだ。だがかろうじて会話は可能だろう。
「どうしたんだい?」
『よかった――も応答――なくて』
それはそうだろう。ほとんどの艦娘は受信圏外にいるはずだし、こちらの艦娘たちも作戦中はチャンネルを内輪だけにしか解放していない。
「なんで、この回線を?」
『こちらの――ほぼ全域が――害されて――生きてる――これくら――提督さん――いらっしゃいますか?』
「もちろんだよ。回線をつなぐね」
『お願い――す』
護衛艦あきさめの通信士が時雨の指示に従って周波数を合わせる。
「いいよ、名取。話して」
『仲御神島――で船団――待っていましたが、予定――を過ぎても確認――ません。もちろん両島の間には――警戒――ブイも――反応がなく――時間ほど――したが、輸送――は転進しなかった――』
ところどころ途切れ、ノイズに紛れる声。
だが、状況を理解するのには充分だ。
「名取。この周波数帯以外の通信は不能か?」
『――です。かなり強力――船団を含む――帯域が――不能。こちらか――にも――しない――かと』
提督の表情がみるみるうちに険しくなっていく。
「わかった、名取は麾下の艦娘を集めて東へ向かえ。船団に先回りできるか?」
『もう一度――します』
「麾下の艦隊を集めて宮古島方面へ。その後は金剛の指示に従え。船団に先回りはできるか?」
『了解――頑張って――ます。通信――ます』
無線は最後に大きなノイズを放ち、沈黙する。
「こんな広い帯域に妨害なんて、護衛艦の設備には無理だ……それに、こっちは普通に使えてる。向こうが直進してるなら、こっちにも影響が出ないとおかしい」
ぎりっと提督が奥歯を噛みしめる音が響いた。
「……与那国の設備を使いやがったな」
放棄され、無人となった設備が勝手に無線妨害をかけるはずがない。それも必要な周波数帯を狙うなどどうひっくり返ってもありえない。
もちろん遠隔操作などできるようなシステムでもなかった。
誰かがそこに入り込んで、設備を動かしている。
それができるのは――。
「情報部の人間かな」
「だろうな。おそらく前回の船団位置情報システムの不具合にも関わってる」
そこへ乗り込む名目などいくらでもあるし、リスクを無視して夜陰に紛れれば密かに上陸することもできる。
実際、名取隊の補給物資を与那国と仲御神島に用意したのは情報部だ。
「施設を制圧させなくてよかったのかい?」
「陸戦に関しては素人同然の艦娘が、丸腰で一人、二人行ったところで、返り討ちがいいところだ。それに艦砲射撃だって、もともとそういった攻撃を受ける可能性を想定して作られた施設だからな。駆逐艦や軽巡の砲撃程度では無駄だろう」
苛立ちを抑えるように、拳を握り締める提督。
確かに海の上でなければ艦娘の力など発揮できない。陸に上がってしまえば、その能力など人間とさほど変わらない。
おまけに自衛火器など持ち合わせてもいないし、せいぜいがサバイバルキットに入っている小型のナイフ程度だ。
どうやっても、それなりの訓練を受けた工作員に敵うはずがない。
「でも、どうやって僕たちの計画を知ったんだい? 少なくとも大東諸島の敵に関しては一切漏れていないはずだよ?」
「漏れてはいない。けれど艦娘の噂に俺が関わっているなんてことは、ちょっとの想像力があればわかることだ。そんな人間が輸送船団の航路に近づいていれば、何かを企んでいるってことも……島の間を重点的に哨戒している艦娘たちの動きから、こちらが望んでいる船団のルートもわかる。だったらそれに乗せなければ、こちらの意図が何かを知らなくても、結果的に作戦を崩壊させることはできるんだ」
敵本隊の存在の真偽などどうでもいい。
いや。むしろ信じていたのだろう。
提督がその敵をフィリピン海で仕留めようとしていると考え、あえて船団を直進させた。そうすれば、少なくとも提督の思い通りにことは進まない。
船団を守るために、無理をしてでも敵を追わなければならないのだから。
有利な状況を設定できない艦娘たちには、当然被害が出る。最悪、船団にもだ。
それで果たして、情報部は何を得られるというのだろうか。
時雨には想像がつかなかった。
ただ、今はそれを知る必要もない。
「くそっ!」
提督が拳を振り上げ、肘掛に思い切り叩きつける。
「完全に俺のミスだ。まさかここまでやらないだろうと、勝手に線を引いた――その可能性すら考えなかった。ちょっと思い通りに物事が進むからっていい気になってた」
己を罵る提督。
だが、今はそれをしている場合でもなかった。
「提督。後悔っていうのは、全部が終わった後でするものだよ。今はまだ、やるべきコトがあるんじゃないのかい?」
時雨の一言に、提督の表情が変わる。
普段の冷静さを取り戻し、何かを考え始めた。
「……足柄と金剛を呼び出してくれ」
その目には、いつものように強い意志の炎が灯っていた。
《3》
海将の元に続々と作戦の経過が報告されてくる。
とは言っても、砲火を交えたのは最初のうちだけだ。
まずは、沖縄本島と宮古島の間での遭遇戦。これは未だ付かず離れずで、東シナ海を舞台にした追撃戦が展開されている。
それに続いて起きたのは、与那国と西表島の間での対潜掃討戦。こちらは艦娘側が敵潜を完全に排除、海域の安全は確保された。
これで船団が通る二つ目のルートが確保された。
本来であれば必要のないものではあったが、横須賀第二が追っている敵艦隊が南西諸島海域に侵入した以上、そうせざるを得ない。
だからこれも、中途で付け加えられた作戦とはいえ、予定されたものと言えるだろう。
だが、問題が起きたのはここからだ。
敵潜を排除した直後から、この海域で強力な電波妨害が開始されたのだ。
それがどこから行われているのか見当もつかない。
結果として、輸送船団の現在位置は不明だ。
指示がなければ、船団は直進することになっている。
そして最悪なことに、横須賀第二が追っている敵艦隊はその航路上を正対するように進んでいるのだ。
「これは、君たちの仕業かね?」
海将は目の前のソファに腰を下ろしている二人の男に問いかける。
だが、二人は揃ってどちらともつかない微妙な笑みを浮かべているだけだ。
「我々としては敵の通信を妨害して、敵の連携を阻止しているつもりなのですよ。ただ、どうにも使い慣れていない設備ですからね。ミスはあるかもしれません」
そう言ったのはソファに座るうちの一人、情報部の男だ。
「ならば、その装置を止めてしまえばいいじゃないか」
「ええ。その命令は出しているのですが、生憎とこちらの通信も届かないようでして」
当然でしょうというような顔をして答える。
そんな訳がないだろう。不測の事態に備えてなんらかの対策は講じているはずだ。
癪に触るが、あえて飲み込む。
「うちの通信機なら、ひょっとすれば対応できたかもしれませんね。今更ですが」
もう一人の男。軍需企業の社長が口を開く。
この期に及んでさらに商売だ。
見上げた商人根性である。
「……それで、この先はどうするつもりだね」
ギロリと睨みつけた視線に、首をすくめて見せる死の商人。
「どうすると言われましても。私は素人ですから……このままだと船団は敵に襲われるかも、というのはわかりますが」
「そうなったら、この国が終わりだということもわかるだろう」
「ええ。ですから、横須賀第二の艦娘たちと護衛艦隊に期待するしかないですね。佐世保からは、当社の試作砲弾を搭載した試験艦も急派されるそうですから」
そう言って笑う。
試験艦の話は初耳だ。
おそらく人脈を使って無理矢理にねじ込んだのだ。敵の撃破に関わることができれば、それだけで絶大な宣伝になる。効果がなかったとしても、研究段階の試作品だという言い訳ができる上、無理矢理に引きずり出したのは国だということにして、責任を転嫁することさえできる。
その裏で、一体どれだけの人命が危険に晒されるのかなど知らないのだろう。
いや。
知った上で、この態度。
知っているからこそ、それを駆け引きのテーブルの上に乗せた。
横須賀第二の司令官がそれを見過ごすことなどしないと思っているからだ。
事実、横須賀第二にできることは総力を挙げて敵艦隊に追い縋り、準備を整える間もなく、攻撃を加えることだけ。
それでも敵艦隊が船団に対して攻撃を始めるまでに間に合うこともないだろう。
当然、艦娘にも被害は出る。
そうなれば、目の前の二人が思い描いた通りの結末になるという訳だ。
だが、それは横須賀第二の若い司令官が、彼らの思う通りの人物であれば、だ。
「では、私も横須賀の奮戦を祈ることにしようか」
そう言って、手元の書類を片付け始める。
何枚かの書類に決済の判を押しサインを入れていく、いつもの仕事だ。
(横須賀第二の司令官は、君たちが思っているよりも曲者だよ)
ふと、一瞬だけ笑みがこぼれる。
横須賀の司令官の本質は軍人ではない。
むしろ、この状況を作って利益を出そうとしているあの二人と同じ。商売人に近い。
だからこそ、彼らが勝手に作り上げた軍人という枠にはまらない行動をしてくるはずだ。
そうなった時に、この二人どんな顔をするのだろうか。
見ることができないのは残念だ。
「そういえば、はづきの修理はいかがですか? うちでやりたかったんですけどね」
世間話のつもりなのだろう。軍需企業のトップらしい話題ではあるが。
「先週の頭に終えたよ。輸送船団の出発には間に合わなかったがね」
「スクリューの破損でしたか? 随分と早く終わったものですね」
「ああ。おかげできよづきの復帰がさらに遠のいた」
新造して取り付けることは、資源や戦力の関係から見送られ、大規模修理中の同型艦のものをそのまま流用することとなった。
それゆえの修理の速さである。護衛に使える戦力は一つでも多く欲しいという海将の一言もあってのことだ。
「なるほど。それでは大した儲けにはなりませんね……試験はこの作戦の後ですか」
「五日前に呉へ向かったよ。君のところのコンテナを積んだおかげで、ヘリを置き去りにしてきてしまったんだ。その回収も兼ねてる」
「ヘリだけを飛ばせばよかったのでは?」
「空荷で飛ばすのは、現状を考えると気がひけるだろう。問題がなければ、帰路の船団護衛につけるつもりだったが……君たちのおかげで、確実にそうする必要が出てきた。この判断は結果的によかったと言うことになるな」
戦闘になれば、護衛艦の何隻かは確実に被害を受ける。その補充には、復帰直後のはづきを当てるしかない。
余計な仕事を増やしやがってと言わんばかりに、たった今サインを入れたばかりの書類を持ち上げ、ひらひらと振ってみせる。
「そもそも、うちは海運業ではないんだよ」
「おや。言っていただければ、ヘリを飛ばすくらいの燃料はうちで用意したのですが」
当然、そのつもりなどこの男にはない。海将の冗談にヘラヘラと薄く笑うその顔が何よりの証拠だ。
ビジネスマンという生き物の、そういうところが海将は嫌いだ。
だからあえて無茶な注文をつけてやる。
「運賃がわりに、ご自慢の新兵器とやらを少し安くしてくれるというなら、喜んで戴くよ」
「それはご勘弁を。その売り上げを誘導兵器の研究に回すつもりですからね」
想像していた通りの答えが返ってくる。
だから返す言葉も予定通り。
「そうか。では、代わりというにはあまりに安すぎる頼みだが、私の秘書にここへ来るよう伝えてくれるかね」
それはここを出て行けという意思表示でもある。
「それならばお安い御用です……では、私たちはそろそろお暇しましょう」
「お暇、ね……多分、君たちと会うのはこれが最後だよ」
「そうですか。では、第二の人生が良きものであることを祈りますよ」
いやらしい笑みを浮かべ、部屋を出て行く男たちの背。
それに向かって海将はさらに意地の悪い笑みを返す。
「ああ。素晴らしいものになるさ……だが、君たちはどうだろうね」
代わって入ってきた秘書に書類を手渡し、最優先で処理するようにと告げてから、海将は残りの書類に手をつける。
《4》
大東島を射程内に捉えようかという位置で、足柄たちは急な進撃停止命令を受けた。
命令である以上、それに従うしかない。
だが、納得はいかない。
わずかに手を伸ばせば、島の施設を破壊できる位置にいるのだ。
「一体どういうことか、説明をしてもらえるかしら!」
事情がわからぬ以上、怒りの矛先は提督に向けるしかない。
『輸送船団が直進している。このままでは敵主力と正面からぶつかることになるんだ』
作戦計画では、与那国付近で哨戒に当たる艦娘たちの指示を受けて、船団は西へ転進。東シナ海へ入る予定のはずだ。
それがどうして。
『無線が妨害されてる。おかげで指示が届いていない』
一瞬の間を、その問いだと解釈し、提督は先に答えを告げて来る。
「そんなことできるはずが……」
だが、考えてみれば予兆になるようなものはあった。
例えば、瑞鶴の偵察隊の沈黙。
それに金剛の無線も修理が終わったばかりで調整不足。影響を受けやすいはずだ。
けれど深海棲艦にそんなことができるとは思えない。
そんな大規模な周波数帯へ同時に妨害をかけるには、相当に大きな設備が必要になるからだ。
『与那国だよ。あそこの施設が使われてる――犯人が誰かは言うまでもないし、理由を追求しても意味はないぞ』
それならば、確かに作戦の継続は難しい、こちらの行動をある程度推測して、邪魔を続ける手段くらいは用意しているに違いない。
「じゃあ、どうするつもり?」
『敵に追いついて粉砕する。それしかない』
提督は簡単に言ってのける。
だが、現実的に不可能だ。
「距離的に船団との接触までに追いつくのは無理よ」
『あきさめのヘリを使う』
だが、それでは一度に送りこめる戦力が激減する。
兵力の逐次投入は最も避けなければならない。送り込んだところで各個撃破されるだけだ。
もしそれを何らかの手段で回避できたとしても、問題はさほど変わらないかもしれない。
「戦力差が大きすぎるわ」
敵の主力は戦艦が三、航空母艦が二。随伴として重巡、軽巡が合わせて六、駆逐艦に至ってはその三倍だ。
それを戦艦、空母、重巡が各一、駆逐艦八で相手取れというのは、幾ら何でも無茶が過ぎる。
あきさめの護衛に回る予定の鳳翔と、秘書艦としてサポートに回っている時雨を引っ張り出したところで焼け石に水。
敵は接続する海域の制海権を掌握しているのだから、増援を送り込むことだって容易い。
『そこが一番のネックだ。現状、援軍になり得るのは名取麾下の一個水雷戦隊。それもギリギリ間に合うかどうか』
軽巡一と駆逐艦四では、夜戦に持ち込まない限り決定打にはなり得ないだろう。そもそも、その前に輸送船団は壊滅している。
「ヘイ、提督。榛名や赤城たちはどうなのデス?」
金剛がいうのは、当初の予定通りならば輸送船団を追いかける敵本隊を迎え撃つために待機している、佐世保第二の艦隊のことだ。
確かに戦艦や空母をずらりと揃えたその艦隊ならば、充分に敵を粉砕する火力を持っている。
無線の向こうに、わずかな間。
位置を確認しているのだろう。
『一時間前の情報だが、与論島沖合を南下中――状況への即座の介入は難しいだろう。そもそも敵が東シナ海へ入り込むことを想定しての布陣だ。それにあの規模の艦隊だと、佐世保のやつに隠れて指示を出すのは難しい』
プライドの高い佐世保第二の司令官を下手に刺激すれば、作戦全体をぶち壊すような真似をしないとも限らない。
手詰まりだ。
足柄たちには損害を覚悟で突入し、輸送船団が危険域を離脱するまでの時間稼ぎをする以外にできることはない。
だが。
足柄は笑みを浮かべ、舌なめずりを一つ。
もともと持っている闘争本能が大いに刺激されたのだ。
周りを見れば、金剛や由良、駆逐艦娘たちも同じような顔をしている。
そう。
この作戦を考えた人物は、おそらく戦闘というものを知らない。
ここまで完全に逃げ道を塞いでしまっては、逆に頑強な抵抗を呼ぶだけだ。
――窮寇は迫る勿れ。
かの兵法家、孫子もそう言っている。
「了解よ、提督。私たちはこれから敵主力を追う。追って徹底的に痛めつけてやる――そのあと、地の果てまで追い詰めてでも、このくだらない悪戯をした連中にツケを払わせてやる」
だが、そんな足柄を冷ややかに見つめている者がいた。
瑞鶴だ。
「あのさぁ……」
そして、大きなため息をついてから、緊張感が全く感じられないほど気楽な感じで口を開く。
「なんで、みんなそんなにお人好しなわけ? 特に金剛、あんたよ。普通、ここまでされたら放り投げて帰っちゃってもいいんじゃない?」
金剛は一度、人間側のつまらない理由で窮地に追い込まれている。
それだけではない。
それまでにも、様々な理由で不満を抱いていたのが佐世保の艦娘たちだ。
「別に提督さんに恨みはないんだけどさ。でも、さすがにここまで繰り返されたら、頭にくるじゃん?」
それは人間に対する不信感。
艦娘としてこの時代に姿を現してから半年に満たない瑞鶴だからこその言葉でもあった。
もしかすると、囮としてエンガノ岬沖に沈んだ、艦としての記憶がそうさせているのかもしれない。
それとは関係なしに、憤りというものは確かに足柄の中にもある。
全てを放り出して、あとは御勝手にと言いたい。
だが、それをやってしまえば――。
「瑞鶴はパイレーツにでもなるつもりデスカ?」
金剛が笑いながら言う。
けれど、それは決して冗談ではない。
衣食住だけではなく、燃料や弾薬といった消耗品、壊れた艤装の修理に至るまで、主だった支援は自衛隊の協力員としての艦娘に与えられているものだ。
協力を拒むということは、それらの一切が得られなくなるということだ。
そうなれば海賊行為でもして生きていくしかない。
そして、そうなった艦娘を人はなんと呼ぶだろうか。
「私たちがそれをやっちゃったら、海賊じゃなくて深海棲艦と同じ扱いになるわね」
足柄の一言に、その場の艦娘全員が露骨に嫌な顔をする。
あんな見た目のと一緒にされるのはごめんだ。
理由はきっとそれだけなのだが。
「オウ! 瑞鶴は今から空母ヲ級デース」
「そ、それはちょっと――ううん、かなり嫌! 今のなし、忘れて。提督さんも忘れてちょうだい」
からかう金剛に瑞鶴が慌てて取り繕う姿を見て、全員が一斉に笑い出す。
ただ、無線の向こう。
提督は笑うどころか一言も発しない。
部下である艦娘たちが反旗を翻すかもしれない。そんな状況であるにもかかわらずだ。
それに言い知れぬ不安がよぎる。
「提督さん? 今のは冗談よ?」
さすがに全員が押し黙る。場合によっては解体処分すらあり得るようなことを口走ったのだから。
解体された艦娘がどうなるかなど、誰も知らない。知らないからこその恐怖だ。
『瑞鶴』
怒りを抑えるような、静かな声が無線から響く。
全員が一気に凍りついた。
顔が見えているわけではないのだから、どんな感情を実際に抱いているのかはわからない。
それでもそう感じさせるだけの冷たさがそこにあったのは間違いない。
提督の様々な面を見てきた足柄ですら、背筋に走る冷たいものを感じたほどに。
「ひゃ、ひゃい!?」
だから瑞鶴の口が緊張で固まり、呂律が回らなくなるのは当然だ。
もちろん顔面も蒼白。
『いいことを言った』
「ご、ごめんなさ……え? はい?」
『実にいいことを言った。あとで好きなだけ奢ってやる。今から食いたいものを考えておけよ?』
「は、はあ……」
ポカンと口を開けたまま、事態の推移に取り残される瑞鶴。
瑞鶴だけではなく、他の艦娘たちも同様だ。何が起きたの理解できていない。
そんな中、ただ一人。
足柄だけには活路が見えた。そして、提督がニヤリと笑っている顔もだ。
『作戦を通達する。指揮は足柄が執れ』
「了解」
彼は事態を打開する何かを間違いなく思いついたのだ。
それはおそらく、とんでもなく陰険な一手だ。
だが、そうでなくては面白くない。
意趣返しとはそういうもの。
窮寇は迫る勿れ、だ。
《5》
『榛名、赤城の両艦隊は沖縄本島の西方沖を最大速で南下する模様』
あきさめ艦橋に報告がもたらされた。
艦長の椅子に腰を下ろしていた提督が、時雨の方を見てニヤリと口角を吊り上げる。
「ヘリを出してくれ。できる限り低く飛んで足柄たちを拾いに行かせろ」
想定した行動とばかりに、感嘆のため息ひとつなく次の指示を出す提督。
即座に後部デッキで待機中のヘリに発艦命令が通達され、艦内の各所が一気に慌ただしくなる。
時雨は内心でほっと胸を撫で下ろしていた。
佐世保や情報部が対応を一つ間違えれば、状況だけがさらに悪化しかねない。そんな綱渡りのような作戦だからだ。
提督のとった行動はいたってシンプルなもの。
主役の座を降りた。ただそれだけだ。
もちろん瑞鶴の言った通りに「頭にきたのでやめます」では、後々問題になるのは間違いない。
だから、降りざるを得ない状況を偽装したのだ。
『護衛艦あきさめ、機関不調のため現在十ノットで航行中。応急修理中につき、周辺警戒のため先行する艦娘隊を呼び戻す。また、寄港の要ありと認む。作戦の継続は困難』
これが、あきさめと時雨から送られた電文だ。
主役の病気降板。良くある話だ。
「こんなにうまくいくとは思わなかったよ」
「動かないことでデメリットがあるのはこっちだけじゃないんだ。状況設定を厳しくしすぎた向こうの落ち度だな」
それはそうだ。
これがただの演劇であれば、公演を先延ばしにすることもできる。
だがこれは戦争だ。延期もやり直しもきかない。
それに輸送船団が壊滅すれば、その代役はいない。
けれど。
「いいのかい? 起きてもいない故障なんて報告して」
時雨の抱いた危惧の一つがそれだ。
「いいんだよ。こう言ったトラブルってのは突然起きて、突然治るもんだ。症状に再現性もないから、結局は原因不明にするしかない。何度それで泣かされてきたか……」
時雨にはよく理解のできない例えだ。
そもそも原因不明で片付けるわけには行かない話だろうと思う。
何せ、戦闘艦とは重要な局面で使われるものなのだから。
だが、艦橋にいる他の要員たちは「パソコンとか、よくあったよな」などと、互いに頷きあっている。
「そういうわけだから、あきさめ乗員諸君。この戦いが終わればしばらく陸に上がれるぞ」
しまいには提督の言葉で、わっと盛り上がる。
「どういうこと?」
「故障内容が原因不明のままじゃ都合が悪い。だから究明のために完全整備することになるんだ――船団位置情報システムみたいにな」
提督は、やられたことをそっくりそのままやり返したのだ。
それも、前回の金剛の分と、今回自分たちが受けた分を合わせることで、致命的な一撃に変えてだ。
「輸送作戦やらなんやらで、長いこと休みなしだったからね。丁度いい機会だろ」
けれどもう一つの危惧がある。
この状況下、さらに今までの行動もある。意図を看破しての行動だと見られてもおかしくはない。
と言うよりも、それを期待しての反撃だ。
裏で動いている何者かに対して、その存在や手口は今までの分も含めて知っていると言う意味を込めた脅しなのだから。
だからこそ余計に危険。
「問題はないさ」
時雨の顔に浮かんだ不安を見て取ったのだろう。提督はそう言って笑う。
その顔がいつもの、悪戯をする時のものに見えて腹がたつ。
またロクでもないことを言い出すのだろう。
「その根拠を是非、ご教授願いたいね」
軽い気持ちで言ったその一言に、提督の目がギラリと異様な光を放った。そんな気がした。
それは、奈落を思わせるような深い闇の色。闇が光るはずはないのに、だ。
冷たい汗がこめかみから頬を伝っていく、その感覚がはっきりとわかる。
体はピクリとも動かない。動かせない。
「簡単だよ――連中は頭がいい。想像力もある。そして逃げ道もね」
自身を縛り付けるそれが何か。時雨が理解するには何度かの呼吸ができるほどの時間が必要だった。
そして答えにたどり着く。
――恐怖。
それも、たった一人の人間に。
海の上だけとはいえ、無類の力を誇る艦娘がそれを感じるなど、信じられることではない。力の差がありすぎるのだから。
けれど、現実にそれは起きている。
肉食動物に獲物として認識された時のような緊張感。
体を動かすどころか、目をそらしただけで、次の瞬間には食い殺される。そんな感覚だ。
誰がこの人間をそこまで追い詰めたのか。
これが何をもたらすのか、その誰かは少しでもその想像力をまわして考えたのだろうか。
「ここまでの件に関して記録は詳細に残してある――もちろんこっちの偽装工作なんかは省いてるけどね。そこに我々の憶測をつけたものが、万が一、世間に流れたらどうなる?」
事の真偽など関係がない。
広まりつつある艦娘の噂話と合わせることで、それくらいやっても不思議ではないと、誰もが考えるだろう。
屋台骨はそれだけで大きく揺らぐ。
要らない腹まで探られ、次々に明るみに出る不祥事。連鎖反応のように、あらゆる業界に火種は飛び移って行く。
「それを阻止したければ、俺とあきさめ乗員、艦娘たち。このすべての口をふさぐ必要がある」
それだけでは済まない。
そういった事態になることを想定して、外部の様々なところに情報を隠蔽し備える。
それは誰でも思いつく手段だ。
実際にそれをしなくても、向こうはそれを警戒し、探す必要に迫られる。その備えがないと断言できるまでだ。
それにどれだけの時間と労力が必要か。
現実的に不可能だ。
だから懐柔するしかない。身の安全を保障するという利益を与えることで。
だが。
提督はそこで急にため息をついて、頭を抱える。
いつもの様子に戻ったことで、時雨にも余裕が生まれる。
「けど、面倒なのはその先だ。俺の下には望んでもいないもの――間接的とはいえ強大な権力が流れ込むことになる……厄介だよ」
政府の人間ですら操ることが可能になるほどの力。
それをどう使うか。
この国をどうするかが、たった一人の考えで決まる。
だから持て余しているのだ。この人間は。
動機が利他的なものであったがゆえに。
「……何も考えてなかったんでしょう?」
冷ややかな視線で見つめてやる。
「時雨よ……それはあまりにも失礼な言い方だと思うぞ?」
提督ががっくりと肩を落とす。
「ああ、ごめん。ここまでになるとは思っていなかった、に訂正しようか」
「そうしてくれ……言い訳のように聞こえるかもしれんが、逃げ道を用意してくれなかったのは向こうだ。こっちとしては艦娘が公式に認められて、自由に戦える環境を用意することで、国を守ろうとしただけだ。それだけでよかったんだよ」
攻囲するだけが敵を攻め落とす方法ではない。力攻めは結果として大きな損害を生み出すことになる。
追い詰められた相手は死力を尽くすしかないのだから。
状況によっては、あえて相手を逃すことも必要だ。
「まあ、今さら後には退けないよね」
「正直、やめて帰りたいよ」
提督は思い切り迷惑そうな顔をして、本気で訴えている。
『輸送船団の通信回復! しきりに佐世保を呼び出しています!』
だが、すでに動き始めている現実がそれを許してくれるはずもない。
この状況を作り出した者たちが、最後の切り札を手放したのだ。
そうしなければ、すべての責任を負うことになるのだから。
提督は気持ちを切り替えるために、一度自分の頬を張る。
「十五分待っても佐世保が対応しないようなら、こちらから敵艦隊の存在を通告、船団を東シナ海へ向かわせろ」
状況や環境が英雄を作る。それは歴史上において、何度も起きたことだ。
けれど、その裏では同じくらい――もしかするとそれ以上に、罪人や独裁者を作り出しているはずだ。
この若き司令官は、果たして何になるのか。
その行く末を見届けることが、自分にはできるのだろうか。
少なくとも、この先を生きてみたいと思う動機が時雨の中にできたことだけは確かだ。
《6》
足柄たちの眼前、高度十五メートルほどでヘリがホバリングしている。
機体の横から釣り上げ用のワイヤーが伸び、そこに村雨と夕立がぶら下がると、あっという間に巻き上げられ、機内へと収容されていく。
それを緊張した面持ちで見つめているのは、佐世保から来た第七駆逐隊の面々だ。
「佐世保じゃ、ヘリは使ってなかったの?」
足柄はその様子をニヤニヤと眺めながら、隣に立つ金剛に問いかけた。
「使いませんネ。そもそも護衛艦やそれに付随する装備は横須賀第二にしかないですカラ。せいぜい高速艇を使うくらいデス」
そう話す金剛の表情も心なしか固い。
仕方のないことだろう。
この手法は、艦娘の数に限りのある横須賀第二ならではと言える。
わずかな人員で、広い海域の面倒を見るにはこれが一番だからだ。
蜘蛛の糸のように、再び天空から下されてくるワイヤーを引っ掴みながら、他の艦娘たちを呼ぶ由良の声が響く。
その声に引っ張られるように、及び腰の第七駆逐隊の面々がワイヤーにしがみついた。
だが、いまいち覚悟を決めきれないのか、曙がためらう。
「曙ちゃん! 早くして!」
由良が急かすが、それでもダメだ。
『誰でもいい――』
状況を無線で聞いていた提督が割り込んで来た。
いつもの悪戯をするときの声で、だ。
『曙のパンツが見えた奴はいないか? 柄が知りたい、最優先事項だ。今ならダウンウォッシュでスカートがめくれてるだろう?』
その一言で、曙は側にいた潮へしがみつく。
このわずかな期間で、提督の魔の手に何度も襲われた結果だ。特に曙は反応が大変面白いと集中攻撃を受けていたのだから。
「えい」
潮の手によって、カチャリと音を立てて落下防止のフックが曙の艤装に取り付けられた。もちろん提督の言葉に動揺している曙はそれに気がついていない。
「残念! 誰も見てない――ひやあぁぁぁぁっ!」
由良の合図でワイヤーが一気に巻き上げられ、駆逐艦娘たちが絶叫する。ローターの音に負けず一際大きく響いたのは、一本釣りよろしく宙ぶらりんになった曙の声だ。
『うまくいったみたいだな』
「お、おお、お――覚えてないさいよ! このクソ提督!」
涙目になりつつも悪態を忘れないあたり、神経は図太くできているようだ。
とはいえスカートの中が丸見えなのだから、滑稽極まりない。
足柄の悪戯心もむくむくと芽を出してくる。
「提督、よく聞いて。白よ、白。生意気なことに可愛いレースの縁取りまでついてる!」
「あ、足柄のバカ! 余計なこと言うな!」
『ここ最近で、最も素晴らしい報告だな。おかげでやる気が出た』
「ふざけんなぁっ!」
足柄と由良、瑞鶴が堪えきれずに吹き出す。
ただし、金剛だけは顔色が真っ青だ。いつもの余裕もない。
「ヘ、ヘイ足柄。ワタシたちもあれをやるのデス?」
声も若干震えている。
「なに? 見られちゃまずい下着なの?」
「ノー。そう言うわけではアリマセン……ケド」
「けど、なに?」
「……足柄は意地悪デス」
涙目になっている金剛を見て、さらに大笑いする足柄と瑞鶴。
「安心していいわよ。私たちは別の手段だから」
ロクマルと呼ばれるヘリの最大収容人員は八名。
艦娘用に若干の改修を加えているとは言っても、艤装が場所を取ることもあって、その数は減る。
比較的コンパクトな艤装を扱う駆逐艦娘でも六人が限界だ。それも、二人はドアの縁につかまって体を半分さらけ出すような状態になる。
金剛のような大型艤装を持ち込むとなれば、一人でも難しいだろう。
だから解決方法は他にある。
ヘリがさらに高度を下げ、腹部に吊り下げたボートを静かに海面へ下ろす。
RHIB<リブ>と呼ばれるゴムボートの一種だ。
普通のゴムボートとは違い、船底が硬い樹脂でできているために多少の波でも高速を発揮できる。
足柄はそれを指差して、ニッコリと笑う。
「あれに乗るのよ」
みるみる回復していく金剛の顔色。
慣れ親しんだ海の上ならば、戦艦娘金剛に怖いものはない。
まるでそう言っているかのようだ。
手早くチェックを済ませた由良に誘われ、金剛はいち早くボートに乗り込む。
もちろん瑞鶴と足柄もだ。
全員を乗せたことを確認した足柄が合図を出す。
エンジンが力強い音を出し、ヘリは高度を上げ始め――
そこで金剛が気づく。
ボートとヘリをつなぐワイヤーが、未だ切り離されていないことに。
「ヘイ足柄。ワイヤーが繋がったままデス!」
このままでは宙吊りになる。金剛が慌てるのは無理もない。
だが。
「いいのよ。このボートじゃ四十五ノットしか出ないんだから」
目指すのは敵の本隊だ。遠く離れたそれに追いつくには相当の時間がかかってしまう。
それでは間に合わない。
輸送船団が針路を変えたとしても、足の遅いそれらは必ず追いつかれる。
それを防ぐためには、何としても敵の背後を脅かすしかない。
けれど、戦力不足の足柄たちがまともに攻撃を仕掛けても、下手をすれば返り討ちになるだけだ。
その決定的な戦力差を埋めるためには、陽があるうちに距離を詰め、瑞鶴の航空隊を可能な限り反復攻撃させる必要があった。
一三〇ノットで飛べるヘリなら、確実にその時間を作り出すことができる。
もちろん、敵の位置を完全に捕捉して、時間を稼ぐことができれば、赤城たちの援護も得られるようになるし、榛名たち水上打撃艦隊の到着を待つこともできるだろう。
「ノーキディン<冗談でしょ>……このまま飛ぶつもりデスカ?」
「そうよ。提督から伝言――特別席<エクストラシート>で快適な空の旅を――だそうよ」
ふわりと浮き上がったボートの端に捕まったまま、金剛が叫ぶ。
「こういうのは補助座席<ジャンプシート>って言いマス!」
「なんでもいいけど、しっかり捕まって伏せてないと、本当にジャンプする羽目になるわよ」
慌てて船底に伏せる金剛。
「騙したネ、足柄――ノオォォォッ!」
宙を舞うボートに揺られ、金剛が悲鳴をあげる。
「意地悪って言ったのはあなたじゃない」
足柄の言葉は金剛に届かなかっただろう。
反論はなく、ただ金剛の悲鳴とエンジンの爆音だけが、広いフィリピン海に響いた。
続き
【艦これ】Fatal Error Systems【4】