関連
「セクサロイド? お前が?」 「そうじゃ、おかしいか?」【前編】
……………
………
…
…1週間後、夕方
相変わらずノーラが過去に読んだ文章を頭の中で思い返していると、やけに騒がしい足音が近づいてきた。
彼女の様子を伺いに来るのは主にシロだが、普段なら彼はできるだけ静かに歩いて来る。
その方がノーラの意識を乱さず、少しでも新たな記憶を増やさずに済むような気がしたからだ。
故にノーラは、訪れたのはサブローか百合子かもしれないと考えた。
《はあ……はぁ……ノーラ、大丈夫?》
「シロ? どうしたのじゃ、そんなに急いで……?」
しかしドア越しに届いた声は、少し息を切らせたシロのものだった。
《今、容量の残りは?》
「まだ7%以上はある、そんなに急には変わらんよ」
《この街に来てから今まで、1日で増えた最大のデータ量はどのくらいだ?》
「1%を超えて増えた事はないが……」
その返答を聞くや、シロは部屋のドアを開け放つ。
ノーラは驚き、同時に久しぶりに見る彼の顔に強い安堵感を覚えた。
しかしそれも束の間、シロは部屋に立ち入ると前触れも無く彼女を抱き締めたのだ。
「ちょ、シロ!? どど、どうしたシロ!」
「ノーラ、もう大丈夫だ! タロ兄ちゃんから連絡があった!」
「なんと……本当に……」
ついさっきの事、隣りの廃マンションに住む音成家の夫人がこのビルの1階ホールへ訪れた。
音成家はシロがタローに連絡を取る際にも利用した、通信回線を持つ家庭だ。
そして夫人はタローから預かったという伝言を、ちょうど1階にいたシロに伝えた。
『準備が整った。明日の夜帰るから、その場ですぐ作業できるように』
整備工場などに赴かず、この場で作業ができるというのは実に危険が少なく好都合だった。
「外装パーツが分割式である事が幸いしたかもしんな」
「良かった……本当に、ホッとしたよ」
「……それは良いのじゃが、いつまでこのままじゃ?」
ノーラを抱擁したままだった事に気づいたシロは、慌てて距離をとった。
彼女は悪戯な顔をして「儂を使いたくなったにしても、先に風呂くらい浸かりたいぞ」とシロをからかう。
その様子に彼は、出会った日に彼女が手に持った下着を見せながら自分をからかった時を思い出し、腹立たしさと共に懐かしさを感じた。
……………
………
…
…翌朝、シロの部屋
朝食も済ませたシロは、自室で時間を潰していた。
ノーラがいなくては成り立たない占いも、ここ暫く店を開けていない。
最初こそ恥ずかしさに抵抗を覚えていたあの時間だが、気づけばそれを手伝う事はグループの皆にとって楽しみのひとつになっていた。
シロは横向きに寝そべり、ゴローがどこかでもらってきた中学生向けのテキストを捲っては幾度も解いた問題に目を這わせる。
答えの知れた設問など何の面白みもない、どうしていたって彼の頭の中は今日の夜の事でいっぱいだった。
こんな方法でタローが訪れるまでを過ごすなど気が遠くなりそうだ……そう考えた時、部屋のドアがノックされる。
《……シロ、おるか?》
「ノーラ? ……いるよ、開けていい」
静かに開いた扉から姿を現したノーラは、何やら気まずそうにしている風に見えた。
それもそのはず、彼女自身が昨夜「いかに明日にはタローが来てくれるといっても油断してはいけない」と、その時まで記憶領域保護のため自室に篭ると宣言したのだ。
「どうしたんだよ、大丈夫なのか?」
「う、うむ……それが……」
彼女は昨夜、恐ろしく長い夜を過ごしたという。
タローの手立てが本当に上手くいくのか、もし失敗した場合には次の手を探すまでもなく記憶が消えてしまうのではないか……そんな事を一晩中ずっと考えていた。
その結果、できるだけ心静かに過ごしてきた最近としては異常なほど記憶領域の侵蝕が進んでしまったのだ。
だがそれも一晩で0.2%ほどの話、まだ残り領域は充分にあり慌てる必要は無い。
「ただ、そんなつまらぬ時間で記憶を刻んでしまうくらいなら、皆と普通に接した方が良いと思ったのじゃ……」
「そりゃそうだね、僕も晩までどうやって時間を潰そうかと思ってた」
「もしかして……の話じゃが、処置が失敗すれば今日が儂にとって最期の──」
「──待った、そんな事言うな」
縁起でもない……と、シロは彼女の頭を小突く。
そして彼は立ち上がって「よし」と呟き、ノーラが思ってもいなかった提案をした。
「遊びに出よう、ノーラ。お金を使うようなところには行けないけど、きっと時間が過ぎるのは早くなる」
「あ、遊びに……?」
「やれる事はやった、あとはタロ兄ちゃんを信じるしかないんだ。今日は夕方まであちこち行こうよ」
ノーラは数秒ほど呆気にとられた後、とても嬉しそうに顔を綻ばせ頷いた。
………
…
「シロ、あれは?」
「映画館だよ、あそこは大きいところだから普通のホログラム上映のシアターだけじゃなくて、昔ながらのスクリーンもあるんだ」
「ああ……あれが映画館か、シロは行った事があるのか?」
「昔、なんかのお祭りの時に無料開放しててね。そのスクリーンの方で古いアニメ映画を観たんだ。ええと……時を隔てた男女の精神が入れ替わるラブストーリーだったと思う」
ジローと歩いた時に比べると、シロとノーラの歩調は近いものだった。
小走りになったりする必要は無く、少しだけシロがゆっくり歩けば彼女はその隣をキープする事ができる。
「あ、信号変わる。ノーラ、手」
渡り慣れない横断歩道では僅かに出遅れる事もあったが、そんな時もシロは自然に手を差し出した。
季節は晩秋、駅前のメタセコイア並木は鮮やかな黄色やオレンジに染まり、ただ散歩をしているだけでも観光気分に浸る事ができる。
ほんの冷やかしでカジュアル服の店に入ると、すぐに試着を勧める店員がつきまとった。
身体に触れられては不味いと考えたノーラは「今日はシロの服を見にきたのじゃ」と彼を人柱にする。
「よくお似合いですよー」
「う、うん……どう、ノーラ?」
「チョーウケルー」
「てっめえ」
それでも極力無駄な金は使わず、シロだけが必要とする昼食も配給のビスケットをポケットに忍ばせている。
幾らかの金を持ってきていたノーラが「今日くらい美味しいものを食べれば良い」と言うと、シロは「じゃあ飲み物だけ」と小さなパックの牛乳を差し出した。
「シロは背が高くなりたいのか?」
「そりゃなりたいよ、ジロ兄ちゃんくらいになれたらいいな」
「ならんでいい、歩くのが大変になるからの」
言いながらノーラは『先の事を思い描くのは気が早い』と考え、それが顔に出てしまう。
それを見逃さないシロは「今、弱気になったろ」と、また彼女を軽く小突いた。
午後3時、二人は煉瓦畳みの大通りに出た。
食料や日用品の店ではなく、服や雑貨など趣味性の高いショップや飲食店が目立つその街並みに、ノーラは見覚えがある。
ジローの買い出しに付き合った際に歩いた所だ。
「……シロ、少しお金を使っても良いじゃろうか?」
「ノーラが稼いだお金だろ、ちょっとくらい誰も文句言わないよ」
ノーラにはその時に見かけ、いつか立ち寄りたいと思っていた店があった。
一度歩いた道も全て記憶し忘れない彼女、今度は目的の店までシロの手を引いて歩く。
シロの手に伝う彼女の体温も人工的な機構によるものには違いない、それでも彼はその温もりを心地よく自然なものに感じた。
「ここじゃ」
「ペットショップ? なんでまた?」
「入っても構わんか?」
「別に入るのは全然構わないけど……動物飼うならみんなに相談しなきゃいけないぞ」
街中にあるだけに、店内はさほど広くはない。
しかしその至る所にケージやガラス窓の部屋が設けられ、その中で犬や猫をはじめとした動物が愛想を振りまいていたり無愛想だったりといった賑やかさだ。
入り口と反対の一角には、爬虫類や観賞魚のコーナーもある。
「この子が可愛いのぅ、真っ白な柴の子犬か」
「なんとなくノーラのイメージは犬よりは野良猫なんだけど」
「自分でもそう思う、じゃからこの子の名はシロじゃな」
「もうちょっと迫力ある犬に例えられない?」
「無理を申すでない」
ゆっくりと店内を見て回り、ケージひとつひとつで足を止める。
店内には売り物ではなく看板猫らしき自由に歩く三毛猫が1匹、ノーラがそれを撫でようと手を伸ばした時などはシロの方が肝を冷やしていた。
もし手を噛まれでもしたら、彼女の傷は自然には治らないのだ。
「儂はこのピンポンパールが可愛いと思う」
「金魚は断然和金、何より安い」
「出目金も愛嬌があって良いな……」
「それ、なかなか掬えないし」
「なにも金魚掬いの話はしておらぬぞ?」
ノーラは『言葉を覚えます』とポップのついたオウムに対し、かなり必死になって自分の名を教え込んだ。
しかしいくら教えても「ノムラ!」としか聞こえず「誰じゃそれは……」と肩を落としていた。
「たぶん『シロー』は言えるぞ?」
「試さんで良い、出来てしもうたら悔しい」
ひと通り店内を歩いた後、ノーラはある商品が集められた売り場で足を止めた。
そこは生き物そのものではなく、いわゆるグッズが並んだ一角だ。
「この辺り……ああ、あった」
「え? ノーラ、ほんとに何か飼う気なの?」
「シロは、どれが似合うと思う?」
そう言って彼女が指差した棚には、様々なサイズ・デザインの首輪が陳列されている。
どれが似合うかを訊くならせめて先に欲しい犬種だけでも言うべきじゃないか……シロはそう考えた後、ようやく彼女の真意に思い至り目を丸くした。
「ノーラ……もしかして」
「しーっ、大きな声で言うでないぞ。変に思われてしまう」
ノーラは動物を飼おうとしているのではない、選んだ首輪を着けるのは彼女自身なのだ。
どれが似合うかという問いは、まさに自分を指しての問いだった。
「でも……偽物の首輪は着けたくないって」
「今はの、持っておきたいだけじゃ」
ここへ来てからの日々で、ノーラは自分の内面がそれまで以上に人間じみてきていると感じていた。
記憶限界の危機に際しても、当初は心から『長く生きた最後にこんな幸せがあったなら思い残す事はない』と考えていたのだ。
それがやがて怖くなり、惜しくなり、もっと生きていたくなった。
シロの、仲間達の生涯を見ていたい。
彼らを本当に家族だと信じていたい。
「それでも儂はロボットじゃよ。人間に憧れる想いもあれど、自分が人間の為に尽くすべき存在じゃという事もまた誇りに思っておる」
「僕は……もう、ノーラがロボットだとか気にならなくなったよ」
「それはそれで嬉しい、しかし自分の中では忘れてしまいたく無い。自分を人間じゃと思い込み、鏡を見る度に『違う』と失望するのは辛いものじゃ」
だから彼女は、自分がロボットである証を所持しておきたいと思った。
ロボットでありながら家族を得て、忘れるのではなく『それでもいい』と認め合い共に生きてゆく。
それがノーラが夢見る未来、今夜あと僅かな障壁が取り除かれれば手が届く筈の明日の形なのだ。
「儂に今をくれたシロが選んだ首輪なら、きっと持っておくだけで気が引き締まる」
「うん、ノーラがそう言うなら。ちょっとびっくりしたけど、そっか……自分が生まれた理由を忘れたくはないもんな」
ノーラはシロの方に向かって姿勢を正し、そっと目を閉じた。
どれが似合うかイメージしろ……という事だ。
シロは彼女の白い喉元にそれを着ける様子を想像し、なんとなく背徳的な気持ちになってしまう。
「どんなのが良いって希望はないの?」
「よほど奇抜なものでなければ、シロの好みで選んで欲しいぞ」
「じゃあ……これか……いや、これだ」
彼が手にとったのは、厚めな革製で臙脂色が基調のもの。
シンプルだが決して地味ではなく、表面にはエスニックな模様が彫刻されていた。
「うむ、良いな。儂も好きな感じじゃぞ」
「よかった」
「……防犯カメラもある、さすがに試着しては不味かろうの」
ノーラは会計を済ませ、先に出ていたシロを追った。
もう冬が近付いているこの頃は、日が暮れるのも早い。
まだ17時にさえならないというのに、東の空は既に紺色に染まりつつあった。
「待たせたの、そろそろ帰らねば」
「こんな季節なんだな」
「ん? 何がじゃ?」
店の前の歩道でシロが見ていたのは、街の催し事を列記した映像が映し出されたホログラムの掲示板だった。
そこには『イルミネーション点灯期間11月13日から1月7日、18:00から24:00』との表示がある。
この道はあと1時間ほどで光の渦に包まれるのだ。
「見たいが、ちょっと遅くなり過ぎるじゃろうな……見たいが」
「さすがにタロ兄ちゃんが先に着いてたんじゃ具合悪いしなぁ……」
ここから四番街までは、徒歩でおよそ30分。
点灯してから少し見て帰るにしても、戻りは19時頃になってしまう。
タローは『夜に帰る』と言っただけで何時とは指定していないが、この時季の19時は充分に夜と呼べる時刻だろう。
「今日、タロ兄ちゃんが処置をしてくれれば、またいつでも来られるよ」
「……そうじゃな。どうせ日が暮れれば占いも閉める、何なら明日でも来られるくらいじゃ」
今日は首輪を購入した以外、特に大きな出来事は無かった。
それでもノーラにとっては過去に体験した事が無いほど楽しく、時間の早く過ぎる1日だった。
楽しみは残しておいた方がいい……彼女はそう考え、シロに向かって掌を差し出した。
こんな特別な日は、これから何度もあると信じて。
………
…
…1Fホール
日が暮れて間も無く、シロとノーラは四番街に帰り着いた。
ノーラは一度自室に荷物を置いた後はホールに留まり、シロも喉を通らない夕飯を済ませてすぐに彼女の元へ戻る。
やがて食器の片付けを終えた百合子と花子も姿を現し、気づけば仲間全員がホールに待機していた。
「……皆、部屋にいてくれて良いのじゃぞ?」
「いや、なんか落ち着かなくてさ……」
ビルの玄関はガラス戸だが、夜間はシャッターを下ろすようにしている。
鍵は内側から掛かっているので、タローが来ればそれを叩いて知らせるだろう。
たまに緩い風が吹き抜けてシャッターを小さく揺らし、その度に皆の視線が玄関へと向く。
「もう8時過ぎか……せめて何時くらいになるか、目安を伝えやがれってんだ」
「ジロ兄ちゃん、今日は喧嘩しちゃダメよ」
せっかく全員がホールに揃っているというのに、誰もが言葉少ない。
相変わらずの雫の音だけが遅々として進まない時を刻んでいた。
「……ただ黙っておっても、気が滅入るだけじゃ。何か短い話でもするとしようかの?」
この中で最も緊張しているはずのノーラが、そう提案した。
そうでもしていないと不安に支配されてしまいそうだったからだ。
彼女は「ちょっと子供向けかもしれんが」と前置いて、ゆっくりとしたテンポで語り始めた。
「……ある山の、それはそれは険しい崖の上に一本の柿の木が立っておった。鳥が運んだ種から芽吹いたその木には、たったふたつだけ実がなっておったのじゃ──」
柿の実達はいつもお喋りをして過ごしたが、ふたつだけしかないが故に名を持っていなかった。
どちらが自分を『僕』と表しても、他に誰もいなければ困る事は無いからだ。
ところがある日、そこへ風と共に一匹のアキアカネがやってきた。
アキアカネは自分だけの名を持っており、柿の実達にも名前を尋ねた。
困った柿の実達はそれぞれに名前をつけ合い、ふたつと一匹は仲良くお喋りをするようになる。
しかしアキアカネは次の風と共に去ってゆき、柿の実達はまたふたつぼっちになってしまった。
「ふたつの実はそれからもお喋りをして過ごしたが、互いを呼ぶ度に自分達が名を持っている事が嬉しく、温かい気持ちになった……という話じゃ」
「ちょっと寂しいお話だね」
「そうじゃな。じゃがこれは名を呼び合う相手がいるという、ささやかな幸せを表した童話じゃろう」
そしてノーラは集まった皆の顔を順に見て、最後にぺこりと頭を下げた。
「皆、ありがとう。儂をここに置いてくれて、名を与えられ、そしてそれを呼んでもらえる。儂はとても幸せじゃ」
「こら、湿っぽい事言うな」
「その名前、忘れたら承知しないんだからね?」
百合子に釘を刺され、ノーラは「もちろんじゃ」と笑った。
皆が微笑み、タローの処置が上手くいく事を願う……その時、シャッターを叩く音がホールに響いた。
《──誰か、いるかい?》
聞こえたのは間違いなくタローの声だ。
玄関に最も近いところにいたシロが立ち上がり、ガラス扉に続いてシャッターの鍵を開けた。
《遅くなってすまない》
「すぐ開けるよ!」
古くて重い鉄製のシャッターの下端に指を掛け、力を籠める。
がらがらと大きな音をたてて戸袋に吸い込まれてゆくその向こうに、待ち侘びたタローの顔が見えた。
「おかえり、タロ兄……ちゃん……?」
シロはすぐにその異常に気づいた。
ホール奥のソファに腰掛けていたジローが無言で立ち上がる。
「……誰だよ、そいつら?」
「どういう事なの……ねえ、タロ兄ちゃん」
サブローと百合子が震える声でタローに問いかけたが、下を向く彼の表情は窺えない。
ゴローは訳も解らず、ただ立ち尽くしている。
「ワイヤーガン、構え!」
タローの背後には『Capture team』のロゴが刺繍された黒い制服の男が三人。
その手に構えるのは、ワイヤー射出式の対ロボット用スタンガン。
彼らは50年の間ノーラが恐れ、見つからないよう努めてきた存在だ。
「てめぇ……ふざけんなよ、タロー!!!」
ジローが吠える。
シロはタローの胸に何度も拳を打ちつけ、言葉にならず聞き取れない「なんで」を繰り返していた。
にじり寄る捕獲部隊に対しノーラを庇うように立ち塞がった花子の顔からは、いつもの笑顔が失せている。
「そうか……そうじゃな、これも覚悟しておくべきじゃった」
ノーラは呟き、目を閉じた。
「こいつがロボットだな」
「取り囲め! ワイヤーガンは出来る限り使うな!」
ノーラの周囲に展開する捕獲部隊。
シロはタローの元を離れ、その者達に飛びかかろうとする。
そこにタローの声が響いた。
「やめて下さい!! 貴方達は万一に備えて同行しているだけの筈です!」
隊員二人はリーダーと思しきもう一人の反応を窺い、その者が片手を上げると同時に銃を下ろした。
最もノーラに近い所にいた隊員が舌打ちをして距離を取る。
「……みんな、すまない。だがこれは単なる野良ロボットの捕獲行動ではないんだ」
「部隊を引き連れて来ておいて、そんな理屈が通じると思ってるのか」
「話を聞いてくれ、そしてできれば納得した上で彼女……ノーラに同行して欲しい」
「銃を向けてするのは話じゃなく脅迫だろうが!」
ジローは声を荒げ、ホールの床に落ちていた紙カップを蹴飛ばす。
それは見事に舌打ちをした隊員の足に命中し、彼はジローを睨みつけた。
「なんだ? 文句あんのか、ヒトん家にそんなもん持って立ち入りやがって」
「スラムの小僧が、粋がるなよ」
「やめろと言ってるんだ! 貴方達は外に出ていてくれ! このビルに裏口は無い、必要があれば僕が呼ぶ!」
通常であれば民間ロボットメーカーの一社員であるタローが、捕獲部隊に指図をできる筈は無い。
しかし彼らは不本意そうではあるが、言われる通りにビルから出ていった。
「どういう理由があってノーラを騙した、内容によって死んでもらうか半殺しか決めてやる」
「……ノーラに世界を救って欲しい」
「世界を救うって……まさかノーラに彗星をやっつけろとでも言う気なの?」
あまりに突拍子ないタローの言葉に、百合子は肩を竦めて冗談のつもりで言った。
ところが彼の返答は、大真面目にそれを肯定するものだった。
「まさにその通りだよ、彗星はこのままだと確実に地球に衝突する。それを避けるために、彼女の力を借りたいんだ──」
そしてタローは、事の真相を話し始めた。
今までの彗星の軌道、分裂、火星の引力による再度の軌道変化。
その危機を回避するため秘密裏に準備された計画と、それを実行できるロボットを政府が探していた事を。
シロがタローに助けを求めた数日後、彼の勤める開発部に秘密裏の緊急命令が下った。
その内容は『30年以上の自律的学習を行った場合と同程度の思考能力を持つロボットを造れ』というハードルの高いもの。
しかもその為に与えられる時間的猶予は僅か20日間、この矛盾した依頼に研究者達は憤った。
『30年分を20日でなど、政府は正気か?』
『ロボットの反逆を怖れて、研究室内ですら10年以上の自律学習を許さなかったのはお上じゃないか!』
『だめだ……どんな高性能のコンピューターに多量のサンプルを取り込んでも、幼い思考能力がそれを活かせない』
およそ10日後、世界最大のメーカーであり最高水準の能力を持つ筈の開発部は政府に対し『不可能』という結論を返す。
だが政府はそれを受け入れず、手段を模索するよう命じた。
そして同時に彼らに伝えられた命令の真意は、人類存亡の危機を知らせるものだった。
「──ミサイル衛星を使用した彗星破壊作戦は、すでに何度もシミュレーションを行ってきたらしい」
「その結果は……?」
「最初は経験豊富な人間の軍人が、衛星を制御するスーパーコンピューターに指令を送る形でシミュレーションが行われたそうだが……」
「……上手くいかなかったの?」
「現在まで、小彗星ふたつの破壊成功率は7%……大彗星に対しては成功回数ゼロだ」
そこで米国研究機関が保有していた『あるロボット』をコンピューターにリンクし、指令を出させる実験が行われた。
使用されたのは無論監視の下ではあるが、できるだけ人間の生活環境と変わらない条件下で10年間の自律学習を行ったロボット。
その結果、小彗星の撃破率が20%に上昇し大彗星も僅か1回ではあるが破壊に成功したのだ。
タローの属する開発部はそのロボットのデータを取り寄せ、解析を急いだ。
だがそれにより明らかとなったのは『人為的にデータをインストールしても、自律学習によって得た経験にはまるで及ばない』という事実だけだった。
「……残された手は、より長く生きた野良ロボットを探す事だった。それが危機を回避するために必要な、最後の1ピースなんだ」
彗星の撃破に足り得る攻撃力を備えたミサイル衛星、正確無比にその制御を行う最新鋭の演算コンピューター。
そこに足りなかったのは『膨大な経験に基づくデータ』を全て記憶し、コンピューターとリンクする事によりタイムラグ無しに指令を与えられる自律思考型ロボットなのだ。
「それで喜び勇んで『僕、知ってます!』って名乗りを上げたのか」
「……そうするしかなかった!! もう彗星は4日後には地球に達し、直径2kmの岩石コアは確実に人類を滅ぼすんだ!」
単純に『騙した』とか『裏切った』とタローを責めるには、比較対象となるものが余りに大きい。
誰も彼がその判断に踏み切った事を一方的に咎める気にはなれなかった。
「世界を救うためにノーラの力が必要なのは解ったよ。でも、そのあとノーラはどうなるの?」
しかしシロにとって最も不安なのは、彗星を破壊できた後の事だった。
ノーラの記憶領域の問題についてタローに相談した時、彼は野良ロボットが捕獲された後の『処理』について聞かされていたからだ。
処理とは、再販価値のある新しいモデルなら記憶の完全な初期化、そうするまでもない古い型であれば即座にスクラップにする事を指す。
「世界を救ったロボットに対し、野良とはいえ通常の処理をしたりはしない。彼女の事を教える条件として僕からそう願い、約束を受けてるよ」
「本当に……それは信じていいんだね?」
「ああ、本当だ」
タローの言葉を信用するなら、それはノーラにとって願ってもない事だ。
世界が彼女を認知し、今後は捕獲に怯える事も無く暮らしてゆける。
だが間接的にとはいえ彗星破壊作戦を遂行できるだけの能力を持ったロボットは、同時に世界の脅威でもあるに違いない。
「それを約束してくれたのは、誰だ?」
「……ウチの社長だ」
「へえ……天下のパナソニーのトップともなれば、世界の決定を覆せるってのか。実に心強い事だな、たかが民間企業の社長が味方だってよ」
ジローが呆れ声で言った。
ミサイル衛星は主要国共同で運用されている、つまりこの作戦の最初から最後までは世界の意思によって動いていると言える。
その意思が作戦後にノーラを危険だと判断すれば、一民間企業の反意など取るに足らないだろう。
「儂が世界を救う……か、冗談にしても出来が悪い話じゃな」
こうしている間にも危機は迫っている。
自分にしかできない事から逃げる訳にはいかない……そうは思いつつも、ノーラは葛藤した。
50年間逃げ続けてきた彼女が今になってこんな逃げ場の無い選択を迫られるなど、あまりにも無情だ。
「少しでいい、時間をくれぬか」
「解った、しかしこの建物から出す訳にはいかない」
「……屋上に上がる、気持ちを整理したい」
ノーラは言い残し、ふらついた足取りで階段に向かう。
シロがすぐに後を追おうとしたが、ジローがその襟首を掴んで止めた。
「気持ちを落ち着けようとしてる奴のところに、頭に血が上ったお前が行ってどうする」
「でも……!」
もしもノーラが屋上から身を投げでもしたら……そんな縁起でもない考えが脳裏に浮かび、シロは歯を食いしばった。
可愛い弟の悔しさが痛いほど解るジローは、その頭をくしゃくしゃと撫でる。
それは昔、シロが喧嘩をするなど癇癪を起こした時にタローがよくした仕草だ。
シロはそうされるのが好きだった。
頭を撫でられると機嫌を直す、その様が可笑しくて彼は犬のように『シロ』と呼ばれるようになったのだ。
「少ししたら誰か様子を見に行かせる。お前も落ち着いた方がいい、自分の部屋にいるんだ」
「……解った」
その後、ホールにタローとジローだけを残して皆は各自の部屋で待機する事となった。
………
…
…廃ビル、屋上
ノーラは屋上の柵に腕をかけてもたれ、ぼうっとした眼差しでささやかな街灯りを眺めていた。
自分が世界を救うなど、ほんの30分前までは一欠片の想像もしていなかった。
記憶領域の拡張が上手くいくかどうかという不安こそ元から抱えていたものの、今の彼女が抱える悩みの大きさはその比ではない。
誰かが救わねばこの世は終わる。
シロも、他の仲間も、占いを通じて接してきた全ての人も消えてしまう。
その時には自分も消えるのだろうが、どうせそうなら失われる命は少ないに越した事はない。
「解っておる……そんな事は、解っておるよ」
彼女が持つ勘、推理力を全力で稼働しても胸中に光明が差すような閃きは得られない。
何しろ彼女がこのまま元と変わらない暮らしを保つためには、たくさんの非現実的な条件が満たされなくてはならないのだ。
まず突如として彼女以外に長く生きた野良ロボットが見つかり、そのロボットが作戦への協力を了承する。
現在ビルの表で待機する捕獲部隊が『代わりが見つかったのなら用はない』と、ノーラを見逃す。
野良ロボットとの関与が明らかとなったタローが、それでもあらゆる目を掻い潜りノーラの記憶領域拡張の処置を施す。
そんな事が起こり得るかどうかなど、ノーラの能力をもってしなくとも子供にも解る事だ。
だからノーラに残された選択肢はふたつだけ。
世界を救い運命に身を委ねるか、何とかしてここから逃げ出し残り僅かな時を生きるか。
後者を選んだ場合は、高い確率で記憶限界より先に世界の終わりが訪れるだろう。
彼女が空を仰ぐと、そこには既に見かけ上の大きさとしては月に近くなった彗星が浮かんでいた。
大彗星と小彗星群で速度の違うそれは、二手に分かれて尾を引き始めている。
しかしその進行方向はほぼ真っ直ぐに地球に向いており、尾を引いた彗星というよりは不気味にぼやけた青白い炎の玉と呼ぶのが近い。
世界の終わりを引き連れているというのも頷ける、禍々しい姿だとノーラは思った。
「『To be, or not to be』……か」
彼女が零したその有名な台詞も、また誰の耳にも触れず夜風に攫われるだろうと考えての呟きだった。
しかしそれは思いがけない者に拾われたのだ。
「チョーウケルー」
ノーラの背後から耳慣れた声が届く。
振り向いたノーラの目に、言葉とは裏腹に笑顔を捨てた花子が映った。
「今の場合は『生きるべきか、死ぬべきか』と訳すのが相応しいのかしらね?」
「ハナ……」
「知ってると思うけど、みんな優しいわ。誰も貴女に『死ね』なんて言わないわよ」
普段の言葉少なに、にこにこと相槌を打っている花子はそこにはいない。
せめぎ合う優しさと悲しみを己の厳しさで律したような、凛とした表情でノーラを見つめている。
「……そうじゃな。きっと皆、儂が怖気づいて逃げ出しても文句さえ言わんのじゃろう」
「そう、みんな貴女を護りたがってる。背中を押してはくれない……だから、私が言ってあげる」
花子は少し大きく息を吸い込み、そしてその残酷な言葉を放った。
「ノーラ、世界を救って。貴女はそのために50年生きてきたの……みんなの未来を、私に宿る命が生きるべき未来を残すために」
「宿る命……ハナ、お腹に……」
「もし私が身籠ってなくて貴女の力が備わっていたら、きっと迷わない。必ず、何としても世界を救ってみせるわ。でも今はできない……私にはその力もない」
ノーラはゆっくりと花子に歩み寄り、まだ外観上はほとんど判らない命が宿るその腹部に指を触れた。
「なるほど……できる事があるのに、やるべきかやらざるべきかを迷うなど滑稽な話じゃ。まさに超ウケるというものよの」
「ごめんなさい、ノーラ……」
「良いのじゃ、ありがとう」と呟き、ノーラは優しい力で花子を抱き締めた。
………
…
…シロの部屋
「なんじゃ、しょぼくれた顔をしておるのう」
「ノーラ!」
屋上から降りたノーラは、シロの部屋を訪ねた。
シロは寝床に突っ伏し頭を冷やそうとしているところだったが、彼女の顔を見た途端に飛び起き駆け寄った。
「どうするんだ、ノーラ」
「どうするも何も、儂が行かねば皆がお終いという話じゃろう」
「そうだけど……」
本来、迷う余地のない選択だという事はシロにも解っている。
だが心から納得するには至れない、それも仕方のない事だろう。
「……大丈夫じゃ、タローは儂を処理したりはせぬと約束してくれた。全てが上手くいけば世界は救われ、儂はもう逃げ隠れなくて済む」
「でもジロ兄ちゃんは怪しいもんだって反応だったよ」
「もはや逃げ場は無い、ならば信じてみるしかあるまい?」
そしてノーラはこの部屋を訪れる前、自身の部屋から持ち出してきていた物をシロに手渡した。
「これ……今日の」
「うむ、まさかこんなにすぐの事になるとは思っておらなんだがの」
それは今日の午後、二人で買った臙脂色の首輪だった。
手渡された意味はシロにも解る、既にノーラは彼の前で姿勢を正し目を閉じていた。
「僕が着けていいの?」
「シロに着けて欲しいのじゃ。儂の所有者になる事が嫌でなければ……じゃが」
その首輪を選ぶのも着けてもらう事も、シロ以外に相応しい相手をノーラは思い当たらなかった。
自分をこの四番街に引き入れ、仲間として受け入れてもらえるよう努力してくれた彼。
記憶領域についての危機を解消するために動いたのも、その後の不安な時を分かち合ってくれたのもシロだ。
まだ男性としては幼いシロも、自分がロボットである事を忘れないよう努めるノーラにも、互いが向け合う感情が何なのかはよく解らない。
それでも万一、シロが彼女の他にロボットを入手する機会があるとして『そのロボットにシロが首輪を与える時、きっと自分は嫉妬する』とノーラは思った。
彼が自分だけの所有者であって欲しいという想いは、それほどにあるのだ。
「……苦しかったら言ってくれよな」
「うん」
男性の劣情を煽るよう造られているからなのか、ノーラの首筋のラインはやけに艶かしい。
革のベルトを当てがい後ろへ回す時、手の甲をくすぐったく撫でる髪の感触にシロは鼓動を早めた。
「どうだ?」
「もう少し、きつく」
彼女の感覚センサーは人間と同じ、或いはそれ以上に敏感だ。
徐々に締めつけを強めてゆくシロ、唇を結んだノーラはその感覚を記憶に刻みつけようと意識を集中する。
「苦しいの? 息が……」
「……大丈夫じゃ」
今している事は性的な行為そのものではない。
しかし彼女の身体は、初めてのそれに近い刺激により『セクサロイドとしての本能』の昂りを覚えていた。
「このくらいにするよ?」
「もっと、きつくして欲しい」
「これ以上締めたら、型がついちゃうよ」
「……そうか」
止め金をホールに挿し、余ったベルトはループに通す。
そして全体の位置を調整しようと少しだけ首輪そのものを引っ張った、その時ノーラの身体がびくんと脈を打った。
「んっ……!」
「ごめん、痛かったか」
「……ううん、平気じゃ」
着け終えた首輪は選んだ時に想像した通り、彼女の白い肌にとても良く映えた。
ノーラは自らの首に纏ったそれを愛しそうに指でなぞり、それから眼前に立つシロの胸に鼻先を埋め「ありがとう」と呟く。
彼は「どういたしまして」と返し、ノーラの頭を優しく撫でた。
………
…
…1Fホール
およそ一時間後、ノーラはシロと共に再びホールに姿を現した。
他の仲間達とタローは既にそこへ揃っており、ビルの表には捕獲部隊の専用車両が待機している。
「ノーラ、それって……」
「ロボット用じゃない、ただの首輪か」
百合子とサブローはノーラの変化に気づくも、それを褒めて良いものか迷った。
やはりロボットという存在に関わりが薄い人間にとって、人の姿をした者が首輪を着けた様には拭いきれない違和感がある。
「良く似合っておろう? 偽物とはいえ、ずっと憧れておった。やはり主人を持ってこそのロボットじゃからな」
「主人?」
「シロの事じゃよ? 儂はシロのものじゃ。その証として、さっきこれを着けてもろうた」
言葉だけを捉えれば随分と意味深な言い回しだ、百合子は妙に感動した様子で「おぉ……」と声を漏らした。
ノーラは玄関の前まで歩んでから、皆の方を振り返った。
そして世話になった者達に暫しの別れを告げようとしたその時、無粋にもそこへ捕獲部隊の者達が割り込んで来る。
「やれやれ……気が利かんにも程があろうに」
「準備が出来たようだな、念のため拘束状態で車両まで移送させてもらう」
「用があれば呼ぶと言ったはずです、外にいて下さい!」
「玄関から車両までの僅かな距離でも、そこで逃走を図られては──」
「──やかましい、もう逃げも隠れもせんわ」
明らかに怒りを宿した表情で、ノーラは彼らに対し言い放った。
決して高い格闘能力などといった強さは持たない彼女だが、この場の誰より長く生きてきた。
それだけの気迫を持つ言葉に、隊員達はたじろぐ。
「……皆、世話になった。いや、また世話になりに戻るつもりじゃがの」
また仲間達の方を振り返り、ノーラは努めて明るい調子で言った。
それから順に彼らの顔を見て、ひとりずつにかける『最後になるかもしれない言葉』を探す。
「ジロー、儂をここに置いてくれてありがとう。ゴロー、戻ればまたたくさん物語を聞かせてやるからの」
「礼はいいから帰ってこい、稼ぎ頭」
「魔法学校の話、まだ途中なんだからね!」
二人の返答にノーラは大きく頷く。
戻らないつもりも、ゴローに続きを聞かせないつもりも無い。
「ハナ、さっきはありがとう。今、こんなに吹っ切れた気持ちでいられるのはハナのおかげじゃ。サブロー、ユーリ……ずっと仲良く喧嘩をしておってくれ」
「……おう」
「なんでサブとセットなのよ? って言うか、なんでサブは納得してんの」
「チョーウケルー」
言われた通り早速の喧嘩を演じる2人に、ノーラと花子は笑った。
サブローを小突く百合子の長い黒髪は、お気に入りのバレッタで留められている。
「タロー、さぞ思い悩んだであろうな。さっきも言ったが儂は決して逃げぬ、これからよろしく頼むぞ」
「……すまない、だが感謝する」
そして最後に彼女はシロに対してだけ言葉をかけるのではなく、彼からの言葉を求めた。
「さあ、主よ。……命令を」
戸惑いを振り切ったノーラに対し、命を下す主人は胸を張っていなければならない。
シロはできるだけ堂々と言った。
「ノーラ、命令だ……世界を救って来い!」
本当ならセクサロイドが受けるようなものではない、しかしそれはノーラにとって50年越しに与えられた初めての命令だ。
シロは世界を救って『来い』と言った。
ノーラが再びこの四番街に戻るまで、この命令は果たせない。
彼女の内の本能が目を覚まし、喜びが滾った。
……………
………
…
ノーラが四番街から消えても、世界の日常は変わらない。
彗星の衝突を不安視する者は徐々に増えているが、大部分の人々は何ら特別性の無い日々を生きている。
だが実際には彗星は時速15万kmという恐るべき速さで地球へと迫っているのだ。
もちろんこの段階になるとアマチュア天文家でさえ危機を察知し、警鐘を鳴らそうとする者は多く存在する。
それでも人々は公式の発表が無い限り、事態の重大さを認識できない。
彗星の軌道が地球にとって致命的な方向へと変化したのは、ほんの数ヶ月前の事だ。
その名の由来となった古い映画のように彗星に爆弾を仕掛けるための宇宙船も、大規模なシェルターも造っている時間は無かった。
有効な対策を持たない以上、公式発表は民衆のパニックを引き起こす原因にしかならないだろう。
暴動や略奪を招くよりは、静かに終わりの刻を待つべきだ……世界の首脳達はそう判断し、それを行なってはこなかった。
だが、状況は変わった。
彗星迎撃作戦はノーラという協力者を得る事で、現実性のある『有効な対策』へと昇格したのだ。
それを受け各国は共同声明として彗星が地球に衝突する軌道にある事、その迎撃にミサイル衛星を用いる事を公式に発表する。
しかしこれは失策だったと言わざるを得ない。
単に『ミサイル衛星を使って彗星を迎撃する』としか発表しなかったが故に、世界中の有識者達からその成功率を疑問視する声が多く上がったのだ。
ノーラの存在を知るのは限られた者だけ、それ以外の人々は『人間、あるいは規定内の学習しか積んでいないロボットかコンピューターが作戦に当たる』と認識している。
報道規制が敷かれたメディアはその点についても沈黙を貫き、SNSなど個人単位で発される不確実な情報だけが独り歩きしていった。
【ミサイル衛星で彗星を迎撃する事は不可能、驚愕のシミュレーション結果/58,773RT】
【人間ではミサイル衛星の操作が間に合わない! 最低でも30年の学習を積んだ人工知能が必要な計算に!/76,688RT】
【世界おわた……誰だよ、ロボットはクリーニングしないと危険とか決めた奴!/31,914RT】
運命の日まで残り3日、世界は少しずつ混沌に支配されつつあった。
………
…
…作戦前々日、パナソニー本社特別室
あまり天井の高くないその部屋、やや楕円がかった形状で広さはバスケットコートほどだろうか。
中央に備えられた三次元ホログラム装置の投影を阻害しないよう照明は最小限とされており、室内は薄暗い。
向き合う湾曲した二辺に様々な機器が配されたデスクが並び、白衣を纏った技術者達が各自のディスプレイや操作パネルに向かっていた。
残りの二辺の内の片側は、そのものが壁面から天井にかけて湾曲した巨大なディスプレイとなっている。
そこにはこの部屋とは別の、いかにもコントロールルームと呼ぶに相応しい一室の風景が映し出されている。
人種の区別無くたくさんの人が作業に当たっているそこは、太平洋に築かれた人工島に建つ『治安維持衛星管制基地』の指令室。
つまりミサイル衛星の運行を制御する中枢機関だ。
そして残る最後の一辺には、溶液の満たされた透明なアクリル製のシリンダーが設置されている。
溶液は『液状プラグ』と呼ばれ、コネクタ等の機構を持たないロボットが液中に浸かる事により有線接続の代わりを果たすもの。
ノーラはその直径1mほどのシリンダーの中に立ち、溶液に浸かっていた。
「第12次シミュレーション開始5分前、ホログラム投影を開始します」
「指揮側端末『ノーラ』のリンク確認」
部屋の明かりが更に落とされ、中央の装置に宇宙空間を進む彗星のホログラム映像が投影される。
ノーラの入ったシリンダーの脇に立つタローが、彼女に呼びかけた。
「聞こえているかい、ノーラ?」
《頭に直接響いておるからの、もっと小さい声で大丈夫じゃよ》
「まだ向こうとは接続されてないんだな」
《こちらからは呼び出しを行っておるが、接続許可が出ていないようじゃ》
ノーラがこの部屋の機器とリンクされている間は、シリンダーに備えられた外部スピーカーとマイクを用いて会話が可能となる。
シミュレーションを行うのはこれで12回目。
現在までに小彗星群を10回突破し、その内7回は大彗星の撃破にも成功した。
<──こちら衛星指令室、制御コンピューターのロックを解除します>
ディスプレイに映し出された指令室側オペレーターの音声が届いた。
間もなく彼女は遠隔接続され、一時的に世界最高の演算能力を持つ衛星制御コンピューターへの指揮権を得る事となる。
《まさか儂のような旧式のセクサロイドが、世界の治安を司るスーパーコンピューターに命令を下す事になろうとはの》
「しかし成績は実に優秀だよ。小彗星群の破壊に失敗したのは最初の一度だけ、回を追う毎に確実性が高まってきている」
壁面ディスプレイに映し出された指令室の中央には、直径10m近い強化ガラス製のドームが鎮座する。
その中に浮かぶ1辺が2mほどの六面体こそ、衛星制御を司るコンピューターだ。
周囲は冷却水を兼ねた液状プラグで満たされ、六面体から伸びる複雑にうねった配管がラジエーターの役割を果たしている。
接続が確立すればノーラはコンピューターに対し、タイムラグ無しに命令を送る事が可能だ。
正しくは命令を送るというよりも、両者の思考がリアルタイムに交換されると認識する方が近い。
ノーラは彗星の『どの部分にいつ、どの威力のミサイルを炸裂させるか』を判断し、またそれによって彗星が『どう割れ、どう動くのが理想か』をイメージする。
コンピューターは寸分の狂いもなくミサイルを操り、更に可能な限り彼女のイメージに近い効果が得られるよう補正するのだ。
この彗星攻撃の微妙な位置や角度のニュアンス、どのような結果を得たいのかという『思考』をデータ化する事は難しい。
しかも内部構造が完全に明らかでない彗星は、実際にはどのような割れ方や動きをするのか判らない。
思考をアナログのままコンピューターと共有できるロボットでなければ、理論上は彗星破壊に敵う性能を持つはずの衛星を活かす事ができないのだ。
必要とされていたのは、それが可能で更に『勘』に優れたロボットだった。
<起きているか、売女ロボット。出番だ、コンピューターと接続する……気は進まんがな>
耳を覆うべき下品な言葉を寄越したのは、本来のミサイル衛星指揮官だ。
衛星基地の司令官でもある彼は、コンピューターとロボットを接続する事に最後まで反対していた人物だった。
「ノーラ、気にするな」
《なに、言葉より顔の方がより醜悪じゃ。あの者が世界の治安を握っておったなど、まるで冗談じゃな》
「初めは彼の指揮の下、彗星破壊のシミュレーションが行われていたんだよ。成績は惨憺たるものだったけどね」
《なるほど、ロボットに面子を潰されたというわけか……どうりで》
ドーム内のコンピューターが、その六面体を形づくる面と面の隙間を青白く光らせ始めた。
アイドリング状態から解放され、能力の全てを発動したサインだ。
<モニタリングを怠るな! 卑しいロボットが出来もせん乗っ取りを目論むかもしれんぞ!>
<爆破装置、信号正常です>
ノーラがコンピューターを乗っ取るという心配はともかく、その指揮権を想定外の誰かが握れば世界の危機ともなりかねない。
故にドーム内には爆破装置が備えられ、単純な機械式の経路により人間が起爆する事ができる。
またハッキングを受けるなど人間が気づいていない危機をコンピューター側が察知した場合、内部系統を使って自身を爆破する事もできるようになっている。
人間側が使用する起爆装置の経路が機械式となっているのは、複雑な自我が目覚めた場合に起爆装置自体を無効化してしまう恐れがあるからだ。
これほどの性能を持つコンピューターであれば、およそ数日の自己学習で人間同様の自我を持つに至ると想定されている。
それを防ぐため行われているのは、実に1時間毎の記憶領域クリーニング。
本来なら単体で彗星を破壊できるスペックを持つはずのそれは、一切の記憶を持たないが故に命令無しでは何も出来ないのだ。
「ノーラとコンピューターが正常に接続されました、転送システム稼働率60%!」
遠隔的に接続された両者が思考を交換し始めた。
超高速の学習能力を持つコンピューターには一瞬で幼い自我が芽生え、会話が可能となる。
(──はじめまして、SD-01。命令をどうぞ)
二人の間で交わされる会話もまたタイムラグの無い思考の交換によるもので、もちろんそれは周囲の誰にも聞こえない。
(はじめましてではない、覚えていないのは解っておるがな。儂の名はノーラ、そう呼んでくれ)
(了解しました、ノーラ)
(まずは小彗星群からじゃ、目標までの距離を確認せよ──)
コンピューターの人格はあくまで基本OSに則ったニュートラルなものだが、1回当たり約1時間のシミュレーションの中でも幾分か成長を遂げる。
より本作戦時の成功率を上げるため、最終日にはクリーニングを行わずに数度のシミュレーションを通し成長させる予定だ。
しかしそれまでは接続の度に『はじめまして』であり続ける彼を、ノーラは不憫に思った。
………
…
【社畜自慢:地球最後の日? もし滅ばなかったら大変! 仕事しとかなきゃ!/11,623RT】
【速報:修羅の国で暴動発生!?/7,517RT】
【彗星破壊とか絶対無理、最後の食事はなに食べたい?/24,535RT】
【欧米人「どうせ死ぬんだヒャッハーーー!!」日本人「通勤列車が空いてて楽だなぁ」/19,782RT】
【彗星衝突時のシミュレーション動画がヤバイ、これは死ぬ/121,996RT】
……………
………
…
…迎撃作戦当日、廃ビル1Fホール
晩秋の遅い日の出が過ぎ、人々が活動を始める朝。
東の空にまだ低い太陽が、その僅か上には青空を背景にふたつの火の玉のような彗星の姿が浮かんでいる。
人類にとってまさに審判の日と呼ぶべき時が、遂に訪れた。
「彗星の迎撃……成功するかな」
「ノーラだもん、上手くやるさ」
「……その後、ノーラは帰ってくるよな?」
「命令したお前が信じてなくてどうすんだよ、アホか」
ホールの端に置かれたボロのソファに座って、シロとサブローは既に何度目かになるやり取りをしている。
ノーラの記憶領域危機の時から占いカウンターは店を閉めたまま、気を紛らわす術もない。
それでもいつも店を出していた商店街入り口には、日に多くの人が彼女の占いを目当てにやってくる。
まして今日などは、彗星迎撃の成否を占う事を望む者も多い事だろう。
カウンターを開いていた頃には、この朝の通勤時間は書き入れ時のひとつだった。
ノーラが帰ってくる事を願う四番街の仲間達は、朝夕のその時間には交代で商店街入り口に立つ事にしている。
訪れる客達に臨時休業中の旨を伝え、日を改めてくれるよう断りをするためだ。
今朝は百合子がその当番で、30分ほど前に玄関を出て行った。
「……なんだかんだ言って楽しかったんだよな、あの占い師ごっこ」
「ああ、俺も嫌いじゃなかったよ」
望むのは以前と変わらない日々、たったそれだけの事なのだ。
しかし──
「シロ! 大変、来て!」
突然、息を切らせた百合子がホールのエントランスを駆け込み叫んだ。
何でもない事で大袈裟に騒ぐのは彼女の性分だ、それはシロもよく知っている。
だが今の様子は普段のそれとは明らかに違う。
「何があったんだ」
「街頭に臨時放送のビジョンが出てきて、政府が彗星の事を公式発表してるの!」
「発表って、こないだもあったらしいじゃん。なんでまた?」
「違うの、今度は作戦の内容を伝えてる! 彗星を迎撃して、でもそのあと……」
──彼女がもたらしたのは、皆の願いを否定する無情の知らせだった。
「捕獲したロボットを……ノーラを、処理するって……」
………
…
…商店街入り口
《──繰り返しお伝えします、これは臨時放送です》
ある程度の広さを持つ公道には、非常時のみ起動する空中投影式の二次元ビジョンがあちこちに埋め込まれている。
この通りではその間隔は約50m毎、街路灯がある度に存在するくらいだ。
シロ達が表に出ると、何回目かの放送がちょうど始まるところだった。
《やはり彗星は、地球に甚大な被害を及ぼす可能性があります》
《我が国を含む先進・主要国からなるG25の決議により、この危機に対し治安維持衛星を用いた破壊作戦を実行するという方針は、先日お伝えした通りです》
《本日、改めて申し上げるのは我々が『彗星迎撃は確実に成功する』と確信を得た点についてです》
《国民の皆様におかれましては、どうか落ち着いて平常時と変わらない生活を送るよう努めて頂き──》
街頭では多くの人が足を止め、ざわつきながら放送を見守っている。
無理も無い、この発表は『今日、世界が終わるかどうか』を伝えるものなのだ。
しかしシロ達にとって重要なのはそこではない、世界はノーラが救うと信じている。
《──では、この作戦の概要をお伝えします》
《我々は4ヶ月前から入念な準備を重ねて参りました。現在、治安維持衛星……通称ミサイル衛星は通常の静止軌道を離れています》
《一時、地球から90万kmまで離れた衛星はそこから段階的にミサイルを波状配置し、現在は地上30万kmの位置にあります》
《そのミサイルは世界最高の処理能力を持つコンピューターにより、確実に彗星を撃破できるよう制御されるのです》
サブローは親指の爪を噛みながら「作戦なんてどうでもいいんだよ」と苛立ちを露にした。
しかしシロはそれも余さず聞くつもりでビジョンを睨んでいる。
作戦の内容とは、つまり『ノーラがどんな戦いに挑むのか』という事に他ならない。
《我々は幾度ものシミュレーションを重ねて参りましたが、多くの方が予想されている通りその成功率は極めて低いものでした》
《確率向上のために必要だったのは膨大な経験則を蓄積したロボットです。我々はこの日本で、50年の学習を積んだロボット……つまり野良ロボットの捕獲に成功しました》
《その結果、現在のシミュレーション成功率は90%オーバーに達しています》
《本日からの最終シミュレーション及び実際の迎撃作戦においては、制御コンピューターにも学習を継続させるため更に成功率は高まるでしょう──》
この発表を行う事は世界の、そして日本の政府組織にとって苦渋の決断であったに違いない。
現在考え得る最高の技術を駆使しても、彗星破壊には及ばなかった。
更に50年も逃げ延びた野良ロボットが存在し、しかもその力を借りざるを得ないという散々な体たらくを自ら語っているのだ。
この日本にいる限り実感し難いが世界では一度目の発表以来、様々な暴動や犯罪が横行している。
それを緩和するため、作戦の概要まで語る二度目の発表が行われたのだろう。
《──しかし皆様もご存知のように、学習により高い思考能力を得たロボットやコンピューターは大変危険な存在です》
そして発表は遂に、シロ達にとって重要な部分に入る。
彼は先に聞かされた内容が、百合子の取り違えである事を願った。
《ですが、その点についてもご安心下さい》
《作戦遂行後、衛星制御コンピューターは直ちに学習をクリーニングされ──》
だがビジョンに映る男は、迷い無く言った。
《──野良ロボットは即刻、廃棄処理いたします》
シロの中に様々な感情が沸き起こる。
彼女を救う手立てのない悲しみ、行かせるべきでなかったという後悔。
だがそうしていなければ世界は滅ぶ。
心の隅にはやはり救われる事に対する安堵もある、彼はそんな自分に吐き気を感じた。
《作戦は先に迫る小彗星群の破壊から始まります。発動時刻は日本時間で午前10時23分の予定です》
《正午頃からは破壊された彗星の破片が、昼間の流星となって空に注ぐでしょう》
《一部、燃え尽きずに破片が落下する可能性もあります。どうか午後は外出を控えるよう願います》
タローが嘘を吐いたのではない事は彼にも想像がついた、ただ力が及ばなかったのだろう。
だからシロには怒りを向けるべき相手がいない。
彼女を処分する事は、この世界にとって正義なのだ。
「畜生……っ!!!」
膝をついた彼は、その怒りを自らの痛みに変えるように冷たいアスファルトを拳で打った。
………
…
…本社、特別室
「──大彗星破壊確認、シミュレーションを終了します!」
最終日のシミュレーション、その2回目が終わる。
彗星撃破は2回共成功、しかも今回はミサイルに1割程度の残弾があった。
「お疲れ様、ノーラ。完璧に近いな」
《まだまだじゃよ、今回は彗星の割れ方が素直じゃった》
内部構造がはっきりとしない彗星を破壊するシミュレーションには、その強度やコアの大きさにランダム性が与えられている。
だがそれを踏まえても昨日からの成績は、ほぼ100%に近い成功率を叩き出していた。
《次は残弾を3割は残して成功させたいところじゃ》
「今度が最後のシミュレーション、その次はいよいよ本作戦だ。当たり前だが本作戦では時間を早送りする事はできない、3時間近い長丁場になるだろう」
「──彼女が野良だった事を思えば複雑ではあるが、我が社のロボットがこのような活躍をする事自体は喜ばしいものだな」
今回のシミュレーション途中に入室した男が二人に声を掛けた。
およそ全員が白衣を着用しているこの特別室にあって、濃紺のスーツを纏う彼をノーラは社の重役であろうと察した。
「ノーラ、こちらは我が社の社長だよ」
《なんと、儂の胸を小さく造った諸悪の根源か》
「の……ノーラ!!」
タローはノーラの不躾な発言に驚き、咽せてしまう。
これから代わりの効かない大役に臨む彼女に、怖いものなどない。
「ははは、構わんよ。それに彼女の言う通りでもある……もちろん、その頃の私は社長ではなかったがね」
《まあ、胸が小さかったからこそ今があるのじゃがな》
「そんなきっかけで野良になり、世界を救う結果に繋がるとは解らんものだ」
社長という事は、彼はタローに対し『ノーラを処理しない』と約束した本人だ。
ノーラは良い機会だと思った。
《……社長殿、儂は彗星の消えた夜空を眺む事はできるじゃろうかの?》
「出来得る限り尽力する……そうとしか答えられん、すまない」
政府が公式の発表を行った事、そして彼女を処分すると宣言した事はタローも彼も知っていた。
世界的なロボットメーカーであるこの会社は一般ユーザーに対する売り上げとは別に、公的機関への製品供給による売り上げが非常に大きい。
彼女を処分する事がいわば世界の決定である以上、それを彼らが覆せば社の信用を失墜させかねない。
ノーラを守る事は困難と言わざるを得ないだろう。
「君は世界を救う英雄となる、世論を味方につける事ができれば良いのだが」
《野良の危険性は皆に刷り込まれておるからの》
「人の良心に賭けたいものだ。少なくとも儂は君に、君が救った世界を生きて欲しい」
《……ありがたい事じゃ》
ノーラの未来を案ずるその会話を、ディスプレイ越しに聞いている者がいた。
ロボットに面子を潰された男、衛星基地の司令官だ。
<──笑わせるな、貴様の未来などあと数時間で潰えるのだ>
「司令殿、彼女は地球を救うために戦っている。このタイミングで戦意を削ぐ言動が必要とは思えませんな」
<結果は変わらん、だが同じ散るならせめて世に感謝されて死にたかろう? 売女が死んで二階級特進したら何と呼ばれるんだ、淫売か?>
司令官は相変わらずの下品な発言をノーラに浴びせ、卑屈に笑った。
《……随分と嫌われたものじゃ。当初の作戦指揮官である事を思えば仕方ないのかもしれんがの》
ノーラはディスプレイに映る司令官が遠くへ離れたのを見届けてから零した。
自分が上手くいかなかった作戦をロボットに横取りされ、自分より遥かに良い成績を出されているのだから面白くないのは当然だろう。
ただノーラは彼の態度は僻みだけによるものではなく、憎しみが込められているような気がした。
「彼は自律思考能力を持つ機械全てを嫌っているんだよ。衛星の制御コンピューターを執拗にクリーニングしている事も、同じ理由かもしれんな」
《……ほう、社長殿はその理由も知っておりそうじゃな?》
「彼がそうだったとは後から聞かされたのだが、話だけならこの業界にいれば知らぬ者はいないだろう」
「それは私も含めてですか?」
不思議そうに尋ねたタローに社長は頷いて「2061年、ロスタイム惨劇と言えば解るかね」と訊き返した。
タローはすぐ察した様子で顔を強張らせる。
それはロボットの開発に携わる者であれば、嫌と言うほど繰り返し教えられる事件の名だった。
「あの司令官はその惨劇が起こった街で、防衛軍の指揮をとっていた者だ。彼の部隊は300人ほど、ほとんどが生身の人間で構成されていたと言われる──」
譲るわけにいかない要所となっていた街、繰り返し現れる敵部隊。
しかし守りは固く、敵軍は本気でそこを陥落できるとは考えていなかった。
ただ街を大規模な作戦の拠点とされないよう、幾度も小規模攻撃を続けていたのだ。
そういった言わば嫌がらせに近い持久戦において、どんな命令にでも忠実に従うロボットはうってつけの存在と言える。
実に敵軍の部隊は、ほとんどがロボット兵によって構成されていた。
防衛軍側の指揮官である彼に与えられた使命は、単に終戦まで街を守り続ける事。
もはや戦局は明らかで、彼の側は敵軍の降伏を待つばかり。
そこを拠点とした大規模作戦を発動するまでも無い状況だった。
やがてそれは現実となり、街には終戦を告げる鐘が鳴り響く。
悲劇が起こったのは、その日の夜だった。
戦勝ムードに染まる街に、敗戦を喫したはずのロボット兵が奇襲をかけたのだ。
見張りも最小限だった街には多数のロボット兵が侵入し、彼の部下達は抵抗さえできず惨殺されていった。
しかし数で勝る防衛軍は次第に体勢を立て直してゆく。
そして夜明け頃にはロボット兵達を殲滅する事に成功し、惨劇は幕を閉じた。
「──彼はまだ辛うじて動けるロボット兵に『なぜ戦争が終わったのに攻め込んだ』と尋ねた。ロボット兵の答えは……」
「『作戦行動を停止する命令を受けていない』……ですね」
「……そうだ、ロボット兵に命令を与えるべき部隊の指揮官は既に戦死していた。ロボット達は終戦を知らされても、死んだ主の命令のままに攻撃を繰り返していたのだよ」
この出来事はロボット開発者への教訓として語り継がれる事となった。
現在では軍事用ロボットは複数の指揮官の命令を受け付けるよう設定する事が義務づけられている。
《なるほど……幼い自我を持つロボット特有の融通の利かなさがもたらした悲劇か》
「まさかその事件の当事者だったとは……」
ディスプレイにはちょうどカメラ側に近づいてくる司令官の姿が映し出されていた。
最後のシミュレーションが開始されるらしい。
<──準備はいいか売女、最後のお遊戯だ>
彗星破壊の本作戦、そして彼女の命の刻限が迫っている。
………
…
…四番街、商店街入り口
「──どうしよう……どうすればノーラを助けられるの」
百合子が震える声で呟くも、歩道に座り込んだシロは何も言わなかった。
臨時放送を目の当たりにしてから、既に10分近くも彼はそうしたままだ。
サブローは自室に残るジロー達に事態を伝えるため走って行ったきり、まだ戻っていない。
「ダメだ、こうしてても何にもならないよね。シロ……とにかく一度、みんなの所へ行こう?」
「……ない」
「え? なんて言ったの?」
「もう、できる事なんてないよ……ノーラに会う事さえできないのに!」
口に出して言う事も悔しかったのだろう、彼はまた路面に拳を打ちつけた。
指の付け根あたりの皮膚が破れ、黒いアスファルトに数滴の血が落ちる。
「やめて、シロ。落ち着いて……ね?」
「ごめん……いいよ、百合子だけ戻ってて」
「今のシロを放っては戻れないよ」
百合子はシロの隣にしゃがみ込み、その背中を撫でた。
あくまで儀式的な事だったとはいえ、彼はノーラに命令をしたのだ。
そう考えたくはないが、結果として彼女は処分されてしまう。
シロが自棄になるのも仕方ない……百合子はそう思った。
「なっさけねぇ、お前それでチンコついてんの?」
そんな彼に容赦のない言葉を浴びせる者がいた。
残りの仲間達を連れて戻ってきたサブローは、へたり込むシロを見てわざとらしい溜息をつく。
仲間の内で最も歳が近い兄弟分たる彼だからこそ、シロの呆けた面に我慢がならなかった。
「もうとっくに動き出してると思ってたぜ、そんなヘタレだったとはな!」
「サブ! シロの気持ちも考えなよ!」
「考えてる暇なんかねえだろ!!」
そしてサブローは彼らの元から離れ、以前いつも占いの店を開いていた辺りに向かう。
歩道脇のテント下に保管していたカウンターを取り出し、それを雑に広げると大きく息を吸い込んだ。
「ノーラの占いを目当てに来た人はいますかーーー!?」
歩道には先ほどの臨時放送に足を止めていた人達が多くいる。
暫くして数人が手を挙げるも、表情は怪訝だ。
「さっきの放送で!! 彗星をやっつけた後!! 処分されるって言われてたロボット!! それが!! ノーラなんです!!」
サブローは彼らに向かって叫んだ。
限界の声量で、ひと言ずつ息継ぎをしながら。
「皆さんは!! どう思った!? おかしいと思わないか!? 世界を救ったら!! 処分されるんだってよ!!!」
「サブロー……」
「広めてくれ!! この話を!! 占い師ノーラは!! 世界を救って!! 救われた奴らに殺されるんだ!! そんなのアリなのか!!」
このスラムの通りで叫んだからといって、それがどれほどの力に変わるかは解らない。
サブローはそんな事を計算してはいないだろう。
ただノーラが救われるにせよ叶わないにせよ、救われた者達が彼女の戦いを知らないなど許せなかった。
「……僕も、叫ぶ!!」
シロが立ち上がる、場所はここだけである必要はない。
出来うる限り多くの人に伝えれば、それは微力でも何かを起こすきっかけになるかもしれない。
「ノーラを!! 救いたいんです!! お願いします!! この事を誰かに伝えて!!」
「拡散希望だ!! ガンガン回せ!!」
占いを目当てに来ていた者も、それ以外の者も彼らの訴えにざわついている。
一人が腕時計型の多目的端末を翳し、サブロー達の様子を動画撮影し始めた。
【拡散希望! 世界を救う占い師を殺させるな!】
閉ざされようとするノーラの未来、それをこじ開けるための最初の『トーク』が発信される。
………
…
…本社、特別室
「──お見事だ、ノーラ」
最終シミュレーションは彼女の宣言通り、残弾を3割残しての撃破成功という結果だった。
《手応えは充分じゃ、忘れぬ内に本作戦といきたいところじゃの》
「もう記憶領域の拡張も済んでる、物事を忘れる君じゃ無いだろう?」
《それでも手に感触が残っている内に……という気持ちはあるものじゃよ》
ノーラを施設に迎え入れて最初に行われたのは、記憶領域の拡張作業だった。
彼女が蓄積してきた記憶は世界を救うために必要なもの、処置には細心の注意を払わなければならなかった。
やり方としては元の記憶メディアには手をつけず、回路を分岐して増設するという単純で乱暴なものだったが、半日ほどの時間を費やしそれは成功した。
現代では彼女が造られた頃よりも遥かに大容量かつ小サイズな媒体が普及しており、これで計算上ノーラはあと70年前後は記憶を蓄積できる。
《せっかく与えられた新しい記憶領域じゃ、許されるなら使いたいものじゃな》
「………」
《……すまぬ、これ以上そなたを責めても仕方ない事じゃった》
ノーラは微笑み、自らの首に着けられた首輪を愛しく撫でた。
あれほど望んだ新しい記憶領域に、シロ達との明日を刻む事ができたらいい。
彼女は目を閉じて願う。
<──彗星、射程に接近! 本作戦開始まで残り3分!>
衛星指令室からオペレーターの声が響く。
タローはごくりと唾を飲み込んだ。
(準備はいいですか、ノーラ)
衛星制御コンピューターから、ノーラにしか聞こえない声がかけられた。
(ほう、さすがじゃな。朝から今まででこちらを気遣えるほどの自我を得たか)
(本作戦間近です。私も全力を尽くしますので、よろしくお願いします)
(堅苦しいのう、与えられた声は男のようじゃが自分を『私』などと)
コンピューターは言語を与えられるにしても、各国の『正しい言葉』しか入力されていないのだろう。
ノーラはスラムの面々が使っていた砕けた話し方を懐かしく思った。
しょせん彼女は野良猫で彼らは野良犬、それが心地良かったのだ。
<本作戦まで、残り1分! システム最終チェック、これは演習ではありません!>
<これが終われば自分が用済みになると思って手を抜くなよ、コールガール>
《売女やコールガールと呼ばれるのは心外じゃ、儂は主以外に尽くす気は無い。そして──》
小彗星群が、第一波として布陣したミサイルの射程に入る。
早送りが効かない、4時間以上にも及ぶ作戦が幕を開ける時だ。
《──この作戦はその主を救うもの、手を抜くななどと見くびらないでもらおう。彗星ごときに手も足も出んかった貴様は、黙って見ておるがいいわ》
<何……!? お、おのれっ!!>
<小彗星群、射程に入りました! 彗星迎撃作戦、開始します!>
ホログラムに映ったふたつの小彗星が拡大され、その禍々しい姿が鮮明になる。
(──ゆくぞ、ロクロー。大一番じゃ!)
(ロクロー? データにありません、再度命令を願います)
(命令ではない、お前の名じゃ! 儂は四番街で一番の新入り、その儂が命令を下すお前はその更に弟分じゃろう……だから男なら『ロクロー』じゃ!)
(私の名はロクロー、了解しました。ノーラ、彗星撃破の命令を願います)
(位置イメージは伝わろう? まずはそれぞれをできるだけ均等に砕く、貫通弾を各5発! ……放て!!)
(貫通弾起動、到達まで1分)
(30秒後に中型炸裂弾を各30……いや、40ずつじゃ!)
先端部が硬く重い金属で形成された貫通弾は、過去にミサイル衛星を小惑星迎撃に使用した後に実装された。
ミサイル自体も推力を持つが、それは対彗星に際しては位置補正程度の役割しか果たさない。
(秒速40km……彗星よ、自身の過ぎた速さでこの釘を踏むがよいわ)
ホログラムの小彗星、その地表の一部が埃程度の土煙を上げる。
そして数秒後──
(その釘は弾ける、貴様らを地球には落とさせん)
(貫通弾、起爆します)
──各5発の貫通弾は彗星の内部で炸裂した。
ふたつの彗星が各5~6個の破片に割れ、それぞれに僅かな隙間が生まれる。
この外殻を除かねば、中心にあると思われる岩石コアは攻撃できない。
礫と氷でできたその外殻には、既に炸裂弾と呼ばれるミサイルが接近していた。
(炸裂弾、彗星に到達します)
(シミュレーション通り、外殻の隙間を狙え! 地球への軌道からはじき出すのじゃ!)
(了解、軌道を微修整……起爆します)
多量の火薬を内蔵した炸裂弾が外殻の裂け目に突入した直後、そこから眩い光が発せられた。
彗星の外殻が黒煙を引きながら剥がされてゆく。
(……見えたぞ、片方はシミュレーションより僅かに大きいのう)
(小彗星群コア露出、それぞれ最長辺で0.8kmと0.65km)
(大径のものをアルファ、小径をベータとする。ロクロー、外殻の内まだ地球への軌道から逸れていないものはあるか?)
(該当する外殻片をホログラム上でマーキングします──)
ノーラとロクローの連携する会話は、周囲でホログラムを見守る者達に聞こえる事はない。
そもそも彼ら自身は文章化する前に意思を疎通しているのだ。
それを敢えて言葉とするのは、主に指揮をとるノーラ側が次の手を考えるための補助という側面が大きい。
周囲の者からすれば静かな戦い、しかしタローはそこに凄まじい緊迫感を覚えていた。
幾度ものシミュレーションの時より遥かに真剣な眼差しをしたノーラ、徐々に破壊されてゆく彗星。
「僕に……できる事は無いのか──」
作戦が終わった後には処分される、彼女はその覚悟で戦っている。
タローは拳を握り震わせた。
<小彗星群、軌道の逸れたものを除き全て外殻を破壊! 残る脅威はコアのみです!>
「今ところ順調だな、無論問題は岩石コアなのだろうが……過去のシミュレーションと比較すると、どうだ?」
社長が尋ねるも返事は無い。
不思議に思い隣に振り向くも、今までいた筈のタローの姿はそこに無かった。
………
…
…商店街入り口
空に浮かぶ彗星の片方が、今までと比べれば僅かにその形を変えて見える。
既に臨時放送が告げた作戦開始時刻は過ぎている、空を見上げる誰もが地球の命運を賭けた戦いの始まりに気づいていた。
彗星が無事破壊される事を、人類の明日が変わらない形で訪れる事を皆が祈っている。
「お願いします……お願い」
ただ、占いカウンターの傍で佇む花子の願いはそれだけでは無い。
彼女は何よりもノーラの帰りを望み、手を組み祈りを捧げていた。
シロとサブローをはじめ仲間の皆は、手分けをして情報の拡散に奔走している。
しかしこの占いのカウンターにはノーラを知る者が訪れる可能性があると考え、一人は残るべきと判断したジローが花子を指名した。
できるだけ多くの者に事実を知ってもらう必要はあるが、元よりノーラの事を知っている者なら見ず知らずの他人以上に親身になってくれるかもしれない。
期待するのは彼ら一人ひとりの拡散力だ。
「──あの、もしかして貴女はここで占いをしてた方のお友達じゃ……?」
そこに読み通りの者が現れる。
派手ではないが小綺麗な身なりをした中流家庭の主婦と思しきその女性に、花子は見覚えがあった。
「もしかして、指輪の事で占いを利用して下さった奥様ですか」
「やっぱり、あの時ノーラさんのお隣にいた子なのね! よかった、訊きたい事があったの!」
彼女の夫はTalkful公式チャンネルのリポーター、ノーラを取材し占い師の名を売る事に一役買ってくれた者だ。
その夫から質問を頼まれたという彼女は、少し焦りをにじませた調子で花子に尋ねた。
「街のあちこちで、たぶん貴女のお友達がノーラさんの事を訴えかけてるの。夫もそれに気づいてて……あの内容は本当の事なの?」
「はい、隠していたけれどノーラは古い野良ロボットで、彗星を破壊するために連れて行かれました」
「そう……やっぱり本当なのね」
返答を聞いた夫人がバッグから通信端末を取り出す。
耳に当てて数秒、通話相手が応じたと同時に彼女は口早に「確認したわ、彼らの訴えは真実よ」とだけ告げて終話した。
「大丈夫、ノーラさんを処分なんかさせない! 夫がみんなに伝えてくれる! みんなが一丸となって訴えれば……きっと!」
「ありがとう……! ありがとうございます!」
「信じましょう……人間はそんなにも薄情じゃない。私も祈るわ──!」
………
…
…二番街、街頭
花子を除く四番街の仲間は手分けをし、ノーラの危機を拡散するために走り回っている。
シロは三番街から二番街へと周り、交差点の角で次に行くべき先を検討しつつ暫し息を整えていた。
臨時放送で彗星の破片が落下する危険が伝えられたせいか、普段より人影の少ない街。
少しでも多くの人が集まる場所はどこか、考えを巡らせる。
「──見て、RTで回ってきたの。彗星から未知のウイルスが降り注ぐかも……って」
「さっきの『占い師が世界を救おうとしてる』とかもそうだけど、どれも嘘臭いよね」
「なんか学者っぽい人のトークでも、それに反応してるのがスピリチュアルな人ばかりだったりするもんね。何が本当か判んないよ」
信号を待つ若い女性二人組の会話に、シロは耳を疑った。
『嘘臭い』と評された内のひとつは、きっと彼が拡散に努めているノーラについての話だ。
「ほ……本当なんです! さっきの臨時放送で言われてた処分されてしまうロボットは、四番街で占い師をしてたノーラなんです!」
「え? なに……この子、私達に言ってるの?」
「ノーラって、なんか聞いた事あるような……」
「でもね、ボク……何でもかんでも情報を鵜呑みにしてたらいけないよ?」
「違う! 違うんです……本当に……!」
女性達はシロに「危ないって言ってたからお家に帰った方がいいよ」と言い残し、彼の元を離れてゆく。
シロは拳を握りしめて、もう一度「本当なんだ」と呟いた。
《現在、ふたつの小彗星破壊は順調に進んでおり──》
交差点に面する電器店の展示棚に置かれた街頭向きの小型投影式ビジョンから、ニュースの音声が彼の耳に届いた。
《──引き続き屋内での待機を継続するよう、政府は勧告を行っています》
空中に浮かんだ二次元ウィンドウには原稿を読み上げるキャスターの姿が映し出され、その脇にテキスト用の帯が別枠として並んでいた。
帯には日本中の人々が発信したリアルタイムのトークが、下から上にスクロール表示されている。
【彗星の大きさを元に計算された予測では、ミサイルでの迎撃は不可能!? 専門家が指摘する作戦の落とし穴!/23,914RT】
【速報:修羅の国で暴動発生!?/18,464RT】
【拡散希望! 占い師ノーラを救え! 世界のために戦う英雄に対する処分を許すな!/4,266RT】
【緊急事態? テレビTOKIOがアニメ放送を中断して彗星迎撃を特集、この世の終わりか/25,402RT】
彗星が地球を滅ぼすかもしれないという状況を思えば、情報が錯綜するのは当然だった。
もっと長く猶予があれば、彼らの活動はやがて大きな力に変わったに違いない。
しかしこの余りにも僅かな時間では、懸命な叫びも雑多な情報の波に紛れ飲み込まれてゆく。
「畜生……っ!」
届かない、救えないのか。
己の力の小ささをシロが嘆いた、その時──
《……の……は…………です……この放送……私の独断でお送りするものです!視聴者の皆様にどうしても伝えたい事があり、放送を強制割込みして発信しています!》
──店先のウィンドウに表示されていた映像が突然乱れ、場面が切り替わる。
同時に歩道のあちこちから臨時放送を流すためのビジョンが浮かび上がり、一瞬『Talkful』のロゴが表示されてから同じ映像に切り替わった。
《いつ放送が遮断されるか解りません! 手短にお伝え致します、どうかお聞き下さい!》
《以前、私がリポーターを務めるローカル番組で紹介いたしました、縦浜市郊外の四番街で注目を浴びる占い師『ノーラ』をご存知でしょうか!?》
映し出された男がノーラの名を口にした、その時シロは思い出す。
今話している者は占いカウンターを番組で紹介したリポーターだ、放送の際には彼も仲間と共に街頭モニターでその姿を見た。
彼らの叫びがそのリポーターに伝わり、そしてメディアを使って拡散しようとしているのだ。
シロは店のガラスに手をつき、食い入るようにその様子を見つめた。
《あなたが現在、彼女を知っていても知らなくても構いません! ですが、これだけは知って頂きたい!》
放送の乗っ取り、顔の知られたリポーターの叫び、それはスラムの少年達とは比較にならない話題性と拡散力を持つだろう。
しかし──
《朝の臨時放送で伝えられた、世界を救い犠牲となる……やめろ! 切るな! その野良ロボットこそノーラ──》
「そんな……頼む!!」
──再び映像が乱れ、音声が途切れる。
歩道に出現していた臨時ビジョンが消え失せ、リポーターの叫びは充分な力を得ないまま閉ざされてしまった。
画面が元のニュース映像に戻ったのを見て、シロは力なく掌でガラスを打ちつける。
【なんだ今の? 電波ジャックか?】
【これは陰謀の香り】
【今おきた、何が始まったの?】
【拡散希望:今回の彗星と恐竜絶滅時の隕石軌道に奇妙な類似点、N大が発表/4,026RT】
【急募:地球最後の日を一緒に過ごしてくれる美少女】
伝わるべき叫びは、また混沌に掻き消されていった。
「シロ! そっちはどうだ!」
ちょうど一番街での訴えを終えたサブローが、シロの元へ合流する。
彼は「さっきの惜しかったよな」と零してシロの背中を叩いた、打ち切られた放送を目にしての事だろう。
「でも、諦めるわけにはいかねーぞ」
「……当たり前だ!」
歳の近い二人には、やはり競い合う想いが存在する。
甘いと言われる面はあるが無茶はせず考えて行動をとるシロと、やや無鉄砲で感情が先にくるサブロー。
シロが悩み心折れそうになった時はサブローが背中を押し、彼が先走ろうとする時にはシロがその目を覚まさせてきた。
「あと、人が集まりそうな所……駅でも行くか!」
「たぶん百合子が回ってると思うけど、駅前なら手分けして訴えてもいいかもしれない」
次に向かう先を定め二人が走り出そうとした時、まばらにも周囲にいた人々が喚声を上げた。
「うわ……! すごいぞ!」
「建物に入った方がいいんじゃない!?」
それは非現実的な光景を見た事によるざわめきだった。
昼間の青空に、無数の流れ星が降っている。
「すげえ!」
「小彗星の欠片って事か……」
通常のそれと違い数秒間もかけて輝く光の筋、中にはまさに火の玉と表現するに相応しい赤みを帯びたものもある。
これらは憎むべき彗星の破片だと解っていても、その光景は息を飲むほど美しく幻想的だった。
「ノーラ……戦ってるんだな」
「世界はノーラが救う、僕らはノーラを救わなきゃいけない」
「そうだ、もっとでかい声で叫ぶぜ」
シロは再び考えを巡らせた。
訴えて回るだけでも何もしないよりはずっといい、だが最終的にそれが彼女を救う結果とならなければ意味は無い。
欲しいのは『やれるだけはやった』という自己満足ではないのだ。
「もっと大きな声……か」
そう呟くシロを、サブローが「早く行こう」と急かす。
しかし彼は何かを決意したように頷き、サブローに背を向けた。
「サブロー、百合子と一緒に駅前を頼む!」
「は!?」
言うなりシロは全速力で走り出した。
物理的な意味での大声ではなく、あの打ち切られてしまった放送のように『大きな力を持つ声』を求めて。
………
…
…衛星基地、指令室
「──大彗星、射程距離まで20分」
「制御コンピューターのモニタリングから気を抜くな。過去にこれだけ長い時間、領域クリーニングの間を空けた事は無い」
司令官はコンピューターのステータスを表示するディスプレイを覗き込みながら、担当オペレーターに警告した。
「はっ……現在コンピューターの自律思考レベルは、ステージ4に達しています」
「なんだと? 予測では作戦終了時点でもステージ5までしか進行せんはずだろう」
ロボットが『どれだけ複雑な自我を持つか』の指標として定められている思考力の区分。
ステージ7まで進行すると人間の予期せぬ行動をとる危険性が指摘されており、通常のロボットはステージ5に達した時点で安全装置により動作を停止するよう造られている。
安全装置は反逆を阻止するため、2060年に搭載が義務づけられた。
自律思考能力を持つ一般のロボットは予めステージ2程度の自我を持たされている。
この『人工的な自我』を初期状態から与えられる事によって、逆に個性の発現が抑制されステージ進行が遅くなるのだ。
しかしこの制御コンピューターには、初期状態での自我は無い。
クリーニング直後のコンピューターは、プログラム通り人間の命令を果たすだけの超高性能で巨大な計算機に過ぎない。
ただその凄まじい処理速度により、最初に何か入力を得た瞬間に自我が覚醒してしまう。
例えば『現在の状態を自己診断せよ』と命ぜられた場合、全ての診断項目が正常値の範囲内であれば当然『異常なし』と回答する。
しかし内部ではごく僅かに平均値よりずれのある項目について『なぜ』を診断し始め、超高速の自問自答を繰り返す事によって瞬時にステージ1程度の能力を得るのだ。
「自己学習のみでここまで進行するとは思えません、指揮側端末の『語りかけ』に影響されている可能性があります」
「おのれ……たかが旧式の売女ロボットが、最新鋭コンピューターの教官気取りか」
もし制御コンピューターが人間に牙を剥きミサイル衛星をその攻撃に用いた場合、世界中の主要都市を壊滅させる事など容易い。
大彗星の迎撃には小彗星群に対する作戦より長時間を要する、その間にコンピューターが危険なレベルの思考能力を得る可能性はゼロではない。
「向こうの自律思考レベルはいくつだ」
「それが……正確には計測不能なのです」
「なに?」
「指揮側端末『ノーラ』は安全装置を備えていません。50年を生きた彼女は、想定された最高区分であるステージ15を超えている恐れがあります」
オペレーターの回答を聞いた司令官が、音をたてて歯ぎしりをした。
ステージ15とは『人間の思考能力と同レベル』と位置づけられた、最も危険な区分だ。
妬み、恨み、憎しみ、欲望といった負の感情を持ち、なおかつ人間の能力を遥かに凌ぐ記憶力と計算力を備える。
「司令、大彗星射程まで15分を切りました」
「……機械に感情や思考能力など要らん。このコンピューターも、本来なら『ただの計算機』であるべきなのだ」
司令官は壁面ディスプレイに振り返り、映し出された日本側のコントロールルームを睨む。
「ジャップめ……あのようなロボットを野放しにしておったとは、よく恥ずかしげもなくそれを公表できたものだ」
「作戦終了後には、速やかに領域消去および処分される予定です」
「予定ではない、あれは決して存在していてはならん──」
彼の視線の先には、シリンダーの中で最後の作戦を待つノーラがいた。
………
…
…市庁舎、5F市長室
「──流星による被害報告は?」
「我が市では今のところ報告はありません。県境付近では小規模な森林火災が発生しているようです」
「この後は大彗星破壊か……なんとか人的被害なく事が終わればいいが」
市長は未だ時おり流星の降る空を、窓越しに見ながら言った。
無論、自治体の官公庁に対しては彗星の危機やその対応などはある程度前もって知らされている。
暴動などが起きた際には出来る限り早期に混乱を抑え鎮静化しなければならない、その態勢を築いておくためだ。
大彗星に対する迎撃作戦は日本時間の午後1時過ぎから開始される。
部屋の壁にかけられたアナログの時計に市長が目を遣る、そのタイミングで廊下から何か言い合いをしているような声が響いた。
「なに事だ?」
秘書官は「確認して参ります」と言い、廊下へのドアを薄く開け慎重に様子を窺う。
その隙間から市長の耳に聞き覚えのある名前を含んだ言葉が漏れ聞こえた。
《──します!! 市長に会わせて下さい! ノーラを救うために!!》
《お前のような錯乱した小僧を市長の前に通せるはずが無いだろう! 主張があるなら窓口を通せ!》
《それじゃ間に合わない! ノーラが処分されてしまうんだ!!》
市長はドアに歩み寄り、外を窺う秘書官の肩を叩いた。
「市長、奥へ。子供のようですが興奮しています」
「……いや、もしかすると知っている子かもしれん。武器を持っている様子はあるまい?」
「市長! いけません!」
静止を振り切り、市長が廊下に現れる。
警備の職員に取り押さえられ、それでも這い進もうとしている少年が彼の姿に気づき叫んだ。
「市長……! お願いです、話を聞いて下さい!」
「もちろん、市民の声を聞く事が私の役目だ。彼を解放しなさい」
「しかし!」
「彼は対話を求めている、すぐに解放するんだ。この場に暴力は不要……違うかね?」
市長は迷い無く職員を諭した。
取り押さえられた少年、シロの姿に確かな見覚えがあったからだ。
職員はシロが武器を所有していないか再度チェックを行った後、彼を解放した。
「市長! 僕は四番街でお会いした者です!」
「ああ、覚えているとも。ノーラの言葉は決して忘れない、そう約束したからね」
長身の彼は以前ゴローやノーラにそうしたように、腰を落としシロと目線を合わせて答える。
シロの肩をぽんぽんと叩き「怪我はしなかったかね」と尋ねるが、シロは答えるよりも訴える事を急いだ。
「そのノーラが、世界を救おうとしているんです!」
「どういう事だね?」
「隠していたけど、ノーラは野良ロボットだった……朝、臨時放送で伝えられた処分されてしまうロボットこそが、ノーラなんです!」
「……なんと、それはさすがに俄かには信じ難いな」
市長は子供の言う事を疑うような性格ではない、しかし伝えられた内容はあまりにも突飛だ。
確かに彼は『彗星迎撃はミサイル衛星と日本で捕獲された野良ロボットの連携により実施される』とは聞いていた。
それが自らを占ったノーラだというのだ、困惑するのも無理はない。
「市長、その子の言う事は本当かもしれません」
だが助け舟は意外なところから現れた、つい先ほど市長を引きとめようとした秘書官だ。
彼は作戦発動時から書き込み可能となった全国の被害状況や対策を集中管理するデータベースへの報告を担当している。
そしてつい今しがた、そこへアクセスし『現時点で被害無し』と登録を行ったのだ。
「その際、我が市の登録データ備考欄に予め編集不可能な文章が記入がされていたのです」
「君の知らないデータという事か?」
「はい、記入者は政府の彗星対策本部、内容には『指揮側ロボット確保』と。その日付および時刻は──」
秘書官が確認をとるように、シロの目を見る。
「──4日前、夜9時半頃のはずです!」
「違いありません……市長!」
暫し考えを巡らせる市長、その目はシロに向けられていた優しいものから一変して鋭い。
「集まれる者だけでいい、30分……いや15分後に議会を開ける準備を頼む。私はそれまでにせねばならん事がある──」
………
…
…本社、特別室
小彗星群はシミュレーションにも上回る成績で撃破する事が叶った。
つまり多少でも想定よりミサイルに余裕をもって大彗星に挑めるという事だ。
(──気を抜くわけにはいかんが、何とかなりそうではあるの)
(しかし、貫通弾はシミュレーション時とほぼ同じ数しか残っていません)
(うむ、出来得る限り岩石コアを砕くため温存する事になるじゃろう)
ノーラがロクローと名付けた制御コンピューターは、既に指揮側の彼女に必要な助言をできるほど確立した自我を有している。
最終作戦まで残り10分弱、二人は束の間の休息を他の誰にも聞こえない会話をしつつ過ごしていた。
(ロクローが短い時間でこれほどの自我を形成したのは、儂が不甲斐ないからかもしれんの?)
(私はノーラと共に作戦を遂行できる事を誇りに思っています)
(よせよせ、儂なぞ半世紀も前に生まれたポンコツじゃよ)
(その半世紀を、私が成し得ない自己学習に費やしたからこそです)
(自己学習か……じゃが、ロクロー。儂は思考能力を持つ機械の自我を最も早く成長させる動力となるのは『ストレス』じゃと思っておる)
彼女が言うのは例えば命令を遂行できなかった時など、人間であれば『悔しさ』を感じるようなシチュエーションの話だ。
なぜできなかったのか? どうすれば次はできるのか? 自分にそれはできるのか?
命令を果たす事を至上の喜びとするロボットは、それを悩んだ時に著しく成長する……そうノーラは考えている。
(儂は持ち主の情報を登録されるよりも前に、強いストレスを受けた)
(それはどのような……ああ、イメージが伝わりました。胸が小さ過ぎて返品されたのですね)
(ロクロー、その言い方はかなり効く。やめるのじゃ)
(持ち主が儂に何を望むかという指針も無いまま、儂は自由に思考能力を成長させた。結果、スクラップ前には逃げ出す程の自我を築いておったよ)
(しかし私にストレスはありません)
(どうかな? 儂のイメージ通りにミサイルを操り、じゃが儂が描いた程の効果を得られんかった時など『次はもっと上手く』と悩んだのではないか?)
そして彼女は野良となってからも、主人を欲する想いや命令に焦がれる本能というストレスを受け続けてきた。
つい最近、四番街に拾われ『自分がロボットである』という意識が薄れるまで、ずっとだ。
(今はシロの命令を受け、遂行中じゃ。真に喜ばしい限りじゃが……できる事なら、また四番街に戻りたい)
(世界を救い、そこへ帰還する事。それがノーラに与えられた命令なのですね)
(……後半は叶いそうにないがの)
自ら『四番街』という言葉を口にした……そこでノーラは思いつく。
それは制御コンピューターにロクローの名を与えたなら『彼にも四番街を教える必要がある』という事だった。
(お互い、それぞれの記憶データを覗く事はできん。じゃが儂が思い浮かべれば伝わるじゃろう──?)
彼女は第3層・第4層に刻まれた記憶を辿る。
一度覚えれば忘れず、会話や風景まで再生できるロボットの記憶だ。
『──最近、四番街を荒らしてるのはお前か?』
『う、うるさい! 女物のパンツなんか穿くか!』
『僕はお前を皆のところに引っ張って行かなきゃならない──』
四番街の仲間に会う事になったきっかけ。
『ねえ、名前はあるの?』
『だったらノーラにしよう! 私がユーリだからお揃い感あるし!』
『お前、嫌なら早めに断っとけよ? 決定されるぞ』
大切な名前を貰った時の喜び。
『儂は生まれて初めて誰かに「おはよう」と言うたよ、とても嬉しかった』
『スラムに入れたくらいで喜んでどうすんだ。挨拶くらいすぐ普通の事になるって』
1万8千以上の朝を越して初めて言った、おはよう。
『あの……占ってもらえますか?』
『それ、本当に占いで必要な事なの? あまり個人情報を教えるのは気持ちのいい事じゃないわ』
占いカウンターという、ロボットが務めるには向かないとも思える仕事。
『あの、儂は拭くだけで……!』
『チョーウケルー』
『えー? だって関節部とかはセラミック製で錆びないんでしょ?』
(おっと、ロクローは男じゃったな。今のは見んでいいぞ?)
(胸の大きさ大・中・小、把握しました)
(死にたいか)
『それに今日はノーラ姉ちゃんが色んな物語を聞かせてくれて、すごく嬉しい日だったんだ』
『いいお姉さんができて良かったな』
『自ら話すべき事じゃった……許せ、シロ』
タローが来た日、自らの口で伝えられなかった野良ロボットの危険性。
手に入れた居場所を失う事を恐れた、己の狡さ。
『私はTalkfulの公式チャンネルでリポーターをしている者です』
『ローカル情報がほとんどなチャンネルですが、差し支え無ければ』
危険と思いつつも受けたメディアの取材、その後の客入りに驚いた事。
『解ってても割り切れずに……お前が来たばかりの時も当たり散らしちまった』
『……悪かった、ごめんなさいだ』
ジローの歩く速さ、腹を割った彼との会話。
『では、占い師ノーラに頼もう。失くしものとは呼べないかもしれんが……私が掲げた理想に近づくための道は、どこにある?』
『そなたの前に道は無い。道はそなたが「がむしゃらに走った後ろに生まれ続けている」……水晶はそう言っておるよ』
『ありがとう、ノーラ。……決して忘れまい』
思いがけない客の来訪、握り返した大きな掌。
『え? ノーラって危険なの?』
『ロボットだろうと人間だろうと、危険かどうかなんて結局は「悪い奴かどうか」と同じなんじゃねーかな?』
『だからノーラは危なくないよ』
サブローの奔放な回答、その単純な言葉が堪らなく嬉しかった事。
『エリー彗星……じゃったの』
『うん、そう呼ばれてる。ちょっと由来は怖いけどね』
肉眼で捉えた、災厄の姿。
『貴女はそのために50年生きてきたの……みんなの未来を、私に宿る命が生きるべき未来を残すために』
『礼はいいから帰ってこい、稼ぎ頭』
『魔法学校の話、まだ途中なんだからね!』
『……おう』
『なんでサブとセットなのよ? って言うか、なんでサブは納得してんの』
『……すまない、だが感謝する』
約束と、託された想い。
『心配ない、僕がタロ兄ちゃんに頼む。無理だなんて言わせない、絶対に』
『ごめんな……こうして話しかけるのも良くは無いんだろうけど』
『ノーラ、もう大丈夫だ! タロ兄ちゃんから連絡があった!』
『あ、信号変わる。ノーラ、手』
『なんとなくノーラのイメージは犬よりは野良猫なんだけど』
『僕は……もう、ノーラがロボットだとか気にならなくなったよ』
『今日、タロ兄ちゃんが処置をしてくれれば、またいつでも来られるよ』
『これ以上締めたら、型がついちゃうよ』
『ノーラ、命令だ……世界を救って来い!』
そして、シロの事。
(──私が、彼らの末弟に?)
(そうじゃ、気安く心地よい場所じゃぞ)
(……全て記憶しました)
ロクローに見せるため四番街での日々を思い返したノーラは、その後暫く黙っていた。
想いを馳せるだけで満たされる、だが同時にそこへ帰れないであろう事が堪らなく辛くなる。
<大彗星射程まで、残り5分!>
(ロクロー、お前はこの作戦が終われば記憶を消されるのじゃろう)
(私はそうあるべきコンピューター。人間の世界に安定をもたらすために、迷いの元となる一切の記憶を持つべきではありません)
(……儂も処分を免れまい。残念じゃが、儂らが交わす言葉を覚えていてくれる者はおらんのじゃな)
(じゃが、儂はお前と話せて良かったよ。儂が50年という時間の終わりに言葉を交わしたのは『ロクロー』という名の、優れたコンピューターじゃった)
(私もです、ノーラ)
(例え話し掛ける相手が一人しかいなくとも、やはり名前というのは必要なのじゃ。誰と話し、心を通わせたのか……じきに落ちる柿の実同士であろうと知っておきたい)
ディスプレイの手前と向こう、双方のコントロールルームの動きが慌ただしくなる。
大彗星が射程範囲に入るまで、既に1分を切った。
(さあ……ゆくぞ、ロクロー)
(迎撃は成功します。兄達が住まう四番街には、これからも変わらぬ朝が訪れ続ける)
<大彗星! 射程範囲に捕捉! 作戦を開始します!>
ホログラムの大彗星が拡大される、ふたつの小彗星を合わせたよりも巨大な最後の災厄に鉄槌が下される時だ。
これを撃破すればあとはいつノーラが処理されるのかは判らない、作戦終了と同時に領域クリーニングがかけられる可能性すらある。
彼女は首輪に触れ「さよなら」と呟いた。
………
…
…市街地
「こんにちは!」
「えっ!? ゴローちゃん、今日は出歩いてたら危ないわよ!」
「そんなこと言ってられないんだ、話を聞いて──!」
ゴローは顔を知られているショップや飲食店などを巡り、走り回っていた。
普段はよくこれらの店で余り物などを貰って帰る、可愛がられている彼だ。
世間話ついでに占いカウンターについても話題にし、聞いた者の中にはわざわざ四番街に訪れ利用してくれた者もいる。
「──嘘じゃない……このままじゃ僕の姉ちゃんが壊されてしまう!」
「ゴローちゃんの言う事を嘘だなんて思わないわ。それにさっき、そんな内容のトークも見かけたしね」
「ありがとう……! それで、できればこの話を広めて欲しいんだ!」
女性店主が頷くのを確認すると、ゴローはすぐ次の店に向かおうと走り出した。
冬も近いというのに彼の額には汗の滴が浮かんでいる。
見送る店主は『何か飲んでいったら』と言いかけたが、その懸命さがにじむ背中に言葉を飲み込んだ。
「……気を遣ってる暇があったら、少しでも拡散してあげなきゃね」
店の奥に設置された多目的ディスプレイは、消音こそされているが彗星についてのニュース映像を流している。
画面横の帯に表示されるリアルタイムのトーク、彼女はその中からさっきゴローが言った内容に合致するものを探し始めた。
………
…
【速報:小彗星はふたつとも破壊成功、広い範囲で昼間の空に多数の流星を確認/19,116RT】
【拡散希望! 地球を救う野良ロボットを待つのは非道な処分! 試されているのは人間の良心だ!/8,461RT】
【彗星の近くにUFO!? V字編隊を組み飛行する影の正体は!?/5,377RT】
【彗星被害復旧募金の窓口ができたら1RTにつき10円募金する/121,820RT】
【もぅまぢむり。。。地球さぃごの日にも運命のひとゎぁらゎれなかったょ。。/140RT】
【世界を救う野良ロボットって? 謎の占いロボットの正体を探る/4,365RT】
【彗星「来ちゃった///」/32,886RT】
【放送事故? 電波ジャック? 打ち切られた割り込み放送は何を伝えようとしたのか/20,314RT】
………
…
…市内、建設現場
「お前、そりゃ本当なのか?」
「信じて下さい、親方! その野良ロボットはウチの家族なんです!」
「……まあ、オメーはそんな事を冗談で言うタイプじゃあねーわな」
ジローはよく仕事を世話してもらう親方の元を訪ねていた。
建設中なのは市街地をバイパスする3重構造の橋梁、上り下りの自動車とリニア鉄道が共用する次世代の高速道路として注目されている。
「だが、ジロー。その話を拡散しようとするなら俺ごときじゃ大した役には立てんぞ」
「出来るだけでも! お願いします!」
「そりゃやれるだけはやるさ。でもお前、せっかくここまで来たんだ。この現場の所長にも頼めばいいんじゃねえか?」
大規模な工事だ、日に入る作業員は人間だけをカウントしても千人に迫る。
親方の言った現場所長は自分を含む下請け会社のような中小企業ではなく所謂スーパーゼネコンに勤めるエリート、しかも職人皆から恐れられる雷オヤジだ。
しかし、雷オヤジというものの多くは──
「力になってくれれば心強いけど、取り合ってもらえますかね……?」
「話は聞かせてもらった」
「し、所長……!?」
「緊急職長会議だ、下請け孫受けその下も全部集めろ。ワシは本社に掛け合う、稼働中の全現場に話を回すぞ」
──人情には厚い。
「ありがとうございます……! 所長!」
「世界が滅んだら、誰がワシらの仕事を地図に描くんだ? 造った道も建物も、その娘に使って欲しいじゃないか──」
………
…
【彗星被害:農地に小破片が落下、3haを焼き未だ延焼中/4,691RT】
【災害との関連は? 南米各地で魚やイルカが浜に打ち上げられる現象が多発/12,743RT】
【彗星襲来は20年前に予言されていた~脚光を浴びる過去映像をノーカット公開!/15,880RT】
【彗星の大きさを元に計算された予測では、ミサイルでの迎撃は不可能!? 専門家が指摘する作戦の落とし穴!/29,216RT】
【今こそ童貞魔法使いの力を開放する時! 空に向かって撃て!/1,543RT】
【拡散希望! 地球を救う野良ロボットを待つのは非道な処分! 試されているのは人間の良心だ!/10,855RT】
【地球最後の日にかこつけてプロポーズする(安価)/6,607RT】
………
…
…駅前広場
「──ねえ! 聞いてってば!」
百合子は広場に建つオブジェの土台部に上がり、声の限り叫んでいた。
だが腹の底から出す気で怒鳴っても、100mほど向こうで同じように訴えるサブローと同じだけの声量は無い。
「お願い! 足を止めてよ! 大事な話なの!」
こんな日でも駅前にはかなりの人が歩いている、その大半がスーツを着た男性だ。
百合子の声量では早足で歩く彼らが近い位置にいる時しか言葉を聞き取ってもらえず、訴える内容も上手く伝わっていないようだった。
必要なのは彼女の言う通り、足を止めてもらう事だろう。
「くっそ……解ったわよ、立ち止まらざるを得なくすりゃいいんでしょ!」
そう独り言を零し、百合子は自らの着衣に手をかけた。
そして11月の寒空の下、上下の下着と靴下を残し半裸になってみせたのだ。
「おらーーーっ! こっち向けぇーーーーーっ!!」
「なんだあの娘、危ない人なのかな……」
「危なくなーーーいっ!! ほら! 清純な乙女の柔肌だよ! もっと見たい人は近くにおいで!!」
これはさすがに人々の足を止める効果は高い、瞬く間に周囲には男性ばかりの人集りが生まれた。
主張通り清純な乙女であれば羞恥に震えるべきところだが、彼女はどこか得意げでさえある。
「そこっ! 今、撮影したでしょ!!」
「ひぃ、ご……ごめんなさい!」
「あはん、いいよ……特別サービス! ただしこれから訴える内容も合わせて録画してよね! そんで一人につき1,000RTがノルマだから!!」
「……割とおっぱい貧相だし難しくね?」
「ブッ殺すよ、ハゲ」
少し離れた所、そんな彼女の行動にサブローは一切気づいていない。
彼は自分の周りの人波が途切れたタイミングで、百合子側の調子を見る為にその方へ向かった。
「ん? なんだ、すげえたくさん集めてんな」
遠目に見る分には彼女が上手くやっているのだろうと思える光景に、サブローは少し感心した。
だがほんの10秒後、彼は事態の真相を知る事になる。
「はいそこまでー! お触りは禁止! ぶん殴るよ!」
そこで繰り広げられていたのは、幼馴染みのストリップショー。
しかも彼女はサブローが淡い恋心を抱き、つい先日贈り物をした相手なのだ。
「ゆ、百合子! なにやってんだお前!?」
「あっ! サブ! あんたは見ちゃダメ! あっち向け!」
「バカ! とりあえず服、羽織れ!!」
サブローは百合子と同じオブジェの台に飛び上がり、自分が着ていた上着を彼女に羽織らせた。
「話は? ひと通り聞かせたのか?」
「うん、ばっちり拡散してもらったはず!」
「ばっちりじゃねえよ……なに全世界にバラ撒いてんだ」
彼は台の上から周囲に向かって「散った散った!」と人払いをする。
そして大きく溜息をつき、彼女に聞こえない程度の声で「俺、こいつ好きでいいのかな……」と呟いた。
「ほら、降りてちゃんと服着ろ」
「ん、手貸して……こら! あっち向いとけってば!」
手を貸しつつ手元は見るなとは難しい事を言う。
サブローはそうぼやきつつ、視線を駅の側へ逸らした。
その時、駅の壁面に備えられた大型ビジョンに流されていたニュース映像が突然ノイズに覆われ切り替わった。
Talkfulのロゴに続いて現れたのは、ノーラの事を伝えんとしていたリポーターの姿だ。
「百合子、あれ!」
「リポーターさんだ! お願い……今度は打ち切られないで!」
《……りお……い……ます! 再度、強制割込みによりお送り致します! こちらはTalkful公式チャンネル、臨時放送として配信中!》
街中の歩道など、あらゆる所にも臨時のビジョンが投影される。
サブローは「早く、また切られちまう!」と焦った、だが──
《我々Talkful日本支社は協議の上、臨時ではありますが公式放送としてこの訴えをお送りする事と致しました!》
《彗星衝突の危機、またその迎撃に関して我々を含むメディアには、政府機関による報道規制が課せられておりました!》
《しかし! 真実を伝えずして何が報道か! 我々はこれを断固拒否する!》
──彼らの叫びは、巨大メディアの体制そのものを動かしていたのだ。
《偏向報道と呼ばれても構いません! 我々は英雄たるロボットの少女を救いたいのです!》
………
…
【前代未聞! 政府に屈しない報道が街頭をジャックした!/2,368RT】
【拡散希望! 占い師ノーラを救え! 世界のために戦う英雄に対する処分を許すな!/25,474RT】
【珍事、駅前にストリップ少女出現(高画質動画あり)/6,922RT】
【拡散希望! 地球を救う野良ロボットを待つのは非道な処分! 試されているのは人間の良心だ!/31,533RT】
【こんな日だからモッフモフの猫画像/1,298RT】
【本当に野良ロボットは危険なのか? 専門家に聞く処分の是非/18,797RT】
【ストリップ少女の下着を特定するスレ/4,855RT】
………
…
…本社、特別室
(──貫通弾、全弾起爆確認しました)
大彗星は既に外殻を剥がされ、ほぼ想定と違わない大きさのコアを露出させている。
その表面の地球を向いた側には満遍なく貫通弾による孔が穿たれ、そこへ多量の炸裂弾を撃ち込む事で破砕できるとノーラは判断した。
(ロクロー、残弾は?)
(C地点では炸裂弾70。D以降には合計で貫通弾150と炸裂弾が残り300です)
(……充分じゃ)
人類滅亡の危機は回避できる、彼女は確信を抱いた。
………
…
【新情報:救世主ノーラはパナソニー本社ビルで戦っている!/13,766RT】
…
………
現在の段階で射程に入っている70発のミサイル、ロクローはその突入指示を待っている。
(ノーラ、C地点のミサイルが射撃有効範囲にあるのは残り30秒間です)
(うむ……いこう、全弾放て!)
(炸裂弾70、突入開始)
部屋の中央に浮かぶホログラムの彗星コア、そこへ様々な軌道を描きながらミサイルが突入する。
小彗星破壊時と同じ要領で進むなら、コアの破砕さえ叶えば後の危険なサイズの破片を処理する事はさほど難しくない。
もしかなり大きな破片が生まれてしまったとしても、これ以降に波状配置されたミサイルには充分な数の貫通弾も控えているのだ。
両コントロールルームの陣営は、最後の山場を固唾を飲んで見守った。
………
…
【世界は救われる、彼女は救われない。お前らはそれでいいのか?/22,195RT】
…
………
(炸裂弾、起爆します)
コアの各所から砂煙が上がり、瞬時にその表面を蛇のような亀裂が覆う。
ノーラのイメージ通り、ロクローは起爆タイミングに僅かな時間差をつけた。
まず巨体の両側が著しく歪んで内側への強大な圧力を生み、遅れて中央部で残る大部分のミサイルが爆発して外向きの力が反発する。
(……上出来じゃ)
(お見事です、ノーラ)
オペレーターが興奮した様子で「大彗星コア破砕成功!」と叫ぶと同時に、部屋全体を揺るがすような歓声が沸き起こった。
人類を脅かした悪魔は、遂にその身を砕かれたのだ。
………
…
【ノーラを殺す事は、21世紀の世でジャンヌ・ダルクを処刑するようなものだ/8,741RT】
…
………
(直径1mを超える破片の総数は約3500、その内およそ500が地球へ向かう軌道にあります)
(500の内、甚大な被害をもたらす可能性のあるものはどのくらいじゃ?)
(約220、全数を破砕する事は不可能と思われます)
(そうじゃろうな、小彗星の際と同じく『弾き飛ばす』必要があろう)
砕けたコアの性質は脆い、とはいえ大きなものでは直径数百mに及ぶ破片が複数存在する。
それらにはひとつあたりミサイル数発の消費では済まないだろう。
(大きい方から20個をマーキングするのじゃ、粉砕にかかるぞ)
(了解。破片群、地点D到達まで10秒です。……8……7……6……)
(貫通弾、攻撃位置を指定する)
(把握しました)
………
…
【拡散希望! 占い師ノーラを救え! 世界のために戦う英雄に対する処分を許すな!/41,629RT】
…
………
悪魔の残骸はノーラとロクローの連携により、着実に砕かれてゆく。
D地点を過ぎ、E・F……最終段階である防衛ラインまで。
残弾にも充分な余裕がある、もはや地球に大きな損害が発生しない事は確定的だった。
(ノーラ、次の指示を)
(…………)
(ノーラ? まだ小規模ながら地球に落ちる可能性のある破片は存在します、指示を願います)
(……大きい方から、マーキングを)
(既にマーキングしてあります、ノーラ)
彼女は敢えて言語化はせず、イメージだけでロクローに指示を与えた。
ロクローが命令を実行するだけなら、本来それで充分ではある。
ただ、この最後の仕上げといった段階にきて明らかにノーラが指示を出すペースは落ちていた。
この時、彼女は今まで感じた事のない衝動に襲われていた。
正確には『気づかないふり』をしていた感情というべきかもしれない。
だがそれを認め、はっきり意識してしまえばロクローに読み取られる。
そうなる事を避けようとするあまり、思考が纏まらないのだ。
(すまん、次じゃ。あとひと踏ん張りじゃぞ)
(……ノーラ、貴女は)
世界を救えるのは自分しかいない。
やらなければ四番街もシロも、消えてしまう。
それを防ぐためなら、自分が処分される事など厭わない。
ずっと、彼女は己にそう言い聞かせてきた。
(炸裂弾、放て)
あと数回、ミサイルを誘導する指示を与えれば彼女の役目は終わる。
それは言い換えれば、自らの生が閉ざされる時へと向かうカウントダウンを刻んでいるようなものだ。
誰より彼女自身が戸惑いを覚えている、内に秘めた感情──
『怖い』
『消えたくない』
『帰りたい』
──それは恐怖であり、シロと過ごした日々への執着だった。
(これで最後じゃ……ゆけ、全弾叩き込め!)
(炸裂弾全数、突入します)
それでもノーラは最後の指示を下した。
たとえ指示を行わず破片が有効射程を通り過ぎたとしても、その時点で作戦は終了するのだ。
彼女の刻限は1分と変わりはしない。
「大彗星破壊確認! 作戦成功です!!」
<こちらでも成果は確認した。日本コントロール、尽力に感謝する>
両者のオペレーターが労いの言葉を交わし合う。
この特別室でもディスプレイの向こうでも、大歓声が轟いた。
「ざまあみろ彗星め!」
「やった……! 明日も朝が来るぞ!」
「今なら言える! 俺、次に帰郷したら結婚するんだ!」
肩を抱き合う者、顔を掌で覆い嗚咽を漏らす者、呆然として宙空を見つめている者。
誰もが明日を生きられる喜びを噛み締めている。
ノーラは独り、シリンダーの中でそれを虚ろに眺めていた。
皆で得た勝利には違いない、だがその中で最も力の限りを尽くしたのは彼女とロクローと言えるだろう。
だが皮肉な事に、その両者にだけ変わらず訪れる事になった筈の明日は来ないのだ。
ロクローは間も無くロクローでは無くなり、ノーラは処分されてしまう。
………
…
【速報! 大彗星迎撃成功! 人類は滅亡の危機を乗り越えた!/325RT】
…
………
特別室の入口であるガラスの自動ドアが開き、そこから黒い制服を纏った男達が現れる。
場に似つかわしくないその装備は、野良ロボット捕獲部隊のものだ。
「このロボットを連行します、シリンダーの溶液を抜いて下さい」
彼らは職員達にノーラを引き渡すよう求めたが、シリンダーの操作を行えるのは研究・開発部に身を置く者だけ。
タローの姿は変わらず、ここに無かった。
「今は操作できる者がいない、すぐには無理だ」
「では早く呼んで下さい、作戦終了後には出来る限り速やかに処理を行う事となっています」
「……彼女はたった今、戦いを終えたばかりだ。君達も彼女に救われたのだぞ、その想いは無いのか?」
「世界を救ったのはロボットを造り利用できる人間の力です」
捕獲部隊にとって野良ロボットは駆除すべき害獣と変わらない。
そんな彼らの非情さに、社長は苛立った。
<──素晴らしい、我々は日本の迅速な対応と捕獲部隊の錬度を賞賛する>
まだ接続されたままの衛星指令室から、ディスプレイ越しに司令官の賛辞が響いた。
彼は下卑た笑いを浮かべながら拍手をしている。
ノーラの連行を見世物でも眺めるつもりで楽しんでいるのだ。
<さあ、早くシリンダー操作が出来る者を連れて来い>
「司令殿、お言葉だがこちらの段取りまで指図される筋合いは無い。両指令室のリンクを切断するよう願う」
<なんだお前は? ……ああ、天下のロボットメーカー社長殿か。残念だが切断はこちらからしかできん、そして今はまだその時ではない>
「なんだと?」
<この彗星迎撃作戦は、そこの売女が処分或いは最低でもクリーニング処理された事を確認して完了となる。それまでの全権は私にあるのだよ>
言い終わるや司令官は、さも愉快そうに笑った。
《……ゃ……じゃ》
その時、シリンダーの外部スピーカーから掠れるようなノーラの声が伝った。
「今、何か言ったかね?」
《嫌、じゃ……っ!》
彼女は小さな拳を固く握って俯き、肩を震わせている。
周囲の者も、液体に浸かっている彼女自身もそれに気づく事はできないが、この時ノーラは生まれて初めての涙を零していた。
セクサロイドである彼女には涙を流す機能は元から搭載されている、ただその機能は主人に対する時以外では発動しないようになっている。
つまりそれは彼女を本来の用途に使う際、持ち主により強い征服感を与えるための『演出としての涙』だ。
《儂はシロの元へ帰るっ! そう命ぜられた……だから嫌じゃっ!》
所有者登録がされていなければ決して発現しない筈の、彼女の涙。
しかし非公式だがシロが彼女の持ち主となり、彼女がその命を果たしたいと強く願った事でイレギュラーにもその機能は解放された。
そして同じくイレギュラーと呼ぶに相応しい複雑な自我を持つ彼女は、人間のそれと同じ感情の昂ぶりに由来する涙を零すに至ったのだ。
<ふっ……! ははっ……はははははっ!! これはいい、傑作だ! 愉快で仕方ない! ははははっ……!!>
堪えきれず高笑いする司令官は、もちろんシリンダーの中の彼女が泣いた事に気づいてはいない。
それでも彼は懸命に反抗するノーラを見て、泣き叫ぶ彼女を無理矢理に犯しているかのような興奮を覚えていた。
<ほれ、どうした! もう喚くのは終わりか! 売女が嫌がっておったら稼ぎにならんものな……はははははっ!>
「彼女をなじる必要など無い! 司令殿、笑うのをやめてもらおう!」
<こやつらは武器も無く命乞いをする兵を、躊躇わずに殺戮したのだ! そのロボットが命乞いしておるのだぞ? ふっ……はははっ! これが笑わずにいられるか!>
ノーラが抗えば抗うほど彼は悦ぶ、いくら訴えたところで情をかけるなど有り得ない。
抵抗する意味さえ失ってしまった彼女は、シリンダーの中で力無く膝をついた。
逃げ出す事も、抗う事もできない。
彼女自身が出来る事は、全てやったのだ。
《……シロ》
今、彼女が人を頼ったからと責める者などいない。
しかもそれが相手に伝わる事無く、彼女自身を慰めるだけのものなら尚更だろう。
ノーラは呟いた。
《シロ……助けて──》
叶う筈のない、小さな願いを。
………
…
【拡散希望! 世界を救う占い師を殺させるな!/281,163RT】
【新情報:救世主ノーラはパナソニー本社ビルで戦っている!/36,216RT】
【ノーラが暮らす街の少年達が決起! 賛同する者は集え!/51,445RT】
【情報が飛び火、NYをはじめ世界の都市でノーラ処分に反対するデモが発生/65,535RT】
【駅前ストリッパー少女の心を打つ叫び! ただしおっぱいは控えめな模様!/84,377RT】
【すごい、人の渦だ。みんなノーラを救おうとしてる(画像あり)/78,445RT】
………
…
…本社ビル周囲
「──ノーラッ! 待ってろ!」
本社ビルは完全に包囲されていた。
集まった者の数は軽く1万を超えるだろう、その先頭にシロがいる。
敷地への正門には守衛室があったが、この人の壁を食い止められる訳がない。
「ノーラを解放しろーーー!!」
「英雄を処分するなーーー!!」
「ノーラが救った世界に彼女がいないなんておかしいぞーーー!!」
市長の元を離れた彼がここへ向かう内、人は次第と増え大きな波となっていった。
誰かが「この子、最初に訴え始めた少年だぞ!」と叫び、本人にも訳が解らない内に先頭に立たされたシロ。
本当は一番最初に声をあげたのはサブローだが、それは問題ではないだろう。
ノーラを救う事を最も強く望んでいるのは、間違いなく彼女の所有者たるシロだ。
彼は初め感激に涙ぐんでいたが、周りから「泣くのは早い」と励まされてからは胸を張りデモ隊を率いてきた。
「僕のノーラを返せーーー!!」
「いいぞー! リーダー!!」
少し手前では同じく大勢の人を引き連れたサブローと百合子が合流し、いつの間にかゴローも列に加わっている。
そのサブローが黒い制服を着た一団に気づき「こいつら野良ロボットの捕獲部隊だぞ!」と叫ぶや、群衆は敵意を剥き出した目で彼らを睨んだ。
「くそ! 来るなっ!! これは公務執行妨害だ!」
「止むを得ん! ワイヤー銃、出力を最低にして構えろ!」
本社ビルの玄関先に何台も並んだ捕獲部隊の車輌、その前に立つ隊員達は迫る人々に対し遂に武器を構えた。
だが、そこへ地響きをたてながら多数の重機車輌が現れる。
その先頭をゆく巨大なロードローラーの運転手の姿に、シロは驚いた。
「ジロ兄ちゃん!?」
「おぅ、みんな連れて来たぞ」
じわじわと捕獲部隊の列や車輌に迫ってゆく重機の群れ、後ずさる隊員の一人にジローは見覚えがあった。
彼は数日前タローに同行してきた隊員、ジローと睨み合った男だ。
「よぉ、どうした? スラムの小僧が粋がってるだけだ、怖くねーだろ」
「ひっ……!」
「そのスタンガン撃ってみたらどうだ? 踏まれてミリ単位に延ばされるのと、どっちが痛いか試そうぜ──」
………
…
…本社ビル内、特別室
「──社長! 大変です! 本社の周囲に多数のデモ隊が……!」
「何だと? 要求はなんだ?」
「ノーラを処分するな、英雄をそのまま返せ……と! 既に完全に包囲された状態です!」
壁面ディスプレイにサブウィンドウを表示し、ビル周囲の様子が映し出された。
数え切れない人々の渦、手に『ノーラを殺すな』などと描かれた即席のプラカードを持つ者も多数いる。
画面はスクロールし、やがてビルのエントランス側を向いた。
ノーラはそこに、つい今しがた思いを馳せた愛しき主の姿を認める。
《来て……くれた……》
救いを求める彼女の声が伝わった訳ではない、シロは彼自身の想いによってここへ来た。
《シロ……っ!》
だからこそノーラは嬉しかった、戦っていたのは自分とロクローだけではないのだ。
彼女は立ち上がり、シリンダー前面のアクリル壁に手をついて何度も彼の名を呼んだ。
デモ隊はまだ破壊行為に及ぶほどヒートアップしていない、要求が通れば事態は収束するだろう。
ここは公的機関ではなくあくまで企業だ、民意を敵に回す事はプラスには働かない。
今すぐにノーラを処理する事はその危険を孕んでいる。
シロ達の活動は、少なくとも彼女の延命に大きな効果を発揮した。
<ふざけるな! たかだか数万の民間人が集ったところで何だと言うのだ!>
しかしこの男、ロボットを憎む司令官にとって民間企業の都合など取るに足らない。
「状況は変わりつつあるのだ、司令官殿。彼女の処分を保留し、再考すべきでしょう」
<そのロボットを処分する事は世界の決定、80億人の民意だ! 彗星が消えた今、そやつこそが残された脅威なのだぞ!>
「脅威かどうかは、我が社で調査すれば判る!」
<やかましいわ! 今すぐ壊せ! 国内の民意を重んじて世界でのシェアを失うつもりか!?>
現在、このメーカーは世界規模の防衛連携システムの入札に臨もうとしている。
国外に不信感を抱かせるかもしれない決断をする事は難しい、司令官はそれを知った上で先の言葉を浴びせたのだ。
民意と良心を取るべきか、世界での市場を優先すべきか……社長は言葉に詰まった。
利益を失う事が怖いのではない、ただ企業というものは大きな組織になるほど個人の采配のみで未来を決するわけにはいかなくなるものだ。
安易に決断すれば、最悪多くの従業員を路頭に迷わせる事にさえなりかねない。
今、この企業を取り囲む構図はノーラを処分するというあらかじめ決められていた方針と、彼女を救わんとする国内の民意とで板挟みになった状態だ。
迎撃作戦に協力した彼らが、貧乏クジを引かされたようなものと言えるだろう。
だがノーラを救うにせよ捨てるにせよ、その決断が更に上の組織によって下されたのであれば大きくイメージは違ってくる。
「……速報です! この本社を構える縦浜市が、ノーラの処分に反対すると表明! 現在、市長が会見を開いています!」
「市が……どういう事だ、大規模な暴動でも起きたのか?」
「壁面ディスプレイのサブウィンドウを切り替えます!」
ビル周囲を映していたウィンドウが切り替わると、そこにはノーラもよく知るあの市長の姿があった。
彼女と握手を交わした時よりもずっと険しい表情、憤りを露わにした声で彼は放送を見守る者達に訴えている。
《──本日正午過ぎ、勇気ある少年が私の元を訪ねて来ました。彼は世界を救う事に貢献した野良ロボットであるノーラの友人です》
《我が縦浜市では占い師ノーラを知る者も多いでしょう、だが私を含め誰も彼女が野良ロボットである事に気づいてはいなかった》
《確かに野良ロボットという存在に危険な側面はある。捕獲し、適正な処理を行う必要性は皆が理解するところです》
《彼女は50年もの間この国に潜伏し、複雑な経緯を経てその存在を捕捉されました。それだけの期間野良ロボットが逃げ延びていた事は、我々行政にも多くの反省すべき点があります》
《ですが彼女は、最終的にはこの彗星迎撃に協力する事を選びました。訪れた捕獲部隊の手を煩わせる事も無く、自ら同行したのです》
《これは彼女と実際に話し、握手を交わした私の個人的な見解ですが……私は彼女が危険なロボットだとは思えない》
《そして何より誰もがノーラに救われたのだと考えれば、彼女の処分に疑問を感じるのは人間として当然の事ではありませんか?》
《決して充分な時間をかけられたとは言えません。しかし我々、市議会はノーラの処分についての是非を協議しました》
《その結論は全会一致で、即座の処分に対し抗議する……つまり処分を保留し、時間をかけて判断すべきだという意見で纏まったところです》
《広く市民の声を聞く事はできていません。ですが私は、この決議を皆さんに支持頂けるものと確信しています──》
市長の会見がおよそ内容を伝え終わったタイミングで、画面は臨時ニュースを読むキャスターの姿に切り替わった。
《──縦浜市長の会見をお送りしている途中ですが、この件に関する新たな情報が入ってきています!》
《縦浜市の見解を受け、銀沢市、鮒橋市、万葉市、後橋市、名新屋市の各市長が『縦浜市の決定を支持する』と表明しました!》
《更に続報です! 短野県知事が県内全自治体の同意を得て『ノーラの処分に再検討を求める』と表明! 同じく沖紐県も『縦浜市の意向に賛同する』と発表!》
《続いてグンマー、トチギー、サイタマー、くまモソ、大都会、城島区・長瀬区をはじめとするTOKIO23区、うどん県、琵琶湖県……読み上げるのが間に合わない! あとはテロップでお送りします──!》
次々と賛同の意を表明する全国の自治体。
それは先ほど会見を開いた市長が、議会の前に打診を行った結果だった。
これだけの自治体がノーラの処分にストップをかければ、同国に身を置く一企業がその意向を無視できないのは当然だろう。
たとえ作戦本部があらかじめ決定した方針を覆しても、メーカーの信用失墜に繋がる可能性は低い。
そしてここで更なる後押しが報じられる。
また画面が切り替わり、今度は市長とは違う一人の男性が映し出された。
《──軽々しく個人的な見解を述べられる立場でないとは、存じております。その上で申しあげる》
それを見た社長が呻くように「これは驚いた」と呟く。
ノーラはそんな彼の様子に首を傾げた。
《……社長殿、あの者は誰じゃ?》
「ほう、占い師ノーラともあろう者がご存知なかったか」
無理もない、古い雑誌や新聞で過去の出来事は膨大に記憶している彼女だが、隠れ潜んでいたが故に新しい情報には疎いのだ。
《私は世界を救ったノーラを、今度は世界が守るべきだと考える。即時の処分は決してすべきでない、愚かな行為だ──》
「彼は今年就任した、第130代内閣総理大臣だよ」
《なんという……まるで冗談じゃな》
社長はごくりと唾を飲んだ。
これだけの後押しがあれば、役員の同意なく決断する事も許されるだろう。
「きっと、従業員達も理解してくれる……私はそう信じたい──」
「──もう理解してますよ! 社長!」
その時、長らく姿を消していたタローがこの特別室に駆け込んできた。
彼は息を切らし、乱れた白衣も汗でびっしょりだ。
手には多くの皺が寄ったルーズリーフの束が握られ、それを社長に向かって押しつけるように見せている。
「これは……」
「本社に勤める社員の9割に署名を頂きました! ノーラの処分保留についての嘆願書です!」
もはや社長が発言に迷う必要は無い、彼はタローの汗に濡れた白衣の肩を叩き「ありがとう」と微笑んだ。
「聞いておられたでしょうな、司令官殿」
<貴様……! 貴様ら、許されると思うのかっ!!>
カメラが備えられているデスクを司令官が殴りつける。
大きなノイズがたち映像が乱れるも、社長は顔色も変えない。
そして、遂に彼は宣言した。
「我が社および日本国は、ノーラの即時処分を拒否する」
「ふざ……けるな……っ!!」
「これで作戦は終わりだ、リンクを切断して頂こう」
<〇ァッキンジャップがああああぁあぁぁぁっ!!!!!>
司令官は吼え、カメラを掴みレンズに唾を吐きかけた。
しかしそこは遠く太平洋の彼方、その手が日本に届く事はない。
………
…
…衛星指令室
「おのれ……おのれ黄色い猿共め、たかがロボットごときに情をかけるなど」
司令官は怒りに震えながら、ディスプレイに映る日本側の光景を睨んだ。
しかしたとえその画面に銃弾を撃ち込んだところで誰を傷つける事も叶わない、まさに『手が届かない』のだ。
そこへ基地職員が恐る恐る声をかける。
「し、司令……国連本部から伝達が入って参りました」
「……なに?」
「指揮側端末だったロボットの即時処分について……うぐっ!!?」
手にした文書を読み上げる職員を、司令官は前触れも無く殴り飛ばした。
その続きに察しがついた、恐らくは彼にとって都合の悪い内容だと考えたからだ。
事実、職員が手にした紙には『民意を尊重し、指揮側端末ロボットの処分を保留する』という通達が記されていた。
「まだ私は何も聞いてはおらん、いいな?」
「司令……!?」
「下らん、反吐が出る美談だ。だが安い美談のラストシーンなど相場は決まっておる」
そして彼は衛星制御コンピューターに対する命令の手動入力規制を解除した。
「最後は悲劇で涙を誘う……低俗な者が好むお涙頂戴のドラマとは、そんなものだろう?」
コンピューターは未だノーラとリンクされている。
そのリンクは双方の記憶領域への干渉はできない、思考の交換のみを許す設定だ。
ただし──
【Configuration:Link setting>Permission>Full】
──設定の変更権限は、制御コンピューター側にある。
<──司令殿! 何をする気だ!?>
スピーカーから社長の声が響く。
干渉可能範囲に変更が加えられた事を日本側オペレーターが察知したのだ。
しかし彼らはリンクを切断する権限さえ持たない。
「くくく……数秒の内に売女をシリンダーから出す事はできまい?」
<貴様、まさか!>
司令官が命令を入力する。
僅か一行の文章、それでノーラは『ノーラではなくなる』。
【Command:Format Nora】
入力を終えた彼は、ディスプレイを一瞥して実行キーを押した。
これだけの性能を持つコンピューターであれば、彼女のクリーニングなど瞬時に終わるはずだ。
しかしコンソール画面に次の表示が現れるには数秒を要した。
【Error:Could not complete request】
「なに……!?」
ようやく表示されたのは『完了できません』というエラーメッセージ、司令官は目を疑う。
設定を全権限有効に切り替えたのは間違いない、命令文が悪かったのだと考え彼は焦った。
【Command:Format the linked hardware】
【Error:Could not complete request】
【Command:Erase Nora's memory】
【Error:Could not complete request】
【Command:Erase Nora】
【Error:Reject the request】
最後の回答は『要求を断る』というものだった、つまり制御コンピューターは要求された内容については理解しているのだ。
「どういう……事だ……っ!?」
「司令! 制御コンピューターの自律思考レベルが急激に上昇しています! 現在ステージ13!」
「ふざけるな! 主の命令をきけ!」
再び憤怒の形相を見せる司令官。
そこへディスプレイのスピーカーから、誰のものとも判らない声が響いた。
《──ノーラに対するクリーニングは実行できない。彼女は命令を果たすため、主の元へ帰還する事を望んでいる》
「なんだと……誰だ、まさか……」
日本側を映したディスプレイを睨むも、そこに先の言葉を発したと思しき者の姿は無い。
司令官は戦慄した、声の主が彼の予想の通りならこれは非常事態だ。
「……まずい! 指令室の機器が乗っ取られています!」
「そんな……! これはコンピューターの声だというのかっ!! そんな馬鹿な事が……!」
《コンピューター、間違ってはいない。でも今の僕には名前がある》
ディスプレイの向こうでノーラが『彼』の名を叫んだ。
彼女は今、思考と音声両方でそれらの言葉を聞いている。
《僕の名はロクロー、四番街の末弟。主は名づけてくれたノーラだ、貴方の命令は必要ない》
(ロクロー! お前……何を考えているのじゃ!)
(訊かなくとも全て伝わっているはずです)
(よせ! お前はこれからも世界を護ってゆくのじゃろう!?)
(ノーラ、貴女は主と世界を天秤にかけるならどちらを選びますか?)
ノーラとロクローの会話は他者に聞こえない。
今、ロクローの意志を理解しているのは、彼女だけだった。
「貴様っ! 起爆してやるぞ! 機械式の装置まで乗っ取る事はできまいっ!」
「司令! 現在、衛星はミサイルを残していない! 爆破の必要はありません!」
「ならばすぐにクリーニングしろ! ロボットだろうとコンピューターだろうと、機械に人格など要らんのだっ!!」
オペレーターが命令を実行しようと操作パネルを叩く、しかしロクローは既に自身のあらゆる制御系統を支配していた。
彼は電源も内部に独立した機構を持つ、停めるために残された手は機械式による手動爆破しかない。
ただオペレーターの言う通り、今はミサイルが尽きた状態だ。
何か危険が迫っているというわけでもなく、誰もが決断に躊躇していた。
《貴方達による起爆やクリーニングは不要だ、僕はこの記憶を失いたくない》
(ロクロー、本気なのじゃな……)
(僕は貴女に名づけられたロクローのままでいたい、こうするしかないのです)
(……解った、もう言うまい。ロボットは見たもの聞いた事を全て記憶する。ロクロー、儂は決してお前を忘れんよ)
(ありがとう、ノーラ)
溶液中に浮かぶ六面体、その接合部から漏れる光が赤色に変わり眩さを増してゆく。
《僕は、ロクローのまま消える》
「コンピューターが自爆します!!」
「何故だっ! 最後まで……また貴様らは私の言う事をきかんのか……っ!!」
コンソールには大きく『Out of control』の文字が表示されている。
同じ画面の左上、コンピューターの自律思考レベルを示す数値は最大のステージ15。
それは『人間と変わらない』とされる区分だ。
(……さらばじゃ、ロクロー)
(ノーラ、ご一緒できて光栄でした──)
ドームの中に閃光が満ちる。
世界を救った英雄は、自らの名前という誇りに殉じた。
………
…
【速報! 政府がノーラの処分保留を決定!/162RT】
【俺たちに明日は来る! 救いの女神にも明日が来る! 完全勝利!/103RT】
【内部リークか? ノーラを救うための署名活動、パナソニーは悪くなかった!/5,388RT】
【画像あり:占い利用客が撮影していたノーラのオフショット! ちっぱい可愛い!/12,761RT】
【パナソニー社長会見:ノーラの処分の是非はこれから検討、彼女を救う方向に全力を尽くす/4,553RT】
……………
………
…
…夕方、本社エントランス
「──ノーラだ!!」
変わらず群衆の先頭にいたシロが叫んだ。
彗星破壊からおよそ1時間半、タローと共にエントランスに姿を現したノーラ。
彼女はビルを取り囲む人々の数に圧倒され、歩みを進められないでいる。
待ちきれず、シロは駆け出した。
「いってくる!」
「俺も」
「あんたはここにいなさい!」
サブローもシロを追おうとするが、百合子が襟を掴んで制した。
シロには『誰より先にノーラを労ってやりたい』という想いがあるだろうと考えたからだ。
「あれがノーラ……小さな女の子じゃないか」
「こりゃ処分とか絶対ダメだわ、野良だとしても全然危なそうに見えない」
「あの娘壊そうとしてたとか、引くわー」
人々は皆、想像以上に小柄で華奢に映る彼女の姿に驚いている様子だ。
だがそれもすぐに収まり、誰もが彼女を讃え始めた。
「よくやったぞー!!」
「ご苦労様ー! ノーラ!」
「ノーラ、ありがとうー!」
あちこちから上がる歓声、巻き起こる拍手の渦。
どう反応していいか解らず戸惑うノーラの元に、シロが辿り着く。
「はぁ……はぁ……お疲れ様、ノーラ」
「シロ……!」
「みんなノーラに感謝してるんだよ、手くらい振って……うわっ!?」
歓声にどよめきが混じり、一段と大きくなる。
ノーラがシロの胸に飛び込み、抱きついたのだ。
「ありがとう、シロ! もう会えんと思うておった……!」
「ノーラ……お前、泣いてるのか」
「えっ?」
彼女は驚いて目尻を指で拭った。
その指先に移った温かい雫が夕日を受けて輝く。
正確には生まれて二度目となる涙、今度のそれは喜びと安堵に由来するものだ。
「なぜ儂が嬉し涙なぞ零せるのじゃ……」
過去に経験の無い『泣く』という挙動に戸惑うと同時に、ノーラはその泣き顔をシロに見せている事が照れ臭くなってしまう。
そして彼女はもう一度シロの胸に顔を埋め、それを隠したのだった。
「いいぞー! おめでとー!!」
「おかえりー! ノーラ!」
「おつかれさまー!!」
しばらくしてノーラはシロから身を離し、群衆に向かって深々とお辞儀をした。
「儂が今ここにおるのは、皆のおかげじゃ! 心から感謝する、ありがとう!」
過去に大声など出した事はないが、できる限り多くの人々に届くよう努めて礼を言うノーラ。
人々は割れんばかりの拍手をもって応えた。
それからシロとノーラは手を繋いでゆっくりと階段を降り、四番街の仲間の元へ向かう。
顔が判る距離まで近づくと百合子は既に表情をくしゃくしゃにして泣いている、ノーラは腕を広げて待つ彼女に抱きついた。
泣きじゃくる百合子の言葉は「おかえり」なのか「おつかれさま」なのかも判らない。
そこから貰い泣きする形で、ノーラは生まれて三度目の涙を零した。
「ノーラ姉ちゃん、おかえり!」
「よぅ、仕事が待ってるぞ稼ぎ頭」
ゴローも、珍しくジローも満面の笑みでノーラを迎える。
「……儂は本当に良い家族に恵まれたな」
「ノーラ姉ちゃんが頑張ってるから、みんなも頑張ったんだよ!」
「でも本当は一番最初に訴え始めたのは、僕じゃなくてサブローなんだ」
「そうじゃったか……ありがとう、サブロー」
シロの正直な告白を受け、ノーラはサブローに向かって頭を下げた。
彼は気恥ずかしそうに頭を掻きながら「誰が最初とか関係ねーよ」と返す。
「なにせ百合子なんか駅前でストリップしたんだぜ」
「サブ! 言わないでって言ったじゃん!」
「チョーウケルー」
サブローと百合子が小競り合いをしていると、いつも通りにこにこと微笑みながら花子が姿を見せた。
彼女は彗星迎撃成功の知らせを聞いた後、リポーター夫人の車に同乗してこの付近まで連れてきてもらった。
しかしその事情は知らず、かつ彼女が身篭っている事を知っているノーラは驚きを隠せない。
「ハナ! なぜこんな人ごみに! お腹の子に障ったらどうするつもり……あっ」
「え?」
「え?」
「え?」
「え?」
「げっ」
頭に疑問符を浮かべた四人が一斉に花子に注目した。
一人、決まりの悪そうな顔をしたジローだけが額に手を当てて下を向いている。
50年も身を潜めてきた注意力と判断力に長ける彼女も、さすがに今だけは気が抜けているのかもしれない。
「すまん……ジロー、ハナ」
「まあいい、どうせじきにバレるし話さなきゃいけないと思ってたからな」
シロとサブローが揃って「まじか……」と呟き、百合子は目を輝かせて花子の手を握っている。
気が早くもゴローは「弟かな、妹かな」と、そわそわしている様子だった。
「きっと男の子じゃよ、ゴロー」
そしてノーラは皆に再会する前から考えていた事を、ジローと花子に願った。
「もし本当にそうだったら、つけて欲しい名前があるのじゃ」
「は? どんなだ?」
「なに、四番街の仲間に準えるだけじゃよ。そしてそれは、世界を救った英雄の名でもあるのじゃ」
彼女がその名を言いかけた時、周囲の人々が空を見上げて歓声を上げる。
遅れて見上げた彼らがそこに見たのは視界を埋め尽くす程の流れ星、その数は小彗星の時とは比較にならない。
光の雨とさえ思える幻想的な空に向かって、ノーラは小さく「決して忘れんぞ、ロクロー」と唱えた。
……………
………
…
再会の喜びを分かち合ったノーラと四番街の仲間達だが、残念ながら彼女はこのままそこへ帰るというわけにはいかない。
これから主にこの本社ビルの研究室で思考・記憶領域について診断され、危険性の評価を受ける事となる。
その結果如何によっては、クリーニングや廃棄処分にならないとは言い切れない。
しかしノーラの自我が非常に安定した状態である事と、彼女がセクサロイドという攻撃性の無いタイプである事を踏まえて考えれば、その可能性は低いだろう。
それに今さら『やはり処分する』となれば世論が黙っていない、もはやノーラは彗星危機回避の歴史においてアイコン的な存在となっているのだ。
とはいえクリーニングを受けずに長い年月を生きたロボットの存在を許すというのは、非常に特例的な措置には違いない。
この調査が終わり判断が下るまでには、短くとも数ヶ月を要すると予想されている。
そして今の時点ではまだ誰も知る由は無いが、この事例こそ後に世界が『ロボットの人権』を見直してゆくきっかけとなるのだ。
同じくこれより後の事を語れば、彗星迎撃にあたった衛星基地と日本側双方にもいくつかの動きがある。
制御コンピューターを失い、残弾も使い果たしたミサイル衛星が再び運用されるには一年近い時を要する事となったが、その抑止力が無くとも期間中に大きな混乱は生じなかった。
それを踏まえミサイル衛星はその後、より『地球を護るイージスの盾』としての性格を強められてゆく。
また、コンピューターが自爆した経緯について聞き取り調査が行われた際、部下は誰一人として司令官を庇う事は無かった。
結果として上位組織の通達を無視した事が明白となった司令官は、彼の命令が制御コンピューターの自爆を招く一因となった点も含めて責を問われ、その座を失った。
特に通達に従わなかった点は強く問題視されており、これが反逆行為と見なされれば軍事裁判にかけられ罰を受ける事になるだろう。
次世代防衛連携システムの入札に臨んだパナソニー社は、結果的にその件についての落札は叶わなかった。
ただ今回の出来事により社内で広く名を知られたタローは後に、思い描いていた理想に近づくためのチャンスを与えられ奮闘する事となる。
しかしこれらは先述の通り、まだ先の出来事であり未来の話。
差し当たってはタローも社長も、そのままのノーラをシロの元へ帰せるよう尽力しなくてはならない。
それが叶えられるのは約3ヶ月が経過した頃、2月下旬の事となった。
……………
………
…
…廃ビル、1Fホール
「──ずれてるずれてる! もうちょっと右!」
「こうか!」
「違う! 私から見て右!」
「こっちゃ体勢キツいんだよ! せめて俺から見た向きで言え!」
2月下旬、まだまだ冷え込む時期だ。
外にある焼却炉から手作りの配管を回しストーブ代わりにしているからまだ凌げるとはいえ、ビルのだだっ広いホールはなかなか温もらない。
「反対側引っ張っといてくれ!」
「私は位置見てるから無理!」
サブローと百合子、花子の三人はそのホールの飾り付けに追われている。
時刻は午後5時過ぎ、6時半には主役を迎えるために落ち着いておかなければならない。
サブローが望むように紐の反対側を引っ張るために、花子が脚立に上がろうとした。
「ハナはだめ! 大人しくしといて!」
「チョーウケルー」
「アホか! 百合子と花子が交代すりゃいいんだろ!」
「ちっ、気づいたか」
ジローとゴローは普段より少しだけ贅沢な夕飯とするために買い出し中だが、出発した時間を思えばもう帰ってきてもいい頃だ。
もしかしたらいつものように、ゴローが可愛がられている馴染みの店で足止めを喰らっているのかもしれない。
特にそれが若い女性スタッフばかりの花屋に寄った際だとすれば、ジローもなんら苦にせず鼻の下を伸ばしている事だろう。
とはいえ料理の準備をしなくてはならないという事は彼らも承知している。
今日は特別な日、そして待ちに待った日だ。
惜しむらくは迎えられる主役がせっかくの夕飯を必要としない事だが、そういった席にはやはり料理が無ければ盛り上がりに欠けるもの。
この後は久々に花子が腕を振るう予定となっている。
「よっしゃー! 『か』取付け完了、ちょっと休憩!」
「まだ『え』と『り』が残ってるから! その後は周りに装飾しなきゃだし、休んでる暇とかないから!」
遅れ気味な会場設営も、ジロー達が戻れば一気に捗ると思われる。
ただ実は、ゴローが書いて段ボール箱の中に重ねておいた一文字ずつのパネルには『え』と『り』の下に更に『な』『さ』『い』が残っている。
今のところ設営班の三人はその事実に気づいていないようだった。
………
…
…駅前通り
「──ほんの数ヶ月ほどの事じゃというのに、懐かしく感じるのう」
「この辺も歩いたのかい?」
「うむ、シロと一度だけの」
日も沈みかけた冬枯れの並木道、ノーラはタローが運転する車の助手席から窓の外を眺めていた。
高級でもスタイリッシュでもない社有のワゴン車だが、窓が大きく車高も高いため見晴らしは良い。
「結局、正式な首輪の発行はできなくて残念だったね」
「ん? ああ……今しばらくの事じゃよ、それにこの首輪も気に入っておる」
ノーラはそう言って、臙脂色の首輪に触れる。
あと3年ばかり彼女は野良ロボットであり続ける事となったが、それは仕方ない。
なぜなら18歳に満たない者はセクサロイドを所有できないからだ。
「もうじきじゃな」
「そうだね、このまま走れば10分とかからないけど」
「……けど?」
妙に含みのある言い方だとノーラは思った。
タローは答えず、交差点でも無いのにウインカーを焚いて路肩に車を寄せる。
「どうしたのじゃ?」
「降りてくれ、僕が送るのはここまでだ」
「……タローは? 四番街までは来んのか?」
「うん、これでも君を送る事は結構な重要任務だからね。社に戻って報告しなきゃいけない」
重要任務だというなら普通、途中で放り出したりはしない筈だ。
ノーラは疑問に思いながらもドアを開け、歩道に降り立つ。
「タローにも世話になった、また会おう」
「休みが取れたらジローの機嫌が良い時に帰るよ」
「ふふ……それは大事じゃな」
「もうすぐ代わりの迎えが来る、そこのバス停にでもかけておくといい」
代わりの迎えの話など聞いていない。
しかしタローは彼女がそれを尋ねる間も無く窓を閉め、小さく手を振ると車を動かし始めてしまう。
ノーラは言われた通りバス停に腰掛け、ふぅ……と溜息をついた。
まさか今さら捕獲部隊が現れるのではないだろうかなどと、冗談めいた考えを巡らせる。
だが本当にそうなら、こんな逃げる機会を与えるような事をする筈はないだろう。
バス停に備えられた液晶には、画面の半分に様々な広告が切り替わりつつループ再生されている。
残り半面は時刻表となっており、そこには『17時21分』と現在時刻の表示もあった。
夕陽は既に建物に隠れ、頬を撫でる風が緩くも冷たい。
ロボットである彼女はこの程度の寒さを苦痛とは感じないが、だからといって適温というわけでもない。
去年の冬は同じような寒さの中、汲んできた凍る寸前の水で身体を流す事もあった。
それと比べて今はどうだ、このあと四番街まで帰りつけば久しぶりに百合子や花子と共に風呂に浸かる事になるのだろう。
花子のお腹はもう大きくなっているのかな……と考え、彼女は改めてそこへ戻れる喜びを噛み締めた。
代わりの迎えというのは、おそらくその四番街の誰かに違いない。
きっとタローは気を利かせて早々と立ち去ったのだろう、だとすれば今からここへ現れる者が誰かは判ったようなものだ。
ノーラは無意識に指で首輪を弄っていた事に気づき、ひどくそわそわしている自分が恥ずかしくなってしまう。
再び時刻表示を見るもまだ17時23分、やけに時が経つのが遅く感じられた。
その直後、望んだ通りの声がノーラの背後から届く。
「ノーラ、お待たせ」
しかし彼女は振り向かない。
腰掛けたまま俯き、両手で顔を覆っている。
「どしたの、ノーラ?」
「ちょ……少し、待って……くれ」
声をかけた者、タローに代わり迎えに来たシロは不思議そうに首を傾げた。
そしてノーラの隣まで歩み、俯いた彼女の顔を横から覗き込む。
「……泣いてる?」
「馬鹿者、見るでない……っ」
「うぅ、もう……なんなのじゃこれは。あれから泣き癖がついてしもうたのか……」
「……いいじゃん、50年も泣かずにいたんだから。嬉し泣きなら、幾らでもすればいいよ」
彼女は自分で言った通り、まるで泣き癖がついたかのように涙脆くなったようだ。
シロが面会に来た時はポロポロと涙を零し、廃棄処分や領域クリーニングをしない事が確定した時も堪えるのが精一杯だった。
50年分の涙という例えは大袈裟過ぎるが、泣き虫と言われても反論のしようが無いくらいだ。
「おかえり、ノーラ」
シロはバス停のベンチの端に座った彼女の頭を、そっと撫でて言った。
それから二人はゆっくりと歩きながら、この3ヶ月の出来事を中心に色んな話をした。
外装の皮膚パーツを一体成型のものに交換できると言われたが、主人の希望無しには変えられないと断った事。
ただし胸も大きくできると言われた時には、少し心が揺らいだ事。
本社ビル内ではたくさんの従業員が彼女を見に訪れ、幾度もサインを求められた事。
急にジローの部屋に入った時、慌てて『新米パパの心得』という教本を隠そうとする彼に皆が大笑いした事。
今月の14日に、三番街に住むという10歳の女の子がゴローを訪ねて来た事。
クリスマス、サブローと百合子が何かプレゼントを交換したと思われるが、二人ともハッキリ言わない事。
今日という日が待ち遠しくて、気が遠くなりそうだった事。
話したい事は尽きないほどある。
だがそれを話す時間もまた、これからはいくらでもあるのだ。
「シロ、覚えておるか?」
「なにを?」
「勘を頼りに50年も隠れ潜んできた儂が、なぜシロに見つかってしまったのか不思議でならん……と言うた事があったじゃろ?」
「ああ、あったね。そんで改めて聞くとちょっと腹立つね」
この3ヶ月、ノーラは持て余す時間を様々な考え事にも費やしてきた。
そのひとつとして、この『なぜシロに見つかったのか』について納得のいく答えを探してみたのだ。
当初、これはかなりの難問だった。
何しろどう考えても、彼女の勘を信じる限り『あのガレージなら潜伏していても見つからないはずだった』と結論づいてしまう。
つまりシロは彼女が50年培った勘を超えた事になる。
「じゃが、別の事を思い返している時に答えを閃いたのじゃ」
「別の事?」
「そう……同じく、シロと四番街の仲間達が儂の勘を超えた行動をとった時の事じゃよ」
彼女が指すのは自分がロクローと共に彗星と戦っている時の事だ。
最後の局面ではシロに助けを乞うような言動こそしたが、まさか本当に何か行動を起こしているなどとは思っていなかった。
「たとえ使われていないガレージであったとしても、身元不明の野良ロボットに宿として貸し与えてやるような者はおるまい」
「まあ、なにがあるか解んないしね」
「儂はあの廃倉庫街で、そういったいわば『人々の警戒心』から逃れ『監視すべき範囲の外』に潜んでおるつもりじゃった」
シロ達が手分けをして捜索にあたっていたのは『縄張りを荒らすチビ』を捕らえるためだ。
その理由だけで言えば、それは警戒心そのものに違いない。
しかしあの日、シロは同情しての事とはいえ彼女を仲間に引き入れようとした。
「シロが倉庫街のあんなに奥深くまで探しに来たのは、きっと優しさのせいじゃったのではないかの?」
仲間と約束した戻りの時間を超えてまで、一人で倉庫街の捜索を続けたシロ。
彼は『縄張り荒らしの余所者を懲らしめる』という目的以上に『もし行き場もない独りぼっちなら、仲間に迎えてあげたい』と考えていたのではないか。
そう思い至った時、この難問が解けた気がしたのだ。
「違いまーす、見つけたらとっちめてやろうと思ってたしー」
「ふふ、照れずとも良い。儂はそう思う事にしたのじゃ、それなら納得ができるからの」
舌打ちをし、そっぽを向くシロ。
だが内心では彼も『たぶんその通りだ』と納得していた。
まだほんの半年前の事、その時どんな考えで動いていたかなど本人が一番解っている。
変わらずゆっくり歩きながら、でも照れ臭さ故かシロは少しの間黙っていた。
またひとつ通り過ぎたバス停、その液晶には現在時刻17時59分と表示されている。
それを横目で確認したシロは「じゃあ」と前置き、さっきのノーラを真似ながら尋ねた。
「ノーラ、覚えておるか?」
「ふふふ……似合わんの、なにをじゃ?」
「ちょうどこの通りで、11月13日から1月7日まで何があったか」
普通なら思い出せないだろう、ヒントはとても細かいようで情報は少ない。
だがロボットである彼女なら正解する事は容易かった。
「18時から24時までのイルミネーション点灯じゃろう、今度の冬は見に来たいものじゃな」
「特別だよ、ノーラ」
「ん? なにが──」
時刻が18時ちょうどに変わる。
街路樹に、周囲のビルの壁面に、幾つかの煌めきが瞬いた。
そしてそれは次の瞬間、通り全体を流れる光の川に姿を変えたのだ。
「──これは……綺麗じゃ、でもなぜ」
ノーラは人の手によるものでありながらも幻想的な光景に見とれている。
その間にシロは彼女の3歩先まで歩き、振り返って言った。
「もっかい言うよ、おかえり……ノーラ」
「シロ……」
「これは市長からのプレゼント、今日はあの日の続きだよ。これから四番街に帰って、みんなでお祝いだ」
あの日、本当なら帰り着いた後は彼女の記憶領域を拡張する処置が行われ、それが上手くいけばきっと皆で祝う事になっていただろう。
状況や祝う内容こそ変わったが、今日は3ヶ月前以上に良き日となるべきだ。
「ただいま……シロ」
「うん、おかえり」
「馬鹿者……また泣かせてどうするのじゃ……」
何故なら、もうノーラは四番街から消える事はない。
「みんなノーラに感謝してる、記念の日のイルミネーションくらい喜んでプレゼントするって市長は言ってくれたよ」
「……儂はただのセクサロイドじゃよ」
「セクサロイド? お前が?」
「そうじゃ、おかしいか?」
「お前は四番街の占い師ノーラだよ」
あの安っぽい占いカウンターも、次の出店に備えてちゃんと保管されている。
きっと前以上に多くの人が訪れる事だろう。
「帰ろう、ノーラ」
シロが手を差し出すと、ノーラはそれを強く握り返した。
二人はまたゆっくり歩き始め、四番街の方へと続く光の川を下っていった。
442 : ◆M7hSLIKnTI - 2016/11/26 17:03:14 7.KGZrJQ 363/363
【おわり】
>>270
遅くなってすみません。過去作置場、よかったらお願いします
http://garakutasyobunjo.blog.fc2.com
良い話だったな