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609
"Madoka's kingdom of heaven"
ChapterⅦ: Wall breached
【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り
Ⅸ章: 神の国 攻防戦
第84話「騎士よ、立て!」
鹿目円奈は聖地を守る作戦を立てるため、本国に戻って、聖都の市壁から見渡した砂漠の、一定の距離の地点ごとに、それぞれ目印となる白い石を、置き並べていた。
部下たちが砂漠へ突っ走り、1ヤードごとに瘤が結ばれた測り縄を市壁から伸ばし、150ヤードの距離、300ヤードの距離、400ヤードの距離の地点にきたとき、石をコツン、と線上に並べ置いていった。
そのあとで白い塗料を塗りたくって、聖地の市壁に立っている者からもよく見てわかるようにした。
「次は400!」
と、円奈は、城壁の凹凸した狭間から小さな背丈の身をやや乗り出し、目で見送りながら合図を送った。
すると、近くの防御塔に立っていた側近のアルマレックが、400を意味する旗を、大きく空へ持ち上げる。
砂漠の側に立っている部下たちが、その合図旗をみて、「400だ!」と声を掛け合い、測り縄ではかった、エレムの市壁から400ヤード離れた地点のところに、石を置く。
そのあと、バケツに入れて運んだ白い塗料をハケで塗る。
聖地の都からも、目前に広がる砂漠のうち、どこが400ヤードの地点か目で見て把握できるようになった。
こんな調子で、鹿目円奈は、4日後か5日後に到着するであろう雪夢沙良の軍に対抗するため、いろいろ準備をしていた。
が、そのとき。
思いもかけず彼方遠くの砂丘に、サラド国の月印を描いた旗をもった騎兵が一人、現れた。
砂丘の天辺にてゆらゆら蜃気楼にゆれて、熱気の中に旗を漂わせている。
それを城壁から見つけた円奈は、身をのりだした体勢をととのえた。城壁の狭間に腕をおき、平静に、落ち着いた声で味方へ告げた。
「きたよ。敵軍が到着した…よ」
「あれは、一騎に過ぎません」
味方の市民兵士が一人、円奈に口ぞえした。
「ううん」
城壁に腕から寄りかかっていた円奈は、その背後に控える軍の存在を悟っていた。
首を横にふり、冷静に戦況を判断し、口にした。「全軍だよ」
そして、円奈の直感は正しかった。
つまり、先頭に一騎ぽつんと立った敵兵は、全軍の進行方向を定める指針のため赤色の旗を翳す一騎だった。
この騎兵がたつ砂丘の背後には、この騎兵の赤旗を目印にしてぞろぞろと動く20万人の大軍勢があった。
砂漠の丘を乗り越えつつある軍勢。その後ろに広がる大地に、永遠と横たわるように伸びきった大軍。
軍隊に参加しているのは、4000人の兵役につく魔法少女たちである。
この敵軍が鹿目円奈の戦う最後の相手である。
砂漠の戦いを知り尽くしているサラド軍の進軍は、水の確保、熱射病対策をしっかり整える。
炎天下の進軍を兵力欠くことなく進めるため、兵士達には重たい装備はさせず、軽装の武装をさせてエレム本国に接近する。
つまり、聖地のところまで、やってきたのだ。
610
鹿目円奈は、敵軍の到来を知るや、リウィウスに予告された猶予よりも遥かに早く敵軍が迫っている現実を受け止め、すぐに味方たちに武装するよう命令をくだした。
その数分後、エレムの本国に残されたわずかな市民たちが弓矢や剣を持たされて、城壁に立ち並び、すれ違う円奈にお辞儀したり頭下げたりしていた。
防衛のため、戦闘などしたことがない市民が、国を守るために聖地の市壁に立っているのだ。
「敵が攻城塔を仕掛けるのは高さの足りるこの地点と───」
円奈は、部下の騎士アルマレックを連れつつ、守備を固めつつある市壁の歩廊の上を歩く。
側近の騎士である彼に、彼女が今日この日までシュミレーションを重ねていた、予想される攻城戦の展開を、伝えていた。
「地形の高低差が少ないこの地点になるはず」
すれ違うどの兵も、矢と、箙、矢筒、弓を持って、円奈の行く末を不安げに見守る。
なかには年端もいかない少年や、少女まで、武器を持たされ、城壁の持ち場に並ばせられていた。
それくらい、エレム国に残された兵力は、枯渇していた。アルスラン湖で、正規の国軍は全滅したからである。
「敵は攻城塔から兵を送り込むために────」
円奈はそんな市民兵で固めた防備の城壁を渡りつつ、聖地の防御塔の中をくぐって、アルマレックに防衛戦の作戦展開を伝えていた。
「いちど投石攻撃をとめるはず。そのわずかな隙に私たちは一気に反撃する」
この一重の市壁のみに囲われた聖地を、20万もの敵軍からどう守るか、頭の知恵をふりしぼっていた円奈だったが、ある別の防御塔の影下に入ったとき、そこで待ち伏せしていた魔法少女のバイト・アシールに、がしと肩をつかまれた。
「この町をはなれるのです!」
防御塔の内部という影下で、エレム市民の目と耳が届かぬ場所で、こっそりアシールが耳打ちする。
「どうやって?」
円奈は、防御塔でピタと立ち止まって、しかし視線はずっと前をみながら、問い返す。
「駿馬に乗り、町の裏口から山へ!」
バイト・アシールはいった。
円奈は立ち止まったままだ。「…民は?」
「あわれとは思いますが、これも天の主、女神のくだした運命です」
と、魔法少女は円奈に食い下がる。
円奈はそれをついに無視し、防御塔の外へ出て、市民たちが武器の扱い方を練習している市場空間の前にでた。
いままで市場であったその広場は、今は商店のベンチや荷車はすべて取り去られ、ある市民はクロスボウの使い方を練習し、女の子までがそれに参加していた。
また別の市場の広場では、巨大な天秤式投石器を市民たちが協力しあって組立て、国の防衛戦にむけて準備を進めていた。
「静まれ!」
従者のアルマレックが聖地に叫ぶと、市民たちは静まった。
投石器を組み立てるカツンカツンという金槌の音はやみ、投石器にのせて飛ばす石塊を荷車に乗せて運びだす音、がやがやという剣の稽古の声はやむ。
静けさが支配した。
すると、円奈が市壁の上に立ち、武装した市民たちの集まった前で語りだした。
市民のだれもが頭をあげて、市壁に立った円奈の姿を見あげた。
「聖地を守る使命を果たすため───」
円奈の声が聖地に轟く。
「わたしたちは、できる限りの準備をした!」
市民たちに語る円奈の姿は、堂々然としており、聖地の主としての姿をみせている。
少女騎士の勇気あるたたずまいは、絶望的な戦いにのぞむことになる市民たちをいくらか元気づける。
わずか一重の市壁だけに囲われたこの都を、市民が20万の敵軍を相手に守りきるという絶望に。少女ひとりだけが希望の光を放つ。
「かつてこの土地では、一人の少女が犠牲になりました」
と、鹿目円奈は、語り始めた。
この聖地にまつわる伝説を。
「そうして、地上のすべての魔法少女たちが救われる世界ができたのです」
何人かの、市民のうちの魔法少女が、顔をしんみりとさせて円奈をみあげた。
この地で犠牲になったという、一人の少女の慈愛の深さと、その悲しさ切なさに、心が感動するのだった。
「その土地はいまこうして───」
円奈の声が少しトーンが落ちる。
「魔法少女たちの奪い合いの土地となりました」
魔法少女たちが悲しげに顔を落とした。
そして、聖地に生きる市民たちも。
この地でかつて誕生したという円環の理。それは、一人の少女が永遠の犠牲となることで、永遠にすべての魔法少女が救済される奇跡。
その奇跡の地に縋り、円環の理の救済にしがみつき、やがてこの土地はあらゆる魔法少女たちの奪い合いの土地になってしまった。
市壁に囲われたこの土地は、小さな町ながら、全世界の魔法少女たちにとって特別な国となり、聖なる国となった。
「この戦いはどうして起こったのでしょうか?一人の少女の犠牲のため?それを神聖視する私たちの起こした戦いのため? ”理”となった一人の少女は私たちが戦うことを望むのでしょうか?…いいえ、望みはしません」
市民たちも魔法少女たちも、暗い沈黙が支配する。
円環の理は、こんな戦いは望まない────。それを、改めて女神の国に生きる象徴の子の末裔によって、語りだされたのである。
鹿目円奈という女神の子の指弾と、語り口は、市民たち、魔法少女たちの耳に痛い。
しかし、円奈は市壁の上で、語りつづけた。
「円環の理は、こんな戦いは望んでいないと思います。しかしそれでもわたしたちは戦わねばならないのです!」
声は強くなった。
「誰にもこの戦いは止められない!」
悲しい現実、しかし直面しなければならない現実。
円奈はこの聖地に、それをはっきり声明する。
戦わなければならない現実を!
「戦いは避けられません。けれど、私たちは聖地を守るために戦うのではない」
円奈の声は、市民たちの耳に届き、そして、戦う命運を覚悟する。
「そこに住まう人々の命を護るためだ!」
市民たちは、鹿目円奈という少女の声によって、戦わなければならない宿命を改めて、告げられたのだ。
一方の円奈は、戦った経験もなく平和に暮らしていた市民たちを、無理やり武装させ、戦争に駆り出す気持ちにかられて、いたたまれなくなりその場の市壁を早足で歩き去った。
その背後を、守るようにほむらが付き従って階段を降りた。
円奈は市壁の傍階段を下りながら、何の罪もない市民たちを戦いに臨ませる、その正義とは何か、と考えていた。
円奈は、”守る”とか、”救う”と決意することが、どんな意味を持つのか、もう知っている。
それは、武器を持つことであり、血が流されることなのだ。
円奈はそれを自分の目で見てきたからである。この旅路、故郷バリトンからこの神の国に至るまで、ずっと、だ。
だとすれば、武器を持つ者の正義、騎士としての正義、ひいては武器をもつ魔法少女たちの正義とは、何なのだろう───
円奈は、聖地を守る、そう決意したことで、この聖地に多大な流血が起こるでろうことも、同時に覚悟しなければならない。
そこまでする正義とは、何なのだろう?
円奈は、思う。
正義とは、自分でその身を守れない弱者のために、力と勇気を持つ者こそが、行動を起こすことなんじゃないか、と。
強き者が果たすべき責任なんじゃないか、と。
そのために勇気をふるい、弱者に代わって力を踏み出すことが正義であり、神の望まれることであるならば───
誰だって、騎士になれる。
その身分に関係なく、生まれの身分、血筋、家系も関係なく、誰でも騎士になれるはずだ。
階段を下りて、聖都、エレム市の広場へ降りて道路を辿っていると名前を呼ばれた。
「鹿目さま!鹿目さま!」
さっきから円奈に付きまとう、聖地出身の元侍従長の魔法少女・バイト・アシールが、またも難癖つけてくる。
円奈は、振り返ってアシールを睨みつける。
アシールは疑った様子で言った。
「騎士もいない聖地をどうやって守るのですか?」
と、紫髪の魔法少女は、このばかばかしい無謀な現状に対する詰問を、円奈にぶつけてくる。
「騎士がいませんよ!」
「いない?」
円奈が聞き返すと、アシールはそうだといわんばかりに首をタテにふった。
円奈はすると、エレム聖都の家々を見回した。
まわりにするのは武器の扱いかたも知らぬ市民たちばかりであった。さっき円奈は、戦わなければならない、と告げたが、そもそも戦など経験がない市民しかエレムの町には残されていない。
近くに立っていた同い年くらいのエレム市民の少年にたずねた。
「あなたの職業は?」
エレムの少年は答えた。
「版木捺染の織物を父に習い、作っています」
どれも、市場職人か、宮殿職人ばかりで、"騎士"か"兵士"を職業とする者がいない。
当然である。エレムの騎士はアルスラン湖で、全滅してしまったではないか。
アシールが、腰に手をあてて、ほらみなさい、みたいな顔をして鼻息だした。
騎士もいないのにどう戦争するつもりか。兵士なしで戦争する気か。
そんな無言の非難を、アシールは視線で痛く円奈にぶつける。
「それが、あなたの身分?」
すると円奈は、さっき質問した少年を見つめ、一言告げた。「ひざまずいて」
少年が、市民たちが、きょどった顔をみせる。
すると円奈は、もう一度きびしく命令した。「ひざまずけ」
少年は、おずおずと、ひざを折って跪いた。
それを瞳で見下ろした円奈は、次に、市壁じゅうの聖地の民へむけて、顔をみあげ、命令の声をあげた。
「武器を持てる者!それを扱える者は、私に跪け!」
聖地の主となった少女の声は、聖地になり轟く。
「私にみな跪け!」
市壁じゅうの、武器を持つ者、扱える少年たち、魔法少女たちが、女神の国である聖地の主に命令され、一斉に跪く。
聖地じゅうの市民が円奈に片膝を折って跪き、頭を低くし、命令を待った。
すると円奈は目の前の、版木捺染の織物を作っているのが職業、と答えた金髪の少年にむかって、いった。
「恐れずに、敵に立ち向かえ」
それは、いつか円奈が騎士になったとき、来栖椎奈と誓いを交わした言葉。
円奈はつづいて誓いの言葉を、足元に跪いた少年に託していく。
「真実を示して──」
少年は、円奈の前に跪いて、聖地の主をじっとみあげている。
「弱き者を助け、正義に生きよ。それがわたしと、あなたがたの誓いだ」
いくさの経験ない少年が、その誓いを胸に、闘志を顔に宿す。
聖地の新しい主の言葉のひとつひとつが、少年の胸内に誓いとして刻まれる。
すると円奈は予期せず、その少年の顔を思い切り拳でバチンとぶった。
音がなり轟く。
円奈は殴った意味を少年に告げた。
「その痛みがあなたに記憶させる」
円奈によって告げられ、少年は頬の痛みと共に、この誓いを忘れず心に刻んだ。
円奈はそういって、ついに、市民たちに命じた。
「騎士よ、立て!」
ざざざ…っと、聖地じゅうの、何万という市民たちが、いま、そろって立ち上がる。
さっきまでは、騎士の一人さえいなかったのに、今や聖地は何万人という騎士たちに満たされる。
これが鹿目円奈の魔法、奇跡であった。
「騎士たちよ、たちあがれ!」
少年も、フードをかぶった農夫さえ、騎士として今、たちあがる。
騎士の身分を授かった市民たちの顔は、どれも自分の力に驚いたような、勇気に満ちた顔つきに変わっている。
鹿目円奈は、聖地の新たな王として、市民に全員、騎士の身分を与えたのだ。
それを見た円奈は、バイト・アシールにちらりと視線だけ送って、その場を立ち去ろうとした。
ほらみろ、われわれエレム国は、こんなにもたくさんの騎士がいるではないか、といわんばかりの視線である。
するとアシールは、すかさず、鹿目の血筋の子に食ってかかった。
「どういうつもり!?」
去る円奈の背中をおいかけ、叫び、凶弾する。
「あなた、世界を変える気?」
アシールは、相手の正気を疑うような視線を円奈に当て、噛みつく。
「こんな、にわか仕立ての騎士たちで、本気で敵軍に勝てるとでも?」
すると円奈はアシールのほうにくるりと向き直る。
答えるそのピンク色の瞳に、一点の自信のかげりもなかった。
「勝てる」
アシールは力の抜けたような顔をみせ、一方、市民たちはなごやかに笑った。
569 : 以下、名... - 2016/04/28 00:19:09.26 bTfUGivF0 3024/3130今回はここまで。
次回、第85話「神の国防衛戦・一日目」
第85話「神の国防衛戦・一日目」
611
その夜、聖地は武装した騎士たちが持ち場につき、守りを固めていた。
砂漠の地の夜は寒く、市民兵たちが持つ松明の火が、聖地の防壁をあちこち照らしつつ暖めていた。
彼らは皆、城壁や塔にまんべんなく立ちはだかり、防御地点の持ち場について、敵軍の到来を待ち受けて武装している。
円奈も、城壁下の聖地の入り口の門の前に立ち、敵陣が接近中であろう地の彼方を眺めていた。
「アルマレック」
円奈は、敵が到来するであろう方角の砂漠をみつめながら、従者の騎士に話かけた。
「私がこの聖地で死んだら───」
アルマレック、頭が禿げている背の高い騎士は、円奈のすぐ後ろにつき従う。
「わたしの土地をあなたに授ける」
と、聖地の王となった少女はいった。「あなたがアイルーユの領主です」
アルマレックは、円奈の手を握って、笑った。
「埃っぽくて、貧しい土地です」
円奈も微笑み返した。
アルマレックは聖地の主であるこの鹿目という少女が、聖地で死ぬ覚悟を決めている意味をふくむ言葉を告げられたとき、こうしてやわらかに返しのだった。
そんな会話を二人で交わしていると、一人の騎兵が真夜中の砂漠に現れた。
すると、パッパラーと派手な角笛が夜間に吹き鳴らされる。
それは、敵軍の角笛であった。
一人の騎兵は、ギランギランと夜月を反射する剣をふりまわして、声高に宣言する。
「円環の女神がサラドを勝利に導く!」
声は女の子のものだった。たぶん、敵国の魔法少女だろう。
敵国サラドは、エレムの民から聖地を奪還するため、国の総力あげて、四千人の魔法少女を結集、20万の軍隊を率いて、やってきた。
「円環の女神さまが、私たちに勝利を与えくださる!」
「いつ、はじまるので?」
アルマレックは、敵の攻撃予告を耳にしながら、円奈にたずねた。
すると円奈は、敵の先頭きる騎兵を目を細め睨み、小さな声で言った。「もうすぐだよ」
といって、円奈も、アルマレックも、そばの暁美ほむらも、聖地の門をくぐって城壁の中に戻った。
その後、門は閉じられた。
612
それから数分後。
夜空に浮かんでいた星の光が、突然に地上にも現れた。
ぽつぽつと地上に現れだしたあたらしい光の大群は、夜の砂漠一面にひろがりはじめる。
「投石攻撃だ!」
地平線に現れた光の大群を目にしたエレム兵士たちは叫び、恐怖に心を震わせながら閉ざされた城門にかんぬきをかける。
その直後、燃えた光の弾がエレムの城壁の上空を飛び、市内に落下してきた。
ドゴ───ッ!
巨大な燃えた石が聖地の町へ落ちた。
真っ赤に燃えた石は次々とエレムの市内にどこどこ落ちてくる。
はじまりは突然に、そしてはじまると嵐のように。
光る巨石は、夜空より神の国に落ちてくるなり油を撒き散らして、町に火をつける。
燃える石は夜空を突っ走って、またエレムの城壁に落ちてきた。
そしてどばっと光が爆発し、そこらじゅうに火と油を撒き散らす。
とばされる石弾には、油がたんまり塗られていて、落ちてくるなり、火と共に町に降り注ぐのだった。
「投石器を壁に寄せろ!」
激しい投石攻撃に晒されたエレムの人間たちは叫ぶ。自軍の組み立てた投石器を守るために、火と油が敵軍の攻撃によって降り注ぐなか、何十人もたかって懸命に投石器の車輪を押して運んだ。
敵の石弾にあたらぬよう城壁の内側へ、寄せようとした。
近くで通路を走っていた市民兵は投石弾に直撃され、首は遥か遠くの路地にまで吹っ飛んだ。
「水を!火を消せ!」
燃えた石を雨のように投げ込まれた神の国は炎上し、黄土色の家々を燃やしていった。
町の光塔(ミナレット)に石弾が直撃すれは塔が倒れた。
琥珀、織物、小間物、ピスタチオ、薬味などの屋台店が並ぶ中央道路は、日差しから守るため木製の天井で覆っていたが、今やそこにドコドゴと油に燃えた投石弾が落下し、すべて炎上して、市民たちは火に囲われた。
四辻のところでは天井は化粧漆喰(スタッコ)の丸屋根になっていたが、燃える投石の落下で、これらも倒壊していく。
壊されていく聖地。神の国。
敵軍の攻撃は、火は雨となって油とともに空から降ってくる。それを頭からかぶってしまう魔法少女もいた。
燃えた魔法少女は、聖地の四辻を走りまわり、頭についた火を消そうと抗った。
「水だ!消火を!」
エレムの人間たちはこの夜中、バケツを互いに協力して運びながら、落ちてきた石の火を消そうと水をかけた。
だが、あたり一面に撒き散らされた油の火を消すのは難しい。
「押すんだ!」
円奈はエレムの兵士達と一緒になって、火の雨が降り注ぐなか車輪つきの重たい投石器を押しだした。
ぐぐぐっと車輪つきの投石器が動いて、城壁の内側に寄せられていった。
「押せ!」
アルマレックも円奈に協力した。もてる力をだしきって、歯を食いしばりながら投石器を押した。
敵軍の飛ばした投石は、星の光る夜空へ打ち上げられ、燃える火の音をごうごう轟かせながら夜風に乗って飛ぶ。
その石はエレム城壁の上にドンと落ちるとバウンドして跳ねた。火と油散らしながらエレム市内の道路にまで転がり込む。
途端に神の国の市内が火油に見舞われる。空から家々の屋根へ、通路へ、そして人へ。
あたりを見回すと、街じゅうが火の雨によって燃やされ、油は地に満ち、火に囲まれている。
エレムじゅうの兵士がパニックに陥った。火だるまになったエレム兵がそこらじゅうにいた。
右も左も火の手があがるという恐怖。自分たちの住む聖都が燃える恐怖だ。
神の国の地下に避難した、女や子供たちは、天井から伝わってくる衝撃に震えていた。
戦争が起こって、いま住んでいる町は敵軍にいま狙われていて、自分たちの命は、地上で城壁を防備する市民兵たちにかかっていると知る。
投石弾が神の国に落下し、地面をたたくと、また地下空間にゴーンと低い音が響きわたり、避難民たちを恐怖に陥れていく。と同時に地上で戦っている市民兵たちの断末魔と、ふためく足音の連続も、耳に轟いてくる。
鹿目円奈は、戦えぬ女子供が避難した地下廊下に入り、何度も何度も繰り返し、地面が揺れ、地響きが地下空間に響き渡るなかを、避難民ひとりひとりを励ましながら歩き回った。
泣き止まない子供の前で立ち止まり、膝をついて座り、「わたしたちが必ず守るから」と言って、泣き止むまで傍にいて安心させた。
その子供の母親には縋られた。円奈はその母親にも、「敵軍の手からこの国を守り切ります」とはっきり約束して、ひとりひとりの避難民たちの恐怖心を和らげることに心を砕いた。
敵軍による投石はこうして、ひとつひとつが夜空をゆらゆら飛び回って、雨のようにエレム市内に落ち続ける。
まさにそれは、開戦の夜、舞い落ちる巨大な炎の雨粒。
四千人以上ともいわれるサラド軍の魔法少女たちが放った、何かの魔法攻撃のごとく。
だが、実際にはそれは、一つ一つがサラド軍が持ち運んできて組み立てた投石器の発射する、火をつけて燃やした石であった。
サラド軍はこの夜に聖地の前の砂漠に布陣し、20万人にもなる軍隊を召集し50台以上もの投石器を組み立てた。
そしてこの夜明けとともに、投石器群による、徹底的にして破壊的な攻撃をエレム国に開始した。
サラドの兵士らは投石器の発射装置の末端にある受け皿に石を搭載する。
バケツに用意した油をたっぷり石に注ぐ。そのあと松明で着火すると、石が燃えて、エレム国めがけて夜空に飛ばされる。
トラブシェット投石器と呼ばれる兵器の5メートルほどある天秤皿がスイングし、石が、赤い火の粉を夜空に散らしながらキラキラと飛ぶ美しい光景は、魔法のようであった。
星のきらめく美しい夜空の下、炎の虹が聖地に燃え上がる。
しかし、サラド側からみれば夜にも美しいこの大規模攻撃の景色は、それを受けるエレム市内側からみると、最大限の恐怖そのものであった。
トラブシェット投石器は、重力を用いて石を飛ばす原理で、天秤にも似ている。
片方の天秤皿には石を載せ、もう片方の天秤皿には巨大な錘を吊り下げる。
本来であれば錘のほうがはるかに重たいので、天秤は錘があるほうが下になるが、これを人力でロープで引っ張り、強引に錘があるほうの天秤皿を持ち上げて、石が載せてあるほうを下にしておく。
そのあと鎖を繋ぎ止めて固定する。
あとは、鎖を繋ぎとめている金具フックを、ハンマーで叩いて外せば、急激に重力によって錘の側の天秤皿が落ち、代わって石を載せた皿のほうが急激に持ち上げり、最終的には天秤そのものがグルリと一回転する。
そのとき石が上空へ飛ばされる。
その距離は400メートルか500メートルであり、この時代では最大飛距離を誇る最強兵器だった。
「発射!」
それぞれの投石器のには、一人ずつ指揮官がついていて、兵たちに発射の命をくだした。
指揮官からの命令があると、サラドの兵卒が手に持ったハンマーで錘を吊り下げた皿を繋ぎとめた鎖の金具を外す。
すると投石器が稼動して、吊り上げられていた錘が落ちてくる。ぐるんと投石器の天秤が回転して、反対側の天秤棒の皿に載せられていた石がびゅんと飛ばされていく。
「打ち放て!」
指示を受けて、サラド軍の兵士が投石器の鎖を支えるフックをハンマーで叩ききる。フックがはずれ、鎖が落ち、投石器が発動する。
「うて!」
また別の指揮官が叫ぶ。サラド兵士がハンマーで投石器の鎖を繋ぎとめたフックを放す。
石塊にはバケツに入れた油をたっぷり注ぎ、兵士が松明で火をつけた。たいまつの火が、ぶわっと石弾に燃えうつる。
その燃えた石が、投石器によって打ち飛ばされ、神の国の城壁に届く。
20万が布陣した軍から、エレム市内へ送り届けられ続ける火の投石。
「発射だ!」
また別の投石器についた指揮官が指示する。兵士がハンマーで鎖の支えをぶっ放し、石が明るく燃えながら神の国へ飛んでいった。
指揮官が自分のついた投石器を飛ばす号令にだす言葉はさまざまだったが、とにかく、号令があるたびに投石器から燃えた石がガシガシ夜空を飛んだ。
そしてエレム城壁を飛びこえて、神の国に落ちていった。
指揮官が指示するたび、また投石器から石が飛ばされる。
百人もの指揮官がそれぞれ50台の投石器について、それぞれに飛ばす号令を出しているのだった。
のこる四千あまりの魔法少女たちは、数万の騎士たちとともに、それぞれの位置から、神の国の燃える城壁を眺めていた。
投石の数々によって、神の国の城壁が叩かれ、何度も何度も空から落ちてきた巨石に直撃されるが、神の国の城壁はまだ崩壊せずに、持ちこたえていた。
次々と投石攻撃によって燃えた火の石を投げ込まれ、火の海と化していく神の国──。
その燃えゆくエレム都市を眺めながら、アガワルが疑問を口にした。
「どうして反撃してこないのよ?」
と、ドゴドゴ燃えた石に叩かれる神の国の城壁を見つめつつ、アガワルがぼやいた。耳元で、夜風をあぶる火の音がかすめる。
雪夢沙良もその火に燃える城壁を見つめながら、答えた。
「機を待っているのだ」
サラド王は戦争を甘くみない君主だ。エレム王国が簡単に聖地をゆずるとは思っていない。
きっと何か反撃の手立てを準備していると踏んでいる。
夜明けと同時に開始されたサラド軍の攻撃───。
夜空へ飛ばされていく火の石は、夜空を赤色に照らしながらのなかをぴゅんぴゅんと飛び、敵軍の城へ降り注ぎつづけた。
結局それが完全に夜が明けるまで続いた。
それは戦争でも、この世の美しい景色にさえ、思えた。投石器の下でうっとり眺めてしまうサラド軍の魔法少女たちもいた。
結局、夜が明けるまでの数時間で、神の国には数百個の燃えた石が市内に投げ込まれ続けた。
613
円奈は神の国の地下へゆき、松明を手に通路を照らしながら、進んでいた。
地下に残された食糧、武器、水、小麦、蜜、油の量などを改めて目でみて確認していた。
そのすぐあとに騎士のアルマレックと、エレム国に残された数少ない魔法少女の一人、ショートカットで黒髪のアッカがついて、円奈の行動を見守っていた。
円奈は、女子供たちが避難していた石壁の地下廊を通り過ぎ、奥の貯蔵庫へきた。
そこで円奈は松明の火を翻して、アッカに向き直った。貯蔵庫の暗闇で火に照らされた顔に、恐怖が浮かんでいた。
「まだ戦いが始まった初日なのに」
と、円奈は言った。その口調も少し、震えていた。「あと何日戦うことに?100日で終えられる?」
避難した女子供たちの前では決して見せなかった、円奈の弱音。
すでに円奈は、サラド国との全面戦争で、エレム国の全市民たちの命を担った戦争の開戦に直面して、心は潰れそうだった。
「アタシたちが敵軍を完全に追い払うか、全滅させるかまでだ」
アッカが冷静な声調で答えた。
だが松明の火に照らされたアッカの顔にも、絶望にも近い暗さが顔に浮かんでいた。
「それまではこの戦争は続く」
「…」
円奈の思いつめた顔が息をはく。
「雪夢沙良はもう、慈悲はみせない」
アッカは、自分達のおかれた苦しすぎる境遇をはっきりと口にして告げた。
「城壁が破られたら、わたしたちエレム人を皆殺しにする。全員殺されるんだ」
「最後まで抵抗を貫いて──」
円奈が言った。その手に持つ松明から火の粉が落ちた。震えているのだろうか。「雪夢沙良さんに条件を出させる」
「条件って?」
アッカが尋ねた。「どんな?」
「民の安全と───」
円奈が言った。神の血筋を引くピンクの瞳がアッカを見た。「亡命先の自由を」
少女の目はぎっと瞠目していて、切迫している気持ちがよく見て取れた。だがそれはアッカも同じだった。
581 : 以下、名... - 2016/05/12 23:09:57.96 rbZGcjGU0 3034/3130今回はここまで。
次回、第86話「神の国防衛戦・二日目」
第86話「神の国攻城戦・二日目」
614
神の国では地上の市民は寝ることも許されず、戦争一日目の夜をすごした。
夜があけると、神の国に朝がきた。
かわいて、涼んだ朝は雰囲気が張詰めていて、いよいよはじまった戦争の空気を、砂漠の風が運んでくるかのようだった。
つまり、並び立った敵陣の空気だ。
敵陣のもとに朝日の赤い日が昇る。砂漠を照らす赤い日差し。暖かな照りつけ。そこに揃い立つ敵の大軍。
鹿目円奈は神の国の防壁に立った。
ピンク髪と結んだ赤いリボンを、戦場となる早朝のやさしい風になびかせて、朝になってついにその目前に姿をあらわしたサラドの敵勢を、眺めていた。
円奈がエレム国の戦うことのできる市民を騎士に仕立て、身分を与え、城壁に立たせた市民兵の数は、三万人だった。
そのうち、230人くらいが、本国にのこった魔法少女である。
円奈の立つエレム市壁の足元に、白い妖精カベナンテルが降り立ち、円奈に契約を持ち出した。
エドレスの王都エドワード城の牢獄以来の再開であった。
「いまや円奈にかかる因果量は絶大だ。その力をもってすれば、契約の力で魔法少女になり、エレムの民を救えうる力を得るだろう」
円奈はこの契約を断った。
「わたしは騎士としてこの国にきた。もし今わたしがあなたと契約して、魔法少女になれば、わたしが捜し求めた天の国は見つからなくなってしまうよ」
鹿目円奈は鹿目まどかのように、避けようもない嘆きと、綻びを、魔法少女になることで跳ね返そうとする道はとらなかった。
人間としてこの運命に立ち向かうのである。
それには意味があった。鹿目円奈の見つけたい国とは、そういう国だからだ。
魔法少女だけが戦いの宿命を背負って、犠牲になってはいけない。
自分は人間としてこの戦争を戦うのだ。
それに、たしかに、聖地の新しい王となった鹿目円奈が、魔法少女になれば、強力な魔力を得るだろうけれど、エレム国とサラド国の最終対決ともなったこの日、いまごろ敵国では、「この日の戦争に勝てますように」と祈って新たに誕生した魔法少女が100人くらいいるだろうから、円奈一人の祈りは、この魔法少女対魔法少女という図式の戦争では、あんまし効き目がないのだ。
これは、そういう戦争だ。
カベナンテルもそれをよく分かっている。その証拠に、"エレムの民を救えうる力を得るだろう"なんて言葉の遣い方だ。決して、"エレムの民を救える"とは言い切らない。
早朝の神の国はまだ火が燃えている。
油と火の投石攻撃の雨に晒された聖地は、赤い火が立ちこめ、煙が天へ伸びた。
しかし市民たちはそんななかで自軍の投石器を懸命に運んでいた。
昨夜、敵軍の投石攻撃から守るため、いちど城壁の内側にくっつけて寄せていたトラブシェット式投石器を、エレム兵たちは力をあわせてロープをひっぱることで、投石器の車輪をまわして、定位置にもどす。
エレム兵たちは、城壁の内側で、一日たっても消火できない油の火をよけながら、投石器を定位置にもどす。
もどしながら、エレム兵たちは、魔法少女たちの不思議な歌声をきいた。
城壁のむこうにたつ、敵国の魔法少女たちの、不思議な歌声を。
615
神の国の市民兵たちが守りを固めた城壁の前に並び立った、20万人の敵軍勢。
いつか円奈が一望千里に眺めた砂漠の地平線が、今は敵軍の並び立った軍列になっていた。
サラド軍に参加した、軍勢のうち四千人ちかい世界の魔法少女たちは、やっと訪れた神の国にむかって、聖歌を唱え始めた。
それは神の国に存在した女神、つまり”円環の理”を讃えるために歌われる聖歌。
軍勢に参加した少女たちが歌うと、その歌声は重なって、地上から天にも届く勢いで歌われた。
それは神妙な光景だったけれども、敵軍に包囲されたエレム側にとってあたかもそれは、”四面楚歌”ともいうべき状況に似ていた。
”円環の理”が住む国の前に赴いたサラド軍のうち、何百という魔法少女が前線に並び立って、神の国にむかって、目を瞑ると静かに聖歌を歌うのであった。
魔法少女たちは、両手を胸の前で握り合わせて目を閉じ、祈りを捧げるように聖歌を天にむけて歌うのだった。
女神を讃える賛美歌を。
声をあわせて聖歌を歌うサラド軍を、円奈は神の国の城壁から眺めた。
早朝に歌われる静かな聖歌は、他でもない嵐の前の静けさなのであった。
城壁に立て篭もったエレムの民は恐怖の顔で聖歌を歌うサラド軍を見つめていた。途方に暮れたような顔をしていた。
20万人の敵軍勢から聞こえてくる歌声に圧倒されて、おそらく数分後にはこの軍勢の総攻撃を受けることになると思うと、縮みこむような恐怖を覚えるのだった。
それでもサラド軍は聖歌を歌い上げた。神が見下ろしているこの神の国、”円環の理”の神、神聖なる国の前で、心より聖歌を歌い上げ続けた。
両手を結び、祈り、目を閉じて歌う髪が、微風になびいて揺れる。弓矢を腰に巻きつけ固定した魔法少女たちの前髪が。
そう、今は聖歌を歌う集団とはいえ、敵は誰もが矢と剣を持っているのであり、神の国を攻め落とすための破城槌と、移動櫓つまり攻城塔と、投石器、梯子などを持ち込んでいる20万の軍勢なのだ。
その軍勢から、一方的に聖歌を歌われるこの不気味さは!
城壁に立ってみたエレム兵にしてみれば、絶望的な恐怖だった。
地上を揺るがすような歌声は、サラド軍にいる魔法少女たちがが歌い、それは、女神が自分達に勝利をもたらすと信じて、心より歌うのだった。
祈りが終わると、いよいよ、サラド軍の歌声はやんだ。
円奈の指揮下のもとにある、エレムの市民兵たちは縮み上がった。
いよいよ戦争がはじまると思った。
猶予の刻はおわった。
円奈は城壁からサラド軍を見下ろした。そして見覚えある白い髪の魔法少女が砂漠にならんだ大軍勢の先頭に躍り出てきて、左翼の陣から中央の陣まで馬を走らせた。
もちろん円奈はそれが誰なのか分かった。
サラド王は中央まで馬を走らせ、オレンジ髪の魔法少女と合流する。
円奈たちが、白い石を400、300、150の距離ごとに置きならべていたエレム城壁の前方の砂漠を、敵国の王は馬で颯爽と進む。
アーディル・アガワルは雪夢沙良が戻ってくると、進言した。
「慈悲を。女子供の命は見逃しておきましょう」
目に見えて神の国の防壁に立つエレムの兵士たちがおびえているので、かわいそうになったアガワルは思わずそう言ったのであった。
「いや」
しかし、沙良は薄目をしてエレム軍を睨みつけると、告げた。
「慈悲はない。だれ一人とて生かさぬ」
アガワルはエレム軍を心で哀れんだ。この君主は冷徹なまでに、今や長年の敵・エレム国を滅亡させる決意であった。
あとは、エレム軍が聖地を捨てるか、女子供ふくめ全員死ぬまで抵抗を続けるか。
それ次第だ。
沙良は神の国を攻め落とすための十五基ほどの移動櫓、並び立つ攻城塔を軍の前線におかせ、進軍の準備をさせた。
月印の旗が軍に掲げられて、風にゆれていた。
静まり返った。
固唾を呑むエレム軍。進軍の合図を待つサラム軍。
鹿目円奈と────雪夢沙良の目があった。
きっ。
円奈が神の国の城壁から沙良を見下ろし、沙良は軍勢の先頭から円奈を見上げた。
そして沙良はぐっと腕を胸元に寄せると、円奈にはっきり示したのだった。開戦の合図を。
”覚悟しろ”
それを合図に、サラド軍のひしめく投石器が一挙に稼動しだした。左翼からも、中央からも、右翼からも石か飛ぶ。
大群の投石器から飛ばされた石はくるくる回転しながら青空を舞って、大きな弧を描きながら最終的にエレム市壁へむかって落下してくる。
投石器が稼動すると、ついに、サラド軍本体が動き始めた。
果てしなく砂漠の地上を埋め尽くした20万人の軍勢が、中央から左翼、中央から右翼、同時に足を揃えて砂漠を進軍しだす。
移動櫓(やぐら)も軍と一緒になって静かにうごきだした。
移動櫓は、見た目は塔であり、実際に攻城塔という別名ももっていた。
塔は下部に車輪つきで、何本にもなるロープにつながれ、魔法少女や、馬や、人間らによって、ひっぱられ運ばれる。
これがエレム城壁にまで運ばれると、その塔から、サラド兵が神の国へいよいよ乗り込むことができる。
塔の中は、梯子が着いているので、この塔が城壁にくっつきさえすれば、地上から無数の兵たちが次々に神の国へ登って入れるようになる。
数万旗もはためく月印の軍旗が、波のようにうごめきだす。
馬に乗った数百人の魔法少女たちは軍旗を肩で片側に掲げ、数万の騎士や兵士たちの先陣を切って、砂漠を一歩一歩確かめるように進む。
神の国の城壁からサラドの軍勢はまだ砂漠をはさんで数キロメートルはまだ離れていたが、いよいよ敵軍はその距離を埋め始めた。
その間もエレム国には、敵軍のトラブシェット投石器による投石攻撃が、絶え間なく降り注いでいた。
ドコ…ドコ…!
エレム市民兵の人間たちは震え上がっていた。
砂漠のむこうより列なしてやってくる、月の旗を掲げた敵国の魔法少女たちの一歩一歩が、自分たちの国の滅亡へのカウントダウンに思えた。
その魔法少女たちが先陣きる敵勢に立ち向うは、聖地・エレムの国に残された希望・鹿目円奈!
サラドの王・雪夢沙良は、軍列なして進む魔法少女たちと共に馬を歩かせ、エレム軍の様子と動きを注意深く見あげている。
すぐそばには、馬で軍列を進む茶翡翠やスウ、アガワルなどの側近を、従えている。
鹿目円奈vs雪夢沙良!
長いこと続いたエレムとサラド、神の国の戦いも、大詰めだ。
徐々に距離の縮まるエレム城壁とサラド敵勢。
アルマレックが神の国の城壁の上から迫る敵勢を眺める。
砂漠に現れた敵軍の海はまだずっと先にあったが、数分後にはこの兵の海が城壁に達する。
神の国攻防戦・二日目!
その火蓋が切って落とされる。
エレム軍の戦闘経験もない市民兵たちは迫り来る魔法少女ふくむ敵兵の軍団に震え上がっていたが、しかし、神の国はそうそう落とせぬよう多重の罠と、凶器と、仕掛けが施されている要塞だった。
なんの隔たりもなく順調に城壁へ進んでいたサラド軍は、しかし、次の瞬間、エレム側と円奈の用意した猛烈な反撃の嵐にのまれることになる。
すっ……。
サラド軍の軍列が、ついに円奈が並べおいて目印にしていた白く塗った石のすぐそこを通過した。
これは、開戦前の準備段階であらかじめ聖地前の砂漠に並べおいていたもの。
敵国の魔法少女の足がその横を通り過ぎる。これは、聖地から400の距離に置かれた石。
なんだろう、と魔法少女が白い石を振り返りつつ見下ろして見た。
円奈が、400の距離に置いて目印にしていた石を、敵陣先頭の魔法少女の一人が通過する瞬間を見るや、くるりと向き直ってついに第一攻撃の指示を口にした。
「400!」
その声をうけて部下の騎士アルマレックが大声で告げる。「400だ!」
「400を通過しました!」
エレムの市民兵も叫ぶ。城壁の塔にある通路を駆け抜け、味方にむかって大声で叫ぶ。
「敵は400を通過です!」
「撃て!」
円奈が怒号を張り上げ、城壁の上からびっと指差し、ついに攻撃命令を下した。
「撃て!」
エレムの市民兵士たちが叫び、そして、エレム側城壁内に設置されていた大型投石器が動く。
投石器の鎖の留め具をハンマーで思い切りたたき、するとエレム軍側のトラブシェット投石器が発動し、大型の天秤がぐるり、と回転し始める。
すると投石器が石を飛ばした。投石機の錘が、繋ぎを外されてスイングしていき、反対の天秤棒から石が吹っ飛んだ。
その石はエレムの城壁を飛び越えて、青空をはるかとび、その先にひしめくサラド20万の敵軍勢めがけてまっさかさまに落ちていった。
ドゴッ!
白く塗られた石を通過した魔法少女めがけ、巨大な石が落ちてきた。
魔法少女はかろうじで落ちてきた石をよけたが、かわりに後続の兵卒が押しつぶされた。
兵卒は跡形なくつぶされた。上半身がちぎれてどこかに吹っ飛んだ。
また落ちてきた石がサラド軍の兵士たちをえぐり、何人かの頭を潰してしまった。
攻城塔のやぐらを櫂で押し運ぶ兵卒たちにも石が直撃し、何人かの櫂を握った兵士らは死にもの狂いに手で頭を守ったりした。が、それは反射的な防衛行動で、結局は石に当たればことごとく体が粉砕され、あちこちに肉と骨が散った。
エレム軍の大型の投石器は、錘を吊り上げた天秤をフック同士で繋ぎとめているタイプの投石器だった。
エレムの兵士がフックを繋ぎとめて準備していたロープを引っ張ると、カチャっとフック同士がはずれ、錘がおちて天秤がつりあがり、投石器の石弾を載せた皿がぐるんとまわりだす。
それが円をえがくように回って、ついに皿からは石弾が遠心力によって空へ放たれて飛ばされる。
「400!」
また別の敵陣の先頭が白く塗られた石の傍らを通り抜けた。それを合図に、エレムの兵士が声をあげる。
「400に撃て!」
攻撃指示が城壁からくだり、すると、城壁内のエレム兵士が大型投石器の繋がれたフック同士のロープをひっぱり、フックを外し、投石器を稼動させる。
カチャンとフック同士がはずれ、投石器の錘がぐるんと回転し、天秤棒の皿から遠心力で石塊が発射される。
石塊は正確に400の地点に落っこちる。
先陣をすすむ魔法少女たちが、飛んできた石にべちょりと潰され、ソウルジェムもろとろ原型とどめず粉砕した。
あるいは、激しく上空から降り注ぐエレム側からの投石の一つが、移動櫓のひとつに直撃した。
投げ込まれた巨石に直撃したやぐらはバキっと真っ二つにわれた。中に潜んでいた魔法少女や兵士たちが、数十人も塔から宙へ投げ出された。
「うああぅっ!」
と、やぐらの砕け散る破片と一緒になって落ちる兵士は、空中に投げ出されながら悲鳴をだした。
あらじめ、円奈の作戦で飛距離を測っていたから、投石器の石は正確に狙いどおり、砂漠を進む敵軍の攻城塔へ当たる。
戦争開始から数分後。
「300!」
円奈が、今度は300の距離に並べられた白石を敵軍の兵が通り過ぎるのをみるや、再び指示した。
「300地点だ!」
聖地側のエレムの兵士たちが円奈の声を受けて、号令をだす。「敵軍が300を通過!」
攻撃命令をうけ、投石器の張力を300の飛距離に調整していた投石器が稼動する。
ロープが引っ張られ、フック同士がガキンと外れて、天秤の吊り上げらた錘がぐるんと落ち、天秤棒から石が飛ばされる。
300を通過したサラド軍めがけて石が正確に落ちてきた。
正面から自分達めがけてまっすぐに回転しながら石が落ちてくる光景を目の当たりにして、逃げる者もいたが、逃げ遅れた者は石に顔面を直撃され上半身を裂かれた。
血飛沫と黄色い脂肪があらゆる周囲の兵の兜とか、鎧にひっついた。
数千人する陣のうち何人かが、こうして石に潰されて死んだ。
300を通過しつつあった攻城塔のやぐらのうち一つがまた、エレム陣営からの投石攻撃に晒され、真っ二つになって崩壊した。
木片の砕け散るバラバラという音とともに攻城塔は破壊される。サラド兵たちの頭にふりかかった。
こうしてエレム軍とサラド軍の戦争は、石の飛ばしあい、投石器合戦という形からスタートする。
聖地・神の国の城壁の見下ろす砂漠の乾いた青空を、ビュンビュン無数の石が飛び交う。
サラドの王・雪夢沙良は、自軍先頭の兵士たちが投石器による攻撃で押しつぶされたりする様を、その場を右に左にいったり来たりして落ち着きなく見守っている。
「300通過しました!」
また、エレムの兵士が叫ぶ。
「敵軍、300通過!」
攻撃指示がくだり、投石器が稼動する。ぐるん。投石器の天秤から発射された石は太陽の照らす空を舞う。
やがてそれは、左翼の月印旗を掲げる敵国の魔法少女たちの前線めがけて、まっすぐに落っこちる。
巨大な石が空から頭上に降ってきて、何人もの兵が石に潰され犠牲になった。
けれども20万人の大軍勢は、一歩一歩、着実に進んできた。
沙良はまだ落ち着けなさげに、自分の持ち場から右いったり左いったりしつつ、自軍の前線とエレムの城壁を見守っている。
側近のスウや、アガワルの二人のほうが、もっとずっと冷静に、戦況を見守っているようにさえ、思えた。
「150!」
円奈がエレム城壁の下の敵軍を見下ろしながら、新たな指示をだした。「弓を構えて!」
「150だ!」
号令がでるや、数千人の弓兵が城壁の前に進み出て現れた。
まだ弓の使い方になれぬ市民じたての兵士たちだ。
ある兵は弩をもち、ある兵は弓をもって城壁の矢狭間がある持ち場につく。
「敵軍、150に到達!」
市民兵たちが城壁に造られた矢狭間の持ち場につく。
その弓兵たちの顔つきは、固く緊張している。布袋の箙から矢を一本、震える手で取る。
「矢を!」
円奈の指示が神の国に轟く。
指示をうけ、城壁に並んだ数千の弓兵はそれぞれ矢を番え、慣れない手つきで弓をひきしぼる。
番えられた矢は、人の胴体を貫くに十分な長さと硬さがある。
円奈は、まだ弓を扱う力がついてない市民のために、強力な矢じり───を与えていた。その尖る鏃にはろうも塗った。ろうを塗ることで矢の錐が敵の鎧を貫く。
敵軍の前線は、城壁から150の距離に並べられた白い石の線を続々突破する。
「放て!」
指示がくだった。数千人の弓兵たちが矢を同時に放つ。
矢の弦のしなる音が砂漠の乾いた空気に轟いて、矢が次々に空中へ飛ぶ。
その黒い矢の雨は、まっすぐに150の距離へ突っ走る。
「護れ!」
降り注がれる矢を防ぐため、サラド軍最前線の指揮官は号令した。自らも盾を頭にかぶせ矢を防いだ。
サラド軍の兵士らもならって一斉に盾を手にとりだし、身を守る。数百の盾にグサグサと矢が無数に刺さった。
しかし、盾と盾の合間をぬって落ちてくる矢が、サラド兵士の腕や肩にザクザク刺さった。
はらはらと落ちくる矢のロウの塗られた錐の餌食になる。
「番え!」
サラド軍の指揮官が叫んだ。サラド軍の弓兵たち数百人が列揃えると弓を手に取り出し、ぐっと上向きに構えた。
狙うはエレム城壁に並ぶ弓兵。
「射て!」
ヒュ!
サラド軍の矢が空を裂いてとんできた。エレムの城壁の箇所へ、矢が何百本も刺さる。
シュバババババ!
エレム兵士たちも反撃にまた数千の矢を神の国から放つ。
そして数千本の矢の雨を通り抜けて、数万の敵軍がわあああっとエレムの城壁に列なして群がりだした。
城壁に到達すると、さっそく城壁を攻め落とす準備にとりかかる。
神の国から見下ろす乾いた砂漠は、敵兵たちの列に満たされていく。
城壁では、敵軍の攻城塔が近づき、数千人の敵兵たちがその下で列をつくった。
やぐらが城壁まで運ばれると、下の敵兵たちはこぞって列の先頭から、やぐらの中に順番に乗り込む。
やぐらに乗り込むと、味方の兵士たちにバケツの水をばしゃぁあっと頭に浴びせられる。
頭に水をかぶるのは、エレム側の火攻めを予測しているからだ。
やぐらの中に入った水でずぶぬれの兵士たちは、やぐらの数階層に分かれた梯子を順にぼり、最上階をめざす。
最上階から、神の国へ乗り込むのだ。
やぐらの最上階には跳ね橋があり、今は垂直に吊りあがっている。
これが今は防壁となって、神の国のエレム兵から放たれる無数の矢から、最上階に立つ兵士らを守っている。
そうもしていると、いよいよ櫓がエレム城壁にぴったりとくっついた。そうして、敵兵が、やぐら最上階にある跳ね橋のロープ巻き上げ機をぐるぐる回してゆるめ始めた。
巻き上げ機がゆるめられると、跳ね橋が角度を下げて、ゆっくりとエレム城壁の側へ降りてくる。
グググ……
「火炎弾を用意!」
敵軍のやぐらが神の国の城壁にくっつくと、円奈はエレムの兵士たちに声をあげて指示をだした。
エレム兵士たちは、すぐ城壁のそこまで迫ってきた攻城塔の威容に、すっかり怯えている。
つい昨日までは市民だった兵たちは、いよいよ敵兵や敵国の魔法少女が攻城塔からなだれ込んでくるかと思うと、恐怖感に心が支配されてしまう。
「火の準備を!」
励ますように円奈が声をあげ続けた。
「火炎弾を持って敵を待て!」
やぐらの跳ね橋が、ついに、ガシンと神の国の城壁へ落ちた。やぐらと城壁のあいだに橋ができた。
「突撃しろ!」
途端に、やぐらに登っていた何百人という敵兵士たちが、中から飛び出してきて、どどっと殺到してきた。
敵国の魔法少女たちは、やぐらの暗がりから、照りつける太陽のもと、エレムの城壁に飛び出す。
おろされた跳ね橋を渡って、鞘から剣をぬき、聖地エレムの城へ渡る。「渡れ!城壁を乗っ取れ!」
そこでまず起こるのは人間の魔法少女の戦いだ。この時代、魔法少女が軍事力として戦争の前線に活躍するのが当たり前な時代の、まず起こる最初の戦い。
迎えうつはエレム兵たち。
「火を放て!」
敵の声に負けじと、円奈が声を張り上げ攻撃命令を叫んだ。
「火炎弾を敵に投げろ!」
戦闘経験も皆無の人間たちが、円奈の声に励まされ、勇気をふるって攻城塔から現れた敵国の魔法少女たちに攻撃をしかける。
「投げつけろ!」
エレム兵士たちは、やぐらの橋をわたってきた敵兵の魔法少女めがけて、石油と硫黄を混合して壷につめ、火を点火した火炎弾を次々に投げつけた。
この火炎弾は、円奈がこの一週間の準備で多量に市民兵に作らせていた”特殊弾”。
また、戦闘経験のない者でも、壷をなげるだけで攻撃できる手軽さもあった。
飛んできた火炎弾を、魔法少女たちは盾で守ることができたが、盾にあたると火炎弾の壷がパリンとわれて、中から石油と硫黄が飛び散って火を撒き散らす二次災害を引き起こした。
またそれが本当のねらいだった。
飛び散った火が魔法少女の身体にふりかかり、魔法の変身衣装に飛びついて、燃え広がる。
水を頭からかぶったはずの魔法少女たちが火に包まれていく。
魔法の衣装と火が一体化し断末魔の悲鳴があがる。
人間が魔法少女に対してできうる唯一最大の抵抗手段ともいえる火炎攻撃は、ここでもやはり猛威をふるう。
火に燃え上がった魔法少女たちは悲痛の叫びをあげて、火達磨になって火と一緒にやぐらの橋から転落していった。
聖地の城壁の下に落ちて、焼死する。
たとえ身体を水に浸していたも、身体に火が燃えうつるこの特殊な火炎弾は、”ギリシアの火”と呼ばれた。
魂を身体からむき出しにしたソウルジェムに火をあがられ、芯から焼かれる痛みが魔法少女たちを襲う。
火に燃えた魔法少女たちは顔すら火に覆われて、影も形も真っ黒に燃えて、魂燃え尽きさせるまでひたすら業火のなかで泣き叫ぶ。
呪われた者たちのように。
火炎攻撃が魔法少女に効力を発揮することは、皮肉にも、円奈が魔女狩りの都市・エドレスの王都で、学んできたことだった。
円奈の人生の経験は、すべてこの戦争のためにあったといわんばかりに、発揮されていく。
「矢を放て!」
円奈の攻撃指示が再びくだった。
エレムの兵士たちがぎこちなく弓を構える。
「撃ち殺せ!みんな殺せ!」
やぐらの橋が火だらけになって炎上し、戸惑いと恐怖で足を固まらせていた、やぐらに残った敵兵士たちめがけて、まっすぐ矢がとんでくる。
ズバババハ!
エレム兵たちの矢の連続射撃が、残された敵兵士たちを射止めた。やぐらでごろごろと倒れて死体同士が折り重なった。
「うわあああ!」
火の燃えるやぐらから脱出しようと試みた兵士の足に矢が刺さり、叫び声あげながらやぐらから城壁の下まで転落する兵士もいた。
砂漠に群がる敵勢のなかに、ごうごう黒く燃えた身を落とした。20メートル下まで落下し、命を絶った。
「やぐらを燃やせ!」
敵軍の第一波を殲滅させることに成功した円奈は、つづけて、やぐらそのものを完全に燃焼させるように、すかさず味方のエレム兵たちに指示をだす。
そこで市民兵たちはぶどう詰み用のかごを取り出して、タール、たきぎ、松脂、芦の皮などを満たし、火をつけてから、油も注ぎ、敵軍のやぐらに、何個も投げ込んだ。
やぐらの最上階で火事が起こる。
それをみて市民兵たちはさらに、煮え立った油いっぱいのかごも加えて放り込み、火勢をあおる。
火はやぐらの上部を燃やしつくし、徐々に各階に達し、やぐらの木造部へ広がった。
こうなると、やぐらの中に潜んでいた敵兵たちは、焼かれることを恐れて、散らすようにやぐらの中から逃げ出す。
が、最上階にいて逃げ遅れた兵は、炎に襲われ、焼け死ぬかした。
円奈は、敵軍の攻城塔やぐらを炎上させ、撃退することに成功する。
しかし、敵軍は別の動きを見せ始めていた。
敵軍の攻撃の手は、城壁につづいて、こんどは聖地の門へ到達した。神の国の入り口だ。
エレム弓兵の放つ矢の雨を抜け、城壁まで辿り着いたサラド軍は、一斉に城門に群がりだし、一点に集まり、城門突破に乗り出していた。
すると城門の前に登場したのは、巨大な破城槌。
それは、三角形をした木造屋根の下に巨大な槌をロープでぶらさげた攻城兵器だ。破城槌の屋根はやぐらと同じで酢に浸した動物の皮がぺたぺた張られて防火が施され、その下部もやはり、運べるように車輪つきだった。
この巨大な破城槌が城門めがけて進みでた。
「鹿目殿、正面門が危険だ!」
そばの城門塔に立ってたとある魔法少女が恐怖に叫び、破城槌に攻められつつある城門塔から離れた。
彼女の名はグアル・レールフリー。
エレム内に残った数少ない魔法少女の一人で、リウィウスはじめとする”六芒星の魔法少女”ら穏健派に従っていたが、その六芒星の魔法少女らが、神の国に見切りつけて去ったあとも神の国に残っていた。
「すぐに知らせないと!」
グアル・レールフリーは敵軍の破城槌が猛威をふるいだした事態を円奈に知らせるため、見張り塔の梯子を降りて、城壁の通路に降り立つと、円奈を捜した。
そこでもエレム兵士たちが激しい混戦をつづけていた。
敵軍は、持ち出した梯子を城壁にたてて、よじ登っている。
「鹿目殿!」
ゆっくりと梯子を登ってくる敵を、エレムの人間たちが懸命に押し返している。
梯子から城壁に乗り出してくる敵を、剣で突いてぶっ刺す。
グアルは弓矢の雨飛び交うなか、城壁を進んで円奈を呼んだ。「鹿目殿!」
「火を放て!」
グアルが目当ての少女の声をやっと耳にする。
円奈は、また城壁に取り付けられた移動櫓から殺到する敵の魔法少女たちに、燃えた火炎弾を投げつけているところであった。
「敵はだれも、城壁に足をつかせるな!」
火炎弾が次々に炸裂し、油と硫黄の火を空気中に撒き散らす。またたくまにそれはやぐらの架け橋に落ちて、木の板でできた架け橋は炎上していった。
がむしゃらに燃えた架け橋を走ろうとするサラド兵士は、それでもやっぱり灼熱の炎に足をとられて、苦痛の叫びあげると城壁から転落していくのだった。
「射て!」
弦のしなる音が数本鳴って、城壁を守るエレム兵たちの矢が飛んだ。矢は敵軍のやぐらへと飛んでいく。
飛ぶ矢の群れが攻城櫓の敵兵を散り散りにした。こうして、やぐらを渡って神の国へ突入できる敵兵はなくなる。
「敵を壁に登らせるな!」
すると円奈は、今度は梯子を使って城壁に潜入している敵兵士を相手にしていた。
梯子を登っている敵兵士の兜を、ドンと剣で叩く。
梯子から侵攻してくる敵は、両手がふさがっているので、守り手の側からは、いとも簡単に攻撃して撃退ができる。
だから円奈も、城壁の上から、敵兵の頭を剣で突くことで、梯子から攻めてくる敵兵を落としていく。
「誰も城壁に足をつけさせるな!」
「鹿目殿!」
グアル・レールフリーが、鹿目円奈───このピンク髪をした汗だくの少女に飛びつく。
ガキンガキンと、剣同士のぶつかる金属音がけたましいなか、自分の声が相手に届くように懸命になって声をだす。
城壁で戦うエレム兵、城壁に登ってきたサラド兵、そしてまだまだ大量に梯子をのぼってくる敵兵の行列の騒音。
想像絶する騒乱だ。
「鹿目殿、敵軍が正面門に到達してます!」グアルは叫んだ。
円奈は、急に誰かにしがみつかれて、最初はひどく驚いた顔をしたが、味方の魔法少女だと気付くと、すぐに答えた。
「わかった!」
円奈が、はしごを登ってきた敵兵が全員、エレム市民兵の剣によって打倒されたのを見届けるや、返事した。
円奈自身の剣も、何人かの梯子から攻めてきた敵兵を殺していたので、血の赤色を帯びていた。
「すぐにいくっ!」
円奈は聖地の門へめざし、城壁から見張り塔までの歩廊を走った。
「円奈!?」
持ち場を去り、城門へむかった円奈の動きにほむらが気付いた。
顔をふりあげると、円奈はレールフリーと一緒に城門の塔へ駆け出していた。
「……そんなっ!!」
ほむらはその二人のあとを追うべく、城壁の上を走った。
炎上したやぐらを通り過ぎ、ギリシア火炎弾の火種にするために置かれた火の釜を飛び越え、激しく戦っているエレム兵士たちの間を走り抜ける。
ほむらにとってこの戦争の最大の心配事は、城壁の守りよりも、鹿目血筋の子の命だ。
だが、梯子をよじ登ってきた何人かのサラド軍の魔法少女が、ほむらの前に立ち塞がった。
二人の魔法少女は、てくてく梯子を地道に登ってくるや、守り手の兵士らの抵抗をはねのけ、神の国の城壁に足を踏み入れる。
二人の魔法少女が剣によって、エレム市民兵たちを五人も殺した。
「預言者だ!」
と、サラドの魔法少女が叫んだ。「円環の理の声をきくお方だ!」
血のついた剣それぞれ握った二人が、顔を見合わせる。「どうするのか?」
「邪魔!」
ほむらが声あらげて言い、手に光る紫の矢を構えた。
円奈は梯子から神の国の城壁にのぼった敵兵士ら相手に、鞘から剣を抜くと混戦に入った。
みれば味方のエレム市民兵たちが何人も倒れ、敗北の姿をみてせいた。
だからここの城壁は、敵兵のサラド人に、侵攻を許してしまっていたのだ。
「みんな殺せ!」
円奈が、近くにいた味方のエレム人魔法少女に呼びかけ、ここに群がった敵兵たちの殲滅を命じた。
円奈を先頭にして、レールフリー、そのほか10人ほどの魔法少女が、神の国の城壁に入った敵兵たちへ攻め込み、殺しにかかる。
カチャカチャと剣同士がぶつかり、城壁での戦いはますます激しさを増す。
円奈が戦っている敵兵士は、後ろから増援にかけつけたエレム兵士の剣に背中から刺され、血を吐いて倒れた。
「鹿目さま、ご無事で!」
エレム兵士が円奈に声がけしてくれる。
「ありがとう!」
円奈は会釈し、礼を告げると急いでまた城壁を駆け抜ける。
城壁にかかる梯子の数はどんどん増した。
梯子を登る敵兵士たちは、ぞろぞろと蟻の行列のように、続々城壁に達する。
正面門のほうでは、敵軍の巨大な破城槌が城門に達した。
さっそく屋根の下にロープでぶらさげられた長い槌を、敵兵士ら数十人がかりで前後にゆさぶって、城門を叩き始めた。
このは破城槌は屋根によって守られているから、エレム城壁に立つ守り手の兵士たちが、火をつけた矢を何発も放っているが、屋根に当たるだけで、肝心の破城槌そのものを破壊できない。
サラド兵たちは狭い三角形の屋根に守られながら、ロープに吊るされた破城槌を前後にゆすり、槌の尖った先端を聖地の門に叩きつける。
ドシン────ッ
叩かれた聖地の門は、軋む音を轟かせた。
ズシン───ッッ!
さらにもう一度の打撃。
強い音で門が軋んだ。門は叩かれると砂埃を多量に落とし、揺れ動いた。
このとき、門の裏側では、戦闘経験もないエレムの兵士達が緊張に強張らせた顔で、手にそれぞれ弩をもって、門が突破されれば押し寄せるであろう敵軍を迎え撃つ準備をしていた。
その数は約百人。
聖地の入り口をかため、弩を構えて敵軍の到来を待ち受けている。
門を突破した敵に矢の雨を浴びせる覚悟だ。
円奈がようやく聖地の門の部分に辿り着いた。
城壁から見張り塔にかかる梯子をのぼって、塔のてっぺんから様子を見下ろす。高さは27メートルほど。
海のように押し寄せている20万人の敵勢が見晴らしできた。
無数に敵の矢が飛んできたが、円奈は城壁の矢狭間に伏せて、反射的に矢の嵐から身を守った。
その矢狭間の間から目を覗かせ、敵軍を見下ろし、破城槌が城門に達しているのを確認した。
いや、達しているどころか、すでに破城槌が聖地の門を何度か打撃している。もし門が突破されれば、聖地へ敵兵の乱入を許すことになる。
そうなれば、戦場は城壁ではなく町にまで及ぶことになっていまう。敵兵が地下通路を発見し、なだれこめば、地下に隠れて避難しているエレム人の女子供たちは、すべて死ぬ。
一刻をあらそう事態。
円奈は、なんとかこの破城槌をとめなくてはならなかった。
だが、神の国の城壁から見下ろすところにある破城槌は、三角形の屋根に守られ、とても上から攻撃することができない。
火矢で撃っても、屋根が攻撃を防ぐ。しかも、屋根には動物の皮を張られ、酢まで浸されているので、火攻めも通用しない。
こうなっては、ただただ敵軍が入口の門を槌でたたくのを許すのみだ。
敵陣から矢がビュンビュン飛んできて、円奈の立つ矢狭間にバシバシあたって砕け散る。
まどなは再び反射的に、顔を伏せてよけた。矢は、あちこちの矢狭間の開口部にあたり、バラバラと地面にちらばった。
ほむらがやっと見張り塔に辿りついた。通路から見張り塔への短い梯子を登り、乗り越える。
矢はほむら狙って数本とんできたが、ほむらには当たらなかった。
見張り塔に登ると、円奈はエレム兵士に新たな攻撃指示をだしていた。
「油を!」
円奈の怒号が、命令としてエレム兵士たちに伝令される。「油を流せ!」
円奈の声をうけてエレムの兵士たちは巨大な釜に煮やした石油をたくさん満たし、それを運ぶと入口の門のあたりへ、城壁からばしゃあっと流した。
滝のように流れ落ちる黒い粘液は、びとびとと破城槌に落ち、ぬらした。
石油のあの独特な匂いがあたり一面たちこめる。そこだけ砂漠が真っ黒に濡れた。
「火を放て!」
すると、円奈があの火炎弾を握って、石油塗れにした敵の破城槌めがけて落とした。「火を投げるんだ!」
「投げろ!」
エレム兵士たちも続いて、エレムの城壁から火炎弾を投げ落とす。何個も、何個も。「火を撃て!」
バリンと壷が割れ、火を撒き散らし、火は流した黒い石油にまたたく間に燃え広がる。
ぶわあっ───ッ
一瞬にして、火炎が素早く黒い液体を伝ったかと思えば、あっという間にあたり一面が赤い火の海となる。
「あああああ───!!」
破城槌で門を攻めていたサラド軍の人間たちは石油の火に焼かれた。
まず足元から焼かれ、破城槌を守る屋根も焼け落ちてきて、顔も燃えた。
そうして破城槌全体が燃えてゆき、彼らは炎に包まれた。
彼らは苦痛に喘ぎながら出口を求め、続々と燃えた破城槌の屋根の下を脱出しようとしたが、燃え広がった石油の火はすでに彼らの人肉を焼き滅ぼし、すでに皆が火達磨だった。
どこへ逃げようとしてもあたりじゅう石油みまれだった。石油はいま真っ赤な火の海だ。
肌は爛れ、皮の下にある肉と血にまで、石油の火が燃えうつる。
「あああ゛あ゛あ゛アアアっ!!!」
断末魔が火炎地獄のなかで叫ばれる。
破城槌は完全に炎上した。
服が焦げ、石油の匂いに包まれ、からだじゅう頭髪まで火に焼かれる。
石油と火に焼かれながらなお助けを求めるように、燃えた屋根から脱出して火傷に喘ぐ人間たちを。
「……!」
自軍の兵士たちが焼かれ、あばれ、火のなかで苦しむ姿を見て、雪夢沙良が思わず一歩前へ踏み出した。
ただサラド王はその目に、自分の部下が石油の火に焼かれ叫んでいる姿を映している。
そのめったに感情を顔にださない薄ピンクの目にあるのは怒りか、悲しみか。
ただ身じろきもせず、部下の戦死する姿をじっと見つめていた。
それからも戦闘は続いた。
城壁ではやぐらが炎上し、梯子による侵入は防がれ、城門の破城槌は焼かれた。
こうして日が落ちるまで、サラドとエレムの防戦が神の国にて繰り広げられづけた。投石器からは燃えた石が飛び、城壁では梯子による突撃が絶え間なくつづき、攻城塔からの進入攻撃もまた展開された。
だが、そうしたあらゆる攻撃にもことごとく、エレム市民兵たちは決死の覚悟で抵抗し、守りつづけ、ついに夕が暮れてこの日の戦争は一時引き揚げとなった。
616
「誰が指揮を?」
二日目の戦闘が終わった夜、撤退したサラド軍の幕舎にて。
サラド王の雪夢沙良と側近のアガワル、スウ、茶翡翠などが、今日の戦果について話し合った。
深夜の寒い砂漠下に張られた王の天幕は、中は黄金ランプの火が輝き照らしだす。
小さな椅子に腰掛けたサラド王は、鱗状の鎖帷子を来た武装の姿で、今日の戦争の敵国の指揮者は誰か、と問いかけたのだった。
エレム王の双葉サツキは今や我が軍の捕虜だし、妹のユキも殺した。
情報によれば、穏健派のリウィウスはじめ聖六芒星隊も聖地を見捨てて去った。神殿騎士団も政権をとってないとか。
つまり、エレム国にはもう王となるような、民を導けるような者はのこっていないはずだった。
正規軍さえいないのだから、今日にだって神の国は陥落すると踏んでいた。
簡単に落とせるはずの城は、思いもかけず息の合ったエレム市民たちの抵抗にあい、聖地はサラドの手に渡らなかった。
そこで雪夢沙良は、あのエレム市民と共に聖地を守った指導者は誰か、と問いかけたのだった。
すると、情報を掴んでいたスウ、巫女服姿のちゃっちゃな背丈の魔法少女が、竹弓を持ちながら、答えた。
「鹿目円奈、鹿目神無の娘です」
「鹿目神無だと?」
雪夢沙良の薄ピンクの、冷たい目が鋭くなった。
「むかし、レビョンで殺されかけた。娘がいたのか?」
それは、雪夢沙良がエレム国と戦争したとき、聖地の象徴の家系であった鹿目の娘が、とつぜん戦士として戦場に現れ、エレム軍の指揮者となり雪夢沙良を殺しかけたときの記憶だった。
肩まである茶髪に澄んだ青瞳をした少女のスウは、掴んでいる情報のことを、さらに話した。
「アガワルがカラクで開放した娘です」
つまり、今、エレム国の聖地に残り、市民たちを兵士に駆り立てて神の国を守っている指導者は、いちどカラク包囲戦でわが方の捕虜としたはずだった。
しかし側近のアガワルが釈放してしまったばっかりに、その軍事才能がいかんなく開花し、わが軍に思いもよらぬ苦戦を強いられ、犠牲者も多くだしたということだった。
もちろんアガワルは、鹿目円奈を捕虜から開放したときのことは覚えている。
それは円奈が、海岸近くの砂漠で決闘して馬を獲得し、通訳であった自分も殺されるところを、聖地に案内することを条件にアガワルの命を見逃し、しかも決闘に負けた側として円奈の奴隷となる立場からも解き放った恩返しとして、円奈を捕虜から開放したのだった。
つまり、円奈をアモリ(サラド人はカラクと呼んでいる地方の)平野戦でアガワルが開放したのは、恩返し──義理だったのである。
「義理などもたなくてよかったな」
と、アガワルが円奈を開放した心境を察したサラドの君主が、苦い顔をして口を噛み、エレムの市民たちが最後の守りを固めた神の国の城壁を遠く眺めるや、冷たく言った。
するとアガワルは、雪夢沙良が神の国を遠目に眺める背中に、ゆっくりと歩み寄って。隣に並んだ。
「主君のあなたを見習ったからです」
そして、2人並び、夜空の聖地を憧憬の眼差しで眺めた。
兵が焚き火を燃やして野宿する20万人の軍営地のところは、ラクダが行ったりきたりしている。
そのもっと向こう、2キロメートル先の小さな城塞都市。
その都市の壁の向こうに、救い主の女神の国があった。
そして、その神の国の上空には、夜に浮かぶ白い三日月の光が差し、宇宙にある円環の女神の世界の神秘を、漂わせていた。
それは天の神の国である。
617
開戦から三日目の戦火が開かれる前夜────。
鹿目円奈はもう眠りから覚めて、夜風に髪をゆらしつつ、神の国の塔に立っていた。
その視線の先に、サラド国の軍営地が広がっている。
軍営地ではあちこちの宿舎に松明が灯り、ぽつぽつと光っている。兵士たちの生活を窺わせる。
それは空に浮かぶ星にも劣らぬ灯火の数。地上にある星空そのものだった。
これが聖地をめぐる戦争前夜の円奈が眺める光景。
明日にはあの敵陣が、また総力あげてこの城壁にやってくる。
戦争はやがて三日目に突入する。この三日目も、神の国を守りきれる保障は、円奈にはない。
だが円奈はい否応なく、三日目の朝日がのぼれば、エレムの民を守るため、戦いに身を投じなくてはいけない。
吹き荒れる夜風によって、城壁に立てられた六芒星の旗がはためく。
円奈は聖地の城壁の塔から、夜空をみあげた。夜が明けつつある聖地の青い明け空に煌くのは、白い三日月。
この月はずっと昔から何万年も、きっと私たち人類と、魔法少女たちを見守ってきたのであろう。
天にある女神の国も一緒に。そしてここは、地上の女神の国である。
空が青みがかってくると、円奈はエレムの市民たちに、睡眠の終わりを告げ、三日目の防衛準備にあたらせた。
城壁の兵士たちは黙々と、刃物つきの槍という、残忍な兵器を手渡し手渡し運びあう。
この槍を巨大な弩───弩砲とも”バリスタ”とも呼ばれる超特大の弩弓にボルトという槍を装填させる。
これは昨日は使わなかった兵器で、城壁の見張り塔や角塔、城門塔に、まんべんなく新たに設置された兵器だった。
この巨大弩砲の弦をしぼる手動の巻き上げ機を兵士たちが懸命に力をふりしぼって、ひきしぼる。
ギシギシギシと巻き上げ機の鉄の歯車がまわって、バリスタの太い縄の弓がひきしぼられていく。
人間の男一人ではとても巻き上げられないこの巨大弓の巻き上げ機を、エレムの市民たちは何人も協力しあって一生懸命に巻き上げる。
夜はまだ空けない。
青みがかった夜更け空が覆う地上に冷たい空気が流れるだけ。
サラド軍は野営地でまだ眠りに静まっている。
だがエレムの城壁では、一足先に戦闘準備と防壁の仕掛けを造り上げ始めていた。
まだ朝は暗く、互いに協力し合う兵士同士の顔もみえないくらいだった。
それでも仲間同士、彼らはバリスタの発射装置を懸命に動かした。
円奈は神の国の貯蔵庫から、ギリシア火とは別の新たな新兵器”ボルト”を見つけ、この巨大弩砲に装填させた。
ギロリと怪しい光を放つ”ボルト”の巨大な爪が、大槍の尖端と組み合わさる。
さらにもう一つ、円奈は城壁に新しい仕掛けを施す。
巨大弩砲のと同じように、エレム市民が懸命になって巻き上げ機の歯車をまわして吊り上げているのは、大きな錘の木箱。
投石器の錘に使うような重さをもつ木箱が、城壁の前にロープで吊り上げられている。
冷たい歯車がギシギシギシと回り、錘が吊り上げられ、上空に固定されていく。
吊り上げられているそ巨大錘を、ひとたびロープを切って落とそうものなら、下に攻め込んだ敵兵士など頭からぺしゃんこにしてしまうような錘だ。
そしてさらに、エレム兵士が守っている防壁の足元に伸びているのは一本の太い鎖。
この鎖は巨大弩砲の”ボルト”に結ばれ、その時になれば、兵士たちが一丸となってこの鎖を一方向に引っ張りあげる仕掛けだ。
敵はまだ、この恐るべき仕掛けが、どう猛威をふるうのか知らぬであろう!
城壁部と矢狭間の内側は、二日目と相変わらずで、ずらりとギリシア火炎弾の壷がならび、いつでも点火できるように、釜には火が焚かれている。
その隣では木バケツにたっぷり石油が満たされ、梯子をよし登る敵兵の頭にぶっかけられる準備が整っている。
まさに二重にも三重にも仕掛けの練られた防御体制が、じき火蓋を切るであろう三日目の敵軍の襲来にむけて完成した。
そして、夜があけてきた。
青い夜更け空は次第に赤みがかり、砂漠に日がのぼってくる。
その頃、神の国の葉月宮殿の裏、”犠牲の丘”で、暁美ほむらが。
自分の黒髪に結んだ赤いリボンを、この青い夜更けの風にゆらしながら、手をあわせて祈りっていた。
青い夜空は次第に赤色へとかわる。静かな、嵐の前のしずけさが、夜明けをむかえる。
ほむらは”犠牲の丘”で祈っていた。一人の少女が犠牲になった場所が今もここに残る。すべての魔法少女たちの、巡礼地であり、聖地であり、もっとも天の女神の国に近い場所である。
遠い昔、鹿目まどかはここで犠牲になって、人間である自分を失い円環の理になった。
人を捨て、概念に成り果ててしまった少女の魂の土地は、ほむらの魂さえ傷つける。
それは自分の”葬られるべき過去”だった。
612 : 以下、名... - 2016/05/15 01:30:37.94 zoiC5NFz0 3064/3130今回はここまで。
次回、第87話「神の国防衛戦・三日目」
第87話「神の国防衛戦・三日目」
618
そして、夜が明けると同時に、三日目の戦いがはじめられた。
二日目と同様に、聖地をめぐる攻防戦は投石器の撃ち合いからはじまる。
投石器から燃えた石が空とぶや、その空の下を、数万人ごと軍列つくった大軍がわああああっと城壁に殺到する。
昨日の、砂漠に並べ置いた白い塗料の石は、もちろん全て取り除かれた。
エレム軍は正確な距離が測れずに、手当たり次第押し寄せる敵軍に石をとにかく投石器で飛ばして応戦する。
「石を飛ばせ!」
城壁からエレム兵士の声が張り上げられる。「撃て!」
合図で投石器が稼動し、投石がサラド軍の方向に落ちる。
この日のエレム軍の投石器から飛ばす石は、敵軍にならって、油をたっぷり満たした火炎弾に切り替えた。
殺到するサラド軍の頭上に続々と落っこちる火が燃える石は、敵兵に降りかかりながら、黒い煙を地上に蔓延させる。
戦闘がはじまって時間が経過するにつれこの黒い煙はますます増えた。
まるで、エレム城壁の前には黒い煙に覆われカーテンができる勢いだった。
敵軍は黒煙のカーテンに覆われて視界もままならないまま、黒い煙のなかを進み、聖地の城壁をめざす。
「進め!」
燃えた石と、黒煙のなかを突っ走って、敵勢は聖地の城壁に、この日もちかづいてくる。
「射て!」
砂漠を覆う黒い煙を越えてきた敵兵を迎えるは、円奈の指示によって放たれる黒い矢の雨。
鹿目円奈───エレム城の防衛を指揮する少女騎士は、城壁の上にたって、腕を伸ばして指示をくだす。
「敵兵を射止めて殺せ!」
数百人のエレム市民兵たちが、城壁から並んで矢を放つ。
「けほけほ!」
目にしみる黒い煙をやっと抜けた敵軍兵士は襲い来る矢に注意がいきとどかず、胸や足を矢に撃たれた。
「盾を放すな!」
前線進む敵国の魔法少女たち────この魔法少女は、二日目には第二線にあって待機していた魔法少女たちである──は、目にしみる煙堪えながらも盾を頭にかぶせて、落ちる矢から身を守り、神の国の城壁に進んでいた。
「盾で守れ!」
二日目は15基進められていたやぐらの攻城塔は、開戦三日目にあたる今日では20基ほど、戦場に押し運ばれていた。
20基の攻城塔は、それぞれの進度で、神の国の城壁めざして進む。
攻城塔の下では、数万人の兵が進み、エレムの城壁に達するや、梯子をかける。
城壁に達した敵国のサラド兵は、持ち出した梯子を順に城壁にとりつけはじめる。
こうして数分もすると、神の国の城壁には百本以上の梯子が掛けられ、先頭の者から順によじ登りはじめるのだ。
さらに時間が経過すると、城壁にかけられる梯子の数はもっと増える。
しかしやっとの想いで、梯子を登り、聖地の城壁にたどりついても、エレム民兵たちの剣の激烈な抵抗に遭って、斬り殺されてゆき、また防壁から20メートル下に落下していった。
何千人の兵士を城壁に送り込んでも、一向に突破できないのは、エレム市民兵たちが、今朝の夜明け前に、防衛の準備を固めていたからである。
「はっ!」
円奈は城壁まで梯子をのぼってきた敵兵の頭を、剣で切って掛かる。
「ぐっ!」
一太刀で敵が引かねば、もう一撃剣を加えて、敵を梯子から撃退する。
こうして円奈は一人の敵兵を追い払ったしたが、つづく何百人という敵兵がまだ、いくつもの梯子にしがみついて、あとからあとからへと登ってきていた。
剣の扱いなれぬエレム市民兵たちは、魔法少女と思われる少女がてくてくと梯子を登ってくるのを見るや、火で焚いた釜に煮える石油を、釜ごとひっくり返して梯子にふっかける。
「うああああっ!」
ぐつぐつ滾っている黒い油をどばっと頭にぶっかけられて、魔法少女と思われる少女が一人、悲痛の声あげて梯子から転落する。
エレム兵士たちが二人ががかりで持つ、石油を煮やした釜は、その取っ手に布が何重にも巻かれ、熱が伝わらぬようにしている。
このような展開で攻防戦の三日目は半日ずっと続いていたが、次第に城壁に着地する敵兵は増えた。
何百本という梯子が、聖地の市壁にずらりと並びたてられて、一人また一人と敵が城壁に上ってきては、鞘から剣を抜き、城壁に並び立つエレム兵との混戦に入る。
「かけろ!」
城壁を守るエレム兵士たちが釜の取っ手を握る。釜の中で湯気だてている石油を、梯子を登る敵兵士たちの顔面に垂らした。
「うわああっ!」
沸騰する石油を浴びた敵兵士は、悲鳴あげながら梯子から転落し、下の兵士達も巻き込んで派手に雪崩れ込む。
周囲の頭上では矢が嵐のように飛び交っていた。
エレムの弓兵が放つ数百本の矢の雨と、サラド軍の撃ち放つ矢とが、城壁と砂漠を行き来する。
一箇所穴ができると、そこを突破口にして次々にサラドの敵兵士たちが神の国の城壁に集まってきた。
城壁に着地するや、エレム兵士に剣を振るって斬りつける。
「うっ!」
もともと戦闘経験のないエレム兵士は、城壁まで登ることを許してしまったサラド兵や魔法少女との交戦に、次々に敗れて殺された。
彼らエレム兵は、のぼってきた城壁の敵兵にむかって、まっすぐ剣を振り落とすのが精一杯で、サラドの魔法少女はその一撃をはらりとよけるか、自分の剣で受け止めたりするや、反撃にくりでて相手のわき腹に刺したり、蹴って転ばせたあと、倒れたエレム兵士の心臓部に剣先を突いたりするのだ。
だんだん、血の匂い沸き立ち始めるエレムの城壁。
エレム市民兵の戦死者が増えはじめた。
サラドのとある一人の魔法少女は、エレム兵の腹に突き刺して殺した剣を抜こうとしたが、これがなかなか抜けなくて、しばし踏ん張っていた。
「ふぬっ!」
どうやら剣は敵兵の肋骨部分にめり込んでしまったらしく、剣を抜こうとして持ち上げると、敵兵の身体までついて持ち上がるのだ。
「ごのっ!」
魔法少女が敵兵の腹を踏んづけると押さえつけ、剣を抜こうと試みる。途端に、エレム兵の口から血が溢れ出た。
剣がやっと抜けた。
真っ赤になった剣先が自由になる。
死体折り重なる城壁の上で、残されたエレム兵と新たに剣を交える。
ばらばらと転がる死体踏み越えて、残るエレム兵士との戦闘に入る。ガキンガキンと、剣同士が当たって金属音を打ち鳴らす。
そうしていると、軍列のあいだを進んでくる攻城塔が、城壁に近づいてきていた。車輪つきやぐらをサラド兵らが何十人がかりで押して運び、城壁にむけて進ませている。
運ばれる攻城塔の頂上には、何人もの魔法少女含む弓兵が立っていて、やぐらの上から、城壁のエレム兵を狙って矢を断続的に射撃している。
その攻城塔から飛ぶ矢は、城壁のデコボコした狭間胸壁に当たったり、中に入ってきたりして、一部の矢がエレム兵を仕留める。
敵国の弓兵たちはこうして攻城塔のてっぺんから狙い定めて、神の国へ次々に矢を放った。
攻城塔は、敵国の城に兵を送り込むための塔、というだけでなく、その高い塔の頂上から、城の守り手の兵を狙えるという利点ももっていた。
鹿目円奈は、この攻城塔からの敵の矢が激しい市壁の地点で防衛戦を続ける。
「かけろ!」
エレム兵士たちが釜に茹でた石油を梯子登る魔法少女にぶっかける。
「誰も登らせるな!」
顔に石油浴びた魔法少女の顔が真っ黒になった。煮える石油に顔を焼かれ、魔法少女は梯子を手放しておちた。
円奈は弓矢を握り、梯子をのぼってきた敵兵の胸を撃つ。
バスッ!
下向きに弓矢が撃たれる。矢狭間から真下、梯子に手足かける兵士の胸へ一直線に矢が落ちる。
心臓に矢が当たった兵士は、梯子から手を放し、20メートル下の地べたへ、落下していった。
ところで、長いこと戦いの戦歴もつ魔法少女は、梯子をのぼる途中、石油をぶっかけられても、痛覚を遮断し、自らの肌の焦げる匂いと石油の強烈な異臭のなか、歯をくいしばって、なお梯子をのぼっているのもいた。
しかしその魔法少女も、守り手が立つ城壁側から火をなげこまれ、石油まみれのまま全身を火達磨にされるともうほんとうに、生きながらえることはできなかった。魂の本体たるソウルジェムにまて火が届いたからだった。
火につつまれた石油まみれの魔法少女は黒くなって梯子から落っこちた。
円奈は、矢狭間に身を乗り出すと、弓に番えた矢で梯子を上ってきた、別のある敵魔法少女の頭を撃ち抜く。
「あぁぁぁう───!」
魔法少女の頭に矢が刺さり、彼女は呻き声あげた。しかし梯子は手放さなかった。他の敵兵の行列同様、梯子に手足をかけて懸命に梯子をのぼる。
円奈が二本目の矢を弓に番えた。ギィィっと弦を引き絞り、限界まで張ると、ビュンと矢を放つ。
二本目の矢も、魔法少女の頭に刺さった。
ビターンと二本の矢が頭にささった魔法少女は、それでも、梯子をまた一段、のぼった。
ソウルジェムさえ矢に射抜かれなければ死なないのだ。
円奈が三本目の矢を弓に番えた。
魔法少女は、あと2段、3段のぼれば、聖地にたどりつく。
しかしその聖地の入り口では、円奈が、弓に矢を番えている。
弓矢を構え持ち、狙いを定めているピンク髪の少女騎士を、サラドの魔法少女はぎりっと歯をかみしめてみあげた。
そして痛覚を遮断して、三本目の矢を待ち受けた。
円奈の弓が矢を弾き飛ばした。
矢狭間から下向きへ矢が飛ぶ。矢は梯子にしがみつく魔法少女の額に食い込んでゆき、魔法少女はふらっと目を白くさせて意識をとばして、梯子からはらりと落ちていった。
痛感は遮断しても、脳神経の中枢を撃たれたことで意識が遮断されてしまったのである。
魔法少女の一人が、がっと梯子にとびつくや、踏ざんに手と足をかけ、勢いつけてのぼってきた。
「神の国へ!」
彼女は、そう意気込んでいた。「聖なる国を取り戻すんだ!」
聖地の壁を決死の想いで駆け上がってくる。
「ふっかけろ!」
しかしエレム市民兵たちが、釜に満たした石油が十分に煮え立つと、矢狭間から釜を傾けて石油をこぼす。
「あああっ!!」
石油は彼女の髪の毛に流れ落ち、熱さに耐え切れずまっさか様に梯子から転落していく。
砂漠にずてんと落ち、頭から肩まで石油に濡れた彼女は、痛感遮断もうまくできなくて、悲鳴ばかりあげて火傷に苦しみつづけた。
まだ、魔法少女になって期間の短い、少女であった。
こうして神の国の城壁では、何十万人というサラド兵が攻めるも攻めるも次々に返り討ちにあい、城壁の下に転がる死体は山のように積まれていた。
エレム市民たちは、三日目も、なんとか敵軍の猛然たる攻めを懸命に守り抜いていた。
だがそうもしなければ、聖地に住まう、女子供たち、自分たちも家族も、皆が死ぬのだ。
若い青年は父・母を守るため、老年の兵は妻と子を守るため。敵兵たちと戦う。
「火炎弾を!」
円奈が防壁の板囲いから再び弓矢を放ち、梯子を登ってくる無数の敵兵たちの頭に当ててみせると、新たな指示を味方に与えた。
「火炎弾を持て!」
また、敵のやぐらが神の国に接近しつつあったのだ。
矢が激しく飛び交うなか、やぐらだけはその聳え立つ威圧をみせながら、神の国を防衛する兵士たちの目前まで運ばれる。
次の瞬間、攻城塔のてっぺんから、敵の魔法少女たちが現れて、矢を構えてエレム兵めがけて放ってきた。
「伏せろ!」
「危ない!」
円奈たちは城壁の陰に身を隠した。矢狭間に背をあてて伏せる。その頭上を敵の放った矢が次々に通過する。
やぐらの塔のてっぺんで、魔法少女たちは、狙いを定め、鹿目円奈らに矢を放っている。
断続的に放たれ続ける矢の数々。
バチバチと城砦の石に当たって砕ける矢の軸節。
エレム兵はみな、城壁の矢狭間に身を隠している。
その間、防衛の手が緩んだ隙に梯子からぞくぞく敵兵士が登ってきた。
防壁のところに敵兵が何人も押し入ってくる。
「追い返せ!」
「大変だ!」
すると、防戦に参加していたエレムの20人あまりの魔法少女たちが、侵攻された箇所の市民兵たちを援護するために走りよってくる。
梯子だらけの城壁の上を、ふためいて走る。
「こっちだ!」「助けなきゃ!!」四人も五人もつづいて、侵攻の激しい部分へ駆けつける。「早く!」
防壁の真下では、敵兵たちが攻城塔を運び、やぐらは神の国の城壁にぴったりくっついた。
「突撃用意!」
やぐらの中の敵兵たちが、号令をあげている。「神の国の城壁に入れ!」
「火炎弾をうて!」
円奈は指示をだし、エレム兵士たちは城壁に並べられた火炎弾を持った。釜で燃える火に点火し、構え持つ。
攻城塔の橋がエレム側の城壁におろされ、敵兵が流れ込んでくると、昨日もそうしたように、敵兵めがけて火炎弾を投げつける。
「誰も城壁に渡らせるな!」
バリン!
火炎弾から火が飛び散り、石油と硫黄が敵兵にふりかかる。やぐらの跳ね橋は炎上する。
ああああああ────
なだれ込む敵兵は火に焼かれる。
火に包まれ、衣服と身体を燃やし、何十人という兵が立ち込める火に呑み込まれる。
「斬れ!」
円奈は火に燃えて暴れ狂う敵一人一人を剣で斬りつけ、全員殺傷し、ここの城壁も守ったが、ふと聖地入口の門近くに建つ見張り塔に、あってはならぬ光景をみた。
「……そんなっ!」
円奈が見たのは、正面門を守る見張り塔に打ち立てられた”月印の旗”。自国の六芒星印の旗は取り払われ、敵サラドの魔法少女たちが、そこに月模様の自軍の軍旗を立てているのだ。
それは他でもない、”城壁制圧”のしるし。
陣の中央にあって戦闘を見届けていた敵国の王・雪夢沙良さえ、これには満足げに、一歩進み出て自国の軍旗が神の国に打ち立てられたのを眺めた。
一部の城壁が敵軍に制圧された。
「なんとかしないと…っ!」
円奈は声を漏らす。
いまごろ制圧された見張り塔に敵兵が集中し、突破口にされ、そこからどっとエレム市内に押し寄せるのを想像してぞっとした。
円奈は剣を抜き、きいっと、敵陣で満足げな顔をしている雪夢沙良を睨みつけると、正面門めざして走り出した。
行く手を阻むように、防壁の通路に陣とって現れる敵兵や、魔法少女は、剣で撃退した。
敵兵の顎を斬りつけ、魔法少女の頭を切り落とし、また現れた別の魔法少女の身を裂く。
「邪魔しないで!」
新たに梯子をよじのぼって、エレム城壁に乗り出してきた魔法少女には、その腹を蹴飛ばして梯子から落とし、邪魔する者を全て撃退しながら、エレム市民兵に指示した。
「"バリスタ"用意!」
ばっと手をあげて、エレム兵たちに命令をくだす。
「バリスタ撃ち方用意!」
エレム兵が円奈の指示うけて、動き出した。
見張り塔に設置されたバリスタの発射台に、ロープを取り付けた巨大な槍をセットする。
槍の先端には鋭い爪をした"ボルト"。
ガシャンと鉄の音がして、ボルトつきの長槍がバリスタ───巨大弩砲に装鎮される。
「用意だ!」
エレム兵士たちが協力しあって、他のバリスタにもボルトつき長槍を発射台に設置させる。
だが、その間も城壁にとりつけられた移動櫓から、何百人という敵兵がエレム市内に突入する。
円奈が留守にした部分に、つけこんだのだ。
すかさず、抵抗する城壁側のエレム兵士とのぶつかり合いの混戦に入る。
「バリスタ用意!」
エレム兵たちが声あわせ、城壁の下に伸びた長い鎖を握った。
「鎖を持て!」
エレム兵士たちは、まるで綱引きするみたいに、長い鎖をそれぞれその手にしっかり握る。
円奈は正面門にたどり着き、見張り塔へ繋がる梯子を登った。見張り塔にのぼると、そこにはサラド国の月印の軍旗を立てた魔法少女たちが6人ほどと、10人ほどのサラド兵がひしめいて陣取っていた。
味方のエレム兵はみな死体となって転がっていた。
円奈はたった一人でそこに突っ込む。城壁の縁から飛び降りながら魔法少女の顔を足で蹴り、見張り塔に乗り込むと、旗持つ魔法少女の衣服を両手に掴み取るとバンと城壁に投げ出し、落ちていった魔法少女を尻目に、ベルトの鞘から小刀を抜き出して、それを握り締めて旗持つ他の魔法少女の首を切った。
血が飛び散るなか、円奈はその小刀を抜いて別の敵兵士の肩へとぶっ刺し、敵兵士が悲鳴あげる傍らで、まだ旗をかたくなに立て続ける魔法少女の背中のマントをひっぱって、後ろ向きにすてんと転ばせると足で踏んづけて動きを押さえ、他の魔法少女と交戦する。
小刀を敵兵の顔に突きたて、鞘から剣を抜き、旗持つ魔法少女の腿肉を斬り、膝をかくんと落として倒れる魔法少女の背中を蹴って城壁の縁から突き落とした。
敵国の月模様の旗は一本、また一本と失われていったが、円奈が最後の一本にとりかかったとき、魔法少女の剣が、円奈の腕に襲い掛かった。
「死ね!」サラドの魔法少女の声が響き渡った。
ザクン!
「ああっ───!」
その両刃の剣は円奈の鎖帷子に守られた腕を斬り、円奈は思わず手を引っ込める。そして、この左腕がもう使い物にならなくなった感覚がすぐにした。
「ううっ──!」
しかし片腕が使えなくなっても、円奈は奮闘する。
斬られた左手をかばいながら、残された片手で剣を振り回し、見張り塔にひしめく敵兵の足を幾本も斬る。
足を斬られた数人の敵兵が死体折り重なる床に倒れる。
「バリスタ撃ち方用意!」
その間も、エレム兵士たちは、見張り塔のバリスタ発射準備にかかった。城壁がサラド兵とエレム兵でごちゃこぢゃ入り乱れているなか、巨大弩砲の発射装置にロープつき長槍がどうにしかして装着される。
「持て!」
こうして戦闘が激しく続けられるところに、エレム軍から命令の声があがった。
それを合図に、エレム兵士たちは城壁下に伸びた鎖を一人一人持ち上げ、引っ張る準備をする。そう、綱引きのように。
円奈は力をふるって敵国の重たい軍旗を持ち上げた。
城壁の凸凹の形した縁に足をかけ、身を乗り出し、両手に握った軍旗を戦場の空にむかって投げる。
自分の身長二倍以上もある軍旗は、こうして宙に放り出され、ゆっくりと月印はためかせながら砂漠の敵陣へと返される。
敵軍の旗を神の国から追い払うことに成功した円奈は、すると、バリスタ発射命令の怒号をあげた。
「"バリスタ"撃て!」
返り血まみれの顔でそう叫び、その血の塗れた腕をばっと降ろすと、攻撃命令を下す。
「バリスタ撃て!」
エレム兵士たちが何人も巨大弩砲に集まって、その重たい引き金を引いた。
ボルトとも呼ばれる、鋭い爪のついた長槍が、この弩砲から発射される。バシュ!っと音をたてて、槍が一直線に飛ぶ。
狙うは攻城塔。
エレムの城壁に何十台とくっついた敵軍の車輪つきやぐらだ。
「発射!」
また別の見張り台からバリスタが発射される。巨大弩砲からロープの巻かれた長槍が飛び出す。
発射されたボルトつき長槍からロープがしゅるしゅる伸びる。
「狙え!」
その隣の見張り塔からもバリスタが発射された。ロープつきの槍が巨大弩砲から飛び出す。
ぐるぐるとぐろ巻いたロープがしゅるしゅるとぐろを解きながら伸び、槍と一緒になって空中を飛ぶ。
槍が飛んでいく軌跡をそのまま縄が描いているよう。
「発射!」
へびのように伸びるロープつき槍は、捕食するように、ズサと攻城塔に突き刺さり、貫通してボルトの爪が奥に食い込んだ。
「撃ちます!」
次にバリスタを発射したのは、エレムの魔法少女。バリスタの発射装置の引き金をひき、敵軍の攻城塔を狙う。
このバリスタから放たれた槍もまた、ロープを伸ばしながら攻城塔にグサリと突き刺さり、ボルトが食い込んだ。
敵軍の攻城塔に命中したボルトは、その爪を奥深く食い込ませる。こうなってはそう簡単には外れない。
「引っ張れ!」
仕掛けが整うと、神の国の城壁では再び命令の声が轟く
砂嵐と激しい合戦の声が騒然とするなかで命令が叫ばれる。かろうじでこの声はエレム市民兵たちの耳に届く。
「引っ張れ!」
掛け声あがるや、エレム兵士たちが声そろえて鎖を一方向にぐいと引っ張った。綱引きのように。
最初はなんの変化もなかったが、何十人という市民兵たちが懸命に鎖を引っ張り続けた結果、次第に恐るべき効果を発揮しはじめた。
それは、縄引きに結び付けられた重たいものが、すぐには動き出さないのと一緒。
けれど引っ張り続けていれば、どんな重たいものでも、次第に動くようになる。
今回は、それが攻城塔であった。
「う、うわああ!?」
神の国にくっついた攻城塔の橋を渡ってエレム城壁に突入しようとしたサラド軍の魔法少女が、突然ぐらりと足元が揺らいで、思いかけず転んでしまった。
彼女は最初、何がおこっているのか分からなかった。
しかしその魔法少女は、”攻城塔が傾いている”という、信じがたい事態に気付いた。
「うわああああっ」
それはいよいよ確信にかわっていく。
世界が斜め向きに傾いていくや、魔法少女はバランス失って、やぐらの跳ね橋から滑り落ちた。
落下しそうになるところを、ぎりぎり指だけで跳ね橋にぶら下がって耐えた。
しかしその魔法少女が見たのは、攻城塔本体がぐらっと傾き、今にも倒壊しようとしているところだった。
「引っ張れ!」
エレム城壁の別の箇所で、攻城塔に食い込んだ長槍とロープに結びつけた鎖を、エレム兵士たちが引っ張っていた。
最初はびくともしないかった攻城塔が、次第に傾きはじめて、ついには重力にまけて倒壊しはじめる。
神の国の防壁に並んだ何十人とというエレム兵が、一丸となって鎖を引っ張る力が、攻城塔を傾けているのだ。
「…」
サラド軍の本陣では王の雪夢沙良が、側近のスウやアガワルに見守られながら、自軍の攻城塔が斜め向きに傾くにわかには信じがたい光景を無言で見つめる。
「引っ張れ!」
傾きはじめた攻城塔は、長槍に結び付けられたロープと鎖に引っ張られ、ついに地面へ倒壊した。
巨大なやぐらが、ぐらっと傾き、軋む音を大気に轟かせながら倒壊してゆき、どしゃあああと重い音たてて攻城塔は崩れおちた。数え切れないほどのサラド兵がその下敷きにされた。
塔が倒れた場所には、砂埃が巻き起こって、倒壊したやぐらを覆い隠した。
もう雪夢沙良は我慢できず、一歩、また一歩前へ進み出た。スウですら目に驚愕の色を湛えて、主君を抑えることを忘れている。
沙良は目にしているものが信じられないというふうに、薄ピンク色の目に攻城塔の倒壊を映し、そして、続々倒れ落ちる攻城塔の下敷きにならぬよう、エレム城壁の下から逃げ出す自軍の兵卒たちを見つめていた。
そんな、バカな。
「落とせ!」
サラド軍に大きな動揺が起こっているさなか、エレム側からの新たな仕掛けが発動される。
「落とせ!」
号令がなり、城壁に吊り上げられていた木箱の錘が落ちる。
その木箱のロープは、攻城塔に食い込んだバリストの長槍に結びつく。
ズシン、ズシンと落ちた木箱の錘に引っ張られ、重力に負けて攻城塔がぐらっと横向きに角度を傾ける。
「見ろ!」
城壁下で戦っていたある一人のサラドの魔法少女が、さすがに平常心を失って、ただただピサのように傾いてしまった巨大な塔を指差し、みあげた。
そして自分がその倒れ落ちる塔の影下にいることに気付き、下敷きになることを恐れ、慌てて城壁下から逃げた。
「なんてことだ!信じられない!」
ぶらぶらと剣を弱々しくぶら下げ、他の魔法少女や人間たちと一緒に、そそくさと神の国の城壁下から逃げ惑う。
どしやあああと、数秒後、巨大な塔は真横に傾いてついに倒れた。砂漠に落ちるや、目も覆うほどの砂嵐が捲き起こって、彼女は思わず目を腕で覆う。
「ぐっ」
砂と一緒に猛風が吹き荒れ、彼女の髪を砂まみれにする。
攻城塔には数百人もの敵兵が入っていたが、倒壊した瞬間、その人間たちが坂を転げる玉か何かのように弾き飛ばされて、砂漠に投げ出された。そしてやはり玉のように砂漠のうえをころころ数百人が転がり落ちた。
その数百人全員が、打撲するか骨折、重傷となった。
それだけならマシだったが、倒れてしまった攻城塔のなかには、原型も留めず全壊してしまったものもあり、中に入っていた敵兵たちは生き埋めにされる。
傾き始めた攻城塔の橋に最後までしがみついていた魔法少女は、力尽きて落ちた。
その落ちる影がエレム城壁に映った。
そう、攻城塔とは運びやすいように、車輪の上に浮いて立っているやぐら。その弱点は、足元おぼつかなく、外部からの力で転倒しやすい、ということ。
その弱点を円奈は正確に把握し、仕掛けをうち、突いてきた。弩砲バリスタを使ってロープを絡みつけ、兵士たちの力で引っ張るという工夫によって。
結局この仕掛けが発動してから攻城塔は、数十秒間のうちに次々に連続して倒壊し、ドミノ倒しになり、傾いて倒れた攻城塔が隣の攻城塔をも巻き込んで共倒れになったりした。
そしてその数十秒間の出来事のうちに、千人とも二千人ともなる犠牲者がでて、城壁下に群がる万の兵士は戦意すら失って神の国の城壁から逃げ去ったのである。
雪夢沙良は自軍の本陣からその光景を見ていた。自軍が、敵側の知恵の前にめちゃめちゃにされてしまうその光景を。
城壁から一切の敵が去ると、鹿目円奈は、返り血だらけの顔で雪夢沙良を見下ろし、ただそのピンク目を見開いて、敵国の王に自分の揺ぎない戦意を見せ付けるのだった。
六芒星の国旗がその城壁で、あまりの出来事に静まり返った戦場の風になびいてゆれていた。
「……」
スウもアガワルも言葉を失っている。
雪夢沙良は驚愕とショックを受けた目をしていたが、エレム側の、あの鹿目円奈という娘が、神の国の城壁の見張り塔からこちらを睨むように見下ろしているのにきづくや、少しだけ、ふっと口元をゆるめて、わずかに頷いた。
「…」
円奈が、敵国側の王のみせた意外な反応に気付いた。目がすこしばかり大きくなった。
それは、きっと気のせいではないだろう、敵国の君主が心でそっと円奈を認めてくれた瞬間であった。
つまりただの10代の若い小娘ではない。強大なるサラド軍に対抗できる戦士なのだ…と。
開戦三日目。
いまだ神の国の城壁、おちず。
この日も、エレム市民兵たちの決死の抵抗によって、そして鹿目円奈の奇策によって、敵軍の手から聖地を守りきった。
613
開戦三日目の夜。
円奈は、武器持てぬ女子供たちが避難した聖地の地下空間へ降り、しばらく太陽を見ていないエレム民の女子供、老人たちが、食料や水に不足していないか、健康に困憊していないか、様子を観察しに回っていた。
貯蔵庫にも観察に回って、エレム国に残された食糧はあと何日、兵と避難民たちの命をつなぐか、あと何本の弓矢と、あと樽何個分の油がのこっているか、確認した。
今日の戦闘で、鹿目円奈も左腕に深手を負っていたので、円奈は地下通路に設置された臨時病院の元を訪れ、エレム人の医者に腕をみてもらっていた。
ぺろ、と円奈の腕の皮がまくられ、すると敵の剣にかかった切り傷が、肉まで達しているのが露になった。
円奈は、医者にケガを負った部分の皮を鋏で剥かれると、ぐっと痛そうに顔をゆがめ、歯をかみ締めた。
そして医者は、酢を浸した綿で円奈の切り傷をあてて消毒してゆき、これがまたとんでもない激痛を伴うのだが───あとは包帯で覆って、円奈の腕を止血した。
腕の応急処置が完了すると、円奈はその腕に再びチュニックの衣をかぶせ、鎖帷子を着込んだ。
ほむらが、ぞっとその後ろについて、円奈を、見守っていた。
614
サラド国のほうでは、三日目の戦闘で戦士した数千人の死体をエレム国の市壁から引き取り、そして、葬儀のために大きな穴を掘って、そこに戦死者を置き並べていた。
戦死者たちは皆、足先から頭まで白い布に巻かれている。
遺体は、列そろえて数百人ずつ横に並べられ、サラドの王雪夢沙良が、戦死者たちの前で祈祷を唱え、ついに雪夢沙良が顔を手で覆って涙したあと、部下たちによって穴に土がかぶせられ埋められる。
戦死者たちは土に還る。
鹿目円奈はエレムの民と共に聖地を守ろうとし、雪夢沙良はサラドの兵と共に聖地を攻める。
このことが、三日間でこれほどの死者を出すに至ったのであった。
615
いっぽう鹿目円奈も、自分の腕の治療と、地下洞窟に避難した女どもたち視察が終わったあとは、地上に出て、今日のエレム国内における味方の戦死者たちの処理という問題に当たらないといけなくなった。
サラドが土埋めを選んだのに対して、エレムの円奈が選んだ死体葬儀の方法は、火葬だった。
市壁に囲われた広場の地面に、大きな穴を掘り、その中に魔法少女ふくむ戦死者数百人を、布にくるんで並べおき、そして松明の火を部下たちに持たせ、自分も松明の火を持つ。
「鹿目さま、火葬はわれわれエレムの習慣に反します」
と、元侍従長のバイト・アシールが、円奈に横槍を入れた。
「土に還すのがわれわれの死者との別れ方です」
しかし、円奈は敢えてその方法は選ばなかった。
「もし今、死体を焼かなければ───」
エレムの新しい王となった彼女は松明の火を持ちながら、考えを述べた。
「三日で疫病が国中に蔓延する」
この聖地と呼ばれる都は小さい。わずか周囲数キロの市壁に守られただけの小さな町なのだ。
死体を焼かなければ、誰かに疫病が移り、それは三日で市民兵じゅうのあいだに流行するだろう。
「円環の女神は理解してくださる」
と円奈はいって戦死者たちを火葬する意思を変えなかった。
「もし理解しなければ───」
さらに彼女は、つぶやくように言うのだった。
「それは、神ではない。心配はいらない」
といって、戦死者たちを並べた穴に、松明の火を投げ込む。
それに倣って部下達の松明も投げ込まれ、葬儀の火は、死体たちの体くるむ布に、燃え広がっていった。
炎の海となる。
それは、聖地の夜を灯す明るさほどにもなった。
616
サラド側の軍営地では、四日目を迎える明日の戦いにむけて、軍議を再開していた。
雪夢沙良たちは戦死者の葬儀をおえて、王の幕舎に側近部下たちと共に戻り、明日聖地をどう攻めるか、話し合ったのである。
「門のあった部分を破りましょうよ」
と、アガワルが、今日の戦闘で気づいたことがあった、と雪夢沙良に報告していた。
あのエレム城壁には弱点がある、というのだ。
それは赤い袴の巫女服を着ている魔法少女、スウも賛成した。
「門を埋め込んだ壁は弱いです」
あのエレム城壁のうちの一部には、もともとは門であった場所を壁に埋め込んだ箇所があり、そこは破壊できるのではないか、という報告だった。
「強いかも」
サラド国内の過激派、花柄と紫の袴の魔法少女、茶翡翠が反論する。
「いいえ、弱い!」
アガワルは自分の意見を変えない。
「この目でみたもの!」
といって、自分のオレンジ色の瞳を指で差して、強調した。
「あそこが私たちが、神の国へ入る扉になるわ」
すると、雪夢沙良も絨毯の敷かれた軍舎の幕下から、あの遠い神の国の城壁の、門が埋め込まれてその形がまだ浮き彫りになっている、城壁の一箇所を睨んだ。
石で塗装されてはいるが、門の形がのこっていて、目立つ。
門があった分だけ、そこは石が少なくて、壁が薄いはずだ。
投石器の攻撃を集中させれば、破壊できるかもしれない。
617
同じ頃、円奈もこの聖地の城壁の弱点に気づいていた。
そして、門を埋め込んでいる箇所の裏側へとまわり、もしこの弱点が敵に気づかれてはまずいと考えて、この日の夜のうちに部下たちと市民兵たちに、補修工事をさせていた。
「この箇所だけは死守しなければ…」
独り言のように鹿目円奈はつぶやく。
「いま、できる限りの強化をさせる」
聖地の王である円奈の囁き声を、そばに仕え確かに耳にしているのは、側近騎士・アルマレック。頭のはげた男騎士だ。
兵たちは市内から木材をはこび、門を埋め込んだ部分の城壁の裏側に立てかけ、ある程度、この壁を強化させる。
一夜という限られた時間だけでできる補修工事は、これが限界だ。
市民たちは、門を埋め込んだ壁の裏側に木材を組み立て、トンカチをガツガツうって強度を高める。
これで、壁が敵軍の投石器攻撃に晒されて、外側から投石に叩かれても、内側にたてかけた木材が、壁が傾くのを支える。
つっかえ棒の役割をするのだ。
そんなに目立った強化工事とはいえない。しかし、無いよりかは希望が持てるようになるはずだ。
もっとも、敵がこの城壁の弱点に気づいていないのが、一番いいのであるが…。
634 : 以下、名... - 2016/05/27 00:27:09.60 IT3OEsqS0 3085/3130今日はここまで。
次回、第88話「神の国攻防戦・四日目」
第88話「神の国攻防戦・四日目」
618
そして、開戦から四日目は、運命の日となった。
敵は、エレム城壁の弱点に気づき、その門が埋め込まれた城壁の部分の前に、全兵力を集中させ、何十台とある投石器を並べおき、この弱点の箇所だけ狙うようにして、集中砲火を浴びせかけてきた。
「同胞たちよ!」
この朝、運命の戦闘四日目、サラド王の側近の一人・茶髪に赤みがかった目をした魔法少女が、馬に乗りながら城壁前に並び立った数百人の魔法少女たちに呼びかけていた。
「円環の神がこの日を与え下さったのだ!」
その日特に強く吹き荒れる風が、彼女の茶髪を激しくゆらす。彼女の名は茶翡翠。本名でなく自らそう名乗る魔法少女。
服装は、花柄を描いた衣に、紫の袴。水引きという髪飾りを結ぶ。
「神の国に共に入ろう!」
馬の手綱を片手に、もう片手は天にむかってのばし、日の光を手に集めると、叫ぶ。
「捕虜はとるな!敵が200年前にした復讐は、今日ここに果たす!皆殺しだ!!」
その赤みがかった目に、復讐心に燃え上がった昂ぶりが映える。
そして自らの救い主を讃える言葉を、天にむかって唱えるのだった。
「円環の女神が、勝利を与えくださる!」
すると、城壁の崩壊を待ち受けるサラド数千人の魔法少女たちも、それぞれの武器、剣や弓や、槍や矛などを持って、口々に、唱えるのだった。
「円環の女神が、勝利を与えくださる!」
魔法少女は誰しもあこがれる。そこに夢みる。
女神の国、神の国、天の円環の理に、もっとも近い地上の聖域に。
サラドの魔法少女たちは今日、そこに入門を果たすのだ。
この声が叫ばれるなか、サラドの陣営から、投石器の岩塊が、雨のように空を飛び、そして連続的に門を埋め込んだ弱点の城壁の箇所にぶち当たる。
岩は空を高々と飛んだあと、神の国を守る弱い城壁の部分に落ちて砕け、すると、エレムの城壁も弱まっていった。
むなしくも。もろくも。
途絶えることない容赦ない投石器の攻撃。
トラブシェット投石器が、錘をぐると落としながら天秤棒から岩を空へ打ち上げ、空から勢いつけて落ちてきた隕石のような岩が、エレムの弱い城壁を叩き続ける。
こうして10弾、20弾という岩塊がエレムの城壁に降り注ぎ、ばらばらと粉々に砕けちったとき、わあああああっとサラド全軍が興奮の声をあげた。
砂漠に木霊する鬨の歓声。
それは、聖地からエレム人を追い払うという念願、エレムへの血の復讐の日という念願への叫びだった。
サラド王の雪夢沙良は、相川香が隣で、微妙な視線をぶつけてくる中、皆殺しだ、皆殺しだと叫ぶサラド全軍の勢いの中心に立って、崩壊しつつあるエレムの城壁を、冷たく平静に、眺め続けていた。
619
そのエレム城壁の内側では、鹿目円奈が、破壊されつつある城壁の前にたち、すべての兵を集め、この日の最終決戦のに臨む兵たちに、最期の振起を呼びかけていた。
「城壁が破られたら──」
そう語る円奈の後ろで、サラド軍の投げつける投石器の岩が、また城壁にあたり、円奈の背後の門を埋め込んだ壁がヒビわれる。
どしゃあっ、と音がなり、地揺れはエレム兵すべての足に伝わり、耳を劈く。
石が細切れになった砂埃が、壁から市内へとこぼれ、この城壁がもう長くはもたないことを、見るものに理解させる。
「もう、逃げ道はない」
と、円奈は宣告した。
逃げ道はない。
エレム兵すべての目が、死の恐怖と、数分後には訪れるサラド軍の突入に、こわばっていた。
この聖地はサラド軍に包囲され、城壁もついにくずれる。敵軍が町に突入してくる。
もう、逃げ道はない。
「武器を手放せば───」
エレム兵たちの先頭にたち、この最終対決に受けてたつ鎖帷子の少女騎士は、恐れをはねのけて、兵士たちを励まし、勇気づけさせていた。
「わたしたちは決して助からない」
その声は、聖地に残るすべての市民兵の耳にとどく。
武器を手にもったすべての市民兵。それは、三日の戦争を生き残った少ない同胞たち。
槍と、盾と、剣を持たされた少年兵たち、青年たち、年端もない、手にクロスボウを持った少女たちである。
みな、死に直面した現実に顔を引きしめつつある。この四面楚歌、敵軍に包囲された城に、敵が侵入してくるという最期の覚悟を悟った顔だった。
そのとき、どがぁん!と破壊音が轟き、またも城壁が投石器の攻撃に直撃され、脆い城壁の箇所はまたも、ぱらぱらと細切れになった石の断片を飛び散らせた。
崩れ去っていく、削られていくエレム城壁。
この壁の崩壊と共に、聖地の民は死にゆく運命だった。
「私達は必ず敵軍に打ち勝てる!」
と、円奈は鎖帷子に包まれた怪我した腕を握り締めると大声で告げた。ぎらぎら、銀色の鎖帷子が炎陽の日を反射する。
それは、絶望のさなか勝利という希望を求める、最後の死に間際の声。
「迎え打って!敵を!」
鹿目円奈が声を枯らせて最期のときまで叫ぶと。
エレム国の兵士たちは、───人間も魔法少女も───手にそれぞれの武器を高く持ち上げると左右に揺らし、戦いの喊声をあげた。
斧やクロスボウや、槌や槍や剣を────
みな振り上げる。
「迎えうとう!」
そうエレム兵たちが叫び、大きな喚声をあげ、鬨の声をあげたのと同時に、最後のサラド軍の投石器のどでかい岩塊が、空を切りながら飛んできた。
それは門を埋め込んだ弱い城壁にとどめをさし、壁を壊し、エレム城内側にまで、転がりこんできた。
「うわああ」
兵たちは飛んできた岩塊に直撃され、いきなりエレム兵の戦列が崩れ、何十人と怪我を負った。
ガラガラガラ…
そう音たてて崩れ、ついに城壁が崩れだすと、もろくも壁全体が落ちてゆき砕けて去る。
なくなっていく最後の壁。敵軍の侵入を守っていた壁。
その城壁はなくなり、瓦礫の山となった。
砂埃と土砂、石破片が煙のようにあたりじゅうに立ち込めて、目に何も見えなくなると、両軍とも静かになった。
しかしそれは嵐の前の静けさだった。
城壁の崩れ落ちて舞い上がった砂埃がやみ、石の破片があちこち飛び散ったあとは、エレム城壁の一部は崩れてなくなり、エレム軍とサラド軍が、顔を見合わせあったのである。
と同時に、聖地を包囲したサラド兵の軍が、わあああああっと声あげて、なだれ込むようにエレム市内へ突入してきた。
手に剣を持った敵国の魔法少女たち、続いてサラド兵たちが、喊声だしながらエレムの町に圧し入ってきた。
敵軍は神の国に入ってきた。
「迎え撃て!」
聖地の新王・鹿目円奈が打って出た。
その決死の突撃で、円奈は身を守るための盾すら放り投げてしまい、剣を両手に持って敵軍を迎え撃つ。
全員が全員、死を覚悟し、死兵も同然となって、エレム市民は武器を手に城壁の割れ目へ突っ込んでいくのだ。
対する外側ではサラド軍が先頭きる数百人の魔法少女と、数万人の兵士たちが、一緒になって滝の如く城壁の割れ目になだれ込みはじめ、殺到し、我先にと崩れたエレム城壁の瓦礫をわらわら登りだす。
瓦礫を登り、エレム国内へ侵入してくる。
迎え撃つエレムの兵士らの数百人は、鹿目円奈を先頭にして、剣や、斧を手に、数百人が崩された城壁の裂け目に走り、崩された城壁の瓦礫を登る。
サラド軍との最後の混戦に入る。
瓦礫の山を越えさせまいとエレム軍は先に瓦礫の山に陣とって、敵軍につっこんだ。敵国の兵士たちと盾と盾、剣と剣が激突する。
鹿目円奈は、聖地の崩壊した城壁の残骸となった瓦礫の山を上りきると、目に飛び込んでくる視界に、殺到する20万の敵軍が群がっているのを見た。
円奈は、盾さえ捨てて、剣一本でその敵軍の海へと突っ込む。
サラド兵たちは全軍あげて城壁の割れ目に侵入してくる。
対する鹿目円奈らエレム軍は、円奈を先頭にして、百人あまりのエレム国の魔法少女がつづき、その後ろにエレム兵らがつづいた。
鹿目円奈が先頭きって敵兵士の頭へ剣を振り落とすと、続いてエレム軍の兵士たちが各々やってきて、武器をサラド軍にあてつける。
バキッ
ザクッ
ゴキッ──
そんな音が両軍衝突の混戦に鳴り轟き、円奈たちは押し寄せるサラド軍に最後の抗戦を挑む。
ほむらは、そんな状態のなかにあって、長年つづいた自分の死すら決めて、先頭で戦う円奈のあとに続いて戦闘に加わった。
円奈は、対面する兵士の腹を剣先で貫き、抜くと、変身した魔法少女たち一人一人の頭に順に剣を振り落とし、血で染める。
右にも敵国の魔法少女、左にも敵国の魔法少女の戦いを、戦いぬく。
だが、敵国の魔法少女だって、この戦いは懸命である。
なにせ円環の理の国に、やっとその足を踏み入れた第一歩なのだ。
この戦いを生き残って、神の国の救いをその身に感じ取りたいという願いは、サラド国の魔法少女はみんな思っていることだ。
自分たちは、魂を抜かれた脱け殻の身体を知っている。
だがこの国にさえ入れば……
それは、世界でただひとつ、この神の国でしかありえないのだ。他のどこでもない。ここなのだ。
円環の理は迷信かもしれぬ。だが、迷信では決してない、少なくともこの国にさえ入れば!
自分達は、脱け殻で、からっぽで、いつもいつも、日に日に穢れるソウルジェムに怯えていて、でもそれは自分自身で──
濁りきれば、どうなってしまうのか、考えるだけでも恐ろしい。
でも、ここには円環の理という、救い主がいる。それは妄想かもしれぬ。数多もの、魂を犠牲に差し出した魔法少女が後悔の念にとらわれ都合のいい妄言をいっているだけなのかもしれぬ。
だがそうではない。円環の理は本当に、確かにいて、それは、この神の国にさえ入れば、その存在を感じ取られるのだ。
ここが、救い主が誕生した土地だから。
だから世界のすべての魔法少女は、神の国に入ることに憧れる。執念を持つ。
だが、最後に立ちはだかるエレム軍がそうはさせない。
押し寄せるサラドの魔法少女たちを、出て行けと押し返すのだ。
サラドの魔法少女は剣を握り、もう目前にした神の国の土地に入るために、懸命に戦った。
裂け目を守るエレム兵の盾に剣をふるい、ガシガシ叩き、押し寄せて、神の国に押し入ろうとする。
ただ、神の救いを感じ取りたい、ただその一心で。
かつてそこで、一人の魔法少女が自分たちのために祈り、円環の理となったその過去に、ただ触れたいという想いが、彼女たちを殺し合いに駆り立てる。
だが、エレムの兵士たちはゆずらない。敵国の魔法少女を、神の国に入れようとはしない。
救いの地を求めて血走ったように剣を振るうサラドの魔法少女たちを盾で押し返し、攻撃をふせぎ、そして脇から剣を刺した。
盾の懐から伸びてきた剣に魔法少女が刺される。
神の国へ、あと一歩、あと一歩のところで、次第に力尽きて倒れる魔法少女たちの目に浮かぶ涙は、血に塗り替えられる。
一人、また一人と倒れる魔法少女たちと、その屍を乗り越える魔法少女たち。神の国への入り口に押し寄せ、人間たちを殺す。
円奈は、魔法少女の振るう剣を自分の剣で跳ね除け、弾き返すと、その腹を蹴り、押し返す。
けりだされた魔法少女は、ドテンとよろけて後続のサラド兵士たちに背中をぶつける。
その蹴った魔法少女にむかって、円奈がかつて恩人に教わった鷹の構えをとると、魔法少女が持った盾に思い切り叩き落す。
ダンッ!刃が盾に食い込んだ。
決死の一撃のとき、円奈のあげた声は、もう自分を忘れたような、死人の叫びだった。
エレムの兵士たちが、見た目では年端もいかない魔法少女たちと武器を手に拾いながら殺し合う。
剣を握り締めた円奈は、次第に返り血で自分の顔が生暖かくなっていくのを感じながら、また剣をふるった。
ガキン───
ある敵国の魔法少女の剣にそれがあたる。
もう一振り。
ガキィィィィン──
その一撃で、敵魔法少女の剣が怯んだ。すかさず円奈が相手の脇を刺す。瓦礫の山に倒れこんだ魔法少女は、ふとそこはもう、瓦礫の山ではなく死人の山になっているのを見た───自分が踏んづけているのは、神の国を目前にして死んだ、仲間たちの顔だった。
仲間たちの顔は砂と瓦礫につぶれ、みるに耐えられない悲劇がそこにあると知り、そして、自分もまさに同じ場所にいることを知った。
聖地は血みどろの戦場と化していた。
ピンク髪をした敵国の少女騎士が、私の命を狙って、雄たけびに口を開けて剣を落としてくるのだ。
その横では、足を負傷して立てなくなったエレム市民兵に、手にもった鉄槌を何度も何度も叩き落す魔法少女がいた。
エレム兵士は、泣き叫びながら槌の攻撃から顔を庇い続けるだけ。
やめてくれ───そんな叫び声すら、戦場の混戦にかき消される。
もう、死んでようが生きていようが魔法少女は敵兵の顔を槌で殴る。
エレム兵の顔はつぶれていく。
また、あるエレムの兵士が瓦礫の下にころんだ。
悲鳴あげながら血だらけの瓦礫に手をつき、足をつく。すると彼は、着込んでいた鎖帷子を、痛みに狂乱しながら脱いだ。
すると、鎖帷子に染み込んだ血がボタボタおち、真っ赤になった肩と、腕とが、露になった。
彼の友人であるエレム兵が倒れた彼を庇った。
「ううっ……!ううっ…」
そんな兵士たちと同じように、円奈もついに瓦礫の下に崩れ落ちて、手をついた。剣を取りこぼしてしまう。
ギラギラとソウジェムの破片が血の海に煌く瓦礫に手をつき、痛みに目をぎゅっと閉じながら、尻ついて倒れこむ。
倒れこむと、兵士たちのひしめく足の数々と、その間で煌く、天の光が目に入った。
円奈は鼻筋に流れる返り血もふかずに目を見開くと、手からとりこぼしてしまった来栖椎奈の剣を戦場を這って拾い、再び握り、血だらけの瓦礫を必死に起き上がって、目前の敵魔法少女の剣を斬りつける。
相手の魔法少女も歯を食いしばってそれに対抗した。
ギィィィン───
剣先同士が絡みあい、そしてその剣の交差した部分を、ある光が照らした─────
円奈の目に映る、その天からの光の筋。
ガチャャャャン───
再び剣同士があたる。そして、煌く剣同士の交差する十字の光────太陽。天から降りた光が煌く。神のもたらした光。
円奈は血みまれの剣を握り締め、歯を食いしばり、目前の魔法少女を殺すために、剣を振り切った。
魔法少女は、静かに崩れ、倒れる。
ふと円奈は、死を覚悟してわれも忘れて戦いに身を投じ、殺せるだけ殺しきったあと、自分がある境地に辿りついたことを悟った。
それは、完全に冷静な境地にして、何かが覚醒している境地。
なにもかもが見える。
一人また一人と倒れるエレムの戦士たちの姿も、倒れたサラドの魔法少女を、必死になって抱き起こして、守ろうとする仲間の魔法少女も、倒れたエレム兵士を襲う槌の魔法少女を、他のエレム兵たちが何人も引っ張って味方を助けようとしてする姿も。
何もかもが目にはいるのに、自分の意識は完全に目覚めしていて、目の前の敵との戦闘にも負ける気にならない。
そしてまた、一人の魔法少女の首を裂くのだ─────
その隣で、友人の魔法少女が、目に愕きを湛え、首裂かれ倒れた魔法少女に駆け寄り、肩を抱き寄せる。
肩抱き起こされた魔法少女の首はがくんと垂れ、意識を失っている。
それを見て、涙を流し、自分も泣け叫ぶ。
エレム兵士数人がかりで服をひっぱられ、引き倒された魔法少女は、その腹にエレム兵から何本もの剣を受ける。
押さえつけられ、立ち上がることもできぬまま、4本も5本も、剣を体に突き立てれる。苦悶の表情で痛みが叫ばれる。
ソウルジェムを砕かれ、実際に死に絶えた魔法少女もいたが、割られずに、身体だけ裂かれて、生殺しのまま血を身体から流し、横たわっている魔法少女も、何十人といた。
だが、どれほど阿鼻叫喚と、血と死と剣の地獄絵図になろうとも、エレム兵たちは武器を手放さない。
見渡す限り凶器を握った人間と魔法少女が殺しあってばかりいる。
そうして完全に互いに譲らぬままで。
神の国には狂気と恐怖の叫びがいつまでもやまない。
城壁の崩れた裂け目から、どうにかして一歩でも神の国に足を踏み入れようとするサラドの魔法少女たちと、一歩たりとも引かぬエレムの人間たちが、いつもでもおしあいへしあいし、どんづまりの殺し合いを続ける。
一人死ねば後続の兵士が代わりに押しはいり、また一人死ねば後続からやってくる。
永遠と、隙間ひとつ生まれぬ裂けた城壁の押し合いへいしあい。
その、城壁の裂け目に人間と魔法少女が群がってひしめき合うのを、天の女神だけが見下ろしていた。
人と魔法少女が聖地をめぐって殺しあうのを……。
盾同士で押し合いへしあいし、盾の合間をぬってバンバン互いに剣で叩く争いごとを……。
土地を奪い合う人間たちと、魔法少女たちを……。
すべての魔法少女の魂を救いたい、と契約して犠牲になった一人の女神が……。
鹿目まどかが……。
すっかり、城壁の戦いが夕暮れになり、そして次の日の明け方になるまで。
ずっと…。
見下ろしていた。
645 : 以下、名... - 2016/06/26 22:27:04.79 6EdGFLOk0 3095/3130今回はここまで、
次回、第89話「神の国」
第89話「神の国」
"madoka's kingdom of heaven"
Chaper Ⅹ : kingdom of heaven
【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り
Ⅹ章 : 神の国
620
そして。
城壁下の人と、魔法少女は、その全てが死体になった。
あれだけ騒がしく、敵軍が押し寄せ、詰めかけ、押し合いしていた城壁の裂け目は、すっかり静かになり、争いを続けていた者は全て横たわり、死人となった。
争いごともなくなった静かな朝である。
結局、サラドの魔法少女たちは、百人以上も城壁の裂け目で命を落としたが、それだけの犠牲をだしてもなお、本当に神の国に足を踏み入れた魔法少女は、だれ一人といなかった。
全員が、裂け目の途中で瓦礫の山に身を落とし、そして、死んだ。
もうどの死体も動かない。
鹿目円奈は、昨晩ぶっ続けで行われた戦いの疲れを癒やすため、崩された神の国の城壁の瓦礫に横たわり、剣を鞘にしまうことも忘れてじっとしていた。
じっとりと目をひらき、薄く開いたピンク色の目で、城壁の中に重なる死体たちを眺める。
ともに戦った仲間たち。神の国の騎士たち。私と誓いをたてた騎士たち。
もう、だれも動かない。
そんな、聖地で死に絶えた騎士たちを乾いた視線でめながる。
ヒンク色の瞳をした目に生気がなかった。ぼんやりとした目色。
ところが、昨晩に円奈と共に戦って生き抜いたグアル・レーリフリーが、静かではあるがまだ立ち並び陣を張っているサラド軍を見て指差し、声をあげた。「鹿目殿!」
もう変身姿を解いて、普段の鎖帷子の武装姿に戻っていたレールフリー。城壁の上からサラド軍を指差している。
円奈はゆっくりと目を動かし、すると、腰元に刃をだしたままの剣を、身を起こすのと同時に鞘に静かにしまい、死体と血の瓦礫の山をのぼった。
ガラッ…ガラッ。
一歩一歩のぼるたび、瓦礫は崩れ、砕け、雪崩れる。
瓦礫の山を登り、上に立った。そう、割れたエレム城壁の真ん中に。すると目前にはサラドの軍勢の姿がひろがっていた。
20万人のサラド軍が。
相変わらず聖地前の砂漠にずらりと広大に陣をかまえていた。
軍勢はやはり大地を覆いつくしていたが、敵は、今日は朝から休戦の白旗を掲げていた。
それを一人風にゆられながら見渡す円奈。
「雪夢沙良だ」
同じく瓦礫に昇ってきて、円奈の隣に立ったシャアバン(仲間の魔法少女の一人)が、疲れきった顔つきでぼそっと、円奈に言ってやった。
陣張ったサラド軍は、その先頭に一人の白い魔法少女が立っており、彼女の立つところは、部下の魔法少女たちによって、天幕が張られている。
「円奈。お前が雪夢沙良と───」
シャアバンが、傷だらけの顔で、そうピンク髪の少女騎士に呼びかける。「交渉にでるんだ」
円奈は、朝の砂漠のからっ風にそのピンク髪をゆらしながら、まだ頬の返り血も乾いてない顔の、虚ろな目で、サラド軍の最前線に出た白い魔法少女を遠めに見つめた。つまり敵国の王を。
葉月エレナも、双葉姉妹も、あらゆる王族が絶えたいま、サラド国の王・雪夢沙良とまともに対等に交渉できるのは、自分しか残されていない現実に実感が沸かない。
円奈はゆっくりと瓦礫の山を降り、サラド軍の王の天幕のもとへ、たった一人で進み出ていった。
エレムの国王はサラドの国王のもとへ。
進み出ていく。
その背中を、ほむらと、シャアバンが見つめる。
崩された城壁に並びたった、生き残ったエレム兵士たちが。
少年兵が。
少女が。
魔法少女たちが。
エレムの誰もが、敵国の君主のもとへ歩き進む円奈を見守っていた。
ついに円奈は神の国のやぶられた城壁を降りて、黄土に風が捲く砂漠に踏み出て、20万人のサラド軍の前にでる。
その敵陣の側から、雪夢沙良が歩みでてきた。
雪夢沙良は、その美しい白い髪をそよ風になびかせて、天幕の影に先にはいると、円奈の到着を待ち受ける。
薄ピンクの目が細められて、鹿目円奈をじいっと見据える。
円奈もゆっくりと、足を雪夢沙良のもとへと進めた。
鹿目円奈と雪夢沙良。
運命の対決を演じた二人が、ついに顔と顔をあわす。
雪夢沙良は、目の前に円奈がくると、ただ無表情に、頑なな顔つきで、薄ピンクの目で円奈を見据えるや、さっそく用件を口にだす。
「いつ街を明け渡すのだ?」
円奈は雪夢沙良を険しい目で見つめた。
聖地を背にして数歩前に進み出て、天幕の蔭へ入り、雪夢沙良に近づく。
「そうするくらいなら、焼き払う」
円奈は険しい目つきで相手を見つめると、敵国の美しい魔法少女に、歩みつめると敵国の王に答えた。
「私たち双方の聖地を。あなたたち魔法少女を狂わせるこの聖地を、全部なかったことにする」
そう脅しかけ、相手をピンク色をした目で見下ろし、冷たくいい放つ。
また春風が吹いて、円奈のピンク色の髪と、赤いリボンが、なびいてふわっとゆれた。
雪夢沙良はぶっきらぼうな目つきで、じっとピンク色の少女を見据えていた。
相手の脅しを吟味し、ふっとわずかに微笑んだあと、またいつもの頑なな無表情にもどって、白い前髪を春風にゆらしながら、答えた。
「よいことかもしれんな」
雪夢沙良は、むすっとした顔のまま、白い前髪だけゆらしている。
「灰にするのか?」
「なにもかも。すべて」
円奈はすぐに言った。敵国の王を相手に、臆さない。
「私の兵を1人殺せば、あなたがたの兵10人を殺す。そしてあなたがたは、灰になった神の国の、どこが円環の理の生まれた場所なのかを見い出せない。それでもこの街を奪い取る気なら、くればいい。あなたの軍は壊滅する。覚悟して最後を迎えるがいい」
と言い切り、相手を険しい目つきで見下ろし、一歩もひかない態度をみせつけた。
「…」
沙良は、しばし押し黙る。
ただじっと円奈のピンク色の目だけを睨み、目と目を交し合った。それから、城壁の奥のほうを見やって、そこにエレム兵が多く残されていることを示した。
「街の中には子供も、老人もいるであろう」
と、雪夢沙良は、切り出す。
エレム城壁の守備を担った少女に厳しくせめたてる。「私の兵とともに、彼らも死ぬのだぞ」
「…」
今度は円奈が押し黙る番だった。
少しだけ顔をしかめて、唇をかんで、砂漠をみつめる。
これ以上戦えば、犠牲者がでるだけ。そんなことは、円奈にも、分かっている。
でも他に、エレムの民を守る方法が思いつかない。
「…」
雪夢沙良は、依然として一歩もひかない。ぴくりとも身じろきしない。ただ、相手の言葉を待ち受けている。
じっと円奈を見つめ続けている。
ただ風だけが、二人の少女達の髪をゆらし、天幕をしずかにゆらしている。
円奈は、沙良の目を見返していたが、やがて気まずそうに視線をそらすと、しぶしぶと口にした。
「…なら、そっちの条件は?」
ピンク髪にむすばれた赤いリボンが砂漠にふくやさしい風にふかれて、ゆらり、とゆれた。
沙良が、眉を細めて、口をあけるとこう話した。
「君らエレムの民をみな安全に外の他国へ逃がす」
と、沙良は条件をだした。
「1人残らず。女、子供、老人、全員の市民と騎士、王家の家族も」
円奈が沙良の言葉に眉間にシワ寄せた。ギロリと相手を横目で睨みつける。
それでも沙良ははっきり宣言し、約束する。
「血は流さぬ。"円環の女神"に誓って」
円奈は疑っていた。
口でそういうのは容易いが、神の国には、あまりにも血が流されすぎた歴史がある。
「かつてエレム人は、聖地を占領したとき、サラド人を皆殺しにした」
円奈は相手の目を見ながら言う。
すると、白い少女は目を細めて答えをだした。
「私はそいつらとはちがう」
その口調は強く、鋭く、意志があった。
「わたしは、沙良。サラドの雪夢沙良だ」
円奈は息を飲み込み、沙良を見つめた。
雪夢はずっと円奈の目を見つめ続けている。
そのふっきらぼうな表情で。雪のように白い髪をなびかせて。目は、一瞬たりともそらされなかった。
すると………円奈は決断した。
一度だけ聖地の空をみあげ、大いなる青空の下に聳えるアタベク山をみつめ、砂漠をながめ、円環の理のことを思い描いた。
「私たちエレムは」
すぅぅぅぅぅ…。という、大きな呼吸。
そして…鹿目円奈は、答えをだした。
「あなたに神の国を明け渡します」
この瞬間、エレム国200年の神の国の支配は終わった。
魔法少女の国家を建てたい、というエレム人の夢も、終わった。
”円環の理の国”は、サラドに明け渡された。
「セィバリ・イリコ 」
雪夢沙良は自国の言葉で感謝を述べた。
「あなたにも平和がつづくことを」
円奈もわずかに微笑んで、言った。
和議が成立すると、もともとそっけない性格の雪夢沙良はさっさと向きを翻して自軍のもとへ戻っていってしまう。
その白い魔法少女の、砂漠へ去る背中にむかって、円奈は最後に訊ねた。
「神の国とは何?」
すると雪夢沙良は、一瞬だけ立ち止まり、背の向き変えて横目で一言で答えた。「なんでもない土地だ。無意味だ」
そしてマント姿みせて自軍へ戻る。
無意味、かあ…。
さすがに円奈は苦い顔をした。私たちは、”無意味”な戦いをしていたのかな。雪夢さん…。
心のなかが切なさでいっぱいになっていると、沙良はもう一度だけ、クルっと振り返って円奈をみた。
沙良は、今までに見せたこともないような表情で、花のようににっこり笑ってみせた。「だが、すべてだ」
サラドの白い魔法少女はそう言って、両手を胸元で握りしめて、円奈にめいっぱい笑ってみせのであった。
その微笑みは、聖地を手に入れるという、積年の願いをついに叶えた喜びいっぱいの、少女の無邪気な笑いであった。
思わず円奈も笑った。
あのぶっきらぼう極まりない、いつも氷のように無表情な雪夢沙良さんでも、そんな風に笑うんだなあ。
雪夢沙良はもう振り返って、また背をむけてまっすぐに自軍のもとへ戻っていく。
神の国を手に入れたことを、サラド兵士のみんなに知らせるのだろう。
そのふわりと風をふかれてゆれる美しい白髪の少女の後ろ姿を、円奈は見つめていた。
おそらくこれが、この目で雪夢沙良さんを見る最後の機会だろう。
さようなら。サラド国の王。
円奈は振り返った。
振り向くと、神の国があった。
私たちが守るために戦い、そして失った国が。
その崩れた城壁にはエレムの民が残されている。みんな不安と、怯えた顔で自分を待っている。
ゆっくりと、鹿目円奈は神の国へ戻る。
彼女は地面へ目線を落とした。
そこには、悲劇のあとが残されていた。
神の国の崩された城壁に、数百の魔法少女が命を落として死体として重なり、数万の人が戦死して目を閉じ、横たわっている。
足の踏み場もないくらいの、数万人の死体累々の山を踏み越えて、円奈がエレムの城壁に戻ってきた。
死体と、そこらじゅう盾と剣と、折れた軍旗だらけの死体の海を進み、崩された城壁の瓦礫にたつ。
乾ききらないほどの血に塗れた、エレム城壁の割れ目に。
円奈は立つ。
円奈は───その乾いた返り血を頬につけた顔で──エレム国に残された民のみんなを見上げた。
エレム国は滅びた。滅亡した。
みんなが、自分の言葉を待っている。
どの顔にも生気がない。乾いた顔をしている。
みんなが円奈を見ていた。エレムの騎士たち───武器を持ったまだ幼い少女、少年、返り血で真っ赤になった衣装の魔法少女、戦いに疲れ果てたやつれた顔の大人たち───暁美ほむらもシャアバンも───みんなが。
円奈の言葉を待っている。
円奈もまたみんなを見た。顔を見あげて、そしてゆっくりと、みんなに告げた。
「神の国を───」
円奈はみんなにむかって、その言葉を口にだす。「明け渡しました」
崩された城壁に残された兵士たちが、魔法少女たちがそれを聞く。
がくん、と頭を垂れる魔法少女。剣を握りしめる手が力なく落ちた。国が敗れたことを知って。
「みんな、無事にこの街を出れます」
エレムの民は、神の国の喪失を知って目を落とした。でもどことなく、その顔から緊張と怯えがとけ、微笑みだす青年や、魔法少女もいた。
「もしここが”神の国”であるなら───」
円奈は、血と瓦礫の上に立ったまま呟いて、目を下ろして俯いた。エレムの人々の顔を見るのが怖くて。
そのまま下をむいて、死体たちを見下ろしながら、いった。「女神の御心のままに…」
また顔をあげ、瓦礫の山を踏み越えて、円奈は城壁に戻ってくる。
一歩一歩、最後の聖地を踏みしめて。
続いて、神の国には。
パチ、パチパチパチ。
わあああああっ。
鹿目円奈という、エレムの民の命を最後までついに守りきった少女を讃える拍手と、歓声と。
「円奈ー!」
剣を振り上げて、歓喜する少年兵士たちとの。「鹿目円奈ー!ばんざーい!鹿目円奈!」
声に包まれた。
「神に感謝しよう!」
そしてエレムの民は───神の国の喪失を知らされた民は───神を讃えあい、この瞬間の平和を喜び合った。
「家に帰れる!」
と、一人の少女が涙ぐみながら言い、となりの少女と肩を寄せて抱き合った。「パパと、ママにまた会える!」
あるいは、人間の青年の手を魔法少女が手に取り、目に涙を溜めて語り合う。
「よく戦ったわ──!」「うん──!」そんな感激の言葉を、二人で交し合う。「生きてここを出れるんだ!」
みんなが笑いあっている───生きる喜びに。そこに人も魔法少女も関係ない───ただ一緒に、みんなと平和を分かちあい、喜び合っている。
そのとき円奈ははっとした────。
みんながみんな同じく、平和を謳歌しているのだ。肩をとりあい、よろこび合う少女と魔法少女。兵士たちと魔法少女。
剣を持った人間の兵士と、変身した魔法少女───。
みんな関係なく、目に涙をためながら、互いに手を取り合ったり、抱き合ったり、はしゃぎあっている。
人と魔法少女。
ただの服と魔法の衣装も関係なく───。
みんな平等に、与えられた”生”を謳歌できる喜びを、心を通じ合わせて喜び合っている。
平和という喜びを。
魂の救済地にて、それを喜び合う。
人と、魔法少女たちが抱き合い、手を取り合い、喜びあっている姿を見て、目頭にこみあげる熱いものを円奈を感じた。
そして胸に手を当て、心のなかで話した。
椎奈さま、見ていますか。
いまここには、魔法少女も人もその隔たりがありません。同じ魂を持つ者同士、平和を一緒に、讃えあっています。
あなたが思い描いた国は、あったのです。
621
それから、雪夢沙良は神の国に正装で入り(つまり、白のマント姿で)、いよいよ神の国はサラド国の領土となった。
城内ではサラドの民と、その魔法少女たちが、戦争でめちゃくちゃになった聖地の道路、家屋、壁などの片付けや改修、投石の処理など共同作業に一日ぶっ通しで明け暮れた。
だが、サラド人は希望に満ちていた。
200年も望んだ神の国だ。やっと、取り戻した。
かつてのエレムのように、力づくで奪い都市民に対し暴虐を働いたのでもなく。
魔法少女である雪夢沙良が、人間である鹿目円奈に対等に和議を結び、明け渡された平和の王国。
平和の王国は、”円環の理”が見守る。神の国であり、天の御国である。
円環の理の国。
魔法少女が奇跡をつくりだし、絶望して魔女になり、人知れずに消え涙の礎となるのではなく────。
絶望は神が受け取り、魔獣に還元して、魔獣のグリーフシードは人の絶望を汲み、魔法少女の希望のソウルジェムは浄化されて、また魔獣が生まれる巡り巡っていく円環の理。
それは"女神"と"人"と"魔法少女"が円のように環へつながれる宇宙の新しい概念。
その円環の理という宇宙が、鹿目まどかによって造られ、その子鹿目円奈は、天の御国をみつける。
第90話「双葉サツキとの決闘」
622
女神の故郷へ足を踏み入れた雪夢沙良は、聖地の宮殿を歩き、エレム人が使い古していた200年前のサラドの宮殿の回廊を、祖先への敬意と共に歩き渡った。
部下たちはバラ水を聖地の宮殿へまいて洗浄にあたっていた。
その香りで聖地の巡礼路を清め、サラドの国へと組み替えるべく改修作業も開始される。
雪夢沙良は生まれて初めて訪れる女神の誕生地に辿る巡礼路をそっと歩き、そして丘へと進んで、ついに訪れた。
円環の理が誕生したその地、一人の少女が犠牲になったといわれる場所に。
丘だけがあって、あとは乾いた砂と石ころだけのある、何もない静かなところだった。
その場所に訪れるや、雪夢沙良は一人、涙を流した。
すべての魔法少女の希望のために永遠にその身を犠牲にした一人の少女への畏怖と感謝と、悲しさも、こみ上げてきて、ひたすら、その場に跪いて、額を地面につけ、女神の犠牲に、感謝と祈りを、涙と共に、捧げつづけた。
ありがとう。
円環の理さま、ありがとう。
ただ、そういう言葉しか、雪夢沙良には、心に出てこなかった。
わたしたちは、あなたの犠牲があったから、いかなる希望も、絶望に尽きては終わらないのです。
623
鹿目円奈は聖地の民をエレム市内から開放したあと、血のついた顔を巡礼路の路地にて洗っていた。
壷から水を掬いとり、他人の血を浴びた頬の赤い汚れを流し落とす。
そこは聖地内では聖域と呼ばれる寺院に挟まれた通路で、オジーアーチの回廊もそばにみえた。
聖地を旅たつことになるエレム人の魔法少女たちも、この寺院で最後のお清め(体洗い)を済ませて国外へでる旅の支度をしていた。
ばしゃ、ばしゃ。
水をピンク髪に浸す。血に汚れた髪も濡れる。
「うう…」
度重なる戦いに精神すり減らした円奈が、めまいをかんじて鼻筋を掴むと、気力の限界がきて、しばし壷を載せた板の縁台に寄りかかり、うずくまった。
テントを張った露店や寺院の入り口。石壁の通路には、鉄柵の扉がはめ込まれている。
自分もエレム国を出る旅の準備をしなくては、と濡れた髪からびたびた水滴を落としたまま立ち上がろうとしたとき、その円奈のこめかみに、硬い感触がした。
双葉サツキ。エレムの前王が、円奈に剣の柄を突きつけていた。
赤髪で、ルビーのような赤瞳をしたこの魔法少女は、アルスラン湖の戦いでサラド軍の捕虜となったが、円奈が聖地を開城すると釈放されてエレムの国にもどってきた。
とはいえ、前王としての面目は今となっては皆目である。いまの双葉サツキには、なんの権力も名誉もない。
「”完璧なる騎士”」
と、双葉サツキは、ぎりりと悔しそうに噛んだ歯の口から、鹿目円奈に因縁をつけた。円奈のこめかみに剣の柄先を押し付けたまま。
「あなたがそうだでも?」
聖地の問題は戦争によってしか解決するしかない、それが双葉サツキの考えだった。だから戦争になった。
いっぽうで円奈は、雪夢沙良に聖地を明け渡した平和的解決の後に、多くのエレム人の命を救ったのだ。
相容れない二人である。
円奈は押し付けられた剣の柄を握り、双葉サツキから奪い取った。
すると双葉サツキは華麗にくるり回ると魔法少女の姿に変身し、先王の威厳を虚栄ながら見せ、魔法の剣を召喚して手に取った。
円奈は、双葉サツキに渡された剣の柄をぎっと握り、刃の先を、双葉サツキへむける。
双葉サツキも受けてたって、召喚した魔法の赤い剣を円奈の剣でバシっと叩いて、絡めた。
すると魔法少女のパワーに圧せられた円奈が、膝ついてずっこけた。
「完璧なる騎士なんかじゃない」
一度ころげた円奈は俯きつつ、剣を地面に突き立てて支えにするように立ちあがり、口で搾り出すように力強く言葉を告げて、双葉サツキと対決する。
エレム王とエレム王。"象徴の娘"とエレム王家。
運命の因縁対決。
「人間の善悪は日々の行いが決める」
「そ?」
双葉サツキは首をひねる。夕入りの頃のことだった。
エレム現地民の民衆が集まってきた。野次馬たちだ。この狭い旧市街の路地に。エレム王同士の決闘がはじまろうとしている。
「円環なる女神の子。暁美ほむらはあなたをそう呼ぶ。あなたの築き上げる神の国はどこにある?」
サツキは視線をあげてサラド人に占拠されつつある聖地の市街路を見渡す。
彼女なりにエレム王国を守ろうとした。サラド人と戦争することで。しかし、鹿目円奈がサラド人に聖地を渡してしまったせいで、エレム王国は滅びた。
「見なさいよ、そんな国、どこにもない」
といって、双葉サツキはついに、魔法少女のパワーを出しつつ円奈に切りかかりはじめた。
「わたしはたしかに神の国をみつけた!」
言い返した円奈は、サツキの刃を自分の剣で受け止め、そして激しい切り合いが始まった。
カン、カキン、カキン、キィィィン───
手早く繰り出されるサツキの斬撃は、右から左から、次々に円奈の体を切断するために振るわれた。
その攻撃のひとつひとつを、反射神経だけで受け止めていく円奈は、懸命に剣を動かしつづけた。
ガキィン、キン!
旅支度をしたエレム人たち民衆がさらに集まって二人を囲む。狭い旧市街の路地で決闘はつづく。
ガキィィン!
サツキの猛威振るう刃を、力いっぱいふるった円奈の刃が食い止める。二人の刃同士がバッテンに激突し、交わってこすれた。
しかし、こういう押し合いになると、人間の少女である円奈はどうしても力で魔法少女に勝てない。
そのまま圧されきってしまい、サツキの刃が円奈の目前にぐいいっと迫ってきた。
「う!」
円奈は刃をもちあげ、サツキの押しかかる刃を上へどうにか受け流しつつ下を掻い潜ってかわす。するとサツキの脇へ立った。
「はっ!」
そのサツキの脇をねらって、大きく円を描くように剣をふるう。それはサツキの刃の腰へせまる。
サツキははらり距離をとって円奈の刃からにげた。慣れた動きだった。
しかし円奈は迫った。再びサツキめがけて剣を思い切り、勢にのせて叩きつける。
体の重力ものせた渾身の一撃。
サツキの刃がそれを受け止めたが、円奈の力いっぱいふりきった剣が、サツキの刃を叩いたとき、わずかに勢いが勝った。
勢いでまさった円奈の剣がサツキ剣を押しのけて、サツキの正面が無防備になる。
この一瞬をねらって、円奈がサツキの胸元へ剣を振りきった。
「はぁっ!」
口に声あげてサツキを斬りつける円奈。
しかしサツキが身を退いてそれをよける。直後、円奈の刃が路地の石壁を勢いよく叩きつけた
ガン!!!
この音は人の集まった巡礼路に高々と鳴る。共鳴して旧市街の路地に轟いた。
円奈が叩いた石壁には切り傷がのこった。砂埃が舞い落ちた。
身を退いてよけたサツキの攻撃の番。
魔法少女の握る赤い剣が、ふりきった円奈の横身を狙い、刃が振り落とされた。
円奈はかわしたが、間に合わなかった。
ギリッ。びちゃ。
魔法少女の剣が円奈の横身を切り刻み、肩からわき腹まで、剣が裂いた。
「あ゛っ…う゛!」
体から力が抜け、苦痛に顔をゆがめた円奈が、砂の地面にしりもちつく。
びたた、と血の滴が落ちて染みた。
とどめを刺しに、サツキが円奈の顔面めがけて刃をふるう。
命かながら受け止める円奈。顔面の目前で、刃同士で絡まって止まった。
しかしサツキは容赦することなく再び刃をもちあげ、円奈を切り殺しにきた。
円奈は起き上がり、逃げて、路地の奥、聖域の寺院が建てられた敷地まで行って、サツキと対峙した。
サツキのふるった剣先は、円奈のころげた路地を叩き、そして路地の別の縁台に置かれた壷を叩き割った。
さらにサツキは横向きに剣をふるう。それは逃げた円奈の背中をぎりぎり切りそこねた。そしてまた石壁をたたき、刻んだ。
1.2メートルある剣がガン、と音たてて通路の石壁を打つと、砂埃が舞って落ちた。
そこらじゅうの壁や地面、縁台が、もう、切り傷だらけで、二人の決闘の激しさを物語っていた。
寺院のほうまで逃げた円奈は、追ってきたサツキに刃をむけ、血を流しながら戦いをつづける。
とにかくサツキは円奈を殺す一心だった。
二人ともサラドの雪夢沙良と戦い、敗れた。しかし二人の負け方には大差がある。サツキは円奈と決着つけたかった。
ぐるん、と勢いつけて円奈を回転ギリするみたいに切りかかる。
間一髪でサツキの剣に当たらなかった円奈が、自分の剣を振り切り、するとサツキの腹を刺した。
回転ギリを繰り出したあとのサツキの腹には隙があったのだ。
「ううっ…!」
腹を刺されたサツキは、口から血を吐き出す。そして赤髪と赤い目をした魔法少女は、自分の腹から剣が抜き取られるぬちゃという感覚をおぼえた。
円奈がサツキの腹から剣をぬき、そして頭上へ高く掲げ、構えなおしたのである。
”鷹の構え”───という、来栖椎奈から教わった構えであった。
「あああっ!」
サツキは怒りを感じて、女の叫びをあげて円奈に力まかせに切りかかる。それは平常心を失った乱れた刃の動きであり、円奈にあっさり返された。
ギィィィン!
円奈の下から持ち上げた剣によって、上辺へと跳ね除けられ、流れに乗った円奈の剣先が、再び、サツキの体へ滑り込むようにして入り込み、サツキの腰が切れる。
「うっ…」
円奈の刃がサツキの腰を通り、そこは血を出す。
痛みをかんじて、思わずうっとなるサツキ。しかし、魔法少女なら、これでもまだ、戦える。
が、次の瞬間、円奈は剣さばきによって、サツキの腕から剣が跳ね飛ばされた。
手からなくなるサツキの剣。
さらに円奈によって足を斬られた。足の筋を切られ、立てなくなるサツキ。
がくん、と膝をついて、身動きとれなくなり、手から剣もなくなる。敗北だった。
「ううう…゛」
恨めしい目を、円奈に向ける。魔力修正すれば、再び戦えるが、円奈の前でそれをすることが、敗北をみとめるも同然である気がして、サツキはこれ以上なにもできなくなった。というより、魔力修正するような動きを見せた瞬間、円奈に首を切られ、ソウルジェムも切られるだろう。
円奈は剣を持ち上げ、再び鷹の構えをとっていた。
剣先は赤く、キラキラと赤く光っている。綺麗に。
その剣を握る手はぶるぶる震えていて、円奈の表情も目の瞳孔が開き、大きくなって、体の血に流れる興奮と戦っていた。
頭に血がのぼっていて、今にも双葉サツキを切り殺しそうだ。抑えがたい衝動に全身がガクガクと激しく震えていた。
それをみたサツキは観念した。
「殺して」
頭を垂れて、首をさしだす。
「あなたがわたしを殺し、エレム王族の血筋はあなたによって絶たれる。受け入れるわ」
首を切り落としたら、わたしの命ソウルジェムはあなたのものだ。
すべてを諦め、絶望したマント姿の元王・魔法少女が赤い髪を垂れて、地面を見つめ、死を待った。
それを見届けた円奈は、この手の剣を振り落とし殺すという衝動に勝った。
そしてゆっくりと剣の先を、おろしたのである。ギラン、と刃の先は、市街路の砂の地面へ下がる。
「もしその足で立てるなら───」
と、鹿目円奈は、膝を崩して絶望した王家の魔法少女に、言葉を言い残した。「まだその足で立ち上がれるのなら…」
「"騎士"として、立て」
そして手から刃を放し、少女騎士は剣を落とした。
そのガタン、という、剣の落ちた音が、鹿目円奈が騎士でなく一人の女になった瞬間だった。
鹿目円奈は、傷ついた脇や肩に手をあてながら、ずるずる痛む足をひきずって、聖地の旧市街地をあとにした。
血痕の点々が巡礼路の道にのこった。
第91話「故郷」
624
聖地から外に出た砂漠には、地平線の彼方まで延びる長蛇の列ができていた。
エレム市民の列である。
その誰もが当然ながら武装は解かれ、丸腰にされたあとは、サラド騎兵たちの護衛のもと、他国へ逃れるまでの長く果てしない旅路を、辿っていた。
その中には、バイト・アシール、宝石をはめていた指輪を奪われた少女と、グアルレールフリーや、シャアバン、アッカ、禿の騎士アルマレック、エレム人のたくさんの魔法少女がいた。やはり財産はすべて奪われながら、サラド騎兵たちに囲まれて安全に国外まで護送されていた。
エレム市民の列は数十万人であり、老人、女子供、男、青年、少年、魔法少女、その長い列は、永遠と砂漠の果てまでつづく。
難民としてのエレム人を受け入れるどこかの他国にたどり着くまで、この列の行進はつづく。
それが何人、何十日、何百日、何年かかるかは、だれにもわからない。
こうして、エレムの民は再び離散の民、国を失った流浪の難民たちとなる。
だが、魔法少女国家の再建の夢は、あきらめない。その夢は、エレム人と、その魔法少女たちの心に、輝きつづける。
エレムの民の行方は、この先も、天の女神が見守りつづける。
鹿目円奈は、そのとき、まだ聖地に残っていた。
もちろん、あらゆる武装は解かれ、王としての身分も失い失脚、同じく流浪のエレム人難民という扱いではあったが、雪夢沙良の厚遇を受けて、馬だけは持ち帰ってゆい、ということになっていた。
最後まで抵抗を戦い抜いた円奈への、雪夢沙良なりの敬意だったのである。
それで、一匹の馬が円奈に与えるべく選ばれたわけであるが、その馬をみたレグー・アガワルが、円奈にむけて言った。
「この馬は、あまりよくない馬ね?」
と、あのカラクの会戦での対決以来、再会したアガワルと円奈の2人は、親密に会話を交し合う。
「けど、あなたに使っていいと許可された馬だそうよ」
円奈は微笑んで、みたわす聖地の巡礼路や市場は、みなサラド人に満たされている光景の中に紛れて、感謝を告げる。
「ありがと。アガワルさん」
「鹿目。」
レグー・アガワルは、ニコリと微笑み、そっと、手を差し伸ばした。
「きっと円環の女神があなたを守ったから、これだけのことができたのよ。」
それは、エレムの民を最後まで守りきった円奈への、アガワルからの祝福だった。
「あなたにこれからも、円環の神の加護があることを。」
円奈はその手を握り、二人は握手をそっと、交わした。
「セィバリ・イリコ」
覚えたたてのサラド国の言葉で、円奈も微笑み、礼をいって答えた。
そのあとは聖地にお別れするときがきた。
鹿目円奈は、雪夢沙良に与えられた新しい馬に跨った。彼女は今、身分の保証も、武器も何もない、ただの難民の人間の少女となったので、だれか護衛人の付き添いが必要なのであるが────とにかく、アガワルとも、別れをつげた。
「わたしは故郷に帰ります。さようなら、アガワルさん」
「ええ。さようなら、鹿目。」
アガワルは、手をふった。
円奈は馬を走らせ、聖地の門より、外に出る。故郷へ戻るまた長い旅に。神の国エレム…いや、サラドより、故郷の村バリトンを目差して。
さいご、砂漠の風にふかれながら、エレムの聖地を最後にふりかえった。
城壁に囲われた都市。円環の理が治める女神の国。魔法少女たちが信じる、天国にもっとも地上で近い、神の国。
その土地の価値とは。
「無意味なものだったけど…」
円奈は、雪夢沙良との最後の対決で、交わしたあの会話を思い出して、つぶやいていた。
「すべてだ」
ふわり、とまた、砂漠のやわらかな風に、頭の赤いリボンがゆれる。
聖地に別れを告げた円奈は、故郷へと帰る道へ辿った。
625
円奈は、砂漠の彼方へと列つくって祖国を旅立つエレム人たちの難民の行列に加わり、馬をパカパカ歩かせていたが、やがてその列の一人に、黒髪に赤いリボンを結んだ少女が歩いていることに気づいた。
その赤いリボンは、円奈のピンク髪に結ばれた赤いリボンと同じであり、すぐに誰なのか分かった円奈は、そっとその黒髪の人の隣に、馬を並べて歩かせた。
「あなたは聖地には留まらないのですか?」
と、円奈は馬からその人に話しかけた。
「私は聖地よりも、共に歩みたい人がいた」
黒髪に赤いリボンを、蝶にして結んだ、美しい少女は、答えた。
「それはだれのことです?」
円奈は確信犯的に、少しだけ意地悪な質問をした。
そのあとで、自ら微笑み、語りはじめた。
「私はその人のようになれないと思います。”完璧に誰かを救い続ける”そんなきれいな人には…」
ほむらは、円奈が誰のことを語っているのか分かったし、自分が共に歩みたいといった人のことを、円奈が察していることもわかった。
「わたしはそんな完璧な騎士には、なれなかったのです」
白馬に乗った円奈は、そう言う。
つまり自分は、円環の理のように、きれいに誰かを救い続けることはできなかった。
エレム人を守りはしたが、サラド人を多く殺したし、これまでの旅でも、誰かを守るために戦って、たくさんの人をあやめてきた、といっているのだろう。
だから、自分は完璧な騎士にはなれなかった、と彼女は言う。
この円奈の台詞は意味深だった。
ほむらに伝えたいこの裏の意味は。
私は円環の理のように完璧ではないけれど、ほむらが共に歩みたい人という話題に、自分のことを話しているわけである。
「あなたはなぜ自分が象徴の家系であったか知ったのね?」
ほむらは少しだけ顔をやさしく綻ばせ、円奈の台詞の意味のあらゆることを理解して、まず取っ掛かりの部分から、たずねた。
「私の口からよりも、あなたの口から聞きたいのです」
と、円奈は目を閉じ、安らかな顔で、砂漠の風に髪をゆらし、優雅に白馬に跨りつつ、言うのだった。
「わかったわ。」
ほむらは、鹿目の血筋の末裔の子に、真実をすべて話した。
「鹿目まどか。それが円環の理となったひとりの少女の名前だった…」
「鹿目、まどか…」
鹿目円奈は、遠い先祖の、しかし今もこの世界に生きている、宇宙の理の女神の名を、ようやく知る。
「それが私のご先祖さまで、円環の理になったひと…そうなんですね」
「ええ。」
ほむらは頷いた。
砂漠の地はあいかわらずかさかさで、砂風が荒く吹きつく。そのたびにあたり一面に黄土の砂と埃がたちこめる。
「わたしはまどかの創ったこの新しい世界を守ろうと戦いつづけてきた。まどかのことを知る人は、世界でただ一人、わたしだけだった…」
悲しげに、紫の瞳に、砂漠を映す。
その横を、槍と盾も持ったサラド騎兵たち数人が早足で通り過ぎた。
「わたしはいろいろな人にまどかの犠牲のことを話した。世界はそうしてまどかを知っていって…」
「この地が、聖地になったんですね」
と、円奈が後を継いだ。
するとほむらが、無言でこくっ…とうなづく。
「世界は円環の理の真実をしった。けれど、それで起こってしまったこの戦争を、まどかは悲しむわ」
まるで罪悪感に苛まれるかのような話し方で。
「ちがいます。暁美さま」
静かに首を横にふったのは、以前までは少女騎士だった、鹿目円奈。
「わたしは、バリトンの村たら旅立って、円環の理の真実のことを知ったたくさんの魔法少女たちが、救いを信じて、希望を持ち続けている姿を、この目でみてきました」
「…」
悲しげなほむらの紫の瞳に、寂しさも映える。
「きっとあなたが、鹿目まどかの犠牲のことを、たくさんの人に話したからです。魔法少女の人たちは、救われることを知って、希望を持ち続けることができたのです。もし、あなたが話さなかったら、魔法少女は、ソウルジェムを濁らせきってしまうとどうなってしまうのか、知らないままだったのです。その悩みに今日も怯えていたでしょう」
ほむらの瞳に、暖かさが少しだけ、戻った。
そして、ばっと白馬から降り立った円奈の差し出した手を、ゆっくりと、握り返したのだった。
絡まる指と指。
20世紀から生きてきた暁美ほむらと、30世紀に生を預かった鹿目円奈。
二人は手を結ぶ。
「ありがとう、円奈」
世代を超えた再会かのように。
こうして2人は手をつなぎ、エレムの地を去って新しい住まいを求める旅に出た。
その先にある人生へ向けて。
「わたしはまどかではありません。でも、あなたの気持ちに応えられることから、一人の女として、これからは応えていきます」
円奈が聖地の騎士であったころは、円奈はほむらの気持ちを断った。
けれど、エレム王としての身分も、騎士としての職業も失い、ただの一人の女の子になった今、一緒に生きていける人として、ほむらと共に行きたい、とそれとなく言っているのだった。
鹿目円奈は、まだ16歳の少女だった。
円環の神の加護があったから、あれだけ戦うことができたのだ───と、そうアガワルはいったけれど、これからは、一人の女の子として生きていこう、そう決意する円奈だった。
騎士でもなく、戦士でもなく、象徴でもなく…。
「こんな私でよかったら、私と共にいてください」
と、手をつないだほむらに、頬を染めていうのだった。
ほむらはあれからずっと、鹿目の血筋を見守ってきた魔法少女である。
答えは、決まっていた。
この世界の、聖地をめぐる戦争は、たしかに、ほむらが女神の存在のことを世界に知らしめたことで起こった。
けれど、その世界は希望に満ちている。
女神の存在を知った魔法少女たちは自分達は救われるのだと知るに至ったからである。
その世界は祝福されるべきだ、と、円奈は言うのだった。
希望の象徴。それが神の国である、と。
最終話「バリトン村の一庶民」
626
鹿目円奈がバリトンの地を離れてから約二年と5ヶ月。
彼女は故郷に戻ってきた。
故郷バリトンに。
二人が帰ってくる頃には、鹿目円奈がエレム軍の指揮を取り、サラドの雪夢沙良を相手に防戦をやり遂げたという話がすっかり広まっていた。
バリトンの民はむしろ畏れるような視線を円奈に注いだ。
でも円奈は何もいわなかった。ただ故郷を懐かしんでいた。
自分の石作りの古臭い小屋を。藁をかぶせただけの天井と、木を打ち立てて柱にした自分の家を。
その家は焼け爛れていて、完全に廃屋だった。藁は燃え、雪をかぶり、しめった黒い灰がたちこめていた。
鹿目円奈はバリトンの村の、ぼろぼろに焦げた廃家の屋根に潜り、その下から、バリトンの山峡の丘を、見渡す。
二年半ぶりにみる故郷の美しい緑と自然は、何も変わっていなかった。
バリトンの地には新しい魔法少女がもう住み着いていた。
その魔法少女はアーリスタンといった。円奈がバリトンに戻ってくるや、アーリスタンはさっそく挨拶をした。
「お噂はすでに届いておりますよ」
と、アーリスタンは円奈の手をとって、微笑んで言った。
「神の国を守った大英雄とお会いでき、光栄です」
「あはは…ありがと」
と、ぎこちなく円奈は笑った。褒められることには、ほとんど慣れていない。「大英雄だなんて、そんな」
「いえいえ、あなたの成し遂げたことを偉大です」
アーリスタンは首をふるふる振り、語った。
「貴女は離れ離れになってしまった魔法少女と人の心を、つなげて見せたのです───実際、神の国ではサラド軍を前にして、魔法少女と人とが気持ちを一つにして団結し、戦ったのだとか!人と魔法少女が、心を一つになった出来事として、未来の人たちの神話になるでしょうね!」
「そんなおおげさな…」
円奈は顔を赤くして、指で顔を掻いた。照れている動作が全面に出ていた。
「そんなお方と」魔法少女はニッコリ微笑んだ。「共に暮らせるなど、幸せです。ぜひ神の国での話しをお聞かせください、ね!」
円奈はまたもぎこちなく、笑った。
「あ───うん、そのうち───ね」
そんなことを考えていると、馬の駆ける蹄の音が聞こえてきた。
誰かがこちらにむかってきているしい。
みると、円奈から見ても一目でよそ者がきてるとわかった。まず衣装が豪華だった。
辺境の地バリトンに似つかわしくもない。
馬に跨った少女二人組みが、こちらにむかってきていた。
一人は金髪のツインテールに、黒いマント。もう一人は明るい茶髪に、白を基調としたサーコート服を羽織っている。
二人組みはあっという間に里道を走って、自分達の目の前までやってきた。
あ、二人とも魔法少女だ。
見るだけで、それは分かった。
「エレムの同盟国の者だ。神の国奪還に向かう。」
と、金髪ツインテールの子が静かな口調で告げた。
リウィウスよりも長めのツインテールだった。目は赤かった。
「私の名はベイルートだ。神の国で戦いエレムの民を守った鹿目円奈にここで会えると聞いたのだが」
「まだ戻ってきていないです」
と、とっさに円奈がそう答え、二人を見あげた。「寄り道でもしているか、どこかの国に定住しちゃったかも」
「ではお前は誰だ」
と、金髪ツインテールの子が訊いた。あまり優しい口調ではなかった。
「私は一庶民にすぎません」
と、円奈は答えると、自分の格好を手で示した。「見ての通り」そして、苦笑いしてみせた。
神の国を出て、戻る途中、帰り道ではあらゆる国が円奈を厚く迎え、金品やら豪華な衣服やらを献上してきた。
円奈は全部それを断った。
結局、バリトンをはじめに出発したときと変わらないみすぼらしいチュニックの布のコット一枚にベルトという姿だった。
「…」
金髪ツインテールの魔法少女は、その赤い目でじっと円奈を見つめた。
「会えないとは残念だ」
と、金髪の少女はため息をついて目を落とした。
それは、目の前の少女が鹿目円奈その本人と知りながら、再び彼女をあの聖地たる戦場に連れ出すことを、遠慮した王の台詞だった。
このベイルートなる名前を告げた魔法少女は、サラドの雪夢沙良がエレムの民の命を保障しつつ聖地を奪還した話に聞き及び、そんな君主にはぜひ会って戦いたいと決起した北の国の王であった。
「私に円環の神が味方なさることを祈ろう」
とベイルート王は言い残し、この王は、白馬を翻し、緑色の刺繍入りマントをひらめかせて、偏狭バリトンの地を離れていく。
丘へつづく道を通って。側近の護衛を連れて。護衛たちは、槍を持ちながら馬で走り去った。
いまサラドの雪無沙良が支配する神の国へ、長い旅にでるに違いない。
「もう当分は神の国にはいかないよ」
と、円奈は言った。「ううん、二度と。もう、あの聖地にはいかない。もしバリトンの地でまた暮らすことが許されるのなら、ね」
人間である鹿目円奈はこのとき17歳になって、生理痛もはじまっていた。
だから、少女騎士というかつての職業を引退して、女として生きる日々をこの村で生活していく。
「もちろんです」
と、アーリスタンが微笑んで答えた。「元のように暮らしてくださいませ。何か相談があれば、私でよければ応じます」
「ありがとう」
そう円奈は笑い、相馬フールクの手綱を引いて連れ出した。
627
円奈はバリトンの人々との再会も果たした。
こゆりとの再会も果たした。たくさん、旅の話を聞かせた。このときこゆりは立派な村娘に成長して、母親の羊毛縫いを手伝っていた。
あの丘へのぼって、墓へ戻ってきた。
両親の墓への参り。
それは、いつも円奈が、バリトンで生まれ育っていた頃は、習慣にしていたもの。
だが聖地に旅立ち、それから故郷に戻ってきた円奈は、この墓の前に立つのが数年ぶりだった。
「お母さん」
円奈は、数年ぶりにみる父と母の墓をみつめ、そっと声をだす。「もどってきたよ…」
”KANAME KANNA”
”KANAME ALLES”
二人の名前の文字。墓に刻まれている。
旅立つ前は知らなかった、父母の人生。
神の国に旅立ち、聖地にたどり着いて帰ってきた今だからこそ知っている、父母の人生。
父母のことを知りながら、今は両親のために祈ることができる。
なぜ神の国で生まれた母が、このバリトンの地までやってきて、私に命を授けてくれたのか。
その母を守るために、付き添ってくれた父の想いも。
静かに目を閉じ、墓の前で、じっと旅のことを思い出す。
来栖椎奈のことを。聖地に旅立った日々のことを。聖地で円奈が見たものを。
人と魔法少女の共生は実現しうるのか。それを求めて旅にでて、ついに聖地の果てに自分がみつけた答えのことを。
ずっと、天の両親に報告していった。
まるで両親に、自分の旅のことを話すかのように、心に思い描きつづけた。旅のことを。
それが終わると、円奈は両親の墓に背をむけ、馬に乗った。
バッと少女は馬をはしらせる。
円奈はかえってきた。
故郷バリトンに。
生まれははずれ者として、旅立つときは騎士として。聖地へ旅立ち、そして一人の女として故郷へ戻ってきた。
暁美ほむらと共に。
円奈は馬に乗って、墓をたてた丘のもとを去った。
とうぶん、もうここにもどってくることはないだろう。
バリトンの地は春を迎え、雪は解けて春の花が芽を吹いていた。
山道に咲いた木々の新しい季節の花を見届けつつ、円奈はほむらと一緒に、新しい人生へ駆け出していった。
馬を駆ける円奈の後ろ姿が、バリトンの山峡の農地へ消えていく。
2人は一緒に生きていく。
円奈とほむらは2人一緒になって、並んで馬を走らせ、馬を丘から農地へと走らせていって。
鹿目円奈は、ほむらと共に、西暦3000年の故郷の大地と、高原の山々へと。
どこまも。
自由に、馬を馳せていった。
681 : 以下、名... - 2016/07/23 23:07:38.84 7XvC/Mvx0 3130/3130
『まどか☆マギカSS 神の国と女神の祈り 』は完結です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。