1 : 以下、名... - 2016/03/23 21:08:45.81 B98e+kjh0 1/39

此処は、あらゆるもの全てが混沌とした、とある薄暗い街。通称「イサクラ」。
法も秩序も倫理も無く、あるのは欲望のみで御座います。
親は子を売り、子は親を殺し、道端に転がる死肉には、今日も烏どもが舞い降ります。
……おや、そんな街の路地裏で、何やら話し声が聞こえてくるようですよ?

「ひっひっひ……まぁたワシの勝ちじゃな。お主も飽きんのう」

薄汚れたボロ布を羽織った老人は、からからの林檎を片手に、そのしわだらけの顔をにたりと歪ませます。

「クソジジイめ――ほらよ」

黒いマントに、頬に蜥蜴の刺青をした男は、不機嫌そうに酒の入ったボトルをその手から投げました。

「これで5勝0敗じゃのぉ、おぉ弱い弱い」

「うるせえ……次はこいつだ」

男は、懐から見えない「何か」を取り出しました。

「なるほどのぉ……ワシは、赤に賭けよう」

「なら俺は紫だ……行くぜ」

男が手をかざすと、それは炎に包まれ、どこかへ消え去りました。

「さぁて、どこのどいつが拾うかね……」

此処は、欲望が渦巻く街、「イサクラ」。日没と共に、闇は一層勢力を伸ばしていきます。

元スレ
「奇奇怪怪、全てを呑み込むこの街で」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1458734925/

4 : 以下、名... - 2016/03/23 21:17:04.19 B98e+kjh0 2/39

「なんだろう、これ」

私は歩いている途中、草むらに不思議な石が落ちているのを見つけた。

なにが不思議なのか、と言うと、その石は、その時その時で色が変わるのだ。

……いや、さらに正確に言うと、その石には「色が無い」。ただ、どんな色をしているか、が頭で理解できる。しかし、その色自体を見る事は出来ない。

まるで空気の塊を掴んでいるようだ――この石には不思議な魅力があり、何故か私は手放す事が出来なかった。

「うーん……何だろう、これ。図書館で調べてみようかな?」

私はその不思議な石をポケットに入れ、再び歩き出した。

5 : 以下、名... - 2016/03/23 21:26:10.45 B98e+kjh0 3/39

この石……仮に「ストーン」とでも呼ぼうか。ストーンについて分かった事がある。

これは、私の感情に呼応して色を変える事が判明した。怒った時には蒼、悲しい時にはオレンジ、と言った風に、私の感情の正反対の印象を持つ色に染まり、私の心を落ち着かせてくれるのだ。

さらに、私の感情が強ければ強いほど、熱を帯びて強く染まる事が分かった。

図書館で調べても、当然出てこない。不思議な石だ。

「これは、もしかしたら神様の贈り物かも?」

私はストーンを眺めながら、一人にっこりと笑った。




ストーンは黒に妖しく光っていた。

7 : 以下、名... - 2016/03/23 21:33:57.17 B98e+kjh0 4/39

「……はい、ありがとうございます!」

やった! また大きな契約を結ぶことが出来た!

ストーンを手に入れてから、何だか全てが上手くいっている気がする。人からも、「落ち着いてきたね」と言われるようになった。

本当に神様の贈り物だったのかもしれない。ストーンは私のお守りだ。

友人に見せても、ただの古ぼけた石にしか見えないそうだ。色は「灰色」にしか見えないらしい。

「あー……君、最近調子が良いようだねぇ」

「はい、おかげさまで! 周りの方々のおかげです!」

「よしよし。実は新しいプロジェクトを考えているんだが、君に任せてもいいかな?」

「……はい! ぜひやらせて下さい!」

「ほっほっほ。期待してるよ」

……また物事が上手く進んだ! これで何回目だろう?

私の心は嬉しさで弾んでいた。

ポケットの中のストーンも、じわりと熱くなっていた。

8 : 以下、名... - 2016/03/23 21:40:40.82 B98e+kjh0 5/39

「あー、○○さん? 例の件ですけど……ちゃんとやってくれてます?」

「え、あ……何の事でしょうか?」

「だから! 昨日もいったでしょ!? ちゃんと「明日仕上げます」って言ってたじゃないですか!」

「……?」

「はぁ……もう良いです」

……まただ。何だか最近、もの忘れが多い気がする。

何故か頭に残らない。まるで記憶が一方通行に抜け落ちている気分だ。

おかしいな……ちゃんと聞いているんだけどな。

……あーあ、すっかり気分が沈んだ。ストーンを見よう。

「……ああ、綺麗」

ストーンは夕日のような深いオレンジに染まっている。

まるで心が吸い込まれるような、美しい色合いだ。

「綺麗……」

よし、明日も頑張ろう。

……あれ?


「……何を?」

9 : 以下、名... - 2016/03/23 21:45:29.67 B98e+kjh0 6/39

……ねむい。なんだかとてもねむい。

なんだか、ずっとねてばかりなきがする。

……でんわがうるさいなぁ。

「……よし」

これでもうならない。ゆっくりねれる。

あれ……なにか、そとにいかないといけなかったような……

ああ、でもどうでもいいかな……

すとーん、きれいだなぁ。

……そもそも、なんでわたしはおきているんだっけ?

……こんなに、ねむい、のに……

……。

10 : 以下、名... - 2016/03/23 21:52:00.11 B98e+kjh0 7/39

それからしばらくして、女性の遺体が自宅から発見された。

あまりにも連絡が来ないので、しびれをきらして友人が警察に通報したのである。

部屋は異様なほど汚れておらず、腐臭などの刺激臭も一切しなかったそうだ。まるで今も生きているかのように。

死因は不明。まるで寿命が切れたかのように、安らかに眠っていたと言う。

「……あれ」

「……あの子が言ってた、変な石……無くなってる?」

枕元では、少しの焦げ付いた跡と共に、「ストーン」が姿を消していた。

11 : 以下、名... - 2016/03/23 22:18:20.74 B98e+kjh0 8/39

「おっ、やっと帰ってきた。さーて、何色かな?」

「おっと、まだウィルオウィスプを消すなよ? 10秒後に消すんじゃ。一気にな」

「はいはい」

男がぱちんと指を鳴らすと、その炎――ウィルオウィスプは、一瞬で消えうせました。

炎が消え、その石の色が露わになります。

「――赤……!」

「ひっひっひ……ワシの勝ちのようじゃのぉ」

「クソ……当たる確率なんてほんの少しだってのによ……!」

「また勝ってしまったわい……ひっひっひ」

「……ちっ、持ってけ泥棒!」

男は再び酒の瓶を乱暴に投げました。老人はどこ吹く風と言った感じで軽々と受け止めます。

「ひっひっひ……ああ、人からタダで貰う酒は美味いのぅ」

「……けっ」

どうやら、男が持っていたのは、ケルベロスの魂の一部を封じ込めた魔石のようですね。

持った人間の感情を喰らい、最初は嫌な感情のみを喰っていくのですが、だんだん楽しい感情なども喰らっていき、最終的には所有者の思考や命を喰らい尽くしてしまう、闇のアイテムです。

この魔石は、喰らった人間の個体差により、内部にさまざまな色の魂の炎を灯します。

これはそれを当てるお遊びだったようですね。

「ほら、そんなに拗ねるな……これでも飲んでろ、若造」

「んだよ、酒自分のあるじゃねえか……がはっ!?」

老人から渡されたそれを口に入れた瞬間、男の口に電流のようなエネルギーが走ります。

「て、てっめぇ……盛りやがったな!! 鬼ガジュマルの根の秘薬が入ってるじゃねえか!!」

「ひっひっひ……!! 刺激的じゃろ? 魔力も一気に回復じゃ」

「この刺激に耐えれるのはそういねえだろうが……ああ喉がイガイガする」

男はそう言いつつも、あまり怒ってはいないようです。老人のイタズラには慣れているのでしょうか。秘薬が入った酒を一気に飲み干します。

「さて、次はどうするかのぉ……? ひひひ」

「薄気味悪いジジイめ……」

満月が「イサクラ」の中央に浮かび上がります。狼がどこかで大きな遠吠えを上げ、彼らはまた、座り込んで博打を始めるのでした。

12 : 以下、名... - 2016/03/23 22:19:42.33 B98e+kjh0 9/39

【一夜目 終わり】

15 : 以下、名... - 2016/03/24 16:35:16.40 IK0XCEbx0 10/39

「……ん、何食ってんだ?」

「ひっひっひ……サラマンダーの黒焼きじゃよ、お主も食うか? 精がつくぞ」

「うげっ……いらねえよ気色悪い、ってかそれ下級のなりそこないじゃねえか」

「だから安かったんじゃがのぉ……ひひひ」

老人は愉快そうに笑い、棒に刺さった、ぬらぬらと光る黒焦げの生物を口に放り込みます。

くちゃくちゃと音を立てながら、男から得た酒でそれを流し込みました。

「相変わらず、きったねえ食い方すんな。見てるこっちも食欲が失せる」

「ひっひっひ……ああ、そう言えば、何やら新しい食材が出ていたぞ? 「悪魔の魚」とか言う」

「……へえ、そりゃ気になるな、行ってみるか」

失せた食欲とは何だったのか。立ち上がった男と老人は、ゆっくりと暗い路地を歩き出しました。

16 : 以下、名... - 2016/03/24 17:00:51.59 IK0XCEbx0 11/39

「おぉ、さすがに賑わってやがる」

「迷子にならんようにのぉ……ひっひっひ」

市場――と言っても、頭に闇が付く――では、所狭しと店が並べられています。山積みにされた果物、山羊の頭骨、謎の肉塊……

その中で独特な匂いを出しているのは、大きな寸胴でぐつぐつと煮られた赤い汁でした。

「あれが「悪魔の魚」か?」

「ああ、そうともぉ」

「ああ、お客さん、初めてかい? こんな奴だけど」

店主が木の樽から引っ張り出したのは、ぬめぬめとした赤い生物でした。足は八本も生えており、おまけに生臭い臭いを放っています。目はぎょろぎょろと忙しなく動き、足がうねうねと店主の腕に絡みつきます。

男は顔をしかめます。どうやら「鼻」が利くようですね。

「生臭っ……これが「悪魔の魚」……確かにこりゃ異形の生物だな」

「最近、新しく開拓された「黒海」で発見されてね。食うかい? 一杯につき金貨2枚だよ。宝石なら1つだね。ものによるけど」

「……どれ、食ってみるか」

「まいどっ!」

ほくほくとした笑みを浮かべた店主は、寸胴からぶつ切りにされた「悪魔の魚」を木のボウルに移します。

「……」

茹でると生臭さが消えるようです。もうもうと湯気を立てる赤い汁からは、妙な魅力が感じられました。男は汁を口に運びます。

「……おお、悪くねえ」

「ひひ、ワシも一口……」

「駄目だ」

「……ケチじゃのぉ」

今まで感じた事の無い旨みが口に広がります。ためしに足にかぶりついてみると、男好みの歯ごたえと共に、旨みが一層強くなりました。

「おお、良い顎持ってるねお客さん。大抵は冷めるまで待ったり、ちょっとずつ齧ったりするんだけど」

「この程度なら平気だ」

「ワシにもおくれぇ」

「やめとけジジイ。噛みきれねぇだろが」

「あー……確かにそっちのお客さんはちょっと」

「……まあいいさ、ひっひっひ」

歯ごたえのあるものを食べ、男は満足したようです。相変わらずの態度を取る老人と共に、人ごみの中を押し進んで行きました。

17 : 以下、名... - 2016/03/24 17:41:20.20 IK0XCEbx0 12/39

「……ん、何だこりゃ」

「ほほぉ……楽しそうな事がありそうじゃのぉ」

異臭をいち早く嗅ぎ取った男は、早歩きで暗い路地を歩きます。進んで行くと、大量の死体が転がっておりました。

どれも急所を一突きでやられているようです。相当な手練れのようですね。

「……ヒヒヒヒヒッ!」

「テンション上がってんじゃねえよ、気味悪いな」

全ての死体から、金品や武器などが抜き取られています。男はぺろりと舌なめずりをしました。

(いる、近くに)

刹那、近くの闇から、漆黒に染まった剣が飛び出してきます。男は俊敏な動きでそれを躱し、持ち主の腹に強烈な拳を叩き込みました。

「ごっ……!!」

持ち主は剣を落とし、膝をついて苦しげに呼吸をします。その首には、光を失った勾玉の御守りが付けられていました。

「ほう、珍しいのが迷い込んでやがるな」

「ひひ……人間の勇者様とは! どこの空間の歪みから入ってきたんじゃ?」

「……はぁ、はぁ」

勇者と呼ばれた彼は、ふらつく身体を剣で支え、鋭い眼差しを男に浴びせます。

「此処に魔族の巣があったとは……! 私が全て絶滅させてやる!」

「嘘つくなよ、バァカ」

「!」

「その割には、金目のもんを全て奪い……何よりもその剣、闇魔法が込められてたじゃねえか」

「勇者様が使う光魔法とは、正反対の魔法じゃのう……ひひっ」

図星をつかれた勇者は、ぐっと言葉を詰まらせます。光を失った勾玉は、彼の勇者としての資格を否定している事を証明していました。

「……うるさい! 魔族は私が全て滅ぼす! それが私の使命だ!」

そう言うが早いか、勇者は再び剣に魔力を込め、男に飛びかかりました。

男は瞬時にウィルオウィスプを召喚し、視界を埋め尽くすほどの火球を勇者に浴びせます。

四方八方から小さな爆発が発生し、勇者は再び地面に倒れました。

「あー……駄目だ駄目だ。闇に身を落としても、そんな良い子ちゃんぶってるようじゃ」

男は紅い瞳をぎらりと光らせ、自らを炎で包みました。

めぎ、めぎっ。骨格が軋む嫌な音が響き渡ります。

「おぉ、久しぶりに見るのぉ。テンションが上がっているのは、自分も同じじゃろぉ……ひっひっひ」

「……そ、その姿は……まさか、貴様……」

「覚えときな、勇者さんよ」


「此処は「イサクラ」――使命だの希望だの、そんな甘っちょろいもんが通用する世界じゃねえんだ」


変貌を遂げた男の、大きな口から豪炎が放たれます。勇者は、全身に絡みつく恐怖に支配され、動くことすら出来ませんでした。

豪炎が消えた後には、静寂のみが残りました。

18 : 以下、名... - 2016/03/24 17:41:58.65 IK0XCEbx0 13/39

【二夜目 終わり】

20 : 以下、名... - 2016/03/24 21:47:54.14 IK0XCEbx0 14/39

「……おっ、奴隷ショーか」

「ひっひっひ……」

奴隷市を訪れた二人は、奴隷ショーの人だかりを見て、足を止めました。

「さて、ト」

奥に居る調教人が、メガホンで大きな声を上げます。

「今から一人、どちらを殺すか……選べ!! 制限時間は30秒ダ!」

その声と共に、観客から大きな歓声が上がります。どうやら、エルフの一家がショーに出されているようですね。

見た感じですと、母親と妹……どちらを殺すか、青年に選ばせているようです。

丁度良い、と男は、老人に賭けを持ちかけました。

「俺は母親が殺される方に賭ける」

「ならワシは妹に賭けよう」

さて、どちらが勝つか。男は顎を撫でながら、震える青年に視線を向けます。調教人は、拳銃を雑に投げてよこしました。

青年はがしゃん、と言う音に、肩をびくりと縮み上がらせます。それはもう制限時間が無い事を表していました。

「へえ、拳銃渡していいのか?」

「自信の証じゃろうな。完全に自分に屈服している、と言う……パフォーマンスの一部じゃろう」

「なるほどねぇ」

青年は拳銃を握りしめたまま動きません。母親と妹は、どちらも震えながら涙を流しております。

自分たちの命など、観客を楽しませるものでしか無いと理解しているのですね。

此処は「イサクラ」。命の価値など、その辺に生えている雑草と同じで御座います。

「おぉイ!! 早くしロ!!」

調教人が罵声を浴びせます。青年は、震える手で拳銃を掴み――

――パァン! 甲高い銃声が響き渡りました。

「!」

「ほう……そう来たか」

銃弾は――青年の眉間を撃ちぬきました。

「な……なんで!! 何で逃げたの!? 卑怯者!」

「あ、ああああ……あんたなんか産まなきゃ――」

「ま、そういう事ダ」

銃声が二発。母親と妹の死体は、同時に倒れ落ちます。観客は、一層大きな歓声を上げました。

「……自殺を選んだか。まぁ賢いっちゃ賢いな」

「ひっひっひ……残念じゃったなぁ。今回は引き分けじゃ」

「次こそ勝つぜ……腹減ったな、何か食いに行こうぜ」

「おぉ、奢ってくれるのかの?」

「アホ」

血なまぐさい臭いが辺りに立ち込め、満月に雲がかかります。

これは「イサクラ」の、ありふれた光景。明日には皆、この一家の事など覚えちゃいません。

今宵の喧騒も、まだまだ始まったばかりで御座います。

21 : 以下、名... - 2016/03/24 21:48:35.83 IK0XCEbx0 15/39

【三夜目 終わり】

25 : 以下、名... - 2016/03/25 18:03:39.91 RWFkivM90 16/39

「ううむ……どうも目が良く無いのぅ」

「……あん?」

右目の瞼を指先でとんとんと抑える老人を見て、男は訝しげな目を向けます。

「……どうせまた変なもんでも食ったんだろうが、それともクスリか?」

「ひっひっひ……両方じゃ」

にたぁ、と口を開く老人を見て、男はため息をつきました。

「なかなか刺激的だったんじゃがのぉ……視力が奪われるのは辛いのう」

「視力?」

「メデューサの蛇の肝が美味くてのぅ……ついつい食べ過ぎてしまったんじゃぁ」

「……」

男は呆れた様子で、老人に冷ややかな目線を浴びせます。老人は気付いているのかいないのか、相も変わらず、にたにたと笑っております。

辺りはまだ日が出ています。大きな市場はまだ開催されていないでしょう。

この街は、朝昼は人気が無く、夜に活気が出ます。今の時間帯では大したものは買えないでしょうね。

「ハァ……ったく、知り合いのブローカーに話をつけてやる。やってるかは知らねぇが、臓器市へ行くぞ」

「ひっひっひ……貸しが一つ出来たなぁ」

どこの口が言うんだか、と男は踵を返し、まだ明るい路地を歩き出しました。

26 : 以下、名... - 2016/03/25 18:33:44.98 RWFkivM90 17/39

ブローカーから紹介されて向かった臓器市では、それぞれの店がテントを張り、品物の値段を書いた札を並べています。何処にしようかと目移りする老人を背に、男は迷わず紫色のテントに入りました。

「俺だ」

「あぁ、旦那ですか。どうもどうも。心臓は今は品薄ですけど」

「今日はこの爺さんだ」

体中に縫い傷がある痩せこけた店主は、男を見るとにこやかな笑顔を作ります。

「ほぉおぉおぉ……これはまた随分と安いのぉ、粗悪品じゃなかろうな?」

「ああ、そう思うのも無理は無いけどねぇ」

店主はにやりと笑い、嬉しそうに話しました。

「実は、以前にウェアウルフの集団が、テロを初めましてね。おかげさまで、質の良い臓器が山ほど手に入ったんです」

「今月は「満月」の月だからな……奴らにとっちゃ、常に魔力を補充出来る天国だったろうよ」

「なぁるほどのお」

老人は子供のように目を輝かせ(見えているかは不明ですが)、店内をうろつきます。

「ってな訳で、このジジイの両目、移植してやってくれ」

「はいよ、コレは?」

店主は、親指と人差し指で、○印を作ります。前払いが当たり前の世界ですからね。

「……おい」

「ひっひっひ」

「――クソジジイめ!」

男は観念したかのように、金貨を差し出します。店主は「確かに」と言い残すと、奥の方へ下がりました。

戻ってきた店主の手には、氷漬けにされたウェアウルフの両目がありました。特殊な氷魔法で、鮮度を保ったまま保管してあるようです。

「えーと、「機能」はどうします? その分の魔力は出してもらいますけど」

「ああ、このジジイには必要無い。余計に変なもんを探し出す」

「ワシにもつけとくれぇ」

「うるせぇ! 金出さねえぞ!」

なるほど……どうやら、男の「嗅覚」は、ウェアウルフの心臓を移植した際に宿ったもののようですね。

莫大な魔力を込める事で、元の所有者の「能力」の欠片も受け継ぐ――表の世界では禁止されている魔法ですが、「イサクラ」には関係ありません。

店主は老人を奥の方へと案内します。男は退屈そうに、持っていた煙草に火をつけるのでした。

27 : 以下、名... - 2016/03/25 20:35:08.45 RWFkivM90 18/39

「ひっひっひ、お目目がぱっちりじゃあ~」

「目を見開くな、気色悪い」

上機嫌な老人と共に、男はすっかり暗くなった道を進みます。此処一帯はゴーストタウンのようで、夜でも人気がありません。

男は暗くても平気ですが、老人が移植したての目を堪能したい、と言うので、仕方なくウィルオウィスプをランプ代わりにしています。

「そもそも、どうせ擬態解いたら、またあの気色悪い目になるんだろうが」

「ひひひ……解いてみせようか?」

「やめろ。虫が五月蠅くて敵わん」

ひひひひひっ、と甲高い笑い声をあげた老人は、辺りをきょろきょろと見渡します。

「……おおおお、よぉ~く見えるのぉ、お主らの目玉は」

「!」

そう声を上げた瞬間、周りから何匹もの大きな獣が老人達を取り囲みました。男と同じほどの体格で、色は茶色が銀色など、個体によってさまざまです。

「ウェアウルフ……まだ残ってたのか」

「グルルルル……満月が我らに力を与える!! お前ら、我らの身体を移植しているな!! 殺してやる!」

その中でも一際大きい、リーダー格の黒いウェアウルフが男に向かって声を荒げます。それに対し、さっさと帰りたいんだがな、と男は面倒くさげに目を細めます。

「……力与えられてるくせに、壊滅してんじゃねーか」

男がそう言い放った瞬間、ウェアウルフ達は一斉に飛び掛かりました。

男は瞬時にウィルオウィスプを召喚し、炎の陣を作ってそれを防ぎます。

「ひっひっひ……ワシも手伝ってやろうか? 久しぶりに元の姿に戻りたいしのぅ」

「絶対にやめろ。あんたが暴れると洒落にならん」

「ネクロマンサーか……小癪な術を! だが、こいつはどうかな!?」

「!」

一瞬反応が遅れましたが、男は地中から襲い掛かってきたそれを回避します。

「百千ムカデか」

百千ムカデと呼ばれたそれは、大きなムカデのモンスターでした。サイズは10メートルほど。なかなかの大きさです。黒い甲殻は月光で照らされ、牙をかちかちと鳴らしています。

どうやら、このモンスターを手懐けていたおかげで、彼らは生き延びる事が出来たようですね。

「ちまちま潰すのは面倒だな……一気に終わらせてやる」

男はそう言うと、真の姿を解き放ちました。辺りが炎で明るく照らされます。

「……あ……!?」

次の瞬間、百千ムカデが豪炎に包まれ、黒コゲになって倒れました。辺りに焦げ臭い臭いが充満します。

「き、聞いてねえぞ、こんなヤベェのがこの街にいるなんて――」

「そうかい」

大きな翼を羽ばたかせ、高く飛びあがった男は、凄まじい爆炎で一気に真下を焼き払いました。

煙が晴れると、そこには無傷の老人が、相変わらずの様子で笑っています。

「ひっひっひ……ワシを殺せなくて残念じゃったのぉ」

「あ、ごっめーん。うっかり巻きこんじまったー……ちっ」

棒読みでその言葉を口にした男は、全くのダメージが入っていない事に舌打ちをします。

「さすがは無敵の怪物、ジャバウォック様じゃのぅ……ひっひっひ」

「……てめえが言うんじゃねえ、クソジジイめ」

人の姿に戻った男は、不満げに歩き出します。

「……ああ、そういや、焼かずに臓器売れば良かったな」

その後ろでは、満月の光が、ウェアウルフ達の死体を妖しく照らしているのでした。

28 : 以下、名... - 2016/03/25 20:38:40.67 RWFkivM90 19/39

【四夜目 終わり】

31 : 以下、名... - 2016/03/27 22:22:30.06 wOGGCkep0 20/39

「っあー……! また負けた!」

「ひっひっひ……よわーい、弱いのぉ~」

男はサイコロの目を見て、苛立ちながら頭を掻き毟ります。老人は嬉しそうに手を叩き、琥珀色の液体をごくごくを飲み干します。

「……あぁクソ、良い酒なのによ……せめてちびちびいけよ……」

「ゲェーップ……ひっひっひ……」

相変わらず、彼らが潜む路地裏には、人気がありません。と言うのも、「あの辺にはヤバい奴らがいる」と言う噂が、最近こっそりと流れているからであります。

この欲望の街「イサクラ」を取り仕切る者は、意外にも存在しません。誰もが好き勝手に売り、買い、暴れ、殺し、治し。そんな澆季溷濁とした有様で、今日も街を満月が照らします。

「!」

と、突然男が顔を上げました。

こつ。こつ。人気の居ない路地裏に、何者かの足音が響きます。

男はその存在に、少し身構えます。老人は、その不気味な笑みを止めました。

と言うのも、この街には色んな種が存在していますが、こんなに無警戒に歩いているのに、気配が一切感じられない足音は初めてでした。まるで足音だけが近づいてくるようです。

「どうも、こんばんはです。お二人とも、強そうなのです」

姿を現した明るい声の主は、穏やかな笑顔でそう告げます。小柄な背に、中性的な顔立ちをしていて、男か女か分かりません。一応少年、と呼びましょうか。

「……お前、種族は何だ?」

「えへへ、秘密なのです!」

「……」

彼を「危険」と判断したのか、男はウィルオウィスプを挨拶代わりに放ちます。

しかし、それは少年のウィルオウィスプで相殺されました。火球同士が弾けて辺りを眩しく照らします。

「……てめぇも死霊術を使えるのか」

「僕自身は使えないのです」

男は眉間に皺を寄せ、険しい表情をします。人に擬態中とはいえ、自分の攻撃を軽くあしらう相手を見るのは久しぶりでした。

「あまり乱暴は良く無いと思うのです。痛いのは怖いのです」

「……お主、なかなかやるのぉ……」

「僕は新参者なのです。あまり荒事をして目立ちたくはないのです」

勝てない相手では無さそうだが、お互い無事では済まなそうだ――男はそんな判断をしました。

「別に喧嘩をしにきた訳では無いのです。お二人にこの街の事を聞きたいのです」

「と言っておるぞぉ~? まぁワシは構わんが……」

「……ああ、良いぞ」

「やったのです!」

嬉しそうに飛び跳ねる少年を見て、男はまた面倒な相手が出来たな、とため息をつくのでした。

32 : 以下、名... - 2016/03/27 23:12:08.31 wOGGCkep0 21/39

彼らは少し移動し、近くの酒場に腰を下ろしました。多くの酒飲みで賑わっています。

「で、お前は何処から此処に来た?」

「分からないのです」

「あん? お前のいた場所に、空間の歪みが出来てたろ?」

この「イサクラ」は、それぞれの空間の「隙間」にぽつりと存在する街。あらゆる世界の空間の歪みに繋がっています。

「真っ暗な所から来たのは覚えていますが、それが何だったかは分からないのです」

「んだそりゃ……」

そんなやりとりをしていると、注文していた料理と酒が届いたようです。彼らは会話を止め、酒に手を伸ばしました。

「ひっひっひ、酒はたまらんのぉ~」

「お金を出してもらって、感謝なのです」

「貸しだ。忘れんなよ」

「奢ってやればいいのにのぉー、ケチ」

「この街で生きていくには、どうすればいいのです?」

その言葉を聞くと、男は酒をテーブルに置き、にやりと笑いました。

「単純だ……騙されない「知恵」、身を守る「力」、後は「金」――これさえあれば、後は何もいらねえ」

「この街で信じられるのは自分だけじゃぞぉ~? ひっひっひ」

「なるほど、簡単なのです!」

少年はぽんと手を叩きます。

「だが、一つだけやっちゃいけねえ事がある――この街の中央にある、大きな時計台。そいつに触れるな」

「時計台?」

「ああ。それに触れた者は、「イサクラの主」によって、必ず殺されるんだ。これは脅しなんかじゃねえ」

「そうですかー」

本当に理解出来てんのか? そう男が疑惑の目を向けた瞬間、店の中央から大きな声が上がりました。

「おぉ、ついに「首斬りジャック」の野郎が死んだって!?」

「ああ、最期は自分も首を斬られて死んだってよ」

首斬りジャック、とは、最近「イサクラ」で噂になっていた殺人鬼です。

凄まじい数の人をその剣で斬り伏せた事から、「首斬り」の二つ名を欲しいままにしていた人物でした。

その首斬りが、誰かに斬られたようです。上には上がいるものですね。

「ほぉ、怖いのぉ~」

「ああ、ジャック……そう名乗ってたのです。僕が殺しました」

「!? お前、争いは嫌いなんじゃ無かったのか……」

「雑魚に偉そうにされるのは不愉快なのです」

どうやら、少年が首斬りを殺したようですね。悪びれもせずに告げる少年を見て、老人は笑い声を上げます。

やはりこいつは警戒しておく必要があるな――男がそう思い直している事も知らずに、少年は新しく来た料理に舌鼓を打つのでした。

33 : 以下、名... - 2016/03/27 23:12:54.38 wOGGCkep0 22/39

【五夜目 終わり】

35 : 以下、名... - 2016/03/28 17:19:47.52 sXdiIkwT0 23/39

此処はネオン街に存在する、「イサクラ」でもトップクラスの巨大カジノ。ギラギラとした明かりが昼夜構わず街を照らす、数々の大物が集まる場所です。

中では真っ赤なカーペットが中央を陣取り、周りにはトランプゲームやルーレット等の台が並んでいます。

その中央の高台には、カジノの守り主であるガーゴイルが常に見張っており、どんな不正も許しません。

さらに、このカジノでは、擬態以外の全ての能力を封じる、超巨大な魔法陣が刻まれています。如何なる者でも、イカサマは出来ません。

……おや、そのルーレット台の中に、見覚えのある大きな背中が見えますね。

「ベットはどうなさいますか?」

ベルを鳴らした無表情のディーラーが、男に告げます。

男はすでに他のゲームでボロ負けしており、すでに賭けに使えるチップは、ごく僅かでした。

赤か黒か、奇数か群数か――男は残りの残金を頭に入れ、真剣に頭を悩ませます。

縦一列や大中小で当たった所で、減った分は取り返す事が出来ない。男は覚悟を決めました。

「黒の17番……一目賭けだ……!!」

「かしこまりました」

どうやら、17番一つだけに絞ったようですね。確率は少ないですが、当たれば大きいです。男は全てのチップを差し出しました。

銀色のボールがホイールを回り始めます。その速度に反応し、自然と男の心臓の鼓動が高まっていきます。

ボールが回って少し経過しました。ディーラーがベットの終了を宣言します。

「ベットの変更は、これで終了となります」

「……ああ」

男は返事をし、ベルを二回鳴らしました。もう後戻りは出来ません。

(……来い、来い……!!)

ボールの速度が摩擦によって殺され、だんだんと遅くなってきました。何度もかちん、かちんと目に弾かれ始めます。

(……来い!!)

そして、運命のボールは、ついに目に収まりました。その数字は――

「黒の17番……おめでとうございます」

「――よっし……!」

ディーラーは感情を感じさせない声色で、淡々とそう告げます。

ガッツポーズをとる男の目の前に、次々とチップが重ねられます。ギャンブルで勝ったのは、いつぶりでしょうか。

全てを金貨と宝石、少しの酒に換金した男は、意気揚々とカジノを後にしました。


後に彼が老人に大敗し、その半分を持っていかれるのは、また別のお話。

36 : 以下、名... - 2016/03/28 17:21:39.56 sXdiIkwT0 24/39

【六夜目 終わり】

38 : 以下、名... - 2016/03/28 21:32:34.75 sXdiIkwT0 25/39

「……ああ、血が疼くなァ……」

「ヒッヒッヒ……」

「怖いのです。襲われそうです」

フクロウが鳴き、不穏な空気が流れる今宵。深紅の光が降り注ぐ「イサクラ」は、普段よりも段違いに危険度が増します。

何故なら、今宵は珍しい「血の満月」だからです。その妖しい月光が含む魔力は、耐性が低い者の理性を、簡単に無くしてしまいます。

この月が出た翌日は、普段の数倍の死体が街に転がる事になります。生き残っていられるのは、一部の強者だけ――定期的に行われる選別のようなものですね。

「あァ、じっとしてられねえ。散歩にでも行くわ」

「ヒッヒッヒ……行くか」

「決して自分から喧嘩を売らないでほしいのです」

男や老人も、普段よりもギラついた目をしています。少年だけが、いつもと同じように飄々とした態度を取っています……何者なのでしょうか?

何処からか、生臭い風が吹き、男の肌を撫でます。そのまま路地を歩いて行くと、案の定殺し合いが起きておりました。

「ヒッヒッヒ……楽しそうじゃのぉ~」

「……あんたは暴れんなよ? 自分でも分かってんだろ?」

「このお爺ちゃんは、何の種族なのです?」

「驚くなよ? このクソジジイはな――」

男が口を開いたその瞬間、空から何者かが飛び出してきました。

「今宵は素敵な月ですねぇ……クフフッ」

「……血狂いか、失せな雑魚」

現れた金髪の女性は、ヴァンパイアのようですね。理性は保っているようですが、男と同様、満月に血が惹かれている様子。すでに何人も殺しているようです。

艶めかしい動きで口元の血を拭うと、腰に下げた剣を少年に向けて突きつけました。

「……止めるのです」

「あなたの血、とても美味しそう……ウフフッ」

ヴァンパイアの女性は、そう言うと同時に、鋭い突きを放ちます。少年は不気味な笑みと共に、突如手にした剣でそれを難なく弾きました。

「あれ、いつの間に剣を……?」

「ふふ……分からないのです?」

「ッ!」

女性は背中にぞくりとした悪寒を感じました。まるで、得体の知れない暗闇に呑まれたかのような――

「クフフ……怖い?」

「!」

その瞬間、ヴァンパイアの「女性」が「本体」の首元に飛びかかりました。「本体」は驚き、跳ね除けようとしますが、すでに時は遅く。

「女性」が「本体」の首元に噛みつき、そのまま血を吸い取ります。

恐ろしい速さで全ての血を飲みほした「女性」は、元の姿に戻りました。

「激レアじゃねえか、見た事ねえぞ……ドッペルゲンガーだったとはな。次は俺とやろうぜ……!」

「ヒッヒッヒ……驚いたのぉ」

少年はドッペルゲンガーだったようですね。相手の姿や能力をコピーする能力でしょうか?

「強い相手はコピーだけじゃ勝てないのです。だから争いは嫌いなのです」

「なんだそりゃ」

今も何処かで血に飢える者共の咆哮が聞こえます。

血なまぐさい今日の「イサクラ」の夜は、まだまだ続きます。

39 : 以下、名... - 2016/03/28 21:33:10.74 sXdiIkwT0 26/39

【七夜目 終わり】

40 : 以下、名... - 2016/03/30 23:14:49.09 k3vzK1BN0 27/39

「食べ物を分けてくれませんか? 少しだけで良いんです……」

「あ?」

その日、表通りを歩いていた男は、一人の少女に出会いました。

服はボロボロで、何処にでも居るありふれた子供です。親に捨てられたのでしょうか。

そのか細い足を震えさせながら、男に伏し目がちな目を向けます。

男の右手には、腹を満たすために買ったパン。なるほど、腹が空いて仕方がない者には、さぞかし輝いて見えるでしょう。

「チッ……今なら見逃してやる」

「……ごめんなさい」

虫の居所が良かった男は、少女に手をかけませんでした。

この街では、物乞いをする者は星の数ほど居ますが、その命は虫けらと同じです。

まるで息をするかのように、多くの子供が殺されます。少女はそれを理解していました。

「……ガキ、一つ教えてやる。此処で生きたきゃ、全てを踏みにじる位の覚悟でいろ。信じられるものは自分だけだ」

「……」

男は少女にアドバイスをし、背中を向けました。

その後も少女は寂しげな目を向け、男を見送っているのでした。

(……妙なガキだったな……珍しい目をしてた。絶望とも、憤りでも違う……)

(……何だ? ああクソ、どうでも良いんだよ、あんなガキなんざ)

何故自分はこんなにも苛立っているのでしょう? 

男は考えてみましたが、やっぱり分かりませんでした。

41 : 以下、名... - 2016/03/30 23:40:15.44 k3vzK1BN0 28/39

「クッソが……あのおっさんめ……」

その日の夕方、男は満身創痍の状態で、街を歩いていました。

イフリート――強大な魔力を持つジンと戦い、勝利はしたものの、手痛いダメージを受けたようです。

まるで身体が鉛のようになったようで、脚からはまだ血が流れています。おまけに全身が火傷でズキズキと激痛が走ります。

(ああ、フェニックスの涙が必要だ……明日買わねえと、今日はとりあえず休んで、魔力を回復するか……)

しかし、身体は思っていたよりも深刻なようです。男が一歩足を踏み出した瞬間、ばたりと糸が切れた人形のように倒れてしまいました。

特に胸に受けた拳のダメージがひどいようです。今だ高熱を帯びる火傷痕は、いかにイフリートが強力な魔神であるかを証明していました。

呼吸が上手く出来ません。視界の隅が、じわじわと黒くなっていきます。

(まずい、意識が――)

最後に男の目に映ったのは、優しい桃色の光でした。

42 : 以下、名... - 2016/03/31 00:08:46.09 iRQLIy9b0 29/39

「……!」

「……あ、起きた……大丈夫……ですか?」

目を覚ました男は、自分の身体が軽い事に驚きました。見ると、全ての傷がある程度癒えています。

「……てめえがやったのか?」

「……う、うん」

少女はびくりとしましたが、心配そうな顔を見せます。

「……勝手な事すんじゃねえよ」

男はむくりと起き上がると、服の汚れを落として少女に背を向けました。

……ですが、さすがに胸糞が悪いと感じたのでしょうか、懐から金貨を三枚ほど出しました。

「……だが、治してもらったもんはしょうがねえ。これはその分の金だ」

その金貨を乱暴に放り投げ、男は歩き出しました。

「……ありがとう、お兄さん……大事にするね」

「貰ったんならさっさと失せな、いつ俺がお前を殺すか分からねえんだぞ」

男は壁に唾を吐くと、狭い路地へと消えていきました。



「もう大丈夫か……涙を買いにいかねえと」

男は、体力がある程度回復したのを確認すると、自分の住処から再び表通りに戻りました。

「……ん? あいつは……」

視線の先には、先ほどの少女が道に座り込んでいます。

「……おい、さっさと失せろっつっただろが! 此処に居座ってんじゃねえよ!」

自分に目をつけているのか? 男は罵声を浴びせますが、どうも様子がおかしいようです。

少女はぜぇぜぇと肩で息をし、今にも崩れ落ちそうな状態です。

「おい、聞いてんのか……」

少女の髪を掴み、こちらに引いた男は、一瞬動きが止まりました。

(こいつ、なんで――)

「……何、笑ってんだ……?」

少女は、安らかな笑みを浮かべていました。

「……誰かの役に立ったの、初めて……だから……」

「……」

「……嬉しかったな……」

そう言い残し、少女は目を閉じました。

呼吸をしていません。どうやら、息を引き取ったようです。

(……もう動く体力すらも、残ってなかったのか)

そんな状況だったのに、こいつは俺を治したのか。

男は理解が出来ません。この街では、そんな事をする人間なんていませんから。

「……ふん、俺の知った事じゃねえ」

男はそう言うと、早歩きで進み始めます。

「……」

「……」

「……」


「……悪かったな」

男がぽつりと放ったその言葉は、夜の闇に呑み込まれて行きました。

43 : 以下、名... - 2016/03/31 00:09:31.33 iRQLIy9b0 30/39

【八夜目 終わり】

46 : 以下、名... - 2016/03/31 21:32:57.12 iRQLIy9b0 31/39



「……そういえば」

「ん」

「えーと、「イサクラの主」って、結局何なのです?」

「……ああ。誰も見た事がねえんだが……広場にある時計台の事は話したな?」

「はいです」

「まあ、正体は改造人間だの、亡霊だの、色々言われてるが――」

「噂じゃ、あの時計台には、「イサクラ」をずっと監視している奴が、たまに降り立ってんだとさ」

「わざわざあんな所で休憩するんですか、変わってますね」

「知らねえよ、俺は奴じゃねえ……誰もが言う唯一の特徴は、白い梟の仮面を付けてるんだとよ」

「へえ。それじゃ、時計台を魔法で吹っ飛ばしたらどうなるです?」

「……それがな。奇妙な事に、あの時計台は全ての攻撃を捻じ曲げるんだと。打撃もな。まるで磁石みてえな力で押し曲げられるらしい」

「へえー」

「……ま、それを試した奴らは、全員殺されたけどな」

「可愛そうですね」

「どの口が言ってんだ……触れても駄目、魔法を打っても殴ろうとしても駄目。あれが何の為にあるのかは誰も知らん」

「ふーん……」

「……ま、近寄らない事が一番だな」

「はいです」

47 : 以下、名... - 2016/03/31 21:46:33.77 iRQLIy9b0 32/39

「……おーい、仕事だ! 金が欲しい奴はいるか!」

夜の酒場に、大きな声が響きます。でっぷりと太った、サングラスをかけた男が、仕事の勧誘をしているようですね。

「場所は「黒海」! 仕事内容は、その海域で最近見られるようになった、「悪魔の魚」の親玉を討伐だ!」

「!」

その声を聞き、一人が分かり易い反応をしました。例の男です。

「ひっひっひ……行く気じゃろ? ワシもつれてけ」

「あん? ジジイが行くほどのもんじゃねえだろ」

「少し必要でのぉ……ひひっ」

「気持ち悪い……とにかく、死体は残しとけよ」

男はそう言うと、説明を続けるサングラスの男の前に座りました。

「俺と……あのジジイも行く」

「おし、二人だね! 一応船は出すけど、高確率でバラバラになるよ! 浮遊魔法とかは使えるかな?」

「ああ、両方大丈夫だ」

「……あ、あれ。確かジャバウォックの旦那じゃ」

「マジかよ?」

「あっちの爺さんも、相当強いらしいぜ……」

酒場にざわめきが生まれます。男の身元が割れてしまっているようですね。

耳障りだな、と男は思いますが、雑魚に絡まれないだけましか、と考え直します。

「ひっひっひ……」

そのまま話を進める男を見て、老人はにたりと気味の悪い笑みを浮かべました。

48 : 以下、名... - 2016/03/31 22:22:00.09 iRQLIy9b0 33/39

「……確かに真っ暗だな」

「いやー助かるよ、少数精鋭の方が色々と楽でねー」

朗らかに話すサングラスの男は、操作魔法で船を動かしています。辺りは「黒海」と言うだけあって、海の色は漆黒に染まっています。

天候は大荒れです。ひどい嵐にぶつかってしまったようですね。老人が巨大な結界を貼り、雨をしのいでいます。

「……ん、そういや……あんたはどうやって狩るつもりだったんだ? 操作魔法中だが」

「だから少数精鋭なんだよー、皆が駄目なようなら、その前に逃げないとねー」

「……ああ、なるほどね」

シビアな返しですが、いたって普通の事です。男は荒れ狂う波を見つめました。

「ひっひっひ……嵐で戦い辛いんじゃないかぁ?」

「アホ。ウィルオウィスプ無しでも勝てるわ」

「おお、こりゃ頼もしい……ん」

ゆらり。海面が大きく揺れました。

「! 来たみたいだねー」

「……おお、でかいな」

真っ黒な海面から、次々と巨大な肉の柱が出現します。一本、二本……八本。おまけに見覚えのある吸盤がびっしりと並んでいます。

そして、小山かと錯覚してしまいそうなほどの、巨大な頭が現れました。その目は明確にこちらに敵意を放っています。

「よーし、そんじゃあ一発……」

触手の一本に向かって飛びだした男は、魔力を込めた強烈な一撃を与えます。

……しかし。

「うおっ……おお!」

男はそのまま海面に叩き付けられてしまいました。凄まじい衝撃と共に、視界が真っ黒に染まります。

触手の吸盤は思っていたよりも強く、威力を全て殺されてしまったようです。

(……チッ)

「おいおい、あの人やられちゃったんじゃ!」

その瞬間、黒と紫の甲殻、赤い翼膜を持つ怪物が、海中から飛び出してきました。触手に捕まる前に、上手く脱出出来たようです。

「ひっひっひ、本気を出さないと勝てないのかのぉ?」

「うるせえ……海中だとブレス撃てねえだろ」

(嵐で大分弱体化するが……てめえを丸焦げにするくらいなら容易い)

男は大きく息を吸い込み、夕日が落ちてきたかと思うような、巨大な火球を放ちました。

「悪魔の魚」の親玉は、火球に呑み込まれ、その巨体を仰向けに倒します。これにて一件落着のようですね。

「ふう……お、嵐も丁度過ぎたか。これで終わりだな」

「おー! ブラーボォ! いいねいいね! よくやってくれた!」

「……ん、おいジジイ、何持ってんだ」

両手を上げて大喜びするサングラスの男とは対照的に、やけに大人しかった老人は、右手から何かをを親玉に投げました。

それは身体に触れた瞬間、凄まじい勢いで成長し、親玉の身体に絡みついていきます。そして鬼のような形相の顔を形作りました……これは。

「なっ!? て、てめえ、「鬼神ガジュマル」の種……どこでそんなもん!」

「ひっひっひ、さっさと倒しとくれぇ。ああ、炎は使うなよぉ~」

あの種は「鬼ガジュマル」のさらに上、「鬼神ガジュマル」の種だったようです。目を覚ました瞬間、触れる物全てを吸収して成長する、かなり危険なモンスターです。

その根の粉末は、凄まじい秘薬となるのですが……おそらく酒に混ぜるためでしょうね。

「文字通りてめえが蒔いた種だろうが! 自分でやれ!」

「ああ、天下のジャバウォック様でも出来んか……そりゃすまんかったのぉ、ひっひっひ」

「……クッソジジイ――!!」

結局男は、炎を使わずに鬼神ガジュマルを倒す羽目になるのでした。

49 : 以下、名... - 2016/03/31 22:23:24.24 iRQLIy9b0 34/39

【九夜目 終わり】

52 : 以下、名... - 2016/04/01 22:37:29.79 2crxfG3R0 35/39

「いらっしゃい……珍しいね、うちに子供が来るとは」

「此処の古本屋の店主さんは、物知りだって聞いたのです。あのおっきな男の人から」

「ああ……ジャバウォックの小僧か」

「僕は「ドッペルゲンガー」なのです。本当の自分というものが無いのです。文献はあるです?」

「ドッペルゲンガーか、そりゃ珍しい。残念ながら無いが……」

「なら、「イサクラの主」さんに会ってみたいのです。何か知ってるかもしれないのです」

「……彼が姿を現す時は、人を処刑する時だけだ」

「あの時計台ですか」

「ああ。あらゆる攻撃を全て捻じ曲げ、ただ触れるだけでも駄目……」

「迷惑ですね」

「一説では、彼はこの街の化身では無いか、と言われている」

「けしん」

「そう。時計台も、大した理由は無く、ただ「自分の存在を証明する」ためだけに、あるのではないか、と」

「……分かる気がするです」

「ありがとうございましたです、もう行くです」

「ああ、またいつでもおいで」

「はいなのです」

53 : 以下、名... - 2016/04/01 23:23:46.21 2crxfG3R0 36/39

時刻は草木も眠る丑三ツ時。薄暗い広場を、月の光が薄暗く照らしております。

今日は「満月」の終わりの夜。明日からは「三日月」の月へと変わります。つまり、この月最後の満月ですね。

その広場の時計台に、ゆっくりと近づいてくる異質が一人。迷いはないようです。

そして、その右手を伸ばし……ぺたり、と触れました。

「!」

「びっくりした……本当に梟の仮面を被ってるんですね」

「フフフ。さて、分かっていて、それでもなお、わざと触れたという事ですが」

(すごいのです、まるで闇の具現化……良くない気が全身から溢れてるように感じるのです。本能が勝てないって叫んでるのです)

(でも、別に死んでも構わないのです)

「聞きたい事があるのです。僕は――」

「却下」

「えっ」

ひゅん、と鋭い風切音が一閃。

その瞬間、少年の首は宙を舞っていました。がつんと音がして、生首が地面に叩き付けられます。

「……会話くらい、してくれても、良いと思うのです……」

「おや、まだ意識があるのですか、さすがに驚きです」

「何故、あなたは――」

「では」

ぐちゅり。嫌な音を立て、少年の生首に剣が突き刺さります。

ふう、やはり人を殺すのは、心が痛みますね。まるで膨れ上がった心臓を、ゆっくりムカデに齧られているようで御座います。

……ああ、そう言えば、自己紹介をしていませんでしたね。ワタクシの悪い癖です。

ワタクシ、「イサクラ」と申します。随分と遅れましたが、どうぞお見知りおきを。

この街では、どろどろとした欲望が常に溢れ出ています。

まさに人の闇の塊――まあ、それがワタクシの血となり肉となるのですが。

……え? 少年の話を聞いても良かっただろう? ああ、悪いとは思っていますよ。

ただ……

「ワタクシは、絶対的「理不尽」であらねばならない」

そうして存在を知らしめる事により、この街には絶対に勝てない「何か」が居る。

そう心の奥底に刻み付けなければならないのです。

それを理解した上で、この世界で、人々がどのように生き、何を描くのか。

ワタクシは、それを見届けたいので御座います。

その時が来るまでは、この街は「平和」であり続けるでしょう。


街の真下の奥深く――その深淵には、「イサクラ」を丸ごと呑み込む、巨大な化け物が眠っている事。


未だ、彼らは誰一人として、知る由も御座いません。

54 : 以下、名... - 2016/04/01 23:24:50.28 2crxfG3R0 37/39

【十夜目 終わり】

56 : 以下、名... - 2016/04/01 23:43:06.34 2crxfG3R0 38/39

ぱちん。

「そう言えばよ」

ぱちん。

「ん?」

「最近、あのガキ見ねえよな」

「ひっひっひ……もしかしたら、殺されたかもしれんのぉ」

「ドッペルゲンガーがか? どんな奴が相手でも、殺されるほどには追い込まれねえだろ」

「ひっひっひ……「イサクラの主」にやられたのかもなぁ」

「……ありえるな。興味持ってたし」

「そーれ、詰みじゃ……ひっひっひ」

「!! くっそ……」

「ひっひっひ……相変わらず、弱い弱い~」

「クソジジイめ……」

「さぁて、次は酒を買ってもらおうかのぉ~」

「チッ……へいへい、喜んで買わせていただきますよ、ベルゼブブ様ー」

男と老人は、もう少年の事は頭から抜けてしまったようです。

にたにたと笑う老人に、不愉快そうに顔をしかめる男。いつも通りの光景です。

「だが……次はこいつで勝負だ」

「ひっひっひ……言い訳は聞かんぞぉ~?」

今日も「イサクラ」は活気があります。

梟が何処かでほうと鳴き、彼らは再び博打を始めるのでした。

【終わり】

57 : 以下、名... - 2016/04/01 23:50:12.20 2crxfG3R0 39/39

終わりです。今回は人のダークな感じを書きたかったので……。

前作です! よく考えたら、とある被りしてるorz


男「夏の通り雨、神社にて」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1437922627/
http://ayamevip.com/archives/44942633.html

少年「鯨の歌が響く夜」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1438310494/
http://ayamevip.com/archives/45154503.html

男「慚愧の雨と山椒魚」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1447667382/
http://ayamevip.com/archives/46046779.html

少年「アメジストの世界、鯨と踊る」
https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1449757236/
http://ayamevip.com/archives/46799899.html

男「とある休日、昼下がり」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1455541122/
http://ayamevip.com/archives/47239140.html

男「とある街の小さな店」
https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1457533059/
http://ayamevip.com/archives/47135235.html

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