1 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 01:28:19.10 0RgaG4Bu0 1/202

注意


小説『Steins;Gate』無限遠点のアルタイル:執念オカリンの話です。

2011年7月7日から2025年8月21日まで+αの話です。

小説のネタバレを含みます。またアルタイルやRebirth未読で、本編やアニメしかシュタゲを知らない場合、あまりおもしろくないかもしれません。

何人かオリキャラが登場しますがストーリーにはあまり関係ありません。

長いです。お時間ありますときにお読みいただければ幸いです。

独自の解釈があります。中には、もしかしたら既に他の派生作品で説明されていたり、派生作品と矛盾する内容があるかもしれません。ロボノネタも多少出てきますが、これを書いた人間はロボノ本編をプレイしたことがないため同様に矛盾があるかもしれません。大目に見ていただければ幸いです。

演出の関係上、『テレビを見ろ』→ビンタ→ムービーメールのくだりはアニメ版に準拠しています。一応、原作通り、ビンタ→Dメール受信→『テレビを見ろ』→ムービーメールでもシナリオを作ってみたのですが、アニメ版の方が書いていて楽しかったです。このように、原作・アニメ・小説におけるそれぞれの設定がごちゃごちゃになっていますのでご注意ください。


元スレ
【シュタゲSS】 無限遠点のデネブ
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1417710489/

2 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 01:30:18.32 0RgaG4Bu0 2/202

◆◆◆



『7日午後6時前、東京都千代田区外神田のテナントビル屋上で「複数の銃声が聞こえた」との110番通報があった。万世橋署勤務のK巡査らが駆けつけたところ、屋上の床面や壁面に複数の血痕及び弾痕が点在していた―――』


『サイレン音で満たされた秋葉原の夕暮れ―――今回アーク・リライト特派員はあまりにも有名な21世紀の都市伝説のひとつ「秋葉原七夕発砲事件」に迫る―――』


『その実態は35年以上前に神田界隈を騒がせた都市伝説「聖子」と酷似していた。※1「聖子」とは口裂け女の亜種と考えられている。自分の名前を連呼しながら爆発するという謎の女であり、爆発の前後にキラキラとした輝き(ケセランパサランか?)を放つ―――』


『ラジ館屋上で一体何が?彦星と織姫の奇跡―――目撃者A「あれは間違いなくUFOが墜落したんですよ!青空が少し赤みがかってきたかなと思ったら、虹がかかって、その虹が青やら白やらキラキラ光るようになって、パーッとなって、そして消えたんです!」―――』




4 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 01:33:27.30 0RgaG4Bu0 3/202




「そんなものをスクラップにしてどうするのだ、クリスティーナよ」


カツカツと乾いた足音を研究室に響かせながら、白衣の男はそう言った。

右手には炭酸飲料の缶、左手は白衣のポケットの中に突っ込んでいる。

気ままに生えた無精髭が、ただでさえ若年寄の顔を余計に老けさせている。

うす暗い部屋の中でその少し伸びた前髪の下から鋭い眼光を覗かせた。


「クリスティーナじゃないって何度言ったらわかるのかしら?"鳳凰院凶真"さん?」


デスクに座り黙々と作業をしていたクリスティーナと呼ばれた女が、ため息をつきながら振り返る。

首の後ろで無造作に束ねただけのくしゃくしゃの黒髪が、肩甲骨あたりをなでるように躍った。

なぜか右足にスニーカー、左足に数年前に流行ったクロックスのサンダルを互い違いに履いている。


「まぁ名前のことはいいわ。さっきの質問だけど、タイムマシンが関係している記事はまとめておいた方がいいとあなたも思うでしょ」


「ふむ。それは、そうだが……」


女にはその男が慎重な態度をとる理由をよく理解していた。

彼は、自分たちになにかしらの危機が迫らないか、それを心配しているのだ。


「大丈夫よ。第三者が見ても、ただのオカルト系スクラップ記事に思われるのが関の山」


男の不安を払拭させるために気丈な態度を取った。

女はぎこちない笑みを浮かべたが、男にはそれが不適な含みを持っているように見えた。

喉仏に汗が一筋垂れる。空調の弱いこの施設は暑くて適わない。


「もう三年も経ったんだな……」


ふと感慨に浸る。

男はそう呟いて、ドクトルペッパーを一口飲んだ。

あの日旅立ったタイムマシンは、まだ帰ってこない―――



5 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 01:34:49.60 0RgaG4Bu0 4/202

◆◆◆


 2011年7月7日



 マシンは、いよいよそのパワーを増し、光が虹のような色彩を帯び始める。

 跳躍は間もなくだ。階下から響いてくる足音はすぐ近くまで迫って来ているようだが、これなら間に合うだろう。いちおう鉄扉を硬く閉ざす。

 (……頼んだぞ……ラボメンナンバー008、橋田鈴羽……ラボメンナンバー002、椎名……まゆり……)

 そして、いよいよマシンがカー・ブラックホールを発生させると、時空間をこじ開け――

 次の瞬間、まばゆい輝きを放って、"現在"からその姿を完全に消した。

 ――2010年の『あの日。あの時』を目指して。


6 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 01:37:43.67 0RgaG4Bu0 5/202



「……フッ、行ったか」


 俺はニヒルを気取ってみた。最後の強がりだったのかも知れない。

 とにかく、計画は成功した。そうだ、成功したんだ。

 だがあれは2010年8月21日への片道切符。到着したとしても、そこから離脱するには少ない燃料とバッテリーでの無茶な時間跳躍を行わなければならない。

 おそらくまゆりはもう、帰ってこないだろう……。

 しかし、それがまゆりの選択だったのだ。とりあえずは、成功した―――



 そう思うと途端に緊張の糸が解れた。椎名かがりに寄りかかられていることもあって、そのまま床面へとへたり込んだ。

 鉄扉に背を預けるとますます階段を駆け上がる音がはっきりと聞こえた。たくさんの足音が階下から聞こえてくるが、どうやら今、扉の向こうに居るのは数人のようだ。

 これが警官隊か報道陣の足音で本当に良かった。

 第三次世界大戦はなんとか回避できたの……だ……?



 その時、俺ははっとした。

 重大な事態であることに気づいてしまった。

 警官隊だろうが報道陣だろうが、この現場を誰かに見られたらどうなる?

 目の前には爆発したかのようにえぐられたコンクリート、おびただしい血痕、乱闘の跡。

 右肩を何発も撃たれたにもかかわらずメタリックシルバーの二つ折りケータイの画面を呆然と見つめているだけのライダースーツの女――桐生萌郁。目の前でタイムマシンが時間跳躍をしたというのに、その場で身を屈めてぐったりしている。早く止血しなければいけない。

 隣には発狂の末にいまや気絶してしまった椎名かがり。硝煙の臭いが鼻につく。

 ちなみに俺は無傷だ。鈴羽に足を打ち抜かせたのは得意の芝居であって実際は打ち抜いていない。

 あれ、これは結構ヤバいんじゃないか……。

7 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 01:39:14.35 0RgaG4Bu0 6/202

 ドンドン、と鉄扉が叩かれる。

 ヘリの音はぐんぐん迫って来ている。

 ヤバい。どう考えてもヤバい。

 たとえマンハッタンでバリバリ活躍している敏腕弁護士であろうとも無罪を勝ち取ることは不可能な状況だ。

 まさかこの時点から俺の反政府活動が始まることになろうとは……。いやいや、ワルキューレとかいうレジスタンスを立ち上げるのはα世界線の話だったな。

 嫌な汗をかく俺の気持ちも知らないで、無情にも俺の背の後ろから声がした。

 あぁ、終わった。

 俺はタイムトラベルの成功で、思考が停止していた。

 もう、どうにでもなれ。



 だが。

 扉の向こうから聞こえた声は想像だにしない人物のものだった。



8 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 01:42:00.00 0RgaG4Bu0 7/202

『岡部ぇ!そこにいるのはわかってんだ!どかねぇってんなら、無理やりこじ開けてやらぁ!』


はらわたに響く野太い声がしたと思ったその瞬間、俺とかがりはまとめて前方向へとふっとばされた。

鉄扉が開け放たれたのだ。


「おい!なにをメソメソこいてんだてめぇは!それでもタマついてんのか!あぁん!?」


夕日を背負った禿頭が叫んだ。


「は、はぁっ!?何故ミスターブラウンがここに!?」


「それについては後で!とにかく、今すぐケータイの電源を切って!それと早くかがりさんを連れてこっちへ!」


もう一つ声がする方を振り返ると背の低い影が居た。

あの独特の見た目は間違いなく比屋定さんだ。

厳重に鉄扉を閉めなおした後、指をさして叫んでいる。

って、こっちへ!って、そっちはかがりがさっき登ってきた鉄柵ではないか!

まさか、屋上から飛び降りろとでも言うのか!?

いやいや、無理だろ!そんなこと、できるわけがない!


「警官隊は足止めしてる!とにかく私を信じてここから飛び降りて!」


「そうだぞ岡部ぇ!男は度胸だ!先に行くぜ!」


そういうとエプロン姿のミスターブラウンは既に気を失っていた桐生萌郁を肩に担いで鉄柵をよじ登り、そして屋上から飛び降りた。ま、まじか……。

鉄柵には既に縄梯子が掛けてあった。いつの間に。


「さ、岡部さんも早く!」


「お、おう!」


何がなんだかわからなかったが、とにかく店長の豪気と比屋定さんの鬼気迫る表情に気おされた俺は、ケータイの電源を切り、椎名かがりを背負い、ケツを比屋定さんに押してもらう形で縄梯子を登った。

下を見るとなにやら直下の階の窓から白くて分厚いマットが、上から降ってきたものを室内へ招き入れるような形で突き出している。

なるほどな、そういうことだったか。ここに着地しろと。

と、縄梯子を回収していた比屋定さんに背中をおされてバランスを崩した。


「う、うわぁぁぁ!」


ドスッ。

なんとも情けない声を上げてしまった。しかし、かがりと同時にうまいこと着地できた。

ちょっと顔をすりむいた。いてて……。

続いて縄梯子と共に比屋定さんも降りてきて、すぐさま待機していたミスターブラウンによってマットもろとも室内へと引っ張りこまれた。

よく見れば、あの部屋だ。ドクター中鉢のタイムマシン発表記者会見が行われた会議室だ。

9 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 01:46:33.61 0RgaG4Bu0 8/202


ガチャリ。

一息つく間もなくあまりにも自然に銃口が俺の眉間へ近づけられる。ま、また拳銃か……。

冷たさを感じさせる黒い光沢、重量感のあるフォルム。


「すまねぇな岡部。てめぇに恨みはねぇんだが、俺の頼みを聞いてもらわなきゃならねぇ」


ぐっ、そういえばそうだ。こいつはラウンダーだ。当然目的はタイムマシンに関する全ての独占。どうせ紅莉栖のHDのデータを渡したところでその引き金は弾かれることになるだろう。

ん?ならばなぜ屋上の時点で俺を殺さなかったんだ?というか、比屋定さんと一緒に来たのはなぜだ?


「こいつを……M4を頼む。それから、綯に謝っといてくれや」


そう言うとミスターブラウンは俺へと向けていた銃口を自分のこめかみへと押し付けて―――



バシッ。



10 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 01:48:33.57 0RgaG4Bu0 9/202


え、え?

あまりに一瞬の出来事で理解が追いつかなかったが……。

比屋定さんが背後から忍び寄って、拳銃を叩き落とした。

あぶねぇ、なんて無茶をしやがる。ミスターブラウンもポカンとしている。


「ふぅ、さすがにもう失敗しないわね」


「店長さん。いえ、天王寺裕吾」


「あなたはここからブラウン管工房へ歩いて帰ってもビックリするほど何の問題もないわ。綯ちゃんと一緒に今までどおり元気に暮らせる。理由はよくわからないけど、とにかくそういう風に収束する」


「まぁ、どの道SERNという存在からは逃げられないみたいだから根本的な解決にはならないけど。鈴さんのためにも綯ちゃんをしっかり育ててあげて」


また彼女はよくわからないことを言った。ミスターブラウンもだいぶ困惑している。

彼女は長い台詞を言う間、先ほどから気を失っている桐生萌郁の肩に包帯を巻いていた。随分用意周到だ。


「お、おいねえちゃん」


「なんでそんなことが言えるんだ?なんでそのことを知っている?もうその台詞は聞き飽きたわ。この台詞を言うのも言い飽きたのだけど」


 ・・・?


「私は未来から来た、それで説得材料としては十分よね?」


 なんだと!まさか、タイムリープしてきたと言うのか!


「とにかく時間が無いの!桐生さんも弱っている」


 包帯で止血したと言っても、このまま放置すればいずれショック死してしまうだろう。


「天王寺さんも助けたいでしょ?大丈夫、私を信じて」


 そう言うと比屋定さんは廊下への扉を一気に開けた。


「さぁ、早く!」


 俺はあまりのことにミスターブラウンと目を合わせた。こっちもキョトンとしていたが、とにかく男二人でそれぞれ気を失った女二人を背負って会議室を後にした。



11 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 01:51:36.15 0RgaG4Bu0 10/202



 階段の踊場、息を潜めてその時を待つ。


「……3、2、1、今!」


 比屋定さんの合図に合わせて階段を下った。ラジ館の階段は階段の途中でもう一つの階段と交差するという特殊な形をしているので、一方的に登ってくる警官隊と鉢合わせないように下りることもタイミングさえわかれば簡単だった。とは言ってもひやひやもんだ。

 外へ出てそそくさと人ごみへ紛れた。いつもより通行人が多い。未だ陽光はオレンジ色に秋葉原を照らしていたが、ビルの谷間は闇に支配され、いくらミスターブラウンの巨体と言えど身を潜めることができた。どういうわけか通行人は異様な俺たちにまったく興味を示さなかった。


「こっち!」


 言われるままに女を担いだ男二人は路地裏へ入った。

 この路地には両側にラジオパーツショップと奥には汚らしい構えの大人のおもちゃ屋さん(※大人のデパートは反対方向だ)があるのだが、そこには一台の薄汚れたワゴン車が道を塞ぐようにして停めてあった。ご丁寧に後部座席のドアは開いている。

 ワゴン車を見て、俺は沖縄でのソ連世界線漂流を思い出して少し嫌な気分になった。


「桐生さんは大丈夫、すぐ御徒町の自宅につれていって介抱してあげれば絶対に助かるわ。彼女をブラウン管工房のバイトとして雇えばいいんじゃないかしら」


「お、おう」


 さすがのミスターブラウンも混乱しているようだ。

 だが、俺もこの車の助手席に座っている人物を見てさらに混乱した。

13 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 01:54:04.98 0RgaG4Bu0 11/202



「君は……中瀬さんッ!?」


 中瀬克美。まゆりのコスプレ仲間でフブキと呼ばれている。

 お気楽にもにやけ顔で手を振っている。

 だか彼女は代々木の先端医療センターに入院していたはず……。

 と、そこでの出来事を思い出して、彼女がここにいる理由に思い当たった。


「そうか比屋―――」


「黙って、あなたが気づいたことは概ね正しいから、後は車の中で」


 しゃべりだそうとした途端、比屋定さんに口を制されてしまった。まるで俺が何を言うかわかっていたように……いや、そうではないな。わかっていたんだ、実際に。

 とにかく、後部座席にかがりを乗せ、そして自分も乗り込んだ。ミスターブラウンと桐生萌郁も真ん中の座席へ乗り込む。

 比屋定さんは運転席へと乗り込んでいた。

 ん?比屋定さんが……運転……!?


「まさかお前、これから地獄のレースゲームを開始するのかッ!?」


 はぁ……とため息をこぼされてしまった。


「確かに私は無免許だけど、目的地に着くまで検問は一切無いわ。それに法定速度もそれなりに遵守する。あと、ちゃんと足、届くから」


 んふー、と鼻息を荒くする比屋定さん。

 なにやら厚底ブーツに履き替えていたようだ。

 イライラを隠しきれていない台詞を言い終わった途端、車は急発進した。

 歩行者を掻き分け大通りへ出た後、あっという間に新御徒町の天王寺家前に着いていた。これがゲームで鍛えた腕前なのか。


「ちっこいねえちゃん、なんでうちの場所を知ってるんだ……」


「銃創は4発分、後はかすり傷。あなたの知識と技術ならキレイに施術することも可能でしょう。あと『ちっこい』は余計。それじゃ、また後日連絡するわ。天王寺裕吾さん」


 二人を降ろすと俺はかがりを後部座席に横たわらせ、空いた真ん中の座席へと移った。車はすぐさま発進し、気づけば上野駅のガードをくぐっていた。

 まるで嵐のような脱出劇だった。


14 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 01:59:25.80 0RgaG4Bu0 12/202



「……そろそろいいだろう比屋定さん。わからないことばかりだ、教えてくれ」


 車は都道を軽快に走っていた。今は舎人ライナーの真下を走っている。


「あー、それについては私から」


 あはは、と乾いた笑い声を出しながら中瀬さんが助手席から後部座席を振り返った。


「私もまだ半信半疑なんだけど……。私たち、夢の世界の記憶を持っていたでしょ?それを狙ってアメリカの、えっと、ストライクなんとかってのが」


「ストラトフォー」


 運転席からフォローが入った。目線が低く視界が狭いためか、かなり運転に集中しているらしい。


「そうそう!そのストラトキャスターってのが」


「フブキ」


 相当イライラしているらしい。


「ったく、まほニャンは冗談通じないなぁ」


「もし次に"まほニャン"って呼んだら車から突き落とすわよ……」


 まがまがしいオーラが漂い始めた。小鬼だ、小鬼がいる。


「……そのストラトフォーってのが、私たちの命を狙ってて、人体実験の材料にしようとしてるんだって」


 そうだった。あのレスキネンの野郎、マッドサイエンティストの風上にも置けない。

 ……あの時まで尊敬していた自分が恥ずかしい。


「それで、この真帆さんなら私たちの病気?を治せるから、ついて来いって言われて、病院から脱走しちゃった。もう元の生活には戻れないって言われたけどさー」


 たはは、と笑う。その仕草はやはりどこか少年らしさを感じる。

 というか、そんなことしたら後をつけられること必至ではないか!


「大丈夫よ、今頃教授……いえ、あのレスキネンは処刑されてるわ。私たちに構っている場合じゃない」


 しょ、処刑……。

 まぁ、そりゃそうだ。我が頼れる右腕<マイフェイバリットライトアーム>、天才スーパーハカーダルによって"Amadeus"の記憶データ、すなわちタイムマシンの作り方は完全に消去されたのだ。ストラトフォーからすれば大失態もいいところだ。


「フブキの重要性についてはレスキネンの独断が強かったみたいだから、フブキが病院から居なくなってもそれを理由に奴等の一味が私たちを追いかけてくることは無いわ。私がフブキを連れ出したってことも一応気づかれないようにしてある。どこまで通用するかわからないけど」


 いちいち言葉の端々がとげとげしく感じる。あまり触れない方が良い話題なのだろうか。

15 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:02:20.02 0RgaG4Bu0 13/202



「勿論、全員を助けることはできないわ……」


 ……全員?

 比屋定さんの声のトーンが暗くなる。


「あの病院に送られていた、新型脳炎患者全員よ。少なくとも彼らは既にアメリカ送りでしょうね」


 ふむ、それを気に病んでいたのか。だが、仕方あるまい。

 こうやってフブキだけでも助け出せたのだ、とりあえずは良しとせねばならんだろう。


「比屋定さん。患者を救うもなにも、我らが未来ガジェット研究所がタイムマシンを完成させてしまえばいい。そうすれば、世界は再構成される。"なかったことになる。"そしてそれはもはや規定事項、何を恐れることがある」


 少しかっこつけて言った。


「……そうね」


一難去って、俺は安心し始めていた。

車は都県境に架かる大きな橋へと向かっていたが、鉄橋部への坂を登る手前で急に歩道側へ寄り、そして停車した。


「お、おい?どうした比屋定さん」


「ごめん、ちょっと外の空気を吸いたくて……」


そういうと比屋定さんはドアを開けて降りていった。その足取りは厚底ブーツを履いていることも相俟ってフラフラだ。

 あまりにおぼつかないので俺は中瀬さんを車中に残して追いかけた。

16 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:06:07.15 0RgaG4Bu0 14/202

◆◆◆



 隅田川の上、橋の入り口辺りで追いついた。彼女は川を眺めている。

 川の上は照明が少ないので暗く、その表情は定かではない。


「岡部さん……。あなたならわかるわよね、私がどうやってこの"たった一つの脱出計画"を模索したのかを……」


 声が震えていた。今にも泣き出しそうな声だった。

 しかし、俺ならわかる、だと?

 たった一つの……あぁ。そういうことか。


「無論だ。俺がこのβ世界線にたどり着くまでどれだけ世界線を越えてきたと思っている」


 きっと比屋定さんは何度も何度も、気が遠くなるほどタイムリープを繰り返したに違いない。


「……最初はあなたが逮捕されたわ。フェイリスさんの力でなんとか不起訴処分にできたけれど、タイムマシン製作をうまく始めることはできなかった」


「だから、あなたからやり方を聞いてタイムリープした。また逮捕されたけど今度はすぐ釈放になった。だけど警察から情報が漏れたらしく、未来ガジェット研究所の場所がストラトフォーにバレてしまって、タイムリープマシンが悪用されそうになって、今日の夕方の岡部さんの脳内をぐちゃぐちゃにされそうになったわ。そうなる前に私がリープできてホントによかった」


「そこで作戦を変えたの。予め色んな人に色んな話を聞いておいて、それからタイムリープした。とにかく情報を集めまくった。マシンを作っては飛び、作っては飛びを繰り返して時間遡行していった。もうあんまり作りすぎて、目をつぶってても十数時間で作れるかも」


「ラジオ会館屋上の三人をどうやって脱出させるか、それだけでかなり試行錯誤したわ。フェイリスさんに協力してもらって報道ヘリや警官隊の足止めをしたりしてね。フェイリスさんのコネで信頼できる人間をたくさん雇ってラジ館前を通行人で溢れかえらせて、脱出後のカムフラージュにしたわ」


「天王寺さんには、橋田鈴の正体を暴露したり、偽のFBがM4を唆して重傷を与えたと言ったり、人質の綯ちゃんの無事を確保する方法があると説得したら協力してくれた。ちなみに偽のFB、というかM4の上司の正体はかがりさんよ」


「それだけじゃなくて、なんでもいいから岡部さんを奮い立たせる檄を飛ばしてくださいって天王寺さんに伝えてないと岡部さんが尻込みして警官隊に捕まってアウトとか、そんな条件を発見した時はさすがに笑ったわ」


 力ない笑いがこぼれる。

 水面に月が揺らめき、欄干に月明かりが反射している。

17 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:08:57.38 0RgaG4Bu0 15/202



「……さぞ、つらかっただろう。孤独だっただろう」


 俺はかつて嫌というほど味わった。

 人生で一番長い三週間。


「だが、これでようやく計画の第一段階に入れる。我がラボのラボメンは、そんなことでは決してくじけないのだ」


 理解してあげなくてはいけない。

 タイムリープの孤独さを理解できるのは、同じくタイムリープで結果を変えようとした人間だけだ。

 だが、同時にそのつらさを乗り越えてもらわなければならない。

 俺たちの目的はここじゃない。

 達成すべきことがまだあるはずだ。

 ここでゴールしてはいけないのだ。


「まだ伝えていなかったな、比屋定真帆よ。今日からお前はッ!ラボメンナンバー009だッ!!」


「……」


 その少女は唇をかみ締めて振り向き、髪と同じくらいに顔を涙と鼻水でくしゃくしゃにしていた。



 トスッ。


 
 そのまま俺の胸に飛び込んできた。
 
 ……いや、胸じゃなくて腹部だな、身長差的に。


「……ねぇ」


 彼女はその小さな身体から、かすかに声を絞り出していた。

 俺の白衣をつかむ手に力がこもっている。


「これで私、あなたの苦しみを理解してあげられるかな……」


 その台詞を聞いて、やけに顔の左半分が熱くなった。

 体感で二日前、ダルに殴られたそこを左手で触った。

 そうか、逆だったのか。

 俺の苦しみを理解するために、お前は―――

18 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:10:26.17 0RgaG4Bu0 16/202



「私はさ、紅莉栖にはなれない。あの娘が太陽なら、私は月」


「あの娘の輝きを引き継いで、反射することしかできないけれど……」


「一緒にさ、リベンジしよう?狭間の世界線、シュタインズゲートに」


 ……あぁ、そうだ。

 これから俺たち未来ガジェット研究所はタイムマシンを作って、世界の支配構造とやらを塗り替えなければならない。

 紅莉栖の思いを、まゆりの思いを、すべての思いを。

 なかったことにしてはいけない。

 シュタインズゲートを、探し出してやろうじゃないか。



 ……ん?

 でもたしかさっき『この先に検問は無い』って断言してなかったか?

 ってことはこのやり取り、実は何回もやってるんじゃ……?


「……」


 月の妖精は顔を赤らめて、俺を抱きしめる腕の力をぎゅっと強めた。




19 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:12:54.81 0RgaG4Bu0 17/202

◆◆◆



「おかえりお二人さん。遅かったね」


 中瀬さんが車中から出迎えてくれた。

 買い物袋と一緒に車に乗り込む。


「あぁ、なんでもこれから一晩走り続けるというから、そこのロンソーで食料と飲み物と、それから栄養ドリンクを買って来たぞ」


 なんとも用意周到なことに、俺の私物は車の中にあった。おかげで一文無しにならずに済んだ、比屋定さんには頭が上がらない。


「えぇ!?一晩中!?まぁでもそうだよねー、なんてったって私たち、悪の秘密結社に追われてる身だもんね!」


「なぜ楽しそうなのだ中瀬克美よ……」


「オカリンさん、わかってないなー。ロマンってやつを、さ」


 チッチッチ、と指を振りながら自慢げである。存外こいつは戦時下でもたくましく生きぬくタイプなのかも知れん。


「あと、私の名前はフブキでいいよ。フルネーム呼びは、ちょっと」


「む。そうだな、わかった。それで比屋定さん。これからどこへ向かうんだ?」


 さっそく中瀬克美ことフブキはビニール袋からアンパンを探り当てていた。


「青森よ」


 バタン、とドアを閉める。キーを回して、エンジンがかかった。


20 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:15:55.39 0RgaG4Bu0 18/202



「あ、青森ィ!?」


 俺とフブキは同時に驚いた。フブキはアンパンを喉に詰まらせたようだ。


「おいおい比屋定さん、まさか紅莉栖の実家に今から行こうというのか!?」


 ハザードランプを消し、ウィンカーを出して、車は発進した。


「はぁ……。今そこには関係者は誰もいないでしょ?」


 そういえばそうだった。親父はロシア、母親はアメリカ、そして娘は……。

 しかし、それでは一体なんのために青森に?牧瀬紅莉栖が幼少期を過ごしたであろう青森を見にいこうとでもいうのか?


「一応先に言っておくけど、あの娘は生まれた時から青森に住んでたわけじゃないわ。章一が学生の頃青森から上京してきて、タイムマシン研究が頓挫してから家族を引き連れてUターンして、それから。しょっちゅう東京には出てたみたいだし、あなたがこの後質問する『やっぱり青森弁しゃべってたのかな』の答えは、NOよ」


 お、おう。なんか気持ち悪いな。頭の中をのぞかれているみたいで。


「それで、何しに青森に行くのさ?」


 今度はフブキが質問した。車は扇大橋料金所から首都高速に乗った。


「ちょっとコネがあってね。それを辿ってあるところへ行くわ」


 コネ?というか、なぜそんなもったいぶるのだ、比屋定さんよ。


「ヒントをあげる。ふふっ、結構これが楽しみなのよね……。ヒント、第三次世界大戦下にあって、日本で一番安全なところはどこかしら?」


 なんだそりゃ。突然比屋定真帆主催のクイズ大会が始まった。


「先に正解した方にはビニール袋に入ってるポテチを一人で食べる権利をあげる」


「はいはーい!わかったわかった!」


 な、なに!?エサをつるされた途端全力全開だと!?

 しかし、一介の女子高生にこの政治的難問がわかるわけが……。

21 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:18:18.44 0RgaG4Bu0 19/202



「沖縄でしょ?」


「はい正解」


「ぬゎぁああああ!!!なんたる!!!なんったるぅぅ!!!!」


 そうか!そうだった!俺とフブキの共通点といえばまさに今年の頭に起こった、沖縄でのソ連世界線漂流ではないか!


「くくくっ……」


 当の比屋定さんは大爆笑のようだ。くそっ、ループの度に毎回同じリアクションをしているらしいな、俺は。


「というか、わかったぞ比屋定さん。三沢基地だな?何故わかったか、この話は……」


「既にされてる。だからこそフブキを助ける理由にもなったわけだし。あなたがアッチの世界線で経験したことは、もうフブキとあなた自身から何度も聞いているわ」


「そ、そうか」


 どうにもやりにくい。


「だが、なぜ青森まで行く必要がある?入間ではダメなのか?」


「さっき言ったでしょ、コネがあるって」


 一体どんなコネなのだ?


「それは着いてからのお楽しみってことで」


 ほほう、そいつは楽しみだ。

 ん、待てよ。これからタイムマシンの研究をしなければならないというのに、悠長に沖縄に身を隠している時間などあるのか?

 確かに戦時となれば沖縄に研究室があった方が安全に研究できるのだろう。本土空襲があっても最後の砦となることは経験済みだ。

 だが、大学はどうする?両親には何と伝える?

 俺はまたあの大檜山ビル二階に戻ることができるのか……。


22 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:21:34.30 0RgaG4Bu0 20/202



「大学はもちろん退学よ。あなた、世界中からその身を狙われているって自覚してる?親御さんには一応池袋を離れてもらうよう指示を出しているわ。人質にでもなられたら困るから。でも、千代田区外神田3-6-##、つまり大檜山ビルも含めて最終的にどうなるかはわからない。ラジオ会館屋上の位置を2036年まで確保する方法とか、戦時下を生き抜く方法とか、わからないことばっかり。だから、もしなんともならなかったらまたタイムリープするしかない」


比屋定真帆はきわめて無感情にそう言った。


「た、たいむりーぷ……?」


フブキが一人話についてこれていない。


「先に言っとくわ。マシンの未完成だった情報圧縮の部分は橋田さんにやり方を書いたメモを渡しておいたから、明日の朝にはタイムリープマシンが完成しているはず」


そういえば比屋定さん、どのタイミングでリープしてきたんだ?

……!?


「ま、まさか、あの短時間ですべてをやったというのか!?」


俺の記憶によれば、おそらく俺がラボを後にした今日の五時過ぎに彼女はタイムリープしてきたハズだ。しかし、それだとマットや車を準備したりするにはどうしたというのだ?

待てよ。ならフブキを連れてくるなどもっと不可能ではないか?


「ごめんなさい、岡部さん。実はね、あの下り、全部演技してたわ」


あの下り、というと……?


「ほら、橋田さんがあなたを殴って……。と言っても、この辺りはこの世界線上では"あなた"ではないことになっているから、どうでもいいのだけれど。ただ、タイムリープしてきたあなたに私が驚いたところは、あなたにとっても演技になるかしら」


「ごめ、ちょっとなに言ってるかわかんないです……」


フブキが根を上げた。


「しかし、48時間の制約の中でよくそこまで準備できたものだ」


「あら、誰がそんな決まりを作ったのかしら。私にあってあの娘……紅莉栖にないもの。それは、何事も疑ってかかる能力なんかじゃない。牧瀬紅莉栖以上の成果を出したい、と思う強い気持ちなのよ」


23 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:24:26.59 0RgaG4Bu0 21/202

◆◆◆



その後、車は数度サービスエリアに停まり、休憩を取りながらも北を目指した。

サービスエリアではトイレ以外はすぐ車中に戻り、人目につかないように休憩した。

休憩中、ケータイの電源を入れていいか比屋定さんに相談してみた。


「実際に私が確認したわけじゃないからわからないけれど、ストラトフォーに電話番号を探知されて悪用される可能性がまだ存在してるかも知れないから、通信会社を解約するまでは電源を切っていおいて。なるはやで橋田さんに代行を依頼しておくわ」


「それでは俺が未来からタイムリープしてきたりDメールを受信したりできなくなってしまうではないか」


「全部私がリープするから心配しないで」


さらって言ってのけた。

確かに俺は2025年まで死なないことが確定しているが、タイムリープマシンを悪用されて脳をいじくられ、植物状態にされてしまっては元も子もない。


「最終目的地に到着後、新しいケータイの番号で契約しましょう」


う、うむ。不安だ。

俺が電源を切ったあの時点より前であればタイムリープも可能だし俺のケータイにDメールも送れる。だが、電源を切ったあの時点から新しいケータイを手に入れるまでそれができないのは、不安すぎる。


「もしその間にあなたのケータイの電源をつけていなければならないという条件が発覚したら、私がリープしてそう伝えるから」


感情の起伏なく告げられる。いったい、今は何度目のループなんだ……。

車内で休憩をとっていても、駐車場を歩く人間から中を見られてしまうことがある。あまり長くは停車していられなかったので、すぐ出発した。


24 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:28:44.44 0RgaG4Bu0 22/202


三人とも疲労困憊だった。それでも今後のために情報は共有しておくべきだと判断し、できる限り色々話した。

フブキにタイムマシンやまゆりのことを説明するのは骨が折れた。フブキの理解を得るのも大変だったが、俺自身の心がまだ"まゆりがいなくなった"という現実を受け入れられずにいた。ただ、まゆりは死んだわけではない。このことはフブキも納得してくれたようだ。

逆にフブキが、まゆりが死ぬ夢を過去に何度も見ていたという話には驚かされた。こいつにはかなりのリーディングシュタイナーがあるのだと確信した。

後ろで寝ている椎名かがりの正体は実は阿万音由季だったのだという話をした時はさすがに驚いていた。そうだよな、俺だって未だに信じがたい話だと思うのに、フブキと由季さんは昔からコスプレサークルで知り合いだったわけだから。しかもそれが養子とはいえまゆりの娘ときたもんだ。

俺とフブキは交互に起きて比屋定さんが居眠り運転をしないよう励ます役をやろうという話だったが、午後十一時を過ぎてからはフブキは眠り込み、梃子でも起きなかった。この野郎。

結局夜通し比屋定さんと俺が話すことになった。比屋定さんはこのやり取りを何度もやってるらしく、俺が新しい話をしようとする度に「それはもう聞いた」と返された。つらい。



午前一時、車は岩手県山中のPAに停車した。ここで車を乗り換えるという。

代わりの車は既に到着していた。五人乗りの一般的な乗用車、トヨタのラウムだった。

男が二人乗っていた。そのうち運転手の男とはどうやら比屋定さんは知り合いのようだったが、暗がりで顔はよく見えなかった。会話は流暢な英語だったため俺には聞き取れなかった。

……まさかとは思うが、ストラトフォーの手先ではないよな?いや、ここは比屋定さんを信じよう。

未だに意識を取り戻さないかがりと、爆睡しているフブキをなんとかかつぎこんで、乗り換えを完了した。人気はちらほらあったが、闇に紛れて怪しまれずに済んだ。

運転手じゃない方の男は比屋定さんからカギを受け取ってワゴン車に乗った。比屋定さんに、いったいあの車をどうするのか尋ねたところ、このまま北海道へ船で渡ってそのまま車ごとロシアへ行くそうだ。なるほど、料金所を通るなどして車の痕跡をわざと残したのはかく乱作戦があったからだったか。

運転手の男を加えた五人はそのまま八戸自動車道を北上した。俺も比屋定さんもさすがに起きているだけの体力は無くなり、その男を信頼して眠った。

午前四時頃、まだ日が昇る前、車はどこかの公園の駐車場へ停まった。いつの間にか有料道路を降りていたらしい。そしてここでまた乗り換えるそうだ。

夏にもかかわらず肌寒い空気の中、後部座席のスライドドアを開けると目の前にはいかつい車があった。これはなんて言う車なんだっけ……ハマー?だったか。とにかく冷えるので、いそいそと寝ぼけ眼で乗り込んだ。フブキやかがりの身体は運転手の男が運び入れてくれた。

 中に用意してあったタオルケットに包まれた俺は再びぐっすりと眠り込んでしまった。


25 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:31:29.30 0RgaG4Bu0 23/202

◆◆◆



「オカリンさん、おはようございます。ふぁぁ……」


 あぁ、フブキか。

 って、あれ?ここは、どこだ?

 目を覚ますと広めの保健室のような部屋のベッドで寝ていた。天井付のレールカーテンが開け放たれている。

 フブキの一つ向こうのベッドでは比屋定さんが寝ていた。他にもベッドはあったが、かがりの姿は無かった。


「いったい、どうなってるんだ?」


 辺りを見回していると、奥の引き戸が開いて見覚えある骨太の男が現れた。


「Hey,everybody.Good morning!」


 突然男は元気よく叫んだ。うわぁ、また英語か、と思うと気が重くなった。

 その男はあからさまなミリタリーファッションだった。いや、というより、あれか。こいつは軍人なのか。筋骨隆々の肉体の上に、いわゆる迷彩服を上下に着ている。

 なんだが軍人には世話になってばっかりだ。嫌になる。

 肌は褐色がかっているが、しかし人懐こい感じの顔はどうみても日本人、最低でもアジア人だった。なぜ英語?

 その後も英語で俺たちに話しかけるが何を言っているかよく聞き取れなかった。

 既に俺とフブキはベッドから身を起こしていたが、比屋定さんは薄い掛け布団をくしゃくしゃに丸めて篭っている。

 なにやら英語での問答があって、ようやくその繭から顔をひょっこりと出した。


「あー、比屋定さん。おはよう」


 髪までくしゃくしゃにしたミノムシに俺は話しかけた。


「あぁ……おは、ふゎぁ……。おはよう……」


 彼女はきっとものすごく低血圧なのだろう。


「この状況を説明してもらえると助かるのだが」


「ん……。あと五分……」


「ええい、とっとと起きろ!」


 ついカッとなって大きな声を出してしまったところ、例の男に肩を叩かれて、シーッとやられた。No,Noと言っているのはわかった。くそ、日本語でOKだ!


「もういい、先に顔を洗ってくる。えーと、あの、洗面所はどこですか?えー、ウェアー、イズ、センメンジョー?」


「オカリンさん、それはないわ……。Could you tell me......?」


 なんと、こいつ高校生のくせに憚ることなく英語が話せるのか!?

 その男とフブキに連れられる形で便所へ行った。便所はちょっと汚かった。


26 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:34:36.37 0RgaG4Bu0 24/202



「それで、比屋定さん。そろそろ説明がほしいのだが……」


 俺たちはベッドに腰掛けながら朝飯を取っていた。朝飯は例の男がワゴンで運んできた。朝飯と言っても質素なパンと牛乳だったが、殊の外おいしかった。

 昨日は一晩色々話をしたのだが、今後の具体的なことについてはあまり教えてくれなかった。説明するより実際体験した方が早い、という理屈だそうだ。


「えっと、まず椎名かがりだけど、彼女は今別室で治療を受けているわ。目が覚めたらメンタルケアの専門家も必要でしょうし」


「そうだったか、なら一安心だ」


 軍属のメディックならばメンタル系も一流であろう。知らないが。

 ただ、かがりがいつも聞こえると言っていた"神様の声"に関してはもっと根本的な治療が必要になるだろう。とにかく、環境が整うまでは麻酔を打ち込んででも大人しくしててもらう外ない。


「それからさっきからずっと自己紹介しているのを無視されて、あそこで凹んでいる彼が、私のコネクションの一人、マイク・ヒヤジョーよ」


 比屋定さんが指さした先では、米軍の軍服に身を包んだアジア人が隅っこのベッドでションボリしていた。


「まいく・ひやじょー?ってことは、親戚か何かなの?」とフブキ。


「そう、私の"はとこ"に当たるわ。ただ、彼の両親は二人ともアメリカ人で、彼は日本語を全く話せないの。父方は一応日系人だけど」


 ほう、そうなのか。顔は日本人なのに日本語をしゃべらないとは、なんとも不思議な感じがする。


「彼は信頼できるわ。米国への忠誠ももちろんあるけれど、比屋定ファミリーへの仁義を尽くしたいと考えているらしいの」


 どこのマフィアだそれは。


「ふふん、沖縄人の親戚パワーを舐めないで頂戴。でも一応例の話題は避けてね。ストラトフォーに脳みそをいじくられた人たちの保護、っていう目的で内密に協力してもらってるの」


 例の話題と言ったらタイムマシンのことだろう。それこそペンタゴンへ情報が直行してしまいかねない。


「アー、ヘロー?ソーリーソーリー。マイネームイズオカベリンターロ。アイムファーインセンキュー、エンジュー?」


 そうとは知らず申し訳なかった、ということで挨拶をかましてやったのだが、フブキも比屋定さんもなんだか呆れ顔だ。

 マイクも一瞬ポカンとしていたが、満面の笑みでシェイクハンドしてくれた。どうやら意思疎通ができたようだ。


27 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:37:03.24 0RgaG4Bu0 25/202



「しかし、それではこの空間に比屋定の名を持つ者が二人いることになってしまうな」


「そうね。ちょうどいいわ。今この時をもって比屋定真帆の名前を捨てる」


「な、なんだと?」


 それをすてるなんてとんでもない!


「比屋定なんて珍しい名前、目立って仕方ないから。だから、今後はできるだけ人の記憶に残らないような、平凡な名前で生活するつもり」


 偽名、ということか。


「ふむ……まぁ、一理あるな」


「あ、じゃぁさ、それこそクリスなんて名前、いいんじゃない?」


 フブキが身を乗り出してきた。って、よりにもよって"クリス"だと!?突然なにを言い出すのだ!

 ほら、比屋定さんも鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。

 ……あれ、ということはこのフブキの発言は数あるループの中でも初出なのだろうか。


「だって、昨日からよく話に出てきてたし……それに、オカリンさんがクリスって言うと、妙にしっくりくるんだよねぇ」


「い、いや、だがしかしだなぁ!」


「……たしかに、クリスだったら日本人としても欧米人としても振舞えるかしら」


「う、いや、だが、しかし……」


 何故か比屋定さんは真剣に考え込んでいる。大方、今まで自分が経験してきたループと違う現象が発生して、興味を持っていると言ったところだろう。

 だがちょっと待て。その名前、本当にいいのか?


「試しに、岡部さん。私をクリスって、呼んでみてくれる?」


「うっ……」


 わかっている、わかっている。このクリスはコードネームとしてのクリスであって、牧瀬紅莉栖とはなんら関係がないのだと、わかっているのだ!

 だが、しかし……!

28 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:39:22.49 0RgaG4Bu0 26/202



「くっ……くりっ……」


勿論、俺が言いにくそうにしている理由を比屋定さんはそれなりにわかっているはずだ。だが何故敢えてそれをさせるのか……。

フブキは固唾を呑んで見守っている。

比屋定さんは何故か恥ずかしそうに上目遣いでこちらを見つめてくる。やめてくれ、こっちまで恥ずかしい。


「くり……す、さん」


はぁーっ、はぁーっ。あまりのプレッシャーに息が上がってしまった。


「う、うん。悪くないわね」


何故照れるのだ比屋定さんよ。


「というか、牧瀬紅莉栖の名前をコードネームにするなど、いいのか?」


「正直、自分に紅莉栖の研究の後釜が務まるのか不安だったんだけど、いっそのこと自分がクリスになっちゃえば研究にも自信が持てるかな、って……」


 うつむき加減に頬を赤らめる比屋定さん。そうか、そんなことを考えていたのか。


「何を言っている。もう既に紅莉栖の作ったマシンの性能以上のものを作ったのだろう?それに俺は昨日の跳躍を経験して、比屋定さんの凄さを理解しているつもりだ」


 マイクが日本語を理解していない前提でべらべらしゃべっているが、一応多少はごまかしているつもりだ。


「あ、オカリンさん。比屋定さんじゃなくて、クリスさん、でしょ?」


「う……」


 フブキに指摘されてしまった。が、やはり言えない。ううむ。

 マイクも、俺が弄ばれているのを理解してか、にやにやしている。くそう。

 その時、クリスという呼び方に刺激されて、俺の中にふつふつと虚栄心が湧き上がった。


29 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:41:54.33 0RgaG4Bu0 27/202



「ふっ……ならばまず、"助手"と呼ばせてもらうところから始めようではないかぁ」


 俺のぬるっとした豹変ぶりに女子二人はビクッと身体を強張らせた。本能的になにかを感じ取ったのだろう。


「は、はぁ?どうして私があなたの助手なの?確かにあなたはラボの所長だけど、でもこの研究に関してはどちらかというと――」


 ふふっ、動揺しているな?いつまでも下手に出ている俺ではないのだ。


「理屈ではないのだぁ、助手ぅ。それともセレブ・セブンティーンヌッ!略してセレセブがいいか?いや、ここはそれこそ、蘇りし者<ザ・ゾンビ>がふさわしいではないかッ!」


「うわっ、なんか昔のオカリンさんのテンションになってきた……キモッ」


 フブキがなにか戯言をつぶやいているが気にしないでおこう。


「ちょっと、なんでセレブ?セブンティーンは、確かによく間違えられるけど、じゃなくて!意味わかんな――」


「口答えするでない!この天才HENTAI少女がッ!」


「へ、へんたいですって!?」


 その言葉に小さな身体が飛び上がった。


「ついに顔を真っ赤にしてファビョり出したなぁ、クリスティーナよ」


「クリスティーナじゃなくて、クリスでしょ!?なんで"ティーナ"をつけるの!?って、ふぁびょるって、何?」


「黙れ実験大好きッ娘のメリケン処女が。とにかくお前は今日、この日、生・ま・れ・変・わ・っ・た・の・だ・ッ!フゥーハハハッ!」


 バババッ、と腕を振り回し、最後に天井に向けて突き上げる大振りなモーションで決めた。マイクの奴は俺の美技に対し賞賛の拍手を送っている。

 ふふっ、懐かしいではないか。あぁ、懐かしい感覚だ。まさにッ!時を越えた郷愁への旅路<ノスタルジアドライブ>!


「は、はぁ。まったく、岡部さんは時々意味がわからないわ」


 ため息をつきながらベッドに腰掛けるクリス。

 うむ、クリス呼びにはもう抵抗はないな。だが、もう"助手"と呼ぶことはあまりないかもしれないな……。

 クリスという名前によって俺は、忌むべき存在と認識していた"ソレ"を、期せずして復活させてしまっていた。

 ……ちょっと恥ずかしいとは思う。


「真帆さんは知らないだろうけど、昔はもっと酷かったんだよー?」


 フブキはケラケラと笑っている。まぁ、実際もっと酷かったからな、反論はしない。

 そうこうしているうちに全員朝食を取り終えた。

 と、その時。廊下の奥から叫び声が聞こえてきた。





『ママァ!アイツ殺すッ!ママァ!』



30 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:45:09.36 0RgaG4Bu0 28/202



「!? かがりか!?」


 あまりに悲痛な叫びに驚いた俺は部屋を一目散に飛び出していた。

 廊下の一番奥の部屋への扉を空けると、そこにかがりは居た。ブロンドの女医らしき人物と、黒褐色の肌の軍人に身体を取り押さえられている。服は患者が着る、薄い甚平のようなクランケ服に着替えさせられていた。

 かがりの半狂乱な視線が、俺の顔を鋭く射抜いた。


「殺すッ!お前ッ!絶対にやらせないから、やらせないからなァッ!!」


 全身の力を200%振り絞って出しているのではないかと思う声で、およそその少女の体躯から発せられる音量をゆうに超越した声で、かがりは俺に噛み付こうとしていた。

 そこへ俺の後ろから屈強な軍人たちが数名雪崩れ込み、かがりを台に寝かしつけた。

 なおもかがりはあばれ続けていたが、先のブロンドの女医が隙を見て一本の注射を腕に挿した。腕の周りは、俺の首より太い何本もの腕によって押さえつけられているが、それでもかがりは抵抗している。

 注射を終えると、十秒もしないうちにかがりの反抗は弱くなっていき、三十秒後には気を失った。随分強力な薬のようだ。



 これは、明らかにひどくなっている。

 俺の知っている限りではかがりにはまだ若干の理性があった。むしろ、だからこその苦痛だったはずだ。

 しかし、これではもうただ狂っているだけだ。

 まさかとは思うが、これもレスキネンの仕掛けたトラップなのか?例えば、目的を達成できなかったら脳を破壊して死に追いやるプログラム、とか……。

 ありえなくはない。これは、本当に一刻を争う事態だ。


「かがりさんの脳は、私がなんとかする」


 後から追いかけてきたクリスが言った。


「なんとかできるのか?」


「当たり前でしょ、私、これでも教授の下で研究してた脳科学者よ。もうだいたい仕組みはわかってる。あのレスキネンのやりそうなことを考えればいいだけだから」


 そうか……。それなら、よかった。


「実はここ、三沢基地に来た一番の理由はそれなの」


「何?」

31 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:48:26.59 0RgaG4Bu0 29/202



「何って、あなたが教えてくれたんじゃない。なんだっけ名前……ほら、あなたがα世界線からβ世界線へ移動するきっかけになった……」


「Dメールの削除か?」


「そう。そのDメールを捉えていたのは?」


「エシュロン……そういえば、この三沢基地に通信傍受施設がある、というのは有名だったな」


「この窓から見えるわ。ほら」


窓の遠くには巨大な鉄骨造りの円筒形の囲いがあった。通称"ゾウの檻"、その手の方面では何かと話題に上る有名なものだが、@ちゃんねる掲示板では使い古されたネタとなっている。

この馬鹿でかい"ゾウの檻"だけがエシュロンではないが、ともかくエシュロンの一部であろう。

なるほど、ここのエシュロンにあのDメールは捉えられてしまって、そして全てが始まったのだな……。


「冷戦時代、当然傍受された情報はホワイトハウスに即座に届けられていた。ここ、三沢基地からね」


ふむ……?


「まさかと思って調べたら、ホワイトハウスとここは今でも非常用通信として直通で連絡できるらしいわ。それも光回線で」


なんと……!てか、それって軍機じゃないのか?


「これを把握するために何度飛んだことか……。そんなわけでストラトフォーさんの悪事をエシュロンの名で暴露させてもらうと同時に、かがりさんの治療に必要と思われるデータをヴィクコンから持ってくるわ。ホワイトハウスとヴィクコンも光回線でつながってるの。脳科学研究所と精神生理学研究所からありったけいただくわよ」


「それこそダルの領分ではないか?クリス、お前一人でできるのか?」


「大丈夫、橋田さんに教えてもらいながらやるから。それにもう何度も成功してる」


二人はビデオチャット仲間らしい。

しかし、そのやり取りこそ傍受されたら問題になるのではないか……?


「そんなわけだから数日ここに滞在して、準備が出来次第沖縄へ飛ぶわ。あんまり長居するわけにもいかないの」


経験上、とクリスは付け足した。説得力がある。

一体クリスは何日、いや、もう何ヶ月にもなるのだろうか。そんな時間を、何度も繰り返して、失敗してきたのだろうと思うと胸が痛んだ。

だが、今度こそは大丈夫だ。根拠はないが、そうでなければならない。


32 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:55:49.31 0RgaG4Bu0 30/202

◆◆◆



 明朝、早速沖縄へ発つこととなった。ダルは影で相当がんばっていたらしい。

 かがりのことを考えれば早ければ早い方がいい。あの発狂の後のかがりは少し落ち着いていて、多少はコミュニケーションをとることができた。

 結局、表向きにはストラトフォーの悪事を米軍が告発したことになった。すなわち、新型脳炎患者に対して非人道的な人体実験をしている、ということをだ。

 おかげでこの時点で日本国内に残っていた新型脳炎患者はストラトフォーの手による人体実験行きを免れることとなった。それだけではなく、ストラトフォーは今後あまり表立って行動できなくなることだろう。しかしそれでも世界中の諜報機関が脳炎患者を狙っている。いずれリーディングシュタイナーもどこかの組織に発見されてしまうはずだ。

 三沢基地の面々に対しては、被害者三名は専門家の判断によって問題がないと診断されたので保護を終了したという話になっていた。色々とお世話になりました。

 しかしまぁ、これだけおおっぴらに行動しておいてタイムマシンに関しては一切バレていないというのは本当に奇跡的だと思う。勿論奇跡なんかではなく、クリスの度重なるタイムリープのおかげなわけだが。



 俺たちは積荷にまぎれてこっそり米軍の輸送機に乗り込んだ。それを手伝ってくれたのは、あの馴れ馴れしい笑顔のマイク・ヒヤジョーだった。

 離陸から4時間もすれば嘉手納基地に到着しているという。機内に乗り込んでからは、マイクの案内の下、麻袋から抜け出した。

 かがりには強力な麻酔を打ってある。向こうにつくまではなんとか凌げるだろう。

 快適な空の旅とは言えなかったが、もはや社会から消えた身分だ、仕方がない。

 飛行機に揺られ続けている間、会話は特に無かった。というか、轟音でろくに話すこともできなかった。



 まもなく嘉手納基地に着陸した。体感ではあっという間だった。再度麻袋へ姿を隠し、荷物にまぎれて軍用トラックへと移された。マイクとはここでお別れだ。

 トラックが発進し、基地内から一般道へと出て順調に走り出すと、日本語で『君たち、もう大丈夫だ。出てきなさい』と声がした。

 クリスが真っ先に袋から抜け出して、俺たちにも出るように促した。


「それで、この運転手もコネの一人なのか?」


「そう。彼の名前は比屋定盛親。基地労働者として働いているわ」


「今度も親戚さん?」


 フブキが袋からひょっこり顔を出して質問する。

 またコイツと沖縄旅行することになるとはな。まぁ、冷戦ならぬ熱戦下での沖縄旅行ではなくてよかった。

 それにしても、体中がかゆい。全く、ほこりっぽくてたまらん。

 麻袋の中ではよくわからなかったが、外へ出ると空気が違った。軍用トラックのほこりっぽさとは別に、今年の頭に味わったあの南国特有の空気だ。


「そうなるわね。でも沖縄人は、遠くても近くても親戚の団結力はすごいのよ。彼も信用できる」


 そう言えばもともとクリスが日本に来た名目は比屋定家祖先への墓参ということだったな。クリスが日本へ来たのは実時間でつい先週のことだ。


「たしか、一度も会ったことはなかったんだろう?」


 それなのに、ただ親戚というだけでそんなに信用して大丈夫なのか?


「戦前に南米に行った、本部本家の次男坊の、その長男筋の長女と紹介しただけで信頼度は100%だった。笑っちゃうけど、ホントに頼りになるんだから」


 久しぶりにクリスが屈託無く笑った。その顔には長時間の移動による疲れが見えていたが、それでもかなり緊張は解いているようだ。

 どうやらタイムリープ判断の分岐点となる山場はひとつ越えたと見ていいらしい。

33 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 02:58:34.43 0RgaG4Bu0 31/202



「今でも本部の比屋定さんにはお世話になってますからね。なんといったって、一族門中会のリーダーであるわけですから。この前のカミウシーミーの時に合わせて作った由来記の編集の時なんか……」


 顔は見えなかったが、運転席からセーシンと呼ばれた男が突然饒舌にしゃべり出した。独特の沖縄訛りのイントネーションではあったが、標準語のはずなのに単語の意味がわからず、何を言っているのかよくわからなかった。


「それで、盛親さん。例の件は問題ないかしら」


 にやり、と笑みを浮かべて比屋定さんが質問した。

 なんだか俺の奥底で眠っていた厨二心をくすぐるような台詞回しだ。

 実際クリスも格好つけて言っている。フブキなんかは長時間のフライトによる疲労を忘れて目を輝かせ始めた。


「はい、問題ありません。毛氏比屋定門中が世界の命運を握っているというならば、全力でお手伝いさせていただきます」


 ハッハッハ、と豪快な笑い声が聞こえた。どうやらこいつもマイク同様相当がたいが良さそうだ。


「お、おいクリス。どこまで話してあるんだ?」


「世界の支配構造を破壊するための最終兵器を作る、って言ってあるわ」


「よくそれで話が通じたな……」


 後からわかったことだが、要するに、島の人間は刺激に乏しいのだ。だからこういうおもしろそうなことには首を突っ込みたがる。

 そのうちにトラックは停車した。


「さ、降りてください皆さん。ハブには気をつけて」


34 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:02:38.75 0RgaG4Bu0 32/202



「皆さんはこういう都市伝説を聞いたことがありますか」


 俺たちの前に現れたのは、逞しい褐色の肌をした、まさに島の男という感じの壮年男性だった。敬語で話しかけられているのに違和感を覚える。

 トラックはジャングルのど真ん中に停車していた。辺りは日中にもかかわらず薄暗い。道は舗装されておらず、蛇やら虎やらが出てきてもおかしくない雰囲気だ。


「沖縄の米軍基地には核兵器が、あるいは生物兵器が眠っている、と」


 ほう、ネットではそれなりに出てくる話題ではないか。現在の軍事的戦略からして核があるわけない、ということで大体話はつくのだが。


「米ソ対立時代にはあったかも知れませんし、ベトナム戦争時には一部が実際にあったことが明るみになっていたりします。ですが、いったいそれらをどこに閉まっていたのか」


 ん?たしか、辺野古の弾薬庫だったか。


「おぉ、詳しいですね。そうです。ここが辺野古、キャンプ・シュワブです」


 へぇ……。で?ここにその兵器があると?


「さぁ、それはわかりません。ですが、それらしい兵器を隠していた"場所"はあります」


 ふむ……?


「その場所は今手付かずのまま放置されています。是非未来ガジェット研究所の皆さんの新しい研究所としてお使いください」


「な、なんだと!?」


 俺が驚くと、ギャーギャーと黒い鳥たちが鳴きながら一斉に空へと飛んでいった。

 それに怯えてフブキがうわぁと身体を縮めた。


「百聞は一見に如かずよ。盛永さん、宜しくお願いします」


 クリスがまた新しい人物の名前を言った。

 すると、鬱蒼と生い茂った草木の間から、赤ら顔をした老人がのっそりと現れた。

 汚れた作業着、首にタオルを巻いている。ボロボロのキャップの下からは、少し赤みがかった白髪が生えている。皺は深く、その身に年輪を刻んでいる。

 やはり骨太の男だ、こいつも比屋定ファミリーの一員であろう。


「だぁ、いったー。ちーてぃくーわ」


 ん、ん!?

 何やらわからない言語を発したその森の妖精は、腕で俺たちを招く仕草をして、また森の中へと入っていった。


「さぁ、行くわよ。岡部さんはかがりさんをよろしく」


35 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:06:58.48 0RgaG4Bu0 33/202


 どうやらセーシンさんとセーエーさんとが案内役をバトンタッチするらしい。セーシンさんの方はトラックへ戻って撤退の準備を進めていた。

 セーエーさんとやらがどんどん歩みを進めていくので、俺はすぐさまかがりを背負って後を追った。

 セーエーさんは鉈で下草を払いながら奥へ奥へと進んでいく。三人と背中の一人は必死に道無き道を歩いた。

 暑い。気温は森林の中ということもあってそこまで高くは感じないのだが、ものすごい湿気だ。一歩踏み出すだけで汗が滴り落ちる。

 そして虫が多い。ええい、うっとおしい。これ、刺されでもしたらマラリアにかかるんじゃないか……?

 木々の葉擦れの音に混じって時折聞いたことも無い動物の鳴き声(鳥か?)が聞こえてくる。亜熱帯特有の生物だろう。

 まるで戦争映画のワンシーンだ。この上敵兵が潜伏などしていようものなら精神がおかしくなってしまうに違いない。


「セーエーさんは若い頃、戦後の混乱期に基地建設の仕事をやったらしいわ。とにかく穴を掘ったんだって。まさに彼が掘った穴を新しい研究所として使おうと思ってるの」


 息を上がらせながらクリスが言った。使えるのか、それ……。


「まぁ見てなさい」


 しばらくすると、岩壁が聳え立っているところまで来た。高さにして10m近くはあるだろうか、巨大な石灰質の岩壁だ。その上に生えた木の枝から無数に降りた根っこのようなものが岩壁を覆っており、ジュラ紀にタイムトラベルしたかのような気分になる。

 上に見とれていると、セーエーさんが視界から居なくなっていた。


「き、消えた!?」


「くまやが。くーわ」


 なんと岩壁の足下はくぼんでおり、奥はほら穴になっていた。どうやら鍾乳洞のようだ。

 内部にはツタに覆われた脚立が立てかけられており、それを伝って下へ降りたらしい。今にも壊れそうな脚立だ。

 俺たちもそれに続く。あれほど元気だったフブキはもはや顔面蒼白だ。

 全員で協力してかがりを洞窟の入り口まで降ろした。中は湿気がすごかったが気温は低く、ようやく冷気を感じることができた。

 ヤモリがちょろちょろと足元で蠢いている。コウモリも居そうな雰囲気だ。

 セーエーさんは鉈を置いて、代わりに懐中電灯をつけ、少し身をかがめながら奥へと進み始めた。


「あっ、ツボがある!」


 突然、隣に居たフブキが久しぶりに口を開いた。

 ん?なんだこのでかい壺は。

 フブキの指さす先には1m近い大きさの古びた壺がおいてあった。

 RPGでもあるまいし、どうして洞窟に壺が……。


「まさかメダルが入ってるとか!?」


 おいおい、さっきまでおっかなびっくりのへっぴり腰だったくせに突然テンションが上がったな。

 言うや否や、フブキはすぐさま蓋をあけた。


36 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:10:33.60 0RgaG4Bu0 34/202



「……ぎゃああああああああっ!!!!!」


 鍾乳洞全体にとてつもない絶叫が轟いた。


「ほ、ほ、ほねぇぇっ!!」


 フブキはその場に尻餅をついた。どうやら腰が抜けてしまったらしい。

 目玉をぐるぐる回し、口からは泡を吹いていた。


「さんけーっ!うーまくー!」


 奥に行っていたセーエーさんが懐中電灯と共に戻ってきた。かなり怒っている。

 ゴチン、と一発フブキに拳骨を加えた。


「うわあああああああん!!!」


 お、おいおい。

 マジ泣きだった。いや、無理もないだろ。

 明かりに照らされた壺の辺りを見ると、何やら白い破片が散らばっていた。


「全く……。セーエーさん、許してあげてください。私はサーダカーですが、大丈夫、ここにはヤナムンはおりません」


 クリスはなにやら説得していた。暗がりでもよくわかるほどセーエーさんの顔は赤くなり、かんかんに怒っていた。

 とりあえずこの怒れるおじいさんは落ち着いたらしいが、フブキはずっと泣きじゃくっている。


「よしよし……」


「ひっく……ひっく……」


 セーエーさんの説得が終わるとクリスは泣きじゃくるフブキをなだめた。

 成人女性が女子高生をなだめていると考えればおかしなことはないだろうが、見た目には女子中学生が男子高校生を抱きしめているように見える。

 フブキが落ち着いた頃、セーエーさんはまた奥へと出発した。俺たちもいそいそとそれに続く。


「フブキよ、大丈夫か?」


 フブキは小さく、ん、と言った。顔は泣きはらしているようだ。


「あの壺の中には風葬後、洗骨をした人骨がまるごと一体入っていたのよ」


 洞窟をゆっくり屈みながら歩く中でクリスが説明してくれた。なんと、ミミック的なアンデッドモンスターであったか。


「あんまりそういうことを言うもんじゃないわ。あの骨壷は、戦争中にお墓の中にあったものをここに避難させたのだけど、お墓そのものが破壊されてしまって戻すに戻せなくなっていつしか忘れられてしまったものよ」


 一体その情報をどこで仕入れてきたのだ……。

37 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:12:49.44 0RgaG4Bu0 35/202


 30mも進まないうちに、わりと広い鍾乳洞の空間に出た。

 広いと言ってもまだ未来ガジェット研究所@秋葉原の方が広い。


「おいおい、まさかここを研究室にしろっていうのか?」


 自分の声がこだまする。

 鍾乳石だろうか、筍状の岩が何本か奥の方にあった。その裏側へとセーエーさんがまたも消えていった。

 突然光源が消えたので焦って俺たちも続いた。

 そこには3mほどの高さのタラップが真下へ向かって設置されていた。

 ところどころ錆びているが、岩壁にしっかりと打ち付けられている。

 またも四人で協力してかがりの身体を下へと降ろした。

 しかし、なぜこんなところにタラップが?

 そんなことを思いながら自分も下へと降りる。

 一番下まで到達すると、背後に岩壁に埋め込まれた一枚の鉄扉があった。セーエーさんがカギを使って開ける。

 扉が開け放たれる。どういうわけか、光源が漏れ出す。

 そこには。




「な、なんだこりゃぁ……」




 絶句した。

 そこには、まるで宇宙を舞台にしたロボットアニメによく出てくるような、無機質で、しかしどこかレトロなだだっ広い空間があった。


38 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:16:51.56 0RgaG4Bu0 36/202

◆◆◆



 天井には時代に取り残された白熱電球、壁面にはむき出しのままの配管、床はリノリウムではなくコンクリート、どこからか聞こえる換気扇の軋む音……。

 何かの映画で見た、アルプス山中にあるという地下要塞のようだ。探せばホントに核兵器か、もしくは核兵器を飛ばすためのボタンでも隠れてそうな地下空間である。

 入り口の鉄扉を開けるとすぐ100畳ほどの横長の格納庫となっていて、そこから正面の壁には通路への扉がある。その扉をあけると格納庫側の壁に沿って廊下があり、その廊下には格納庫とは反対側の壁に個室がいくつかあった。

 格納庫の、入り口からみて左側の一番奥には搬入口であろう、少し広めの通路が奥へと続いていた。

 なぜセーエーさんがこんなところのカギを持っていたのか疑問に思い、クリスに尋ねた。なんでも、琉球政府時代に将校の部屋から泥棒し……いや、"戦果"を挙げたのだそうだ。自分が一生懸命掘ったこの地下基地に存外愛着が沸いてしまったため、カギだけでもと思って盗んでおいたらしい。クリスがどんな交渉をして譲り受けたかはわからないが……。


「今は発電機を回しているけど、明後日には直接沖縄電力からちょろまかして電気を送ってもらうわ。比屋定の人間に沖電の重役がいて、既に話は通してある」


 比屋定ファミリー、恐るべし。

 フブキも口をあんぐり開け、目を見開いて驚いている。


「ここは完全に外部から遮断されてるから、新しく回線を持ってくれば安全に通信環境が確保できる。ケータイの電波も今は圏外だけど、近いうちにこの施設内部にアンテナを設置するわ。その辺ももう身内を使って委託してあるから安心して。米軍は、書類上は40年前に破棄したことになっているから人様が勝手に使ってるなんて夢にも思わないはずよ」


 もう何度も練習してきたような口ぶりで、クリスは淡々と説明を続けた。

 百聞は一見に如かずとは言ってくれたもんだ。フブキの驚嘆の顔は、次第にレアカードを手に入れた少年のそれに近づいていた。


「この亜熱帯のジャングルを出入りしても誰かに見つかる心配はほとんどない。そのまま国道へ出て名護市街へ行くこともできる。環境さえ整えば、ゆっくり腰を据えて研究できるわ。さて、ここを未来ガジェット研究所の沖縄支部にしようと思うのだけれど?"鳳凰院凶真"さん?」


 ぐっ、その名前、フェイリスから聞いたのか?

 突然俺の方を振り返ったクリスは、何か含みのある笑みを投げかけてきた。

 なんだ?その俺を試しているかのような目線は。


「いや、違うな。そうじゃない。この俺、ラボメンナンバー001である未来ガジェット研究所所長、"鳳凰院凶真"がいるところこそ、未来ガジェット研究所なのだ」


 実時間で一昨日、思い出したくも無いと思っていた"鳳凰院凶真"の不遜な顔と声が、実のところ、今はむしろ心地よく感じていた。


「くくく……ふふふ……フゥーハハハッ!俺の、俺の封印されし真名を呼び覚ましてしまったようだなぁ、クリスティーナ!いいだろう。教えてやろうではないか。我が未来ガジェット研究所の目的ッ!それはッ!運命石の扉<シュタインズゲート>を探し出しッ!世界の支配構造を破壊することだッ!フゥーッハハハ!!」


39 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:19:11.38 0RgaG4Bu0 37/202



「厨二病、乙!」


 う、うるさい!せっかくカッコイイポーズをとっていたところに水を注すでない、フブキよ。

 フブキは、してやったり、といった感じで、手を頭の後ろで組み、にししと笑っている。

 というか、タイムリープで知っているからと言って誘導尋問はやめるのだ、クリスよ。


「ふふ。答えは、ノーよ。ここから先は、私も未体験。ようやくループから解放されて、うれしいやらかなしいやら」


 何故悲しいのだ?というか、そうか。それは、よかった。

 騒いでいるうちに、先ほどからどこかへ消えていたセーエーさんが戻ってきた。


「……ありがとうございます。はい」


 クリスとなにやら不思議な言語で会話している。後で教えてもらったが、これは"ウチナーグチ"という暗号言語らしい。

 どうやらセーエーさんはすべての部屋のカギを開けて回ってきたようだ。


「いくつか部屋があるから、そこを個人の部屋にしたり、かがりさんの診療室にしたりするわ。トイレとシャワーはあと一日だけ我慢して、そしたら上下水道完備になるから。さぁ、とりあえずは内装をしっかりさせて、生活できるようにしないとね」



 この日から新生・未来ガジェット研究所の活動が始まった。



 記念すべき最初の活動は、部屋の掃除であった。



40 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:23:12.30 0RgaG4Bu0 38/202

◆◆◆

 2011年8月21日




「いやぁ、オカリンまじパネぇっす。リスペクトっす」


「ふふん、そうであろう?そうであろう?フゥーハハハ!」


 橋田至ことダルは、狭い鍾乳洞を必死の思いをして抜けてきた先にあった秘密基地に足を踏み入れ、呆然と立ち尽くしながらも感動していた。

 横にだだっ広かった格納庫は、カーテンで間仕切りをした。鉄扉側を談話室とし、日常的に使用する生活空間としてある。カーテンの向こうは研究室である。談話室よりも研究室の方が広い。


「最近は趣味で1/1スケールのプラモとかジオラマ作るうp主とかもいるけど、ここまで本格的にミリオタとかロボオタを魅了する秘密基地はないんじゃねーの、っつーか」


 この太った東京電機大学二年生は、夏期休暇を利用して沖縄へ学生旅行へと洒落込んでいることになっていた。実際は未来ガジェット研究員、また天才スーパーハカー、またタイムトラベラーの生みの親として文字通り地下活動をするための歴史的潜入工作である。


「それと、ケータイの解約の代行とかマジ無茶振り勘弁だお。結構危ない橋渡ったんだから僕のことを労うべきと思われ」


 そうそう、俺はといえば新しいケータイを手に入れた。せっかくなので今流行りのスマートフォンとやらにしてみた。目新しさに惹かれたのだが、なんだかしっくりこないので昔のケータイも常に白衣のポケットに入れてある。そういえば初めて紅莉栖と会った時もこうして電源を入れていなかったな……取り上げられて指摘されたんだったか。


「なーオカリン。GUSOHとかメースBとかなかったん?」


「一応進入可能なところは全て調査したが、まるでもぬけのからだったぞ」


 というか、生物兵器や核兵器がある空間で寝泊りなど願い下げである。

 ようやく生活に最低限必要なものを搬入した程度で、談話室も研究室もまだ物が少なくガランとしていた。

 ちなみに搬入口は現役で使用中の米軍関係施設と長い通路でつながっており、入り口の鉄扉よりサイズの大きい物資の搬入はセーシンさんと共同で外の人気がないタイミングを狙ってこっそり行っている。

 現役で使用中の施設と言っても滅多に使われていない。外にはいくつか短い滑走路が敷いてあって、その横にあるハンガーのような建物がここの奥と繋がっていた。

 だが万が一誰かに見つかっては元も子もない。俺たち自身の移動の際はあの鍾乳洞を通用口としていた。




「おーっ!久しぶりダルさん!相変わらずヘンタイしてる?」


「ヘンタイじゃないお!ヘンタイ紳士だお!ってフブキ氏、元気そうでよかったお」


 久し振りといってもそんなに久しぶりではないが、しかし色々なことがあったものだから随分昔のことのように感じる。

41 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:28:01.99 0RgaG4Bu0 39/202



「橋田さん、わざわざ来てもらってありがとう」


 さっきから隣にいたクリスがダルに声をかけた。ダルは周囲を見渡すのに忙しくて、低い位置の確認を疎かにしていた。


「おぉーリアル真帆たん!いつからそこにいたん?いつも画面の向こうにいるからてっきり2.5次元嫁かと思ってたお!MMDモデル的な意味で!」


「二度とその名前で呼べないように口を縫ってあげましょうか……?」


「お前、いつか本物の由季さんにもしばかれるぞ……」


「まだ出会ってもないリアル嫁にしばかれるとか、僕かわいそす」


 一応ダルには偽者であった阿万音由季の話はしてある。今回のダルの来訪は、元・阿万音由季と面会することも目的のひとつであった。


「あ、あの……おひさし、ぶりです……」


 騒いでいるうちに、栗毛色の髪の持ち主が廊下に通じる扉の奥から顔を出していた。


「あ、その……。うん、久しぶり。かがりたん」


 何を隠そう、人生初のダルのデートの相手である。臆面の無く"たん"付けで呼べるのは、ダルの無神経さだろうか、心の広さだろうか。

 かがりはクリスによる治療で一時期の半狂乱状態からは回復していた。とは言っても頭痛や"神様の声"が二日に一度は酷い状態になるので目が離せない。まだまだ長期的なスパンでの治療が必要らしい。

 医療機器に関してもまた、比屋定ファミリーの一人に病院の理事長が居たらしく、そこから内密に提供していただいている。


「まぁ、お互い話は通っていると思うが、一応直接話し合っておくべきだろう」


「うん、ありがとなオカリン。それで、かがりたん。あの……」


「は、はい……」


 なにやら難しい雰囲気が漂っている。ここまでの経緯を考えればさもありなんと言ったところだ。


「また、よかったらさ、カレー、食べに行こうな?」


「は、はいっ……!」


 やれやれ、心配するだけ無駄だったようだ。お前は誰よりも優しい巨漢だよ。

 かがりの顔からは不安の色が消え、どことなく阿万音由季だった頃の笑顔をうかがわせた。これで多少頭痛も治ればいいものだが。

 かがりが実はダルに惚れているのだということを俺は知っている。本人の口から聞いたからだ(このかがりにはそんな記憶はない)。もちろんダルには絶対に言わない。どんなに金を積まれても教えてやる気は毛頭無い。

 しかし、かがりがまゆりの娘だとすると、もしかがりとダルが結婚していたら、鈴羽はまゆりの孫娘ということになっていたのか……?

42 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:32:06.11 0RgaG4Bu0 40/202

「さて、役者は揃ったわ。これより、実際にタイムトラベルを経験した椎名かがりと岡部倫太郎、そして実際にタイムマシンを整備した橋田至の記憶を元に装置の設計図を考えていくわよ」


「……それってなんかズルくないか?」


 俺が思ったままをこぼす。タイムパラドックスにならないのか?


「ズルくなんかないお!全く、オカリンはなにもわかってないお!僕がマシンの整備中どれだけ鈴羽に釘を刺されたか……!マシンの秘部を御開帳させてもらえれば、すっごく楽だったのに!エロのないエロゲーをプレイしてる気分だったお!」


 なにやらダルが喚いている。なんだ一体。


「僕だってこの一年間、タイムマシンや世界線について研究してきたんだぜ?オカリンが復活しなかったら僕一人で作らなきゃならなかったわけですしおすし」


 そうであった。ダルのリュックにはおそらく元・ラボで研究していたデータや資料が詰まっている。




「それから、クリス氏に頼まれてたデータ、持ってきたお。僕は大変なものを盗んで行きました……SERNが極秘で隠し持ってたタイムマシン製作関連データです!」




 ……聞き間違いか?

 今、ダルはなんて言った?

 俺の忌まわしい記憶の言葉、"SERN"。そう言ったのか?

 SERNにハッキングしたと、そう言ったのか?

 たしかにこの世界線でも2010年7月28日には電話レンジ(仮)はダルの手によって作られていた。だがゲルバナ実験やからあげ冷凍現象などの後は、改良のためIBN5100と諸々のパーツを使用してSERNをハッキングすることも、42型ブラウン管テレビの点灯しているタイミングで運よく電話レンジ(仮)をDメール送信装置として使用することもなかった。

 2011年に電話レンジ(仮)弐号機が作られ、そしてタイムリープマシンとして生まれかわった際は、IBN5100を使うことなく、つまりSERNにハッキングすることなく、俺のα世界線での知識を用いてDメール機能実験を飛び越えて開発したのだ。

 ダル、まさかお前……。

 嘘、だよな?

 嘘だと言ってくれ……!!


43 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:35:12.40 0RgaG4Bu0 41/202



「……答えろダル!!IBN5100は、どうやって手に入れた!?」


 ダルが現在IBN5100を所持しているならば非常に危険だ!

 いつSERNに暗殺されるか……ッ!

 こいつ、いったい何を考えてやがる!


「はぁ?あれはオカリンが解体しちゃったじゃん。売ればプレミアついたのに」


「そうではない!!いったい、どうやってSERNの極秘情報にハッキングをしかけたというのだ!?」


「このダル・ザ・スーパーハッカーの手にかかれば朝飯前でござる」


 むふー、と鼻息を荒くするダル。

 そうじゃない、そうじゃないんだダルッ!

 お前だって、一緒に命を狙われたじゃないか!なぜその危険性に気づかない!




 ―――夜のとばりを引き裂いて襲撃してきたラウンダーたち。
 
 ―――凶弾に頭を撃ち抜かれ、腕の中で息絶えた大切な幼なじみ。

 ―――絶望の叫び。そして、無限に続く悪夢のような時間のループ。

 それらのフラッシュバックが、俺にまたも襲いかかった。




「私から説明するわ、岡部さん。だから落ち着いて」


「うるさいッ!貴様は黙って―――」


 気づけば右の拳に力がこもっている。

 俺は、今、いったい、何をしようとした?

 我に返る。よかった、クリスは無事だ。

 俺の右手を、クリスの両手が握っていた。

 少し怯えている。目にはわずかに涙が浮かんでいる。

 こちらに来てからというもの、俺は時々、こうして興奮状態に陥ることが多くなっていた。

 ……トラウマが多すぎるんだ、俺は。


「ちょ、オカリンタンマタンマ。どしたん?だいじょぶ?」


「橋田さん、大丈夫よ。岡部さんは大丈夫、ノルアドレナリンが異常分泌しただけ……。岡部さん、私が説明不足だったわ、ごめんなさい」


 クリスが謝る必要はない……。

44 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:39:10.10 0RgaG4Bu0 42/202



「……知っての通り、SERNはロシアの技術、そして牧瀬紅莉栖のHDを回収するため表立って活動し始めていたわけだけど……まったく、忌々しい記憶だわ……実はその間にSERNが所有していたIBN5100が市場に流通し始めたらしいの」


「ロシア対外情報庁(SVR)が中心となって敷かれた徹底的な情報管理体制に端を発する熾烈な諜報戦に敗れた、と言えるわ。実行犯はロシアだけど、SERNのスパイだったかがりさんのストラトフォーとしての活躍の賜物かも」


「これを受けてSERNはIBN5100での擬似的スタンドアローンを放棄して、暗号化技術によって情報機密を守る必要が出たわけ」


 クリスが一息に説明を終えた。


「そしたら僕の得意分野なのだぜい」


 ニッ、と犬歯を輝かせるダル。


「そう、だったのか……。クリス、どこでその情報を?」


「忘れたの?我が研究所の手足となってSERNでスパイ活動をしている男のことを」


 あ。

 そうであった。

 あの男、コードネームミスターブラウンは、俺たち未来ガジェット研究所に忠誠を誓ったらしい。クリスがいったいどんな手段を用いたのかまでは聞いていない。怖くて。

 ちなみにSERNに置かれたかがりの籍はミスターブラウンらの工作活動によって"死亡"扱いとなっている。

 というか、なるほど。SERNは既にそんな状態になっていたのか……。色々な組織から狙われた末に、ボロボロになっているのであろう。天王寺家がSERNに殺されていないのは情報が混乱していたからだろうか。

 なんだか安心した。もうSERNに怯える必要は、これっぽっちもないんじゃないか。



 ……あとは、自分のトラウマとどう向き合うか、だ。


45 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:40:11.76 0RgaG4Bu0 43/202



「ともかく、紅莉栖のHDにあった中鉢論文……ホントは牧瀬論文と呼びたいけれど、便宜上こう呼ぶわ。この中鉢論文の理論とSERNの研究データは後付けで当てはめていく。あの娘、牧瀬紅莉栖と違って、私にできる迅速かつ確実な道はこれよ」


 研究室の中央におかれた長机に、真っ白な画用紙がバッと広げられた。
 
 ここから俺たちのタイムマシン製作が始まる。


「まったく、とんだ夏休みの自由工作だお」


「あの、私がんばります!」


 うむ、しっかり働いてくれたまえ。無理はするなよ。


「オカリンさんも働きなよっ」


 背後から突然声をかけられた。なんだ、フブキか。


「だが、労働の前に、だ。我々にも知的飲料の供給が必要だと思うのだ。そうでなければ良い議論などできなかろう」


「あ、僕コーラが飲みたいお!もちろんノンカロリーのやつ。かがりたんはなにがいい?」


 こいつ、未来の嫁ではないとわかった途端馴れ馴れしくしよって。


「あ、えっと、じゃぁマンゴーティーを……」


「私はメロンソーダね!」


「ええい、フブキ。お前も一緒に来い!」


 えぇー、と不満そうな声を出していたフブキを無理やり引っ張って、俺たちは買出しへと出かけた。



 ……俺は少し、頭を冷やしておきたかった。

46 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:43:00.23 0RgaG4Bu0 44/202

◆◆◆



 時刻は13時頃だったが、このくそ暑い沖縄の原生林で太陽の下をぶらぶら歩いている人間など俺たちくらいしか居なかったため、誰かに見つかる心配は全く無かった。

 ちなみに白衣は地下研究所を出る時に脱いだ。さすがに鍾乳洞やジャングルを通るのに白衣を着ていると、色々ひっかかってしょうがなかった。

 というか、暑い。アツイ。あつい。全身から汗が吹き出る。

 国道の近くに到着すると、俺たちはツタや草葉で隠してあった一台の自転車を引っ張り出した。安いママチャリである。

 ここから山道を片道5km以上進むと名護市街があるが、流石に遠いので一番近い集落にある共同売店へと物を買いに行く。それでも片道2km近くはあるが、行きは下り坂なので二人乗りでも楽々だ。帰りはほとんど歩く。

 どういうわけかその共同売店ではドクトルペッパーが売られているのだ。ドクトルペッパリアンにとってはとんでもない僥倖だ。

 基本的に買出しは自分たちで行っていた。家具や寝具などの大きいものはセーシンさんに頼んでトラックで運搬し搬入口からこっそり入れていたが、あまり頻繁に呼び出しするのもよくないだろうということで食料品や衣服くらいは買出しに出ていた。


「しかし、潜伏先が沖縄でよかった。この知的飲料ドクペは全国でも販売している地域が限られているからな」


 共同売店へと到着し、俺は全身から失った水分を補充していた。

 くぅー、運動の後のドクペは格別だ。


「ぬこかわえぇ……にゃーお、にゃーお♪」


 店の奥ではいつもマスコット的に猫が昼寝をしている。その傍らではフブキが猫でじゃれている。

 店主の老婦人も猫と同じポーズで、つまりなんともだらしない格好で昼寝をしている。仕方が無いのでいつもカウンターに小銭を置いて物を買っている。

 この店はどういうことか、飲料だけは無駄に充実したラインナップだ。ルートビアだけではなくスコールまで売っている。沖縄産マンゴーのマンゴーティーも売っていて、今ではこれがかがりの好物となっている。


「このエーアンドダブリューっての、これって缶ビール?」


「噂には聞いていたがこれがそのルートビアとやらだな。これはアルコール飲料ではなく炭酸飲料だぞ。何でも湿布の味がするとかしないとか」


 ルートビアの缶には『A&W』とでっかくロゴが張ってあった。製造元の社名だろうか?


「なにそれ!おもしろそう!私飲んでみる!」


 と言って小銭をカウンターに追加し、缶を開けた。

 後悔先に立たず、フブキは研究所に戻るまで恨み言をずっとつぶやくはめになった。

 こいつ、実はアホの子なのか?


47 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:46:58.36 0RgaG4Bu0 45/202

◆◆◆



「ただいま……」


「おぅ!オカリンおかえりン」


「やめろ……もう突っ込む気力も残っとらんわ……」


 研究室には白熱電球の明かりの下、設計図を囲んでなにやら議論を交わしている三人がいた。

 俺とフブキは買ってきたものをリュックサックから取り出した。ほら、ポッチーも買ってきたぞ。


「おっつーオカリン。これが飲みたかったんだおってヌルッ!」


 この野郎、人の大変さも知らないで。

 フブキはかがりにマンゴーティーを渡していた。ちょっと温いが、許せ。

 ついでにバナナだ。未来ガジェット研究所に必要なエネルギー補給といえば、やはりバナナであろう。ヒトの家の軒先から生えていたので、勝手に貰った。フフフ、やはり俺は狂気のマッドサイエンティスト……。


「いや、それただの泥棒でしょ。いい歳して何やってるの、岡部さん」


「ところでさ、実際タイムマシンを作るとして、パーツとかどうするん?そこんとこkwsk」


 ダルがバナナをもっちゃもっちゃほおばりながら尋ねた。


「パーツに関しては米軍基地から横流しできるようにはセッティングしてあるわ」


「mjd!?」


 流石にダルも比屋定ファミリーの力に驚いたようだ。落書きだらけの設計図にコーラのしぶきが飛び散った。

 おいおい、犯罪係数で言えばクリスの方が重大ではないか。


「でもそれだけじゃ足りないと思うから、NASDAの元技術者で、パーツショップを経営してるプロともコネを作ってるところ。盛親さんの旧い友人らしいんだけど、元々は"ロボクリニック"っていうロボット製作所だったみたい」


「ナスダ?なんだそれ」


 なすだ……那須田……。だめだ、さっぱりわからん。


「えっと、確かJAXAの前身みたいな組織でFA」


 さすが頼れる右腕<マイフェイバリットライトアーム>。そういえばダルは探査機の名前にも詳しかったな。


「そう。その人を通して種子島からパーツを海上受取できるようにしようと思ってる。そういうことを副業でやってる漁師さんがいるそうよ」


「ってことは、ロボットパーツやロケットパーツも手に入るってことか!?」


 た、たしかに鈴羽の乗ってきたタイムマシンは一見すると人工衛星のような形をしていた。β世界線のダル、というかコイツも、初めて見たときは「ロボじゃね?」と言っていたな……。


「あんまり頻繁には取引できないけどね。でもこういうところは、離島って便利だと思うわ」


 ふっふっふ、と悪い笑みを浮かべるクリス。らしくなってきたではないか。

 しかし、海上受取って。完全にアンダーグラウンドな組織になってしまったなぁ、未来ガジェット研究所よ。

48 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:49:31.83 0RgaG4Bu0 46/202



「お金はどうするん?僕ら働いてないお。オカリンに至っては正真正銘のニート、NEET、Not in Education, Employment or Trainingだお」


「ぐっ、いちいち正式名称を言うな!」


「全俺が泣いた」


「実はね、ホント申し訳ないと思うのだけれど、ある会社がタイムマシン開発に関しての資金援助を申し出てきているわ」


「は、はぁ!?って、その会社にはタイムマシン開発のこと、バラしているのか?」


 早速民間にバレてしまっているではないか!それなのに、なぜそんなにしたり顔なのだクリスティーナよ!


「秋葉コーポレーション、という名前だけど?」


 あきば……秋葉……。ハッ、まさか!


「そう。あの猫の耳の彼女、秋葉るみ―――」


「あーあーあー!聞こえない!フェイリスたんの本名はフェイリスたん!」


「またかお前は。いい加減現実を受け止めろ」


 ダルは両手で両耳をふさぎながらわーわー喚いていた。

 一方クリスはどこか遠い目をしている。


「ホント、彼女にはお世話になりっぱなしね。新生未来ガジェット研究所の立ち上げの話をしたら真っ先に資金援助の話を切り出してきたわ」


「そうだったのか。さすがラボメンナンバー007、いい働きだ」


「え、いつフェイリスたんがラボメンになったん?」


「そういえば"鳳凰院凶真"が復活したって伝えたら、彼女すごく喜んでいたわ。そのうちここに遊びにくるんじゃないかしら」


 実は沖縄に来てからというもの、俺は外部とメールも電話も一切していない。クリスから「危険だからやめておいた方がいい」と言われていた。

 それは暗に俺が暗号や偽名で通信することが出来ない人間だと思われているということだが、まぁ、やはり下手は打たないに限る。なにせ一度エシュロンに通信傍受された身だ、痛いほど身にしみている。

 だからできるだけ外部との接触はどんな形でも避けたかった。それが知り合いであればなおさらだ。いつ人質として捕らえられてもおかしくないのだから。


「それで、橋田さん。先に私の偽造身分証明証と、資金の流れを隠蔽できる口座を開設して欲しいのだけれど」


「ちょ、いくらなんでも無理難題すぐるっしょ常考。クリス氏の3Dモデルと"まほっぽいど"のデータをくれるなら考えてあげなくもないおー。そしたら、僕のPC上であんなことやこんなことを……はぁ、はぁ……」


「前頭葉を掻き出してやろうかしら……」


「やめてください死んでしまいます。ま、やってやれないことはないんだからね!」


「なぜツンデレ口調なのだ……」

49 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:51:21.56 0RgaG4Bu0 47/202



 そんな感じで始まった俺たちのタイムマシン研究。

 真っ白だった図面はどんどん埋まっていき、殺風景だった地下室はどんどんわけのわからないものが並んでいった。いよいよもって研究所然としてきたな。

 かがりの調子は徐々によくなっていった。頭痛の頻度は次第に減り、"神様の声"も小さくなったらしい。かがりの調子が良い日は、未来ガジェット研究所の衛生管理やラボメンの栄養管理の担当者となっていた。かがりのおかげでクリスは徐々にオシャレに気を遣うようになっていくこととなる。

 同時にフブキの治療も実行した。ただ、俺がレスキネンから聞いた"脳をいじくった"という話はほとんどハッタリだったらしく、ちょっとした催眠療法を施されている程度のもので、洗脳と言えるレベルのものではなかった。

 俺はというと、雑用をやる傍ら、フブキとリーディングシュタイナーについて議論していた。今まではリーディングシュタイナーの能力は自分一人でしか認識できていなかったので、フブキの夢の記憶をたどることによってより客観的に能力を分析できないかと試みていたのだ。

 その結果、ある重要な結論にたどり着くわけだが、それはまた数年後の話だ。


50 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:54:38.71 0RgaG4Bu0 48/202

◆◆◆


 2011年9月21日




 さらに一ヶ月が経ち、穴蔵生活も慣れてきたある日。

 長机の上には改造された電子レンジ、自動車のバッテリー、ブラウン管テレビなどが転がっており、それを取り囲むようにして若い男女が暗い顔を突き合わせている。



 ―――タイムマシン研究は早くも暗礁に乗り上げていた。




「無理だお!どう考えたって無理だお!このサイズでこの電力を蓄電する電池なんで作れるはずない罠!1.21ジゴワットもあれば充分だろ常考!」


「自分の頭の悪さにイライラする……やっぱり、一番大きい問題は動力系統よね……」


「それこそ原子力に頼るしかないんじゃないか?」


「リビアの過激派からプルトニウムを買い付けるんですねわかります。てか鉄腕アトム作るとかそれなんて無理ゲー」


「燃料は?核燃料棒が使えないなら液体水素でも使うか?」


「-250℃の冷蔵庫plz」


「でも、可能性はあるかも。今度、米軍の原潜がパクれないか打診してみるわ。液体水素も種子島に注文してみる」


「やったッ!!さすがクリス氏!ぼくたちにできない事を平然とやってのけるッ!そこにシビれる!あこがれるゥ!」


 ……などと、非現実的な話まで飛び出す始末だった。

51 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 03:57:59.27 0RgaG4Bu0 49/202


 タイムマシン製作にあたって開発しなければ以下の装置だ。

 まず、内臓電源。すなわちバッテリー。大きさはちょうど自動車のバッテリーほどのサイズだが、今の技術では原理も構造もわからないものだった。最新の燃料電池でも歯が立たないほどの大電力を蓄えなければならない。

 燃料。全く未知。

 動力ユニット。いわゆるエンジンだ。これはタイムマシンの背面にあり、メンテナンスのことをあまり考えていない構造になっていた。逆に言えばメンテナンスしにくくなる必然性がどこかにあるのだが、未だにそれもわからない。

 コンピューターセクションは後回しにすることとなった。次々世代のドライブ(量子コンピューター?)が並んでいたようなので、こればかりは世界のPC技術が進歩しなければ話にならない。まぁ、コンピューターまわりや電装系はダルの得意分野だ。いずれなんとかなるはずだ。

 コクピットは円筒形になっている。床部分は周囲をぐるっと取り囲むように少し高い段差があった。座り心地も追求しよう。

 次に生命維持装置。コクピットは外界との間に完全な気密性を保たなければならない。これだけでも至難の技術だが、そのために酸素濃度などを維持するための生命維持装置の開発が必須となる。タイムトラベル時は無酸素状態となり、コクピットの中心にはエアポケットができる。そこに頭を突っ込んでおけば10分くらいは呼吸できるらしい。それ以上時間を要する場合は酸素マスクを着用する。

 カー・ブラックホール発生装置。これは電話レンジ(仮)をそのまま転用すればよく、現時点で技術的には完成していると言える。それとリング状特異点を生成するためのリフターだが、それ自体は例のアレを参考にして簡単に作れるだろう。だが、いざ実用的な電子の供給を行うとなったら何千、何万回もの運転実験が必要となるはずだ。特異点を完全に裸し、局所場を適合・回転・移動できれば、あのマシンの大きさでも荷電粒子に包み込まれてリング状特異点の環内を通過できるようになり、すさまじい質量に押しつぶされることで発生するフラクタル化、すなわちゲル化を避けることができる。だがもし事象の地平線<イベントホライゾン>に飲み込まれてしまえば、タイムマシンは搭乗者もろともその先へ飛ばされてしまい永遠をさまようこととなる(鈴羽談)。

 技術的には、現時点で過去方向へしかタイムトラベルできない。未来方向へのタイムトラベルを可能にする新技術も開発しなければならない。

 それから重力場制御装置。これは座標点の計測装置で、これのおかげで同じ場所に出現することができる。ジョン・タイターが言うところのVGL(ヴァリアブルグラビティロック)だ。これが中途半端だとα世界線のタイムマシンのようにビルにめり込む形で時空間転移してしまうこととなる。これもコンピューターと同様の理由で後回しだ。

 ついでに生体認証装置。これのおかげで内部情報の機密性を保てるが、これは最悪無くてもいい。

 全体的な話として、タイムマシンを実際に使用する時に発生する2Gの重力にすべての部品が耐えられるように作らなければならない。

 唯一既に開発したのはタイマーパネルだった。それは某SF映画に登場するタイムトラベル可能なデロリアンに搭載されていたものを模した(ダルの趣味だ)、黒地に赤文字で西暦を表示する機能のある装置である。但し、現時点では市販の時計となんら変わりのない機能だ。今後、本格的な相対時空時間計算も機能させなければならない。

52 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 04:01:40.19 0RgaG4Bu0 50/202



「世界がタイムマシン開発競争を激化させていく中で、おいしい部分だけ拝借していくしかないんじゃないか」


 とか


「そのためには電話レンジ(仮)の技術や中鉢論文を部分的に流出させて技術革新を促すとか?でもそういうのって僕たちだけだと限界があるお。もう少し信頼できるコネクションを増やすべき」


 とか


「仮に協力者を募るとしたら300人委員会やらSERNやらCIAやらNSAやらストラトフォーやらロシアやら日本政府やらに反発した人材よね。そういう意味でもアッチが行動を起こさないと人材は集まらないと言えるわ」


 とか。そんな議論が展開されていた。


「結局、今の段階でできるのはアンテナを常に張ること、くらいだね」


 フブキがフォローにまわる。この頃になると話についてこれる程度には成長していた。

 タイムマシン研究の進展は、杳として知れない。





「……ごめんお。時既に時間切れっぽい。僕、そろそろ新小岩に帰らないと。また長い休みになったら遊びにくるお」


 そうだ。ダルには橋田至として普通に生活してもらわねば困る理由がある。

 鈴羽を誕生させ、そして鈴羽が中学生になったら軍隊に入れなければならない。さらに鈴羽が軍隊を裏切って我がラボに所属するようにならなければならない。


「正直、鈴羽にそんなつらい思いをさせなければならないなんて、寿命がストレスでマッハだお……。だけど、もっと悲惨な結末になるのだけは大反対なのだぜ」


「橋田さん。大丈夫です。鈴羽さんは……鈴羽おねえちゃんは、きっと私たちの希望の星になってくれます」


 かがりがダルを励ました。

 このメンバーの中で一番鈴羽と付き合いが長いのはかがりだ。まゆりのいないこの世界線で、きっとかがりは幼い鈴羽にとっての"まゆねえさん"のポジションに落ち着くのだろう。この世界線のかがり自体は俺たちと関わることなく生まれ、"椎名"の姓を名乗ることがないまま戦争孤児となるはずだ。



 ダルは大きなさみしい背中を見せて、未来ガジェット研究所を去っていった。

53 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 04:07:36.14 0RgaG4Bu0 51/202

◆◆◆





「あのさ、私にもわかるように、その、シュタインズゲート?ってやつ、説明してくれないかな?」


 ある日、リーディングシュタイナーの分析中(という名目の雑談)に、フブキがそんなことを言った。


「そういう時はだな、『安西先生、研究がしたいです……』と頼み込むのだ」


「さすが会話のディフェンスに定評のあるオカリンさん!いいから早く教えてよー!」


「ふむ。お前もすでに未来ガジェット研究所のメンバーだからな。どれ、教えてやろう」


 などと偉そうに言ってみたが、俺にもまだわからないことだらけだ。


「えっと、オカリンさんたちが言ってる、世界線の収束、ってのはさ、たとえば同人誌……いや、漫画のコマ割りみたいなものなのかな、って思ってるんだけど」


 むむ?


「ほら、ページの右上から始まるのはどれも一緒なんだけど、ページによっては縦割りだったり、横割りだったり、小さいコマがたくさんあったり、上下左右にコマが移動するんだけど、結局左下に行き着く、みたいな。イラスト出身の子が漫画描くと壊滅的にぐちゃぐちゃなのがあったりもするけどさー」


 なるほど。おもしろい例えだ。

 そうだな。その例えで言うなら、一ページ一ページが世界線ということになる。

 一ページでストーリーが完結するとして、最初のコマと最後のコマは同じなのにそれ以外はまったく異なっている、という状況だ。

 このページをすべてまとめた一冊のコミックが『β世界線』というタイトルの書籍になっている。


「アンソロジーみたいだね。それメロブで売ってる?」


「んなわけあるか」


「ふーん……ストーリーで例えるなら、世界線の収束って原作補完の二次創作みたいだね。原作だと『2年後に、また会おう!』とか言って空白の時間ができてるところを、どんな2年間の修行があったのかファンが創作する、みたいな」


 また不思議な例えを出してきたな。


「それで、原作で語られなかった話をいろんな人がいろんな同人誌やSSでストーリーを作り上げるんだよ!」


 エスエス?あぁ、@ちゃんねるのVIPでよく見るあれか。最近は数が減ってきている気がするが。


「普通は原作補完モノの場合、スタートとゴールは辻褄合わせないといけないんだよね。だから、いろんなストーリーがあるのに、始まりと終わりはいつも一緒っていうさ。みこみこオーバードライブの渋小説とかに多いかな。矛盾がないストーリーにするのは大変だけどね」


 その"矛盾が存在しない"という条件が因果律にあたるな。

 そしてストーリー展開は因果にあたる。

 伏線とか、衝撃のストーリー展開とかはバタフライ効果だ。


「それに原作設定ってのがまたでっかい壁でさ。中には原作無視する人もいるけど、基本は設定を無視してストーリー展開はできない。この設定がアトラクタフィールド、ってこと?」


 まぁ、そうなるかな。

 この辺はダルのエロゲーの例えの方がわかりやすいかもしれない。


54 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 04:14:38.31 0RgaG4Bu0 52/202



「SS作者ごとに原作世界観がある、ってのが多世界解釈?」


 そうだ。神の視点が複数存在することになるからな。

 エヴェレット・ホイーラーモデルというやつだ。

 だが、実際には世界はひとつしかない。

 読むことができる"原作"はひとつしかなく、そこに描かれていないストーリーは可能性世界、つまり不確定要素のかたまりだ。


「ってことは、ゲーム原作のストーリーがあるとして、アニメ化、ラノベ化、コミック化、ドラマCD化、ファンディスク化、映画化、舞台化によって、ストーリー構成が若干変わったりするのがリーディングシュタイナーだね!」


 うーん……モノによるが、まぁ、だいたいあってる。

 ではフブキよ、ここで問題だ。

 原作設定を無視するにはいったいどうすればいい?


「えー?そんなのもうオリジナルじゃん。男君設定にして主体をぼやかす、とかしないと非難GOGOだよ?」


 GOGOではない。轟々だ。


「そうじゃなかったら……原作設定の新解釈を出すとか?例えば『時を止める能力』を拡大解釈して『空間を歪める能力』にするとか、『ヒロインが既に死んでいる』ってのを『色々あって実は生きてました~』ってするとか?」


 そうだ。俺たちがまさに今やっているのは「死んだはずのヒロイン」を、設定をごまかすことによって「実は生きてました」というオチにしよう、という作戦なのだ。


「うーん……それって気をつけないとすっごい叩かれるよ?感動の再会をセッティングするなら、いろんな伏線を用意しとかないと」


 そうだ。世界が認めるストーリーを作り上げるために、そのための伏線をこれから探していこう、という話なのだ。


「なるほどー。ようやくわかったよオカリンさんたちの話!これで私も研究に参加できるね!」


 うむ。俺たちの仲間にあるべき気概である。

 このフブキとの会話だって伏線足りうるかもしれないのだ。




 リーディングシュタイナーを持つ自分ではない存在がいることによって、俺のアトラクタフィールド解釈は変容を遂げることとなる。




 ……という伏線にしておこう。


55 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 04:18:10.02 0RgaG4Bu0 53/202

◆◆◆





『死にたく……ないよ……』



『こんな……終わり……イヤ……』



『たす……けて……』





 視界に広がる赤い色彩。

 鈍く光る白刃。

 手に伝わる血の温度。

 俺は、二度、紅莉栖を殺したんだ。

 それを認識した瞬間。

 愛する女性の生命を破壊したことを認識した瞬間。

 あのズブリと刃が肉に刺さる感触が、手から腕、そして全身へと広がり、激しい震えが上がってきた。

 目の前で景色がぐにゃりと揺れて、そのまま視界が暗転しそうになる。



 ―――またこの感覚か。

 なにやら、"俺"が騒いでいるようだ。

 相変わらず、俺が殺した、俺が殺した、と繰り返しわめき散らしている。

 その一方で、この俺があばれる身体を高みから見下ろしている。

 響き渡る自分の声を聞きながら、俺の身体を押さえつけてくれているクリスに申し訳ないと思った。



 かつて俺はメンタルクリニックに通院していたわけだが、現在地下研究所ではクリスによって治療が施されている。

 地下にこもって研究詰めで、精神バランスが崩れ始めたのだろうか。不安定な状態が続き、不眠症となっていた。

 だが、これはチャンスだとも考えていた。

 実はあまり意識的に"あの時"の状況を思い出せないのだ。思い出そうとすると、脳にストッパーがかかる状態になっていた。

 事象の確認、因果関係の整理には、"あの時"こそ最重要だ。そのため、こうしてクリスに催眠をかけてもらって、あの時の様子を鮮明に思い出さなければならなかった。


56 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 04:22:39.75 0RgaG4Bu0 54/202



「……今日は一段とあばれたわね」


「……いつもすまない」


 喉が枯れていた。声を出すと痛みが走る。

 しょぼくれた俺の頬を、クリスが右手でやさしく撫でてくれる。

 あばれた俺を押さえつけたために、クリスの腕には何箇所か打ち身がある。


「いいのよ。これが私にできることなんだから」


 どこまでも慈愛に満ちた微笑みを投げかけてくれる。

 その優しさに、俺は罪悪感を感じてしまう。

 まゆりがいなくなって空いた穴を、俺はクリスで埋めようとしているんじゃないか……。


「……牧瀬紅莉栖は、助けてって、そう言ったんでしょ」


 だが、それは俺を逃避させるためのやさしさではない。

 現実と向き合わせるためのやさしさなのだ。


「だったら、助けてあげないとね。まったく、世話のかかる後輩だ」


 そう言って、やれやれ、という意味を示すだろう仕草をしたクリス。

 どこまでも強い女性だ。



 ……クリスが泣く日もあった。

 最初は俺にバレないよう泣いていたらしいが、共同生活をしているのだ、壁越しに聞こえてくる。

 俺が発見した時は「私って、前頭前皮質が捻くれているから……」などと言い訳していたな。

 紅莉栖がいない喪失感、日常が失われた現在、繰り返したタイムリープの日々、そしてラウンダーに襲われた記憶。

 思い返せば、つらいことばかりだ。

 現実逃避したくなる。

 だが、逃げてはいけない。この言葉の意味は、嫌と言うほど味わった。

 このつらさが、俺たちの研究を前に推し進めるのだ。

 向き合って、科学的に分析しなくてはならない。



 そのために、俺とクリスとかがりの三人はピアカウンセリングという、障害者自立生活運動などで取り入れられているカウンセリングを試してみた。

 一般にこれは、"同じ背景を持つ人同士が、対等な立場で時間を対等に分け合って、話を聞き合うこと"とされる。

 だが、実際はかなり激しい。感情を全て表出させ、思いのままをぶつける。

 一人で悩むのではなく、感情を他人にぶちまけるという行為によって、比較的に客観的かつ冷静に自分たちの経験を理解することができる。

 ……フブキにはその間は外出してもらった。古代弄魔流空手を修得してこい、と命令してある。

 地下室で三人が三人、怒り、悲しみ、苦しみを、泣き叫びながら吐露するのは、それが耳に入る第三者にとっては苦痛でしかない。そういう拷問もあると聞く。



 カウンセリング以外では、精神をあまり刺激しないような色で談話室を飾るとか、落ち着く音楽をかけるとか、そういった努力もした。俺としてはもっと暗くじめじめした空間でサイケデリックなBGMとともにマッドな研究をしたかったのだが、かがりとクリスのことが第一だ。わがままは言えない。



57 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 04:26:58.00 0RgaG4Bu0 55/202



 ある日、談話室でクリスが音楽を聴いていた。

 談話室にはコンポが置かれていた。比屋定ファミリーの誰かから不用品だったこれを譲り受けたのだという。CDだけでなく、カセットもMDも聴ける(肝心のカセットとMDが無い)。

 流れているそれが沖縄の音楽だということはわかった。あの特徴的な三線の音色に、ゆったりとした独特の音楽言語がそう認識させた。


「どうした。郷土愛にでも目覚めたのか?」


 ソファーに深く腰掛けた、というより埋もれたクリスが、目を閉じたまま俺に返事をした。


「まぁ、否定はしないわ。この間の模合の時に、比屋定の人間、医療機器をリースしてもらってる病院の理事長さんに薦められたのだけど、なかなか良いものよ」


「モアイ?イースター島の人面巨石がなんの関係があるのだ」


「モアイじゃないわ。模合。お金とかモノをカンパしてもらうための会合、って言えばいいかしら」


 クリスは気持ちよさそうに聴き入っている。

 だが俺が知っている沖縄音楽とはどこか違う気がした。


「これは琉球古典音楽っていうジャンルよ。今流しているのは、昔節と呼ばれる曲の一曲、『作田節(ツィクテンブシ)』という名前。本来は舞踊があるのだけど。内容は、神に五穀豊穣を祈るもの」


 フェイリスが食いつきそうな内容だな。


「民謡やポップスと違って、洗練されてて、人類の叡智を感じるの」


 そうなのか?よくわからないが。


「そのままクラシック音楽だと受け取ってもらえればいいわ」


 ふむ。たしかに民謡のような人間臭さ、ポップスの商業的な感じは無い。どことなく神秘的な雰囲気もある。芸術については門外漢もいいところの俺だが、そんな風に思った。


「例の理事長さん、うるま市の精神病院の先生なんだけど、そこでは、音楽、舞踊、演劇、武芸、朗読、絵画、工芸、手芸、料理、書道、造園……ありとあらゆる芸術活動を精神医療に役立てているんだって」


 ほう。それはまた、すごいな。


58 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 04:29:56.45 0RgaG4Bu0 56/202



「古典を聴いてるとね……私はこの沖縄で生まれ育っていないけれど、DNAレベルで人類の意思の連続を感じる気がするの。古代琉球人は、こうして神へ祈りを捧げていたのかと思うと、なんだか素敵じゃない?」


 クリスにしては珍しく非科学的な意見だな。

 科学者なら、自らの観測を科学的に分析すべきだ。

 人間の文化とは何か。祈りを捧げる神とは何か。


「ふふ、そうね。脳科学から人類学へのアプローチもおもしろいかもしれない」


 目を閉じたまま、クリスは無邪気に笑った。

 まぁ、素敵だと思うことが精神に良い影響を与えることになるなら、たとえそれがプラシーボ効果であろうと利用すべきだろう。


「こうやってリラックスして音楽を聴いているとね、そのうち眠くなるんだけど、そうすると、紅莉栖が生きていて、私に楽しそうに話をするの」


「楽しそうにって言っても、あの娘ツンデレ?だからつんけんしてるけど」


「秋葉原で友達が出来た、とか。コスプレに挑戦してみた、とか。岡部さんと青森に行った、とか」


 その笑顔は非常に穏やかなものだった。

 地下での研究詰めの生活を、一時でも忘れさせてくれる。

 セラピーの効果が出ているのだろうか。


「でも、友達が死んじゃったとか、そういう話も聞いた。悲しそうな紅莉栖を私が慰めると、子供みたいにわんわん泣いて―――」

 
 ……話を聞いていて、俺が既に話したα世界線漂流から物語を想像しているのだと思った。

 しかし、もしかしたらこれは。

 クリスにもリーディングシュタイナーが発動して、α世界線で経験していたはずの記憶を思い出しているのか?

 まぁ、こればっかりはわからないか。



 とにかく俺たちは、そうやって日々を過ごした。

 そうやってお互いを支えあって、研究を続ける。

 ―――そんな日々が何日も続いた。


59 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 04:34:07.87 0RgaG4Bu0 57/202

◆◆◆





「もう三年も経ったんだな……」


 今日は2014年1月23日。俺がタイムマシン理論と向き合ってから既に三年の月日が経過していた。

 季節は冬だというのに、亜熱帯性気候であるのとこの密閉された地下空間であるのとで常に暑苦しい思いをしていた。

 汗が垂れる。すかさずドクペを一杯。

 ん?どうしたクリスティーナよ。俺の顔に何かついているか?


「ふふっ。いえ、三年前の岡部さんからは、今の状況は想像できないわよね」


 ふーっ、と小さく伸びをするクリス。


「ねーねー!ずーっとこんな地下室に閉じ込められっぱなしでさー!つまんないよー!」


 だだをこねるのはフブキ。お前には地下組織のメンバーである自覚が足りん。


「クリスさんはたいくつじゃないの?」


「あら、退屈なんかじゃないわ。人は何処だって学ぶことができる。学ぶことが何ひとつない場所や時など存在しない。何故なら、私たち自身が未知の宝庫なのだから」


「なんだそれは?アメリカの諺かなにかか?」


「昔後輩に言い聞かせた言葉よ」


 ほう?

 だが、たしかに随分外に出ていなかったな。場所を変えて脳に新しい環境を学習させることも必要だろう。


「今日くらい、みんなで外に行くか?」

 
 あまり暗くてじめじめしたところにずっと居ては頭にキノコが生えてしまうかもしれないからな。


「おおっ!サンセーサンセー!その言葉を待ってましたっ!」


 フブキがピョンピョンと飛び跳ねて喜んでいる。これでももう、一人前の守護兵<ガーディアン>だ。

 こいつは暇を見つけては海兵隊御用達のKARATEの道場に通っており、古代弄魔流の道を究めていた。おかげで地下メンバーで一番健康的な肉体をしている。そういう意味ではニートではない。


「あ、でしたらお弁当を用意しましょう」


 栗毛色のきれいな髪を三角巾の下に揺らして、椎名かがりがハタキを片手に現れた。地下メンバーで一番年長(実年齢はよくわからない)のためか、みんなのお母さんのような存在となっている。かがりも家事手伝い的な意味でニートではない。


「確かに、そろそろ脳に新鮮な空気を送り込まないと、いいアイディアも浮かんでこなくなるかもね」


 クリスに至っては俺たちに通じる人脈を着実に確保している。資金繰りにも精通し、研究者でありながら女社長のような状態になっていた。


「では諸君。いざ、南国ビーチのバカンスへと洒落込もうではないか」


 そんなラボメンを労う俺はなんと良きリーダーなのだろう……。

60 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 04:38:44.98 0RgaG4Bu0 58/202



「さすがの沖縄でも、1月じゃ海は泳げないわよ」


 ぐっ、そうであった。もう季節感がマヒしている。


「あ、じゃあさ!向こうにあるリゾートホテルの室内プールにみんなで行こうよ!お金はあるんでしょ?」


 大浦湾を挟んで対岸には、沖縄随一のリゾート施設がある。実はここの社長さんと比屋定ファミリーはつながっているらしく、それこそタダ同然で室内プールを利用させてもらうこともできるだろう。

 この社長はレンタカーショップやガソリンスタンドも経営しており、自動車移動や自動車部品の横流し、実験用燃料の補給などでだいぶお世話になっている。


「でも水着を買わないと……。まずは一日買い物をしてから出かけませんか?」


 そう提案したのはかがりだ。今更だが、元・阿万音由季であり、3つも年上の25歳(実年齢はよくわからない)、四捨五入するとアラサーの彼女に対してタメを張っている俺は、やはりどこかに"まゆりの娘"という印象を感じているのだろうか。


「ならば、今日は一日那覇で買い物でもするか。そろそろ備品や食料も減ってきた頃合だしな」


「それもいいねぇ。せっかくだし、夜は居酒屋でパーッとやろうよ!あっわもり!あっわもり!」


 フブキはこの歳で既に酒の味を覚えてしまっている。まぁ、地下組織の一員だしな、そのくらい朝飯前でなくては困る。


「いいけど、あんまり無駄遣いはしないでよね。これからどれだけ高額な部品が必要になるのかもわからないのだから」




 そんなわけで久々に遠出することになった。

 基地は未だ誰にも発見されず、また今後誰かに発見されるとは到底思えないので、それこそ鍵もかけずに出かけても問題はないのだろうが、一応厳重に鍵をかけ、タラップに蓋をかぶせ、鍾乳洞に目隠しをし、獣道の入り口は草木で塞いだ。

 近年は基地移設問題の関係でマスコミやらプロ市民やらがここキャンプ・シュワブ周辺へと押し寄せてきているが、未来ガジェット研究所はかなり山側にあるので人目に触れることもなかった。

 周囲に人気が無いのを確認してから国道へ出る。そこには既にタクシーが停車してある。このタクシー運転手も比屋定ファミリーの一員だ。もうなんでもありだな、比屋定ファミリー。

 タクシーでこのまま那覇へ行きたいところだが、人目の多い那覇まで同じ車で移動することは避けたかった。

 名護市街で降ろしてもらった俺たちは、レンタカーショップへ寄った。ワゴンRが空いていたらしく、それを例の社長の名前を使って格安で借り、国道58号線を南下した。レンタカーなら、沖縄のどこを走っていてもあまり怪しまれない。

 運転はクリスだ。こいつはダルに頼んで偽装した免許証を作らせていた。俺も自動車くらい運転できるようになろうと思ったが、ダル曰く「オカリンの偽装身分証作るのはちょっとリスクが高いんだお。ケータイ解約の時に身に染みたお」とのことで断念した。

 高速を通って国際通りへ着くと、ドンキで日用雑貨やら水着やらを買いあさった。24歳の合法ロリ少女がサイズ選びに困惑し、推定25歳のお姉さんからかわいらしい水着を試着するよう促され、どぎまぎしながらも試着室のカーテンの奥へと消えていくシーンを描写しろだと?それは諸兄の想像力の逞しさに委ねよう。


61 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 04:42:39.18 0RgaG4Bu0 59/202


 夕方になると観光客向けの沖縄料理屋へ入って日ごろの地下活動を労った。


「うぉい、キョータロー!おまえ、結局だれが好きなんだよぉ、えぇ?おーしーえーろーよー!おい、ネーチャン!泡盛お替り!コーヒー割りで!あと、海ぶどうと、スーチカーと、ドゥルテンも!」


 沖縄の夜は長い。

 オッサンの如くひどい絡み酒をしてきたのはフブキだ。

 いくらKARATEをやっているからと言って、そんなに食ったらダルになるぞ。


「"鳳凰院凶真"、だ!バカモノ。前にも言ったが、俺は研究に専念する運命に決まっているのだ。女に現を抜かしている暇などない」


「それでも……研究……ぜんぜん、す、進んでな、ないのよねぇ……ふぇぇ……」


 見た目相応に泣き上戸になっているのはクリスだ。よしよし、とかがりが慰めている。

 クリスへの年齢確認は非常に厳重だった。入店時、席への案内時、アルコール注文時、注文した商品の到着時と、実に四回も年齢確認をされている。まぁ、偽造身分証なのだが。

 クリスには古き良き琉球の血が流れているのだろう、酒を水のように飲んだにしてはあまり酔っ払っていない。弱音が出ているのは、やはり研究疲れがどっと出たからだろうか。泣いてすっきりすることは今のクリスにとって必要だと思う。



 俺たちは、なんだかんだ、それぞれが役割分担をしっかりできていた。



 午後八時半頃。秋葉原とは異なりこの街はまだまだ店の明かりが煌々と輝いている。

 観光客たちは光に誘われる虫のように、非日常的な祭りの空間をブラウン運動のごとく彷徨っている。

 店を出た俺とかがりは、すすり泣くクリスとあばれ散らすフブキを支えながら駐車場へと向かった。運転は名護まで代行を頼んである。もちろん、比屋定ファミリーの人間だ。




 その時。




 ピピピピピピピピピピ……




 クリスのケータイが鳴った。

 なんともシンプルな着信音だ。

 ダルか?なにかあっただろうか。

 依然として「ふぇぇ」などと喚いているクリスに変わって出てやろうと思い、ケータイをクリスのハンドバッグから勝手に取り出した。




 ―――液晶に表示された電話口の名前は「タイムリープマシン」だった。


62 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 04:48:49.18 0RgaG4Bu0 60/202

◆◆◆




「なっ……!?」


 驚いた。このタイミングで来たか、と。

 つい『タイムリープマシンだと!?』と叫びそうになったが、公衆の面前であることを思い出し、すんでのところで思い留まった。

 もちろん想定はしていた。ラボの研究活動に重大な支障が出るような事態となった場合は、ダルとミスターブラウンが管理してくれている秋葉原のタイムリープマシンを使って時間跳躍する手筈になっていた。

 俺たちが今いる世界線は、2025年での色々な収束が強いため、タイムリープによって結果を変えることで発生する世界線変動は非常に小さいことが既にわかっていた。この秘密は俺のガラケーの中にあるのだが、今は内緒にしておこう。

 ちなみにDメールは必要以上に使用しないことにしている。あれは送信した瞬間過去に干渉する行為だ、どんなに微小でも因果が塗り替えられる。タイムリープはこれと異なり、因果に干渉するかしないかは当事者次第でなんとでもなる。

 むしろ、憂慮すべきはその逆だ。タイムリープという事象そのものが因果を成立させている可能性があったため、タイムリープ不可能となってしまう状況は致命的だった。

 俺のリアクションに驚いたクリスはすぐさま俺の手から自分のケータイを取り返し、自分の耳にあて、そして通話ボタンを押した。



 直後。



 クリスは苦痛なうめき声と共にその場に屈みこんだ。

 来たのだろう、未来のクリスが。

 周りの観光客たちからは多少変な目で見られていたが、酒を飲みすぎて頭が痛い人だと思われたはずだ。あまり目立つ行動はしたくないが、この程度なら問題ない。

 しばらくして、頭を抑えながらクリスがゆっくりと立ち上がった。かがりとフブキは心配そうに見ているが、クリスの口元はわずかににやけていた。



「岡部さん……。神様って、本当にいるみたいだわ……!!」



 は、はぁ?

 突然何を言い出すのかと思えば、一体どうしたのだ?


「とにかく、反対方向に向かって。県庁前から那覇港の方へ、早く!」


 クリスは興奮を抑えきれないと言った面持ちだ。

 だが突然アルコール分解中の肉体に転移された未来クリスの意識は強烈な気持ち悪さを感じていたらしく、俺とかがりでクリスとフブキを支えながらモノレール駅の方へと進んだ。

 タクシーに乗りたいところだったが、すぐには比屋定ファミリーを呼べない。クリスに指示されるまま、沖縄一のオフィス街を抜けた。






 ようやく国場川に架かる明治橋の入り口、龍を象った柱のある場所にたどり着いた。左手にはガジュマルの木を模して造られたへんてこなレストランと沖縄セルラースタジアムが見える。正面には那覇軍港、右手には民間の那覇港があった。

 そこで俺たちは信じられないものを見た。



「なんだあれは……!?」



「ゆ、UFOだっ!?」



 夜空を見上げると、そこには赤橙色に輝く複数の光点があった。数にして5、6、7……いや、増え続けている!?

 そのすべてが上下左右にゆらゆら動きながら、空中を漂っていた。

63 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 04:49:52.83 0RgaG4Bu0 61/202

MewTubeの動画

参考: http://www.youtube.com/watch?v=PJKQfzbLyP0

64 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 04:52:58.98 0RgaG4Bu0 62/202



「あ、あ、あ、ありのまま、今起こった事を話すぜ……クリスさんがタイムリープしてきたと思ったらUFOが飛んでいた……な、なにを言っているのかわからねーと思うが、お、おれもなにをされたのかわからなかった……」


 あまりの衝撃にかがりがおかしくなってしまった!


「お、おいクリス!なんなのだアレは!アレを俺たちに見せたかったのだろう!」


 グッタリしているクリスを揺すり起こす。「や、やめて……」とか細い声が聞こえたようだが、信じられない現象を目の前にして俺は動転していた。


「……アレがこれから地上に墜落するわ。誰かに回収される前に私たちで確保するわよ。これ、その座標。みんな、後はしっかり頼むわ」


 墜落だとぉ!?まさか、兵器やロケットやロボットだけでは飽き足らず、UFOまでもタイムマシン開発に利用しようというのか!?

 クリスは俺たちに口頭で詳細な東経と北緯を伝えた。それをかがりがスマホで調べ、アプリの地図で落下地点を調べた。フブキが持っていた手帳をちぎって、各自メモを片手に、そしてそれを回収するためのドンキの袋を所持して散開した。しかし、生身の人間にUFOを回収することなどできるのだろうか……。

 その心配は全く必要無かった。なぜなら、UFOの正体は小さな石ころだったからだ。

 俺は指定された座標、三重城へと走った。巨大なホテルの脇を抜け、人気の無い小さな芝生の広場にあった祠の前に、ソレは墜落していた。……なんだこりゃ。

 試しに触ろうとした、が!ビリッっときた。な、なるほど、そのためのビニール袋なのか……。





 結局、フブキとかがりと俺で回収したのは3個のソレだった。もう少しの個体数が空中に浮遊していたと思うが、それはどうやら海や川に落ちたらしく、他の人間に回収される可能性は極めて低いらしいのでこれで問題ない、という話だ。

 例の車の運転代行に那覇港のフェリーターミナルまで来てもらった。そのまま車へ潜り込み、名護を経由して、俺たちはそそくさと未来ガジェット研究所へと舞い戻った。途中でロンソーに寄ってウコンの力を購入した。


65 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 04:57:44.17 0RgaG4Bu0 63/202

◆◆◆




「それで、クリスよ。このビリビリ石はなんなのだ」


 翌日、人生初のひどい二日酔い(正しくはアルコール分解中にタイムリープしたことによる時空酔い)に苛まれたクリスであったが、なんとかベッドから立ち上がり研究室となった広間で説明してくれた。昨日は基地に帰着するやいなや気絶するかのように眠り込んでしまったのだ。


「ふっふっふっ、聞いておどろきなさい。この石は、なんと……」


「なんと……?」


「なんと……?」


 ゴクリ。全員が息を飲む。




「モノポールなのよッ!」




 な、なんだってー……と、驚く準備をしていたのだが。


「な、なんだって?」


「なんだっけ?」


「ものれーる?」


 三者三様に首をかしげた。うーんと、どこかで聞いたことがあったような……。




 俺たちのリアクションに肩透かしを食らったクリスは説明を続けた。

 磁気単極子、すなわちモノポールとは、単一の磁苛のみを持つ存在のことで、長年理論上の存在とされていた。だが近年の物理学会の発表によると地球上でも簡単に作ることが可能だろうと言われている。

 これによって磁場と電場を対等に操作することができるようになり、まったくもって新しい情報伝達回路や情報記録媒体を開発することが可能になるという。


「それには産総研の機密データへハッキングする必要があるけどね」


 とんでもないことをさらっと言ってのける。そこに痺れる―――


「憧れなくてよろしい」


 クリスはネラーではないが、いつのまにかリアクションを学習していったようだ。


「それだけじゃないわ。一番のメインは、なんと言ってもタイムマシンの動力部分に使えるってことね」


「磁石を動力に?リニアモーターカーでも作るのか?」


「それについては橋田さんが居た方が話は早いわ。もう呼んであるから、まもなく到着する頃―――」


66 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:01:44.09 0RgaG4Bu0 64/202




 その時。



 ゴンゴン、と入り口の鉄扉を何者かが叩く音がした。

 俺はササッと扉の内側に忍び寄る。


「……山」


 討ち入りを前に緊張している赤穂浪士の如き低音ヴォイスを発した。


『もぅ!このタイミングで来たら僕しかありえないっしょ常考!デブには狭くてたまらないんだお!』


「ええい、そこは『川』と答えるべきところであろう!まったく」


 ガチャ。

 そう言って扉をあけてやる。仕方の無いやつだ。

 そこには大学四年生であり、起業家の橋田至がいた。元々やっていた怪しいバイトの延長みたいなことをやっているそうだ。今年の3月で卒業だ。体型は三年前からあまり変わっていない。

 本物の阿万音由季とは、椎名かがりの時と同様、ギクシャクしながらもなんとか付き合っているらしい。既に半ば同棲のような生活をしているとか。

 この二人が出会うには、来嶋かえでの働きが大きかったそうだ。カエデも多少事情を理解しているから、うまいこと二人の関係を取り持ってくれていると思う。

 これまでもダルは冬休みや春休み、ゴールデンウィークや秋の三連休の度に沖縄へ来てくれていた。ニコニヤ町会議を見に行くとか、ガンヴァレルオフ会に参加するなどと色んな言い訳をしながら足しげく未来ガジェット研究所へと通っていた。


「は、橋田さん。遠路はるばるお疲れ様ですっ」


 かがりはそそくさとダルにタオルとコーラを渡した。


「おー、かがりたん。さっすが。いい奥さんになれるお」


 こいつ、フブキにもそんなことを言っておいてからに。

 かがりはかがりで少し顔を赤らめている。


「私も遊びに来ちゃった」


 ダルの巨体の影に隠れて気づかなかったが、一人の女性がひょっこり後ろから顔を出した。

 おぉ、噂をすれば来嶋かえでか。元々グラビアアイドル並みのプロポーションであったが、3年のうちに随分と大人の色気が出たものだ。最近流行りの『エロすぎる○○』という表現が似合うかも知れない。今はもう社会人だったはずだ。


「カエデー!!」


「フブキちゃん!」


 ヒシッ。

 感動の再会である。


「頼まれてたサークルの歴代同人誌とブラチューのコミマ特典ヴォイスドラマCD持って来たよー!」


「心の友よー!!」


 訂正しよう。オタクの再会である。

67 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:04:03.17 0RgaG4Bu0 65/202



「ごめんオカリン、カエデ氏がどうしてもって言って聞かなくって」


「まぁ、来てしまったのだ。仕方ない」


「ありがとうございます、オカリンさん」


そういうとカエデは、少し姿勢を直した。


「それと、ユキさん。お久しぶりです」


カエデがかがりに対して頭を下げた。

カエデにとってかがりはサークルの先輩だった、ということになる。


「う、うん。久しぶり、カエデちゃん」


少しバツが悪そうに応えるかがり。少し困惑している。

途端、カエデはかがりに抱きついた。


「カ、カエデちゃん!?」


「よかった……やっぱりユキさんはユキさんだよ……」


ふぇぇ、と涙声が聞こえてきた。しばらくして、もう一つ涙声が聞こえてきた。

……二人のことはしばらく、そっとしておいてやるのがいいだろう。


68 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:08:47.76 0RgaG4Bu0 66/202



「それで、ダル。このモノポールを動力にするとは、一体どういうことなのだ?」


 到着したばかりで悪いが、俺もいよいよ研究者然としてきたらしい。


「昨日クリス氏から連絡があった時はさすがに驚いたお。ってか、まだ作れる自信は無いんだけど、要は戦艦ヤマトを作っちゃえばいいってわけ」


「何?南西諸島海域に沈んだ帝国海軍の戦艦をか?それともDMMのエッチなゲームキャラか?」


「オカリン、わかってて言ってるっしょ?キムタクの方だお」


「す、すまん」


 というか、あまりにも突飛過ぎた。



 ダルとクリスの話を掻い摘むと、要はタイムマシン搭載エンジンを開発するために、ロケットパーツやUFOを拝借して、宇宙戦艦の波動砲をも凌ぐ出力のモノポールエンジンを造ろうという計画である。無茶苦茶もいいところだ。

 クリスに促されるまま二人でググったところ、原理はこんな感じだった。

 単極磁場という閉じられていない力線を閉塞された「場」に与え続けることで真空エネルギーをインフレーションさせ、超極小宇宙を誕生させて、そのビッグバンのエネルギーを取り出すということらしい。これ自体は電話レンジ(仮)で俺たちは似たようなことを達成している。

 但し、そのためには真の真空(より基底状態のエネルギーが低い真空)の生成を制御できるインフレーションを作り出すことが必要で、真の真空を維持しながらモノポールによる一方的な場のエネルギー飽和状態にもっていかなければインフレーション、即ちモノポールエンジンが出力可動しないため、モノポールエンジンの起動には波動エンジン以上の起動入力が必要となる。つまり、モノポールエンジンを起動させるためには波動エンジンのエネルギーが必要だということだ。宇宙戦艦ヤマトでも、モノポールドライブの起動のために補助エンジンとして波動エンジンを2基使用している。

 一応説明しておくと、古典物理の真空とは「何もない空間」であるが、量子論においての真空とは仮想粒子の対生成と対消滅が常に発生しており、決してエネルギーがゼロの空間ではない。したがって真空はあらゆる場に対して最低のエネルギーを持っている……と百科事典サイトに書いてあった。波動エンジンに使われるタキオン粒子とはこの仮想粒子のことだ。

 これはまたとんでもない技術だな……。




「でも、ようやく光明が見えてきた気がするお。これだけのエネルギーが制御できるって前提があれば、他の装置も一気に使えるようになるんじゃね?」


「そう、その通りなのよ。私たちが三年間頭を悩ませてきた動力問題はこれで解決できるはずよ!」


 クリスは疲労困憊の顔で嬉々としていた。うむ、いい感じにマッドだぞ。


「しかし、なんでこんなもんが空から振ってきたのさ?」


 フブキが口をはさんだ。

 たしかに、そもそもどういった化学反応があって生成されたのだ?


「リープ前、それについて私も調べたし、世界中の調査機関も調べていたのだけれど、結局わからなかったわ。多分、300人委員会あたりの陰謀じゃないかしら」


 ははは、そんな馬鹿な。


「過程はともかく、モノポールの入手は世界に先んじている。この技術は独占研究させてもらって、タイミングを見計らって民間へ密輸していくつもりよ」


 そうだったな。あえて競争市場へ投げ入れることで技術革新を促さなければ、2036年までにマシンの完成が間に合わなくなってしまう。



 そんな話に熱中していた―――



 その時。



 コンコン、と鉄扉がノックされた。

69 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:11:10.05 0RgaG4Bu0 67/202



「!?」


「えっ、一体誰だお!?」


「まさかお前、機関のエージェントに尾行されていたのではッ!?」


「え、えぇっ!?僕ぅ!?……汚いなさすが忍者きたない」


「ありえるわ。ロシアが既にリーディングシュタイナーのコントロールを成功させていたとするならば、モノポールを強奪に来たのかも……」


「えぇーっ!私たち、殺されちゃうの!?私、沖縄に来たばっかりなのに!」


「そ、そんなぁっ!橋田さんッ!」


「フブキ!貴様の修得した古代弄魔流空手でなんとかしろ!」


「お、おりゃーっ!?」


 基地内全員がパニックになった。フブキに至ってはありとあらゆる方向にマシンガンのような高速パンチを繰り出している。→ ↓ ↘ +P

 しかし、そんな状況を知ってか知らずか、無情にもその鉄扉は開け放たれた。






「キョーマッ!!会いたかったニャーン!!」



70 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:14:00.44 0RgaG4Bu0 68/202

◆◆◆






「フェ、フェイリス!?」


 そのピンク色のふわふわは俺の身体に飛び掛かり、そのままコンクリートの床に叩き付けた。俺は頭を打ち、目から火花が飛び出した。


「キョーマキョーマキョーマッ!!フェイリスはずーっと、会いたかったのニャーン!!」


 ふーびっくりした。ロシアの殺し屋かと思ったではないか。

 フェイリスのベビースキンが俺の無精髭をじょりじょりしている。や、やめんか猫娘!


「もうキョーマには会えないかと思ってたニャ。ホントに、ホントに会えてよかったニャ……!」


 どうやら少し涙ぐんでいるようだ。俺もフェイリスに会えて嬉しいが、少し大げさじゃないか?


「違うニャ!もう一生、キョーマはキョーマじゃなくなったままかと思ってたニャ!」


 ん……。あぁ、そういうことか。

 岡部倫太郎ではなく"鳳凰院凶真"に会いたかった、ってことか。


「クーニャンもカガニャンもフブニャンも、みーんな!久しぶりだニャン!」


 そう言いながらフェイリスは基地の女性メンバーに抱きついていった。なぜかカエデにも抱きついた。だがダルにだけは抱きつかず、ダルはショボーンとなった。いや、お前は東京でしょっちゅう会ってるだろうが。


「ダルニャン、ごめんニャ。ダルニャンに内緒で後をつけさせてもらったニャ」


「そんなー。言ってくれれば一緒に来た件」


「そうだよ、水臭いよフェイリスちゃん」とカエデ。


「ちょっとサプライズ的な登場がしたかったのニャ」


 ふふん、と楽しげに鼻を鳴らすチェシャ猫。全く、こっちは肝が冷えたぞ。

 そういえば3年ぶりの再会だというのに、まるで歳を取ったように感じさせないな。





「それで、キョーマ。ちょっとカガニャンを借りてもいいかニャ?」


 は?

71 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:17:23.64 0RgaG4Bu0 69/202



「え、私ですか?」


「かがりさん。初めましてじゃないのは知ってるけど、一応言っておくニャ。初めまして」


 突然、フェイリスとかがりによる固有結界が出来上がった。


「は、はい。初めまして……」


 そういうとフェイリスはかがりの眼をまっすぐ見つめた。で、でたー!チェシャ猫の微笑<チェシャー・ブレイク>だー!


「あなたが背負った複雑な運命について、話はまほ……クーニャンから聞いているニャ。その上で、一つだけ正直に答えて欲しいことがあるニャ」


「はい……」


「あなたが阿万音由季としてスズニャンに接した気持ちは、本物だったニャ?」


「……」


 ……3年越しの核心を突く話だな。

 俺たちはダルも含め、その辺は曖昧なままにしていた。というか、かがりの頭痛を直接見ていたのもあってあまり負担を掛けたくなかったのだ。

 ……結局鈴羽は最後までかがりが"由季"だと気づかなかったんだよな。

 かがりが少しつらそうな顔をした。


「かがりたん?大丈夫?頭が痛いなら少し休んでくるといいお」


「橋田さん、ありがとうございます。大丈夫です」


 ニコ、と笑顔で返すかがり。その間も、チェシャーブレイクはかがりの眼を貫いている。


「……おねえちゃんへの思いは、多分、おねえちゃんが欲しかった本物とは違うと思います」


 鈴羽が由季に求めていたもの。それは亡き母の優しさ、暖かさだろう。


「そういうものを知っていて、私はおねえちゃんに接してきました。だから、わざとおねえちゃんの喜びそうなことをしました」


 リンスも、鼻歌も、手編みの手袋も、そういうことだったらしい。


「そういう意味では、ニセモノのやさしさだったと思います。でも、私のおねえちゃんへの思いは、今でもずっと変わりません。尊敬しています。だけど……」


 そこで言葉に詰まるかがり。


「……私はママもおねえちゃんも殺そうとしてッ!!」


72 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:19:42.30 0RgaG4Bu0 70/202


 語気が突然荒くなる。


「もういいだろフェイリス。かがり、お前はママも鈴羽おねえちゃんも殺していない。二人ともきっとどこかの時空間で生きている。少し診療室で休んでくるといい」


 俺は二人の視線の間に無理やり割り込んだ。さすがにこれ以上はダメだと判断した。


「ニャ、ごめんニャ」


 申し訳なさそうな顔をするフェイリス。わかっている、仕方の無いことだ。

 頭を押さえ、呻いているかがりをダルとクリスが診療室まで案内した。戦争のPTSDだけでなく、洗脳の後遺症や銃をまゆりたちに向けて乱射した記憶もあって、かがりの心は何物よりももろくなっているのだろう。


「でも、かがりさんはウソはついていなかった。それが確認できて、よかった」


 このニャンニャンは語尾を忘れている。


「そうだな……。いや、鈴羽にとっては、偽りのやさしさだったとしても、二度と手にすることができないと諦めていた亡き母の面影だったのだから。かがりを責めることはできないだろう」


「わかってる。ただ、どうしてもかがりさんをほっとけなかった」


 どうやら留美穂になっているようだ。


「なぜだ」




「だって……私も過去にパパを殺したことがあるから……」




 はっとした。

 そうか、そうだったな。フェイリスはずっと誘拐偽装メールのことを後悔していたのだ。

 そういう意味では、似た体験を共有できる者同士なのか。

 かがりの頭痛を誘発してしまった罪悪感か、幸高氏のことを思い出してしまったためかわからないが、フェイリスは少し、つらそうだった。



73 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:22:49.26 0RgaG4Bu0 71/202



「……いいか、よく聞け!コードネーム、フェイリス・ニャンニャンよ!お前にラボメンとしての任務を与えるッ!」


「ニャニャ!」


 俺の声にビビッと来たようだ。猫がなにかを警戒する時のそれに似ている。


「椎名かがりと仲良くなってこい……。それが、世界の命運を分けることとなるだろう……」


 鳳凰院凶真として、遠い目をしてみる。特に意味は無い。


「ラジャーニャー!三世代前の前世で、古代琉球のアズミ王族の王女だったフェイリスにかかれば、言霊を操って仲良くなるなんて容易いことニャ!」


 一瞬でニャンニャンモードになるフェイリス。得意のフェイリス節は、また俺のついていけない領域に達している。


「そんな王族いないから。というか、フェイリスさん前と言ってること変わってるわよ?」


 戻ってきたクリスがツッコミを入れた。あんまり考えすぎると頭がパンクするぞ。


「ま、まさかフェイリスちゃん!万座毛からキングシーサーを復活させる呪文、"美童(みやらび)の祈り"を修得しているの!?」


 カエデがなぜか話にノってきた。一体なんの話だ。


「そのまさかニャ!フェイリスのチェシャーブレイクは聖獣シーサーの"目からビーム"によって発現したのニャ!」


 ダメだこいつ、早くなんとかしないと。

 頭の痛くなる話が始まったので思考を放棄させてもらう。

 さすがに今の俺には、フェイリスのペースに合わせられるほどの余力はなかった。


「そういえばさ、せっかく昨日水着買ったんだし、みんなで泳ぎに行こうよ!」


 おっと。モノポールに熱中していて、本来の目的を忘れてしまっていた。

 フブキよ、いつもナイスタイミングで言葉を挟んでくれるな。きっとこいつ固有の異能なのだろう。後で名前をつけてやろう。


「激同!」


 ダルが興奮する。お前は元々呼んでないのだが……。


「申し訳ないけど、橋田さんが沖縄に滞在している間にモノポール研究を進めないといけないから、私と橋田さんは研究室に篭るわ」


 クリスはさらっとそんなことを言った。

 まぁ、そんなことを言えば当然、ダルが黙っちゃいない。


「えぇ~!!おにゃのこたちの水着姿をバッチリ撮ろうとカメラまで持ってきたのにぃ~!?我々の業界でも拷問です、本当にありがとうございましたorz」


 何故ある。何故用意したのだ。

74 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:25:12.96 0RgaG4Bu0 72/202



「まぁ、かがりも休んでいることだ。プールは今日じゃなくてもいいだろう」


 俺がみんなを諭してやる。


「うーん、たしかにかがりさんとクリスさんの水着姿を拝められないのはもったいないなぁ……」


 カエデの分もあるのに……と付け加える。だから何故ある。


「フェイリスも一緒に行きたいニャン!だからクーニャン!明日、行こうニャ~?」


 フェイリスがクリスの両手の自由を奪って詰め寄った。


「おほっ。百合百合フィールド全開ktkr!!」


「ちょ、私は研究が……」


 言い寄られて困惑しているようだな、クリスよ。ふっ、お前もまだまだだな。


「そもそもその研究脳をリフレッシュするための計画だったはずだぞ、クリスティーナ」


 ぐっ、と悔しそうにするクリス。なに、研究ならきっと大丈夫だ。


「……そうね。せっかくかえでさんもフェイリスさんも遊びに来てくれたし、みんなでリフレッシュしましょうか」


 クリスの同意も得たところで、俺は白衣を翻す。


「それではっ、ここに波の乙女作戦<オペレーション・ナインドータース>を発動する!明日はみんなで遊ぶぞっ!」


「やったニャー!」


「よっしゃー!」


「んほおおおっ!!!み・な・ぎ・っ・て・き・た・ー!!!」


 三者三様の喜び方である。


「なんでナイン?女の子は5人しかいないよ?」


 まともなツッコミをしたのはカエデだけであった。


「あと橋田さんのカメラは没収だから。研究資金の足しにでもしようかしら」


「ぬあっ!?やめたげてよーっ!!」


75 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:27:44.19 0RgaG4Bu0 73/202

◆◆◆




 アニメなら30分枠でみっちり水着回が用意されている頃合だろうが、タイムマシン製作の鬼と化した俺にとって、水遊びなど日記に一行で収まる程度の記憶にしかならないのである。

 みんなでプールで泳いで遊びました、楽しかったです。

 ……なに?それでは不満だと?仕方ない。ほんの少しだけだがプールでの思い出を公開してやろうではないか。






「うりゃー!パイルバンカー!」

 
 水面で両腕を正拳突きするフブキ。その威力はKARATEで鍛えたこともあって絶大だ。

 メンバーいち健康的な体型だ。ボーイッシュではあるが、それなりに胸もある。

 水着はオレンジ色のビキニスタイルだが、ボトムは短パン形だ。英単語らしきロゴがでっかくスタイリッシュに入っている。


「ちょっとー!やめてよフブキちゃん!もー!」


 とか言いながらも楽しそうにはしゃぐカエデ。水しぶきがキラリとまぶしく肌に輝く。

 ボディラインについては……まぁ、なんだ。ご想像にお任せする。

 水着は赤のビキニ。白い肌。たわわに実った果実。


「カガニャンも一緒にやるニャー!うニャー!」


「ちょっ、フェイリスさん激しい……ッ!」


 かがりに対して波状攻撃をしかけるフェイリス。

 ってやめろフェイリス!こっちにもしぶきがかかるではないかッ!

 フェイリスはこの日を境に、かがりの頭痛が起きないようにとフェイリス節とも言える厨二病の発動を控えることとなっていく。

 まぁ、それでも『フェイリスはフェイリスニャ♪』というトートロジーは12年後の2025年まで続くのだが……。どこかのタイミングで鈴羽に『ルミねえさん』と呼ばせるようになることを考えると、そのうち黒歴史化するのだろう。


「むふぅー。水着のおにゃのこがキャッキャウフフとか、なんたる健全な光景。正直、たまりません」


 水中に顔を半分沈め、水中眼鏡を潜望鏡のようにして女子を舐めるように見つめるダル。口元か鼻の穴からか、空気がぶくぶく漏れている。さすがヘンタイ紳士。

76 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:30:42.69 0RgaG4Bu0 74/202


 ふと、プールサイドに目を向けてみる。


「君、かわいいねー。高校生?俺たち東京から来たんだけどさ、地元の子?」


 プールサイドで学生旅行の観光客であろうチャラ男2人にナンパされているのはクリスだ。そう言えば今は大学によっては休暇となっている時期か。

 クリスは無愛想にもサマーヘッドに身体を預けたまま無視している。ちなみに水着はワンピースタイプ、白ベースだが蛍光グリーンと蛍光ピンクのラインがあしらわれており、少し大人っぽい感じのものだが、それでも高校生と間違われている24歳であった。


「名前くらい教えてよー。ねーってばさー」


「……比屋定」


 ……何故そこで本名を言う。いや、この時のクリスにとってはむしろこっちの方が偽名だったのだろう。もしくは、地元の子と言われたのが存外嬉しかったのかもしれない。この観光施設で地元の子が居るとはあまり思えないが。


「ひやじょう?あー比屋定!すっごい偶然だね、俺たち今日久米島に行ってきてさー!比屋定バンタ、行ったよー!」


「めっちゃ景色よかったよなー!」


 出た、無理やり偶然を作り上げていく小手先の会話テクニックだ。最終的には『俺達の出会いは運命だったんだよ』と言って行きずりの関係を目指すんだろう、卑劣漢め。

 ……俺はこれを大学のテニスサークルの合コンのために伝授された。だが、一度も使ったことはない。

 若さゆえの過ちを傍観していたところ、クリスの様子が急変した。


「……すって」


「え、なに?」


「ごめん、聞き取れなかったよーあはは」


クリスがなにかボソボソとつぶやいた。


と、次の瞬間。



「だれが比屋定バンタですってー!!!」



 突然叫びながら立ち上がり、隣におかれたアウトドアテーブルをひっくり返し、チャラ男2人に投げつけた。



 ドンガラガッシャーン。



「ひ、ひえぇぇーっ!」


 な、なんてこった……。普通なら出禁だぞ。

 あまりの剣幕に気圧された男2人はそそくさとプールから退場した。

 こんなに激昂したクリスを俺は初めて見た。というか、どうしてそんなに怒っているのだ?


「岡部さんっ!あなた、絶対に『バンタ』の意味を調べないでよ!調べたらたタダじゃおかないから!」


 キーッ、と言い散らしながらもいそいそと投げ飛ばしたテーブルを元の位置に直し始めた。

 それは、あれか。押すなよ!絶対押すなよ!のパターンか。


77 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:33:11.65 0RgaG4Bu0 75/202


 後日、大型パーツの搬入のために我がラボを訪れたセーシンさんに『バンタ』について尋ねたところ、例の暗号言語"ウチナーグチ"では「バンタ・ハンタ」は絶壁とか崖という意味があることがわかった。ワンピース水着……合法ロリ……比屋定バンタ……。今度、みんなで久米島にでも行くか。




 皆でひとしきりリフレッシュした後、フェイリスと別れ、ダルを含め俺たちはモノポールエンジンの開発に乗り出すのであった。

 フェイリスには釘を打っておいた。本当に緊急の時以外は基地を訪れてはいけないこと、と。今度こそホントに誰かに尾行されでもしたら大変だ。

 それよりも今は。2036年時点へ向けて、戦時下にあっても資金を調達できるような会社経営と、俺たちの同志として活躍が期待される人材の抜擢、東京での未来ガジェット研究所の活動拠点の確保に向けて行動してもらうよう頼んだ。

 いずれラジ館屋上へタイムマシンを移さなければならないのだ。ラジ館の建て替え工事が完了した現在でも屋上スペースと最上階はフェイリスの所有となっているが、2036年ではどうなるかわからない。まずは2025年までに、東京が焼け野原になった際の混乱に乗じてこっそり研究所を移動させてもらう。

78 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:37:41.46 0RgaG4Bu0 76/202

◆◆◆





 研究に没入して、幾年月が流れた。

 世間では太陽嵐が大規模化しており、世界中のコンピューターなどの電子機器が故障し、インフラに大打撃を与えるのではないかなどと紙面を賑わせていたが、そんなことは起きず、2000年問題の時と同様、多少事件や事故が発生したもののたいした問題にはならなかった。

 そういえば今年の9月頃に「機動バトラーガンヴァレル」とかいうアニメが最終話を向かえ世間の話題をさらっていたな。放送開始直後から世界的人気を博しており、今後数年間はロボットブームが到来する、などと言われている。これによって世界の技術レベルが底上げされるのならば、我がラボにとっても大変好ましいことである。

 未来ガジェット研究所の話題としては、ダルが基地入り口の鉄扉を生体認証式に改造したこと(だってロマン優先っしょ常考)と、ダルが阿万音由季と入籍したことが中心であった。なんだかんだでうまいことやっていたのだな、ダル。

 俺は公式に式を挙げることを勧めたが、目立つ行動をしたくないという理由と、ここ未来ガジェット研究所で式を挙げたいという由季さん立っての申し出のため、ラボメンはしばし研究の手を休め、大安吉日の本日、挙式の準備を進めていた。




「しかしダルよ。お前、よく由季さんに話せたな」


「まぁ、いつかは話さなきゃならないわけですしおすし」


 話というのは、あれだ。自分たちの愛娘には、人類が未だ経験したことがない壮絶な時間漂流へと旅立たなければならないことが運命づけられている、という話だ。


「かがりちゃんすご~い!こっちの服もよく似合うね~!」


「は、はずかしいです……」


 娘の将来を本気で考える親であれば、世界のための生贄として捧げることなど到底できる決断ではない。


「すごいね~。全部サイズぴったりあうんだね~」


「えへへ……」


 しかし、由季さんは理解してくれた。この未来ガジェット研究所の目的と、俺たちが払ってきた代償を。


「あっ!このワンピも似合うかも!それともフリルのがいいかな~?」


「も、もういいですよぅ……」


 それはそれはつらい決断だったはずだ。親として、母として、断腸の思いだったことだろう。


「もうどれもかわいくてこまっちゃう~!かがりちゃんだいすき~!」


「ひゃあ!由季さん、急に抱きつかれると……!」


「……ええい!ここは未来ガジェット研究所の地下潜伏基地であって、コスプレ会場ではないのだぞ!阿万音由季ッ!」


「ふひひ、さーせん♪」


 挙式の準備と称して着々とコスプレパーティーの準備をしている阿万音由季と、阿万音由季によって着せ替え人形とされてしまった椎名かがりの姿が、そこにあった。

 どうもダルの影響が言葉の端々に現れている。

 この阿万音由季とは初対面のはずだが、そんな気は全然しない。当たり前と言ってしまえばそれまでだが、やはり不思議な気がする。

79 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:41:09.67 0RgaG4Bu0 77/202



「いいじゃないですかオカリンさん。ユキさんの結婚式なんですよ?」


「そーだそーだ!」


 反論してきたのはフブキとカエデだ。すっかりこの地下研究所に馴染みきっている。


「でも、ホントにかがりちゃんって私そっくりだねー♪双子みたい♪」


「あ、あはは……」


 完全に阿万音由季のペースに飲み込まれているかがり。


「よくさ、この世には自分そっくりな人間が三人いるって言うけど、私たちがその二人なのかなー!すごいよねー!」


 残りの一人はかつて2010年から1年間、存在していたがな。

 異常なまでにテンションが高い阿万音由季。もちろん、椎名かがりが偽者をやっていたことは、やんちゃした話以外はある程度話してある。

 ダルとデートしたことも。

 ……これが本妻の余裕、というやつなのだろうか。罪作りな男め。


「……オカリンさん。こういう時は、輝女かっけー、っていうんですよ」


 ボソッ、とフブキがどうでもいい知識を提供してくれた。



 そんなこんなで、結婚式という名前のコスプレファッションショーが開催された。クリスは研究を言い訳にしてなんとか離脱しようとしていたが、由季さんを前にして逃亡は不可能だった。

 彼女たちはキャッキャウフフと次々にかわいい服、ちょっとエロい服などを早着替えしていったのだが、俺はそれを落ち着いて眺めることができなかった。たしか、由季さんは、亜麻音やチョプ子、かがりはピーチ(朝霧桃子)と少佐、フブキはキラリちゃんとラビ(秋ヶ瀬うさぎ)、カエデは星来とメイクイーン+ニャン×2のメイド服、クリスは悠木ロゼッタ……だったと思う。

 なぜ俺の記憶が曖昧かって?第一に、女子たちはことごとくフリフリやらキラキラやら絶対領域やらに包まれ、この地下生活に慣れきったマッドな双眸にとってそれは眩し過ぎ、直視できなかったのだ。

 第二に、男たちも参加させられたからだッ!

ダルがストリート系が似合うとは意外だったな。コザのゲート通りにはヤバ目な黒人が経営しているB系ショップがあり、由季さんが選んで買ってきたのだ。ジュジュの微妙な冒険の第三部主人公、承太郎とかも似合うかもしれない。

 俺はというと、マッドで、クレイジーで、コケティッシュで、アバンギャルドな、そんな服をコーディネートして欲しかったのだが、由季さんは俺の要望を一切無視して、清楚なトラッド系というか、少しおじさん臭いファッションに仕立て上げられた。しかし、研究室にいて白衣を着ていないとここまで落ち着かないものか!……まぁ、式の礼服としてはこの方がいいのだろうから、我慢することにする。



 その後、ダルを清潔な感じのオフィスカジュアルっぽいスーツスタイルを着せ替えさせた(これもそれなりに似合っていた)。由季さんは、もう数えられないほどのお色直しの後、ドレス(といってもコスプレ)に身を包み、ようやく結婚式っぽいことをする運びとなった。

80 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:44:44.68 0RgaG4Bu0 78/202



「えー、えーっと。あなたは、神様に誓ってガチであることを誓いますか?」


「誓うお!」


 フブキがわけのわからない言葉で神父の真似事をしている。


「ええっと、病めるときも健やかなるときも、夫として、愛と忠実を尽くすことを誓いますか」


「確定的に明らかっしょ常考。あと娘を愛することも誓うお!」


「んじゃ、ユキさん。あなたはこんなガチオタピザメガネを夫とすることを望みますか?」


「想像を絶する悲しみが僕を襲った」


「はい、望みます♪」


「順境にあっても逆境にあっても、妻として、愛と正義の悪を貫くラブリーチャーミーであることを誓いますか?」


「誓います♪」


「フブキよ、さすがにふざけすぎだ」


「あははー。ではではー!誓いのキッスをー!どぞー!」





「至さん、こっち向いてください」


「……う、うん」




 普通逆だと思うが、由季さんの手がダルの両頬を捉える。

 そして、そのまま唇を近づけて―――


81 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:47:46.46 0RgaG4Bu0 79/202






 ズキュウウウン!!





「やったッ!!さすがユキさん!」


「私たちにできない事を平然とやってのけるッ!」


「そこにシビれる!あこがれるゥ!」


 ……カエデとフブキが示し合わせたかのように煽った。

 というか、何気にひどくないか、その台詞だと。





 まぁ、そんな感じで式は終わって、あとは宴会になった。

 「今日から橋田由季になるんですね……」とか。

 「死んでも由季を離さないッ!絶対にだ!」とか。

 「ユキさああああん!!お嫁に行っちゃやだあああ!!」とか。

 酔っ払った面々が言いたい事を言いたい放題していた。

 クリスはひたすら酒に強く、メンバーを次々に酔い潰していった。

 俺もそれなりに羽目をはずしていたので、この乱痴気騒ぎの様子はあまり記憶に残っていない。

 ……由季さんを見つめるかがりの笑顔には、どこか寂しさがあるように見えた。

82 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:50:55.07 0RgaG4Bu0 80/202

◆◆◆




 パーティーは楽しかった。

 いや、ボキャ貧とか、形容しがたいものがあったとか、そういうことではなくてだな。

 うっぷ。

 今の俺は、アルコールが回って、楽しかったという感覚以外が脳内に存在しないのだ。

 そんなふわふわな状況で広間の奥にあるソファにどっぷり腰を下ろしている。

 女たちは個室で寝ていたり、研究室の机につっぷしている者が数名いる。

 ダルはというと、俺と同じくふわふわ、というかぷよぷよの状態で、俺の座っているソファの目の前のカーペットの上で横たわっている。


「……ところでダル。お前、鈴羽の誕生日、知ってるか?」


「……んぉ?もちろん知ってるお。娘の誕生日にプレゼントできなかったらどうしようかと思ってちゃんと聞き出したことがあるんだけど、結局その時から鈴羽がこっちにいた間に誕生日は来なかったっていう」


 のっそりのっそり答える。

 ボリボリとケツを掻くのをやめろ。お前はトトロか。


「それで。いつなんだ?」


「えっと、2017年の9月17日だお。それがどうかしたん?」


 この時の俺はだいぶ浮ついていたのだ。学生気分に戻っていた。


「いや。この世界線でも確実にその日になるとは限らないが、まぁ多分その前後が誕生日となるのだろう」


「ん?」


 久しぶりにボーイズトークがしたくなっていた。


83 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:52:28.23 0RgaG4Bu0 81/202



「……お前、赤ちゃんが生まれてくるのにかかる日数、知ってるか?」


「は?トツキトウカだろ?さすがにそれくらい知ってるんだぜ―――」


 何かに気づいたダルは、ガバッと立ち上がった。


「オ、オカリン!それはさすがにセクハラすぎるお!」


「何をいう。鈴羽生誕という事象の観測のために必要な因果ではないかッ!」


「サイテーだお!ここに27歳DTニートの最低クズ野郎がいるお!」


「ふん!貴様はDT卒業が約束されてよかったなぁ。2016年11月までには確実にッ!」


「やーめーるーおーっ!俺の鈴羽をそんな目で見んなぁーっ!」


 完全に言ってることが支離滅裂だが、所詮酔っ払い同士の言い争いである。

 ダルは熊が人を襲うかの如く両手を上に広げ、熊が人を襲うかの如く俺に襲い掛かってきた。


「ふんぐぉっ!や、やめろ!胃の腑がやばいッ!出るッ!出るッ!」

「はぁはぁ!出すなら出しやがれっつーの!」


 ソファの上にくんずほぐれつになるオッサン二人。


「うおおっ!カエデ!起きて起きて!濃厚なBLシーンが展開されてるよっ!」

「えーどこどこぉ?」

 
 やめろ!フブキ!そんな目で俺たちを見るな!カエデ!カメラを構えるんじゃない!アーッ!

 俺は野生の熊を撃退すると、好奇の視線を注ぐ腐女子二人を追い払い、自分の部屋に戻って寝た。

84 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:54:51.98 0RgaG4Bu0 82/202

◆◆◆





 俺はアルコールが入ると眠りがすぐ覚めてしまう体質らしい。

 午前6時。太陽の出が東京よりも一時間ほど遅い沖縄にとっては、外はまだほの暗い。

 なんとなく外の空気が吸いたくなって、通用口から鍾乳洞を経てジャングルへ出た。

 お世辞にも気分がよくなる景色とは言えなかったが、自然で溢れているだけあって空気はおいしかった。

 と、気づけば視線の先にはかがりが居た。


「どうした?眠れなかったの……か……?」


 声をかけるが様子がおかしい。

 よく見れば、かがりの顔には幾筋もの涙の跡があった。


「!? まさか、また"神様の声"が再発したのか!?」


「う、ううん。違うんです。私……」


 かなり思いつめた表情をしていた。いったいどうしたというのだ……。


「……話ならいくらでも聞いてやる」


「……ありがとうございます」


 かがりはぽつぽつと語り始めた。


85 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 05:59:25.38 0RgaG4Bu0 83/202



「今日は、楽しい結婚式でしたね」


「由季さんもとてもいい人で、こんな私を気遣ってくれて」


「……うれしかったんです。私は、心のどこかでずっと由季さんと橋田さんに謝りたかったんです」


「だから、晴れてお二人がご結婚されて、本当にうれしかったんです」


「鈴羽おねえちゃんが誕生する因果が、着実に達成されていることが実感できたのも、うれしかった」

 
 そうか、今日のかがりはそんなことを考えていたのか。


「だけど……」


「ホントはっ……!私、橋田さんのことが好きで……ッ!そんなんじゃいけないのに、鈴羽おねえちゃんのためにならないのにっ!」


「阿万音由季さんが早くして亡くなってしまうことを知ってるからッ!その後でもいいなんて考えて……ッ!」


 語気を荒らげるかがり。まずい、精神不安定状態の兆候だ。


「かがりが悪いんじゃない。かがりを戦争孤児にさせた世界が悪いんだ。かがりを洗脳したレスキネンが悪いんだ。お前は悪くない」


「でもッ!!私が洗脳されなかったら橋田さんのことを好きになることもなかった!!私はッ……!!私の気持ちは、作り物なんかじゃないのにッ!!」


 俺は、しまった、と思った。

 たしかにそうだ。かがりの元いた世界線での経験があるからこそ、今のかがりが存在している。

 元いた世界線を否定することはできない。

 なかったことにしてはいけない。




 ―――人間は根源的に時間的存在である。



 ハイデガーの言は、こう続く。



 ―――しかし、人為的に創られた公共的な暦や時計や年表があるから、人間が時間的存在者なのではない。記憶や期待や知覚、持続的体験流、時間性の時熟は、決して単に主観的なものではない。実在そのものが、そうした時間性の構造において、人間に自覚され、顕在化してくるのである。




「……わかった。かがり。今は泣け。声を押し殺して泣け。誰にも聞かれず、誰にも知られず、ただ、悲しみをお前のためだけに孤独に泣くがいい。俺という観測点が記憶しておく。だから、安心して孤独に泣け。そうしてお前という存在を確かなものにするんだ」


 俺はかがりの肩を、やさしく両手で掴んだ。


「……うぅぅぅぅぅぅっ!!!!うわぁぁぁぁぁぁ……!!!!!」


 その日、やんばるの森に、一人の女のやり場のない悲しみが刻まれた。


86 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 06:04:17.25 0RgaG4Bu0 84/202

◆◆◆





「そう言えば、女の子たちはお風呂どうしてるの?」


 東京に帰る直前、由季さんが突然そんなことを言った。


「えっと、湯船は無くて、シャワーで済ませてます」とフブキ。


「いやね、なんか酸っぱいニオイがしたから……」


「あぁ、それか。かがりは今でもお酢をリンスに使っているのだ」


「はい、髪にいいんですよ」


「そうなんだ!知らなかったよー。かがりちゃんって物知りさんだねー」


 いちいちかがりのことを褒める由季さん。いまいちこの人の行動心理がわからん。

 もしかしたら、かがりの内心を見破っていて、少しでも慰めになろうとしているのか?


「い、いえ。私もこれは母から習ったものですから……」


 そうか、かがりはまゆりからこのお酢リンスを習ったのか。

 かがりの中にまゆりの残り香のようなものを感じて、俺はなんだかホッとした。



 ん、待てよ?

 まゆりはあの時由季……ではなく、かがりからお酢のリンスのことを習ったはずだ。俺はその一部始終を目撃している。かがりの出身の世界線が異なるから、なんだか運命のいたずらを感じる。

 もしかしたらこの由季さんも鈴羽にお酢リンスを教えるかもしれない。だがそれはかがりから習ったもので、それはまゆりから習ったもので、それはかがりから習ったもので……。

 そしてこの、ウロボロスのような閉時曲線的因果の連鎖はシュタインズゲート到着によって開放されることになるのだろう。

 ……これがβ世界線の因果律、ということか。

87 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 06:07:40.38 0RgaG4Bu0 85/202

◆◆◆




 やっほー!私、フブキ!22歳!

 この年齢なら普通は就活とかしてるんだろうけど……私にはそれができない、重大な秘密があるのです。

 なんとっ!悪の組織に身を追われ!地下に身を隠すこと早5年!

 日夜、悪の組織と戦うための秘密兵器を開発しているのであります!

 ……まー、私は頭がそんなに良くないから、みんなに協力はできてないんだけど。

 一応、オカリンさんには、内なる邪悪なるなんたらを払うために『古代弄魔流空手』を極めろって言われてて、それで日々研鑽を積んでいるのです!

 実際には剛柔流だけどねー。

 私が通ってるのは海兵隊御用達の、守礼館っていう道場。

 比嘉のおばあちゃんが一人で切り盛りしてるんだ。

 元々旦那さんが指導に当たってたみたいなんだけど、何年か前に他界しちゃって。

 今は生徒が生徒を教えてる状態かな。だから私はほとんどコワモテのタフガイから空手を習うことになった。

 ちっちゃい子供たちには私が指導してる。ほとんど子守りみたいなもんだけど。




 そんなある時、剛柔流の交流会として、大徳道場ってゆーところとの親善試合をやることになったんだ。

 そこのお父さんが比嘉のおばあちゃんにお世話になってたみたい。

 それで、いざ大徳道場の皆さんを招いてみたら!

 そこには道場の一人娘、中学二年生の大徳ジュンナちゃんが!(漢字わかんない)

 もうめちゃくちゃかわいくて、私はびびっと来た!

 その時居た女の子がたった二人だったので、私とジュンナちゃんが手合わせをすることに。

 やばい!たぎる!辛抱たまらん!

 こ、こんなところで私の年下属性が開花しようとはハァッ!

 それで、ジュンナちゃんに好感を抱かれたかったのでわざと負けようとしたんだけど……。

 ジュンナちゃん、弱すぎ。ホ、ホントに道場の一人娘なの!?

 まぁ、そんなところも私的にはポイント高いんですけどッ!!

 試合が終わってから私は彼女に接近することにしたッ!




「ご、ごめんねジュンナちゃん!私、加減ってのがわからなくてさーあはは……」


「う、ううん。いいんです。私が弱いから……」


 涙目なジュンナちゃん。お持ち帰りしたいいいいッ!


「そーいえば、ジュンナちゃんってどこに住んでるの?北部?」


 住所特定余裕ですた、フヒヒ♪


88 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 06:09:56.87 0RgaG4Bu0 86/202



「えっと……種子島、っていう島なんだけど、知ってますか?」


「タネガシマ……。あぁ、あの!知ってるよーもちろん知ってるよー!一昨年、はやぶさ2を打ち上げたところでしょ?」


 私が知ってたからか、ジュンナちゃんの顔がパアッと明るくなった!この情報知っててよかったー!

 テレビのアンテナの無い地下研究所では基本的にネットから情報を得るんだけど、この前ニコニヤ動画のランキングにはやぶさの動画があがってたんだよね。

 テレビ自体はブラウン管のがあって、この間中古ゲームショップでプレステを買ってきて懐かしのゲームをかがりさんとやってさー。かがりさんいちいち新鮮なリアクションするから飽きなかったなー。クリスさんも実は意外とゲーマーで……。

 おっと、今はジュンナちゃんの話だった!


「かっこいいよねーロケット!ジュンナちゃんは打ち上げ見た?」


「う、うん!見ました!」


 か、かわひい……ッ!ジュンナたんのお腹なで回したいッ!落ち着け、私。クールになれ。


「あー、ほら。女の子私たちだけだしさ、敬語使わなくてもいいよ」


 敬語攻め属性はないんで。


「あ、す、すいません!」


 ぐはぁっ。吐血しました。


「いやぁ、謝らなくても大丈夫だけどさ」


「えっと……フブキさん?はどこに住んでるんです、あ、いや、住んでる、の?」


 ちょ、それ反則杉……。なにこの可愛い生物兵器。


「すぐこの近くなんだけどねー。ジャングルの奥地みたいなところなんだーあはは」


 それどころかアンダーグラウンドなんですけどねッ!


「へ、へぇー」


 あ、やばい。興味なさそう。な、なんとかしなくちゃ……!


「え、えっと!そう!しかも、実は私の住んでいるところ、元々核兵器があったってゆー伝説の倉庫なんだよ!」


 ……あ。

 やっちまったー!?

89 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 06:12:08.61 0RgaG4Bu0 87/202



「か、かくへいき?」


 こ、こんな可愛い娘に似つかわしくないワード第一位です本当にありがとうございましたーッ!

 でも、これはこれでありかも……。ギャップ萌えってやつですかァー!?


「もしかして、沖縄の都市伝説?」


 お?


「そ、そう!沖縄の都市伝説って言えば、ほら!2014年のUFOとか有名じゃない?あれの正体って実はものぽーるっていう磁石なんだよねー!」


 ちなみに米軍の公式発表だと、照明弾の打ち上げだった、ってことになってるみたい。

 興味あるかな?と思ってまくし立てて見たところ。

 目がしいたけ。wktk状態なんですが!!

 ぐふぉっ。かわゆす、ギザかわゆすなぁ。


「……もしかしてジュンナちゃん。都市伝説好き、だったりする?」


「う、うん!好き!私ね、実際に都市伝説が起こったところに行くのが好きなの!」


 あーもうこれダメかもわからんね。


「じゃぁさ、ジュンナちゃん。今から一緒に都市伝説めぐりしない?」


「ほ、ほんとにっ!?ありがとうフブキお姉ちゃん!」


 幼女誘拐キター!たぎるわーマジたぎるわー。

 ジュンナたんが漏らすまでおしっこ我慢させたい……いや、正直すまんかった。

 そんなわけで早速車を比嘉のおあばちゃんに借りて二人でドライブすることになりました。持っててよかった運転免許!

 さすがにオカリンさんたちの研究所には案内できないので、近場のスポットを紹介することにしたんだー。

 沖縄ってそこら中に幽霊が出る公園とか、ユタの修行場(入ったら殺される)とかがあるんだけど、ジュンナちゃんはホラーとか心霊系はダメみたいだったからそこは行かないことにしたけど……。「ひぃぃっ!」とか「うぅ……いじわる……」とかのリアクションでもうお腹いっぱいですわー!

 有名どころで『沖縄のどこかにある7体の自由の女神を全部見つけたら幸せになれる』を実行しよう!って言ったら、もうジュンナちゃんはしゃいじゃって。

 それで車を走らせて、すぐそこにあった名護のと、恩納村のと、沖縄市のと(これはラブホなんだけどニャンニャンはさすがに自重した)、うるま市のとを回ったんだ。残りはジュンナちゃんのお楽しみに取っておきます。また沖縄に来て欲しいからね!

 いっぱいおしゃべりしたんだけど、途中でジュンナちゃんつかれちゃったみたいで眠っちゃった。ほっぺぷにー、ってしたら、やわらかいの!ウヒョー!prprしたいィッ!くんかくんかしたいィッ!静まれー、静まれ私ー!


90 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 06:15:06.26 0RgaG4Bu0 88/202


 それで一日時間つぶして、気がつけば帰ってきたのは夕方だった。

 せっかくだし夕日でも見に行こうか、って話になって、私たちは21世紀の森ビーチへと向かった。




「なんか色々連れ回しちゃってごめんねー。疲れちゃったよね」


「ううん!そんなことないよ。すっごく楽しかった!」


 小悪魔の素質ありと見た。


「そ、そう?そう言ってくれるとお姉さん嬉しいな。はい、おやつ」


「あ、これサーターアンダギー!」


「ジュンナちゃんが寝てる間に道の駅に寄って買ってたんだー。ビックリした?」


「うん!私これ大好きなの。ありがとうお姉ちゃん!」


 と言ってサーターアンダギーをはむはむする小動物。お姉さんはジュンナちゃんをはむはむしたいよぉーっ!!はぁ……はぁ……。


「……この海はジュンナちゃんの居る種子島までつながってるんだね」


 一旦、興奮した脳みそを冷ますために詩的なことをつぶやいて見た。

 だけど、そこで会話が途切れてしまった。

 しまったーなにをやっとるんだわたしはー。


「あ!種子島と言えばさ。"ロボクリニック"ていうパーツ屋さんがあったの知ってる?」


 うちの研究室に月一で運ばれてくる部品たちはここ出身だ。

 "ロボクリニック"なんて、島にあったら有名だろうと思って聞いて見たんだけど―――。


 「……」


 地雷だったみたい。

 さっきまで元気いっぱいサーターアンダギーを食べてたのに。

 目には涙が溜まってた。


「……私の、おじいちゃんのお店なんだ」


 あーそういうパターンのやつかー。喧嘩したまま死に別れた、とかだったらヤバイなー。


「……おじいちゃんと何かあったの?」


 食べる手を止めて、ぽつぽつと語りだすジュンナちゃん。

 4年前、事故があって、おじいちゃんのロボットの下敷きに。

 それでジュンナちゃんにはトラウマが。おじいちゃんはロボ作りをやめちゃったらしい。

 こいつは、ヘビーだ。

 さて、どうしたもんですかな。

91 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 06:17:26.38 0RgaG4Bu0 89/202



「……ジュンナちゃんさ。また、おじいちゃんにロボ作ってもらいたいと思ってる?」


「……わかんない」


 お姉さんには、わかるよ。


「じゃあ、ジュンナちゃんのロボ恐怖症がなくなったら、また作ってもらいたい?」


「……なくならないよ」


「もしも、さ」


「……うん。そしたら、おじいちゃんと仲直り、したい」


 よかった。ジュンナちゃんはホントにいい子だ。

 なら、ジュンナちゃんに人生の先輩として、色々教えてあげましょうかね。




「あー、そうそう。うちの所長がいつも言ってるんだけどさー、って言ってもこの人、結構現実逃避癖のある人なんだけど」


「逃げちゃいけない。思考を止めちゃいけない」


「なかったことにしてはいけない」


「って、そればっか」


 ジュンナちゃんがぽかんとしている。

 けれど、しっかり聞いてくれている。


「怖い、って思う気持ちはね。科学的に説明できる現象なんだ。もちろん、そう簡単に克服できるものじゃない」


「心に抱えたものってのは、それだけ自分に重大なことだってこと」


「心の仕組みはあまりにも複雑で、どんなに科学が進歩したって人間の感情はコントロールしきれない。そんな世界になっちゃったら、私たちみんなロボットみたいになっちゃうからね」


「だけど」


「克服できる可能性は」


「ゼロじゃない」

92 : Salieri ◆/CNkusgt9A - 2014/12/05 06:18:30.39 0RgaG4Bu0 90/202



「可能性がある限り、そこには到達できる世界がある」


「だからジュンナちゃんも、きっと"きっかけ"さえあれば克服できるはずなんだ」


「今すぐには無理でも、いつの日か必ず」


「乗り越えたいと思う気持ちがあれば、絶対に」


「がんばれる」


ぐっ、と拳を握り、正拳突きをする私。


「そんな可能性を信じていれば、さ」


「なんだか、たぎってこない?」


 人の心なんて弱いものなんだって、それは研究所で嫌というほど思い知ってる。

 オカリンさんも、かがりさんも、クリスさんも。みんなそれぞれトラウマとか後悔とか抱えてて。

 でも、だからこそ可能性を信じて、世界を救おうとがんばってる。

 だからこそ、がんばれるんだよ。ジュンナちゃん。




「さぁ!お姉さんと一緒に夕日へ向かって走ろう!」


「え、えぇっ!?」


 戸惑うジュンナちゃんの手を取って、私たちはビーチを走った。

 私たち二人の影は、南国特有の神々しいオレンジ色の中に消えていった―――



続き
【シュタゲSS】 無限遠点のデネブ 【後編】

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