「あのね、由紀……。私……真が好きみたいなんだ…///」
高校三年生を間近に控えた春の午後、晴菜ちゃんは私の部屋でこう言った。
照れながら真ちゃんへの想いを語る晴菜ちゃんを見て、私はどんな表情をしていたんだろう。
「――晴菜ちゃん、私、応援するよ。きっと、両想いになれると思う。」
感情を持つ前の言葉が独りでに口から零れ出てくる。(ここで黙ってしまってはいけない)という思いから反射的に出てきた言葉だった。
晴菜ちゃんは私の言葉に安心したように微笑んだ。それにつられるように私も微笑む。
――嘘を吐いた。とても大きな嘘。
私の表情は不自然じゃなかったかな?言葉はスラスラと出てきていたのかな……?それすらもわからないくらい動揺している。
私は晴菜ちゃんの恋愛を応援なんてできなかった。だって、私も真ちゃんの事が……大好きだったからだ。
*****
2 : 以下、名... - 2016/02/27 18:25:22.33 887tizks0 2/52
性描写のある少女漫画をイメージして書いたオリジナルです。
ジャンル:幼馴染・泥酔姦・純愛
3 : 以下、名... - 2016/02/27 18:26:55.83 sN+bO+JAO 3/52真ちゃんって男?
5 : 以下、名... - 2016/02/27 18:31:18.41 887tizks0 4/52>>3 男です。由紀は幼い頃から真を「ちゃん」付けで呼んでいて、成長してもそのまま呼び続けている設定。
私と真ちゃんと晴菜ちゃんは幼馴染だった。
小学生の頃はどこに行くにも三人一緒。中学生・高校生になっても同じ学校で、頻度は少なくなってしまったけど誰かの部屋に集まったり一緒に出掛けたりして関係は続いていた。
三人の関係を一口に「幼馴染」と言っても、その付き合いの長さには差がある。
私と真ちゃんは家が隣同士で家族ぐるみの付き合いがあって、生まれた頃からの幼馴染だった。毎日のように一緒に遊んでいたし、まるで兄妹のように育ってきた。
晴菜ちゃんとは小学校一年生の頃から関係がスタートした。引っ込み思案でなかなか同じクラスの子に話しかけられない私に最初に話しかけてきてくれたのが晴菜ちゃんだった。私たちはすぐに仲良くなって、私との繋がりから晴菜ちゃんと真ちゃんも仲良くなった。
晴菜ちゃんは明るくて元気で、ちょっとドジなところもあるけどそんなところも魅力的に映る誰からも好かれるような女の子。
引っ込み思案で男の人が苦手な私からすると……晴菜ちゃんは親友であると同時に憧れの対象でもあった。
誰とでも気さくに話す晴菜ちゃんも真ちゃんに対してだけは口が悪い。でもそれは相手が嫌いだから出る言葉ではなくて、相手と親密な関係だからこそ言えるようなからかいの言葉だった。
「――真ってホント彼女できなさそうだよね。なんか子供っぽいもん。」
中学生時代のある日、放課後に三人で帰る途中、晴菜ちゃんがこんな話を切り出した。
「うるさいなぁ。ほっといてよ。」
軽くムスッとした表情を作る真ちゃん。表情や言葉とは裏腹に、声色はあまり晴菜ちゃんの発言を気にしてないみたいに聞こえる。
なんとなく、真ちゃんはあまり恋愛に興味がないように感じられるところがある。
「ねぇ、由紀もそう思うでしょ?」
晴菜ちゃんが笑いながら私に話を振ってくる。
「う、うん。そうかも……」
「あ、由紀までそんなこと言うんだ……。へこむなぁ……」
真ちゃんは背中を丸めて肩を落とし、少し大げさにガッカリした態度を取った。
「あ、悪い意味じゃなくて…///」
「だーい丈夫だって真、いざとなったら由紀がお嫁さんになってくれるって言ってたから」
慌てて否定しようとする私の言葉を遮って、晴菜ちゃんが笑いながら真ちゃんの背中を叩いて勝手なことを言う。
「そうだよね?」と、ニヤニヤとした表情を浮かべてこちらを見る晴菜ちゃん。
「そうなの?」
真ちゃんが、捨てられた子犬が拾ってくれるのを期待するような表情で私を見つめてくる。
「うぅ…///もう、晴菜ちゃん、勝手に話を作らないで!///」
「ハハッ、ごめんね。だって由紀の反応が面白いんだもん」
「由紀は言葉を正直に受け止めすぎなんだよ」
真ちゃんも晴菜ちゃんも顔を赤くしている私を見て笑っていた。
……私だって、二人の言っている事が冗談だってことくらいわかってる。でも、冗談とはいえ自分の好きな人にこんな事を言われたら、顔が熱くなってしまうのはどうしようもないんじゃないかな……。
私は自分の気持ちを真ちゃんはもちろん、晴菜ちゃんにも秘密にしていた。晴菜ちゃんに相談すれば応援してくれそうな気もしたけど、なんとなく今の三人の心地よい関係が消えてしまいそうな気がしたから……。
だからっていつまでも真ちゃんに自分の気持ちを伝えないでいても、真ちゃんの方から私に告白してくれる可能性なんてほとんど無いのもわかってた。
真ちゃんが恋愛に興味が無さそうだし、それに何よりも、真ちゃんは私をそういう対象として見てくれていない。真ちゃんは勿論私が異性だってわかってるけど、それよりも“幼馴染”という印象の方が圧倒的に強いみたいだった。
ほとんど家族同然に育ってきた私たち。だからこそ私は恋愛対象として真ちゃんの視界には入れない。いつも一緒にいるからそれが嫌というほど伝わってきてしまう。
私から気持ちを伝えない限り、真ちゃんと私の関係はずっとこのままのような気がする。……でも、それがわかっていても……私はもう何年も真ちゃんに自分の想いを伝えられていない。
(せめて真ちゃんが恋愛に興味を持つまでは……)と自分に言い訳をしてきたけれど、本当はそんな事はたいした理由じゃなかった。
ただ私は怖かったんだ。自分の気持ちを伝えて真ちゃんとの関係性が崩れてしまうのが。もし告白しても真ちゃんにはその気がなくて、これまでみたいに隣にいられなくなると思ったら……そんな日常は想像したくもなかった。
臆病な私にとって、真ちゃんが恋愛に興味が無いのは救いでもあった。真ちゃんに恋人ができなければ私にもまだ可能性があるって、そう思えるから。
自分から行動しない限り可能性はずっと可能性のままだって知ってるのに、現状維持に縋り付こうとする私はどうしようもない臆病者だった。
だからさっきの会話でも、晴菜ちゃんの「真には彼女ができなさそう」に対してつい頷いてしまったんだ……。“できなさそう”だと思ったんじゃなくて、“できてほしくない”って強く思ったから……。
……そういえば、晴菜ちゃんは真ちゃんをどう思ってるんだろう。もし晴菜ちゃんが真ちゃんを好きなら……ううん、そんなはずないよね。「彼女ができなさそう」って言ってるくらいだし、普段も真ちゃんと口喧嘩してばかりだし……。
そうだよ、好きなわけがないよ。だって、もしそうだったら私なんて絶対に敵わないんだから……――
*****
そして中学時代は何事もなく過ぎ、小中に引き続き私たち三人は地元の同じ公立高校に進学した。一年が過ぎ、二年目が終わっても私たちの関係は何も変わらない。もしかしたら、ずっとこのままなんじゃないかな……
――そう思っていた矢先の出来事だった。晴菜ちゃんが私に真ちゃんへの想いを伝えてきたのは。
「応援する」
そう言ってしまった手前、私には二人の成り行きを見守る以外にできる事は何もなかった。
そして――二人は付き合い始めた。それはあまりにもあっけなかった。私に相談に来て、数日後に告白。その日の夜には告白が成功した事を嬉しそうに報告する晴菜ちゃんの顔を見ていた。
話の展開の早さに付いていけなくて、私は呆気に取られるばかりで……。私が立ち止まっていた十年近い時間は一体なんだったんだろう。私が手を伸ばすのを恐れて動けないでいる間に、晴菜ちゃんはすぐに行動して真ちゃんを手に入れてしまった。
私が真ちゃんの彼女になれる可能性は、もう無くなってしまったんだ……。
真ちゃんと晴菜ちゃんは付き合い始めてからも表面上はほとんど変わらないように見えた。私に対する態度も、三人で通学するのも、以前と同じ。晴菜ちゃんが真ちゃんをからかうのも相変わらずだ。
ただ、それでもやっぱり二人だけで合う時間は増えていて……。そんな時、二人はどんな事をしてるんだろうってつい想像してしまいそうになって、私は慌てて頭からその映像を追い出す。
「私の大好きな二人が付き合ってくれて嬉しいよ」
二人にはそう言ったし、それは嘘じゃないと思う。でも、本当でもない。
最近は自分一人だけで部屋にいる時、私の中の醜い感情が囁きかけてくる事がある。
〈ねぇ、本当は思ってるんでしょ?(晴菜ちゃんでよかったなら私でもよかったんじゃないか)って〉
私は否定する。
「違うよ、晴菜ちゃんが素敵だから付き合えたんだよ……」
〈本当にそうなの?あの真ちゃんだよ?〉
あぁ、この感情は、嫉妬とか後悔って呼ぶんだろうな……
〈恋愛に全然興味無さそうだったでしょ?だから、告白された嬉しさで深く考えもしないで頷いたんじゃないの?それが仲の良い幼馴染からだったんだから尚更だよ〉
「やめて……聞きたくないよ……」
〈告白さえできれば私でもOKがもらえたんじゃないかって、そう思ってるんでしょ?でも、それはもう確かめられない。だから晴菜ちゃんが魅力的だって事にしたいだけなんでしょう?〉
「……もしそうだとしたら、私にどうしろって言いたいの?」
〈別に、何も。〉
黒い感情の私が笑う。
〈ただ、面白いんだもの。表では二人を祝福しようとして笑顔を取り繕っているのに、心の奥底では二人がうまくいかない事を期待してしまっている。そして、そんな自分がどうしようもなく嫌いなあなたが〉
耳障りな嘲笑を残して、黒い私は消え去った。
*****
――私の心中なんてお構いなしに月日は流れ続ける。結局、真ちゃんと晴菜ちゃんは良好な関係を保ったまま高校を卒業した。
小学校からずっと一緒だった私たち。でも、大学への進学で初めて道が分かれた。
私と真ちゃんは地元からそう離れていない同じ大学だったけれど、晴菜ちゃんは以前から夢だったパティシエの勉強がしたいという事で県外の専門学校に行ってしまった。
お互いに合えない日が増えても晴菜ちゃんと真ちゃんの付き合いは続いた。
〈遠距離恋愛なら上手くいかないかもって、期待してた?〉
高校生の時の私だったら胸の中にそんな黒い感情が生まれていたかもしれない。でも、今の私はもうそんな感情に惑わされたりはしない。
後悔や嫉妬を心の奥底にしまっておくにもエネルギーがいる。そんな感情を抱き続ける事に、私は疲れてしまった。
後悔や嫉妬はいつしか諦めに変わり、すると肩の荷が降りたみたいにフッと気持ちが軽くなって、私は晴菜ちゃんと真ちゃんが付き合っている現状を素直に受け入れられるようになった。
真ちゃんが大好きな気持ちには変わりはない。ただ、晴菜ちゃんとの関係にモヤモヤしなくなっただけだ。そもそも、私の大好きな親友の二人が付き合い始めたのは嬉しいことのはずなのに……暗くなっていた私がおかしかったんだ。
そんな風に真ちゃんへの想いを整理した気になっても、私は他の男の人と付き合おうとは全然思えなかった。男の人への恐怖心は昔よりもだいぶ薄れてきたのに……なんでだろう……。ゼミで同じグループの人に告白されたりもしたけれど、私はそれに良い返事ができなくて……。
私は……まだ“可能性”に縋っているのかなぁ……そんなもの、もうどこにも残されていないのに……――
*****
大学生活三年目も半ばを過ぎて、枯れ落ちた紅葉が通学路の石畳を彩る頃、その電話のベルは鳴った。
時刻は二十三時前。携帯のディスプレイには真ちゃんの名前が表示されている。
こんな時間に真ちゃんから…?……どうしたんだろう…?
眉を顰めながらも携帯電話を手に取って通話ボタンを押す。
「もしもし?」
「あ、○○由紀さんですか?」
聞こえてくる声は真ちゃんとは全く別のものだった。
続けて聞こえてくる話を聞いていて、その人物は大学の最寄り駅にあるバーの店員さんだと判明する。
なんでバーの店員さんが真ちゃんの携帯電話を…?
その疑問はすぐに解消された。話の経緯はどうやらこういう事みたいだ。
真ちゃんは一人でバーを訪れて泥酔してしまった。店員さんがその様子を確認した時には既に呂律も怪しくなっていて、とてもじゃないけど一人で帰れそうにない。そこで店員さんは真ちゃんに誰か迎えに来てくれる人がいないか尋ねたところ、私の名前が出てきたようだ。電話をかけるところまでは真ちゃんがしたけれども、とても状況説明できる状態じゃないので店員さんが代わりに通話しているらしい。
幼馴染がお店に迷惑を掛けている状況に、私は呆れるよりも先に心配になった。真ちゃんはお酒に強くない。あまり好んで飲むタイプでもない。ましてや、一人でなんて尚更だ。
もしかして、お酒を飲まずにはいられないような何か辛い事でもあったのかも……。
不安に駆られた私は店員さんにお店に行く旨を伝えて、部屋着を着替え家を飛び出した。
*****
――バーのカウンター席に突っ伏している真ちゃんは電話で聞いていた通り完全な泥酔状態で、店員さんの手を借りてようやく店外に連れ出せるといった有様だった。
「1杯だけでここまで酔ってしまうとは思わなくて……」
店員さんの言葉に私は苦笑を返すしかなかった。
店の前まで出ると、店員さんにお礼と謝罪の言葉を述べてから、私たちはあらかじめ呼んでいたタクシーに乗り込んだ。
――居酒屋を出発したタクシーの車内には会話は無く、目的地を目指すタクシーの淡々とした走行音だけがその場を包み込んでいた。
時折、真ちゃんが不鮮明な唸り声を漏らす。その度に私は背中をさすってあげていた。
「真ちゃん、大丈夫?」
「うーん……」
目を瞑ったまま苦しそうにそう呟く真ちゃんは、言葉を発するのもやっとみたい。私が店に到着する前にトイレで吐いてるらしいから大丈夫だとは思うけど……。
せめて、真ちゃんのアパートに着くまでは何も起こりませんように。私は背中をさする手と反対の手を真ちゃんの手に重ねながら、そう願っていた。
結局その後は何事もなくアパートに到着した。タクシーの料金を払い終えてから隣を見る。真ちゃんは相変わらず目を瞑った苦しげな表情のままだ。
「真ちゃん、着いたよ。降りよう」
肩を揺すりながらそう言う私に対して、「うん……」と力無く呟く真ちゃん。でも、体を動かそうとする気配は感じられない。
それでもなんとかして真ちゃんをタクシーから降ろす事に成功する。運転手さんに「ご迷惑をおかけしてすみません」と謝ると、軽い会釈だけを返されてタクシーは去っていった。
目の前にある二階建てで横に長い作りをしている比較的新しめの建物が、真ちゃんが一人暮らしをしているアパートだ。私たちの家から大学までは最寄り駅から三駅ほどの距離。本来なら電車通学で問題ないはずだけど、真ちゃんは一人暮らしを経験してみたかったみたいで、お母さんから許可を得て大学から徒歩10分のこのアパートに住んでいた。
真ちゃんはフラフラと体を左右に揺らしながらも、なんとか一人で立つことはできるみたいだった。……かなり危なっかしいけれど。ただ、一人で歩くのは難しそうだったので腰に手を添えて誘導してあげる。
アパートの外側にある階段を昇ってすぐの所に真ちゃんの部屋がある。私は肩にかけたバッグから合鍵を取り出して、扉を開いた。
――この鍵は真ちゃんからもらったものだ。
真ちゃんは掃除は定期的にするけど整理整頓が苦手みたいで、部屋が服や雑誌なんかで散らかりがちだった。それから食事を適当に済ませるところがあって、栄養バランスなんて全然考えてないみたい。スカスカの冷蔵庫の中身を見たら誰にでも想像はついてしまうだろう。なんとなく心配になった私は、1~2週間に一度のペースで真ちゃんの家に顔を出して、片付けやお夕飯の準備をしてあげていた。お節介なだけかも……と心配していたけれど、真ちゃんは素直に喜んでくれたから内心ホッとしたのを覚えている。
合鍵を渡されたのは通いだしてからすぐの頃だ。
「由紀も鍵を持ってた方が便利だよね?大学で時間が空いた時に使ってもらっても構わないから」と軽く渡されたから、私は呆気に取られて何も言えないでその鍵を受け取ってしまった。
家の鍵なんて大事なもの、私が貰ってもいいのかな?いくら幼馴染とはいえ……彼女でもないのに……。
もしかしたら世間では親しい人に自宅の鍵を渡すのは普通の事なのかもしれない。でも、私にはとっては本当に特別な人にしか渡しちゃいけないもののような気がして、戸惑ってしまった。
念の為晴菜ちゃんに電話をして、それとなく鍵の話をして様子を伺ってみると、「あはは、それはいいね。私のいない間、真のことよろしくね」と、あっけらかんと返された。
その返答に胸を撫で下ろすと同時に、複雑な思いが自分の中に渦巻く。
二人に信用されているのは嬉しい。けど、この二人の反応は、私が真ちゃんと……変な関係を持つなんて微塵も思っていないと断言しているようなもので。たしかに何もしないのだけれど……――
玄関に入ると真っ暗な部屋が私たちを出迎えてくれた。真ちゃんが靴を脱ぐのに手間取っている間に、手探りで電灯のスイッチを入れる。
玄関に明かりが灯る。私はまた真ちゃんが歩くのを補助しながらリビングを目指した。
お手洗いとお風呂が先にある玄関脇の通路を横目に、5メートルほどの廊下をまっすぐ進む。廊下の途中にある台所は、男性の一人暮らしを想定してのものなのかIHヒーターとシンク分のスペースしかない簡素なもので、手の込んだ料理は作りづらい。
廊下の突き当りにあるドアを開いて、八畳一間のリビングに入る。入ってすぐ左隣にはベッド、真正面にはベランダに繋がる大きな窓、ノートパソコンの置かれたデスク、二人で食事をするのが精一杯な小さな食卓机、服が少し乱雑に詰め込まれているクローゼット……暗闇に包まれ視界が利かないリビングのレイアウトを思い出す。
玄関から10秒も経たないうちに全てが把握できる1Kは私には少し狭く感じる。けれど、そう話したとき真ちゃんは「これで十分かな。掃除も楽だしね」と、特に不満は無さ気だった。
真ちゃんを支えている手を自由にするために、とりあえず真ちゃんにはベッドに腰掛けてもらう。
水を持ってこないと……。その前に、リビングの明かりを……。
ベッドのすぐ脇にある電灯のスイッチに手を伸ばそうと、真ちゃんに背を向けた――その瞬間
グイッ
「キャッ……」
左腕を掴まれて、強引にベッドに引き倒される。私が仰向けに倒れこむと同時に、真ちゃんも体勢を崩したように上から覆いかぶさってきた。
――立とうとして私の腕を掴んだけどできなかったのかな……。それよりも……
顔の距離が近い。私に覆いかぶさるように倒れてきた真ちゃんは、私の左肩に顔を埋める体勢のまま動かない。首筋に直に、間隔の長い熱い吐息が当たる。アルコールのせいなのか呼吸が少し荒い。完全に体重を預けられていて身動きが取れない。
細めの体型に見えるけれど、ずっと運動部だったからか真ちゃんは結構身体つきがしっかりしている。こんな風に密着しているとそれがよくわかる。
私とは違う……真ちゃんは男の人だから……。
意識し出すと急に今の状況が恥ずかしくなってきた。とにかくどいてもらわないと……
声をかけようと口を開いたと同時に首筋に違和感。素っ頓狂な高い声が漏れる。
――何?
部屋には明かりが灯っていない。唯一の光源である玄関のライトが弱々しく廊下から届いているけれど、壁の陰にあるベッドを照らすには至っていない。薄ぼんやりとした暗闇の中だと、何が起こっているのかよく見えない。
視覚が役に立たなくても触覚が嫌でも現状を伝えてくる。
真ちゃんが……私の首筋にキスをしてきていた。間を置かずに何度も、少しずつ場所を変えて。唇が触れるだけの時もあれば、軽く吸い付いてきたり。時折生温かい濡れた舌先が肌に触れると、未知の感覚に我慢できず声が漏れる。
突然の状況に驚きすぎて何の抵抗も出来ない。頭が働き出すまでしばらく時間がかかった。
真ちゃんが――なんでこんな事を?
たしかに、男の人と女の人が同じ部屋に居ればこういう事をする時もあるのかもしれない。でも、それは普通の人達の場合だ。私と真ちゃんは違う。
“男と女”じゃなくて、“幼馴染”が先にある関係だから。
少なくとも私はそう思っていた。“幼馴染”という関係を時には煩わしく感じるくらいに。
真ちゃんは違ったのかな?晴菜ちゃんと付き合ううちに考えが変わっちゃったの……?
!……そうだ、晴菜ちゃん……晴菜ちゃんって恋人がいるのにこんな事しちゃいけないよ……
グルグル回る頭の中が、小さな違和感を覚えて思考を中断する。直に触れられてる部分にばかりに意識が向いてたから今まで気付かなかった。上着が少しづつ脱がされている。真ちゃんの指が器用に動いて、カーディガンのボタンを一つ、一つと外していく。
「あ、あの……真ちゃん?」
小さな声で呼びかけてみる。……なんとなく予想していたけど、真ちゃんからの反応は無かった。少し怖い。真ちゃんが何を考えてるのかわからないなんて初めてだった。
――他の人の目から見れば、この状況から“逃げる”のが正解なのかもしれない。でも、私にはそんな事よりもこの状況になった“理由”の方が大切だった。いくら酔っているとはいえ、真ちゃんが女の人なら誰にでもこういう事をするなんて思えない。そんな人じゃないって、私は十分に知っているから。
なんでだろう……なんで、私にこんな……
考えているうちに、忘れかけていた感覚が心の底から顔を覗かせてきた。晴菜ちゃんが真ちゃんと付き合いだした頃に覚えていた、あの黒い感情がムクムクと胸に湧き上がってくる。
もしかして、晴菜ちゃんと別れた……?バーで酔ってたのもそれが原因?それで……晴菜ちゃん以外で好意を持っていたのが私で……酔ったせいでこんな事をしてしまってる……?
ほとんど妄想に近い憶測。自分に都合がいいだけの筋書き。
……やっぱり私は変われない。例え真ちゃんに彼女ができても、それが大切な親友でも、“自分”が真ちゃんの“特別”でいたいんだ。私からは何もできないくせにその想いだけが膨れ上がっていく。疲れて諦めた振りをしてもどうしても消えてくれない。
臆病で我が儘な自分が嫌いで……でも、それ以上に真ちゃんが好きなんだ。
ボタンは全て外されて、上着が軽くはだけさせられている。剥き出しになった鎖骨に真ちゃんの唇が触れると、むず痒いような奇妙な感覚が頭へと駆け上ってくる。真ちゃんの触れる部分がだんだんと顔に近づいていた。たぶん、このまま何もしなかったら頬や…唇も真ちゃんに好きなようにされてしまう。
私は……そんなのは嫌だった。付き合えたらいつかこうなりたいとは思っていたけれど、それはこんな…なし崩しな形じゃない。ちゃんと「好き」って言ってもらって、デートをして……。そういう風に少しずつお互いの距離を縮めていくものだと思っていた。少なくとも、お酒の勢いでいきなり最後の段階から始まってしまうような、そんな恋人の関係は私の思い描いていたものとは全然違う。
今ならまだ間に合う。真ちゃんに声をかけて、止めてもらわなきゃ……。大丈夫、お酒のせいでこんな事をしているだけで、意識がハッキリしたら普段通りの真ちゃんに戻るはず。
……と、不意に耳元で真ちゃんが何かボソボソと喋っているのが聞こえた。
なんだろう?
「……な………る…」
掠れて不鮮明な声。ただの譫言なのかもしれない。意味のある言葉なのかもわからない。
ただ、その時の私は何故か耳を澄ませた。
数秒後、聞き馴染んだ言葉の並びが私の耳に飛び込んできた。
「はる……な」
………………晴菜…ちゃん?
心臓が強く押されたような衝撃。その後、頭がクリアになるにつれて、最悪の状況に陥った事に気付く。まるで血が凍ってしまったみたいに体が動かない。
私はバカだ。笑ってしまうくらいに……。真ちゃんも私を好きだった……なんて、あるわけがなかった。(こうだったらいいな)っていう、自分に都合が良いだけの想像だって…わかっててそれを信じ込もうとしていた。
現実は私の想像とは全然違う。
真ちゃんはただ、晴菜ちゃんとしてるつもりなんだ…。
酔って混濁した意識の中で、真ちゃんは晴菜ちゃんの肌にキスをしているんだ……本当に触れている相手は私なのに……。
声が出ない。ううん……出せない。もう私には真ちゃんの意識をハッキリさせるような行動は何一つできない。
さっき私が想像してしまった最悪の未来。もし真ちゃんが、今自分がしている相手が私だと気付いたら……たぶん、真ちゃんは酷く罪悪感に苛まれると思う。男の人が苦手だった私をいつも気にかけて、守ってくれた真ちゃん。その自分がこんな事をしたと知ってしまったら……もしかしたら真ちゃんは私から離れてしまうかもしれない。私がいくら「お酒のせいだから」「気にしてないよ」と言っても、真ちゃんはたぶん自分を許せない。そういう融通のきかない真っ直ぐさが真ちゃんにはある。
全部全部、想像でしかない。他人から見たら滑稽な妄想なのかもしれない。でも、そんな事にはならないはず……と心の奥底では思っていても、「絶対にあり得ない」とも言い切れない自分がいた。
(1%でも可能性があるなら)
そう思うと、体は凍り付いたように動かない。喉も声の出し方を忘れてしまったかのよう。真ちゃんを突き飛ばして逃げ帰るのが正しい選択だとわかっていても選べない。真ちゃんにこの夜を覚えられるのが怖い。怖くて仕方ない。
覚えられないためには真ちゃんの動きに身を任せるしかない。それが私の出した結論だった。真ちゃんが晴菜ちゃんとしていると思っているなら、私が晴菜ちゃんの役割を演じるしかない。真ちゃんが覚えていなければそれでいいし、もし微かに覚えていても反抗さえしなければ晴菜ちゃんとしている夢を見たんだと思ってくれるかもしれない……
――無理のある理屈に縋り付かなければいけないくらい、この時の私は最悪の未来を怖れていた。
平穏な日常が壊れそうなら、壊れてしまうまで何もしない。変化を怖れて行動を先延ばしにする。
晴菜ちゃんが真ちゃんへの想いを打ち明けてくれた時と一緒だ。臆病な高校生だったあの時から何一つ変わってない。真ちゃんを大切に想う気持ちが強まるほど、私は臆病になってゆく。
ただ、この時は、この夜だけは、私の過剰なまでの臆病さが限りなく近い平行線のような私たちの関係を大きく変える事になると、その時の私はまだ知らなかった。
真ちゃんは一旦私に触れるのを止めて顔を上げた。覗き込むように数十㎝上から私を見下ろしている。暗闇よりも濃い影がそれを教えてくれる。今から何をされてしまうんだろう。受け入れる覚悟を決めていても、やっぱり怖い。真ちゃんの表情が黒く塗り潰されていて見えないから余計に不安が増長していく。
真ちゃんが顔を下してくるのを感じてギュッと目を瞑る。鼻先に微かな感触。真ちゃんの鼻が触れた…?
熱い吐息が肌を擽る。濃いお酒の匂い。自分の唇からほんの数㎝のところに真ちゃんの唇があると思っただけで心臓が強く脈打つ。
しかも、今から――
柔らかなものが唇に重なる。上唇を挟むように一瞬重なったそれは、次いで下唇へ。
束の間真ちゃんが顔を引く。
余韻に浸る間もなく強く押し付けられるようなキス。緊張から少しきつく閉じられた唇に何か濡れたものが触れる。
驚いて口を少し開いてしまう。と、隙間からそれが口の中に滑り込んできた。
舌を……
聞きかじった知識でぼんやりと想像していただけの行為を求められて、フリーズしてしまう。すると焦れたのか、真ちゃんの指が私の顎を軽く持ち上げて催促してきた。
オズオズと舌を伸ばすと、待ちかねたかのように真ちゃんの舌が私の舌に絡み付いてくる。想像もしていなかった感覚に思わず体が反応してしまう。口の中ってこんなに敏感なものだったんだ……自分で触れるのと他人に触れられるのとじゃ全然違う……。
強くお酒の匂いのする熱い吐息と粘性の高い唾液が一緒に流れ込んでくると、それだけで酔ってしまいそうな気がしてくる。頭がフワフワしてきて何かを考えるのが難しくなってきた。
二人の舌が絡み合ういやらしい水音が大きく反響して頭の中を埋め尽くす。晴菜ちゃんの役割を演じようと思っていたのに、ただただ舌を伸ばすだけで精一杯だ。晴菜ちゃんならもっと上手くできるんだろうな…と胸が苦しくなる感覚と、気持ち良さがごちゃ混ぜになってわけがわからない。
急に苦しくなってきて、思わず真ちゃんの胸を軽く押してしまう。真ちゃんは素直に顔を引いてくれた。
唇同士が離れてようやく、荒く呼吸をしている自分に気付いた。息をするのも忘れていたんだ……。それほど夢中になって舌を絡めていた事実に顔が熱くなる。
――突然、別の部分からの刺激に全身に電流が流れたような感覚
真ちゃんの手が胸に触れている事に気付く。それも下着越しじゃなくて、直接。いつの間にホックを外されてたんだろう……浮いた隙間から差し込まれた手のせいで、ブラジャーが上部にずらされてしまっている。
真ちゃんの指が私の肌に微かに触れたまま移動して、優しく挟んだり、擦ったり、摘まんだり……。暗闇で見えないけれど……寧ろ、だからこそ頭の中に真ちゃんの指の軌跡がハッキリと浮かんでくる。閉ざされた視覚の分を補うように触覚が敏感になっている。
でも、それよりも……
恥ずかしい、恥ずかしい……すごくすごく恥ずかしい…///
火が出るかと思うほど顔がカッカと熱くなっているのがわかる。私は触られて感じる事よりも、“あの”真ちゃんに胸を触られているという“事実”に何倍もの恥ずかしさを覚えていた。
幼稚園の頃はよく手を繋いで一緒に歩いてたな……。その幼馴染に……もちろん男の人になんて見せた事のない場所を触られてる……。もし明かりが点いている状態だったら、私は恥ずかしさで気を失っていたかもしれない。真ちゃんに裸を見られるなんて、私には考えられない。触れられているだけの今の状態ですら、真ちゃんが晴菜ちゃんと勘違いしてると知っているから羞恥をギリギリ我慢できる有様だった。
私の胸って変じゃないのかな……晴菜ちゃんよりも小さいからおかしく思われたりしてないかな……なんて、今の状況に似つかわしくない事まで頭をもたげてくる。両手で胸を隠したくなる気持ちを必死で抑えて、代わりに声が漏れないように口元を覆った。
真ちゃんの指は触れる場所を胸から徐々に下げていく。おへその脇を通過して、更に下へ。下着の中に指が滑り込む。
ダメだよぉ……そんなところ……
思わず声に出てしまいそうになって慌てて開きかけた口を閉じる。
自分でも滅多に触れない部分に真ちゃんの指が触れる。私よりも少し大きな手の、長い指が、触れている。
「んぅ……んっ…あ…」
口元を押さえる指の隙間から声が漏れてしまう。こんなの……声を我慢するなんて無理だよ……。
自分でも驚くくらいに感じてしまってる。真ちゃんの指になぞられるとムズムズした感覚が頭のてっぺんまで這い登ってきて、体がお腹の周りからどんどん熱くなってくみたい。
濡れた指が私の弱いところを的確に刺激してくる。ヌルヌルとした感触がより一層私を気持ちよくさせる。自分でしても絶対にこんな風に濡れたりしないのに……どうしちゃったの私…。
数分間それが続いたんだろうか……その頃にはもう思考がだいぶ鈍くなってしまっていた。
聞こえる音も、触れるものも、私と真ちゃんに関するものだけ。辺りは不自然な程の静けさに包まれていて、もしかして世界には私たち以外いないんじゃないか……と、熱っぽくなった頭があり得ない事を考え出し始めている。
でも、本当は…世界に2人だけでも、そうじゃなくても、もうどうでもよかった。今、この空間には、私と真ちゃんしかいない。それだけが今の私にとって重要だった。
……こんな状況になってようやく気付く。
私は、真ちゃんが、好きだ。自分で思ってたよりも、ずっと……何倍も、何十倍も。
真ちゃんに恋人ができてから、“これ以上好きになっちゃいけない”と思って自分の想いを抑えつけていたみたい……。そうじゃなきゃこの感覚に説明がつかない。息がかかるくらい近くに真ちゃんがいて、手を伸ばせば実際に触れられる。たったそれだけで、身体から溢れ落ちてしまいそうなほど幸せな気持ちで満たされていく。
高校生まで、通学の時はいつも隣に真ちゃんがいた。左手側、半歩くらいの距離が私の定位置。真ちゃんは並んで歩く時はあまりこっちを見てくれない。話しかける時はいつも横顔を見上げてばかりだったから、たまに顔を向けてくれるとドキドキしたのを思い出す。
あの頃の私にはたった半歩の距離が永遠に等しかった。それが今は……
カチャカチャと、金属の鳴る音。真ちゃんが腰を浮かせてベルトを外している。それが何を意味するのかわからないほど初心ではないけれど、まるで現実感がない。さっきまで真ちゃんがずっと弄っていた濡れた部分に、指ではない何かが当てがわれる。
本当にしちゃうんだ……
ドキドキも、緊張も、心配も……何も感じる暇もなくそれは私の中に入ってきた。
今までで一番大きな声が出る。それでも普通の話し声くらい大きさだったけれども、私は恥ずかしくなって口を噤んだ。
熱を持った、固いものが、私を押し広げていく。すごい圧迫感で苦しい。息をする度に自分の中のものの大きさが感じられる。少しずつ少しずつ、真ちゃんが奥に進んでいく。全部が入り切ると真ちゃんは動きを止めてくれた。
私は痛みを紛らわせるために、真ちゃんの背中に手をまわして引き寄せてキスをした。音が出るのも構わず積極的に舌を絡める。どうも私はキスが好きみたいだ……真ちゃんとキスをしていると痛みの感覚なんて幸せな気持ちで塗り替えられてしまう。
真ちゃんがキスしながら腰を動かし始める。私は声が出そうになったけれど、口を塞がれていたから、空気は全て真ちゃんの中へと消えていった。真ちゃんが動きを段々と大きくしていく。私の体はそれを受け入れられるくらい……いや、その前から過剰なほどに濡れていて、真ちゃんの腰が私の腰とぶつかる度に卑猥な音を響かせていた。
キスが止められない。息が乱れても離れられない。互いの熱い吐息を貪るように、執拗に求め合う。
やがて真ちゃんはより一層動きを速めた。何かに急かされるように。私は真ちゃんのものが自分の中で熱く膨らんでいくのを感じていて、その状況を少しの知識に照らし合わせる。
コンドーム…妊娠…赤ちゃん……
頭の中でネオンサインが明滅するように浮かんでは消える幾つかの単語たち。ただ、熱に浮かされた私の頭はその意味を考えるよりも目の前の幸せに縋り付く事を優先した。
――その頃には、晴菜ちゃんのことは完全に頭から消えていた。真ちゃんが誰の名前を口にしても、誰を想っていたとしても、“今”真ちゃんに触れているのは“私”だから。
数分後に罪悪感に苛まれたとしても、そんな未来の話は私には関係のないものに思えた。一秒でも長くこの時が続く事が何よりも大切だったんだ。
真ちゃんの動きで、体の中の空気が押し出されるように口から勝手に声が漏れてくる。感覚が飽和して自分が自分でなくなりかけた時、真ちゃんが私を強く抱き締めながら体をビクビクと震えさせた。私の中のものが激しく脈動して、何かを勢いよく吐き出している。温かいものがジンワリと私の中に広がって満ちていく不思議な感覚。
体の中のものが動きを止めても、しばらく私たちは同じ体勢で抱き合い続けた。二人とも息が切れるくらいに呼吸が乱れていて、私は呼吸を整えながら行為が終わった後の余韻に浸っていた。初冬だというのに汗ビッショリだ。服を通してシーツまで濡れてしまっている。ただ、今だけは火照った体にその冷たさが心地よかった。
やがて、真ちゃんは私から自分のものを抜いて、そのまま崩れるように私の横に倒れた。私は放心したように天井を見つめたままだったけれど、隣から嗚咽を堪える声が聞こえてきたので徐に頭を隣に向ける。
真ちゃんは泣いていた。膝を曲げて、腕を顔の前で揃えて。まるで胎児のような体勢で。
「うぅ……晴菜……どうして……」
呟く言葉の数だけ、涙が流れ落ちる。
私は真ちゃんと向かい合うように横になって、手を伸ばして指の背で頬を伝う涙を拭った。
真っ白な背景の中、目の前に晴菜が立っていた。だからわかる。これは夢だ。
『ごめんね、真。もう決めた事なの。だから……』
晴菜が消えていく。霧と同化するように。ボクは夢だと知りながらも、必死に手を伸ばした。
(何故?)(どうして?)
そればかりが脳内を埋め尽くす。
――――
―――
――
突然の電話、一方的な別れの言葉。理由の説明なんて無かった。驚きでほとんど言葉を出せないうちに、始まりと同じく突然電話は切れた。リダイヤルしても着信は拒否されていて……。
直接会って話すしかないと思ったけれど、晴菜の『悪いけど、理由は言えない……。気持ちが変わったりはしないから、会いにこないで』という硬質な口調の声がどうしても耳にこびり付いて離れない。
電話越しでもはっきりと伝わった。あの口調の時の晴菜は強い意志で何かを決めているから、絶対に意見を覆さない。
一番気になるのは、理由を言ってくれないところだ……。僕に問題があったり、他に好きな人ができたんなら晴菜はボクにちゃんと言ってくれるはずだ。恋人になる前からの付き合いだから性格くらいは把握している。
それなのに「言えない」……あぁ、いくら考えてもわかんなくてイライラする。こんな気分じゃ今夜は眠れそうにない。家にいても答えの出ない考えばかりを続けてしまうから、夜風に当たって気分を変えようと足の向くままに夜の街を徘徊する。
すると、最寄りの駅の近くを歩いている時に、見覚えのあるバーを見つけた。ダーツもできるから、と大学の友人に誘われて数回足を運んだバーだ。彼女に別れ話をされてバーで1人酒を呷る……そんなドラマの登場人物のような行動をする自分を想像すると、なんだか笑えた。どうせ素面だと無駄に考えてばかりになってしまうし、お酒の力を借りてみるのも一興か。せっかく自分に似合わない行動をするんだから、いつもなら飲まないような強いお酒でも飲んでみようかな……
――
―――
――――
夢の中、消えゆく晴菜の手を掴まえた。これ以上見えなくならないように。体を抱きしめる。これ以上離れないように。胸の中に渦巻いている疑問を問いかけたりはしなかった。これは幻の晴菜なのだから。答えなんて聞けるはずもない。
でも、夢の中だとわかっているのに……いや、だからこそ、体を求めた。現実では手の届かないところにいる晴菜への不満をぶつけるように、普段する時よりもがむしゃらに。
晴菜は何の抵抗もせず、ただ(ごめんね)とでも言いたげな悲しそうな笑みを浮かべてボクのなすがままにされていた。理不尽な扱いを受けた事を責めるように動くボクの胸中は、晴れるどころかますます虚しさだけが募っていく。
晴菜との電話から考え続けていた疑問がまた脳裏に浮かんでくる。晴菜にとってボクはどういう存在だったんだろう。ボクたちは“恋人”同士だったのかな?そして、ボクにとって晴菜は……
深く考えようとすると頭痛がするからボクは晴菜の体を貪るのに意識を集中した。体を求めても心は既に離れている意味の無い足掻き。得られるのは虚しさだけだとわかっていても、やめられなかった。
やがて行為が終わると余韻もなく晴菜は消えてしまって、ボクは一人ぼっちで夢の世界に取り残された。
どこを見ても白一色の世界が僕には何故か優しく見えた。
*****
頭痛
喉の渇き
目を瞑ったまま自分が起きた事を自覚する。体にまとわり付く鈍い苦しさのせいで動こうと思えない。しばらくジッとしているとシンクに水が流れる音が聞こえた。……ボク以外にも誰かいるのか?
だるさに抗いながら目を開いて、やっとここが自分の部屋だと認識する。窓から差し込む朝日が眩しい。眩しさに目を細めながら、さっきの夢を反芻する。いやに現実感のある夢だったな……。晴菜の肌に触れた感触が、今もまだ手に残っているような……そんな気がするほど生々しい夢。あんな夢を見るなんて……ボクも未練がましい奴だな……。
夢の中とはいえ晴菜をあんな風に強引に犯す自分に嫌悪感を抱いた。
そういえば、ボクはどうやって帰ってきたんだろう……。昨日バーで飲んだところまでは覚えてるけど、そこから先の記憶が無い。思い出そうとすると頭痛がそれを邪魔した。
とにかく喉がカラカラだ。水を取りに行こうとダルい体を無理やり起こす。と、その音を聞きつけてか台所の方からヒョッコリと顔を覗かせる人物がいた。由紀だ。家の鍵を持ってるのはボク以外では由紀しかいないから、特に驚きもしなかった。
「あ、真ちゃん起きたんだ。おはよう。気分はどう?」
「……おはよう。ちょっと気持ち悪いけど大丈夫。よかったら水をくれないかな?」
由紀が持ってきてくれた水を一飲みするとサイドテーブルにグラスを置いた。
「ふぅ……。あの、由紀……もしかしてさ、昨日バーでボクに会った…?」
我ながら歯切れが悪い。聞きにくい事を尋ねる時はいつもこうだ。
「もぅ……そうじゃなきゃこんな朝早くから真ちゃんの家にいるわけないじゃない」
その後由紀は事の経緯を教えてくれた。酔い潰れたボクをタクシーで家まで送って自分も一旦自宅に戻った後、心配だからまたこうして朝に様子を見に来てくれたらしい。
「そうなんだ……カッコ悪いところを見せちゃったね。でも、本当にありがとう。このお礼は必ずするから」
「別にそんなのいいよ。それより、ホラ。朝ごはん作ったから冷めないうちに食べてね」
差し出されたお椀には湯気の昇る卵粥がよそわれていた。粥の上には梅干しがちょこんと乗せられている。さっきまで台所でこれを作っていたのか。
「調べたら酔った後にはこれが良いんだって。テーブルの上に置いておくね。……それじゃあ、真ちゃんの無事も確認したし、台所の片付けが終わったら家に帰るね」
「うん、ありがとう」
調理に使った器具を洗う由紀とたわいない話をしながら食事に手をつける。まだ多分に熱を持った粥を息で冷ましながら口に運んだ。由紀には何から何まで世話になっちゃったな……。本当に面倒見がいいというか、一人暮らしを始めてから由紀のありがたさが身に染みてわかる。ボクは本当に良い幼馴染を持った。
わりと早く食事を食べ切ってしまい手持ち無沙汰になったボクは、ベッドの側面に背をもたれた。
……ただ、ちょっと気になるのは由紀が何も尋ねてこないこと。酔い潰れたボクを見たなら「何かあったの?」と尋ねてくるものかと思ったけれど……気を使われているんだろうか?正直、晴菜との一件はボク自身整理ができてなくて、由紀にはまだ話したくないから助かるけど……。
その時、また夢に見た晴菜の姿が一瞬思い浮かんだ。押し倒されてボクに抵抗もせずに為すがままにされる晴菜。その顔が、ノイズがかったように束の間別の人間のものになる。
……由紀?
言葉が引き金になり、昨夜の断片的な映像が走馬灯のように瞼の裏を過ぎ去っていった。
廊下を誰かに支えられながら歩く
去ろうとする誰かの手を引いた
小さな悲鳴
誰かを離すまいと覆い被さる……
決定的なシーンは思い出せない。相手の鮮明な姿も記憶に無い。だけど…顔の見えない“誰か”の正体なんて1人しかいるわけがなかった。
あの生々しい夢は、夢であって夢じゃなかったんだ……。
晴菜との一件が頭から抜け落ちるほどショックを受ける。消えてしまいたい、と本気で願った。泥酔していたとはいえ、ボクは無理やり女性を襲ってしまったんだ……犯罪者と同じじゃないか……。
しかも、相手がよりによって由紀だなんて……。
家族同然の存在として一緒に過ごしてきた女の子。犬と男の人が苦手な女の子。ずっとボクの隣にいた、引っ込み思案だけど優しい女の子。
最近はマシになってきたとはいえ、まだまだ由紀は男に苦手意識がある。昔は由紀が男達に絡まれたりした時にボクが助けに入った事もあったのに……そのボクが由紀を強引に…してしまうなんて。
それに、男が苦手なんだから当然かもしれないけど、ボクの知る限り由紀に彼氏がいたという話は聞いた事がない。男性経験も無いはずだ。どんどん気分が沈んでいく。自分がしでかした事の重さに押し潰されそうだ。
女の人にとって初めての経験はどれほど大切なものなんだろう。由紀だって、初めては好きな男性とちゃんとした手順を踏んでしたかったはずだ……。
一体何をすれば罪が贖えるんだろう。この問題はボクの頭で考えられる範疇をとうに超えていた。ボクが由紀から奪ったものは、言葉やお金なんかで埋められるものじゃない。
由紀がボクに二度と近付いてほしくないと言うならボクは……
「真ちゃん」
考えに没頭していたところに声をかけられてビクッとする。
「もう食べ終わったんだね。ついでに食器も洗っちゃうから頂戴」
「あ…うん。ご馳走さまでした……」
食器を受け取って台所に戻ろうとする由紀に声をかける。
「由紀、あのさ……」
「ん?何?」
どうして君はいつもと変わらない表情をしていられるんだろう。
「……やっぱりなんでもない」
「? 変な真ちゃん」
不思議そうな顔をしてクスッと笑ってから由紀は台所に戻っていった。
昨夜のことを謝ろうと思って、やめた。由紀がそれを望んでないと思ったから。
由紀は何故ここにいる?なんでいつもと同じ様子を装ってる?ボクが強引にしている最中は無理だったとしても、その後出て行こうと思えば出て行けたはずだ。ボクと二度と会いたくないならそのまま離れればいい。
でも、由紀は今ここにいる。普段通りの接し方をしてくれている。それは、ボクと今まで通りの関係でいたいからなんじゃないのか?
都合のいい妄想だと言われても仕方ないと自分でも思う。でも、この状況を説明する答えがボクにはそれしか思い浮かばなかった。
目に涙が滲む。由紀は優しすぎるんだよ……。昨夜、由紀がどれだけ怖かったか、どれだけ辛かったか。その一部を想像するだけでも胸が苦しい。
それでも、ボクの隣にいる事を選んでくれたんだ。それほどにボクとの関係を大切に思ってくれていたんだ。
“いつもと変わらない表情”
よく見れば、そうじゃないのがわかる。正確に言えば“いつも通りの表情を演じている”が正しい。
表情の変化がほんの少しぎこちない。ボクの目をあまり見ようとしない。由紀は昔から嘘が苦手だったよね。サインにさえ気付いてしまえば、こんなにわかりやすい相手はいない。
由紀、ボクは何をすれば君に償える?借りが大きすぎて返せそうにない。だから、いつものように隣で考えさせてほしいんだ。いつか必ず君を本当の笑顔にするから。
壁を挟んだ向こうにいる由紀にそう誓いを立てた。
――この時、ボクの中での由紀の立ち位置が大きく変わっていたのだけど、その意味を知るのは生まれて初めて自分から女性に告白をする数週間前だったんだ。決して上手くいったとは言えないボクの告白に応えてくれた時の君の笑顔を、ボクはいつまでも忘れない。
(了)
54 : 以下、名... - 2016/02/28 16:16:18.62 V4B+uo100 52/52終わりです。
晴菜は由紀の気持ちに気付いていて応援したかったんだけど、自分の真への想いもありジレンマに悩んでいました。
その部分を書くと冗長になると思い書きませんでしたが、真視点だけだと描写不足が否めないですね。
書き終わってからふと(酔った側が犯すのも泥酔姦に含まれるのかな?)と疑問に思った。
女性が酔って犯されるのを期待して読んだ方がいたなら申し訳ない。
もし最後まで読んでくれた方がいたならありがとうございました。