1 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/22 16:12:57.68 FFb1ekh20 1/74

「俺のお嫁さんになってください」


それは、遠い昔の記憶。
まだまだ子供だった頃の2人が交わした、誰も知らない約束。

「俺はもう国に帰らなくちゃいけないけど――」

あの子と別れる日、私は泣きながら嫌だとワガママを言いました。
だけどあの子は私の指に、ハートの指輪をはめてくれました。その指輪は、あの頃の私の手には、かなり大きかったのだけれど。

「お揃いの指輪。これに誓って、絶対迎えに来るから――」

その言葉で私は涙をこすって、笑顔を作ったのです。

「迎えに来てね…ぜったい、絶対に!」


それが、私の初恋でした――



元スレ
姫「私の初恋と記憶の中の貴方」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1456125177/

2 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/22 16:13:23.43 FFb1ekh20 2/74

>中央国王宮、広間


「何だかワクワクしますね、お兄様」

兄王子「全く、お前は気楽なものだな…国の未来に関わることなのだぞ」

その日、広間には王家の一族が集まっていた。
その理由はというと――国で功績をあげている剣士を『勇者』として城に招いた為である。

数年前から、ここ中央国は魔王の国と争っていた。
戦争開始当初から数年は中央国が優勢だったが、1年前に魔王の国で王位交代が行われ、それから徐々に中央国は劣勢となった。
中央国の友好国も魔王の国に次々と制圧されていき、中央国の未来は危うい――そういう現状である。

「聞く所によると、勇者様って私と同じでまだ成人前だとか! お友達になれたらいいなぁ」

しかし平和な王都でぬくぬく暮らしてきた姫は、どこか能天気だった。
彼女は男ばかりの兄弟の中で紅一点なせいか、親兄弟からも家臣達からも大事にされている。そのせいか、楽天家で世間知らずなところがあった。

この緊張感に包まれている広間で1人能天気な姫に、兄は呆れつつも苦笑した。


兵士「陛下。勇者殿が来られました」

「うむ。入られよ」

王の呼び声と共に、広間に1人の男がゆっくり入ってくる。


「――」

その姿を見て、姫は言葉を失った。


3 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/22 16:14:12.95 FFb1ekh20 3/74

~回想~


「お花さん、こんにちは!」

まだ世の中が平和だった幼少期、私は城の近くの花畑へとよく足を運んでいました。
平原一面に広がる花の景色は、夢見る少女だった私の心をとらえる程に美しかったのです。

「…あら?」

「……」

「こんにちは!」

その日いつものように遊びに来た私は、珍しい先客に挨拶をしました。

大人しい顔立ちと黒く艶のある髪が印象的な、私と同い年くらいの男の子。
私の挨拶に対して静かに会釈した彼に、人見知りすることを知らなかった私は更に声をかけました。

「あなたはだぁれ?」

「俺は……ごめん、名前を言ってはいけないんだ」

それが、私と彼の初めて交わした会話でした。


4 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/22 16:15:47.34 FFb1ekh20 4/74

(綺麗な声だなぁ)

名を名乗れない…そんな彼の事情など二の次で、私は彼に興味津々でした。

(あ、わかった。この子、妖精の王子様だ)

人間の女の子に恋をした妖精の王子様は、人間に変身して女の子と仲良くなる。妖精の世界には掟があって、人間に妖精としての正体を知られてはならない…
当時読んでいた絵本がそんなお話で、私は彼がその王子様だと思ったのです。

(正体がバレたら王子様は罰を受けるんだわ。じゃあ知らないフリをしないと!)

(でも、妖精の王子様とお友達になりたいなぁ)

「?」

「あの、私とお友達になってくれませんか!」

「…俺が?」

「うん! 私は姫と言います、えぇと…」

彼を何と呼べばいいか…少し考えてから、私は彼の呼び名を決めました。

「よろしくお願いします、プリンス!」

プリンス「プリンス…。…うん、プリンスって呼んで!」

こうして私とプリンスはお友達になり、お花畑でよく遊ぶ仲になりました。


5 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/22 16:16:41.00 FFb1ekh20 5/74




「…というわけだ。我が国の軍で剣を振るってはくれまいか」

勇者「…御意」

どこか孤独な雰囲気を纏わせている勇者は、言葉少なめにそう返答した。
礼儀作法については無作法であるが、彼には国内で何十匹もの魔物を切り伏せてきた実績がある。

「とりあえず今日は城に足を運んだので疲れたであろう。城の客室で休むといい」

勇者「…では下がらせて頂きます」


勇者が広間から出た後、王子たちはざわざわ話を始めた。
思っていたよりも細身だとか、彼に頼っていいのだろうかとか、あまり良い印象は持っていない様子だ。

だが、その話の輪に入らず――

兄王子「姫?」

姫は広間から駆け出していた。


勇者「……」ツカツカ

「待って下さい!」

勇者「……ん?」

「プリンス…ですよね?」

勇者「……!」


6 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/22 16:17:08.65 FFb1ekh20 6/74

「あぁ…。間近で見て、やっぱり、と思いました。プリンスですよね?」

勇者「…まさか……姫、様?」

「やっぱりプリンスですね!」

あの頃よりも随分大人しくなってしまったものの、顔貌はあの頃の面影がある。
正体を妖精の王子と錯覚させたその声は、男らしさを含んで美しさに磨きがかかっていた。

「嬉しい! まさかプリンスにまたお会いできるだなんて!」ギュ

勇者「!! その、手……」

「あ…プリンス、でなくて勇者様、でしたね」ニコ

勇者「~っ……」

「? どうされました?」

勇者「も、申し訳ない……。その、そんなに可愛らしい笑顔を間近で見せられては…。その……」

「ふふっ。私はあの頃とあまり変わっていませんよ?」ニコニコ

勇者「…っ」

「…? 勇者様…もしかして迷惑でした?」シュン

勇者「い、いえいえ! まさか、そんなこと!」アワアワ

「そうですか! ふふ、良かったぁ♪」ニコーッ

勇者「~っ……」


7 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/22 16:17:54.96 FFb1ekh20 7/74

「懐かしいですね。覚えていますか? あの花畑…」

勇者「はい、確か…スミレの花が咲く花畑でしたね」

「えぇ、そうです。数年前、あの花畑の所に軍事施設ができてしまって…もう、あの場所は無くなってしまいました」

勇者「そうですか…それは残念ですね」

「でもこうして貴方と顔を合わせると、色々な思い出が蘇ってきます。あの頃は、楽しかったですねぇ」

勇者「す、すみません、姫様……」

「?」

勇者「その…すみません。あの頃の記憶は若干、曖昧なところがありまして……」

「まぁ。そんなこと気になさらないで。あれから力を蓄えて勇者になる程、色々なことがあったのでしょう? 記憶が色あせても仕方ありませんわ」

勇者「…かたじけない」

「そうだ勇者様、ならあれは覚えていらっしゃいま――」

兄王子「姫」

話が盛り上がってきた所で、現れた兄王子に静止された。

兄王子「そろそろ勘弁して差し上げろ。勇者殿はお疲れだ」

「あぁ! そうでした、大変申し訳ありません!」ペコリ

勇者「い、いえ! 貴方に頭を下げさせるわけには!」

「今日はどうぞ、ごゆっくりお休み下さいな。…あ、でも勇者様」

勇者「は、はい」

「また、色々お話しして下さいね♪ それでは」


兄王子「お前は本当、無防備だな」フゥ

「あらお兄様、彼はこの国を救って下さる方なのでしょう?」


勇者「……」ドキドキ

勇者「姫様、か……」


8 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/22 16:18:29.80 FFb1ekh20 8/74

>翌日


勇者「はぁーっ!!」

兄王子「――っ!」

訓練場にて、勇者と兄王子が剣の打ち合いをしていた。
王子たちの中で最も剣の腕に優れている兄王子は、決して手を抜いてはいなかったが…

兄王子「参った」

勝負は短時間でついた。
剣の腕に優れているからこそ、勇者との圧倒的な差に気付くのは早かった。


「きゃあっ、勇者様素敵ですーっ!」

勝負がつくと同時、姫は駆け出して勇者に差し入れのドリンクを渡した。

勇者「ひ、姫様……ありがとう、ございます」

兄王子「冷たいな姫、俺には何もないのか?」

「ごめんなさいお兄様、私は勇者様を贔屓しますわ」

兄王子「やれやれ」

姫は朝からこの調子だ。
朝食時は勇者にばかり声をかけ、勇者がどこに行くにでもついて回り、事あるごとに賛美の言葉を口にする。
この露骨なまでのアピールに、王子たちは苦笑するばかりであった。

勇者「…参ったな」

勇者はというと、クールな容貌に反し女慣れしていないのかタジタジである。
そんな勇者の素朴な一面は、同性として王子たちから好感を抱かれていた。


9 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/22 16:19:15.83 FFb1ekh20 9/74

「休憩時間ですか! 勇者様、城下町をご案内しますよ!」

兄王子「こら姫。勇者殿は訓練でお疲れなので、ゆっくり休ませてやれ」

「あ…。そうですね、すみません」

勇者「いえ…姫様のお誘い、嬉しく思います」

「絶対に私が案内しますから、お暇な時に声をかけて下さいね! あ、お疲れでしたら肩でも揉みましょうか!」

勇者「あ、その…」タジタジ

兄王子「本当に困った妹だ。勇者殿、すまんな」

「お兄様は意地悪ですー。向こうへ行って下さい」プクー

兄王子「やれやれ。勇者殿、困ったら逃げてこい」

そう言って兄王子はそこから立ち去る。
ようやく2人きりになれたことに、姫はニンマリした。

「…」ジー

勇者「……」タジタジ

勇者は視線を逸らしている。
この困った顔が大好きだ。剣を振っている時の勇ましさとのギャップにきゅんとくる。

自分はどうだろう。可愛い顔をできているだろうか。
歳の割に幼い顔がちょっとコンプレックスなのだけど、勇者はどう思ってくれているのだろうか。

(あ、そうだ!)

勇者との話の種にと、持ってきたものがあったのだ。


10 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/22 16:19:50.50 FFb1ekh20 10/74

「勇者様、これを覚えていらっしゃいますか?」

勇者「それは…」

姫が取り出したのは、ハート型の指輪だった。
昔の記憶が薄れているとはいえ、これまで忘れられていたら悲しい、とか思ったりして…。

「あの頃は大きかったのですけれど、ぴったりはまるようになりました! ほら!」

勇者「…大事に持っていて下さったのですね。……姫様に求婚とは、身の程知らずのことをしたものです」

「身の程知らずだなんて、そんな! 私、本当に嬉しかったのですよ!」

身分の違いだとか、国のことだとか、そんなこと当時の自分は何も考えていなかった。(今もどうか怪しいけれど)
好きになった男の子が、自分のことを好きになってくれた。それを嬉しく思わないはずがない。

「初恋の思い出を忘れられる程…私はまだ、大人ではありません」

勇者「……」

勇者の表情は複雑そうだ。その表情から心は読み取れない。

勇者「申し訳ありません、姫様」

「…っ」

だから頭を下げられた時は、はっきりフラれるのだと思った。
だけど――

勇者「実は、その…俺の方は、指輪を失くしてしまいまして」

「……」

だから、その言葉に拍子抜けしてしまって。

「…ふふ、気にしないで下さい勇者様。指輪を失くしても、思い出は無くなりませんもの」

勇者「…思い出……」

「えぇ。思い出、です」

勇者「…姫様、お願いしてもよろしいですか?」

「はい?」

勇者「お聞かせ頂けませんか、あの頃の思い出を。…もっと、思い出したいのです」

「えぇ! 勿論!」


11 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/22 16:20:43.60 FFb1ekh20 11/74

姫の中にある思い出は語り尽くせない程沢山あった。
おやつを2人で分けあって食べたり、花かんむりを作ってもらったり、大好きな絵本を読み聞かせてみせたり…。

勇者「そう言えば姫様は歌がお上手でしたね」

「むぅ。お歌なら勇者様の方がお得意だったじゃありませんか」

勇者「そう…でしたか?」

「えぇ。貴方の透き通るような美声に、当時の私は心地よさを覚えていたものです」

勇者「そうでしたか…」

「今もですよ。…勇者様のお声、大好きです」

勇者「!! こ、光栄です……」

勇者はまた赤面する。この反応が可愛くて、もっともっと褒め言葉をかけたくなる。

「勇者様は、もうお歌は歌いませんの?」

勇者「あ、まぁ…。人に披露するのは抵抗がありまして」

「まぁ、勇者様らしい」フフフ

勇者「…あの、姫様」

「はい?」

勇者「俺は…貴方の歌を聞きたいです」

「え、ええぇ」

姫は手足をバタバタさせた。

「は、恥ずかしいですよ~。歌うことは好きですけど、すぐに声が裏返ったり音を外したりしてしまって…私も披露できるほどのものでは」

勇者「それでも良いです。…駄目ですか?」

「え、えーと…」

参った。勇者にこういう風に言われては…

「…わかりました。お聞かせするので、笑わないで下さいね?」

勇者「えぇ。笑いませんよ」


12 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/22 16:21:19.11 FFb1ekh20 12/74

(…うぅ~…)

短い曲を歌ってみせたが、案の定数箇所で失敗してしまった。

勇者「…」パチパチ

(ああぁ恥ずかしい!!)

勇者はずっと静かに曲を聞いていて、失敗しても何の反応もなかった。
そこがまた逆に不安を煽ってくるのだけれど。

(もう駄目! やっぱり歌なんて披露するんじゃなかったー!!)

勇者「姫様」

「は、はいっ!!」

勇者「その…俺は歌のことはよくわかっていないのですが…」

言葉を続ける程、勇者の声は小さくなっていった。それに何だか、また顔が赤いような…。

勇者「そ、その…姫様……」

「…?」

勇者「…――好きです」

「!!」

勇者「!!」

勇者のクールな表情が崩れ、今度は勇者が手をバタバタさせた。

勇者「ち、ちちち違います! 姫様の歌声、俺とても好きです、って言いたかったんです!!」

「あ、その…でも、数箇所間違えてしまって……」

勇者「…その間違えた部分も、好きです」

「~っ…」

勇者「~っ…」

今度は2人して赤面してしまった。


13 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/22 16:21:51.10 FFb1ekh20 13/74

勇者「その、姫様…」

「は、はい!」

勇者「姫様のことは…昔から可愛らしい方、だと思っていましたが…――」

「…」ドキドキ

勇者「やはりこうして姫様とお会いして、お話ししてみると…姫様は本当に、本当に可愛らしい方で……」

「そ、そんな…」

勇者「お、俺は…姫様のことが、その…――」


兄王子「勇者殿ー」

勇者「!!!」

兄王子「休憩時間はとっくに終わって…おや、何か大事な話の最中だったかな?」

「いえいえいえ! 勇者様、お引き止めしてしまってすみません!! どうぞお戻り下さい!!」

勇者「は、はい! すみませんでした!!」

兄王子「?」


「……」

勇者「……」

勇者(どうしよう……)ドキドキ


16 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/23 18:28:09.55 VSAGJO1Z0 14/74

>風呂


「ふぅ~」


勇者『姫様のことは…昔から可愛らしい方、だと思っていましたが…――』

勇者『やはりこうして姫様とお会いして、お話ししてみると…姫様は本当に、本当に可愛らしい方で……』


(も~、改めてそんなこと言われると…)カアァ

(勇者様、昔より大分不器用になられたわ。子供の頃はもっと好意を真っ直ぐ伝えてきて下さったのに)

(…でも、その不器用なところが可愛いの)

(あぁ…ますます勇者様のこと意識しちゃいそう)


17 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/23 18:28:38.41 VSAGJO1Z0 15/74




「よくぞやったな、勇者よ!」

勇者「…いえ」

軍に入ってからというものの、勇者の活躍は目覚しいものがあった。
軍の一隊を率いて的確な指示を出し、魔王軍の隊を全滅させたり、制圧されていた砦を解放したり…。

兄王子「労いの言葉だけでは足りませんよ父上。勇者殿は本当に我が国に貢献してくれています」

「そうだな。勇者よ…お主に貴族の身分を与えたいと思うのだが」

勇者「!! そんな、俺には不相応な……」

「そんなことはないぞ。それに……」チラ


(勇者様…今日も素敵だわ…)ポー


「貴族の身分があった方が、色々と弊害が無くて良いぞ?」ニッ

勇者「な、なな何のですか!?」

「さて、何のかの~」ハッハ

勇者「~っ……」


18 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/23 18:29:19.15 VSAGJO1Z0 16/74

兄王子「勇者殿が貴族の身分を受け入れてくれるといいな、姫」

「あらお兄様。勇者様が来られた頃は、あまり好意的ではなかったではありませんか」

兄王子「まぁ…どこの馬の骨かもわからん奴に対しては、そう思うものだ」

「馬の骨ではありませんわ。…勇者様は魔王の国に家族を奪われたという話ではありませんか」

兄王子「あぁ。戦争のせいで不幸になってしまった者の1人だ」

姫は政治のことはよくわからないけれど、魔王の国との戦争は平和的解決にならないと聞いている。
何せ魔王は好戦的な上、こちらが降伏しようものなら容赦なく国を蹂躙するだろうという話だ。

兄王子「…勇者殿は、我々の希望だ」

「はい。必ず勇者様は、明るい未来を勝ち取って下さるでしょう」

兄王子「そうだな…お、噂をすれば」

「あっ」

バルコニーに出たところ、1人佇んでいる勇者を発見した。
兄王子は姫に「行け」と目で合図し、そこから立ち去った。


「勇者様ー」

勇者「姫様…」

「月を見ていらしたのですか?」

勇者「…えぇ、まぁ」

姫は勇者の隣に並ぶ。
隣にいる。それだけで胸がドキドキする。

――貴方の隣は気持ちがいい。貴方の隣が、私の1番好きな場所。

そんなことを思いながら、また顔がにやけてきてしまった。


19 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/23 18:30:28.08 VSAGJO1Z0 17/74

「お兄様が褒めていましたわ、勇者様。貴方のお陰で、国の未来は明るいでしょう…と」

勇者「…恐縮です」

勇者の反応はいつも通りクールなもので、姫は言葉を探す。
世間知らずは自覚しているので、褒めるにも的確な褒め言葉がよくわからない。
それでも――

「城の皆の表情が明るくなりました! これも勇者様が不安を取り除いて下さったからですね!」

下手くそな言葉ながらも、どうしても彼を褒めたかった。

勇者「いえ、俺だけの功績ではありませんよ。誰もがそれぞれ、この国を良くしようと頑張っているのです」

「あぅ」

その言葉でハッと気付く。
勇者を褒める為に、皆の頑張りを無視してしまっていた。それでは勇者も喜ばないだろう。

「私ったら…何ということを」シュン

勇者「いえ。俺を褒めて下さろうという姫様のお気持ちはありがたいものです。ですが…」

「…ですが?」

勇者「姫様には言葉よりも…笑顔を向けて下さることで、元気を頂きたいのです」

「まぁ勇者様ったら。お言葉が上手くなりましたわね」

勇者「…俺は社交辞令など言えませんよ。心からそう思っていますので」

「ふふ、そうですか」

勇者「姫様…その」

「はい?」

勇者「…笑顔を見せて下さいませんか」

「えぇ」ニコ

可愛い笑顔を見せられているだろうか。期待に沿えられてなかったらどうしよう。
そんな不安を隠し、勇者には今自分ができる1番の笑顔を見せる。

勇者「…時々、思います」

勇者の顔は憂いを帯びていた。

勇者「貴方の笑顔を、俺だけのものにしてしまいたい」

「――っ」


20 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/23 18:31:37.12 VSAGJO1Z0 18/74

勇者「…下らない独占欲です。そんなこと不可能だと頭ではわかっているのですから」

「く、下らないなんて、そんなことありません! 私だって…」

上手く言葉は出てこないけど。

「私だって…勇者様との時間をよく、独占していますから……」

勇者「……」

表情から感情が読めない。クールな人はこれだからずるい。
何か反応をしてくれないと、こっちが恥ずかしいままではないかと恨めしく思う。

勇者「――俺が〝プリンス”だからですか?」

「…え?」

勇者「貴方にはプリンスの思い出がある――だから俺を独占しようとして下さるのですか」

「…それは…――」


姫が返事をしようとした時だった。


兵士「姫様、勇者殿!!」

勇者「ん…どうした?」

兵士「魔王軍が首都に潜り込んでいた模様――西門が襲撃を受けました!」

「!!」

勇者「何だと…!!」


21 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/23 18:34:24.90 VSAGJO1Z0 19/74

報せを聞くと同時、勇者は西門に向かって駆けた。

勇者「姫様は安全な場所へ避難を!!」

「あ――」

返事をする前に勇者の姿は見えなくなる。
だが今は緊急事態だ。勇者を足止めさせるわけにはいかない。

兵士「姫様は地下へ! まだ城内に魔物は潜り込んでいませんが、油断はできません」

「わかりました!」

姫は兵士に従って、彼の後を急いでついて行く。
地下までそんなに遠くはない。心配は自分よりも、勇者の無事だった。

(勇者様、どうかご無事で――)

祈りながら駆ける。

あとはそこの角を曲がって、階段を降りるだけ――



そのはずだった。


兵士「が――っ」

「…――えっ!?」


22 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/23 18:35:03.20 VSAGJO1Z0 20/74

何が起こったのか理解ができなかった。

目の前で兵士が吹っ飛んだ――何で?
その光景は不思議とゆっくり見えて――兵士の体が地面に叩きつけられる前に、察した。

彼はもう、絶命しているのだと。

「ひっ…」

何? 何が起こった?
彼の命を一瞬で奪った「何か」がいる――それを恐怖しないわけがない。


――ようやく見つけたぞ

「…!!」

背後から声がした。
血の気が引いて、振り返ることもできなかった。


そもそも、振り返る必要もなかったが――


「……っ」

頭がクラッとした。
何事か考える前に姫の体はよろめいた。

「…――おっと」

倒れ込もうという時、誰かが姫の体を受け止める。

(だ…れ……?)


疑問は疑問のまま、姫の意識はそこで途絶えた。


「…迎えに参った。何者よりも尊き姫君よ……」


23 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/23 18:35:30.51 VSAGJO1Z0 21/74




勇者「ハアァッ!!」

急襲であるにも関わらず、勇者は焦ることなく魔王軍の者たちを次々と切り伏せていった。
勇者の勢いに乗り、中央国軍の士気は上がっていた。

兄王子「どうやら数ではこちらが上のようだな」

勇者「恐らく、我々に感知させない為に少数精鋭で来たものかと…はぁっ!!」

兄王子「…む、魔物達が少しずつ撤退していくぞ」

勇者「勝てない、と判断したのでしょうか。如何致しましょう」

兄王子「奴らを追う必要はない。それよりも負傷者の救護だ!」

負傷者はいたものの命を奪われた者はなく、兵士たちは歓声をあげた。
これは完全な勝利だ。誰もが、そう信じて疑わなかったが――

末王子「兄上!! 大変です!」

兄王子「どうした末王子、何かあったか」

末王子「あ、姉上が…」

兄王子「!! 姫がどうしたんだ!?」

末王子「それが――……」

勇者「…っ!!?」


24 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/23 18:36:01.51 VSAGJO1Z0 22/74




「姫君よ……」


ん――?


「姫君…愛しい姫君…――」


私を呼ぶのは、誰…?


「ずっと想っていた…――貴方に会いたかった」


貴方は――……



「勇者、さま……?」


25 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/23 18:37:51.90 VSAGJO1Z0 23/74

「…ん……」

目を覚ますと、見知らぬ場所にいた。
姫は玉座の上で眠っていたらしい。この部屋は、謁見の間にも見える。

「ここは……」

「お目覚めか、我が愛しの姫君」

「!!」

その声に振り返ると、壁に背を預けた1人の男がいた。
仮面で目元を隠した容貌がどこか不気味で、口元は笑みを浮かべている。

それは何の笑みか――あまり良い想像はできなかった。

「貴方は…? ここは、どこですか……?」

「あぁ、自己紹介がまだだったな。俺は…――」



魔王「俺は魔王。我が城へようこそ、愛らしき姫君」

「魔王…!」

初めて見る敵の王の姿に、姫は身震いした。


26 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/23 18:39:05.63 VSAGJO1Z0 24/74

「な、何故――」

魔王「うん?」

「何故…私をここに連れてきたのですか……」

震える声で尋ねる。
こんな敵地に、自分の意思で来るわけがない。気を失わされ、連れてこられた――そうに決まっている。

魔王「フ…」

「!!」

一歩、また一歩、魔王がこちらに歩み寄ってきた。
近づいてくる度にゾクッとしたものが全身を走り、逃げようとした。だが――

「きゃっ!!」

あっけなく手を掴まれる。
魔王は姫の頬に触れ、こちらを向かせた。口元は相変わらず笑みを浮かべている。

その目で私を見ているの…? どんな目で私を見ているの…?

恐怖で震える姫に、魔王は優しく囁く。

魔王「――貴方が、欲しくなった」

「っやああぁ――っ!!」

怖くて、おぞましくて、姫は魔王の手を振りほどいて駆け出した。

「…あっ!」

だが気持ちが早まりもつれた足で、つまずいてしまった。
そんな姫に、魔王はゆっくり、焦らすように近づいてくる。

立ち上がれずに後ずさりするも、姫はすぐに壁に追い込まれてしまった。

(い、いや…助けて……)

姫の頭に色んな人達の顔が浮かぶ。
厳しくも国想いの父、聡明で淑やかな母、優しい兄弟達、それに――

「助けてえぇ――っ、勇者様ぁ――っ!!」


27 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/23 18:39:44.09 VSAGJO1Z0 25/74

側近「魔王様」

魔王「…どうした」

そこへ側近風の男が訪れ、魔王は足を止める。
楽しみを邪魔されたせいか、どこか面白くなさそうだ。
だが側近は淡々と答えた。

側近「勇者殿が、単身で城に乗り込んで来ました」

魔王「ほう…」

「! 勇者様が!!」

その報せを聞いて姫の心に光が射した。
勇者が助けに来てくれた。この忌まわしい場所から自分を連れ出しに!

「勇者様、勇者様あぁ――っ!!」

姫は駆け出し、側近を押しのけ部屋を出た。


側近「…追わないのですか?」

魔王「追う。しかし、そうか……」

魔王はそこで言葉を止め、早歩きで姫の後を追った。
その後ろ姿を見送り、側近は悩ましげに呟いた。

側近「……厄介なことになりましたね、魔王様」


31 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/24 17:59:04.85 MU0upA8X0 26/74

勇者「姫様! 姫様はどこだぁ!!」

単独乗り込んできた招かれざる客に、魔王軍の者たちは一気に襲いかかったが――

勇者「はあぁ――っ!!」

勇者はそれらを切り伏せた。
圧倒的な技量を持つ勇者を前にして、魔王軍の者たちは怯む。

勇者「姫様を返せ! でないとお前たちも同じ目に遭わせるぞ!」


「勇者様ぁ!」

勇者「…! 姫様!!」

騒ぎの音を頼りに駆けていた姫は、勇者の姿を見つけた。

「勇者様、勇者様あぁ――っ!」

勇者へと一直線に駆ける。

貴方は来てくれた。私を助けに来てくれた。
今すぐ貴方を抱きしめて口づけを交わしたい――こんな時にそんなことを考えてしまう私でごめんなさい。
だけど、私は貴方が――


魔王「…感動の再会、邪魔して悪いが」

「!!」

姫と勇者の間に突如、黒い霧が発生し、そこから魔王が現れた。
まるで2人を遮るように――というか、事実、そうなのだろう。

勇者「魔王……っ!!」

勇者は憎しみを隠すことなく魔王を睨みつける。

魔王「何をそんなに怒っているのかな、勇者殿?」

勇者「…姫様を返してもらう!!」

不敵に笑う魔王を無視し、勇者は駆け出した。


32 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/24 17:59:32.10 MU0upA8X0 27/74

勇者「はあぁっ!!」

剣と剣が合わさる。
勇者の渾身の一擊を、魔王は余裕で受け止めた。

魔王「焦りが見えるな?」フッ

勇者「…っ!」

その言葉で勇者は一旦呼吸を整え、再び魔王に剣を振り下ろした。

魔王「そう、そうだ…。クク、やるではないか勇者? やはりお前の剣はこうでなければな…――」

勇者「…口よりも手を動かしたらどうだ」

状況は勇者が攻め込む一方で、魔王は守りに集中している模様。
余裕な口ぶりに反して、勇者の方が優勢に見える。

(勇者様、そのまま…!)

勇者の集中を乱さぬよう、声を出さずに祈る。
勇者は絶対に負けない――そう信じていた。

勇者「はぁ――ッ!!」

「!!」

勇者の剣が魔王の首を狙う。
魔王の剣は――動きが追いついていない!

(勇者様――っ!!)



ずしゃ、と肉を切る音がした。


――ばたり


「――えっ?」


その場に倒れたのは、勇者の方であった。


33 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/24 18:00:16.14 MU0upA8X0 28/74

魔王「お前は真っ直ぐすぎる…もう少し、俺を疑うことをした方がいい」フフン

「あっ…」

魔王の影から黒い人影が現れ、その人影は手に血が滴る剣を持っていた。

「やりました、魔王様…」

魔王「よくやった…ククク」

「ひ…卑怯者!」

命懸けの戦いで卑怯も何もあったものではない。ましてや、邪悪なる魔王ならどんな手だって使うだろう。
そう頭でわかってはいたが、姫は何も言わずにはいられなかった。

魔王「…さて、姫君」

「!!」

魔王がこちらを向く。視線に囚われた姫は硬直した。
想像がついてしまう。魔王が何を思っているのか、仮面に隠された目でどんな風に見ているのか。

(やめて――勇者様以外の人が、私にそんな目を向けないで――……)


勇者「…っ、魔王……っ!!」

「勇者様!!」

魔王「…おや、生きていたか。しぶとい奴だな」

勇者「く…姫様に手を出したら…許さないからな……!!」

魔王「…やれやれ。敗者の分際で何をほざくか」

魔王はフン、と小馬鹿にしたように笑うと勇者に近づいていき――剣を抜いた。

魔王「その姫君への執着ごと、お前の命を消してやる」

「!!!」

姫の血の気が引いた。


34 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/24 18:00:41.20 MU0upA8X0 29/74

「やめてえぇ――っ!!」

姫はとっさに駆け出していた。
そして勇者の喉元に剣を突きつけている魔王に掴みかかる。
それで周囲の魔物たちは殺気立つが、そんなもの気にしていられない。

「やめて!! 勇者様を、殺さないでっ!!」

喉が潰れそうな位に大きく叫ぶ。きっと自分の顔は必死な形相を浮かべているだろう。だけど、なりふり構っていられなかった。
勇者がやめるように言っているような声が聞こえた気がしたが、それすらも意識の外だった。
もし勇者を殺すなら、自分が魔王を殺してやる――今の姫は、それ程の気持ちでいた。

魔王「……」

魔王の口元から笑みが消える。
何を考えているのかわからない。余りにも滑稽な姿に笑う気すら失せたのかもしれない。

だが、魔王は剣先をスッと引いた。

魔王「…――そんなに勇者の命を助けたいか」

「えぇ!!」

魔王「…そうだな、なら取引をしよう」

「取引…――?」

魔王「そうだ。条件は…――」


魔王「俺の妻になるのだ。そうすれば、勇者の命は助けてやろう」

「!!」

勇者「な…――っ!!」


35 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/24 18:01:12.82 MU0upA8X0 30/74

(い、いや……)

魔王の言葉を聞いた瞬間、姫の中でおぞましいものが広がった。
勇者以外の男に女として見られただけでもあんなに嫌だったのに、ましてや妻になるなど…――

勇者「姫様!! そのような取引、受けないで下さい!!」

今度は勇者の方が必死になって叫んだ。

勇者「貴方は自分の意思で選ぶべきだ! 俺の命など…――」


だが、そんな勇者の叫びが――


「…わかりました」

勇者「!!」


かえって姫の頭を冷やし、決断をさせたのだ。


「貴方の妻になります。ですから、勇者様の命は助けて下さい…」

魔王「クク…聞いたか勇者。姫君は俺の妻になるそうだぞ?」

勇者「姫、様……」


全ては、本当に愛する人を守る為…――


(私を助けに来て下さった勇者様を、死なせるなんてできない!!)


36 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/24 18:01:46.76 MU0upA8X0 31/74

魔王「おい」

側近「はっ」

魔王「そいつを地下牢に放り込め。一応、治療はしておいてやれ」

勇者「姫さっ…――んぐっ!!」

魔王軍の者たちが勇者に群がり、猿轡を噛ませる。
あっと言う間に全身は鎖で拘束され、勇者は引きずられるようにその場から連れ去られた。

その場に残ったのは、姫と魔王の2人のみ…――

「……」

魔王「我が愛しの姫君よ…――」

「~っ!!」

魔王は姫の正面に立ち、髪をそっと撫でた。
ぞわっと全身に鳥肌が立つ。手を振り払って口汚く罵ってやりたい気持ちだった。

(だけど、そんなことしたら勇者様が……)

魔王「誓おう、姫君よ…」

「っ!」

魔王に手を取られた。そして魔王が指にはめてきたのは…――


魔王「俺は永遠に、貴殿を愛すると誓う…――」

(これは…)


あの、プリンスとの思い出の指輪だった。


37 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/24 18:02:17.45 MU0upA8X0 32/74

いつの間にこの指輪を持ち出したのだろうか…というのはこの際どうでもいい。
それよりも、こんな男にこの指輪をはめられて、姫の中に憤りが生まれた。

(思い出を汚されたような気持ちだわ…)

魔王「さて…俺にはまだ、やることがあるのでね」

魔王はそう言うと、階段の方を指差した。

魔王「そこを上がって、赤い扉の部屋で待っているがいい。…俺の、私室だ」

「…っ」

この男に逆らえないのが逐一悔しい。
それでも、姫にはどうすることもできなかった。

「…失礼しますっ」

魔王「愛想のないことだな。もっと可愛らしく言えるだろう」

姫は足を止めた。
表情も声も作ることは簡単だ。だけど、この男にそんな顔を見せてやるのは癪だ。

「…それはご命令でしょうか?」

声色は冷たかった。
命令でなければ笑いかけてもやらない。そんな意味合いを含めたせめてもの拒絶。

無意味だと、わかっていたが――

魔王「…っ」

「…?」

魔王は胸のあたりを抑えた。奥歯を噛んで、何やら苦しそうだ。

魔王「…何でもない、先に行け」

「え、えぇ……」

戸惑いながらも姫はその場を立ち去った。
姫の姿が見えなくなると、魔王は壁にもたれかかった。


魔王「…ハァ、ハァッ」

魔王「ぐ…こんな時に、か……」


38 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/24 18:02:52.16 MU0upA8X0 33/74




「……」

襲撃があったのは月の出る晩で、勇者が助けに来てくれたのは夜明けだった。
今また日が沈み、連れ去られて1日が経とうとしていた。

(お父様、お母様、みんな……)

故郷に残っている家族たちは今頃心配しているだろう。
彼らを思い、姫は時折涙した。

(勇者様が捕らわれてしまった今、私を救い出してくれる人などいない…。逃げられたとしても、勇者様を残して行けない)

魔王の妻なんて嫌だ。望んでなったわけじゃない。
だけど勇者の命を引き換えにされては、悪魔の取引を呑むしかなかった。

(耐えるのよ…これも、勇者様の為……)

魔王「遅くなったな」

「!!」

決意をした次の瞬間戻ってきた魔王に、姫はビクッと跳ね上がった。

魔王「待たせたな、我が妻よ」

魔王はゆっくり近づいてくる。
その姿は玉座で目を覚ました時同様、焦らすようにゆっくりで、姫はじわじわ恐怖を覚えていた。

「う、ううぅ……」ガタガタ

魔王「怯える必要などない。俺は貴殿を愛する者…――」

魔王はそう言って、姫の体を抱きしめた。
抱きしめる力は優しくて、それがかえって下心を隠しているようで――いっそこのまま絞め殺された方がマシに思えた。


39 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/24 18:03:26.42 MU0upA8X0 34/74

(い、いや……)

魔王の手は姫の髪、首筋、背中をゆっくり滑っていく
抵抗できないにせよ、姫の頭の中にははっきりとした拒絶があった。

(勇者様以外の男性に、触れられるなんて…――)

嫌な手。嫌な感触。嫌な視線。嫌な男。
全てが嫌で、嫌で嫌でいやで――……

魔王「……?」

それが伝わったのか、魔王は一旦体を離して顔を覗き込んできた。
だが、かえって姫は逆上した。こんな男に、心を読まれたくない…――

「…お好きなようにすればいいでしょう」

だから、吐き捨てるように言った。

(私はこれから、この男にいいようにされるだけ…)

そこに自分の意思はない。
もう自分は勇者と添い遂げることができない。だったら、せめて――

(勇者様を救う…それだけの為に私は生きる…!)

魔王「……」

姫の覚悟に気付いたのか、魔王はしばらく姫の様子を伺っていた。


40 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/24 18:04:00.15 MU0upA8X0 35/74

魔王「…ん」

ふと、魔王が何かに気付いた。

魔王「その指輪…外していなかったのだな」

「え…っ」

魔王の声は意外そうだったが、姫にとっては当然のことだった。
これを魔王の手ではめられた時はおぞましく思ったものだが…。

「…えぇ」

魔王は嫌がらせのつもりではめてきたのかもしれないが、今の自分にとっては心の支えだ。
だって、この指輪は――

「私の…――愛、そのものですから」

勇者との、愛の形なのだから――…

魔王「……」

「……?」

魔王の雰囲気が変わった。
表情は相変わらず仮面に隠されて見えないが、それでもなお「表情を失った」ように見えて――

そう思った瞬間、

「…あっ!?」

魔王「……来るがいい」

魔王に腕を引っ張られ、姫はそこから連れ出された。


41 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/24 18:04:30.84 MU0upA8X0 36/74

>地下


「……」

薄暗い地下の廊下を歩く。少し肌寒く、居心地は良くない。
魔王はずっと無言だ。これからどこに連れて行かれるのか怖かったが、聞くのも怖かった。

魔王「…おい」

「えっ?」

一瞬、自分に声をかけられたのかと思った。だが違った。
魔王が声をかけたのは、鉄格子の向こう――

「…――っ!」

その姿を見ただけで、姫は興奮した。

「勇者様、勇者様ぁっ!!」

勇者「!! 姫様……」

鉄格子を背中にしていた勇者はガバッと振り返る。
勇者もまた、姫の姿を見てその目には歓喜が浮かんでいた。

姫はとっさに勇者に駆け寄った。
だが――

魔王「そうはさせん」

「っ!」

魔王に手を掴まれる。そして――

魔王「勇者、よく見ておけ…」

勇者「…!? 何をする気だ、魔王…!」

魔王「姫君はもう…俺のものだ!!」


「――っ」

姫の唇は、一瞬にして魔王により奪われた。


42 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/24 18:04:58.09 MU0upA8X0 37/74

「~~っ!!」

ショックを受ける以上に頭が混乱していた。
そうしている間にも魔王は唇を離した。そして…

「あっ!!」

姫の体は、鉄格子に押し付けられた。
その格好はまるで――見せつけるようで。

勇者「魔王、お前! 姫様に何をするつもりだ!!」

魔王「ククク…勇者、お前は姫君を愛しているのだろう……」

勇者「何をするつもりだと聞いている!!」

魔王「こういうのも面白いのではないか…」


魔王は背後から姫の頬を撫で、首筋に舌を這わせた。

魔王「姫君が純潔を散らす様子を、その目で見るがいい…!」

「!!」

勇者「な…っ!?」


43 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/24 18:05:32.10 MU0upA8X0 38/74

「――っ、やめてぇ、それだけはやめてええぇ――っ!!」

拒絶の言葉を迷わず叫んだ。
魔王の妻になった以上、操を奪われるのはある程度覚悟の上だった。

だけど、これだけは――

「いや、いやっ!! 勇者様の前では嫌ああぁっ!!」

愛する男の前で、他の男に奪われるなんて耐えられない。
だというのに――

魔王「クク…興奮させるではないか、姫君よ……」

「…――っ!!」

その声はまるで悪魔だった。体を押さえつける手は緩むどころか、ますます強くなっている。
先ほどまで見せていた優しさはやはり偽りで、やはり嗜虐的に楽しんでいるのだ。

「いやあぁ、許して、やめてええぇ――っ!!」

なりふり構わず姫は泣きじゃくる。
こんなのは死ぬより辛い。ならいっそ、勇者と共に…――

勇者「…姫様ぁ!!」

「――っ」

そう思った時だった。

魔王「…何のつもりだ?」

鉄格子から腕を出した勇者は、姫の首に手を回していた。
余裕がないのか、その手はどこか乱暴ではあった。
だが勇者はそれ以上に粗暴な目で、魔王を睨みつけ――

勇者「…そうなる位なら、俺の手で姫様を殺すぞ……!!」

「…――!!」


47 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/25 19:53:21.41 G0Daz8xV0 39/74

魔王「…正気か?」

勇者「あぁ。…正気だ」

両者は姫を隔てて睨み合っていた。
その睨み合いが長く感じて、まるで時が止まったかのような錯覚を覚えた。

「…ゴホッ」

首が苦しくなって咳き込んだと同時、時が動き出した。

勇者「ひ、姫様! も、申し訳ありません!!」

魔王「……仕方ないな」

「え……?」

魔王はこちらに背を向けた。
まさか、本当に諦めたと言うのか…。

魔王「興が冷めた。…俺はもう寝る」

「あ、え……」

間に受けたわけではないが、少しホッとした。
しかし、途中で魔王は足を止めた。

魔王「…お前はそれでいいのか、勇者」

勇者「……」

(え……?)

魔王「……沈黙は肯定と受け取ろう。お前らしい選択だ…だが、ひとつ言わせてもらう」

そう言って魔王は勇者の方を向き――

魔王「――この、卑怯者が」

勇者「……!!」

「え、えっ…?」

そう言い捨てると、魔王は立ち去っていった。


48 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/25 19:53:49.42 G0Daz8xV0 40/74

勇者「……」

そこには勇者と姫が取り残された。
勇者は沈黙している。浮かべている表情は、ひどく緊張していた。

「あ、あの……?」

姫は恐る恐る声をかけた。すると――

勇者「……姫様っ!!」

「――っ」

突然、強引に唇を塞がれた。
隙間から漏れる勇者の吐息は荒れていた。奪うような荒々しい口づけは、ロマンスからかけ離れていた。

「ん、んぐぐっ…」

姫の苦しい声に気付いたのか、勇者は唇を離した。
だが今度は、姫の体をぎゅっと強く抱く。

「ゆ、勇者様…」

勇者「…忘れて下さい」

「え…?」

勇者「あの男の口づけを忘れて下さい!! 貴方が忘れるまで、俺は何度でも口づけします!!」

「!!」

はっきり感じた。勇者は、余裕を失っていた。


(――あぁ、そうなんだ)


だけど、それがちょっと嬉しくて。


「…えぇ、忘れますとも」

姫は鉄格子に手を通し、勇者の頭に手を回す。
包み込むように勇者を抱きしめる――それはずっと、勇者としたかったこと。

「愛しています…――勇者様」

勇者「姫様…っ!!」


49 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/25 19:54:22.59 G0Daz8xV0 41/74

勇者は姫を抱きながら涙を流す。
それが何の涙なのか、姫にはわかる。

「勇者様…ご心配なさらずに。例え何をされようと、私の心は貴方だけのもの…」

勇者「心だけでは、足りないのです…!!」

勇者の声は掻き消えそうに弱々しかった。

勇者「貴方の唇も、体も、視線も、髪の毛の一本も…――他の男に渡したくない!! 俺は、貴方の全てが欲しい!!」

(あぁ…――)

姫は喜びで震えていた。
彼の言葉は、こんなにも自分を満たしてくれる。


捧げたい、彼に全てを。だけど、それは許されないから…――


「…殺して下さい、勇者様」

勇者「――っ!!」

「私…嬉しかったのですよ?」


他の男に奪われる位なら殺すとまで言ってくれた彼の気持ちが。
それほどまでに自分は愛されていた。愛する人に、愛されていた。

「いいですよ私…――貴方になら」

勇者「……っ」


50 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/25 19:54:49.90 G0Daz8xV0 42/74

勇者「…それはできません」

「…勇者様……?」

勇者の体から力が抜けていった。
どうしたのだろうか。先ほどまでの勇者とは、まるで様子が違うが…。

勇者「姫様…中央国の軍が、城の西側に潜んでいます」

「え?」

勇者「今の内にお逃げ下さい…俺はどうなっても構いませんから」

「そんな!!」

姫は抗議の声をあげた。
勇者の命を救う為に魔王との取引を呑んだというのに、そんなことができるものか。

「勇者様と一緒でないと嫌です! 私は死ぬ時も勇者様と共にいるつもりでいます!」

勇者「…俺などに…――」

「……え?」

勇者「貴方を愛する資格は、ないのです…――」

「…? どういうこと、ですか……?」

しかし勇者は何も答えてくれないばかりか、視線を合わせてもくれなくなった。

(勇者様…魔王に敗れたからこのような状況に追い込まれたのだと、自分を責めているのですね)

返事のこない挨拶をし、姫はその場から立ち去った。
今はどんな言葉も勇者の慰めにならないだろう。それよりは――

(どんなことをしても、私は勇者様と共に国に帰るわ…!)

その為には、心を強く持たねばならない。
死ぬ、なんて選択肢はこの際捨てる。

(絶対に、私は諦めない!)


51 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/25 19:55:30.14 G0Daz8xV0 43/74

「おはようございます、魔王様」

魔王「…あぁ」

翌朝、姫は魔王に愛想よく振舞った。
昨日のことがあったせいか、魔王の方がポカンとしていた。

「側近様にお聞きました。今日もお忙しいのでしょう?」

魔王に上着をかけ、襟元を正す。
勿論、本意でやっていることではない。

(油断させる為よ……)

感情は表情には出さず、笑顔を向ける。プライドなど捨てた。
それにしても、慣れないことをすると手元がどうももつれるというか…。

「あっ?」

じれったくなったのか、魔王は自分で襟元を正した。
しまった、印象を悪くしたか…姫はそう思ったが。

魔王「…ふっ」

「?」

魔王「不器用な所も可愛いものだな、姫君よ」

「…っ!!」

魔王の反応は予想外に、穏やかなものだった。

魔王「食事に行くぞ」

「え…えぇ」


52 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/25 19:56:03.82 G0Daz8xV0 44/74

どういうわけか、魔王は食事中もご機嫌だった。
城の料理は口に合うか、姫君は何が好きだ、なんて聞いてきたりして。

(…何を企んでいるのかしら?)

魔王「そうだ。ここにいる間、暇だろう」

「え…? え、えぇ」

魔王「私室の隣に俺の書斎があるから、そこで暇を潰しても構わない。物語の本なども揃っているぞ」

「はい。では使わせて頂きます」

勿論、大人しく待っているつもりはなかった。



(あそこから城の外に出られるのね…)

魔王が出掛けた後、姫は城内を散策していた。
意外なことだが、城内にいる者は姫の行動に目を光らせている様子はない。

(きっと勇者様を人質に取っているからね)

それならせいぜい油断していればいいと、姫は気にしないことにした。

(この部屋は…武器庫!)

(どれも大きくて重たそう…)

扱うどころか、コッソリ勇者に渡すのすら難しそうだ…と思ったところで、姫はあるものを見つけた。

(ナイフ…武器としては心もとないけど、これなら)

ナイフを手に取ると、懐に入れた。


53 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/25 19:56:55.77 G0Daz8xV0 45/74

(この城の構造は大体覚えたわ…。早めに戻ろう)

姫は書斎へと足を運んだ。本当に本を読んで時間を潰すつもりではなく、あくまで「言われた通りにしていました」というポーズの為だ。

(私でも読めそうな本も沢山ある…魔王も難しい本ばかり読んでいるわけではないのね)

と、ふと本棚に並んでいる一冊の本が目にとまり、姫はそれを手にとった。

(これ…妖精の王子様の本だわ)

人間の女の子に恋をした妖精の王子様は、人間に変身して女の子と仲良くなる。妖精の世界には掟があって、人間に妖精としての正体を知られてはならない…
その物語が好きだった自分は、勇者をその王子様だと思い込んでいたのだ。

(そんなわけないのだけれど…でも、そうだったら素敵よね)フフ

(でも本当に懐かしいなぁ…)ペラペラ


魔王「帰ったぞ」

「きゃあぁ!?」

本に夢中になっていた姫は、魔王が入ってくるのに気付かなかった。

魔王「すまない。驚かせるつもりはなかったのだが…」

「い、いえ! お帰りなさい!」

魔王「そんなに夢中になって何を…。む、妖精の王子の本か」

「はい…。あの、私の好きな物語で…」

魔王「確かに名作だ。だからこそ子供向けの児童書にも、大人向けの書籍にもなっているのだろう」

「そうですね」

よく両親や兄から読み聞かせをしてもらって、自分も弟たちに読み聞かせをしたものだ。

魔王「だが、読んでいて苦しい所もある」

「苦しい…ですか?」

魔王「妖精の王子が恋した少女の父親は、娘を高い身分の者に嫁がせたいと思っていた」

「そうですね。…自分の素性を隠さないといけない妖精の王子様は、父親の反対に合う」

魔王「自分の素性を明かせぬ苦しみ、自分の好きな相手に好きと言えぬ苦しみ…それを思うと、苦しい」

「……」

魔王の言うことはわかるが、魔王にそれを言う権利はあるのかとも思う。
自分は魔王に連れさられ、愛する人達と引き離された。だから魔王の言葉が、ひどく白々しいものに聞こえた。

魔王「晩餐へ向かおうか。今日は姫君が好きだと言っていた鴨肉を調理させている」

「…ありがとうございます」ニコ

だが、それなら自分も白々しく振舞ってやるだけだ。
姫はすぐに思考を切り替えた。


54 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/25 19:57:40.57 G0Daz8xV0 46/74

>夜


「……」

ベッドに臥床し、暗い部屋で1人考える。
結婚初夜から魔王の提案で寝室は分けてある。
同じベッド、いや同じ部屋というだけで安心して眠れないであろう姫にとっては有り難い提案だが…。

(…どういうことなのでしょう)

昨日は「興が冷めた」という理由で、そのまま手は出してこなかった。だから今晩は…と思ったが、今日も魔王は早めに休んだ。
だが日中の態度からして、姫に興味が無くなったとも思えない。

(…でも……)


魔王『姫君が純潔を散らす様子を、その目で見るがいい…!』

魔王『クク…興奮させるではないか、姫君よ……』


「…」グッ

姫はあの時の恐怖を忘れていない。その記憶だけで、魔王が見せた優しさなど偽りであると吹っ切れる。
きっと、自分を油断させておいて、もっとひどいことをする気だ。だから、魔王に期待なんてしない。

(…勇者様は、大丈夫かしら……)

手に入れたナイフを渡しに行きたいが、勇者に会いに行く言い訳が思い浮かばない。
自分と勇者が恋仲だったことは魔王も知っているだろうし、会いに行けば不貞を疑われて当然だろう。

(どうすれば…)

答えが出ない考えを巡らせながら、頭はいつの間にか眠りに入っていた。


55 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/25 19:58:12.63 G0Daz8xV0 47/74

しかし翌日、思わぬ事態が起こった。

魔王「…勇者が手首を切っただと?」

「!?」

側近「はい。食器の破片で手首を。幸い、食器を割る音に気付いた者が止めに入り…」

魔王「それで、今、勇者は?」

側近「再び自傷せぬよう拘束しております」

魔王「自害か…まさか、そのような行為に及ぶとはな……」

「……」

きっと姫の為だ。
自分がいては、姫は逃げ出せない――勇者は、そう思って自害しようとしたのだ。

(貴方が死んでは、私は希望すら見失います…!!)ジワ

魔王「……」

魔王「姫君よ」

「は、はい!」

魔王「勇者に会いに行ってやれ」

「…えっ!?」


56 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/25 19:58:44.91 G0Daz8xV0 48/74

勇者に自害されては、姫も後追いしかねない――理由はそんな所だろう。
ともあれ姫は勇者との面会を許され、急ぎ足で地下道を駆けていた。

「勇者様!!」

勇者「!」

勇者はすぐにこちらに気付いた。
自害防止の為か、体を壁にくくりつけられ、猿轡をはめられている。その為、姫を見ても声を出せずにいた。

(何て痛ましいお姿…)

姫は心を痛める。
自害をはかる程に勇者は心を病んでしまったのだ。それも全て、魔王のせいだ。
痛ましい勇者の姿を見て、姫は改めて魔王への憎しみを募らせた。

「話はお聞きしましたわ、勇者様。…苦しまれたのですね」

勇者「……」

「貴方は私なんかよりも、余程お辛い立場にいらっしゃいます。ですから…早まったことを、などとは言いません」

勇者「……」

「だけど、覚えておいてほしいのです。…貴方が死ねば、私は苦しい」

勇者「……」

「もう、私を置いて死のうなどとしないで下さい…。お願いします、勇者様」

勇者「……」

勇者「……」コクリ

(わかって下さったわ…)ホッ


57 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/25 19:59:13.80 G0Daz8xV0 49/74

「そうだ勇者様。このようなものを見つけまして」

勇者「……?」

「ほら、妖精の王子様の本です。有名なお話なので、勇者様もご存知でしょうか?」

勇者「……?」コクリ

「…あぁ、勇者様にお話したことがありませんでしたね。私は昔、貴方がこの王子様だと思っていたのですよ」

勇者「……!」

「人間の世界にやってきた妖精の王子様…そう思って“プリンス”と呼ぶようになったのですよ」

勇者「……」

「妖精はお歌が上手なんですってね。貴方は昔から美声だったので、私もそう思ったのかもしれませんね」フフ

勇者「……」

「だけど今思うと、本当に子供らしい発想ですよね。だって勇者様と妖精の王子様は共通点が全く…」

勇者「……うぅ」

「え?」

勇者からくぐもった声が発せられた。
猿轡を噛まされているせいで何を言っているかはわからない。
考えていると、勇者はバッと向こうを向いた。

「…勇者様……?」

勇者「んっ、んーっ」

この様子は、もしかして…。

「…拒絶……ですか?」

勇者「……」

「私は…ここにいない方がいいですか?」

勇者「…………」コクリ

「…そうですか」

ショックでないと言えば嘘になるが、勇者にも色々思う所があるのだろう。
それに、もう自害しないと約束してくれた。でも万が一のことがあっては困るので、ナイフは姫が持っていることにした。

「わかりました。……また来ますね、勇者様」

姫は大人しくその場から去った。


58 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/25 19:59:40.82 G0Daz8xV0 50/74

「……?」

地下から上がってくると、魔王の姿があった。
だが、何か様子がおかしい。顔に汗を浮かべているが…。

魔王「フゥ……ッ」

「…魔王様?」

魔王「……っ!!」

「どうされました……?」

魔王「何…でも、ない……」

「……?」

魔王は姫を拒絶するようにそこから立ち去っていった。
今日はよく拒絶される日だ――そう思った時、姫は壁に赤いものを見つけた。

(きゃっ!! ……血?)

まだ乾いていない血だ。大きさは大体、拳くらい。

(何が、あったのかしら……?)


不思議に思ったが、その日もそれ以上変わったことはなく終わった。


63 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/26 19:26:15.38 3ajRtsRv0 51/74




(はぁ…どうしよう)

魔王はここ数日城を空けているので、行動するチャンス…ではあったが、魔王不在とはいえ、そう簡単に勇者を連れて逃げ出せるわけもなく、姫は途方に暮れていた。

(魔王から許されたとはいえ、頻繁に勇者様に会いに行くわけにはいかないし…)

勇者の自傷行為はもう止んだのか、拘束は解かれていた。
それでも勇者には覇気がない。陽の光を浴びずにあんな所に閉じ込められては、気も滅入るだろう。
それでも、姫がにこやかに笑顔を向けた時には、わずかに笑みを浮かべてくれる。

(何としても、勇者様のあの笑顔を守らないと!)

勇者が浮かべるわずかな笑みが、姫の心の支えでもあった。


魔王「戻ったぞ」

「あ…お帰りなさい」

魔王「これ、土産だ」

「え?」

姫は魔王から便箋を受け取った。
折りたたまれた便箋を広げると…。

「…!! お父様からの手紙!?」

魔王「あぁ。母上殿や兄弟達からのも入っているぞ」

「…どうやって……?」

中央国と魔王の国は戦争中。だからそう簡単に敵国の王家から手紙を持ってくるなんてできないだろう。
そう、簡単には…。

魔王「色々と手を回したのだ。説明がややこしいので、姫君は喜んでおけばいい」

「……」

こうして、魔王は魔王なりに姫を気遣っている様子は時々見受けられた。
恩着せがましくは言わないが、きっと色々と苦労しただろう。

(…でも、元々こちらは無理に連れてこられたのよ)

だから、有り難く思うなんてのは筋違いだ。そう思いながらも、家族からの手紙に笑みをこぼさずにはいられなかった。

(皆…心配かけちゃっているわ……)

魔王「…その内、故郷に里帰りでもするか?」

「えっ!?」

魔王「婚姻の挨拶も、まだだったしな」

「……」

勇者を人質にしているから、油断しているのだろうか…?
この余裕が憎らしい。


64 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/26 19:27:07.25 3ajRtsRv0 52/74

魔王「そうだ姫君。もう1つ、見せたいものがあるのだ」

「? 何でしょうか」

魔王「ここにはない。…少し、馬を走らせるぞ」

「まぁ」

外出を制限されていたわけではないが、この城に来てから姫はろくに外出もしていなかった。
きっと油断しているからだろうが、それでも城に来た当初よりは随分と緩くなったものだ。


魔王「しっかり俺につかまれ」

「……」ギュ

魔王は何も意識していないのだろうが、こう魔王にしがみつかなければならないというのは屈辱だ。
それでも姫には乗馬の心得などないので、仕方ないことなのだが。

魔王「風が気持ちいいな」

「…そうですね」

魔王「天気もいい。こういう日は外に出ないとな」

「えぇ…」

そう言えば勇者とは城内で会話するばかりで、一緒に外を歩いたことがなかった。
この国を脱出できたら一杯デートがしたいな、なんて思ったりもする。

(それにしても、こんなに暑い日にまで厚着して…魔王の体温の感覚はどうなっているのかしら)

(…ん、この香りは)

ふと、甘い香りが漂ってきた。
心地は良い。むしろ懐かしさすら覚えて…――

魔王「着いたぞ」

「ここは……」

そこは平原一面に広がる、スミレの花畑だった。


65 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/26 19:28:30.57 3ajRtsRv0 53/74

(この国に、こんな場所が……)

真っ先に頭に浮かんだのは、プリンスと逢瀬を交わしたあの花畑。
軍事施設ができたせいで、もうあの花畑は無くなってしまったけれど…。

「綺麗…」

姫は感動すら覚えていた。
初恋の思い出が蘇り、甘い気持ちが胸をきゅんと鳴らした。

魔王「…どうだ、気に入ったか」

「はい!」

(はっ)

思わず、自然な笑顔を向けてしまっていた。
いけない、心を許してはいけない相手に――だが魔王はそんな姫の顔を見て、微笑んだ。

魔王「そうか、連れてきて良かった。…姫君には花畑が本当に似合う」

「あ、ありがとう、ございます……」

姫は困惑する。この男はいちいち、何を考えているのかわからない。

(…魔王は私とプリンスの思い出を知っているのかしら)

あの指輪の件といい、全く知らないとは思えない。
だけどまぁ、プリンスとの件も、その初恋の相手が勇者だったことも秘めてはいなかったことなので、調べようと思えば調べがつくかもしれない。
だとしたら、このスミレの花畑も挑発の一環か。つくづく、嫌な男だと思う。

(でも…スミレは綺麗だなぁ)

花畑は雑草も綺麗に除去され、きちんと手入れされているのがわかる。
魔王の国にも、花を愛でる心を持った優しい人がいるのだな、と思う。

(…そうだ!)

最近、勇者はずっと元気がない。だけど、これなら…。

「あの…2、3本、つんでも良いでしょうか?」

魔王「あぁ、良い。部屋に飾るのか?」

「えぇ!」

適当に嘘をついて、大きな花を2、3本つんだ。

(勇者様…喜んで下さるかしら)


66 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/26 19:29:00.53 3ajRtsRv0 54/74

(勇者様…)タタッ

城に帰ってからは魔王との話も上の空で、時間が出来次第すぐに勇者の元へと向かった。

「勇者様ぁ!」

勇者「姫様…」

相変わらず元気のない勇者に、姫は言葉より先に花を差し出した。

「こ、これっ!!」

勇者「…スミレ……ですか?」

「はい! この国に、昔あったのとそっくりのお花畑があったんです!!」

勇者「……!!」

言葉を失う勇者の様子に気付かず、姫は話を続ける。

「勇者様の気分転換になれば、と思って持ってきたんです。懐かしいでしょう勇者様…ふふ、童心に帰ったようでした」

勇者「…魔王……ですか?」

「え?」

勇者「姫様を花畑に連れ出したのは……魔王ですか……?」

「え、えぇ。そうですけれど……」

勇者「う、ううぅ……」

「…!?」

今度は、勇者の顔がどんどん青ざめていくのがわかった。


67 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/26 19:29:31.02 3ajRtsRv0 55/74

「勇者様、どうしたんですか勇者様!」

勇者「…――ですか?」

「え…?」

勇者「姫様にとって…プリンスとの思い出は、大事なものですか……?」

「当然でしょう!」

姫は強く言い切った。

「私にとっては尊い、初恋の思い出です! 貴方と私の、大事な思い出ではありませんか!」

勇者「…っ……姫様…――」

「――っ」

そして勇者の口から、とんでもない言葉が飛び出した。


勇者「姫様は…――魔王と結ばれるのが1番幸せかもしれません……」


68 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/26 19:29:58.27 3ajRtsRv0 56/74

「何を…おっしゃっているの?」

姫は信じられなかった。受け入れることができなかった。まさか、よりにもよって勇者から、そんな言葉が…――

「幸せなはずないでしょう! 私は貴方でないと駄目なのです!!」

勇者「…違う」

「違いません! どうして勇者様! 私の想いを疑うのですか!?」

勇者「…俺は!! 貴方に愛される資格などない!!」

姫は呆然とした。勇者がここまで感情をむき出しにするなど、ここ最近ではなかったことだ。
だけど、その言葉の意味は――

勇者「姫様、申し訳ありません…1人にさせて下さい」

「だけど勇者様…お話はまだ……」

勇者「お願いします!! 今は姫様と顔を合わせるのも辛い!!」

「……」

勇者を苦しめたくなかった姫は、黙って頷いた。
去り際に何度か振り返ったが、勇者がこちらを見てくれることはなかった。

(勇者様…どうして……)

悲しくて、辛くて、姫の目から涙が流れた。


69 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/26 19:30:42.14 3ajRtsRv0 57/74

(勇者様…喜んで下さらなかった)

期待が大きかっただけにショックも大きかった。
スミレの花を部屋に飾ったが、それを見るとさっきの勇者とのやりとりを思い出してしまう。

辛いけど思い出して、考える。自分はどうして勇者を傷つけてしまったのか。

(…魔王と一緒に花畑へ行ったから?)

その話をしてから勇者の様子が変わったと思う。
だとしたら…――

(私と勇者様の大事な思い出を…魔王に汚されたから?)

勇者の独占欲の強さは、檻の前で告白を受けた時に知った。
姫が勇者以外の男とスミレの花畑へ向かうことすら、勇者には耐えられないことだったのか。

だけど1つ言い訳させて欲しい。自分は別に、望んで魔王と花畑へ向かったわけではない。

(魔王…)

今回の件だけでない、この現状も元凶は魔王だ。
魔王さえいなければ、自分たちはこんな目に遭わなかったのに…――


魔王「今、戻った」

「…っ!」

そこへ丁度、魔王が戻ってきた。


70 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/26 19:31:47.22 3ajRtsRv0 58/74

魔王「どうかしたか。…顔が緊張しているぞ」

「いえ…何でもありません」

魔王「久々の外出で疲れたのだろう。今、紅茶を淹れさせる」

「……」

魔王の前では偽らないと。感情を表に出さないように…。

魔王「どうだ、この紅茶は。中央国から取り寄せたのだが」

「えぇ、懐かしい香りですね」

こうやって親切ぶっているけど、魔王は自分から沢山のものを奪った。
勇者が苦しんでいるのだって、魔王のせいで…。


魔王「…癒されたいものだな」

「……はい?」

魔王「気苦労が多いのだ。紅茶だけでは癒やしが足りん」

「そう、ですね……」

魔王「姫君よ」

「はい?」

魔王「歌ってはくれないか」

「…っ!」


71 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/26 19:32:19.13 3ajRtsRv0 59/74

(この男は…――)


勇者『姫様の歌声、俺とても好きです、って言いたかったんです!!』

『あ、その…でも、数箇所間違えてしまって……』

勇者『…その間違えた部分も、好きです』


どれだけ自分達の思い出を踏みにじれば気が済むのだろう。
勇者以外の男に歌声なんて聞かせたくないのに。

魔王「…歌ってはくれんのか、姫君?」

「……いえ」

だけどこの男は、自分が逆らえないと知ってて言っているのだ。
覚える感情は屈辱なんてものは通り過ぎていて…――

「歌いましょう」

魔王の前では心を殺す。こんなこと、ここに来てから何回でもあった。
歌だって同じこと。勇者を生かす為だと思えば、何てことない。


72 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/26 19:32:46.11 3ajRtsRv0 60/74

魔王「…良い歌声だ」

歌い終わった時、魔王は一言そう言った。
言葉は簡素なものだったが、表情は心底満足げだ。

「…光栄です」

姫は一言で切り上げようとした。

魔王「姫君の歌は心地が良い。…俺の好きな歌声だ」

(…やめて)


――貴方なんかが、勇者様と同じ感想を述べないで。


魔王「姫君よ、これからは――…」

「…!!」

魔王は姫の正面に立ち、顎を持ち上げた。


魔王「――俺だけの為に、歌ってはくれないか…――?」




「っやあぁ!!」


73 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/26 19:33:11.33 3ajRtsRv0 61/74

「……っ!」

魔王「……」

その瞬間は姫も理性が働いていなかった。
だけど魔王の顔が近づいてきた瞬間、全力で拒絶したのは確かだ。

(…しまった……)

魔王「……」

魔王はただ、こちらをじっと見ている。

何と言い訳すればいい。とにかく、魔王を騙さないと…――

魔王「姫君よ…」

「……」

魔王「俺のことは、嫌いか……?」


違います、少し驚いただけです。夫のことを嫌うはずがないじゃないですか…――



「…嫌いです」


答えが自然と口から出てきた。


「貴方なんて…初めから大嫌いです」

こんなこと言ってはおしまいだと、わかっているのに。

「貴方と一緒にいるのでさえおぞましいというのに。貴方に触れられた箇所から腐れて汚れるような思いです」

だけどもう、偽ることができなかった。


「貴方なんて、いなければ良かったのに…――!!」


74 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/26 19:33:37.36 3ajRtsRv0 62/74

魔王「……」

魔王は何も言わなかった。
今はこの時間が、ひたすら冷たい。

だが沈黙を破る一言を、

魔王「…勇者……」ボソッ

「――っ!!」

姫は聞き逃さなかった。

魔王は踵を返し、早足でそこから去っていく。
そこで姫はハッとなった。

(魔王…勇者様に何かする気!?)

姫はすぐに魔王を追った。


75 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/26 19:34:07.01 3ajRtsRv0 63/74

(お願い、勇者様にだけは…!!)

廊下に出ると既に魔王の姿は見えなくなっていた。
急いで勇者の元へと向かう。地下へ行けば――いた!!


魔王「…姫君に拒絶された。盛大にな」

勇者「……」

魔王「…お前がァッ!!」

勇者「……っう!!!」

「!!」

魔王が鉄格子の隙間から勇者を踏みつける。
勇者が地面に伏してもなお、何度も何度も足を振り下ろした。

魔王「お前のせいで!! お前さえいなければアァ…ッ!!」


「やめてええぇ――っ!!」

魔王「!!」

姫は魔王の衣を掴んだ。勇者から引き離そうとするが、非力ではそれもかなわない、
だけど魔王は驚いた様子で、足を止めた。

勇者「姫様…」

「勇者様に手は出さないで下さい! 許して下さい、何でもしますから!!」

この事態は自分が招いたこと。勇者を巻き込みたくはない。
もう嫌だとか言っていられない、それだけの失態を自分は犯したのだから。

だが――

魔王「…愛されているな、勇者よ」

勇者「魔王……」

魔王「俺は……」


魔王が静かに言うと同時――


――魔王は、仮面を床に落とした。


「――」

姫は言葉を失う。

だって、仮面の奥から現れたのは――


魔王「……」

勇者「……っ」

勇者と瓜二つの顔だったのだから。


79 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/27 21:37:23.24 x21mw1dH0 64/74

魔王「…"俺のお嫁さんになってください"」

魔王はぼそりと言った。

魔王「"俺はもう国に帰らなくちゃいけないけど"」

「え…。えっ!?」

姫の頭は混乱していた。
だってその言葉は忘れもしない。プリンスが自分に言ったはずの――

魔王「"お揃いの指輪"」

「――っ!?」

そして魔王が懐から取り出して見せたのは――

魔王「"これに誓って、絶対迎えに来るから――"」


プリンスが持っていた、お揃いの指輪だったのだから。


「…貴方は……」

頭の中が冷えていく感覚があった。理解したくないのに、でもどうしても理解せざるを得なくて。

「プリンスは…――貴方だったのですか?」


80 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/27 21:37:49.03 x21mw1dH0 65/74

魔王「…名乗らなくても、いずれ気付いてもらえるかと期待していた」

魔王の瞳は憂いを帯びていた。
声は沈み、だけど口元は自嘲気味に笑っていて――

魔王「名乗ろうかとも思ったが…この"証"が、それを邪魔した。…ッ!!」

突然魔王は低めのうめき声を上げた。
そして震える手で、袖をめくって見せた。

「ひっ!?」

露わになった魔王の腕には、無数の傷があった。
それも古いものではなく、固まったばかりの血の跡が沢山あり――

勇者「魔王は王位継承の際に、魔王としての"証"を体に刻まれる…。それは絶大な力を生み出すが、代償に…」

「代償に…?」

勇者「……魔王の証は、魔王の良心を奪う」

「!!」

では、プリンスが変わってしまったのは――
魔王を見ると、額はグッショリ汗で濡れていた。

魔王「クク…ッ、ハァ…本当はいつだって――姫君の心も肉体も、ハァ、蹂躙したいと思っていた……」

「……っ」

魔王「堪えた…だが堪えても、内側から衝動が湧き上がってくる!! だから!!」

魔王は壁をガンと殴りつける。すると魔王の腕から鮮血が飛び散った。

魔王「こうして…痛みによって抑えつけた!!」

「ひ…っ」

まさか――魔王の証によって湧き上がる衝動に、魔王はいつもいつも耐えてきたのか。
耐え切れなくなる瞬間も時にはあったけど、それでも魔王は耐えて、耐えて――

魔王「貴方を、愛していたから…――!!」

「!!」


81 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/27 21:38:14.60 x21mw1dH0 66/74

魔王「王位継承するのは優秀な兄――勇者のはずだった。しかしお前は、そんなもの煩わしいと言って国を捨てた!!」

勇者「……」

魔王「それでも俺は、周囲からの嘲笑に耐えながら、お前を越える為に国を盛り上げた……」

魔王の形相はみるみる凶悪に染まっていき、その瞳は勇者を捉えていた。

魔王「だというのにお前は!! 幼少期の、俺と姫君の思い出を奪っていた……! いつも美味しい思いをするのは、お前の方だ!!」

勇者「……」

魔王「お前にわかるのか!! 愛する者に、愛していると伝えられない苦しみが…ッ!!」

「!!」

魔王は勇者を睨んだまま、腰の剣を抜く。
勇者は――そこから動かない。

魔王「お前さえ、いなければァ――っ!!」

「――――っ」


82 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/27 21:38:43.28 x21mw1dH0 67/74

ぐさり。

肉の切れる音が鳴った。


魔王「――……っ」

「……」

姫は生暖かい血を浴びながらも、そこから動かなかった。

勇者「…姫様……?」

「……殺させません」

姫はとっさにナイフを取り出して――刺していた。

魔王「何故……姫、ぎみ……」

魔王の胸を、一擊だった。


83 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/27 21:39:26.87 x21mw1dH0 68/74

「…プリンスとの思い出は私にとって大事なものです」

今でも思い出す。
プリンスと語り合った日々、初恋の思い出。記憶の中のプリンスを。

「だけど、思い出は思い出――」

確かに大事なものだったけれど。
だけど決して、思い出だけが理由じゃない。

「私が愛したのは――勇者様です」


魔王「…俺は……――」


魔王はその場に崩れ落ちた。
刺された胸から血がどくどく溢れ出し、顔は血の気を失っていく。

魔王は狼狽える様子を見せない――まるで、全て諦めたかのように。


魔王「俺はいつも…――報われないな」

勇者「魔王…」


魔王の瞳は閉じられた。

そしてその瞳は、2度と開くことがなかった。


84 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/27 21:39:57.55 x21mw1dH0 69/74

魔王の腰には牢屋の鍵があって、それで勇者を助け出した。

「……」

勇者「……」

その後のことはよく覚えていない。
とにかく今、自分は勇者と共に、国までの帰り道を歩いていた。

勇者「…疲れていませんか、姫様」

「平気です。…勇者様こそ」

勇者「そうですね…――俺は少し、休みたいです」

「それなら…そこの木陰で」

2人並んで腰を下ろす。
だけどぎこちない。沈黙が痛い。
色々話さないといけないことはあるのに、何から話せばいいのかわからなくて――

勇者「…申し訳ありませんでした」

「…え?」

勇者「俺は――自分を偽りました」

姫が返事もできずにいると、勇者は自分から話し始めた。

勇者「姫様からプリンスと呼ばれた時、プリンスとは弟――魔王のことだと気づいておりました。魔王から、貴方についての話は伺っていたので」

勇者「初めは…貴方が恋した相手が敵国の王であるという事実を隠す為、偽りました」

勇者「ですが――」

「……」

勇者「俺は…――貴方と過ごしている内に、自分が"プリンス"になりたくなった。俺には…」

勇者は一瞬躊躇を見せたが、覚悟したように言った。

勇者「貴方に愛される資格など、ないのです」


85 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/27 21:40:27.25 x21mw1dH0 70/74

「…違いますよ勇者様」

勇者「姫様…?」

姫は静かに否定した。
今になれば、勇者が囚われていた時の言動の理由がわかる。
いつ姫が本物の"プリンス"である魔王に心移りするか、怖かった。そして、姫を騙していた為か、魔王に対するものか――とにかく罪悪感を抱いていた。

「私からも謝らないといけません。…プリンスとの思い出にばかりかまけて、貴方を不安にさせました」

勇者「いえ…。本物のプリンスに貴方を奪われるのが怖くて、本当のことを言えなかった俺の責任です」

「例え初めから正体を知っていたとしても…私は敵国の王は愛せませんわ」

馬鹿な自分でも、それくらいの分別はつくはず。
魔王は勇者のように、その座を辞退しなかった。良心を奪われ続けるという運命も受け入れた。その時点で彼は姫の"プリンス"ではなくなっていた。

「確かに私は"プリンス"だと思って貴方に心惹かれた――だけど、それだけが理由ではないのです」

勇者「姫様…」

「貴方が"勇者"様として私と語り合った日々があったからこそ、私は貴方を愛したのですよ」

勇者「――っ」

勇者の目には涙が浮かんでいた。
強いのに、弱気な人。だけどそんな所も、愛しい所。

「勇者様――」

姫は勇者の肩に寄り添う。
ずっとずっと求めていた勇者の隣は、やっぱり姫にとって気持ちのいいもので――

「私は…――貴方だけのものになりたい」

勇者「…俺も」

勇者は姫の体を抱きしめる。
温もりを感じながら姫は、やはり自分の想いはここにあるのだと思った。

勇者「愛しています――姫様」


2人の想いが溶け合う。吸い寄せられるように重なった唇は、情熱を貪るように熱を上げた。
愛して、愛されて――最高の幸せがそこにあった。


86 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/27 21:40:55.18 x21mw1dH0 71/74

それから月日は流れた。


「勇者様ぁ~」トタトタ

遠征から久々に帰ってきた勇者を、姫は急ぎ足で出迎えに来ていた。

「勇者様ぁ!」

勇者「只今、ひ…――」

「お帰りなさいっ!!」ギュウゥ

勇者「わわっ」

迎えに出た姫は、勇者に思い切り抱きついた。
久しぶりに会う勇者の胸に顔を埋め、幸せを感じる…――と、背後から不満げな声がした。

「いつまでひっついてるのー」

「!!」ガバッ

勇者「あぁ、そうだな」

姫が顔を真っ赤にさせている反面、勇者は苦笑しながら彼の頭を撫でた。

勇者「母様は甘えん坊だな、ジュニア」

ジュニア「ほんとだよー」

「も、もー。2人とも意地悪!」

勇者と姫の間には息子が生まれ、彼は頭の良い少年に育っていた。


87 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/27 21:41:28.54 x21mw1dH0 72/74

ジュニア「あのね! 父様がいない間、蜘蛛が現れて母様が怯えてたから、僕が追い払ったよ!」

勇者「おぉ~、ジュニアは勇敢だなぁ。俺はとっても鼻が高い」

ジュニア「僕は父様みたいな英雄になるから!」ニコニコ

「ふふ、今から将来が楽しみね」

勇者「そうだな。ジュニア、俺を超えてみせろ」

ジュニア「うん! 父様を超えて、令嬢ちゃんにケッコンを申し込むんだ!」

勇者「令嬢ちゃん?」

「好きな子ができたみたいですよ、ジュニアったら」

勇者「ほぉ~」

勇者は嬉しそうにジュニアの頭を撫でる。
ませたことを言っているがジュニアもまだ子供。父の手を恥ずかしがることなく笑顔で受け止める。

(もうすぐ5歳か…)

それは自分と出会った時のプリンスの年齢。
勇者似のジュニアはプリンスにも似ている。それが時折、心配にもなるが――

勇者「いいかジュニア。好きな子を傷つけるんじゃないぞ!」

ジュニア「わかった! 僕、令嬢ちゃんのこと大切にする!」

(信じられるわ。だって私と勇者様の、息子なんだもの)


「そうだ勇者様。良い報せがありますよ」

勇者「何だ?」

「今日、お医者様に看て頂いたのですけれど――」

勇者「――っ」

その報せを聞いて勇者は姫の体を優しく抱きしめた。
もう姫は、勇者だけのものではない――


勇者「守っていくと誓うよ――俺達と、そして新しい命にとって、何よりも大事な君を!」


Fin


88 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/27 21:41:57.43 x21mw1dH0 73/74

ご読了ありがとうございました。
割と早い段階で魔王の正体勘付かれていた気がするけど気にしない。


過去作も宜しくお願いします
http://ponpon2323gongon.seesaa.net/


14 : ◆WnJdwN8j0. - 2016/02/22 16:22:30.76 FFb1ekh20 74/74

◆OkIOr5cb.oさんと、同じテーマで書き比べて遊んでいます。 読み比べも大歓迎です。
以下◆OkIOr5cb.oさんのスレ→
魔王「最善の選択肢と、悪魔の望む回答」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1456125267/
http://ayamevip.com/archives/46948870.html

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