家康「なんやこれ・・・」
かつての東京(江戸)一体は、一面に葦が生い茂る広大な湿地帯だった
足立区という名前は葦が生い茂る(葦が立つ)地域だったことから由来する
元スレ
秀吉「褒美として関東八国くれてやる」家康「有難き幸せでございます」
http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1444481270/
家康「これはまるで左遷じゃないか」
大阪よりさらに遠い未開の地へ飛ばすことで、家康の勢力低下を狙う目論見は明らかであった
信長がいた頃は変わりはなかった実力差も、いつの間にか差を付けられ従うしかなかったのである
3 : 以下、\... - 2015/10/10 21:52:23.829 eTfPnQdJ01010.net 3/45三河弁だから「なんねこれ」じゃないの
5 : レキヲタ ◆zdktEZp9GQ - 2015/10/10 21:53:11.349 u+bypoPa01010.net 4/45>>3
しゃべり方は適当に書いてる
家康「この屈辱・・・必ず晴らしてやる!」
こうして俺(家康)は、秀吉に復讐を誓ったのであった
関東には秀吉が討伐した北条家の残党がおり、隣の伊達家がちょっかいを出す可能性もあった
そういう意味ではかなりのビハインドスタートであった
家康「まずは住む場所の確保だな。とりあえずお前らはあそこに住めや」
駿河国(静岡県)に住む古くから使える家臣たちを台地に移住させた
見晴らしがよく、従来と変わらず富士山が望める場所であった
これが現在の千代田区にある駿河台である
(開幕後の話ですがご容赦下さい)
家来「じゃあ俺達はどこに住めばいいんッスか・・・?」
家康「お前らはあそこでええやろ」
台東区にある御徒町は、騎乗が許されない下級武士が多く住んでいたことの名残である
(これも開幕後の話)
家臣「家康様・・・家康様はどちらにになされるのですか?」
家康「俺?城がもうあるからここにするわ」
言うまでもなくその場所は江戸城、つまり現在の皇居のことである
家康「それにしてもボロい家・・・これはすぐにでも改築しないと」
家臣「かような田舎では人足を探すのだけでも一苦労でございますぞ」
家康「は?お前らが工事するんだよ」
家臣「ファッ!?」
入府して間もない頃は、人手不足のため土木作業は家臣直々に行った
城とは到底呼べないあばら家だった江戸城は改築拡張され、本丸、二の丸、三の丸、西の丸が建設された
家康「次は食糧確保だが、その前に土壌改良だな」
家臣「しかし人足が・・・」
家康「お前らがやるんだよ」
家臣「ファーwwww」
関東一円は火山灰でできた湿地帯で、農耕には向かない土地(関東ローム層)であった
そのためには徹底的に灌漑を行い、山を削り海を埋め立てる必要があった
家康「青山、お前は残れ。今から鷹狩に行くから付いてこい」
青山「おk」
青山忠成(あおやま ただなり)
家康が厚い信頼をおいていた重臣
のちの江戸崎藩初代藩主となる人物である
家康「目的地に着いたな」
(そういえば関東に越してから、こいつに土地を与えてなかったな・・・)
家康「よし!ここから見える限りの土地をくれてやるから馬が疲れるまで走れ」
青山「マジっすかwwwじゃあこの土地は俺の名前にするwwww」
馬が走り回った土地、つまり彼の所領はのちの港区青山となる
19 : 以下、\... - 2015/10/10 22:20:46.972 D2ESeI240.net 13/45でも要するに東京とか横浜もらったんでしょ
京都や大阪よりずっと都会じゃん
20 : レキヲタ ◆zdktEZp9GQ - 2015/10/10 22:21:45.061 u+bypoPa0.net 14/45>>19
当時の関東一円はクソド田舎だった
家康「早いけど城に戻るか・・・ん?」
家臣「家康様、土壌改良が終わり申したぞ」
家康「ご苦労!」
家臣たちの働きで山は削られ海は埋め立てられ、当時の海岸線と比較すると比べ物にならない変化を起こした
現代の東京は名もなき家臣たちの働きによって存在しているといっても過言ではない
22 : 以下、\... - 2015/10/10 22:25:11.893 4qrmsY52d.net 16/45城建てるのにどのくらい期間とお金かかるん
23 : レキヲタ ◆zdktEZp9GQ - 2015/10/10 22:25:54.923 u+bypoPa0.net 17/45>>22
規模によるだろ
忠行「家康様、鷹狩お疲れ様です!お茶と甘い菓子をご用意しました!」
家康「おっ、気が利くじゃん!」
大久保忠行(おおくぼただゆき)
三河一向一揆の際に足を撃たれ落馬、足が不自由となったため戦役を免除された
菓子作りの技術を持ち合わせていたため、以後家康に茶菓を献上する役目を果たすようになる
毒殺を恐れた家康は家臣の献上品を口にしなかったが、忠行の菓子だけは信用して食べていた
家康「菓子を作るにはきれいな水が必要だが・・・どこで手に入れたんだ?」
忠行「家康様のため、ほうぼう探し回りました!あちらです!」
当時の江戸は井戸を掘っても海水が混じり、まずい水しか取れなかった
きれいな水、おいしい水の確保は当時解決すべき大きな問題だった
家康「む・・・美味い!この水は本当にうまいぞ!」
忠行「喜んでいただいて何よりです!」
家康「よし!この水を生活用水として利用しよう」
家康は神田川の改修を忠行に命じ、井の頭を水源とした神田上水を整備
井の頭は「この上ない」「一番」「最高」という意味で、これは家光が命名したとされるが
家康は井の頭の水で何度もお茶をたてて飲んだ伝えられている
家臣「家康様、実を申しますと同じく普請中に水が沸いてきたのですが・・・」
家康「ん、これならうまい茶ができるな・・・お茶の水と名付けよう」
江戸城外堀工事の際、水が沸いてきたという
お茶用水として家康に献上したことから御茶ノ水という地名になった
手塚治虫のお茶の水博士もこの地名から由来する
家康「腹減った!魚が食いたい」
家臣「しかし江戸には漁師がおりませぬ」
家康「いないなら連れて来ればいい。心当たりがある・・・」
思い起こせば少し遠い昔の出来事だった
家臣「いっ、家康様!火急の要件にござりまする!」
家康「騒々しいな、どうした?」
家臣「み、光秀殿が!光秀殿が謀反!」
家康「なっ・・・!」
本能寺の変を巻き起こした光秀は、着々と機内の地盤固めをしつつあった
それに対抗するには、危険な道程を重ねて本国静岡県に戻り体制を整え直す必要があった
後に言う「伊賀越え」である
家康「クッ、ここで足止めを食らうとは」
漁民「ん?お侍様?いかがなすっただ」
家康「すぐにでも川を渡りたいのだが、橋も船もないから困っている」
漁民「それじゃ、あっしらの船をお使いなすってくだせえ」
家康を救ったのは、孫右衛門と呼ばれる男たちをはじめとする漁民たちだった
彼らは神崎川沿いに住む佃村(現在の大阪市東淀川区佃)の住人である
漁民「この先は長いですだ。念のため不漁時用の保存食もあるで持っててくだせえ」
家康「この恩、一生忘れないぞ」
彼らが差し出したのは小魚を塩辛く煮た物であった、これは全国的に知られる「佃煮」の原型である
※彼らを江戸に招いてから醤油で煮るようになりこれが佃煮となった
家臣「大坂から佃村の漁民を連れてまいりました!」
家康「お前ら、久しぶりだな!」
あの時の功労者、孫右衛門には「森」という名字を与えた
毎日江戸城に新鮮な魚を届けることを条件に、シラウオをはじめとした漁業権
税金の免除、武家屋敷への出入り許可などの特別な権限を与えた
(シラウオは頭の模様が葵紋に似ていたため禁漁が基本)
家康「早速だが、君たちにはあそこに住んでくれないか?」
佃島と呼ばれる場所に彼らを住まわせ、更に大阪の動向を探る役割も務めさせたいう
彼らが住んだ場所は、現在の東京中央区佃である
家臣「家康様!た、大変でございます!」
家康「どうした?」
家臣「先日の大雨で作物や建物が流されてしまいました」
家康「また洪水か!こうも氾濫されては検地もままならんな」
※1590年家康の江戸入府の年にも荒川が氾濫したとの記録が残されている
家康「収穫を安定させ、暮らしを安定させるにはやはり治水か」
忠次「治水なら拙者に任せてくれませぬか?」
家康「おっ忠次か!伊賀越えの際は世話になったな」
伊奈忠次(いな ただつぐ)
14歳の時、主君家康に刃向かう一向一揆に加担するが敗走(大久保忠行とは違い逆の立場)
罪が許されるまで13年間、戦には参加せず放浪生活をしながら農民と共に農耕・土木作業などに従事した
ちなみに父は伊奈忠家(いな ただいえ)
伊賀越えの功績を称えられ、現在の西尾市に城を与えられた経緯がある
忠次の罪が許されたのは、父と共に伊賀越えに協力したことが始まりである
忠次「ダテにドカタやってたわけじゃねえ!これくらい朝飯前だな」
現在の埼玉県熊谷市に中条堤と呼ばれる堤防を上流の利根川に建設
その後長きにわたり、江戸の庶民から水害から守り続けた
忠次「これでまだ終わりじゃねえ!」
その後も治水事業は続けられ、利根川の流れを変えその水で新田開発、水運の整備などを行った
これらの治水事業は50年間で関東の石高は100万石から180万石に増加したのである
家康「忠次は親父に負けず劣らずなかなかの働きぶりだな」
農民たちに耕作技術を伝え広めたことから、農民たちからも神仏のように敬われていた
まさに忠次の働きなしでは、今の関東は存在しえないのである
彼の偉業は水戸市には備前堀という、彼の名が付いた堀が残されているほどである
家康「運河の次は塩だな」
家臣「何も塩はすぐそこの海から手に入りますぞ」
家康「バカ言うな、庶民の塩を支えるには効率よく大量に入手できないとダメだ」
家康が目を付けたのは千葉県市川市にある塩の名産地「行徳」であった
今でも行徳には本塩、塩焼、塩浜などの塩に関する地名が残されている
家臣「しかし場所が遠く江戸に運ぶのには無理がございます」
家康「運河を作ればいいじゃん。お前らよろしく!」
家臣「えっ、また土木作業!?」
もはや土木作業にプロと化した家臣たちにより行徳と江戸を結ぶ運河(小名木川)が作られた
この運河沿いには宝塔寺というお寺には「塩なめ地蔵」があることでも知られる
これは塩の行商人が、寺で休憩荷物の塩を少しずつ地蔵にお供えしたことが始まりである
家康「そろそろ、大江戸シムシティ計画も大詰めだな」
家臣「また土木作業でございますか・・・」
家康「違う、今度は大阪城をぶち壊す!皆の者、具足を持て!」
江戸で着々を力を蓄えた家康は、ついに豊臣家に復讐を果たすまでに成長していた
秀吉が亡き後、次の権力者として名を轟かせつつあったのは言うまでもなく家康である
これが関ヶ原の合戦(大阪の陣)である
真田「撃て撃て撃て!家康の軍勢をハチの巣にしてしまえ!」
味方「ヒェ~ッwwwww」
伝令「家康様!真田によりお味方が次々と討ち取られております!」
真田信繁(さなだ のぶしげ)
来年の大河ドラマ主人公、真田幸村のことである
彼が築いた大阪城南方の砦「真田丸」により、徳川勢は大いに苦戦を強いられたという
家康「う~む、お前ら城に向かって塹壕を掘れ!」
家臣「ここでも土木作業とかマジ勘弁・・・」
「真田の抜け穴」と呼ばれる謎の洞穴が大阪城から伸びる形で多数残されているが
徳川勢が真田の弾を避けるために掘った塹壕跡のことである
家康「今度はこちらの番だ!撃てい!」
侍女「ィぇゃス、ちょぉ]ゎぃ!」
偶然にも家康方が放った大砲が天守閣を直撃!
弾は居合わせた侍女に直撃、まさに即死だった
使者「家康殿!淀君から和睦の申し出にございます!」
大砲の威力に完全にビビった淀君(秀吉の嫁)は和睦を申し出た
このときの大砲は靖国神社に今も保管されている
家康「淀君の提案、しかと受けた!お前ら出番だ!」
家臣「ハイハイ、またドカタね・・・」
家康は大阪城の堀を埋めることを条件に和睦を受けたであった
家康「それい!今がチャンスだ攻め立てろ!」
堀を埋める際、どさくさに紛れて全ての堀を埋めたのである
完全に防御機構を失った豊臣勢は、体勢を立て直す間もなく攻め滅ぼされたである
家康「わが軍勢の勝利だ!勝どきを上げよ!」
味方「エイッ!エイッ!オー!」
家臣「攻め落とした城を改修する必要がありますな」
家康「いや、その必要はない」
秀吉が築いた城取り壊され、今も土中に埋められている
その上に新しい徳川家の城が築かれたのであった
家康「豊臣の時代は終わった、これからは俺の時代だ」
こうして大江戸シムシティは終わりを告げたのであった
おわり
若干脚色もありますが、9割9分くらいが史実です