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暦「火憐ちゃん、ごめん」【前編】
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時刻は三時三十分。
夏とは言っても、辺りはまだ、大分暗い。
そりゃ、明るかったら逆に驚きだけれども。
まずは一旦、状況を整理しよう。
僕は確か、今日……いや、昨日か。
昨日の朝、月火と話して異変に気付いたんだ。
月火が火憐や僕の事を忘れている、と。
その時はまだ、月火は思い出してくれた。
正確に言えば、僕の事を忘れていたのは一瞬だったんだけれど。
それで僕は、その話を聞いて、異変を忍野に知らせる為、あの廃墟へと向かったのだ。
道中、八九寺とぶつかりそうになり、僕は急いでるのも忘れて、無駄話をしていたと思う。
今思えばそれもまた、僕の馬鹿っぷりが判るのだけれど、今更後悔しても仕方ない。
そして、八九寺は別れ際……僕の事を忘れていた。 否、その瞬間に忘れた。
それが僕にはあまりにもショックで、忍野と会う前に全員に連絡を取ったんだ。
一番最初に連絡を取ったのは、戦場ヶ原。
しかし、あいつも僕の事を忘れていた。 綺麗さっぱり。 跡形も無く。
……待てよ、でもあいつは。 僕と数時間前に話した時は、僕の事を覚えていなかったか?
戦場ヶ原と連絡を取ろうか。 とも思ったが、今はそれ所では無い。 また、忘れられている可能性だって、十分にあるのだし。
そして、その後。 羽川や神原、それに千石とも連絡を取ったけれど、結果は同じだった。
恐ろしくなり、怖くなり、一刻も早く、忍野の元へと向かおうとしている時に、僕の影から忍が出てきた。
忍……そうか、忍は?
暦「おい、忍。 起きているか? おい!」
月明かりによって作られる僕自身の影に、話しかける。
忍「なんじゃ。 儂の事を忘れおって、極刑物じゃぞ」
と憎まれ口を叩きながら、忍は影の中からすうっと出てきた。
暦「悪かったよ。 気付いたら、お前の事も……」
暦「忍、何が起きているんだ? 今、僕達に」
忍「別にいいがの。 それと、何が起きているか。 と言う質問じゃが」
忍「分からん。 儂にもどういう事なのか分からんのじゃ」
忍にも分からない、何か。
暦「そう、か」
暦「僕は、一体どうなっていたんだ?」
忍「そうじゃな、その辺りは儂にも分かる。 なので、まずはそこから説明するとしようかのう」
忍「お前様は、記憶を失っていた。 又は、記憶を改変されていた。 このどちらかじゃ」
忍「昨日、儂とお前様とで話していたのは、覚えておるか?」
忍「お前様が記憶を失う直前の事じゃ」
暦「ああ、覚えている。 と言うか、思い出した」
忍「ならば話は早い。 あの会話の最後、妙な気配を感じたんじゃよ」
暦「妙な、気配?」
忍「うむ。 お前様が、何かに絡みつかれるような、そんな感じが儂にも伝わってきたんじゃ」
僕と忍の体はリンクされている。
僕は全然気付かなかったけれど、忍はさすが。 その妙な気配と言うのを感じたのだろう。
そうか、それで忍は。
暦「異変を感じて、声を掛けてくれたのか」
忍「その通りじゃよ。 それに、お主の眼、大分虚ろになっておったしの」
まるで、迷子娘や先程の妹御、極小の妹御の様にじゃ。 と忍は続けた。
忍「しかし、結果は」
暦「間に合わなかった。 って事だな」
忍「さよう。 恐らく、お前様の儂に対する記憶も、全て失われておった筈じゃよ」
暦「でも、それでも僕の前に姿を出すくらいは、できたんじゃないか?」
僕がそう言うと、忍は呆れた様な顔をし、口を開く。
忍「お前様の馬鹿っぷりも、いよいよ拍車が掛かって来た見たいじゃな」
忍「怪異とは、気付かなければ気付かない物なんじゃよ。 そこにあるから、あると思うのじゃ」
そうか。 そうだ。
だから僕は、忍の事を忘れて、気付かなかったんだ。
そこに居ると、思わなくなったから。
忍「まあ、儂的にはあの時、本来の形に戻れたんじゃがの。 儂本来の姿に」
暦「本来の姿……そうなのか?」
忍「無論。 お前様との関係が切られたのなら、既にいつでも戻れたんじゃよ」
それはつまり、怪異の王。 吸血鬼。 キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード。
それに、戻れたと言う事か。
暦「なあ、こう言うのもあれだけどさ、何で戻らなかったんだ?」
僕の問いに、忍は凄惨に笑い、答える。
忍「儂は、自力で戻って自力で死ぬ。 他の物の力なぞ借りて戻る等、却下じゃ」
忍「ましてや、他の怪異の力を借りて等、儂の名が廃る所の話じゃないわ」
暦「はは。 そうか」
暦「迷惑掛けるな、忍」
忍「ふん。 それに、あの姿に戻ったら、ゴールデンチョコレートともおさらばでは無いか……それは断じて却下なのじゃ!」
結局はそれかよ。
でも、まあ。
とんだ、お人好し吸血鬼も居た物だ。
暦「つまり、話が最初に戻るけど。 僕はあの時に記憶が入れ替わった。 もしくは失った。 そう言う事なのか」
忍「そうじゃな。 それが一番有力な解釈の仕方……賢明と言った方が正しいかのう。 とにかく、そう言う事じゃよ」
暦「そうか。 なあ、忍」
一呼吸して、僕は言う。
暦「やっぱり、忍野に会う必要はあると思うんだ。 例え、あいつが敵だったとしても、だ」
忍「奇遇じゃのう。 儂も同じ考えじゃよ。 我が主様よ」
暦「ありがとう。 それじゃあ」
暦「宜しく頼むぜ。 相棒」
忍「カカッ。 この儂を相棒扱いとは、随分と偉くなった物じゃな」
忍「まあ、悪くは無いがのう」
忍「だが、こう決意を固めたとして。 お前様には先に済ませなければならん事も、ある様じゃが?」
暦「ああ、そうだよ。 その通りだ」
暦「もう絶対に忘れてやらねえ。 例え、いつもみたいに土下座されてもな」
忍「うむ。 それがお主に出来る努力じゃよ」
忍「さて……」
忍「大体の場所は、既に見当は付いておる。 お前様、準備はいいか?」
暦「出来て無くても、今すぐ走って迎えに行くさ」
忍「承知したぞ、我が主様。 それでは、行くとするかのう」
忍は指差す。 あの先に、火憐が居る筈だ。
忍「距離はちと遠いが、歩いていけん距離でも無いかの」
暦「ああ、了解。 サンキューな、忍」
忍「礼には及ばんよ。 儂は言葉より、物の方が嬉しいのでな。 具体的に言えばゴールデンチョコレートじゃ。 と言うか、そんな事より」
忍「さっさと走らんか。 あの巨大な妹御はいつ動いてもおかしく無いんじゃぞ」
だから、巨大って言うほどでかくねーっつうの。
影の中へと入る忍を見送り、僕は先程、忍が指差した方向を見据える。
さて、行くか。
忍に何度か案内され、その場所に着いた時には、既に四時を回っていた。
案内された場所。
柄の木二中。
にしても、随分と分かりやすい場所に来たんだな。 あいつも。
これなら見つけてくれって言ってる様な物じゃねえか。
ああ、そっか。
見つけて欲しかったのか、火憐は。
部屋に残ってたジャージも、そういう意味だったのかもしれない。
つくづく、僕は何にも分かっていなかったんだろうな。
あいつが感じていた事も……メッセージも。 何も。
まあいいさ。 そんなの、これから分かれば良いのだから。
忍が言うには、恐らく火憐は屋上に居るとの事らしい。
夜中の中学校に入る事自体、初めてだけども(高校には何度か入った事がある。 校舎の中までとは行かなかったが)
しかし、あいつは良くこんな所に一人で来たな。
ましてや屋上だなんて。
正直言って、結構怖いぞ、ここ。
勿論、門が開いている訳も無いので、それを飛び越えて中に入る。
警備員や通りすがりの人に見つかれば、それこそマズイ事になりそうだ。
捕まったのが高校生となれば、尚更か。
そんな事を考え、若干びくびくしながら進んでいたら、忍が後ろから驚かせようと度々僕の妨害をしてくる。
この吸血鬼め。 お化け屋敷かよ。 もう既に、ゴールデンチョコレートの数がプラスからマイナスへと移行している事については、今はまだ黙っておこう。
幸いにも、警備員の姿等は見えなかった。 この町の治安を考えれば、納得だけれども。
そして。 それから程なくして。 すぐに。 すんなりと。 屋上へと繋がる扉の前へと、僕は到着した。
一度、扉の前で足を止め、目の前を見据える。
おいおい、内側から鍵が掛かってるんだけど。 マジで火憐が居るとしたら、あいつどうやって入ったんだよ。
あー。 でも、家に入るのにも二階の窓とか使う奴だし、不思議では無いのか。
まあ、家の二階と高さは随分違うけどな。
あいつ自体、生きる不思議みたいな感じだし、そんな感じの物だと思おう。
さて、どうするかなぁ。 なんて挨拶しようかな。 いやいや、まずは頭を下げた方が良いのかな。
つっても、妹に頭下げるのもなぁ。
うーん。 何かドッキリでも仕掛けてみようかな。 それか、壁をよじ登って、想像できない様な登場でもしてやろうかな。
等と考える。 無駄な事をつらつらと。
本来ならば、こんなどうでもいい事なんて考えずに、とっとと扉を開けるべきなのだろうけれど。
少しだけ、怖かった。
火憐に突き放されるのが、少しだけ。
少しじゃねえな。 かなりか。
僕って本当に、どうしようも無いくらいに馬鹿だよな。
全て、僕自身の都合だよな。
あー、くそ。
これが羽川だったり、千石だったり、八九寺だったり、神原だったり、それに戦場ヶ原だったりしたら、僕はここまで怖くなかったんだと思う。
あいつらの時は、自分の都合なんて考えずに、殆ど無理矢理、あいつらが助かるのを手伝った。
八九寺は厳密に言えば違うけれども。 しかし、方向性は違う……のかな。
友達に突き放されても、僕は多分、大丈夫だと思う。
いや、大丈夫では無いが。 ここまでじゃないって意味だ。
つうか、いつまで悩んでいるんだよ。 火憐に会いたかったんだろ? 僕は。
でも。
だから。
けど。
もうやめだ。
そんな自分自身に対する言い訳は、もうやめよう。
嘘を付くのも、止めだ。
火憐にも。
僕自身にも。
怖い。 火憐に突き放されるのが。
それがどうしたって言うんだ。 その時は泣いてやる。 あいつが引く位に泣いてやる。
それでも駄目なら。
その時はその時だ。
第一。
火憐はそんな奴じゃないから。
自分に言い聞かせる様に、思考する。
ぶっちゃけた話、そんな事はただの自分自身に対するハッタリでしか無いのだ。
だって、僕はあいつの事を分かってやれなかったのだから。
だが、今はそれでいい。 ハッタリでも何でも、今は。
よし、そうと決まれば。
鍵を外し、扉に手を掛ける。
大分錆付いてる様に見えたが、意外にも扉はすんなりと開いた。 音も立てずに。
開いたドアから、先程まで嫌と言うほど浴びていた風が入り込んでくる。
居なかったらどうしようとか、思っていたけれど。
どうやらそれも、無用な心配だったらしい。
僕の妹、阿良々木火憐は手を頭の後ろで組んで、屋上に大の字で寝転がっていて、空を見上げていたのだから。
こういった仕草が、一々男っぽいよなぁ。 つくづく思うけど。
暦「正義の味方が、夜の学校に侵入して良いのかよ」
僕はいつも通り、いつもの感じで、火憐に声を掛けた。
僕の誇りに。
僕の大切な妹に。
第十一話へ 続く
火憐「遅せえよ、待ちくたびれたぞ」
火憐は僕の方には視線を向けず、そう呟く。
暦「さっき言ったろ。 正義の味方がこんな所に居るなんて、思わねえよ」
僕がそう言うと、火憐は「よっ」と言いながら、手を使わずに立ち上がる。 すげえな。
火憐「ここはあたしのテリトリーだからな。 だから、いつ居ても大丈夫なんだ」
やはり、僕の方は見ずに、火憐は言った。
暦「そうか。 それなら文句は言えないな」
火憐「おう」
少しの沈黙。
それに耐えかねたのか、五分ほど経った後、火憐が再び口を開く。
火憐「何しに来たんだ」
暦「迎えに来たんだよ」
火憐「兄ちゃんが知らない、赤の他人をか?」
暦「違う」
暦「僕の妹をだ」
火憐「言ってる事が違うよ。 兄ちゃん」
火憐「昼間、何て言ったか忘れた訳じゃねえんだろ?」
暦「ああ。 忘れていないよ」
火憐「そうか。 それで、今更何の用事だ?」
暦「最初に言ったろ。 迎えに来たんだって」
火憐「あたしに帰る場所はねえよ。 兄ちゃんは知ってるだろ。 月火ちゃん、あたしの事を忘れていた。 誰だお前って、言われたぜ」
暦「あるよ。 帰る場所はある。 月火ちゃんは僕が説得する。 あいつが思い出すまで説教だ」
火憐「そりゃ、月火ちゃんが可哀想だぜ。 兄ちゃんの説教は恐ろしいんだから」
暦「僕的には、火憐ちゃんの説教の方が恐ろしいけどな。 暴力が伴うし」
火憐「はは。 酷い言い方だなぁ。 あたしの暴力は、愛のある暴力なのに」
暦「そんな暴力、あってたまるかよ」
火憐「ま、いいけどさ。 それで、兄ちゃん」
火憐「なんで、あたしの為に、こんな夜中に汗だくで走ってきたんだよ」
火憐から僕の姿は見えない筈なのだけれど、気配で分かったのだろうか。 それが気配で分かるか分からないかさえ、僕には分からないが。
暦「さっきも言ったろ、火憐ちゃん」
暦「僕の、妹だからだ」
暦「それ以上でも、以下でも無いよ。 火憐ちゃんは僕の誇りで、僕の妹で、僕の家族だ」
暦「だから、夜中でも関係ねえ。 汗だくになっても、お前の為なら今から校庭百週でも何でもしてやるさ」
そう言うと、ようやく、火憐は振り向いた。
火憐「やっぱ、迷惑掛けるよな、兄ちゃんには」
火憐「ありがとう。 兄ちゃん」
久しぶりに見る火憐の顔は、こう言うのもあれだけど、ジャージなのを除けば、綺麗な物であった。
暦「やめろよ、僕にお礼を言われる資格なんて無いんだからさ」
火憐「良いんだよ。 あたしが良いって言うから良いんだ」
火憐「なあ、兄ちゃん。 頼みがあるんだけれど、良いかな」
その言葉を聞き、僕は笑いながらこう返す。
暦「いいぜ、引き受けてやるよ」
火憐「相変わらずだよな。 兄ちゃんはさ」
火憐「惚れるよ。 本当に」
火憐は笑い、そう言ってくれた。
火憐「じゃあ、頼みなんだけど」
火憐「抱きしめてくれねえか」
僕はそれを聞き、黙って火憐の元へと近づく。
ったく、図体だけでかくなりやがって。 別にいいけどさ。
そして、近づいてくる僕を見て、火憐がなにやら恥ずかしそうにしていた。
おい、やめろよ。 僕まで恥ずかしくなるだろうが。
まあ、かと言って、やめるって訳でも無いんだけど。
気が付けば火憐が目の前に居て、僕はそっと火憐を抱きしめた。
暦「火憐ちゃん、ごめん」
火憐「謝る事じゃねえよ。 確かに、良く分からない事が起きて、あたしも訳が分からなくて。 だけど、それでも兄ちゃんはこうして来てくれたんだから」
火憐「それだけで、充分だよ」
暦「でも、怒ってただろ」
火憐「あたしが怒ってたら、兄ちゃんはもう木っ端微塵になってるぜ。 だから怒ってないよ」
暦「そう、か。 ごめん、ごめん」
火憐「だから謝るなって、なんだかあたしが悪いみたいじゃねえか」
火憐「てか、何泣きそうになってるんだよ! なっさけないなぁ、兄ちゃん」
暦「うるせえ。 うるせえよ、火憐ちゃん」
暦「心配だったんだよ。 火憐ちゃんに何かあったらって思ったら、僕は」
火憐「大丈夫だよ。 あたしに何かするのは兄ちゃんしかいないし、あたしに何かするのが許されるのは兄ちゃんだけだ」
暦「……はは。 そりゃ、良い事を聞けた」
そして、僕と火憐はしばらくの間、そのままの姿勢で話し合った。
何分か経った後、ようやく僕と火憐は離れる。
と言うか、途中で何回かキスをしそうになって(一応言っておくが、ただのスキンシップだ)この雰囲気でキスをしたらヤバイって自制が働いて、なんとか堪えていたのだけれど。
そう何度も自制は効きそうになく、とりあえず一回離れようと言う事で抱きしめ合うのをやめたのである。
暦「なあ、火憐ちゃん。 僕からも一つ、頼みがあるんだ」
そして今は、二人で並び、座っている。
火憐「兄ちゃんから? 珍しいな。 言っておくけど、月火ちゃんを倒して来いってのは無理だぞ」
いつか僕が言った台詞。 多分、僕の真似なのだけれど、思いの他似ていた。
暦「あははははは!」
自分の真似をする奴を見て、ツボに入ってしまったのが悔しいが。
火憐「いつまで笑ってるんだよ。 そこまで面白いネタでは無いと思ったんだけど」
暦「あはは、ごめんごめん。 それで頼みなんだけどさ」
暦「僕の事、一発でいいから思いっきり殴ってくれ」
火憐「え? 良いの?」
なんで嬉しそうなんだよ。 そこは「兄ちゃんを殴る事なんて出来ないよ」とか言っておけよ。
暦「一発だけな、二発は許さないぞ」
火憐「おう、任せとけ!」
言うや否や、火憐は僕に向かって拳を掲げる。
暦「か、火憐ちゃん。 一応、少しだけ遠慮してくれよ。 なあ」
火憐「聞こえねえ!」
聞こえてるじゃねえかよ、おい。
との訳で、僕は綺麗に吹っ飛んだ。
つうか、マジで遠慮無しだった。
この前の風呂で殴られた時よりも本気だったぞ。
それで意識を失わない辺り、僕も殴られ耐性が出来つつあるのだろうか。
いらねえよ、そんな耐性。
火憐「うわ、大丈夫か? 兄ちゃん」
暦「……だ、大丈夫。 多分」
吹っ飛んだついで、先程入ってきた扉に頭を思いっきりぶつけた。 いや、マジで痛い。
火憐「どう見ても大丈夫じゃねえけど。 あたしが殴っといてあれだけどさ」
火憐「ってか、血でてんぞ、兄ちゃん」
暦「みたいだな」
火憐「舐めようか?」
なんで舐めるんだよ。 兄の頭を舐める妹とか色々駄目だろ、それ。
暦「いい、舐めなくていい。 むしろ絶対にそれだけはやめて」
暦「見とけ、火憐ちゃん。 これが僕だ」
そう言い、先程切った傷口を火憐に見せる。
狙いは、最初からこれだった。 もう、火憐に対しては嘘を付きたく無かった。
火憐「痛そうだなぁ」
と、火憐は最初言っていた物の。
火憐「あれ、兄ちゃん。 よく見えないから、もう少し見える様にしてくれ」
と言い。
火憐「……これ、塞がってるぞ。 傷口」
と、言った。
暦「いつかはさ、話さないとって思ってたんだ」
暦「火憐ちゃん。 今からする話、聞いてくれるか」
僕がそう言うと。
火憐「当たり前だよ、兄ちゃん。 兄ちゃんの言う事には絶対服従の火憐ちゃんだぜ」
と、僕の妹は笑顔でそう言ったのだった。
大分、長い時間話し込んでいたと思う。
辺りは少しずつ、明るくなっているのが見て分かる。
春休みに、僕の身に起きた事。
その全部を火憐に語った。
それを聞いた火憐は、と言うと。
火憐「へええ。 すげえな兄ちゃん。 じゃあさ、腕とか吹っ飛んでも、また生えてくるんだよな?」
と、それはもう嬉しそうに聞いている。
一つ気になる事と言えば、さっきから聞いてくる質問が殆ど。
「頭が吹っ飛んでも元通りになるの?」とか。
「骨とか全部折れても、戻るのかよ?」とか。
そう言う物騒な事ばかりってのが、気になってしまう。
こいつ、間違っても試そうなんて思わないと良いけど。
暦「前にさ、覚えてるかな。 貝木泥舟って詐欺師」
火憐「ああ、あいつか。 覚えてるよ。 兄ちゃんの誇りを汚した奴だ、許せねえ」
いや、その誇りってお前の事なんだけどな。 自分で言ってて恥ずかしくないのかな。
暦「あいつが火憐ちゃんにしたのが、それだよ。 怪異」
暦「囲い火蜂って言ってな。 その蜂に刺されると、体が火に包まれた様に熱くなる。 そんな怪異らしい」
暦「あいつはさ、催眠だとか、プラシーボ効果だとか言っていたけれど。 それだけじゃ説明出来ない事もあるしさ」
火憐「ふーん。 なんだ、てっきり馬鹿でも風邪は引くってのが実証されたのかと思ったんだけどな」
自覚あったんだ。 初めて知った。
暦「ま、そんな訳で」
月火の事も話そうか悩んだけれど、話すとするならば、本人も居る所でしっかりと話したい。
それに、あれは知らなくても良い事、なのだと僕は思う。
言わなくていいなら、言う必要なんて無いのだから。
暦「これが、僕だよ。 火憐ちゃん。 お前の兄ちゃんで、化物の話さ」
そう、僕が締めると、火憐はいつもみたいに笑って、僕にこう言った。
火憐「あはははは! 何言ってるんだよ、兄ちゃん」
火憐「兄ちゃん、あたしより弱いのに良く言えるよな。 そんな兄ちゃんが化物なら、あたしはどうなんだよ」
火憐「兄ちゃんは兄ちゃんだろ。 月火ちゃんの兄ちゃんで、あたしの兄ちゃんで、それだけだよ」
火憐「化物を名乗るなら、せめてあたしを倒してからにしやがれ!」
馬鹿だけど、本当に純粋だな。
純粋だし、優しい。
火憐「てかさ。 吸血鬼ってのも案外、大した物じゃねえんだな。 兄ちゃん程度に負けるくらいだし」
この余計なひと言さえ無ければ、もっと良いのだけれど。
暦「勝ったか負けたかって問題じゃねえけどな」
つうか、後で忍に何て言われるか、考えただけで恐ろしい。
「言っておくがな、火憐。 お前の発言によって、僕がドーナッツを奢らされるんだからな! 言葉を慎め!」
いや、言っておくとは言った物の、実際に言ったら殴られるので頭の中で考えただけだが。
暦「いつか絶対勝ってやるよ。 覚えとけよ火憐ちゃん」
火憐「へっへっへ。 いつでも受けて立つぜ。 寝てる時でも、飯食ってる時でも、風呂に入ってる時でも。 いつでもあたしは受けて立つ!」
暦「風呂に入ってる時はやめておくよ。 殴られて気を失うのは気持ちが良い物じゃねえからな」
火憐「んだよ。 折角そのまま篭絡して、一緒に風呂に入ろうと思ったのに」
どんな篭絡だよ。 こええぞ、それ。
との訳で、僕と火憐は仲直りする事が出来た。
久し振りに、本当に火憐とこれだけ砕けた話をするのは久し振りな気がして、とても楽しかったのを覚えている。
後悔は勿論ある。
思えば、始まりからおかしかったんだ。
火憐と月火が起こしに来なかった、あの日から。
色々と火憐とは話をして、大体起きている事は分かった。
火憐が抱えていた悩み。 やはり、月火が原因との事。
僕が出掛けている間、火憐と月火はいつも通り一緒に居たのだけれど。 月火の態度がいきなり、知らない奴に接するそれになったとの事だ。
火憐はそれに少しだけ怒り。 僕が帰って来た時に月火の事を聞いても、素っ気無い態度を取った。 との事。
当の月火は、その忘れた事すら忘れていたと言った感じで、火憐の態度の変化、その原因に気付く事が無かったのだ。
そして、昨日。
火憐は月火に、完全に忘れられた。
他人事の様には言えない。 僕も、忘れていたのだから。
そして、今。
僕はどういった立場なのだろうか?
僕の友達が覚えているかは分からないが、忍はどうやら、覚えている様だ。 そこら辺はさすが吸血鬼と言った所か。
その忍の話だけれども。
……火憐に僕の体の事を話す時に、忍の事も話さなければならなかったのは説明するまでも無い。 しかし、どうにもあいつは姿を見せない。
柄にも無く恥ずかしがっているのだろうか、変に照れるしな、あいつ。
それとも、さっきの火憐の発言で怒っているのだろうか。
まあ、その内出てくるだろう。
さておき、そんな後悔エピソードを思い出した所で、どうやら夜が明けたらしい。
後悔エピソードと言えば、前に月火とした話を思い出す。
そういや、あいつの後悔エピソードってあの時聞いてないな。 今度問い詰めてみよう。
でも、あいつの話なんて大体知っているしなぁ。 僕が知らない面白エピソードがあるならば別だけど。
んー。 火憐なら知っているのだろうか。 月火の面白エピソード。 今度時間がある時にでも、聞いてみる事にしよう。
つうか。 火憐と一緒に朝日を見るのは、意外にも始めてかもしれない。
火憐の横顔はどこか嬉しそうで、僕もまた、それを見て嬉しくなる。
一時はどうなるかと思ったが、まあ、結果良ければ全て良し。 と言った感じか。
と、急に火憐が僕の方に顔を向けた。
火憐「なあ、兄ちゃん」
暦「どうした、火憐ちゃん」
太陽に照らされた火憐の顔は、晴れ晴れとした物だった。
そして、火憐は僕にこう言う。
火憐「兄ちゃんが来てくれたのは嬉しいし、ぶっちゃけ付き合っても良いくらいなんだけどさ」
火憐「あたし達、これからどうするんだ」
付き合っても良いのかよ。 でも僕には戦場ヶ原が居るしなぁ。 いやいや、真面目に考える事じゃないだろ、僕。
てか、やべ。 火憐を見つけた後の事なんて、何も考えて無かったぞ。
うーん。
どうしよっか。
最終回的な雰囲気を出しといてあれだけど、どうやらまだ、この妹と僕の話は終わりそうにない。
とりあえず、まあ。
暦「よし、それなら火憐ちゃん、こうしよう」
暦「とりあえず、僕と付き合おう」
と、実の妹に告白をしてみた。 生まれて初めての告白である。
火憐「いいぜ」
火憐「だけど、月火ちゃんの許可が降りたらな」
どうやら、一生無理らしい。 と言うか、許可が降りる前に殺されると思う。
まあ、冗談だから良いんだけれど。
ああ、そういや、月火が火憐のジャージを馬鹿にしていた事をちくらなければ。
そうだな。 全部終わったら、ちくってやろう。
そして、もう少しだけ続けるとしよう。
化物になり損なった兄と、化物より強い妹の話を。
第十二話へ 続く
暦「なあ! 火憐ちゃーん! おーい!」
火憐「なんだよー! 兄ちゃーん!」
暦「これー! もうそろそろ良いんじゃないかー!」
火憐「あたしもー! たった今同じ事思ってたぜー!」
朝っぱらから、大声で会話する僕と火憐。
それにはしっかりと理由があるのだ。
遡る事、約一時間前。
以下、回想。
火憐「どーすーるーかーなー」
横で歩く火憐が、そんな風に呟いて(呟くと言うには、些か声が大きいが)いる。 ちなみに、これでもう十回目だ。
暦「うーん。 甘かったと言えば、甘かったのかな」
火憐「忍野って人かぁ? 居ない物は仕方ねーじゃん。 探すのにも、気配感じねーし」
会った事も無い人間の気配を探れるのか。 いや、気配を探れるだけで十分凄いけどさ。
暦「だけど、本当にこれだと打つ手が無いんだよ」
火憐「うーん。 あたしは別に、これからずっと兄ちゃんと一緒でも良いけどな」
暦「月火ちゃんと一緒じゃなくても良いのか?」
火憐「それは……まあ、嫌だけどさ」
火憐「でも、その忍野って人に会えないとどうしようもねえんだろ? だったら気楽に行こうぜー」
能天気な奴だなぁ。
けど、言ってる事に間違いは無いのかな。
これは少し前の事だけど。
最後の望みを託して、僕と火憐の家に、つまりは月火の居る場所に行ったのだけれども。 月火は僕と火憐の事をやはり、覚えていなかった。
その後、火憐と僕とで、早朝(と言うか、ほぼ夜中)から知り合いと言う知り合いに連絡も取ってみたが、簡単に言えば全滅である。
そして、この行動によって、一つ分かった事がある。
僕もまた、火憐同様、関わりがあった全ての人間から、忘れられていると言う事だ。
それはそうと、僕が確認する時間は本当に数分、五分程で終わったのに対し、火憐は一時間近くも確認の電話を続けていた。
その辺りは、さすが有名人なのだけれども。
何故か負けた気分になり、兄として些か悲しかったので、電話を掛けている振りを僕はしていたのだ。 それは結局、余計に僕の情けなさに拍車を掛けるだけであったのだが。
そうして、少しだけ気分が落ち込んだ所で、あの廃墟へと向かったのだが……
忍野はそこにおらず、僕と火憐の期待は空振りだったと言う訳だ。
暦「とりあえず、なんかご飯でも食べるかぁ」
火憐「お、兄ちゃんの奢りか! 嬉しいな」
暦「何でだよ! って言いたいけど、どうせ火憐ちゃん、お金無いだろ」
火憐「あるっちゃあるけど、家に忘れて来たんだよ」
火憐「つまり、あたしは今……無一文だ!」
堂々と言うなよ。 格好良いけどもな。
暦「そんだけ大荷物を持っていて、なんで一番大事な物を忘れてるんだ!」
火憐「いやいや、前に財布持ってたらさ。 あの詐欺師野郎に小銭まで全部持って行かれたじゃん。 だから持ち歩かない癖がついちまってるんだよ」
財布の意味ねえな、それ。
暦「そういや、そんな話も聞いたな」
にしても、貝木の奴め。 今度会う事があったら、やっぱり一発くらい殴っておこう。 火憐の分として。
暦「まあ、安心しろ火憐ちゃん。 僕はそんな事もあろうかと、お金は大量に持ってきてるんだぜ」
火憐「ふうん」
暦「なんだよその期待していない眼差しは! 良いのかい火憐ちゃん、いいんだな?」
火憐「な、何がだ。 兄ちゃんの財布がすっからかんなのは知ってるんだぜ」
僕の強気な態度を不審に思ったのか、後退りをしながら火憐が僕に対して、そう言った。
ふふふ、馬鹿め。 お前は兄の偉大さを身を持って知るのだ。
暦「ほう。 これを見ても同じ言葉が言えるかな?」
と言いながら、火憐に僕の財布の中を見せる。
火憐「え、マジかよ。 壱……弐……参……百万くらいあるじゃねえか!」
暦「いや、そこまでは無いけどな」
参で数えるのやめるんじゃねえよ。 幼稚園児か。
暦「十万円だ、十万円」
火憐「じゅ、十万円……」
火憐「あたしが今まで持った事の無い数字だぜ……さすがは兄ちゃん、貯金してたのか」
暦「貯金? 僕がそんな事、出来ると思うのかい?」
火憐「正直、思わないけど……だからこそ、驚いてるんじゃねえか」
火憐が先程とは打って変わって、尊敬の眼差しを向けてくる。 こんな眼差しはしょっちゅう向けられているので、特に何も思わないけど。
そして、僕を神の如く崇拝して来る火憐に、僕は先程の火憐の様に、堂々と言い放った。
暦「実はこれ、家の生活費をこっそり貰ってきたんだよ」
火憐「うおりゃ!」
瞬間、火憐のローキックが炸裂。 狙ったのか、たまたまなのか、見事に太もものツボに入る。
分かる人には分かる、あの滅茶苦茶痛い場所である。
暦「いてえよ! 火憐ちゃん、今狙っただろ!」
火憐「不死身なんだろ? ならいいじゃん」
狙ってたのかよ、やめろよ。 お前の蹴りだけでも痛いのにさ。
つうか、なんて事だ。 これは非常にマズイ。
これからの生活、火憐の暴力に今より更に怯えなければいけないのか。
火憐にとって、不死身体質は良いサンドバック。
これが、今回の事から僕が得られた教訓だ。 とか、考えてみたり。
暦「良くない良くない。 絶対に良くない」
うわ言の様に呟きながら、火憐の事を見上げる。
ここで気を付けなければいけない事は、僕が蹲っていると言う事実である。
その為、火憐を見上げる形となっているのだ。
よく、巷では「火憐の方が僕より背が高い」等と言われているが、あれはあれだ。
僕の姿勢が悪いだけであって、決して! 絶対に! 火憐が僕より背が高いと言う事実は無いのだ。 多分。 恐らく。 だといいな。
火憐「まあまあ、良いじゃねえか。 あたしと兄ちゃんの仲だろ?」
そんな仲、僕は望んでいない。
暦「……言っておくが、火憐ちゃん。 ここで僕に逆らうと言う事は、お前の朝ご飯が無くなるって事なんだぜ。 分かるか?」
火憐「ぐっ」
火憐「け、けど。 あたしの正義がそれを許さねえんだよ。 兄ちゃんのやってる事は、泥棒と一緒だ!」
まあ、そうなんだけどな。
暦「おいおい、考えてもみろよ、火憐ちゃん」
暦「このお金は、確かに僕のでは無い。 それは認めよう」
暦「けどな、元はと言えば生活費だ。 僕や火憐ちゃんや、月火ちゃん。 それに両親のな」
暦「そのお金の僕と火憐ちゃんの分を持ってきた所で、問題は無いと思わないか? 悪い事に使う訳でも無いんだぜ」
火憐「そ……そう言われると。 確かに」
暦「だろ? それに、これだけお金があるとさ。 いくら紳士な僕でも、魔が差す可能性も否定できない」
暦「だから火憐ちゃん。 火憐ちゃんが僕の行動を監視して、何に使うか見ておかないと駄目だぜ」
暦「それが、火憐ちゃんの大事な役目なんだよ。 正義の役目だ」
火憐「正義の……役目」
火憐「……そうだな! 兄ちゃん、その通りだ!」
火憐「あたしが間違っていた……兄ちゃんの言う事に間違いはねえんだ」
火憐「よし、分かったぜ。 正義の役目だな、兄ちゃん! いい響きだ」
やっぱり、言い包めるのは楽だよなぁ。 月火と違って。
火憐「よし、そうと決まれば兄ちゃん。 その財布を寄越せ」
暦「え? 何でだよ、火憐ちゃん」
火憐「だってそうだろ? あたしは余計な物には使わない自信があるしな」
火憐「兄ちゃんに危ない橋は渡らせたくねえんだよ。 その財布を持っていなければ、余計な物を買う心配もねえだろ?」
暦「いや、待てよ、火憐ちゃん」
火憐「焦れったいな。 うりゃうりゃ」
僕の話に聞く耳を持たず、火憐は僕の体を抱きしめる。 抱きしめると言うか、ロックした。
暦「話し合おう! 話し合おうぜ、火憐ちゃん!」
火憐「つか、自信が無い兄ちゃんより、自信のあるあたしが持っていた方が良いだろ。 それだけじゃん」
そう言われると、僕にはもう、何も言い返せなかった。
閑話休題。
火憐「よっし。 じゃあ飯を食いに行こうぜー」
結果的に、火憐に財布を奪われ、僕は先程の火憐よろしく、無一文となってしまった。
折角、余ったお金であれやこれやを買おうと思っていたのに。 火憐め。
暦「つっても、無駄遣いは出来ないからなぁ。 いつまでこんな生活すれば良いのか、分からないし」
暦「手軽にコンビニでも行くとするか」
火憐「りょーかい」
とりあえずの行動を決め、僕と火憐は並んで歩き出す。
それにしても、火憐とこれだけ一緒に行動するのって、いつ振りなんだろう。
それこそもう、かなり昔の記憶でしか残っていない。
月火はいつも、こうして火憐と居るのかなぁ。
だとしたら、あいつ相当疲れるだろうな……
なんて、考えながら歩いていた時。
火憐「なあ、兄ちゃん。 ただ歩くってだけも、つまらなくねえか?」
と、横から火憐が話しかけてくる。
暦「なら別に、逆立ちしてもいーぜ。 今日くらいは見逃してやる」
優しいな、僕。
火憐「いや、そう言う訳じゃないんだよ」
僕の優しさを否定するな、この愚か者め。
暦「じゃあ、どういう意味だよ。 というか、普通に歩くのがつまらないって、これからどうやって生きて行くんだよ」
火憐「これからとか、そんな先の事なんて考えてられないだろ。 あたしは今を生きているんだよ」
こいつが言うと説得力あるよな。 だけど、今を生きていると言うより、その場の勢いで生きているって感じだが。
火憐「なんか暇潰ししようぜって事だよ。 兄ちゃん」
暦「暇潰し? 今この瞬間、この生産性の無いやり取りだけで、十分に暇潰しになっていると、僕は思うけど」
火憐「そうじゃなくってさ。 遊びながら歩こうぜ。 遊びながら」
暦「遊びながらか。 別に良いけどさ、肩車でもするの?」
火憐「それもしたいけど、あれやろうぜ」
肩車がしたいとか、どういう事だ。
少し、火憐の将来が心配になってしまう。
暦「あれって?」
火憐「じゃんけんだよ。 じゃんけん」
暦「必勝法の奴か? 言っとくが、僕はあれを認めていないからな」
火憐「違う違う。 違うんだ兄ちゃん」
火憐「あれだ。 ぐーちょきぱーでさ、勝った方が指の数だけ進めるって奴」
懐かしいなぁ。 小学生の時とか、妹達とやった物だ。
月火の奴は、ばれない様に少しずつ進むって反則をよくしていたけれど。 その辺り、じゃんけん必勝法の火憐と似ているよな。
と言うか。
暦「それは分かるけど、指の数じゃないからな」
グーで勝ったら、一歩も進めないじゃねえか。 チョキしか出さないだろ、そんなルール。
暦「グリコとか、チョコレートとか、パイナップルって奴か?」
火憐「あ、そうそう。 それだ」
火憐「やろうぜ!」
との提案で、まあ確かに、しばらくこんな事もしてなかったし、別にいいかなと僕は思うのだった。
時間経過。
暦「いくらなんでも弱すぎるだろ、火憐ちゃん」
開始一分。 既に十回やって、十回とも僕の勝ちである。
なんでも多分、進める数が多いとかで、チョキしか出さないんだと思うけれど。
チョキもパーも進める歩数的には一緒なんだが、それも多分、なんとなく多く進めそうだからとか、そんな理由だろう。
火憐の考えそうな事は、大体分かってしまうのだ。
そして、僕はグーでしか勝っていないので、合計三十歩進んでいると言う事である。
必死になる事も無いし、普通の歩幅で三十歩なのだが、少々声を張り上げないと届かない。 そんな距離感だ。
火憐「次は必ず勝つ!」
火憐は僕を指差し、堂々と宣言する。
暦「……仕方ねえな。 一回くらい負けといてやるか」
対する僕は、小さく呟き、次のじゃんけん。
僕はパーで、火憐はやはりチョキ。
火憐「いよっしゃあ! 勝ったぜ兄ちゃん。 勝った勝った!」
どんだけ嬉しいんだよ。 つうか六歩進んだ所で、どうにもならないだろ。
と、思っていた。 つい今の今まで。
火憐「よーし。 行くぜー」
火憐「チ!」
と言い、一歩踏み出す。
火憐「ヨ!」
と言い、更に一歩。
火憐「コ!」
と言い、あれ。
火憐「レ!」
と言い、言い。
なんでお前、僕の隣まで来れてるんだよ。
火憐「イ!」
と言い、僕を抜かして行った。
火憐「ト!」
と言い、更に僕を突き放す。
火憐「おっしゃー。 抜かしたぜー!」
暦「いやいやいやいや! おかしいだろ! なんだよそれ反則すぎるだろ!」
暦「何、何それ火憐ちゃん。 なんで僕の三十歩より、火憐ちゃんの六歩の方が大きいんだよ。 つうか一歩でお前、何メートル進んでるんだよ!」
火憐「おいおい、負け惜しみか? 情けないぜ、兄ちゃん」
暦「分かった、分かったぜ火憐ちゃん。 僕ももう、本気を出す」
暦「後で泣いてもしらねえからな!」
僕はそう宣言をして、じゃんけんをするべく、腕を構える。
火憐「上等だ! よーし。 行くぜ」
と火憐も啖呵を切り、僕と勝負すべく腕を構えた。
じゃんけん、ぽん。
僕が出したのは当然、グーで。
火憐が出したのは、パーだった。
おい、嵌めやがったなこの野郎。
回想終わり。
との訳で、火憐がそろそろ僕の視界から消えそうになってしまった所で、僕は火憐に声を掛けたのだった。
今はその遊びもやめて、再び並んで歩いている。
火憐「いやー。 楽しかったな、兄ちゃん」
暦「僕は火憐ちゃんに頭脳戦で負けた事が、今日一番のショックだ」
火憐「いいじゃんいいじゃん。 遊びなんだしさ」
火憐「兄ちゃんとこんな遊びするのも、大分前以来だよなぁ」
意外にも、火憐もそう思っていたのか。
暦「だな。 いっつも月火ちゃんと居たしな、火憐ちゃんは」
火憐「そうか? いつもって訳でも無いけど」
火憐「てか、月火ちゃんと一緒に居なくても、兄ちゃんが遊んでくれたとは思えないんだけど」
まあ、そうなんだけれど。
暦「僕が見る限り、一緒に居ない方が珍しいくらいだよ。 それこそ、厄介事に首を突っ込んでいる場合を除いてさ」
火憐「ふうん。 そっかぁ。 じゃあ、今もそのパターンだな」
暦「間違い無くそうだろ。 これからマジで、どうすればいいんだろ」
火憐「弱気になるなって。 何があっても兄ちゃんはあたしが守ってやるからよ!」
立場逆じゃん、これ。
さて。
……さて。
真面目な話、どうすればいいの、これ。
第十三話へ 続く
火憐「そんな怒るなって、もう終わった物は仕方ないだろー?」
朝の十時。
僕と火憐は仲良く、公園のベンチに隣同士で腰を掛けていた。
暦「別に、怒ってる訳じゃねえよ。 けどさ、火憐ちゃん」
火憐「ん?」
暦「確かに、ご飯は大事だよ。 一日三食、しっかり食べないと駄目だ」
火憐「そりゃそうだ。 それがどうかしたか?」
暦「けどさー。 だけどさー」
暦「なんで、朝飯代で既に五千円消えてるんだよ。 なあ」
火憐「うーん。 兄ちゃんが食べすぎたんじゃないか?」
暦「よくそれ言えたな! 僕が食べたのはおにぎり二個だけだからな!?」
火憐「だとすると……」
火憐が考え込む。 いつになく真剣に、答えを導き出す為に。
火憐「そのお茶が原因じゃねえのか?」
結論が出たのか、火憐は僕が片手に持っているお茶を指差した。
暦「おにぎり一個百二十円だろ。 で、二個で二百四十円だよな」
暦「どんだけお茶が高い計算なんだよ! もしそんな高いお茶なら、僕は公園の水で十分だ!」
火憐「そっかそっか。 うーん。 じゃあなんでだろうな?」
暦「はっきり言うぜ、火憐ちゃん。 お前食いすぎだ」
暦「そんな食ってたら、太るぜ?」
僕がそう言うと、火憐は不満そうに答える。
火憐「んだよー。 レディに対して言う言葉じゃねえぞ」
火憐「それに、ファイヤーシスターズは良く食べるんだよ」
なんだよそれ、当たり前の事の様に言ってるんじゃねえ。
暦「てかさ、前から思ってたけど。 何かとファイヤーシスターズのせいにしてるよな、火憐ちゃん」
火憐「あ? 文句あんのか?」
やべえ、怖い。
暦「いやあ。 火憐ちゃんが太るのとか見たくないからさ。 兄として? 見過ごせないと言うか、見ていられないと言うか。 そんな感じなんだよ」
火憐「だいじょーぶだいじょーぶ。 あたし食べても太らないから。 運動もしっかりしてるしな! にっしっし」
暦「そんな事を言えるのも今の内だぜ。 それより、既に少し太ったんじゃないか? 前より」
火憐「へえ。 なら試すか」
暦「あん? 試すって、体重計でも持ってくるのか?」
火憐「こうするんだよ。 とりゃ!」
そう言い、火憐が僕の方へと飛んできた。
いや、それはもう豪快に。
暦「待て、待て待て待て待て待て待て待て火憐ちゃん!」
飛びながら、火憐は笑顔で。
火憐「もう間に合わねえ」
と。
閑話休題。
火憐からの攻撃(本人からしてみれば、僕の上に覆い被さっただけ)を受けて、ほとんど一日分の体力を使い果たした。
火憐「どうだ? 軽かっただろ」
暦「いや……普通に苦しいから……」
火憐「あれ、おかしいな。 もう一回やってみるか」
暦「軽い、滅茶苦茶軽い。 ぶっちゃけ、火憐ちゃんの体重とか僕の前では重さじゃないくらい軽い」
火憐「そうか。 ならいいんだけど」
さておき。
暦「それより火憐ちゃん、真面目な話だけどさ。 これからどうしようか」
火憐「これからかぁ。 なんなら、月火ちゃんに討ち入りして、占領するか?」
占領って、あの家をだよな。 いつの時代だよ。
暦「まあ、それはやめた方がいいだろ。 今の時代じゃ、只の立て篭もり犯になっちまう」
火憐「そうか……犯罪は駄目だな。 駄目だ」
犯罪には厳しい火憐であった。 昨日の学校に入っていたあれも、犯罪だと言う事は伏せて置こう。
暦「うーん」
火憐「うーん」
同じタイミング、同じ発言、同じポーズ。
横で僕と同じ様に腕を組み、頭を傾げる火憐を見た。
真似するなよ、こいつ。
火憐「あ」
暦「お、何か思いついたか?」
火憐「兄ちゃんの言っている忍野って奴は、さっきの廃墟で暮らしているんだろ? なら」
火憐「その廃墟で待っていれば、忍野って奴も来るんじゃないか?」
火憐「元々はそこで暮らしていたなら、鳥が巣に帰るかの如く、戻ってくる筈だぜ」
あいつは鳥って感じでは無いけどな。
無理矢理にでも鳥って表現を使うなら、渡り鳥って感じか。
つうか、お前。 会った事すら無い人を相手に、何々って奴って言い方はやめて欲しい。 兄として変な目で見られそうだから。
暦「ふむ。 確かに、ありっちゃありだな」
口ではそう言うが、内心それしかないと思ったんだけれども。
暦「よし、そうと決まれば火憐ちゃん。 さっそく出発だ」
火憐「おう!」
火憐が元気良くそう言い、その場にしゃがみ込む。
僕はそれを見て、火憐の上に乗っかった。
火憐「よっと。 んじゃ、行くぜ。 兄ちゃん」
暦「おう」
出発進行。
あれ。
あれあれ。
なんか自然な感じで肩車してるけど、別にそんな話してなかったよな。
こえー。 火憐の背中を見たら、いつの間にかこの形になってた。 こえーよ。
つか、火憐の方は何の疑問も持ってないみたいだし。 余計に怖い。
でも、まあ。 楽だしいっか。
今は周囲の目だとか、近所の目なんて気にしなくて良いしな。
暦「なあ、火憐ちゃん」
火憐「んー。 どうした、兄ちゃん」
暦「真面目な話だけどさ、火憐ちゃんはあの後、もし僕が来なかったらどうするつもりだったんだ?」
暦「お金も無かったんだろ?」
火憐「うーん。 特に先の事は考えて無かったかな。 さっきも言ったけど、今を生きているんだ。 あたしは」
暦「ふうん」
火憐「でも、考えて無かったってのはあれだぜ」
暦「ん?」
火憐「兄ちゃんが来るって分かってたから。 かな。 なんとなくだけど、そう思ってた」
暦「また、気配がどうたらって奴か? すげーよな、火憐ちゃん」
火憐「違うよ、兄ちゃん」
火憐「多分、心のどっかで、そう信じていたんじゃねえかな。 兄ちゃんなら来てくれるって」
馬鹿だなぁ。
僕が、火憐の事を思い出さなかったら、どうするつもりだったんだよ。 本当にさ。
暦「お前も、少しは僕の事を疑えよ。 生きていけないぞ、この先」
火憐「兄ちゃんの事は疑わない。 そう決めてるから」
火憐「もし、あたしが兄ちゃんの事を疑う様な時が来たら、あたしは」
暦「……どうするんだ?」
火憐「死ぬ!」
重っ!
これから先、火憐に疑われそうな行動とかできないじゃん!
暦「まあ、けどさ」
暦「僕も感謝しているんだぜ、火憐ちゃんには」
火憐「はあ? あたしに?」
暦「うん。 正直言って、火憐ちゃんに突き放されるんじゃねえかな。 って思ってたんだ」
火憐「あははは! あたしがそんな事、する訳ねえだろ。 馬鹿なのか兄ちゃん」
うわ、自分で自分の事を馬鹿だと思うのはいいけど、こいつに言われると予想以上にむかつくな。
火憐「ま、全部終わった事だし、あんま暗い話は終わりにしようぜー。 結果良ければ全て良しって事だ!」
暦「その結果も、まだ終わってないけどな」
さておき。
そんな話をしている内に、どうやら目的地へと付いた様である。
火憐「しかし、こんな所で生活をしているなんて、よっぽど強いんだな。 その人」
暦「廃墟に住んでる人は全員強いのかよ。 火憐ちゃんの中では」
強ち、間違った答えでも無いんだけど。
忍野然り、影縫さん然り。
火憐「とりあえず、荷物置くかー」
てか、そうだった。 こいつ、めっちゃ大きな荷物を持っているんだった。
そんな大荷物を持った妹に肩車させているって、さっきは周囲の目とか気にしないとは思ったが、やっぱり気にした方が良かったと思う。
後悔先に立たずとは、なるほど納得。
暦「それより先に、僕が降りた方がよくないか?」
火憐「ん? ああ、そうだった。 兄ちゃんはあたしの上に居たんだったな。 危うく忘れる所だったぜ」
お前は今まで誰と話しているつもりだったんだよ!
火憐が僕の存在を思い出してくれた所で、ようやく僕は火憐の頭の上から地へと舞い降りる。
暦「とりあえずは、忍野がいつも使っている部屋があるからさ、そこを根城にしよう」
火憐「おっけー。 案内頼むぜ、兄ちゃん」
こうして、僕と火憐は忍野を見習い、廃墟をとりあえずの拠点とする事にしたのだった。
火憐「なんかこうしてるとさ、秘密基地みたいでワクワクするよなぁ」
暦「あー。 その気持ちは分からなくも無いな。 小学生の時とか思い出すよ」
火憐「懐かしいなぁ。 そういや、先月も」
暦「え、何々。 先月に秘密基地ごっことかやってたの?」
火憐「当たり前だろ。 月火ちゃんと一緒にさ」
暦「月火ちゃんも!? え、ってかさ。 さっき学校の屋上で「ここはあたしのテリトリー」とか言ってたのってそういう意味だったの?」
火憐「ああ。 あそこは血で血を洗う戦いの末に、勝ち取った所なんだぜ」
暦「なんだよそれ! そんな恐ろしい場所だったのかよ、あそこ」
暦「お前らファイヤーシスターズの活動内容を詳細に知りたいわ!」
火憐「じゃあ、今度一緒に行こうぜ。 あたしと月火ちゃんと、それに兄ちゃんだ」
暦「ああ、そうしてくれ」
あれ、何だかうまく篭絡された気がするぞ。
閑話休題。
暦「さて、僕は必要な物を買ってくるけど、火憐ちゃんはどうする?」
火憐「んー。 どうすっかな」
火憐「根城に侵入者がいない様に見張るのも大事だけど、兄ちゃんにパシらせるのも、気分が良い物じゃねえんだよな」
僕はお前にパシらせるのは非常に気分が良いのだが、それは言わない方が良いだろう。
暦「じゃあ、一緒に来るか? 火憐ちゃんも必要な物とか、あるだろ?」
火憐「ああ。 確かにそうだ。 持って来れなかった物とか、忘れた物とかあるし」
暦「んじゃ、行くかー」
と、話が纏まった所で、貴重品以外の荷物はその場に置いておき、僕と火憐は廃墟から外へと出る。
しっかし。 忍野の奴はどこに行ったのだろうか?
この廃墟に居ないとなると、どうにも探すのには手間が掛かりそうである。
残金だってそこまである訳でも無いので、見つけるにしても、早めに対策を立てないとなぁ。
火憐「兄ちゃん、何ぼーっとしてるんだよ。 置いていくぞー」
考え事を火憐の声が遮る。 しかし、ああ悪い悪い、今行くよ。 とはならない。
暦「ぼーっとしてたのは謝るよ。 悪かった。 でもな、火憐ちゃん。 そっち、逆だぜ」
僕がそう教えてやると、火憐は「あはは」等と言い、頭の後ろをぼりぼりと掻く。
火憐「ま、良くある事だな。 さっさと行こうぜ」
いや、そんな無い事だと思うけれど。 ましてや、地元だし。
等と考えている僕の横を火憐が通り過ぎる。 その際に舌打ちらしき物が聞こえたのは無かった事にしておこう。
時間経過。
必要な物を買い揃え、僕と火憐は廃墟へと戻っている途中である。
途中で火憐の目を盗み、僕が個人的に欲しい物を買おうとしたのだが、結局ばれてしまい、殴られた。
最早、殴られるのが当たり前になっている辺り、火憐とじっくりと話をしたいのだが、そうすれば更なる暴力に発展してしまうのだろう。
家庭内暴力とは、この事か。
そして、火憐曰く「兄ちゃんから、危険な気配がした」との事らしい。 お前やっぱり凄いよ。
そして───────────そして。
廃墟へ着く直前。
僕の目の前。
火憐の目の前。
忍野が、僕達の前に現れた。
忍野「やあ、阿良々木くん。 それに、そっちは妹ちゃんかな?」
暦「忍野……! お前、今までどこに行ってたんだよ」
忍野「野暮用だよ、野暮用」
忍野「妹ちゃんとは始めましてだね。 忍野メメと言います」
おどけた様に、忍野はそう言う。
火憐「あ、ええっと。 阿良々木火憐だ」
忍野「なるほど、君が阿良々木くんの言っていた、でっかい方の妹って訳か。 なるほどなるほど」
忍野「こりゃ、確かにでっかいね。 阿良々木くんよりも」
暦「うるせえ。 つうか、忍野。 僕が話したいのはそんな事じゃないんだよ。 お前に話さないといけない事も、あるしな」
忍野「そうかい。 それはさ、阿良々木くん。 今回の怪異についてかな?」
暦「当たり前だ。 それ以外に話なんて無いし、話せる事だってねえぞ」
忍野「なら、そうだね。 とりあえずは上に移動しようか。 ここで話しても、あれだしさ」
忍野「勿論、妹ちゃんもね。 君はもう知っているんだろ? 阿良々木くんの事」
火憐「……そりゃ、まあ」
忍野「あっはっは。 そうかい。 なら本当に話は早い。 付いてきなよ」
そう言い、忍野は僕と火憐をいつもの場所、いつも忍野が居た場所へと案内する。
そして、机の上に忍野は座り、対面する僕と火憐に対し、こう言った。
忍野「って言っても、大体は分かっているんだよね」
忍野「僕だって、ただ意味も無くぶらぶらしてた訳じゃないしさ」
忍野「うーん。 何から話せば良いのかなぁ。 こんな時って」
暦「何からって……最初からだよ。 忍野は全部、分かってるのか?」
忍野「僕が分かっているのは大体、までさ。 全部と似たような物だけれどね」
忍野「ま、いいか。 じゃあ、この話からするとしよう」
忍野「今回の一連の出来事に絡んでいる怪異の正体について」
忍野「はは、まあもっとも。 一番心当たりがあるのは……君だろ?」
忍野「阿良々木くんの妹ちゃん」
第十四話へ 続く
何を言っているんだ。 忍野の奴は。
暦「おい、どういう意味だよ。 忍野」
忍野「そのままの意味さ。 ありのままだよ、阿良々木くん」
暦「それが、意味わからねえって言ってるんだよ。 何で火憐ちゃんに心当たりがあるんだ」
忍野「だからさ。 その妹ちゃんが原因で起こっている怪異なんだし、当然だろ?」
ちょっと、待て。
火憐が原因だと? 忍野の奴、ついにトチ狂ったか。
暦「冗談はよせよ。 つうか、僕はお前その物が怪異なんじゃないかって疑ってるんだぜ」
忍野「ん? それは前に否定しなかったっけ?」
忍野は若干呆れた様に、僕に向けてそう言う。
暦「お前の口から聞いても、信用できない」
忍野「ああ、確かに。 そりゃそうだ、 あははは。 これは一本取られたね、見事だよ。 阿良々木くん」
暦「認めるのか? 忍野」
忍野「え? はは、まさか」
忍野「簡単に僕が怪異かどうか、分かる方法なら一つだけあるよ」
暦「簡単に?」
忍野「うん。 本当に数秒あれば終わる事さ」
忍野「君だって、本当は分かってる筈なんだぜ。 阿良々木くん」
僕が、分かっている?
忍野が怪異かどうか?
暦「そうは思わないけどな。 それで、簡単に分かる方法ってのは?」
忍野「単純な方法だよ」
「--------------------忍ちゃんに、聞けばいい」
と、忍野は言い放つ。
僕の影に向けて。
元吸血鬼に向けて。
その言葉に答える様に、忍は僕の影から姿を現した。
忍「ふん。 いけ好かない小僧じゃよ。 全く」
暦「忍? お前、今までどうして姿を出さなかったんだよ!」
なんで、このタイミングで姿を出すんだよ。
それじゃあ、まるで。
忍「慌てるな、しっかり全てを説明する」
忍野の言っていた事が、本当みたいじゃないか。
暦「説明するって……お前、分からないって言ってたじゃないか」
忍「あの時はそうじゃった。 だが、今は違う。 全て分かったんじゃよ」
忍「全てと言っても、儂は専門家では無いのでな」
忍「儂にも説明できる事は限られておる。 儂の補足はそこのアロハ小僧に任せるが、いいかのう?」
忍野「勿論」
そして、忍は続けて口を開く。
全てを説明する為に。
忍「まずは、そうじゃな」
忍「そこのアロハ小僧の事じゃな。 儂が言っていたのは間違いじゃ。 奴は正真正銘、人間じゃよ」
忍野が、人間。
怪異では……無い。
忍「その辺りは上手い事、使われたと言うか……非常に不愉快じゃがな」
忍「そして、今回の怪異の事」
忍「……先程、アロハ小僧が言っていた通りじゃ」
忍は、火憐が原因との言葉は使わなかった。
その気遣いが、また少しだけ、辛くもあった。
忍「その辺りは、貴様の方が詳しいじゃろ」
忍はそのままの姿勢で、顔だけを忍野へと向ける。
忍野「オーケー。 じゃあ怪異の事を説明しようか」
忍野は座っていた机から降り、僕に向けて言う。
忍野「忘物草。 それが今回の不思議現象を起こしている怪異の名前さ」
忍野「比較的新しい怪異だよ。 その分、身近でもあるんだけどね」
忘物草。 物を忘れる、草。
忍野「分かるだろ? 名前そのままだよ。 阿良々木くん」
忍野「僕は結界を張っておいたから、影響は無いけどさ。 君の周りは違うよね」
暦「けど、それならどうして……どうして、火憐ちゃんが原因なんて言うんだよ」
暦「忍野は言ってたじゃねえか。 僕がヤバイ状況だって、言ってただろ」
暦「それで、火憐ちゃんは巻き込まれたんじゃないのか。 僕のせいで」
忍野「はっ! ははは。 確かに、僕はそう言ったね」
忍野「でもさ、阿良々木くんが原因だなんて、ひと言も言ってないよ」
忍野「阿良々木くんにも分かる様に、はっきり言った方が良さそうだ」
忍野「逆なんだよ、阿良々木くん」
逆。
それって、つまり。
忍野「そこの妹ちゃんが原因で、阿良々木くんは巻き込まれた側って事さ」
忍野「噛み砕いて言うと、妹ちゃんは加害者。 阿良々木くんは今回に限っては、被害者って事だね」
暦「なんだよ、それ。 冗談にもならないぞ、忍野」
暦「火憐ちゃんが、原因だと? あんな悩んでいたのに、苦しんでいたのに、加害者の訳がねえだろ!」
忍野「だからだよ。 阿良々木くん」
忍野「優しいよね、阿良々木くんはさ。 でも、その優しさが人を傷付ける事だって、あるんだぜ?」
忍野「そして、今回僕はその優しさを利用した。 って立場になるんだけどね」
暦「利用? 僕をか?」
忍野「うん。 その件については悪いと思っている。 言い訳をさせてもらうと、それが一番手っ取り早かったって所かな」
暦「……分かった。 説明してくれ」
とは言った物の、訳が分からない。 一体、何が起きていたんだ。
頭が痛く、吐き気もしてくる。
火憐が加害者で、僕が被害者。
いつの間にか、僕は忍野と火憐との間に壁を作る様に立っていて、火憐の表情は分からない。
けど、いつも元気なあいつがひと言も喋らないのが、逆に気持ち悪かった。
忍野「忘物草。 特性は呪い。 今、中学生の間で噂されているみたいだね」
忍野「もっとも、大分曲解されて伝わっているみたいだけど。 その辺は、妹ちゃんの方が詳しいんじゃないかな?」
忍野が火憐に向けて、そう言った。
火憐「……分かった。 説明する」
今まで押し黙っていた火憐は、あっさりと。 まるで、その言葉を待っていたかの様に、口を開く。
火憐「兄ちゃん、頼みごとだ。 聞いてくれるか。 あたしの話」
火憐は僕の背中に、そう声を掛ける。
僕は後ろを振り返り、こう答えた。
暦「いいぜ、引き受けてやるよ」
火憐は僕の言葉を聞くと、小さく笑い、語り始める。
一人の妹の想いと、一人の人間の想いを。
以下、回想。
ある日、火憐の蜂の話と、月火の不如帰の話が終わってすぐの事だったらしい。
とは言っても、月火の話は火憐にしていないので、火憐は「ダンプカーが家に突っ込んだ後」と言っていた。
そんな問題が終わったある日の事だ。
中学生の間では、ある噂が広まっていた。
なんでも。
「帰宅中に、突然目の前に一輪の花が現れて、それに願うと願いが叶うらしい」
と、中学生らしいと言えば中学生らしい、噂話である。
例えて言うならば、ある桜の木の下で告白すれば、その恋は実るだとか、その程度の話。
噂話。
しかし、それは繋げてしまった。
一つの怪異と、一人の人間を。
その噂を聞いた火憐は、真っ先に例の『おまじない』の事が頭に浮かんだと言う。
まあ、それもまた無理の無い話なのだろう。 貝木が去った次の日には、後始末的活動をしていたファイヤーシスターズなのだから。
が、火憐の予想は外れた。
それは本当に、ただの噂話でしか無く、貝木が広めた『おまじない』は絡んでいなかったのだ。
その結果に満足した火憐は、一人帰路に就いたと言う。
月火はその日、別件で駆り出されていて、火憐にはどうにも、首を突っ込んだら事態を更にややこしくしてしまう案件だったらしい。(大方、恋愛相談か何かだろう)
そして、図らずも、出会った。
出会ってしまった。
一輪の花と。 怪異と。
火憐は呆気に取られたと言う。
目の前に、アスファルトの地面から咲き誇った一輪の花に。
次に頭に浮かんだのは、昼間の噂話だった。
「帰宅中に、突然目の前に一輪の花が現れて、それに願うと願いが叶うらしい」
そして、火憐は願った。 条件反射的に、願った。
回想終わり。
暦「って事は、その火憐ちゃんの願いが、今回の怪異を起こしたって事か?」
火憐が、皆の記憶が無くなる様にと、願った?
火憐「違う! あたしは、そんな事は願っちゃいない!」
火憐は今にも泣き出しそうな顔をしていて、今までそんな表情を見たことが無かっただけあり、言葉に詰る。
だが、言わなくては。 無理にでも。
暦「……でも、それならどうして。 火憐ちゃんは、何を願ったんだ?」
火憐「それは……」
言い辛そうに、火憐が口を閉ざす。
それも、そうかもしれない。
願いなんて本来は、人には言いたく無い物だろうし。
忍野「阿良々木くん。 あんま責めたら可哀想じゃないか。 その辺りは僕が補足するからさ」
上辺だけの言葉だな。 とは思う。 他の誰でもない、忍野自身が語らせたのだから。
けれど、忍野を責めるのもまた、筋違いだろう。
暦「分かった。 忍野、話してくれ」
僕がそう言うと、忍野は一度頷き、口を開く。
忍野「まず、その怪異の噂話を正す所からになるかな」
忍野「そいつはそんな、有益な物じゃない。 怪異はあくまでも怪異。 それに、忘物草の特性は、呪いなんだぜ」
呪い。 人に対してかける、呪い。
忍野「そして、願いってのも少し違うかな」
忍野「忘物草の効果は、極めて限定的だ」
暦「限定的? 何でもって訳じゃないのか」
忍野「そうだよ。 考えてもみろよ、阿良々木くん。 何でも叶える草なんて、それはもう神って言った方が正しいだろ?」
忍野「それで、その効果なんだけど」
忍野「一人の対象に、忘れられなくなる」
忘れ『られなく』なる?
暦「待てよ、忍野」
暦「忘れられるんじゃなくて、忘れ『られなく』なるのか? それだと説明が付かないぞ」
忍野「どこにどう、説明が付かないのか説明してもらえるかな。 阿良々木くん」
暦「だって、そりゃそうだろ。 現に僕と火憐ちゃんは、忘れられているんだぜ? 戦場ヶ原達にも、同じ怪異である八九寺にすら」
忍野「そこだよ。 それが忘物草の特徴って言ってもいいね」
忍野「呪いはあくまでも呪い。 それだけって事さ」
忍野「一人の人間に忘れられなくなる、だけど」
忍野「他の人間からは忘れられる。 それも、全ての人間から」
……つまりは、呪い。
暦「けど、それでも説明が付かないだろ。 火憐ちゃんが何を願ったのか分からないけど、それで加害者扱いってのは、どうかと思うぞ」
忍野「はは、だからさ。 阿良々木くん」
忍野「君もここまで来れば、さすがに分かるだろ?」
忍野「いつまで、分かっていない振りをしているんだよ。 なあ」
僕は、火憐の願いを知っている?
忍野「妹ちゃんは願ったんだよ。 忘物草に」
忍野「阿良々木くんに忘れられたく無い。 ってさ」
火憐が、僕に? 忘れられたく無いと?
つまり……
火憐が願ったのは、僕の事?
暦「そうなのか、火憐ちゃん」
再度振り向き、火憐に問う。
火憐「……そうだよ。 あたしはそう願った」
……分かっていた。 心の奥底では、気付いていた。
でも、気付かない振りをしていた。
今までも、そして、今も。
暦「なんでだよ! そんな事しなくても、僕は忘れないぞ」
火憐「分かってる。 分かってるさ」
火憐「でも、なんとなく気付いてたんだよ」
火憐「兄ちゃん、高校を卒業したら、家を出て行くつもりだろ」
火憐は顔を伏せ、消え入る様な声で、そう言った。
暦「そりゃ、大学に行くし。 家から通うのも大変な距離だからな」
火憐「……それが、怖かったんだ」
弱々しく、火憐は続ける。
火憐「頭では分かっていたんだよ。 そんな事で兄ちゃんが、あたしの事や月火ちゃんの事を忘れる訳が無いって」
火憐「でも、あたしは」
暦「火憐ちゃん……」
結局、ここまで来ても。
火憐の想いに僕は、気付けなかった。
忍野の方に向き直り、僕は再度聞く。
暦「……仮に、仮にそうだったとしてもだ。 僕は火憐ちゃんの事を忘れかけていたんだぞ。 火憐ちゃんだけが、皆から忘れられていようとしたんだぞ」
暦「今は思い出しているけれど……それが、呪いって奴か?」
忍野「前者のは副作用みたいな物だよ。 後者の、阿良々木くんが今、妹ちゃんの事を思い出してるって言うのは、ぶっちゃけると、怪異自体も予想外だったんじゃないかな」
どういう、事だ?
火憐は、僕に忘れられたく無いと願って、それが叶って、僕は火憐の事を思い出したんじゃないのか?
忍野「まあ、それが僕にとっても、結構な驚きだったんだけどさ。 阿良々木くんならって可能性もあったからね」
忍野「とは言っても、本来は思い出さない物なんだけれど。 知ってるかい、阿良々木くん」
忍野「この怪異の目的は」
忍野「その対象を殺す事によって、一生の記憶にする事なんだから」
暦「殺す? ……それって」
続く言葉が出てこない。
つまり。
対象を殺す。 僕を殺す。
確かに、そりゃそうかもしれない。
呪いをかけた奴が、呪いをかけられた奴を殺す。
そして、そこで記憶は終わる。 最後の記憶として。
暦「待てよ。 待てよ忍野。 全然付いていけねえぞ」
暦「一旦、話を戻そう。 まず、忍野が僕を利用していたってのは、どういう意味なんだ」
忍野「うーん。 阿良々木くんはやっぱり、頭の回転が悪いね。 別にいいんだけど」
忍野「それじゃあ、まとめと入ろうか。 最初から、順を追って説明しよう」
忍野「頭の回転が悪い阿良々木くんでも、分かる様にさ」
忍野は笑い、僕にそう言った。
第十五話へ 続く
忍野が異変を感じて、ここに戻ってきた日。
やはり、目的があって僕の前に現れたらしい。
もっとも、その時点で僕が異変に気付いていれば、事はもっと簡単に終わったと言う。
最初の異変。
妹達が、僕を起こしに来なかった事。
もっとも、これは忍野には伝えたのだが。
僕が伝えたのは『妹達が起こしに来なかった』との話で、それを聞いた忍野は、火憐と月火を対象から一度、外したらしい。
そうだ。 僕はてっきり、二人ともが二人とも忘れている物だと思っていたんだ。
しかし、違う。
火憐は覚えていたのだ。 いつもと同じ様に、なんとなく、覚えていた。
そして、月火は完全に忘れていた。 兄と言う僕の存在を。 一瞬ではあるが。
僕はそれに気付かず、更に忍野の登場にも思う事はあったのだけれど、流してしまった。
当然だが、あの時、既に忍野は気付いていたと言う。
僕に呪いをかけた人がいて、僕に呪いがかかっている事を。
しかし、先程も言った様に、呪いをかけた人が誰かまでは、忍野でも分からなかった。
なので忍野は泳がせる事にした。 この僕を。
忍野から言わせれば、僕に忘れられたく無いと思う人間等、恐らくは僕と関係のある人間だと思った。 との事だ。
そして、そんな奴なら必ず、僕に接触してくる筈だ。 と。
その予想は、当たる。
僕に呪いをかけたのは、他でもない。 阿良々木火憐だったのだから。
だが、忍野にも予想外の出来事が起きてしまう。
怪異の効果が、想像を上回る速度で広がっていた事だ。
通常ならば、一ヶ月や二ヶ月、その位の時間を掛けて、徐々に広がっていく怪異との事らしい。
けれど、今回は違った。
忍がこの町に来たのが原因の一端とも言える。 しかし、それ以上に。
呪いをかけた人間の想いが、強かった。
そして、忍野はそれに対処するべく、僕や戦場ヶ原、羽川を呼び出したと言う。
主に呼び出したかったのは僕らしいが、戦場ヶ原と羽川は保険で呼び出したらしい。
頭が異様に良い二人にも話しておけば、何かきっかけとなる物を掴めるかも。 と踏んでの事だ。
それに異論を呈する訳にも行かないので、僕は黙ってその話の、忍野のまとめた話の続きを聞いた。
その後、一連の説明が終わり、忍野は最後に僕に言った。
僕が、ヤバイ状態であると。
そして、羽川と戦場ヶ原は先に帰らせ、二人が去った後の廃墟には、僕と忍野だけが残され。
もし、気付いた事があったら忍野に報告する様に、と警告した。
そう警告する事によって、僕が異変を自ら解決しようとして、動くだろうと考えての事だ。
読まれていたのは腹立だしいと言うか、気分が悪いと言うか、そんな感じなのだが。
この場合、完全に読まれていた方が良かったのだろう。
まとめると、忍野が予想出来なかった事が、三つある。
一つ目は、先程も言った様に、火憐の想いが予想以上に強く、怪異の広まる速度が速かった事だ。
そして、もう一つは。
僕が、火憐の事を思い出した事。
最後の一つは。
火憐が僕に近づくのでは無く、遠ざかる選択肢を取った事。
最初の一つはともかく、後の二つは結果的に、良い方に転んだと言えるかもしれない。
僕が火憐の事を忘れ、火憐が僕から距離を取った。
僕が火憐の事を思い出し、しかし火憐と接触しなかった。
この二つの場合は、それこそ最悪だったのだが、僕は幸いにも『火憐の事を思い出し、火憐と接触した』のだから。
忍野の目的は、この時点で達成されたとも言える。
僕が餌となり、呪いをかけた火憐を釣り上げた形だ。
そして、怪異。
忘物草は、呪いをかけた人間に憑き、対象の人間を殺すと言う。
この場合は火憐に憑き、僕を殺すと言う事だ。
呪いをかけられた対象は、呪いをかけた人物以外から、少しの間だけ忘れられ、その後、他の奴同様に、呪いをかけた奴の事を忘れると言う。
簡単に説明すると、火憐の立場と月火の立場。
僕は少しの間、火憐の立場に居て、次に月火の立場へと移った。
通常、この後数日を持って、怪異は僕を殺しに来ていたと言う。
しかし、僕は火憐の事を思い出し、再び火憐の立場に移った。
この場合、やはり同じく、怪異は僕を殺すのだけれど、対策が打てると言う。
つまり、火憐と僕が接触していなければ、成す術も無く殺されていたと言う事だ。
それを考えれば、僕が火憐の事を思い出したのは、不幸中の幸いと言ってもいい。
そして、本来ならば、忍野の様な専門家一人が居れば、その怪異を発見する事さえできれば、すんなりと解決できるとも言っていた(もっとも、予め対象を発見しておく事は必須らしいが)
が。
草は成長する。
雑草が水を吸う様に。 花が水を吸う様に。
忘物草は、人の想いを吸う。
そして、そのエネルギー源でもある火憐の想いは、非常に強かった。
当然、そのエネルギーを吸った怪異自体も。
既に、忍野だけでは手に負えないレベルだと言う。
出来る限り、被害が出ない様に、ここ数日は結界を張り巡らせていた。 との事だ。
なるほど、それで廃墟には居なかったって事なのだろう。
そして、その怪異を消す為には選択肢が三つ。 いや、四つか。
一つ目は分かり易い。 神原の時と同じ条件。 僕が殺される事。
二つ目はその逆。 火憐が死ぬ事。
三つ目は一番難易度が高い。 怪異の本体を炙り出し、戦って怪異のみ殺す事。
四つ目は。
「四つ目はあまりオススメが出来ないかな。 やり方は三つ目までと同じ、本体を炙り出すんだけど」
「この草というか、花というか。 まあ、どっちでもいいんだけれど。 弱点があるんだよ」
「てっぺんに咲いている一輪の花。 それをぶった切れば、怪異は死ぬ」
それだけか? と僕が聞いたら。
「いいや、妹ちゃんも『死ぬ』よ」
「妹ちゃんの姿のまま殺すか、怪異の姿をしている妹ちゃんを殺すか、どっちかって事かもね」
との事だ。
勿論、そんな案は却下である。
それを聞いた僕が出した結論は。
三番目。
戦って、怪異のみ殺す事である。
弱点である花を切らず、怪異のみを殺す。
忍の刀……心渡を使えば、大分楽になるとは言え、それでもかなり厳しい戦いらしい。
まあ、けど。
「忍ちゃんのブレードなら、勝率は大分上がるよ。 少なくとも、倍くらいにはなるね」
「そうか。 けれど、忍野。 僕は心渡を使わないよ」
「……正気かい? それで阿良々木くんが死んでも、責任は取れないけどなぁ」
「いいよ別に。 僕が死んでも、火憐ちゃんは元に戻るんだろ?」
「へえ。 体面的には、方法の三番目を取って、結果的には一番目を選ぶって事かな」
「違う。 忍野風に言わせて貰えば、一番目は保険みたいな物さ。 僕は三番目を選ぶ」
「なら、忍ちゃんのブレードを使わないのは、何でだい?」
「そんなの、当たり前だろ。 妹に、火憐ちゃんに刃を向けるなんて、論外だ」
「はは、あはは。 阿良々木くんらしいね。 まあ、別に僕はいいけどさ」
僕は、僕自身で火憐と戦う。
正直、あの化物みたいな妹に、更に化物の力が加わったら勝てる気なんてしねえけど。 それでも僕がやるべき事だ。
忍野曰く、火憐にはただ純粋な想いしか無かったと言う。
僕を想い、想ってくれた。
なら、その想いに答えるのも僕の役目だ。
人間としての、僕。
ああ、そうそう。 忍の話もしておこう。
あいつはどうやら、僕が火憐と出会ったその瞬間に、正体に気付いたらしい。
正確に言えば、ある程度成長した怪異に憑かれている火憐を見たら。 だ。
曰く。
「儂が出たら、必ずお前様には言ってしまう。 それは、避けたかったのじゃ」
「まあ、あのアロハ小僧が来た事によって、結果的に避ける事は出来なかったんじゃが」
「放って置いても、その内に怪異が出てきて、お前様が殺される事になったんだろうがのう」
との事。
本当に、お人好し吸血鬼である。
そして、今。
忍に血を吸わせるのも、僕は避けた。
いくら今回ばかりは忍野が手伝ってくれるとは言え、自殺するみたいな物だとも言われた。
けれど、やっぱり。
一人の優しい妹に対する僕は、多少でも、人間で居たかった。
分かっている。 これは僕の我侭だと。
僕は基本的に行動が馬鹿だし、要領も良くない。
勉強もできなければ、強くない。
妹達には偉そうな口を叩くけれど、自分の事を棚上げにしているだけだ。
我侭でもあるし、変な所で意地を張る。
性格だって良くないし、いつも失敗ばかりだ。
でも。
僕の誇りだけは、自慢できる。
誇りの一つも守れないで、何が人間だ。 何が兄だ。
それだけは、絶対に譲れないんだ。
暦「分かった、僕が選ぶの三番目だよ。 忍野」
忍野「そうかい。 一番きついのを選ぶなんて、ひょっとして、阿良々木くんってマゾだったりするのかな」
暦「かもしれねえな」
僕は笑い、忍野にそう言う。
結局、僕と火憐は似ているのかもしれない。 あんまり似ていても、嬉しい部分では無いけれど。
忍野「ま、いいよ。 阿良々木くんがそれを選ぶなら、僕は何も言わない。 今回に限ってだけど、僕も手伝うしね」
暦「悪いな。 迷惑掛ける」
忍野「気にしないでくれよ。 僕と阿良々木くんの仲じゃないか」
忍野「さて、それじゃあ僕は準備に取り掛かるけど。 妹ちゃんとお話は、良いのかな」
忍野「最後の話になるかもしれないしね」
忍野は僕に向け、そう言った。
僕はその言葉を悪いとも思わない。 事実なのだから。
これが、僕と火憐が話す最後の時なのかもしれない。
暦「火憐ちゃん」
忍野は空気を読んでくれたのか、ただ準備に取り掛かっただけなのか、部屋から姿を消していた。
火憐「なんだ、兄ちゃん」
暦「ごめん」
僕は火憐に向け、頭を下げる。
火憐「……何でだよ。 何で兄ちゃんが謝るんだ」
火憐「あたしの所為で、こんな事になってるんだろ? あたしが加害者で、兄ちゃんが被害者で」
火憐「謝るのはあたしの方じゃねえか。 そうだろ、兄ちゃん」
暦「確かに、火憐ちゃんの言う通りかもな」
暦「火憐ちゃんの言う事は、いつも正しいからさ」
暦「けど、僕は僕自身が許せないんだよ。 今回の事、もっと早く気付けた筈なのに」
暦「流してしまったんだ。 大して気にもせず」
火憐「そんなの、仕方ねえだろ。 兄ちゃんの所為じゃない」
暦「言ったろ。 火憐ちゃんが許してくれても、僕が僕を許せないんだよ」
暦「だから、必ずまた会おうぜ。 火憐ちゃん」
火憐「……勝てるのかよ。 兄ちゃんが、あたしに勝った事なんて無いだろ」
暦「そればっかりはやってみないとな、分からない」
暦「けど、火憐ちゃんより強いだとか、火憐ちゃんより弱いだとか、そんなのどうでも良いんだよ」
暦「それ以前に、僕は火憐ちゃんの兄ちゃんなんだからさ」
火憐「あはは。 格好良いよな、兄ちゃんはさ」
火憐「でも……本音を言うと、やめて欲しい」
暦「何でって、聞いてもいいか」
火憐「あたしがした事の責任は、あたしが取る。 今この瞬間にでも、あたしを殺してくれれば、全部終わるんだろ? だったらそうしてくれよ」
火憐「それで、全部終わるんだろ?」
暦「……忍野はそう言ってたけどさ」
暦「終わらないよ。 火憐ちゃん」
暦「お前が死んだら、誰が僕の事を毎朝起こしてくれるんだよ」
暦「月火ちゃんの面倒も、僕だけじゃ見切れないぜ」
暦「もしかしたら、月火ちゃんと無理矢理お風呂に入ろうとするかもしれない。 そんな時、止める奴が居なかったらどうするんだよ」
暦「それに、僕は月火ちゃんをいじめるぜ。 それの報復として殴り込んで来るのは誰だよ」
暦「肩車だってそうだろ。 僕を肩車してくれるのは一人しかいねえんだ」
暦「全部、火憐ちゃんじゃなきゃ、出来ない事だろ」
暦「だから、死ぬのは許さない。 僕の為に生きろ」
火憐「は、ははは。 すげえ言葉だな。 僕の為に生きろって」
火憐「……でも、兄ちゃんの命令なら仕方ねえな。 兄ちゃんの命令は絶対だ」
火憐「分かったよ。 兄ちゃん、また会おうぜ」
暦「おう。 任せておけ」
火憐「任せたよ、兄ちゃん」
僕と火憐は笑い、拳と拳をぶつける。
なんだか男同士の約束っぽいが、これでいいんだ。
暦「それじゃあ、忍野を呼んで来るよ」
そう言い、僕は部屋の外に出ようとする。
火憐「あ、兄ちゃん」
そこに、火憐の声が掛かった。
暦「ん?」
火憐「一つ、頼みがあるんだ」
火憐は僕に対し、笑顔を向けながら言う。
暦「いいぜ、引き受けてやるよ」
火憐もまた、笑い、答える。
火憐「あのさ。 全部、終わったらさ」
火憐「一日だけ、一緒に寝てくれ」
暦「前にも言ったが、火憐ちゃん。 妹の処女なんていらねえぞ」
火憐「違うよ。 そういう意味じゃない。 もっと純粋な意味でだよ」
暦「あはは。 分かってるさ。 冗談だ」
暦「月火ちゃんは、無しでか?」
火憐「おう。 月火ちゃんは無しだ」
暦「了解。 優しい優しい兄ちゃんが引き受けてやるよ」
火憐「……ありがとう」
その言葉を聞き、僕は部屋を出る。
さて、後は忍野と話を付けるだけか。
意外にも、忍野は部屋を出てすぐの所で待っていた。
忍野「やあ、お疲れ様。 ああ、今からが大変だし、まだ言うべきじゃなかったかな」
暦「妹のしたヘマの後片付けなんて、大変でもなんでもねえよ」
忍野「そうかい。 じゃあ一度、妹ちゃんも交えてお話しようか」
との事で、僕は先程、また会おうと格好良く別れた妹と数分間を置いて、再会する事になったのだったけれど。
第十六話へ 続く
忍野「それじゃあ、説明するよ」
暦「ああ、頼む」
僕の言葉で、忍野は説明を始める。
忍野「まず、選択肢は三番目……つまりは、阿良々木くんは妹ちゃんに憑いている怪異と戦うって事だね」
忍野「これに関しては、異論は無いかな。 まあ、あったからってどうって訳でも無いんだけど」
火憐「ねえよ。 あたしもそれでいい」
暦「僕もだ」
忍野「そうかい」
忍野「というか、阿良々木くん。 一つ聞いてもいいかな」
暦「ん? どうした、忍野」
忍野「阿良々木くんの家ってさ、目上の人に対する言葉遣いとか、教えないのかい?」
暦「……ほっとけ」
忍野「ははは。 そこら辺含めて、そっくりだよ。 君達は」
火憐「そりゃそうだ。 あたしは兄ちゃん大好きっ子だからな」
自信満々に言うなよ、恥ずかしくねえのかよ。
暦「話を戻そうぜ。 それで忍野、その後は?」
忍野「ああ。 今回に限ってだけど、僕も阿良々木くんと一緒に戦ってあげるよ。 勿論、あくまでも協力って形だけどね」
暦「そりゃ、大分心強いな」
忍野「おいおい、僕はただのアロハのおっさんだぜ。 あんま期待されても困るな」
自分で言うのか、それ。 確かにアロハのおっさんだけれども。
火憐「……タダで、やってくれるのか?」
忍野「ん? ああ、お金かい?」
火憐「そうだ。 あたしの知ってる大人は、詐欺をしやがったんだ。 それで騙された奴が何人も居る。 あんたがそうだとは思わねえけどさ」
火憐「タダで手伝ってくれるってのも、なんだか気分が悪りい」
忍野「へえ。 酷い大人が居た物だね。 全く」
忍野「まあ、君がそれでいいならいいけど。 高く付くよ? 今回のは厄介だしさ」
暦「……いくらだ?」
僕の吸血鬼で、五百万だったろ。 一応あれも、かなり厄介なパターンだった訳だし、少なくともそれよりは。
なんて、僕はそう思ったのだけれど。
忍野「一千万。 それが妥当な金額かな」
暦「おい、おいおいおい。 待てよ忍野。 そんな金額、火憐ちゃんに払えると思ってるのかよ」
忍野「今すぐなんてひと言も言ってないさ。 払える時でいいよ」
暦「けどな! 一千万って、僕の時の二倍じゃねえかよ」
忍野「そりゃ、そうだろ。 阿良々木くん」
忍野「僕も今回、文字通り命賭けなんだぜ。 相場から言えば、大分サービスしてる方なんだけど」
暦「だけど!」
確かに忍野の言うとおりなのかもしれないけれど、それでも、そんな金額なんて、少なくとも簡単にどうこうできるって額でも無い。
僕が返済を手伝うにしても、だ。
火憐「いいよ、兄ちゃん」
火憐「払う。 一千万だな」
暦「お、おい。 火憐ちゃん」
火憐「大丈夫だよ。 あたしはこう見えて、働く女なんだぜ」
暦「だけどな……大体だ。 一千万ってどの位か分かってるのか?」
火憐「当たり前だろ。 とにかく、あれだ」
火憐「一万円がいっぱいって感じだろ?」
アバウトすぎるだろ。 確かに一万円がいっぱいだけれどもな!
暦「……まあ、いいよ。 僕も返済は手伝う」
火憐「駄目だ。 あたしの借金はあたしで返す。 これだけは譲れないぜ、兄ちゃん」
暦「つっても、お前一人じゃ返しきれないだろ。 二人でも返せるかどうかすら、分からないんだぜ」
火憐「なんとかする! だから兄ちゃんは気にするな」
暦「なんとかできねえって! 死に物狂いで働いてやっとだぞ!」
こいつ、本当に分かって無いんだろうな。
火憐「兄ちゃんはいいから黙ってろ! 殴るぞ!」
暦「あ、えっと」
やべえ。 妹に脅されてびびって黙ってしまった。
忍野「はは。 本当に仲が良いよね、君達は」
忍野「ま、兄妹喧嘩もそろそろ終わりにしてさ。 本題に入ろうか」
その原因を作ったのはお前だけどな、忍野。
まあ、助け舟を出してくれたのには感謝しておこう。
忍野「それで、僕が手伝い、見事に成功すれば」
忍野「妹ちゃんも元通り。 阿良々木くんも死なずに済んで、更には皆の記憶も元通り。 めでたしめでたし」
忍野「んで、阿良々木くんが死んだ場合」
忍野「この場合も、妹ちゃんは元通り。 けれど阿良々木くんは死亡。 この場合でも記憶は戻る。 怪異が目的を達成したって事になるけど、後味は悪いね。 それに、忍ちゃんもその場合は始末しなければ、まずい」
忍野「こんな所かな?」
そうか。
僕が死ねば、忍は今の状態では無くなり、本来の吸血鬼へと戻るのか。
なるほど、それなら僕は、余計に死ねない訳だ。
暦「分かった。 火憐ちゃんも、忍も、それでいいか?」
火憐「あたしは文句ねえよ。 てか、言える立場でも無いし」
忍「儂も構わん。 どうせ余生じゃからのう」
との事で、これで決まりの様である。
忍野「さてと。 それじゃあ、下で準備をしてくるよ。 妹ちゃん、行こうか」
火憐「ああ」
忍野「場所は、この前阿良々木くんが悪魔と戦ったあの場所だからね。 間違えない様に」
暦「どうやったら間違えるんだよ」
忍野「念の為だよ。 ああ、そうだ。 これも念の為に言って置くけど」
忍野「次に会う時は、妹ちゃんは化物の姿になってるからね。 そこら辺、分かってるのかい」
暦「……分かってるさ」
忍野「そうか。 ならオッケー。 じゃあまた、後で」
そう言い、忍野は部屋から火憐を連れて出て行く。
暦「火憐ちゃん、また後で」
僕は火憐にそう言い。
火憐「おう兄ちゃん。 また後で」
火憐は僕にそう言った。
そして、今に至る。
現在。
忍野の準備が終わるのを待ち、上の部屋で忍と二人で待機という訳だ。
忍「お前様よ」
暦「ん?」
忍「やはり、少しでも儂に血を吸わせておいた方が、確実に良いと思うのじゃが」
暦「そりゃ、そうかもな」
忍「だが、やらないと?」
暦「ああ。 一応、多少は普通より回復力があるし」
忍「まあよい。 いつ死ぬのか生きるのかを選ぶなんて、お前様の勝手じゃしな」
暦「迷惑掛けるよ。 お前にも、忍野にもさ」
忍「カカッ。 迷惑ならいつも掛けられておるわ。 いつか、お前様があの巨大な妹御に言った様に」
暦「そうか。 なら結局、僕はあいつと似ているのかな」
忍「そりゃ、そうじゃろ。 瓜二つじゃ」
どこら辺が瓜二つだよ。 双子でもあるまいし。
忍「だが、お前様はお前様じゃよ。 妹御は妹御。 似ているが、一緒では無い」
忍「お前様は、巨大な妹御の思っている事に気付けなかったのを酷く後悔している様じゃがな」
忍「似ているからこそ、気付かない事もあるんじゃよ。 距離が近すぎて、気付かないと言った所じゃ」
距離が近すぎて、気付かない。
なるほど。 僕達の場合は案外、そんな感じなのかもしれない。 今まで、そんな事は思った事も無かったけれど。
暦「けど、さっき火憐ちゃんとも話したけどさ。 これが終わったからと言って、全てが終わる訳じゃねえんだよな」
忍「ふむ。 怪異と一度でも関われば、関わり易くなる。 かのう?」
暦「そう。 火憐ちゃんも、僕みたいに次から次へと問題事を抱えるのかもしれない」
忍「なんじゃ、お主。 首を突っ込んでいたのが問題事だと、認識しておったのか」
暦「一応はな。 だけどさ、本当にこれで良かったのか。 とは思うよ」
忍「と、言うと?」
暦「気付けた事はいっぱいあったんだよ」
暦「最初の日の事だったり、火憐ちゃんが想っていた事だったり、今思えば、異変だらけじゃないか」
忍「先程も言った様に、お前様と巨大な妹御の場合は、距離が近すぎたんじゃよ」
暦「って言ってもさ、気付けなかったのは僕の責任なんだよ。 近すぎたとしても、分かる事なんて出来た筈なんだ」
忍「なるほどのう……お前様がそう思うのも無理は無い話じゃと思うが、後悔しても仕方ないじゃろ。 過去には戻れんしのう」
暦「……そりゃそうだな。 進むしか、ねえんだよな」
忍「それに今回、儂は一本道だったと思っておるぞ。 分かれ道の無い、一本道」
暦「そうでも無いだろ? 僕が気付くべき事に気付けば、事態は変わっていたんだろうし」
忍「それこそ、そうでも無い。 じゃな」
暦「どういう意味だ、忍」
忍「簡単な事じゃよ。 お前様と、妹御だったから、今回の事になったんじゃ」
忍「馬鹿と馬鹿だしのう。 選べる道なんて、最初から無い」
忍「それに、小僧と小娘じゃあ、分かれている道の存在にも気付かなくて当然じゃ」
確かに、そうかもな。
僕も火憐も、まだまだガキなんだ。
そんな二人が並んで歩いても、前しか見えないだろうし。
僕と火憐の性格的にも、か。
暦「忍にそう言われちゃ、返す言葉もねえな」
忍「だから、お前様が悩む事でも無いわい」
忍「お前様は、ただ妹に想われて幸せだなぁ。 とか感じておればいいだけじゃ」
暦「いやいや、それじゃシスコンじゃねえかよ。 確かに幸せだけどな」
僕がそう言うと、忍はこれ以上無い程に呆れた顔をして、溜息を付いた。 何やってんだこいつ。
忍「ま、お前様がそう思うのならこれ以上は何も言わん」
暦「? まあ、いいけどさ」
暦「とにかく、僕はまたあの家に帰る。 もう一人の妹も待っているし」
忍「そうじゃな。 今回、儂は殆ど無力と言っていい。 いくらあの小僧がおると言っても、油断はするなよ」
暦「はは。 随分とマジな兄妹喧嘩になりそうだな。 あいつ、強いからなぁ」
忍「儂も間接的にボコされておるしの」
ボソッと言うなよ、怖いから。
と、そんな話をしている時に、部屋の扉が開いた。
忍野「やあ、お待たせ」
忍野が戻ってきたと言う事は、つまり。
暦「準備が出来たって事か」
忍野「うん。 今は部屋を閉じてあるけど、開けて入ったら外には出られないからね」
忍野「その辺りは、あの悪魔の時と一緒って事だよ」
忍野「ただ、今回ばかりは誰も助けに来ない。 前みたいにツンデレちゃんが来る事も無いからね」
暦「分かってるさ。 それに、これは僕と火憐ちゃんの問題だ。 戦場ヶ原を巻き込む訳には行かない」
忍野「そりゃそうだ。 けど、あのツンデレちゃんは多分。 怒ると思うけどなぁ、本当の事を知ったらさ」
だろうな。 怒り心頭で、多分僕は海に沈められるか、切り刻まれるか、文房具で刺されるかのどれかだろう。
こえー。
暦「忍野、戦場ヶ原には絶対に言うんじゃねえぞ」
忍野「勿論、男と男の約束だ」
忍野は僕の方に拳を向け、親指だけを突き立てる。
ここまで信用ならない奴も中々いねえな、ほんとに。
忍野「それで、真面目な話だけどさ」
忍野はおどけた声の調子を変え、普段より更に、低い声で言う。
それだけで、僕はそれほど真面目な話だと、理解した。
忍野「一番最悪なパターンは、阿良々木くんが死に損ねる事かな」
暦「僕が死に損ねる? そんな事、あるのか?」
忍野「あるよ。 僕が先に死ねば、あの結界は破れる」
忍野「つまり、扉も内側から開くって事さ。 そこで阿良々木くんが逃げ出せば、死に損ねる」
忍野「そうなったら最悪のパターンだ。 あの怪異は、阿良々木くんが死ぬまで、花粉を撒き散らす」
暦「花粉? それって……」
あれだ。
僕が火憐や忍の事を忘れる直前に嗅いだ、あれの事か。
忍野「そ。 つまりは全員の記憶がぐちゃぐちゃになるって事さ」
忍野「ましてや、妹ちゃんが表に出ている時じゃなく、今は怪異その物が現れている」
忍野「その場合、阿良々木くんと関わりのある人間が標的になる可能性も、忘れないでね」
なるほど。 まあ、あまり関係の無い事だ。
だって、僕が命惜しさに逃げ出すなんて事は、無いのだから。
暦「その辺は心配いらねえよ。 もし死ぬ時は、潔く死ぬさ」
暦「まあ、最後まで諦める気も無いけどな」
忍野「そう言うと思った。 阿良々木くんは分かり易くて助かるよ」
暦「そうかよ。 なら無駄口を叩いてないで、さっさと行こうぜ」
忍野「はは。 元気良いね、阿良々木くん」
てっきり、いつもの言い回しを忍野はするのかと思ったけど、その後に続く言葉は無かった。
暦「どうしたんだよ。 いつもみたいに言わないのか?」
忍野「僕だって、良識は弁えているさ。 とてもじゃないが、良い事があった様には見えない阿良々木くんに対して、そんな事、口が裂けても言えないなぁ」
マジかよ。 お前、僕が良い事無い時でも、すげえ楽しそうに言ってたよな。
月火ではないが、録音して聞かせてやりたい位だ。
とまあ、思った物の、恐らくは忍野もそれ位本気って事だろうか。
いや、そもそも、こいつはいつも手を抜いている様にも見えるし、本気を出したらどうなるのかも分からないが。
そんな話をしている内に、着いた。
かつて、一度入った事のある部屋。
今は、火憐が中に。
忍野「最後に確認だ。 阿良々木くん」
忍野「忍ちゃんのブレードは、本当に使わないのかい?」
暦「ああ。 使わないよ」
忍野「相手は怪異だよ。 それも、かなり強力なね」
忍野の言葉に、僕は笑いながら、返す。
暦「違うな。 これはただの兄妹喧嘩だ」
暦「兄妹喧嘩に刀なんて取り出しちゃ、事件になっちまう」
月火はしょっちゅう、凶器を取り出しているけれどな。
それでも事件になってない辺り、あいつも意外と、歯止めが利くのだろうか?
……無いか。 それは僕がうまい事回避しているだけだ。 つっても、実際に刺されでもしたら、その時点であいつは、僕の体質に気付くのだろうけれど。
忍野「ま、それで良いなら、いいけどさ」
忍野「いくら阿良々木くんが妹ちゃんを庇っても、妹ちゃんは自業自得なんだぜ? その辺りは、分かってるのかい」
暦「僕もそう思う。 あいつの場合、殆ど自業自得だし」
暦「けど、忍野。 火憐ちゃんにはもっと似合う言葉があるんだよ。 四字熟語でな」
そうだな。 少なくとも、自業自得よりは、ぴったりだろうよ。
暦「才色兼備。 それしかねえ」
第十七話へ 続く。
形容するならば、巨大な木。
最早、それは草とは呼べない程の、巨大な木だった。
ここからでは、その巨大な木によって、火憐の姿は見えない。 いや、あの木そのものが、既に火憐なのだろうか。
まるで、ゲームかなんかのボスみたいだな、と思う。
でかさ的には、どのくらいあるんだ、これ。
火憐を縦に並べて、五人分くらいか? って事は、十メートル近くはあるのだろう。
なるほど。 こりゃ、確かに巨大な妹御だな。
そして、その木を覆うように生えているのは草だった。
その一本一本が意思を持っているかの様に、蠢いている。
いや、草っつうよりはツタと言った方が正しいか。
忍野「阿良々木くん、見えるかい」
横に居る忍野がそう言い、木の上部を指差す。
忍野「あそこに生えている花。 あれがあの怪異の弱点と言うか、本体と言うか、それだよ」
ふむ。 確かに小さくではあるが、見える。 いくら弱点と言っても、あそこまで行くのにも苦労しそうではあるな。 それに、僕は。
暦「言っただろ、忍野。 僕はあれを斬ったりはしない。 火憐ちゃんを殺す訳には、いかない」
忍野「そうかい。 ま、一応って事で頭に入れておいてくれよ」
そうは言われても、僕は多分、本当に死にそうになったとしても、あれを攻撃する事は無いのだろうが。
暦「忍、お前は影の中に入っておけよ。 今のままじゃ、ただの幼児だからな」
忍「分かっておるよ、我が主様。 ただ、あまり無茶はせんようにな」
暦「どうだかな。 火憐ちゃんが暴力的じゃなきゃ、良かったんだけど」
暦「どうも、そう簡単には行きそうに無い」
僕の目の前に生えている木は、今にも攻撃しようと、無数にあるツタを蠢かしている。
それは火憐の意思では無く、怪異の意思だ。 ただの、呪い。
忍野「それじゃあ、行こうか」
いつの間にか、忍野が先行する形で歩いていて、僕はその後をゆっくりと付いて行く。
そして、何歩か歩いた所で忍野は止まる。
忍野「ここら辺かな」
忍野「阿良々木くん。 これより先に進めば、奴の範囲内だ。 つまりは」
忍野「これ以上進めば、戦闘開始って所だね」
おいおい。 まだ、あの木とは大分離れた位置なんだけど、どんだけ範囲が広いんだよ。
忍野「とは言っても、阿良々木くんは素手だから、うまい事あの木の懐に潜り込まなきゃ、勝機は無いよ」
暦「懐に? そこまで行けば勝てるのか?」
忍野「恐らくはね」
忍野「あの木の中に、君の妹ちゃんは居る。 だから、妹ちゃんを縛っている草を解けば、怪異は消えて無くなるよ」
木の中、ね。 火憐はつまり、あの幹の中にいるって事か。
確かに、遠目だからはっきりとは分からないけれど、隙間の様な物は見える。
……なるほど、あそこから中に入れって事か。 だが、そんな簡単で良いのだろうか?
暦「それだけか? なら、思っていたよりも簡単そうだな」
忍野「ははは。 それが大変なんだよ、阿良々木くん」
忍野「忍ちゃんのブレードも無ければ、今の阿良々木くんは殆ど人間だ。 攻撃してくるツタを斬る事も出来なければ、食らいながら無理矢理進む事も難しい」
忍野「僕も不死身体質なら、突っ込んで良いんだけどさ。 生憎、僕は一発食らったら終わりの人間なんだよ」
忍野「僕はここから、あいつの動きを妨害する事に専念する。 辛い役目は全部阿良々木くんだけど、良いかな」
暦「ああ、分かった」
妹の為だ。 こんなの、何でも無いさ。
忍野「そうだ。 忍ちゃん、ちょっと良いかな」
いつの間にか、忍野は僕の後ろに立っていた。 そして、僕の背中で忍と何やら会話をしている様だ。
さてと。
集中するかな。
目の前の怪異。 いや、火憐を見つめる。
ったく、本当に色々と、迷惑を掛けてくれる妹だな。
まあ。 今回に限っては、僕にも責任はあるのだけれど。
つうか、そんな風になる程僕の事を想うとか、お前はヤンデレかよ。
似合わねえな。 お前はさ、もっとあれだろ。
単純で、純粋で、馬鹿で、暴力的で、元気で。
そんな、奴だろ。
別に、良いけどさ。
全部終わらせて、帰ろうぜ、火憐ちゃん。
月火ちゃんも入れて、三人で話そう。
僕の身にあった事。 火憐の身にあった事。
家族だから、隠し事ってのもあるかもしれないけどさ。
言えない事ってのも、あるかもしれないけどさ。
少なくとも、僕の事はもう、言えない事じゃないぜ。
火憐ちゃんは僕の事を受け入れてくれたし、人間だと言ってくれた。
忍野みたいに、影縫さんみたいに。
月火ちゃんも、多分そうだよな。
なんつっても、こんだけ想われちゃ、嘘なんか付きたく無くなるっつうの。
腹を割って話そう。
今まで、火憐ちゃんの事は嫌いだ嫌いだって言ったけど。
今なら言える。 好きだぜ、火憐ちゃん。
忍野「阿良々木くん、準備は良いかな」
背中から、忍野の声が聞こえてきた。
忍との話は終わったのか、既に忍は僕の影の中へと消えている。
暦「ああ、大丈夫。 いつでもいける」
後ろは振り返らないまま、僕はそう言う。
忍野「そうかい。 じゃあ」
-----------------また会おう、阿良々木くん。
その言葉を聞き、僕は踏み出す。
踏み出すと言うよりかは、駆け出す。
一歩一歩、火憐に向けて。
ツタがそれに気付いたのか、僕の方へ向けて、飛んできた。 飛んできたと言うよりは、ただそのツタをしならせて、僕の方に攻撃をしてきただけなのだが、まるで飛んできた様な動き方だった。
速度はかなり速いが、避け切れない程でも無いか?
判断するのと同時に、目の前に迫ってきたツタを体を捻り、避ける。
胸の辺りを掠めるようにして、ツタは僕の後方へと流れて行った。
よし、これなら行ける。
これならまだ、避けられる。
これもまた、忍野のお陰だろうか。 つうか、動きを阻害してこれって、阻害しなかったらどうなるんだよ。
忍「お前様、後ろじゃ!」
突然、影の中から声が聞こえる。
忍か。
てか、後ろ? 後ろってお前、忍野が居るだけじゃねえかよ。
と思いながらも、振り返る。
ああ、そうか。
その光景を見て、僕は忍の言葉の意味をはっきりと理解した。
ツタは行ったら行ったっきりじゃねえのか。
それを引き戻す際にも、僕を攻撃できるのか。
暦「……っ!」
気付くのが遅れたのもあり、今度は完璧には避けきれない。
一本のツタが、僕の腕を切り裂いた。
けど、まだ、まだだ。
まだ、この程度。 掠り傷程度。
僕は再度、前を向き、走る。
距離はどのくらい縮まったのだろうか? もう半分ほどまで来ただろうか?
後ろを見ては走れないので、正確な距離は分からないが、確実に近づいているのは理解できた。
が。
次の攻撃で、僕は認識の甘さを理解する事になるのだけれど。
いや、忍野も分かっていなかったのだろうか?
それすらも、どうでも良い。
つまり、あの木は『本気で僕を殺しに来ていなかった』のだ。
今の、今まで。
暦「ぐあっ!」
文字通り、目に見えない速度で、ツタが僕の左腕を切り離した。
くっそ、マジかよ。 見えないって問題じゃねえぞ。 気付いたらって感じだ。
いてえな。 だけど、まだ腕一本だ。
春休み……あの地獄の様な日々のおかげで、大分痛みには我慢が効くようになっているのが幸いか。
僕は痛みを堪え、走る。
木には既に、大分近づいてきている。
あそこまで行けば、全部終わる。
また、火憐と月火と、馬鹿な事が出来る。
元通りとは言えないけれど、また戻れる。
忍野「阿良々木くん! 下がれ!」
後ろの方から、忍野の声が聞こえてきた。
おいおい、忍野。 もう少しなんだぜ。 後少しで、全部終わるんだ。
なのに今更下がれなんて、意味が分からねえぞ。
ああ、そうか。
このパターンって、良くあるあれか、僕が死ぬパターンか?
その考えは、見事に当たる訳で。
気付いた時には、右足が無くなっていた。
勿論、そんな状態で進める訳も無く、僕は地面へと倒れ込む。
暦「……っ!」
くそ、痛みすら、もう感じ無い。
次の瞬間には死んでるかもしれないな。 こりゃ。
だが、木は次の攻撃を仕掛けてこない。
火憐の意思?
違うか。 今、僕の目の前に居るのは、紛れも無く僕の妹の火憐ではあるけれど。
それ以上に、怪異なのだ。
想いを吸うとは言っても、それはエネルギーとして。
火憐の想い等、この怪異の前では意味の無い物だ。
恐らくは、飽きただけなのだろう。 放っておいても死ぬと、判断されたのだろう。
僕は、死ぬ。
結局、最後の最後まで、何も出来なかった。
火憐との約束さえ、どうやら守れそうにも無い。
あれだけ火憐の前では格好良い事を言っておきながら、このザマじゃあ、月火にぐちぐち言われそうだな。
所詮、一人のガキの我侭じゃあ、この程度だろう。
だからと言って、僕は心渡を持ち出さなかった事や、吸血鬼化していなかった事を後悔したりはしない。
そこに理由があるとするならば、僕の想い。
今の今まで、火憐に僕の想いをぶつけた事なんて、無かった。
だから、せめて最後くらいは、兄で居たかった。
火憐や月火から言わせれば、僕はいつでも兄なのだろうけれど。
まあ、でも。
暦「やっぱ、強いよな。 火憐ちゃんは」
なんて。
簡単な事だ。
僕は火憐に勝てない。
今みたいな、単純な勝負でも。
思えば、この怪異は火憐の想いを吸って、ここまでの怪異になったのだと言う。
それなら、僕は火憐の想いにも勝てなかったって事だろう。 当然か。
これで、火憐は元通りに戻れる。
兄として情け無いったらありゃしないが、後の事は月火に任せるとしよう。
あいつは意外としっかりしているしな、多分、僕以上に。
火憐の事も、うまい具合にストッパーにはなっている様だ。
いや、火憐も火憐で、月火のストッパーにはなっているのか。
良い具合に、二人が二人を吊り合わせている。
そんなあいつになら、任せられる。
暦「……そうだ、忍」
危ない危ない、忍の事を忘れる所だった。
忍「なんじゃ、我が主様よ」
忍は姿を出さず、影の中から僕に返事をする。
暦「悪いな。 どうやら、僕は死ぬみたいだ」
忍「ふん。 諦めが早い小僧じゃな」
暦「……悪い」
忍「まあよいわい。 お前様がもう駄目だと言うならば、そうなのだろうよ」
暦「弱音は、吐きたく無いんだけどな」
暦「でも、こんな状態じゃあ……僕は、無理だろ」
忍「今、この瞬間にでも、儂がお前様の血を吸えば、戦えるとは思うが?」
暦「……駄目だ、それだけは駄目だよ」
忍「……くだらん意地じゃな」
暦「そうだよ。 くだらない意地だ。 僕の我侭だ」
忍「まあ、別に良いがのう」
暦「……忍も、この後、忍野に殺されるだろうな」
忍「お前様が死ねば、そうなるじゃろうな」
暦「迷惑掛けるよ、本当にさ」
忍「さっきも言ったが、迷惑ならいつもの事じゃよ」
暦「はは、そうだったな」
暦「それじゃあ、忍。 さようなら」
僕は影に向けて、忍に向けて、言った。
ありがとう。 なんて言葉は言えないけれど、別れの挨拶くらいなら、別に良いだろう。
だが、忍は。
忍「ふは。 あははははははははははははははははははは」
と、笑う。
顔は見えないが、恐らく凄惨に。
忍「カカッ。 なんじゃ、儂がいつ、お前様との別れ話をしたんじゃ?」
忍「お前様が諦めたのかは知らんが、儂はまだ諦めておらんよ」
暦「……何を言ってるんだよ。 この状態じゃあ、無理だろ」
忍「そりゃそうだのう。 恐らく、儂が無理矢理にでも血を吸った所で、お前様は戦わない」
暦「分かってるじゃねえか。 なら」
忍「だが、それはお前様の事だろうよ?」
暦「……忍が、戦うって言うのか?」
忍「カカッ。 まさか、儂じゃあとてもじゃないが、お主と同じ末路じゃろうな」
顔は見えないが、恐らく忍は笑いながら、続ける。
忍「話が変わるが、儂には一つ、お前様には謝らねばならん事がある」
なんだよ、こんな時に。
忍「すまんのう。 我が主様よ。 儂はお主を騙した」
騙した? あの春休みの事か?
いや、それこそ、今するべき話では無い。
なら、忍は何を言っている?
忍「儂やお前様では無理でも、あのアロハ小僧なら終わらせる事が出来る」
忍「勿論、正面からでは無理じゃろうな。 だから」
忍「四番目の方法、じゃよ」
四番目? 僕が選んだのは、三番目だぞ。
忍「だから、騙したと言っておるんじゃよ。 儂とお前様は、最初から囮だったんじゃ」
囮? 僕と、忍が?
暦「ま、待てよ。 忍、僕は四番目なんて選んでいない。 それをやったら、火憐ちゃんが」
忍「くどいぞ。 我が主様」
忍「現にお前様は死に掛けているでは無いか。 これもまた、あの小僧は予想していたのじゃが」
忍「その格好でも、体の向きくらいは変えられるじゃろうよ。 後ろを向いてみい」
そう言われ、残された片方の腕を使い、後ろを向く。
そこには忍野が居て。
手には----------------------------心渡。
暦「お、おい、忍野。 何をしているんだよ」
僕の声は届いているのか、いないのか。
恐らくは聞こえていても、僕には忍野を止める事は出来なかっただろう。
なんつったって、この有様なのだ。
暦「やめ、ろ。 やめろ……忍野!」
腕を切られた所為か、足を切り飛ばされた所為か、うまく声が出ない。
そして、やはりそれにも聞く耳を持たず、忍野は駆け出す。
怪異は未だ、僕だけしか見ていない様で、忍野に攻撃が向く事は無かった。
そして。
忍野は跳ぶ。 木の頂上を目指して。
僕には顔を向ける事もせず、忍野は、僕の目の前で。
木の頂上に咲き誇る、一輪の花を斬った。
第十八話へ 続く
目の前に、忍野が降り立つ。
僕の方を見ないまま、背中を見せたまま。
その奥で、木が枯れて行く。
僕を殺しかけていた木は、あっさりと。
先程まで動いていたツタも枯れ、灰となっていく。
暦「てめえ! 忍野!」
殺された。
火憐が、僕の妹が。
結局、何も守る事なんて出来なかった。
許さねえ。 忍野。
殺す。 殺してやる。
這いつくばり、進み、忍野の足を掴む。
暦「ふざけるな、ふざけるなよ! ぶっ殺してやる、忍野!」
忍「ふん」
いつの間に影から出てきたのか、忍は僕の上まで来ると、自らの腕を引きちぎり、僕に血を浴びせる。
驚くほどのスピードで、僕の腕、足が元通りになった。
ありがとう、忍。
これで、忍野を殺す事ができる。
暦「てめぇええええええええ!!」
肩を掴み、顔をこちらに向かせ、殴る。
殴り、殴って、殴りつける、何回も、何回も。
忍野はやがて倒れ、僕はその上へ覆いかぶさった。
暦「よくも、よくも火憐ちゃんを!」
また殴る。 何発も何発も何発も。
勢いで殴った所為なのか拳はもう、完全にぐちゃぐちゃになっていた。
けど、関係ない。
僕は、この男を殺さなければ。
暦「……どうしてだよ、何で!」
気付けば僕は泣いていて。 その問いに忍野は答えない。
あくまでもこいつは、僕の顔を見たまま、何も言わない。
それがまた、憎くて。 僕は再度殴ろうと拳をあげる。
そして、その腕を忍が、掴んだ。
忍「もう良いじゃろ。 我が主様よ」
良い? 良いって、何が?
暦「邪魔するのか、忍」
そうだ。
なら、先に忍から。
忍「そんな眼をするな、我が主様」
忍「お前様の妹御は、生きておるよ」
いき、ている?
でも、忍野が、火憐を。
忍「おるじゃろ、そこに」
そう言い、忍は指をさす。
僕と忍野の先。
先程まで、怪異が居た場所を。
暦「火憐……ちゃん」
その先には、僕の妹が。 火憐が、横たわっていた。
時間経過。
結論から言えば、火憐は死なずに済んだ。
僕もまだ頭の整理が追いつかないけれど、その事実だけで、充分すぎたのだろう。
今は、忍野と僕と忍。 それに、火憐も。
忍野がいつも使っている部屋に集まっている。
もっとも、火憐は意識を失っており、寝ている様な物だけれど。
暦「って事は……火憐ちゃんは無事って事で、いいんだよな?」
忍野「まあ、無事って程でも無いけどね。 さっきも言った様に」
忍野は僕に殴られた顔を擦りながら、いつもみたいにどこかふざけた様子で、そう言った。
暦「けど、何で忍野は僕を騙したんだ。 四番目の選択は、火憐ちゃんも死ぬって、そう言ってたじゃないか」
忍野「おいおい。 阿良々木くん。 本当に僕の話を何も聞いていなかったのかい。 さっき説明したじゃないか」
ああ、そう言えば……さっき何か言っていたっけか?
マズイな。 火憐が無事だと分かっただけで、何も聞いていなかった気がする。
少し、順を追って思い出そう。
以下、回想。
暦「火憐ちゃんが、生きている?」
僕と忍は、火憐の元まで歩いて行き、見下ろす。 いつも元気が良い、僕の妹を。
忍「そうじゃ。 だから言ったでは無いか。 お前様を騙していた、と」
忍「そうじゃろう? アロハ小僧」
忍の声を聞き、忍野はゆっくりと体を起こす。
そして、口を開いた。
忍野「全く、阿良々木くん。 いくらなんでも殴りすぎだよ。 まあ、無理もないか」
忍野「……そうさ。 忍ちゃんの言うとおり、始めからこれが狙いだった」
忍野「騙したのは悪いと思ってるよ。 だから、その分のはさっき僕をボコボコにした事で、チャラって事にしといてくれ」
暦「お、忍野。 本当に、火憐ちゃんは生きているんだな?」
忍野「当たり前だよ。 君には妹ちゃんが、死んでいる様に見えるかい?」
その言葉を聞き、火憐の横に座り、様子を伺う。
……息もしているし、心臓も止まってはいない。
顔色も、とても悪い様には見えない。
暦「……生きてる、火憐ちゃんは、生きてる」
暦「忍野! じゃあ、どういう事なんだよ。 説明、してくれるよな?」
忍野「はは、勿論」
そうして、忍野は説明を始める。
どこから僕を騙していたのか、僕をどうして囮にしたのか。
忍野「まず、妹ちゃんは生きている。 これは事実だね」
忍野「そして、阿良々木くんを囮として利用したのも事実さ」
忍野「うーん。 どこから説明しようかな」
忍野「まずは、そうだね。 僕がいつ、忍ちゃんと話し合ったかは大体分かるよね?」
忍野と忍が、話すチャンス。
ああ、僕の背中越しで、話していたっけか。
この部屋に入って、忍野がここから先に行けば攻撃範囲だと教えてくれて、その時だ。
忍野「その時に、忍ちゃんのブレードを借りたのさ。 他にも斬る方法はあったんだけど、これが一番確実だった」
暦「なるほど、それで忍野は心渡を持っていたって訳か」
暦「けど、忍野がやったって言うのは、要は四番目の選択だろ? でも、それが一番楽なんだったら、僕にやらせるべきだったんじゃないか?」
忍野「そりゃあ、もっともな意見だけどさ。 阿良々木くんは恐らく、反対したと思うんだよ」
忍野「そうなると、もう本当にどうしようもなかったからね。 その辺りは諦めてくれよ」
僕が反対する?
暦「何故、反対するって思ったんだ?」
忍野「うん。 じゃあ次はそこの説明をしようか」
忍野「僕が言っていた妹ちゃんが死ぬって言うのは、例え話なんだよ」
暦「……例え話」
忍野「そ。 例え話」
忍野「妹ちゃんは実際に、本当に死ぬ訳じゃない」
忍野「死ぬのは、妹ちゃんの記憶。 だよ」
暦「記憶が、死ぬ……」
暦「それは、忍野。 自分が誰かとか、僕が誰かとか、そういう事を忘れるって事か?」
忍野「そこまでじゃないさ。 忘れるのは、今回の怪異に関する記憶だけだ」
暦「それって……」
忍野「つまりは、自分が何をしたかとか、阿良々木くんの正体だとか。 そういった事を丸っきり忘れるって事だね」
忍野「まあ、簡単に言うならば、今回巻き込まれた大勢の人の様に、都合よく解釈される。 ゴールデンウィークの時の委員長ちゃんみたいに、忘れた事を忘れているって感じかな」
忍野「阿良々木くんはさ。 色々と思う事があって、妹ちゃんに自分の事を話したんだろ?」
忍野「それすらも忘れられるって言うのは、多分、僕の予想だと阿良々木くんは拒否すると思うんだけれど、どうかな」
忍野「それに、妹ちゃんが自分でした事も忘れるって言うのはね。 阿良々木くんは許可しなかったと思うんだ」
そう、だろうか。
僕は、その案に賛成できたのだろうか。
ああ、そうだな。
暦「……だろうな。 忍野の言うとおりだよ。 僕は絶対に賛成しなかった筈だ」
忍野「それが聞けて良かった。 もし、賛成できたって言われたら、僕はとんだ馬鹿だったって事になっちゃうしね」
忍野「阿良々木くんと同じ扱いってのは、勘弁願いたいし」
暦「うっせ」
忍野「はは、元気良いね。 何か良い事でもあったのかい?」
忍野はそう言いながら、木が崩れ落ちた辺りにしゃがみ込み、何かを探している素振りを見せる。
忍野「ま、そういう理由だよ。 妹ちゃんは今回の事は全部覚えていない。 けど、生きている」
忍野「後遺症なんてのも、無いだろうね」
火憐は、それで良かったのだろうか。
いや、良い訳無いか。 あいつは、絶対それを良しとはしない。
……多分。
断言なんて、できやしない。
僕はあいつの事、全然分かっていなかったのだから。
つうか、それだと、本当に元通りって事、なのか?
これって、あまりにも。
暦「なあ、忍野。 一つ聞いてもいいか?」
未だにしゃがみ込む忍野の背中に向けて、僕は聞く。
忍野「うん。 良いよ」
暦「……あまりにも、一件落着って感じじゃないか? 元通り、振り出しに戻るなんて」
忍野「そうかい? 妹ちゃんには、罪の意識なんて無いんだよ。 それすらも、また罪なんだけれどさ」
忍野「この方法が本当に最善だったのかは分からない。 でも、少なくとも僕は、阿良々木くんが死んで、妹ちゃんが元通りになってって言う未来は、少し違うかなって思っただけさ」
忍野「んでも。 ま、そうだね。 妹ちゃんにとっては、一件落着だろうさ。 何も起きていないし、何も起こっていないんだから」
忍野「けど、阿良々木くんにとっては、違うだろ?」
僕にとって。
暦「……それは、そうかもな。 僕も今回、大分、自分の馬鹿っぷりを認識させられたよ」
暦「でも、まあ。 やり直せるのなら、やってやるさ」
暦「ありがとう。 忍野」
自分で言うのもあれだが、僕は珍しくそう言い、忍野に頭を下げる。
忍野「はは、礼を言われる程の事でも無いさ。 阿良々木くんには、大変な役目をやらせてしまったしね」
忍野「それに、阿良々木くん」
忍野「子供が分かれ道の存在に気付けるように、導いてやるのは大人の仕事さ」
忍野はいつもの様に、ふざけた風に、そう僕に言ったのだった。
そうしてその後、僕は火憐をおぶって、忍は僕の影に戻り、忍野は少しだけフラフラしながら(多分、僕が殴った所為だろう)いつもの部屋へと向かう。
忍野「そうだ、阿良々木くん」
前を歩く忍野が、僕の方に振り返り、口を開く。
暦「ん?」
忍野「お金の話なんだけど」
そんなのもあったな……つか、マジで払えるのかな。
だけれども、忍野は言う。
忍野「今回のはチャラでいいよ」
暦「チャラ? 理由を教えてくれよ」
暦「さすがに、僕を騙したからとか、そういう理由じゃねえんだろ?」
忍野「それは殴られた分でチャラになってるからね。 そうじゃない」
忍野「請求する筈だった阿良々木くんの妹ちゃんが、覚えてないじゃないか」
忍野「なら、そんな子から毟り取ろうなんて事、僕は思わないよ」
忍野「ま、覚えてたら良かったんだけど。 仕方ないかな」
暦「……そうかよ」
全く、こいつも本当に、お人好しだよな。
暦「僕に肩代わりとかはさせないのか」
忍野「はは。 阿良々木くんがそれで良いなら、いいけど」
忍野「僕が請求していたのは妹ちゃんだしね。 無しでいいよ、やっぱり」
忍野「その代わり、今度、阿良々木くんには何かご飯でも奢って貰えればいいかな」
忍野「それを手伝い料金って事にしよう」
暦「はは、お安い御用だ」
迷惑掛けるよな、忍野にも。
こいつは最初っから、多分、請求する気なんて無かったのだろう。
結局、全て忍野の計算どおりだったって訳なのかもしれない。
まあ、でも。
火憐風に言わせて貰えれば、結果良ければ全て良しって事か。
暦「そういや忍野。 さっき僕と話している時、あの木が枯れていった辺りを探している様に見えたんだけど、何をしていたんだ?」
忍野「ん、ああ。 これだよ」
そう言い、忍野は僕に一つの透明な袋を見せる。
暦「これは、粉?」
忍野「そ。 まあ、あの怪異の遺物って感じかな。 これはこれで、結構危険な物だからさ、僕の方で処分しておくよ」
忍野の柄もあり、なんだか危険な薬物を持っているおっさんみたいだな。 言わないが。
暦「危険……ねえ」
暦「それを吸うと、頭がおかしくなったりでもするのか」
忍野「まあ、ある意味ではそうかもしれない」
忍野「この粉は、正確に言えば粉っていうか、花粉なんだけれどさ」
忍野「ある一定の記憶を飛ばしたり、忘れた記憶を戻せるんだ」
暦「忘れた記憶を……戻せる?」
暦「っつう事は、火憐ちゃんの記憶も戻せるって事か?」
忍野「うん。 その通り」
忍野「どうする? 阿良々木くん」
忍野「これを使えば、妹ちゃんの記憶は元通り。 阿良々木くんが、最初に望んだ結末になるけど」
つまり、三番目の選択を選んだのと、一緒。
暦「……いや、いいよ。 それは忍野が処分してくれ」
忍野「そうかい。 やっぱり、阿良々木くんは変わらないね」
暦「それは、良い意味で? 悪い意味で?」
忍野「両方、って所かな」
暦「……そうか」
忍野「まあさ。 記憶が戻るってのは嘘だよ。 試す様な真似をしてごめんね」
暦「大体分かっていたさ。 記憶をどうこう出来る都合の良い物なんて、そうある訳無いしな」
暦「それに、それが出来るなら最初にそれを説明して、僕と一緒に、四番目の選択を協力してやる事だって出来ただろ?」
忍野「確かに、阿良々木くんの言うとおりだ」
忍野の表情は見えないが、多分、笑っているのだろう。
暦「にしても、後味が良すぎて、逆に気持ち悪いな」
忍野「ん。 ああ、そう思うのも無理は無いよ」
忍野「一番最初に言わなかったっけ?」
忍野「今回の怪異は、性質が悪いってさ」
忍野は笑い、僕に言う。
なるほど、確かにこれは、随分と性質の悪い怪異だ。
回想終わり。
暦「そうか。 火憐ちゃんは、忘れているのか」
忍野「うん。 まあでも、大好きな兄ちゃんの事は覚えているし、良いんじゃない?」
大好きとか言うなよ。 確かにあいつは言ってたけどな。
忍野「それより、早く帰った方が良いと僕は思うな」
暦「ん? 今日は泊まりだと思っていたんだけど」
忍野「おいおい、妹ちゃんが目を覚ましたら、なんて説明するのさ」
忍野「大好きな兄ちゃんと、アロハのおっさんと、幼女だぜ?」
……いやはや、至極もっともその通りである。
暦「分かった。 というか、今の僕と火憐ちゃんってどういう扱いになっているんだ?」
暦「まさか、急に消えて行方不明って事にはなってないよな」
暦「本人も、周りからの言葉で思い出したりってのも、あるんじゃないのか?」
忍野「うーん。 そうだね」
忍野「多分、実際にありそうな感じになっていると思うよ」
忍野「この場合だと……」
忍野「大方、その妹ちゃんが家出をして、それを阿良々木くんが探しに行ってるって感じじゃないかな」
はは、すげえありえそうなシチュエーションだな、それ。
暦「まあ、今の状態も似たような物だけどな」
忍野「そうかい」
忍野「ま、とにかく。 これにて終わり。 お疲れ様、阿良々木くん」
暦「ああ。 色々と迷惑掛けたな」
暦「……なあ、忍野。 また、会えるか?」
忍野「多分会えるだろうさ。 阿良々木くんには高級寿司を奢って貰う約束もあるし」
寿司? おい、寿司っつったか、今。 てっきりそこら辺のラーメン位の物かと思ったけど、寿司かよ。
暦「はは、そうだった。 じゃあ、またな」
忍野は僕の言葉に、軽く手をあげると、机を並べたベッドに横たわった。
さて、そろそろ帰ろうか。
長い家出も、ようやく終わりを迎えられる。
僕は火憐をおぶり、火憐が持ってきた荷物は一旦廃墟に置いて、家路へと就く。
三日間の物語も、終着点は見えてきたと言った所だろう。
にしても、火憐の奴、幸せそうに寝てやがるなぁ。
忍野では無いが、何か良い事でもあったのかい? と聞いてやりたいな。
いや、良い事なんてのは、きっと無い。
あったのは多分、いつも通りの事だけだ。
第十九話へ 続く
つうか、こいつやっぱり重いだろ。
普段なら、自転車で来ていた距離なので、特に遠い等とは思わなかったのだけれど。
今は徒歩であるし。 それに火憐をおぶった状態だ。
先程まで死にかけていたってのもあり、かなり辛い。 実際。
家に着く前に、僕は倒れるのでは無いだろうか。
あ。
そうだ、火憐は確か、あれを持っている筈だ。
僕が奪われた、例のアレ。
つまりは。
お金が沢山入った、財布。
よしよし、そうと決まれば、早速。
さっきまでの重かった感じはいつの間にか無くなっていて、偶然にも近くにあったベンチに早足で移動をすると、僕は火憐をそのベンチの上へと寝かせる。
いや、別に悪い事をするって訳じゃないぜ? だってほら、元々僕が持ってきた物だし。
それを火憐に取り上げられた形なのだから、元の持ち主である僕が奪い返すのは当然の権利だろう。
そのお金が、元々何のお金なのかってのは置いといてだ。
色々買ったけれども、まだ八万くらいは残っている筈。
八万あれば……それはもう、色々と大変だ。
何がどう大変かは置いておいて、とりあえず、大変だ。
ああ、そうだ。 忍野に奢らされる寿司とやらも、そこから捻出しよう。
なんだ、本当に後味が良い結末である。 やったね。
と、考え、火憐の着ているジャージを弄る。
傍から見れば変態だが、別にやましい事をする訳では無いので、心配はいらない。
弄る事、約五分。
暦「お、あったあった」
無事、発見。
だけども。
火憐「……ん」
どうやら、地獄の番犬を起こしてしまった様である。
暦「お、おう。 火憐ちゃん、おはよう」
火憐「……兄ちゃんか? 何してんだ」
暦「ん? 何って、何も?」
火憐「……うーん。 なんか、兄ちゃんから変な気配を感じるぜ」
暦「いやいや、それは気のせいだよ火憐ちゃん」
火憐「そうか? あたしの感知能力、結構当たるんだけどな」
怖い妹だ。 嘘発見器かよ。
暦「ははは。 じゃあ、試してみようぜ。 火憐ちゃん」
火憐「試す? あたしの能力をって事か?」
暦「おう。 僕が今から、嘘か本当か、どっちかの事を言う。 それをどっちか当ててくれ」
火憐「つまりは、勝負って訳だな。 いいぜ、受けて立つ!」
暦「じゃあいくぜ」
暦「その壱。 阿良々木暦は、阿良々木火憐の事が超好きである」
火憐「本当だな」
暦「その弐。 阿良々木暦は、阿良々木火憐がいないと生きて行けない」
火憐「それも本当だ」
暦「その参。 阿良々木暦は、阿良々木火憐に恋をしている」
火憐「ちょっと困るけど、本当だな」
お前、その能力不良品じゃねえか。
暦「残念だったな、火憐ちゃん。 外れだぜ」
火憐「ああん? 今の言葉の中に、嘘が混じってたって言うのかよ」
例の如く、凄む火憐。
暦「いや、そうでもあり、そうでも無いって言った感じだ」
なんか適当な事を言って誤魔化す僕であった。
ちなみに、特に含まれた意味は無い。
火憐「ふうん。 そっか。 ま、良いんだけどさ」
良いのかよ、なら凄まないでくれよ。
まあ。
その参以外は、強ち嘘でも無いんだけれども。
そう考えると、火憐の感知能力とやらも、意外と当てになるのかもしれない。
火憐「てか、なんであたし、こんな所に居るんだよ」
独り呟く様に火憐は言い、次いで僕の顔を見て、ハッとする。
火憐「兄ちゃん……さては、あたしを拉致しやがったな!」
暦「ちげえよ! する訳ねえだろ!」
火憐「あっはっは。 冗談冗談。 あたしが家出してるのを迎えに来てくれたんだよな」
うわ。
恐ろしい事に、忍野の予想通りって事か。
確かに、一番ありそうなパターンだったが。
暦「……ま、そんな感じだよ」
火憐「わりいな、兄ちゃん」
暦「いいさ。 火憐ちゃんが困ってる時は、駆けつけるぜ」
火憐「おう。 あたしも、兄ちゃんが困ってる時ならどこへだって駆けつけてやるよ」
暦「はは。 その時は宜しく頼む」
火憐「頼まれたぜ!」
そうして、僕と火憐は並んで歩く。
もう一人の妹が待つ、家に向けて。
ああ、そうそう。 財布の方は、火憐に回収された。 くそ。
火憐「しかしよー、兄ちゃん」
暦「んー?」
火憐「こうして、ただ歩くだけってのもつまらなくねえか?」
うお。 すげえ、全く同じ事を言ってやがる。
暦「そうか? なんなら面白い話でもしてくれよ」
火憐「面白い話ねぇ……うーん。 なんかあったかなぁ」
火憐の面白い話にはあまり期待できないけれど、まあ、暇潰しくらいにはなるだろう。
火憐「そうだ。 月火ちゃんの話でもするか」
暦「月火ちゃんの? 意外と期待できそうだな」
火憐「にっしっし。 月火ちゃんの事なら何でも知ってるぜー」
自信満々に言う火憐。 いつも一緒だからなのか、確かに月火に的を絞れば、何でも知っていそうだな。
暦「ほう。 それで、面白い話ってのは?」
火憐「そうだな、あたしが印象に残っているのはこの話かな」
火憐「あれは、確か兄ちゃんが自分探しの旅をしに行ってた時の話だな」
春休みの話か。 何か変なあだ名で呼ばれていたのを思い出す。
暦「お前ら、大爆笑だったけどな」
火憐「あー。 まあ、あたしはそうだったかな」
暦「月火ちゃんも、だろ?」
火憐「いやいや、実はそうじゃねえんだよ」
火憐「まあ、確かに最後は笑ってたけどさ」
火憐「そうじゃねえんだよ。 月火ちゃんには絶対に言うなって言われてるんだけどさぁ」
マジかよ。 それ言っちゃっていいの?
火憐「兄ちゃんさ、あの時、二週間くらい帰って来なかったじゃん?」
暦「まあ、そうだな。 自分を探しまくってたからな」
火憐「探しまくってたのかよ。 さすがだぜ」
最早、何がどうさすがなのか、僕には分からない。
火憐「んでさ。 パパもママも「どうせすぐ帰ってくるっしょー」みたいな感じだったんだけど、勿論、あたしも」
暦「そこまで心配されて無いと、僕も少し悲しくなってくる」
火憐「まあまあ。 それだけ信頼されてるって事じゃねえの?」
そうだろうか? 僕としては、逆の可能性の方が高いと思うんだけれど。
火憐「んで、皆そんな感じかと思いきや、月火ちゃんは違ったのさ」
暦「ほお? どんな風に?」
火憐「えーっと。 まあ、簡単にずばっと言うならば、泣いてた」
泣いてたの!? マジで!?
暦「え、何それ。 詳しく聞きたい」
火憐「さすがのあたしも困ったぜ。 「ねえ、火憐ちゃん。 お兄ちゃんを探しに行こう」って毎日言ってくるんだもん」
火憐「んで、あたしが断るとさ。 すっげー悲しそうな顔をして「そう、じゃあ一人で行って来るね」って」
暦「うわ、見たい見たい。 めっちゃそれ見たいぞ、火憐ちゃん」
火憐「ちなみに、夜の十時くらいの話だ」
暦「ちょっと怖くなってきた」
火憐「ま、さすがにそんな時間に一人で行かせる訳には行かないよな」
暦「そりゃあな……火憐ちゃんが引き止めないと、月火ちゃんも止まらないだろうし」
火憐「いや、引き止めはしなかった。 仕方ねーから、一緒に探したんだぜ」
暦「そこは引き止めろよ! 何流されてるんだよ!」
マジでか。
てか、見つかってなくて良かったよ、それなら。
暦「は、ははは。 今度から、行き先はちゃんと伝える様にしておくよ」
火憐「だな。 つうかその内、月火ちゃんに刺されそうだよなぁ。 兄ちゃん」
暦「こええって。 火憐ちゃん、その時は助けてくれよ」
火憐「おう。 任せろ任せろ」
かっけー。 頼れる妹だな。
暦「予想以上に面白かったな。 他にはなんか、無いの?」
火憐「うーん。 無くも無いけど、そんな面白い話じゃねえよ?」
暦「へえ。 例えば、どんな話だよ」
火憐「同じ春休みの話だけど、毎日月火ちゃんと一緒に兄ちゃんのベッドで寝てたくらいだぜ」
暦「何してんの!? 僕が知らない間にお前ら何してんの!?」
火憐「いやー。 落ち着くんだよ、兄ちゃんのベッド」
暦「僕は今の話を聞いて、心中穏やかじゃねえからな!」
何やってるんだよ、この姉妹は。
くそ、なんか負けた気分になるし、今度ベッドに潜り込んでやろうかな。
火憐「まあ、あたしのベッドに入り込んできたら、フルボッコだけどな」
感知能力恐ろしや。 思考すらも読むとか。
それに、火憐が言うと冗談に聞こえないんだけれど。 てか、フルボッコって。
暦「僕が居ないと好き勝手だな、お前ら……」
火憐「んー? そうかな?」
暦「話を聞く限りじゃ、そうとしか思えねえよ」
火憐「まー。 あれだよ、あれ」
火憐「月火ちゃんは兄ちゃん大好きだからな。 仕方ねえっちゃ仕方ねえんだよ」
暦「月火ちゃんがねぇ……僕はそうは思わないけどな。 まあ、でも。 火憐ちゃんが言うなら、そうなんだろうけどさ」
火憐「へえ? あたしの言う事を真に受けるって、珍しいな」
暦「たまにはって奴だよ。 少なくとも」
暦「……僕は、火憐ちゃんや月火ちゃんの事、全然分からないし」
本当に、何も。
火憐「なーに言ってるんだよ。 いっつも知った様な事ばっか言ってるじゃん」
暦「僕にも色々と考えさせられる事があるんだよ」
火憐「ふうん?」
暦「僕がさ、火憐ちゃんや月火ちゃんの事を知っている以上に」
暦「火憐ちゃんや月火ちゃんは、僕の事を知っているんじゃねえのかな」
火憐「うーん。 あたしはそうは思わないけどなぁ」
火憐が僕に答えたのは、言い終わるのとほぼ同時。 即答だった。
火憐「だってさ、兄ちゃん。 あたしだって、兄ちゃんの事をそんな知ってるって程でもねえよ」
火憐「勿論、月火ちゃんだってそうだろうしさ」
火憐「つうか、人の事が完璧に分かる人間なんて、居ないんじゃねえの?」
暦「でも、兄妹だぜ。 僕は、知らなさ過ぎるんじゃねえかなって思うんだ」
火憐「だから、それが当たり前なんじゃねえの? あたしはいっつもだけどさ」
火憐「兄ちゃんや月火ちゃんの事を知っている振りをしてるんだよ」
暦「知っている振り?」
火憐「そう。 振りだ」
火憐「んでさ、大体その知っている振りってのは、知っているに変わるんだぜ」
知っているに、変わる。
火憐「月火ちゃんなら、こう返されるのを期待しているだろ、とか。 兄ちゃんなら、こういうやり取りを期待しているんだな、とかさ」
火憐「まあ、さすがにそこまで計算してやっている訳じゃねえよ? ただ」
火憐「なんだろーな。 自然と、そうなるって言うのかな」
暦「自然と、ねえ」
火憐「兄ちゃんだってそうだろ? あたしに色々言う時だって、月火ちゃんとやり取りする時だってさ」
そうなのだろうか。 僕は、火憐や月火の事を知っている振りをしていて、その振りは大体が知っているに、変わっているのだろうか。
暦「……僕は、そんなんじゃねえよ」
火憐「はあ。 ったくよー。 物分りの悪い兄ちゃんだな」
火憐「なんかあったのか?」
暦「あったと言えば、あったかな」
火憐「ふうん。 ま、別に良いけどさ」
火憐「兄ちゃんは兄ちゃんだろ。 別に兄ちゃんがあたしと月火ちゃんの事を分かっていないからって、それが何か問題でもあるのか?」
火憐「あたしはそんなの気にしないし、月火ちゃんだってそうだよ」
火憐「兄ちゃんはいつもと一緒だよ」
火憐「妹を押し倒したり、おっぱい揉んだり、キスしたり。 それが兄ちゃんだろ」
改めて聞くと思うけれど、僕って結構やばいキャラなのかな。
暦「もっと他にもあるだろ! 勉強を見てくれるとか、くだらない話に付き合ってくれるとか、一緒に遊んでくれるとかさ!」
火憐「んー? んな事、あったっけ?」
まあ、無いんだけどな。
暦「つうか、そうだな」
暦「分かったからって、何かが起きるって訳でも、ねえんだよな」
暦「サンキューな、火憐ちゃん」
まさか、火憐に説教されるとは思わなかったけれど。
火憐が言いたい事は、僕にしっかりと伝わった。
火憐「気にするなよ。 あたしも実は、兄ちゃん大好きっ子なんだぜ」
暦「知ってるよ。 それくらいは、知ってる」
火憐「にっしっし。 さすがだぜ、兄ちゃん。 一応聞いておくけど、兄ちゃんもあたしの事、大好きだろ?」
暦「んな訳ねーだろ」
火憐はその言葉を予想していた。 そんな顔。
だから、僕は言ってやる。
暦「火憐ちゃんの事は、超大好きだぜ」
さて、そんな暇潰しの話をしていたら、どうやら家の前まで着いた様である。
短かった様な、長かった様な、そんな家出もこれにて終わり。
僕と火憐は家の扉を開ける。
「ただいま」
と、声を揃えて。
元気良く。
その声に反応して、二階からドタドタと階段を駆け下りる音がした。
さて、ここからまた一勝負か。
月火との勝負は、今までで一番辛い戦いになりそうである。
まあ。
僕はそれが、嬉しくもあるんだけれど。
第十九話 終
727 : ◆XiAeHcQvXg - 2013/04/22 14:22:55.64 NdawjWEZ0 611/743以上で第十九話、終わりです。
後日談的な奴を投下しまして、前編終了となります。
後日談というか、今回のオチ。
「兄ちゃん、朝だぞこら!」
「いい加減起きないと駄目だよー!」
翌日、もう懐かしくも感じていた二人の妹達による目覚まし。
久し振りに聞くそれは、やはり朝には少し辛い物がある。
けれど、このやり取りすら、幸せの内の一つなのかもしれない。
今まで当然の様にあった事が、ある日突然無くなる事によって、気付いたとでも言える様に。
僕の当然は勿論、この火憐と月火による目覚ましと言う事になるのだろう。
そんな当然も、やがて無くなる日はやってくる。 無限では無く、有限なのだから。
例えば、僕が高校を卒業したらどうだろう?
僕は家を出て行くつもりだし、まさか僕の新しい住居にまでこの妹達も押し掛けては来ない。
いや、でも電話くらいはしてくるのだろうか? あり得るな。
けど、例えば……僕がおっさんになったらどうだろう?
僕がおっさんと言う事は、つまりはあの今はまだ中学生の二人の妹も、それはもう大分良い年齢になっている訳だし。
それでも朝に「兄ちゃん、朝だぞこら!」「いい加減起きないと駄目だよー!」とやられたら、正直引く。
引くと言うか、怖い。 恐ろしい。 無いよな、さすがに。
まあ。
とにかく今は、この有限の目覚ましに感謝しよう、と。
僕も素直では無いので、改めてお礼なんてのは言えないけれど、心の中でくらい感謝しておこう。
ありがとう、火憐と月火。
それじゃあ、お礼も言った事だし寝るとするか。 おやすみ。
そんな良い事を思いながら二度寝をしようとした所、火憐の暴力により叩き起こされた。 冷静に考えて、理不尽じゃないか? この暴力女め。
その後、話を聞くと火憐はやはり、家出との扱いになっていた。
無論、火憐の方もそういう風に認識をしていた様である。
そして僕はというと、そんな火憐が心配で心配で家を飛び出した。 との事だ。
まあ、間違ってはいないので反論はできなかったが、それについては議論をしたいと言った感じである。
そして、本当に、何事も無く、丸く収まった……と言えればいいのだけれど。
生憎、人生そう上手くは行かない物である。
具体的に言うと、僕が生活費を持って行ったのがばれたのだ。 これはすっかりと僕の頭から抜け落ちていた事柄である。 ばれなかったという方が、難しいのかもしれないけれど。
その後、僕と火憐はそれはもうこっ酷く叱られ、一年間のお小遣い半分という制裁を食らう嵌めになる。
僕が生活費を持って行ったのだから、火憐が怒られるのは理不尽かもしれないけれど、連帯責任らしい。
そうそう、連帯責任。
この時僕は「はは、火憐も巻き込まれてやんの」くらいに思っていたのだが、どうやらその連帯責任の範囲は広いらしい。
この制裁に月火も巻き込まれたのだ。
そう、連帯責任。 マジかよ。
月火は当然、怒り狂って僕と火憐をノコギリを持って追い回した。 僕は春休み以来に死を覚悟した。
というか、一番被害にあっているのは火憐なのだろう。 僕が勝手に持ち出したお金で制裁を食らい、挙句の果てに月火に追い回されるとは。
その後、年上の二人が揃って年下の妹に長時間の土下座をする事で、なんとか許しを得れたのは幸いである。
ちなみに、火憐が持っていた残金の八万円程だが、両親はそれを受け取る事はせず、三人で使え。 と言ってくれた。 優しいのか厳しいのかどっちだよ。
まあ、結果的に一年間もお小遣いが半額なので、損なのだけれども。
そしてここが一番重要。 その八万円の行方なのだが、どうやら月火の私物に使われる様である。
僕と火憐は勿論、それには反論できず(とは言っても、火憐の場合はかなり仲が良いので、ある程度は優遇してもらえるのだろう)月火がお札を団扇にして仰いでいるのを眺めている事しかできなかった。
火憐は何かの可能性を見出したらしく「月火ちゃん、そのお札であたしを叩いてくれ」とか言っていたが。
……いや、ただの馬鹿か。
そして、僕が「あの、月火さん。 千円札でも良いので、一枚恵んでくれないでしょうか」と言ってみた所「何? 泥棒のお兄ちゃん。 え? まさか今、お金が欲しいって言ったの? 泥棒なんだから盗めばいいじゃん。 あははは」と、笑わずに言われた。
まあ、これもまた、仕方の無い事なのだろう。
それに、月火の奴は金を持ったら駄目な奴だったらしく、何かある事に僕と火憐にお土産を買ってきてくれる。 これは素直にありがたい。
その度に、僕と火憐は「おお、月火様がお帰りになられたぞ。 お疲れ様です月火様」なんてご機嫌伺いを行うのだ。
そんなこんなで、その後、数日の間は月火を崇拝する僕と火憐であった。
ああ、そうだ。 これも明記しておこう。
しばらくの間、月火は火憐の事を「家で火憐ちゃん」と呼んでいて(なんでも、家出の『で』が平仮名なのがミソらしい。 なんのミソかは全く不明だが)僕の事は「泥棒のお兄ちゃん」もしくは「ゴミ」とのあだ名が付けられた。
前者の方は、確かにその通りなので僕も何も言えないのだけれど、後者のは既に悪口でしかない辺り、文句は言いたい。 言いたいってだけで、言ったら更に下位のあだ名が付けられそうなので、決して言わないけれど。
さて、そろそろ纏めるとしようか。
結局、今回の事を覚えているのは、僕と忍、それに忍野だけだ。
それが良かったのか、悪かったのかは分からないけれど、思う所があるのは事実である。
なにはともあれ。
この数日間、物凄く疲れた。
今は自分の部屋のベッドに横たわり、何も無い天井をただ見つめているだけだ。
火憐と月火に僕の事を話そうかは悩んだのだけれど、一旦時間を置く事にした。
勿論、このまま嘘を付き続けるつもりなんて、無い。 あいつらにはもう、嘘を付きたくは無い。
今は僕もここ最近の出来事で疲れているし、うまく説明できるのかさえ、分からないし。
その為の、保留である。
言い訳なのかもしれないけれど、話すからにはしっかりと説明したいのだ。
そして、火憐の身に起こった事については、黙っておく事にした。
今回の物語は、僕が覚えていればそれでいい。
僕の事を想い、傷付いた火憐。
それに対する、せめてもの罪滅ぼし。
勿論、月火の事もそうだけれど、何かのきっかけで気付く事があれば、その時には話さなければならないのだろうけど。
その日が来る事は、望ましくは無い、かな。
さて、そんな事を考えている間に大分良い時間になってきた。
そろそろ寝るとしよう。
と、思った時。
コンコン、と部屋の扉がノックされる。
誰だよ。 火憐なら扉なんて蹴破るし、月火ならまず、ノックなんてしないだろう。
だとすると、両親のどちらかだろうか?
暦「んー」
と、返事をする。 返事と言うか、呻き声みたいになっていたが。
その声が聞こえた様で、扉はゆっくりと開かれていった。
火憐「よう」
あれあれ。 こいつ、ノックしたよな、今。 人間の様な行動が出来る奴だったのか!
暦「火憐ちゃんか。 つうか、お前何か悪い病気にでも掛かったか?」
火憐「あ? 何でだよ」
暦「いや、だってさ。 ドアをノックするなんて、火憐ちゃんじゃないじゃん」
火憐「あたしだって、普通にノックくらいするよ」
さて、まあ驚いたのだけれど、用件は何だろうか。
火憐「なあ、兄ちゃん」
暦「んー?」
火憐「あたし、今から変な事言うけど、笑うんじゃねえぞ」
暦「何だよ火憐ちゃん。 僕が火憐ちゃんの事を馬鹿にした事が、今まであったか?」
多分、一日一回は馬鹿にしているだろうけど。
火憐「なんかさ、夢で見たっつうか。 良く覚えてねーんだけどさ」
火憐「兄ちゃんと、一緒に寝るって約束をした気がするんだよ」
そんな約束も、したっけな。
覚えている筈の僕が忘れていて、忘れている筈の火憐が覚えているとは、とんだ面白話である。
暦「……そっか」
火憐「やっぱ、あたしちょっとおかしいな。 疲れてんのかな」
独り言の様に呟き、火憐は扉を閉めようとする。
そんな火憐に、僕は。
暦「火憐ちゃん」
火憐「ん?」
いつもの顔。 いつもの雰囲気。 いつもの感じ。 いつも通りの僕で、いつも通りの火憐に、いつも通り、笑いながら言ってやる。
暦「いいぜ、引き受けてやるよ」
かれんリーフ 終了
747 : ◆XiAeHcQvXg - 2013/04/22 14:39:52.17 NdawjWEZ0 630/743以上で前編、終わりとなります。
沢山の乙ありがとうございました。
スレ自体は一週間ほど残し、HTML依頼します。
後編の投下日程が決まりましたら、こちらのスレにてお知らせします。
それでは、ありがとうございました。
続き
暦「火憐ちゃん、ごめん」【番外編】