某ファストフード北口店
A「わっ」
甲「っ!?」
A「あは。びっくりした? ねえね、びっくりし」
甲「……」
A「…………」
甲「…………」
A「……誰ですかあなた」
甲「いや、こっちのセリフなんだけど」
A「怪しい人ですか。人を呼びますよ」
甲「コーヒーちょっとこぼれたんだけど」
A「ごめんなさい。弁償させてください。人を呼びますよ」
甲「意外に素直だけどその過剰な警戒は解いてくれないのな。俺何もしてないよね」
元スレ
「もしも携帯電話というものがこの世に生まれなかったら」
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news4viptasu/1392552595/
A「どうも、人違いをしてしまったみたいです」
甲「だろうね」
A「ごめんなさい。コーヒー、熱かったですか?」
甲「いや、大したことない。幸い服にもかからなかった」
A「ちょっと、舞い上がってたみたいです。失礼をしました」
甲「いや、別にいいよ。待ち合わせ?」
A「はい。だから、舞い上がってたんです。いつもはもっと落ち着いた女なんですよ。本当です」
甲「嘘くさいな」
A「嘘かもしれません」
甲「自信ないのか」
A「ここ最近、落ち着きがないって言われます」
甲「生まれた時からじゃないだけ良かったな」
A「まったくです」
甲「舞い上がっちゃうような相手と待ち合わせか。結構なことで」
A「ふへへ」
A「お兄さんはなにしてるんですか? 瞑想?」
甲「お前俺を何者だと思ってんだ」
A「冗談です。だいじょうぶ。お兄さん、ただ者に見えますよ」
甲「別に只者に見えて嬉しいわけではないんだけど」
A「じゃあやっぱり只者じゃないんですか?」
甲「いや、只者だけど」
A「やっぱり!」
甲「お前変なやつだな」
A「いや、わたしも只者ですよ」
甲「そうには違いないんだろうが……」
A「待ち合わせ? ですか?」
甲「まあ、そんなところ」
A「浮かれてます?」
甲「まあ、それなりに」
A「ひゅー」
A「じゃあ、邪魔しちゃ悪いですね」
甲「お前のほうこそな」
A「では、わたしはあっちの席で待ち合わせしますので」
甲「達者で」
A「どっちの待ち人が先に来るか、勝負ですね」
甲「分が悪いな。俺の待ってる人は、時間にルーズだから」
A「わたしと同じですね」
甲「そうなのか」
A「ええ。なんてったってすでに、遅刻してますからね」
甲「大丈夫かお前」
A「幸いにも、相手も遅刻中みたいです。店内に姿が見えませんから」
甲「そりゃ、ラッキーだ」
A「ええ。もうしばらく、浮かれて舞い上がってやきもきできます」
甲「ポジティブだな」
某ファストフード南口店
乙「だあれだ!」
B「……?」
乙「久しぶり過ぎて声も忘れちゃった?」
B「……誰ですか?」
乙「おや」
B「……」
乙「…………」
B「…………」
乙「……きみ、誰?」
B「俺が聞きたいんですけど」
乙「年齢に関する問い以外なら受け付けるよ」
B「いやそんな質問コーナーみたいなことがしたいわけではなくて」
乙「26歳。でもほら、全然見えないでしょ? 見えないよね。よく言われるんだあ」
B「自分から言っちゃってるし」
乙「たまに、高校生と間違えられたりもするんだよ! それはそれで複雑なんだけど」
B「ああ、まあ、お若く見えるのは確かですね」
B「人違い、ですか」
乙「うん。ごめんねえ。後姿が似てたもんだからさ。久々に会う人だったのも相まって」
B「ここで待ち合わせなんですか。ずいぶんとテンションが高いようですけど、相手は彼氏ですか」
乙「そんなとこ。っていうかわたし、テンション高く見えるかな」
B「わりと」
乙「若者特有のはっきりしない返事だ。きみはいくつ?」
B「17歳です」
乙「わあ、うらめしい。多摩川に落ちればいい」
B「えっ」
乙「ひとりごとだよ」
B「ひとりごとは一人で言ってくださいよ」
乙「きみも待ち合わせ中なんだ?」
B「ええ、まあ」
乙「相手は、女の子?」
B「はい」
乙「あらまあ」
B「あらまあて」
乙「でもなんか、しけたポテトチップスみたいなツラしてるねきみ。相手の子はゴリラみたいな女なの?」
B「いや、めちゃくちゃかわいいんですけど」
乙「つまり、きみはホモか」
B「違いますよ。その、いろいろあって」
乙「ふうん。ま、事情は人それぞれかあ。わたし、あっちの席で待つことにするね。邪魔してごめんよ」
B「はい。お姉さんのほうは、楽しいデートになるといいですね」
乙「それはちょっと、できない相談だな」
B「? なんでです?」
乙「事情は人それぞれなのさ。それじゃね」
某ファストフード北口店
A「なかなか待ち人、現れないみたいですね」
甲「そっちこそ、全然来ないじゃないか。彼氏」
A「彼氏じゃありませんよ」
甲「そうなのか」
A「はい。あの、ここ座っていいですか」
甲「わくわくやきもきしてる最中じゃなかったっけ」
A「待ち疲れました。いえ、というかですね、暇なんですよう」
甲「それはまあ、わかるけどな」
A「そんなわけで、暇つぶししましょう。ね?」
甲「別にいいが、彼氏に妬かれても知らんぞ」
A「彼氏じゃないですって」
甲「頑なだな。休日に駅前で待ち合わせて出かける仲なんだろう?」
A「それでも、まだ、彼氏じゃないんです」
甲「まだ、ときたか」
A「わたしもあなたのことが好きです。付き合ってください!」
甲「…………は?」
A「……って、言うつもりなんです。今日」
甲「唐突過ぎる。最低限の前ふりをしてくれ」
A「告白されたかと思いました?」
甲「頭のねじが飛んだのかと思ったよ」
A「頭のねじが飛ばなきゃ、こんなこと、恥ずかしくて言えないかもしれませんねえ」
甲「『わたしも』ってことは、なんだ、告白されたのか。やるじゃないか」
A「いやあ」
甲「そりゃ浮かれてるわけだな。今日、相手に返事をしようってわけか」
A「結構待たせちゃいましたけど」
甲「なんでまた。お前の様子を見る限り『好きかどうかよくわかんないからとりあえず保留』ってなことする惚れ具合じゃないように思うが」
A「逃げちゃったんです。告白されたとき。恥ずかしくて」
甲「…………相手が気の毒だな」
A「わたしもそう思います」
A「で、どう思います?」
甲「どう思うもなにも、完璧に両想いじゃないか」
A「いえ、そうではなくて。わたしのお返事、ぐっときますかね。彼に」
甲「『わたしもあなたのことが~』ってやつ?」
A「やつです」
甲「知るか」
A「まあまあ」
甲「なんで俺宥められてるみたいになってんだよ」
A「男の人の率直な意見を聞きたいんです。生の声を」
甲「ぐっとくるかどうかなんて、人それぞれだけどな」
A「あなたの価値観でいいんですよう」
甲「ええ……そう言われてもな」
A「…………」
甲「…………ええと、まずな、率直すぎる」
A「率直、ですか」
甲「ああ。なんというか、投げかけられた言葉に、定式的な言葉を返している印象がする」
A「なんとなく、わかる気がします」
甲「だろ? 『好きです。付き合ってください』に対しての返答が『わたしも好きです。付き合ってください』っていうんじゃ、なんか、こう、人間味にかける」
A「事務的な感じがしますね!」
甲「そうなんだよ。『Is this an apple?』と問われて『Yes,it is.』と返すがごとき空虚さがあると思うんだよな俺は」
A「どう見てもりんごですもんね!」
甲「そう。どう見たってりんごならいっそ『ええー? 本当にりんごかなー? んー? うふふふりんごでしたー!!』くらいのほうが可愛げがあるんだよ」
A「馬鹿っぽい!!」
甲「うるせえ」
A「ええと、結局わたしは万歳しながら『りんごでーす!!』って言えばいいんですか」
甲「ノってくんなよ。そんなことしたらお前、逆にフラれるまであるからな」
A「うわあー。なんて返そうなんて返しましょう」
甲「告白の返事なんて、そんなに悩むものなんだな」
A「悩みますよう。ねえ、お兄さんはなんて言われたらぐっとくるんですか」
甲「ええ、特にないよ。そんなの」
A「個人的なアレでいいですから」
甲「…………あー、『別に付き合ってあげても、いいよ』とか、そんなんかな」
A「わあ。意外にMっ気ですね」
甲「言うな」
某ファストフード南口店
乙「やーこんなに待たされるとは」
B「え、こっち来るんですか?」
乙「いいじゃんか、きみの彼女もなかなか来ないみたいだし、一人で待つのも退屈だしね」
B「彼女じゃありませんよ」
乙「おや、そうなの? 片思い? もしかして今日告白とか考えてたり? パーティ? パーティする?」
B「パーティはしません。告白はもうしました」
乙「で、フラれたんだ」
B「ふ、フラれてないですよ」
乙「じゃあ、フラれそう」
B「それはまだ……わかりませんけど」
乙「わかんないなら元気だしなよ。あんまりネガティブに構えてると、いざOKもらった時にテンションがついていかなくてなんか『デュフッ』みたいな笑い方になっちゃうよ」
B「いや、もう別に関係ないんですよ。返事なんて」
乙「なにその意味深な自暴自棄。死ぬの?」
B「いや生きますけど」
乙「あー……引っ越しかあ」
B「隣の県とか、それくらいならまだ、諦めなかったんですけど」
乙「親の都合なら、どうにもできないよねえ」
B「……そんなことで、って思います?」
乙「なにが?」
B「大人の人からしたら、『多少距離が離れるくらいで』とか、やっぱり思います?」
乙「きみは、どう思うの?」
B「大人はいろいろと、忙しいでしょうし……付き合っててもなかなか会えないこととか、ざらだろうし……休みが合わなかったりとか」
乙「だから、遠距離恋愛への耐性も子供よりはあるはずだと」
B「イメージですけど」
乙「ぶぶー」
B「違うんですか」
乙「違うか違わないかで言ったら、ばか野郎だこの野郎!」
B「ええ…………」
乙「きみは大人を、スーパーマンかなにかと勘違いしてるな」
B「そんなことはないつもりです」
乙「わたしたちだって、きみたちだって、やっぱり遠距離恋愛はつらいよ。それに、17歳はもう大人だ」
B「そうですかね」
乙「わたしは、17歳のころから頭の中成長してないよ」
B「そんなニコニコして言うセリフではないですよ」
乙「確かにきみの言うように、大人はいろいろと忙しい。かく言うお姉さんもなかなかに多忙な身です」
B「はあ」
乙「近距離での恋愛をしてたって、一か月に一回しか会わないカップルはたくさんいると思う。逆に、一週間に一回必ず会う遠距離カップルもいるだろね」
B「事情は人それぞれってことですね」
乙「うん。それでね、少なくともわたしは、わたしだったら、前者のカップルでありたいなあと思うの」
B「なんでですか?」
乙「なんでだろね。うまく説明できない。強いて言うなら『会う』ことと『会える』ことは全然別物だからじゃないかな」
B「『会う』ことのほうが、大事じゃないんですか」
乙「『会う』ことの幸せは、二人じゃないと享受できない。でも、『会える』ことの幸せは、一人でも噛みしめられるんだよ」
B「……よくわかんない世界です」
乙「うふふー、子供だなあ」
B「さっき、17歳は大人って」
乙「言ったっけ?」
B「適当な人だなあ」
乙「とにかく、わたしはきみの決断を否定しないよ。うん。遠距離恋愛なんて、しないに越したことはないね。若者の儚い失恋! 万歳!」
B「どういう風に、彼女に伝えればいいんでしょう。自分から告白しておいて、こんな」
乙「や、まだ告白の返事もらってないんでしょ。なにちゃっかり両想いの前提で想像しちゃってるの」
B「こんなことになるならいっそ、フラれたほうがいいなあ」
乙「へえー」
B「…………なんですか」
乙「思ってもないことをいっておるなあ、と思ってさ」
B「そんなことないです。そんなこと」
某ファストフード北口店
甲「結婚してくれないか」
A「…………はい?」
甲「って言うつもりなんだよ。今日」
A「うわ。なんですか仕返しですか大人げないです」
甲「これくらいの報復は許されるだろ」
A「プロポーズ?」
甲「そうだな」
A「えっ、すごい。ほんとに?」
甲「なんだ、冗談だと思ったのか」
A「わたし、プロポーズしようとしてる人初めて見ました」
甲「お前くらいの年代だと、まず周りにはいないだろうな」
A「結婚を決める瞬間って、どういうときなんですか?」
甲「お前、とんでもなくドラマチックでロマンチックな答えを期待してるだろう」
A「ドラマチックでもロマンチックでもないんですか?」
甲「全然違うね。世の中のやつの大半は、そうなんじゃないか? 俺の場合は、転勤だ」
A「転勤? 転勤しちゃうんですか?」
甲「転勤してくる、って感じかな。もうしばらくしたら俺、この街の配属になるんだよ」
A「つまり、今まではこの辺に住んでなかったと」
甲「ああ。きっかけなんてそんなもんだよ。彼女と無理なく一緒に住めそうになったんで、いい機会だと思ってな」
A「今までは遠距離恋愛だったってことですね」
甲「早計だと思うか?」
A「なにがです?」
甲「今までずっと離れて暮らしてたのに、いきなり結婚だなんてさ」
A「付き合ってどれくらいになるんですか」
甲「だいたい、十年くらいだよ」
A「じゅ……」
甲「その間ずっと、遠距離だったけどな」
A「や、もう、なんていうか、それで早計だとか言うなら世の中の大抵の判断は早計なんじゃないですか」
甲「大きく出たな」
A「だって十年でしょう? 遠距離恋愛がどれくらい大変なことなのか知りませんけど、彼女さんからしてもやっぱり、プロポーズは『待ちに待った』って感じなんじゃ」
甲「そうだといいんだけどな。正直俺は今、不安のほうがでかいよ」
A「相手は知ってるんですか? その、あなたがこの街に転勤になったこと」
甲「いいや、言ってない。それも今日伝えるつもりでさ」
A「サプライズですね。大丈夫ですよ。ぜったい、喜んでくれます」
甲「そう言ってくれると少し気が楽だよ。気休めでもさ」
A「本心ですよ」
某ファストフード南口店
乙「別れ話って、どう切り出せばいいと思う?」
B「別れ話……ですか?」
乙「そう。ことによると、告白の言葉を考えるよりも難しいかもしれない」
B「別れ話をするつもりなんですか? もしかして、今から?」
乙「その通り。きみ、えらい場面に居合わせるかもね」
B「そうなる前に、俺の待ってる子が来てくれるのを祈りますよ」
乙「そうだ。きみのことをきっかけに使うのはどうだろう? 『この子と付き合うことにしたからわたしと別れてください』なんて」
B「絶対にやめてください変なことに巻き込まないでください」
乙「冗談だってば。気が重いなあ」
B「気持ちはわかりますけどね」
乙「そうだろね。今のきみなら特に、そうだろうね」
B「どうして、別れようって思ったんですか?」
乙「んー、別に」
B「別にて。なにかあるんでしょう? 浮気したとかされたとか、酷いことを言われたとか言っちゃったとか」
乙「特筆するようなことは、なにも」
B「……理解できませんね」
乙「きみさ、別れと言えばなにかしら、ドラスティックでトラジックなものだと思っているでしょう」
B「ある程度は」
乙「そんなことないんだよなあ。そんなことないんだよ。強いてあげるなら、わたしたちは遠距離恋愛ってやつだから」
B「うわ。それは、なんというか」
乙「タイムリーでしょ? やめとけやめとけー。もう地球なんて滅びちゃえ」
B「骨身に沁みた言葉だったんですね。『遠距離恋愛なんてするもんじゃない』っての」
乙「そゆことだね。ま、酷い女だとは思うよ。わたし」
B「彼氏は?」
乙「なかなかだね。なかなか最高」
B「理解しがたい……」
某ファストフード北口店
A「…………」
甲「…………」
A「…………一時間」
甲「ああ……」
A「あなたの言う『彼女』とは本当に実在する人物なのでしょうか? もしそうでないのなら、」
甲「俺をかわいそうな目で見るのはやめろ。お前の思い人とやらも、全然来ないじゃないか」
A「ここまで姿を現さないとなると、さすがに心配ですね。なにかあったのかも」
甲「交通事故とかな」
A「誘拐されたとか」
甲「金持ちなのか? そいつの家」
A「いえ、軽くひくくらい平凡で凡庸で十人並な平民男です」
甲「お前本当にそいつのこと好きなのか……?」
A「きゅんとしてます」
甲「そうか。お幸せに」
A「んー、なんか勘違いしてるとか?」
甲「勘違い?」
A「待ち合わせ時間、いや、そもそも日にちを間違えてるとか」
甲「俺たち二人揃ってか」
A「相手方が二人揃って間違えてる場合もありますね」
甲「どっちにしろ、救いようのない話だな」
A「あとは……場所?」
甲「お前らは、なんて言って示し合わせてるんだ?」
A「『駅前のハンバーガー屋で』って…………うあ」
甲「どうした」
A「失念してました。このハンバーガー店、南口にも同じものがあります……」
甲「あ」
A「ね」
甲「…………いくか」
A「はい…………」
某駅南北口連絡通路
A「…………」
甲「なんか、神妙な顔つきだけど大丈夫か?」
A「そういうあなたこそ、もっとリラックスしたほうがいいんじゃないですか? 今から声震えててどうするんですか」
甲「そんなこと言ったってな」
A「そんなこと言ってもですね」
甲「にわかに緊張してきたよ。くそ、ここ一番のときに上手く切り出せないタチなんだよ」
A「ねえ、わたし、クマとかないですか? かわいいですか? ねえ、わたしかわいい?」
甲「あー、はいはいかわいいかわいい」
A「嘘だ。今わたしぜったい、はにかんでるときの金剛力士像みたいな表情してる……」
甲「それ険しい表情なの? 穏やかな表情なの?」
A「ちなみに吽形のほうですよ」
甲「知らねえよ」
某ファストフード南口店
乙「やっぱり、『自動改札の黒い板にバーンって挟まれて動けなくなってる説』が有力じゃない?」
B「いやどう考えてもそれが一番あり得ないでしょう。五歳児だってそんな事態には陥りませんよ」
乙「『エスカレーターに靴紐が巻き込まれてしまい、もうそこで一生を過ごす覚悟をした』説はどう?」
B「切れよ。とりあえずいったん靴脱げよ」
乙「もう何度となく『よし! このセリフで切り出そう!』と決心をしては、時間の経過につれ『やっぱりこんなんじゃだめかな』と思いなおすというのを繰り返してるよ」
B「奇遇ですね。俺も似たような思考を繰り返してますよ」
乙「いくらなんでも遅すぎない?」
B「なにか、よくないことがあったんじゃ」
乙「そんなよくないことのあとに、別れ話やらなんやらを切り出されるんだから、きみの待ち人もわたしの待ち人も踏んだり蹴ったりだよね」
B「やめてくださいよ決心鈍るから」
乙「へえ。もう決心ついてるんだ」
B「いや、まだちょっと、足りない感じですけど」
乙「それを聞いて安心したよ。わたしもそうだからね。ぬけがけはやめてよね」
B「ぬけがけというかなんというか……」
乙「あ」
B「どうしたんです?」
乙「や、でも、さすがにこんなことはあり得ないかなあ」
B「なにか心当たりでも?」
乙「『きみとわたしの待ち人は、このハンバーガーショップの北口チェーンにいる』説」
B「…………どう考えても、それが一番ありそうな説ですよね」
乙「思い込みってやつは怖いね。『駅前のファストフード店と言えば!』なんて、『こたつと必ずセットのアレと言えば!』くらい、個人個人で違いがあるものなのにね」
B「みかん」
乙「鍋でしょそこは」
B「ねこっていうのもありますね」
乙「ねこを食べ物だと思ってるきみとは、相容れないな」
B「思ってねえよ」
乙「さて、行きましょうか」
B「決心はついたんですか?」
乙「三日間ここに居たって、そんな決心はつかないよ。きみもそうでしょ? でも、行かなきゃ」
某駅南北連絡通路
B「遠距離恋愛してて、辛かったことってなんですか?」
乙「お、どしたの急に」
B「いえ、参考までに聞いておきたいなと思ったんですよ」
乙「大好きな彼女を諦めるための踏ん切りにしよう、ってところかな?」
B「それもあるかもですね」
乙「ご期待に添えるかどうかはわかんないけどね。なんか、漠然とした話になっちゃうかもだから」
B「漠然と、ですか」
乙「きみは、大切なひとの時間が、自由が、じりじりと削られていく音を聞き続けることに堪えられる人間かな」
B「経験がないので、なんとも」
乙「それじゃあ、大切なひとが、幾多の幸せを見逃しているのを、それでもずるく見守っていられる人間ではあるかな」
B「……遠距離恋愛ってのは、そういう要素を多くはらんでいる、と」
乙「場合によってはね」
B「自分には向いてない、と思います」
乙「そっか。きみは賢いね」
某ファストフード南口店
甲「二階にも、それらしいのはいなそうだ」
A「わたしのほうもです。十中八九、ここにいると思ったんですが」
甲「他に間違えそうな店舗ってあるか?」
A「んー……ない、と思います。まあ時間を大幅に過ぎてますし、もう帰っちゃったという線も」
甲「だよなあ。ああ、弱ったなこれは」
A「とか言いつつ、ちょっとホッとしてるんじゃないですか?」
甲「……お前のほうこそ、見るからに気の抜けた顔してるじゃないか」
A「……まあ、否定はしませんよ。でもかわいいものでしょう? 今まで男の子に『好きだよ』とか、言ったことないんです」
甲「確かにかわいげはあるけどな。自分で言うことじゃねえよ」
A「とりあえず、てりやきバーガーでも食べます?」
甲「さすがにもういらん。ハンバーガー屋からハンバーガー屋への梯子してる場合か」
A「さて、これからどうしましょうね」
甲「どうするかなあ」
某ファストフード北口店
乙「いた?」
B「残念ながら」
乙「ちゃんと掃除用具入れの中も見た?」
B「いや、探してるのは人間なんで」
乙「後ろ手に縛られて監禁されてるかも」
B「どんな要人と待ち合わせしてるんですか」
乙「やっぱりもう帰っちゃったのかなあ。一度帰って、どうにか連絡を取りなおしたほうがいいのかも」
B「言わなきゃいけないことを、先延ばしにしたいだけなんじゃないですか?」
乙「それはきみだって同じことでしょう」
B「ええまあ、そうなんですけどね」
乙「彼がここにいないでくれて、ちょっと安心してる自分がいるのを感じるよ」
B「同感ですね」
乙「こういうのって、よくないんだろうなあ」
B「よくないですよねえ」
某ファストフード南口店
A「やっぱり仕切り直しですかね」
甲「それが一番現実的だろうな」
A「でもいいんですか? わたしはまたすぐ会える見込みがありますけど、あなたのほうはそうでもないんじゃ」
甲「いや、こっちにはしばらくいるつもりだからな。俺のほうもまだ、時間に余裕はある」
A「それは結構なことですね。しっかり彼女にサービスしてあげてください。久しぶりに会うならなおさら」
甲「そうだな。もう何年、まともにデートしてないかわからん」
A「え」
甲「ん?」
A「付き合ってるんですよね?」
甲「そうだけど」
A「デートしないんですか?」
甲「だいたい、家でゆっくりしてることが多いな。互いに出不精なもんで」
A「はあ。まあ、そういうものですか」
甲「腑に落ちないって顔してるが」
A「いえ、遠距離カップルって普段会えないからこそ、いざ会えた時には精力的に遊びつくすようなイメージがあったもので」
甲「ああ、なるほどな」
A「じゃああれですか。もう完全に、会ったらみだりにみだらなことをしてばかりというわけですか」
甲「してねえよ」
A「ほんとうに?」
甲「みだりには、してない」
A「セッ○スレス……」
甲「レスでもねえよ」
A「もう、どっちなんですか!」
甲「なんでちょっと怒ってんだよ」
A「怒ってません!」
甲「激おこじゃねえか」
A「これだからもう、男は……」
甲「お前の何に触れてしまったんだ俺は」
A「触れるとかやめてください。いやらしいです」
甲「さすがに手厳しすぎだろう。というか、お前、帰らないのか?」
A「はい?」
甲「いや、今日はもう、仕切り直しなんだろう? だったらもう、ここにいる意味はないんじゃないかと思ってな」
A「あー……、ああ、ええまあ、そうなんですけどね」
甲「?」
A「というかそれはあなたも一緒でしょう? さっさと帰って、彼女に日用電報でも送ったらどうなんですか」
甲「ああ、いや、お前の言う通りなんだが」
A「…………」
甲「…………」
A「や、お気持ちはわかりますよ」
甲「やっぱりお前もか」
A「今日という日はなんだか、このまま帰りづらいですよねえ」
甲「大切なことを言うんだっていう気負いがあった反動か、あっさり帰るのに罪悪感がある」
A「街をぶらついてたら会えたりしませんかね」
甲「確率は低そうだけどな」
A「でも、帰っちゃうよりは薄情さも薄れる気はするでしょう?」
甲「電報打ったって、どうせ連絡がつくのは明日以降だしな」
A「わたしは、明後日学校で会えるからその時にまたって感じですね」
甲「その手軽さは羨ましいな」
A「まあまあ。ほら、これからの時間もうしばらく付き合ってあげますから」
甲「やっぱりそうなるのか」
A「今さら別れて行動する意味もないじゃないですか。嬉しいくせに」
甲「別に嬉しくはないな」
A「どんな気持ちなんですか?」
甲「ふつう」
A「地味に一番傷つく反応だあ」
某ファストフード北口店
乙「プラネタリウムと水族館」
B「この街で人が集まるって言えば、まあその二つでしょうね」
乙「でしょう? この際だから、両方行っちゃおう」
B「本気なんですか? 探し人に会える可能性なんて、ほとんどないと思いますけどね」
乙「可能性が少しはあるってのが重要なんじゃないの。わたしは一人でも行くつもりだけど……」
B「……なんですか?」
乙「いや、どうせきみだって、このままじゃなんとなくおさまりがつかないんじゃないかと思って」
B「一緒に来い、と」
乙「一緒に行ってあげる、って言ってるんだよ」
B「…………」
乙「ん」
B「ありがとう、ございます」
乙「素直な子は好きだよ」
プラネタリウム
A「すごい! ねえねえ、見てください! 太陽系の模型ですよ! 木星とかもう、超ビーナスですよ!」
甲「落ち着けビーナスは金星だ」
A「うわあ、すごいなあ、宇宙すごいなあ」
甲「宇宙とか星とか好きなのか?」
A「ふつう!」
甲「ふつうか。なんかすげえなお前」
A「展示だけでも面白いですねえ」
甲「お前、単に来てみたかっただけじゃないのか」
A「バレました?」
甲「まあ、別にいいんだが」
A「例の彼と恋人同士になれたら、一緒に行きたいなって思ってたんです」
甲「じゃあ付き合った後改めて来ればよかったろうに」
A「もちろん、そうするつもりですよ。今回は下見です。下見」
甲「下見ねえ」
A「シアターのチケットはどこで買うんでしょうか」
甲「ええと、あっちじゃなかったっけか」
A「あれ? 来たことあるんですか? 星を愛する男ですか?」
甲「なんか、来たことあるような気がする。だいぶ昔だけどな」
A「へえ! ねえねえ、常設の天文ショーって面白かったですか?」
甲「や、それが記憶にないんだ。っていうか多分、シアターまでは入ったことないんだと思う」
A「展示だけ見て帰ったってことですか? プラネタリウムまで来ておいて? 変な話ですね」
甲「だよなあ。なんで上映見て帰らなかったんだか……」
A「まあ、それなら今回はばっちり楽しみましょう。チケット買いにいきますよ」
甲「お前は、ここに来るのは初めてなんだよな」
A「? ええ、もちろん……あ。チケット高校生一枚と大人一枚って、なんかちょっと危険な香りがしますね!」
甲「うるせえ」
A「たのしみー」
水族館
乙「ほら、サンゴ礁の海だって!!」
B「ちょっと、飛び跳ねないでくださいよ。大人なんだから」
乙「うわあ、サンゴってなんだか、おいしそうだよねえ」
B「……そうですか?」
乙「なんか、おばあちゃんちに置いてあるゼリーの駄菓子みたいな味しそうじゃない?」
B「サンゴってあれ、骨ですよ。食べるには固すぎると思いますが」
乙「ええと、ラッコ見てーマンボウ見てーチョウチョウウオ見てー、最後はやっぱり海中トンネルかな。目玉なんだよ、トンネル」
B「来たことあるんですか?」
乙「確か、結構昔に。誰と来たんだったかなあ。遠足かなにかだったのかも」
B「じゃあ、かなり久しぶりなんですね」
乙「うん、久しぶりー…………だね……」
B「……なんでいきなりテンション下がったんですか」
乙「や、そういえばわたし、ここ、彼と来たかったんだよなあと思って……」
B「…………せっかく来たんだから、楽しみましょう。ね?」
B「でか! なんだこいつ!? オットセイ?」
乙「マナティだよ。アメリカマナティだってさ」
B「うわあ。こういう生き物って、もっと小さいのを想像してました」
乙「近くで見ると顔、ぜんぜんかわいくないよね。ケンカしたとき、わたしにぼこぼこに殴られた後の彼にちょっと似てる」
B「えっ」
乙「冗談だよ」
B「本当に冗談ですよね」
乙「ちょっと後ずさらないでよ」
B「このマナティみたいに悲壮感あふれる顔面になった彼氏さんを想像して、背筋寒くなりましたよ」
乙「酷いなあ。わたし、そんなに暴力的なことする女に見えるかな?」
B「あるいは」
乙「なんだその返答」
B「デートとか、あんまりしないんですね」
乙「そだね。ほら、仕事に長距離移動にで、どっちかが疲れてること多いから」
B「でも、あなたはこういうところに来たかったんじゃないですか?」
乙「たまにはね。たまには。でも、なかなかね」
B「連れてって、の一言くらい言うもんじゃないんですか?」
乙「そうなのかもね。きっと彼も、嫌だとは言わないと思う。だけど、本当に仕事大変そうなんだもん、最近」
B「それで我慢してるわけですか」
乙「我慢してるわけじゃないよ。ほら、申し訳ないじゃない? あんまり無理はしてほしくないしさ」
B「ふうん……」
乙「なあに」
B「いえ、それでも俺は、たまには言ってみるべきだと思います。もう、遅いのかもしれないけど」
乙「そうかな」
B「ええ。知らない人と来ても、それなりに楽しいですからね。好きな人となら、もう、めちゃくちゃ楽しいだろうなって」
乙「あはは、そだね……遅かったね。ちょっとだけ」
B「そうですか」
B「なんか、余計なおせっかいかもしれませんが」
乙「そう思うなら言わないのが吉だよ?」
B「そうなんでしょうけどね。別れるほどのことなんですか? 互いが、互いを嫌いになったわけでもないのに」
乙「わかってないなあ。別れるほどのことになってからじゃ遅いんだよ」
B「どういう意味ですか」
乙「好きな人を、好きな人が、互いが、互いを嫌うほどに足掻かなきゃいけないことなんてこの世にはないの」
B「なんか煙に巻こうとしてませんか?」
乙「お、よくわかったね。わたしから言いたいことは一つ。それってさ、余計なおせっかいだよ」
B「悪かったですね。なんかちょっともやもやしたもので」
乙「自己分析がよくできてるね。いや、出来ていないのか、この場合」
B「たまに、わけわかんないこと言いますよね」
乙「たまになら上々だよ。いつもいつも、わけわかんないこと言ってるって言われるんだから。わたし」
B「でしょうね」
乙「あはは。たたく」
B「理不尽ですやめてください」
プラネタリウム
A「…………」
甲「……大丈夫か?」
A「だいじょぶじゃないぃ……」
甲「吐きそうか?」
A「やめ……やめてくださいよ女の子にそういうこと言うの……」
甲「言ってる場合かよ」
A「だんだん……だんだんと楽にはなってきてますから、たぶんもうちょっと休めば」
甲「無理せず吐いて来いよ」
A「や、ですよ。服汚れちゃう。お気に入りの服なんですから、これ」
甲「気合入ってたんだな」
A「お母さんもかわいいって言ってくれました……うあぁ、気持ち悪い」
甲「見てるだけで不憫だ……」
A「プラネタリウムめえ……」
甲「もういいのか?」
A「はい、復活しました。あー、しんどかった」
甲「乗り物酔いとかするほうなのか」
A「や、ぜんぜん。でもなんか、あの動きはだめでしたねえ」
甲「確かに、あおむけになった状態で円弧状に回る動きって日常では体験しないもんな」
A「プラネタリウムって、あんなふうに座席回転したりするもんなんですね。何事かと思いましたよ」
甲「それでも、そんな風に酔ってたのお前くらいだと思うが」
A「自分にこんな体質があったなんて知りませんでした。一つ大人になった気分です」
甲「まあ、下見の甲斐があったじゃないか。これじゃあ彼氏とは来れないだろ、ここ」
A「うーん、でもなあ」
甲「来たいのか」
A「ロマンチックじゃないですか。定番って感じじゃないですか。わたし、諦めてませんよ」
甲「ま、それはお前の好きにすればいいさ。彼氏の前でゲロまみれになるかもな」
A「まみれはしませんよ、さすがに」
甲「しかし素直に残念だったな。そんなんじゃ上映ほとんど見れてないだろ」
A「いえそんなことはありませんよ。というか、気分悪いのに喰らいついて見たからあんな状態になったというか」
甲「間違った方向に根性あるなお前」
A「星、いっぱいでした。恒星も惑星もあんなにあるんだから、宇宙人だってきっといますよね」
甲「いて欲しいのか?」
A「別に、どっちだっていいですけどね。ただあの数の星を見たら、いないほうが不自然だって思ったんですよ」
甲「意外と、そうでもないらしいけどな」
A「そうなんですか?」
甲「ロレックスを分解する。ギアもネジも含めて部品を全部バラバラにしてしまう。それを一つの箱に入れるんだ」
A「なんの話ですか?」
甲「宇宙の話だよ。さて、それじゃあこの箱を三回振ってみよう。たったそれだけで、百以上ある部品が、またもとの時計の形に組みあがっている可能性はどれくらいあるだろう」
A「……その可能性って」
甲「察しがいいな。宇宙人がいる可能性ってのは、だいたいそんなもんらしい。夢があるんだかないんだか」
A「夢はありませんね。でも夢のような話です」
甲「夢のよう? なにが」
A「ここでこうしていることが、ですよ。友達と、家族と、あなたと、そして彼と関わりをもって、わたしがここにいることが」
甲「夢のよう、か」
A「ええ。わたしが今ここにいることは、わたしが今まで出会ってきたひとたちと出会うことは、きっと、箱を三回振って時計を組み立てることよりも難しいことなんでしょう?」
甲「だからなんだって話だけどな」
A「だから、なんなんでしょうね。ちょっと、幸せにならなきゃいけない気がしました」
甲「そりゃ、いいことだな…………いいことかな?」
A「悪くない、くらいじゃないですか」
甲「そっか。悪くないな」
A「でもなんだか、ロマンチックな雑学を知ってるものですね。似合わない」
甲「そりゃ悪かったな」
A「やっぱり星とか、好きなんですね」
甲「ふつうだよ。さっきの話も聞いた話だ」
A「へえ。素敵な彼女さんですね」
甲「彼女から聞いたとは言ってないけどな」
A「でも彼女から聞いたんでしょう? どうせ」
甲「どうせとか言うなよ」
A「どうせ、草原とかに寝っ転がって睦み言を交わしながら、ちゅっちゅしながらの会話なんでしょう?」
甲「事実無根だ。草原には寝っ転がってない」
A「わあ、否定するのそこなんだ」
甲「お前も、例の彼に話してやればいいだろ。草原に寝っ転がりながら」
A「手ごろな草原を探すのに苦労しそうだなあ」
水族館
乙「大丈夫だよ。ほら、他の水槽は全然平気だったじゃん」
B「だめ、むり。これ、うえ、ほら、みずが」
乙「なんで急にカタコトになった」
B「だめですよ!! 水中トンネルって、なんかもうほんと、こんなの考えた人頭おかしいですよ!!」
乙「落ち着きなよ。幼稚園児ですらきゃっきゃ言いながら通ってるよおかしいのはきみだよ」
B「こんな四方八方を水に囲まれて……割れたらどうするんですか!?」
乙「そのセリフは水族館に入った段階で口にするべきだったね」
B「これは……これは無理だようだってなんか上にも下にも水あるじゃんかあ……絶対おかしいよお……」
乙「幼児退行してきてる……変わった形の水槽恐怖症もあったもんだなあ」
B「どうしても……どうしてもいかなきゃだめですか……?」
乙「いや……すくんでぶるぶる震えるきみをトンネル内にひっぱっていくほどわたしも鬼じゃないよ……」
B「かわいいものが……なんでもいいからかわいいものが見たい……」
乙「うわあ重症」
乙「あーあ。目玉だったのに」
B「あ、ほら見てくださいペンギン超さかな食べてますよ」
乙「楽しみにしてたのになー!」
B「……しょうがないじゃないですか。あの360度水槽の状態を見ただけで、なんかもう気分悪くなっちゃって」
乙「まあ、きみ、真っ青だったしね。男の子のくせにー」
B「自分にあんな弱点があったなんて、知りませんでしたよ」
乙「水中トンネル恐怖症か。キャラ付けとしては、弱いね」
B「弱くて結構ですよ。いいじゃないですか。彼氏と仲直りしてから一緒に来れば」
乙「や、別に喧嘩してるわけじゃないし」
B「そうでしたね。難儀なことですね」
乙「まったくだよ、もう」
乙「ペンギンと言えばさ」
B「ん?」
乙「知ってる? ペンギンって毎年結婚するんだって」
B「結婚なんて概念があるんですか? ペンギンに?」
乙「らしいよ。ペンギンには陸棲期間と海棲期間があるんだけどさ、陸に上がってる時期は夫婦で過ごすの」
B「へえ。陸に上がってる時期だけ?」
乙「うん。海にいる間はバラバラになっちゃうの。でもすごいんだよ。また陸に上がる時期が来るとね、オスは去年と同じ場所に巣を作るの」
B「よくそんなの覚えてますね」
乙「覚えてるのは場所だけじゃないよ。去年結婚したメスのことも、ちゃんと覚えてるんだって。声を聞いただけでね、わかるんだってさ」
B「それで、毎年結婚式をするんですか。頭いいんですね。ペンギンって」
乙「わたしは、馬鹿だなあって思ったけどね」
B「そうなんですか?」
乙「思ってたよ。毎年毎年結婚式をするなんて、愛を誓い合うなんて、なんて馬鹿馬鹿しいんだろって思ってたよ」
B「思ってた、んですね」
乙「うん」
乙「馬鹿なのは、わたしだったなあ」
B「そうですね」
乙「言うなよう」
B「言いますよ……どうせ、彼氏から聞いた話とかなんでしょう?」
乙「まあね」
B「変に強がって、馬鹿馬鹿しいとか言っちゃったんでしょう?」
乙「まあ、ねえ。笑わない?」
B「なにをですか?」
乙「たぶん、嫉妬した」
B「何にですか?」
乙「ペンギンに」
B「…………笑っていいですか?」
乙「うん、いいよ。笑ってよ」
B「別に、過去形にする必要はないでしょう」
乙「……なんの話?」
B「恋の話ですよ。馬鹿だったとか、嫉妬したとか、なんかもう全部、終わっちゃったみたいな口ぶりじゃないですか」
乙「終わっちゃってるもん」
B「そんなことない」
乙「ある」
B「ああ、わかった。そんなに好きじゃないんですね、彼氏のこと」
乙「……ふざけるなよ」
B「いやいや、いいじゃないですか。どうしてそんなに簡単に手放そうとするのか理解できませんでしたが、手放すのが簡単だというなら、きっとそういうことなんでしょう」
乙「きみは知らないだけだよ。不幸になっても壊しちゃいけない幸せがあるっていうことを、知らないだけなんだよ」
B「そんなのは、幸せじゃない」
乙「うるさい」
B「幸せってのはきっと、丸くて暖かいものです。触ったくらいで、抱きしめたくらいで壊れてしまうような、そんな鋭利なガラスのようなものは、幸せじゃありません」
乙「癪に障るなあ」
B「聞き流せないんでしょう」
乙「自分のことは、棚に上げてるくせにさ」
B「…………」
乙「女々しいよねえ。男ならさ『離れてたってずっと愛してるから、だから俺と一緒になれる日を待ってろよ』くらいのことが言えないのかな」
B「身勝手なことと男らしいことは、別物だと思いますけどね」
乙「身勝手? 好きな人にそばにいて欲しいというのが身勝手というなら、きみは誰のことも好きというべきじゃないよ。相手を不幸にするだけだから」
B「言えた義理ですか」
乙「どっちが」
B「…………」
乙「…………」
「どうせ、好きで好きで諦めきれないくせに」
水族館
A「わ。ほんとにだめなんですね」
甲「……もしかしたら平気になってるかもしれないと思ったんだけどな…………」
A「こんなに綺麗なのに。こんなに魚いっぱいなのに」
甲「せめて上が普通の天井だったらな……通れたかもしれないんだが。なあ、やっぱここは一人で行っ……」
A「はい」
甲「…………手?」
A「手、ひいてあげます。行きましょう」
甲「そんな情けない状況でトンネル歩きたくない」
A「今最高に情けない状況なのに、何言ってるんですか。ほら、早く」
甲「マジでいくのか? なあ、割れないか? 地震とか来ても大丈夫なやつかこれ、なあ」
A「うるさい」
甲「マジか……」
甲「…………」
A「ほら、平気だったでしょう?」
甲「…………」
A「……どうしたんですか? 自分の手見つめちゃって」
甲「いや、なんかな……感触が」
A「うわ。きもいこと言い出さないでくださいよ。彼女と手繋いだことくらい、あるでしょう?」
甲「……彼女」
A「…………?」
甲「………………」
A「あの」
甲「…………あー……」
A「どうしたんですか、急に」
甲「そういうことかあ…………」
A「どういうことですか……」
甲「なあ……今、何時だ?」
A「はい? ええと、16時28分ですね」
甲「じゃあ、もうちょっと時間あるな」
A「……なんの時間までにです?」
甲「待ち合わせだよ」
A「待ち合わせ? 誰と?」
甲「恋人」
A「誰の?」
甲「お前の」
A「…………はあ?」
甲「ペンギンでも見に行こうぜ。ゆっくりとさ」
プラネタリウム
乙「…………」
B「…………」
乙「……大人げなかった」
B「そうですね」
乙「やなやつ」
B「いえ、そんなつもりじゃ…………ごめんなさい。こっちこそ、言い過ぎました。偉そうに」
乙「その通りだよ。わたし、未だ半ギレ状態だよ」
B「大人げない」
乙「大人になんて、なりたくないからね」
B「大人でしょう?」
乙「大人さ。不本意だけどね」
B「シアターのチケット、買ってきます」
乙「ストップ」
B「?」
乙「別にいいよ。ここまでで」
B「上映、見ないんですか? どうして」
乙「…………まあ、この辺の展示見てるだけでも楽しいしね……」
B「なんか顔色悪いですけど」
乙「なんでもないよ……」
水族館
A「わあー! めちゃくちゃ魚食べてる!」
甲「ペンギンてエンゲル係数高そうだよな」
A「いわしは、そこまで高くないんじゃないですか」
甲「一人暮らししてると身に染みるんだよ。魚の高級さが」
A「かわいいなあ。生臭いけど」
甲「なあ」
A「なんでしょう」
甲「いちいちさ、好きな人に『好き』って言うのっておかしくないか?」
A「なんですか、藪から棒に」
甲「どう思うのかなって」
A「…………そもそもですけど、『いちいち』って表現は気に入りませんね」
甲「へえ」
A「そんな表現をするってことは、どうせ『いちいち愛を口に出したり形にしたりするのは野暮だ』なんて思ってるんでしょう?」
甲「大人は、そういうもんだと思ってたよ」
A「永遠の愛とかツーカーとか、信頼してるとか心で通じ合ってるとか、結局そんなのは全部怠慢でしかないですよ。『子供はやたらと好き好き言い過ぎる』と大人たちは馬鹿にしますけどね」
甲「きっとお前なら、そう言うと思った」
A「? どういう意味ですか」
甲「素直じゃないなってことだよ」
A「や、嘘偽りない本心からの言葉なんですけど」
甲「だからだよ」
A「はあ」
プラネタリウム
B「展示見てるだけでも、結構面白いですね」
乙「でしょう? ほら、ビーナスビーナス」
B「それ木星ですよ」
乙「…………」
B「ん?」
乙「や、なんでも。宇宙の広大さに酔いしれてた」
B「なんですかそれ」
乙「あのさ」
B「はい」
乙「これだけ広い宇宙の中で、わたしたちが生まれて、今関わっている人たちと出会って……っていう確率は、すごく低いんだって」
B「それはまあ、そうでしょうね」
乙「だからなんだ、って思う?」
B「そんな風には思いませんよ」
乙「じゃあ、どう思うの?」
B「さあ……月並みだけど、でも、ちょっと幸せにならないといけない気はします」
乙「…………そっか」
B「なんですか? 悟りでも開きました?」
乙「ちょっとね」
B「へえ。どんな?」
乙「人間てめんどくさいなあ、と」
B「そうなんですか?」
乙「そうだよ。嘘ついたり、強がったり、遠回りしたり、大事なことほど覚えてなかったり」
B「そういうのが、必要だってことでしょう」
乙「そうなの?」
B「わかりませんけどね」
乙「そうなんだよ」
B「そうなんですか」
乙「…………うん」
乙「…………あ!」
B「なんですか?」
乙「今!! 何時!?」
B「…………16時、48分ですね」
乙「それじゃあ、時間だね」
B「なにかあるんですか?」
乙「好きな人に、会えるよ」
B「…………はい?」
水族館前
A「駅の、連絡通路ですか?」
甲「多分、今から向かえばちょうどいいと思う」
A「…………どうしてそんなこと、知ってるんですか?」
甲「必要だったからじゃないかな」
A「全然、意味わからないですよ」
甲「わからなくていいよ。わからないほうが、いいかもしれない」
A「……一緒に行かないんですか?」
甲「ああ。俺たちが会えるのは、六時ごろだからな」
A「六時? なんで?」
甲「昔、変な女もそう言ってたんだよ」
プラネタリウム前
B「誰ですか、その、変な男って」
乙「変っていうか、不愛想なだけかもしれないけど。ほら、早く行かないとまたすれ違っちゃうよ」
B「…………また、会えますかね」
乙「お、浮気?」
B「いえ、そうじゃなくて。なんだか……あなたのこと、他人と思えないというか」
乙「『他人と思えない』ってことは、他人なんだけどね。でも、同感だよ」
B「走ったほうが、いいですかね」
乙「うーん…………そうだなあ。全力かな」
B「それじゃ」
乙「うん。いい男になってね。なかなか、難しいと思うけどさ」
ああ、
「あの時きみは、そんなことを考えていたんだね」
おわり
そういうことだったのか