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とあるフラグの天使同盟【1】
――――――――――――――――――――――
突然の出来事だった。キャーリサを加え、さらに激化する悪魔との戦闘に集中していた最中にそれは起きた。
フッ、と。停電が起きたように一方通行の周囲の景色が瞬時に『闇』に包まれた。
一方通行達と悪魔が織り成す演劇を急遽中止するかのように、黒の幕が降ってきたような感覚。
『?』
一方通行は周囲を見回す。右も、左も、地面も、空も、何もかもが真っ黒で、何もかもが真っ暗で。
ただ、自分の姿だけはハッキリと見えた。視線を落として両手を見る。
傷だらけだった。悪魔との激しい戦闘によって、『反射』を常に発動しているにも関わらず
その手はボロボロになっていた。
そんな傷だらけの一方通行の手に、
そっと、誰かの手が重なった。周囲は闇に覆われていたが、それでもその手が黒い何かであることが分かった。
『な、ンだ? 誰だオマエ・・・・・・』
一方通行は続けて喋ろうとしたが、その時背後から彼の口元にまたしても手が伸びてきた。
その手は――恐らく――人差し指を立て、彼の唇にそっと触れる。黙っていろ、とでも言いたげに。
なぜか、そんな些細な挙動を受けただけで一方通行は一切声を発することが出来なくなってしまった。
『――――――、――――――――――――・・・・・・――――ッ』
世界に存在するどの黒よりも黒いその両手が、一方通行の手に重なる。
時には指を絡ませ、時には彼の手の甲を優しく撫で、時には彼の頬を指先でツツー・・・・・・と摩る。
一方通行の肩に何かが降りた。見ると、それは紅い絹のような糸。
それが糸ではなく、背後に居る何者かの髪であることに気付くのに、大した時間は掛からなかった。
吐き気も、鳥肌も、恐怖も、畏怖も、背筋が凍りつくようなあの感覚も、何も感じなかった。
ただただ不思議だった。この現象が何なのか、学園都市最高の頭脳を以てしても解明できなかった。
とりあえず体は動くようなので一歩、足を踏み出してみる。
ズブリ・・・・・・と沼に足を突っ込んでしまったような感触が一方通行を襲う。
足元に視線を落とすと、自分の足が真っ黒な重油のような海に絡め取られているのが見えた。
もう片方の足も同様に、一方通行を奈落の底へ引きずり込まんとどんどん沈んでいく。
『―――――――ッ!? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
慌てて足を引き上げた一方通行は、そこで喉が干上がった。
ドロドロの闇から引き上げた自分の足に、無数の小さな黒い腕が蜘蛛の巣のようにまとわりついていたからだ。
身を屈めてその忌々しい腕を振り払おうとするが、今度はさっきから背後にいる赤髪の何者かの腕が
彼の首に回った。そのおかげで一方通行は身動きが取れなくなってしまう。
首元のチョーカーのスイッチを入れるが、信じられないことにうんともすんとも言わなかった。
能力が使えない。
自分の背後にいるこのクソ野郎は、自分を"飲み込もうとしている"。
立て続けに起きる意味不明の現象を目の当たりにした一方通行が出した結論は、残念ながら"正解"だった。
だが時既に遅し。いつの間にか地面の闇は膝より上まで迫っていた。漆黒の海から伸びてくる腕の数も
さっきまでは数十程度だったのが、今は軽く一〇〇〇を越えている。一方通行の白い人影が無数の黒い腕で
覆い隠され見えなくなっていく。
どれだけもがいても闇からは逃れられなかった。むしろ暴れる分、より一層ひどく闇が絡みついてくる。
こんなところで油を売っている暇はない。こうしている今だって、風斬とキャーリサが悪魔を相手に
死を覚悟して戦っているのだ。こんな闇に飲まれている場合ではない。
頭ではそう理解しているのだが、肝心の体が闇に抗えない。
闇は一方通行の首まで到達していた。何とも不吉なことに、一方通行の脳裏に走馬灯が走る。
こんな意味のわからない事象で、自分は死んでしまうのか。
ここまで追い詰められた一方通行は逆に憤りを感じ、頭の先まで闇に飲まれる寸前、
渾身の力を振り絞って首を回し背後に向いた。自分をこんな目に遭わせるクソったれのツラを拝むために。
そして、一方通行は確かに見た。
神が神を屠るというヴィジョンを。
そこで一方通行の意識は完全に断絶された。
――――――――――――――――――――――
その時、垣根帝督を止めることが出来ず途方に暮れていた上条当麻とインデックスは確かに見た。
「・・・・・・な、なんだありゃ・・・・・・!? つか、また地震が・・・・・・!!!」
「あれって・・・・・・天使? いや違う、"そんなちっぽけなものじゃない"。
でも、まさか、そんな・・・・・・」
二人は不気味に揺れる大地や、辺りを漂う『黒い粒子のようなもの』という不可思議な現象を全て無視して
空を見上げた。
上空一〇〇〇・・・・・・二〇〇〇、それよりもっと上の、遙か先の空に。
『禁書目録』の知識でも読み取れないような文字が浮かんだ『輪』が出現していた。
インデックスはそれを最初、天使の頭上に出現する輪と思ったが、すぐに否定した。
今現在浮かんでいる輪は天使のそれとは規模も力も『格』が違いすぎた。
そもそも、それが果たして『輪』なのかどうかも分からない。なぜならあまりにもその輪が巨大すぎて
端が確認できないからだ。
そしてその輪なのか魔方陣なのか定かではない『現象』から、『天使の力(テレズマ)』が矮小に思えてしまう程の
エネルギーがビリビリと空気を伝って広がっている。
「い、インデックス・・・・・・何なんだあれ?」
「わ、分からないんだよ。 でも、天使によって引き起こされたものじゃない・・・・・・。
天使より、もっと上位の・・・・・・・・・・・・」
天使よりも上位の存在に位置するもの。
それを聞いた上条の頭には、ある一つの単語が浮かんでいた。
――――――――――――――――――――――
その時、垣根帝督に肩を貸しながら一方通行達の下に向かっていたステイル=マグヌスも
インデックス達と同じように空に出現した輪を見上げていた。
「・・・・・・・・・・・・なんだ、このふざけた現象は。 もはや天使を救うとか、そんな話ではなくなっているぞ。
クソッ、エイワスめ・・・・・・。 手紙に書いてあった『十字教の終焉』とはこの事を指していたのか・・・・・・!?」
と、不意にステイルの体から力が抜けた。足元がふらつき、危うく垣根を巻き添えに倒れてしまいそうになる。
(・・・・・・・・・・・・な、馬鹿な!? マズい、これは僕の魔力が・・・・・・!!?)
掌を見ると、小刻みに自分の体が震えているのが確認できた。そしてその全身から
微量にではあるがどんどん魔力が漏れていっている。穴が空いたタンクから無尽蔵に流れるガソリンのように、
漏洩を止めようにも体が勝手に魔力をどこかへ放出しているので止めようがない。
同様に、垣根帝督の体から。そして彼の持つ『自動書記』の遠隔制御霊装からも
魔力が留まることなく漏れ出していた。漏れた魔力は黒い霧となり、どこかへ向かって流れていく。
だが、
(・・・・・・魔力が流れていく方向へ進めば、恐らく天使の所へ辿りつけるはずだ。
この不可解な現象、中心には間違いなく天使と一方通行がいる・・・・・・)
ふらつく頭をなんとか支えながら、ステイルは歩を速めて漏れていく自分の魔力を吸い込む黒い霧を追っていった。
――――――――――――――――――――――
『回収部隊(アンチツヴァイ)』の残存勢力も、残すところあと僅か。
垣根帝督の討伐任務を放棄して魔術師との戦闘に目的を切り替えた『回収部隊』は、
神裂火織、ヴェント、アックア、騎士団長という錚々たるメンバーによって
ほぼ全滅状態に追い込まれていた。
ガラクタと化したファイブオーバーから這いずるように脱出した『回収部隊』の一人、
『未元物質』の仮面の男が声を震わせながら、魔術師には目もくれず上空の輪と辺りを漂う大量の黒い霧に視線を配る。
『ひ、ひ・・・・・・・・・・・・。 どうなってんだ、これもお前らの仕業か!? お前ら一体・・・・・・、
なんなんだよちくしょう・・・・・・!!!』
仮面を装着しているため表情は窺えないが、確認するまでもなく仮面の兵士はこの非科学的現象を前に
青ざめた顔をしているのだろうと容易に想像できる。
なぜならその『回収部隊』の残存勢力を軒並みに撃破している魔術師の四人ですら、
突如発生したこの現象に戸惑いを隠せないでいたからだ。
神裂が腰に七天七刀を収めながら口を開く。
「魔方、陣? いや、これは・・・・・・。 ・・・・・・、」
「ちょ、ちょっと待ってよ。 これ、体から魔力が漏れていってない?
この黒い霧、私達の体からどこかに魔力を運んでやがるわよ」
ヴェントの言葉に一同は驚愕した。カーテナによる『天使の力』の供給で最大まで強化されていたはずの
騎士団長のフルンティングが、ただのロングソードの姿に戻っている。ヴェントが呼び出した『女王艦隊』の
氷の帆船が、音もなく虚空に消えていく。魔術によって肉体強化を施していたアックアも体の力が抜けていき、
全長三.五メートル、総重量二〇〇キロの大剣『アスカロン』を担げなくなってしまった。
そしてあろうことか、神裂火織の肉体に宿る聖人の力ですら、黒い霧に吸い込まれ運ばれていた。
しかし彼女は努めて冷静になり、提案する。
「・・・・・・この辺りにはもう『回収部隊』に戦闘を続ける勢力は残っていないと判断します。
この黒い霧を追ってみましょう。 恐らくこの現象を引き起こした張本人がいるはずです」
そう言って神裂は尻餅をついてガタガタと体を震わせている『未元物質』の兵士を
眼光を光らせて睨みつける。
それを受けた男は顔に装着していた仮面を投げ捨て、一目散に逃げ去ってしまった。
普通ならここで新たな『回収部隊』が攻めてくる可能性を考慮し警戒するところだが、事態はもうそれどころではない。
自身の魔力を容赦なく吸い込んで運んでいる黒い霧を追おうと一歩足を踏み出したところで、
「待て。 ・・・・・・空の様子がおかしい」
騎士団長の言葉を聞いて三人は再び上空を見上げた。空の様子がおかしいのは今に始まった事ではない。
悪魔の『天体制御』によって夜空が出現したかと思えば、イギリスからやって来た大量のグリフォン=スカイが
川の流れの如く夜空を覆い尽くし、極めつけは現在進行形で天空に浮かぶ妙な文字が蠢く輪。
だが四人が今見ている現象は、それらが全て茶番であるかのような現実味のない現象だった。
「・・・・・・・・・・・・空が、裂けてる・・・・・・?」
――――――――――――――――――――――
魔術師、アレイスター=クロウリーは複雑な心境を抱えながら裂け目が出来た空を見上げていた。
『衝撃の杖』を片手で弄びながら黄金の光を纏う彼の姿は、まるでその裂け目を『次なる時代』へ
導く門を開く神の召使のようにも見える。
だが、この現象を引き起こしているのはアレイスターではない。
「・・・・・・信じられんことだが、エイワスの言葉は真実だったか。 『セト』が現世に降臨した」
遠くの方で咆哮が轟いた。人間でもなければ天使でも悪魔でもない、そのそれにも該当しない存在が
発した咆哮だった。その叫びに呼応するように、楕円形の巨大な裂け目から黒い雷が炸裂する。
音はなかった。雷とはまず光が放たれ、そこから少し遅れて雷鳴が響くものだが、それすら起きなかった。
黒い閃光は世界から音という概念を吹き飛ばし、上空に浮かんでいたグリフォン=スカイを一瞬で塵芥に変え、
地面に激突し拡散していく。
その威力はエイワスが第一九学区全周囲に施した光のカーテンを余裕で貫通するほどだった。
学園都市全域に深刻な揺れが発生する。どう考えても被害は学園都市だけに収まるものではなかった。
今頃、全世界のニュースでこの異常事態が報道されていることだろう。
当然、アレイスターはそのような瑣末事に気を配ったりはしない。
「あの空間の亀裂が地球という惑星全域に拡がった時、星幽界は成り、ホルスは訪れる。
・・・・・・私は一方通行に感謝すべきなのか、それとも嫉妬すべきなのか」
「尊敬するべきじゃないのかね? 『セト』が親愛の情を抱く人間だ。
一体『セト』が一方通行のどこに好感を持ったのかは私でさえも定かではないが、
これで君のプランは完全に破綻してしまったな」
背後から掛かる声を聞いて、アレイスターはフッと笑う。
そこには『ブエル』によって上半身を粉々にされたはずのエイワスの姿があった。
金髪の怪物は何事もなかったかのようにそこに現出していた。
ただし、思わず見惚れてしまうその金髪は土埃で汚れ、ひどく乱れている。
AIM拡散力場で構成されたその体も至る部分が欠損しており、時折ノイズが走ったように
エイワスの全身がブレていた。
「・・・・・・尊敬? 破綻? あなたにしては珍しく見当違いな発言だな、エイワス。
一方通行は私がこの時のために作ったパーツに過ぎん。 『セト』は私が作り上げた
"作品"を痛く気に召さり、一方通行という肉の器に降臨したまでだよ」
アレイスターが負った垣根帝督に吹き飛ばされた頭の欠損や、エイワスに貫かれた胸の孔は完全に修復されていた。
かつて世にその名を知らしめた伝説の魔術師にかかれば、その程度の傷など容易に修復できるものなのか。
『ブエル』召喚後、上半身を消失させられたエイワスは即座に再生し、しばらくアレイスターと戦闘を行ったが、
まるで歯が立たなかった。アレイスターは全盛期の力をフルに使いこなし、自分に必要な知識を全て授けた
聖守護天使を圧倒していた。
その余裕からか、エイワスの指摘にも余裕の笑みを返しながらアレイスターは続ける。
「そして私のプランも何も問題はない。 間もなく私は、いや、我々人類は『神浄』に至る。
今頃、『セト』はオシリスを葬っているだろう。 オシリスを葬る。 つまり、
この世に現存する全ての魔術師を滅ぼし『神』という源を『浄化』し、神に隷属するオシリスの時代が終わる。
私はホルスの到来を見届け、一方通行の器に降臨した『セト』と共に星幽界を完成させ、
君臨し続ける。 人が神を隷属する時代は終焉を迎え、人が未来永劫神となりて存在し続けるのだ」
「科学技術で構成した擬似星幽界、か。 誰かが維持していなければ
あんな蜃気楼のような紛い物はあっという間に虚無と化してしまうぞ」
「・・・・・・私が君臨すると言った。 知っているくせに惚けたような質問をするなよ、エイワス」
それが、アレイスターの『プラン』。彼が寿命を引き伸ばしてまで進めた神への道。
『第一候補(メインプラン)』の一方通行に『セト』が降臨した事で、結局はアレイスターの計画通りに事は進んでいた。
「まあ、それでも完全ではないがな」
アレイスターは尚も拡大を続ける『神浄』を達成感溢れる笑顔で見つめながら、
「私が作った星幽界の維持にはやはりあなたという私が作った"人形"が必要である上に、
今の空を見れば分かるが、あの『神浄』はひどく不安定だ。 本来の『神浄』なら
まず裂け目などという歪なもので現出したりはしない。 これもやはり『幻想殺し』無しで
無理やり開いてしまったことにあるな。 まあ・・・・・・あまり欲が過ぎてもいけない」
「今の私は『天使同盟』の構成員だぞ? 君が作った擬似星幽界の維持に私が貢献するとでも?」
「だろうな。 かといってこのまま私とあなたが戦えばあなたは消滅し、本末転倒となってしまう」
「ふ。 さりげに勝利宣言をする君のなんと可愛らしいことか」
だから、とアレイスターは『衝撃の杖』の先端部をエイワスに向けて言った。
「あなたを『聖母ベイバロン』として私が迎え入れる事にした。 あなたをソーマと化して
私自身に降ろせば、十中八九『幻想殺し』を使用せずとも『神浄』へ完全な状態で到達できる。
私の中であなたを封印していれば、星幽界の維持も可能になるだろう」
それを聞いたエイワスはしばしの間沈黙していたが、やがて我慢を堪えきれなかったのか
プッと吹き出して笑い声を上げた。
そんなエイワスの様子を見ても、アレイスターの表情に変化はなかった。
「くくく、ふふふふふふふ・・・・・・・・・・・・。 私が『緋色の女』になるのか、君の。
これは愉快極まりない。 私と情交を行う事で『神浄』は成り、星幽界の維持も
可能になると。 くっははははは・・・・・・、その発想は無かったな」
「そう言うなよ。 私はあなたに尊崇の念を抱いていると同時、好意も抱いているんだぞ?
純粋に、一人の女性として・・・・・・な」
「っ」
エイワスの中にあったわずかな感情のようなものが爆発した。
アレイスターの思わぬ告白を受けた金髪の怪物はその場に座り込み、腹を抱えて大笑いしてしまった。
一体どこから湧いてでたのか、目尻に溜まった涙を拭ってエイワスは滅茶苦茶な状況になっている空を仰いでただ笑った。
「面白い。 やはり君は愉快だなアレイスター=クロウリー。 しかし私が言うのもおかしなものだが、
告白するならもう少しムード作りを勉強してからにするべきではなかったか?」
「怠っていた」
「くくくくく・・・・・・・・・・・・。 いやしかし本当に面白い、私は一体どこで君とフラグを立てたのか。
私がエジプトのカイロでローズに降りたときかね? だとするなら君の眼中には既にローズでなく
この私しか入っていなかったということになる。 これはひどい、君は元来浮気性な傾向があるからなぁ」
「君と出逢い、知識を授かってからというもの、私の頭にはいつもあなたの顔が浮かんでいた。
言っておくが今まで私が『緋色の女』として何人もの女と重なったのは、あなたに会うためだったんだ。
私が科学に身を委ねたのも、思えばそれが理由かもしれない。 科学の力でこうして今のあなたを
作り出すためにね。 こういう事象を、世間では運命と呼ぶのではないか?」
「くっふふ・・・・・・私を笑い死にさせるつもりか? 世間ではそれを『ストーカー』と呼ぶのだよ」
けらけらと、端から見れば本当にただの女の子にしか見えなくなる仕草をしながらエイワスは笑い続ける。
大地が断続的に揺れ続け、世界が謎の黒い霧に覆われ、上空にはこの世の終わりというタイトルをつけて美術館に
展示できそうなほど不気味な裂け目が出来ているという状況で交わされた二人の会話は、狂っているとしか思えない内容だった。
一頻り笑い終えたエイワスに、アレイスターが真剣な顔つきで尋ねる。
「返答を聞かせてくれ、エイワス。 私の『スカーレット』となり共に星幽界を顕現し続けてくれるのか否か。
あまり乱暴なことは言いたくないが、多少強引な方法であなたをソーマにすることも出来る。
だが出来ればそんな方法をとるのは避けたい。 私の願いを受け入れ、両者同意の下で儀式を完成させたいのだ」
エイワスはゆっくりと起き上がり、尻についた砂埃を軽く手で払う。
アレイスターが冗談でこんな事を言う人間ではないということを、エイワスは理解していた。
この魔術師は昔から、変なところで純粋だった。エイワスが授けた『法の書』の知識を
疑うことなく頭に取り入れ、欲しいものがあれば何を犠牲にしてでも手に入れる。
自身のプランを完遂させるためにわざわざ寿命を延長させるほどの人間だ。
あらゆる点で歪んでいて、しかしその芯は赤子よりも純粋。
それがアレイスター=クロウリーという人間だという事を、他でもないエイワスだけは理解している。
そんなエイワスがアレイスターに送った言葉は、至極簡素なものだった。
「ごめんなさい」
謝罪。
ただしそれは頭を下げて丁寧に言うのではなく、あくまで悠然とした佇まいで
腕を組み、誰がどう見ても上から目線での謝罪だった。
「拒否、か。 何がどうあってもここで私を討つのか、エイワス」
「君は何かを勘違いしている。 我々『天使同盟』がここに来た理由はただ一つ、
ミーシャ=クロイツェフの奪還だ。 『神浄』だの『セト』だの『星幽界』だの・・・・・・、
『天使同盟』には一切関係の無い事ではないか。 そんな"くだらん事に"かまけているほど
我々も暇じゃない。 さっさと『天使同盟』のヒロインを連れ戻し、それでハッピーエンドさ」
「・・・・・・・・・・・・ッ」
空気が一変する。アレイスターが明確な殺意を放っていた。
彼を包む黄金の輝きが一層激しくなる。その輝きはエイワスが放つそれよりも強力なものだった。
決別。かつてアレイスターが命の恩人であるカエル顔の医者と決別したように、
エイワスともまた、永遠に決別するときがきたのかもしれない。
「・・・・・・非常に残念だよ、エイワス。 結局私は、全てを手放さなければ
ならない運命にあるというわけか。 ここで君を討たねばならんとは・・・・・・」
「ていうかね」
ひどく軽い口調でエイワスは言った。
「私にはもう、他に好きな人間がいるんだ。 素敵だぞ"彼"は。
君より純粋で、君より熱血で、君より愚かで、君より可愛い」
「嫉妬で狂いそうになるな」
「それと、」
ヂヂヂヂヂヂッッッ!!!!! という奇妙な音を放ちながら、エイワスが背中の翼を肥大化させていく。
それと同時に、アレイスターはエイワスの体に起き始めた変化に気付き眉をひそめた。
「この私を討つ、だと? あまり私を見くびるなよ"坊や"」
音もなく、エイワスの体が緩やかに浮かび上がった。
アレイスターにはそれが、上空に出現した巨大な裂け目に導かれる一人の美しい『女神』のように見えた。
黄金に輝く魔術師は黄金に輝く聖守護天使を見上げながら漠然と思う。
エイワスもいよいよ本気で仕掛けてくる、と。
化物と化物の戦いは、ついに佳境へ突入する。
――――――――――――――――――――――
「こちらC部隊、現在第七学区のファミリーサイドを捜索中」
『了解。 こちらL部隊。 第二一学区の貯水ダムを捜索中。 ・・・・・・、
作業員は確認できず。 全作業員は避難されたと思われる』
『了解。 こちらA部隊。 第一三学区の捜索作業を終了。
全住民の避難を確認。 ・・・・・・、了解。 I部隊から連絡、第五学区にて
避難が完了していない施設を発見。 応援に向かってくれ』
「了解。 ・・・・・・、第七学区のファミリーサイドの捜索を終了。
住人は全て避難されたと思われる。 I部隊の応援に向かう」
『了解。 ――――・・・・・・、――――――』
ザザッザザザザザッ、と無線から聞こえるノイズが
4LDK高級マンションの廊下に反響する。
金属がカチカチとぶつかる音と何人かの人間の足音が忙しなく鳴り響いた後、
第七学区のファミリーサイドには再び気味が悪いほどの静音が蘇った。
「・・・・・・・・・・・・おっけー。 警備員は行っちゃったみたいだよ」
「・・・・・・ふう、ちょっとドキドキしたかもってミサカはミサカは
こんな状況であるにも関わらず不謹慎な発言をしてみたり」
「子供の頃、よく友達と夜の学校とかでやったわこんな遊び」
全住人が避難したはずのマンションの一室から、そんな会話が聞こえてきた。
一三階にある部屋の中からだ。
その部屋の表札には『黄泉川』と書かれたネームプレートが嵌め込まれている。
だが現在、この部屋の主である黄泉川愛穂は不在だった。
黄泉川の部屋に潜んで警備員をやり過ごした打ち止め(ラストオーダー)、番外個体(ミサカワースト)、芳川桔梗の三人は
玄関のドアに取り付けてあるドアスコープから廊下の様子をし、警備員が完全に居なくなった事を確認すると
すかさずリビングに戻り、高級感溢れるソファに腰を降ろして一息つく。
「愛穂に見つかったら説教じゃ済まないわね」
「あの人も警備員として外に出回ってんでしょ? ミサカ達は避難を終えたって
黄泉川には連絡してあるし、GPS対策として最終信号(ラストオーダー)が持ってた
ガキっぽいデザインのケータイ、避難民の誰かのポケットに放り込んだんでしょ?」
「回収するのが面倒なのだけれど」
「いやいや回収してもらわないと困るのだ、ってミサカはミサカはジト目でヨシカワを睨んでみる」
打ち止め、番外個体、芳川の三人はミーシャ=クロイツェフが学園都市に『墜落』してきた時、
警備員の黄泉川愛穂に先導されて地下のシェルターに避難するよう言われていたのだが、
打ち止めと番外個体が同時に『あの人(第一位)の匂いがする(ってミサカはミサカは以下略)』と言い出し、
自分としてはこんな面倒極まりなさそうな事態には首を突っ込みたくないと思っていた芳川は
仕方なく二人に付き添ってこんな逃走犯紛いな真似事をさせられていた。
と、突然窓がビリビリと不安を煽るように震えた。さっきから断続的に続いている
『黒い雷』が天からの叫びの如く鳴り響いたためだ。
打ち止めはササッとお腹を手で隠してガラス張りの扉の向こう側に見える、この世のものとは思えない景色を眺める。
「・・・・・・最終信号、多分あの黒い雷はおヘソを取ったりしないと思うわよ」
「普通の雷もヘソなんか取らねーっつの。 つかミサカ達の司令塔のクセに雷が怖いってどうなのかな」
「雷の音ってなんだかあの人に怒られてるみたいでつい反応しちゃうのってミサカはミサカは
ちょっと抱きついただけで雷みたいに怒るあの人の顔を思い出してみたり」
「それじゃまるで第一位が故人みたいだね。 ひゃっは」
打ち止めに習うように番外個体と芳川もベランダに続く扉から不気味な空を見上げた。
この三人の中で打ち止めと番外個体だけは『普通ではない空』を過去に一度、目撃したことがある。
ロシアの雪原で見た、黄金色の空。そこから降りかかった恐ろしい力は危うく一方通行の命を刈り取るところだった。
よって、番外個体はともかく打ち止めは普通ではない空に対してあまり良い印象を抱いていなかった。
「裂け目がさっきよりデカくなってるね。 あの処女膜みたいな裂け目から何か飛び出してくんのかな」
「私個人の意見を言わせてもらうと、どう考えてもあの空は『世界終了のお知らせ』なんだけど」
「・・・・・・・・・・・・多分、あの人が大きく関わってるんだと思う、ってミサカはミサカは
あの黒い雷や黒い霧とあの人のイメージを結んでみたり」
それは番外個体も芳川も薄々感づいていた。
十中八九、今日の午後二時頃から続いているこの世紀末な騒ぎは同じ同居人である白髪の少年が一枚噛んでいる、と。
「ミサカも第一位の中二臭い黒翼は見てるからねー。 この黒い霧と黒雷は
あの人の黒翼に酷似してる」
「今、『こく』って何回言った?」
芳川の戯言を無視して番外個体はテレビのリモコンを手に取る。
学園都市中に謎の黒い霧が蔓延している状況で電波が届くかどうか微妙なところだったが、
番外個体の予想とは裏腹にテレビ画面はいつもの調子で三人に番組を提供した。
番外個体はあらゆる局にチャンネルを合わせたが、まだ午後四時頃だというのに
やっている番組はどこもかしこもニュース速報ばかりだった。
『・・・・・・繰り返しお伝えします。 今日の午後四時前後、突如として上空に出現した
「奇怪な文字のようなもの」と黒い霧は、日本全土に留まらず世界各国で目撃されています。
原因や出元は一切不明で、各国首脳はG8を行って問題の究明と解決の糸口を模索する方針を示しており・・・・・・』
『・・・・・・黒い雷による人的被害や家屋の倒壊等といった被害は報告されておらず、
また断続的に続く小さな地震による津波の影響は無いとされていますが、依然として・・・・・・』
『アメリカではこの現象を「海底火山の異常噴火」によるものであると発表しており、
その際に吹き出た黒煙がこの黒い霧の正体だと報道しています。 しかしそれだけでは
「空の裂け目」や黒い雷の説明はできず、アメリカは更に調査を・・・・・・・・・・・・』
『はい、繋がりました。 えー、こちら現場はですね、あ、ご覧になれますでしょうか。
あの空ですねー。 午後四時前、突然日本全土が夜空に覆われまして、はい、・・・・・・
あ、はい。 そうです、空間に浮かび上がった奇妙な文字や裂け目は関東上空を中心に
拡がっていってまして、あっという間に世界全体の空を覆ってしまったというわけなんですね。
えー、気象庁の報告によりますと・・・・・・・・・・・・』
第三次世界大戦と同じく、否、第三次世界大戦の時よりも世間はざわめいていた。
普段は映画しか垂れ流していないチャンネルや、ケーブルテレビでさえも
この異常現象の特番を放送している始末だった。
番外個体と芳川が無表情でそのニュース番組を見る中、打ち止めだけが
不安げな顔つきでそわそわと落ち着きのない仕草をしている。
「あれだけ大きな戦争が終わった矢先にこれ、か。 もうこの世界は一回全部
取り壊してリセットしちゃった方がいいんじゃないのかにゃーん?」
番外個体のシャレになってない言葉に、しかし二人は応じない。
彼女はムスッとした表情を作ってソファの上にリモコンを放り投げる。
芳川は一方通行達がイギリス帰りに買ってきたイギリス煎餅なるものを
――こんな状況にも関わらず――ボリボリと食べながら二人に尋ねた。
「で、わざわざ警備員の目を盗んでまで避難を拒否したあなた達の目的は何?」
打ち止めと番外個体は一度だけ目を合わせた。同じ遺伝子で作られているクローンだから故なのか、
二人が抱いている気持ちは全く同じだった。
「・・・・・・あの人に会いに行きたい、ってミサカはミサカは懇願してみる」
「一方通行に? 彼は今、・・・・・・どこにいるのかしら。 とにかく日本にはいないと思うけど」
「さっきのミサカ達の話聞いてた? 第一位は間違いなく日本に、っつか学園都市に帰ってきてる。
ミサカは確証出来ないけど第一位ファンクラブ第一号の最終信号がそう言ってんだから間違いないっしょ」
番外個体のふざけた言葉に打ち止めはポッと顔を赤らめるが、彼女はそんな滑稽な理由で
あの最大級危険地帯第一九学区に行きたいと言っているわけではない。
あの時の、一〇月九日の時のように、また一方通行が深い闇に閉ざされている。
打ち止めはそれを確信した上で彼に会いに行きたいと願っているのだ。
芳川はあからさまに気怠げな態度を見せつけながら唸った。
「うーん・・・・・・第一九学区に彼がねぇ。 今も各学区には警備員が
配備されてるはずよ。 そんな簡単に向かえるかしら?」
「珍しくノリ気じゃん。 もう第一九学区に向かう前提なんだね」
「まぁ、今回ばかりは面倒臭がってられないわよ。 あの子がこんな事を引き起こしてる
って言うなら、保護者である私が止めなきゃいけないでしょう」
「おーおー、天下のニート様が保護者ヅラですか。 さすが『絶対能力進化(レベル6)』実験に
携わっていた狂人なだけのことはある」
「・・・・・・じ、自分に甘いだけよ。 私は」
ともかく、これで決まった。三人はこの大騒動の真っ只中である第一九学区に向かう。
打ち止めはエリザリーナ独立国同盟製のフッカフカのコートに身を包み、
番外個体と芳川桔梗は"念のために"軽装備の銃器を用意する。
「もし仮にこれで第一位が全く何の関係も無かったら、ミサカ達犬死にだね」
「死ぬ前提で話を進めないでもらえるかしら? まったく・・・・・・私はこんな
銃なんか持って潜入行動をとるキャラじゃないっつーに・・・・・・」
「そん時はひたすら逃げる!! ってミサカはミサカは一刻も早くあの人に会いたいがために
バタバタと足踏みしてみたり!」
フンスッ、と鼻息を荒げるちっこいお姉さんを見て番外個体は失笑した。
芳川も正直本気で行きたくないのだが、彼女は彼女でやはり一方通行の事が気に掛かるのか、
クローン二人に同行する事を決意する。
『ゲーム』開始から既に二時間以上が経過。もはやこの茶会に時間の経過など意味は無くなっている。
三人は『家族』である学園都市最強の超能力者に無事出会えるのだろうか。
【次回予告】
『何が神だ、馬鹿馬鹿しい。 神は人間が生み出した偶像なの、実際に存在するはずがない・・・・・・!!』
―――――――――――英国三派閥の一つ『王室派』第二王女・キャーリサ
『(AIMを操作出来ない・・・・・・。 学園都市の、いや、全世界に広がっているAIMを掌握され、た?)』
―――――――――――『天使同盟(アライアンス)』の構成員・風斬氷華
――――――――――――――――――――――
蛇に睨まれた蛙、などという比喩表現ではもはや収まりのつかない状況だった。
風斬氷華もキャーリサも、そしてあろうことか悪魔までもが
現世に降臨したそれをただ唖然と見つめるしかなかった。
世界中に漂う黒い霧の中で、ただそれだけが人の形をしていた。
まるで人の影がそのまま立体的に浮かび上がっているようにも見える。
紅い頭髪に紅い眼、背中からは宇宙空間まで届いていそうな長さの黒翼を背負っている。
樹形図のように複雑に絡み合うその翼は、何百という数にまで及んでいた。
それは、かつて一方通行と呼ばれる一人の人間だった。
だがその彼の面影は今はもう見受けられない。白い髪も白い肌も、
今はすべて上から塗りつぶされている。
黒の象徴。星幽界の支配神。『セト』。
十字教が蔓延る時代を喰らい尽くし、新たな時代への道を示す王。
一般的に崇められている『神』という存在とは違う位置に属している、最古の神。
一方通行という依代に降臨した神はゆっくりと首を動かし、荒廃した第一九学区の街並みを興味深そうに見渡す。
「・・・・・・・・・・・・ドラコ=アイワズだったか。 あんにゃろー、手紙に記してあった内容は
これの事を意味していたとでもいうの・・・・・・?」
「?」
足を引きずってセトから遠ざかるキャーリサの独り言を聞き、風斬氷華は眉をひそめた。
「あ、あの・・・・・・一方通行さんに何が起きたのか、分かるんですか?」
「あれはもう一方通行じゃないの。 なら何なのかと問われたら・・・・・・」
ビルの残骸に背を預けながら、キャーリサは眉間に皺を寄せて言った。
「・・・・・・口にするにも荒唐無稽な事だが、『神』としか言い様がないし。
十字教に生きる私がこんな事を言ってしまうのもあれだが・・・・・・何が神だ、馬鹿馬鹿しい。
神は人間が生み出した偶像なの、実際に存在するはずがない・・・・・・!!」
「神・・・・・・・・・・・・」
唐突にそんなワードを放たれても風斬としてはイマイチ実感が沸かなかった。
なぜなら、ついさっきまでその神とやらは間違いなく一方通行という、風斬氷華にとって大事な存在の人間だったのだから。
科学の結晶体と言っても過言ではない風斬の立場から言わせれば、あの神とさっきまで戦っていた悪魔の違いが
よく分からなかった。適当な言葉にするなら『どっちもどっち』、というのが風斬の本音だった。
だが、そんな風斬の見当違いな思い込みはすぐに雲散されることになった。
セトが一歩、足に該当する部位を大地へ踏み出す。
たったそれだけ、人間なら絶対に誰もがやったことのあるその行為だけで、不気味な震動が地面を走った。
体の大きさ自体は一方通行とほぼ変わらないはずの体躯から発せられるとは思えない震動だった。
そして風斬は我が目を疑う。
つい先程まで鬼神の如く大暴れしていたあの大悪魔が一歩、セトと同じように足を動かした。
しかし、セトと違う点はその一歩が"後ろ"に移動しているという事だけ。
「え・・・・・・?」
ガラス細工が軋むような音が聞こえてきた。風斬が悪魔を注意深く観察すると、
悪魔の全身が小刻みに震えて背中の水晶の翼がぶつかり合う音だという事が分かった。
それだけで、今の悪魔の心境を知る事が出来た。
悪魔は、目の前に現れた神を恐れていた。
神の手から離れ、自我を失い、暴走という道を選択してしまったはずの悪魔が、ハッキリと畏怖の意を顕にしていた。
そしてその恐怖心が伝染したかのように、気付けば風斬とキャーリサの体も微妙ながら震えていた。
自分の意志とは無関係に、まるでセトに"分からされた"ように。
動いたら死ぬ。言葉はなくとも、暗にそう示されているような感覚に陥る。
「―――――――――・・・・・・・・・・・・、・・・・・・・・・・・・――――――――――――、・・・・・・、――――――――」
セトが何かを口走った、"ようにも見えた"。声はしなかった。
口も動いていなかったどころか、そもそも口に当たる部位も黒い霧で覆われているため確認できない。
悪魔でさえ、大天使ミーシャ=クロイツェフでさえノイズは走るものの何らかの言語は声に出せるというのに、
『神の言葉』は"神以下"の存在には届かなかった。届くことすら許されないとでもいうのか。
と、何かが崩れるような音がした。
風斬が見ると、キャーリサがどこか具合の悪そうな青ざめた顔をしながら
膝を折って屈んでいた。
「キャーリサさん・・・・・・!?」
「チッ、あの黒いの・・・・・・私から魔力を吸い取ってやがるし・・・・・・!!
・・・・・・カーテナもダメか、これじゃただの石の欠片だ。 この調子だと
太平洋に置いてある『グラストンベリ』も、全世界の魔術師も軒並み・・・・・・」
ボンヤリとした、夜景に飛び交う蛍の光のような粒がキャーリサの体から
漏れ出していた。その光は全てセトに向かって緩やかに漂い、吸収されている。
この時点でキャーリサは完全に戦闘能力を失ってしまった。
天使長の力による肉体強化の恩恵を失った今のキャーリサが悪魔との戦闘にもつれ込めば
彼女は一瞬で肉塊にされてしまうだろう。
だが今警戒すべき点はそこではない。セト。あの黒の化身が次にどんなアクションを起こすのか、
風斬もキャーリサもそこだけに意識を向けていた。
セトは相変わらず首を忙しなく動かし、辺りの様子を見渡していた。
その姿は突然飼育ケースに放りこまれて途方に暮れる小動物の仕草を思わせる。
神はすぐ近くにいる悪魔やキャーリサ、風斬氷華には全く目もくれなかった。
セトにとって彼女たちは、ただの背景の一部に過ぎないとでも言うのだろうか。
だが少なくとも、風斬氷華にとってはそんなセトの挙動は不気味でしかなかった。
さっきまで人間だったはずの一方通行が、何の間違いかこのような化物になってしまった
事に若干の憤りすら感じていた。
あの神とやらは、間違いなく今まで一方通行に付きまとっていた忌々しい黒い影の正体だ。
時折こちらを見ては怖気の走る笑みを振りまいてきたり、何度止めても一方通行から決して離れる
事のなかった、まるで悪霊のような影。
「よせよ風斬・・・・・・・・・・・・」
そんな風斬の様子を察知したのか、まだ何の行動も起こしていない風斬に向かってキャーリサが忠告した。
「いいか、アレは私達の手に負えるよーな存在じゃないの。
一方通行の肉体を勝手に使って降りてきたアレに憤りを感じるお前の気持ちも分かるが、
アレには絶対に手を出すな。 腹ただしーが、神にとっちゃ天使も人間も同じよーなもんだし」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・、」
風斬は応じない。キャーリサの忠告を無視して彼女は震える足を動かす。
一歩一歩、こっちの存在に気付いているのかも分からないセトに向かって歩んでいく。
「風斬・・・・・・!!!」
憤りを感じているその胸中とは裏腹に、風斬の表情は『恐れ』一色に染まっていた。
それでも風斬は神に歩み寄っていく。ゆっくりと、確かに大地を踏みしめて。
そして、セトとの距離が残り二メートル辺りまで近付いた時、彼女の表情は『恐れ』から『懇願』に切り替わった。
「あ、の。 ・・・・・・・・・・・・」
「―――・・・・・・、・・・・・・・・・・・・」
グキ、グキグキグキと。声をかけてきた眼鏡の少女の方へ、神は不自然な動きで首を風斬の方へ向ける。
奇怪な神の動きを見た風斬はこんな状況にも関わらず、かつて一方通行とのデートで観に行ったホラー映画に出てきた
女性の悪霊を思い浮かべた。
目と目が合う。赤よりも朱よりも紅いその真紅の瞳は、映る物全てを血に染めてしまいそうだった。
頭の中の三角柱がガタガタと震える。全身から嫌な汗が吹き出ているのが分かる。
しかし風斬は臆しない。ただ彼女は、自分にとって大切な人を返して欲しいだけなのだから。
「あ、一方通行さんは・・・・・・まだ私達とやらなきゃいけない事があるんです。
大切な友達を・・・・・・天使さんを救わなきゃいけなくて・・・・・・。 その、
だから彼から・・・・・・離れて・・・・・・・・・・・・!!」
最後のほうは思わず口調が強くなる風斬。キャーリサもそんな彼女の愚行を止めようとはしたが、
セトとの距離が近いためか魔力の吸収量が尋常ではなく、麻痺したように体が動いてくれない。
「・・・・・・、・・・・・・・・・・・・――――――、――――、・・・・・・――――――――」
風斬の言葉は果たして神に届いたのか。セトはしばらく何の反応も示さなかった。
だがやがて、セトは風斬の顔に自分の顔を近づける。吐息がかかるほどの距離まで接近してきた
セトの顔に、一方通行の凶悪ながらもその奥にある優しさが窺えた顔の面影は微塵も残っていない。
天使のように目や鼻を型どる凹凸すらない、のっぺりとした黒い顔は、制作初期段階のドールの顔を連想させる。
と、その時。不可解な現象が彼女たちがいる場所で起きた。
不可解な現象などさっきからオンパレード状態で続いているが、今回のそれはやや曖昧で
風斬達もすぐには気付けなかった。
まるで専用メガネを着用せずに閲覧した3D映像のように、辺りの景色が二重にブレたのだ。
セトは何もしていない。何の仕草も見せていないが、その現象を引き起こしたのはこの黒の化身であることは
一目瞭然だった。そして、
「あ、れ・・・・・・?」
目眩が起きたように、風斬は突然膝をついた。頭を垂れ、背中の翼や頭上に浮かんだ輪は一瞬で溶け消え、
彼女は身動きひとつ取れなくなってしまう。
(AIMを操作出来ない・・・・・・。 学園都市の、いや、全世界に広がっているAIMを掌握され、た?)
それはつまり、虚数学区そのものをセトに掌握されたも同義。
神の御前で膝をつく風斬の姿はまるで、神に崇拝する信者のようにも見えた。
風斬とキャーリサをあっという間に無力化させてしまった星幽界の王は
骨が折れた時のような鈍い音を発しながら首を動かした。
セトの目線の先には、上空に現れた異様な裂け目。最初に出現した時より更に大きくなっている。
「――――――・・・・・・」
セトが大きく口を開けた。その仕草は喉から咆哮を轟かせているようにも見えるが、
やはり風斬達には神の声は届かない。
代わりに、セトのそんな仕草に応じるように上空から黒雷が連続して鳴り響いた。
地面に直接落雷してくることはなくとも、その黒雷の威力は空気を伝わって肌で感じることが出来る。
まさに、神の天罰。あんなものを喰らえば人間など一瞬で無と化してしまうだろう。
更によく耳を澄ましてみると、ピッピッピッピッ・・・・・・・・・・・・と極めて小さな電子音が鳴っている事が分かる。
音源はセトの腹部。一方通行が能力使用時に使う電極チョーカーからだった。
風斬達からは電極チョーカーのバッテリー残量が表示されている液晶画面は確認できなかったが、
セトが憑依した影響なのか、画面のデジタル数字が目まぐるしくランダムな数字に切り替わり続けていた。
それが意味する事は、現時点で一方通行の能力制限という枷が無くなり、無制限に能力を使用できるという事。
だがセトが一方通行の全てを支配している今となっては、そんな嬉しい特典も意味はない。
と、セトが正面に視線を移す。その先にいるのは先程から身動きひとつ取らない悪魔がいた。
悪魔。元天使。ミーシャ=クロイツェフ。
翼を一振りするだけで山一つを吹き飛ばせる力を持つ強大な存在も、
セトと比べたらなんと小さく見えることか。
神はそんなちっぽけな悪魔を凝視すると、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・―――、――――――――――」
ピシ、ミシミシミシとガラスにヒビが入るような音を出しながら口元を歪ませて
嘲笑うような笑みを見せつける。
嘲笑うというより、それは哀れんでいるようにも見えた。
そしてそれが引き金となった。
「!!」
風斬とキャーリサの呼吸が止まる。悪魔は背中の水晶の翼を勢い良く展開させ、
何層にも別れたその羽根をセトの頭上目掛けて振り下ろした。
悪魔による神への反旗。聞いたことぐらいはあるかもしれない。堕天使ルシファーなどが特に有名だ。
信じ難いことに、その時点でセトはもう悪魔の方には視線を向けておらず、
悪魔の行動など全く無視して大地を揺らしながら再び歩き始めていた。
悪魔の一撃はそれだけで大地を別ち、空を消し飛ばし、海を割る。
そんな攻撃からあろうことか注意すら向けない神の行動は愚行でしかなかった。
愚行。
愚行を働いているのは、本当に神の方か?
大ホールに吊るしてある大量のガラスのシャンデリアが、一斉に破砕するような派手な音が響き渡った。
それは悪魔が背から生やしていた水晶の翼が、瞬く間に全て砕け散った音。
雨のように降り注いでくる翼の欠片は、まるで上空からばら蒔かれた宝石のように美しく煌めいていた。
「―――――――・・・・・・・・・・・・kptihxf不可解naiehguiya」
何が起こったのかは翼を全て根こそぎ砕かれた悪魔本人にも分からないようで、
悪魔は思わず頭上や背後に落ち着きなく首を向ける。
無論、風斬やキャーリサの仕業ではない。彼女たちは今、セトの行使する理解不能の力によって
攻撃はおろか指一本動かすことも出来ない状態なのだから。
ならば超遠距離からの遠隔攻撃?違う。悪魔に翼に何かが飛んできたような様子は見受けられなかった。
気がついたら、次の瞬間には、瞬きをした時には既に。翼が破壊された時の状況を表すには
そんな比喩表現がぴったりだった。
「・・・・・・・・・・・・まさか、」
キャーリサが呟いたその言葉も、滑稽にしか聞こえない。
まさか、ではない。どう考えても、が正解だ。
セト。まるで何のアクションもとらなかった神が、恐らく何らかの攻撃で
悪魔の攻撃を無力化したのだ。
「命令名『一掃』kfaxerucz再投下までmvdvo残り五秒」
翼を失った悪魔が次にとった行動は、神戮による殲滅だった。
上空には依然として奇怪な文字のような記号と肥大化する一方の裂け目が出現しているため
星の瞬きは確認できない。
だが悪魔は確かに神戮の投下領域を神がいる場所一点に凝縮し、コマンドを実行している。
間違いなくあと数秒で、それこそ悪魔のような容赦のない蹂躙の礫がセトを襲うはずだ。
それでもセトは動じない。この神という存在に動じるなどという感情があるのかどうかも定かではないが、
セトは決して臆しなかった。亀より緩慢な速度で歩みを続けている。
そんなセトとは対照的に風斬とキャーリサは焦燥していた。
直感だが次の神戮の設定範囲はほぼピンポイントで黒の化身に定められている。
だがそこで本当にセトへ神戮が炸裂した場合、実際には喰らわないものの衝撃波などは
確実に風斬やキャーリサをも巻き込んでしまうだろう。
セトによってカーテナの恩恵を失い、ただの人間と化しているキャーリサや、
AIM拡散力場をセトの説明不能の力で制御されてしまい、人工天使としての力を振るえない風斬が
そんなものに飲み込まれてしまったら当然、無事では済まない。
運が悪ければ即死してしまう恐れもある。
そんな彼女たちの事情など、暴徒である悪魔が考慮してくれるはずがなかった。
「命令名『一掃』――――――投下」
悪魔の力によって彩られた夜空から、容赦なく殺戮の豪雨が降り注いでくる。
上空に浮かぶ気味の悪い記号や裂け目が神戮を遮ってくれるのではと稚拙な考えも頭によぎったが、
どうやらそれらの現象にそんな効果は無いようで、神戮は普通に素通りしてきた。
「く、そ・・・・・・・・・・・・!!!」
キャーリサは思わず奥歯を噛み締めるが、そんな事をしても流星雨は止まりはしない。
神戮の壁となっていたグリフォン=スカイの大群もセトによる黒雷で全て蒸発してしまっている。
一方の風斬はガタガタになった地面にペタンとしゃがみ込んだまま、呆けた様子で
空を見上げているだけだった。彼女にはもう、神戮を避けたりするほどの力すら残っていない。
そして神戮の対象に見事選ばれた最古の神、セトは―――――。
「・・・・・・、」
ヒュン、と。
背中から龍のように伸びている数百の黒翼の一本を、軽く振っただけだった。
それだけで、夜空から降り注いでいた数億という馬鹿げた数の破壊の礫は、
音もなく夜空に溶け込むように塵芥と成り果てた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?」
驚愕する暇などなかった。
続けざまに風斬達を襲ったのは、セトがほんの僅かに振るった黒翼の余波。
その余波はなぜか上空数百メートル辺りで発生していた。言葉や文字ではもう追いつかないほどの
凄まじい威力を放つその衝撃波は刹那の速度で拡大し、エイワスが施した光のカーテンを
粉々に破壊し尽くし、そのまま地球という惑星を何周も往復するほどのものだった。
「?」
と、明らかに疑問の意を含むように首を傾げたのは他でもない、セトだった。
神は今行った黒翼のスイングによる二次災害が発生しないことに疑問を感じていた。
セトの予定通りだと、今の攻撃だけで地球の九八パーセントの地殻は吹き飛び、
光速に近い衝撃波は『ノアの箱舟物語』が茶番に思えるほどの津波を引き起こし、
学園都市を、日本を、世界を飲み込むはずだった。
だからこそ、世界どころか今自分がいる学園都市にすら大した被害が出ていないことに、
セトはただ純粋に疑問を感じていた。
全世界の大陸がめくれ上がり津波が起きるどころか、第一九学区を囲う光の壁が破壊された以外には
何の被害も出ていなかった。
しかしそれでも、神という圧倒的な存在を知らしめるには充分過ぎるパフォーマンスだったと言えるだろう。
一方通行ですら反射出来ない神戮を、上条当麻の『幻想殺し』ですらどうしようもない神戮を、
セトという神は呼吸をするかのように容易く一蹴してしまったのだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
言葉も無かった。風斬もキャーリサも、そして悪魔も。
魂が抜けたような表情を浮かべながら呆然とする他なかった。
世界が違う。例えるなら野球を始めて三〇分くらいの少年が、メジャーリーガーの華麗なるプレイを
ただ見せつけられているようなものだ。
理解が追いつかない。抗う気も、降伏する気も起きない。畏怖も感じないし、頼もしいとも思えない。
ただ、神は君臨し続ける。圧倒的。天下無敵。強大無比。壮厳で、崇高に。
だが暴走の止まらない悪魔は現状の理解が出来ず、もはや討ち倒す事など絶対に不可能な
セトへ尚も牙を剥こうと駆け出す。
しかしその瞬間、突然見えない落石に押し潰されたかのように悪魔が地面に勢い良く倒れ伏せた。
網目模様のネットのように細かな亀裂が地面を走る。
セトが何らかの力を行使したのだろう。それ以外に説明のしようがない。
人間だろうが天使だろうが悪魔だろうが、神の前ではただ頭を垂れて崇めるだけ。
この先、誰もこの破壊神を止められないというのなら、
これですべて終わりだ。あとは悪魔も風斬もキャーリサも、全ての生物も、セトによってただ破壊されるのを待つだけ。
――――――――――――――――――――――
「・・・・・・まったく、セトが何らかの行動を取るたびに逐一フォローしなければならない
こちらの身にもなってほしい。 危うく地球という私の大切な『ゲーム盤』が崩壊するところだったぞ。
やはり神ともなると、こんな矮小な惑星では舞台としては成り立たんか」
やれやれ、と首を横に振ってため息をつきながらエイワスは言った。
神戮を消し飛ばしたセトの一撃で深刻な余波が発生した際、セトが想定していた地球への
二次災害は発生しなかった。
エイワスがセトの放った余波を自身の力を行使し、『全力で』相殺したためだ。
それでも全くの被害ゼロ、とはいかなかった。神の一撃はエイワスが第一九学区全周囲に施した
光のカーテンを難なく破壊している。これで如何なる者も第一九学区へ足を踏み入れる事が可能となった。
エイワスとしては、それはとても面白くない事態だった。
ならばさっさと光のカーテンをもう一度展開してしまえばいいのだが――――。
「神の御前だぞエイワス。 口を慎みたまえ」
瞬間、左右の方向から何かがエイワスに向かって飛んできた。
それは黄金の翼。エイワスが背負っている青白く輝く翼よりも、更に神々しさを感じさせる翼。
そして前方からは黄金に輝く炎の塊。人間が生み出した安っぽい紅蓮の焔ではなく、
まるで最高品質の金箔を何千何億も織り重ねたような芸術的とすら言える金色の炎。
それらの攻撃を、エイワスは避けられない。『避ける』という概念すら認めない。
『気付いた時には攻撃過程が終了している』。それはフィアンマが行使していた『振れば当たる』聖なる右の
上位互換とも言える攻撃。攻撃動作すら無い、気がついた時には金色の炎は対象を灰にしている。
結果、エイワスはアレイスター=クロウリーの攻撃をまともに浴びてしまう。
左右から挟みこむように迫ってきた翼に体を切断され、目の前から飛来してきた炎に焼き尽くされる。
アレイスターは空中からそれを優越に眺めていた。
「セトが降臨した事で『七二柱の悪魔』が召喚出来なくなってしまったが・・・・・・、
まぁそんな事はもういい。 まだ健在だろエイワス? 見てくれ、一方通行のおかげで、
セトのおかげで、私は"ホルスそのもの"として君臨できるまでに至ってしまった」
第一九学区には今、神が二体存在していた。
一つは言わずもがな、一方通行を今も取り込んでいる星幽界の王セト。
そしてもう一つは、
「『黄金の鷹』・・・・・・。 どれだけ待ち望んだことだろう。 とても気持ちが良いよ、
全てがクリアに感じる。 なるほど、これが神だと言うのなら人が神を崇め続ける
オシリスの時代に執着する気持ちも分かる。 だが我々人類はそこで満足してはいけない。
その更に先、自身が神として君臨することで『ホルスの永劫』は成るのだから」
ズズズ・・・・・・と。 黄金に煌くアレイスターの傍で、表現出来ない音がした。
何も無い虚空から出てきたそれは、鳥の頭。
それは隼頭。アレイスターが永い年月を掛けて成就した、現世の守護神ホルス。
虚空から頭を覗かせたホルスはそのままゆっくりと這い出てきた。
体型は巨大な鳥そのものに見える。体長はおよそ二〇メートル程だろうか。
だがその翼は常に大きさを変化させており、時には数メートル、時には数百メートル以上と極端だ。
全身に王族が嗜むような豪華絢爛な装飾が施されており、ただでさえ輝かしいその体の煌きを更に加速させている。
そして事態は、ますますアレイスターに都合の良い展開へと天秤を傾かせていた。
「セトがあなたの施した忌々しい壁を取り払ってくださったようだ。
これで外にいた『幻想殺し』もこの神域に入ることが出来る。
半ば諦めていたがこれで『幻想殺し』は再び私の下へ"還ってきてくれる"。
その時が、ホルス到来の真の瞬間だ。 一緒に祝ってほしいな、エイワス」
「っくく」
ゴォォッッ!! と、ホルスが放った黄金の焔が四散した。
そこから現れたのは何とも痛々しい姿でよろよろと佇むエイワスがいた。
「言っておくが、もう一度あの壁を展開出来るなどと思うなよ。
あれを展開させたあなたの目論見は分かっている。 ここに『幻想殺し』を
招き入れないようにするためだろう? ・・・・・・分からないな、ホルスに位置するあなたが、
なぜそうまでしてオシリスに拘るのか。 ホルスを独占したいなどという愚かな考えを
持っているわけではあるまい。 人が神を隷属する無様な姿を見て楽しみたいだけか?」
以前の覇気など今や見る影も無くなってしまう程弱り果てたエイワスを、
アレイスターは文字通り見下しながら言った。
それでも、エイワスがフラットな表情から垣間見せる余裕の笑みだけは未だに健在だった。
「独占欲・・・・・・支配欲・・・・・・おかしいな。 ホルスという神に昇華したはずの
君の口から、まだそんな薄汚い概念が出てくるとは」
「何?」
「考えてもみろ」
エイワスはホルスとして君臨したと豪語するアレイスターを哀れむようにため息をついて、
「上条当麻の『幻想殺し』や一方通行の『セト』が、本当にホルスの降臨を認めたならば、
とうの昔に『ホルスの永劫』は訪れている。 にも関わらず、現状は維持されたままだ。
何も変わっていない。 何時まで経っても上条当麻はここにやってこないし、
セトはアテもなくうろうろと街を徘徊して待ち惚けをくらっている始末。 なんだこれは、
まさかこれが君の望んでいた時代だとでも言うつもりかね?」
「・・・・・・・・・・・・どういう意味だ」
「・・・・・・・・・・・・どういう意味だ」
「そもそも何だ、君の傍らにいる"その鳥は"。 チャチなテレビ番組で報道された
珍獣か何かか? 南アフリカとかで目撃された黄金に輝く巨大な鳥とかか?
焼き鳥にしたら美味しそうだな、君さえよければ私達に振る舞って欲しいものだが」
「口を慎めと言ったはずだが? 自分で言っている事が分かっているのか。
ホルスを愚弄するということは、あなたの主であるクラアトを愚弄する事に繋がる。
あなたがどれだけ戯言をほざこうとも、間もなくホルスは訪れるのだ。
素材は揃った、あとは場所を第七学区にある『叡智の橋』に移すだけだ。
・・・・・・・・・・・・学園都市ではあれを『窓の無いビル』と呼称されていたかな」
「アレイスター。 大体、『ホルスの永劫』とは"そういう事ではない"。
ホルスとは確かに黄金の鷹のような姿で描かれている場合もあるが、
それがそのまま具現化してどうする。 違うなアレイスター、そうではないのだよ」
「世迷言を」
言いながら、しかしアレイスターは頭をわずかによぎる妙な違和感を感じていた。
確かにアレイスターの言うとおり、ホルスへ至る素材はこの学園都市に揃っていた。
一方通行のセトによって魔術師は間もなく滅びるだろうし、上条当麻の『幻想殺し』によって『神浄』は
安定ラインの軌道上に乗るはずで、新たなる『界』が開かれる裂け目も出現している。
にも関わらず、上条当麻は一向に第一九学区へ足を踏み入れて来ないし、
一方通行の肉体を依代にしたセトは人間や悪魔と戯れているだけだ。
全ての準備が整ったというのに、その引き金は引かれない。
「・・・・・・・・・・・・エイワス。 あなたが何か仕込んでいるのか」
「まさか。 君もそういうところは『天使同盟』の面々と同じだなぁ。
何でもかんでも私のせいにするなよ。 "この件に関しては私は一切関与していない"」
「この件、とは」
「上条当麻は自分の意志で決断した。 そして一方通行は―――――」
アレイスターの表情から、徐々に余裕が消えていくのが窺えた。
『まさか』、と『ありえない』、という言葉だけが彼の頭の中で渦のように蠢く。
「―――――神に屈するのではなく、神すらも眷属とする。 『天使同盟』の目的を忘れるな。
我々はただ、ミーシャ=クロイツェフを救出しにここへ来ただけだ」
アレイスター最大の誤算は次の二つ。
たった今起きた、上条当麻の信じがたい選択。
そして、人の身でありながら神に真正面から抗う決意をした、一方通行という名の少年。
この二人の少年の間に意思疎通のようなものは行われていないが、
二人の想いはこの時、偶然にもぴったり一致していた。
【次回予告】
『(・・・・・・この右手で幻想をぶち殺すだけが、がむしゃらに首突っ込んで暴れ回るだけが戦いじゃないんだ)』
―――――――――――学園都市の無能力者(レベル0)・上条当麻
『"こっから先は一方通行だ"。 あのアホ天使を救うために助力してもらうぜ"三下"ァァァ!!!!!!!!』
―――――――――――『天使同盟(アライアンス)』のリーダー・一方通行(アクセラレータ)
――――――――――――――――――――――
上条当麻とインデックスは腹が煮えくり返る程に忌々しかった光の壁が破壊された事で
もう何時でも第一九学区に入る事が可能であるにも関わらず、
第六学区と第一九学区を隔てる目に見えない境界線の前で佇んでいた。
「・・・・・・と、とうま? どうしたの? 何があったかは分からないけど、
ようやく壁が無くなったんだよ。 早くステイル達の所に向かって彼を止めないと・・・・・・!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、」
そう、第一九学区の中では恐らく今も"あの男"が『自動書記』の遠隔制御霊装を使用して
原典の力を使っているはずだ。
理由はよくわからないが、今はあの霊装を使われてもインデックスには何の害もない。
だがアレを使い続けている茶髪の男には深刻な悪影響が及んでいる。
そんな馬鹿野郎は一刻も早く止めなければならない。
だから今すぐにでも、上条当麻は第一九学区に足を踏み入れなければならないはずなのだ。
だから、上条の口から出た言葉に、インデックスは自分の耳を疑うしかなかった。
「・・・・・・・・・・・・行かない」
上条当麻は空に浮かぶ気味の悪い裂け目を睨みつけながらボソリと、そう呟いた。
「ごめん、インデックス。 お前が自分の中の魔道書のせいで苦しんでいる男を
止めてやりたいって気持ちは分かる。 俺もインデックスと同じ気持ちだ。
・・・・・・でも、少なくとも、俺は行かない。 いや、行っちゃいけないんだ、俺は」
「どういう事・・・・・・? とうまが何を言っているのか分からないんだよ」
それは言っている本人にも説明できなかった。
インデックスの言うとおり、なぜ自分がこんな事を言っているのかさっぱり分からなかった。
ただ、あの上空に出現している薄気味悪い裂け目と自分の右手がどこかで繋がっているような気がしてならなかった。
上条の中にあるしょぼい直感がこう告げている。
『自分が今ここに侵入したら、全てが終わってしまう』、と。
根拠などあるはずもない。そんな直感に耳を傾けてないで、さっさとあの茶髪の少年を
止めに行った方がインデックスの、自分の一番大切な人間のためになるという事実は一目瞭然だった。
しかし、上条は動かない。
「・・・・・・多分、俺達の役目はこうしてここで大人しくしてる事なんだ。
俺達みたいなやつが関わることじゃない。 関わっちゃいけない。
だから俺達はここで見届けるんだ、全てを」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・とうま」
「大丈夫、あの男にはステイルがついてんだ。 いざとなったらステイルが何とかしてくれる。
あいつは俺なんかより断然強いヤツなんだから」
インデックスは反論しようとしたが、完全に決意を固めた上条の表情を見て
沈んだ表情を固定させたまま、しかし力強く言った。
「・・・・・・・・・・・・、とうまがそう言うなら、私も信じる」
「ごめんな、ありがとう」
上条は不安げな表情が拭えないインデックスの頭を左手で優しく撫でてあげた。
そしてもう片方、異能の力『幻想殺し』が宿るその右手をジッと見つめる。
直感、というよりは何故だかこの右手が忠告してくれたような気もした。
今自分が第一九学区に足を踏み入れたら取り返しの付かない事になる、と。
この日、上条当麻は人生で一番頭が冴えていたかもしれない。
彼は今まで何らかの事件が発生するたびに右手を握り締め、猪突猛進に、がむしゃらに、
戦火をくぐり抜けて大切な何かを守ってきた。
そんな彼が、今回の騒動に関してだけは不動の道を選択した。
(・・・・・・この右手で幻想をぶち殺すだけが、がむしゃらに首突っ込んで暴れ回るだけが戦いじゃないんだ)
彼はこの騒動から学んだ。戦わないことで、守れる何かもあるんだということを。
そして偶然と言えばそれまでだが、そんな上条当麻の選んだ道が、
アレイスター=クロウリーという魔術師の幻想の一角をぶち殺す事に繋がっていた。
無論、そんな事は上条の知るところではないが。
――――――――――――――――――――――
一方通行は一点の光もない、闇一色の空間を漂っていた。
足場はない。もし周囲に煌く星々でもあれば、ここが宇宙空間だと思い込んでしまうかもしれない。
文字通り、一方通行はこの黒々とした空間を漂っていた。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
突然現れた『闇』に飲み込まれた事は覚えている。
かつて一方通行は三度、『闇』に飲まれた経験があった。
一度目は木原数多という科学者と相対した時、二度目は垣根帝督と相対した時。
そして三度目は、自ら『闇』に飛び込んだ。ロシアの雪原で全てを諦めかけた時の決断だった。
しかし今回の"嚥下"は、上述した時とはレベルが違いすぎた。
まさに侵食。三度『闇』に飲まれたときは何とか自我を取り戻すことが出来たが、
今回ばかりは完全に飲み込まれた。抗ってももがいても、手も足も出なかった。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
自分がさっきまで何をしていたのかも明確に思い出せなかった。
何か、すごく大切な何かを救うために奮闘していた気もするが、今の一方通行には思い出せない。
記憶すらも闇に塗り潰されようとしていた一方通行の視界に、何かが飛び込んできた。
僅かな曇りもない完全な暗黒であるはずの空間で、彼は確かにそれを認識出来た。
影。黒い影。
一方通行は漠然と理解した。こいつが自分を飲み込んだヤツだと。
そして同時に、こいつは恐らく一般的に『神』と呼ばれる存在であることを。
『・・・・・・・・・・・・オマエか。 俺を器にして勝手に土足で入り込ンで来やがったクソったれは』
返事はない。ただ、神は笑っているような気がした。
それは嘲笑の意を含む笑いではなく、親愛を求めるような笑みだと、一方通行は思った。
同時に、その神を視た瞬間自分が今まで何をしていたのか、正確に思い出すことが出来た。
『神、ねェ・・・・・・。 ハッ、俺ァいつから神にフラグなンざ立てちまったンだァ?
ガブリエルといいオマエといい・・・・・・俺は人外に愛されちまう星の下に生まれちまったンかよ』
相変わらず返事はなかった。だが、脳に直接刷り込まれたように
一方通行の頭に神の意志が伝達される。
今まで体験したことのない違和感に彼は顔を顰めながら送られてきた情報を読み取る。
『・・・・・・・・・・・・、チッ。 神なだけに上から目線かよ。 星幽界ってのが分からねェが・・・・・・
虚数学区の事を言ってンのか? 俺が木原のクソ野郎をぶちのめした時に虚数学区に
干渉した俺に興味を持った、と。 人間の言葉で説明してくれや、意味がわかンねェよ』
送られた情報は一方通行の頭脳を以てしてもほとんど理解不能だったが、
神が言いたいことは大まかに把握できた。
ようは、何度も何度も闇の力に溺れた人間風情がそれでも無様に足掻いて
自我を取り戻してきたという滑稽さが気に入ったというわけだ。
一方通行はこの神とやらとエイワスがどこか似ているな、と舌打ちしながら思った。
『・・・・・・まァいい。 それで、俺はこの先一生オマエの中で飼い殺しか?』
一方通行はその旨を良しとしない。神だか何だか知らないが、取り込まれて飼い殺されるだけの
人生なんてうんざりだと思った。一方通行じゃなくても大半の人間はそういう考えを持っているだろう。
だが一方通行とその他の人間の違いは、相手が神である点だった。
神に取り込まれるという事は即ち、神のご加護を永遠に受け続けられるという事に繋がる。
そんな、宗教者からすればそれこそ神の恵みのような現実を一方通行は、
『冗談じゃねェぞクソったれが』
ピシッ、と。 陶器に亀裂が入る音が鳴った。
一方通行が腕を伸ばしたその先の虚空にヒビが入っていた。
『オマエ、ずっと俺をどこかから観察してたンだよなァ? あァきっとそォだ、間違いねェ。
じゃねェと時間と場所に関わらず現出できた黒い翼の説明がつかねェからな。
だったらオマエは俺の、「天使同盟(アライアンス)」の恐ろしい意向も知ってるはずだろォが』
? と、神が疑問を感じている事が一方通行にも伝わる。
どうやらこの黒の化身様はとても重要な事をお忘れでいらっしゃるらしい。
そんな間抜けな神様に、たかが人間の一方通行がご教授して差し上げた。
『何度言やァわかるンだ? この俺に、一方通行に関わってきやがったヤツは
結果がどォあれ"逃しはしねェ"。 それが人間でも天使でも、ましてや神様だろォとなァ』
空間に発生した亀裂がどんどん広がっていく。
その亀裂から水漏れのように流れてきたのは、黒を上から塗りつぶす聖なる『白』。
一方通行という人間を象徴するような、白く、白く、狂ったように白い『白』だった。
『丁度いい、天使ってのは神が作り出したモンなンだろォ? ・・・・・・オマエがどンな
神なのかは知らねェが、この俺に関わった以上もォ逃さねェし、引き返すことも許さねェ』
一方通行は拳を思い切り握り締め、檻を、壁を、困難を、闇を吹き飛ばすように
勢い良く振り抜きながら、
"本物の神"に向かって吠えた。
『"こっから先は一方通行だ"。 あのアホ天使を救うために助力してもらうぜ"三下"ァァァ!!!!!!!!』
逃がさないし、引き返すことも許さない。それは"一方通行"というより"八方塞がり"だった。
もう、神は逃げられない。人間風情の少年に、逆に取り込まれていく。
一方通行の振るった拳が、黒を象徴する神に一筋の光明を突き刺す――――。
――――――――――――――――――――――
「あ、れ・・・・・・? 体、が」
「・・・・・・・・・・・・魔力が、少しずつではあるが戻ってきている?
ちくしょー、今度は一体何が起きたっていうの」
風斬とキャーリサは体の調子を確かめるように手の指を開いたり閉じたりしながら
黒い影の様子を窺ってみた。
「・・・・・・何だ? あいつの体、さっきはあんなに膨れていなかったはずだし」
セトの様子に明らかな変化が見受けられた。
ボコッ、ボコッ、と。沸騰した湯が泡立つような音がセトの腹に当たる部分から聞こえてくる。
セトの体躯は先程までとは違い、まるで妊婦のように不自然に膨らんでいた。
「――――――・・・・・・・・・・・・、・・・・・・」
セト自身もそれを不思議に思ったのか、どんどん膨れていく自分の腹を見つめている。
痛みや不快感があるのかどうかは未完成の人形のような顔から窺えないが、
代わりに背中から生える無数の黒翼が悶え苦しむ蛇のように不気味に蠢いていた。
それだけで暴風が吹き荒れ、もはや壊れるところが無くなったビルの残骸にトドメを刺していく。
神の身に発生した異常事態を察知したのか、セトに完膚無きまでに打ちのめされていた悪魔が
ゆっくりと倒れ伏せた体を起き上がらせていた。
と、セトの腹の部分から何かが聞こえた。
「・・・・・・・・・・・・、rzmcが、ぐゥ・・・・・・fyxubく、おurxft・・・・・・!!」
「え」
聞き間違いではないかと風斬は自分の耳を疑った。
しかし風斬と同じように、キャーリサも驚きの表情を浮かべている。
空耳では、ない。
「zmが、ァぐ、ぎぎ・・・・・・!!! huxzwcybおおォ、ァynfd・・・・・・!!!」
メキキキ・・・・・・・・・・・・という骨が軋む音。
膨らみ続けるセトの腹の一部が、中から何か尖った物が押し上げているように不自然に歪む。
ボロボロの姿でむくりと起き上がる悪魔。かつて『神の力(ガブリエル)』と呼ばれた悪魔は、
聖母マリアに受胎を告知した天使だと伝えられている。
妊婦のように腹を膨らませている神が、ミーシャにはどのように見えているだろうか。
セトはどこか狼狽えているような仕草を見せ、慌てて自分の腹を手で抑えたが。
もう遅かった。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォッッ!!!!!!!!!!!!」
それはまるで、津波に襲われた防波堤の決壊のようだった。神の腹部が耐久値に限界が訪れた防波堤のように
崩壊し、そこから溢れ出すように出てきたのはセトが世界中の魔術師から吸収した魔力の光と、
学園都市最強の超能力者(レベル5)。第一位の一方通行と呼ばれる少年だった。
「あ、一方通行さん!!!」
「・・・・・・風斬、キャーリサ、オマエら無事か!? ガブリエルは!?
『星の欠片』はまだ残って・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぐむっ!!?」
上半身まで抜け出ていた一方通行を再び押し込めるためか、セトは信じられない力で
彼の頭を上から押さえつけて飲み込もうとする。
「こ、の野郎・・・・・・ッッ!!! 往生際が悪ィンだよ神のクセに・・・・・・!!!」
「あ、い、今行きます!!!」
セトの力が弱まっているのか、気付けば風斬の体に本来の力が戻っていた。
どうやら神はAIM拡散力場を掌握しきれなくなってしまったらしい。
風斬はすかさず背中から雷光の翼を噴出させ、一気にセトとの距離を詰める。
「掴まってください・・・・・・!!!」
「く、ゥ・・・・・・・・・・・・」
風斬が神の御前で救いの手を差し伸べる。
一方通行としてはこんな真っ黒な化物より風斬の方がよっぽど神らしいと思えた。
風斬の場合は女神が正しい表現か。
そしてセトもただそんな様子を黙って見ているわけがない。
惑星を一撃で消し飛ばせるような威力を誇る恐ろしい無数の黒翼が全て
目の前の風斬氷華に牙を剥く。
だがそれが風斬の体を屠ることはなかった。
ギチギチと、まるで何かに抑えつけられているかのように黒翼が震えている。
「ざァァァァァンねェン・・・・・・!!! 今のオマエと俺ァ言わば一心同体ってヤツなンだろォが。
だったらオマエに操れる黒翼が、この俺に操れねェワケがねェェェだろォォがよ、ああァッ!!?」
全身から汗を吹き出し、口から苦し気に荒い呼吸を繰り返しながら一方通行は頭上にあるセトの顔を思い切り睨みつける。
彼はあろうことか、神に対して『ベクトル操作』を行い、セトの黒翼を操作し始めていた。
ロシアで打ち止めという少女を救うため、彼は自身の能力『一方通行(アクセラレータ)』の本質を見極めている。
"一方通行自身が観測した現象・事象から逆算して、限りなく本物に近い推論を導きだす"。
『粒子加速器(アクセラレイター)』の名を冠する彼ならではの超能力。
この瞬間の一方通行の演算能力はまさに"神懸っていた"。体の芯まで神という存在に浸かっていた一方通行は
『神』という概念を完璧に把握、理解、掌握し、逆算する事で神の力そのものを操作するという
人類が未だ到達していない前代未聞前人未到の荒業を実行したのだ。
それはまさしく、人間という立場でありながら神の全知に到達した者。
学園都市ではその領域に達した人間を、何と呼んでいただろうか?
セトの力が著しく弱体した事を察知した悪魔もまた、そのまま彼らの
状況を見つめているだけではない。
セトによって芯から破壊された水晶の翼は再生不可能になってしまったため、
自らの足を地面に思い切り踏み込ませて駆けようとしたのだが、
「おおっと。 ・・・・・・ここで横槍入れるのはさすがに野暮だし。
外野は黙って結果を見届けよーじゃないの」
悪魔の真横から突然、眩い閃光が迸ってきた。
尋常ではない速度で飛んできた光は悪魔を勢い良く薙ぎ払う。
派手な音と共にビルの瓦礫に突っ込んだ悪魔を見届けながらキャーリサは不敵に笑った。
「神に向かってあんな口の聞き方するヤツがこの世にいるとはな、やっぱりあのウサギは面白すぎるし。
見ているこっちまで感化されてテンション上がってきたの」
セトの破れた腹部から放出された魔力が本人の下へ帰っていったため、
キャーリサもカーテナ恩恵を取り戻し、天使長の力を思う存分振る舞えるまで回復していた。
手に携えるカーテナの欠片から放たれる閃光が何とも頼もしい。
キャーリサが悪魔を止めている間に一方通行は何とかその細い腕の一本を伸ばし、
風斬の手をしっかりと掴んでいた。
「もう・・・・・・少し・・・・・・!!」
風斬は渾身の力を込めて掴んだ彼の手を引っ張り出していく。
それに対抗するようにセトも執念で背中の黒翼を振るおうとするが、
「・・・・・・・・・・・・つーかよォォ」
獣の唸り声のように低い声を放ちながら、一方通行が神に一言。
「オイ神様。 ・・・・・・"頭が高けェ"」
ガシィッ!!! と一方通行はもう一方の手で鮮血より紅いセトの頭髪を思い切り掴むと、
勢い良く腕を振り落とし、神の頭を地面に押し付けた。
体のバランスが取れなくなったセトはそのまま一方通行ごと全身を地面に預ける形になる。
彼の手を掴んでいた風斬も危うくコケそうになるが、そこでスッと自分の力に抵抗してくる力が無くなった。
「あ、一方通行さん・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・げほっ、げほっ!! ・・・・・・よォ、待たせて悪かったな」
風斬は顔を綻ばせ、目尻に涙を浮かべながらふるふると首を横に振った。
ついに一方通行は神の呪縛から逃れ、現世に再び還る事が出来たのだった。
セトに頭を押さえつけられ、散々引っ掻かれた顔の傷跡が非常に痛々しかったが、
それでも彼は五体満足で神の手から解放された。
「―――――・・・・・・・・・・・・、――――――――――・・・・・・―――――――」
ドスッ、ドスンッ、と。特撮映画に出てくる怪獣が鳴らすような足音を立てて地面を揺るがしながら
セトは一方通行の傍からゆっくりと後ずさっていく。
黒い影だけを纏っていたセトの体は、ところどころが純白に染まっていた。
まるでそこにだけ、白いペンキを塗りたくられたかのように。
寒気のするような笑み以外の表情を浮かべない神の心境は窺いようがないが、
どこか落胆しているようにも見えた。
なぜ、人間の身でありながら神の恩恵を自ら手放すのか、と。
背後では何度も刃と刃が交わる音が轟いていた。
辛うじて現出させた水晶の剣を携えた悪魔が、カーテナを振るうキャーリサと
映画のワンシーンにそのまま引用できそうな戦いを繰り広げている。
キャーリサの肉体は少しずつではあるが確実に消耗してきている。
このまま戦いが長引けば、彼女はいずれ致命的なダメージを負ってしまうだろう。
だがキャーリサの表情には余裕があった。その顔には不敵な笑みすら窺える。
カーテナが復活したとはいえ、悪魔との一対一など本来なら一分も継続出来ないはずなのだが・・・・・・。
「一方通行さん」
「あァ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
一方通行は空を見上げた。
彼が神に侵食されている間も空は相変わらず不気味な装飾を施されていたが、
心なしか彼が神から脱した瞬間から、奇怪な記号の羅列やそら恐ろしい裂け目が収縮しているような気がする。
「なンか空が随分愉快な事になってンな」
「お前のせいだしウサギ!! あとお前の"連れ"がウチのグリフォン=スカイを
全て消し飛ばしちまったの!! キチンと弁償代は請求するからよろしく~♪」
「・・・・・・・・・・・・はいはい」
なぜかやたらと元気活発な第二王女様がなんか言ってきたが一方通行は軽く流した。
そして彼は先程から静寂を貫いたまま微動だにしないセトに向かってこう言った。
「・・・・・・取引だ。 この一連の騒ぎが全部収まったら、俺の事は好きにしてもらって構わねェ。
俺の体を乗っ取るなり何なり、好きにしやがれ」
「な、何を言ってるんですか・・・・・・!?」
一方通行の突拍子も無い言葉に驚いたのは神ではなく風斬氷華の方だった。
セトは黙って一方通行の言葉を拝聴する。
「ただ、オマエも全部見てたンなら分かってると思うが、俺には守るべきヤツが沢山いる。
もォ打ち止めや番外個体、黄泉川や芳川だけじゃねェ。 両手の指でも数えきれねェ、
両腕で抱えても収まりきらねェほどにな。 俺自身はどォ扱ってくれても構わねェが、
そいつらを蔑ろにするよォな事があれば俺はまた容赦なくオマエの土手っ腹をぶち抜くぞ」
「――――・・・・・・・・・・・・―・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・分かったンなら返事するなり頷くなり応答の意を見せやがれ神様。
オマエの中でも言ったが、俺から逃れられると思ってンじゃねェぞ」
セトは肯定も否定もしなかった。
しかしセトも、一方通行の胸中にある強い想いを汲み取ったのか。
ただ神は、薄く笑みを浮かべて、そのまま霞のように現世から姿を消したのだった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
傍らで安堵の息を吐く風斬。一方通行も注意深く観察しなければ分からないほどの小さなため息をついた。
と、不意にピピッという小さな電子音が一方通行の電極チョーカーから鳴る。
確認すると、セトに吸収された時になぜか制限解除されていたバッテリーの残量が残り一〇分程にまで減っていた。
一方通行は静かに瞼を閉じ、背中に意識を集中させた。
瞬間、彼の背中が勢い良く炸裂する。
「あ・・・・・・・・・・・・」
「ふン。 あの野郎、背中にべったりストーカーコースを選択しやがったか。
結局いつも通りに戻っちまったって訳だ。 神なら椀飯振舞でもして
俺に神同等の力を与えてくださるとかそンくらいしたらどォなンだ」
彼の背中には、いつものように黒翼が噴出していた。
ただし、それは"片方のみ"。もう片方には白の翼も混じっている。
片翼は黒、片翼は白という何とも神秘的で、何とも不恰好で、何とも頼もしい姿に彼は成った。
頭上に出現した輪も白と黒のコントラストで彩られていた。
まるで一方通行という少年のこれまでの人生を色で表現しているかのように。
「ウサギ、風斬!! 終わったんならさっさと来るの!! じゃないとこれ、
私がトドメを刺しちゃいそーだし!!」
「?」
一方通行と風斬はそう叫ぶキャーリサの方を向く。
キャーリサの息は疲労困憊というようにひどく荒かったが、信じ難いことにそれは
対する悪魔も同じだった。
「お前らと神、そして私との連戦で悪魔もだいぶ消耗しているみたいなの。
"討つ"にしろ"救う"にしろ、チャンスはもーここしかないよーだし」
悪魔は人間では計り知れない凶悪な力をその身に秘めている。
だが、決して無敵ではない。第一位という怪物と天使と同等の力を持つAIM拡散力場の集合体。
天使長の力を振るう第二王女。神。そして自我の崩壊と暴走という自らを滅ぼしかねない事象。
これらが全て重なっては、さすがの悪魔も限界が訪れるものらしい。
「・・・・・・終わらせるぞ、風斬」
風斬は何も言わず、ただ力強く頷いた。
背中の翼を爆発的に羽ばたかせ、悪魔の下へ飛翔していく。
一方通行もまた、彼女を追うように背中に『神』を背負い、勢い良く戦火へ飛び込んでいった。
そう。
いつだって神は、背でうたう。
【次回予告】
『・・・・・・そろそろ飽きたな、もう』
―――――――――――『聖守護天使(アウゴエイデス)』を司るクラアトの召使・エイワス
――――――――――――――――――――――
それは突然、大事な約束を反故にされたようなものだ。
昔から信頼していた友達に『またここで、必ず会おう』という
ドラマや漫画でもよく見られるような青臭いながらも信頼の証と取れる約束。
その約束がまた果たせる時がきた。条件も状況も素材も、
全てが整った最適な状態。あとは友達さえ来てくれれば約束は果たせるのだ。
なのに。なのに。
「・・・・・・・・・・・・『神浄』が、閉じて、いく・・・・・・・・・・・・?」
傍に巨大な黄金の鷹を召喚している魔術師、アレイスター=クロウリーの表情が
徐々に絶望に染まっていった。
彼は神域に染められた、いや"染められていた"空を見上げながら体を震わせている。
歓喜による震えではない。失意に怯える震えだ。
上空に出現していた裂け目が、見る見るうちに収縮しているのだ。
セトの出現によって起きていた魔術師殲滅現象も時が止まったかのようにピタリと収まり、
星幽界から漏れ出していた大量の黒い霧も今や僅かすら舞っていない。
「な、ぜだ・・・・・・? 私の『プラン』に狂いはないはずだ。
上条当麻の『幻想殺し』も、一方通行の『セト』も揃い、『神浄』は成るはずなのに・・・・・・!?」
「『プラン』に狂いはない? それはひょっとしてギャグで言っているのか?」
嘲笑うように、アレイスターの独り言に応える声があった。
エイワス。
天の川のように綺羅びやかに流れる金髪の髪を掌で撫でながら、
エイワスも『神浄』の終焉を冷笑の顔で見つめ続けている。
「アレイスター。 ホルスに至る、という言葉の意味を君はまだ理解していない。
君はホルスに辿り着いてなどいないし、上条当麻もこの聖域には来ていないし、
・・・・・・・・・・・・おや、セトもどうやら一方通行と結託したようだな」
「な、に・・・・・・?」
「セトは星幽界に還り、『幻想殺し』も現時点での『神浄』を良しとしていない。
何度言ったら分かるのかね? アレイスター、君はとにかく"急ぎすぎ"なのだよ」
顔から冷や汗がドッと吹き出る。エイワスが、この金髪のクソったれがさっきから何を言っているのか
全く分からない。戦闘においては完全にアレイスターが優位に立っているにも関わらず、
なぜかエイワスの表情は勝ち誇ったようなそれになっている。
「・・・・・・仮に上条当麻と一方通行が使いものにならなくとも、私はホルスとしてこの世に顕現した。
あなたにも見えているだろう、私の傍らに佇むこの黄金の鷹が!! あなたにも分かっているだろう、
このホルスの圧倒的な力が!! あなたですら立ち向かうことすら出来ない、絶対的な存在なんだ!!」
アレイスターは必死で激昂するが、余裕の笑みが崩れないエイワスの前では
何とも無様で情けない姿にしか映らなかった。
「人間にだって、世界にだって、神にだって都合くらいあるさ。 君はそれを無視した。
君の都合だけで時代を次のステップを移そうとした。 それが君のミスだ。
君のような所詮人間風情が、スケジュールを無理やり詰めて時代を変えようとすることが
烏滸がましいのだと言っている」
「『ホルスの永劫』を迎えるための全ての事象の時間軸は把握してある!!
あなたも私の『プラン』は知っているだろう? 私が本当に愚かで、タイミングを
考慮していないのなら、私はあなたに出会ったあの日からすぐに『神浄』を迎えていた!!」
「その時間軸の把握と設定が間違いなく正しいという証拠がどこにある?
本当に正しいと言っていいのは、『アカシックレコード』を全て掌握し、
『ブラフマンダ』以前の『カオス』、・・・・・・ああ、『タート』と言ったほうが分かりやすいか?
それらを全て観測してからだと私は考える」
「・・・・・・そんな事をしていたらこの地球は持たんぞ・・・・・・!!」
「時代を変えるという事は、つまりはそういうことだ。 歴史を変えるのとは
ワケが違うんだよ。 ホルス、神に成ったとほざくのはそれからでも遅くはないさ。
君の隣にいるその"鳥"は、君の願望の具現化に過ぎない。 神に成るとは、神に昇華するということだ。
君自身が黄金の鷹にならなければ成り立たん。 だというのに君自身が今そこにいるのはおかしな話だろう?」
つまるところ、エイワスが言わんとしている事はアレイスターの『プラン』は
最初から綻びがあったという事だった。
人間に残された時間というのは悲しいほどに少ない。せいぜい一〇〇年生きていられるかという程だ。
そんなあまりにも、時代からすれば刹那に等しい時間で時代を変えるということがどれだけ愚かしいことか、
アレイスターは思い知らされる事になってしまった。
「時代を変えるために私は科学に身を委ね、惨めたらしく寿命を引き延ばし、
学園都市を設立し、私の最後の味方であった"彼"とも決別した。
これだけの犠牲を払って、それでも『神浄』には至れんというのか・・・・・・!?」
「一見完璧に見える『プラン』も、突如発生するイレギュラーには弱い。
『天使同盟』はもちろん、浜面仕上の存在もあるし上条当麻や一方通行の
予想だにしない行動。 それらを全て予測した上で新たなる時代の幕開けは成る」
アレイスターは横に視線を投げる。
『神浄』を経て降臨したはずの黄金の鷹、ホルスという名の『幻想』が、
音もなく消えていく瞬間だった。
アレイスターがその"鳥"をホルスではないと僅かでも認めてしまったために。
さて、とエイワスが一歩足を踏み出す。アレイスターはひどく大げさに体を震わせた。
「とりあえず今日のところは諦めて、ラスボスはラスボスらしくボコボコにされてくれんかね?」
「・・・・・・私自身がホルスに到達出来なくとも、私にはまだホルスの『力』が残っている・・・・・・」
黄金の鷹を失っても、アレイスターの全身を包む黄金の光が消えるような事は無かった。
むしろエイワスという自身の最大の『敵』を前に、更に輝きを増している。
魔力でも『天使の力(テレズマ)』でもない天上の力が、アレイスターという泉源から溢れ出てくる。
神にはなれなかったとはいえ、もはや人間という枠組みから完全に外れている
魔術師の怪物を前に、しかしエイワスは全く物怖じしない。
「アレイスター、やはり君は興味深い。 これから先の未来でも
君を観測する価値は残っていそうだ。 ホルスの具現化などという
面白い玩具も見せてもらったしな」
だが、とエイワスは元に戻りつつある空を見上げながら前置きして、
「・・・・・・そろそろ飽きたな、もう」
ゾクッ、とアレイスターの背筋に昏倒しそうな程の悪寒が走った。
飽きた。
この化物が口にすると、そんな些細な言葉ですら死刑宣告に聞こえてくる。
「『聖守護天使(アウゴエイデス)』を冠する存在……君が真に追い求めていたのは今の私ではなく、
その聖守護天使としての私だろう? ………ふふ、"呼んでやるよ"」
生唾を飲む音がした。アレイスターは無意識に喉を鳴らしていた。
掌に汗が滲んでいる。『期待』と『恐怖』の感情が鬩ぎ合って体の内が耐え切れなくなり
ブルブルと小刻みに震えている。
「君が丹誠込めて作ってくれたこのAIM拡散力場の私。 本来の私の力には
遠く及ばないが、実にいい出来だぞ。 今回はこの私の体を依代にし、"私"を降ろす。
『神浄』が完全に消え去る前の今なら可能だろう」
今ここでエイワスに何らかの攻撃を加えれば"それ"の降臨は恐らく止められる。
だがアレイスターはそうしなかった。降臨の儀を許せば自分はろくな目に合わないと理解していながら、
彼は決してエイワスには手を出さず、ただ眺め続けるという愚行に走った。
見てみたい。これがアレイスターに残っていた純粋な感情から出た想いだった。
初めてエイワスに遭遇したときは妻のローズを依代にしていたため、
エイワス自身を拝むことは叶わなかった。
いつか実際にこの目で拝謁したいと思っていた。今日この日まで、ずっと。
案外、アレイスターがエイワスに向けて送った『好意を抱いている』という言葉も、本当なのかもしれない。
その時、世界各地で"二度目"の異常現象が発生した。
直径一〇〇メートル程までに縮んでしまった上空の裂け目から不思議な音が流れ始めたのだ。
それは、歌。聖歌のようにも聞こえるが、それよりも更に上位に位置する神々の宴。
全世界の空から流れる音源不明の歌に合わせて、エイワスは空を抱き締めるように
両腕を大きく広げた。
上空の裂け目から、まるで『ヤコブの梯子』のような光の柱が伸びてきて
舞台に上がった主演女優を照らすスポットライトのようにエイワスを包みこむ。
どうやらこれだけで降臨の儀は終了したようだ。・・・・・・見た目は"いつもの"エイワスと変わりないようにも見える。
思わず眉をひそめるアレイスターを無視して、エイワスは満足気な表情を見せながら口を開いた。
その言葉は、アレイスターが魔法名を名乗った時の自己紹介にも似ていて――――。
「"久しぶりだな"、アレイスター。 私は――――――、」
と、
バキャキャビキビキビキッッ!!!!!!!! という、とんでもなく派手な音が鳴り渡った。
見るとエイワスの全身に蜘蛛の巣が更に複雑になったような激しい亀裂が入っている。
エイワスはせっかく作った陶器作品を誤って割ってしまった女の子のように眉を八の字に曲げて舌を出しながら、
「・・・・・・おやおや、申し訳ない。 やはりこの程度の『器』では持たないようだ」
鼓膜を貫通してそのまま脳漿が弾け飛ぶような爆発音を放ち、"エイワスという依代は爆散した"。
そして、粉々に砕け散った器から出現したのは。
「お、お――――――」
「ynacab聖ngxyctgiyfsuyg見―――、gttzcbrjdtc死xcaksgzcx」
アレイスター=クロウリーはこの日、ついに悲願を達成した。
自身に必要な知識を全て授けてくれた、愛しい愛しい『女神』との拝謁を。
説明不可能の何らかの攻撃を受けて、
自身の肉体から芸術的なほど美しく吹き出る血雨で視界を染め上げるその瞬間まで。
人間と聖守護天使。その勝敗など、見極めるまでもない。
――――――――――――――――――――――
微弱な魔力でも身に宿っていたほうがまだマシだな、と後方のアックアは
セトに吸収されていた魔力が元に戻った事によって改めてそれを再確認した。
黒いコスチュームに身を包んだ兵士が数十メートル上空へ薙ぎ払われる。
垣根帝督を"回収"するためだけに構成された特殊部隊『回収部隊(アンチツヴァイ)』が、
どこからともなく現れたオカルト集団の手によってついに全滅した瞬間だった。
「・・・・・・やはり聖人としての力を失ってはアスカロンを扱うのは容易ではないのである。
そちらは全て片付いたか? ヴェント」
「アンタ誰に向かって言ってんの。 つーかさぁ、あんまり私に近づかないでよ。
そんなガタイで汗まみれで・・・・・・むさいったらありゃしないっつーの」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
そう言われて心なしションボリとした表情を浮かべる後方のアックアの岩壁のような逞しい背中に寄り添うように、
彼の背後には前方のヴェントが片手にハンマーを担ぎながらうんざりとした顔を貼りつけていた。
「まだ怒っているのであるか。 さっきから謝罪しているだろう。
大体貴様のその雰囲気の変わり様に一体どれほどの者が気付けるというのであるか」
「またアタマ叩き潰してあげようか?」
どす黒いオーラを放ちながらニッコニコの笑顔でハンマーを振りかぶるヴェントから
そそくさと退いていくアックア。
そんな『前方』と『後方』が繰り広げる右席漫才を聖人の神裂と騎士団長は呆れた様子で眺めていた。
「この状況下でじゃれ合う余裕が生まれるほどのタフな精神とは・・・・・・
恐らく樹齢一〇〇〇年を誇る大木よりも図太いのでしょうね」
「貴女でもそのような冗談を口走るのだな。 ・・・・・・しかし、黒い霧に
魔力を持って行かれた時は肝を冷やしたぞ。 手紙に記されていた『十字教の終焉』の意味が
今更になって理解できた。 ウチの姫様は・・・・・・まあ悪魔相手でも生き延びていらっしゃるだろう」
言いながら、騎士団長は頭から流れてきた血を鬱陶しそうに拭う。
ヴェントもアックアも神裂火織も騎士団長も、セトの支配下に収められ魔力を失った時は
『回収部隊』相手にかなり手こずったが、今はもう心配いらないようだ。
空を見上げる。魔術サイドの人間の視点から見ても不可思議な現象だった巨大な裂け目が
今や目を凝らさなければ見えない程にまで縮小していた。
と、そこでまたしても不可思議な現象。天空から人語ではない不思議な言葉で
歌のような声が流れてきたかと思ったら、小さな裂け目から光の柱が漏れる。
直後、耳を劈くような破裂音が空気がビリビリと震わせた。
何が起きるかと四人は警戒していたが、その後はウソのようにしんと静まり返るだけだった。
どうやらどこかで、とてつもなく壮大な戦いが一つ、終結したらしい。
「・・・・・・今のは、『天使の力(テレズマ)』? いや違うな・・・・・・何だ?
あのように莫大な力は未だかつて感じたことがないが・・・・・・」
「気にしている暇はありません。 とにかく『回収部隊』は粗方片付け終えました。
もう襲ってこないというのなら、私達も急いで一方通行達の下へ向かいましょう」
「白いの、まだ生きてんのかしら」
「イギリスから遥々足を運んできたのだ、大量のグリフォン=スカイを失ってな。
ここまで来て死んでしまいましたでは困るのである」
原因不明の黒い霧もすっかり晴れ、彼らの視界を阻害する要素は無くなっていた。
アレイスターとエイワス、そして『回収部隊』との戦いも終わり、残るはただ一つ。
「『天使同盟』を救いましょう。 彼らには"貸し"も"借り"もあります。
このまま有耶無耶でお別れという訳にもいきません」
神裂の言葉に皆が頷いた。
ヴェントも面倒くさそうにため息をつきながらも彼らの意向に賛同する。
『ゲーム』開始からどれほどの時が過ぎただろうか。
一方通行達が繋げた『輪』が、再び集結していく。
――――――――――――――――――――――
同じ頃、垣根帝督に肩を貸しながら一方通行達の下へ向かっていた
ステイル=マグヌスも一つの巨大な戦いが終わったことを感じ取っていた。
(・・・・・・アレイスター、エイワス。 恐らくは聖守護天使に軍配が上がったのだろうね。
でなければ今頃、十字教は終わりを迎えてる)
そしてエイワスは通常通り健在しているのだろうなと思うと、
あまりの忌々しさに思わず唾を吐き捨てそうになる。
人間を玩具のように扱い、あまつさえ『天使同盟』とは何の関わりもないインデックスをも巻き込んだ
あの金髪の怪物が、ステイルにはどうしても味方だとは思えなかった。
例として、エイワスの手によって生み出された悲劇の被害者がステイルのすぐ傍にいる。
垣根帝督。学園都市第二位の超能力者にして、『天使同盟』の構成員。
彼は『禁書目録』に自由自在にアクセスできる『自動書記』の遠隔制御霊装を
片手に握り締めながらブツブツつ独り言を呟いていた。
「・・・・・・『ロンギヌス』に『グングニル』、『ブリューナク』に『ゲイボルグ』・・・・・・。
俺の想定しているもんとは少し違うが、『天鹿児弓』とか『天羽羽矢』も悪くねえな。
・・・・・・ったく面倒くせえ。 俺のプロフィールの趣味の欄に『読書』が追加されることは
永遠にねえだろうな・・・・・・・・・・・・。 一生分の読書をした気分だ」
「何か策は見つかったのか」
虚ろな目で、霊装を使用している反動で今も頭から血を流し続け、
『禁書目録』の毒による凄まじい頭痛に襲われながらも天使を救う術を模索する垣根帝督に、
ステイルは顔をしかめながら尋ねた。
ステイルはもう、垣根を止めない。止める事は出来ない。
例えそれがインデックスを悲しませる事になっているとしても。
ステイルにはこの垣根という男の気持ちが、痛いほどよく理解出来てしまったから。
「・・・・・・・・・・・・ちょっと、止まれ」
ステイルの質問を無視して、垣根はステイルの肩から身を離す。
垣根は足をもつれさせながら少しだけ歩くと、背中から『未元物質(ダークマター)』の翼を現出させた。
「どうするつもりだ?」
「あー・・・・・・・・・・・・。 頭痛え・・・・・・あぁ・・・・・・、ええっと・・・・・・。
『ベツレヘムの星』に施された・・・・・・防御術式の性質から逆算して、・・・・・・」
低い唸り声を発しながら垣根は六枚の翼の内の一枚を複雑に動かす。
すると、徐々にその羽根が羽根とはかけ離れた姿に変貌していった。
彼が何をしているのかステイルには分からず、ただ黙ってその行為を見つめるしかなかった。
「・・・・・・・・・・・・ッ。 ご、ぼっ・・・・・・!! ・・・・・・おぇ、」
ビチャビチャビチャッ! と口からもう何度目かも分からない吐血をする。
このままでは本当に出血多量で死んでしまう可能性があるが、それでも魔神は止まらない。
不自然な闇に彩られた夜空を仰ぎながら、一枚の羽根を変形させる作業に努める。
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・。 ・・・・・・こんなもんだろ。
これで、俺達はまた元通りに・・・・・・」
「・・・・・・これ、は?」
一体どのような演算を行ったのか、垣根は変形作業を終えた純白の羽根を背中から分離させる。
そして一〇万三〇〇〇冊の魔導書と科学による未知の力を複合させた代物を片手に携えた。
それを見たステイルが、意図せず言葉を漏らす。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・『槍』・・・・・・?」
それは、一本の槍だった。
全長一五メートルくらいだろうか。それが鉄製ならかなりの重量があるはずなのだが、
垣根の様子からしてあまり重みがあるようには見えない。
ただ、ステイルはその槍を作った事や槍自体より、槍に施された『装飾』に驚いた。
「これで、ミーシャ=クロイツェフが救えると?」
「・・・・・・これだけじゃ、足りねえ。 クソ忌々しいが、結局最後はあのクソ白髪に
託さねえと救出は成り立たねえんだよ。 ・・・・・・・・・・・・俺はその橋渡しだ」
それだけ言うと垣根は槍を片手に再び危なっかしい足取りで歩き始めた。
ステイルが慌てて駆け寄るが、その時前方一キロ程先で大きな爆発音が飛んでくる。
「あそこだな」
「・・・・・・・・・・・・待ってろよ、ちくしょう」
このまま進めば恐らく一方通行達の下へ辿りつける。
垣根はステイルの肩を借りて、『希望』と『想い』を詰めた槍を"友達"に託すために歩いて行った。
【次回予告】
『じゃあな。 俺の天使は返してもらうぞ』
―――――――――――『天使同盟(アライアンス)』のリーダー・一方通行(アクセラレータ)
――――――――――――――――――――――
一方通行と風斬氷華の奮闘、英国第二王女キャーリサの参戦。
そしてこの戦い最大のイレギュラー要素であるセトの乱入によって、
悪魔は限界ギリギリの窮地に立たされていた。
「うゥォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!!!」
白と黒が犇めき合う莫大な力を秘めた一方通行の翼が、悪魔を薙ぎ払う。
翼を無くした悪魔はすぐに体勢を整えて反撃に出ようと試みるが、
後続の人工天使とカーテナを振るう王女がそれを阻害する。
「ッ!?」
「今、悪魔の輪郭が"揺らいだ"・・・・・・!?」
悪魔に追撃を放った二人は確かにその目で見た。
毒々しくて禍々しい色で染まった悪魔の肢体の輪郭が、ろうそくに灯った頼りない炎のように揺らめいた瞬間を。
そしてその揺らめきの中に一瞬だけ確認できた、ミーシャ=クロイツェフと呼ばれる『天使』の姿を。
「天使さん・・・・・・!!」
「あの野郎、まさか"中"で・・・・・・!?」
それは一方通行だからこそ漠然と思えた。
もしかしたらミーシャも、悪魔というもう一人の己の中で必死に抗っているのかも知れないと。
悪魔と戦っているのは一方通行達だけではない。
(もォ少し・・・・・・あともォ少しだ・・・・・・!!!)
もうここまで来たら人間では天使には勝てないとか悪魔には敵わないとか、
この時代が決めつけた勝手な常識などに構う必要はない。
ゴリ押しだ。攻めて攻めて、ひたすら攻めて悪魔というクソったれをぶちのめし、
ミーシャという天使のクセに人間の事を想う大馬鹿野郎を救い出す。
だが、それでも相手はまだ悪魔。
悪魔は神に反旗を翻し、人間という存在に絶望という贈り物を届ける者。
「・・・・・・・・・・・・gyurtyhKIUCDTYGgudjxfwhtrfziapdshLSMNBYwhxhb」
「ッ。 またあの流星雨か!!?」
「ヤバいの。 グリフォン=スカイが"誰かさんのせいで全滅した"今、
神戮をやられたら私達仲良く揃って挽き肉コース直行だし」
「うるせェな、知らねェってンだよ!!」
こんな時でもくだらない掛け合いをしながら、彼らは上空を睨んだ。
星が煌く。グリフォン=スカイの大群は微々たる盾だったとはいえ
神戮の軌道を僅かに逸らし、効果範囲から退避する時間を稼いでくれた。
だがそんな盾も今はセトの咆哮による黒雷で消滅してしまっている。
避ける術はおろか、軌道を逸らすことも出来はしない。
ならば残された道はただ一つ。地球を焦土に変えてしまう程の天の一撃に正面から立ち向かうしかない。
「風斬!! キャーリサ!!! オマエらは離れてろォ!!!!!!」
二人にそれだけ叫ぶと、一方通行はその場に留まって地面に膝をついた。
無論、そのまま頭を下げて悪魔に降伏宣言をするつもりではない。
彼は全意識を右手に集中させ、拳を地面に沈める。
(・・・・・・悪ィが地球よ、ちっとばかし力ァ借りるぞ!!)
ドクン、と。大地が脈打ったような気さえした。
『天使同盟(アライアンス)』は一体どこまで地球に迷惑をかければ気が済むのかと激昂しているように。
一方通行は九月三〇日に自分が行ったあの演算を思い出していた。
地球の自転エネルギーというベクトルを操作し、それこそ悪魔も泣いて逃げ出すような
莫大な力を一点に集中させてぶつける禁断の一撃。
惑星一つのエネルギーなら、あるいは神戮に対抗出来るのではと考えたのだ。
("コイツ"をそのまま放っちまったら攻撃の余波で世界がとンでもねェ被害に遭っちまう。
あの流星雨だけを仕留めるよォに、強大でかつ緻密な演算をするンだ・・・・・・・・・・・・!!
脳が焼き切れても構わねェ、だがここだけは・・・・・・・・・・・・)
脳がオーバーヒートしてしまうのではないかというくらいに
彼は超繊密な演算を必死で行う。
しかし悪魔がそれを黙って見ているわけがない。
凹凸で表現された口を蠢かし、一方通行達に最後通牒を言い渡した。
「命令名『一掃』、投下。 ――――――――去ね」
ノイズの無いハッキリとした口調でそう言い放つと同時、夜空が瞬いた。
これまでにない最大規模の質量の数億の神戮が、一方通行達がいる範囲限定に凝縮されて襲いかかってくる。
だが顔に大量の冷や汗を流しながらも、一方通行は口を三日月のように裂きながら笑っていた。
神戮に地球という力が真っ向から立ち向かう。
「吹っ飛べェェェェェェええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!」
鬼のような咆哮を轟かせながら一方通行は地面に埋め込んでいた拳を一気に引き抜いた。
アッパーカットの要領で引き抜かれた拳から放出された自転エネルギーは、
空気というよりも空間を切り裂くように夜空へ突進していく。
一方通行の放った一撃と悪魔の神戮は上空一〇〇〇〇メートル辺りで衝突した。
その炸裂音は地上にも届くほどで、その爆風は綺麗なリング上となって周囲に散っていく。
一方通行の懸命な演算により、神戮との衝突で気候等に影響が出ることはなかった。
が、一方通行達のいる第一九学区はその限りではない。
「・・・・・・ほ、星が・・・・・・!!!」
風斬が慌てふためくのも無理はない。
阻止できたと思った炎の矢は彼女たちがいる地形一帯に降り注いできた。
絶え間なく続く神戮の激突音が鼓膜を乱暴に震わせる。
しかし、それだけだった。神戮が彼らの命を奪うことはなく、
ただ第一九学区の地殻を少し破壊するだけに留まっていた。
「―――――――――――、」
悪魔の動きが止まる。一方通行の一撃は見事に神戮の威力を拡散することに成功していた。
「・・・・・・信じられないし。 これが超能力・・・・・・?」
キャーリサが目を丸くして驚愕する。彼女が学園都市第一位の真の実力を見るのはこれが初めてだった。
かつてイギリスのクーデターの時も学園都市から一人の少年が妙な右手と一緒に来訪してきたが、
あの右手とはまた違った概念の力を目の当たりにし、彼女は最強の超能力者の認識を改める。
「・・・・・・まだだ」
一方通行がそう呟いた瞬間、神戮を防がれた悪魔がこの世のものとは思えない絶叫を上げながら
彼に向かって駆け出していた。
神戮という最後の切札を無くした悪魔に出来ることは、純粋な力で障害をねじ伏せることだけ。
だが咄嗟に気持ちを切り替えたキャーリサと風斬が己の手に持つそれぞれの剣で
悪魔を食い止める。
風斬の光の剣が引きちぎられる。キャーリサのカーテナが弾き返される。
しかし、"それで充分だった"。
一方通行もまた、突貫してくる悪魔に向かって大地を駆け抜けていた。
片腕を下げ、掌を地面に埋めて引きずりながら。
再び地球から自転エネルギーを拝借するために。
悪魔と一方通行の拳が交差する。第一位の顔に風穴を空けんと飛んできた拳を
彼は背中の翼で防御する。
そして一点に凝縮された自転エネルギーが込められた拳を何の躊躇いもなく
悪魔の顔面に突き込んだ。
グチャリ、と生肉を物理的に叩く生々しい音が響く。
惑星のエネルギーをまともに喰らった悪魔はとてつもない勢いで地面と並行に吹き飛んだ。
数百メートルまで飛距離を伸ばしてもまだ一度も地面に着かない程の勢いだった。
そんな状況で辛うじて悪魔が首を動かす。
視線の先には、吹き飛ぶ悪魔を戦闘機のような速度で追走する白と黒の怪物の姿があった。
そしてやはり彼の拳は自転操作のためか、地面を抉るように埋まっていて――――――。
「じゃあな。 俺の天使は返してもらうぞ」
タンッ、と軽く地面を踏んで一方通行は跳躍した。
そして先程の展開をリプレイするように、一方通行の渾身の一撃が悪魔の顔面に突き刺さった。
彼の拳は悪魔ごと地面に達し、そのまま地面の中に沈んでいく。
一定のリズムで発せられる衝撃音と共に、地面に何層ものクレーターが出来上がっていった。
悪魔の全身が不気味に痙攣する。一方通行の拳はまだ悪魔の顔面から離れない。
遅れて、クレーターを中心にコンクリートの粉塵が吹き荒れた。
粉塵は加速度的に辺り一面を覆い隠し、風斬とキャーリサの視界を遮る。
「ど、どーなった・・・・・・!?」
「けほっ、けほ・・・・・・!! わかりません、ここからじゃよく見えなくて・・・・・・」
その時、彼女たちに道を明け渡すように灰色の粉塵が不自然に流れていった。
どこからともなく吹いてきた風によって粉塵は数秒も経たず綺麗サッパリ運ばれていく。
ゴトン、という重量感溢れる音がした方へ二人が振り向くと。
「ハッアァーイ・・・・・・って、これどういう状況?
白いのと天使は・・・・・・? って、うわ。 ホントに第二王女もいるじゃねえか」
「・・・・・・ヴェントさん・・・・・・!」
「おー・・・・・・お疲れ騎士団長。 ウィリアム。 ・・・・・・おや、『清教派』も一緒だったの」
「お久しぶりです。 キャーリサ第二王女」
そこには決して無事な状態では無かったものの、『天使同盟』と交流を深めた
魔術師たちがいた。
ヴェント、アックア、神裂火織、騎士団長。
彼らの姿を見た風斬は感動の再会に打ち震える前にペタンと、その場で安堵の尻餅を着くのだった。
――――――――――――――――――――――
この沈黙が、逆に一方通行からしたら鬱陶しいほどの騒音に思えた。
彼は地下数十メートルの断層で一人佇んでいた。
断層の壁からはへし折れた鉄柱が飛び出ていたり、割れた水道管から水が滴り落ちている。
時折地面の破片が小さな音を立てて崩れ、足場はひどく不安定になっている。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
一方通行の視線の先には、仰向けになって倒れている何かが居た。
それはかつて悪魔という名の暴徒に成り果て狂気に乗って暴虐の限りを尽くしていた者。
大天使、ミーシャ=クロイツェフ。
全演算能力と全精神力、そして元々あまり蓄えられていなかった体力をほとんど吐き出して、
学園都市最強の超能力者、一方通行は数々の助力を得ながら悪魔を討つ事に成功した。
一方通行は電極チョーカーのスイッチをオフに切り替え、浅い息を吐きながらふらふらとした足取りでミーシャに近付いていく。
杖はとうの昔にへし折れ、足場がひどく崩れているため、たまに突起に引っかかってコケたりしながらも
彼は一心不乱に天使の下へ歩み寄っていった。
倒れているミーシャの傍まで接近すると、一方通行は魂が抜けたように
その場で膝を折って屈んだ。
ミーシャの肢体は悪魔の時のような黒ずんだ色ではなく、天使の頃の
美しい白色に戻っていた。
これで悪魔を追い払ったことにはなっただろうが、その肉体はミーシャのものであるため
一方通行の攻撃によるダメージと自我の崩壊と暴走により消耗でこのままミーシャが消えてしまってもおかしくはなかった。
その不安要素が、彼の胸を潰さんと圧迫する。
しかし、そんな懸念は不要だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・igs貴方pdif」
その声を聞いた瞬間、一方通行は深い深い溜息をついて仰向けに倒れた。
天使は無事。悪魔を取り除き、天使だけを残すという快挙は達成された。
吸い込まれそうな闇が広がる夜空を見つめながら、一方通行は心の底から思った事を呟いた。
「・・・・・・・・・・・・良かった」
「―――――――――、」
「良かった・・・・・・あァ、良かった。 ちくしょう、クソったれが・・・・・・。
ざまァみやがれこの野郎・・・・・・・・・・・・。 く、かか・・・・・・!」
声は震えていた。涙は、流れない。ミーシャが真相を告白した時に流し尽くしたのだろうか。
しかし彼の表情は非常に清々しい、歳相応の無垢な笑顔で彩られていた。
「・・・・・・・・・・・・痛かったろ。 遠慮無く本気でぶン殴らせてもらったからなァ」
「mvhrei平気opxuy大丈夫xafujddh」
「ハッ・・・・・・、やっぱ何言ってンのかわかンねェンだよ、バーカ。 くく・・・・・・」
何が可笑しいのか自分でもよく分からなかったが、彼は頻りに笑い続けた。
嬉しさや安堵感、達成感がゴチャ混ぜになった感情を吐き出すようにただただ笑い続けた。
人間、何もかもが空っぽになったらこんな風に笑ってしまうものなのだろうか。
ミーシャはよろよろと体を起こし、笑い続ける彼の頬を優しく撫でる。
「csuf貴方swqih」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・あァ?」
「ありがとう」
「・・・・・・・・・・・・『これからもよろしくね』が抜けてンぞマヌケ」
と、仰向けの一方通行の視界に逆さまな視点で人影が映った。
それはひび割れた眼鏡越しでも確認できるほど大粒の涙を流しながらやってくる、
一方通行をずっと支え続けて来てくれた『天使同盟』に欠かせない人材。
「couv氷華otvbs」
「天、使さん・・・・・・・・・・・・、ううぅ・・・・・・!!」
風斬氷華は五体満足のミーシャを見るやいなや、一直線に断層を駆け下りて
水の天使を思い切り抱きしめた。
嗚咽が混じって何を言っているのか分からない人工天使を見て、天使も人工天使も似たようなモンだなと
一方通行は苦笑する。
「うっ・・・・・・うう・・・・・・ぐすっ。 良がっだぁ・・・・・・本当に・・・・・・ふええぇ・・・・・・」
「uyoanm大丈夫aqvpcmye」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
そんな天使達の抱擁を眺めていると、一方通行の脳裏に漠然とした新たな懸念がよぎる。
よく考えてみれば、この天使の救出という『天使同盟』最大のミッションはまだ終わってないのではないか、と。
【次回予告】
『・・・・・・まだ「星の欠片」の件が残ってンだ。 ガブリエルもそれが分かってて、この夜空を元に戻してねェンだろ』
―――――――――――『天使同盟(アライアンス)』のリーダー・一方通行(アクセラレータ)
『投擲って、何を投げるの』
―――――――――――英国三派閥の一つ『王室派』第二王女・キャーリサ
『「星の欠片」の正確な位置って・・・・・・どうやって調べればいいんでしょうか・・・・・・?』
―――――――――――『天使同盟』の構成員・風斬氷華
『仮に投擲物も「星の欠片」の位置の問題も解決したとして、誰がそんなモンを
宇宙まで投げ飛ばすのよ。 ハンマー投げか槍投げの世界ランカーでも今から呼んでくるワケ?』
―――――――――――ローマ正教、禁断の組織『神の右席』の元一員・前方のヴェント
最大級の安堵の直後に襲いかかってきた懸念材料に
科学サイド最高の頭脳で思考を巡らせていると、頭上から何人かの声が聞こえてきた。
断層の崖からヒョコっと顔を覗かせてきたのは、
「・・・・・・・・・・・・あァ!? オマエ、ヴェント、なンでここにいるンだよ!?」
「もう飽きたわよそのリアクションは。 ・・・・・・数時間ぶりね、白いの」
風斬氷華が『数多くの仲間が駆けつけて来てくれている』的な事を言っていたのは覚えていたが、
さすがにロシアで別れたばかりのヴェントまでもが学園都市に来ているとは一方通行も予想だにしなかった。
ヴェントの後ろからはキャーリサ、騎士団長、アックア、そして神裂火織も居る。
「女子寮にいた"露出星人"までいやがるじゃねェか。 天草式だったか、暇だなァオマエも」
「私は"星人"ではなく"聖人"ですし、この衣服は魔術的要素が含まれてるって
何度説明すればいいんですかこのド素人が」
こめかみに青筋を浮かべてひくひくしている女教皇を、一方通行は
傍にしゃがみ込んできたヴェントに頬をツンツン突付かれながら見つめる。
見れば神裂だけでなく、ヴェントもアックアも騎士団長も痛々しい傷をその体に負っていた。
一体誰と戦ってたンだと一方通行は眉をひそめたが、もうそんなことはどうでもいい。
傍に屈んでいたヴェントが立ち上がり、未だに泣き喚く風斬を宥める天使を見ながら言う。
「にしても、ホント派手に暴れたわねアンタ。 地球を真っ二つにする気かよ」
「・・・・・・まァそこは置いといて、ヴェントよ。 オマエこのアングルだと
パンツがモロ見えだぞガフゥッ!!?」
耳まで真っ赤に顔を染めロングスカートを押さえながらヴェントは一方通行の顔を踏みまくる。
その手の方々の業界ではご褒美でしかない攻撃を喰らう第一位を横目に騎士団長とアックアが
口を開いた。
「本当に天使の救出を成し遂げてしまうとはな・・・・・・。
『天使同盟』、会った時から思っていたがやはりとんでもない連中だ」
「・・・・・・・・・・・・待つのである。 あの『手紙』に書かれていた事が事実なら、
ミーシャ=クロイツェフの暴走を止めただけでは救出には至らない」
「その通りだし」
彼らの会話に全身ズタボロになった第二王女が割って入る。
「おいウサギ、お前も気付いてるんだろう? まだこの救出劇は終わってないの」
「ガハッ、グフッ!!! ・・・・・・あ、あァ、まだ終わってねェ」
顔に夥しい数の靴跡を残した一方通行の言葉に、風斬の嗚咽がピタリと止まる。
一方通行は辛そうに体を起こし、"未だに続いている偽りの夜空"を眺めた。
「・・・・・・まだ『星の欠片』の件が残ってンだ。 ガブリエルもそれが分かってて、
この夜空を元に戻してねェンだろ」
一方通行の言葉を聞いて、全員が天使の方へ視線を向けた。
そう、ミーシャ=クロイツェフの暴徒化は鎮める事が出来たが、まだ『天使の消滅』という危機は
解決に至っていない。
『星の欠片』。ベツレヘムの星の残骸にあるミーシャの『儀式場』を守らなければ、
結局ミーシャはこの世から消え去ってしまうのだ。
風斬はそれまでとは一転し、一気に不安げな表情を浮かべる。
「え、と・・・・・・確かロシアを発った時、学園都市は午後二時頃でしたよね?
エイワスさんの予測では『夕刻前』までに『星の欠片』をどうにかしないと
天使さんは消えちゃうって・・・・・・・・・・・・」
「エイワス?」
人工天使の口から出た謎のワードにイギリス組の四人が首を傾げるのを見て
風斬はギクッと体を強ばらせたが、一方通行が間に入って自然に流した。
「大体二時間程度を時間制限に想定して俺達はここに戻ってきたンだ。
・・・・・・・・・・・・オイ、今何時だ?」
「日本時間で午後四時半前」
まだ顔の紅潮が直らないヴェントが携帯電話を取り出して答える。
「そんな! とっくにタイムオーバーじゃないですか・・・・・・、ってあれ?」
「あァ、ガブリエルが悪魔になっちまった時に『天体制御(アストロインハンド)』とかいう
馬鹿げた魔術を使用してる。 それの影響で太陽系のどっかの惑星が動いちまった。 多分『月』だろォな。
『天体制御』で月を動かす時に『星の欠片』がぶっ飛ンじまうよォな事は無かったみてェだが・・・・・・。
ガブリエル、オマエ今も無理して『天体制御』を維持してるだろ」
ミーシャはしばらく固まったままだったが、やがてゆっくりと首を縦に振った。
周囲から息を呑む音がした。だとすればここから先、『星の欠片』をどうにかして
保護するまでミーシャは本来使えなくなった『天体制御』を無理を押し通して行使し続けなければならない。
だが例えそれが天使という存在を脅かすような無茶であろうと、ミーシャは『天体制御』の使用を止めない。
彼女は願ったのだから。一方通行と、『天使同盟』と、世界を回って出会った数多くの友達と、
これからもずっと触れ合っていたいと。
「だからこいつが月をよそに移動させている間に宇宙空間にある『星の欠片』の位置を把握し、
なンらかの方法で儀式場を保護するしかねェ」
「手はあるのか」
騎士団長の言葉に一方通行は押し黙る。
正直に言うと、無いわけではなかった。一方通行はここまで会話を続けながら
『星の欠片』の保護方法を必死で考案していたのだ。
にも関わらず騎士団長の言葉に応じないのにはワケがあった。
確かに『方法』はある。だがそれを実行するための『手段』が今の一方通行には無かった。
白髪の少年は重々しく口を開いた。
「・・・・・・投擲だ」
「?」
「宇宙にある『星の欠片』の位置を正確に把握して、その儀式場の位置する場所に
"何か"を投擲して接触させ、分離する。 儀式場を太陽から離しちまえば残りの欠片が
どォなろォが知ったこっちゃねェ。 とにかくガブリエルが現世に居続けられりゃいいンだからな」
全員が唖然とした表情を浮かべるしかなかった。
無理というか無茶というか無謀というか、一方通行が提案した方法は無策も同義だとしか思えなかった。
『星の欠片』目掛けて何かを投擲し、その衝撃を利用して上手いこと儀式場だけを
欠片から分離させる。
確かに理論上なら可能・・・・・・という境界線に何とか入れる事が出来る方法だ。
学園都市で開発された頭脳は、やはりその他の人間とは違うぶっ飛んだ発想が出来るらしい。
しかし口だけならいくらでも成功できるものの、実際にやってみようとなると
話は全然違ってくる。
「投擲って、何を投げるの」
キャーリサがその場に居る全員の疑問を代弁した。
重要な問題点の一つだ。そこらにあるビルの瓦礫や空き缶などを適当に投げても
大気圏に阻まれて一瞬で消失してしまうだろう。
まだ問題点はある。
「『星の欠片』の正確な位置って・・・・・・どうやって調べればいいんでしょうか・・・・・・?」
見た目では分かりづらいが疲労困憊に陥っているミーシャに寄り添いながら、今度は風斬が質問した。
例え大気圏の熱に耐えられる投擲物を得たとしても、それを正確に『星の欠片』の儀式場に
当てるとなると、やはり『星の欠片』の位置は完璧に、正確に知っておかなければならない。
恐らく一センチのズレも許されない精密な作業が要求されるだろう。
「仮に投擲物も『星の欠片』の位置の問題も解決したとして、誰がそんなモンを
宇宙まで投げ飛ばすのよ。 ハンマー投げか槍投げの世界ランカーでも今から呼んでくるワケ?」
「・・・・・・それは俺がやる。 俺の『ベクトル操作』があればその点については解決できるはずだ」
熾烈な戦闘が続いたせいで疲労が窺える表情を見せるヴェントの疑問には一方通行が答えた。
彼に最適な投擲物を与え、彼の脳に『星の欠片』の座標情報を一つの間違いもなく送ることが出来れば、
十中八九この作戦は成り立つ。
いや、十中八九は言い過ぎだ。どう考えたって成功率は一桁、いや小数点以下だろう。
ここまで述べられた通り、この作戦を実行するにはあまりにも必要材料が足りなかった。
やはり天使という偉大な存在を救うという事は容易ではない。幾つもの無理難題が要求される状況を前に、
一方通行はただ思考を巡らせる他なかった。
「・・・・・・魔術的観点を拝聴してェな。 魔術サイドの人間なら『星の欠片』をどォ保護する」
神裂が複雑な表情を見せながら一方通行の質問に答える。
「『ベツレヘムの星』の再構築が可能なら、『星の欠片』を逆に呼び戻せるかも知れません。
欠片も元は『ベツレヘムの星』の一部。 あの要塞は十字教に縁のある教会等を寄せ集めて
構成されたものですので、『ベツレヘムの星』を再構築し、要塞が正しく機能すれば・・・・・・」
言いかけて、神裂は首を横に振って自身の意見を否定する。
「・・・・・・駄目ですね。 再構築した『ベツレヘムの星』は第三次世界大戦時に構成された
要塞とは全くの別物と認識されるでしょう。 それでは自動修復機能を用いて
『星の欠片』を呼び戻す事は出来ません」
「他には何か無いのか? 天使をしばらく現世に維持出来るよォな術式とか、霊装とか。
とにかく『星の欠片』が保護出来りゃいいンだ。 欠片をこっちに持ってこれるよォな
方法は魔術サイドには無いのかよ?」
キャーリサはミーシャが維持し続けている夜空を仰ぎながら答えた。
「欠片とはいえ『ベツレヘムの星』。 あれは相当な質量を誇る怪物要塞なの。
現時点の十字教に則った魔術や霊装であの質量の物質を大気圏内に持ち込む
方法は存在しないし。 それは科学サイドでも言えることだと思うけど」
「・・・・・・・・・・・・ちくしょうが。 結局、投擲作戦で事を運ぶしかねェってわけか」
じわじわと滲み出る重い雰囲気がこれ以上の相談は無意味だと暗に示してくる。
魔術サイドでも手に負えない案件を、果たして科学サイド主体の作戦で解決できるのか。
もしくは、魔術と科学が交差した『第三の概念』でも存在すればまだ活路が見い出せるかも知れないが―――。
だから一方通行は全く考慮していなかった。
アレイスターとの激突で散り散りにされた後、音沙汰のなかった『天使同盟』の一員が、
その『第三の勢力』の概念をこさえてやってくるなんて。
「ッ。 ステイル!! ―――――――!」
神裂が言葉を詰まらせた。彼女の視線の先には戦闘による疲れとはまた違う、
様々な要因が混ざり合って出来た疲労を表情に浮かべながらこちらに歩いて来るステイルと、
「垣、根・・・・・・・・・・・・?」
「垣根さん・・・・・・!?」
「――――――――、」
血の池地獄にでも飛び込んだのかと言いたくなるような血塗れの姿。
誰がどう見ても瀕死状態に陥っている垣根帝督がいた。
一方通行は垣根を視界に収めるやいなや、一直線に彼の下へ駆けつけた。
信じられない光景だった。
第一位ほどとはいかないまでも、垣根帝督は学園都市第二位を誇る超能力者だ。
そんな彼をここまでボロボロにするような相手など、一方通行が思い当たる人物は一人しか存在しない。
「オマエ、なンだよこのザマは・・・・・・? まさかあの後、アレイスターの野郎と
殺りあったのか? でなきゃオマエがここまでやられるなンて、」
「・・・・・・彼自身だよ。 垣根帝督本人が、彼をここまで傷つけたんだ」
瀕死の垣根の代わりにステイルが答える。
しかし彼の言葉の意図が一方通行には全く理解できなかった。
ステイルは続ける。
「・・・・・・・・・・・・あの子の、インデックスという少女の頭の中に保管されている
一〇万三〇〇〇冊の魔道書。 それを自由自在に引き出せる遠隔制御装置を
酷使したんだ。 ・・・・・・能力者である上に『原典』の毒だ。 生きている方がおかしい」
それを聞いて驚愕したのは一方通行ではなく、キャーリサと騎士団長、そしてアックアの三人だった。
キャーリサはともかく、騎士団長とアックアは第三次世界大戦終結後にその霊装の存在を耳にしている。
実際に聞いても眉唾ものではあったが、垣根の姿を見ればそれが原典をそのまま使用してしまった
人間の成れの果てであるということは理解できた。
「馬鹿、な。 ・・・・・・なんで学園都市の人間があの霊装を所持している!?
それは第三次世界大戦時に上条当麻がフィアンマの持っていたその霊装を
破壊したはずなの! そんなものがまだもう一つこの世に存在して・・・・・・」
「僕の予想ではエイワスが一枚噛んでいる。 あの化物がイギリス清教から
何らかの方法で入手、いや、くすねたに違いない」
またしても出てきたエイワスというワードにキャーリサ達は怪訝な顔を見せる。
対して、一方通行は奥歯を噛み締めていた。先ほどステイルの口から出てきた
『原典』という言葉。一方通行は知っている。
原典とは見た人間を廃人に、下手をすれば死に追いやるような碌でも無い代物であるということを。
ロシアに向かっている時に船の中でエイワスがそんな事を言っていたのを彼は覚えていた。
それを垣根帝督が酷使したということは。
「垣根、オマエ『魔術』を・・・・・・・・・・・・!!!」
「・・・・・・・・・・・・はは、何だよ第一位、その情けねえツラは。
お前だって使った事あんだろ? お前に出来て俺に出来ねえ事なんか・・・・・・」
垣根の言葉が途中で途切れた。彼が突然激しく咳き込み、口から夥しい量の
血を吐き出したからだ。
それを見た一方通行と風斬の顔が青ざめる。あのいつも不敵に構えている、
時にはふざけた調子を出して『天使同盟』内で明るく振舞っていた垣根帝督はどこへ行った?
「・・・・・・ミーシャの方は、テメェが片をつけたみてえだな。 ・・・・・・まあ、
お前ならやれるって思ってたけどよ。 だから、こそ・・・・・・げほっ、・・・・・・。
『コレ』、持ってきたわけだし・・・・・・・・・・・・」
もはや呼吸をしているのかも分からないような状態で、垣根はステイルから離れて
片手を軽く上げる。
その手には、一本の槍が握られていた。
「dhid氷華pafne」
「は、はい・・・・・・」
ミーシャが垣根に指をさす。彼の下に連れていって欲しいと言っているのだろう。
風斬は優しくミーシャを支える。そしてそのまま手を貸しながらゆっくりと歩いていった。
「ckocs帝督oaucsklo」
「あ、ぁ・・・・・・? ああ・・・・・・お前か。 ったく、お前のせいだぞ・・・・・・
こんな祭りみてえな事になったのはよぉ・・・・・・」
「―――――――――、」
「うわ、・・・・・・何だよ。 暑苦しいんだよテメェ」
ミーシャは垣根の手を握ると、血塗れの彼の体を思い切り抱き寄せた。
言葉は話さず、水の天使はただ垣根の頭を撫で続ける。
天使を守りたい、『天使同盟』という居場所を守りたいという垣根の気持ちが
ミーシャにも充分過ぎるほど伝わっていた。
言葉には出来ないが、代わりにこうして抱擁することで彼に精一杯の感謝を贈る。
「あー・・・・・・、天使の抱擁ってのも悪くねえな。 このまま天に召されそうだわ」
「縁起でもない事言わないでください・・・・・・!」
風斬が震えた声でそう言った。大切な仲間がこんなにも痛々しい姿になって
帰ってきたことに、彼女はひどく悲しんでいた。
ただ天使という仲間を救って元通りになりたいだけなのに、どうしてこんな目に遭わなければいけないのか。
そこらの人間より『心』の優しい風斬は色々な感情をゴチャ混ぜにしながら涙を流す。
そんな状況の中、垣根帝督は儚い笑みを浮かべながら、
「・・・・・・・・・・・・良いなあ、こういうのも」
垣根はミーシャの胸からゆっくり顔を離すと、複雑な顔をした一方通行に
槍を携えた手を差し出した。
「・・・・・・宇宙にある『星の欠片』に向かって、テメェがこいつをぶん投げろ。
『星の欠片』に施されてる防御術式は・・・・・・全部俺が計算しておいた、これなら通じるはずだ」
一同は絶句した。垣根が持っている槍を宇宙空間に漂う『星の欠片』に向かって投げろという。
それはまさに、さっき一方通行が提案した『星の欠片』を保護する方法と全く同じものだった。
第一位と第二位。極めて近しい立場にある二人は、考える事も似るのだろうか。
一方通行は何も言わず、垣根から槍を受け取る。
全長約一五メートル。槍というだけあって、その先端部には鋭利な刃物が確認できる。
恐らく『未元物質(ダークマター)』を用いて作成したのだろう、槍の柄から刃先まで、
無機質な白色に染まっていた。
それだけならその辺にある普通の槍とあまり変わりはない。
ただ、槍の刃の部分。正確には刃から少し下の部分が大きく異なっていた。
それは、一言で言うなら『翼』。
刃の下から柄の中央部辺りまで、思わず圧倒されてしまいそうな程に美しい翼が、
複数枚ほど螺旋状に巻かれるように装飾されていた。
翼の色は様々で、それは黒であったり白であったり、雷光が走りそうな鋭い翼であったり、
より一層輝く青白いプラチナの輝きを放っていたり、水晶のような形をしていたり。
つまり、『天使同盟』の構成員を模したような、そんな装飾だった。
「カッコイーだろ? 名前は・・・・・・ええと、何でもいいか。
俺、案外芸術家とか向いてるかもなあ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・なンで、」
「?」
「なンで・・・・・・」
垣根から受け取った翼の槍を眺めながらそう呟く第一位に、
第二位はふん、と鼻で笑いながら応える。
「『なんで皆に黙って魔術なんて使いやがった』、ってか?
・・・・・・別に。 お前が生意気に魔術を使ったことがあるって聞いて、
ちょっとムカついた。 それだけだ」
「・・・・・・・・・・・・」
「それに、・・・・・・・・・・・・言ったらテメェら止めるだろ」
垣根の発言は見当違いだった。一方通行が言いたいことはそんな事ではない。
確かに垣根が魔術を使用していると知ったら一方通行も風斬も怒鳴り散らして止めていただろう。
能力者が魔術を使えばどうなるか、彼らは知っているのだから。
けど、一方通行は知らなかった。気付けなかった。
いつも近くに居た垣根帝督の無茶に、自分は気付けなかった。
(・・・・・・ここまで来ると、鈍感じゃなくて痴呆だな。 ・・・・・・情けねェ)
一方通行は自分に呆れていた。ミーシャの真意に気付けず自分の鈍感さを痛感しながら、
更に垣根帝督の事も気付けない自分に。
言葉を発する事が出来なかった。ありがとうも、すまなかったも、この馬鹿野郎も無い。
ただ、
「・・・・・・・・・・・・無事で良かった」
「はあ? ・・・・・・・・・・・・、」
一方通行が漏らした本音に、垣根の我慢の限界が訪れた。
彼はププッと吹き出して、腹を抱えて笑った。
くつくつと、その笑い声にも最早力が無かったが、それでも彼は笑った。
「・・・・・・・・・・・・ったく、お前でもそんな事言うんだな。
あー気持ち悪い、勘弁してくれ。 それがお前の本音か?」
そして垣根は一頻り笑い終えた後、
「じゃあ俺も心の底から思ってる事を言わせてもらうけどよ」
頭を垂らしながら一方通行の眼前まで歩み寄り、槍を携えている手に重ねるように
一方通行の手を握った。
垣根は項垂れたまま一方通行の胸に頭を預けて、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・頼む。 俺の、俺達の居場所を守ってくれ」
垣根は唇を震わせながら、体を震わせながら、決して一方通行に表情を見せず言った。
二人の足元に雫のようなものが地面に落ちたが、誰も気付かない。
「俺、・・・・・・俺、もっとお前らと一緒に居てえんだよ・・・・・・。
お前らとずっと一緒にいたいんだ。 一緒にメシ食ってどっか出掛けたり
・・・・・・・・・・・・普通に、普通に過ごしてえんだ」
過酷を極める戦闘で受けたダメージのせいか、原典による毒と激痛でそんな些細なことに構う暇も無かったか、
今の垣根にはもう、第二位としてのプライドや彼の中にあった自尊心などは存在しなかった。
大勢の人間の前で弱々しい声を放つ事への羞恥心も、かつて自分を地獄の底まで引きずり落とした
一方通行に自分の想いを全て曝け出す事への抵抗感も、全て粉砕されていた。
「ミーシャを救えば・・・・・・またお前らと過ごせるんだろ・・・・・・?
だったら頼む、ミーシャを救って、俺も救ってくれ・・・・・・・・・・・・。
お前にしか出来ねえんだよ。 お前にやってほしいんだ」
時折嗚咽を交えながら、垣根は一方通行の胸に頭を押し付けて懇願した。
「これからもずっとお前らと・・・・・・馬鹿やって生きていきたいんだ・・・・・・」
その言葉を最後に、垣根の体から急激に力が抜けていった。
地面に向かって倒れる彼を一方通行は慌てて支える。
気を失っているのならこの槍は消えるはずだが、極度の疲労で寝てしまったのだろうか?
ともあれ、槍が無事なら垣根も無事であると今は信じるしかない。
一方通行はだらりと地面に置かれた垣根の手をギュッと握って
彼の心に直接声を掛けるように囁いた。
「・・・・・・・・・・・・任せとけ。 必ずガブリエルもオマエも救ってみせる」
一方通行はステイルに垣根を任せると、ゆっくりと膝を起こして立ち上がる。
右手には、垣根帝督という一人の男から託された槍がある。
垣根が『禁書目録』から引用した知識で作った槍が、果たして『星の欠片』の保護を完遂出来るのかどうかは
魔術的知識がほぼ無い一方通行にはまったく分からなかったが、彼は一切疑わなかった。
これで、ミーシャを救う鍵の一つは手に入った。
「あとは、『星の欠片』の位置をどうやって捉えるか、ですね・・・・・・」
神裂の言葉を聞いて、皆が夜空を見上げる。
見上げている空のどこかに『星の欠片』はあるのだろうか。
今彼らが立っている大地の真下、地球の真裏にでも移動されていたら状況は一気に厳しくなる。
この水平線から一八〇度、そのどこかに存在していなければ
恐らくこの方法は成り立たない。
運も絡んできた『星の欠片』の保護作戦。槍を持つ一方通行の右手に汗が滲む。
(どォする。 ・・・・・・どォやって『星の欠片』の位置を把握する?)
闇雲に投擲したところで『星の欠片』に当たる可能性は限りなくゼロに近いだろう。
垣根が作った槍があと一〇〇万本くらいあれば適当に投擲して・・・・・・、それでも当たらないかもしれない。
問題はまだある。この作戦にはかなりの精密さが要求される。
槍を『星の欠片』にただ当てるだけでは駄目なのだ。欠片の更に一部、ミーシャの存在を維持している
儀式場。そこを全く傷つけずに欠片から突き離さなければならない。
もし全く違う場所に当たってしまえばそれで終わりだ。もう垣根に『原典』の海に飛び込む体力は残っていない。
天使を救う槍は、二度と作れない。ミーシャの精神力にもいずれ限界は訪れ、『天体制御』は解除される。
そうなれば後は『星の欠片』が太陽に飲み込まれ、ミーシャはこの世から消失してこの物語は幕を閉じる。
もし儀式場そのものに当たってしまったら、それは最悪のケースだ。
一方通行のベクトル操作によって投擲された槍は儀式場の中の『柱』を粉々に破壊し、
ミーシャは最後の言葉すら残せず一瞬で消え去ってしまうだろう。
エイワスに頼るという手もあるが、その本人は今この場に居ない。
大体の予想はつく。恐らくアレイスターと相対しているのだろうと一方通行は思った。
相手があのアレイスターなら、こちらの状況に構っている暇はないだろう。
そもそも協力してくれる保証もあの金髪の怪物相手には存在しない。
垣根が命を削って作り上げた鍵を手に入れても、まだまだ問題は山積みだった。
一方通行の心に再び焦燥という名の津波が押し寄せてくる。
風斬もヴェントも、キャーリサも騎士団長もアックアも、神裂火織もステイルも、
皆が必死で思案を巡らせて解決策を模索していくが、閉口の状態が続くだけだった。
ここまでやって、ここまで戦い抜いて最後に駄目でしたでは納得いくはずもない。
何でもいい、誰でもいいから何か策は無いのかと一方通行は本気で願った。
そんな時だ。
「?」
不意に一方通行のポケットから鳴り渡る電子音が、この重苦しい沈黙を破ったのは。
――――――――――――――――――――――
「・・・・・・・・・・・・黒・・・・・・」
ミーシャ=クロイツェフの『天体制御(アストロインハンド)』によって彩られた
偽りの夜空に向かって、仰向けでぐったりと倒れているアレイスターは手を伸ばす。
夜。空を染めるその一点の淀みもない黒は、アレイスターが最も崇拝した神『セト』を象徴する色。
一方通行に降臨したセトが、果たしてアレイスターが作った『虚数学区』のセトなのか、
それとも"本物の星幽界"から現世に降り立ったセトなのか。今となってはもう判断出来ない。
でも、それでも、アレイスターは素直に一方通行が羨ましいと思った。
一方通行に対して悔しさが込み上げてくる。『天使同盟』なんて滅んでしまえと悪態をつきたくなる。
同時に、そんな事を思う自分のなんと子供っぽいことかと、アレイスターは自分に苦笑する。
全身に満遍なく瀕死の重傷を負ったアレイスターと同じように空を仰いでいるだけで、さっきから物を言わないエイワスに
彼が話しかけた。
「私に止めを刺さないのか? 結局AIMの結晶に戻ってしまったとはいえ、
今のあなたなら容易に私を始末出来るはずだろう。 ・・・・・・こうしてまた
第一九学区周辺の境界線を弄って・・・・・・、まったく。 どこまでも周到だなあなたは」
一体いつからそうなっていたのか。
セトによって破壊されたはずの光のカーテンが、いつの間にか金髪の怪物の手によって
再び第一九学区にオーロラの如く展開していた。
そしてエイワスの容姿は"いつも通り"の、綺羅びやかな金髪にゆったりとした白い装束、
喜怒哀楽全てが詰まっているフラットな表情を浮かべる『ドラゴン』へ戻っていた。
少し前、アレイスターを戦闘不能にした『聖守護天使(アウゴエイデス)』としての真の姿は、
それを直に見たアレイスター本人にしか分からない。
「君をこの場で葬ってみる。 それもまた一興だが、今の学園都市にはまだ君が必要だろう。
この街は面白い。 一方通行から始まった私の好奇心をどんどん膨らませてくれる。
それに、ここで仮に君を殺すとすれば今度はローラ=スチュアートも葬らねばなるまい。
イギリス清教は君の処刑を確認すれば必ずその財産や地位を奪い取りに来る。
権限もあるしな。 と、なると『天使同盟』はイギリス清教も滅ぼさなければならん。
一方通行達が承諾してくれるわけがないし、私もまだ彼ら"玩具"を弄って遊んでいたいしな。
・・・・・・君も、またいつか完全に舞台が整った時、『ホルスの永劫』を私に見せて欲しい」
「・・・・・・そうか。 だが『天使同盟』はここで終幕だな。 人間では天使を救えない。
『星の欠片』の保護、欠片に魔術と科学を融合させた槍を投擲して儀式場を
宇宙を彼方へ"退避"させる・・・・・・か。 ふ、夢物語だな」
アレイスターは一方通行と垣根帝督による『星の欠片』の保護方法を把握していた。
何故かというと簡単な話、そこにいるエイワスが一から一〇まで全部アレイスターに話したからだ。
バラしてしまっても問題ないとエイワスが踏んだ事もあるし、それを聞いてもアレイスターにはどうしようもない。
だがアレイスターは言う。そんな方法では『星の欠片』の保護は無理だと。
即ち、『天使同盟』はこの日を以て終了。欠片は『歳月の船』に飲み込まれ消失する。
そして、ミーシャ=クロイツェフも。
「夢物語、か。 ・・・・・・それはどうかな、アレイスター」
「何?」
「言っただろう? 私も『天使同盟』の一員だと。 『天使同盟』である以上、
私も全力でミーシャ=クロイツェフを守るためにせっせと働くさ」
その言葉に、アレイスターは酷く嫌なものを感じ取る。
しかしエイワスは構わず続けた。
「今回の『茶会』、まずイギリス清教の魔術師が学園都市に侵入した所から既に始まっていた。
そしてミーシャ=クロイツェフがこの学園都市に乗り込んだ。 君を止めるためにね。
その後、一方通行と風斬氷華、垣根帝督が君の前に立ちはだかる。 ・・・・・・・・・・・・さて、
この時点でおかしな点が一つだけあるのだが、君は気付いているだろう?」
言われるまでもなく気付いていた。だがこの時アレイスターが懸念したのはそこではない。
その気付くべき点から連鎖するように、アレイスターの脳裏に『嫌な予感』が迸っていた。
「・・・・・・待て、エイワス」
「そう、私はその時戦闘に参加していない。 かなり遅れて君の前に現れたな。
さて問題、」
「・・・・・・・・・・・・ッ」
仮にアレイスター以外の人物がエイワスの問い掛けをここで聞いていたとしても、
その答えに自力で辿り着くのは不可能だっただろう。
その点、やはりアレイスターは優秀な人間だった。エイワスが答えを提示するまでもなく、
彼は答えに辿り着いたのだ。
考えたくもない、ミーシャ=クロイツェフを救い出せるかもしれない可能性を
生み出したエイワスの行動に。
「私はその間、どこで何をしていたでしょう?」
「・・・・・・・・・・・・エイ、ワス・・・・・・!!!」
ここまで打ちのめされて、更に追い討ちをかけられるとは思わなかった。
アレイスターの前にその姿を現すまで、エイワスはどこで何をしていた?
ヒントは、昨日突如として世界中を襲った大規模な『ハッキング事件』。
エイワスによって乗っ取られていた宇宙空間の全人工衛星は、今はもう元の状態に修復されていた。
そしてその操作権限は―――――。
【次回予告】
『こっちは急にオマエから電話がかかってくるっつゥ素敵なサプライズのせいで
絶賛混乱中なンだよ。 何の用件でかけてきた?』
―――――――――――『天使同盟(アライアンス)』のリーダー・一方通行(アクセラレータ)
続き
とあるフラグの天使同盟【3】