※関連記事
傭兵「この世でお前が一番大事」僧侶「じゃありま……えっ?」【前編】

※前スレ
傭兵「この世で金が一番大事」僧侶「じゃありません」


151 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/09/27 17:37:41.30 A1Mq5vFJ0 123/260


 * * *

 傭兵さんはきょとんとした顔をしながら、それでも剣の回転をやめようとはしません。

傭兵「お前と恋仲になった覚えはねぇ」

 えぇ、えぇ。そりゃそうでしょう。事実ですし。
 ですがわたしの言った浮気者とは、個人的なそれではなく、もっと広義の意味を含んでいます。
 つまるところ、「なに敵に寝返ってくれてんだこのやろう」ということです。

 傭兵さんの刃を拳で弾きます。そこへ魔法使い、儀仗兵が援護に入り、火球と真空波。身を屈めた傭兵さんはその両方を潜り抜け、わたしへと迫ってきました。

掃除婦「僧侶様、お逃げください!」

僧侶「そういうわけにもいかないでしょう!」

 もし傭兵さんがわたしと同じように精神汚染の餌食となっているなら、最低でもわたしと掃除婦さんの二人で解呪をする必要があるのですから。

152 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/09/27 17:39:30.52 A1Mq5vFJ0 124/260


 進入禁止の岩壁が顕現。けれど傭兵さんはそれを蹴り砕いて、それどころか破砕された岩石を器用にこちらへ弾き飛ばし、目くらましとして使ってきます。
 両手にナイフを握った軍人が素早く踊りかかりました。回転数は二刀のほうが断然高いですが、対する傭兵さんの足捌きは尋常でなく、攻撃を全て受けきってなお反撃する余裕まであるのでした。

 一閃が二人の距離を開かせます。そこへ侍の飛び斬撃。十メートル先の壁すら両断する居合いの一太刀ですら傭兵さんには届きませんでした。重力から解き放たれる靴底でもって、既に天井を走っています。
 迎撃の魔法も回避されます。空間を可能な限り立体的に飛び回る室内戦闘において、あの人に追いつける存在などいません。もともと多対一を得手としていたのです。地の利は、残念ながらあちらにあります。

 それでもわたしの怒りは収まりません。あんな女に騙されるなんて! 誘惑されるだなんて!

僧侶「まったく! 情けないです!」

 この怒りは決して理不尽なものではありません。正当な怒り。
 だから、あの人の顔面をひっぱたいてやらないと。

153 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/09/27 17:40:07.18 A1Mq5vFJ0 125/260


 震脚。建物全体が震えるほどに力を篭めての正拳突き。当然の如く避けられカウンターで刃が飛んできますが、それは読み筋でした。既に掃除婦さんがそこへ騎士を配置し、槍の穂先で攻撃を逸らします。

 埒が明かないとばかりに傭兵さんは舌打ちをしました。

掃除婦「僧侶様、背後から四人、接近中」

僧侶「敵ですか」

掃除婦「それはまだ、なんとも。警戒して損はないでしょう、が」

 背後に警戒をしながらで勝てる相手ではないのは百も承知。

僧侶「まずは傭兵さんを一刻も早く。この人より強い人がいるとも思えません」

 この人さえ正気に戻してしまえば、あとにどんな敵が控えていたとしても、負ける気はしませんでした。
 掃除婦さんもそれには同意であるようで、背後へは警戒のための兵士を二体だけ顕現し、傭兵さんを真っ直ぐ見据えます。

154 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/09/27 17:41:33.33 A1Mq5vFJ0 126/260


 壁を走る傭兵さん。火球も真空波も防ぎきって、単身こちらへ突っ込んできます。それが一般人なら愚かもいいところなのでしょうが、生憎、この人は一般人からかけ離れています。
 侍の斬撃を天井に飛び移って回避。爆破呪文が足場ごと破壊しますが、既にそこに彼はいません。

 地上に降り立つと、落下の勢いを保持したままに突進。破邪の剣を一振りして軍人さんのナイフとかち合い、その衝撃をブレーキに、壁へと直角に曲がります。
 吸い付くように壁へと着地した傭兵さんは、廊下においてあるベンチの背もたれへと手をかけ、片手でそれを放り投げてきます。
 その影で移動していることは明白。ですが、わたしの位置からでは、どちらに動いたのかまでは……。

掃除婦「左!」

 声に反応したわたしが振り下ろした拳は観葉植物を打ち抜きました。

僧侶「――!」

掃除婦「避け――!」

 傭兵さんが短機関銃を握り締めてこちらを狙っています。

155 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/09/27 17:42:17.12 A1Mq5vFJ0 127/260


 マズルフラッシュが廊下を激しく照らします。
 銃口から吐き出された弾丸はわたしの眼前に飛び出した騎士の鎧に全て吸い込まれていきますが、一発一発が打ち込まれるたびに、顕現された像はその体積を失って、ついに消失しました。

 短機関銃には明るくありませんが、PMCで採用されているものと同型に思えます。であるならば、フルオート、セミオートの使い分けが可能であり、装填可能弾数は32発。

 横に飛びながらも踏み込みます。短機関銃は比較的取り回しやすい武器ですが、近距離から中距離用。至近距離にもぐりこめればチャンスはあります。それでなくとも短機関銃は弾丸の消費が早いのですから。
 剣を拳で弾きますが、さすがの威力。横から固い部分で受けても骨に響く。
 一旦開いた距離を弾幕が追撃してきます。先ほど投げられたベンチを楯に突撃。後ろから掃除婦さんの操る亡霊たちも追随します。

156 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/09/27 17:43:12.57 A1Mq5vFJ0 128/260


 斬撃がベンチごと軍人の右手首を落としました。軍人はそれでも怯んだ様子を見せず、寧ろ命の灯火が消える前の一瞬か、地を踏みしめて一気に加速。片手で短機関銃を狙いますが、ヘッドショットのほうが僅かに早い。
 その行動を無駄にするわけには行きませんでした。既にわたしは切迫しています。短機関銃は軍人のほうを向いていて、今からこちらを狙うにはタイムラグが多すぎる。

 靴でしっかり床を捉え、全身のばねを使っての回し蹴り。傭兵さんは自ら後ろに飛んで威力を殺しましたが、大きく床をはね、ゴミ箱などを巻き込んで壁へと激突します。
 追撃体制に入ろうとしたわたしたちを弾幕が襲います。おかしい。とっくに32発は超えているはずなのに。
 
 立ち上がった傭兵さんは使い終わった弾倉を投げ捨てます。

僧侶「……隠してあったんですね。その短機関銃も、予備の弾倉も」

 常時ぶら下げていたのでは、白兵戦を主とする傭兵さんのスタイルにとっては邪魔となる。ですが、短機関銃の制圧力は、掃除婦さんを相手取る上では必要不可欠。
 ベンチを放り投げてきたときでしょうか? それとも観葉植物を楯にしていたとき?

 どこまで想定しているのか。どこから洗脳されていたのか。
 ここだけではなく、もしかしたら駐屯所中に仕掛けが……。

157 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/09/27 17:44:24.98 A1Mq5vFJ0 129/260


 そう思った瞬間に、傭兵さんが足を踏み鳴らしました。同時にわたしたちの前後の壁が爆発、濛々と煙を上げて崩れていきます。
 爆発の規模、火炎の量、ともに規模は大きくありません。とにかく視界が悪い。

掃除婦「僧侶様!」

僧侶「大丈夫です! けど、これは……!?」

掃除婦「恐らく爆弾を仕掛けていたのでしょう! 掴まってください! バックトラックで逃げます!」

 確かに、こんなに視界が悪く、何より傭兵さんの仕掛けがあるかもしれない場所で戦うのは恐ろしすぎます。
 当然心残りはありましたが、それを何とか振り切って、掃除婦さんの手をとりました。

158 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/09/27 17:45:15.96 A1Mq5vFJ0 130/260


 * * *

 バックトラック――転移魔法の先は食堂でした。帰省していない兵隊さんたちがおおよそ三、四十人、疲れた顔で座っています。

掃除婦「ご苦労様でございます」

兵隊「あ、ご苦労様です」

 掃除婦さんの姿を見つけた兵隊さんたちは、ぱあっと顔を明るくしました。しかしわたしたちの中に傭兵さんがいないことに気がつくと、複雑そうな表情をします。

 わたしは状況があまり理解できていませんでした。これは一体どういうことなのでしょう。傭兵さんが洗脳されたことと、この篭城染みた態勢には、関係があるのでしょうか。
 きょとんとしていることを気づかれました。掃除婦さんは兵隊さんたちを呼び集め、ホワイトボードの前に立つと、状況の確認をかねたブリーフィングを始めます。

掃除婦「現在我が軍は未曾有の危機に陥っていると言っても過言ではありません」

掃除婦「正体不明の魔族による精神汚染。現在、五名の罹患が確認されています」

 五人? 傭兵さんだけでなく?
 集まった兵隊さんたちを見回せば、将校さんと、一緒にお酒を呑んでいた三人の姿がないことに気がつきました。

159 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/09/27 17:45:58.76 A1Mq5vFJ0 131/260


掃除婦「私と僧侶様は傭兵様と遭遇、戦闘の後バックトラックでたったいま戻ってきました。将校様、及び兵隊三名と遭遇した者の話を聞きたいのですが、どなたか」

兵隊「はい」

 と手を上げた兵隊さんが喋り始めます。

兵隊「フタサンマルゴー前後に、便所へ行こうとしていたところ将校殿と遭遇、軽く会話を交わしていたところ、襲われたものであります」

掃除婦「様子はどうでしたか」

兵隊「理性を失ったようではなかったです。まとも、と言うと語弊があるのかもしれませんが、受け答えは至極真っ当で、目も淀んでおらず、精神干渉によく見られる混濁症状はなかったと思います」

掃除婦「なにか、きっかけは」

兵隊「こちらの行動がスイッチになったかどうか、判断はできないというのが現状であります。ただ、将校殿はこう言っておられました」

兵隊「『カグヤ姫と結婚するのだ』と」

160 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/09/27 17:46:35.70 A1Mq5vFJ0 132/260


 「あの」と声を上げて、女性の兵隊さんが手を上げました。

兵隊「あたしの方も、同じことを言ってました。あの三人……『僧侶様を殺せば、カグヤ姫が結婚してくれる』って」

兵隊「将校と同様に意識の混濁は見られなかったと思います。いつもどおりの雑談を三人でしていたように思います。そのあと普通に、本当に普通に、挨拶ついでって感じで、拳銃を向けてきて……」

 兵隊さんの肩には包帯が巻かれ、血が滲んでいました。その際の怪我なのでしょう。

 掃除婦さんは思案顔でうなずきます。

掃除婦「傭兵様……ボスもほぼ変わりません。『カグヤ姫』『結婚』というキーワードは出てきております。混濁症状もない。やはり、五名は同じ魔族に洗脳されたと見て間違いなさそうですね」

掃除婦「とりあえず、目標の呼称をこれより『カグヤ姫』と設定、以後使用します。最終目的は目標の撃滅、及びボス含む五名の洗脳解除。これに異論のある方はいらっしゃいますか」

 誰も声を発しません。それを同意と受け取って、掃除婦さんは一旦話を打ち切りました。

161 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/09/27 17:47:55.79 A1Mq5vFJ0 133/260


掃除婦「ひとまず五人一組の班を作成しましょう。これは生活班でもあり、作戦行動班でもあります。当面は最終目的達成のため、退魔陣の起動を第一義とした作戦立案に移ります。よろしいですね」

掃除婦「それでは班作成に移ってください。その後各班ごとに基地内哨戒、索敵を行います」

 手馴れた様子で点呼、整列、班作成を行う兵隊さんたちから掃除婦さんは視線をこちらに向けました。そして柔らかく微笑んで、

掃除婦「お待たせいたしました。よくわからないこともあるでしょうが、追って説明いたします」

掃除婦「フタサンマルゴー……二十三時五分ごろ、まず将校様の様子がおかしいと言う連絡が来ました。それとほぼ時を同じくして、三人の兵隊も同様に、仲間であるはずの我々へ牙を剥きました」

掃除婦「状況がおかしい。しかし連絡をしても傭兵様には連絡がつかない。そうして基地内を探し回っているうちに、僧侶様と傭兵様に出会ったのでございます」

 ということは、わたしと出会って時点で、掃除婦さんはやはりある程度事態に予測がついていたのですね。傭兵さんに油断をしなかったのも、だから。

162 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/09/27 17:49:18.23 A1Mq5vFJ0 134/260


僧侶「でも、どうなっているんでしょう。カグヤ姫、でしたっけ?」

掃除婦「どうなっているとは」

僧侶「いえ、洗脳の条件、です」

 精神汚染や精神干渉を初めとした洗脳には、さまざまな手段があります。条件付け、家畜化、四肢操作など、「どのような洗脳か」と言う問題はそのまま「どうやって洗脳を解くか」という問題にも直結します。
 そしてそれと同じくらい重要なのが、「どのように洗脳したか」という問題です。

 直接頭に触って魔力を流し込むのか、魔方陣の罠を仕掛けるのか、嗅覚や視覚から意識を奪うのか、その方法は多岐にわたりますが、これ以上の罹患者を出さないようにするのなら、対処にも注意しなければなりません。
 カグヤ姫は娼婦として潜入していました。ならば直接肌に触れることは容易だったでしょう。
 しかしそれなら、報告にもあったように、特有の意識混濁が見られるはずなのです。傭兵さんは違いました。自らの意思でこちらに攻撃を仕掛けていた。家畜化でも四肢操作でもない。

 敵が精神汚染のエキスパートであるならば、もしかすればわたしたちの考え付きもしない方法があるのかもしれませんが、そこまで考えてしまえばきりもありません。

163 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/09/27 17:49:47.46 A1Mq5vFJ0 135/260


掃除婦「洗脳してからは自動操作なのだと思われます。でなければ、あんなにスムーズに傭兵様を動かせないでしょう。目標を設定し、達成に向けて全精力を注ぐタイプのもの。聞き及んだことはあります」

僧侶「それが、結婚だと」

掃除婦「可能性はありますね。餌をチラつかされているわけです」

 それは……業腹ですね。
 お金しか信じていない業突く張りのあの人が、よりにもよって愛だの恋だのを行動理念にしているのは、なんだかいらいらします。それが魔族による洗脳だというのだからなおさら。

僧侶「……絶対、ぶっとばしてやるんだから……」

掃除婦「そうですね。必ずや傭兵様を助け出しましょう」

 絶対、絶対、どさくさにまぎれてぼこぼこしてやるんだから。
 今まで散々迷惑をかけてきたわたしが、あの人にできる滅多にない恩返しの機会。絶対になんとかしてやるとは思いますが、それでもやっぱり、腹も立ちます。

 これは嫉妬なのです。それを自覚して、真正面から真っ直ぐみてやれるだけの余裕は持てました。あの夢が、妄想が、たとい敵の――カグヤ姫の精神汚染の結果だとしても、それだけは感謝しなければなりません。

164 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/09/27 17:51:33.10 A1Mq5vFJ0 136/260


 わたしはあの人が好き。
 だから助ける。

 もちろん、腹が立つこともあるし、落ち着かないこともあるし、逆に嬉しいことだって幸せな時だってある。全部ひっくるめて、あの人が好きだから。
 うん。
 よし。

 再確認完了。

掃除婦「いい顔に、なられました」

 まるでお母さんのようなことを言う掃除婦さんでした。
――の背後、窓の外に、数多の魔方陣が?

165 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/09/27 17:54:46.11 A1Mq5vFJ0 137/260


僧侶「逃げてぇっ!」

掃除婦「!?」

 魔方陣が光を放ちました。直視することのできないくらい猛烈な輝き。あまりの照射に、逆光がその前にある全てのものを黒く染める程度には。
 そこから放たれたのは幾条もの光線。膨大な光を収束させた、こぶしほどもある太さのレーザー。

 光線は壁を、硝子を貫通し、当然のように人体も貫通します。その速度は無論光速。回避行動をとる、とらないという次元にすらありません。
 照射時間は僅か二秒ほどだったでしょうか? コンクリと、硝子と、木と、そして人体の蒸発する音と臭い。床は溶けて深い穴が開き、壁は外が丸見えで、初めから分離していたのを思い出したように腕や、足や、内臓が地面に落ちました。

 わたしは幸い髪の毛を二房ほど失っただけで済みました。掃除婦さんは太股を削られたようですが、出血の量はそれほどでもありません。

 窓の外に僅かに見えた人影――傭兵さん。

 でも、でも、おかしい!
 傭兵さんが使える魔法は、初歩的な攻撃呪文と、幻影魔法だけなはず!

166 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/09/27 17:57:45.67 A1Mq5vFJ0 138/260


 一度に十人前後が命を失い、もしくは戦闘不能な大怪我を負い、混迷を極める中でもやはり彼らは軍人でした。掃除婦さんの「追撃」の一声で、各々の武器を取って硝子を破っていきます。

僧侶「わたしたちも!」

掃除婦「無論で」

 す、と続く一言が爆音によってかき消されました。
 窓の外では膝から下を失った人が数人倒れています。

 地雷。その単語が脳裏を過ぎると同時に、食堂の入り口側の壁が吹き飛びました。濛々と立ち込める土煙に混じって、黒色火薬のにおいが鼻を衝きます。
 そしてそれに乗じて四人――三人の兵隊さんと、将校さん。全員手には短機関銃を持ち、こちらへと狙いを定めていました。

 傭兵さんは陽動。本命はこちらの四人。

 気づいたときには既に遅い。弾丸はわたしの腹を穿って、また掃除婦さんの左肘から先を吹き飛ばして、あたり一面を血の海に変えます。
 激痛は魔法で和らげましたが、脱力はどうにもできません。膝を突いてしまいます。

 掃除婦さんは左腕を失いながらも、靴から兵隊を数人顕現し、四人に向かわせました。しかし怪我のせいか動きがよくありません。突破されるのは時間の問題でしょう。

掃除婦「……仕方がありませんわ」

 進退窮まったと思われる中、ぽつりと掃除婦さんが、顔色悪く呟きます。

 軽い音がして、スカートから靴が一足、落ちました。

僧侶「そ、それって……!」

掃除婦「腕が修復するまで、魔力が持てばいいのですが」

 スカートから落ちたのは、どこか見覚えのある高下駄でした。

173 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/10 10:21:05.42 mmHXGCoe0 139/260


* * *

 食堂――全壊。
 死者――八名。
 負傷者――十七名(四肢欠損、戦線離脱者含む)。

 戦果――将校、及び兵隊三名の捕獲。

 これが今回の戦闘の全てでした。

 わたしを撃った弾丸は腰骨の上を抜けていきました。幸い臓器に損傷はなかったので、治癒魔法で比較的単純に誤魔化せます。
 左肘から先を吹き飛ばされた掃除婦さんですが、問題は寧ろ魔力の浪費にありそうでした。呼吸は浅く、顔色は悪く、目は充血している。典型的な魔力切れの症状です。召喚した存在が存在なので、それは仕方がないのでしょう。
 いま掃除婦さんは体を瓦礫に預け、吹き飛んだ腕と腕の破断面をあわせた状態で、修復の護符で張り合わせています。あとは魔力で治癒を持続的に続けていけば、今日中には腕はくっつくと思われました。

掃除婦「申し訳ありません、僧侶様」

 謝られてしまうと逆にこちらが恐縮してしまいます。掃除婦さんのおかげで助かったようなものなのですから。

掃除婦「とは言いましても、私は治療中。絶対安静の身でございます。戦力は大幅に減らされ、しかも敵には最も厄介なものが二人、残っております」


174 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/10 10:21:54.43 mmHXGCoe0 140/260


 そうなのです。先ほどは傭兵さんこそが陽動でしたが、それは戦術的な話です。より俯瞰的に、戦略的に物事を見た場合、この四人は単なる予備戦力。斥候、もしくは鉄砲玉にすぎません。
 いかに傭兵さんといえども精鋭を相手に数倍の戦力比で戦えはしません。まず数を減らす。四人はそのための「兵隊」だったのです。

 その四人にかかった魅了の術、掃除婦さんに言わせれば「隷属」は、戦いの終わった今でも解ける気配はありませんでした。わたしと掃除婦さんの二人がかりで解呪を試みもしましたが、そもそも魔力の気配すら残っていません。
 理屈としておかしな話でした。精神に魔力で働きかけるのが魅了。魔力の痕跡が残っていないのなら、畢竟それは魔法ではないのです。
 巧妙に隠されている可能性もありましたが、わたしにかけられた精神汚染であれ、なんとかその痕跡を見出すことができたのです。となれば今回みなさんにかけられた魔法は、わたしのそれとは術式が違うことになります。

 動ける兵隊さんが四人へ尋問を行っていますが、全員「カグヤ姫が結婚してくれる」としか言いません。

 結婚。傭兵さんも言っていたその単語は、恐らくキーワード。

僧侶「魔法でないとするのなら、娼婦そのものの魅力だと言うのでしょうか?」

176 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/10 10:22:52.71 mmHXGCoe0 141/260


 そうなのです。わたしはそこでようやく理解が追いつきました。敵の狙いは恐らく傭兵さん、ないしはわたしの命なのでしょうが、それを何より優先するならば、わたしたちに術をかけた時点で殺してしまえばよかったのです。かける際に殺してしまえばよかったのです。
 なぜそうしなかったのか。答えは予想でしかありませんが、確信できます。きっと敵は仲間割れが見たいのです。殺し合いが見たいのです。
 それを陰から見てほくそ笑んでいるのです。

 クズめ。

 体温がすっと下がり、顔から表情が消えていくのがわかります。それを許せないとするのは人間のエゴかもしれません。エルフたちが人間の性根を小馬鹿にしていたように、種族の違いから来る価値観の違いに過ぎない可能性も十分にあります。
 それでも許容できることとできないことがあるのです。
 敵がわたしたちの苦悩を酒の肴にする権利があるのだとすれば、わたしたちもまたそれに反抗する権利があります。

 甘露だと思っていたものが、実は渋柿だったと思わせてやる。

177 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/10 10:25:22.33 mmHXGCoe0 142/260


僧侶「掃除婦さん」

掃除婦「だめでございます」

僧侶「まだ何も言ってないのにっ!?」

掃除婦「僧侶様の考えていることくらいお見通しでございます。戦況は不利。守勢に回ってジリ貧で、相手方には四天王と思しき存在がいる。この状況を突破するには、誰かが囮にならなければいけない。でしょう?」

僧侶「……」

 言葉通りのお見通しでした。そしてその口調から察するに、囮役をわたしがやろうとするのまでわかっているはずです。
 そしてさらっと流しましたが、やはり掃除婦さんも、敵の正体が四天王である可能性を濃く考えているようでした。

掃除婦「愚かですわ、短慮ですわ、蛮勇ですわ、僧侶様。あちらの目的は十中八九傭兵様か僧侶様、もしくは両方。であるのなら、僧侶様が囮に出ることなど何の意味もありません。確かに食いついてはくるでしょうが……食い千切られて、おしまいです」

掃除婦「囮と言うのはですね、僧侶様。目的には全く関係ないですが、しかし、放っておけば深い傷になる、そんな存在が適任なのですよ」

178 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/10 10:26:04.89 mmHXGCoe0 143/260


 はっとしました。掃除婦さんが、精一杯の虚勢なのでしょうが、にやりと楽しそうに笑ったのです。
 たった今わたしを罵った人間とは思えません。愚かで短慮で蛮勇なのはあなたもじゃないですか!

僧侶「認めません! 認めませんよ!」

掃除婦「僧侶様。残念ながら、私に命令を下せるのは州総督閣下のみ。傭兵様も、まぁ一応そうですけれど、あなたはどちらでもありません」

掃除婦「それに、僧侶様。既に私は囮になっているのですよ」

僧侶「え?」

 言っている意味がわからないままに、掃除婦さんは人差し指を突き出しました。

掃除婦「全員退却! 僧侶様の身の安全を第一義とし、退魔陣の起動にかかれ!」

「――させねぇよ?」

 と、空から声が降ってきました。

 傭兵さんの声と、そして、数多の光の柱が降り注ぎます。
 光の柱は魔方陣から射出され、底の見えないほど深い穴を、全壊した食堂の床に空けていきます。一体どれほどの熱量をもっているのか想像もできません。

 幸いに狙いはてんでばらばらで、今度こそ被害者はいませんでした。しかしそれを喜んでいられるほどの悠長さを許してくれる状況でないのもまた事実。

179 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/10 10:27:12.21 mmHXGCoe0 144/260


 違う。それ以上に意味がわからない。
 だって襲撃はさっきのさっきで、掃除婦さんも言っていたように劣勢で守勢、ジリ貧なのですから、こんな、隣の兵舎の屋上から飛び込んでくるなんていう無茶苦茶な襲撃、一体どんな意味が、あの人がそんなこと、ああもう、ぜんぜん頭が回りません!

 混乱の中でも染み付いた動きを体が自然ととっています。魔力を循環させ、腕力倍加、脚力倍加、守備力倍加。
 同時に掃除婦さんがわたしの腕を掴んで引っ張りました。その先には生き残った女性兵が。

掃除婦「任せました」

女性兵「……ちゃんと返しに来ますから」

 言葉を返すより先に掃除婦さんは駆け出しています。護符を貼り付けていた左腕は急な動きで捥げ、地面へ転がってしまいました。
 そこから血があふれ出すことを厭いもせず、掃除婦さんは傭兵さんへと向かっていくのです。

 援護をする兵隊さんもいますが、そんな彼らだって銃を向けながら後退するばかり。積極的に掃除婦さんに加担しようとはしていません。
 それを怖気づいただとか逃げだとか批判するほど愚かではないつもりでした。彼らはただ掃除婦さんからの命令を守っているだけなのです。彼女を守れとは一言も言われていないから。

180 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/10 10:27:56.02 mmHXGCoe0 145/260


僧侶「で、でもっ、でも! なんで!?」

 女性兵さんに引っ張られながらわたしは叫びます。

女性兵「掃除婦さんは囮になられたのです」

 違う! そんなことはわかっています!
 わたしが聞きたいのはそんな、そういうことじゃあなくて……!

僧侶「なんで自ら囮に――どうして襲撃が読めていたんですか!?」

女性兵「単純なことです。掃除婦さん自らが言ってました。囮の条件を」

 囮の条件。

僧侶「目的には全く関係ないけれど、放っておけば深い傷になる、そんな存在が適任……」

女性兵「そうです。掃除婦さんはボスに次いで二番目の戦闘力を持ちます。オリジナルの魔法使いですからね、そりゃそうでしょう」

女性兵「腕が治るころには魔力も回復しているでしょう。そうすれば、また大天狗を召喚できます。パフォーマンスこそ本物に叶いませんが、あの制圧力は圧倒的。そうすれば、立派に囮役を務めることができます」

僧侶「……掃除婦さんが有能な囮役になるより先に、潰しに来た?」

女性兵「そういうことです。今でも後でも、掃除婦さんが囮になるのは……ならざるを得ないのは明白でした。ならばボスが今来ないはずがない。掃除婦さんは立派に囮を務めてくれました」

181 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/10 10:28:41.86 mmHXGCoe0 146/260


僧侶「でも、それじゃあ……」

 わたしは何とか「無駄死に」という言葉を飲み込みました。それは掃除婦さんに対してあまりにも失礼な言葉だと思ったからです。

女性兵「勿論、誰も掃除婦さんが死ぬことを望んではいません。掃除婦さん自身、死ぬつもりはないでしょう。だからあたしたちにできることは、僧侶様、結局のところですね、一刻も早く任務を達成することだと思うんですよ」

僧侶「……そうですね」

 一秒でも早く敵を打ち倒すことこそが、そのまま掃除婦さんを助けることに繋がるのだと信じて。

僧侶「でも、そういえば、退魔陣ってなんなんですか?」

女性兵「あぁ、それはねぷっ」

 ねぷ?

 わたしの手を引いていたはずの女性兵さんの体が吹き飛んで、繋いでいたはずの手はいとも容易く引き剥がされて、彼女の体は超高速で廊下の壁へと埋まりました。
 勢いのままに飛び散った血しぶきが、まるでローラーでひいたみたいに、左から右へと流れています。

僧侶「……え?」

 死んでいる。

 そんな、子供でも一目見たらわかる事態を理解するのに、たっぷり三秒かかりました。

「それはアタシが教えちゃおうかなぁー」

182 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/10 10:30:29.28 mmHXGCoe0 147/260


 甘ったるい桃色の吐息がわたしの耳を犯しました。
 脳髄に直接手をかけられているようなおぞましさ。反射的に解呪を用い、体も全身で振り払って、一気に吹き出る脂汗を拭いながら飛びのけます。
 身体能力を強化していなければどうなっていたことか。

 そしてようやくわたしはその視界に捉えます。
 怨敵。
 この世の悪意の塊。

 娼婦の姿を。

 相手は透けたネグリジェに薄いストールのようなものを羽織り、背中から一対の悪魔にも似た羽を飛び出させ、そして柔らかな金髪を腰まで流しています。さらさらという音すら聞こえそうなほどでした。
 さらに、狐の尾が三本、ぶらさがっています。その色もまた金色。

 悪魔と人間と狐が混じった摩訶不思議な姿でした。
 ちぐはぐで醜いと素直に思えるのに、どうしても目を逸らせない魅力が彼女にはありました。それは天性の素質といって差し支えないでしょう。才能よりももっと高次の、「そういう生命」として彼女は生まれついたのです。

僧侶「娼婦ッ……!」

「それは過去の名前だね。今のアタシはもう正体を隠す必要なんてない。だから、なんの衒いもなくこう名乗ってあげようじゃない」

「アタシは四天王! 九尾の狐とアルプの落とし子、魔族の姫、カグヤ!」

僧侶「あなたの名乗りなど全く興味はありません」

僧侶「洗脳を解け。そして、今すぐにここから去ねっ!」

183 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/10 10:30:58.72 mmHXGCoe0 148/260


 精一杯の圧力をかけて凄んだつもりでしたが、娼婦――カグヤと名乗った魔族は至極楽しそうに微笑むばかりで、ちいとも怯んだ様子を見せません。

カグヤ「洗脳? 言葉の遣い方が甘いね。洗脳ってのは、アタシが僧侶ちゃん、あなたにかけたようなモノさ。けど、だめだ。女の子相手じゃアタシの魅了もイマイチすぎる」

カグヤ「野郎どもにかけたのはね、僧侶ちゃん。洗脳じゃあない。そんな苛烈なものじゃない。暴力的なものじゃない。無理やり相手の精神を押さえつけて犯すだなんて、そりゃレイプじゃないか。アタシは強姦は嫌いなんだ。お互い楽しく気持ちよくってのがポリシーでね。和姦さ。和姦がいい」

僧侶「わたしの夢にまで干渉してきて、なに言ってるんですか」

カグヤ「あはは! 何を言ってるのかわかんないねぇ! 僧侶ちゃん、おぼこに見えてけっこう耳年増なんだね。あんただって結構楽しんでいたじゃないか。最後にヒィヒィよがっていれば、過程がどうであれ、そりゃ和姦なんだよ」

 くっくっく、とカグヤは笑いました。わたしは顔が熱くなるのを自覚しましたが、精神を揺さぶるのが誰よりも得意な、この下卑た存在を前に慌てふためくなど愚の骨頂。努めて平静を保ちます。

184 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/10 10:31:51.43 mmHXGCoe0 149/260


カグヤ「野郎どもにはちらっと道筋を示しただけ。それだけさ」

 道筋……?

 戦闘体制をとりつつ、不本意ながらカグヤの饒舌に付き合ってしまっていました。
 本当ならばいますぐにでも飛び掛っていきたいのですが、ここで一秒でも時間を長く稼ぐことが、退魔陣なるものの起動の一助となるのです。ならばここは我慢するのが最善。
 それに、もっと根本的な理由として、長々と喋っているカグヤには全く隙がありませんでした。どこから攻めればいいのか全くわからないのです。まるでこちらの攻めっ気自体がどこかへ追いやられているかのようでした。

カグヤ「アタシは理解できるのさ! あんたら人間の『社会性』とやらを! 全く、どうして他のやつらはああも脳筋なんだろうね? 傭兵ばかりを狙って、あいつさえ倒せばなんとかなるとでも思ってるのかもしれないが、本当にバカだよ、バカばっかりさ!」

カグヤ「そう、『社会性』! 『連帯』『絆』と言い換えてもいいのかもしれないけどね! あぁいやだ、さぶいぼが立つおぞましい言葉! 人間を相手にするってことは、つまり、そういった気味の悪い言葉と戦うってことを、誰も理解しちゃいない!」 

185 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/10 10:32:30.95 mmHXGCoe0 150/260


カグヤ「だから大天狗のじいちゃんは負けたんだ。アタシにゃわかるよ。ざまぁみろ! 四天王最弱ってバカにしやがった報いだ! 傭兵野郎を見据えすぎて、僧侶ちゃん、あんたを視界から省いたばっかりにあいつは死んだ! はっ、情けないね! 何百年密教の修行を積んだって、魔族は所詮魔族なのだろうさ!」

カグヤ「あははっ! だからこそ! 人間が社会性の生き物『だからこそ』! アタシこそが唯一あんたらを滅ぼしうるのさ! 社会を生きるのは随分と苦しいでしょ? 辛いことも悩むことも沢山あるでしょ?」

カグヤ「『難題』が山積みでしょ?」

カグヤ「そこに付け入る隙がある! 魔王様も、大天狗も、アジ・ダカーハもケツァルコアトルも知らない、アタシだけが知っているあんたらの弱点!」

186 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/10 10:33:19.72 mmHXGCoe0 151/260


 とても楽しそうにカグヤは叫んでいました。その視線の先にいるのはわたしであってわたしではないように思えます。
 この破天荒な存在が、目の前に立ちふさがっているというただそれだけの理由で、わたしを注視するはずがありません。こいつはきっと、どうやったら全てを楽しめるかということしか眼中にないのです。

 なぜなら、対峙しているわたしに伝わってくるのは敵意ではないからです。
 どうやって仲間の魔族を出し抜いてやろうかだとか、人間たちで遊んでやろうかだとか、未来に対しての無限の希望が、有体に言えばわくわくどきどきが顔一杯に広がっている。
 剛力を得た赤ん坊。それが真っ先の印象。

僧侶「……あなたが唯一、魔族の中で、人間を理解しうると?」

カグヤ「そう。だからアタシは僧侶ちゃん、あんたを狙ってんだ。魔族ってのはどいつもこいつも自信過剰で、自分さえいれば人間なんて容易く滅ぼせると思ってる。でもきっとそりゃ自惚れなのさ」

カグヤ「それなら人間同士で殺し合わせたほうが手っ取り早い」

187 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/10 10:35:29.52 mmHXGCoe0 152/260


僧侶「なら、猶更負けるわけにはいきません」

 だから、わたし。
 そして、傭兵さん。

 世界の均衡をわたしが保っているなどと自意識過剰なことはいえません。しかし、いま世界は激動の時期を向かえ、人間たちには連帯が求められていて。
 ただでさえ不安定なプランクィが空中分解してしまえば、また思想が武器を持って対立する世の中になってしまうでしょう。

僧侶「わたしに精神汚染を仕掛けたとき、手っ取り早く殺さなかったのは、だからですか? 矜持ですか?」

カグヤ「矜持――矜持、ねぇ。うんにゃ、違うさ。これは矜持ってよりも趣味嗜好の範疇さね」

カグヤ「残念、残念、残念さ。本当に、心底残念に思っているんだよ、僧侶ちゃん、アタシは」

カグヤ「困難を乗り越えようと泥沼でもがくことに生命の美しさがある! 中でもあんたのそれはピカイチだ!」

カグヤ「それをこんなところで潰すなんてさぁっ!」

188 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/10 10:37:16.83 mmHXGCoe0 153/260


 その叫びを聞いてわたしは理解しました。おおよそ平穏から遠い精神性の、カグヤという魔族のことが、なんだかわかってしまったのです。

 彼女は人間が好きなのです。人間の弱さを愛しているのです。
 弱い存在が弱い存在のまま、弱い存在として足掻き、もがいて、立ち向かうその後姿を愛しているのです。
 それはまるで神様のようでした。だから彼女には敵意がなく、あるのはただの興味だけ。様々な試練を人間に与え、それによって生じる結果を心待ちにする、はた迷惑な無邪気さの権化。

 ゆえに加減などはしてくれませんし、そもそも加減と言う言葉すら知らないでしょう。何故なら試練は苛烈であるほど魂が輝くと信じているから。
 ディシプリン。肉体よりも精神を研鑽する、神から与えられた『難題』。
 そしてカグヤはそれを可能にする精神汚染の能力を持ち、魅了の能力を持ち、全てひっくるめた彼女自体が立ちふさがるということが何よりも乗り越えなければならないこと。

 果たしてそれは悪意でしょうか? それとも善意なのかもしれません。

 あくまで楽しそうにカグヤは言いました。

カグヤ「アタシという『難題』、解いてみせてよ! そして命の燃える輝きを、アタシは丸ごと喰らってやる!」

195 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:14:09.85 cYEiNtQP0 154/260


* * *

 強い。
 強い。
 強すぎる!

 脚力倍加を継続してかけながら、わたしは靴底に貼り付けた重力軽減装置を作動。傭兵さんのように縦横無尽とはいきませんが、それでも壁を走り、天井に着地し、疾風の速度でカグヤへと迫ります。
 しかし、カグヤはさすが四天王と言うばかりでした。弾倉を二つ撃ちつくして、依然有効弾はゼロ。拳も、爪先も、カグヤを捉えることはできません。

 だん、だん、だん。炸裂音と衝撃が全身に伝わってきます。三つ目の弾倉もそろそろ撃ちつくそうかとしていますが、放った弾丸は全てカグヤの直前で急停止、全ての運動エネルギーを失って力なく落下します。
 まただ。またです。

 先ほどからこの繰り返し。

 こちらの攻撃はカグヤには届きません。急停止。落下。それが徒手空拳であれば、わたしの意志とはまったく無関係に、手足の動きが止まってしまうのです。

カグヤ「さっきからそればっかりだねぇ。ほらほら、もっと工夫してみてよ! 足掻いてみてよ! こんなんじゃあ、アタシはぜんぜんつまんないよ!」

僧侶「あなたを楽しませるために戦ってるわけじゃ、ないっ」

 カグヤは一歩も動いていません。わたしがただ一方的に、無様なダンスを踊っているだけ。

196 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:14:44.24 cYEiNtQP0 155/260


 そしてカグヤが指を鳴らした瞬間、得体の知れない力がわたしを引っつかみ、そのまま壁へと叩きつけるのでした。
 激痛よりも神経が圧迫され、遮断されます。呼吸機能が一瞬麻痺し、肺から空気が押し出され、意識が明滅。
 呼吸が戻ると同時に噎せて咳き込みました。カグヤは追撃の気配すら見せません。

 これもまた、先ほどから繰り返しです。

 全く理解ができませんでした。こちらの攻撃は無効、こちらの防御も無効。カグヤの能力の正体もわからぬままに、わたしが壁へと叩きつけられた回数は、これで十回を数えます。
 カグヤから殺意は垂れ流しのままですが、この叩きつけからは殺気が感じられません。殺意と殺気。言葉遊びかもしれませんが、結局のところ、カグヤの殺意は単なる追い込みに過ぎないのではないかとも思います。

 最終的にカグヤはいつでもわたしを殺せる立場にあります。「だからこそ」、カグヤの性格的に、わたしを殺さない。
 わたしをいたぶって、わたしが「簡単には殺せない」存在に昇華することを、きっと楽しみにしている。

 まったく性悪です。ネズミをおもちゃにして遊んでいる猫とかわりがありません。

197 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:15:35.92 cYEiNtQP0 156/260


 と、いくら心の中で悪態をついても、この圧倒的な実力差がひっくり返ることはなく。ならば言葉を飲み込んで、拳にこめる力の足しにしたほうが幾分かましというものでしょう。

 全力で振り下ろした拳はやはりカグヤの直前で停止して。
 指を鳴らされた瞬間にわたしの体は後方へ吹っ飛んで。

僧侶「キリがないですねっ……」

カグヤ「そう思ってんならさー、もっと他の方法をとろうとか思わないのー? こんなの暇なだけだよ、ふぁああぁ……」

 大あくびをするカグヤ。その仕草もまた美しい。
 あの人もこの美貌にやられたのでしょうか? 精神支配、チャームが全ての原因だとしても、何らかの突破口が必要なのです。
 あぁ、醜い嫉妬。恋人でもない女が怒るだなんて、そんなに面倒なことは滅多にないはずです。あの人は浮雲のようですから、嫉妬されて喜ぶ性格でも、きっとないでしょうし。

198 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:17:16.25 cYEiNtQP0 157/260


僧侶「……」

 呼吸を整えながら頭を働かせます。

 考えろ。考えろ。考えろ。
 考えるのです。
 カグヤ自身それを望んでいて、見事に術中に嵌っているのはとても業腹なのですが、そうしなければわたしはカグヤを突破できません。

 可能性はいくつかあります。たとえば障壁。大天狗が用いていたような対物理障壁をカグヤが用いられないとは到底思えませんでした。
 しかし感触が全く異なります。その点だけが気になりました。
 障壁は所謂不可視の硬質な壁です。それを撃ち、打てば、どうなるか。ですがわたしの攻撃を受け止めるなんらかの力は、もっと柔らかく包み込むようなそれなのです。

 硬質と硬質の激突なのではなく、硬質なわたしの攻撃を、ゆっくり減速させながら受け止めるクッション。
 そう、まるで空気のような。

199 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:17:49.94 cYEiNtQP0 158/260


 ……それこそ大天狗です。やつは神通力で大気を操ることができました。大地もまた同様に。わたしの目の前にいるこの性悪も、果たしてあの大天狗と同じような能力を有しているというのでしょうか。
 いや、それはないはずです。半分以上直感でしたが、わたしは自らの直感を信ずることにしました。
 大気や大地を物理的に鳴動させることは、もしかしたら魔族であるのならば可能なのかもしれません。ですが魔力を練りこんで自由自在に操るとなれば、それは種族としての特性か、ないしは努力の結実に違いないはずなのです。

 数百年単位で密教の修行を積んだ大天狗だからこそ、大気と大地を操ることができた。そう考えるほうがしっくりときます。

カグヤ「……うふふ、いい瞳」

 恍惚とした表情でカグヤが言います。似たような台詞は、嘗て大天狗が傭兵さんに向かって言ったような気も。

カグヤ「やっぱり人間って素敵。魔族なんかよりよっぽど生き様が美しい。弱く、脆く、儚いからこその濃密な人生。僧侶ちゃん、あなたにその自覚はあるかしら?」

 生き様、ですか。
 そんなことは考えたこともありません。
 それほど余裕のある人生を送ってきたわけではないのです。

200 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:18:42.12 cYEiNtQP0 159/260


カグヤ「えぇ、えぇ、そうでしょ。そりゃそうさね。両親が死んで、共産主義革命に全てを捧げて、傭兵野郎に出会って、助けられて」

 助けられた。……語弊がある、と断言できないのが癪ですね。
 確かにわたしはあの人に助けられたのですから。

 カグヤはわたしの生き様を美しいと評しました。だとするならば、その美しさは確実に、わたし一人によるものではないのです。
 傭兵さんは嘗て言いました。わたしに。信念というものを。覚悟と言うものを。それらの在り様について、教授してくれました。あるがまま。自らの選択を信じてやること。間違っていることを恐れるのではなく、選択した自分を信じてやれと。

 敷衍すれば自らを愛することなのだと表現できます。

 愛。

 であるのなら、わたしが傭兵さんを信ずる心は、やっぱり愛なのです。

 愛。

 ずっと前から、きっと、わたしは、あの人のことが。

201 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:19:18.33 cYEiNtQP0 160/260


僧侶「えぇ、ですから、いまのわたしはここに立っているのです」

 拳銃を引き抜きおもむろに発砲。全ての弾丸は依然直前で無効化されますが、わたしはそれを後追いするように吶喊します。
 もし特別な特性を有する障壁であるとしても、弾丸を受けたところへ更に突っ込めば、何らかの反応はあるはず!

カグヤ「お、おっ! 何かを掴んだのかい!」

 掴んでいません。わたしは僧侶にあるまじき脳筋ですから、とにかく強化した体を叩き込んでやれば、何かがわかるのかもしれないと思っているだけなのです。
 期待はずれになるかどうかは、それこそ、神のみぞ知るというやつで。

 空気を巻き込んで唸りを上げた拳は不可視の抵抗にあって俄然その勢いを落とします。進むにつれて抵抗は増し、カグヤの肌の数センチ手前で、ついにぴたりと止まってしまいました。
 目と目があいます。きらきらと時間経過によって色を変える不思議な虹彩。その中に宿る色は好奇心。期待。わたしがどうやって自分に一矢報いるのか、楽しみでしょうがないような瞳。
 高く、高く、高い壁となって、背伸びをして天辺へと手を伸ばしたわたしを押し潰すのがこの魔族の至上の喜びに違いありません。ならばわたしはそれを打ち砕くだけ。

202 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:20:07.22 cYEiNtQP0 161/260


 わたしの体が後ろにぐいと引っ張られて飛んでいきます。そこには何のおかしさも見出すことができません。というより、おかしいことだらけで、それに紛れているのが実情でした。

 攻撃ではない。殴られたり蹴られたり、魔法の衝撃で吹き飛ばされるのならば事態は単純です。しかしわたしの身に起きるこの移動――そう、衝撃ではなく移動としか表現できないこの現象は、暴力的なものとは異なっています。
 結局答えが見つからないまま、わたしはは叩きつけられました。

 鈍痛、激痛……死ぬほどではありません。調節されているのか、はたまたそうでないのか。

カグヤ「……」

僧侶「――ッ」

 酷く冷たい視線でわたしをねめつけているカグヤがいました。さきほどまでの上機嫌はどこへやら、まるで足元の虫けらを見るような目つきで、小さく舌打ちも聞こえてきます。

 冗談ではないなにかを感じました。拳に、つま先に、全身に力が入るのですが、だのに全く動きません。わたしの体ではないみたい。

カグヤ「……ぃな……しいなぁ、おかしいなぁ」

 ぶつぶつ呟くカグヤの声が次第に大きくなっていきます。

203 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:20:37.92 cYEiNtQP0 162/260


カグヤ「おかしいなぁおかしいなぁおかしいなぁおかしいなぁおかしいなぁおかしいなぁおかしいなぁおかしいなぁ」

カグヤ「おぉおおおかしぃいいいなぁあああああ……?」」

カグヤ「アタシの見る目がなかったの? いや、でも、まさか、そんな……だって僧侶ちゃんはあんなに頑張ってきらきら輝いて世のため人のため自分のため傭兵野郎のために身を粉にして全てを擲って……」

カグヤ「見当違い? 戦闘とは違うの? なに? それとも運がよかっただけ? どうなの? どうなの? どうなの!?」

カグヤ「ねぇ僧侶ちゃあああんっ!?」

 衝撃。わたしの体が勢いよく壁に叩きつけられ、腕のどこかで嫌な音がしました。
 体勢を立て直す間もなく体はカグヤのもとへと戻っていきます。わたしをあの名状しがたき力で引き寄せたカグヤは、そのまままた壁へと叩きつけます。無表情のまま、あくまで作業と言う風に。
 頭から壁に突っ込みました。衝撃に備えてはいても、激痛と一瞬の失神から逃れることはできません。

204 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:21:07.92 cYEiNtQP0 163/260


 体を強か打つたびに喉の奥から言葉が苦悶の声が漏れます。防御体勢をいくらとっていても、遊戯のように壁とカグヤの間を往復し続けるこの苦行は、確実にわたしの意識を刈り取っていきました。
 どこが折れているのか、どこから血が流れているのか、そんなことを考えることすら億劫になるほどの惨状です。

 ようやく動きが止まったと思っても、最早立ち上がるだけの余力は残されていませんでした。必死に床に手をついて自分の上体を起こそうとすると、カグヤが手の甲を思い切り踏みつけてきて、あまりの痛みに頬から床へと倒れこみます。
 全体重をかけてわたしの手を踏みつけてくるカグヤ。ごぎ、と嫌な音が左手から聞こえてきました。

僧侶「――ッ!」

カグヤ「痛いの? その程度で立ち上がるのをやめちゃうの?」

カグヤ「違うでしょ? 僧侶ちゃんはそんな弱い女の子じゃないはずでしょ? これまで沢山無茶してきたじゃないのさ。いまさらこんな、手が砕けたくらいで、ねぇ?」

カグヤ「それとも全部嘘っぱちなの? 僧侶ちゃんは実はこれまで何もしてなくて、ただ運がよかっただけで、傭兵野郎におんぶに抱っこで、その可愛い顔と声と仕草で、大変なこととか大事なこととかは全部誰かにやってもらってたの?」

 カグヤの心無い言葉がわたしの耳を突き刺していきます。心無い、とは言いえて妙です。こいつに心などがあるはずはないのですから。

205 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:21:39.91 cYEiNtQP0 164/260


僧侶「そんな、ことは」

 ない。

 全てが自分の力だと嘯くつもりは毛頭ありません。ですが、ここまでやってきたのはわたしの意志です。わたしが、わたしのために、わたし自身でやってきたことなのです。
 沢山の人の手を借りました。天運すらわたしに見方したと思えた時だって多々あります。ですが、それでも、決してわたしが何もしなかったことを意味しません。
 みんなのために動いてきた。

 そう胸を張ることができる人生でした。

カグヤ「はっ、どうだかね」

 渾身の力を篭めた言葉すら、カグヤは容易く切って捨てます。一体わたしのどこをどのように値踏みしているのでしょうか。

カグヤ「この世の中は所詮戦乱さ。そこをあんたが無傷で生きてこられたっていうんなら、それは強かったか、それとも運がよかったか、そのどっちかに限られてくる。さぁ、果たして僧侶ちゃん、あんたはどうだろうね?」

 わたしが強い? そんなはずはありません。今のわたしがいるのは――精神的にも、生命的にも――傭兵さんのおかげ以外のなにものでもないのです。
 カグヤの言葉を鵜呑みにするならば、わたしは結局運がよかっただけになります。傭兵さんにおんぶに抱っこ。だからこそその汚名を払拭するために、これまでの恩を返すために、カグヤに立ち向かっていると言う側面がないわけではありません。

206 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:22:08.65 cYEiNtQP0 165/260


カグヤ「無理をするにも限度がある。そろそろ休んでいいころかもしれないよ?」

 背伸びだと、言うのでしょうか。
 わたしのこれは、身の丈にあわないことだと。
 傭兵さんのように強くないわたしには、この世を幸せに、平和に、作り変えることなど、できやしないと。

 ダメです。甘言に惑わされてはいけません。
 楽なほうに、楽なほうに、流されては。

 一度立ち止まれば、次に歩き出せる保障なんて、どこにもないのですから。

カグヤ「難題、難題、難題――生きてくには少々難題が多いんじゃあ、ないかい?」

 難題。
 苦悩。障壁。行く手を阻む脅威。

 たとえばそれは、傭兵さんに思いのたけを打ち明けるかどうか。

 たとえばそれは、目の前の四天王、カグヤ。

 たとえばそれは、魔王軍との戦争。

 たとえばそれは、王国との権力闘争。

 たとえばそれは、利己的な人々。

207 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:22:44.36 cYEiNtQP0 166/260


カグヤ「少しでも、ちぃとでも、一瞬たりとも、全てから解き放たれて楽になりたいと思ったことはないかい?」

カグヤ「傭兵野郎だって、あんたが無邪気な、年齢相応の女の子として生きることを、願っているんだよ?」

 ……そうなの、でしょうか。
 でも、そうしたら、わたしは。

僧侶「……あのひとの隣に、いられなくなっちゃいます」

カグヤ「大丈夫だよ。傭兵野郎だってそれくらいはわかってるはずさ」

 そうでしょうか。

カグヤ「そうだよ。そうに決まってる。やつは変なところで冴えてるからね。隙もない。だから、アタシじゃなくて、あんたがやるんだ」

 わたしが、殺せば。

カグヤ「そう。あんたが殺せば」

 刺し違えればいいのさ。

 と、カグヤは言いました。

208 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:23:13.29 cYEiNtQP0 167/260


 そうしたら一生、ずっと、一緒にいられると。
 そんな、前にも誰かから言われたような台詞を、吐いたのでした。

 ……あぁ。
 あぁ。
 そうですね。

 わたしは確かに、今まで我慢を、しすぎたの、かも。
 しれません。
 このあたりでひとつ、ちょっとくらい我侭を。

 言ったって。
 やったって。

 許してもらえるは

 ぼとん、

僧侶「ず?」

 と、靴が落ちてきました。

209 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:23:42.50 cYEiNtQP0 168/260


 血にまみれた靴でした。見れば脹脛から下が中に入ったままのブーツです。皮に金色の紋章がついたそれは見覚えのあるもので、記憶が正しければ、掃除婦さんが穿いていたものに間違いありません。

 バックトラック。
 空間転移魔法を彼女はそう称していました。

 全身の筋肉を駆動させます。砕けた手にすら力を籠め、肉食動物のように四肢全てを使って、わたしは力強く床を跳ねる!

僧侶「あぁああああああぁっ!」

カグヤ「うくく、うはははははっ! やっぱり女には効き目が悪いねぇっ! うひひひはははははぁあああっ!」

 吹き飛ばされる力に今度こそ逆らう真似はしませんでした。反重力装置を作動、壁に着地しそのまま天井へと足をかけます。

僧侶「危なっ! あ、危なっ! 危なぁっ!」

 精神汚染――いえ、あれこそが五人を篭絡した『難題』というやつなのでしょうか。まさか同じ轍を踏むことになるなんて、それこそ一生の恥です。
 そんなの心が弱っている証拠。心が緩んでいる証拠。

210 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:24:18.62 cYEiNtQP0 169/260


 全力で天井を蹴り、真っ逆さまにカグヤへと落下。全身が後ろへ吹き飛ばされるのを感じながらも、しかし落下の速度と相殺され、わたしの体は一瞬だけ宙に浮きました。
 拳銃を引き抜きます。
 魔力を輪転。手のひらを通して銃把へ注ぎ込み、弾丸へと注入。

 凍結魔法。

 撃った三発は全て受け止められます。と同時に体が堪えきれず、わたしは天井へと背中を打ちました。
 解き放たれた凍結魔法は周囲の空気に含まれた水分を氷とし、きらきら輝く細かい粒を空気中に舞わせます。
 そしてそれらも三六〇度、周囲に吹き飛ばされる。

僧侶「……」

 読めた。

 体が引き寄せられるのを察して銃弾を撃ち込みました。籠めたのは凍結魔法。それが停止するのと引き寄せが止まるのは全く同時で、その事実はわたしの予想が当たっていることを示唆しています。

 攻撃と防御は本来同時に行うのが望ましいのです。わたしを吹き飛ばすのと、銃弾の防御。これまでカグヤは両方を同時に行ったことはありませんでした。
 もし両者が本当に同時に行えないのだとすれば、それは可能性として、同一の能力によるものだからであると仮定できます。

211 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:26:15.37 cYEiNtQP0 170/260


 突撃。体が吹き飛ばされるの感じるタイミングで凍結魔法が放たれました。至近距離でのそれですら、魔族の高い魔法抵抗力の前では掠り傷程度のものですが、目くらましにしかすぎません。
 背後に回る時間さえ稼げれば。

 その動きはけれど察知されています。全方位をカバーするカグヤの能力にわたしは踏ん張りが利かず、そのまま背後へと転がって。
 爆裂魔法がカグヤを直撃しました。

カグヤ「……んー?」

 わたしの動きの変化に違和感を感じたのでしょう。立ち上る爆炎の中から無傷で現れたカグヤは、煤を払いながらも口角をあげています。わたしを甚振っていたときの無表情とは天地ほどの差があります。
 にんまりと笑っているカグヤ。直撃してもダメージがないというのは、予想以上に絶望的です。こちらも全力ではなかったとはいえ、怯ませる程度の効果は期待していたのですが。

カグヤ「そっかぁ、わかっちゃったかぁ!」

 叫ぶカグヤ。

212 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:26:44.31 cYEiNtQP0 171/260


 一気に彼女の背後で魔力が膨れ上がりました。本来見えないはずの魔力が渦を巻いて、三本の尾と悪魔の羽の間が歪んでいるのです。
 彼女の後ろに魔方陣が次々と展開されていきます。傭兵さんが展開していたものと同じ魔方陣。違うのはその数だけ。
 傭兵さんが展開したのは多くて五つ。しかし、今わたしの目の前にいる「最悪」が展開しているその数は、優に十倍を超えています。さらに今もまた増え続けているのです。

 魔方陣は発光し、逆光によって彼女の姿さえ見えません。

カグヤ「……僧侶ちゃんは、傭兵野郎に惚れてるんだっけ」

僧侶「そうですよ」

 誤魔化しなんて今更です。こいつの前で隠し事が意味を成すとも思えません。

カグヤ「アタシは最弱ってバカにされちゃあいるけど、これでも四天王。勝てないってことはわかってるだろう? それでも諦めずに立ち向かってくるのは、なんだい、やっぱり、つまり、そういうことかい?」

カグヤ「愛の為せる業なのかい?」

213 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:27:24.66 cYEiNtQP0 172/260


 愛の為せる業、ですか。
 断言してしまうのはあまりにもロマンチストすぎるように思われました。確かに傭兵さんを救いたい、助け出したいというのはあります。そこを否定するつもりは毛頭ありません。
 ですが、それが全てかと問われると、果たしてどうでしょう。

 わたしは何より世界を平和にしたくて。
 そのために、共産主義やプランクィや、PMCや傭兵さんが大事だと思っていて。

僧侶「何よりあなたが気に入らない」

 生きるために人間を喰らうのならば許せましょう。生存圏の拡大のために領土を広げたいのもわかります。が、己の愉悦のために他者を不幸に陥れるのは、他人を操って楽しむのは、悪趣味です。
 下種です。悪魔です。
 まさしくそれは人類の敵に他なりません。

 カグヤは一瞬驚き、すぐに面白そうに笑いました。

カグヤ「なるほど、なぁるほどぉ……僧侶ちゃんはアタシが嫌いで、アタシは僧侶ちゃんが好き……ままならないもんだね、世の中ってのは」

カグヤ「その『ままならなさ』『どうしようもなさ』が、あるいは人間に力を与えてるのかもしれないねぇ。愛然り、友情然り……美しいものってのは、大抵儚いもんさ。そしてそれを維持しようとするところに、素晴らしさが宿る」

214 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:28:05.79 cYEiNtQP0 173/260


僧侶「気持ちよさげに高説をぶつのが趣味なんですか?」

カグヤ「うくくっ! 癖みたいなもんでね、悪く思わないでおくれ! くっついたり、離れたり……人間関係、社会性、愛、友情、絆、仲間意識、そういった離別と乖離を繰り返して、強くなっていくんだろう?」

カグヤ「出会いってのは、運命。誰かと誰かの間に宿る、素敵なパワー。でも持続はしない。それを繋ぎとめるのは、結局、個々の努力。そうだろう? 僧侶ちゃん、あんたがやってるみたいにさぁ」

カグヤ「ただそれが見たいだけなのさ。だからアタシにこの能力が宿ったのさ」

 出会い。
 運命。
 カグヤ曰くの、「素敵なパワー」。

 邂逅し、乖離する。

 比喩としての、暗示としての。

僧侶「引力。斥力」

カグヤ「そのとぉおおぅううり!」

 わたしを引き寄せる引力。
 全てのものを引き剥がす斥力。

 能力はカグヤを中心として全方位、近づけば近づくほどその効力を増す。

215 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:28:57.59 cYEiNtQP0 174/260


 名実共に最強の楯でした。突破する方策があるとするのならば、それは先ほどのように時間差、及び斥力の効果を受けない座標指定魔法のみ。しかしそれでカグヤを戦闘不能にするのは、あまりにも打点が低すぎます。
 退魔の魔法ならいくらか習得しています。それを拳に乗せ、殴りつけるのが一番効果的なのでしょうが、わたしとカグヤの距離がゼロになることは恐らくありません。

 どうする。
 どうすればいい。

カグヤ「さぁ! お次はこいつだ、防御なんてできると思っちゃやだかんね?」

 魔方陣が一際強く発光しました。

 震える空気すら飲み込んで、光の束が縦横無尽に、狙いなどまるでなく、四方八方にその牙を向きました。
 音はしません。ただ光があるだけです。
 コンクリも、鉄も、全てを消失させる超々高エネルギーの放射。恐らくそれが光の正体なのです。 

 たっぷり五秒は放射していたでしょうか。床に、壁に、天井に穴が空き、その断面は湯気を立てながら溶解していました。
 人間に命中すればどうなるかだなんてことは考えるまでもありません。

カグヤ「ちょーっと命中に難があるのが残念だけどねぇ、威力ならピカイチさぁ!」

 自慢げに喋るカグヤでしたが、何を感じ取ったのか尻尾をぴくりと一斉に動かし、残念そうな顔を浮かべます。

216 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/10/15 23:30:01.67 cYEiNtQP0 175/260


カグヤ「今の砲撃で、退魔陣を焼き払っちゃったよ。いやぁメンゴメンゴ」

僧侶「……」

 頼みの綱も、断たれた、か。
 果たしてそれが真実かどうかわたしに判断する術はありません。カグヤがここで嘘をつくだろうか、という単純な疑問もあります。
 何より、カグヤはわたしを逃がしてはくれないでしょう。わたしだってここで尻尾を巻いて逃げるつもりはありません。退魔陣さえ起動できれば、もしかすればイーブンにまでもちこめたのかもしれませんが……。

 拳を固めます。

 こいつがわたしのこれまでを「おんぶに抱っこ」と愚弄するなら、こいつを倒してそれを覆さなければなりません。

 展開する魔方陣のど真ん中にわたしは突っ込んでいきました。

228 : ◇yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:02:03.76 o1XfwRDz0 176/260


* * *

 カグヤが操るのは引力と斥力。引力はわたしと彼女の間合いをずたずたに引き裂き、斥力は攻防一体の不可視のちから。
 近接格闘を主体とするわたしにとって、引力はそれほど問題ではありません。無論間合いを狂わされテンポを乱されることは戦いにくいこと極まりない。ですが、近づけば近づいたぶんだけチャンスが得られると言うのは事実でもあります。

 とにもかくにも、斥力。

 障壁であれば力任せに叩き割ることもできたでしょう。火や、水や、土が壁として立ちはだかるなら、この身を擲って突っ込むことも厭いません。
 障壁にしろ物理的な壁にしろ、どちらも堰き止めるためのものです。受け止めるためのものです。「殴るほう」「殴られるほう」という一方的な力関係でしかありません。
 しかし斥力は異なります。言うなればその正体は反発なのです。一方的な関係ではなく、二者間における力比べなのです。

 近づけば近づくほどにその出力を増す、斥力。
 カグヤは人間の社会性を唯一理解できるのは自分だけだと言っていました。それはもしかすると、彼女の出自に由来するのでしょうか? 愛の営みの結果として彼女が生まれたとするのなら、それはある種社会性の結実といえるのかもしれません。
 魔族にあってそれは確かに異端。

229 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:06:29.12 o1XfwRDz0 177/260


 そして、能力もまた社会性の結実。人と人のつながりだとか、運命だとか、そういったものを「引力/斥力」として比喩した上で、カグヤ自身がそれを用いて人間を殺しに来る。
 生まれる輝きを期待している。

 出力を上げて突っ込みました。度重なる吶喊に負け、既にブーツの裏はぼろぼろです。重力軽減装置もオーバーヒートを起こし、まともに動かなくなってきています。実用に耐えるのはあと二回か、三回か。
 同時に弾丸を射出。四度引き金を引いて弾倉は空。弾丸の行方を見送るよりも先に、腰袋から予備の弾倉――そして最後の弾倉を装填し、壁と天井を蹴りながらカグヤの背後へ回り込みます。

 先ほど撃った弾丸、それに籠めた爆裂呪文が起動しました。光と熱が斥力の対象外であることは経験でわかっています。その瞬間を狙う。
 地を踏みしめた瞬間、光線がわたしの肩の一部を消失させました。

230 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:08:06.50 o1XfwRDz0 178/260


 一瞬で焼ききれて血は出ません。痛みも最早どこかへ消えてなくなっています。それでも体の欠損を脳は危険と判断したらしく、嫌な汗だけが額を伝います。
 目の中に入り込みそうになったものを拭い取る暇すらなく、加速で汗を吹き飛ばしました。わたしはそのままこぶしを振り上げ、カグヤに向かって振り下ろします。

 カグヤの真っ赤な髪の毛が、桃色の瞳が、こちらを向いていました。
 にんまりと笑っています。

僧侶「不快、ですっ!」

 言葉も拳も、カグヤに向けられた全ては、その斥力によって退けられる。

 彼女の背後に魔方陣が展開されるのを見て、わたしは横っ飛びで避けました。狙いなどない、防御もできない、全てを殺す満月光線。回避行動に意味があるのかもわからないままに。

 光線――否、光柱といったほうが正しいでしょう。それはわたしの真上を掠めていき、観葉植物と、ソファと、壁と、外にあった東棟を根こそぎ消し去りました。
 ぽっかりと壁に空いた穴から、柔らかな日差しとおだやかな風が入り込んできています。

231 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:08:57.84 o1XfwRDz0 179/260


カグヤ「不快? 不快だろうね、そりゃ」

カグヤ「でないとあんたらは、きっと、頑張ろうだなんて思わない。思っちゃくれない」

カグヤ「不快が嫌ならさぁ、アタシがむかつくってんならさぁ」

カグヤ「魂の輝きってのを最大限に発揮して、力ずくで退けてみなぁよぉおおおおっ!」

 引力。全身を引っつかまれてカグヤへと吸い寄せられます。
 踏ん張れずともこぶしを固めることはできました。大振りの一撃は、けれど容易くカグヤに懐へともぐりこまれ、唇と唇が触れ合いそうなほどの距離にやつの顔があります。

カグヤ「ほらほら、チャンスだよぉ?」

 こちらの反応よりも先に、カグヤの尻尾がわたしを強く地面へ叩きつけました。バウンドし、壁に叩きつけられるのを体勢を立て直して回避。そのまま壁を蹴り上げてカグヤへ突っ込みます。
 その軌道はほぼ地面と平行。一つの鉛弾となったわたしを相手に、カグヤはそれでも慌てる様子を見せません。
 斥力で拮抗。埒が明かない。思わず舌打ちさえ飛び出そうになりました。

232 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:09:25.98 o1XfwRDz0 180/260


 銃撃も何度防がれたか知れません。弾倉に次はなく、搦め手を失ってしまえば今度こそ勝ち目などなくなってしまいます。
 いや、初めから勝ち目などあってないようなものなのです。カグヤ自身は自らを最弱と言い、それに劣等感も抱いているようでしたが、人の身であるわたしにしてみれば大天狗もカグヤも埒外な存在であることに変わりはなく。
 もしかすれば傭兵さんならば違ったのかもしれません。あの人の超人的な反射神経と運動神経をもってすれば、斥力さえも断ち切ることだってできたでしょう。

 しかし今、彼はここにはいない。

 勝ち目がないのは当然のことです。そして、勝ち目がないわたしが、それでも全身全霊の力を発揮して、乾坤一擲振り絞って、カグヤに一矢報いてやろうとすることこそがカグヤ自身の目論見なのでしょう。
 望みなのでしょう。

233 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:10:18.88 o1XfwRDz0 181/260


 それは確かに魔族の中にあってなお、輪をかけて埒外な存在だと言えるでしょう。強い固体は他者を必要としません。必要性がわからないのです。だから魔族は、そもそも人間の有する「他者のために」「世界のために」という感覚がわからない。
 わたしにとってそれは鏡像でした。「『他者のために』『世界のために』という感覚がわからない」という感覚は、どうしたってわかりません。

 だってそっちのほうがどう考えても幸せじゃないですか。
 自分だけが幸せになるよりも、みんなが幸せになったほうが、もっとずっと、満ち足りている。

 傭兵さんだってそう思っているのです。
 あの人はお金を集めて、ためて――いえ、そんな生ぬるい表現では、きっといけないのでしょう。文字通り一円残らず「掻き集めて」きていたはずです。そしてそのお金を、世界のために使っている。
 もしかしたら笑いながらわたしの言い分を否定するかもしれません。何言ってんだ、と。俺に期待しすぎだ、と。

 そうしたらわたしは言ってやるのです。
 党首と一緒くたにされて怒っていたくせに、と。

234 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:11:07.55 o1XfwRDz0 182/260


 百万なら、あるいは一千万なら、自分のためだけに使ったとて誰も文句は言わないでしょう。しかし、それが十億、百億ならどうでしょう。そんな巨額を自らのためだけに使うだなんて、額面に対してあまりにもちっぽけすぎる。
 お金に失礼すぎる。
 そして、あの人は自分が誰よりもお金をうまく使えると思っているから。

 あの人の夢をわたしも見ていたいから。

僧侶「うぉおおあああああああっ!」

 気合の叫びと共に繰り出した吶喊は、斥力に阻まれてまたも無力化されます。拳とカグヤの距離は一ミリに満たないのに、光年以上の距離が離れているようにも思ってしまうのでした。
 あと一歩でも踏み出せれば、カグヤに拳が届くのに。

 魔方陣が展開されます。それらが向いている角度を瞬時に判断し、なるべく光柱の密集していない地点をはじき出すと、そこへ転がり込みました。
 放たれた光がわたしの水色の髪の毛を焼失させていきます。着地したときに一瞬体から力が抜けてしまいましたが、気合を入れてすぐ賦活。

235 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:11:43.51 o1XfwRDz0 183/260


 銃撃を五回。これで弾切れです。残されたのは勝てるはずない真っ向勝負のみ。

 事態がどん底に陥れば陥るほど、逆に頭は冷静になっていきます。心拍数は上がっても、息はあがっても、頭だけは驚くほどに透明なのです。
 畢竟わたしには考えることしかできないのでしょう。足りない頭であっても考えて、見据えた目標に全力で突っ込むだけ。

 銃弾に籠めた爆裂魔法が起動し、何度目でしょうか、カグヤが爆炎に包まれます。効果など殆どないのはわかっています。わたしは先ほどの光で壁に空いた穴へと身を翻しました。

カグヤ「おぅい! 逃げるんじゃあないだろうねぇっ!?」

 そんなんじゃつまらないよとでも言いたげなカグヤの声。でも、大丈夫です。逃げるわけありません。
 身を翻した先は物品庫。ここはPMCの基地なのですから、物品庫の中にあるものは当然穏やかなものばかりではなく。

236 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:12:41.04 o1XfwRDz0 184/260


 暗闇から身を現すと共に数個の丸い物体を投げつけました。――爆裂弾。ゴブリンの長も用いていた、ごくごく初歩的な魔導兵器。
 しかしこの兵器の便利なところは、充填魔力の幅がかなり広いところでもあって。

 空間と、更には建物をも震わす轟音が響きます。 
 充填魔力の幅が広いと言うことは、威力の調節が容易いと言うこと。そして用い方によってはかなりの高威力も出せると言うこと。わたしは今の爆裂弾に、許容量限界までの魔力を注いでぶつけてやったのでした。

 流石のカグヤもこればかりは斥力で防げず、ここで初めて自らの尻尾でもって防いだようでした。金色の毛、その先端が僅かに焦げているだけでしたが、確かにダメージです。

僧侶「くっ」

 一度に大量の魔力を消費したものですから、僅かに眩暈が襲います。体がぐらつくくらいどうってことはありません。
カグヤ「なるほどっ! そう言う手もあったんだねぇっ!」

237 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:13:13.82 o1XfwRDz0 185/260


 拍手喝采とも取れる体でカグヤが叫びました。斥力に対してカウンターで銃弾を打ち込みます。カグヤはわたしよりも銃弾のほうを優先して弾き返しました。
 その間にわたしは床を強く蹴り上げます。もしカグヤが重力を操るのであれば、その力の方向は絶対的であるが故に、対処もできたでしょう。例えば真上から攻撃するとか。
 しかし斥力はあくまでも相対的です。常に下へ落ちる重力とは異なり、斥力はあくまで「引き離す」だけ。決まった方向へ吹き飛ばすものではない。

 引き離す。引き剥がす。それがカグヤの斥力。
 まさしく人類の敵。

僧侶「そんなあなたに負けるわけには」

カグヤ「いいねぇいいねぇ! その気概だよ! そういう気概を欲しているのさぁっ!」

僧侶「その減らず口、絶対に叩き潰す……っ!」

カグヤ「最愛の男がアタシにぞっこんだから嫉妬しているのかな? ダメだよ、浮気は男の甲斐性なんだからさぁ」

カグヤ「って、恋人じゃあないんだったっけ。うっくっく! こりゃまた失礼!」

僧侶「……絶対倒す」

カグヤ「やってみなよ! アタシもそれを望んでるのさぁっ!」
 

238 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:13:52.72 o1XfwRDz0 186/260


 そうしている間にも頭はぐるぐる回ります。全ての基準は「傭兵さんならどうするか」。
 その場にあるものなら全てを利用するのがあの人です。物品。地形。状況。全てのリソースを我が物とし、多角的見地から、相手の弱点を突く。

 あの人なら。
 あの人なら。
 あの人なら。

 どうする。

 カグヤの能力は判明しているだけで二つ。一つは引力/斥力。もう一つは光の集積を利用した光柱の発生。前者はそれだけではこちらに対して危害を与えうるものではありませんが、同時に最も厄介な能力でもあります。
 後者は文字通りの一撃必殺。狙いが定まらないことだけが唯一の救いですが、こちらが怪我を負いすぎれば、回避はできないでしょう。そしてその時がわたしの最期に違いありません。

 引力と斥力があるかぎりカグヤから逃げることは実質不可能。傭兵さんと掃除婦さんの戦いはどうなったのか、助けに行くこともできやしない。
 彼女の足だけがバックトラックしてきたことを考えれば、ことは一刻を争うはずなのに。

239 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:14:48.01 o1XfwRDz0 187/260


 引力と斥力はオートではないはずです。もしそうであったとしても、とれる対象は限られている。わたしを斥力で弾きながら、弾丸を弾けなかったことがその証左。

 引き寄せられたその先ではカグヤが拳を振りかぶって向かってきていました。体勢を崩したこちらの反撃を難なくかわして、勢いの乗った拳で腹を打ってきます。
 それだけでも腹部が根こそぎ持っていかれるという衝撃なのに、そのまま壁へ頭から突っ込むのですから、意識があっという間に明滅します。額が割れて顔面が血で真っ赤になっています。

 跳んだわたしにかかる斥力。爆裂魔法を籠めた銃弾をばら撒きながら、ぐるりと円を描くようにカグヤを周回。
 地を蹴って突撃するも、引力で歩幅を狂わされました。胸倉を掴んで投げ飛ばされ、同時に斥力で加速。顔面から突っ込みます。
 鼻血を袖で拭って反転。

カグヤ「しつっこいなぁもう!」

 わたし自身は斥力で吹き飛ばされましたが、置き土産の爆裂弾だけは健在です。二つがともに大爆発を起こし、床と天井を吹き飛ばしてカグヤを生き埋めにしました。
 斥力で瓦礫が弾かれ、中からほぼ無傷のカグヤが表れます。ところどころ擦過や焦げは見つかりますが、特段のダメージではない様子。

240 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:15:57.05 o1XfwRDz0 188/260


 追加で更に一発。

 その爆裂弾で瓦礫は一掃されました。カグヤは黒煙の中から、煙を吐き出しつつこちらへと向かってきています。悠々とした足取りで首など鳴らしながら。
 わたしは跳ねます。

カグヤ「……」

 無言のままにわたしを斥力が襲います。全身を突き飛ばされて壁へと激突しますが、ぶつかる瞬簡に受身を取りました。
 眼前にカグヤのつま先が迫ります。先ほどとは明らかに違う行動パターン。それが果たして地雷を踏んだのか、こちらを更なる高みへ上らせるためなのかは、現時点では判別がつきません。

 顔面への攻撃だけは何とか防ぎましたが、それでもカグヤは魔族です。その膂力は健在で、危うく腕の骨が折れるかと言う衝撃と共に、激痛と痺れが腕から全身へと広がっていきました。
 吹き飛ばされたわたしが態勢を立て直すよりも先に引力で引き寄せられます。カウンター。反撃の言葉が脳裏に浮かびますが、行動に移させないほどカグヤの速度は尋常でなくて。

241 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:17:11.35 o1XfwRDz0 189/260


 なんとか体勢をずらして、首への一撃を肩へ向けさせました。嫌な音と共に腕に力が入らなくなります。そして激痛――折れたというよりは外れたような。

 反対の腕で拳銃を引き抜きます。物品庫で見つけたものは爆裂弾だけではありません。口径のあう銃弾の予備もたんまりとありました。
 籠めるのは氷結呪文。こちらへ容赦なく肉弾戦を仕掛けてくるカグヤの動線を防ぐように弾丸を撃ちまくります。
 当然のように弾丸は全て斥力で弾き返されましたが、問題はありません。わたしとカグヤの直線状には、氷の柱がいくつも――

僧侶「って、嘘でしょ!?」

 魔方陣の展開。

 通路一杯に、空間を全て塞ぐように、その数おおよそ三十以上。
 
カグヤ「ふ」

 そのとき初めて、カグヤの口から言葉が漏れているのにわたしは気がつきました。

242 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:19:21.09 o1XfwRDz0 190/260


カグヤ「うふ、うっふふふ、く、くふ、ふふ、くふふふっ、くく、うくく、うふ、うくくっ……」

カグヤ「つまんなぁい」

 光がわたしの視界一杯に満ち満ちていきます。

 咄嗟に先ほど生まれた穴へと身を投げ込んで、なんとか光柱だけは回避に成功しましたが、背後の天井から上階の光柱が何本も突き出ているのが確認できました。それらは変わらずに、その斜線上にある全てのものを焼失させていくのです。

カグヤ「その程度しかできないの?」

 背後から声が聞こえました。
 反応するよりも先に衝撃がわたしを襲って、左腕が根こそぎ嫌な音を立てながら、一拍遅れて壁とキスをします。
 関節が二箇所増えていました。肩も外れているのですから、もう動かそうとも思いません。

 激痛に怯んでなどいられません。まったく表情が欠落したようなカグヤへと向かいますが、あいもかわらず攻撃は届かず、光がこちらの命を一振りで奪い去ろうとしてきます。
 銃弾を打ち込んで魔法を発動。氷を顕現してそれを楯に、無理やりカグヤへ一撃見舞おうとするものの、氷ごとカグヤはわたしを尻尾で打ち落としてきます。
 追撃の光。地面を跳ねて何とか回避。

243 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:20:12.66 o1XfwRDz0 191/260


 光柱をまとめて回避して、穴ぼこになった壁に思わず唾を飲み込むと、カグヤは第二射の準備を始めています。
 ここが好機と突っ込みました。魔方陣は一気に放つ光を増し、飛び込んでくるわたしに歓喜の声をあげているようにも見えます。そしてカグヤもまた、この自殺行為にも似た吶喊の行く末を、興味深く見守っているようでもありました。
 銃撃。それは当然斥力で弾き返されます。続くわたしの右拳も。

 重力軽減装置を作動し壁を蹴り上げ、できうる限りの勢いでカグヤに突っ込みますが、斥力と言う楯の元では全てが意味を成しません。腕の一振りで弾かれます。

 ですが。

 巨大な瓦礫がカグヤを狙いました。背後、全くのカグヤの死角を狙った一撃です。

カグヤ「ぬるいのさぁ」

 カグヤはそれに一瞥すらくれず、尻尾で軽々叩き落としました。

244 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:21:02.46 o1XfwRDz0 192/260


カグヤ「斥力で吹き飛ばされる、だから自分と重たいものを括りつけようっていう案は真っ当かもしれないけどさぁ。それを攻撃に使おうってのも、確かに面白くはあるんだけどさぁ」

カグヤ「アタシが求めてるのはそういう小賢しさじゃなくてさぁ」

 ぽう、とカグヤの背後が光りました。白く発光する円盤。魔力の震動がこちらにも伝わってきます。
 ぽう、ぽう、ぽう、とその数は次第に増えていき、それがおおよそ十を超えた段階で、わたしはその光が魔方陣によるものだと理解しました。
 あまりにも複雑な意匠をもった魔方陣。故に、円盤状の光としてしか視認できないのです。

 魔方陣が数を重ね、重ね、重ねて、通路一杯を覆っても、まだ増加は止みません。天井に、床に、壁に、魔方陣に重なるように、どんどん密度を増して行きます。
 あれだけの数の光柱が放たれれば、どうなるのかなんて考えるまでもありません。回避はできないでしょう。それだけの空間的余裕を与えてくれるとは思えませんでした。
 そしてあれだけの数です。犠牲になるのがわたしだけだとは到底思えません。床を、壁を、貫いた光線で一体何人が死ぬのか。考えただけでもぞっとします。

245 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:22:06.91 o1XfwRDz0 193/260


僧侶「くっ!」

 発砲しても意味はありません。それでも、何もせずに手をこまねくばかりなど、許せるはずもなくて。

カグヤ「本当残念さ。期待はずれさ。ばかさ。アタシって」

カグヤ「結局あんたじゃだめだったみたいだ。魂の輝きは見れなかった」

カグヤ「やり直しさ。また、誰かを探さなきゃあ、ねぇ?」

 魔方陣がその発光を極めました。

 同時に、わたしが仕込んでいた魔法が発動します。

 氷結魔法。

カグヤ「――あ?」

 呆けた顔のカグヤ。ぽかんと口をあけたそんな表情でも、この魔族は絶世の美女に違いありませんでした。
 そしてわたしはその顔面をぶん殴りに駆け出しています。

 放たれるのが収束された光ならば。

 反射もできるのではないか?

僧侶「屈折だって、乱反射だって」

 魔法は止まりません。蓄光を極めた魔方陣が、縦横無尽に光柱を放ちます。

 突如として現れた氷の鏡と、真っ直ぐに自分へと向かってくるわたしの姿、そして背後の魔方陣をそれぞれ見比べて、死人のようだったカグヤの顔に俄然生気が戻ってきます。

カグヤ「うっくっくっく! 凄い! 凄いよその発想! だってそれって自殺じゃん!」

246 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/16 12:22:59.95 o1XfwRDz0 194/260


 大気中に顕現したいくつもの氷の障壁。その本懐は光をうけとめることではなく、捻じ曲げ、反射させ、焼き焦がすこと。光柱を幾条もの細いレーザーへと分割し、それをもってして敵を撃つこと。
 光の持つ熱によって、一枚一枚が効果を発揮できるのは一秒にも満たないかもしれませんが、それでも十分。

 当然、より無軌道になったそれによって、わたしだって甚大な被害を被ることにはなるでしょうが。

僧侶「それくらいどうだっていいに決まってんでしょうがっ!」

 ここであなたを仕留めることこそが、傭兵さんを解放し、掃除婦さんを助け、他の兵隊さんたちを助けることこそが。
 わたしの至上命題なのですから!

 引力と斥力では光を捻じ曲げることは叶いません。それは既にわかっています。ならばこの攻撃を防ぐ手立ては、当然わたしにもなければ、カグヤにだってない!

カグヤ「見たり! 輝き見たり! うっく! うく、ふふ、くふふっ! うっくくくふふふっ!」 

カグヤ「あっはぁっ!」

 光が、わたしと、カグヤの体を貫いていきました。

254 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 13:32:14.48 ieRkiWA+0 195/260


※ ※ ※

 目を覚ましたら僧侶が俺の上で眠っていた。
 掛け布団の上に上体を投げ出すようにして、手を枕にすやすやと寝息を立てている。

 頭には白い包帯。左肩から左手首にかけて、ぎっちりとギプス。髪の毛はざんばらで嘗ての面影はない。
 痛々しい姿だ、と思った。そしてすぐにその原因に思い当たる。

傭兵「……」

 記憶はある。自分が何をされたのかも、何をしたのかも、全て覚えている。
 思わず目をやった手は骨ばってこそいるが、随分ときれいなものだ。血の一滴だって見つけられやしない。

傭兵「つぅか、なんでこいつがいるんだ」

 何日眠り呆けていたかはわからないが、こいつは王都に行くという重大な使命を帯びているはずで、こんなところでぼうっとしていていい人物ではない。

掃除婦「それはあなたが眠りすぎていたからですわ」

255 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 13:33:32.92 ieRkiWA+0 196/260


 扉を開けながらやってきたのは掃除婦。音もなく床を滑ってこちらへと近づいてくる。
 滑る――そう、滑る。
 掃除婦は右足を膝から失っていて、そのため車椅子に乗っているのだった。

 それを押しているのは将校である。車椅子の車輪には取っ手がついていて、掃除婦自身は将校の力添えなどいらないと言う風な態度であったが、将校は有無を言わさずにゆっくりと車椅子を進める。

 それをやったのは俺だ。わかっている。戦った。脚を叩き切った。他にも色々、殴ったり蹴ったり、散々やった。平気に見えるのは恐らく見せ掛けだけで、完治には程遠いのだろう。面会謝絶でもおかしくないはず。
 おかしな話だった。俺は真っ先に掃除婦に対して土下座をしなければならない。地面に額をこすりつけて、申し訳ない、許されないことをしてしまった、そう言って許しを請わなければならない。
 そうするのが普通だとはわかっているのに、何よりも先に、そして大きく芽生えた感情は全く異なるものだった。

 してやられた。

 悔しさが自分の頭を満たしている。

256 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 13:34:29.70 ieRkiWA+0 197/260


傭兵「苦労をかけたな」

 だからこんなことが言えてしまう。

掃除婦「まぁ、仕方ありません」

 そして、そんなことが言えてしまう掃除婦もまた、普通ではないに違いない。

 あぁ、俺たちはどこまでもろくでなしなのだ。一般人とは感性がずれすぎてしまっているのだ。
 四天王が単身乗り込んでくるケースは完全に想定外である。そして俺を含めた数人が操られるなど、それに輪をかけて考えられていなかった。その非常事態を乗り越えられただけでも幸運だ。
 掃除婦の損耗は、彼女自身覚悟していたことなのだろう。いつか必ずそのときはやってくる。誰にだって、等しく。彼女は自分が「者」ではなく「物」であることをよく理解しているから。

傭兵「娼婦……カグヤ、と言ったか。僧侶が退けたのか?」

 状況的にそう考えるしかない。俄かには信じがたかったが。
 掃除婦はにっこりと微笑んで、それを返事代わりにした。それを受けた俺の芽生えたこの感情をどう呼んだらいいだろう。思わず笑みがこぼれてしまう、この感情の正体は一体なんだ?

257 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 13:41:55.95 ieRkiWA+0 198/260


傭兵「そうか……ありがとうな」

 そう言って、眠っている彼女の頭に手をやる。ざんばらになった髪の毛はわずかに軋む。
 あぁ、もったいないな、と俺は思った。美容だとか、ファッションだとか、そういったものにとんと縁のない俺だって、あのさらさらの髪をもったいなく思う心くらいは存在するのだ。

僧侶「傭兵さん!?」

 俺の手を吹き飛ばす勢いで僧侶が上体を起こし、左半身の激痛に呻いた。大丈夫か、と声をかけると、眦に涙を浮かべながらも口を大きく開けて笑って、

僧侶「よかった、無事で……!」

 消え入りそうな声でそう言うのだった。

 まったくそれはこちらの台詞である。お前が無事で本当によかった。なんて無茶をしやがるんだ。そう言ってやりたかったのだが、なんだか妙に小っ恥ずかしくて、喉から出たのは「ありがとうな」というありきたりな言葉。

僧侶「うへへ……」

 そんな普通の言葉でも、僧侶は頬を緩めて心底嬉しそうに笑う。

258 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 13:42:51.86 ieRkiWA+0 199/260


傭兵「って、違ェよ! お前王都にいくのはどうなったんだ!」

僧侶「そ、そんなに叫ばないでくださいよ」

掃除婦「だから、あなたが眠りすぎていたのだと言いましたわ」

将校「ボスはもう二週間も眠っていたんです。既に僧侶様の顔見せは済みました」

僧侶「ちょっぱやで済ませましたけどね」

 二週間。そんなに、か。
 永久の眠りにならなくてよかった、と冗談ではなく胸を撫で下ろすところなのだろう。

傭兵「……じゃあなんでこいつはここにいる」

 わかっていても訊いてしまう。

僧侶「傭兵さんを放っておいてプランクィに帰れるわけないじゃないですか!」

 まるで当然だという面持ちで叫ぶ僧侶だった。自惚れでなかったのは幸いだが、しかし、それはそれで大問題だ。こいつ自分の立場というものを理解してんのか?
 言ってやりたい。言ってやりたい、が……。

僧侶「?」

 こいつは名実共に恩人なわけで、それがにこにこ顔で眼前にいるとなると、怒鳴るのも気が引けるというかなんというか。

傭兵「……ふぅ」

 だめだだめだ。気が抜けちまった。

259 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 13:43:33.98 ieRkiWA+0 200/260


傭兵「それにしても、よく倒せたな。倒せた、のか?」

僧侶「あぁ、倒せたってのとはちょっと違いまして。敵の攻撃を反射して、双方痛みわけ。あっちも満足? したみたいで、退いていきました」

 満足……? 正直よくわからなかったが、残存しているのは確かなようだ。体勢を立て直すために一旦逃げた、と考えるのが自然なのだろう。
 ともあれ、俺が眠りこけている二週間のうちに再度攻めてこなかったということは、ある程度状況は楽観視してもいいのかもしれない。勿論防衛体制などは見直さなければならないし、やることは山積しているのだろうけれど。

掃除婦「とりあえず、お体に不調などはございますか?」

 肩と上体をぐりぐりと動かして、

傭兵「……いや、大丈夫だ」

掃除婦「そう。それは重畳ですわ」

将校「休暇をとっていた者たちもその大半が戻ってきています。ボスはお体は大丈夫とのことでしたが、一応あと一週間ほどは安静にしてください」

傭兵「一週間? 冗談じゃねぇ」

 PMCに四天王が攻め入ってきたのだ、また俺たちが微妙な立場に立たされることが明白な以上、のんびりしている暇などあるものか。

260 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 13:44:23.74 ieRkiWA+0 201/260


将校「これは私たちの総意です。それにカグヤの攻撃は精神を対象としますから、どんな後遺症が残っているか、まだわかったものじゃありません」

 ぴしゃりと言われてしまった。総意ならば仕方がない、と大人しく引き下がる気にもなれなかったが、まぁいざとなったら強権を発動したっていいのだ。こいつらも、俺がそれくらいはやると思っているのだろうし。
 ふん。人数が増えると随分楽になるものだ、なんて。

将校「それでは、ごゆっくり」

掃除婦「……自分で動かします」

将校「まぁまぁ」

掃除婦「言っても聞かない人は嫌いですが」

将校「これ以上嫌われようもありませんね」

掃除婦「やめてください……やめてったら」

 あくまでも楽しそうな将校と、不機嫌そうな掃除婦は、それでも揃って出て行った。きぃ、ばたん。木製の扉が閉まって、部屋には俺と僧侶二人だけ。

261 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 13:45:22.62 ieRkiWA+0 202/260


将校「これは私たちの総意です。それにカグヤの攻撃は精神を対象としますから、どんな後遺症が残っているか、まだわかったものじゃありません」

 ぴしゃりと言われてしまった。総意ならば仕方がない、と大人しく引き下がる気にもなれなかったが、まぁいざとなったら強権を発動したっていいのだ。こいつらも、俺がそれくらいはやると思っているのだろうし。
 ふん。人数が増えると随分楽になるものだ、なんて。

将校「それでは、ごゆっくり」

掃除婦「……自分で動かします」

将校「まぁまぁ」

掃除婦「言っても聞かない人は嫌いですが」

将校「これ以上嫌われようもありませんね」

掃除婦「やめてください……やめてったら」

 あくまでも楽しそうな将校と、不機嫌そうな掃除婦は、それでも揃って出て行った。きぃ、ばたん。木製の扉が閉まって、部屋には俺と僧侶二人だけ。

262 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 13:46:43.48 ieRkiWA+0 203/260


傭兵「……なんだありゃ」

僧侶「……はぁ」

 盛大にため息をつかれてしまった。なんだって言うんだ。

僧侶「それにしても、お疲れ様です。体は本当に大丈夫ですか?」

傭兵「お疲れ様なのはお前だ」

僧侶「ん。本当に疲れちゃいましたよ。それは確かですけど」

僧侶「でも、まぁ、なんていうんですか。傭兵さんが無事でよかったです」

 はにかむ僧侶。彼女の上体は依然ベッドの上、俺の上にあって、必然的にお互いの顔は近い。
 なんだか心臓がうるさい。黙れ。
 俺の体は俺のものだ。俺の言うことを聞けったら。

263 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 13:48:49.85 ieRkiWA+0 204/260


傭兵「……どうして、無茶なことをしやがるんだ」

僧侶「無茶?」

傭兵「相手は四天王だ。正体不明の大敵だ。お前が勝てる可能性なんて万に一つもなかった。違うか? そうだろう。お前だってそれくらいはわかってたんじゃないのか?」

 僧侶は聡明だ。彼我の実力差を、ここにきてわからないとは思えない。

僧侶「……なんでそんなことを訊くんですか?」

 顔を赤らめながら僧侶が聞き返してくる。何か、話が完璧に行き違っているような、そんな気さえした。
 いや、もしかしたら行き違ってはいないのかもしれない。凹凸のように、でこぼこだからこそ初めて「噛み合う」ということは成立する。
 ……何の話だ? 何を考えているんだ? 俺は。

傭兵「俺は、お前は聡明だと思ってる。自分の立場がわかっていないはずはない。共産主義を持続させたいんだろう? なら、どうして、無茶をする。カグヤを倒すことなんてどうだってよかったはずなのに」

264 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 13:50:49.23 ieRkiWA+0 205/260


傭兵「俺たちは所詮傭兵だ。金で動いて、金で殺す。いつだってそうだ。これまでもそうだった。これからもそうであり続ける」

僧侶「傭兵さん、わたしは――」

傭兵「だがお前は傭兵じゃない」

 僧侶の言葉をぶった切って、続ける。

傭兵「いくらうちと懇意にしてようと、お前は傭兵じゃないんだ。寧ろ俺たちは、お前が最も忌避しなければいけないものだ。なんせ、共産主義者が大嫌いな金と権威にぞっこんなんだからな」

傭兵「助けてくれたことには素直に礼を言おう。だが、もうお前を、こんな危険な目には合わせるわけにはいかねぇ」

傭兵「もう俺たちを頼るのはやめろ。お前にはお前に相応しい相手が他にいるはずだ」

 どんな反応をするか、恐ろしいものを見るような気持ちで視線を上げた。

265 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 13:52:42.22 ieRkiWA+0 206/260


僧侶「……」

 驚くべきことに、僧侶は存外冷静で、何かに納得したのかうんうんと一人でうなずいている。

僧侶「だからなんですか?」

 と、第一声として僧侶は言った。

僧侶「だから傭兵さんは、わたしを遠ざけようとしていたんですか?」

僧侶「わたしたちの間柄は決して『オトモダチ』ではないのだと、それを貫徹するために?」

僧侶「だとすれば傭兵さん、だとするならば、傭兵さん、それは違うのです。確かにカグヤに対して勝機は万に一つもありませんでした。いまわたしがここにこうしていられるのは、決して実力なのではなく、単に一生分の運を使い果たしたからなのでしょう」

僧侶「わたしはお友達とかなんだとか、そんなことは一切気にしちゃいないんです。誤解してもらっちゃ困ります。仲がいいとか悪いとか、そんなことはどうだってよくて――ねぇ、傭兵さんも、そうじゃないんですか?」

僧侶「誰もが幸せになったほうがいいと思ってるんじゃないんですか?」

 きらきら輝く笑顔を見せ付けて、至極当然の事実を諳んじるように、僧侶は俺に問うてきた。

266 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 13:54:27.54 ieRkiWA+0 207/260


 心が痛む。
 ずきずきと。

 こいつは何を言っているんだ?

 違う。俺は決してそんな理由でお前を遠ざけようとしていたわけじゃあない。こちらのほうこそ誤解してもらっちゃ困るのだ。
 お前は恐らく誤っている。まるで俺が聖人君子のようにお前は扱うが、そんなことは決してないのだ。

 もし聖人君子であれば、誰も死なない道を選ぶだろう。誰も犠牲の出ない道を選ぶだろう。過程も結果も欲張るからこその聖人君子なのだ。寧ろやつこそ最大の業突く張りとも考えられる。
 そんなこと実際には不可能なのだ。不可能なのだ。不可能なのだ。
 必ず犠牲は出る。最善の結果を得るためには、どうしたって踏み台にならなければいけない人間が存在する。俺はいつだってその踏み台になる覚悟を持ち合わせているけれど、悲しいかな、常に俺が踏み台になってやれるわけじゃない。

 それどころか、無慈悲に誰かを犠牲にする選択を採らねばならない場合だって多々ある。

267 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 13:56:05.85 ieRkiWA+0 208/260


 心が痛む。
 ずきずきと。

 これは罪悪感だ。

 誰もが幸せになればいいと思っている。
 だが、俺にはそんなことできやしないのだ。
 そういった意味では俺もまた誤っているに違いない。

 僧侶には心配をかけたくなくて、どうにかして無理やり笑ってみようとするのだが、長らく笑顔なんてした記憶はなかった。顔が引き攣って変な表情になる。

僧侶「だ、大丈夫ですか? どこか痛みますか?」

傭兵「いや、大丈夫だ。本当ならいますぐにだって飛び出していける」

僧侶「……大丈夫だとしても、安静にはしておかなきゃだめですよ」

傭兵「わかってるさ。とやかく言われたくないしな。まったく、長い休暇になったもんだ」

僧侶「傭兵さんは頑張りすぎなんです。たまには休んだって文句言われませんよ」

傭兵「……言われるさ」

僧侶「言われますか? 誰に? そんなに心の狭いかたがいるとも思えませんが」

傭兵「死者にな」

268 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 13:56:53.18 ieRkiWA+0 209/260


僧侶「し、しゃ?」

傭兵「あいつらはうるせぇんだ。何年たっても心の隅からじっと見上げてる。まったく、よく飽きないもんだ」

僧侶「どういうことですか」

 俺の口調の変化を敏感に感じ取ったのだろう。僧侶の声音に真剣なものが混じる。これが単なる悪趣味な冗談だとは受け取らなかったらしい。
 意志が弱いにもほどがある。結局、僧侶に心配をかけたくないといいつつも、俺はあいつを傷つけることでしかコミュニケーションができないでいるのだ。
 やつに愛想を尽かされることしか、あいつから距離を置いてくれることを期待するしか、離れ方を知らない。わからない。俺からの三行半など、考えた回数ばかりが積み重なっていって、実際に実行へ移せた回数など一度しかなかった。

 俺は自嘲気味に笑った。

傭兵「今まで散々犠牲にしているからな。どうやらそいつらが、俺を忘れてはくれないらしい。心の片隅に陣取ってやがる」

僧侶「……傭兵さんが忘れられないのではなく?」

 痛いところをついてくる女だ。

269 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 13:57:30.28 ieRkiWA+0 210/260


傭兵「違ェよ。恨みだな、きっと。敵対して殺したやつも、囮にして殺したやつも、沢山だ。沢山いる」

僧侶「でも、傭兵さんだって殺したくて殺したはずじゃあないんでしょう」

傭兵「殺したくて殺したんだよ。剣を振るえば人が死ぬ。置き去りにすれば力尽きる。知っていて俺は実行に移したんだ。それを殺人と言わずにどう言えばいい。世が世なら、俺は大量殺人犯さ」

僧侶「……大義のために」

傭兵「人を殺すことが許されるわけはねぇよな」

僧侶「えぇ、そうです。それは、当たり前です。だから、傭兵さん、あなたも、そしてわたしも、そうなわけで」

僧侶「それでも、人を殺してでも成し遂げたい目的が、確かにあるじゃないですか」

 世界平和。全人類がみんな幸福。
 絵空事であるはずのその言葉を大義として掲げるという点では、俺もこいつも、なんらかわりがない。

僧侶「……わたし、失礼かもしれませんが、傭兵さんはそういうのを切り離せるタイプの人だと思っていました。頓着しないのではなく、悩まないのではなく、必要経費だと割り切れるタイプだと」

僧侶「それを今更になってわたしにこぼすなんて……なにか、あったのですか?」

270 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 14:03:02.30 ieRkiWA+0 211/260


傭兵「くっ」

 思わず笑いが吹き出そうになった。なんだそれ。なんだその人間評。どうしてお前はそんなに俺の内心を言い当てることができる。まるで見ていたかのように。
 だが、これだけはわからなかったようだ。わからないだろう。
 全ての原因はお前なのだ。

 あぁ、こんなにもうまくいかないことが嘗てあったろうか。感情の制御は得意なほうだと自負していた俺が、である。

 なぜ!
 いまさら!
 俺の理想の犠牲者「程度」で悩まなければいけないのだ!

 そうやって悪者ぶるのが、メンタルの弱さの証なんですよ。
 僧侶の声が耳元で聞こえた気がする。そんなことはないというのに。

271 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 14:04:05.16 ieRkiWA+0 212/260


傭兵「娘が盗賊団に誘拐されたから奪還してくれという依頼が入った。軽く依頼をこなしてみれば、そもそも盗賊団の首魁が娘らしかった。父親への反発……それ以上に、世を憂いての義賊への転身だったようだ」

傭兵「その娘は二日後に手首を切って死んだ」

傭兵「子供を違法に労働させている売春宿を潰してくれという依頼が入った。助けた子供たちは、家庭に戻ったのもあれば、孤児院に引き取られたのもいる」

傭兵「半数以上が死んだ。家庭に戻ったのは大抵が虐待死で、孤児院では出自から慰みものになっていたらしい。それを苦にしての自殺、ないしは脱走後の行方不明」

傭兵「違法に産業廃棄物を投棄していく業者を退治してくれという依頼が入った。現場を押さえて叩きのめし、証拠を挙げて訴訟した。その結果、不法投棄はなくなって、ゴミの山は消えた」

傭兵「代わりに、そこでゴミ漁りをして暮らしていた浮浪者が軒並み餓死、凍死した。汚染された土壌で作物を作った現地の住民も、長い間苦しんで死んだ」

傭兵「……まだまだあるぞ。聞きたいか?」

 僧侶は首を楯にも横にも振らなかった。ただ泣きそうな表情でこちらを見ている。

272 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 14:05:03.47 ieRkiWA+0 213/260


傭兵「……お前も俺の犠牲になりたいか?」

 簡単な言葉のはずなのに、だいぶん勇気のいる言葉だった。それはきっと脅しではないからだ。誰かの身を案じたりすることが、本質的に俺にとって不得手なのだと思う。

傭兵「俺は、お前を、犠牲にしたくはない」

 心臓が早鐘のように鳴っている。顔が熱くて僧侶の顔が見られない。

 なんだこれは。
 一体全体、なんなんだこれは!

傭兵「俺は、お前みたいなやつこそが幸せに生きられる世界こそが、真に素晴らしい世界なんだと思っている」

素慮「わたしみたいな?」

傭兵「どんなやつだって、ただ真摯で、誰かに対して真面目である人間が、決して損をせずに生きていける世界。所謂『正直者がバカを見ない』世界」

273 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 14:06:02.98 ieRkiWA+0 214/260


傭兵「働いたぶんだけきちんと金がもらえ、会計がきちんと処理されて、商品で騙されることなく、勇気のあるやつは評価され、努力したやつは認められ、挑戦したものは成長できる、そんな世界を俺はつくりたい」

傭兵「なぁ、気づいているか? 俺がお前を犠牲にしていることを。権力闘争の道具にしていることを。お前は俺にとって、思ったとおりに動く、随分と都合のいい傀儡だよ」

傭兵「申し訳ないと思ったことなんてない。ないんだ。あぁ、ないとも。そうさ、あってたまるか。いまさら、犠牲の一人や二人、泣いてなぞいられるか。そうだろう」

 だけど。

傭兵「どうしてだろうな。俺は、嫌なんだ」

 僧侶を利用して、俺の目的のための犠牲にすることが、どうしようもなく不快でしょうがないのだ。
 そして、俺と一緒に行動していることによって、こいつが戦いの犠牲になることがどうしようもなく恐ろしくてしょうがないのだ。

 一体全体俺はどうしてしまったというのか。

274 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 14:07:03.32 ieRkiWA+0 215/260


 視界が涙で滲む。おかしい。おかしかった。こんなことが許されるはずがない。今更生き方など変えることはできない。どうしろというのだ。
 理想のために生きてきた。脅威となる魔族は、それを率いる魔王は、見過ごせやしない生命の大敵である。やつらを叩き潰すために、そして理想の世界をつくるために、ひたすら金を掻き集めてきた。
 それなのに、どうしてこんな、二十にもなっていないちんちくりんが、俺の前に障壁となって立ちふさがるだろう。

 こいつを不幸になどしたくないのに、こいつを不幸にするのが最善なのだと考えてしまう。

 あぁ、くそ。なんてことだ。
 なんで人生はこんなにうまくいかないんだ。
 難しいんだ。

 「難題」ばかりじゃないか。

275 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/11/24 14:07:56.35 ieRkiWA+0 216/260




 それならアタシがどうにかする知恵を授けてあげようじゃないか。
 うく、うくくっ、くく、くふふっ! くふっ!

――殺すのさぁ! 殺してやるのさぁ!



285 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/02 02:31:20.85 Jw8n7b7d0 217/260



※ ※ ※

 お前のせいだ。
 お前のせいだ。
 お前のせいだ。

 お前のせいで、俺はおかしくなった。
 こんなふうになっちまった。

 今の俺になにができよう。小娘一人犠牲にできないで、大望を仰ごうとするなどおこがましいにもほどがある。一人を見捨てて二人を助け、百人殺して千人救うのだ。それを繰り返すことでしか、世界をよくはできない。
 数なのだ。全ては数なのだ。俺一人ができることなど高が知れている。だから、沢山の人を救って、味方につけて、力にして、糧にして、魔王を倒して、世界を平和に、あぁそうだ。初志は貫徹されている。俺は何も間違っちゃいない。
 誤っちゃいない!

 小娘一人救えずに、世界を救うなどおこがましい。

 うるさい黙れ。誰だそんなことを言うやつは。こいつだけじゃあない。僧侶だけじゃあない。俺は今まで何人も見捨ててきた。殺してきた。今更、こんな、少女一人に心を乱されてはいけないのだ。
 でなければ他の犠牲者に申し訳が立たない。立つ瀬がない。

 ここで信念を捻じ曲げることが、どれだけのものを冒涜し、どれだけのものに泥を塗るか。俺はそれをよく知っている。

286 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/02 02:31:49.10 Jw8n7b7d0 218/260


傭兵「だから、だからぁあああああ……っ」

 俺の両手は、僧侶の白く、細い首筋にかかっている。
 ベッドに彼女を押し倒す格好で、馬乗りになって、全体重をかけて。ほそっこくてやわっこい頚椎をへし折ろうとしている。

傭兵「お前は、僧侶ォオオォ……死ぬんだ、死ぬべきなんだ……っ」

 僧侶は苦しそうな表情で俺の手首へと手をやっている。せめてもの抵抗。腕力倍加をした状態であっても、片腕と両腕、更に体勢のこともあって、ひっくり返すことは不可能だろう。

傭兵「そうしなければ、この『難題』は、解けない!」

僧侶「『難題』……ッ!」

 僧侶は明らかに苦い顔をした。それは呼吸困難からくる苦しみとは全く別種の顔だった。

僧侶「カグヤ、あいつ! だからあんなにあっさり退いたのか!」

287 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/02 02:32:33.80 Jw8n7b7d0 219/260


 そんな風に、あまりにも殺意を籠めてアタシの名前を呼ぶものだから、思わず首を絞める手に力が入ってしまう。
 うくっ! うく、くく、くふっ!
 でもでもだめだよ、ここで僧侶ちゃん、あなたは俺に殺されるしかないのだ。

 そうするしかない。それ以外に、俺をこの難題から解き放ってくれる選択肢はない。
 アタシがそう言っていたのだ。だから俺はお前を殺す。

 俺の犠牲になる人生も辛かろう。あぁそうだ。もしかするとこれは人助けの側面すら持ち合わせている。俺の犠牲となって、権力闘争の渦中に生きるくらいなら、ここでいっそ。
 あぁ、なんて美しい愛! くふっ、うふ、うっくくくくっ!

 死ね! 死ね! 死ね!

 俺に殺されて死ね!

 アタシに殺されて死ね!

 愛に殺されて死ね!

288 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/02 02:33:01.20 Jw8n7b7d0 220/260


僧侶「……わっけわかんない。わっけわかんねぇですよぉ、傭兵さぁん!」

 ぐ、と俺の手首を握る手に力が籠められる。ぷるぷる震えているのは武者震い? それとも、アタシへの怒り? それこそこっちが「わっけわかんねぇ」なぁ!

 お前を犠牲にするのが一番手っ取り早いのだ。それを最もよくわかっているのは、僧侶、ほかならぬお前自身だろうが。大嫌いなはずの権力の渦へと飛び込んで、大嫌いなはずの金満主義の中枢へ擦り寄って、それでも叶えたい夢がお前にはあるのだろう。
 俺はそれを応援してやりたい。アタシだって応援してあげたい。

 はずなのに。

 なんでこんなに人生とはままならぬものなのでしょうか。

 くふっ。

傭兵「俺が作りたかった世界では、お前こそが最も幸せになるべきなのに」

 自己矛盾極まりないねぇ。

傭兵「どうしろっていうんだ、じゃあどうしろっていうんだ」

 そんなの簡単さぁ。

傭兵「殺すしかない。お前を殺すしか、手段はない!」

 そのとおり!

 さぁ、一気にやっちゃうのだアタシよ! 俺の太い指で、僧侶ちゃんの細い首を、一思いにぼきっとやってしまうのだ!

 そうして世界を平和にするのだ!

289 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/02 02:34:11.78 Jw8n7b7d0 221/260


僧侶「ばーか!」

 喉に食い込んだ指をものともせずに僧侶が口角泡を飛ばしながら叫ぶ。

僧侶「ばーか! ばーか! ばかばかばかばかばーか! 傭兵さんの、ばーかっ!」

僧侶「犠牲!? なにそれ、なんですかそれ! ふざけんな! ばかにするのも大概にしろってんですよ!」

僧侶「勝手に! わたしを! 犠牲者にしないでもらいたい!」

 ぐ、ぐぐ。手首に籠められた力が増大していって、明らかに有利な体勢なのに、徐々に、本当に徐々にではあるけれど、俺の体が、押し戻されて――これは?
 もしかして?

僧侶「知ってんですよこちとら、ずっと、ずぅっと前から!」

僧侶「わたしの立ち位置なんて、とっくのとうに!」

傭兵「嘘だ」

 断ずることなど容易い。僧侶の言葉は方便に過ぎない。今、この窮地をなんとか脱出しようと、八方手を尽くしているだけなのだ。騙されるものか。
 そう、騙されちゃあいけない。利用されて嬉しい人間などいるものかよ。もし僧侶ちゃんが利用されていることを知っていたなら、彼女のことだ、それをよしとするはずがない。そうでしょう? あぁそうだ。そうに違いない。
 僧侶ちゃんは高潔な生き方を、うくく、望んでいるから、志向しているから、俺に利用されているだなんて、許せるはずがないないのだ。

 だからその言葉は嘘なのだ。

290 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/02 02:34:54.97 Jw8n7b7d0 222/260


僧侶「嘘なもんか!」

傭兵「なら、おかしいだろう。おかしいじゃねぇか。なぜ黙っていた。俺に怒らなかった。利用されてたんだぞ。ただ働きだぞ。騙されてたも同然なんだぞ!」

僧侶「違う!」

僧侶「だってそれは自分の意思なんだから、騙されてたんじゃ、絶対にない!」

傭兵「わけわかんねぇことを言うな!」

傭兵「自分の意思で利用されるようなお人よしがどこにいる! よしんばいたとしても、お前はそれで何を得た! 言ってみろ!」

 言えやしない。どうせ言えやしないのだ。なぜなら、得たものなど何一つないのだから。
 それを騙されたというのだ。俺の犠牲になったというのだ。
 そして、これからも彼女は、俺の犠牲になり続ける。

 許せるはずがない。

291 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/02 02:35:27.71 Jw8n7b7d0 223/260


僧侶「心の平穏です!」

 全身から一瞬力が抜けた。それを見越したかのように、一気に僧侶がこちらへと攻めやってくる。
 既に俺の両手は彼女の首から離れていて、一センチほど、もがいてもがいて空を切った。

 殺さなければ。殺さなければ。殺さなければいけない。ここで失敗すれば、僧侶は不幸になる。それだけはだめだ。そんなのはいやだ。あいつが不幸になるだなんてことはあってはいけないのだ。

 誰よりも高潔で、誰よりも誠実で、誰よりも世界平和を願う彼女が、こんな俺みたいな人間の犠牲になってはいけないのだ。

 俺のそんな善意など露知らず、僧侶は叫び続ける。

 アタシの心にナイフを差し込み続ける。

292 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/02 02:36:02.02 Jw8n7b7d0 224/260


僧侶「わたしは、傭兵さん! わたしはですね、あなたのためになら、なんだってしてやれると思ってるんですよ!」

 恥ずかしいからこんなこと言えやしなかったですけど、と僧侶は顔を真っ赤にしながら言った。

傭兵「お前、俺のことが嫌いなんだろう」

 素朴な疑問だった。アタシにとってはあからさまな僧侶ちゃんの態度も、俺には全く理解できない。乙女心など縁がなく、金にもならない。故に知らない。限りなく単純な論法である。

僧侶「は! はぁ!? あなた、こんな状況でそれを訊きますか!」

僧侶「言い続けているでしょう! わたしはあなたを、信頼しているのですと!」

 僧侶の吐息が顔にかかる。額と額がぶつかりそうな距離に、あいつの顔がある。
 真っ赤に火照った顔。涙目になっている。やけくそだ、遮二無二だ。

僧侶「わたしは!」

僧侶「あなたと幸せになりたいのです!」

293 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/02 02:36:33.41 Jw8n7b7d0 225/260


 自分が幸せになりたいのではなく。
 俺を幸せにしたいのではなく。
 両方のいいとこどり。

 呼吸が止まる。思考が止まる。鼓動すら止まったのかもしれない。それはまさしく斜め上の発想で、振り返ってみればごくごく当然のことで。
 世界平和を願っているこいつが、そう考えないはずはないのだ。

 それはこいつの自己犠牲ではない。のだろう。恐らく。僧侶という少女は恐ろしく馬鹿だから、ただ犠牲になったりはしない。とにかく、どこまでも全てを幸せに、平和にすることだけを希求している。
 貪欲な女だ。強欲な女だ。狭量な女だ。自分のために他人を蔑ろにするでなく、他人のために自分を蔑ろにするでなく、八方全てを丸く治めたがる。それは勿論、可能ならば最高かもしれない。しかし普通の人間は最高を得る前に諦めるものが大概で。

 いや、そうだった。たった今考えたばかりではないか。
 僧侶という少女は恐ろしく馬鹿なのだ。

294 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/02 02:41:58.23 Jw8n7b7d0 226/260


 蓋を開けてみれば簡単なことだった。単純極まりないことだった。

 望む限りを得ようとすることを、俺はいつしかやめてしまっていた。
 百人救うために出る一人の犠牲を、はなから許容してしまっている。

 俺は確かに、こいつを幸せにしたいと思ったはずなのに。 

傭兵「……俺、も」

 だからこそ、俺の口からぽろりと、限りなく素直な言葉が零れ落ちるのである。

 馬鹿さ加減に中てられて。

傭兵「お前と幸せになりたいんだが」

 僧侶が不幸になるなんて耐えられない。
 こいつは幸せになるべきなのだ。
 それだけで俺は幸せになれるのだ。

僧侶「なら、『難題』なんてものはどこにもありゃしないんです。手と手を取り合って、いきましょう」

 そして彼女はにこりと笑った。

 これはまずい、と思った。俺の心中にあった感情のベールが取り払われて、俺は一瞬、その名前を直視してしまう。

295 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/02 02:42:58.14 Jw8n7b7d0 227/260


 行きましょう。
 生きましょう。

 あぁ、なんて美しい言葉だろう。僧侶ちゃんも、そんなきらきら輝いた笑顔なんか、見せ付けてくれちゃって。
 この世に難題こそ多けれど、それを乗り越えるのが強い人間。いいものを見せてもらったよ。本当に、いいものを見せてもらった。

 拍手喝采さぁ!

 さすが人間社会! なんて素晴らしい、なぁんて素晴らしい、見世物小屋なんだろう!

296 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/02 02:43:39.01 Jw8n7b7d0 228/260


 難題は解けた。
 夜は終わった。



 だから、俺は僧侶の手をとれる。



309 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/06 22:59:44.15 /c30NiNz0 229/260


※ ※ ※

 あぁ。
 あぁ。
 あぁ。

 たぁああああぁあのぉしぃいいいいいいいいっ!

 と、おぞましい叫び声をあげながら、娼婦――四天王、カグヤの姿が部屋の隅へと顕現した。
 一も二もない。俺はすかさず僧侶の腰から拳銃を奪い取ると、狙いを定めることすらなしにカグヤへと発砲する。
 書棚の硝子が砕け、壁に弾痕がいくつもつく。カグヤにはヒットしていない。全ての弾丸はやつをすり抜けていった。

カグヤ「うっわ! うっわぁ! ちょっとちょっと、いきなり発砲って、それは人間のすることじゃないねぇ!」

傭兵「……幻影か」

 よく見ればカグヤの姿はおぼろげである。俺が用いるような質量を持った幻影ではなく、より単純な映像の投影だった。カグヤ本体は遠く離れた場所で、幻影の眼を通してこちらを見ているのだろう。

310 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/06 23:01:58.60 /c30NiNz0 230/260


 腹立たしい。腹立たしすぎる。こんなやつに俺がいいように弄ばれたのだ。これに怒らずに、一体何に怒ればいいだろう。
 僧侶への感謝は有り余る。いろいろ、大事な何かが大きく転換したような気はしたが、それはそれ。まずは目の前の悪鬼から身を守らなければならない。

 僧侶を守らなければならない。

僧侶「まだやる気ですか、しつこいやつですね!」

 鋭く睨みつける僧侶。カグヤとの因縁は、俺よりもこいつのほうがずっと深い。僧侶にここまで嫌悪させる何かがあるのだろう。
 言葉を受けて、悪魔の羽が羽ばたき、金色の尾がうねる。戦闘態勢ではない。そもそも、実態のない幻影でこちらに攻撃を加えることはできない。
 とはいえカグヤの十八番は精神攻撃。いやらしい相手だ。

311 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/06 23:03:01.10 /c30NiNz0 231/260


 うくく、とカグヤは含み笑いをこぼした。

カグヤ「やる気ィ? 冗談じゃないさ。じょーだんじゃないさぁ。満足したんだよ、アタシは」

 満足、と確かに目の前の魔族は口にした。そして、先ほど、こいつとの戦いを説明した僧侶もまた同じ言葉を口にしたはずだ。「満足」。
 なんとなくだが理解できた。理解してしまった。カグヤという四天王の真髄は、恐らく、厭世観に近いものなのだと。

カグヤ「魂の輝きってものを見せてもらって、それだけじゃあなく、愛の結実まで! いやぁ、凄い、凄いよ! さすが人間さぁ!」

 そうして、にやりと笑う。
 にぃんまり、と笑う。

 怖気の走る笑みだった。

 だめだ。
 まず最初に生まれた感情がそれである。だめだ、だめだ、だめだ。嫌な予感としか表現できない、思わず息を呑んでしまうような逼迫感が、胸の奥から競りあがってくる。
 こいつを野放しにしてはいけない。

 ぎゅ、と繋いだ手から僧侶の緊張が伝わってくる。

312 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/06 23:03:45.19 /c30NiNz0 232/260


カグヤ「こりゃあ他の人間も期待できるかな?」

 そのフレーズが意味するところを、俺は一瞬、脳が受け付けない。

僧侶「カグヤァッ!」

 先に動いたのは僧侶だった。怒号を発しながら、健在な右手で幻影を殴りつけようとするも、当然のように攻撃はすり抜けてしまう。
 勢い余って壁をぶち抜いても僧侶の怒りは収まらない。すり抜ける幻影相手には胸倉を掴むことすらできないが、奥歯を噛み締めながら修羅の形相。もし殺意で他者を害せるならば、それだけでカグヤは死んでいるだろう。

僧侶「あなた、あなたはっ! わたしたちにだけじゃなく、こんなことを、まだ続けようとしやがるつもりですか!」

カグヤ「そうだよ」

 うくく、とまたもカグヤは含み笑いをこぼした。

カグヤ「だって、楽しすぎるんだもの!」

 愕然としている俺たちを尻目に、カグヤは限りない幸せを噛み締めながら、まるで歌うように叫ぶ。

313 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/06 23:04:49.39 /c30NiNz0 233/260


カグヤ「人間って素敵! 絆って素晴らしい! 愛って最高! 見てみたい! あぁ! もっと! ずっと! 見ていたい!」

カグヤ「――だから、止めてね?」

 きみたちの輝きを発揮して。

 そう言い残して、幻影すらも掻き消えた。
 どこまで一方的に、どこまでも自分勝手に、やりたいことだけをやって、言いたいことだけを言って、全てが終われば満足して。
 四天王カグヤは、自己陶酔のままに、勝利を収めたのだった。

314 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/06 23:06:11.95 /c30NiNz0 234/260


※ ※ ※

 音を聞きつけてきた将校や兵士がやってきたのは、幻影が掻き消えてから数秒後のことである。掃除婦と将校が退室してから僅か五分程度の間に、一体何があったのか。それを説明すると将校は顔を真っ青にして頷いた。

将校「わかりました。至急各国に伝令を」

傭兵「あぁ、頼んだ」

将校「掃除婦さんの脚のお礼をあいつにはしなきゃいけませんから」

 そうは言うものの、実際あいつの脚をぶった切ったのは俺なのである。
 犠牲は少ないほうがいいに決まっている。ある種当然のことを思い出した俺にとって、その事実はやはり俺に重くのしかかっては来るが、将校も掃除婦も敵とそうでないものをはっきり区別している。俺の謝罪など求めてはいるまい。

 ただ俺が謝りたいだけだ。
 すまないと。
 お前の人生を奪ってしまって、悪かったと。

315 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/06 23:07:31.80 /c30NiNz0 235/260


 将校が俺の眼を見て驚いた顔をしていた。なんだ、幽霊でも見つけた顔しやがって。俺は確かに死線を何度も潜り抜けてはいるが一度だって死んだことは――いや、一度だけあるか。

傭兵「なんだ」

将校「……いえ。私は嬉しく思います。では、失礼します」

 追加の質問の余地を与えてはくれなかった。将校は兵隊たちを引き連れ、足早に部屋を後にする。
 なんだってんだ、本当に。

僧侶「……傭兵さん」

 不安そうな顔の僧侶。気持ちはわかる。

傭兵「……俺も最悪な気分だ」

 あいつはやる。必ずやる。間違いなくやる。
 なぜなら「そういう生き物」だから。
 人間が呼吸をするように、食事をするように、何の疑問も持たずに惨事を引き起こせる。絆や愛や、そういったものの輝きを見るために、躊躇なく他人を不幸にできる。

316 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/06 23:07:59.58 /c30NiNz0 236/260


僧侶「信じましょう、と言い切るのは、難しいかもしれません」

 人間誰しも苦難や困難を抱えているものだ。やつはその心の弱さにつけこみ、かどわかし、破滅へ導こうとする。それを打ち砕くのが恐らく愛や絆というやつで、カグヤはそれが見たいのだ。
 なんというマッチポンプ。嘯き放題ではないか。

傭兵「愛、絆、か」

 であるならば、これもまた大天狗とは違った形での、大きな戦いということになるのだろう。
 前回は脆弱な大勢が、強大な個に立ち向かった。今回はその逆。強大な個に対して、俺たちがいかに強大であり続けることができるか。そこが白眉となる。

僧侶「カグヤは言っていました。自分だけが人間の社会性を理解できる。だから、自分だけが人間の天敵足り得る、と」

 それは確かに事実である。強さという点において、カグヤは大天狗の後塵を拝すのかもしれないが、厄介さで言えば同等かそれ以上だ。

317 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/06 23:08:36.74 /c30NiNz0 237/260


僧侶「でも、わたしはやっぱり、信じたいです。何度難題に直面しても、性悪なあいつが捏造した試練だとしても、必ず乗り越えられるって」

 僧侶らしい物言いだった。こいつは人間を信じている。期待している。何度裏切られても、何度利用されても、それを曲げない。
 強情な女なのだ。
 そしてその強情さに俺は助けられたのだ。

傭兵「……」

僧侶「……傭兵さん?」

 いまさら。

 いまさら、恥ずかしくなってきた。

318 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/06 23:09:33.64 /c30NiNz0 238/260


 先ほどのやり取りが脳裏に蘇ってくる。幸せにするだとか、幸せになりたいだとか、そんな歯の浮くような言葉を言ったのは俺自身なのだが、だが、だが!
 そして何よりの問題は、あれがまるきり俺の本心だということなのだ!

僧侶「どうしました?」

 きょとんとした様子でこちらを窺ってくる僧侶。お互いベッドから立ち上がっていて、頭一つぶんの身長差があるため、必然的にこちらを見上げる形になる。
 思わず後ろへ下がってしまった。こいつとの付き合いもそれなりになるが、そういえば、まじまじと顔を直視した記憶など殆どない。水色の髪の毛が艶めいているのは知っているが、逆に言えばそれくらいで。
 二重だとか、白い肌だとか、薄い唇だとか、そういうのは。

傭兵「く」

 意識するとよくない。けれど、意識するな意識するな意識するなと念じれば念じるだけ、感覚は全て僧侶に向けられていく。

319 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/06 23:10:53.11 /c30NiNz0 239/260


 わかっている。わかっているから落ち着くのだ俺よ。最早わかってしまっただろうお前は。ベールが剥がれた一瞬、その奥に隠されていたものの正体を、それに刻まれた名前を、お前は見てしまったじゃないか!
 だから落ち着け、頼むから落ち着いてくれ。

僧侶「傭兵さん?」

 心臓がうるさい。なんだこれは。まるで童貞じゃないか。くそ。情けないったらありゃしない。

僧侶「なんでそんな顔赤くなって……」

僧侶「あ」

 何かに気づいた僧侶は俺に近づくのを一旦停止して、息を呑むのと同時に顔を真っ赤に染め上げる。

僧侶「あ、あ、あ……っ!」

 声にならない声。俺を指差して、じわじわと目に涙を溜め始めている。

320 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/06 23:11:44.44 /c30NiNz0 240/260


傭兵「あ、いや、その!」

僧侶「はい!」

傭兵「だから!」

僧侶「はい!」

 まるで会話になっていない。お互い慌てふためいて、よくわからない言葉の応酬だった。

傭兵「さっきは、違くて! いや、違わねぇけど!」

僧侶「はい!」

傭兵「その、幸せだとか、幸せにするとか、いやそもそも幸せってなんだ? 俺はよくわかんねぇけど、あれだ、なんだ、つまり、うん、こう、胸にこみ上げてくるっていうか? なぁ、わかるだろ?」

僧侶「ぜんっぜんわかんないです!」

 すっごいきらきらした笑顔で言う僧侶だった。
 嬉しそうで、でも泣きそうで。
 幸せそうで。

 あぁ、俺はこいつのこの顔が心底好きなのだ。

321 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/06 23:12:17.05 /c30NiNz0 241/260


傭兵「……なぁ」

僧侶「はい!」

傭兵「――俺と一緒に幸せになる気はねぇか」

 言い終わるか終わらないかというあたりで、僧侶の小柄な体が、そのまますっぽり俺の体に収まってくる。
 手を背中に回された。俺も僧侶の頭に手をやる。

僧侶「はい!」

 

338 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:22:23.95 bTDiL5Hz0 242/260

※ ※ ※

 さて、どうしたものか、と俺は思った。

 僧侶との待ち合わせ時間まで三十分ある。これでも充分余裕を持ったはずだ。
 正午に広場の噴水の前という、ある種凡庸とも陳腐ともとれる待ち合わせ。俺も僧侶も、そういったものにとんと縁がなかったから、安直なくらいが寧ろちょうどよかった。
 将校をはじめとしたPMCのやつらにそれとなく尋ねてみたところ、やはり女性を待たせるのはNGということで、かなり早めに基地を出たはずなのだが……。

傭兵「なんであいついやがるんだ」

 僧侶は噴水の前で落ち着かなさそうに辺りを窺っていた。
 思わず俺は身を隠してしまっている。

 ちらりと見えたあいつの姿はいつもの僧衣とは全く異なっていて、薄い桃色のタンクトップの上から大きく胸元が開いた七分袖のカットソー、デニムにかかとの高いパンプスといった風であった。
 まるで年齢相応の少女のような格好に、思わず面食らってしまったのだ。

 メモ帳を見た。こちとら物心ついたときから剣を振って魔物を殺してきたのだ。上手な戦い方、殺し方しか知らぬ俺に、当然エスコートの知識があるはずもない。そのための予習をしてはきたのだが。

傭兵「出鼻を挫かれたな」

 こちらより早くこられたときの対応などどこにも書いていなかった。

339 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:23:03.08 bTDiL5Hz0 243/260


傭兵「……」

 めんどうくせぇ。

 だんだん冷静になってきた。
 俺は何をやっているのだ、僧侶相手だぞ。恋仲になったとはいえ、あいつはあいつだ。そしてあいつと俺は数年の付き合いがある。一緒に旅もして、ある程度のことならつーかーの仲。何を恐れる必要があるのか。
 メモ帳を放り投げ、大股で僧侶の方へと歩き出した。

僧侶「あ、よ、うへいさん!」

 一瞬舌を縺れさせる僧侶だった。

傭兵「早いな。待たせたか」

僧侶「あ、いえ、わたしも今きたばっかりでしゅ」

 ……噛んだな。

 俺は最早突っ込むのも馬鹿らしくなって、いまいるボスクゥの歓楽街、その案内看板へと視線をやる。
 図書館や劇場、美術館といった方面へ行くか、それとも飲食店の通りへ行くか……正午という時間帯から考えれば、まず腹ごしらえしていくのが常道なのだろうが。

傭兵「飯は食ってきたか?」

僧侶「まだです。傭兵さんは」

傭兵「俺もだ。じゃあ、決まりだな」

 といっても、どこに入るか。場所を書いたメモ帳は投げ捨ててしまった。それでいいのだと思ってはいたが、いざこの段になって、出所のわからない不安が押し寄せてくる。

340 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:23:35.70 bTDiL5Hz0 244/260


 まさか昼間から、しかもデートという名目上で、酒場はあるまい。なら喫茶店に入るべきか。だがきちんとした食事が出てくるのだろうか。値段は。相場は。そもそも僧侶は金を持っているのか?
 途端に固まった俺に対し、僧侶は不思議そうな目を向けている。

僧侶「どうしましたか」

傭兵「なんでもぬぇよ」

 噛んだ。

 僧侶が何か言おうとしたのを意識的に無視して、俺は飲食店の並ぶ通りへ歩き出す。とりあえず歩き出そう。とりあえず行こう。そうすればなんとかなる。はずだ。

僧侶「あぁもう、待ってくださいよぉ! そんな大股でっ」

 大股だと? そんなつもりは毛頭ないのだが。

 気持ち一歩を小さくすると、ようやく僧侶は俺に追いついた。パンプスは歩きにくいのか、俺の腕を掴んで息を切らしている。

 柔らかな手のひらだった。
 香水でもつけているのか、甘い花のような香りもする。

341 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:24:07.49 bTDiL5Hz0 245/260


 振りほどこうという気などなかったのに、どちらともなく赤面して、接触はものの一瞬で終わった。僧侶が「ご、ごめんなさい」と何に対してだかわからない謝罪をしてくるので、俺も不覚のうちに「気にするな」と返してしまう。

傭兵「そ、それにしても、結構人ごみだな」

僧侶「そうですねっ」

 はぐれそうなほど、とまではいかないが、様々な人種がごった煮になった目抜き通りは真っ直ぐ歩けそうにない。
 こういうときこそ手を繋ぐべきなのだろうが、今まで散々無意識で行えたはずの行為が、どうして今はこんなにも難しいのかわからなかった。

僧侶「……」

傭兵「……」

 そうして無言である。カグヤの襲来から早数ヶ月が経過し、久しぶりに出会えたというのに。
 話題は俺たちの間に山積しているはず。それでも言葉が出てこないのだから、情けない。
「元気だったか」でも「いい天気だな」でも「何が食べたい」でも、何でもいいから訊くのだ。ほら、訊けったら!

傭兵「……プランクィはどうだ」

 搾り出せた言葉が、話題が、なぜこんな真面目くさったものなのか。俺自身まったく理解できない代物である。どうにも頭と体の遣い方が、デートと殺し合いでは別のようだ。

342 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:24:59.36 bTDiL5Hz0 246/260


 ◇ ◇ ◇

「……あの馬鹿ひっぱたいてきますわ」

「やめてください! いえ、本当に!」

「将校さん、どうしてあなたがいらっしゃるのかしら。これは私の楽しみ。私だけの娯楽ですの。邪魔しないでくださる?」

「三十路も近づいてきている男の初デートなんてなかなか見られるもんじゃありません。それに、車椅子の女性が一人で街中にいるというのも、少々危なっかしい」

「自分のことくらい自分でできますわ」

「魔法が使えなくなったということを、少しは気にしていただきたいものです」

「役立たずだと、そう仰るのかしら?」

「どうして悪い方向に解釈するのか……ほら、二人が曲がりましたよ」

「右ですか?」

「左です」

「そう。早く追いかけましょう。傭兵様はまさしくクソバカなようでございますから」

「大変ですね」

「そう思うならもう少し押すのを上手になってくださいまし」

「ヤー」

「言っている傍から轍を踏まないでください。あぁほら、見失ってしまいますわ」

343 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:25:46.89 bTDiL5Hz0 247/260


 * * *

僧侶「まぁまぁ、ってところです。山場というか、峠というか……」

 わたしは傭兵さんの問いに、曖昧ですがそう答えました。

 あぁ、やっぱりわたしはだめなのです。おぼこなのです。緊張しぃなのです。
 それともこれが普通なのでしょうか? 傭兵さんが隣にいて、一緒に歩いているだけなのに、地から脚が浮いてしまいそうになるのは。
 わたしの歩幅にあわせて歩いてくれているだけで、どうしようもなく顔がにやけてしまうのは。

 まともに会話なんかできるはずありません。まともな会話なんかできるはずありません。
 だから、つまるところ、傭兵さんの今の話題振りはまともなそれではないのでしょう。それでも頭がぐるぐる回って巡って混乱しての無言よりは幾分かましに違いないです。
 きっと、たぶん。

僧侶「やっぱり、難しいです。不満は出てきます。どうしたって。結果の平等を与えるってのは、換言すれば、わたしたちが下駄を履かせてるってことなんですから」

 なんであいつだけ贔屓するのだ、となるのは自然なことです。
 頑張らなくてもいいのなら、頑張らなくてもいいやとなるのだって。

僧侶「でも、それでも」

 わたしは、人間の善性に賭けたいのです。
 お金などなくても、人は誰かのために、みんなのために、全体のために、頑張れるということを。

344 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:26:22.27 bTDiL5Hz0 248/260


 ちらりと見た傭兵さんの顔は「やっちまった」と雄弁に語っていました。誰も見ていなければ額に手さえやっていたかもしれません。
 だからわたしは、自らの心に落ちた影を拭い去るかのように、意識的に声を出して笑いました。ふふ、と。
 それに気づいた傭兵さんは、逆に間の抜けた顔をします。いつもは切っ先のように鋭いその顔も、今はおとぼけな人のそれです。

僧侶「お腹空きましたね」

傭兵「ん。あぁ、そうだな」

僧侶「お勧めのお店とかあります?」

傭兵「はぁ? お勧めぇ?」

 普段なら「俺に何を期待してんだ、ばか」くらいは言ってきそうなものですが、傭兵さんは眉間に皺を寄せて、必死に何かを思い出そうとしていました。
 まさか、この人、雑誌でも読んで知識を入れてきたのでしょうか?

 面白すぎます。
 似合わない。

 笑いがこみ上げてきました。同時に、笑みも。

 それは似ているようで決定的に異なるものです。言葉遊びではありません。なぜなら、わたしは確かに嬉しいのですから、これが字面を弄くって得られるものでないのは明らかでした。
 付け焼刃でも、この日のために準備をしてくれたということが嬉しい。
 わたしのことを意識してくれたということが楽しい。

 これが笑みでなくて一体なんだというのでしょうか。

僧侶「傭兵さんと一緒なら、どこだっていいんですけどね」

 あえて聞こえるように言ってみました。
 耳まで赤くしちゃって、傭兵さんはぷいとそっぽを向いちゃいました。

345 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:26:49.50 bTDiL5Hz0 249/260


◇ ◇ ◇

「僧侶様のほうが一枚以上上手のようですわ」

「すっごい幸せそうな顔してますね」

「当然でございます。好きな殿方には甘えたくなるものです」

「まるで経験談のようなことを言いますね」

「無論。私は身も心も州総督様に捧げておりますから」

「もし二人が喫茶店に入ったらどうします? 周囲の店に入ります?」

「それこそ無論ですわ。片時も目を離すわけにはいきません」

「掃除婦さんは何が食べたいですか?」

「何でも構いません。腐っていなければ。そういった類は食べ飽きました」

「あ、二人が店に入りますね。レストラン……ちょうどはす向かいに喫茶店があります。あそこでも?」

「私はBLTサンドをお願いいたします。ほら、早く押してくださいまし。……だから、轍を踏まないでくださいといっているでしょうっ」

346 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:27:23.35 bTDiL5Hz0 250/260


 ※ ※ ※

 味がぜんぜんわからねぇ。

347 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:28:07.42 bTDiL5Hz0 251/260


 ◇ ◇ ◇

「ここは僕が支払いますよ」

「馬鹿を仰らないでください。そんな義理はありません」

「男が奢るというのが甲斐性ですから」

「そんなもの見たくは……ほら、二人が出発してしまいますっ」

「僕が払っちゃいますよ?」

「あぁもう、勝手にしてください!」

348 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:28:49.10 bTDiL5Hz0 252/260


* * *

 とってもおいしい昼食でした。

 難しい顔して、のそのそ食べる傭兵さんの顔を見ながらでも、ご飯は進むものなんですね。
 なんて。

 結局、わたしが一方的に喋るだけで昼食は終わってしまいました。傭兵さんはわたしの話を聞いてはいるのでしょうが、生返事ばかりで、楽しそうな気配が微塵もありません。
 いえ、楽しくないはずはないのです。そう自信をもって断言できます。勿論希望的観測がたっぷり籠められていますが、だって、数ヶ月ぶりに会ったのに早速倦怠期だなんて、そんなのってない!

 お昼の後はウィンドウショッピング、というやつです。とはいえウィンドウとは名ばかりで、実際は麻布の上に広げられた商品を眺めているのですが。
 そう、飲食店のゾーンを過ぎれば、そこは露天商のエリア。宝石細工からよくわからない西方の木彫り人形まで、多種多様な雑貨が犇きあっています。

 わたしも立場上、装飾品の一つや二つは持っていなければ社交の場に赴けないのですが、その按配が実に難しいのです。あまり高級なものを所持していれば、それだけで不平等の象徴ともなりうるのですから。

349 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:29:35.92 bTDiL5Hz0 253/260


傭兵「……本当にそんなんでいいのか」

 だから、こんなんでいいんですよ。
 にんまりと笑って、それを肯定の返事として見せます。
 わたしの手の中には小さな紙袋に入った、これまた小さな硝子のイミテーションがついた、銀メッキの指輪がありました。

 守銭奴の傭兵さんのことです。もっと大きな、しかも本物のダイヤがついた指輪だって難なく買えるだけ溜め込んでいるのでしょうが、もちろんそんな高級品をねだるわけにはいきません。ねだる気もさらさらありませんが。
 いいんです。物より思い出、というじゃあありませんか。

傭兵「……」

 傭兵さんの手の甲と、わたしの手の甲が触れ合って、自然と指が絡まります。

 どちらともなく、それこそ本当に、自然に。
 傭兵さんはまた耳まで真っ赤にしてそっぽを向いていました。ですが、今度はわたしも笑うわけにはいきません。きっとわたしだって同じようになっているでしょうから。
 それでも笑みはこぼれてしまいます。こればっかりはどうにもならない。

 人ごみの中だって、手を繋いでいれば平気なのです。
 人生のように寄り添っていけるはず。

350 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:31:52.50 bTDiL5Hz0 254/260


「どういう了見だ、てめぇ!」

 と、人ごみの中から唐突に怒声が響き渡りました。野太い男の人の声。
 掻き分け掻き分け顔だけ覗かせれば、露天商の主人が観光客らしき老夫婦に大声で怒鳴りあげているのが見えます。

老父「い、いや、ワシらはなにも……」

老婦「そうよ、持った途端に割れて……」

露天商「あぁん? じゃあなんだってんだい、うちの商品が勝手に割れたと、おんぼろの商品だったと、そう言うのかいあんたらは!」

老父「そこまでは……」

露天商「そう言ってるんだよ! 弁償してもらおうか、商品代と迷惑料、合わせて五百万!」

 老婦人の足元には割れた壷が転がっています。確かに、一見すると頑丈そうな壷で、落としたりでもしない限り割れそうにも見えませんが……。

僧侶「傭兵さ……――ん?」

 至極楽しそうな笑みを浮かべている傭兵さんがそこにはいました。

351 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:33:38.92 bTDiL5Hz0 255/260


傭兵「俺が代わりに払おう」

 人ごみが一気に引いていきます。誰も彼もが傭兵さんの顔を見て、周囲の知り合いと小声で言葉を交わし、一歩、二歩、後ずさるのです。
 すぐに周囲から人は消え、遠巻きにわたしたちを見守る人垣が出来上がります。
 ……どんだけ警戒されてるんですか、この人。

 いえ、寧ろ一番可哀想だったのは、露天商の主人です。最初は傭兵さんを訝っていた彼も、目の前にいる人物の正体に気がつくと、愕然とした顔で大量の汗を垂れ流し始めます。

露天商「い、いぃえぇ、あなた様のお手を煩わせるようなことでも……」

 あからさまな猫なで声でした。しかしそれに気分をよくしたのか、傭兵さんは畳み掛けるように一歩踏み出します。

傭兵「遠慮するな。その五百万だったな。支払おう。だが、悪いが今は持ち合わせがないんだ。多少上乗せするから、俺の軍の駐屯地まで来ることはできるか?」

露天商「あ、あのですね」

傭兵「それともなんだ。まさかその壷、五百万ってのが嘘ってわけじゃあ、ねぇよなぁ?」

露天商「そ、んな、あはは」

傭兵「全国的に似た手口の詐欺が増えてるらしいが、お前、それと関係あるわけじゃあ、ねぇよなぁああああああああぁ……?」

352 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:34:59.86 bTDiL5Hz0 256/260


「そこまでです、傭兵様」

「あとは僕たちが引き継ぎましょう」

 聞き覚えのある声に後ろを向けば、車椅子に乗った掃除婦さんと、それを押す将校さんの姿がありました。

傭兵「……お前ら、なにやってんだ?」

掃除婦「そんなことはどうでもいいのですよ、傭兵様。今はその男から絞りと、いえ、弁償することが第一義ではありませんか?」

将校「そのとおりです。ボスは折角の休日を、こんなことに費やすべきではありません。僧侶様とごゆっくりお楽しみください」

 「それでは」と二人は完璧な敬礼を見せ、露天商を前後に挟んで連行していきました。露天商の後姿といったら、えもいわれぬ哀愁を漂わせています。

僧侶「……?」

 そして、わたしは確かに見ました。掃除婦さんの胸に、小さいですが、確かな輝きのネックレスがつけられているのを。
 珍しいこともあるものです。さきほど同じものを、そこの露天で売っているのをみたばかりなのですから。
傭兵「なんだったんだ……?」

 それはわたしが聞きたいくらいです。

353 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:35:38.85 bTDiL5Hz0 257/260


※ ※ ※

 ごたごたはあったけれど、そんなことはまるでお構いなしに、太陽は落ちる。夜の帳も下りていく。
 劇場で芝居を見た帰り、とっぷりと日も暮れだいぶん涼しくなった道を、俺たちはのんびりと歩いていく。

 握った僧侶の手は小さいが、暖かい。
 それは勇敢の証なのだと俺は思った。いつか必ず訪れる、手を離す瞬間を恐れない強さの証明なのだ。

 僧侶が冗談を言った。あまりにもつまらない冗談だった。つまらなさすぎて言葉を話すのも躊躇われたので、少しだけ手をぎゅっと握ってやった。すると僧侶もはにかみながら握り返してくる。ぎゅ、ぎゅっと。
 こいつがボスクゥに宿泊しているのは知っている。まっすぐ帰れば、きっと三十分はかかるまい。ただ、夜は長い。まだまだ今日に余裕はある。
 俺もこいつも、それを理解している。

 楽しいことは一瞬で過ぎ去ってしまうものだ。もしこの世に本当に神がいるのなら、随分と性悪なものだろう。

 僧侶が俺の名前を読んだ。ただそれだけのことなのに、どこかがむず痒くなって、俺はにやけてしまう。そしてにやけながらも言葉を返す。なんだよ、と。
 好きです、と言われた。知ってる、と返す。知られてた、と笑われる。そりゃそうだ、と同じく笑って見せた。笑うのも、今日一日でかなりさまになってきたと、自分で思う。

354 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:36:17.85 bTDiL5Hz0 258/260


傭兵「十も離れたこんな男のどこがいいんだか」

僧侶「再来月でわたし、二十ですから、九つ違いになりますよ」

傭兵「半年後にはまた戻る」

僧侶「おじいちゃんおばあちゃんになったらどうでもよくなります」

傭兵「そんなもんかね」

僧侶「そんなもんです」

 六十の僧侶と、七十の俺を想像してみようとしたが、うまくいかなかった。

 恐らく、こいつと俺とは根源こそ同じだが、その発露が、発芽が、致命的に違っている。
 違ってしまっている。
 それが一から十まで不幸なことなのか、それとも、ほんの僅か、手のひらに残った砂くらいには幸せなことなのか、俺には判断がつかないでいた。

僧侶「また難しいこと考えてますねぇ」

 ぴしゃりと言い当てられた。それが少しだけ癪で、じゃあお前はどうなんだよ、といってしまう。
 僧侶はけれどそんな俺の反応を予測していたようで、それもまた癪だった。まさかこいつのほうが俺より上手なのだなどと思いたくはない。

355 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:40:52.61 bTDiL5Hz0 259/260


 ない胸をそらしながら、僧侶は子供に秘密基地を教えるような顔でこう言うのだった。

僧侶「信じるのです」

 そういえば、こいつは僧侶だったな。

 神を、ということではなく、恐らく、人を。
 誰かを。自分を。

 そうして、強く、強く、生きていかなくてはならないのだ。

 金を稼いで。
 金に頼ることなく。

僧侶「わたしはあなたを信頼して、ここまで来れたんですから」

傭兵「……そうか」

 なら、今度は。

傭兵「俺がお前を信頼する番だな」

僧侶「はい」

 僧侶が立ち止まった。あわせて俺も立ち止まる。
 目の前には宿があった。ここが僧侶の泊まっている宿なのだということは、容易く想像がついた。
 かなり、遠回りをしてきたつもり、だったのだが。

僧侶「……」

傭兵「……」

 流石に、ここで一歩を踏み出すのは、男の役目だろう。
 幸い、まだまだ夜は長いのだ。



END

356 : ◆yufVJNsZ3s - 2014/12/27 02:50:33.47 bTDiL5Hz0 260/260

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ストーリーなんてどうでもよかったんです。
ただ、キャラ萌え小説が書きたかっただけなんです。
そうでした。これが、この長く続いた物語の源泉なのでした。

これでおしまいです。読者の方々にはお礼を言っても言い足りません。
本当にありがとうございました。

次回作は「陣内崎市の戦略核」という題名で予定しております。
ただ、ここでやるかは不明。形式がびみょいですので。

とりあえず、スレが落ちた二作品を完結させることを優先させるつもり。
そちらもよろしくお願いします。

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